-ウェブマスター日記 2021/11-12

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2021/12/28
年末恒例の高校同級生との忘年会の日です。この日の会場は、Katくんの実家です。現在は横浜に住んでいますが、月1で実家の手入れに帰ってきています。前回帰ってきた時は、一緒に着いてきたお嬢さんとお孫さん含め船に乗りました。高校ヨット部同期なので、久しぶりに共にセイリングしました。お嬢さんは大喜たが、お孫さんはまだ1才なので記憶に残らなかったでしょう。
今回、Katは夫婦で帰省しました。ご健在なお父さんは施設で生活をされており不在です。16:30、阪急仁川駅集合なので、1時間ほど前に4輪で家を出て、「小倉山荘」でお土産のおせんべいを購入し、仁川駅に向かいます。仁川に着くと、Katくんの車がいました。まだ15分ほど前ですが、既にOkくんとSatくんが着いていました。東京から同じく実家の管理のために帰省するYamくんが30分ほど遅れるそうなので、先にKat家に向かいます。
仁川の丘を上がって「こんにちは」。奥さんが迎えてくれました。僕から、家を出る前に庭で収穫した柚子を皆さんに渡します。おせんべいを奥様へ。Okくんは牛肉と馬肉の差し入れ。Satくんは無人店舗で購入した餃子を差し入れ。各人、居間で奥様が用意してくれたサラダ・里芋・・・、多くが庭で収穫したもの。早速柚子を使ってくださいました。奥様を含め、あれこれお喋りが始まりました。すぐに、Yamくんがタクシーでやって来ました。雪で新幹線が関ケ原で徐行し、遅れたそうです。焼き肉が始まり、餃子を食べ、練習半年の奥様の電子バイオリンを聞き、楽しい時間を持ちました。馬刺しだけは、どうも赤い肉に危険を感じる方なのでパスしました。お魚はお刺身が平気ですが、獣肉を生で食べるのは、僕にはハードルが高すぎます。随分前に、韓国料理店で生肉を食した事による集団食中毒がありましたが、何故生の獣肉を食べれるのかの方が僕には不思議でした。いつまでも話は尽きませんが、22時を過ぎ解散しました。3人を僕の車に乗せ、仁川駅に向かいます。皆を下ろして帰宅しました。


