ウェブマスター日記

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兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2024/1/28
家内が風邪をひいてダウンしています。この日は、文部科学省スポーツコーチ更新講習会です。今回はJSAFのコーチ認定講習です。8~12時Zoom講習です。7:50受付開始の10分前にスタンバイしましたが、送られてきたメールが見つからずZoomに入れません。1分遅れで講習会に入れドキドキでした。
講習者は20人ほどで、JSAFの重鎮・事務局の方がオフィシャルで、ヨット部コーチでもある大学教授が司会進行で講習が始まりました。講習参加者には、元オリンピック選手やナショナルチームコーチもいます。5人で4つのグループに分かれ、同じグループに元オリンピック選手・NTコーチであるNakさんがおられラッキーでした。全員Zoomで課題が与えられ、すぐにグループに分かれ、初めに発表したコーチング環境と自己紹介。課題を1人で考え、30分ほどグループで発表しあい、互いの意見に刺激され、全員に戻ってそれぞれのグループでのディスカッションを発表し、次の課題という感じで、あっという間の4時間でした。グループでの役割は、リーダー・タイムキーパー・レポーター・・・と交代し、皆さん積極的に発表するので楽しい時間でした。全体司会のSakさんの進行が上手く、さすが日頃学生を教えておられる。
家内はこの日病院に行く予定でしたが、Zoomを終え自宅に戻り家内を見に行くと寝ていました。病院に行ったのか聞くと、行かずにずっと寝ていたそうです。家内はすぐに起きてきて、「御飯食べる?」って昼食を作ってくれました。熱が下がったようで明るい笑顔で良かったなと思いました。
ならば・・・アマゾンプライムで映画を観ようと思いましたが、朝から電源入れっぱなしだったのがいけなかったのか、いきなり電源が落ちてしまいました。どうやらバッテリーが寿命だったようで新品バッテリーを買うことにしました。タブレットで富士通ウェブサイトを調べたら、どうやら廃盤のようで、メーカーは既に製造中止していました。互換品があったので注文しました。いつものように、「ダーウィンが来た」「大河ドラマ・光る君へ」を見て、1日が終わりました。


2024/1/21
長年楽しませてもらってきたホームポートに係留してあるセーリングクルーザーが売却されることになりました。大学ヨット部先輩方と一緒に運用していた船ですが、先輩方が70才を越えたので乗る機会が減り売却します。1年前から、「今後、船をどうしよう」という話が数回ありました。最終的に年末の忘年会で決まり、定年退職後ヨットハーバーのハーバーマスターをしていたKinさんが中心になり、売却手続きが始まっています。
そのために、この日船内の私物の片付けをすることになりました。神戸のホテルで仕事の会合がある家内を駅まで送り、12時過ぎに「通勤リード110」で家を出ました。13時集合の30分ほど前にホームポートに着き、桟橋ゲートを開けて係留艇へ。Kinさんと業者さんがいました。Kinさんにこの日することを聞きました。ライフジャケットや各種取扱説明書は当然として、船を洗う高圧洗浄機など多くを次のオーナーに差し上げるようになると思っていましたが、ウインチハンドルなどセイリングマテリアル・取説以外ほとんど撤去するとのこと。ハーバーでは燃えるゴミ以外は捨てられないので、殆どを持って帰らなければなりません。母校ヨット部女子マネージャーが2人、リヤカーを持ってきてくれました。船で要らなくなった冷蔵庫を寄付したので、それを取りに来てそのまま作業終わりまでリヤカーを借ります。定刻にHirさんが来られました。正式メンバーではありませんが、このチームと被って運用しているレース艇であるドラゴン級のメンバーです。日大クルージング部出身なので、僕らディンギーレーサー出身の大学ヨット部出身者とは違う視点で船を見れ、エンジンなどに強いです。
ここで僕は、船内の片付けから離れ、車を取りに自宅に戻りました。R171を戻り、車に乗り換え再びハーバーへ。14:38ハーバー着。船に戻り、桟橋に並べられている不用品で燃えないゴミをリヤカーに載せ車に運びます。それを4度繰り返し、全てうちの車に載せました。フルサイズ・ワンボックスワゴンなので、荷物をたくさん載せられます。3列目座席を前に移動しリアゲートを上げて、大きなバゲッジスペースを確保しました。
Hirさん・Kinさんが欲しい物を別に確保しており、それ以外を僕が持って帰り、うちでゴミ出しすることにしました。うちは家庭ごみだけでなく、仕事場で産業ゴミとして別に出せるので便利です。その分、毎月費用が発生しているのですが、何でも出せます。こちらのゴミを出す時は、多種類に分別せずに一緒に何でも出せます。家庭ごみを収集する業者と同じ業者なので、家庭ごみを分別する意味がわかりません。燃える・燃えない程度の分別程度で、ある地域でやってる7種類分別なんて必要あるのかな?本当に資源ごみって再生資源になってるの?と疑問に思っています。
