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兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2017/7/23
コーチしてる大学ヨット部の練習に参加します。翌日から前期テストなので、半日練習です。前日の天気予報を見ると、14〜15時に1ミリの雨マークです。難儀やなと思いましたが、夏なので降られても平気なので、バイクで行くことにしました。
4時前に目が覚めましたが、あ〜だこ〜だ少々し、ラッシュガード・スポーツタイツの上にメッシュプロテクター上下を着ます。マイ・ライフジャケットは着たら暑いので、ヨット部で借りることにします。
4:48、「里山VTR250」で出発。R171〜中央縦貫道を走り、4:54「エネオス・中環豊中SS」で給油。174km/3.54L=49.2km/L。吹田から名神高速に乗り、大津IC下車。
r18〜r102で、5:47「膳所城跡」。琵琶湖・瀬田川に面した江戸時代に作られた平城です。徳川家康が天下を取り、東海道の要衝・大津を抑えるため大津城を廃して新たに天下普請で作った。縄張りは、藤堂高虎です。対豊臣・大坂城としての性格も持ち、山陽道を抑える姫路、山陰道を抑える丹波篠山、伊勢街道を抑える伊賀上野とともに、包囲網の一翼を担った。
「大坂の陣」に敗戦した場合、一旦退却して陣容を整えるため、伊賀上野城と彦根城を予定していたらしい。両城をつなぐライン上にこの城が位置し、地形学上でも最重要の城といえる。現状は城址公園になっているが、遺構らしいものは見当たらなかった。
『四高桜』の説明板がありました。正和16年4月に、第4高等学校(現金沢大学)ボート部が琵琶湖で春合宿中、高島沖で比良颪に遭い11名の部員を失った。その遭難地に「四高桜」1000本を植え、その後にこちらにも植え、碑を立てたそうです。
近江大橋が目の前を通り、琵琶湖最南端の瀬田川が始ま地にあります。瀬田の唐橋の北側です。この付近の瀬田川はボートのメッカで、各大学ボート部の艇庫が並んでいます。築城された当時は、堆積物もずっと少なかっただろうから、四面を琵琶湖に囲まれた城だったのだろうと想像しました。
r102・瀬田川沿いを下り、6:07「本多神社」。膳所城主だった本多氏の4柱を祀る神社です。徳川四天王・本多氏に繋がり家系かと思ったが、親戚筋では有るだろうが、徳川家康時代以降に別れた家ではなさそうでした。
曲がりくなって旧道を大津に戻ります。6:20「膳所山三味院光源寺」。6:24「県社篠津神社」。『祭神:素盞嗚命 古くは牛頭天王と称し、膳所の産土神。室町時代にはここに鎮座していた。大津円満院門跡・常尊法親王や、覚淳親王有栖川家の尊崇篤く、鳥居や額など寄進されている。膳所城主・戸田・菅沼・石川・本多家からの崇敬も長く続き、社領22石の他、社殿の修復も本多家で時々行われた。重文指定の表門は、膳所城北大手門で、旧藩主の信仰を偲ぶ縁となっている』
『篠津神社表門 明治3年(1870)膳所城取り壊しの際に移された。高麗門形式で屋根は本瓦葺きで、本多氏の立葵紋が見られる。扉は内開きで、縦格子・腰部横板張り、脇門を付けている。高麗門形式は、背面に特色が有る。正面の主体部から両方に袖のように直角に屋根が出ている形式で、城門に多く用いられている。桃山時代の城門の1つ』
6:35「県社膳所神社」。『祭神:豊受比売命 天智天皇が大津京に遷都の際、この地を御厨所と定められた。天武天皇6年、大和国から御食津神を奉還し、大膳職の御厨神とされた。慶長年間、大政所・豊臣秀頼・徳川家康などが尊信され、数々の神器の寄進があり、東山天皇は膳所大明神の宣下をされた。膳所城主・本多氏の崇敬篤く、社領の寄進や社殿の造営が度々行われた。表門は、旧膳所城・城門で、重文指定されている』
『膳所神社表門 旧膳所城二の丸より本丸への入口にあった城門で、明治3年(1870)膳所城取り壊しの際に移築された。棟筋と扉筋が同一垂直面にない薬医門で、城門として多く用いられる。屋根瓦に本多氏の立葵紋が見られ、桃山時代の建築物として貴重。脇に潜戸を付け、頑丈な造りで城門の貫禄を持っている。対象13年(1924)重文指定』
境内から北に、滋賀県トップ校「膳所高校」の校舎が見えている。ついでに膳所高を見に行く。西に「清徳院」が隣接し、ここの屋根瓦にも立葵紋が入っている。大津高校の横を通り「福正寺」。6:56、ずっと訪問したかった「義仲寺」。平安時代末期、後白河法皇からの命を受けて、信州で挙兵し北陸から京都に攻め入り平氏を追いやった木曽義仲でしたが、後白河法皇と不仲になってしまった。法皇からの宣旨を受け続いて京都に上ってきた源義経軍と戦い、ここに敗れた。その墓があるのが義仲寺です。
『史跡義仲公・芭蕉翁墓所 義仲寺』。松尾芭蕉のお墓もあるのですね、知りませんでした。『義仲寺境内 源義仲を葬った塚があり、室町時代末期、佐々木六角氏が建立したと伝わる。門を入ると左奥に、俳聖松尾芭蕉の墓と並んで、木曽義仲の供養塔が立っています。「木曾殿と背中合わせの寒さかな」という著名な句は、芭蕉門人・又玄(ゆうげん)の作です。境内には芭蕉辞世の句「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」などの句碑があります。また巴御前を弔う巴地蔵堂もあります。昭和42年(1967)国指定の史跡』
入ってみたかったが、朝早いので門は閉まっていました。ここで時間切れ、ヨットハーバーに向かいます。r18〜R161で、7:04「琵琶湖疏水・取水口」。湖側に目を転ずると、右岸は貸しヨット・ボートの松原ヨットクラブ、左岸に木造艇庫が健在だった。
桜マーク内に「三」の文字が書かれており、「旧制第三高等学校ボート部の艇庫」だったことを今に伝えている。ナンバースクールと呼ばれた戦前の高校、現在の大学です。「一高」は現東大、二高は東北大、三高が京大で、四高が金沢大学です。
現京大ボート部の艇庫は、先程の瀬田川に移ったが、その昔「琵琶湖周航の歌」が作詞作曲された当時はここで活動していた。作詞作曲者は、現役の三高ボート部員でした。扉は廃屋同様になっていますが、朽ち果てることなくしっかり建っており、三高マークのペンキは数年前に塗り直した感じがします。
京大同好会神陵ヨット部の艇庫で、以前は活動していたのですが、現在は部員がいないのかな?今年、「琵琶湖周航の歌100周年」記念行事が、滋賀県で盛り上がりそうなので、発祥の地でもイベントがあるのかな?前滋賀県知事・嘉田さんや、現大津市長・越さん2人の女性政治家が盛り上げているような事を聞く。
R161を北上し、7:17「セブンイレブン大津松山町店」で、「プレミアムフレッシュバナナ3本入り213円」を購入。ヨットハーバーにバイクを入れ、みんなに挨拶して桟橋のコーチボートへ。メッシュプロテクター上下を脱ぎ、ラッシュガードの上に次男のお嫁さんから父の日プレゼントで貰ったモンベルTシャツを着る。スポーツタイツの上からモンベル短パンを履いて、少し涼しくなる。朝食のバナナを1本いただく。
艤装を終え、8時集合。ストレッチ・深いストレッチ・腕立て伏せ・腹筋・腕力アップ・サーキットトレーニングと、いつものトレーニングを済ませ、ブリーフィング。全日本インカレ予選まであと2ヶ月なので、これからの練習の仕方などを話す。
