-ウェブマスター日記 2019/9-10

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2019/10/27
前日に続き、ヨット部の練習に参加します。この日は、兵庫県連のポイントレースがあり、それに参加します。本番前に感触を掴めます。係留艇を共同運用している先輩から、「11:30に上架して船艇をブラッシングしてフジツボ落としする。その後掃除」と連絡がありました。母校KGの観覧船として使うので、お化粧直しです。午後は練習から抜けて、そちらに参加することにしました。
前日同様、「通勤リード110」で走り、8時頃ハーバー着。兵庫県連のポイントレースに、全国から遠征に来ている大学の多くが参加するようで、50艇ほどのフリートになるようです。W・中央・法政など関東の強豪校でまだ来ていない学校もありますが、KO・日大など優勝候補は参加します。残念なのは、同じく優勝候補のD社が不参加だことです。
9時にレースブリーフィングがあり、風がないので少し様子見で陸上待機となりました。陸上で知り合いのオフィシャルと喋っていると、SEからSに風向が変わりました。出艇(D旗)が上る前に出艇しても良いそうなので、KGが真っ先に出ていきました。安定するSWではなくSのママですが、風が上がりながらSWに振って安定しそうです。J70のレース艇も出て行き、割合走っているので当方も出ることにしました。
「10:25D旗掲揚」の情報が陸上から入りました。スタート時刻は11:15以降です。470についてコーチングし、ボートスピードをより高めようと足掻きます。予想通り風が更に上がり、トラピーズに乗る風になってきました。日大が練習していたので見ると、470は3艇とも4700番台で、今年の新艇のようです。S級も2艇が新艇だそうです。さすがスポーツ学校、資金が潤沢です。うらやましいな〜、当方なんて17年目の船がまだレース艇なんだから・・・。
D旗掲揚後、レース艇が次々に出てきました。J70が新西宮沖でレース海面を取っているので、芦屋沖でレース海面を取って本部船が設定されました。11:15、470フラッグが揚がり、スタートシークエンスが始まりました。
第1レースがSW・4m/sほどで始まりました。「僕なら右に行くな〜、本部船寄りスタート・即タックで右」とスタート前予想したので、S級で本部船からスタートした九大艇272を記憶し、トップ艇ラインとともに右海面を上って行きます。九大は3艇とも本部船・即タックコースです。予想通り、右海面が良く、272はタックしてスターボになって、次々にポート艇のバウを切って行きます。左海面に出して艇もタックして来ていますが伸びてきません。272は1上2位回航でした。九大3艇は揃って上位回航しています。
470第1レースがフィニッシュし、ウエアや食事を取りに寄ってきます。第1レースのブローの入り方をアドバイスします。全艇トラブルなど無いのを確認し、ハーバーに送ってもらいました。西出入口から入り、関西ヨットクラブ大型艇バースの先端に付けてもらい、そこでバイバイ。
S先輩に電話すると、船底洗いは終了し、昼食を取りに3Fカフェに行くとのこと。僕もそちらに向かいます。カフェで落ち合い、あ〜だこ〜だ。牛丼セットを美味しくいただきました。
昼食後、係留艇バースに向かい、内外装の掃除をします。僕はケルヒャー担当で、強力水流でサイドボトムやデッキを洗います。マストに止まったカモメの糞がデッキに落ちており、それはデッキブラシでゴシゴシ。「はい、綺麗になりました、終了」。お茶を飲んでお終いです。
Hさんが車で来られているようで、それを見に行きました。1969年製のワーゲンカブトムシです。室内保管されていたようで、再塗装していないのにとても綺麗なライトブルーです。シートベルト設置義務のなかった時代の車なので、シートベルトそのものがなく、着用違反にはならないそうです。ヘッドレストもありません。エンジンは載せ替えたそうです。
ディンギースロープに戻ると、レース艇が帰ってくるところでした。予定の3レースをこなし、当方スナイプは、1回トップフィニッシュしたそうです。バースに戻ってきたので、大げさに褒めておきました。クルーは1回生経験者なので、大きな自信を付けたでしょう。
トップフィニッシュしたのは、去年の新艇でした。去年のインカレで2回トップ引いたキャプテンが乗っていた艇です。風が上がってくると良いパフォーマンスを見せるようで素晴らしい。でもインカレ本番では予備艇なんだって。天気予報では軽風〜中風が予想されており、その風域なら他の艇の方が速いそうです。ピアソンや辻堂の方が奥村より速いみたい。
全体ミーティングで両クラスに共通することを話し、クラス別ミーティングで気づいたことを470チームに話します。夕食を艇庫下で食べました。すっかり暗くなっており、怪しい集団です。終了の全体ミーティングが終わり、家路につきます。470コーチのK君もバイクでした。高速道路も乗れるのですが、大津まで下道で帰るそうです。2時間ご苦労さまです。


2019/10/26
コーチしてる大学ヨット部の練習に参加しました。全国の大学ヨット部が最終目標とするレース・「全日本インカレ団体戦」が、来週に迫りました。最後の週末です。
朝起きて暫くゴソゴソし、「通勤リード110」でハーバーに向かいました。7:48「セブン」で「ひねり揚100円+カフェオレ500ml103円=224円」を購入し、8時過ぎにハーバー着。先週までのディンギーヤード内艇置き場から、大会本番用置き場(ディンギーヤード後ろP)に移動していました。
二輪置き場にバイクを置き、皆に挨拶。関東の優勝候補、KOや日大も来ています。9時にならないとディンギーヤードとの間のゲートが開かないので、それより前に出艇できないそうです。S級はAM整備と決まっていますが、470は練習に出ます。その前にコーチボート2艇をスロープから降ろしながら、今年の新艇ではない方のインフレータブルのエアタンク上のロープを付けているベースの剥がれが気になりました。以前から剥がれており、何度も修理しているのですがすぐに又剥がれ、年々剥がれが大きくなっています。
これはプロに見てもらった方が良いと思い、新しいインフレータブルを買った会社をやってるUさんに電話しました。エアタンクの材質によって修理方法や使用する接着剤が違うとのことで、一度見てくれるとのこと。ちょうど新艇の試運転が午後からあるので、海上で落ち合う事になりました。
風は弱いけど470が出艇し、遅れてコーチボートを出しました。ハーバー東出入口を出たところで、帰ってくる470に会いました。「全く風がないので、整備します」とのこと。一緒に戻り、整備に付き合いました。
タッパウエアに入れられ配られた美味しい昼食を食べ、PMの練習に出ます。最初は軽風でしたが、最後はフルトラピーズの良い風になっていました。主に470についてコーチングをしました。4番艇のおりちゃんが調子良く、上3艇と遜色なく走ります。途中でNak艇と乗り替わり、カットの違うニューセールにも乗りました。戸惑うことなく同じように走り、吹いてくるとパフォーマンスが落ちますが、レース本番で調子を落とす選手がいても、不安なく交代できそうです。
S級の方も、去年の新艇に乗っている3番艇がよく走っており、いい感じです。14時にUさんに電話すると、「もうすぐ準備できるから出ます」とのこと。ところが30分ほどして電話があり、「クレーンが他艇が使っており、暫く出れない」とのこと。「来てもらった方が早いけど・・・」。早速、S級を追いかけてるもう一艇のインフレータブルに連絡し、16時にUさんのいるハーバーに向かうよう指示する。470は、3回生T君がセッティングに迷っており少々心配。
16:30にハーバーバックし、インフレータブルの修理のことを聞きました。特別な接着剤を取り寄せ、レースまでには修理してくれるそうです。作業もプロがやってくれるそうなので有り難い。しっかり直しておきましょう。
ミーティングは出ずに帰宅し、仕事に復帰しました。


