-ウェブマスター日記 2023/5-6

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2023/6/25
先週末、家内が退院してから、雨の日を除いて毎日早朝散歩をしていました。6時頃家を出て、家内を守ってくれた氏宮に参り、公園の池を巡ったりして帰宅。それから朝食取って仕事に出ます。手術前は、長く歩くと右足がしびれ、痛みも出ました。腰掛けて休憩すれば再び歩ける状態でした。それが、この1週間全く出ません。手術は大成功のようです。医者・リハビリ先生から、1日7000歩目標と言われています。万歩計を導入したので数字として見えます。平均2700〜2800歩で3000歩手前です。仕事であまり歩かないので、朝の散歩の距離を伸ばしていかないとダメそう。きっともっと歩けるのでしょうが、家内はやり過ぎが怖くて距離が伸ばせません。まあ、ボチボチですね。自転車もバイクタンデムも医者から許可が出ていません。車も長く乗るのがダメなようです。腰椎の手術をしたので、固まるまで半年必要だそうです。
この日は、電車旅をします。琵琶湖周航、高野山、福知山線〜山陰線〜播但線〜神戸線、福知山線〜加古川線〜神戸線、アイデアを出すと家内から都会は嫌との返事が来て、福知山線で北に向かうことに決定。自宅から最寄りJR駅まで歩きました。北伊丹駅から乗り、新三田駅で乗り換えです。次の電車まで30分あるので、駅から見えている「コメダ珈琲」でモーニングを取ることにしました。
9:15、「コメダ珈琲新三田駅前店」で、「Bモーニング+デザートセット900円+オレンジジュース600円=1500円」購入。家内は「シロノワール」を美味しそうに食べていました。スマホで写真を撮り、家族LINEに流しました。息子たちが母親である家内の様子を気にしているので、出来るだけ通常の姿を知らせなければ。以前の家内は、「今日の洋服はダサいからダメ」なんてLINEに送るのを拒否されましたが、この日は難なくOK。
駅に戻ってすぐに乗れると思ったら、一足先に出発したようです。結局更にホームで30分待って福知山行きへ。やがて単線になり、無人駅が増えるので、降車時は車内で精算しなければなりません。ドアもお客さん自身がボタンを押さなければ開きません。篠山口以遠は左右の窓に草が迫り良い雰囲気。子供の頃なら、運転手すぐ後ろに陣取り正面車窓を凝視していたでしょう。
「谷川」駅で下車し、加古川線に乗り換えます。電車は待っていましたが、時刻表を見るとまだ1時間あります。駅を出てトイレ休憩し、売店にでも入ろうかと思ったらシャッターが閉まっていました。駅併設の観光案内所は文字も剥がされていたので、閉店したようです。仕方なくボタンを押して加古川線の電車に乗って出発を待ちます。乗客は僕ら夫婦だけです。
出発時間10分前に1人乗ってこられ、出発時には10人ほどになりました。1両編成の単線で好きです。左右に草が迫るカーブでは、スピードを落としゆっくり走っていました。鹿と衝突もありますものね。30分で加古川までの中間にある都市「西脇市」駅へ。ここから、乗客が増え、1両のままなので立っている人が増えてきました。20分で「粟生」駅。ここは、神戸電鉄三木線と北条鉄道北条線乗り換え駅です。駅6つ東にある三木駅まで車で自転車を持ってきて、三木から粟生を経て北条鉄道で7つ向こうの終点北条町駅まで走り、途中の法華口駅最寄りの「鶉野飛行場跡」を巡って三木まで戻ったことを思い出しました。家内と、そんなことをペチャクチャ。更に30分で加古川駅着。
家内が「お腹が空いて動けない」なんて大袈裟に言うので、プラットホームを探すが売店さえない。神戸線に乗り換えるためにJR駅内改札を出たところで、「お蕎麦屋さんがある」と家内が見つけ入店しました。お蕎麦を美味しく食べました。加古川の地元のお店がやってるようですが、「味が濃いね」だって。加古川で生まれ育った家内には地元の味なのに、我が家に来てから薄味になりました。僕は小学生の時慢性腎炎で2年も体育見学・スポーツ禁止の時期があり、その時に一気に我が家は薄味になりました。僕は今でも外食で醤油や塩を更に掛けることをしません。
新快速に乗り一気に尼崎へ。明石に近づくと海が見えだし、明石海峡大橋は凪でした。15:03、「JR尼崎3Coins」(300円ショップ)で、「大容量メッシュバッグ550円」購入しました。福知山線に乗り換え、JR北伊丹駅に戻り、歩いて家に戻りました。万歩計は6300歩でした。万歩計は、家事仕事など軽い歩行ではカウントしないようで、夜までこれ以上上がりませんでした。アマゾンプライムドラマ見て、映画007を見て、「ダーウィンが来た」「どうする家康」見て1日が終わりました。
次男のお嫁さんから、家族LINEが入りました。暑いので庭でプールを組み立てたそうで、すみれちゃん6才とお-ちゃん3才がワイワイやっていました。溺れる心配のない浅さですが、お揃いの浮き輪で楽しそう。

おまけ:僕は家内が大好きです。大学1回生の春、昼休みにヨット部の昼トレ集合場所の学生会館前で、僕の前を過ぎ去る家内を初めて見かけてから「いいな〜」と思っていました。家内と同じ学部の同級生ヨット部員から、同じ学部の同級生にボーイフレンドがいることを聞いても、それから時々見かける家内の姿を目で追うことが出来ませんでした。僕にも僕と同じ学部のマドンナさんのガールフレンドが出来、1年半後のクリスマスイブイブに振られ、その後2人の女の子と付き合いました。
そして4回生の夏、神様の気まぐれにより大学とは関係ない場所で家内と同じクラスになりました。声を掛け、昼食を一緒に食べるようになり、話せば話すほど好きになり、共通の友人がいたりして、そのクラスが終わる2週間後には家内の家まで送って行く仲になりました。ご両親から大歓迎され、次の2ヶ月で家内の親戚をドライブデートで巡りプロポーズしました。家内からは即答でOKをもらいました。親戚の方々からの僕の評価が高かったこともあり、そちらからのご両親への評価も外堀を埋めたのでしょう。僕は戦略家です。子供の頃からお世話になっている近所の開業医さんに書いてもらった自分の健康診断書と、市役所でもらった戸籍謄本、自分で書いたこれまでの生い立ち・両親のこれまでを持って、家内のお父さんに結婚したいと言いに行きました。箱入り娘で跡取り娘の家内なので難航も予想されましたが、それまでに何度もお邪魔し、既に10泊以上していたからか、「娘が良いなら」と満額回答を頂きました。
僕は大学4回生の夏から家内のストーカーです。今だって同じで、歩く時は手を握りに行きます。毎日抱きつき、毎日「かわいい」「大好き」「別嬪さんやな〜」などの歯の浮くような言葉を言い続けているので、もう家内は「ウソばっかり」などと笑って流しています。僕は生後4ヶ月の時、腸重積症で死にかけ、小学校の時は慢性腎炎で2年も体育は見学していなければならずの弱い子でした。熱をよく出し、1ヶ月皆勤賞が目標の子でした。でも中学で虫垂炎の手術をしてからは、至って健康になりました。家内と結婚してからは、かき氷の食べ過ぎでぎっくり腰を数回しただけで、数年に1度風邪で1日仕事を休む程度でした。家内は更に病気知らずで、小学生の時は健康優良児表彰される子で、子供の頃から病気や怪我と無縁でした。
そんな家内がこの度人生初の手術と入院生活をしました。退院してからは、ちょっと僕を頼るようになりました。手を繋ぐのはいつも僕の方からだったのに、この1週間は家内から僕の腕を探し掴んできます。医者の全快宣言が出るまででしょうが、それが嬉しくて仕方ありません。今まで僕を支え力づけてくれたお返しが少し出来ているようで嬉しくて嬉しくて・・・。息子達からは、「馬鹿ップル」と言われ、ご近所さんからも「お宅は仲がいいね」と言われていますが、これまでもそうありたいと願っています。


2023/6/24
コーチしている大学ヨット部は、この日と次の日、近畿北陸ブロックインカレプレ大会です。開催地が富山新湊ヨットハーバーなので、1泊必要ゆえ行けませんでした。去年なら行けたけど、今年は家内が手術したばかりなので留守に出来ませんでした。2回生以上は女子マネさんを含め富山遠征していますが、1回生は居残りで琵琶湖練習です。1回生選手数人と1回生マネさん1人も遠征するので、コーチ&レスキューボートは、今月入部してくれた1回生マネさん2人とOB数人です。僕は合宿所前の砂浜の草刈りに行くことにしました。
仕事の準備をして、四輪に電動草刈り機などを載せて出発。R171〜大阪環状線。9:24、「セブンイレブン中環豊中2丁目店」で、「マーガリン入りバターロール4個118円+サントリー天然水キリッと果実600ml139円=277円」購入。吹田ICから名神高速に乗り、桂PAでトイレ休憩。遅く出発したからか、交通量が多いです。PAもバイクが多くいました。京都ICから少し渋滞した後流れ出し、京都東ICで下車して湖西道路を北上し、いつもより30分多くかかって艇庫着。
電動下草刈り機と電動垣根刈り機・延長コードを持って艇庫へ。AM前半練習を終えた1回生部員がホースでシャワーをしています。挨拶して延長コードをコンセントに差して、まずは下草刈り機で1.5mにまで成長した葦に対決します。少し刈ると、刈った草が巻き付いてスイッチを切りました。無理やり回すと負荷がかかり過ぎてモーターが焼き付いてしまいます。これで、1つ機械を壊してるし・・・。何度巻き付いた草を外してもすぐに巻き付いてしまいます。「こりゃダメだ」と、電動下草刈り機を諦め、電動垣根刈機で再挑戦。
こちらはうまく刈れますが、地面スレスレから刈るので立って刈れません。艇庫からバケツを持ってきて、逆さに地面に置いて腰掛けにして刈っていきます。高さ1.5mの葦が頭の上に倒れてくれるので、少し刈っては刈った葦を動かし再び刈るの連続です。他の草も繁茂しているので、引っ付虫など長袖上着が大変なことに。暑くて水分補給しながら頑張ります。休憩で浜に出て1回生の出艇を見たりしながら、やり過ぎないよう適当に草刈りをします。
お昼になったので、艇庫2Fに上がります。台所では1回生が食事を作っています。タッパウエアやお皿を出して丼ものを作っています。2回生コーチもハーバーより戻ってきて、皆で昼食を食べました。丼物なので僕の分も出来るそうですが、パンを買ってきているので遠慮しました。「今日の献立は・・・」「・・丼です」「頂きます」・・・、上回生はいないけど昼食・夕食のルーティンが生きていました。1回生も気に入っているようです。
PMも草刈り活動。AM同様、喉が渇いたら喉を潤し、疲れたら浜に出て1回生のシングルハンド練習を見ます。手が空いた1回生が数人手伝いに来てくれ、刈り取った草を運んでもらいました。16時になり、お仕事終了。草刈りをして、艇庫前の船を置く広場が少し広がりました。全部刈り取れば、広場から湖面が直接見えるのでそれを目標にしましたが仕事半ばで終了になりました。あと1日必要です。片付け、また四輪に電動機械を載せて帰路へ。垣根刈り機では対応できない太い枝があるので、次回は生木ノコギリも持参しましょう。


2023/6/18
家内が退院して2日目、初めての日曜日です。手術前の入院予定は2週間でしたが、術後の経過が良好で、リハビリも順調に進んだので10日に短縮されました。病院のリハビリ担当者ナシでも平気になったので、リハビリは自宅でやっても同じという結論に至ったようです。日曜日退院予定になりましたが、早く家に帰りたい家内の要望で土曜日朝一での退院になりました。
早朝、入院中ずっと神頼みした近所の氏宮に2人で詣りました。しっかり、「ありがとう」と伝えて来ました。一旦帰宅し、8時になったので車に乗って「パンモーニング」へ。家内がパンを取りに行ってる姿をスマホビデオで映し、息子達夫婦に家族LINEで流しました。
長男のお嫁さんから家族LINEに返信がありました。加えて、長男とこの3男・ルーカスくん(5才・年中)の父親参観日の写真も送ってくれました。パパの歌をうたってもらって、感激して泣いたそうです。長男は僕以上に感動屋さんなので、すぐ泣いちゃいます。自分の結婚式で泣いていた男です。遠足の写真もありました。
冷蔵庫が空っぽなので、スーパーに買い物に行き、ABCマートで僕用の夏用サンダルを購入しました。ユニクロとGUにも寄り、夏用ジャケットを購入しました。帰宅して、昼寝してからアマゾンプライムでドラマを見ました。「恋する母たち」というラブストーリーで、地上波TVで放映されたドラマだと思います。いつものように、「ダーウィンが来た」「大河ドラマ・どうする家康」を見て1日が終わりました。


