ウェブマスター日記 2013/7-8

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2013/8/26
お盆に次男が帰省してた時の会話。僕「明日、船に乗ろか?」、次男「いやあ、明日は琵琶湖に練習しに行くわ。琵琶湖選手権に出るねん」、家内「えっ、いつ?」、次男「次の週末」、家内が目を輝かせて「お父さん、応援に連れてって」、僕「応援に行ってもいい?」、次男「ええよ」。ってことで、この日曜日の予定が決まりました。予定では、その次の週末に迫った学生全日本予選最後の週末なので、コーチングに行く予定だったんだけど、家内優先です。翌日キャプテンに、僕の予定変更の連絡をしました。数年前の江ノ島での全日本に次男を応援しに行った時もそうでしたが、まず応援なんて皆無のヨットハーバーで、「・・く〜ん、頑張って〜」って桟橋から声を張り上げる家内を見るのが好きです。後輩と組んで出場してる次男の心境はどうなのかわかりませんが、「はいよ〜」なんて手を振って応えています。高校野球の甲子園で、声を張り上げたり、バンザイしたり、手を合わせて祈ったりしてる母親はすごく絵になると思っています。ニュースであの姿を見るのが楽しみです。
日曜日の天気予報はダメダメでした。1週間前は曇だったのに前日のそれは朝から雨で、12時の予報では16ミリ/時間という豪雨です。でもまあ、風がなくて中止はあっても大雨で中止なんてあり得ないので平気です。このレースに出る学生チームのキャプテンから8時出艇と聞いているので、7時ハーバー着のために6時出発です。豪雨で高速道路の速度制限が掛かりそうで、5:30出発に変更して前日床に入りました。天気予報は当たりで、3時に盛大な雨音で目が覚めてしまいました。小さな庇の下の窓を閉めて二度寝です。
天気予報が曇りだった時は、家内は電車・僕は通勤リード110で出発し、JR大津京で家内をピックアップし、次男が出艇するのを見送ってからアチコチ散策し、次男のハーバーバックに合わせて戻ってくる計画を練っていました。天気予報が雨になってからは、出艇後東近江に回り、太郎坊〜近江富士〜金勝寺巡りに変更しました。
準備万端整え、5:40に車で家を出ました。3時に降りだした大雨は収まっており、小雨です。少しづつ雨が強くなる中、中国道・豊中ICのETCレーンに車が止まり数台の行列ができています。どういう事情かわからないので、一般レーンで通行券を取って高速道路に乗り込みます。地形の関係で意外に雨が強い時が多い千里丘陵に上がる豊中で、土砂降りになりました。想定内の最高速・50km規制の表示です。前の車の赤ランプを頼りに走ります。視界が利かないので、みなさんゆっくりです。
天王山トンネル付近はどうかな?と進みましたが、小雨になり80km/h規制に戻りました。京都盆地も小雨で、6:29「京都東IC」通過・・・ここでミスっちゃいました。いつもの調子でETCレーンに突っ込んでしまいました。入口でETC使ってないから、バーが開くはずもありません。「あっ、しまった」「話してたからね」って家内がニコッとしてくれます。マイクに向かって事情を話すと、係のおじさんがやってきて、車から抜いたETCカードで精算してくれました。「割引800円」となっていました。
湖西バイパスを経て、6:42ハーバー3Fの駐車場到着。小雨です。湖東はこちらより天気が良さそうで、山から水蒸気が霧になって上っています。「雪が被ってるみたい」と家内が喜んでいます。僕は階下に下り、学生達に「おはよう」。次に大会本部に成績表を見に行きます。土曜日は3レース成立したようで、次男は全日本選手権への通過圏内にいます。練習もしてへんのにさすがです。僕のコーチしてる学生達は、みんな次男より後ろです。う〜む・・・
学生の方に戻ろうとしたら、横のR大艇庫のベランダに次男がいました。「なんだ、こっちに泊まってたんだ」。去年卒業したR大キャプテンが、次男の会社の後輩です。彼は、次男の高校ヨット部の後輩でもあります。入社時、次男が彼を面接したそうです。今回、彼と組んで彼の大学の船を借りて全日本選手権チャレンジです。その後、関東の大学ヨット部出身者も入社し、ヨット部出身という稀有な仲間が3人もいます。
家内を連れてきて、壁に貼ってある成績表を見せると、「うわぁ〜凄〜い」って大喜びです。どこかの学生さんがやってきたので、15時閉会式予定など、リアル情報を入手しました。家内とお使い物を持ってR大艇庫訪問です。レース艇の艤装や掃除をしていた学生さんに、「マネージャーさんかキャプテンさん、いますか?」「はい、少々お待ちください」。方々から「ちゃーす」の挨拶の嵐です。僕も学生の時、「誰かわからんでも、とりあえず大声で挨拶しとけ」と先輩に教えられ、闇雲に挨拶をしていました。体育会系のこういうのが好きです。
女子マネージャーが走ってでてきて、「4回生マネージャーの・・です」「私は、・・・」と僕の出身大学と世話になった次男のお礼を言い、「お世話になります。皆さんで食べてください」とお使い物を渡します。すぐにキャプテンも走ってきて、「キャプテンの・・です」。次男とコンビを組む彼も出てきました。彼とは、彼のキャプテン時レースのフィニッシュ後言葉を交わした事があります。たまたま高校ヨット部顧問先生と会った時、「今度R大の・・君が、おたくのお子さんの後輩になるそうですよ」と情報を仕入れ、僕から声を掛けました。「どう、会社に慣れた?仕事面白い?」「はい、・・さん(次男)のお陰で・・・」「うはは、社会人になってオベンチャラも上手くなった?」って大笑い。R大と僕の母校はずっと定期戦をやってる間なので、すごく親近感があります。
「ほんじゃ、学生の方におるわ」「頑張ってね」と家内。風がなく延期信号が出そうだなとウダウダしてたら着替えた次男がやってきました。7:58、「写真、撮ろか」って、母親サービスです。女子マネさんが、「私、撮ります」って撮ってくれました。
予測通り、AP旗(レース延期)が揚がり、長い出艇待ちになりました。小雨と本降りが繰り返されます。本降りになると、対岸の瀬田唐橋手前の大津プリンスホテルが白い世界に消えていきます。10時・汽笛とともに大津港から外輪船・ミシガン出港。微かに船上からの音楽が聞こえます。こんな天気だから、お客さんは少ないだろうな。11時、大津港からビアンカ出港。次男がキャプテンの時、ちょうどクラブ創設70周年だったので、この船を借りきって盛大なパーティーが開かれました。コーチの僕も赤い花を付けられ出席し、大勢の出席者を前にした次男の挨拶を聞く機会を得ました。あれやこれや、学生と話したり、家内や次男と話したり。
僕の予測・「11時に風が出て出艇できる」の11時になりましたが、風が入って来ません。でも対岸の草津の山が輝いて見えるようになりました。雲の切れ間が現れたようです。また雨で真っ白な世界になったりしましたが、レース終了のタイムリミットの12時、やっと風が入って来だしました。15時閉会式から逆算すると、14時着艇・13時半フィニッシュ・12時半スタート・12時出艇です。
「セイル大津」という1日だけのレースもあるので、多くの船が活動開始です。次々にセイルを上げていつでも出艇できるように準備が整っていきます。先にセイル大津レース艇がハーバーを離れて行きます。
12:15、風の様子を見てた次男も活動開始です。R大前で自艇のフィッティング開始。艇番からするとめちゃ古い船ですが、ドイツのツェーゲルマイヤー製です。社会人はのんびりしてます。実業団のトヨタさん数艇も艤装開始です。こちらもツェーゲル製です。家内が遠目に見ています。激写。
スロープをジュニアのOPが出ていきます。家内が「あんなに小さいのに一人前ねえ」って微笑んでいます。次男もあんな頃がありました。ヨットを始めた頃は、僕が水に浸かり、出艇・帰着を手伝っていました。そんな姿が琵琶湖ジュニアの親御さん達にあります。子供のスポーツや習い事を、親子で楽しめる時間が持てて僕は幸せな子育て期間が持てました。
学生たちの出艇を激写し、12:37次男が出艇です。続いて実業団・トヨタチームが出艇。見送ってから僕らも行動開始です。家内は、「コーチボートに乗って行ったらいいよ」と言いますが、ここはぐっと我慢し家内のサポートに徹します。この時間で出艇なら15時閉会式は無理だけど、16時を想定し14:30にハーバーに戻り次男の帰着を迎えましょう。
東近江探索を諦め、ハーバー裏の「やまとの湯」で昼食です。「やまとの湯」は初めてでしたが、散髪屋さん・マッサージ屋さんなどいろんなお店があり、半日は遊べそうです。おふくろが、よく尼崎のスーパー銭湯に行っていました。お芝居もあるとか言ってたけど、足の便のいいとこだとお年寄りの溜まり場になりそうです。定食を食べ、食後のデザートもいただきハーバーに戻ります。
駐車場の屋上に上がって双眼鏡でレース海面を見ると、ちょうどフィニッシュしてるとこでした。そのままハーバーバックを予想してたのですが、先行艇もフィニッシュ後そこに留まっています。「ん?もう1レースするのかな?」、「もう1レースあるかもしれないので、あそこの半島の先に行こうと思うけど行く?」「うん、行く」。
とことこ歩いて、14:53・旧琵琶湖ホテル到着。新館は大津プリンスホテルの並びに開館したけど、ここは趣がある建物です。ホテル盛業時に何度か利用したけど、琵琶湖汽船の船着桟橋が前に出来、喫茶や食事が出来るみたいです。「あ〜、こっちで食事したら良かったね〜」「ほんとだ〜」。
そのまま小さな半島の先まで湖岸遊歩道を歩いて行くと、14:56次男の艇がこちらに向かっています。すぐ後ろのトヨタ艇・レース艇全艇が後続しています。やはりレース終了でハーバーバックだったようです。微風なので気づくかなと手を振りましたが、無反応です。家内が「・・く〜ん」と黄色い声を張り上げましたが、まさかここにいるとは思わないので無視されました。「・・君が着くまでに帰れる?」って家内が言うので、湖岸の砂浜を帰ることにしました。
15:03、次男のハーバー到着に間に合いました。次男の解装をひと通り見て、学生の方に戻ります。朝アドバイスしたバイスキャプテンと最終レースで感じた課題を話し合います。16:15から始まったクロージングセレモニーを、次男の荷物の子守りをしながら遠目で見て、終了後やって来た次男を乗せて最寄りの「JR大津京」駅まで送りました。
ほんとは同じ所に帰るペアを組んだ後輩君も送る予定でしたが、1週間後に迫った学生全日本予選に向けてR大後輩を激励するようです。次男もペア君も現役学生たちに負けなかったので、大いに喋れますね。全日本出場権利は取りましたが、レース期間4日+艇運送2日の1週間ぐらい会社を休まないといけないので、「行きたいけどなあ・・・」なんて言ってました。
帰路に着きます。もう晴れ間も見え、西日が眩しいです。17:13、名神「桂川PA」・スーパービックリソフト・125円で休憩。バイクは1台だけ。伊丹バイクセブン寄り道。併設の「バイク王」で、CBR600を指さし「今日横にいたOB君が乗ってるんだよ」と話したら、「お父さんも、こんなかっこいいのに乗ったらいいのに」だって。僕のCB400SBとあまり変わらないと思うけど、新規導入されてから1年半・・・まだ見てないものなあ・・・。
そうめん食べてTV見てたら寝てしまい、起きたら「ダーウィンが来た」がやってて、次に起きたら「八重の桜」やってて、自室に上がって寝てしまいました。琵琶湖往復の運転しただけなのに、よく眠れること。

2013/8/19
この日の仕事は、東京に帰る次男を駅まで送ることだけです。しかも14時ぐらいの予定と聞いてるので、午前中ひとっ走り出来そうです。園部探索の続きをしよう。目が覚めたのは3時でした。外はまだ真っ暗で、園部に到着してもまだ暗いので二度寝します。次に起きたのが5:30、ぐあ〜遅れちゃった。外はもう明るいし・・・。いつものプロテクターメッシュ上下に着替えて、倉庫から「招き猫CB400SB」を出します。通常なら高速に乗らないので「里山VTR250」の出番ですが、どうも調子が悪いGoProHERO2のファームウエアを更新したので、そのお試しに出ます。
出発は6時になってしまいました。池田からR173で北上します。「一庫ダム」を越えて高速区間に入ると、どうも速すぎて居心地が悪いです。「下田」交差点からr104に退避しました。こちらは交通量も減り、40km/hほどでのんびり景色を見ながら流せます。
r54に乗り、6:46・いい感じと緊急停車したら「久佐々神社」でした。鳥居前の謂れ板によると、712年だから奈良時代始まりの時期に創建された延喜式内社だそうです。当初の社名が日本書紀・雄略天皇(仁徳天皇の孫・460年頃・気性が荒く、高句麗を落として新羅を攻めたが敗退)の記に記述があるようで、古い古いお宮です。1780年再建の檜皮葺本殿と極めて希少な「長床」と呼ばれる奉納芝居舞台が残っているとのこと。