2019/10/20
前日は、ハーバー内のロッジに4人で泊まりました。ワンルームですが広い室内にゆったりとベッドが5つ置かれ、TVもあります。外には屋根のついた広いウッドデッキがあり、テーブル&4椅子が2セットゆったりと置いてあります。そのデッキにはトイレ・バス・洗面ルームありこちらもゆったり。更に洗面がデッキにあり、6時前に起き出して気持ち良く過ごせました。洗面してPCを開け、いろいろチェックしていると皆さん起き出してこられ、あ〜だこ〜だお喋りが始まりました。
7:30から朝食です。Hさん達が用意して下さったスクランブルエッグ・野菜・ウインナーをパンに挟んで食べました。カタマランはこのハーバーに停泊出来ないようで、お隣のハーバーにカタマラン組が帰って行かれました。
8時になり、僕は松山から来られたB艇に乗せてもらい、柱島沖に向かいます。30フィートのティラー艇で、オートパイロットを操作しながら、多島海を縫うように走ります。風はなく機走です。僕には、島なのか本州なのか見分けがつかない海ですが、GPS見ながら目的地を目指します。
9:55、柱島沖・旧連合艦隊旗艦泊地に到着しました。当時は260mの戦艦大和を係留した巨大ブイがあっただろうが、今は何もありません。その地を示すのはGPSの赤ばってんマークだけです。このマークは沈船を示すマークで、現在でも世界最大の戦艦だった超ド級戦艦大和・武蔵が登場するまで旗艦を勤めていた「戦艦陸奥」がこの下に沈んでいます。大戦中、謎の爆発を起こし多くの将兵とともに沈みました。
沈船マークの真上を通過すると、魚群探知機が急に浅くなるポイントがありました。沈艇の目印か小さなブイが打たれており、良い目印になっていました。反転し、再びそこを通過しようとすると、プレジャーボートがやってきて釣りの準備を始めました。良い漁礁になって魚が集まっているのでしょう。かつては沈船ダイビングのポイントだったそうですが、そこに集まる魚を狙った漁師の網が引っかかりちぎれ、ダイバーに危ないので禁止になったそうです。
じっくりと魚探を見ながらポイントを探ってゆっくり走ると、30〜40mの水深で推移しているのに急に16mまで浅くなる所があり、まさに「陸奥」を魚探が捉え、真上を通過しました。
目的を果たしたので、帰路に着きます。柱島の南に、続島・長島・福良島が続いています。東に抜けたいので、島の間を抜ければ良いのですが、水深がわからないし暗岩があれば大変なことになるので、安全を期して福良島の南を回りました。福良島の東に出ると風の通り道なのか良い風が吹いておりセイリングが出来そう。でも目的地方向からの風なのでクローズのタッキングを繰り返すより、機走で真っ直ぐ狙う方が良さそうです。白波も見える6〜8m/sの風なのでドジャーを出してバウからの波を防ぎながら走ります。
上空を水上飛行機が飛んでいきました。岩国基地から出たのでしょう。日本が世界に誇るUS2かもしれません。Rさんに、青島〜ウラジオストック〜新潟レース参戦記を聞かせてもらいました。ジャパンチームのユニフォームを着ておられました。このレースは、青島市が用意した同型艇によるレースで、中国・韓国・ロシア・日本選手が招待され、船・セイル・諸費用など全て青島市持ちだそうです。20日ほどのレースなので、サラリーマンでも長く休暇の取れる人なら参加できるそうです。
12:33、倉橋島と鹿島大橋で結ばれている「鹿島」の鹿島大橋下「瀬戸漁港」に降ろしてもらいました。「ありがとうございました。そしてさようなら」。Hさんにピックアップしてもらい「鹿島大橋」を渡り「倉橋島」へ。「能美島」へ渡る「早瀬大橋」手前にある「音戸零式味噌ラーメンせと」さんで、13:08昼食にしました。
「能美島」に渡り、「沖野島マリーナ」に送ってもらいました。14:07ハーバーを出発し、小さな橋で「能美島」に渡り、r300。「大柿高校」前に人が大勢出ていました。「ヒロシマMIKANマラソン」会場だったので、帰りのバスを待っているようです。
14:29、「江田島海上自衛隊第一術科学校」。15時からこの日4回目の見学会があり参加しましょう。名前・住所・電話番号を書き、見学者バッジを胸に付けます。見学は無料。見学者集合場所に指定された建物(江田島倶楽部1F)に入ると、レストランが有り「海軍カレー」を食べたかったが、少し時間が足りませんでした。
「海上自衛隊歴史ゾーン」を見学します。「ヘリ空母・いずも」はじめ多くの海自艦船模型が展示され、掃海機雷コーナーには、ペルシャ湾で掃海した機雷も展示されていた。「シースパローミサイル」から「SM1・2ミサイル」など武器も展示や発射写真パネルが並んでいた。最も目を引いたのが「イ-16」旧連合艦隊潜水艦模型でした。「特殊潜航艇」を搭載した大型潜水艦です。当時、水上飛行機を載せた大型潜水艦もありました。世界一の性能を誇る現代の海上自衛隊潜水艦に続くものです。小学生の時、プラモデルブームでした。軍隊物が好きだったので、「ゼロ戦」に始まり「紫電改」・「戦艦」などを作りました。艦船で好きだったのは「伊号潜水艦」、そして空母「赤城」などを作り、最後は「空母エンタープライズ」を作りました。
順路通り歩いたら「記念品・おみやげセンター」に入りました。「海軍カレー」など売っていましたが、それは買わず、14:55「江田島クラブネックストラップ700円+旭日旗ステッカー350円+アイラブ江田島ステッカー350円」を購入しました。
待合場所に戻り、椅子に座って、流されている自衛隊の映像を見ていました。15時になり、案内係の年配の方が来られ、見学の注意事項を喋られ、外に出ることを促しました。1ヶ所を除いて写真・ビデオは撮影OKで、駄目なとこはそこで言いますとのこと。
最初に、背後の山・古鷹山の説明。ここで学ぶ海上自衛隊幹部候補生学校生徒は、あの山へ登るのをトレーニングにしています。「大講堂」は大正時代建築されたもので、今では考えられないような費用を掛けたそうです。東西に門があり、東門は天皇陛下はじめ皇室方のみ使う勅使門のような門で、今でも学校長・防衛大臣・知事など限られた方のみが使っているようです。学校の面する湾に桟橋があり、この桟橋も皇族方のみ使用が許されたものだそうです。西門から講堂内に入ります。壁も天井も素敵で床は石が敷き詰められています。正面ステージには日章旗と旭日旗があり、左右の旗に守られた椅子が玉座だそうです。皇族や貴族方は、左右の2F張り出し椅子に腰掛けるそうです。天井の高い講堂ですが、説明員さんの声がよく聞こえるな〜と思ったら、反響が大きくマイク無しでも皆さんに聞こえるそうで、今でもエアコンなしマイク無しだそうです。
「赤レンガ造の旧帝国海軍兵学校生徒館」がとても綺麗です。現在は幹部候補生の教室として使われています。朝礼台があるその前の広場は、毎朝箒して、枯山水の庭のように並目で仕上げられているそうです。生徒館の横の長さは140mで戦艦大和はこの長さの約倍260mだそうです。如何に大きな軍艦だったか想像して下さいとのこと。驚いたことに、この建物は明治時代の建物で、イギリス人設計者がイギリスからレンガを運んで造ったとされていることです。説明員のお話では、近くの島にイギリス人が造ったレンガ工場があったので、そこで作ったものを積んだのではないかとのこと。
呉は帝国海軍最大の基地で、旗艦もこの近くに停泊していました。軍港はもとより呉の町も真っ先に標的になったはずなのに綺麗に残っているのは何故?と思ったら、呉の町は空襲を受けたけど、ここは全く標的にならなかったそうです。何故かと言うと、当時の世界三大海軍兵学校は、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとここ江田島だったからだそうで、既に勝利を確信していた米軍は戦後接収しようと無傷で残したそうです。余裕です。
旗艦泊地で謎の爆発を起こし沈没した「戦艦陸奥」の第4番砲塔が海に向かって鎮座していました。置かれていた錨も陸奥のものかも?生徒館内の一部を覗かせてもらいました。長い廊下で、映画のロケに使われているそうです。
続いて「教育参考館」。ここが写真撮影禁止でした。旧海軍資料館で、終戦前、進駐してくる米軍に無茶苦茶されたくなかったので、極秘資料を処分したり、疎開させたりしたそうです。入口横に「戦艦大和主砲の46センチ砲弾」が置かれていました。世界最大・最大射程を誇った主砲・砲弾で、射程42kmだったそうです。皮肉にも日本海軍が真珠湾で劇的な圧倒的勝利を収め、航空機の時代を開いたために、主砲の能力を発揮することもなく悲劇の戦艦になってしまいました。
「館内に入る時、脱帽をお願いします」と言われ入ると、「東郷平八郎の遺髪」「特攻隊員の遺書」などが展示されていました。特攻隊員遺書の展示は、靖国神社・陸軍知覧基地・海軍鹿屋基地とここだけだそうです。
屋外に連合艦隊兵器の展示がありました。
『特殊僣航艇 排水量46トン・全長23.9m・内殻直径1.85m・電動機600馬力 速力水中19ノット・航続力6ノット80マイル19ノット16マイル・兵装魚雷発射管2門魚雷2本・乗員2名
本艇は、太平洋戦争の開始直前それぞれ伊号第16・18・20・22・24潜水艦に搭載され昭和16年11月20日呉軍港を出港し、同年12月8日未明特別攻撃隊としてハワイ真珠湾に在泊中の米軍太平洋艦隊の攻撃に参加した5隻の特殊僣航艇の1隻である。昭和35年6月13日真珠湾港外約1マイルの地点で米海軍により発見引き揚げられ、昭和36年6月20日真珠湾に寄港した揚陸艦しれとこに搭載されて、7月10日約20年振りに横須賀に持ち帰られ7月28日本校に到着した。艇体頭部は受領当時切断されていたが昭和37年2月、株式会社呉造船所により新製され、ここに艇体の原型が復元された』
『特殊潜航艇 特殊潜航艇が公表されたのは、昭和16年12月8日太平洋に戦端が開かれるや長駆してハワイ真珠湾に潜入、航空部隊の攻撃と呼応して米国主力艦隊を強襲し緒戦を飾ったときであり、この特殊潜航艇の攻撃が太平洋戦争の特別攻撃隊の始めである。その後、特殊潜航艇は逐次改良され「甲標的」と呼称されていたものは乙型、丙型、丁型と変移し、この段階で「甲標的」に代えて「蛟龍」という名称が用いられるようになった。これらの特殊潜航艇は南方はるか豪州シドニー軍港に米豪艦隊を、インド洋はマダガスカル島ディエゴスワレス港に英国艦隊をそれぞれ急襲して連合軍を震撼させた。また「特型運貨筒」「特型運砲筒」と呼ばれた艇はソロモン海域に物資や砲銃の輸送に従事し活躍した。さらに戦場が、わが周辺に迫るに及び「海龍」が量産され「蛟龍」「回天」ともども本土決戦に満を持したのである。まさに、特殊潜航艇をもって始まった太平洋戦争は特殊潜航艇によって終りを告げようとした。
特殊潜航艇の関係戦没者は370余柱に及んでいる。戦後これら特殊潜航艇乗組員の功績と栄誉を敬慕し、その御霊をおまつりするため各地に慰霊碑が建立されているが、近在に建てられている碑は次のとおりである。
香川県小豆郡内海町馬木八幡神社境内「忠魂碑」・広島県安芸郡音戸町波多見八幡神社境内「嗚呼特殊潜航艇碑」・山口県徳山市大津島「回天」・愛媛県西宇和郡瀬戸町三机須賀の浜「大東亜戦争九軍神慰霊碑」・山口県’熊毛郡平生町松倉工業内「回天碑」・山口県光市正門町武田薬品KK前「慰霊碑」』
『特殊潜航艇(海竜) 本艇は、昭和18年海軍中佐浅野卯二郎の着想により、同20年4月量産発令と同時に官民多数の建造所で全力をあげ急造、本土決戦に備えられた特攻武器である。終戦までには230隻が完成し、なお、多数建造中であったが一度も使用されていない。魚雷2発を下部両側に装着発射することになっているが、一部の艇は魚雷にかわり艇首に炸薬を装備することとし、自動車用機関により量産された前例のない有翼潜水艦であり、軽快に潜航浮上ができた。
排水量19.3トン・全長17.28m・直径1.3m・安全潜航深度250m・速力水上7.5ノット水中10ノット。航続距離水上5ノット450マイル水中3ノット36マイル・乗員2名・兵器45kg魚雷2本または炸薬600kg』
『93式魚雷 この魚雷は昭和8年、酸素を酸化剤とする蒸気レシプロ機関を使用した世界初の実用酸素魚雷として開発。巡洋艦、駆逐艦等に搭載された。93式魚雷以前は、圧縮空気を酸化剤とする空気魚雷または電池魚雷が使用されていた。純酸素を酸化剤とすれば、画期的な性能向上が期待できるが、酸素は燃焼反応性が高く、始動時に爆発する恐れがあるため、実用化は不可能と目されていたが、始動時には空気を使用し、徐々に酸素の比率を高めることによって、この難問を解決した。93式魚雷は、潜水艦用野95式魚雷とともに、第2次世界大戦唯一の酸素魚雷として、世界に卓越した射程、雷速及び破壊力並びに無航跡の威力を発揮した。 直径61cm・長さ9m・雷速及び航続距離36ノット40000m48ノット20000m・炸薬490kg』
『92式魚雷 この魚雷は昭和7年、電池魚雷としては異例の大型魚雷として開発、巡洋艦・駆逐艦・潜水艦等に搭載された。また、一部は特攻兵器である「回天10型」の母体となった。 直径53.3cm・長さ7.15m・雷速及び航走距離30ノット5000m・炸薬319kg』
『91式魚雷 この魚雷は昭和6年、航空機から射出する航空魚雷として開発された。標的となる艦艇に回避の暇を与えないため、高速度の航空機からの射出と水深の浅い海面での射出を可能とするため、独特の姿勢安定器などを備えており、真珠湾攻撃から終戦まで世界に卓越した威力を発揮した。 直径45cm・長さ5.47m・雷速及び航走距離42ノット2000m・炸薬240kg』
『駆逐艦「雪風」の主錨 駆逐艦「雪風」は日本海軍の陽炎型駆逐艦18隻中の1隻で、昭和15年1月に佐世保海軍工廠で完成した。太平洋戦争では戦史に残る主要な海戦にはすべて参加、沖縄特攻にも戦艦「大和」と共に行動したが、無傷で生還した。戦後連合軍に接収され、当時の中華民国海軍に引渡された。軍艦「丹陽」と改名した雪風は同海軍の旗艦として活躍していたが昭和44年台風で船底が破損したため解体された。この錨は雪風の記念品として昭和46年10月22日、同国政府から雪風保存会に送られ、同会から海上自衛隊に寄贈されたものである』
『砲弾の戦歴 日本海軍が1942年8月、ガタルカナル島に建設した飛行場は、我が航空部隊が進出する直前に連合軍の奇襲上陸により奪取された。この飛行場の確保が大東亜戦争の天王山と判断した両軍は、その争奪を巡って死闘を繰り返した。日本海軍は、陸軍のガ島総攻撃用の兵員及び軍需品の高速輸送を支援するため、艦砲射撃による飛行場の制圧を計画した。1942年10月13日夜半、挺身攻撃隊として編成された軽巡「五十鈴」・駆逐艦「親潮」「早潮」「黒潮」「海風」「江風」「涼風」「高波」「巻波」「長波」・戦艦「金剛」「榛名」は、ガ島に肉迫し「金剛」「榛名」の主砲をもって、合計918発にのぼる砲撃を加えた。この猛攻よりガ飛行場は一面火の海となり、わが高速輸送船団は無事ガ島に突入し揚陸に成功した』
『安式40口径6吋砲 日露戦争(明治37〜38年)に備えて、日本海軍が英国アームストロング社(安社)から艦載砲として輸入した砲で、当初は戦艦「三笠」を始めとして数多くの戦艦・巡洋艦の副砲として搭載され、明治41年以降は、日本製鋼所室蘭工場で国産化された。(制式名:41式40口径15糎砲)。 特徴は、砲弾を砲身の後方から装てんする「後装式」を採用したことで、「前装式」が主流であった当時の砲に比べて、装てん時間は約1/10に短縮された。
太平洋戦争においては、製造後40年が経過し旧式化していたため、既に艦載砲としての役割を終え、東南アジア・南西諸島の要所に沿岸砲台として設置されていたが、終戦後も撤去されることなく、各地に数多く残されたままとなっている。 この砲は、1899年英国のアームストロング社において製造されたのち、日露戦争に備えて輸入された中の1門で、同戦争では艦載砲として使用された。(搭載艦名不明)。 その後、太平洋戦争においては、サイパン島で沿岸砲台として使用されていたが、戦後放置されていたものを、昭和48年堺市議会議員(当時)加藤均氏により引き揚げられ、平成26年6月本校に寄贈されたものである。
口径6寸(15.2cm) 砲身長40口径(6.08m) 最大射程13000m 射撃速度7発/分 砲身重量6.7トン 盾重量6.5トン 砲弾重量45kg』
ここでお終い、帰ります。説明員さんが、「兵学校の文官教師は東大出身者の上位3番まで、京大は2番までと優秀な方に限定されていました」の説明がありました。大東亜戦争当時、兵学校卒業席次がその後の出世を大きく左右したように、現在も中央官庁などの出世は、大学時代の卒業席次に準ずるところがあり、一般企業のように入社後の実績重視ではない。米軍が当時から実績重視だったこととの差が勝敗に影響しているように思う。
兵学校の入学生徒数の話もあった。明治の開校以来100〜300名で少しずつ増えていたが、昭和17年入学で500名を越え、16年以降は1000名を越えた。終戦の年は3000名の入学者を出したが、これは戦線の逼迫という要素もあったが、優秀な若者を戦闘地域に送らず戦後の復興のために残すこともあった。戦後、ここで守られ命を永らえた若者が日本各地に散り、戦後復興に大いに活躍した。
16:33バイクに戻り、「海上自衛隊・第一術科学校/旧帝国海軍兵学校」を後にしました。「江田島」最北部まで行ってみよう。r44で東海岸に出て、R487で最北部〜r297で西に走り南下し、再びR487に合流しました。
17:12「出雲神社」。今夜の宿を確保するために、スマホで検索しながら電話します。「すいません、今日は満室で」×2。日曜の夜なので空いてると思ったら、困ったぞ。仕方ないのでネットカフェで寝よう。「快活クラブ」を検索すると、呉にはない。次に近い所が広島でした。広島駅近くに数店あります。まず広島まで走ることにしました。街なかは道がややこしいので、ナビがないのが参ります。仕方ないのでスマホナビで案内してもらいましょう。
r44を南下していると、暗くなっちゃいました。17:48「エネオス江田島江能SS」で給油。255km/10.18L=25.0km/L。R487に乗り、「早瀬瀬戸」を渡り「倉橋島」へ。「音戸瀬戸」を渡って本土へ。「呉IC」で「広島呉道路」に乗ります。「大洲IC」で下車し、r164で「JR広島駅」南を西に走り、r37〜R54〜R183で、19:49「快活クラブ広島祇園店」。「快活クラブ」は予約もなしに泊まれるから簡単でいいわ。宿泊手続きして、20:01「セブン広島西原9丁目店」で「助六寿司390円」購入。「快活クラブ」で助六を夕食にしてご就寝。