2023/6/17
家内が退院しました。入院予定は手術後2週間でしたが、10日に短縮できました。面会時間が家族のみで、ウィークデイの14〜16時の間の15分間だけということで面会出来そうにないと思っていました。家内がしてくれていたことを全てこなし、綺麗な状態で家内を迎えようと思っていました。
でも、いざ1人の生活が始まると、家内がいない家はつまらなく、夕食はヨーグルト(プレーン400g)のみになってしまいました。仕事から帰る時間が遅くなったのに加え、1人だけの家だと気力が湧きません。TV見ながら夕食を食べ、食べ終わったら風呂に入っておやすみが定番でしたが、TV見てるのもつまらない。この時間、家内は台所でゴソゴソやってるので、1人で食べながらTV見てるだけだったのに、家に僕だけだというだけでTVも面白くない。食べて風呂に入って、いつもより30分ぐらい早く床に入る日が続きました。
家内とは、毎日朝晩、「おはよう」「おやすみ」をLINEで送っていました。それだけでは寂しく、2回も仕事をサボって病院に面会に行きました。1回目は、手術の3日後。手術日と翌日は、僕からの「おはよう」「おやすみ」に返答がなく、身体が辛そうだと想像でき遠慮しました。手術後2日目の朝「おやすみ」の返答があり、「明日、面会に行く」と連絡しました。雨予報で、仕事をサボりやすかったからです。
面会に行ったら、家内は検査中で部屋にいませんでした。部屋で待っていると、廊下をスタスタ歩いてくる音が近づいて来ます。「あれが家内だったらいいな〜」と思ってたら家内が入ってきました。予想よい遥かに元気そうです。歩行器を押していますが、手術前と変わった様子がありません。家内はいつもより饒舌でした。少し興奮しているようです。こんな僕でも面会が嬉しいのでしょう。手術後は身体に力が入らず熱もあり、ただ寝ていただけだったそうです。2日目の朝、看護師さんにスマホを取ってもらい、僕に返信したそうです。手術翌日からリハビリ開始予定でしたが、2日目から歩行器を使って歩く練習が始まったそうです。面会に行った日は、歩行器2日目でしたが、歩行器に助けてもらっているというより、仕方なく持ってました。「もう要らないんだけど、持っとかないと叱られるから・・・」と、スタスタ歩きながら押していました。
翌日、「お父さんばかりに負担かけてごめんよ〜。昨日、会いに来てくれたおかげでやっと熱が平熱に戻って、リハビリもバッチリ。リハビリの先生もびっくりしてる。やっと食欲も出て来て、夕飯が待ち遠しいよ〜。病院の夜は嫌だ。日の出までが気が沈む。さっき、主治医が傷跡を確認してくれてOKですと褒めてくれた。部屋でもリハビリで習った体操をやって少し疲れた。今日は寝付けるかな?」のLINEが入りました。
家内の元気そうな顔を見てお喋りして僕は元気になりました。殊の外、家内も嬉しそうだったので、2回目の面会を次の雨の日に計画しました。2度目の面会は、家内が入院している8Fのエレベーターが開いたらそこで待っていました。もう歩行器を持っていません。面会時間の15分はあっという間でした。翌朝の家内からのLINEは、「面会ありがとう。昨日は短い時間でしたが嬉しかったです。いつも支えてくれてありがとう御座います」。そして、術後経過・リハビリが順調に進み、退院が早くなり、「退院は、土曜日朝10時で決定。時間外通用口しか開いてない」との連絡がありました。
そして今朝退院の日、10時の30分前に病院に着きました。着いたと連絡しようとスマホを開いたら、既に通用口に着いたとLINEに書かれていました。入院用品を詰め込んだ旅行バッグを持った家内が立っていました。これで、僕の1人生活が終わりました。


2023/6/11
琵琶湖北湖でのレース日です。Imaさんの船に乗ります。4時頃起き、ゴソゴソ。小雨が降っています。雨予報なので、バイクを諦め、電車で行くことにしました。7:01、「セブンイレブンハートイン・JR大阪駅連絡橋口内店」で、「サントリー天然水キリッと果実600ml150円」購入。尼崎〜大阪〜京都〜JR湖西線で、8:30過ぎに「JR和邇駅」着。電車に乗ってからImaさんに、電車で行くことと、和邇駅到着時間を伝えていたので、駅舎から出ると既にImaさんが待っていてくれました。車に乗せてもらいハーバーへ。この日のレースは、Imaさんのホームポート主催のレースです。
まだ小雨が降っているので、ウェットバーでカッパを着て艤装へ向かいます。この日のメンバーは、元琵琶湖ジュニアパパのFujさん・Imaさん・私+元琵琶湖ジュニアNisくん+Nisくんが連れてきたDemくん。Demくんは、元長崎ジュニアでD社大出身の現役選手です。次男の2才下です。D社卒業後もヨットを続け、S級全日本タイトルを取ったり、470でオリンピックを目指したトップセイラーです。昨年J24ワールド3位を取ったImaさんの息子くんと同じチームメンバーでもあります。先々週に続き、今週も豪華なメンバーです。
10:30スタートなので、9:30頃船を降ろしてもらい沖に出ます。無風でしたが少し西北の風が入り10:30になり、第一線上3でスタート。即タックして1上マーク。上1艇もタックしましたが、当方の方が走りが良く前に出て行きます。このままの風が続けば・・・。西から軽いパフが何度か下りてきて、予想通りヘッダーの風で少しずつベアして行きます。ワールド3位艇のタクティシャンDemくんが、パフの報告を的確にしてきます。上1から後方に下がっていたメルジェス24が、軽さを武器にしてスピードをプロデュースし、下並行位置からリーバウに出ていきました。ですが、ここで南からより優勢なパフが入り、はるか後方にいた25ftがまっすぐ1上マークに向かって走り出し、当方の上並行位置まで出ました。メルジェス24がタックしてきてミートになります。ベアし始めましたが、南から風が当方に届き前を切れるようになりましたが、メルジェス24と近すぎて今更遅い。ポートタックで走り出しました。上並行の25ftが上マークをトップ回航しました。4位で1上回航。ジェネカーを上げる予定でしたが、風は南に変わっておりギリギリ上がらない。仕方なく、クローズ・ド・リーチで1下に向かいます。先行艇より南側の位置で走っていたら、パフは南からのようでトップ艇と当方だけ走ります。2・3番回航艇は風が無くなって止まっています。上突破して2位まで上がりました。しかも先行艇にもかなり追いつきました。
1下マークを2位回航。トップ艇はスピンをアップしましたが、当方は準備だけして様子を見ます。微風過ぎるしアビームなのでジェネカーをアップしてもスピードが上がるかどうかわかりません。超低速ですが、確実にトップ艇に追いついていきます。西風に変わり、クローズホールドのレグになりました。トップ艇はポートで右に、当方はタックして左に出しました。第1レグ、この風向で南から風が入ってきて抜かれちゃったから。予想がズバリ当たりました。西からのパフが入りながら徐々に南に風軸が動いていきます。当方がタックしポートになったら、トップ艇もタックして来ました。当方の方が前を通ります。元トップ艇もタックし、当方の下並行の位置になりました。振り返ると、3位艇はまだ1下マークを回航していません。これはいいぞ。
そのまま2上マークを、トップ回航しました。はるか後方に遅れていた3位艇メルジェス24がかなり追いつきてきています。軽量艇は微風・軽風で、速いな〜。最後の第4レグです。ジェネカーを上げて走ります。若者2人がバウ作業してくれるので楽ですし早いし確実。流石、トップクルーザーレーサー艇に乗っているだけあります。そのままトップホーンを鳴らしてフィニッシュ。2位に大差を付けましたが、ヤマハ31Sのレーティングが高いので、優勝は25ftの2位小型艇でしょう。メルジェス24にも修正で負けてるでしょう。メルジェス24は速いです。
ジェノアをダウンし、エンジン始動してハーバーバックします。いつもならここで昼食タイムなのですが、ホームポート主催レースなのでパーティーがあります。そこまでお預けです。解装しながらハーバーに戻りました。1番にハーバーに戻ったので、1番に船を上げてもらいます。バースに戻った艇に上がり、片付けます。若者が2人いるのでこれも早い。
ウェットバーのパーティー当方テーブルに戻り、着替えます。レース中に雨が上がり、レース後半はカッパが暑かったです。脱いで気持ち良くなります。雨に濡れた靴で帰るのが嫌だったので夏のレースに使用するカカト付きサンダルを今年初めて使いました。寒くなくこの選択はgoodでした。他艇も次々に戻ってきてテーブルが埋まります。ポテトチップスとソフトドリンクで、おつかれさん乾杯。参加費は2500円でした。ハンバーガーが出てきて頬張ります。若者は2個、年寄は1個、まだおかわり出来ますが1個で満腹になりました。
いろんな話をしました。DemくんからD社大の新人教育などを聞き、2人の参加するクルーザーレースチームの話を興味深く聞きました。Nisくんのお父さんがヨットで世界一周中で、沖縄〜マレーシア〜インド洋〜南アフリカ〜パナマ運河〜現在ハワイにいます。聞いていた予定では、船がより高く売れるアメリカやハワイで売払い、飛行機で帰ってくるとのことでしたが、これからのことを聞きました。ハワイをこの日出港して日本に向かうとのことでした。帰宅したらフェイスブックからお知らせが届いており、チェックすると「ハワイを出港するので、暫く連絡が取れません」と書いてありました。
成績発表がありました。3位かな?と予想しましたが5位/7艇でした。トップはヤマハ25ML、2位はメルジェス24、3・4位がヤマハ23、そして当方ヤマハ31S。当方がこの日のレースでは最も大きくレーティングが一番高いです。
最後にデザートが出てお開き。チーム全員で写真を撮りました。続いて、参加選手・ハーバー職員全員入っての集合写真をパチリ。Imaさんの車に乗せてもらい、和邇駅まで送ってもらいました。JRで最寄り駅まで乗り、通勤リード110で帰宅しました。


