ウェブマスター日記 November-December/2010

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2010/12/27
昨日は、今年最後のお休みです。特に予定はなく家内もお休みなので、寺社巡り観光?う〜ん、どうせ正月にするし・・・。自転車?寒いからなあ・・・正月前に風邪ひいたらあかんし・・・。ということで、トレッキングになりました。夏前に、一昨年バイク、去年は自転車を始めたので、今年はトレッキングだと靴・杖・ウエアを買ったのに、その後武庫川渓谷廃線ウォーク1.5時間しただけでした。
僕は朝からぐーたら、「NHKユーラシア大陸横断バイク旅」のブルーレイDを見てたのに、家内はいつものように張り切って家事をしています。朝食作って、朝風呂して、化粧して、服装を整えます。朝の早い我が夫婦のいつもなら、朝一番に出発するのですが、クリスマス寒波で土曜日は街中でも雪が舞ったので、山道の雪が溶けるまで待とうとゆっくりです。遅ればせながら、大急ぎで食事し身支度して、9時頃出発しました。
目的地は、「妙見山奥の院」です。まず仕事場に寄って、忘れた山の地図を持って北摂を目指します。道路脇の温度計は3度の表示。車はぬくぬくですが、外の厳しさが予想されます。ジャージの上に自転車用ズボンの組み合わせなので寒いかも?歩き出すと暖かくなるかな?寒けりゃ登山用レインスーツを着れば大丈夫かな?いろいろ考えながら、R173・知明湖からr106・r405・R477で「地黄」に到着しました。
まず、「野間神社」に寄ります。秋の自転車行で出会った山車はここの秋祭りです、縁起も飛鳥時代物部氏天下の時代まで遡り、由緒あるお宮です。初めての家内も驚いている風でした。
丹波霧の酒屋さんの所から山に上ります。「真如寺」に続くこの坂が急です。朝一番の出発を躊躇したのはココのためです。道は狭いけどスイスイ上がれました。積もるような雪ではなかったようで、解けた跡もありませんでした。「真如寺」駐車場に車を置いて、トレッキングの始まりです。
前回バイクで来て知ったのですが、ここが日蓮宗妙見山の本山です。能勢氏中興の祖能勢頼次が日蓮宗の高僧を呼んで建てたのが始まりで、後に元能勢氏の終の備えで、頼次自身がここを追われた時にここに篭って戦った妙見山の寄進を受けて、近畿日蓮宗の霊場修行場になったそうです。「関西身延」と号し、日蓮宗総本山・身延山に準じています。妙見山頂の伽藍などは真如寺に属しています。
僕が最初訪問したとき感じたように、家内も「落ち着いて感じのいいお寺ね」と気に入ったようです。本堂では、法要のお経が唱えられています。信心の深い方々が、手慣れた風にお参りをされています。トイレを拝借し、駐車場代も含め20円のお賽銭とお参り。昔は、日本全土に点在する寺社が旅人の休憩所になり宿になっていたのでしょう。僕らもその恩恵に預かります。
霊場という感じのお墓などを過ぎ、山道に入ります。えっちらおっちら、途中から初使用の杖を取り出して4本足歩行で上ります。霜柱が土を持ち上げて綺麗です。標高が上がるにつれ、地黄の田畑が眼下に広がり、田畑の向こうのゴルフ場、そしてその向こうの北摂の山並みが広がっていきます。木々の枝間から見える景色が素敵ですが、スカっと見えるところはなく少し残念。でも木がなくなったら山が崩れるしね。寒くないか聞くと、手が寒いとのこと。僕は汗をかくぐらい手が温かいので手袋を交換しました。
「奥の院」の階段前まで上ってきました。道標と自然歩道案内地図を見ていると、妙見山方向からこの山道参道を箒で履いてるお父さんがやってきました。「こんにちは。先に進むと妙見山ですよね?手前の県道まで、どれぐらいの時間かかりますか?」「毎日掃いていらっしゃるのですか?」なんて聞いてみます。毎日じゃないけど、真如寺から奥の院への参道を掃いてらっしゃるようで、でも妙見山にはこの道で行ったことないそうです。きっと信心深い方のボランティアなんでしょうが、こういう地元の方のおかげで、僕らは安全で気持ちのいい山歩きが出来るのですね。「ありがとうございます」。
奥の院に参ります。能勢氏の菩提寺で見た十字の能勢氏の紋が入った幕が拝殿に引かれています。横には木造の白馬が入った厩、こちらの門にも能勢氏の紋が。駐車料金20円が少し気が引けるので、ここでチャリン15円。残念ながら小銭がこれしかありませんでした。ご勘弁を。階段を降り、元来た道を戻るか、妙見山方面に下ってから県道・国道を回って戻るか相談しました。ここまで30分強、まだ10時半なので未知の道に進むことにしました。
妙見山との間の県道に向かって下りです。山の中の分岐には案内図や道標が立ち、方向音痴の家内だけなら危ないですが、普通の人は間違えないです。北の「堀越峠」への分岐があり、やがて沢沿いの道を下るようになりました。ここまで、箒のおじさんと奥の院のお寺さん以外の人には会いませんでしたが、後ろを歩いていた家内が「こんにちは」って。振り返ると、犬を連れたお若い女性がいます。下にある施設から犬の散歩に来たそうです。時刻を聞かれ、道や県道までの所要時間を尋ねました。介護施設でもあって、そこの飼い犬だろう。
勾配が緩くなり階段がなくなる頃、リュックを背負った男性とすれ違いました。「こんにちは」。更に勾配がゆるくなり、平地を歩くようになったところで、小屋が見えてきました。オンシーズンは、売店にでもなるのだろうか、室内はガランとしています。ここの案内図を見ている男性がいました。「こんにちは」。きっと「妙見山」の方から「奥の院」を目指して歩いてきたのでしょう。ここに山道の交差点がありました。妙見山の方に下ります。
舗装道と交差しました。妙見山方向は直進の地道のようですが、そちらからたくさんの犬の鳴き声が聞こえてきます。右折して西の方に歩き出しました。左折すると「堀越峠」への舗装路のようです。夏に「堀越峠」側からバイクで入りましたが、道路崩落で通行止めになっていた道につながるように思います。次またバイクで来てみよう。
直進の地道を気にしながら進みます。すると、道路脇の金網越しに、犬が吠えかけてきます。そのまま進むとその施設の全貌が見えてきました。さっきのボランティアの女性は、この犬の施設から来られたようです。捨て犬保護の施設のようです。柵の中に放し飼いの犬がおり、たくさんの建物の中にもワンちゃんがたくさんいそうです。川を隔てて段々田が広がり、犬の鳴き声さえなければとてもいいところです。でも農作業の間中、犬に吠え声を聞かされるのはきついなあ。
ワンちゃんと散歩してる若い女性がやってきました。眼下にR477らしき国道が見えていますが、この道は国道に出るのか聞いてみました。ガソリンスタンドのある道には出るということなので、国道でしょう。
山の中では感じなかった風が強めに吹いています。やがて人家の間の道になり、そして国道に出ました。正面に、朝参った「野間神社」の鳥居があります。家内と2人、「ああ、ここに出た」って、ちょこっと感動。歩きの場合、自転車とも違う視点があります。お店のシャッターに「PSTO」ってありました。「なんだ?」、ああ「POST」ね。明治の文明開化の香り満点の木造の「地黄公会堂」がありました。
朝、車で登った急坂を上ります。恵比寿様の鬼瓦+鯱という瓦屋根のお宅がありました。車に到着したのが1時。「奥の院ぐるっと3時間トレッキング」の終了です。家内と楽しい時間を持てました。
R477を北上。「倉垣橋」を左折しr732「逢坂峠」を越えてR173。「森上」交差点で、前から入ってみたかったここらでは大きめのショッピングセンター「NOSEBOX」に入ってみました。店内の喫茶店で、本日の定食「海老カレー・サラダ・汁」500円を食べました。500円は安いです。スーパーに「丁稚羊羹」があったので購入。その他いろいろデイリーなお買い物を済ませました。
r602で「杉生」交差点。ここからr12を南下。我が家のお墓前を過ぎ、「道の駅いながわ」へ。目的はその横の「肉の根木」さんです。予定は聞いていませんが、子供たちが帰省してきたら、ぼたん鍋でも囲もうかと思って、猪肉を買いに来ました。いきなり店頭に猪の剥製のお出迎えです。足の下にキャスターが付いています。特上1100円・上950円・細切れ530円。値段が上がると脂身が多くなります。脂身の方が美味いのか?店でぼたん鍋を食べる時、脂身が少ない方が美味いように思うので、上400g・細切れ400g、鍋のタレ3袋購入しました。僕的には、細切ればかりの方が美味いと思うけど、まあ2種類ぐらいないとね。
子供たちが小さな時、冬になると毎年朝から篠山に繰り出し、肉屋の店頭でひっくり返ってるその日仕留められた猪を見て鍋を楽しみました。ここ数年は、ぼたん鍋を食するために篠山に行ってたけど、もう肉屋の店頭に猪がひっくり返ってる姿は見られません。肉屋さんに聞いたら、鉄砲の穴やそこからの出血が生で見えるのが、時代の風潮に合わなくなってきたからとか言っておられました。幼児の子供たちと、「ここを撃たれたんだ」とか、猪の剛毛を触って歯ブラシや髪のブラシになるとかの話が出来たのに。店主さんが開ける奥の冷蔵庫には、皮を剥がれた肉がぶら下がっていたので、朝早く行けば、ここでも見られるのかな?
