ウェブマスター日記 April-June/2010

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2010/6/28
日曜日は、家内と小豆島に行ってきました。梅雨に入り、この週末の天気予報は、良くなったり悪くなったり日替わりでした。今月初めて家内と休みの合う日だったので、朝から何処かに行けます。でも雨なら、琵琶湖にプレインカレのサポートに行こうかと思ってました。
土曜日朝の天気予報では、梅雨前線が日本海まで北上し、阪神間は曇り時々雨の予報で、南の方なら雨はなさそうです。奈良南部や和歌山方面・・・「谷瀬の吊り橋」を候補にしましたが、小豆島の天気予報を見ると、1日中ずっとくもりマークです。小豆島なら自転車にも乗れるので、「夫婦で自転車」小豆島偏に決定しました。姫路-福田ルートのフェリーに電話予約を入れました。自転車ルートを決定するために小豆島観光協会を調べていたら、「二十四の瞳映画村」まで、内海湾を横断する渡し船があることを発見しました。早速映画村に電話を入れました。片道1人500円・自転車250円で、桟橋に船がいないときは、電話をすれば来るそうで、その電話番号も教えてもらいました。雨でなければ、なかなかナイスな演出が出来ます。
姫路港7:15発なので、家を5時に出ました。自転車の積み込み時は、小雨が降っていました。傘がいるような雨ではないですが、向こうもこんな天気なら、困ったものです。中国道・山陽道・播但道で姫路港に到着。6時20分だったので、チケット購入まで、しばし休憩。家内は売店で朝食を購入。どんなことがあっても3食きちんと食べる人です。
もやってる不思議な景色の港内を出港しました。車が6台だけで、二輪はゼロでした。車なしのお客さんを含めてもガラガラです。睡眠補充後、家島を過ぎると、雲の切れ間から太陽が覗くような天気になっていました。無風に近く海面に波はなく、この天気が続いたら最高だなあと家内と話します。
福田港到着。先月バイクで来た時と同じように、まずR436を南下します。海岸道路は高度を上げ、黒田藩が大阪城修理のための石を積み出したところに残った「八人石」遺跡を見学。続いて「南風台」で海岸線の眺めを楽しみ。と寄り道しながら、内海湾に出ました。天気は更に良くなり、渡し船に絶好のコンディションです。前日教えてもらった「オリーブナビ」を探します。オリーブナビの所を山側に登ると「オリーブ公園」があるようなので、まずこっちに上がります。
昔、子供たちと来たことがあると思いますが、南欧風の建物がポツポツ建って綺麗になっています。道の駅に車を置き、映画かドラマで見た「風車」を観に行きました。緑の芝生に、白い風車・・・絵になります。記念写真おば。横には、昭和天皇が植えたオリーブの木がありました。
「オリーブナビ」に下りてきました。車を置いて、自転車の用意をします。桟橋に着くと、渡し船がいました。船頭さんがいないかなと電話の用意をし出したら、船内に人の気配が・・・「すいません」と声を掛けると、お客さんの座る椅子を持って出てこられました。小型漁船に手すり等安全対策が施された船です。自転車を乗せ、出港。日が差し、無風の湾内を、揺れもせず快調に対岸の映画村に向かいました。家内も、気持ちいいの連発で、記念写真おば。
10分ほどで映画村桟橋に到着しました。ここで、いきなり休憩です。自転車を置いて、映画村突入。先月買ったのに、帰りの高速で落としてしまった「1000円均一メガネ」を、また買いました。オリーブサイダーというのがあったので、これも購入。土産物屋さんを冷やかして、映画二十四の瞳の岬の分校セットを見学しました。ここも子供たちと来たところですが、当時は、ポツンと分校のセットがあるだけでした。教室の勉強机に座る家内を写真に収めると、教壇に立ち出席簿を開く僕を写されました。職員室にあったノートに、来訪記念に一筆書き込んでおきました。
映画村の横にあるNHKドラマ「八日目の蝉」のロケ地になった蕎麦屋さんを覗いてみるが、営業をしていないようです。ここでお蕎麦を食べようと思っていたのですが、製麺所だけのようです。
ここからが、本日のメイン・イベント。対岸の「オリーブナビ」目指して、自転車を漕ぎ始めました。マルキンの大樽が並べられ、中に椅子が置かれ、バス停になっています。記念写真。平坦な海岸線の道が気持ちいいです。昨日の雨の名残りが、山から水の流れになって落ちてきて、何本も道を渡っています。日本って、ほんとに水に恵まれているなあと思います。
大樽がいくつも道端に並んでいます。櫓が建っています。黒い板塀の大きな建物の所に来ました。マルキン醤油本社です。板塀が続く坂道を家内に走ってもらい、やらせムービーに撮ります。先月バイク出来たとき、これをしようと考えていました。
無料工場見学をして、売店で先月と同じように「醤油ソフトクリーム」を注文しました。ベンチに並んで、冷たいソフトを頬張ります。家内は子供のように、ポタポタ地面に溶けたクリームを落としながら、「私、食べるのが下手なの」なんて言いながら食べています。溶けるクリームを見ながら、計画的に食べて行かねば・・・。コーンと一緒に紙も食べてるし、「あんた子供か」と突っ込みたくなりました。
甘いものでエネルギー補給し、後半戦スタートです。高松からのフェリーが着く草壁の町を過ぎ、案外楽に車に戻ってきました。20kmぐらいあるだろうと、このコースに決めたのですが、実測は13.5kmでした。「この倍ぐらいあると思ってた」と、家内も物足りなかったかもしれません。走行時間は1時間弱だし。
寒霞渓に上ることにしました。途中からケーブル利用もメニューにありましたが、「前にも乗ったからいい」とのことで、車で上がることにしました。小豆島の山は、石の山のようで、岩の山肌が荒々しく露出しているところがあります。「うわ〜」と目につくところは、皆同じのようで、・・番札所のお寺が建っていました。「二十番札所佛ヶ滝」に参ってみると、奇岩の下が手彫りされて、薬師如来さんがおられました。小銭を探ると、10円玉がない。50円ご奉仕させていただきました。この空間を手掘りされたとは、大変な作業だったでしょう。ハングオーバーな奇岩なので、地震で崩れないかの恐怖との戦いもあったでしょう。こんなことを、洞窟内で店を開いていたおばさんに教えてもらいました。前日は、大雨で休んでたそうで、今朝お堂を開けようと思ったら、お猿の糞が大量に残っており、開店作業が大変だったそうです。猿の一団が、雨宿りしながら遊んでいたとの推察でした。「この水晶はね・・・」「薬師如来さんは・・・足の痛みとか・・・」と、久々にやってきたお客さんの僕を逃すまいと、商魂たくましいです。
まあ僕もさる者、「ありがとうね」と満面の笑顔を残して退散しました。こんなおばちゃんがいるから、このお堂も保たれているのだろうし、何か購入したかったのだけど、食指の動くものはありませんでした。ごめんね。
ロープウェイ山頂駅に到着しました。子供たちをポニーに乗せて一周した場所です。もうポニーはいませんでした。家内が、「ここで流しそうめん、食べなかった?」。思い出しました。流しそうめん、しました。まだ小さくて上手に取れない次男は、文句を言ってました。ここで遅めの昼食にしました。家内は親子丼のセット。僕は、クリームコロッケのセット。小豆島特産の佃煮と素麺が付いています。多すぎて食べれないとの事なので、家内の素麺を横取りさせてもらいました。
「お猿の国」のある「銚子渓」に向けて下ります。奇岩の景色がいいです。「小豆島スカイライン」と名づけられた道でした。銚子渓駐車場に到着しましたが、お猿の国まで徒歩4分とのことなので、家内からキャンセルが入りました。「お猿がいるだけでしょう。また何か取られるし・・・」。子供たちと来たとき、家内の帽子に付いてた造花のお花を取られました。餌をあげようと買ったのですが、ポケットから出すやいなやお猿に取り囲まれて、次男は怖がってしまったような。ポケットに手を突っ込むほどの乱暴狼藉に遭いました。
「土庄」方面に、スカイラインを下りました。「あっ、猿だ」、驚かさないように車を停めると、猿は驚いて逃げるどころか、こっちに寄ってきます。餌をくれるものと思ったのか、立ち上がってるし。車に飛び掛ってきそうなので、車を動かして退散しました。また猿・・・この道路は、お猿のお食事乞いロードになってるようです。全く怖がりません。こっちが怖いです。
香川県道r26との交差点に出る頃、巨大な観音像が正面に現れました。「小豆島大観音」と呼ぶそうです。土庄の町に下りてきました。先月見た道だったので、難なくエンジェルロードに到着しました。「恋人の聖地」「天使の散歩道」です。沖のいくつかの島まで、干潮時に砂州がつながり、徒歩で行けます。手をつないで渡ると、愛は成就するのだとか。映画かドラマの受け売りです。上手に時間を使い3時を回っていたので5時の干潮に近づき、難なく渡れるように砂州が現れていました。「これからも頼む」という意味を込めて、2人で渡りました。でもさすがにハート型の絵馬を飾るのは遠慮しておきました。
「世界一狭い海峡」を見学していると、親切なおじさんが自転車を止め、解説してくれました。タクシーの運転手さんのようです。日頃、お客さんに説明しているのでしょう。r26を北上し、北海岸に出て東進します。「大阪城残念石記念公園」で、石切作業の解説を聞き、福田港まで戻ってきました。4時半到着。予約してた5時15分のフェリーに丁度でした。
7時前に姫路港到着。往路同様の道で帰宅しました。うまい具合に宝塚トンネルの渋滞が解消されて、高速1時間半の旅でした。

2010/6/21
今朝、出勤しようと玄関ドアを開けると、門との間のスペースに置いてある花菖蒲が二輪の花を咲かせていました。次々と、突然咲く花菖蒲なので、それ自体はどうってことないのですが、昨夜遅く帰った時は、しおれた花が3つもついてたのに、それが見当たりません。家内に、「しおれた花を取ったの?」と聞くと、「終わった花を摘みとると、また花が咲くのよ」という返事。「え〜、同じところからまた咲くの?」。「ほら、見て」と解説していただきました。確かに、摘み取ったすぐ横から花が咲いています。終わった花を早く切ることで、それへの栄養が同じところにある他の蕾に向かうそうです。これを毎朝家内はしていたようです。知らなかった〜。

最近、読書のペースが落ちています。暑くなってきて、僕の貴重な読書の時間の湯船での滞在時間が減ったからです。月4冊から2冊ペースに落ちました。最近は、中高生の時読んだ「天と地と」の再読以来、海音寺潮五郎作品ばかり読んでいます。「武将列伝」シリーズ・「悪人列伝」シリーズという歴史小説なんだけど、本格的な小説まで至らない資料集め段階で出てきたいろんな事実をも並列で書かれたシリーズ物を読んでいます。これらの資料を小説として書き上げた「平将門」と「風と空と虹と」(藤原純友)も、在庫として置いてあります。「風と・・・」は、古書しかないので、手にいれるのがちょっと大変でした。
そんな中、辻井いつ子さんの「親ばか力」という本を先週読み終えました。昨年、盲目のピアニストとして一気に有名になった辻井伸行さんのお母さんが書かれた本です。僕は「親ばか」が大好きです。辞書で「親ばか」を引くと、マイナスなイメージで書かれています。僕も、わが子の結果を良くするためだけに行動するモンスターペアレンツさんは好きではありませんが、わが子のやりたい事に協力を惜しまない「親ばか」さんは大好きです。僕の「親ばか」のイメージは後者です。
「夏の甲子園」で、大量点で負けていても、「がんばれ〜」って応援する親御さんが、それの代表です。「熱闘甲子園」という番組があります。選手の日ごろを紹介し、そして本番の試合をダイジェストで流します。その中に、各校の応援団が陣取るアルプススタンドが映ります。アナウンサーさんが、選手の親御さんにインタビューし、カメラがその姿を追います。僕は、どうもここに弱いです。毎回見ているわけではありませんが、1人で涙を流しています。勝敗には関係なく、カッコいいと思います。きっと、甲子園に行けずに敗退した地方予選でも、同じ姿があるはずです。
僕の今までの生涯でのベスト映画は、「ジョーイ」です。ハイズマントロフィー(全米学生アメリカンフットボール最優秀選手賞)を取り、プロでも活躍したジョンキャパレッティの物語ですが、キャパレッティの受賞記念スピーチをハイライトに、それまでの生涯が語られています。ジョンの父親は、家具職人です。真面目に仕事をしながら、シーズン中の週末は、遠くてもジョンの試合に家族で応援に行きます。経済的な支援は多く出来ませんが、いつも前向きな言葉でスランプになった息子に声を掛けます。
そして、ジョンの弟ジョーイの支援も惜しみません。ジョーイは白血病です。時々生死の狭間を行き交うジョーイに自信をつけさせようと、彼のやりたい少年野球チームの監督を引受けます。体力に乏しく、チームのみんなと同じように出来ません。でも時々代打に出します。三振でも、前向きな言葉をかけ気持ちを立ち直らせ、2人で笑顔で帰宅します。
実際にジョーイを病院に連れて行き看病する奥さんは、不安と恐怖でヒステリーにわめいたりします。そういう時でも、温かく奥さんの言葉を聞き、落ち着いて誠実に対応します。
ハイライトのジョンのスピーチで、弟のジョーイのことを語りだし、弟の頑張りには遠く及ばないと・・・。このスピーチは実話です。随分前に映画館で観た映画ですが、ジョンの人柄に感動したのと共に、その父親の生き方にもっと感動を覚えました。
『何があっても怒らない、僕もこんな父親になりたい』と思いました。ジョンの親父を理想像として、父親業をやってきました。僕の信念は、ここに何度も書きましたが、『豚もおだてりゃ空を飛ぶ』です。子供たちに怒ったことは、ほとんどありません。昨年長男がフィアンセさんを僕ら夫婦に紹介した時、「俺、親に怒られたことないんだ」と言っていました。それを聞いて、「親が怒ってる」と長男に伝わらなかったなと、嬉しくなりました。長男は積極的な子ですから、成功もいっぱいしましたが、それに正比例して失敗の数も多いです。小さな成功の時は、倍ぐらい褒め、「すごいな〜」と連発しますが、失敗には見なかったことにしていました。でも、友達にケガをさせたなどの時は、家長である父親の僕の出番だと思い、長男と2人で、出来れば相手の父親のいる時間に先様に寄せてもらい、僕が頭を下げました。長男に「頭を下げろ」とか「謝れ」とか言ったことはありません。でも、父親が何度も謝り頭を下げる姿を見て、「僕が悪いんじゃない」と突っ張ってた長男も自然に頭をさげるようになりました。車からゴミをポイ捨てした時、車を停め、2人でそのゴミを拾いに戻ったこともあります。対象物がないときは、仕事が終わってから、2人で家内の実家のお墓に参ります。なぜ夜中に、父親からお墓参りに誘われるかは、子供ながら分かります。その話はせずに、明るい話題の話をしながら、お墓を目指します。お墓に着いたら、真っ暗な土道を集落の墓地まで上り、線香を上げ、手をあわせて戻ります。懐中電灯と長男の手を硬く握り歩きます。そこから父親の言いたいことの何かを悟ってくれたら十分です。
前置きがすごく長くなってしまいましたが、辻井さんの「親ばか力」に書いてあったことは、当初目の見えない息子に悲観し、自分を攻めたが、この子のいいところに目を向けようとしていった過程です。そして、息子の好きなこと(音楽)を本気で応援し始める姿でした。まさに僕のイメージする「親ばか」、そのものです。

「親ばか力」で才能を引き出す10の法則
1、子供の可能性を信じる
2、よく観察し、才能の種を発見する
3、始めるのに「早すぎる」はない
4、思いっきり褒める、抱きしめる
5、ネガティブな言葉は使わない
6、ファン第1号になる
7、ひらめいたら即アクション
8、本物に触れさせる
9、いい先生を見つける
10、明るく、楽しく、あきらめない

辻井さんの本に書かれていたものですが、これな何も子育てだけに該当するものではないと思います。会社やチームの同僚や後輩にだって当てはまるように思います。僕が気を付けるようにしてるのは、4と5かな。家内以外は、抱きしめたら手が後ろに回るので自重していますが。

以前読んだ本に書いてあったことから学んだ知識ですが、赤ん坊が初めて表わす表情というのは、「泣く」です。これ1つで、「お腹が空いた」「お母さんがいなくなって寂しい」「痛い」「思うようにならない」などの表現をします。次に出てくるのが、「笑顔」で、「うれしい」「ありがとう」などを表現します。そしてずっと後になって、「怒る」表情が出てきます。著者は、これは人の本質的に大事な順番なのではないか?と書いていました。
単細胞の僕のように、映画館ではすぐに感動して涙を流すのは、自然な姿なんだそうです。良かったですね、褒められましたよ西田敏行さん。「かわいそうだ」「素敵だ」という感情から起こる「泣く」は、その人に自ら行動を促すものだそうです。「笑顔」は、その次に人を動かすもの。だから、周りを感動させ、笑顔にさせることが出来る人の周りから、素晴らしい人が出てくるのだそうです。
赤ちゃんが最後に得る「怒る」は、人にはそんなに重要でないものだそうです。「怒り」の感情を、怒りの表情と怒りの言葉でぶつけるのではなく、それを内に秘めながら、対象相手を感動で涙させる行動や、笑顔にさせる言葉に変換して伝えることが出来る人は素晴らしいそうです。僕も、これをどういう言葉や行動で伝えようかなと考えるようにしています。やりだすと、結構この作業は面白いです。
これは、文部科学省のスポーツ指導者資格試験の勉強中に、教科書に書いてあったことですが、人が最も早く行動を起こすのは、「痛みから逃れたい」。次に「辛い感情から逃れたい」など、辛いことから逃避の行動が最も迅速な行動を伴うそうです。次に来るのが、「楽しいことに浸りたい」という喜びへの行動です。
もう一つ、脳の記憶室の構造についても書かれていました。感情と行動をセットで記憶するようになってるようです。痛いときにやってた行動、嬉しい時にした行動、という具合に記憶されます。また、喜びの感情は引き出しの手前に、痛いは引き出しの奥にしまわれます。

