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兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2017/9/15
コーチしている大学ヨット部の練習に参加します。1週間後に迫った全日本大学ヨット選手権団体戦地区予選に向け、レース開催海面で練習します。場所は福井県高浜町和田ヨットハーバーです。来年の福井国体のヨットレース開催場所で、ソロリハーサルも兼ねて、学生の2017年全日本選手権団体戦を誘致しました。全日本選手権がここで開催されるので、近畿北陸ブロック(京都府・滋賀県・福井県・富山県)地区予選もここです。
いつも8時出艇なので、7時に到着したい。中国道〜舞鶴道のオール高速道路コース140km・2時間、R423〜亀岡から京都縦貫道〜舞鶴道コース3時間、R173〜京丹波から京都縦貫道〜舞鶴道コース120km・3時間、R173〜r1コースオール地道コース4時間でした。
地道30km/h・高速道路80km/hで設定しているので、ほとんど信号のないR173はもっと早く走れるので、30分ほど早いはずです。よって、R171コースに決定しました。目を覚ましたら4時前でした。余裕を持って4時に出発し、思いの外早ければ気に入ってる京都府道r1を走ろうと思っていたが諦めました。
「招き猫CB400SB」に乗り、4:30過ぎに自宅を出ました。r13〜川西能勢口からR173で北上します。まだ暗く交通量も少ないので、マイペースで走ります。CB400SBは、60km/hぐらいで走るのが最も気持ちが良いです。VTR250は50km/hかな。丹波篠山を過ぎ、朝の雰囲気が出てきて、「道の駅・瑞穂の里さらびき」横を走り、R9との交差点にある御用達ローソンまできました。
いつもここで休憩するのですが、まだお腹が空いておらず、「暑くてガリガリ君」という気温ではなくスルーしました。道路脇気温計を幾つか通り過ぎましたが、最低14℃でした。夏用メッシュ上下の上に、海に出る時に着るライフジャケットを着てきたので胸は寒くありませんが、腕が寒いのでカッパの上を、「はらがたわ峠」手前で着込んだぐらいです。
「京丹波みずほIC」から京都縦貫道に乗ります。時々追い抜き2車線区間があるものの基本片道1車線なので、後続車に気を使います。70km/hの速度制限道路ですが、頑張って80km/hで走るけど、前の車に追いつくことはなく追いつかれるばかりです。追い抜き区間はもちろん、ICがあれば短い2車線区間を使い抜いてもらいます。明るくなりライトなしでも道路が見えるので、路肩の広い所があれば左ウインカーでそこに入れ抜いてもらいます。
ハンドルマウントのGPSナビの目的地到着時間は、R173走行中に早くなっていき、6:30到着標示になっています。高速道最後の「舞鶴PA」でトイレ休憩しました。「大飯高浜IC」で下車し、r16を北上し海岸線に出ます。
この道には思い出があります。子供たちがチビだった時、毎年キャンプに行っており、お盆キャンプは日本海の海水浴場隣接キャンプ場が定番でした。日曜日に日帰りで日本海に海水浴に行くことも多く、当時の終点・福知山まで舞鶴道で、その後r1〜r16で高浜町にはよく来ていました。
R27に出て、もうすぐ到着です。6:43「ローソン高浜町和田浜店」で、「田辺農園バナナパック266円」を朝食・昼食用に購入。まだ早すぎるので、ハーバー横の「高浜和田海水浴場」に寄り道します。
更に、和田漁港を見に行くと、ちょうど漁船が横付けされており、朝獲った魚を水揚げしている最中でした。幅広の漁船の水槽にクレーンに吊るされた網が降り、たくさんの魚を入れて持ち上がってきます。
網の下を括った紐を開くと、ドドーンと魚が大きな桶をいっぱいにします。カッパを着た漁船員が魚種ごとに手作業で分け、それぞれの桶に入れていきます。無言だけど、皆さんテキパキと動かれ、瞬く間に桶は空となり、次の網が船から魚を降ろします。1〜1.5mの大きなシイラがボンボンと桶に入れられていく。1日の水揚げはどれぐらいになるのだろう?
