-ウェブマスター日記 2017/9-10

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2017/10/28
1週間前の日曜日に続き、この日曜日も台風来襲です。ですが、次の木曜日から全日本インカレ団体戦なので、どうしても練習に参加したい。そこで雨予報だけどコーチしてる大学ヨット部の練習に参加することにしました。
5時前に四輪で家を出ます。R173で北上開始。真っ暗な夜明け前、雨が降っていますが順調に北上を続けていましたが、前方に数人の人がいます。こんな時間に検問かな?と思いながら止まると、地図を見せながら「どちらまで行かれますか?この先土砂崩れで通行止めなんですよ。ご迷惑お掛いたします」とのこと。
がけ崩れと聞いて、「天王トンネル」から先だろうと思ったがその通りで、「はらがたわトンネル」までは通行可のようで、r731〜るり渓の迂回路を勧めてくれました。
ここ以降ほとんど交通量がなくなり、寂しい道を北上し、「はらがたわトンネル」を抜けて、r731に右折しました。夜明け前ここはよく鹿がいる道なので慎重にカーブを曲がります。流石に雨が降っているので、鹿さんも根倉から出ないのか光る目も見つかりませんでした。
r54に乗り、「るり渓温泉」〜るり渓を通過し、r453〜r54で園部に入り、R9を渡りr19に乗り、「園部IC」から京都縦貫道に乗りました。「綾部安国寺IC」で下車し、R27〜r74で、石段横の坂を上がり、6:47「安国寺」。
寺院なので門が閉まっていれば拝観出来ないかもと思いながら駐車場に車を入れます。24Hオープンのようでラッキーでした。駐車場横にいきなり『この上の宝篋印塔 赤橋登子(尊氏の妻)・足利尊氏・上杉清子(尊氏生母)』の案内板が立っていました。探す手間も省けました。
『この宝箇国塔は南北朝時代のもので、墓碑として建てられた供養塔です。向かって左が尊氏の母・清子、中央が足利尊氏、右が尊氏の妻登子の墓と伝えられています。
母・清子は康永元年(1342)12月23日永眠していますが享年は不明です。尊氏は、延文三年(1358)4月30日に54才で、妻・登子は貞治四年(1365)5月4日に60才で没しています。
安国寺文書によると、尊氏と登子の遺骨はそれぞれ没後2ヶ月後に2代将軍・義詮って安国寺に奉納されたことが記されています。文書には、遺骨の一分を由緒について当寺に奉納せしむる所也」「往年の由緒につき当寺へ奉納の所也」といずれも光福寺(安国寺)長老に宛てており、足利氏と安国寺のつながりの深さを示しています』
寛正6年(1794)再建から3度再建の記録が書いてある小門をくぐり境内に入ります。池に紅葉が覆っていたり、紅葉の季節が綺麗な彩りを見せそう。
『景徳山安国寺 臨済宗東福寺派 安国寺は、正暦4年(993)ごろ地蔵菩薩を本尊とし了開創されたと伝えられ、もとは光福寺と称した。
建長4年(1252)勧修寺重房が上杉荘を賜り、これより「上杉」を姓とするようになった。その後、光福寺は上杉氏の菩提寺となり、釈迦三尊を合わせ祀った。元3年(1305)足利尊氏の誕生によって、当寺は上杉氏・足利氏の尊崇を受けるようになった。
暦応元年(1338)足利尊氏は、夢窓疎石の勧めによって、元弘の戦乱以降に亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるため、国ごとに安国寺・利生塔を建立するにあたり、光福寺を丹波の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においた。
康永元年(1342)尊氏は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して安国寺の始祖とし、多くの寺領を寄進した。それ以降、塔頭16、支院28を有する大寺院であったが、江戸中期に至るまでの間に、大半の寺領ば押領されて塔頭・支院は減少したが、今なお多くの重要文化財、府・市指定文化財、重宝等を蔵する名刹である。重要文化財:木造地蔵菩薩半迦像・1躯、木造釈迦三尊座像・3躯、絹本墨書天庵和尚入寺山門流・1一巻、安国寺文書・5巻3幅
府指定文化財:絹本着色天庵妙受像・3幅、仏殿・方丈・庫裏・各1棟
府登録文化財:山門・鐘楼・各1練
市指定文化財:宝篋印塔・3基』
鐘楼を見て、山門を観に行くと、足利氏の「二両引き紋」がドンと門に彫られていた。『山門は、天保9年に住寺の大柱妙甫(だいちゅうみょうほ)が山門再興を志して国中を勧化し、天保14年(1843)に再建されたものです。
桁行3.94m・梁行3.64mの規模で、本柱・控柱ともに丸柱で上は波紋彫刻付の欄間、また控柱を結ぶ長押(ながし)と腰貫間(こしぬきま)は透かし彫物の欄間が見られます。屋根は本瓦葺です。
再建の大工は、棟札によって天田郡観音寺の大槻由平時秀と亀岡の田中仙助忠茂であったことが知られます』
境内の中央に茅葺屋根の仏殿がありました。屋根がくたびれ気味です。『安国寺の伽藍は、亨保20年(1735)6月の山津波で裏山が崩れ、仏殿のほか諸堂を倒壊し埋没したあと整地したのが現在の寺地です。仏殿は、寛保3年(1743)に再建されたものです。
桁行5間、梁行5間、単層で屋根は入母屋造・茅葺です。内部は、禅宗仏殿の基本的構成要素を巧みに残しながら、全体としては近世風の仏堂に仕立てています。床は四半敷にし、中央の天井は鏡天井を避けて格天井とし、正面両脇は花頭窓を配しています。
堂内には国指定文化財の木造釈迦如来及び両脇侍坐像を本尊とし、右側には国指定の木造地蔵菩薩半跏像も安置しています』
仏殿内も良い感じで雰囲気が良かった。「看経」(かんぎん)と書かれた板が柱に下がっていた。この仏教用語は?と調べると、「経典を黙読すること」だそうだ。僧侶が仏殿で経典を黙読するのでしょう。仏殿の裏に墓地が広がっていた。R27に出て、r74に入り峠を越えようと思いましたが、「大型車は通れない」との看板があったので、四輪なのでUターンしました。R27に戻り、「舞鶴西IC」から舞鶴道に乗り、「大飯高浜IC」で下車しました。
r16に出ると、2週間前に通ったr1からの道が通行止めになっていました。先週の台風で土砂崩れしていたのでしょう。r16を北上しR27に出て、r237経由で和田ヨットハーバーへ。
朝・昼食を買い忘れちゃので再びR27に出て、8:19「ファミリーマート若狭和田店」で、「こだわり栽培バナナ4本セット」228円を買いました。8:31再びYH。予報では午前中は曇でしたが、小雨が降っています。レース艇を載せたトラックが数台停まっており、今週末で参加校の殆どがここに揃うでしょう。
ヨット部員がトラックから船を降ろしています。バナナを1本食べ、コーチしてるヨット部の艇置き場に行き皆に挨拶します。他校の部員からも「おはようございます」と声を掛けられます。キャプテンなどに様子を聞くと、インフレータブルボートのエンジンが前日の練習で10回も自然に突然止まってしまい、ハーバーの監視船(ヤマハSRV)を借りたそうです。
これが使えないとレースに支障を来たします。マネージャーと共にインフレータブルを見に行きます。エンジンの練習後のメンテナンスなどを聞きますが、手抜きしておらず問題なし。遠征に来る前に琵琶湖のヤマハで点検し、一昨日もたまに止まるので点検してもらったが大丈夫だとのこと。症状を聞くと、どうも燃料系が駄目のように思う。
4回生のエンジンに詳しい部員K君とあ〜だこ〜だ。燃料に水が入っても止まりますが、頻繁に止まるほど入るはずがない。「ホースにひび割れから空気が入っている」とが怪しいとの結論に至り、燃料タンクとホースをセットしてヤマハで見てもらうことにしました。
もうすぐ出艇なので昼休みに行くというのですが、むしろこちらの方がレースに向けて重要で、レース本番までの練習日は、この土日と水曜日の開会式前の午前中のみです。日曜日午後は大雨予報で、風が上がれば試運転も出来ません。
僕が3回生女子マネYさんとAM練習参加を止め、持っていくことにしました。ミーティングで大勢の部員で賑やかになったハーバーの雰囲気に飲まれないよう合同練習して慣れるよう話します。出艇を見送り、10:06僕の車に燃料タンク一式を載せ、ヤマハに持ち込みます。今まで2年ほど、時々エンジンが突然止まる症状がでていたし、ホースのポンプを手動でプシュプシュ動かし続けるとエンジンが動くこともあると言ってたことを思い出し、出艇前に4回生部員に聞くと僕らの記憶に5年はホースを取り替えていないということなので、僕の中の結論は「ホースを新品に交換」でした。
ヤマハのメンテナンスの人に、新品の在庫を聞くと在庫有りで7000円弱です。良心的な方で、ホースのひび割れのことを言うと、確かに可能性はあるが、この程度ならまだ大丈夫とのことで、気になるならひび割れ部分(タンクとの接合部・エンジンとの接合部・ホース中間についているポンプとの接合部)をカッターでカットしカシメてプライヤーで抜け防止金具を締めたらどうかと提案される。
一旦ハーバーに戻りその作業をしようかと思ったが、やはり新品の方が良いと決め、買って寄付することに決めました。それを話すと、「費用は大丈夫です」とマネさんが言います。学生だから甘えていればいいのに・・・。今年は春にレスキュー用アンカーを寄付したり、毎年あれこれ寄付してきました。
再びヤマハに戻り、新品ホースを購入しました。10:40YH着。マネさんが海上に電話したようで、僕を迎えに来るようです。ライフジャケットを着て桟橋に行くと、すぐにSRVが戻ってきたので2人で乗り込みます。
練習を見ながら、ドライブしてるボスマネKさん(4回生)に顛末を話し、午後から試運転することに決めました。
12時にハーバーバックし、バナナを2本食べます。朝来ていたトラックの殆どが帰り、東大のトラックだけが残って、部員とともに船を降ろしています。東大は今朝着いたようです。
インフレータブルに行き、出艇準備を手伝います。午後の練習を始めます。SRVの方が快適ですが、インフレータブルのエンジンの調子が心配でこちらに乗りました。
風は弱く、2m/sほどです。練習しながら沖に向かっていると、東北大学が近くに来たので、マネさんに指示し合同練習を申し込みに行く。もちろんOKで、マークを打っている間にやってきた九大にも声を掛けました。龍谷なども入ってきて、微風レースをしました。コーチしてる大学は、この風では他校を席巻し、トップ5までの両クラスとも3艇入っています。夏前の定期戦で負けている九大にも走り勝ったので自信を付けたでしょう。隣のレース海面では僕の母校を中心にしたレース練習をしています。
更に風が落ちてきたので、続々引き上げていきます。うちの470も引き上げましたが、S級はレースで走り気持ちが乗っているのか、「もう少し練習したい」とのことでしばらく基本練習を見守り、曳航してハーバーバックしました。
インフレータブルボートの方は快調で、ボスマネさんいよると、「すごく調子良いです」とのこと。ここ2年の不調は、このホースの経年劣化が問題だったのかも・・・
レース本部のプレハブを覗きました。1週間前の月曜日、西宮の係留艇の台風被害点検で船を見に行った時、ノース・ショップの全日本への出店予定を聞いていました。この日からレース最終日までいると言っていました。
店長のK君がおり、商品の陳列を終えていました。バッグなども並んでいたので、「こんなの大会で売れるの?」と聞くと、最終日になると学生も買いに来るし、OB・OGや父兄がお土産に買っていくそうです。強風レースになるとマテリアルが潰れるので大流行し、部員のとっては神に見えるショップです。
16:56、YHを出発し、R27を1駅西進し、17:07宿着。ダイニングを覗くと、3回生マネさんWさんがおり、台所で腕をふるっています。「また1人で料理当番?」と聞くと、「今日は2りです。もう一人は今お風呂に入っています」とドキッとするような台詞を平然と言います。Wさんの頭も濡れており、可愛いキャップを被っています。この子はお肌がとても綺麗な子です。
部員がパラパラと戻ってきて、もう1人の3回生女子マネSさんが、色っぽい濡れた洗い髪のままやって来て、「ありがとう、手伝うね」とキッチンであれやこれや。
ミーティングで、気づいたこととインフレータブルの顛末を話し皆と共有します。お待ちかねの夕食です。大学生とは思えないナイスで量も多いご飯です。今すぐお嫁に行けるよ。
しばし歓談後、料理当番マネさんに「ごちそうさま、美味しかったわ」とお礼を言い、帰路に着きました。18:35出発。R27を西進し、r28から「舞鶴東IC」から舞鶴道に乗りました。南西に走り、綾部JCTから京都縦貫道に乗ります。
19:56、「京丹波味夢の里SA」で「小田房子・小田さんのフルーツバウンドケーキ・1500円」と「京珈琲こうみ粉・940円」を家内へのお土産に買いました。
「園部IC」で下車し、r19〜R477〜R173〜r12で、21:09自宅着。家内はまだ起きており「おかえり、ご飯食べてきた」「うん、美味しいマネさんの夕食よばれてきた」「良かったね、じゃあおやすみ〜。ガスと戸締まりの点検お願いね」。

2017/10/29
家内もお休みの日曜日ですが、朝から雨。映画館サイトを見ても、ピンとくる映画はない。先週見たばかりだものね。6時になり明るくなったので、先週に続き係留艇を見に行くことにする。ラッキーにも曇り空になっており、台風は何処に行ったんだ?
カッパを着て長靴履いて、ヨット用の濡れても染みてこないハットを持って、家内のアドレスY125に乗ります。R171をぐ〜んと走り、新西宮YH。カードキーで桟橋ゲートを開けて桟橋を歩きます。他艇の台風対策を見ながら船に行きます。
心配していた桟橋側スターンのロープは3本に補強されていました。1週間前はいつものように1本で、切れていました。ハーバー職員が台風一過の朝切れているのを見つけ応急処置してくれていましたが、台風対策の増しロープが功を成し船が桟橋とぶつかるなどの被害はありませんでした。
月曜日に外した増しロープをまたして、コイルしたメインセイルとブームをシートで巻いてしっかり対策します。その他あちこち点検し、ロープを巻き直したりして台風対策終了。
帰宅し、朝食を取り自室でウダウダしていると、階下から「出かけるから〜」と声がかかりました。雨が降ってきており、送っていかねばと「何処行くの?」「身体検査、市役所の横の保健センター」というので、速攻で着替え、四輪で送りました。市役所の駐車場に車を入れ、横の「伊丹市立博物館」に入ります。
朝の勤めを拝借し、「日本の城」という本を読みます。企画展示「伊丹の鉄道展」に入り、伊丹市の鉄道の歴史を見ます。江戸時代に日本初の清酒製造をして、大きな利益を上げた伊丹の酒造メーカーの代表「白雪」の小西さんが鉄道会社を設立し、現在の福知山線を開業させたそうです。懐かしい僕が子供の頃の阪急電車の写真や大好きなSLの写真などたくさん展示され、説明も豊富で時間を忘れ楽しみました。
また「日本の城」を読み出したところに家内が帰ってきました。雨が強くなり5ミリ/hほど降っています。外食するのも面倒で帰宅、もうお出かけはないかな?
昼食を食べ、DVD「10年先も君に恋して」を観始めたら、家内も「私も観る」とやってきて仲良く観ました。僕が今までで見たドラマで、一番気に入っています。NHK火曜ドラマ?で、DVD(3枚組・6時間)まで買っちゃいました。1枚目の後半2時間目で寝てしまい、起きたら終わっていました。また後半から見出したら、家内が覗き「また見てるの?」と笑っています。
2時間目終了し、昨日買ってきたパウンドケーキを1切れずつ食べました。またDVDに戻り、3時間目に入り楽しく見ていると、「あ〜お外に行きたい〜」の声が聞こえてきたので、時計を見ると15時過ぎ。今からだと・・・ドライブ&買い物ることにしました。r13〜r12を走りながら能勢電の「日生中央」に行くことにしました。駅前にショッピングセンターがあったはず。
「阪急オアシス」の大型店がありました。珍しい食材をウインドウショッピングしながら、食材を買い物かごに入れます。美味しそうなケーキがあったのに入れようとしたら、「昨日、ケーキを買ってくれたじゃない」とダメ出しされてしまいました。
僕は明治プレーンヨーグルト450gを3つ買いました。阪急オアシスを時々利用するのでカードを作るそうで、僕が袋詰している間にカスタマーサービスへ。
グーンと帰宅し、夕食食べて、NHK大河ドラマ「女城主・直虎」を見ました。井伊直政が家康の小姓になり、これから出世街道です。大河ドラマは男の子が主役でないと・・・最近良く見るようになりました。
僕は次の週末は全日本インカレで福井入りします。家内が、「次の日曜日、福井に行こうかな?」と言い出したので、行き方を教えてあげなきゃ。

2017/10/22
台風です。この週末も、大学ヨット部のコーチングしに福井県に行く予定でしたが、雨予想なので風邪を引いてしまうと辛いのでキャンセルしました。日に日に予報が正確になり、キャプテンから「日曜日は練習を中止するかもしれません」との連絡がありました。土曜午後から雨風が強くなる予報になってきたので、「土曜午後から、台風対策を万全にして、レース艇が飛ばされないように」「備品を出来ればハーバー艇庫に入れさせてもらうように」「他大学と話して、みんなで助け合うように」と伝えました。
家内から、「日曜日の勉強会が中止になっちゃった。せっかく予習していたのに・・・」との話があり、映画でも観に行こうかなとチェックしました。「これだ!」というピンとくる映画はありませんでしたが、主演女優「新垣結衣」ということで「ミックス」を観に行くことにしました。助演男優も好きな「瑛太」です。
日曜日はいつものように4時頃目覚め、ゴソゴソ。7時になり、朝食とか朝のいろいろをして、8時過ぎに投票封筒を持って家内と家を出ます。今回の衆議院選挙は、北朝鮮からのミサイルの脅しに対抗する力を政府に与える大切な選挙です。国内問題もいろいろありますが、竹島・拉致事件・北方領土に続き、恒常的に尖閣諸島周辺を支配下に置き始めた中国共産党を排除し、日本の主権を蔑ろにされている現実を変える、大げさに言えば国の存亡を掛けた選挙です。憲法9条を改正し、国軍を明記し、いつでも戦闘できる力を政府に与えなければ、我が子や我が孫の時代に日本がなくなっているかもしれません。
第2次世界大戦で敗戦して領土が小さくなってしまったが、先人の奮戦により、世界で最も強い国として諸外国に印象付けたことで、理不尽な干渉を未然に防いでこれました。でもその記憶を持った人がいなくなり、押せば引く今の日本の弱腰外交が白日のもとに晒されつつあります。
先人が命を賭けて僕ら子孫に与えてくれた安心を、僕らが子孫に残さなければなん。9条改正勢力は、与党「自民党」と野党「日本維新の会」「日本のこころ」「幸福実現党」、そして新しく出来た「未来の党」です。
年明けから、北朝鮮ミサイルがバンバン日本を脅しているのに、脳天気に「森友学園問題」「加計学園&前川事務次官問題」ばかり言ってる民進党は、昔の社会党の姿にしか見えません。朝夕など都心の電車のように5分間隔で下りてくるんじゃないかと思える伊丹空港着陸空路真下の騒音の激しいずっと売れなかった国有地を値引きしてでも売ろうとするのは、商売人では当たり前の考え方。お隣の土地は数年前に民進党最左翼の辻元さんが口利きして、もっと値引いて売ってるのに、首相の奥さんが絡んでいたことを大問題にした。いつもなら急進的な言葉で追求するはずの辻元さんは、飛び火を恐れだんまりを決め込んだ。
10年以上前から愛媛県から動き、やっと見つけた獣医学部を開設してくれる加計学園が、首相の友人だと言うだけで問題視された。文部科学省が、50年以上も獣医学部新設を許可しなかったことの方が異常に思え、そんな岩盤規制に風穴を開ける目的で作られた特区の方を問題にする姿勢は何なんだ。
自由な発想で新天地を開拓していく庶民のエネルギーが国を豊かにしていく。それで家族を養っている。そんなの関係なく食える役人の肩を持ってどうするんだ。そんな役人の頭を押さえるために政治家・立法がある。役人>庶民>政治家>役人という、じゃんけんのように最強がないトライアングルが民主主義の良い所です。役人=政治家(党)>庶民という一方通行の政治体制が共産主義で、この政治体制の怖さはみんな知っているのに・・・。
国会審問で、森友問題・加計問題の問題のなさはクリアになったのに、未だにこれを総選挙演説で追求する共産党・社民党は論外。選挙戦終盤になり、この問題を口にしだした「未来の党」は更に墓穴を掘り論外。より共産党よりな立憲民主党が意外にそれをあまり口にしなかった。
野党の敵失で、与党がどんどん優勢になり、僕は「日本維新の党」に投票しました。候補者は、元民主党議員で前回総選挙に落選し浪人していた方でイマイチだけど選択肢がありません。希望の党は党首の元秘書の女性で、小池さんの最初の選挙区であったここから出馬されました。立憲民主党は、前回トップ当選した現職市議の若手の方。保守的な考え方だったのでトップ当選されたはずなのに、自民党候補者がおり、維新の会にも候補者がいるから立憲民主から出馬されたのでしょうが、この方が維新の会候補なら良かったのに。
自民党は僕の1票なしでも楽勝トップ当選だろうから、維新にしました。投票後家内に聞くと、僕と同じ選択をしたようです。投票後、雨の中、車で映画館に向かいます。日曜日は混む駅前のショッピングセンター最上階に映画館があります。チケットを買って時計を見ると8:40。9:20上映開始まで40分もあります。
家内とあ〜だこ〜だ話します。「半年遅れのバースデー」として、「JAL機内販売カタログ」に載っていたレインコートを数日前にプレゼントしました。早速の雨で着てくれています。薄手のデザインの良いブラックで、とても似合っています。「似合ってるね〜」「美人だね〜」なんて言いながら投票所まで歩きました。いつものイタリアーノな言葉なので、「しょうがないわ、生まれつきだもの」と笑っています。中学生女子グループの1人がとてもお洒落で、「女の子はお洒落なのが良いわ」なんて、ここでもいつもの軽い言葉で、家内にたしなめられます。
映画「ミックス」は、卓球の「ミックスダブルス・男女混合ダブルス」競技のお話です。新垣結衣さん扮する元天才卓球少女が、元選手の母親が亡くなったことで、イヤイヤ続けてきた卓球の呪縛から解かれ、青春を謳歌し普通の就職をして、素敵な卓球選手の彼に見初められ・・・までは良かったけど、突然の浮気から人生の奈落に沈んでいく。
失意のうちに帰郷した家・・・母親の遺した卓球教室は荒れ放題・・・そこに現れた元ランキングボクサーながら、奥さんの浮気相手と誤解しぶん殴ったことで、奥さんと子供に愛想を尽かされた冴えない男・・・
よくあるストーリーながら、新垣結衣さんは相変わらず可愛く三枚目の演技もとても上手です。恋敵の永野芽郁も可愛くてより美人に映してる。主役級の蒼井優さんが怪しい中国人役で脇役。瑛太は安定の自然な演技でナイス。
新垣結衣の子役を演じた子が、めちゃ卓球が上手くてビックリし、出演者が総じてそれなりの卓球の腕前に見えるカメラワークもいい。警視庁卓球部の婦人警官役・中村アンさんが、誰かわかなないほどの髪型になっており、彼女の超美人さを見せておらず非常に残念だったのを除けば、大満足作品でした。生瀬勝久も出演しているらしかったがわからなく、帰宅して調べたらこれは無理だろうと思える変装でした。現役卓球オリンピック選手も出演されていました。
映画の予告編で、「広瀬アリス」さん主演の映画の宣伝があった。妹の「広瀬すず」さんに似ていますが、少し背が高いように見えます。朝ドラ「わろてんか」に主人公「てん」の恋敵として出演されており、「この娘、かわいいな」と番組始まりの時の配役で名前を確かめ、広瀬すずさんのお姉さんだと知りました。広瀬すずさんは、映画「チア・ダン」で強くファンになりました。可愛い〜!可愛い子・綺麗な娘大好きです。「スターウォーズ」の予告編も流れました。12月上映だそうで、観に行かなきゃ。
車に戻り、「餃子の王将」でお昼ごはんを食べました。家内は天津飯で、僕はラーメンとチャーハン。映画で蒼井優さんの中華料理屋が、主人公たちの溜まり場になっていたから、中華料理屋に行きたくなりました。
新しく出来た「阪急オアシス」の複合店舗「オアシスタウン」に初めて行きました。家内からのリクエストです。「ユニクロ」で「ヒートテック」を買いたいというので。「GU」というユニクロ系列の少しお安いお店も併設されており、そちらにも寄りました。お隣には「ABCマート」があり、ここにも寄り道しました。安売りのロードサイド店より、少し良いお品を高めのお値段で提供しているようです。
カフェに寄り、夫婦でケーキセットを注文し、家内はチーズケーキで僕はモンブランを注文し、いつものように半分こしました。「関西スーパー」に寄り買い物して帰宅しました。風が強くなってきたので、DVD映画「1枚のめぐり逢い」をお茶の間鑑賞しました。ラブストーリーの王様:ニコラス・スパークス作品は最高です。小説が映画化された作品をDVDで4枚も持っています。
お風呂に入り、7時台から始まった「大河ドラマ」を見て、そのまま始まった選挙速報見ながら家内とあ〜だこ〜だ話して、9時に寝ました。ああ楽しかった。