2021/12/19
大学アメリカンフットボールの日本一を決める「甲子園ボウル」の日です。母校KGは関西リーグ戦決勝戦vsRitsを制し、西日本代表を決めるRitsとの再戦を再び制し、甲子園ボウル西日本代表になりました。同じく関東リーグを制し、東日本決勝戦も制した法政が、甲子園ボウル東日本代表になりました。大学ヨット部先輩から「応援しに行く人、チケット買うよ」の連絡を受け、家内と2人分お願いしました。13:05キックオフで、12:20「阪神甲子園駅西出口」集合です。
「10:30出発ね」と家内に伝えましたが、10時には既に家内は準備万端整えました。そこで、「通勤リード110」にタンデムして、阪急伊丹駅に向かいました。駅近くのバイク置き場へ、200円。10:26「阪急伊丹駅内ローソン」で、「クリームパン5個110円+朝摘みオレンジ天然水117円+たまごサンド228円=455円」購入。
電車に乗ってから、「あ、鍵バイクに挿したままだわ」と気付きましたが、管理人がいるしまあ大丈夫だろうと、そのまま向かいました。阪急塚口・西宮北口・今津駅で阪神電車に乗り換え、阪神甲子園駅へ。1時間も前に着いちゃいました。「着きました」とLINEで先輩方に伝えたら、コーディネーターの先輩Morさんから電話が入り、「早いな〜、そっちに向かってるから」だって。会ってから聞いたのですが、別の先輩は、「あれ、集合時間間違えたか」と思ったそうです。
駅前のベンチに腰掛け待っていると、なんと12:19になっても誰も来ない。「あれ、おかしいぞ」と駅を見たら「甲子園駅東口」。集合場所は「甲子園駅西口」でした。慌てて横断歩道を渡って、結局12:20ジャストに集合場所へ。「すんまへん、集合場所間違えてました」「お前、何処におってん、早よ来たのに。まだKin来てないから、まだ待ってて」。家内を先輩方に紹介し、皆さんと、あ〜だこ〜だ話しました。家内と会ったことがある方もない方もいました。お初のお綺麗な女性がおられました。Morさんの知り合いだそうで、時々このメンバーで運用しているセイリングクルーザーに乗りに来られているようです。「30才手前の良い男性おらんか?」とMor先輩から言われました。美人さんの娘さんのお婿候補を探しているそうです。「お前がコーチしてる大学のOBにおらんか」だって。
Morさんにチケットを渡され、スタジアムに向かいます。KG3塁側外野席入口から入りました。体温チェックはありません。ネット購入だったようで、1回に4人分しか購入出来なかったようで、僕らの2枚だけ離れています。先輩たちは24段で僕らは48段。かなり上です。君等若いから上に上がって・・・だって。「へい、了解」。いつまで経っても、体育会の上下関係は不変です。こういうの好きです。例年なら大半は自由席なのですが、今回は指定席で前の段は完全に空き、隣の席も空けてコロナ対策しています。
席に着いたらすぐに試合開始時間。KGチアリーダーがフィールドに向かって2列に並び、校歌が流れ選手団がチアリーダーの間を、部旗を先頭にフィールドに走り込んで行きます。フィールド中央で円陣を組んで、フィールド外KG側サイドに並びます。続いて法政入場。入口でもらったメンバー表を見ると、法政選手100人に対しKGは160人、KGの方が選手層に余裕がありそう。国歌斉唱です。全日本学生音楽コンクール大阪大会声楽部門優勝谷菜々個子さんの独唱です。良い歌だな〜。
コイントスで、KGのレシーブ(先攻)が決まりました。両軍ともホームチームユニフォームで、KGブルー(上半身ブルー・下半身ホワイト)と法政オレンジ(上下オレンジ)の激突です。法政キッキングチームとKGレシーブチームがフィールドへ。法政キックオフで、第1Qが始まりました。法政自陣35ヤードからキックしたボールがサイドラインから外に出て、いきなり反則。5ヤード罰退してキックオフやり直し。自陣30ヤードにボールが置かれました。2回目のキックオフもサイドラインを割りました。KGのキックオフリターンを警戒しているようで、フィールド中央ではなく、レシーバーにフィールド全部を使わせないよう、サイドラインギリギリに向かって蹴っています。3回目は、25ヤードラインから蹴ります。今度はグラウンダーのボールでバウンドしながら、レシーバーの1列前の9番(ワイドレシーバーWR3回生河原林)がボールを取ってリターン。レシーバーの位置には、いつものようにランニングバックRB4回生斎藤くんがいましたが、9番の前に出て9番の露払いをしながら9番のヤードを稼がせます。チームワークだな〜。こういう場合、よく9番から27番にバックパスし、本来の9番が露払いをしたりします。ハーフライン50ヤードを越え、敵陣44ヤードまでリターンしタックルされボールダウン。
KGの初めてのオフェンスは、絶好の位置から攻撃が始まります。QB15鎌田くんからRB27斎藤くんへ横パスし、27がサイドライン沿いを駆け上がり、いきなり10ヤード以上走り、敵陣24ヤードからファーストダウン。次は、エースRB26前田くんが法政ディフェンスをくぐり抜け、敵陣13ヤードへ。2連続で4回生看板RBが10ヤード以上走りファーストダウン。次はまた27RB斎藤くんが走りTD。快速を飛ばして・・・というわけではなく、3人のリードブロッカーが法政タックラーをはね飛ばしRBのコースをスウィープしていました。わずか3プレイ、ランニングプレイのみで先制6点。16番4回生キッカー(K)がトライフォーポイント(TFP)成功で、7-0。
KGは自陣35ヤードからキックオフ。エンドゾーンを越えて、法政自陣25ヤードから法政最初のオフェンス開始です。関東リーグで走りまくったRB1番星野くんをKGラインバッカー(LB)陣が抑えられるかが、この試合の行方を左右するでしょう。KGディフェンス陣はすぐにフィールドの所定の位置に着きましたが、法政はリターンチームが引き上げた後誰も出てきません。あれっ?とKGディフェンスも感じた頃、法政サイドラインからオフェンスチームが出てきて、ハドル無しでオフェンス隊形に並びゲーム開始・・・というところでレフェリーからホイッスル。なんと、ディレイ・オブ・ザ・ゲームの反則。次のプレイに入るのは、前のプレイ終了から40秒以内に始めなければならない。5ヤード罰退・自陣20ヤードからプレイ開始です。ファーストダウン取るまで10ヤードから15ヤードになっちゃった。なんだか法政は、地に足がついていないように感じる。
法政最初のプレイは、看板プレイでもあるRB1星野くんのランプレイで9ヤードほど進みます。ファーストダウンまで残り6ヤード。プレイの合間に、両校チアリーダーが応援し、そちらも見ないといけないので忙しい。次のプレイはWRへのパス。パスが通りファーストダウン。これは点の取り合いになるかな?次のプレイは、RBの中央突破で5ヤード前進。次は、サイドに開いたRB1へのパス。パスキャッチしたが、スピードに乗る前にKGディフェンス陣が捕まえ、2ヤードしか進まない。よっしゃ〜RB1を止めた。次のサードダウンコンバージョンは、RB1のサイドアタック。これもKGディフェンスが早く、1ヤード前進のみ。フォースダウンであと2ヤード。敵陣KG35ヤードなのでフィールドゴールを狙うと予想しましたが、フォースダウンギャンブルを選択しました。QBはボールを貰ってまっすぐ下がり、そこにいるRB1へ渡してランニングかと思いましたが、渡さずパス。でもKGディフェンスが早くパスする余裕がなくなりQBドローになりましたが捕まって、フォースダウンギャンブルは成功せず、4回のオフェンスで10ヤード進めませんでした。キッカーに信頼がないのかな〜。
攻撃権がKGに移ります。このオフェンス最初の攻撃は、WRがカバーされてタイミングを失い、QBドローからパスするも失敗。次は、WR9河原林への21ヤードパスが通りファーストダウン。次のプレイはセンターからQBへのスナップ直前に回り込んできたWR9へのボールトスでランニングプレイでしたが、法政ディフェンスが早く2ヤードロス。次はサイドに開いたRB27へのパスは通りましたが、これまた法政ディフェンスが早くノーゲイン。次はWR9へのパスでしたが、オーバースローになり法政LBにインターセプトされて攻撃権が法政に移ります。すぐ近くにWR1糸川がフリーでいたので残念でした。KGのWR陣は、3回生の1糸川・2梅津、2回生の4鈴木というエースレシーバーが揃っているのに、研究されていると思っているのか、あえて9河原林をターゲットに使っているようです。
2回目の法政のオフェンス・ドライブは、RB32・RB1のランやWRへのパスで2回ファーストダウンを取り前進しましたが、3回目のファーストダウントライドライブでエンドゾーンへのパスミスやランニングへのKGディフェンスの速さに止められ、フォースダウンキックで攻撃権がKGに移ります。
自陣20ヤードからKGドライブ。WRへのパスが数度通り、敵陣12ヤードまで進んだところで、第1Q終了。第2Q、早々にTD取れると思ったのに、3度のパスが失敗し、フォースダウンでフィールドゴール(FG)を狙い、キッカー16が難なく決めて10-0。KGキックオフはリターナーの位置に入ってるRB1へボールが入るのを嫌ったのかグラウンダーボールを蹴り、その前の列の選手が取りましたが、RB1にバックパス。でもKGの寄りが早く、法政自陣32ヤードからのオフェンスになりました。
また自陣サイドラインから出てきた法政オフェンス、早めにプレイを始め問題なし。RB1を使う攻撃が多く、試合終了まで体力が持つのかな〜。法政の選手が傷んで、レフェリータイムアウト。担架で法政サイドラインへ運ばれました。負傷した選手が運ばれだすと、両方の応援席から拍手が沸き起こります。こういうのいいね。もちろん僕も拍手を送りました。パスが数本通り、ファーストダウンを2回繰り返しましたが、3回目でフォースダウン1ヤード。ここでまたフォースダウン・ギャンブルしたがゲインできず、攻撃権はKGに移りました。16ヤード附近だったのでフィールドゴールならほぼ入る距離。やはりキッカーに不安があるのか?それともKGの圧力を強く感じて、FGの3点ではだめで、常にTD+TFP7点狙いなのかな〜。2週間前のRits戦からKGディフェンス陣の踏ん張りを感じます。
KGオフェンスは順調に進んでいましたが、ビロウ・ザ・ウェスト(腰から下へのブロック)反則で15ヤード罰退。あと2回オフェンスがあったが10ヤード進めず、フォースダウンでパントし、攻撃権は法政へ。このオフェンスは、RB1のラン2本とWRへのパスを使うがほぼゲイン無し。攻撃権はKGへ。このドライブも順調に進んでいましたが、センターからのスナップを受けたQBがボールが手につかず落とし、それを法政ディフェンスが押さえて攻撃権は法政へ。これでターンオーバー2回目、なんだか多いな〜。法政のオフェンスもまたファーストダウン無しで、両軍オフェンスがTDまで行きません。
KGRB27斎藤のランと、WR9河原林へのパス&ランで大きくゲインし、敵陣18ヤードまでボウルを進め、FGエリアへ。ですがパスオフェンスは通らず、K16のFDで3点追加13-0。KGキックオフから、法政のオフェンス。第2Q終了までもう時間がないのでパス攻撃のオフェンスになります。KGもわかっているので、KGLBやセーフティーなどが深く守備します。結局パスミスが続き第2Q終了(前半終了)。離れた席で見ている先輩から電話が入りました。「順調だね」。あ〜だこ〜だ話しながら、RB1を後半も完封出来るかな〜と思いました。全戦Ritsの時も前半は一方的な試合だったが、3Qからギアを上げたRitsに完封を崩され、それに合わせてKGオフェンス陣もギアを上げ点の取り合いになったから、最終盤はビハインドしているチームの常で焦りが出て、無理なパスがインターセプトの餌食になり、勝っているチームが最終スコアでは一方的になっただけです。
ハーフタイムショーが始まります。姪が通っている武庫川女子大付属中高マーチングバンド・バトントワリング部+西宮市立上甲子園中学校吹奏楽部。甲子園球場のトイレは、ウォシュレット付きです。公衆トイレでもウォシュレット付きが多くなりました。
第3Qが、KGキックオフで始まりました。自陣29ヤードから法政オフェンス開始。またRB1星野くんのランから入ります。前半は炸裂しませんでしたが、いきなりファーストダウン獲得。2回のWRへのパスでファーストダウンを更新し、再びRB1のロングランでTD。ハーフタイムの休憩で蘇ったようです。前半RB1をほぼ完封してたKGディフェンスがとうとう切り裂かれました。TFPも決まり、13-7。次法政がTD取れば逆転です。
法政キックオフしますが、またアウトオブバウンズで、KGは5ヤード罰退を選択したようで、法政自陣30ヤードからキックオフのやり直し。そのキックをリターナーRB27斎藤が自陣41ヤードまでリターンしました。ここから、KGオフェンス開始。2回生RB28池田くんのランは読まれていてロスだったが、WR9河原林へのロングパス&ランで敵陣20ヤードまで進みました。またFGエリアへ。ここでエンドゾーンへのパスが法政ディフェンスにインターセプトされてTheEnd。2回目のインターセプトで、ターンオーバー3回も1ゲームでやってしまうと負けパターンです。次の法政オフェンスを何としても抑えねば。法政応援団は、さっきのTDがノンストップだったので、俄然湧いています。
ランは互角だけど、法政はRB1と他との差があるのかRB1に持たせすぎてKGディフェンスに的を絞られている感じがします。パスの精度は法政3回生QB4平井くんの方が良さそうだけど、WRのパスキャッチ能力がKGの方が上で、しばしば難易度の高いパスをキャッチします。対して法政WRはミスキャッチでボールを落としている感じがする。
今回のドライブも、WRへのロングパスが通って一気に陣地を挽回し、WRへのパス、RBのラン攻撃で進みます。RB1はKGにマークされているので他のRBを使いだしました。相手KG陣12ヤードまで迫りTDを狙うがKGディフェンスも粘り、フォースダウンに追い込みます。ここで法政はキッキングチームが出てきて、FG3点を狙います。この距離ならイーザーだな〜と見ていましたが、まさかの失敗。KGディフェンスが出した手に当たったのか、弾道が低く下のバーに当たって落下しました。この辺がキッカーへの不安かもしれません。KGキッカー16永田くんは無理っぽい長いFGでもよく決めていました。ここで決められ1FG差に迫られるのと、1TD差のままの違いは大きいです。
このオフェンスドライブでKGがTDまで持っていけたら2TD差になり、大きく圧力を掛けられます。次どちらが点を取るかがこの試合の雌雄を決する感じがします。自陣12ヤードからの攻撃なのでインターセプトされると一気にTD取られるので、ランニング攻撃を選択するでしょう。2度のランニングでファーストダウンを獲得し、自陣深い危機を脱します。オフェンスが選択した次のプレイはラン攻撃で、2回生RB前島くんが右サイドからチェンジしてきて左オープンを駆け上がり、法政オフェンスを走力スピードで振り切ります。残り1人のセーフティーとRB7の間に走路を変えた3回生WR9河原林くんが、リードブロックし続けとうとうこかしてしまいTD。2回生QB〜2回生RB&3回生WRの次世代戦力での得点は見事でした。WR9は、その前にもう1人ふっ飛ばしています。ナイスなリードブロッカーのまさに見本です。2人はエンドゾーンで互いを称えあっています。どちらか1人ではTDまで行けませんでした。RB前島くんはスピードがあります。法政DBを振り切ったスピードは魅力です。コーナーバックは走力の高い相手オフェンスWRをカバーしないといけないので、部員の中でもスピード能力が高い選手です。TFPも決めて20-7。
キックオフはエンドゾーンに入り、次の法政の攻撃はタッチバックして自陣25ヤードから。第3Qも15分の半分を経過し、パス攻撃の比率が多くなるでしょう。こうなるとKGディフェンスも絞りやすい。ロングパスさえ通されないようにすれば・・・。ラン攻撃で多少進められても、時間が止まらないのでの残り時間が削られ勝っている方が有利です。結局ファーストダウンを更新できず、フォースダウンキックで攻撃権はKGへ。
自陣28ヤードからファーストダウン10のオフェンス。KGの攻撃は時間が進むラン攻撃が多くなります。RB26・27の4回生コンビがボールをQBからハンドオフされたりピッチされたりして、着実に前進します。こうなると法政もラン攻撃を予想してLB陣が上がってくるので、WRへのマンツーマンが緩み、時折挟むWRへのパス攻撃がより通りやすくなります。3回生WR2梅津くんへのミドルパスが通り前進しますが、法政ディフェンスとのコンタクトで傷みました。レフェリータイムアウト。担架で運ばれてしまいました。ここまで法政2人担架でKGは初担架です。エースWR陣の一角、大丈夫だろうか?
ランパス攻撃は封じられ敵陣26ヤードのまま、フォースダウンパントでK16永田くんはFGを狙います。見事決まり、23-7。
KGキックオフをキャッチしたRB1星野くんが自陣43ヤードまでボールを運びます。パスランを織り交ぜた攻撃でしたがパスキャッチミスが痛く3回の攻撃で7ヤードしか進まず、フォースダウンはパントフォーメーションからのギャンブルで意表を付いたが、僕でも予想しており失敗して、攻撃権はKGへ。ワンプレイして第3Q終了。最後の第4Qへ。試合終了まであと15分。最初のKG攻撃は敵陣7ヤードまで迫りましたが、ここからパスが通らずランも進めず、フォースダウンキックで3点。26-7。
KGキックオフを法政RB1がボールを持って進みますが、KGの集まりが早く自陣15ヤードで止まります。自陣深くからの攻撃なのでまずはランプレイで陣地回復を狙いますが、キックオフリターンにもエースリターナーとして出ているRB1へボールをもたせるので、もう体力の限界に達しているのか、第3Q初めのプレイのような切れがなくKGディフェンス陣のファーストコンタクトを抜けることが出来ません。結局ファーストダウンを更新できず、フォースダウンパント。これも距離が出ず、次のKGオフェンスドライブは、敵陣31ヤードからで絶好のポジション。ここでTDを取ればトドメを刺せます。
KG最初の攻撃はワイルドキャットです。2回生RB7前島くんがセンターからのスナップを直接受け走ります。KGはRBが充実しているので、見え見えのランプレイなんだけどワイルドキャット布陣を引いてのプレイが増えています。QBを休ませるのと、オフェンスコーチと話す機会を増やしていると思われます。見え見えだけど、RB陣がリードブロッカーに着くワイルドキャットはかなりの脅威になっているはずです。この試合では使っていませんが、よくエンドゾーン手前のTDプレイに使います。これも最近のKGの得意プレイ、QB15からRB27へのショベルパスが決まりTD。このプレイは、如何にQBがディフェンス陣を引き寄せるかがポイントです。昨年までのQB奥野くんがよく決めていましたが、今年からのスターターQB鎌田くんは引きつけが甘く、中途半端なゲインが多かったが、見事に決まりました。TFPも決まり、33-7。残り時間8分。トドメを刺しました。こうなると、法政プレイヤーのモチベーションを保つのが容易ではありません。昨年新チーム結成後、1回も負けていないので、第4Qでこのシチュエーションは初体験でしょう。
KGキックオフはグラウンダー。最終列から2つ前の列で取った選手が最終列のRB1星野くんにロングバックパスしますが、KGプレイヤーの集まりが早く、パスキャッチした瞬間に足元にKGプレイヤーが転がり、RB1の体は一回転してボールダウン。
自陣25ヤードからの法政攻撃です。これのファーストダウンを更新できず、フォースダウンパント。KG自陣36ヤードからのオフェンス。時間を使うランプレイオンリーかと思ったが、もう勝利を確信したのかパス・ラン多彩な攻撃でファーストダウンを面白いように更新し、最後はWR4鈴木くんへのTDパスがヒットし、TFPも決まって、70-7。右オープンに開いてポジションを取ったWR4がプレイコールとともに、ゆっくり前進し、他の2人のWRが全速でエンドゾーンに入ったので、それに引っ張られたコーナーバックとの間が広がったところで斜め内側に俊敏に切り込んでエンドゾーンへ、そこへQB15からパスが来ました。
KGキックオフは、RB1が直接取りましたが、自陣40ヤードでKGプレイヤーにタックルされボールダウン。関東リーグで炸裂したキックオフリターンTDは炸裂しません。3回の攻撃で7ヤード進みましたが、10ヤードまで足りません。一旦チームタイムアウトで時間を止め、オフェンス陣は全員サイドラインに戻って作戦会議。第4Qはあと4:58。フォースダウンギャンブルのパスプレイ崩れのQBドロープレイも届かず、攻撃権はKGへ。法政オフェンス陣のサイドラインに戻るスピードが遅い。気落ちしているのが分かります。
KGオフェンスは、スターターでない選手の投入が目立ってきました。それでも、WRへの中距離パスが決まり、ファーストダウンを重ねて行きます。敵陣12ヤードまで進み、エンドゾーンへのTDパスは少し長かったが、WRが法政コーナーバックに足を引っ掛けられて転び、パスインターフェアーの反則で、エンドゾーンまで2ヤードの位置までボールを進めファーストダウン。ここで選択したのはQBドロー。QBはスターター2回生15鎌田くんではなく、4回生18平尾くん。もう試合の結果は見えているので、引退記念とも言えるTDプレゼントでした。オフェンスの選手がQB18の周りに集まり、ヘルメットを叩く乱暴な祝福をしています。ですが、キッカーは変更せず、TFPも決まって、47-7。
KGキックオフはまたグラウンダーで、最終列から1列前の選手がボールをキープして、自陣34ヤードから法政のオフェンス。ファーストダウンはWRへのパスが通り9ヤード前進。ですが、次のプレイはKGディフェンス陣が殺到しQBサックでまた元の位置へロス。サードダウンコンバージョン、試合終了まで残り0:39。もう最後なのでWRを奥に走らせロングパスを投げますが、パスインコンプリート。法政オフェンスの最後の攻撃と思われるフォースダウンギャンブルは、パスプレイでKGラインバッカーにカットされボールダウン。これで試合は終わりました。あとはKGの攻撃なので、QBがニーダウンして残り時間を潰すだけです。敵陣35ヤードからKGオフェンス。最後のQBも18番でした。ニーダウンして、あとはKG応援席からのカウントダウンを数える声で、3.2.1.0。試合終了。KG勝利しました。
最終ポイントは大差だけど、第3Q後半以降は、法政の焦りの結果なので実力差はそれほど大きくないと感じました。それでももうちょっと点差が詰まると思っていたし、今年の学生RBの中でもトップランクにいるであろう法政RB1星野くんは、エースと頼られすぎたようで自滅してしまった感があります。それを抑え込む実力がKGディフェンス陣にあったということ。
KG側では、RB26前田くんにはもっと走って貰いたかった。リーグ戦序盤から観ているので、明らかにRits最終戦以降少し輝きが衰えているように見える。キックオフリターンTDも挙げていたのに、最終2戦はそのポジションにも立たないし、としての使われ方が明らかに減っている。どうしたのだろう。その分をRB27斎藤くんが埋めた試合だった。この試合に限っては大車輪の活躍で、MVPだろう。先輩方は、このあと忘年会があるので先に帰られたが、僕らは起立して校歌を斉唱し、法政とのエール交換にも参加し、最後の表彰式も見届けました。
この試合の敢闘選手は法政RB1星野くん、MVPはKGRB27斎藤くん、そして1年間の最優秀選手ミルズ杯は、KGRB26前田くんでした。僕の予想通りです。法政RB星野くんは3回生なので来年またパワーアップしているでしょう。KGQB鎌田くんは更に成長しパスの精度が上がるでしょうし、楽しみな選手に3回生WR1糸川・WR2梅津、2回生WR4鈴木選手に加え、3回生WR9河原林というWR陣がいます。QBのパス精度が上がれば凄いチームになりそうです。2回生RB7前島くんは来年出てきそうです。なんだかんだ言っても、アメリカンフットボールの要はラインズマンの強さなので、今回のように1回もQBサックされないラインズメンが持続しますように。
コロナ禍が影響しているのでしょう、リアリーダーの応援が立体的でなくなったのが残念でした。試合中ずっとでかいKG校旗を持ち続けた応援団の方には敬服いたしました。校歌やエールの時、足元おぼつかない先輩方も含め、母校先輩後輩が集まっていることが嬉しくなりました。こういうのは、学生数が多く歴史の長い総合大学で学んだ特権です。そして、アメリカンフットボール部ではありませんが、体育会に在籍したことの良さです。帰路に着きました。
帰宅後、このゲームのスタッツをチェックしました。「FIGHTERS:ORANGE 47:7(1st7:0、2nd6:0、3rd10:7、4th24:0)」。「FIGHTERSvsORANGEを並べると、タッチダウン5:1、ポイントアフタータッチダウン5/5:1/1、フィールドゴール4/4:0/1、1stダウン獲得数24:16、ランによる1stダウン獲得回数8:5、パスによる1stダウン獲得回数15:11、相手反則による1stダウン獲得回数1:0、3rdダウンコンヴァージョン(成功/回数)6/13:4/16、4thダウンコンヴァージョン(成功/回数)0/0:0/5、総獲得ヤード603:337、ラン獲得ヤード174:125、ラン32:28、パス獲得ヤード429:212、パス(成功/試投回数)25/37(68%):25/45(56%)、被インターセプト数2:0、反則(回数-罰退ヤード)2-20:5-33、ファンブル(回数-攻撃権を失った回数)1-1:0-0、攻撃時間31:06vs28:54」


