-ウェブマスター日記 2023/7-8

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2023/8/27
コーチしている大学ヨット部のレース日です。ハーバー主催のポイントレースです。同日に、琵琶湖YCのレースもあります。倉庫から、「里山VTR250」を出し出発。7:09、「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、「伊藤園健康ミネラルむぎ茶1L166円+サントリー天然水スッキリ果実600ml139円=329円」購入。前週、飲み物が夕方まで持たず困ったので、2本買いです。吹田ICから名神高速に乗り、京都東ICで下車しYH着。
部員に挨拶し着替えて出ると、前週BBQで一緒だったYasさん・Kasさんがレース運営の準備をしています。ポイントレースの方の運営で、当方の若手OBが数人来ています。470の部員がやってきて、「470の参加が当方3艇だけなのでなくなっちゃったんですよ」と嘆いていました。
出艇前ブリーフィング後、S級コーチボートに乗って沖に出て行きました。470は3艇で練習です。前週に続き、上回生は交代しながら数ヶ所に遠征中です。ヨット部LINEで、次々に小戸・葉山・蒲郡などの遠征先から連絡が入っています。当方ヨット部は、9割の部員が大学からヨットを始めています。琵琶湖を本拠にしているのでどうしても海でのセイリング経験が不足しています。この陣容で、ジュニアや全国制覇するような強い高校ヨット部出身者が多い強豪私大ヨット部に対抗していくために、海での経験が必要です。幸い全国有数の部員が集まるようになったので、毎年この時期はこのような多方面練習になっています。未経験1・2回生は本拠地にじっくり腰を落ち着けて練習する時期です。
北風の軽風で、3レース出来ました。途中で1レースだけ風が落ちてノーレースになりましたが、当方にとって良い練習になりました。ポイントレースの運営は安定しているので良いです。今年卒業した当方ヨット部過去最高・インカレ総合3位を達成したスキッパーが2人乗っています。レース艇は遠征中ですが、練習艇でも当然彼らの方が先に1上マークにやってきますが、1レースだけ昨年キャプテンより前で1回生Gotくんがフィニッシュしました。大金星です。ヨット経験8年目が2人乗りに乗り出して1ヶ月の新人に負けました。こういうラッキーがあるところがヨットレースの面白いところです。交代でコーチボートに上がってきた時聞くと、レースエリア全体を見る余裕などなく、どんなコースを走ったかわかりません。卒業したばかりのクルーAmiくんに全てを任せ、セイルだけをみて走ったそうです。南の海面で、京都・琵琶湖・湖祥ヨットクラブ共催の「SAILおおつ」のレースをしていました。ハーバーバックして、ミーティング後帰路に着きました。


2023/8/23
前日に続きうちのヨットに乗る日です。9時集合なので、前日同様ウォータークーラーを持って車で出発。8:38、近所のセブンイレブンで、「天然水の氷1.1kg278円」購入。麦茶2Lと氷をクーラーに入れハーバーへ。
9:12ハーバー着。9時集合なのにまた遅れてしまいました。仕事の段取りをしていて遅れました。Katくん・Okaくん・Satくんとセンターハウス内で合流し船へ。Satくんは高校からですが、他の3人は中学からの同級生です。
船に乗り、また僕のステアリングで沖へ。ステアリングを交代し、エンジンを切りセイリングを楽しみます。3〜4m/sの風があり、沖の一文字から大阪湾に出て一文字を一周する予定でしたが、風が弱くなったので一周を諦め一文字の西側から港内に入りハーバーバック。燃料が少なかったので、ハーバー内給油桟橋へ。12:42、新西20L軽油3380円。
9:12〜13:04新西P800円。Katくんの車と2台で宝塚仁川のKatくん宅へ。シャワーを浴びて着替えてサッパリしました。Katくんの手料理鶏肉丼を食べお腹も脹らみました。ここから宴会です。僕はアルコールがダメなのでソフトドリンクでしたが、夕方までお喋りが続きました。帰路に着きます。2人を車に乗せ阪急仁川駅へ。それから帰宅し仕事に復帰しました。


2023/8/22
近所に住む小学生の頃の同級生Hirくんとヨットに乗る日です。僕は中学から私立KG中に通いましたが、彼は高校からKGにやってきて大学も同じでした。彼が大学で男声合唱団グリークラブの主将をして卒業しました。先月、偶然彼と会った時、早慶同関4大学男声合唱団コンサートのチケットを貰いました。家内とアリーナ席で楽しませて頂きました。加えて、「ヨットに乗せてくれ」と頼まれこの日に至りました。船は台風対策でロープを倍張っているので、翌日乗る予定の高校ヨット部同期Katくんを誘い、3人で乗ることになりました。
9:30我が家集合で、Hirくんが自転車でやってきました。僕の車に乗って出発。近所のセブンイレブンで、「天然水の氷1.1kg278円」購入。土曜日に無風の琵琶湖で熱中症手前まで行っちゃったので、6L入りのウォータークーラーを持っていくことにしました。家内からもきつく言われました。冷蔵庫から麦茶2Lをクーラーに入れています。購入した氷をすぐに入れ準備万端。
10:15ハーバーに着きました。10時集合だったのに遅れてしまいました。Katくんがセンターハウス前で待っていました。火曜日なのでハーバーがお休みでセンターハウスはクローズでした。センターハウスを通らずに桟橋ゲートに行き、カードでゲートを開けて船へ。Katくんに増しロープを外して貰いました。
僕のドライブで桟橋を離れ、3人で沖に出ます。すぐにセイルをアップしエンジンストップ。2〜3m/sの軽風で、Hirくんにステアリングを渡しヨットドライブを体験して貰いました。雲は多いものの良い天気で、心地良い風が気持ち良い。麦茶を適当に飲みながら2時間ほどセイリングしてハーバーバックしました。センターハウス内のレストランで食事しようと思っていましたが休みなので、旧西宮ヨットハーバーに行くことにしました。
10:15〜13:00新西宮ヨットハーバーP500円。旧ハーバーに移動し、「カフェレストラン/アクアサウス・コースト」でお茶タイム。僕はお腹が空いていないので「パインジュース550円」を飲みました。14:21、レストランを会計し帰路に着きました。13:08〜14:25ウインドワード風上P200円。


2023/8/20
琵琶湖北湖でクルージング&世界一周達成おめでとうBBQの日です。当初、世界一周した元琵琶湖ジュニア選手父から聞く土産話を聞くBBQ会だけでしたが、世話係Imaさんから「少し船に乗るから、その服装で」と連絡を受けました。
倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、6:13出発。R171〜中央環状道路。6:23「中環豊中SS」で給油。155km/5.93L=26.1km/L。吹田ICから名神高速に乗り、6:50「桂川PA」。京都東ICで下車し、湖西道路に乗って北上します。高架道路がまだ開通していない白髭神社付近は琵琶湖に沿うR161を走ります。雲ひとつない上天気の青空が広がっています。暑くなりそう。
R161側道から左折し、r296で西進。高島扇状地の広大な田園の中の道を走り、7:56「大炊(おおい)神社」。ここ高島は、小中学校の社会の時間で習う「扇状地」の典型例として登場します。安曇川が琵琶湖に注ぐ地で、山間の豊かな土壌が運ばれ、扇状地上部は果樹、下部は田畑が育ち恵まれた地形です。人の住んだ歴史も古く古代人の史跡が多く遺っている。漢字が日本に渡来する以前の大和文字で書かれた歴史書「ホツマツタエ」が発見された地でもあります。皇統の歴史にも登場します。26代継体天皇の誕生地です。暴君だった25代武烈天皇が子を残さず崩御し、男系が絶えかけた時、5代遡る応神天皇から5代降った継体天皇に繋ぎ、男系に危機を脱した。
『ここ大炊神社は、水尾神社の大炊殿の跡と伝えられている。後に継体天皇と呼ばれた大迹命の誕生の地であり、母親の振姫が御所を置いて産所としたのが三尾神社旧址であろうし、そのための大炊殿であったのかも知れない。
三尾氏は継体天皇の2人の妃を出した名家であるが、「天武天皇元年紀」によれば、「壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)軍の一部に三尾城を攻め落とされている。」この時以来三尾氏の消息はない。なお、越前にも三尾氏がいたようであるが、ここでは近江の三尾氏と見ている。
「猿田彦と秦氏の謎」(清川理一郎著)によると、水尾神社には猿田彦が伝えた天成神道なるものが伝わっていたと言う。天成神道とは秀真伝(ホツマツタエ)のことのようで、吉備真備もこの地でホツマを読み、研究したとされ、安曇川町に陵跡が残っていると言う』。隣接して「長谷寺」がありました。神宮寺のようです。
r296〜r298で、8:16「宇伎多神社」。参道に黒いイトトンボが沢山いました。神社の参道でよく見かけます。バイクに戻り、r298〜r295でR161で湖西を南下します。志賀ICで下車し、r345〜r558。
8:52「樹下(じゅげ)神社」。『御祭神:玉依姫命 本殿様式:一間社流造(3坪) 当社の創祀は不詳であるが、正平3年(1348)木戸城主・佐野左衛門尉豊賢により創建されたと伝えられる。元亀の乱の戦禍に見舞われ荒廃したが、天正6年(1578)に当時の木戸城主・佐野十乗坊秀方により再建され日吉大社より樹下大神を十禅師権現をして勧請した。 明治初年十禅師権現から現在樹下神社と改称し、明治9年に村社に列し明治41年に神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭:5月5日(五箇祭)
早朝北船路の八所神社に於て発興祭が斎行され、木戸樹下神社まで御車し拝殿に他の神輿と合流。木戸荘の五部落(木戸・守山・大物・荒川・北船路)による例祭が斎行される。 午後よりは、神輿五基が琵琶湖畔の御旅所まで渡御し、御旅所祭が執行され、その後「別れ」の儀式を以て、この五箇祭は最高潮の内に終了する』
r558に戻り南下し、志賀ヨットクラブへ。10時集合ですので余裕があります。バイク装束からヨット装束に着替えます。元琵琶湖ジュニア部員のお父さん方が数人集まっています。聞くと、この日は2隻出すそうです。KatさんのとImaさんの。久しぶりにYasさんがいました。春に膝の手術をしてから初めてです。Pに停まっていたカブで来られたようです。バイクに乗れるなら状態は回復しているようです。本日の主役、世界一周帰りのNisさん・Imaさん、そして久しぶりのMatさんが来られました。ロンドンオリンピック日本代表選手のお父さんです。息子さん2人がジュニアヨットをして、2人共日本一にした名伯楽です。うちの次男も、ヨットを始めた時のスーパースターMatくんに憧れて、同じ中高一貫校に進学しました。
船を準備し、2艇で出艇。Imaさんの船のバッテリーが上がってしまいエンジンが始動しません。ハーバーのバッテリーを持ってきてもらいエンジン始動。今年いっぱいが寿命と予想していたので買い替えですね。2時間ほどクルージングしてハーバーバックしました。Nakさんが連れてきた女性2人がバウデッキにいるので、話をしに行きました。1人はNakさんの会社の事務員さんで、入社2週間だそうです。ヨットのヨの字も知らないので、いろいろ説明しました。ヨット用品屋さんなので、これからいろいろ覚えなければなりませんね。
ハーバーに戻り、すぐにクーラーの利いたウェットバーに飛び込みました。冷たい水を飲んで落ち着きました。沖では仕事の時以外はセイルの影を選んでいましたが、殺人的な暑さです。船がバースに戻り、Nakさんと共に片付けを始めました。途中で他のクルーもやってきて終了。Imaさん他はBBQの準備をしていました。ウェットバーの外でBBQ開始。Maeさんは釣り師になっているようで、前日に釣ってきた鮎をたくさん持ってきていました。これが美味い。Nisさんの土産話に花が咲きました。現役OPパパのWakさんはまだ楽しんでおり羨ましいです。子沢山なので僕がコーチしている大学ヨット部に入ってきて欲しいな〜。主にMatさんと話しました。お年を聞くと82才になられたとか・・・僕の父が亡くなった年齢ですが、記憶はしっかりしており歩行も問題なし・・・あやかりたいものです。帰路に着きました。16:49「桂川PA」で、「チョコモナカジャンボ172円」購入し糖分補給。17:41帰宅しました。


2023/8/19
コーチしている大学ヨット部の新人戦のレース日です。天気が良いので、「里山VTR250」を倉庫から出し出発。R171〜中央環状道路。6:55「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、「サントリー天然水きりっと果実600ml150円」購入。6:58「エネジェット中環豊中SS」で給油。243km/8.89L=27.3km/L。名神高速が、京都南から混んでいました。まあ、低速ながら流れているのでそれほど苦にはなりませんでした。
天気予報は、南西1m/sで期待できません。朝のハーバーは、北風が入っています。いずれこれが止んで無風になるのかな〜と予想しました。470級上回生は、蒲郡遠征中です。キャプテン他数人がこの冬縁があって石垣島でMihコーチの合宿に参加し、今回蒲郡でMihさんにコーチされています。この日と明日の新人戦レースは、学連の近畿北陸ブロックの1・2回生だけが出場できるレースです。
朝挨拶し、みんなとあれこれお喋り。1回生とは琵琶湖周航で3日間一緒だったので、半分ぐらい名前を覚えたので名前で呼びかけます。ブリーフィングで、最初に「楽しむこと」を伝えました。チャレンジすることも伝え、レースごとにコーチボートに着けて会話することを話しました。
第1レース予定時刻が近づき出艇しました。D旗規制はないようです。弱い北風の中でレース海面に向かいますが、より風が落ちてきて、曳航してレース海面へ。まずAPが上がり風待ちし、第1レーススタート。470トップが第1マークを回る頃、風が落ちてノーレースになりました。風待ちして12:30に第1レース再スタート。フィニッシュ近くになり風が落ち、両クラスとも半数ほどがタイムアローワンスに引っかかりました。経験者と未経験者の技量差が大きいので、トップ艇との差が大きくなります。
2時過ぎに、第2レーススタート。少し風が上がり3m/sほどあったので全艇フィニッシュできました。470は、最終上マークまで高校ヨット部経験者ではありますが、当方1回生Kumくんがトップを走りました。フィニッシュは3位でしたが大いに盛り上がりました。1上はダントツ気味だったので、フィニッシュで1・2位まで上げたD社の強さも感じました。1・2位D社、3・4位当方で、エキサイティングでした。
15:30、第3レーススタート。より風が上がりエキサイティングなレースになりそう。果敢に下1を狙った当方が、デンジャラスラインを割り、リラウンドしてジャイブし、再び下1の位置でスターボになりましたが、再びデンジャラスラインを割ったようで再びリラウンド・ジャイブすべきでしたが、タックして下3・4の位置を走っていた当方艇にポートスターボで衝突してしまいました。あ〜。当てられた方はレースを諦め、すぐに470コーチボートが寄っていきました。衝突した方はそのまま走りましたが、やがてリタイヤしました。僕の乗っているのはコーチボートなので、470コーチボートから報告を受け、衝突された艇の側に寄ります。サイドボトムに穴が空いたとのことなので、セイルを降ろしてゆっくり曳航してハーバーバックするよう指示しました。
続いてS級スタート。Katくんが3レースとも1上マークから上位を走り、4・6・4位フィニッシュ。翌日もより軽風で3・3・4位でフィニッシュし自信を付けたでしょう。未経験者なので上出来です。彼はハンドリングが上手なので必ず上手くなると思っていたので順調に育っているようです。
この日は3レースで終了し、ハーバーバック。風待ちの時、生あくびが出だして、熱中症になりかけになりました。琵琶湖に足を漬けクールダウンしようとしましたが、次にバケツで琵琶湖の水を汲み、手足を浸けて、更に首と頭に水を掛けやっと正常に戻りました。男子部員は全身琵琶湖に浸かり、気持ち良さそうでした。帰宅後、家内にそれを話すと、首に巻くタオルを持っていくよう厳命されました。


2023/8/15
家内に食パンを買ってくるのを頼まれました。6:55、近所のセブンイレブンに向かいましたが、食パンが売り切れになっていました。台風への準備かもしれません。「亀田揚一番198円+ミックスサンド280円=516円」購入。
姉経由でLINEが入りました。次男が前日渡した北海道のホテルの資料を見て、姉夫婦とその長男一家が泊まりたいそうで、具体的にお嫁さんが動くそうです。次男に連絡が行きそうです。
次男のお嫁さんからLINEが入りました。午前11:48に帰宅したそうです。名神高速は、京都南IC付近で混んだ以外は渋滞なかったようです。ただ、前が見えないぐらいの豪雨に降られた時もあったとか。すみれちゃんは、「次は何時行くの?」と何度も聞いてきたそうで、喜んでくれて良かったです。続いて、長男のお嫁さんからLINEが入りました。予定より30分遅れで新潟に着いたそうで、台風の影響はなかったそうです。より台風が近くを通るこちらの様子を心配してくれていました。
こちらの様子を書き込みました。「7時頃から雨が降り出し、風も強くなってきました。コンビニに食パンを買いに行こうと店に向かう途中、傘が突風で壊れました。しかも食パンが売り切れで二重の残念でした」。


2023/8/14
台風7号が、8/15に紀伊半島に上陸し大阪に最接近しそうです。15日に伊丹からお嫁さんの実家・新潟に向かう長男一家が乗る予定の飛行機は、飛びそうにありません。長男は、新幹線で東京経由で新潟に行こうか悩んでいましたが、15日の伊丹〜新潟便がキャンセルしたとJALから連絡があり、この日の夕方便の予約が出来ました。
台風対策といえば船も同じで、12日に乗った時に次男と一緒に対策しましたが、ジェノアのファーリングが甘めだったことが気になり、夜明けとともに「通勤リード110」でハーバーまで行ってきました。5:17「セブンイレブン西宮マリナパーク店」で、「サントリースッキリ果実600ml・150円」購入。交通量が少なく片道20分でした。
11:30にお寺さんがお盆法要に来てくれます。帰宅後、仏壇お部屋に座椅子を10個並べました。焼香の用意をして準備完了。弟とその長女がやってきました。長男は国家試験の勉強で、弟のお嫁さんは入院中です。義理妹のこともあり来ないかと思いましたが来てくれました。お寺さんが来られ法要。孫たちも一番下が3才なので、もううるさくしません。お坊さんの木魚を叩く仕草や音が面白く、真似をしていました。
長男が17:30の飛行機なので、16時に空港まで送ります。同じタイミングで、次男一家も車で帰路に着きます。それまで、孫たちは遊びまくっていました。みんな、「もう帰るの?まだ一緒にいたい」と子どもたち。すみれちゃんは涙がこぼれていました。長男一家が日本在住になり、横浜と埼玉県川口なので、果物狩りやキャンプなど2家族で集まればいいよね。昨年の帰国後、双方の家に遊びに行っていますが、従兄弟との交流機会が増えると、彼らの子供時代のように従兄弟交流が大人になっても続くでしょう。
また公園に行くことになりました。総勢11人で食パン持って池の鯉へ。帰る時間となり、次男一家を送り出し、長男一家を空港まで送りました。風は少し強くなっていますが、まだ雨は降っていません。家内と自宅に戻り、後片付けです。僕というより家内が大忙しの数日が続くでしょう。息子たち一家が食べずに残した冷蔵庫内の食材やお菓子類は、僕のお腹に収まるでしょう。