2017/10/14
コーチしてる大学ヨット部の練習に参加しました。場所は福井県高浜市。3週間後に最終日を迎える全日本インカレ決戦の場です。今年は地元開催なので、レース海面が近場です。いつもなら練習している琵琶湖開催なのですが、来年の福井国体のためのアピールや大会運営ノウハウを学ぶ為のアピールに応え、開催ヨットハーバーでの開催になりました。
こういうことはよくあり、現場からの要望の他に政治的側面もあるでしょう。北京オリンピックの前年に、同じ開催地に誘致されたジュニア世界選手権に参加したことがありますが、同様のことを感じました。時刻えこひいき甚だしい、どこの国のコーチにも不評な大会でしたが、オリンピックは無難に行われました。まあ、内部ではいろいろあったようですが・・・前日夜、バイクで行こうと用意万端整えました。4時前に起床し、天気予報をチェックしました。気温がグンと下がり、傘マークこそ消えましたが、いつ降ってもおかしくない臭いがする。篠山から日本海に抜けるので、山中を走ることになり、そこでの降雨も気になる。別に降ってもカッパさえ着ればいいのですが、四輪で行くことにしました。
4:30出発。積載量無限大になったので、乱雑に荷物を放り込みました。池田からR173をひたすら北上します。中国道〜舞鶴道コースで2時間、R173〜京都縦貫道〜舞鶴道コースで2.5時間、綾部からr1を使ったら3時間です。前々回4輪・前回バイクで2つ目のコースを走りましたが、オール高速と同じ2時間でした。R173が信号の殆ど無い快走ルートだから、地道平均時速30km/hで計算しているので、倍のスピードで走れるから30分短縮したのでしょう。
今回は3つ目のコースを使います。R9との交差点までR173で北上し、5:36「ローソン京丹波和田店」で、「助六寿司399円・セレクトミニチュアクリームパン100円・伊藤園ミネラル麦茶129円」を買いました。ここから、助六寿司を頬張りながらの運転です。
「京丹波みずほIC」から京都縦貫道に乗ります。1区間「京丹波わち」で高速を下り、由良川に沿ってR27を西進し、「山家」からr1です。ここで、この交差点近くの「照福寺」に寄り道する予定でしたが、どうも場所がわからずスルー。
r1に乗り、高浜町に向かって東北に進みます。5:57「天然寺」。寺院か神社がありそうな階段があったので寄り道した浄土宗のお寺です。お墓も見に行きましたが、特に気になるものはなかった。小高い丘の上で、低い雲に包まれた里山の景色が一望です。
6:04「若宮荒神宮」。神宮と大層な名前が付けられていますが、小さな祠に参道が付いた程度の神社です。若宮だから、誰かの若宮を祀っているという意味ですが、多くは宇佐八幡宮が祀る八幡様・応神天皇の若宮「仁徳天皇」を祀っていることが多い。
6:12「壱鞍神社」。ここも目についたので寄り道しただけですが、なかなか立派でした。「一番鞍」を連想し、兵役や合戦に因んだ謂れを期待したのですが、祭神は「木花佐久耶比売命」と意外でした。
『R27、綾部市山家を北上し、上林地区・十倉志茂町の左山麓に鎮座する古社。背後の山を借景に素晴らしい景観の神域が目に入る。創建は応永元年(1394)。現社殿は、大政6年(1823)。一間社流造り。
祭神は木花佐久耶姫命(このはなさくやひめ)、向拝に宝珠をしっかり握り、小型龍の彫刻が目に入る。すぐ上に力士が梁を持ち上げている。木鼻は唐獅子と象がおり、本殿の廻りに8頭もの象が元気よく並んでいる。手挟は手の込んだ牡丹の彫り物で、2頭の唐獅子も目に入る。本殿左右の上部には、長寿を祈念する鶴と亀が躍動している。更に上部には牛と馬(麒麟)が彫られている。兎の毛通しの鳳凰も立派だ。左の脇障子は虎の上に乗る仙人、右には昇竜と仙人が見て取れる』
覆屋に本殿は守られ、覆屋は絵馬殿を兼ねており、白馬(神馬)・白蛇・虎・羊・法武者などの絵馬が下がっている。力士の姿は確認できなかったが、彫刻が素晴らしい。
神社には龍の彫り物が多いが、これは四書五経の易経が影響しているように思います。学問と言えば中国の古書で、武士の教養として四書の「論語」が筆頭に学ばれたようですが、僕は「易経」の方に惹かれます。「当たるも八卦当たらぬも八卦」の易学はここに始まったようですが、人の生涯を通した成長が書かれている。沼に潜む「潜竜」の状態から学び、やがて「昇竜」となって天に昇り、「飛竜」として成功し続けるか、「亢龍」(降り龍)となってしまうかの心の持ちようが記されている。
飛竜の時「大人を見るに利ろし」と、潜竜段階と同じ言葉が出てくる。沼に潜む勉強段階の時、大人を見て学ぶように、飛竜として成功しても聞く耳を持ち謙虚に行動すれば亢龍にならないと読める。
世の中の変化があれど揺るぎない人生の行動原則に思え、とても好きだ。月イチで勉強する機会があるので、数日前から易経解説書のその回の勉強箇所を読み、自分なりの理解を持って勉強会に臨むようにしている。解説書を数冊持っていますが、竹村亜希子さんの著書がわかりやすい。もともと日本で人気の「論語」の小さな勉強会に参加するようになってからの発展ですが、四書五経の日本での人気の根強さを、。知れば知るほど感じる。
神社の彫刻に龍の姿を見る度、「沼に浸かってでかい目を上に向けて大人を見て学んでいる潜竜だな」とか「まさに人生の最盛期・飛竜として飛んでいる」と、それを見ている。でも最も好きなのは「昇龍」の彫刻です。いつまでも昇竜の気持ちを持ち続けたいと願っています。
境内から参道の端の朱の鳥居を見ると、その向こうの田畑や里山が絵になっている。快晴もいいが、曇り空も素敵です。
6:27「河牟奈備神社」。覆屋に守られた本殿は、細かい彫刻が施され素敵です。覆屋は絵馬殿としての機能もあり、白い神馬の絵馬が下がっています。蟇股の龍や木鼻(角がないので獅子?)の口内には朱色が所々に残っています。正面は獅子木鼻で、側面方向の木花は象のようです。
謂われ板がなかったので、帰宅後調べました。『式内社 祭神:天下春神。和銅年間の創立で、延喜式内社、元井根村を氏子元として八ヶ村の氏神であった。今も大宮というのは、崇敬の厚い近在の大社であったためである。
境内に数基の古墳がある。元亀天正の頃、 兵火にかかり宝物記事等を焼失した。後朱雀天皇の長元9年(1036)大嘗会。主基方神遊の歌に「丹波国神奈備を 常盤なる神奈備山の榊葉 さしてぞ祈る万代のため(千載集)」と詠まれているが神奈備山はこの大宮の後背の山といわれている。尚境内の阿上社に は永久2年(1114)銘の御神体の石碑が ある。現在、綾部市最古の金石文である』
境内の脇に、朽ちそうな土蔵がありました。両親のそれぞれの実家には土蔵があり、刀剣類や掛け軸・古文書などお宝が所蔵されており、小学生の僕には宝箱だった。夏休みに帰省した時、1〜3週間父の実家にいたので、爺ちゃんに蔵を開けてもらうのが楽しみでした。この朽ち果てた蔵を見ながら、中を覗いてみたくてたまらなくなりました。
6:40「八幡宮」。『主祭神は応神天皇で、建武2年(1335)元八幡の地より遷座・再建、本殿は文化12年(1815)領主・藤懸永恵の命で再建された大杉の一間社流造。全面に唐破風の拝所が付設しているのが特徴。棟札によると大工は播州来住村の兵右衛門で、拝殿や本殿に彫られている象・獅子・雲・鶴などは、丹波・丹後に多くの建築彫刻を残している氷上郡柏原の彫刻師・中井政忠によるものであることが、本殿脇障子の刻銘によって明らか。この本殿は、文化の頃特有のおおらかな装飾感覚を持つ建物本体に、優秀な彫刻群が調和し優れた建物となっている。また八幡宮一の鳥居は、旧若狭街道に面して建てられた大型の木造両部鳥居で、親柱を楚石の上に立て、前後の控柱で支える形式の鳥居で、文久2年(1862)建立である。笠木の勾配の取り方や全体の美しさ重厚さは抜群である。一方境内地は街道から直線軸に主要社殿を配し、周囲の老杉や植林樹が一体となって「鎮守の森」の形態をとどめており、こうした境内地の景観を保全するため、文化財環境保全地区に決定された』
内鳥居も同じ形式のもので、その内側に舞台としても使えそうな柱を除き境内に面して惣開きになっている建物があります。大きな拝殿があり、廊下を挟んで奥の本殿に続いています。本殿の装飾彫刻が素晴らしく、江戸時代に手彫していった職人の腕の良さを感じる。需要があったから技術者が育つのでしょうが、芸術作品とも言える域に達している職人が各地にいたのでしょう。脇障子の彫刻も見事です。こんな200年も前の作品が、手の届く所に惜しげもなく並んでいる日本は、なんて素晴らしい国なのだろう。適宜メンテナンスしながら保存する近隣の方の努力も素晴らしいが、悪さをしようとしない日本人の道徳心の高さも賞賛に値するように思う。
本殿脇には、鰹木と千木の造作から男神と女神と推定される社が並んでおり、そう言えばあまり見たことない形式だなと思いました。
r1を走っていると、右手に典型的な城山が見えてきました。6:53寄り道しました。山頂は手が入り、木々が少し除かれ展望所のようになるのが、麓から伺えます。比高は2〜30mと思われ、簡単に登れそうですがパス。
これ以降は、目につくような寺社はなく、淡々とr1を走ります。息子たちがチビの時、海水浴に若狭方面に行く時よく走った道ですが、交通量が少なく道路も良く、とても走りやすい道です。緩やかに高度を稼いできたr1が、若狭側の勾配のきついワインディングで下り、舞鶴道の高架下を抜けます。
夫婦サイクリングで走ってみたい道です。JR綾部からJR若狭本郷まで50kmのちょうど良い距離です。綾部側から走り出す方が上り勾配が緩やかで楽そうです。難点は、交通量が少ないと言えど、主要府道ゆえの交通量があり、路肩が狭い・ないことから来る危険な所、それとアクシデントが起きた時に、離脱して帰るための鉄路が近くにないことです。走り出せば若狭JR小浜線まで駅がありません。高架を抜けてすぐに、左折しr16に乗ります。再び峠に向かって登り、舞鶴道「大飯高浜IC」入口を通過し、それほど高くない峠を越えて、海側に下ります。やがて海が見えてきて、視界が広がりました。道はJR小浜線とR27をまたぐように越え、道なりにUターンし、R27との交差点に入ります。左折しR27に乗って東進します。「和田」が近づくと、R27と並行して海側を走るr237に乗り換え、和田海水浴場に向かいます。海水浴場に突き当たり、右折してヨットハーバーに向かいます。
すぐにお揃いの白スカート・法被姿の男どもの集まりが見えてきました。お祭りだ!ゆっくり山車の前を通過し、7:34新宮神社横に車を停めます。お祭りの激写タイム。海辺の集落らしく、大漁旗や「・・丸」と書かれた漁船旗がロープに下がっています。紅白に飾られ、提灯の下がった舟形の山車の上には、子供たちが乗っています。
新調したとこに見える綺麗なお神輿が待機しています。風はなく、海に入っていくと予想するお祭りは楽そうです。新宮神社に入ってみると、ワンボックス車が停まっており、祭りの準備をしています。大きな幟が3本立ち、秋祭りの気分満点です。
ハーバー前に来ましたが、ゲートはまだクローズです。ならば、もう少しお祭りを見ていようとUターンすると、コーチしてる大学の学生がやってきました。「今日はハーバーの駐車場はクローズだそうです。海水浴場前の有料駐車場に無料で停められるそうです」「遠いやん」「そうですよね」と言う会話をして、再びお祭り前をゆっくり通過し、海水浴場の500円有料駐車場に入れます。ゲートがあるわけでもないので、海水浴時期は人が集金するシステムです。
車を置いてハーバーに徒歩で向かいます。防水バッグにカッパを入れ、ライフジャケットを着て、長靴を履き、カメラをたすき掛けにします。準備している間に、ヨット部員の車が2台やってきて、「おはようございます。よろしくお願いします」と言葉を交わし、先に歩いていきます。400mほどあるので、10分近い距離です。
浜を僕と並行するように、別のお神輿が移動しています。20人ほどで担いでいます。僕の歩いている道に出てきたので待ちます。警察官の誘導で僕の歩く道を渡り、住宅街の方に入っていきました。山車の前に太鼓が出ており、子供たちが順番に太鼓を叩いています。1人終われば拍手。太鼓に合わせるように鐘の音も鳴っています。大太鼓の載る山車も準備されています。皆さん楽しそう。子供や女の子はズボンにお揃いの法被です。中学生ぐらいの女の子が2人、眩しいほど黄色な着物を着ています。特別な役割があるのでしょう。突然笛が鳴り、「ピッピ、わっしょい」とお神輿が担がれ動き出しました。
海は波がなく穏やかですが、うねりが残っておりテトラポットに当たり大きな飛沫を上げています。8:13ハーバー着。キャプテンとこの日の予定を話し、出艇時間まで各艇を回りあ〜だこ〜だ。艤装を終えた部員たちが出艇着に着替えます。1人の部員が、「あ〜ドライスーツを車に忘れた〜」と叫び、女子マネージャー1人とともに車の方に戻っていきます。
残った1人のマネージャーに、「何故帰って行くの?」と聞くと、食事を作りに合宿所に戻るのだそうです。今週末は同行マネージャーが2人で、1人がレスキューで、1人が食事作りだそうです。「20人ほどの食事を1人で作るのか」と驚きました。家庭の主婦の域を超えてるね。
9時になり、体操、出艇前ブリーフィングで、全日本予選で明らかになった微風でのボートスピードの弱点を克服するために良い練習になると話しました。9:30出艇。2m/sほどの南風(陸風)です。西の和田海水浴場沖は、海岸線は平地ですが、集落の東にあるヨットハーバーから東は山が海岸線で一気に海中に没している地形です。山のブランケットで風速が落ちます。セパレートしてランニングレグを走ると、明らかに山側に行った船が遅れました。地形による影響を学びます。
沖に出るとD社大がマークを打ち、そこに各校が集まりレース練習が始まりました。470級は風下マーク、S級は上マーク回航時に風が更に落ちノーレースになり、各校バラバラに練習してハーバーバック。D社はそのまま沖弁(海上で昼食)のようです。
僕らはハーバーで食事して13時出艇予定でしたが風がなく、レース艇の整備などして14時過ぎに風が出てきたので体操・ブリーフィングして出艇。北風(海風)に変わっていましたが、曇天故太陽に熱せられて陸上温度が上がらず上昇気流が弱いようで、平常のように海から吹き込む風が上がらず、2〜3m/sでした。
16時にハーバーバックし練習終了。みんなより少し早く車に戻ります。まだお祭りの余韻が残っています。山車や神輿が倉庫に片付けられており、太鼓などを運んでいるところでした。漁港では、お神輿が水洗いされています。やはり担いで海に入ったようだ。
部員の車を待ち、先導されて合宿所に戻ります。3回生女子マネSさんが1人で食事を作っています。お肉をこねて手のひらでペタンペタン、これはハンバーグですね。戻ってきたもう一人の4回生女子マネKさんも手伝います。スーパーに買物に行っていた選手たちも戻ってきて、「あ〜いい匂い」「お腹すいた、今日は何?」とまるでお母さんに対する言葉遣いです。
17:40からミーティング。今日の練習で気付いたことを話し、全日本インカレまで2週間と数日になったので、逆算したタイムスケジュールから考えたレース本番NEWセールのチューンナップ方法や心構えなどを話しました。
地元開催で、いつもの練習場所・琵琶湖ではないが、他水域に比べ現地での練習時間が長く取れる有利さがあり、近年にない好成績を取るチャンスです。総合力が増しており、来春のヨット部卒業式(追い出しコンパ)で4回生は胸を張って「どや顔」で卒業できるチャンスです。今日は女子マネージャー1人で20人分の食事を作ってくれました。マネージャーは自分でクラブの成績を出せないけど、選手のために縁の下の力持ちをしてくれている。そんな彼女たちのために選手が目の玉が出るような成績を上げてやれ!彼女たちを高みに連れて行ってやれ!と話してお終い。
心理学では、やる気がアップし積極的に行動するには、「嫌々ながら」や「やらされて」はNGで、「自らの発想」と「楽しい」がキーのようです。報酬など自分の益に成ることがあれば更にアップします。それ以上にアップするのが「自分以外の人のために」「人に感謝され喜んでもらう」で、これは人にだけ大きく備わった特性だそうです。人以外は個食が基本ですが、人は個食より食卓を家族や知り合いと囲む方がより喜びが多いです。
「自分のために」では緊張する人でも、「あの人のために」なら「失敗を恐れる」心理が薄れ、より気持ち良く頑張れるそうです。自分に当てはめると、震災の時や親が倒れた緊急時など、家族の危機の時ほど冷静に行動でき、頭が次のシチュエーションを予想しながら行動できました。こういう時なら、お隣の人のための行動だって笑顔で出来ました。
大学を卒業してから、ジュニアや大学生のコーチングを長年続け、スポーツ心理学の本を読み、スクーリングに参加して専門家の話を聞き、我が子の子育てにも自信を持って対応できました。
キャプテンから「食事の用意」。みんな手分けして盛り付け配膳します。「今夜の食事メニューは?」、女子マネさんから「ハンバーグハヤシライスとスープです」。「頂きます」でガッツキました。美味い!いつお嫁に行っても大丈夫ですね。いつでもお母さんになれます。
同じテーブルに座って食べていた食事当番女子Sマネさんから、「ねえねえ聞いて」。ここはハーバーから電車で1駅離れています。ハーバーを出て駅に向かって歩いていると、電車が出ていくのが見えました。「あ〜1時間ぐらい待たなきゃ」と駅に行くと、乗り遅れた9:10の次が12:27だったの。ビックリしちゃって。駅員さんに聞くと歩いた方が早いと国道を歩きだして、コンビニがあったのでアイスを買ったの。携帯を見ながらアイスの袋を破り、食べようと思ったらグッと重くなったの。アレっと思ったら手に持ってたアイスがなくなってびっくり。鳶に盗られちゃって、近くの電信柱の上に留まって食べてるの。私の頭に留まってアイスを取って行ったの。何が起こったのはしばらく理解不能だったの・・・と笑って話してくれました。悔しかったけど仕方ないので、ツイッターで呟いたら、琵琶湖練習組の1・2回生担当3回生女子マネMちゃんから、「アイス盗られて残念なSさん元気〜」と返信があったそうです。
レスキュー担当だった女子マネさんから、私も盗られたよ。ハーバーでアイス食べようとしたら音もなく飛んできて盗られちゃったの。しかもしっかり持てずに落としていったの。食べられたのならまだマシだけど、落としてそのままはあまりに残念。しかもそまま放っておけないから、拾ってゴミ箱にポイ。10分前に買ったばかりなのに〜と悔しそうに笑いながら話してくれました。
女の子は話しているのを見ているだけで可愛い。テーブルの男の子たちが、いろいろツッコミ楽しそう。リラックスした良いクラブだな。
19時からクラス別ミーティングです。翌日も休みなので「泊まってけ〜」と部員達に言われました。家内にも「泊まってくるの?」と言われていましたが、翌日は雨模様なので帰宅することにしました。
r16〜舞鶴道〜京都縦貫道・丹波みずほIC〜R173で21時に帰宅しました。家内はまだ起きており、「食事した?」「うん、食べてきた。女子マネさん1人で20人分作ってたんだ。いつでもお嫁に行けるわ」なんて話したら、「じゃあ、おやす戸締まり確認してね」と自室に消えていきました。
風呂に入り、ヨーグルト持って2F自室に上がり、TV見ながら至福のヨーグルトタイムしました。地上波TVは面白い番組が減りました。寝床に横になると秒殺で夢の中になりました。

2017/10/8
お彼岸時期にアメリカの長男一家を訪問していたので、遅ればせながらの秋のお彼岸お墓参りです。近所の中部方面総監部は創隊記念日で、基地内に一般人も入れます。模擬店を楽しんだり、武装を見学したりできます。戦車や装甲車の試乗会があり、演習も見れます。
僕には毎年のことですが、この1週間は演習の練習で、機関銃のダダダダ音やヘリコプターの飛来音で姦しかったです。武装ヘリ・アパッチも数機飛来し、カッコイイ。戦車の砲撃音に、家内は「花火?」ってビックリしていました。僕は仕事をサボり、フェンス越しに演習を10分ほど見に行きました。
阪神大震災での自衛隊員の大活躍から、このお祭りへの見学者が増えているように思います。来賓に防衛大臣や副大臣が来られ、観閲しスピーチします。それ目当ての方もいるのではないでしょうか。前日には、駅にマイクロバスが出て、OB?OGさんなど関係者を乗せて隊との往復をしています。関係者にお披露目しているのかな?
前日にお花を買い、当日朝5:30に家を出ます。まずは家内の実家・加古川のお墓に向かいます。この時間帯は、中国道も空いており、宝塚トンネル西行渋滞もありません。ドアミラーを見ていたら、朝日のオレンジが雲に映り、朝焼けのように綺麗です。
6:30に墓苑に到着し、姉夫婦が残していったお花を入れ替えます。ホームセンターで見つけた「ターボライター」をお盆のお墓参りから使っていますが、風で炎が消えることなく、すぐにお線香に火が付くのでこれは優れものです。
中国道を戻り、「神戸北IC」から「六甲北有料道路」に乗り、JR新三田駅〜志手原〜r37〜r323で波豆川。ここで僕の定点観測ポイント「八坂神社」前のコスモス畑が満開になっているのを見つけました。
そのまま走り、r319〜r12で霊園へ。信心深い弟一家が来ていると思ったが、お花の残骸がありません。家内は「もう片付けてくれたのよ」と言うが、弟はこのお彼岸参りをパスしたように思った。お盆とお彼岸は1ヶ月しか離れておらず、パスしても雑草で酷いことになる心配はありません。管理費をしっかり払っているので、お花が見苦しくなると片付けてくれるし、雑草の掃除もしてくれます。我が家は少し大きな区画を持っているので、放ったらかしにすると雑草で周りの方に迷惑を掛けてしまいます。
我家の庭の彼岸花はお終いになっていますが、終わりかけですがまだ咲いていました。隣の弟のお墓に彼岸花は多く咲いていましたが、うちの方は例年より少しです。お盆のお墓参りの時、雑草と思い抜いてしまったのでしょう。失敗しました。来年は気をつけなきゃ。
r12〜r319〜r323で戻り、八坂神社前。コスモス畑を楽しみ、八坂神社を見ると、秋祭りのようです。参道に御神燈が出ており、紅白の衣装の子供が親とともに神社の方に歩いて行きます。
見学することにしました。石段を上がると、境内には御神輿と山車が出ていました。倉庫の扉が開いており、そこに仕舞われていたのでしょう。ちょうどブリーフィング中で、責任者がタイムスケジュールを説明していました。
それが終わり、山車が坂を下っていきます。揃いの衣装の大人たちが長い綱を持って暴走しないようにして、梃子を持った方がカーブで掛け声を合わせ車輪の向きを変えています。平地に下り、参道を行き、道路に出て「波豆川口バス停」の方に行きます。
その間、ご祝儀袋を御神輿の前後に貼っています。子供たちは全員こちらに残り、御神輿に乗ったり、太鼓を叩いたりしています。親が写真を撮っています。大人たちが山車を引いていき、それを置いて帰ってくるのを待っているのだと、お母さんたちが子供に話していました。僕らはここで退散しました。
r33〜r325で阪急山本に下り、9:25和菓子を買いに「寶菓匠・菅屋・山本店」に入ります。「いちご大福」をよく買うのですが、パイン大福やマンゴー大福・ぶどう大福・抹茶大福もあります。色々食指が動きましたが、「今日は洋菓子が良い」との家内のリクエストで、お店の名前を冠した「すがやさん360円」ともう一つ珍しいの380円を買いました。
「総監部自衛隊」には、続々とお客さんが入っていきます。上天気で温かいので、今年も賑わいそうです。帰宅し、早速お菓子をいただきました。いつものようにはんぶんこします。美味しゅうございました。
自衛隊を観に行こうと誘いますが、「今年はいいわ、大砲の音とか凄すぎて怖いもん」とのこと。「どこかに行ってきたら」と言われたので、北摂のお祭りを探し見物しながら、バイカーズカフェ虎亀にでも行こうかとバイク装束に着替えました。
「里山VTR250」を出し、10:48出発。阪急山本駅から山手台住宅地内を駆け上がり、長尾山トンネルを抜けて北摂里山地域にエントリーします。r325〜r33を走り、「西谷農協大池」交差点を過ぎると、「素盞嗚尊命神社」も秋祭りのようです。
御神燈が並んでおり、石鳥居の前に新たな木製の鳥居が立てられています。参道から社殿まで入ってみましたが誰もいません。御神輿などは集落を巡っているのでしょう。
r68を渡って北上し、11:45定点観測ポイントの「八坂神社」前。コスモス目当ての車が10台ほど停まっています。立派な望遠レンズをセットした一眼レフおじさんもいます。僕もコスモスを激写。
御神輿は「大舟寺」の方に行っているのだろうと予想し、そちらにバイクを走らせます。「波豆川口バス停」に、大人たちが引いていった山車がポツンと置かれています。
大舟寺への道を入っていくと、小さな公民館前に、小さな御神輿が置かれています。更に道を進み、「三田アスレチック」前を通過し、最深部にあるお宮が見えてきた時、予想通りそこに御神輿がありました。お昼休憩しているようです。僕のバイクを見つけた大人が、僕を手招きし、道を開けようとしています。
そこから奥は少ししかないので、僕はUターンし、12:31舗装路から外れ地道にバイクを停めます。御神輿の横を通り、神社にお参りします。前回来た時より更に荒れている感じがします。藤棚があるのですが、手入れされていない感じがします。
御神輿は、境内で見た時はなかった台車の上に乗っており、楽に動かせるようになっています。軽四に載せられたビールサーバーはサッポロビールでした。大人たちの服装は、白装束に黒のチョッキ、ズボンではなく白スカートに地下足袋です。子供達は運動靴に女性のような鮮やかな色使いの着物に統一されています。お昼休憩が終了したのか、子供たちが山車に乗り、鐘太鼓のお囃子が始まりました。バイクに戻り、道を戻ります。里山の素敵な風景を激写しながら下ります。
「三田アスレチック」に停め、「大舟山登山口」を探索します。ここは標高300mで、大船山山頂は650m。比高350mなら僕ら夫婦でも登れそうです。「三田アスレチック」は廃業したと思っていましたが、駐車場には車が停まっており、ジャングルジムなどで親子が遊んでいます。登山口を登っていくと、テントが設営されていたり、バンガロー前でバーベキューしているお若いグループがいたりして盛況です。道は細いですが、オートキャンプ場のようで車も入っています。
バイクに戻ると、お囃子が下の川の方から聞こえてきます。山車はこの道路を戻るものだと予想していましたが、別の道を帰っているようです。バイクに乗り下ると、ちょうど山車がこの道に合流しようと坂を登って来るところでした。
待っていると、「先に行け」との合図。通過する時山車を見たら、子供たちが乗り、大人たちが担ぎ棒を押し引きしています。r323〜r37で、12:26「三田もち処・つくしの里」。道の駅のようなもので、食堂もあります。家内と最初の夫婦サイクリングの時、「西谷農協」で車を停めここまで走ってきましたが、ここで家内がギブアップし、僕だけ車を取りに戻った思い出の場所です。
アメリカンバイクが1台停まっており、横の畑では「枝豆」をお客さんが収穫しています。この日、ここまでも枝豆のロードサイド売店を数軒見ました。枝豆は丹波篠山の黒豆が有名で、篠山はロードサイド店花盛りでしょうが、北摂里山地帯だって枝豆畑があちこちにあり、味は負けないでしょう。篠山よりきっと安いよね。
駐車場に、先程見た御神輿と同じような神輿が置いてあります。子供が1人見張り番をしています。お昼の休憩でしょう。こちらのタイヤは木製ではなく、空気を入れるタイヤです。こちらの方が楽に動くでしょう。
r37を北上し、羽束川沿いに「高売布神社」方面に入ります。「高齢者ふれあいサロン高平の里」前に、桐紋が入った木製大型車輪の山車が置いてありました。彫刻も素敵で、カッコイイな。目の前は大船山で、枝豆畑では軽四が収穫しています。
12:37「高売布神社」。『古代から祀られた平安時代の延喜式に記載された式内社。中世には多田源氏の高平地区惣社で、近世には摂津麻田藩領になり、藩主青木氏の祈願所となる。
拝殿上の京都宝鏡寺門跡尼より寄進された社号額には「正一位荷月大明神」と書かれており崇敬を集めていたが、江戸時代中頃幕府寺社奉行の命を受け、延喜式内社を調べた儒学者並川誠所により誤りが訂正され、鳥居横に「高売布社」と刻まれた新社号石が建つ。
本殿は檜皮葺1間社流造(国重文)、永正10年(1512)に再興上棟。草花を主題にした優れた彫刻装飾のある貴重な建築物。木像狛犬(国重文)は、かやの一木造で永仁5年(1297)の墨書がある。拝殿に奉納された絵馬は保存状態が良く、36歌仙絵額、神功皇后遠征図、覇宮図など多彩である』
「桔梗桐紋」の横断幕が下がっています。先程の山車は、ここのお宮のでしょう。境内に山車が置かれており、ブルーシートを被っています。これもタイヤ四輪です。中を覗くと、床の中央に大きな太鼓が据えられていました。本殿を覗くと、綺麗な御神輿が置かれていました。絵馬も下がっています。社殿がリニューアルされる以前は、素晴らしい絵馬が吹きっさらしに下げられていました。現在はガラス張りになっており、保存が良くなりました。
北上したら、大船山に向かう鳥居のところに、また山車がありました。彫刻が素晴らしい。木製車輪がいい。
r37に合流し、「小柿渓谷」を抜け、「後川下」から林道に入り、「後川奥」から永沢寺に上がりました。13:15「永澤寺」。「花菖蒲園」に入ります。花の時期は有料です。花はありませんが、広い庭園で気持ちが良い。道を歩くと、足元からバッタがたくさん飛びます。自然豊かですね。
「そば道場」でも有名です。「全麺協素人そば打段位認定会 初段・二段位・三段位会場 主催:永沢寺地域振興協議会・そば実行委員会」と書かれている。
『摂丹境・永澤寺 山号:青原山 宗派:曹洞宗(禅宗) 開創:応安年間(1370頃) 開祖:通幻寂霊禅師 当山は、後円融天皇の命によって、五州の守護職細川頼之卿が七堂伽藍を建立し、高徳善知の通幻寂霊禅師を迎えて聞かれた禅寺てある。
本尊は、釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来。秋葉殿に、火防の本尊、秋葉三尺坊大権現。開祖堂前に、総高3.6mの大地蔵菩隆。妙高閣には、総高9.2mの大観世音菩薩。信責山本尊毘沙門天の分身が祀られている。
建物は、安永7年(1778)に再建した本堂、開祖堂、庫裡。昭和40年に再建した勅使門、金鶏門、王兎門、山門(仁王門)があり、山門には、2対4尊の永沢寺様式仁王尊を安置している。
平成6年に建立した妙高閣には座禅堂、観音堂、ガンダーラ彫刻展示室がある。境内地・1万6千坪、山林・45町歩、基地・6町歩を有している』
『33所観音奉祀由緒 開祖通幻寂霊禅師(1322〜1391)は、足利幕府管領職細川頼之の要望により、応安3年(1370)に永沢寺を開かれました。
禅師はこの地を修行の根本道場と決め、通幻十哲と尊称される秀でた弟子をはじめ多くの僧を世に送り出した結果、禅師の流れを汲む寺は全国に8900を数え、これらを通幻派と呼称され曹洞宗が全国最大の宗団になる礎となりました。
禅師の生い立ちは恵まれてはおらず、母親の命と引き換えに誕生され、祖母の手によって育てられたが、7才の時に祖母を亡くし天涯孤独となり、11才で出家されました。
平成2年、禅師の600回忌を迎えるに当たり、報恩の誠とし、お母様を観音菩薩、お祖母様を地蔵菩薩の姿に変えて奉安しました。
また安永5年(1776)には、261世住職が境内に33の観音を祀り、焼失した伽藍の復興を祈願し現在の本堂庫裏を再建されました。
後に、これらの観音様を周辺の山に遷し、巡礼道として信仰を深めていましたが、残念なことに永い年月の間に石仏は境内の数尊を残すだけになりました。
慈に、禅師の大遠忌を賭して奉安した大観音菩薩に加え、新たに33所観音を迎え、所縁の西国霊場より拝領した砂を基壇に納めて奉祀致しました。願わくは、参詣の各位に観音菩薩の功徳を賜らんことを』
もう何度も見学した境内を巡ります。バイクに戻り、r49を南下し、「バイカーズカフェ虎亀」まで来ましたが、駐車場がバイクと車で満員です。連休の中日で混んでいそう。スルーし、r49を南下し、r37〜r323〜波豆川口。そこから波豆川に沿って南下すると、西谷中学横でパトカーに後方を守られた山車を追い抜きました。14:28「素盞嗚尊命神社」。先程の山車がここに戻って来るはずです。
参道前の道路には、山車が2基戻っており、鳥居横にも小型の山車(子供用)が戻っていました。境内に入ると、参拝者が多くおり、お参りするために並んでいます。本殿裏に回ってじっくり拝見します。覆屋に囲まれているので少ししか見えませんが、細かい彫刻の施された立派な本殿です。
鎮守の森の巨大杉の御神木横を通り拝殿前に戻ると、お参りされた方々が役員さんからお土産を貰っていました。新米でついたお餅かな?鳥居前に戻ると、山車が戻ってきました。これから、境内であれやこれやあるのでしょうが、帰路に着きました。
r33〜r325〜長尾山トンネルを抜け、帰宅しました。

