ウェブマスター日記 January-March/2009

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2009/3/30
日曜日の予定は、朝10時からの「仕事場のマンションの年次総会」と午後3時から4時頃からの「KYCスプリングレガッタ表彰式」でした。金曜日の夜家内に「日曜日の予定は?」と聞くと、「明日は午後からお墓参りでしょ」と・・・忘れていました。午後から、うちと家内の実家のお墓参りをすることにしてたんだった。どないしまひょ。
朝一番に北摂最高峰深山山頂目指してバイクで行く。その後マンション総会、うちの方の墓参り、そのまま浜に行って表彰式に臨むことにしました。相変わらずハードスケジュールです。
土曜日の午後6時から「京都ヨット部卒業式」がありました。俗に言う追い出しコンパというやつです。今年もまた何かしゃべらないといけません。何かしゃべってと言われた時に考えたメッセージをプリントアウトして出かけました。せっかく作ったので、備忘録としてここに残しておきましょう。

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卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
旭君、キャプテンになってから、自分の考えを積極的に出し、器が段々大きくなっていくのを感じました。クラブの運営とともに、近畿北陸個戦優勝を勝ち取ったトッププレイヤーになるまでの努力に敬意を表したいと思います。
旅人君、1年でほんとに伸びたね。最後の近畿北陸予選では、旭君と2枚看板になりました。なぜ全日本に行けなかったのか不思議です。神様の気まぐれというところでしょう。
引退後、アフリカにボランティアに行くと言ってたけど、どうやら無事に帰ってきたようですね。飄々とした雰囲気が、肌の色や言葉の壁を越えて、何処でも現地の人にすぐ溶け込めそうで、親にナイスな名前をつけてもらったなと思います。
美里さん、まだ入部したばかりの1回生の7月、全日本女子インカレ予選での印象がまだ残っています。ヨットに乗りたてなのに、すごくがんばっていました。コーチボートから体力や気持ちが大丈夫だろうか心配していました。最終日の最後の2レース、風が上がり470に横付けしてコーチボートから思いっきりバングを入れました。その時声を掛けたところ「大丈夫です」と笑顔が返ってきました。落水もしましたが、全日本への出場権を勝ち取ったのは立派でした。
四季子さん、同じく1回生のとき、ホッパーでコーチボートの航跡を追う練習をしましたが、その時誰よりもうまくて驚きました。自宅との距離などでプレイヤーは出来ませんでしたが、今後ヨットに乗る機会があればスキッパーに挑戦してください。うまくなりますよ。
奈穂子さん、実家がうちの隣町ということや、弟君のことで一番親しみを感じていました。笑顔が似合い、ギスギスしがちな競技クラブの雰囲気を和らげていたように思います。去年、そしておととしの艇庫での引退式の涙が印象に残っています。これからも大いに感動し、大いにそれを口にしてください。それこそが白川さんの神様から授かった世の中に貢献できる素晴らしい部分だと思います。笑顔と涙を絶やさないで下さい。

私は、コーチという肩書きをもらっていますが、厳しく的確なアドバイスをする優秀なコーチではなく、感じたことをしゃべり、こんな方法もあるよと伝え、それを選択するのは選手という考えでいます。車の送り迎え、レスキューの運転手をする用務員のようなコーチです。
全国制覇という大きな勝利を目指して活動していますが、プロのクラブではなく学校という教育機関のクラブであるので、大きな目標に向かってまい進することから多くの物を学べばいいと思っています。その学びは、勝利の数に比例するのではなく、そこに至る過程の中にあると思っています。そして、その過程を自分達が主体的に組み立て行動するところに、学びの最大があるように思います。
ヨット部を終えた今、卒業生みんなそれぞれが、いろんな思いをこのクラブに持ち、そして自分自身のこのクラブで過ごした日々を振り返っているでしょう。
楽しかったこと、しんどかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、たとえこのヨット部での4年間がどんなであったにせよ、今の自分のある部分は、このヨット部での経験から出来ていると思います。
みんなは自分で考え行動した1年だったので、大きな自信を胸にステップアップしていってください。過去を「あの時こうしていれば」と悔やむより、今を変えようとする現在の行動、そして意思が、自分の次の未来を作ると思います。

最後に、言葉を贈りたいと思います。
いまだにパスタの事をスパゲッティと言い、最近までスイーツという新しいデザートが出来たんだと思ってた古臭い人間なので、その言葉も大変古臭いです。パスタと呼ばれる前のスパゲッティが日本に入って来る前の時代に、アメリカの大統領をやってたエイブラハム・リンカーンの言葉です。
今年大統領に就任したオバマさんの就任演説・民主党大統領候補受諾演説・民主党大統領候補選挙戦前半戦でクリントンさんに負けたときの演説などを読んでいて、リンカーンの言葉を取り上げていたり、リンカーンの思想を背景にした言葉を使ったりしていました。その時思い出した言葉を調べました。
私は、関西学院中学部という中学に通っていました。そこに変わってるけど1本筋の通った社会科の先生がいました。中学1年の社会の教科書は1年間リンカーンの伝記でした。奴隷解放宣言を出し、銃弾に倒れた大統領です。
このときの先生は、その学校の先輩でしたが、まだ大学を出たての若い教師でした。今思えば、そんな若造が、1年間もリンカーンだけを教えるのもすごいですが、それを許す学校にもたまげます。とても生徒に人気のある先生で、その後母校の校長になり、大学でも教え、今は別の系列中学高校の校長をしています。その先生に教えてもらったリンカーンの言葉です。

『あなたがころんでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ』

どうってことない言葉だけど、ずっと残っています。偉人の受け売りではありますが、この言葉を、最後に卒業生みんなに贈りたいと思います。これからの人生、いろんなことを経験すると思います。辛い時この言葉を思い出してください。私もそうやってここまで生きてきました。
ご卒業おめでとうございます。そして4年間ありがとう。もう一つおまけに「これからもよろしく」です。

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記念品贈呈の中に寄せ書きの色紙がありました。寄せ書き自体は毎年見たように思いますが、今年のは本人の似顔絵付です。とても上手で、みんなが「良すぎる。こんなにカッコええか?」と囃してました。これは造形大マネの明日美さんか怜奈さんの作品でしょう。
いつもと同じ京都駅ビル横のアサヒビールレストランでの会が終わり、表に出て恒例のエールです。エール係兵頭君の大きな声が響きます。兵頭君を中心に全員で肩を組んで輪を作り歌います。応援歌は分からないので、いつものように口パク、琵琶湖周航の歌は知ってるので歌いました。京都駅前ということもあり、「何だろう?」という顔の観光客さんが立ち止まります。外人さんは写真を写していました。
どのクラブでも一緒でしょうが、こういう席は気持ちが高揚します。「続けてきて良かったな」とOB含め、集まった全員がそう思ったのではないでしょうか。もらった卒業文集「FULLSAIL」を電車で読みながら10時過ぎに帰宅しました。

朝一番の深山登山があるので、風呂に入ってすぐに床につきました。日曜日はいつものように6時に目を覚ましました。土曜日京都に行ったので寝坊するかなと一抹の不安がありましたが、楽しいことが待ってるときちんと目を覚ますようです。
自転車を手に入れてから1週間、毎朝自転車に乗っていましたが今日はバイクです。ゴソゴソとバイクの用意をして6時半に出発しました。深山はR173の天王峠の東にあるので、R173利用が一番早く行けるのですが、バイクであの道を走っても今一面白くないので、いつものルート長尾山トンネルを抜けて北摂エリアに入ります。大型バイクならR173をブイブイ言わせながらが気持ち良さそうですが、250ccだから里山ポタポタが似合っています。山の細い道にも入っていけるしね。
r33からr319で佐曽利経由でr12に合流です。佐曽利の里山風景が好きです。車もほとんど走ってないし、時速40km/hほどでのんびり気持ちいいです。r12でお墓の前を通って西峠手前まで行き、r601に入り峠を越えて秘湯篭坊温泉です。このr601の峠に猪名川町と篠山市の境界があります。一応舗装されてるが「もうちょっと補修してよ」と言いたくなる猪名川町側から篠山市に入ると、道幅は一緒ですが路面は一気によくなります。同じ県道なのにきっと市や町もお金を出してるのでしょう。
そのままR173まで抜けます。真っ直ぐ行っても深山に登れるようですが、ダートのようなので、右折して池田方面に南下します。すぐに「るり渓」方面に行くr731があるので左折。すぐにある農場か牧場のところを左折して山に入っていくようなのでゆっくり走ります。それらしい雰囲気ムンムンの道がありましたが、深山の標識も看板もありません。違うかなと思って更に進むが、「やっぱりさっきの所だ」とUターンです。先週から毎朝自転車に乗り出し、ギアチェンジを毎日し出したからか、本日のバイクは何故か調子いいです。でもこういう時こそ「好事魔多し」でこけるのを注意しないといけません。昨年8月にバイクを買って3度こけました。坂道でスタンドを十分に出し切れていなくてコテン、坂道Uターンでコテン、斜め坂道でバイクから下りるときコテンと、いっつもほぼスピードゼロでしかも坂道です。ここのUターンも坂だったので、両足ついてゆっくりゆっくり回ります。かっこよくUターンなんて今後も出来ないのではないのだろうか。
さあて細い山道を入っていきます。一応舗装されているものの湧き水が道を渡ってるところもあるし、路面はいっぱいはがれてるし、こんなとこ大型バイクで入ってきたら難儀するでしょう。のろのろと5分ほど上ると左手に駐車場らしきものが左手にありました。舗装されているわけではなく、ただ木や草がなく広場になってるだけです。工事用のプレハブが建っていますが、窓ガラスが割れています。
その右手には綺麗に舗装された道路が山頂に向かっています。でも門扉が閉じられて入れません。別の道はないものかと更に道を進みますが、50m程でダートになってしまいました。しかもかなりひどいダートです。天王峠から上って来る道のようです。「こりゃあかん」とUターンしようとがんばりますが、さっきの駐車場が峠だったようで、この道下ってるから両足ついてのケンケンバックではバイクが動きません。バックギアがついていないバイクではお手上げです。仕方なく慎重にエンジン切ってバイクを下り、ウンショと右側に人力バックさせて、左に惰性前進し坂に対して横向きにまで軌道修正しました。再びバイクに乗っかりエンジンスタート、やっとこ峠に戻りました。
閉ざされている門の横にバイクを置き、門の横から道に入り徒歩登山開始です。門の横には獣道のような踏みならされた人が1人通れる道があり、バイクなら行けそうですが、門前には「深山レーダー雨量計道路につき通行禁止・・・」という立て札が立ってるので自粛です。通行禁止って歩行者もあかんのやろか?でも深山山頂からの景色をいろんなところで紹介されてるし・・・ということで行ってまうことにしました。門の前の広い駐車場が、「ここで車を置いて徒歩で登ってね」と語っています。
あまり斜度のない真っ直ぐな直線道を上がりだすと、数台の車の音が・・・下を見ると駐車場に5〜6台の車が入ってきました。車を置いてこの道を上がってくるのかなと見ていたら、一旦駐車場に入った車が、一斉にダートの方に進んで行きました。4DWではなさそうな車ばかりだったので、「ボロボロになるんとちゃうん?」と思いながら見送りました。あの道は、オフロードバイクの道だと思うんだけど。
再び山頂を目指します。結局門のところから10分ほどで山頂に着きました。斜度もなくずっと綺麗な舗装道路だったので、子供でも安全に上がれる道でした。標高800m弱のそれほど高くない山ですが、さすがに北摂最高峰、眺めは最高でした。南東方角には京都の愛宕山、北は篠山市の北にそびえる何とかアルプスの山々、南西には遠く六甲山も望めます。
山頂は風が強く寒いです。しかも土曜の夜雪が降ったようで、下草の上にも道路にもまだ吹き飛ばされていない雪が乗っています。鹿にも遭遇しました。もうすぐ山頂というところで山頂側から道路に鹿が出てきました。大人の鹿で背中の高さが僕の肩ぐらいあるように見えました。「ゲ、やばい」と身構えました。車やバイクに乗っていたらまだ余裕があるのでしょうが、今回は徒歩なのでトホホです。突進してきたら一目散に逃げ、結局ぶっ飛ばされる運命になりそうです。2〜3秒にらめっこしてたら、遠い昔の祖先時代に野生を失ってしまった人間への武士の情けか、お尻を向けて下っていきはりました。ホッ。バイクに乗って下ってる時にも子供の鹿に遭遇しました。道路を流れてる水を飲んでおり、停車して見てるとゆっくりと横の山に入っていきました。まだ朝8時なので、朝の腹ごしらえ中だったのかもしれません。すんませんね。
マンション総会まであと2時間なので、R173を一気に池田方面に戻りました。信号もほとんどなく下り基調の道なので、周りの車のスピードに合わせて60〜70km/hで池田まで一気でした。r12にタックして川西でr13に名前を変え、家まで50分ほどでした。
マンション総会はもめることもなく2年間の理事任期満了です。また3年後理事の番が回ってくるのですが、一応お疲れ様です。家に戻り家内と一緒に車に乗り、さっき通ってきたばかりのr12を北上し墓参りを済ませて、そのままハーバーに向かいました。昼過ぎのR171は武庫川を渡ってから大変混んでいて、車で走る道ではありません。
ハーバーに着いてKYC事務所に顔を出すと、横山さんがおられて、艇名を言うとめでたくお弁当券を3枚ゲットです。一点鐘でシートを購入。店員さんの彼女は次男君と同じ学年のヨット乗りで清風ヨット部君達と仲がいいです。ショウジ君がやってきた時仕入れた情報を教えてくれました。清風ヨット部の同学年で東京に住んでる3人、梅ちゃん・コマキ君・次男君が向こうで時々集まって飲んでるそうです。その時ショウジ君に電話を掛けてきて、あ〜だこ〜だ。「集まる時は俺も呼べ」と言ってるんだと笑ってたそうです。小学生時代からのヨット友達、相変わらず仲がいいようです。
ハーバー前のデッキに出ると、KYCウィーク出場者達がバーベキューをしています。ちょうどそこにいた竹井さんに聞き、食券を持ってケータリングの車に。1枚の食券で、お茶1・ビール1・バーベキューの食材パック1(串刺しにされたウインナー1・肉3・鳥3・貝柱3)をいただきました。ビールは飲まないのでランバージャックメンバーがおられたので寄付、バーベキュー食材も寄付しようとしましたが、「もう腹いっぱいや」ということで、お弁当とともにお持ち帰りすることにしました。
3時半から、今日のオープンレースを含めて、1ヶ月間に及ぶKYCウィーク各クラスの表彰が始まりました。ジョーガメンバーは皆さん都合が悪く、3位のトロフィーをもらってくるようにシブカワさんから言われていたので、おいしいお役をさせてもらいました。2位のミッドナイトフラワーはゴクラクジさん、優勝のランバージャックはタワさんがトロフィーをもらいに行かれました。
ランバージャック集合写真に、タワさん・イサミさん・シゲトモさん・シミズ君に混じって写ってしまいました。ジョーガは、シゲトモさんと2人で写真に収まりました。言いつけどおり、エルシノア艇の中にトロフィーを置いて帰宅。夕食はバーベキュー食材とお弁当でおいしくいただきました。今日も楽しい日だったな。

2009/3/23
日曜日は琵琶湖の「同志社ウィーク」のレーシングコーチに行ってきました。今年初の琵琶湖行きです。最初の予定では、日曜日の出艇は8時でしたが、8時半出艇というメールが土曜日の夜入ってきて、初日の土曜日はいい風が入り、レース消化に余裕が出来たのかなと思いました。
土曜日の朝から家内が東京に行ってるので、前日は暗い家に戻り、せいない食事を食べ、静かな朝に目覚めました。これが続けば慣れるのだろうけど、出来ればずっと誰かがいる家で暮らしたいなと思いました。
天気予報は、雨模様でしたが、なんとか曇りを保っています。レースサポートなので車で出発しました。いつもより少し遅い時間帯だから名神高速の交通量が多いのかなとも思いましたが、「ひょっとすると高速全線1000円」が名神でも始まったのではないかと期待しながらETCレーンを出ました。「1600円」といつもと同じ表示でちょっとがっかり。まあ最近は高速道路で遠出することもあまりないので、僕の場合は恩恵は微々たるものでしょうが、やはり安いのは嬉しいです。

ちょっと話は逸れますが、この「全線1000円政策」、料金徴収関係の人件費と機械メンテナンス費用が出るのだろうか?と疑問に思っています。自民党が、民主党の「高速道路全線無料」に対抗して(パクッて)出して政策だろうけど、当初民主党が無料案を出した時、その根拠に、「料金徴収しても、そのお金は道路延長費用の方まで回らず、機械と人件費で大方消えてしまう」と言ってたように思います。
確かに、新たに出来る地方の高速道路とは少し狭いけど、信号も交差点もない自動車専用高架農道は、無料です。前は料金徴収されていたけど無料になった湖西道路バイパスのような例がたくさんあります。湖西道路がなぜ無料化されたかというと、料金徴収するより無料にする方が経済的だからだそうです。料金徴収システムの維持管理更新・料金徴収人件費の方が、徴収料金収入より多いのだそうです。「なんじゃそりゃ」とその時思いました。「全線1000円乗り放題」政策では、料金徴収システム維持費用は同じく発生するので、「ただ」以上に政府の財布に厳しいと思えてなりません。
家内が、「高速無料化されたから、バイクにもETC付けたら」と言っていましたが、政権交代すればETCの機械自体が無用の長物になりかねません。下衆の勘ぐりですが、「高速無料化されたらえらいこっちゃ」とETCメーカーや料金徴収システム関係会社が思ってたところに思わぬ好機到来です。このチャンスに将来廃棄されることになるETCを売りまくって利益を上げておこうと思ってるんじゃないだろうか?数字で無料化の方が得になるとわかってる官僚さんたちが、ETC関係業界からの無料化大反対コールをしのぐために、前もって業界が利益を生むシステムにしたんじゃないやろか?なんて思います。民主党政権にならなくても、2年後には高速道路は無料になると予想してるんだけど、どうでっしゃろか?