Hirさんが途中で帰り、最後は業者さん・Kinさん・僕で「燃えるゴミ」を持って船から離れました。ハーバーでゴミを捨て、Kinさんと母校ヨット部艇庫へ。練習日だったようですが、もう片付けられて部員は誰もいませんでした。リヤカーを返し、寄付する冷蔵庫を置き帰路に着きます。
「14:38〜16:50、YH400円」。R171で17:30に帰宅し、家内が帰ってくるまで待ちます。LINEが入り、家内を駅まで迎えに行きます。18:30、最寄り駅改札前で待っていると、黒ツーピーススーツに身を包んだ家内が帰ってきました。車に乗ってきた家内は、膝上スカートが更に短くなり、綺麗なストレートな細身の足が・・・良い眺めです。


2024/1/14
家内もお休みなので、以前から「行きたい」とリクエストを受けていた「城崎温泉」へ行くことにしました。冬なので電車です。特急「こうのとり」に乗れば速いのですが、雪景色の中を走る方がロマンチックかな〜と思い、長く乗れる在来線を選択しました。遅い方が旅気分が乗ります。どうせお客さんは多くないので、家内と2人の世界に入れそうです。
朝5:30に家を出ました。歩いてJRの最寄り駅に向かいます。我が家はかつての河岸段丘の上なので、当時の河川にあるJR駅まで基本下りで、20分で到着。6時過ぎに各駅停車に乗り出発。先頭車両に乗りましたが、乗って驚いたのは、一本足高下駄を履いた青年が先頭に立っていました。トレーニングしているのでしょう。手袋と軽登山リュックを背負っており、「この高下駄で低山登山するのかな〜」と想像しました。数年前に、ゴールデンウィークに淡路島の「沼島」へクルージングした時、岸和田中心の泉州のだんじり祭の原型であるお祭りを見、ちょこっとだけ参加しました。島の氏宮の境内から長い階段を天狗の衣装を来た男前が、高下駄で平気で降りていきました。あれを、思い出しました。
福知山駅まで26駅でした。前日、北部は雪でしたがこの日は晴れ予報です。北に向かうと、前日の雪が残っているはずです。三田を過ぎると霜が降りており、そこに朝日が当たり素敵な景色です。丹波篠山を過ぎると、山にも前日の雪が残っているのが見えてきました。JR黒井駅で離合待ちです。黒井城が眼の前で、山頂の城跡が見えます。僕は2度登りました。途中、少し急なところもありますが、景色が最高で石垣も残っており、和田山の竹田城跡のように人気が出ても良いように思います。家内と、次回息子たち一家が帰省した時登ろうと話しました。単線なので待合時間が必要なのが残念です。複線化出来ると、特急でも各駅停車でも時間短縮になります。
この日、伊丹から城崎温泉までJRに乗って、複線化するだけで片道30分は短縮できると感じました。優先走行する特急でさえ離合待ちしている時があり、まだ短縮出来るでしょう。というより、単線ゆえ出発時間や走行速度を加減しています。気になったので調べてみました。伊丹〜城崎区間170km・2:30(150分)と、新快速区間(姫路〜米原200km・2:30(150分))を比較すると、完全複線化し特急運賃の要らない新快速の方が速いとわかりました。伊丹〜城崎が完全複線化され新快速が走ると仮定すると、2:08(128分)になり特急に乗らなくても22分短縮します。料金も各駅停車と同じ乗車料3080円のみで、特急料金2730円が不要です。JRは、特殊な形状の特急車両を多数の種類造り、特急料金を余計に取っていますが、阪急電車のように特急でも各駅停車でも同じ車両を走らせ、同じ区間なら同じ料金です。JRはその分複線化する方が時間短縮して、高速バスや自家用車に対抗できるように思いました。
8:19、JR福知山で山陰線に乗り換えです。ホームの向こうに「京都丹後鉄道」の列車が停まっています。乗り換え駅です。家内は、昨年秋に僕が天橋立で海釣りをした時、家内がやって来ようとしました。でも丹後鉄道はICOCAが使えず、精算している間に電車が出てしまい断念しました。関東の東武電鉄でも使えるのに、多くのお客さんがJR西日本・福知山駅から乗る丹後鉄道がICOCAが使えないのが不思議です。ICOCAが使えるシステムへの投資が勿体ないと考えている会社幹部には利益増大への意気込みがありません。日本の観光資源は、他国にはないものがあります。国土の75%が山岳地帯という変化に飛んだ地形があり、火山が多いので各地に温泉が湧いています。世界で唯一温帯に位置する島国で、冬の日本海側は世界有数の豪雪地帯で、平野でも数mの積雪があります。丹後鉄道だって、もっとアクセスを良くすればまだまだインバウンドのお客さんが来ます。現金からカード支払いに移りつつある世界なので、海外の方からすればカード支払いの方が馴染みがあり、日本円のように偽札が超少ない通過を持たない国民には安心です。
