ウェブマスター日記 2011/11-12

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2011/12/26
日曜日は、家内の実家のお墓参りに行きました。いつもならお正月お墓参りなのですが、1週間前に次男が資格試験に合格したので、その報告を早くしたいとのリクエストだったので前倒ししました。今は亡き両親にお願いしていたのでしょう。
中国・山陽道利用で1時間ですが、クリスマス寒波到来で道の不安があったので、得意の早朝出発を見合わせました。お陰で朝風呂でホコホコ・ぽかぽかになれました。そう言えば、最近朝・昼(昼休み自宅昼食ついで)・晩3回お風呂に入るのが、デフォルトになってます。今年は暖冬じゃないな。
まずご近所御用達GSでガソリン補給です。セルフになっちゃって、浮気しがちなスタンドです。「空気圧など点検しましょうか?」って声を掛けられました。「お願いします」。推奨2.4なのに2.0になってました。ここ数ヶ月空気圧を見てませんでした。セルフになる前は、窓拭きは当たり前で、オイル点検などいろいろ点検してくれて便利だったのにな。原点回帰なのかも?
宝塚ICから中国道に乗ります。山陽道・三木小野IC下車で、お墓です。いつもの蛇口は凍ってて水が出ないので、墓地内トイレからお水拝借です。家内は墓石の掃除、僕はお花の入れ替えです。お花差しの掃除が水冷たくて厳しかったです。お線香に火をつけようとしたら、使い捨てライターのオイル切れです。お線香を車に持って行き、シガーソケットで火をつけます。お陰で車内が、素敵な和風の香り空間になりました。
家内が合格報告し、次男の会社から親に送られてきた会社冊子を見せています。次男がプリンスと紹介され、大きな写真に写っています。とても嬉しそうです。これを見せたかったみたい。
再び山陽道に乗り、更に西を目指します。「竜野西IC」下車。R2に出て、1週間前に通ったJR相生駅前を通ります。山陽道下をくぐってr44にチェンジし北上です。r5を越え、枝道にチェンジして「羅漢の里」へ。
ここの駐車場に入れて、リュック背負ってここから登山です。「感状山城址」に登城します。ここは、播磨守護大名赤松円心の白旗城の支城です。円心の4男・則祐がここを本拠に、京を追われた足利尊氏追討の新田義貞軍を食い止めた歴史を持ちます。その後、再び京都を奪還した足利尊氏から感状をもらったので、この名が付いています。劣勢の尊氏が義貞に討たれていたなら、室町幕府はないわけで、歴史の1ページを築いた山城です。やっと登城機会を得ました。
「羅漢の里」に、登城案内パンフレットなどがあるだろうと思っていたのですが、ナッシングでした。「道に迷わないかな?」と不安が頭を過ぎりましたが、しっかりと道案内が立ち、迷う所はありませんでした。「感状山城址まで850m」、登城開始です。野生の蘭保護の柵内を覗きましたが、この時期影も形もありません。
すぐにつづら折れの階段道になり、ゆっくり登って行きます。家内は、張り切ってぴっちりタイツ&ミニスカートの山ガールスタイルです。写真を撮って家内に遅れて上がると、なんだかいけない事してるみたい・・・。すっかり葉を落とした「いろはもみじ」や「山桜」の道を上がっていくと、向かいの山の上の方に祠が見えます。少しづつ標高が上がり、素敵な下界の景色が見え出した所で、小さな石垣が見えてきました。「おお〜」、中世の山城の石垣遺構は貴重です。
「感状山城址入口」の立て札です。「物見岩」だって。下界の景色がいい。山頂が見えており、中世の山城遺構ではかなり大規模な石垣遺構がはっきりと見えます。ワクワク。「V曲輪」、「出曲輪」「井戸跡」、井戸はわからず。「大手門」と上がって行きます。ここまで左右の急斜面を天然の要害にして、尾根上に曲輪を配して防衛線を張る縄張りです。かなり大きな扁平地なので、大きな建物が建っていたのでしょう。ここから南側に山頂をぐるりと巻いて斜面を横走りします。
石がゴロゴロしており、この斜面も天然の要害です。一気に山頂本丸曲輪に上がれないように工夫されています。攻撃側がここまで攻め登っても、これからまた一苦労です。ここの足元がもっとも危なく、Wストックで足場を確認しながら慎重に上がります。絶景です。寒くて風も強いけど、冬の空気で澄んでおり、キラキラ光ってる播磨灘まで望めます。先週登った広峯神社から見えた姫路の沖の丸い島が見えます。
ここが山頂だと思ったら、更に上がありました。見事な石垣遺構が残るここの広い扁平地は、「U曲輪」でした。南と北の曲輪があったようで、帯曲輪も一段低い所を巻いています。さらに奥に登って行くと、山頂の本丸があっただろう「T曲輪」がありました。ここにも石垣遺構があり、物資運搬が難しい山城ということもあり、この城の普請には相当お金が掛かってるように想像されます。「播磨テクノポリス」に向かう高速道が、眼下の山々を縫うようにチラチラ見え、直線で結んでいます。
「史跡・相生市感状山城址」の木柱が立っています。後ろには「相生市教育委員会」「標高301.05」と書かれています。「感状山城址・基準点」も打たれていました。30分ぐらいで上がれるとあったのですが、寄り道や景色を楽しんだし、いつものように激写タイムも掛かったので、1時間登山でした。
「ここでお弁当を食べるのがいいね」と言うと、「補給食あるよ」って、家内が僕のリュックから仏壇からのおすそ分けを取り出しました。弟がお供えしてくれたみたい。ドライパイナップルにチョコレートが巻いてあります。崩れた中世の石垣?に腰掛けて補給食です。NHK・Eテレ「あなたも今日から山ガール」で知った補給食の真似です。
時刻は、13:30。下山します。たくさんの乾燥落ち葉が山道を覆ってるので、下りこそ慎重に足元を見ないとね。「U曲輪」の景色のいいとこで、男性がお茶を飲んでいました。僕らより後に登って来て、お茶してるみたい。「こんにちは。寒いですね」。下山してると、さっきの男性が「お先に」って抜かして行きました。足取りも軽く、「ちょっと絶景でも見てくるかな?」って感じなんでしょう。
下りてきました。登城口横の小さな水車小屋に人の気配です。「桔梗隼光鍛刀場」、山城の麓にふさわしい施設です。歴史の表舞台にあった時代にも、あったんだろうなあ。駐車場・小さな庭園・交番・トイレ・案内所?・ピザとパン窯焼き体験・食堂、これが道路沿いに集まって「羅漢の里」と呼んでるようです。食堂に入って昼食です。おにぎりとお蕎麦のセット650円、かないはおかか、僕は梅おにぎりです。
地元のオバチャン達が交代で店番してるお店なのかな?お客さん含めてアットホームです。「お城に登られてこられたの?」、山城研究家が時々山城好きを連れて登られるそうで、その時の資料を見せてくれました。ダイジェスト版のコピーももらいました。山城の話から篠山の話、鹿・猪の話と展開し、僕らの少し前に降りてきた猟師さんは、猪を2頭仕留めたので早じまいだとか。猟犬はまだ元気有り余ってたそうです。室内展示されてた写真立てを、家内が買ってました。お礼を言って外に出たとこで、店内でうどん食べてたおばちゃんが売ってる正月飾りを見つけ、「これ買おうか?」だって。藁で編んだ飾りだけど、ちょっとお洒落で綺麗です。2個お買い上げで1000円。
続いて「龍野城」に向かう予定でしたが、15時になってしまったので帰路です。12月は、16時になると暗くなってくるからね。北上して中国道・作用ICから帰ってもよかったのですが、少しでも早く帰ろうと山陽道・竜野西ICから高速に乗りました。宝塚トンネル渋滞はありませんでしたが、宝塚手前で事故渋滞があり、のろのろ2kmでした。
宝塚IC下車し、家を通り越して、「ホンダドリーム豊中」に寄りました。先週、「ホンダドリーム尼崎」でCB400SBを買ったのですが、今度は家内も乗れそうなディオ110の試乗です。僕の通勤リード110は、教習所で乗ったアドレス125より一回り大きいので怖いらしい。アドレスならOKなんだけど、原付50の車格に125ccエンジンだから走り過ぎるし、タイヤが10インチで振動が大きそうで、今年出たディオはどうかな?と思っています。
「すいません、ディオ110を見せてください」。車体がリードよりスマートで、シート幅も狭いようで、シート高は同じですが明らかに足つきがいいです。家内もリードよりマシそう。価格は19万円で、諸費用含めたら21万ってとこでしょうか。
日本の道はとてもいいようで、50ccの10インチでもOKですが、石畳とかがまだ残るヨーロッパや未舗装路がまだ多いアジアでは、14インチが主流なんだとか。去年出した世界戦略車14インチPCXがバカ売れで、その兼価版として14インチリード110が出たそうです。タイヤサイズが大きいと、基本的に乗り心地がいいです。店長さんによると、急激な切れ込みもなく、乗りやすいバイクだそうです。家内にはこれを薦めたいんだよね。話好きな店長さんで、僕が質問する隙もなく話が尽きません。CB1300・CB400からVTR250や、これも今年出たCBR250の話に飛びました。家内がつまんなそうなので、適当に切り上げました。