2023/8/13
この日は、家内の姉夫婦から誘われ、皆で会うことになっています。家内姉妹は仲が良く、僕も学生時代から姉夫婦が住む浜松を数度訪問したりして仲間に入れてもらっていました。僕らが結婚し子どもが出来てからは、姉のとこの3人とうちの2人でよく遊びました。スキーに行ったり宿泊キャンプしたり、うちの旅行に姉の子が加わったり、仲の良い従兄弟関係ができました。それぞれが家庭を持った今でも従兄弟間でLINEグループを作ったりして交流しています。姉の子たちは関西で家庭をもっていますが、我が家の息子たちは海外や関東に住んでいます。盆や正月に息子たちが帰省すると、皆で集まるようにしていました。それがコロナ禍で中断していました。
久しぶりの勢ぞろいです。義理姉の長男くん夫婦が結婚式・披露宴を挙げた神戸ホテルオークラで会食です。今回は義理姉の娘2人の家族は来ません。両方とも受験生がいるので猛勉強中だそうです。我が家総勢11人と姉夫婦とその長男くん一家4人(息子2人)が集まります。会食だけでは子どもたちには楽しくないので、長男くんのお嫁さんのお父さんが、川崎重工のえらいさんなので、ホテルオークラの隣にあるカワサキワールド&海洋博物館を見学します。カワサキワールドは男の子には魅力的なので、6人の男の子には丁度良いでしょう。
早朝、次男に「すみれちゃんを鯉を観に連れて行くよ。男の子たちは誘わないでおこう」と連絡しておきました。7時頃、「行く」と連絡があり、僕と2人になるかな?と思っていましたが、次男が加わり3人でした。網も持ってきたのでそれでセミを捕まえたり、トンボを追いかけながら公園の池へ。今回はすみれちゃんが主役なので、大喜びで鯉を眺めています。食パンも持ってきたので、ちぎって投げています。大きな鯉が集まり、争って食べるので大喜びです。すみれちゃんも大満足だったようです。
11:30ホテル集合ですが、お盆なので道中が混むかもしれないので早めに家を出ました。僕の車には家内と子どもたち、次男車には息子たち夫婦2組が乗り込んで出発。僕は、R171〜R43で神戸に向かいました。次男車は、伊丹郵便局本局に寄ってから向かいます。次男は、お盆休み前日に、会長さんから仕事を頼まれたそうです。次男は北海道のホテルを建築しています。2年前に本体を建てましたが、果樹園を作ったり、サウナやあれやこれや去年も今年も夏になると建物を建てたり、ルーティンを構築したり充実させています。それらの地鎮祭をするため、地元の有力者に招待状を出すように指示されたそうです。文面も送り先も皆お任せだそうです。次男の仕事PCに入れた文面をうちの仕事場で今朝印刷していました。封筒がないとのことで、うちの封筒に入れて数十通の手紙を完成させました。それを投函するために本局に寄ります。日曜日なので近所の郵便局は開いていません。
ホテルに着いてロビーに行くと、姉夫婦とその長男一家が待っていました。久しぶり〜。5分ほどして、息子たちも着きました。予約したレストランへ。長男くんのお嫁さんが全部手配してくれました。奥の席が用意されており、少々うるさくしても他に迷惑が掛からない場所で良かった。長男くんの2人の男の子はおとなしいけど、我が家の孫の男子4人は賑やか過ぎます。
僕の方のテーブルには、家内・義理姉・我が家の孫5人・次男夫婦。義理兄のテーブルには、双方の長男夫婦と孫2人。義理兄は海外勤務したうちの長男とずっと話していました。兄のとこの長男くんは公認会計士で、国際金融をやっているので、いつ海外勤務になるかわかりません。6年間海外勤務で、3年前にアメリカ・ニュージャージー州からロンドンに転勤した時日本に帰国したタイミングで会って以来です。
次男が作ってるホテルのウェブサイトが完成しており、それを見て姉と向こうのお嫁さんが興味を示し、みんなで泊まりに行こうということになりました。1時間半ほど会食して、カワサキワールドへ。13:50「カワサキワールド・大人900円」。海洋博物館はあまり面白くないけど、カワサキワールドは面白くて、孫たちも喜んでいました。1時間半ほどいて、解散し帰路に着きました。
16時半頃帰宅し、次男夫婦に夕食の買い出しを頼みました。孫たちと長男夫婦とで外で遊んだり、息子たち両家からもらったお土産を美味しく頂きながらあれやこれや。僕は、明日のお盆法要のために新しい花を買いに行きました。16:44「関西スーパー久代店」で、「仏花698円×2=1535円」購入。皆で美味しく夕食を食べ、お風呂時間となりました。孫たち5人はワイワイ言いながら姦しいです。まるで5人兄弟のようです。長男とこの3男・ルーカスくんは、すみれちゃんが気に入って、前日もこの日も仏壇に「すみれちゃんと同じ車に乗れますように」「すみれちゃんと一緒にお風呂に入れますように」とお願いしていました。


2023/8/12
7:30に息子たち一家9人が泊まる実家に朝食を運びました。「起きているかな?」
と心配しながら勝手口を開けると、「おじいちゃん、おはよう」と元気な声が飛
んできて、みんな起きていました。加えて、カブトムシの雄が数匹入った虫かご
を見せてくれました。隣の空き地の木の下に10匹近いカブトムシの雄が死んでい
たそうです。「誰かが、死んだカブトムシを捨てて行ったのかな?」と長男から。んなに多くのカブトムシの雄がいたことはなく、長男説に納得しました。死んだカブトムシでも立派な大きなカブトなので、孫たちは興奮しています。横浜の長男宅近所にも埼玉の次男宅近所でも見たことがなく、持って帰りそうです。「持って帰って、夏休み終わりに学校に持っていったらみんな驚くね」と言っておきました。
13日の「ダーウィンが来た」のテーマが「カブトムシの大繁殖」で、近年カブトムシが大発生していると伝えていました。ダイオキシンの問題などで野焼き・焚き火が減りました。それまでは使わなかった木・枝などは野焼きされたのですが、法律で禁止された後、木くずに裁断され空き地に放置されるようになったそうです。そこにカブトムシが卵を産み、そこで大発生したカブトムシが外来種のシマトネリコという木にたくさん集まるようになったそうです。カブトムシはクヌギの木が好きで、その木の樹液が出る場所の夜の王者でした。昼間はオオスズメバチが王者で、カブトムシは森や林の落ち葉の下に避難するそうです。新しく庭木などでシマトネリコの木が増えたことで変化がおきました。シマトリネコはクヌギと違って、カブトムシの角で簡単に樹皮が破れ樹液に簡単にありつけるようになりました。カブトムシは昼間、シマトリネコのアチコチにやってきて住人が驚くほどカブトムシの入れ食い状態になりました。ところが、カラスがやってきて木を揺すり、ポトポト落ちるカブトムシを一気に食べてしまうそうです、それが木の幹の周りにカブトムシの死骸が散乱する原因だそうです。それの真意を確認するため現場を見に行きましたが、クヌギの木でした。いずれにしても、カブトムシが大発生していることを知りました。
すみれちゃんのバレエ発表会のDVDを見せてもらいました。これは次男たちが録ったのではなく、バレエ教室が1万円で販売しているそうです。最近のご時世、肖像権などがより厳格化され、家族の自由な撮影が禁止になっているそうです。「来年は観に行く」と家内が言っています。
ヨットに乗ることになりました。酔いやすい次男のお嫁さんは酔ドメを飲みました。2台に便乗し出発。昨夜は子どもたちでお風呂に入ったようで、5人ともうちの車に乗ってきました。長男夫婦と次男夫婦が次男の車に乗っています。10:24新西宮ヨットハーバー着。家内は腰の手術後なので、揺れるヨットに乗らず、レストランで待つことになりました。それを聞いて、長男も待つとのこと。久しぶりに母親とじっくり話すのでしょう。次男と台風対策の増しロープを外し、11人乗って桟橋を離れます。ジェノアだけを展開し、孫たちが順番にステアリングを握りドライブします。良い風が入っており、ジェノアだけでもスイスイ走り興奮しています。順番待ちの口喧嘩も始まっており大騒ぎです。酔いやすい小5りょうくんが具合が悪そうでしたが、遅ればせながら酔ドメを飲むといっぺんに気分が良くなりました。
小1すみれちゃんが、自分で自由にステアリングしたかったのに、同じ年齢のこうちゃんがサポートしてしまうのが嫌で、1回目のステアリング後パパ(次男)の胸で泣いてしまいました。なぜ泣いたのか分からず戸惑いました。男の子3人は声に出して文句を言うのでわかりやすいが、女の子は喧嘩せず我慢してしまうのでデリケートです。次男家では長女なので快適ですが、長男宅男の子3人が加わると天下を取れなくて勝手が違うようです。
1時間半ほど乗って桟橋に戻りました。12:30、センターハウス1Fレストランで昼食にしました。ヨット乗りの僕と次男で、出艇前の台風対策同様にしてレストランに戻りました。10:24〜13:44「新西宮ヨットハーバー」P。帰宅して、14:30近所の公園内にあるプールに向かいました。歩いて遊びに行く公園なので歩けばよいのですが、簡易テント2つ等荷物があるので車で2度送迎して息子たち一家を送迎しました。僕は我が家に戻って車を置き、自転車でプールへ。家内がまだ入らずに待っていて、2人で入りました。息子たちは2つのテントをプールサイドに建て、子供用プールではしゃいでいました。大人用プールとはネットで簡易的に仕切られ、自由に行き来できないようになっていました。プール監視員の前を通らないと子どもが深い大人用プールに行けないようになっていました。注意書きに、「子どもは大人の付き添いがないと入れません」とありました。
お嫁さんが、「写真撮っちゃダメだって・・・」とカメラを持ってテントに帰ってきました。時代ですね。すみれちゃんのバレエ発表会の撮影もダメだったし・・・我が子の成長の記録なのに何だかな〜と思いました。僕も孫たちと遊びながら子供用プールに入ります。上がってきた長男のお嫁さんは、「塩素強いね」と長男と喋っていました。「僕らがテントを見てるから、泳いできたら」と長男夫婦に言いました。お嫁さんは、高校時代水泳部で泳ぎが好きです。お嫁さんのお母さんは、今でもプールに泳ぎに行っています。りょうくんは、幼児の頃水泳を習っていました。大人用プールに2人で行き、50mプールで競争していました。平泳ぎでは長男の方が勝利していました。
以前同様、定期的に全員プールから上がるよう指示され、強制休憩時間がありました。16時になり、子供だけで来ている子は帰る時間となりました。更にプールで遊び帰ることにしました。自動で一瞬で開くテントを畳む方法が分からず、息子・嫁たち4人で四苦八苦していました。次男のお嫁さんが、家でも使っているらしく主導して畳むことが出来ました。すみれちゃんは、一緒に住んでいるお嫁さんのお母さんとプールに行き泳ぎを教えてもらっているそうで、少し泳げました。プールが好きで、強制休憩時間以外は入りっぱなしでした。
帰路は歩いて帰ることになりました。公園の池に湧水が流れ込む場所があり、そこにはいつも鯉が群れています。それを教えると、孫たちが競って橋の上から下を覗き込みます。ワーワー大騒ぎです。デカい鯉がいるので、お嫁さん達も驚いています。そこを離れ公園内を歩いて帰ります。すみれちゃんの様子がおかしく、またパパとママにくっついて元気をなくしています。そして泣いちゃいました。「何故?」ってなりましたが、原因は男の子たちが良い場所から鯉を覗き込むので、自分はちゃんと見れなかったそうです。女の子はデリケートです。積極的な子なので、邪魔されるのが嫌なのでしょう。
帰宅し、僕が次男お嫁さんの運転で買い物に出ました。すみれちゃんのパンツを持ってくるのを忘れたそうです。ショッピングセンターのユニクロで購入し、隣のスーパーで家族の夕食も購入して帰りました。夕食代を家内から預かっていました。お嫁さんはあまり迷わず買い物を決断し、僕に気を使うことなく日頃の次男宅の生活が想像できました。帰宅して皆で夕食。お寿司や唐揚げ、加えてお野菜、孫たちは何でも食べ、ちょうどよい量でした。すみれちゃんのバレエ発表会DVDを借りて、自宅で家内とゆっくり見ました。高いDVDだけど、同じバレエ教室で習う幼児から大人までの演目が観れました。小1のすみれちゃんは、先生のお嬢さんと一緒の演目で踊っていました。音楽に合わせてダンスを完璧に覚えていて、凛としていました。手足の先を綺麗に伸ばしており、姿勢や歩き方など日頃の生活にプラスになりそうです。少し大人に見えました。


2023/8/11
4時に起き、タオルを持って朝の身支度。歯磨きして顔を洗い、タオルを濡らして風呂に入れなかったので身体を拭きました。これだけでサッパリしました。朝の散歩を兼ねて、長い階段を上がってブランコへ。琵琶湖が眼下に一望出来ます。ブランコに乗ってみると、写真の撮り方によっては琵琶湖に飛び込む感じに写ったり、天空高くのブランコに乗っているように見えたりしそう。
ロッジに戻ると、部員が朝の身支度をしています。2回生UenくんやKog嬢が、麦茶をたくさん作って部員の水筒に入れています。その他に大きなペットボトル多数に注いでいます。周航隊長の2回生Tamくん中心に各班・各担当がベースで動いています。
この日も助手席は、2回生Takくんでした。湖西道路を南下し、昨年同様の北小松湖水浴場へ。1回生には各自2回生からの周航期間中の公約が課せられています。Takくんの「人間観察日記」が毎日LINEにアップされ、部員への観察眼と文才を感じます。Fujくんの「おじさんLINE」も面白い。「おじさんLINE」というのは、部員に訊ねるとおじさんがよく使うLINE手法だそうです。絵文字・顔文字・記号・句読点などを多様する手法で長文だそうです。僕もおじさんだけど、ほとんど絵文字は使いません。でも、長文です。メールの文章同様にLINEでも書いてしまいます。
湖水場に部員を降ろし、北小松駅前Pに車を置きに行き、歩いて湖水場に戻りました。公約で「ナンパ3人」をゲットしたKanくんが、未だゼロで危機です。本人に問うと、ここでコンプリートするそうです。数時間後経過を聞くと、4アタック2ゲット(うち男1)だそうです。ずっと湖水場をうろうろし、男子2名が協力したり、女子部員も協力していました。顔は良いし、学歴も申し分ないけど、ナンパは度胸です。そこが・・・。4年前、同じ公約だった前主将は、初日にコンプリートして、おまけに部内でも彼女をゲットし今でも続いています。
昨日、部内腕相撲大会女子部はチャンピオンまで決まりました。女子マネ・Mitさんがチャンピオンで、高校時代はバレーボール部でした。でも喋り方がゆっくりで体重があるようにも見えず、とてもそんな力持ちに見えません。僕にはとても以外でした。男子の部が始まり、470クルーHijくんが1回生内チャンピオンで、大接戦の末負けたAotくんが2位でした。男子決勝戦前に、4回生女子チャンピオンKurさんと1回生女子チャンピオンMitさんとの決戦があり、Mitさん勝利。2回生から入部したので1回生時の周航チャンピオン大会に出場しなかったが、影の女子チャンピオンYamさんと勝負して欲しいな。1回生男子チャンピオンが決定し、2回生チャンピオンTamくんとの勝負となりました。どんな大勝負となるか期待しましたが、一瞬でTamくん勝利。それを見て2位Aotくんが1回生のリベンジを申し出てTamくんに勝負を挑みましたが、これまた一瞬でTamくんの勝ち。1回生が驚いていました。僕もびっくりし、Tamくんにコツを聞き、実地見習いしました。
そして真剣勝負を挑むと、なんと大勝負になりました。数分持ちこたえましたが、勝ち目はないと諦めました。「真剣に勝負してな」と前もって言っていたのに・・・、勝負後「真剣にやりましたよ。コーチ年齢いくつですか?強いですわ」と言われました。ホントなら嬉しいが、ホントかな〜。
恒例のスイカ割りでは、2人目のHizくんが割ったそうです。みんなスイカにありつけたようです。1回生は湖水浴を楽しみ、艇庫で2回生が作ってきた朝食「おにぎり」と昼食「焼きそば」を食べていました。僕も2回生も食べたけど・・・。
帰路に着きます。部員を乗せ艇庫へ。部員を降ろしてすぐに帰路に着きます。家族LINEに琵琶湖を出発したことを書き込みました。この日は、朝次男一家が埼玉から車でやってきます。17:30伊丹空港着で、長男一家が帰省します。琵琶湖周航の手伝いが決まってから長男一家の到着時間がわかったので、次男に空港までの迎えを頼んでいました。湖西道路〜名神高速〜中国道・池田ICを下車し、5:30信号で止まったタイミングで再びLINEし、僕が向けに行くことになりました。
17:37空港P着。既に到着予定時間より遅れていますが、長男から「羽田出発が遅れているから、到着は6時を過ぎる」と連絡を受けていたので余裕です。到着ゲートで待っていると、6:55「今着いた」のLINEが入り、無事合流できました。「17:37〜18:19大阪国際空港400円」で自宅に向かいました。家までは車で5〜10分です。荷物を置いて、長男一家が仏壇に参ってすぐ、みんな総勢11人で近所の「餃子の王将」へ。帰宅して30分ほどあれやこれやして、お風呂時間となりました。


2023/8/10
琵琶湖周航2日目。起きて、車でコンビニに向かいます。5:20「ファミリーマート彦根ミシガン通り店」で、「アロエヨーグルト脂肪ゼロ199円+ブルガリアヨーグルト低糖141円+紅茶茶園フルーティー268円=608円」購入。車の中でヨーグルト朝食タイム。5:44「2ポート充電器2.4A・1480円+2in1USB-C1480円=2960円」購入。6:09「サクレモン151円」購入。コンビニPに車を置いたまま、近くの浜でのんびりしました。
7時にお寺に戻り、ご住職の朝のお勤めを一緒に体験します。宿坊のようです。足を崩しても良いのに、頑張って正座して説教後苦しんでいる部員がいました。朝食タイム。浜に出て、1回生はパン食い競走での朝食でした。スタートする前に浜に落ちていた棒を中心に10周回るので、徒競走に入る時は皆フラフラです。面白くて大笑い。1回生女子選手Tanさんは陸上部だったので足の速さを注目していましたが、それ以前に全くフラフラせず驚きました。まるでフィギュアスケート選手のようです。あとで理由を聞いたら、子供の頃スケートをやっていたそうです。くるくる回れるのだそうです。
宿泊した本堂を片付け、ご住職ご夫婦に挨拶して移動します。前日とこの日、ご住職と話しました。ヨット部と縁ができたのは、2代前のご住職の時代です。そのお孫さんが現住職の奥様です。奥様にとっては、子供の頃から毎年夏になると大学ヨット部員がやってくる年中行事で楽しみになっているそうです。ご住職は龍谷大学を卒業し、卒業してすぐブラジルに渡航し、浄土真宗の寺院で勤めていたそうです。ブラジルは浄土真宗寺院が圧倒的に多く、浄土宗・真言宗・天台宗など他の仏教寺院はとても稀だそうです。本堂の屋根の修復中で、多数の信徒さんに寄付を願ったようで、この地区から戦前多くの日本人がブラジルに渡り、その子孫からも寄付が寄せられたそうです。
この日の助手席は、2回生Suzくんに代わって2回生Takくん。後ろの1回生も交代しています。長浜城近くの無料Pに入れて歩いて黒壁スクエア地区へ。11:19「黒壁ガラス館」で、「帽子クリップ1980円」購入。家内へのお土産です。「海洋堂フィギュアミュージアム」を見学しました。「茂美志や」さんで昼食。
車に戻り、湖西へ。琵琶湖最北部湖岸県道を走り、海津大崎経由で「メタセコイヤ並木」へ。車を置き、並木を歩きました。車で宿泊地へ。海水浴場でキャンプだと思っていたら、「ピラテスト今津」という標高500mもある高所のキャンプ場でした。何度かスキーしにいったことがある「箱館山スキー場」近くです。
ここに荷物を置いて、琵琶湖大橋まで南下しました。ヨット部のスポンサーをして頂いているヨットクラブでBBQです。全員で社長さんに挨拶しました。2回生Suzくんが作業服を来て草刈り作業していました。ここはバイト先でもあります。草刈りからヨットインストラクターまで楽しいバイトです。この琵琶湖周航は1回生を楽しませるイベントで、2回生はサポーターに専念しています。お寺の準備・片付けを終えて、ここに来てバイトしてBBQ用意しています。その後、社長が用意してくれた花火で花火大会。ヨットクラブの会員さんも一緒に楽しみました。ここは、僕が大学1年生の時、隣の艇庫だった近大ヨット部員4回生だったAisさんが創業したヨットクラブで、現社長さんはそのお嬢さんです。親しくお喋りしました。ここから車で「ピラテスト今津」まで戻りました。真っ暗な山道なのでゆっくり走ってお宿へ。
ここからまだイベントがあります。恒例の「肝試し」です。キャンプ場内の森の一本道が会場です。ヨット部は大きな建物の大広間で雑魚寝ですが、オートキャンプ場があったりコテージがあったり、広い施設です。1回生に、3人の女子部員と3人の女子マネージャーがいます。その6人をカップルに組み、他はデジタルあみだくじでペア決めしていました。男女ペアもデジタルあみだくじで決定した風を装っていますが、各種情報を集めペア決めしたそうです。どうやってするのかわかりませんが、目の前で決めていました。最近の若者はデジタルに強いです。ペアが2分ごとに出発して行きます。2回生が脅かし役として先入りしているはずです。電灯のない森の中の未舗装小道なので真っ暗です。脅かそうと待っている2回生でさえ怖いです。僕も面白そうなので出発点までついていきましたが、「コーチはどうします。コテージに帰ってもらってもいいし、ペア組みしましょうか?」。ここまでの道は舗装路でしたが、真っ暗で帰るのも怖い。「みんなここに帰ってくるんだよね?」「いいえ、一本道でコテージに行きます」。これは、行くしかありませんが、脅かされるのは怖いので、1回生全員が出発した後ついていく2回生2人と一緒に行くことにしました。夜中12時を過ぎていたので、僕はすぐにPで寝ちゃいましたが、部員はシャワーを浴びたりしたそうです。


