ウェブマスター日記 2011/9-10

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2011/10/30
日曜日は、高野山に行って来ました。高野山には、何度も行っているのですが、自転車で行くのは初めてです。高野山から橋本へのR371が素敵です。途中から九度山に抜ける渓谷道が、これまた素敵です。バイクで通った時、これは自転車がもっと気持ちいいぞと感じたので、「夫婦で自転車」の候補に上げていました。
紅葉には早いですが、標高800mもある高野山なので、紅葉を待ってると、耐寒自転車になりそうで、曇りの天気予報でしたが計画しました。ところが、金曜日の予報で雨マークが出現し、土曜日も同様です。3時間毎予報で、9時くもり・12時雨1mm・15時くもりなので、12時に下の方まで降りていればOKだねと決行しました。他メニューも出して家内に聞くと、「カッパ着ればいいね」と平気そうでした。
8:17、遅れても8:31九度山発目指して家を出ました。僕の朝のお勤めが遅く、ちょっと遅れ気味です。近畿道を南下し、南阪和道・羽曳野IC下車。R170をひたすら南下、続いてR371をひたすら南下、紀ノ川を渡って「九度山」に着きました。
さあ、駐車場探しです。九度山は、関ヶ原の戦いで負けた西軍に味方した真田昌幸・幸村父子が配流された場所で、大坂冬の陣・夏の陣で大坂方として武士の名を不動のものにした真田幸村の小さな観光地です。あっけなく無料駐車場を見つけました。駐車場のトイレが、真田家の旗印六文銭でかっこいいです。僕の影響で、プチ歴女化してる家内が、えらく喜んでいます。
この時点で、電車の乗り遅れ必至です。自転車を組み立て出発・・・最初の一踏みで家内のチェーンが外れます。チョチョイと直して「九度山駅」に向かうと、すぐに真田父子が住んだ「真田庵」、そして「柿の葉寿司」の幟が立ってます。帰りはここで・・・
R370の交差点を過ぎると、すぐに南海高野線・九度山駅です。この坂が過激で、もちろん徒歩で登ります。と、その時、8:31の電車が到着。やっぱりね。
駅前で自転車ヘルメット被った人(多分横の家の人)とすれ違いました。次は9:19なので、ゆっくり輪行準備を始めます。さっきの人が出てきて、「どこ行くのですか?」なんて話をしながらの作業になりました。僕のが終わって、家内の手伝いに行ってる間に、さっきの人がまたやってきて、「電車の中で食べて」とみかん5つ入った袋をくれました。車の旅だと、こういうのがないです。ソロバイクや自転車だと、こういうのがいっぱいあります。「いや〜、ありがたい」
真田の赤備えにあやかる真っ赤な六文銭幟・プラットホームにはもちろん六文銭・・・こういう駅は楽しい。霧雨が降って来ました。予報より早いんですけど・・・
電車がやってきて乗り込みます。なんと4両です。さすが高野山。最近輪行で乗る電車は、1両か2両ばかりだったので、違和感があります。窓際に対面1座席のシートで、窓から外の景色を堪能してもらう風になってます。中央通路が広いので、自転車を置くのが楽で良かったです。
車内に、登山鉄道パーミル会の垂れ広告が下がっています。「箱根登山鉄道」「富士急行」「大井川鉄道」「叡山電鉄」「南海電気鉄道」「神戸電鉄」がメンバーだそうで、パーミルな登り坂を上がってる写真が載ってます。いいな。
終点「極楽橋駅」到着。すぐに、高野山ケーブルに乗り換えです。「九度山」から山頂「高野山」駅まで700円です。言えば待ってもらえそうですが、トイレの時間さえなくケーブルは出発しました。急坂をケーブルで登っていくのは、旅気分満点です。心配してた自転車置き場も、お客さんが多くないこともあり楽々でした。
「高野山」駅、到着。ケーブルカーの一番下に乗ってたので、エレベーターで改札まで上がりました。エレベーターから出ると、掃除してたおばさんが、慌てて改札の方に歩いて行きます。「お客さんですよ」って駅員さんに言ってます。もうお客さんがいないと思って、駅出入り口にロープが掛かっていました。この駅も極楽坂の駅も、ほぼ全員がケーブルやバスへの乗り換えですからね。
霧雨が降っていますが、自転車の組立です。用意できて、トイレして家内に交代し、回りを見回すと、あれれ〜・・・あの方は・・・前回原付二種の会でツーリングした時、参加者の知り合いでここ高野山に住んでおられるKさんです。その時は、山内を案内頂きました。「高野山に行きますよ〜」とは連絡してたけど、ほんまにお会いできるなんて・・・返信メールに書いてあった知り合いをここで待ってたそうです。きっと僕も待ってくれていましたね。ありがたい。
Kさんから、「トンネル抜けたとこから天気のいい日は、淡路島まで見えるよ」と情報を頂き出発します。もちろん2人とも、カッパです。軽い登り後、トンネルを抜けて、絶景ポイントでいきなり絶景観賞休憩。視界が悪く、イマイチです。また軽い登りがあり、そこから下りです。路面ウェットだから、いつも以上にスピードを落として下ります。
R480に合流。ここは交通量があるから注意です。幸い下り基調だったので、すぐに「大門」に着きました。大門と道を隔てた反対側に、九度山から登ってくる「町石道」の終点がありました。覗いてみると、全くの細い山道です。九度山からここまで20kmほどの山道・・・次男の通った中高は、毎年学校からここまで100kmハイキングをしています。ここを登ってくるのね。弟の長男も同じ学校で、高野山ハイキングした時、弟も後追いで登ったそうです。僕にも登れるのだろうか?
見慣れた伽藍を自転車でブラブラ走ります。イチョウが黄葉して、とても鮮やかです。紅葉の赤が、紅葉の代名詞ですが、僕は銀杏の黄色の方が好きだな。
気になっていた赤地蔵尊に入ってみました。本尊のお地蔵さんは赤でした。怖い顔した「水かけ不動明王」さんに水をかけ、「聞耳地蔵」さんに耳を凝らしました。お賽銭チャリン。
「女人堂」の方に回り、徳川家の廟・・・お坊さんの低いお経を聞き、ナイスな外観の警察署の前を通り、メインストリートとの交差点手前の甘党喫茶店でお昼にしました。お昼には少し早いですが、予定してた九度山まで降りたら、大幅にお昼を回ってしまいます。各テーブルに、英語メニューと2セットメニューが置いてあります。僕らの後に6人の南米と思われるグループが入ってきして、フランス語喋ってる・・・南米とフランス語、どうも結びつかないけど・・・飲食店の少ないここらでは外人さん率が高そうです。
雨は霧雨が降ったり止んだりで、昼食時はずっと上がってたのに、外に出たら降りだしました。今度は霧雨じゃなく、予報通り1mm雨です。1mm降れば、傘がいらないということにはならない雨量なので、難儀なことです。
夏前に、バイクで1人で来た時食べた和菓子屋さんに寄りました。景色のいいとこがあったら食べようとお餅を買います。家内が、胡麻豆腐のお店をみつけ、物色しています。1ヶ月後の母の3回忌のお返しを考えているようです。配送のことや日持ちのことを聞いています。1つ買って試食みることにしました。
奥の院駐車場でトイレして、いざ下ります。ここから長いダウンヒルです。「すぐにトンネルがあるから・・・」なんて、これからの道中の予備知識を家内にレクチャーして出発です。軽い登り・・・続いて少しキツイ登り・・・あれ?登りなんてあったっけ?「龍神スカイライン」分岐から、r53分岐までこんなに距離があるとは思いませんでした。しかも登りだし・・・バイクと自転車では、距離感も斜度感も随分違います。
R371のあのトンネル抜けて、急角度ダウンヒルです。絶景ポイントなのに、雲で真っ白です。「素晴らしい景色なんだけどなあ・・・」なんて言い訳してたら、「でもこれも、なかなか見れない素敵な景色ね」なんて返してくれます。雨は、しとしと・・・
ブレーキ掛けっぱなしダウンヒルでゆっくり下り、「弘法大師さんの衣干し岩」到着。小休止。横に小さな沢が流れ、夏場下から上がってきた弘法大師さんが、あまりの暑さに沢で体をクールダウンし、衣をこの岩で干したのかな?怪しい伝説ですが、あった方が面白いからOKです。無料アメ・無料みかん・無料空ペットボトルが引き出しに入っています。旅人への配慮ですね。素敵です。
r733へ向かう分岐まで下りてきました。ここから、「丹生川」沿いに走ります。勾配が緩やかになり、自転車で最も楽しめる区間です。シトシト雨がイマイチですが、「この道、車が少ないからいいわ。景色もいいし」と家内が喜んでくれています。僕は、いつもこの言葉に乗せられちゃうんだけど、ありがたいね。
「ちょっと寒い」というので、僕のトレーナーを貸そうとするが、「でも平気。濡れてないから大丈夫」だって。15分に1度ぐらい休憩入れながら、下ります。前工事してたとこに、立派な温泉施設が出来ていました。ここで温泉に入るというのは、かなり良い感じだったのですが、オープン前のようで開いてませんでした。「高野山&この温泉」というツーリングもいいかも?
R371が橋本に向かって峠を超える手前で、丹生川に沿って走るr102にチェンジ。やっと、ここまで来ました。バイクでの感覚なので、「あれ〜こんなに遠かったかな?」って感じでした。ここまでで、高野山から半分強なので、まだまだ渓谷を楽しめます。
お餅休憩ポイントと考えていた駐車料金500円いるとこに来ましたが、東屋と思ってたとこは、怪しいトイレみたいで、雨も降ってて休憩ポイントではないなとパスです。桜の木も植わっており、これから始まる紅葉の季節と春の桜の季節は素敵でしょう。1軒だけ喫茶店があります。今思えば、ここで休憩し、温かいものを補給させてあげれば良かったです。僕は暑くて、防水ウエストバック巻いてるお腹に汗をかいてるぐらいだったので、気が回りませんでした。
ここを過ぎれば、すぐに小さな集落で、九度山から高野山に上がるメインルートR370と合流です。高速ダウンヒルを楽しめる道ですが、道は狭いし、交通量もあるので・・・それに僕らは高速ダウンヒルなんてできないし、丹生川を隔てた対岸の道に回ります。合流後、50mほど高野山側に上って橋を渡ります。ここから快調に下る予定でしたが、舗装路は地道に変わり、地道遊歩道になりました。利用する人もいないようで、手入れされてないから草ぼうぼうです。それに雨降ってるので草も濡れて、道も軟弱なので、歩くのもイマイチなので引き返しました。
歩道のないR370に、川側にせり出すように歩道が組まれています。そこを下りました。もう少し広かったら快調なんだけどな。
駐車場まで戻りました。14:30前。昼食を終え走りだしたのが12:30だったから、2時間のダウンヒルでした。自転車を車に積み込み、傘差して九度山観光です。自転車で九度山の集落を巡り、弘法大師さんの母親が息子が女人禁制の修行の山から下りてくるのを待った「慈尊院」とかも行くつもりでしたが、この雨ではね・・・
すぐ近くの「真田庵」だけ訪問しました。真田父子が住んだ家ですが、その後お寺になり、今は尼寺だそうです。「1人でお守りしていますので、ご迷惑をおかけします」と札が掛かっていました。不在の時のお詫びでしょう。
開かれた門の中央に、いきなり六文銭です。「こんにちは」と、外から戻って来られた女性に、「真田幸村さんのお墓ですか?」と聞きます。「いいえ、昌幸さんの。幸村さんは戦死されているので、お墓はここにはありません。上田の方にあるんじゃないでしょうか」
僕は、猿飛佐助・霧隠才蔵・・・真田十勇士にワクワクして本を読んだ少年時代があります。いつだったかNHKで、辻村寿三郎の人形劇もやってました。僕のお財布には、真田幸村が大阪夏の陣で家康に一死を報い、最後に六文銭の軍旗を奉納し戦勝祈願した志紀長吉神社の六文銭お守りが入っています。
「幸村の家康本陣への突入で、家康は討ち死にした。その後の家康は影武者だった」「家康本陣への突入前に息子の大輔を大坂城に返し、大輔は豊臣秀頼を伴って薩摩島津家に落ちた」とか、良い感じのお話がいろいろあります。家康のお墓が大阪にあったり、それなりの旧跡があります。たまらなく面白いです。昌幸さんのお墓に手を合わせ、先ほどの女性から、社務所みたいなとこ(お寺じゃないから社務所じゃないね)で、六文銭の小さな旗指物・「真田家三代と信州上田」という本などを購入しました。「おまけに入れとくね」って、交通安全のお守りパウチを2枚もらいました。息子にあげよう。朝見つけた柿の葉寿司のお店に向かいました。ところが・・・なんと「完売しました」と下がってます・・・残念。
15:30、帰路に着きました。R371。車の殆ど通らない丹生川渓谷道もR371。高野山から龍神温泉までの高速バイクの聖地「龍神スカイライン」もR371です。いろんな表情があるね。葛城山系への登りの途中で「柿の葉寿司」を購入し、夕食にしました。山を越えると、3mmぐらいの雨になってきました。河内長野で信号待ちしたら、次男の会社の展示場横で、家内がそれを見つけ、緊急激写してました。17:30に帰宅しました。雨だったけど、楽しいダウンヒルでした。桜の季節に来れたらいいな。

2011/10/24
トルルルル・・・「修理依頼いただいているVTR250ですが、明日のご来店に向けて最終点検していたのですが、ヘッドライトのロービームの球が切れていました。如何いたしましょうか?アッパービームはちゃんと点きます」「レギュレーターが壊れたので、ヘッドライトにも悪影響したのでしょうか?」「それはないと思います。納車時はヘッドライトは異常なしでした。レギュレーター交換が終わり、各部の最終点検中にヘッドライトが切れたので、寿命だったのかなと思います」「何れにしても、交換しておいてください。明日は大丈夫でしょうか」「はい、交換はすぐですから」