2019/10/19
前日18日は、僕のホームポート西宮で大学ヨット部のコーチングをしていました。朝出艇してから良い風(NE・6〜8m/s)が入っており、10m/sオーバーのブローが頻繁に入り、強風の良い練習になりました。少し早めにハーバーバックし、昼の休憩を長く取ることにしました。
昼食はタッパウエアに入ったキムチ丼?で、美味しかった。2週間後はここで全日本インカレ団体戦が始まるので、上位4艇が前入りしています。他の部員はホームの琵琶湖で、練習しています。D社とKOが入っており、KOスナイプ1艇が練習に混じっていました。葉山で「全日本スナイプ」もやってるので、他の2艇はそちらに行ってるそうです。当方も2艇出場しています。D社はオフだそうで、整備をしていました。午後の出艇の準備をしていると、Ritsの艇がトラックでやって来ました。
PMも同じく良い風に恵まれ、16:30ハーバーバックまで走り回りました。部員が少ないので、僕はインフレータブルボートのドライバーもしました。かっ飛んで走るレース艇に負けじとかっとび、久しぶりにテンションアゲアゲになりました。部員の方も強風でかっ飛ぶので、ドーパミンたっぷりでセイラーズハイの境地になってる感じで、数分の休憩を挟みながら、走りまくっていました。
練習を終えハーバーに上がると、1日中吹くのが久しぶりで「楽しかった〜」とニコニコしていました。沈して体力が奪われているはずの奴が妙にテンション高かったり、面白かった。ミーティングを出ずに帰り、仕事に復帰しました。
そんな前日だったので、朝起きれるか不安でしたが、4時台に目を覚まし、ツーリングの準備をして家を出ました。目的地は広島で遠いです。参加しているクルージングクラブの「旧連合艦隊旗艦泊地をヨットで訪問しませんか?」ミーティングに手を上げました。2週連続続いた訃報で仕事がたまり、一度は断念しましたが、こんな機会は二度となさそうなので、何とかして参加出来ることにしました。倉庫から、「招き猫CB400SB」を出し、荷物を積みます。いつもならドライブレコーダーとナビをハンドルマウントするのですが、これから天候が回復予報なのはわかっていましたが、朝雨が降っていてまだ降ってもおかしくない空模様なので、暫くマウントせずに走ることにしました。高速道路に長く乗るので、途中で雨が落ちてきてもすぐに外せないと濡れちゃうからです。これが・・・
「宝塚IC」から中国道に乗り、最初の目的地「大三島」まで270km走ります。7:21、「三木SA」で、お遣い物として「神戸チョコバナナ1188円+大阪ちよ子バウムクーヘン1080円=2268円」を購入。9:18「吉備SA」で「助六310円」を購入し、朝食として食べました。9:41「吉備SA・エネオス」で給油。272km/10.5L=25.9km/L。時間的に余裕がありそうなので、福山の「鞆の浦」に寄り道することにしました。
「篠坂PA」で休憩し、ナビとドライブレコーダーをセットしようと思ったら、「ナビがない」・・・ガーン・・・忘れて来たようです。どうしよう・・・ツーリングマップルしかありません。
10:30に出発し、更に「山陽道」を西進し、「福山東・東城IC」で下りました。R182〜r244〜r380で福山市街地を通過し、芦田川を渡りr22。海岸道路になり、「鞆の浦」沖に浮かぶ「仙酔島」が見えてきました。
11:12、「鞆の浦」。シンボルの「常夜燈」を見てr47。「鞆の浦」は天然の良港があるので、風待ちの地として栄え、朝鮮やシナ大陸への通信使の寄港地であり、戦国時代は織田信長に都を追われた足利義昭が毛利氏の庇護を受け陰棲した地でもある。
r47は尾道まで通じていますが、海岸から離れるので、途中でr389に乗り換え海岸を見ながら走ります。天気はイマイチですが、海を見ながら走るのは良いです。雨が落ちてきたけど、小雨です。カッパの上は防寒具として着ているし、下を履くまでもないのでそのまま走ります。ずっと雨かな?と思って走っていたら、前方が明るくなってきて雨が上がりました。ここから気温が上がりだしたのか、暑くなってきました。
r47に合流し、松永湾を渡って、JR山陽線をくぐり、右折してR2に乗りました。「西瀬戸道」の下をくぐり、すぐに右折してR317。ぐるぐる回って標高を稼ぎ、「尾道大橋」で「向島」との間の瀬戸を渡りました。「尾道〜向島」間の短いフェリーにも乗ってみたかったが、「大三島〜岡村島」のフェリーの時間を考え、「大山祗神社」参拝時間を長く取るためパスしました。
向島に上陸し、「向島IC」から「西瀬戸道」に乗りました。「因島大橋」を渡り「因島」に上陸。「生口橋」を渡り「生口島」に上陸。また雨が落ちてきた。「多々羅大橋」を渡り、「大三島」に上陸。「大三島IC」で下車し、R317で北上し、道なりにr21になり、左折して「大山祗神社」の方に向かいます。
13:05「大山祗神社」。四国と本州のむしろ本州に近い島にある神社ですが、伊予国の一宮です。全国の大山祗神社・三島神社の総本社です。山の神・海の神・武の神なので、古来より武人からの奉納が多く、国宝・重要文化財甲冑の4割がこの神社に奉納されています。特に僕の心を捉え、どうしても見に来たかったのが唯一の女性用胴丸です。村上水軍の鶴姫が着用し奉納したとされています。胸の膨らみとウエストのクビレがセクシーらしく、それに対面できるとワクワクです。
鳥居をくぐってすぐ「斉田」がありました。『大山祗神社伝統の神事御田植祭(旧暦5月5日)と抜穂祭(旧暦9月9日)は、この神田に於いて行われます。この時、愛媛県無形民俗文化財・一人相撲が奉仕されます』。参道脇に「絵馬殿」があり、剣の絵馬などが掲げてあり、武の神としての特徴を感じました。奉納絵馬を見ると、鎧姿の女性武人が描かれている絵馬が数点あり、さすが鶴姫の地と思いました。「鶴姫祭」の写真もあり、村上水軍の娘の絵馬が何故こんなに多くと疑問が湧いたので調べたら、大山祗神社の筆頭宮司(権宮司?)越智氏の娘でした。護衛艦の絵馬が多数奉納されており、海上自衛隊の本拠地「呉」が近いからな〜と思いました。
『日本総鎮守 大山祗神社由緒
大山祗神社は、瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である芸予海峡の中央に位置して、大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、日本最古の原始林社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。御祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神に当らせられる。
天孫瓊々杵尊御降臨の際、大山積大神、またの名吾田国主事勝国勝長狭命(大山積神の擬神体)は女木花開耶姫尊を瓊々杵尊の后妃とし、国を奉られたわが国建国の大神であらせられるが、同時に和多志大神と称せられ地神・海神兼備の霊神であるので日本民族の総氏神として古来日本総鎮守と御社号を申し上げた。
大三島に御鎮座されたのは、神武天皇御東征のみぎり、祭神の子孫・小千命が先駆者として伊予二名島(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衝である御島(大三島)に鎮祭したことに始まる。
本社は社号を日本総鎮守・三島大明神・大三島宮と称せられ歴代朝廷の尊崇、国民一般の崇敬篤く奈良時代までに全国津々浦々に御分社が奉斎せられた。延喜式には名神大社に列し、伊予国一の宮に定められ、官制に依り国幣大社に列せられた四国唯一の大社である。現在官制は廃せられたが、地神・海神兼備の大霊神として千古の昔に変わらぬ崇敬を寄せられ、全国に奉斎される大山祗神社・三島神社の総本社として、また数万点に及ぶ宝物類を蔵する国宝の島として四季を通して多数の参拝がある。
大山祗神社宝物殿 開館午前8時30分・閉館午後5時
大山祗神社に奉納された多数の美術工芸品を展示、なかでも刀剣・甲冑を主体とする武具類は日本一として知られる。
国宝・禽獣葡萄鏡/斉明天皇ご奉納 国宝・澤潟威鎧兜大袖付/越智押領使好方奉納 国宝・赤絲威鎧大袖付/源義経奉納 国宝・紺絲威鎧兜大袖付/河野通信奉納 国宝・紫綾威鎧大袖付/源頼朝奉納 国宝・牡丹唐草文兵庫鎖太刀拵/護良親王奉納 国宝・大太刀拵付豊後友行/大森彦七奉納 国宝・大太刀銘千手院長吉/後村上天皇ご奉納
他に重要文化財指定の鎧・兜・刀剣・美術工芸品及び文書類等多数展示
大三島海事博物館(葉山丸記念館) 昭和天皇が30余年にわたり海洋生物研究の御採集船としてご使用になられた葉山丸を永世保存している。
所在地:愛媛県今治市大三島町宮浦
電話:0897-82-0032』
神門の左右に武者が守護していましたが、他の神社では座った姿の武者が多いが、ここは立像で新鮮でした。参道を歩いていくと、ボランティアスタッフの方が説明されていた楠の巨木が立っていました。
『天然記念物 能因法師雨乞の楠 日本最古の楠(樹齢3000年)で後冷泉天皇の御代(900年前)伊予国守藤原範国は能因法師を使者とて祈雨の為象拝させた。其の時「天の川、苗代水にせきくだせ、天降ります神ならば神」と詠じ幣帛に書付け祈請したところ、伊予国中に3日3夜雨が降った(金葉和歌集)と伝えられている』
『天然記念物 呼知命(おちのみこと)御手植の楠 御島(大三島)に祖神大山積大神を祭った呼知命の御手植楠(樹齢2600年)と伝えられ古来御神木として崇められている』
『日本総鎮守 大三島宮・大山祗神社由緒 御祭神・大山積大神 御祭神大山積大神は、天照大神の兄神で山の神々の親神に当り(古事記・日本書紀)天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民俗の祖神として、和志大神(伊予国風土記)と申し上げる。海上安全の守護神。
地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され、朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く、中世は四社詣、五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。御分社は、全国に10000余社杞られ、延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた。明治以降は国幣大社に列せられ、四国で唯一の大社として尊崇でれている』
『天然記念物(国指定)大山祗神社楠木群 境内の楠木は、昭和26年6月9日一括国の天然記念物に指定された。指定樹38本の他大小約200本の楠木が群生する。この楠も国指定天然記念物対象樹で直径2.6m・高さ24mある』
『河野通有兜掛の楠 弘安4年蒙古襲来に当り通有は当社に参龍祈願し、三島水軍を率いて筑前に進発し当神社の神使白鷺の導により勝利を得る。其の出陣の際兜を掛けたと伝う』
『重要文化財 宝篋印塔 鎌倉時代 時宗の開祖一遍上人は河野通広の子として松山宝厳寺で生まれ、三島水軍河野通信の孫に当たり、一遍上人絵伝に知られる通り大三島宮の参拝の折奉納したものです』
本殿に参り、宝物館に入りました。1000円(海事博物館含め)で少々お高めで、もちろん写真撮影禁止でしたが、国宝・重文の鎧兜・刀剣類がズラリと並びウハウハ拝見させて頂きました。観たくて仕方なかった鶴姫の胴丸の前で、暫く穴が空くほど観ていました。胸の膨らみも感じましたが、ウエストのクビレが目立つ胴丸で、女性のウエスト好きな僕には最高でした。売店で、「大山祗神社の総合写真集」を購入しました。社殿や奉納収蔵された甲冑・刀剣がカラー写真で多数載っているのに2000円ほどで安いと思いました。
続いて「海事博物館」に入館しました。昭和天皇の海洋生物研究のため採取船「葉山丸」を記念して建てられた建物だそうで、採取した標本や鉱石が展示されていた。
『伊藤博文公記念楠樹 伊藤博文公は、我国初代首相明治42年3月22日当社へ参拝。社号標の揮毫並に楠樹の記念植樹をされた』
『県文 十七神社 室町時代 長棟造りて平安様式が残されており、当大山祇神社は伊予国一の宮でありますので、ここに国中の神々を祀った建物です。特に内陣には木彫の御神像(いすれも重要文化財指定)が安置されております』
入口の鳥居まで戻って来ました。斉田横にあった建物を観に行きました。『御桟敷殿(おさじきでん) この建物は御田植祭(旧暦5月5日)抜植祭(旧暦9月9日)の両度、御神輿の渡御を申し上げ神田斎場祭を奉仕する御殿です』
14:03バイクに戻り、r21をフェリー乗り場に向かいます。大山祇神社の後背の岩山が格好良かったので激写しました。14:11「宗像港」。「原付&二種のグループ」が10台ほど待っていました。「乗れるかな?」と思い、案内所にチケットを買いに入ると、「自販機で買ってね」と言われあっさりしたものでした。「とびしま海道」の岡村島まで、「大人420円+自動二輪750cc未満750円」。
14:35が迫り、フェリー桟橋に移動しました。「原付&二種グループ」は加古川のグループだそうですが、「鳴門」ナンバーなど加古川以外のバイクも数台ありました。フェリーがやって来て、小さな桟橋にバウ着けしましたがロープで固縛することもなく、バウ扉を桟橋に下ろしただけで、車両や人が降りてきました。その状態でバイクも車2台も乗船し、すぐにフェリーは出発しました。バイクを括ることもなく、サイドスタンドだけです。波の穏やかな瀬戸内海ゆえのフェリー運用です。
もう雨は降りそうにない空模様になっており、揺れの殆ど無い静かな海面を進み、デッキに出ると穏やかな風が気持ち良い。15:07「岡村島」着。乗った時同様、バウ扉が桟橋に下がると同時に下船です。
岡村島の海岸線をr177が一周しています。左右どちらに進んでも良いのですが、左折し南岸道路を進みます。陽光を浴び、気持ちの良い「とびしま海道」ツーリングの始まりです。既にカッパを脱いでいます。午前中まで雨が降っていたようで、海岸道路のあちこちに水溜りが出来ています。それを避けるように走ります。
15:13、岡村島の西「岡村大橋」。ここに愛媛県今治市と広島県呉市の県境がありました。『岡村大橋 広域営農団地農道整備事業 目的:4つの渡海橋と新設の農道を整備し、営農団地内の主要3島(豊島・大崎下島・岡村島)を結ぶことにより、柑橘類の生産と流通の合理化を図り、地域の生活基盤の改善を目指す。大村大橋(ニールセンローゼ橋)概要:・・・』
橋を望む小さな展望台があり、「恋人の聖地」の鍵が多数ぶら下がっていた。一時のブームが終わったのか清掃整備されておらず、残念な姿を晒していた。「岡村大橋」を渡り「中ノ島」に上陸。「中の瀬戸大橋」を渡り「平羅島」上陸。「平羅橋」を渡り「大崎下島」上陸。左右どちらに行っても海岸道路r355ですが、左折して島の南岸道路を走ります。
15:24「御手洗の町並み」観光P。町並みを歩きます。軒先に花が飾られ、「おもてなし」を感じます。「大亀」さんという表札が上っており、海辺の街ならではの名前だな〜と思いました。「天満神社」があったのでお参りしました。
『「御手洗」という地名は、菅原道真公が九州の太宰府に流される途中、海路この地に立ち寄り、井戸で手を洗ったことに由来します。天満宮の起こりは、宝暦5(1755)年に満舟寺境内に天神社が創建されたことに始まり、明治4(1871)年に芸州藩の役人・船越寿左衛門の寄進により「菅公の井戸」の傍らに社殿が造営されました。また、現在の社殿は大正6(1917)年、町民の寄進により建てられたものです。境内は「天神桜」の愛称で親しまれた桜の名所となり、花見の季節には、管弦の調べや芸子たちの笑い声で賑やかだったそうです』
Pに戻り、観光地図を見ます。『風待ち・潮待ち・港町。江戸時代の中継貿易港・御手洗には、人が集い、物が集まり、文化が育った。町には江戸から明治、大正、昭和初期までに建てられた貴重な建物が混在している。その栄華の残像が、平成の今、日本文化を伝えてくれる』
「豊浜大橋」を渡って「豊島」上陸。豊島の海岸道路はr354で、今度は北岸を走ります。道なりにr356になり、「豊島大橋」を渡り「上蒲刈島」上陸。道なりにr287になり、南岸海岸道路を西に走ります。「蒲刈大橋」を渡って「下蒲刈島」上陸。道なりにr74になり、「蛭子神社」を見つけパンを食べながら小休止。
「安芸灘大橋有料道路」で「女猫の瀬戸」を渡り、本州に戻りました。料金150cc以上バイク150円。R185を西に向かいます。トンネルを2つ抜け、JR呉線「広」駅前を通り、左折して「阿賀港」海上を渡り、道なりにr66に乗り海岸線を走ります。
「音戸瀬戸」で右折し、R487に乗り、「音戸大橋」で「倉橋島」に渡りました。北海岸線を走り、r35で北岸を走りました。「早瀬瀬戸」が見えて、左折しR487に乗り、「早瀬大橋」で「早瀬瀬戸」を渡り「能美島」上陸。左折してr300に乗り、西岸を南下し、ナビが無いので1度道をロストしましたが、「沖野島」に渡れました。
18:17、最終目的地「沖野島マリーナ」着。このハーバーにセイリングクルーザーを泊めている今回のコーディネーターHさんはじめ、淡路島からカタマランで来られたKaさん・Keさん、松山からセイリングクルーザーBで来られたRさんなどお仲間に合流出来ました。
ちょうどBBQが始まるタイミングでした。食べながら自己紹介になり、大学ヨット部のコーチをしていることや、次男がジュニアヨットをしていたこと、ジュニアヨット協会の理事をしていたことなどを話しました。
すると、Hさん知り合いの親子Mさんのお子さんから、「僕もOPやってました」と話されました。広島ジュニアでやってたそうです。ヨット乗りのお父さんに影響されジュニアヨットに乗り海が気に入ったのか、航海士になり今年就職し、内海の自動車運搬船に乗るそうです。3ヶ月働いたら1ヶ月丸々休みという勤務形態だそうです。おまけにコーチしてる大学ヨット部所属のジュニア上がりの選手M君とジュニア時代親しくしてもらっていたようで、世間は狭いな〜と思いました。