出艇し、ロング帆走練習。続いてスタート・レース練習。3・4回生艇はもちろん、2回生艇の一部も、かなりスタートが上手くなっている。三井寺からの風(SW)3〜4m/sがコンスタントに入り、良い練習になった。両クラス、3分間隔でスタート練習を繰り返したが、コーチボートに乗ってる女子マネージャーと1回生部員が、すぐにルーチンを理解し、僕の指示通りマイクでアナウンスし、テキパキと練習できた。
11:30、練習を終え、クルーとスキッパーを交代してハーバーバックするよう指示。8m/sほどの良いブローが時折入ってきて、楽しそうだ。コーチボート上では、女子マネージャーが良いアングルにドライブし、もうひとりの女子マネージャーがビデオを回していた。
12時に着艇し、解装中切りの良いところでブリーフィング集合してもらった。監督は合宿所に戻りミーティングに参加するそうだが、僕は午後また大津を巡ろうと思う。スタートが上達したことを話し、安易なリコール(フライング)がまだあることと、マーク回航の基本アプローチを話す。
コーチング中着ていた釣りメッシュチョッキを脱ぐ。釣り用はポケットがたくさんあり、三種の神器を入れている。ホイッスルがないと、練習を指揮できないからね。プロテクター上下を着て、艇庫を後にして、R161を南下する。道なりにr18に乗り、12:52「義仲寺」。開いてて良かった。拝観料300円。
境内の説明をいただいた。『山吹供養塚 義仲の正室。病身のため京にあったが、義仲に会おうと大津まで来たが、義仲敗死の報を受け、自害したとも捕らわれたとも言われる。元大津駅前に塚があり、改築のためこの地に移された』
木曽義仲と言えば、「巴御前」が超有名ですが、それは武者として義仲と戦でも行動を共にしていたから。正室は、木曽の里に預けられた家の娘でこの人。巴御前に対抗し、自分も婦人部隊を指揮し、義仲軍に随行したと小説には書かれている。この2人の女性をこれほど惹きつけた魅力的な義仲に、僕は惹かれる。
『義仲寺 昔この地は粟津原と言われ、寿永3年(1184)征夷大将軍・木曽義仲公はここで敗死した。その後、年を経て1人の尼が来て、公の塚に侍してねんごろに供養した。里人は訝しみ、その有縁を尋ねるが、「名もなき者」と答えるのみだった。この尼こそ巴御前の後身で、そこから無名庵とも巴寺とも呼ばれるようになった。佐々木候が木曽公を護持するため当寺を修復した。
元禄の俳聖・松尾芭蕉は、木曽公の心情に同情し、無名庵に滞在した。大坂で死去された時、近江義仲寺の義仲公の墓の傍に埋めよと遺言された。無名庵は、芭蕉翁の死後、高弟により代々我が国俳諧第一の聖地とされてきた』
芭蕉の杖が展示されていた。伊藤若冲の天井絵もあった。こんなところで若冲に会えるとは・・・
『巴塚(供養塚) 木曽義仲の愛妻・巴は義仲とともに討死に覚悟で粟津野に来たが、義仲が強いての言葉に、最後の戦を行い敵将・恩田八郎を討ち取り、涙ながらに落ち延びた後、鎌倉幕府に捕らえられた。和田義盛の妻となり、義盛戦死後尼僧となり、各地を巡り当地にしばらく留まり、亡き義仲の菩提を弔った。その後いずれかに立ち去り、信州木曽で90才の生涯を閉じた』
木曽義仲の小さな塚の上に宝篋印塔が立っており、小奇麗に整えられていた。翁堂という佇まいの良いお堂があります。この天井絵が伊藤若冲作だそうです。代名詞である精細画とは違う天井絵ですが、こんな所に足跡を遺しているとは思いませんでした。
その裏に「保田興重郎墓」がありました。存じない方だったので帰宅後調べました。『明治時代の文芸評論家。マルクス主義からドイツロマン派に傾倒し、大東亜戦争を正当化し、戦前は戦線拡大を扇動する論陣を張った。戦後公職追放に遭いましたが1960年代後半から復権した。思想は戦前同様一貫していた。明治以降の神道の国教化(国家神道)には疑問を呈し、上古の神道と異なると評した。キリスト教のように布教する宗教ではなく、自然に根ざしたもので、信仰の強制=皇民化には反対した。大東亜共栄圏の侵略の方便に神道が使われるのに、祭政一致の観点から嫌悪感を示した』
僕も、神道は強制されず、経典も教えもないただ自然崇拝を形にしたものとして気に入っている。
次何処に行こうか地図を見ていて、「岩間寺」が目についた。R1〜R422〜r106を経て、山道に入っていきます。枝道に「奥宮神社」と書かれていたので、そちらに入ってみた。舗装が荒れだし、コンクリート舗装になり勾配が急になった。途中から更に勾配が増したので、危険が危ないと思いUターン。
もとに道に戻り、13:42「岩間山正法寺」。昼食としてバナナを1本食べる。「入山拝観料500円」と書かれていたが、本堂で払うようになっている。『白姫竜神 開山泰澄大師が、加賀の白山で修行中、白馬に乗った妻女に会った。「白山妙理大権現である」と言われ有難く感じた。大師は当岩間山に白姫龍を勧請された。女人がこの神を崇めると美女に成ると伝承されている』
そこから眼下に展望が広がっていた。『岩間山正法寺(通称岩間寺) 真言宗 本尊:秘仏千手観世音菩薩立像 創建は養老6年(722)越前生まれの泰澄大師が、時の女帝・44代元正天皇33才の厄年の病気を法力により治された褒美に勅命により建立。本尊は、当地の桂の木より刻んだ千手観音像で、胎内仏として元正天皇より賜った千手観音をこめた。現在の本尊は、その元正天皇の御念持仏・千手観音立像で、丈4寸8分(15cm)、三国伝来ノエンブダゴン(インド・エンブ川より取れる砂金)の金銅仏で通称「汗かき観音」「雷除観音」「厄除け観音」と呼ばれる。汗かき観音とは、日没とともに厨子を抜け出し、毎夜135地獄を駆け巡り、苦しむ衆生を済度し、明け方お帰りになる。時には汗びっしょりになられることに由来する。
また大師が七堂伽藍建立の際、度々雷が落ち堂宇をことごとく焼失した。困り果てた大師は、自らの法力で雷を捕らえ、仏弟子にしたところ、雷は2つの約束をした。「当山に参る善男善女には雷の難を及ぼさないこと」「岩間山に千年万古つきることのない水を湧かせること」。これが雷除け観音の由来。境内には、雷自ら爪で掘ったという「雷神爪堀の霊泉」があり、現在も絶えることがない。元正天皇の「湧き出ずる 岩間の水は いつまでも つきせぬ法の み仏のかげ」が伝えられる。後白河帝・後宇多帝・正親町帝など歴代の天皇の尊崇篤く、日本三大霊場の1つとして隆盛していた』
大師堂があった。『泰澄大師 白鳳11年(682)越前生まれ。俗姓は三神氏、父は安角、母は伊野氏。幼少の頃より神童で、常に十一面観音を念じ、僧侶となってからは荒修行をし、その名声は早くから中央に知られていた。大宝2年(702)鎮護国家法師になり、養老6年(722)元正天皇病気平癒のため、奈良の都に来た。同年、加賀白山を開く途上、元正天皇の勅命で、当山を開く。神護景雲元年(767)86才でこの世を去る。弘法大師 真言宗の開祖。宝亀5年(774)〜承和2年(835)』
久しぶりに4文字元号を見た。4文字元号は奈良時代の聖武・孝謙・淳仁・称徳天皇(重祚)の期間、俗に言う天平時代にのみ使われた年号で、天平が付かない唯一の4文字元号です。2文字以外は天平時代の4文字5つのみです。
『稲妻龍王社 当山護法善神で、この銀杏の大樹に住む。水を司り、雷難・水難を除き大魔から護り給う』
ガマの草がバケツにたくさん採集されていた。法事に使うのかな?