という会話が、土曜日の夜ありました。2週間目に徳島で故障してしまったVTR250を、日曜日に「ホンダドリーム高松」まで取りに行きました。取りに行って帰ってくるだけなんて芸がなさすぎなので、前回時間切れでショートカットしたR439の剣山〜徳島間をチャレンジ予定を立てていました。
高松行きに高速バスを選択しました。神戸〜高松を1日15往復しているのを見つけ、初乗車です。3500円ほどの安価は魅力的でした。夏用プロテクターメッシュ上下+釣用DAIWAレインマックス・オールウエザースーツという春秋定番スタイルで朝4:50に家を出ました。JR最寄り駅まで20分歩き、5:20の電車に乗ります。神戸三宮に1時間後到着。車中朝ごはん用に、ローソンでおにぎりとポンジュースを買いました。愛媛には行かないけど、ポンジュースな気分です。
7:05発のJR西日本バスに乗り込みました。座席は1A席。助手席側の窓際席です。運転手さんの操作や景色を楽しいながら、明石海峡大橋〜淡路島〜鳴門〜高松と進みました。鳴門からの高速道路は、片側1車線でした。出発約1時間後にトイレ休憩が1度入り、各バス停に止まりながら高松で高速を下りました。
僕が下りたのは、9:45「ゆめタウン高松停留所」で、ここから30分ほど歩いてお店に向かいました。R11沿いのお店には、ドリーム店だからいろんなホンダバイクが置いてありました。試乗もできるみたいです。
修理箇所の説明を受け、故障の原因と予防も聞きましたが、レギュレーターは何の前触れもなく突然壊れるものだそうで、予防するなら5年ぐらいで交換すればいいとのこと。ハーレーは車検ごとに交換する部品だという仕入れ情報を話すと、これはどんなバイクでも消耗品で、技術のあるライダーは、長期ツーリングの時は、予備を持って出かけるぐらいの物だそうです。
レギュレーターは、自らつくり出した電気をバッテリーに貯める時に整流する部品で、バッテリーに電気が貯まらない側に壊れるか、過充電側に壊れるかするけど、今回は過充電側に壊れてしまった。充電不足側に壊れると、バッテリー切れになるだけですが、過充電側に壊れるとバッテリーが壊れ、その先の電気部品にも影響が出るので、タコメーターが壊れてしまいました。タコメーターの25000円が痛かったです。
ヘッドライトの球切れは、1年ほど前に交換したハロゲンライトに車用の球が付いてたようで、バイク用ほど振動に強くない設計なので切れたようです。今度のはバイク用だから長寿命で安心みたい。フロントタイヤももう寿命ですよと言われたので、今日交換してきました。DUNLOP・GT501。リアももうすぐ寿命なので、リアもこれにします。
11:00まで1時間弱、いろいろ聞いたり、南海フェリーで下目に動いてしまったハンドルをアップに戻してもらったりしました。振り込み出来なかったここから、ライトの球代だけ清算して店を出ました。
R439・剣山に向けて走り出しました。道順も聞きました。バス停のあった道がR193なので、そこまで戻りR193を南下。高松空港横を通って、道の駅手前にあるr7との分岐をr7に入って峠を越すと、目指す吉野川沿い「貞光」です。最速は、R32・R438ルートで、次がR193で吉野川まで出るルートですが、流れのいい国道は走ってて面白く無いので、あえて県道の峠越えです。
「高松空港」に近づくと信号も少なくなり、交通量も多くないので快調に南下しました。ランドマークの「道の駅・しおのえ」の案内が出てきたところに、r7への分岐がありました。山道に入り交通量は一気に減り、一人旅になりました。すぐに「内場ダム」横を通過し、好きな落ち葉道をゆっくり進みます。対向車も全然来ない登り道をトコトコ走ってたら、山歩き装備の高年男女が写真を撮っています。小屋みたいなのがあって、久しぶりの車が1台駐車されていました。そこから50mほどで、「相栗峠」でした。徳島・香川の県境です。
ここから徳島県のど真ん中を東に向かって流れる吉野川に向かい下ります。この峠からの下りに、素敵な景色が点在していました。もちろん対向車も来ない細道です。ここらは、今朝まで雨が降っていたみたいで、それが木々から霧となって立ち上っています。霧雨みたいなところもありました。こういうカッパを着ようかどうかという時、釣用オールウエザースーツは便利です。
何度も激写タイムして、吉野川沿いに下りました。「道の駅・貞光ゆうゆう館」に向かいます。ここで、前回エンコの時ご一緒したAさんと待ち合わせです。あの時はお世話になりました。前回同様、和歌山徳島フェリーで四国入りされました。吉野川に下りてきて、R192の対岸を平行して走るr12を少し、すぐにr131に入って吉野川を渡りました。渡ったらR192に乗って、すぐに道の駅到着です。予定では12:30到着でしたが、少しオーバー。
Aさんが駐車場で、ピンクナンバー・スーパーカブさんと話をしています。どう見ても新車です。でかいホームセンターボックスがリアに付いてて、タフさ100点満点です。日本一周を目指すそうです。雨宿り中のようです。ホンダのサイト見ると、110ccのようで、僕の通勤リードと同じエンジンなのかな?
13:19、「サービス定食・630円」でお昼ごはん終えて出発です。13:24、道の駅近くのGSで給油。これで本日は安心です。177km/5.65L=31.3km/L。
2週間前、剣山から下ってきたR438を反対に上ります。渓谷沿いの素敵な道です。交通量もそれほど多くなく、良い感じです。そして、前回止まれなかった「鳴滝」で激写タイムします。前回は車列に入っており、路肩もない道なので止まるタイミングを逃してしまいました。数本の滝が、かなり落差をつながり落ちており、なかなか見事です。前回の宿題を解消しました。
やがて勾配を増し、つづら折れも加えながら高度を増していきます。「標高1000m」という表示のところで、山の上を見上げました。雲の中に突っ込んでいきます。天気予報は曇りだけど、雲の中は霧だから雨中みたいなものです。高度を増すごとに、少しずつ霧が濃くなり、視界がなくなっていきます。それに従って速度も落ちます。前回、時間がなくなり断念した剣山登山口まで、あと4kmほどの所で、濃霧が運転できる限界に近づきました。ここでバズ休憩です。
Aさんは、「寒なってきましたわ」と。「そろそろ限界ですね。どうします?行きます?断念します?」「もうすぐ登山口ですよね」「ええ、多分そこが最も標高が高く、以降標高1000mぐらいまで、霧の中なんじゃないかなあ?地図ではつづら折れ区間が2ヶ所ほどあるけど、霧さえなければ問題ないと思います」。「せっっかく、ここまで上ってきたし・・・」のAさんの言葉を受けて、「行きましょう」と結論を出しました。僕一人なら、細いけど道がまともなのでもちろんGOですが、Aさんはどうかな?と思ってました。Aさんもちょっと僕の山道好きに感化されてきたかも?先週の京都北山林道より、数段マシです。
R438で最も標高の高いところを過ぎ、断崖絶壁道を少し下ったところで、登山口になりました。地図で見ると、1450mぐらいでした。剣山は、2000m級の山なので、頂上はまだ先のようです。ここで小休止の予定でしたが、霧雨が降ってるというか、雲の中だから小さな雨粒の中を走ってると言うべきなのか、展望も利かないし・・・。一旦止まって、「スルーしましょか?」にOKの返事だったので、またバイクを走らせました。ここからは、徳島市に下る未体験ロングコースです。ワクワク。
すぐに短いトンネルがあり、それを抜けると景色が変わっていました。霧がないです。深い谷が横にあります。そして見事な紅葉が山を覆っています。激写タイムしました。今年はじめての紅葉です。晴れていたら、もっと見事でしょう。紅葉で鮮やかな山肌を、ちぎれた霧が風に吹かれて上っていきます。こちらからの風が山頂を越える時雲が発生してるのですね。山の写真見たら、よくある図です。その絵を想像しながら、僕らのいる場所が山頂の風上側で雲のないとこだなと特定します。リアル山に自分を当てはめて、なかなか面白いです。
つづら折れ入りの右に左に方向感覚がなくなる細道を過ぎると、まだ結構な標高がありそうなのに、快走路が出現しました。「このまま、徳島市まで豪快ダウンヒルなのか?」なんてのも頭に浮かびましたが、地図ではもう一度グニュグニャ道の峠越えがあったから、油断できません。全くといっていいほど、交通量がありません。これは気持ちがいいです。軽いダウンロードなので、スピードの出しすぎに気をつけます。エンジン音が軽く、バイクも喜んでいるみたい。
R492の分岐がありました。ここを下れば、吉野川に出ます。徳島県は、恵みの吉野川を基準に道が山に向かって走ってるみたい。山中だけど、わかりやすい。再び「川井峠」に向けて上り勾配になります。地図見て、ランドマークを大雑把に頭に入れています。GPSもハンドルにセットされてるけど、道が簡単なので電源OFFです。僕はややこしいとこしかGPSに頼りません。GPSの出だしの頃、おもしろがって車でこればっかり使って誘導させていたら、次同じ所に行っても、曲がり角を覚えていませんでした。ただGPSの右左折指示に従っているだけど、道路標識とか表示とか建物とかとセットで曲がったとこを記憶しておらず、脳の退化に繋がると思ったからです。山などの遠くの地形を見て、野生の勘を働かせ、ミスロードしたことできちんと記憶に残る以前のスタイルが、指示待ち族ではない僕の性格に合ってるみたいです。
雲が下に見える素敵な風景があったので、激写タイムしました。流れいく雲を撮ってたら、道の下の民家の農園で、おばさんが農作業しています。「こんにちは」って挨拶すると会釈で返してくれました。もっと近かったら、会話タイムできたのにね。ふと見ると、山の上の方に民家の屋根が見えます。なんで四国って、こんなに高い所に住むのだろう?もっと下でも家を建てるスペースがいくらでもあるのに・・・。能勢や篠山、さらに奥に入っても、こんなとこはないです。普通は、下から民家が山を上がっていくのに、山林の中腹にポツンポツンと民家があります。
「川井トンネル」で川井峠を越えると、しばらくグニュグニャ道があったけど、豪快ダウンヒルが始まりました。「いつまで続くの?」というほど、白線入り2車線を交えながら気持ちのいい下りです。軽いバイクのエンジン音を聞きながら、エンジン音のない自転車で下ったら、自然の音の中で爽快だろうなと想像しました。誰かが、「川井トンネル」付近まで、自転車と僕を運んでくれたらいいんだけど。僕は、山岳スキーみたいに、1時間歩いて上り、5分で滑ってくるようなタフなこと出来ないからね。
少しずつ車が増えてきて、電波塔乱立の眉山の裏が見えてきて、楽しいバイク旅も終わりです。ほぼ予定通り17:00です。暗くなる17:00に市内に下りてきたかったので、バッチリです。タンクバックのツーリングマップルを見ると、R438はR192に合流します。R192を東進して、R192の終わりをそのまままっすぐに行ったらフェリー乗り場だから簡単です。
徳島市街地に入りR192を右に曲がり、作戦ストップ。フェリーは19:00出発なので2時間の余裕があります。ここで先頭交代です。和菓子のお店でもあれば、休憩しようという作戦でしたが、適当なとこがなく17:35フェリー乗り場に到着です。
3800円で切符購入し、バイクを8番レーンに並べて、ターミナルの建物に戻ります。前回は遅くて開いてなかったターミナル売店でおみやげ購入(寒天マンゴー530円)し、徳島ラーメンでお腹を満たします。
徳島港19:00出発、21:10和歌山港着。前回同様、Aさんと面白おかしくおしゃべりしながらの船旅でした。和歌山港フェリー乗り場からまっすぐ走ると、自然にR24に入り、和歌山ICから阪和道に乗りました。Aさんは前回R26だったのに、ICまで付き合ってくれました。R24から阪和道沿いにR26まで北上するのかもしれません。
高速では寒かろうと、2週間リアボックスの中でおった僕のパジャマであるジャージ上下をフェリー到着の時着ました。そのおかげで全く寒くありません。というより暑いぐらいで、22:16岸和田サービスエリアで、アイス126円休憩し体を冷やしました。
バイクを自宅に乗り付け、荷物を下ろします。家内はもちろん夢の中です。バイク置き場に戻し、家に入って荷物の片付けです。こういうものは一気にやらないと明後日までそのままになってしまうのが僕です。綺麗に片付けて風呂に入ろうと時計を見ると、ちょうど12時でした。ああ、楽しかった。

2011/10/17
日曜日は、京都北部林道ツーリングに出ました。当初は、先週、電気系統故障で四国に置いてきたVTR250を引き取りに行く予定でしたが、交換部品到着が土曜日で、日曜日朝には作業終了していない可能性があるので、通勤リード・ツーリングに変更しました。
目的地は、京都北部の3つの峠越え林道です。舗装されているのかさえよくわかりません。ただ地図には載っています。R162愛宕道から沢筋に入り、愛宕山の東側を南に抜けR162神護寺に至る林道。R162鴨瀬から山に入り、r33佐々里に抜ける林道。r33田歌から北に入り、福井県との県境・「五波峠」を越えて「名田庄」に至る林道。この3つです。距離的には走破出来そうですが、寄り道や激写タイムが多い僕のことですから、いつもの時間切れの可能性大です。