2023/8/9
コーチしている大学ヨット部の琵琶湖周航の日です。前日の夕方合宿所に集合し、「びわこ大花火大会」を観戦したそうです。開会式もあったようで、周航中の各自に当てられる公約発表もあったようです。そして翌日のこの日から周航開始です。ただ、今年も海上周航ナシで、全員陸上移動です。それをサポートします。四輪を出し、6:51「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、「サントリー天然水スッキリ果実600ml139円」購入。8時前に合宿所に着き、皆に挨拶。朝食時間となりました。その後、室内でゲーム開始。いろいろ面白いオリジナルパーティーゲームで勝敗・順位を決め、1回生23人に加点していきます。浜に出て、縄跳びや5人6脚などで更に加点。4日間の周航期間中、いろんなゲームをして得点を競い周航順位を決めて賞品が出ます。
昼食後、周航開始です。僕の車に1回生6人乗せて、助手席には2回生でこの班の1日リーダーSuzくん。浜大津経由で湖東に出て、14:49草津の「滋賀県立琵琶湖博物館・入館料640円」へ。昨年も行ったところでイージーコース。大人800円が団体料金で640円になっていました。僕以外は学生なので、450円が360円になっています。16:12「Museum Shop Otdeya」で、11日に帰省する孫たちへのお土産として、恐竜パズル900円×2購入しました。同じ絵柄のパズルで細かさ3種類入ってるので、各年齢で楽しめそうです。
続いて長浜へ。16時頃長浜城近くにある無料Pに入れ、歩いて黒壁スクエア等がある観光中心地へ。黒壁ガラス館で、おしゃれな女性用帽子の流れ止めを購入しました。これは家内へのプレゼントです。グループでお食事タイム。長浜のお勧めを注文しました。
次に、この日の宿泊先に向かいます。毎年恒例の「上妙寺」です。お寺に着いてご住職さんに挨拶し、本堂に荷物を入れます。1回生とともに浜に出ようと歩いていると、2回生にダメ出しされてしまいました。僕はそのまま浜に行き、その理由がわかりました。竹を組んで、本格的なそうめん流しを作っていました。立派な太い竹が使われており、どこから入手したのか聞くと、2回生マネShiさんのお婆さんの家が京丹波にあり、所有する山にたくさん竹が生えており、それを入手し節を抜いたそうです。4本の竹を組み合わせ、2つのカーブがある本格的なそうめん流しです。暗くなって完成し、1回生を呼んで夕食開始。灯りをつけてワイワイ夕食。こんなに本格的な素人そうめん流しは初めてでした。
お風呂タイムです。部員を乗せて、車でスーパー銭湯へ向かいます。周航費から銭湯代が出てただ風呂でした。21:27「極楽湯」で、「オレンジ・ブルーフラッペ630円」食べてクールダウンしました。21:30集合でお寺に帰る予定だったのに、22:30集合に変更されました。1時間も余裕が出来ちゃったので、更にデザートを1回生たちと食べて時間つぶしをしました。奢ろうと思っていたのに2回生Takくんに見つかって、「これはこちらで」とまた奢られちゃいました。
お寺に戻り、おやすみタイムだな〜と思っていたら、まだイベントがありました。湖岸の砂浜に出てキャンプファイヤー。そして「恋愛相談」タイム。毎年恒例だそうで、1回生から恋愛相談が出て上回生が答えていました。昨年もあったようですが、僕は先に寝てしまったようです。お寺のPに置いた車に戻りおやすみタイムになりました。


2023/8/7
次男のお嫁さんから、家族LINEが入りました。おーすけくん(3才)がしかめっ面の顔をして大きな椅子に座っている写真がありました。「歯医者さんが怖くて顔が強張っています」の説明がありました。「初めての歯医者さんかな?」と質問したら、「何回か行ったことあるのですが、一緒に行ったすみれの虫歯治療を見て、怖くなってしまったみたいです」と返ってきました。僕は、大人になるまで虫歯がなかったので、歯医者さんの経験なしで育ちました。最近の子は、虫歯が少ないとTVで言っていましたが、早期治療が良いですね。
家族の熱海旅行の写真やビデオがありました。プールや海に入ったり、神社に参ったり、海鮮を食べたりしたそうです。1泊2日で熱海を楽しんだようです。良さそうなホテルでした。


2023/8/6
コーチしている大学ヨット部のOB・OGデイです。OB・OG本人と家族が参加します。今年は人気がなく10人以下でした。こちらも2000円参加費+昼食500円なので、わざわざ2000円出して・・・と敬遠された方もいるのでしょう。久しぶりにヨットに乗ったり、家族を乗せたりします。ファミリーデイとは違い、皆さんヨットに乗れるので、部員2人が一緒に乗りますが、部員が1人降りて2人で乗る方が多いです。
前日より1時間受付時間が長いので、1時間早く家を出ます。事故はなかったけど、渋滞は発生していました。10時集合の30分以上前にハーバー着しましたが、既にMin会長が来られていました。OB本人ばかりでしたが、Sorさんが4才のお嬢さんを連れて来られていました。部員、特に女子部員に大人気で、前日より風が強かったのでヨットに乗った時は少し怖がったけど、陸上では元気でした。上のお嬢さんが小3なので、OPを始めるにはちょうどよく、紹介しました。最寄りのクラブは琵琶湖ジュニアです。司会の3回生Minくんの発声で始まり、最初に僕が指名され、開会の挨拶をしました。
前日同様の流れでヨット試乗してから艇庫に移動し、マネ飯時間です。Ishくんの説明があり、13時で解散。参集されたOBさんも見知った方ばかりだったので、部員も気楽だったでしょう。
当初はここで僕も帰る予定でしたが、「内緒だけど、これからマネ感をします」とのことで、残ることにしました。毎年恒例の「マネージャー感謝デー」です。マネージャーがスキッパーとして470・スナイプに乗り込み、部員がサポートしてレースしました。合宿所に戻って各種ゲームです。マネージャー各人を中心に選手数名でチームを組み、各ゲームで得点を稼ぎ、ヨットレースの得点と合計し順位を決め賞品をゲットしました。僕は途中で帰路に着きました。19:23「桂川PA」で、「チョコモナカジャンボ172円」糖分補給して帰宅しました。


2023/8/5
コーチしている大学ヨット部のファミリーデイです。僕の母校ヨット部のファミリーデイは明日です。僕は、行けないけど。ファミリーデイを知らない新入生を中心に、多くの部員に「親を呼びな、喜ぶから」と勧めました。僕は、「楽しまないとヨットは走らない」「ニコニコしてる選手はよく走る」「笑顔が多いチームは強い」をコーチ業の信念としています。そして「豚のおだてりゃ空を飛ぶ」が心情です。ジュニアヨットのコーチ時代、これで日本ナショナルチーム入りする選手を輩出し、無名のチームから中堅チームに成長しました。僕が抜けた後も成長し続け、世界選手権代表を毎年のように出すチームになり、江ノ島と並ぶ日本有数のジュニアヨットチームになっています。子どもは基本的に親が好きです。親の期待にハニカミながらも、その期待に応えようと実力を十二分に発揮し好成績を残すものです。これが日本でも広がりつつあるアメリカで始まったスポーツ医学・スポーツ脳科学の極意です。
コーチになって約20年、全日本インカレ団体戦の地域予選で6〜8位だったチームが3年目で3位争いし、最終レースで負けて4位。3位までなら久しぶりのインカレ出場だったのに・・・。4年目も4位、ここで次男はヨット部を卒業した。次男には申し訳なかったが、彼はインカレ個人戦に出場するだけだった。5年目、地元開催枠1が増え、やっとインカレに出場した。その後、3位に入れるようになり、10年目ぐらいから、毎年のように両クラスまたは片クラスが全日本に出場できるようになり古豪復活してきました。それから、インカレ団体戦クラス6位入賞が目標になり、7位を2連続で悔し涙を流した。
そして翌年、S級が6位入賞を突破しなんとトップと4点差の2位と大爆発した。この年、ヨット月刊誌の「ヨット馬鹿オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。翌年のチームの目標は、Sクラス優勝・総合3位入賞になり、僕の地元開催だったので僕が親の観覧船を用意し、親を観戦に呼びました。すると、なんと目の前でS級クラス優勝してしまいました。40年ぶり、3回目のクラス優勝です。「やはり、親の力は凄い」と再び確信し、それ以来親の観覧船を用意しようと決めました。ところがここでコロナ禍。親の観覧船どころか、OB・OGの応援船まで規制がかかり断念。去年、規制が緩み親の観覧船が用意でき、地元開催でもありさらなる飛躍を目指しました。そして、Sクラス3位・470クラス5位・総合3位と、3つの賞全部で入賞出来ました。そして今年、開催地は福岡県ですが、また親の観覧船を用意し、地元以外のアウェーでの総合3位を目指します。きっと、親の観戦は大きな力になって部員たちを押し上げてくれるでしょう。
倉庫から、「里山VTR250」を出して、R171〜中央環状道路で、9:05「エネジェット中環豊中SS」で給油。242km/9.16L=26.4km/L。9:09「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、「サントリー天然水きりっと果実600ml150円」購入。吹田ICから名神高速に乗り琵琶湖を目指します。事故で「桂川PA」手前から渋滞が発生していました。9:42「桂川PA」でトイレ休憩し、あまりに暑いので「ガリガリ君ソーダ75円」購入しクールダウンしました。糖分補給なら「森永チョコモナカジャンボ」あんおですが、クールダウンにはかき氷の方が上です。桂川下り線PAにもガリガリ君を置いて欲しいぞ。ガリガリ君は75円と安いので、利益を上げたい高速売店は置いていないところがあります。PAでもコンビニが入っているところでは、町中のコンビニに近い品揃えなのでこれからはコンビニがPAの売店に進出していくでしょう。
京都南ICと京都東ICの中間で四輪同士の事故が発生しており、そこまでノロノロ運転でした。開会予定の11時の30分前にヨットハーバーに着きました。既に親が10人以上来られていました。以前は無料開催していましたが、「ヨットに乗る機会なんてないし、まして息子・娘と一緒に乗れることなんて生涯唯一になるかも?」と入場料を取ることを勧め2000円、プラス昼食(マネ飯)500円で、ほとんどの方が2500円を受付で払っていました。息子・娘が作ったクラブのお昼ごはんを食べる機会もそうないはずです。チームユニフォームやバッグも売っています。全てクラブの資金になるので、間接的な応援です。
ご両親・祖父母・ご兄弟など60人以上参集して下さいました。総合司会の3回生Asaくんの発生からファミリーデイが始まりました。すぐに僕が指名され、20分の枠で話しました。ヨットは安全であること、プリントしてきたドロシー・ロー・ノルトの詞「子は親の鏡」を配り、この信念でコーチをしていること、笑顔でヨットが走ること、運動部に親が顔を出すのは・・・ではなくどしどしレースに顔を出して頂くとより良い結果が出ること、などを話しました。「子を出汁に親が楽しんで下さい」と伝えたつもりです。監督も来ていたので、監督の挨拶の後に僕と思っていましたが、監督は閉会の時に話すことにしたそうです。全てAsaくん中心に部員がスケジュールを組みました。
前半ヨット試乗する方々がハーバーに残り、後半組は艇庫合宿所に向かいます。合宿所はエアコンがあるので、僕もそちらへ。親御さんに声を掛け、積極的に交流します。コーチや監督に親しみがあると、親も来やすいかと思って。コロナ禍数年前から始めた行事ですが、年々参加者が増えて来ました。特に、昨年から増えました。これも、交流を強制的に断たれたコロナ禍の影響でしょう。
クーラーの利いた涼しい部屋で、テーブルを周り親御さんたちに挨拶しながら様々な話をします。キャプテンIshくんからのディスプレイを使った説明があり、マネ飯時間となりました。キャプテンから、食事前の儀式の説明があり、キャプテンが「今日の献立は?」、食事を作ったマネさんたちから「・・・」、キャプテンが「合掌、頂きます」で召し上がれとなりました。食事が終わり、キャプテンから「ごちそうさまでした」。後半組がハーバーに向かいました。
入れ替わって、前半ヨット組が合宿所にやってきました。既にハーバーで食事を食べたそうです。前半組同様の流れで、ハーバーに戻りました。ちょうど、後半ヨット体験の親御さん達がレスキューで戻って来るところでした。予定より少し遅れ閉会式が始まりました。最後に監督の言葉で締めてお終い。バイク装束に着替え、帰路に着きました。


2023/8/4
コーチしている大学ヨット部のファミリーデイ前日です。東京からやって来るIshキャプテンのお母さんと、Ishくんとコンビを組んでる3回生女子エースのお母さんがコンタクトをして、前日飲み会が開催されることになり、「コーチも」と呼ばれました。3回生エースは、僕が作ったジュニアヨットクラブ出身で、次男の後輩です。お母さんは、この大学ヨット部のOGなので、お嬢さんが高校生の時OB・OGデイに誘い、大学ヨットを体験しました。クラブの雰囲気が気に入ったようで受験合格してくれました。
「通勤リード110」で駅に向かいます。13:57、御用達本屋さんでヨットの月刊誌・1390円購入。駅から電車に乗って京都へ。「ドロシー・ロー・ノルト「子どもが育つ魔法の言葉」」を買おうと思いましたが在庫なしでした。この本屋さんは品揃えが特殊で、僕の嗜好に沿う本が並んでいるので置いていると思っていたけど・・・。
18時の1時間前に会場の居酒屋さんに着きました。15分前ぐらいから集まりだし、18時より僕の挨拶&乾杯から飲み会開始。Ishさん・エースNukさんご夫婦・ハーバーの近所に住んでる2回生Uenくん母・470リーダーOza母・2回生Tak母と僕です。Ish母は、当方ヨット部から数人参加した1・2月の石垣島合宿に3日間だけ参加したそうです。コーチのMihさんの奥さんが来れない3日間、選手たちの「おさんどん」をしてきたそうです。それだけでは面白くないので、宮古島に行ったり真冬の本州を飛び出して暖かい南の島を楽しんだそうです。息子さんであるキャプテンと雰囲気が似ており、「この母にしてこの子あり」でした。それぞれのお子さんの裏話を披露すると、知らない親御さんが多く盛り上がりました。Nukさんが、親だけのLINEグループを立ち上げており、親だけの情報交換を始めたそうです。秋のインカレ団体戦に向けて盛り上がると良いです。親だけの飲み会などされたら良いと思います。息子・娘を出汁に大いに親が楽しんで欲しいです。
2時間飲み放題セットだったので、20時に解散になりました。京都地下鉄〜JRで帰宅しました。


2023/8/3
今週末、コーチしている大学ヨット部の「ファミリーデイ」と「OB/OGデイ」が土日であります。合宿所前の雑草の草刈りをする為に琵琶湖に向かいました。事故で大渋滞でした。10:30に着く予定だったけど、30分遅れました。10:10、「桂川PA」で「きりっとオレンジ&マンゴー600ml・172円」購入。
合宿所に着くと、キャプテン以下5名がいました。スポンサー巡りをするそうです。先日終わった7大学戦優勝を報告するそうです。PCでプレゼンテーション資料を作っていました。真夏の炎天下、自宅から持っていった電動垣根刈り機で頑張りました。15分やったら休憩の連続で、14:30まで粘りました。水をがぶ飲みし、頭から水を被り、「鈴鹿8耐」のようにプールを用意し、交代した選手がそこでクールダウンするように僕もしたかったです。やりすぎるとこちらの体調に影響しそうなので、切り上げて帰路に着きました。
1日で最も気温の高い時間帯に高速道路を走りました。頭がボーっとするような暑さでした。14:38、「桂川PA」で「白くまバー172円」購入しクールダウンしました。ガリガリ君の方が冷たく食べたかったんだけど・・・。13:30頃帰宅し、後片付けして風呂に入り汗を流しました。


2023/8/2
夕方、小学校と大学の同級生Hirくんが自転車でやってきました。「・・くん、あそぼー」、小学生の頃からこういう台詞ですが、大人なのでもっと上品な言葉で誘われました。前回の日曜日に、Hirくんが出演した東西4大学合唱演奏会を夫婦で観に行ったので、それに対するお礼でした。僕としては、Hirくんからダタでもらったチケットだったので、お礼を言うのはこちらの方なんだけど・・・。僕も自転車を出してペダルを踏もうとして、「御免、スマホ持ってくるわ」で出発。「俺もスマホ忘れたから、俺の家経由で行こう」。Hirくんの家に寄り道してから近所のカフェへ。
かき氷を食べながら、あれこれ1時間ほど話しました。彼は企業の経営者のモチベーションを上げるコンサルタントをしていました。長男さんも別の同業会社に就職し、同じ職業だそうです。息子が司会で親父を紹介したセミナーを開催したり、コロナ禍で独立したので、親子で講師をしたこともあるそうです。それを聞きながら、良い親子関係が想像されました。それを話すと、「俺は心配しながらも何も言わんからな〜」と言っていました。
僕も同じで、息子たちに「こうしたら?」なんて言ったことはなく、「どう思う?」なんて相談を受けたら意見を言うだけです。そんな我が家の親子関係だからか、親子喧嘩をしたことがありません。僕が母親を喧嘩ばかりしていたのとは大違いで、その全てが僕をコントロールしようと機関銃喋りすることから起こりました。中学生でキリスト教教育を受け、親と子が神様に対して同じ高さに並立し、ピラミッド関係ではないと知り、母親の小言を受け流す事ができるようになり、「親子喧嘩は親の問題」と達観するようになりました。それにより、「親から叱られたことがない」と言う家内の言葉に結婚しようと決めました。
文科省のスポーツコーチ資格を取るためにスポーツ脳科学を勉強した時、最も感じたことをHirくんに話すと、その考え方のアメリカの第一人者の講義を直接聞いたことがあり、気に入ってもらって僕を引き立ててくれたんだと教えてくれました。
僕の叱らないコーチング、叱らない親子関係を話すと、多くの友人が「甘い」と否定的な反応をしましたが、こんな近くに僕と同じ考え方の友人がいたなんてとビックリしました。Hirくんは、実家が漏電で全焼したり、いろんな苦労をしました。僕も人生いろいろ、親同士も僕の子供の頃からの知り合いだし、家内もHirくんのお母さんを知っています。外からですが、お互いにある程度お互いの人生を眺めてきました。19:57、「珈集伊丹店」で「かき氷Wベリー880円」精算し帰宅しました。