『不動堂 寛政・文化・昭和年間に再建を繰り返しているが、虫害ひどく現不動堂は平成5年に再建。不動明王・二童子像(平安中期・重文)。不動明王は、大日如来の使者、または大日如来が教化し難い衆生を救うために、恐ろしい姿をとる。二大童子は、不動明王の使者八大童子の1つ。薬師如来坐像(藤原期)阿弥陀如来坐像(藤原期)』
小さな池があった。これが捕らえられた雷が約束した湧水が絶えない水源かと思い謂れが書かれて石碑を読むと、『芭蕉の池(発祥地) 古池や蛙飛び込む水の音。観音霊験記によると、俳聖松尾芭蕉が山の観音を信仰して参籠し、供養塔を立てた。たちまち霊験を得、この名句が出た』
本堂があったので、拝観料500円を払いに行く。商売っ気がなく、「ああ、拝観料ですね」とお坊さんがチケットをくれた。払いに行かなければ催促されることもなさそうです。天井にいろいろ下がっていた。
泰澄大師が、自ら桂の木から彫ったとされる本尊。それ故桂の大木が霊木とされていた。「これより90m桂谷大樹:現在も山内には多くの桂の大樹が存在しますが、最も樹勢が旺盛で、千年有余の歴史を現代に伝える大樹。桂の大樹群としては日本随一」「奥宮神社ここより10分」の案内板があった。
13:56、そちらに歩き出すと、「上醍醐寺」の案内板もあった。そうか上醍醐寺の東に位置しています。尾根道で行けるのかも?「護法善神遥拝殿」があったが、20mほど下るのでパス。遥拝が望む所に桂の大樹があった。『東海自然歩道 左:東笠取を経て喜撰山・天ヶ瀬ダム 右:石山寺5.5km・岩間寺0.1km』
上醍醐寺への分岐があった。『奥宮神社・琵琶湖展望台』の案内板が立っている。少し先を歩いていったカップルが戻ってきた。あれれ・・・とその先を見ると、完全な山道になっており、ハイヒールには厳しそう。
山道を抜け、人工物が見えてきたが、別荘地でも分譲したのだろうか、朽ちた擁壁が悲しい。14:13奥宮神社。案内板の10分では無理で20分と書いておくべきだろう。
日曜の午後なのに社務所は開いていない。こんな山頂に有る細道急坂経由の神社は、訪問する人は僕のような物好きだけだろう。岩間山山頂の電波塔とさほど高度が変わらない。琵琶湖一望展望台からは、瀬田川とその流域の狭い耕作地が見下ろせる。思いっきり北に目を向けると、琵琶湖瀬田と近江大橋が見えた。
ベンチに座って、水筒から水を呑む。500ml入りの小さな水筒ですが、ヒップバッグに入れていても邪魔にならないし、氷満タン+水道水で家を出れば、1日冷たいお水に有りつけるので重宝している。これは姪っ子に教えてもらい、ホームセンターに買いに行ったものです。まだ紫陽花が咲いていた。
境内に戻ると、『右:立木観音道50丁 左:石山観音道38丁』の石柱が立っていた。1丁は109mなので、立木観音まで5kmですね。バイクで立木観音に行ってみよう。
バイクに戻り、脱いでいたプロテクターメッシュを着る。R422に下り、瀬田川沿いを南下し、15:01「立木観音P」。さあ登ろうかと石段に取り付くと、「石段800余段」の案内板を見てしまいUターン。道なりに瀬田川右岸がr3になり、京滋バイパス「南郷IC」から高速に乗ろうとしたら、「大阪方面には行けません。笠取ICへお回りください」と書かれており、Uターン。
更にr3を走り、笠取ICから高速に乗りました。京滋バイパス〜大山崎JCTから名神高速〜吹田から中国道に乗ります。天気予報の14〜15時雨1ミリは外れて良かったなと思いながら走っていると、豊中丘陵を西に下るところで小雨が落ちてきました。1ミリには程遠いですが、西風・南西風の時は、よく雨の降る場所です。
六甲山から大阪平野北部に下った風がこの丘陵に当たり吹き上がります。南西の場合は、大阪湾からの風が吹き上がる時に、湿度の多い時は飽和水蒸気量を越えて絶えきれず雨になってしまいます。同じく生駒山で吹き上げられた風が東大阪に雨を落とすのと同じ原理です。
16:17帰宅。家内はまだなので、洗濯物を取り込み、最後のバナナを食べる。そして風呂。これでスッキリしました。おやつとしてプレーン・ヨーグルトを450g食べ、冷凍庫で冷やしていたポンジュース氷をクラッシャーに入れて自宅かき氷でクールダウンします。
TV点けてそのまま昼寝になってしまい、門扉が開く音で飛び起き、家内より前に玄関に取り付き「おかえり〜」と開けました。お蕎麦を作ってもらい食べながら本日のお互いの出来事を報告し合います。弟と義理妹に会ったんだって。
「モヤモヤさまーず」を見て、家内が寝てしまったので、僕もお休みの時間になります。プレーンヨーグルト450g持って寝室に上がり、「NHK大河ドラマ女城主直虎」見て寝ちゃいました。

2017/7/16
家内もお休みの日でした。2週間前の2人共お休みだった日曜日、大阪市内をサイクリングしましたが、信号待ち後の発進で車に追突され、家内が怪我をしました。スポーツタイツが破れ膝を擦りむいただけですが、まだ擦り傷が治りきっていないのでサイクリングは自重です。
いつものように4時頃目覚め、あ〜だこ〜だそていましたが、7時になっても家内が起きてきません。「これはおかしいぞ」と階下に降り、家内の寝室に忍び込んで添い寝しました。「うう〜ん、今何時」なんて寝ぼけた言葉が返ってきてホッとしました。突然いなくなるなんて嫌です。
お三どんを始めた家内に本日の予定を聞くと、「市中心部で用事」「メガネ屋」「次男のお嫁さんと、その娘の誕生日が7月だからプレゼントを買いにヨットハーバーへ」「食材の買い物」だそうです。僕はTVを見ながら、家内の破れたタイツ修理の縫い仕事をします。家内は買い換えるようなことを言っていますが、3cmほど破れただけだからまだ十分使えると思って。
10自前になり、僕は通勤リードでホームセンターに行き、B4コピー用紙を買いに行きました。ホームセンターはワンダーランドです。キャンプ用品売り場で、100円ライター仕様のジェットバーナーを買いました。お墓参り用線香火付けライターがそろそろ限界だったからです。お盆の次男一家の帰省のために、おもちゃ売り場を見に行くと花火が売っていました。孫・すみれちゃんは今月1才なので、線香花火が売っていればと探しましたが、セット物ばかりでパスです。スマイルマーク付きの軟球があったので、10:19これを購入。