2017/10/1
グループツーリングに参加しました。目的地は和歌山県の熊野古道中辺路で、集合場所は9時奈良県五條市「ローソン五條IC店」です。それまでの朝の時間を、「葛城古道」探索に使うことにしました。以前、夫婦サイクリングで「当麻寺」から「九品寺」までの間の寺社・史跡を巡ったので、それより南を探索することにします。
4時前に目覚めたので、急いで着替えます。夏用プロテクターメッシュだけでは寒いだろうから、下着の上にラッシュガードとモンベル・スポーツタイツを着ました。更にその上に、釣り用ダイワフィッシングスーツを着ました。いつもの春秋用バイクスタイルになりました。
4:59、「招き猫CB400SB」を出しました。いつものように、Y'sギア・E37リアボックス(39L)をセットし、荷物を入れて出発しようと思ったら、なんと蓋が閉まらない。何か挟まっているのかな?と思い、手探りするが問題なし。鍵をガチャガチャしても直らない。仕方なく、「里山VTR250」を買った時、最初に買った「KAPPA・トップケース・26L」をセットしました。容量が小さいのでカッパを降ろしました。Y'sギア・KAPPA・GIVIのリアボックスは、全てGIVIが作っており、ベースが同じです。他にこの中間の「KAPPAトップケースE35・35L」も持っていますが、玄関を開けるのが面倒でした。
ガソリン残量をチェックすると、メモリ1つ減っただけで、走行距離は100kmちょっとだったので、集合前に五條で給油することにして、R171を東に走り始めました。ところがアクシデント発生。なんとリアボックスのセットが甘かったようで、道路に落としてしまいました。走行中、何か背中に当たったので「やばい」と思いスピードを落としましたが、ガシャーン。急ブレーキを掛け路肩に寄りました。後ろに原付きが走っていましたが大事なく良かったです。
慌てて走り拾いに行きました。早朝で交通量がなくラッキーでした。蓋を閉めていたのに箱が開いて、中身も道路に散乱しています。暗くてよく見えませんが、なんとか全て回収しました。幸い壊れたものはなく、箱も傷はつきましたが機能的には問題なく、もう一度セットして再出発しました。その後、走りながら何度か左手を伸ばしチェックしましたが、大丈夫そうでした。
中央縦貫道に乗り、吹田から近畿道〜南阪奈道路に入り、「葛城IC」下車。r30で南下し、5:58「セブンイレブン葛城中戸店」で、「味付け海苔海老マヨネーズ130円」を購入し、店内で食べました。
6:05、最初の目的地「葛城一言主神社」。駐車場があり、車が出入りしています。参道の石段を上がっている方も下り、信心篤いお宮だなと感じました。
『延喜式に葛木座一言主(かつらぎにいますひとことぬし)神社として名高い。祭神は「一言主神」。雄略天皇と葛城の一言主が、葛城の山中で出会い、「吾は悪事も一言、善事も一言、言離つ神、葛城の一言主の大神なり」と名乗って天皇を畏れさせたと「記紀」に見える。
庶民の間で、願い事を一言だけ聞き届けてくださるイチゴンジンサンとして崇敬されている。この地は、神の降臨を示すカミタチという名で呼ばれていた。社殿の右横にある「蜘蛛塚」は、記紀のツチグモにまつわる伝説から生まれた。本殿前にあるイチョウの巨樹は、目通り3m・高さ20m。根元に芭蕉の句碑がある』
「一言主」はイマイチよくわからない神様で、出雲の神様「大国主命」の息子「事代主」と同一視される場合が多い。大物主が大国主と同一視されたり、大国主の協力者であった少彦名命(一寸法師のモデル)が常世の国(海の彼方にある理想郷)に去った後、少彦名同様海を渡ってやってきた協力者とされたりしているのと同じです。
事代主は、海で釣りをするのが好きで、天孫降臨に先立って大国主命のところにやって来た使者から、「瑞穂の国を天孫に譲ってくれないか」と打診された時、「息子がいいよと言えば」と言われやってきた使者に「いいよ」と答えた。別名の恵比寿神としての方が有名です。
ということは、一言主は元は出雲系の神様で、その神様を祀る葛城族は出雲系豪族なのか?諸説あるが、僕は出雲族の鴨氏が大和に進出し、やがて山城国に移っていった。その一派が葛城氏として、大和朝廷黎明期に協力し、大いに栄えた。雄略天皇に滅ぼされ、土佐に流されたの説に乗っている。
この地で生まれた司馬遼太郎は、「街道をゆく」で、この大和盆地を見下ろす地は縄文人(狩猟採集移動生活者)が住んでおり、大和盆地に進出してきた神武天皇の水耕文化を持つ弥生人と共存していたが、水耕定住生活の方が食料が多く定期的に手に入るので人口が増え、やがて縄文人居住地域に勢力を伸ばし駆逐していったと書かれていたように思う。
鴨族・葛城族を縄文人と仮定すれば、大和から山城に移動していったのも、戦に負け土佐に移らされたのも辻褄が合います。大和朝廷は、中国大陸やヨーロッパ大陸的な他民族虐殺思想を持っておらず、平和的に共存する思想です。よって、葛城族が祀る神様「一言主」も八百万の神の1つとして宮中で祀って、大和朝廷の天皇神話の中に取り込んでしまった。鴨族の祖が、神武天皇を大和盆地に先導したとなっていく。
南下したアーリア人が、先住民を根絶やしにしたとか、中国大陸での戦国時代の根絶やし物語と一線を画す、この手の日本神話が好きです。ヨーロッパ人が南米大陸を発見上陸して、インカ帝国を滅ぼしたとか、国を追われたイギリス清教徒が北アメリカ大陸に上陸し、食糧難で全滅を救ってくれたインディアンを結局滅ぼし、西部開拓史として全て取ってしまったというのが好きになれない。
共存しない文化は一神教思想を取り込み、神の意志として自分たちの思想を多民族に押し付け、最後は武力で根絶やしにしていく。
『葛城古道 奈良盆地の南西の隅、葛城川に沿った山裾ののどかな農村風景の中をたどる道。6世紀以前に勢力を誇っていた葛城や鴨族の根拠地で、歴史的に貴重な遺跡や由緒ある神社・仏閣が多い。高天の集落は、天孫降臨神話の舞台とされ、古道で一段高い位置にある。高天彦神社参道両脇には、樹齢数百年の老杉が並ぶ他、重厚な門構えの民家もある。一言主神社の大銀杏も、樹高25m・幹周り3.8mの巨木で、秋の黄葉は見事である』
社叢の中を石段で登る。『延喜式では名神大社に列し、祈年・月次・新嘗・相嘗・祈雨の祭りには、官幣に領り、文徳天皇はじめ歴代天皇、特に御光厳天皇から神格「正一位」を贈られる。官人・歌人各階に渡る崇敬篤く、伝教大師最澄も入唐に際し祈願された(延暦23年)』
境内に入ると、「無患子(むくろじ)」(樹齢650年)の巨木が迎えてくれた。
宮司さんが私服ながら活動開始されており、社務所の戸締まりを開けておられた。その後、本殿の帳を開いていた。本殿は瓦葺で落ち着いている。摂社に「一言稲荷神社」がある。その他、稲荷神社より小さいが末社が並んでいる。
「市杵島神社」や「祓戸神社」という女神も祀ってあった。市杵島姫命は、天照大神が素盞嗚命の剣から生んだ宗像三女神の一。黄泉の国から帰った伊邪那岐尊が天照大神などと共に生んだ瀬織津姫など祓戸四神。天照大神は男神で、その后が瀬織津姫であった。古事記編纂時の政治事情から、持統天皇(天武天皇皇后)が女帝である自らを正当化するために、天照大神を女神と変更させた。そのことで瀬織津姫の存在を消したが、七夕の織姫として伝説として残した。この故事が好きで、祓戸の神「瀬織津姫」が好きです。
お社の骨組み様に組まれたものに、御神籤が多数結わえられている。
『謡曲「土蜘蛛」 僧侶の姿に化身し源頼光の病気見舞いを行った害悪の権化土蜘蛛は、見破られると「汝知らずや我むかし葛城山の年を経し土蜘蛛の精魂なり」と大見得を切り、糸を投げかけ頼光を巻き殺そうとした。
頼光は枕元の膝丸の名剣で切りつけ、渡辺綱たちは血の跡を追い蜘蛛の棲家を突き止め退治した。そこに「頼光朝臣塚」の碑がある。後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、家運は傾き病人が続出する有様に、蜘蛛の祟りと恐れ、安置して土蜘蛛灯籠として供養し騒ぎは収まった。そのように京で暴れた土蜘蛛も、今はもとの大銀杏の木陰の棲家で静かに眠っている』
『御神木(乳銀杏) 樹齢1200年。幹の途中から乳房のようなものがたくさん出ており、「乳銀杏」「宿り木」とも呼ばれている。この木に祈願すると子供を授かりお乳がよく出ると伝えられている。白い蛇が住み着いていると言われ、人々の信仰を集めている』
『葛木の其津彦真弓(そつひこまゆみ) 荒木にも 憑(たの)めや君がわが名告(の)りけむ  一言主神のいる葛城山の東麓は、葛城氏の本拠地であった。襲津彦は4世紀末前後に活躍した武将で、葛城氏の祖と仰がれている。襲津彦の強弓の荒木にも頼むではないが、信頼してあなたは私の名を人に明かしたのでしょうか・・・という。
善悪を一言で言い放つという一言主神の信仰と襲津彦の頼もしい伝承とが生きている葛城の地の乙女の歌である』
『猶(なお)見たし 花に明行く 神の顔  芭蕉』
大和盆地の東の山から朝日が眩しく差している。田や溜池の水面がそれに光り、美しい。たくさん絵馬が下がっている。「願」と「御礼」2種類の絵馬があり、御礼絵馬の裏には、叶った願いへの御礼が書かれている。読んでいて、なんだかこちらまで嬉しくなった。
僕はかなり多くのお宮に参っていると思うが、手を合わせて願うというより、いつも感謝の言葉を心の中で唱えている。最近は孫の成長や息子達一家の繁栄を願う気持ちもあるが、やはりそれらを含めて今までの順調な成長への感謝の言葉になってしまう。
神社という所は、神様の前で感謝の言葉を口にすることで、自分の努力に奢るのではなく、自然や他者への感謝を再認識する場なのかもしれない。願い御礼の言葉を書くこれらの方々は、周囲の方の期待や守護に応えながら、それを周囲の方に与えているに違いありません。
以前、家内の両親の分骨を京都永観堂に納めた時、法主さんから「お墓参りと言い受付で氏名を書いていただければ拝観料は無料になるので、何度でもご先祖様に手を合わせに来てください。特にお子さんをお連れください。先祖に手を合わせるお子は立派な大人に育ちますから」と法要で法話を下さった。
神社は神様を祀っているところですが、日本人の殆どは先祖を辿れば源平藤橘にたどり着きます。源平藤橘は、天皇の子や孫が臣籍降下した者です。つまり、殆どの日本人の先祖は天皇につながります。
天皇は天照大神の天孫降臨した末裔。古事記は、「天地の始めの時・・・」で書き出されます。つまり日本神話の神は、西洋のゼウスという天地創造の神ではなく、『「あめつち」が最初にあってそこから神が生まれた』となり、日本の神様は「あめつち」からの創造物であると規定されている。
神社が祀るのは天皇やその子孫、さらに神木や巨岩・山などの自然物です。日常足繁く神社に通い手を合わせることは、それだけで先祖や自然への感謝の行為です。古代の日本人は、死者を葬る時、鳥葬など自然に返すことをしていた。つまり先祖への感謝が今に続いているに過ぎない。神道は、聖書も戒律も説教もない。宗教ではなく、先祖へ感謝する行為そのものに思える。そんなことを、「願」と「御礼」の絵馬を見ながら思いました。
バイクに戻り、「葛城古道」を東進し、r30の下をくぐり東に出ます。道なりに南に向くと、山側の景色が広がりました。真っ青な空に「大和葛城山」の峰が映えます。田んぼの畦に彼岸花の赤が綺麗。我が家の彼岸花はもう終わりましたが、ここはまだ見頃です。反対に東側の大和盆地側にも景色が広がり、気持ちの良い朝です。
一旦r30を走り、再び「葛城古道」に戻ると木製の道標が立っていた。「長柄神社1.8kmバック・極楽寺0.8km」。6:33「住吉神社」。『当神社の御祭神は、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・上筒男命(うはつつのおのみこと)及び息長帯此売命(おきながたらしひめのみこと)の四柱神で、大阪住吉大社の分霊を勧請して、白鳳年間に斉き奉った由緒ある古社である。
昭和の御大典記念に社格昇進せらる。慈に於て昭和5年5月神苑模様を行い拝殿と社務所を創建す』
伊邪那岐尊が黄泉の国より帰って、穢れを祓う禊をしている時、瀬の底・中間・表で生んだ神が住吉三神で、この神力を得て戦わずして三韓征伐した神功皇后を加え住吉大社が祀っている。
一旦r30に合流し、今度は北に「古道」を入り、6:35「吐田極楽寺」。『天暦5年(951)村上天皇の御代に、南都興福寺の名僧・一和僧都によって開基され、仏頭山法眼院極楽寺という。中世には浄土宗第三祖記主善師の門弟・林阿上人が入り、境内5町8反・七堂伽藍を持つ吐田氏の菩提寺となった。徳治元年(1306)北面の武士十河図所行光が狩猟中、金剛山日の石で霊仏を授かり出家剃髪し、夢のお告げを受けて極楽寺に奉安した。吐田の天得如来として親しまれ、毎年4/15は天得会式が盛大に営まれている。
南北朝時代、楠正成の祈願所と言われ、河内吉野の連絡の要所となる。慶長19年(1614)筒井順慶によって吐田氏が滅ぼされた折、兵火で諸堂悉く灰燼に帰す。幸い天得如来の絵像と鐘楼門が難を逃れ、後年随時再建され現在に至る』
景色の良い寺院でした。r30を走り、また葛城古道に入り、6:49「伏見八幡神社」。『大和盆地を南から見下ろす景勝地にある。三間社流造の本殿と一間社流造の摂社2棟が、本殿を中央にして一段高い基壇上に横一列に並び、群を成す社殿の景観を形成している。いずれにも後補は随所に見られるものの、安土桃山時代の社建築の特徴を残している。奈良県下ではこの時期の遺構は稀で、意匠や細部様式の変遷を知りうる上でも貴重。
本殿の身舎は3間×1間で、木階(きざはし)を正面1間に配置するのみとするのは扉口が1口であった時の名残りとみられ、内陣も1室で古式である。建物全体に極彩色を施しており、彩色・文様もかなり古式である。内陣からは棟札が発見され、現行の正面扉の内側には鷹や花の日本画が描かれており、池田正辰の銘がある。
摂社・天児屋根命(あめのこやねのみこと)本殿(右側・向かって左)の身舎柱は面取角柱で、他の2社が円柱に対して簡素である。向拝の虹彩形頭貫先端の木鼻の繰形(くりかた)、花や葉などの植物をあしらった彫刻木鼻、身舎組物を舟肘木(ふなひじき)とするのはいずれも大和の特徴と言え、古式である。
摂社・天照皇大神社本殿(左殿・向かって右)は、肘木が禅宗様であること、向拝桁に反り増しがあること、木鼻に発達した絵様があることから、建立年代は右殿より少し下がる可能性がある』
石段を上がると、長屋門のような入口があり、そこを抜けると境内になっていた。本殿裏山に向かって小径があり、奥宮がある感じだったので探索すると、古墳がありました。この古墳の方が先にあり、これを祀る形で社が形成されていったのかも?と想像しました。
葛城古道を山に上がっていくと、7:00「菩提寺」。『奈良時代の高僧・大僧正行基菩薩が留まり、仏法を広めた。「菩提院」跡である。光仁天皇は仏教隆盛のため、勅して当群の田3町を施入する。白山の泰澄大法師・高野の弘法大師もこの寺で参籠修行された。往時は、伏見寺千軒と称せられ子院30余坊が並び建っていた。十一面観音菩薩を本尊として祀り、秘仏毘沙門天・仁王さんは、近在の信仰を集め、法起菩薩・神変大菩薩などの仏像を存して、諸願成就・諸人快楽を願う寺である』
仁王門が守護する寺だったが、境内には僧坊らしいものがなかった。石仏が並び、本尊が納められているのだろうお堂があるのみでした。「木師堂」と銘打たれた建物があり、木地師兼業住職が住まいしてそうでした。かなり標高を稼いでおり、景色は素晴らしかった。
次の目的地「高天彦神社」は、少し北のここより更に標高が高い所にあります。手に入れたハイキング地図には、直接つながるルートが書いてあるので、それを探します。でもr30からは、途中に谷があるように見えました。
分岐で迷ったが下に降り、ハイキング道を見つけましたが、獣避け扉を開閉して入る徒歩道でした。諦めてr30まで降ります。少し北上し、再度葛城古道に折れて高度を増し、7:11「高天彦神社」。金剛山への登山道があるようで、駐車場から出てくる方がトレッキングスタイルでした。駐車場に下りてきた方も、良い汗をかいておられた。
古事記に書かれている「高天原」がこの地にあったという。葛城氏の氏神「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」を祀っている。でもまあ、同じ伝承を持つ宮崎県の高千穂の方がそれらしかった。ここから「蜘蛛塚」へは150mだそうです。「福蛙」という蛙に似た石があった。手を触れると福がやってくるという。
本殿は瓦葺で趣はイマイチですが、鎮守の森の巨大杉に囲まれ、境内全体の雰囲気はナイスです。休憩所のような一角の上に、素敵な龍の彫刻があります。バイクに戻る時、鳥居正面の巨大杉並木の参道を下った。短い参道でしたが、とても良い感じでした。
梅の木に謂われ板が立っていた。『鶯宿梅 若死にした小僧の悲運をその師が嘆いていると、梅の木に鶯が来て「初春のあした梅には来れども、慌てぞ帰る元の棲家」と鳴いたことから、この名がついた』
「登山道」と書かれた舗装道が、「菩提寺」の方に向かっていたのでバイクで入ってみた。谷を下って行く感じになっていたので、バイクから降りて歩いていくと、谷を渡り道は登って行き、民家の屋根が見える。行けそうな気もするが菩提寺は訪問済みなので、もと来た道を下りr30に出た。
「葛城古道」に折れ、7:33「高鴨神社」。鴨族の氏宮で、全国の賀茂・鴨・加茂神社の総本宮です。高鴨神社(高鴨社)・葛城御歳神社(中鴨社)・鴨都波神社(下鴨社)の3社が近隣にあり、ここから山城国に移った賀茂氏は京都で「上賀茂神社」「下鴨神社」と同様です。
事代主神は鴨族が信仰していた神であり、葛城族は山代に移らなかった鴨族の一派で、当社が事代主神の信仰の本源である。主祭神は、阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)としているが、事代主・一言主と同神とされている。
『祭神:阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)・事代主命・阿治須岐速雄命・下照姫命・天稚彦命
当地は少なくとも縄文晩期より集落が形成され祭祀が行われていた。全国鴨(加茂)系神社の元宮で、日本最古の神社の1つ。主祭神は阿治須岐高日子根命は、名を迦毛之大御神と申され、大御神と名のつく神様は記紀には、天照大御神・伊邪那岐大御神と3神しかおらず、死した神々を蘇らせる御神力強き神様です。迦毛之大御神は、全国300社で祀られ、妹神の下照姫命は150社でお祀りされている。
福島県一宮の都々古別神社・栃木県日光の二荒山神社・高地県一宮の土佐神社・関東地方の秋葉神社など、鴨と名のつかない神社も多くあり、伊勢の皇大神宮摂社の中にも鴨神社が祀られている。
「カモ」は「カミ」の語源の1つで、「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様を表す。
県内に延喜式内社が216社あり、特に霊威が強く月次・相嘗・新嘗の祭りに官幣に預かる名神大社は12社しかありません。その内の5社(高鴨神社・高天彦神社・一言主神社・鴨都波神社・葛木坐火雷神社)がここ葛城地方にかたまっている。当時、この地が朝廷を始め国家にとって重要な位置を占めていたことがわかる。1つの理由に背後の山がある。金剛山は明治4年まで女人禁制の霊山で、役行者・行基・円光・道鏡などが修行した山です。葛城の峰(金剛山・葛城山など)に霊力の強い神々が住み、そこで修行すれば神々の霊験力を得られるとされ、それを修めた者が修験者(行者とも)と呼ばれた』
『最初の社殿は5代孝昭天皇の御代に創建され、現在の本殿は1543年(室町時代)に再建されたもので、絢爛たる彫刻・極彩色に彩られた壮麗な社殿であり、貴重な建築物として国の重要文化財(旧国宝)に指定されている』
鳥居をくぐると少し下り、参道脇に大きめの池があった。祭祀を行うのか、池に床が張り出ていた。参道を挟んで池の反対側に社務所があり、もう開いている。帰りに木御札・八咫烏交通安全御守・絵馬を授かった。初穂料2000円。鴨神社なのに熊野大社の八咫烏の御守があり面白いな。
参道を行くと、石段の上に社殿が見えるが、建築中で石段は上がれません。石段右に逸れるが、こちらからの石段も修繕中で、左に逸れて石段を上がって本殿に手を合わせた。極彩色の一部が拝めた。石段を下り池の畔を奥に歩いて行く。摂社が脇に並んでいる。「一言主神社・事代主命」「猿田彦神社・猿田彦命」「聖神社・大物主命」「稲荷大明神」「金比羅神社・大己貴命」「牛瀧神社・豊田姫命」、エンドに「西宮 御祭神:多紀理毘売命(たきりひめのみこと)・天御梶日女命(あめのみかじひめのみこと)・瀧津彦命・塩治彦命(やむやひこのみこと)」があった。
r30に出て、r261で南下します。8:06「御霊神社」。長屋門の拝殿に絵馬が下がっていた。その中にスコップがあり、その横に『戦利兵器奉納ノ記 是、明治37・8年役戦利品ノ一ニシテ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ・・・ 明治40年3月 陸軍大臣寺内正毅』の賞状が下がっていた。日露戦争の戦利品のようだ。本殿横に絵が描かれているようだ。
r261に戻り南下し、8:16「岡八幡宮」。『文久3年(1863)8/17、主将中山忠光元侍従が率いる藤本鉄石・松本奎堂・吉村寅太郎の3総裁をはじめとする尊王攘夷の若き志士たち6・70人の集団(天誅組)が、幕府を倒して新しい世を作るため、大和五條で最初の武装蜂起をした。同日昼過ぎ、千早峠を越えてきた一団が、五條代官所に向かう途中、ここ岡八幡宮に集結して休息と襲撃直前の準備をした』
代官所を襲う前の天誅組の集合場所でした。地図を見ると、現在のR310で峠を越えてきたようです。
r261をさらに南下し、五條市に入り、8:26、R310との交差点を右折した所にあった「御霊神社・福田宮」。『御霊神社の御祭神である井上内親王は、聖武天皇の皇女として養老元年(717年)に生誕した。 5歳で斎王として伊勢皇大神宮に出仕し、のちに白壁王の妃となる。宝亀元年(770年)、白壁王は第49代光仁天皇に即位。しかし政権争いに巻き込まれ、無実の罪により皇太子・他戸親王とともに大和国宇智郡没官の宅に流罪となり、宝亀6年(775年)4月25日逝去。
その後、都に天変地異が起こり悪疫が流行したため、朝廷は内親王母子の怨霊の祟りと恐れ、内親王を皇后に復し、霊安寺を建立し御霊を安め奉る。その頃に御霊神社も創建された。嘉禎4年(1238年)吉原・牧野両豪族の論争に起因し10社に分社したが、その後も宮分けが進み、400年余りの間に20余社の御霊神社が宇智郡(現在の五條市)に分祀された』。
祟りを畏れた世相の魁で、この政争の勝者・桓武天皇が怨霊を恐れ、神社を整備し、長岡京・平安京に遷都しました。後に菅原道真が雷神として祟り、崇徳上皇も怨霊となった。勝者である後の為政者がさまよえる魂を鎮めるために祀ったのが御霊神社で、菅原道真は天満宮です。
凝った彫刻が目を引いた。絵馬に五稜郭を砲撃する政府軍を描いた(たぶん)物がった。
すぐ近くがグループツーリングの集合場所の「ローソン五條インター店」だったのですが、ガソリンが半分になったので、その前を通り過ぎ給油しに行きます。R310を南下し、R24を西に走り、8:53「シェル西五條SS」で給油。216km/9.01L=24.0km/L。
集合場所に戻ると、僕を含め7台集合。直ぐに出発になりました。R310を熊野古道中辺路に向かって南下開始です。吉野川を渡り、GSに止まって数台給油しました。なんだ、GSに寄るなら前もって給油する必要はなかった。
R168を南下し、「道の駅・吉野路大塔」で休憩。再び南下していると、奈良県橿原市大和八木駅と和歌山県新宮市新宮駅を結ぶ日本一長い距離(167km)・時間(6.5時間)・停留所数(167)の路線バス・八木新宮特急バスとすれ違った。
幾つかのトンネルを抜けながら、十津川に沿い、素敵な景色の中を走ります。僕は遅れ気味ですが、より遅い四輪車をパスするタイミングで追いついたりしながら、10:40「道の駅・十津川」に着きました。
ここには寄ったことなかったので、初めての道の駅です。足湯がありました。靴下を脱ぐのが面倒なので入りませんでしたが、手をつけると気持ち良かった。「果無集落」への分岐を過ぎ、十二滝の横を走ります。たくさんのトンネルを抜けながら、皆さんと離れ、一人旅になりました。次の待ち合わせは、R311の「ちかつゆ」とわかっているので、マイペースを守りながら気楽に走っていると、待っているリーダーが目に入りました。「ほんまに、ついてきてるかな?」と心配になったのでしょう。
2台で走り出しましたが、徐々に離れてまた一人旅です。リーダーさんも僕を目視できて安心されたでしょう。「熊野本宮大社」横を通り、右折してR311に乗りました。しばらく走っていると、後続の四輪を挟んで、皆さんが後ろから追いついてきました。「あれ、いつの間に抜かしたんだ?熊野本宮の道の駅にでも寄っていたのかな?
リーダーが抜いてきて僕の前に入り、12:21「古道あるきの里・ちかつゆ」に到着。皆さんとお昼ごはんにします。「熊野牛の他人丼・780円」を食べました。ここまで先導してくださった伊賀のNさん、地元田辺在住なのでここで会ったSさんと同席しました。横のテーブルには、遠く滋賀県から参加のNaさん、西宮裏六甲のNamさん、大阪の女性Cさん、尼崎の女性Aさん、そしてリーダーのJさん。バイクに乗り、R311に出て少し東に戻ります。枝道に入り、12:34「継桜王子」下のPへ。歩いて坂を上がり、「熊野古道・中辺路」。大きなイガグリがたくさん落ちており、クリも落ちてる。
秀衡桜・・・ここで秀衡の名前が出てビックリ。『奥州の藤原秀衡夫妻が熊野入りした際、滝尻の岩屋で出産し、その子を残してここ野中まで来て、杖にしていた桜の木を地につきさし、子の無事を願ったとされ、その木が成長したのが秀衡桜だといわれている。明治の中ごろまでは継桜王子の社前にあり、古く名木として知られていた。天仁1年(1109)の藤原宗忠の日記(中右記)に、道の左辺にあるツギザクラの樹は、本はヒノキで誠に希なものだと記されていて、その桜が秀衡伝説に結びついたものとみられる』
スタンプボックスがある。『「秀衡桜」と奥州「平泉」の関係 「秀衡桜」はその名からも、奥州「平泉」(岩手県)に栄えた藤原秀衛公にちなむ桜です。平泉は12世紀、奥州藤原氏により約100年間に亘り黄金文化が花開いた所で、みちのく(東北)の政治と文化の中心であった地であります。
初代清衡公は国宝指定第1号金色堂を有する「中尊寺」を、2代基衡公は日本有数の浄土庭園である「毛越寺」を、3代秀衡公は宇治の平等院を模した「無量光院」を造営しました。(いずれも特別史跡)特にも秀衡公は、鎮守府将軍と陸奥守に任ぜられた平安末期を代表する為政者でありました。
また平泉は、悲運の武将「源義経」と「武蔵坊弁慶」の終焉の地として、そして時代は下り俳聖「松尾芭蕉」が「奥の細道」紀行で訪れた場所としても知られる地であります。
「秀衡桜」が今後も熊野古道の花篝り(はなかがり)として、多くの方に愛でられ続けることを願ってやみません。 岩手県平泉町観光協会』
平泉町の謂れ板があり、またビックリ。
「とがの木茶屋」という藁葺き屋根の小屋がありました。お店の方はいませんでしたが、お茶が用意されており、「セルフサービスで飲んでね」と書いてありました。店主が見知らぬお客さんを信頼し、僕らも悲しいことしないという阿吽の呼吸がある日本はいいなと思いました。
店頭に、唐辛子が下がり、大きな瓶には、ガマ・ススキ・コスモスが飾られていた。お茶を頂きながら、一服しました。王子を見に行きましょう。
『継桜王子 藤原宗忠は、天仁2年(1109)10月に熊野に参詣した際、「道の左辺に続桜の樹があり、木は檜で、誠に稀有なこと」と日記に記しています。檜を台木とした桜が成長していたものと見られる。建仁元年(1201)10月に後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記、あるいは承元4年(1210)4月、修明門院に随行した藤原頼質の日記には、「続桜」王子とありますので、鎌倉時代にはこの珍しい木の傍らに王子が出現したようです。ただし、藤原宗忠の参詣記では、仲野川(現・野中川)を何度か渡るように記していますので、この王子社はその後現在地に移された事も考えられる。江戸時代には、若一王子権現とも呼ばれ、社前の桜は「接桜」「秀衡桜」と呼ばれ名木になっています。王子社から100m東にある現在の秀衡桜は何代目かにあたり、明治中期に植えられたものです。明治時代には王子神社となり、末期に近隣の金比羅神社(現・近野神社)に合祀されましたが、社殿は残り、後に御神体も戻されました。境内にある9本の杉の大木は、枝が全て南向きに伸びているため、「一方杉」と呼ばれています。神社合祀の際に、南方熊楠らの保存運動によって残され、現在はこの神社に奉納される「野中の獅子舞」とともに、県の文化財に指定されている』
巨杉の並ぶところに鳥居があり、巨杉が囲む石段参道を登って行きます。「皇太子殿下行啓の道 平成4年5月27日」の石柱が立っている。1本の巨杉の根元に熊が冬眠できそうな穴が空いている。
王子社はリニューアルされたばかりのようで、鮮やかに化粧されていた。茶屋に戻り、階段を下に降りた。バイクで走った道まで下り、道を少し戻って12:57「名水 野中の清水」。『ここは奥の方から清らかな水がわき出ていて、「野中の清水」として古くから知られた名水である。真上に継桜王子社や一方杉があり、能野路を歩く旅人がわざわざ道から降りてきて、よくここで喉をうるおした。また、この付近一帯の住民の大事な用水にもなっていた。昭和60年(1985)に環境庁の名水百選に選ばれた。
句碑の「すみかねて道まで出るか山しみづ」は、俳人服部嵐雪が宝永2年(1705)5月仲間7人と共に伊勢と熊野に参り、田辺の方に歩いて行く途中ここで詠んだ句である。
歌碑の「いにしへのすめらみかども中辺路を越えたまひたりのこる真清水」は、歌人斎藤茂吉が昭和9年(1934)7月土屋文明と共に熊野に来て、自動車で白浜に向かう途中で詠んだ短歌である』
清水は、透き通った水をたたえていた。池に落ちる水流はなく、清水の底から湧水しているように見えないので、護岸の岩の間から湧水しているのでしょう。国道の走る谷の向こうの山が見え、気持の良い場所です。
山がちな場所にある古道は、今の幹線道のように谷を走らない。谷は常に水害によりなくなる可能性があるので、山の中腹や尾根道だったりする。地図のない時代、上から見て自分の位置を確認する以上に確かなことはなかったからです。日本のように雨量が多く水害の多い国で、谷に道を通すのは、現在のような土木機械が発達しないと無理だったのでしょう。こんなアップダウンの多い道を歩けば、自然に健脚になりそうだ。
バイクに戻り、帰路に着きます。R311を西に走り、右折してr198。路面に大きく数字が書いてあります。災害時などに、ヘリコプターから見えるようにかな?R425〜R424で、13:46「道の駅・水の郷日高川龍遊」。休憩し、僕がラストで出発し、あっという間に皆さんが見えなくなりました。信号で追いつき、また離れます。日高川に沿って走る道は、交通量が少なく、初めて走る道ですが、気持ち良く走れます。
「ヤッホーポイント」で皆さんが待っていたので、そこで追いつきました。ここも初めてなのでやッホーしたかったが、1人ではイマイチなので一旦スピードダウンしてスルー。「椿山ダム」がありました。
「道の駅・しらまの里」で休憩し、ここで解散になりました。給油する方は、阪和道・有田IC手前のGSで給油し、高速道路に乗って流れ解散だそうです。R424を北上し、r22で「有田IC」に向かいます。皆さんはGSに寄りますが、僕はそのままスルーします。
「どうせ、いずれ追いつかれ抜かれていくだろう」と思い、「有田IC」にエントリーし、いつもの80km/h程度で北上します。「紀ノ川SA」をパスし、16:06「岸和田SA」で休憩します。いつものように「水なす販売」コーナーに寄り、弟のお嫁さんの実家の販売する「水なす」を見ます。たまにお姉さんが店頭に立っているのですが、この日は別の方で残念でした。どうやら岸和田の地元組合から当番制で、ここで販売促進しているようです。16:12、「味わいソフト・バニラチョコ・140円」で糖分補給しました。皆さんが来るかと思いましたが誰も来ません。一目散に帰られたか、「紀ノ川SA」で休憩されたのでしょう。
道なりに近畿道に乗り、「吹田IC」で下車し、中央縦貫道を西進しR171。17:28「伊丹産業・セルフ北村SS」で給油、322km/11.66L=27.6km/L。信号の少ない田舎道をトップギアで長く走れたので、良い燃費になりました。
帰宅して、いつものようにCBを乾拭きし、「通勤リード110」のリアに、「Y'sギアE37リアボックス(39L)」をくっつけて、近所の「バイクワールド・伊丹店」に急ぎました。このボックスはここで買いました。CBとお揃いの白い塗装のお気に入りなので、なんとか直して欲しい。
「蓋が閉まらくなったんです」とカウンターで言うと、カウンターの方があ〜だこ〜だやっても直らない。電話で担当者を呼んで、あ〜だこ〜だ・・・「あ、500円」と、隙間から500円玉を取り出して・・・「これで大丈夫ですね。単純なシステムなので、壊れることはないんですよね」。一件落着しました。いつの間にか500円玉が入りこんだようです。その500円玉を財布に入れながら、なんだか得した気分になりました。
以前、家内の「アドレス125」と僕の「通勤リード110」2台でツーリングした時、家内のGIVIボックスが開かなくなりました。鍵を突っ込んでも動かなくなりました。四苦八苦しても結局開けられず、諦めて僕のリアボックスを開けようとしたらこちらも開かない・・・「あれ、鍵間違えてるんじゃない?」。GIVI・Y’sギア・KAPPAは皆同じ赤い鍵なので間違ったようです。僕が気を利かして家内の鍵も持っちゃったから、おかしなことになりました。