2019/10/11
父の長姉が亡くなりました。享年97才という大往生でした。夏の暑さで体調を崩し暫く寝込んでいましたが、体調を戻し兄弟にも電話して「大丈夫だよ」なんて言ってた矢先だったそうです。「前日まで日頃と同じように生活していたのに、翌朝冷たくなっていた」という私の母と同じ亡くなり方でした。こういうのを寿命が尽きたと言うのでしょう。
父は11人兄弟の三男です。長兄・長女・次兄・三男・・・と生まれて行きました。長女と父との年齢差は3才なので、祖母はずっと妊娠中という感じだったのでしょう。祖母は働き者で、亡くなる直前まで畑に出て働いていました。僕が子供の頃の父の実家は、長兄のお嫁さんが食事などの仕切りをしており、祖母は麦わら帽子を被り手ぬぐい下げて畑で働いているイメージです。祖父は獣医なので、畑は祖母を中心にやっていました。
父が生まれたのは大正14年で、江戸時代の庄屋から続く大農家なので、家の回りに水堀が巡り、土塁が囲み、その上に防風林が守っていました。隣村などとの争いがあると城の機能もあるのが庄屋の家なので、戦争を経た後も刀剣が残り、蔵に入ると掘り出し物がありました。
「あの山までがうちの土地だった」と子供の頃言われており、鉄道が通った時敷地を無償提供し、駅が2つも出来ました。僕が田舎に帰る時、その鉄道に乗り向かっていると、延々広がる畑の中にポツンとある森が父の実家で、父は中学生の時、駅まで15分ほど歩き、次の駅を通り過ぎるまで我が家だったそうです。
そんな家でしたが、大東亜戦争で次兄と父が出征している間に、農地開放で一気に小さくなってしまいました。祖父は農業をしていたけど、長兄は獣医で、長兄の嫁の他は3人の父の女兄弟が農業をしていただけだったので、殆どの土地が小作人さんたちのものになっちゃいました。あとに残ったのが、秋になると小作人さんたちが運び入れる収穫物を運び込む広い庭とそれを囲む数棟の蔵、そして茅葺屋根の母屋、農機具倉庫と豚と鶏小屋、トイレ棟だけでした。
亡くなった姉さんは、よく「私達が働いたからこれが残ったんだ」と言っていました。僕が小学生の時草野球をしていた広い庭と、小学校数個分の畑が残り、食うのには困らない大好きな田舎の家でした。祖父・長兄、そして今は僕の従兄弟である本家の次男が獣医を継ぎ、長男は弁護士をしています。
訃報を聞いた時、台風がやってきそうでしたが、父のおむつを替えてくれただろう姉のお葬式なので、「参列します」と即答しました。すぐに「東京ブックマーク」で新幹線を手配しました。往復新幹線代で東京でのホテル1泊費用が出るのが売りで、兄から教えてもらいました。今まで一度だけ利用したことがあります。今回の費用は、東京大阪間・片道14000円が往復で20000円でした。新大阪始発で出発し、東京駅は21時最終前の20時台に乗ることにして、親戚との時間を長く取ることにしました。時間があれば次男宅に寄り道しようかな?と思って。
3時台に起きてしまい、二度寝したら遅刻しそうでそのままゴソゴソしていました。くたびれて来たのでちょうど新調したばかりの礼服用靴とベルトの初お披露目となりました。5時に「通勤リード110」で出発し、5:28JR最寄り駅から電車に乗り、6:03新大阪発の新幹線のぞみに乗れました。
8:26に東京駅に着き、8:42「JR上野東京ライン・宇都宮行き」に乗り、久喜で東武電車に乗り換え、10:11館林に着きました。タクシーに乗り、JAの葬儀会館に向かいます。12時から告別式ですが、既に50人ほどの親戚が控え室で昼食をしています。田舎は親戚の付き合いが濃く、冠婚葬祭で皆が寄り楽しいです。
亡くなった叔母さんの祭壇に線香を上げに行くと線香台がありません。あれれ?と思っていると、次男さんが来られ、「寝姿を見てって」と小さな控室に案内されました。叔母さんが棺に入り、綺麗な寝姿でした。僕の知っている叔母さんより少し小さくなったなという印象を受けました。お線香を上げ、最後の数日の様子を聞かしてもらいました。自宅で亡くなったので、同居している長男さん夫婦は長い刑事からの取り調べを受けたそうです。
皆さんの控室に入ると、「大阪から来たんかい、ご苦労さん」と父の兄弟や従兄弟たちから言われ、「食べろ食べろ」と更にサンドイッチなどが載せられました。亡くなった叔母さんの次男さんと奥さんが僕の横に座り、なんだかんだ話しました。息子さん2人共兵庫県のお嫁さんをもらったそうです。1人はうち同様、しょっちゅう海外出張しているようで、「孫がまだだ」と嘆いていました。
12時10分前になり、告別式場に促されました。本家の長男さんに挨拶に行くと、僕と同じ年の従兄弟の女の子と話が弾みました。法事には、僕の代理として長男や次男家族をよこしていたので、「ひさしぶりね」ということと、息子たち家族のことを聞かれました。
父の1つ下の「ふとん屋さん」やってる叔父さんがいたので挨拶に行くと、自慢の息子さんの話に加え、その長男が私立医学部に今年入学したので、入学金として450万も取られたと嘆いていました。「5000万もかかるんだよ〜どうするんだか・・・」なんて言ってます。従兄弟には数人医者がおり、みな私立なので学費にフーフー言っていました。
一連の告別式が終わり、お棺に花を入れたりする時、本家の長兄のお嫁さんと話しました。長女さんが賢く、現役で東大法学部に入学しました。お父さんが弁護士なので、お父さんの事務所に入り一緒に働いているのかな?と聞くと、「それがね〜、役人になっちゃったの。お父さん一代で弁護士は終わりみたい。ちょっと寂しそうなの」との事でした。
文化県庁にでも就職したのかな?と思ったら金融庁で働いているそうです。中央省庁のドン「財務省」の下部機関かと思ったら、内閣府の下だそうです。残業に次ぐ残業で、猛烈に働かされているそうです。結婚したけどお子さんはまだで、僕の孫達のことが羨ましいと言っていました。女の子だから地元に置くのかと思っていたが、「今は子供より仕事」とバリバリやってるそうです。「もう30なのに・・・」とお母さん・・・。キャリア入省なので、国のために働かないといけませんが、自分の長い人生を考えれば、お子さんを生んだってバチが当たらないと思うのだけど・・・。弁護士にならないのかな〜
故人を霊柩車に載せ、火葬場に向かいます。本家の三男を捕まえて、「乗せてって」。「僕のは軽ですよ、兄のベンツもありますよ」なんて言っていましたが、そんなの関係ないです。僕と同じ年の次兄は獣医をしており、奥さんが税理士で、日頃は牛を運ぶためにトラックなどに乗っていますが、公式な時や遊びの時はメルセデスに乗っています。同じ年なので従兄弟の中では一番の仲良しで、小学生の夏休みは1ヶ月ほど父の実家に帰り、田舎生活を満喫したので、田舎遊びの師匠でした。
軽はスズキのハスラー?で、意外に静かで意外に広く快適でした。20km/L走るそうで、家から職場が遠いし、通勤は1人だからと、軽にサイズダウンしたそうです。こんなに快適ならアリです。
お骨になるまで、火葬場でお食事でした。高校生の時バイトした北軽井沢で牧場してる叔父さんの娘(従兄弟)とその兄嫁さんと同じテーブルになりました。数年前の信州ツーリングで、久しぶりにその牧場を訪問しました。広い広い牧草地の向こうに浅間山の雄大な姿が見え、叔父さんの家・サイロ・牧舎・農園以外に建物が見えず、まるで庭に浅間山がそびえているようです。
訪問直後にあの兄が突然死してしまいました。大黒柱を失い牧場は人に貸すようになり、叔父さん夫婦とお嫁さんで農園をしています。僕がバイトに行ったときの衝撃を思い出しました。牧草をサイロに運び込むことになり、ホイっとトラックのキーを叔父さんから渡されました。「え、まだ高校1年なので運転できません」「高校生にもなって運転できないのか。じゃあヨシキ運転しろ」と小4のヨシキ君の運転するトラックの助手席に座ることになりました。座布団を2枚重ねた上に座り器用に運転します。開拓地北軽井沢では、家族全員で働かないと食べて行けません。牧場地内は道交法でも無免許運転にならないが、ここらの子は皆公道でも運転するのが当たり前だそうです。おまわりさんも、それを捕まえるような野暮なことはしません。地域ぐるみで生きています。ヨット部に入り毎週海に出ている僕に、ヨシキくんは「海って大きいの?」と興味津々でした。
やがてお父さん同様、アメリカの大学で牧畜・農業を学びに行き、北軽井沢では重宝される英語の出来る農家親子になりました。農協の集まりなどの海外視察や、海外からのお客様が来られると、必ず引っ張り出されていました。
同じテーブルにふとん屋さんやってる叔父さんの自慢の長男さんもいました。「はじめまして」で、叔父さんから聞かされている話をすると、「僕はそんないいもんじゃないですよ」と笑っていました。父の上の兄の長男さんもいます。僕と同じ年なので、子供の頃からよく遊びました。
北軽井沢の叔父さんが帰ると言うので、見送りに行きました。本家の次兄など僕と年の近い従兄弟たちが出てきて、見送った後よもやま話になりました。本家の次兄が、消防団時代、訓練してたら近くで家事があり、そのまま出動して消火活動を始めていたら、後からやってきた職業消防士さん指揮者から、「この消防車邪魔だ退かせろ」と怒られた話は面白かったです。最強力な水源車が一等地に入りホースで水をかけ始め、その車の水が無くなる前に、他の消防車が最強力車にホースをつなげたり、水源ポンプにつなげたりして水がなくならないようにするそうです。消防団の小型車はバックアップ車なので、邪魔だったそうです。
アルコール飲んで捕まるとヤバいから、消防車で飲みに行くとか・・・。宴会で飲んで自分の車で帰ろうと思ったら、アルコール検査してる警官に停められて「免許書見せて」と言われ「万事休す」と観念したら、「あれ〜・・さんですか」と親戚の子だったので、検査せずに「安全運転で」と無罪放免になったとか。メルセデスでぶっ飛ばしていたらネズミ捕りを見つけ、Uターンしてトンズラしたらパトカーがやって来たので観念したそうです。「運転手さん、なぜ急にUターンしたんですか?」「いや、忘れ物したので」。免許証見て人相見てニヤリと笑い、「急いでいたんですか」「はい」「あのね、まだレーダーの前だったんだけど」とニヤニヤされたそうです。「そ、そうなんですか」とホッとし、「じゃあ忘れ物はなかったわ」とまたUターンし、ネズミ捕りの前を通過したそうです。オモロイやつです。従兄弟たちから武勇伝がいろいろ出ましたが、今の時代は皆アウトです。僕らがまだ若かったバブルの頃までの話です。「最近の若者は世知辛くて可愛そうだ」という結論に至りました。
拾骨の時間になりました。骨壷に皆で入れ、家族を送り出して解散になりました。本家の長兄や次兄が、「帰り、どうするの?」と僕の足を気遣ってくれました。三男に頼んでいるのでノープロブレムです。
15時過ぎに、スズキハスラーに乗せてもらい「館林」駅まで送ってもらいました。ちょっと残念だったのは、生花を従兄弟に「皆さんと同様に」と頼んだのに、出ていなかったことです。香典だけになっちゃった。
「館林」から「久喜」まで東武電車に乗りました。この電車の一部は母方の本家が創業した鉄道会社の路線でした。母方の本家は、鎌倉から室町時代に掛けて足利高氏に与力した岡山美作の菅家党の末です。新田義貞軍に美作の城を落とされ北関東の親戚筋である佐野家に身を寄せました。代々の家老職でした。江戸時代に佐野家が改易になった時、代々の地元への影響力を残すために帰農して庄屋として山城を守りました。次の動乱があれば、再びこの地に佐野家が戻るためです。明治時代になり当主が肥料会社・鉄道会社・銀行・・・を創業し、北関東の産業に貢献しました。
「久喜」から「JR上野東京ライン・宇都宮線」に乗り換え東京を目指しました。「浦和」を通るので、次男の家の近くを通り過ぎました。寄ろうかと思いましたが、滞在時間1時間ぐらいで慌ただしいと返って迷惑かと思いスルーしました。次男は仕事中だろうし・・・。
東京駅に、乗る列車の出発時間の2時間以上前に着きました。いや3時間前と言った方が正しい。新幹線ホームはとても混んでいました。最近の東京は凄いな〜と思っていたら、出発時間を20分も過ぎた列車がまだ出発できずにいます。「なんかおかしいぞ」と思いながら、先週家内と観た映画「伊坂幸太郎 アイネクライネナハトムジーク」を読んでいました。列車は1時間遅れになっていました。「マジか・・・新大阪からの電車があるのか?」と不安になり、チケットの前の電車に乗って帰ろうかな〜と思うも、「まあいいか」と20:20を待ちました。
1時間遅れで出発しました。「品川駅」でも前の電車を待ち、「新横浜駅」でも同じで、「名古屋駅」では1時間半遅れになっちゃいました。車内電光掲示では、明日10/12の東海道新幹線は全面運休で、山陽新幹線・新大阪〜姫路間も朝の数本走らせるのみと流れていました。10/13も安全点検してから走り始めるようです。
「1時間半遅れじゃ、帰る電車はないや」と完全に諦めていたら、新大阪駅では55分遅れまで回復し、「JR、やれば出来るじゃないか」と見直しました。在来線京都線ホームに行くと各駅停車がおり、「大阪へは次の新快速が先着です」とアナウンスしています。新快速に乗り尼崎駅で下車すると、宝塚線ホームに電車を待つ人がいます。「ラッキー」と走っていくと、「宝塚行き各駅停車最終電車です」と何度もアナウンスする電車が入ってきました。「ギリギリセーフ」と飛び込むと、もう一本待つそうで、新大阪駅にいた各駅停車の乗客も吸い込んで出発しました。
0:36の最終電車は、更に10分ほど遅れて出発しました。1時頃最寄り駅に着き、バイクで帰りました。雨が降り出しており、喪服の上にカッパ着て眠いのでゆっくりと帰りました。なんだかんだで2時を回って眠りに落ちました。こんな遅い時間に寝るのは数ヶ月ぶり?1年ぶり?それ以上かな〜