2021/12/15
天気が良いので、再び綾部ツーリングに出ます。倉庫から「招き猫CB400SB」を出して、9:05出発。9:06「エネジェットセルフ北村SS」で給油、172km/6.85L=25.1km/L。r1を北上し、川西池田からR173に乗り換えて北上しました。R173は、山に差し掛かってから、片道1車線だけど、信号は殆どないし、交通量もそれほど多くないので、快調に走れます。能勢の「栗栖」交差点の温度計は6℃でした。冬用バイクジャケットを着ていますが、裏地を外して来ました。下に下着と丸首シャツだけ着ているので少し寒さを感じます。帰宅したら、裏地をセットしましょう。
10:37「道の駅・瑞穂の里さらびき」。「ふわふわぴょんぴょん275円」×2+雑貨132円+「よもぎ餅500g・692円」=1373円購入。R173に戻り、更に北上します。「由良川」を渡り、R27に突き当たり、左折してR27で北に向かい、左折してr8で西へ。11:17「セブンイレブン綾部大島町店」で、「キリンファイアワンデイラテ微糖600ml・129円」購入。
r8を更に西に走り、11:25「福田神社」。『福田神社行事 歳旦祭1月1日・お日待ち1月12日、節分祭2月3日、祈年祭2月11日、秋葉神社祭り4月下旬、夏祭り7月上旬、お日待ち9月12日、秋祭り10月上中旬・宵宮第2土曜日・祭礼第2日曜日、山の神神社まつり11月下旬、稲荷神社まつり12月上旬、神渡式12月中下旬福田神社祈祷 正一位稲荷神社 大将軍神社 梅の森神社
国家安泰世界祈願・安産祈願・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・家内安全・無病息災祈願・地鎮祭・入学試験合格・家庭災厄清祓・厄除祈願・交通安全・自動車清祓・諸願成就祈願  連絡先:宮司・大島基 TEL42-3987』
『福田神社 祭神:火産霊神(ほむすびのかみ)・埴山比売神(はにやまひめのかみ)
この神社は延喜年間(901〜923年)に創立されたと伝えられ、昔この地が志麻郡と呼ばれた頃から約1000年を経た現在まで氏神として崇敬祭祀されてきた。
現社殿は寛永14年3月17日(1638)大志万勝兵衞景次によって造営されたが、350余年を経て、傷みが激しくなったため、平成6年8月社殿修復覆屋改築を完成した。境内社、6社のうち岡の森神社、梅の森神社、和田の森神社、大川神社は古くから村の各所に守護神として祀られていたが、江戸時代末期から明治初年にかけて現在地に転祀された。  平成6年10月 福田神社社中』
『境内小社 梅の森神社(元内山田の上に建つ、現在御旅所附近)祭神:猿田彦神(猿楽梅若氏とゆかりの神社と伝えられている) 和田森神社(元北和田に建つ)祭神:綿津見神 岡の森神社(元岡ノ段に建つ)祭神:若彦霊神 大川神社(元穴見に建つ)祭神:大山祇命 八幡神社(元山田の上にあり)祭神:応神天皇 疫神社祭神:須佐之男神 大将軍神社(元桶井に建つ)主祭神:磐長姫命(いわながひめのみこと・九鬼藩記録・神社記録より)』
『中筋古名木第8号 所在:福田神社参道右側 樹名:けやき 科名:にれ 幹周:3m 樹高:30m 樹齢:不詳 摘記:福田神社の参道をかざる名木 平成5年5月 中筋公民館』
『中筋古名木第9号 所在:福田神社参道右側 樹名:かや 科名:いちい 幹周:2.55m 樹高:27m 樹齢:不詳 摘記:この科は雌雄異株で4月頃開花 平成5年5月 中筋公民館』
『稲荷神社 祭神:宇迦之御魂神 ご神徳:特に稲作、商売繁盛
由緒:創建は不詳なるも、古くから大島村森下の森の中に鎮座されていたが、平成4年12月、由良川堤防、広域農道建設のため現在地に移転遷座した。社殿は、享保16年(1731)の造営で風格ある建造物として定評がある。祭神は、天保15年(1844)伏見稲荷大社から分霊を頂き、お祭りしたものである。  平成15年10月 氏子中』
『大将軍神社 祭神:磐長姫命(いわながひめのみこと) 御神徳:無病息災・延命長寿・方除け 地鎮祭:良縁・安産・繁栄・招福
この神社は江戸時代からこの村の北の守り神様として由良川の「大嶋港」現JRの近くに祀られていたが、江戸末期の度重なる大洪水によって倒壊流失した。 この度、本社京都西賀茂「大将軍神社」より御分霊をいただき、社殿覆屋を建設して、ここに境内社として再建座した。  平成13年9月10日 福田神社』
『梅の森神社 祭神:猿田彦神 ご神徳:特に交通安全・芸能文化
由緒:能楽の名家・梅若氏の先祖・梅津氏が承平年間(931〜937)丹波に移住し何鹿郡志麻荘(大島・延・安場)を領した時期京都太秦の梅宮神社から分霊を頂き祭ったのが始まりと伝える。
場所は、現お旅所に鎮座されていたが、明治初年、現在地に移された。現社殿は延宝4年(1676)建築によるが、昭和59年(1984)改修した。  平成15年10月 氏子中』
バイクに戻り、r522を南に走り、11:50「東光院」二王門。立派な仁王様が守護しておられました。
『東光院 東光院は高野山真言宗に所属する古刹で、菅谷山法隆寺東光院と合し、本尊は薬師如来を祀る。 寺伝によると、天武天皇の白鳳2年(673)理趣仙人によって開創され、七堂伽藍を構えた寺院であった。寛弘2年(1005)聖楽上人が中興し、坊舎21坊を構えて隆昌したが、応仁の乱に続く延徳の兵乱(位田の乱)の兵火で焼亡し、更に明暦年間にも火災にあって炎上した。
当寺に残されている大般若経は、平安時代から室町時代に書写された大般若経の残巻で約30巻あり、最古のものは仁平2年(1152)奥書があり、また他にも志万庄法隆寺(巻第50)と奥書のあるものもあって、当時は法隆寺と呼んでいたことがわかる。
この写経は丹波における平安時代の写経事業を伝える数少ない遺書であり貴重である。また、経櫃懸子は杉板製漆塗で長方形、底は桟板張りで、内面と底面に漆書、墨書があって、延徳2年(1490)頃の位田の乱に岡町木曽殿神社の焼失の事が記録されている。
指定文化財 市指定文化財:大般若経30巻・経櫃懸子1組  昭和63年12月 綾部の文化財を守る会』
『坂本龍馬とお龍の仲人 知足院夢覚上人の揮毫碑』がありました。『八坂本龍馬・お龍の仲人「知足院夢覚」ゆかりの地・東光院 坂本龍馬とお龍の仲人をしたのが青蓮院住職の知足院夢覚上人です。京都府綾部市岡町で生まれ東光院檀家加藤家の出身です。 坂本龍馬とお龍の縁をとりもった知足院にあやかって皆様も、良い縁をとりもっていただけるよう手を合わせては如何でしょうか。 良い縁とは、恋愛成就のみならず友達関係・職場やいろんなところの人間関係、自分を含めみんなと仲良く過ごすことは幸せの始まりです。坂本龍馬自身も大成するにあたり、多くの人間との縁を大切にしました。
僧侶であった知足院は東光院の揮毫碑に「楽知」と書き大楽(たいらく)の楽を意味したのではないかと思われる。楽には微笑む・笑うという意味があり微笑むということは仲睦ましく良い縁を保つことによって得られる幸せのことである。笑えるということも国や人間関係がうまくいっている証拠でもある。その楽を知るということは、幸せを得るということだと言える。皆様にも、いっぱいの幸せが訪れることをお祈りいたします。  山主』
絵馬掛けに、ピンク色のハート型の絵馬が下がっていました。「愛が世界を救う」「家族・家系の繁栄は愛から」、皆さん良い縁に恵まれ子孫繁栄を願います。バイクに戻り、r522〜r8で、「高津城跡」に向かいます。住宅地からのアプローチ道が細かったので、そこでバイクを置いて歩いて坂を登って行きました。すぐに、少し広い道に合流したので、こちらの道を登って来れば良かった。
12:20「高津八幡宮」。山を登る舗装路を上がっていくと、広い境内でした。『御祭神:仲哀天皇・仁徳天皇・応神天皇・神功皇后・玉依姫命』。『高津八幡宮 平成28年(2016)3月18日、社殿・棟札4枚・天満宮本殿・高良神社本殿が京都府指定有形文化財に指定されました。  平成29年1月』
『高津八幡宮の由緒 社伝によれば、当宮の創建は元慶5年(881)、もとは法道仙人の開基した密教の練行地でしたが、男山(京都府八幡市)から当地へ金鳩が飛来してきたことを奇瑞とし、朝廷の命により、石清水八幡宮の別宮として勧請されました。明応9年(1500)、災禍により社殿・社宝・古文書などを焼失しましたが、翌文亀元年(1501)、勧進状により寄進を受けて再建され、以後、初代福知山藩主の有馬豊氏や、綾部藩主の九鬼氏からの崇敬も厚く、社領や鳥居の寄進、社殿造営の庇護を受けています。
明治維新を迎えるまで、極楽寺や究竟院(くきょういん)と称する肘当寺(真言宗)が神社を管理していましたが、明治3年、神仏分離により廃寺を命じられ、当時の住持は僧籍を捨て神官となりました。以来、梵鐘などの仏教色を取り除き、神道を重んじる神社として歴史を歩んでいます。明治期から戦後まで施行された社格制度では、明治6年に村社、大正5年に郷社、大正12年には府社に列されました。
現在の社殿は、綾部藩9代藩主・九鬼隆都の命により改築されたもので、天保12年(1841)より着工し、嘉永5年(1852)に竣工しました。棟梁は延村(綾部市延町)の桑原兵右衛門、拝殿向拝彫物は大坂の相野徳兵衛が手掛けており、京都府内でも有数の社寺建築として高く評価され、平成28年に京都府指定有形文化財に指定されました。
そのほか、中世の山城跡と一体になった境内や、江戸時代に30余年かけて造られた表参道の長い石段など、歴史的文化財を多く有しています』
拝殿の彫刻が素晴らしい。「伊勢神宮遥拝所」がありました。こちらが東向きか・・・と確認できました。朝、参拝したらどのように朝日が入ってくるのだろう?「当勝稲荷神社遙拝所」が西向きにありました。絵馬掛けには五角形の絵馬が下がっており、絵馬には金鶏がデザインされていました。特色があり、とても綺麗です。
境内の南に、12:36「高津城跡」口がありました。『八幡山城址(高津城) 八幡山城は、八幡宮南東の標高150mの山頂に位置し戦国時代、丹波何鹿郡の在地領主、大槻氏の居城と伝えられている。城は南ヘ連なる支峰と、西の緩斜面への2方向へ広がり、東西300mの大規模な城郭である。中間の自然地形を挟んで、東西の2区画に分かれ、それぞれ曲輪土塁・竪堀などの城の構造を今もよく残している。
東区画は、主郭から西ヘ階段状に各曲輪を配し、その先端を大きな堀切で遮断している。西区域は、各曲輪の段差が東区画に比して緩く、堀切も浅いが、先端部では堀の屈曲に合わせ曲輪に土塁を設け、敵を側面から攻撃できる「横矢がかり」の構造がみられる。
これらは同時期に造られたものではなく、主郭のある東区画から順次拡張していったものと考へられ、戦国末期には西区画も造られていたであろう。 平成5年4月』
山城攻め開始。勾配が急になり、12:46「堀切」がありました。400年以上前の山城ですが、まだ一見して堀切とわかるので、当時はしっかり深かったのでしょう。堀切に架かる木橋に虎ロープで転落防止されており、段郭を上がる急勾配ごとに虎ロープが引かれており、山城攻めの方はいませんがそれなりに整備されているようです。12:49「主郭」。尾根筋を堀切や段郭で仕切られた中世山城でしたが、尾根以外はかなり急でそちらから攻め上がりは苦しそう。地方豪族の山城にしては城域が広く、裕福だったように創造しました。城攻めを成し遂げ、下城で2度も滑って尻もちをついてしまいました。13:02、「神津八幡宮」境内まで戻ってきました。急勾配部分がありましたが、往復15分なので中世山城攻めとしては楽な方でした。
バイクに戻りましょう。『中筋古名木第19号 所在:高津町八幡宮東参道 樹名:もみ 科名:まつ 幹周:3.9m 樹高:25m 樹齢:不詳 摘記:当森中本種最大のもの  平成6年10月 中筋公民館』
バイクに戻り、勾配を降りr8に突き当り、右折してr8を東へ。枝道に逸れ、JR山陰本線を渡り、13:24「熊野新宮神社」。『祭典行事 元旦祭:1月1日午前9時 節分大祭:2月3日午後3時 厄神祭:2月18日午前10時 蚕神祭:4月第2日曜日午前10時 水無月大祭:7月28日午前10時 秋祭:10月第2日曜日午前10時 月次祭:毎月第2日曜日午前10時 初宮詣・七五三・入学祈願・地鎮祭・交通安全祈願等随時承ります。  熊野新宮神社』
『須弥仙山(しゅみせんざん)に腰をかけ、艮(うしとら)の金神(こんじん)守るぞよ 出口澄子先生』
『神の子の真心うけて拡めたる、御苑清かしも石の玉垣。苔むして神さび立てるときわ木の、松にしるけし水無月の宮 出口王仁三郎先生』
覆屋で護られた摂社は、金持神社と繁昌神社でした。ストレートな社名です。本殿を巡っていると、裏に昭和の木造小学校?を想像させる2階建ての建物がありました。中から歌声が聞こえます。小学生の頃を思い出しました。
帰路に着きます。往路のR27経由ではなく、直接R173に合流しようと由良川沿いの道を走りましたが、R173とこの道は立体交差になっており、直接合流できませんでした。道を戻り、r8〜R27〜R173で一路南下開始。15:13帰宅。