2023/6/3〜4
ホームポートのヨットクラブ主催の「オーバーナイトレース」参戦へのお誘いを受けました。昨年、「紀伊水道レース」「阿波踊りレース」で乗った34ftレーシングクルーザーです。第1レースは、19:00西宮ヨットハーバー沖スタートで、フィニッシュが洲本沖マーク回航。第2レースが、洲本沖マーク回航スタートで、フィニッシュが西宮ヨットハーバー防波堤と芦屋防波堤の間です。
集合時間が15時なので、14時に「通勤リード110」を出して出発。14:35、「セブンイレブン西宮マリナパーク店」で、「サントリー天然水キリッと果実600ml150円」購入。ハーバーに着き、14:43「ノースセイル新西宮YH店」で、「シャックルキー330円」購入。14:45、「マリンショップ一点鐘」で、「国際信号旗ステッカー2枚1100円」購入。上架バースの船に行くと、ボースンのFujさんとDoiさんがセイルを運んでいました。去年はセイル置き場倉庫の横だったので楽でしたが、その位置がパワーボートスペースになったようで、セイリングレース艇バースの並びになっていました。前回ご一緒したMonさんとその友人Kurさんが来られました。Kurさんは東京の上智大学ヨット部出身で、大阪生まれだけど関東在住で、現在は神戸に単身赴任中だそうです。1週間前も一緒にレースに出たImaさんもやってきました。ハーバーゲートを開けるために電話が入ると思っていたが、門に着いた時Fujさんと会ったそうです。オーナーのKawさんを加えた7人がこの日のメンバーです。セイルを船に載せバテンを入れメインセイルをブームに通します。ジブシートとジェネカーシートをセットしました。お初のKurさんに名刺を渡して軽く自己紹介しました。ハーバーのトラクターが来たので、全員船から降り、船をクレーンまで運んでもらいました。16:00、トイレを経由して係留された船へ。40ftのレース艇キネキネさんが給油して沖に出ていかれました。18時を過ぎ、桟橋から離れます。いつものクルーザーレースだと、港内外がスタートですが、このレースはハーバーすぐ前からスタートするそうです。沖で走りながら待っていると、防波堤少し南にスタートラインが設定されました。
オーナーヘルムで僕がサポートに付きます。北風で時折10ノットのブローが入るコンディションで、メインセイルのみでうろうろ。洲本は南方向なので、いきなりジェネカーランになります。メイン&ジブで走っている艇やメインだけの艇、いろいろいます。スタート6分前にエンジンを切ります。タイムキーパーは僕がしています。スタートオンタイムに、スタートライン中央からスタート。皆さん、号砲と同時にジェネカーをアップしたので、並行してスターボランに入ります。尼崎西宮港から出る赤・白灯台は南にあるので、スピン艇ならしっかり下せるので有利かもしれません。
六甲アイランド近くまでスターボで出して、ジャイブしてポートで赤・白灯台の間を抜けて行きます。港内から大阪湾に出た時はビリ/8艇でした。スタートが遅れたKinさんは大型艇なのでスピードが良く、少しずつ前に行きます。トップはアウターから出て一旦ジャイブし、一人旅した小型艇(メルジェス24・31フェスタ)が東側の海面で前に出て大阪湾に出ていきました。メインセイルトリマー・Imaさんで、ジェネカートリマー・Kurさんとヘルムスマンが仕事をしています。その他は、セイルチェンジが終わって大きな仕事はありません。Kurさんは学生以来のヨットだそうで、初めてのジェネカーの用語からトリム方法まで、指示されながら学んでいます。西の空はもうすぐ日没なので太陽が落ちる寸前です。空には雲がなく素晴らしい天気です。19:21日没になりました。神戸空港東側の浮標と大阪港浮標の間を抜けないとダメなので、レース艇は広がらずみな視界内にいます。安定した風が入っているので、クローズホールドのように左右に広がることはなく全艇ほぼ一直線で差があまりつかなさそうです。
天気予報は、このまま北風が続き、翌6/4・0時になると風がなくなり、4時から南風が入るとなっています。1週間前は2日間とも雨予報だったので、雨が降らないだけでもラッキーと思わなくては・・・。ボースンFujさんのコースストラテジー通り、全艇で最も東のコースを取りました。潮の流れが大阪湾から播磨灘に向かって明石海峡を西向きに流れているので、西に行くほど大きく影響を受けます。
陽は落ちましたが、満月でうっすらと周囲が見えています。これは楽です。赤潮が発生していたら、そこを通ると夜光虫が光るので期待していましたが、夜光虫は楽しめませんでした。赤潮は富栄養化によるプランクトンの異常発生なので、夏場が多いです。6〜8月の始めなので、今年はまだのようです。富栄養化も改善されているので、そもそも発生数が少ないのでしょう。洲本に近づき、レース委員会から示されたマーク位置をナビで確認しながら探します。Imaさんが最初に見つけました。マークに近づけど、トップ艇が回航してきません。最後は東側から寄せているので、マーク回航艇は正面から来るはずです。
23:41、洲本沖マークを回航しました。ここまでが第1レースなのでフィニッシュです。トップ艇キネに遅れること15分です。2分前に2艇(横山36・メルジェス24)、ほぼ同時に1艇(31フェスタ)、4艇がほぼ差なしに回航しました。5時間弱走って、31フェスタとは10秒差でした。6/4も11時に転流し、再び大阪湾から播磨灘に向かう潮の流れになります。それまでは反対向きの流れですが、東側を走るストラテジーで行きます。ここからも全艇の東を進みます。マーク回航前にジブを上げてジェノアを下ろし、回航後ジブでクローズホールドで西宮を目指します。より東に行くため、コード0を上げジブを下ろし、風向に対して80度で関西空港を目指します。ジブよりセイル面積が大きいので前に出ていきますが、やがて他のレース艇が見えなくなりました。
予報通り0時を回って風がなくなりました。ライトで照らされたヘッドセイルとマストトップの風見を見ながら、ヘルムスで苦労しました。往路も復路も交代でステアリングを握ってスピードを出そうとしますが、無風はどうしようもありません。3時になり、夜食タイムになりました。無風で漂っているだけなので、カセットコンロをコクピットの床に置いて湯を沸かし、カップラーメンを食べました。屋外で食べるラーメンは、何故こんなに旨いのだろう。
風が出る予報の4時になっても無風のまま夜が明けて行きます。南から風が入ったようで、後続2艇が追いついてきました。その風が来て当方も走り出しましたが弱い。ここから西宮をダイレクトに目指すことにして、コード0からジブに切り替えます。スピンで近づいてきた「31フェスタ」はスピンダウンしてジェネカーに切り替え、うちより東コースを離れていきます。
西からの弱い風を受けて走りますが、進んでいるのか?無風になる前見えていた関西空港の明かりが近づいているように見えないけど・・・。10時になっても海面は鏡のままで、ステアリングを握る僕以外は皆さん寝ています。ドッグハウスの中で横になって寝ている方とデッキ上のセイルの日陰で寝ている方・・・スヤスヤ。
何度か軽いパフが入りますが、やがて無風に逆戻りが続きます。10:30になり、西宮までの距離とタイムリミット16:00を考え、リタイヤしてエンジンで西宮に帰ることも話に出てきました。「11時まで待って風が出てこなければリタイヤしよう」と決定しました。11時の10分前頃、南からの風が入ってきてリタイヤを止めて全力で。うちより東に行った「31フェスタ」が前に出たように思うがどうなのか?結局、関西空港からは中央コースで西宮に向かいます。少しずつ風速が上がり、12ノットまで上がりました。フィニッシュ担当のオーナーには休んでもらい、僕が西宮港までヘルムスしました。
西宮港内に入り、芦屋埋立地までの半分でオーナーにヘルムスを交代します。芦屋沖でジャイブし、フィニッシュの新西宮YH角〜芦屋埋立地角に入るためにできるだけ東までこのタックで行かねば。ちょうど、関々戦のレースエリアで、レース艇を見ながらジャイブのタイミングを計ります。470レース艇団とミートしそうでしたが、中央でフィニッシュしたのでラッキーでした。母校KGのコーチボートギリギリ手前まで行ってジャイブしました。僕を見つけたのか、コーチボートに乗っていたコーチや部員が「こんにちは」と挨拶してくれました。
最後のジャイブを終えて、13:44フィニッシュ。フィニッシュ1時間前頃にレースオフィシャルに電話しなければなりません。Fujさんが電話するとまだ半分しかフィニッシュしていないとのことでした。レース後わかった順位は、第1レースは、着順4位・ハンディー計算後確定3位フィニッシュ。第2レースは、着順5位・ハンディー計算後確定6位。総合3位/8艇でした。
芦屋YHと新西宮YHの間の狭い水路でジェネカーをダウンし、すぐに転舵して風位に立てメインセイルをダウンして新西宮YH内に入っていきます。フェンダーや係留ラインをセットし、上下架桟橋へ。14:06クレーンで船が上架されました。トイレを済ませ、上架艇バースに向かって歩いていると、ドラゴン級バースにOonさんとMatさんが整備をしていました。FujさんはOonさんの息子さんと同じヨット部の先輩なので、Oonさんに挨拶に行かれました。
船を片付け、センターハウスでチーム解散ミーティング。オーナー・Fujさん・Monさん・Kurさん・僕の5人。オーナーはコーヒー、僕はオレンジジュース、ピザ・ウインナー・・・。隣のテーブルには、関大ヨット部の面々が集まっています。関々戦観戦終わりなのかな〜と思っていたら、昨年太平洋横断して母港の西宮に帰ってきた堀江謙一さんを囲む会でした。1962年に世界で初めて太平洋を渡った伝説のヨットマンです。世界一周など何度も長期航海を成功させています。KG先輩のShiさんが観覧船ドライバーを終えたのか、センターハウスに入ってこられました。1時間ほどお喋り休憩して帰路に着きました。