8時ごろ艇庫に着くと、例年同様北大さん達がいました。北海道は3月の最終週にならないと練習できる状況にならないそうです。この日の気温は北海道の6月頃に似てるそうで、まるで天国のように話していました。その代わり、街中の道でスキーが出来ちゃったりするから、まあどっちもどっちですね。更に、出艇するために水に入り船を持ってると蛸が足にくっついてくることがあり、その日の晩飯に化けることもあるそうです。とってもうらやましいです。ちょっと潜れば、サザエなんか取り放題なのかもしれません。
出艇予定時間には、朝吹いてた風が止み、AP旗が揚がったとハーバーから電話が入りました。レースは延期ですが練習することになりました。出艇申告はしたので出艇はOKです。車でハーバーまで行き、レスキューに乗り、練習海面にマークを落とします。そのまま陸上本部のある柳ヶ崎YHに着け、ハーバー待機していた陸上本部担当乗り要員と交代してハーバー番です。といっても番は上がりの学生に任せ、僕はハーバーをうろうろです。
FJの大会もやってるので、高校生の陸上本部には先輩のナガイさんがいます。隣には琵琶湖ジュニアの艇庫がありました。元の琵琶湖ジュニア艇庫は、立命館が買い、そこに新しく艇庫を建てるのだそうです。今のリッツ艇庫は壊されて、ハーバー中央が広くなるようです。ハーバー中央部に艇庫があり、大きな大会を開催する時、船置き場に困りました。より効率がよくなりそうです。
見知った方が大勢おられました。同志社のシミズ君に「先週、ドラゴンの優勝おめでとう」と声を掛けると、土曜日はシミズ君がレース委員長をしていたようです。琵琶湖の風はあてにならないので、午後からのいい風でしっかりレースをして5レース消化出来たと言ってました。スポーツセレクションで多くの選手が取れないので、同志社さんもKGのように、付属高校・中学からの人材育成を画策しているようで、「KGはどんな風にしてますの?」といろいろ話しました。ニシムラ先生もやってこられ、一向に風が吹いてこず暇なので、あ〜だこ〜だいろんな話をしました。甥君が清風中学に今年入学するので、一応先生のお耳にいれておきました。
琵琶湖ジュニア艇庫前に、オクムラさん・マツナガさんがいます。オクムラさんの息子さんとは新西宮で時々会いますが、お父さんとは1年ぶりぐらいです。マツナガさんとはもっと会っていないと思います。息子さんの北京オリンピック出場関係でメールで連絡を取ったぐらいです。ニシムラさんもいました。琵琶湖ジュニアの指導体制が前のようになったようで、この日はマツナガさんとニシムラさんが担当だそうです。イマイさんも指導者ローテーションに入ってるようで、現役の親御さんとあ〜だこ〜だ作戦を練り、また選手を増やし強くなることでしょう。
最終日の最終予告信号予定1時が迫り、陸上本部にL旗があがりました。本日はノーレースです。すぐにハーバーを離れ、沖で練習ブイを拾い、レスキューバースに向かいます。艇庫に戻り、閉会式後ミーティングをして僕だけ先に帰路につきました。

何とかもっていた天気が崩れ、4時ぐらいから雨が降り出し、名神で京都を通る頃は土砂降りになりました。通常なら、そのまま帰宅してお終いなのですが、5時頃に地元に帰れたので自転車屋さんに寄る事にしました。注文していたドロップハンドルのロードバイクが入荷し、組み立てが終わっています。もう1週間店に置いといてもらう予定でしたが、雨も小雨程度なので、持って帰ることにしました。
店に入り、まずは店長さんからパンクの時の対処を教えてもらいました。サイクルコンピューターなど各種部品の使い方や、メンテナンスなどは前回聞いていたのですが、ロードバイクの場合パンクのリスクがママチャリよりは高いそうで、田舎道では自力で対処しないといけません。細いタイヤなので、ママチャリのように勢いよく段差に突っ込むと、タイヤ内空気のクッションが少ない分パンクしちゃうそうです。だから段差のない車道を走るのが基本なのだそうです。ロードバイクの空気圧は7気圧ぐらい入れるそうで、車やバイクの2.5気圧より圧倒的に高いです。パンクしたら、タイヤを修理するのではなく、チューブごと交換します。チューブが1000円ほどなので、修理せずに使い捨てにする方がほとんどだそうです。もちろん修理も利きますが、それは本職の自転車屋さんに後日持ち込む流れです。
タイヤからチューブを抜き、新しいチューブをはめ、自転車のバーにくっつけて携行する手動空気入れで適当に空気を入れます。手動ポンプで7気圧まで入れることはまあ無理で、これをやると腕がパンパンになり、下手すると脳天の血管がパンクして黄泉の世界への旅立ちになるかもしれません。ゆっくり気をつけながら自転車屋さんを探し、そこでちゃんとしたフロアポンプでしっかり空気圧を高めるのがベターです。
店長さんに見てもらいながら1人でパンク手順を実技して、合格をもらって帰宅しました。平均年1回、しない人は何年もパンクを経験しないそうなので、それほど神経質になる必要はありませんが、この際学んでおきましょう。ロードバイクの空気はフランス式の空気穴の関係か?抜けやすいそうです。だから週1で空気圧点検をした方がいいのだそうです。車にくもの巣が張っていても平気なめんどくさがりの僕に出来るのだろうかな?

6時ごろ自宅に戻ると、家内がちょっと前に帰って来たようで、荷物が玄関にそのままありました。東京での仕事は朝のうちに終わりなので、東京在住の長男君プロデュースで子供達とシークレットツアーに行くことになっていました。お早い帰宅にちょっとビックリでした。おのぼりさん定番の東京タワーには行かず、予約してくれたフレンチを食べ、銀座に出てブランドショップを見てきたそうです。この日は「東京国際マラソン」当日で、遅れ気味のランナーの走っている姿も見れてとても楽しかったそうです。ほんとはもっと子供達といたかったそうですが、前日名古屋に出張だった長男君が、この後会社に行ってその報告書作りなどの仕事をするそうで、遅くまでひっぱたらかわいそうだと思って早めに切り上げたそうです。なにやらまた韓国に出張のようで、アメリカだ何処だと国内外を問わず飛び回ってるようです。身体には気をつけて欲しいですが、ありがたいことです。身体に気をつけてと言えば、長男君から、「お父さんにちゃんと定期的に健康診断に行くように言っていてね」と言われたそうです。子供から健康を心配される年齢になったと言うことですね。抗がん剤を開発してるので、早期発見だったら癌だって治るんだから・・・とか。健康を気にしすぎてビクビク暮らすより、新しいことにチャレンジしていつも気持ちを若く、あかん時は笑って一貫の終わりと行きたいものです。早生まれ変わって、まっさらの肉体で新しい人生が楽しそうです。
次男君は今年と来年国家試験を受けるそうです。実務経験年数を満たし試験を受けることが出来ます。決められた有資格者人数は会社にいるので仕事には必要ないそうですが、せっかく大学で学んだのだから資格を取っといた方がいいですね。目標のある勉強は面白いです。がんばってね。
親子3人での東京ウロウロになりましたが、出来ればGFさんも含めて5人で会えたらいいのにと思ってました。長男君の方は、仕事で国内にいないそうで、WBC関係の仕事だったので密かに家内と2人でキューバに負けたらいいのにと思ってました。次男君の方は、海外お買い物ツアー中ということで、こちらも国内にいません。なんだかみんな大活躍で嬉しい限りです。

我が家の玄関に鎮座した自転車を見て家内は、「かっこいい。軽い」と驚いていました。「でも私には乗れないわ」と。スポーツ自転車に対して好印象のようでいい感じです。時期をよく考え、家内用のスポーツ自転車を買い、2人で自転車ツアーをしたいと思っています。家内には真っ直ぐなハンドルで軽いクロスバイクがいいかな。簡単に車輪がはずせるので、自転車を持って電車に乗り、遠出するのもいいです。疲れたら電車で帰ってくることも出来ます。それにはまず僕が毎朝自転車に楽しそうに乗ることが第1段階です。「何処で買ったの?」とか言ってるので、第2段階は1ヶ月点検の時に一緒に行くことにしましょう。クロスバイクにまたがって、その場で「買おうかな〜」なんてなったら嬉しいんだけどね。
そういうお楽しみとは別に、メタボとは無縁の引き締まった体型になれるかも知れません。目指せ!小栗旬です。

2009/3/16
日曜日は、ドラゴンの今シーズン初戦でした。KYCスプリングレガッタ。ドラゴンのレースは土日だったのですが、日曜日だけの参加でした。
9時過ぎに浜到着。前日からのレースなので、レース艇は桟橋にいます。ジェノアとメインをセットしていると、レースに出場される皆さんが来られます。ゴクラクジさんに話を聞くと、土曜日はアラレが降り、10m/sオーバーの西からの強風も入り、とても寒かったようです。その風の割りに風もよく振れ、結局2レース出来ずに、海上で待ってばかりだったということです。この日の朝も寒かったですが、「昨日よりはマシ」と思わないといけませんね。
3月というまだ寒い時期なので、参加艇は4艇で冬眠中の船が多いようです。うちのチームも出たり出なかったりの時期です。いつも参戦されるJ34スワさんチームが船を売られ、新たに速いらしい船をヨーロッパから輸入されるそうです。5月から再び参戦されるようです。J34をジブバッグさんが買われたそうで、今度から新西宮に置かれるそうです。去年うちと甲南チームが合併して1チーム減ってしまったので、新たな参戦があり嬉しいです。レースなんて、出来るだけ多くの艇が出る方が、順位は関係なく面白いですからね。
セイルセットが終わった頃、オオノさんと、タワさんチームからの助っ人シゲトモさんがやってきました。10時半スタートなので9時半に出艇です。この日の私のポジションはスキッパーでした。成績の半分以上はスキッパーの腕で、舵を握ってるので、船の全責任を持つポジションですが、はっきり言って身体的には楽です。最終レースでオオノさんの体力如何では、交代しましょう。ドラゴンフリートのメンバーは学連上がりが大半で、レース経験が豊富で、ほぼ誰でもスキッパーが出来ます。お互いの技量を信じてるから、結構学生並のシビアな接近戦が挑めます。1トンの船が風だけで、波からの影響を受けながらテールtoノーズで一斉にマークに殺到する姿は圧巻です。ぶつかりそうになったら、ルールにのっとって非権利艇がギリギリで避けます。
オオノさんから、「J34は初めてのドラゴンで慣れていないから、必要以上に近づかないように」と指示されてレース開始です。朝から6m/sのいい風が吹いています。1.5線スタートになってしまいました。下のタナカ艇からの影響があると思うのですが、結構ついていけます。レグの半分ぐらいまでスターボを伸ばしたのですが、上平行でスタートしたタワ艇が速く、段々とバウを出され、ブランケットに入る前にタックです。そのままポートで最終まで伸ばしタックして上マークアプローチです。オーバーセイルがなければ、タワ艇には遅れていたでしょうが、タナカ艇とはミートだったと思います。うちのチームは、体力温存・安全重視ですからこの風になると、タックの回数を減らす方に頭が行ってしまいます。
先行艇に2〜3艇身遅れでスピンランが始まりました。同じ感じで下マークを回航しましたが、スピンダウンにミスし、バウに引っ掛けてかぎ裂きを作ってしまいました。こうなるとスピン戦闘能力がゼロになり、次の上マークからのレグでJ34に抜かれてしまいビリフィニッシュです。
すぐに第2レースをリタイヤする旨本部船に言って、ハーバーバックです。新しいスピンをセットしてレース海面に戻ると、まだ2回目のクローズレグで、案外早く復帰でしました。第3レースは、アウター有利とみて、早めにラインに乗りましたが、他艇はみんな本部船寄りを選択したようで、余裕でスタートできました。J34とうちがスターボを伸ばし、他の2艇は右海面で走り合いをしています。
上マークアプローチすると、タワ艇が「うそ〜」という感じではるか前を交わしていきます。右海面が良かったのかもしれませんが、スタートから上のレグ20分ほどでこれだけ離されるというのはちょっとがっくりです。王者タナカ艇もタワ艇のスピードについていけないようで、4〜5艇身は負けているようです。当方はさらに5艇身負けというところでしょうか。
上を回って下マークを見ると、スターボでほぼ12時。風は沖海面を選択したうちとJ34に有利に振れてたようです。「ううむ」です。下マーク回航は、早めにスターボのままスピンを下ろして、ジャイブして回航に決めました。うちが下ろしだすのとほぼ同時に先行するタナカ艇も下ろしだしました。前にタワ艇に追いつこうとギリギリまでスピンを張ったようですが、やはり遅すぎたようです。
先行2艇もうちもそのまま右に突っ込みます。前に行ってるかは別にして、うちの方が高さが上がるようで、前の視界から先行艇がジェノアの影に消えていきます。レグの2/3以上行ったぐらいでタワ艇がタックしたようでバウを切って行きました。なかなかタナカ艇が来ないなと思っていたら、タックしてきたタナカ艇とジャストミートでした。下マークでミスっていましたが予想外に追いついたようです。「こりゃあかんな」と下受けタックすると、タナカ艇はタックして再び右海面に。上マークにポートアプローチすると、スターボアプローチのタナカ艇とまたジャストミート。ギリギリ前を切れるかなという感じでそのまま突っ込んだのですが、最終的に無理のようで、更に厳しいところでタックすることになりました。この高さでは上マークには少し足りません。オオノさんから「ジャイブラウンド」のコールが飛びましたが、タナカ艇がタック下のでこちらもタック、そのまま押さえて先にタックして前で回るという選択もありましたが、さっきの厳しいタックのこともあり、風を抜いて減速し、前に行ってもらうことにしました。プロテクトをコールされてもおかしくない近さで、悪いことをしてしまいました。まあこのレグは、タナカ艇と互角の勝負が出来ていたということで、収穫もありましたが。タワ艇は悠々トップでした。
第4レース、2時を回り最終レースになるでしょう。今度は本部船寄りからのスタートというオオノさんの指示があり、本部船ギリギリを狙います。470のように小回りが利かないので、神経を使います。遅れ上1のタワ艇のスターンにくっついてスタートし、すぐにタックして右海面に出ます。他の3艇はみんなスターボを伸ばしているので1人旅です。今回もタワ艇が速く、この風では独壇場です。それでも細かいところはタナカ艇がうまく、このレースでタナカ艇が先にフィニッシュしたら同点です。スピンランでタワ艇にタナカ艇が追いつき、ラフィングなどしています。漁夫の利を得て下はトップ回航、2番で回ったJ34から声がかかりました。2回目の上りレグで再びオーバーセイルで3位に逆戻りです。さあここからが困ります。すぐ後ろで回航したので、先行艇をブランケットできますが、どっちも母校の先輩スキッパーなので、どっちにも恨まれたくない。
まず2艇の内側に入りましたが、ジャイブすればいいけど省力するためにはそれをしたくない。先行したタワ艇が内側を死守し、さらにベアして内側に入りたいようです。外のタナカ艇からは「向こうをかぶしてくれ」というジャスチャーが飛んでくる。「外行こ」とオオノさんから指示が出て、一気に大外に出て、関係ない位置に移動しました。
いい風が1日吹き、楽しいレースが出来ました。陸置きバースに戻って船を洗いながら、レースのあ〜だこ〜だ談義が華やぎます。レース前、「こんど自転車に乗ろうと思うてますねん」としゃべったら、シゲトモさんは来週ボーイスカウトの世話で2泊3日で淡路島に行くそうです。60台の自転車をトラック数台に積んで淡路島に渡り、伴走車を伴ってテントに泊りながら自転車で一周するとのこと。
1日は自転車、後の2日間は伴走車の世話をするそうです。奥さんがずっとガールスカウトで、もう大きくなったお子さんもスカウトだったそうで、子供は卒業したけど親だけがまだ卒業出来てないよくあるパターンです。スカウトはいろんなことをするので、楽しそうでいいですね。うちの長男君も数年スカウトに入ってたな。
5時前にハーバーを出て、家路に着きました。この後のメニューは、8時半から家内と映画、それまでに散髪と自転車屋に寄る予定にしていました。でも車で来てしまったので、夕方からの渋滞で遅くなり自転車屋さんに行くのはパスになりました。荷物が多くなく1人でくる時はバイクがいいですね。
この日の映画は「ジェネラル・ルージュの凱旋」です。「このミステリーはすごい」で大賞を取った「チーム・バチスタの栄光」と同じ作家さんの作品の映画化です。「バチスタ」は見なかったのですが、TVでやってたのを見て面白かったので、「ルージュ」は観にいくことにしました。竹内結子さんは相変わらずいいし、厚生省も絶好調です。前半はミステリー主体の静かな展開で、レースでの疲れもあってちょっと眠たげでありましたが、大きな火災が起こりけが人が多数発生した後半は、平時の病院内で繰り広げられたミステリーの前半のわだかまりなど全部吹き飛んで、オフのスタッフも総動員する展開に変わりました。前作の登場人物もここで出てきて、アメリカンハッピーエンドに向かっていきました。家内と2人で「面白かったね」と。
映画の前に少し時間があったのでペットショップに寄りました。「目が合ったら、買っちゃうんだって」と指摘されながらチワワやプードルを見て、「ペット用のケーキは人間が食べたらあかんのんかなあ」や「糖尿病用食なんて人間と同じやなあ。大体ワンちゃんの意思に関係なく人間が食べさせて糖尿病にしたんとちゃうん?」と楽しみました。来週末、家内は東京で子供達とデートです。長男君がメニューを考えてくれるので楽しみにしているようです。私は同志社ウィークで琵琶湖行きです。