帰宅すると家内が用意できていました。僕の修理したばかりのタイツを履き、ミニスカートを重ね着しています。まっすぐな細い脚が魅力的です。「いや〜いいね〜、またまた美人さんになってるわ〜」、口で言うのは無料なので、イタリアーノな僕は、軽口を叩きます。「しょうがないわ、生まれつきだから・・・ほら見て、破れたとこ目立たないよ。ありがとう」。僕は食事もあれもこれも、家内にお世話になりっぱなしなので、気付いたら洗濯物干し程度は手伝います。その程度のことしか出来ないのに、いつも「やってくれたの、ありがとう」と必ず「ありがとう」と言ってくれます。スポーツするわけではないのにタイツを履いたのは、僕の修理への感謝の気持ちからです。素晴らしい女性です。
通勤リードにタンデムし、市中心部に出て家内の用事を待ちます。目の前に千鳥屋さんがあったので、和菓子でも見ようと入店。カウンター内を見ていると、店員さんが、お店の代名詞・千鳥饅頭1/4と冷たいお茶を持ってきてくれました。「どうぞ」、ただの冷やかしなのに恐縮しちゃうな。食べないのは失礼なので、美味しくいただきました。お茶が、少し日本茶と違う。
お盆法要で、次男一家と弟一家がやってくるから、和菓子でも出そうかな?と下調べでした。水ようかんはどうかな?黒豆ゼリーが美味しそう・・・なんて見ていると、家内が戻ってきました。少し残しておいたお茶を、「これ美味しいよ」と飲ませました。「お茶を冷水で出したら、こんな味になるのかな?」なんて話している所に、「どうぞ」と家内用にまた同じセットを持ってきてくれました。「このお茶は・・・」日本茶ではありませんでした。
「今日はバイクだから持って帰れないから、またお盆前に買いに来ますね」なんて店員さんと話していると、家内が「この黒豆ゼリーは、どれぐらい日持ちしますか?」なんて聞くと、「ご予約できますよ、早く売り切れてしまいますから」なんて言う。「お茶いただいたのだから何か買ったら?」なんて家内に促され、黒豆ゼリーと水ようかんのセットを予約しました。これで手持ちのお金が2000円になっちゃいました。
次はメガネ屋さんです。r13を南下し、阪急塚口駅前のダイエーの「メガネの愛眼」へ。家内が先月買ったメガネのレンズ交換です。遠近両用メガネを新調したのですが、少し暗いところでバーコードの数字が見にくいのでレンズ交換してもらうそうです。6ヶ月間なら無料交換してくれるのだとか・・・。
仕事帰りに、トイレに行きたくなりダイエーに入ったら、トイレの前に「メガネの愛眼」があり、いつものダイヤモンドシティ内の愛眼さんと大違いで空いてたので、相談し買ったそうです。話を聞いていると、遠近両用レンズの使い方を説明され、「じゃあ、これで様子を見ます」なんて流れになってる。「交換する」と言ってたのに、気の優しさから自分の気持ちを引っ込めようとしてる。ここはちょっと強めに助け舟を出そう。「でも今仕事で困ってるのに、なんで道具に合わせなきゃならないの?すぐに快適にならなきゃ」と悪役に徹して強めに言うと、「そうですね、では試着されますか?」「そうだよ、合わせてみてもっといいのがあれば交換すればいい。なければそのままでいいし」。ということで試着コーナーへ移動していきました。
僕は暇なので、同じフロア内をウロウロ、愛眼に戻ってきてあれこれ・・・「ハズキルーペ」という商品を展開していました。メガネ型になってる虫眼鏡で、遠視用ではなく単なる拡大鏡ですが、これがなかなかの拡大率で新聞の小さな文字がバッチリ見える。1.6倍と1.32倍があるようで、レンズサイズが3サイズ。眼鏡の上からでも掛けられるようになっている。僕はたまに虫眼鏡にお世話になるので、これはいいぞ。お値段1万円で、これは売れそう。
「ごめんね、遅くなっちゃった」と戻ってきた家内に「これいいよ」と教えると、TVでよく宣伝してると逆に教えられました。
次はヨットハーバーです。五合橋筋線を南下し、R43を西進します。甲子園球場横を走ります。やたら車間距離を詰めて来るお爺さん軽四が後ろに着いたので、事故の危険を感じ車線変更して横を見ると、車間距離をめちゃ詰めたり開いたりで、運転がちょっと怪しい。
新西宮ヨットハーバーに着き、ヘリーハンセンショップで物色します。ヨットやってた次男は、入籍直前ここで夫婦おそろいのボーダーセーターを買っていました。お洒落なウエアがあるので、家内がお気に入りで、一昨年もここで何かを買って長男音お嫁さんお誕生日プレゼントにしていました。僕も近所のジブ本店でジブバッグをお嫁さんたちにプレゼントしたことがあります。姪の中学受験合格プレゼントにもしたし、孫用にライフジャケットを買い自宅に置いています。
かわいいデザインの速乾素材Tシャツがあり、家内が2人のプレゼントに買っていました。2万円手に持って「これをプレゼント包装してください」と言うと、お値段4000円台で、「え、2つで・・・」と驚いていました。セール中ですが定価でも7000円なのに、見ていなかったのかとビックリしました。僕は素材とお値段をまず見るけどなあ・・・。「安くて、得しちゃった」とニコニコで、包装袋もオシャレで大満足のお買い物だったようです。
お嫁さんたちは、「いつも世話になってばかりだから」と、東京旅費や伊勢旅行などプレゼントしてくれます。家内はお嫁さんたちが可愛くて仕方ないようです。まあその費用の出処は息子たちの稼ぎなのですが、僕の母親と家内との関係同様とても良好です。
一点鐘を覗き、ノースショップの知り合いと話しました。彼の長男は、中学受験し次男の後輩になりました。中1になったばかりなので、様子を聞きました。楽しくやってるようです。月1の頭髪検査で2度連続引っかかると、学校近所の散髪屋で強制散髪させられるのでそのことを聞くと、まだセーフだそうです。次男は一度強制送りされ、文句たらたら言っていました。
「Friandise」でお昼ごはんを食べます。家内は「Fランチ1080円」、僕は「スノーアイス・いちごラズベリー650円」。ここのかき氷は超ふわふわでかき氷の感じがせずお気に入りです。家内に食べさせると「なにコレ、かき氷とは思えない。今までで一番美味しいかき氷だわ」と感動していました。去年は、フルーツ単品&練乳ジュースを氷にしてそれを削り、それに果肉を載せていましたが、今年のはちょっと違っています。練乳氷を削り、果肉が添えてあります。凍ったいちごとラズベリーが添えてありましたが、ナイスな味です。
「船に乗る?」と提案しましたが、「暑いし〜」で却下。僕も帽子やサングラスを持ってきてないから、本気じゃなかったんだけど・・・。お盆に次男一家と船に乗りに来ようかと提案しましたが、「すみれちゃんは何もわからないから面白くないよ、海に落ちたら大変だからお嫁さんが気を使うし・・・」と却下されました。長男一家と乗った時は、りょうくんが2才でステアリングを動かして喜んでいました。次男夫婦と乗った時は、まだすみれちゃんが生まれていませんでした。