親父から聞いた旧軍部の、ちょっとした失敗に対する往復ビンタなどは、行動を早くさせる最高の手段です。叩かれないように、言われたことをすぐしよう。でも、痛いと結びついた兵隊は、脳の奥にしまわれ、いつまでも兵隊と聞いただけで痛みが思い出され、自らそこに近寄ろうとしないようにし、避けようとします。
「嬉しい」や「喜び」と結びついて記憶された行動は、また嬉しいを感じたくて、自らその時の行動をやりだします。
子供の時、叩いて罵声を浴びさせて、促成栽培した選手は、当初良い成績を出しますが、痛みを避けるための行動から出たもので、自ら起こした行動の結果ではないので、長続きしない。少年時代から長く優秀な成績を残す選手もいますが、その裏で、多くの生涯そのスポーツをやりたくない人を作ります。生涯スポーツという観点から、「嬉しい」や「楽しい」など、良感情とスポーツを結びつけると、一時そのスポーツから離れても、また自分の意志で戻ってくるからと、これを奨励していました。
更に僕の経験では、失敗に怒ってばかりいると、失敗しないように行動が萎縮して行き、小さな成功を褒めていると、自分で考え積極的に自ら行動するようになります。
辻井さんの「親ばか力」と本質は同じですね。読みやすい本ですが、対人関係や子育てに悩む人には、1つの指針となる本だと思います。

日曜日は、京都ヨット部の練習に参加しました。4月は毎週新人勧誘試乗会の手伝いで京都と琵琶湖に通いましたが、5月は75周年とレース運営に参加しただけで練習への参加はゼロでした。6月も後半に入り、この日は家内が仕事で名古屋に行く日でした。朝6時半に家内を駅まで送り、その足で琵琶湖を目指しました。バイクで行く方が楽しいのですが、天気予報がイマイチなこともあり車にしました。
久しぶりの艇庫には、1回生の新たな面々が増えていました。人が増えるというのは楽しいことです。8時前に出艇です。体操をして、ミーティングして、円陣を組んで気合一発で出艇です。僕は、OBハラダ君とハーバーに向かい、レスキューボートで出艇。無風から2m/sの風の中で、練習しました。一番早い艇に合わせて、20回ぐらい連続タック・連続ジャイブをして、自艇の技量を高さの差などで自覚してもらいました。
風が弱いこともあり、早めに午前の練習を切り上げました。陸に上り、艇庫からの出艇水路に草や枝がはびこってきたので、そこの伐採作業です。「マストが引っかかって・・・」、大変だけど、木陰水路を通って出艇なんて、こんなジャングル出艇できるヨット部の少ないんじゃないでしょうか。数回は楽しいかも?
お昼ごはんは、女子マネ6人が作ってくれたおいしいごはん。かなりうまいと思いました。一緒に食べたOB達も、「これ、うまいなあ」と大好評でした。みんなのお変わりで、跡形もなく完食されていました。
午後からは、両手に花プラス花という、女子マネ3人に囲まれた「羨ましいだろう〜」出艇になりました。前半は風が弱く、さらに比叡山から流れてきた豪雨にさらされる展開でしたが、僕が持ってきたカッパが威力を発揮し、彼女たちを守りました。いつものバッグを乗せてきてただけですが、カッパは4組ぐらい入ってるから上々の首尾でした。僕の評価はうなぎ上ったでしょう。ナイスでした。
雨がやんだ後半は、6〜8m/sのブローを伴った三井寺の風が入り、さらに大津港からのいい風に恵まれました。セイルの形状チェックし、コントロールラインのアドバイスを送り、充実した練習になりました。練習艇に最接近してボートを動かしていたので、3人のマネージャーも、ヨット部員がカッコいいと思ったんじゃないかな?
風の弱いとき、新人マネさんにマークピックアップの運転練習をしてもらいました。最初は誰でも上手く出来ないので、練習あるのみです。レース練習の手順、ホーンやビデオをやってもらいましたが、覚えが早くいい感じです。
6時に帰着し、ミーティングで1回生への自己紹介、練習で気づいたことなどを話し、9時に家路に着きました。来週は、インカレ予選プレ・レースです。6〜8m/sの風で安定して走っていたので、その風が吹いたら良い成績が収められるでしょう。

この日曜日は、「父の日」でもありました。まあ僕には関係ないけど・・・なんて思ってたのですが、息子から「父の日プレゼント」が届きました。金曜日の晩、仕事から帰宅すると、家内から「荷物、届いてるよ」と言われました。開けると、「父の日プレゼント」でした。子供たちが小学生だった頃、学校で作ったプレゼントを貰って以来だと思います。「母の日」に届く家内へのプレゼントは、父親の僕も嬉しいものです。でも「母の日」があるからしょうがないので作られた感がある「父の日」って、こんな日いらないんじゃないのか?なんて思っていました。でも、いざ自分に届いてみると、やっぱる嬉しいものです。しかも中身は、「盆栽」。洒落が効いてて、家内と大笑いして喜びました。
盆栽といえば、サザエさんのお父さんの趣味で、なんだか僕がつるつる頭に毛が一本になったようです。家内に強制的に、盆栽との2ショットを撮られ、お礼メールに添付するように指示されました。

2010/6/14
6月は、ホタルの季節です。子供の頃は、都会の住宅地にある我が家でも、近所の環境がいいからか、年に数回ホタルを観ていました。もっともホタルではなく、「火の玉が飛んでた」と友達に言いふらし、自分でもそう思うようにしていました。謎の世界へ一歩踏み込んだ感じがたまらなかったように思います。家内に聞くと、「うちの方でも飛んでたよ。ホタルはわざわざ観に行く感じじゃなかったよね」とのお答え。
ということで、子供たちが小さな時も家族で観に行くこともありませんでした。ところが最近、ホタル・ホタルと世間で言うようになり、次男が独立し夫婦2人になったのを機に、友人がそこに住んでて前から聞いてた「西脇・畑谷川」に、ホタルを観に行きました。そこで観たものは、今まで観たこともない数のホタルの乱舞でした。「これは・・すごい・・・」。
それから毎年、数ヶ所観に行くようになりました。そして今年、日曜日から雨になり、梅雨入り宣言も近いと言うことだったので、この土曜日の夜、仕事を終えてから出発しました。向かったのは、羽束川。9時出発で時間もないので、羽束川で最も濃いと思う「r12後川」付近です。
家内を乗せて、木曜日やってきた新しい車の初走行しました。同じキャラバン・ワゴンですが、3000ccから2500ccになったので、トルクが下がってるのか登坂能力が少しダウンしたような感じです。6気筒から4気筒になったので、発進時の滑らかさが少し落ちたと感じました。でも、数回乗ったら、慣れてしまうでしょう。ゆっくり・ゆったり・のんびり運転なので、何ら問題はありません。
r12を北上し、「杉生」を越え、「西峠」の下りに差し掛かりました。もうすぐ、「三田猪村」だなあと思っていたら、道路脇を少し入った山際に鹿を発見しました。とっさに半急ブレーキ。万一の飛び出しを予想した条件反射みたいなものです。家内は、「えっ、どうしたの?」という感じです。「鹿がいたね」「見なかった〜」と残念そうです。
それから更にゆっくり走り、「三田猪村」に近づくと、懐中電灯を持った家族連れが数組歩いていました。ここらにもホタルがいるから、猪村に泊まりながらの「蛍狩り」のようです。
「後川」交差点を、「篭坊温泉」の方に右折しました。羽束川がこのr37の横に来たところがホタルポイントです。10時と遅いので、誰もいないかなと思ったら、車が2台停っていました。道が細いので、ギリギリに停めます。座席が前の車より高い感じがするので、家内に「気をつけて」と声を掛けます。真っ暗なので。
去年ここに来た時よりは少なめですが、それでもたくさん飛んでいます。カエルの声をBGMに、ゆっくりピーカ・ピーカ光っています。風が強めだったので、飛ばないのではと心配していましたが、山に囲まれているので、無風の好条件でした。しかも昼間晴れていたのに、雲が出て月を隠し、いい条件でした。
子供がホタルの光を追いかけ、「捕まえた〜」とお母さんに報告しに行きました。でも報告が終わると放していました。僕の子供時代は、捕まえたら家まで持って帰ったでしょう。最近の親子さんは、環境に優しいです。
15分ほどそこで鑑賞し、「篭坊温泉」にも行ってみました。去年は相当飛んでたのに、今年はイマイチでした。売りに出てた旅館が売れたようで、旅館の街灯に明かりが灯っています。明るくなったので、ホタルさんがこの場所を敬遠してるのかもしれません。R173まで、羽束川を遡りたかったのですが、10時を回ってるので帰ることにしました。
鹿とぶつかるとダメなので、ゆっくりr37を引き返しました。鹿よけ電気柵で守られた畑が続くところで、鹿発見。今度は家内も見ました。帰りのr12では、狸さんが交通事故に遭っておられました。ご愁傷様です。
ちょうどこの日の最初のお客さんが、「後川」に住んでおられる方でした。若い人がいなくなって生徒が減り、後川の小学校が廃校になったそうです。3つの小学校が統合され、小学生から路線バス通学なんだそうです。その小学生達と一緒のバスに乗らないと、2時間バスがないとか言っておられました。震災に遭って伊丹から引越し、大工仕事ができる旦那さんが後川に家を建てたそうです。その旦那さんが他界し、運転免許を持たない奥さんは、お変だそうです。ホタルを観に行く分にはいいけど、住むとなると・・・

日曜日はヤボ用があり、半日だけ家内とご一緒しました。ドラゴンのレース予定だったのですが、このヤボ用のためにまた不参加になってしまいました。家内は、有馬温泉に行く予定でしたが、僕と半日一緒出来るようになったので、「神戸ポートタワー」というリクエストを出してきました。「おっ、これは」と、ちょいと調べました。何を調べたかと言うと、ポートタワーの営業時間ではなく、カワサキワールドの開館時間。「PM5時まで」。前から、ここに行きたかったのです。
朝は降っていませんでしたが、昼からはあいにくの雨。しかも風を伴って、結構な雨量です。「ヨットの人は大変ね」と家内。まあレースになると気になりませんが、ヤボ用が入って、レースに行けなくなったのもラッキーかも。
「JR元町駅」で下りました。地図で大体の位置関係を頭に入れてきたので、まず「ポートタワー」目指して、南下です。傘をさしながら歩いていると、「あれ〜ココ」「寄り道しようか」「うん」、ということで、南京町中華街に入ってみました。お昼を回っているのに、商魂たくましく「お席空いてるよ〜」「美味しいよ〜」と、食べ物やさんのお嬢さんたちから声がかかります。ザーザー雨が振ってるのに、中国人はたくましいです。写真を撮りながら、冷やかしでお店に入りながら、端まで歩き引き返し、880円の定食メニューのあったお店で、遅いお昼にしました。焼き飯・餃子・フカヒレスープのフカヒレ抜きのセットを頼みましたが、これがうまい。家内は「辛いよ」と言われて挑戦した辛い麺料理・小龍包・?のセット。適当にお互いのを交換しながら食べましたが、こちらも美味でした。
チャイナドレスを家内に買わせてしまいました。「何処で着るの?」「家で・・・子供たちが帰ってきたとき、驚かせたら・・・」なんて言って。帰宅して、早速着ていました。僕はもちろん、「似あうねえ」「いいねえ」ってヨイショしました。あの足のスリットは・・・たまりません。
お腹を満足させて中華街を出て南下、R2にぶつかり「ポートタワー」が見えました。横断歩道がないので、海岸通りの趣きのある建物を見ながら西進してると、カンタベリー・オブ・ニュージーランドのお店がありました。「これ、おうちにあるね」と家内。「寄ってみる?」。「こういうの1つ持ってたらいいよ」なんて、デザインのいいのを勧められましたが、買ったのはステッカー2枚だけ1000円ほどでした。
R2を南側に渡って、「メリケンパーク」に入りました。天気が良ければ、大勢のお客さんがいるだろう所だったけど、空いています。さっきの中華街も雨なればこそ、ゆっくり散策出来たのでしょう。「神戸海洋博物館」に入りました。前には「ヤマト1」や「海洋探査潜水艦」などがありました。JRに乗ってる所から、車両に書いてある「川崎車両」を指さして、「神戸にある会社だよ」「川崎製鉄」「川崎重工」・・・と、家内の頭にカワサキの名前を刷り込んでおきました。
博物館内の船の精巧な模型とかを見ながら、「カワサキ・ワールド」の方に。入るといきなり、新幹線や船・バイクなどの川崎製品のイメージフィルムが、出迎えてくれました。男の子の心が踊ります。新幹線の運転席に座れます。よそのお子さんと一緒に、電車模型を動かします。ジェットスキーにまたがりパチリ。そして、市販カワサキバイクにまたがりパチリ。家内は、赤のニンジャにまたがってゴキゲンです。パチリ。帰宅してから、何処が一番面白かった?と聞くと、「カワサキワールド」、その中で何が一番面白かった?と聞くと、「バイクに乗ったこと」、と答えていました。気に入ってくれたようで良かったです。ここは、男の子を連れてくると1日遊んでそうです。僕だってもっといたかった。雨でお客さんが少なかったから、いろんなことが出来て良かった。お客さんが多かったら、子供を押しのけて出来ないからなあ。
やっと「ポートタワー」にたどり着きました。「JR元町駅」から徒歩15分なんだそうですが、「カワサキワールド」を出たのが、閉館アナウンスがあった5時だから、3時間以上かかりました。エレベーターで展望台まで上りました。雨で遠くは見えませんでしたが、眼下のホテルオオクラ・海洋博物館・モザイク・観覧船・・・なかなか良い眺めでした。海洋博物館とタワーの間に、黄色い自動車が止まり、お客さんが降りています。2家族だけ。水陸両用市内観光車ですね。いつか乗ってみたいです。港内観光船は、自前の船で家内と去年巡ったのでパス。
「JR神戸駅」まで歩き、帰宅しました。よく歩きました。でもとても楽しい市内探索でした。こういうのもいいね。

2010/6/7
先週の金曜日の朝・・・「今度の日曜日、何か用事ある?」「今度はねえ・・・」。お仕事ガラミがあるそうで、振られてしまいました。「淡路島スクーター2人乗り一周」とか、「小豆島夫婦で自転車」とか、「夫婦で自転車、明石から自転車道偏」とか、持ちネタは随分貯まってるのに残念です。
「ごめんね〜、せっかく誘ってくれたのに」なんて恐縮されておられます。せっかく天気が良さそうなのに・・・僕のこの傷心な心を慰めねば・・・。まあ、こういう状況も歓迎なわけで、「バイクで海岸線ツーリング・丹後半島偏」を決行することにしました。ヨットのコーチやレースだと、家内の都合など関係なく予定を入れるのに、「1人でバイク」は、どうも気を使います。免罪符を得たので、コースを練りました。
海岸線側を走るために、「網野」から時計回りに「天橋立」までのコースです。ざっと、丹後半島までの往路100km・丹後半島一周100km・復路100kmという距離です。地道・峠道・細道・旧道好き+寺社寄り道謂れ読みが、僕のツーリングスタイルなので、1日200〜250km程度が多いのですが、300kmを越えそうな感じです。お尻は大丈夫か?クラッチを握る左手は大丈夫か?不安な部分もあります。