その後、職人の店でこの日使って気に入った僕の使ってる冬用手袋のMを家内様に買いに行きました。電気屋さんにも寄って買い物し、帰宅は4時頃になりました。それから、僕だけでスクーターに乗り、バイク7に向かいバイク用ETCを見に行きました。民主党の大胆な公約は、どれも中途半端にしか実現せず、政治家というのは事業会社のように大胆にリストラクチャリングできないんだなあと諦めました。実施の財源にばかり議論し、実施により生じる利益計算をしないようです。休日1000円・平日2000円上限の高速料金になるそうですが、ETC装着車だけが適用されるようなので、ついに僕のバイクにもETC導入です。
またまた、楽しい1日になりました。来年は六甲山と先祖の城跡・美作那岐山を制覇しますよ。那岐山登頂は往復4時間、低山だけど今日の3時間で少し自信が付きました。

2010/12/20
日曜日は、三田マスターズマラソンの応援でした。ところが昼から、大学ヨット部時代の監督の散骨が入り、時間的に厳しくなりました。でもまあ欲張りな僕は、両方やってしまうことにしました。
朝風呂に入ったりしてから、7時にVTR250で出発です。ほんとは北摂里山地域をぐるっと回ってから三田に行きたかったのですが、日曜日の朝よく見てるTV寺子屋で有森裕子さんの話を聞いたりしていたら出そびれてしまいました。北摂は濃霧注意報が出ていて、幻想的な中を走れたのでしょうが、夜明けが遅いとどうも気持ちが乗りません。
約束の8時半〜9時にJR三田駅前に着くよう、淡々とR176を北上しました。信号が多く、車も多いので面白くないが仕方ありません。8時少し前に三田駅周辺に着き、バイクを停めるところを探します。家内も散骨に参加するので、2人で車で来るのが一番いいと思ったのですが、駐車場がないと車はホント不便です。でバイクで来たのですが、三田市役所の駐車場が無料解放されており、車で来ても問題なかったです。まだ通行止めになっていないレースコースや、メイン会場になる有馬高校周辺を回っていると、続々とランナーがやってきます。
三田駅前ロータリー横の県道脇にバイクを置いて駅の方を見ていると、電車が着く度数百人単位でランナーが歩いてきます。トータルするとものすごい数です。車で来られる方もいるだろうし、電車を使わない方も多いだろう。数千人ではなく1万人以上になるのではないかな?マラソンブームに圧倒されました。
8時半を回り、待ち合わせした友人の1人がやってきました。続いてもう1人。バイクを置いて、200mほど3人で歩きながら話します。僕から2人への激励お土産の「ゆず」を渡します。庭に成ってるゆずを収穫し、マラソンで疲れた身体をゆず風呂で勞っていただきましょう。
当初はスタートを見届けて帰路に着こうと思っていたのですが、散骨のために船を用意しないといけません。10時半にハーバーで高校ヨット部時代の友人と待ち合わせです。散骨出艇まで1時間半あれば、トラブルがあってもリカバリー出来るでしょう。
9時に三田駅前を離れました。R176を南下し、有馬温泉のところからr82、「六甲北有料道路」で一気に六甲山の下をくぐります。料金所でETCカードを出すと、「カードダメなんです」。そういう事もあろうかとポケットに250円入れておきました。料金は200円。バイクなので時間がかかり、後ろの車に迷惑をかけてしまいました。
「盤滝口」から「鷲林寺」、「夙川学園」横を通り南下しました。学生時代はよく通った道です。懐かしい。「JRさくら夙川駅」の横を通り、臨港線まで出てハーバーに到着。1時間以上掛かると思っていたのですが、ちょうど1時間というところでした。

センターハウスの一点鐘でうろうろしていたら、メガネホルダーが必要だったのを思い出し散財してしまいました。1050円。ヘリハンのめがねホルダーなんて贅沢だなあ。
約束の10時半前に高校ヨット部同期スギモト君が現れました。高校の同期は僕を含め4人だったのですが、大学でもヨット部したのは僕だけです。でもこの4人。今でも毎年年末に集まっています。腐れ縁というやつです。この腐れ縁メンバーが7人に拡大し、三田マラソンにその内の2人が出場しました。
エ号に向かい、エンジン始動。30秒ほどセルを回しましたが、無事始動。もやいを解いてゲストバースに回航しました。バースにもらいを取って、またセンターハウスに戻り家内を待ちます。散骨に参加される先輩方が続々とやって来られます。約束の11時半が迫りますがまだ家内はやってきません。時間に遅れる人じゃないので、「迷ったか?」と電話してみると案の定、「なんか分からなくなってタクシーに乗ってる」とのこと。方向音痴だから、仕方ないです。
11時半ちょうどぐらいに家内がやってきました。ゲストバースに向かいます。当初20名弱・クルーザー2艇の予定でしたが、50人近くになっています。自前の船で来られた方もいますが、全員乗れそうもない。まあ幹事さんが手配するだろうと思ってると、母校監督がレスキューを回してきました。結局7艇で並んでいつもの散骨場所に急ぎます。挺速の遅いセーリングクルーザー3艇の中で、エ号が一番小さいのでビリです。家内をオーナーズチェアに座らせ、僕が往復ドライブしました。
復路は3m/sほどの南西風が入ってきましたが、往路と散骨中は無風で絶好の散骨日和でした。部旗を掲げた旗艦艇のホーンの合図で、元監督のお骨が海面に散骨され、各人持った花を投げ入れます。合掌。数艇からのホーンが先輩の魂を散華するようです。ここに何人の先輩を葬っただろう?自由に動く身体を得て、皆さんでヨットレースを楽しんでいるだろう。7艇が散骨海面を円を描くように周回します。
バースに戻り、家内は夕方からの仕事関係忘年会があるので神戸に向かいます。僕とスギモト君は、皆さんと共にヨットクラブ2Fレストランで追悼の会です。高等部ヨット部OBで先月のドラゴン今シーズン最終戦で一緒に乗ったタナカさんとゴクラクジさんと、僕ら2人でテーブルを囲みました。
ナガイさんの司会で、先輩方数人が濱永さんの思い出を披露下さり、楽しい会になりました。その後コーヒーを飲みながら1時間ほどスギモト君とどうでもいい話に花を咲かせました。

4時になり陽が傾きだした中、家路に着きました。ついでにバイク屋さんに寄りヘッドライト光軸を少し上げてもらいました。この日は、今月揃えたバイク冬装備の試乗でもありました。まず「ガイラシールドL」。メーターバイザーより随分大きくなったので、全く胸に風が当たらなくなりました。胸の寒さは解消です。ですが整流された風がヘルメットを直撃し、バイクの音が耳近くで発生する風切り音により小さく聞こえるようになりました。高速に乗ると、どうなんだろう?
「コミネ・ウインターオーバーパンツPK808」を、コミネ・夏用プロテクターメッシュパンツの上に履きましたが、寒さを全く感じませんでした。左ももサイドに付いてるカーゴポケットは、大きさといいマジックテープ留めといいとても使いやすい。右側だけ腰から裾までジッパーが着いており、全面開放できますが僕には全面開放は必要ないかも。靴脱いで履く方が楽です。あかんところは、前にジッパーがないこと。右サイドジッパーを下げないとお小水が出来ません。メッシュパンツの下にトレーニングパンツ履いて、腹巻してるので、ジッパーの上のホックが外せません。それとまだ新しいので、膝ウレタンパッドが体の線に馴染んでおらず、なんだか横に広がっています。下にプロテクターパンツを履いてるので、このパット抜けるなら抜きたいぞ。
釣具屋で買った防水・防寒ジャンパー。下着・トレパン・コミネ夏用メッシュジャケットの上に着ました。雨はふらなかったので防水は不明ですが、防寒はバッチリです。首の上の方までジッパーが締まり、手首もベルクロでしっかり締まり、首・手首からのすきま風もゼロ。朝の気温5度以下というところでしたが、全く寒さを感じませんでした。むしろ暑いぐらいで、もう少し下の物を減らさないといけません。充実した1日になりました。

2010/12/13
日曜日は、大阪湾クルージングでした。コーチしてる京都のヨット部卒業生を招いての恒例卒業記念です。卒業生で来るのが3人なので、下級生・マネージャー優先でキャプテンに声を掛けてもらいました。何人来るのかな?
朝、「早朝バイク」に出ようかな?とも思ったのですが、夜明け遅いし、余裕の時間がないしでやめにして、ブルーレイディスクを見ていました。先週の日曜日に、バイクを通しての知り合いからもらいました。NHKBSを録画したもののコピーです。BDプレイヤーを持っていなかったのですが、1万円少しで東芝のがあったので買ってしまいました。土曜日の朝、我が家のTVには息子からもらったDVDレコーダーが繋がってるので、隣の実家のTVにつなげてみました。設定は簡単で、もらったBDを入れてみました。2時間番組が10本以上入っています。DVDだと映画1本ぐらいの記憶容量だったのに、BDになるとその何倍も記憶できるようです。映像もきれいでダウンサイジングされてないようです。
「気ままに寄り道バイク旅」という番組で、清水国明さんと国井律子さん出演です。1本目は「北海道編」で2時間少し。清水さんはCB400、国井さんはヤマハのバイク、SRかな?日曜日の朝、隣に行って布団を敷いて1時間以上見てしまいました。でもまだ終わらない。このBD1枚で、長く楽しめそうです。

8時半になったので、朝風呂入って用意して車で出発です。途中で朝食を買い、新西宮YHのクルージング艇に向かいます。センターハウスのトイレに向かうと、マサヒロ君と会いました。マッチレースの練習に来たそうです。親父さんの様子を聞くと、実家を出て1人暮らししてるようで、会社でしか会わないのだとか。
元気にしてるようです。桟橋でKYCの横山さんとすれ違い、レース艇に人が集まっています。エ号でエンジン始動してると、レース本部船も出ていったので、クルーザーのレース日のようです。レース観戦もいいな。
夏に僕が上げてしまったバッテリー1につなぐと、セルは回るけど力が弱くエンジン始動までには至りません。バッテリー2につなぐと、2週間ぶりにエンジンが回りだしました。僕の車以上にエンジンを掛けないので、エンジン始動までは少し不安です。十分に暖機運転し、その間にトイレ掃除やボースンチェアの点検をします。
10時を回ったので、ボースンチェアを持ってセンターハウスに向かいます。一点鐘に寄り、次男同級生女子にボースンチェアの使い方を聞きます。僕の思ってた通りでした。何年も使っていないので一応確認です。それと、うら若き女子との会話は素敵です。隣のノースに寄り、ウロウロ物色してるとスターボ・ポートステッカーが目に入り、バイク便ボックスに貼るために購入。630円の散財です。
4回生のヨコゼキから電話が入りました。「10分ほど遅れます。すいません」「今何処?」「大橋を渡るところです。駅から歩いてきました」。京都から阪急で来て、今津駅から歩いてきました。阪神西宮やJR西宮ならまだ分かるけど、阪急今津から歩きなんて、遠いやろ。1時間弱だって。
4回生卒業生プレイヤー2・女子マネージャー1・3回生女子マネ1・1回生プレイヤー2・女子マネ2の8名です。まず男子の人選。ヨコゼキと1回生ササクラが60kg少しということで、卒業記念プレゼントとしてヨコゼキに決定。エ号に向かい、ヨコゼキにボースンチェアを履かせて、メンハリでマストトップに上げます。マストトップの風見がカモメの悪さで360度回転しなくなっています。ランニング角度の目安のために付けられているピアノ線が上に曲がり、ウインデックスに当たります。曲がってるピアノ線を元に戻してもらいました。直りました。
北風3〜4m/sです。桟橋から船が離れる方向に吹いてるので、1回生に船の動きを教え、桟橋作業手順をレクチャー。離岸成功。西出口から沖に出てすぐにセイルアップです。フルセイルで赤灯台を目指します。卒業生にヘルムスを交代し、続いて1回生マネージャーセガワさんに交代。キュロット&タイツという冬の海上をなめた格好で当然寒いので、カッパの下を貸しました。続いてタナカさん。彼女も下がジャージで寒いということだったのでカッパの下を貸します。帽子なしだったから僕の帽子を貸し、2人とも手袋なしだったので家から持ってきた軍手を2組貸します。僕は女子には優しいです。この2人可愛いぞ〜・・・。赤白灯台から大阪湾に出て、IRCのレース海面に向かいます。マネージャーも日頃レスキュー艇をドライブしてるので、すぐに慣れて真っ直ぐ走らせます。灯台を越えると風速が上がったので、1ポイントリーフしました。
IRCのランニングフィニッシュを観戦して帰路に着きます。3回生マネ古川さんがヘルムす。12月で陽が短いので4時を回ると暗くなりだすから早めに港内に向かいます。マストトップに上ったこともあり、もう1時半を回っています。
港内に入り、1回生にヘルムス交代です。来年以降の戦力なので、ハーバーまでのクローズヘルムす担当です。ササクラはティラーとステアリングの逆になる特性に迷い最初反対に動かしてタックしてしまいましたが、すぐに慣れました。時折6m/s前後のブローの入るいい感じの海面ですが、メインシートトリマーの4回生セトがヒールが入るとすぐにシートを緩めるのでエキサイティングなヒールが来ません。セトに我慢を支持し、風の強弱でのヒールにワーワーが始まりました。まあそれもすぐに慣れましたが。セガワさんが下側に座って平気にしてるのが印象的でした。