参道を入ってみます。立派な大杉が参道脇に立ち境内も大木の鎮守の森になっています。寺社があることに当たりをつける時に、鎮守の森の存在が大きいですが、何百年もの間、貴重な木材資源である大木を切らずに守ってきた人々の信仰心や神への畏れを感じずにいられません。何でもかんでも機械的に伐って、今の生活をより良くするために土地を丸裸にしてしまう人と根本的に違うなと感じます。
「長床」は、謂れ板を読まなければ「単なる倉庫」と見紛う建物ですが、雨戸は閉じられていますが確かに舞台です。TVのなかった時代、田舎芝居や田舎歌舞伎が唯一の楽しみだった頃、時々やってくる芝居で境内は盛況だったのでしょう。北摂や丹波の古めの神社には、必ずと言っていいほど舞台が境内にあります。
拝観料を収めようと拝殿の賽銭箱を見ると、石造りでした。これがなかなか立派で、我が家の屋敷内祠にもこれのミニ版があればかっこいいなと思いました。まあ賽銭を入れるのは僕しかいねいけどね。脇に摂社が数社、立派な本殿が拝殿の後ろにドーンとありました。2つと一緒のがない蟇股は鳥かな?珍しいです。木鼻は普通牙のある象や牙のない獏ですが、絡み合った植物の木鼻がありました。その他の彫刻も凝っており、お金がかかってる感じです。
少し進むと道路脇に「謂れ板」が立つ「西方寺」に寄り道、6:59。1598年創建だから、戦国時代最末期でそれほど古くはありません。写真付きで「板状長基五輪塔」が紹介されています。「墓なぞ要らん」と遺言し亡くなった白洲次郎のために奥さんの白洲正子がデザインした平一枚石を五輪塔の形に削ったあれです。こちらは南北朝時代1366年製だそうで、板石の厚みは16cmで、背面は船底型だそうです。2基縦に並んで立っており、夫婦のものを考えられるそうです。
五輪塔に興味を持ち、急な階段を上がってみます。小さなお寺で小さな墓場がその周りにあります。まずは拝観料をば・・・「西方寺」の主家紋は「丸に抱き花杏葉」で脇家紋は「丸に三つ葉葵」のようです。綺麗に掃除された堂塔内にキンキラの仏壇、横に扇風機が数台回っています。朝のお勤め、というより檀家さんの法要が終わった後のようです。
お墓の目立つところに軍人さんの特徴的なお墓が4基。古いお墓から新しいのまでいろいろ、歴代ご住職の卵型墓石エリアもあります。片隅に目指す「板状長基五輪塔」がありました。横の明治期?のお墓と古さの見分けがつきません。石の保存状態ってすごいね。
7:13、「常慶寺」。宿野地区は寺社が多いね。土地の恵みが多く人々が集まった地区なのでしょう。今の流通経済時代は沿岸平地が栄える場所だけど、農耕経済の時代は河川沿いや山沿いなど自然の恵みの多い場所が栄えたからなあ。
ここは大きな墓苑を抱えるお寺でした。まずは拝観料チャリンのために本堂に向かうと、掃き掃除をしてる小坊主さんの像が迎えてくれました。謂れ板によると、南北朝時代製の「阿弥陀三体板碑」と「基壇」の紹介がされています。曹洞宗なので座禅をこの基壇の上でしたのだとか。木鼻なども簡易なもので、あまり見るべき造作はありませんでした。本堂に賽銭箱がなかったので、小さな仏様が守る手水石の水の中に10円をチャリン。先客は1円や5円だったので、僕からが一番の高収入になったね。
7:29、「宝林寺」到着。細道を森の中に入って行くので期待したのですが、見るべき物はありませんでした。その後、これといった寺社が目に入らず、「るり渓」を過ぎR372側に下りました。
r54・旧道を下って、8:00・「大山祇神社」到着。この道は近畿自然歩道指定になっています。謂れ板に寄ると、『藤原純友の弟・藤原純基が熊野権現を祀ったのが始まり、楠木正季がこの地に文中3年(1374年)社地を改めたと伝えられる。本殿は応永26年(1419年)棟上、楠の末・当村郷士・下村義親・田井義高が造り替えたともいう。一間社流造、屋根は「こけら葺」箱棟をのせ鬼板を据えている。この鬼板には鬼面を彫刻したものを張り付けた珍しいもので、類例の乏しい貴重な資料である。建物の構造は全て簡素であるが建立年代明らかであり、特に屋根柿葺も初建当時の形式をよく保存している。なお天上には初建当時の工作型板12枚を保存しているなど稀有の資料がある』。
お〜僕の好きな藤原純友が登場しました。瀬戸内海の海賊を束ね、関八州を平定した平将門と共に平安朝廷を危機一髪まで追い込んだ純友らしく、瀬戸内海の海の神様・大山祗さんを祀ったのですね。楠木正季はこれまた好きな楠木正成の弟だし、鎌倉幕府を倒して後醍醐天皇の建武の新政が成立した時、その功によりここらの荘園を正季が頂いたのかもしれない。こんな所に楠一統の末裔が住んでいたなんて知りませんでした。
バイクを置いて、参道を上って森に入っていきます。柿葺きというのは、板を使った最も薄い屋根葺きのことで、材質は虫のつきにくい檜皮でしょう。僕が建てた屋敷祠も材質はこだわりました。本格的な神社同様、ペンキなど塗らなくても腐らないヒノキとこれまた錆びない銅板の屋根です。参道脇にあったお寺の墓地に寄り道。奥村家・東村家が多いように感じた。目につく家紋はありませんでした。
r54を北上し、R372を経て更にr54を北上。前回登城した天神山城址横を通過し、8:38いい感じのお宮を見つけ緊急停止。「蛭子神社」でした。水筒から冷たいお水を飲んだりしてると、園部・日吉ダム・美山への快走路なのでツーリングバイクが何台も通り過ぎていきます。バイクピースをすると、ほとんど返してくれます。田舎道はいいね。
神社前にポカンと空き地があるので、学校跡かなと思ったらビンゴ、「新功小学校跡」の石碑が立っていました。境内の本殿正面に芝居舞台を持つ典型的な丹波の神社でした。檜皮葺の本殿を茅葺き覆い屋が守っている。更に茅葺きを金属葺きで守っています。よくある形式です。蟇股・木鼻もシンプルでした。
r54を船坂まで北上し、14時からの用事で12時帰宅目標なので、r453に入り、久しぶりの中山峠通過です。大型車通行不可の峠道ですが一部新道が出来ており、近い将来大型車も篠山側に抜けられるようになるかも。僕は旧道の方が好きですが、バイクの時限定で車ならこの道は通りません。
r702で「市野々」に出て、ここに来るとあそこに寄らねば。r303を少し南下し、9:10・篠山で一番かっこいい家だと思ってるどう見てもバサラ武士の居宅に寄ります。朱色土壁を持った長屋門がかっこいい。門前の堀にかかる橋にカバーを掛けたスクーターが置いてあるのがイマイチだけど、何度見ても飽きない家です。「大芋名所No20・澤山邸」の手作り看板がぶら下がっています。これを見たのは初めてです。
僕がこの家の当主なら、ここに詰城を築くなという位置にある「大雪山・久昌寺」に初訪問します。急坂なので徒歩です。参道途中に「澤山家之墓」がありました。当然だね。なんてことない堂塔ですが、「立春大吉」の厄除けの御札が張ってあります。お寺なので、禅寺のようです。ここから市野々の集落が一望できます。下の県道を通る車の音もクリアに聞こえます。まだ奥に低山ですが山が連なるので、いざって時はまだまだ逃げることが出来ます。「大芋名所No18・久昌寺」の木札が下がっていました。黒板に、『こだわるな 水のように さらりと流そう そしたら 濁った心も いつかわ澄む』と書かれていました。ふむふむ・・・。
坂を下っていると、下から急坂を軽自動車が登ってきます。ご住職のようです。会釈します。少しタイミングがずれていたら、お話ができたかも・・・。澤山家前の広場には、軽自動車が数台停まっています。皆さん朝の涼しい時に河原の草刈りをしています。地区の掃除日なんでしょうね。川沿いに数台づつ車が止まり、あちこちで草刈機が大活躍しています。こういうのをやってくれてるから、僕のような部外者も気持よく田舎道を走れます。
r303をバックし、r702で西進し、R173・福井交差点にあるお気に入りのお店でアイスでもやっつけようと思ったけど、なんとお休みでした。いつも日曜日やってるのに、お盆休みの流れなんでしょうか。こうなったら、アイス脳になっちゃってるので、どこかで食べなきゃ。確実なのはあそこと、R173を北上し、9:57・「道の駅・瑞穂の里さらびき」到着。
バイクを置くと、黄色いお揃いジャンパーの方が寄ってきて、「明日・8/19はバイクの日なので、タイヤの無料点検をしています。点検させてもらっていいですか?」もちろんOKです。1人がタイヤを覗きこんで読み上げ、もう1人がチェックシートに記入しています。僕は、練乳氷いちご・105円を購入し、日陰でクールダウンです。バイクで遊びに行って熱中症でダウンなんて洒落にならんので、ちょこちょこ休憩する度に水筒の水を飲んできました。それでも暑いです。炎天下だとファンが時々回るCB400ですが、この日は一度も回りませんでした。
バイクに戻ると、「タイヤ安全チェックカード」がシートとメッシュシートカバーの間に挟んでありました。用紙にDUNLOPと書いてあったので、純友ダンロップ社がスポンサーのようです。僕のはCB400の純正タイヤ・ダンロップなので、喜んだかも?『神戸C・CB400SB・フロント120/60ZR17・リア160/60ZR17・D204』と諸元が書かれ、『フロントタイヤ残溝2.9ミリ・傷なし・ヒビなし・偏摩耗なし、リアタイヤ残溝3.9ミリ・傷なし・ヒビなし・偏摩耗なし、良好』で問題なしのようです。
10時なのでそろそろ家に帰らなければなりません。様子を聞こうと、電話の電源を入れます。家内から着信があったようです。家内に電話すると、次男の出発は16時過ぎでいいとのことなので、もう少し遊びましょう。ツーリングマップルを取り出して検討します。京都府道r26と山陰線沿いr50が気になります。これぐらいなら寄り道しても+2時間で14時帰着出来るでしょう。
R173を更に北上し、三宮の山内一豊縁の山城横からr26です。あと数キロR173を走ったら、京都府唯一の鍾乳洞があって涼めるんだけどな。r26はいい感じの田舎道でした。交通量も少ないしナイスです。のんびり40km/hほどで流していると、野生の勘にビビっと来る神社発見。
10:44、「質美八幡宮」でした。道に八幡宮と書かれた石柱が立ち、10段ほどの石段があるだけなのでそれほど期待していたわけではありませんが、小さな広場を経て更に10段ほどの石段があり、左右に狛犬が守り2つ目の鳥居が立っています。その奥は両側に杉の大木がずらりと並び参道を形成しています。この立地でこの参道は凄いぞ。一気に期待が高まりました。謂れ板はありませんが、京都府文化財保護基金さんの立て札が立ち、京都府登録文化財として、本殿(江戸時代)・産子集会場(室町時代)と書かれています。「京都府自然200選・スギ・ヒノキ並木」のコンクリート柱も立っています。
鳥居をくぐり、参道を入っていきます。「天然記念物・鎮守の古木・八幡ケヤキ」「天然記念物・鎮守の古木・鎮守の大杉」を通過します。300mほどの参道でしょうか、大木ばかりの杉並木が見事です。昔はかなり民心を集めた大社だったのでしょう。今は観光客僕一人でひっそりと佇んでいます。
参道の最後は40段ほどの石段を上がり、本殿が見えてきます。更に50段ほど上がると拝殿です。蟇股は鳥と松、木鼻は象です。江戸時代製の裏の本殿の蟇股は龍です。脇社の数社も堂々と建っています。室町時代製という「産子集会場」に回ります。集会場なんだけど、天台宗の古い僧坊のような堂々たる風格です。柱も太くまだまだガッチリしています。鉄筋コンクリートが頑丈だなんて言うけど、木造は500年風雨にさらされてもこれだからな。ただボロになるだけの鉄筋コンクリートなんて足元にも及びませんよ。木の年月を経た風格に圧倒されます。戦闘艦の絵馬が掛かっています。この地から出征した若者の武運長久を願ったのでしょう。横には山車が入っているのか高屋根の倉庫が数棟建っています。安永とか文化などの江戸時代の年号が書かれた灯籠があり、なんとなくこの神社の隆盛は江戸時代までだったのかな?なんて想像しました。江戸時代の藩主の祈願所の風格はあるけど、それならそうと謂れ板ぐらい立ちそう・・・。
11:18、JR下山駅近くでr26は山陰線を渡りました。単線なので写真でも撮ろうとバイクを降りると、ちょうど遮断機が下りました。ラッキー、列車も写せました。しかも上り列車のすぐ後に下りも通りました。
JR下山駅横を通り、R27に乗りました。11:27、キリノ下山SSで給油。265km/10.52L=25.2km/L。
r445に乗り、再び山陰線沿いを目指します。この道もナイスな道で、マイペースで走れます。11:37、県道沿いの民家の切妻屋根に何かついてると緊急停止。神棚が祀ってありました。たまに見るね。あそこに入れる御札は、毎年交換しているのだろうか?