2019/10/6
前日、兵庫県北部氷ノ山周辺の舗装林道ツーリングに行くつもりでしたが、仕事がはかどらず仕事になってしまいました。秋の気持ちの良いツーリング季節になってきたので、日を改め行ってきたいと思います。
この日は、コーチしてる大学ヨット部の練習に参加しました。今月末〜来月頭にかけて行われる「全日本インカレ団体戦」に向け、残り1ヶ月を切りました。昨年の全日本終了後にまた頼まれ始まった今の代への僕のコーチング期間もあと1ヶ月です。昨年、早稲田に続いて準優勝という結果を残し、この代の4回生数人から、「前代に恥ずかしくない結果を残すことが出来るか」の不安をいくつも聞きました。「そんなことないよ。まだまだ伸びるから。結果は神様のきまぐれの領域なので、やりたいことをやればいい」と励ますことから始めました。
11月末の地区ブロックでの優勝で自信をつけ、昨年同様の地区2位で本戦にチャレンジする権利を得ました。そしてこの日が、4回生にとってはホームグランド琵琶湖で最後の練習日です。
「招き猫CB400SB」を倉庫から出して、荷物を積みます。いつものリアボックスを付けず、ダイレクトに防水バッグをネットでくくりつけました。R171〜中央環状線。6:22「中環豊中SS」で給油、229km/9.53L=24.0km/L。6:25隣接する「セブンイレブン」で、「カフェオレ500ml108円+いちごジャムマーガリン110円=235円」を購入。「吹田IC」から名神高速に乗り、「桂川PA」でトイレ休憩。
バイク置き場が満員で、車置き場でバイクが並んでいる横に停めました。真夏が終わり、ツーリングを楽しむ方が多くなったようです。旧式カタナがいました。1000ccぐらいの排気量の大型バイクだと思いますが、リアタイヤが250cc並みで、その方のお友達が乗ってる最新の大型バイクに比べるとクラシックな印象です。でも、ひと目で「カタナ」とわかるフォルムが人気を物語ります。大型バイクなのにコンパクトで軽そうで、僕のような非力な人でも取り回しが楽で乗りこなせそうに見えます。日本メーカーなのに、日本人の平均身長からすると、車高の高い・重いバイクにシフトして行ってる感じがして、こういう軽くコンパクトなバイクが増えると、バイク人口が増えそうなのに・・・なんて思いました。
日本メーカーの高性能が世界を席巻しており、売上の大部分がアングロサクソン市場になるのか、彼らの体格にフィットするようにシフトしてるように思います。アジアの所得が増え、日本人と同じような体格の黄色人種向けのバイク市場が大きくなることを期待しています。今乗ってる「CB400」は、400ccの中でも車高が低く安心して乗れます。バイク屋さんで勧められた「CB1300」なんて、またがって起こすまでにかなりの力が必要で、コカしたら起こせる自信がありません。こんな大型に乗ったら、気楽にバイクで出かけられず、好きな山道林道なんて入っていく気になりません。
「京都東IC」で名神を下車し、湖西道路経由でハーバー着。みんなに挨拶し、8路を過ぎ出艇前ブリーフィング。僕が話し、今年卒業した若手コーチAくんが話します。好青年で計画性があり、真面目で行動力のあるとても好きなヤツです。僕が「旦那にするには・・・」なんて彼を褒めると、「え〜、でも」なんて男子下級生部員から、彼のストーカーぶりなんか教えられ、対女子の面では不評でした。「良いではないか、若者よ」。
AMもPMも、S級のコーチングをしました。スターター1艇が、ブラジルで行われている「S級ジュニアワールド」に行ってるので、1艇の実力が抜けている印象を受けました。3艇目の実力アップが課題です。レース練習では、下級生スキッパーがマーク際の混戦でルール違反を起こし罵声を浴び「すいません」と謝っています。貴重な経験ですね。揉まれて揉まれて、一人前の選手に成長して行きましょう。
午後の他大学との合同練習がキャンセルになっちゃいました。地区トップ校にD社とうちに数校が加わる練習でしたので、残念です。来週からはトップ数艇がインカレ会場の僕のホームポートに移動し、琵琶湖と2ヶ所で練習になります。
AM練習は12時、PM練習は17時にハーバーバックしました。お昼休みに戻った時、マネさんが布団を圧縮袋に入れて全日本インカレに向けての遠征合宿の荷造りをしていました。10人乗りハードボートのレスキューが修理中なので、マネさんが1人しか湖上に出れないので、合宿所が充実しています。
17:00「セブン大津鏡が浜」で「マルデマンゴーアイスバー128円」を買って合宿所に戻り、夕方キッチンに顔を出すと、キャプテンの誕生日だそうで、カステラがありました。加えて笑いながら「白玉」を作っています。夏の遠征で、彼の白玉が危機に瀕する一大事件がありました。親に電話すると、「子供が出来るんだったらOK」なんて笑い話になり、あらたなイジラレ勲章になりました。キャプテンと言えば「白玉」、みんなに愛されてるね。
ミーティングが始まり僕が喋り、クラス別ミーティング。470スキッパーミーティングを聞いていると、1回生Nくんが色々質問しています。ミーティングが終わり、夕食の時間です。N君に声を掛け、彼の質問に対するアドバイスを始めると、あと2人の1回生470スキッパーNHくんとNTくんも側に寄ってきました。4人で夕食を食べながら、メインセイルに対するブームバングの使い方を話しました。「クローズホールドでブローが入った時、ブームがセンタリング出来ない」ことへの質問でした。上回生からのアドバイスで納得していたようですが、ブームバングの話が出なかったので、別の視点を話しました。フリーでの使い方やパンピング、プレーニング状態に入った時の気持ち良さのことを話すと、3人共ニヤリと頬がほころんでいました。カツカレーが美味かった。
夕食が終わり、別のテーブルに行き話していると、デザートの「ティラミス」が登場しました。マネさんが作ってくれたのですが、と〜っても美味い。美味しく頂いて、バイク装束を着て帰路に着きました。「桂川PA」でトイレ休憩し、倉庫にバイクを片付け、21時過ぎに帰宅しました。珍しく家内が起きており、NHK特集番組を見ていました。風呂に入り、ヨーグルト持って自室に上がり、おやすみ〜。


2019/9/29
この週末は久しぶりに家内と一緒に過ごします。8月からコーチしてる大学ヨット部の行事が続き、先週は家内1人で実家のお墓参りさせちゃいました。土曜日にスーパーでお花を買い、我が家のお墓参り準備をしました。
5時前に目覚め、あれやこれや。6時に家を出発し、お墓に向かいました。北摂の里山を縫う県道を北上し始めると、あぜ道に真っ赤な曼珠沙華が目立ちます。我家の庭にも曼珠沙華が数ヶ所に固まって咲いています。我が家のお墓の曼珠沙華は咲いているかな?
7時に霊園に着き、お墓の掃除をしました。お墓の曼珠沙華は昨年同様咲いていません。隣の弟のお墓の左右には咲いています。なぜ、我が家の方の曼珠沙華は咲くなくなったんだろう。家内によると、「お母さんが好きじゃなかったから、抜いちゃったんじゃないの」。「家から曼珠沙華を持ってくればよかったね」と家内に言うと、「またお母さんが抜くよ」と笑っています。母は生前、真っ赤過ぎる曼珠沙華が咲くと、「不吉な色」と嫌っていました。霊園で曼珠沙華が咲いているのは我が家だけなので、父が生前植えたと思うのだけれど・・・。
8時に帰宅し、朝食を取ります。「通勤リード110」に乗り換え、映画館に向かいました。10:00上映開始「アイネクライネナハトムジーク」です。伊坂幸太郎原作小説の映画化で、この小説は読んだことなかったですが、「伊坂幸太郎原作なら面白いだろう」と思っていました。
感想は「大当たり」のハートフルムービーでした。数組の夫婦・カップルが、10年前と今、出会い・別れする物語です。キーワードは、「出会った人が、・・さんで良かった?」という思いになった時、「出会い方とかそういうのはどうでもいいんだよ。あの時あそこで出会ったのが・・さんで本当に良かったと思うのが凄いことなんだよ」ということ。劇中の台詞に何度か登場し、「そうだな〜、僕もこの人で本当に良かった」と横にいる家内を見ながら思った。
映画館を出ながら、「僕も・・ちゃんで良かった」と素直に感想を述べると、家内は笑っていた。映画を待っている時、前を通る中学生のグループや、大学生カップルを見ながら、家内は「最近の子はみな足が長くスタイルがいいね」と言う。僕はカップルを見ながら、「中学生の時、男の子と映画を観に行った事がある?」って聞くと、「うん、あるよ」。「さすが、モテモテだな〜、羨ましい。僕なんて、女の子と映画を観に行ったのは大学生になってからだ」「電車に乗っても、何両目に可愛い子がいるって評判だったんだろうな〜」なんて他愛のない会話をしていた。斉藤和義の楽曲が流れていた。
12:23、イオンモール内の「ミスタードーナツ」で、「タピオカ抹茶ミルク496円+きなこリング108円+オールドファッション118円+ゴールデンチョコレート140円+ココナッツチョコレート140円+エンゼルフレンチ140円=1142円」購入し、昼食にしました。このお店は女子率が高く、中学生女子グループが楽しそうにしていた。女の子や奥さんに引っ張られたお父さん含めた親子連れも多く、食べていて気持ちの良い店です。
帰宅し、僕だけ「オアシスタウン」に向かいます。13:33「ユニクロ」で、「イタリアンサドルレザーベルト2990円」購入。ベルトを新調しました。13:40「ABCマート」で、「ホーキンス靴・6469円」を新調。ビジネスシューズがくたびれて来たので買い替えました。帰宅して、くたびれたビジネスシューズをゴミ箱行きにしました。