先月ここであった470全日本で、次男のクルーをしてくれたタシロにヘルムス交代。一旦赤灯台方向の下におり、クローズでハーバーに上ります。クエスチョンタックになっていましたが、すぐに慣れて最後の方はいい感じになっていました。タシロは来年1回生が入部すれば470スキッパーになると思われます。全日本でシルバーフリートだったけどトップフィニッシュも飾った2回生マエカワのように、来年ブレイクして欲しいぞ。いいセンスを感じたので、きっとやってくれるでしょう。
桟橋に戻り、いつものパターンKYCレストランに向かいます。レースやってたから、年間表彰式で貸し切りかもしれないなと思ってたら、案の定半分貸し切りだったので1Fレストランにしました。僕はケーキセットにしましたが、みんなはホットとかティーとかの単品でした。5000円でお釣りでラッキー。
家から持ってきた先月の長男の結婚式写真を見てもらいました。女子が半分いるので大きな関心事です。誰と誰がどうのこうの・・・、バイクの話、ヨットの事・・・楽しいアフターセイリングでした。琵琶湖湖畔の艇庫で活動する学生にとっては、ここは別世界のようで、大きなヨット&暖かいレストランで楽しめたようでした。
お開きにして帰路です。僕を入れて9名。阪急の方が安く、京都河原町まで行けて便利というので今津まで送りました。マストトップの懸案問題も解決し、楽しい1日になりました。

2010/12/6
昨日は、午後から神戸で仕事でした。半日だけ1人遊びできるので、朝5時台にVTR250で北摂里山地帯を巡りました。1年で最も日が短い時期になり、日の出が7時前なので、6時半ぐらいにならないと夜の闇が明るくなりません。「そんなに早くでなくても」とは思うのですが、夜明け・曙・朝日・朝霧・朝露・霜の降りた田畑・・・が好きだから仕方ないです。それと2日前に着けた「ガイラシールドLサイズ」の威力を試したくて。
VTR250は、ネイキッドというタイプのバイクで、風防が着いていません。前方からの風をモロに身体に受けて走ります。夏でもクーラー要らずの素敵なネイキッドですが、冬はより寒い。それと高速道路を走る中で最も小さく軽い250ccなので、風の影響が大きいです。それを少しでも改善出来ればと思い装着しました。
2年前に買ってすぐ、ホンダ純正のメーターバイザーという小さな風防(というより、メーター保護シールド)を着けたのですが、最初こそその威力を感じたものの最近は慣れてしまって、もっと大きなものをという欲が出てきました。バイク用品店で陳列されてるものを見、店員さんに相談し、最も良さそうなガイラシールドを注文してもらいました。それが入ってきたので装着してもらい、試運転に出たくて仕方ありませんでした。装着工賃も含めて35000円。僕の購入したバイク用品としては最高額の出費になりました。
415×425と、メーターバイザーよりずいぶん大きく、胸に当たっていた風圧がなくなりました。でも整流は頭の上を通ることはなく、ヘルメットの中央・目鼻耳付近から上に当たっています。60km/hになるとバイクの音が今までと少し違って聞こえます。70km/hぐらいで聞こえていたヒューンという音です。耳付近の風の流れがより速くなったのかもしれません。運転中でも片手でネジを回せばシールドの角度を変更できる優れものです。かなり良さそうです。高速道路本番が待ち遠しいです。
「長尾山トンネル」からr33、r319で北上しr323で西進、「下槻瀬」でr37に乗って羽束川添いを北上します。乗ったと言っても少しだけで、並行して走るのんびり道を行き「大歳神社」「高売布神社」に寄り道しました。夜が開け、田畑やあぜ道が霜で白いです。「小柿」手前で神姫バスのバス待機所があったので、時刻表を覗き込む。ちょうどバスの運転手さんが下りてきたので、「おはようございます」。ここまでも、犬のお散歩の人が僕のバイクが通り過ぎるのを待ってくれたので会釈とか、数人と挨拶を交わしました。朝の挨拶は気持ちがいいです。バイクは、人との距離が近くてこういうふれあいが多くいいです。
「三田市野外センター」にバイクを置いて、気になっていた「感応寺」に上がってみました。5分ほど山を登るので下界の景色を期待していましたが、山の木々が邪魔してそれはなし。ペットの墓地があり、そちらで業績を伸ばしている風でした。「本堂は?」と更に登ると、飼い犬に猛烈に吠えられすごすご退散です。鹿などの野生の害予防なんでしょうが、不特定多数の方が訪れる神社やお寺のような半公共施設に猛犬とは・・・誰も近寄れないがな。駐車場に下りると、スタッフジャンパーの方が数人相談中です。新聞社の横断幕も掛かってるので、ここのアマゴ釣り場で大会なのかな?朝早くから釣り人が竿を振っています。
r37で羽束川を遡りました。ここから来ていただいているお客さんが言ってた「後川小学校」に寄り道。「日曜日でお休みだけど、明日は通常授業あり」という感じなんですが、廃校になったとか。綺麗に保存されています。地区の生徒が増えれば、また再開しようと管理してるのでしょう。小学生でバス通学はなあと思うのは、僕もこの地区の方々も同じですね。
7時を回ったので、8時台に帰宅するために、r12でバビューンと帰ることにしました。梅雨で崩れた西峠の崖は復旧していました。道路脇に真新しいコンクリートの壁です。なんだかがっちり固めました感がないので、また崩れるかもね?
r12から「大野山」頂上への斜面の木は葉を落とし、薄茶色の斜面になっています。こうなるとすぐ登れそうに見えます。「木津」付近で、指先の感覚がなくなっており、「道の駅いながわ」で休憩することにしました。ホットコーヒーの缶でも買って温めればいいのでしょうが、けちな僕はバイクの横で「ホット吐息」で温めます。
僕が入るのと入れ違いに、3台のバイクが出ていきました。ここで待ち合わせだったのでしょうか?続いて入ってきたオフロードバイクさんが、ヘルメットを脱ぎながら、「こんな寒い時にバイクなんてアホですねえ」と笑って声を掛けてくれました。「お互い様」と大笑い。「猪名川サーキット」の裏山に、遊べるところがあるのだとか。そこで9時に待ち合わせだけど早すぎて、ここで時間つぶしするのだそうです。八尾ナンバーのピンクナンバー車です。下道で来たのですね。
ナックルガードが付いていたので、これがあると暖かいか聞いてみました。答えは「袋には負けるけど、ぜんぜん違う」とのこと。基本オフロード用なんだけど、カブのナックルガードを付けてるオンロード車もいるのだとか。カブ用なら安そうです。オンロードバイクでジムカーナもやっておられるようで、僕と同じエンジンガードを付けたVTRがよく走ってるのだとか。
次にやってきたのもピンクナンバーオフローダー、125ccでしょう。「屏風岩」から奥に入っていくと言ってたので、「才ノ神峠」周辺の未舗装道に行くのでしょう。一度僕も迷いこんで、バイクをどろんこにしてしまいました。ここで僕はタイムリミット。9時前に帰宅。「京都永観堂」〜「銀閣寺」に行くと言ってた家内は既に出発した後でした。風呂に入り着替えて9時半に出発です。
昼からの仕事には早いのですが、10時半に神戸で待ち合わせです。初めて会うVTR250乗りの方です。VTRで行けばいいのですが、夕方まで神戸に置いておかなくてはいけないので通勤リード110に乗り換えです。スラックス・ネクタイ・ジャケットの上に、オーバーパンツとジャンパーというけったいな出で立ちです。西宮まで来て携帯に電源を入れると着信アリ。その方から待ち合わせ場所変更の連絡です。「了解」と送り返したいが、携帯メールは面倒なのでそのまま走り出します。続いて親戚のおばさんから電話。なぜ携帯番号を知ってるのか?母の一周忌のお返しが着いたとお礼の電話です。待ち合わせで時間がないけど・・・おお〜ギリギリの時間になってしまいました。
神戸麻耶まで来て、初めの待ち合わせ場所ファミリーマート発見。ほぼジャストの時間です。ここから南に300mのデイリーヤマザキが、新しい待ち合わせ場所。海の方に向かうがない。あれ〜、その辺をうろうろするがわからない。電話番号の控えを忘れてきたので電話できない。携帯メールは慣れてないので時間がかかる・・・ええい、GSで聞こう。ガソリンを入れてもらいながら聞くが不明・・・どうしよう?ここで電話が入りました。「わかります?」「それが迷っています。ファミリーマートは見つけたのですが・・・」。どうもそのファミリーマートが違っているようです。GSで摩耶ICの場所を聞き・・・隣の交差点でした。ここにもファミリーマートがあった〜。やっと会えました。10分の遅刻です。申し訳ない。
初めてでしたが、話は尽きませんでした。新型VTRの黒で、掃除もされておりとても綺麗です。1度もこけていないのだとか。メーターバイザーのスモークが付いていました。少し横に出るマフラーが置き場に邪魔なようで、付け替えておられました。カーボン柄で綺麗です。バイク旅をコピーしたブルーレイディスクをもらいました。来年暖かくなったら、岡山広域農道を一緒に走る約束をして別れました。あっという間に12時。仕事に向かいます。
仕事終わりが5時半。R43・R171をバビューンと帰りました。バイク免許取ってから2年、単独行ばかりでしたが、来年はグループ走行という新しい世界に歩みそうです。

2010/11/29
日曜日は、母親の一周忌でした。隣家に住んで毎日顔を合わせていた母・・・11ヶ月前の朝「またTV付けたまま寝てるわ」と消しに行くと・・・あれっ?・・・冷たい・・・もう硬直してる・・・駄目だわ・・・で小一時間、僕と家内は容疑者AとBになりました。葬儀の後、実家の片付け・修理・掃除・・・と、毎朝出勤ギリギリまで隣家でバタバタしていました。その2年前の父の葬儀で喪主の経験があったので、余裕を持って事に当たれたけど、一段落して「名実ともに1世代移ったなあ」と僕の人生を振り返り、これからの来し方を考える時間が持てました。まあ、あまり変わらない1年を歩んだけど。
次男は、1週間前にレースで実家に泊まったので、今回は東京から帰ってきません。その代わり、新婚の長男夫婦が実家に泊まりました。家内と2人、次男達男4人の使ったシーツを洗い・入れ替えました。僕の手伝ったのはここまでで、軽く朝食が出来るようにパンやうどん、ヨーグルトなどのデザートも用意し、掃除などもみんな家内がやってくれました。忙しいと言いながら、なんだか嬉しそうなので僕の出番はなしです。
日曜の朝、位牌・遺影、親戚から頂いたたくさんのお供えを車に載せ、伊丹空港に向かいました。JALの到着ロビーに近い降車レーンに車を停めて待ってると、ニコニコしながら2人がやって来ました。鈴木奈穂子さん似のお嫁さんは、美人ですねえ。しかもとても感じが良い。我が娘だと思うとにやけてしまいます。デカした息子。
お寺さんに向かい、荷物を下ろしているとお寺さんが出てこられ、長男が「いつもお世話になっております」と。後は長男に任せ、僕は近くの駐車場に車を置きに行きます。
本堂に戻ると、前日に結婚式のビデオが送られてきたようで、そのコピーと写真アルバムを見せてもらいました。僕らにくれるそうです。弟家族4人がやってきて、法要が始まりました。今回は北関東からの親戚は来られませんでした。両親の兄弟は皆さん高齢で、東京に出るまで2時間ぐらいかかるので、なかなか来れません。
法要が終わり、再び供物を積んでお墓に参ります。ベビー机を置いて、お墓の周りを盛大に飾ります。少し高台のお墓から見える山々は、素敵な秋色になっています。弟の弁によると、夏が暑くて一気に気温が下がったので、10年数年ぶりの紅葉の鮮やかさなんだそうです。弟のお嫁さんも感じが良くフランクで、当然甥・姪ものびのび育ってる。僕は人に恵まれています。
次は会食です。いつも会席料理などの日本料理なので、今回はフレンチにしました。車で15分程の所に、棚田で有名な能勢の長谷地区があります。そこにあるお店です。僕の早朝バイクで定期的に訪問してる長谷の棚田。小さな道案内看板が気になってたお店です。お初の訪店です。
洒落たお家の外観の玄関に入ると、靴を脱いでスリッパになります。喫茶の部屋もありますが、僕らの案内されたのは30人ほど入れる食事の部屋。南側の庭に面して、全面ガラス窓になっています。正面は、秋色に色づいた三草山の麓です。オレンジと緑の山に1本、黄色く色づいた銀杏の木があります。素敵です。
みんなでワイワイガヤガヤ、2時間のフルコースでした。メインディッシュのお肉が選べ、家内は黒豚、僕とお嫁さんは鹿、長男はサーロインステーキを選びました。フレンチなんだけど、ホテルの定番な感じと少し違い、味が独特です。地元の食材を使っているのもあるのでしょうが、シェフのこだわりなんでしょう。
