ウェブマスター日記 2011/1-2

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2011/2/28
昨日は岡山方面にツーリングに出ました。家内は1日教習所なので1人遊びです。家内の教習所と言えば、先週第1段階に合格しました。通常3時間のところ9時間も掛かって通過です。それで第1段階通過後に受けられる残りの講義全部履修できるようになりました。1日座学だそうです。
そういう状況だったので、先週に続き別のツーリンググループに申し込んでいました。でも雨確率60%という予報が土曜日まで変わらず中止になってしまいました。「おぅ」、でもめげませんよ。ならばと晴れの国岡山方面です。ちょうど宇喜多直家を読んでいます。歴史小説は、小説の面白さに加え現地を歩く楽しみもあります。読みながら「岡山の山城を歩く」と「戦国山城を攻略する」をめくり、地図を見ながらエア山城巡りやエア国盗り物語りが楽しめます。
ちょっと備前熱に浮かされてるので、瀬戸大橋・鷲羽山・金甲山・海岸線をメインメニューにしました。ほんとは山城の1つでも登りたいところですが、3時間予報で15時曇り・18時雨、さらに21時には2mmの雨という結構な降りなので、夕方帰着が目標なので登城は諦めます。
4時前に目が覚めました。まるでもっと夜明けが早い5月や6月のお目覚め時間です。用足して着替えて、なんだかんだで5時出発しました。まずは給油、207km/6.23L=33.2km/L。先週高速を走ったのに、地道以上に燃費がいいです。このバイク、実に経済的に出来ています。6時にならないと明るさを感じない季節なので、しばらく夜の高速を西に向けてひた走ります。先週の和歌山行きより早い時間だからか、袖口とか襟首とかが少々寒いです。二重靴下の完璧防寒の足元ですが、こっちも寒いです。でも手と胸は、自作ビニールシートハンドルガードとガイラシールドのおかげで全く寒さ知らずです。
いつもながら80km/hを定番走行し、中国道から山陽道に入り、定番の「三木SA」をパスし姫路を越えましたが、寒さがじんわり身体を蝕んできたので、「白鳥PA」で避寒休憩です。ここで「朝カレー」で体を温めます。480円なのにご飯の量が多く、かなりお腹いっぱいになりました。
続いて「瀬戸PA」、さらに「吉備SA」と休憩間隔が縮まっていきます。こんなことなら約60kmごとにあるSAで毎回休憩する方が楽しいかもと思うようになりました。小学校の授業時間と同じ、45分授業受けて15分休憩のパターンです。吉備SAで、無料地図をゲット。これ見てると、鳥取県の蒜山と瀬戸大橋だったら同じぐらいの距離です。蒜山も射程距離に入ってきたかな?吉備という言葉の響きが好きです。古くは、菅原道真とともに体制側一族系でなくて太政大臣まで出世した実力者・吉備真備を思い出します。静岡県と共に温暖な気候の地で、瀬戸内海気候の晴れの多い国。作物も豊かで律令制の上国。「吉備路」をじっくりゆっくり探索したいものです。
「岡山JCT」・「倉敷JCT」を経て、瀬戸大橋方面に入ります。「水島IC」で下車。いよいよです。「鷲羽山スカイライン」に入ってみます。かつては有料道路だったのでしょうが、路面整備もイマイチのワインディングでした。でもバイクで走ると楽しいです。出会った車は1台だけでしたが、追い抜いていったバイクは5台以上。カワサキとかが、甲高い音を残してあっという間に視界から消えていきました。地元バイク乗りの練習コースになってる感です。そんなバイクが後ろからやってくると、僕は左ウインカー出して抜いてもらいます。抜いた後に左手サンキューサインもカッコいい。スカイラインから時折見える東側は、水島工業地帯でしょう。近代的な工場が広がり、煙突から白い煙が上っています。「鷲羽山ハイランド」という遊園地?まで来ると、目の前に瀬戸内の多島海が広がり、瀬戸大橋が島々を渡っています。子供の頃家族旅行で何度か来ました。子供達を連れて家族で来たこともあります。景色はとてもいいですが、あの頃と比べてなんだか寂れてる感じです。
瀬戸大橋たもとの「下津井」の風情のある街並みを、バイクを駐車場に入れて歩いてみました。「ああ、いいなあ」。観光客は非常に少ないですが、古い町並みの家が現役で使われている。これがまたいいです。
次の目的地は、「宇高連絡船」の発着港・宇野港です。ずっとR430・海岸線を東に走ります。陽光に煌く「渋川海岸」からの海の景色が素敵です。「宇野港」到着。四国高松と小豆島へもフェリーが出ているようです。予想以上に大きな港でした。JR宇野駅もありました。そりゃそうですね。橋のかかるまでは、中国地方から四国に渡る大動脈だったからね。
次は「金甲山」です。r22からr74に入り、また海岸線を走る予定でしたが、r74への分岐がわからずr45を北上してしまいました。「児島湾」という表示が出てきて、?。いつものようにGPS+タンクバックにツーリングマップルという組み合わせなので、途中で気づいてたんだけどね。Uターンも嫌なのでr405に入り一旦金甲山を正面に見ながら登って、再び下り目的の海岸線に復帰しました。気持ちのいい海岸線を気持よく走り、ここで給油。250km/7L=35.7km/L。半分以上高速だったのに、これまた素敵な数字です。ガソリンタンクの約半分だから、満タンガス欠でこの倍走れるんですね。
GSで金甲山への道を聞き、r217を経てr399に乗りました。名前はないようですが、金甲山スカイラインです。児島湾干拓で出来た広大な平野と岡山市街が見えます。山頂駐車場にバイクを止め、展望台まで歩きました。ここもかつてはそれなりの賑わいだったのでしょうが、2月といえども日曜日なのに売店は閉まり寂しい山頂でした。でも景色は抜群です。ほんと瀬戸内海って素敵です。
次は「岡山ブルーライン」。r399を北上し、児島湾大橋で児島湾を渡りました。大橋から見える西手の川が「旭川」です。宇喜多直家が国盗り物語していた流域です。備前の国盗りは、旭川と吉井川が運んでくる恵みの穀倉地帯の取り合いだからな。R2手前のr215を東進しました。ここのR2は、「信号なくハイペース」となっていたので面白くないなと思って。吉井川に突き当たり、ここで西大寺大橋を渡ろうと思ったら、岡山ブルーライン専用の橋みたいです。やむなくブルーライン側道を西進してブルーラインに乗りました。
ブルーラインに乗ると、一気に巡航速度が上がりました。「ここは高速道路ではありません」という看板が立っていますが、元有料道路なので速度が上がるね。ここを走りに来るバイクも多いようで、バイクピースを稼げました。向こうからしてくれる人もいて楽しいです。
吉井川を渡り、左右の里山やその山頂を見て、「山城がありそうだな」なんて大昔を想像しました。1時を回ったので、「一本松展望台」で休憩しました。ヨットレースで何度もブルーラインを走っていますが、バイクで走るのは初めてです。この展望台も初めて。バイクがたくさん止まっているかなと思ったら、20台ぐらいいました。それらの間に僕が入れると、「おっ、ひこにゃんが付いてる」とか「これだけ大きければ効果高いだろうな。手作り感が強いけど」「これビニールテーブルクロスです」って、いきなり話しかけられました。何でバイク乗りって、どこでもこんなにフレンドリーなんだろう。ちょうどトラックに積まれて、CB400SBが出ていくところでした。「どうしちゃったのかな?」どこも傷んでるようには見えないから、事故じゃなくてここで動かなくなったのかも?遅い昼食はラーメンにしておきました。次の目的地「日生」で海鮮のものをなんかという算段です。
また気持ちのいいブルーラインを東進し、片上大橋手前で「日生催し物渋滞中」の掲示が目に入りました。「う〜む、バイクだから渋滞は問題ないだろうけど、海鮮の物を口にするには問題が多いな」で、パスすることにしました。その後、R250を赤穂・相生・七曲りと海岸線を走り、姫路ぐらいから山陽道復帰の予定でしたが、そのままブルーラインを北上し、「備前IC」から山陽道に乗りました。
「赤穂IC」で下りて、日生をパスしただけで後半の海岸線に復帰する手もありましたが、そうすると時間的に雨予報の午後5時を高速走行中に迎えそうです。雨中の高速走行って経験がありません。よって、このまま自宅を目指すことにしました。
「龍野西SA」で休憩。TV番組で紹介されたのをビデオでながしていたので、ここの一押しお土産のバウムクーヘン「千年杉」1050円を購入しました。朝寒さで避寒休憩してたのに、今度は暑いです。
次は姫路を越えて「三木SA」休憩を予定していましたが、どうも眠くて仕方ありません。「朝早かったからなあ」。手前の「権現湖PA」で休憩。バイクゼロです。眠いときは糖分補給が効きます。アイスクリームを手にしました。短い休憩とアイスで眠気がなくなりましたが、予定通り「三木SA」で休憩。バイク置き場は僕で満杯。その後にやってきたバイクは路上駐車してました。全部大型バイクです。ハーレー・ドゥカティ・BMWの外車筆頭に、いくらするんだろう・・・こんなのおっさんでないと買えないね。暑いので服装も減量し、冬用二重バイクグローブからインナーを外しました。暑さ対策が効いたようで、その後の眠気はなくなり、一気に宝塚ICまでノンストップでした。これだったら夏用グローブでもいいかも?
SAで横で止まってたドゥカティさんが、僕へのさよならサインを残して一気に抜いて行かれました。速い・・・。中国道に合流する前、宝塚渋滞と掲示されていて下道に降りる事も考えましたが、3km渋滞だったのでそのまま突っ込みました。渋滞と言っても2速まで落としたことが2回だけで、停滞することはなく、鈍速な僕にはちょうどいいスピードになっただけでした。
姫路を過ぎてから風が出てきて、雨の前触れの風だなと思いましたが、今すぐポツポツきそうな空ではなかったので、バイク屋さんに寄ることにしました。走りだしてすぐチュルキュル音に気づきました。宝塚に降りる頃にはそれが大きくなってきて、チェーンの油切れのようです。それは自分でやるとして無料点検してもらうことにしました。
「こんにちは。点検して欲しいんですけど」とメンテナンスの人に声をかけると、「リードの方?VTRの方?」って。「ちょっと乗ってみますね」ってそこらを一周して帰ってくると、やはり油切れによるチェーンの鳴きとカタカタ音もするとのこと。これはインナーフェンダーのビスのガタつきだそうで、ワッシャを入れて直してくれました。2年半乗って車検的な点検は一度もしてないので、7500円の1日2年点検を受けることにしました。ついでにリードは1年点検3000円を。
CB400のスーパーボルドールが置いてありました。5年落ち・11000kmで43万円。400ccあれば高速も楽なんだろうなあ・・・。先週のグループツーリングで、2台のCB400SBがいました。どちらも女性が乗ってました。背の低い女性が乗ってるバイクは足付きがいいということ。取り回しも楽なはず。それと故障も少ないはず。今乗ってるVTR250も女性乗車率の高いバイクです。しばらく先になるだろうけど、次はこれかな?と思っています。