その作業を見守るように、漁港に沈むテトラポットの上でカモメが休んでいます。電柱の上にトビかな?猛禽類がいる。おこぼれ頂戴は、作業の後のようです。人鳥一体の朝の光景です。
ハーバーに向かうと、なんとゲートがクローズになっています。「関係者以外は立ち入り禁止」と書かれていますが、開門時間が書かれていない。門扉を見ると鍵がかかっていないので、害獣避けの山の門扉程度と思い、開けて中に入ってみます。
カーブを曲がり、YH施設が見えましたが、そこにもゲートが有り、ここも閉まっており鍵が下がっている。仕方なく、バナナで朝食にします。「8時にオープンかもしれないな」と思い、ガソリン補給することにしました。R27に出て東進し、7:29「エネオス・パームタウン本郷SS」。261km/9.5L=27.5km/L。ハーバーに戻る途中に鳥居が見えたので寄り道。「式内・香山神社」。延喜式内社のようで、由緒ありそう。延喜式は平安朝中期に編纂されたので、1000年以上昔から存在する神社です。
国道から石段を上がると、石鳥居の向こうに参道が続いています。年代物のコンクリート道ですが、苔が生え半分緑です。進んでいくと更に10段ほどの石段があり、橋が渡っています。橋の下は単線の「JR小浜線」でした。
それを渡った所が境内です。拝殿には「高森乃宮・香山神社」の扁額が下がっている。
『香山神社(かぐやま) 通称:高森乃宮 福井県大飯郡高浜町高森7-1 高森(香山)鎮座 天香山命(開拓の祖神)・猿田彦命(道びきの神)・蛭子命(恵毘寿の神)・事代主命(福徳の神) 古くより高森十六所明神と尊称し、「命の神」「福の神」を仰ぎ、交通・治病・招福・厄除・安産・幼児の守護神。往古第1代神武天皇の功臣・天香山命を先人たちが開拓の祖神と崇め初祀。天香山の後裔・犬養宿禰の氏人が若狭に在って祖神を氏神として加来山(香具山)に創祀した。鎮座は奈良朝・大宝2年(702)。暦応元年(1338)丹州・丹後の大川十六所明神が当地に飛遷(合祀)。鎌倉室町時代は、社領150石あり、社運隆盛。以降造営修繕を経て、現在社殿は、江戸時代・文化10年(1813)の造営』
窓枠に金網の入っている蔵を覗くと、黒と金の小ぶりの鮮やかな御神輿がいい味を出して鎮座していた。バイクに戻ろうと参道を戻っていると、青戸入江が見える。かつては、社殿の建つ丘が直接水を洗っていたのかもしれない。冬の北風を入江の向こうの大島半島が遮り、天然の良港が出来る条件が揃っている。社殿のある所に人の暮らしがある。
7:50「若狭和田駅」に戻ってきた。ヨットハーバーに入って行くと、地区予選を控える数校の部員がいて、艤装し始めていた。バイクを駐車場に停めると、横の車両には大人が数人載っており、8時になると仕事を始めました。インカレ向けの建築作業のようです。以前来た時はなかったプレハブが建っており、大型テントも設営されています。学生ヨットNo1大学を競うインカレ本番は11月の連休です。
やがて部員がやってきて艤装を始めます。キャプテンに聞くと、YHは8時オープン・17時クローズだそうです。時間連絡をくれたようですが、その時間には既に自宅を出ています。タブレットを持ち歩き、時々チェックする僕ではないので仕方ないね。
日課のストレッチングとトレーニングし、ブリーフィングして出艇です。この時間も9時と決められているようで、使いにくいYHです。沖からの良い風(6〜8m/s)が入っており、琵琶湖では立たない2mほどのうねりと波でワクワクします。
25馬力という海で使うには非力なインフレータブルボートがコーチボート兼レスキューなので、これぐらいの風と波が限界でしょう。ヨットのスピードに追いつけません。琵琶湖からハードボートを持ち込んでいる大学もあります。
いつもならカメラを持って乗るのですが、波をかぶるのが必須なのでバイクの中に置いてきています。いろいろアドバイスしながら、女子マネさん2名・選手2名とあ〜だこ〜だ。