2009/3/9
日曜日は、朝一番から仕事で外出。京都のシラカワさんからクルーザーのレースにも誘われたのですが、朝の仕事とバッティングしてしまったので残念でした。家内と11時に待ち合わせして、家内から誘われていた「大阪アウトドア・フェスティバル」に行きました。場所は、南港の「インテックス大阪」です。JR大阪駅で環状線に乗り換えて弁天町駅、地下鉄に乗り換えてコスモスクエア駅、ニュートラムに乗り換えて中ふ頭駅に到着です。乗換えが多くて・・・。インテックス大阪の隣にはWTC(ワールドトレードセンター)があります。隣の駅にはATC(アジアトレードセンター)もあり、南港埋立地のランドマークで、大阪湾から良く見えます。ここが大赤字。テナントが埋まらないので、赤字解消のために大阪府の府庁が移転するとかしないとか揉めています。府庁職員さんは、こんな乗り換えが多い職場は嫌でしょうね。役所に用事で行く方も面倒でしょう。ビルのテナント料赤字の補填になるが、職員向けの交通費は嵩み、それが市営地下鉄やニュートラムの収入に転嫁される。経済的にどうなんだろうな?タダ一つ確実なことは、中ふ頭駅横にある大きな駐車場ビルの空車率は改善されるでしょう。
インテックス大阪まで歩いていると、テキヤさんが出ていて、バナナにチョコレートを巻いたものを売ってました。初めて見ました。子供達が小さな頃の夏の冷凍庫には、割り箸に刺したバナナが定番で入っていました。僕特製(バナナをむいて刺すだけ)のバナナアイス、僕を含めて男子3人には大好評でした。本物のアイスほど冷たくないし、安いし。あれを思い出しました。この時期、アイスバナナではなさそうですが、チョコレートがプラスされてるとは、うまいに違いありません。いつか食べないとね。
「アウトドアフェスティバル」は、インテックス大阪の2棟で開催されていました。1棟は、キャンピングカーばかりのフロアで、数年前に来た時より展示車両が随分増えていました。売れてるんでしょうね。半数がトヨタのハイエースベースの車両で、軽自動車のキャンピングカーもありました。前回は、大型のトレーラーハウスも数台展示されていましたが、今回はゼロ。売れ筋の変化が見えます。
ハイエースベースの車両は、冷蔵庫・シンクなどいろんな造作がされているものの400万円台が多く、家内曰く「そんなに高くないのね」です。我が家の車は、ずっとこのサイズのワンボックスワゴンだから、確かにノーマルとたいして価格はかわりません。まあ、我が家がキャンプに行ってた時期はとうに過ぎちゃったから必要ないですね。今や倉庫に当時の面影と言うか残骸というか、数棟のテントとテーブルや椅子、ガスバーナー数個があるだけです。いつでもキャンプに行けますが、それを喜んでくれる子がいないので出番なしが続いています。
もう1棟では、カヌー・ラフティング・ヨット・バイク・ラジコン・・・と盛りだくさんでしたが、一番興味を引いたのが、和歌山県のベースです。特に「熊野古道」。一度歩いてみたいです。中高年に人気なんだそうです。山歩き・登山と、健康維持の為に歩く方が増えていますが、急峻な崖を越えることもなく、和歌山・奈良の景色を堪能しながら歩く昔の熊野詣を体験するのは、とても魅力的です。でも歩くのがあまり好きじゃない僕には・・・どんなものかなあ。パンフレットをたくさんもらってきたので、家内は検討しそうです。その時は付き合わないとね。
12時過ぎにインテックスを後にして、「これから何処に行く?」と電車に乗りました。一応京都の金閣寺界隈散策に決めました。地下鉄線には近鉄が乗り入れていました。乗ったのは近鉄の車両でした。「このまま奈良に行けるね。セント君でも見に行く?」。「え〜」家内にはセント君は不評のようです。「裸の大仏さんに鹿の角生やしたらあかんやろ。罰当たるで」と僕も思います。「もっと乗って行って伊勢の赤福もちでも食べに行く?」・・・伊勢に行くには時間が遅いので、当初の予定通り金閣寺を目指しました。昼食を取ってないので、新大阪駅で途中下車し、プラットホームにある立ち食いさんでかやくご飯とうどんのセットで腹ごしらえしました。
JR京都駅を出て、市バス案内所で1日市バス乗り放題パス500円を購入。往復だけなら220円×2で損なのですが、小銭を用意するのも面倒なのでこっちにしました。金閣寺に着いたのが3時、桜の季節前ということもあり観光客は少なめです。池の向こうに見えてきた金閣寺を見て、家内が「ちょっとあれねえ」。確か数年目に化粧直ししたばかりだったように思いますが、ここはいつ見てもプラモデルみたいに金ぴかです。「なんか風情がないわねえ。ちょっとしたお金持ちさんが建てそうだもの」だそうです。
何年ごとに化粧直ししてるのでしょう。もう少し年数が経ったら少しくたびれて風情もでるのかもしれませんが、僕はいつも違和感が残ります。ワビサビの東山文化の象徴モノトーンの銀閣寺の方に惹かれます。アジア南部の大乗仏教の派手な色合いの寺院にも違和感があるし。といいながら、久しぶりに来た金閣寺をたくさん写真に収めました。金閣寺の参拝チケットが、柱などに貼るお札になっていました。ごく普通のしっかりした大きさで、前を歩いていた女子大生風の数人が、「これ折ってもいいの?」「私シワが入らないように綺麗にしまったよ」と。家内は「これアイデアねえ」って感心していました。
まだ4時前なので、お隣の龍安寺に行ってみることにしました。こちらも世界遺産で、この北大路通の1本北の東西の道には世界遺産通りでもあります。更にお隣の仁和寺がどうだったっけな?バイクで走ると、次々に世界遺産が現れるのですが、歩くと結構ありました。バス停で2つ。乗り放題パス持ってるんだから、バスに乗ればよかったです。でも家内は、「立命館が見れてよかったわ」だって。金閣寺と龍安寺の間に立命館の中心衣笠学舎があります。立命館小学校が何処にあるのか聞かれたけど、僕も分かりません。衣笠にあるうのかな?
やっとこ「龍安寺」です。僕的には今一だと思ってるので家族で来たことはありませんでした。家内は初めてのようで、何も言わずに「龍安寺の庭」にご対面です。予想通り「もっと大きなお庭だと思ってた」との感想が返ってきました。このお庭がなぜこんなに有名なのか僕にはよくわかりません。「高知のハリマヤ橋」や「沖縄の守礼の門」よりはマシだと思いますが、京都No1のがっかり文化遺産だと思います。確かにいいんだけど、京都にはもっと綺麗な枯山水のお庭や借景のお庭がたくさんあります。ここが有名になった頃は、石庭や枯山水のお庭が他になかったのかもしれません。その後他のお寺が枯山水人気にあやかろうとお手入れしたから埋没して行ったのかもしれません。
他のお庭を散策し、最後にお抹茶をいただくことにしました。昨秋の「嵐山花灯路」で、家内に飲ませてあげられなかったので、「お抹茶があるよ、飲まない?」と誘うと、「う〜ん、別にいいわ」。なんかすぐ遠慮しちゃうんだよね。ここはもう一押しで、めでたく朱色の庭席に着席しました。まかないさんが持ってこられたお抹茶と甘いお菓子をほおばり、「久しぶりに飲んだらおいしいわ」だって。
抹茶の苦さが今一な様に感じたので、「おっしょうはん、抹茶ってもっと苦くなかったっけ?」と聞くと、「薄入れはこんなものね。濃く入れるともっと苦いよ」と。小さな頃から僕と結婚するまで、ずっとお茶をやってて、免許皆伝までしたのに今は飲むこともしていません。おうすや茶器は、たくさんの着物と一緒に嫁入り道具でうちにやってきたけどそのまま。なんか申し訳ないなとずっと思ってきました。せめてもの償いのつもりで、そういう場面があると誘うんだけど・・・遠慮しちゃうんだよね。お点前の席などに出かけていったらいいのに。
龍安寺の方丈は大修理に入るようです。ボチボチやってるのかな?周りに足場が組まれており、いずれ銀閣寺同様白いビニールで囲まれるのでしょう。確かに相当痛んでいるところがあります。普請しないとね。方丈・石庭を囲む土塀が、いい痛み具合で味が出ていました。反対側は修理されたところみたいで綺麗です。それを写真に収めていると、「これ痛んでるのね。模様が書いてあるのかと思った」と家内がかわいいことを言います。
龍安寺前からバスに乗りましたが、阪急四条河原町行きだったので、河原町からJR京都駅行きのバスに乗りました。京都駅に下りると、「これでバス3回、1日パスの元を取ったね」だって。帰りの電車では「大旅行になっちゃったね。これだったら最初から京都に来たら良かった」とのこと。学生時代、クラブもしてなかったのに一度も京都に来たことがなかったようで、京都には裏千家さんに用事があるときぐらいだったのでしょう。方向音痴だから、そこから周りを散策することもなかったんだろうな。「ター君が京都の大学に行くようになってから好きになった」そうで、家内の中では京都がマイブームになってるのかもしれません。来月は、人は多いだろうけど桜の京都に参戦しましょう。
帰りの電車で、「最近の不況にも関わらず、自転車の輸入は減ってないんだって」「健康維持とダイエット・メタボ対策には、有酸素運動が良く、早く走るよりゆっくり走るか早足で歩くのがいいんだって」「走るより自転車をこぐ方が、膝への負担が楽なんだって」と、暗に誘っておきました。長年夫婦をやってると以心伝心、僕の本心が伝わるようで、「私、両足が着かないと怖いから乗れないよ。車がたくさん走る道も怖いし」と返って来ました。
「軽い自転車買って、朝仕事に行く前に乗ろうかなと思って。でもいつもの自転車屋さんに相談したら軽いスポーツ自転車は置いてないんだって」と言うと、「数日前チラシに自転車が載ってたよ。探してあげるわ」って。家に帰り、電話帳で自転車屋さんのところを引いてくれています。僕は「大きな自転車屋さんは、店員さんが代わるからずっと長く相談していけないし・・・」と言い、家内がメールチェックしてたので、家内のPC借りて自転車屋さんを検索しました。検索結果を見て家内は、「20万円とか30万円の自転車もあるんだね。7万円のもあるけど・・・」って驚いていました。
僕の興味に、嫌な顔せず協力してくれる・・・僕にとって貴重な人です。むふふ、まずは僕がロードバイクに乗る。家内が興味を示せば家内用に軽いクロスバイクを買う。そして2人で里山をプラプラ走るという将来像の実現に一歩近づきました。家から里山地帯までの車が多い道をどう回避するかが問題ですが、車に自転車を2台乗っけて、一気にそこまで行ったらいいだけですね。

2009/3/2
日曜日は、午後1時からドラゴンのマストを立てる作業をすることになりました。その予定が入るまでは、バイクで1日遊ぶか、家内が暇なら一緒に京都にでも行こうかなと考えていました。予定が入り、スケジュールの組み立てです。
朝一番にバイクで北摂最高峰深山の山頂を目指す。関電かNTTの舗装道路が山頂まで延びてるそうです。なんとなく大野山への道より良さそうなので、夏に満点の星空を家内に見せるのにいいかも?と思い、その下調べです。懸念は、その道路を一般車両が走ってもいいのだろうか?ということです。まあ行ってみればわかります。深山はR173の東なので、途中一度走ってみたかった阿古谷の道を走るのもいいかも。深山の後は、R173を北上しR372を西進、篠山の手前すぐ南にある高城山に登る。ここには戦国時代、難攻不落と言われた波多野氏の城がありました。R372を挟んだ篠山側の丘に本陣を張る信長は以下の明智光秀と対峙し、圧倒的兵力差の中持ちこたえました。一度光秀軍を敗走させましたが、再度の北摂攻略の時に、ついに陥落しました。山中に波多野氏の遺構がたくさん残っているそうです。ここは徒歩でしか登れません。標高500m弱、篠山自体が標高100mほどあるので、300mほど登れば山頂に立てます。でも足腰に皆目自信がないので、あかん思たら、あっさりリタイヤしよう。それからABC篠山マラソンに参加・・・ではなくて見学に参加。スタートが11時前なので、皆さんの必至の形相を横目にハーバーに向かったらちょうど良い時間になるかと。篠山マラソンには、毎年参加してる同級生もいるから、ひょっとしたら顔が見れるかな、というお楽しみもあります。篠山からの帰りは、r49で母子に抜け、お気に入りのr308を南下し、R176に出て更に南下、高速の西宮北付近から有馬に抜け、西宮北道路のトンネルで六甲山の下をくぐり、夙川に出てくる、という素晴らしいルートを考えました。
マスト立ては3艇するけど小1時間もあれば済むだろうから、その後、家用の蛍光灯を買って、・・も買ってなどをちょこっとし、自転車屋に寄る。最後に阪急球場の跡に新しく出来たショッピングセンター阪急西宮ガーデンズにある映画館で映画「カフーにあこがれて」を家内と待ち合わせて観る、という盛りだくさんな計画が出来上がりました。
「ううむ、よい出来だ」と、家内に当日の私の行動計画とともに映画のお誘いメールを送ると、「ありがとう。特に予定は、今のところないので、ゆっくりしとくわ」との返事が返ってきました。「あちゃ、断られちゃった。お疲れかな?」と思って、映画の部分を削除して当日の朝を迎えました。
いつものように6時台に目を覚まし、天気をチェックしました。ここですぐに行動を起こさないと、前記の盛りだくさんなメニューをこなせないのだけど、なんだかんだ洗濯物や料理をしてる家内の邪魔をしながら話をし、出発が遅れてしまいました。おしゃべりじゃないけど、なんだか一緒にいると和むという人です。
8時を過ぎて出発です。まず車にノースにステッカーをペタリ。いつものように長尾山トンネルを抜けて北摂の里山地帯に突入しました。r33からr324に右折しr12に抜ける予定が、r324を行き過ぎてしまいました。仕方ないのでr33を伸ばしr68で「道の駅いながわ」に出ました。
まず最初のミッション、阿古谷を通るr603に入る地図をチェックするために道の駅に入ります。バイク置き場に行くと、数人のバイカーが待ち合わせに使っているようで、楽しそうにしゃべっています。ホンダホーネットの先代JADEがいました。ホーネットほどグラマラスじゃなく、なかなかかっこいいです。
トイレに行くと、その前に3台のロードバイクが並んでいました。オーナーと思しきピチピチのサイクルウェアに身を包んだ方々が、自転車の品評会をしています。楽しそうです。最近知ったにわか知識でもわかる高級品シマノ105システムを、全車装備していました。20万とか30万とかする自転車じゃないかなあ。「いいなあ」と思いながらも、あの格好はちょっと恥ずかしいなと。バイクに戻って地図をチェックしていると、前の道路を落ち着いた配色のロードバイクが通過していきました。ジャージにウインドブレーカーというスタイルで、僕だったらああいう感じかなと思いました。
r12を少し北上して右折、好きな規並集落に入り南下、この道からどこかの交差点を東に向かえばr603へ抜けるはずです。でも結局分かりませんでした。一時有名になった「クリーンセンター」への道と、老人介護病院への道がありましたが、どっちも?。本日ちゃんと調べたら「クリーンセンター」方面に曲がったらよかったとわかりました。次回は大丈夫です。
結局r12の屏風岩のところまで戻ってきてしまい、仕方ないのでr12を南下して紫合の交差点からまた1回間違ってめでたくr603に入りました。やっぱGPSを積んでこないとあかんです。でも間違うとしっかり覚えられるから、これはこれで良かったです。
r603はとてもいい道でした。道は広くないけど、アップダウンやカーブがあります。高速巡航は出来ないけど、僕のようなポタポタバイクにはピッタリの道でした。この道、ロードバイクがたくさん走っていました。車もほとんど走っていないので、いいトレーニングになるでしょう。数人のグループで走っている方が多く、1台ロードバイクが前に見えてくると、次々に。という感じです。r603の終点長谷にやってきました。ここからR173に入り、深山登りなんですが、有名な「長谷の棚田」を見たくなって寄り道してしまいました。
棚田がありそうな小高い緩やかな山の方をみていると、川を挟んで向こう側の舗装されてない道を中高年の山歩きのグループが歩いてきました。棚田を見に行くのでしょうね。山道を上がっていくと、眼下に棚田が広がります。もっと大規模なところはいくらでもあるだろうし、日本中何処にでもあった風景なんでしょうが、これだけで観光資源になる日本になったのですね。子供の頃、家の周りに広がっていた田園風景がなくなってしまった私にも、なんか懐かしく、なんか心地いいです。水を張った田植えの時期が良さそうですが、棚田の切り方がよくわかります。少しでも食料をたくさん作れるように、山を切り開き、階段状にそして上から下へ上手に水が流れるように、田んぼを作ったのですね。長年の積み重ねを感じます。
農家のご夫婦なんでしょうか、お二人で何やら作業をしています。向こうでも手入れをされています。写真を撮りながら、ボ〜っと眺めていると、先ほどのグループが上がってきました。ふと携帯電話の時計を見ると、すでに11時を回っています。「ううむ、もう時間がないじゃん」。出発が遅かったのもあるけど、r803を走るという最初のミッションをクリアしただけで、あとは全部キャンセルです。
r602を西進し、杉生の交差点に出て、r12を南下、前燃料補給したGSで再び燃料補給しました。「245kmで8リットル」今回の燃費30.6km/L。定速巡航できない里山や山道ばかり走ったのに、なかなかの高燃費です。セル一発でエンジンはかかるし、いいバイクです。
更に南下、「道の駅いながわ」でr68に右折、宝塚市長さんが収賄で逮捕された宝塚市の霊園前を通ります。r33に入り、長尾山トンネル手前まで戻ってきましたが、今回は十万辻トンネル方面に右折します。そのままR176まで下り、ここを三田方面に右折、武庫川沿いを走り、有馬方面r51に入ります。蓬莱峡を横目に有馬を目指します。有馬温泉の手前で左折。予定していた西宮に戻るルートの最後、西宮北有料道路を使って、六甲山の下をトンネルで一気に抜けます。通行料は200円でした。料金所に止まると、おっちゃんが僕の分厚い手袋を見て「ああ」って。時間がかかりそうだと思ったのでしょうが、手袋のままタンクバックのポケットのマジックテープをはがしてお金を出すと、「200円です」って慌ててました。タンクバックのバイクなんていくらでも通るだろうに。それともあの「ああ」には、別の意味があったのかなあ?
トンネルを抜けると、もう西宮の山手鶯林寺でした。夙川に下り、ハーバー到着です。1時15分前というジャストタイムに到着です。国道レベルの道をほとんど通らず、県道レベルの道ばかり走ったので楽しかった。甲陽園付近から車は混んだけど、ここはバイクの小技、信号ごとに一気に先頭まで進み、時間ロスはありませんでした。
一点鐘で国際信号機のステッカーを購入。お金を出す時に、「バイクで来たから。モコモコでごめんね」と手間取っていると、「バイク、寒いでしょ。原付じゃないんでしょ」って。「トヨタ君も、この間バイクで来ましたよ」と教えてくれました。お父さんもバイク乗りだからな。このお姉さんは、次男君やトヨタ君と同級生です。学校は違ったけど、高校時代芦屋YHで活動していました。大学でもヨット部で、私を次男の高校時代から知っています。とても綺麗な子で、明るい子なので、素敵な殿方と一緒になりそうです。
陸置きヤードに移動すると、ドラゴン3艇がマスト立ての準備に入っていました。しばらく手伝い、ジョーガからマストを立てます。バウデッキに潜ってサイドステイを固定していると、マスト立てやぐらが次のヒライ艇に移動しており、同じ要領でマストを立てます。続いてサワダ艇なのですが、メンハリとジブハリ交換にまだ時間がかかるそうで、ジョーガのサイドステイをオオノ会長の指示を受けながら、テンションをレースモードにセットしました。オオノ会長が、サワダ艇についているブームキッカーをえらく気に入り、しきりに質問しています。おお〜しばらくすると我が艇にもブームキッカーがセットされるかもしれません。微風のメインリーチのコントロールに威力を発揮しそうです。
サワダ艇のマストを立て、ジョーガとヒライ艇にオーニングを掛け、本日の作業終了です。ウェットバーでオオノさんから、大阪のコスモマリンがココに引っ越してくると情報をもらいました。琵琶湖で練習してる学生には不便だろうな。ん?心地よい音楽が・・・あっ電話が鳴ってる。出ようとしたら既に音声録音に切り替わっていました。「直接行くのですか?私はこれから家を出ます」って。
「うわあ、えらいことです」。家内を映画に誘った時の返事「家でゆっくりしています」は、「映画に行かない」ではなくて、「映画に行くまで家でゆっくりしています」だったようです。私の帰りを待ち、一緒に行く予定だったみたい。上映時間まで1時間半、蛍光灯を買ったりする時間はありません。このまま直接行くしかありません。家内に電話し「まだハーバーやから、映画館の前で待ち合わせね」。
西宮北口隣接のショッピングセンターだから駐輪できるかが心配でしたが、ガードマンがすぐ近くにいるところに大きな自転車・バイク置き場があり、問題ありませんでした。しかも無料。阪急百貨店とスーパーを中心にしたショッピングセンターでした。よくあるショッピングモール形式です。家内によると、開店半年にもならないのに、既に阪急百貨店の中では、梅田本店に次ぐ売り上げだそうです。映画館のあるフロアに上がり、ぐるりと見渡しましたが、やはり私の方が早かったみたいです。
下から上がってくるエスカレーターが見える場所に陣取り、手でも振ってやろうかなと構えました。目の前のお店にウェディングドレスが飾ってあります。どうやらウェディングパーティーをプロデュースする会社みたいです。いろんなホテルのパンフレットが置いてあり、お客さんの希望に応じて、いろんな場所でいろんな披露宴を作り上げるのでしょう。
15分前になったので、再びエスカレーターを注意して見て、ウェディングを見てる間に映画館の方に行っちゃったかなとそちらを覗いてみましたが、まだそうです。再びエスカレーターの方に行こうとすると、そこに家内が歩いてきました。ありゃりゃ。
本日の映画は「カフーを待ちわびて」。数年前に出来た「日本ラブストーリー大賞」を受賞した作品で、どちらかと言うと若手作家や素人作家が応募しています。大賞は書籍化される特典があります。2年ほど前、原作者の職業キュレーターが気になり、「ラブストーリー」「キュレーター」なら、綺麗が目に見えるような作品じゃないかなと思って購入しました。予想通り、夏の沖縄の輝きの中に、ゆったりしたストーリーが展開する素敵な作品でした。当時書いた書評にも、「映画化されたら、素敵な作品になるんじゃないかな」と書いてありました。それが待望の映画化です、「これは観なくちゃ」だったので、家内に振られたと思った時は、とても残念でした。
この作品の良し悪しを決めるだろう女優さんは、ピッタリの感じでした。最後に流れる音楽もよく、きっと大ヒットにはならないだろうけど、カップルで観るに最高の作品に出来上がっていました。暗がりで横の家内を見ると、頬に涙の筋が流れており、「よっしゃ」という感じでした。僕は涙腺が弱いので、ちょっと心を揺り動かされただけで簡単に涙が流れますが、家内のハードルは私より少し高いところにあります。映画館で、家内の横顔を盗み見るのが好きです。涙を流している綺麗な人は絵になります。
映画が終わり、家内の第一声は「すごく良かったねえ」でした。阪急電車の駅に向かってフロアを下りて歩いていると、飲食店フロアに外に出る扉がありました。外の光のデコレーションが窓から見えています。外に出ると人工庭園があり、人工河川や木が植わっており、ベンチもあります。ここは屋上なんでしょうが、この人工庭園を囲むように飲食店が配置されており、夜、食事をしながらこれを観るというのは中々おしゃれです。冬で寒いからどのベンチにも人は座っていませんでしたが、夏はいっぱいになりそうです。できればカップルか、女子が座っていて欲しいです。男だけは似合わんやろうし、食事しながらきちゃない男見てもしゃあないでしょう。
駅の改札まで家内を送り、私はまた「西宮ガーデンズ」に逆戻りです。1Fまで下りてバイクにまたがり、帰路につきました。夕方家内が電話してきてくれてよかったです。アレがなければ、僕は映画館には行っておらず、待ちぼうけを食らわされてしょんぼり帰って来る家内に合わせる顔がなくなるところでした。映画も良かったし、屋上庭園がプラスされて更に良かった。素敵な日曜日になりました。