2023/7/30
「第24回東西4大学OB合唱連盟演奏会」の日です。小学生の同級生で、大学でも同学年だったHirくんからチケットを貰いました。HirくんはKGグリークラブの主将で卒業しました。学生時代もチケットを買ってデートで聞きに行ったことがあります。家内とのデートではないけど・・・。
2人共お休みで、家内に毛布と「冬用どてら」の洗濯を頼まれました。大きいので面倒なので、初めてコインランドリーを使うことにしました。コーチしている学生などは、遠征先で気軽に利用しているのを見てるけど、僕は利用したことがないのでどういうシステムか不安です。でも何でも最初はそういうもので、失敗しながらだんだん覚えていくものです。「通勤リード110」に乗せ、近所のコインランドリーに向かいます。6時からやってるお店ですが、24時間営業のお店も多いようです。お店には2人お客さんがおり、使用説明を読んで毛布とどてら2着を12kg用の洗濯・すすぎ・脱水する全自動ドラム式洗濯機に入れ、コックを閉めて600円投入しました。お札しか持っていなかったけど、両替機があり助かりました。コインしか受け付けない機械でした。洗濯機が動き始めましたが、終わる時間がわかりません。「すみません」と女性のお客さんに聞くと、機械に表示されていました。30分コースでした。一旦帰宅し再び30分後にコインランドリーへ。着いて1分後に「残り時間0」になり洗濯機が止まりました。コックをひねりドアを開けました。まだ湿っているので、乾燥機を試すことにしました。
観測機に3点入れ直し、100円投入。100円10分だそうです。外で10分待って止まりました。出そうとドアを引きましたが開きません。「あれれ?」と思ったら、90度ほどゴロリと動きました。「0になってもまだ洗濯中なんだ」としばらく待ちます。1分に1回ぐらいゴロリと動きますがドアは開きません。「おかしいな〜」「すみません」と、土建屋さん風のおじさんに「0になってるのですが、どうして出すのでしょうか?」と質問。「残時間0だから開くはずだけど・・・」。ハンドルを持って手前に引いて開けてくださいました。「そうか、もっと力が必要なんだ」。我が家は縦型洗濯機だから軽く蓋が開きます。洗濯中は蓋が開きません。ドラム式は横型だから乾燥機もドアがもっと強く閉まってるんだ。学習しました。10分乾燥でかなり乾いたので、あとは自宅で干せば良いと思い毛布などをバイクに積んで帰宅しました。家内に渡すと、もう少し干そうかと言われ、物干し竿に掛けました。
家内といつもの朝散歩に出ました。新しく出来た近所のマックに行くことにしました。駐車場がなく、自転車とバイクのPはあります。車はドライブスルー利用するお店です。四輪Pがないので空いているだろうと歩きはじめました。9:09、「マクドナルド伊丹大鹿店」で、「マックフィズブルーハワイ270円+エッグマックマフィンコンビ(エッグマックマフィン+カフェラテS)370円=640円」購入。マックはカウンターのお姉さんに向かって注文するスタイルだと思っていたら、機械も3台ありました。初めてなので機械にチャレンジです。数度失敗したり戻ったりしながら注文出来ました。カウンターの方がよっぽど早かったな。商品を「持ち帰り」「カウンターで」と「席まで持ってきてもらう」が選択できたので、席まで持ってきてもらうことにしました。2F席に上がり家内の写真を撮りながらお喋り。写真を我が家LINEに載せるのですが、家内のチェックを通過しないと載せられません。「これは・・でダメ」これを何度か繰り返し、やっと許可が出ました。僕にはみんな可愛く撮れたOK写真なんだけど・・・。許可をもらったと思って上げたのに、「これはダメ」とダメ出しされ削除する羽目になった写真が1枚ありました。
帰宅してお風呂に入ります。暑いので、外に出るとすぐに汗まみれになってしまいます。グリークラブOB演奏会は、阪急西宮北口の「兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール」で、開場13時・開演14時です。いつもなら「通勤リード110」タンデムで行くけど、家内の腰椎の手術後、自転車の許可が出ていないのでバイクもひかえます。バス停まで歩き、久しぶりにバスに乗りました。阪急伊丹駅から塚口駅経由で阪急西宮北口。バス・電車の繋がりがよく、開場前に着きました。12:50、「551HORAI阪急西宮北口店」で、「アイスキャンディー・パイン140円」購入。「551HORAI」のアイスキャンディーは初体験です。「551HORAI」と「北極」がアイスキャンディーの大阪2強で関西2強です。同じ大阪南の戎橋筋商店街に本店があり、距離も近いです。同じ商店街で切磋琢磨しながらしのぎを削り、関西制覇した好きなお店です。本店には行ったことないけど、いつか初本店したいな〜と思っています。パインを食べましたが、人気の秘密を感じる事が出来ました。ミルク味・アズキ・チョコ・フルーツ・抹茶・パインはほぼ同じ簡素な包装で、パイン味は昔食べた味でその変わらない懐かしさで売れ続けているんだな〜と思いました。美味かったです。
開演時間になったので駅2F出入口から出て、ホールと直結している陸橋で向かいました。信号もないのでこれは楽です。「兵庫県立芸術文化センター」は、大・中・小ホールがあり、大ホールはKOBELCO、中ホールは阪急、小ホールは神戸女学院とネーミングライツされています。開場時間を5分ほど過ぎて開場しました。とても綺麗な施設で、家内はトイレを褒めていました。ただ施設内にはドリンクの自販機がなく、買って劇場内に入れませんでした。トイレルーム側にプッシュ式ウォータークーラーがあり、そこで喉を潤しました。席は「3Fバルコニー席」です。ステージに向かって右側3階のバルコニー席で、オペラなどでは王族が観るような席で、ここで演劇などを観るのは初めてです。開演時間になり、4校の元グリークラブ員がステージに勢ぞろいしました。合同で合唱され、続いてKOが5曲、D社5曲、W4曲、最後がKGでした。家内はKOのピアノ担当女性の衣装がキラキラして綺麗だったのが良かったと言い、僕はKGが一番良かったと思いました。Wは、曲の解説とその部分の合唱がありユニークでした。
途中15分の休憩を挟み、2時間半たっぷり楽しみました。帰路に着き、また電車とバスで帰宅しました。この日はよく歩いたので、家内は手術後初めて目標の1日7000歩を越えました。僕は1万歩にあと十数歩でした。帰宅後、AmazonPrimeでドラマを見て、いつものように「ダーウィンが来た」「大河ドラマどうする家康」を見て1日が終わりました。


2023/7/29
この日は、大学ヨット部OB・OGの飲み会「二金会」の日です。定例の奇数月・第2金曜日ではありませんが、諸事情によりこの日になりました。会場も定例の大阪堂島のレストランではなく、年1回の新西宮YHレストランです。18時からなので、17:20に僕が駅から送迎します。16:30前に四輪に乗って家を出ました。僕はアルコールがダメなので、飲み会にでも車やバイクで行きます。
R171は土曜の夕方で混雑しており、17時過ぎに阪神西宮駅着。まだ誰も来られていません。D社Azuさんが来られました。バスに乗ろうと思ったけど、僕の車を見つけ戻って来られたようです。僕がコーチしている大学ヨット部元OB会長Uedさんが来られ、D社同期のHyaくん、そして大阪大ヨット部GM・Kobさんが来られ、定刻の17:20になったのでハーバーに向かいます。
ハーバーセンターハウス3F「和茶」には、既に5〜6人おられました。会費6500円(僕はアルコールなしなので6000円)で名札をもらい着席。お初の東北大Kobさんの同じテーブルです。2週間前、葉山での7大学戦で戦った大学です。それらの話から話が進みました。近江草津在住で草津ヨットクラブで、月1でヨットを楽しんでおられるようです。コーチしている大学ヨット部の艇庫はその並びにあるので、これまで何回もすれ違っているはずです。ヨットの世界は狭いです。
横に座ったのが、兵庫ジュニア後輩パパのSugさんです。飲むのでレンタル自転車でここまで来て、自転車を返したそうです。西宮YHのレンタル自転車ですね。帰りも自転車?と聞くと、自転車でも飲酒運転になるそうです。昔は、フラフラほろ酔いで走ってるおっちゃん自転車はいくらでも走っていたのに・・・。「予定では、鳥羽パールレース中なんですけど・・・」と教えてもらいました。先週北湖で一緒にレースに出たGill・Nakさんの紹介で、MATヨットに乗っているそうです。沖縄まで回航して、沖縄でレースに出て、鳥羽まで回航してレースに出て「Trans相模」にも出て西宮に帰ってくる予定だったそうです。ですが、沖縄でエンジントラブルが起きて、沖縄で整備中だそうです。1週間前にNakさんから聞いた話と同じなので同じ船に乗っているようです。Nakさんはプロなので、全国のいろんなレース艇に乗っていますね。
コーチしている大学ヨット部OBのAma夫妻に挨拶に行きます。Ama先生はお医者さんなので、家内の「腰椎すべり症」の手術についていろいろ相談しました。先生自身も腰の手術を受けて回復しておられるので、詳しく教えてもらいました。手術後入院中にお見舞いの品も頂きました。執刀医の名前も伝えたので、裏で同業者としてサポートして頂いたのかも知れません。学校の先生でもあるので顔が広い方です。お陰様で手術後の調子がよく、毎朝夫婦で散歩していますと経過を伝えました。奥様にも先生以上にお礼を伝えました。こういうのは、奥様が実務をされていたり、旦那の名前でいろいろやってるのは日本の家庭のスタンダードなので我が家同様でしょう。
滋賀大OBですが、現在は大阪大コーチをしているShiさんご夫婦と話しました。前述の7大学戦の結果は、総合優勝当方・2位東京・3位大阪・4位九州で、大阪の躍進が目立ちました。昨年の470級5位・S級5位・総合5位から、470級2位・S級3位と大躍進です。その秘訣を聞こうとShiさんとお喋り。奥様とは、和歌山のS級全日本以来かと・・・。
いつものように、Kubさん司会進行で、Azu会長挨拶から始まり、参加者全員の一言、最後はHyaくんの詩吟で、Azu会長の閉会挨拶でお終い。僕は先月の家内の手術について話しました。集合写真で解散になりました。僕の車は8人乗りなので、7人乗せて阪神西宮駅まで送ります。Sugさんの家は甲東園なので、R171門戸厄神最寄りまで送りました。21:30頃帰宅しました。


2023/7/23
レース日です。Imaさんに誘われ、琵琶湖北湖でのレースです。4時前に目覚めゴソゴソ。9時集合なので7時に出発するために6:30から「招き猫CB400SB」を倉庫から出し、ヨットの服装やチームユニフォーム・サングラスなどを積み込み出発。R171〜中央環状道路で、6:56「エネジェット中環豊中SS」で給油。202km/6.68L=30.2km/L。7:00「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、「サントリー天然水スキット果実600ml150円」購入。吹田ICから名神高速に乗り、桂川PAでトイレ休憩。京都東ICで下車し、湖西道路で北上。和邇ランプでPAに入り、8時過ぎにヨットハーバー着。バイクから荷物を降ろしていると、「・・さん、Sowです。お久しぶりです。」と声を掛けられました。「ああ、Sowくん久しぶり。お父さんの会社継いだの?」。琵琶湖ジュニア出身の子で、Imaさんがコーチして育てた子です。大学はRitsヨット部で、学生の頃はコーチしてるヨット部のライバルとして見ていました。
トイレに行き、冷房の効いたウェットバーに入り着替えました。船を用意しに行こうとするとImaさんが来られました。ウェットバーに逆戻りして少し涼んでいると、前回レースでご一緒したGillのNakさんがやってきて船へ。あれこれ準備しているとNakさんが招待した女性が来られました。とても明るい方で場が華やかになりました。Yunさんという兵庫ジュニアの選手のお母さんでした。先月宮津で開催されたOP級関西選手権で、「クルーザーに乗ってみたい」とNakさんの誘いに乗られたそうです。18才からオーストラリアに在住で、レーザーに乗っておられたそうです。1年前にお子さんと共に帰国したそうです。お子さんは向こうでもOPに乗っており、僕らの設立した兵庫ジュニアヨットクラブの現代表Fujさんの紹介をネットで見つけ、兵庫ジュニアでOPを続けることにしたそうです。在所が滋賀県土山なので、兵庫ジュニアホームポートの芦屋まで100km以上ありそう。日曜日に往復なんて凄いお母さんです。
船を下架して乗り込んで沖へ。11時スタートでまだ10時前です。このレースは、琵琶湖大橋周辺の3つのヨットハーバー(志賀ヨット・レイクウエスト・雄琴)持ち回りで、年間3戦のホワイトレースレガッタです。初戦が流れ、この日になったそうです。
ハーバー前の「えり」の中にセイリングボートがいます。「えり」とは、琵琶湖に多数入っている定置網です。朝ハーバーに入ると、すぐパトカーが2台入ってきて、ハーバー職員が事情聴取を受けています。前日花火大会があり、それを観にこのハーバーから数艇出ていったそうです。花火だから帰ってくるのは夜。暗い中、「えり」が見えず突っ込んでしまったようです。その船はImaさんと同じ船で、2隻隣の船です。それほどヨット経験がないお若い方が中古艇を買ったばかりで、いろんな経験が乏しかったようです。レース後帰ってきた時は既に船はなく、バースに上がっていました。きっと警察官に絞られたのでしょう。船の損傷は仕方ないとして「えり」の損害が大変そう。保険入っているといいけど・・・。
バウマンのNakさんがSowくんにスピンの準備をしました。スタートが迫り、クルーザーが初めてのYunさんを時計係に指名し、カウントダウンの仕方を教えました。レースコースは、M字型でスタート(スタートラインは2マークと右本部船の間)〜1上マーク〜2下マーク(スタートラインアウター)〜3上マーク〜フィニッシュ(フィニッシングラインはスタートアウターと左本部船の間)。
スタートラインはアウター有利で、アウター側から出ることにしました。下2艇目でアウターを狙い、下1艇目が早すぎてジャイブしてリラウンド。結果的に下1ピッタリスタートが出来ました。下有利なのでレース艇が一直線に近い形で並んでいます。トップスタートなので即タックしてポートで全艇のバウを切り、艇団を大きく抑えて走ればOKなんだけど、前回一緒に乗った琵琶湖ジュニアパパのセイルメーカーMurさんが乗る少し大きな艇(下4スタート)がバウアップしてグングンバウを出して来ます。そのためタックできません。その艇がタックしてこちらもタック。
M字コースで2つの上マークがあるので、1上は右気味にあると思われポートロングのはずです。マークは視認出来ませんがポートレグの走り合いで1上マークの順位が決まりそうです。このレグのスピードが上がらず、同型艇や少し小さな船に対してもスピード負けし追いつかれ追い抜かれます。ヒールをつけるためにヘルムス以外は下に座っています。どうもオーバートリムしていたようで、ジブ・メインともにリーチが閉じすぎていたようです。
1上10位ぐらいで回航。割合スムーズにスピンが上がり、2艇ほど抜いて2下マーク回航。次のクローズレグはよく走り、1艇ほど抜いたような。3上マークでもスムーズにスピンが上がり、また2艇ほど抜いて流し込みフィニッシュ。Mur艇はダントツで1上マーク・2下マーク回航しましたが、3上マークが見つけられず左に行き過ぎてオーバーセイルしてしまい3位まで落ちてしまいました。でも大きな艇のアドバンテージを活かし、2位フィニッシュまで順位を上げていました。風は予報と違い北風のままでしたが、風速は少しずつ上がりクローズで半分クルーが上に座るバランスになっていました。
フィニッシュしてスピンダウンし、メイン・ジブだけでハーバーバックします。Imaさんが用意してくれたパンがドッグハウスから出てきました。ヘルムスのImaさん以外の皆でパクパク。僕は2個を頂きました。食べ終わったNakさんがヘルムスを交代しようとすると、ImaさんからYunさんに「ティラー持つ?」の声が掛かり、Yunさんが初クルーザーヘルムス体験です。シングルハンドのレーザーの乗っておられたので少し慣れたら普通に走らせていました。僕らは、シートなどを片付けながらワイワイお喋り。
まだ早いので、セイリングを楽んだのでハーバー桟橋に戻ると、先着艇の上架待ちになりました。当方は4番目。ウェットバーに入り、ウォータークーラーからの冷たい水が旨い。駆けつけ2杯が命の水になりました。クーラーの効いてるそこで皆さんとしばらくクールダウンし、船が上がったので後片付けします。再び、ウェットバーに戻り、またお喋り。この日の会費2000円をImaさんに払って精算し、Imaさんがかき氷を奢ってくれて「いちご」を美味しく食べました。荒目のかき氷だったのでより冷たいです。台湾式のように細かいふわふわかき氷だとあまり冷たくないです。
バイク装束に着替え、解散になりました。バイクに乗り湖西道路に上がって南下。往路も交通量が多かったので、15時台だけど復路も多いです。京都東ICから名神高速に乗り、16:27「桂川PA」で、「チョコモナカジャンボ172円」買って糖分補給。吹田IC下車〜中央環状線〜R171で帰宅しました。


2023/7/22
大学ヨット部の先輩方と運用しているセーリングクルーザーが、この日は母港ヨット部のファミリーデイに使用されます。夕方からは、メンバーが会社の方と芦屋花火大会を観に出るそうです。芦屋だから、ハーバーから直接観えるので桟橋係留のまま観るのかもしれません。
僕は参加していないけど、母校ヨット部のレース観戦などで使われたので、船底海洋生物除去とオイル交換のために船に行くことにしました。前日行っても良かったのですが、梅雨明けして昼間は暑いので早朝作業しに行くことにしました。いつものように4時前に起きたのでゴソゴソして、倉庫から「通勤リード110」を出しR171で母港に向かいます。
早朝の国道は交通量が少なく、おまけに信号機も味方してくれ、いつもより早くハーバーに着きました。桟橋ゲートを開け係留艇に着き、船に乗りドッグハウスを開けカーテンを開けて光を入れ、エンジンルームのオイルを点検します。まだ暗いのでオイル交換は後回しにします。続いて船底をじっくり見ます。今年は船底塗料を塗り替えていないので、夏に一気に水生生物が大繁殖するはずです。その割にはマシ。2ヶ月ほど前にゴシゴシ落としたからかな?ちょうど夜明けになりました。5:19登った真っ朱な太陽が雲に隠れそうになっています。
船から出してきたコテで、桟橋から船底をゴシゴシします。フジツボが落ちていきます。船首・船尾左右4本のロープを駆使して、桟橋から適当な距離に動かし、一部ずつゴシゴシして終了。
ドッグハウスに入り、エンジンルームを開けてオイル交換します。オイル吸い新兵器を購入したので、効率が良くなりました。船に置いていたキッチンペーパーを使うがオイルまみれです。新しいオイルを入れて完了。船のトイレは、特別な使用方法をします。海水を取り入れトイレボールを洗いその水を船の外に流してお終い。トイレボールと船の外がパイプで繋がっているので、トイレットペーパーを流すと、しっかり流して船の外に流さないとパイプ内で詰まってしまいます。そこで、うちの船はトイレットペーパーを流すの禁止で、黒い生理用ビニール袋に入れて船遊び後持って帰るようにしています。海水の出し入れは電動ポンプもありますが、電動は故障しやすいので手動ポンプにしています。船を知らないゲストにもわかりやすいよう使用方法を書いてパウチしたものを貼り付けました。船内は早朝でも暑く、上半身裸になり終えました。各所写真を撮り、先輩方にLINEで流しました。7時前になっています。バイクに戻り、7:30前に帰宅しました。毎朝の家内との散歩が出来ませんでしたが、船のメンテナンスが出来て良かったです。