2011/2/21
昨日は、和歌山の南部梅林にバイク出動しました。2週間前に車で南部を通過したのにまた和歌山南部です。バイク免許取って1年経った去年、2人乗りOKになりました。足付き万全な通勤リード110ccに家内を乗せて、いろんな所に行きました。そして免許取って3年目になり、ずっとソロだったけど余裕が出てきたので、今年はグループツーリングに参加です。先月初めて2台で走り、少し感じを掴み、またグループツーリングに参加してみました。
8時半に「阪和道・東大阪PA」集合です。朝食食べてお風呂入ってと余裕持ってやってたら、時間の経過が早いです。予定していた服装に着替えると、着すぎのようで靴が履けない。上下1枚ずつ減らして着膨れ解消しました。寒いかな?と思っていたのですが、3月の気温だったので高速巡航中も平気でした。家内に教えてもらった靴下2枚履きは、なかなかナイスです。バイク極寒対策で唯一残っていたつま先の冷たさも感じませんでした。
VTR250に、カッパ・工具を積んで、今年初めてハンドルにカメラをセットしました。8時なのでいきなり遅刻かも?R171・中国道豊中IC突入。ここで課題が・・・去年12月にETCをセットしたけど初走行です。ETCレーンへ・・・開くのか・・・開きました。課題1クリア。続いて課題2。冬仕様で使ってたハンドルカバーから、先週「透明テーブルクロス・ハンドルガード」にチェンジしました。材料費1000円以下という超破格自作は、先週走った神戸行にはほぼ100点でした。「高速に耐えられるのか?」。結果はGood、95点というところでしょうか。ハンドルカバー同等に、寒風が全く手に当たりません。よって指先の冷えは感じません。
でも、3点固定のバックミラー部の右側だけが、少し下に下がります。100km走って少し下がるぐらいだから、手に風を受けることはありません。腕に受ける風の位置が少し下がる程度で、走りながらちょいと引き上げれば回復するので、問題なしです。合格。僕はいい仕事しています。
「東大阪PA」には初めて入りました。高速道の下にあるのですね。「え〜地道に下りちゃう?」と思いました。バイク置き場?と思われるところに15台ぐらいのバイクがいます。僕が入ると、5台ぐらいのバイクが出ていきました。皆さん速そうなバイクです。残りのバイクの後ろに停めてあたりを見回すが誰もいません。
「休憩所があるのかな?」と歩き出すとトイレ発見。まずは用足しです。トイレから出ると、本日の幹事さんが僕の名前を呼びます。「はい」「じゃあこちらに。皆さんおられます。あと1人待ちます」。ファーストフード店のような所に皆さんおられました。女性も4人おられます。バイクで西国33ヶ所巡りするグループです。皆さん初対面ですが、年齢も近そうですし、「こんにちは」「はじめまして」って感じで、なんだかホッとしました。
一番の懸念がさらに深まったのは、駐車してあるバイクをざっと見たときです。ハーレーが数台&BMWも、1台真っ赤な素敵な新型VTR250があったけど、他は動力性能が僕より上のばかりです。「ついていけるのか?」。僕はのんびり派なので、高速でも下道でも車やバイクを抜かすことはほとんどありません。高速なんて、抜かされてばかりです。リッターバイクが、圧倒的なスピード差で追い抜いていきます。でもこの乗り手の方々を見ると、そんなに速く走られないのではないか?と思いました。
自己紹介するために席に着こうと電話を見ると着信履歴が残っています。さっきあったようです。ヨット部の後輩からです。先輩のヨット屋さんに勤めてるので、クルージング艇のメンテナンスをしてもらっています。「セイルが修理中なのでその関係かな?」と、外に出て電話すると、僕の中高の同級生とクルージング中だとのこと。牛窓に向けて明石海峡大橋を抜けたとこだと。母校系列校の野外施設の管理をこれまた同級生がやってるので、そこに向かってるのだそうです。同級生に電話が代わり、これまた同級生夫婦とうちの夫婦で行った自転車ツーリングの話になりました。向こうは船の上で暇だからな。
電話を切ると、出発のようです。グループでの役割があるようで、新人の僕は間に挟まれ、先頭と殿は大型の外車です。9台のバイクが1つの車線内でジグザグに隊列組んで走行します。車から時々見る光景ですが、僕がその中に入ってます。80〜90km/hなので僕でも大丈夫です。
次の集合場所「岸和田SA」到着。ここで2台加わります。月1回のペースでいろんな所を巡っているのだとか。初参加は、僕を含め4人。僕のバイクにタンデムしてるお守りの「ひこにゃん」が、女性に可愛いと褒めてもらっています。カメラマウントに興味がある女性に、製品名やインプレッションなどを教えてあげました。そしてハンドルガード。「ええ〜、これテーブルクロス?」って驚かれました。そりゃそうですね。BGMが流れるバイク、バイク用ドライブレコーダーが付いてるバイク、いろんなバイクがありました。250ccは僕含めVTRが2台。400ccはW400とCB400が2台、みんな女性。僕以外の男性は皆さん大型バイクでした。
続いて南部IC手前の印南SAで休憩。岸和田から1時間ぐらいでした。海南を過ぎると片側1車線になりますが、いきなり上り線が混んでいました。休日は毎度のことですが、午前中から混んでるなんて、帰りはどうなってるんだろう?
「南部IC」を下りて梅林に向かいます。ここでガソリン補給。僕はほぼ満タン状態でまだ180kmなので余裕ですが、ここで入れておきます。これで家まで給油なしでOKです。13Lタンクなのに給油5.2L、燃費34.2km/Lでした。高速乗ると燃費悪化するはずなのに、給油のお姉さんが甘かったようです。
初めての「南部梅林」です。車は駐車場に入る渋滞が起きていましたが、梅林内を巡る道を上がると交通量はあまりありません。道が細いのでバイクはスイスイですが、車はゆっくりなので、車に追いつくとゆっくりになります。売店がある中腹の駐車場にバイクを入れ、そこで休憩。梅はまだ満開ではありませんが、それなりに咲いています。お団子食べる方やお茶飲んでる方、皆さんそれぞれです。一眼レフを持ってきておられる方もいます。ほとんどが白い花です。近所の公園の梅林のように観賞用じゃないから、みんな同じ種類みたい。ほんのり梅色の「梅うどん」なるものをお土産に買いました。おつゆ付きです。680円。
梅林内道をグルグル回り下り、山を降りたところの梅畑横で写真撮影休憩です。ずらりと1列にバイクが並び記念撮影。こういうのもグループツーリングの良さなんでしょう。いつもなら、地図とGPS・道標をにらめっこしながら走るのに、ついて行くだけだから楽チンです。
続いて、「道成寺」。歌舞伎の安珍清姫伝説の地ぐらいしか知識がない。山に入り、適当なワインディングの楽しい道になりました。ただ、僕よりペースが早く、ついて行くのに精一杯です。4人の女性もみなさん上手です。車間距離開けて、のんびり景色をキョロキョロしながら走る僕だから、少しは頑張ったけど、僕の後ろの方はしんどかったんじゃないかなあ?この道良かったのですが、途中でカメラの電池がなくなりムービーはなしになってしまいました。1人なら道端に止めて、電池を入れ替えるのですが、そうもいきません。
道成寺到着。駐車料金150円。ここで電池を入れ替えです。横のハーレーさんは、ワイヤー施錠です。やっぱり高いバイクは、それなりのセキュリティをしないとダメなんだ。先に作業を終えた僕は、道成寺に向かいます。「あれっ?誰もいない。そんなに早かったっけ?」。迷子になった模様ですが、まあいいやと石段を上がってお参りです。「道成寺の謎」なんて立て札が掛かっています。ハーレーさんは、寺務所の方に行かれます。このグループは、参ったお寺で訪問証明を書いてもらうのだそうです。今で言うスタンプラリーですね。西国33ヶ所巡りも四国お遍路みたいなものだからな。
僕はパスして、塔や伽藍を写真に収めます。おトイレで用足してると電話がバイブしだしました。きっとリーダーさんからです。慌ててゴソゴソした後電話に出ると切れてしまいました。用足しの続きです。またバイブレーション。掛けなおしたらいいなと、用足し優先しました。今度はずっと鳴らしてくれたみたいで、電話に出ることが出来ました。
参道の途中のお店で先に食事してるみたいです。ならば入れ違いでいいなと、趣味の謂れ板を写真に収めながら階段を下りていきます。参道で手を振ってくれている女性がいます。「待ってくれたんだ。もう食事を終えたのかな?」。2Fに上がると皆さん揃っておられます。僕が注文すると、すぐに食事が出てきました。僕のも遅れずに。「え〜僕を待っててくれたの〜。しまった」走って戻れば良かった。すいませんでした。
ここから帰路です。予定ではまた高速で変える予定でしたが、午前中から混んでたので下道に変更になりました。また山の中のワインディング、僕は高速よりこんなみちをのんびり走る方が楽しいな。下りに入ると視界が広がり素敵な景色が眼下に広がります。ソロなら激写タイムですね。高野山から下りてくるR480・金屋・有田川。あの人はこの近くでみかん栽培してるんだ。今年訪問してみよう。
有田川沿いから再び山越えです。楽しい。r18となっていました。降りたら「海南」でした。南下するとき、海南ICを越えて始まるトンネル銀座を越えたのですね。「海南東IC」、ヨットレースで何度来たろう。入る前に次の集合場所「紀の川SA」と指示がありICに入ります。入るとブイーンと速度アップしていきます。僕もと思いましたが、無理は事故の元なのでマイペースを保ちます。リーダーさんには、「遅いから置いてってください。次の集合場所で追いつきます」と言ってあるので気楽です。後ろを走ってた女性も抜かしていっちゃいました。僕と同じVTRの方も速いです。「怖くないのかなあ?」「細いから風圧をあまり受けないのかなあ?」なんて思いながら。少し慣れてきたのでスピードアップしましたが、防風壁のないところにくると揺れるのでおっかない。スピードダウンしてマイペースに戻ります。「紀の川SA」入り口のところで、リーダーさんが止まっています。通り過ぎないように見てくれているのですね。僕にはマシンと僕のハートのポテンシャル的に無理な仕事です。
ここで解散です。2人が先に帰り、残りの方はSAでお茶タイムです。今日の感想などを話し帰路に着きます。途中3ヶ所の料金所を通りますが、最初の料金所を通過したら皆さん左に寄って後続を待っています。自由に走行しながら、暗黙の了解なんですね。最後吹田で中国道に入ったところでリーダーさんが待っています。中国道で帰るのは僕含め3台なのですが、1台阪神高速の方に行っちゃったみたい。でもまあ、そちらからでも帰れるし。「豊中IC」前でリーダーさんが、手を振りながら僕を抜いて行かれました。僕はここで下ります。皆さんいい人ばかりで、思いの外楽しめました。ありがとうございました。
帰宅後、バイクを乾拭きし、道具を片付け、装束も片付け部屋に入ると7時半。夕食は僕の好きなスープスパゲティを食べながら、バイク教習の本読みながら半分寝かかってる家内の横で、今日の話をします。家内は程なく布団の中。僕も喋る相手がいなくなったので9時過ぎて布団の中。お礼しなくちゃとPCを立ち上げたが、2通目の途中で夢の中。朝起きて続きを書きました。楽しい1日でした。