「お父さんは、どんなバイク買うの?」「う〜ん、これがいいかなと思ってるんだ〜」ってな感じで、CB400SBを見てもらおうと思ってたのになあ。速攻で買っちゃたんだけど、まだ家内には言ってません。1週間前に「少し大きなバイクを買うわ」とだけ言ってる状態だから、もう買ったなんてわかったら、「さては決めてたな」とわかっちゃいます。別に怒られることは、ないんだけどね。最寄りのドリーム店は尼崎だけど、あの店に行ったら、「おとといは、ありがとうございました」なんて言われて、全てバレちゃいます。何事も軟着陸が肝心です。
帰宅後、高速のSAで買った小さなクリスマスケーキを2人で食べて、クリスマス気分になって1日の終わりです。ああ、楽しかった。

2011/12/19
日曜日は、家内の里・播州播磨にドライブしました。播磨や晴れの国・岡山・備前は、気候が温暖で低山がポコポコあって好きな場所です。
先月、僕の母校が宿敵Ritsさんに勝利し関西を制し、この日は学生日本一を競う大一番・甲子園ボウルでした。当たり前のように、ヨット部先輩から応援の誘いを受け、僕としては当然甲子園ボウルなのですが、家内もお休みでそうもいきません。前回の甲子園ボウル(長居陸上競技場)には、夫婦で行きましたが、僕含めて周りで盛り上がる僕らの温度についていけていませんでした。一応教えたのですが、ルールが理解できず意味不明な顔をしていました。トイレに立ったら、方向音痴の家内のことなので席まで帰ってこれません。スタンドに戻ると、満席の人人人に圧倒され、僕が来るだろうとそこでストライキ。ふと気づいたら、家内が帰ってきてないので、「やばい」と思ってトイレまで走り、やっとこ連れ戻せました。僕らは、中学から授業でやってて、ツボの渋いプレーまで分かり、応援団のチアガールの妙技とミニスカートにスタンディングで声張り上げてるし・・・異星人だったのでしょう。
ということで、クラブOBの応援団に不参加の連絡をしました。でも何もなかったら甲子園に行って当日券で入ろうと思ってました。僕と2人だけなら家内も楽しめるかなと思って。ところがその数日前、赤穂浪士の季節でTVで見たのか、「赤穂城に行ってみない?」とのリクエストを頂きました。「ああ、いいよ。じゃあそうしよう」と、ゴマすり旅です。
まず向かったのが姫路「広峯神社」です。羽柴秀吉の軍師・黒田官兵衛関係です。家内の父親の実家は、播州の志方城の城郭内と思われるところにあります。もし戦国時代から住んでいたのなら城勤め武士と考えるのが自然です。近所は播州に多い家内の旧姓が多いし。その城の娘が、黒田官兵衛の正妻です。
こないだ読んだ司馬遼太郎「播磨灘物語」によると、戦に敗れ北近江から備前・福岡に流れてきた官兵衛の祖父・父が誠実で人望を得、この広峰山に住んだそうです。広峰山・広峯神社は、全国の牛頭天王崇拝の頂点にあり裕福だったそうです。
古来、農耕の大力・牛はとても大きな存在でした。同じく牛を大事にする仏教と結びついて、五穀豊穣・疫病平癒の神様となりました。明治以前の寺院と神社の関係の基本形・神仏習合そのものなので、天皇中心主義で国を統治しようとした明治政府が、神仏分離を政策とし、弾圧されそのほとんどが今は素戔嗚尊を祀るお宮になっています。
信仰の厚かった牛頭天王崇拝の頂点・広峰神社は、そのお札を売り歩く世襲の社家を抱え、社家はさらに手代を抱え全国を渡り歩きました。その手代に黒田官兵衛の父親になったそうです。北近江地方薬の目薬を製造し、この流通網に乗せて財を成したそうです。その経済的基盤で郎党を抱え、地方の一勢力となっていきます。代表社家である広嶺氏自身も、鎌倉室町時代活躍した播州・赤松氏の与力として合戦に出陣した有力豪族です。合戦ばかりにある戦国時代末期以前は、ほとんどの武士は農業・商業等様々な正業を持った片手間武士でした。日頃何も生み出さない専業武士を多く抱えられるほど、大きな経済力を持った豪族はいませんでした。平将門が活躍した平安時代の合戦なんて、雪の積もる冬はナシ、種まき田植えの春はナシ、取り入れの豊穣の秋はナシで、農閑期にするものでした。
黒田官兵衛の父の誠実さや温かい心根に惹かれ、黒田軍は強く、姫路の御着城主に贔屓され、外様にも関わらず筆頭家老にまで出世しました。そこに生まれた官兵衛は、生まれながらに筆頭家老です。経済力に裏打ちされた黒田軍が、御着軍の中枢・最強だったので、主君・小寺氏が毛利贔屓にも関わらず、独自に信長方を標榜し、秀吉軍に自らの姫路城を無償提供するという独自路線を取れたようです。その辺を現地で見てみようと、以前から考えていたので、この機会に実現させました。
えらく長い前置きになってしまいました。8時過ぎに出発し、中国道で滝野社IC下車。山陽道で姫路下車が近道ですが、ツーリングマップルで景色のいい道指定されてるR372の西脇・姫路間を走るためにこっちに来ました。
時々、細道やクランク道がありますが、交通量が少なく快適です。低山がポコポコ現れる播州の風景と田園が気持ちいいです。「法華口」という見覚えのある地名が現れました。一昨年、北条鉄道利用の「夫婦で自転車」で走ったところです。あの時車窓から見えてた特徴ある低山の頂を今度は車から眺めます。「あの時、走ったとこや〜」「ほんとやわ〜。暑かったねえ」って、有頂天夫婦会話です。息子たちが小さかった時、何度も通った「姫路セントラルパーク」の案内板も登場。「山陽道」の下をくぐり、「広峯神社」検索してGPS誘導に切り替えました。
「野里」という場所に差し掛かり、「お祖母ちゃんの家があったとこやわ。夏休みになるとお姉ちゃんと電車に乗ってよく来たわ。何処だったのかなあ・・・」って懐かしそうです。宗教をやってたので、でっかい集会場などもあり、広々としてて楽しかったそうです。
広峰山への山道を登り始めました。姫路が眼下になり、綺麗な建物横の駐車場に車を入れました。姫路の街・播磨灘の絶景が広がります。「こりゃ、夏場はアベックのメッカになるな」。「神社にしては綺麗だな」と思ったら、ホテルでした。ロビーにはウェディングドレスが飾られていました。
展望台の案内板の沿って山道を入りましたが、イマイチでした。徒歩登山道みたい。車で再び上がりました。カーブを曲がったら、広峯神社の鳥居が見え、その前が駐車場でした。駐車場がもう一つあり50台ぐらい停められそうです。大きいな。
参道を歩いて本殿の方に向かいました。南からの参道の両側が崖で落ち、即山城転用というより、山城機能を持っていたのでしょう。最後の急坂を登ったら本殿がありました。拝殿にお参りし、周りの建物を見物します。落ち着いた感じのいい神社です。お正月を迎える準備で職人さんが忙しく働いていました。
「奥の院」まで徒歩10分と書いてありました。案内板の地図を見ると、後背の山の山頂です。「なるほど、詰めの城」ですね。ということは、ここが広峯氏の館機能を有していたのでしょう。
帰り道、気になっていた横道に逸れてみました。とても古い半分朽ちた土塀が続いています。1軒だけ大きめの郵便ポストが目立つ家があります。「切手・はがき・印紙」の看板も上がっており、個別郵便ポストではなく、集荷ポストのようです。委託されて郵便事業をしておられるのでしょう。表札を見ると、事前調査した2軒だけ残ってる社家さんの家でした。「お〜」。急坂を下りだすと、下からオフロードバイクがゆっくり上がって来ました。そして、さっきの家のある路地に。その先には、元社家住宅地だっただろう平坦地があるだけなので、郵便社家さんの末裔さんのようです。「やっぱこの坂は、オフロード車のトルクがなくちゃね」。ここからの出勤なら、毎日が「出陣」って感じだな。
次は「龍野」です。家内に「そうめんの里」と打ち込んでもらいGPS誘導開始です。「広峰山の隣の「増位山」って、あのお相撲さんの増位山だよ」なんて教えてもらいました。僕の母親が存命だった頃、一緒に登った「書写山」が青い空にくっきり見えます。r5〜R29経由で、「そうめんの里」到着。
冬でそうめんの季節じゃないので開いてるかどうか心配でしたが、営業中でした。「にゅう麺売らないとダメだから、開けてるよ」の家内が正解でした。播州そうめん・揖保乃糸の工場です。ハーレー2台・カワサキ大型バイクの隣に停めました。1F「レストラン庵」で昼食にしました。家内は1番人気と書いてあった定食1050円、僕は2番人気の「鯛めん」1260円を食しました。鯛のお頭の方半分+ご飯+香の物+にゅう麺2束分=めちゃお腹いっぱいになりました。鯛がうまく、味といい量といい、ベリーグッドでした。ここを目指してのツーリングも「あり」だと思います。自分へのお土産に「桜せんべい399円」購入。13:02出発。
隣の席で御飯食べてたハーレーおじさんさん達が、隣で地図を開いています。「寒風、何するものぞ」。次は「龍野城」を予定していましたが、日が短いのでカットし、赤穂城に向かいました。R2を相生まで走りR250、噂によく聞く「道の駅・ペーロン城」横を通りました。更に進むと、「相生産業高校」がありました。兵庫県の高校でヨット部のあるのは、うちとここと日本海にある1校だけです。西宮である国体予選に来るのはここだけなので、勝った方が国体選手です。風が上がれば、凪の多い相生湾練習では対処できず、楽勝になります。ここに負けたことがあるのだろうか?入部したら、国体選手確定でした。まあ、部内で1番にならないとあかんけどね。