トイレ休憩して豊岡行きへ乗りました。ここから「雪の・・・」と思っていましたが、雪は残っていません。篠山川沿いの朝霧の幻想的な雰囲気もなく、霜も溶けて他の季節の風景とあまり変わらない。「う〜む」。豊岡で乗り換え、10:25城崎温泉駅着。
ここまでの駅とは大違いで人が多かったです。さすが城崎温泉。
『手ぬぐいを、下げて外湯に行く路の、旅の心を駒げたの音/与謝野寛 古くから、外湯を中心の柳並木・太鼓橋など、浴衣がけ下駄履きの情緒がいきづく温泉街。 城崎温泉では毎年、古下駄を供養おたきあげし、新下駄を奉納することによって、訪れていただいたお客様の安全とご健康を祈念しております』
ローウェイまで、メインストリートを歩きます。途中に日帰り温泉がいくつかあるので、それを巡りながら歩きます。せっかく城崎温泉に来たのだから、帰りに温泉に入ろうと思って。駅横に、「さとの湯」という温泉がありました。駅前通りには、海産物、特にカニが多数並んでいます。「津居山港」「柴山港」「浜坂港」で上がったカニのようです。よく城崎温泉を紹介する写真のバックになっている両岸の柳が美しい川がありました。
「地蔵湯」に寄りました。『城崎温泉ぐるっと1日入り放題!! 1日入浴券/大人(中学生以上)1500円・こども(3才以上)750円』。入るとすぐに下駄箱と男湯・女湯入口があり、家内と待ち合わせる場所があるかどうかわからない。ここは駄目だな。大通りはここで左直角に折れ、川沿いの道をお店を冷やかしながら歩きます。真鯉や錦鯉が泳いでいるのを見つけました。「城崎堂」というお店で、巾着袋を見つけました。手にとって見ると巾着紐はありませんでしたが、「手提げ袋3つ」が1320円で売っていたので購入しました。今後いろいろ使えそうです。僕は巾着袋が好きで、京都の土産物屋で「3袋1000円」を数回購入してきました。「四所神社」というお宮がありました。昨年6月の手術により、家内の右膝の痛みがなくなりました。お医者さんから「1日7000歩を目標に歩くよう」と指示されているので、「今日は1万歩歩くぞ」とやってきました。僕は手を合わせ、家内の膝の回復への感謝を心の中で唱えました。
『温泉神社・四所神社
鎮座地:豊岡市城崎町湯島
御祭神:湯山主神・多岐津媛神・多紀理媛神・市杵島媛神
由緒:古来、四所神社と称せられ、和銅元年(708)当郷の住人であった日生下権守が神託によって創設し、ついで養老元年(717)、たまたま当地方に来訪し神前に参籠中の沙門道智上人(温泉寺開山)に託宣あって、城崎温泉(まんだら湯)が発見されたと伝えられている。
祭日:温泉祭4月23日、秋祭10月15日 秋祭には神輿の渡御、山車6台の供奉があり「城崎だんじり」として、特に有名である』
正面にロープウェイが見えてきました。ロープウェイには中間駅があり、そこに温泉寺があります。毎時10・30・50分出発です。「城崎温泉ロープウェイ山頂往復1200円×2=2400円」。11:30の少し前、増発便に乗って山頂へ。11:36、ロープウェイ山頂レストランで、昼食「八鹿豚シングルドッグ760円+但馬鴨ホットドッグ860円=1620円」を食べます。眼下の城崎温泉市街地と円山川を観ながら、美味しく頂きました。その上には展望台がありました。
ロープウェイで下ります。12:10、中間駅である「温泉寺駅」着。『別格本山・末代山温泉寺 城崎温泉の開祖道智上人の開創なり。道智上人は養老年間(717〜723)に当初に巡賜され、四所明神の神託を得て温泉を開発し、天平年間(729〜748)十一面観世音菩薩の霊像をして当山を創め本尊となす。霊像は大和長谷寺の観音と同木同作なり。末代山温泉寺の称号は聖武天皇より賜わる。開山以来1200余年の名刹にして数多くの古文化財を有す。
当山の国指定・県指定文化財は左の通り。重要文化財・本堂大悲殿・1棟・南北朝時代 重要文化財・木造十一面観世音菩薩像・1体・天平時代 重要文化財・木造千手観世音菩薩立像・1体・平安時代 重要文化財・絹本着色十六善神像・1幅・室町時代 重要文化財・石造宝篋印塔・1基・南北朝時代 県指定文化財・木造四天王立像・4体・平安時代 県指定文化財・木造仁王像・2体・鎌倉時代この他多くの仏像・仏画・古文書等は本堂横の城崎町美術館に展示されている。 参詣の各位火気には格別の御留意下さいませ。当山麓薬師堂は西国薬師29番札所です。  昭和49年春 以上』
立派な多宝塔がありました。豊岡市立城崎美術館があり、300円×2=600円で入館。拝観者がほとんどないようで、受付のおばさんが新聞を読んでいました。中には、平安・鎌倉・室町時代作の仏像などが多数収蔵されており、宝物館でした。これだけの歴史ある仏像がこれだけ多く収蔵している温泉寺に驚きました。なぜ、拝観者がこんなに少ないのだろう?