12時に帰着し、昼食を食べて、また日課のトレーニング、ブリーフィング後出艇。午後はD社大主催の練習レースです。今回もDの強さは抜けており、2番手グループの中にうちがいます。2番から4番までありえます。来ていない金沢大もそこに入ってくるだろうから、油断できません。
2レース目は少し風が落ち、4〜6m/sになりました。この状況では、Dに続きうちが2番手のようです。昼休みに陸上で、隣に置いていたDから「練習レースしたいね」と誘われ、運営に1人出して加わりました。他大学も乗ったようで、ここで練習している全部の大学が加わりました。
レース終了後、その運営艇がやってきて、うちの部員をこちらに降ろします。16時にハーババックし、急いで片付けました。みんなと一緒に宿に戻ります。空き家を1軒1ヶ月借りて合宿しています。食事当番の女子マネさんが、洗い髪が艶っぽくカレーライスを煮込んでいます。
見たことない部のロゴ入りパーカーを着ているので聞くと、今年みんなで作ったようです。ミーティングです。僕はこの日の練習で気づいたことを伝え、自習のレースに向けてのことも話しました。
夕食のカレーを食べて帰路につきます。玄関で「あ〜濡れてる靴を履くのは〜」なんて言ってると、S女子マネさんがやってきて、「ミサンガをみんなで作ったので、カバンでもいいですからお願いします」と渡されました。毎年、ミサンガや折り鶴などを女子マネさんが作ってくれます。たくさんの折り鶴が下がっているのを見ると、「彼女たちを全日本に連れて行くためにも頑張ろう」と言う気持ちになるだろう。「人は、自分のためより、誰かのために何かを成そうとする時の方が、よりモチベーションがあがる」そうです。それだけ社会的動物ということです。
彼女は、飯豊まりえさん似の美人です。笑顔がよく性格も明るく、モテるだろうなと思います。お肌すべすべの子、しっとり色白美人の子・・・僕がクラブに顔を出すモチベーションの1つになっています。
19:30に帰路につきます。往路同様の道で帰ります。往路同様、高速車に道を譲りながら、舞鶴道〜京都縦貫道を走り、「京丹後みずほIC」で下車し、R173をひたすら南下です。朝より暗いので、50〜60km/hでヘッドライトのハイビームも使いながら走ります。高速車に追いつかれたら左ウインカーで路肩に寄って抜いてもらいます。21:30に帰宅しました。
帰路も2時間でした。海で波とうねりに揺られたので疲れて眠気が心配でしたが、意外と大丈夫でした。僕は高速道路では眠くなるけど、地道ではそれほどでもありません。いろいろ神経を使うのがいいのかもしれません。
家内がまだ起きていました。2日後からのアメリカ旅行の用意をしていました。家内の部屋にスーツケースが2つ置かれており、僕があてにしていた機内持ち込みスーツケースもほぼ満杯になってる。僕は肩下げカバンとPCリュックの2つで対応せねば。女子が荷物が多いのは仕方ないね。

2017/9/3
コーチしている大学ヨット部の練習に参加します。4時前に目覚め、少々ゴソゴソし、着替えて荷物をバイクに積み込みます。近江西部の探索地の幾つかを時間の許す限り巡ろうと思います。林道も探索予定地にピックアップしているので、「里山VTR250」で出発です。
中央縦貫道〜吹田ICから名神高速に乗ります。「桂川PA」でトイレ休憩し、車載カメラとGPSをセットします。残念なことに夜明けが遅くなり、自宅を出発する時はまだ暗く夜でした。6月は4時になると明るくなりつつあったのに・・・
桂川PAでバイクに乗ろうとすると、4:53朝の曙で南西の稜線がオレンジ色の縁取りされていました。夜明けは美しいから好きです。気持ちよく走り、「京都東IC」下車。湖西道路に乗り北上開始します。
「仰木雄琴IC」で下車し、r315〜r47で「奥比叡ドライブウェイ」入口へ。ドライブウェイに入り、料金所までに「小椋神社・覚性律庵」の案内板が立っていました。5:31、すぐ横に「小椋神社」の鳥居がありました。横には広い未舗装駐車場があります。予想外に立派な神社のようです。