2017/10/1
グループツーリングに参加しました。目的地は和歌山県の熊野古道中辺路で、集合場所は9時奈良県五條市「ローソン五條IC店」です。それまでの朝の時間を、「葛城古道」探索に使うことにしました。以前、夫婦サイクリングで「当麻寺」から「九品寺」までの間の寺社・史跡を巡ったので、それより南を探索することにします。
4時前に目覚めたので、急いで着替えます。夏用プロテクターメッシュだけでは寒いだろうから、下着の上にラッシュガードとモンベル・スポーツタイツを着ました。更にその上に、釣り用ダイワフィッシングスーツを着ました。いつもの春秋用バイクスタイルになりました。
4:59、「招き猫CB400SB」を出しました。いつものように、Y'sギア・E37リアボックス(39L)をセットし、荷物を入れて出発しようと思ったら、なんと蓋が閉まらない。何か挟まっているのかな?と思い、手探りするが問題なし。鍵をガチャガチャしても直らない。仕方なく、「里山VTR250」を買った時、最初に買った「KAPPA・トップケース・26L」をセットしました。容量が小さいのでカッパを降ろしました。Y'sギア・KAPPA・GIVIのリアボックスは、全てGIVIが作っており、ベースが同じです。他にこの中間の「KAPPAトップケースE35・35L」も持っていますが、玄関を開けるのが面倒でした。
ガソリン残量をチェックすると、メモリ1つ減っただけで、走行距離は100kmちょっとだったので、集合前に五條で給油することにして、R171を東に走り始めました。ところがアクシデント発生。なんとリアボックスのセットが甘かったようで、道路に落としてしまいました。走行中、何か背中に当たったので「やばい」と思いスピードを落としましたが、ガシャーン。急ブレーキを掛け路肩に寄りました。後ろに原付きが走っていましたが大事なく良かったです。
慌てて走り拾いに行きました。早朝で交通量がなくラッキーでした。蓋を閉めていたのに箱が開いて、中身も道路に散乱しています。暗くてよく見えませんが、なんとか全て回収しました。幸い壊れたものはなく、箱も傷はつきましたが機能的には問題なく、もう一度セットして再出発しました。その後、走りながら何度か左手を伸ばしチェックしましたが、大丈夫そうでした。
中央縦貫道に乗り、吹田から近畿道〜南阪奈道路に入り、「葛城IC」下車。r30で南下し、5:58「セブンイレブン葛城中戸店」で、「味付け海苔海老マヨネーズ130円」を購入し、店内で食べました。
6:05、最初の目的地「葛城一言主神社」。駐車場があり、車が出入りしています。参道の石段を上がっている方も下り、信心篤いお宮だなと感じました。
『延喜式に葛木座一言主(かつらぎにいますひとことぬし)神社として名高い。祭神は「一言主神」。雄略天皇と葛城の一言主が、葛城の山中で出会い、「吾は悪事も一言、善事も一言、言離つ神、葛城の一言主の大神なり」と名乗って天皇を畏れさせたと「記紀」に見える。
庶民の間で、願い事を一言だけ聞き届けてくださるイチゴンジンサンとして崇敬されている。この地は、神の降臨を示すカミタチという名で呼ばれていた。社殿の右横にある「蜘蛛塚」は、記紀のツチグモにまつわる伝説から生まれた。本殿前にあるイチョウの巨樹は、目通り3m・高さ20m。根元に芭蕉の句碑がある』
「一言主」はイマイチよくわからない神様で、出雲の神様「大国主命」の息子「事代主」と同一視される場合が多い。大物主が大国主と同一視されたり、大国主の協力者であった少彦名命(一寸法師のモデル)が常世の国(海の彼方にある理想郷)に去った後、少彦名同様海を渡ってやってきた協力者とされたりしているのと同じです。
事代主は、海で釣りをするのが好きで、天孫降臨に先立って大国主命のところにやって来た使者から、「瑞穂の国を天孫に譲ってくれないか」と打診された時、「息子がいいよと言えば」と言われやってきた使者に「いいよ」と答えた。別名の恵比寿神としての方が有名です。
ということは、一言主は元は出雲系の神様で、その神様を祀る葛城族は出雲系豪族なのか?諸説あるが、僕は出雲族の鴨氏が大和に進出し、やがて山城国に移っていった。その一派が葛城氏として、大和朝廷黎明期に協力し、大いに栄えた。雄略天皇に滅ぼされ、土佐に流されたの説に乗っている。
この地で生まれた司馬遼太郎は、「街道をゆく」で、この大和盆地を見下ろす地は縄文人(狩猟採集移動生活者)が住んでおり、大和盆地に進出してきた神武天皇の水耕文化を持つ弥生人と共存していたが、水耕定住生活の方が食料が多く定期的に手に入るので人口が増え、やがて縄文人居住地域に勢力を伸ばし駆逐していったと書かれていたように思う。
鴨族・葛城族を縄文人と仮定すれば、大和から山城に移動していったのも、戦に負け土佐に移らされたのも辻褄が合います。大和朝廷は、中国大陸やヨーロッパ大陸的な他民族虐殺思想を持っておらず、平和的に共存する思想です。よって、葛城族が祀る神様「一言主」も八百万の神の1つとして宮中で祀って、大和朝廷の天皇神話の中に取り込んでしまった。鴨族の祖が、神武天皇を大和盆地に先導したとなっていく。
南下したアーリア人が、先住民を根絶やしにしたとか、中国大陸での戦国時代の根絶やし物語と一線を画す、この手の日本神話が好きです。ヨーロッパ人が南米大陸を発見上陸して、インカ帝国を滅ぼしたとか、国を追われたイギリス清教徒が北アメリカ大陸に上陸し、食糧難で全滅を救ってくれたインディアンを結局滅ぼし、西部開拓史として全て取ってしまったというのが好きになれない。
共存しない文化は一神教思想を取り込み、神の意志として自分たちの思想を多民族に押し付け、最後は武力で根絶やしにしていく。
『葛城古道 奈良盆地の南西の隅、葛城川に沿った山裾ののどかな農村風景の中をたどる道。6世紀以前に勢力を誇っていた葛城や鴨族の根拠地で、歴史的に貴重な遺跡や由緒ある神社・仏閣が多い。高天の集落は、天孫降臨神話の舞台とされ、古道で一段高い位置にある。高天彦神社参道両脇には、樹齢数百年の老杉が並ぶ他、重厚な門構えの民家もある。一言主神社の大銀杏も、樹高25m・幹周り3.8mの巨木で、秋の黄葉は見事である』
社叢の中を石段で登る。『延喜式では名神大社に列し、祈年・月次・新嘗・相嘗・祈雨の祭りには、官幣に領り、文徳天皇はじめ歴代天皇、特に御光厳天皇から神格「正一位」を贈られる。官人・歌人各階に渡る崇敬篤く、伝教大師最澄も入唐に際し祈願された(延暦23年)』
境内に入ると、「無患子(むくろじ)」(樹齢650年)の巨木が迎えてくれた。
宮司さんが私服ながら活動開始されており、社務所の戸締まりを開けておられた。その後、本殿の帳を開いていた。本殿は瓦葺で落ち着いている。摂社に「一言稲荷神社」がある。その他、稲荷神社より小さいが末社が並んでいる。
「市杵島神社」や「祓戸神社」という女神も祀ってあった。市杵島姫命は、天照大神が素盞嗚命の剣から生んだ宗像三女神の一。黄泉の国から帰った伊邪那岐尊が天照大神などと共に生んだ瀬織津姫など祓戸四神。天照大神は男神で、その后が瀬織津姫であった。古事記編纂時の政治事情から、持統天皇(天武天皇皇后)が女帝である自らを正当化するために、天照大神を女神と変更させた。そのことで瀬織津姫の存在を消したが、七夕の織姫として伝説として残した。この故事が好きで、祓戸の神「瀬織津姫」が好きです。
お社の骨組み様に組まれたものに、御神籤が多数結わえられている。
『謡曲「土蜘蛛」 僧侶の姿に化身し源頼光の病気見舞いを行った害悪の権化土蜘蛛は、見破られると「汝知らずや我むかし葛城山の年を経し土蜘蛛の精魂なり」と大見得を切り、糸を投げかけ頼光を巻き殺そうとした。
頼光は枕元の膝丸の名剣で切りつけ、渡辺綱たちは血の跡を追い蜘蛛の棲家を突き止め退治した。そこに「頼光朝臣塚」の碑がある。後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、家運は傾き病人が続出する有様に、蜘蛛の祟りと恐れ、安置して土蜘蛛灯籠として供養し騒ぎは収まった。そのように京で暴れた土蜘蛛も、今はもとの大銀杏の木陰の棲家で静かに眠っている』
『御神木(乳銀杏) 樹齢1200年。幹の途中から乳房のようなものがたくさん出ており、「乳銀杏」「宿り木」とも呼ばれている。この木に祈願すると子供を授かりお乳がよく出ると伝えられている。白い蛇が住み着いていると言われ、人々の信仰を集めている』
『葛木の其津彦真弓(そつひこまゆみ) 荒木にも 憑(たの)めや君がわが名告(の)りけむ  一言主神のいる葛城山の東麓は、葛城氏の本拠地であった。襲津彦は4世紀末前後に活躍した武将で、葛城氏の祖と仰がれている。襲津彦の強弓の荒木にも頼むではないが、信頼してあなたは私の名を人に明かしたのでしょうか・・・という。
善悪を一言で言い放つという一言主神の信仰と襲津彦の頼もしい伝承とが生きている葛城の地の乙女の歌である』
『猶(なお)見たし 花に明行く 神の顔  芭蕉』
大和盆地の東の山から朝日が眩しく差している。田や溜池の水面がそれに光り、美しい。たくさん絵馬が下がっている。「願」と「御礼」2種類の絵馬があり、御礼絵馬の裏には、叶った願いへの御礼が書かれている。読んでいて、なんだかこちらまで嬉しくなった。
僕はかなり多くのお宮に参っていると思うが、手を合わせて願うというより、いつも感謝の言葉を心の中で唱えている。最近は孫の成長や息子達一家の繁栄を願う気持ちもあるが、やはりそれらを含めて今までの順調な成長への感謝の言葉になってしまう。
神社という所は、神様の前で感謝の言葉を口にすることで、自分の努力に奢るのではなく、自然や他者への感謝を再認識する場なのかもしれない。願い御礼の言葉を書くこれらの方々は、周囲の方の期待や守護に応えながら、それを周囲の方に与えているに違いありません。
以前、家内の両親の分骨を京都永観堂に納めた時、法主さんから「お墓参りと言い受付で氏名を書いていただければ拝観料は無料になるので、何度でもご先祖様に手を合わせに来てください。特にお子さんをお連れください。先祖に手を合わせるお子は立派な大人に育ちますから」と法要で法話を下さった。
神社は神様を祀っているところですが、日本人の殆どは先祖を辿れば源平藤橘にたどり着きます。源平藤橘は、天皇の子や孫が臣籍降下した者です。つまり、殆どの日本人の先祖は天皇につながります。
天皇は天照大神の天孫降臨した末裔。古事記は、「天地の始めの時・・・」で書き出されます。つまり日本神話の神は、西洋のゼウスという天地創造の神ではなく、『「あめつち」が最初にあってそこから神が生まれた』となり、日本の神様は「あめつち」からの創造物であると規定されている。
神社が祀るのは天皇やその子孫、さらに神木や巨岩・山などの自然物です。日常足繁く神社に通い手を合わせることは、それだけで先祖や自然への感謝の行為です。古代の日本人は、死者を葬る時、鳥葬など自然に返すことをしていた。つまり先祖への感謝が今に続いているに過ぎない。神道は、聖書も戒律も説教もない。宗教ではなく、先祖へ感謝する行為そのものに思える。そんなことを、「願」と「御礼」の絵馬を見ながら思いました。
バイクに戻り、「葛城古道」を東進し、r30の下をくぐり東に出ます。道なりに南に向くと、山側の景色が広がりました。真っ青な空に「大和葛城山」の峰が映えます。田んぼの畦に彼岸花の赤が綺麗。我が家の彼岸花はもう終わりましたが、ここはまだ見頃です。反対に東側の大和盆地側にも景色が広がり、気持ちの良い朝です。
一旦r30を走り、再び「葛城古道」に戻ると木製の道標が立っていた。「長柄神社1.8kmバック・極楽寺0.8km」。6:33「住吉神社」。『当神社の御祭神は、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・上筒男命(うはつつのおのみこと)及び息長帯此売命(おきながたらしひめのみこと)の四柱神で、大阪住吉大社の分霊を勧請して、白鳳年間に斉き奉った由緒ある古社である。
昭和の御大典記念に社格昇進せらる。慈に於て昭和5年5月神苑模様を行い拝殿と社務所を創建す』
伊邪那岐尊が黄泉の国より帰って、穢れを祓う禊をしている時、瀬の底・中間・表で生んだ神が住吉三神で、この神力を得て戦わずして三韓征伐した神功皇后を加え住吉大社が祀っている。
一旦r30に合流し、今度は北に「古道」を入り、6:35「吐田極楽寺」。『天暦5年(951)村上天皇の御代に、南都興福寺の名僧・一和僧都によって開基され、仏頭山法眼院極楽寺という。中世には浄土宗第三祖記主善師の門弟・林阿上人が入り、境内5町8反・七堂伽藍を持つ吐田氏の菩提寺となった。徳治元年(1306)北面の武士十河図所行光が狩猟中、金剛山日の石で霊仏を授かり出家剃髪し、夢のお告げを受けて極楽寺に奉安した。吐田の天得如来として親しまれ、毎年4/15は天得会式が盛大に営まれている。
南北朝時代、楠正成の祈願所と言われ、河内吉野の連絡の要所となる。慶長19年(1614)筒井順慶によって吐田氏が滅ぼされた折、兵火で諸堂悉く灰燼に帰す。幸い天得如来の絵像と鐘楼門が難を逃れ、後年随時再建され現在に至る』
景色の良い寺院でした。r30を走り、また葛城古道に入り、6:49「伏見八幡神社」。
『大和盆地を南から見下ろす景勝地にある。三間社流造の本殿と一間社流造の摂社2棟が、本殿を中央にして一段高い基壇上に横一列に並び、群を成す社殿の景観を形成している。いずれにも後補は随所に見られるものの、安土桃山時代の社建築の特徴を残している。奈良県下ではこの時期の遺構は稀で、意匠や細部様式の変遷を知りうる上でも貴重。
本殿の身舎は3間×1間で、木階(きざはし)を正面1間に配置するのみとするのは扉口が1口であった時の名残りとみられ、内陣も1室で古式である。建物全体に極彩色を施しており、彩色・文様もかなり古式である。内陣からは棟札が発見され、現行の正面扉の内側には鷹や花の日本画が描かれており、池田正辰の銘がある。
摂社・天児屋根命(あめのこやねのみこと)本殿(右側・向かって左)の身舎柱は面取角柱で、他の2社が円柱に対して簡素である。向拝の虹彩形頭貫先端の木鼻の繰形(くりかた)、花や葉などの植物をあしらった彫刻木鼻、身舎組物を舟肘木(ふなひじき)とするのはいずれも大和の特徴と言え、古式である。
摂社・天照皇大神社本殿(左殿・向かって右)は、肘木が禅宗様であること、向拝桁に反り増しがあること、木鼻に発達した絵様があることから、建立年代は右殿より少し下がる可能性がある』
石段を上がると、長屋門のような入口があり、そこを抜けると境内になっていた。本殿裏山に向かって小径があり、奥宮がある感じだったので探索すると、古墳がありました。この古墳の方が先にあり、これを祀る形で社が形成されていったのかも?と想像しました。
葛城古道を山に上がっていくと、7:00「菩提寺」。『奈良時代の高僧・大僧正行基菩薩が留まり、仏法を広めた。「菩提院」跡である。光仁天皇は仏教隆盛のため、勅して当群の田3町を施入する。白山の泰澄大法師・高野の弘法大師もこの寺で参籠修行された。往時は、伏見寺千軒と称せられ子院30余坊が並び建っていた。十一面観音菩薩を本尊として祀り、秘仏毘沙門天・仁王さんは、近在の信仰を集め、法起菩薩・神変大菩薩などの仏像を存して、諸願成就・諸人快楽を願う寺である』
仁王門が守護する寺だったが、境内には僧坊らしいものがなかった。石仏が並び、本尊が納められているのだろうお堂があるのみでした。「木師堂」と銘打たれた建物があり、木地師兼業住職が住まいしてそうでした。かなり標高を稼いでおり、景色は素晴らしかった。
次の目的地「高天彦神社」は、少し北のここより更に標高が高い所にあります。手に入れたハイキング地図には、直接つながるルートが書いてあるので、それを探します。でもr30からは、途中に谷があるように見えました。
分岐で迷ったが下に降り、ハイキング道を見つけましたが、獣避け扉を開閉して入る徒歩道でした。諦めてr30まで降ります。少し北上し、再度葛城古道に折れて高度を増し、7:11「高天彦神社」。金剛山への登山道があるようで、駐車場から出てくる方がトレッキングスタイルでした。駐車場に下りてきた方も、良い汗をかいておられた。
古事記に書かれている「高天原」がこの地にあったという。葛城氏の氏神「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」を祀っている。でもまあ、同じ伝承を持つ宮崎県の高千穂の方がそれらしかった。ここから「蜘蛛塚」へは150mだそうです。「福蛙」という蛙に似た石があった。手を触れると福がやってくるという。
本殿は瓦葺で趣はイマイチですが、鎮守の森の巨大杉に囲まれ、境内全体の雰囲気はナイスです。休憩所のような一角の上に、素敵な龍の彫刻があります。バイクに戻る時、鳥居正面の巨大杉並木の参道を下った。短い参道でしたが、とても良い感じでした。
梅の木に謂われ板が立っていた。『鶯宿梅 若死にした小僧の悲運をその師が嘆いていると、梅の木に鶯が来て「初春のあした梅には来れども、慌てぞ帰る元の棲家」と鳴いたことから、この名がついた』
「登山道」と書かれた舗装道が、「菩提寺」の方に向かっていたのでバイクで入ってみた。谷を下って行く感じになっていたので、バイクから降りて歩いていくと、谷を渡り道は登って行き、民家の屋根が見える。行けそうな気もするが菩提寺は訪問済みなので、もと来た道を下りr30に出た。
「葛城古道」に折れ、7:33「高鴨神社」。鴨族の氏宮で、全国の賀茂・鴨・加茂神社の総本宮です。高鴨神社(高鴨社)・葛城御歳神社(中鴨社)・鴨都波神社(下鴨社)の3社が近隣にあり、ここから山城国に移った賀茂氏は京都で「上賀茂神社」「下鴨神社」と同様です。
事代主神は鴨族が信仰していた神であり、葛城族は山代に移らなかった鴨族の一派で、当社が事代主神の信仰の本源である。主祭神は、阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)としているが、事代主・一言主と同神とされている。
『祭神:阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)・事代主命・阿治須岐速雄命・下照姫命・天稚彦命
当地は少なくとも縄文晩期より集落が形成され祭祀が行われていた。全国鴨(加茂)系神社の元宮で、日本最古の神社の1つ。主祭神は阿治須岐高日子根命は、名を迦毛之大御神と申され、大御神と名のつく神様は記紀には、天照大御神・伊邪那岐大御神と3神しかおらず、死した神々を蘇らせる御神力強き神様です。迦毛之大御神は、全国300社で祀られ、妹神の下照姫命は150社でお祀りされている。
福島県一宮の都々古別神社・栃木県日光の二荒山神社・高地県一宮の土佐神社・関東地方の秋葉神社など、鴨と名のつかない神社も多くあり、伊勢の皇大神宮摂社の中にも鴨神社が祀られている。
「カモ」は「カミ」の語源の1つで、「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様を表す。
県内に延喜式内社が216社あり、特に霊威が強く月次・相嘗・新嘗の祭りに官幣に預かる名神大社は12社しかありません。その内の5社(高鴨神社・高天彦神社・一言主神社・鴨都波神社・葛木坐火雷神社)がここ葛城地方にかたまっている。当時、この地が朝廷を始め国家にとって重要な位置を占めていたことがわかる。1つの理由に背後の山がある。金剛山は明治4年まで女人禁制の霊山で、役行者・行基・円光・道鏡などが修行した山です。葛城の峰(金剛山・葛城山など)に霊力の強い神々が住み、そこで修行すれば神々の霊験力を得られるとされ、それを修めた者が修験者(行者とも)と呼ばれた』
『最初の社殿は5代孝昭天皇の御代に創建され、現在の本殿は1543年(室町時代)に再建されたもので、絢爛たる彫刻・極彩色に彩られた壮麗な社殿であり、貴重な建築物として国の重要文化財(旧国宝)に指定されている』
鳥居をくぐると少し下り、参道脇に大きめの池があった。祭祀を行うのか、池に床が張り出ていた。参道を挟んで池の反対側に社務所があり、もう開いている。帰りに木御札・八咫烏交通安全御守・絵馬を授かった。初穂料2000円。鴨神社なのに熊野大社の八咫烏の御守があり面白いな。
参道を行くと、石段の上に社殿が見えるが、建築中で石段は上がれません。石段右に逸れるが、こちらからの石段も修繕中で、左に逸れて石段を上がって本殿に手を合わせた。極彩色の一部が拝めた。石段を下り池の畔を奥に歩いて行く。摂社が脇に並んでいる。「一言主神社・事代主命」「猿田彦神社・猿田彦命」「聖神社・大物主命」「稲荷大明神」「金比羅神社・大己貴命」「牛瀧神社・豊田姫命」、エンドに「西宮 御祭神:多紀理毘売命(たきりひめのみこと)・天御梶日女命(あめのみかじひめのみこと)・瀧津彦命・塩治彦命(やむやひこのみこと)」があった。
r30に出て、r261で南下します。8:06「御霊神社」。長屋門の拝殿に絵馬が下がっていた。その中にスコップがあり、その横に『戦利兵器奉納ノ記 是、明治37・8年役戦利品ノ一ニシテ我カ勇武ナル軍人ノ熱血ヲ・・・ 明治40年3月 陸軍大臣寺内正毅』の賞状が下がっていた。日露戦争の戦利品のようだ。本殿横に絵が描かれているようだ。
r261に戻り南下し、8:16「岡八幡宮」。『文久3年(1863)8/17、主将中山忠光元侍従が率いる藤本鉄石・松本奎堂・吉村寅太郎の3総裁をはじめとする尊王攘夷の若き志士たち6・70人の集団(天誅組)が、幕府を倒して新しい世を作るため、大和五條で最初の武装蜂起をした。同日昼過ぎ、千早峠を越えてきた一団が、五條代官所に向かう途中、ここ岡八幡宮に集結して休息と襲撃直前の準備をした』
代官所を襲う前の天誅組の集合場所でした。地図を見ると、現在のR310で峠を越えてきたようです。
r261をさらに南下し、五條市に入り、8:26、R310との交差点を右折した所にあった「御霊神社・福田宮」。『御霊神社の御祭神である井上内親王は、聖武天皇の皇女として養老元年(717年)に生誕した。 5歳で斎王として伊勢皇大神宮に出仕し、のちに白壁王の妃となる。宝亀元年(770年)、白壁王は第49代光仁天皇に即位。しかし政権争いに巻き込まれ、無実の罪により皇太子・他戸親王とともに大和国宇智郡没官の宅に流罪となり、宝亀6年(775年)4月25日逝去。
その後、都に天変地異が起こり悪疫が流行したため、朝廷は内親王母子の怨霊の祟りと恐れ、内親王を皇后に復し、霊安寺を建立し御霊を安め奉る。その頃に御霊神社も創建された。嘉禎4年(1238年)吉原・牧野両豪族の論争に起因し10社に分社したが、その後も宮分けが進み、400年余りの間に20余社の御霊神社が宇智郡(現在の五條市)に分祀された』。
祟りを畏れた世相の魁で、この政争の勝者・桓武天皇が怨霊を恐れ、神社を整備し、長岡京・平安京に遷都しました。後に菅原道真が雷神として祟り、崇徳上皇も怨霊となった。勝者である後の為政者がさまよえる魂を鎮めるために祀ったのが御霊神社で、菅原道真は天満宮です。
凝った彫刻が目を引いた。絵馬に五稜郭を砲撃する政府軍を描いた(たぶん)物がった。
すぐ近くがグループツーリングの集合場所の「ローソン五條インター店」だったのですが、ガソリンが半分になったので、その前を通り過ぎ給油しに行きます。R310を南下し、R24を西に走り、8:53「シェル西五條SS」で給油。216km/9.01L=24.0km/L。
集合場所に戻ると、僕を含め7台集合。直ぐに出発になりました。R310を熊野古道中辺路に向かって南下開始です。吉野川を渡り、GSに止まって数台給油しました。なんだ、GSに寄るなら前もって給油する必要はなかった。
R168を南下し、「道の駅・吉野路大塔」で休憩。再び南下していると、奈良県橿原市大和八木駅と和歌山県新宮市新宮駅を結ぶ日本一長い距離(167km)・時間(6.5時間)・停留所数(167)の路線バス・八木新宮特急バスとすれ違った。
幾つかのトンネルを抜けながら、十津川に沿い、素敵な景色の中を走ります。僕は遅れ気味ですが、より遅い四輪車をパスするタイミングで追いついたりしながら、10:40「道の駅・十津川」に着きました。
ここには寄ったことなかったので、初めての道の駅です。足湯がありました。靴下を脱ぐのが面倒なので入りませんでしたが、手をつけると気持ち良かった。「果無集落」への分岐を過ぎ、十二滝の横を走ります。たくさんのトンネルを抜けながら、皆さんと離れ、一人旅になりました。次の待ち合わせは、R311の「ちかつゆ」とわかっているので、マイペースを守りながら気楽に走っていると、待っているリーダーが目に入りました。「ほんまに、ついてきてるかな?」と心配になったのでしょう。
2台で走り出しましたが、徐々に離れてまた一人旅です。リーダーさんも僕を目視できて安心されたでしょう。「熊野本宮大社」横を通り、右折してR311に乗りました。しばらく走っていると、後続の四輪を挟んで、皆さんが後ろから追いついてきました。「あれ、いつの間に抜かしたんだ?熊野本宮の道の駅にでも寄っていたのかな?
リーダーが抜いてきて僕の前に入り、12:21「古道あるきの里・ちかつゆ」に到着。皆さんとお昼ごはんにします。「熊野牛の他人丼・780円」を食べました。ここまで先導してくださった伊賀のNさん、地元田辺在住なのでここで会ったSさんと同席しました。横のテーブルには、遠く滋賀県から参加のNaさん、西宮裏六甲のNamさん、大阪の女性Cさん、尼崎の女性Aさん、そしてリーダーのJさん。バイクに乗り、R311に出て少し東に戻ります。枝道に入り、12:34「継桜王子」下のPへ。歩いて坂を上がり、「熊野古道・中辺路」。大きなイガグリがたくさん落ちており、クリも落ちてる。
秀衡桜・・・ここで秀衡の名前が出てビックリ。『奥州の藤原秀衡夫妻が熊野入りした際、滝尻の岩屋で出産し、その子を残してここ野中まで来て、杖にしていた桜の木を地につきさし、子の無事を願ったとされ、その木が成長したのが秀衡桜だといわれている。明治の中ごろまでは継桜王子の社前にあり、古く名木として知られていた。天仁1年(1109)の藤原宗忠の日記(中右記)に、道の左辺にあるツギザクラの樹は、本はヒノキで誠に希なものだと記されていて、その桜が秀衡伝説に結びついたものとみられる』
スタンプボックスがある。『「秀衡桜」と奥州「平泉」の関係 「秀衡桜」はその名からも、奥州「平泉」(岩手県)に栄えた藤原秀衛公にちなむ桜です。平泉は12世紀、奥州藤原氏により約100年間に亘り黄金文化が花開いた所で、みちのく(東北)の政治と文化の中心であった地であります。
初代清衡公は国宝指定第1号金色堂を有する「中尊寺」を、2代基衡公は日本有数の浄土庭園である「毛越寺」を、3代秀衡公は宇治の平等院を模した「無量光院」を造営しました。(いずれも特別史跡)特にも秀衡公は、鎮守府将軍と陸奥守に任ぜられた平安末期を代表する為政者でありました。
また平泉は、悲運の武将「源義経」と「武蔵坊弁慶」の終焉の地として、そして時代は下り俳聖「松尾芭蕉」が「奥の細道」紀行で訪れた場所としても知られる地であります。
「秀衡桜」が今後も熊野古道の花篝り(はなかがり)として、多くの方に愛でられ続けることを願ってやみません。 岩手県平泉町観光協会』
平泉町の謂れ板があり、またビックリ。
「とがの木茶屋」という藁葺き屋根の小屋がありました。お店の方はいませんでしたが、お茶が用意されており、「セルフサービスで飲んでね」と書いてありました。店主が見知らぬお客さんを信頼し、僕らも悲しいことしないという阿吽の呼吸がある日本はいいなと思いました。
店頭に、唐辛子が下がり、大きな瓶には、ガマ・ススキ・コスモスが飾られている。お茶を頂きながら、一服しました。王子を見に行きましょう。
『継桜王子 藤原宗忠は、天仁2年(1109)10月に熊野に参詣した際、「道の左辺に続桜の樹があり、木は檜で、誠に稀有なこと」と日記に記しています。檜を台木とした桜が成長していたものと見られる。建仁元年(1201)10月に後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記、あるいは承元4年(1210)4月、修明門院に随行した藤原頼質の日記には、「続桜」王子とありますので、鎌倉時代にはこの珍しい木の傍らに王子が出現したようです。ただし、藤原宗忠の参詣記では、仲野川(現・野中川)を何度か渡るように記していますので、この王子社はその後現在地に移された事も考えられる。江戸時代には、若一王子権現とも呼ばれ、社前の桜は「接桜」「秀衡桜」と呼ばれ名木になっています。王子社から100m東にある現在の秀衡桜は何代目かにあたり、明治中期に植えられたものです。明治時代には王子神社となり、末期に近隣の金比羅神社(現・近野神社)に合祀されましたが、社殿は残り、後に御神体も戻されました。境内にある9本の杉の大木は、枝が全て南向きに伸びているため、「一方杉」と呼ばれています。神社合祀の際に、南方熊楠らの保存運動によって残され、現在はこの神社に奉納される「野中の獅子舞」とともに、県の文化財に指定されている』
巨杉の並ぶところに鳥居があり、巨杉が囲む石段参道を登って行きます。「皇太子殿下行啓の道 平成4年5月27日」の石柱が立っている。1本の巨杉の根元に熊が冬眠できそうな穴が空いている。
王子社はリニューアルされたばかりのようで、鮮やかに化粧されていた。茶屋に戻り、階段を下に降りた。バイクで走った道まで下り、道を少し戻って12:57「名水 野中の清水」。『ここは奥の方から清らかな水がわき出ていて、「野中の清水」として古くから知られた名水である。真上に継桜王子社や一方杉があり、能野路を歩く旅人がわざわざ道から降りてきて、よくここで喉をうるおした。また、この付近一帯の住民の大事な用水にもなっていた。昭和60年(1985)に環境庁の名水百選に選ばれた。
句碑の「すみかねて道まで出るか山しみづ」は、俳人服部嵐雪が宝永2年(1705)5月仲間7人と共に伊勢と熊野に参り、田辺の方に歩いて行く途中ここで詠んだ句である。
歌碑の「いにしへのすめらみかども中辺路を越えたまひたりのこる真清水」は、歌人斎藤茂吉が昭和9年(1934)7月土屋文明と共に熊野に来て、自動車で白浜に向かう途中で詠んだ短歌である』
清水は、透き通った水をたたえていた。池に落ちる水流はなく、清水の底から湧水しているように見えないので、護岸の岩の間から湧水しているのでしょう。国道の走る谷の向こうの山が見え、気持の良い場所です。
山がちな場所にある古道は、今の幹線道のように谷を走らない。谷は常に水害によりなくなる可能性があるので、山の中腹や尾根道だったりする。地図のない時代、上から見て自分の位置を確認する以上に確かなことはなかったからです。日本のように雨量が多く水害の多い国で、谷に道を通すのは、現在のような土木機械が発達しないと無理だったのでしょう。こんなアップダウンの多い道を歩けば、自然に健脚になりそうだ。
バイクに戻り、帰路に着きます。R311を西に走り、右折してr198。路面に大きく数字が書いてあります。災害時などに、ヘリコプターから見えるようにかな?R425〜R424で、13:46「道の駅・水の郷日高川龍遊」。休憩し、僕がラストで出発し、あっという間に皆さんが見えなくなりました。信号で追いつき、また離れます。日高川に沿って走る道は、交通量が少なく、初めて走る道ですが、気持ち良く走れます。
「ヤッホーポイント」で皆さんが待っていたので、そこで追いつきました。ここも初めてなのでやッホーしたかったが、1人ではイマイチなので一旦スピードダウンしてスルー。「椿山ダム」がありました。
「道の駅・しらまの里」で休憩し、ここで解散になりました。給油する方は、阪和道・有田IC手前のGSで給油し、高速道路に乗って流れ解散だそうです。R424を北上し、r22で「有田IC」に向かいます。皆さんはGSに寄りますが、僕はそのままスルーします。
「どうせ、いずれ追いつかれ抜かれていくだろう」と思い、「有田IC」にエントリーし、いつもの80km/h程度で北上します。「紀ノ川SA」をパスし、16:06「岸和田SA」で休憩します。いつものように「水なす販売」コーナーに寄り、弟のお嫁さんの実家の販売する「水なす」を見ます。たまにお姉さんが店頭に立っているのですが、この日は別の方で残念でした。どうやら岸和田の地元組合から当番制で、ここで販売促進しているようです。16:12、「味わいソフト・バニラチョコ・140円」で糖分補給しました。皆さんが来るかと思いましたが誰も来ません。一目散に帰られたか、「紀ノ川SA」で休憩されたのでしょう。
道なりに近畿道に乗り、「吹田IC」で下車し、中央縦貫道を西進しR171。17:28「伊丹産業・セルフ北村SS」で給油、322km/11.66L=27.6km/L。信号の少ない田舎道をトップギアで長く走れたので、良い燃費になりました。
帰宅して、いつものようにCBを乾拭きし、「通勤リード110」のリアに、「Y'sギアE37リアボックス(39L)」をくっつけて、近所の「バイクワールド・伊丹店」に急ぎました。このボックスはここで買いました。CBとお揃いの白い塗装のお気に入りなので、なんとか直して欲しい。
「蓋が閉まらくなったんです」とカウンターで言うと、カウンターの方があ〜だこ〜だやっても直らない。電話で担当者を呼んで、あ〜だこ〜だ・・・「あ、500円」と、隙間から500円玉を取り出して・・・「これで大丈夫ですね。単純なシステムなので、壊れることはないんですよね」。一件落着しました。いつの間にか500円玉が入りこんだようです。その500円玉を財布に入れながら、なんだか得した気分になりました。
以前、家内の「アドレス125」と僕の「通勤リード110」2台でツーリングした時、家内のGIVIボックスが開かなくなりました。鍵を突っ込んでも動かなくなりました。四苦八苦しても結局開けられず、諦めて僕のリアボックスを開けようとしたらこちらも開かない・・・「あれ、鍵間違えてるんじゃない?」。GIVI・Y’sギア・KAPPAは皆同じ赤い鍵なので間違ったようです。僕が気を利かして家内の鍵も持っちゃったから、おかしなことになりました。