中間駅に戻り、下りロープウェイで山麓駅に戻りました。川沿いの道を戻り、「一の湯・800円×2=1600円」に入浴しました。少しピリッとする泉質でとても温まりました。シャンプーもして夜のお風呂を止めにしましょう。風呂から出て待合室で家内を待ち、外に出て、13:38「TOKIWA GARDEN」というカフェで、「オレンジジュース470円+自家製プリン520円+ブラウニー400円+ホットコーヒー550円=1840円」でおやつタイム。14:09「井藤」というお土産屋さんで、「地蔵390円+玄さん770円=1160円」購入。また僕のバイクの飾り物が増えそうです。
城崎駅に戻り、帰路に着きます。14:42発の各駅停車で福知山駅へ。電車の中で、「図説・地図とあらすじでわかる!古事記と日本書紀/坂本勝監修」を読み終えました。次の1冊「輝く夜/百田尚樹著」も持ってきましたが、家内とのお喋りの方が楽しく1ページも読みませんでした。駅で30分ほど乗り換え時間を潰し、17:06JR丹波路快速・大阪行きに乗ります。家内とずっと話しながら「川西池田駅」で各駅停車に乗り換え、最寄り駅下車。そこから自宅まで20分ほど歩いて帰宅しました。
19:30に帰宅し、NHK大河ドラマ「光る君へ」2回目を見て就寝。大河ドラマの王道「戦国武将物」ではなく平安貴族物です。僕も興味を削がれますが、主人公「紫式部」役が吉高由里子さんなのでそちらへの興味で見ています。数年前、朝ドラで吉高由里子さんが主演した時、「新人ではなく、こんな有名女優も主演するんだ」とびっくりし喜びました。1・2話は興味深く家内と見れましたが、どうか良い作品で終わりまで続きますように。


2024/1/13
長男のお嫁さんから、家族LINEが届きました。「届きました。ありがとうございます。こうちゃん(小1)もルーカス(年中)も興味津々なので3人で読んでもらいます!」。りょうくん(小5)から、「プレゼントありがとう」ビデオメッセージも届きました。1/17は、私の住む兵庫県南部ではとても重要な「阪神淡路大震災の日」です。りょうくんが生まれたのもこの日です。私にとっての初孫がこの日に生まれた時、何かの繋がりがあるように感じました。
私のプレゼントは本がメインです。息子たちが子供の頃も、孫たちへの今までもほとんどが本でした。私は本好きで、そうなったのは母親が私が寝る時、毎回本読みをしてくれたからです。やがて自分で読めるようになり、母親が全集とかいろいろ買ってくれたので次々に読破していきました。今でも毎日本読みをしています。同じことを息子たちにしてあげたので、息子たちも毎日読書しているようで、いつも本を持ち歩いています。
今回、「ファーブル昆虫記」1〜3巻をプレゼントしました。僕も小学生の時、全巻読破しました。3年間長男一家がロンドン勤務の時と昨年は、英語の本を送りましたが、昨年夏に日本帰国後1年経って、どうやら国語が苦手のようで、日本語の本を送ることにしました。りょうくん・こうちゃんも本好きで、りょうくんはハリーポッターの本を読破していますが、英語の本ばかりです。りょうくんは、幼稚園3年間がニュージャージーで、その後の3年間がロンドンなので、家では日本語ですが、外に出ると英語ばかりの生活なのでどうしても英語の方に馴染みがあります。
日本語力は、他の勉強でも土台となるので、少しでも早く国語力を上げてもらいたいです。息子たちは国語力が高かったので、勉強で困った経験がありません。親にとって子供の勉強力は重大事項です。昨年、りょうくんは中学受験塾の入学テストを受けたそうです。そこで言われたのが、「今からでは遅いです」でした。
僕ら夫婦は中学受験して私立中学に通いました。それが良かったので息子たちも中学受験塾に通わせ、私立中学に通いました。長男も僕ら夫婦がしたことが良かったと感じているのかもしれません。長男は小3・次男は小2から中学受験塾に通ったので、確かに小5後半からは遅いよね。中学受験は、小学校では習わない問題が多数出るので特殊な技術が必要だと思っています。次男を塾に迎えに行く時、「お父さん、問題出して」と毎回せがまれました。二桁×二桁の計算問題を所望され、11×11や12×12などの簡単なのは僕でも即答出来ますが、どんな問題でも次男はほぼ即答出来るようになりました。受験本番の算数問題の最初に計算問題が出ますが、これはサービス問題だそうです。ほぼ即答で答え、それで余った時間を応用問題に使うそうです。こんなの一般社会では必要ありません。でも中学受験では必要なテクニックです。
長男は、アメリカとイギリスで重要だった安全で教育水準の高い地区を第一に、日本での住処を横浜市青葉区に決めました。学校のクラスメイトからの影響は、その後の人生に大きく影響します。長男によると、公立中学に進学し、高校受験するそうです。中学受験すると、殆どが中高一貫でそれなりの偏差値の中学に入学しておくと、学校での勉強だけでそれなりの偏差値の大学受験に成功しそうです。長男は高3夏から数学だけ塾に通い、次男は塾に通わずに第1志望大学・学部にすんなり合格できました。僕が孫たちに出来ることは、文字好きになるよう本のプレゼントぐらいです。


2024/1/12