参道を歩いていくと、朱色の欄干のある小さな太鼓橋で沢を渡ります。案内板が立っています。『ご祭神・御神徳・・・「大宮神社」:天安2年(858)伊邪那美神、夫婦円満・子宝 「小椋神社」(田所神社):貞観元年(859)闇淤加美神(くらおかみのかみ)祈雨・止雨・灌漑 「若宮神社」:延喜2年(902)稚日女神(わかひるめのかみ)殖産・家内安全 「今宮神社」:建久元年(1190)大穴持神(おおなむぢのかみ)縁結び 「新宮神社」:建久元年(1190)少彦名神(すくなひこなのかみ)無病息災』
長い歴史を持ったお宮でした。境内には巨大杉が目につき、素敵な鎮守の森です。参道脇に小さな祠が建っており、両脇灯籠に灯りが灯っています。夜中も点いたままなのかな?と目をやると、灯籠に「祓戸 瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売」と刻まれています。祓戸四神揃い踏みです。「おお〜」と思っちゃいました。神社は神聖・清潔な場所ですから、夜中も祓いの神を灯して清潔を保っているのかな?と、いっぺんにこの神社が気に入りました。
筆頭の「瀬織津姫」は、本当は男神だった天照大神の后と言われる女神。天武天皇が古事記・日本書紀を編纂させ亡くなった直後、皇太子だった子の草壁皇子が亡くなってしまいました。孫の文武天皇に天皇位を引き継ぐためピンチヒッターで天武天皇の妃・持統天皇(天武天皇の兄・天智天皇の娘)が自ら天皇になりました。
何故天皇にならなかったというと、自らの血を引く勢力を維持するため。というのも、天武天皇には妃が複数おり、自らと同じ天智天皇の娘が4人も天武天皇の妃になっている。さらに自らは次女で、姉が亡くなったことで后の座が転がり込んできただけ。孫・文武天皇と同じような血筋の良いライバルが多数いたので、孫が成人するまで権力維持を図ったのが真相だという。
女性から孫への譲位に、先例の裏付けとして、本当は男神だった天照大神を女神にし、天孫ニニギへの葦原中津国降臨、天皇家の血統の始まりとするため、古事記・日本書紀を改ざんしたという。
女神の天照大神に后がいるはずがなく、歴史から消されたのが后・瀬織津姫。でも七夕の織姫としてその存在は伝わり、1年に1度彦星との逢瀬を楽しむというロマンチックな神話になっている。
この七夕伝説は、大陸系民族が根絶やしするのと違い、日本人の優しさゆえ、自分の大敵でも祟りを恐れ祀ったり(菅原道真が雷神として、滅ぼした藤原氏自ら祀る)する心根で共通するように思えてならない。瀬織津姫が祀られているのを見ると、そんなことを思い出す。
『朝餉(あさげ)接待 朔日詣にお供え戴いたお初穂のお下がりで炊いた「おかゆ」を社務所にご用意しています。月の始まりの朝ごはんを大神に感謝申し上げお召し上がりください。どなた様でも、ご自由にどうぞ。 毎月1日、午前6時より11時まで(なくなり次第終了) 小椋神社社務所』
こういうのを初めて見ました。こういう習慣が存在し続けている仰木の地の旧さとそれを楽しみ、その中で生きる文化を感じます。社務所はまだ開いていませんが、窓が綺麗に磨かれ、御守も綺麗に並べられています。さほど参拝者が多いとは思えませんが、こういう受け入れ姿勢は有り難いです。
境内中央の拝殿に、絵馬が下がっています。古そうなのもありますが、新しいのも下がっており、信心者が多いようです。若宮神社など摂社を巡ります。「初代一の鳥居」が土の上に置かれています。足が折れて置かれているのかな?おみくじ掛け、絵馬掛けに意外に多く下がっている。本殿で参拝し、玉垣内を覗くと、いくつも脇社は立っている。境内に「子供神輿奉納」と書かれた石柱が立っている。地域のお祭りでお神輿が出るのでしょう。我が家も、子どもたちがチビの時毎年、氏宮の子供神輿行列にハッピを着て参加させてもらった。その子達に子供が出来ると、初宮参りに関東からこの神社にやってくるのだから、愛着があるのでしょう。