2017/9/17日曜日
長男から「アメリカにおいで」と誘われたので、夫婦で出かけることにしました。仕事で世界を飛び回っており、貯まったマイルで家族で出かけていましたが、それでも使い切れず、毎年僕の誕生日11月に合わせ、僕ら夫婦を東京に呼んでくれ家族で僕の誕生日を祝ってくれました。
去年春にアメリカ勤務になり、1年(家族は半年)住んで慣れたので、僕らやお嫁さんの両親、更に次男一家やお嫁さんの妹さん家族に、「僕らがアメリカにいる間においで」とお呼びがかかりました。お嫁さんも海外を飛び回る仕事でしたので、長男が仕事でもお嫁さんだけで言葉に不自由がありません。
家内は初めての海外で、僕もジュニアヨットの選手を引率して海外遠征していたのはもう15年も前なので、パスポートを取り直しました。アメリカのVISAなし渡航に必要なESTAを、長男のアドバイスを受けながら取りました。
HISの旅行保険に入り、「ドルを持ってくる必要ないよ」と言われていましたが、1000ドルだけ前日に伊丹空港で両替して持っていくことにしました。「100677円=890US弗」。余ったドルは長男宅に置いてくればいいと思って。
9/17・JAL102便・大阪(伊丹)7:10発〜東京(羽田)8:15着
JAL006便・東京(羽田)10:40発〜ニューヨーク(JFK)10:35着
9/23・JAL005・NY(JFK)13:10発〜9/24東京羽田16:25着
JAL139便・東京(羽田)19:20発〜大阪(伊丹)20:35着
の日程です。機内枕・スリッパ・マスクも用意しました。
アメリカ旅行出発当日です。準備で手間取ったのがPCでした。旅行のお供はタブレットNEXUS7なのだけど、キーボード打ち込みが面倒なのでPCを持って行こうと考えました。ノートPCを自宅ライン以外で使ったことがないので、無料WiFiに繋げ使えるようにしようと数日前から悪戦苦闘しました。
自宅でラインを抜いて使ってみたが繋がらない。NTTルーターは無線対応なのにおかしいな。暗証番号もルーターにかいているのを入力したのに。ルーラーが電波を飛ばしていない可能性もあるので、空港に持っていき、WiFi電波を検索出来るか試しました。到着ロビーに座って、検索した電波を3つほど試しましたが、暗証番号がわからない。どうやって使ったいいのかな?
帰宅し、富士通ヘルプデスクに電話しました。使ってるNTTルーターは無線対応してるけど、別料金で無線対応カードを差し込まないと無線が飛ばない機種でした。そういえば、その料金が毎月掛かってトータルすると高額になるので、必要になれば市販無線ルーターを買った方が安いと判断し買わなかったことを思い出す。
PCの設定自体は間違っていないようで、再度空港に持ち込みWiFiを検索すると、キャッチした電波の下の方に「大阪空港無料WiFi」というのがあり、そこに繋げてみました。パスワード入力画面なしでネットに繋がり、メール受信とウェブサイト閲覧が出来ました。タブレットを持たず、PCを持っていくことにする。立ち上がりは少し遅いが、これで旅先でいろんなことが出来るぞ。
荷物は重いのが叶わないので絞り込みました。ハードスーツケース2つ。長男が「重いし、キャスターの動きが悪くなってきたから買い替えた」と置いて行った機内持ち込み可より少し大きめサイズにお土産を入れました。僕から孫達への定番土産「岩波子ども絵本シリーズ」2冊、長男への扇子土産。これは、僕が監督として引率した「15才以下ジュニアヨット・ASEAN選手権」の時作った他国スタッフや大会オフィシャルスタッフへのお土産の残りです。葛飾北斎の富嶽36景の絵柄です。20ぐらい残ってるので、長男の外人さんへのプレゼントに使ってもらおうと思って。
それから長男宅用南部鉄風鈴。全国各地に風鈴はありますが、僕が一番好きな音色のがこれです。鉄だからガラス製のように割れないから、ちびさん達にも安全です。それから、ちびさん用箸。りょうくんが、指を入れる穴付箸を使っているので、練習してもらおう。こうくん1才もこれから使って行くだろう。アメリカだと手に入りにくそうだから。
家内が買った新幹線ドクターイエローTシャツ3枚(長男・りょうくん・こうくん用)。お嫁さんへの化粧品プレゼント。基礎化粧品をいつもお嫁さんたちにプレゼントしています。資生堂の値の張る美白系が最近多い。これは消耗品なので、いつも好評です。それから、次男お嫁さんからの孫2人への甚兵衛さん。お嫁さんがネット発注して、アメリカでは手に入りにくいフリカケやベビー食材・梅系のアメなど。
機内持ち込み可サイズのスーツケースは、お土産と家内の衣類。家内が背負う「Anelloショルダーバッグ」には、家内衣類。僕が背負うPCショルダーバッグには、PCと衣類。僕がたすき掛けで下げるソフトセイルバッグには、僕の日常品とパスポートやチケット控え・カメラなどを入れました。
当日は、3時に目が覚めました。大型台風接近中なので気を揉んでいる天気予報をチェックします。7時の天候は、風速10m/s・曇。朝7時の予想で、まだ鹿児島の西部沖なので大丈夫そう。伊丹空港の運行チェック、JALの運行チェックすると、7時台の羽田2便は予定通りのフライトとなっている。
家内は既に起き、階下でゴソゴソやってる音がする。寝ながらゴソゴソやって、4時に再びチェック。家内に、予定通り飛行機で行くと言う。無理そうなら前日に東京入りか、新大阪6時始発新幹線で行くことを伝えていたが、最終の4時判断です。
荷物を再チェックし、玄関にバッグを出して、戸締まり点検し、外に出て車を用意する。雨は降っていない。風が強く、近所の林の高い木々が揺れている。風速10m/sほどのよう。吹いてるな。風向きが珍しい南東で、台風の影響のようです。本体が鹿児島の向こうなのに、今回の台風はでかいです。
5時に出発し、5:15空港に荷物と家内を下ろす。JAL出発カウンター前で待っておくように言う。自宅に戻り、家内のアドレスV125に乗り換え、再び伊丹空港に向いバイク置き場に置きます。タクシーを呼ぶと、うちまでの距離も料金換算されるので、往復すると意外に高く付きます。バイクだと無料なので、僕はここ数年このパターンです。5:45空港に家内と合流しました。
チェックインカウンターは6時からのようです。カウンターで手続きました。スーツケースを2つ預けました。パスポートと国内線・国内線チケット控えを見せて、往路国内線・国際線チケットを確保しました。
家内はショルダーバッグだけ、僕はショルダーバッグと肩掛けバッグになり、2F出発口へ。僕は検査で引っかかりました。鳴るわけないと思っていたのに、安全靴のつま先芯が引っかかったようです。「安全靴ですか?」と言われました。エコノミー症候群の事も考え、6:18「スカイストアーズ17G」で、健康ミネラルむぎ茶140円と綾鷹151円を買う。6:49「SKY PATIO北」で、2人とも「和食セット・650円」を食べました。ご飯・お魚・味噌汁・・・この定番はいいね。
7:10・JAL羽田行きに乗り込み、定刻通りに出発しました。機材は、B767-300です。雨は降っていませんが、風向が南東なので、いつもとは逆の大阪市内向きに離陸します。こちらに離陸すると、離陸直後の180度旋回の必要がなくなり、羽田までの距離が短くなるから到着が早くなりそう。
機内でも無料WiFiがつながりますが、井上さんの「撃墜王は生きている」を読みました。家内がJAL機内カタログで、レインコートを見つけ「買おうかな〜」と言っています。僕は買えばいいと勧めたのですが、「デザインがいいのに5000円と安価なので、お嫁さんに聞いてみるとのことです」。羽田到着後、降りる時に申込書をもらっていました。
思っていたほど揺れずに、平常通りの飛行でした。翼の上の席で下界への視界は期待できないが雲も多いので、どこでも一緒です。羽田到着の10分ほど前からの雲への再突入で通常の雲を突っ切る時の揺れがあった程度で、台風の影響は殆ど感じないフライトになりました。東京は台風から更に離れるので、もう安心です。長男も、朝の伊丹空港のフライトを心配していました。
羽田に定刻より早く着きました。こちらは通常の南の東京湾からの侵入で、風向が反対の時の千葉からの回り込みの遅れもありませんでした。米軍横田基地の上空を通過する事ができれば、更に早いのに。小雨が降っていました。
初めての国内線〜国際線へバス移動です。案内板が適切で、何も迷いませんでした。国際線ターミナルの3Fに上がり、JALチェックインカウンターに行きます。搭乗券を見せると、スルーして出国手続きカウンターに行けとのこと。出国手続きカウンターで、パスポートとチケットを見せ無事出国。でも、せっかく買った水とお茶を2本ボツにしました。カウンター前で、「これ没になるよね」と自分の馬鹿さ加減に気づきましたが、虚しくゴミ箱へ投入。全然飲んでいなかったのに・・・
搭乗ロビーに入り、112搭乗口は目の前でした。トイレを済ませ、家内とブランドショップをウロウロします。8:40で出発の11:40まで時間がたっぷりあります。長男は乗り換え時間が短いのも気にしていましたが、フライトも遅れず、羽田での荷物の受取・預入の手間も要らず、問題なしでした。
僕はWiFiスポットでPC起動し、羽田空港無料WiFiにつなげました。メールチェックOKで、長男夫婦に現在地を伝えるべく、メールを書いて送るがメール送信できませんでした。長男を安心させたかったのに・・・。「メールサーバーの設定不備」とのエラーメッセージが出て、2度試すが送信できないので諦めました。「あ〜タブレットも持ってきたら良かった」。あれなら何度も旅行で使った実績があるのに・・・。
ショップを見に行ってた家内が、残念そうに戻ってきました。ユニクロで気に入った室内着を見つけたので買おうとしたらレジが行列で、並んでやっと順番が来たのに、搭乗チケットがないと買えないと言われ、取り置きしようかと親切に言ってくれたのに、「もういい」と出てきたようだ。
こういうものは思い立った時が買い時だし、せっかくの旅行なので楽しまないとと思い、家内の機嫌をヨイショし2人で行く。「また来ちゃいました」と家内が言うと、「先程は失礼いたしました。再度ご来店ありがとうございます。すぐに陳列棚より持ってきます」と、気持ち良く対応していただき、家内が満足そうです、良かったね。
9:27「Curacion Cafe」で「富士山大地の雪解け」水を1本買いました。10:10手続き開始・10:40定刻出発。Economyなので国内便同様の広さだが、ピーチのように狭くはないと、近所の席の方が言っていた。機材は「B777-300」。個別ディスプレイが着いているので、「NHK朝7時のニュース」をチェック。映画「シン・ゴジラ」「追憶」「キングコング」「落語」を見ながら寝たり起きたり。フルフラットシートではないので寝返り打てないので、しっかり眠れないよ。でも横の家内は、気持ち良さそうに寝ているみたい。家内はすぐ寝ちゃう眠り姫だからね。日頃は寝相が悪いのに、いつ見ても同じ体勢でスヤスヤ。
出発時にフライトアテンダントさんから貰ったアメリカ入国カードを記入します。海外脱出は10年ぶりですが、この用紙の設問が日本語になっており、コレデイイノか?と思う。前回は中国などアジアだったけど、皆英語だった。離陸している時に、腕時計をNY時間(アメリカ東部時間)に変更しました。現地時間で機内から寝る時間をコントロールすると、時差ボケが楽だと書いてあったから。
機内での最後の食事は、「AIR吉野家」という牛丼弁当でした。まさかこんな所で「吉野家の牛丼」を食べるとは・・・。2017/9/17・10:35ニューヨーク・ジョン・F・ケネディー空港到着。10:40に羽田を飛び立ち、同じ日の5分前にNY着なんて変なの。こんなに大きな時差を経験したのは初めてです。「時差ボケで到着2日間は変だよ」と長男に言われていましたが、今のところどうってことありません。
飛行機を降り、「Immigration Baggage Claim」表示に進むが、カウンター前の列が混んでおり、その手前で係員に列を作って待つよう指示される。「行け」と言われ列が進むが、僕の前で止められちゃった。
長く待ち、やっとイミグレーションの列に並ぶ。「US Citizens & Canadian Visitors (アメリカ市民・カナダ国民)」と「Permanent Residents (永住権:グリーンカード保持者)」、「B1/B2 Visa Holders (書面申請の観光ビザ)」「ESTA- Returning (ESTAビザ免除2回目以上の方)」用と幾つか列があったが、僕らは初めてのアメリカなので、「Visitors - non B1/B2 Visa (B1/2ビザ以外の一時滞在者) ←F/Mビザはココ!ESTA - First Time (ESTA初利用)」の列です。ここが一番多く、最も時間がかかった。係員が、他のイミグレーションに移動させ列の長さを短くすべく、パスポート提示を求め、他の列に誘導しているが、僕らは関係なし。
車の中で長男のカテゴリーを聞くと、B2だそうです。ビジネスで米国に富をもたらすと思われる人のカテゴリーで、頻繁に入出国があるので優遇されているらしい。でも、毎回指紋と顔写真撮影があるらしい。長男のように毎月出入国を繰り返しているのに、なんで毎回?って疑問に思ってるようだ。
長男にイミグレーションはタイミングが良かったらすぐだし、最悪なら1時間掛かると言われていたが、結局1時間半掛かってしまった。やっと僕の番が来た時後ろを振り返ると、列は1/4ぐらいになっていた。「いま到着したら30分だよね」。僕らの周りはJAL羽田便とエールフランスパリ便のようだ。クルー専用入国審査列があり、いろんな国のアテンダントさんの制服が見れていい。
羽が数本出てるヘアセットに統一され、ハイヒールを履き、ベージュ制服の黄色人種の顔立ちのアテンダントは、中国か韓国でしょう。後でお嫁さんに聞いたら、韓国でした。さすが女性の美を追求する国です。でもヒールが高く、機内作業が大変そう。機内では履き替えているのでしょうね。このチームは年齢が若く美人ぞろいで、皆さん楽しそうに明るく喋っている。制服チャンピオンに決定。
JAL国際線アテンダントの美貌に期待していたが、お嫁さん以上の美人はいませんでした。
長男から、イミグレーションでの想定問答をメールで送られていました。
『Q: Why do you come to the States?
A: To visit my son's family. They live in Princeton, New Jersey.
Q: How long will you stay here in the US?
A: For a week.』
入国カードとパスポートを持ってカウンターに向かいましたが、質問なしでガッカリ。左右とも4フィンガーと母指の指紋を読取機に当てて取られ、ウェブカメラのような小さなカメラに顔を向け、顔写真を撮られて終了。税関検査でも使うを思われる下半分へ記入した入国用紙もここで没収され、「いいのかな?」と思った。2分も掛からなかった。
列に並んでいた時も入国審査でも、簡単な英語だったので問題なくわかった。後ろに並んでいた家内が係員と途中でやってきた。係員に「夫婦だ」と言ったのかもしれない。係員がそのようなことをイミグレーション担当女性に言っていた。入国カードは家族で1枚なので、審査終了後「次はマイワイフだ」と言おうと思っていたが必要なかった。家内は更に早く終わった。
『Immigration を通ったら、次は荷物受け取り(baggage claim)へ。電光掲示板を見て何番クレーンに流れてくるかを確認。ここに着くのが早ければクレーン上に流れてくるかもだし、遅ければもうクレーン外に置かれているかも』
と長男からメールをもらっていたが、案の定1.5時間もイミグレーションに要したら、数台流れているベルココンベアーの表示には、JAL羽田便の表示はなかった。暇そうに立ってる係員のおじさんに声を掛けて聞くと、近くに並んだ列を示された。無事荷物を確保しました。
『荷物を全て持ったらExitを目指して奥へ。ここで税関があるから、予め記入していた申告書を渡して通過。ここは直ぐに通過できるはずだけど、ランダムに荷物をチェックされるかも。
その後は出口を通れば一気に開けたところに出てきて、人がたくさん待っている。その中に僕もいるはず』
と長男のメールに書かれていた。
税関検査に並ぼうと思ったら、スルー状態になっており、「おかしいな」と思い係員を見ると目が合い、出国ドアを指差された。税関申告用紙も没収されてるし。そのままスルーしました。混雑しているからかな?
12時になってやっと開放された。税関を出ると、すぐに長男が見えた。柵をスルーし、りょうくん4才が「お爺ちゃん・お婆ちゃん」と叫んで手を振ってくれている。嬉しいな。
長男の会社から支給された車「日産セントラ」で自宅に向かいます。1.5時間だそうです。イエローキャブが並んだ駐車場があります。すぐに高速道路に入り、片道3〜5車線でとても広い。3車線になっても、更にその外側に3車線高速道路が寄ってきて並行して走っていたり、トラフィック事情でアメリカのデカさをいきなり感じる。
橋を渡るので、「ここがハドソン川?」と聞くと、「いやここは海だと思う」とのこと。窓の外を見ると、入江に面して家が建ち、各家に桟橋がある。桟橋にはセイリングヨットではなく、モーターボートが停まっていた。
電車の車両基地があった。同じカラーの電車がたくさん駐輪されている。如何にもハーレー乗りの格好をしたおじさんが、ハーレーで抜いていく。アメリカの交通事情を聞くと、「アメリカ人は家に複数台車を持っており、何でも車に乗って移動するので、歩行者・自転車・原付のような小さなバイクが走っていないので、とても走りやすい」と言うことでした。
りょうくんが、「あ、橋を渡るよ」と言い出した。大きな吊橋を渡り始めた。「これがハドソン川だよ」と長男から。「マンハッタンは、右遠く霞んで見えるビル群のところ」「自由の女神も見えないけど、右の方にあるよ」、そしてここから「ニュージャージーなんだ」とのこと。
家内が、「出張する時、いつも1時間半運転して来るの?」と聞くと、「いや、ニューヨーク州の別の空港からか、NYより近いフィラデルフィアの空港からかな、JFK空港はあまり使わない」との答えでした。
りょうくんが、お嫁さんが1週間前に事故を起こして元気なくなったことと、「ぼくのお家、大きいよ、教えてあげるから」と嬉しそうに話してくれた。事故と聞いてドキリとして、怪我や相手の方のことを聞いた。長男から「おかまして、フロントが壊れたけど、直さなくてもいいレベル。低速で衝突したので、相手も平気だった。来週修理してもらう。ただスペインに出張中で、処理をお嫁さんだけでしたのが可愛そうだった」と教えてくれた。
家族3人にも相手にも問題なく、車が壊れただけのようでホっとしました。ただお嫁さんの精神的なことが気になりますが、「いや〜、もう平気でいつもと同じだよ。事後処理は僕が帰ってきてから僕がやってるし」とのことでした。こういうことは男の方が得意なので、長男が帰ってきて気丈夫になったのでしょう。警察署の横を通りました。窓には大きく「901」と書かれています。以前、りょうくんがパトカーの横に立って撮った写真で、パトカーの車体に書かれた「901」を「日本の110番と同じ」と教えてもらっています。
タンクローリーやトラックがでかい。そして黒人運転手さんが多い。それを聞くと、「そうかな?気にしたことなかった」とのことでしたが、この日見たトラック全部が黒人さんでした。
昼間なのに多くの対向車がライトオン状態でした。それを聞くと「車の初期設定で、曇になるとライトオンになるのが多い」との答えでした。もう一つは日本車の多さです。アメリカ車・ドイツ車・韓国車・日本車ばかりで、日本で多く走るドイツ以外のフランス車やイタリア車・スウェーデンやフィンランドなどの欧州車は見なかった。前に見える5台全部日本車と言う時もあり、台数では日本車の圧勝です。トヨタ・レクサスのトヨタブランドの次は、ホンダ・アキュラのホンダブランで、続いて日産とマツダです。スバルは多くない。
それに続き韓国のヒュンダイで、KIA自動車も見かける。同じぐらいBMWが走っており、メルセデスは日本より少ない割合です。こんなに日本車が多いとは予想外でした。アメリカ車は、ヒュンダイより多い程度です。その中で最も多く見れたのは、お嫁さんの車Jeepです。りょうくんは、お嫁さんの車をJeep、長男の会社からの支給車を日産と呼んでいます。
子供時代、TVでよく放映されていたアメリカ・ドラマに登場していた「Ford」と後部に書かれた古いピックアップトラックを見つけ、「おお〜、これぞ僕のアメリカ」と思いました。
高速道路出口ゲートを通りました。ETCにはバーがありませんが、日本同様通行料金表示されました。でも電光掲示とかじゃなく見にくい。ほぼ全部の車にETCが付いているのか、現金支払いしているような車はいませんでした。料金徴収員がいないように見えたし。
高速道路を降りると、資生堂の工場がありました。家内お気に入りのブランドです。
GSに寄りました。セルフGSが多いのかと思っていましたが、都会部は有人の圧勝だそうです。先客の車がいましたが店員さんがいない。事務所の窓に書かれた電話番号に長男がコールしようとしましたが、出てきました。「空港のイミグレーションで感じただろうけど、どんなに人が待っていても、店員さんは慌てないよ。急ごうとしないし、よりお役に立とうともしない人が多い。アメリカの真似して、日本の良さが消えない方がいいなと思ってるんだ」とのこと。
「REG CASH 2.659、REG CREDIT 2.759、DIESEL 2.559」の金額表示でした。単位はガロンですので、約4Lです。つまりレギュラーガソリンで70円弱です。ディーゼルがガソリンに比べ日本より高いです。
「ニュージャージーは石油精製施設があり、他の州より安いんだ。隣のニューヨーク州より安いよ。州により値段差が大きく、先週現地でレンタカー借りて700km走ったイエローストーン国立公園旅行では、中西部の値段の高さに驚いた」とのことでした。ガソリンの値段が安いから、みんな車に乗り、歩行者などが少ないとのことでした。GS内に中古車が売ってあり、窓ガラスに直接値段が書かれています。
広いとうもろこし畑が広がる景色が時々見えます。背の高さが日本のソレと比べ高い。3m位ありそうで、サトウキビみたい。住宅街になると、道路から芝生が広く広がっており、その向こうに瀟洒な建物が建っています。多くが1階建て木造で、日本のプレハブ的な建物やコンクリート住宅は見かけない。大きな家になるとお城的なデザインに見え、敷地はみな大きめで木造街区・お城街区のようになり、敷地を隔てる塀がないので、より広く落ち着いた印象を受ける。
上下車線の間の中央分離帯は、1本の線ではなく斜線の安全地帯表示で、時折植木エリアになっている。日本では確実に片側2車線道路になり広さを、片側1車線にしてその分中央分離帯や自転車道にしている感じがする。車道の外側に芝生を挟んで舗装自転車道が走っており、家の塀がないこともあり、とても広い道路という印象を受ける。
制限速度は、マイル表示ですが、日本より更に10km/hほど高い設定のようで、僕にはちょっと速い感じで車が流れている。歩行者・自転車・小型バイクが走っていないので、これで走っても安心なのでしょう。日本の若者の平均より安全運転気味の長男ですが、その速度で他車と同じよに流れに乗っている。
家の敷地は、家屋の周りは芝生庭で、木々が広めの間隔で植わっている。日本で言う雑草が少なく、家屋エリアを過ぎると、車道・縁石・芝生・自転車道・芝生・森という感じになる。
道路は基本右折可です。正面信号が赤でも右折出来ます。そうそう、日本とは逆の「車は右側通行」なので、日本で言う「左折可」ということです。ラウンド交差点も1つ通過しました。手前に「矢印ぐるぐる巻表示」があります。
りょうくんが、「もうすぐ着くよ」と言い出した。見覚えのあるエリアに近づいたのでしょう。左側に芝生が広がる交差点を左折し、長男の家のある住宅地に入ります。左側の芝生はゴルフ場だそうです。アメリカはゴルフが安く、このゴルフ場はパブリックで、1ラウンド18ホール・10ドルだそうです。長男もここの会員になっており、歩いても行ける距離なので、車で2〜3分でちょいちょい行ってるそうです。子供が生まれてお嫁さんと2人でラウンドすることは出来なくなったけど、パター練習場や打ちっぱなし行き、交代で子供の面倒を見ながら楽しんでいるそうです。
この住宅街は、大きな公園の中にあり、全部で50軒ほど建っています。オール木造の統一された家が並び、入口で速度を落とすために段差が数本あります。住宅地全体入口にゲートとガードマン常駐の高級エリアではありませんが、道路・公園・プール・テニスコート・コミュニティー棟などを有する素敵な住宅地です。
お嫁さんによると、プリンストンは住みやすく、世界有数のプリンストン大学があるので教育水準が高く、高学歴の方が多く住み着いているそうです。両隣はインド人で日本人もコミュニティーに3組いるそうです。1組は同じ会社の後輩で、結婚式にも来てくれた人だそうです。
グーグルマップで見ていたので、この住宅地の景色を知っていましたが、予想通りの落ち着いた雰囲気でした。家の前の道路脇の芝生に、お嫁さんが乳母車にこうくんを乗せ待ってくれていました。こうくんの初宮参り以来1年ぶりの再会です。ますます綺麗になっており、僕の30代の日本女性は美のピーク説を地で行っています。
車を家の前に置き、家に入り内部を見せてくれました。2階建ての6ベッドルームもある大きな家です。内部の壁は壁紙ではなく、ペンキ塗りの感じがします。ペンキの匂いはもちろんしないので、そういう住宅塗料なのでしょう。1Fにリビング・キッチン・物置・ガレージ・トイレ洗面ルーム・ユーティリティルームが2つあり物置になっています。その他に下駄箱と言えない広さの靴ルームが有り、機械室もあります。キャンプ用品など遊び道具が雑然と突っ込まれている部屋もありました。
2Fにベッドルームなどがあり、トイレ・バス・シャワールームが2つのあります。トイレは全部で3つもあります。その他に洗濯機・乾燥機室があり、洗濯物を外に干すことは禁止されているので、乾燥機が優秀で完全ドライになるまで乾燥するそうです。
裏庭には塀があり、その向こうは公園です。リスや鹿が時々顔を見せるそうです。この日も家内はリスを見ました。
リビングには、なんちゃって暖炉があり、ガスで薪&炎みたいになるそうです。暖炉の上に家族写真が置かれ、アメリカみたい。アメリカだけど。セントラルヒーティングで、温度設定すれば24H快適に過ごせ、冬場など日中いない時に入り切りする方がかえって光熱費があがるので、年中つけっぱなしだそうです。室内にいれば、寒いとも暑いとも感じず、エアコンが動いている音もせず快適だそうです。
広いリビングの一角にテーブルと椅子が並び、ここがダイニングのようです。壁に厳選された家族写真が下がり、もう一方の壁にはりょうくんのプリスクールでの絵などの作品が下がっています。お嫁さんのセンスを感じます。
キッチンのシステムキッチンの食器洗い機は大きく、冷蔵庫もアメリカンサイズです。冷蔵庫を開けると、お嫁さんから「大きなヨーグルトでしょ」と、907g入りを指さされました。「ブルーベリーとストロベリージャムの瓶がありますから、手べてくださいね」と嬉しい言葉です。僕は毎晩450gプレーンヨーグルトにジャムを味付け程度に入れて食べるのを無常の楽しみにしています。
ニュージャージー州は、ガーデンステイツと呼ばれ緑豊かだそうです。そう言えばNJのナンバープレートのナンバーの下に、「GARDEN STATE」と書かれています。同じ州でもいろんなデザイン・色のナンバープレートが存在し、そのことを聞くと「日本のように軽自動車とかのカテゴリー分けではなく、何の脈絡もないんじゃないのかな?」と長男は言っていました。
りょうくんから、「お爺ちゃん、ちょっと来て」と呼ばれガレージに行くと、「ここぶつかって壊れたの」とJeepのフロントを見せてくれました。ナンバープレートが凹み、フロントが少々凹んでいます。Jeepの特徴的なフロントグリルの一部が破損しています。軽症のようで、これなら乗っていた3人に何もなかったのがうなずけます。良かった〜。
僕らの部屋は2Fです。2Fに上がると広間があり、そこにトイレ・バスルーム、洗濯乾燥機ルームやベッドルームのドアが並んでいます。長男一家の使ってるベッドルームは広く、4人並んで布団を敷いて寝ているようです。広いクローゼットがあり、その部屋に面する別のドアを開けると、シャワー・浴槽・洗面ルームがあり、更にそのバスルームに面したドアを開けるとトイレがありました。
僕らは直接広間に面した部屋で、背の高いふかふかベッドがあり、他のスペースに布団が一式用意されています。クローゼットがあり、中は本が並んでいました。窓の外には裏庭から公園の森が広がっています。
僕らはこの部屋と同じく広間に面したバスルームを使うそうです。このバスルームは使ったことが無いそうで、結局僕らもトイレは別ですが、長男一家の使ってるシャワー・バスルームを使うことになりました。
広間に面した別のベッドルームを開けると、僕が嫡孫りょうくんの初節句の時プレゼントした加賀金沢の菅原道真五月人形がありました。僕の先祖ということなので、この人形にはこだわりました。こうくんがまだ1才なので、この部屋でお蔵入りしているそうです。トロフィーが雑然と床に置かれており、ゴルフコンペで長男が獲得してきたようです。
部屋に荷物を入れ、軽装に着替えます。バミューダパンツとTシャツです。お土産を次々に出します。反対にお嫁さんが買ってくれた僕らへのお土産として、僕にはラコステ長袖シャツ、そして家内には同じラコステブランドのカジュアルドレスをもらいました。次男一家から託された2人の孫への甚平さんを出すと、「これ持って帰ってもらえますか」と次男の子すみれちゃん用のドレスが6着ほど。日本でも人気のアメリカブランドだそうで、こちらで買うと安いそうです。お嫁さんから僕らにプレゼントがありました。僕にはラルフローレンのセーターでした。早速使わせてもらいました。
遅いお昼ごはんとして、お嫁さんがうどんを作ってくれました。こうくんも手づかみだったり親に刺してもらうと、フォークで口に運んでいます。生まれた時から日本人としては体格は良い方ですが、最近の体重上昇が減り、並の日本人体格になってきたそうです。小児科に定期検査に行くと、体重上昇がアメリカンサイズに劣るので、「十分食べさしているか」や「肉をもっと食べさせないと」と注意されるそうです。
食後、散歩に出ます。家内が乳母車を押して楽しそう。りょうくんが、ヘルメットを被りキックボードに乗り先導してくれます。慣れたもので、コケる感じが全くしません。住宅地の地区内道路を歩き、あるいはりょうくんを追いかけて走ります。停まっている車の8割は日本車で、トヨタ・レクサス、ホンダ・アキュラのトヨタとホンダブランドが双璧です。
綺麗な落ち着いた町並みを歩くと、適当な感覚で特徴的な消火栓が立っています。芝生の水やり装置もある。バスケット・ゴールが何軒にもあり、バスケット人気を感じます。キックスクーターが芝生に転がっており、スタイル抜群な女の子が横をキックスクーターで追い抜いていきます。「ハロー」って。
遊具施設のある公園で、こうくんとりょうくんがキックスクーターを交代で乗ります。こうくんの時は長男や僕が手とハンドルを上から握ってサポートします。最初「変なやつが来た」と言う目で見ていたこうくんですが、もう慣れてしまいました。男の子なので、すみれちゃんほどの警戒心はないようです。ママ・パパ・アンパン(アンパンマン)程度しか喋れませんが、な大人の言う言葉はわかっており、しっかり頷いたり首を横に振ったりして意思表示します。
僕だけ探索開始です。横にはテニスコートがあり、数人がプレイしています。その横にプールが有ります。5月末から週末と祝日、7月中旬から9月いっぱいは毎日泳げるようです。横にコミュニティーハウスがあり、公民館的に使っているようです。花壇の手入れも行き届き、生活をする場を快適にしようとのアメリカ人の考え方を感じます。その横にポンドがあり、噴水が2本上がっています。
帰宅すると、りょうくんが裏庭を案内してくれるそうです。キッチンルームの庭に面するドアを開けると、こうくんが高速ハイハイでやってきます。僕も連れて行けと言わんばかりに、外を指差してあーあー言っています。
抱っこして庭に出て、「このドアを開けると出れるよ」と教えてもらい森に出てみます。ここは鹿やリスの住処です。家内もやってきたので、こうくんを抱っこしてもらい、写真を撮ります。こうくんは、何度も森を指差し、「もっと奥に行こう」と指示しています。でもまあ、ここは自重です。お嫁さんと森に入っていったことがあるのかな?お嫁さんによると、こうくんはお外好きのようです。
部屋に戻り、りょうくんはアルファベットとひらがなのお勉強時間です。リビングの子供用テーブルの上に、公文式の「やさしいかず3−5才」「やさしいひらが3−5才」「やさしいABC3−5才」というドリルがあります。アルファベットはプリスクールでも教えてくれるので良いのですが、日本語がむしろ心配だそうです。りょうくんが、ひらがなをなぞっています。しまじろうのもあります。公文式とこどもちゃれんじの両方しているのかな?
りょうくんはABCの方が簡単なので好きそうです。僕に自分の名前をアルファベッドで書いて見せてくれました。僕がプレゼントとして持ってきた絵本を、「寝る時読もうね」と子供たちに声を掛けています。教育は子供の人生にとても大事なので、長男が子供時代のことをと僕の子育てをしきりに聞いてきます。僕は勉強もゲーム感覚で「点取りゲーム」と思って人参ぶら下げたら良いとアドバイスします。最初は人参目当ての勉強でも、実際に高得点を取るようになると、人参のことなんてどうでも良くなります。
僕がこうくんと遊びながらりょうくんの玩具を使っての1人遊びを見ていると、独り言は全て英語になっています。僕らには日本語で話しかけてくれますが、「OK」とかよく出るし、きかんしゃトーマスの玩具の名前も、イントネーションがネイティブです。お嫁さんに聞くと、発音がネイティブ過ぎてわからない時があるそうです。お嫁さんでわからないんだから僕にはとてもとても。
生まれて初めてパパと観に行った映画「カーズ」のキャラクラーカーもたくさん置いてあり、レースの発音が舌を巻くウレースでかっこいい。りょうくんのサングラスに張ってあるスパイダーマンシールも、「スパイダマン」とかっこいい発音になっています。5才までに英語圏に住み耳コピして覚えた発音は、例え帰国して忘れてしまっても、英語の勉強をしだすとすぐに思い出すようです。子供の頃に口の形や舌の使い方がその言語用になるそうです。長男も、むしろ日本語の方が心配なんだと吐露していました。
りょうくんの社交性の良さに更に磨きがかかったことをお嫁さんに話すと、「そうなんですよ、9月からプリスクールのクラスが変わってお友達も変わったのだけれど、お迎えに行くと、「Bye・・」とりょうくんに寄ってきてハグするお友達が男女とも多く、既に前のクラス同様人気者であることがわかるそうです。この性格は長男と同じで、生きていく上で強い味方になるはずです。長男は、「アメリカでは日本の倍ぐらい自分をアピールしないとダメだからね」と、実感を込めて言っています。
TVでアメリカンフットボールの録画を見ました。雅代ちゃんは、洗濯機の大きさ・洗剤の大きさ、そしてヨーグルトの大きさに驚いています。みんなアメリカンサイズで、アメリカ人の体型に似ています。この日一日で、日本人ではまず見かけないサイズのお尻をたくさん見ました。制服に身を包んで仕事をされているエネルギーは、やはりたくさん食べることから来るのでしょう。
お嫁さんが、夕食の準備を始めました。人見知りを心配していたこうくんは、すぐに僕を「安心できる人」認定してくれ、2人の孫と遊びます。りょうくんに案内された家族の寝室で、布団の上をポンポン飛んだり歩くのをサポートしたり、居間でカーズのおもちゃたちを使ってあれこれ。
家内が持ってきたトランプをりょうくんに渡すと、1年半前のお正月に、うちに来て一緒に遊んだ神経衰弱を思い出し、「あれしよう」とカードめくりします。りょうくんは、数字の足し算が出来るようで、自分の得点の点数を暗算で、「え〜とね、りょうくんはね、・・点」と2つ・3つ飛ばしで答えます。この子は、数字が好きなようです。
こうくんは、大きめレゴブロックを居間の玩具置き場から出してきて、上手に重ね着け出来ます。1歳半でブロックの凹凸を合わせ、適当な力で着けたり外したりする技は、年齢平均機能を超えているように思います。半分に割れる球形器をパチンとくっつけたり外したりも出来、左右の目の遠近感把握が良く、それから得た情報を的確に手指の先に伝え動かす能力が高いことがわかります。手先が器用そうです。
安全に気をつけながら、2人のチビさんの様子を見ているだけで、いろんな性格や好き嫌いがわかります。積極的に遊びに加わったり、1人遊びを楽しんでいる時は傍観者・観察者になったり、我が子を見ていたこ頃を思い出します。食べさせ、基本的な毎日の生活の世話をしなくて良い分、爺ちゃんは気楽です。あ〜楽しい。
こうくんは、3ヶ月遅れで生まれた次男の長女すみれちゃんより歩けません。すみれちゃんはすでに安定して50歩ぐらいなら歩きますが、こうくんはまだゆっくりで最高9歩です。でもハイハイはかなりの高速で、すみれちゃんの倍ぐらいのスピードで動けます。階段も安心して見ていられるレベルです。
子供それぞれに特徴があり、いくら見てても飽きません。全員が同じお風呂を使うことになったので、お嫁さんに促され、一番風呂に入らせてもらいました。僕が入っていると、「ホテル式で湯船で洗うのが苦手だから、シャワーで体を洗うわ。それから湯船に浸かるから」と入ってきました。
シャワールームは、・・ホテル同様ガラス張りで湯船から丸見えで、自宅のお風呂でさえ一緒に入ることを拒否されてきたのに、その大胆さにびっくりです。ガラス窓越しに見る女性のシャワーするヌード姿はナイスです。
夕食はお魚料理でした。お嫁さんは料理が得意なので、とても美味しい。聞いたことない名前のお魚でした。スーパーに並ぶ魚の種類は少なく、お肉の種類が多いそうです。お肉は種類豊富な上にお値段が安く、日本より美味しいそうです。家内は、食後歯磨きなどをしてすぐ寝ちゃったけど、僕は長男夫婦や孫達とコーヒーを飲みながら食後のお喋り時間を楽しみます。長男は、仕事をしに会社に行きました。日本と時差は13時間あるので、こちらの夜20時が日本の翌日朝9時なので、この2時間ほどがお互い負担少なくライブコミュニケーション出来る時間帯です。オフィスまで車で10分ほどの近さだから、休日でも気楽に仕事できるそうです。アメリカ夫婦旅行1日目終了。