2023/5/28
琵琶湖北湖でのレース日です。次男のジュニアヨット時代から大学ヨット部までのライバル君のお父さんImaさんのお誘いです。Imaさんともう一人の琵琶湖ジュニア出身のYasさんのセイリングクルーザーチームに入っています。この日はImaさんの船での参戦でしょう。Yasさんは膝の痛みで先月手術し退院されましたが、まだ復帰は早いだろうと勝手に想像しています。他の元琵琶湖ジュニアお父さんメンバーもお仕事でお休みだそうです。そこで、Imaさんの息子さんや元琵琶湖ジュニアのレーシングクルーザー現役が来てくれるそうで、息子世代との合同チームです。
9時YH集合なので7時に家を出ればOKです。倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、ゴソゴソ用意して出発。R171〜中央環状道路で、6:50「エネジェット中環豊中SS」で給油。238km/8.68L=27.4km/L。7:07、隣のセブンイレブンで「天然水キリッと果実600ml150円」購入。吹田ICから名神高速に乗り、7:41「桂川PA」でトイレ休憩。休憩がてら売店を除いていると、「ビリケンぬいぐるみ1320円」を見つけたので衝動買いしてしまいました。このバイクには、「招き猫」が2匹載っているのですが、「里山VTR250」のリアシートの同行者「ひこにゃん」が走行中何処かに飛んでいってしまいました。これまでも、時々「Dr.スランプアラレちゃん」や「Dr.スランプ則巻千兵衛博士」が交代して載っていましたが、メインの「ひこにゃん」がいなくなって寂しさを感じていました。そこで、京都四条のお店で見つけた「芸妓さん人形」を購入しました。ですがイザ載せてみると上手くフィットせず、落っこちそうでイマイチ。購入したビリケンさんは、既にちょっとオシャレな透明ビニール袋に入っており、バイクのマジックテープ部分に合う場所にマジックテープを貼るだけで第一線に投入できます。これから、ビリケンさんをお供にしようと思います。
京都東ICで名神高速を下車し、湖西道路を北上します。「和邇ランプ」で下車し、8:30前に「志賀ヨットクラブ」に到着。バイク装束を着替え、Imaさんの船に上がり、艤装開始。Imaさんが前日に用意したのでしょう。殆ど出来ていましたが、ジブファーラーをセット。バウ・スターンの係留ロープ、フェンダーをセットしました。Imaさんが来られたようで下から名前を呼ばれました。息子さんと一緒に来られました。
Nisくんもやってきました。世界一周中のお父さんの現在地を聞くと、「今日、ハワイに到着するはずです」とのこと。パナマ運河を太平洋側に抜けたところまでトレースしていましたが、太平洋を半分以上渡ったようです。船を海外で売って飛行機で帰ってくると聞いていましたが、ハワイまで来ました。ハワイで売るのかな?日本よりニーズがありそうで、アメリカの方が景気が良く物価が高いので、少しでも良い値段で売れそう。既に出発前の係留地・堺のハーバーを解約したので、新たに契約しないと係留場所がありません。ビジタ-で係留しておくと高くつくし。46ftの大きな船を売って、30ftぐらいの手頃な船をここに置いて琵琶湖で楽しむ予定を言っていたそうですが、どうなることやら。会社は2人の息子を中心に上手くやっているので、親父が用無し。息子に聞くと、「もう一周してもいいけど・・・」と言っていました。帰ってきても、口出ししない方が良さそうです。
あと2人、助っ人がやってきました。WadさんとNakさんで、Ima息子Nobくんのセイリングチームメンバーでした。Nobくんは、昨年J24世界選手権で3位になっており、その主力メンバーが3人も集まり、世界レベルのメンバーになっちゃいました。僕は見学でいいのかな?
船を降ろしてもらいます。NakさんとWadさんに名刺を渡して自己紹介しました。WadさんはNobくんと同じD社ヨット部OBで、スター級でオリンピックを狙ってキャンペーンを張っていた頃、新西宮のドラゴンフリートレースに参戦していました。当時は私もドラゴンフリートでレース活動していたので、何度も戦いました。Nakさんは日経大出身で、ジュニア〜D社OBのDemくんのクルー。国体からワールドまで経験した豪華メンバーです。
湖面は鏡のような無風で、Wadさんはスタート延期?を予想していましたが、琵琶湖のクルーザーレースはどんな風でも定刻にスタートします。「それはないで」とImaさんが言うと、驚いていました。助っ人メンバーは、和歌山でやるレース(国体・インターハイ・インカレ・各艇種世界選手権・・・)の運営側なので、第1上マークが風上にあるとは限らない地方のクルーザー草レースのスタンダードにびっくりでしょう。まあ、それも慣れているでしょうが・・・。
春秋に年2回開催されるヤンマーカップは、琵琶湖大橋の東端にあるヤンマーマリーナ主催レースです。レース海面は、琵琶湖大橋の北海面で、レースマークに特徴があり、ヤンマーのYマークをなぞるようにマークを打ちます。スタートは、Yの一番下で、第1マークがYの右上端、第2マークがYの中央の3本の線の付け根。そして第3マークがYの左上端、フィニッシュが再びYの根本。レース艇が全てのマークを回ると、Yの字が完成します。こんなマークの打ち方をするレースは、このレースが唯一でしょう。
11時にクルージングクラスがスタートし、5分遅れでレースクラスがスタートします。どのような区分かというと、セイルがダクロンの白色セール使用艇がクルージングクラスで、カーボンやケブラーなどの有色セイルの船がレーサークラスです。
レース海面まではImaさんがヘルムスでしたが、レース前にNobくんに交代しました。Wadさんがバウでスピンアップダウンとスピンポールの入れ替え担当。Nisくんがマスト回りで、Nakくん・Imaさん・私がメインセイル&トラベラートリム・ジブトリム・スピントリムです。
風が無風に近いですが一応北風で、1上マークは風上に位置し、クローズホールドでスタート。僕が秒読みし、上2で即タックして右海面へ。ポートロングなので、暫くするとほぼ全艇がポートになります。右海面の方が風がありそうなので右に出した艇が先行します。イーブンまで右に出したところで、前には風が無さそうで、左海面の方に風がありそう。背中艇のバウが少しずつバウアップしてきたので、タックし左海面へ。ここで、Wadさんがスピン&ポールセットをしました。左から風が入っている感じでほぼエンドまで出してタックし、上マークにポートタックエントリー。ここで、最終見通しでタックし、短くスターボタックを走り第1上マークを4位/全33艇回航。
スピンを上げ、Nakくんがスピントリム。ワールドクラスのスピントリマーで、ヘルムスのNobくんとのコンビネーションが良く、「プレッシャーどう?」「入ってきた、バウダウン」「ここでキープ」などの会話が続き、スピントリマーが感じるプレッシャーに合わせ、ヘルムスがバウアップ・ダウン・キープをして先行艇を追いかけます。
先行艇は、ダイレクトに下マークを目指しますが、この艇は風が弱いのでヒールさせ、上り角度を取ってダイレクトに目指しません。スピンプレッシャーが無くならないよう注意しながら下り角度を調節しています。プレッシャーを感じるとヘルムスが出来るだけ角度を落としますが無理に下らずスピードが落ちてしまうのを恐れた走りです。
1度ジャイブしてポートで下マークを目指し、そのままスピンドロップして即ジャイブ時計回り回航。超スターボロングの筈でしたが、次のマークは風向に合わせ右に打ち替えています。左海面の方が風がありそうなので、そのままのスターボタックで伸ばします。先行する3位艇がタックして右海面へ。やがて1・2位もタックして右へ。当方は、左海面に見えているブローがあるのでそのまま。最も左に出してタック。最初に右に行った3位艇が4位に落ち、当方が3位へ。やはり左海面の方が良かったようです。中央まで戻して、右は鏡で左にブローなので、タックして再び左海面へ。当方のスターンを切って先に左に出た艇が復活し、当方はまた4位へ。エンド近くまで出てタック、第1上マーク同様、ポートアプローチします。第2上マークに近づくと、右に出した2艇を抜く景色だったが、更に右エンドまで出した艇に風が入り、タックしてスターボになり走り出し1艇抜きだけになりました。5分遅れでスタートしたレース艇のトップ艇と2位艇に抜かれました。レース艇のトップ艇は大きくスピードがあって当然ですが、2位艇は20ftのメルジェス20。メルジェスシリーズ(20ft・24ft・32ft)は、とても速い艇で魅力的です。この2位メルジェスには、北京オリンピック日本代表のMatくんが乗っており、流石に速いです。Matくんは琵琶湖ジュニア出身で、次男が中学1年の時、同じ中高ヨット部のキャプテンでした。彼は、中学時代ジュニアヨットの全国制覇をし、高校も優勝、大学でも勝ってオリンピック選手。ピカ一の実力者です。途中までほぼ同じコースを取りましたが、じわじわとスピードで追いついて来ました。これは艇差でしょう。
半時計回りで第2上マークを回航し、即ジャイブしてスピンアップ。1つ前で回航したクルージングクラス3位艇をそれで平行に並びました。この艇には、琵琶湖ジュニアパパのMurさんが乗っており、Nurさんはセイルメーカーなので謂わばプロ。ヘルムスではありませんが、各部署を見回し指示をし船全体を動かしています。少し離れてもMurさんの声が聞こえてきます。
また左海面から風が入ってきたのでジャイブしてそちらの海面へ。先行艇は、北風が止まってスピンダウンしています。当方にはまだ北風が残っておりチャンス。Murさん艇は風が止まってスピンダウンしたまま止まっている。先行艇に東湖面から南風が入り、クローズホールドでフィニッシュに向けて走り出しました。
当方にも弱い南風が降りてきて、スピンダウンしてクローズホールドでフィニッシュに向かいます。Murさん艇は東からの南風を先に受け、先行艇に追いついていきます。当方の後ろの艇群は、北風が終わってスピンダウンしたままで南風が入っていないので、当方とその後ろで大きな差が出来ました。そのままフィニッシュ。結局、Matくんのメルジェス20がトップフィニッシュしました。微風・軽風なので小型艇有利でしたが、20fの小さな船がクルージングクラス艇群をゴボウ抜きしトップフィニッシュは圧巻です。素晴らしい。
ジブセイルをファーラーし、昼食タイムです。Imaさんが用意してくれたパンとコーラを飲んで喉を潤します。風は弱かったけど楽しかった。若者は、食べてお腹が満たされると解装に動き、メインセイルもダウンし、ササッと片付けています。
最後はImaさんにヘルムスが代わりハーバーバック。船を上げてもらって解装の仕上げ。これもアッサリ終了し終了。ウェットバーで、お食事&会話タイム。僕はバイク装束に着替えました。この時、ライフジャケットを脱いだまま忘れてしまいました。帰宅後、ライフジャケットを着ていないことに気づきましたが、YHクローズ時間を過ぎていたので、翌月曜日に電話して2週間後に行く時まで置いておいてもらうことにしました。
帰路に着きます。湖西道路に乗って南下し、コーチしている大学ヨット部の合宿所に寄り道しました。浜にはシーホッパーが数艇置いてあり、1回生とコーチする2回生が乗り換えて出るところでした。練習を終えて戻ってきた1回生とあれこれ話しました。少し南下して、ヨットハーバー艇庫へ寄り道。2回生女子マネYosさんとTakさんが、アイスを食べながら待っていました。練習艇は、16:50ハーバーバックということです。前日とこの日、マネージャー希望者5人の試乗会をやったので、手応えを聞きました。1人は入部確実で、1人は希望ありだそうです。1回生女子マネさんはまだ1人なので、最低あと2人は入部して欲しいです。
練習艇が帰ってくるのを待たず、帰路に着きます。琵琶湖ヨットクラブはBBQ中で、琵琶湖ジュニアパパのKasさんがいたので、お喋り。バイクに戻り、湖西道路〜名神高速で、17:17「桂川PA」で休憩。「チョコモナカジャンボ172円」で糖分補給して帰宅しました。いつものように、「ダーウィンが来た」「どうする家康」を見て夢の中へ。


2023/5/21
コーチしている大学ヨット部のレースコーチングです。ハーバー主催のポイントレースです。倉庫から、「招き猫CB400SB」を出し、いつものルートで琵琶湖に向かいます。7時過ぎに、ヨットハーバー着。部員もまだ来ておらず、まだ艇庫も開いていませんが、バイク装束から着替えます。
部員が集まりだし、レース観戦する1回生も3人やってきました。彼らと、あれこれ話しました。爽やかな男子2人と、可愛らしい女の子です。体操の後にレース前ブリーフィングしましたが、風が弱く出艇延期です。11時ぐらいに出艇かな?と予想しましたが、予想より早く三井寺の風が入ってきて出艇。
今回は、S級のコーチボートに乗ります。1回生2人(Kanくん・Sioさん)が乗ってきました。1回生練習をしている2回生数人以外の選手は全員レースに出ているので、2艇のコーチボートにはマネージャーと私と1回生3人です。4回生マネは就活でお休み中なので、2回生マネ6人が大活躍です。1年前に入部した時、当時の2・4回生マネさんがいなかったので、今年前半こうなることはわかっていました。当時3回生現4回生マネさんたちがしっかり教えてくれたので、何ら問題なく動いています。マネさんが1学年に最低3人いないとキツイです。今年の新人マネさんは、まだ1人・Ookさんしか入部していません。この日も来てくれており、長靴やサングラスなど新アイテムを揃えてくれ楽しそうにやっています。有り難い。まだ2〜3人マネさん候補がいるので、全員ごっそり入部してもらおう。
470級R1が、10:15スタート。S級は6分遅れでスタートしました。12時頃、風が落ち風も振ったので長い待ち時間がありましたが、R4・14:20フィニッシュまで4レース成立しました。470は、1・2・3・6位D社で、4・5・7・8・9位が当方。ライバルRitsが独自練習しているので、D社との一騎打ちは現在の実力通りD社の圧勝です。Ritsは1週間前の関関同立定期戦で4位と惨敗してしまったので、練習の出艇時間が早く、ハーバーバックも遅い練習時間を増やしています。S級は、OB1艇を含め7位までD社でした。加えて、非権利艇・京都府立医大艇とぶつかり、大きく損傷してしまいました。
470・3回生女子Iidさんがシングルフィニッシュ3回とそこそこ走り、レース展開が積極的になってから成績がグンと上がってきました。強風にはまだ怖さがありますが、軽風ではスピードがあり、秋にはインカレで使えるレベルになりそうです。今年の女子インカレに、Nukさんと2艇出場出来ると大きくレベルが上がるでしょう。
ハーバーバック後、ブリーフィングして帰路に着きました。16:42、「桂川PA」で、「チョコモナカジャンボ172円」購入し、糖分補給しました。食べながら、隣に止まっているチョッパータイプ・ハーレーのバイクのオーナーさんとお喋りしました。「千里浜からの帰りですか?」と声を掛けられました。石川県から来られたそうで、たくさんバイクが集まって来ていたそうです。
帰宅後調べたら、SSTR(サンライズ・サンセット・ツーリングラリー)が、5/20〜28開催でした。ルールは、自身で定めた東海岸を日の出とともに出発し、唯一バイクで走れる海岸砂浜である千里浜に日没までに着くイベントでした。日の出を見て出発し、日没の中ゴールするという魅力的なラリーです。
この方のバイクは、中古車というより旧車です。ギアチェンジはハンドルレバーではなく、サイドにあります。たまに見ますが、これをチェンジする姿がカッコいい。いろいろカスタムされていますが、オリジナルも数ヶ所あると思うとオーナーさんは言っていました。燃料タンクが左右に2分割されており、その間にドライバーが刺さっています。何に使うのか聞くと、ガソリンの燃調を変えるそうです。僕のもそうですが、現代のバイクは自動制御インジェクションですが、1時代前はチョークレバー、その前はドライバーでネジを回して調整していたようです。
むき出しのエンジンなどにオイルが滲んでおり、年季を感じます。旧車ブームだそうですが、メンテナンスの難しさや高額な維持費用を考えると私には無理と言っていると、高速道路でも80km/h以下、トラックの後ろをゆっくり走るとそれほど壊れないとのことでした。とてもコンパクトなテントが積んであり、行き当たりばったりで宿を取り、九州ツーリングに行くそうです。「お気をつけて」と違いに別れ、先に出発して行きました。僕はリアボックス内を整え、ヘルメットを被り出発しました。80〜90km/hで走っていると、天王山トンネルを越えた所で追いつき・追い越しました。70〜75km/hで走っておられるようです。手を挙げて、「さようなら」しました。
帰宅すると、タブレットでアマゾンプライムビデオを見ていました。仕事のZoomで使えるよう前日に設定しておきました。アマゾンプライムに簡単に接続できるよう、ホーム画面にアイコンを設定しておいたので、両方とも上手くいったようです。これまでは、休日に自宅でZoomする時、家内のPCを持って帰っていましたが、これで大分軽くなりました。家内によると、Zoomの音が小さかったことと、プライム画面が暗かったと改善点を示されました。時間を見つけてゴソゴソしなきゃ。