学連ヨット部OB・OGの飲み会「二金会」の日です。いつものように18時に大阪のレストランで開催なので、適当な時間に電車で向かいます。30分ほど前にお店に着きました。既に10人弱来られています。この店のオーナーがD社OBの僕と同期の奴だし、貸し切りだから気楽なものです。会費5000円(僕はアルコールを飲めないので4000円)払ってネームカードを貰い首から下げます。
昨年神戸大を卒業したばかりの「二金会」新人Asiくんが初参加するとのことで、僕に担当するよう事務局のKubさんに指示されました。僕は現役ヨット部のコーチをしているので慣れているし。18時前に殆どの参加者が揃い、乾杯〜。Asiくんの対面に座り、溶け込めるようお喋りします。Asiくんの隣にD社OB会長Mizさんが座ったのも幸いし、僕の左右隣の方も含め盛り上がりました。
いつものように会長挨拶・乾杯から始まり、この日のメインイベント大阪大船舶海洋工学部部長先生の話が始まりました。海上自衛隊にも在籍していたり、USネイビーに在籍していたり、面白い話を伺いました。その後は、参加者それぞれの近況などの発表がありお開き。僕が最後に指名され、会長の閉会挨拶で最後に集合写真でお終い。22時過ぎに帰宅し就寝。


2024/1/5
僕らはこの日から仕事です。途中、自宅に戻り、長男一家を伊丹空港まで送りました。暫くして長男のお嫁さんから、家族LINEが入りました。午前10:25の伊丹空港発JALでお嫁さんの実家「新潟」まで飛び、実家に置いてある車に乗り換え横浜に帰り着いたようです。いつもなら伊丹羽田便で帰るのですが、もともとこのようなルートを予定していました。1/2に羽田空港C滑走路で起きたJAL機と海上保安庁機の衝突事故により、この日も羽田便に機材都合による欠航が出ていましたので結果オーライでした。
三男ルーカスくんの「創作ダンス」ビデオも添付されていました。自分で歌を歌いながら、振り付けをしています。それが年中さんにしては素晴らしい出来で、永久保存版になりそうです。


2024/1/4
朝4時に、次男一家が帰路に着きました。長男は丹波篠山の同僚の実家で宿泊しているのでいません。次男のお嫁さんから家族LINEが届きました。10時半に埼玉県川口市の自宅に着いたようです。孫2人すみれちゃん小1とおーちゃん年少さんは、「楽しかった〜」と言ってるらしいです。すみれちゃんは、「勉強も頑張る宣言」しているそうです。何でも一生懸命する子で、見せてもらった成績表には、「次の授業の準備をしてから休憩時間に入る」のを先生に褒めてもらっていました。3段階評価ですが、Aばかりで素晴らしいです。家内も中学卒業まではずっと学年トップ成績だったそうなので、バレエにも増してお勉強も頑張って欲しいです。
長男から家族LINEに、「12:23に伊丹駅に着く予定です。迎えをよろしくね」。伊丹から羽田に帰る会社の後輩1人も来るとのことです。バッティングセンターに向かいました。去年5月GWに2人でやってきたりょうくん小5とこうちゃん小1を連れてきました。前回より上手に打てるでしょうか?家内が300円1ゲームコインを買いに行き、長男お嫁さんが映像担当です。りょうくんが1回、ルーカスくん年中がバッターボックスに入ったけど止めちゃったのを含め、こうちゃんが2回打ち、僕も1回打ちました。一番遅い70km/hに挑戦しましたが、僕には遅すぎた感じがします。
長男を迎えにJR駅に向かいますが、孫たちは皆パスで、家内と2人で向かいました。無事ピックアップし、そのまま伊丹空港に向かいました。後輩くんは明るい子で、「こいつに誘われて徹夜麻雀になっちゃたわ」と長男が言うと、後輩くんが「いやいや、寝かせてくれなかったのは先輩でしょ」と。1/2の羽田事故により、羽田便中心に欠航便が出ていますが、幸い後輩くんの乗る予定のJAL便は欠航連絡がないそうです。ついてるね。長男が我が家に戻ってきて、僕らとの最後の晩を楽しみました。


2024/1/3
長男が、丹波篠山でゴルフです。会社の同僚と回るそうです。実家が丹波篠山市にあり、実家が新築したのでゴルフ後飲もうと誘われたそうです。6:45に長男とゴルフバッグを車に乗せて駅へ。年末に長男から送られてきたゴルフバッグがとても重たいです。こんなのどうして運ぶのか?と思いましたが、コロコロがついているので楽なんだそうです。
今朝の朝食は、パンモーニングです。8時過ぎに、2台で出発しました。前日10時開店で寄れなかったお店です。モーニングは食べ放題で、子供が自分で取りに行け、ジュース・紅茶・珈琲・スープなども飲み放題で楽しいです。次男は昨夜遅く帰ってきたようで、長男を除いた10人でワイワイ楽しみました。
店から出て、有馬温泉に向かいました。昨年のGWに長男とこのりょうくん小5とこうちゃん小1がやってきた時、有馬温泉釣り堀に行きました。それが楽しかったようで、今回孫5人で楽しみます。駐車場に2台を入れ、すぐに釣り堀したらそれを唐揚げして食べて帰るので、お腹が空いていないから、まずはロープウェイに乗って六甲山山頂へ。5人がワーワー楽しそうにはるか下の谷を見ています。山頂に上がり、瓦投げしたり海への眺望を楽しんだり、土産物屋に寄ったりしながら昼過ぎにロープウェイに乗って有馬温泉駅に向けて下ります。