14:25にYHを後にし、鳴尾浜に向かいます。「リゾ鳴尾」の温水プールに興味がある用で、外見だけでも見せようかと思いました。阪神高速湾岸線側道を走り、鳴尾浜へ。浮き輪を載せた車を見つけ、追跡すると難なく到着。駐車場渋滞が発生しており、夏のプールシーズンは激混みのようです。行くなら夏を避けて、温水プール狙いだな。
ついでに、14:46阪神タイガース鳴尾浜球場に寄り道します。ファン感謝デーをやって るのか、タイガースの選手もグランドにいます。オールスターゲーム期間中なので、ドミニカの独特の頭髪の選手も見えます。ユニフォーム姿の少年や少女がおり、お父さんから「何をアドバイスしてもらったの?」と聞かれている子もいます。
r13を使って帰宅します。買った荷物を置いて、すぐに食材補給買い物に出ます。近所の関西スーパーでヨーグルト他を購入し、あとは自宅でのんびりです。
ところが、隣の僕の実家に用意した室内干し器具が頼りなくて買い換えようかと言い出しました。主の両親は他界してしまったので、僕があれこれ片付けリフォームし、息子一家が帰省する時の家に使っていますが、生協さんの通販で買った室内干しアルミ物干しステイが細すぎて頼りないです。時々ジョイントが外れるので、僕が結束バンドで補強していますが、主婦としてはどうにも見た目と実用性に我慢ならないようです。自分が使うならいいのですが、お嫁さんたちが洗濯した時に使うので、義理母としてはかっこ悪いようです。
じゃあ買いに行こうか?「もっとしっかりしている、こんなのがいいの」と折り込みチラシを持ってきます。時計を見ると19:30。このチラシのお店は20時閉店だけど、ニトリのチラシも出てきて21時閉店になってるので、行ってみることにしました。
四輪を出動させ、20時前にお店到着。もっと良い感じで、もっと安価な2500円ほどのを買いました。ニトリもワンダーランドなので、手にしたキットを担ぎながら、アチラコチラ見ながら楽しくおしゃべり出来ました。楽しそうで家内の笑顔を見ているのがとても幸せです。

2017/7/9
コーチしている大学ヨット部の練習に参加します。地元伊丹市の天気予報は、14時を中心に一時雨ですが、大津市の天気予報は朝9〜20時まで雨です。バイクで行く予定にしていましたが微妙。
朝4時前に目を覚まし、しばらくあれやこれや。5時になり行動開始し、5:32出発。結局4輪で行くことになりました。まだ雨が降っていないのでバイクでも平気なのですが、ヨット部に寄付する書類棚・コルクボード・マグネット格子ライン入りホワイトボードを4輪に積んだままだったことを思い出したからです。
中央縦貫で吹田まで走り、名神に乗り、6:09桂PA着。トイレを済ませ、京都東ICで下車し、R1を大津に向けて走ります。逢坂峠を超え、R161に乗り換え、6:27「関蝉丸神社・下社」着。先月「上社」を訪問した時、山側の道を探索し、見つけられませんでした。
「逢坂1丁目北」と言う住所です。社名とともに「音曲芸道祖神」と彫られた石柱が立っています。参拝路に京阪電車の踏切があり、京阪電車が横切っています。その手前に、「関清水大明神」と彫られた灯籠が立ってる。湧水が湧き、地域の方に利用されていた名残りでしょう。踏切名はズバリ「蝉丸神社踏切」となっています。
踏切を渡ると石鳥居が立ち、境内舞台の向こうに本殿が見えます。右手の手水舎は、手入れされていないまま放置状態です。蝉丸神社はよく手入れされている印象でしたのに、関蝉丸神社はイマイチになり、ここは放置。この差は何なのだろう。隣の家?元宮司さんの家の屋根にはブルーシートが掛けられ無住の感じがします。
参道脇に、「せきの志三川」と彫られた石柱が立ち、石柱玉垣に囲われた井があります。上に小さな祠が乗っている。どうやらここが「関清水大明神」のようです。湧水を大切に守っている感じがします。現状はと覗くと、石組みが湿っているものの、湧水は貯まっていません。
摂社に「貴舩神社」があり、舞台を見ると、絵馬殿にも利用されていました。倉庫がある。蝉丸神社訪問日は、祭り1週間前で、虫干しで倉庫が開かれており、お宝の金ピカ神輿や、琵琶を拝見できましたが、この中にもお宝が眠っていそう。本殿の屋根にも築地塀にもブルーシートが掛かり、とても残念な状態です。きっと地元の氏子方は資金集めに奔走しておられるでしょう。我が家も地元氏宮本殿修理に寄進し、玉垣に名前を刻んでもらいました。阪神淡路大震災修復にも寄進したような覚えがあります。蝉丸神社は3社あるので、維持管理に多額の費用が必要でしょう。教科書に載るような有名な盲目の琵琶法師・蝉丸を祀る全国区の神社ですから、行政の支援があっても良さそうなのに・・・大津市にとっても貴重な観光資源でしょうに。
因みに、蝉丸神社が蝉丸が住んだ所で、蝉丸さんを祀っています。関蝉丸神社・上社は猿田彦命で、下社は豊玉姫命を祀っています。
『謡曲「蝉丸」と関蝉丸神社 幼少から盲目の延喜帝第4皇子・蝉丸の宮を侍臣に頼み、僧形にして逢坂山にお捨てになった。この世で前世の罪業の償いをすることが、未来への助けになるとあきらめた宮も、孤独の身の上を琵琶で慰めていた。
一方延喜帝第3皇女・逆髪の宮も、前世の業因強く、遠くの果まで歩き回る狂人となって逢坂山まで来てしまった。美しい琵琶の音に引かれ偶然弟の宮・蝉丸と再会し、2人は互いの定めなき運命を宿縁の因果と嘆き合い、姉宮は心を残しながら別れていく。と言う今昔物語を出展とした名曲が謡曲「蝉丸」である。蝉丸宮を関明神祠と合祀のことは定かでないが、冷泉天皇の頃、日本国中の音曲諸芸道の神と勅し、当神社の免許を受けることにされた。 /謡曲史跡保存会』
延喜帝は、延喜式で有名な延喜年号の帝・醍醐天皇のことです。
本殿横に、石灯籠があります。『重要文化財 工芸品・石灯籠(時雨灯籠) 六角形の基礎に単弁の蓮華座を彫り、その上に立つ竿の中ほどに蓮華と珠紋帯を作り、六角形の中台には花入単弁の蓮華が彫られている。六角形の火袋は簡素なもので、火口1ヶ所と小さな丸窓を設け、壁面も上部だけ連子を彫っている。六角形の笠も薄く、蕨手はよく古式をとどめている。最上部の宝珠と請花は後補。作成年代を示す銘文はないが、様式上鎌倉時代の特色を持った良い石灯籠』