日曜日は、朝5時前に目を覚ましました。早速着替えて、準備を始めます。ウエストバッグに、お財布とETCカードを入れます。バイクにETCを付けていないので、高速道路の料金所では、ニュートラルにして手袋を外して、通行券を出して、お金を出してと結構面倒です。そこでクレジットカード決済するのですが、阪神高速など、このカードが使えない料金所があります。でも何故か、ETC付きのカードだと決済可能なので、新たにカードを作りました。一眼レフを持っていくかどうか迷ったのですが、バイク便ボックス内で場所をとるので却下。
VTR250に乗り込み、最寄の「宝塚IC」から高速に乗りました。150kgと軽いバイクなので、80km/hを越えてくると風の影響が増します。100km/hとかだと、神経をすり減らしながらの運転になるから、出来れば高速道路に乗りたくありません。でも、300km走ろうとすると、距離を稼がないといけないので仕方ありまあせん。巡航75〜80km/hで走ります。遅めの乗用車の後ろに付いて走るのが楽ですが、そういう車はそんなにおらず、トラックの後ろにつくと、巻き込み風が左右から襲ってくるので、単独で走る方が楽です。
当初、中国道-舞鶴道-綾部宮津道で、「天橋立IC」まで行くつもりでしたが、「福知山IC」で下りました。料金2500円から1800円にケチりました。福知山から、R9・R175を少々走り、R176に乗りました。ここからムービーONです。ツーリングマップルに「快走路」と書かれている通り、交通量も少なく気持ちよく走れました。「大江山」を過ぎました。大江山といえば、酒呑童子の鬼退治。大阪渡辺津の渡辺綱、静岡県足柄山の金太郎とおなじみの坂田金時など四天王を従えた清和源氏の源頼光が、見事退治しました。
与謝野町に入り加悦。福知山ICで下りた目的は、ここに来ることでした。加悦は丹後ちりめんの中心地で、そこにSL広場があります。廃線になった鉱山鉄道を記念して作られたそうで、SLや廃車両に乗ってみようと思ってました。しかし、ここで誤算です。朝早すぎて、まだ開いていません。車両レストランがあるということだったので、ここで朝ごはんを予定していました。囲いの外からSLなどを写し、旧駅舎の窓から中を覗いただけに終わりました。そこの地図にあった加悦市街地を巡ってみました。待ち行く人は殆どいませんが、丹後ちりめんと鉱山で栄えた町だけあり、お寺や街並みが立派です。こんな田舎に、こんなに人口密集していたのか?と思う街並みでした。
R312に乗り換え、福知山から少しの間並走していた「北近畿タンゴ鉄道」とまた並走するコースになりました。r17でタンゴ鉄道と一緒に「網野」にゴールしました。ここからが、本日のメインディッシュ丹後半島海岸線の旅が始まります。「淡路島一周」「小豆島一周」同様、できるだけ海岸線を走りたいと予定を立てています。基本、R178が海岸線を走り天橋立まで引率してくれるのですが、バイパスもたくさん出来ているでしょう。海岸の漁村を経由する旧道などを地図で調べ、主な地名をメモしていますが、舗装されてるのか?など出たとこ勝負のところもあります。R176に入ってからONにしてるGPSも頼りにしましょう。
家族で海水浴に来たことがある「琴引浜」を過ぎると、道は徐々に上ります。R178を逸れ、「間人」の集落に入ってみます。徐々に素敵なリアス式海岸線の姿を見せていましたが、ここは絶景でした。「立岩」という巨大な岩が海岸線から離れ、でも砂州でつながっています。ここの海水浴場に来たこともあります。思い出しました。謂れが立ってたので読んでみました。ここの地名は「まびと」ではなく、「はしうど」と読むそうです。古墳時代末期、蘇我氏と物部氏との抗争から、用明天皇の后・間人皇后が領地であるこの地に逃れて来たそうです。それが地名の由来のようです。
ここからは、絶景の連続です。高い山が一気に海岸線に落ち込んでいるので、「みごと」としか言葉が出ません。おまけに上天気で風が殆どありません。まるで夏の日本海です。少し走っては、激写タイムの繰り返しでなかなか先に進めません。「こんなペースで大丈夫なんだろうか?」と思いながら、時刻はまだ10時前なので余裕です。
思っていたより丹後半島は小さく、「あれっ、もう?」という感じで、最北端「経ヶ岬」の看板が目に入りました。もちろん寄り道です。経ヶ岬駐車場には、7〜8台の車が停まっていました。まだ早いので、車なんて1台もいないと思っていました。バイクを停めるとまず眼に入るのが、大砲のような大望遠レンズがセットされた一番レフです。2人の方が少し離れて、同じ方向を凝視しています。
「なんだ?これは。海岸線の絶景は素晴らしいけど、こんな望遠レンズはいらんやろ」です。「左手に経ケ岬灯台が見えます」看板に誘導されてそちらを見ると、真っ白な灯台が山肌にしがみついてるように見えました。「何を撮ってるのですか?」「ハヤブサ」。ハヤブサの営巣地らしく、「覗いてみ」の言葉に促されて覗いたレンズの中心に、ハヤブサがいました。肉眼では全く見えない、持ってたコンパクトデジカメでも見えないハヤブサが、画面一杯に広がっています。大砲望遠レンズの威力はすごいです。一眼レフ本体も立派なので、全部で100万円を越す機材なんじゃないでしょうか?
その方の言葉によると、今年は抱卵に失敗したんじゃないかと言う事です。足元の崖下にも巣を作るそうで、親鳥が帰ってくると雛の鳴く声が聞こえるそうです。今が抱卵や幼鳥を育てる時期なんだろうか?雛鳥のいる時期は、ここにズラッと大砲が並ぶそうなので、「今年はあかんわ」のこの方の言葉は真実のようです。後で別のところでも、崖で大砲を構える強者集団を見ました。カメラの設置されてる場所が、転落防止柵の向こう側です。すごい趣味の方もいるものです。まさに命がけです。
ちょうどその時、「飛んだ」の声が大砲の所有者から出ました。もう一人が即座に反応して、ハヤブサの飛翔を追いかけます。姿を捉えたのか「シャシャシャシャ」、一眼レフ特有の連写音が聞こえます。「カッコいい」東側の山の頂上に、防衛庁のかドーム型の大きなレーダーがあります。西側の崖にある「経ケ岬灯台」に行ってみました。上り下りの坂を歩き出しました。道に人間のようなウンコが落ちています。「ありゃ、猿がいるのかも?」。時折聞こえる奇声がサルの声に聞こえて仕方ありません。素敵な灯台でした。
明治31年、富国強兵策の一環として、ここに灯台が設けられたそうです。レンズも特有のもので、その重いレンズの回転をスムーズにする最新鋭技術が施されているそうです。それは、フランス万国博覧会に出品されていたものを、フランスから購入したそうです。灯台の建物の入口には、「明治31年12月」の右から書かれた銘板が打たれていました。映画「新喜びも悲しみも幾年月」に使われたそうです。灯台守の映画ですね。今は全自動で灯台守がいません。
先に、まだ灯台を巡る道が付いていましたが、ずんぐりしたクマバチが僕を威嚇するように、目の前でホバリングしています。スズメバチのように獰猛ではないので、安心して謂れを読んでいましたが、それ以上行くのは自重しました。6月初めなので、やっと女王バチを中心にした巣作りが軌道に乗り始めた時期で、「産めよ増やせよ」の時期です。盛夏の我が営巣の大発展に向けて、働きバチが破壊者には命を捨ててきます。親父が子供の頃、クマバチに脳天を数十ヶ所刺されて死ぬ思いだったというヤツです。スズメバチだったら死んでましたね。さされて沖を行く漁船の白い航跡が、青い海に映えています。
駐車場に戻る途中、往路聞いた声を追って木陰を見ると、小さな小猿がいます。お猿さんの集団が、一匹また一匹と、通り過ぎて行きます。やっぱりあの糞は猿のだったんだ。
次は、「伊根」に向かって南下です。駐車場に戻り、トイレを済ませ、用意しながら、少し前に入ってきたオフロードバイクの方に声を掛けました。「伊根の方から来られたのですか?」「そうです」。「あの〜、できるだけ海岸線を走りたいと思っているのですが、伊根までの道でR178より海岸線を走れる道があるかご存じですか?」「ありますよ」。
よく丹後半島に来られるようで、かなり詳しく教えてもらいました。この方は、丹後半島の中心にある「碇高原」に上がると言っておられました。風車があり、風車内にまで入れるそうです。「ありがとうございました」「お気をつけて」、定番の挨拶で分かれました。今度来るときは、風車に行ってみましょう。道路をがけ崩れから守るシェルターが設置されていました。崖っぷち道路の連続です。最初にここに道路を通した人たちは、どんな恐ろしい気分で作業をしたのでしょう。
さっきの方に聞いた「浦嶋神社」看板に従って、R178を逸れました。「浦島太郎伝説」の地です。拝殿に、絵馬・酒樽と、よくあるものが奉納されていましたが、ガラスの入れ物に入った木製の船の模型と、藁で作られた船も奉納されていました。そして極めつけの奉納品が、海亀の甲羅です。この神社ならでは、でしょう。横の小学校の校庭には、消防車が20代ぐらい集合しており、消防団の催しをやっていました。
教えられたように、海のどんつきまで行って右に曲がりました。「小さな橋を渡り、山に入っていきます。舗装されていますよ」と言われていたので、安心して入っていきましたが、事前情報がなければ撤退していたかもしれません。車はほとんど通らず、素晴らしい道でした。この道でも、ゴー・ストップを繰り返しながら、激写三昧でした。無理してでも、一眼レフを持ってくるべきでした。真下の海の透明度と言ったら・・・
この道、少し広い道に出たなと思ったら、そこが「伊根」でした。お決まりの舟屋の道を走ります。お祭りをやってるようで、沖の船から賑やかな音が聞こえてきます。黄色の遊覧船が湾内を回っています。道の駅「舟屋の里伊根」で、昼食にしました。海鮮御膳1500円。伊根湾は、南側に開いた湾だそうで、潮の満干きが30cmしかないそうです。だから舟屋なんて出来るのですね。毎日数メートルも干満差があるところもあるのに、30cmとは驚きです。東西と北が山に囲まれ、冬の北風に伴った大波も入ってこない天然の良港だそうです。昼ごはんを食べ始めたのが、11時過ぎでした。目標の日没までの帰宅は余裕です。「天橋立」で観光して、帰路の高速道路利用もナシでいいかなという気分になってきました。

宮津湾沿いに下ります。対岸の半島も回ってみようかなという気持ちになってきました。次男のOP時代、なんども半島にあるヨットハーバーにレースで来ました。懐かしいなあ。「ヨットが浮いてるなあ」・・・「結構多いなあ」・・・「あれっ?今日ってOPの関西選手権じゃなかったっけ?確か開催地は宮津」・・・これは、寄らねばなりますまい。
「天橋立」に寄ろうと思いましたが、バイクでも有料駐車場に入れなければならなさそうです。ということで素通り。出発時に満タンにしましたが、もう230kmも走ったので、給油することにしました。6L・・・満タン13Lのまだ半分です。
半島西岸を北上し、宮津YHに寄りました。山口ナンバーの車もあります。遠くから遠征して来てるようです。バイクを駐車場に入れてヤードの方に行くと、兵庫ジュニアのテントがあります。琵琶湖の奥村さんが、単眼鏡を覗いています。
テントでお菓子をもらい、多くの親御さんに挨拶出来ました。西村さん・鄭さん・前野さんとは、先月の琵琶湖に続いてです。息子の大学ヨット部の先輩の奥村さんの奥さんや、同じく先輩の抜井さんにも「はじめまして」の挨拶が出来ました。
田中さんから、VHF無線機の有無を聞かれました。美紗樹ちゃんが遠征するヨーロッパ選手権のNORに、VHFを持って来いと書かれているそうです。プロテストの呼出しとかサービスで連絡してくれるそうです。運営側から見ても、各国チームが持ってたら連絡が簡単ですね。
本日の3レースを終え、レース艇が戻ってきました。コーチボートや運営に出ていたお父さん方も戻ってきました。次男と同学年のお嬢さんをお持ちの宮津の大江さんがいました。ジュニアのお世話をずっとされているようです。ご苦労様です。宮津で大江山と同じ大江の苗字をお持ちなので、ご先祖の話など聞いてみたい人です。

ということで、辞することにしました。息子との遠征当時「車では行けないよ」と言われていた道に突入しました。海岸沿いを通って、半島の東海岸を南下します。確かに車で走ろうとは思わない細道でした。そのまま海岸伝いに由良まで走り、R178で由良川左岸を遡ります。由良川が福知山を通るので、道は簡単です。でも車も増えてきたので、楽しくはないです。右岸に県道が走ってるので、そちらに渡る橋を物色してると、前の車が1台1台消え、大型バイクの大集団に追いついてしまいました。30台ぐらい互い違いに並んで走っています。信号で止まりました。「ぐえ〜」、並んで止まるのはやだなあ〜。この交差点を左折して、対岸に渡りました。r55が右岸を福知山までつながっています。この道、交通量も少なく、信号もなく、快走路でした。
福知山城のところで、R9に合流し、舞鶴道に乗りました。鈍足バイクで耐える高速巡航の始まりです。「西紀SA」で休憩しました。バイクがわんさかといました。50台ぐらいのハーレーなどアメリカン中心の大型バイクの集団です。アイスクリームを食べて、遠目で出入するバイクを見ていると、大型バイクの年配夫婦?タンデムが、ポツポツいることに気づきました。奥さんを落とさないように、リアボックスを付けておられます。僕のリード110と同じです。排気量が全然違うけど。
トライアンフの旧車が発進しました。小さめの燃料タンクと低い座席。ギア変速が、なんと手動です。左手を左足元に下げ、そこでギアチェンジするようです。「すげ〜」。アメリカンな大集団の方々の視線も釘付けです。アイスを食べ終わり、GPSと車載カメラを片付けていると、大集団さんにも動きが始まりました。1台1台と、出て行きます。大集団に囲まれて走るのは、勘弁願いたいので、皆さんが出るまで待とうかとも思いましたが、日本メーカーの高性能バイクではないので、案外ゆっくり走られます。
速かったら抜いてってくれるだろうと、そのまま出ました。4気筒の高性能大型バイクには、一気に抜かれましたが、結局アメリカンな集団さんとは遭遇しませんでした。僕より前に出た方々にも追いつかないし、大多数の後続集団にも追いつかれませんでした。
宝塚トンネル14kmという毎度おなじみな渋滞情報が電光掲示されていたので、「三田西IC」で下りることにしました。1150円。この日は400kmほど走りましたが、ガソリン代は、1800円ほどです。でもフルに高速道路を利用したら、往復で5000円もかかります。往路よりさらにケチりました。渋滞に突っ込んでも、バイクだからそれ程困るわけじゃないけど、ここからr68利用の混まない道の開拓のためです。
見知ったr141で「JR新三田」まで出て、r68〜r33で「長尾山トンネル」に抜けましたが、r720で「ウッディータウン」から新三田に抜ける方が近道でした。r68がまだ工事中なので、一旦西谷農協に出て、r33利用でr68に戻るルートが迂回路に指定され、少々交通量が増えていました。でもバイクなので、スイスイと。
まだ5時前なので、バイク屋さんに寄って、ライトを少し上向きに調整してもらいました。メンテナンスの方が一目見て、「ライト下がってますね」って、チョチョイと直してくれました。バイク用品店で、シガーソケットを付けて貰ったときに、ライト電源から引っ張ったから、その時の締め付けが足らなかったようで、少し下向きに動いていたようです。
帰宅すると、家内がまだ帰っていませんでした。7時頃、蛍狩りに誘おうと思っていましたが、6時頃帰ってきた家内はお疲れそうなのでやめておきました。来週のお楽しみにします。風のない曇った日があれば、突然の蛍狩り決行もいいでしょう。

2010/5/31
日曜日は、新西宮YHでの「A級西日本選手権」の手伝いでした。今月の日曜日は、VTR250で淡路島一周・小豆島一周と2週間バイクツーリングし、琵琶湖でヨットレース運営・ヨットは雨で中止になったけどヨット同窓会、そして今日と家内との時間を持ててないので、夕方から「夫婦で映画」のメニューを組みました。レース観覧船担当ということだったので、家内と一緒でもいいな思っていたのですが、自治会の掃除の日で、また家内だけに任せてしまいました。
天気もいいので、リード110で西宮に向かいました。7時集合ということだったので、6時過ぎに家を出ます。7時前に艇庫前に行きましたが、学生の練習艇やA級レース艇は並んでいますが、艇庫のシャッターが閉まってて、運営と思われる人が誰もいません。係留桟橋に向かい、エ号のエンジンを掛けたり始業点検して艇庫前に戻ってくると、シャッターが開いてテーブルが出され、事務局のミヤザキさんがいました。
8時前にレース委員長のナカジマ君中心に、運営艇ミーティング。続いて、レース開会式。ウメノさんがオクムラさんといます。ウメノさんは、にわか関西法友会メンバーになってレースに出るそうです。シンタニさんとエ号を係留桟橋から、ディンギーヤード前桟橋に移動しました。
係留場所がないなと見てると、コボリさんから「ジャッキーに横抱きしいな」と指示が飛びました。エルシノアは、2マークとコース短縮時のフィニッシュボート担当なので備品を取りに艇庫前に行こうとすると、後輩の学生マネさん達が持ってきてくれました。アウター担当の八ちゃん号に、ハナサキさんとシバタさんが乗っておられます。「う〜む、この船は濃いなあ」、「おはようございます」「お〜」と挨拶を済ませ、エ号に戻ります。
出ようとすると、「本部船3人じゃきついなあ。こっちに1人回ってくれへんか」とコボリさんから。メンツを見て、最年少の僕が移ることにしました。ナカジマ君・ヤマオカさん・コボリさん・僕の4人で本部船担当です。レース海面に向かいながら、ササッとフラッグを用意し、ホーンを確認し、担当も割り振り終了。皆さんレース慣れしてるので、ア・ウンの呼吸で自発的に動かれ、ポイントを押さえているので楽です。
レース委員長のナカジマ君は、無線と全体指示&スタートスリット。ヤマオカさんが一番重要な時計&ホーン、コボリさんと僕がフラッグ、記録は僕。安定した高気圧の中、朝から北の4m/sが吹いていたので、11時ぐらいに風が落ち、風向が南に変わるのを予想し、9時から北風がなくなるまでに、2レースやってしまおうと予定を立てました。
第1レースは、70°4m/sで無事終了。スタートもオールクリアでした。フィニッシュ後多くの艇が乗員を入れ替えます。ここでトラブル。エ号から乗り移るときに艇を沈させたようです。そんなの関係なくレースをすればいいのですが、ここがA級レースのすごいところで、沈上げを待ちます。選手の平均年齢60台、80歳以上の選手も参加する大会です。学連出身者が大半なので、卒業年度が物を言う世界です。レースのルールより、卒業年度ルールが暗黙の了解で勝る?とも言われています。レース運営の僕らでは、先輩の1艇を切るわけにはいきません。遠くで必至にアカ出ししてる姿を見ながら、エ号に乗ってたら、「僕が代わります」とバケツを持って沈艇に乗り移って、濡れていただろうと我が身の幸運に喜びました。
第2レースも、70度4m/sでスタートしました。でもスタート前、110°とか風向がフラフラし、風速も安定感がなくなってきたので、スタート後すぐ、エ号にコース短縮の準備指示を出しました。またもや幸運です。ウインドラスの付いていないエ号に乗ってたら、僕がアンカー上げ担当でした。しばらくして返事が帰ってきました。「フィニッシュ担当ということは、アンカーを打つんですよね。アンカーの調子が悪くて・・・」。「アンカーの調子が悪いって・・・?」、僕にはその意味するものが分かりました。本部船に乗ってた方、皆さんも苦笑いしています。「はい了解、こちらで考えます」。エ号のトラブル?なので、僕がフィニッシュ記録を持って3マーク担当のインフレータブルに乗り移ります。3マークの方は、神戸のOBで日頃はJ24に乗っておられ、ホワイトレースでは鴻池さんのOTENNTOSANに乗っておられるそうです。エ号からフラッグを貰い、下マークに急ぎます。レース艇は、上マークを回って落ちた風に苦しんでいます。下マークでフィニッシュラインを設置し、2マークを回り再び吹き出した軽風に乗って近づいてくるレース艇との頃合いを測って、S旗とホーンでコース短縮をお知らせしました。
2レース前から、赤灯台の方で練習してる船は南風を受けていました。レース海面と赤灯台の間で、北と南の風が喧嘩してるいつおかしな風になっても不思議じゃない状況でした。レース艇のフィニッシュを待っていたかのように、南風が優勢になってきました。本部船に戻ると、既にレーシ海面は南風になっています。しかもいきなりレース出来る風速です。実にラッキー。
第3レースは200°4m/s、第4レースは220°5m/sの西宮の安定したマゼで、いいレースが出来ました。スタートも1度ゼネリコがあっただけでした。1時以降はレースを行わないという帆走指示書だったので仕方ないですが、普通だったらもっと出来る状況でした。レース艇から、「もう1つやるの?」とか、「もっとやろうよ」の気持ちが伝わってきました。選手の諸先輩方も楽しかったでしょう。
陸上に上がり、お弁当を貰い、閉会式後浜を辞しました。ナカジマ君が、アウター担当の八ちゃん号に気を使いながら指示を出していました。母校OB会の元会長さん2人と彼の現役時代の監督が乗ってるから。3レース目から、寝坊で遅れてやってきたカトウ君がそれに乗り、指示が楽そうでした。遅れてきたとは言え、ブレザーでアンカー上げは、きつかったかな?久しぶりに会ったモリモトさんや、ウメノさん・オクムラさんと談笑でき、楽しい浜でした。
3時頃の帰宅になりました。ちょうど家内が出かける所だったので、荷物を入れ替え、リード2人乗りで伊丹に寄り、JR尼崎に向かいました。目的の映画は、ココエ尼崎で「RAILWAYS」です。ウィンドウショッピング&軽食お茶して、映画を観ました。この映画、「ALWAYS三丁目の夕日」と同じ制作集団ROBOTの作品で、とてもいい映画でした。夫婦・母親と息子・父と娘、いろんな家族との関係を濃すぎず、さわやかにサラッと描いています。監督&脚本さんの名前が僕と同じだったので、これからもこの人に注目していきたいです。家内が「珍しいねえ。あなた以外に初めて見たわ」だって。戦国武将さんにはいるんだけどね。主題歌はYumingで、家内は「ユーミン、昔のに戻ったみたい」と喜んでいました。僕もデビュー当時の数年間の作品から、随分音楽の雰囲気が若者受け風に変わり、イマイチな印象を持っていました。この主題歌はいいです。