2023/5/20
コーチしている大学ヨット部の練習に参加しました。8時ハーバーなので、「招き猫CB400SB」を倉庫から出し、6時過ぎに出発。R171〜中央環状道路に乗り、6:30「エネジェット中環豊中SS」で給油。289km/11.54L=25.0km/L。6:35「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、「サントリー天然水キリッと果実600ml139円+マーガリン入りレーズンロール4個118円=277円」購入。吹田ICから名神高速に乗り、京都東ICで下車し、湖西道路を北上し、YH着。
艇庫前に行き、皆に挨拶しました。先週末は関関同立戦観覧船ドライバーをしたので、2週間ぶりの部員の顔。男子部員数人のヘアスタイルが変わっていました。それを指摘すると、「天然パーマですから」「突然髪を切ろうと思って」。「2段になってるよね?」「そうなんです」。
朝のブリーフィングを終え出艇。この日は1日S級のコーチボートなので、クルーから転向して1ヶ月のスキッパー2人(Kurくん・Miyくん)に注目しましょう。スタート練習では、スタートラインから風下の離れ過ぎで、スタートに大きく遅れることが多く、まだまだでした。Yamくん・Minくん・Suzくんはスタートが安定しており、Yamさんは良い時とそうでない時の差が大きくもう少しですが、順調に上達しており、スピードもあるのでこの1年でかなり上手くなるはずです。
転向スキッパー艇にスタート時の動きを注意していくと、大きな遅れはなくなっていきました。そうなると、他艇とスタートラインで場所取り合戦に参加するようになり、船の細かい動かし方を実地で学んでいます。ぐんぐん上達し、第1線からスタートするシーンも現れ良い感じです。練習なのでスタートラインを短めにしていましたが、翌日の本番レースではもっとスタートラインに余裕があるので上手く出れるかもしれません。ボートスピードはまずまずなので、1上とかびっくりする順位で回れるかも知れません。期待大です。
昼になりハーバーバックしました。合宿所から運ばれてきた昼食が配られ、いつものようにキャプテンの号令で、女子マネさんから献立の説明があり、皆で手を合わせ「頂きます」。皆が食事を終えて、再びキャプテンから指名された1回生Rinくんが、「いつも美味しいごはんをありがとうございます。昼からも頑張れます」と感謝の言葉を伝え、皆で手を合わせ「ご馳走様」。女子マネさんに感謝の言葉を口にするこの文化はとても良いなと思っています。男子は女性に感謝を伝えるのが下手なので、強制的に順番が回って来るので、女性に優しい男子が製造されそうです。
午後の出艇時間になり、再び沖へ。午前中より北からの良い風が入っており、スタート練習に加えレース練習。上マークまで4〜5分だったので、後半は長めの7分のコースにしました。これでスタート後左右に分かれることでの勝敗の濃紺がはっきり出るようになり、コース引きの勉強になりそうです。
16:30ハーバーバック。ハーバーのトイレに行くと、膳所高校のミーティングにロンドンオリンピック日本代表だったMatくんがいました。コーチングに来ているようです。ここのヨット部OBでD社大監督のHyoさんもミーティングしています。今年もここ卒業生が当方に入部しており、有り難いことです。
ブリーフィング後帰路に着きました。帰宅すると、タブレットでアマゾンプライムビデオを見ていました。仕事のZoomで使えるよう前日に設定しておきました。アマゾンプライムに簡単に接続できるよう、ホーム画面にアイコンを設定しておいたので、両方とも上手くいったようです。
これまでは、休日に自宅でZoomする時、家内のPCを持って帰っていましたが、これで大分軽くなりました。家内によると、Zoomの音が小さかったことと、プライム画面が暗かったと改善点を示されました。時間を見つけてゴソゴソしなきゃ。


2023/5/19
学連ヨット部OB・OGの集まり(飲み会)の「二金会」の日です。20人以上集まる盛会でした。今春代わった母校KGヨット部のOB会長を誘ったのですが実現しませんでした。この会を作った中心の1人でもある母校OB先輩のNakさんが亡くなり、僕が母校代表のようになっています。次世代の後輩を誘って交流を続けなきゃ。僕はアルコールが飲めないので、アルコールが飲める普通のOBに道をつけておかなきゃ。
近年、部員不足から休部状態だった名大からIshiさんというOGが東京から来られていました。七大学定期戦が毎年行われていますが、ここ数年6大学になっており、名大主催の大会が出来ず九大が引き受けたこともありました。挨拶に行き、復活を喜び合いました。中部地方を代表する総合大学で学生数も多いのに、部員ゼロが数年続いて、OB・OGはお尻に火が付いたように部員獲得のために動いたそうです。東大OBのTanさんからも、「かつてはうちの部員不足に陥り・・・」という話が出ました。大阪大も当然当方もそういう時期がありました。そういうのを聞くと母校がそこまで部員が減ったことはなく有り難いことです。僕が学生だった頃に比べ、ヨット部のある大学は半分以下になっています。自分の出身クラブが無くなり応援する対象がないのは悲しいですね。
明治OBのSugさんが今年初めての参加です。息子さんが、次男母校の高校ヨット部の後輩です。ジュニアヨットクラブの後輩でもあるので、いろいろ聞いてみました。関東の立教大に進学したそうでヨット部に入部したようです。両校ともホームポートは葉山だそうで、母校明治のコーチになったので、母校指導の傍ら息子さんも見れそうです。会社の東京出張を裁量であれこれし、休日に葉山に何度か足を運んだそうです。新西宮のPogoのクルーザーに乗っているとのこと。Pogoと言えば、大西洋横断レースで使用されるmini6.5のビルダーとして有名。さぞ速いのだろうと聞くと、クローズホールドの上り角度が悪いらしく、フリーで走ると速いクルージング艇だそうです。バウがラウンドしてる特徴ある船型が美しそう。
D社OBの先輩Fujさんと話しました。「俺は君のファンやで。当方先輩のNakさんに「これ読んでみて」と、僕が15年ほど前母校ヘッドコーチ人選に対してOB・OG各位に出した自説を渡されたそうです。その時の新HCは、インターハイ予選レース委員長をされた時、不明瞭なフラッグ指示を出し、ほぼ全選手間違えたのに、レース委員長が本部船からインフレータブルボートに乗り換え、新HCの出身校選手にのみレース海面に戻れと伝え、殆どの選手がいない中でレースのスタートをして多数の選手をDNSにしてしまいました。彼の出身校以外全校からプロテストが出て、その審問中、事情を聞いているプロテスト室に怒鳴り込んで、抗議をしている高校生男子選手を泣かせてしまいました。こんなの前代未聞の不祥事で、ヨットレース以前の問題です。大事になり、日本のトップまで上告されました。そのレースシリーズで次男ペアが優勝し、その場に私もいました。そんな人物をHCに迎えようとしている母校ヨット部に注意喚起しました。彼はそれ以前、オリンピック女子代表選手のコーチでもありましたが、独善が過ぎるのでオリンピック後その選手から猛烈に反発され、結局そのペアは空中分解してしまいました。
僕は、母校ヨット部の部訓(ドイツ哲学者・カールダイムの詩)が好きで、競技の勝敗以前に正々堂々・スポーツマンシップが上位に来るという考えです。僕が現場で見た事実をOB・OGに文章(文責・私)で伝えました。結局、多勢に無勢で、その後のOB会でも手を挙げて反対しましたが、中途で推進派先輩に言葉を挟まれて中断され、そのままHCに就任されました。それにより、けじめを付けるために僕はウェブ担当を降りて、母校ヨット部運営から半分足を洗い、現役部員に協力するだけになりました。そんなに古い僕の歴史を、ライバル校であるD社OB重鎮さんから「・・君のファンや」と言われ、とても光栄でした。
22時頃帰宅し、いつもなら21時には寝ているのに、23時夢の中という遅い時間の「おやすみ」になりました。