フロア担当の女性たちが、食材やソースを毎回説明してくれます。田舎であり、靴も脱いでるのでアットホームな雰囲気です。パンがとても美味しく、何枚も食べてしまいます。家内は食事が美味しいし、景色が最高なのでご機嫌です。旦那の僕にとっては、ご機嫌な家内の姿が一番のご馳走かもしれません。「お父さん、ここ何処で知ったの?」「バイクで走ってて」。口に出しませんが、僕はあなたのお父さんなんじゃないんだけど・・・。
僕らは1時半からだったので、だんだんとお客さんが減り、最後はもう1組だけでした。長男夫婦と同じぐらいのカップルと、僕らぐらいの年齢の女性。なんとなく、聞こえませんが、会話が丁寧で彼女の親に彼を紹介してる感じです。お父さんは亡くなったのかな?海外赴任中とか?男性は丸坊主なのでお坊さんかもしれません。想像が広がります。こういうのに似合うお店です。
車に戻り、棚田の道を上がってみます。ここで帰り道を地図で教えて、弟達と解散です。弟は車から三脚を出しています。僕らは県道で三草山の肩を越え、紫合の交差点でr12に乗り、川西能勢口まで戻りました。長男は寝ていましたが、お嫁さんに了解を取り、阪急百貨店で親戚への法事のお返しをしました。
帰宅して、我が家の方に2人が来て、4人でホテルから送ってきた結婚式DVD鑑賞会です。なんと映画並みの2時間もある長編でしたが、また感動してしまいました。お昼でお腹いっぱいだったので、遅めにうどんを食べに行きました。長男たちと玄関で別れ帰宅しました。着替えてリラックスすると、「今日はほんとに楽しかったわ」と家内。僕のレストラン選択は、クリーンヒットだったようです。
そうそう、これは書いておかなければなりません。次男達が泊まりに来る前日、お昼間泥棒さんに入られてしまいました。窓ガラスを割られてカギを開ける手口です。自宅に現金は置いていないのでその被害はありませんでしたが、家内の宝飾品を持って行かれてしまいました。誕生石のエメラルドの指輪(僕がプレゼントしたんだっけ?自分で買ったのかな?)や義理母の形見の宝石など数点。家内によると、休もんには手をつけていないとのこと。我が家だから百万なんという高いものはないけど、思い出ってやつが・・・。その中で1つの救いが、僕の贈ったダイヤのエンゲージリングが残っていたこと。これが一番高い品だと思いますが、一段高い棚に置いてたので手が届かなかったのかも?
当日の夜は、警察官や刑事・鑑識の方が来られ大変でしたが、犯人さんと鉢合わせして怪我しなかったので良しとしましょう。割れたガラスを交換し、重くて閉められない木製雨戸をアルミタイプにしたり、臨時出費で防御力アップです。レストランの会話の最後の方でこの話をしたら、「そんな重要なことは、早く言わんと」と、長男に言われてしまいました。僕ら、夫婦でおっとりしてるからなあ。

2010/11/22
日曜日は、新西宮YHに行きました。次男が470級全日本に出場しているので、その観戦です。今回は京都から2艇参加で、我が家が選手4人の宿になりました。家内は、「食事は?」「毛布どうしよう?」と何かと受け入れ準備に余念がなく、綺麗な布団が2セットしかないので、1週間前にニトリに行ってきました。水・ジュース・軽いお菓子など、「そこまでいるの?」みたいに見ていましたが、なんだかんだ言いながら家内が嬉しそうなので、僕は下僕に徹しました。
日曜日はレース2日目で、6時半に息子たちが車で出発した後、7時に僕らも出発しました。観戦メンバーは、僕と船に関しては何の役にも立たない家内だけなので監督さんに連絡し、来られる約束を取り付けていました。まあ誰もいなかったら、ハーバーで誰かに声を掛け乗ってもらおうと考えていましたが。途中コンビニで3人分の昼食を買い、ハーバーに入ります。車を停めると、三船さん運転の車が前を通り過ぎました。日本経済大のサポートでしょう。
レース艇は全部ディンギーヤードにおり、吉迫艇・松永艇・石川艇・・・広州アジア大会に行ってる近藤・田畑組と原田・吉田組以外のトップ選手が揃っています。朝から北のいい風が入っており、午後の風予報が情け無いので、この風の中で1本でも多くレースが出来たらいいなと思いました。息子たちの艇を見て、近くにいた吉迫艇を見に行きました。吉迫さんと経口をたたきながら、写真OKを聞いてからスピンシートの浸かり予防や、フォア・サイドステイの上部取り回し、トラピーズシステムを写真に収めました。
8時半に出艇。先を争うように続々と出て行くレース艇に、なんだか血が騒ぎます。家内が嬉しそうに携帯カメラで写真を写しています。出艇後、係留桟橋に向かいます。白川監督がいてくれるので安心して出艇できます。西出口からハーバー沖に出てレース海面を目指します。フジツボがたくさんついてるので、艇速が伸びません。
この日の第1レース、北風で右海面の方が風が強いみたい。いつもこれに騙されます。右奥に行きすぎてしまうとスターボアプローチでベアが入り、なかなかマークに近づけません。風の傾向を大会前にアドバイスしてるので、京大2艇は空いてるアウター側・下3と下5でスタートしました。クルーザーから見てると、本部船寄りから出てタックして右に行った船はトラピーズに乗り、明らかに右海面がいいです。アウター側から出た船は我慢です。
そしていつもの左ハーバー防波堤からのブローが下りてきました。これを待ってタックした船が今度は伸び始めました。こういう展開になると、長いポートレグですが、ベアにならずにかなり上りブローが走れます。
1上マーク、トップ艇回航。右のブローで前に出て、レグ中盤までに左に寄せていた艇がトップのはずです。左に伸ばしたター君・田代君組も10番ぐらいで回航。1年に2度予選と全日本しかヨットに乗らないのに上出来です。学生時代のスピードがあれば片手回航だったね。スタート後上突破されて苦しかった前川・上野君組も左に伸ばしたのが良かったようで20番ぐらいで回航しました。
サイドマークまで、4250は風上レーン・4174は下に落として風下レーンを真っ直ぐ走ります。4250は、サイドマークジャイブ後うまく内側に入り1〜2艇に抜かれるもなんとか順位を維持します。クルーがまだヨット数ヶ月の経験だからこれも上出来です。
最終下マークを4250は16位回航。でもフィニッシュラインまでの上り合いでうまくスピンがはらまず上突破され、更に後続との上り合いに参戦しどんどん抜かれます。12〜3艇抜かれてしまいました。クルーの腕を考え、諦めてアウターフィニッシュ狙いで落として走ったら1〜2艇に抜かれただけで済んでいたでしょう。
4174は素直にアウターぬ向けて真っ直ぐ走り30位フィニッシュ。上り合いした艇を1〜2艇抜いたかもしれません。クルーのOB上野くんのドライブもあったのだろう、自信を持って最初から真っ直ぐ走りました。
第2レースは、少し落ちたもののまだ風が残っています。本部船側が人気ですが、京都2艇はアウタースタート。4250はラインの読みを誤ったのかバウがラインに足りておらず、上艇と上並行スタート。第1レースのように上下艇を置いて前にバウが出ていきません。少しずつ上艇がバウを出していきます。まだブランケットになっていないのにタック。走りにくいから逃げたのでしょうが、スピードアドバンテージがないので、早めに次のレーンを探しに行ったのでしょう。本来ならここは我慢のシチュエーションです。レース艇団の一番左に位置しているのだから、前に出て景色が良くなった艇は、タックして右艇団のバウを交わして順位を確定しにいきたいところです。もうすぐ被されそうな時でも我慢していれば、上艇がタックして一気にフレッシュウインドを受けることができます。それにタックしてスターボ艇のスターンを交わしていると、たとえもう一度タックして左に出しても、またポートになった同じ艇のスターンを交わさなければなりません。
スタート〜上はヨットレースで一番大事な場所。ここでこんなことしていては、1上を上位で回れるはずがありません。タックした時点でこりゃだめだなと思いました。4250は、7〜8艇のスターンをなめた所でレーンを見つけたようでタック。再び左に出します。4174は第1レースよりいいスタートだったこともあり、そのまま伸ばしました。4250は25番ぐらいで1上回航。4174は全65艇中40番ぐらいで回航。
やはり左海面の方が良かったようです。絶対的ボートスピードが4174に勝る4250は、タックせずもう少し我慢できていれば、あと5つ、うまく行けば10艇は前で回航できていたと思います。
1下回航後2艇とも左海面へ。左から左から攻めていれば大丈夫だろうと思っていました。ところが最終下マーク回航は、4174が30番ぐらいです。大きく10艇ほどジャンプアップしました。左から左からと適当に刻みながら上マークにアプローチし、フリーでも左海面に出して上がったようです。それに引き替え4250は50番ぐらい。20艇ほど抜かれたようです。陸に上がってミーティングしたところ左奥のエンドまで突っ込んで風がなくなったそうです。エンドゾーンまで突っ込むのは、タックして上りが入ってもオーバーセイルでラッキーを吐き出し、タックしてベアが入ればビリまで落ちます。素人じゃないのになんでそんな所まで行くのだろう。やはりボートスピードのアドバンテージがないからギャンブルに走っちゃうのだろう。特に第2クローズレグのギャンブルは大抵順位を落とします。ある程度無難に刻んでいる方が、自滅するギャンブラーが勝手に落ちて行くので、何もしなくても順位が上がります。フリートレースに勝つ鉄則なのに・・・。
フィニッシュ後、風が更に落ち、APハーバーバックになりました。僕らもハーバーバックしました。海上に出て感じたのは、京都艇は孤軍奮闘していること。オリンピックを狙う上位艇はもちろん、支援艇を出してるチームの挺は、レース終了後必ずコーチボートに寄って来る。コーチは、自分の周りしか見えない選手と違い、もっと全体を見ている。選手が気づかない有意義なアドバイスを持ってることが多い。何もなくても、レース中の2人の世界に別の人が入ることは、リフレッシュ効果が高い。クラブで何度も何度も言ってるのに、こういう個人戦になると自分たちだけの世界になってる。気付くようにずっと手を振ってるのにやってこない。レースは選手だけでやってるのではない。チームとして戦う。学生レースは特にです。支援艇で応援してるヨットの事を知らない女子マネージャーとレースの合間に話すだけで、自分たちもそうだけど、海に出てきたマネージャーやまだよくわかっていない新入生もレースに引き込める。こういう姿勢が部員の定着率にも影響すると思う。海上でアドバイスできることが山とあったのに、寄ってきてくれずがっかりしました。
陸にあがり、早速ミーティングをしました。「鉄は熱いうちに打て」と言います。新鮮に記憶に残っているうちに話すことが大切です。なんとなく思ってることも、話したり書いたりする行為で、整理されてしっかり頭に刻まれます。全国制覇するようなクラブは、どこもこれをちゃんとやっています。僕もそうやってきたので、僕の中ではそれがデフォルトです。
風待ちの間、現在トップのイチノチームの監督をやってるコウノさん、支援艇に乗ってるマスカワさんと話しました。横ではマツナガくんとワタナベくんが休んでいます。この2人、OP時代からのライバルですがよく一緒にいます。チビの時からの友達はいいね。
1時半頃、陸上APが下りました。全艇出艇。それらを写真に収め僕らも出艇しました。AP降下1時間でスタートシグナルというスケジュールでしょうが、再び風が落ちて風待ち。2時半を回り南の海面にブローはなし。これで本日のレースは終了です。
2レースだったけど、楽しませてもらいました。出場した選手はぐんぐん何かを得ていますね。こういうレースはたとえビリでも、練習してるより数倍のものを得ることが出来ます。トップ艇との差を距離で体験出来ます。前川君は、ボートスピードが上がっています。ミーティングで田代君が、1レース目トップ選手に囲まれて1上を回航し、クルー動作とかを見れて勉強になったと言ってました。日本で2番目にレベルの高いレースに1回生で参加できるとはラッキーなヨット人生の始まりです。自分の目で見たもの、肌で体験したトップレベルが具体的に分かったわけだから、それに近づくように練習に励んでほしい。
船の片付け、プロテストの有無の確認までにまだ1時間ぐらいあるので、監督さんは帰り、僕らは関西ヨットクラブのウェットバーでお茶しました。僕はポカリ、家内はココアを飲んでいました。抗議なしだったので2台で家路につき、家の近所の金比羅製面でうどんを食べました。肉が好きじゃない僕だからここにしたのですが、大盛り&トッピングで満腹して6人で6000円のお釣りが来ました。安〜。
その後、僕らは法事関係御用達の川西阪急に来週の母の一周忌のお返しを買いに行きました。息子のレースを海上で見れて、家内も楽しそうです。僕も息子の試合が見れてこんな幸せなことはありません。
そうそう、海上でラムソールに会いました。同じくレース観戦してました。小巻さん・藤井さん・野村さんが乗っていました。梅野さんの顔を探しましたが、土曜日ヒロユキ君の結婚式で東京に行ったからいませんでした。先月の僕ら同様、日曜日は東京見物でもしてたのでしょうか?それとも、OPの琵琶湖ユースレガッタのコーチングで琵琶湖に行ってのかな?