2010/5/24
日曜日は、幼稚園の同窓会でした。当時としては珍しい3年保育だったので、3歳から通いました。今の僕の年齢から3歳を引いたら、なんと半世紀もの長い間の友達です。両親が亡くなった今となっては、世界中で一番長い間付き合ってる連中ということになります。
西宮市にあった「西宮幼児生活団」という特殊な保育園で、本部は東京で、日本中に姉妹校があります。大学まで持ってる独特の教育方針に基づいた教育をしています。「独立心を養う」がキーワードかも知れません。歩いて通う子は少なく、僕の学年でいえば、15名全員電車・バス通学でした。最初は、親と一緒に通いますが、親がついていける場所がどんどん園から遠くなり、4歳児で自宅から1人で通うようになります。今では安全面で考えられませんが、実際に僕も電車とバスの定期を首からぶら下げ、名前と住所を書いた名札を胸に付け通いました。
4歳児でも慣れてしまうと平気になるもので、駅の電車の時刻表と時計を見てまだ大丈夫と、友達と寄り道して帰ったりしました。ある時、競輪の車券がプラットホームにたくさん落ちており、拾って箱に詰めていました。夢中で箱に詰めていると、駅員さんに拉致されてしまいました。駅長室に監禁されていると、友達とうちの母親がやってきて、強烈に叱られました。どうやら親が捜索願を出し、駅員さんに発見されたようなのですが、僕にしてみれば、ちゃんと帰る電車があるのを確認しながらの道草だったので、心外でした。でもまあ、5歳の子が夜7時になっても帰ってこないわけですから、仕方ないですね。
保育園での毎日のお昼やおやつ、クリスマスプレゼントなども、みんな親の手作りという教育だったので、親同士も仲良くなり、小学生の僕らの同窓会を出汁に、年に1度母親達が集まってワイワイしていました。いつしか、親だけと子どもだけの同窓会になり、現在に至るというわけです。
毎回持ち回りだったのに、ここ数回は僕が幹事をしています。母親の訃報が聞かれるようになり、僕が卒園生を代表して供花の手配とかしてるので、永久幹事みたいになってきて困ったものです。今回は、母親の人数もパワーも落ちてきたので、母親も子供の同窓会に呼ぶことにしました。さらに配偶者もOKと。場所は新西宮YHで、「ヨットに乗せて」という婦女子の希望を入れて、2時間ほどクルージングして、レストランでダベリングというメニューにしました。幼稚園の年齢の頃なんて、女子の方が強いのが普通なので、女子からの希望が出ると受けざるをえません。
日曜日は、僕の雨男パワー炸裂で、朝から大雨でした。よってクルージングはナシになり、関西ヨットクラブ2Fレストランで、食事やお茶を飲みながら、5時間に及ぶダベリングになりました。母親の参加もあったので、当時の情けない裏話も暴露されました。男が僕一人だったので、「よく泣いてた」「10円玉を飲んだ」など、集中砲火を浴びました。まあ、ベスト3の泣き虫だったのは自覚していますが、僕より情けないヤツもいたのに・・・。
お泊り勉強で混浴したこともあり、旦那さんより先に僕がヌードを拝見させてもらってるけど、情けない姿も披露してるので、会った瞬間から、「こんにちは、・・です。その後お変わりは・・・」なんて言葉はなく、いきなり「あんた〜」で始まる仲なので、飾りっけなしの本音トークでした。同席していた家内の僕への印象度は、たぶんがた落ちになったでしょう。まあ事実だから仕方ないです。

その前日の土曜日は、コーチしてる京都ヨット部の75周年記念行事でした。70周年同様、琵琶湖周遊船ビアンカを借りきってのパーティーでした。金曜日の夜、仕事を終え帰宅すると、いつも台所用事とか寝る準備とか自分のことをしてる家内が、玄関にお出迎えしてました。「え、どうしたん?なんかあった?」と驚いて聞くと、「ターくんが帰ってくるんだって」と。次男が帰ってきたのかと、そのお出迎えだったようです。まあ、負け戦に決まってる子供と張り合うつもりはありませんし、そういう家内の姿も微笑ましいものです。12時過ぎに駅に迎えに行き、一緒にラーメンを食べて帰ってきました。
土曜日は、2人で車に乗って大津港に向かいました。次男の学年はまとまりが良く4人集まったので、9時半から受付です。今回は、大津港での華やかなチアリーディング&むさい学ラン応援団のセレモニーで幕が開きました。関係者以外のそこに居合わせた方々も喜んでいました。
トミエさんのプロデュースの元、4回生マネさんのマリエさんが司会進行をして、副学長など来賓挨拶、豪華版の昼食デザートタイム、ビデオ等披露・・・楽しい周遊になりました。ちょうど、関関同立定期戦が行われており、おなじみのスピンが開いていました。先月あった次男同期同士の結婚式2次会で、知り合った元マネさんの2度目のデートが翌日あるとか・・・いろんな楽しい話題もありました。70周年は、次男がキャプテンで挨拶してたから、あれから5年も経ったのですね。

いつも同様、楽しい週末でした。そうそう、車を買い換えることにしました。現在車の1台前のホーミーがお気に入りでしたが、長男がぶつけて廃車になりました。長男も次男も学生で新米ドライバーだから、どうせまたぶつけるだろうと、現車の中古車に買い換えました。お気に入り車が、ディーゼルで燃費がよくトルクもあり、パートタイ4WDで雪道でもOK、更にマニュアルミッションと、僕の希望するものが全て揃っていましたが、現車は形だけは同じキャラバンですが、ガソリン・2WD・オートマチックと不満の残るものでした。でも、「中古車だって十分だなあ」と思わせる性能でした。
でも寄る年波には勝てず、来月の車検を前にいよいよ乗り換えを検討し始めました。僕の希望のフルサイズワンボックスは、ハイエースかキャラバンしかなく、両方共新車にはワゴンがありません。ディーゼルだったらバンになり、座席配置と乗り心地が気になるし。もう一度車検を通して、ディーラーから噂で聞いてる今年発売の新型キャラバンのラインナップを待つことも考えましたが、どうやら最近の社会情勢もあり延期されるという話が入ってきて、去年のラインナップまで出てたキャラバンのワゴンに的を絞ることにしました。
ハイエースのワゴンはアルファード、キャラバンのワゴンはエルグランドという別の車種になって売られているのですが、どちらも鼻が出てて、室内が狭いです。3座席目を立てて自転車を積んだりする使い方をするので、これはダメです。となると僕の使い方に合う車の選択肢は、1年前まで新車ラインナップにあったキャラバンシルクロードだけになってしまいました。
調べてみると、メルセデスのワゴンのように、2列目は簡単に取り外し出来、2・3列目とも、前後に長くスライド出来るようで、現在乗ってるキャラバンより、荷物スペースが広く取れます。ハイエースの方がカッコいい外観だと思うのですが、使い勝手はキャラバンに軍配が上がります。トヨタは、2台前に乗ってたハイエースの細かい故障の多さが気になり、できれば日産車に乗りたいし。1〜2週間に1度ぐらいしか乗らない車なので、勿体無い気もしますが、寿命なのでまあ買い替えもいいでしょう。
ディーラーでいろんな車を見ましたが、最近の車は、どうもオーバークオリティに思えて仕方ありません。標準車と思われる車が、200万円オーバー、300万円ってどうなの?軽自動車なので、170万円って信じられません。内装が豪華すぎませんか?細かい小物入れがちょこちょこ付いてて確かに便利だけど、そこまでいるか?という感じに見えます。これじゃあ、若者がクルマ離れするのが分かります。日本車が外車と変わらない値段になって、利幅は大きいだろうけど、台数のパイが増えず、若者のクルマ離れでむしろ縮小していくから、輸出で稼ぐしかない。新興国の元気のいい会社が、走る・曲がる・止まるはしっかり押さえてるけど内装や使い勝手のロークオリティ低価格車を日本に輸出してきたら、ある層は雪崩を打ってそちらに流れるのではないかな?
僕なんて使いこなそうなんて思わない、あれもこれも出来ます操作の複雑な日本製ビデオデッキから、一定層が撮る・再生するに機能を絞った製品に移ったように。

2010/5/17
日曜日は、琵琶湖に行ってきました。先月は、大学ヨット部の新人勧誘で、日曜日毎に通いましたが、今月は初めてです。「京滋四大学」という定期戦なのですが、参加校の滋賀大経済学部の主催登板だったのですが、ヨット部員不足により、主催が回ってきました。監督が、「大きなフリートでのレース経験を踏ませる」「レース数を多くする」の考えのもと、広く参加校を募ってオープン化しました。
僕もこの考え方には大賛成で、日頃から監督と話していました。レベルアップには、いろんなやり方があると思いますが、監督やコーチがいくらワーワー言っても、本人のやる気に勝る強化策はないと思っています。ミスを細かく指摘して技術を上げるのは、それに打ちのめされない選手の強い気持ちや、それに打ち込む思いがないと、そのスポーツが嫌いになり、気持ちが離れるという逆効果になります。
やる気を高めるためには、大きな失敗には目をつぶり、小さい成功を褒めるのが一番だと思います。まだその競技の本当の面白さに気付いていない間は、これがいい。本人のやる気を上げるのは、練習を積んで自分への自信を付けるのも大切ですが、もっと早い道がレース経験です。否応なしに、自分の今のレベルを客観的数字で知ることができます。その結果を、自分のベースにして、その後の練習につなげればいいだけです。
TVゲームだって、ピコピコの早打ちの練習ばっかりしていても面白くありません。ゲームの点数を励みに、早打ち練習をすると、その練習も面白くなったりします。勉強だって、暗記ばっかりしていても面白くないけど、模擬テストに挑んで点数や席次が示されると、暗記を頑張ろうと思うものです。