GPS指示を無視し野生の勘で、「ここかな?」と枝道に入りました。「関西電力」と書いてあるので、間違いないでしょう。相生湾の高台海岸道路に出て、火力発電所横を通り、「坂越」から坂越湾沿い道路へ。賑やかな幟の立ってる「道の駅」があり、たくさんのバイクや車が停車していました。「牡蠣」です。
更に高台海岸線を走り、途中激写タイムしたりして播磨灘の海岸線美を楽しみました。でも、1ヶ所「土日祝日・二輪通行禁止」の区間がありました。細道・急坂があったので事故防止でしょうが、四輪でも離合できるから、「そんな殺生な」と思いました。アース製薬以北250m区間があるだけで、バイクでこの海岸線を通しで楽しめません。
赤穂城址入りです。「大石神社」前の無料駐車場に入れました。赤穂城址は石垣だけで本丸などはありません。でも工事してて、お城作るのかな?赤穂浪士という全国区ブランド持ってるんだから、大石神社だけというのも寂しいね。お城作ってブランドアップしたらいいな。四十七士石像の間を通って神社に入ります。石像の寄進者名が石像下に打たれています。同じ名字・・・嫡筋の末裔さんですね。苗字の違うのも、傍流の末裔さんと想像されます。いいねえ。もし僕がこういう関係があったら、喜んで支出します。百年は残る家系の名誉です。代々がここに子供を連れてきて、「あんたの中に流れる血はね・・・」なんて言うだろう。それだけで、曲がった道への誘惑の矯正弁になりそうです。
お参りして帰路に着きました。GPSに従って素直に赤穂ICから山陽道に乗り、15:24竜野西SAで休憩。ここには目的があります。「書写山千年杉バウムクーヘン」1050円の購入です。小倉とゆず2個買いました。
宝塚トンネル12km渋滞はいつものことで、のんびり通過しました。宝塚IC降りて、ロードサイド靴屋で家内の仕事靴を買いました。調度良かった3E靴が、分厚い靴下になって痛いそうです。女子靴もいいけど、男子靴は?ってことで、4E男子靴を買いました。男子用だから、一番小さなサイズです。いつも通り、楽しい1日になりました。

2011/12/12
昨日は、原付リードで原付二種グループのツーリングに参加しました。家内が仕事関係の勉強会と中華忘年会で振られてしまったので、バイクです。ほんまはVTR250の方に乗りたかったけど、そっちのグループは日生にカキオコ食べに行くとのことなのでパスしました。往復高速になりそうで、いくら冬用バイク装束で寒くないといっても、高速の寒風にさらされなくても・・・。
8:30に、近くのバイクセブンに待ち合わせだったので、早朝自転車しようと思ってましたが、寒くて断念しました。5時に起きてたのに、ズルズルとあ〜だこ〜だしてました。12/10前後が1年で最も日の入りが早いです。そして日の出が最も遅いのが元旦前後。トータルで最も日が短いのが12/20前後の冬至です。僕の楽しい活動時間である夜明け〜出勤までの時間が短くて難儀なことです。
家を出てすぐ、8:20にガソリン補給しました。130km/3.25L=40.0km/L。 1〜2分でバイクセブン到着。今日のメンバーは4人で、僕はAさんに続いて2番目に到着。本日参加しないメンバーさんが2人来られていました。あ〜だこ〜だしゃべっていると、リーダーさん到着。なんと400ccのアメリカンバイク・ホンダスティード。朝、二種スクーターのエンジンが掛からなかったそうです。最後の参加者からリーダーさんにメールが入りました。「寝坊です。直接目的のピザ屋さんに向かいます」。
ということで、出発です。僕が3台の最後で、r13・r12を北上します。「道の駅・いながわ」到着。僕らと同じような二種バイクのグループが入っていました。トイレを済ませてバイクに戻ると、三重県名張からグループのサブリーダーさんが、400ccスクーター・ヤマハマジェスティで入って来ました。「今年最後だから、でかい方でOKだからおいでよ」と、リーダーさんから声をかけられていました。重い腰が上がったようです。
10:04、そこにある「ベーカリーカフェ」で、セットメニュー360円で暖を取りました。リーダーさんは、エンジンを掛けるためにキックを連発し暑くなったので軽装で走りだしたそうですが、あまりの寒さに暖を取らないとあかんみたいです。その後コンビニでカイロをあちこちに貼り付け、新聞紙(なに新聞かは不明)を胴に巻き、蘇りました。ここのセットは、棚に並んでいるパン1個+コーヒーor紅茶です。朝ごはんを食べたのが7時なのに、10時にして再び食べました。メインのピザは入るのか?
出発しようと思ったら、寝坊したBさんが入って来ました。集合時間に目を覚ましたそうです。僕は真ん中に挟まれて、5台でr12を北上開始です。サブリーダーさんは、来る途中凍結道路でタイヤが滑ったそうなので、これから向かう峠は要注意です。僕は車間距離取るし、カーブ・特に下りカーブで減速が大きいので、時々遅れ気味になりながら、r12沿い篠山のクワモンテというピザ屋さんに、10:30過ぎに到着です。
前回、夏前に来た時は10:30開店前からお客さんがいっぱいだったのに、さすがに寒くなり減っています。でも僕らの席はなく、15分ほど待ちました。それぞれ思い思いのピザと飲み物を注文し出来上がりを待ちます。「あっ」っと言ってリーダーさんが表に出ていきます。篠山で合流予定だった春日在住のCさんが外に見えます。6人になりました。Cさんは獣避けフェンス修理の地区仕事があったようですが、予定より早く終わったのでここまで来られました。猪や鹿からの害がバカにならないからなあ。食べながら、あ〜だこ〜だ。結局僕が最後に食事終了。食べるの遅いね。
当初の予定通り、篠山中心部に向かいます。r12北上、R372西進して篠山城址前の市役所にバイクを停めます。休日なのでOKみたい。新しく出たドカティ・ディアベルを含む高そうな大型バイクのグループ、「道の駅いながわ」で見た二種グループのバイクが置いてありました。
ブラブラ徒歩散策です。二階町商店街は歩行者天国になっていました。歩行者天国の西端まで歩き、戻ってくるとなんと弟家族に会いました。岸和田からの遠路です。先月末に母親の3回忌で参ったばかりなのに、母の命日が12/21なので月命日参りとしてお墓に来たそうです。弟は僕以上に信心深いからな。まあお嫁さんの実家の影響でしょう。
「上二階町」交差点角のお餅屋さん「一休とんち餅本舗」に入りました。テーブル席2つの小さなお店ですが、赤福餅みたいなのが3つ&日本茶で250円(急須ごと来るので4〜5杯分)というセットメニューを注文しました。コーヒーが250円だから、お得です。お餅がうまく大正解でした。
バイクに戻ると、二種グループは消えていましたが、BMWグループが新たに入っていました。高級バイクをジロジロ眺め、ここで帰路が反対のCさんとお別れです。5台で同じ道を、「道の駅いながわ」まで戻りました。鈍足の僕は、カーブで前が開くもののなんとかついて行きました。
「道の駅いながわ」で解散です。また一緒になった二種グループさん達、あとから入ってきた今年発売されたCBR250のいるグループさん達と、あ〜だこ〜だ。CBR250は、僕の乗ってるVTR250のV型2気筒に対し、単気筒です。トルクはあるだろうけど、高速道路などで高回転になった時の振動が気になっていました。それを聞くと、ショートストロークを採用してるようで、振動が軽減されシングルとは感じないそうです。よく回る乗り易いバイクだそうです。レンタルバイクする機会があれば乗ってみたいです。
最遠のサブリーダーさんが名張まで帰っていかれました。続いてリーダーさんがサイナラ。僕とAさんはバイクセブンまで帰るので、月に離脱しました。Bさんはタバコに火をつけ一服されています。西宮の二輪館に向かうのだとか。往路と同じだとアレなので、地元の僕が先導してr12旧道で南下します。猪名川沿いのこの道が好きなんですよね。狭い道もあるので、高速車に追いかけられる心配もありません。
バイクセブンに到着すると、Bさんがいました。バイクセブン2Fにオープンしたバイク王で、Aさんに中型バイクを買わせようとする僕の魂胆に加担してくれるようです。Aさんに散財させる会の会長と副会長ですからね。Aさんが狙ってるアメリカンタイプも並んでいました。僕がいいかも?と思ってる1週間ほど前に入荷したCB400SB黒もまだ並んでいました。走行距離5000km・2年落ち・55万円は良い感じです。まあ、購入後のメンテナンスとかいろいろ考えると、僕は一般店購入になると思いますが。
ここで解散しました。A・Bさんは一緒に帰るのでしょう。帰宅後、まず風呂に入って、また食事しました。本日5食目です。1日絶食してもOKだね。寝る前にもお風呂に入ったので、3回風呂に入りました。寒くなると、お風呂は天国です。そのまましっかり寝ていたら、電話で起こされました。家内からです。駅までお迎えだなと思ったら、ちょうどバスが来るので乗るそうです。居間の暖房を入れ、お風呂を追い焚きスイッチON、忘れてた洗濯物を取り込みました。
そろそろかなとバス停に向かおうとしたら、門扉の開く音です。早や。お互いの1日を面白おかしく報告しあい、楽しかった1日が終わりました。