2009/2/24
この週末、次男君が帰って来ていました。母校の卒業制作展を見るためです。同級生と旧交を温めるためでしょう。理由は何でもいいですが、子供達が帰ってくると、その準備段階から家内が楽しそうで、見ていてこっちも楽しくなってしまいます。「母親にとって、子供は魔法の杖」だと、子供達が巣立って更に強く感じます。
日曜日は、特に用事はありませんでした。ということで必然的に一人遊びできるバイクの日になりました。船にプシュプシュポンプを持っていくことと、雨が降ると予報が出てる夕方までに自転車の試乗に行く事を決めてバイクで出発です。
バイクに乗るのは久しぶりです。法事・法事・学生とのクルージングと3週乗りませんでした。昨夏にバイクを買ってから、こんなに空いたのは初めてです。さてエンジンはかかるのでしょうか?キックスターターがついていないので、バッテリーがアウトだったら、車とケーブルをつながなければなりません。めんどくさいです。一抹の不安を胸にキーを回すとライトはつきます。チョークを引っ張りスターターをプッシュすると、一発で軽快にエンジンが回りだしました。すぐに回転数が上がり、チョークもすぐに戻せました。ホンダVTR250、なかなか優秀です。さすがにプロのバイク便御用達車です。
いつものように長尾山トンネルを抜けて北摂里山地帯に入ります。r33・r319を経てr12に合流し、杉生の交差点を目指します。そこを東に曲がり、R173をまたぎR477まで行ってみようと。霊園の手前に「サーキット」の看板が目に入りました。霊園の山の裏にサーキットがあるのは知っていたので、行ってみることにします。「冬だから閉まってるかなあ」と思っていましたが、レーシングカートが2台走っていました。レースでもあるのか、他に10台ぐらいのカートが整備をしている風です。しばし観戦です。気持ちよく曲がって走っています。冬走りに来てるぐらいだから2台ともとても速いです。マーキングをもよおしてきたので我が家のお墓がある霊園の事務所にお邪魔です。大きな霊園なので事務所も大きいです。いつものようにお墓参りの方が多数暖をとっておられます。この事務所、いつも開いてます。バケツやひしゃくを借りれるのは当たり前で、お花も売ってて無料のお茶もあり、椅子も机もたくさんあるので大勢で休憩も出来ます。お線香も売ってるので、何も持ってこなくてもお参りが出来るようになってます。なかなかいい霊園です。
今回は、お墓まで上がるのは面倒だからおまいりはパスです。2週間前に来たばかりだし、罰は当たらんやろう。再び走り出し、杉生の交差点を東にr602に入ります。前通った時はもっと寂しい道だったように思いましたが、今回はなんだか道幅が広がり快適に感じました。前は車だったからかもしれません。R173に出るまでの途中で南に曲がると「長谷の棚田」があるのですが、「冬に行ってもなあ」と今回はパスです。
R173を横切り、続いてr104と交差しました。ここで小さくタックを2回かまし、前方に見える山を登っていくr4に入りました。GPSを積んできていないのでよくわかりませんが、東に進めばR477に当たるはずです。明月峠に上りB&Gの施設に寄り道し、r106を越えて猪ノ子峠方面に更に進むと工事用看板が目に入りました。「この先未舗装・・・」、この道は初めてなので「君子危うきに近寄らず」の心境になりUターンすることにしました。Uターンしようとゆっくり曲がると、「あれれ・・・危ないかも」と足で踏ん張るが・・・こけてしまいました。これでバイクをこかすのは3回目です。いっつも坂道でこかします。しかもいつもほぼ止まってる時に。走ってるときにこけないから怪我一つしないのはありがたいですが、ほぼ止まってる時にこけるのはかっこ悪いです。
うんこらしょっとバイクを立てて被害調べです。エンジンガードを付けてるのでほとんど無傷ですが、前こかした時作ってしまったマフラーの傷が幾分濃くなったかもです。こかした時というより、こかしたのを立てるときにズズズと滑らせてしまってついた傷です。教習所では、これより50kgも重い00kgのバイクを滑らせずに立てられたのに・・・エンジンガードの大きさと、平地と坂道の違いが影響してるのでしょう。「くそぅ、そのまま上って、もっと平たくなるところでUターンしたらよかったぞ」。再び名月峠を戻り、長男君が通っていた能勢射撃場が見たくなりr54を北上することにしました。ココだと思って寄り道した大阪府の野外センターにはなく、r54に戻って走り出しました。
「瑠璃渓」という看板が見えてきたので、そっちに進路を取ります。「瑠璃渓」を経てR477と思っていたのですが、頭に浮かべた地図がおかしいようで、いつまで経っても「瑠璃渓」がありません。なんか西に向かってるような変な感じでしたが、やっとこ「瑠璃渓」にたどり着きました。冬に渓谷の流れを見ても寒くなるだけなので、「日帰り温泉700円」という情報だけを頭に入れて通過しました。この道は何処に行くのかなと更に進んでいると、突然R372に出ました。「ああ、そうつながってるのか」と理解し、R372を東進し、R477との交差点を南に入り、やっとこR477です。正月に家内と来た「妙見山」に上がる道r4との交差点を、今度は妙見山と反対方向西方向に曲がります。最初の予定では、R173からr4でココに出てくるはずでしたが、随分遠回りしてしまいました。
前から「見てみたいな」と思ってた「野間の大ケヤキ」を見るためです。交差点の民家が途切れたらすぐ南手に大ケヤキはありました。予想以上に大きな大木でした。バイクを停めて、大ケヤキを写真に収めます。樹齢1000年以上で大阪一、日本でも4番目に大きなケヤキだそうです。しめ縄が巻かれ、横には資料センターまでありきちんと保護されているようです。こんな大きな木を見ると、「神が宿ってる」と自然に思え手を合わせたくなるのは、僕が日本人だからでしょうか。
そのまま進むと、舗装されていないとはどうしても思えない明月峠を経由してR173に至るのですが、途中でr604を南下することにしました。R173とR477の間を南下すると位置的に「知明湖」があるはずです。知明湖の外周道路r106に合流するとすぐに知明湖が見えてきました。周囲の広いところには車が停まっています。バス釣りのメッカだから釣り人でしょう。
キョロキョロしながら、一庫ダムの上を渡りR173に合流しました。このr604には後日談がありまして、この日記を書くためにツーリングマップルを見ていると、なんと土日祝日は二輪通行禁止だそうです。「うそぅ?何処にもそんな標識なかったよ。もう解除になってるのかな?」と川西警察に電話して確認しました。係の人によると通行禁止は続いているようです。「たまに暴走するバイクがあるでしょ。あの道はハイカーさんも多く、ハイカーさんから轢かれそうになったなどの苦情が入り規制させてもらってます。暴走するバイクも減ってるので、規制解除も検討しないとあかんなと思ってます」と、当たり障りのない模範解答が返ってきました。二輪車ライダーから規制解除の電話が時々入るみたいな感じで、丁寧に話してくれました。知明湖の西湖岸道路も規制されてるのですかと聞くと、どうだったかなあと覚えていないようでした。
警官がいたら、バイク初の違反切符を頂戴するところでした。「セーフ」。でも「通行禁止ならもっと分かるように表示しとかないとあかんのんちゃうんやろか」。バイク乗り入れ禁止になるような峠のワインディングロードでもない平坦な道です。車は普通に走ってるし、なんともおかしな規制です。なんか引っ掛け問題みたいです。知らずに切符切られた人も多いと思いますし、みなさん納得がいかないでしょう。まあこれからは通らないようにしないといけませんね。
素直にR173を南下しましたが、池田まで下るのもなんか芸がない感じなので、多田のダイエーさんのところで右折して猪名川を渡り、猪名川沿いを走るr12の旧道に入ります。川西能勢口まで下ってきて、r12本線に合流する手前で再び裏道に入り、R176に出てからr12に合流しました。
ここから本日の目的「自転車の試乗」をするために、伊丹のカンザキさんまでr13を南下します。途中で「バイク7」に寄り道して、バイク用ETCを見ました。一体型の小さいのが良さ気でしたが、取り付け費用も含めると3万円もします。ううむ、車用はキャンペーン利用でほぼタダで付けることが出来たのに、これは高杉晋作です。「3万円引きキャンペーンというのをやらないかなあ」。
さてカンザキさんですが、過去2回「日曜日は混んでるのかな」と思ってウィークデーの昼休みにお邪魔して話を聞きましたが、日曜日は新車購入と思われるお客さんと、旅の途中で修理に来られたようなお客さん、更にママチャリが壊れたから新しいのを買いに来たお客さんがおり盛況でした。ほんまは家にもっと近い、我が家の自転車全部買ってるお店がいいのですが、スポーツ自転車はやってないようで、車で前を通った時にインプットされていたこのお店を選びました。大手のチェーン店もいくつかありますが、店主が変わらないお店の方が長く付き合えるので好きです。
「前言ってた試乗に来ました」と告げると、ジャイアントの465というサイズのロードバイクを用意してくれました。初心者向けのロードバイクで、私の身長170cmに合うサイズだそうです。ギアチェンジの方法を教えてもらい、いざ出発です。サドルにまたがると、両足爪先立ちで不安定です。こかしたらあかんので少しサドルを下げてもらいましたが、基本サドルの高さはこんなもので、足の力が十分にペダルに伝わるようにお尻は高めになるそうです。止まってる時は、サドルから前に下りて、横バーの上をまたぐ姿勢になるそうです。そういえば、みなさんそんな感じですね。
この自転車、めちゃくちゃ軽いです。「ほんまに?」と思えるほどの軽さです。いきなり店の前のr13は怖いので、裏道を走り出しましたが、交差点が多くブレーキばっかりで気持ちよさは感じられませんでした。ギアチェンジが、ブレーキのところについており、左右に動かしてチェンジするのですね。自転車の世界も随分変化しています。走行中のノーマルポジションは、ドロップハンドルのブレーキがついてる角のようになってる所を持つそうですが、その手前を持つ方が楽でした。補助ブレーキがついてる横バーを持ったり、ドロップの下バーを持ったりしましたが、下バーの姿勢は最初はしんどいです。
最後は、r13の歩道をゆっくり走りましたが、歩道のガタガタがダイレクトに伝わり気持ち良くありません。速く走るために軽く作られているので、タイヤが細いです。初心者用だから一番細い23cではないけれど、次の25cというタイヤがついており、もっと太いタイヤのママチャリよりは振動吸収力が落ちるそうです。
「来月とか再来月とか、もう少し暖かくなったらまた来ます」と言ってカンザキさんを退散しました。次はヨットハーバーです。そのままr13を南下しR43を右折して西宮を目指します。甲子園球場の周りのカバーがはずされており、外観の化粧直しは終わったようです。蔦がない甲子園なんて、なんか今一です。
船にポンプを入れ、ノースショップでノースのステッカーを2枚購入しました。バイクと車に貼る予定です。3時近くなり、そろそろ予報の雨の時間帯になってきました。六甲山にかかる雲はまだ大丈夫そうですが、素直にR171で家に向かいます。バイクを置いてる所に砂が増えてきたので掃除してやろうと、箒を買うために途中のオートバックスに寄りましたが、生憎箒は置いていませんでした。まあ当たり前ですね。
店を出ると、ポツンと雨を受けました。カッパも積んでるけど、本格的な雨になる前に家にたどり着かなければ。3時半ごろ家に戻りました。雨脚はポツポツになってましたがカッパを着るほどでもなくセーフでした。でもホームセンターに箒を買いに行くことは出来ませんでした。お昼用に持って行ってたパンを1つ食べて昼寝です。
いい感じで寝ていたら、表の物音で目が覚めました。家内が帰ってきたようです。「お父さん、いてる?」。玄関を開けると、「ター君とおばあちゃんと一緒にお墓に行ってきたの。今からター君が東京に帰るんだけど、送って行ける?」。と言うことで、新大阪まで3人で向かいました。日曜日の夕方なので、新御堂筋も混んでましたが40分ほどで駅に着きました。ター君を降ろし家に戻ります。
その帰り、家内が仕入れた次男君の様子を話してくれました。仕事は楽しいそうで、同期で彼だけがいろんな仕事をさせてもらってるみたいです。だからやることや覚えることがみんなより多いみたいですが、それがまた楽しいみたいです。仕事は楽しいのが一番です。
昼頃起きてきた次男君から、「お父さん、何処行ったん?」と聞かれたそうです。「バイクでどっかに行ったよ」と家内から聞くと、「お父さん、バイクの趣味なんてあったっけ?」と。彼が家を出てから1年、お父さんは日々進化してるのです。進化といえるかどうかわからないけど、バイクの免許を取って里山のポタポタ一人ツーリングが趣味に加わりました。バイクツーリングでロードバイカーにたくさん出会うようになり、ひょっとすると今度は自転車が加わるかもしれません。この日も、明月峠や逢坂峠で数台のロードバイクが上り坂の練習をしていました。バイクのローリング族みたいに、坂の下と上を周回してる風でした。
去年の秋ごろからそんな話を家内にしていると、長年夫婦をやってると以心伝心するのか、3月にインテックス大阪でやる「「アウトドアフェスティバル」に行ってみない?」と家内から誘われました。家内は来月仕事で東京に行きますが、ちょうどその日は「東京マラソン」の日で、走るのを趣味にしてるお客さんご夫婦が抽選に当たって走ることを教えてくれました。「僕らも一緒に走る?」「走るの〜歩くのなら大丈夫だと思うけど」「走るのはしんどいけど、自転車ならいいんじゃない?足腰の負担も自転車の方が少ないみたいよ」と、軽く何気なく誘っています。縦に並んでロードバイクで走ってるご夫婦の姿が、かっこよく脳裏に焼きついています。家内は運動系ではないので、あそこまでは無理でしょうが、女性用に小さめなクロスバイクなら楽しめるかもしれないなと思っています。車に積んで行ったり、電車に自転車を手荷物にして乗り込んで、旅先で組み立てて乗るのもいいのかなと。

先週から読んでる竹村亜希子さんの「易経」の本、とてもわかりやすいです。「易経」は孔子がまとめたと言われている中国の最も古い古典です。孔子の時代既に、いつ書かれたか分からない古典だった「易経」ですが、こういう分かりやすい解説書があると、とても身近に感じることが出来ます。今年から始まったNHK大河ドラマ「直江兼続」の題名は「天地人」ですが、その元はここに書かれている「時・処・位」だそうです。(以下引用)。「易経」は、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の占いの書ですが、単なる当てずっぽうではありません。自然界の法則に、今目の前で起こってる事象を当てはめて推測する科学的な法則を書いた書です。これは、自然に沿い人との関係に沿う素直な生き方でもあります。結構面白いです。
『易経には「幾」という言葉が頻繁に出てきます。「幾」とは物事が起こる「時の兆し」をいいます。つまり易経はこの「幾」を論ずるものであり、全編を通して「時」の読み方、「兆し」の読み方が書かれています。「このような時にはどのようなことが起きるのか、どのような兆しが現れるのか」が事細かに書かれている書物なのです。
ただし、この「時」とは、私たちが日常使っている「時間」とは別の概念です。易経の「時」は私たちの存在、「時」と「処」と「位」がすべて含まれています。いい換えれば、時は「天」であり、処は「地」であり、位は「人」にあたります。位とは地位だけをいうのではなく、存在しているすべてを指しています。
したがって、易経の「時」には、時間、空間、私たちの存在、置かれている立場、人間関係などがすべて含まれているのです。』