さて、琵琶湖に何で行くかですが、車・電車・バイクと3つの選択肢があります。レースの時は、予備ブームやセールを支援艇に積むことがあるので車となるのですが、今回は主催校で、所有コーチボート等みんなレース運営艇になるので、それがありません。小さな自転車を持っての電車も考えましたが、バイクで行くことにしました。
数年前に、50cc原付での20kmでの限界を知った通勤ジョグ行のリベンジで、新規導入通勤リード110で行くことも考えましたが、既に50kmは腰もお尻も平気なのを経験してるので、VTR250で田舎道経由を選択しました。
前夜は、いつものように目覚ましも掛けずに就寝しました。7:45運営艇会議なので、起床時間によっては車になります。いつものことで、こういう日は余計に早く目覚めます。4時過ぎにお目覚め。4:45にVTRのエンジンに火を入れました。服装が微妙な季節ですが、冬装備の春ジャンパー変更+ライジャケで出発しました。
r13を北上し、池田からR173少々、R423で亀岡を目指します。伏尾の辺の谷間道が、大都市近郊国道とは思えないいい感じで、高度が上がると秋は紅葉の山・春は新緑の山といろんな景色が楽しめる道です。ただ、亀岡盆地に下りるところがつづら折れに近い感じで下るので、後ろに車がつかれると気を使います。僕は下りの大きなカーブでのかなりスピードを落とすので、車には迷惑だと思います。
R423に乗ったところで、ムービーONにして、快調に走り出しました。休日の5時台ということもあり、マイペースで走ることが出来ました。最後のヘアピンも難なくクリア。これだけでバイクで来た甲斐がありました。気持ちイイです。穴太寺を過ぎ、R372に合流。亀岡市内でR9に乗ったところでムービーOFFです。
R9・京都市内は車が多くてつまらないです。R9の難所「老ノ坂峠」も、遅いトラックに捕まったゆっくり集団に入ったから難なくクリアしました。ここは、速い車に煽られるときついカーブが続きます。京都縦貫道に乗れば、ここを通らずに済みますが、有料だからパスです。「民主党の高速無料化が実現せえへん」と、かなり文句を言われていますが、大海峡を渡る橋以外無料化になったら、ただ通過するだけの急ぐ車は元高速道に流れ、普通の道はずっと走りやすくなると思うんだけど。田舎の集落内を走る主要道に広くカーブの少ないバイパスが出来たら、一気に集落内の道が安全に気持ちのいい道になるのと同じ原理です。まあ、もうすぐこの京都丹波高速道路は無料化されるので、R9線の交通量は減るでしょう。
桂の地名が現れ「千代原口」を過ぎました。京都の西の玄関ですね。外敵から都を守るために、兵や細工を施したであろう場所なので、散策するといろんな故事にまつわる旧跡に出会えそうです。
山陰道R9は、京都市内に入ると東海道R1に名前を変えます。6時前に市内に入りました。亀岡周りで1時間だったら上出来ですね。交通量と信号の多いR171で真っ直ぐ来るより、気持ちがいいです。早朝ということもあり、R1は空いていました。混んでたら、北上して金閣寺から東進し、山中越で比叡山を横断して琵琶湖畔に出ようかと考えていたのですが、そのままR1を五条経由、山科から湖西道路で北上して柳ケ崎ヨットハーバーに着きました。
5時出発7時柳ケ崎着を予定していたのですが、7時前着だったので、まだ閑散としていました。OPのレースもあるので、子供やその親がいるかなと思いましたが、流石にまだ早かったようです。バイクを置いた旧競艇施設横に戻り、ハーバー施設壁に置かれたノーティスボードを見ていると、学生が出てきました。主催校だから、準備などもあり、早くから動いているようです。
することもないので艇庫前でうろうろしていると、OPを積んだ横浜ナンバーの車が入ってきました。「横浜からですか?横浜ジュニア?」「いえ、横浜から引っ越してきたのでナンバーは横浜ですが、今は兵庫ジュニアです」「えっ」・・・「マエノさんでした。わが子君の後輩ではないか」。兵庫ジュニアのHP担当だけど、芦屋には何年も顔を出していないので、名前だけでお顔を存じないメンバーが増えています。土曜日学校だったようで、日曜日1日だけ参加のようです。わが子君も土曜日は授業がある学校だったので、よくこのパターンでした。1日風待ちで、ただ遊びに行っただけのレースもありました。
親も子も楽しくて、ついついはまってしまいがちなOPの世界ですが、学業優先のこういう姿勢が僕は好きです。無限の可能性を秘めた子供の人生の将来を考えると、小さい頃のヨットの成績なんて小さなことです。いろんな行動から、親の考え方が背中から伝わります。子供は親の喜ぶ顔がとても好きです。親が、自分の何に喜び何に悲しい顔をするか、何に怒り何を褒めるか、これが子供のその後の生き方に大きな影響を及ぼすと思います。
コマキさんに声を掛けられました。琵琶湖ジュニアの艇庫前を見ると、OPの艤装が始まっていました。琵琶湖ジュニアの子達でしょう。OPの子達の輪に入って喋りたかったのですが、大学のレース優先です。学生や監督さんと話していると、マサヒロくんがやってきて、「今日だけのエントリー出来ますか?」「いいですよ。エントリー費払って手続きを」「1日だから、エントリー費は半分の1000円でいいですか?」「あかん」。さすがニシムラさんとこの子、しっかりしてます。
最初下マーク担当と聞いていたのですが、監督さんと一緒に本部船に乗ることになりました。朝一番こそ、風が弱く海上でAPを上げましたが、10分後には北風は弱いですが、観測所以遠も続いているのでクラスを上げました。風の強弱、北から南への振れ、三井寺からのブロー、めまぐるしく変わる琵琶湖の風の中、最終3時スタートまでに、1日で7レース実施出来ました。2日間で10レース、いいですね、こういうの。選手は昼食を食べる暇もありませんでしたが、レースを堪能出来たでしょう。風があるのに、安定しないを理由に風待ちが続くレース風景は、かなわんです。1日ぐらい昼飯を抜いても死にはしません。
土曜日は、ゼネリコが多数出たようでしたが、この日はゼロ。僕がスタートライン・スリットを見ていましたが、数レース数艇のリコールだけでした。ゼネリコは本部船を選手がナメていることでもあります。舐められないように、10艇ぐらいまでなら、読んだろうと意気込んでいました。安易にゼネリコにしたら、次も「どうせゼネリコ」だと思って、高止まりしたまま全体を引っ張り上げる数艇に負けてしまいます。
京都の2回生女子マネ2名の他に、同志社の3&1回生マネージャー、志賀大経済2回生女子プレイヤー、同志社・京都などの新入生プレイヤーが、本部船に乗っていました。滋賀経さんが時計を担当し、フラッグ・ホーンは1回生。時計係は、とても優秀でした。本部船の時計係がしっかり時を告げていると、本部船が締まります。指示も的確になり、フラッグルーチンも混乱なくいきます。3・4回生部員がゼロで、1・2回生で6名の部員だそうですが、早く部員を増やして、レースに復帰して欲しいものです。同志社3回生マネさんは、さすがにしっかりしていて、行動が的確で無駄がないです。京都の子も多くを学んだでしょう。レースがスタートしたら、1回生にいろんな話をしました。京都が7人、同志社はなんと16人も新入生を獲得したようです。1回生同士もいろんな話をしており、どこの学校も部員が増え、ヨットをそしてレースを楽しんで欲しいと思います。
レースの方は、固定本部船要員だったので、あまり見ることができませんでした。春まで部員部速だった同志社は、フクモトコーチがスナイプクルー、ヒョウドウコーチが女子をクルーにしてスナイプスキッパーで出場していました。さすがにヒョウドウ氏、トップが目につきました。圧巻は、最終10レース。スタート即タックのポート走り合いが想定される極端なアウター有利の風の中、艇団の本部船側・スタートライン中央付近からスタートし、右に伸ばして行きました。三井寺の定説右への振れ戻しに期待したのでしょうが、さすがにあのスタートじゃあかんやろうなと思った通り、第1マークは中番手だったようです。ところがランニングレグ近くまで上マークに向かって左に振った風で、サイドマークでノンジャイブで外に出し、次の右への振れ戻しでジャイブして、レグの内側に入った上位集団を一気にごぼう抜きし、下マークで2位まで上がりました。結局トップホーン。
7レースも出来たので、運営している方も満足感に浸りながらレースを終えました。最終レース後、本部船に挨拶に来る風景は、いくつになっても気持ちのいいものです。審問が1件あり、6時半閉会式になりましたが、楽しい1日でした。そうそう、表彰式でプレゼンターをしました。僕は2位へのプレゼンターだったのですが、470級2位が同志社のナラ君で兵庫ジュニア出身。スナイプ級の2位が同志社のニシムラピーちゃんで琵琶湖ジュニア出身。OP出身者達へのプレゼンターになりました。琵琶湖ユースレガッタに参加した兵庫ジュニア現役の子や、ニシムラさんやチョウさん達親とも少し会話出来て、OPな1日でもありました。
帰りは暗くなるので、高速でワープも考えましたが、明るいヘッドライトに変更してから夜道を走ったことがなかったので、往路同様亀岡回りにしました。亀岡当たりで夕闇に包まれ始め、三日月と金星が夜空に綺麗でした。帰りもR423では芸がないので、R372からR477に入り南下し始め、r106に折れ、r12まで西進し、r12・r33・長尾山トンネルコースで帰りました。2時間20分ほどでした。
次の土曜日は京都ヨット部75周年、日曜日は幼稚園同窓会ヨット、再来週はA級西日本運営観覧船と、3週連続でヨットです。海のいい季節になってきたので、天気のお恵みを頂きたいものです。

2010/5/10
日曜日は、小豆島に行ってきました。予定がキャンセルになり、家内は、仕事で大阪なので、先週に続き、バイクでどこかに行けます。先週、上天気の中、淡路島でとても気持ちのいいツーリングを楽しめたので、瀬戸内海で2番目に大きな小豆島を一周する計画を立てました。
小豆島行きフェリーは、岡山県の日生から出ています。今まで何度も小豆島に渡ったけど、いつもココでした。なんとなく日生の町が好きだったりします。でも今回は、250ccという高速道路を走るには小ぶりな交通手段なので、できるだけ高速で走る時間を減らしたい。神戸と姫路からもフェリーが出ていました。でも神戸は、到着が昼になるので却下。必然的に姫路港出発に決まりました。
始発便が7:15、2便が9:45発で、所要時間は1時間半。7:15に姫路に着くには、余裕時間も含め5時出発がいいようです。全部高速を使わず地道で2時間。半分高速の中国道・阪神高速北神戸線・第2神明・加古川バイパス・姫路バイパス経由で、1時間半。全部高速利用の中国道・山陽道・播但道経由で1時間。と調べがつきました。

こういう日は、早く目覚めるもので、4時に目覚めました。流石にまだ暗いです。ゴソゴソ、用意をし出しました。車載ムービー用カメラ一式、カメラ、タンクバックにツーリングマップル、GPS、通勤服の下は冬支度、プロテクタージャケット、膝・脛プロテクターに身を固め、VTR250のエンジン始動です。
5時に出発出来たので、時間的余裕は十分ありますが、フェリーが混んでたら始発に乗れないかも?と考え、高速1時間コースで行くことにしました。宝塚ICから乗り、順調に姫路まで来れました。時速75〜80kmなので、抜かした車は2台、抜かされたのは無数。GPSに「姫路港」と設定しといたら、ばっちりフェリー乗り場でした。
直前で抜かされた大型スクーターも、フェリー乗り場だったようで、係の方の誘導に従ってバイク置き場に停車しました。先客はナシ、「へ?3台だけ?」、もっと混んでると思ってたので拍子抜けでした。建物内に入りますが、早すぎたようで、切符売り場が閉まっています。朝の用足し・朝食のお寿司購入等をしながら、時間を潰します。片道2710円也。走ってる間は適温だったのですが、待ってる間に暑くなってきて、バイクに戻り脱いでると、乗船合図があり、バイクでは僕が最後の乗船になりました。さっきのスクーターさんの連れさんが2台増えて、バイクは全5台。自転車が1台。家内の自転車と同じエスケープR3でした。増えたバイクは、ホンダ・モンキー。僕が高校生の時初めて砂浜で乗ったバイクです。当時のモンキーより大きくなっていますが、今でもバイクの中では、最も小さなサイズです。1台のモンキーは、ボアアップされてるようで、ナンバープレートの色が違います。タンクが茶系ゴールドでカッコいい。
船内は、車も少なく空いていました。白装束の方々がマイクロバスで、ご乗船。お寺さんも2人乗っています。小豆島八十八ヶ所巡りのようです。他に、もう1台白装束の方が乗ったバスがあり、お若い女性も数人乗っておられました。島内で、何度も白装束のお遍路さんを見かけました。ブームですね。下船案内が流れるまで、長椅子で横になって寝ていました。
9時に、小豆島北東部「福田港」に到着しました。海は至って穏やかでした。下船し、まずはトイレ休憩。フェリー乗り場でバイクを停めて、用を足して出てくると、さっきのバイク4人連れさんから声を掛けられました。VTRのハンドルに付いてるカメラに興味を持たれたようです。「それで、写真写すんですか?」「いえ、ムービーを撮ろうと思って」。「それ、ナビとかをセットするやつですよね」「そうです。部品を変えれば何でもくっつけられます」。「どっちから回られるんですか?」「時計回り、しようと思っています」「じゃあ、同じだ。後から追いかけますね」「では、お気をつけて」。で、出発しました。
何度か小豆島に来ていますが、東海岸を走るのは初めてです。R436を南下します。小豆島に国道があったんだ。殆どが中央線のない道路で、高度のあるところを走ってるので、海への視界が開けた場所だと、眼下に絶景が広がります。「八人石」という所がありました。小豆島から、大阪城の石垣用にたくさん積み出されたようですが、積み出されずに残った石が、無造作に転がっています。その石には、石矢の跡や烙印が残っています。写真を写していると、さっきのモンキー一家に抜かれました。30代の友達グループという感じで、気さくな感じです。
「南風台」というところに来ました。眼下の景色が抜群です。道端には、藤の木がたくさんあり、ちょうど満開で、この日は1日中楽しめました。R436は、南東部の半島をショートカットしますが、僕は半島南端の「大鼻角灯台」に向かいました。舗装路が切れていたら引き返そうと思っていたのですが、細いなりに舗装されており、ほとんど交通量のない道をのんびり走れました。
半島を海岸線の道なりに西側に回り、この半島から更に西に出ている半島に進みます。この半島に、壺井栄の「二十四の瞳」の舞台「岬の分校」があります。途中、大樽が2つ横にされて並んだ場所がありました。中にはベンチがあります。ここは、ボンネットバスのバス停だそうで、観光シーズンになると、ボンネットバスが運行されているようです。僕が子供の頃は、女性車掌さんが乗ってるボンネットバスだったので、また乗ってみたいです。
映画の舞台になった、「岬の分教場」がありました。1971年に廃校になったようです。中を見学しようと思ったのですが、入場料が800円だったっけ?パスです。もう少し先に進むと、映画村がありました。駐車場には、あのモンキーが停まっています。道路を隔てて向かい側には、NHK「八日目の蝉」ののぼりがはためいています。主人公の檀れいが勤めていたおそば屋さんのようです。「小豆島手延素麺製造直売処さわだ」となっており、現役のお店で撮影されたようです。今回、小豆島に来ようと思ったのも、この番組の影響です。まさかあのお店に出会えるとは思っていませんでした。
映画村に入ってみました。700円。1987年に映画化された時のセットを、保存してるようです。中央に小さな川が流れ、今にも腐ちそうな船が浮いていました。川を覗くと、鯛などが泳いでいます。コブダイがお客さんの餌に群がっています。「壺井栄文学館」や、岬の分校がありました。子供たちが小さな時、家族でここに来たことがあります。ポツンと分校があっただけだったのに、映画村となって賑わっていました。何でも1000円のお店で、度数1.00のメガネを購入。
中にいたモンキーさん達に声を掛け、「八尾ナンバーでしたけど、八尾から姫路まで走って来られたのですか?」「まさか〜、軽トラに載せて来ました」。外に出てお土産を購入してバイクに戻ると、モンキーさん達が出発準備をしていました。「高校生の時、最初に乗ったバイクがモンキーだったんですよ。写真、撮っていいですか?」「ええ、もちろん」。とバイク並びから出して、どうぞと広いところで2台並べてくれました。たっぷり改造されており、オリジナル部分は殆どないとか言ってました。フレームだって長いし・・・世界に1台のモンキーですね。嬉しくって仕方ない風です。次は「エンジェルロードやな」と言いながら、出発して行きました。土庄の島にかかる砂州。カップルで手をつないで渡ると、願いがかなうと言われてる恋人の聖地ですね。野郎4人で手をつないで渡るのでしょうか?
元の半島まで戻り、土庄目指して海岸線を西進します。「安田」というところに、「醤の郷」というところがあり、マルキン醤油がありました。雰囲気のいい板塀を写し、売店で「讃岐うどんつゆ」を買いました。素麺つゆが欲しかったのですが、ありませんでした。「醤油ソフト」というのがあり、買って食べてみました。醤油味のソフトクリームと思いましたが、店員さんに前もって聞いた通り、カラメル味でした。うまいです。工場見学も出来るようでしたが、パス。
福田から、半島をショートカットしてやってきたR436に再び乗り、西に向かいます。「小豆島オリーブ園」の所から、南に突き出た半島に入って行きました。また細い道をぐにゃぐにゃ巡り、半島の南端「釈迦ヶ鼻」に向かいます。そこには「地蔵崎灯台」というのがあり、素晴らしい景色が広がっていました。断崖の入江に、ヨットが1隻アンカリングしていました。昼飯でも食べに来たのか、あるいは1泊か、出艇準備をしている様子です。砂浜がないので、プライベートアンカリングポイントですね。贅沢。
半島の海岸を巡って、またR436に合流しました。子供たちが小さい頃、孔雀の集団飛行に驚いた「孔雀園」がありました。が、なんと閉園したとか。小豆島は、さすがに淡路島より小さく、次の目的地まで「あれっ?もう着いた」という感じです。西に向けて走り出すと、すぐに土庄の地名になりました。
目指すは、「エンジェルロード」。僕もモンキー組同様カップルじゃないけど、ここは押さえておかねばね。「天使の散歩道」となっていました。バイクを停め、歩き出します。昼ごろ干潮なので、砂州が顔を出し、バッチリ渡れます。エンジェルロード入口には小屋が建ち、中を覗くと、「恋人の聖地認定記念」の自動販売機がありました。ハード型の絵馬が出てきて、何やら書いて横の絵馬掛けに掛けるようになってるみたいです。絵馬掛けにも一杯掛かっていましたが、そこらの木の枝にも鈴なりです。この絵馬、500円は安いです。「恋人の聖地、約束の丘展望台」というのもありました。階段が続いています。しばらく、エンジェルロードを歩いてみました。4つの島が砂州で繋がってるらしいのですが、2つ目の島の手前でUターンしました。前も後ろも、手をつないだカップルで、1人で歩いてるのが、あほらしくなりました。お邪魔虫、この上ないです。大小様々な洞窟が口を開き、確かに天使の散歩道です。ここは家内にお土産を買って、カップルで来たような気持ちにしました。特産の「小豆島素麺」と「天使の散歩道クッキー」。
南西の半島も、海岸線を一周してみました。と言っても、ほんとは半島じゃなくて、1つの島だそうです。一周して土庄まで戻ってきたら、小豆島本島とこの島を隔てる海峡がありました。海峡の幅は、5mほどでしょうか。世界一狭い海峡として、ギネスブックに載ってるそうです。島周遊の途中、学校脇から砂浜を渡り、砂州でつながった小さな島に渡る、連なった鯉のぼりが泳いでいました。
土庄から、フェリー乗り場の土庄まで30kmの標識がありました。島を斜めにショートカットする道です。「斜めに入って1時間か、乗る予定の便の出発は15:15。現在13:00過ぎ。海岸線を回ると、遅れるかなあ?」と思いながら、最悪、2時間後の次の便でもいいかと思い、海岸線を行くことにしました。
家島と同じように、大規模に山が削られている所などもあり、なかなか面白い海岸線でした。石材運搬船でしょうか、大きな本船が海岸近くまで来て停まっています。結構水深があるんだ。交通量が殆どないので、自分のペースで走れるのがいいです。
「日生」から来るフェリーの着く「大部港」が近づくと、我が家の最初のキャンプ地「田井浜」の看板がありました。懐かしいです。テントと飯盒を買って、臨んだキャンプですが、お隣のキャンプ装備に愕然としました。バーナー炊事が当たり前のようで、飯盒でご飯炊いてるキャンパーは殆どいません。それから、毎年我が家のキャンプ道具が充実していきました。子供たちは、まだ幼児でした。あの頃のことを彼らはもう覚えていないでしょう。
もうすぐ「福田港」なんだけど、まだあれから1時間も経っていません。時間が余りすぎるので、寒霞渓にでも登れそうです。でも、昼食がまだなので、途中にあった「吉田ダム」に上がってみました。山肌を急勾配で高度を増して行きます。途中から、足元スースーしてきました。高所に立った時の僕のエマージェンシーサインです。「怖い」。でも登りました。高度差のとても大きなダムで、このダム1つで、小豆島の主な町の水需要を満たしているみたいです。所々岩がむき出しの山肌や海も臨め、景色はいいですが、とにかく足のスースーが厳しいところでした。もう上がらないでしょう。ほんとは途中で引換したかったけど、急勾配の細いぐにゃぐにゃ道で、Uターンなど出来るはずもありません。どうせコカします。
出発1時間前に、福田港に到着しました。2輪はゼロ。切符売り場はまだ開いてないので、横のお店で「あなご弁当」を食べました。「八日目の蝉」ロケでやってきた北乃きいさんの色紙が壁に飾ってありました。日付は先月。4〜5回の週刊ドラマだったので、放送と同時進行制作だったのか、できたてホヤホヤ放送だったようです。
乗り込む直前にやってきたヤマハの大型バイクの方と、バイクは2台でした。車は多かったけど、バイクだったら直前でOKですね。僕は眠るためにまた長椅子席にしたけど、お客さんが適当にいたので、横になることは出来ませんでした。でも30分ぐらい寝ました。起きたら、家島のすぐ横で、かなり近くが航路になってます。家島は、土砂供給島になってるので、無残に削られています。いずれ、何もない平坦な島になるでしょう。痛々しいです。
到着案内が出て、バイクに下りました。これから高速走行をしないといけないので、朝脱いだ冬装束を再び着ます。ヤマハさんもやってきたので、ちょっとお話。「足立ナンバーって、東京から来たの?」「実家が東京で、静岡からです。小豆島に法事で来ました」。「ハンドルにいろいろ付いていますね」「車載ムービー、撮ろうと思って」と僕。「僕は大阪だからいいけど、静岡は遠いね」「家についたら、夜中ですよ」「じゃあ、気をつけてね」で、別れました。
帰り、加古川の義理姉んとこに寄ろうかなと思って、R250を東進してたのですが、「やっぱり早く帰ろう」と思って、姫路バイパスに乗りました。往路と同じでは芸がないので、加古川バイパス経由第2神明、阪神高速北神戸線、中国道で帰りました。
加古川バイパス、第2神明で渋滞がありましたが、バイクなので平気です。返って遅く走れるから安心でいいです。中国道は、いつものように宝塚トンネルで渋滞。ここもバイクの特権を生かしてスムーズに宝塚ICまで帰ってきました。でも、「好事魔多し」、なんと高速通行券がありません。マジックテープ付きのポケットに入れ、マジックテープを上から抑えたのに・・・まあマジックテープの部分が少ししかないので、間から飛んでいく可能性はあります。
「何処から乗りましたか?」「阪神高速、北神戸線から来たんですけど」「では手続きがありますので、隣の閉まってるレーンの方へ移動してください。係りの者が来ます」。阪神高速の500円の領収書を見せようと思ってたら、名前・住所・電話番号を書き、450円払ってお終いでした。通行券紛失なんて初めての経験でしたが、案外スムーズで助かりました。