山陰線を越えたとこでr50に合流し、JR胡麻駅を越えたとこで、いい感じのお宮発見。11:50、緊急停止しカメラを抱えて鎮守の森目指して歩いて行くと、「日吉神社」がありました。「胡麻日吉神社の馬馳け」説明板がありました。秋祭りに神社前で流鏑馬があるそうです。丸1日の厄除け・五穀豊穣祈念のお祭りのようで、その様子が書かれていました。ここの拝殿はやはり立派で、蟇股の彫刻が凝っており、木鼻も牙の長い象と獅子でした。拝殿脇板の彫刻も、草木に動物が配されいい感じです。僕の興味が普通の方と違うので、ここでも観光の方はゼロです。流鏑馬を観たいとあまり思わないけど、こういう彫刻はじっくり観たい方です。本殿の方も、木鼻がナイスでした。バイクに戻ると、南丹市営バスの「東胡麻」バス停が横にありました。
ここで12時を回ったのでタイムアップです。帰路に着きます。JR日吉駅横を通り、美山からのメインルートr19に合流し、12:14・「道の駅・京都新光悦村」到着。冷たい水ばかり飲んでたので、甘いもの補給です。アイスを食べようと思ったら、ソフトクリームしかなくファンタグレープ150円を買いました。僕はソフトクリームがあまり好きではありません。高い割に冷たさはイマイチな感じがします。
R9を越えR477に乗り、新世紀第一トンネルが見えるとこで、「ふむ、あそこだな」と古民家喫茶店を視認しました。次から行けます。R372に出て右折して篠山方面へ。r453で「るり渓」、r54で「るり渓温泉」経由R173。また「かき氷脳」になってるので、「気遊」に寄ろうと思って走りましたが、「氷」のれんが出ていません。かき氷が無いかも?ってことで通過。
13:48、「道の駅・能勢栗の郷」でカップかき氷・105円を購入し、外で食べました。14:30、帰宅。次男を駅まで送り、家内も歯医者に送って任務終了。16:59、コーナンで車載カメラ・KodakPlayTouch固定用金具やネジ・コルクを総額783円で購入しました。さあ、ゴソゴソするぞ。

2013/8/12
日曜日は、息子一家の帰省でした。1.17生まれの嫡孫は、すでに何度飛行機に乗ってるんだ?今年中に僕の生涯回数を抜かされそう。11:30伊丹空港なので、ちょと走りに行けるかもなと思って寝たら、無風で暑かったこともあり、3時過ぎに目が覚めてしまいました。しゃあない・・・朝風呂で汗を流し、水筒に冷水を用意し、プロテクターメッシュ上下に着替え家を出ました。
CB400SBのダイレクト車載システムでGoProHERO2を試します。目的地は、園部の山城だけど、時間があり過ぎるので、長尾山トンネル〜r325〜r33〜r68〜r37で、4:30・三田市野外センターに着きました。まだ夜明け前で暗いです。水分補給し、ゆっくり車載カメラを用意します。ここらの羽束川は水量も多くなく、川遊びに最適ですが、嫡孫君はハイハイ直前という状況なので今年は遊べないな。
羽束川をゆっくり遡っていると、ようやく空が明るくなりだし、4:54小柿渓谷から見上げる山から霧が立ち上がり、良い感じです。廃校になった後川小学校の校庭に紅白の盆踊り櫓が組まれています。お盆で帰省する若者一家を交えて楽しむ趣向ですね。r12を越え、篭坊温泉も過ぎ、5:19橋上で休憩。日の出頃なので、鹿がいるだろうとゆっくり走ってきたのですが、お休みのようです。
バイク用ボタンで信号を青にして、R173に合流。少し南下し、「はらがたわトンネル」手前でr731に入ります。早朝のこの道は1/3の確率で鹿に会えるので期待したのですが、こちらも空振りでした。r54を北上し、「るり渓」通過。深山へのアプローチ道は、相変わらずゲートが閉まっており、もうこの道を使った山頂トレッキングは無理そうです。「るり渓」側の登山口を確認したので、いつか登りに来るかな。こっち側からだと1.5時間ぐらいのハードトレッキング覚悟が必要そうです。
そのままr54を北上し、R372に合流したとこにある「天引八幡神社」に、5:46到着。R372までのr54が、朝霧が漂う中のツーリングになり、素敵です。『1354年(室町時代初期)に勧請再建され、現本殿は1772年(江戸時代中期)に建てられた。境内には杉・かやの木・けやきの大木が多くあり、特にムクノキは国内有数の大きさとされ、鬱蒼として茂るこの神社の森は貴重な自然遺産である。 本梅探友会』。
檜皮葺の本殿を覆い屋でしっかり守っています。ムクノキの大木は、さすがに目を釘付けにする迫力があります。横にフェンスに囲まれた広い土グラウンドがあり、遊具も数点・・・小学校でもあったのが、更地になったのかな?しっかり手入れされています。
R372を亀岡方面に少し東進し、再びr54で北上します。ここから園部の山城跡に注意しながらの走行です。山城のある法面しか脳内地図にありません。霧が被さった田んぼの中を道は進み、ヘルメットの中で「いいな〜いいな〜」の連続です。
僕は甲子園駅の近くの社宅で生まれ、4歳の保育園入学前に新伊丹に引越し小1の終わりまでいました。家の周りが田んぼで、朝起きたら白い世界ばかりだったのを覚えています。秋にはイナゴが大量発生し、網を持ってそれをたくさん捕まえると、母が揚げておやつにしてくれました。そんな経験があるからか、朝霧の風景がとても好きです。そんな風景に思わず止まったり、小さなひまわり畑を見つけたら、エンジ色の板塀&白壁というお洒落な家がありナイスでした。
6:08、脳内地図と一致する風景が現れ、緊急ストップ。比高2〜30mなので気軽に上がれそうで、野生の勘で裏側への道を歩いていきます。裏手の民家脇に怪しげな山道が上がっています。コンクリートブロックを置いて階段が作られています。「この道かなあ?」と登りだしたら、すぐに足立家のお墓群に出合いました。上を見あげればそれと分かる曲輪が見えています。いろんな中世の山城跡に登ってきたので、山城目になっており、目ざとく曲輪や堀が見つけられるようになりました。手前は新しい墓石の列ですが、後ろには明治の年号が読める墓石、その前に明らかにもっと古い宝きょう印塔、更に古そうな風雪で角の丸くなった墓石・・・代々続く家系の親類群のようです。家紋は、「丸に五本骨扇」です。
上の曲輪に上がると、霧に霞んだ園部川とr54が真下に見えます。更に上に上がると鳥居&祠。鳥居脇に「足立株」と刻んた石柱が立っていたので、足立氏の祠のようです。足立一族が篭った城なんだろうと、勝手に想像します。贅は尽くされていませんが、覆い屋で守られ、蜘蛛の巣が張ってないとこをみると毎日手入れされているようです。山頂の主曲輪まで上がりましたが、蜘蛛の巣トラップにかからなかったので、毎日登っている方がいるのかもしれません。母方の本家の山城より圧倒的に小さな山ですが、子孫に手入れされ親戚一同の心意気が伺えます。
山城の造作は単純で、山頂を平らにして主郭になっているだけです。竪堀や土塁跡もなく、単純に主曲輪周辺に曲輪を配しただけの山城でした。でも主郭からの眺めはナイスでした。城攻め5分なので、家内を案内しましょう。
下りは、鳥居への参道と思われる山道を下ります。r54道路側に下りて来ましたが、民家の裏庭に出そうです。しかも獣避け網が張られてるし・・・。引き返すのが面倒なので、網を上げて強行突破です。庭のようなそうでないようなとこに出たので、そそくさとr54に出ます。バイクに戻ろうと歩き出すと、立派な灯籠が目につきました。横の京都交通・園篠線バス停名は、「魔気神社前」。神社の有りそうな方角を見ると、立派な旧家があります。
急いでバイクに戻り、灯籠の道を入ります。6:34、園部川を渡る小さな橋の下でストップ。鎮守の森のような大木が立つ屋敷脇を通ったので、徒歩探索します。おじさんが土手の草刈りをしています。こういう地元の方の努力が、人の手の入った人工美の田舎風景を保っているんだよな。木製の欄干に「まけばし」と書かれていたので、神社名は「まけじんじゃ」と読むようです。
屋根の家紋を見上げたら、「おお〜」数日前に杉生・景福寺の「佐伯部家」のお墓で見た「石持ち地抜き抱き茗荷」です。篠山の平安時代からの土豪・「波々伯部家」〜「佐伯武家」「石持ち地抜き抱き茗荷」〜園部とつながりました。丹波・篠山の勢力が、南に隣接する摂津最北部、東に隣接する園部に影響しているようです。メンテナンスがイマイチで斜めってる白壁がいい雰囲気で、少し離れて大邸宅全体を見渡すと、中央に茅葺きの母屋があるようです。茅葺きの高さから想像すると、かなり大きいです。
橋を渡って少し進むと、6:45「魔気神社」到着。「延喜式内魔気大社」の古い石柱が立っています。今は縛りがなくなったようですが、神社名にも格式があって太平洋戦争敗戦以前の天皇=神=神社の時代は、「大社」と名を付けられたのは「出雲大社」など数社、「伊勢神宮」「明治神宮」などの「神宮」という名称も勝手には付けられなかったはず。それ以降かもしれないけど、「大社」と大見得を切ったところをみると、このお宮もかなり上位の宮格がありそうです。謂れ板発見。
『摩気神社(字が違うな)。延喜式にその名が見え、船井郡・明神大社と記されている。魔気郷11ヶ村の総社とされ、永暦3年(1079年)白河天皇が当社に行幸された折、社殿一円修造の上、「船井第一摩気大社」の勅願を賜ったと伝えられている。江戸時代には園部藩主・小出氏累代の祈願所となった。
本殿は大型の一間社流造で丹波のみならず京都府下においても、規模の大きさからいって一間社としては最大のものである。向拝も一間であるが、中備として中央に三斗を置いて両脇に蟇股(かえるまた)を飾る。・・・江戸後期にあって、伝統的な神社建築の流れを取る。大工は、播州加東郡嶋村から来ている(どこかの神社の謂れ板に嶋村に有名な棟梁がいたと書かれていたな)。・・・』
江戸時代建造の神門をくぐると、ドカーンと茅葺きの本殿が一望出来ました。謂れ板を読みながら一部を見ていたのですが、この迫力は凄いです。確かに今までこんな大きな雰囲気のある本殿は見たことなかったです。やたらと由緒ある神社がある京都市内の神社を差し置いてNo1というのは、一目瞭然でした。「凄い」の言葉が素直に出ます。茅葺きから草が生えてるとこが、またいい雰囲気につながっています。内側から見上げると、茅葺き屋根は覆い屋で、本殿・脇殿は檜皮葺になっていました。これは一見の値打ちがあります。
横を見ると宮司さんのお住まいなのか、ゆったりした母屋の周りに板塀・白土塀が巡らされています。土蔵もあります。横に沢が流れ、山に向かって小道が伸びています。道の向こうに数段の扁平地が見られ、昔何かが建っていたようです。苔むした年代物の宝きょう印塔が1基、ポツンとありました。お供え物のような残骸が残っています。お参りに来られる人があるようです。
予定ではもう少し北上して探索出来るはずでしたが、7時近くなったので帰路に着きます。日吉ダムとか美山への行き帰りで何度も走った道ですが、ちょっと寄り道するだけで、素晴らしい世界が広がっていました。園部藩主の祈願所がこんなところにあったなんて・・・。要追加探索です。
r454〜r453〜r452でR372に出ました。途中、朝霧に沈む田園風景が素晴らしかったです。R477で南下し、「一の鳥居」からR173で池田入りし、8:30帰宅。日曜日なので通勤快速車がおらず、交通量も少なく快適な市街地走行でした。

さあここから本日の本番です。11:30空港着なので11時に家を出れば十分なのですが、「ふわふわかき氷」を食べたくて10時に家を出ることにします。空港なら「ふわふわかき氷」があるはずです。朝食とか2度目の朝風呂とかを余裕を持ってこなしましたが、家内のシャンプーの乾きがどうのこうのとか・・・いろいろあり、出発が10:20ぐらいになってしまいました。
空港駐車場は、さすがにお盆習慣なので多いです。屋根のあるとこに駐車する予定でしたが空いておらず、仕方なしに炎天下駐車です。更に後さんが続き、「氷」ののれんが下がっていません。この時期、あちこちに下がっていていいのに・・・。3Fの滑走路が見えるカフェに入り、アイスコーヒーでお茶を濁しました。フライト時間まで潰しているであろう美人さんや、小さなお子さんとワイワイやってるご家族の様子を見ながら、東京からだから大型機であろうJAL到着便を待ちます。予定の11:30が過ぎました。家内が待ち切れなさそうなので、「ひょっとして小型飛行機だったのかな?まさかANAじゃないよね」「まさかそれは無いでしょ、JALに決まってるよ」なんて会話しながら、JAL到着ロビーに向かいました。到着ロビー横のカフェに「かき氷」がありました。「なんだ、ここにあるじゃん」と残念言葉を言うと、「送ってくる時に食べればいいじゃん」なんて家内が応えます。
電光掲示を見ると、定刻11:35到着JAL東京便が11:45到着予定に変更されています。お客さんが多くて定刻に飛べなかったんだね。ぞろぞろとお客さんが出て来だしたので扉前に移動すると、「あ、いた」って家内が先に見つけました。そちらに目をやるとお嫁さんと目が合い、手を振ってくれました。荷物を見つけて出てきた長男夫婦。長男が抱っこ紐で嫡孫君を抱えています。お嫁さんは、美人度が更に上がっています。
自宅近所のロイヤルホストで昼食にします。主役の嫡孫君は、お座りが出来るようになりました。胎毒の出が収まったようで、とびきり綺麗なお肌が戻っていました。定期健診によると、ちょっと小さめだけどお座りなど運動系は早いようです。チビなのは僕の血筋です。僕は小学生時代、いつもクラス内チビベスト5にいました。長男は4月生まれなのに、クラス内チビベスト3だったそうです(僕はもう忘れちゃった)。3/28生まれの次男に至っては、常に学年No1チビさんで、5年生の時だけ、もっと小さな女の子が引っ越してきてその座を脱しました。でも6年生では彼女が引越しでいなくなり、またNo1返り咲いています。でもみんな中学では平均になったからね。人見知りが始まったようで、知恵がどんどんついてますね。毎朝、駅まで2人に送られて出勤するそうで、休みの日は嫡孫くんのペースに合わせ、近所の公園などに繰り出しているようです。メディア共有サイトに写真やビデオをアップしてくれるので、うちもお嫁さんのご両親も今の様子を知っています。僕らが抱っこすると、笑いもするけど、「なんか変だぞ。この人だれや?」てな変な顔をして、しばらくするとぐずり出します。するとお嫁さんにバトンタッチです。お父さんは分かったるようで、外から帰ってくるとニコッと笑い、いないと目で探すらしいです。僕もそうでしたが、こういうのが凄い力になります。「頑張るぞ」ってなります。
帰宅し、息子たちは隣の実家でゆっくりします。あまり僕らが構い過ぎると嫡孫くんが疲れちゃいます。家内の姉一家、次の日は僕の弟一家との時間が待ってます。