朝食を取って7:00に家を出ました。家内は、姫路日航ホテルで用事です。実家の播州方面なので楽しそうです。r12旧道〜R173に出て、r104〜r4〜r106でR477に出ました。
「本梅町」まで来て、前々から気になっていた喫茶店を探索することにしました。国道に小さな看板が出ているので、その指示に従って入ると、看板、また看板と奥まったとこまで引っ張られて、やっと発見しました。ぐるっと反時計回りして、すぐそばにR477を走る車の音が聞こえています。激写して、道端に落ちてるイガグリを拾い上げると、立派な栗が入っています。
全く交通量のない道なので、僕のバイクの音を不審者と思ったのか、お隣さんの奥さんが出て来られました。「おはようございます」って、しばし立ち話。京都市内から定年になった旦那さんの希望で越してきたけど、すぐ旦那さんは逝ってしまったとのこと。「こんなとこ、住むもんじゃないわ」と言いながら、お庭も綺麗にされており、気に入っておられるのかも?です。回りは、かつて小さな別荘分譲地だったような感じです。「こんなに近くなのに、国道に出られないのよ」って、獣避けフェンスを開閉する近道を教えてもらいました。
R372まで北上し、R372を少し西進して、r73〜r452で山陰線・JR八木です。ガソリンメモリが半分以下を差したので、8:49・R9八木町出光で給油しました。ここから山に入るのでこれで安心です。128km/3L=42.7km/Lでした。
R477を東進し、京都北部の山に入ります。良い感じの細い渓谷道で「廻り田池」に到着しました。小休止、今日は、とても水が少なく、中の島は山みたいになってます。少し進んで、「神吉」の「日吉神社」に寄りました。「京都自然百選」に選ばれたという立派な杉の木がまっすぐに天を指していました。
R477からr363にチェンジです。北山杉の森の細道ですが、ここで地図を出して目指す峠道への詳しい分岐を頭に入れます。「長野」というのかな?そんな名のお宮がある穏やかな川沿いの集落に出ました。稲刈りはまだで、素敵な里山を写真に撮ってると、「カメラマンの方ですか?」って声を掛けられました。「いいところですね」「ゆっくり、観て行ってください」。いいね、田舎。
r362への分岐がありました。地図を見ると山の中に消える道ですが、沢沿いに舗装路が伸びているので、寄り道してみます。前日の雨の影響で、沢の水はしっかり流れ、道路にも水が流れていたり、夜はとても怖そうですが、日があるうちはかなり素敵な道です。延々進みましたが、舗装路が地道になる所でUターンしました。
r363に戻り東進すると、R162に出ました。信号待ちしていると、ツーリングバイクが数台北に向かって前を通り過ぎます。天気もいいし、絶好のツーリング日和ですね。
R162を少し京都に向けて南下し、「愛宕道」というとこで沢道に入ります。この道もすぐに民家が消え、さっきのr362同様の鬱蒼とした森の中の沢道になりました。ロードバイクが下りてきました。写真撮ってると、バイクが追い抜いて行きました。ロードバイクが走ってるくらいだから、舗装路間違いなしです。これで峠を越えて愛宕山の京都側まで出ますよ。
・・・しか〜し、地道になってしまいました。まだ本格的な峠への斜度になる前です。ここから地道では、かなり長い間地道を走ることになりそうです。途中で道を間違った感じもありません。Uターン。次の機会に、反対側から入ってみようかな?この道の周りは、杉の植林なのですが、雪の重みで折れたのか、中途でギザギザに折れた木や、思いっきり曲がったまま立ってる木がありました。サワガニが道を歩いていたり、楽しい道でした。
R162に戻り、次の林道目指して北上します。R477との交差点・「ウッディー京北」で小休止です。バイクが10台ほどいます。更に北上していると、「マンガン記念館・構内を見学できます」という文字が飛び込んできました。これも前から気になっていたので、また寄り道します。
「マンガン記念館」に向かっている間に、「福徳寺」というお寺が目に入り、更に寄り道です。711年建立の古いお寺でした。明智光秀の丹波平定のおり、周山城を作る際、城の部材としてお寺が解体されたのだとか・・・戦国時代の武将は、命を惜しまぬ立派な姿で描かれているけど、こんなの何処でもあったことなんでしょう。一般庶民には、迷惑な話です。布袋さんを背負った珍しいお地蔵さんが祠に入っていました。同じく光秀の周山城建設の際、池に沈めて目につかないようにしたのだとか。大正年間に発見されて、今ここにおられるそうです。樹齢400年の桜の木がありました。枝ぶりがなかなかのもので、春になると見事なんでしょう。
11:00、京北町丹波マンガン記念館。受付のおばさんがとても愛想がいいです。僕1人なので、直前にバスで来られた団体さんと一緒に入られたら案内付きですよと教えてくれた。入構料800円払って構内に入ってみました。生野銀山と多田銀山の間くらいの規模でしょうか。金銀鉱山と違いマンガンだからお客さんを惹きつける力が弱く、観光客は少なそうです。戦時中朝鮮からの労働者で生産していたようで、資料館内は、塵肺被害のことに大きなスペースを割いていました。
再びR162を北上し始めると、古いポルシェのオープンカーばかり20台ぐらいの行進?行列に出くわしました。ちょうど信号待ちで止まってるので緊急ストップします。カメラを出してムービー開始。左ハンドルなので、右の助手席に女子が座っている車が多いです。僕がカメラを向けると、ピースサインで被写体になってくれます。こちらの手を振って・・・。大半がご夫婦なのでしょう。とっても楽しそうです。いいね。
12:00、カモノセキャビン到着。お昼時なのでお客さんが多いかなと思いましたが、車2台・バイク3台停まっているだけだったので、昼食にしました。もちろんカレー並です。コーヒー・サラダ付きで900円。相席だったバイク乗りさんは、カレー大と特大を注文されていました。京大SARASAより小さいですが特大なんて僕には食べられないなと思ってたら、相席さんはペロリと食べちゃいました。
カモノセキャビンの前に、リンドの入口があります。前回ここに来た時、店主さんから佐々里に抜ける林道があることを聞き、地図で道があるのを確認しやってきました。さっき、林道横に、「通行止め」看板があったので、状況を聞いてみました。途中までは行けるということだったので、チャレンジすることにしました。「通行止め」看板はあるけど、バリケードはありません。看板も中央ではなく、端っこにあります。少し走ると、再び通行止め看板。斜め右に、「倒木により」と書いてありました。台風とかの倒木が、道路を塞いでいるのでしょうか。しばらく進むと、植林された木がの軒並みチェーンソーで切られて、山側に揃って倒れているところがありました。更に進みましたが、それ以降「通行止め」の看板はありません。さっきのチェーンソーで切られたとこが通行止めだったようです。木材出荷のための人工的倒木通行止めのようです。今日は日曜日なので、お仕事がお休みだから、通行止め解除なのかな?
という道なこともあり、落ち葉・落枝でアスファルトが見えない所もある四輪離合不能の酷い道でした。でも舗装されてるから、問題なしです。まあ、20km/hほどしか出せないけどOKです。道の真中に何かいる・・・蛇でした。縞と長さから判断するとマムシじゃないみたい。シマヘビと見たがどうでしょうか?下りて近づいてみたけど、いっこも動きません。午前中の林道で、2匹ほど轢かれていましたが、こいつもそうなりそうです。踏まないように、道の端っこを迂回して避けました。
標高が上がり、木の切れ間から山並みが見えるようになってきました。数度、激写ストップ入れながら登りました。そしてとうとうそこに来ました。先は地道です。随分上がってきたので、峠付近だけの地道なら強行軍もありですが・・・とりあえずバイクを置いて、徒歩で様子を見に行きます。地道だから、雨で路上川ができてえぐれてるところもあります。見た範囲ではいけないこともなさそう。
どうしようかなあ・・・随分上がってきたので、ここから戻るのも面倒やし・・・でもこんなとこでエンコしたら、レッカー車でさえ上って来れないしなあ。やっぱり撤退やなあ・・・バイクに戻ろうと思案しながら歩いていると、バイクの音が聞こえてきます。「ん?」。その時、1台のバイクが地道を軽快に上がってきて行ってしまいました。まさか僕以外にこんな道に来る人がいるとは思えず驚きました。オフロード車ではなく、ホンダGBクラブマンのようでした。
これで勇気を得て、僕も突っ込むことにしました。パンクさせたらあかんから、慎重に大きな石を避けて登ります。さっきのバイクが戻って来ました。「すいません、通行止めでしたか?」「この先の峠で、十字路になってて、尾根伝いの林道があるんだけど、そちらは通行止めでした。府道の方になら行けるよ」「佐々里の方に行こうと思うんですけど・・・」「たぶん行けるんじゃないかな?」。
GOです。ここから200mほどで峠でした。地道はトータル1kmぐらいでした。話をしてる時、GBさんのタイヤを見ました。オフローとタイヤでした。なるほどなと思いました。オフロード車ほど軽くないけど、軽い方です。オフ車より座席が広いので、お尻が痛くなさそう。本格的なガレ場行くのじゃなく、フラットな地道程度なら、この方が使い勝手が良さそうです。オフ車は、こういう所まで来るまでの舗装路がしんどそうです。このオーナーさん、いいとこ狙ってるなと思いました。新車で言えば、FTR+オフロードタイヤという組み合わせでしょうか。
十字に交差する林道は、フェンスでしっかりガードされています。まあ一方はバイクなら行けますが。木材作業用の林道のようで、一方は綺麗に舗装されています。ここから佐々里に下ります。こちら側は、峠からずっと舗装路でした。まあ、落ち葉・枯れ枝・小石多数・川の流れありという酷い道ですが、舗装されてるだけ安心です。誰も来ない道で僕一人、激写ストップを繰り返しながら、楽しく下りました。
随分下り、「ようこそ。佐々里フライ・ルアー特別区へ」という看板の上がってる所に来ました。結構しっかりした滝が道横に落ちてるところもありました。ポツンと車が1台あります。窓が開いてます。周りを見渡しても釣り人はいません・・・はてな?・・・車の中を覗くのをやめときました。腰が抜けたら大変ですから。
だんだん普通の山道になり、民家があると思ったら、すごい数(30台?)のバイクが停まっています。ライダーも10人ほどバイクのそばにいます。さっきのフライ・ルアー看板に書いてあった「スペース・ウッド」という喫茶店のようです。宿泊施設もあるみたい。
交差点で既走路に出ました。「かやぶきの里」から続いてるr38です。右折方向に「京都」と書いてありました。左折です。時刻は13:30で、次の福井県との県境越え林道は無理そうです。15:00に「名田庄」にいないと、日没前の帰宅は困難です。トラブルで、山道で日没を迎えるなんてことになったら大変です。携帯電話も普通でしょうし、暗い中真っ暗な林道にやってくる物好きもまれです。熊さんの餌食になってしまいそう。
「美山高校」んとこで小休止。どうやら廃校になってるようで、校舎に「管理地」の札の掛かったロープが引かれています。「芦生」の交差点でストップ。写真撮ってると、2台の大型バイクがやってきてストップ。タンクバックの地図に目を落とし、「かやぶきの里」の方に行かれました。
僕は右折しました。14:00、1年ぶりの「きしゃの木庵」です。作務衣姿の地元のお客さんと、観光のご夫婦が1組おられました。まだお腹は空いてないけど、ざる蕎麦大・900円を注文しました。おつゆが2種類になっていました。店主さんの話によると、「あゆ出汁」とのことでした。普通の出汁と違いあっさりです。半分ずつ食べました。あっさりの方が好みかな?田歌〜名田庄の峠越え道のことを聞きました。作務衣の地元の方は、オフ車じゃなかったら行かない方がいいんじゃないのかな?と言ってました。
r38に戻り西進。「田歌」の宿泊施設と多雨量通行止め案内のあるとこで、その道への分岐を発見しました。怪しげな分岐を見つけたので路肩に寄せて様子を見てると、後続の4WDジムニーがさっと入って行きました。ジムニーだけど、四輪が行けるならバイクでも行けそうです。次トライだね。
15:00、「かやぶきの里」。相変わらず人気です。トイレ休憩し、使い勝手がいいからお気に入りの巾着袋150円を2枚、それにヨーグルトに最適と書いてあったブルーベリーソース700円を1つ購入しました。レジで「ブルーベリーソースって、ジャムより液体に近いんですよね?」って聞くと、「そう、ヨーグルトやサラダにかけるの。砂糖入れてないからあまり甘くないよ」って教えてくれました。甘くないとのことなので、ブルーベリージャム800円に変更です。僕は、少しのジャムを多めのプレーンヨーグルトに入れて薄めて、毎日食べます。甘くないと量いるので高くつきます。
r38・少しR162・快走路r19で日吉ダムを横目に通過し、16:13「道の駅・京都新光悦村」で小休止。「美山プリン」250円を2個購入。今晩、家内と一緒に食べましょう。R9を越え、R477に乗りました。ミスしてまたR9に戻っちゃったけど、R477・R372・R477で、R173・「一の鳥居」で合流しました。