2010/11/15
昨日は、「夫婦で自転車」してきました。最初、高野山山頂までケーブルで上って、標高800mオーバーからの「渓流沿い紅葉ダウンヒル」を企てていましたが、風邪の回復期であるので自重することにしました。でも自宅でグズグズしてるつもりはないので、夫婦での新しい試みであるトレッキングにしました。
「有馬温泉ロープウェイ駅〜六甲山・下山のみ歩き」と、「妙見山ケーブル〜山頂・下山のみ徒歩」という上り登山のない軟弱2コースを計画。妙見山コースに決定しました。
妙見山ケーブルの始発が9:20なので、9時前に自宅出発にしました。まずは車のエンジンを始動させてみます。1ヶ月ぶりの火入れでしたが難なく始動しました。ホッ。
下山に2時間も掛からない初心者コースなので、自転車も積んで行くことにしました。9時半ごろケーブル乗り場駐車場に着きました。駐車料金500円で自転車を組み立てながら見上げると、ケーブルカーが真っ直ぐに山肌を上っています。赤や黄色に紅葉してる木々もあり山が綺麗です。家内の提案により、先に自転車です。
自転車でR477に出て、道路崩落通行止めに行ってみます。自転車ならそろそろ通れるようになってるかなと思ったのですが、工事期間が3月までに延長されており、自転車でも通れないそうです。南北朝時代の宝篋印塔がある黒川の徳林寺に向かいます。徳林寺は、通行止め区間内なので、僕らの貸切で車の心配なしです。小さな看板に従って墓地に入り、それを発見しました。他に古い五輪塔のお墓が多数あり、1ヶ所に集められた無縁墓も古く、この地区の歴史を感じます。
R477でこれ以上北上できないので、知明湖方面から迂回しなければなりません。お寺の前から、「ダリア園こっち」の看板が上がった細道が分岐していたので、そちらに下ります。急坂のコンクリート道なのでフルブレーキングです。茶道で使う一級品能勢の菊炭の原木が道端にあり写真。何度も同じところで炭にするため切るので、先の丸いクヌギになっておりすぐに分かります。クヌギといえば、夏休み早朝その樹液に集まるカブトムシ・クワガタを探したものです。
少し下ると、休校してる黒川小学校がありました。現在は公民館として使われているようですが、木造でいい雰囲気があります。r605に出て、ダリア園をちょっと見学し、知明湖沿いr604を北上します。と言っても曲がってすぐのトンネル内に路肩がないので、トンネルを回避し橋を渡って川向こうの交通量のない道を行きます。川沿いの貸切道です。上を見上げると、クリーンセンターから気球が上がっています。イベントしてるのかな?興味が湧きますが、自転車では上るのが大変なのでパスです。r106に合流し北上します。鬼子母神が気になっていた「妙唱寺」山門前に、真っ赤なモミジを発見。しばし休憩です。寒いかなと着込んで来たのですが、自転車を漕ぐとさすがに暑く、家内のウインドブレーカーをリュックに収納します。
「上田尻」から「地黄」に近道するべく山道に入ります。バイクではあまり感じませんでしたが、自転車では相当急です。横穴式古墳のところで早々に乗車を諦め、のんびり歩いて上がります。ここで、風邪病み上がりで厚着を心がけていましたがさすがに暑くなり、僕もウインドブレーカーをリュック入りさせました。
お地蔵さんの並ぶ峠まで「あと、どれくらい?」「う〜ん、もうすぐ」なんて他愛ない会話しながらぼちぼちと。峠で自転車に乗り、地黄側に下りだすとすぐに分岐を曲がります。能勢氏の山城のあった丸山の横を下り「清普寺」に自転車を置きます。能勢氏の菩提寺なので、立ち並ぶ歴代藩主などのお墓を巡りました。
昭和47年・92歳で亡くなった当主のお墓まで1仏1搭でした。年代的にそのお孫さんが当主なんでしょうが、それ以降のお墓はありませんでした。経済的に裕福そうなお寺で、静かにお墓を守ってこられている風に見受けました。柏原織田藩の歴代墓が、山門も塀も崩れた所に、今にも離散しそうに放ったらかしになってるのとは大きな違いを感じました。現当主の生き様が思い知られます。僕も小さいなりに今は当主、することはきちんとして次にバトンタッチしなければ。
住職さんなどがいれば、丸山への登り口を聞いてみるつもりでしたが、誰もいません。庭師が入って手入れ中のようですが、昼食時でもありあいにく休憩のようです。丸山に目を凝らすと、お墓のようなものが見えます。そこに謂れが立ってるようです。「マムシに注意」となっていたので、足元を注視しながらあぜみちを山に向かいます。「このコロコロしたの、鹿の糞?」って家内。パラパラ落ちています。囲いをされた中に宝篋印塔と九重の塔があり謂れが立っています。どうやらここが大手門側のようで、山に入ります。
そしていきなり、マムシ出現です。山道の真ん中にいます。少し近づくと脇にうねって行ってくれました。徒歩10分ぐらいで頂上です。堀や井戸などは確認できませんでしたが、曲輪があっただろう平坦地が山頂本丸平坦地の北側と南側にあります。平坦地は木が切り倒され広くなっています。鹿害防ぎが施された苗木が植えられ、数年後を目指して山城跡として整備してるようです。
自転車に戻り、江戸時代能勢藩城下町地黄地区を巡ります。趣きのある家が残っています。江戸地黄城跡の石垣を見てからR477を南下します。「野間神社」を通り、野間中で右折r604へ。野間の大ケヤキ近くで昼食にしました。おすすめの「ソフトにしん定食」。気さくな店主さんと会話。裏で菜園をしてるようで、食材の半分以上、そこからの収穫のようです。先客さんは、大阪から借りてる農地の耕作に来られたお若いグループ。こういう都会の方が増えてるようです。能勢の野菜は美味いそうで、大手外食チェーンが田圃・農地ごと契約するのもあるそうです。太鼓亭の名前が出て、こないだ買い付けに来られた社長さんもここで食べて行かれたとか。ヨット部の水上先輩ですね。
r604をさらに下りました。こないだ大発見した「岩崎神社」に寄り道しました。安徳天皇が野間の地に隠れ住んだという伝説の地です。夢があっていいし、源平の戦いで三種の神器とともに瀬戸内海に消えた方が、なんとなく胡散臭いです。源平共に現職天皇を葬ることなどしないでしょう。
r106に合流し、元来た道を辿って妙見山駐車場に戻りました。知明湖からのr605の上りはきつかったです。バックミラーを見ながら、家内が歩き出すのを注視していましたが、結局車まで歩きませんでした。時速10kmに満たない鈍速でしたが2人とも頑張りました。家内は顎から汗を垂らして到着です。「もうこれで十分」って言っています。「山にも上ったし」と丸山城址10分登山を、妙見山登山に替えようとしています。僕ももちろん異議なし。軟弱夫婦ですが、こういうのが僕らのペースです。走行距離22kmでしたが、上りが相当あったので+20kmぐらいの負荷になるでしょう。
帰宅し、ニトリで来週のお客さん用に布団セットを2セット買い足しました。楽しい1日になりました。

2010/11/10
体調すぐれずの1週間をなんとか過ごしていましたが、とうとう土曜日は最悪の状態になりました。熱がありそうなのですが、なんとか頑張って土曜日をやり過ごしました。さてお休みの日曜日です。普通はここでグータラな1日を過ごし体調回復に努めるのが、立派な大人なのでしょうが、今シーズンドラゴン最終戦です。しかもタナカ艇に助っ人に入ることになっています。今更「あきません」と言えば、シブカワさんにもタナカさんにも迷惑をかけてしまいます。更にタナカ艇は速いので楽しみでもありました。学生時代は、こういう時無理して乗ると、却って体調が良くなることもあったので、それを期待することにしました。
どうも朝からボーっとしていますが、着込んで出発です。ハーバーに着く手前、「あ〜時計忘れた〜」。レースに向かうのに時計なしなんて、こんな忘れ物をしたことが今まであっただろうか?体調不良で注意散漫になっているようです。
約束の9時に陸置きヤードに着くと、みなさん艤装に余念がありません。J28タナカさんとゴクラクジさんに僕が加わります。ゴクラクジさんから、フィッティングの違いをレクチャーしてもらいながらレース海面に向かいます。大きな違いはスピンポールがブーム抱きになっているところです。僕が前で主にジブ・スピントリムをします。スピンの形が少し違うようだなあと思っていたら、ポールを下げ気味にセットするスピンだそうです。
体調不良で声がひどく迷惑を掛けたと思いますが、風の方は、東〜北の軽風に終始し、楽でした。スタートラインは、幾分アウター有利にセットされており、いつもの北風同様ポートアプローチが伸びることを考えたらアウタースタートでしょう。でもレース海面は、中央にブローがあります。
スタートを中央から出て、上艇のタックを待ってタック。ベアブローでタックというフレに合わせたタッキングをしながら、中央左海面で上マークに向かいますが、いつものポートアプローチ艇が上り、上マークアプローチはビリから2番になってしまいました。でもJ48アオヤマ艇がスターボ艇を避けるためにジェノアをファーリングしてスピードを落とした隙に、まんまと先にまわりました。タナカさんは、こういう細かい所が抜け目ないです。
トップはスギハラ艇で、2位にセーフティーリードしている感じに見えたので、初トップかなと思いました。下マークアプローチで、先行するJ35サワダ艇に追いつき、下回航で内側に入れました。ほんとは、下アプローチで内側にいたので先に回航できたのですが、後ろにつかれてタック出来ないより早めにタックして左に行きたいので、内側を譲り先にタックしました。ここにもタナカさんのキラリと光る物が見えます。
ここからタナカさんの怒濤の走りが出ました。大差を付けられて同じく左に向かうJ46・J44のカバーされる位置から前に抜け出し、真ん前で先行するJ38のアスターン位置から上に抜け出し上平行まで艇速を伸ばしました。風速の強弱・艇速の伸びに合わせジェノアの出し入れ指示がゴクラクジさんから出るので、レース後半では自ら対応できるようになっていました。なんてことはない、学生時代「もっと姿勢を低く」「風の通り道を妨げるな」「ジブ出して」「少し引こか」とクルーに指示していたボートスピードアップの基本をしっかりやっていただけでした。でもこれが出来ているJ28チームはすごいです。それと、前この船でスキッパーしたときに感じたバランスの良さがあります。ジブテルテイルの流れを見ても、無理して上っている感じはありません。でも少しづつ上れています。