しばらくして、僕らは通勤リード110タンデムで買い物に出ました。15:50、ユニクロ宝塚店で、カラーブロックショートパンツ・500円購入。家にいる時の短パンです。続いて中山寺に移動し、スポーツデポであれやこれやを見ます。子供用ライフジャケットが売っていました。先日ハーバーで見つけたヨット用ほどかっこよくないけど、今年は無理だけど海水浴に行くようになったら必需品です。16:33、JR中山寺駅前コーナンで、庭用サンダルを498円で購入。
帰宅したら、嫡孫くんが昼寝から目覚めたようで、楽勝になった寝返りと練習中のハイハイをビデオに収めました。お嫁さんは家内に似ており、「やらせる」んじゃなくて、「上手ねえ〜」って応援する方なので、のびのびと練習してはります。長男も親からやらされたことはないので、一緒に遊びながらやりたいようにさせ見守っているでしょう。いい家に生まれてきたね。
「ダーウィンが来た」を見て、とうとう京都編に突入した「八重の桜」を見て寝ました。

2013/8/5
日曜日は、琵琶湖にコーチングに行きました。ドラゴンクラスのレースとバッティングしましたが、月末にインカレ予選が控えているので、琵琶湖通い優先です。バイクで行こうかと思ったのですが、高速往復はつまらないし、R171もイマイチ、亀岡回りでもその後のR9・京都市内がイマイチです。夕立もありそうなので、通勤リード110で行くことを考えていましたが、5:30出発に遅れてしまい、6時に車で家を出ました。
名神〜湖西線で柳ヶ崎YHに7時前に着きました。灼熱の夏に入り、ツーリングバイクは少なくなったようです。AMは470クラスを指導です。スタートが課題ということだったので、マークを一列に5つ打ち、1艇1マークを選び1分間そのマークから離れない練習をしました。細かいハンドリングが要求され、船の動きを感じ早め早めに対応していく知識や技量が必要です。3艇共無難にこなせるようになったので、次は2分間。それも揃ってきたので、ショートスタートラインを使ったスタート練習に入りました。早目にスタートラインに近づき、激戦区内での位置取り練習です。綺麗なオールクリアスタートになったらしばらく走らせました。
ちまちま練習ばかりでは飽きるので、1時間ロング帆走練習に出しました。というのも、1回生練習担当のインフレータブルボートのエンジンが動かなくなり、アンカー固定でシーホッパー練習をしているとのことなので、インフラを曳航してハーバーに戻し、470練習海面に走らせたホッパー用にマークを打ち、470練習マークも利用しながらショートレースをさせます。1時間経過し戻ってきた470にスタートマニューバリングのドリルをしながら、ホッパーにも指示を出し、楽しい練習ができました。連続タックなど基本練習もみっちりやったので、久しぶりに乗った若手OBはバテてました。
昼はハーバーバックし、クーラーの利いた合宿所で豚キムチ丼&麦茶で生き返りました。13時出艇でPM練習です。PMはスナイプクラスのコーチングです。まずホッパー用にショートレースマークを打ち練習を指示し、スナイプもスタートが課題とのことだったので、AM練習と同じ練習をさせました。470チームの方が上手いね。2分間マニューバリングまではできませんでした。
気になっていたスナイプのボートスピードを確認するために、揃ったスタートが出来た時は優劣勝負がつくまでノータックで走らせました。いい風が入り、フルセイル・フルハイクのガチンコ勝負です。2度の5分間休憩を入れながら、観測塔までクローズガチンコ勝負をさせました。メインシートが緩みやすいので、適宜声を掛けます。
トレイン・連続タック・連続ジャイブ・360度・720度、16:30ハーバーバックまでみっちり練習をしました。ああ楽しかった。16時前頃から空模様が怪しくなりました。琵琶湖は湖面なので東近江・南大津方面・西比叡山方面の空が大きく見えます。北西・比良山が夕立のようで真っ白です。気になっていましたが、それの南下はありませんでした。大津の南の山にスコールが発生し、紅白が見える大津港B級グルメ会場のお天気は風前の灯火だと見えたけど、幸いスコールが東に流れ瀬田の景色がスコールの真っ白に消えて行きました。海でも湖でも、空が広く見えるので、広範囲の天候の変化が手に取るように見え面白いです。
ハーバーに戻り、先に合宿所に戻ると、夕食担当の女子マネージャーが作り終え、七尾合宿のサポートボート手配をしていました。僕から見れば、こんなの女子マネの当たり前の仕事ですが、僕がコーチに来た10年前は、夏休みになると女子マネはみんな帰省してしまい誰も練習に顔を出さなかったのを思えば、雲泥の差です。僕は命令したくないので、いつも笑顔でアドバイスですが、ようやくここまで来ました。今日も止まったエンジンが頼りないインフレータブルボートでは、サポートに不安です。
昼飯を海上で食べずっと練習してたので30分早く着艇したスナイプチームのミーティングに参加し、みんなが帰って来たので全体ミーティングに参加し、全日本予選を1か月後に控えちょっと熱めに語り帰路に着きました。
B級グルメの影響で混んでるかなと思いましたが、道路はスムーズでした。湖西線から名神へつながるとこの信号で、リッターバイク10台弱のグループがすり抜けて行きました。みんなカッパを着ていたので、比良山系方面からの帰路でしょう。名神に入り、京都は雨でした。天王山を過ぎると道路が乾いており、夏のスコール特有の小さいエリアでの局地的短時間大雨ですね。
NHK「ダーウィンが来た」に間に合ったので、19時過ぎに帰宅しました。家内が用意してくれた夕食のお蕎麦が美味しく、八重の桜を半分見たとこでお風呂に入り、楽しい1日が終わりました。

2013/7/29
日曜日は、夫婦ツーリング・第1回目でした。3月の結婚記念日・イースターに向けて、中古・走行距離1万キロ「アドレスV125G」を家内用にプレゼントし、先月それを初めて家内に披露し、タンデムしました。田舎道まで2人で行き、何度も交代して練習をしました。僕の通勤リード110より小ぶりで軽いので、家内も「練習する〜」って、気に入ってくれました。そして初の2台ツーリングの日がやってきました。
2人で意気込んでいたのですが、金曜の夜家に帰ると、次男が帰ってくるという知らせで家内は嬉々として夜具などの準備をしていました。次男は小学校の同窓会で帰ってくるのですが、日曜日の予定がわかりません。家にいるなら家内は世話をしたいだろうし、僕も出来ればみんなで出かけたい。
帰宅した次男に、みんなで船に乗ろうか?と聞いてみましたが、先約があるようで空振り。どうなるのかなあ・・・と日曜の朝を迎えました。土曜の夜帰って来なかった次男が、朝8時に帰宅しました。東京に夕方帰るそうで、それまで寝ているということで、当初の予定通り夫婦ツーリングに出ることが出来ました。
通勤リード110で倉庫までタンデムし、アドレス125Gを引っ張り出します。リアボックスなど付け替えたり作業をしていると、「あれ〜エンジン掛からないよ〜」僕が交代してキーを回しても応答なし・・・「なんだサイドステップが出てるじゃん」・・・また作業に戻るも・・・「だめだよ〜」・・・「え〜バッテリーが上がったかなあ」「じゃあ、これで行こう」って家内はリードを指さし喜んでいる風です。御用達バイク屋さんまで押して行こう、空いてるかなあ?なんて話しながら、「ブレーキを握ってスタートボタンを押した?」って聞いてみました。「あっ、そうだった」、ブ〜ン、快調にエンジン始動しました。ホッ・・・
20km/hほどで、生活道路を北に向かいます。8:29・給油、195km/3.96L=49.2km/L。まず第一目標の原付50制限速度の30km/hで、長尾山トンネルに向けて、阪急山本駅を抜けます。車間距離は開きますがまあまあついてくるので、トンネル内で本日の最終目的・40km/hにスピードアップ。幸いに対向車も後続車もおらず、トンネル中央部のピークを過ぎた軽い下りで、僕らの夫婦ツーリング最終目標の制限速度の50km/hまでクリア出来ました。「おお〜、凄い。ついてくる」。
r325に乗り、長い上りも35km/hほどでついて来ます。「登りだから、アクセルを少し回さないとスピードを維持できないよ」「は〜い」。後続車が追いついてきたら、幾分左に寄ってるようです。僕が言った通りに、ウインカー出して抜いてもらうのも出来てます。その前に、バックミラーで後続を見ているのに驚いた。家内は、車の免許も持っていないので、初めての車両免許で、初めての公道長距離運転です。僕が車の免許を取った時、バックミラーを見る余裕があったろうか・・・。「無線で話しかけても、運転に必死だから応えられないよ」と言ってたのに、ちゃんと返事が来るし。
r33に乗り、「検見橋」で最初の休憩をしました。どんな顔をしてるか心配でしたが、ニコニコしています。家内は自転車でもフラフラすることはなく安定しているし、慎重なのでスピードオーバーはあり得ないので、コケる心配もなく安心して見ていられますが、公道でのやり取りに神経をすり減らしたんじゃないかと気になりました。一度、後続車にクラクションを鳴らされました。「ウインカー出して左に寄ってスピードも落としたのに、なかなか抜いてくれないのよ〜」「ワインディングでイエローラインだから、抜くのも対向車の確認でタイミングがあるからなあ。カーブでスピードを落としても、対向車が見えないから抜けないんだよね。でも女性にクラクションを鳴らすなんて、男としてダメだな。髪の毛をヘルメットから外に流すとか、リボンでもヘルメットに貼ると、鳴らされないよ」。表情を見て、「まだ行けそうだな」と。
r33で「西谷農協」前を通過し、r68との交差点前で、「道の駅いながわ行って休憩するよ。ここから少し車が増えるよ」と無線すると、「は〜い」。カーブで30km/hぐらいに落ちますが、直線で40km/hで追いついてきます。家内を抜いてくる車に左ウインカーで抜いてもらいながら、「道の駅いながわ」到着。バイク置き場に2台並べて、「凄い、私ここまで来れた。面白かった」ってごきげんです。トイレに行き、裏の猪名川で水遊びしてる小さな子達を眺めながら、あ〜だこ〜だ話し、「何か食べる?向こうにパン屋さんがあるよ」。
9:35、パン屋さん前の駐車場で露天商さんが、アジの開きを干していました。パン屋さんの席が全て塞がっていたので、ベンチに座ってパンを食べました。そのうちにジェラート屋さんが開店したので、食べてみることにしました。シングル290円を注文すると、お兄さんがおまけであと2種類の味のジェラートを足してくれました。人生2度目のジェラートです。家内は初めて。溶けにくい粘り気のあるソフトクリームかな?家内はカップアイスクリームに似てるって。
「お墓に行く?」「うん、ここまで来たら寄らなきゃ。無事帰れるようにお願いするよ。ここでお花を買っていく?」ってことで、産直販売で混雑する店内に入り、家内がお花を選びました。レジに並んでいる間に、僕は外に出て横でやってた紙芝居を見物しました。お題は、猪名川に残る伝説「佐保姫」です。
『明智光秀の先妻の子・佐保姫は、母親が死に後妻さんとうまくいかず、織田軍団・丹波平定軍大将として友軍だった丹波篠山八上城主・波多野秀治の紹介で、ばあやとともにこの地にある山城に住むようになりました。秀治の息子と恋仲になり将来を誓うようになりましたが、光秀が波多野秀治の盟友・丹波黒井城主赤井氏攻めに反旗を翻し、光秀は命からがら逃げ帰るということがありました。やがて波多野氏は光秀に攻められました。難攻不落の八上城は強く、信長の命で和睦することになり、佐保姫のばあや(光秀母とも言われている)が人質として八上城に入り、秀治兄弟は光秀とともに安土城での信長との面会に向かいました。
しかし信長は、2人の首をはねたので、ばあやは八上城で果てました。主柱を失った八上城は落城し、秀治の息子は佐保姫のところに約束の破棄を言いにやってきて、落ちて行きました。そして悲観した佐保姫は、猪名川の縁に身を沈めました』
ここらでは有名な悲しい伝説です。紙芝居が終わると、見ていた子供達にクレヨンが配られ、大人にはティッシュが配られました。僕ももらっちゃいました。
家内に、「佐保姫に会いに行こう」とバイクに跨りました。道の駅からr12に出るとこで、無線から「わぁ」という声が聞こえて来ました。左折で出る時、車線ギリギリ右端まで膨らんでしまい曲がれないかと思ったそうです。「二輪は遅いとコントロールが利かないから、僕もよくなるよ」って言うと、「なんだぁ」だって。
猪名川町スポーツセンターのとこで枝道に入り、猪名川沿いの「歴史街道」を走るつもりでしたが、ミスルートしてグランドまで上がっちゃいました。急坂だったのでグランドまで上がってからUターンしようと思いましたが、「こんなとこ狭くて行けない〜」とヘルプが無線で聞こえて来ました。坂道で路上駐車してる車の横を男性が歩いて下っていたので止まったようです。ブレーキを離すとバックするので、パニックになっています。バイクを置いて、走って家内のとこに戻ります。僕がブレーキを握って、Uターンさせました。バイクまで戻って、家内のとこに戻り、再び先導です。
交通量のない歴史街道をゆっくり流し、佐保姫が見を沈めた淀みで、「ここだよ。藤の季節は綺麗なんだ」って歴史解説休憩。r12に合流し、30〜40km/hペースで猪名川霊園到着。お墓までの急坂もしっかり登って来ました。いつもの駐車場に停め、お墓に花を供え、お水でお墓をクールダウンさせてから、我が家と隣のまだ仏さんがいない弟のお墓の草引きをしてると、「あ〜、お兄ちゃん。ツーリングの途中?」って、思いかけず弟が桶を持って現れました。
来年中学受験の姪と義理妹を、武庫川女子の学校見学に降ろして、墓参りにやってきたそうです。この女子大は義理妹の母校ですが、住まいの岸和田からは遠いから通学が厳しそうです。弟は月1で墓参りに来てるから、向こうの方が僕らと会ってビックリだよね。
とんぼ返りの弟が先に帰り、僕らは草取りの続きです。家内を駐車場に待たせ、僕だけ霊園の最上部に上がって行きました。裏山に中世の山城跡があり、そこへのアプローチ道を探索します。11:31、山城進入路発見。低いフェンスを越えて行けそうです。でもここからでも30分は山頂まで掛かりそうです。
家内が好きな永澤寺の「わらび餅屋」に行く予定でしたが、家内に聞くと「集中力が切れてきたの。ここにバイクを置いてタンデムなら行ってもいいよ」とのこと。自転車で2度、家内を置いて車に戻って、車でピックアップしてるのでやばいです。「じゃあ、帰ろう」、即決です。