r12にチェンジして、18:00、帰宅。300km位、走ったでしょうか。ロングツーリングは、VTR250の方が面白いけど、怪しげな峠道は、人力でもなんとかなる重さの通勤リード110の方が、安心ですね。鴨瀬〜佐々里の地道は、VTRだったら撤退していたでしょう。もう道がどんなかわかったので行けるけどね。
楽しい1日になりました。

2011/10/11
日曜日、また四国ツーリングに行きました。9月最後の日曜日に、家内とタンデムで行ったばかりなのに・・・今回は岸和田のバイク仲間Aさんとご一緒です。前回は、神戸〜高松フェリーだったのですが、今回は和歌山〜徳島フェリー利用です。
和歌山5:30発なので、4:30を目標に3:00に家を出る予定でした。目覚ましなんて掛けないのに、今回はセットして寝ました。しかし目が醒めたのは2:15。目覚ましスイッチを鳴らないに戻して、着替えます。パジャマのジャージ上下の上に、コミネ夏用プロテクターメッシュ上下、その上に釣り用DAIWAスーツの春秋用で臨みます。
装備は、いつもの早朝バイク仕様+タンクバック・ツーリングマップル四国+GPSです。まずはGS。前回給油から100kmほどですが、和歌山まで100kmあるので、給油しておきます。119km/3.48L=34.2km/L。セルフだったから入れ方が足らなかったかもしれないけど、いいねコレ。
中国道〜近畿道〜阪和道で、一気に和歌山IC下車。と行くつもりでしたが、朝のお勤めが、朝とも言えない時間帯なのにありまして、「岸和田SA」さらに「紀ノ川SA」と2連発ストップを余儀なくされました。
和歌山IC下車以降は、GPSに指示されるままスムーズに和歌山港フェリー乗り場に到着しました。5:00。切符売り場に入ると、ちょうど切符が販売し始めました。Aさんが列に並んでおられたので、申込書を書いて渡しました。往復で3800円って、えらい安いです(実は販売員に伝わらず、片道切符でした)。
切符売り場と乗船埠頭が離れています。ちょいと走って乗船の列に並びます。バイクは先着30台(積み残しはまず出ないそうです)だそうで、全部で10台ほどのバイクでした。定刻乗船し、2時間の船旅をおしゃべりしながら過ごしました。Aさんとは知り合ったばかりなのですが、気が合う感じがして一緒にいて楽です。
7:30、徳島上陸。Aさんの後ろについて、R192を西進します。今回の計画は、三好市池田まで西進し、ここからR32・r32で南下し祖谷渓谷して「祖谷温泉」に入浴。四国山脈のど真ん中を東西に走るR439で東進して二重かずら橋、更に徳島市まで東進する計画です。
吉野川沿いを50kmほど走って、「道の駅・貞光ゆうゆう館」で朝食タイムです。525円の和朝食にしました。ご飯・味噌汁・香の物・卵焼きの定番ですが、安いと感じました。
朝食後は、僕が先頭です。雄大な吉野川の流れが、時折左手から望め、右は単線のJR徳島線が走っています。列車来ないかなあ?と期待してたら6両ぐらい連結してる特急が来ました。ローカル単線には、1・2両列車が似合うんだけど。徳島という県庁所在地から出てる列車なのに単線とは・・・、ちょっと複雑な心境です。東京の一極繁栄だと、日本の懐が浅くなりそう。
更に西進し徳島から100km、三好市池田まできて予定通り給油です。前回タンデムと同じ、「宇佐美32号池田SS」で給油。193km/6.46L=29.9km/L。ここで給油しておけば、あとはGSなくてもOKです。GS減ってるので、日曜日の田舎道はGSなくて焦る時があります。これで徳島まで心配なしです。
ここから道なりに、高松から来たR32に合流し、R32を少し走って「池田大橋」で吉野川を渡るところで、R32とはお別れです。そのまま行けば、吉野川沿い「大歩危・小歩危」なんですが、R32の対岸の道を走ります。ここは僕がお願いしてルート変更してもらいました。前回R32を走った時、対岸を走るJR沿いに道があるのを確認していました。途中で舗装路がなくなったら、Uターンになりますが・・・の条件付きにOKをもらいました。
祖谷渓沿いの道のようなグニャグニャ舗装路が細く続いています。たまに来る地元車が、「え?対向車?」って感じで僕に驚いています。交通量が少ないんでしょうね。R32を行くよりずっと楽しくr32に合流しました。
ここからは既走ルートです。前回は、「あ、ここにも滝だ」と言う感じで、道路間際の滝が目立ちましたが、台風の雨から大雨が降っていないから水量がみんな減っていて迫力がありません。ほんとは、初祖谷渓のAさんのためにもっと写真タイムを取るべきなのでしょうが、ケーブルで下りる渓谷露天風呂・「祖谷温泉」に入る計画と、酷道R439を延々走る予定なので時間が読めず、休憩を減らして走りました。
「祖谷渓展望台」で写真タイム。ここでロードバイク2人組と、「ここまで登って来たの?」「池田からです」の前回と同じパターンの会話があり、「気をつけて」と僕らが先発しました。リーダー格の大学生風の男の子が、モーターバイクにも乗ってるらしく、もっと話したそうでした。自転車やバイクの旅人は、基本知らない旅人との短いおしゃべりを楽しむ人が多いように思います。
続いて、「小便小僧」で停車。Aさんは、いろんな角度から写真を撮っています。前はデジカメさえ持たなかったように聞いていましたが、前一緒に走った時使ってた古いデジカメじゃないのを使っていました。奥さんから最新式購入許可が下りたのでしょうか?
ここでさっきの自転車野郎に追いつかれました。2人ともでっかい笑顔で、「ちわ〜す」と言う感じです。いいね、僕はこういうのが好きです。そう言えば、僕が先頭になって、僕がバイクピースを対向バイクに送ってるのを見て、Aさんが「ピースクラブに入ってるのですか?」だって。バイクに乗り出して、不安の初ロングツーリングの時、対向バイクからピースを送られて、「バイクの世界にようこそ」とウェルカムされたようで、とても楽しくなったからです。道の駅で用意してると、バイク乗りさんから声を掛けられ、素敵な世界だなと思いました。
これはスポーツ自転車でも同じです。自転車はもっと高い確率でバイクピースがあります。僕もバイクの運転に慣れてきて、会釈のバイクピースから手上げバイクピースをするようになりました。
Aさんの目的の「祖谷温泉」到着です、前回にも増して、車が多いです。タオル持って、1500円のチケットを買って露天風呂に向かいます。1500円で、露天風呂・ケーブルカー・内湯大浴場を利用できます。露天風呂には洗い場がないから、体を洗うのは大浴場だそうです。
42度の急なケーブルカーに乗り込みます。「スタートは、ボタンを押してくださいね。下の駅には係員がいませんから、お客様でドアを開けてください。最後の人はドアを閉めてくださいね」って、何と運転もセルフサービスのケーブルカーでした。スタートボタンのある最前列のお父さんが、なんだか張り切っています。「いいですか〜、動かしますよ〜」、う〜ん僕もやりたい。
5分のゆっくり降下です。紅葉の時だったら素敵な景色請け合いです。下に着いたらドア締めが面白そうだと狙っていたら、乗る人が待っています。こりゃドア締めはないな。残念。
脱衣場で服を脱ぎ、露天風呂に入ります。祖谷川の河原のすぐ横で、大雨の時に削られて気の生えていない川岸の崖より下です。台風などの大雨が出ると、水没しますね。前回来た時、「台風で露天風呂が使用出来ません」となってたけど、この為ですね。上の駅に材木が一杯置いてあったけど、あれで普請して再開業したのでしょう。従業員さんに、「えらいことになってしもうた」な顔がなかったのは、毎年のようにあることだからでしょう。
かけ流し38度の露天風呂です。ちょっとヌルッとした泉質で、炭酸泉なのでしょう細かい泡がお湯の中に沢山浮いています。1時間ぐらいゆっくり入っていられますね。あのケーブルといい、この景色といい、人気があるのは頷けます。
河原に作られた休憩所に出て写真を撮りました。さらにケーブルカー乗り場横の休憩ベランダでも写真タイムしました。ケーブルカーが下りてきたので乗り場に回ります。あのボタン席を狙ったのですが、先に並んでる人がいたので期待薄です。さらにAさんが、「最後だからドアを閉めるんですよね」って楽しそうです。
僕は再前列右というボタン席の次席の位置です。仕方ないので、写真やムービーで楽しみますよ。Aさんはドアを閉めてはりました。内心喜んでいるのかも?5分のゆっくり登りを楽しんでバイクに戻りました。さあ出発しようと思ったら、Aさんがリュックを忘れたのに気付きました。「取りに下りてください」って、無銭乗車OKでした。僕はのんびり待ちます。でもここで気づいて良かったです。次のとこで気付いたら、郵送してもらうとか手間がかかります。
r32を進みます。R32からやってきたr45と合流し、いよいよ「かずら橋」です。「かずら橋」駐車場まで来ましたが、ここはパスして「二重かずら橋」に向かうことになりました。お互い1度渡ったことがあるからです。延々谷筋の山道です。遥か下を流れる祖谷川の渓谷美を食傷するほど観られます。
そして、念願のR439に合流しました。バイクで四国に行きたいなと思うようになってから、石鎚山・剣山の四国・西日本二大高峰と、それにアプローチする石鎚スカイライン・R439が僕の四国でした。加えて、「四国カルスト」がどうしても行ってみたい四国です。
「東祖谷」に入り、祖谷川を渡る立派な橋でストップしました。ムービーの電池切れ交換と祖谷川激写の用ですが、Aさんが橋の袂で呼び込みされてるおばちゃんの声に釣られて、「お昼、食べましょうか?」って。祖谷そばを食べました。集落のテントを張り、工事現場プレハブで調理する簡易店舗ですが、僕はこういうとこの方が好みです。おばちゃん達と軽口を交わして、「ごちそうさま」。
R439もr32とあまり変わらない道で、いつ果てるかわからないほど、延々と渓谷道が続きます。広く整備されたところもありますが、四輪では対向に苦慮する細い道が大半なので、前の車に追いついて、横によけてくれたら抜かすというのを繰り返します。右に左に30km/h平均でカーブを切るのが楽しいです。
「おや、車が駐車してる・・・」、「奥祖谷・二重かずら橋」到着です。500円払って、吊り橋チャレンジです。谷に下りていきます。まずは「男橋」。「かずら橋」同様。はしご式の踏み棒が、かずらで編まれています。安心のワイヤー入りです。でも、こちらははしごの間隔が不揃いです。片手でかずらを持ち、もう一方でムービーです。僕も慣れたものです。しかしAさんは、かずらなど持たず、スタスタとまるで街中の道を歩くように渡って行きます。「そんなんじゃ〜、吊り橋制覇とは言えませんよ〜」って、非情な言葉が掛かります。まあ、しっかりかずらを持って、ごくゆっくり一歩一歩踏みしめて進むしか出来ず、遠くを見る余裕なんてないですが・・・「うるせ〜、こちとら必死なんですわ〜」。余裕の表情で、笑って見てるし(たぶん。見ることができないので想像です)・・・。
帰りに、「女橋」を渡りました。「野猿」もあったけど、乗り待ちがありそうなのでパスです。これで、「四国・かずら橋」完全制覇です。僕の基準では、渡れれば制覇です。
R439を更に東進します。好きな細道も、マジで食傷してきました。「いつまで続くの?もうそろそろ勘弁してくれへんかなあ」と思ってると、路肩に路上駐車が目立ち始めました。「山登りの人だな」と思ってると、「剣山」到着です。立体駐車場があり、山頂に向かってリフトが掛かっています。お若い山ガールファッショナブル女子がたくさんいます。「剣山」って西日本第2位の高峰なのに、リフトを使えば街着で山頂に立てそうです。見上げる山頂も、イメージと大きく違いおわん型で優しいです。
ここから、R439を諦め、R438で北上してR192・吉野川に下ります。R439が、ずっとこれまでのような道だったら、19:00発フェリーに遅れるかもしれません。R438もあまり変わらない道でした。最初、流れていますが渋滞気味でした。車列の先頭にバスがおり、離合で止まるからです。「剣山」登山のメインルートのようだから、仕方ないね。僕の独断だったけど、元々のAさんのルートだからOKでしょう。後で知ったのですが、AさんもこのままR439ではヤバイなと思ってたそうです。
しばらくすると、順調に流れ出しました。こちらは、「一宇川」が流れ、祖谷渓同様の渓谷美です。1つ残念だったのは、長い滝のとこで止まらなかったことです。「写真に収めておけば良かった〜」。朝朝食を取った「貞光ゆうゆう館」のある「つるぎ」の町で、R192に合流しました。ここからは、単調な国道を東進すれば徳島港です。淡々と走っていたら、ソレが起こりました。

何気なくスピードメーターを見たら、タコメーターがゼロを指して動いていません。「あれ〜」。バイクに耳をすますと、よく警告音にあるピー音がお尻の下から聞こえます。「こりゃ、あかんぞ〜」、左ウインカー出して止まることにしました。路肩に寄せてゆっくり減速していくと、エンジンがストップしてしまいました。計器ライトが消えた・・・キーを動かしても電気が来ていません。当然イグニッションは回りません。ピー音が続いています。焦げ臭い匂いもします。電気系の配線がショートでもして燃えたのかな?