2021/12/12
家内と一緒に、お葬式に参列しました。家内の母親の実家を継いだ弟さんの奥さんが、2日前に90才で永眠されました。家内のお姉さんから家内に連絡がありました。お姉さんは、日曜日に抜けられない用事があるので、土曜日のお通夜に参列されました。妹である家内と私は、告別式に参列することにしました。
母親の実家は姫路で、卸売市場を経営しています。篤志家で、地元の名士です。家内の母方のお婆さんは、神道系の新興宗教の教祖もされていました。家内と結婚する前にこの姫路の家を訪問したことがあり、新興宗教の広い道場に驚いたことを思い出します。
戦中・戦後は、姫路の町にも両親を亡くした浮浪児が多くなり、身寄りのない子を見つけては家につれて帰り、ご飯を食べさせ雨露を凌ぐ家を提供しました。そんな子が30人ぐらいいたそうです。女の子はお嫁に出し、男の子は学校に行かせ、それぞれ独立して行きました。市場に就職し、姫路の家の従業員として番頭役として定年リタイヤまで働いた方もいます。
姫路の家は、元社長だった家内の母親の弟は随分前に亡くなり、その息子・家内の従兄弟でもある次の社長も既に他界しています。その葬儀当時、KOの大学生だった息子が現在の社長です。今回、嫁ぎ先の主人と息子を先に失ったお婆さんが亡くなりました。
13時からの告別式で、1時間前に着こうと、10時に家を出ました。「通勤リード110」にタンデムして駅に向かいました。JRに乗って、尼崎で東海道線姫路行新快速に乗り換え、一気に姫路へ。11:50「セブンイレブンハートインJR姫路駅南口店」で、「ゆずれもんサイダー500ml100円」購入。いつも起きてすぐに5時頃朝食を食べる家内が「お腹減った」と言うので、駅下で軽く食べました。僕は、出発する時に「よもぎ餅」を食べたのでパスしました。
歩いてベルコ葬儀場へ。告別式に参列し、霊柩車をお見送りしたら帰路に着く予定でしたが、家内の従兄弟の奥さんに「食事用意してあるから」と言われ、「名古山斎場」までバスに乗って行き、葬儀場に戻り、お骨上げまでお食事時間となりました。
『・・家御席 お献立
前菜・甘海老真丈他 向附・季節のお造り四種盛り 焼物・赤魚西京焼き 揚物・海老天麩羅 蒸物・小茶碗蒸し 食事・炊きたてご飯 香物・二種盛り 留椀・お吸い物 水物・フルーツおしるこ コーヒー
※おもてなしの一環といたしまして、寄せ鍋をサービスさせて頂いております
※献立の内容が変更する事がございますが、ご了承ください
※食品のアレルギーがご心配の方は、お問い合わせください
姫路駅前ホール京(みやこ) 料理長花添』
家内の母親は、4人兄弟です。その長女が家内の母親。男の子が2番目で、その子が姫路の家の跡取りをしました。3・4番目の女の子は、なんと家内の母親が教師として勤めていた中学校に通いました。姉妹だけで、教師と生徒という関係でもありました。終戦時20才だった家内の母親は大学に戻り、理科系だったので理科・科学の先生になりました。
男性でも10%ほどしか大学進学しなかった時代、女性はさらに少なく1%いたかどうかの時代でした。当時の学制は、満6才で入学する小学校が6年間、男の子は中学5年(女学校4年)・高校3年・大学3年です。僕の母親は、17才で終戦だったので、戦時中は女学校の生徒で、学徒動員でゼロ戦を造っていました。戦後すぐ大学に進学しました。僕の父は中学出で、外国で農業をしたかったので、東大農業研究所で農業を学び赤紙で応召しました。父はよく、「俺は東大出だ」と笑っていました。家内の父親は、陸軍士官学校出の将校で、シナ大陸で加古川の部隊を率いて、新聞にも「加古川・・(名字)部隊」として載る地元では名前の売れた勇猛な人でした。戦前は最優秀な男子は海軍兵学校、次いで陸軍士官学校という時代だったので、家内の両親は賢いカップルです。
座ったテーブルに、家内の母親の妹さん89才が座り、その辺のことを思いつくまま教えてくれました。以前聞いた話もあり、新しく聞く話もありました。数年前に胸が苦しくなり、島根医大を出てアメリカ留学後岡山大学に勤務するお孫さんがすぐに手配してくれ、医療センターで手術を受け助かったそうです。心筋梗塞だったのかもしれません。その時、脚の血管を心臓に使ったので、それから脚力が落ちてしまったと、車椅子移動していました。でもつかまり立ちや歩行車に掴まれば自分で歩けます。
自分が生まれた姫路の実家の話に続き、家内の母への感謝の言葉が続きました。自分はお喋りが好きで自分で商売をしたくなった時、姉(家内の母)が自分の仕事繋がりのメーカーに手配し、取引が始まり今の生活があると。僕は家内と知り合ってすぐ、家内の実家に続き、家内の親戚巡りドライブをしました。皆さん気持ちの良い方で、まだ学生だったけど知り合って2ヶ月後にはプロポーズしました。その時、この叔母さんの本店を訪問し、叔父さんや娘さんと話をしました。
やがて、家内を車で送っていくと、「泊まっていけ」と言われるようになり、週末は家内の家で一泊するのが普通になり、翌日午前中に隣の散髪屋さんで散髪して家に帰る生活になりました。親戚の方々も僕を気に入ってくれたようで、半年後正式にご両親に家内との結婚をお願いに行くと、親戚からの「あの人はいいよ。デートで親戚巡りする子なんて見たことないわ」との応援があったようで、外堀が埋まっていました。
浜松医大で勉学中の旦那さんについて行ってる家内のお姉さんにも会いに行きました。姉夫婦は、同じ大学で知り合い、卒業と同時に結婚しました。医学部に受験し直したので、卒業してすぐにまた学生になりました。当時、国公立大学は授業料が年間3万円だったので良かったけど、兄の実家には金銭的余裕がなかったので、家内の実家がいろいろサポートしました。お姉さんも大学&国家試験で取得した免許を使って就職し、勉強が厳しくアルバイトできない兄に代わって生活費を稼ぎました。すぐに長女が生まれたけど、職場に連れて行き仕事&育児の大車輪でした。毎月の商材などの実家からのサポート便を僕らがするようになり、家内と浜松ドライブデートもしていました。姉夫婦にも僕らの結婚を応援して頂き、正式挨拶の時お父さんから言われたのが、「姉は結婚式を挙げていないので、結婚式を挙げてくれ」と言われただけでした。僕は、毎週家内の実家に泊まってご両親と話し、親戚も姉夫婦も知ってるので、結婚の時はとても楽でした。
叔母さんのお店に、その地域に進出してきた大手スーパーから「出店しないか?」の話があり、叔母さんは出店したかったけど旦那さんは「僕には決められないから、姫路の実家と加古川(家内の実家)に相談して決めて」と言ったそうです。旦那さんはとても優しい方で、もう亡くなっているけど一度も喧嘩したことがないそうです。「良い方と縁があった」と楽しそうに話していました。家内の母親は大賛成で、「資金援助するよ」と即答だったそうです。
お喋りしながら、もりもり食べています。来年90才なのに食欲満点で頼もしい。家内は聞き上手なので、叔母さんはご機嫌です。娘夫婦は日中仕事に出ているので、ずっと1人でお喋り相手がいなくて寂しいそうです。ちょっと気になったのが、付き添ってる娘さんが、「わかったから、わかったから」と叔母さんのお喋りを制限しようとしていることでした。何度か聞いた話が出ていたけど、僕ら夫婦はそれを含め聞いてて楽しいのに。僕の母親も、晩年は話の繰り返しが目立ちましたが、僕ら夫婦も息子たちも、それを含め楽しく母の話に付き合いました。年齢が進めば、大なり小なりそうなるものです。親戚筋でそれを迷惑だと感じる方はいないと思います。
お骨上げの時間になり、美味しい懐石を完食して、皆さんと一緒に席を立ち、僕ら夫婦は帰路に着きました。JRに乗り、家内とお喋り。僕ら夫婦も夫婦喧嘩をしたことがありません。家内はお喋りではありませんが、聞き上手です。仕事仲間でも、取引先の営業でも、みな家内とのお喋りが楽しそうです。電車で声を掛けられるのは当たり前で、お客さんからプロポーズされたり、仕事仲間との宴会で手を繋がれキスされ、取引先の若い営業から「相談がある」とデートに誘われたり、色々ありました。僕はそういうのが平気で、むしろ自慢です。家内は隠さず言うので、楽しみにしていました。取引先の営業からのデートのお誘いには、「行っておいで」と勧めました。元カレさんが家内の仕事場にやってきたこともあります。その方は、家内と同じ学部の同級生なので、学生時代家内と歩いていた時に会ったことがあります。挨拶しました。学生時代からやってた家庭教師を仕事にして、大きな学習塾に成長させ、大手学習塾にM&Aされて東京に再就職されました。その時、家内の仕事場に何度もやってきて、長い間話していったそうです。デートに誘われたと行ったので、「行っといでよ、会える最後かもしれないよ」と勧めましたが、結局行きませんでした。僕は元カレに対する対抗心はありません。元カレとのいろいろがあったから今の僕を選んでくれたと思っています。僕も家内と話すと楽しいし、ただ側にいるだけでも気持ちが良くなる女性です。帰宅して、「東京ラブストーリー1991」第1話を一緒に楽しみました。これで1日が終わりました。