最後にオチがありましたが、楽しい1日になりました。でも1ヶ所行くのを忘れてしまったところがあります。家内と一緒に観た映画「ママと僕の黄色い自転車」の風車です。また次の機会ですね。

2010/5/3
日曜日は、淡路島を一周してきました。2年前にバイクの免許を取るべく教習所に通い始めた時からの目標でした。さほどハードなコースでもないので、いつでも行けると思っていましたが、風が強いの、明石まで街中を走って行くのが面倒なの、となんだかんだ理由を付けて、先延ばししていました。
そして、とうとうその時がやってきました。先週日曜日は、長男のフィアンセのご両親に会いに行きましたが、その場で長男から新居の見取り図を渡され、「来週引っ越しやねん。来る?」と言われました。家内は、新居に興味があり、出る寮の掃除や寮の世話人ご夫婦への挨拶もあり、行くことになりました。長男は、掃除と片付け・引越し荷物作りの人手を確保したかったのかもしれません。
僕は、「一緒に行こう」と家内に誘われましたが、丁重にお断りしました。両親がいたらフィアンセさんが好きなように出来なさそうだし・・・新居は、彼女の守備範囲で、親は遠くで見守るのが一番いいです。遠く大阪から引越しごときで両親が駆けつけたら、なんだか寮母さんや入居者さんに長男が軽く見られそうです。

日曜日の朝5時に家を出て、新幹線始発に間に合うように、家内を新大阪駅まで送りました。寮が終われば、新居を見て早々に退散するはずだった家内は、結局7時に新居を出たので、帰宅したのは11時になりました。長男がいらなくなった電子レンジ等を次男が取りにきたので、次男にも会えたようです。次男は、勉強でゴールデンウィークの帰省はなしですが、GFさんはこの日帰省したようで、駅まで送った帰りに新居に寄りました。建設中のスカイタワーや真っ白な富士山等も写真に収めて、楽しそうに帰ってきました。

僕の方は、家内に頼まれてた洗濯物などをやっつけて、7時にVTR250で淡路島に向けて出発しました。一番面白くなさそうな明石までの道中を、いろいろ考えました。全部地道だと西宮・神戸経由で50kmだから1時間半程度。中国道・阪神高速神戸線経由の高速だったら、プラス10kmだけど1時間少々。西宮経由地道で、西宮〜須磨間を阪神高速神戸線利用に決めました。
高速では80km/hぐらいで走るので、交通量の多い高速に乗りたくはありませんが。西宮ランプから高速に上がり、芦屋料金所でカードを出すと、なんと阪神高速はカード払いが出来ないとのこと。慌ててポケットから小銭を出しました。500円。連休で車が多いのが幸いし、車の巡航速度が遅いです。渋滞で止まっても、バイクレーンを見知らぬバイクさんの後ろにつながって、渋滞知らずで須磨降車口まで快調に来れました。
上天気で、塩屋海岸が気持ちイイです。前方に淡路島が見えてきて、舞子で明石海峡大橋をくぐりながら、「待ってろよ、淡路島」とヘルメットの中で叫んでしまいました。
8時半、たこフェリー乗り場着。連休なので混んでるかなと思ったのですが、それ程でもなく、次の9時発の便に乗れました。料金は片道1000円。きっと大橋を渡るより安いよね?バイクでフェリーに乗るのは、初めてです。海が荒れてバイクがコケないか心配していたのですが、中央のシート部分にロープを掛け、車輪に木を噛ませて動かないようにしてくれました。当然ローギアに入れたまま停めました。
20分ぐらいの船旅で、淡路島の岩屋港に到着。景勝「絵島」横にバイクを停め、準備にかかります。GPSをハンドル中央にセットし、電源を新しくセットしてもらったシガーソケットに突っ込みます。続いてタンクバックをセット・・・ここで問題が持ち上がりました。シガーソケットにコンセントを突っ込みハンドルを思いっきり切ると、タンクバックに当たります。これはまずいです。ソケットの向きを変えなければなりません。ゴソゴソし始めましたが、GPSが必要なのは山中を走るときぐらいなので、面倒になり、GPSなしに決定。地図を見ながら、少々間違えながら行くのも、「また楽し」です。

まずは、「あわじ花さじき」に行ってみることにしました。1年前、自宅のチューリップが咲いたとき、今は亡き母から、「チューリップが満開だから、ここに連れて行って」と頼まれました。当日用事があったので断りました。次の機会はいくらでもあると思っていたのですが、年末になんの予兆もなくあっさり天に召されてしまいました。今年もチューリップが咲く季節が巡ってきて、心残りな想い出を思い出していました。1人だけど、母と一緒という気持ちで登りました。
淡路島北端の広い丘陵地に、お花畑が出現しました。綺麗です。しかも無料。眼下に、小さな船が走る海が見え、それをバックにお花畑。「うわあ、いいとこじゃないか」。小さな子を写真やビデオで映しながら歩く若夫婦。「お婆ちゃん、この階段はキツイから、あっちの回り道に回ろうよ」と、足の悪いジジ・ババを気遣いながら、幼子の手を引くお母さん。2世代や3世代の家族連れが似合う場所です。2人乗りバイクもいるし、展望ベランダでお花畑を見ながら、何を話しているのか楽しそうなカップルもいます。花はいいです。全ての人の心を温かくさせてるみたい。
岩屋から登ってきたr157を、そのまま南下することにしました。山中のワインディングロードです。アップダウンも大きく、連休で車も多いから、楽しい道ではありませんが、海岸線を走るよりいいです。うねうねしながら出た交差点。「前、ここに来たことがある」。去年、「夫婦で自転車」で来たとき、確かにここを通りました。東海岸からえっちらおっちら漕いだり、押したりしながら上がったところです。真っ直ぐ行くと、r157で山中を徘徊しながら東海岸に下りますが、家内との想い出をトレースしたくて、ここを左折して東海岸に下りました。
ここから、海岸道路R28を洲本に向けて、南下し始めました。その前にバイクの腹ごしらえです。トリップメーターが200kmを越え、僕の給油の目安です。VTR250は、13Lタンクで燃費が32km/Lだからまだ半分ですが、燃料計というものが付いていないから早めの給油です。209km÷5.1L=41.0km/L。またカタログデータ以上の記録が出ました。

途中で七福神で有名な「寿老人」縁のお寺の看板を発見。寄り道してみました。「宝生寺」というお寺でした。七福神は、インドの神様と中国・古くから伝わる日本古来の神様が、ごっちゃになった神様。カッコよく言えば融合。こういうのがいいね。すぐお隣に、狛犬ならぬ狛鹿の守る神社があり、明治政府の廃仏喜捨で分離されちゃったけど、日本古来の神社神道との融合の名残りが残っていました。
さらに南下、案外早く洲本まで来ました。ここの海岸は、家内と最初に海水浴に来たところです。初水着にドキンとして、初めての手作りお弁当を美味しく食べました。「母さんにも手伝ってもらっちゃった〜」と、明るく笑っていました。
R28は、鳴門海峡・福良に向かって、淡路島を斜めにショートカットしますが、今回は海岸線を走ります。r76に入り、海岸線の高台をくねくね。天然の良港・由良、紀伊半島との間にある友ヶ島も見えます。由良は、義理父が毎週のように釣りに来ていました。いつも馴染みの船頭さんの船に貸切で乗り、好きなところに釣行してたようです。僕も1度連れて行ってもらったことがあり、生まれて初めて鯛を釣りました。
洲本を過ぎると交通量も減り、だんだん快調に走れるようになってきました。由良を過ぎると、更に交通量が減り、マイペースで楽しい道のりです。「立川水仙郷」を過ぎ、海岸道路になると、前方に山が迫る海岸線がまっすぐに続き、左手には波の穏やかな海が広がります。連休クルージングのヨットの白い帆がポツポツいます。風が弱いからでしょう。ジブをファーリングしてメインだけのヨットもいます。機帆走なのでしょう。
この道、ものすごく気持ちのいい道でした。今までバイクで走った道の中で、最も素敵な道です。子供たちが小さな時、家族で走ったと思うのですが、車とバイクでは感じ方が全く違うようです。あまりに勿体無い道なので、ゆっくりゆっくり満喫しながら走りました。
モンキーセンター・黒岩水仙郷を過ぎ、福良港が近づきます。そう言えば、立川水仙郷のところで、水仙郷を凌駕する看板の「ナゾのパラダイス」を見つけました。そこにいたおじさんに、「何があるの?」。「それは内緒やなあ・・・まあ18歳以上ということや」。僕は18歳以上なので大丈夫ですね。入ってみたかったけど、昼過ぎには最南端鳴門海峡に着きたいし・・・やめときました。かなり急な下り坂を下らないとダメそうだったのも、躊躇する理由になりました。
そのままr76を走り、r25になり、昔ヨット部の先輩とキス釣りに来た「吹上浜」に寄り道しました。広く長い砂浜に2組の家族連れがいるだけ、気持ちのいい浜でした。観光客が押し寄せる立地ではないので、いつまでもこの状態が続きそうです。
鳴門観潮船乗り場のある「福良港」に着きました。連休中なのでお客さんがいっぱい並んでいます。露天に家が生えたようなお店が数件軒を並べており、港内のお店より活気があります。横では干物を干してるし、いい感じです。従業員さんへのお土産を物色しました。こちらは港内のお店で「雲丹海苔」、ウニと読むのですね。知らなかった。ウニ&海苔、ウマそうです。僕用には、いつものようにジャム。みかんのがあったので、これにしました。
最終目的地の大鳴門橋たもとの道の駅「うずしお」に向かおうとバイクに戻ると、BMWのかっこいいバイクが入ってきました。「カッコいいですね。なんccですか?」「800ccです。船に乗りましたか?」「いいえ、凄い人ですよ」・・・バイクに乗ってると、気軽に声を掛けることができます。車に比べると、とても快適とは思えない乗り物に乗ってる御同輩との連帯感がそうさせるのでしょう。ほぼ100%の方が、気さくに話され、会話が弾みます。そして決まり文句、「では、お気をつけて」でさよならします。
「うずしお」に着きました。連休で車が多いようで、隣接の駐車場は一杯で、途中でコーンが立ち、第2駐車場へ誘導されています。そこに近づくと、誘導員さんが、「行っていいぞ〜」のジェスチャー。隣接駐車場にバイクを置けました。誘導員さんの指示に従ってバイクを置くと、横にバス停があります。第2駐車場とのピストンバスのようです。
建物の方に歩いて行く道は、藤棚の回廊になっていました。ちょうど今季節なので、紫が綺麗です。でもなんとなく例年よりくすんでるような?北摂の藤も見ていないし、今年は不作なのかもしれません。でも、いい香りです。写真に収めていると、ロードバイクのお二人が、誘導員さんに指示されて、藤棚の下の柵に自転車を引っ掛けています。先客のバイクも数台。日差しからも守られ、素敵な駐輪場です。
ここのレストランで、感潮しながら昼食というのを目論んでいたのですが、お客さんが多く、満席です。僕は1人なので気が引けて、パスすることにしました。ベランダが、観潮見晴台になっていました。潮が速く、渦が出来ています。家族で来たときは、小型船だったので船が揺れ、長男が怖がっていました。家族4人でライジャケに身を包んでの観潮でした。あの揺れと、横で渦巻く海は迫力があります。

時刻は1時半、ここから帰路です。西海岸を北上して岩屋港まで戻ります。バイクに戻ると、バイクの数が増えており、隣にホンダのセパレートハンドルの速そうなバイクが、着いたところのようです。「暑くなりましたねえ」「ええ、虫が多くて困りました」。そう言えば、ヘルメットのバイザーに、コンコンと虫さんが衝突してましたね。ここでも「では、お気をつけて」でお別れしました。
海岸道路のr25を北上します。「南淡路水仙ライン」の素敵な風景とおなじような所がありました。気持ちのいい道です。r31に変わり、中学の時キャンプに来た「慶野松原」、「五色浜」、そして「サンセットライン」という素敵な名前がついたr31を延々北上します。時刻は2時・3時という日の高い時刻なので、夕日の優しい物憂げな光に照らされて走ることは出来ませんでしたが、東海岸より車が少なく、快適な道でした。
岩屋・たこフェリー到着は、3時半。往路同様ちょうどフェリーがでるところで、次船への乗船になりました。西海岸を2時間で走り抜けました。途中コンビニで、アイス補給休憩で15分ほど休憩しただけです。そこには20〜30名のロードバイクが休憩していました。神戸のチーム名の入ったお揃いのジャージに身を包んでいました。後から追い抜きましたが、25〜30km/hで走ってるようです。速い。
二輪乗り場は、自転車とバイクが、それぞれ1列に並びます。僕はバイクの先頭で、同じく自転車さんの先頭のお客さんは、小学校低学年の子・母・おじいさんという組み合わせでした。おじいさんはクロスバイク、お母さんはKHSの小径車。小径車に興味があったので、声を掛けて根掘り葉掘り教えを乞いました。KHSのバイクは、平坦路では20km/h以上で巡航出来るそうで、星条旗が付いていたのでアメリカのバイクのようです。
4時の便だったので、まだ高いですが夕日に照らされ輝く明石海峡を渡ることになりました。流石にお腹が減り、家内から「遅くなるから、なにか食べて来てね」と言われていたので、明石港フェリー乗り場内にある「漁師めしや」で、遅い昼食兼早い夕食にしました。「たこ飯定食」を賞味。お蕎麦もついて780円でした。
最初、帰路は中国道回りにしようと思っていたのですが、朝快調に来れたので、朝同様神戸回りをすることにしました。腹ごしらえを終え、5時ぐらいに出発です。まだ日があるうちに帰れそうです。須磨まで信号渋滞のところもありましたが、バイクには関係なしです。須磨から高速に乗ろうと思っていたのですが、クラッチを握る左手も平気なので、下道で帰ることにしました。R43を数台のバイクと共に、前に行ったり後ろになったりを繰り返しながら、西宮まで帰ってきました。R171に乗り帰宅。
バイクを片付けていると、前のコンビニさんに、青いジャイアントロードが止まりました。チョコレートを買って、エンジンの燃料補給をしています。タイヤも青で綺麗な自転車です。「どこまで行かれたのですか?」と声を掛けると、これまた気さくな方で、1時間近くしゃべっていたかもしれません。バイクはOCRで、僕のDEFYより1世代前の自転車でした。タイヤを23Cに変えたら、平均2kmはスピードが上がったとのこと。確かに家内の28Cと僕の25Cでは、家内が漕いでるのに僕は漕がずに流してる時があり、下りになると慣性が大きく違い、漕いでないのに僕の方が圧倒的にスピードが上がっていく。
通勤車として毎日乗っておられるようで、こういう方の意見は、しっかり聞いておかなければ。「お時間を取ってしまい、有難うございました」でお別れ、自宅に入り時計を見ると7時を回っていました。バイクを乾拭きしたりして片付けてる時に、家内から電話が入りました。「今「潮見駅」を出たとこ。遅くなるわ」。
早めにお風呂に入り、布団に入ってうつらうつらしてたら電話が鳴りました、10時半に最寄り駅まで迎えに行き、家内のご苦労さんな1日が終わりました。僕は・・・もちろん、「ああ、楽しかった」な1日でした。