2011/2/14
日曜日は、家内の二輪教習日なので、1日中バイク三昧出来るなあと計画していました。ところがです。教習は午後からなので、「午前中にお墓参りしようか」と家内から提案されました。僕の父親の命日がバレンタインデーなので、参ろうということです。僕はもちろん(ほんとは・・・)OKしました。大阪難波から路面電車の阪堺電車を見ながら浜寺公園まで走り、海岸線を探索南下しながら和歌山でやってるジュニアのレースを観に行こうと思ってたんだけど。
朝食後、8時過ぎに家を出ました。猪名川町のお墓までいつものr12です。ほんとは旧道の方が面白いけど、車なので細い道回避のために現道を北上します。我が家の墓園は規模が大きく、事務所でお花などみんな揃うのだけど、この日は庭の水仙を束にしてきました。「このくらいの長さで良かったかな?」とハサミを入れたのですが、家内に見せると、「あれ〜ちょっと短いかもね?」だって。
墓園が近づいてくると、周りの山の上の方は前夜降った雪で白いです。「あの坂は無理かな?」と思いながら墓園に着くと、事務所前の駐車場までは平気でしたが、そこから先の墓園内を上がる坂に雪が見えます。上の駐車場まで上がるのを断念し、徒歩で階段を上がることにしました。
1ヶ月ぶりのお墓は、掃除するところもないほど綺麗です。で、水も冷たいことだし、来月はお彼岸だしと、掃除を省略しました。持参の水仙を入れると、家内の予想通り少し背丈が足りません。家内が体裁良く生けてくれて、まあいいでしょう。こういうものは気持ちのものだからね。生前暮らした家の庭のお花の方が、両親は喜ぶだろう。1300円浮いたし。
帰路、スーパーに寄って買出しして10時半帰宅。ここから僕はフリーです。VTR250を家の前に置いてゴソゴソし出しました。冬は手が寒いので、最強のハンドルカバー仕様なのですが、手の出し入れがしづらく、とっさの動きが少々不安です。ナックルガード仕様に変更するゴソゴソを始めました。バイク用のちゃんとしたのを買うと1万円とかそれ以上するので、工夫します。テーブルに掛ける透明ビニールカバーの一番厚い2mmのをホームセンターで買ってきました。ハンドルを覆う適当な大きさにハサミで切り、電動ドリルで3ヶ所穴をあけ、そこにタイラップを通してハンドル周りに固定します。作業は30分ほどで終了しました。出来栄えは上々です。
作業中、弟家族がやってきて、実家の仏壇に手を合わせ、これからお墓に行くという。お花のことと、お墓の道の雪のことを弟に伝えました。まだ小学生の姪は、家の周りの雪の写真を見せてくれて、うちの長男のお嫁さんが新婚旅行先のケニアから出したはがきの話をしてくれた。僕は男兄弟で、我が子も2人とも男だったけど、女の子がいると随分違うなと感じます。
昼食を食べ終わると、家内が出発する1時になりました。僕も一緒に出発です。目の病気で手術・入院された先輩のお見舞いです。手術も終わり、内蔵はどうもないので暇にしてるとのことだったので。R171を西宮へ。山手幹線を神戸に向かって西進。前通った時に、良さ気なケーキ屋さんがあったので、そこでお見舞いを買う予定です。
「みかげ山手ロール」というお店でした。ロールケーキ専門店のようで、品数は少ないですが、素敵な美味しそうなロールケーキが並んでいます。お客さんも途切れることなく入ってこられます。店員さんが手際よく、すぐに購入できました。次回は、家内へのお土産に利用しましょう。
「神戸海星病院」を目指します。山手幹線と阪急六甲から上がってくる道との交差点が目標で、そこから少し北西に坂を上がったところにあるそうです。「簡単だな」とGPSは持って来なかったのですが、通りすぎてしまいました。「王寺動物園」まで来たのでこれは行き過ぎました。山手幹線を離れ、もっと北の東西の道路を東進します。適当に「ここかな?」って感じで曲がっていると、病院の看板が目に入りました。
病院は予想以上に立派です。カトリック系なので、奥さんの関係でここに入院されたのかなと思いました。休日で受付はおやすみです。看護婦さんに教えられてB1にある休日受付に向かい、病室を教えてもらいました。
507号室。4人部屋でした。カーテンが閉まってるので、小さく名前を呼びます。「はい」と返事。ベッドに座って新聞を読んでおられました。片目だけど新聞が読めるぐらいだから大丈夫そうです。同階の団らんスペースに移動し、小1時間しゃべりました。窓からは神戸の海が一望です。規則正しい生活なので、体調はかえって良いそうです。片目以外は、以前と一緒なので安心しました。ただ下を向いていないといけないので、僕と話すときもずっと下を向いておられます。上から目線はどうもいけませんので、僕も猫背で話します。傍から見ると、これは怪しい談合の図ですね。
1週間もすれば退院のようなので、安心して病院を後にしました。帰路はR2まで下りて東進しました。午前中の作業の結果インプレッションですが、このナックルガードは最高です。市販のガードより大きいので、走行中風が手に当たりません。ガイラシールドで胸に当たる風もなくなったので、かなりいいです。見た目、シールドもナックルガードも透明なので、ネイキッドのスタイルが損なわれません。僕にしては、ナイスな作業でした。安いタイラップで留めてるだけなので、ハサミで簡単に取り外せます。ガード本体もビニールシートだから、いつでも安価に調達可なので、日焼けして色が変わってくれば使い捨てても惜しくありません。これは、ハンドルガードの革命かも?
病院を3時半に出たのですが、武庫川まで帰ってきてもまだ4時です。家内の教習は、1時半からと3時半からです。見物に行きました。1時間目に見て、今回は5時間目。最短では3時間で第1段階終了なので遅れているのですが、かなり上達していました。自転車しか乗ったことがないので、最初は危なっかしい感じでしたが、S字もクランクもウインカー出して入っていきます。クランクは先生が後ろについていますが、ポールに当てずにちゃんとクリアしています。1本橋もちゃんと落ちずに渡っています。教習手帳を見ると、まだ余裕がないのでクランクが合格点に届いていないし、坂道走行・発進はまだ1度も教習していないので、第1段階見極め合格まではまだかかりそうですが、さすがプロ、家内を上手に教えてくれているようです。外周走行はもう大丈夫そうです。次は木曜日に2時間連続だって。

2011/2/7
日曜日は、紀伊半島山中に行ってきました。家内が小型二輪AT免許を取りに行きだしたので、しばらくは1人の日曜日になるなと思っていました。ところが、次の実技(3時間目)を受けるためには、1〜10までの座学教習を終えておく必要があり、日曜日にやってる講座は全部取り終えてるので1日フリーになりました。こういう場合は、夫婦で何処かに出撃です。我が家は、ヨット以外は夫婦でお出かけ優先です。
最初、大混みの桜の季節前に奈良・吉野山伽藍をゆっくり巡ろうと計画していたのですが、この1週間気温も高く天気はいい日が続くので、2年越しのあそこに行くことに変更しました。「和歌山・川湯温泉&奈良十津川村・谷瀬の吊り橋」ツアーです。
川湯温泉は、大塔川の河原から温泉が湧き出している温泉で、スコップ持って適当に河原を掘り、川の水を適当に引いて温度調節するという楽しげな温泉です。毎年11月初めから2月終わりまで、地元の温泉協会がブルドーザーで大きなお風呂「仙人風呂」を掘り無料開放されます。
十津川村の「谷瀬の吊り橋」は、日本一長い吊り橋で、高所恐怖症気味の僕にはかなりの試練になるはずです。でも、日本最長を渡りきれば他は大丈夫に違いないと、ここの征服に向けて、吊り橋を見つけるとその練習のために渡っていました。
この2つは、紀伊半島山岳地帯中央部を縦走するR168で結ばれています。これを同時制覇すべく、今まで数度計画を立てたのですが、標高1500m級の山が連なる紀伊半島中央部を縦走するだけあって、道路事情に左右されます。「雨で仙人風呂が流れたので、水が引くまでしばらく入れません」「R168ががけ崩れで一部通行止め」などで、いつも計画倒れになっていました。
去年11月も計画しましたが、他の用事が入り断念。また1年持ち越しだなと思っていたのですが、2月に入り何故か今冬の厳寒がどこかに行ってしまいました。「このチャンスを逃すまじ」です。家内に計画変更を提案すると、いつものようにふたつ返事でOK。水着を引っ張り出して、「やっぱりワンピースの方がいいよねえ」なんてやってます。「タオル巻いといたらいいんじゃないの」の僕の言葉に促され、着替えが簡単なセパレートを選択しはりました。