2011/12/5
日曜日は、丹波に紅葉狩りに出かけました。朝天気が良ければ、篠山盆地の雲海見物を予定していましたが、友人の結婚式出席のために突然長男が帰ってきたので、朝7:30に空港まで送る用事が入ってキャンセルになりました。嬉しそうな家内も乗せて空港まで出かけ、帰宅後家内は年末の町内会大掃除で家の周りの掃除です。僕は散髪。帰宅後、掃除の最後を手伝ってお終いです。
また六甲山を歩く提案をしましたが、「今日はしんどいからダメ」ってことでドライブになりました。中山台住宅地内をうろうろしながら、早朝バイク定番の長尾山トンネルを抜けて北摂里山地帯入りしました。中山台では何ヶ所も大阪平野一望の道を見つけました。ど真ん中に飛行場が見え、離着陸する飛行機が楽しいです。夜景ポイントが増えました。
r33で、全山紅葉になる低山の横を通りましたが、なんだかイマイチです。次に、定点観測ポイント・r323沿いの春日神社に寄ります。いつもながらの良い風景で、紅葉でパッチワークになってる山が綺麗です。一眼レフ持参なので激写します。木器から酒蔵を通って、伊丹市野外活動センターのとこの公園に行ってみました。見事な紅葉の場所ですが、最高の時の60点でしょうか。途中の羽束川からの山の紅葉も60点かな。それでも激写タイムしました。
志手原の交差点とこで獅子舞やってて、ここから新三田に抜けました。R176を北上し、JR藍本とJR草野との間の山を回避する坂の少ない道を探しながら古市に抜けました。篠山から自転車でJR沿いを帰ってやろうという願望の実現の為です。古市では、時代祭みたいなのをやるみたいでした。ここでガソリン給油しました。店員さんが並んでいたので入ったら、なんとセルフスタンドで、また溢れさせちゃうとダメなので、満タン手前までで止めときました。僕はセルフ給油苦手です。何度も溢れさせています。
篠山口を更に北上し、「追手神社」に寄りました。R176走りながらも目立つまっ黄色の大イチョウは、もう裸になっていました。途中で色づいたイチョウがたくさんあったので期待して来たのですが、終わってました。境内の案内に光秀の築いた金山城まで40分とあったので、「暖かくなったら登ろう」と家内がやる気満々になってました。でもまあ、駐車場もある山の反対側の金ヶ坂公園の方からの方が楽そう。
一旦篠山にバックし、r77で篠山川沿いを西進します。「夫婦で自転車」で走った篠山川渓谷は今日も素敵です。足利尊氏が弟・直義との抗争に敗れ、京都から逃げ出して一時軍事拠点にした石龕寺を目指しました。途中、「慧日寺」に寄りました。室町時代の開山で、尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建てた京都天龍寺と関係が強かったと書かれていました。当事は、足利幕府から援助も入った裕福なお寺だったのだろう。大きな茅葺屋根を持つ由緒有りそうな佇まいでした。
見物していると、大きな建物の方丈から出て来られた方に、「2〜3日前に屋根をふき替えたばかりだよ」と教えてもらいました。一部葺き替えられ、旧の屋根と新の屋根がはっきりわかります。宴会してる笑い声が聞こえるので、この工事の完成を祝って、住職が振舞ってるのかもしれません。ここも、光秀の丹波平定の折に焼かれたそうです。
さらにr77を西進し、R175との交差点付近から、「石龕寺」への枝道に入りました。京を追われた尊氏の軍事拠点ということだったので、もっと山の奥に入るのかと思ったら、そうでもありませんでした。ということは、ここまで中央政権の影響が届かなかったということです。ずっと変わらず尊氏友軍だった播磨の赤松氏の影響があったのでしょう。元々尊氏が京都に攻め上がったのは、丹波側からだから周辺の豪族は、親尊氏だったのでしょう。ここはもう安全地帯だったことが想像されます。やはりそこに来なければ、当事の社会情勢を想像できませんね。
駐車場に車を入れると、焼き栗屋さんが「1つ食べてみて〜」って家内に声を掛けました。あっさり断ってました。もったいない。案内図を見ました。意外に大きなお寺でした。奥の院まで30分以上歩かなければならないようでパス。立派な仁王門です。謂れ板が何本も立っており、すぐに駆け寄ってじっくり読みます。尊氏自身が篭ったのではなく、息子の2代将軍義詮と兵2000を置いたそうです。
終わりかけだけど、良い感じの紅葉の参道でした。明治維新の廃仏喜捨制度前のお寺内に神社がある形式で、さすがにこの由緒あるお寺の寺格に押されて、神社を葬ることは出来なかったのかな?なんて想像しました。いい雰囲気でした。
車に戻って、さっきの焼き栗屋さんを覗きに行きました。1袋1000円をお願いすると、「まず食べて。美味しかったら買って」と言われました。切れ目が入っててすぐに剥けます。「生の栗のうちに切れ目を入れて・・・、そうすると甘みが出てこんなにうまくなるんですよ。栗は中国からの輸入物ではなくここのだよ・・・」。2週間前にあった紅葉祭りのことや、例年の見頃のことなど、いろいろ情報を得ました。僕は、早朝バイクでも田舎の里山で遊ばせてもらっているので、できるだけ地元GSで給油し、地元で買い物をしようと思っています。なんだかんだ、道を整備するのも、山道の草を刈るのもみんな地元の人なんです。そこの経済が疲弊し、若者が都会に流出しすぎちゃうと、僕の遊び場が快適でなくなります。「ありがとう」って、感謝して1000円払いました。「おまけしとくね」だって。こういう人と人のつながりが、僕の心を潤してくれます。
あちこち道草したので、1時を回っています。焼き栗を早速食べながら、お昼ごはんに向かいます。やってるかどうか分からないけど、だいたいお店が未だ健在なのかもわからないのですが、以前「達身寺」訪問の時に見つけた「玉子ごはんのお店」に向かうことにしました。VTRでの初丹波ツーリングの時、石生の「水分かれ公園」で会ったツーリング夫婦に、「達身寺いいよ」と、教えてもらい向った思い出の場所です。
R175に出て加古川沿いを北上開始。途中で対岸を走るr109にチェンジ。バイクの癖で、細い方の道を行きたくなっています。r78に出て西進。「達身寺」の案内板に従って進むとお店は健在でした。「さあてと」と勇んでお店に入ると・・・「玉子ごはんですか?・・・2時までなんです・・・」。「へっ・・・2:10」がっくり。売店を見てると、2組も玉子ごはん目当てのお客さんが来られました。みなさん、がっくり。
4時に帰らないと映画に遅れるので、ここから帰路です。「北近畿道・氷上IC」のとこで鮮やかなイチョウを見つけたので激写。播但道春日ICまでR175を走りました。春日に来ると、以前登った「黒井城址」が遠目に見え出しました。途中の曲輪にある赤屋根展望所も見えます。この城址は、素晴らしい眺めでした。
「春日IC」から舞鶴道に乗り、「西紀SA」で昼食になりました。僕は間違いのないカレー、家内はちょっとご当地な猪肉丼。定番の「中国道宝塚西トンネル」の渋滞は8kmとなっていたので、そのまま高速で帰りました。10kmオーバーしてくると「神戸三田IC」下車を選択するようにしています。
帰宅後、映画を見に行くために、4:30に家を出ました。今度は通勤リード110タンデムです。「ココエ尼崎」までr13を走り、5:30から「RAILWAYS」を観ました。地方鉄道の運転手を長年勤め、もうすぐ定年という主人公。定年になれば苦労を掛けた奥さんと、何処かに旅行し、次の人生に歩み出そうと思っていましたが、奥さんは子供の出産と親の介護で辞めてしまった看護師の仕事に復帰しようと思っていた。人生の次のステージの違いで、奥さんは家を出て行ってしまう。そして・・・。
僕も、家内に出ていかれないように、日頃の会話をしっかりしなきゃ。素敵な風景の中を、2両車両が単線を走って行きます。「雪を被った山が綺麗ねえ」「あそこに行ける?」・・・貧乏暇なしの僕には連休がなく、ゴメンネ。でもいつか一緒に、この景色を観に行こう。いい1日でした。

2011/11/28
日曜日は、母親の3回忌法要でした。好きな日本史で言うなら嫡男に生まれたので、僕ら夫婦でいろいろ手配してきました。親戚に案内を出し、お寺さんや懐石の手配など面倒といえば面倒なのですが、こういうの好きな方なのでお店選びなどを楽しみました。
長男夫婦が土曜の夕方やってきました。そして次男が夜中に来ました。駅から次男に呼び出され迎えに行くことになると思ってたのですが、直接家に帰って来ました。帰ってきた物音で目が覚めました。
朝9時に、位牌や遺影筆頭に、親戚から寄せられた供物など車に積み込んで、いつものお寺に向かいます。10分ぐらいで到着すると、ちょうどお寺さんが別件でお出かけするとこでした。「ちょっと行ってきますわ」って、スクーターでスィーって。
奥さんから先日ご近所であった交通事故について話しかけられました。お寺のお隣で我が家と同業をされています。悲しい事故で亡くなった方も同業者で、しかも同年代です。突然の事故で、同業者間にも案内が回さず、密葬されたようです。「気を付けないとねえ」なんて話しました。酔っ払い運転の信号無視車に・・・残念です。