2009/2/16
日曜日は、手伝ってる京大ヨット部の1回生とマネージャー達と一緒にクルージングの日でした。大学生になって初めてヨットというものに触れ、学生ヨットの世界の他にもいろんなヨットがあることを知ってもらおうと数年前からやっています。今シーズンの練習開始と後期テストの関係で、この寒い時期しか日程が取れないので、先週に入って日曜日の天気が気になっていました。金曜の夜から朝にかけて荒れたので、低気圧が東に抜けることで西高東低の冬型気圧配置になり、北西の寒波が入るのではないかと心配しましたが、日曜日はぽかぽかの上天気で朝を迎えました。
まずは前回乗ってから3週間開いてしまったバイクのところに行きます。ハンドルに巻いたままにしていた時計の回収のためです。ついでに国際信号機のステッカーをバイク便ボックスに貼り、夜間照明を受けて赤く光る小さな反射板を後ろと横に貼りました。「バッテリー上がってるんちゃうやろか」とキーを入れてみるとヘッドライトが点いたので、まだ生きてるみたいです。こんな陽気はバイクで走らなきゃなあと思いながら、残念ですが荷物を車に積み込みます。
YHに10時、JR西宮に9時半と約束してたので、9時に自宅を出発です。車に乗ってすぐに電話がなりました。信号待ちで折り返し電話すると、既に駅に着いたとのこと。駅に寄り予定通りYHに着きました。本日は1回生5名と2回生女子マネージャー1名です。ディンギーヤードの方から入ろうとすると、ちょうどオオノさんが来られました。ドラゴンの整備だそうです。エンジンは、一発でかかることはありませんでしたが、快調に回りだしました。トイレを点検すると、相変わらず水の取り入れの方のパイプが不調で、チョロチョロしか水が入ってきません。排水は快調なので、ペットボトルに水を汲んでそこから給水するように伝えて離岸です。数日前キンノさんから「燃料ないよ、給油しといてね」の連絡を受けていたので、まずが給油桟橋に向かいます。先客が1隻、後続も1隻と、この陽気に誘われて本日は船を出す人が多いようです。
東出口からハーバーの外に出てセイルアップです。風が2m/sほどでセーリング出来そうもないので、メインだけあげて機走です。関大スナイプが練習をしていました。学生も始動ですね。
深江の阪神基地に自衛艦はいないようで、六甲アイランドのコンテナ埠頭を目指します。今回は1回生対象なので、オフシーズンのテスト後のこの時期が船舶免許を取る時です。全員先週受けたそうで、月曜日に試験結果が発表されるそうです。「ヒョウドウ君が実技のトップバッターだったので、一番やばいそうです。反対に言えば、ヒョウドウが通ればみんな合格」だとか。ワイワイがやがや、話をしていると面白いです。
埠頭に接岸していたコンテナ船からの荷降ろし作業を見ていると、向こうから機走のクルーザーがやってきます。GZ号でした。ナカムラさんやカンダさん、先輩方が乗ってるようです。挨拶すると手招きされ、「地球深部探査船がおるで。あの青い鉄柱や」と教えてくれました。ありがたいことです。そして最後に「フェンダーぐらい上げとけ、かっこ悪い」と小言をもらってしまいました。「あっ、すんません。失礼します」。すっかり忘れていました。
六甲アイランド西側岸壁に回ると、巨大鉄柱やぐらがタワーのようにそびえる探査船が接岸していました。岸壁には、たくさん人が並んでいます。一般公開してるのですね。「独立行政法人海洋研究開発機構」の看板がかかり、船名は「ちきゅう」でした。「これ一般公募されて名前が決まったんですよ」とオカモト君は物知りです。ニュースで海底下7000mまで掘れると聞いたことを思い出しました。その時は、波や潮の影響がある海上から、どうやって真っ直ぐそこまで掘れるのか疑問を感じました。GPSやジャイロで船位をピタリ一定に保つのでしょうね。すごいものです。
職員にリードされているのでしょう、お客さんが列になって船内を歩いています。部員達が手を振ると、乗りのいい方は手を振り返してくれます。船尾の方に回ると、さすがにこれだけ高いやぐらを立てているだけあって、相当幅が広いお尻をしていました。地球工学のドクターがたくさん乗り込んで地球内部を調査するのだろう思い学生に聞くと、2名その分野の子がいました。「いっぱい勉強して、こんなんに乗ったら」と気軽に言いましたが、よっぽど優秀でないと30歳ぐらいまでは食えない感じがするので、この世界もなかなか大変でしょうね。
ここから神戸港には、西にあるポートアイランドと神戸の間の神戸大橋をくぐるのが早いのですが、神戸大橋は高さがないのでこの船ではくぐれません。仕方なくポートアイランドの沖を回ります。ポートアイランドとその沖の神戸空港島との間にかかる神戸空港連絡橋の下をくぐります。「これ、大丈夫ですか?」、私もそうでしたが、ここを最初にくぐる人は、みんなくぐれるのか不安になります。下からマストを見上げ、連絡橋と交互に見て・・・くぐれました。
神戸港の和田岬側ではなくて、東のヘリポート側から港内に入りました。前からも後ろからも港内観光の遊覧船が来ます。この日は冬にしては暖かく、日曜日でもあるのでお客さんが多いのかもしれません。神戸港の遊覧船は海賊船スタイルです。でも大阪の海遊館の遊覧船の方が、立派な海賊船です。ポートアイランドに並ぶ大学に沿いながら中に入っていきましたが、期待していた客船や帆船はいませんでした。中突堤前でUターンし、モザイクの横を通り、川崎造船と三菱重工のドッグを見に行きます。ココの目当ては軍艦です。三菱の方に潜水艦がいるかなと思っていたのですが、川崎造船の浮きドッグの方に2艇接岸していました。更に1艇が船底塗装をするのか陸上に上がっていました。軍艦なので、真っ黒の砲弾型の船体が、透けてる緑のシートで目隠しされていましたが、その横から十分全容が見えます。さすがに迫力があります。
これでこの日のメニューはお終いです。客船や帆船は見れなかったけど、潜水艦と予定外の海洋探査船が見れました。再び神戸空港との間の橋をくぐり、大阪側に出ました。まずは遠くに金色に光ってる大阪市のごみ焼却場煙突を目標に、新しい埋立地を交わしたら、今度はいつもの阪神高速の橋にかかるアーチが目標です。空港島を交わしたぐらいからようやく西目の3〜4m/sぐらいの風が入りだし、フルセイルでエンジンストップです。もう少しいい風が欲しいですが、フリーで快調に西宮に向かいます。いつものレース海面では、IRCのレースをしているようです。もう少し時間があれば、レース観戦もいいのですが、既に3時で断念です。
西宮港に入り、六甲アイランドの方からいい西風が入ってきました。フルセイルでフリーしか走っていないので、クローズにヘッドアップです。ヘルムスを部員から交代し、ヒールが増しみんな風上に上がります。私は下でジブのテルテイルを見ながら操船し、タックを1回した後、ヘルムスマンを交代です。ワイワイ言いながら数度タックし、ハーバーバックしました。
一点鐘とノースの売店を冷やかし、関西ヨットクラブ2Fレストランにお茶しに入りました。ハーバーカウンター前でテルミちゃんに会いました。またサマーガールに乗ってレースに出てたようです。30分強お茶して彼らをJR西宮まで送り、帰路に着きました。風はもう少々欲しかったですが、絶好のクルージング日和で、今年の初セイリングは最高でした。

2009/2/9
日曜日、キンノさんからクルージングのお誘いをいただいたのですが、残念ながら先週に続き法事でした。今回は父の3回忌なので、我が家がコーディネイトです。法要・食事・お礼など、それなりの準備がありましたが、先週の弟の嫁さんの実家と違って気楽なものでした。
我が家と弟一家、それに弟のお嫁さんのお母さんというこじんまりしたものでした。父の出身が北関東で親戚が遠く、父の兄弟はそれなりの高齢になってるので、寒い時期に移動するのは大変です。
法要は12時からでしたが、10時40分に飛行機で帰って来る長男君を迎えに行くために、10時に母と家内を法要を行う市内のお寺さん近くにあるホテルに荷物とともに下ろします。万が一飛行機が遅れても、先に準備をしてもらうためです。
JAL到着カウンターがある北ターミナル前に停めていると、飛行機で飛び回ってる長男君が、颯爽とターミナルから出てこっちに走ってきます。「土曜日に車で白馬までスキーに行って眠たい」そうです。彼の車は4WDですが、スタッドレスタイヤを買って雪道最強になったそうです。今年は既に3回もスキーに行ってるようです。「お父さん、最近行ってへんの?」と、相変わらず冬場はスキー小僧してると思ってたそうです。
孫でも出来たら、爺ちゃんの足前を披露してちょっと尊敬されるように一緒に行ってもいいけど、遊び場は段々近場に「バイク小僧」に変身です。更に「自転車小僧」との併用になるかもしれないし。あ〜だこ〜だしゃべってると、あっという間にホテルに着いてしまいました。ティーラウンジでお茶でもしてるのかと思いましたが、家内と母はロビーに座っていました。ご近所さんと何人か会ったようです。我が家のお隣さんに会い、おじさんはリタイヤ後、アコーディオンのボランティアで年間100回も老人ホームとかに行ってるそうです。皆さんいろいろやってはりますなあ。
去年の1周忌同様、白雪祭りとバッティングして大混雑でしたが、法要は滞りなく終了し、白雪レストランで食事してお墓にお参りに行きました。墓石の横に新しく立てたお塔婆立てにお塔婆を入れてみました。お塔婆は段々背が低くなるようで、3回忌ともなると、お塔婆立ての方が立派に見えましたが、まあこんなもんでしょう。
その後、長男君を空港まで送りました。予約便離陸より1時間半ほど前に着いたので、1便(1時間)前の便に変更して東京に帰るそうです。GFさんの友達が来てるようで、そこに合流するみたいです。いいねえ、我が家も末広がりに広がって行ってほしいものです。
母を自宅に下ろし、百貨店に足らなくなった供物返しの商品券を買いに行き、供物返しの品を自宅近所のケーキ屋さんに見に行きました。バームクーヘンとお菓子のセットがあり、それを返すことにしました。
家に戻ると、「ご苦労様でした」と無事3回忌を済ませたことを喜んでいます。母が当てにならないので、父の死後、なんだかんだ初体験ばかりの喪主をやってきましたが、なんとかやり遂げました。次は7回忌まで何もありません。今回に関しては、供物をいただいた方へのお礼と、父の兄弟に法要を終えた報告を手紙にしたためればお終いです。
3ヶ月ぶりに見る長男君を家内は頼もしそうに見ていました。来月家内が仕事で東京に行くことを話した時、すぐに「じゃあ一緒に食事でもしよか。ター君も都合がついたら一緒に」と言ってくれた長男の言葉が嬉しかったようです。父親である僕が東京に行くと言っても、こういう反応はないでしょう。母親の特権ですね。できれば子供達2人と3人で、更に出来れば5人で食事を囲めたらいいね。来月がますます楽しみになったようです。

2009/2/2
日曜日は、義理妹の父親の3回忌でした。2年前、岸和田の実家近所の葬儀会館に寄せてもらうと、だんじりのお囃子が流れていてたまげたことを思い出します。家内と母と3人で車で出かけます。朝母にその旨を告げると、用意をし始めたので、ガソリン補給などして帰宅すると、例によって問題が発生していました。
「お母さんが、体調が悪いから行かないんだって・・・」。母のドタキャン病です。自己中で、家族みんな振り回されてきました。「またか」程度にしか感じなくなっていますが、父が亡くなってから、ストレートに私達に影響して来るので困ったものです。
今回は弟の嫁さんの実家にも迷惑を掛けるので、一応話しに行きます。「体調悪いの?」「なんか朝から頭がフラフラするみたいなの」。「あのさあ、体調が悪いなら僕らだけで行くけど、向こうは食事の用意をしてるよ・・・迷惑掛けるし、行った方がいいとおもうんだけど。車で寝てるだけでいいし、早めに帰ってくるよ」「来週はうちの法事で、向こうのお母さんも来られると思うしさあ・・・」と、いつものようにやんわり話します。「じゃあ行こうかねえ」と言うことになり一件落着です。用意してるので仏間で父へのご飯の入れ替えや掃除をしていると、「昨日のうちに言っといてくれなきゃ。女は用意が大変なんだから・・・」と、また「人のせい病」が発病です。いつもなら言われっぱなしにしてるのですが、「でもさあ、今まで何度も前々から言ってても、当日になって行かないって言ってくるじゃない・・・」とまたやんわり反撃しました。「カレンダーに書いとかなきゃね」と言って、更なる「人のせい攻撃」は止みました。
母親が向こうの家に行くことで、向こうの家に住んで世話になってる弟の立場が上がるということに頭が行かないんだよなあ。僕ら夫婦は兄だけど、格としては母親の方が上なので、その付き添いで十分です。この日体調不良を理由に顔を出さず、来週うちの法事に来られたお母さんが、元気な母を見てどう思うだろう・・・まあそういうことを踏まえて、上手に母をコントロールしていかなきゃならないですね。
商売はしっかりやる人だけど、こういう面はダメダメだとわが親ながら思います。自分の好きなことには一生懸命で、自分の利にならない面倒なことはやらない。小さな子供と一緒やなあと思います。家内には母のことでは迷惑掛けっぱなしだけど、いつでも「お母さん面白いのよ・・・」と笑ってやり過ごしてくれるからありがたいことです。
父が亡くなって半年ぐらいは大変でした。父が全部やってた母の家の電気やガス、電話料金まで督促状が届きました。どうせ母は面倒なことはやらないだろうと思っていましたが、電気代まで払わないとは想定を越えていました。慌てて全部僕の口座からの引き落としに切り替えました。母の家の仏壇の世話からゴミ出しまで、毎日ずっと家内がやり、日曜日は家内が用意してくれた仏さんのご飯を僕が持っていきます。
「お母さんの性格を知ってるから、お父さんも仏壇の中から笑ってるよね」って、お花を欠かさないようにしてくれてる家内がいるからこそ、お隣の母の家がなんとか保たれていると思います。感謝感謝です。
車に乗り岸和田に向けて出発すると、母がずっとしゃべっています。「どこか体調悪いねん」と突っ込みたくなりましたが、ここは自重です。体調が悪いを口実にしたのだから、ちょっとは演技でもするのかと思ったら、そんなことコロっと忘れているようです。子供そのものです。でも、隠し事がないこの能天気さと単純が、母の様子を見る僕らには便利です。「あれ?お金持ってこなくちゃダメじゃなかったの?」。当然母が何にもしないのは想定済みです。「大丈夫だよ。お供の品も供養のお金も、お母さんの分用意してるからさあ」。
1時間ほど早く着いたので、弟んとこの長男君に中学受験合格祝いを渡しました。カトウセイサクショの万年筆です。若い頃はドイツのペリカン社の高級ハンドメイド万年筆をOEM清算していた会社の社長さんですが、もう晩年を迎えた今は一職人さんに戻り、奥さんと共に1日数本のペースで素敵な万年筆をハンドメイドしています。黒系のセルロイドの万年筆に甥のネームを入れてもらいました。僕も色違いを使っているのですが、とても綺麗な万年筆で最高に気に入っています。
甥は大喜びで早速インクを入れて書き味を楽しんでいます。まだ12歳なので早いかなあと思ったのですが、生まれて初めての大きな試験に合格した今だからこそ、一生物の万年筆をプレゼントしたいと思いました。出来ればずっと使って欲しいな。
実家2Fの仏間とその隣の間に50人以上のご近所さんや親戚が集まっています。だんじりという大きな祭りがベースにあるからか、ご近所との付き合いが濃い土地柄、3回忌だというのに大勢集まっています。
その後、バスで近所のお店に繰り出して食事です。1時間半ほどそこにいて、中座させてもらうことにしました。自宅に母を下ろし、来週の法事の準備の為に百貨店に行かなければなりません。夕方までには全部終わるから、バイクにでも乗ろうかなと算段していると、ズボンのポケットがブルブル震えています。運転してるので、携帯を家内に渡し電話に出ると義理姉からの電話です。なんとおじさんが今朝亡くなったとのこと。「姉は用事を済ませてから行くんだって。行ける?」「行けるよ。百貨店回るから6時から7時になると思うけど、大丈夫行けるよ」。
自宅に戻り母を下ろしました。川西阪急百貨店で法事のお礼の品を購入し、霊園事務所でお塔婆立て設置申し込みをして、姫路の先の山崎に向かいます。家内は加古川出身なので、親戚は大体播州です。いつもより少し速く、100km/h巡航で急ぎます。おじさんは病院から自宅に帰って来ているようです。今頃は親戚が集まり、葬儀屋さんと叔父さん家族との段取りのバックアップをしているでしょう。学生時代、家内と叔父さんの家を訪ね、ご家族と親しく話をさせてもらいました。気さくなおじさんとおばさんで、「こいつが姪の結婚相手になるのかな?」みたいな感じだったのかもしれません。親戚になってもずっと、気楽に声をかけてもらいました。
もう80歳を回っているので天寿を全うされたのでしょうが、とても残念です。お通夜とお葬式には来れませんが、会社名で盛り篭かお花を出させていただくことにしました。その後の法事は日曜日だろうから、来れるかな。
この日、とっても不思議なことがありました。岸和田に向かっていた車内、母が「弟のところに孫2人が今日ぐらいに自宅に来るかもしれない。しばらく会ってないし」なんて言い出しました。今から行く嫁さんの実家に一緒に住んでるから、我が家に来るわけないのに・・・「そんなわけないやん」と頭から否定すると母のプライドを潰してしまうので、時々変てこなことを言う類だろうとそのまま聞いていると、どうやら家内の実家の法事に行くと勘違いしているようで、「いつも親切にしゃべってくれる人、誰だったっけ?」と家内に聞きます。「あれは山崎のおばちゃんですよ」。その話をしたのが、ちょうど山崎のおじさんが亡くなった9時半ごろでした。
帰りの車、「今日も「天地人」見れなかったね」「これで2週連続。まあ仕方ないな。今度の大河ドラマも評判いいらしいよ。ブッシュさんや小泉さんの勝てば官軍みたいなのから、義とかが見直されてるのかもね」「そうねえ。それに新潟の人に流れてる上杉謙信さんの考え方を、私もちょっと勉強しとかないと・・・」。なぜ新潟か、2人にだけ分かる会話になりました。

2009/1/26
日曜日は、仕事場のマンションの臨時総会でした。集合住宅というのは、いろいろな方がおられてまあややこしいです。でもまあこの労を惜しんだらあかんからなあ。お昼に喧々諤々の末総会が終了し、すぐにバイクに乗り換えてまた北摂に向かいました。
いつものように長尾山トンネルを抜け北摂に入り、先週行けなかった川下川ダムを目指します。先週目星を付けていたr33からの道を入ります。ロードミラーもないカーブをゆっくり進みます。人なんて歩いてなさそうな静かな道です。おっと1台軽トラがやってきました。そして山歩きの装備を整えたお父さんを1人追い抜きます。僕にとっての数ヶ月秘境「川下川ダム」に到着です。冬だからか、貯水量が随分減ってるようで、水位がかなり下がっています。ダムの下流側から見ると、このダムはコンクリートではなくて、石積みダムになっています。どういう構造になってるのでしょう?ダム下流には、JR福知山線の鉄橋が架かっています。着込んでいるのでどこも寒くありませんが、どうもマーキングの欲望が近い。ダムを眺めながら気持ちよくココにやってきた印をつけてから出発しようと、ヘルメットを被ろうとすると、さっき追い抜いたお父さんがやってきました。「何処から来られたのですか?」と話しかけようとしましたが、何か独り言をブツブツ言っておられます。なんかちょっと怪しげなので、話しかけるのをやめときました。
急な坂を下り、福知山線沿いの道に入ると、桜並木のようです。すぐ横を武庫川が流れ、春は結構いい花見ができそうです。線路に沿って北上し、「道場駅」から「三田駅」を通り、r37を後川方面に曲がり、再び北摂の里山地帯に入ります。
数ヶ月ぶりの羽束川沿いのr37です。旧道に入り、前から気になっていた「高売布神社」に寄ります。典型的な里のこじんまりした神社だけど、高木に囲まれ歴史を感じさせます。賽銭箱がある社正面は、能舞台にも使えるような広い板の間が広がり、天井には大分くすんでいるけど平安時代の都人と見えるような羽目板が飾られています。説明板には神社の歴史と共に、この付近の簡単な地図も載っていました。羽束川の向こう、真東に見えるのが「大船山」だそうです。北摂のあちこちで見かける山名なので形を覚えとかないとね。
三田市野外活動センターを過ぎると道は細くなり、羽束川の流れに沿って進みます。前回は紅葉の季節だったから、「きれいだなあ」とキョロキョロしながら楽しんだ道ですが、葉は落ち色も単色で、羽束川の流れの音が寒さを倍化させます。こんな中、ここで2台のロードバイクとすれ違いました。「ロードバイクは運動してるんだから」なんだけど、あの薄着には驚きます。神社から雪が強くなりました。
後川でr12を横切り、r308を篭坊温泉方面に入ります。この道に入ると、畑の周りは鹿よけの電流囲いばかりです。回りの動物分布がよくわかります。小さな温泉街を抜け、r601をr12方面に入ります。この道は初めてです。R173方面からやってきた小型4WDが前におり、のぼりですぐに追いつきました。ゆっくり走っています。ちょうど先導役が出来ていい調子でそのスピードに合わせていると、峠に差し掛かりウインカー出して左に寄せて止まりました。抜かして欲しいようなので、左手で「おおきに」の合図をして追い抜くと、今度は下りです。さてちょっとスピード出そうかなと思ったのですが、大阪府と兵庫県の県境があるのか、こちら側は明らかに整備不良で、道がガタガタです。結局ゆっくり走ることになり、いつまで立ってもバックミラーから4WDが消えませんでした。
r12に出て、いつものように制限速度プラス10の60km/hにスピードを上げて快調に走り出しました。杉生からr602でR173を横切り、R477まで行くつもりでしたが、前回給油から走行距離が200kmを越えました。まだ100kmは走れるのだろうけど、燃料ゲージがないバイクなので、先にGSを探します。かつてはいくらでもGSがあったのに、最近少なくなっていて杉生を過ぎてもなかなかありません。やっと見つけて給油しました(256km/9.1L=28km/L)が、また杉生まで戻るのが面倒で、規並集落に入る道を探します。運よく「ここかな?」と入った道が当たりで、峠を越えると規並の田園が眼下に広がりました。
規並を北上し、他にr12に抜ける道があるはずだと色気を出して幾筋が横道に入りましたが、人家の庭で行き止まりだったりしました。「ここは」という道もあったのですが、途中で舗装が切れてしまいました。「こりゃあかん」とUターンしようと思ったら運悪くランドクルーザー4WDが後ろから来て、そこではすれ違いが出来そうもないので、少し雪でぬかるんだ泥道を先に進む羽目になってしまいました。この道、4WDはいいけど、ランドクルーザーは大きすぎないか?路肩が広がったところでUターンしましたが、バイクが汚れてしまいました。泥を避けゆっくり走っていると、後ろから来たオフロードバイクに2度追い抜かれました。「平気で」というか「勇んで」走ってるオフロード車には太刀打ちできません。
南下して屏風岩でr12に合流し、今度は北上し道の駅「いながわ」で休憩です。バイク置き場が分からず車駐車スペースの端に置いてブラブラ。トイレを済ませて駐車場を見るとバイク置き場がありました。遠目に僕のと同じVTRが止まってるような?欲しかった赤色です。「あそこに置いてたら、話が出来たかも」とちょっと残念ですが、指先の感覚を戻すために暖かい室内に向かいます。
イタリアンジェラード屋さんの前にいると、店番のお兄さんが「バイクですか?あそこが暖かいですよ」と、エアコンの下の椅子を指差してくれました。「おいしそうだけど、バイクやから芯から冷えてしまいそうや」などと20分ほど話しました。途中2組もアイスを買うお客さんがおられ、「こんなにくそ寒いのに・・・」と。最近冬でもアイスを売る店が増えましたが、日本人の身体はどないなってるんやろ?
r68を三田方面に入り、定番のr33から自宅に戻りました。バイク装束を着替え、時刻は5時少し前、家内に電話し着信履歴を残しておくと、10分ほどでかかってきました。「今何処?映画の前に食事する?」「うん」ということで、映画館に車を置きました。このショッピングセンターは、日曜日は渋滞します。混んでる時お世話になってる裏道で難なく到着。先に映画のチケットを買ってから駅の方に向かうと、向こうから家内が手を振って歩いてきました。手を振られるのって、なんか嬉しいです。家内とよく行くオムライスのお店で食事しながら、来週から2周連続の法事の準備を話し、「007慰みの報酬」を観ました。
007映画にしてはハードアクションですが、ジェームスボンドはいつもかっこいいです。いかにもCGというのじゃなくて、生アクションはやっぱりいいです。テンポが早かったので、家内は物語の流れについていけたのかわかりませんが、「ありがとう。面白かったわ」と寝る前に言ってくれたから、良しとしましょう。