次男のお嫁さんから、家族LINEが入りました。前日はお嫁さんの誕生日でした。家内が贈ったプレゼントのフェイスパウダーをさっそく使ったそうです。いつもより良いと言ってもらえたそうです。
昨日、仕事終わりにレストランでお祝いをしてもらったそうです。すみれちゃん(小1)からは、お手伝い券とマッサージ券をもらったそうです。子供の頃は、僕も肩たたき券をプレゼントしたような記憶があります。写真を見ると、ご飯を食べた後花火付きケーキプレートが出たようで、おーちゃんは寝てしまっていました。お嫁さんもすみれちゃんも美人さんです。
7/29がすみれちゃんの誕生日なので、一緒に贈りました。こちらは僕が選んだ「日本地図パズル」と本です。パズルは朝から遊んでいるようで、いっぱい遊んで、この夏に都道府県の場所が覚えられそう・・・と書いてありました。最初は考えながらパズルを完成させるだろうけど、1週間もすればパパパッとパズルを完成させるでしょう。弟のおーちゃんもいるので、長く遊んでもらえると嬉しいです。
すみれちゃんが読書感想文を書いたそうです。選んだ本が、僕がプレゼントした絵本「小さなお家」でした。小1なのでひらがなばかりで句読点が少ない感想文でしたが、内容のある感想文で、先生からSpcial Goodをもらっていました。「読書が大好きなおじいちゃんが、私の誕生日にプレゼントしてくれました」と書いており、先生に「すてき」とコメントをもらっていました。
先日学校代表になった硬筆展の賞状をもらって帰ってきたそうです。満面の笑顔で賞状を胸の前で持っています。この賞状は宝物ですね。


2023/7/18
新東名高速に乗り換え、伊勢湾岸道手前でトイレ休憩し、引き続き監督ドライブで監督の住処の会社寮へ。高速道路からすぐに寮があり、寄り道が少なかった。ここから僕のドライブで伊勢湾岸道〜新東名。0:47「セブンイレブン土山SA店」で、「森永チョコモナカジャンボ172円」購入し糖分補給しながら30分休憩。1:31「エネフリ土山SA下り店」で給油・30L・5850円。名神高速に乗り換え、京都東ICで下車しました。2時過ぎ大学正門で1回生4人を下ろし、京都南ICから名神高速に乗り、桂川PAで小休憩。眠ってしまいました。6時前に帰宅し、速攻で後片付けして仕事へ。レース遠征週末が終わりました。


2023/7/17
4時前に目を覚ましました。それほど暑くなく、気持ちの良い目覚めでした。家から持ってきた低反発マットレス&寝袋が、僕の車中泊スタイルです。コンビニでプレーンヨーグルトとブルーベリーヨーグルトを購入し、Pで朝食にしました。葉山港へ向かいます。
Pはまだ開いていなかったので、周辺をお散歩します。KO大学・明治大学・W大学の艇庫、「葉山港・日本ヨット発祥の地」碑。逗子駅行きのバス停を見ると、毎時4本以上出ており、ウィークデイの通勤通学時間は倍の本数出ていました。以外に多いな。バス路線に「森戸海岸」というバス停がありました。かつて大学ヨット部の本場でした。学生時代、レースで出艇したこともあり、次男がジュニアヨットやってる時にも出艇したことがあります。風が強く波が高い時は、砂浜出艇なので難儀したことを思い出しました。まだ開店前ですが、オシャレなカフェがあります。遊漁船に乗る為に多くの釣り客が朝早くから受付に並んでいます。
5:03、葉山港Pへ。オープンすぐだったので、P建物1Fに置くことが出来ました。ここは涼しくて最高です。本を持ってハーバー前の長椅子に寝ながら風に吹かれて読書タイムしました。7:30過ぎに選手がやってきました。当方は部員が多いので藤沢から2便でやってくるので、1便はかなり早いです。ハーバーオープン前ですが、ガードマンさんが「入っていいよ」。建物の日陰に座って、2回生部員Harくんの父親と話していると、名大OBさんから声を掛けられました。商社からオービックに2年ほど前に転職したIshさんで、Harさんは現役商社マンなので、話が盛り上がりました。当方OBの方が観覧船を出すので、ここが集合場所になっているようで、OBさん方とお喋り。日本維新の会政務調査会にお勤めのKumさんがいました。別のOGさんは息子さんが東北大の1回生部員だそうで、そちらの楽しみもあるようです。
オフィシャルミーティング後、出艇前ブリーフィングして、定刻に470D旗で出艇。予報通り風がありませんでしたが、3m/sほどの陸風が入りました。2レース出来そうです。1人で防波堤に行き観戦します。少し遅れて、2回生Kogさんがやってきました。女子マネージャーは6人いるけど、2回生唯一の女子選手で、辞めちゃうんじゃないかと気にして子です。でもそんな心配は杞憂で、誰にでも話しかけニコニコ話す子で良い意味で自立している子です。1人で防波堤に来たのも自分を持っているからでしょう。10:30、470第4レースがスタートし、当方は1・4位でこのレースも2艇合計トップで、全レーストップ成績でますます2位に差がつきました。
続いて、1時間遅れで出艇してきたスナイプの第4レースがスタートしましたが、途中で大きく南風に変わりノーレースになりました。僕の予想通り11時に海風が入ってきましたが、タイミングが悪かったです。でも当方に取ってはラッキーで、途中経過ですけど4位・10位ほどの順位でした。次のスタートまで時間がかかりそうで、一旦車に引き上げ、左右のスライドドアを開け放し、1時間ほど寝ました。
12:55、190度5ノットの風でスナイプスタート。当方は4位・12位で1上マークを回航し、逆転が難しそう。結局、1位・10位で13:32フィニッシュ。トップ東大が2位・8位で10点、最終レースは13:30を越えてスタートしないので、AP/Aで本日のレースはこれでオシマイ。1回生部員達に、「京大フラッグをマストに掲げて最後に帰ってくるよ、大いに盛り上がろう」と声を掛けました。470・2艇のマストにフラッグを掲げながらハーバーに入ってきました。良い光景です。スロープに走っていき、選手に握手しに行きます。
フラッグを立てて朝選手を送り出した1回生達から、選手へのエールが起こりました。エール係がありったけの大声を張り上げ、それに1回生たちが続きます。今年の1回生は人数も多く明るい子が多い。いいね〜1回生。
他大学OB・OGさんたちから、「強かったね〜」などの言葉を受け、あれやこれやお喋りしました。船を片付けている選手はニコニコで、1回生も含め楽しそうに片付けています。僕もしばらくそこに混じっていましたが、暑いので日陰で風の通る場所に避難しました。Harさんのお父さんが来られ、息子さんと話した後、遠くから部員たちを眺めています。
閉会式の時間になりました。470級1位・スナイプ2位・総合1位でした。470は、2位大阪&九州・4位東京・5位東北・6位北海道・7位名古屋。スナイプは1位東京・3位大阪・4位九州・5位東北・6位北海道・7位名古屋。総合2位東京・3位大阪・4位九州・5位東北・6位北海道・7位名古屋。最優秀選手賞も頂きました。スナイプスキッパーをした2回生Suzくんで、1・1・2・1位でした。因みに2位も当方の470スキッパー3回生Nukさんで、1・2・4・1位でした。2人共ジュニアからヨットをやってる子で世界選手権日本代表選手でした。次の世代の勧誘を兼ね現役のジュニア選手の親数人と話すと、当方ヨット部の話題がよく出るそうです。当方はスポーツセレクション入学のない学校なので、一般受験し合格してもらわないといけません。次男もそうですが、体育大学や音大など芸術系は別でしょうが、スポーツで大学に行きたくない子もたくさんおり、目標にしてもらっているようで嬉しドリンク獲得じゃんけん大会や裏七大学戦相撲大会が始まり、上半身裸の各大学の猛者が覇を競っていました。
観戦されていた当方OB・OGさんが、そちらを見ておお喜びしていました。来年の主催校・名大OGでOB会副会長Ishiさんとまた会いました。ずっと部員不足で休部状態だったので、七大学ではなく六大学になっていました。今年から復活し、良かったです。
最後のブリーフィングです。監督・僕・主将の挨拶が終わり、「監督の胴上げや〜」と僕が叫ぶと、レース終わりに1回生含め根回しをしていたし、多くはそう思っていたようなので、スムーズに胴上げ大会になりました。主将に続き、相撲大会で勝ったToeくん、何故か「軽いから」という理由で2回生Kisくん・・・皆大笑いです。
帰路に着きます。監督をサブドライバーとしてゲットし、1回生4人乗せて出発。「神奈川県葉山港P5:03〜17:19・840円」。18:02、「ローソン鎌倉梶原店」で、「天然水果実オレンジ&マンゴー150円」購入。鎌倉大仏〜藤沢から高速道路に乗ります。新湘南バイパス〜圏央道〜東名高速に乗り、足柄SAで夕食休憩しました。ここからドライバーを監督に代わってもらい僕は助手席です。監督は新婚なのであれやこれやお喋り。


2023/7/16
4時に目覚めました。1Fリビングに下りて、お嫁さんが用意してくれたプレーンヨーグルトを食べながら、モバイルPC開けてあれこれ。6時前になりお嫁さんが起きてきて、朝の支度を始めました。6:30頃、りょうくんが起きてきて、ネットフリックス?の英語の番組を見始めました。すぐにこうちゃんも起きてきて、寝ぼけ顔で同じ番組を楽しんでいます。りょうくんは3才から、こうちゃんは生後6年間も英語圏で育ったので、英語を忘れないように、朝は英語の番組を見ることになっています。2人共、ネットで英国人先生に英会話を習っています。息子夫婦の子育ては素晴らしい。僕ら夫婦も長男に、彼の希望に沿って駅前留学させていました。その後の彼の人生を振り返ると、あれは大正解で現在に繋がっています。
7時前に家を出ます。バイバイ、ありがとう。横浜青葉ICから高速道路に乗り、横浜横須賀道路を経て逗子ICから出て、逗葉新道100円から、7:32葉山港Pへ。選手が艤装しています。他の部員も続々とやってきます。2回生Harくんのご両親が来られました。幹事校T大OBさんとあれこれ話しました。九大バースに行き部員に聞きましたが、Tanコーチは来ていないとのこと。大阪大に行くと、GMKubさんがいました。「昨日の夜のOBの集まりに来なかったね」と言われましたが、聞いていたのは今夜だったので聞き間違いだったようです。
前日同様、6〜8m/sオーバーの南風が入っており、エキサイティングなレースになりそう。スキッパーズミーティングの後、出艇前ブリーフィング。就活で春から部活を休んでいた4回生女子マネMizさんとHorさんが来ており、メンバーが復帰しここから秋のインカレ本戦まで一丸となって行こうと言い、日頃の実力が出れば2連覇出来るから、沖のサポートチーム・陸のショアチームも自分に与えられた仕事をキチンとこなし、ミスでの失点を防ごうと言いました。Tan監督からは、選手はスタートでのリコールに気をつけるよう指示がありました。
コーチサポートボートが出ていきます。定刻に470D旗が上がり、レース艇が出艇して行きます。下級生中心の各校ショアチームがフラッグを中心に、選手名を大声で応援しています。コロナ禍で一切中止になっていましたが、2019年以前のレース風景が戻ってきました。
1回生にハーバー沖の堤防に上がる道を探させていたので、レース艇が出艇した後堤防上に向かいました。このレースはアンパイヤ制で、470とスナイプが同時にレースをしません。良い風なのに、同時にレースしないのでレース数が半分になり、秋のインカレまでグングン伸びていく選手を思えば、レース数を多くこなした方が良いように思う。この日のレース後、ジュリー・アンパイヤ・ブリーフィングを聞いていて、選手のことよりジュリーのアンパイヤ制の練習をこのレースでしているようにしか思えませんでした。レース中の選手を細かく見てアラ探しで笛を吹くより、選手のルール遵守精神を信じて、より多くレース経験させる方が良いと思う。レース数が多ければ、スターター以外の選手の経験を積ませる機会が増えます。出来上がってる社会人レーサーのレースではなく、発展途上の選手、特にこの定期戦の選手はスポーツ推薦入学者がいない大学なので、大学生になってヨットを始めた選手の割合が多い。そんな選手のレースにはふさわしくないように思いました。
10:05、470第1レーススタート、当方は1位・5位フィニッシュ。昨年2位の東大の1艇がリコールUFD(スタートが早すぎ)で当方がクラス別で大きくリードしました。470出艇1時間後、定刻にスナイプD旗が上がりスナイプ出艇。スナイプレース艇団がレース海面に着きましたが、470第2レースがスタートしました。当方は、2位・3位でフィニッシュ。これで2位との差を広げることが出来ました。
続いて12:15、スナイプ第1レーススタート。当方は1位とUFDで16点、東大が2・4位で6点。第2レースは当方2・4位だったけど、東大が1・3位で差が18点に広がりました。スナイプが2レースやってる間海上で無為な2時間を過ごしていた470が、14:19第3レーススタート。当方3・4位で、3レース合計18点で、2位大阪・九州35点にほぼWスコアです。470はフィニッシュ後ハーバーバックしました。15:11、スナイプ第3レーススタート。当方1・2位フィニッシュで爆発し3レーストータル25点、東大が5・9位だったので24点で一気に差が詰まりビハインド1点。3位大阪35点。スナイプ優勝争いは、当方と東大に絞られてきました。明日は13:30最終スタートで、風予報も弱いので出来て2レースでしょう。
ブリーフィングして解散。7:32〜17:17「神奈川県葉山P」840円。ネットで調べた風呂屋さんで汗を流しました。500円でした。18:27、「セブンイレブン逗子インター西店」で、「プレーンヨーグルト400g158円+森永アロエヨーグルト147円=329円」購入し、Pで夕食にしました。適当に走り見つけた公園無料Pに入れて眠りに入ろうとした時、470リーダーOzaくんからクラブ全体LINEに、「ジュリーに呼ばれて葉山マリーナにいて帰ろうとしてるけど、バスが満員で乗れません。誰かピックアップ出来ますか?」の投稿がありました。「15分で行けるけど・・・」と返信すると「お願いします」とすぐに帰ってきて、再び動き出しました。ハーバーでピックアップすると、OzaくんのクルーAkaくんとマネージャーHatくんがいました。横須賀に実家のあるAkaの家に4回生3人で泊まっているそうです。そういえば、2回生Harくんの家で2回生4〜5人が泊まっているようです。
JR逗子駅まで送りました。逗子駅周辺の神社のお祭りで浴衣姿の女性が多かったです。21:01、「コスモセルフステーション葉山」で給油。46.2L・8131円。山の上にあるから涼しいだろうと湘南国際村センター付近に上がり、車中泊しました。星が綺麗でした。


2023/7/15
翌日から2日間、コーチしている大学ヨット部の神奈川県葉山「葉山港」での7大学戦レースです。家内の手術後の経過が良く、気持ち良く(仕方なく?)押し出してもらいました。この日にレース艇の抽選・受け渡しがあるので、先発隊は前日のうちに移動していたりします。車に1回生部員を4名乗せて行くミッションを配車係から仰せつかっているけど、Coドライバーが見つからなかったので、ドライバー一人です。しっかり寝るために6時艇庫出発にしました。いつものように4時前に目を覚ましたので、前日に載せていたマットレスなどの他の荷物を積んで出発。
5:30頃、琵琶湖畔の艇庫着。起きているかな?とインターホンを押すと、すぐに出てきました。ShiくんとTakくんの2人が乗ることになりました。あとの2人は、3時発の前の便で出たようです。その前は0時に出たようで、その時間帯で数台出たようです。
名神〜新東名〜伊勢湾岸道〜新東名で東進します。途中SAで朝食休憩しました。何度かトイレ休憩しながらですが、心配した眠気も襲って来ず順調に走れました。初富士山の子もおり、渋滞にハマったけど江ノ島・茅ヶ崎の海岸道路で葉山に向かいました。横にサーフボードを積んで走る自転車・軒を並べるサーフショップ・烏帽子岩・江ノ島・海水浴場海の家・・・もちろんビキ・女子で目の保養もさせて頂きました。
しらす丼を食べたかったけど、もちろん激混みで、12:42「ファミリーマート逗子渚橋店」で「手巻き辛子明太子178円」購入。12:52葉山港P着。雲が掛かっていた山頂は見えなかったけど富士山が遠くに圧倒的な大きさを見せています。抽選された船は、定番で揃えたレースボートの中間付近2艇でした。選手は乗りやすいようにスプレッダーを交換したり忙しくしています。470の1艇にマストが立たず、予備艇に交換してもらっていました。他校も同じ状況で、準備出来た艇から沖に出て行きました。プラクティスレースです。470は、当方のNukさんがとんでもなく2位を離して、1上からダントツを走っています。沖からの南風で8m/s以上吹いています。琵琶湖では経験できない波の大きさで、地元T大有利と思っていましたが、むしろ当方にアドバンテージがありそうです。ただ江ノ島なら振れの少ない海風ですが、三浦半島の海岸が南北に伸びているので、陸からの影響があるのでしょう。いくら何でもとんでもない1上から50艇身ほど2位を離しています。吹いているのに大きく振れているようです。この日準備されていたOBレースは、強風のためキャンセルになったようです。
他の1回生がいないので聞くと、観光しているようです。江ノ島水族館に行ってたグループ、海水浴場グループ・・・1回生部員しか乗っていなかったのでわかりませんでした。初日の仕事は往路運転だけで、ホテルまで送る必要がないので、「神奈川県葉山港P・12:52〜14:16・620円」出ます。この日の宿は長男宅で、1泊研修を近くでやってるそうなので、「湘南国際村センター」に迎えに行きます。山の上にある立派な建物で、他の施設・住宅を含め大きな敷地で開発されています。お迎え時間の15:30より30分も前に着き、ホテルのような建物のPに入れました。窓を開け放し、それでも暑いのでPから出て風に当たって戻ると、長男が車の横にいました。「Pに着いた。終わったら連絡頂戴。エントランスまで車を回すよ」とLINEしていたのですが、エントランスで出迎えを受けるのが嫌だったのでしょう。
長男を乗せて最寄りのバス停を通る時、「挨拶するわ」「最寄り駅まで乗せていこうか?」「それはいいわ」。会釈だけで通過して、ナビに従ってr217を北上し、15:42「コスモセルフステーション葉山」で給油。20.43L・3596円。やはりバイクと違って四輪は給油量が多い。何故かETCがなく現金払いで慌てた「逗葉新道100円」で東進し、逗子ICから「横浜横須賀道路」で北上。いくつかJCTを無事通過しましたが、最後のJCT選択を失敗し、目標の16:30長男宅に着きそうにない。17時から19時まで、りょうくん10才とこうちゃん7才がフットサルゲームに参加するので一緒に行けなくなりました。長男を乗せてすぐお嫁さんから電話が入りました。車で買い物に行き、自宅Pに入れた時、僕の車のスペースを考え、端に寄せたそうです。その時、ルーカスくん(5才)がスライドドアを開け子供用自転車に擦ってしまったようです。電動なので途中で止まらずガガガーと線をつけちゃったそうです。長男としては、動揺しているお嫁さんに運転させたくなかったのですが、僕らの帰宅を待っているとフットサルに遅れます。
横浜決戦がある「日産横浜スタジアム」横でお嫁さんに、「遅れそうだから先に出て」と電話していました。僕らは直接フットサルコートに向かいます。16:40に到着。すぐにお嫁さんが孫3人を乗せてやってきました。続々と車が来て、それなりのユニフォームを着た子がボールを持って下りてきてグラウンドの方に入っ。走っている姿が素敵で上手そうです。女の子も混じっており、これがとても上手。お嫁さんに聞くと、このフットサルクラブで習っている子に加え、孫たちのように横浜の様々なクラブに所属している子が武者修行で来ているようです。その場で参加費を払うと、練習試合に参加できるようです。
17時になり、グラウンド内に散っていた選手たちをインストラクターが集めます。各学年ごとに縦1列に並べ、あっという間に5チームに分けました。6年生から1年生まで多彩にチームを組み、同じような実力になるようしているようです。「AとBは向こうのコート、CとDはこちらで、Eチームはお休み」と的確に指示し、選手がすぐに動き、次のホイッスルで2つのコートでキックオフ。選手がキビキビート。「2番にキーパー交代」の指示でキーパーが交代し、水分を補給し、次のホイッスルでキックオフ。5つのチームが順にコートに入り休憩し、素晴らしい運営です。選手も慣れているのか、所属クラブでもこういうのが一般的なのか、選手に戸惑いがありません。日本のサッカーはここまで進化しているんだと驚きました。
1時間ほど見て、夕食作りに帰るお嫁さんと一緒に長男宅に戻りました。一緒に戻ったルーカスくんが、先月誕生日に送った「UFO型ドローン」を持ってきて飛ばして見せてくれました。先に風呂を頂きます。次にルーカスくんが1人でお風呂に入りました。もう1人で入れるようになったんだ。いつもお兄ちゃんたちと入っていました。僕の車に乗って長男・りょうくん・こうちゃんが帰ってきました。風呂に入って、皆で夕食タイム。生野菜もアジフライもオクラも、皆パクパク食べています。「ママ、今日はお味噌汁じゃないね」とお吸い物を飲んでいます。ルーカスくんは、普通のお箸を上手に使えるようになっていました。3人共好き嫌いがなく、僕の子供時代よりずっとマシです。
長男宅のTVも地上波契約したようです。だけど、みなネットフリックスやアマゾンプライム・アベマTV・・・などを見て地上波など見ていません。「おじいちゃん、神経衰弱しよう」と言われ、孫3人と僕とで「ババ抜き」をしました。神経衰弱とは別のゲームのように思うけどまあいいか。ルーカスくんと僕がチームになり、2回勝負しましたが、2回共りょうくんが勝ちでした。
8時半のなったのでおやすみタイム。ママに歯磨きしてもらい寝ていきました。上手に育てています。僕も用意してもらった部屋に移動し、布団を引いてゴロンと横になったらすぐ寝ちゃいました。