そこに娘さんの旦那さんが出てきました。次の住職さんで、バイク装束でどこかに遊びに行くようです。母の納骨の時、お墓に来てもらいました。大きなGIVIボックスが付いていたので、それについてゴチャゴチャ。「50Lぐらいありますよ。横幅があり過ぎかな〜」なんて教えてくれました。
10:30から法要。11:09お寺を出発し、一路猪名川町のお墓へ。沿線の紅葉が進んでいますが、去年ほど綺麗じゃないみたい。子供たちがチビの時の勉強机だったベビーテーブルをお墓の前に並べ、供物を満載しお線香を上げました。親に、「家族親戚仲良くなんとかやってるよ」と報告しておきました。
r12を北上し、杉生交差点からr602。2週間ほど前に早朝バイクで鹿の団体さんが前を横切り驚いたとこを通過し、能勢町の長谷の棚田方面に行きます。母の一周忌で利用したフランス料理・デルクックと同じ駐車場を利用する「懐石料理・かわすみ」さん到着。「1時までに入ってね」と念押されていましたが、なんとか15分前に入れました。
茅葺屋根の田舎家の座敷で懐石です。出される料理は、一品の料理は少なめですが、とにかく種類が多く、お腹いっぱいになりました。味も美味しく5000円はかなりお安いです。5000円・7000円・9000円の3つのコースがありますが、真ん中を予約しようと思って聞いたら、料金によってお皿の数が違うそうです。「5000円でもお腹いっぱいになるよ」と言われて安価なのにしたのですが、家内は途中でギブアップだったし、息子たちでさえ「お腹いっぱい〜」って言う量でした。予約のみで、常に満席状態のようですが、この内容ならうなずけます。
宇都宮の従兄弟の長男さんとこのお孫さんは、長男次男と函館ラサールに行ってるそうです。下の長女さんも函館白百合学園に入学したようで、従兄弟夫婦は時々函館に行くそうです。今月行った時は、なんと雪で飛行機が飛ばず、足止めを食ったそうです。去年、岸和田のだんじり見物に来たそうで、弟が暮らす町なので、だんじり談義で盛り上がりました。
震災復興で東北入りしてた次男に話を振ると、現場監督で南三陸町に入ってたそうです。設計士として仕事してたと思ってたのですが、監督してたのですね。できるだけ地元の職人さんを雇うとか、職人さんの売り込みが山ほどあるとか、いい経験をしてるようです。これから本格的な復興需要に入るようです。東北入りも増えそうです。
長男夫婦は、仲良く楽しそうです。家内はそれを一番喜んでいました。家系の末広がりは、夫婦仲の良さが一番の基本ですから我が家も安泰のようです。
従兄弟を駅まで送り、帰宅してから通勤リード110タンデムで、我が家の御用達・川西阪急で法事の御礼の手配に行きました。手続きを終え、何気なく棚を見てると、栃木県館林の正田醤油の醤油と味噌の詰め合わせが目に入りました。お〜母方の本家から正田さんとこにお嫁に入った方がいます。母から、何度も何度も正田さんとことの親戚つながりを吹きこまれました。関西の阪急で、正田醤油がギフトに載るとは・・・次はこれにしましょう。
この間、長男夫婦は次男を駅に送った後、車でどこかに行きました。タダ券チケットなので、日曜の夕方便が取れず、月曜の朝便で東京に帰って行きました。両親は、亡くなってからも「葬式だ」「法事だ」と血縁と会う機会を与えてくれます。
懐石に舌鼓している間も、母親の遺影が横で見ていましたが、故人を偲ぶというより遺族の家系のこれからを末広がりにしてくれてるように思えます。そしてこういう機会を数多く経験することが、息子たちに伝わっていくんだろうなと思います。ありがたい事です。

2011/11/21
日曜日は、原付二種の会ツーリングに参加しました。この会には3度目の参加です。ここで知り合った方と四国に行ったり、僕のバイクライフを楽しくさせてくれています。目的地は、曽爾高原です。奈良県と三重県の県境にあります。ソロだったら我が家から原付二種で行く距離じゃないです。集合場所の河内・「ふたかみパーク当麻」に11台集まりましたけど、僕が一番遠方でした。
この日、家内は翌週の母親の三回忌準備のため、お遣い物購入や美容院などで忙しいようで、振られてしまったのでバイクの日になりました。集合時間は9:30ですが、少々早めの7:00に家を出ました。「暗峠」に初挑戦する為です。国道とは思えないくらいすごく急な道で、江戸時代の石畳部分があったり、もちろん道路幅もないので、「里山VTR250」では走行が危ぶまれる道です。ちょうど「通勤リード110」で奈良に行くので、途中でやっつけるのに都合がいいです。
大阪市内のごちゃごちゃをパスすべく、中央環状で一気に東大阪まで行きました。GPSに従って生駒の山に向かうと、「石切神社」の文字が増え、一度も参ったことがない石切さんの場所を認識できました。横の高架道路は奈良へ行く時使った阪神高速道路です。あの時山の麓に見えていた大きな伽藍が石切さんだったのですね。
石切の駅横を通り、R170箱殿交差点から「暗峠」チャレンジ開始です。近鉄の高架を抜けると、いきなり勾配が増します。急勾配によくある丸型の入ったコンクリート舗装です。どんどん勾配が増し、自然にハンドルへ前のめり姿勢になります。後ろを振り返る余裕どころか、片手を離すことさえ無理です。
これは原付50ccの登坂能力を超えていると思います。110ccでもスピードダウンしたらスピードを回復できるのか?って感じの勾配です。普通なら大きなつづら折れを繰り返す勾配なんだけど、直登に近いルートになってます。1.5車線、更に狭い場所もあり、途中で止まったらその場を維持するのも困難でしょう。坂道発進なんて出来るのでしょうか?「ぎょえ〜、対向車来るな〜」って祈りながら、スピードを落とさないように一気に上がりました。
途中、踊り場みたいな勾配が緩い枝道交差点があり、迷わずその枝道に入り一服します。振り返った道はすごい勾配です。写真に収めて、「そういえば、この絵はよく見ます」。皆さん、ここで一服してるのですね。「国道308」「ぬかた園地らくらく登山道」「神津獄」の道標が立っています。
更に進み、「ん?峠か?」と勾配が楽になったとこに祠が建っていました。「弘法の水」。大和と大坂を最短で結ぶこの山道の峠近くにこの湧き水は助かったでしょう。更に進むと、江戸時代の石畳道になりました。ガタガタ・・・とふと見ると、車載カメラが振動で下を向いています。いつも通りに締めたのに、振動の大きさを感じます。
そして無事、「暗峠」に着きました。暗峠の石標、大阪府東大阪市と奈良県生駒市の県境を示す道標、日本の道100選パネルがあります。横の民家には、赤字で「おいせまいり」と書かれた小さな札が軒先から下がっています。「峠の茶屋」があり、メニューが壁に貼られています。開店前ですが、昼間なら一休みするでしょう。
ここで写真撮ってる間に、奈良側から数台の車が上がってきて大阪側に下って行きました。「良かった、こんな車とあの坂で鉢合わせせずに」。僕ならどんなに近道でも、この道は避けますが・・・まあ、僕みたいなチャレンジャーと思われる車もいました。奈良県側は、大阪側に比べると勾配が緩やかでした。道路工事中で迂回路に回ったり、細いとこもあったけど、なんてことないです。
R168に下りて、GPS設定を「ふたかみパーク当麻」にしました。到着予定時間9:25って、もうぎりぎりじゃないか。30分ぐらい余裕があると思ってたけど、慌てます。平群町を越え、行ってみたい信貴山の松永久秀の信貴山城址の方を見上げます。どこら辺だろう?大阪湾・河内側と大和側両方に睨みを利かす好立地だったらしい。斑鳩・王寺、ここらは歴史の宝庫だな。適当に信号があり、到着予定時間が、9:35になったし・・・。
ネット地図で予定したルートと違うルートをGPSは指示しています。丘の上の住宅団地を巡る遠回りなんだけど・・・野生の勘で行った方が、10分ぐらい短縮できるかも?でもミスったら+5分になっちゃいそう。GPSに従いました。実時間が9:28になり幹事さんに遅れる旨の電話をしました。繋がらないし・・・急ぎましょう。9:40、10分遅れで到着。もう先に行ったかな?追いかけなくちゃいけないかな?
四国ツーリングでお世話になったAさん発見。遅れてる僕を待っっててくれたのかも?「1時間、集合時間が遅くなったの知らないでしょ」「へ・・・」。曽爾高原付近が雨降ってたようで、7時過ぎに予定変更になったみたい。ということで、遅刻しなくて済みました。
予定変更知らずに来られた方が半分ぐらいで、10:30にみんな集まって出発しました。僕の通勤リードは赤なので先頭から見やすいから、ビリを走るようリーダーさんから指示されました。出発。
10:39、「柿の葉寿司たなか」に寄り、昼食の柿の葉寿司(7個・945円)を購入しました。
ビリをBさんと一緒に走りながら、信号で停まる度におしゃべり。Bさんとは初対面ですが、「暗峠チャレンジをするので、遅れたら先に行ってください、追いかけます」と掲示板に書き込んだら、暗峠通過時間など教えてくれた方です。Bさんは、僕以上に悪路好きのようで、いろんな急坂・細道・トンネル・廃道・廃トンネルをご存知のようです。車でやっつけていたとのこと。暗峠よりきつい坂のある県道も教えてもらいましたが、アレ以上だと僕には厳しいかも?