2009/1/24
今週、アメリカ大統領がブッシュさんからオバマさんに交代しました。ブッシュさんは、ある意味現実的な政策をされた方で、多大な投資費用が必要な省エネ技術に足を縛られる二酸化炭素排出規制などには横を向き、燃料消費大国アメリカの将来燃料確保の為に武力行使も辞さない行動をされていたように思う。
また共和党のコア政策「小さい政府」を更に進め、資本主義の王道「がんばった人は、がんばっただけの報酬を得る」の元、規制緩和・減税・自分の身は自分で守るを進められました。それに呼応したように小泉さんが、規制緩和と小さな政府に舵を取りました。国の借金減への道筋を付けるプラス面と、貧富の差が広がり社会不安を増大させるマイナス面を実感しました。
行き過ぎた小泉さんの政策からの転換が、次の安倍さんから始まりましたが、本家のアメリカでもこれから始まりそうです。武力行使は更に自国民に辛い思いをさせ、マネーゲームは需要と供給のバランスとは関係なく石油価格の冒頭暴落を呼び、政権最後にはマネーゲーム勝者の軒並み破綻により、世界経済に深刻な影響を与えました。
新大統領のオバマさんは、選挙活動の頃から演説上手と言われていました。その日本語訳が出回り始めた民主党大統領候補決定頃から、その演説をチェックするようになりました。先週、再びクリントンさんに勝った時と共和党候補に勝った時のを読み返し、大統領就任演説も読んでみました。何度か「sprit of service」という言葉を使っておられました。母校の「mastary for service」との違いはよくわかりませんが、ある方から聞いていた「オバマさんはキリスト教プロテスタント系メソジスト派(母校会派)じゃないか?」が、このことを差しているのかと思いました。
この3つの演説の中で、一番感動したgooニュースに載ってた「大統領選勝利演説」を備忘録として残しておきます。「yes we can」で有名になった演説です。
今のアメリカ優位分野を使って国の利益増大に向かったブッシュさんから、困難でも将来必ずやって来る深刻な現実を克服するために、理想を掲げてみんなで力を合わせようと呼びかけたオバマさん。具体的な政策として形になると、アメリカのみならず世界に、物質的・精神的両面の大きなプラスの影響を与えるでしょう。

「アメリカに変化がやってきた」 オバマ次期米大統領の勝利演説・全文翻訳
 <特集・米大統領選> 2008年11月5日(水)20:57
黒人指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が「私には夢がある」と演説してから45年。米民主党のバラク・オバマ候補が4日夜(日本時間5日午後)、米国初の黒人大統領になることが決まった。地元イリノイ州シカゴの公園で約20万人を前に行われた、オバマ次期大統領の勝利演説全文を、複数メディアの生中継をもとに翻訳します。解説を含めた要旨はこちら。英語全文はこちらです。オバマ公式サイトの演説動画とテキストはこちらです。(gooニュース 加藤祐子)

『シカゴのみなさん、こんばんは。
アメリカは、あらゆることが可能な国です。それを未だに疑う人がいるなら、今夜がその人たちへの答えです。建国の父たちの夢がこの時代にまだ生き続けいるかを疑い、この国の民主主義の力を未だに疑う人がいるなら、今晩こそがその人たちへの答えです。
この国が見たこともないほどの大行列が今日、あちこちの学校や教会の周りに伸びていました。並んだ人たちは3時間も4時間も待っていた。人によっては生まれて初めての経験でした。今度こそは違うと信じたから、今度こそ自分たちの声が違う結果を作り出せると信じたから、だからみんな並んだのです。そしてそうやって並んだ人たちが今夜、疑り深い人たちに答えを示したのです。
老いも若きも、金持ちも貧乏人も、そろって答えました。民主党員も共和党員も、黒人も白人も、ヒスパニックもアジア人もアメリカ先住民も、ゲイもストレートも、障害者も障害のない人たちも。アメリカ人はみんなして、答えを出しました。アメリカは今夜、世界中にメッセージを発したのです。私たちはただ単に個人がバラバラに集まっている国だったこともなければ、単なる赤い州と青い州の寄せ集めだったこともないと。私たちは今も、そしてこれから先もずっと、すべての州が一致団結したアメリカ合衆国(United States of America)なのです。
私たちは今まであまりにも長いこと、あれはできないこれはできないと言われてきました。可能性を疑うよう、シニカルに恐れを抱いて疑うように言われ続けてきました。けれども私たちは今夜、アメリカに答えをもらったおかげで、手を伸ばすことができたのです。歴史を自分たちの手に握るため。より良い日々への希望に向けて、自分たちの手で歴史を変えるために。
ここまで来るのに、ずいぶん長くかかりました。しかし今日と言うこの日、この夜、この決定的な瞬間に私たちが成し遂げたことのおかげで、アメリカに変化がやってきたのです。
先ほど少し前に、マケイン上院議員から実に丁重な電話をいただきました。マケイン議員はこの選挙戦を長く、激しく戦ってきた。しかし議員はそのずっと前から、愛するこの国のために、もっと長くもっと激しく戦った人です。マケイン氏がこの国のために払ったすさまじい犠牲のほどを、私たちのほとんどは想像すらできない。勇敢で、わが身を忘れて国に献身するジョン・マケインというリーダーがこれまで国のために尽くし、働いてくれたおかげで、私たちの世界はより良いところになりました。
私はマケイン議員を称えます。そしてペイリン知事を称えます。マケイン議員たちが成し遂げてきたことを称えます。そしてこれから、この国の約束を再生させるため、マケイン氏たちと共に働くのを楽しみにしています。
これまでのこの旅路を共にしてくれたパートナーに感謝したい。彼は心を尽くして戦い、(ペンシルベニア州)スクラントンの街で一緒に育った人たちのために語ってきた。デラウェアの自宅に電車で帰る際、一緒に乗り合わせる人たちのために戦ってきた。アメリカの次期副大統領ジョー・バイデンに、私は感謝したい。
そしてこの国の次のファーストレディ、ミシェル・オバマ。彼女が絶え間なく私を支えてくれなければ、16年前からずっと最高の親友でいてくれた彼女が、礎となって家族を支えてくれた彼女が、私にとって最愛の彼女がいなければ、私は今夜ここに立っていません。
サーシャとマリーア。君たちにはちょっと想像もつかないほど、お父さんは君たちを愛しているよ。君たちふたりもがんばったから、約束した通り、ホワイトハウスには、新しく飼う子犬を一緒に連れて行けるよ。
祖母はもうこの世にはいませんが、いま見守ってくれているはずです。私という人間を作り上げてくれたほかの家族と一緒に、祖母は見守ってくれています。
今夜ここに家族のみんながいたらいいのに。それは少し寂しい。両親や祖父母が私に与えてくれたものは、あまりに計り知れない。妹のマヤ、姉のアルマ、そして兄弟や姉妹全員に。これまで支えてくれて本当にありがとう。みんなに感謝します。
選対責任者のデビッド・プラフに。この選挙戦の縁の下の英雄。アメリカの歴史でおそらく最高の選挙運動を設計したデビッド・プラフに、感謝したい。
そして戦略責任者のデビッド・アクセルロッドに。最初からいついかなるときもずっと一緒に歩いてくれた彼に、感謝したい。
このために集められた、政治史上最高のチームに。この結果はみなさんのおかげです。この結果を生み出すために、みなさんはたくさんのことを犠牲にしてきた。私はみなさんにいつまでも感謝し続けます。
けれどもほかの何を差し置いても、今夜のこの勝利が真に誰のものなのか、私は決して忘れません。この勝利は、みなさんのものです。みなさんのものなのです。
大統領の職を目指した人たちの中で、私は常に決して有力候補ではなかった。
最初からたくさんの資金があったわけでもなければ、大勢の後援を受けていたわけでもありません。私たちの選挙戦はワシントンの広間で始まったわけではない。
この選挙戦は(アイオワ州)デモインの裏庭で始まった。(ニューハンプシャー州)コンコードの居間で始まった。(サウスカロライナ州)チャールストンの玄関ポーチで始まったのです。この選挙戦は働く人たちがなけなしの貯金をはたいて、5ドルや10ドル、20ドルを提供して、そうやって築き上げていったものです。
若者は無気力だという神話を拒絶した若者たちが、給料の少ない、そして睡眠時間のもっと少ない仕事に自分を捧げるため、家と家族から離れて参加してくれた。だからこの選挙戦はますます力をつけたのです。
あるいはそれほど若くない人たちから。凍てつく寒さと焼け付く暑さにもひるまず、家から家へと赤の他人のドアをノックしてくれた人たちから力を得ました。
ボランティアとなって組織を作って活動した、何百万人というアメリカ人から力を得ました。建国から200年以上たった今でも、人民の人民による人民のための政府はこの地上から消え去ってはいないのだと証明してくれた、そういう人たちから力を得たのです。
これはみなさんの勝利です。
それに、みなさんがこの選挙に参加したのは、ただ勝つためではないと分かっています。ただ私のために参加したわけでもないことも、分かっています。今晩みんなでこうやって祝いながらも、私たちは承知しているからです。明日から私たちは、この時代最大の課題に、次々と取り組まなくてはならない。ふたつの戦争。危機にさらされる惑星。100年来で最悪の金融危機。
今夜ここにこうして立つ今も、私たちは知っています。イラクの砂漠でいま目覚めようとする勇敢なアメリカ人たちがいることを。アフガニスタンの山岳で目覚めるアメリカ人たちがいることを。彼らが、私たちのために命を危険をさらしていることを。
子供たちが眠ったあと、自分たちはまんじりともせず、どうやって住宅ローンを払ったらいいのか、病院の請求書をどう払ったらいいのか、子供の大学進学費をどうやって貯めたらいいのか、眠れずに途方にくれている母親や父親があちこちにたくさんいることを。
私たちは、新しいエネルギーを活用しなくてはならない。新しい仕事を創り出さなくてはならない。新しい学校を造り、脅威に立ち向かい、同盟関係を修復しなくてはならない。
私たちの前には、長い道のりが待ち受けています。目の前の斜面は急です。目指すところに、1年ではたどりつかないかもしれない。大統領として1期を丸ごと使っても無理かもしれない。しかしアメリカよ、私たちは絶対にたどり着きます。
今夜ほどその期待を強くしたことはありません。
みなさんに約束します。私たちは、ひとつの国民として、必ずたどり着きます。
これから先、挫折もあればフライングもあるでしょう。私がこれから大統領として下す全ての決定やすべての政策に賛成できない人は、たくさんいるでしょう。
そして政府がすべての問題を解決できるわけではないと、私たちは承知しています。
けれども私たちがどういう挑戦に直面しているのか、私はいつも必ずみなさんに正直に話します。私は必ず、皆さんの声に耳を傾けます。意見が食い違うときは、特にじっくりと。そして何よりも私は皆さんに、この国の再建に参加するようお願いします。国を建て直すとき、アメリカでは過去221年間、いつも必ず同じようにやってきた。ささくれたタコだらけの手で、ブロックを一枚一枚積み上げ、レンガを一枚一枚積み上げてきたのです。
21カ月前、真冬の最中に始まったものを、この秋の夜に終らせるわけにはいかない。私たちが求めていた変化は、ただこの勝利だけではありません。この勝利はただ、求めていた変化を実現させるための、そのチャンスを得たに過ぎないのです。そして以前と同じようなやり方に戻ってしまったら、変化の実現などあり得ない。
みなさんなしでは、変化は実現しない。社会に奉仕するという新しい意欲がなくては、自分を捧げるという新しいスピリットがなくては、変化は実現しないのです。だからこそ私たちは今、新しい愛国心を呼び覚ましましょう。新しい責任感を呼び覚ましましょう。私たち一人ひとりがもっと参加して、もっと一生懸命努力して、自分だけの面倒を見るのではなく、お互いの面倒を見るように。
今回の金融危機から得たほかでもない教訓というのは、メーン・ストリート(普通の町の中央通り)が苦しんでいるのにウォール・ストリートだけ栄えるなど、そんなことがあってはならないということ。それを忘れずにいましょう。
この国の私たちは、ひとつの国として、ひとつの国民として、共に栄え、共に苦しむのです。この国の政治をあまりにも長いこと毒で満たしてきた、相変わらずの党派対立やくだらない諍いや未熟さに再び落ちてしまわないよう、その誘惑と戦いましょう。
共和党の旗を掲げて初めてホワイトハウス入りしたのは、この州の人でした。
そのことを思い出しましょう。共和党とは、自助自立に個人の自由、そして国の統一という価値観を掲げて作られた政党です。そうした価値は、私たち全員が共有するものです。そして民主党は確かに今夜、大きな勝利を獲得しましたが、私たちはいささか謙虚に、そして決意を持って、この国の前進を阻んでいた分断を癒すつもりです。
かつて、今よりもはるかに分断されていた国民にリンカーンが語ったように、私たちは敵ではなく友人なのです。感情はもつれたかもしれないが、だからといってお互いを大事に思う親密な絆を断ち切ってはなりません。
そして私がまだ支持を得られていない皆さんにも申し上げたい。今夜は皆さんの票を得られなかったかもしれませんが、私には、皆さんの声も聞こえています。
私は、皆さんの助けが必要なのです。私はみなさんの大統領にも、なるつもりです
この国から遠く離れたところで今夜を見つめているみなさん。外国の議会や宮殿で見ているみなさん、忘れ去られた世界の片隅でひとつのラジオの周りに身を寄せ合っているみなさん、私たちの物語はそれぞれ異なります。けれども私たちはみな、ひとつの運命を共有しているのです。アメリカのリーダーシップはもうすぐ、新たな夜明けを迎えます。
この世界を破壊しようとする者たちに告げる。われわれはお前たちを打ち破る。
平和と安全を求める人たちにお伝えします。私たちはみなさんを支援します。
そしてアメリカと言う希望の灯はかつてのように輝いているのかと、それを疑っていたすべての人たちに告げます。私たちは今夜この夜、再び証明しました。この国の力とは、もてる武器の威力からくるのでもなく、もてる富の巨大さからくるのでもない。この国の力とは、民主主義、自由、機会、そして不屈の希望という私たちの理想がおのずと内包する、その揺るぎない力を源にしているのだと。
それこそが、アメリカと言う国の素晴らしさです。アメリカは変われるという、まさにそれこそが。私たちのこの連邦は、まだまださらに完璧に近づくことができる。私たちがこれまで達成してきたことを見れば、これから先さらに何ができるか、何をしなくてはならないかについて、希望を抱くことができるのです。
今回の選挙には色々な「史上初」があり、これから何世代にもわたって語り継がれるいろいろな物語がありました。けれども私が今夜なによりも思い出すのは、アトランタで投票したひとりの女性の物語です。彼女はほかの何百万という人たちと同様に、この選挙に自分の声を反映させようと行列に並びました。ただ1つだけ、ほかの人と違うことがあります。アン・ニクソン・クーパーさんは106歳なのです。
奴隷制が終ってから一世代後に、彼女は生まれました。道路を走る自動車もなければ、空を飛ぶ飛行機もなかった時代です。その時代、彼女のような人はふたつの理由から投票できなかった。女性だから。そして皮膚の色ゆえに。
さらに私は今晩、アメリカで生きた100年以上の間にクーパーさんが目にした、ありとあらゆる出来事を思っています。心を破られるほどの悲しみ、そして希望。
困難と、そして進歩。そんなことはできないと言われ続けたこと。にもかかわらず、ひたむきに前進し続けた人たちのこと。あのいかにもアメリカ的な信条を掲げて。Yes we can。私たちにはできる、と。
女性は沈黙させられ、女性の希望は否定されていた時代にあって、クーパーさんは生き続け、女性が立ち上がり、声を上げ、そしてついに投票権に手を伸ばすのを目撃したのです。Yes we can。私たちにはできるのです。
アメリカの大草原に絶望が吹き荒れ、大恐慌が国を覆ったとき、クーパーさんは「新しい契約(ニュー・ディール)」と新しい仕事と新しく共有する目的意識によって、国全体が恐怖そのものを克服する様を目撃しました。Yes we can。私たちにはできるのです。
この国の湾に爆弾が落下し、独裁が世界を支配しようとしたとき、時の国民が立ち上がり、偉業を達成し、そして民主主義を救うのをクーパーさんは見ていました。Yes we can。私たちにはできるのです。
クーパーさんは(人種隔離政策が行われていたアラバマ州)モンゴメリでバスが黒人を差別するのを知り、(同州)バーミングハムで警官が消火ホースの水でもって黒人を抑圧するのを知り、(流血のデモ行進が行われた同州)セルマの橋を知り、そしてアトランタからやってきた牧師と時代を共有しました。アトランタからやってきたその牧師は人々に「We shall overcome(私たちは克服する)」と語った。Yes we can。私たちにはできるのです。
人が月面に着陸し、ベルリンでは壁が崩壊し、われわれの科学と想像力によって世界はつながりました。
そして今年、この選挙で、彼女は指でスクリーンに触れ、そして投票したのです。なぜならアメリカで106年生きてきて、幸せな時代も暗い暗い時代もこのアメリカでずっと生きてきて、クーパーさんは知っているからです。このアメリカと言う国が、どれほど変われる国なのか。
Yes we can。
アメリカよ、私たちはこんなにも遠くまで歩んできました。こんなにもたくさんのことを見てきました。しかしまだまだ、やらなくてはならないことはたくさんあります。だから今夜この夜、改めて自分に問いかけましょう。もしも自分の子供たちが次の世紀を目にするまで生きられたとしたら。もしも私の娘たちが幸運にも、アン・ニクソン・クーパーさんと同じくらい長く生きられたとしたら。
娘たちは何を見るのでしょう? 私たちはそれまでにどれだけ進歩できるのでしょうか?
その問いかけに答えるチャンスを今、私たちは手にしました。今この時こそが、私たちの瞬間です。
今この時にこそ、私たちは人々がまた仕事につけるようにしなくてはなりません。子供たちのために、チャンスの扉を開かなくてはなりません。繁栄を取り戻し、平和を推進しなくてはなりません。今この時にこそ、アメリカの夢を取り戻し、基本的な真理を再確認しなくてはなりません。大勢の中にあって、私たちはひとつなのだと。息をし続ける限り、私たちは希望をもち続けるのだと。そして疑り深く悲観し否定する声に対しては、そんなことできないという人たちに対しては、ひとつ国民の魂を端的に象徴するあの不朽の信条でもって、必ずやこう答えましょう。
Yes we can。
ありがとう。神様の祝福を。そして神様がアメリカ合衆国を祝福しますように。』