左海面エンド近くまで出てタック。同じコースを取ったトップ艇J49ははるか前ですが、J44・J46を下突破し、先行するJ34にも少しづつ迫っていきます。このポートのブローが最後まで続き、右海面に行った先行艇は自ら脱落しました。コースはショートになり、次の上マークでフィニッシュになりましたが、タナカ艇の素晴らしいパフォーマンスを見せてもらいました。
風がなくなり、しばらく待機。東に振った風の中で第2レーススタート。今度はアウターから2番目でスタート。バウを並べるスターボ艇団の走り合いが始まり、真ん中からJ35がバウを出していきますが、ブローが終わってきたのかその勢いがなくなり、結局アウター側がバウを出し、上マークを2番で回航。風がなくなり我慢大会になりますが、タナカさんはトップ艇以上に南に出します。真っ直ぐ走る艇や北に上がる艇もあり、左右に大きく開きます。ポールを下ろし気味で前に出し気味にしてジェネカーのようにスピンのラフを張った走りは、僕には艇速を感じていました。N旗が上がりノーレースになりましたが、もう少しあれば、南から風が入ってきたこともあり、トップで下回航出来たと思います。かなり勉強になりました。
このレースは、年間ポイントレースの最終戦でもありますが、「山村記念杯」もかかっています。元ドラゴン級会長で元オリンピック選手故山村さんを偲ぶものです。山村さんの奥さんが来られプレゼンテイターです。今年はこれまた元オリンピック選手の山村さんの弟さんが乗るJ49が優勝でした。パーティーの途中、中締めの後、体調不良もあり先に帰らせてもらいました。アオヤマさんの艇にはナガホリ君が乗っており、結婚のお祝いを言うと、来年には子供が生まれるのだとか。おめでとう。
で、その後体調の方がどうなったかというと、2日間仕事を休んで、自宅軟禁していました。あ〜あ。

2010/11/2
土曜日は、長男の結婚式でした。場所は東京お台場の日航ホテルです。「お台場」・・・球が特徴的なフジTVのビルがあり、レインボーブリッジがあるあそこです。デートスポットNo1?なあの場所とはおしゃれです。僕より、家内がかなりウキウキしていました。ところがです、素敵なことに台風来襲という暴風雨にも恵まれた日和になりました。
僕と家内の往復は、長男が貯まったマイルからプレゼントしてくれました。木曜日に長男から電話があり、「危なそうだったら、キャンセルして新幹線でね」なんて気遣いでした。でもね、運のいい僕のことだから、微妙に逸れて大丈夫になると高を括っていました。金曜日、再び電話。「股下は何センチ?」。前日までホテルとやり取りして、ご苦労様なことです。この日になると、脳天気な僕もさすがに天気予報チェックに余念がありません。
土曜日朝の飛行機が飛ぶかも気になりますが、それ以上気になるのが日曜日の天気です。せっかくだから東京見物することになり、電車じゃあれだし、はとバスも何だし、レンタカーなんて渋滞と駐車場に悩まされるだけだし・・・と、レンタルバイクという手に軍配が上がっていました。もう予約済みです。キャンセルも可なのですが、他の交通手段になると一気にパフォーマンスが落ちてしまいます。さすが、運の良さで高を括っていた甲斐があり、微妙な按配で天気予報は僕に味方してくれそうです。多少の雨なら決行と決め、カッパ&シューズカバー持参ということにしました。
土曜日の朝、新幹線の始発に合わせて4時台に起きようと思っていたら、4時前に目を覚ましました。外の様子は、雨も風もありません。天気予報をチェックしてもOK。JAL運行予定をチェックすると予定便は飛びます。当初予定通り8時の飛行機で行くことに決定です。用意して予定の6時半にタクシーがやってきて、空港着。空港までは10分ほどなので早すぎます。チケット発券機械に行くと、僕らが飛行機に慣れていないのを目ざとく見つけ、お姉さんが教えてくれます。「7時15分の便にも乗れますが・・・」「じゃあそれで」。
1便前の飛行機に乗れました。台風の暴風雨は避けられましたが、上天気とは言いがたいので、水平飛行になっても時折揺れます。伊丹は曇りでしたが、羽田は雨ということで、結構な揺れの中で着陸しました。久しぶりの浜松町行きモノレールに乗り、「天王洲アイル」という駅で下車。ここで乗り換えてお台場に向かうのですが、一旦外に出ないといけないようになっており、小さな折りたたみ傘のご厄介になりました。次の駅「東京テレポート」で下車し、タクシーで「日航ホテル東京」入りしました。空港から交通機関は30分ぐらいかな?タクシーから、フジTVビルの実物が見れましたが、雨だからねえ。
関空から飛んできた弟家族と会い、長男に電話し、家内はすぐに着付けです。僕も今回は新郎の父という立場なので、モーニングに着替えないといけません。着付け室に行きましたが、早すぎました。11時半まで暇なので、ホテル内を一眼レフ持ってウロウロ。着付けの終わった義理妹が帰ってきたので、弟家族みんなとともに食べに行きました。窓からの眺望正面は、レインボーブリッジです。織田裕二が、「レインボーブリッジ封鎖できません」なんて言ってます。本物の方の湾岸署が見れるかなと期待していたのですが、こちらも雨でダメです。
「お兄さん、そろそろ行きましょうか?」との妹の言葉に促されて、時刻を尋ねると11時半です。「こりゃいかん」。11時半に来てねと書いてあったのに。急いで衣装室に向かう途中、「お父さん、何処にいてたの」と家内から声がかかります。「ごめん、急いでるからまた後で」。衣装室に入ると、お姉さんがテキパキと手伝ってくれて、にわか新郎の父が出来上がりです。式は1時からなのでまだ十分時間はあります。新郎控え室に向かう途中、長男&お嫁さんとスレ違いました。純白のウェディングドレスで、目玉が飛び出るくらい綺麗です。NHK朝のニュース全国版の鈴木奈穂子さんによく似ています。「う〜ん息子よ、でかした」。
新郎控え室に入ると、家内と次男、弟家族、義理姉夫婦とその長男がいました。たわいもない話をしていると、長男が入ってきて、「写真などを撮った時点で感動してしもて・・・既に目が腫れぼったいわ。どないしょ」なんて笑っています。感情が豊かなのはいいです。
新郎一家の写真などを撮り、両家紹介に移ります。式全体の案内役の方に続いて両家お見合い会場に進むのですが、これがゆっくり歩きます。もったいぶってますね。兄とゴチャゴチャ話しながら続きます。司会者から僕にバトンを渡され、我が方の親戚を紹介します。続いてお嫁さん側。お嫁さんは三姉妹で、美女ぞろいです。お母さんまで美人・・・というより、お母さんが美人だからの方が先ですね。
またもったいぶった歩き方で、チャペルに入ります。正面には薄い白青の海を模したスクリーンカーテンが下りています。アニメのイルカが2頭仲が良さそうにスクリーンを泳いでいます。僕は右の列の一番前です。ハーブやピアノ他の演奏がされています。こういうアルバイトは、結構お金になるんだろうな、と下世話な想像をしていると、その時がやってきました。
牧師さん、そして長男が入ってきて中央前に。そしてチャペルの後ろの扉が開き、ウェディングドレスの新婦さんが・・・ホテルとこのチャペルの間には天井がありません。ライスシャワーするスペースなんでしょう。この日は雨なので、両方から支えられた巨大な真っ白な傘に守られて、静かに近づいてきます。チャペルの入口でお父さんの肘に手を添え、2人でゆっくりバージンロードを進んできます。最初、歩きやすいお父さんの方が早かったけど、ドレスの裾をはらいながら一歩一歩あゆむ娘のペースに合わせられ、いい感じです。正面で待つ長男に娘を委ねる心境はどうなんだろうなと・・・僕も花嫁の父になった気持ちで、少々目頭が・・・。横の家内は、もうどうしようもなく涙を流しています。前に進む息子たちを目で追っていると、正面カーテンが上がっており、晴れてたら素敵だろう「レインボーブリッジ封鎖できません」が正面に見えていました。
定番のコリント人への手紙第一章の聖書が朗読され、「あなたは・・・」という定番の誓いが交わされ、指輪の交換。キスして署名です。確か僕は、家内の顔に被ったベールを上げるのを忘れ、キスの時に上げた記憶があります。ほっぺたにキスしてました。確か僕は唇にしたぞ・・・僕は間違っていたのか?退室する2人に向かって、ここでライスシャワーでした。
ホテルに移動です。職員さんがワンタッチ傘を開いて渡してくれます。本館まで渡り、こちらで待ってる職員さんに傘を返します。また僕を先頭に、もったいぶって歩き、披露宴エントリーに向かいます。僕ら夫婦は受付をパスし、会場前で待つことに。フリードリンクなのですが、署名を終えた参列者が来られる所で、お礼の挨拶です。中学の時、一緒に車に載せてキャンプに連れていった懐かしい顔もあります。中高の仲間、学部の仲間、ライフル部の仲間、そして会社の仲間と百名を越える方々が寄ってくれました。九州や沖縄からこの天候の中やってきてくれた方もいます。ありがたい事です。
披露宴会場に入ります。ひな壇には息子と新しい娘がいます。末席に座ると、受付を終えた息子の友人2人が、係の方と一緒にご祝儀袋を入れた袋に封をして持ってきてくれました。係の方に促されて、次男が係の方と一緒に貴重品保管庫に向かいます。
華燭の宴の始まりです。僕らの時と同じようにプロの司会者に進行を頼んでいるようです。主賓挨拶。長男はサイエンスに強いとのこと。続いて新婦側です。とても優秀とは聞いていましたが、・・殿下のヨーロッパ歴訪にお供したとき、「今回のサービスにはとても満足しました」と、この主賓さんにおっしゃったとか。担当してたのが、なんとお嫁さん。原サムライジャパンにもお供したそうだし。野球選手に取られんで良かった。
そして乾杯。みなさん素敵な話をしてくれました。僕ら夫婦は、合間合間を見て、全部の席を挨拶で回りました。みなさんの話を聞いていると、家の中や小さい頃の長男と同じような感じで成長していたようです。「明るい」「行動的」、反面「独断専行」のところもあると。どこでもリーダーだったようで、これも小さな頃から変わりませんね。多分長男が作った2人の紹介ビデオが、スクリーンに流れました。赤ちゃん・母子・僕と2人で寝転がる姿・次男と3人のスキー姿・・・、新婦さんは小さな頃から実にかわいい。僕が気に入ってた留学時代の写真はなかったけど。
ケーキカットの後、長男が小さく食べやすくしたケーキを新婦の口に運びます。お返しは、みんなの野次もあり、思いっきり口を開けても入るのがやっとの大きさです。いつもなら、こういう野次を率先して発する方の自称宴会隊長の長男ですが、この日は分が悪いです。笑いながら、「そんなこと言うな」とか言っていますが、多勢に無勢です。