2021/12/5
大学アメリカンフットボールの応援に行きます。母校KGは、秋の関西大学アメリカンフットボールリーグ戦を全勝制覇しました。その優勝戦は3週間前で、相手は共に全勝だった立命館大学パンサーズ。3点差の勝利でした。ヨットレースと同じ日だったのでスタンドでは応援できませんでしたが、録画を見るとKGの方が実力は上でした。これにより、KGは「西日本代表決定戦」への出場権を得ました。
そして予想通り、負けたRitsは、西日本の各地区リーグ戦勝者が集まるリーグ戦を2勝して勝ち上がり、大学日本一を競う「甲子園ボウル」の切符を競う「西日本代表決定戦」に駒を進めてきました。再び、KGvsRitsの決戦です。ここ数年、この2校で競われています。5年連続、KGが勝ち、今年はどうなるのか?「甲子園ボウル」は直近15年間で、「西日本代表」勝利が14回なので、この2校が日本トップ2かもしれません。
1週間前、チケットを購入しました。家内とは学部は違うが大学の同学年なので、一緒に応援に行きたかったが、残念ながら家内は神戸で仕事の勉強会でした。中高の同級生やクラブの先輩にも声を掛けましたが、皆さん用事があってパスでした。
家内を車で駅まで送り、帰宅してゴソゴソしてから、11:30に「通勤リード110」を倉庫から出して出発しました。試合は、「14:05、ヨドコウ桜スタジアム(長居球技場)」なので、r13で南下し、R43で南東に走り、r28で南下して「長居公園」Pに入れました。バイクは無料でした。
12:30開門過ぎにスタジアムに着きました。前回「たけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場兼球技場)」で応援した「秋のリーグ戦」初戦同様、スマホチケットを提示してKG側応援席に入りました。前回もKG応援団は多かったが、相手の立命館も多く、さすが頂上決戦です。Ritsがグラウンドで練習しています。続いてKG選手が入ってきて練習開始。Rits応援団部&チアリーダーが入ってきて、所定の場所を整えています。KG応援団&チアも入ってきて、チアがマークを打ち始めました。グラウンドで両チームが練習している間に、Rits応援団が校歌を歌いエールを切ります。KG応援団&チアは直立不動で応えます。続いてKGから校歌「空の翼」斉唱とエール交換。僕はKGに中学から10年通ったし、高校運動部〜大学体育会だったので、何度校歌を歌ったことか。校歌のメロディーが流れると、応援席の殆どの方が立ちました。立命館の校歌が終わると、KG応援席から大きな拍手が上がり、エール交換に対しても。立命館応援席も同じです。こういうのが大学スポーツの良さです。僕はこういうのが好きで、先輩後輩関係が卒業後もずっと続く体育会が大好きです。僕も、先輩とヨットレースに出たりクルージングしたり、船を共同所有しています。長〜いお付き合いです。
選手たちの練習が終わり、グラウンドから消えます。14時になり、グラウンドに双方チアリーダーが並び、立命館から応援歌に乗って選手が走り込んできます。続いてKG選手がチアリーダーの列の間を元気に入場してきます。応援席から拍手が上がります。
双方サイドのフィールド外に選手団が並びます。双方100名ほどナンバーを付けた選手が並び、がっぷり四つです。その他に両校多数のスタッフがいます。コイントスで、Ritsがレシーブを選択し、KGがキックになりました。KGキッキングチームが一列に並びキックオフ。Ritsレシーバーがボールをキャッチし、キックオフリターン。
最初のRitsの攻撃がほぼゲイン無しで終わり、続くKGオフェンスはロングパスが決まり、開始3分でタッチダウン(TD)7-0。次のRitsのオフェンスはパス失敗が多く、KGディフェンスがパスインターセプトして、そこからのオフェンスでTD14-0。KGのQBスターターは、昨年3年間スターターQBを張った奥野くんが卒業したので2回生鎌田君です。初スターターシーズンのこの秋、奥野くんの2回生時代よりパスがよく通る優秀なQBに見えていた通り、秋のリーグ戦決勝同様、Rits相手にパスを通しています。対するRitsは4回生QB9番で、出来がイマイチです。早々に2回生QB19番が交代で出たりしています。サイドラインでオフェンスコーチにアドバイスもらいながら、試合を見ながら頭を冷静にさせているのかな?
第2Qになり、KGキッカー永田くんがフィールドゴール(FG)で3点17-0。同じくRitsもFGで3点17-3。KGは1回FGをカットされ残念でした。17-3で前半終了。ハーフタイムショーです。まずRitsチアリーダーチーム。3段立体組みを含め、素晴らしい。続いてKGチアリーダーチーム。KGは組みはせず、綺麗に揃えたチアリーディングでした。去年のコロナ禍からチアリーディングが縮小しました。
Ritsが組みを復活させていたので、甲子園ボウルが楽しみです。両校とも、吹奏楽部はいませんでした。これもコロナ禍の影響でしょうか?応援団も団長一人で、他の部員はベンチでプラカードを振っているだけでした。もっとワイワイガヤガヤやりたいな〜。僕が学生の頃は、何でもありで楽しかったけど、コロナ禍で大人しくなっています。学生に死者はほとんどなく、彼らにもほぼ影響がないのに可哀想。甲子園ボウルでの完全復活を願います。
後半戦が、Ritsのキック、KGのリターンで試合が再開しました。KGの最初のドライブでパスインターセプトされ、KG陣深くからのRitsの綺麗なTDパスが通りました(17-10)。QB9番が復活しました。ワイドレシーバー(WR)がエンドゾーン中央でフリーになっておりイージーパスでした。KGディフェンス・セーフティーが2人並んでレシーバーの前におり、深く入ったWRに1人も付いていませんでした。Rits攻撃がエンドゾーン近くだったので、ランディフェンス重視をしていたのかもしれません。パスインターセプトから失点しました。
ここから、KGがTD〜RitsTD〜KGTD〜RitsTD(31-24)、互いのオフェンスが爆発し、取り合いになりました。Ritsは負けているので時間を使わないパスオフェンスが多く、KGは反対に時間を使うべくランオフェンスを多用しています。前半は目立たなかったKGのランニングバック(RB)2枚看板26前田と27斎藤。斎藤はキックオフリターナーとして毎回走っていましたが、前田が目立たない。KGオフェンスの今シーズンMVPは前田だと見ているのですが、何故か目立ったランが見えない。ですがここから本領発揮、26前田が持つと確実に進みます。持ち前のステップが爆発し、ロングゲインが出てきました。ディフェンスを交わしながら走る姿が頼もしい。相手エンドゾーンが近づくと、QBの位置に斎藤・前田2人のRBが並ぶワイルドキャット・フォーメーションで攻撃し、TDに結びつけていました。
Rits2つ目のTDも、WRがフリーでした。3つ目はフリーではありませんでしたが、RitsQBからのロングパスがエンドゾーン手前のWRに通り、難なくTD。
そして最後の12分、勝負の第4Q。3Q後半からRitsに焦りが見え始め、最初のオフェンスシリーズでロングパスが、KGコーナーバックの餌食になり、パスインターセプトして、攻撃権チェンジ。KGが時間消費のためにランニング攻撃に偏重しているのもありますが、Ritsのランニング・ディフェンスが強く、あまり進みません。フィールドゴール(FG)で3点取っただけです。
Ritsの攻撃は、点差が10点に開いたので、更にパス攻撃になり、何度もショートパス・ミドルパスが通るが、KGラインバッカーの餌食になり、3度目のインタセプトで攻撃権がKGへ。またRitsディフェンスが頑張り、KGから攻撃権を取り戻します。残り5分、ロングパスが通り、エンドゾーンが近づきますが、痛恨のQBファンブル。KGディフェンスラインがボールを確保し、また攻撃権がKGへ。
ここもRitsディフェンスが頑張りまし、KGランニングオフェンスを4回で止め攻撃権を取り戻しました。ゲームオーバーまであと3分。ここで僕はKGの勝利を確信しました。ショート・ミドルパスでじわじわ進みますが、4thダウン・オフェンスでも10ヤード届かず、攻撃権がKGに移りました。これで万事休す。KGオフェンスはダラダラと時間を使うランオフェンスでタイムアップ。
これで、2週間後の「甲子園ボウル」の出場権を獲得しました。場内放送で、東日本代表は「法政大学オレンジ」との案内がありました。試合中、中高同期グループLINEやヨット部先輩と運用しているヨット仲間LINEに試合経過を流していました。ヨット仲間LINEで、甲子園ボウル応援予定があるので、アメリカンフットボール部友達にチケットを人数分発注して良いか、皆さん試合結果が気になっています。
試合終了後、互いのチームの健闘を祝してエール交換、校歌斉唱などして帰路に着きました。往路同様ルートでバイクで帰宅しました。


2021/11/28
先輩方と共同運用している係留艇のオートパイロットが、2ヶ月ほど前に壊れました。オートパイロットは、ONにすると真っ直ぐ走る機能です。1人で乗る時はとても便利な機能ですが、複数乗っていると必ずしも必要な機能ではありません。元キャプテンの一言で、新しいのを購入することになり、いつもお世話になってるヨット屋さんにセットしてもらいました。その試運転の日です。
倉庫から「通勤リード110」を出して出発。8:34。「セブン西宮マリナパーク店」で「いちごジャム&マーガリン110円」を昼食用に購入。新西YHの係留艇に行き、エンジン始動。いつものように一発始動しました。ドッグハウスに降り、カーテンや窓を開けて空気の入れ替えをしました。トイレの窓を開け、トイレ掃除をします。家から持ってきた黒の袋をトイレに置きます。この船のトイレはトイレットペーパーを流すの禁止です。使用済みペーパーを黒袋に入れて毎回持ち帰り、ゴミ箱へ捨てます。多くの小型艇のトイレは、水洗の水を外から吸い外に放出します。トイレットペーパーを流し、十分に水を流さないとパイプ内に残ります。家族が住む家ではないので、次のトイレ使用まで長時間放置になりペーパーが固まって流れが悪くなります。ゲストさんが使うと、水を流すのを少なくするので詰まりやすい。そこで、トイレットペーパーをトイレに流すのを禁止しています。そのため黒い袋を用意しています。次は、生理用ボックスを買って置いておこう。
船の準備ができ、出艇時間の10時まで時間があるので、ディンギーヤードに向かいます。この土日、学生の新チームの秋の新人戦です。母校の横の艇庫のO大GMさんは来られているかな?ディンギーヤードで母校部員と挨拶を交わし、O大ブリーフィングを待ち、GMさんの居場所を尋ねると、レース委員会の方にいるとのこと。レース委員会に歩いていくと、これまたお隣さんの大学ヨット部出身のTan奥さんに会いました。ご夫婦ともヨット部卒で、お子さんをジュニアヨットの世界に誘い、いまやオリンピックを目指すトップレーサーに育っています。ジュニアヨット協会の理事をやって、僕の後釜としての理事としてこの奥さんを勧め、理事長までされた熱心なお母さんです。GMさんのことを聞くと、「風を見に沖に出ている」とのこと。
係留艇に戻りました。Hirさんがやって来て、Hirさんが呼んだのでしょう、オートパイロットをセットしてくれたMatさんがやってきました。Matさんから使い方の伝授を受けます。前のと同じ「レイマリン社」製で、ほぼ同じ使用方法なので、簡単でした。違うのは、オーパイオフの時、長押しすることぐらいです。
次に電気系統のレクチャーを受けます。エンジンを掛ける時は、外部電源を切って、船内バッテリーをONしてから。または、船内バッテリーOFFのまま、外部電源のみで。外部電源繋いだまま、船内バッテリーONしてエンジン掛けると、オルタネーターで作られた電気の行き場が混乱するから止めた方が良いとのこと。出艇する時は、外部電源を切る〜船内バッテリーON〜エンジン始動〜各部スイッチON〜GPSなど装置ON。海上でエンジン掛けている間は、キーONのままにしておく。エンジンOFFしてからキーOFFしてキーを仕舞う。帰着したら、数分エンジンをアイドリングしてからエンジンストップ。各装置スイッチOFF〜各部スイッチ全部OFF〜船内バッテリーメインスイッチOFF〜外部電源繋ぐ。
続いて、この船のエンジンオイルの減りが早いようで、毎回出艇時にオイル点検した方が良いとのこと。オイルは随時補充しておくこと。オイル点検棒の位置が見えなくて、プロのMatさんでも一旦抜いたオイル棒を再び挿すのに苦労していました。
エンジンオイル棒に悪戦苦闘している間に、Shi先輩がやって来ました。エンジンルームを片付け、Matさんを乗せ、Shi先輩のステアリングで桟橋を離れます。オートパイロットはしっかり機能し、レース海面に向かいます。朝は東風だったのに、南西に風向が変わっています。その影響で、まだこの日のレースはスタートしていませんでした。母校KGコーチボートにKaw監督が乗っていました。今月ヨット部を引退したばかりのFuj君が470に乗っており、私を見つけて寄ってきました。「クルージングのお誘いありがとうございます。メンバー募ってまた連絡します」。インカレが終わり、「卒業生クルージングしないか?」と誘いました。監督にそのことを伝えると、「ありがとうございます」「1回生クルージングも毎年誘っているんだけど、KGから応募があったことないんだよね」「え〜、そうなんですか。監督案件に格上げしましょうか」と、監督は大乗り気です。Shiさんは、「ええやんか、1泊でどっかに連れて行ったれや。その晩は飯おごったれや。俺、陸上からゴチになりに行くわ」だって。
南西のブローが安定してきてスタートするかな〜と思ったら、南西の沖にカームエリアが見えてきて風力が落ちてしまいました。このタイミングでハーバーバックし、Matさんを桟橋に下ろして、再びレース海面に戻ります。ハーバーに入ったタイミングで、北からブローが入って来ました。そのブローとともにレース海面へ。
北東からの風で470は2レース、S級は1レースだけしか出来ませんでした。13:30以降スタートしないとNoRに書いてあるので、やっと沈艇が出るほどの風が入ったのに・・・。参加艇数は470で45ほどあり、良いレースでした。
再び海上に出てからステアリングを交代しレース艇を追いかけていました。ハーバー前まで帰ってきて、Shi先輩にステアリングを交代し、桟橋着艇作業員になりました。桟橋に着いて、ドッグハウス内に入り、Hirさんがコンビニで買ってきたオカキなどを食べながらワイワイガヤガヤ。Kaw監督からShi先輩にLINEが入り、「お話がある」とか。Shi先輩はヨット部GMなので監督の相談相手でもあります。監督が戦前は自信を持っていたのに、今年もインカレに勝てなかったので、根本改革の相談をするのでしょう。強豪校が集まってる関東エリアが総合優勝W・準優勝日大・3位KOで、次が近畿北陸エリアで4・5位がD社と僕がコーチしている大学。6・7・8位が中央・明海・明治で、9位が関西エリアのKG。10・11位が九州エリアの九州・鹿屋体大、12位が近畿北陸のRits。過去何度も全国制覇している関西エリアの優KGにとって惨敗です。
お二人に、「あとやっときますからお先にどうぞ」と言い、Shi先輩は船を離れました。Hirさんは僕に付き合ってくれて2人で片付け、帰路に着きました。センターハウス1Fで、Kaw監督とShi先輩がカフェしながら話していました。僕はかつては母校コーチでしたが、現在は他校のコーチで単にOBなので、目を合わさないようにスルーしました。僕と目を合わせたらKaw監督は僕の後輩なので声を掛けて来ます。支障のある話は出来ないだろうから・・・なんて考えました。
R171で帰宅すると、眼科に休日診療してもらった家内は戻っていました。目に物が当たって痛いと心配でしたが、眼球に傷などはないそうで安心しました。これがなければ、一緒に船に乗る予定だったんだけど・・・。去年ロードショーを観に行って、家内がお気に入りだった「映画・糸」がアマゾンプライムで観れるようになったと伝えると、即「観たい」。PCからTVに繋ぎ、一緒に鑑賞しました。「何度観ても感動しちゃうわ」と涙を流していました。また観たいというので、PC操作などを紙に書いて家内に渡しました。「僕がいない時でも、僕のPCを持ってきて観たら良いよ」と・・・。