2019/9/23
目を覚ましたら5時でした。撤収します。新潟の時と違いカラオケの歌声など聞こえず、前回より静かな夜を過ごしました。一度も起きなかったし。僕のように、基本どこでも多少賑やかな場所でも寝れる人には、予約無しで泊まれるネットカフェは便利です。5:33「快活クラブ蒲郡店・フラット席1750円」。
YHのPに戻り、前日同様朝のお散歩をしました。朝のお勤めも終了し気持ちの良い朝ですが、風が強く、このままならレース出来そうにありません。選手たちの泊まってるホテルに向かい、ロビーでPCを開けあれこれチェックし、本を読みます。
母校KGも同じホテルに泊まっているので、先に降りて来ると思っていましたが、7時になり当方の方が先でした。YHに向かいます。1/3ほどの選手がおり、船の点検をしています。台風の強風で飛ばされた船はなく、被害はなかったようです。続々と選手がやって来て、D社の男の子がマストを立てました。当方は、まだ風が強いのでラッシングを解いた程度でした。11:30以降のスタートはないとNoRで決められているので、10:50が出艇リミットです。
風が落ち気味の傾向でしたが、再び風速が上がりました。女子イン遠征LINEに、「しっかりラッシングしよう」と流し、小雨の降る中ラッシングを始めました。選手たちも駆けてきてしっかり船を固定します。「マストを倒して」のハーバーアナウンスがあり、D社含めマストが倒されました。
10:00、「N/A」フラッグが揚がり、「レース中止/本日のレースはありません」。ポールにスタッフがフラッグを持って行くと、皆カメラを構えて最後の瞬間を待っていました。こんな強風、女子選手は特に出たくないよね。一斉に片付けが始まりました。
朝オールマークトップのTさんには「優勝おめでとう」と言ってあったし、他大学監督などの関係者と、「こりゃ出来ないね〜」なんて話していました。KGOB会関東支部からの応援5人の先輩に挨拶し、事務局をやってる同期のYくんとあ〜だこ〜だ前日に続き話しました。
470優勝のWや、総合優勝の日大が、集合写真を撮っています。WのTさんは、ヨット雑誌などの取材を受けています。Tさんのご両親に「おめでとう」を言いました。昨年に続き応援に来られていたKG選手Iさんのご両親ともお喋りしました。昨年に続いての優勝は逃しましたが、親御さんは娘の頑張ってる姿を見れて満足そうです。でも選手は違い、S級で昨年4位で、今年は1点差で2位だったKGのIさん/Oさんコンビは、N/A旗が揚がるのを見ながら涙を流して悔しそうでした。強風で連続トップで1位を追い詰めたので、あと1レース・・・やって欲しかったでしょう。
D社・R大と合同でお願いしたトラックがやってきて、6艇積み込みました。昨年は女の子だけでしたが、今年は当方とD社に2人ずつ男の子がいるので頼もしいです。
閉会式が1時間早まり、15時開始になりました。車からスーツなどを選手が下ろし、シャワー・着替え〜閉会式の流れになります。14時に「ラグーナの湯」に行き僕も汗を流します。14:30にYHに戻って来たら、靴を忘れたようで、「今何処ですか?」ってLINEが入りました。
大屋根の下に選手が各大学部旗を先頭に並び、上位6艇の入賞者が入ってきました。挨拶〜プライズギビングです。WのTさんは何度も賞をもらい、ご両親は写真で走り回っていました。閉会式が終わり、部屋の中でパーティーが始まりました。昨年は、大屋根の下だったので、料理やデザートを選手やマネさんが離れて見ていた僕のところに時々持ってきてくれたのに、今年は無しでした。挨拶・乾杯まで部屋におり、写真を撮りましたが、パーティー開始とともに外に出て大屋根の下で待っていました。
17:15終了のようなので、燃料補給にGSに行きました。17:06「エネオス三谷東(蒲郡市三谷町小迫4-3)」で、20L給油。YH大屋根下に戻ると、R大の3名の女子選手がやってきました。この子たちはサポーターがいなく電車移動なので、当方と合流し、Sくんの車に乗せて帰ります。
D社監督Sくんが、D社学校のヨット部担当カメラマンと一緒におり、パーティーの様子を写真で撮って帰るそうです。Wチームが出てきました。僕の前でブリーフィングが始まりました。4回生Tさんがチームリーダーのようで、ここで解散で、各自帰路に着くそうです。パーティーが終わり、選手・マネさん達が出てきました。多くの全国の女子選手とお喋りし、LINE交換したそうです。
帰路に着きます。ハーレムS君車にKさんが乗り5人。僕の車には5人乗せて出発。R23バイパス〜豊明ICから伊勢湾岸道に乗る予定でしたが、道を間違い名古屋南ICから乗りました。19:22「湾岸長島PA」で休憩し、「ぶどうカルピス155円」を購入。選手たちが「琵琶湖のクラブ員向けのお土産忘れたから寄って下さい」と言われていました。
伊勢湾岸道から新名神〜名神高速に乗り換え、「大津IC」で下車し20:45合宿所着。荷物を降ろします。予定では、僕も一泊し翌朝自宅に帰る予定でしたが、まだ21時前だし眠気もないので、そのまま帰路に着きました。湖西道路〜名神〜中央環状線〜R171で22時前に帰宅しました。


2019/9/22
暗い中起き出して、5:24「ファミリーマート大塚海岸店」で「ブルガリアヨーグルトプレーン178円+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー145円」購入。ヨーグルトは店内で食べます。ハーバー横の「ラグーナビーチ」を散歩します。Pに消防車が数台来ており、消防ホースの出し巻き取り練習をしていました。朝のお勤め終了。
7時にホテルで選手たちをピックアップし、YHへ。この日の風速予想は、レースリミットを超えています。AMは出来ても、PMは無理かな〜。8:15ブリーフィングして、8:50D旗で出艇して行きました。出艇前にKGチームが円陣を組み気合を入れています。当方も、選手4人で円陣を組んで気合を入れました。サポーターの4回生マネMさんがコーチボートに乗り、僕は陸上要員です。
船台を片付け、車で丘の上に上がり、観音様展望台から観戦しました。この日の1レース目第4レースがスタート。当方470は30位台を走っています。沈艇がボチボチ出ています。下マーク回航後、先行KG艇を上突破し期待しましたが、2上マークに来ないぞ。沈しちゃったみたいです。
「リタイヤしてハーバーバックするかも?」と、山を下りYHへ。S級は風速18ノットを超えたのでノーレースになったようで、ハーバーに戻って来ました。船台を用意し、ハーバー内に入ってきた当方2回生Kさん/Kさんコンビが、大きく手を振る僕を見つけゆっくり帰ってきました。中部学連の運営学生が船を取ってくれました。
470もハーバーバックになったようで、数回沈起こしを失敗し、コーチボートに乗っていたMくんが代わりに飛び込み、九大エリちゃん/Mくんのジュニア上がりコンビでハーバーバックするとのLINEが入りました。ハーバーに戻ったエリちゃんに、「ありがとうね」と言ったら、「いえ、楽しかったです」だって。後で見せてもらった「かっとびセイリング」は楽しそうでした。
風速はまだ上がりそうなので、セイルダウンしました。まだレース時間はありますが、既に「もうない」雰囲気が選手内に広がっている感じがします。13:42、運営艇が陸上に上げられました。九州の西を北上する遠い台風なのに、その影響で風が強いそうです。
マストを倒し、ラックにくくりつけます。船もランチャーのタイヤを外し、ラッシングを前後に取り固定しました。ラックカバーを外し、その中に置いていた物をSくんの車に入れました。
2台でホテルに戻り、選手たちを下ろし、「ラグーナの湯」に行き汗を流します。16:49ホテルに戻り、男子部員2人の部屋に行きます。S君は友人に誘われ、夕食に行きました。MくんとTVを見ます。「コーチ、・・見ますか?」って、うふふ番組も見せてくれました。僕は相撲の方が良いので、千秋楽を見ながらお喋り。うふふなTVの影響で、若者男子の好きなあっちな話になっちゃいました。
19時になったので、夕食に出ます。「ラグーナ・フェスティバルマーケット」に行き、「和麺花ごよみ」で食べました。また皆に寄付して、「ごちそうさま」。
コインランドリーで洗濯物を回収し、20:39「セブン蒲郡三谷北通1丁目店」で、「プレーンヨーグルト400g135円+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー135円=270円」を購入し、それを食べるためにまた学生の部屋にお邪魔し、Mくんとあ〜だこ〜だ。Sくんが夕食から帰って来ました。車でバイパスを1時間走り、静岡で食べてきたそうです。
前日同様、YHのPで車内泊しようと思いましたが、台風の強風がビュンビュン吹いており、吹きっさらしで寝るのが不安で、21:35、ネットカフェ「快活クラブ蒲郡店」にお邪魔しました。前回の新潟では食べなかった無料のソフトクリームを食べ、ジュースを2杯飲み「おやすみなさい」。


2019/9/21
全日本女子インカレ(学生ヨット選手権)が、この日から3日間愛知県蒲郡YHで行われます。昨年は470・1艇(2回生ペア)のみ参加しました。同回生マネ2名だけのサポートで車がなかったので、急遽僕も車で参加しサポートしました。女子プレイヤーが入部する度、この女子選手権への参加を促していました。学生時代、ヨットでたくさん友達を作って欲しいからです。
前日の夜、仕事を終えて速攻で夕食・風呂に入り、車に飛び乗りました。21:09、「エネジェット中環豊中SS」で満タン給油。名神高速・湖西道路を経て、琵琶湖合宿所に到着。そのまま合宿中の部員に混じってOB部屋で寝ました。
4時過ぎに目を覚まし、静かに寝床を抜け出し、4:30「セブン大津鏡が浜店」で「プレーンヨーグルト400g135円+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー135円+フルーツオーレ500ml93円=363円」購入。ヨーグルトはイートインしました。
6時出発予定なので、5:30になったのでサポートメンバーを起こさなきゃ。選手4名+運転手兼サポート3回生S君は、先入りし数日練習しています。1回生マネMさんが起きてきたので、「4回生マネMさんと2回生M君を起こして」と頼みました。
5:50、2人を乗せて合宿所を出発しました。「大津IC」から名神高速に乗り、草津JCTから新名神に乗り換え東に向かいます。前回までは、「亀山JCT」で東名阪道に乗り換えるのですが、新名神が開通し、東名阪道との「四日市JCT」までショートカット出来るようになっていました。東名阪道には乗らず、「伊勢湾岸道」に直接入れました。
「長島スパーランド」のジェットコースターが見えて来たけど、眠たさもないので通過し、「豊明IC」で下車し、R23で蒲郡を目指します。R23は信号のない高架自動車道なので、ほぼ高速道路並みに走れます。終点の「蒲郡IC」で下車し、8:06「ファミリーマート大塚海岸店」で「チョコクリームパン5個100円+手巻シーチキンマヨネーズ118円+手巻辛子明太子147円=365円」を購入しました。
蒲郡YHに着き、ディンギーヤードに向かいます。当方の部員はまだで、オーニングを外し始めました。8:00〜9:30受付・登録・計測、9:45ブリーフィング、11:00開会式、13:00第1レース、15:30最終レースの予定です。オフィサーの中部学連の学生がやって来て、「予備セイルの計測が通っていません。準備出来ていますか?」と。選手たちがやって来て、予備セイルの計測のことを聞くと、「予備スピンのセイルナンバーがメインセイルのナンバーと違っているので、ナンバーを塗り替えても良いか問い合わせています。返事がまだ来ないんです」「9:30まで時間がないよ、僕が許可するから即ナンバー変更しよう。艤装は後回しで良いから」。このままでは、スピンを破いたらもうお手上げになっちゃいます。「なんで、昨夜やっとかないかな〜」。急いで作業開始。ギリギリ間に合いました。選手がブリーフィングに行ってる間、他大学監督やコーチと情報交換しました。同じブロックの雄・D社が470・2艇、S級1艇連れてきていました。去年、監督に「女子イン参加したら良いのに」と勧めました。「じゃあ、考えてみます」と言ってたので、実行したようです。翌日、「女子インって良いですね。これからも参加します」と気に入っていました。
11:00、大屋根の下で、開会式が始まりました。今年は当方も部旗を持ってきたので翻っています。470と総合の優勝旗を母校女子選手が返還します。S級はRitsです。最優秀選手賞はWで、兵庫ジュニア出身のTさんが返還しました。
選手を激励し、九大とシェアしたコーチボートに乗ります。ドライバーは九大エリちゃんでした。去年この大会で優勝を狙ったけど、惜しくも入賞止まりでした。OGになり東京で働いているようですが、後輩の応援サポートに来たようです。九大3名・当方男の子2人+私で、先にハーバーをでます。ハーバー前で待っていると、12:20、D旗で470出艇。少し470・2艇(九大1当方1)を追いかけ、ハーバー前に戻り、S級2艇と伴走しながらスタートエリアに向かいます。
風は、E10〜15ノット、良い風が入っています。470スタート、当方は中央部から第一線でスタートできました。ところが上突破されるとバウが下を向き、上り角度が悪すぎます。第1上マークは30番台(全43艇)で回航、フィニッシュは37位でした。トップは、僕らが設立した兵庫ジュニア出身のTさん(W)。1上からトップで余裕のトップフィニッシュ。東京オリンピック代表には届きませんでしたが、オリンピックキャンペーンをしていただけあって、学生レベルの大会では格の違いを見せました。2週間前にここで行われた「全日本インカレ個人戦」(男子選手含む)でも優勝しており、ゴリゴリの優勝候補でした。朝、彼女に会ったので、インカレ個戦優勝おめでとうと優勝候補だねと、プレッシャーを掛けておきましたが関係なかったようです。S級の当方は1.5線スタートで、27位(全31艇)。トップは中央大で、2位にD社。
続いて第2レース。470当方は、同じような位置から出て、同じような展開になり38位。またトップは、WのTさん。S級当方は29位。フィニッシュ後、当方470をコーチボートに横付けし、「スタートをアウター側・本部船側に寄せてスタートし、上突破されてもクローズの角度を維持すること。10艇は上がるよ」とアドバイスする。
第3レース・スタート。当方470・2回生Tさん/3回生Tさんペアは下1スタートし、良い角度で走って行きました。24位フィニッシュ。S級は22位フィニッシュ。
15:30を回ったので、これでこの日のレースは終了。WのTさんはオールマーク・オールトップフィニッシュ。九大のS級は、大健闘で6・8・9位フィニッシュ。入賞出来そう。この艇のスキッパーは4回生ですが、ずっとクルーをしてきた女子で、女子インに向けてのスペシャルチームです。スキッパーとして海に出たのはまだ5回程度で、驚きの大健闘です。
船を片付け、18:00選手の宿「蒲郡ホテル」に送り届け、19時に夕食に行くことにして解散。僕は事前に調べていた「銭湯ヒメ」に向かい、スッキリします。19時にホテルに戻り、夕食を食べに行きます。まずはコインランドリー店に行きます。「台湾料理香味館」で夕食を食べました。1050円の定食メニューを皆が食べ、ボリューミーで満腹になりました。8名分お支払いしました。「ごちそうさまで〜す」。
ホテルに戻り、僕はYHに戻ります。20:53「セブン蒲郡港町店」で、「キリン午後の紅茶ミルクティー500ml140円」購入。すぐに寝ちゃいました。