2009/1/19
土曜日は、「1.17」でした。14年前のこの日、阪神淡路大震災が起こりました。金曜日の晩から夜通しで、近所の公園では「ろうそく送り」が行われていました。我が家も多大な損害を被りましたが、子供達の強さ、家族の存在の大切さを再認識出来たのはありがたかったかな。
この日は、大学入試の「センター試験」の日でもあり、大阪・兵庫・京都の中学受験統一受験日でもありました。前日は、「明日、息子が試験なの」とお買い物に来られる方もいました。
さて日曜日は、エ号で初乗り&新年会の呼びかけを受けていました。メンバーからの返事も確定していないので、ほんまに新年会が行われるかわかりませんでしたが、とりあえず10時頃浜に行く予定にして、朝バイクで北摂の里山回りです。
前乗ったのが2週間前だったので、エンジンスタートに一抹の不安があったVTR250ですが、チョーク引いてイグニッション一発で快調にエンジンが回ります。いつものように長尾山トンネルを抜けて、r33で西谷農協付近へ。予定では、川下川ダムからJR道場駅に行ってみるつもりだったのですが、川下川ダムに入る道を通り過ぎてしまったようで、西谷まで来てしまいました。「あの道だったんだな」と大体分かったので、次回挑戦してみます。道が細そうだし、地図には載っていますが、バイクで入っていって大丈夫なのだろうか?「途中で舗装路が途切れたりしたらかなわんなあ」と思いながら、ダムという巨大施設なんだからメンテナンス道路が必要だろうし、大丈夫だと思うんだけどなあ。
西谷の少し手前、以前から気になっていたレクリエーション施設のような看板の方に入ってみました。どうやら宝塚市の里山ハイキングの施設のようです。冬だから閑散としていますが、春から秋まではいろんな学校関係の団体さんなどが利用してるのでしょう。r33に戻り、r319に乗ってr12を目指します。次は、r319とr12が交わる付近にある「天沢寺」近くにあるトンネルです。r12は、この付近で大きく右に半円を描いて迂回し、また元のr12の延長線上に戻り北上します。峠越えを回避し、より高度差のない道筋にしたのだろうけど、真っ直ぐ行けないものなのかと、なんとなく気になっていた。先週、グーグル地図を一番拡大したら、そこに道が現れた。そしてトンネルらしきものも。
r12に合流し、左折すればすぐに我が家のお墓だけど、右折してゆっくり流す。「ここかなあ」と思う道は、小さな住宅地に向かっている。怪しいので、右折して入ってみる。途中1ヶ所所間違えたが、「この先トンネルあり」の看板を発見しビンゴでした。高さ制限の標識もあったので、大型車は無理なのはすぐ分かりましたが、「バイクでも通れない道じゃないやろか?」とまた一抹の不安が。でも「行ってみたい」。細い道を2速でゆっくり上がる。横は竹やぶ。道路工事関係の廃材置き場のような所を過ぎ「出ました」。目指すトンネルがありました。
逆U字型の石組みトンネルの入口には、2m少しの高さにトラ模様の横バーがついています。どうやら通れそうですが、一旦バイクを停めて偵察です。車が頻繁に通るような道ではなさそうです。トンネルを20mほど歩き数枚写真を撮って、向こう側の明かりを凝視。向こうから犬の散歩の奥さんがやってきます。バイクに戻りエンジンを掛けて、横を通る奥さんに会釈。
さて出発です。石組みのトンネル部分は入口の10mほどだけで、あとはコンクリート補強されています。でも趣があります。夜の肝試しに最高です。トンネルを抜けると眼下に集落の屋根が見えます。南側はかなりの急勾配で、しかもヘアピンカーブで下ります。フルブレーキングとクラッチを入り切りしながらゆっくり曲がります。この道、ヘアピンのところで車の離合が出来そうですが、急勾配なこともあり、かなり危険です。地元の運転手さんは、こんな道通らずにそんなに遠回りにならないr12を回るでしょう。バイクでも南からこのトンネルに上がるのは大変です。「今後、南から上がらないようにいなければ」というより、よっぽどのことがない限るココを通ることはないでしょう。でもトンネルは雰囲気いいです。軽四トラック道ですね。
今朝は朝から雲行きが今一です。午後から雨の予報で、空が持ちそうならこのままハーバーに向かうつもりでしたが、予報どおりの天気になりそうなので、一旦帰宅しスクーターでハーバーに向かうことにしました。となるともうタイムリミットなので、r12を南下し、「道の駅いながわ」からr68で三田方面に入り、r33から長尾山トンネルを抜けて帰宅しました。帰宅したと同時に「行ってきま〜す」とすぐに出発です。また遅刻になりそうです。ハーバー10時は無理ですが、スクーターの機動力で、信号渋滞をすり抜けて急ぎます。
浜に着くと結構いい風が吹いています。エ号に着くと、トヨゾウさんとシブカワさんがいました。社員の技術の方がエンジンを点検してくれているようです。ありがたいです。数日前の天気予報ではもっと暖かいと言ってましたが、寒いので本日のセーリングはナシで、新年会もナシだそうです。トヨゾウさんと会社の方は会社に戻るそうで解散し、シブカワさんとドラゴンの整備に向かいます。スピンハリのガイドローラーを新調するためにはずしたところで電話です。
さっきエ号に着いた時、家内から電話が入りました。「テル君、理3に通ったんだって」と、土曜日の中学受験を受けていた弟の長男君の結果連絡でした。テル君はココが第一志望だったので、次男君の後輩になるようです。義理妹に電話してみました。第一声が「お兄さん、ありがとうございます」ちょっと興奮気味です。まだ「おめでとう」とも言ってないのに。この日も他校を受験してるようで、夫婦で親御さん控え室(講堂かな?)にいるようです。息子を受験会場に見送ってから清風の合格発表を見に行ったようです。
「お礼を言いたいからとうるさいので、主人に代わります」「お兄ちゃん、ありがとう、よかったわあ・・・」と、こちらも興奮気味です。弟夫婦も僕ら同様中学受験組なので、自分では経験あるのだけど、親として子供のがんばりに頭が下がりホッとして、子供を誇らしく見える時です。いっぱい興奮して、いっぱい褒めちぎってあげて欲しい。ほんとに良かった。さあて合格祝いを考えなきゃね。
電話でちょっと整備をサボった後、ウインチの分解点検・再組み立てです。オオノさんが来られて、マストの整備をされています。再組み立てできるように、構造を覚えながら分解し、水洗いしながらそこらをゴニョゴニョ動かして点検、そしてシリコンスプレーしながら組み立てます。どうやらチャッチャチャッチャといい音で回っています。
雨がパラパラしてきたので後片付けし始めると、イカミさんが来られました。片付け後、クラブハウス2Fのレストランで昼食です。ジャンパーを脱いだら見えてきたバイク用肘プロテクターに「何それ?」「午前中バイクに乗ってましてん」。イカミさんの女学院のクラシックコンサートを見に行った話、「世の中には真面目な人たちいるからなあ。こんなバカ話する雰囲気とは全然ちゃうで」。BG財団とOP協会からファーイースト製IOD95の見積もりか注文をもらったかの話。兵庫ジュニアにも見積もり出したような話。
シブカワさんの息子君が来週結婚式と言う話。あのでっかい住吉大社で式と披露宴をするようで、新郎本人が東映からちょんまげのカツラを調達するとのこと。娘さんの結婚式に、夜店のピカピカを胸に点滅させながらバージンロードを歩いた親父さんとしては、息子にインパクトで負けないようにと何やら考えているらしいです。どんな結婚式になるのだろう。土産話が楽しみです。オオノさんのお嬢さんも今春ご結婚だそうです。「花嫁の父はやっぱり寂しいですか」と聞くと「清々するわ」との事でしたが、バージンロードでエスコートしながら泣くんじゃないのかなあ?なんて思いました。
ということでお開きになりました。雨が降ってることもあり、自転車屋を1軒回っただけで、おとなしく帰宅しました。食卓には、夕食の食器が用意されており、「帰って来るのは8時ぐらいになるから」との家内の書置きがありました。神戸のホテルで新年会です。
大河ドラマ「天地人」を見ていると家内が帰ってきました。「これ見てると思って、お迎えの電話しなかったよ」って。抽選会で5000円の現金が当たり、ケーキをお土産にもらったとご機嫌です。お土産はアップルバームクーヘンで、丸ごとのりんごの周りに丸くバームクーヘンが巻いてあり、どうやって作るんだろう・・・焼きアップルにバームクーヘンが乗り、とてもおいしいお土産でした。まだ数日は楽しめそうです。

2009/1/12
日曜日は、昼からボート免許の更新講習でホームポートに行かなければなりません。午後1時半からという中途半端な時間なので、朝一番にバイクで出かけて、一旦免許講習を受けて、再び走りに行こうかなと予定していました。しかし、土曜日から寒波が入り北部は雪です。行きたい方面は朝方、道路が凍結しているでしょう。四輪ならましですが、二輪はすぐ転ぶし・・・阪神間は、3連休の中日で道路はいつもの日曜日よりさらに混んでるだろうし・・・。ということで、朝ご飯を食べてグズグズしていました。
家内の予定を聞くと、何も予定がないので行ったことがない甲子園のショッピングセンターに行くとのこと。「清荒神とか妙見山とか・・・にも行かないと・・・」なんて言っています。雪の具合で妙見山に上れるかどうか分かりませんが、四輪で行く事にしました。スキー小僧の時は、冬期間中スタッドレスタイヤに履き替えていたので平気なのですが、最近はノーマルタイヤ仕様になってるので、「やばいなあ」と思ったら引き返す勇気を持っていかないといけません。
妙見山は、北摂の古刹で山の上になります。親父が好きで、毎月のように行っていたかもしれません。子供達もよく連れて行ってくれました。親父が亡くなって、家内が親父からの言葉「妙見山に参ってね」がずっと気になっていたようです。でも車を運転できない家内は、なかなか行けません。山歩きの趣味もないし。
記憶では池田・川西の北で、R173の西でR477の西か東です。R477からの方が近いかなと思ってそちらを北上します。標高が上がると田舎の風景が広がり、秋は紅葉を楽しませてくれた広葉樹が葉を落として、緑の針葉樹とのゆるいコントラストを見せてくれます。こう見ると、広葉樹がとても多い山が続いているのがよくわかります。
「妙見口駅こっち」の道路標識が左手を差しています。「妙見山はR477の西だったんだな」と注意していると、「妙見山」の標識現れ、今度は右を差しています。「なんだ東だったんだ。R173とR477の間にあるんだ」とそちらに曲がると、すぐにケーブル乗り場に行き当たりました。「ケーブルに乗って行くのもいいな」と思い車を置こうとすると、冬場は運転休止の看板が目に入ります。
仕方なくR477に戻り、更に北上しR173へ抜ける道を探します。しばらくするとまた「妙見山」の標識が現れ右を差しています。どうやらここから車で行けそうです。山頂に大きな駐車場があった記憶があります。標高が上がると、山の西斜面なので路肩に雪が残っています。後ろから追いついて来た乗用車にパスしてもらいながら、ゆっくり上がります。
家内は雪を被った周りの木々を見ながら「綺麗ねえ」と言っていますが、ノーマルタイヤなのでこっちは「まだかなあ」「行けるかなあ」と慎重に運転します。風に振られて、時折木々から雪が落ちてきて、とても綺麗です。やっとこ山頂駐車場に着きました。駐車場には観光バスが1台、乗用車が20台ほど止まっています。路線バスの停留所を見ると、スタッドレスタイヤの阪急バスが客待ちをしています。久しぶりの妙見山です。
天気は晴れで、夜降った雪がとても綺麗です。土産物屋さんを冷やかし、参道を上がっていくと、とてもお寺とは思えない特徴のある建物があります。パンフレットなどで見て知ってたけど前衛的です。「ん?子供達と来て、この周りを走り回ったっけな?」記憶が定かではありません。中には、年初に奉納されたのか白雪の樽が重ねられています。100円双眼鏡が供わっているココからの景色はなかなかです。空気が澄んでいないのか、海がぼんやり見える程度ですが、六甲山まで見渡せます。
山門をくぐって本堂に向かいます。山門下に温度計がありマイナス3度でした。滑りそうな石段を慎重に下った本堂には適当にお客さんがいます。本堂の周りをお百度を踏んでいる方もいます。中では法要が行われていました。家内から100円を渡され、2人並んでお参りです。最近家内は一気に信心深くなったようです。どうやら2人の子供が家を巣立ち、自分で何かをしてあげられなくなったので、神頼みの方に向かってるようです。案外こんなところが年寄りの信心深さの入口かもしれません。賽銭箱があるとすぐにバックから財布を取り出します。
別のお堂を覗くと、そこにも白雪の樽が・・・「妙見山は白雪さんが信心してるのかもね」と言うと、樽に書かれた白雪の文字の横の字を見て、「川西って書いてあるよ」と。「あれ川西じゃなくて、小西だよ。小西酒造だから」「あっ、そっかあ」。白雪さんは小西家がやってて、小西さんの苗字をみると、大阪の衛星都市になる以前からの地元の方なんだなあと見てしまいます。あと「坂上さん」も、地元出身で蝦夷征伐の大将で有名な「坂上田村麻呂」の子孫という目で。小西を川西と読んでしまう家内に、またかわいさを感じてしまいました。
小1時間ほどいて下山しました。車に戻る時、観光バスが3台ほど入ってきて、そこから続々と若い男女が下りてきました。学生服姿の方・スーツ姿・・・胸にはネームプレートが。どういう団体だ?新入社員研修?お寺に似合わないなあと見ていてわかりました。関西大学の体育会オリエンテーリングです。今期の優秀な成績祈願に来たのですね。スケートの織田信成君はいませんでした。ヨット部がいたのか不明です。「関大は妙見山なんだ」「ではKGは?」。家内は甲山大師じゃないかなと言いましたが、歴史の長さ・由緒・格からいって断然広田神社だと思います。阪神タイガースと一緒です。確か伊勢神宮・出雲大社に次ぐ格だったし。
今度は山の東側になるので雪が更に解けてるだろうとR173の方に下りました。予想通り、こっちはなんら道路を気にすることなく楽に、そして距離もずっと短く下山できました。「なんだこんなに近かったんだ」とコースミスを口にすると、「でも向こうの景色が見れてよかったね」とフォローしてくれました。
R173を池田に下り、r13からR171に乗り西宮を目指します。武庫川を渡る前頃からやたらと道路が混み始めました。いつもの日曜日よりずっと、道路工事でもやってそうな混み方で、1/11だから「うしろえびす」の影響かなと思い、このままえべっさんに突っ込むのをやめて、武庫川堤防道路を南に下り、甲子園球場のところで家内を降ろしました。「あのショッピングセンターは、甲子園阪神パークの跡地にできたから、球場の道隔てた反対側だと思うよ」と。
そのままハーバーに車を入れ、まず係留艇のエ号に行き、気になっていたトイレを流してみました。トイレの水は流れますが、入って来る方の流量が少ないです。パイプが詰まり気味のようです。でも前回はボタンを押しても全く反応がなかったので回復しています。何でかなあ?
身体検査と眠たい講習を約1時間受けて、ボート免許の更新は終わりです。これでまた5年間運転できます。帰りも「えべっさん」の近くを通るR171を避けて甲子園回りにしました。途中で「あさひサイクル」という自転車屋さんがあったので、そこに立ち寄り気になってきた自転車を物色です。この日もたくさんのスポーツサイクルが北摂を走っていました。ロードバイクは楽に40km/hで走っています。ご夫婦で前後に並んで走ってる方もいました。足腰の筋力を保つためにも、早朝に近所を走るといいかもと考え出しています。
軽いかっこいい自転車は、みんな外国製です。「ミヤタ」「ナショナル」などの国内メーカーはなくなってしまったのでしょうか?「ルイガノ」「ジャイアント」「トレック」など聞いたことないメーカーばかりで、外国製なのか新興日本メーカーなのか皆目分かりません。重量9kgほどのドロップハンドルのロードバイクは10万円ほどから。横真っ直ぐなハンドルのクロスバイクは3万円ぐらいからあります。変速システムは、なじみのあるシステムとは様変わりしていて、グリップを持ったまま変速できるようになっています。これが「SHIMANO」製がほとんどで、高級部品メーカーとして日本メーカーが残っているのかもしれません。
それにしても高いです。自転車なんてモーターバイク以上に簡単に持っていかれるので、10万円の自転車なんてとてもとても、3万円だって惜しいです。5〜6000円の軽い中古自転車でも探そうかな?あるのかな?近所の自転車屋さんに訊くことにしましょう。
家内が行ったショッピングセンターの横を通りました。家内は電話を持ってないので待ち合わせることは出来ませんが、運がよければバッタリというのがあるかも・・・と。まあそんなことはなく甲子園を北上しました。信号待ちしていると、右手の喫茶店から若い女子が出てきて、前に止まってるバイクにキーを挿しています。来る時前を走ってた2台のバイク乗りの片割れさんです。歩道に乗り上げてこの店の前で止まりました。前を走る黒のバイクはどうでもいいとして、真っ赤なドカッティに乗りヘルメットから長い髪をなびかせ、かっこいいなと印象に残っていました。あれから3時間ぐらい、ずっとこの喫茶店にいたのですね。すぐ片割れの男子も出てきて、マスターと思しき方も出てきました。知り合いなのか、マスター自身がバイク乗りなのかでしょう。
この夜は、家内と一緒に新しく始まった大河ドラマ「天地人」を見ました。大河ドラマは、数年前の「義経」以来です。戦国武将の中で、他を圧倒して好きな上杉謙信の息子景勝の腹心「直江兼続」の生涯です。ちなみに2番は、織田信長を倒した明智光秀です。ワースト1は、偉そうにして傍若無人、そして部下を平気で切る信長さん。明智さんに倒されなくても、織田軍団の有力武将から相次いで謀判者が出た信長は、いずれ謀殺される運命だったでしょう。
上杉謙信を好きになったきっかけもこの大河ドラマで、「天と地と」という上杉謙信の生涯を描いた作品です。中学生か高校生の時に見たと思うのですが、今でも石坂浩二を見ると上杉謙信とダブってしまいます。2回目のこの日もよかったです。謙信は相変わらずかっこよく、景勝・直江の次の世代が、負けてしまったけど幕末の会津藩や白虎隊につなげた凛とした生き方が気になります。ますます楽しみになりました。
そのままNHKを見てると、「女と男」という番組になりました。最新の脳の研究からわかってきた女と男の脳の違いを、恋愛と離婚をキーワードに分かりやすく説明していました。「愛は盲目」というけれど、「女性は特定の人に愛情を感じると他の男性を排除しようと脳が働く」「男は女性を元気な子を産めるかどうかを、ウエストのくびれで判断し、ウエストとヒップの比率は7:10、視覚で女性を判断する」「女性は、人間が二足歩行したためにお腹の中で大きく育ててから産めなくなったので、出産後3年は育児に協力してくれる男性が必要です。約束を守るなど脳の記憶野重視で男性を判断する」「夫婦喧嘩してる時、男性は脈拍数がすぐに上がり、喧嘩を続けられなくなって男性から切り上げる。対して女性は言葉とは裏腹に脈拍は変わらず冷静なまま」・・・いろんな面白いことが説明されていました。子供が出来て、子供がどうにか自分で自分のことが出来るようになる3年が、人間夫婦の賞味期限だそうで、3年後離婚して新しいパートナーを見つけに行くのが自然なんだそうです。怒ってるような、泣いてるような、笑ってるようなわかりづらい表情を見て、感情を当てる問題が数題ありましたが、私は全問ミスで家内は全問正解でした。解説者が言うように、「男性は表情から相手の本当の感情を読み取る能力に劣る」そのままでした。
でも現代社会では、そんなに頻繁にパートナーを替えられません。夫婦の約半数が離婚する離婚大国アメリカで、そんな脳の研究を円満な夫婦関係を保つために利用している方がおられ、夫婦の会話で3年後離婚を予測したりしているそうです。夫婦の会話の中で離婚に至る言葉で重要なのは、男性側からの「相手を攻める言葉」と「相手を見下す言葉」だそうです。
男性は他の男性と協力して獲物を獲らないといけないので、いろんな事象に対して解決策を探ろうとする。女性は他の女性と会話しながら円満な社会関係を保とうとするので、解決策というより不満を吐露してストレスを解消させる会話に重きを置く。なるほど、「何が言いたいのか」「どうして欲しいのか」論点のはっきりしない女性の話をダラダラ聞いていて疲れてしまうのは、私が男性だからなのですね。
男女の会話の場合、女性が不満を口にしても、男性が解決策を探る必要はなく、解決策を女性のミスとして責め見下すと最悪の結果になる、ただ聞いていればいいだけだそうです。結論を見い出せそうにない問題を口にしない男性は、どうしても口数が少なくなり、男女間の会話が3年でなくなっていきます。
そこで有効なのは、男性が女性に質問すること。明確な答えも期待せず、解決策も探らない質問をすることで、男女の会話が増える。そして男女の会話で最も有効な言葉は、相手の将来の夢を聞く事。ある年齢の時や晩年の相手が望む姿を共有しているだけで、途中の些細なすれ違いが小さなもののように感じるからだそうです。こちらは3回シリーズで明日が2回目なので、3日間連続のシリーズかもしれません。明日も見なくちゃ。