R161を浜大津に向け更に下り、r47にチェンジ。京阪電鉄・石山坂本線が路面電車になっている。6:44、琵琶湖疏水取水口。ここから大津港に掛けてのこの周辺は、大津城址ですが、面影は殆ど残っていません。関ヶ原の戦いの時、豊臣秀頼の母・淀君の妹・初の夫・京極高次は、徳川方として籠城し、毛利軍15000を7日間釘付けにして敗戦開城した。結果的には負けましたが、その翌日の「関が原の戦い」に毛利軍は参戦できず、東軍の勝利に大いに貢献した。
明治時代の大土木工事「琵琶湖疏水」の取水口はここで、ここから京都までの水路が開かれました。東山にトンネルが掘られ、今見てもとても越えられそうにない東山を抜きました。東大時代にこの大工事の論文を書いた田辺朔郎青年(21才)が工事責任者となりました。水運とともに日本初の水力発電、この発電を利用した日本初の営業電車を走らせるなど、画期的な事業でした。
R161に出て、6:53「大津松山町セブンイレブン」で、「プレミアムフレッシュバナナ213円」と「伊藤園ミネラル麦茶151円」を購入。ヨットハーバー駐車場に入れ、ハーバー桟橋で朝食としてバナナを2本食べました。
ヨット部員たちがやってきて、みんなに挨拶。あまりに風が弱く、午前中は1回生の2人乗りヨット470級とスナイプ級の試乗会になりました。入部してからずっと、1人乗りで練習してきました。1週間後の週末に九州博多で開催される定期戦に出場する時、2つのクラスに別れて臨むためです。1回生が本格的にレース艇に乗り出すのは秋からですが、その前に1人で何処にでも行けるスキルを磨いておくために、助けの全くない1人乗りで練習します。
体操・ブリーフィング後、8:15に出艇しました。僕は、コーチボートに乗ります。レギュラー主力メンバーは、陸で来週のレースに向けての準備と整備です。1人1時間で両クラスに乗ります。どちらに乗りたいか既に決めている子が多いと思いますが、最後の確認です。女子プレイヤーが2名入部しており、彼女たちがトラピーズハーネスを着けるのを手伝いましたが、フィットベルトをみんなミニマムに締めないと身体にフィットしません。「細いなあ」と、2回生以上の女の子には言うのですが、まだ数度しか面識がないのでここは自重です。ちょっと役得しちゃいました。
12時にハーバーバックし、合宿所に帰って昼食です。「冷やしうどん」が美味い。総勢60名の食事を女子マネさん3人ほどで作っています。午後は、海上チームのマネさんと交代になり、2チームで裏方をしてくれています。選手からメニュー希望をアンケートしながら、量の多い栄養たっぷりの食事を作ってくれています。家庭の母親同様、頭が上がりませんね。
午後は13:15出艇です。1回生は1人乗り練習に戻り、主力メンバーの練習です。午後は雷雨予報が出ており、天気予報をチェックしながらの練習になりました。スナイプ級と470級を交互にサポートします。風が2m/sほどまでしか上がらず、スタート練習・レース練習をして、滋賀県南部から雷鳴が聞こえるようになり、15:30に練習を切り上げました。
曳航してハーバーバックし、僕は合宿所に引き上げます。6:56〜16:21、駐車料金300円。書類棚を洗っていると、怪しい低い黒雲が南から覆ってきました。余裕はあと15分かな?ハーバーで片付けをしているメンバーはまだ帰ってきていないので、雨に降られそう。
合宿所前の湖面で練習し、既に片付けを終えている1回生を捕まえ、棚とコルクボード、マグネット・ホワイトボードを下ろしたところでポツポツ来ました。片付けを終えたメンバーが次々に帰って来ましたが、強風が吹き出し、気温が下がり土砂降りの雨になりました。
シャワーを浴びてさっぱりしたメンバーが2Fに集まり、ミーティング開始。来週の遠征のことを確認し、僕の話。いつものように腹を空かした若者には申し訳ないが、2週間前のレースで起こった他大学の重大なルール違反「スポーツマンシップ」について話した。ミスに腹を立てたトップ艇上級生スキッパーが下級生クルーを蹴ってしまいました。この行為は、スキッパーの腹の虫を収めるだけの益で、クルーやクラブ全体に対する不利益は計り知れません。これで、今年のこの大学の全国制覇はないでしょう。
まずルールブックの該当箇所を、3回生Y君に読んでもらいました。競技ルールに先行する違反で、最もきつい罰則を伴います。この艇は失格になり、全日本への道が絶たれました。それ以上に、人生に大きなマイナスをもたらします。大学の体育会クラブは、勝利至上主義のプロ競技の世界ではなく、あくまでも教育の一環です。腹をたてることは誰にでもあることで、それを咎めるつもりはありません。しかし手を出したり罵声を浴びせたりしてはいけません。
僕の経験を話し、僕にヨットレースの勝ち方を教えてくれた僕のスキッパー、更にそのスキッパーの事を話しました。僕のスキッパーは西日本No1スキッパーで、僕と組んで全日本で、全レーストップフィニッシュしました。
僕はこの先輩と組んだ2年間、一度も怒られたことがありませんでした。ミスをしても、休憩時間やレース後に、温和のゆっくりした言葉で、しっかり教えてもらいました。この先輩がクルーの時組んだスキッパーも温和な方で、怒った顔を一度も見たことがありません。この2人はモントリオール・プレオリンピック日本代表ペアになりました。
僕は、2・3回生の時クルーでみっちり教えられ、先輩が引退した秋からスキッパーになり、その秋の一般全日本に出場しました。先輩も出場し、スキッパー同士で師弟対決になりました。先輩は1度トップフィニッシュしましたが、総合では僕の方が上になり、ナショナルチームに選出されました。恩を結果で返せたと思っています。
文部科学省のスポーツコーチプログラムを受講し、僕はヨットコーチ資格を有しています。その時の講義で、脳科学のことも習いました。痛みや恐怖から、人は最も緊急に逃れようとします。だから、罵声を浴びせると一時的には結果が出ますが、痛みとその競技が結びついて脳の引き出しにしまわれるので、次にその競技をする時、考える時「痛み」が思い出され、その競技を忌避しようという心理が働き、いずれ止めてしまいます。
歓喜や快楽は、反対の作用があり、長期的に競技力を向上させます。最近はプロ野球でも、練習での笑いやゲーム性を取り入れた快楽を取り入れています。これは脳科学の発達ゆえです。
練習中やレース中に怒りの気持ちになったら、勉強だと思い耐えること。そして、明るい言葉や穏やかな口調でミスを教えるよう考えるよう話しました。