r12を南下し、「ここが行けたら、大抵のとこは行けるぞ」と思ってたr319に突っ込みました。細道急坂ワインディングがあります。タイミング悪く、後続車が3台も貯まりました。最後の急坂手前の道の少し広い中坂で、ウインカー出して「止まるよ」って声を掛け、後続車に抜いてもらいました。ブーンと出発すると、「お父さん、だめ〜。後ろに下がって怖い〜」のヘルプが。こっちも中坂なので、サイドスタンドではバイクが動いてしまいます。バックミラーを見ながら、「ブレーキは左手だけにして、右手のブレーキをゆっくる離して・・・アクセルを吹かして、ゆっくりブレーキを離して・・・」・・・動き出しました。「なんだ、動いた〜」。あとで聞くと、ブレーキは左右同時操作で、出発の時はブレーキを離し、足で踏ん張ってる間にアクセルを開けるようにしてたそうです。教習所の坂道発進のことを忘れてるね。ぐふふ・・・
r323で「大坂峠」を越えたとこで、気になってた「峠茶屋」で昼食にしました。コンクリート駐車場の方が斜めってるので、僕が2台駐車しました。ここは玄関で靴を脱ぐスタイルです。砂利駐車場に4台ほど車があったのに、通してもらった2Fの座敷部屋には誰もいません。1Fにも部屋があるようです。本日の定食700円(僕は天ぷら・家内は魚)を注文しましたが、皿数が多く美味しく、とても700円とは思えませんでした。パンフレットには、「おまかせコース、2500円・3000円・5000円」とあったので、軽い法事でも利用出来そうです。いいお店を見つけました。ゆっくり食事を楽しみました。
大坂峠を下ったら「高平」で、13:20・新三田ハウジング「半鐘の家」でお茶しました。ずっと気になっていた庄屋さん風の古民家で、2年ほど前に新三田ハウジングの事務所になってから、一度家内と拝観料1人200円払って見学したことがあります。その時社長さんが、「無料拝観したら人が多すぎて、屋敷内説明で本業に支障をきたし、200円取るのも気が引けるし・・・喫茶でもして拝観料を上乗せでもしようかと思ってる」と言ってました。
座敷に机を座布団をパーテーションを置き、靴を脱いで座る形式ですが、土間に風が通り涼しいのでこちらの席にしました。僕は、いちごみるくかき氷・家内はアイス・オーレ700円を注文し、壁に地域ごと(篠山・宝塚・能勢・猪名川・川西・三田)に分けて指してある喫茶店や食べ物屋さんの各店舗パンフや名刺を見ながら、あ〜だこ〜だ。上の梁にツバメの巣があり、目の前の庭で親が捕まえた虫を巣に運んでいます。家内は捕獲の瞬間を見たと、喜んでいます。座敷部屋は、素敵な衝立や書に囲まれ、庄屋さんの経済力が垣間見えます。
背の低い玄関が、父の実家と同じで懐かしいです。鳶口という火消し道具が飾ってあります。僕らが入店した時は誰もいませんでしたが、賑やかな女性4人組が来店し、続いて男性1人のお客さんが入って来られました。
お会計し、13:57外に出ます。半鐘カフェオープンの大きめ立て看板、氷のれんがぶら下がり、ソフトクリーム立て看板もあります。「大庄屋下山家住宅一般公開200円・10-16時・水曜定休・入場料200円」の看板も。喫茶料金は拝観料込みで高めですが、このお屋敷はお宝が多く、それを含めればお安いでしょう。僕には宝の山に見えます。
r323を「波豆」まで戻り、定点観測ポイント「八坂神社」前を南下し、r68を越え、「西谷農協」でr33に乗り南下します。対抗して来たパトカーが側道に入り、家内の後ろに入りました。僕らをマークしたのかな?しばらく追走してきましたが、制限速度-5km/hなので離脱しました。
道は広くありませんが気持ちのいいワインディングが続き、カーブでスピードが更に落ちる家内の後ろに大名行列が出来ます。路肩が広いので路肩まで左に寄っているので、「左に寄り過ぎると危ないからスピード出せないでしょ、車線内でスピードを出す方がいいよ」と無線で指示しました。
r325に入って、また検見橋で休憩です。家内のバイク運転話を聞いているとほんと面白いです。クスクス笑うと、「バカにしてるでしょ」って笑っています。15分ほどゆっくり休憩し、出発。長尾山トンネルを抜け、阪急山本駅からすぐの所にあるオートバックスに入りました。初心者マークの購入目的です。でも車用の大きいのしかなく断念。
駐車場でヘルメットを被ったとこで、家内の電話が鳴りました。次男からで、もう家を出たそうで、僕の代理で参列してもらった北関東の法事の席でもらった本を置いておいたとのことです。15時に帰宅し、置いていった本を手に取りました。親父の妹さんが、元武士の旧家に嫁いでおり、旦那さんが僕同様歴史好きで、とうとう家の歴史を含めた自叙伝を出版されました。こんなの親族以外の人が買うとは思えませんので、流行りの自費出版でしょう。立派な製本で、上毛新聞社製作となっていました。
15:58、バイクセブンに行き、1Fのオートバックス伊丹店で初心者マークステッカーを買いました。157円。小さいのですが家内に見せると、「これいいやんベタベタ貼るわ」だって。家内を歯医者に送り、ウトウトしてたら家内が帰宅し、「ダーウィンが来た」でアマミノクロウサギを知り、「八重の桜」では会津戦争が終わっていました。21時になったので寝る態勢になり、「三浦半島近海の深海鮫」を見てたら寝てしまいました。最高に面白い1日でした。

2013/7/22
日曜日は午後から仕事関係の勉強会です。そして、家内は午前中お出かけです。「100回泣くこと」「風立ちぬ」と観たい映画が2本あるので、そろそろロードショーが終わりそうな「100回・・・」を観ようと上映時間を調べましたが無理そうで、遅い20:30上映開始の「風立ちぬ」で映画デートすることにしました。
この日の早朝活動は自転車です。新規導入したバックミラーの試乗です。「TANAXNAPOLEON S-9右側用ミラー・1050円」を導入しました。TANAXはバイク部品メーカーなので、作りがしっかりしています。スポーツ自転車用のおしゃれなのは、鏡面が小さく、安全面の不安があり。ずっとママチャリ用のを使っていました。鏡面が大きく後方視界が確保できいいのですが、軽さを求めてプラスチック製軸のにしたので、振動で細かく揺れるところが難点でした。
僕の自転車がドロップハンドルで、ブレーキレバーを縦バー持ち時用と横バー持ち時用の2つ付けています。TANAXミラーは、ママチャリ横バー装着用で、僕のに付けると横バー持ちブレーキが使えなくなるので、ドロップハンドル部分に装着できるように工夫しました。バーテープを巻いて太くなってるので、ホームセンターでステイを買ってきてそれを曲げて、オリジナルマウントも作りました。これまで数度試行錯誤を繰り返し、やっとGoodな出来栄えになりました。約20分・5kmほど走りました。
倉庫にも寄り、「招き猫CB400SB」の車載カメラマウントシステムにも手を加えました。ずっとRAMマウントシステムでしたが、ステイを使ってダイレクトにカメラをマウントしてみようと試行錯誤開始です。
7時頃帰宅し、家内と参議院選挙・兵庫県知事選挙投票に、近所の公民館に出向きました。家内は8時に家を出るそうなので、最寄り駅まで車で送迎しました。
帰宅後、トレパン・長袖・防虫網帽子で完全武装し、庭の屋敷祠製作作業をしました。お盆の息子たちの帰省までの完成を目指して、今春から祠・土台・像・御札と用意して来ましたが、具体的な最終作業開始です。部材を揃える度に仮組みし、寸法を測り、全体バランスを見て、新たな部材調達などを進めて来ました。その間、近所や北摂の小さな社を回って、参考になりそうな摂社などを見て来ました。容赦なくジャングル化していく庭の雑草処理に一段落を付けたので、本番突入です。
10時前になったので、再びスポーツ自転車乗車です。御用達スポーツ自転車ショップまで往復30分・8kmです。前回調整してもらったギアの当り音ですが、音はなくなりましたが、まだ一部の前後ギア組み合わせの時、チェーンがディレイラーに当っているようで、足から伝わってきます。多段変速なので全ギアでクリアということはありませんが、最も使うギア組み合わせで当たってしまいます。チョチョイと調整してもらい、帰路はスムーズでした。
神戸で13:30からの勉強会なので、12時に用意をし始めました。いざ行かんと案内書に目を通すと、・・・12:30からじゃないか・・・遅れると部屋に入れない勉強会なので・・・諦めました。「あ〜、やっちまった〜」。会合や勉強会などはお昼時を避けるのがほとんどなので、間違えて記憶していました。残念・・・さて・・・いっぺんに午後が空いてしまいました。
夕立がありそうな空ですが、午後から出発というのも・・・なあ。通勤リード110で北摂の山道開拓に出ました。まずは給油。166km/3.77L=44.0km/L。長尾山トンネルを抜けて北摂に抜けると、我が家のある大阪平野・最北部と2℃は気温が下がる感じがします。r325〜r33で「西谷農協・大池交差点」を越えたところで、南の山に向かう枝道に入ります。13:30、「Caiture Center 奥武田尾」という廃墟施設がありました。横にはプールがあり、往時はそれなりに繁盛していたのでしょう。周りは草茫々ですが、窓ガラスの割れもなく屋根瓦も落ちておらず、手を加えれば住めそうです。更に奥に進むと道なりにr33と平行走りになり、13:35養鶏場がありました。牧舎や養鶏所の独特の匂いは嫌いじゃありませんよ。細めの蛇が、道路上から慌ててにょろにょろ逃げて行きました。
r33に復帰し、r319で「上佐曽利」まで北上します。ここからr319はr323と交差し東進し、前方の小さな尾根を越えず、90度北に方向を変えてr12との合流地点に向かうのですが、90度カーブのとこを直進し、ウグイスの濃い林道に入りました。
梅雨後の様子探索です。少しのゆるい上りを越えると、荒れ気味の下りです。更に荒れが酷くなっており、もう舗装路とは言えません。VTRでも走りたくないぞ。少し下ると舗装がマシになり、後半は好きな山道狭路健在でした。沢道を降りて、その沢が猪名川に合流する地点を経て、r12に出ました。14:09、「K’s DELI」前。いい雰囲気の廃墟・川辺酒造を改装した喫茶店です。AM7:00〜PM5:00という開店時間なので、朝訪問出来ますね。14:12、近くの「Cafe UNCLE」を外から・・・バイクやこだわりの外車があります。ハーレーな方々が集まってきそうです。
14:15、木津・「天澤寺」訪問。r12走行時、ずっと気になっていたお寺です。横に「八坂神社」がありました。寺社を区切る無粋な塀もなく、明治以前の神仏習合形式のままです。こういうのを見ると、この地の平和で穏やかな民衆の暮らしが想像され、気持ち良くなります。神格化した天皇中心主義で、強力に中央集権化して遅れを取った西欧列強に追いつこうとした明治新政府は、神仏分離令を発し、日本神道を大復活させました。反作用として庶民に過激な廃仏喜捨運動が起き、多くの寺院や遺物が灰燼に帰しました。江戸幕府の一国一城令とともに、残念に思ってる政策です。
八坂神社の長屋門の下に、多数の蟻地獄を発見しました。蟻地獄を知ったのは、小学校時代の特殊学級の子達との交流です。勉強や運動の能力は健常者に劣りますが、蟻地獄なんていう面白い虫のことをたくさん知っており、休み時間の交流が楽しみでした。放課後一緒にサワガニ取りに行ったり、「何でこんな面白いとこ知ってるの?」という感じでした。当時は、どこ学校にもあった特殊学級がありましたが、今は完全に健常者とは分離されて特殊学校として辺鄙な所にあります。健常者側からの謂れ無きイジメなどが、こうなった原因でしょうが、小さな頃に普段の生活で交流がないということは悲しいことだなと思います。だって僕は、違う能力を持った子達と感じていたから・・・。天澤寺入口の謂れ板に書いてあった文化財指定「室町初期・1403年製・石灯籠」を探したのですが、探し出せず。
「楊津用つ小学校」横を通って、r12・旧道を北上します。選挙なので、小学校に車が来ています。ヘアピンつづら折れを登って、雰囲気のあるトンネルを抜けたとこで、14:37・山へ上がる道でバイクを停めます。この山は、猪名川&r12をグニャリと大きく迂回させる要衝の山塊です。当然、山上に中世の山城があったようで、天澤寺や八坂神社の裏山でもあるので、両寺社の裏側に回って、登城道らしきものを探しましたが見つかりませんでした。館跡の痕跡を探しましたが、目につきませんでした。ハードな山城探索趣味の方は、このトンネル上部から城跡にアプローチしているそうです。僕も・・・と思いましたが、現状はかなりハードです。逆に枝尾根をゆるく下る道があり、それを歩いて行くと、送電線鉄塔に出ました。
14:40、「竹本中美太夫」石碑到着。芸界の名跡なんでしょうが、「この人、だれ?」と思ってたので、調べてみました。猪名川町のHPによると、『テレビやカラオケが普及するまで人々は折にふれ村芝居や、語り物の浄瑠璃を楽しんできました。猪名川町域でも、約200年前に初代竹本中美太夫(たけもと なかみだゆう)が島村に住み、現能勢町北部を含む村々へ浄瑠璃を普及させました。農閑期には稽古に精を出し、慶事や法要には浄瑠璃会が催され、人形浄瑠璃もしばしば演じられました。町内のあちこちには門人の建てた大きな石碑が残り、どの村で教えたかがよくわかります。』
「林田」バス停を見ると、1日に3便でした。昼食を取ろうと14:23、「高原ロッジ・メープル猪名川」に寄ったら、「Villabli Garden Cafe」の営業時間は、11:30〜14:30だって・・・残念。じっくり見たことはなかったのですが、この場所にしては大きな施設でした。こんなにお客さんが来るのかな・・・まあ最初は尼崎市が建てたもんだから、かなり格安で買い取ったのでしょう。
r319〜r323で、三田市「高平」まで西進し、15:03・旧庄屋「半鐘の家」でオープンしたカフェを覗いてみました。道路沿いの斜め駐車場に数台の車が停まっており、流行っているようです。カフェ開業前、半鐘の家を家内と見学したけど、さすが庄屋の調度品で、書や掛け軸も素晴らしかったな。かき氷に惹かれたけど、1人で入るのはなあ・・・とパス。
r37に乗り北上開始すると、ロードバイクが何台も走っていました。交通量も多くなく、ロードバイクには最高の道だよね。僕も夫婦で自転車デビュー日、「西谷農協」に車を駐車し、ここまで走って来ました。でもここで家内がダウンし、近所の道の駅に家内を残し、車を取りに1人で戻りました。「そうだ、あの道の駅で昼食にしよう」。
15:11、「つくしの里」到着。駐車場に入ると、スーパーカブにいかにもハーレーな革バック装着の神戸ナンバーさんが、白リード110さんといました。僕と年齢が近そうな、きっとご夫婦ですね。「かっこいいですね。ハーレーに乗っていらっしゃるのですか?」と聞くと、ビンゴでした。僕同様、奥さんが小型AT免許を取ったから、スーパーカブを買って夫婦ツーリングを楽しんでいる風です。なんだか僕の明日を見たみたい。良い感じです。「つくしうどん(冷)・600円」を注文。米どころらしく、海苔巻き焼き餅付きでした。Good!