R165で奈良盆地を走りながら、ポツンとある低山の横を抜けていきます。大和三山のどれかでしょう。「香久山駅」横を通りました。「じゃあ、あれが天の香久山?」。
ヤマダ電機駐車場で、Cさん合流。僕の前を走り出しましたが、「高取町」のナンバーです。日本三大山城の高取城址のあるとこです。後で城址へのアプローチを聞きました。バイクなら城址すぐ下まで行けるそうです。数台の駐車場もあるそうな。フムフム。
11:35、宇陀市榛原ローソンでお弁当購入タイム。生物がダメな方はこちらで購入。僕はりんごカルピス・ペットボトル147円購入。R369にチェンジ。室生寺への分岐通過。r81にチェンジ。ここから左手に変わった形の山が目に入って来ました。切り立った垂直の崖が数百メートルあるんじゃないかなあ。あのてっぺんに山城を築いたら難攻不落だろうなあ・・・でも守勢だって登れないなあ。補給路もなさそう。井戸も水が出なさそう。とても雄大です。なんて名の山だろう?(調べたら兜岳・鎧岳でした。いかにもな名前です)。ここで1台の原付二種バイクが追い抜いて行きました。そして、Dさん合流。京都で朝一番の会議をやっつけてから、走ってきたそうです。曽爾高原に先に着き、引き返してきたようです。
曽爾高原駐車場は、バイクが山盛りいました。車もいましたが、ここはバイクの方が幅をきかせています。案内所・トイレを回って、更に上の駐車場に上がります。レディース?な女子だけのグループが、ブリーフィングしてました。ススキ原すぐ下の駐車場にバイク置いて、お弁当持ってすすきの原を上がります。トレッキングの方もいて、山の斜面を山頂付近まで上がってるススキ原の上に小さく人が歩いています。あそこまで上がるのは苦しいぞ〜。中央部にベンチなどがあり、そこでお弁当になりました。柿の葉寿司旨いです。
10分ほどして、「なんか、顔に当たってる気がするんですけど・・・」、リーダーさん「いや、気のせいです」。「暗い雲が来てるんですけど・・・」、リーダーさん「気のせいです」。ポツ・・・ポツ、さっきの案内所まで退却の指示が、リーダーさんから出ました。リーダーさんは雨男らしく、「すいませんなあ、さっきは晴れてたのに・・・」って笑っています。
案内所に戻ると、本格的になってきました。30分雨宿りです。あ〜だこ〜だ、いろいろ話しました。ヤマハのアクシストリートに乗っておられる方がいて、ちょっと跨らせてもらいました。リードより小柄で足つきがいいです。小型AT免許取った家内ですが、リードで練習してますが、教習所のアドレスより大柄なのでちょっと怖いそうです。市販アドレスは、ガツンと走りだす通勤快速車だから、リードみたいにトロいヤツの方がいいです。
雨が上がりました。大型赤ニンジャ(1200cc?)男子が動き出しました。一旦バイクを停めて、小型赤ニンジャ(400cc?)をバイク列から出すのを手伝います。いいな、お揃いの赤ニンジャ。レディースさん達が動き出しました。こちらは全部アメリカン。リーダーらしき女子のバイクは、タンク・リアシート下・ヘルメットがアイボリーにフェザーの絵で統一されています。ゲ〜特注品だなあ、かっこいい。ジャケットにラインをつないでいます。ヒートジャケットらしい。ジーンズにヒールの高い黒ブーツで、颯爽とドドド・・・もちろんハーレーです。非力な女子なので、バックするのに引っ張ったりしています。「1人で動かせないのはどうなんや」な言葉を発する主もいましたが、「手伝って〜」と言われたら真っ先に手伝う口でしょう。男って、ほんま女子に弱いです。バイクは走り出したら平気だもんね。
僕らも、帰路に着きます。渓谷沿いのr81を進みます。Dさんと僕がビリです。Dさんのバイクは、このグループの一大勢力ヤマハ・シグナスで、いろんなパーツが着いています。曽爾高原で、ガソリンが少ないと言ってはったけど、とうとう失速してしまいました。僕が戻り、更に僕の前を走ってたCさんが戻って来ました。お二人ともバイクに詳しいようで、「僕のから移しましょう。容器あります?」って言うが早いか、Dさんはペットボトルを洗っています。Cさんのバイクはギアバイクです。シート下のパイプをちょいと抜いて、ペットボトルにガソリンを入れます。「へ〜、あんなとこからガソリンって抜けるんだ」。オッケーって、凄いです。勉強になります。
僕はリーダーさんに電話を掛けますが、なんと圏外・・・トホホ。再び走りだすと、ちょっと広いとこで皆さんが待っていました。また雨が降りだしたので、カッパを着ます。先月新規導入したコミネウインタープロテクター上下でしたが、少々の雨なら弾いて平気です。気温8度って電光掲示されてましたが、この下は下着+1枚で寒さも平気でした。でももったいない信者だから、カッパを上に着ます。
R165に出て、「コメダ珈琲」で休憩です。ホット380円。ここでDさんのシグナスが再びガス欠。500mlではここまでのようです。Cさんのドライブレコーダーを見せてもらいました。なんと1700円だそうです。価格破壊も行き過ぎた感があります。あまりに安いので、2個買ったそうです。3000円で販売してリセール商売が成り立ちますね。
ここで解散なので、大阪北部E女史さん・兵庫東部僕とFさん+京都徒歩ガス欠Dさんで走り出します。コメダ珈琲さんがちょうど小さな丘の上で、R165を東に坂を下ったらGSがあります。僕らも給油したのですが、徒歩D車の方が早く終わりました。16:05・エネオスGS・177km/3.91L=45.3km/L。
E女史さんとは、前回高野山の時も一緒でした。僕が最後まで一緒です。R368を伊賀上野まで北上しました。快走路です。伊賀上野城んとこで、木津川に沿うR163にチェンジ。これも快走路です。 この夏、家内と信楽から自転車で下った時使った列車も横を走っています。
トイレ休憩です。Fさんは、このバイクで北海道を回ったことがあるそうです。もう1台持ってる大きな方のバイクでも回ったそう。毎年北海道に行って、ライダーズハウスで泊まるそうです。布団が恋しい時は、僕の初北海道で泊まったとほ宿利用だそうです。
「木津」に近づき、混み出しました。R24でDさん離脱。生駒山のトンネルを抜け、門真に下りてきました。前に南北に走る近畿道の高架が見えてきました。E女史を挟んでFさん先頭で走ってきたのですが、高架1つ手前の信号で僕だけ引っかかってしまいました。前を走る2台が、近畿道を右折して行きました。近畿道を使うと遠回りになるFさんもお付き合いエスコートに予定変更したみたい。これで僕はお役御免です。中央環状は5車線ぐらいある快速道なので、下手に僕を待つより、そのまま流れに乗る方が危なくないです。18:00を回り暗いので、目的のバイクを見つけるのはお互い難しいです。
一応路肩を気にしながら中央環状を北上しましたが、やはりそのまま走ったようです。良かった。19:00、帰宅。片付けながら、家内とお互いの今日の出来事を話し夕食しました。ああ、今日も面白かった。初めての道と場所ばかりだったので、今度は2人であの鎧岳を遠望しに行きましょう。

2011/11/14
日曜日は、六甲山トレッキングしました。今月唯一の夫婦で予定なしの日なので、2人でできるトレッキングを選択しました。寒くなってきたので、「タンデムバイク」はイマイチだし、先月2回こなした「夫婦で自転車」もイマイチな時期に突入です。
早朝4:30に出発し、篠山朝霧観望を目論んでいたのですが、空を見上げると予報に反し一面の雲で断念しました。家内も夢の中だったので、僕も二度寝です。有馬温泉からロープウェイで山頂に上がり、下りを歩く計画で、ロープウェイの始業時間を調べると9:30です。
有馬温泉まで30分ぐらいですが、8時には用意ができちゃったので、8:30車で出発です。通勤リードタンデムが駐車場の心配もなく楽なのですが、家内に風邪を引かせたら大変なので車です。
時間があるので、御用達のワークマンに寄ります。職人さん御用達の暖かそうな靴下を見つけました。足首上にゴムがしっかり入っており、ずり落ちしなさそうです。5足・780円。軍手・超合成皮革グローブも購入。家内が探してきた息子帰宅用置きパンツもご一緒に。
9:13・ワークマン出発。長居してしまいました。10時前に六甲有馬ロープウェイ有馬温泉駅に着きましたが、無料駐車場が満杯です。4台前での満杯でがっくり。待つか有料駐車場に回るかと係の方に言われたので、有料に回りました。ここは、とにかく土地のない有馬温泉商店街の駐車場で、加盟店で1000円以上お買い上げだと無料になるそうです。
ちょうど10:15発のロープウェイが出発する時に駅に着きました。六甲有馬ロープウェイ片道980円×2切符購入。普段は20分間隔なのですが、15分間隔・増発バージョンになっていました。10:30ロープウェイに乗り込みます。高所恐怖症気味の僕は、ちょっと不安だったのですが、そんなの関係なく空中散歩を始めます。
駅から見えていた頂を越えて、六甲山頂までの間が大きな深い谷になっており、ここが非常に怖かったです。出発時は、窓際から激写していましたが、この谷を越える区間になると、足から血の気が引き出し、窓から半歩後退です。満員なので半歩しか引けず恐ろしいったらありゃしない。紅葉を期待していましたが、山頂付近でもイマイチでした。今年は遅いです。
山頂駅に着き、作戦会議です。「枝垂れ」から眼下の神戸の景色を観ようと思ったけど、「途中から見えるでしょう」ということで、下山ルートを歩き出すことにしました。山と高原地図「六甲・摩耶」を開くと、有馬に下りるルートはいくつもあります。最も西にあるハードそうな「裏六甲縦走路」はもちろんパス。途中に「湯槽谷峠」という峠を越える3時間半。ロープウェイの西に見えていた峰のピークを伝う尾根ルートのように見えます。峠の他に山名が付いたピークを3つも制覇します。アップダウンがきつそう。でも景色は良さそう。
ロープウェイの東の谷筋ルートの「紅葉谷道」。沢筋に沿っているので、沢音を楽しめそう。1時間ほど。選択したのは、更に東の「魚屋道」です。まず、逆瀬川に下る車道に沿って東に下り、「一軒茶屋」から「魚屋道」で、有馬に向けて北に向けて下ります。一軒茶屋まで1時間+一軒茶屋〜有馬温泉が1時間の合計2時間です。
「いざ、出発」。地図では、山頂駅から少し離れたところから山中を「極楽茶屋」までルートされているのですが、極楽茶屋は車道沿いなので、駅すぐ下の車道を茶屋まで歩くことにしました。歩道を歩き出すと、子供たちがチビの時何度か来た「フィールドアスレチック」で歩道が終わっています。六甲山への東からのメインルートのこの道は、交通量が結構あり、カーブの連続で歩行者に気付きにくい道なので、正規ルートに戻ることにしました。
「枝垂れ」駐車場横のルートはすぐ分かりました。そこに「Shintetsu」というシールが貼ってあります。ダウン&アップ。車道だとずっと緩やかに下るのに、しょっぱなから登りがあります。「極楽茶屋」で車道を渡り、「紅葉谷コース」を少し覗いてみます。「百間滝」は、冬場はアイゼンが必要だと案内板に書いてあります。1時間コースは、結構厳しい斜度なのかも?