日曜日は朝4時に目が覚めました。すぐに車にキーを突っ込みます。3週間ぶりに動かすから、エンジンが掛かるのか・・・一発OKでした。そのままGSに向かい、満タン給油と空気圧点検しました。空気圧が減っていました。これが減っていると、燃費減とパンクにつながるからね。
5時に出発です。中国道豊中ICから入り、近畿道を南下、阪和道に入り「紀の川SA」で休憩しました。ここは久しぶりで、以前工事していたのが完成したようで、綺麗になっていました。僕はイチローばりに朝カレー、家内は和歌山ラーメンを食しました。
この道を使うときは、和歌山マリーナシティでのヨットレース関係がほとんどで、いつも「海南東」で下ります。今回はそれを過ぎてさらに下ります。ここからはトンネルばかりでした。「みなべIC」で下りて、R42で「白浜」に向かいましたが、もう1つ先の「南紀田辺」まで高速&「田辺バイパス」を利用した方が良かったです。
白浜から、後で知るのですが「熊野古道」に沿って走るR311で紀伊半島山岳地帯目指して奥に入っていきます。川沿いの道なので緩やかな勾配で上がっていくのかと思っていたら、さすがに秘境紀伊半島に向かう道らしく、いきなり急勾配で高度を増して行きます。両側に急峻な山が迫り、川沿いではなく渓谷を縫って走る感じで、素敵な景色が続きました。
交通量は少なく、2車線の快走路と離合に気を使う中央線のないワインディングロードが交互にやってきます。バイクで走ると楽しそうです。時々、「世界遺産・熊野古道」への招き道が交差します。家内が、「熊野古道も歩きたいね」だって。次計画しましょう。
GPSに指示され、「仙人風呂」到着。時刻は9時過ぎ。予定より1時間早いです。「10時ぐらいから入れるのかな?」と思っていたのですが、6時半から夜10時まで入れるようです。河原の石ころゴロゴロの無料駐車場に車を入れ、僕は車内で水着に着替えます。家内は薄着になるだけで、着替えは仙人風呂横の女性用掘っ立て着替え小屋を利用するそうです。
仙人風呂まで100mほど歩きます。河原から湯気の出ているところがあり、道路を隔てた温泉旅館からは、湯気の立つお湯が流れています。源泉が溢れ出ているのでしょう。仙人風呂横のヨシズのところで服を脱ぎ、水着になって風呂に入ります。ちょうどいい湯加減です。温泉に浸かりながら、景色をカメラに収めます。
時折来る車やバイクの観光客が偵察にやってきて、カメラをパチリとしています。男子の半分以上が素っ裸にタオルです。30台と思われる女子も1人その出で立ちでした。「うおっ」。広い河原のお風呂に10人弱のお客さん。何故か同志連帯感があり、「あっちは熱いよ」「写真写しましょうか?」なんて声がかかります。僕ら夫婦も写真を撮ってもらいました。よく考えると、アベックで風呂に入ってる写真なんて今までなかったかも?
帰宅後、家内はこの日一番だったという貴重で楽しい体験でした。ただ僕らが風呂から上がって着替えていると、手をつないだアベックがやってきて、さらに駐車場にベッピンさん女子2人と男子1という車がやって来たのが残念でした。「もう少し後からの方が良かったねえ・・・」と僕の心を見透かした発言が、家内からありました。「いや・・・まあ・・・」残念です。
地図ですぐ近くにあるとなってる世界遺産「熊野大社本宮」に向かいました。R168に合流し、ここから熊野川沿いに北上です。雄大な広がりを見せる河原が素敵です。駐車場が満杯だそうで、消防署横の駐車場に車を置きます。家内が「うわ〜大きい」と大鳥居を見つけました。平安神宮の朱色大鳥居に匹敵する大きさです。違いは黒いこと。「なんで鳥居なのに黒いの?」。ここは本宮跡だそうで、以前はここに多数のお宮が建っていたそうです。紀伊山地の水を集める熊野川と他の河川が合流する中洲で、明治期の大水で流されたそうです。残ったお宮を今本宮がある高台に移したのだとか。
現在の本宮に参りました。まず目についたのが、三本足の真っ黒な鳥の大きな幟です。謂れ板によると、「八咫烏(やたがらす)」が熊野大社の家紋(社紋?)で、神武天皇を山奥深い熊野国から大和国まで導いたのだとか。JFA(日本サッカー協会)のシンボルマークになっており、日本代表ユニフォームの胸に輝き、日本代表を頂点に、シュートを相手チームのゴールに導くのだとか。「う〜む、かっこいい」。
石段下でおばちゃんが「もうで餅」というのを売っていました。近づくと、「試食のお餅をどうぞ」って。「美味い」。帰りに買うことを約束し、石段を上がっていきます。三社が並んで立っていました。お参りし、社務所のお守りやおみくじコーナーを冷やかします。八咫烏のお守りがカッコいい。でも僕のウエストバックには既に3つもお守りが下がっています。帰りに「もうで餅」をお土産に買って、R168北上を続けます。
「十二滝」というのがありました。水量はチョロチョロですが、落差の大きな滝がR168の真横にあります。梅雨時だったら、豪快に落ちているでしょう。R168走行中の車にもしぶきは掛かるね。
「道の駅ほんぐう」でトイレ休憩。家内がお土産を2つ買いました。初めてこんなに長く走ったR168は、大雨が降るとどこかで通行止めになる険しい山肌を縫って走り、至る所で道路改修・付け替え工事をやっていました。がけ崩れ改修が間に合わず、鉄柱を打った上に敷かれた仮説道路上を走る所もありました。枝道は、素敵な渓谷に吸い込まれていき、バイクで入ってみたい山道の宝庫でした。
R425に合流し、少し寄り道です。R425を少し、さらにr735を少し走ると、目的のそれはありました。「野猿(やえん)」。渓谷に渡したワイヤーにぶら下げられた木製の箱に乗って、同じく対岸に渡されたロープを手繰って対岸に移動します。観光用ではなく現役です。渓谷の上を宙ぶらりんになって渡るので、乗って記念写真だけと思っていたのですが、家内は動かしてみたいとのこと。だあ〜れもいません。定員は1人なので、家内だけが乗って渓谷に乗り出していきます。僕はムービーオンして、ロープ移動を手助けします。川の真ん中付近まで行って、「気持ちいいよ〜」って叫んでいます。家内が帰ってきて、なんだか僕にも行けそうな気がして、交代して乗り出してみました。1人乗りの狭い箱の中ですが、足がスースーするあの感じが来ませんでした。「これ面白いかも?」。僕の本日の一押しです。
ワイヤーの現役吊り橋がありました。渡ってみることにします。家内はトコトコと行ってしまいますが、僕は中央付近までが限界で引き返しました。後ろから追いついてきた家内が、「腰が引けてるよ〜」「へっぴり腰になってるよ〜」と笑っています。「何とでも言え。こっちは真剣なんや〜」。無事生還。「次の本番に向けて、こんなところで全精力使い果たすことないからね」と、苦しい言い訳をです。
再びR168に戻り北上を続けます。標高1400mまで上るアップダウンとワインディングの道が続きます。眼下遥か下に緑の水が満々と貯えられています。雄大すぎる深い渓谷が僕をビビらせます。この道を南下すると、渓谷側を走ることになり、かなり恐怖かも?
そして次の目的地、「谷瀬の吊り橋」にやってきました。ここ数年の高所恐怖症克服プログラムの目標地です。写真を写しながら、「落ち着け」と自分に言い聞かせます。野猿も吊り橋も真ん中に至らず、途中で引換しています。でもここは何としても渡らなねば。さっきの予行演習が無になってしまいます。僕の高所恐怖症克服プロジェクトに、金字塔を打ち立てねば。
意を決して、家内に続いて橋を渡り始めます。予想よりお客さんが少なく、10人ぐらいが橋の上です。「危険ですから、一度に20名以上は渡れません。橋の上禁煙」と垂れ幕が下がっています。「二輪車は走行できません」って、ここを二輪で渡る度胸満点な御仁がおられるのか?僕は尊敬するね。
橋を渡りだすと、向こうから帰ってきたおっちゃん2人が、走り出しました。「こら〜何すんねん!」揺れます〜。家内の方が速いので、僕を置いて離れていきます。中央部に来ると、ワイヤー上に固定された踏み板に節穴が開いてる。固定されてる針金が緩んで、板が動くし。中央部が一番揺れるし。と恐怖の最高潮になりました。でも前の吊り橋の方が細かったから、あれより怖くありません。
本番直前学習が効いているのでしょうか。「絶対、止まったらアカン」と言い聞かせながら、気力を振り絞ります。時折向こうからやってくる人とすれ違い、幼稚園ぐらいの子が笑って通り過ぎます。「怖くないの?」と声をかけると、「うん」と頷きます。僕もチビの頃は平気だったのだろうか?
中央を通りすぎると、気持ちが楽になりました。最後の1/10ぐらいは走ることも出来そうです。さっきの2人のおっちゃんもこういう心境だったのかも?向こう岸で数分うろうろキョロキョロし、復路です。僕としては往路で満腹満足なのですが、復路をこなさなければお家に帰れません。この復路は、往路でなれたのかさらに楽にこなせました。大満足の谷瀬の吊り橋初体験になりました。
2時を回ったので、ここで遅い昼食にしました。実は吊り橋横の駐車場は、吊り橋たもとに立つ「望橋」というレストランの駐車場です。なにか買わないとアカンでしょう。レストランに向かうと、そこから出てきたおっちゃん達が、家内の顔を覗き込んでいきます。吊り橋に向かって大きな窓があり、そちらに向かってカウンター席が用意されており、ここから渡る人を観察できます。「おっ、ちょっと可愛いお姉ちゃんが渡ってきたぞ」とでも仲間内で話していたのでしょう。すれ違いざまに、弁天様を拝んだのでしょう。家内と歩いていると、こういうことはよくあります。「似合わんなあ、横のおっさん」とでも僕を見てるのでしょう。まあほんまやからしゃあないわな。
カウンターから橋を見ていると、1/5は引き返しています。さらに最初から超へっぴり腰の若者男子がおり、もう一人の男子の肩に掴まって引き返してきます。仲間の女子の1人は、まるで草原を駆けまわる少女のごとく早足で渡り、真ん中でワイヤー持って揺らしています。世の中にはすごい人がいるものだ。僕が渡ってる時、あの娘がいなくて良かった〜。
ここからまたGPSを自宅にセットし、R168・R24・南阪奈道路・阪和道・近畿道・中国道のルートで帰宅しました。僕もそうですが、家内も「面白かった〜。また行きたい」と大満足のツアーでした。帰り道、横で眠る家内の寝顔を見ながら、「今日の僕はなかなか頑張ったぞ。いい所にエスコート出来たかも」と思いました。この時期としては気温が高く、セーターでも大丈夫だったし、風が弱く吊り橋の揺れも小さかったのも満足度を上げてくれたと思います。