何れにしても、僕が解決できる問題ではないので、バイク屋さんで入ったトラブルサービスに電話します。バイク屋さんのその部門が出て、レッカー手配などをしてくれるそうです。50kmまではレッカー無料だけど、それ以遠は有料になるとのこと。買ったお店までだと6万円もかかるのだとか。最寄りのバイク屋さんへの搬送もできるけど、最も安心なホンダ・ドリーム店は徳島県になく、香川県高松市にあるとのこと。ちょうど50kmの「ホンダドリーム高松」までは無料なので、そこにお願いしました。「ホンダドリーム高松店」にも、受け入れ確認しました。
Aさんに迷惑かけるので、先に帰ってくださいと言うと、「次の21:50目標に気長に行きましょう」と付き合ってくれるとのことで、甘えさせてもらいました。レッカーを見届けたら、タンデムで岸和田まで連れていってくれると言ってくれます。「ちょうど、遅い方がいいんですわ。岸和田のだんじりで通行止めが多いから」、不安になってる僕を気遣っての言葉だと思いますが、ありがたいです。
岸和田の弟に電話します。「おう、何?」「あんな、バイクで今徳島に来てるねん。ほんで故障してしもて、一緒に来てる人がちょうど岸和田の人やから、送ってもらうねん。今晩泊めてくれる?夜中12時に和歌山港やから、1時回ると思うねん」「ああ、ええよ。何時になってもええから、岸和田に着いたら電話してや」。あっさりOKです。持つべきものは、優しい友人と、出来た兄弟ですね。
すぐに弟から電話が入りました。「あんな、家まで送ってたるわ」。弟んとこの夫婦の会話が想像できました。「あんな、お兄ちゃんが泊まりに来るわ」「えっお兄さんが・・・部屋掃除せな〜・・・」「あっ、それやったら家まで送って行こか」、てな感じです。
「香川アムス」さんのレッカー車が来て、止まった状況を話すと、ヒューズやと思うけど、コンピューターかなあ?「いっぺん見てみましょか。僕整備士ですし」と配線やバッテリー・ヒューズを見てくれました。ヒューズもOKで原因不明。帰りのフェリーの時間もあるので、レッカーをお願いしました。
Aさんの後ろに乗って、R192を淡々と進みます。初めてのバイクリアシートです。家内の感じを体験できました。徳島港には、1時間10分前に到着しました。僕の往復切符を払い戻してもらって、新たに人だけの切符を買う算段だったのですが、朝買ったのは片道切符でした。どうりで3800円と安価だったわけです。僕は2000円の切符購入。バイクのフェリー代金は安いな。
帰りのフェリーでも、Aさんといろんな話題でしゃべりました。いつもなら10時になったらまぶたが重いのに、何故か起きていられました。24:00、和歌山港到着。R26を北上します。大学3回生の時、全国制覇した懐かしい淡輪通過。
岸和田に入りました。電柱などに紅白の布が巻いてあります。通りの両側に、隙間なく提灯が下がっています。もう1時を回っているので、町は静まり返っていますが、提灯は1つも消えていません。ちょうど始まったばかりの朝の連続ドラマ「ひまわり」の舞台は岸和田、ここのだんじりは、10/10・体育の日が片付けと決まっているそうです。その前2日間がだんじり本番です。ということは、だんじり本番を終えたところです。ハッピを着た若者が数人、けだるく片付けています。提灯の明かりがとても綺麗です。これなら、仕事を終えてから来ても、別のだんじりを楽しめそうです。
弟の家の最寄り駅・JR久米田まで送ってもらいました。電話すると5分ぐらいで弟の車がやってきました。「Aさん、ありがとうございました」。「あのさあ、嫁さんが必死で片付けて、泊まれるようになったけど、お兄ちゃん明日何時に戻らなあかんの?」「朝一番の電車で帰るわ。一旦自宅に戻って始業までに行かなあかんから・・・」「ほんなら、やっぱり送ってたるわ」「そやけど、それからまた岸和田に戻って来るんやで、大変やろ」「まあええわ。だんじりの片付けだけやし」。「また四国行ってきたん?前姉さんと行ったとこやん。姉さんからお土産もうたで」「うん、今度はもっとハードなとこ行ってん」。
帰りの車で、だんじりの話をしてくれます。弟は、子ども会の関係で、警備としてだんじりに関わっています。ポイントで待機し、転ける曳き手がいたら、即座に引っ張り出すそうです。1トンのだんじり本体が猛スピードで追ってくるので、引っ張り出す方も必死だそうです。だんじりの試験曳きに曳き手として参加したこともあるそうですが、とても部外者が参加できるようなものではないと1度で悟ったそうです。子供の頃からだんじりを曳いてた子が、年齢が上がると共に、走るのが遅いとか向いてないとかで抜けていき、大人の曳き手はエリートだそうです。そんな大げさなと思ったのですが、F1ドライバーに例えていました。弟も岸和田だんじりの魅力に取り憑かれているようです。
この日、だんじりが終わった後、ハッピの回収とかやってると、片隅で屈強な曳き手達がTVを見ていたそうです。何も言葉が発せられていません。誰も動きません。何も見ているのかと覗いてみると、自分たちの曳いてる姿のビデオでした。反省会とかじゃなく、「あ〜ぁ、今年のだんじりも終わってしまった〜」という哀愁が、背中から漂ってくるそうです。昼間、大声を上げて全速で走ってたでかい体の男たちが・・・。「心の中で、笑ろうたわ」だそうです。
70台のお爺さんと言われそうな人が、すごいスピードで走るそうです。曳くのは17:00までと決まってるそうですが、1分でも多く曳きたいので時間オーバーします。すると警察からのペナルティで、翌年は30分短縮されるそうです。弟んとこは、一昨年ペナルティ食らって去年は16:30までになりました。去年守ったので今年17:00までに復活したのに、また今年オーバーしたそうです。
17:00に猛スピードの大人曳きが終わり町内に戻ると、子供の歩くスピード程の子供曳きになるそうです。よちよち歩きの子が、大人同様の白の股引・ハッピ姿で曳くそうです。そんな小さな子の衣装も、特注品ではなく既製品であるそうです。まだ首も座っていない乳児にも衣装を着せて参加してるそうです。成人して他地域で暮らしている子が、家族を連れて帰ってくるので、爺さんがドカンと散財するそうです。
それを聞いて、いいもんだなあと思いました。たとえ死者が出ても、この猛スピードが、若者をだんじりに惹きつけるのだなと。地域の縦のつながりであり、同窓会であるんだなと想像しました。ゆっくり曳いていれば、若者への魅力がグッと下がってしまいます。
弟の車はワーゲンゴルフですが、高速の継ぎ目を越える時の振動とかが少ないように感じます。さすがドイツ車、工業製品の品質が高いです。弟がずっとゴルフを乗り継いでいる気持ちがわかりました。まあ僕の場合、キャンプとかスキーとかヨットとかで、荷物ワンサカばかりだったから、求めるものが違うけどね。
2時を回り(3時前?)自宅に着きました。時間もわからないまま、寝てしまいました。弟の方がこっちに泊まっていくかなと思ったのですが、そのまま帰りました。翌朝、目が覚めたのが、7:50。仕事に穴を開けずに済みました。
僕ら兄弟は、6才離れています。だから兄弟だけど、少し親子が入っています。兄弟げんかもした記憶がありません。弟が大学の時親が病気になり、僕ら夫婦が学費とか仕送りとかしました。親父の余命が半年と言われたから、親のお金に一切手をつけませんでした。親が亡くなった時に、相続関係も全部僕に任せると言ってくれました。弟に多めに相続してもらいました。奥さんもいい人なので揉め事にならないと思いますが、お互いに嫁さんがおり子供がいます。小粒ながら昔で言う宗家の家長になった僕の行動が、家系に及ぼす影響は大きいです。
うちの親が、時々どちらの名義かで喧嘩してたし、ご近所さんや親戚の家でも、お金でもめているのが見ていて嫌でした。どうせ死ぬときゃ、三途の川の渡り賃・六文銭あればいいだけです。家系を繋ぐわが子に十分に投資できれば、夜露をしのげればいいです。
弟の奥さんのお父さんはもう亡くなったけど、だんじりの町内会長さんを長くやっていました。男気のある世話人で、実家の隣に3階建てを建てて住んでいます。弟はいい奴なので、向こうの家の方に好かれていると思います。2人だけの兄弟なので、死ぬまで仲良くしていきたいと思っています。今回は、世話になっちゃったな。
さて、四国に置いていったVTR250ですが、翌日ドリームさんから電話が入り、バッテリー過充電を防ぐとこが故障してて、バッテリー過充電で寿命だそうです。バッテリー交換して、動かなくなったタコメーターが壊れてないか調べるそうです。バッテリーはバイク購入して3年間交換してないので、どっちにしても寿命時期だと思います。タコメーターとかその他が壊れていないことを望むだけです。

2011/10/3
日曜日は、お盆以来の「夫婦で自転車」をしました。「高野山・豪快ダウンヒル」コースも候補でしたが、今回のメニューは「美作・吉野川r5下り」コースです。川沿いの道なので、下り基調の道がダラダラと続きます。ダラダラと続く長い下りが、脚力のない僕ら夫婦の自転車にとっては最高のコースです。
智頭急行・佐用駅8:59発に乗るので、朝は余裕なのですが、佐用の雲海が観れたらいいなと、5:30に家を出ました。早朝、中国道を西に走ると、福崎を過ぎ次の山崎盆地とその次ぎの佐用盆地がよく朝霧に沈んでいます。佐用の地図を見ていて、山頂まで道が付いてる「大撫山」というのを見つけました。「西はりま天文台」というのが山頂に建っています。そういえば、星の町・佐用で夏の夜空を見上げる会などを聞いたことがあります。天文台があれば、舗装された道がしっかりあるはずです。
中国道に乗り、「加西SA」で休憩しました。トイレ休憩でもありますが、主目的は、兵庫県の名産物色です。来週、家内は仕事の全国大会で東京に行きます。家内はある組織の兵庫県リーダーで、今回の全国大会では司会をします。毎年恒例の名産交換会で、3人分の兵庫県名産を持っていかなければなりません。もうタイムリミットなので、必ず買って帰らなければなりません。1000円ぐらいの「神戸バウムクーヘン」があったので、一応候補にします。朝食用に「鯖寿司」とパンを購入しました。
7時頃、「佐用IC」下車。「大撫山」への道は難なくわかりました。天文台への道案内看板に従って走ると十分対向できる広さの舗装路が山頂まで続いていました。途中に、「朝霧展望台」があったので、そこに寄ります。最後の道が、えらい急な登りで、途中に1ヶ所大きな穴ぼこが開いており、バイクでは躊躇する道です。20mほどの短い直線急坂を登ると、小さな空き地が2ヶ所あり、そこに車を置いて展望台に立ちました。
展望台と言っても、ただ視界を遮る雑木を切っているだけの段曲輪状の見張り台的なとこですが、下界が一望できます。曇り空なので、朝霧は少しだけだったようで、ところどころに少し浮いてるだけです。盆地の向こうの山並みが連なり、優勢な朝霧が出た時は、絶景が想像されます。そんな時は、一眼レフの列が並ぶだろう第一線も、誰もいません。肌寒く、座る所もないので、朝食はおあずけです。
山頂まで上がってみました。「大野山」みたいに、キャンプ場と天文台がありますが、こちらの方がずっと規模が大きいです。ロッジが何棟も建ち、大規模な学校お泊り勉強だってできます。天文台も大きく、大小10以上の望遠鏡を有する観測施設が建っています。
ここからの眺めが素晴らしく、素敵な場所です。でも肌寒いので、駐車場の車に戻って、山並みを眺めながら朝食にしました。鯖寿司の半分は、「行動食」としてリュックに入れます。こないだのNHK・ETV「あなたも山ガール」で学習しました。「行動食」を持参し、ちょこちょこ食いするといいそうです。
「佐用駅」ロータリーで自転車と家内を下ろし、駅裏の電車利用者用・無料駐車場に車を置きに行きます。ロータリーに戻り、2人で自転車を輪行袋に収納しました。2台で10分ぐらいかな。もう慣れました。智頭急行の「あわくら温泉」までの切符を買って、ホームに上がります。まだ1時間近く時間があります。乗車まで、JR姫新線の列車が2本ぐらい来ましたが、1両の可愛い列車です。電化されていないので、ディーゼルエンジンの響きを残して目的地に向けて去って行きました。
僕らの乗った智頭急行普通列車も1両で、単線を北上します。今まで2度智頭急行に乗りましたが、貸切状態でした。しかしこの日は、お客さんが多いです。15人ぐらい。しかも、年配の小径車さんと、若者輪行車さんがいました。年配さんは、宿場町・「平福」で下車されました。若者さんは、「宮本武蔵」駅の次の宿場町・「大原」で下車されました。若者さんと喋りたかったけど、1駅間写真撮ってて、喋りかけようと思ったら、運転手さんに「後ろのドアのとこに、荷物用スペースがありますよ」と促され、移動したので若者さんと別れてしまいました。
9:49「あわくら温泉」駅下車。2Fの駅ホームから下に降りて自転車を置いてトイレです。出て広い待合室のポスターとかを見てると、ロードバイクがギュイーンとやってきて、外の家内と挨拶しています。僕と入れ替わりにトイレのようです。自転車を組み立てながら、家内が「レースでもやってるのかな?ほらゼッケンが付いてるよ」って。ローディーさんに聞くと、この後始まるヒルクライムレースに参加するようです。「僕についてきてもいいですよ」って、あ〜た。僕の貧脚でヒルクライムレースに参加できるわけないやん。そう言えば、車窓から並走するR373上をロードバイクが何台も走っていました。
今日調べたら、「ヒルクライム in ダルガ峰」という大会でした。「ダルガ峰」って「ちくさ高原」からの下りに使おうかなと思ってた道じゃないか。僕の場合、自転車じゃなくてバイクだけど。ウォーミングアップ中のようで、ギュイーンって、あわくら温泉の方に走っていかれました。駅に下りた頃から、怪しい雲がやってきて、霧雨が降り出していました。待合室で雲をやりすごそうと思ってましたが、自転車をセットしてる間に霧雨が上がりました。