2017/9/18月曜日
前日夜20時に寝ちゃったので、朝2時?真夜中2時に目覚めちゃいました。セントラルヒーティングの温度設定がバッチリで、持ってきたパジャマを着る必要もないぐらい快適で熟睡出来ました。もう寝れそうにないので、スヤスヤ寝てる家内を起こさないように部屋を抜け出し、PC持って階下に降り、居間のダイニングテーブルで、メール・天気予報などをチェックし、カメラからデータをPCにコピーし、それを見ながら旅行1日目の日記を書き出します。
お供には、お嫁さんが僕のために用意してくれたヨーグルトです。冷蔵庫からヨーグルト(TRADER JOE’S’ Organic yogart PLAIN 907g)とジャム(Wegmas STRAWBERRY PRESERVES 32OZ 907g)を出してきます。
長男から、「親父は、プレーンヨーグルトとジャムさえ用意してけば機嫌がいいから」みたいに言われたのでしょう。「お父さん、ヨーグルトもありますから、たくさん食べてくださいね」と言われています。
この習慣は、お腹が弱い僕のために幼児の頃からヨーグルトを食べさせてくれた母の行動が起源です。牛乳だとすぐ便がゆるくなります。小学校になる頃は飲めるようになったけど、給食の1本が限界でした。乳製品補給のために始まったヨーグルトですが、やがておやつになり、お風呂上がりの楽しみになりました。
学生時代、家内と付き合っていた頃、僕が家内の家でお泊りする時は、いつもお母さんが僕用にヨーグルトを買っていてくれました。ずっと500g1個食べていましたが、最近明治が450gになり、その他メーカーが400gになったので、メインは明治ブルガリアヨーグルト450gになっています。減ってしまった50gの代わりに、アロエヨーグルト1個が追加されています。我が家の冷蔵庫には必ず在庫が入っています。最近昼間おやつ時間にも食べることが多く、生協さんが来る日の晩は、15個ぐらいの在庫になります。
アメリカのヨーグルトは、味が濃厚です。美味しくいただきながら、PCで好きな文章を書く至福の時間を持ちました。家内と朝の散歩を楽しもうと思っていたので、夜明け時間が楽しみでしたが、6時でもまだ暗く、日本の9月の感覚より1時間遅れの夜明け時間でした。庭にリスや鹿が来ると良いなと思っていましたが、その訪問もありませんでした。
6時頃、2Fで物音がしだしたので、家内が起きたようです。「あんた何時間寝るの?」と思うほど眠り姫の方ですが、10時間近く寝ました。幼児と変わりませんね。家内が階下に降りてきたので、7時頃散歩に出ることにしました。住宅地内の道を歩きます。通勤に向かうのだろう方が、車に乗って出かけて行きます。曜日は月曜日なので、週末の休日明けです。長男は、僕らの渡航に合わせて遅い夏休みを取ってくれており、1週間付き合ってくれます。ありがたい事です。りょうくんも月曜はプリスクールをお休みして付き合ってくれます。
郵便ポスト・新聞受け?なのか、10軒ほどで集合したポストがあります。家の前の置かれている車を見ると、日本車が圧倒しており、トヨタ&レクサス、ホンダ&アキュラが最大勢力です。今やアメリカ現地生産車ですが、日本車がアメリカを席巻しているようです。
ドラマに出てくる消火栓スタンドが道路脇に設置されています。ニュージャージーのナンバープレートなのに、コーン・トマトなど野菜絵柄のがあります。お嫁さんが「For SaleやFor rentが出るとすぐ買い手がつき、レンタル主が出てしまう」と言ってたように、ホント落ち着いた気持ちの良い住宅街です。
みんなで遊んだ公園まで歩いてUターンしました。道が風船の輪郭のようになっているので、別の輪郭を辿って家に戻ります。家を出て20分ほどで、家からやってきたりょうくんの「お爺ちゃん、お婆ちゃん」の声を聞きます。1人でやってきたのかとびっくりしますが、後ろに長男がこうくんを抱っこして歩いています。りょうくんが僕らを見つけて、パパのとこから走り出したようです。家内がプレゼントした「新幹線ドクターイエローTシャツ」を2人は着てくれています。
7:30朝食。家内が望んでいた食パン朝食です。JAL機内の朝ごはんは、吉野家の牛丼で、「朝からこんなに食べれないわ、パンは選べないのかしら」なんて言っていました。そのことをお嫁さんに聞くと、「牛丼は冷蔵庫から出す時間が微妙なんです」と、キャビンクルーのあれこれを教えてくれました。往路ニューヨーク便のキャビンに、結婚式に来てくれた同僚さんが乗っていました。僕はわからなかったが、家内は一時目指していた職業だったこともあり、「きっとそうよ、見覚えがあるもの」と言っていました。食後、牛乳を入れたコップにストローを2本差し、孫2人で頭を突き合わせて飲んでいる姿が微笑ましい。
外で大きな音がしだしたので見に行くと、庭のメンテナンスの方々が手入れをしています。道路に落ちた落ち葉をブロアーで吹き飛ばして集めています。住宅地入口に大きな清掃車が停まっていたのは、この作業チームのもののようです。長男に、夜明けが遅い事を言うと、「今はサマータイムだからね」とのことでした。3〜10月はサマータイム時間で、朝6時が7時に変更になるので、夜明け時間が1時間遅くなるとのことです。
9:55、車2台に便乗します。長男一家は4人で僕らを合わせると、5人乗りの日産セントラにもアメリカンモータースJeepチェロキーにも乗れません。お嫁さんとこうくんがJeepで、あとの4人がセントラです。
車の窓から見える景色は目新しく、助手席から写真を撮りまくります。はしご車・広大な農園・・・。まずはショッピングセンターの駐車場へ。家内が寝ぼけて自分の眼鏡を踏んでしまい、眼鏡のつるが曲がってしまいました。ガラスとの付け根が問題のようなので、直るかどうかメガネ屋さんに見てもらいます。
「macy's」「OLD NAVY」「SEARS」などの大型店舗が、巨大駐車場完備で同じ敷地内に建っています。このような大型ショッピングセンターが、ここまでに2つもありました。
お嫁さんによると、片道2〜3車線あるので渋滞などありませんでしたが、プリンストンでも交通量の多い道だそうです。東京生活時、りょうくんのスイミングで一緒だった日本の大手銀行に勤める方の奥さんが、ご主人の転勤でミシガン州に来ており、彼女がご主人のニューヨーク出張に合わせてプリンストンまで足を伸ばしてくれて、泊まりに来たそうです。彼女が、「すごく混んでる」と驚いたそうです。ご主人が銀行からミシガン州立大学に留学し、MBAを取って2年の赴任でもう日本に帰ったそうです。
2軒メガネ屋さんを回りましたが、結局直せませんでした。お洒落な衣類店が多く入店しており、アメリカブランド品なら、こういうショッピングセンターで買う方がずっと安く買えるそうです。
また車に乗り移動です。森を切り開いて大きな農場が点在し、その横に車が来ると景色が広がります。北海道の景色に似ています。日本では関東平野以外では何処でも山が見えるのに、山が見えません。
独立戦争の激戦地「プリンストンの戦い」の場所に車を停めました。長男は僕同様歴史好きで、僕のために史跡訪問メニューを入れてくれたのでしょう。「何もないよ」と言うように、手入れされた広い芝生が道路の両側に広がり、ギリシャ神殿の柱の超小型がポツンとあるだけです。
道の両側に時々見えてくる豪邸が楽しく、大型トラックのデカさも楽しみながら森の中を走ります。デザインの洒落た大きな教会が目を引きます。
10:45、僕が最も見たかったプリンストン大学周辺にやってきました。お嫁さんの写真で見た素敵なデザインの大学施設が見えだし、興奮してきました。「あれがお父さんが見たかったアインシュタインの銅像だよ」という場所を通り過ぎ、道路脇の駐車可レーンに車を停め、料金ポストにお金を入れます。
ここから、大学の建物、敷地内を散策します。日本の大学のように敷地を塀で囲んでおらず、道路から芝生を経て校舎が見えます。敷地内に道路が走り、商店があるように教住混在です。大学の排他性がなく、良いシステムだと思います。
プリンストン大学は、アメリカの始まった北東部の老舗大学の集まりアイビーリーグ所属で、ハーバードなどと並ぶ世界一を競う頭脳が集まる大学です。まさにアイビー(蔦)に覆われた校舎もあり、とても絵になる大学です。それを見に来る観光ツアーがあるようで、観光バスも道に停まっています。気温は大阪の10月と同じような最低15℃〜最高25℃という気持ちの良い気温ですが、町を歩くアングロサクソンさん達は。まだまだ真夏の服装で、みなさん半袖Tシャツ1枚です。ジョギング女子の露出度は多く、水着で走っているのかと思うほどです。僕はサイクリングカーゴパンツと、上半身は下着の上にお嫁さんから父の日プレゼントで貰ったホリスターの長袖でちょうど良いのに・・・
パテオのような校舎に囲まれたエリアは全面芝生で、縦横クロスにコンクリート歩道が通っています。いい塩梅で樹木が植えられています。「あ〜、リス」とりょうくんが叫びます。家内とお嫁さんは、リスが木を登っていくのを見たようです。たくさんの建物が建っていますが、僕の母校が最初の設計者ヴォーリス建築のデザインに統一されているように、落ち着いた雰囲気を全体として醸し出しています。
足の長い男女学生が語り合っていたり、校舎を移動していたり、とても自然です。庭が手入れされ、ゴミ箱も清掃が行き届き素晴らしいです。孫達がこの大学で学べたらなと想像します。「Princeton University Facilities」と書かれた施設管理部門に属する車両が停まっている。丹羽や校舎の管理をしているのでしょう。学生生協に入ってみた。母校とアメリカンフットボールで交流のある「PrinstonTigers」のロゴ入り衣類が並んでいる。トラのキャラクターグッズもあるし、もちろんノートなどいろいろあるが、レジに学生が並んでおり、お土産の購入は止めた。
「リス!」とまたりょうくんが叫んだ。今度は見つけられた。シマリスが歩道を遠ざかって行き、尻尾のフサフサしたシマリスの3倍ほど大きなリスが芝生に佇み、僕とりょうくんが近づく、ゆっくり木を登っていった。人に警戒心をあまり持っておらず人懐っこい。お嫁さんが朝食を作っている時、窓から見える裏庭にリスが来ていたそうです。りょうくん以外は、慣れっこになっているようです。その後もリスは何匹も見ました。素敵な学習環境です。
大学敷地内に「Art Museum」がありました。ヨーロッパ巨匠の絵などが展示されているようです。長男達は、既に見ているようなのでパス。
「Could you teke a picture?」学生風の方を呼び止め、家族写真を撮ってもらいました。敷地内にバイクシェア・ステーションがあり、同じ自転車が並んでいいます。前かごには、「Prinston」と書かれています。
敷地エリアを出て、車を停めた道路に戻ってきました。道路名は、「Witherspoon」。大学敷地内に銅像の立っていた人物の名前です。トラック側面に大きく描かれたメッセージや宣伝が楽しい。トラックが大きいのでよく目立ちます。りょうくんのリクエストで、クレープのお店「WINBERIE'S RESTAURANT& BAR」に行くことになったが、月曜日はお休みでした。そこで裏通りにあるイタリアンレストラン「TERESA CAFFE」で昼食を取りました。僕はパスタで、家内はサンドウィッチ。りょうくんはピザです。みんなそれぞれが注文した料理をシェアするのが我が家のスタイルで、いろいろ食べました。
パスタは美味しかったが、サンドウィッチのパンは硬めでした。お嫁さんによると、アメリカのパンはあまり美味しくないそうで、アジア食材スーパーで少し高いけど食パンを買うそうです。日本のパンは世界一だと言っています。よくそう言いますよね。釘が叩けるようなフランスパンは、食べるだけで顎が疲れちゃうよ。僕にとっては、味以前の問題です。
長男に電話が入りました。翌日の午前中に、ブランチ幹部内でのミーティングがあるようで、その打ち合わせの電話だそうです。この近くのレストランで、ブランチしながらするそうです。「オフィスでしたらいいのに」と家内が言うと、「人事の問題だから、クローズドな話なんだ」とのこと。長男は夏休み中だけど、責任者なのでいろいろ仕事があります。
あとで長男のいないとこでお嫁さんに「会議が多いの?」と聞いたら、日本との時差の関係で、朝早くや夜遅くの会議があるそうです。朝イチで出社する時は、長男担当のりょうくんをスクールに送るのもお嫁さんがやってるそうです。
また歩きます。車の前まで来て、駐車可残り時間をポストで確認し、追加料金を投入しました。アインシュタイン胸像まで来ました。プリンストン大学で教鞭を執っていた時期があります。公園の一角で、「The Prinston Bell」と書かれた鐘が下がっていました。
公園内に戦士達の像が立っており、謂れが書かれていた。「MARINES in the REVOLUTION」。1777/1/3の「BATTLE OF PRINCETON」を記念するものでした。アメリカ独立戦争で、ニューヨークなどで敗退した大陸軍は、初代大統領ワシントンの指揮のもと、ここでイギリス軍・ドイツ傭兵軍に、再度戦闘をいどみ勝利したことで、士気が上がり新たに大陸軍に参加する兵が増し、どくりつせんそう勝利への道がこの戦いから始まった。
車に戻り移動します。13:30森の中の「OPEN CANOES KAYAKSPARKING」と書かれた場所に車を入れ、家内がお嫁さんの家族写真にあったカヌーに乗ってみたいと言っていたリクエストに応えてくれました。
「PRINCETON CANOE & KAYAK RENTAL CANOENJ.CO」「Price List(per boat includes tax) カヌー(アルミ2シート17ドル/h、ファミリー3シート21ドル/h) カヤック(シングル16ドル/h、ツイン20ドル/h)」
私たち夫婦+りょうくん vs 長男夫婦+こうくんでチーム分けしました。ライフジャケットを着て、桟橋からカヌーに乗り込みます。家内が前で、りょうくんが真ん中、そして僕が後ろの席です。低い橋をくぐると森の中の流れの殆ど無い運河のような川に出ます。
りょうくんが「レースしよう。勝つぞ!」ってやる気満々です。抜きつ抜かれつデッドヒートです。サイド・バイ・サイドで双胴船のようになって進んだり、時には方向を誤り、岸に接岸しちゃったり。反対に漕ぐからどちらかと言うとマイナスに働いてたけど、りょうくんの応援のお陰と家内の頑張りで、僕らの船がリードを広げてUターン。
長男から、「そろそろUターンしようか」の声がかかりました。その瞬間、逆にアドバンテージを取られた状態になりましたが、お嫁さんはこうくんを抱っこひもで胸に抱えお世話しながら、長男1対僕と家内2の方がボートスピードがあり追い抜きます。僕もお嫁さんも、写真やビデオ撮影時間をどんどん取るので、デッドヒートが楽しい。
往路、本流で2つしか橋をくぐらなかったのに、3つ目の橋が見えてきて、「あれっ、どこから出てきたんだっけ?」と思っていたら、後ろの長男から「そろそろ右にジョギング・サイクリング道をくぐる小さな橋がない?あったらそこをくぐって」と声がかかりました。
すぐにそれがあり、僕らがリードした状態で、発着場のあるワンドに入ることが出来ました。受付のお兄さんが釣り竿を後ろに載せたカヤックを漕いでおり、僕らを見つけると桟橋に戻りました。
僕らがそこに着けると、テキパキと僕らが降りるのをサポートしてくれます。りょうくんのライフジャケットを脱がせていると、ワンドに入ってきた長男から「まだ脱がないで、写真を撮ってもらうから」。
長男達が降りると、りょうくんが「僕の勝ち」と騒いでいます。りょうくんを勝たせようと、長男とお嫁さんが上手くやってくれてたのでしょう。14:25、お兄さんにみんなの集合写真を撮ってもらいました。
14:45帰宅し休憩。ゴルフ道具を積み、再び車に乗ります。住宅地を出て幹線道路を渡ってゴルフ場へ。幹線道路からゴルフ場の芝生で、15:55クラブハウス横の駐車場へ。家から歩いても5分ほどの距離です。
りょうくんは、自分用に買ってもらったパターを手に、勇んで車から出ていきます。パッティング練習場で、僕らに自分のパターを渡して指導してくれます。生意気にも自宅居間にパター練習用一式を持っており、居間でも教えてもらっていました。4才なのでまだまだ下手くそで、当然僕の方が上手いが、口だけは達者です。カップインしたら「ナイス!」なんて声を掛けてくれます。
長男は、クラブハウスで10ドル分のゴルフボールをカゴいっぱいにもらってきて、パターエリアの横の打ちっぱなしエリアにバッグを抱えて行きます。お嫁さんと2人で、打ちっぱなしに興じています。僕と家内は、こうちゃんのハイハイとりょうくんとのパターで楽しい時間を持ちました。ここはパブリックコースで、会員になっています。1ラウンド18ホール・15ドルと安いので、ゴルフにハマって暇な時は友達とここに来て、ラウンドしているようです。
日本のゴルフだと1日仕事になりますが、近いし空いてることもあり、午前中に18ホール回れるそうです。昼食には帰宅し、午後は家族と過ごしているようです。アメリカのお父さんは、家族との時間を大切にするから、休日でも自宅で過ごすことが多いそうです。
30分ほど遊んで帰宅し、お風呂・夕食して、20時に寝ちゃいました。アメリカ旅行2日目終了。

2017/9/19火曜日
2時に目覚めちゃいました。居間に降り、日記を書いて時間を過ごしました。前日に食べたプレーンヨーグルト907gの残り半分を、ブルーベリージャムを入れて食べながらです。あ〜至福の時間。
「朝の散歩で家内が起きて来るまで」と思っていましたが、1日目より早く寝たのに、もっと遅く起きてきました。眠り姫です。6時頃、お嫁さんが起きて来た気配で、2Fで洗濯機の音がし始めました。その後、朝ごはんを作りに1Fキッチンに降りてきて、あれやこれや。ダイニングテーブルでPCしながら、お嫁さんとあれやこれや話します。気さくで話しやすい、長男には勿体無い良いお嫁さんです。洗濯物に行ったり、子供たちを着替えさせて居間に下ろしてきました。ここでPCを終了し、孫達と遊んでお嫁さんのサポートです。家内も降りてきて、あれやこれや。りょうくんがTVを点け、朝の子供番組を見ています。トランプやトーマスシリーズおもちゃで遊んだり、カーズ仲間を動かしたり、楽しい時間です。
幼児番組といえど、アニメの会話スピードが早く、しっかり理解出来ません。画面下隅に文字表示もされるのですが、家内と2人でギブアップ気味です。りょうくんはみんな聞き取っており素晴らしい。アニメに合わせ、「イエーイ」なんて言ってます。
朝食の用意がダイニングテーブルに並んだところで長男が起きて来ました。ネクタイはしていませんが、会社に行く服装です。食べ終わり、日産で会社に向かいました。AMミーティングで、昼食には帰ってくるそうです。
9:56、お嫁さんの運転するJeepで家を出ました。10:10ショッピングセンターに到着。食材などの買い物です。「BARNES & NOBLE」と言う本屋さんに入ります。まずは奥のおもちゃコーナーに行く。プラレールがあり、幼児が遊んでいます。家内が2人の世話し、お嫁さんが次男の子すみれちゃんへの本を選んでくれます。僕は、文庫本がない、髪質がアメリカのそれらしくイマイチな大人向けの小説やその他もろもろを見て回ります。家内に呼ばれて戻ると、お嫁さんが選んでくれたすみれちゃんへの3冊の絵本を見せられ、「これなんかがいいと思うのですけど。1冊は私からで、もう1冊はお父さんから」と。3冊とも甲乙つけがたく、「じゃあ3冊買おう、あと弟の子りっちゃん、甥姪の子たちにも買ってあげたいんだけど」と、お嫁さんと2人でそれぞれの年齢に合わせたコーナーで物色開始です。
お嫁さんのお陰で、良いお土産が出来ました。レジに行こうとすると、「従兄弟にも叔父さん叔母さんにも、こうくんの1才誕生祝いをもらってるのにお返し出来ていないので、私達にかわさせて下さい」とのことで、OKしました。出発前日に伊丹空港で1000ドル両替して持ってきているので、余ったドルをみんなお世話代として置いていくつもりなのでいいでしょう。
家内と「長男一家からのプレゼントだと言って渡そう」と決めました。30%・40%オフコーナーがあり、安価な文庫本がないかわりに、通常書籍がプライスオフされています。知育玩具と言うくくりなのか、レゴも売っています。僕の子供へのプレゼントは、本とレゴばかりだったので、こういうお店には好感が持てます。店の奥にユーティリティ・スペースで、本の読み聞かせをやっていました。書店員が「始まるよ」と声を上げます。適当に親子が集まってきたところで、なんと生子ヤギさんが書店員に抱えられて登場です。
これには驚きました。でも幼児たちは驚いておらず、いつものことのようです。ヤギさんのお話でした。お嫁さんからの写真で、近所の図書館での読み聞かせによく参加することを聞いています。りょうくんを呼びに行きましたが、プラレールの方が良いそうです。
車に乗ってドラッグストアに移動です。途中にプリスクールがあるそうで、11:04外観だけですが、りょうくんお気に入りのスクールを見せてもらいました。
11:10、お店に到着。大きな手押し買い物かごに2人を乗せます。バナナが、小物アクセサリーのように、3本パックでフックに下げられています。食器洗い洗剤を買いましたが、アメリカンサイズででかくて重いのばかりです。Tideを買いました。家内がご近所さんへのお土産にコーヒーとチョコレートを買うというので、そのコーナーへ。お嫁さんに好みを伝え、選んでもらいました。
アメリカは、日本のように商品管理が行き届いておらず、全品しっかり手にとってチェックしないと破れている商品などもあるそうです。店員さんが商品だしをしている通路を入って行っても、お客さんのために避けるということをしません。家内が「イマイチ親切じゃないね」と言うと、「日本の「お客様第一」は世界一で、世界では特殊な国なんです。だからアメリカでは、力強く主張しないと生きていけないんです」とのこと。衣類やロードバイク・玩具まで売っています。
同じ駐車場内を車で移動し、「Wegmans Food Markets」へ。ここのショッピング・カートは、電車や車型で、2人は大のお気に入りだそうです。いちごパックを買いました。粒がでかい。天井にNゲージレースが設置され、列車が走っています。子供たちは見上げて喜んでいます。スーパー自家製ピーナッツバターを売ってる。チョコの量り売りがある。ミルクがでかい。僕用のプレインヨーグルトを買いました。「Stonyfield ORGANIC Whole Milk SMOOTH&CREAMY Plain 907g」どんな味かな?
車で自宅に戻ります。ウィークデイなので、黄色いスクールバスとたくさんすれ違います。りょうくんが「スクールバス」と大喜びしています。「スクールバスは黄色ばかりなの?」と聞くと、アメリカで免許取る時、法令に「スクールバス」優先で、停まっていたら時速5km/hで走らないといけないと決まっているそうです。だから業者さんもわかりやすくするため全て黄色塗装にするそうです。
12:12住宅地に戻ると、また大型トラックがパブリック駐車場入っており、清掃作業中のようです。自宅前の落ち葉や除雪までしてくれるそうで、住宅地として契約しているのでしょうが、綺麗で清潔感のある住宅地が保たれています。
12時までミーティングだった長男が帰宅し、みんなで昼食。7人乗りレンタカーを借りてきました。「DODGE GRAND CARAVAN」です。GEORGIAナンバーでした。ジョージアはフロリダ州の北で、サウスカロライナの南なので、ニュージャージーよりかなり遠いです。ミーティング後、レンタカー屋さんでチャイルドシートを2つ付け替えて帰宅したようです。
13:30出発。トイザらスのお店が見える。9月にアメリカトイザらスは破産申請したそうです。知りませんでした、日本法人はどうなるのだろう・・・。{Red Roof inn」がありました。ロードサイドBBチェーンだったと思います。
14:58、最寄りの大都会フィラデルフィアに着きました。駐車場横に城壁のような塀があるなと思ったら、「Eastern State Penitentiary(イースタン州立刑務所)」という監獄史跡で、アルカポネが収容された刑務所だそうです。
刑務所正門前のカフェは、刑務所に似合う佇まいで、昔なつかしなボンネットの広いフルアメリカンサイズのセダンが停まっている。受付には音声案内セットがあったが、日本語はないので長男のみ借りた。
全体図を見ると、放射状に独房が並ぶ構造になっており、イギリス国旗みたいです。家内が「なんか怖い」と言いながら独房を覗いています。TVドラマ「プリズンブレイク」みたいな2階建て構造の房もあり、雰囲気満点です。
アメリカの監獄形式には、フィラデルフィア形式とニューヨーク形式があり、フィラデルフィアは作業や運動場で、囚人が顔を合わすもので、ニューヨークは隣に誰がいるのかもわからない囚人同士の交流がないようです。フィラデルフィア形式が広がっていったそうです。映画で見るのは、フィラデルフィア形式ですね。バスケットボールチームの写真があり、各チーム対抗戦などがあったそうです。脱獄に失敗し捕まっている写真もあります。シーツを割いてロープにしていたとその写真もあります。資料室を覗く。
「PRISONS TODAY」という部屋があります。囚人の数が増え続けているそうです。老人や女性がより増えているようです。りょうくんに「悪いことしたら、こういう所に入れられ出られなくなるんだって。怖いね〜」とお嫁さんが説明しています。神妙に見ていました。
コストのことが書かれていました。「学生vs囚人 公立ペンシルベニア州立大学学生1人当たり16000ドル。ペンシルベニア州刑務所囚人1人当たり42000ドル」。「Beyond Capone:Prison Gangs Then and Now」「Al Capone's Cell」があります。アルカポネが収容された部屋は、部屋の大きさは同じですが、調度品が豪華です。ギャングの顔写真をめくると罪名とか書かれているので、「興味ある〜」とお嫁さんがめくって読んでいます。家内は囚人写真の体格の良さに、「怖いわ〜」。ストアがありましたが、ここでお土産を買うのも、なんだか。
監獄を出て車に向かっていると、レンタルバイクのトラックがいました。レンタルステーションがあり、自転車の補給や回収をしているようです。この手のレンタル自転車は、業として成り立っているようです。
4:26、駐車場に車を置き、「INDEPENDENCE VISITOR CENTER」に行きます。フィラデルフィアは、ペンシルベニア州にあり、川を挟んで対岸はニュージャージー州です。アメリカ独立時の中心都市で、首都がニューヨーク〜フィラデルフィア〜ワシントンと移っていった。
「Independendence National Historikai Park」内の「Liberty Bell Center」に入る。入口で空港同様の持ち物検査があった。バッグをプレートに載せ検査機を通し、身体もゲートをくぐる。ワーキングシューズが反応し、金属や危険物を持っていないか聞かれたので、「No,I have」と答えたらちょっと笑われた。質問されている時Yes or Noで答えなきゃと思いNoが先に出ましたが、「I don'thave」が適切だったのかも?家内は、マフラーや羽織モノまで脱がねばならず慌てていました。
古い鐘があり、人気のようで入れ代わり立ち代わり写真撮一緒に収まっていました。長男が声を掛け、僕達も家族写真に収まりました。独立宣言時に鳴らされた鐘だそうです。独立記念館・国会議事堂などが見えます。
ペンシルバニア州といえば、子供頃の「人生ゲーム」で馴染みがある州名です。アメリカのお金持ちと言うイメージです。独立戦争激戦地やアメリカ発祥の地として、アメリカ人のルーツに響く土地なのかもしれません。2連バスなども来ており、人気の観光スポットのようです。
もちろんアメリカ国旗・星条旗が目につきますが、観光地に限らず国旗がよく揚げられています。僕は祝日に日の丸を家に掲げる人ですが、日本では「日の丸=戦争=右翼街宣車」のイメージが強く情けない思いをします。世界一の長い歴史を紡いできた日本をもっと誇りに思わなきゃ。
ベンジャミン・フランクリンのあれやこれやがパネルで紹介されています。自由の女神パネルや「We can do it」顔空きパネルがあり、顔出し写真を撮ります。映画「ロッキー」のシルベスタ・スタローン人形があり、りょうくんが同じポーズを取りました。
5:57「La COLOMBE」というカフェに入り、コーヒーブレイクをしました。車に戻りデラウエア川を渡ります。下には以前長男家族で行ったフィラデルフィア水族館が見えます。アメリカは左直事故(日本の右直事故)を防ぐため、外側レーンからぐるりと道を交差で越えるようになってる所が多いです。そんな関係なのか再びデラウエア川を渡り直し、17:59野球場。
フィラデルフィア・フィリーズの本拠地で、対戦相手がロサンジェルス・ドジャースです。テキサス・レンジャースから7月にドジャースに移籍したダルビッシュ有が先発です。アメの天気予報でしたが、アメリカの予報は日本よりずっと当てにならないようで、昼間晴れ間も見えていたので、チケットをネット購入してやってきました。メインイベントが大リーグ観戦で、独立記念館は時間つぶしでした。ところが車に乗って走り出したら雨が落ちてきて、今はしっかり雨です。長男は帰ろうか迷っていますが、お嫁さんの見ている天気予報サイトの「19時から曇」に神頼みしています。僕らは日本から寒かった時用に持ってきたカッパがあり、傘も数本車に積んできたので、雨さえ上がれば何とかなります。
駐車場に入れたところで雨脚が強まり、傘を差さなきゃダメ状態になったので、しばらく車の中で待機です。横には「Lincoln Financial Field」があります。ここはアメリカンフットボール場だそうです。「Citizens Bank Park」というのが野球場の方で、企業のネーミングライツ・ビジネスが盛んですね。
18:30、試合開始30分前になったので、カッパ・傘で武装しいざ行かん。雨も小降りになりました。ポリスの白い車が数台入口に待機しています。ここでも持ち物検査がありました。また僕は靴で引っかかり、金属検査機を身体に当てられる個別検査になっちゃいました。まあ何なんくスルーし球場に入ります。
ここの球場は、地面と同じ高さが1階席と2階席の間で、更に階段を登って3階席になっています。ショップでりょうくん用にグリーンのフィリーズのPマークの入ったキャップを買いました。ここからのフィールドが見えるので、雨が止まなかったらここで観戦するのもいいね。ウィークデイで雨なので、ナショナルリーグ西地区首位を走るドジャースを迎える試合だけど観客は少ないです。
ダイヤモンドは、雨避けの白い大きなシートに覆われています。ラッキーなことに雨が止みました。3階席最前列という良い場所でした。フィールド全体を眼下に見下ろせます。試合開始時間を遅らせたのか、7時になってもオープニングセレモニーが始まりません。地元高校生のブラスバンドやチアリーダーのバトンが始まり、雰囲気が盛り上がっていきます。フィリーズの選手紹介やオフィシャル紹介が、ホームベース手前で始まりました。バックスクリーンの大画面でも大写しになっています。
8:21、ホームベース上で審判と両軍監督のブリーフィングが始まりました。試合開始です。イニングの攻守交代の合間のスクリーンに大写しされる観客が盛り上がります。長男がアメリカンサイズのホットドックを買ってきてくれ、夕食にしました。ここでもお客さんにお願いし、家族写真を撮ってもらいました。試合は2・3回にドジャースが1点ずつ取り、ダルビッシュは5回まで無失点で、5回終了時2-0でドジャースリードの状態で帰宅することにしました。
エレベーターホールに入ると、車椅子の男性が付き添いの男性に押されながらやって来ました。僕がドアを開けて待っていると、「Thankyou. Nice Japanese pitch.」と親指を立てられました。どうして僕が日本人ってわかったんだろう?アメリカには、中国人や韓国人の方が多い思うのに何故かな?とお嫁さんに聞くと、「私達もよく日本人と言われます」と雰囲気でわかるのかな?との答えでした。
21:15に車に戻り、帰路につきます。車で寝てしまい、帰宅して風呂に入り、少し遅く22時台に寝てしまいました。ベッドに横になると、一瞬で寝落ちしました。アメリカ旅行3日目終了。