全く僕らの知らない世界の暴露があるかなと期待していたのですが、最近は2次会というものが定番なので、こちらでの暴露はありませんでした。会社の後輩さんが漫才形式で披露してくれた2人の馴れ初めは、初耳でした。上司の方と広島出張した時、上司の方は先に帰ったようで、長男だけで飛行機に乗ったそうな。羽田に着陸し、何故か出口と反対に飛行機後部に向かう長男。名刺にアドレスを書いて渡したそうな。それで新婦さんが連絡くれて、即効で初デートの約束を取り付けたのだとか。「う〜んやるなあ」。まあ僕も、「これを逃したらあかんやろ」と家内に下心を上手に隠して突っ込んだから、同じようなものです。初デートがこのお台場だったようで、そういうこともあってこのホテルなのね。3日前がお嫁さんの誕生日だから、この日にしたのでしょう。
時々感極まってる長男をあざ笑うように、「これを聞けば、また泣かしてしまいますが・・・」なんて前口上からエピソードを話してくれる友人もいます。JALのCAさん数人の機内放送もありました。「当機は離陸し・・・幸せ行き・・・着陸の予定はありません・・・天候は晴れ・・・機内の気温はますます上昇・・・なお・・・」。そして最後には、ちゃっかり機内販売のコマーシャルまで入れていました。司会者から、ウェルカムボードは、新郎の弟さんの制作だと紹介され、次男は「あ、どうも」なんてちょっと照れて頭を下げていました。ひな壇には、ひっきりなしに友人や会社の方達が集まり、2人を中心に集合写真を撮っています。家内は、「あの子、飲み過ぎやわあ」なんて心配しています。
新婦さんのお色直しで、向こうのお母さんがエスコート指名されて、ニコニコしていたのが印象的でした。しばらくして長男の衣装替えになり、なんと家内が指名されました。僕は、最近の結婚式にも参列してるので特に驚きませんでしたが、20年程前の結婚式から時間が止まっている家内には、サプライズだったみたいで、驚きながらウキウキ喜んでいました。そこから戻ってきた家内のしゃべることしゃべること。
僕は、出されたものは全部平らげながら、全部の席を回り、おまけにカメラも構えていました。新郎の父としては、少々尻軽ですが、まあこれが僕なので仕方ありません。次男も素人ムービー担当でした。プロカメラマンもプロムービーも入っていたので、後が楽しみです。
2度目のお色直しの新婦さんと1度の衣装替えの長男が、キャンドルを持って会場に入ってきました。エピローグに向かって、キャンドルサービス。僕らが宴席後部に並ばされ、大きな花束が母親に。そして父親の胸のポケットには、一輪の花が。
そして僕の唯一の出番、新郎父のお礼の挨拶です。まずはご足労のお礼、続いて長男のこと。共稼ぎの僕らの子だから1歳から保育園に通ったので、何でも自分で考え行動するようになったこと。入学や受験・就職など、人生の節目は全部自分で決めて、事後報告だけを受けてきたこと。親が頼りないので、保育園の先生に始まって、小中高大の先生方とクラスメイト・クラブの先輩後輩、入社後の先輩同僚後輩皆様のアドバイスが今の息子を育てたとお礼。そして今後も是非ご指導ご鞭撻を。そして1週間前はレースで風を探していたのに、今日はこのような素敵な天気に恵まれ、順風満帆な船出を通り越して、爆風フルスピードのスタートが出来たことをしゃべりました。最後に、皆様気をつけてお帰りくださいと。
続いて長男のお礼のスピーチ。いきなり、父の話の長いのは昔からでして・・・で始まりました。皆様へのお礼と共に、小言を言わず僕を自由にのびのびと育ててくれた僕ら両親への感謝の言葉がありました。そして僕があえて話から飛ばしたお墓のことも披露しました。僕が唯一父から叱られ、その後母方のお墓に連れていかれました。「一人でご先祖様に手を合わせてこい」と言われたことがあり、僕のお化け屋敷怖がりは、そのトラウマですと、笑いを取っていました。
僕は、大きな悪さをしでかしたとき、何度か夜中のお墓に息子と行きましたが、必ず手を握って2人で手を合わせました。あんな山の中のお墓に1人で行かせるわけないじゃんと思いながら、宴会隊長である長男の話10倍の盛り上げパフォーマンスだなと思いました。
宴は無事終了し、最後にお見送りです。長男達を中心に僕ら親が両側に並びます。長男関係特に若い者を多く集めた宴なので盛り上がりました。やっぱり男の子は、盛り上げますね。新婦側の綺麗どころを上手に煽っていたような。「お父さんの話が一番良かったです」と抱きついてくるヤツもいます。僕の尻軽な雰囲気が、そう言うのも平気にさせるのでしょう。まあ、重厚さには掛けますが、息子に似て楽しい父親を出せたと思います。100点です。話好きのヤツが多く、しかも何度も回ってくるヤツもいて、なかなか列が進みません。宴終わりに意外に時間が掛かったかもしれません。
新婦側の親御さんと別れ、服装着替えに向かいます。長男から頼まれた荷物を地下の駐車場に運ぶと、二次会の練習に余念のない奴らがいます。二次会の方が盛り上がるし、面白そうなので覗きたいのですが、長男から「来んな」と釘を刺されています。家内を待つ間、披露宴会場の隣で始まった二次会を覗きます。ドラゴンボールがいるし・・・網タイツ履いたのもいるし・・・チャイナドレスのもいます。
家内が来たので、後ろ髪を引かれながら駐車場に向かいます。ところがハンドブレーキの場所がわかりません。長男に聞きに上がります。再びの二次会場ドア前には、出番を待つ花の応援団達がいました。う〜ん、これも見たいがな。会場に入るが、2人の周りには、入れ替わり立ち代り友人たちがいます。その度に飲まされて、長男も乗せられています。
素人ムービー担当の次男でしたが、二次会からは写真担当になったようです。「弟さんの方が男前やなあ」などと言われ、楽しんでいるようです。左足奥にハンドブレーキがあるようで、無事ホテルを脱出しました。長男が学生時代乗ってたセリカは運転したことがありますが、マツダCX7の運転は初めてです。よく出来た作りですが、僕には座席の高いワンボックスがいいな。
GPSに導かれ、長男たちの新居マンションに戻りました。お台場から車で15分ぐらいでしょうか。家内しかマンションに来たことがなく、その家内は方向音痴だから宛にならず、最後に少々迷いました。駐車場が屋上で、雨が降ってることもあり、そこから部屋までの道のりが遠かったです。マンション入口が今時のキーか部屋呼び出しで開けてくれないと入れない構造です。セキュリティーはいいけど、面倒だな。
ざっと片付けて、食糧補給に外に出ます。近くにすき家があったのでそこで丼を食べ、明日の朝食を隣のコンビニで調達しました。なんだかんだいい時間になったので、ニュースで天気予報をチェックし休みました。

ガサゴソ・・・「ん?」。お嫁さんが帰ってきたようです。すぐに夢の中に逆戻り。シャ〜・・・「ん?」、お嫁さんがお風呂を洗ってるようです。僕らの朝風呂に備えてかな?疲れてるだろうに・・・また夢の中へ。
5時に目が覚めました。家内も目を覚ましたようです。まだ早いしすることもないので、布団に横になりながら時間を待ちます。6時になり活動開始です。TVを点けて、いつも見てる政治番組に合わせます。家内も起きてきてガサゴソ。7時前にお嫁さんが起きてきました。「おはようございます」。
昨日は、ホテルの2次会の後、新橋に3次会に出て、12時でお開きになったそうです。息子は、お嫁さんは早めに帰るけど朝まで行くぞと言ってたのですが、12時で潰れたそうです。お嫁さんが「もうこれ以上ダメね」と思って、友人に付き添われて3人で帰ってきたそうです。友人は、そのタクシーで自宅に帰ったとのこと。息子も起きてきて、「残念やった」なんて言ってます。
朝の散歩に出ることにしました。2人の釣り場を聞き、そこも回りました。東京から駅で3つなので、もっと騒がしいと思っていたのですが、案外静かな立地でした。お隣には、大きなカトリック教会があります。
マンションに戻ると8時、お嫁さんが「うどんしか出来ませんが、食べますか?」とのこと。「昨日朝ごはん買ってきたから気を使わないで」なんて家内が言いますが、ここは甘えなきゃね。ここで遠慮するのは、かえって悪いです。きっと僕らの分を用意してるはずです。すかさず、「はい、お願いします」と僕。ササッと出てきたうどんは、美味かったです。初めてのお嫁さんの手料理ですが、息子が、「ほんま料理が美味いねん」と言ってるのがわかります。向こうのお母さんが、小学生の時から料理が好きで、毎晩必ず一品作っていたというぐらいだから、手際もいいです。
9時にお暇しました。次に向かうのは、集団就職の北の玄関口「上野」です。集団就職ってもう死語かもしれません。最寄の「JR潮見」駅まで歩きます。徒歩5分かな?東京に向かい東京駅の1つ手前の「八丁堀」で下車。地下鉄で上野に出ます。潮見駅の駅員さんに聞くと、東京まで出てJRで上野に出る方が安いようです。でも東京駅のような巨大駅は、乗換まで延々歩いたり、路線が多すぎて迷ったりするので、小さな駅での乗り換えの方が楽です。しかし、さすがに東京。八丁堀駅での乗り換えでのぐるぐる歩きました。JR自体地下だし、鉄道が地下で何層構造とかになってる感じで、地下3Fから地下2Fの鉄道に乗り換えという感じです。
「上野駅」到着。ここも巨大です。上野駅自体いろんな鉄道の上野駅があり、JR上野駅の更に南側に駅があったようで、JR上野駅の北側まで歩かなければなりません。上野駅交番で尋ねて、結局10分は歩いたと思います。「慨CS」さんで、スペイシーというホンダのスクーターを借りました。これを予約した決め手はリアボックスです。これがあると、家内が眠ってもおっことす心配がありません。
乗り物に乗るとすぐに寝る人だから気を使います。8時間3200円+ヘルメット2個2000円+車両保険1000円=6200円也。諸注意事項・満タン返し・車両取り扱い説明を聞いて、出発です。空は曇り・時折霧雨なのでカッパは要りませんが、防寒としてカッパ上下を着ます。今回のカッパは軽くて少しおしゃれなこともあり、登山用をチョイスしました。家内はシューズカバーもしようとしますが、そこまで要らないでしょう。結局雨は降りませんでした。
バイク屋さんのお兄さんに、最初の目的地「大手町」への行き方を地図を見せながら聞きました。R4「昭和通り」が、上野から東京駅の東側を通って浜松町まで通っています。これをメインルートに使えば、本日の目的地は簡単なようです。