2023/7/9
琵琶湖北湖でのレース日です。Imaさんの船から誘われました。春に膝の手術をし、先月退院されたYasさんの復帰は秋なのかな〜。何時ものように4時ぐらいに目覚め、あれやこれや。雨予報です。6:30を過ぎ、バイクで行くかの最終判断時間。雨は止んでいますが確実に降る空模様です。このタイミングを逃さず、「通勤リード110」で駅まで。電車で向かいます。バイクなら1.5時間ですが、電車なら2時間です。
最寄り駅からJRに乗り、7:12「セブンイレブンハートインJR尼崎駅西口改札内店」で、「伊藤園ミネラル麦茶670ml138円」購入。尼崎〜大阪〜京都から湖西線に乗って、8:50JR和邇駅着。ずっと本を読んでいました。「図説地図とあらすじでわかる・古事記と日本書紀 坂本勝監修 青春文庫」。日本書紀は通しで読んでいませんが、古事記はいろいろ読みました。古事記はとても面白く、何度読んでも楽しい。
Imaさんに駅でピックアップしてもらいました。Nodさんが乗っていました。ハーバーまでの間に雨が降ってきました。ハーバーに着き、船の準備しようと思ったら陸置きバースに船がありません。トイレを済ませ既に下りている船に乗り沖に出ます。FujさんとGillのNakさん、元琵琶湖ジュニアのMurさん、四塩化一黄鉄でヨットに乗り始めたお若い方の7人で乗船です。
一瞬降った雨もすぐに止み、せっかく着たカッパを脱いでコクピットに顔を出すと、少し風が出てきました。南風・琵琶湖大橋西からの風が更に強まり、良いレースになりそうです。いつもはファーリング・ジブだったけど、セイルメーカーのMurさんが修理したジェノアでこのレースをするようです。ハンクスではないジブで、アップが少し大変そうです。スタートまで1時間あるので、スピンをアップします。バウはベテランNakさんがいるので安心です。
スピンダウンし、ジェノアアップしてスタートラインを流し時間調節します。僕は、タイムキーパーとコクピット担当です。本部船寄りからスタートし、上3第1線スタート出来ました。良い登り角度で、リーバウ艇から高さが上がっていきます。背中艇の前に出ていき、同じ高さまで上がりトップが見えてきました。左にあるブローの掛かりまでスターボで出してヘダーブローを得てタック。良いコースです。リーバウにいたメルジェス24もタックし、ここからメルジェスが上りだし上でバウを出して行きます。スターボラムラインまで出てタックして1上マークアプローチ。
1上マークをトップ回航しました。2位にメルジェス24が上がって来ました。当方のジェノアアップが上りすぎだったようで、しっかりスピンが張れた時気づいたら、メルジェス24が内側並行位置にいました。ジェノアダウンします。どうやら1下マークは2位になりそう。ジャイブして下マークアプローチすると、内側にA31・ラッキーレディーが追いついてきました。A31は当方Y31Sと同じレーティングですが、スピンが上がるととても速いです。当方は、ジェノアが上がりません。ラフロープがグルーブ内をスムーズに上がっていかないようです。僕がバウに行き、そのサポートをして上げますが間に合いません。マークを過ぎたのでスピンダウンしてバウを風上に向けます。
3位回航だけどクローズホールドをフルセイルで走れてないので大きくロス。2位で回航しタックして左海面に出たラッキーレディーに大差を付けられたように思います。勿論1位回航したメルジェス24にはかなり離されたでしょう。気を取り直して2上マークを目指します。落ち着いたのでタックし左海面へ出ます。メルジェスには追いつきませんが、上マークアプローチの為にタックしてポートで走っていたら、前を走っていたはずのラッキーレディーにかなり追いつきました。タックしてスターボ最終アプローチすると、A31とジャストミートでした。避けるべきA31が当方のミジップにまっすぐ来ます。少しベアしたが、メインセイルがそのままのようで当方のスターンに当たる・・・ドカン!を覚悟しましたが、ヘルムスのImaさんが当たる瞬間にベアして交わしました。
「助かった〜」が正直な気持ちで、2位で第2上マーク回航しました。2度目の上マーク回航なので、今度は落ち着いて回航出来ました。皆の仕事が落ち着くと、「当たると思ったわ〜」「両手で船を持って覚悟したわ〜」・・・いろんな感想が出ました。ジェネカーなので大きく落とせないトップのメルジェス24が右に出ていきます。当方が中央で、3位回航したA31が最も左でグングンバウを出して追いついてきました。トップメルジェス24、5秒ほど遅れて2位はA31のようでしたが、「ペナルティーを履行しますから先に入って」と声が掛かり、フィニッシュライン手前でスピンダウンしたA31が720度回転している間に、2位フィニッシュ。スピンダウンし、ジェノアを上げるかImaさんに聞きましたが、「もうええやん」でハーバーバック。喉が乾いて口の中がくっついているのでドッグハウス内に入り、朝買った麦茶を飲みます。ペットボトルごと入れる魔法瓶に入っているのでまだ冷たさが残っています。あまりに気持ちよかったので、それを持ってコクピットへ。「僕の飲みさしだけど、麦茶飲みますか?」「飲むわ、中にコップがあるから出してきて」。皆さん、「喉カラカラや〜」と大人気でした。
良い風でエキサイティングなレースを楽しみ、和気あいあいとハーバーバック。2番手で桟橋に戻ると、雨が落ちてきました。ラッキー、船を下りてウェットバーに入りトイレへ。このレースは、ここ志賀ヨットの会員親睦レースで、出場艇は全艇このハーバーに船を置いています。テントを張った芝生席に当方のテーブルがありました。室内席は、この日のレースに出ていなかった艇のようです。ソフトドリンク1本とガラスコップいくつかをテーブルに持っていき、みなさんと雑談します。Imaさんに参加費を聞くと2500円でした。お肉・エビ・ナス・鮎・芋・・・しっかり食べました。成績発表があり、着順2位・レーティング修正6位でした。優勝はメルジェス24。指名されて、参加艇・不参加艇グループの代表が挨拶・お喋りしました。
帰路に着きます。Imaさんに駅まで送ってもらいました。ICOCA3000円追加。最寄り駅まで戻り、バイクに乗って、18:07「ブックランドフレンズ」さんで、「舵1390円」購入して帰宅しました。


2023/7/8
コーチしている大学ヨット部のレース日です。ハーバーのポイントレースです。雨予報ですがまだ降っていないのでバイクで行くことにしました。倉庫から「里山VTR250」を出し出発。R171〜中央環状道路で、6:56「エネジェット中環豊中SS」で給油。291km/8.94L=32.6km/L。7:03「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、「サントリースッキリオレンジ600ml・150円」購入。吹田ICから名神高速に乗り、京都東ICで下車し、ヨットハーバー着。
4回生女子マネリーダーToyさんがいました。久しぶりです。就活が終わったようです。女子マネ3名共内定は取れたようで、2人は休んでいたヨット部に復帰してます。あと1人はまだ狙っているところがあるようです。3回生女子マネさんがいないので、2回生女子マネさん6名が春からここまでよくやってくれました。入部して1年で急成長しました。Toyさんは、第1志望のCAの内定を1社もらい、大手ももう1社は結果待ちだそうです。長男のお嫁さんも元CAなので、少しあれこれ喋れました。お化粧がワンランク上になっており、就活をすると学生から会社員にいろいろステップアップしているのでしょう。
家内の入院・手術により、クラブの富山遠征2週間に行けなかったので、Ishキャプテンといろいろ話しました。体操してブリーフィングして出艇。レース海面にかいます。S級のコーチボートに乗りました。2回生マネ3・1回生マネ2・OB1と一緒です。1回生マネはずっと1人でした。先月2人入部してくれて3名になりました。一緒に乗ったMitさんにシートコイル方法を教えながらレース海面へ。
SW・三井寺の風2〜3m/s入っており、予定の10時スタートが近づいた所で出艇が遅れていた2艇が出艇して来ました。連絡を受け、高速でハーバー前まで戻り、後ろの船を曳航してスタートラインまで戻りましたが、残念ながらスタートに間に合いませんでした。数分遅れで2艇ともスタートし先行艇を追いかけます。Ritsが参加していないので、D社との走り合いです。D社S級は、一部が新西宮開催のスナイプジュニア選手権に参加しているので3艇しかいません。470は7艇出ているのに。風向・風速があまり変わらず、5レース出来ました。5レース中2レースで当方がトップフィニッシュし、5レーストータルでもトップ3の社会人・OBを除けば、学生では当方がワンツーでした。D社コーチのNisくんが出ていました。「向こうのコーチングは?」と声を掛けると、若手コーチに任せているそうです。当方のトップ2スキッパー・Minくん・Suzくんは、三井寺風向の有利特徴の鉄則で本部船寄りスタート右海面展開で順位をまとめていました。今回は人数の多い2回生スキッパー艇に注目し、出艇前にアドバイスをしていました。それでも、上位2艇のようにフレッシュウインドを受けてスタート〜1上マークのコースを取る艇が目立たず、「まだ、なんとなくレースをしている」ように見えました。加えて、レース・フィニッシュ後にコーチボートにやって来ません。遅れて3レース目から参加したKatくんはやってくるので、「右展開+フレッシュウインド」を強く勧めました。次のレースは、右を走って上がるコーチボートから見えるフレッシュウインドの位置で走るようになりましたが、まだまだフレッシュを逃さない気持ちが薄いです。470級の方は、フルメンバーが揃っているD社は強く、1〜3D社・4〜7当方・8〜9D社・10当方とトップ10は両校のみでした。
AP/Aが上がり15時にハーバーバック。ブリーフィングで、気づいたこと、特に2回生のレースコースの問題点を指摘しました。クラス別ブリーフィングのタイミングで、470リーダーOzaくんといろいろ話しました。ずっと去年の新艇に乗っていましたが、チーム内で他を圧倒する成績が出ていないので自らを去年乗っていた艇に戻してこのレースに臨んでいました。リーダーとしての配艇・自身の配艇ルースキッパーの組み合わせの考えなどをじっくり聞きました。僕も学生時代は470チームリーダーだったので、その悩みはよくわかります。バイク装束に着替え、帰路に着きました。

次男のお嫁さんから、家族LINEが入りました。埼玉県の小中高生の硬筆展にすみれちゃん(小1)の硬筆が選ばれたので展覧会に行ってきたそうです。絵を描くのと同じように字を書くのが好きなようで、よく手紙をくれます。女の子は字が綺麗だな〜と家内と褒めていましたが、その中でも上手に字を書く方だったようです。丁寧な字で綺麗に書けていたそうで、学校で選ばれ市で選ばれましたが、さらに上手く書けた子は埼玉県で表彰されるそうです。「来年は県を目標に頑張ろう!」っと言ってるそうです。なんでも前向きでナイスです。