2023/5/16
天気予報は、近畿地方全て晴れマークで、降水確率もゼロ。西の六甲山は綺麗に見え、六甲山頂から和歌山まで見通せそうです。バイクに乗ることにしました。目的地として頭に浮かんだのは、「おにゅう峠」。滋賀県湖西から福井県に抜ける林道で、かつては日本海のサチを首都・京都に運ぶ「鯖街道」の最短路でした。10年ほど前から訪問してみたい峠でしたが、一度チャレンジしたけど通行止めで断念していました。夜明けとともに出発ではなく、既に9時を回っています。しなければいけない仕事をバタバタと済ませ、倉庫から「里山VTR250」を出して、10:17出発。
10:24、近所の「エネジェットセルフ川西SS」で給油。「237km/7.83L=30.3km/L」。川西能勢口から、R173で北上します。R477にチェンジしたところで、上天気で、寒いかな?と思って、夏用プロテクタージャケット・パンツの上にダイワ釣りスーツの上を着て来ましたが、暑いのでここで脱ぎました。北に走ります。盆地に下り、R372に突き当り、左折して少し北向きに走り、すぐ右折してr452で東進しました。道なりにr73に乗り換え、京都縦貫道「千代川IC」付近を東に抜け、大堰川を渡り、農地の広がる亀岡盆地を東に走ります。左折してr73を北上し、「平の沢池」の中央「水鳥の道」を通り、R477に突き当たりました。右折して、R477で京北に向かって東に走ります。「三俣川」沿いの林道を高度を上げていきます。
11:44、「廻り田池」。標高300mにある農業用ため池です。ここで最初の休憩をしました。ここから、R477は北山杉の森の中を走る林道に姿を変えます。この季節、とても気持ちの良い道です。上天気ですが、週末に降った雨の影響がまだ残っており、水たまりがところどころにあります。泥が積もっていたら前輪を取られてコケるので、慎重に走ります。
12:13、「道の駅ウッディー京北」でトイレ休憩します。12:16、休憩がてらお土産などを見て回り、美味しそうだった「木こり大福りんご2個550円」購入。R477を更に東に走ります。
12:30、「山國神社」。国道から南を並走する桂川に向かって田畑の向こうに鎮守の森が見え、神社があるなと思っていたところで、以前からお参りしてみたいと思っていました。
『山國神社 ご祭神:大己貴命(大国主命) 第50代・桓武天皇による延暦年、平安遷都(794年)に当たり、大内裏御造営の木材を当地より徴され、この郷を御杣料地と定め、本殿を造営され、祭神として和気清麻呂公(733〜799年)が奉仕された。 以来、大嘗祭の悠紀、主基の御殿御造営の用材を調達することが恒例となった。第67代三条天皇の長和5年(1016)、神位正一位を贈られ、御祈願所として菊花の紋章を賜り、春て五社明神とした。 源平の乱に破壊され、元弘の乱においても破却されたが、応永6年(1399)、社殿を復旧し綸旨を賜った。この時、足利義満から「丸に二引の徴章」を奉納された。以来、この紋章を当神社の紋章としている。 明治6年(1873)郷社に、明治33年(1900)府社に列格された。延喜式内の古くからの社である。10月第2日曜日の還幸祭には維新勤皇山國隊が行進する。 京都市』
R477に戻り、少し東に走って、今度は山側に折れて、12:43「山國護国神社」。『山國護国神社由緒 王政復古の政変に際し、勤王隊の総司令官・西園寺公望公の要請に呼応し、山國庄の名主等が農民兵を組織して、勤王隊に加わり、鳥羽・伏見の戦はもとより遠く江戸・奥羽地方まで転戦した事は史実に基づいても明らかな所であります。
其の山國隊が、山國庄に明治2年2月21日凱旋した日に伍長会を開いて、辻村薬師山に、この度の戦いで、戦病死をした隊士の招魂場を設けることを議した後、2月24日全隊員が先ず五社明神に参拝して報告祭を催し、その足で先日議決した薬師山に戦病死をした7隊士の墓標を立て招魂祭を催した。
その隊士の名は、次の通りである。 仲西市太郎(江戸)・田中浅太郎(安塚)・田中伍右衛門(上野)・新井兼吉(安塚)・高室重蔵(江戸)・高室治兵衛(安塚)・北小路萬之助(京都)
明治8年12月15日、最初の招魂祭を京都府の監督官の隣席のもとに催したが、これが恒例となって、毎年山國村民が多数参列して、現在に至るまで盛大に執行せられている。
尚、この間に明治15年7月14日、京都府は「自今招魂社歳紀及び修繕などの諸経費は皆官費を以て被支給候事」の通達を出し、昭和20年の終戦に至るまで官費を以て招魂社の諸費は賄れて来た。また、明治16年8月には社殿を新築し、石棚を造り招魂場としての体勢を整えた。招魂社が明治2年に設けられて以来、明治16年までに支出した全員は二千余円の多額にのぼる旨が記録されている。憲法が改められて以来、官営の招魂社は認められなくなり、昭和20年宗教法人・山國郷社となり、昭和26年宗教法人・山國護国神社となって、町民崇拝の社となっている。 明治1百年祭より、日清・日露・大東亜戦の戦病死者を、昭和42年より合祀されている』
数段の曲輪を下から上がっていくと、2段目右側に「七隊士の墓標」が並んでいました。大きな石碑がありました。『槇村正直 元京都府知事 天保5年(1834)〜明治29年(1896)63才没 山口県萩藩出身。安政元年槇村家養子となる。明治元年上京。京都府に出仕し明治8年副知事に、10年に知事となる。諸産業の振興を計り、また学校や図書館・病院の設立。医事に着手など新文化の輸入に積極的に努力、府政に尽力する。14年、元老院議官に就任、後に行政裁判所長官などを歴任した』
『池田慶徳 天保8年(1837)〜明治10年(1899)40才没 徳川斉昭の5男として生まれる。第11代因幡藩主。池田慶栄の死により藩を継ぐ。安政3年(1855)より藩政の改革に着手する。 弟・徳川慶喜が幕府の中心として座り、尊攘派と旧守派の対立に苦慮したが、戊辰の役では薩長軍に参加し、倒幕の立場を明らかにした。因幡藩は官軍として、山国隊と共に出兵し目覚ましい進撃を続けた。
明治2年:版籍奉還後、鳥取県知事となる。 明治18年:鳥取藩主・池田輝知の碑文を寄贈する。 碑文:大きみの御たてとなりしますらをの、いそしを世々にたつる石ふみ』
『原六郎(進藤俊三郎) 天保13年(1843)〜昭和8年(1933)92歳没 但馬国朝来郡の生まれ、維新後鳥取藩藩士となる。文久2年(1862)農兵を組織し、生野の挙兵に参加するも敗れ、因幡藩に保護され、原六郎と改名。長州遊撃隊へ入隊し、山国隊隊長(河田左久馬)の推挙で、同隊司令長となり、山国隊と共に各地を転戦した。
維新後、米国・英国に留学し、帰国後、実業界に入り各地に銀行の創設・鉄道事業の設立(総武・東武鉄道)など、経済界に大いに貢献した。また、明治23年、帝国ホテルの開業をはじめ、電力会社や紡績会社などを創立させ、日本の金融産業界に大きな足跡を残し、明治実業界の大立役者と呼ばれた。晩年は、社会奉仕に尽力し生涯を終わる』
『河田左久馬 文政11年(1828)〜明治30年(1897)70歳没 家督を継ぎ、文久3年因幡藩伏見御留守居役・京都留守居役を兼任する。京阪における鳥取藩の攘夷親征論の中心となる。 8月、京都本圀寺における藩の重臣殺害事件を起こし、謹慎処分にあう。
慶應2年、同志を脱走して長州藩に投じ、明治元年因幡藩に帰参し、東山道先鋒総督府参謀となり、山国隊隊長として各地を転戦、栃木安塚の戦い・東京上野彰義隊の討伐・鳥羽の戦いと、山国隊の指揮を取る。 凱旋してのち、明治政府の要職についた』
山国隊は、この地域の農民中心の隊なのに、よくまとまり長く転戦し戦果を上げたんだな〜と少し不思議でしたが、要所に武士や反幕府で旗揚げし滅んだ隊の生き残りなど実績のある将官を迎えていたんだと納得した。それら将官の石碑が墓碑のように並んでいた。この地にこのような反幕府で立ち上がった農民兵がいたんだと知りました。各地の護国神社に多く詣りましたが、ここ山國のは江戸から明治への時代の移り変わりに命をかけた地域民を祀っている重要な護国神社でした。この兵の将官たちは、新しい世になって各方面で活躍しており、明治新政府でも産業界でも大立者を出しており、山国隊はこの戦争で大きな戦果を上げ、重視されていたとわかりました。
R477に戻り、東進を続けます。13:06、大堰川沿いの道で「フジの花」で写真タイム。京都府道r38にチェンジして北上します。右折してr110で東進し、能見峠を越えて下り、久しぶりに家が現れて、13:51「久多下の町」で休憩。名を知らない白い樹花が咲いています。ギザギザの葉っぱ、何と言う名だろう?更に東に走り、左折して針畑川を渡ってr781で、針畑川沿いを北に向かいます。14:23、久多川沿いの案内板で小休憩。「朽木観光マップ」が掲示されており、休憩しながらじっくり見ました。14:31、「おにゅう峠案内板」が立っていました。
『鯖街道針畑越え:京都と若狭を結ぶ主要ルートである「若狭街道」は、「鯖の道」と俗称されているルートであり、近年では「鯖街道」とも呼ばれています。古くから若狭地域の海産物をはじめ、日本海経由の文物を運ぶ街道として利用され、荷運び人たちが盛んに行き交われた街道です。 この若狭街道のルートはいくつか存在しますが、中でも針畑峠(根来坂峠)を通る「針畑越え」は、小浜の湊から京都へ至る最短にして最古のルートとして利用されてきました。今でも、古くからの街道の景観を良く残すことから、山登りやトレッキングで訪れる人々を魅了する古道のひとつです。 なお、平成15年には、この古道に沿うように林道小入谷線が整備され、自動車での根来地区への峠越えが可能となりました。おにゅう峠の雲海:おにゅう峠は、滋賀県と福井県の県境に位置し、小入谷の集落内の川に沿って林道小入谷線を通り、福井県小浜市根来地区へ至る道中の峠です。 峠からは、眼下に針畑地域を見下ろせ、例年10月頃から11月頃にかけての早朝には、雲が一面に海のように広がる景色(雲海)が出現します。紅葉と合わせた景色は、多くの人々を惹きつける景観となっています。
(※注意)林道小入谷線は、大雨や降雪等により通行できない場合があります』
枝道に入ってみましたが、元の道に戻り、r781を離れ、「おにゅう峠への林道」に入りました。
『小入谷カキツバタ群生地:小入谷カキツバタ群生地は、もともと水田として耕作されていた土地が放棄され、畦畔に自生していたカキツバタが増えたと思われます。しかしシカなどの獣害により荒廃し、平成17年頃には花が全く見られないようになりました。 平成28年度からカキツバタ群生地を再生し、観光の名所として復活させるため、湿地帯の周囲にシカなどの食害対策のための獣害防止柵を設置し、その後、周辺住民の協力によりカキツバタを株分けし、カキツバタ群生地の再生を目指しています。
高島市の花〜カキツバタ〜:カキツバタは水湿地に群生し、5月から6月にかけて紫色の花をつけます。市内の湿地帯や沼などに多く自生し、また栽培されているものもたくさん見られます。 花のつくりは内花被片3枚、外花被片3枚の計6枚からなります。 これらのことから、6町村の合併により誕生した高島市の成り立ちを後世に残すとともに、協調性と文化を深めていこうとする姿を表します。小入谷カキツバタ再生事葉:カキツバタ群生地を再生し、観光の名所として復活させるため、湿地帯の周囲にシカなどの食害対策のための獣害防止柵を設置したほか、駐車場・案内板を整備しました。 この事業は、ふるさと納税(水と緑のふるさとづくり事業寄付金・平成28年度)を活用して実施しました。 平成29年3月』
「おにゅう峠」に向けて緩く登っていきます。林道名はないようですが、「おにゅう峠林道」としておきます。数年前にチャレンジした時封鎖されていたところを通過し、初めての道に入りました。晴れていますが、まだ道路の上に水が流れていたり、水たまりが残っています。
14:39、目につく樹花を見つけてストップ。帰宅して調べたら「タニウツギ」の花でした。標高が上がり、山並みが見えだしました。14:44、下界写真撮影タイム。
14:50、「おにゅう峠」到着。晴天の素晴らしい天気です。双眼鏡やバズーカレンズ付一眼レフカメラが空を狙っています。聞いてみると、「渡り鷹」狙いだそうです。同好の方が数人、楽しそうに情報交換しています。
「カワサキKSR110」で先着しておられたバイク乗りさんから声を掛けられました。以前は大きなバイクでグループツーリングしていたそうですが、最近はこのバイクでソロツーをしているそうです。僕同様、峠好き・林道好きのようで、滋賀県から岐阜県への「鳥越峠」や、岐阜県から福井県への「冠山峠」を越えたことがあるそうで、それらの話題で盛り上がりました。あの2つの峠、特に「冠山峠」は素晴らしい冒険でした。僕は1度しか越えたことないけど、KSRの方は何度も越えているそうです。「おにゅう峠」も、よく来るそうです。僕は福井県側に越えるけど、KSRさんは越えてしまうと高速道路に乗れないバイクなので来た道を戻るそうです。登山届ボックスが置かれています。「根来峠」や「百里ヶ岳」への登山口なのかも知れません。「根来峠」は、「鯖街道・針畑越え」の峠で、3本ある鯖街道の最短ルートでした。登山届用紙を裏返すと、簡易な地図が書かれていました。「ピーク803」「ナベクボ峠(クチクボ峠)」「三国峠」「地蔵峠」にも行けるようです。
15:20に、KSRさんとお別れし、福井県側に下ります。滋賀県側より福井県側の方が道が荒れています。交通量が少ないからか、メンテナンスの差を感じます。落石や穴ぼこが空いたままの所があるので、スピード要注意です。日本海まで見える道で、よそ見しながらゆっくり堪能します。15:39、白い樹花を見つけ写真タイム。帰宅後調べたら、「ガマズミ」という木の花でした。
『水源の森百選・不動の滝 平成7年8月水源の森百選に認定された上根来水源の森にある不動の滝は雨乞いの滝として上根来区にとって大切な場所とされている。 不動の滝には不動明王が安置されており古くから不動の森として崇められ70数年前の昭和の初期の干ばつで雨乞い神事を行ったことを記憶している人もいる。その後の昭和28年台風13号による洪水により不動明王が流失し現在に至っている。 不動の滝落差高さは約40m5段の滝からなり常時毎分当り2tの流量がある。 今回ふるさとの森整備事業において植樹並びに遊歩道整備を行うことにより不動の滝を後世に伝えて行きたい。 平成20年10月吉日 上根来百里会』
フジが宿った木から紫色の花が下がっています。白いフジの花も下がっていました。沢沿いの林道を慎重ですが、この手の道が好物なのでワクワク楽しく下り、福井県道r35になりました。ここからは道が良くなり、やがて中央白線の先が見通せる道になりました。
16:00、「若狭神宮寺」。『神宮寺 小浜市神宮寺・天台宗 当寺は元明天皇の和銅7年(714)、約1250有余年前、若狭彦神の祝部和朝臣赤磨(法名・滑元)の開創にかかる神仏両道の寺で、最初赤磨公山岳崇拝によって神鈴天降るを長尾明神と、祀り山麓に寺を開き、鈴応山神願寺と称し、元正天皇の勅願所となった。その秋、白石に天降られた。若狭彦姫神を不動坊の森に迎え、本地垂迹(ほんじすいじゃく)の神仏を安置し、鎌倉時代に至り、若狭彦神社の別当寺となって、根本神宮寺と改め号とすることになった。当時、鎌倉将軍祈願寺の七大寺に加えられ、七堂伽藍25坊の堂舎を具えたが、戦国時代末、山内桜本坊に若狭守護武田元明をかくまって秀吉に寺領を奪われて衰微し、更に明治維新廃仏毀釈によって神社を撤去させられ、現在はわずかに本堂・遠敷明神社・開山堂・北門(仁王門)・大師堂・大膳院(桜本坊)を残すのみであった。当寺は、また根来八幡宮の別当寺として奈良若狭井の水源地・鵜の瀬で「お水取り」の神事を毎年3月2日の夜に行う。
本堂:桁行五つ間(八間14.34m)、粱間六つ間(9間半16.60m)、軸部坪数76.36、屋根入母屋造・檜皮葺・室町時代末期、和旅唐様天竺様三様式折衷建造物、重要文化財
仁王門:単層屋根切妻造?葺八脚門、桁行3.5間6.37m、粱間二間3.74m、鎌倉時代
末期和洋式建造物、重要文化財
男神像:像高49.1cm、重要文化財
女神像:像高50.9cm、桧寄木造彩色木彫坐像、鎌倉時代作者不詳、重要文化財其の他寺宝仏像:薬師如来、千手観音、日光月光、不動明王、多聞天王、十二神将、仁王尊、開山像、計22躯』
緩い勾配の参道石段を上がっていきます。
『針畑越え 最古の鯖街道の歴史的景観 通敷の里の古代中世の社寺・仏像群 若狭神宮寺
714年開創。若狭彦神の神身離脱により創建されたとされ、本堂に神仏双方を祀るなど、奈良時代以降の神仏習合のかたちを色濃く残す寺院です。東大寺に香水を送る「お水送り」を続けているほか、境内からは平城宮の瓦と同じ様式の瓦が出土しており、奈良との深い関係を示します』
寂れた雰囲気の木製山門が開いていました。この寺院は2度目の訪問です。この県道を更に下ったところにある若狭一の宮「若狭彦神社」に参った時、その神宮寺であるこの寺院を訪問しました。訪問時間が遅く、山門が閉まっていました。ここは、関西の春を呼ぶ「奈良東大寺2月堂お水取り」神事に使うお水を汲み「お水送り」する寺院です。拝観受付に誰もいません。「ごめんください」と声を掛けると奥から出てこられ、拝観料500円で入山。受付してくれた住職さんに、「拝観者がいなくなったので閉めようと思ってました」と言われちゃいました。「すいません、早く観てきますね」と言うと、「いやいや、ゆっくりしてください。17時までです」。
『若狭神宮寺の由来 若狭は朝鮮語ワカソ(往き来)が訛って宛字した地名で、奈良も朝鮮語ナラ(都)が訛って宛字されている。この地方は若狭の中心で白鳳以前からひらけ、この谷は上陸した半島大陸の文化が大和(朝鮮語でナラともいう)へはこばれた最も近い道であった。それは対島海流にのってきて着岸した若狭浦の古津から国府のある遠敷(おにふ=朝鮮語ウォンフー「遠くにやる」が訛った)や根来(ねごり=朝鮮語ネ、コーリ「汝の古里」が訛った)と京都や奈良が100kmほどの直線上にあることである。
この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦命)で、その発祥地が根来の白石で、都へ近道の起点に良地をえらび、遠敷明神の直孫和朝臣赤磨公が8世紀初め山岳信仰で、紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表わし地主の長尾明神として山上に祀り、その下に神願寺を創建され、翌年勅願寺となったその秋には、紀元1世紀頃唐服を着て白馬に乗り影向し、すでに根来白石に祀られていた遠敷明神を神願寺に迎え神仏両道の道場にされた。これが若狭神願寺の起源で鎌倉時代初め若狭彦神社の別当寺となって神宮寺と改称したのである。
又、神願寺の開山赤磨(和氏)公は白石の長者の神童(幼児)を大和に伴い当寺の名僧・義淵僧正(大樹)に托され、後東大寺開山良弁僧正となられ、神願寺へ渡来した印度僧実忠和尚が良弁僧正を助けて東大寺を完成し、さらに二月堂を建て、お水取り行法を始められた。その若狭井の水源が白石の鵜之瀬であるから、白石神社で行ったのを伝え根来八幡宮では毎年3月2日、山八神事を行い同日夜、神宮寺から神人と寺僧で鵜之瀬へお水送り神事が為る』
石段を上がると、本堂と茅葺屋根の家が見えてきました。周囲は森に囲まれ、本堂前はよく手入れされており芝生のグラウンドのようで、佇まいが素敵です。県道から直接見えないので観光客も少なそうで、いっぺんに気に入りました。歴史の長い大寺ですが、伽藍は2棟だけのようで、住職さんも気さくで落ち着いた生活をされているようです。本堂には、「お水送り堂」と下がっていました。
本堂内に入ってみました。観光客は私一人で、素敵な雰囲気。本堂の外廊下を巡ってみました。本堂の裏に、夜1人の時に見ればちょっと恐ろしく感じるだろう巨木が数本生えています。それに続く「鎮守の森」は福井の深い森に続いており、何処までが境内かわからない。帰る時に、ご住職に聞くと、「椎(シイ)」とのことでした。シイの樹はブナ科で、熊さんなどの餌になるドングリの実をつける森の代表的な樹ですが、幹のねじれが圧倒的でとてもご神木として寺社に生えている椎の巨木とは大違いです。この寺院の山門までの参道にも生えていたが、本堂の裏の数本のシイは数段迫力があります。住職によると、遠い昔の住職が植えたのだろうと言っておられたが、僕には椎の森が広がっていた所に畏敬の念をもって神宮寺を建てたように思えます。樹齢を聞いてみたが、ねじれて複雑な形状になっており、土が流れ根が浮いて南国のマングローブのようになっていたりで、調査してもわからないそうです。樹齢1000年以上の霊木のように思えます。シイの樹の寿命はどれぐらいなのだろう?帰宅後調べたら、400年だそうです。迫力あり過ぎなので、とても信じられません。
16:20にバイクに戻り、帰路に着きます。日没前に帰宅できなさそう。r35を小浜方面に北上します。最初の交差点で東西に交差する道路が広くて綺麗です。すぐに、広域農道だとひらめき、左折して快調に西進しました。「若狭西街道」です。日本海沿いを走るR27と並行して山側を走る広域農道です。高速道路並に流れています。「舞鶴若狭道」をくぐり、南川を渡り、更に西へ。広域農道で街中を通らずに一気に西に来ました。広域農道の終わり手前で右折し、農道のような道を北上し、「舞鶴若狭道」「JR小浜線」を渡り、R27に出てほんの少し西に走り、「京都縦貫道・小浜西IC」から高速道路に乗りました。
「綾部JCT」で「京都縦貫道」にチェンジし、高速で南下します。「京丹波みずほIC」で下車し、R173で南下します。17:58、「ローソン篠山安田店」で、「森永チョコモナカジャンボ173円」購入し、糖分補給しながら休憩しました。R173を最後のライドです。信号が少ない快走国道なので、ここからも気持ち良く南下します。川西池田まで南下し、19:04帰宅しました。