2011/1/31
昨日は、家内が自動二輪小型AT免許を取るために教習所に通うので、フリーになりました。3年前に僕が自動二輪の免許を取り、1年後2人乗り解禁になったので、家内を乗せて走るようになりました。まずはご近所の買い物で始まり、慣れてきたので去年の夏は、淡路島一周や京都鞍馬・貴船周遊まで出来るようになりました。そして僕のバイク知り合いからもらった「NHK・BSバイク旅番組」を熱心に見てる僕から何かを感じたのでしょう。自分も免許を取ると言い出しました。今年は、「とびしま・しまなみ海道タンデム」に行こうと話してたのですが、2台で巡ろうと言い出しました。運動音痴を自称していますが、自転車で50〜60km走れるようになったので、そちらからも自信が出てきたのでしょう。
フリーになったので、VTR250でどこかに行こうと計画を練りました。この季節ですので、凍結や雪の心配がある北部や山道には行けません。「和歌山」は温暖なんでしょうが、海岸線の平地を南下するだけで、興味をそそる寺社など面白そうなところがみんな山の中でつまらなさそうです。「淡路島」はそれなりに楽しめそうですが、あの高さにある明石海峡大橋を走るのはおっかないです。高所恐怖症気味なのと、冬の季節風が吹くと煽られて危険です。あの高さの吹きっさらしですから、かなりの強風が予想されます。
「播磨・備前・備中」の晴れの国が良さそうです。瀬戸大橋・鷲羽山・金甲山が良さそうです。中国道は降雪がありそうですが、山陽道なら行けそうです。片道は高速道路を走らないと時間的に無理そうです。日曜日の気象予想は寒波襲来のままで、前日も変わらない。最高気温で4度って・・・半分諦めながら日曜日の朝を迎えました。5時半に目が覚め、ナイスな時間です。でも・・・風が強く寒さも厳しい。これじゃ、僕のVTR250では車重がないので高速道路で煽られフラフラします。諦めました。
まあこう言うこともあろうかと、次案を用意していました。「西国街道探索」です。旧西国街道を京都に向かい、丹波街道に乗り換え老ノ坂峠を越えて、「篠村八幡宮」まで行く計画です。戦国武将で上杉謙信に次いで好きな明智光秀の本を今読んでるのでその影響大です。篠村八幡宮は、光秀もそうですが、これまた魅力的な足利尊氏が京に攻め上ったときに戦勝祈願した宮です。老ノ坂峠の道路具合によっては、亀岡からR477回りで帰ってくるコースも良さそうです。
地図なしでも迷うことない道だし近場だからゆっくり出発することにしました。10時に出ても京都まで2時間。その後4時間あれば帰宅できるだろうとの算段です。教習所のスクールバスに乗るために家内が10時に家を出るとのことなので、それを見送りました。午前中入学式があり、午後から最後まで教習を受けるそうです。
近場探索なので、ゴーストップが繰り返される事を予想し、通勤リード110を選択しました。GPSをお守りとして持参しますが、以前自転車用に打ち出しておいた旧西国街道沿線地図を、ファイルに入れて前かごにクリップ留めします。膝あてナックルガード装着でいざ出発です。
石橋の阪大坂下を過ぎ、旧道に入ります。阪急桜井駅横を過ぎ箕面線を越えます。ここまでは早朝自転車でも来る距離です。R171に合流し、今度はR171の南側に分岐する旧道に入っていきます。時速20〜30kmの曲がりくねった細道を走ります。この曲がり具合が旧道って感じで好きです。歴史街道に力をいれている箕面市が舗装の色を変えています。街道道標も立っており、次の旧跡までの距離を標しています。長屋門を備える旧家も時々現れいちいち激写タイムを取るもんだから時間がどんどん過ぎていきます。女子を後ろに乗せた中学生と激写ごとに抜き返される自転車巡航スピードです。
「萱野三平邸」。何度も来てるけど朝早すぎて休館時間でしたので、初めて中に入ってみます。忠臣蔵同志に加わりながら、赤穂浅野家への仕官の道を付けてくれた父や旧主への恩や迷惑との板挟みで討ち入りのための江戸下りに加われず、大石内蔵助に「お先御免」の手紙を出して自刃した部屋が公開されていました。これがきっかけになり、半信半疑だった仇討への同志機運が結束されたと言われています。僕一人の独占見学を終え、係のおじさんに頭を下げて出発しました。
謂れ板に、「500m南にある萱野家累代の墓に、萱野三平の墓もある」となっていたのでお参りしました。萱野家は、清和源氏の血を継ぐここ萱野の豪族で、摂津守だった荒木村重の信長への反旗に与し、屋敷を焼かれ領地を没収されたそうです。しばらく世に隠れていましたが、近在を領した徳川旗本に仕官し、そこを代官して再びこの地に戻ったそうです。
再度R171に合流し、すぐにまた南に分かれます。ここの入り口が西行一方通行で入れません。途中から旧道に乗りました。また同じような幅の道で、自転車で走るのが一番適しています。西国街道の道標の横に鳥居があります。バイクを置いて探索です。川をわたって小高い丘を登っていきます。いかにも砦跡というか豪族の屋敷跡という感じの地形です。この川が天然の堀になり、それを隔てて西国街道を睨めます。時々は、旅人を脅し臨時収入も得られそうです。「春日神社」というお宮でした。戦時中に奉納されたのか軍艦の絵馬も掛かっています。参道の階段横には簡易電灯がつながり、お祭りや行事の時は提灯なども掛かりそうです。今でも氏子さん達が大事に守っているのがわかります。
宿川原町というところに来ました。「おや?」と思う旧家があったので止まったら、「郡山」という宿場町の本陣跡だそうです。個人の表札が上がっていましたが、謂れ板が立っています。中を覗くと土間があり、いい感じです。「中にはいってみたいなあ」。
今度はR171を北に越えます。また一方通行で入れず、r110から回って途中合流しました。この合流部に謂れ板が立っていました。「交通の要衝・中河原」。西国街道と京都亀岡に至る亀山街道との結節点だそうです。そして、信長時代の茨木城主だった中川清秀はここの豪族の生まれだそうです。高槻城主の高山右近同様摂津守荒木村重麾下だった中川清秀は、村重反旗に呼応しました。信長にとって摂津勢は大きな障壁で、織田軍団と摂津勢が衝突したら信長の命運が尽きるかもしれない大戦争になっていたでしょうが、キリシタン弾圧をほのめかされ翻意した高山右近を知り、次の最前線茨木城主中川清秀も翻意しました。この全面戦争が勃発し長引けば、播磨攻略中だった秀吉に抗する播磨勢や毛利の援軍が力を得て、秀吉敗走・・・その後の歴史は大きく変わったでしょう。中川清秀は、この地の豪族だったんだ・・・初めて知りました。
こんもり木々が立つ森があり、寄ってみると「太田茶臼山古墳」というのがありました。堀に囲まれ、宮内庁管轄らしく人を寄せ付けない雰囲気です。「芥川」を越えました。ここらの旧道らしく旧家が残っています。堂々とした佇まいです。先祖に誇りを持って、この家を守っているのでしょうね。ありがたい事です。
「高槻駅」の道標。「駅舎でも残っているのかな?」と思いましたが、何のことはない現在の高槻駅の方角を示しているだけでした。旧道でタイムスリップ中なので、思考回路が江戸以前です。「芥川一里塚と芥川宿」の道標。さっきの郡山宿の1つ京都よりの宿場町のようです。
高槻駅を越えると、r67になり、旧街道の道標も少なくなり道路整備もされて、面白くない道になりました。高槻市東部、次の島本が近づいてくると、またいい感じの細さを取り戻し、再び旧家も現れ始めました。この辺の旧家は土壁の色が赤っぽいです。ベンガラでも入っているのかな?篠山の郊外で、こんな赤っぽい大きな旧家を見て、武士の粋や色気・お洒落を感じましたが、ここもそうかもしれません。
「畑山神社と梶原寺」。謂れによると7世紀後半に梶原寺というお寺があったそうです。大化の改新の頃、明日香が中心の頃とは古いですね。聖徳太子が仏教を中心に置いた治世にしたのが7世紀始めだから、最古仏教寺院群の1つなんでしょう。ここも明治政府の神仏分離令により神社単独になったようです。廃仏毀釈の嵐がここにも吹いたんだろうな。あれで、相当数の仏塔や仏舎が葬り去られたのでしょう。ついでに江戸幕府の一国一城政策で、多数の山城が打ち捨てられ打ち壊された。ああ、もったいない。畑山神社で写真を撮っていると、中学生風の青年が入ってきて、手を合わせていました。この時期だから受験成就かもしれません。菅原道真を祀ると書いてあるし。ここの地名は「梶原」、どっこい地名で古の寺名が残っています。
道標に次の「史跡・桜井駅跡」が記されていました。史跡となってるから現在の電車駅じゃないね。小学生の時、「駅」という字を教えてくれた先生が、昔街道筋の適当な距離ごとに馬を飼っており、早く届ける為の手紙や人がこの馬を乗り継いで走ったのだと教えてもらった。1区間馬で走り、疲れた馬を次の駅で乗り換えるのだそうだ。その馬を飼ってた馬屋の2文字がくっついて少し簡単になって駅になったそうだ。「今の電車は1駅で疲れないから乗り換えなくていいね」って、面白い話だったので1度だけ聞いてすぐこの駅の漢字を覚えてしまった。駅という字を見ると時々この話を思い出します。面白いね漢字。
JR島本駅横を通過。駅前ロータリー横に大きな石碑などが立った公園があります。ここが桜井駅跡のようだが、すでに12時を過ぎています。篠村天満宮に行くのは諦めてるけど、「長岡天満宮」には行きたいなと予定変更してるので、先にそちらに急ぎます。
北摂の山が迫り、天王山が近くなってきました。風が冷たくなり時折雪が舞います。寒すぎる。着込んできたけど風をまともに受ける胸が冷たい。2週間前VTRで走った時は感じませんでした。やはりVTRのウインドスクリーンの効果が大きかったようです。
JR線路を挟んで「サントリー山崎蒸溜所」がありました。日曜日なのに結構人がここの踏切を渡って蒸溜所の方に行きます。「工場見学の無料アルコール提供目当てだな」。サントリーの袋をぶら下げた方が踏切を渡ってきます。左党にはたまらないのかも?
この踏切のところに、「京都府・大山崎町」という現代の道標が立っていました。その横に「関大明神社」。謂れを読むと、古代山背国(後の山城国)と摂津国との境界がここだったそうで、関所があったそうです。朝廷派遣の兵士が守っていた交通の要衝だったそうな。平安時代初期には廃止された古い古い史跡の建てられた神社だそうです。
続いて「離宮天満宮」というのがありました。「結構大きそうだけど知らんなあ〜」と思いながら興味本位で中に入ってみました。謂れを読むと、清和天皇が夢のお告げにより、宇佐八幡から心霊を奉じて帰国した僧が、ここ山崎の地で霊光を見た。そこを掘ると岩の間に清水が湧いたので、国家鎮守のため「石清水八幡宮」を建てた。その後淀川を隔てた対岸の男山にも分祀し、そっちが石清水八幡宮と呼ばれるようになった。でも毎年4月になると、勅使がこちらに参った後、船で男山に渡り参拝するのだそうです。「知らなかった〜」「知りませんでした」。これだから、現地直接探索は面白いです。
そして同じく清和天皇の時代、神主さんが植物の種から油を絞り神祀の灯火に使ったので、それが全国の寺社や一般家庭に広がったそうです。なるほど。油といえば山崎だったからな。油売りの胴元になってたのが、この離宮天満宮だったようです。斎藤道三・織田信長が楽市楽座を開くまで、商業は寺社を中心にした組合組織が一般的で、自由に誰でもその商売にないと出来なかった。統制の厳しいフランチャイズチェーンが普通で、仲間内の利益を守っていました。何気なく寄ったお宮が、その胴元だったとは。これだから謂れ読みはやめられませんなあ。山崎に生まれて油売りを生業に美濃に入り、成り上がって一国の主にまでなった斎藤道三も、きっとこの宮につながる油売りになったのでしょう。「油祖像」という油売りの像がありました。
「JR長岡京駅」まで来ました。「長岡天神」に従ってそちらに行き適当に巡りましたが、あまり興味を引くものはありませんでした。駐車場が有料で路上駐車するのもはばかる感じだったから、探索はなしです。2時になってお腹は減るし、帰路へのタイムリミットになったし。
ここは、奈良時代桓武天皇が遷都したところです。奈良盆地は水利が悪く、西方から来る物資は難波の津で陸に上がり人力で、多くの人口を養う水も不足し、度々疫病が流行する都市でした。もっと水利の良いところと、木津川・瀬田川・桂川が交わり、大坂へも淀川の大河川でつながってるので、西方の物資が直接山崎の地に荷揚げできます。でも西山からの勾配がきつすぎた丘陵だったからか、洪水に悩まされ、わずか10年で平安京に再び遷都されてしまいました。それらにつながる遺跡や寺社が山ほどありそうなのですが、タイムリミットになってしまいました。僕の探索には毎度のことですが、道中寄り道が多すぎました。
長岡天神前の土産物屋街ででも腹に入れる算段だったのですが、どうもそれらしいところがありません。こんなに有名なのに・・・。r62に面する「天下一品」に入ろうと思ったら、駐車場がないぞ・・・断念。長岡天神前のr110を南下し始めました。「丹波街道」となっています。北上するとR9山陰道に至るようです。
r62に合流し、往路パスしたJR島本駅横の「史跡・桜井駅跡」に寄りました。横のコンビニでパンを2個購入。史跡内ベンチに座って食べます。父子像がありました。それを見たとき、「ああここか」と分かりました。生涯親天皇方だった楠木正成・正行親子が、東上してきた足利尊氏軍と最後の決戦に臨む時、幼い正行と最後の別れをしたところです。正行を本拠地河内に帰し、湊川の戦いで敗れ自死します。正行も正成亡き後南朝方に与し、北朝側を何度も打ち負かし、時には京都を室町幕府北朝方から奪い返しますが、最後は討ち果たされます。為政者の都合で、大反逆者から天皇中心治世で国を治めようとした明治新政府により大功績者に180度変わった親子です。歴史ってほんとに面白い。そして歴史の人物像は、後の為政者によっていくらでも変わる典型です。
もう3時を回りました。ここからできるだけ旧街道r62をなぞりながら地元を目指します。高槻からR171に乗り、一気に自宅に戻りました。面白いバイク旅になりました。