2023/7/2
今読んでいる本が、北方謙三著「悪党の裔」。播州・赤松氏の飛躍の中心だった赤松円心から始まる一族の物語です。鎌倉幕府から室町幕府に移る「太平記」の時代です。家内の出身地「播磨国」は、備前岡山県同様、温暖で山・平野・海が揃っている僕にはとても魅力的な国です。律令国制では上国に位置づけられ肥沃で暮らしやすい地です。まだ上巻の半分で、後醍醐天皇が笠置山に倒幕軍を立ち上げ、それに呼応した河内の悪党・楠木正成も居城「赤坂城」で敗れたところです。読みながら無性に播磨に行きたくなり、目的地を赤穂「坂越」にある児島高徳の墓にしました。
倉庫から、「招き猫CB400SB」を出し、5:45出発。宝塚ICから中国道に乗り西進。途中、山陽道に乗り換え、6:51「山陽道三木SA下り線」で、「塩のはちみつレモン172円+おにやんまくん安全ピン1430円=1602円」購入。「おにやんまくん」は、「世界初の虫除けグッズ」で、実物大オニヤンマでクリップや安全ピンで衣類に付けて、蚊などが天敵おにやんまを怖がって近づいてこないようにするグッズです。早速夏用バイクジャケットに付けました。更に西進し、「山陽姫路東IC」で、播但道に乗り換え、「花田IC」で下車しました。
兵庫県道r397を南下し、7:21「宇佐美姫路花田インター店」で給油。226km/9.49L=23.8km/L。更に南下し、左折してR2を東進しました。7:35「御着城」。
『御着城跡護 御着城は茶臼山城・天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。永正16年(1519)小寺政隆が築城、則職・政職と継承され天正6年(1578)か7年に羽柴秀吉の播磨侵攻が滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441〜44)にはすでに構居が設けられていたとされ、明応年間(1492〜1501)には赤松氏の播磨支配の拠点として守護所の機能をもつ城郭とにて機能していた。
昭和52〜54年の発掘調査で、御着城が14紀後半から16世紀後半まで存続し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な縄張りが行われた事が判明。中世の人びとの生活に深くかかわる土器・陶磁器・本製品・石製品等の遺物も検出された。
宝暦5年(1755)の「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」には城の中核に本丸と二ノ丸、西と南は天川を利用した二重の堀、北と東は四重の堀、外郭部に家中屋敷や町家の記載があり、惣構えの城が描かねている。現在、御着城跡の中央を東西に国道2号線が走り、本丸跡に市役所東出張所・御着城公園・御国野公民館がある。  平成13年3月 姫路市教育委員会』
『保存樹 この樹木は、姫路市自然保護条例により指定された保存樹です。 この貴重な財産を市民みんなで大切に守ってゆきましょう。
指定番号:135、樹種:クスノキ、指定年月日:令和5年3月13日 姫路市』
『祝 築城503年記念・県政150周年記念事業 御着城時代まつり』
平城です。本丸跡だけが整備されて小さな歴史公園になっており、横に「姫路市市役所東出張所」がありました。かつての城域は広場になっています。野球が出来そうなグラウンドです。他に「二の丸土塁・堀跡もありましたが、平城なので守備は弱そうでした。西に「天川」という小川が流れているので、かつては用水路で城域を囲っていたのかもしれません。御着城は、黒田官兵衛・父親が家老職をしていた小寺氏の居城ですが、黒田家の城「姫路城」の方がよっぽど立地も規模も守備力も堅そうです。小寺家は、室町幕府成った時の立て役者の1人・播磨守護赤松円心の家老の1人という播磨では重要な大名です。その家老でありながら主君より立派な城を構える黒田家は、家伝の目薬を増位山家伝の流通ルートに乗せ小寺家内随一の経済力を誇っていた。
国道2号線を南に渡って、小寺大明神へ。『黒田官兵衛ゆかりの地 御着城跡・黒田家廟所・黒田官兵衛顕彰碑 小寺大明神』
小さな五輪塔が3塔、木格子に守られていた。『碑文 この五輪塔及石仏は、旧御国野小学校の庭を発掘調査した時に出土したものを、復元したもの。昔御着城があった時豊臣秀吉の軍と戦い戦死した御霊の菩提を弔うために建立したものと思う。  平成元年7月吉日』
『小寺大明神 この地は、永正16年(1519)に小寺政隆が築城したといわれる御着城の本丸跡に位置している。 小寺大明神は、宝暦5年(1755)の「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」に「今此所二小寺殿社アリ」と注記されており、社には御着城の城主であった小寺一族と御着城に関係する人々をお祀りしている。  姫路市教育委昌会』
本丸跡に戻りました。『黒田官兵衛顕彰碑』がありました。『黒田官兵衛孝高と御着城 黒田家は、「寛政重修諸家譜」などによれば近江国伊香郡黒田村(現・滋賀県長浜市木之本町)の出身とされます。重隆の代に播磨に入り、御着城主小寺政職に仕えました。 御着城は永正16年(1519)に築城されたと伝わりますが、明応4年(1495)に小寺氏は御着納所で段銭を徴収しており、15世紀末には既にこの地域を拠点としていました。羽柴秀吉による播磨侵攻で御着城は天正7年(1579)に陥落しました。
黒田官兵衛孝高は、羽柴秀吉の播磨侵攻、中国攻め、四国・九州遠征などで軍師として活躍し、天正15年(1587)に中津城(現・大分県中津市)を与えられました。孝高の嫡男長政は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の戦功で筑前52万3千石を与えられ福岡城(現・福岡県福岡市)に移りました。 この地は、かっての御着城本丸跡付近に位置し、黒田官兵衛孝高の祖父重隆と父職隆の妻(孝高の母)を祀った黒田家廟所(姫路市指定史跡)があります。また南側には小寺三代城主を祀った小寺大明神があります。  平成21年4月 姫路市教育委員会』
その北側に、「黒田官兵衛廟所」がありました。『黒田家廟所 ここの墓所には、黒田孝高(よしたか・官兵衛のちの如水)の祖父・重隆(しげたか)と生母(明石氏)の2人が祀ってあります。 黒田家は御着城主小寺家の家老となり、重隆の時から姫路城を守って姫路城主となりました。姫路城主は子の職隆(もとたか)、孫の孝高と継ぎましたが、天正8年(1580)秀吉の播磨平定の時、孝高は姫路城を秀吉に譲り、父職隆と自分は国府山城(妻鹿)に移りました。職隆の墓所は妻鹿にあります。のちに黒田家は筑前福岡の城主となったので、どちらの墓所も地元では「チクゼンサン」と呼んでいます。 ここの墓所は、享和2年(1802)に資材を九州から運んできて造られました。廟屋を持つ立派なもので、周りの龍山石の石塀から内部は、昭和56年に姫路市指定史跡となっています』
立派な祠に、これまた立派な五輪塔が2塔収まっていた。バイクに戻り、R2を西に進み、市川を渡りました。JR播但線をくぐり、姫路中心部へ。JR姫路駅前を通過し、間違ってバス駐車場に入ってしまいました。慌てて出て、山陽電鉄本線沿いに南下します。
8:17、「亀山本徳寺」。浄土真宗の寺院です。かつては戦国大名とも覇を競う勢力を誇った一向宗門徒の寺院で、一旦事が起これば門徒が籠もる地域の中心城です。バイクで北塀沿いを走りながら、「流石にデカいな〜」と期待が膨らんだ。ところが謂われ板を読むと、秀吉と別所氏が播磨の覇を競った英賀城の地にあった寺院が移転してきたものと知りました。
『亀山本徳寺 建造物19棟 亀山本徳寺は、もと英賀(あが)の地にあった浄土真宗布教の本拠、英賀本徳寺(御堂)が天正8年(1580)秀吉の英賀城攻略の時、秀吉の命により現在地の亀山に移されたのに始まる。のち、本願寺が東西に分かれたのに従い西本願寺派の播磨の根本道場となった。 現在の建物は英賀から移転した当初頃の建物と推定される鼓楼を始めとして大部分が、17世紀末から18世紀前半(江戸中期)のもので、18世紀後半の住宅風建物の茶所や大門など、全体として30棟近くの建物がある。建物全体が播磨における浄土真宗の中心道場としての伽藍形態を良く伝えていると共に、個々の建物が年代を異にしていて江戸時代の建築様式を知ることが出来る点で貴重である。
指定文化財の主な建物には次のようなものがある。県指定=本堂・大広間・庫裏・経堂・大門。
本堂:県下最大の仏堂で18世紀の代表的建築。もと西本願寺の北集会所だったが、明治6年(1873)移築した。妻入の本堂も珍しい。
大広間:17世紀後半の建物。全体的に古い形式によった書院造りの対面所で大広間の発展を考える上で貴重な遺構・入母屋・妻入。
庫裏:土間と49畳の板間と4つの小部屋があり、県下最大規模の庫裏、享保4年(1719)の年号が瓦銘(獅子口)にあり、英賀当時の瓦も一部使われている。
市指定=大玄関等15棟 右のほか次の市指定文化財がある。
亀山本徳寺・絹本着色・親鸞聖人絵伝4巻、亀山本徳寺梵鐘永禄9年(1566)
亀山本徳寺梵鐘永禄9年(1566)1口、参考資料永禄9年銘鬼瓦1体 昭和60年3月15日 姫路市教育委員会』
『幕末の西本願寺 慶応元年春、新選組北集会所を占拠! 仮御堂として使われた北集会所は1873年3月に播州本徳寺に移築され完工を見た。 北集会所は阿弥陀堂として使用されました。幕末に一時新撰組が屯所として占拠し、北側の柱2本に刀傷が多数切込まれています。
西本願寺・北集会所が播州・本徳寺に移築された経緯: この「北集会所」は寛政以前(1760-92)に仮御堂として、本山・阿弥陀堂の北(現在の本願寺派宗務所から隣地境内にかけて)に東面並行して建立されていた。須弥壇・厨子を設けて、法宝物を安置し、儀式・集会などに利用された。
幕末、1864年7月禁門の変の際、長州兵数十人が西本願寺に逃げ込み、広如上人の援助で落ち延びた。この時、西本願寺の総門・学林講堂・総会所等が焼失した。当時、西本願寺門主は諸国門末に勤王攘夷を諭し、勤王派の色を濃くしていた。また、維新政府に献金するなど、新政府樹立に極めて協力的であった。坊官の追放、本末関係の解体など本願寺旧秩序の解体後、日本国家の形式と同化して本山内でも長州藩の僧侶が大きな勢力を持ちつつあった。この国家の揺藍期、京洛の巷は、勤王・佐幕の徒が混入して、本山要人・松井中務が横死するなど、物情騒然としていた。(勿論、本願寺内部の勢力は長州一辺倒ではなく、反長州の勢力でもあった。後に明如上人による本山東京移転を企画した本山改革が長州政権への反発として企画され実行されようとした側面も見逃せない。しかるに、この改革があっけなく明治政府とそれに連動した勢力に封殺されたことは有名である。しかし、その後、近代国家と密接な関係にあった一部の覇権勢力による宗門独占の是正がバネとなり早期の議会開設となって結実したのである)。
いずれにせよ、混乱の渦中、新選組による京都警護の警戒地区は祇園と西本願寺であると言われていたほどで、本願寺が勤王派の拠点の1つとなっていたことは確かであろう。当時、新選組構成員が150人近くに膨れ上がり、壬生屯所が手狭になっていた。長州勤王派への牽制の意向もあったと推測されるが、1865年春、新選組は屯所を西本願寺・北集会所に設置したのである。実際には北集会所並びに太鼓楼周辺建造物を取り入れた境内の一角を矢来柵で区切り使用していたらしい。
その間、新選組は訓練にかこつけて、広如上人が砲声を嫌うのを知りながら、行事の喚鐘が鳴ると同時に、これに合わせて空砲を放った。また、この屯所にはいろいろな物売りがやってきた。なかでも洛外の女達が猪の肉を車に積んで隊士に売り、施設内で鍋で煮て食したため、その臭いが門主の居住地まだ流れていき、大層閉口された。本願寺はたまりかねて会津藩を動かし、会津の公用方から、「洛中においての大小砲の発声は禁裏に対し障りがある」と隊長・近藤勇に注意があり、なんとか大砲訓練だけは中止された。
北集会所での屯所経営は1867年6月15日まで存続した。本願寺は新選組のこれ以上の滞留を回避するために、西九条村に土地と家屋を用意し、彼らの退去を促した。この本願寺のはからいにより新選組は新築の不動堂村屯所に移るが、そこには半年足らず滞在しただけである。不動堂村屯所(約3000坪)の場所は定かでないが、現在の「リーガロイヤルホテル京都」の可能性が高い。北集会所は、新選組の退去後直ちに解体され、焼失した学林の講堂とすべく資材として保管された。一方、播州・本徳寺では、1854年、安政の大地震のため、本堂が大破し、その後直ちに再建が進められた。1868年にほぼ完成を見るに至ったが、廃仏毀釈、世情不穏のおり、大工小屋から出火、新築本堂と中宗堂が灰燼に帰した。播州における本願寺行政に支障をきたすため、本願寺は、学林(龍谷大学)の大講堂に予定されていた北集会所の用材をもって本徳寺の本堂に当てることに決めた。資材は海路運ばれ、3年の歳月をかけて移設され、1873年3月に完成を見た。
棟瓦には、本願寺・阿弥陀堂と同様「紀州鷺森御坊講中・河州無量光寺門徒中」の寄進銘が陰刻され、床板の裏には本願寺名を墨守した床材が使われている。伝承は、本山よりの解体資材が海路飾磨津に運ばれ、同行の手渡しにより、飾磨街道を経由して、亀山に運ばれたことを伝えている。また北側2本の柱には刀痕が残り、新選組の占拠跡を生々しく物語っている。(大谷昭仁)』
『本徳寺建造物文化財指定理由書:本徳寺本堂は兵庫県下における最大の仏堂であり、様式的にも18世紀末を代表する優れた建築である。本徳寺では幕末にそれまでの本堂が焼失してしまい、一時本堂を欠く時期があった。しかし、明治に入って本願寺の伽藍の整理があり、明治2年(1873)に亀山本徳寺の本堂として譲り渡したことが本願寺資料に見えるから、これが現本堂であることがわかる。それについては古老の伝承もあるし、本堂の棟瓦や床材の銘によっても実証される。この種の本堂としては珍しく妻入であるのも、集会所の当時から妻入形式の仏堂であったためである。本願寺の「北集会所」の建立については詳しくは分からない。安永9年刊行の都名所図会の本願寺の絵Iこは、「北集会所」の位置(阿弥陀堂の北に東向きに建てられていた)にはない。しかし、安政4年(1857)に阿弥陀堂の修理があって、「北集会所」を仮本堂として本尊を遷座したか、その祈に寛政4年(1792)以来、ここに安置していた太子御影・法然御影・六高僧御影を、堺御坊に下附したことが本願寺資料に見えるから、安政4年には存在していたことは確かであろう。「北集公所」を建ててこれらの御影を安置したと考えれば、この年を一応の建立年代としてよいだろう。後の慶応元年(1865)から同3年(1867)まで、新選組の屯所になったと云う記録が「明如上人伝」「本願寺史」にある。従って、この本堂(北集会所)は本願寺の伽藍を構成する主要な建築であり、かつ江戸時代後期の京都における浄土真宗の大規模な仏堂の1つである。なお、本願寺では南集会所も妻入形式である。移築の際は増改築を行わずそのままで建てられたらしく、その折の改変の痕跡は見当たらない。だから、この本堂は、亀山本徳寺の本堂であると云うだけでなく、本願寺の伽藍の変遷を知る上でかけがえのない遺構である。しかも、規模も壮大で構造・形式ともに優れたものであり、江戸時代後期初頭の仏堂建築の代表作といって過言でない。(多淵敏樹)』
『NHK大河ドラマ「新撰組」のロケが6月9日10日の両日亀山本徳寺の本堂と白州、大門で行われました。かつて新撰組の屯所として利用され、隊士の刀傷が残る生々しい現場で、役者さん達もいささか興奮気味、役どころも真剣に取り組めたようです。俳優の山本耕史さんや藤原竜也さん等が好演、何ともかわいい新選組でした。NHK大河ドラマ「新撰組」で、9月以降本編で再三西本願寺屯所として放映されています』
バイクに戻り、r62で南下し、右折して西進します。水尾川沿いを走り、8:51「英賀神社」。『悠久の歴史を未来に繋ぐ英賀の英賀城(岩繋城・いわつきじょう)の特色「播磨国風土記・英賀の里」に始まる。
英賀城の創建は遠くは、平安朝にあり。
鎌倉時代は、吉川(きっかわ)・赤松両氏が居城する。
室町期、1441年(嘉吉元年)三木通近が入城。
1443年、三木通武により、新城として築かれた。
三木氏の城下町としての政治都市、市場町から発達した商業都市、英賀本徳寺を中心とした宗教都市として3つの性格をもち「西の京・英賀千軒」ともいわれ、播磨の中心都市として繁栄した』
『国史見在社・英賀神社 日本がようやく自身の歴史や風土を文字で記し始めた遥か昔、英賀の里はすでに播磨の中心地の1つであった。「播磨風土記」和銅6年(712)撰進の命。英賀の里(土は中の上なり)右、英賀と称ふは、伊和の大神のみ子、英賀比古・英賀比売二柱の神、此処に住す。故、神のみ名に因りて、里の名と為』
『英賀神社 英賀の名称は当地に鎮座する伊和大神の御子、英賀比古神・英賀比売神の神名が由来とされ(奈良時代「播磨国風土記」飾磨郡英賀里条)、「日本三代実録」に元慶5年(881)英賀彦神・英賀姫神が従五位下を授けられたことを記し英賀里を開発した氏族が古来より産土神として祀っていたとみられる。嘉吉3年(1443)揖東郡太田村黒岡山から天満天神が現在地に勧請され英賀・英賀姫2神は南方二町の地に遷座して天満宮の摂社になったといい、江戸時代には英加・広畑・中浜・山崎・付城・高町村が英加村の天満宮の氏子地域であった(村翁夜話集)。明治4年(1871)2神を現在地に還遷して天満天神・八幡神・春日神を併せ祀り英賀神社と称し「日本三代実録(六国史の一)」に記載されることから国史見在社と呼び県社格とされた。
英賀里は平安時代に英賀郷となり(倭名類聚抄)、平安末期までに摂関家渡領の勧学院領英賀庄が立庄され、当地は英賀津・英賀ノ浦といわれる港湾を擁した海陸交通の要衝であることから京都の大報恩寺・法観寺・北野社真満院領や足利将軍家御料所なども設置された。
「赤松家播備作城記」は英賀の地に赤松則尚(播磨守護・赤松満祐の甥)が英賀城を築いたが嘉吉元年(1441)落城、英賀構は赤松氏より英賀保内に権益を与えられ三木与市兵衛ら大将5人が海辺要害を守ったと記すが、赤松氏滅亡のあと英賀は三木氏一族が勢力をもち文明年間(1469〜87)から一向宗の活動拠点ともなった。
英賀は北は苫編・山崎、東は加茂・構、西は広畑・才まで英賀の地に含んでいたとみられ、英賀津(山陽電鉄線沿いの田井ヶ浜跡附近)に面して町場化(英賀西・東)も進み、東の水尾川から西の夢前川の間、北は当社を北辺(本殿北側に土塁跡)として三方を水路と土塁で囲み、英賀津の東側に要害(中浜附近)、西端にあたる現歌野橋北側に永正9年(1512)英賀御堂も建立され寺内町の様相を呈したが、天正8年(1580)羽柴秀吉の攻撃で英賀は焼失や破却の被害を被り、英賀御堂は亀山の地に、町人は姫路城下と飾磨津に移住させられた。
英賀神社は戦国の戦禍にあうも国重文「梵鐘」、県指定「天神縁起絵巻(明徳本)」「同(永正本)」を伝え、暦応2年(1339)五輪塔残欠、寛文7年(1667)手洗石、延宝8年(1680)石鳥居残欠、寛政6年(1794)狛犬、文政2年(1819)石燈寵などの石造品や拝殿に江戸〜明治大正の絵馬などがある。  令和3年3月 姫路市教育委員会』
戦国末期、織田信長の全国制覇に向け羽柴秀吉を総大将とする山陽道軍が播磨で一進一退したのがこの地です。友軍だった播磨三木・別所氏が中国の雄・毛利氏方に寝返って起こった戦闘の毛利方の補給基地として重要な地だった。ここが羽柴方に落ちたことで別所氏は滅びます。そんな重要地点である英賀城が平城で、それほど防御力が高くない地にあったことに驚きました。西を南北に流れる夢前川と東を南北に流れる小河川を拠り所にしていたのかもしれない。地図を見ながら周囲を見渡すと、現在よりもっと近かっただろう海・港を守る基地としては良いが、大軍で攻められたら持ちこたえられない。北に1km・北東に1.5kmには山城を築くのに良さそうな低山があるので、そこに詰城を作っても良さそうに思いました。
立派な拝殿に入ると、絵馬殿兼用だった。神社を訪問し絵馬を見つけるとテンションが上がります。絵馬を見上げながら、「何時奉納されたのか?」「どんな絵柄なのか?」想像の翼を広げて楽しむのが好きです。かつて播磨の中心だった英賀の大きな神社には多くの絵馬が掲げられていて、すごく楽しめました。
バイクに戻り、「稲荷神社」に寄り道し、r502で夢前川を西に渡り西を目指します。山陽電鉄網干線を渡り、右折してR250で西進。揖保川・中川を渡り、綾部山梅林などを左手に見ながら、9:43「道の駅みつ」。眼の前に播磨灘が広がっています。交通量の多くない「七曲り」の道が楽しく、気持ちの良い海が見え、好きな場所です。観光地図があり、まだ訪問していない寺社をチェックしました。家内が播州出身で、新舞子海水浴場・潮干狩り・梅林・・・息子たちが小さな頃、月に2回は実家訪問のついでにこの周辺を観光しました。これから行く「室津」の観光地図もありました。
R250を西へ。ワインディングの海岸道路が気持ち良い。10:05室津港。「賀茂神社」の参道階段下にバイクを停めました。大漁旗を掲げた漁船が停まっているすぐ横です。石段を上がっていきます。長い階段で勾配もあり、下から見上げて「うわ〜」。石段が終わり、草茫々の参道を歩きます。どうやら、表参道ではなく裏参道だったようです。裏門から境内に入ります。横に表参道に続く山門がありました。