最後に、僕の人生に大きなプラスになったこの考え方の効力を話しました。大学同級生の学部一の美人をゲットできたこと。その時の決め手の1つが「一度も親から怒られたことがない」ということで、4回生の時プロポーズしました。家内は叱られたことがないので、子供を叱らず、私も叱られたことがない、喧嘩のない家庭になったことを話しました。
部員たちは、恋バナなのでクスクス笑っていました。暴力事案の話なのでシビアな話になりがちですが、予定通り温和な雰囲気で終えることができました。最後に、「腹が減ってる時に長話してスマン」と頭を下げました。
Sキャプテンが、「食事出来ていますか?」の問いかけに、マネージャーたちが「はい」、僕は「当たり前だよね、長話だったもの」と声を発し、また笑いです。この日の夕食は、ハンバーグとピーマンにハンバーグの具が入ってるおかず、スープもついており美味しい。
美味しくいただき、キッチンに行ってそこにいたマネさんにご馳走様を言い、19:41帰路に着きます。湖西道路〜名神〜20:02、「桂PA」に入り、「ジャージー牛乳ソフト183円」で糖分補給しました。
20:18に出発し、中国道経由で20:55帰宅。家内は既に寝ていましたが、着替えが用意されており、風呂に入りヨーグルト持って自室に上がり就寝。楽しい1日でした。

2017/7/2
家内とサイクリングです。今回のお題は、「大坂城に行こう」で、メインディッシュは「渡船に乗る」です。
「用意出来次第出発」といういつものパターンです。6時前に自転車を2台、玄関から出して、規定の7気圧に空気を入れます。作業してたらポツポツと降ってきて空を見上げます。晴れ間も見え、六甲山にも雨雲が掛かっていないので、しばらくは大丈夫だがサイクリングを止めるかな?そう思いながら、「バイクで京都に行こうか?」と第2案を家内に提案する。「どっちでもいいよ〜、服装が変わるから早めに決めてね」との返事。京都の本を読み、行き先を考えていると天気予報が始まり、雨雲予想が出て、なんか大丈夫そうでした。「雨が降るなら夕方のようだから、やっぱりサイクリングしよう」と家内へ。
トイレで朝のお勤めを終え出てくると、家内の用意が整っていました。黒ランニングストレッチタイツにピンク系ミニスカート、同じくピンク系のサイクルジャージが可愛い。慌てて僕も黒サイクルカーゴパンツ+ブルーのサイクルジャージを着て出発です。
河岸段丘を下り猪名川を渡り、6:52伊丹空港北端で朝の飛行場を撮ります。猪名川左岸土手道を下ります。自転車歩行者道に白線表示されています。『ここは神崎川の合流点から5km・猪名川橋まで500m』の道標が横に立っています。国土交通省・猪名川河川事務所・園田出張所が今年立てました。
河川敷でヘリコプターを飛ばしている方がいます。ラジコン飛行機が飛んでいることもあり、楽しい道です。千里川との合流部に、鴨が数羽休憩しています。カイツムリが長い潜水から水面に出て来ます。7:33名神高速道路下で休憩です。日差しが差し、日陰が恋しい7月になりました。
7:42、土手道が阪急電車に突き当たり終わり、一旦河川敷に降りてくぐり、再び土手道に上がります。7:43、『神崎川まで1km・戸ノ内橋まで270m』。土手から降りる道をミスり、土手道で戸ノ内橋まで行ってしまい1km以上余計に走ってしまいました。
戸ノ内橋を渡り、ここから地図を見ながら適当に走ります。7:56『香具波志(かぐはし)神社 平安時代・天徳3年ご奉斎申し上げた宇迦之御魂(うかのみたま)神(穀物の神)・保食(うけもち)神(食物の神)が当社の始まり。後に天照大神(日照の神)・稚産霊(わかみむすび)神(結実と生産の神)・埴山姫(はにやまひめ)神(土地の神)をご奉斎申し上げ、香具波志稲荷大神として尊崇された。淀川水系・猪名川水系の川の港、中国街道の要衝として氏子地域が繁栄し始めた鎌倉時代には、住吉大神(海や河川の神)・八幡大神(海運の神)を併せてご奉斎申し上げるようになった。平成7年1月17日の大震災は、文政以来の拝殿・大鳥居はじめ境内社・神輿蔵・裏門・石灯籠全てが全壊し、倒壊を免れた表門・手水舎も大破するなど、甚大な被害をもたらした。一面が瓦礫の山になった境内を前に、何から手を付ければ良いか方途が見えない状態でした。氏子・崇敬者自身も被害を受けながらも、復興活動に尽力いただき、主要建物の復興を成し遂げた』
本殿が鉄筋コンクリート製になっていた。木造での再建は、費用面・材料面で無理だったのでしょう。『上田秋成寓居跡・加島鋳銭所跡』の石碑が立っていた。上田秋成は聞いたことがあるようなないような人物なので調べたら、「雨月物語」の作者でした。小説でも映画?ドラマ?でも見た妖怪物語です。「西行が保元の乱で崇徳上皇が流された白峯で、上皇の亡霊と会う物語」など数作品をオムニバスされた小説です。
自転車で来ると地理感が違いますが、「加島の交差点」に近いことと、鋳銭所があったんだということを知りました。大阪湾に近いことを考えると、渡来系の技術者が暮らし、銭を作っていたのでしょう。
境内に白いお狐さん像が数匹置かれています。『藤沢薬品工業(現アステラス製薬)大阪工場内の神社に置かれていた二対の守護狐です。当時・藤沢友吉商店は、明治時代に加島2丁目に大阪工場を設け、樟脳を生産していた。藤沢家は敬神の念篤く、御神木として祀られることの多いクスノキを材料にして製品を作っている等から、工場内神社を設け、天然記念物の大楠のあった当社の御祭神・伏見稲荷の御祭神・購入地の神様を合わせ「楠稲荷」として祀った。当社から毎年祭典に伺っていたことから、平成28年の工場閉鎖に際し、神狐を引き取った。守護神社名に因んで楠の枯木の傍らにお祀りしました』
神門前の楠の大木横に腰掛けた家内の所に戻り、藤沢薬品のこと、鋳銭所のことを話します。勝手に写真を写していると、「正面からは駄目よ、足が短く見えるじゃない。斜め上から写さなきゃ」と指導されました。
8:35、川を渡る橋だと思ったら、下を自転車道が走っていた。元河川であることは地形的に明白です。この下に川が流れているのかな?流路改修されて川がなくなったのかな?結果的にはこの道を走った方が楽しかったかもしれないが、8:47、R43伝法大橋で淀川を渡りました。R43を西にくぐってしまい、再び土手に上がり東に戻る時、屈んで自転車を斜めにしないとR43をくぐれませんでした。
「春日出商店街」を走り、「JRゆめ咲線」に出ました。この線路沿いに走ったら、目的地のUSJです。住友化学の工場があり、線路の向こうも住友化学で、両工場を結ぶ踏切もありました。この線が引かれる前から工場があったのかな?9:10「JR安治川口駅」。駅前に「新大阪郵便局」があり大郵便集積局のようです。ちょうど派手なJRラッピング車両が駅に着きました。集客力を高めているUSJアクセス線なので、ラッピングが似合います。