さあ、出発です。さっきのロードバイクを追うように、あわくら温泉方面に下ります。吉野川・智頭鉄道に沿って、R373が走っていますが、国道では面白く無いので、いつもの野生の勘を使って、適当に裏道を行きます。適当に走ってるのですが、この道が素晴らしく、ほとんど漕がなくてよく、しかもベレーキも使わないという最高の斜度です。交通量は殆ど無いし、家内と喋りながらルンルン気分です。
歴史の有りそうな大きなお屋敷があり、一見で古いと分る江戸時代からだろうお墓が並んでいます。田畑の畦や河川土手に彼岸花が赤いアクセントを付けています。楽しく下っている間に、あっという間に「大原の宿」です。吉野川の西側を走っていましたが、国道や鉄道が走ってる東側に、古い町並みが見えてきました。東側に渡り、「大原の宿場」を見学します。本陣や脇本陣が綺麗に保存されていますが、観光客は殆どいません。よって、観光客目当ての飲食店や土産物屋さんもありません。一般のお店が、街並みに合わせた店構えをしています。観光収入がないのに、この街並みを保存するのは大変だなあと思います。
目印のR373が、R429に変わりました。ここから、r5が吉野川沿いを走るので、目印変更です。剣豪・宮本武蔵の生誕地で記念写真撮って、裏道を縫いながら下ります。r5は、一度バイクで走ったことがあり、交通量の少ない素晴らしい道だなと思って、今回の自転車コースを考えました。遅い自転車なので、更に交通量の少ない民家を縫う道を選びます。
適当に休憩し、古墳を見つけたりしました。吉野川の橋に座って、残しておいた行動食を食べました。リュックに中で、鯖寿司が変形圧縮されていました。食後のデザートとして買ったケーキなんて、1/3の厚さになってました。でも味は変わりませんね。おいしい。家内は、「夜中、駅の階段でたむろし、座り込んで食べてる怪しい若者と変わらないね」と、笑っています。
川沿いの裏道を走っていると、小さな堤がありました。僕がプレゼントしたピンクのサイクルジャージと、一緒に買いに行ったピンクのランニングスカートのお披露目の日でもありました。でもちょっと涼しいので、白の薄いパーカーを羽織り、僕とお揃いのサイクルパンツを履いています。せっかくなので、ここで脱いでピンクの激写です。スニーカーの紐もピンクに変えたようで、ピンクピンクしています。なかなか可愛く似合っています。
裏街道を走っていると、「土砂崩れ・通行止め」の看板が立っていました。前方の崖の所に数台の軽四が止まっています。行けるんちゃうかなと野生の勘で突っ込みます。山側が崩れ、道に土砂が乗ったようです。後ろから家内が、「通行止めって書いてあったよ〜」って言ってます。昼休みなので、作業してるおっちゃん達が弁当を食べています。「すんませ〜ん」って通りました。
何やら民家が増え、JR線を高架で越えました。JR姫新線・「美作江見」到着。休憩がてら駅舎に入ると、「レトロ駅舎・スタンプラリー」のスタンプ台が置いてありました。ここは有人駅でしたが、切符売り場におられる方は制服ではありません。隣のおばちゃんという感じの方が私服で座っています。ちょいとホームに上がってみました。いいねえ、ローカル線。みんな絵になります。
最終目的のJR姫新線「林野」駅まで、あと10kmと道路表示されていました。1時間弱・13:00に着いてしまうので、14:54には早すぎます。2時間に1本なので、何もすることがありません。ということで予定通り、吉野川沿いを離れ、JR沿いを走ることにします。「美作江見」からご一緒だったR179から、r354にチェンジです。
この道は、しばらく緩い登りでした。でもちょうど踏切が鳴り、単線を走る1両のバスみたいなJR車両を写真に収めることが出来ました。「楢原」駅、到着。無人駅です。プラットホームを囲う低いフェンスをまたいで侵入し、ホームを激写。線路にたくさんイガ栗が落ちていました。
県道とも離れ、JR線に沿って走ります。こういうとこに気軽に入っていけるところが、自転車のいいところです。素敵な踏切を渡ります。フェンスのない単線がゆるくカーブし、遮断器もない踏切がポツンとあります。記念写真です。ゆるく登ると、「中国道」が近づいて来て、すぐ脇を走ります。道なりに下っていると、川沿いのr388に合流しました。「林野」駅のすぐ南を流れている川じゃないかな?と野生の勘です。
何となく見覚えのある交差点に出たので、リュックから地図を出して現在地確認です。野生の勘の的中です。ここの橋を北に渡れば「林野」駅でした。GOOL!。13:30。50km弱走りました。遠回りしたけど、30分しか時間を稼げませんでした。ここは、「湯郷温泉」の最寄り駅です。でも、「美作江見」駅同様、私服の近所のおじさんが切符売り場に1人座っています。
家内が見つけた観光案内板を見ると、駅の北側に道の駅があります。そちらに回って、なにか食べることにしました。お土産や産直品を売ってる建物の入口に、「おめでとう!宮間選手」という看板が、掛かっていました。なでしこジャパンで有名になった宮間選手は、「女子サッカー・なでしこリーグ」のご当地美作チーム所属です。優勝できて、ほんま良かったよね。
ここで腹ごしらえして、駅に戻り、輪行袋にまた自転車を入れてホームに上がります。まだ40分ぐらいあります。のんびり家内を話しながら、子供たちが巣立った後、こういう夫婦関係を送れる家内に感謝する気持ちが溢れてきました。僕にとって、最高の人と一緒になれたなあ・・・と。
また1両列車に乗り込み、佐用駅を目指します。田んぼの中を走り、山際を走ります。線路脇のすすきとぶつかりながら走ります。山際のカーブがきつい所なんて、止まりそうにゆっくりになって慎重に曲がります。戦国時代末期、織田氏の羽柴秀吉軍と、中国10ヶ国を平らげた毛利軍とが睨み合った「上月城」のある「上月」駅付近は、川沿いを走ります。車窓が楽しくて、ずっと立って最後部から激写の連続でした。僕は小学生並です。家内は、スヤスヤと眠っています。
「佐用」駅に、帰ってきました。ロータリーで家内を待たせ、車を回して自転車を積み込みます。高速に乗り、PA・SAに寄り、あれこれ物色しながら、播州姫路名産と書いてあったお土産を3つ買いました。僕がいいと思った「神戸バウムクーヘン」は、嵩が大きくて3つも持っていくのが大変ということで却下になりました。
高速に乗った時、「宝塚事故渋滞7km」となっていたのが、「渋滞10km」、続いて「渋滞13km」になったので、「神戸三田IC」で降り、三田・r68・r33経由で帰宅しました。r68からr33・西谷農協大池交差点に抜ける抜け道で、警察の実況見分が行われていました。道路を斜めに横切る白線で、横に車かバイクが落ちたのでしょうか?
またまた、楽しい1日になりました。

2011/9/27
日曜日は、四国徳島のかずら橋に、通勤リード・タンデムで行ってきました。今年の夏、2度計画しましたが、2度とも天候不順で流しました。
3年前、VTR250で巡った篠山で、篠山川に掛かった2つの吊り橋を、怖くて向こう岸まで渡れず連続で断念しました。それを機に、僕の高所恐怖症を改善すべく始まった「吊り橋高所恐怖症克服プロジェクト」を始め、早朝バイクで近場のいろんな吊り橋に挑戦し、少しずつ渡れるようになってきました。家内と行くときは、いつも家内の後塵を配してきた屈辱の歴史です。
当初立てた2つの目標は、「日本一長い吊り橋・谷瀬の吊り橋」と、この「かずら橋」を渡ることでした。今年の春、当日の挑戦の事前に数箇所の吊り橋を渡って慣らして、「谷瀬の吊り橋」を見事渡りました。残すは、この「かずら橋」。僕の予想では、こっちの方が揺れるので、難易度が高いと思い、克服プロジェクトの最後に持って来ました。とうとう、その日がやってきたわけです。
今回も、「谷瀬の吊り橋」同様、泣きっ面を平気で見せる事のできる頼もしい助っ人・家内と同行です。「かずら橋」は、徳島の一番西・三好市の池田町にあります。車で淡路島を渡るルートでは、片道5時間も掛かります。1日に往復10時間は、ドライバー1人の我が家にとってはきついです。事故起こしたら、何にもなりません。そこでフェリー利用することにしました。
土曜の夜、仕事を終え、食事して風呂に入り、22:00に通勤リードタンデムで出発しました。家内を阪急電車の最寄り駅まで送り、一路神戸三宮を目指します。R171・R43で三宮。家内を拾って、フラワーロードを南下。R43を突っ切って真っ直ぐ南下すると自然にフェリー乗り場でした。
二輪置き場には1台もいません。僕らが1番だったみたい。車もいないです。予約しておいたので、スムーズに発券してもらいました。ジャンボフェリー・1:00神戸発・5:00高松着、往復で125cc以下運転手1名含め6570円+同行者1名2000円=8570円で四国往復できます。しかも、寝ていけます。Goodです。
約2時間待合室で待ち、1時にフェリーに乗り込みます。家内は徒歩乗船で、早い方が居場所確保する作戦です。コンテナだけの荷物が多く、港のコンテナ運搬用の運転席だけのトラックが船内外を往復し、船からコンテナを引き出します。運転席だけトラックが船内に入り、コンテナだけ車両の前に寸分狂わずドッキングし、出ていきます。さすがにプロ、手際がいいです。でもコンテナが多いので、一般車両は待たされました。
家内が雑魚寝スペースを確保してくれていました。3連休なので混んでるかなと思ったのですが、そうでもありません。バイクは、外人さんの原付・4人グループ大型バイク・他3台ほどでした。車両甲板も空いています。「武庫川サイクリングクラブ」というお揃いのジャージを着た数人のグループが乗っていました。11時前にロードバイクを連ねて神戸の街を走ってるグループがいて、夜通し走るのか?と思ってたグループでした。夜の弱い僕らは、すぐに寝てしまいました。
翌日曜日、「ジャンボフェリーの歌」で目覚めました。「風が恋を運ぶ、海を遠く渡り、2人を結ぶジャンボフェリー〜・・・」。曲調といい、臭い歌詞といい、昭和な歌です。しかし、ダサ〜と思いながら妙に馴染みます。僕の体の中にあるダサい昭和の部分が反応するのだと思う。何度もジャンボフェリーに乗ってたら、歌詞を覚えてしまいまそうです。無意識に鼻歌で出よう物なら、僕は昭和の奈落に落ちてしまうでしょう。要注意な歌です。帰りのフェリーで下船を待って並んでいたら、お若い女子が曲に合わせて軽く踊ってるし・・・「あ〜お若いのに、昭和トラップにはまってる・・・」・・・恐るべしジャンボフェリー。
家内とタンデムで、僕の初バイク四国上陸を記しました。横に置かれていた武庫川サイクリングクラブのロードバイク数台はそのままだったので、小豆島に渡るのでしょう。
5:00で真っ暗です。大体の方角しか頭になく、適当に走ればR32表示が出るだろうと、先に船から下りた4台のバイクの後を追いかけます。地図では、フェリー降りたらR11で、まっすぐ南に向かえば高速道路と交差し、そこからR32で高知を目指せばいいだけなので簡単だと思ってました。しかし、太陽がないので方角がわかりません。高松城と高松駅の横を過ぎたけど、迷子です。数度、暗い街灯の下で地図確認し、やっと向かう方向が分かりました。南に向かえばいいのに、西に向かってて、r178を南下しR32に合流しました。30分ぐらいロスした模様です。
ここからは、ひたすらR32をトレースするだけです。5:30になると空が明るみ出し、ポコポコある平野の山が目に入り出しました。高松の山は、よそと少し違う感じがしました。早朝ということもあり、交通量は少なく快調です。ですが寒いです。14℃とかです。1週間前は、こんなことなかったはずなのに。
香川県と徳島県との県境の山が結構高いです。登りだしたところで、家内にカッパを着せました。2人とも夏用プロテクタージャケット・パンツの上に、釣り用DAIWAの防水スーツを着ているのですが、寒いです。僕も寒かったけど、ここは男なので痩せ我慢して、いつも入ってる僕の通勤用カッパを出しました。カッパの二重着で、家内の寒さは解消されました。これでダメなら、船内用パジャマとして持ってきた僕のジャージ上下を登場させようと思ってました。
峠を下り、三好市に入りました。織田信長が上洛するまで京都を抑えていた三好氏の本拠地です。「箸蔵」というJRの駅に寄りました。JR線と走ってきて、ローカル線の単線と無人駅を見たくなりました。
箸蔵の町に下りて、7:15コンビニで朝食です。ローソン看板の下に「うどん」看板が上がっています。しかし朝早すぎて店員さんの手が足らないようで、うどんはやってない時間帯でした。パンとコーヒーを購入し、店内のテーブルスペースで食します。家内の方が食欲があります。
「吉野川」を渡りました。海から随分上流のはずですが、広く水量もたっぷりです。さすがに、徳島の肥沃な地の大部分を潤す大河です。三好氏が海向こうの畿内・京都までも影響下に置いた富の源泉を見る思いでした。
ここ池田町から、再び山岳地帯に入ります。池田と言えば、爽やかイレブンで高校野球甲子園に登場し、蔦監督・やまびこ打線で一時代を築いた池田高校のある町です。当事は、池田町でしたが、今は三好市池田町になったようです。池田高校の横を通って山に入ります。少し細くなり、渓谷の下にいった吉野川沿いR32を走ります。気温は再び14℃・・・山に入るので、気温上昇は望めません。
讃岐と土佐を結ぶJR土讃線が吉野川の対岸を走っています。「三縄駅」を過ぎて、土讃線がこっちに渡ってくると、「祖谷口」です。R32をそのまま進むと大歩危小歩危渓谷です。でもここからr32に入ります。ツーリングマップルおすすめの道で、祖谷川の祖谷渓沿いを走ります。ここを走りたかったがためにバイクで来ました。
道は細く、四輪の離合困難な道が続きますが、絶景です。祖谷川は、はるかに下で、ジグザグに山を切り裂いて流れているので、コーナーを曲がる度に別の絶景が飛び込んできます。道は渓谷の山肌に張り付き、小さな名もない滝が道のすぐ横に落ちています。雨の後だったら、直接道路に滝が落ちてるんじゃないかな?と思われるところもあります。ところどころ山肌から流れでた水が、道を洗っています。ちょっとした雨で、閉鎖になりそうな道です。