2023/5/14
関関同立戦2日目・最終日です。この日も親御さんの観覧船ドライバーです。前日の初日は、OB会長がハーバーを出てすぐ運転を代わってくれ、桟橋からの出艇・着艇だけの楽ちんドライバーでした。OB会長はクラブの組織図としてはトップですが、僕の方が先輩なので、役職以上に年次が物を言う体育会の世界です。官僚の世界も同様らしく、財務省は出世競争に敗れた同期はどんどん外の世界に出向になるけど、他の役所はそうではないと、自衛官OBの方が言っておられました。先輩が役職上自分より低くなると、上官の命令に「はい」と従い、敬語を使って後輩の上官に対応するそうですが、後輩の上官は先輩部下に向かって敬語を使うそうです。役職を離れると先輩は先輩なので、偉そうにしてしまうといろいろ大変だと。
四輪でハーバーに向かいます。7:21ハーバー着。船に行き、エンジンを掛けてみます。エンジンルームを覗き、船尾から冷却水が出ているのを確認します。本日も快調です。KG艇庫前に行きます。またディンギーヤード前桟橋に船を動かそうと思ったけど、ブリーフィング中で観覧船に乗る1回生も暇はなさそうなので残念。隣の艇庫を覗くと、中から総監督の奥さんが出てきました。「・・さん」「昨日はいなかったね」「私の実家の墓仕舞いをしに行ってきたんです」。奥さんの実家は、戦国時代にまで遡れる由緒のある家で、現在の地名にも残る家だそうです。大名家の家老職だったのか、平城をもっていたそうです。僕の母の実家本家もそのような家なので、「それは、墓仕舞いしたら駄目な家じゃないの?」「でも、寺院をやってる本家があるし、うちに男の子が・・・」とのことでした。総監督も出てきて、あれやこれや話しました。
艇庫上の合宿所に上がり、部訓などを写真に撮ります。コロナ前の春の大学アメリカンフットボール定期戦「KGvs日大」戦で日大選手のKGQBに対する悪質タックルが世間を騒がせ、KGアメフト部の部訓がKG監督・GMがマスコミで紹介し、少し全国区になりました。この部訓はヨット部の部訓で、僕の時代総監督をしていただいていた先輩がヘルシンキ・オリンピック出場した時の土産として持って帰ったドイツ人哲学者カール・ダイムの著書の一文です。先輩がオリンピック前に練習したヨットクラブのクラブハウスに掲げられていたものを写して持って帰り、日本語訳して部訓となりました。昨年、再びフェアプレイより勝利を優先する行為が僕の身の回りに起き、この部訓を思い出しました。僕がヨット部員だった時、何度もこの部訓を全員で斉唱しました。レース前など機会がある事にキャプテンが部訓斉唱を命じていました。僕は仕事部屋にこの部訓を貼っており、常に目に入るようにしています。スポーツというより、生き方として忘れてはならないことだと思っています。
『カール・ダイム
如何なる闘いにもたじろぐなかれ
但し偶然の利益には 如何なるものでも 騎士的に潔く棄てよ
最強の相手を求め 彼を汝の友とせよ
威張らず 誇りをもって勝て
言い訳をせず 品位をもって負けよ
勝利より大切なのはこの態度なのだ
汝を打ち破った者に最初の幸福を
汝が打ち負かした者には最初の感激を与えよ
汝自身と汝のチームに対して願うべきはただ一つ 常に最善の者が勝つことを
汝の身体と精神を そして心構えを常に清潔にたもて
汝自身の汝のクラブの そして汝の国の名誉をけがすなかれ』
艇庫前に戻り、前日久しぶりに会った旧姓Nagさんとツーショットを撮りました。「息子に写真送りたいからツーショットいい?」「もちろん、OKですよ」。監督やコーチと話していると、レース前ブリーフィングとなりました。僕もOBなので「一言」と言われましたが、ひな壇の人数が多いし、今回は観覧船運転手だし遠慮しときました。
前日とは違う選手のご両親がゲストです。マネージャーに人数を聞くと、まだ余裕がありそうなので、お隣のKD元選手のご両親も誘いました。カメラマンとしてよく呼ばれるそうです。この日のゲストは、昨年秋の琵琶湖でのインカレ本戦でも僕の運転する観覧船に乗ってもらいました。
D旗が揚がり、レース艇が次々に出艇していきました。1回生4人と、ゲスト4人、MihOB会長と合流し桟橋に向かいました。1回生に指示し、桟橋から離れ、ハーバーの外に出てから、OB会長にステアリング交代。この日も雨予報でしたが、南の大阪府南部の空には雲のありません。今の風向の北の空も西の空も雲があるものの雨は降りそうにない。このまま予報が外れてくれれば・・・。
前日よりは弱いものの、北風が適当に振れ・強弱がありながらも安定しています。前日は2レースでしたが、この日は5レース成立しました。前日のように大きく振れることなく、ノーレースはゼロでした。この日もD社が強く、総合D>KG+59>KD+75<Rits+38の流れは変わりませんでした。470級は、D>KG+44>KD+35>Rits+31。S級は、D>KG+15>KD+40>Rits+7。
KGゲストNisさんのお子さんも出場しており、親御さんはカメラで追いかけていました。KDOBさんのご両親は、KD選手を中心にカメラマンをしていました。KD監督ボートがやってきて、「あれれ?ちゃっかりKGに乗せてもらってるね」と笑っています。「ありがとうございます」と僕に。こういうのはお互い様ですから・・・。KDお母さんは、ホンダ整備学校の事務員をされていたそうで、バイク話で盛り上がりました。ロードバイクにも乗るそうで、ビワイチとか北海道チャリツーリングまでした強者でした。
最終レースの後半から雨が落ちてきて、予報が当たってしまいました。レース終了後、ハーバーバックしました。桟橋に戻り、親御さんたちゲストに「ありがとうございました。お子さんのいるディンギーヤードに向かわれたのでしょう。学生に指示し、2日間使った船の掃除をしました。桟橋からホースを伸ばし水を掛けながらデッキブラシでデッキをゴシゴシして船を離れます。
艇庫前に戻り、キャプテンに「ありがとう」と伝え帰路に着きました。新西宮YH「7:21〜15:15・900円」。家に戻ると、家内から「早かったね」。2人で、アマゾンプライム映画を見て、NHK「ダーウィンが来た」「大河ドラマ・どうする家康」を見て、1日が終わりました。