駐車場の掲示板に、「高平ナナマツの森」案内板があったので、探索してみることにしました。舗装路を山に入り、「CREO」というお洒落な家?の前に停車。CREO横の案内板に従って、ナナマツの森に足を踏み入れました。管理されておらず、草茫々で木橋も朽ちかけです。夏の草の勢いのある季節でもあり、森に少し入ったとこで断念しました。遊歩道横には、松茸山の侵入注意勧告看板も立っていました。家内怪しい遊歩道ですが、自然は素晴らしそうです。7月に入るとウグイスの歌声も疎らになりますが、ここではまだまだ最盛期です。その他の鳥もセミもいっぱい鳴いています。まさに秩序のない合唱状態です。4月・5月はどんなだろう・・・
r37に戻り、羽束川を渡るとこから、「高売布神社」の方に入ってみました。新築成った神社を眺めながら、前のボロも雰囲気があって良かったななんて。リードに戻ると、カミキリムシの訪問を受けていました。小学生時代、網戸によくやってきていたな。カナブンなどに混じり、クワガタやカブトまで来てたから、我が家も自然豊かだったな。
山に上る道はないかなと、のんびり「小柿」の方に走っていると、「友松寺」の案内板が目に入りました。GO!舗装路からコンクリート路になり、ワクワクです。「山門」と書かれた石柱のとこに駐輪し、山門方向に歩いていきます。雰囲気のある石段で、曹洞宗となっていたから永平寺の末寺らしく、その雰囲気があります。石段は、雨が降ると川になるらしく、流された落ち葉が川筋を暗示しています。かげろうトンボが集団でおり、僕が歩いて行くと前方の石段から一斉に飛び立ちます。
16:10、本堂到着。綺麗に掃除されており、四方から風が吹き抜け良い感じです。まずは拝見料をチャリンとして、手を合わせます。横に回るとお若い住職さんが、庭の草取りをされていました。「こんんちは」「はい、こんにちは」。古そうなお地蔵さんや石碑が並べられていたので、目を凝らして刻まれた文字を読みます。「宝暦」は江戸末期ですね。「大峯山」の文字と「供養」も読めます。行者修行僧がここらにもたくさんいたのでしょう。家内を連れてきたいな。ここまで直接上がってこれるコンクリート車道もあるけど、往路同様に山門石段道で下ります。おおっ、野うさぎが通り過ぎました。「マジっすか」、野うさぎは珍しいです。ピョコンピョコンと可愛く逃げていきます。ここ、気に入りました。
羽束川沿いを低速で流し、石仏を見つけては枝道を徒歩探索したり、廃屋が見えたら覗きこんだりしながら。石碑やお地蔵さんを集めてるところがあり、ここでも刻まれた文字に目を凝らします。「寛政」なので江戸中期ですね。立派な長身のお地蔵さんには覆い屋根と赤帽子に赤前掛けが成され、こういうのを見ると地元の方の愛情や親しみを感じて顔が綻びます。
r309に合流し、16:40「小柿」到着。アマゴ釣り場で、多くの家族が川遊びをしています。ちょいと北上し、「こにし観光園」を覗き、r37で南下開始します。小柿の穀倉地帯の一角に、不自然に木々が生い茂ったところがあります。「怪しいな」と前から思っていたので探索してみます。寺社の鎮守の森と目星をつけて森に突っ込むと、更に枝道があり、そっちに突っ込むと民家がありました。鬱蒼とした小さな森に守られるように、外界から見えません。怪しさ満点なので、周囲を探ってみました。西側は羽束川で東側は田畑なのですが、森と田畑の間に明らかに堀跡があります。「あ〜、小豪族の館だ」。中世はもっと水量が多く、時には洪水に流されそうな中洲に館を作ったのでしょう。森の木々には大木も多く、その育ち具合から想像するに、意外に水害に強い土地のようです。一番高い木のてっぺんに鷺の巣があるようで、夕食時なのかギャーギャーうるさい。アオサギのようです。
17:09、「高平ふるさと交流センター」に寄り道しました。「高平観福の森」案内板があり、山の散策路が載っています。トレッキングスタイルの人もいないので、「ナナマツの森」同様整備されず放置状態になってる散策路が想像されます。
空を見上げると、厚い雲が南下してるようで夕立の心配が出て来ました。r37をブイーンと南下し、r323を東進。「波豆」の八坂神社前から南下し、r33〜r325〜長尾山トンネルで大阪平野に下りて来ました。長尾山トンネルと抜けると、一気にムッとした空気に包まれ、北摂の里山地帯とは2℃は気温が違いそうです。里山ではポツポツ来てたのに、こちら側はその気配すらないです。
18:30・バイク倉庫に到着し、「招き猫CB400SB」の車載カメラマウント作業の続きをします。19:00に帰宅すると、家内はお昼寝中でした。「食べる?」っと聞かれたので、早目に映画館に行ってレストラン夕食しようと思ってたけど、家ご飯があるなら当然こちらの方がいいです。
19:30に、通勤リード110にタンデムして映画館に向かいました。チケット購入機械に向かうと、中央通路から後ろの席は大方埋まっています。おお〜大人気です。中央通路前右側席を確保し、上映時間まで下の本屋さんで時間を潰しました。
「100回泣くこと」の原作本が山積みになっています。その他あれやこれや見ながら、絵本コーナーへ。僕は本好きなので、息子たちには毎日読み聞かせをしました。誕生日など役日プレゼントもレゴか本でした。その御蔭か本好き・文字好きになり、勉強で困ることはありませんでした。家内もその実績を側で見てきたので、目を輝かせて初孫君への絵本を物色しています。僕は、あまりに内容の少ない絵本ばかりなので、「読む方が飽きるな」と僕が子供の頃親しんだ「ファーブル昆虫記」や「グリム童話」など、ストーリーがあったり虫の世界がある親も楽しめるもうちょっと上の年齢用の本に目が行きます。そう言えば、1ページに数行しかないような初期本はあまり読み聞かせしなかったような・・・だって僕が読んでてつまらないもの。
20:30「風立ちぬ」上映開始。宮崎駿さんの新作です。初のノンフィクションアニメだと思います。ゼロ戦設計者の三菱重工・堀越二郎が主人公で、戦争描写が多いと嫌だなとストーリーを追いましたが、それはなく飛行機の設計という仕事と、同期友人や上司との温かみのある流れが心地良かったです。菜穂子さんとのラブストーリーも織り込まれ、ハートウォーミングなままエピローグに向かいました。そして最後に、僕の大好きな「ひこうき雲」が流れだしました。前回映画館でこの予告編を見て、「ゼロ戦設計者物語だから、ひこうき雲なんだろうな」と想像していましたが、暗示される菜穂子さんの最期に被せてあるんだと分かりました。高校生の時、衝撃を受けた荒井由実さんのデビュー曲で、すぐにLPを買っちゃいました。以来、荒井由実時代のLPは全て購入しました。
バイクへのエスカレーターを下りながら、「良かったねえ」と家内と静かに感想を話します。僕得意の他人の褌を借りての夫婦仲維持プログラムは、今回も大成功だったようです。ただ帰宅すると23時近くなっており、二人共ダウン寸前になっていました。

2013/7/15
日曜日は月1のポイントレースでした。家内も休みだったので後ろ髪を引かれながら・・・でもヨットレースを優先しました。
朝4時過ぎに目覚めましたが、早朝ツーリングには出ず、明るくなるのを待ってバイク倉庫に向かいました。「招き猫CB400SB」の左バックミラーの改良です。車載ムービーを撮るので、ノーマル位置のバックミラー(カウルに付いている)が映り込むから、ハンドルにミラーを付け替えています。
カウルなしCB400用のミラーマウントがハンドルに付いているので、そこに付けるだけでいいのですが、そうするとカメラとの取り回しがイマイチになります。そこでそこからアウトサイドにステイを伸ばし、それにバックミラーをネジ止めしています。これで大きな問題はないのですが、ステイを入れてる関係で路面からの振動を増幅してミラーが揺れます。それを改善すべく、ステイ中央部に穴を開けました。10ミリのドリルの歯を新たに購入し、造作しました。ミラー取り付け位置をステイ外端から中央部に変更できたので、揺れはマシになるでしょう。
帰宅後、庭の草刈りを30分ほどして、自転車で早朝散歩に出ました。定番の猪名川土手コースです。伊丹空港を横目に走っていると、よくラジコン飛行機を飛ばしている河川敷に本物サイズのグライダーがいます。ここにはグライダーを飛ばす設備がないので、止まってみていると・・・どうやら鳥人間コンテストにでも出場するようなグライダーみたいです。若者が10人ほどたかって、あ〜だこ〜だしていました。
6:30頃、バイクセブン駐車場を横切って帰宅しました。朝風呂に入って、朝食をとって、7:40にレース装束に着替えて通勤リード110に乗って家を出ました。2〜3分でバイクセブン到着。僕が入ってるツーリングクラブが、8時集合でここからツーリングに出ます。
見知ったMさんとお初の女性がいました。集合15分前なので出遅れたと思ったのですが、そんなことなかったです。その他参加者が主催者Rさん含め7人揃い、定刻5分過ぎに出発しました。R173〜R477〜r19で美山、R162を北上し「名田庄」、鯖街道「朽木」を回るという快走路コースです。いいな。夕立予報が出ていますが、夏の雨は他の季節のそれとは大違いに気持ちがいいので、問題なしです。途中で一雨振られるぐらいが、その後涼しくなっていいです。
8:30前にハーバーに着くと、ライバルJPN34の見知ったクルー君が、僕のバイクの横に停まりました。「おはようございます」。一昨年、20m/sオーバーのレースで、助っ人で我が艇に乗ってくれました。2人であ〜だこ〜だ話しながら、陸置きバース到着。メンバーHさんが来られていました。レース艇の艤装に取り掛かり、いつもの様に他艇メンバーと和気あいあいです。先月西宮YHからお隣バース引っ越してきたT艇が、偽装しています。引越しで一旦マストを倒したので、悪戦苦闘しています。艤装を終えた他艇メンバーから、あ〜だこ〜だチャチャが入るので、Tさんが「ここは落ち着いて出来んなあ」と笑っています。
薄雲・SW3m/sの中、10時頃桟橋を離れてレース海面に向かいます。Hさんのお嬢さんが今春ダイキンに就職したので、僕の中学からの同級生のことを先月のレースで話しました。お嬢さんが興味を持たれたようで、「どこの勤務地ですか?」って聞かれました。偉いさんになってるから大阪本社なんだろうな。
「午後から雨」の天気予報が当たる欠片もなく、薄雲の明るい空のまま、予報通り6m/sに風が上がり、ナイスな楽しいレースでした。レース前、関西ヨットクラブの運営から、「雨が降る前に切り上げますから」と言われていた通り、2レースで早めのハーバーバックです。まあ、いつもの上マークまで0.8マイルの距離から、1.2マイルにレース海面が広がり、2レース終了時点で14時半でしたけどね。
スキッパーSさんが、「ヨットタイマーを買った」と自慢げです。なんと価格が破格の1800円で、のマルマン製です。僕が6000円ほどのカシオGショックで、Hさんが先月3800円のカシオだと自慢したとこなのに、更に下を行きました。マルマンはライター屋なので、時計の中身はシチズン製とかでしょうが、1800円で逆算タイマー付きとは驚きました。ただ、「生活防水」ということなので、10m/sオーバーのハードコンディションになったら、風前の灯火でしょうが・・・。一般日本消費者が、こんな低価格競争をしてるようじゃ、アベノミクスのインフレ誘導は無理でしょうね。
解装後、ヨットクラブのウェットバーでポカリスウェットで糖分補給し、15:30帰路に着きました。16時帰宅なら夕立に降られないかなと思っていたのですが、六甲山や宝塚上空には怪しい黒雲が発生しており、雨宿りも考えながら走りました。ポツポツ来ていましたが、本降り手前で帰宅出来ました。
歯医者に出かけた家内とは入れ違いだったようで、用意してくれていたそうめんとヨーグルトで小腹を落ち着かせ、風呂に入って日焼け止めクリームを落として、ウトウトしたところで、家内が帰って来ました。