「賽の河原」のように石が積まれているエリアがあった。「たわむれ河原」と命名されていました。お地蔵様が並んでいる一角があったり、お清めする小さな池があったり、摂社も多くなかなか楽しい。修験道者が滝打たれするような一角もありました。「穢れを清める」神道本来の姿がフルセット揃っているお宮さんです。
イノシシの掘り返しもありました。摂社を巡って拝殿前に戻って来ると、森の木々の間から朝日が差し良い感じです。
バイクに戻ってきました。訪問予定にはありませんでしたが、案内板に載っている「覚性律庵」に行ってみよう。小椋神社の横を奥に入って行く道があり、急勾配手前に庵がありました。でも森の中にコンクリート道が続いており、どこに向かっているのか興味があり更に奥に進みました。
時間が限られているので、道の探求は宿題にして、引き返して6:01「覚性律庵」。道から直接見えませんが、僧坊がいくつも点在し、森に溶け込んでいます。『本堂・大雄殿 南北朝時代の建物で、奈良薬師寺・摩利支天本堂であった。昭和54年、ここに移築し原型に復元し、阿弥陀如来を安置している』
『愛染堂・法雲堂 宝形本瓦葺の小堂は、昭和54年城山荘より移築。奈良薬師寺と京都東福寺の古材を主に用いて造られている。肘木・垂:奈良薬師寺東塔、天井:薬師寺金堂、入口扉・内部厨子:薬師寺東禅堂、丸柱・戒壇:京都東福寺禅堂、蟇股:奈良長久寺。古くは白鳳時代から鎌倉時代に至る古材を適所に用いている』
不動堂内を覗くと、天部の侍が屹然と立っていた。『妙見堂 妙見菩薩は、尊星王・北辰尊とも謂われ、古来より国土を庇護し、厄災を除き人々に福寿を与える御仏として崇められてきた。故に、住居の移転や家屋の造作の際は方除、病気・災難に悩む方は、この御堂を時計廻りに年の数ほど真言を唱えながら巡回されると加護が得られる。 妙見菩薩真言オンソジリシタソワカ』
蟇股がお宝の彫刻だった。横に小さな石庭がありました。祠屋根に守られ、水掛不動があった。
『当庵は天台宗安楽派に属し、法華経精神に立脚し戒律を護る道場として、亨保年間(1715)徳善近住(こんじゅう)が小庵を結んだことに始まる。宝永年間、大為和尚とその弟子・楚石近住・覚念近住らによって、本堂・庫裡などが整い、本尊阿弥陀如来と地蔵菩薩が安置された。以降当地出身一音和尚によって大改修されたものの衰退。昭和3年、遷化された覚因和尚以降、常住の僧も少なく廃寺同然であった。
昭和51年、比叡山で千日回峰行を篭山行を遂げられた澄道大阿闍梨が再興を発願、第1期明治初期廃仏毀釈の折、全国各地から出た古材で建てられた。神奈川県大磯の三井家城山荘から本堂・法雲堂・洗心寮・妙見堂を移築復原、第2期大黒堂・不動堂・奉安殿・客殿を建立、寺院としての風格を整えるに至った。
本堂:南北朝時代に建立された本奈良薬師寺・摩利支天堂を城山荘より移築復元し、阿弥陀如来が奉安されている。法雲堂(愛染堂):屋根部分肘木・斗拱・垂木は白鳳期建立薬師寺東塔の古材、天井と敷瓦は同じく金堂、入口扉と内部厨子は同じく東禅堂、柱・戒壇櫃は東福寺、蟇股は奈良長久寺の古材を配して建てられている。愛染明王を安置している。洗心寮:島根県万福寺本堂向拝を主に東京浅草寺本堂内厨子格子天井、正面窓格子も浅草寺、大賽銭箱の蓋、王福寺羽目板、薬師寺光珠欄間など用いた一風変わった建造物。ありがたや 我が立つ杣の北斗山 みのりのそのに有明の月』
千日回峰行達成の大阿闍梨が住んだ寺院が、ここらに多いようです。1週間前に訪問した現在廃寺同然の「安楽律院」もそうで、大阿闍梨が住んでおられる「長寿院」もみなr47沿道にあります。
階段を下り「大黒殿」「洗心寮」を見学します。説明にあったように、各地の寺院の部材や賽銭箱まで用いた建築物で一風変わっていた。大津絵のような額が奉納され下がっており、装飾瓦が置かれ、なかなか楽しかった。
『地蔵堂 六道能化の主と言って、四苦八苦等の人生の苦しみから救ってくださる慈悲深い仏様。寺伝によると川底から御出来されたとあり、古来より子授け・子育て・子安地蔵尊と崇められといる。お腹や腰の周りが豊かに感じられるのもその意趣があるのでしょう。御真言「おん、かかか、びさまえい、そわか」「逢い来て思いもよらぬ御山辺に やがて真の月ぞありける」』