ちょっと走っては止まって写真をやってると、遠く上流の山肌に、ポツンと家が見えます。耕作地なんか取れそうもない急斜面渓谷で民家なんかずっとなかったのに・・・「え〜、こんなとこに住んでるの〜」。この道沿いのようなので、だんだん近づいて行きます。
渓谷の展望台があったので、小休止してまた絶景を楽しみます。車が1台おりカップルさんとご挨拶。そこに、「祖谷街道」という謂れ板が立っていました。地元集落が協力し、明治〜大正にかけて作られたようです。危険な大工事だったことが想像されます。
少し進むと、小便小僧が立っていました。小便小僧が目指すのは、もちろん祖谷渓の絶景の下です。こんな渓谷見たら男子なら誰でも、狙いを定めてメーキングしたくなります。そんな願望を疑似体験させてくれているように、岩の上に小便小僧が立っています。羨ましい。ここに自転車の先着さんがいました。ロードバイクではありません。小口径ママチャリです。「下から登ってきたの?」「はい」と若者が事もなげに笑顔を見せてくれました。「すげ〜」。四国に入り、お遍路さんの土壌があるからか、後輪の両側にバックを持った旅仕様自転車が目につくなと思っていましたが、いずれもベースは軽そうなロードバイクなどです。おばちゃん街中仕様チャリとは、この若者は大物です。
そしてついに、一軒家に到着。「祖谷温泉」という一軒家旅館でした。r12と祖谷川の間に建ち、渓谷にせり出すように200度ぐらいグルリ祖谷渓谷の絶景が眺められる旅館です。どの部屋からも窓を開ければ絶景でしょう。旅館の駐車場や県道沿いに車がたくさん停まっています。人気のようです。
バイクを置いてウロウロしていると、旅館の女中さんと思われるお若い女子が、看板を持って出てこられました。少し前に、「ここらの渓谷に温泉が湧き、煙で道が見えなくなることもあった」と言う看板が立っていたので、この高さまで温泉を上げるのは大変だなあと谷底なども覗いてると、その女子が、「露天風呂が渓谷の底にあり、ケーブルで下りる」と教えてくれました。そのケーブルが台風で流されたそうで、そのお詫びの看板を持って出てきたのでした。
「ケーブル降り場、見ます?」って・・・見せてもらいました。修理資材が置いてありますが、急角度でレールが谷底に向かっています。看板によると、勾配42度・5分だそうです。命がけの温泉のようです。1泊料金は、17000円だとか・・・ぐあ〜メチャ高い。まるで京都の高級旅館ではないか・・・まあ、こんなに特徴のある温泉旅館はないわなあ・・・。今朝・火曜日の新聞で、家内が大満足百選の温泉に、有馬温泉や龍神温泉と並んで祖谷温泉が出ているのを見つけました。たった一軒で有馬温泉と張り合うなんて凄いです。
「西祖谷」の集落まで来ました。「かずら橋タクシー」と書かれたボンネットバスが2台置かれていました。現役で観光周遊バスしてるようです。さっきの祖谷温泉バス停にも、ボンネットバスが走ってると書かれていました。
ここに、「祖谷大橋」というのがあり、R32からやってくるr45が合流します。r32を更に進むと、「かずら橋」に到着しました。大きな観光センター・駐車場があります。ここに駐輪(バイク200円)します。横に荷物を満載したスーパーカブの青年がいたので、「それテントだよね?キャンプしながら四国回ってるの?」と声を掛けました。実家の奈良から、大学のある大分まで行く途中だそうです。
さあ、3年来の目標「かずら橋」です。大人500円払って渡ります。かずら編みの芯にワイヤーが張られています。その点はいいのだけど、橋板が「谷瀬の吊り橋」のような長い縦板ではなく、細い5cm角ほどの四角い横棒を縦紐で組まれているだけです。はしご状に横棒が組まれ、棒と棒との間は5cm以上隙間です。もちろん真下の祖谷川の流れがモロに見えます。「これはまずいなあ」。でも、手すりになるかずらが太く、そこを持てば大丈夫です。川底までの高さもあまりないので、足元から血が引くあの感覚が起こってきませんでした。
「谷瀬の吊り橋」では、家内に大きく遅れをとったこの僕が、手すりのかずらを掴みながらですが、家内より早く渡れました。しかも、途中で写真も撮れたし、ムービーまで回せました。快挙です。遅れてやってきた家内が、「お父さん、早かったやん」で驚いています。「谷瀬の吊り橋」では、手すりも持たずスタスタ歩いてた家内が、しっかり手すりを持って、明らかにあかん人になっています。今回は、初めて僕の勝利です。
おみやげを買って駐車場に戻ります。10:00を回っています。高松から5時間も掛かってしまいました。予定では3時間で、帰路は観音寺から海に出て、瀬戸内海沿いを高松に戻る予定だったけど、15:00高松発のフェリーに乗る予定なので無理そうです。駐車場に戻ると、スーパーカブの青年がまだいました。四国の西端・佐田岬からフェリーに乗り大分に渡るそうです。でもまあ、その前に数泊四国でするのでしょう。気温が上がってきたので、家内のカッパは収納です。
四国は、山の上の方に家がよくあります。道路は通ってるのでしょうが、耕作地に適しているとは思えず、もっと平地に住めばいいのに?って疑問がわきます。r45〜R32で大歩危小歩危沿いを帰ります。途中吊り橋に寄って渡ったりしましたが、交通量が少ない快走路です。バイクなら、大歩危小歩危より、絶対「祖谷渓」がお勧めです。
池田の町まで戻り、宇佐美さん32号池田SSで給油しました。11:12、158km/3.21L=49.2km/L。
「箸蔵」で吉野川に別れを告げ、R32で再び山越えです。往路見つけた「こんぴら丸」という大きな船の形をしたドライブインを写真に収めます。高松市街地のウロウロなく、フェリー乗り場に到着しました。が、「小豆島行き」となっています。係の方に聞いて、神戸行きフェリー乗り場に、13:30到着。アイスで糖分補給しながら時間を潰し、15:00発に乗りました。
雑魚寝スペースに場所を確保すると、往路一緒だった「武庫川サイクリングクラブ」の方達も乗り込んできました。親子が1組増えていました。武庫川から四国を走りに来たのですね。もう1台、ガードマンピカピカ点滅チョッキを着て、リアボックスに反射板を貼ったスーパーカブの人ともまた一緒になりました。
すぐに寝てしまい、目が覚めたら小豆島・坂出港入港でした。ここでお客さんを乗せ、次目覚めたら明石海峡大橋の下でした。神戸は、予定の19:30から30分ほど遅れて着いたと思います。あのジャンボフェリーミュージックが、到着のお知らせでした。家内を三宮に下ろし、R43・R171を突っ走り、最寄り駅に家内とほぼ同時に到着し、家内を拾って帰宅しました。
僕1人だと、高松発を1本遅らせて次の19:00発・神戸23:30着でもいいので、ジャンボフェリーは使えます。四国バイク旅の前途が明るく開けました。

2011/9/19
日曜日は、ドラゴンのレースでした。今回は関西ヨットクラブのオータムレガッタシーリーズで、2日間です。土曜日は仕事で参加できなかったので、日曜日だけの参戦です。
先週は、水・木・金と3日連続で、「早朝バイク」しました。水曜日は、もう目前に迫ってきた朝霧雲海シーズン準備で、「母子」に雲海ポイントを探しに行きました。
木曜日は、5時過ぎにボームフィールド北摂里山地帯に入ると、明らかに夏のそれとは違う朝霧が浮いています。「おお〜、シーズンインなのか〜」となって、まずは高所から北摂・丹波地域を俯瞰すべく、「大野山」に登りました。
相変わらず、危なっかしい山道でゆっくり上がります。「いるかな?」と思ってたら、案の定、中型の鹿3頭の路上ミーティングに遭遇しました。山頂の天文台に上がると、この日は快晴で宇宙船まで肉眼で確認できそうな空が出迎えてくれました。中秋の名月が、西の空に白く浮いています。下界は絶景です。篠山盆地は朝霧雲海に沈み真っ白です。
そして金曜日。目覚めた布団の中から窓越しに見える空に星が見えます。4時前に目覚めたので、遠出が可能です。即効で、プロテクタージャケット&パンツに着替えて、VTR250に飛び乗ります。ツーリングマップル・GPS・一眼レフをしっかり持参です。高速に乗り、目指すは篠山の北・春日です。「西紀SAは霧の中」というのが最高の展開だったのですが、朝方の冷え込みが甘かったのか朝霧もほんの少しだけで拍子抜けでした。
春日ICで下り、地図見てて見つけた雲海ポイント候補・高谷山を目指します。以前にGPSポイントしていた「大勝寺」にナビ案内で到着し、その横に山道を登り出します。緑中央線あり、落ち葉ありのお世辞にもいい道とは言えませんが、交通量のない好きな道をゆっくり上ります。
数度のつづら折れで尾根道に上がり、好ポイントはないかなあと道なりに北上していると、なんとハングライダー・テイクオフポイントがありました。竹田川や黒田城址・春日の街が、下界に見事に広がります。素晴らしい朝になりました。
と、前置きが長くなりましたが、こんな早朝を持ったので、土曜日に家内を、日曜日の早朝バイクに誘っておきました。当初雨模様だった天気予報がぐんぐん回復し、晴れになってたからです。土曜日は断続的に結構な雨脚があったので、地上の水分はたっぷりです。3時は曇だけど、6時が晴れなら、濃い朝霧が出るに決まっています。
夫婦でプロテクター上下に身を包み、東の空が赤くなり始めたAM5時に出発。タンデムなので、いつものVTR250ではなく、通勤リード110です。r13・r12で北上します。猪名川町のお墓に寄り道、いや参ります。僕の中では寄り道なんだけど、お彼岸の墓参りもちゃっかりやっつけました。家から持参した花を備え、お線香を・・・あれ〜いつもの墓参り一式の中にライターがありません。おかしいな〜、お盆で使ったよね〜って、夫婦ではてなマークでした。お墓の掃除で勘弁してもらいましょう。
r12をもう少し北上し、「大野山」に登ります。「鹿がいるかも知れないよ」と前置きして、山道に突入しました。「あ〜いた〜」、家内が先に声を上げました。数日前に出会ったとこより下で、2頭の鹿発見です。続いて1頭が走り去りました。もうすぐ山頂というとこで、3頭と出会いました。凄い急坂斜面をぴょんぴょん下って行きます。凄い運動能力です。
山頂のキャンプ場には、連休なので10台くらいの車が停まっており、テントで夜を明かした家族が、朝食準備をしています。勇んで誘った朝霧雲海見物ですが、山頂は霧の中です。天文台に登っても、どの方向も真っ白で下界の視界ゼロで、ガックリです。仕方ないので、キャンプ場まで下りてトイレを拝借し、帰路に着こうとバイクに戻ると、南東側の霧がどんどん薄くなってきます。
「おおお〜」、風に吹かれて、北西の篠山方面に、勢い良く霧が流れていきます。これは神の恵みです。再び天文台に上がり、四方を見渡します。北西側はダメですが、他はグルリ素晴らしい景色です。しかも目の前を白い朝霧が飛んでいきます。少し下の山を霧が越えていくのが見えます。家内がとても喜んでいました。
帰りのタンデム無線でも、感動を伝えてくれます。僕が自然をコントロールしたわけじゃないけど、真っ白の世界から一気に下界の素晴らしい景色が広がっていく様は、そう見られるチャンスはありません。
8時という予定より1時間遅れで帰宅し、慌ててレースの準備です。2日間レースなので、桟橋係留でスタート時間が早まるはずです。通勤リードなので、街中最速で9時前に浜に着きました。でも、グローブは忘れるわ、日焼け止めも忘れて、慌てると忘れ物が多いです。
桟橋のホナリーには、シブカワさんがおられます。関西インカレ2日目(中日)の最も重要な日でもあります。OBの観覧船も桟橋に出ています。関大が不参加なので、初日は母校KGの圧勝だったようです。和歌山大が2位の好位置に付けている話題を振ると、スズキクニオさんがコーチに入ったようで、一気に強くなってるようです。甲南と大阪大がそれに絡んでいるようです。ドラゴンの参加メンバーも、母校OB筆頭に多くの学連上がりレーサーがいるので、どうしてもその話題になります。
10時半、第1レース予定なので、9時半に桟橋を離れます。ヘルムス・オオノさん、ミドル・ヒライさん、バウ・僕です。ニューセイルは速いようで、ボートスピードはグッドだそうです。でも他艇も早く、初日1・1だったサワダ艇を除いて、4艇が8点で並んでいます。そして10点のホナリー。
出艇時風がなく、まずは10:30AP。少々の風待ち後、第1レースは2〜4m/sでした。結果は6位・つまりビリ。でもボートスピードが大きく違わず、1上なんか全艇テイルtoノーズの接近戦です。
2・3・4レースは、常に西からブローが入るいつもの西宮沖です。2レース目は4番を走っていましたが、上り2レグで中間位置で東に返し、リードを広げていた東寄り艇にも最後西に行かれビリになってしまいました。5位・4位とだんだんフィニッシュ順位は上がりましたが、結局全6レースで6位・ビリでした。3艇がトップを引き、同じく3艇がビリを引くという出入りの激しいボートスピードの接近した面白いレースでした。

こんな日曜日でしたが、早朝に行った山から見た朝霧雲海に関連して、ヒライさんから面白い情報を得ました。ヒライさんは、天空の城・雲海に浮かぶ城で有名な和田山竹田城址の山を持ってはるのですが、お爺さんがヒライに養子でやってきたそうです。そのお爺さんの実家は、宍粟市一宮の田路という家の出です。
この田路さんも、播磨・但馬・備前の室町戦国攻防の中、播磨の赤松氏の元、丹後の山名氏と攻防していたそうです。お爺さんの実家・田路氏が自費で、かつての山城を復元しているとのこと。その場所を聞くと、8月にタンデムで一宮〜生野を巡った時見つけたR429沿いのあの城・草置城のようです。

『草置城(くさぎじょう)のこと
今から約500年前の中世の古城跡です。宍粟市一宮町繁盛(はんせ)地区の百千家満(おちやま)と草木(くさぎ)に位置し、標高600mの山頂にあります。
現在、復元された城が建てられています。
この城は、但馬(朝来市)の竹田城の出城ともいわれ、一宮町福知の高取城と連携した動きがあったのかもしれません。長水城(現山崎町)の羽柴秀吉軍との攻防戦に関係した戦いがあったと考えられますが詳しいことはわかっていません。