「有馬温泉マス釣り場」に行き、竿を孫の数5本(1本・1600円)お願いし、僕と次男は孫たちの餌替え・釣り針外しに徹します。餌を投入すればわんさか食いに来るので、大人は自分で釣る暇がありません。お嫁さん2人と家内はカメラマンです。釣り場を指定されそこに着くと、「早く釣りたい〜」の大合唱です。僕が1本ずつ容器に入れてもらった練り餌を付けて孫たちに渡します。最初に渡したのがルーカスくん・年中さんで、次にこうちゃん・小1に渡そうとした時、ルーカスくんが第1号を釣り上げました。「お祖父ちゃん、釣れた〜」と大騒ぎで、家内も大喜びです。「バケツに入れな」と言いましたが、「いやだ〜怖い」と針が外れ地面で暴れているマスに手を出しません。仕方なく、僕がマスをバケツへ。薄いピッタリするビニール手袋を大人に渡しているるので平気です。
次男と一緒に次々に餌替えをしている間に次々にマスを釣り上げています。心配していたおーちゃん4才も難なく釣り上げ大騒ぎです。1竿1600円にはマス3匹付きです。4匹目から1匹300円で購入しなければなりません。程なく5人が各3匹釣り上げました。全部で15匹で、10人で食べるので1人2匹にするため、孫たちに各+1匹追加釣果を許しました。大歓声で僕と次男が餌を付け始めましたが、待てなかったおーちゃんとりょうくん小5が餌無しで釣り上げていました。餌なしなので口ではなく身体の部分に針が刺さっていました。
釣りはお終いにして、竿を持って釣り事務所へ。釣り上げたマスの入ったバケツ2つを孫たちが競って持ち運びしてついて来ます。家内が余分に釣り上げたマスの追加料金を精算しています。手を洗いタオルで拭いて、釣果を1つにまとめたバケツを持ってレストランへ。事務所で20匹と書いてもらった紙とバケツをお姉さんに渡します。あとはテーブルで待つだけ。座敷席とテーブル席に分かれて座ります。孫たちは全員座敷で、お嫁さんたちは座敷へ。僕ら夫婦と次男がテーブル席です。唐揚げにしてもらったマスが運ばれてきて、マヨネーズを付けて食べます。これが美味いです。自分で釣り上げたマスを食べるので、孫たちもワイワイ騒いでいます。食べ終わって、前回来た時もあった「綿菓子機」に10円入れてマスを食べる時使った割り箸に巻きつけます。りょうくんが第1号でやり、続いて僕も私もと全員綿菓子を食べていました。
帰路に着きます。お嫁さんたちは有馬温泉でお土産を買いたいというので、孫たちは僕ら夫婦が全員連れて帰り、お嫁さんたちと次男は有馬温泉中心街に車を置き、炭酸せんべいなどを食べて楽しんだそうです。
夕食は、「のらや」といううどんチェーンのお店に行きました。このお店が好きで、息子たち一家が帰省する度に食べに行っています。美味しく頂き、1日が終わりました。


2024/1/2
昨夜は、近所の陸上自衛隊基地にヘリコプターが何機も飛んできていました。能登半島地震救援のためでしょう。国内で災害があるといつもこうです。「災害派遣」と垂れ幕がかかったトラックが何台も連なって出ていく隊列を見ると、「がんばれ〜」と心の中で叫んじゃいます。
正門をパンモーニングに行くことにしました。2台の車に便乗しお店に向かいましたが、お正月時間の10時からで入れず、マクドナルドへ。プレイランドがあり、孫たち5人は大騒ぎです。車で戻ります。子どもたちは遊びたくて、うちの車に5人乗ります。長男とこの3兄弟は、すみれちゃんとおーちゃんの横の席を取ろうとジャンケンしています。お風呂に入る時も一緒に入りたくて「すみれちゃん、一緒に入ろう」と大騒ぎです。次男のお嫁さんは、「小学生になったので、男の子たちと一緒に入らせて良いのか」困っています。僕はすみれちゃんに、「自分のしたいようにしな」と男の子たちの押し負けないよう言いました。
弟から、「11:26到着予定。只今、リッちゃんの運転で出発致しました」の連絡がLINEで入りました。僕と6年離れて生まれたのと、結婚が遅かったので、弟のとこは長男も長女も今年大学卒業です。昨年、義理妹が精神的な病気をしちゃったので一緒に来るかな〜と期待していました。弟一家がやってきました。義理妹と長女が一緒でした。長男は、国家試験対策で学校のある京都で勉強中だそうです。
夕方から次男が京都に行くので、すぐにお墓に向かいます。3台バラバラで、助手席の家内がお花を買おうとスーパーに寄りますが正月休み。いつもお花を買う道の駅もお休み。最後に霊園に到着し、そこで購入しました。孫たちを連れてお墓に行くと、弟一家と次男の車に乗っていた息子たち夫婦がお墓の掃除をしていました。孫たちも掃除・雑草取りに加え、お水を墓石や墓誌に掛け、次男が点けてくれた線香を各自お墓に備え撤収。