家内が行きたいと言ってた近所の新しく開店した喫茶店に向かいましたが、開いていませんでした。そこで気になっていたお店に寄ると、家内から高得点の合格点のお店でした。「ママ友ダベリング御用達」な雰囲気で、女子好みの軽食も充実しています。「お嫁さんを連れて来たいな」なんて、言ってます。「八重の桜」は、薩長官軍の猛攻の前に風前の灯の鶴ヶ城攻防戦で奮闘する山本八重さんでした。綾瀬はるかさんは、次男GFさんに似ています。ふふふ・・・と思いながら、寝てしまいました。

2013/7/8
土日と、僕のホームポートで、コーチしてるK大学ヨット部がレースだったので、そのサポートに行って来ました。全国の7大学の持ち回りレースで、今年の主催は大阪です。
土曜朝、通勤リード110で6時に家を出て、職場に荷物を置いてからハーバーに向かいました。7時前に係留艇を覗き、トイレの動作やエンジン始動チェックをしました。ディンギーヤードに向かい、学生がやってくるのを待ちましたが、なかなか来ません。ここをホームポートにする各大学学生たちのフィッティングなどを眺めていました。7時半頃、大会本部要員がやってきて、続いてレース参加各校部員がのんびりやってきました。ヤードゲートキーがないと入れないので、手間取っている部員もいます。ゲート前にスクーターを移動し、そこで待ちながら、困っている参加選手がいたらカードキーで扉を開けてあげました。
8時前にやっとこ部員たちが来ました。監督やOBのAさんもやってきました。今日のK大観覧船は、K大OBさんや僕の母校KG先輩達が共同所有してるG艇です。ドライブ担当はK大OB・Tさんですが、奥さんが今朝倒れて病院に付き添って行ったそうで、KG・OB・Nさんが急遽交代ドライブでやってくるそうです。わ〜お。
フィッティングしている横でウダウダしてると、次男後輩・兵庫ジュニア出身でKYU大に進学したT君が、「おはようございます」ってやってきました。K大ヤードの隣がKYU大ヤードのようです。彼はこの大会でオールトップかもしれません。8:30になったので、仕事場に戻りました。
日曜朝は、6:30に鳴尾の兵庫県総合体育館に着きました。バイクが気楽なのですが、部員をハーバーまで運ぶために車出動です。クラブ車のワゴン・レンタカーワゴン僕のワゴンの3台で、ピストンします。200mほど南下すると阪神高速湾岸線で、その側道で一気にハーバーに向かいます。15分ぐらいかな。すぐに戻り、第2陣をピストンし車のお役御免です。第2陣の時、部員の一人が裸足です。「どないしたん?気合入ってるね」「昨日の観覧船で靴を忘れて来ました」・・・え〜桟橋やハーバー内を歩くから気がつくやよ〜、あり得ん!おもろい奴です。
大会本部で土曜日の成績などチェックし、K大ヤードで戻ると、1回生2人が観覧船担当としてやって来ました。3人で係留艇の方に行き、ディンギーヤード前の桟橋に移動させました。K大ヤードに戻ると、T君お父さんとお母さんがやってきました。KYU大観覧船はT君とこの船だそうです。T君もやってきました。「今日、僕は上がりです」「他校を舐めとんな〜」「えっ、いや・・・」。土曜日の4レースで470級は、T君とK君がスキッパーをして、全レースでワンツーフィニッシュしました。今日は残り2レースなので、余裕の2軍出場です。
9時頃フラッグが上がり、レース艇が出艇して行きます。朝から南西6m/sぐらいでしょうか、いいレースが出来そうです。スロープや桟橋に部旗を中心に他の部員が並び、選手名を叫んでエール切ります。これが選手に心に響くんですよね。僕が2回生で公式戦レギュラーになり、初めてこれで僕の名前を叫んでもらった時、「みんなの分まで頑張るぞ」と涙が溢れて来ました。学生スポーツは気持ちがいいです。
土曜日に観覧船に乗れなかった1回生・女子マネ・監督を乗せて、観覧船出発です。セーリングクルーザーなので、エンジンが非力で船足が遅いです。予定の10時はAP旗で延期になりましたが、10分ほどしてレースフラッグが上がり、本日の第1レースが始まりました。コクピット上にビミニトップを張ってるので、日陰が出来ます。どうしてもそこに女子マネさんが集まり、僕のドライブ席はハーレムになっちゃいました。
1年間休学してカナダ留学してたリナさんに、「外資系に就職するの?」とか、次男GFさんも同じことしてリクルートから外資系に転職したとか話しました。お肌が白いので、ハットの下に黒カーテンが下がり目だけしか見えません。アラブだね。
4回生ユキさんやコトノさんは賑やかで明るくてとっても楽しいです。おとなしい色白美人さんの2回生ハルカさんに、「今朝、クラブ車を運転してたよね。運転担当になったの?」と聞くと、「免許取りたてで、昨日初めて運転したんです」だって。「エンジンかけたらね、いきなるウーンって凄いエンジン音になったんですよ。みんな無事にハーバーに辿り着けるのか不安でしたよ」って、4回生マネさんに突っ込まれています。「昨日の帰りは高速に乗っちゃうし〜」「曲がったらね、なんか80kmのマークになってて、おかしいな〜と思ったんです。次のとこで高速を下り、料金所のおじさんに「たった9分しか乗ってないから、おまけして〜って頼んだのに、ダメだったんですよ」って半分不満顔で笑ってます。「私も一緒にお願いしたのに、料金所カメラに映ってるからダメなんだと言われたんです」。「ガハハ、ウインクが足らなかったんじゃないの〜」。「あ〜それは忘れた〜。次やってみます。私のミスだから、クラブ会計にもダメって言われて自腹なんです〜」って、笑わせてくれます。どんなことでも、やり始めに珍行動が多くて面白いですね。監督はバウの乗ってる1回生に、レース解説・風の見方などシリアスな話をしているのに・・・。
レースフィニッシュ後、スタート時や最初のレグのコース取りなど、各挺に気づいたことを話します。良かったとことそうでなかったことを取り混ぜて、最後に次のレースに気持ちよく入れるように笑顔で送り出します。
2レース目も順調に消化し、ハーバーバックです。土曜日は西宮には珍しく大きめの波が入り、船酔い続出だったらしいです。まず酔うことがない選手も気持ち悪くなったようです。琵琶湖では経験できない波といい風の2日間でした。元気いっぱいマネさん・ユキさんも過呼吸ダウンしたそうです。幸いOB・Aさんが乗っていたので応急処置して事なきを得ました。Aさんは医学部出身で医学部教授を定年リタイヤされて他大学教授をしておられます。
ハーバーに戻り、直接係留バースに船を戻しました。監督さんはブリーフィングして帰られましたが、僕はTさん夫妻とウダウダしながら閉会式まで日陰にいました。ジュリー委員長の大阪OB・Tさんが前を通ったのでウダウダ。東京の選手が横のスペースで閉会式待ちをしてたので、「OBのカワタ君、来るかい?」なんて声を掛けると、キャプテン君はKMC横浜ジュニア出身・太郎君でした。KMC代表のSさんの話などウダウダ。東京のポロシャツユニフォームの背中ロゴがナイスでした。「七沈八起」と書かれ、完沈から沈起こしのコマ送りイラストがいいです。
兵庫ジュニア出身の子が近畿の学生になって前を通ったり、高校の教員になった中学からの同級生の娘さんが前を通ったり、懐かしいです。西宮市主催のヨット教室で講師をした時、最後に母娘で僕のとこにやってきました。「失礼ですが、・・中の・・ですよね。主人が同級生で・・・」「あ〜懐かしい、元気ですか?」「主人がお名前を見つけ、参加しました。娘がヨットに興味を持ったので、入部させていただこうと思います」・・・小学生から練習に励み、高校生の時、大阪代表で国体に出場しました。引き続きヨットを楽しんで、いいね。
15時閉会式、その後エール交換で大会は終了しました。全員集合の記念写真後、最後のミーティングをしました。若手OBの話の後、僕がレース中気づいたことを話し、海上で1ペアだけに話したことをみんなと共有すべく真面目に喋りました。
そして、「じゃあこれで失礼するわ」。「ありがとうございました」の大声が帰って来て、そこらにいる奴の腰に抱きついて、「練習頑張れよ」なんてスキンシップをしました。僕の行く手を女子選手Mさんが塞ぎ、「私にも〜」って言うので、まさか抱きつくことは出来ず、肩をモミモミ。「今度、いつ来てくれますか?」「う〜ん、わからないなあ」「毎週来てくださいよ〜」。有難いお言葉を頂きました。僕も少々は役立ってるみたい。女子マネさんたちが追いかけてきて、「ありがとうございました〜」って。「こちらこそ。今日綺麗どころに囲まれて、幸せやったわ」って、イタリアーノなのでこういう言葉は、簡単に出てきます。
ハーバー駐車場から出ると、バス停に東北大の学生が長蛇の列をしています。バスが来ても乗れないぞ。路肩に車を止め、キャプテンに電話するが留守電に切り替わりました。サブキャプテンにも連絡が取れません。ディンギーヤードに向かって歩き出すと1回生数人がやって来ました。「どないして帰るの?」「ここで解散になり、各自帰ります」「バス停がいっぱいやったよ。駅までピストンしたげるから乗りな」。阪神西宮駅まで第1陣を送っている途中副キャプテンから電話が入り、助手席の1回生に電話を渡し、ピストンのことを伝えてもらいました。第2陣で全員運ぶことが出来ました。阪神西宮駅・JR西宮駅で降ろし、帰路に着きました。
帰宅して車から荷物を下ろしてると、忘れ物発見です。すぐキャプテンに電話で忘れ物の袋の特徴を伝え、キャプテン宅に送ることにしました。食事して風呂に入りさっぱりしたら、髪の毛が長くなってるのが気になりました。御用達散髪屋にGO!。店頭のクルクルが無いので閉店してましたが、ちょいと覗いたら「やりますよ」ってことで残業してもらいました。
20時頃帰宅すると、家内が帰宅していました。見慣れぬ濡れ物袋があるので、「ターくん(次男)が来てたの?」「いや、それは部員の忘れ物」「なんだ〜、ターくんが置いていったのかと思った」って残念そうでした。「これさあ、キャプテンのとこに送ってくれる?」「いいよ。洗濯しとこうか?勝手に出してもいいかな?」。「いいでしょ」って僕が袋から出し始めると、「ブラジャーとか出てきたら大変だね」って笑っています。眼鏡などの他に、ヨットに乗った時の濡れ物衣類が入っていました。ウエアの1つに名前が書いてあり、誰のか分かりました。
「ざるそば定食だよ」って家内が作ってくれた夕食が出てきたので、TVを点けると「八重の桜」の戦闘シーンでした。美系女子でかなりファンな黒木メイサ演じる中野竹子が銃弾に倒れてしまいました。うわ〜ん、白虎二番隊出撃などいろいろ重なって、涙が出てきちゃいました。「八重の桜」を最後まで見ることが出来、その後すぐ寝ちゃいました。

2013/7/1
日曜日は、夫婦でお休みでした。また家内のバイクの練習でもするかなと思い聞くと、久しぶりに自転車に乗りたいという。僕は早朝自転車をしているけど、家内はしばらくご無沙汰でした。朝7:30に、家内の姉に荷物を届けるために有馬温泉まで行かないといけないし、17時に家内の歯医者さんの予約があります。よって遠出は無理なので、福知山線利用で篠山〜三田を走ることにしました。お題は、「武庫川の源流を見に行こう」です。家内に話すと、「うん、行く」って二つ返事でした。
朝6時から車に自転車を積み込みます。キャラバンの2座席目を目一杯前に移動させます。2本の床埋め込みレースでずらすだけなので簡単なのですが、チャイルドシートを留めているシートベルトが目いっぱいになり、一旦ベルトを外す手間が要りました。3列目も同じく目一杯目に動かし、自転車積み込みスペースを確保します。次に空気入れで、7.5気圧ほどまでタイヤに空気を入れます。続いて前輪を外した自転車本体を車に積み込み、ロープで固定しました。外した前輪は2座席目シート前に入れて準備完了。
リュックに、カッパと輪行袋を2セット入れてこちらも完了。クッションパンツ・サイクリングロングパンツを履いて、ヨットレースで着てるザイク・長袖ラッシュガード+スポーツオーソリティで買った半袖ウエアの重ね着です。重ね着の方がクールダウン率が高いとTVで言ってたので、最近それに従っています。家内はお気に入りのランニングタイツ+ひらひらミニスカート、上半身は僕がプレゼントしたゴールドウィンのロングスリーブジャージ(ピンク)です。可愛いぞ。ぐふふ・・・