2023/5/13
母校ヨット部の定期戦が、この日と明日の2日間母港沖で行われます。コロナ禍があったので3年ぶりの開催です。僕のような片足を棺桶に突っ込んだ人間の1年は大したことないが、若者の1年はその後の人生に大きな影響を及ぼす大事な大事な1年です。前回は母校が勝利したが、今回はどうなのか?関西の雄と近畿北陸ブロックの雄D社との現状の位置を知る機会です。その母校観覧船のドライバーをします。
夕方から雨予報なので、四輪で出発しました。7:02、近所のセブンイレブンで、「天然水キリッと果実600ml139円+ひねり揚128円+ぼんち揚199円+亀田ハッピーターン178円=695円」購入。
7:28母港YH着。母校ヨット部艇庫前に行き、部員を2人借りて船の用意をしに行きます。まずは車へ。持って来た数組のカッパなどを入れたバッグを3つ持ち船へ。学生に1つずつ持ってもらうつもりでしたが、僕は自分の軽いバッグだけで、学生が持ってくれました。2人は先月入部してくれた1回生ですが、先輩への対応がしっかりしていて、僕もかつてはそうだったが、クラブの教育の早さに驚きました。
船に乗り込み、エンジンを掛けながら、カーテンを開けたり、小さなサンブレラを作ったりしました。サンブレラは日焼け防止ソフトトップ屋根ですが、夕方からの雨に備えてです。
母校前に戻り、レース前ブリーフィングに間に合いました。この日の船のゲストになる部員のお母さん方3人が来られたので挨拶。今年新任した監督と挨拶。その時艇庫から見たことのあるお若い女性が・・・ん・・・ん・・・。「・・さん、お久しぶりです。覚えておられますか?・・です」「だよね〜、なぜここにいるの?」。次男がジュニア時代のライバル君の妹さんです。我が家が関東遠征した時は泊まらせてもらい、反対に我が家に泊まったこともあるヨット仲間家族です。妹さんは青学から大学ではKOに進学しヨット部を楽しみました。東京在住の彼女がここにいるのは、なんと母校新監督のお嫁さんになっていたからです。びっくり・・・。全く知りませんでした。新監督は静岡在住なので、夫婦でやってきたそうです。カメラマンと上マーク船に乗ってのレース運営をするそうです。好きなヨットで旦那と二人三脚、楽しそうです。Mih新OB会長とOB会役員をしてくれている1期下のOkiくんが来たので、あれやこれやお喋り。
主催のKD艇庫まえで、開会式・エール交換など、コロナ禍前の雰囲気が戻ったレース前セレモニーを楽しみました。エール交換は、4校定期戦なので、中央の四角スペースを囲んで、四方に面して各校部員が並び、部旗を先頭に互いの健闘を称え合います。体育会のこういうのが好きです。
観覧船ゲストの選手の親御さんが3人来られました。挨拶して、タイムスケジュール含め今後の流れを説明しました。出艇の定刻になりましたが風がないので出艇延期になりました。レース海面の風速は無風だそうです。風向は南になっているので、11時頃にはレースが出来ると予想しました。
陸上待ちの時間が続きそうなので、観覧船をディンギーヤード桟橋に移動させることにしました。Okiくんと1回生部員2人を貸してもらい船に向かいます。船に乗り、係留ロープを外し、ハーバー内を走ってディンギー桟橋に移動しました。新入生にあれこれ教えながらなので時間が掛かりますが、入部1ヶ月なのに積極的に動いてくれるので、さすが母校ヨット部は、しっかり教育しているな〜と感心しました。
予想の11時になっても風は入ってこず、12時になり海上0.4〜2ノットの報告がハーバーに流れ、D旗が上がりレース艇は一斉に出艇していきました。出艇していくお子さんたちの写真を撮るのを待って、1回生部員5人・MihOB会長・Okiくんとともに船へ。ゲストは、4回生Itoさんのお母さんと、3回生Ohoくんのご両親です。乗ってくれた1回生部員に2人経験者がいたので、1人は親御さんへのレース解説者、もう一人は他の1回生部員への解説をしてもらうことにしました。
心配していた雨はまだ落ちてきません。このまま降らなければ良いが・・・。風が上がり、10ノットほどでスタートしました。優勝争いは、KGとD社でしょうが、昨年全日本インカレ2位のD社と4位のKGの差が新チームになっても今のところあるようで、予想通りD社が少し上でした。10〜15ノットの南西の風が入り、強弱がありながらもエキサイティングなレースコンディションでしたが、30度以上風の振れがあるとノーレースにすると帆走指示書に書いてあるので、2度もノーレースになってしまい、結局2レースしか成立しませんでした。ヨットレースでの風の振れは当たり前で、インカレ本戦ではなく定期戦だし、本番レースに向けての技術向上を目指すレースなので、そのまま流せば良いのに・・・と思いました。トップ艇フィニッシュ直前にノーレースになった時もあり、これは文句が出そうだな〜と思いました。選手としては、レースを数多くやりたいでしょう。軽風やスタートから第1上マークまででの大きな振れなら大きな影響がありますが、第2レグ以降での振れなので、なんだかな〜と思いました。
予報通り夕方から雨になり、カッパを着込んでの観戦となりました。数セット自宅から持って来たカッパは、ご父兄も用意されており必要ありませんでした。16時頃ハーバーの桟橋に戻り、父兄はディンギーヤードに戻られました。僕は後片付けをしてKG艇庫に戻りました。1回生部員が10名以上入部してくれたようで、女子マネージャーも2人入部してくれました。女子マネチームが、4回生2名だけだったので、インカレまでの半年で1回生2名にノウハウを伝えないといけません。マネージャーはレースには出ないけれど、日頃の練習で全部員の食事作りの他にレスキュードライバーやマーク打ちまで多彩な仕事があり、レース日は1レース終了ごとに自校成績・ライバル校成績計算して、次のレースまでに海上のコーチボートにそれを送る一刻一秒を争うシビアな仕事があります。2人ではとても回らない仕事量で、選手が相当手伝っているでしょう。各学年3〜4人は欲しいので、KGヨット部の弱点でもあります。観覧船に乗ってくれていたので、2人と話しましたが、感じのよい子で期待大でした。KG艇庫に行き、マネリーダーさんに翌日の朝集合時間を確認し帰路に着きました。新西宮YH7:28〜16:55・900円。


2023/5/7
この日は母校ヨット部のレースの観覧船ドライバーをする予定でしたが、大雨&前線通過予報なのでキャンセルになりました。家内も何もない日だったので、パン食べ放題モーニングを食べに行きました。9時前に入店し、僕は680円のパン食べ放題モーニングだけで、色んなパン・ジャム3個・ジュース数杯を楽しみました。家内はパン・ジャム1個・コーヒーの他にケーキ風のミルフィーユパンを買って食べていました。
家内が、軽い折りたたみ晴雨兼用傘と衣類を買いたいと言うので、スーパーに行くことにしました。伊丹市内にはイオンの入っているダイヤモンドシティーがありますが、お墓のある猪名川イオンに行くことにしました。家内とドライブしながらお喋りするのが楽しくて、ちょっとだけドライブしました。
しっかりした雨が降っており、家内の傘を見て、僕のチョッキを買い、家内の衣類を購入しました。来月、家内は腰の手術をするために入院します。そこで使う下着やスリッパなどいろいろ揃えました。置き時計も買いたいとのことでしたが、それは伊丹に戻り買うことにしました。日頃使っている目覚まし置き時計のライト機能が壊れたので買い替えです。ニトリに入り、時計を見ながら、「TVの前の時計を持っていっても良い?」と聞いてきます。「勿論、TVは朝晩のご飯を食べながら見るだけだし」。朝の時間帯はそこにある時計は必要なく、TVに時刻が出ているので必要ないです。それで必要無くなりました。13:06、ニトリで「折りたたみテーブル1990円」を購入して帰宅しました。
帰宅したら、「そこまで言って委員会」をやっており、見終わってからアマゾンプライムの映画を見て楽しみました。外は大雨です。NHK大河ドラマ「どうする家康」を見て、1日が終わりました。

この日は、次男の長女・すみれちゃんのバレー発表会です。僕はすっかり忘れていたけど、家内は覚えていて、パンモーニング中、「すみれちゃん、バレーの発表会 がんばって!」と家族LINEに送っていました。このLINEは、次男が結婚した時、長男夫婦と次男夫婦が連絡し合うツールとして「家族LINE」を作り、僕ら夫婦も入れてくれました。長男のお嫁さんは3姉妹の長女で、次男のお嫁さんは姉妹の長女。姉妹はみな結婚しているので、それぞれの姉妹夫婦で家族LINEを作っているのだと思います。我が家の家族LINEの投稿は、お嫁さんと僕ら夫婦が多いです。長男と次男は、子どもたちの話題はお嫁さんが投稿するので、時々登場するだけです。
10時頃、お嫁さんからLINEが入りました。「朝早く元気に行きました」のコメントと、会場に着いた時の写真が届きました。バレーのコスチュームではありませんが、如何にもダンスの発表会に行くワンピースを着て、いつものように楽しそうな笑顔が弾けています。緊張感なんて感じません。弟のおーちゃんも応援に来ているようです。朝早く出発したようです。
僕はこの日、海活動予定だったので、家内はすみれちゃんのダンス発表会を観に行こうと思っていたそうです。でも、「迷惑かな〜」と思って僕には言わなかったそうです。家内は箱入り娘で地図音痴なので、自分の仕事で遠い所や初めての所に行く時は、僕に相談が来ます。いつも、我慢しちゃうところがあります。僕は、そういうのを計画し実行するのが好きなので、僕が頼りになる存在に見え結婚相手として選んでくれた1つの理由だと言われたことがあります。
朝イチ6時の新幹線に乗れば、9時には会場近くまで行けます。気づいてあげていれば良かったな〜と、少し反省しました。「次は言ってね」とフォローしておきました。
20時に、次男のお嫁さんから続報が入りました。「発表会、楽しく踊れました。本番の写真や動画は撮れなかったので、購入できたらまた送ります」。楽屋でのすみれちゃんの写真も送ってくれました。バレエシューズを履き、2種類のドレスを着ています。すみれちゃんは小1なので、お嫁さんは楽屋で手伝いをしていたようです。同じぐらいの年齢の女の子もドレスアップしています。メイクがダンスメイクで、目を大きく見せるためか独特でした。家内は、「え〜、これどうなってるの?」と興味津々でPCを覗き込んでいます。
市民会館のような立派な会場で、大勢のお客さんが椅子に座っています。息子たちのピアノの発表会を思い出しました。終わってワンピースに着替えての写真もありました。発表会のパンフレットと花束を持っています。花束は、親や友達が用意するのかもしれません。
「来年、よければ見に来てください」とも書いてありました。「ほら、迷惑じゃないじゃん。来年、行ったらいいよ」と、家内を後押ししました。


2023/5/6
コーチしている大学ヨット部が参加するメイレガッタの日です。この日と翌日2日間のレースで、雨が降りそうです。1週間前からの予報の変化により、この日の雨は夕方の帰路からのようで、バイクで行くことにしました。倉庫から、「里山VTR250」を出して出発。R171〜中央環状道路で、吹田ICから名神高速に乗りました。7:18「桂川PA」でトイレ休憩。「午後の紅茶レモンティー172円+柿の葉すし鯖3個430円=602円」購入。京都東ICで下車し、湖西道路でヨットハーバー。中部から、名古屋工業大学が遠征に来ていました。
朝出発後すぐ、晴れ間が見えましたが、琵琶湖は曇っていました。天気はイマイチだけど風はある予報でしたが、風がなく湖面は鏡のようになっています。レース前ブリーフィングを終え、出艇時刻になりましたが出艇延期。でも、すぐに南西(三井寺)の風が入りだし、レース艇が出艇して行きました。私は、S級コーチボートに乗って出ました。
4月に入部してくれた1回生が2人乗っていました。5/3〜5に初練習があり、シングルハンドに乗って既に5〜6回沈をしたそうです。その他に運営の手伝いなどで、全部で7人来てくれていました。レース前、時計係を1回生に指名し、あれやこれやレース関係のことを話しました。ヨットのあれやこれやの質問にも答え、更に少しヨットを好きになってくれたと思います。
風の強弱・振れがありながらも、SWの風向は大きく変わらず、4レース出来ました。ハーバーバックし、レース運営をしていた1回生やOBたちが艇庫前にやってきました。1回生に昨年全国インカレ3位を獲得したOBになりたての子や、4年前インカレ優勝したチームの主力OBを1回生たちに紹介します。双方とも楽しそう。
3レース目に入り、比良山に雨が降ってきました。南西の風なので、その雨雲は北の方に流れて行きました。次に比叡山に雨雲がかかり、琵琶湖大橋から北に雨雲が移動し雨を降らせています。次に大津市街地の南の山に雨雲がやってきて、ポツポツ落ちてきました。でも、ハーバーバックした頃には止みました。ブリーフィングを終え、帰路に着きます。今にも雨が降りそうなので、その前に自宅に帰り着きたい。バイク装束に着替え、湖西道路を南下し、京都東ICから名神高速に乗りました。京都を過ぎ、天王山トンネルにかかる頃、小雨が落ちてきました。でも本降りになることはなく、途中止むタイミングもあり、カッパを着る必要がない程の小雨のうちに帰宅できました。



逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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