バイクに戻り、ヨットハーバーに向かいます。r47で1週間前に訪問した前述の千日回峰縁の寺院前を通り、6:46「倭神社」。地図に見えた社名が気になり寄ってみました。『祭神:日本武尊 配祀:両道入姫皇女(ふたちいりひめのみこと)・稲依別王(いなよりわけおう) 日本武尊は景行天皇の皇子で小碓命(をうすのみこと)と称す。成務天皇(131年即位)の御代、当神社を創立。醍醐天皇の御代に編纂した延喜式「神名帳」記載の倭神社は当社のことで、式内社として朝廷から民間まで篤く崇敬された。古来「森本社」と称し日吉大社の社外百八社の一社に加えられている。天台宗無動寺の鎮守社として御神徳輝き、尊崇の念篤い。境内社:通尾神社 祭神:菅原道真公』
無動寺は、千日回峰行の中心で、ここにも千日回峰行関係の寺社があった。目の前に住宅が迫った坂本にあるが、鎮守の森に守られ、雰囲気の良い一角になっていた。
少し下った所に「盛安寺」があった。立派な石垣が組まれ、「盛安寺客殿」と彫られた石柱が立っていたので寄り道。
『盛安寺本堂は、桁行5間・梁間6間・寄棟造・桟瓦葺の建物てす。平面構或は天台宗糸の三間堂を基本としており、四天主によって内陣・外陣・後陣・両脇陣にわけられている。。後陣中央には来迎柱をたてて須弥壇を置き、両脇壁面には脇壇が造られています。堂内の床は全て畳敷で、天井は棹縁天井となっています。装飾は内陣周りにだけで、それ以外は素木で簡素な造りとなっています。
棟礼から慶安5年(1652)に建立されたことがわかっています。構造や細部意匠が簡素で小規模な建物ですが、天台真盛宗寺院の古い遺構として貴重なものです』
『盛安寺客殿は、南面入母屋造、北面切妻造で、桟瓦葺の建物です。
平面は南を上手にして、前後2列に3室を並べた方丈形式をとります。部屋数は、後列中央を前後2室にわけて計7室、正面と南側面に広縁を設け、南側面広縁の縁先にはさらに濡縁がつきます。滋賀県指定の名勝庭園に面した「奥の開」(上段)と「二の間」には、長谷川派の作と推定される障壁画(大津市指定文化財)が描かれています。
建築年代を確定する史料を欠いていますが、近辺の西教寺客殿や聖衆来迎寺客殿(いずれも重要文化財)との比較、障壁画の製作年代等から、17世紀前半の数少ない住宅建築と考えられます』
『穴大衆の古里に明智公ゆかりの法王院盛安寺を訪れて 穴太の里・高穴穂宮跡のあるところで、天智帝の勅願によって創建された崇福寺の遺物・木彫り十一面観音像が安置されている。西近江路街道筋から、穴太積の美しい石垣に囲まれた山門を通れば、越前国主・朝倉貞景の家臣・杉若盛安が霊夢を感得して文明18年に再建した盛安寺に入ります。
天正年間に、明智光秀公坂本居城の由緒ある陣太鼓を眺めながら桃山客殿に至ります。殿内の障壁襖絵(長谷川宗圓の屏風とともに)には、桃山期の狩野派の壮麗な絵巻を見ることが出来ます。
前庭は不断念仏を唱導する道場に相応しい聖衆来迎曼荼羅庭園で聖なる人との和合を表現した江戸初期の名庭であります』
お墓に行くと、六地蔵がいる。きっちりと区画整理されていない墓地は、墓石の古さもあり、歴史を感じる。
R161とr47の間を並行するように走る市道を南下し、京阪石山坂本線をくぐり、左折してR161に出ました。ブイーンと南下し、7:25にヨットハーバー着。
バイク装束をを脱ぎ、モンベルバミューダを履き、ホイッスルや風見が入ったチョッキを着て、歴史好きモードからコーチモードに切り替えます。上回生の多くが、ジュニアワールド・一般全日本など遠征中なので、部員の多くが1・2回生です。2020年東京オリンピックのヨット競技会場・江ノ島でのジュニアワールド開催なので、23才以下の有資格の海外選手が遠征しており、それに合わせた全日本開催になりました。例年なら11月なのに。