自宅にはまだ洗濯物が取り込まれずにいます。「まだ教習所にいるな」と思い、教習所へ急ぎます。3年ぶりの教習所です。僕が普通自動二輪免許を取ったところです。入口正面には、3年前にはなかった大型バイクが飾ってあります。おじさんバイク熱が上がり、自動二輪免許取りに来るおじさんが増えたようです。
16:25、ちょうど授業と授業の合間の休憩時間です。学科のカリキュラムを見ると、16:20終わりの授業でお終いになっています。「しまった。入れ違いか?」と思い、外の送迎バスを見に行きますが家内は乗っていません。僕が入ってきたときに出て行ったバスに乗っていたのかな?念のため実技コースを見ようと、ベランダからコースを見ると、「あ〜いた〜」。教官に持ってもらいながら、直線をゆっくりゴーストップを繰り返しています。ちゃんと左足出して止まっています。教官にツボを突かれたのか、いつもの笑う仕草をしています。いくつになっても可愛いなあ。
僕の実技1時限目は、この繰り返しで終わってしまい、同じ1時限目だった若者が外周走ってるのにがっくりでした。でもぐんぐん実力を伸ばし、ストレート卒業だったんだけど。自称運動音痴の家内もどうせそうだろうと思っていたら、何と外周を走り始めましたよ。おっかなびっくりのゆっくりさんで、他の400ccや750ccの教習生を渋滞させていましたが、ちゃんと足もつかず曲がっています。
ムービー撮りながら、「こけるな〜」と祈っていました。2週目の向こう正面でカーブを曲がりきれず、側壁マット手前でストップしました。バックしようとしてるけど、前輪がコースアウトしてるのかバックしません。教官が走っていき、バックさせてもらっていました。僕が教習に通ってる時、派手に何度もこかしていた女性がいました。教習が終わって、「向いてないのかなあ」って弱音吐いたら、「みんな最初は出来ないですよ。最初から上手だったら僕らの仕事なくなるし。上達しなかったら僕らが駄目なんです」なんて教官が言ってました。みんな上手になって卒業して行くからね。
教習時間が終わり、ロビーのソファに座ってると、横を通った家内が気づきました。「バイクに乗ったよ。面白かった〜」「見てたよ」「上から見てたのお父さんだったの?」「そう。よく見えたね。緊張と集中で回りなんか見えないのが普通なのに。余裕あったんだ」・・・楽しい1日でした。

2011/1/24
日曜日は、仕事関係の勉強会で神戸に出ました。僕は県庁の近所のホテルだったけど、家内も別の会合で神戸北野にある六甲クラブでした。両方との新年会が会合後あったのですが、それはパスし「夫婦で映画」しました。
昼からの会合なので、午前中VTR250でショートツーリングに出ようかなとも思いましたが、神戸にもバイクで行くつもりだったので冷え切るのも「あれ」ですから、新PCのカスタマイズをすることにしました。
家内のNECノートPCが壊れてしまいました。立ち上がりに5〜6回失敗し、やっと立ち上がってもアプリケーションが立ち上がりません。HD内のバックアップも出来ません。リカバリして初期設定に戻そうとしましたが、これも無理。NECに電話すると、もう交換部品もない機種とのことで修理不能になる確率が高いとのこと。う〜んと数分悩み、新調することにしました。今度は僕御用達の富士通製にしました。
家内のPC使用頻度は、メールとHP閲覧少々程度なので、いいのでなくていいなと電気屋さんを物色しました。高品質のばかり並んでいます。そう言えば、富士通から届くご愛用者メールに、「ワケあり品」とか「旧品」の格安品が紹介されていたなとそれを探しました。お客さんからキャンセルされた未納品とか、半年ごとに出る新製品の影で廃盤になる旧品のディスカウント品です。
LIFEBOOK・A550というキャンセル品のがありました。『Windows7Professional・インテルCorei3-370M プロセッサー2.40GHz・15.6型HD液晶・メモリ2GB・HDD160GB・スーパーマルチドライブ・無線LAN付・OfficePersonal2010・1年保証・87,800円』。家内の使用には十分高品質のビジネスモデルですが、安いのでこれにしました。これでテンキーキーボードだったら申し分なかったのだけど、仕方ないです。
我が家のPCは、仕事用以外は全部まだXPです。仕事用のWin7は設定してもらって納入だったので、初めてのWin7設定でした。大昔のNEC9801の時代より前から設定してるのですが、どんどん初期設定が簡単になり、XPよりさらに簡単になっていました。使い慣れた富士通製ということもあり難なく終了。電気屋でDVD・Rを買ってきて、リカバリディスク製作。これも簡単でした。
続いてメールソフト起動・・・OutLookだけしかありません。家内にはごちゃごちゃいろいろ出来すぎて使いにくいので、今までのExpressの方を入れようとしましたが、なんともう使えないそうです。僕御用達のBeckyを入れようかと思いましたが、フリーソフトじゃないのでEdmaxというフリーソフトを入れました。
以前使ってたことがあり、メールアドレス数の機能制限はあるけどまあ使いやすいのでこれにしました。EdmaxもOutLookと違う形式で受信メールなどを記憶するので、バックアップに時間がかからず、他ソフトに全コピーするのも簡単です。家内用に僕の使わなくなった外付けHDを用意し、バックアップを定期的にしてあげよう。
ついでにブラウザーも僕御用達のDonutPartを入れました。タブブラウザなので、リンククリックでいくつも新たなブラウザが開くIEより分かりやすいでしょう。

家内も昼からの会合でしたが、早めに家を出て自動車教習所の相談会に向かいました。小型二輪AT免許を取りに行きます。僕の通勤リードに乗り、僕が乗るVTR250とツーリングするのだそうです。今年計画してる「貸バイクとびしま・しまなみ海道タンデムツーリング」を、「貸バイク2台ツーリング」にするつもりらしい。まあ、スクーター運転に慣れるまで1〜2年掛かると思うんだけど、せっかく意気込んでるので、「そりゃいいね。できるよ」なんていつものとおり「よいしょ言葉」で応援しています。相談会で申し込みすると、追試・追加教習費用が無料だそうで、原付免許も持たない家内には美味しすぎるキャンペーンです。しかも入学金1万円引きです。
僕はPC設定を終了し、通勤リード110で神戸に向かいました。いつもはR171を最後まで走り、西宮からR43で西進なんだけど、山手幹線が芦屋開通したそうなので、こちらを利用することにしました。交通量は多くなく走りやすいのですが、住宅地を縫うので信号が多く、R43より時間が掛かります。でも無機質なR43より沿線の変化が多くずっと楽しいです。帰りも利用してしまいました。この道、今までの道路行政では片側2車線の四輪優先道路になっていたと思いますが、片側1車線で路肩が広く、さらにその外側に広い歩道が付いています。
走ってて、これはナイスだなと思いました。時折路肩駐車の車はありますが、概ね自転車は安全に現在の道路区分通りに走れます。自転車専用道とやってしまうと、荷物おろしの車両の駐車場所がなく、四輪だ自転車だと物議を醸します。交差点で片側2車線になり路肩が狭くなるのですが、路肩をユーティリティスペースに使う事ができるこの広い路肩道路政策は素敵なアイデアだと思います。

5時に家内と地元で待ち合わせ、よく行くオムライス店で夕食し、映画を観に行きました。この日のお題は、「僕と妻の1778の物語」。家内のリクエストです。主人公の作家・僕とがんに侵された妻の闘病記を本線に、複線に妻を励まそうと書いた1日1編のショートストーリー小説の物語です。この作家の設定が売れないSF作家で、旧式ロボットや旧式宇宙船が出てきて、星新一のショートストーリーの世界がすぐに連想されました。夫婦の愛情たっぷりのラブストーリーでもあります。ゆっくりした素敵な映画でした。
本編が終わり、そのエンドロールの最初に「眉村卓夫妻に捧ぐ」とあり、あれれ?眉村卓もSF作家だけど?と疑問に思っていると、なんとこの映画の原作が眉村卓でした。こんな作品を書いてたんだ〜全然知りませんでした。作品中に散りばめられた1編1編は星新一のショートショートなんだけどな。
家内をバス停まで送る間、「僕もこの人を大事にしなくちゃな」と改めて思いました。年齢不詳の美人で、「年明けだから華やかな方がいいよね」と、赤いスーツと真っ白な暖かそうなコートにブーツというおしゃれさんでもあります。性格が温和で控えめ、とても優しく、仕草が可愛らしい。でも仕事はとても優秀。この日の映画の主人公同様、僕には過ぎた奥さんです。
スクーターでササッと帰り、洗濯物を取り込んでお風呂点けて暖房点けて、またスクーターでバス停に急ぎました。迎えに行って、スクーター押して一緒に帰ろうと思ったのですが、前回はうまく行ったのですが今回はしくじりました。我が家に来るバス路線は2路線ありバス停が違います。便数の多い方で張っていたのですが、やってきたバスがバス停を素通りしました。「あ、あっちだった〜」と急いで家に帰ると、家内は庭にいました。僕が持って帰った家内の荷物にカギが入っていたようで、数分待たせてしまったようです。かっこ良くエスコートしてこの日を締めくくるつもりでしたが、ここでずっこけるのも僕らしいです。

2011/1/17
日曜日は、福井の永平寺に行ってきました。家内も休みだった先週の日曜日、僕だけツーリングに行ったので、今回は一緒にお出かけです。
当初家内は、「自動車学校の相談会に行く」という予定を立てていました。車の免許を持っていない家内が、何故か一念発起し「バイクの免許を取る」と言い出しました。昨年、リート110の後ろに乗せて淡路島一周などしたのですが、それが気持ちよかったのかもしれません。原付50ccだと30kmも走るとお尻が痛くなるし、実技もしっかり教えてもらった方がいいと思い原付二種免許を取ることを勧めました。
数日前の昼休みに、駅ターミナル内にある僕がバイク免許を取った教習所の案内所で話を聞きました。免許を持っていない人だと、学科27時間+実技8時間・費用10万円だそうです。僕としてはもう少し実技時間があった方がいいな。案内所で入学相談会というのがあって、そこで入校申し込みすると、見極め落第の追加講習や試験を追加料金なしで受けられるそうです。これはありがたいです。しかも1万円引きだし。
でもたった15分のために貴重なお休みの日の時間を中途半端に使ってしまうのはもったいないです。で、どこか魅力的な行き場所を探しました。天気予報は、寒波到来・雪の予報です。自転車は寒すぎる・・・バイクタンデムはさらに寒い・・・車もノーマルタイヤだからあえて寒波の時に出かけなくても・・・電車に決定。通勤途中にJRの駅に寄ると、「冬の関西1デイパス・乗り放題2900円」が発売されていました。
「雪の京都」は無難だけど、せっかくだから1デイパスを使って出かけよう。関西線・木津〜柘植〜琵琶湖線・草津〜京都を回るのも甲賀付近は雪景色そうだしいいかも?雪景色といえば日本海、福知山〜敦賀〜湖西線の方がいいな・・・でも追加料金が結構発生する。永平寺に決定しました。家内に伝えると、すぐに乗ってきました。