大きな貨物車両基地があり、ディーゼル貨物気動車「桃太郎」が長大なコンテナ貨車を引っ張っていた。9:17、「ユニバーサルシティ駅」。USJ直結道路をたくさんのお客さんが歩いていた。絶叫が聞こえてきて、見ると「フライング・ダイナソー」がループを走行していた。
キョロキョロ走っていると、渡船案内板を発見。9:22安治川渡船「キャプテンライン」ユニバーサルシティポート乗り場。チケット売り場窓口で、「大人2人・自転車も2台あります」と言うと、「はい乗れます」と1人700円。自転車は無料のようです。以前家内と次男の作品展を見たついでに、日本一低い山「天保山」と海遊館大観覧車に乗った時、この渡船に乗りたかった。ついに来ました。
同じ桟橋から、『落語家と行く、なにわ探検クルーズ」が出ていました。横の建物の上に鐘があり鳴っています。結婚式場のようです。渡船が海遊館側からやってきて着岸、僕ら以外は全員徒歩のお客さんで、一緒に乗り込む。係の方に何処に置けばいいか聞くと、手すりの場所を指定された。
10分の航海で、10:00海遊館到着。海上保安庁と水上警察の基地がある。キャプテンラインは、すぐに出ていきました。乗り込んだお客さんの多くは、USJの袋を下げていました。USJと海遊館はセットで楽しむのでしょう。船で移動も楽しいよね。ここまでは西宮から船で来たことがあります。チケットに、海遊館200円引き・大観覧車100円引き半券が付いています。
ここから、R172〜阪神高速6号大阪港線沿いを走ります。歩道が広く歩道内に自転車道もあり、安全に走れました。「ファミリーマート大阪プール東店」内でブレイクタイムです。家内はカップケーキ、僕はゼリーを食べました。
『道頓堀・中之島巡り・ぽんぽん船/一本松汽船』がありました。高速道路沿いから離れ、中之島に入り、11:23「地下鉄中之島」駅側のカフェで昼食にします。以前連れてきてもらったお店だと思うのですが、お隣の場所に変わっています。道を隔てた「リーガロイヤルホテル」で就職説明会があったのか、リクルートスーツの女子大生の集団がたくさん歩いており、僕らの前に1組8人程度がいました。11:30開店のようで、少し外で待ちました。
待っている間、お隣のレストランを覗くと、予約で満席になってるんだって。「BAR BANKS」のモーターボートが係留されている。バーはどこかな?橋の下をくぐるために背が低い遊覧船が走っていく。開店と同時に「FLOWERS」店内に入り、家内は「タコライス950円」・僕は「ハンバーグ1100円」を注文します。店内はすぐ満席になりました。ホテル帰り?のおしゃれなお姉さん5人様が、外の待合ベンチに座ります。お腹の大きなお姉さんが大きな花束を手提げに入れています。黄色のドレスのお姉さんの背中の腰の部分が少し見えている。僕はお洒落してる女性が好きです。「あの黄色のドレスの子がいいな」なんて話していると、「お父さん、嬉しいね〜」と家内が微笑んでいる。
12:04、精算してサイクリング再開。大阪城に向かって走ります。大阪市役所庁舎〜中之島図書館。数日前に過去の路線価を調べるのに、大阪中央図書館に行ってきました。こちらの方がずっと趣がある建物です。中央公会堂正面に、「馬渕教室・出陣式」となっていました。中学受験の正念場・夏休み前に、気合を入れるのでしょう。以前、家内とランチした「GARBweeks」が満席です。
「なにわ橋」を南に渡り、「大阪証券取引所」。NHK朝ドラ「あさが来た」で有名になった五代友厚像が健在です。二階建てバスが通過しました。天神橋筋を通過し、天満橋筋手前の交差点で、アクシデントが起きました。信号待ち後動き出した所で、家内が同じく動き出した車に追突されました。
僕は前だけを見ており気づきませんでした。駐車車両4台の前に出てバックミラーを確認すると家内がいません。歩道を走っているのかな?と止まって歩道側を見てもいません。歩道を戻ろうと走り出すと、家内が歩道を走ってきました。
走り出した所を追突されコケたそうです。降りてきたのは女性ドライバーで、すぐ立った家内は「大したことないです」と答え、別れたそうです。自転車の後輪に追突しただけで、何も壊れていませんが、タイツの右膝が破れ擦りむいていました。「お父さ〜ん」と叫んでくれたら気づいたのですが、相手の確認をしておくべきで、警察に届けるべきでした。歩道が狭く歩行者が多いので車道を走りましたが、いつも思うのですが自転車専用道とまでは行かなくても、路側帯をもう少し広く残して欲しいものです。都会をルートにした僕のミスです。
大阪城まであと500mですが、「私もう帰る」「家に帰ろう」ということになりました。12:44、自転車を「川の駅はちけんや」に停め、コンビニで水とバンドエイドを買って応急手当します。
『江戸時代、天神橋と天満橋に挟まれた大川南岸が「八軒家」と呼ばれた。京都と大坂を結ぶ30石船が発着する船着き場があり、淀川貨客輸送ターミナルだった。道沿いに旅籠や問屋が並び、喧騒に包まれていた。八軒家と呼ばれる以前は渡辺と呼ばれ、渡辺津を中心に平安時代から瀬戸内と淀川を結ぶ水上交通の拠点として栄えた。また熊野三山参詣道「熊野街道」起点でもあり、交通の要衝として古くから賑わった』
源頼光四天王筆頭の渡辺綱の本拠地で、僕の保育園からの幼馴染さんが、嫡家に嫁いでいます。手当している間に、水陸両用バスがやってきました。ここが発着所のようです。「大阪ダックツアー」。
天神橋を北に渡り、R1を西進し、御堂筋に出て北上し、13:13「曽根崎お初天神通り」前。大阪天満宮もお初天神もパスです。大阪阪急百貨店前から、横断歩道がないので行きたい方向に行けず迷っちゃいました。
「阪急中津」に到着し、輪行袋に入れ、14:07ホームに上がりました。宝塚線普通に乗り「蛍池」駅で下車。再度自転車を組み立て、伊丹空港〜R171で帰宅しました。
お風呂に入り、17:30活動開始。近所の公園内の公民館で兵庫県知事選挙投票し、川西阪急に通勤リード110タンデムで行き、お中元の手配をします。帰りに関西スーパーでヨーグルトなど食材を買って帰宅しました。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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