7時に家を出ました。R176〜r51・有馬街道という定番ルートで7時半に有馬温泉のマンションに到着。地下駐車場のお兄さんの車の横に停め電話をすると、お姉さん・姪夫婦と小1の姪の子がやってきました。姪の子とは1年ぶりかな、背が高くなって小学生という雰囲気が出ていました。
家内が電話したら、姉にいつものようにみんなで六甲山に登ろうと誘われたのですが、山登りはしたくなかったようで断りました。じゃあみんなで朝食バイキングに行こうと誘われたのですが、例のグダグダ1時間朝食になると歯医者さんの予約時間が気になるので、これも断ったそうです。僕はどっちでもいいのにな。姉は絶対にしないようなカッコの家内を見て、「ファッションを見に来たの」だって。兄の車に荷物を積み替え、ファッションチェックや車に積まれた自転車をあ〜だこ〜だ。姪の旦那さんが興味深そうです。
r98〜R176で三田に入り、JR広野駅のとこからr308で千丈寺湖に向かい、8:42・青野ダム記念館のとこに無料駐車しました。駐車場横に停められた車からラインが伸び、柵に結ばれたアンテナにつながっています。アマチュア無線をしていますね。バス釣り風の方や、ロードバイク数台が停まっています。
自転車を組み立て、JR広野までr308で下ります。8:58、駅に着いて時刻表を見ると次の電車は9:22です。ささっと輪行バックにパッキングして余裕で1番線で電車を待っていました。次の列車案内が、2番線と告げます。2番線は陸橋で線路を渡らなければいけません。慌てて移動し、僕の自転車をホームに置いたら、家内が途中まで持ってきた家内の自転車を取りに戻りギリギリ間に合いました。ふ〜家内の姉の旦那さん・義理兄の実家はJR相野の近くです。お婆さんが暮らす老人ホームを車窓から眺め、9:38・JR南矢代に到着しました。
ここのすぐ近くが武庫川の始まるところです。北から流れてくる川と東から流れてくる龍蔵寺が合流し、武庫川に名前を変えます。河川が運んできた土砂で肥沃そうな地です。地名「矢」「代」を考えると、河川敷を利用して矢竹を栽培していたのが想像されます。「なるほどねえ、お父さんはそういう風に見るのねえ」って笑っています。
北と南の山の間に田畑が広がり、桜が植えられた龍蔵寺川の土手だけが線のようになっています。一目瞭然の地形なので、R372に沿って東に行けば龍蔵寺口に行けるはずです。龍蔵寺川とR372の間の舗装農道を進みます。見通しが良く、交通量ゼロなので、めちゃ気持ちがいいです。
細くなった龍蔵寺川が南に流れを変えて、R372の方に行きました。僕らもR372に乗り、そのまま東に登ると、一昨年弟家族とお蕎麦を食べた「自然薯庵」がありました。まだ10時なので開店準備中です。
R372を西に少し戻り、「龍蔵寺口」から南に入ります。少し勾配が増しましたが大したことないです。去年、早朝バイクで龍蔵寺に行った時、帰り道のここで猪の捕物に出くわしました。猟銃を構えたオレンジ色のジャンパー数人と猟犬が追い詰めた猪を囲んでいるようでした。僕はどうしていいかわからず止まりましたが、「早く行け」の手合図でそこから離れました。
溜池手前の一番急なとこは、いつもの様に自転車を押しました。すぐにまた自転車に乗って進むとほどなく、10:26・龍蔵寺に着きました。修験道の一大道場で、背後の篠山と三田の市境の山塊にたくさんの宿坊があったそうです。沢のようになった龍蔵寺川の水音と鳥の鳴き声がBGMの素敵なお寺です。本堂は、同じ天台宗の比叡山や書写山の伽藍に似て、小ぶりですが良い感じに色落ちしています。敷地内にロッジ風のコジャレた建物があり、中を覗いてみると仏像と法要が出来る広いスペースになっていました。網戸から涼しい風が通り、家内が「ここいいねえ」と気に入ったようです。
鐘つき堂の梵鐘前で、「鳴らしてもいいかな?。「お賽銭の10円分、衝かせてもらったらいいよ」って言うと、ゴーン。「いい音ね」。愛宕山登山口があり、石段下のボックスに木の杖が10本ほどありました。900mとなっていたけど、間近に高い山頂が見えているので、急坂覚悟を想像しちゃいました。
武庫川源流探索はここを登っていくのでしょうが、軟弱探索家の僕らはここで十分です。ここから龍蔵寺口まで一気に下りました。良い感じの勾配でペダルなど回す必要がありません。龍蔵寺川の向こう側の道を下ってみました。プロ農家の軽四トラックじゃなく、乗用車が数台停まっているので、そちらに回ってみました。素人さん家族数組が畑に何かを植えています。丹波黒豆かな?と思って、手を休めた方に聞いてみると、ビンゴでした。秋の収穫が楽しみですね。
JR南矢代近くから、武庫川に沿って下ります。ずっと桜並木の土手で良い感じですが、大部分未舗装なので、1本横の農道を走ります。途中でR372に出ました。車道は危ないので広い歩道を走ります。すぐの「栗栖野」というところから西に向かうR372と別れ、武庫川とともに南下します。「当野」という地区で「油井」でR176に出合うまでが、この日一番のハイライトでした。大きな岩がゴロゴロしてる武庫川の横を、気持よく抜けていきます。適当に木陰が現れ、時々水分補給・激写休憩を入れながら自転車を楽しみました。
R176を渡り、武庫川土手道を下って、11:34・JR草野駅到着。ここでトイレタイムです。家内も快適そうで、ギブアップ輪行にはなりませんでした。一昨年のJR加古川線お墓参りサイクリングでは、途中でギブアップ輪行になっちゃったから、レスキュー電車のある線路沿いサイクリングは気楽です。
R176・武庫川を横目に見ながら、適当に農道をつないで下ります。R176がJRと出合うとこで僕らも合流し、R176を渡りJRをくぐってJR東側を下ってJR藍本駅に向かいます。ここは、「夫婦で自転車」を始めた頃来たことがあります。「覚えてる?」「う〜ん」。更に下り、11:56・「酒滴神社」到着。「あ〜、ここ来たことある〜」って喜んでいます。
線路を渡り、一瞬R176に合流すると、快速ロードバイクが一気に抜いて行きました。「波田」で左折し、大きく蛇行する武庫川にお付き合いします。R176を進めば直ぐなのにね。家内のバイク練習に来た武庫川沿いの快走路の一本山側を進むと、お婆ちゃんとお孫さん数人が虫網とかごを持って畦を探っています。夏の風景だな。
ここの武庫川も土手は桜並木です。前から走りたかった武庫川右岸に渡って土手を下りました。良い感じで下っていたら、未舗装路になり、更に下ったら草ぼうぼうTHE END。仕方なく渡った橋まで戻りました。途中、怪しげな光沢グリーン胴体+黒羽の糸トンボが何匹も飛んでいました。
以前探索した「駒宇佐八幡宮」のとこから、武庫川を渡り再び右岸を走ります。こちらが旧住宅地なので、THE ENDにならない確信があります。大きく蛇行する武庫川を北・東・南の水濠として、こちらの山塊に山城があったそうです。地形を見ながらその在り処を推測します。
対岸に「本庄小学校」が見えてきたので、橋を渡って武庫川の左に出ます。今度は武庫川が反対に蛇行するので、北・西・南を水濠とする里城がありました。それを探索します。嘉吉の乱で、赤松満祐が山名氏に攻められて本拠地・播磨を失ってここに逃げて来ました。
地形を見ながら適当に走り、こういうものの名残りになる寺社を探します。13:03、鎮守の森が目についたので寄ってみると、「井ノ草天満宮」というところでした。江戸時代などに、河川敷を使ったい草栽培でもされていたのかな?本殿の裏側が武庫川に向かい、土塁が残っています。裏に回ると武庫川に向かってなだらかに下った地形です。600年前の出来事なので、治水がイマイチで暴れ川だったであろう武庫川の流れを想像すると、もっと河川敷が迫り、急勾配・もしくは河岸段丘だったのかもしれません。
さらに適当に進むと、13:15・「東山八幡宮」という小さな社がありました。その横に樹木に囲まれるように、茅葺屋根のお宅がありました。かやぶき農家の屋根と違い、鰹木が載っています。小さな前庭があり四方を樹木に囲まれ、隠れ住んでいる匂いがプンプンします。鰹木が載っている所をみると、こっちが元の神社だったのかもしれません。訪問でもしようものなら、「お主何奴」なんて白ひげの眼光鋭いおじいさんが出てきそう。夕方になると各方面に放った手下のらっぱが報告に戻って来そう。そんな時代劇ロケドンピシャな建物でした。途中に赤松氏の「二つ引両紋」が屋根紋として頂いた立派な家がありました。ふふふ・・・頭の中で想像が巡ります。
ここから一旦「JR広野駅」に下ってr308で車まで行く予定でしたが、千丈寺湖までの登りが気になり、下らずにダイレクトでダム記念館を目指すことにしました。お腹も空いたので、ダム湖手前にあった「うわのそら」というふざけた名前のガーデン喫茶店みたいなとこで軽食でも食べようと。
時刻と太陽の位置で方角を考えながら、基本東南に進みます。広い道に出てので勾配を見て「こっちだな」なんてやってると、朝、r308で目にした「三田リサイクルセンター・こっち」の看板が目に入りました。「三田サイクルセンター」と勘違いしたので、間違いないです。ダム記念館の方角がより鮮明に脳内地図に浮かび上がってきました。が、ミスロードしたみたいで千丈寺湖岸道路に出ちゃいました。湖岸道路を走ってダム記念館に戻りました。途中、タイムトライアル仕様のハンドルを持ったTTロードバイクが、一気に抜いて行きました。健脚です。
「あ〜、あの車がない。アンテナもない。すご〜い」。朝いたアマチュア無線アンテナ車はいませんでした。仮説の高いアンテナも跡形ないです。家内とあの高いアンテナが仮説が常設か、ワイワイやっていた回答が出ました。自転車を片付け、車で「うわのそら」に向かいました。が、駐車場がいっぱいで断念しました。r308から一本入った細道沿いのお店なのに、こんなに流行っているとは予想外でした。
千丈寺湖湖畔を走り、r49に出て、前回アドレスタンデム・家内バイク練習で砂利駐車場だったので断念した「やまぼうし」というお店に入りました。少し前、山でヤマボウシの白が目立っていました。僕はカレー600円・家内はピラフ600円、食後にケーキセット600円×2も注文しちゃいました。
r49〜r68〜r33〜r325〜長尾山トンネルという北摂里山定番コースで、15時に帰宅しました。「井ノ草天満宮」探索の時、家内の自転車のフロントギアからチェーンが2度脱落しました。ギアを軽くしようとした時外れたようです。モーターサイクルの感覚で、チェーンが伸びたのかな?なんて想像しました。難なく元に戻ったのですが、僕はこれから暇なので自転車屋さんに調整してもらうことにしました。
小雨がパラパラし出したので家内を歯医者に送りました。途中で雷雨の如き一瞬大雨になりました。2台の自転車を買った市内のスポーツバイクショップに行きました。ショップに着く前に雨が上がってラッキーです。店長に相談すると、フロント・ディレイラーを微妙に調整してくれました。内側にチェーンが落ちないように、プラスチックのマテリアルを付けてくれました。ついでにチェーンオイル&メンテナンスを。僕のも、年1度のメンテナンスをしてもらいました。こちらもチェーンオイル&チェーンメンテンスをば。「お幾らですか?」「自転車屋としては大したことやってないから、無料です」。ラッキーでした。スポーツ自転車部品はみんなここで買って、無いものは取り寄せてもらってセッティングしてもらってるので、メンテナンスやセッティング料はみんな無料です。GoProもここで買ったしね。
家に戻っても暇なので、バイクセブンでウロウロしてから帰宅しました。風呂に入りヨーグルトを食べていると18時になり、家内から電話が入りお迎えに行きました。前回同様、家内の口は麻酔でしびれ、夕食は2時間後に食べるのだって。僕のそば定食だけ作ってくれました。楽しみにしてる「ダーウィンが来た」を見て、家内が寝ちゃったので本日2個目のヨーグルトを持って自室に上がり「八重の桜」を15分ほど見て、寝る態勢になって「世界遺産富士山」の番組の最初だけ見たら夢の中に落ちてしまいました。ああ、楽しかった。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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