日曜日、最寄り駅朝7時過ぎの電車に向けて家を出ます。いつもの通勤に釣り用防寒・防水ジャンパー・オーバーパンツのセットを着こみました。足元はトレッキングシューズで、スパッツをリュックに入れました。毛糸の帽子・ネックウォーマー・手袋で完璧です。10分ほど歩いて駅に着きました。
乗り放題切符を買って電車に乗ります。JR尼崎で新快速の始発「湖西レジャー号」に乗ります。高槻を過ぎると、道に雪が積もっています。北摂の山は雪化粧していました。山崎に差し掛かると結構な雪です。京都・山科を過ぎ湖西線に入り、堅田を越えると本格的な雪景色の始まりです。僕らのような3シーズントレッキングシューズじゃなく、本格的な登山靴を履いたグループがピッケルなど本格的な山行き装備で乗っています。蓬莱の山々はもう雪山です。
琵琶湖の北・「近江塩津」から越前国境を越え「敦賀」で、北陸本線各駅停車に乗り換えます。「今庄」に入ると、素敵な雪景色にとっぷり浸かっていました。ホームでも5〜60cmの積雪です。車窓の雪景色いいです。時々雪の粒が大きくなり、屋根から雪粒の音を伝えてきますが、僕らはヌクヌクの電車内です。
「福井」に、雪のため10分少し遅れて着きました。ここで「えちぜん鉄道」に乗り換えます。直通バスの方が早いのですが、お気に入りのえちぜん鉄道を選択しました。「永平寺口」往復より安くなる1日乗り放題切符を購入。予定より30分遅れの電車です。改札案内が流れホームに上がると、アテンダントさんがホームで僕らに挨拶してくれます。
数年前に1人で来たとき、フライトアテンダントと同じようにスカーフしてコロコロバックを転がしてる笑顔の女子を見て驚きました。1両だけの車内に乗り、無人駅からのお客さんの切符のお世話や案内をしてくれます。これがデパート等の洗練された感じではなく、応対にもっと温かい感じがします。気に入ってしまったので、バスなど選ばずリピートです。今回も帰りし、「永平寺に行って来られたのですか?お疲れ様です。どちらから?」なんて声を掛けてくれ、会話を楽しめました。
車窓からの雪景色、単線の電車とぶつかりそうに軒先が迫る家、九頭竜川を隔てて遠くに見える真っ白な山・・・いいです。僕一人、カメラを持ってウロウロしてました。
「永平寺口」到着。バスに乗り換えです。横の車庫前にあるバスに行き、チェーン点検してた運転手さんに聞くと、「もうすぐ来ますから休んでて」と待合室に戻ります。若いカップルとおじさん1人と僕らが待ちます。カップルさんは、横の雪山に倒れて写真を写しています。いいね。途中の停留所で降りる方もなく、予定より1時間遅れで永平寺に着きました。
福井から止んでいた雪がまた降り始めています。傘を出そうとしてたら、「荷物預かりますよ。食事も出来ますよ」と声が掛かりました。お土産屋さんが無料で荷物を預かってくれるみたい。その魂胆に乗り、「永平寺そば」セットをお腹に入れました。朝から何も食べておらず、福井駅で買った「はちみつドーナツ」をえちぜん鉄道で少し食べていましたが、お参りの前に腹ごしらえです。
このお店は無償で傘も貸してくれます。冬の間は、雪除けの傘になるのでしょう。僕らも借りました。永平寺前の巨木と雪がいい雰囲気になっています。靴からスリッパに履き替え、まず広間に通されます。裸足で薄着の修行僧さんから、伽藍の説明を受けます。注意事項は、脱帽・修行僧にカメラを向けないの2つです。1時間遅れの到着だったので、駆け足参拝になってしまいましたが、雪と伽藍をたくさん写真に収めました。
早足でバス停に急ぎ、予定の13:45バスにギリギリでした。当初、この雪で僕らだけの参拝になるかも?辿りつけないかも?なんて心配していましたが、えちぜん鉄道福井駅で駅員さんに、「永平寺までのバス、動いてますか?」と聞くと、当然動いてるという感じの答えが返ってきました。暴風雪警報や注意報が出てたけど、こんなので雪国のインフラはビクともしないのでしょう。
予定通り、福井駅15:08の各駅停車に乗りました。列車がやってきたとき、なんだか背が高いなと思っていたのですが、内部を見て「あ〜」と納得しました。寝台車になる列車でした。ずっと以前に、どこかでこれと同じ造りの寝台列車に乗りました。いつも間にかベットになってて驚きました。高校の修学旅行かもしれません。敦賀までの間、沿線からカメラを構える数組の人がいました。この列車を写しているようです。珍しいんだろうな。
敦賀からJR新快速湖西レジャー号で、一気に大阪まで帰り、ここから宝塚線に乗り換えて帰宅しました。それでも家に着いたのは、7時半頃です。サンダーバードなどの特急に乗るともっと速いのでしょうが、各駅で出入りがあるこのスピードの方が旅気分が高まります。
帰りの福井駅で、ドーナツと駅弁を買いました。行きにドーナツを買ったのは、簡易売店のおばちゃんに声を掛けられたからです。420円だったのですが、ポケットから出した小銭が500円と100円ばかりだったのを見て、「400円に負けとくわ」と言われました。「美味しかったら、帰りも買おう」と決めました。駅弁も、僕の子供の頃はホームに止まると、おばちゃんが首からぶら下げたお盆に乗せて売りに来ました。ああいう人との触れ合いが旅気分を高めます。人は機械じゃないから、効率じゃないんだよね。保津川下りで嵐山に着いたとき、売店船がやってきて、すごく売れてたのも同じです。自動販売機で買うより、少々高くてもこっちを選択します。おばちゃんとの軽妙な会話で、旅気分を買ってるんですね。
家内から、「舞鶴にも行きたいね」と言われました。また楽しい1日になりました。

2011/1/10
日曜日は、今年初めてのツーリングに出ました。そして初めてのグループツーリングです。普通二輪免許取を取りVTR250に乗り出して2年半。バイクにも慣れ、迷惑を掛けないだろう自信がついたので、ツーリングの呼びかけに応じました。
家内も休みだったのですが、別行動です。宵えびすの日なので、家内はえべっさんに行くとのこと。えべっさんへの臨時バスの時間を調べ、朝風呂入り、いつものお店に散髪に行きました。9時に戻ってくると既に家内は出発した後。待ち合わせは「道の駅いながわ」に10時なので、バイク装束に着替えます。寒いので重装備です。オーバーパンツとプロテクタージャケットの上に釣り用ジャンパーです。今冬初めて、ネオプレーン・フェイスマスク装着。
GPSナビと車載ムービーセットを持って出発です。バイクにも防寒フル装備を施します。今冬初めてコミネ・ネオプレーンハンドルカバーをセットしました。こいつは安いのに優れものです。中は夏用グローブでもOKになります。先月セットしたガイラ・スクリーンで胸へ直接風が当たらなくなり、きっと寒さも軽減されるはずです。
なんだかんだやってたら、出発が9時半を回ってしまいました。「やばいかも?」。r12をひたすら北上しましたが、10分も遅刻してしまいました。30分で行けると思っていたのに、40分掛かってしまいました。申し訳ない。途中、時雨雲がやってきて多田銀山付近で少々雨に降られました。まあカッパを着るほどの雨ではなく、上下とも防水衣類なので平気でした。ここで大型スクリーンの威力を感じました。スクリーンやヘルメットのバイザー・腕に水滴がつくものの、胸には皆無です。スクリーンで防いでいます。
先着していたこの日のお供Rさんから、「会社でトラブルが発生し、少し待ってもらえますか」と、リカバリーのためにどこぞに電話をされていました。Rさんは帰らないといけないのかな?なんて思いながら、トイレなどに寄って帰ってくると、電話で対処できるとのことで出発しました。
Rさんが考えてくれた目的地は、三木の洋食屋さんです。コースは、r68で三田、R176を少し南下、r38を西進して三木に行くというものです。r38は走ったことがないので楽しみです。山陽道から南に見える三木の丘陵地帯をr38は縫っていたはずです。
Rさんのバイクは、スズキ・ジュベル200ccです。単気筒なのでトルクがある感じで信号発進でグンと前に行きます。オフロードは大抵こんな感じですね。でも制限速度付近で走られ、すり抜けもないので、すぐに追いつきます。制限速度+10km/hまでの僕でも余裕でついていけます。集団ツーリングに参加しなかった理由の1つに高速集団にはついていけないこともありましたが、とても楽しく走ることが出来ました。
r38に入り、三田から離れると信号も交通量も少なくなり、気持よく走れました。山陽道から見える景色そのままで、周辺の山は低山で、今は葉を落とし薄茶色基調ですが、初春になると薄緑が一斉に芽吹くのでしょう。気持ちのいい道です。
「淡河道の駅」で休憩しました。「道の駅いながわ」に比べれば小さいですが、バイクが10台ぐらいいました。お兄さんが、お姉さんのライディングテクニックにアドバイスしていました。ほとんど大型バイクで、みんなかっこいいです。この道の駅は初めてですが、城跡がランドマークになっています。謂れが立っており、ここらの弱小地方豪族の常で、播磨の赤松氏・但馬の山名氏・三木の別所氏と強力な豪族の下を移り、最後は別所氏とともに信長中国遠征軍秀吉に敗れたようです。僕一人だったら「淡河城」跡に上っていたでしょう。手前に川が流れ、天然の堀だったのが伺えます。川の道の駅側に立派な家紋の神社があり、このお城と関係があるのだろうか?探索したいところです。その他r38沿いに、立派な由緒ありそうな寺社が時折現れ、歴史探索由緒読みの虫が疼きます。Rさんは、ここでも仕事の電話をしていました。今度は目的の方と話が出来たようで問題解決したとか。良かったですね。さらにお友達にも電話していました。お店で待ち合わせるのだとか。
またr38を西進します。やがて去年「夫婦で自転車」で来た見知った三木市域に入り、お城のある丘を回ります。加古川に流れる美蓑川からすぐにお城の丘があり、秀吉に攻められた時、毛利の救援物資がここに陸揚げされたのだなあと想像されました。秀吉はこの補給路を止めるべく、加古川沿いの拠点を潰していきました。
「ん?なんだかRさんが変です」。どうやらお店までの道をロストしたみたいです。しばらく三木市内をうろうろし、やがてわかったらしく三木市緑ヶ丘に向かいました。緑ヶ丘って、三木より神戸電鉄で3つぐらい神戸寄りだったはず。緑ヶ丘に初めて来ました。随分前毎週スキー行してたとき、スキー学校で知り合ったお花屋さんは、ここのコープ内のお店だったはずです。どうしているのかな?1人だったら覗くのだけど。
目的の洋食屋さん「太陽」に到着しました。店の前にロードバイクが3台。Rさんによるとバイク仲間で美味しいので有名なお店だそうで、自転車さんにも広がっているのかもしれません。
そこにちょうどRさんの知り合いの方が到着しました。女性の方です。Rさんは娘さんが大学受験、この方は娘さんが成人式だそうです。バイクで出かけようとしたらエンジンがかからず、断念して車でやって来られました。僕は評判がいいというオムライスを注文しました。確かに美味いオムライスで、少し柔らかめのご飯でした。2時近くなのにお客さんがどんどんやって来られ、繁盛しています。
ここでRさんの知り合いと別れ、帰路に着きます。往路は三木市街に入るずっと前に緑ヶ丘に向かって曲がらないといけなかったみたいで、帰路はかなりショートカットでr38に乗りました。r38沿いの喫茶店でお茶しました。
Rさんはバイクを5台もお持ちで、家を立て替えたとき駐車スペースを広げたのだとか。道路沿いのそこにバイク5台と車が並んでいるので、前を通る人が「ここは寮?」って声が居間まで聞こえてくるのだとか。娘さんが大学受験するので、「お金ないぞ」と言ったら、「お父さんのバイクを売ったら出来る」と返されたそうな。カブ・ジュベル・250スクーター・1200・1700だそうです。1700ccのバイクってすごいなあ。
元来た道を戻り、「道の駅いながわ」到着。ここで解散なのかなと思っていたら、道の駅に入らずr12を南下。Rさんの家は僕の隣町で、両方共南だからね。適当なところで挨拶してお別れしようと思ったら、信号で止まった時に、「我町のバイク7に地図を買いに行きます」とのこと。ご一緒してバイク7で別れることにしました。
途中でr12を離れ、猪名川土手道を下ってバイク7到着。Rさんは地図コーナーへ。僕は自作ナックルガードに使えそうな物を求めてウロウロ。ここで解散になりました。僕の初グループツーリングも、無事終了しました。僕に合わせてくれたのでしょうが、僕にちょうどの快適なペースで、道も景色も良かった。そして、この日の防寒アイテムが効いてて、結構な風は吹いていましたが、寒さを感じなかったのが快適ツーリングになったのだと思います。