2019/9/16
暗い中目覚め、1Fトイレに降りたら、まだ3時でした。セブンイレブンにヨーグルトセットを買いに行ったら、売り切れになったままでした。「僕の朝食が〜」。バイクで早朝ツーリングに出ることにしました。真っ暗なので寺社参りではなく、ヨーグルト探しの旅に出ます。
「浜大津」方面に向かい、「ヨーグルト」と「イートイン」のあるコンビニを探しながらバイクを走らせます。数軒寄りましたが、意外にイートインのないコンビニが多いです。「近江大橋」を渡り琵琶湖東岸へ。r18から道なりにr42になり北上しますが、ヨーグルトにありつけません。守山市に入り、適当な交差点を左折し西に向けて走り、琵琶湖湖岸道路・浜街道に出て北上。4:10、「琵琶湖大橋」の所にあった「セブンイレブン琵琶湖大橋東口店」で、「プレミアムカフェオレ500ml116円+明治ブルガリアヨーグルトプレーン178円+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー145円+助六寿司421円=860円」購入し、ヨーグルトセットをイートインしました。
琵琶湖大橋を西に渡りました。強風予報なので、朝から風が入っています。良いレースが出来そう。最終日は、12時以降スタートなしですが、3レースぐらいできそう。470もS級も、全日本インカレ本戦出場枠はほぼ確実なので、1艇ずつメンバー交代します。特に470のスキッパーO嬢は、初めての大舞台なので、リラックスして走ってくれればと思います。
r558を南下し、合宿所前を通過し、朝のお勤めを終え合宿所へ。またネットニュースに耳を傾けました。7時を過ぎ、寝床を片付け、ハーバーに出発しました。艤装を終え、体操・ブリーフィング。「昨日まで同様、淡々とレースをこなそう」と話し、「インカレでは4艇目・5艇目がスターターと遜色なく走ることがスコアメイクに重要なので、本日の走りこそ重要」とアドバイスします。
また、若手OB・OG達がやってきて、レース運営に向かいます。「コーチボート1」に若手コーチングが乗り、選手へのアドバイス・トラブル解消など臨戦態勢です。東京からやってきたS元マネさんは、乗るカッコではありません。「乗らないの?」と聞くと、祝勝会・インカレ本戦への激励会の用意で買い出し担当だそうです。ドライバーは同期のOB・E君。この2人はカップルです。東京から交通費1000円で来る理由は、院生として京都にいるE君に会うため・・・ここにありますね。Eくんは再来年以降名古屋で働くそうで、末永く幸せな人生を共に歩んで欲しいです。さんざん冷やかしておきました。
予定通りの時間にD旗が上がり、レース艇が出艇して行きます。予想に反し、180度からの軽風でスタートしました。470は3艇ともグッドスタートで、リコールなし。トップD社の3艇がアウターから良いスタートをしましたが、風が落ちてカームに捕まっています。「このまま行けば、逆転出来るかも・・・」。しかし風が更に落ち、本部船にN旗が揚がりノーレース。仕方ないね・・・。
風待ちになりました。北の琵琶湖大橋からブローが入ってきて、L旗を揚げた本部船がそちらに移動します。レース艇を曳航してそれについていきます。無情にも風は続かず、風待ちが続き、今度は南の大津港方面に風が入り、またL旗で南に移動。
しかし、北から風が入ってきて、天気予報通りの北風になり、少しずつ風速が増し風向も安定して来ました。12時以降のスタートはしないと決まっているので、10時台にスタートできなければ2レースは難しいから、11時を回ったので本部船は落ち着いて最後の1レースを出来るだけ良いコンディションで行えるよう頑張ってくれています。
4〜5m/sまで上がり、今大会で最も強い風になりました。最終8R・470が、11:35にスタートしました。1上マーク2・8位回航。良いスタートをしたエース艇が10番台に凹んでいます。また何かやらかしてペナルティー回転したのかな?軽風では速いが強風が弱点のO嬢は、8位回航しておりまずまずです。5・11・15位フィニッシュで、D社は1・8・9位で、3位Rit's2・6・12位。トータルはトップD社に更に離され、3位Rit'sに近づかれましたが2位キープです。S級は、トップD社3・7・9位、2位当方2・6・10位、3位Rit’s1・4・18位で、こちらも変わらず2位で、総合も2位のままでした。470は3校・Sは4校地区予選枠があり、予選落ちにはWスコアでも大丈夫なので、悠々通過でした。僕はコーチボート1と選手の頑張りを高みの見物するだけでした。去年・一昨年は、最終的には同じような成績でしたが、途中でハラハラ・ドキドキがあり、高みの見物は出来ませんでした。
12時を過ぎ帰路につきます。浜大津港から、滋賀県警水上警察艇がサイレンを鳴らしながら北に全速で走って行きます。「緊急艇です、ご注意下さい」と、パトカーみたいにマイクで注意勧告しています。「事故でもあったのかな?」。
ハーバーバックし、閉会式を待たずに帰路に着きました。勿論、祝勝会にも出ませんでした。バイクの横で帰り支度していた「富山大」のヨット部員達に声を掛け、あ〜だこ〜だ話しました。このヨット部は、僕の母校ヨット部の先輩が富山勤務の時作ったクラブで、前半検討していたのに残念でした。
湖西道路〜名神高速で約30分、13:58「桂川PA」でいつもの「ガリガリ君ソーダ75円」購入しクールダウンと糖分補給します。吹田ICで下車し、いつものルートで帰宅。夜まで仕事しました。次は1ヶ月半後のインカレ本戦です。


2019/9/15
レース2日目です。5時過ぎに目覚め、セブンイレブンでヨーグルトセット(明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー145円+プレミアムプレーンヨーグルト400g145円=290円)をイートインしました。バイクで移動し、いつもの朝のお勤めして合宿所に戻り、1F艇庫でネットニュースに耳を傾けました。地上波TVニュースは左派メディア化して「報道しない自由」横行で、見ていても左派片方からの解説ばかりで、真実が掴めません。ネットニュースはコメントが載るので双方向化しており、加えて解説時間が長いので、いろんな視点からのニュースの味方があり、自分で考える材料が増えナイスです。左派メディアから締め出された元軍人・ジャーナリスト・専門家などの意見が聞けるので貴重です。先の参議員選挙では地上波メディア的に無名なネット有名人がトップ当選し、時代の変化を感じます。若者が現実的な保守の考えを持っている方が多く、日本の将来が明るくなります。
2Fから、朝食を食べるカチャカチャした音が聞こえだしました。7:30YH集合なので、それに合わせ2Fに上がり、寝床を片付け、荷物持ってバイクへ。7:27「セブンイレブン」で「味付海苔エビマヨネーズ135円+手巻おにぎり紀州南高梅124円=259円」を購入。
YH艇庫前でレース艇チェックしていると、若手OB・OG達がやって来ます。東京から、今年春に卒業したマネOG・Sさんもいます。この代のマネさん5人が全員集合しています。聞くと、レース運営要員で駆り出されたそうです。Sさんに「遠くからご苦労さま」と声を掛けると、「交通費もらってますから・・・往復1000円ですけど・・・」だって。この5人、みな幾分白くなり、お化粧もしっかりしており、美人度を上げています。マネリーダーだったYさんにそれを言うと、「私だけ変わってないでしょ」だって、「いやいや、そんなことないよ。確かに船に乗る時のカッコは一緒だけど」。それぞれ社会人になり、更に洗練されています。体操・ブリーフィング。「淡々とレースをこなそう。各自持ち場でしっかりパフォーマンスしよう」と話しました。プロテストにペナルティー軽減が導入されたので、リコールの比率がより重くなり、これさえ注意すれば本戦に駒を進めることが出来そうです。
風がイマイチで、陸上風待ちになりました。大先輩A先生も来られ、初日の状況やクラブの近況を話します。ソヨソヨと風が入りだし、D旗が上がり470から出艇。風が安定せず、何度かL旗で本部船が移動し、前日同様11:30から2〜3m/sの風の中で4レース消化できました。
470は、R4で2・4・7位、R5で2・3・4位フィニッシュで、2位との差を広げますが、R6でD社に1・2・3位をやり返され、R7で注意していたリコール失格を1艇が出してしまい逆転されました。S級は2位で総合2位です。
16時にハーバーバックし、一旦合宿所に戻り近江温泉風呂へ。16:02「セブンイレブン」で「ビオレUボディーソープミニ163円」を購入。風呂屋はスーパー銭湯と違い石鹸やシャンプーがありません。帰りに17:02「エイワユニフォーム西大津店」で、長袖ウエア1180円を購入しました。着替えの半袖は数枚持ってきていましたが、長袖が1枚だけしかなく、洗濯しなければならなくなっていました。面倒だから買おう。これで洗濯から逃れました。
17:30からミーティング。いつものように「ご苦労さま」から始まり、気づいたことを話します。ペナルティーを2回食らうとそのレースをリタイヤする義務があり、1回食らってる艇は萎縮します。初日にルールで許されているトップバテンをひっくり返す動作をしてペナルティー取られた470・Nくんがトップバテンがひっくり返ったまま走り、2位に追いつかれ抜かれてしまいました。1回目のジュリーのミスには抗議しましたが、悔やまれます。470エースが2回も他艇との絡みで720度回転ペナルティーを2回もやって順位を落としてしまいました。ペナルティーターンの時十分に他艇と離れることや、不用意に他艇に近づきすぎないよう注意せねば。
美味しい夕食時間を終え、20:10「セブンイレブン」にヨーグルトセットを買いに行きましたが、売り切れていました。仕方なく「森永パルムチョコレート151円」を購入し、合宿所でOBたちとお喋りしながら食べ、おやすみ〜。


2019/9/14
コーチしてる大学ヨット部の全日本インカレ団体戦予選日になりました。ここで上位入賞しないと、全日本への切符を手に入れられません。その時点で、4回生はヨット部を引退し、同時に1年契約の僕のコーチ業も終了です。今年は、大会期間4日間ともフルに仕事を休むことにしました。昨年本戦で、470級15位・S級2位・総合8位でした。15年掛けてやっと1クラスだけですが全国2位まで躍進できたので、今年こそ目標である総合6位入賞を成し遂げたいと思っています。頑張らねば・・・
5:30に目を覚まし、「里山VTR250」で出発しました。6:37、近くの「ローソン」で「伊藤園ミネラル麦茶670g120円+手巻エビマヨネーズ150円+手巻熟成辛子明太子150円=429円」購入。R171〜中央環状線を走り、6:50「エネジェット中環豊中」で給油。190km/6.18L=30.7km/L。
吹田ICから名神高速に乗り、桂川PA休憩をスルーし、京都東IC下車〜湖西道路で、7:30前に琵琶湖のYH着。各校、艤装に余念なく気合が入っています。朝から風が入っており、良いレースが出来そうです。艇庫前でレース艇をチェックし、部員たちと話していると、次々に別れOB・OG達がやって来ました。
体操・ブリーフィング。「いつもどおり、レース結果はどうであれ、次のレース次のレース淡々とこなせば、結果は付いている。練習は裏切らないので、自信を持ってレースに臨みましょう。打倒D社のチャンスです」と話しました。スキッパーズミーティング〜D旗出艇の流れで大会初日が始まりました。桟橋から下級生が各選手に向けてエールを飛ばし、賑やかな大学生の試合らしい始まりです。
僕はコーチボート2に乗り、監督・副監督と共に沖に出ました。風を求め、いつもの海面より北に上がり、D社艇庫前がレース海面になりました。11:30から15時過ぎまで4〜5m/sの風で3レース出来ました。当方470は、2・3レース目で10番代フィニッシュが2回あったものの、他の2艇はトップフィニッシュ1回を含めシングルフィニッシュを続け、初日トップに立ちました。S級は、D社が1つ失格、Rit'sが2回リコール(フライングスタート)失格したので、1位京産に続き僅差で当方でした。総合は初日トップです。小さな大会では、積極的にスタートしリコールしても良いと指導して来ましたが、それで精度を上げたので、このような大一番ではミスしませんでした。
16時にハーバーバックし、一足先に合宿所に戻り、荷物を下ろします。身軽になって近くの風呂屋に向かいました。「近江温泉」、風呂だけ430円、サウナも使うと500円。430円払い、湯船に浸かります。学生時代、練習を終えての風呂屋が楽しみでした。一風呂浴びた後着替えながら飲むコーヒー牛乳は最高でした。背中に見事なモンモンの入ったお兄さんがおり、懐かしい風呂屋の光景です。最近、「入れ墨の方はご遠慮下さい」なんてスーパー銭湯から締め出されておられるが、テキ屋の兄ちゃんなど気の良いあんちゃんが多く、僕は気になりません。やんちゃしたらお縄になり、放免されたら同じように接する方がいいんじゃないのかな〜。17:30に合宿所でミーティングが始まるので、それに合わせて帰ります。この風呂屋にはコーヒー牛乳がないので、ジュースを飲みました。
ミーティングで、気づいたことを話します。今大会はジュリーが活発に動き、当方も3艇が1回ずつ推進力違反を指摘され、ペナルティーターンをしました。他校艇で720度ペナルティーターン(2回タック+2回ジャイブ)の最後90度(タック1回)せずに失格した船がありました。焦っているのはわかるが、ここは冷静にと、他山の石とせず気をつけるようアドバイスしました。
美味しい夕食を、同じテーブルの部員達とワイワイ食べました。20:25、近所のセブンイレブンで、「明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー145円+プレミアムプレーンヨーグルト400g145円=290円」買い、OB部屋でOBたちとワイワイしながら食べました。
着替えて洗面して、21時を過ぎたので床につきました。22:30にやってきた今年卒業したOB・Kくんの入室に気づきませんでした。