■草置城跡
草置城は、繁盛地区百千家満から東へ登りつめた草木の集落へ降る峠の北側にある山頂(600m)に築かれていました。
この城は但馬の国朝来郡田路谷からこの地に移った田路隠岐守胤純が戦国時代の天文7年(1538)はじめて城を築き城主となりました。登り峠から北へ屋根伝いに150mほどの所に木戸口があったと思われます。30m先の山頂には広大な平坦があります。ここに主郭として櫓家などがあり建物が建てられ、南側と北東側には別郭と見られる平坦地の地下には深い堀切りもあり、城北周囲から上岸田方面御形神社も眼下に、全てを播磨国境に近い交通文化の要衝でもありました。
(H18・3繁盛連合自治会)播州宍粟名所旧蹟 (昭和13年発行 宇田義男著)
■草置城址  
所在 昔は御形里、今は繁盛村、草木と百千家満とに有り
抑も草置城は人皇50代桓武天皇の皇子式部郷葛原親王高見王高望千葉家の元忠頼公末裔下総国千葉城主千葉介常胤の末孫に但馬国朝来郡田路谷高倉山城主田路大和守胤直の嫡男草置城主田路隠岐守胤純此地に移り天文7年(1538)3月に始めて城を築き城主となり 城主田路隠岐守胤純長水広瀬の家臣なり永禄元年(1558)4月12日死す
男子4人あり
嫡男は高取山へ行 田路若狭守胤親なり
二男三男四男ともに三方町山へ行き
二男は田路信濃守貞政なり
三男は田路五左衛門貞村なり
四男は田路傳兵衛光朝なり
草木村には馬場とマトウバとあり』 宍粟観光協会webより

国道だけど、あまり交通量のない細い田舎道に、突然真新しい幟が十数本並び、謂れや案内図まで整備されていました。「雲海を望める」とも書いてあり、必ず探索に来ようと思ったところです。
地理的に山名方の最も南に位置する竹田城と、播磨の赤松方の最も北に位置する草置城は、対峠する位置にあります。時代が下り、平和な世になり、草置城・田路と、竹田城の配下だったという平井の間に縁組みが成るというのも面白いです。
さらに、田路さんの元は、東氏だったようで、いかにも京都の公家的な苗字です。
「まあ昔は、単なるゴロツキですわ」というヒライさんの言葉通り、地方豪族なんて元は山賊の組織化されたものぐらいに思ってる僕の感覚と同じです。
僕の母方の遠い先祖も、美作守・三穂太郎まで遡れます。美作菅家党の一派で、美作・那岐山に城を持っていましたが、1350年城を落とされ、縁を頼って東国に落ちました。平将門を倒した田原藤太秀郷の末・佐野氏に身を寄せ、その家老職を勤め、江戸時代の佐野氏改易時に帰農し、将来の佐野氏の地元復帰の布石になりました。その本家も、平野を見渡せる山城です。盆正月に、一族が本家に集まり、小学生時代何度か僕もそれに寄せてもらい、血の繋がりを感じました。
ヒライさんも、古い血の繋がりを何処かに持ちながら、生活されているのだろう。

2011/9/12
日曜日は、久しぶりにグループツーリングに参加しました。今回は、原付二種のグループです。よって、通勤リード110の出番です。行き先は「高野山」です。台風の影響で、奈良・和歌山の山中は大被害で、高野山への主要道も復旧作業があったとかで、やっと復旧したばかりだそうです。
PC地図ソフトによると、第一集合場所・羽曳野市・島田病院前・ファミリーマートまで、中国道・阪和道沿いを走る中央縦貫・r2利用で1時間40分とのこと。9時集合なので6時50分に出発しました。
r13・R43天王寺・R25・R309経由だと1時間10分ということですが、7時台に大阪市内を走るのを敬遠し、大阪の郊外を走る高速道に沿って走ることにしました。制限速度60km/hの道なので、車の平均速度は高いですが、50〜60km/hで一気に南下しました。信号で停まる度にGPSを操作し、島田病院で検索しますが、いっぱい出てきて諦めました。羽曳野の地名が道標にチラホラしてきたので、広い歩道に乗り上げ地図で大体の場所を確認し、GPS地図を拡大すると発見しました。そこに設定し、ナビ誘導で難なく現地到着しました。
到着時間8:00。早すぎます。それらしきバイクはいないし、8:30までは誰も来ないだろうと、アイスクリームを食べ始めました。「原付二種の方ですか?」と声を掛けられました。同じグループ所属の方ですが、腰痛で車で来られた方でした。「ずっと、私の前を走っていましたよ。途中で歩道で地図を確認されていましたよね」って、見られていたようです。
しばらく話していると、8:30に3台やってきました。うち2台は別のところでお会いしたことがある方です。続いて紅一点さんが来られました。赤いシグナスにピンク系のナンバープレートとかいろいろ装備されてて、とてもおしゃれなバイクです。旦那さんがみんなやってくれるそうで、ご夫婦の仲良さが伺えます。これで、ここでの集合車全部集合です。
僕は初参加なので自己紹介し、しばらく話して次の集合場所・R170沿いコンビニに向かいます。そこでグループリーダーさんと合流し、5台で最終合流地・橋本のコンビニに向かいます。リーダーさんも気さくな方で、和気藹々のグループの雰囲気を醸成しておられます。R170・R371で紀ノ川を渡り、コンビニ到着。全部で10台になりました。ここで全員で自己紹介。
さあ、お山に入ります。R370・九度山経由でR480と合流。日曜日だけど、台風被害のこともあり少ないのかなと思える快調な登りです。しかしR480に入ると、いつもやってる道路工事片側通行に加え、台風復旧工事も加わり、大名行列での上りになりました。
大門到着。ここで記念写真です。高野山には何度も来ていますが、ここはランドマークではあるけど、いつも通過しています。大きな仁王さんがいました。ここから有田川沿いに下ったことがありました。素敵な道だったので、台風被害場所もたくさんあったんじゃないかな?
奥の院前の駐車場に入れます。まず昼食。リーダーさん・紅一点さんと一緒のテーブルで天ざるを食しました。グループのいろんな話を伺いました。紅一点さんは、鉄道が好きだそうで、高野山にお住まいの同趣味の方と会うために中座されました。
奥の院に向かいます。高野山は標高800mもあるので、きっと涼しいと思い、プロテクターメッシュ上下の上に、釣り用スーツを着込んで家を出ましたが、あまりの暑さにすぐに上を仕舞いました。高野山に登っても暑く、歩き出してすぐに下も脱ぎました。真夏のカッコになりましたが、これでOKでした。結局帰るまでこれでした。
原付二種という通勤や近場ウロウロがメインターゲットのバイクなのに、さすがにこれでツーリングしようという皆さんだから、GPSナビ装着車の多いこと。スクリーン装備の車体もあり、快適に長距離走れる仕様になっています。そして、110ccスクーターでプロテクター上下は大げさだよなと思っていましたが、僕同様プロテクターで身を固めた方もおり、全く浮きませんでした。同類の方たちのようです。
途中で中座された紅一点さんと合流しました。ご友人の方が、さすがに地元詳しいです。その説明を聞き、新たな高野山を知りました。参加メンバーの中に、高野山やお寺・歴史に詳しい方がおり、そちらからも知識を仕入れられました。高野山で買われた干支の梵字のお守りを持っておられる方がいました。500円。僕も真似して購入しました。またお財布にぶら下がってるお守りが増えてしまいました。
帰路は、好きなR371です。この道は台風で通行止めだと思っていたら、開通してて良かったです。下りトンネル前のR168方面への県道に、「道路復旧・通行止め」のバリケードが立っていました。R168沿いの谷に大きな被害が集中したようです。
素敵な細道です。ほとんど交通量はありませんが、たまにやってくる車がいます。高野山まで上がるのだろうか?川沿いのr102への分岐を通過しました。「あれ〜、道間違いじゃないの?」と思って止まりました。これで僕の後続が止まり、最後尾のリーダーさんに確かめると、R371で紀ノ川まで下るとのこと。僕の大チョンボです。再び走りだし、待ってた前2台に追いついて10台で下ります。r102分岐から下のR371は初めてです。大雨でよく通行止めになる区間です。一旦登り、再びくだりだします。川沿いでもないので、やっぱりr102の方が緩やかな下りだし、景色が良く楽しいです。この道は、自転車ではあかんね。
紀ノ川沿いの朝の集合場所のコンビニで勢ぞろいです。ここでお疲れさん乾杯後、解散になりました。15:30。大阪北部方面隊・4台のリーダーになってしまいました。ミスルートは皆さんに迷惑を掛けるので、GPSに「自宅に帰る」をセットし走り出します。よく考えたら、きっと高速利用ルートを案内するはずです。信号で止まると、一般道利用ルートに設定し直し、最短ルートの大阪市内通過を案内するGPSにダメ出ししながら、GPSに表示される自車が北を向いてることを確認しながら、阪和道を目指します。制限速度付近で、バックミラーで後続全台確認しながら走ります。
往路同様R371で北上し、「河内長野」でGPS指示に従ったら市街地の信号の多いとこ通過になり、軽くミスルート。駅前近道ではなく、郊外R371でR370に乗り換えが正解だったみたい。まあ駅前を通過し、R370に合流しました。
往路は快適だったR370が混んでいます。すり抜けしないので、時間がかかります。富田林で、混んでるR370からR309にチェンジしましたが、まあこっちも同様です。阪和道の高架が見えてきて一安心。高架沿いをドカンと北上すればOKです。こうなれば、GPSは不要です。
摂津まで北上し、紅一点さんが離脱。中国道沿いにチェンジし、池田まで来て1台離脱。いつもならR171に入るのですが、丹波市春日から来られている方がおられるので、その先導の意味合いで中国道沿い・R176にチェンジ。猪名川を越えて、r13越えて、ここで僕が離脱しました。僕はもう家ですが、春日はさらに2時間かかります。ご苦労さまです。事故だけには気をつけて下さい。
信号で止まったときに、2度ほどガソリン残量を皆さんに聞きましたが、OKとのこと。僕も無補給でしたがメーターは下の方を指して、17:30自宅に着きました。200km弱の距離だったようです。高野山へ上る道では、怪しげな雲も上空にありましたが、高野山からは雨の心配のない晴れでした。バイク知り合いが増えた楽しいツーリングでした。

2011/9/5
日曜日は、台風余波で四国初上陸もフェリー結構でダメ、低山登り・山城攻めも足元が悪く残念でした。金曜日から風雨ともに強くなり、まだ台風本体は遠いし965hPaでそれほど強くないのにと、驚いていました。大阪直撃は免れましたが、岡山通過で最接近する土曜日の昼は凄いんじゃないかなと覚悟していたら、風雨も収まっています。仕事帰りの頃から強くなってきました。帰宅後ニュース見たら、更に鈍足になり今が最接近のようです。これは夜中に台風通過で、日曜日は天候回復かな?と淡い期待を膨らましましたが、結局1日中降ったりやんだりの日になってしまいました。
8時から9時まで散髪屋さんで過ごしました。帰宅後、じゃんじゃん雨が降っていたので世界陸上のマラソン序盤戦を見て、雨がやんだのでお出かけしました。家内から、「どこかでケーキを食べよう」というリクエストをもらったので、西宮に向かいます。久しぶりの「えべっさん」です。お隣の成田山の駐車場に車を入れ、えべっさんを散策。お茶屋さんがあったので、わらび餅+薬湯茶で休憩しました。お店の元お姉さんと話していると、「えべっさん・西宮戎神社」では、毎月10日に「十日参り」というのがあり、先着200名を無料お祓いしてくれるそうです。そしてこれまた無料で和菓子をくれるのだとか。覚えておきましょう。
成田山に参拝し、アンリ・シャルパンティエの工場に向かいます。売店があるのは知っていますが、喫茶室があるのかどうか・・・後ろの車が車間を詰めてくるので、寄って確かめようと思ってましたがスルーしてしまいました。
そのまま新西宮YH到着。ここは落ち着けるからいいです。まずは売店でも覗こうかとウロウロしてると、家内がノースショップで長男のお嫁さんへのバースデープレゼントに良さ気なものを見つけてきました。ノースブランドの半袖と水着の上から着る短パンです。2万円のが半額セールで1万円です。半額になってるので、まあ許せるお値段です。結局一番小さなXSでもウエストサイズが大きく買いませんでした。イタリアンサイズだそうで、白人はでかいです。店番してた旧知のK大OBさんとあ〜だこ〜だ話しました。一点鐘に、ヘンリーロイドの可愛いバッグがあったのですが、布だったので家内の踏ん切りが付かなかったようで、プレゼント選びは次回まわしになりました。
12時を回ったので、関西ヨットクラブのレストランに上がって昼食です。本日のランチは、ポークカツレツでした。兵庫ジュニアの体験会の日だったので、芦屋海洋体育館に寄ります。アプローチ道に入る信号で田中さんの車がいたような・・・?ハーバースロープはフェンスでクローズになっていました。どうやら台風で出艇禁止になったようで、体験会も中止になったのでしょう。ジュニアは皆さん解散されたようで、残っておられた内田さんと少々話して次に向かいました。ちょっとブルジョアな芦屋YHです。こちらに売店が出来ていたら、そこでプレゼントを物色しようと・・・ありませんでした。
宝塚のスポーツデポで、家内の自転車に乗るときのスカートを買いました。ランニング女子がタイツの上に羽織るミにスカートです。今まで黒のタイツの上に黒のひらひらスカートだったのですが、今度はピンクです。ピンクのサイクルジャージをプレゼントしたので、これでお揃いです。自転車もピンクだから、目立つかも?
それで、結局当初の目的のケーキは、自宅近所の息子の同級生のご両親がやってるお店になりました。まあ、たまにはこんな日曜日もいいでしょう。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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