2021/11/27
数日前、コーチしていた大学ヨット部の新キャプテンから連絡があり、またもう1年コーチを頼まれました。そのコーチングの初日です。1日前の天気予報では、大阪は晴れでしたが、琵琶湖は日中雨でした。ところが前日夜になって、琵琶湖も曇りになったのでバイクで行くことにしました。倉庫から「里山VTR250」を出し出発。R171〜中央環状道路。6:45、エネジェット中環豊中SSで給油。195km/5.81L=33.6km/L。6:48「セブン豊中緑丘2丁目店」で味付け海苔エビマヨネーズ125円。
吹田ICから名神高速に乗って東へ。京都ICを過ぎ、東山に差し掛かる頃から渋滞が始まりました。交通事故が発生していました。京都東ICで下車し、湖西道路を北上し、ヨットハーバー着。
艤装している部員に挨拶し、艇庫に入りバイク装束から着替えます。雨が降るかも知れないので上下カッパを着ることにしました。この日は、インカレ団体戦を終え4回生が引退して誕生した新チームの初レース初日です。Tan監督も来ていましたし、引退したばかりのOB・OGがレース運営で多数来ていました。キャプテンからも監督からも、「また1年コーチを引き受けて頂きありがとうございます」だって。監督はまだ20代ですが、彼の入部時から知っています。次男の同期である前監督の推薦で監督になってから、ミーティングなどでの言葉に磨きがかかり、人間的成長を感じます。人は地位や役割によって成長するのを実感します。
ブリーフィングして、いろんな部員に声を掛けます。470級1回生女子部員Iidさんにブームバングの使い方を念入りに伝えます。この日のクルーは卒業したばかりの470リーダーが乗るので、彼にも彼女へのアドバイスのポイントを伝えます。要するに、「強風クローズホールドでバングが緩い。思いっきりバングを入れると、もっと楽に走れるよ」ということ。彼女はセンスが良く、軽風ではよく走ります。反面、強風になると、女の子ゆえの怖さと筋力のなさで、風に翻弄されてしまいます。ヨットは道具を使うスポーツなので、体重の軽いペア・筋力の弱いスキッパーでも、セッティングによって楽に走れ、速く走れます。
ブリーフィングして、D旗が揚がり、レース艇が出艇して行きます。当方は、今大会も近畿北陸ブロック最大勢力で、470が39、S級が33艇出場します。北寄りの軽風で出艇していきましたが、すぐに風力が落ち、コーチボートで引っ張ってレース海面に向かいます。予報では強風だったんだけどな〜。南西から風が入りましたが、北風が勝り、スタートしましたが風が落ちてレース途中でノーレースとなりました。北の海面を見ていると、琵琶湖大橋では白波が立っています。そのブローが降りてきて、強風レースになりました。レース中に沈をしてハーバーバックした艇も出て、DNC(スタートラインに来なかった)・RET(途中棄権)・DNF(時間内にフィニッシュしなかった)艇もあり、470は16艇・S級19艇しかフィニッシュできませんでした。僕の乗ったボートはS級のコーチボートだったので、スタート後トップ艇ラインの横を並走し、ビデオを取りました。
結局、470が3レース、S級2レースでこの日は終わりました。ハーバーバックし、各選手、特に1回生選手に声を掛けます。朝、バングのことをアドバイスしたIidさんは、メイン軽くなり楽にメインセイルのトリムが出来たと喜んでいました。でもクルーとして一緒に乗った前470リーダーが思いっきり引いたそうです。ブリーフィングして帰路に着きました。この日は風向・風速がガラガラ変わりました。晴れたり雨降ったり小雨だったり、虹も数回琵琶湖に見せてくれました。バイク装束に着替えて帰ろうとしたら、また雨が降って来ました。雨が止むまで15分ほど待って、「里山VTR250」に跨りました。湖西道路〜京都東ICから名神高速に乗り、吹田ICで降りて、大阪環状道路〜R171で帰宅。


2021/11/22
橿原神宮から、封筒が届きました。様々な案内と、車形代2枚・人形代(かたしろ)4枚が入っていました。人形代は、人の形をした白い和紙で、名前と年齢を書き込み、それで頭・胸・お腹などをさすり、穢などを体から形代に移すものです。私と家内の名前をそれぞれに書いて体を擦ります。車1枚・バイク1枚にバイク3台の車両番号と私の名前を書いてそれぞれをさすります。それらを返信用封筒に入れて、橿原神宮に送り返しました。
橿原神宮には、去年バイクで1回、今年は家内と1回、次男一家と1回参拝しました。橿原神宮は、初代神武天皇が紀元前660年(2681年前)に都を置いた場所です。神武天皇が遥拝した丘など、これまで橿原の初代天皇に関係する主な場所を訪問参拝しています。
神武天皇は、海流を司る事情通の塩土老翁(しおつちのおじ)から畿内の悲惨な状況を知り、「では私が良くしましょう」と神武東征を始めた。現代なら海路でも半日で、宮崎から大阪に入れますが、古代でも風の力は変わらないので、1〜2週間あれば着きます。しかし、古事記によると6年掛けて東征しました。瀬戸内海の各地に寄り道し、先進的な稲作技術を伝授しながら向かったのです。1年入れば、二期作なので2回稲作を実地指導できます。つまり神武東征というのは、遠征軍で制圧目的はなく、稲作を伝授し共に豊かになろうという互助会的行動です。
大坂に上陸するが、地元の豪族である民衆からの搾取主は話し合いに応じず、弓矢を射ることで神武部隊は退却を余儀なくされました。海路、和歌山まで逃げますが、ここで神武天皇の兄が戦闘での矢傷が悪化し崩御します。
更に海岸沿いを南下し、串本を越え熊野に上陸します。嵐に翻弄され船は壊れ命からがらだったようです。そこで神様から剣(布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ))を賜ります。これにより勢いづき、八咫烏の案内で紀伊山中を突破し、大和盆地に入ります。
そこで、都を橿原に建てます。都というのは現在では首都という意味ですが、「都=御屋庫」で、屋根のある倉という意味です。神武天皇の提唱する互助会は、日本列島は台風・水害・地震・飢饉など災害が多いので、緊急時に備え食料を備蓄して保険しておこうという会です。米という税金を互助組織参加の各地から集め、いざという時はそれを提供して一時を凌ぐシステムです。このシステムは天皇朝廷を中心に、ほとんどの地で無血で広がり、古代日本国が出来上がりました。税金がお米だったのは、10年でも備蓄が利くからです。日本列島は瑞穂の国と言われ、江戸時代までお米が税金だったのは、初代神武天皇からの流れです。
今年の夏、神武東征船団が上陸した「楯ケ崎」を観光しました。車道から片道30分山中を歩き、やっと見えました。昨年夏の和歌山串本ツーリングで、神武天皇が大和までの無事を祈ったという神倉神社に登りました。ここの参道は斜度30度以上あるだろうという石段が続き、巨大岩を祀る神殿での絶景がより強く印象に残っています。昨年、家内と阪急交通社のラピートで行く和歌山観光に参加した時参拝した新和歌浦の鹽竈神社(しおがまじんじゃ)には、鹽槌翁尊(しおづちのおじのみこと)が主祭神として祀られており、塩土老翁(しおつちのおじ)がここから神武を頼って船出したのだろうな〜と想像されました。神武が大坂で敗退した時、何故兵庫や岡山に退却せず、紀伊半島沿いに和歌山に向かい、兄の矢傷の静養に和歌山に上陸したかも分りました。きっと、塩土老翁(しおつちのおじ)自身が水先案内人をしていたのでしょう。古代史ロマンを次々に頭に浮かばせた橿原神宮からのプレゼントでした。


2021/11/21
家内もお休みなので、映画を観に行くことにしました。11/13は僕の誕生日で、次男のお嫁さんからTOHO CINEMAS GIFT CARD「映画券3000円分」をプレゼントされました。早速これを使いましょう。
「通勤リード110」にタンデムして映画館に向かいます。ショッピングセンターにあるので、近づくと四輪が渋滞しています。バイクなので渋滞無しでスイスイとPへ。
「12:40そしてバトンは渡された」。チケット売り場で機械に向かい、?っと思って、近くにいたスタッフのお姉さんに声を掛けます。「ギフトカードで買いたいのですが、CINE MILEAGE CARD使えるのですか?」「はい使えます」。シネマイレージカードを入れると、「あっ、6回ご覧になられたようで1回無料ですね」と指摘され、私の分をタダで、家内の分をギフトカードで購入しました。
この作品は、「本屋大賞」を受賞した瀬尾まいこさんの原作の映画化です。「幸福な食卓」など素敵な本を書かれる方で、好きな作家の1人です。「そしてバトンは渡された」はまだ読んでいないので、より楽しみにしていました。
主演は、永野芽郁と石原さとみ。自由奔放で何度も結婚する母親・梨花を演じる石原さとみ。それに翻弄されながらも自治の母ではない石原さとみが好きな娘・優子を演じる永野芽郁。3人の父親と早逝した実の母と梨花2人の母を持った優子が、梨花に子供の頃言われた「いつも笑顔でいると幸運が訪れるよ」の言葉に従って生きる。そんな優子が素敵な高校の同級生と結婚するまでの物語が描かれていました。何故梨花が、優子の実の父親と結婚したのか・・・、何故2番目の夫にお金持ちを選んだのか・・・、なに不自由ない生活を捨てて3番目の夫に走り、そこに優子を置いていなくなったのか・・・。そんな謎がクライマックスの優子の結婚式前後に明らかになります。映画の前宣伝通り、劇場内には涙が溢れ、泣き虫の僕の頬にも、もちろん涙が流れ、鼻からも涙が・・・。素敵な映画でした。
予想に反し、多くの方が観ておられました。皆さん、エピローグでは涙顔だったのでしょう。エンドロールが始まっても、誰も帰路に着きません。「良かったね〜」と家内とお喋りしながらエスカレーターを下り、この映画館での帰路の定番、15:18「ミスタードーナツ」に寄り道しました。「ゴールデンチョコレート140円+ストロベリーファッション140円+チョコファッション140円+ゴールドファッション140円+オールドファッション118円+ストロベリーカスタードフレンチ151円=689円」購入。
家内のリクエストで「100均ショップ」に寄ってから帰宅しました。ああ楽しかった〜。


2021/11/16
高校ヨット部同期Kくんが帰省したのでクルージングします。奥さんとお嬢さん&孫1才もゲストです。10時ヨットハーバー集合なので、仕事の準備をして「通勤リード110」に乗って向かいます。朝、庭からゆずの実を10個収穫し、Kくん家5・娘家5に分けて袋に入れました。
40分ほど前に着いたので、桟橋係留艇に向かいます。エンジンは一発始動でした。トイレを掃除し、ハッチなどを開けてドッグハウスの空気を入れ替えます。ジブシートの交換をする予定でしたが、ハーバーセンターハウスが火曜日休みを失念しており、Kくんがやってきて閉まってるから不安がるかな?と思い、先にセンターハウス前に移動しました。ジブシートは翌日11/17の早朝仕事前に交換しました。
Kくんの車がPに入って来ましたが、助手席に誰も乗っていない・・・あれれ。やってきたのはKくんと娘さんと1才の孫だけで奥さんがいませんでした。Kくんは「天気が良く、日焼けするからキャンセル」と言っていましたが、昼ごはんをK家に招待されたので、僕のご飯作りで来ないんじゃないかな〜誘われたんだけど悪い子としちゃったなと思いました。
船に乗り込みます。全員ライフジャケットを着て桟橋から離れます。朝からSWの風向ですが風が殆どありません。天気予報では少しずつ入ってくるはずなんだけど。ジェノアだけ展開し、海上自衛隊阪神基地に向かいました。ステアリングをK君のお嬢さんに交代します。胸には1才のお嬢さんが抱っこひもで前向きに抱かれており、彼女にもステアリングを持たせます。彼女がヨットの世界に足を踏み入れた瞬間です。将来、ヨット部で活動しないかな〜。
少しずつ風が上がり、2m/sほどでのんびりゆっくり進みます。Uターンしてハーバーバック。Kくんは高校時だけだけど、流石に上手に船を走らせます。ハーバー前でステアリングを交代し、12:30、桟橋に着艇。
船を片付け、Kくんの家に向かいます。奥さんが出迎えてくれました。美味しい昼食を頂き、あれやこれやおしゃべり。Kくんは横浜在住ですが、弟さんが勤務する老人施設にいるお父さんの代わりに月1で実家に帰り、家のメンテナンスをしています。
我家の庭に成ったゆずを2家族分プレゼントすると、「帰りにレモンを持ってって」と庭に案内されました。庭のレモンの木にレモンが鈴なりに成っています。こんなに多くレモンが出来てもな〜って感じです。毎日レモンティーを飲まなきゃ。弟と一緒に屋根を直したとか、庭の畑のにんにくだとかいろいろ見せてもらいました。
レモンを5個頂きました。奥さんによると、1つずつラップに包むと1年持つそうです。更に、シャトレーゼの包をもらいました。これは、前もって僕のために用意してくれたのでしょう。このような気遣いは、奥さんかお嬢さんがしたのでしょう。Kくんとは中1のクラスメイトで、同じ班でした。私立中学で最初の友達です。高校では同じクラブで活動し、今でも毎年数回会っています。もう腐れ縁ですね。帰路に着きました。


2021/11/15
姫路のオクムラボートに向かいます。コーチしている大学ヨット部が来年470の新艇を買うので、その下見です。オクムラの社長さんは、大学は違うけど僕の同期です。2年前、クルージングでオクムラボートを訪問した時、オリンピックでAUSチームが使うレース艇を見せてもらいました。昨年から、それと同じニューモールドのレース艇が学連仕様として販売されました。Wもここの新艇を1艇導入し、今月始めのインカレでは部内で一番走ったそうです。
「招き猫CB400SB」に乗って出発。中国道〜山陽道を西進し、「三木SA」でトイレ休憩しました。9:40「山陽道三木SA」で「黒大福9個1944円+はちみつレモン150円=2094円」購入。
バイクに戻ると、隣に停まっていたバイクのお兄さんから、「靖国神社ステッカー良いですね」と、声を掛けられました。曽祖父が靖国神社に祀られているのだとか・・・。僕は保守で天皇家が好きです。日本人の殆どは、先祖を辿れば源平藤橘の名字に至ると言います。つまり、ほとんどの日本人は、先祖を辿れば天皇家の親戚です。そんな同族の民族が島国に1.2億人も満ち、単一民族国家を世界一長く続けてきた国家です。そんな日本が好きです。この磁石ステッカーをタンクに貼ってから長いですが、「靖国神社」で声を掛けられたのは初めてです。
11時現地集合ですが、30分前に「オクムラボート」に着きました。バイク装束を脱ぎ、事務所に「こんにちは」と。何度か私にメールしてくれた担当の方と製作技術者が出てきて話をします。西宮で並んだ艇庫でレースした甲南大ヨット部OBくんでした。お茶を運んでくれた女の子も甲南ヨット部OGだって。
京都から部員3名(3回生2・2回生1)が着き、早速レース艇を見に行きます。改良点を聞き、現物を見ながら質疑応答しました。お昼になり、「お食事をどうぞ」だって。購入する学生が工場を見に来るのは稀で、開発者として使用者の生の声が聞きたくて大歓迎なんだって。お弁当をご馳走になりました。ここでも質疑応答して、再び工場へ。
14時を過ぎお開きになり、播但道〜山陽道で、15:20「山陽道三木SAセブンイレブン」で「森永チョコモナカジャンボ140円」購入し糖分補給しました。中国道「宝塚IC」で下車し、帰宅しました。