R4をどんと南下し、「日本橋」で交差する「永代通り」を右折すると、もう大手町でした。「東京駅」のすぐ北側の高架をくぐると、正面が皇居です。皇居に近づくと一気に警官が増えました。機動隊車両もそこかしこに止まっており、交差点では無線で話す大柄で強そうな警官が立っています。総理大臣の警備とは雲泥の違いです。僕の爺ちゃんが近衛兵指揮官だったので、ちょっとそういう目で見てしまいます。警察官の中で選りすぐられた人たちなのでしょう。
レンガの東京駅は、修理中のようで覆いが被されていましたが、天皇さん専用通用門?周りだけが覆いがなく、あの趣きのあるレンガが見えています。皇居のお堀で写真を撮りますが、どうも警官が多すぎて、路上駐車のスクーターが気になります。ちょうどそこにはとバスの2階建てバスがやってきました。家内が「あれに乗りたい〜」なんて言っています。今にも雨が降りそうな曇り空なので、2Fの乗客はみなさん透明のカッパを着ています。屋根がないんです。皇居一周ランナーがたくさん走っています。
長男の職場の「大手町ビル」を探します。そこかしこに立ってる警官に萎縮しながら・・・「永代通り」の1本北の東西の通りで見つけました。家内が「あった〜」とビル正面に掲げられた会社の看板を見つけました。大きなビルなのに、他の看板はインショップの飲食店などの案内だけです。大手町・丸の内界隈のビルオーナー三菱グループだけど、こんな大きなビルを1社だけで使ってるとは思えないんだけど・・・。大喜びで「写真撮って〜」とか言って看板の横に立ってる人がいるので、ご要望に応えましょう。
そして次は、僕が楽しみにしてた「平将門の首塚」です。東京観光でどうしても見たかった所なので調べると、なんと東京のど真ん中で長男の会社から徒歩圏内です。200mはあろう長男の働くビルの皇居側の交差点に、首塚の案内が立っていました。そこから100mほど歩くとそれがありました。平将門は、平安時代950年頃、関東八州を手中に収め、京都朝廷の役人を追い出し、鎌倉幕府の前に最初の武家政権を打ち立てた人です。関東で独立国家を作ったのですが、西でその動きに呼応して京都に攻め上っていた藤原純友が京都に入っていれば、藤原氏主導の京都朝廷は倒れて日本最初の日本統一武家政権誕生になったかもしれません。
将門は、手薄な時を突いてきた田原藤太秀郷に討たれますが、戦闘そのものは1/10の兵力の将門軍の方が優勢で、崩れ立つ田原藤太本隊を追い立てる場面で流れ矢に当たって死にます。下野の田原藤太が京都朝廷の将門討伐将軍を立てていたので天皇軍だったので、将門は賊軍になります。そんな関係で、死後数々の厄を起こした将門ですが首塚は道端に碑と小さな塚が残る程度と想像していましたが、意外に大きく30坪ぐらいありました。しかも、リュックを背負った歴史好きと思われる方が数人、慣れた感じでお参りしています。ひっそりした日曜日のオフィス街に途切れることがなく訪問者があります。僕も、無骨で賄賂社会の京都では出世できなかったけど、武勇の将の将門は好きですが、こんなにも多くの人を惹きつけているとは思いませんでした。なんだか嬉しいです。歴史愛好者の集まりでしょうか20名ほどの団体さんが来られ退散しました。田原藤太は、後の戦国武将佐野氏に続き、母方の家系は佐野氏傘下の田沼氏の家老で、佐野氏の家老の家系の娘が嫁に来て僕の血の一部になっています。歩道乗り上げ駐車のスクーターはセーフでした。警官は多いので気になります。
次は「築地」に向かいます。「永代通り」を戻り「昭和通り」に乗り、更に南に向かいます。「銀座」を越え、「新橋」を東に入ると「築地」でした。「新橋演舞場」「国立がんセンター」と知った名のビルがあります。「築地場外市場」の所にうまい具合に二輪置き場がありました。神戸の南京町のように呼び込みが賑やかです。観光客も多く、楽しい街です。
目指すは、「北海番屋」。次男が設計したお店です。TVでも紹介され、食いしん坊番組で芸能人さんがやってきたとか。我が子の少しはお役に立っているのかも?オーナーさんに喜ばれ、海の幸をふんだんに食べさせてもらったそうです。しか〜し、好事魔多し。牡蠣が食べられないけど、断ると失礼なので勧められるまま食べて、じんましんに襲われたという曰く付きのお店です。ここで昼食を取る予定です。・・・が・・・なんとシャッターが閉まり、「臨時休業」の張り紙が・・・なんと・・・実に残念ですが、「きっと従業員さんの誰かの結婚式で皆さんで盛り上がっているのでしょう」と想像。
市場内をうろうろします。海の幸が破格のおねだんで山盛りになっています。テリー伊藤さんのお店もありました。「玉子焼き」のお店が多いです。呼び込みにつられて、マグロ丼のお店に入りました。怪しげな地下のお店でしたが、意外に店内はお客さんで一杯です。メニューを見ると、いろんな幸が乗ってるのがあったのでそちらにしました。1800円×2也。味も量もGoodでお腹いっぱいです。
次は、東京お上りさんの定番「東京タワー」です。適当に走れば見えるだろうと、上空に注意しながら芝の方に走ります。僕は3回目ぐらいだけど、家内は初めてとのこと。結婚前に東京勤めの僕に会いに来てくれた時に一緒に行かなかったかなあ?スカイツリーに抜かれるので、最後の記念として大勢の観光客が来られているのでは?と危惧していたのですが、意外に並ぶこともなく展望台に上がれました。820円×2。さすがに遠くまで見通せます。曇ってるので富士山は×でしたが、昨日の「レインボーブリッジ、封鎖できません」も見えています。日航ホテルも、フジTVも見えます。次に向かう六本木ヒルズに続く道路を頭に入れ、スカイツリーもしっかり見ました。
都内はやたら信号が多いです。バイク便がたくさん走っていますが、車より絶対早いね。スポーツ自転車もずいぶん多い感じがします。案外勾配のある坂が多いので、僕らだったら大変かもしれません。六本木ヒルズまではすぐでしたが、目指す「六本木農園ファーム」が見つかりません。レストラン・バー・農作物展示場で、バーと農作物展示スペースが次男設計です。ここのレストランは、予約を入れないと食べられない人気店だそうです。
探してる間に、次男の会社の自社物件のレンタル倉庫を見つけました。ここも次男設計です。写してもらうべく家内が案内板の横に立っています。パチリ。「う〜ん、ここらなんだけどなあ〜」・・・「ん?」・・・ありました。路地に入った所でした。なるほど、これを作ったんだ〜。次男の仕事は形として残るからいいね。家内は、うろうろキョロキョロ、あっちから見てこっちから見る。嬉しそうです。
六本木派出所向かいの郵便局前歩道に自転車とともに駐車しました。ここもセーフ。上野に10時に着いたはずなのに、もう2時半です。距離はそんなにないのに、子供たち縁の所なのでじっくり見たから、時間が立つのが早いです。早稲田の大隈重信は、僕の明治時代の先祖の三回忌記念誌の冒頭の言葉を書いてくれました。
衆議院議員時代同じ会派だったのでしょう。大隈重信像に会う。ミーハーだけど、東大の赤門を見に行く。お婆ちゃんの原宿・巣鴨とげぬき地蔵、両津警部縁の亀有公園前派出所、寅さんの柴又帝釈天、押上のスカイツリーと回る予定でしたが、到底無理です。夕方から雨という予報だし、第一家内は子供たち縁の場所を見たから、もう十分という顔をしています。
ということで、上野に引き返すことにしました。また昭和通りに戻るのも芸がないので、皇居の西・北側を走ることにしました。また物々しい警官が立っています。ラッキーにも国会議事堂横に出ました。警官と捜査車両だけが睨みを利かせている門の前で議事堂を写します。ほんまは門横に家内を立たせて写したかったけど、警察官の視線がきつくてやめました。観光客は誰もいません。一般人は僕らだけです。日曜日は、こんな風になるのね。
続いて、ラッキーかどうかわかりませんが、靖国神社前に出ました。ここの信号は、警官が数人います。ただ睨みを利かすだけじゃなくて、忙しく交通整理もしています。右翼の総本山は、どうもなあ。参りたくない場所です。皇居を一周した形になり昭和通りに出ました。ここから北上。上野のバイク屋さんを通り越して、満タン返しで教えてもらったGSで給油しました。東京観光交通費・208円也。「安〜」。
バイク屋さんに返し、預かってもらってた荷物を受け取り、上野駅に向かいます。今度は「JR上野」から1本で「JR浜松町」、ここからモノレールで「羽田第1ターミナル」。羽田のモノレールの駅は第1がJAL、第2がANA、そして新たに国際線駅もありました。
4時過ぎに空港に着いたので、発券機械に向かいます。1時間後の5時半の便に乗れそうです。長男が取ってくれたのは7時発でしたが、チェンジ。僕も飛行機の手順に慣れてきたかも?土曜日の伊丹発の時とは逆に、羽田は曇っていたけど伊丹は雨でした。
タクシーで10分、我が家です。二次会も少し見れて、今までで一番面白かった結婚式でした。ササッと片付け、あとの洗濯とかは明日からの家内にお任せして、僕はお終いです。家内はカメラで写真を見ながら、2日間を反芻しています。
羽田で、ご近所さんや従業員さんへのお土産を買いました。僕へのお土産に、披露宴で宣伝していた「らーめんdeSKY」シリーズを大人買いしました。宴会隊長の長男の事だから、自分で余興をするかも?と半分期待していたのですが、さすがにそれはありませんでした。

月曜日、メールを開けると、次男が撮った写真が届いていました。2次会の様子がたくさん写っています。こちらも100名以上いそうです。レオタード男子がいるし、チャイナドレスもいます。ドラゴンボールもいるし、花の応援団?集団もいます。シャネルズを歌ってるのかな?何故か長男が、フロアディレクター張りに、前で座ってキューシートを持っています。
抽選会があったようで、女の子が、真新しいピンクの折りたたみ自転車をまたいでいます。台風なのに、どうして持って帰るんや?まあ、ここで手を上げる男子はワンサカいるだろうから心配ないか。男なんて下心の塊だからな。大勢の仲間に寄ってもらって、幸せな船出になったようです。
いつになくたくさん涙を流してた家内・・・子育て卒業式なのかもしれないな。ご苦労様でした。まだもう一人次男もいるし、そして一番やっかいな旦那のあの世への見送りが残ってるから、よろしく。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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