8時に、470級4・S級3艇で出艇しました。軽風コンディションで練習が始まり、昼食前にいい風が入りだしました。1回生スキッパーが思いの外しっかり走れているので、心強く思いました。1週間前の1・2回生で争うブロック内新人戦で、470チームは常勝D社についに土を付けましたし、S級も2位でした。しっかり練習出来ているようです。
ハーバーバック・合宿所に戻って昼食を挟んで、午後の出艇です。風が止まないよう願っていましたが、良いコンディションの風が入っており、1時間ほどしたら更に強いブローが琵琶湖大橋から降りてきて、AV8m/s・ブロー10m/sの素敵なコンディションになりました。
僕は学生時代、とにかく強風が得意で、この風になると無敵でした。もうあの体力はありませんが、血が騒ぎます。湖面は白波に覆われ、ビュンビュン走り出します。コーチボートも高速でヨットを追いかけ飛沫が飛んできます。ヨットはこうでなくちゃ。
1回生女子スキッパー艇が気になりましたが、遅れていくものの走れています。コーチボートで追いかけ、まだ恐怖で怖がっている体を解き放とうと声を掛けます。練習時間の半分2時間で、予定の交代をして上がってきた顔が、走れた喜びに満ちています。
交代で乗っていく1回生は、乗る前から笑っています。彼も半年前にヨットを始めた新人ですが、ビュンビュン走るヨットをコントロールしたくてウズウズしていたのでしょう。高校ヨット部経験者の1回生も出ていきます。彼は流石に上回生スキッパーについていき、少しの遅れだけでした。1回生は皆、ミスって沈しましたが、クルーに4回生が乗っているので安心です。
午後の練習が終わり、ハーバーバックです。良い天気でしたが、選手は全員濡れ鼠ですがエキサイティングな練習が出来たので、顔が笑っています。しばらく解装している選手たちと話してから、バイクで合宿所に戻りました。
マネージャーが帰ってきて、続いて帰ってきた選手達と、コーチボートから撮ったセイリング風景を、ビデオをTVに繋いで見ていました。風が吹き上がると、ヨットは楽しいね。
ミーティングになり、気づいた事を話します。特に1回生には、日々の練習でチューニングや感じたことを書留めるヨットノートの重要性を話しました。もちろん、強風でも思いの外走れていたので褒めました。夕食を食べます。家内の帰りが遅いので、「食べてきてね」と言われています。夕食後、2回生マネージャーさんと話しました。
彼女は午前中、コーチボートをドライブしていました。僕のヨットへの接近戦の要求には問題なかったですが、アンカーを打たずに強風下で風上を向いて船を止め続けることがうまく出来ませんでした。選手交代のためコーチボートに着ける選手が危ないので、途中からステアリングとスロットル操作をアドバイスしました。これは操船テクニックとして難しいむずかしいですが、これが出来なければサバイバルコンディションが不安です。言葉は優しいですが、要求は高度でした。練習の半分で予定通り交代した3回生マネージャーのドライブは完璧でした。
それを気にして、夕食に僕の食卓に来たのかな?と思ったら、ケロッと別の話で盛り上がりました。練習後もウジウジ言うのはコーチとして失格です。コーチとは、西部劇の幌馬車のように、みんなを載せて縁の下の力持ちをすることです。安全が最も大事ですので、要求は少しづつ高くなりますが、彼女たちの力がなければ、選手は安心して練習ができません。気持ち良くヨット部を楽しまないとね。
彼女との話が盛り上がり、掃除時間になって合宿所を退散することになりました。バイクプロテクター装束に着替え、R161〜湖西道路〜名神高速で、20:41「桂川PA」でガリガリ君ソーダ75円を買って糖分補給しました。
「名神吹田IC」で下車し、中央縦貫道を西に走り、21時過ぎに帰宅しました。家内はお休み中でしたが、「おかえり」と起きてきて「食べてきた」と言うとまた寝ちゃいました。楽しい1日でした。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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