2010/4/26
日曜日は、新潟に行ってきました。新潟県には、糸魚川から大糸線に入り家族スキーに行った時と、次男のOP時代に柏崎まで遠征した時入ったことがありますが、県庁所在地新潟市は初めてでした。
今回の旅は、遠征ではなくて、出張でもなくて、少しだけ緊張することの用事です。長男のフィアンセさんの実家への訪問と、親御さんとの会食が目的です。数年前から付き合っていたフィアンセさんを、1年前に紹介されました。家内はそれまでにも会っていたので、そちらからの情報で安心していましたが、実際に会って話してみると、情報以上にいいお嬢さんで、うまく行くといいなと思っていました。
秋に2人でやってきて結婚の決意を知らされ、この度の親同士の初顔合わせに至ったわけです。当初、僕らの結婚の時のように、結納で先方に行かなきゃと思っていたのですが、最近は結納のない会食が多いようで、息子達の考えに沿いました。
新潟の雪解けを待って、春の訪問になりました。日取りを指示され、先月あった母の百ヶ日で航空券を渡されました。長男の貯まったマイルからのプレゼントです。出張で頻繁に飛行機に乗るのでたいそう貯まるようです。入社2年目の時、1年間でハワイにタダで2度は行けると言ってました。

前日、先方のデータを頭に再入力しました。息子からの決意を聞いて、息子の生い立ち・私と家内の生い立ち学歴・両親の実家等を書いて、戸籍謄本と我が家と近の写真と共に先方に送りました。大切なお嬢様をどこの馬の骨かわからない所にお嫁に出す不安を少しでも解消したかったからです。先方の親戚に新しい縁を説明するときもこれを渡せば簡単です。30年前、家内の両親に戸籍謄本と診断書を持って行った記憶が蘇りました。
その返信として、同じようなデータが送られてきました。誠実な書き振りを感じ、とても安心しました。それを家内と一緒に読み返したわけです。
そして当日、新しく買ったジャケット・ボタンダウンシャツ・ネクタイに身を包んで空港に向かいました。15分もあれば空港なので離陸1時間前に自宅を出れば十分間に合います。飛行機があまり好きでない僕は8年弱ぶり、家内は新婚旅行以来の飛行機です。
勝手がわからず、前の人の真似をして入場。家内はポケットに付いてるボタンが金属探知機に引っ掛かり、ボディータッチされています。ぐふふ。伊丹・新潟便は飛行機が小型です。滑走路を歩いて、タラップを上がって乗り込みました。小学生の時乗った羽田行きも滑走路を歩いたので、それを思い出しました。JAL便で2席・3席の横5人がけジェットです。経営再建中ですが流石にJAL、CAさんは皆さん御綺麗です。帰りは同じJALグループのJACでしたが、家内の評では「JALの方が笑顔がすてきね」だって。
高所恐怖症気味の僕は、家内に窓際の席を譲って緊張して離陸に備えました。朝の伊丹空港はラッシュで、滑走路に4機並んで順番待ち状態でした。こんなに流行ってる飛行場をなくす意見が出ていますが、お客さんの利便性を考えれば後ろ向き施策ですね。国際便が次々撤退し、ヨーロッパ・北米便が壊滅状態の関西空港との差は歴然です。
爆発的な加速力の後、急角度で高度を稼ぎます。旋回中に我が家が視認できました。ちょっと高い橋でも端に寄れないのに、小さな窓が安心感を与えるのか、足元から血の気が引く感覚が少ししかありません。ここ毎週通っていた琵琶湖が綺麗に見えています。続いて反対側の窓から山波の連なりが見えてきました。乗客が1/3程度で、うまい具合に反対側の席が空いています。でも臆病な僕はシートベルを外してそっち側に行けないので、小さな窓からの景色に甘んじます。でも富士山ははっきり視認出来ました。雲を突き破る他を圧倒した姿は見事です。子供だってすぐに目に付く流石に日本一の山です。
飛行機は海岸線を飛び、期待していた上杉謙信の春日山は真下で見ることができませんでした。上天気なのに残念です。まあ帰りに見れたからOKでしたけど。山並みは、次の週末はゴールデンウィークだというのに、雪を被った山が目立ちます。というより、僕が知らなかっただけで普通にこうだったのですね。
新潟空港へのランディングに入りました。送られてきた資料に乗ってたアルビレックスの本拠地ドームと白鳥の飛来する湖も良く見えます。チャリンコでアルビレックスの応援に行く目指すお宅はその近所ということです。熱い応援団を持ってるそうだからね。
無事ランディング。長男に電話すると出口で待ってるとのこと。長男が運転する向こうのお宅の車で市内観光です。まず海。真っ直ぐな海岸線と、まだ荒い波が打ち寄せる浜。水平線には佐渡島が薄く見えています。佐渡方面以外の海は、対岸がロシアなのかな?見えるわけありません。
続いて出身高校。県立普通高校なのに、元女子高だったようで、生徒の殆どは女子だそうです。正門前の坂は乙女坂と呼ばれているとか。冬場はよく凍り、転ぶ生徒続出だとか。続いて日航ホテルの展望台に上がります。新潟市で一番高いビルのようで比する建物がありません。遠くの佐渡の後ろ側に更に高い山並みが見え、雪をかぶっています。向こうのお父さんからの説明では、西側は本土の日本海側のような雪が多い気候で、本土側でもある東側にはみかんが成るそうです。フォッサマグナを挟んだ富山と静岡の関係みたいです。
反対側に目を転ずると、そこには雪を頂いた山並みが。手前の山は谷筋に雪が残る白いぎざぎざで、その後方の高峰は真っ白です。大阪平野からは見ることが出来ない素晴らしい景色です。福井・石川への正月スキーの帰りに見える景色です。冬に長浜に行ったとき、伊吹山山系を見た時に似ています。
最後に「鳥屋野潟」に向かいます。大きな池と言うか小さな湖という感じで、湖岸は満開の桜で薄ピンクに縁どられています。対岸にアルビレックスのドーム球技場が見え、その背景にさっきの雪山です。見事です。

お昼になったので、市内の料亭に急ぎました。玄関で写真で見慣れたお顔が2人、親御さんです。座敷に通され、あらためて「はじめまして。今後とも宜しくお願いいたします」のご挨拶。いろんな話に花が咲きました。お嬢さん同様、感じのいい親御さんで、長男とお父さんが差しつ差されついい感じです。
先月さっきの日航ホテルであった学会に来たとき、ご自宅にお世話になったとか。なんだかんだ毎月お邪魔してるそうです。学会の時なんか、東京勤務のフィアンセさんはいなかったんじゃないかな。東京に住んでおられるお母さんのお姉さんご夫婦にも挨拶に伺ったようで、「いい人を見つけた」とバカ褒めだったとお父さんから聞きました。わが子を褒めていただけるのは嬉しいものです。
僕も結婚前は毎月2回ぐらい?いや毎週?家内の実家で風呂に入り泊まっていたので、なんだかデジャブーです。先方は女の子3人だったので、待望の息子なのかもしれません。予想以上に長男は先方家族と親しく、嬉しくなってしまいました。結婚は当人同士が一番大事なのは当たり前ですが、家族親戚との仲もとても重要です。きっとうまく行くね。来月妹さんも結婚式だそうです。ハワイで挙式だそうで、長男も行くのだとか。
和食のコースを個室で頂きました。女将さんが「おめでとうございます」とか「今日は上天気で」とか言ってたので、本日の席の目的を伝えていたのでしょう。2時半にお開き。奥さんの運転で親同士4人で先方のご自宅に向かいます。長男達は別の車で帰ります。新潟では一家に一台ではなくて、一人に一台ないと不便だそうです。県の分譲地を子供がまだ小さいときに購入され、1年前に立て替えたのでピカピカの新築です。我が家は敷地の隣が国の重要文化財指定地になっており、下手に新築したら埋蔵物調査対象になるので、地面を掘り返す造作に躊躇してきました。今風のリビングが羨ましいです。
4時前に帰路に着きました。再び奥さん運転で6人乗車。空港でお土産を買い、4人に見送られて機上の人になりました。帰りはJACで、もう一回り小さな2席・2席の横4席のプロペラ機でした。10分余計にかかるみたいですが、1時間が1時間10分になるだけで何の問題もありません。
家内はかなりご機嫌でした。飛行機に乗れたこともありますが、先方の親御さんの印象がすこぶる良かったからでしょう。向こうの家に溶け込んで楽しそうな長男の姿も嬉しかったのかな。車に乗り、百貨店に直行しました。座敷で長男から新たな住処のデータを渡されました。東京駅から駅4つぐらいの近距離のマンションに住むようです。サラリーマン若造とは思えない家賃でしたが、会社の寮制度に適用されるそうで、大部分は会社負担だそうです。
来週には先に長男が引っ越すのだとか。家内が寮母さんへの挨拶と掃除に向かうそうです。そのお使い物です。ついでに引越し車の後を追いかけて新居に向かい、新居を見学して早々に退散するようです。お後は新婚さんで、あ〜だこ〜だ言いながら片付けたらいいと思います。こういうのも楽しいものです。来月入籍し、結婚式は秋、新婚旅行は冬だそうです。ケニアに行くのだとか。エジプトに行ったとき、ケニアからの帰りの日本人と一緒になり、「人生観が変わる」と大絶賛だったのを聞いたからとか。
そうそう、先月のフロリダ出張の話も出ました。世界的な学会に出席したのですが、会社からは1人だったそうです。たぶん日本人もいなかったようで、日本語に飢えたとか言ってました。空港のカウンターで久しぶりに日本人と話が出来た時、とても嬉しかったそうです。今まで何度も1人で海外出張してるはずなのに、全く日本語のない10日間がきつかったようです。
わが子の活躍が末広がりに広がっているようで、笑顔の日曜日になりました。子供っていうのは素晴らしいものです。子供を通して僕ら夫婦の人生も広がっていくように感じます。この日使ったお金はお土産代だけ。この年で子供に航空券をおごってもらうなんて思っても見ませんでした。

2010/4/19
日曜日は、また大学ヨット部新人勧誘の手伝いに京都・琵琶湖に行っていました。この日は家内も用事がない日。「何処に行こうかなあ?」と家内は思案顔でした。いつもなら大阪のデパート巡りが相場なのですが、僕との「夫婦で自転車」が始まった去年から、ちょっと観光にも目覚めたみたい。前回は、「京都大原」を紹介したので、今度は「京都桃山伏見」を紹介しました。「京都から京阪に乗ったら数駅で行けるよ」。
10時に京都女子大前の予定なので、8時に家を出ました。少々家内と京都散策してからと思っていたのですが、母が使っていた京都観光本を見てた助手席の家内から、「近鉄で行けるよ」。「京都に近鉄来てたっけ?」「東寺という駅があるよ」。いつもくぐる「東寺」と書かれた駅のガードは近鉄だったようです。
京都南ICで名神を下り、R1を北上、東寺の五重塔を横目に九条道路を東進。「東寺」のガードに目をこらすと、確かに小さく近鉄と書いてありました。近鉄は大阪・奈良・名古屋というイメージで、京都と結びついていませんでした。
ここで家内を下ろし、京女の女坂のイタリアレストラン前に駐車して新入生を待ちました。1時間も時間があるので、土曜日から読み出した「パパはロクデナシ」を読み始めました。海音寺潮五郎さんの「武将列伝」シリーズを読んでいたので、上村佑さんの作品で、ちょっと頭の中を痛快なお笑いでリフレッシュしようという算段です。10時15分ほど前にマネさんがやってきて、続いて今年入部した新人マネさんが7人の試乗会希望者を引率して来ました。多少ドタ参加者もいて、第1陣として7人の女子を乗せて琵琶湖の艇庫に向かいました。
上天気だったので京都周辺・湖西の渋滞が気になっていましたが、まあまあスムーズに艇庫到着です。朝から北からの風が入っています。シラカワ監督が来られていました。外で話しているとOBヤマモトさんが、京都から新人を乗せて到着。2Fに上がり、マネさんからカレーをもらい食しようとソファに座ると、横に子豚さんがいました。綺麗な薄ピンクのお肌がシュリンクパックされています。
OBオクムラ君がしきりに勧めていた「豚の丸焼き」の食材のようです。上には納品書。OBイシイちゃんが楽天市場で24800円で購入したようです。こんなのがネット販売されてるのだと驚きです。カレーを食べ終わり、艇庫前で準備されてる丸焼き現場を視察しました。ブロックを積んで網を乗せ、炭で焼くようです。オクムラ師匠によると、焼くのに3〜4時間かかるそうです。一気に中まで火が通らないので、焼けた表面からナイフで削いで食べ、次々に中を焼いていくそうです。西部劇のサバイバルな感じで楽しみです。
11時半出艇なので、僕の車でシラカワさん・ヤマモトさん・現役マツザキ君でびわこマリーナに向かいました。いつものように四角くマークを打ち、中央にアンカリングしてスタンバイ。次々やってくる新入生をヨットに乗せて行きます。30名弱だったかな。先週は3人と女子が少なかったけど、この日は9名も女子がいて、僕のハーネス着せ替えにもテンションが上がりました。
3時帰着が30分ほど遅れましたが、1日中3m/sほどの試乗会にうってつけのいい風に恵まれ、無事終了しました。艇庫に戻ると、すでに子豚さんはほぼ解体されておられました。内臓は綺麗に取り除かれていたようで、丸焼き用の商品だったようです。でもまだ全体像は把握出来、豚足もお顔もそのままです。新人君がタンを食べ、「うまい」を連発していました。こういう形で豚さんを食べるのは初めてでしたが、包丁人オクムラ師匠がホークに刺してくれる豚さんは中々の美味でした。
2Fに上がると、まりえマネさんからコーヒーが出てきました。湖上から上がったときに温かいものを頂くのはホッとします。彼女はとても熱心なマネさんです。去年の今頃は、上級生の4回生マネさんが就活で来れなかったので、1人で頑張ってくれていました。春合宿なんて頭が下がる思いです。今年の4回生マネさんは彼女だけなので、今年も大車輪です。さらにかなりの美人なので、下級生男子に人気があります。僕は、彼女をスカウトしてきた同回君といい感じになればいいなと思っています。高校も一緒だったし・・・。彼も中々の好男子なのでお似合いだと思うけどなあ。

夕食の鍋に火が入る頃、僕は退散しました。来週は長男のフィアンセさんの実家に挨拶に行かねばなりません。ここをしくじると息子に合わせる顔がなくなるので、その準備です。と言いながら、気楽な帰路です。この日も名神は渋滞なしでした。第二京阪全線開通以来、大阪中心部や奈良・和歌山などに向かう車が分散したようで、快適で早く帰れるようになりました。
帰宅は5時半。家内は帰宅済みでした。来週の何の準備をするかというと・・・何も関係ないVTR250に乗り換えて、バイク用品屋に向かいます。お目当ては「シガーソケット装着」。ウィークデイの下調べで、2000円+工賃・1時間と準備万端のはずだったのですが、なんと品切れ。どういうわけか、シガーソケットは全品売り切れになっていました。「すぐに入りますから」ということだったのですが、残念です。GPS電源をシガーソケット化しようと思ったのに・・・。
一旦自宅に戻り、これまた関係ない自転車空気入れをくくりつけて自転車屋さんに走りました。スポーツ自転車はフレンチバルブという高圧に耐えられるバルブになっています。この空気入れのセットが難モノです。きつくしっかりとセットするのですが、外すときも硬く、毎回スポークに手をぶつけ痛い思いをします。週1回入れないといけないので、毎週月曜日には2度痛い思いをする羽目になります。
そこで空気入れ本体・1500円より高額な口金ヒラメポンプヘッドに交換してもらいに行きました。先月は家内の自転車のハンドルをアップし、我が家のスポーツ自転車も進化し続けています。これは抜き差しに何の抵抗もなく、スポークぶつけがなくなりました。秀悦な商品です。
再び帰宅後、車に乗り換えてニトリに出動です。家内に頼まれていた押し入れに敷くスノコと、実家の棚を買いに行きました。両親が亡くなり、未整理のままダンボールに突っ込んであった写真を整理したら、とんでもない量になり、新たに購入となりました。奥行30cm・幅60cm・高さ175cmを2本購入しました。どんだけの量があるねん・・・まあ僕の部屋に山積みになってる既読の本を整理することにも使います。家内から「あれ、なんとかしないと床抜けるよ」と言われていた難題も一気に解決するはずです。
その帰り、やっと来週に関係ある「洋服の青山」さんに寄りました。スーツやネクタイに縁のない仕事をしているからか、きちんとした服をあまり持っていません。トレーナーとかジャンパーとか、とにかく温かい物とかアウトドアなのは、一通り揃ってるのですが。「買ったら」とこれまでに何度も家内から言われています。でも使用頻度が少ないからもったいないと、ずっとスルーしていました。
「すいません、ジャケットとシャツとネクタイを下さい」。紺系のを1着決めました。続いてシャツをと思いきや、「今ならあと1000円でもう1着購入いただけます」とのセールストーク。19000円で1着から20000円で2着になります。「お得だな」。そう言えば、母の葬儀の時ここでコートを買った時にも言われました。当然2着購入しましたが、家内からも子供たちからも、「お父さん、そんなに着ないやん。2着あってどうすんの」と非難されました。「だって・・・1000円でもう1着だよ・・・」。
コートの時と同様、あまり代わり映えしないのを追加購入しました。しかも新たに買った方が26000円也だったので、2着で27000円にアップしたし・・・また何か言われそうです。詳細は家内に内緒にしておきましょう。続いてシャツ。ちょっとカジュアルを入れてボタンダウンにしました。縦縞模様のを勧めてくれたので、それに決定。次はネクタイに・・・ここでまた悪魔のセールストークが。3点セット(シャツ・ネクタイ・ベルト)で10000円になります。「お得かも」。ベルトは要らないと言うと、シャツ2枚でも同様になるとかで、追加でシャツを購入。
いろいろ選んでもらった選択したのは・・・帰宅して家内に指摘されてから気づいたのですが、同じ模様の色違いでした。こっちも代わり映えせえへんなあ。そしてネクタイ。「エンジだとどんな色にも合いますよ」「じゃあエンジで」。「斜め縞模様・水玉模様もありますが、今の流行りがチェック柄です」と、ネクタイコーナーに行きました。もう選ぶのが面倒になってきたので、店員さん一押しのエンジ&チェック柄に決定。
名入れのためジャケットは置いてきましたが、その他は持って帰りました。「いい柄ね」「エンジだったら、どんな色にも似あうんだって」「エンジのヨットのがあったじゃない。あなたならヨット柄の方がいいんじゃないの?」。早速それを持ってきました。「でもターくんの結婚じゃないから、チェックの方がいいかもね」と、来週は新規購入物件に落ち着きました。