2021/11/14
琵琶湖のレースに誘われたので参加します。ヨット部の先輩が社長をしているYH主催の「ヤンマーカップ」です。開閉会式には先輩が挨拶しそうですが、別のYHから出着艇するので参加できません。レース海面で合流します。
YH、9時集合です。「招き猫CB400SB」を倉庫から出して、R171〜中央環状道路〜吹田ICから名神高速に乗り、桂PAでトイレ休憩。京都東ICで下車し、湖西道路に乗って北上します。和邇ランプで下車し、9:30にハーバー着。Pに入れると、前に入った車の助手席から、これまた次男のジュニアヨット時代のライバルさんのお父さんKatさんが降りてきました。「久しぶり〜」「変わってませんな〜、こっちは腹が出るし髪の毛は減るし・・・」。
琵琶湖のジュニアの父親Yas・Ima・Kat3人が、ここに船を置いています。この日おじさんメンバーでレースに出るのはIma艇で、Yasさんの船は堺に船を置いてるNisさんさんの長男さんがクルーを集めてレースに出るようです。メンバーは京産女子マネさん・D社マネさん・D社昨年キャプテンの女子・今年インカレ個人戦で優勝した男子選手・D社OBです。Imaさんは、女子3人のチームを羨ましがっています。
セイルなどをセットし乗り込んで出艇。予報では風がないので、レースが出来るのかどうか?予報通り風はありません。若者艇は先に出て練習しています。上記オールドメンバーに、同じくジュニア父親のNodさんと、Imaさんのお嬢さんの旦那Nakさんが乗ります。機走しながらImaさんから帆走指示書を渡され、重要部分を読み込みます。コースがM字です。変だな〜と聞いたら、MではなくヤンマーのYだそうです。
Imaさんが各人にポジションを振ります。僕はメインセイルトリマー。少し風が入ってきて、練習をします。スタートラインに戻ると、唯一出ていたドラゴン艇は、KG後輩で次男より少し年下のOgi君がスキッパーをしています。クルーにハーバーの社長Morさんが乗っていました。
1回目のスタートはゼネリコ、2回目もゼネリコ、3回目はI旗でスタートできました。スタートしたらどんどん風が上がり始めました。アビームスタートだったので、スピンを上げます。トップ艇はメルジェス32で当方は5位ぐらい。若手チームは少し後ろを走っています。8m/sオーバーのブローが入っているので、ロートルチームはバタバタセイルチェンジなどをします。
5位ぐらいでフィニッシュし、ハーバーバックします。船を片付け、ハーバーでのパーティーへ。飲んで食べて、うだうだお喋りし解散。元ジュニアセーラーの次男にロートルメンバーの集合写真を送ると、「懐かし〜」とのこと。
バイク装束に着替えて、高速で帰路に着きました。名神高速「桂PA」で糖分補給しようとしましたが、売店の仮店舗は閉店していました。レストランはやってたけど、PAリニューアルまで売店は再開しないのかな〜。


2021/11/13
9:38出発。「長尾山トンネル」を抜け、r325〜r33で、北摂里山地域に入りましたが、紅葉はまだ色づき始めたばかりでした。r68を西に走り、10:17「石清水波豆八幡神社」。千刈ダム湖畔に佇む気持ちの良い神社です。本殿は?葺きで覆屋に守られています。この本殿は小さな改修はされているものの殆どが室町時代の創建時のままの希少な建造物です。
『石清水波豆八幡神社の由緒
創建:天延元年(973) 源満仲の弟・源満政が創建し、京都石清水八幡宮を分化したと伝えられております。
再建:応永10年(1403) 棟札により応永10年(1403)と判明する。
祭神:誉田別尊(ホムクワケノミコト・応神天皇) 建御名方命(タケミナカタノミコト) 建姫宮命
本殿:国指定重要文化財 正面柱を三問とする三間社流造です。屋根は柿茸きで、簡素な妻飾・懸魚・桁隠や、正面の出三ツ斗組み、廻縁など端正な容姿となっています。昇り勾欄に立つ宝珠柱、向拝の柱問に置かれている墓股は、応永以前の古材が保存されています。三間社流造本殿で建立年代が明らかなものとしては最古です。
応永大鳥居:県指定ま要文化財 応永32年(1425)建立。もとは、旧県道(湖底)に臨み、参道入り口に立っていましたが、水源池築造にあたり現在の場所に移設されました。流紋岩製(波豆石)で、様式は、沓石上に円柱を建てた明神鳥居です。中央の高さは約3.7m、柱問上端2.88m、下端2.9m、わずかに下方で開いています。
三田市藍本の酒垂神社にある応永2年(1395)の石鳥居は波豆石で構造形式も同じで、県下で最も古いものです。本鳥居はそれに次ぐ2番目に古いものです。
石造美術群:金福寺跡(現在は水源池湖底)より移設
・三尊種子板碑(県指定重要文化財)嘉暦3年(1328):石材は波豆石の自然石。高さ4mの長大なもの。埼玉県秩父郡の釈迦一尊種子板碑(1369年、高さ5m)に次いで、全国で2番目の大きさです。
・五輪塔(県指定重要文化財)康永2年(1343)
・宝籤印塔(県指定重要文化財)明徳2年(1391)
・宝籤印塔(市指定重要文化財)
清和源氏八幡神信仰の発祥:神社縁起によりますと、摂津源氏の祖、源満仲公の弟、鎮守府将軍治部輔源満政公が建立したと伝えています。満政は兄の満仲と官職を退き、兄満仲は多田の庄に、満政はこの波豆に隠棲しました。名を律師満政と改め仏道修行に精進していました。ある時、1人の童子が満政の前に、宝珠を持って現れ神託されるには「この宝珠は護国の珠なり、請う以って垂追の印と為せ、朕はこれ八幡麿なり」と宣べられ、宝珠を満政に手渡すと忽然と姿は消え去りました。満政は八幡神の出現に愕然とし、その場に現き、謹んで宝珠をささげ持ち、*垂迩の地を拝みました。そしてこの地に宮社を築き、満政手ずから一刀三拝の礼をもってご神影を彫刻し社にお祀りしまた。
清和源氏の氏神としての八幡神信仰は、その源氏の発祥地、摂津多田の庄、この波豆八幡神社が「源地」といえます。伝説にもありますように、八幡神のこの地への*垂迩より源氏一族の八幡信仰が確立されてくるからです。
(出典:川端道春著「宝塚の風土記」)
*垂迩(すいじゃく):仏・菩薩が人々を救うために仮に神の姿をどって現れること』
r68を西に走り、10:44「神戸三田アウトドアビレッジTEMIL」。小学生の時、何度か学校からお泊りで来た「伊丹市野外センター」の名前が変わっていました。ここの紅葉の綺麗なポイントは、まだ甘いもののなかなか綺麗な色になっていました。
r323に突き当り、右折してr323を東へ。「波豆川口」を左折し、北に入って行きます。11:03「釈迦如来堂」。藤棚には、藤の実がたくさん下がっていました。道を戻り、「波豆川口」を通過し、11:16「八坂神社」前の定点観測ポイント。
『八坂神社 鎮座地:波豆川字八坂神社1527番地 祭神:素戔嗚命と日本武尊由緒:創立年月は不詳であるが、大永6年(1526・室町時代)4月に本殿が再建されている。明治43年10月10日、波豆川字大阪谷鎮座宝殿神社と、波豆川字鳥の上鎮座皇大神社を合祀した。
境内:742.2坪 祭日:正月当1月4日〜10日の日曜日 種籾祈願祭3月第1日曜日 新祭4月第2日曜日 夏祭7月第1日曜日 本祭宵宮10月本宮の前日・本宮10月体育の日の前日 新嘗祭12月第1日曜日(勤労感謝祭)
宝物及び貴重品:神像一躯・鬼面一面
お当神事:正月と本祭りに行われるお当神事では、氏子中から精進代と称する当人2人の受け渡しの儀式を行う。当人は任期中、精進潔斎して祭事には神饌を供え、祭典には紋服裃・山高帽を着用して奉仕する。
本祭:宵宮には天下泰平、五穀豊穣、氏子繁栄を祈願し、歌舞伎より取材した所作事のお練り(平成3年3月市指定無形文化財)を行う。本宮は当人にかつぎ太鼓、引地車が続いて行列を作って宮入の神事を行う。その際にかつぎ太鼓の音高く、掛け声勇ましく10m余もある急な石段を登る。  三田市観光協会・波豆川区』
拝殿には龍の彫刻があり、針金ひげなので、中井権次作かもしれません。木瓜紋(もっこうもん)の神紋も施されていました。
一気に南下します。r68・r33を渡って南下し、「西谷農協大池」交差点を渡り、r33〜r325〜「長尾山トンネル」を抜け、帰宅しました。

私の誕生日です。朝、家内から「おめでとう」と言ってもらいました。家内は同級生ですが、僕より半年お姉さんです。待ちに待った僕の誕生日、毎年僕におめでとうというより、「これでまた同じ年齢」と嬉しそうです。
お嫁さんたちから「おめでとうLINE」が入りました。次男一家は、昭和記念公園に行ってきたそうです。紅葉が綺麗だったんだって。写真を見ると、イチョウの黄葉が見事です。僕はカエデの紅葉も良いと思いますが、イチョウの黄葉の方が好きです。長男のお嫁さんからは、3人の孫たちからの「おめでとうメッセージ」を送ってくれました。
「風邪を引かないように・・・」など、僕を気遣う言葉が並んでいました。息子たちが生まれてから、彼等を護るためずっと気遣って来ましたが、大学生になった頃から反対に気遣われる行動や言葉を受けるようになり、お嫁さんが来てからは、僕ら夫婦の「サプライズ還暦祝い」をされたり、「還暦過ぎたんだから、そろそろゆっくりしたら」「ドライブレコーダー着けたほうがいいよ」など、なんだかんだ気遣われる立場になりました。
僕ら夫婦が隣に住んでいた僕の両親を毎日観察し、だんだんその生活の土台を肩代わりして気持ち良く暮らし続けるようにしたのと同じです。息子たち自身、祖父母の衰えを感じ、それまでもわがまま・おねだり放題から、何度も同じことを話しても初めて聞いたように応答するようになりました。「類は友を呼ぶ」、同じような気持ちを持つお嫁さんと縁があるのが世の常、有り難いことです。僕の誕生日に、改めて自分の幸せを感じます。


2021/11/7
ハーバーPで目覚めました。ガソリンが半分になっているので給油します。5:49「山文セルフルート23豊橋TS」で給油しました。全日本インカレ団体戦最終日です。この日も風が弱い予報です。このままレース終了になるかも・・・です。健康チェックシートを大会本部に送ります。
ハーバーPに車を入れ、日経三船監督と一緒にハーバーに入ります。一時部員不足で休部状態になりましたが、昨年より入部があり2年目でインカレに連れてきました。さすが幻のモスクワオリンピック470日本代表です。ウルマーセイルとセイル開発していることなどを聞きました。ボートのこともいろいろ聞きました。僕が学生時代同様、惜しげなく教えてくれます。こういうコーチは素晴らしい。日本のコーチのトップでしょう。
この日もKG観覧船に誘われましたが、陸上から観戦することにします。ブリーフィングして、選手が出艇して行きます。出張売店を覗きます。「FACTORY HATCHMAN」で、「ユーズドセイルバージョンバッグ7000円」購入。1回生470メンバーに呼ばれ、大型新人の母親に挨拶したいとのことで探します。この大型新人は、僕が作ったジュニアクラブ出身なので、次男の後輩です。この大会を見ても、Wのエースはこのクラブだし、いろんなチームに選手を供給しています。母親を見つけ顔つなぎします。母親はこの大学ヨット部のOGでもあります。これから3年間、同期としてクラブ活動するので話がしたかったようです。OP出身者親のグループに混じってお喋り。この日は最終日なので12:31以降のスタートはありません。12時を過ぎ、AP/A旗が上がったようで、大会終了しました。
レース艇が上がってきて、片付けます。ある程度片付き、運搬の大型トラックが大会オフィシャルの指示に従って次々に入ってきて、レース艇を積み込みます。当方は、1週間後にこのハーバーである「スナイプミックス(男女混合)・スナイプジュニア選手権」に向けて、そのままハーバーに置いておきます。他校も同じようにする学校があります。「SailFast」のYくんが、風観測システムを売り込みに来ました。
閉会式が始まりました。470級は、日大・早稲田・KO・KG・中央・D社。S級は、W・KO・日大・当方・D社・明海。総合は、W・日大・KO・D社・当方・中央。それぞれの6強で大会終了です。当方は、S級と総合で入賞しました。コロナ禍の昨年は特別でしたが、一昨年前より多くのOB・OGが応援に来てくれました。多くの応援に入賞で答えることが出来ました。
この日に代交代する大学も多く、集合して新チームに代わった大学もあります。当方は正式な代交代式は後日ですが、内部的にここで旧チームは解散です。暗くなって、ハーバー横の芝生の公園で解散ミーティングです。全員芝生に座り、クラブを卒業する4回生が1人ずつスピーチしました。涙あり笑いあり・・・。
帰路に着きます。予定の1回生6人を車に乗せて帰ろうとしましたが、なんともう1つのPに入れていた車が出られなくなっていました。もう1つのPは夜になると閉まるのを忘れていたようです。明日の朝まで待たないと出られません。運転手1名は仕方ないとして、他のメンバーは他の車で乗せて帰ることになりました。2回生Kanくんを助手席に乗せて出発。
「音羽蒲郡IC」から東名高速に乗り、「伊勢湾岸道」〜新名神高速〜名神高速で「京都東IC」で下車し、「JR京都駅」で全員降ろしました。道中、1回のトイレ休憩を除き、Kanくんとずっと話していましたので、すぐに着いた感じです。「京都南IC」から名神高速に乗り、「吹田IC」で下車し、中央環状道路〜R171で帰宅しました。