2019/9/8
コーチしてる大学ヨット部のコーチ日です。1週間後に迫った全日本インカレ団体戦地区予選で、上位3校までに入らなければこの代は終了し、4回生は引退です。僕のコーチ期間も最終レースまでなので、同時に終了です。気合い入れて、部員をサポートしなきゃ・・・。でも肝心のレギュラーチーム3・4回生のほとんどが遠征中でいません。470・S両クラス各2艇は、全日本インカレ個人戦で蒲郡でレース中です。S級の3〜7番艇は江ノ島に遠征してレース中です。スターター3艇の座を巡り、部内バトル中です。このレースの成績トップが、スターター3番艇に最も近くなります。
前日・土曜日、家内は仕事の勉強会でホテルに行き、そこでお泊りでした。日曜日も半日お勉強です。だから、1人寂しくしていました。1・2回生中心の練習のコーチングをしに、「招き猫CB400SB」に乗り、7時に自宅を出発しました。早く出てコンビニで朝食買って行くのですが、ヨーグルト中毒なので、寝る前に食べたのにまた食べたくなってヨーグルト朝食して出発が遅くなりました。
R171〜中央環状線に乗り、豊中ICから中国道〜名神高速コースにしました。吹田ICまでは信号が少なく、制限速度60km/hの快適道路なので、豊中ICから乗ることはしません。でも出発が遅かったので、高速道路を増やしました。加えて、「桂川PA」休憩もカットし、一気に「京都東IC」〜湖西道路で8時に琵琶湖のヨットハーバーに着きました。
皆に挨拶します。いつもなら8:15とか8:30出艇、練習開始ですが、前日土曜日がお休みだったので、9時出艇でした。先週同様、金沢や富山など遠征中の大学がおり、Rits・龍谷などのホームポート校が次々に出艇して行きます。
出艇前ブリーフィングで、「5日後から始まるインカレ予選では、遠征中でいない上回生がピリピリしてるので、上手にサポートして欲しい」「スターター3艇のいずれかに何かあっても穴埋めできるサブの存在が全日本への道なので、いつ指名されても良いようレースに臨むこと」「1回生は今日の練習に集中し、少しでも技術を上げるよう」・・・などを話しました。
AMの練習は470チームをサポートしました。気づいたことをマイクで伝えます。コーチボートに乗っている1回生が、僕のアドバイスをメモり、僕から「何を注意したかわかった?」と聞き、僕のアドバイスの意味を説明します。ヨットは根性論や体力体格勝負ではなく、技術力と速いボートを作るチューニング力、そして風を予想する頭脳戦です。頭を鍛えないと・・・。ビデオも撮ります。
12時にハーバーバックし、合宿所に帰ります。キッチンに顔を出すと、美味しい昼食が待っていました。うどんにお肉が乗り、お汁は冷たい。真夏並みの気温と日差しで、最後は無風に近くなったので、冷たい麺類は食欲が進みます。「美味しかったわ〜」とマネさん達に言うと、「暑いからごはん類は食欲が進まないと思って・・・」との事でした。マネージャーは強力な戦力です。
ハーバーに戻り、午前中アドバイスしたことを全部員に共有出来るように、ブリーフィングで話しました。PMは2回生マネ+1回生マネ1人のドライビングでした。AMは3回生マネ+1回生マネ2人のドライブで、新人マネのドライブ力を高めます。次週の成績如何では4回生マネが引退し、マネ人数が減ってしまいます。レスキュードライブ力が落ちてしまうと、安全に練習できないので1回生マネさんの意欲は満々です。
PMはS級について、アドバイスしました。17時にハーバーバックしました。また練習終盤で風が落ち、曳航して戻りました。あまりに暑くて持ってきた麦茶ペットボトルを飲み干したので、久しぶりにコカ・コーラを自販機で買って飲みました。
17:43、「セブンイレブン大津鏡が浜店」で、「大人なガリガリ君巨峰108円」を購入しクールダウン&糖分補給。バイクで合宿所に戻り、ミーティング。まずは僕の話から。改めて1週間後のことを話し、4回生がどんなモチベーションで臨むのか観察するのも面白いと話しました。
同時進行中の全日本インカレ個人戦の担当マネ・コーチからの現地速報が、随時入っていました。470では当方エースが6位入賞し、もう1艇が33位。S級では3日間全8レースで当方エースが3回トップフィニッシュしました。総合では11・12位でした。
学生の全国の各水域トップ選手がほぼ揃った個人戦の結果を、各校上位2艇の点数を僕独自の集計方法で団体戦に当てはめてみました。470は、1W・2日大・3KO・4中央・5明海・6D社・7当方・8KG・9甲南・10日経。S級は、1W・2日大・3当方・4九州・5KO・6中央・7鹿屋・8神戸・9KG・10京産。総合は、1W・2日大・3KO・4中央・5当方・6KG。
団体戦は、各クラス3艇の合計点数を競うので、個人戦に3艇以上出場させたW・日大・KOが更に有利になります。関東水域ばかりだけど、これは近畿北陸・関西・九州各6艇に対し、学校数が多いので3倍出場枠があるから。このまま順調に、当方のレベルを1ヶ月半後の団体戦まで上げていければ、目標の全国総合6位が見えてきました。今年・来年の全日本団体戦開催会場が、大きく防波堤に囲まれた西宮沖で、不得手な強風・大波になりにくいので、当方に有利です。
大まかな当方の位置を話し、自信を持ってレースに臨み、でもスキを見せずそれぞれの個人が自分の持ち場で全力でチャレンジするよう話しました。
クラス別ミーティングで、470チーム・スキッパーチームの輪に入り、随時気づいたことを話しました。ここで帰路に着くことにして、キッチンにいるマネージャーさん達にお礼を言いに行くと、「みんな大好きカレーライス」が並んでいました。「あ〜美味そう。やっぱり食べてから帰るわ」・・・楽しく話しながら夕食カレーを頂き、20時に帰路に着きました。
湖西道路〜名神。20:38、「桂川PA」で「ガリガリ君ソーダ75円」で再度クールダウン&糖分補給。この時間になっても、真夏の気温で暑い。「吹田IC」で下車し、中央環状道〜R171で21時過ぎに帰宅。家内は帰宅していましたが、既に夢の中でした。


2019/9/1
コーチしてるヨット部の練習に参加しました。次の週末が、インカレ個人戦なので、レギュラーチーム含む3・4回生の多くは、大会会場である蒲郡に遠征しています。今月中旬にある琵琶湖でのインカレ団体戦地区予選に向けて、全国から集まる個人戦出場者と練習し、個人戦参加選手以外の選手の力も高められるようしっかり練習して欲しいものです。
1・2回生の殆どが琵琶湖に残り練習しています。こちらはいつもの環境で腰を落ち着けて練習できるし、1週間前に公式戦デビューした1回生にとって、レベルをぐんと上げるチャンスです。事実、毎年この期間の居残り組で結果を残し、予選本戦の主力に躍り出たペアが毎年出ます。団体戦予選本戦には、各校各クラス3艇しか出場できません。レギュラー3艇はこれまでの実績によりクラスリーダーが選びますが、体調を崩したり故障、調子を落とすこともあり、4艇目・5艇目がサブで出場する機会が往々にあります。この時期、居残りチームの底上げが、予選通過を左右します。
4:30に目を覚まし、用意をして「里山VTR250」で琵琶湖に向かいます。5:51「ローソン」で「助六寿司399円」を購入し、R171〜中央環状線〜吹田ICから名神高速に乗り、「桂川PA」で休憩。トイレ休憩し、「京都東IC」で下車し、湖西道路を経てYH着。まだ7時前なので学生はまだ合宿所のようで来ていません。「助六寿司」を朝食にします。
ベンチに座って食べていると、作務衣を着た方がYHを歩いています。釣り人には思えないな。艇庫裏に富山大のレース艇が並んでいます。地区予選に向け、レース会場であるここに練習に来ているのでしょう。学生は8・9月が夏休みなので、レース終了までいるんだろうな。「おはようございます」・・・当方部員も他大学部員もやって来ます。
艇庫前に移動すると、横に「金沢大」のレース艇も艤装しています。先程の作務衣さんが金沢の学生さんと話しています。「金沢さんは、いつからこちらに来られているのですか?」って声を掛けました。この週末からのようで、いろんな話で盛り上がりました。金沢ヨット部OBで京都で土木建築関係の仕事をしておられるMさんでした。レースでのレース艇の運送を安価にすべく、協力されているようです。
金沢のコーチをされているプロコーチ高木さんが来られたので、ネームカードをお二人に出して3人であ〜だこ〜だ。出艇時間になりましたが、風がなく陸上待機になりました。陸上で基本動作を2回生が1回生に教えています。マネさんは、レスキューの桟橋発着練習を始めました。整備のある艇は、そちらへ。
S級が出ていきます。470も出艇。コーチボートに乗り、470の練習を見ます。少し風が出て来たのでマークを2つ打ち、あ〜だこ〜だ。着艇の12時が近づくと北からの風が入ってきて、2〜3m/sになりました。
コーチボートから、「ティラーまっすぐが基本」「ロールタックで動作を止めずに、流れるように」「クルーはスキッパーの体重を考えヒール作る。スキッパー中に入ると、風見・ジブラフテルテイルを見る角度が変わるので、いつも同じ角度から見れるように」「タックジャイブ後のジブクリューのコントロールを適切にする」など、マイクが載ってなかったので声を張り上げました。
12時ハーバーバックし、合宿所に戻り昼食。美味しいご飯を食べ、ハーバーに戻り午後の練習に入ります。「タックのロールの大きさは、微風と軽風3〜4m/sでクルーの動きが違うよ」「タック時スキッパーは斜め前に飛ぶ。タック前のスキッパーは乗る位置を少し後ろへ」「ランニングでの、ターゲットアングル・ヒール角度・メインセイルの出し入れ・ダガーボードの抜き入れ」などアドバイスする。
15時に交代でコーチボートに上ってきた1回生Nくんが沢山質問してきたので、全てに答える。彼は新人勧誘が終わった5月に、「ヨットに試乗したい」とやってきて、最後に参加した部員です。470スキッパーを選択したようで、自ら動く所が良いと思います。
僕も1回生の時は最後に入部した部員でした。高校ヨット部経験者だったので、入学式前の春休みから高校同期ヨット部員と練習に参加していました。その流れで、他の部を見学することもなく1回生が始まり、一旦フリーに戻そうと退部しました。前期テストを終え大学生生活にも慣れ、夏休みに入りもう一度これからの大学人生を考え、「ヨットが好き」な僕に正直になり、同じ高校ヨット部だった2回生Kさんに電話し、再入部しました。
幼稚園の同級生の幼馴染の女の子と話したことも、再入部への後押しになりました。駅であった彼女に、「ヨット部に入ったの?」「うん、一度入ったんだけどさ退部して、考えているんだ」「え〜国体にまで行ったのにもったいない、嫌いになったの?」「いや、ヨットは好きなんだけど」「じゃあ、続けたらいいじゃない」と、とてもシンプルに即答したので、「うん、そうする」と素直に結論を出しました。自分から1人でヨット部にアプローチして来る子は、意思を感じます。頑張って欲しい。
午後はより風が上ったので、長めの上下マークを打ち、練習をしました。17時にハーバーバックし、合宿所に戻ります。近くのセブンイレブンで、「プレーンヨーグルト400g+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー」を購入し、合宿所に戻り美味しく頂きました。
ミーティングで気づいたことを話し、クラス別ミーティングでは470スキッパーに加わり、この日速かった1回生高校ヨット部経験者Fくんに、「スピード練習で前に出ているのに時々バウダウンして他艇に合わせるのを止めた方が良い」と伝えました。「A分でB艇身負けた」と遅い艇のCスキッパーに実感させるのが大切です。先行艇Dが後続艇Cに合わせたら、Cスキッパーが対処したチューニングでどう改善したか(差が半分になった。むしろ速くなった等)わかりません。チームメイトの後続艇Cが、自艇Cに必ず追いついてくると信じ、差を見せてあげることがチームメイトへの愛です。
美味しい夕食を部員と駄弁りながら頂き、全体ミーティングを聞いて帰路に着きました。湖西道路〜名神高速。20:57「桂川PA」で「ガリガリ君ソーダ75円」を購入し糖分補給して帰りました。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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