「トリトン」というイタリアンレストランに行くことにしました。僕は外で次男のお嫁さんと義理妹とお喋りをしながら席が空くのを待ちました。妹は夏前に対人恐怖になってしまい、「襲われる」などを弟に言うようになり、仕事が出来なくなってしまいました。和歌山医大で診察してもらい処方薬を頂きましたが、「こんなの飲んだら・・・」と飲みません。職業柄それなりの医学知識があるのでそうなってしまいました。結局、入院治療することになり半年間の入院生活を送りました。妹は頼まれれば断れない性格なので同業者組合の仕事などを頼まれ、きちんとやる性格でもあるので、仕事量が能力をオーバーしたようです。僕みたいに、もっといい加減な性格だと大丈夫だったのに・・・。弟から逐次妹の現状を知らせてもらっていました。症状が落ち着いたので12月に退院し、リハビリ中です。弟からは、「外観は以前と変わらない」「家族やよく知っている人とは以前と同じように会話できるが、よく知らない人には警戒心が出る」「一時運転できなかったが、自分から運転してみると言い出したまに運転するようになった」と聞いていました。仕事量を減らし、更にその仕事も従業員さんにお願いし、今は裏方の仕事をしているそうで、更に回復出来たら仕事にも完全復帰出来ますが・・・。話をしていて、以前饒舌だったのに今は饒舌がなくなっていました。でも、夫の実家に来れただけで上出来だし、うちのお嫁さんたちや孫たちとも普通に話していたので一安心しました。
いつもなら実家に戻り、あれこれまだお話するのが常でしたが、食事後に解散し、家に戻って行きました。次男は、18時から京都で飲み会です。ヨット部の同期プレイヤー2人と女子マネージャー1人と会います。次男と同期はプレイヤー3人・女子マネージャー3人です。今回やって来るマネージャーは部内同期結婚しているので、カップルで来ます。名古屋に住んでいますが、彼の実家が奈良県なので3人のお嬢さんたちを実家に預けて来るのでしょう。タイムリミットが近いので、次男の車を長男が運転し次男を駅まで送り、僕の車に孫たちを乗せて帰路に着きました。
家や隣の公園でサッカーしたりして遊びました。恒例の孫との30〜50m走をしました。元日に電信柱間勝負をしたのですが、僕の靴が脱げてしまいノーカウント。靴紐をしっかり結び、再びりょうくんに挑みます。1年前の正月は余裕を持って勝ちました。さて今回は・・・。僕が子供の頃、父から勝負を誘われました。父は駅伝選手だったこともあり足には自信があったようですが、お腹が出ていたので往年の走力はありません。僕が6年生の時初めて父に勝ちました。息子が出来、息子との勝負を毎年正月にしていました。長男は小1の駅伝で学年1位なり、小学校では少年野球、中学では陸上部に入った子ですが、僕が長男に初めて負けたのが中2でした。この勝負のために節制してスリム体型を保っていました。でも孫との勝負は、僕の体型が変わっているし、年には勝てないし・・・。りょうくん・小5との勝負を公園でしました。僅差で勝てました。次にこうちゃん・小1と勝負し、こちらも僅差で勝ちました。来年は勝てそうにないです。一気に2人に抜かれそうです。
家内が先に自宅に帰り、僕は実家で皆と暫く遊んでから帰りました。午後6時頃、家内が見ていたNHK・TVで緊急ニュースが流れました。羽田空港C滑走路で北海道からやってきたJAL旅客機が火を吹きました。繰り返しその映像が流されていますが、原因が不明です。それを見てすぐ実家に移動し、長男のお嫁さんに事故のことを伝えます。驚いてすぐにNHKを点けて皆で見ました。お嫁さんは元JAL・CAなので、このような事態での対処法を教えてくれました。映像ではどんどん燃えていきますが、乗員乗客が脱出して様子が映りません。「なぜ?」、これじゃ全員死んじゃうじゃない。元日の能登半島地震以上の死者が出そうです。やがて未確認情報として、「乗客全員脱出」、続いて「乗員乗客全員脱出」、そして確認情報としてテロップで流れ、アナウンサーが伝えてくれました。同じ滑走路で、能登半島地震救援として離陸を待っていた海上保安庁機に、着陸してきたJAL機が衝突炎上したようです。なぜ、海保機が止まったままだったのか不明で、海保機に乗っていた海保職員の機長以外安否不明ですが、JAL機全員死亡の最悪事態だけは逃れました。りょうくんは、「今年は凄いことで始まったね〜」と言っていました。おーちゃん4才は翌日、離陸していく飛行機を指差し、「燃えた飛行機だ」と言っていました。


2024/1/1
近所の氏神・臂岡天満宮に初詣しました。次男一家と、拝殿に手を合わせました。本殿内では新春祈願をしていました。この1年の無病息災を願って、数組が一家で参っていました。すみれちゃんとおーちゃんは、キックスクーターに乗っていました。すみれちゃんは慣れたものでスイスイ走って行きますが、おーちゃんは三輪スクーターに乗ったのが初めてで一生懸命キックしていました。すぐに上達するので、運動神経が良さそうです。帰りに公園に寄りました。滑り台やブランコ他で遊びました。
帰宅後、9:14「セブンイレブン」に「超熟6枚・205円」の食パンを買いに行きました。これまでは家内が皆の朝食を用意していましたが、パンで良いそうなので今回からナシになりました。
長男一家が新潟から飛んできます。13:30着なので、13:15に家内と車に乗って迎えに行きます。家内が13時になると、「行くよ」と言い出し、僕が「まだ早いよ」と抑えて出発しました。長男から家族LINEが入りました。「何処にいる?空港着いた」・・・「駐車場の方に移動してるわ」・・・あれ?もう到着ロビーから出たの?家内から「到着は13:30じゃなくもっと早かったよ。だから早く出ようと言ってたじゃない」・・・信号で止まったタイミングでLINEを見直すと、13:10着となっていました。オンタイムで着陸したとしても5分で出てくるなんて早すぎる。早く着いたようです。預け荷物のピックアップに加え、今回は「りくろーおじさんのチーズケーキ購入も頼んだのに・・・。あと5分で着くと、家内がLINEしました。「北ターミナルの送迎エリア来て」と長男から。「いつも、降ろしてる北ターミナルの一般乗降スペースに行きます」と家内がLINE。