2017/9/20水曜日
3時に目覚めました。1Fダイニングテーブルで日記を書いて楽しみます。朝のお散歩を考えていましたが、家内が起きてこなかったので出来ませんでした。6時半頃からお嫁さんの活動しだす音が聞こえてきて、7時に階下に降りてきて朝食作りが始まります。7:30りょうくんのお弁当が半分できました。今日はプリスクールに行きます。一緒に送って行くのが楽しみです。
朝食を取り、8:30りょうくんのプリスクール準備が整いました。次男夫婦からプレゼントされたリュックがいつものスタイルです。ポロシャツはポロブランドで、胸のポロマークがかっこいい。肩には3番とプリントされています。昨夜フィラデルフィアで買ってもらったフィリーズキャップを早速被って行くようです。「お友達に見せるんだ」と張り切っています。
みんなで車に乗り、8:59プリスクールの駐車場。写真で見ており、前日も前を通りましたが、一緒に入っても良いようなので楽しみです。りょうくん・お嫁さんと一緒に玄関を入り、横の詰め所にいる先生に挨拶します。お嫁さんが僕らを紹介してくれます。出入管理のためか、タッチパネルに暗証番号とサインをしています。
りょうくんはプリスクール大好きなので、お友達に声を掛けてどんどんクラスの方に入っていきます。インド系の少し大きな子が、行くのを嫌がっているようで、送って来たお父さんと離れがたくしてしています。こういう時もあるよね。
9月から昨年より1クラス上がって、「PriK」クラスになりました。去年は初めてのアメリカの子が入るクラスで、りょうくんのような子が他に数名いたようです。今年は英語の実力も考慮されてのクラスで、順調に英語力を付けたりょうくんはクラスが上がりました。去年のクラスには日本人が3人いましたが、1人はシンガポールからお父さんの転勤でやってきた子がおり、もう英語がペラペラなので別のクラスになったそうです。あとの1人は、長男と同じ会社の同僚の子なので、休日のプライベートでも遊ぶことが多いそうです。
りょうくんのクラスのガラスドアにはイルカのマークが貼ってあり、1つに1人クラスの子の名前が書かれています。クラス入口には、「Pre-K is・・・」とこの日のメニューが書かれています。天気が良いので、「Outside on the Playground」「In the Gym」と書かれています。室内ジム室(プレイルーム)があったり、その他特別室が充実しています。
廊下の壁には、教師全員のプロフィールが壁に張り出されています。女性の先生ばかりですが、皆さんかなりの高学歴です。すれ違う先生はオシャレで、街なかでかなりの確率で見かけたファットな女性は1人もいません。廊下で「Hello」とか「Hi,Ryo」とすれ違う先生から声を掛けられ、英語で返しています。教室に入ると、先生がホワイトボードに買いてお話していました。りょうくんはリュックをお嫁さんに渡し、先生の前の席に着きました。
お嫁さんは、リュックをりょうくんのロッカーに入れ、クラスを出てお弁当をお弁当室に持っていきます。昼食時に温め直して出してくれるそうです。再び先生に挨拶して外に出ます。プレイグラウンドを見て、車に戻ります。長男はこうくんとお留守番してくれていました。
ニューヨークに向けて出発です。僕はこうくんと一緒に3列目座席に座ります。車窓を写真に収め、こうくんと遊びながら高速道路を走ります。長男とお嫁さんは運転席と助手席で、あれこれ楽しそうに話しています。英語を日常使う仕事をしてきたお嫁さんなので、お嫁さんがスマホで調べたことを話しながら、楽しそうに話しています。海外勤務になり、長男も心強いでしょう。最高・最強のお嫁さんです。僕らも安心し信頼しています。
10:44ニューヨークに着きました。さすが世界の中心の大都会、高いビルが立ち並んでいます。でも道路はイマイチで、高速道路でも感じまじたが、日本の方がずっときれいな路面です。2F建てバスが走っています。「City SightseeingNewYork Empire State Building・Harlem・Central Park・・・」と書かれています。クリスマス休暇で長男一家も乗ってた市内観光バスです。
車をブロードウェイの駐車場に入れます。狭いスペースに詰め詰めで車が並んでいます。係の方にキーを預け、係の方がお客さんの帰ってくる時間に合わせ、パズルのように出し入れするようです。
ブロードウェイのミュージカル劇場前を歩きます。去年の正月劇団四季大阪公演で、次男夫婦と観た「ライオンキング」、「THE PHANTOM OF THE OPERA/オペラ座の怪人」「アナスタシア」などなど。お嫁さんは先月、友人と「ウィキッド」を観たそうです。長男も定期的にミュージカルを観に来ています。お値段は150ドルほどだそうです。劇場に入ると華やかなのでしょうが、外は何でもありな雰囲気があり、お洒落なレストランやカフェがあるかと思えば、路地裏も隣接している感じです。
長男たちの後を追って歩きます。黒塗りのロングセダンの前に、服装をバッチリ決めた体格の良い黒人の方が立っています。ギャングのボスが横のレストランでランチをしているのを待っている風・・・映画やドラマで見た光景が目の前にあります。アメリカ国旗を掲げるビルが多く、「アメリカ」を意識します。
イエローキャブが走り、Fedex・UPSのトラックが配送しています。バイク便が横を走っていきます。車が多く信号も多いので、ここでは自転車配送が最強かもしれません。東京では自転車よりモーターサイクル便の方が速いと思うが、ここでは自転車に軍配が上がりそう。露天があちこちに出ており、バッグ・Tシャツ・キャップなど販売しています。屋台が路上に停まり、ファストフードを商っています。
家内は「なんか怖い」と言っています。皆さん颯爽と歩き、田舎モンの僕ら夫婦は体格でも雰囲気でも圧倒されています。158cm竹久夢二が描くような細身の家内は、子供にしか見られないかもしれません。お尻なんて家内の3倍はありそうな女性がザラにいます。慣れているからか、前を歩く長男夫婦も堂々として頼もしい。
ふいに教会がありました。「SAINT MARY TIMES SQUARE SUNDAY・・・」と曜日時間ごとのメニューが書かれています。長男がスタスタと入っていきます。外の喧騒とは様変わりで、パイプオルガンの旋律が流れ、神父さんが祭壇におり、席には数人の方が静かに座っています。手を合わせている方もいます。高い天井を見上げ、ステンドグラスを見ると、横にパイプオルガンがありました。十字架を背負ったイエスの絵画や、十字架にかけられたイエスの彫刻があり、カソリック教会であることを教えてくれます。横の小部屋にも祭壇と座席があり、聖書が置かれています。
出てから「こんなとこにカソリック教会があるなんて知らなかった」と、長男が言っています。「HABANA Central RESTAURANT & BAR」。
11:28、僕らのようなニューヨーク観光のお上りさんが行く「Times square」。「Cat's」「SCHOOL ROCK」「WAITRESS」などのミュージカルの宣伝看板がありますが、中国企業の看板も多い。日本企業の看板を写真で見た時期もありましたが、今や中国なのでしょう。
ブロードウェイ・ミュージカルのテント販売所があり、市内観光バスチケットを手売りする販売員が、寄ってきます。家内が「No Tyankyou」。僕がパチパチ写真を撮っていたからでしょう。「Could you take a photo of me?」とインド人風の若者から声を掛けられました。「Sure」と答えたら、横から長男がサポートしてくれ、「One two three パシャリ」を3回していました。スマホだったので、操作に不安があったから、変わってくれて良かった。
すかさず僕らの写真も撮ってもらいました。「パシャリ Onemore パシャリ」、「インドからの旅行者だって」と短時間で会話した情報を教えてくれました。長男は夏休み中ですが、時々仕事と車修理の電話が入り、流暢な英語で応えています。TOEICも960点とかネイティブ以上の点数を出します。小学生時代、楽しくこども英語教室に通って、大学に入りライフルクラブで外人ナショナルチームコーチの運転手などし、海外旅行にも行っていました。会社に入り海外出張をこなしながら磨かれたようです。もともとお喋りなので、語学は早く上達する素地があります。会話なんて、おしゃべり好きの方が得意に決まっています。
ユニクロのお店がありました。カタカナの店名「ユニクロ」が新鮮です。お土産物屋に入りました。お嫁さんが冷蔵庫につけるマグネット・イエローキャブを買っています。こうくんに持たせました。
「SHAKE SHACK」というカフェに入りました。長男お任せで、ハンバーガーとドリンクを食べました。注文して席で待っていたら、番号を呼んでくれ、グループ全員の注文品が載ったプレートを持ってくるシステムです。「あ〜、ドリンクのサイズが大きかったな」と長男が言っています。確かに僕と長男のジュースはアメリカンサイズです。
11:54「SHAKE SHACK 300 West 44th Street」Host:Patricia 「ShackBurger5.55×2 DBL ShackBurger8.35 Smoke Shack6.99 cheese fries3.99 LRG Lemonade3.6×2 Cold Brew Cup of Ice4.79 =42.42+Tax3.77=46.19」。チップは1ドルが相場のようです。
家内がトイレに行ったと思ったらすぐ戻ってきました。「トイレのドアってどうやって開けるの?」「あ〜ゴメンごめん、レシートに書かれた番号を打ち込むんだ。レシート持って行って。トイレを借りるだけの人を排除するためなんだ。繁華街のお店には、時々あるんだ」。面白そうなので、僕も行ってみました。男女別になっておらず、個別ドアにテンキーが付いています。日本でもあるのかな?店内から外を見ていると、交通標識ポールに自転車をロックして行く方がいます。戻って走っていったらまた1台、更に1台とこのポールは大活躍です。聞いたことのある「MILFORD PLAZA」ホテルが見えます。
車に向かっていると、「NYPD」と大書きされたニューヨーク市警の小型三輪カーが時々見かけます。このサイズなので、駐車違反を主な仕事にしているのかもしれません。「MICHAEL MOORE ON BROADWAY」と書かれた電光掲示板が、ブロードウェイの劇場に上がっていました。反トランプを映画ではなく、劇場で直接国民に訴えているようです。素晴らしい3次元絵画?を売っています。値段が書いてありませんが、手間がかかっているのでとても高そう。
駐車場に戻って来ました。精算機で精算し、「Please wait here to retrieve your vehicle」で待ちます。係員にチケットを見せて車を待ちます。移動します。1:08「CIRCLE LINE」。「自由の女神」観光船船着き場です。長男もお嫁さんも乗ったことがあるそうです。お嫁さんは仕事で乗ったようです。お客さんに説明することもありそうなので知識として必要ですね。
「LUCKY STRIKE」というボーリング場がありました。シルベスター・スタローンほか有名人のサインの入ったボーリングピンが展示されています。船着き場横には、USNVアメリカ海軍の空母が退役展示されており、甲板にカラフルにカラーリングされた戦闘機が載っています。観光客が甲板を歩いているのが見えます。予約した乗船時間まで時間があるので、椅子に腰掛けて待ちます。「BEAST」と書かれた如何にも速そうな船型の船が帰ってきました。2F建てバスがバスストップにやってきて観光客を下ろしていきます。家内に誘われ、僕は空母の方に探索に行きます。レンタルバイクステーションがあり、屋台がファストフードを売っています。ハドソン川の対岸の住宅地に素敵な家が見える。
14時になったので、列に並びます。14:10乗船開始。ここでもセキュリティ・チェックがあり、また手提げとカメラをプレートにおいて通し、僕のワーキングシューズが引っかかる。もう慣れたので両手を広げタイタニックポーズをして、探査機でチェックされる。後ろを向こうとしたら、もう良いとのこと。
2Fオープンエア席に座る。3F席もあるけど、上がる階段にロープが掛けられ係の方がいる。追加料金が必要なのでしょう。船内アナウンスが始まる。やはりプレミアム席のようです。アテンダントがドリンクを配っていました。14:30に出港。男性アナウンサーが、「右をご覧ください・・・」と言う感じで、ずっと喋っている。年配の方の声で、好感が持てます。
ハドソン川を下って行き、マンハッタン島の有名なビルが一望できます。特徴的な古風なシルエットのエンパイヤステートビルが目立つ。ワールドトレードセンタービルがひときわ高い。長男によると、旅客機テロで崩れたツインタワー跡は、まだ2つの穴が開いたままだそうです。建設中の高層ビルも数棟見え、街が生きています。
対岸のニュージャージー側にもいい感じのビルが見えます。リバティー州立公園の建物が素敵です。景色に見とれ、ウロウロして写真ばかり撮ってて、ふと長男夫婦を見ると、長男がお嫁さんの肩に頭をもたれさせて、目を閉じている風です。お嫁さんはこうくんを抱っこひもで抱っこしつつ、ケープで隠しながらおっぱいをあげています。よく喋り、笑顔で家族をグイグイ引っ張ってる長男ですが、このお嫁さんを大いに頼っているんだなとわかりました。
お嫁さんによると、長男は同期の出世頭だそうです。1年先輩の同じく出世頭さんがアメリカの家に来た時、その奥さんが「あいつは凄いわ」と先輩が長男のことを言ってるとお嫁さんに教えてくれたようです。史上最年少で経営戦略室に抜擢され、担当実務と会社全体経営の舵取りの2つのわらじを履いています。副社長がアメリカにやってきた時は、極秘にゴルフに誘われ、みんなが仕事をしているときにコースを回っていたようです。
仕事ができるから仕事が増えるのだけど、それもこなしながら家族には笑顔で、マメに子供たちと遊び、定期的に家族旅行をしています。お嫁さんが褒めてくれる長男が、お嫁さんに甘えている・・・。良い夫婦だな。
ニュージャージー側にエリス島が見えてきました。イギリスから逃げてきたピューリタンが最初にアメリカ大陸に上陸した地です。飛行機がなかった時代、ここが移民の玄関口でした。歴史博物館でも建っているのでしょう。良い雰囲気です。続いて「自由の女神像」が見えてきました。ウィークデイなのでお客さんは定員の1/4程度なので、みなさん自由に移動できます。女神像をバックに、あちこちで家族を写す人がいたり、自撮りで自分やカップルを同じ構図に収める人がいます。家内は席から立ちませんが、満足そうに微笑んでいます。
ここから船はUターンです。サークルライン観光船のコースは、3時間・2時間・75分・ビースト最速ボートでのスリル満点30分など7コースがあります。僕らが乗ったのは「60分コース」です。
帰りは向かい風になり、実感10m/sの風を受けます。家内が「うわあ〜すごい風〜」と髪を風に吹き飛ばされています。長年連れ添った方ですが、とても素敵です。また惚れちゃうね。
マンハッタン島の摩天楼を横目に楽しんでいると、ゆっくり走っている高速船ビーストを追い抜きました。お嫁さんが「家族写真を撮ります」と、僕のカメラで3人の写真を撮ってくれました。3:21桟橋に戻ってきました。
高層ビルの間を抜けることで更に強くなったビル風の中を駐車場に戻ります。夕方の帰宅ラッシュが加わった渋滞の中、ゴーストップを繰り返しながらハドソン川をくぐるリンカーン・トンネルに。トンネルに入り車線が少なくなるとスムーズに走り出します。この車線減少によって渋滞が発生していたようです。
ニュージャージー州に入ると、景色は自然いっぱいになります。「ガーデンステイツ」と呼ばれているのがわかる。左手に東京ゲートブリッジに似た構造のトラス橋が見える。右手にもう一つのニューヨークの空港「ニューアークリバティー空港」が見えてきました。
プリンストンに戻り、お嫁さんをスーパーに下ろします。プリスクールに寄り、りょうくんをお迎えします。タイミングによって、お友達との遊びが楽しくて待たされることもありますが、テーブルで何かを書いていたところだったようで、すんなり。りょうくんからお友達を紹介してもらいました。
5:43レンタカー会社駐車場に行き、日産セントラにチャイルドシートなどを載せ替えます。長男が返却手続きに行っている間セントラのキーを渡されましたが、米国免許がないので動かせず残念。
帰宅し、僕らは家に入り、長男がおよめさんとこうくんをスーパーに迎えに行きました。シャワーで体を洗い、居間で孫達と遊び、夕食を食べて20時頃ベッドに入りました。アメリカ旅行4日目終了。

2017/9/21木曜日
3時からダイニングに降り、PC日記を書いて楽しみます。7時になりお嫁さんが降りてきて、孫達が降りてきたので切り上げ遊びます。生まれた時に会っただけで、ほぼ初対面だったこうくん1才もすっかり僕に慣れ、僕を指差して高速ハイハイで寄ってきてくれます。僕の懐に入りカーズやトーマスシリーズのおもちゃを持ってきて、「ゼンマイを巻け」だとか「あっちに連れていけ」だとか、しっかり要求してきます。この子もりょうくんに似て社交的そう。
8:26、朝食を終え2Fの部屋で着替えながら窓の外を見ていると、塀の外の森の地面に尻尾のフサフサしたリスがやってきました。家内が見つけた時僕は見れなかったので、ここで見れて良かった。食後のコーヒーを飲みながら、お嫁さんとの会話を楽しみます。結婚式でもらったという素敵なデザインのカップルコーヒーカップをぼくら夫婦用に使ってくれました。裏には「Villeroy & Boch 1748」と書かれています。
調べると、『フランソワ・ボッホにより、マイセンに遅れること39年後の1748年に、現在のフランス・ロレーヌ地方に創業した。その後、ルクセンブルクにも工場を設立し、ハプスブルク家の援助を受け、王室御用達の窯として発展する。1836年、同業者でありライバルでもあるビレロイ家と合併して「ビレロイ&ボッホ」となり、ドイツに本社を構える。以後工業化を推進し、いち早く機械化と量産体制を堅め、マイセン、ロイヤルコペンハーゲンに並ぶ世界三大陶磁器メーカーの一つとなる』とのことでした。
孫達が着替えてきました。家内がプレゼントした「新幹線ドクターイエロー」のお揃いのTシャツです。9:59、りょうくんが「お出かけするまでの時間、キックスクーターで遊びたい」というので、家内と3人で外に出ました。りょうくんのキックスクーターは速く、僕は駆け足です。家内が遅れて着いてきます。
公園までの手前(風船の口)で曲がり、風船の縁をたどる帰路コースに入ります。りょうくんからの指示です。舗装路がしっかりついているのですが、家々に塀がなく、芝生に家が建っている感じです。芝生は住宅地一括で管理され専門業者に外部委託されているから、毎日のように芝生や植木・落ち葉の手入れがされています。「川があるから、小さな森に入ろう」とのりょうくん指示で住宅地内の森に入っていきます。
住宅街全体図的に川などありそうもないのですが、小さな冒険です。お嫁さんの話では、7月にホタルが飛ぶそうで、自宅の窓に止まり点滅するそうです。日本のホタルと違い、ほのかに光るのではなく、はっきりしっかり元気にピカピカ光るそうです。ホタルが発生するためには近くに綺麗な水源があるはずです。家内がどうせ僕らが出てくるだろうと舗装路で待っていましたが、風船の輪郭の中央と中央を結ぶコースに行くというとこで、家内を呼びに行きました。家内はこうくんをベビーカーに乗せて押しているので、ベビーカーで芝生に突っ込みます。他所の家の裏側の塀に沿って歩き、森からでて再び住宅の間の芝生を通って、往路の道に出ます。
家に戻ると、長男たちの準備が出来ていました。10:11、そのまま車に乗り込みます。
11:25「農場」。ウィークデイなのに、多くの車がいます。禁煙マークがある。「APPLE PICKING?」の案内が出ている。花を売ってる。そして収穫祭に向けてのかぼちゃが大中小サイズに分けられ並べられている。スイカやメロンも並んでいます。ここは、りょうくんが好物のアスパラガス収穫体験をしたり、収穫祭のかぼちゃを買ったりしてるお気に入りの場所です。りょうくんが使われなくなったトラクターなどの農業機械に乗り込み運転している。その横にコーンの自販機がある。りょうくんが、「餌やりする」と言うので、自販機から餌(とうもろこし)を買って、馬・やぎ・羊・七面鳥のいる放牧場へ。
金網越しに餌をやることが出来ます。渡米する前の2016年正月の「神戸どうぶつ王国」では、怖くて餌を手渡しで上げられませんでした。大型ブランコに、家内とりょうくん3人で乗ります。いろんな野菜が植えられており、「Parsly」(パセリ)など今更ながらスペルにびっくり。
長男が「Apple Cider」とドーナツを買ってきたので、テントの下のテーブルに座って食べます。アップルサイダーとサイダーの名前が入っていますが、炭酸飲料ではなく、フレッシュジュースでした。
MAZEがありました。膝下程度の高さの干し草ブロックを組み合わせた迷路で、大人なら上から見れば正解が見えます。りょうくんは喜び、「Race」だと走り回っています。続いて、「CORN MAZE」がありました。こちらのコーンは3mほどの高さがあるので、難しそう。横にはアップル畑が広がり、「No Picking」エリアもあります。
「CORN MAZE」にGO! 「Please do noto Pick The Corn」と書かれています。ここの看板は、如何にも手作りで親しみを感じます。ベビーカーのこうくんとお嫁さんを置いて、迷路に入ります。りょうくんが先頭で、「あ〜行き止まり〜」や分岐を別の道を行った僕に鉢合わせしたりしながら、ワイワイ進みます。楽しくクリアし外に出たら、入口から100m以上離れています。
面白かったようで、「ママも行こう、僕についてきて、教えてあげるから」と張り切っています。僕らがこうちゃんとお留守番して、3人で迷路に突入していきました。僕らはこうちゃんと迷路に沿って出口の方に歩きます。3人の話し声で現在地を探りながら歩いていると、時々コーンを隔ててりょうくんが見えます。こうちゃんは「ママ」とママを見つけて喜んでいます。
横に「いちご畑」が広がっています。かぼちゃ畑が広がっているので、力自慢に大きなかぼちゃ持ち上げに挑戦です。大きさの割に軽く感じますが、流石に巨大なのは持ち上がりません。トラクターが無造作に置いてあり、これにも興味をひかれます。鹿が多いはずなのに、獣害よけの柵が農場にありません。森が豊かで餌が多いのかな?
足元には、タンポポの黄色い花と綿毛が広がっている。売店に入ってみます。ジャムやはちみつ、りんごは「FUJI」など、ナシは「Shinseiki Asian Pear」など日本のナシが紹介されていました。Asianではなく、みんなJapaneseなんだけど・・・。ここの農園の名前は「TERHUME ORCHARDS」です。
ナスがでかく、コーンは山積みです。ウィークデイにもかかわらず小学生が多いので、長男が近くの子に聞いてきました。郡内の休日のようです。お嫁さんによると、先生の休日もあるのだとか。
りょうくんのリクエストで、また動物に餌をあげに行きます。「DUCK RACE」と書かれたゲートが置かれています。ここは入場無料農園で、季節に合わせた「・・狩り」があり、動物とのふれあいや売店が楽しく、小学生以下の子を持った家族の良い遊び場になってるようです。トイレに行き、ハンドウォッシュして終了。12:54、プリンストン大学周辺。1:06「PA.DUTCH FARMERS MARKET T」。ここはキリスト教の一派でドイツ系アメリカ人が、電気・電話・車という近代文明から隔絶された自給自足の生活をしている「アーミッシュ」が生産している農産品を売るスーパーです。アーミッシュの村には、車ではなく馬車が走っているとTVで紹介されていました。
アメリカには、禁酒や厳し目の戒律を守る「モルモン教徒」などの集団がおり、懐の深さを感じます。ここで、鳥のもも肉やソーセージパンを書い、「PUREORANGE JUICE」を飲んで昼食。
14:12、プリンストン大学近所に駐車。ここにもニューヨーク市警と同じようなミニカー警察車両がいます。「PRINCETON PARKING NJ」「PARKING ENFORCEMENT」と書かれています。
「HOUSE OF CUPCAKES」と言うお店があります。プリスクールで我が子の誕生日を祝って貰おうとすると、親がクラス全員分のお菓子を用意しなければなりません。その時人気のお店がここで、お嫁さんもここでカップケーキを買い、1/17りょうくんの誕生日を祝ってもらいました。
「small world coffee」と言うお店に入りました。美味しいコーヒーを飲ませるお店です。週末の夜にはライブをしているようで、壁にそのスケジュールが書いてありました。
15:17、長男の会社。公園内に点在するオフィスビル3階建の2フロアを専有しているそうです。駐車場と広い芝生に囲まれ、池には噴水が上がり、素敵な環境です。
15:22「TRADER JOE’S」という食品スーパーに寄ります。「TOHU」を売ってる。僕用のヨーグルトを買いました。チーズやワインの種類が豊富です。日本人に人気らしい派手なデザインのエコバッグが売られている。
16:10帰宅し、キックスクーターのりょうくんの案内で、住宅内公園へ。僕は追いかけて走り、家内はこうくんをベビーカーに乗せて。公園の遊具で遊びます。住宅地内のインド系のお母さんが、お子さんを連れて遊んでいます。帰宅し、夕食を食べて、アメリカ旅行5日目終了。

2017/9/22金曜日
前日の夜23:10、おトイレに起きると階下から明かりが漏れています。僕が居間を最後に退去したので電気を消し忘れたかと階段を降りていき中間の踊り場で向きが変わると、長男がダイニングテーブルで仕事をしているようです。
朝3時に目を覚まし、ダイニングでPC日記を書きます。6:15家内と散歩に出ます。ゴルフ場のグリーンには、夕方になると鹿が来るというので、きっと朝の夜明け時にも来るはず。住宅街のコンクリート舗装歩道の段差で家内がつまずき、膝を打ってしまいました。「痛い〜」、骨などはどうもなさそうで良かった。
19:20「MERCER OAKS GOLF COURSES & CATERING」。6:24、クラブハウス・駐車場手前のコース内の芝生の丘に登ると、コース内フェアウェイに4頭の雌鹿がいました。じっと僕らを見ていましたが、僕が少し近づいていくと、白い尻尾の後ろを見せながらコースを横切っていきました。
住宅地内に戻ると、芝生に散水されています。気づかなかったけれど、自動散水装置がありました。黄色いスクールバスが入ってきて、児童生徒を乗せて学校に向かいます。アメリカの朝、スクールバスがたくさん走っています。あちこちで黄色いバスが目に入ります。
住宅地内道路の制限速度は「15マイル」=25km/hほど。アメリカの道路の制限速度は、日本のそれより高めです。道路が広めで、車線も広め。加えて歩行者や自転車が殆ど走っていないし、原付きカテゴリーのモーターサイクルは皆無なので、安心してスピードを出せるとのことです。でも子供がいると、かなりスピードを落とします。歩行者がいる場合も、すぐ横を追い抜くことはせず、広めに間隔を開け十分スピードを落として抜きます。
一般道路が45マイル、高速道路は80マイル標示が多い。助手席からメーターを見ると、長男も高速道路では80マイル=120km/hで走っていますが、日本の高速道路を120km/hで走っている感覚よりずっと遅く、90〜100km/hの感覚に見えます。車線が広く多いからでしょう。平均的な流れです。それと、トラッククレーンが分離帯で区切られた別レーンになっていることも、運転を楽にしています。トラック&自家用車レーン3車線と自家用車専用レーン3車線が、ドーンと走っています。お嫁さんがキッチンで朝食を作っていたので、キッチンにお邪魔しながら長男の昨夜の仕事のとこを聞くと、「そうなんです、時々夜起きて仕事しているんです。私達のために頑張ってくれているんです」とのこと。朝食時に起きてきた長男は、ネクタイを締めています。午前中仕事に行くようです。
10:34、りょうくん・こうちゃんを連れて、住宅地内公園に行きます。白人のご主人が、お嬢さんと息子さんを連れて遊んでいます。小学生の年齢のようなので、お休みなのかな?りょうくんは、日本にいる時でもお兄ちゃんお姉ちゃんと遊びに行く性格なので、彼らの近くでキックスクーターをしています。ご主人に声を掛けられています。
お嫁さんがやって来ると、時を同じくするように日本人のお母さんとお嬢さんがやってきました。こうちゃんより1学年上の子だそうで、日本人会で親しくしている方だそうです。
愛媛県出身で、島根県出身の旦那さんと神戸の大学で知り合い、結婚してこちらに赴任されているようです。夏休みで日本に帰っていて、こちらに戻ってきたところのようです。お腹が大きいので、どこで出産するのか聞くと、アメリカでの出産を予定しているようです。お腹の子は、自動的にアメリカ国籍も選択できますね。りょうくんが、その子にもキックスクーターを貸してあげていました。11:39「コストコ」。メンバーオンリーのスーパーで、年会費が必要ですが、特定の食材を買うだけでもペイするとお嫁さんが言っています。
サムスンの大型TVが山積みになっています。その横に宝石類、サンタクロース、タイヤ、PC、玩具、そして食料品・・・。カテゴライズされずに、適当に置かれているみたい。
お嫁さんは、パイナップルを1個買っています。「どうやって切るの?」と聞くと、「わたしも最初どうするのか疑問でしたが、コツがあって簡単に切れるんです」とのこと。パーティービスケットが、大きな単位で販売されている。お肉もお惣菜も大きな単位で販売されており、これらを買うだけで、ホームパーティーが簡単に出来そう。
子供服がワンプライスで山積みされており、書籍も売れ筋のみを並べている感じです。韓国製どん兵衛もあった。綿棒が625スティック×3の単位で売ってる。一生で使い切れるだろうか?外に出ると車も売っており、コストコGSは安いようで、車が一杯です。
家に戻り、再び外出。17:07「イタリアン・アメリカン・フェスティバル」会場。家から見ると、ゴルフ場の向こう側に隣接してマーサー郡公園があり、そこが会場です。ゴルフ場も公園も大きいので、車で走って来ないと無理な距離です。「Adult:$5.00、Senior Citizens(65 years of age and older):$4.00、Children(12 years of age and younger):FREE」
アメリカ映画やドラマで見たお祭りの世界です。広い芝生に、移動式のアトラクション系乗り物(メリーゴーランド・観覧車・・・)が並び、食べ物屋台が並んでいます。
長男がポテトチップスとドリンクを買ってきたので、ベンチに座って食べます。その場でポテトをスライスし揚げてくれるようです。ここでカメラマンに声を掛けられました。「家族の写真を撮っていいか?明日の新聞に載せてもいいか?」とのこと。減るもんじゃないのでOK。日本の帰宅した翌日、お嫁さんから僕らの写真が載ったE新聞のアドレスが送られてきました。長男とりょうくんが笑顔でアトラクションに乗っている姿と、僕と長男が食べている後ろ姿が載っていました。アメリカの新聞デビューしてしまったよ。
長男が、乗り物チケット25枚綴り24ドルで買ってきたので、まずはモンスタートラックに長男とりょうくんで乗ります。各アトラクション前に身長棒が立ち、「NO・WITH ADULT・YES」で分けられ、一目瞭然です。
次に飛行機、これは僕とりょうくんで乗ります。レール上の車は誰でも乗れるので、こうちゃん・りょうくん・ママで乗ります。りょうくんは前の席に座り、ハンドルを握って得意気です。別のラウンドカーがあったので、りょうくんとパパが乗る。意外に早く廻り、逆回りもあってスピード満点です。
「ROCKIN' TUG」というスイングボートがあったので、りょうくんとパパが乗ると、スイング以外に自転も加わり、スリル満点で大喜びです。よほど面白かったようで、ママと2回目です。
「CRAZY BUS」に、家内とりょうくんが乗ります。ラウンドアップダウンの動きで、これまた楽しそう。メリーゴーランド式四輪・二輪があり、大人は乗れないので、りょうくんとこうちゃんで乗ります。
ステージ前の大テント下のベンチを確保し、長男が買ってきたホットドッグやピザなどを食べます。ステージ上にメインプレイヤーと思われるおじさんバンドが上がった。イタリアンと銘打っているフェスティバルなので、食材もイタリアンメインだと思っていたが、パスタのお店は1軒のみだったように、バンドも得意はメキシカン音楽のようです。
日が落ちていくと、アメリカンポピュラー音楽を演奏するようになり、ボーカルの方も上手です。ただ服装はバラバラで、田舎の音楽好きの集まりという感じで、あくまでアマチュアのように思う。
少女達が、ステージ前のオープンスペースで適当に踊りだし、りょうくんとパパがそっちに行き、りょうくんの手を取って踊りだす。やがてりょうくんは走り出し、それにつられて同じような年齢の男の子が走り出して追っかけ合う。それをパパが見守っている。
僕らのテーブル席の横の芝生で座っていた黒人一家の小さな女の子の仕草が可愛く、笑顔で見ていると親も気づいてこちらに笑顔を返す。やがて女の子が寄ってきて僕らのベンチに座る。お父さんも来るが座らない。席は半分空いているのに・・・。手の動きや表情で女の子とコンタクトを取っていると、お父さんもニコニコこちらを見る。
僕が子供の頃のアメリカのように、トイレも別、バスの席も別ということはないが、なんとなくエリアが分かれているように思う。テントの下のベンチには黒人グループがいない。僕のカメラで、僕ら家族の写真を撮ってもらった。夕焼けが綺麗に染まっている。明日は晴れそうだ。
8:51会場を後にして帰路に着く。暗くなった道の両側の芝生には、鹿がたくさんいた。「あっ、鹿がいる」・・・目が慣れてくると、あっちにも5頭、こっちにも3頭と、アチラコチラ無数に見えてきた。公園内に鹿がたくさんいそうだが、獣避けネットやフェンスを見ない。森の食物が豊富だからかなあ〜。アメリカ旅行6日目終了。