2021/11/6
速く目覚め、3:18「ファミリーマート大塚海岸店」で、「A6リングノート233円+養生テープ419円+ハイマッキー149円=801円」購入。5:11「ファミリーマート大塚海岸店」で、「フルーツミックス100円+ブルガリアヨーグルトプレーン178円+ブルガリアYGブルーベリー145円+手巻き辛子明太子150円+ピーナッツクリームパン5個108円=684円」購入し、ハーバーPで朝食にしました。
健康チェックシートを大会本部に送り、Pで待っているとK大の総監督車がやってきてお喋り。W監督の小松さんや日経監督三船さんが、選手たちに混じってハーバーに入っていきます。学生時代、470ナショナルチームだった頃、日本のトップ2でした。まだ憧れの方の胸を借りて戦っている自分に驚きます。小松さんに、「総合、見えてきましたね」と声をかけると、「いやいや、これから」との答えでした。お喋りをあれこれ。現役時代と違い、かなり丸くなりました。
ヨット屋さん「Sailfast」のバンが停まっています。2mほどのポールを立てています。これは何かな?と、日大を卒業し就職したYさんに聞くと、風観測キットのセンサーがトップに付いているそうです。当方はこのレースでも風上マークに観覧船を出して風の観測をして、コーチボートに情報を送っています。このポールがあれば、走り回っていても「見かけの風」の他に「トゥルーの風」観測出来るので便利です。観測結果は手元のガジェットに表示され、それをクラウドに上げればコーチボートからリアルタイムに見れます。総額20万ほどだそうですが、これは省力化され良さそう。WやKO・KGなどが即購入し、この大会でも使っているそうです。早速キャプテンに紹介すると、卒業記念にいいかも?と言っていました。卒業記念グッズとして、GPSロガーも良いように思い以前から言っていました。
当方の前のK大スナイプは、バウの形が特徴的です。辻堂レーシングのスナイプです。そのことを監督に聞くと、ホームポート西宮沖での練習中、前線通過で強風が吹き、数艇テトラポットに流され大破してしまったそうです。人的被害はありませんでしたが、船はもう使えないので新艇を入れたそうです。
KGの僕の数年後輩OBが来ています。ブリーフィングを終え、またKG部員2人・選手親数名と共にラグーナマリーナに向かいます。後輩OBも。Kob先輩に電話すると、「車でおいで」とのことで、僕と後輩の車に親と選手を乗せて向かいます。ハーバーPに入れてクルーザーへ。
部員に朝買った養生テープとマジックを渡し、皆さんの名前を書いてライフジャケットに付けてもらいます。沖に出ると、Kobさんからステアリングを交代し、上マーク付近をうろうろ。予報通り風が弱く、なかなかスタートしません。11時過ぎ、共同でクルーザーを運用している先輩方から電話が入り、もうすぐハーバーとのこと。一旦ハーバーバックし、僕が先輩方をPに迎えに行きます。3つ上の先輩3人と、1つ下の後輩が来ました。
再び出艇。今度はスタートライン付近をウロウロ。他校の観覧船もおり、「あの船に近づけ」などの司令を受け、僕があちこち動かします。いくつになっても先輩後輩関係は変わらず、こういう体育会が好きです。結局、風が入らないので、AP/H旗が上がり、ハーバーバックして次の指示待ちになりました。クルーザーもハーバーバックし、僕は大会ハーバーに戻りました。
同期Yam君がKGバースにいました。数日前からフェイスブックで連絡を取っていたので東京から来るのはわかっていましたが、1年ぶりかな?新幹線〜JR在来線でやって来たそうです。結局、そのまま夕方まで風が上がらずノーレースになりました。やはり、前日にもう1レースしていれば・・・


2021/11/5
4時前に目を覚ましました。4:38「ファミリーマート大塚海岸店」で、「クリームパン5個108円+ブルガリアYGプレーン178円+ブルガリアYGブルーベリー145円+手巻き辛子明太子150円+天然水芳醇ぶどう117円=698円」購入。YHのPに戻り車内朝食して、朝の体調状態をネット投稿します。7時過ぎに、ハーバーの無料Wifiを利用するため、センターハウス前に移動して、前日のレース結果やヨット情報ネットなどをPCで見ます。RitsとW大の一部が早く来ています。事情を聞くと、車が少なく宿からピストンするために早く来ているそうです。
母校監督と話し、僕と前日にあった2年前卒業OB両親の乗ることになりました。ブリーフィングを終え、レース艇が出艇していきました。Kob先輩と電話で話し、KG1回生2人・OB両親と合流し、歩いてラグーナマリーナへ。マリーナ入口でKob先輩と合流し船へ。40フィート弱のセーリングクルーザーでした。Kob先輩はセイルボートを全国に売っていたので、各地に知り合いがいます。こちらの知り合いに用意してもらったそうです。
1回生2人があれこれ出艇作業して桟橋を離れました。風が上がり、8m/sオーバーのブローが入り、470級はフルトラピーズのエキサイティングなレースになりました。予定の3レースを行い、この日のレースは終了しました。まだ14時台だったので、もう1レース出来ました。帆走指示書にも+1レース出来ると書いてあり、残り2日の天気予報では風が弱いので、もう1レースすると予想したのに、あれれ?レース艇がハーバーバックして行きました。この1レースがのちのち影響します。
当方もハーバーバックします。この日のレースは、母校KGはいまいちの成績でした。大学ヨット部黎明期から全国制覇を競った早慶同関ですが、早慶に比べイマイチです。D社はそれなりに前を走っていますが、母校は見劣りします。それでKob先輩はステアリングする気をなくし、ずっと僕がステアリングしていました。セーリングクルーザーなのでエンジンが小さくモーターボートのように速く走れないので、風上マーク付近でレース観戦しました。
ハーバーに近づき、Kob先輩とステアリングを交代しました。ここ三河湾は水深が浅く、中央部でも水深20mほどしかありません。母校が練習している尼崎西宮港内とさほど変わりません。ラグーナマリーナ入口は更に浅く、水深が3m以下になる浅さで、セーリングクルーザーは船底から更に下にキールボードが出ているので水深2mないと座礁します。水深計を見ながらハーバーに入って行きます。僕が学生を指示しフェンダーや係留ロープなどの準備をします。
Kobさんから、「明日からOBが数人来るがステアリングしそうもないメンバーなので明日も乗ってよ」と言われました。僕もKGのOBだけど、別の大学のコーチとしてこのレースに来ているので「はいはい」とは言えません。監督などの了承を得ないと・・・。「今から風呂に行くが一緒に行けへんか」と誘われましたが、これもまずコーチング優先なので、皆終わったら車をこちらに移動させることにして、レースハーバーに戻りました。
選手に声を掛け、初日トップに続き、2日目も2位フィニッシュした3回生を讃えました。470チームは、期待の3回生が58位・22位・7位と調子を上げ、大型新人1回生は10番代を3連続で揃え、総合10位まで上がりました。もう1レースしたかったな。S級チームは、4レース目で2・5・7位合計14点と爆発し、5レース目3艇合計41点、6レース目58点で、4位まで上げました。トップWとは100点差ですが、2位KOと5点差、3位日大と2点差と肉薄しました。一気に順位を上げた2日目、もう1レースしたかったな。そして両クラス総合で5位になりました。
ブリーフィングして解散。17:02「ファミリーマート大塚海岸店手巻き辛子明太子150円+クリームパン5個108円+6種おむすびセット398円=656円」購入。17:07「ファミリーマート大塚海岸店」で、「大満足白桃248円+大満足ぶどう&ナタデココ216円+4種おせんべいアソート268円+濃厚海老だしひねり揚108円=843円」購入。17:27「ファミリーマート大塚海岸店」で「雪印コーヒー500ml103円」購入。Kob先輩のキャンピングカーの隣に車を停め、トントン。あれ、いない。電話すると、近くのショッピングセンターで食べてるそうです。
先輩が帰ってきて、先輩の「飲み」に付き合います。僕はアルコールが駄目なので、コーヒー牛乳です。先輩は大学卒業後、ヒッピーしながら世界中を放浪しました。そのまま日本には帰らないつもりだったそうですが、結局数年で帰国し、ヨット販売会社で長く働きました。
お子さんをイギリスのパブリックスクールに入れ、今は日系の大手企業のエライさんです。うちの長男も現在ロンドンにおり、その子達は一番上が3才まで日本で育ったのを除き、下の2人はアメリカとイギリスしか知りません。あの3人は成人しても日本に住まない可能性があるので、いろいろ聞きました。「なぜ、お子さんをパブリックスクールに入れたのか?どうしたら入れるのか?費用は?その環境は?」。英語なんて全く出来ないのに、パブリックスクールに放り込んだそうです。奥さんは反対で、まだ子育てしたいのに子供がいなくなり、一時ノイローゼ気味になったそうで、その償いでこのキャンピングカーでの旅や、海外クルージング旅ではいつも夫婦で行ってるそうです。欧米では夫婦が単位で、日本人だけが男同士の旅が多いんだって。教育に関心が高かったり、奥さん好きなどがKob先輩と僕が似てるようで、「こんなに気持ち良くこの話を喋れるのは珍しい。普通は関心ないから白けちゃうんだよね」と。
21時を過ぎたのでお開きにして、車に戻りました。先輩は「ここで泊まっていけ」と勧めてくれましたが、朝早く起きる僕なので遠慮しました。


2021/11/4
インカレ団体戦初日です。昨夜はドライブで就寝時間が遅くなったので、5時起きになりました。布団を片付け、今朝の体調をPCで様式に従って大会本部に送ります。
YHは8時オープンなので、7時半になると選手やサポーター部員が門の前に並びました。Kan大のTan監督が2台隣に停まっていました。「おはようございます」に始まりあ〜だこ〜だ。学生たちがハーバーに入った後のハーバーへ。センターハウス2Fに誘導され、その場で体温検査され、手に消毒を受けて、「朝の体調を送ってもらいましたか?」「はい」で、ハーバー内に入ります。朝のブリーフィングで話し、定刻に出艇して行きました。コーチボート2・観覧船1の布陣で海上サポートします。僕は陸上にいました。熱心な若手コーチが揃い、インカレ予選の布陣で臨みました。
レースは進みます。持ってきた双眼鏡は、風データをコーチボートに送る上マーク観覧船に渡しました。バードウォッチング用望遠鏡をハーバー岸壁に持っていき、陸上の仕事担当の部員数人と観戦しました。同じような望遠鏡に椅子を2脚用意したご夫婦がおられたので声を掛けました。別府青山高校から明海大に進んだお子さんの応援に来られたそうです。4回生になったので、息子応援の最後のレースだそうです。そしてお兄ちゃんは僕の母校KGヨット部を2年前に卒業したそうです。3レースを終えました。今大会は前回同様、全艇にGPSが搭載され、リアルタイムでレース状況がわかります。スマホやPC上でレース艇ピコピコ動く様は、従来のヨットレースとは様変わりです。
レース艇が戻ってきて、僕もバースに戻り、トップフィニッシュしたS級3回生を祝福します。470は最初のレースで大叩きして3レース終了時で16位、1回生超大型新人もトップ10フィニッシュが1回で4位を取っただけ。期待していた3回生も35位が最高で残念。S級は3レース終了時で6位。3回生は最悪40位でシングル1回トップフィニッシュしました。エース艇はシングルフィニッシュ2回でもう1つが21位。大学からヨットを始めた4回生が最悪37位で、他の2回が20番代でマアマアです。
隣のバースが母校KGで、監督と話していると、「今日、沖にいました?」「いいや、今回は陸上から」「うちの観覧船乗れますよ、乗って下さい」と誘われ、お言葉に甘えさせてもらいました。日中話した2年前の卒業生の両親が弟の応援で来ているので、まだ空きがあるなら乗せられる?「もちろんOKですよ」ってことになりました。Kob先輩が船を用意したようで、直接電話してお願いしました。こちらもOK。KGはそういうクラブです。昼間会ったご両親に聞くと、KGは親のサポートもいろいろあったのに、弟の方はそういうのが無いクラブだと言っていました。ブリーフィングして解散。食事してあれこれやって、またYHのPで寝ました。


2021/11/3
コーチしている大学ヨット部の現チームの最終戦「全日本インカレ団体戦」です。レースは、11/4〜7まで4日間11レースで雌雄を決します。仕事を終え、車に布団を積んで出発。R171〜中央環状線。21:01「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で「ひねり揚旨辛チーズ100円+ゆずレモンサイダー500ml93円=208円」購入。吹田ICから名神高速に乗り、「草津JCT」から「新名神高速」にチェンジし東に向かいます。「土山SA」でトイレ休憩し、伊勢湾岸道にチェンジ。「豊明IC」で下車し、R23バイパスで快調に東へ。
蒲郡YHのPに車を入れ、布団を敷いておやすみ。



逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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