車道をもう一度渡り、「一軒茶屋」へのコースに復帰しました。ここにも「Shintetsu」。団体さんが道に迷わないように貼られていると思われます。僕の推理では、「神戸電鉄が募集してる六甲ハイキング」です。阪急電車もハイキングをよく募集しています。その類でしょう。
アップ&ダウンの連続です。時々車道を渡ります。車道に沿ってるので、ずっと下りだろうと安易に考えていました。すれ違い、また追い越していくトレッカーに挨拶しながら、家内とのんびり自分たちのペースで歩きます。すぐに暑くなって来ました。山頂駅で880mもあるので、きっと寒いだろうと着込んできたのですが、ジャンパー要らん、続いてトレーナー要らん、予備セーターなんて無用の長物です。きっと芦屋や六甲から登って来た追いぬくトレッカーは半袖の人もいます。たちまち下着+丸首合繊シャツ姿になってしまいました。
後ろから団体さんが迫って来ました。そして追い抜いて行きます。先頭の男性が「Shintetsu」の小旗を持っていました。一気に20人ぐらいに次々抜かされました。ぐあ〜静かなのんびり山歩きが一転してしまいました。20人では済まず、100人以上の団体ではないかな。少し空いても、次々と抜かされます。これに加え一般のトレッカーも抜いていくので、横に並んで話しながら歩くことなんてできません。追い立てられるように少しペースを上げ、頑張り歩きになってしまいました。家内の姿を撮ろうと更に頑張り距離を空け振り返ると、家内の後に行列が出来てるし・・・うはぁ。
とうとう935m・六甲山山頂に着きました。車道は確かに下り、車道を渡る時何人か目にした逆瀬川方面から来るスポーツバイクの方は、登りの苦しそうな表情です。でもこのハイキング道は、車道に下り、離れると登りの繰り返しです。かなり登った感があります。山頂エリアでは、Shintetsu団体さんが昼食です。先頭の掛かりの方が、「お疲れ様でした。12:45に出発します。お弁当をお食べ下さい」と叫び続けています。
確かに登った記念に、山頂表示を入れて記念写真を撮り、一軒茶屋に下ります。凄くたくさんの人がそこら中にいるので、一軒茶屋もいっぱいかも?と懸念したのですが、意外に空いていました。僕はカレー、家内は玉子丼。普通の量でしたが、更におかわりできそうです。
ここから「魚屋道」を下ります。「魚屋道」は神戸東灘に上がった魚を有馬温泉まで運んだ道だそうです。「ととやみち」と読むそうです。ここからは、ほとんど下りの予想通りの道でした。「Shintetsu」さんにも抜かされるし、ボーイスカウトさんも抜いていくし、「これぞ山ガール」ファッションのお若い女子数人グループにも抜かされ、もちろん一般のトレッカーにも抜かれます。下手な商店街より人通りがあります。田舎の駅前商店街には、圧勝です。
ほとんどの人は休憩せずに一気に下りられるようですが、僕らは何度も休憩します。結局、この日1日、誰一人抜かすことができませんでした。抜かれたのは、200人以上かな、数えきれません。
流れが二手に分かれるような分岐に出ました。右は何処に行くのだろう?谷筋に下りていきます。次に、また怪しい分岐に出ました。僕らは「神戸電鉄・有馬温泉駅」に向かって歩いていますが、車を置いた「有馬温泉ケーブル駅」には、ここらで左に分岐しなければなりません。「こっちかな?」と野生の勘が働いたのですが、誰もそちらに行った気配がありません。見通せる次のカーブまでに、2本も木が倒れて道に寄りかかっているし、遭難するよりはマシだなと、皆さん同様神鉄駅ルートにしました。
「有馬稲荷神社方面・近道」と書かれた分岐に出ました。ここは姉夫婦の持ってる有馬マンション横のお宮のはずです。ベンチも何もありませんが、ここで最後の休憩をしました。大きな石と倒木に腰掛けます。家内の姉夫婦は、用事がなければ週末ごとに有馬に来てるから、トレッキングを誘おうと家内に言ったのですが、僕となら自由なペースだけど、人と一緒だと大抵頑張らないと自分が足手まといになるから嫌なんだそうです。週に1回は電話で話してる姉妹と気のいいその旦那なのに、何処に気を使うのかな?なんて思います。
つづら折れを下って、見知った車道に出ました。ここで「Shintetsu」さんが点呼を取っていました。僕らの少し前が、その団体さんの最後尾の母娘連れでした。その後ろに、分岐やランダムに貼られていた「Shintetsu」マークを回収しながら歩いてる係の方がいます。なるほど、こういうシステムになってるのですね。僕らは間違いなく最後尾になりそうです。だって、この母娘にも休憩中に抜かされたし・・・。しかも僕らは下りだけで、この団体さんはきっと麓から上がってきてるよ。
駐車場まで車道を歩きます。有馬温泉街でお茶することにしました。1000円分使ってスタンプもらったら駐車料金がタダです。僕はお蕎麦と栗ご飯の定食、家内はわらび餅セット。締めて1350円。15:40、レジしました。11:00前に山頂駅についてから、途中一軒茶屋昼食を挟んで15:00まで、休憩も入れて4時間のトレッキングでした。団体さんに追いまくられたけど、地図見ると、無数にハイキング道があり、また別のルートに挑戦しようということになりました。そして、自転車に続きハイキングでも、グループに加わっての行動は無理だなと悟りました。皆さん早いです。
往路同様、r51・有馬街道で宝塚に出て帰宅しました。「スポーツデポ」に寄って、家内のリュックを買いました。皆さん見て、小さな街中バックではアカンなと思ったみたい。山ガール御用達の縞々タイツと可愛いウインドブレーカーもご所望でしたが、「これだ」というピンとくるものがなく、これらはスルーしました。まずファッションからの家内は、自転車スタイルはかなり理想に近づいたみたいだけど、山ガール仕様はこれからのようです。
帰宅して片付けてると、電話が鳴りました。なんと姉から。今日も有馬で11時ぐらいから歩いて、夕方帰ってきたそうです。歩きながら、僕ら妹夫婦の話を長くしていたそうな。なんだか楽しそうにおしゃべりしていました。

2011/11/7
秋と言えば、朝霧雲海です。今シーズンも数度、早朝バイクで鑑賞しに山に上がっています。金曜日には篠山盆地・盃ヶ岳に登って、真っ黒な山並みと真っ白な朝霧雲海だけの世界に、紅い朝日が快晴の山陰から登ってくる素敵な世界を観てきました。暗い山道20分登山はきついですが、自然のスペクタクルの魅力へのアプローチとしては楽なものです。

金曜日の夜、長男夫婦がやってきました。駅まで迎えに行くと、お嫁さんはいつもの雰囲気ですが、長男はビジネススタイルでした。大阪の学会で3日前から大阪にいたようです。いつものようにお隣の僕の実家に宿泊です。家内はもちろんですが、僕もこれに合わせ庭掃除・洗車など数日間毎朝やってました。土曜日の夕食を長男が予約してくれたレストランで共にしました。
3週間後の母親の3回忌の話、朝霧雲海の話、北海道バイクの話・・・いろいろな話に花が咲きお開きが近づく頃、「お父さん、少し早いですがお誕生日おめでとうございます」ってお嫁さんからプレゼントをもらいました。予想していなかったので、破顔してしまいました。嬉しい。しかも美女から。
「HOLLISTER」というお嫁さんの好きなブランドのセーターでした。仕事でニューヨークに行った時買ってくれたようです。しかも素敵な袋に入っています。セーターで喜び、「この袋もいいなあ」と言ってると、長男がお嫁さんに「言ってもいいかな」と断って、「その袋な、さっき百均で買ってきてん」と種明かしされました。そう言えば海外で買うと、簡易・チープ包装が当たり前ですね。家内も今年の誕生日に同じブランドのセーターをもらいましたが、チープ包装でした。
家内が支払ってる横を先に長男と車に戻るタイミングで、「お父さんの誕生日なんて、気を使う必要ないで」と言いました。「うん、僕も忘れてたけどな、女の子の家庭は違うみたい」って。娘がいる家庭は、もっとほんわかな雰囲気なんだろう。