暗くなる前に帰宅すると、すでに家内は戻っていました。えべっさんの後、門戸厄神にも行ったそうです。定番の福笹が飾られ、僕に交通安全のお守りを買ってきてくれていました。早速ウエストバッグに付けました。臂岡天満宮・三穂神社・えべっさんと3つのお守りに守られるようになりました。そしてこの日のツーリングでタンデムした仏壇で先祖の霊に乗り移ってもらった「ひこにゃん」もいます。
門戸厄神のお土産のベビーカステラを食べながら、大河ドラマを見てこの日のお終いになりました。ああ、楽しかった。最後に、家内から「スクーターの免許を取る」宣言がありました。車の免許も持っていないのに、心境に変化があったのでしょう。短い人生、チャレンジは大いに応援しますよ。

2011/1/4
正月が終わり、職場復帰しました。いつもながら年末まで仕事してました。そして3日間のお休みに突入です。子供たちが小学生の頃は、家族スキーが定番でしたが、それぞれ親より友達との時間が大切になり、就職や下宿で子供達が家を離れるようになると、子供の帰る場所として僕ら夫婦は家正月になりました。今年もそんな正月になりました。
次男は30日に帰省したのですが、新婚の長男は元日夕方の帰省です。お盆や正月こそ仕事のお嫁さんなので、1人でお嫁さんの実家にでも行っているのでしょう。元日は、最近の我が家恒例のお墓参りに3人で出かけました。いつもなら家内の実家と我が家と2つのお墓を回るのですが、長男がいないので我が家は翌日回しです。
朝10時に家を出て、中国道・山陽道を経て加古川のお墓へ。姉夫婦が年末にお墓参りしたようで、まだお花が綺麗なので、持参のお花は翌日回ししました。我が家はお彼岸とお盆・正月と年4回お墓参りしますが、こういう古来の風習はいいものです。直接話した親の事は当然として、それより前の御先祖様に想いを馳せる事ができます。こういうのは、結局今を生きる人の心に周りの人との関係を穏和にする気持ちを沸かすように思います。僕は線香に火を点け、家内はお花、息子は墓石掃除と、なんとなくいつもの役割分担になります。
その後、市内に出て次男設計の自社展示場などの建物を見に行きました。東京から出張してきて、母親の実家の近所の物件を調査・役所周りして設計する仕事が出来るなんて、次男も縁を感じたでしょう。今月オープンのピカピカです。2ヶ月前は、東京の物件を数件家内と回ったけど、今回は出来立てホヤホヤ。家内も目を輝かせていました。次男は、自分の設計が形になり、細かいところまで写真に収めていました。「ここはちょっとミスって、現場で修正してもらったんや」とか、なかなか面白い話を聞けました。
続いて、お墓も守ってくれている義理姉のお宅訪問です。こちらも僕ら同様子供たちが巣立ち夫婦だけの生活になっています。子供3人だったので、今となっては家が大きすぎかも?子供たちが小さな時は、キャンプしたりスキーに行ったり、ぶどう狩り・・・2家族でたくさん遊びました。僕ら家族にほんとに良くしてくれました。お兄さんもとても気のいい方なので、僕も気楽に来れる家です。
夫婦&長男で出席してくれた長男の結婚式の話、毎週行ってるらしい有馬の家の話、次男設計の話・・・おせち料理を食べながら2時間半もしゃべっていました。姉たちはもっと話したそうでしたが、家内が長男の帰省を空港まで迎えに行きたくてお暇することになりました。
加古川バイパス・第2神明・阪神高速北神戸線で唐櫃台まで来ました。ここは制限速度60km区間がありました。高速道路なのにいきなり60km制限になるので、覆面パトカー大活躍の場所でした。制限速度がアップされたということだったので標識に注意していましたが、みんな70kmに変更されていました。覆面さんも離散されたようでお縄になっておられる車もいませんでした。中国道に合流し、元日なので渋滞もなく帰宅できました。
長男帰省まで少し時間があり、家内は長男の部屋と隣の実家どちらにも泊まれるように彼の寝床の用意をしていました。僕は家内の指示通り動くだけです。食事の事など、大変なのに家内は嬉しそうです。僕には出来ないな。
家内を乗せて空港へ。7分しかかかりません。ランディングしてから電話もらって出発しても間に合います。待合レーンでおしゃべりしながら待ちました。やってきた長男に聞くと、お嫁さんは元日からの仕事のようで、お嫁さんの実家に行かず東京の家で年末を過ごしたようです。仕事と言いながらバリで2日間もフリータイムがあるようで、水着持参で仕事に出かけたようです。優秀なようで、半分ご褒美の仕事のようです。
その晩は、自宅でぼたん鍋にしました。年末の日曜日に買ってきた猪肉の登場です。特上・上・並と並んでいたのですが、半分近く脂身の特上を敬遠し、上と並を半分ずつ買ってきましたが、評価は全員が並の方が美味いでした。並はばら肉で、赤身ばかりです。僕が美味いだろうと思った通りです。まあ我が家が美味を味わう舌がないだけでしょうがね。

2日は4人で我が家のお墓に向かいます。前方の篠山との境の山々の頂は雪を被っていますが、お墓までの道は平気でした。ノーマルタイヤなので少し心配だったので助かりました。天皇誕生日に弟家族が参ってくれたようで、お花はまだ綺麗でしたが、傷んでるのもあったのでお花を変えておきました。弟に電話すると、今向こうの家を出たとのこと。弟の奥さんとこは、泉州の信心深い地域なので、僕らの倍は先祖を大事にします。ありがたい事です。
帰宅途中の「多田銀山」を訪問しましたが、あいにく中に入れる間歩に鍵がかかっていました。長男が入ってみたそうで、次お嫁さんと来たときに行くことになりました。
帰宅後、2人はそれぞれ学生時代の友人の集まりに出ていきました。この時期全国に散った友人たちみんなが帰省するので、集まりやすいのでしょう。まあ僕も年末恒例の集まりがあるけど。残された僕らは、TV三昧になりました。「2人の軍師」という7時間番組をなんだかんだずっと見てました。この手の番組は、僕は好きだけど家内は「う〜ん」だったのですが、僕側に寄ってきたのかな?
3日は、朝から仕事場に行き年賀状の整理をしました。1軒だけ未発送のところがあり、PCで追加印刷です。続いて家内に言われた卵を買いに行き、「道の駅いながわ」横の「肉の根木」に向かって通勤リード110を走らせました。冬場は、手袋してても指先が冷たくなります。ハンドルカバー付ければ解消ですが、ナックルバイザー装着で出かけてみました。オフロードバイクなどが、枝や飛び石から手を守るためのハンドル前に付ける防御装備ですが、これがあると直接風が当たらないので手が温かいです。でも安いものでも5000円以上して高いです。そこで両方で580円というやつを付けてみました。「職人の店」で買ったニーパットです。硬質ウレタンに足を巻く幅広ゴムが付いています。そのゴムをハンドルに引っ掛けただけですが、これがなかなかの優れものです。見た目はかっこいいとは言いませんが、手の保温という点では、高価の物に遜色ないでしょう。VTR250にも簡単に装着できそうです。痛むのはゴムだけなので、これを工夫すれば長期連用可でしょう。VTR250用には、バイク7の駐輪場で見た分厚い透明テーブルカバーを工夫したいと思ってるんだけどね。
「肉の根木」で猪肉を800g購入し、弟の家に郵送しました。ぼたん鍋のレシピとぼたん鍋味噌出汁を入れました。美味いと言ってくれるかな?
その帰り、「北田原猪名川マス釣り場」に寄りました。10月秋から5月までやってるそうです。大勢のお客さんで、結構連れています。大人3500円・女性子供2000円で1日遊べます。竿持参の方が殆どで、餌も持参かもしれません。何故か釣り人になった長男夫婦はきっとここに来るでしょう。僕も元釣り人なので、血が騒ぎます。我が家の竿はまだ使えるのかな?
猪名川沿いのr12旧道で帰宅しました。「多田神社」付近は、初詣のお客さんやガードマンさんがたくさん出ていました。夕方になり、東京に帰っていく長男を最寄りの駅まで送りました。家内も着替えだし、「え、お母さんも来るの?」っと長男は驚いていました。送りたいんだよね。
帰宅後、別の学校の同窓の集まりに行く次男を最寄り駅まで送りました。次男は、「僕まだ帰らへんで」とお母さんの同行にこれまた驚いていました。送りたいんだよね。そんなこんなの楽しいお正月でした。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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