『室津の賀茂神社 室津は奈良時代に編纂された「播磨国風土記」に「室原泊・むろうのとまり」として記され、古代から良港として繁栄してきました。 その室津の地に、賀茂神社が社殿を構えた起源や当初の姿は定かではありません。しかし、平安時代後期には社殿が5つ・6つ並びたっていたことが史料からわかります。 本殿と両脇の2棟を合わせた5棟の社殿は、いずれも屋根が流麗な桧皮葺の流造で、古代様式の清楚で荘厳な佇まいを伝えるものです。そして、5棟の社殿と唐門、両脇の回廊を含めた8棟が国の重要文化財に指定されています。 下図は、文化元年(1804)に出版された「播州名所巡覧図絵」に描かれた境内と周辺の様子です。5棟の社殿に加え、御祖社(みおやしゃ)・参龍所・拝殿・絵馬堂、・四脚門(表門)に加えてソテツの群生など、今と変らぬ社姿を見ることができます。
また、急な石段を登る参拝者や境内の商人、室津港に浮かぶ帆船や舵取(かじとり)社からの参拝道も描かれ、室津と賀茂神社の賑わいが活写されています。さらに、かつては多宝塔・藤棚のほか、御祖社には拝殿があったことなどもわかります。 江戸時代の室津には多くの外国人が上陸しました。オランダ商館長に同行した医師シーボルトは、・文政9年(1826)に室津を訪れました。左の絵はその時に描かれたもので、室津の賑わいや賀茂神社について記述した紀行文とあわせ、当時を知る貴重な史料となっています。 室津は、海上交通の要衝として栄え、西国大名の参勤や外国人の参府にかかわり、人・もの・情報が行き交いました。賀茂神社は、こうした奥行きのある「港湾都市室津」の要となる歴史文化遺産そのものです。  平成19年9月 たつの市教育委員会』
『賀茂神社本殿 国指定重要文化財・三間社流造り
祭神:賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)。雷の御神威により、厄除け・災除け等・家内安全の神。
配神:建速須佐之男命(祇園様)。農耕・疫病除けの神。
配神:菅原道真命(天神様)。学問勉学の神。
当社は古くから賀茂明神室明神と讃えられてきた。由緒深い社である。各社殿の棟にある紋は、二葉葵で賀茂神社の神紋である。
例祭:小五月祭(4月上旬の土日)。奉納される棹の歌は、兵庫県重要無形民族文化財。
夏祭:夏越祭(7月下旬の土日)。海の男の裸祭で、応永年間に始まる(1400年頃)』
『賀茂の愛の神(連理(れんり)の榊):2本の榊の木が大神様の強いお力によって途中から1本に結ばれています。
夫婦の絆・良縁:大神様のお力を頂いて下さい』の案内板があったので、そちらに向かいました。
境内の端に「神馬舎」がありました。中を覗くと、木製の白馬が安置されていました。
『賀茂神社 「神馬像」 平成30年賀茂神社保存修理工事に伴い、神馬像の改修を奉納頂いた折に、内部に墨書が残されていることが判明した。1733年に作られたことがわかり、願主の氏名から室津の有力商人が知られる資料である。又、作られた場所は、室津の名村治兵衛殿の隠居所で、作者は姫路の佐伯梅印という人である事が読み取れます。
享保18年祭丑歳5月吉日 願主:銭屋権兵衛・瓦屋九右衛門・炭屋七左衛門・尼崎屋庄次郎・佐野屋助左衛門・姫路屋太郎太夫・紀伊国屋源兵衛・二階屋市兵衛・松屋清右衛門・一家万右衛門・薩摩屋藤七郎・塩屋藤四郎 当地名村治兵衛殿隠居所而 姫路佐伯梅印作之』
『神馬(神社に伝わる話) もとは白毛の神馬が飼われていた。昔、室津の北の澤村の畑の秋豆を白馬が食っているのを村人が見つけたが、人がついていないので怪しいと思い、馬のあとをつけていったら、鳩峠を越えて室津の方に行き、人家近くになって日が暮れ馬を見失ってしまった。そこで室津に行って尋ねたが誰も知る人がいなかった。さては室明神の神馬が来ていたのだということで、澤村を馬場村(今の揖保川町馬場)と改めたとのことである』
『文久事件と高野の仇討ち
文久事件:文久2年(1862)12 月9日、赤穂藩の要職を担っていた家老の森主税と参政の村上真輔が尊王攘夷派の下級武士に暗殺された。西川升吉・八木源左衛門・松村茂平・松本善治・山下鋭三郎らの5名が村上邸で村上真輔を暗殺後、青木彦四良・西川邦治・山本隆也・高村広平・吉田惣平・浜田豊吉・田川運六・木村寅治ら8名と合流し、森主税を赤穂城ニノ丸門外で暗殺した。殺害後、暗殺者13名は脱藩し、大坂の土佐藩住吉陣屋に身を寄せた。
高野の仇討ち:文久事件後、土佐藩の住吉陣屋に匿われていた暗殺者13 名は帰藩を許され、入牢後赦免されるが、翌年には再び12名が脱藩し、長州藩の鴻城軍に加わる。その後元治元年(1864)に浜田豊吉・松本善治は森家墓所(花岳寺)で自刃する。翌年の慶応元年には帰藩した西川升吉が、同志の疋田豊治・幸田豊平に殺害され、青木彦四郎も自宅で自害する。明治元年(1868)、暗殺者7名が長州藩から引き渡され、妙法寺(備前)に約2年預けられ、この間に松村茂平は病没し、山下恵助は自刃した。明治4年1月12日、赤穂藩は村上真輔に無罪を申し渡し、暗殺者6名を赦免し、殺生禁断の地の高野山へ森家墓所守護の名目で派遣した。これを知った村上兄弟ら(池田農夫也、村上四郎・行蔵・六郎、助太刀:津田勉・富田嘉三郎・赤木俊蔵)は、2月30日に高野山手前の作水峠で暗殺者6名(山下悦三郎・西川邦治・吉田宗平・山本隆也・八木源左衛門・田川運六)と田川岩吉を殺害して仇討ちを果たし、五條県庁に自首した。この事件をきっかけとなり、明治6年に仇討禁止令が制定され、この仇討ちが日本最後の仇討ちとして有名になった。なお、この仇討ちに関する絵馬は、今のところ兵庫県・岡山県・広島県で明治4〜11年のものが13面見つかっている』
『賀茂神社・例大祭「小正月祭」 4月上旬の土日に斎行 この祭が始まったのは定かではないが、播磨鑑付録に1497年赤松政村が当国神式に「室の社」「獅子舞」「棹の歌」を定めたとある。この事から約500年以上前から「小正月祭」が執り行われていたものと思われる。天下泰平の折りには毎年斎行されていたが、乱世には5年も10年も途絶えた。1679年頃には、7年に1度斎行するようになったが、それでもこの祭を斎行するには巨額な祭典費がかかる為、何回か中止したと記録にある。現在は氏子の厚い敬神と奉仕により、往時の天下泰平の御世のごとく毎年執り行われている。
古くは、京都上賀茂神社から神官36名が下向し「小五月祭」に奉仕し、その後都に帰り「葵祭」に奉仕したと記されている。 この祭に奉奏される「棹の歌」は、室の長者の息女室君が神慮を慰める為、男装をして神前に奏したことに由来し、作詞者は不明であるが作曲は宮尾太夫といわれ、日本音楽史上特筆すべきものとして、兵庫県重要無形文化財に指定されている。女性・子供が中心に奉仕し平安の昔を忍ばせる優雅な祭である』
『夏越祭(住吉祭) 7月末の土日に斎行 この祭は「大祓神事」「祇園祭疫病除祈願」「住吉社海上安全大漁祈願」の3つの神事を1つにしたもので男が中心の豪快素朴な裸祭である。 この祭が、いつ頃から執り行われているのか定かではないが、獅子舞の始めに「応永の祭じゃ・・・」を掛声をかけて舞い始める処から、約600年前の応永年間(3代将軍・足利義光)に始まったものと思われる。宵宮の神事には、当番町の人達全員が御神威である回廊の中に入り神事を行った後、獅子舞を奉納するのは非常に珍しい形である。また、昼宮に出される屋台は丸太を井桁に組み、米俵・酒樽・鯛(模型)等の神饌と太鼓を乗せ、数十名でそれをかきあげ、さしあげ、練り上げる。豪快素朴で飾り気のない、人に見せるより自分達が楽しみ、神慮を慰め、町中の人々の罪穢れを祓うという純粋な気持ちの表れた祭である。
夕方、当番町の人達全員が満船飾りの灯をともした漁船に乗り、神の御座船のおともをして、港を3周した後、海上4kmの沖合いに、茅の輪:祓えつ物・人形を流してこの祭は終わる』
『絵馬堂 正徳2年(1712)に造り替 当堂に掲げられていた「神馬図額2面・狩野元信筆」。国指定重要文化財は、東京国立博物館に依託保管されている。 西側上部に掲げてある図額は、日本で最後の仇討ち(集団による)と言われている「高野の仇討ち」を描いたものである』
バイクに戻り、R250に戻りました。海岸道路を西進します。相生湾沿いになり、「道の駅あいおい烏龍城」横を通過しました。赤穂市坂越に入り、枝道で坂越の町並みを通り、11:03「大避神社」参道。
『秦河勝ゆかりの地・坂越(さこし) かの河勝、欽明・敏達・用明・崇峻・推古・上宮太子に仕え奉る。此芸をば子孫に伝え、化人跡を留めぬによりて、摂津国難波の浦よりうつほ舟に乗りて、風にまかせて西海に出づ。播磨の国しゃくし<坂越>の浦に着く。浦人舟を上げて見れば、かたち人間に変れり。諸人に憑き祟りて、奇瑞をなす。則、神と崇めて、国見也。大吉に荒るゝと書きて、大荒大明神と名付く。今の代に、霊験あらた也。本地毘沙門天王にてまします。上宮太子、守屋の逆臣を平らげ給いし時も、かの河勝が神通方便の手のかかりて、守屋は失せぬと云々。(世阿弥「風姿花伝」より)
秦河勝:秦氏は百済から渡来して帰化した弓月君を祖とし、土木・養蚕・機織などの技術を発揮して、大いに栄えた古代氏族です。その中でも秦河勝は、飛鳥時代前半(6世紀末〜7世紀半ば)に聖徳太子に仕え、山背国葛野郡太秦(現在の京都府京都市右京区太秦)に広隆寺を創建したことで有名です。 大避神社の縁起によれば、秦河勝は聖徳太子死後の皇極3年(644)9月12日に、蘇我入鹿の乱を避けて海路で坂越に漂着し、千種川の開拓を進めたのち大化3年(647)に坂越の地で没したと言われています。坂越湾に浮かぶ生島(樹林は国指定天然記念物)には、秦河勝の墳墓と伝える古墳が今も残されています。
大避(おおさけ)神社:生島を禁足地とし、島内に祭礼の御旅所を擁する大避神社は大避大明神(秦河勝)を紀る神社で、養和元年(1182)にはすでに有力な神社でした。旧赤穂郡(現赤穂市・相生市・上郡市)には大避神を祀る神社がかつて28以上あり、古代から中世にかけて旧赤穂郡と秦氏との密接な関係が古文献等からも判明しています。 大避神社の祭礼は、秦河勝が坂越に漂着した日を祭礼日として始まったもので、「坂越の船祭」(国指定重要無形民俗文化財)は、瀬戸内三大船祭の1つに数えられています』
『坂越の船祭(大避神社祭礼) 坂越の船祭は、大避神社の秋の例祭であり、神輿が神社から生島にある御旅所までを渡御するもので、この生島が浮かぶ坂越湾を舞台に繰り広げられる。 毎年10月の第2日曜日の本宮では、神社から眼下の海岸まで、鼻高と獅子を先頭に、各町の頭人(とうじん)が神輿に付き添いながら行列した後、海岸から御旅所のある生島まで、2艘の擢伝馬(かいでんま)に曳航された獅子船・5艘の頭人船・楽船・神輿船・歌船からなる船団を連ねて湾内を悠然と巡行する海上渡御となり、祭礼はクライマックスを迎える。
海上渡御の船団に使用される各船は、それぞれの役割ごとに仕立てられた祭礼専用の伝統的な木造和船が用いられており(兵庫県有形民俗文化財)、天幕・五色の吹き流し・幟(のぼり)・提灯などで飾られた船団は、かっての大名行列の船団の華麗さを彷彿とさせる。またこの船渡御の形態のほか、氏子から選ばれる頭人といった古風な習わしが残されていることなど江戸時代からほぼ変わらぬ姿で伝承されており、瀬戸内海を代表する大規模な船祭の典型例として、平成24年3月8日に国重要無形民俗文化財に指定された』
『周辺の見どころ
旧坂越浦会所:開館時間10:00〜16:00・火曜休館・入館無料 天保2〜3年(1831〜32)にかけて建築され、明治まで坂越浦の会所として使用されたほか、赤穂藩主来訪の際は休憩所として使用された貴重な会所建築。赤穂市指定有形文化財。
宝珠山妙見寺:真言宗古義派の寺院で、かつては16の坊舎と9の庵があったというが、嘉吉の乱やその後の僧兵一揆により焼失したと伝える。享保7年(1772)建築の観音堂は市指定有形文化財。
奥藤酒造郷土館:開館時間9:00〜17:00・火曜休館・入館無料 坂越のまち並みを散策するうえで、見どころとなる資料館。かつて廻船業等で栄えた奥藤家は現在この地で酒造業を営む。郷土館内には、酒造・廻船・漁業関係の資料が展示されている。
坂越まち並み館:開館時間10:00〜16:00 旧奥藤銀行を改修し、まちづくりの拠点として整備された館。外観はそのままに、内部に大金庫を残す。館内では、坂越地区の文化財などが紹介されている。
宝珠山展望台:大避神社から妙見寺前を通り、さらに山頂の鉄塔まで行くと、坂越湾を一望できる景色を楽しめる。そのまま宝珠山から小島までのハイキングもお勧め。
黒崎墓所:江戸時代、西徊り航路で栄えた坂越浦海域で客死した、令国各地の水夫の墓(他所三昧・船三昧)。県指定史跡』
石畳参道を歩いて、「大避神社」に向かいます。立派な随神門のある大きな神社です。随神門の随神の裏側に仁王像がありました。神仏習合の名残でしょう。『重要有形民族文化財(指定番号34) 名称:坂越船祭り祭礼用・和船6隻及び船倉1棟 所在地:赤穂市坂越3335番地 所有者:宗教法人・大避神社 港町坂越に伝わる大避神社の祭礼において、その中心的行事である神輿渡御に使用される神事専用の和船及び船倉 漕船(櫂伝馬・端船・橋船)2隻・楽船1隻・御座船(神輿船)1隻・警固船(議員船)1隻・歌船1隻』
拝殿に入ると、絵馬がたくさん下がっていました。絵馬が好きなので、1つ1つじっくり楽しみます。格子天井画もありました。児島高徳の墓に参りましょう。随神門を出て眼の前の広場に謂われ板が立っていました。
『小学校跡 坂越小学校は、昭和38年(1963)に高谷へ移るまで、この場所にありました。ここに大きな木造校舎が建ち、上の展望広場が運動場でした。多いときには1000名を超えるこどもたちが、ここで学んでいたのです。夏休みには、坂越浦で海の泳ぎ方を習いました。そして、4年生以上になると遠泳(海洋訓練)に出て、生島を泳いで一周しました。この石柱は、そのころ校門として使われていたものです』
『ストーリーで巡る 坂越湾周辺の歴史文化
坂越には、5世紀に古墳が築かれていて、漁業を生業とした集団の存在が推定されています。古文書を紐解くと、奈良時代にはすでに「坂越郷」の地名が見られるほか、仁安(にんなん)3年(1168)年には「坂越庄」に船や航海技術を持った集団がいたことがわかっています。
坂越湾は、江戸時代に「坂越浦」「浦方」と呼ばれ、西廻航路の寄港地として栄えましたが、北前船にその主導権を握られた後は、赤穂の塩を運ぶ塩廻船として生き残りました。坂越では、古い町並みが多く残されているほか、廻船業の繁栄を示す歴史文化遺産を数多く見学することができます。
ストーリー1・港町・坂越
文安2〜3年(1445〜1446)における兵庫北関(現在の神戸市)への入船記録「兵庫北関入船納帳」には、積出港として「坂越」の名が登場します。湾状地形と生島によって荒波から守られた天然の良港坂越浦は、漁業と共に廻船業で発展しました。 千種川では、高瀬舟による流通が行われており、年貢米をはじめとした積荷ほ高瀬舟船着場で荷揚げされたのちに坂越の主要道「大道」を通って坂越湾で廻船に積まれ、大坂をはじめとした全国各地へと運ばれました。
また江戸後期になると、赤穂で生産した塩を運び出す塩廻船で栄え、坂越は港町として活況を呈しました。「黒崎墓所」は、坂越近海で客死した水夫などの墓地で、埋葬者の出身地は北は出羽(現在の山形・秋田県)から南は種子島(鹿児島県)まで広い範囲にわたります。大避神社の秋の祭礼「坂越の船祭」も、近世海運の隆盛を今に伝えています。
ストーリー2・伝説と信仰の山めぐり
坂越湾と生島が一望できる宝珠山一帯には、秦河勝を祀る大避神社、中世の山岳寺院として栄えた真言宗古義派の妙見寺、中世山城の茶臼山城跡や、その周辺の八十八ヶ所石仏など豊かな歴史文化遺産が残されています。 また新田義貞とともに足利尊氏と戦ったという児島高徳の墓と伝わる五輪塔や、南朝方の皇族であった小倉御前の墓の伝承地など様々な伝説が生まれた地でもあります。
ストーリー3・古代の海人と秦河勝伝説
坂越には5世紀に古墳を築いた人々がいました。平地の少ないこの地で大きな権力を持っていた集団は、漁業や海上交通を生業とする「海人集団」だったのでしょう。 秦河勝を祀る大避神社の神地、生島にある生島古墳は、秦河勝の墓と伝えられています。秦河勝は蘇我氏の迫害から逃れてこの島にたどり着き、赤穂の地を開発したと伝承されています』
一段上の広場は、坂越浦城・御番所跡でした。『坂越のまちは、波静かな坂越浦に浮かぶ原生林「生島」(天然記念物)を取り囲む緑豊かな山々と、港まちの面影を伝える集落の佇いが調和して絵のように美しい光景を保っています。 まちの中心部には、旧庄屋をはじめ入母屋の大屋根の造り酒屋や酒蔵の白璧、近世後半期から明治初期にかけての厨子二階建ての町家、寺院の門などが並び、かつて内海の要衝として拓けてきた港まちを偲ばせる風情を今なおとどめています』
『坂越浦にあった、2つの山城 坂越浦城跡
城の歴史:この丘の周辺に、かつて「坂越浦城」とよばれた中世の城がありました。 京都の東寺に伝わる「東寺百合(ひゃくごう)文書」には、享徳3年(1454)の記事に「坂越浦城」や「坂越城」がみえ、このころ築城が始まったと考えられています。 また、江戸時代前期にまとめられた「赤松家播備作城記」でも「坂越城」として記録され、戦国時代には赤松家の家臣である湯浅加賀守という人物が居城したとされています。その後、子である湯浅長門守則宗(のりむね)が居城しましたが、則宗は天正年間(1573〜1593)に龍野城で亡くなったといいます。 江戸時代後期にまとめられた「播磨鑑(かがみ)」や「播州赤穂郡志」では、龍野城主であった赤松下野守村秀の「通城」とされています。このことから中世には龍野城の出城のような施設であった考えられます。
城の構造と地形:城のあった場所は江戸時代に赤穂藩の番所となったのち、旧坂越小学校や船岡公園となり、現在は展望広場や運動場になっています。展望広場の南側(海側)にも小さな丘かあり、ここにも城跡の施設が存在したのではないかと考えられているほか、北側の斜面には宝珠山妙見寺や船岡公園があり、こうした場所の一部も城の範囲であった可能性が考えられます。ただし、あまり広くはないため、本格的な城というよりも小規模な砦や館のような施設であったようです。 城跡はからは生島や坂越湾が一望でき、ここから坂越浦を出入りする船を見張り、港町坂越をおさえるために築かれたものと考えられます』
『鯔(いな)は、ボラの幼魚のことである。坂越では敷網を用いた鯔漁が盛んで、江戸時代には鯔座が結成され、眼前の小丘の頂上に鯔の群れ具合を監視した小屋が建てられていた』
更に登り、11:34「児島高徳の墓」。太平記のバイプレーヤーの児島高徳です。児島高徳は、鎌倉幕府倒幕に立ち上がり敗れ、隠岐の島に流される途中の後醍醐天皇を取り戻すため何度も襲撃した。隠岐の島を脱出した天皇を助け建武の新政を成した備前の武将です。その後、足利尊氏が後醍醐天皇と袂を分かつ政変が起こり、新田義貞とともに足利高氏方の赤松円心を攻めるも敗戦し、一族の大半を失った。
『大避神社 この神社は、遠い昔から坂越の海と人とを見守り続けてきました。祀られている秦河勝は、飛鳥時代に聖徳太子とともに政治にあたりました。聖徳太子の死後、秦河勝は坂越へ移り住み、千種川沿いを開拓したと伝えられています。また、秦河勝は能楽(鎌倉時代の演劇)の守り神としても知られ、神社には古い舞楽面が残されています』
『坂越の船祭り 海に育まれた坂越の人々は、お祭りにも船を使いました。毎年10月に行われる船祭りは、大避神社から神霊を生島へ渡すお祭りです。坂越が船を使った交易で栄えたころ、船乗りたちは、今のような勇壮な船祭りを作り上げました。絵馬(神社に飾られている絵)や石灯篭を見れば、そのころ港に浮かんでいた船の名前を知ることができます』
バイクに戻り帰路に着きます。海岸沿いのr458に出ます。すぐに、生島(大避神社御旅所)が沖に浮かんでいます。秦河勝のお墓がある禁足地です。寝屋川の「伝・秦河勝の墓」は参ったけど、こちらのお墓にも参りたかった。赤穂坂越は、秦河勝終焉の地。渡来人で聖徳太子に協力し、京都太秦を本拠にした。聖徳太子没後、蘇我氏から藤原氏に権力が移り、畿内を脱出し、坂越に移りました。どう考えても、こちらの生島の方に秦河勝の本当の墓。禁足地になっていることで、ますますこちらのお墓の信憑性が高まりましたが、生島に渡れないのがとても残念です。生島の大避神社御旅所の鳥居が見えていました。r458を走り、道なりにr568。
R250に突き当り、右折して東へ。「道の駅あいおい烏龍城」前を通過し、左折してr64〜r121〜R2〜r121〜山陽道。13:16「セブンイレブン山陽道三木SA上り店」で「森永チョコモナカジャンボ172円」を購入し糖分補給しました。中国道に乗り換え、宝塚ICで下車し、14:15帰宅。




逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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