2010/4/12
昔、中学の時の英会話の授業で、外人の先生から「week end」の定義は?というお題を頂いたことがあります。「これは楽勝や」とばかりに一斉に手が上がり、「Sunday」はじめあらゆる曜日の答えが飛び交いました。しかし全てout。僕ら生徒は、「週の終の日」と定義してたのですが、endは端っこだから、週の初めと終わりが正解でした。つまり「Sunday and Monday」。あれから数十年、週休2日制の世の中になり、日本で週末といえば土日を指すようになりました。
なんてことを思い出しましたが、そんなの関係なく、僕はこの日本式週末も楽しく過ごしました。貧乏暇ナシな僕は土曜日も仕事なのですが、夜明けが早くなってきたので「早朝バイク」を復活させました。そして日曜日は、ヨット部新人勧誘試乗会の手伝いでした。
去年から、「早朝自転車」が定番になりましたが、時々「早朝バイク」にも出撃していました。2時間ぐらいしか時間が取れないので、目的地は北摂里山地帯です。でもウィークデイは、急いでる通勤車が主要道の渋滞を避ける目的で、のんびり道を飛ばしています。僕のような「のんびりバイク」は辛いものがあり、高速通勤車がいない土曜日は、僕的には「早朝バイク」の穴場日です。
天気予報を見てると、「天気は良さゲ・気温寒くない」だったので、密かに狙っていました。うまい具合に5時前に目覚めることができ、決行しました。安全靴・膝すねプロテクター・プロテクタージャケットに身を固め、家内を起こさないように階下に下りて、玄関の戸もこそ泥さんのように音をひそめて開閉して脱出しました。
目的地は大阪府能勢町と兵庫県猪名川町の県境「才ノ神峠」です。VTRにカッパなどの緊急物資を積み、ハンドルにはバイクムービー用にまたまた新規導入した「Nikon Cooloix L20」を取り付けました。ムービー用とするために安価な型落ち品8000円を投入です。
定番の「長尾山トンネル」を抜けて北摂里山地域に突入。r33・r68で「道の駅いながわ」に出ました。r12を少し南下し、「紫合」交差点からr603に入ります。いつ走っても気持ちのいい阿古谷集落を北上し、正面の「三草山」を目指します。2ヵ月後はここの阿古谷川は蛍川になります。時々野生動物に出くわす三草山の東肩の峠を越えました。この日はビックリ遭遇はありませんでしたが、朝日の中を走るのは気持ちがイイです。
峠を越えて「長谷の棚田」で有名な長谷地区に入ります。いつもの長谷川沿いの道に入って休憩しました。正面の棚田と正面左手の三草山のなだらかな山容を見ながら深呼吸です。「ええとこですなあ」。長谷川に沿う道を少しでもたっぷり楽しむためにトロトロ走ります。緩やかな勾配で棚田が近づいてきます。田にまだ水が張っていないからか、いつもより鷺が少ないみたいです。僕に驚いて飛び立つ鷺もいたけど、カラスの方が多い。あの真っ黒な衣装は、どうも頂けないです。アクセントにピンクをあしらうとか、もっと工夫出来ないものでしょうか。
道が細くなるところから勾配を増し、棚田を回るようにぐんぐん高度を増します。ほんとはもっと景色を楽しみたいところですが、細くて急勾配・急カーブなので、おっかなくてよそ見が出来ません。夏は道端の草が道に生い茂り、秘境に行く感じがあるのですが、冬枯れを刈り込んだ後のようで、路面全部が見えています。走りやすいのですが、下の棚田と道とのガードレールが無くなったような感じもして、高所恐怖症気味の僕には、こっちの方が怖いです。
三草山の西肩の「才ノ神峠」の五差路で休憩です。先月末頃から我が家でも朝鳴き出した鶯の合唱を密かに期待してきましたが、ここでも鳴いてるのが1羽だけのようです。やはりもう少し季節が進まないと鳴きかわしまではいかないようです。いろんな鳥の声を堪能し、帰路に付きます。「槻並」集落方面に南下します。
「才ノ神峠」は、長谷側からの舗装路、三草山北側に向かう?農業舗装路、三草山登山口の階段、西に向かう地道間道、南西に急勾配で下る地道間道、そして槻並側に向かうコンクリート道が集まっています。木組み簡易階段が組まれている登山道の横には「バイク進入禁止」の立て札が立っています。僕的には、バイクで上がれる訳ない道ですが、上がってしまう強者がいるようです。三草山山頂までバイクで上がっちゃうのでしょうか?
槻並方面コンクリート道が、がたごと道です。でも地道でないのでVTRでも下れます。急勾配・急カーブ・コンクリートがたごと簡易舗装・ブラインドカーブ・細道という過酷な条件なので、僕のテクニックでは槻並側から才ノ神峠には上げれない感じがします。今年家内を誘って(騙して)、「夫婦で自転車」で才ノ神峠を征服しようと思っていますが、この槻並側は下りにも拘わらず押し歩きになるでしょう。
細道を、ローやセカンドギアでエンジンブレーキ全開で下り、も少しで人家というところで道端にリスさんを発見しました。明るい茶色ではなく濃い茶色のリスさんでした。昨夏、母子で見かけてから久しぶりのリスさんです。可愛い。
落ち着いて魅力的な槻並集落をr12屏風岩まで下り、往路の逆をリルートして帰りました。静寂の中のたくさんの鳥の声、リスさんにも会えたし、有意義な早朝バイクになりました。これから出勤しましたが、こういう日は仕事もより楽しめます。

日曜日は、ヨット部新人勧誘です。最初京女前に行く予定だったのですが、時計台前に変更になりました。約束の9時には随分早い時間に京の町に入り少々徘徊、先週は桜が満開でしたが、ピンク色が半分にトーンダウンしていました。校内に駐車し、時計台前でうろうろ。どこのサークルでも体験会の時期です。自転車関係のとこに数人の新入生が集まっています。
車で数人の部員がやってきて、ヨット体験試乗会に来た新入生も来ました。本日は新入生参加者総勢35名だそうで、先週に続いて出だし好調です。数台は2往復が必要なので、部員車から随時琵琶湖に向かいます。僕は早めにレスキューに乗らないといけないので、9時集合組最終便でOGユキナガさんと新入生2名を乗せ、山中越で琵琶湖に向かいました。
30名を越える人数を捌くのと、4時から京都出町柳で行われる花見に間に合わせるために、先週より1時間早めに出艇しました。湖上での仕事は先週と同じです。先週入部してくれた女子マネージャーさんが、また試乗に湖上に出てきて、彼女の明るいキャラクターが場を盛り上げてくれています。もう勧誘する側の大きな戦力になってる感じです。
2時半で試乗を終え撤収作業に入りました。艇庫に戻ってきて、遅い昼食をもらい、休憩少々でお呼びがかかりました。次は出町柳へのドライバーです。大津京駅で1人下ろし、山中越で出町柳に出ました。京阪出町柳で1名下車。そして加茂川デルタで全員を下ろして、出町柳駐車場に車を入れました。部員から聞いてた場所と違うところでしたが、中堅OB主催の花見が始まっていました。
総勢50名程で、大盛り上がりの新人自己紹介、部員の一発芸・・・「こいつはいい」と思ってるセト君のインタビュー&司会進行が盛り上げ、中堅OBからの野次で更に盛り上がり・・・学生時代を思い出します。芸やトークとしては陳腐なものですが、周りの温かい野次で何でも大受けです。これ、体育会なんだよな、と。
4時半を過ぎ、仕事の会合を終えた家内から電話が入りました。「今何処?何処に行けばいい?」「天気が持って花見やってるんだよね」「良かったね、じゃあ家に帰るね」。夕方から雨の予報だったので、花見は中止になるだろうと、待ち合わせて映画でも見に行こうかと予定していました。
僕は適当に切り上げて帰宅し、途中で自転車屋さんに寄って、ハンドルを高く上げる改良してもらってた家内の自転車を積んで帰りました。楽しい2日間でした。

2010/4/5
土曜日は、手伝ってる京都の大学OBの結婚式で名古屋まで行ってきました。次男と同じ代のプレイヤーとマネージャーのカップルです。早寝早起きな僕ですが、4時に目がさめたのでそのまま車で出動しました。新幹線で行く予定だったのですが、新名神を走ったことがないので、車にしました。信楽甲賀界隈の山の中を伊勢湾方面に抜けるので、少々興味があります。中山道に沿う名神より距離が短くなりそうです。
名神で京都・大津を越え、草津から新名神に入ります。名神は、大津・京都を回避する草津から大山崎に抜ける高速ともつながってるので、ここから大阪方面も名古屋方面も2ルートあり、渋滞緩和に役立ちそうです。第二京阪道の全線開通もこないだあったから、名神天王山周辺の渋滞が楽になりそうです。
「新名神」は、草津からゆっくりした勾配で上ります。信楽・甲賀を越え、少し急な勾配で伊勢湾に下る道路でした。亀山で「東名阪道」につながり、四日市で「伊勢湾岸道」につながって「名港IC」で下り、名古屋港の北側に面する結婚式場に向かいました。家から2時間半しかかからず、新幹線利用より早く着きました。
目の前の名古屋港は、「なごやジュニア」の練習場所で、次男と毎年レースに来ていたところです。懐かしいです。遊園地内にある高い展望台に上がり、風の状況を無線でコーチボートに伝えていたことを思い出しました。遊園地に並んで結婚式場がありました。今時のガーデンウェディングタイプで、海に面しているのが売りなのでしょう。埠頭を横に回ると、海上保安庁の巡視船が大きな船体を横付していました。後部甲板にはヘリポートもあり、太平洋だって行けそうな大きさです。
埠頭から眺めていると、式場のスタッフさんが出勤してきます。殆どが20代、しかも女性です。ホテルではないので、土日祝日以外は暇でしょう。ウィークデイは何をしておられるのでしょう?着替えたスタッフさんが出てこられ、掃除をし始めました。「控え室もございますので、どうぞご利用下さい」とのことなので、着替えて控え室に入りました。
新郎と新婦さんの親御さんに挨拶し、ヨットのネームカードを渡しました。スタッフさんが飲み物を用意するとのことなので、遠慮なくジュースをいただきました。3年前の父の葬儀、去年年末から先月までまた母の葬儀から法事と、しばらく黒ネクタイばかりでした。久しぶりに白ネクタイのフォーマルな席はいいですね。20代女子はみんな一級品に着飾って、とても華やいでいます。
11時から海を見下ろすチャペルでウェディングセレモニーが始まりました。新婦のエリコさんの頬を感動の涙が伝わっています。僕も賛美歌をしっかり歌わせていただきました。
続いて披露宴です。80人ぐらいの出席者でした。プロの司会を頼んだようで、上手に進行していきます。両家の主賓2人、乾杯の音頭、ケーキカット、10分ほど歓談があって、食事をとりながら祝辞が始まりました。僕がトップバッターで、ヨット部のこと、2人のこと、僕の写真ライブラリーから大きく引き伸ばしてきたヨットに乗る写真を披露。自己評価は60点ぐらいでしょうか。いつもならもっとスラスラ乗ってしゃべれるのに・・・。席に戻り、隣の席の次男に「グダグダになってもたな」としゃべると、「歓談中にしゃべるのは集中出来ないから難しいよね」と、なんだか親子の立場が逆転したみたいです。こういうのは、僕が子供たちに言ってたのにね。
お色直し、キャンドルサービス・・・賑やかに進み、トリになりました。トリは次男達同期でした。次男の作ったビデオ、続いて演奏「バタフライ」。イリグチ君がピアノで前奏、ハンドベルが続き、イリグチ君も加わって全員でハンドベル演奏です。イリグチ君のハンドベルの最初の音が間違ったようで、1度やり直したのはご愛嬌です。「じゃあもう一回」「気を取り直して」と大きな声で笑いながら次男が言うので、返って場は和んだかな。「失敗すんな〜」と親目線で演奏を聞いていました。なかなか上手です。演奏が終わり、キャプテンだった次男の祝辞が始まりました。なんだか僕の間合いに似ています。親子だなあ。でも出来は次男の方が良かったような。会社でいくつかのプロジェクトの設計を任されたようなので、多くのプレゼンテーションで鍛えられたのでしょう。ここも親目線になってしまいました。
新婦から親御さんへのお礼の言葉・・・エリコさんの気持ちがこっちまで伝わってきて、僕が泣いてしまいそうでした。親でもないのに涙流してどないすんねん。新郎のサトウ君の挨拶・・・最後はサトウ君のお父さんの御礼の挨拶。これは半年後僕がすることになるので、しっかり聞きました。とてもいい結婚式でした。
披露宴に出席しなかった他のOB達もやってくる二次会にも少し顔を出したかったのですが、3時間後から始まるとのことだったので、これで失礼することにしました。素敵な気分で帰ってきました。写真やムービーを多めに撮りました。次男の勇姿を家内に見せてあげたいし、練習してる後輩にも、先輩の結婚式を見せてあげたいし。

土曜日仕事場に戻ると、京都のキャプテンから電話があったとのこと。メールをチェックすると、「明日は京女前に10時でお願いします」が入っていました。帰宅し、家内に頂いた引き出物を渡すと、ティファニーのティーカップ以外はヨット部に寄付と相成りました。
日曜日は、ヨット部の試乗会の手伝いで京都に向かう日です。10時に京女前女坂なので、デコポンとかおせんべいとか我が家からの差し入れも積んで、家内と家を7時に出発し、京都のお花見です。まず鴨川沿いに車を停めて、写真など。京都の桜と言えば外せない平安神宮付近の疎水。次に京大に車を置いて、キャンパス内を突っ切って今出川通りに出ました。銀閣寺方面に歩き、山中越えに続く、志賀越通に入りました。子安観音という大きな石の地蔵さんのようなのがありました。謂れを読むと相当古いものらしいです。北白川の疎水まで来たので、疎水沿いに歩くことにしました。銀閣寺から北に向かう疎水で、鴨川上流の高野川に注ぎます。
観光案内にはあまり出ないけど、僕はこの北白川にかかる桜が京都一だと思っています。前家内と来たときは、路上駐車したので少しだけしか堪能できませんでした。疎水の東にキリスト教の教会のような立派な建物が目についたので探索に寄りました。京大人文学部研究センターとなっていましたが、由緒ありそうな立派な建物でした。
元の道を車に戻り、女坂に向かいました。10時の30分ほど前に着きました。部員がまだ来ていません。ここで家内とはお別れです。「何処行こうかな?」というので、近くの三十三間堂とかは去年行ったから大原の里への遠征を勧めておきました。「一旦京都駅までバスで出て、バスに乗って行ったらいいよ」と。
それらしき女子が2人立ってたのでナンパしました。「試乗会に来てくれた方?」「そうです」。京女から7名の参加があり、全員乗せて艇庫に向かいました。車の中で、クラブのこと、ヨットのこと・・・印象良くするおしゃべりをしました。2回生で、去年の試乗会にも来てくれた子がいました。去年は入れなかったから入部しようと思って来てくれたようです。今年の入部第1号です。

今年初めての艇庫です。やっと暖かくなりコーチ業再開です。その初仕事が試乗会、ここで新人を大量に獲得しなきゃね。マネさんから美味しい昼食をいただき、マツザキ君と2人で沖レスキュー担当です。僕の車でハーバーに向かい、レスキューを出して沖でみんなが出てくるのを待ちます。レスキューの周りに四角形に4つマークを打ち、その範囲で試乗会をします。インフレータブルボートでヨットへの乗り換えをしますが、試乗順番待ちや470用のハーネスの着脱などはレスキュー上で行います。僕は例年通りハーネスの着脱担当です。2人なので今年は忙しいです。でもね。女子のハーネス着脱は嬉しき仕事です。なんだかその辺を学生に知られてる感じで、僕のモチベーションを高めるために餌をぶら下げられてる感じです。僕は食いつきますよ。
天気は上々。風も2〜3m/sで試乗会日和でした。女子7名を含め総勢20名ほどが集まり、例年になく試乗会初日の出足はいいです。この調子で毎週の試乗会を突っ走りたいものです。

5時ぐらいに艇庫を後にして家路に着きました。湖西道路が大混雑で、この先どうなるのかと思いましたが、名神名古屋方面は混んでいましたが大阪向きは天王山でも渋滞なしでスムーズに帰ることが出来ました。
僕に遅れて家内が戻ってきて、片道1時間の大原バス行、その後3時間の徒歩散策のことを話してくれました。三千院を越えて東に向かい、比叡山・坂本登山口まで行ったそうです。そこで疲れて腰掛けていると、叡山から下りてきたハイキングな男性に「女ひとり旅ですか?」なんて聞かれたそうです。三千院には、「女ひとり」が似合うのでしょうね。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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