2017/9/23土曜日
3時に目を覚まし。PC日記を書きながら時間つぶし。トイレが広いので、朝のお勤めのためにノートPCを持ち込んでここでも楽しむ。日課のプレーンヨーグルトも907gの半分食べて、アメリカ滞在6日間で、907gを3つ平らげる。至福の時間です。
7時になり、お嫁さんと孫達が1Fに降りてきたので、家内と僕で着替えさせる。2F自室に上がり、荷物の最終チェック。前日の夜に荷物を詰めていたので、ほぼ階下に下ろすだけ。
朝食(ベーグル・味噌汁・果物・昨夜の残り)を食べ、8:30日産に乗り込み、お嫁さんとこうちゃんに「さようなら、お世話になりました」「良かったら、また来年も来てください」。長男とりょうくんが空港まで付き添ってくれる。
外に出た時、家の前の芝生にシマリスがいました。長男によると、シマリスは珍しく、殆どが尻尾のふさふさしたシマリスの2〜3倍体格の良いリスだそうです。土曜の朝なので、子供達が遊んでいる。
こちらの方は朝がゆっくりで、午前中は11時ぐらいにならないとスーパーにも人が出てこないそうです。自宅で家族と過ごす時間を大切にする方が多く、大人はあまり外に出ないそうだ。
お隣のインド人お母さんがいたので、挨拶した。「Nice to meet you」。高速道路を走り、ハドソン川を渡る時、遠くのマンハッタンの摩天楼がクリアに見えた。やって来た時より視界が良い。JFK空港はニューヨーク・マンハッタン島の北東に位置するので、ハドソン川を海に近い所で渡る。
9:52、「JFK空港・ターミナル1」着。「TO CROSS STREET→ PUSH BUTTON WAITFOR WALK SIGNAL」をりょうくんが押す。「Departures」標示に従い歩いていくとJALカウンターがあり、そこでパスポートとe-チケットお客様控えを見せて搭乗手続きをする。トランクを2つ預ける。
同じ階のその裏に出国カウンターがあり、その列に並ぶ。10:12パパとりょうくんにバイバイし、無事保安検査もパス。お土産物屋さんを覗くと、カッコイイピンクのキャップがあり買おうと値段を見たら20ドルオーバーだった。1000ドル持ってきて、12ドル使っただけで、みんな長男に奢ってもらった。20ドルだけ残し残り全部お嫁さんにあげてきました。50ドルぐらい残しておいたら良かった〜。JALは、エールフランスと同じターミナルのようで、隣の出発ゲートの外にはフランス機が停まっている。映画でよく見る電話機があった。痛み止めのタイレノールや眠気を誘うメラトニンも売っていた。
13:01、JAL005便に乗り座席に座った。9/24・16:10羽田着。「機内は退屈だった〜」。日本入国の列は少なく、荷物受け取りコンベアーが動き出す前に出れた。預けた荷物を持って、空港内連絡バスに乗って、「第1旅客ターミナル」に移動する。
JALカウンターで再び荷物を預け、搭乗手続きをしました。予約した19:20発より前の飛行機に乗れないか聞いてみたけど、満席で無理でした。保安検査を通り、お店を覗きながら搭乗待合室で待ちます。「皇居外苑」という菊のマークを付けたお土産(お菓子)がありました。
家内と話をしながら待ち、定刻に乗り込みます。機材は、ボーイング777-200・JAL/SKY NEXT、伊丹到着予定20:35です。太平洋を渡ってきた直後なので、伊丹まではすぐでした。伊丹に着陸し、家内を手荷物受取ロビーに残し、僕は一足先に出て、バイクに急ぎます。
家内のアドレスV125に行くと、「この駐輪場は9/末で閉鎖、閉鎖後は新駐輪場(有料)へ」と書かれた紙がバックミラーに巻いてありました。駐輪場の移転は知ってたけど、有料になっちゃうんだ残念。アドレスに乗り帰宅し、4輪に乗り換えて空港に向かいます。家内と荷物をピックアップし帰宅。すぐに荷物を片付け、風呂に入り10:30頃寝ました。
空港無料Wifi・アメリカの長男宅無線コネクトで、メール送信出来なかった理由を調べました。僕の使っているBecky!というメーラーでは、サーバーのポート番号SMTPなどを変更しないといけないようです。ネット検索すればすぐヒットしたので、諦めずに検索すれば良かった。アメリカ旅行最終日終了。

2017/9/15
コーチしている大学ヨット部の練習に参加します。1週間後に迫った全日本大学ヨット選手権団体戦地区予選に向け、レース開催海面で練習します。場所は福井県高浜町和田ヨットハーバーです。来年の福井国体のヨットレース開催場所で、ソロリハーサルも兼ねて、学生の2017年全日本選手権団体戦を誘致しました。全日本選手権がここで開催されるので、近畿北陸ブロック(京都府・滋賀県・福井県・富山県)地区予選もここです。
いつも8時出艇なので、7時に到着したい。中国道〜舞鶴道のオール高速道路コース140km・2時間、R423〜亀岡から京都縦貫道〜舞鶴道コース3時間、R173〜京丹波から京都縦貫道〜舞鶴道コース120km・3時間、R173〜r1コースオール地道コース4時間でした。
地道30km/h・高速道路80km/hで設定しているので、ほとんど信号のないR173はもっと早く走れるので、30分ほど早いはずです。よって、R171コースに決定しました。目を覚ましたら4時前でした。余裕を持って4時に出発し、思いの外早ければ気に入ってる京都府道r1を走ろうと思っていたが諦めました。
「招き猫CB400SB」に乗り、4:30過ぎに自宅を出ました。r13〜川西能勢口からR173で北上します。まだ暗く交通量も少ないので、マイペースで走ります。CB400SBは、60km/hぐらいで走るのが最も気持ちが良いです。VTR250は50km/hかな。丹波篠山を過ぎ、朝の雰囲気が出てきて、「道の駅・瑞穂の里さらびき」横を走り、R9との交差点にある御用達ローソンまできました。
いつもここで休憩するのですが、まだお腹が空いておらず、「暑くてガリガリ君」という気温ではなくスルーしました。道路脇気温計を幾つか通り過ぎましたが、最低14℃でした。夏用メッシュ上下の上に、海に出る時に着るライフジャケットを着てきたので胸は寒くありませんが、腕が寒いのでカッパの上を、「はらがたわ峠」手前で着込んだぐらいです。
「京丹波みずほIC」から京都縦貫道に乗ります。時々追い抜き2車線区間があるものの基本片道1車線なので、後続車に気を使います。70km/hの速度制限道路ですが、頑張って80km/hで走るけど、前の車に追いつくことはなく追いつかれるばかりです。追い抜き区間はもちろん、ICがあれば短い2車線区間を使い抜いてもらいます。明るくなりライトなしでも道路が見えるので、路肩の広い所があれば左ウインカーでそこに入れ抜いてもらいます。
ハンドルマウントのGPSナビの目的地到着時間は、R173走行中に早くなっていき、6:30到着標示になっています。高速道最後の「舞鶴PA」でトイレ休憩しました。「大飯高浜IC」で下車し、r16を北上し海岸線に出ます。
この道には思い出があります。子供たちがチビだった時、毎年キャンプに行っており、お盆キャンプは日本海の海水浴場隣接キャンプ場が定番でした。日曜日に日帰りで日本海に海水浴に行くことも多く、当時の終点・福知山まで舞鶴道で、その後r1〜r16で高浜町にはよく来ていました。
R27に出て、もうすぐ到着です。6:43「ローソン高浜町和田浜店」で、「田辺農園バナナパック266円」を朝食・昼食用に購入。まだ早すぎるので、ハーバー横の「高浜和田海水浴場」に寄り道します。
更に、和田漁港を見に行くと、ちょうど漁船が横付けされており、朝獲った魚を水揚げしている最中でした。幅広の漁船の水槽にクレーンに吊るされた網が降り、たくさんの魚を入れて持ち上がってきます。
網の下を括った紐を開くと、ドドーンと魚が大きな桶をいっぱいにします。カッパを着た漁船員が魚種ごとに手作業で分け、それぞれの桶に入れていきます。無言だけど、皆さんテキパキと動かれ、瞬く間に桶は空となり、次の網が船から魚を降ろします。1〜1.5mの大きなシイラがボンボンと桶に入れられていく。1日の水揚げはどれぐらいになるのだろう?
その作業を見守るように、漁港に沈むテトラポットの上でカモメが休んでいます。電柱の上にトビかな?猛禽類がいる。おこぼれ頂戴は、作業の後のようです。人鳥一体の朝の光景です。
ハーバーに向かうと、なんとゲートがクローズになっています。「関係者以外は立ち入り禁止」と書かれていますが、開門時間が書かれていない。門扉を見ると鍵がかかっていないので、害獣避けの山の門扉程度と思い、開けて中に入ってみます。
カーブを曲がり、YH施設が見えましたが、そこにもゲートが有り、ここも閉まっており鍵が下がっている。仕方なく、バナナで朝食にします。「8時にオープンかもしれないな」と思い、ガソリン補給することにしました。R27に出て東進し、7:29「エネオス・パームタウン本郷SS」。261km/9.5L=27.5km/L。ハーバーに戻る途中に鳥居が見えたので寄り道。「式内・香山神社」。延喜式内社のようで、由緒ありそう。延喜式は平安朝中期に編纂されたので、1000年以上昔から存在する神社です。
国道から石段を上がると、石鳥居の向こうに参道が続いています。年代物のコンクリート道ですが、苔が生え半分緑です。進んでいくと更に10段ほどの石段があり、橋が渡っています。橋の下は単線の「JR小浜線」でした。
それを渡った所が境内です。拝殿には「高森乃宮・香山神社」の扁額が下がっている。
『香山神社(かぐやま) 通称:高森乃宮 福井県大飯郡高浜町高森7-1 高森(香山)鎮座 天香山命(開拓の祖神)・猿田彦命(道びきの神)・蛭子命(恵毘寿の神)・事代主命(福徳の神) 古くより高森十六所明神と尊称し、「命の神」「福の神」を仰ぎ、交通・治病・招福・厄除・安産・幼児の守護神。往古第1代神武天皇の功臣・天香山命を先人たちが開拓の祖神と崇め初祀。天香山の後裔・犬養宿禰の氏人が若狭に在って祖神を氏神として加来山(香具山)に創祀した。鎮座は奈良朝・大宝2年(702)。暦応元年(1338)丹州・丹後の大川十六所明神が当地に飛遷(合祀)。鎌倉室町時代は、社領150石あり、社運隆盛。以降造営修繕を経て、現在社殿は、江戸時代・文化10年(1813)の造営』
窓枠に金網の入っている蔵を覗くと、黒と金の小ぶりの鮮やかな御神輿がいい味を出して鎮座していた。バイクに戻ろうと参道を戻っていると、青戸入江が見える。かつては、社殿の建つ丘が直接水を洗っていたのかもしれない。冬の北風を入江の向こうの大島半島が遮り、天然の良港が出来る条件が揃っている。社殿のある所に人の暮らしがある。
7:50「若狭和田駅」に戻ってきた。ヨットハーバーに入って行くと、地区予選を控える数校の部員がいて、艤装し始めていた。バイクを駐車場に停めると、横の車両には大人が数人載っており、8時になると仕事を始めました。インカレ向けの建築作業のようです。以前来た時はなかったプレハブが建っており、大型テントも設営されています。学生ヨットNo1大学を競うインカレ本番は11月の連休です。
やがて部員がやってきて艤装を始めます。キャプテンに聞くと、YHは8時オープン・17時クローズだそうです。時間連絡をくれたようですが、その時間には既に自宅を出ています。タブレットを持ち歩き、時々チェックする僕ではないので仕方ないね。
日課のストレッチングとトレーニングし、ブリーフィングして出艇です。この時間も9時と決められているようで、使いにくいYHです。沖からの良い風(6〜8m/s)が入っており、琵琶湖では立たない2mほどのうねりと波でワクワクします。
25馬力という海で使うには非力なインフレータブルボートがコーチボート兼レスキューなので、これぐらいの風と波が限界でしょう。ヨットのスピードに追いつけません。琵琶湖からハードボートを持ち込んでいる大学もあります。
いつもならカメラを持って乗るのですが、波をかぶるのが必須なのでバイクの中に置いてきています。いろいろアドバイスしながら、女子マネさん2名・選手2名とあ〜だこ〜だ。
12時に帰着し、昼食を食べて、また日課のトレーニング、ブリーフィング後出艇。午後はD社大主催の練習レースです。今回もDの強さは抜けており、2番手グループの中にうちがいます。2番から4番までありえます。来ていない金沢大もそこに入ってくるだろうから、油断できません。
2レース目は少し風が落ち、4〜6m/sになりました。この状況では、Dに続きうちが2番手のようです。昼休みに陸上で、隣に置いていたDから「練習レースしたいね」と誘われ、運営に1人出して加わりました。他大学も乗ったようで、ここで練習している全部の大学が加わりました。
レース終了後、その運営艇がやってきて、うちの部員をこちらに降ろします。16時にハーババックし、急いで片付けました。みんなと一緒に宿に戻ります。空き家を1軒1ヶ月借りて合宿しています。食事当番の女子マネさんが、洗い髪が艶っぽくカレーライスを煮込んでいます。
見たことない部のロゴ入りパーカーを着ているので聞くと、今年みんなで作ったようです。ミーティングです。僕はこの日の練習で気づいたことを伝え、自習のレースに向けてのことも話しました。
夕食のカレーを食べて帰路につきます。玄関で「あ〜濡れてる靴を履くのは〜」なんて言ってると、S女子マネさんがやってきて、「ミサンガをみんなで作ったので、カバンでもいいですからお願いします」と渡されました。毎年、ミサンガや折り鶴などを女子マネさんが作ってくれます。たくさんの折り鶴が下がっているのを見ると、「彼女たちを全日本に連れて行くためにも頑張ろう」と言う気持ちになるだろう。「人は、自分のためより、誰かのために何かを成そうとする時の方が、よりモチベーションがあがる」そうです。それだけ社会的動物ということです。
彼女は、飯豊まりえさん似の美人です。笑顔がよく性格も明るく、モテるだろうなと思います。お肌すべすべの子、しっとり色白美人の子・・・僕がクラブに顔を出すモチベーションの1つになっています。
19:30に帰路につきます。往路同様の道で帰ります。往路同様、高速車に道を譲りながら、舞鶴道〜京都縦貫道を走り、「京丹後みずほIC」で下車し、R173をひたすら南下です。朝より暗いので、50〜60km/hでヘッドライトのハイビームも使いながら走ります。高速車に追いつかれたら左ウインカーで路肩に寄って抜いてもらいます。21:30に帰宅しました。
帰路も2時間でした。海で波とうねりに揺られたので疲れて眠気が心配でしたが、意外と大丈夫でした。僕は高速道路では眠くなるけど、地道ではそれほどでもありません。いろいろ神経を使うのがいいのかもしれません。
家内がまだ起きていました。2日後からのアメリカ旅行の用意をしていました。家内の部屋にスーツケースが2つ置かれており、僕があてにしていた機内持ち込みスーツケースもほぼ満杯になってる。僕は肩下げカバンとPCリュックの2つで対応せねば。女子が荷物が多いのは仕方ないね。

2017/9/10
コーチしている大学ヨット部の練習に参加します。8時に琵琶湖のヨットハーバー出艇なので、それまで自由時間。伊香立の比叡山麓の林道を探索しよう。
朝4時前に目覚め、天気予報をチェックし、身だしなみを整え着替えて4時半頃、「里山VTR250」に乗って出発しました。中央縦貫を東進し、4:45「中央石油販売中環豊中SS」で給油。224km/7.18L=31.2km/L。4:49併設の「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、「プレミアムフレッシュバナナ213円」を朝食用に購入。
「名神吹田IC」から高速道路に乗り、桂PAでトイレ休憩し、Pで車載カメラとGPSをセットします・・・と行こうと思ったら、GPSナビを忘れていました。これでは林道の入口がわかるかどうか・・・せっかく前日に登録したのに・・・。
名神「京都南IC」で下車し、湖西道路に乗って北上します。「真野・堅田ランプ」で下車し、r315で西進します。GPSという文明の利器を失った脳内記憶を思い出しながらの野生の勘頼りなので、困ったものです。
なんとかr47に乗れたが、ここから困りました。野生の勘で、比叡山側の枝道に突っ込み、幾つかの分岐を選択すると、せっかく山に向かっていたのに、また里に戻る。何度か枝道を山に向かうが、山中に入って行く林道へアプローチ出来ず、r47に出てしまったので諦めました。
r47を南下し、「奥比叡ドライブウェイ」に出ました。ここは1週間前に来たばかりなので、土地勘があります。渡って、1週間前に訪問した「小椋神社」の奥宮「滝壺神社」を目指し方が、途中で未舗装路になってしまいUターンです。帰宅後調べたら、1本南の並行する道を行けば良かったようです。
戻って、「山地神社」を覗きました。この辻に、滝壺神社の別名「くらおかみ大神余道」と刻まれた巨石道標が立っており、この地域の重要神社だったことを物語っています。
適当に枝道を進むと、「辻バス停」があり、「真迎寺」という寺院がありました。寺門が閉まっていたのでお参りできませんでしたが、琵琶湖を眼下に望む高台で景色が良かった。
r315に出て南下。雄琴IC手前で湖西道路沿い枝道に入り探索。湖西道路沿いを南下します。寺社・歴史遺産を探しながら適当に走っていたら、r47に合流。「飯室不動尊」前を通過し、「西教寺」前通過。比叡山坂本〜京阪石山坂本線沿いを走り、「近江神宮」前を通りYH。
艇庫前で部員たちに合流し、8時出艇。AMの練習に参加し、気づいたことをミーティングで話します。午後は、2日後に全日本予選会場での事前練習に向けて出発するので、その準備をしますので、帰路に着きます。
湖西道路を南下し、「京都東IC」から名神高速に乗り、16:05「桂川PA」で、「ガリガリ君ソーダ75円」で糖分補給しました。

2017/9/3
コーチしている大学ヨット部の練習に参加します。4時前に目覚め、少々ゴソゴソし、着替えて荷物をバイクに積み込みます。近江西部の探索地の幾つかを時間の許す限り巡ろうと思います。林道も探索予定地にピックアップしているので、「里山VTR250」で出発です。
中央縦貫道〜吹田ICから名神高速に乗ります。「桂川PA」でトイレ休憩し、車載カメラとGPSをセットします。残念なことに夜明けが遅くなり、自宅を出発する時はまだ暗く夜でした。6月は4時になると明るくなりつつあったのに・・・
桂川PAでバイクに乗ろうとすると、4:53朝の曙で南西の稜線がオレンジ色の縁取りされていました。夜明けは美しいから好きです。気持ちよく走り、「京都東IC」下車。湖西道路に乗り北上開始します。
「仰木雄琴IC」で下車し、r315〜r47で「奥比叡ドライブウェイ」入口へ。ドライブウェイに入り、料金所までに「小椋神社・覚性律庵」の案内板が立っていました。5:31、すぐ横に「小椋神社」の鳥居がありました。横には広い未舗装駐車場があります。予想外に立派な神社のようです。
参道を歩いていくと、朱色の欄干のある小さな太鼓橋で沢を渡ります。案内板が立っています。『ご祭神・御神徳・・・「大宮神社」:天安2年(858)伊邪那美神、夫婦円満・子宝 「小椋神社」(田所神社):貞観元年(859)闇淤加美神(くらおかみのかみ)祈雨・止雨・灌漑 「若宮神社」:延喜2年(902)稚日女神(わかひるめのかみ)殖産・家内安全 「今宮神社」:建久元年(1190)大穴持神(おおなむぢのかみ)縁結び 「新宮神社」:建久元年(1190)少彦名神(すくなひこなのかみ)無病息災』
長い歴史を持ったお宮でした。境内には巨大杉が目につき、素敵な鎮守の森です。参道脇に小さな祠が建っており、両脇灯籠に灯りが灯っています。夜中も点いたままなのかな?と目をやると、灯籠に「祓戸 瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売」と刻まれています。祓戸四神揃い踏みです。「おお〜」と思っちゃいました。神社は神聖・清潔な場所ですから、夜中も祓いの神を灯して清潔を保っているのかな?と、いっぺんにこの神社が気に入りました。
筆頭の「瀬織津姫」は、本当は男神だった天照大神の后と言われる女神。天武天皇が古事記・日本書紀を編纂させ亡くなった直後、皇太子だった子の草壁皇子が亡くなってしまいました。孫の文武天皇に天皇位を引き継ぐためピンチヒッターで天武天皇の妃・持統天皇(天武天皇の兄・天智天皇の娘)が自ら天皇になりました。
何故天皇にならなかったというと、自らの血を引く勢力を維持するため。というのも、天武天皇には妃が複数おり、自らと同じ天智天皇の娘が4人も天武天皇の妃になっている。さらに自らは次女で、姉が亡くなったことで后の座が転がり込んできただけ。孫・文武天皇と同じような血筋の良いライバルが多数いたので、孫が成人するまで権力維持を図ったのが真相だという。
女性から孫への譲位に、先例の裏付けとして、本当は男神だった天照大神を女神にし、天孫ニニギへの葦原中津国降臨、天皇家の血統の始まりとするため、古事記・日本書紀を改ざんしたという。
女神の天照大神に后がいるはずがなく、歴史から消されたのが后・瀬織津姫。でも七夕の織姫としてその存在は伝わり、1年に1度彦星との逢瀬を楽しむというロマンチックな神話になっている。
この七夕伝説は、大陸系民族が根絶やしするのと違い、日本人の優しさゆえ、自分の大敵でも祟りを恐れ祀ったり(菅原道真が雷神として、滅ぼした藤原氏自ら祀る)する心根で共通するように思えてならない。瀬織津姫が祀られているのを見ると、そんなことを思い出す。
『朝餉(あさげ)接待 朔日詣にお供え戴いたお初穂のお下がりで炊いた「おかゆ」を社務所にご用意しています。月の始まりの朝ごはんを大神に感謝申し上げお召し上がりください。どなた様でも、ご自由にどうぞ。 毎月1日、午前6時より11時まで(なくなり次第終了) 小椋神社社務所』
こういうのを初めて見ました。こういう習慣が存在し続けている仰木の地の旧さとそれを楽しみ、その中で生きる文化を感じます。社務所はまだ開いていませんが、窓が綺麗に磨かれ、御守も綺麗に並べられています。さほど参拝者が多いとは思えませんが、こういう受け入れ姿勢は有り難いです。
境内中央の拝殿に、絵馬が下がっています。古そうなのもありますが、新しいのも下がっており、信心者が多いようです。若宮神社など摂社を巡ります。「初代一の鳥居」が土の上に置かれています。足が折れて置かれているのかな?おみくじ掛け、絵馬掛けに意外に多く下がっている。本殿で参拝し、玉垣内を覗くと、いくつも脇社は立っている。境内に「子供神輿奉納」と書かれた石柱が立っている。地域のお祭りでお神輿が出るのでしょう。我が家も、子どもたちがチビの時毎年、氏宮の子供神輿行列にハッピを着て参加させてもらった。その子達に子供が出来ると、初宮参りに関東からこの神社にやってくるのだから、愛着があるのでしょう。
「賽の河原」のように石が積まれているエリアがあった。「たわむれ河原」と命名されていました。お地蔵様が並んでいる一角があったり、お清めする小さな池があったり、摂社も多くなかなか楽しい。修験道者が滝打たれするような一角もありました。「穢れを清める」神道本来の姿がフルセット揃っているお宮さんです。
イノシシの掘り返しもありました。摂社を巡って拝殿前に戻って来ると、森の木々の間から朝日が差し良い感じです。
バイクに戻ってきました。訪問予定にはありませんでしたが、案内板に載っている「覚性律庵」に行ってみよう。小椋神社の横を奥に入って行く道があり、急勾配手前に庵がありました。でも森の中にコンクリート道が続いており、どこに向かっているのか興味があり更に奥に進みました。
時間が限られているので、道の探求は宿題にして、引き返して6:01「覚性律庵」。道から直接見えませんが、僧坊がいくつも点在し、森に溶け込んでいます。『本堂・大雄殿 南北朝時代の建物で、奈良薬師寺・摩利支天本堂であった。昭和54年、ここに移築し原型に復元し、阿弥陀如来を安置している』
『愛染堂・法雲堂 宝形本瓦葺の小堂は、昭和54年城山荘より移築。奈良薬師寺と京都東福寺の古材を主に用いて造られている。肘木・垂:奈良薬師寺東塔、天井:薬師寺金堂、入口扉・内部厨子:薬師寺東禅堂、丸柱・戒壇:京都東福寺禅堂、蟇股:奈良長久寺。古くは白鳳時代から鎌倉時代に至る古材を適所に用いている』
不動堂内を覗くと、天部の侍が屹然と立っていた。『妙見堂 妙見菩薩は、尊星王・北辰尊とも謂われ、古来より国土を庇護し、厄災を除き人々に福寿を与える御仏として崇められてきた。故に、住居の移転や家屋の造作の際は方除、病気・災難に悩む方は、この御堂を時計廻りに年の数ほど真言を唱えながら巡回されると加護が得られる。 妙見菩薩真言オンソジリシタソワカ』
蟇股がお宝の彫刻だった。横に小さな石庭がありました。祠屋根に守られ、水掛不動があった。
『当庵は天台宗安楽派に属し、法華経精神に立脚し戒律を護る道場として、亨保年間(1715)徳善近住(こんじゅう)が小庵を結んだことに始まる。宝永年間、大為和尚とその弟子・楚石近住・覚念近住らによって、本堂・庫裡などが整い、本尊阿弥陀如来と地蔵菩薩が安置された。以降当地出身一音和尚によって大改修されたものの衰退。昭和3年、遷化された覚因和尚以降、常住の僧も少なく廃寺同然であった。
昭和51年、比叡山で千日回峰行を篭山行を遂げられた澄道大阿闍梨が再興を発願、第1期明治初期廃仏毀釈の折、全国各地から出た古材で建てられた。神奈川県大磯の三井家城山荘から本堂・法雲堂・洗心寮・妙見堂を移築復原、第2期大黒堂・不動堂・奉安殿・客殿を建立、寺院としての風格を整えるに至った。
本堂:南北朝時代に建立された本奈良薬師寺・摩利支天堂を城山荘より移築復元し、阿弥陀如来が奉安されている。法雲堂(愛染堂):屋根部分肘木・斗拱・垂木は白鳳期建立薬師寺東塔の古材、天井と敷瓦は同じく金堂、入口扉と内部厨子は同じく東禅堂、柱・戒壇櫃は東福寺、蟇股は奈良長久寺の古材を配して建てられている。愛染明王を安置している。洗心寮:島根県万福寺本堂向拝を主に東京浅草寺本堂内厨子格子天井、正面窓格子も浅草寺、大賽銭箱の蓋、王福寺羽目板、薬師寺光珠欄間など用いた一風変わった建造物。ありがたや 我が立つ杣の北斗山 みのりのそのに有明の月』
千日回峰行達成の大阿闍梨が住んだ寺院が、ここらに多いようです。1週間前に訪問した現在廃寺同然の「安楽律院」もそうで、大阿闍梨が住んでおられる「長寿院」もみなr47沿道にあります。
階段を下り「大黒殿」「洗心寮」を見学します。説明にあったように、各地の寺院の部材や賽銭箱まで用いた建築物で一風変わっていた。大津絵のような額が奉納され下がっており、装飾瓦が置かれ、なかなか楽しかった。
『地蔵堂 六道能化の主と言って、四苦八苦等の人生の苦しみから救ってくださる慈悲深い仏様。寺伝によると川底から御出来されたとあり、古来より子授け・子育て・子安地蔵尊と崇められといる。お腹や腰の周りが豊かに感じられるのもその意趣があるのでしょう。御真言「おん、かかか、びさまえい、そわか」「逢い来て思いもよらぬ御山辺に やがて真の月ぞありける」』
バイクに戻り、ヨットハーバーに向かいます。r47で1週間前に訪問した前述の千日回峰縁の寺院前を通り、6:46「倭神社」。地図に見えた社名が気になり寄ってみました。『祭神:日本武尊 配祀:両道入姫皇女(ふたちいりひめのみこと)・稲依別王(いなよりわけおう) 日本武尊は景行天皇の皇子で小碓命(をうすのみこと)と称す。成務天皇(131年即位)の御代、当神社を創立。醍醐天皇の御代に編纂した延喜式「神名帳」記載の倭神社は当社のことで、式内社として朝廷から民間まで篤く崇敬された。古来「森本社」と称し日吉大社の社外百八社の一社に加えられている。天台宗無動寺の鎮守社として御神徳輝き、尊崇の念篤い。境内社:通尾神社 祭神:菅原道真公』
無動寺は、千日回峰行の中心で、ここにも千日回峰行関係の寺社があった。目の前に住宅が迫った坂本にあるが、鎮守の森に守られ、雰囲気の良い一角になっていた。
少し下った所に「盛安寺」があった。立派な石垣が組まれ、「盛安寺客殿」と彫られた石柱が立っていたので寄り道。
『盛安寺本堂は、桁行5間・梁間6間・寄棟造・桟瓦葺の建物てす。平面構或は天台宗糸の三間堂を基本としており、四天主によって内陣・外陣・後陣・両脇陣にわけられている。。後陣中央には来迎柱をたてて須弥壇を置き、両脇壁面には脇壇が造られています。堂内の床は全て畳敷で、天井は棹縁天井となっています。装飾は内陣周りにだけで、それ以外は素木で簡素な造りとなっています。
棟礼から慶安5年(1652)に建立されたことがわかっています。構造や細部意匠が簡素で小規模な建物ですが、天台真盛宗寺院の古い遺構として貴重なものです』
『盛安寺客殿は、南面入母屋造、北面切妻造で、桟瓦葺の建物です。
平面は南を上手にして、前後2列に3室を並べた方丈形式をとります。部屋数は、後列中央を前後2室にわけて計7室、正面と南側面に広縁を設け、南側面広縁の縁先にはさらに濡縁がつきます。滋賀県指定の名勝庭園に面した「奥の開」(上段)と「二の間」には、長谷川派の作と推定される障壁画(大津市指定文化財)が描かれています。
建築年代を確定する史料を欠いていますが、近辺の西教寺客殿や聖衆来迎寺客殿(いずれも重要文化財)との比較、障壁画の製作年代等から、17世紀前半の数少ない住宅建築と考えられます』
『穴大衆の古里に明智公ゆかりの法王院盛安寺を訪れて 穴太の里・高穴穂宮跡のあるところで、天智帝の勅願によって創建された崇福寺の遺物・木彫り十一面観音像が安置されている。西近江路街道筋から、穴太積の美しい石垣に囲まれた山門を通れば、越前国主・朝倉貞景の家臣・杉若盛安が霊夢を感得して文明18年に再建した盛安寺に入ります。
天正年間に、明智光秀公坂本居城の由緒ある陣太鼓を眺めながら桃山客殿に至ります。殿内の障壁襖絵(長谷川宗圓の屏風とともに)には、桃山期の狩野派の壮麗な絵巻を見ることが出来ます。
前庭は不断念仏を唱導する道場に相応しい聖衆来迎曼荼羅庭園で聖なる人との和合を表現した江戸初期の名庭であります』
お墓に行くと、六地蔵がいる。きっちりと区画整理されていない墓地は、墓石の古さもあり、歴史を感じる。
R161とr47の間を並行するように走る市道を南下し、京阪石山坂本線をくぐり、左折してR161に出ました。ブイーンと南下し、7:25にヨットハーバー着。
バイク装束をを脱ぎ、モンベルバミューダを履き、ホイッスルや風見が入ったチョッキを着て、歴史好きモードからコーチモードに切り替えます。上回生の多くが、ジュニアワールド・一般全日本など遠征中なので、部員の多くが1・2回生です。2020年東京オリンピックのヨット競技会場・江ノ島でのジュニアワールド開催なので、23才以下の有資格の海外選手が遠征しており、それに合わせた全日本開催になりました。例年なら11月なのに。
8時に、470級4・S級3艇で出艇しました。軽風コンディションで練習が始まり、昼食前にいい風が入りだしました。1回生スキッパーが思いの外しっかり走れているので、心強く思いました。1週間前の1・2回生で争うブロック内新人戦で、470チームは常勝D社についに土を付けましたし、S級も2位でした。しっかり練習出来ているようです。
ハーバーバック・合宿所に戻って昼食を挟んで、午後の出艇です。風が止まないよう願っていましたが、良いコンディションの風が入っており、1時間ほどしたら更に強いブローが琵琶湖大橋から降りてきて、AV8m/s・ブロー10m/sの素敵なコンディションになりました。
僕は学生時代、とにかく強風が得意で、この風になると無敵でした。もうあの体力はありませんが、血が騒ぎます。湖面は白波に覆われ、ビュンビュン走り出します。コーチボートも高速でヨットを追いかけ飛沫が飛んできます。ヨットはこうでなくちゃ。
1回生女子スキッパー艇が気になりましたが、遅れていくものの走れています。コーチボートで追いかけ、まだ恐怖で怖がっている体を解き放とうと声を掛けます。練習時間の半分2時間で、予定の交代をして上がってきた顔が、走れた喜びに満ちています。
交代で乗っていく1回生は、乗る前から笑っています。彼も半年前にヨットを始めた新人ですが、ビュンビュン走るヨットをコントロールしたくてウズウズしていたのでしょう。高校ヨット部経験者の1回生も出ていきます。彼は流石に上回生スキッパーについていき、少しの遅れだけでした。1回生は皆、ミスって沈しましたが、クルーに4回生が乗っているので安心です。
午後の練習が終わり、ハーバーバックです。良い天気でしたが、選手は全員濡れ鼠ですがエキサイティングな練習が出来たので、顔が笑っています。しばらく解装している選手たちと話してから、バイクで合宿所に戻りました。
マネージャーが帰ってきて、続いて帰ってきた選手達と、コーチボートから撮ったセイリング風景を、ビデオをTVに繋いで見ていました。風が吹き上がると、ヨットは楽しいね。
ミーティングになり、気づいた事を話します。特に1回生には、日々の練習でチューニングや感じたことを書留めるヨットノートの重要性を話しました。もちろん、強風でも思いの外走れていたので褒めました。夕食を食べます。家内の帰りが遅いので、「食べてきてね」と言われています。夕食後、2回生マネージャーさんと話しました。
彼女は午前中、コーチボートをドライブしていました。僕のヨットへの接近戦の要求には問題なかったですが、アンカーを打たずに強風下で風上を向いて船を止め続けることがうまく出来ませんでした。選手交代のためコーチボートに着ける選手が危ないので、途中からステアリングとスロットル操作をアドバイスしました。これは操船テクニックとして難しいむずかしいですが、これが出来なければサバイバルコンディションが不安です。言葉は優しいですが、要求は高度でした。練習の半分で予定通り交代した3回生マネージャーのドライブは完璧でした。
それを気にして、夕食に僕の食卓に来たのかな?と思ったら、ケロッと別の話で盛り上がりました。練習後もウジウジ言うのはコーチとして失格です。コーチとは、西部劇の幌馬車のように、みんなを載せて縁の下の力持ちをすることです。安全が最も大事ですので、要求は少しづつ高くなりますが、彼女たちの力がなければ、選手は安心して練習ができません。気持ち良くヨット部を楽しまないとね。
彼女との話が盛り上がり、掃除時間になって合宿所を退散することになりました。バイクプロテクター装束に着替え、R161〜湖西道路〜名神高速で、20:41「桂川PA」でガリガリ君ソーダ75円を買って糖分補給しました。
「名神吹田IC」で下車し、中央縦貫道を西に走り、21時過ぎに帰宅しました。家内はお休み中でしたが、「おかえり」と起きてきて「食べてきた」と言うとまた寝ちゃいました。楽しい1日でした。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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