日曜日は、京都ライトアップデートしました。朝から家内は京都で仕事関係の婦人会の全国大会に出かけました。こういう日は当然バイクなのですが、あいにくの天気予報なので、ドラゴンのレースの出艇に合わせて浜に出かけました。母校ヨット部の先輩・後輩が自艇にも他艇にもレースメンバーが多いので、現在進行形のインカレの話題で盛り上がりました。後輩のヤマハR1のことを聞くと、2速で時速100kmに達するようで、まさにレーシングバイクそのもののようです。
どんよりと曇ったほぼ無風での出艇を見送り、クルージング係留艇の方に向かいました。シート類のリードをみます。ワンポイント・ツーポイントシートがセイルのリングにセットされておらず、コントロールシートがカムにリードされていません。ジェネカーになったので不必要になったスピンポール関係シートがカムにリードされたままで、この辺の取り回しを整備しないとダメですね。
11:30頃、浜を出ようとすると小雨が降って来ました。長男に「今から西宮から家に帰るけど、空港まで送って行こうか?」と電話してみました。「今から出るとこやからいいわ」とのこと。カッパ着てバイクで走り出すと雨は止みました。
お昼ごはん食べて、どうでもいいTV見て2時を回ったところで京都に向けて出発しました。外に出るとまた小雨、カッパ着て最寄り駅までバイクです。予報ではこれで雨は上がるはずです。JRで天王山・山崎を通りかかると、「朝からバイクでここらを探索に来たら良かったかも?」なんて思い、京都縦貫道工事を見ると、「西山探索しにきたらよかったな」と過ぎ去った時間を後悔しました。
JR京都駅16:00待ち合わせの約束時間より30分も早く着いてしまいました。中央改札口で、別れや出会い、不案内な外人さんが駅員さんに聞いてる風景などを見ながら、あれこれ想像していました。お若い駅員さんが、引きも切らない観光客の対応で大忙しでした。
16:00を回っても電話が来ません。まあ、メーカー本社見学というツアーに行ってるので、こういうものは時間が押すものです。16:20、団体行動中迷惑かなと思いながら電話してみました。「今電車に乗ってるの。西大路だから8分後に着くわ」。解散がJR京都駅になってたから、解散場所の八条口から反対側のここ中央改札までどうするかを考えていたのに、JR西向日駅で解散になったようです。
16:30に中央改札口に、家内が手を振りながらやって来ました。改札を出てタクシーで永観堂まで行きました。1650円。永観堂山門前に、「昼間の拝観は、16:30で終了しました。夜間拝観は、17:30からです」との看板が立っていました。「アカンかも?」。団体さんが参拝入口から中に行くので、「行けるかも?」。
山門をくぐり、石段を上り、前を行く団体さんの後ろに追いつき入ろうとすると、係の学生アルバイト風の人が、「雅楽の人は、どちらにお通しすればいいですか?」なんて先輩格の人に聞いています。「この人ら雅楽の人やったんや、こりゃあかんかも?」。そして、「参拝は終わりました。夜間拝観までしばらくお待ちください」と言われてしまいました。でも、ここはソレ大阪の人間でっさかい、「参拝じゃなくて、お墓のお参りなんだけど」って言ってみました。また先輩に聞きに行きはりました。「どうぞ」ってOKです。
ここに、家内の両親はじめご先祖様が分骨されています。家内んとこの浄土宗のお寺さんの本山がここです。数年前に、義理両親を分骨しましたが、管主さんメインで10人ぐらいのお坊さんが法要してくれました。男性の低い声のお経ハーモニーがすばらしく、感動してしまいました。その時、管主さんから「いつでも何度でもお参りにいらしてください。お墓参りだと言えば拝観料は無料だから」と言われました。
観光客が誰もいない境内をゆっくりお墓に向かいます。有名な永観堂もみじ紅葉は、まだ11月初旬なのでイマイチです。ライトアップ装置がスタンバイし、アルバイト学生さん達が、誘導看板などの設置に動きまわっています。共同墓に手を合わせ、帰路に着きます。「なんで観光客がいるの?」みたいな顔を半分見せながら、「お参りありがとうございました」と笑顔で僕らに声を掛けて学生さんが作業しています。
永観堂前の哲学の道を、お隣の南禅寺まで歩き、今朝家内が来た「ウエスティン都ホテル」を横目に、そこから東進し琵琶湖疏水記念館・京都市美術館前を通り、好きな白河沿いの道を八坂神社の方に歩きました。
映画ロケによく使われる石の小橋を渡り、浄土宗総本山・知恩院山門をくぐり知恩院前に至りました。知恩院も紅葉夜間拝観が始まり、三門の上階外回廊をぞろぞろ人が歩いています。観光バスが10台以上停まっています。開祖・法然さん御廟がある総本山は、さすがに人気です。
ファッショナブルな家内は、クリーム色系のスカート・スーツ+ハイヒールです。長時間歩きには不向きです。電車に乗った時、替えズボンと靴を持ってきたげたら良かったと気付いたのですが、もう後の祭りでした。朝から説明や本社見学で歩いてるのでそろそろ限界が近いのではないかと、スタンバイしてる人力車に声を掛けました。「高台寺さんまでやったら、おいくら?」「観光案内をしながら行きますので10分3000円・20分6000円・30分9000円からお選びいただけると・・・高台寺さんまでだと20分コースからでしょうか」「ありがとう。ほな、さいなら」。30分3000円ぐらいやったら、なんぼでも乗る人がいるやろうにな・・・惜しい。会社と車夫さんで売上折半としても、30分3000円やったら、ええアルバイトなんやとおもうんやけどなあ。
円山公園を南に突っ切り、高台寺さん前の道・「ねねの道」に出ました。本日のメインは、永観堂墓参りと高台寺ライトアップだったけど、階段を上がらないとあかんのと、前回より明らかに紅葉が進んでいないのでパスしました。そのかわり、「まねきねこのて」というお店で、陶器の小さい招き猫400円と小振りぬいぐるみ530円を購入しました。僕とのバイクタンデムの相方のニューフェイスにします。陶器の方は、ハンドルのブレーキオイルボックスの上にね。六甲山町で買ったガラスのカエルは、走行中どっかに飛んでいきはりました。
ここからタクシーでJR京都駅に戻りました。ハイヒール女子は観賞にはいいけど、観光ハイキングには不向きです。運ちゃんから「鯖ずし」のウンチクを教えてもらいました。往路タクシーでは、GPS渋滞表示と天皇陛下さんの御幸渋滞のことを聞きました。京都のタクシーは、さすが観光地、いろいろ教えてくれます。観光タクシーもやってるからでしょう。京都駅が近づいたので、駅前タクシー乗り場のタクシー渋滞について聞きました。駅タクシー乗り場でのタクシー行列が、交通の妨げになってるというので、こないだから行政規制が入りました。実施数日後、反対にタクシー不足でタクシー待ち観光客行列が問題になりました。青・赤・黄、3色のプレートをタクシー後部窓に貼っています。この日はタクシー行列入口の道脇に黄色プレートが掲げられ、黄色タクシーだけが駅前乗り場に入れます。3日に1日だけ、駅前からお客さんを拾えるようになったようです。ただし台数が少なすぎる時は、色規制がなくなるそうです。
ちょうど空いてる新快速が来たので、一気に最寄り駅まで帰って来ました。ここから家内はバス、僕はバイクで戻りました。一旦帰宅し、家内が乗ってるバスの通り道にある御用達GSで燃料補給、203km/4.79L=42.4km/L。給油中にバスが通りすぎてしまいました。このGSは、僕の苦手なセルフなので、溢れさせては大変とおっかなびっくり給油なので時間が掛かってしまいました。夜だから暗くて、タンク内が見えにくいんだよね。
バス停から自宅への途中で家内に追いつき、バイク押しながら一緒に帰りました。素敵な本社の話や、東北や北海道から来られた会員さんとの話など、今日の家内は饒舌でした。よっぽど楽しかったようです。たまのおしゃれする機会だから、そちらでも楽しかったのでしょう。いい1日でした。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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