前回はお盆だったので、久しぶりの長男一家です。孫3人がちぎれんばかりに腕を振っており嬉しい。お嫁さんの実家・新潟から飛んできました。羽田便と違い、乗客が少ない地方便なので、搭乗時間も短く到着が早かったようです。りょうくん小5とこうちゃん小1は新潟でスキーをしてきたそうです。横浜から新潟まで車で走り、長男と2人が自分の車でスキーに行ったそうです。我が家は僕の実家の隣で、家内の実家も同じ兵庫県内なのでいつでも帰省できるから、次男が2才の頃から正月はスキー場で過ごしていました。子どもたちに変な癖が付かないよう1日4時間スキー学校に入れていました。長男も同じように孫たちをスキー学校に入れているようです。だから、既にまあまあ滑れるそうです。車は新潟の実家に置いてあるようで、1/5の帰路も新潟に向かうそうです。これが結果的に好判断となりました。
皆で「王将」で遅い昼食を食べました。帰宅して荷物を僕の実家に置き、隣の公園でサッカーをしました。長男とこは3人共サッカーをしているのでサッカー熱が高いです。なので、僕もゴールキーパーに駆り出されヘトヘトです。次男とこのすみれちゃん小1も走り回りますが女の子なのでボールを取りに行くのが怖そうです。でもキャッキャ喜んでいます。おーちゃん4才が意外に上手です。足が速く、真っ直ぐ自分の進行方向に蹴れるので才能ありです。ドリブルで真っ直ぐ走れます。孫たちは全員足が速く幼稚園や小学校の運動会では1番の常連で、クラスリレーにも選ばれています。すみれちゃんは4kmも走れ、おーちゃんも1km走るそうです。すみれちゃんは長距離走で女の子の中で1番で、男の子を合わせても2番だそうです。
疲れて皆で実家に戻り、家の中でお喋り。子どもたちは5人で遊んでいます。年数回・各数日遊んでいるので、凄く仲が良いです。4:10、地震がありました。長男が、「揺れてる」と。体感では震度3です。スマホ速報に震度7と出たそうで、すぐにTVを点けます。震源は能登半島沖で震源が10kmで浅く、大きな揺れになりました。大津波警報が出ており、陸上被害映像がないからか、津波中心の報道でした。津波予想が3m・5mというのもありますが、実測は10cmや30cmばかりで津波の方は大したことなさそうだと思いました。しかし、数日後地震の実像が報道されるようになり、4mの津波に襲われ漁船が陸上に上がっている映像や、地面が隆起し漁港に水がなくなり海岸線が漁港の更に海側に移動している映像を見て驚きました。このような地震を伴った隆起を繰り返し、日本列島の山脈が出来てきたんだな〜と地球のエネルギーの凄さを想像してしまいました。
お嫁さんの実家にも被害があり水道が止まりました。TVでは新潟西区の液状化を報道しています。人的被害の報道はありませんが、阪神淡路大震災で震度6を経験しているので、震度7ならそうとうな被害が出ているはずです。
阪神淡路で6000人が亡くなったので、能登半島北部という過疎地域での震度7を考え、死者300人と予想しました。でも翌日になっても死者50人以下でそんなわけないよな〜と思っていたら、1/8時点で死者128人・行方不明195人にだんだん増えました。足せば323人。予想通りですが、行方不明の方は少しでも多く見つかって欲しいな。
長男夫婦に夕食を買ってきてもらい、11人で夕食しましょう。待っている間にスマホに電話が入りました。親戚の叔父さんです。父の妹の旦那Kasさんからで歴史好きな方です。何かな?と思ったら、僕からの年賀状の事でした。ちょうど1年前の正月、両親の実家などを家内と巡りました。そのことを年賀状に書きました。その中にミスがあったようでその指摘です。両親は群馬と栃木出身です。明治時代、両県に大きな被害を起こした足尾銅山鉱毒事件というのがありました。それを衆議院議員として、被害者の救済を訴えたのが田中正造さんで、その奥さん田中カツさん。正蔵が亡くなり、子のないカツさんが最後の10年ほどを過ごしたのが母の実家です。田中カツさんを間違って田中カネさんと書いてしまいました。Kasさんは歴史好きなので、僕のミスを教えてくれたあと2時間も歴史のことや母の実家のことなど、あれやこれや話しました。歴史好きというのは少なく、一緒に住む長男さんは勿論、正月休みに帰ってきている孫たちのも興味を持つ者がなく話したくて仕方なかったのでしょう。僕は歴史好きなので、法事などで一緒になるといつも2人で話しています。その気持ち、よくわかります。電話が終わると夕食も終わっており、隣の家に戻り、夕食を食べ風呂に入って1日が終わりました。



逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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