2009/1/6
年末は、例年通り末日まで仕事でした。そして4日まで正月休み。例年は正月三が日だけお休みですが、今年は4日が日曜日なので1日増えました。
次男君は、東京から京都に戻り大学の地元で2日間忘年会だったようで、30日に我が家に帰省しました。長男君は、今年は正月帰省なしです。11月末に義理母法事で戻り、1月には大学時代のクラブ繋がりの結婚式で、2月は父の法事で戻る予定なので、今回はパスだそうです。家内によると、「向こうの家に行ってるんじゃない?」とのことです。何かと忙しい年頃なので、親より自分の未来を優先して欲しいと思っています。結局それが親の喜びでもあるからね。

元旦は、例年通りお墓参りです。朝8時に家内と次男とともに出発し、家内の実家のお墓に。10時に帰宅し、隣の母を乗っけて我が家のお墓に参りました。弟の家族も一緒だとよかったのですが、長男君が今年中学受験で、元旦から塾です。午後、彼を塾に送って墓参りに来るそうです。我が家の中学受験は大昔の話ですが、ご苦労様なことです。家内は、「私が今からだったら出来ないわ。毎日塾のお弁当を作り、もう一食は子供達が近くでコンビニ弁当を買っていました。子供達は、ほんと毎日よくがんばりました。
お墓参りの後、久しぶりに家族で篠山に食事をしに行きました。元旦から開いてるお店があるのか不明でしたが、観光地だから開いてるところもあるのかもと期待してです。篠山城址を横に見て篠山中心地に入り、まず「しし肉のおおみや」さんを目指します。ところが前あった本店が見つかりません。子供達が小さな頃、毎年のように篠山の「おおみや」さんにお邪魔していました。目的は、朝一番に仕留められた猪さんが店頭にひっくり返っているからです。猟師さんが仕留めた猪を店頭に下ろしていきます。「おおみや」さんは、昼に掛けて1頭ずつ店内でバラして行きます。店頭にひっくり返ってる猪さんの剛毛をなぜ、やられた弾痕を覗き、時にはお店の人に頼んで、子供達を抱えてゆっくり跨らせたこともあります。
その後、以前に食べたことがあるお店で、牡丹鍋を食べました。お店の方に聞くと、時代は変わったようで、店頭で猪がひっくり返っている光景はなくなったそうです。衛生面だとか、残酷だとかからなんでしょうが、ちょっと寂しく思います。久しぶりの本場の牡丹鍋は大変うまかったのですが、前回食べた鹿肉の刺身はメニューにありませんでした。この辺には鹿がいっぱいいるのに保護されているのでしょうか?それとも鹿さんを食べるのがかわいそうと、注文がないのでしょうか?ここ数年、かなり増えて農家の方が獣害に苦しんでいるのにね。バイクでこの近所を走っていると、網や電気柵で囲った畑がたくさんあります。

2日は、家内と母と私の3人で、姫路の北にある書写山圓教寺に行きました。家内の里播州の名刹書写山には行ってみたいと前々から思っていましたが、今回初めて訪れました。高速道路から見ていた書写山ロープウェイ目指して出発です。高速ICから15分ほどで下の駐車場に到着です。
70人乗りのロープウェイに乗り、山上駅に着きました。ロープウェイのお姉さんの説明で、天台宗のお寺で、本山比叡山に続く古刹のようで、大山とここと比叡山が三大修行場だそうです。天台宗は山の中を歩き回って修行するので、お山全体が修行場なのでしょう。でも比叡山に比べれば山が深くなく、修行場と言えばやはり和歌山や奈良の深い山の中の方が似合います。
母の足のこともあり、徒歩600mの上りをバスに乗り中心部に入り、書写山名物という山菜うどんを食べてから、点在する伽藍を巡りました。見てみたいと思っていたトムクルーズ・渡辺謙主演の映画「ラストサムライ」の館ロケに使われたお堂を観ることが出来ました。
小修理を繰り返している感じはなく、随分ほったらかしの感じで墨絵そのものの白黒の深い雰囲気が漂っています。修行僧の拭き掃除などはきちんとしながらも、京都の観光寺のような華やいだ雰囲気はなく、いかにも修行の寺という感じです。「ラストサムライ」の雰囲気にピッタリです。
書写山は標高400mほどの山ですが、高い山がない播州においては姫路に開けた高峰のようで、正面に姫路の町並み、その向こうに家島、その西には小豆島が見えます。西には岡山県の山々が、家島の向こうに四国、東に淡路島まで見えます。
更に頭を東に振ると明石海峡大橋がくっきりと見えていました。冬の澄んだ空気とはいえ、絶景です。大晦日から元旦に掛けて、オールナイトでロープウェイが動いていると書いてありましたが、年越しの行事見物に加え、ココからの初日ノ出ウォッチングもなかなかのものでしょう。

この日、ちょっと感慨深いものを見つけてしまいました。「ラストサムライ」のロケ伽藍の横にに、姫路城主本多家歴代のお墓が並んでいる塀にかもまれた墓所がありました。立派な墓石を趣のある東屋が囲んでいます。「ひょっとしたら」と思ってお墓を見て回ると・・・ありました。次男君の名前を付けるときに、いろいろ調べて、決定する決め手になった方のお墓が。姫路本多家初代城主本多忠政公です。
子供達の名前は、私の小学校の同級生のお父さんが神主さんをしてる近所の学問の神様にお願いしました。長男君のとき、私達夫婦の名前を一字でも入れたいことや、元気はつらつで賢い人に育って欲しいと、昔から知ってる友達のお父さんという気安さから贅沢なお願いをしました。数日後、字画などでいくつかの名前を書いた半紙をもらいました。そこから長男君の名前を選びました。「幸成(ゆきまさ)」、こう読める人はまずいません。私(良成)の一字が入り、家内の名前の読み(まさよ)が入り、私の2人のお婆ちゃんの名前の読み(ユキ、マサ)をミックスした素晴らしい名前を付けることが出来ました。私の名前は、父(栄良)の一字をもらった武将のような名前で、とても気に入っていました。長男君にも同じように武将さんのような名前をつける事が出来ました。大満足です。
そして3年後、次男君が生まれました。同じ神主さんにお願いしました。やはりいくつか候補をもらったのですが、どうも長男君以上の名前がありません。次に気に入った名前をつければいいのですが、どうも私自身が2人の子に温度差を持ってるようで嫌でした。次男君にも長男君のときと同じように、「これが一番素晴らしい」と思える名前をつけたかったのです。そこで、候補の名前をいろいろ調べ始めました。漢字やいろんな読み方で・・・今ならPCで検索すれば一気に調べられるのですが、当時は辞書を引いたりして結構時間を掛けました。長男の時はしなかった武将の名前を特に調べました。戦国武将の懐刀的な人がいいなと。
そこから浮かび上がってきたのが、次男君の名前、忠成(ただまさ)です。これまた読める人はいません。長男君同様、私の名前の一字と家内の読みが入っています。家内の育った播州、特に義理母の育った姫路の城主で、家康さんの重臣。そしてもう一人、同じく家康さんの重臣で、東京の青山という地名の元になってる青山忠成(あおやまただなり)さんの名前とも、読みは違うけど同じ漢字です。どちらも、家康さんの側近中の側近です。武将の名前では、私や長男の名前をはるかに凌駕した素晴らしい名前をつけてあげることができました。書写山が姫路本多家の菩提寺とは知りませんでした。その本多忠政公がココに眠っていました。今年は年初からツイテマス。

3日は、家内と一緒に琵琶湖の東、秀吉の最初の城があった長浜見物に行きました。敦賀行きのJR新快速に乗れば、一気に2時間弱で行けるのですがそれでは面白くないし、ここ数日の北部の雪模様を考えると雪も見てみたい。そこで、湖西線経由で時計回りに琵琶湖を回ることにしました。
京都駅からの乗換えで、湖西線経由新快速敦賀行きがありましたが、急ぐ旅でもないので各駅停車の普通電車に乗り込みました。混んでて座れそうもなかったしね。各駅停車は、一気に琵琶湖の北まで行けず近江舞子までしか行けません。「近江舞子で次の電車との乗り換えはスムーズに行くだろうか」と、運転本数の少ない湖西線の状況を知ってるだけに一抹の不安が・・・そんなこと知らない家内は、窓から見える琵琶湖に見とれ、反対側の比叡山の雪に「綺麗ねえ」と言っています。
比叡山やその北に見える山々が実に綺麗で、私は駅で止まる度に一眼レフを抱えてシャッターを押します。新快速は満席だったけれど各駅停車の車内はガラガラで、4人掛けのシートに家内と2人です。1両に10人ほどしか乗っていません。その中には「鉄っちゃん」と思われる男子や、私たちより先輩のご夫婦もいます。写真を撮ってるのは私だけじゃなく、先輩ご夫婦は、2人でカメラをぶら下げています。なんかとてもいい雰囲気のご夫婦です。
近江舞子で次の電車を待ちます。次も各駅停車で、近江今津行きです。また近江今津で乗り換えですね。駅のホームの待合部屋に入ると、真っ赤なカッパ上下を着た5歳ぐらいの男の子とお父さんがいました。お父さんの手にはソリがあり、北のもっと雪の多いところに雪遊びにでも行くのでしょう。お子さんが無邪気な質問をお父さんにし、お父さんは邪魔臭がらずにきちんと答えています。
こんなお父さんのいる家庭で育つ子は幸せですね。大人から見ればおばかな質問でも否定されなければ、子供はいろいろ考えるでしょう。否定されてしまうと、疑問を親に質問する行為そのものをしなくなります。親に質問できない子は先生に質問できないからなあ。何かに興味を持つごく自然な行為そのものもやめてしまいそうです。子供達が小さな頃を思い出します。子供達には何度も同じ質問をされ振り回されましたが、いい思い出です。
近江舞子から近江今津までもいい景色が続きます。琵琶湖の北湖は海のように広がり、山の雪は線路に迫るというより、線路やホームは雪だらけです。シャッターチャンスはいくらでもあります。どこかの駅で特急に抜かされるので駅待ちしましたが、「鉄っちゃん」達が車両から湧いてきて、一斉にホームに並び通過列車にカメラを向けています。JRの地方線ではよくある光景ですが、なんかJRの歴史を感じます。
近江今津からは、これ以降各駅に停車する新快速に乗り換えになりました。そしてここから4駅で近江塩津に到着です。近江塩津は、琵琶湖の北で時計で言うと12時の位置にあります。湖西線と琵琶湖の東を北上してきた北陸本線との合流地点です。ここで乗り換えて、今度は湖東を南下です。
前回ここに来た時は、福井県の永平寺に青春18切符で向かう時でした。その時も冬で、朝早かったこともあったのだろうけど、一面の雪景色でそれは見事でした。そこをJR特急が通過して行き、にわか「鉄っちゃん」になって、本職「鉄っちゃん」に混じってカメラを構えていました。
余呉湖のすぐ横を通ります。釣りのお客さんが結構いましたが、余呉湖ってこんなに小さかったっけ?と思うほどこじんまりしていました。続いて琵琶湖の北が少し見えてきて、それからは少し湖岸から離れるので直接琵琶湖は見えなくなりました。でも反対側の白を被った山々が見えてきます。米どころ近江平野、その昔浅井長政が支配していた地域です。そして目的地長浜駅に到着しました。なんと4時間半もかかってしまいました。でも楽しい電車の旅でした。気温はぐっと下がっています。湖西線の北からここまで押しボタン式の扉開閉電車でした。駅で扉を開けっ放しにすると車内が冷えるので、乗り降りのお客さん自身が扉の横についているボタンを押して開閉します。
駅を出て、まず長浜城見学に向かいます。ここは近年新しく作られたお城なので雰囲気はありませんでした。中は展示館になっており、秀吉関係の物や近江の産物や歴史が紹介されていました。お城の5F天守閣が展望台でなっており、外に出ると360度の展望が開けていました。琵琶湖に雲間から差し込む陽光が帯を差していました。南からは彦根から遠く琵琶湖大橋が見えます。冬は空気が澄んでいるので展望が利きますね。東は真っ白な伊吹山です。何度か車で登った伊吹山ドライブウェイが山肌に黒い線を刻んでいます。
長浜城は湖岸にあるのですが、一旦駅に戻って今度は駅の反対側の長浜市内に向かいます。ここも篠山同様、古い町並みを保存し、観光客を呼ぶ工夫がされています。黒壁スクエアという一角があるようです。まずは腹ごしらえと適当なお店を覗くと、1時を回っているのに満席でお客さんが並んでいます。「長浜名物」という看板がかかっていたので、思い出しました。以前コマキさんご夫婦に連れて来て貰ったお店です。確かに店内は雰囲気があって、大昔のこの店のメニューが飾ってあって、確かライスカレーが数円というとんでもなく安い値段であったような。とても長い歴史のあるお店でした。
ココをあきらめ、うろうろ黒壁スクエアを歩きます。長浜はガラス工芸で有名なようで、たくさんガラス工芸のお店があります。家内のお目当ては、ペアのワイングラス。ココに来る途中の近江舞子駅で乗り換え電車を待ってる時、改札近くのトイレに行ったのですが、そこにあったパンフレットを数種類持って来ました。ちょうどそこに長浜の紹介がされており、そこに写ってたワイングラスが気に入ったそうです。2つのグラスを合わせると、両方のハートの片割れが1つになってハートが完成します。「これター君にプレゼントしようか」ということになってました。
ガラス工芸雛人形に釣られて入ったお店で、「これを下さい」と言うと、なんと違うお店でした。目的のお店を教えてもらって何も購入せずに出てきました。なんか申し訳ない気持ちになりました。「雛人形買ったらよかったかな」とちょっと後悔です。目的のお店に入り、もう一度「これ下さい」。「ああ、これですね。このパンフレットは、何処でもらわれました?」って逆取材されてしまいました。いろんなところでいろんな作品が紹介されて、お店の人も分からなくなってしまってるのかもしれません。奥に在庫はなく、展示品を箱に入れてもらいました。家内は嬉しそうです。
最近何処の観光地にもあるオルゴール館に入り、そこに2Fで遅い昼食を取りました。近江牛のカレーライス1100円です。「近江名物」となっていたので、一応ご当地産品を賞味させてもらいました。オルゴール館でうろうろしていると家内がキーホルダーを見ています。「ひこにゃん、じゃないんだ〜」。彦根城の築城400年祭の宣伝を盛んにTVでやってたのが残ってるみたいです。確かにそのマスコットは「ひこにゃん」でした。でも、彦根城は確かに湖東だけどもう少し南で、ここは長浜ですから「ひこにゃん」はいないでしょう。家内がちょっとかわいく見えました。「ひこにゃん」は確か兜を被ってたような?かわいいマスコットだったような。
マスコットと言えば、最近は何と言っても「せんとくん」でしょう。奈良の平城遷都1300年祭のマスコットです。裸の小僧の大仏さんが奈良公園の鹿の角を生やしてるデザインで、最初見たとき、「大仏さんに角はやしていいんか?」と笑い驚きました。そして「だせ〜」。センスのなさぴか一です。どう考えても麗しき女子は買わんでしょう。小僧大仏さんが愛想振りまいてます。一緒に見ていた家内も「いやん。なんかねえ」と笑ってたような。私の中では、ブラックユーモア的に印象に残る度No1でした。予想通り各方面から「ダサい」「かっこ悪い」から「大仏様を侮辱している」まで、マイナス高感度最高潮の指摘が乱れ飛びました。ただインパクトは最高得点でした。多分生涯このマスコットは忘れないでしょう。そういう意味では、「ひこにゃん」なんて遠く及びませんね。
ブラックユーモア的にも一つ言えば、平城京から平安京に遷都され奈良の没落が始まりました。今や大差がついています。「嘆きの平安遷都1200年祭」なんてやって、「泣いてるせんとくん」をマスコットにしたら、「せんとくん」の2つのキャラクター集めが濃いフィギアコレクターの間で勃発するかも?なんて思うのですが・・・まあないね。これからの奈良に、ブラックな路線は如何でしょうか?

4日はお昼まで家内と一緒にTVを見たり、風呂に入ったり(注:家内と一緒ではありません)して過ごし、昼からバイクで北摂丹波をブラブラしました。次男君は、元旦以外は別行動でした。彼は勉強家なので夜は勉強してるようです。家内によると「またTOEICじゃないかなあ。なんか別の資格かも」とのことです。昼まで寝ていて午後はどっかに行っています。小学校の友達、中高の友達・・・友達が多いから仲間内の同窓会みたいなことしてるのでしょうか。
まずガソリンスタンドです。今回は「244km/8.22L=29.7km/L」、燃費30km/Lを切ってしまいましたが、まあまあですね。私のホームグラウンド化してきた宝塚の山を抜けた向こうをプラプラです。いつものように長尾山トンネルを抜けて宝塚・三田・猪名川町の里山を縫う道を北に進みます。我が家のお墓近くでr12に合流、そのまま西峠を越え、さらにもう一つ坂がきつい方の峠・古坂峠を越えて篠山盆地に出ます。予想通り古坂峠の周辺には雪が残っていました。路肩にも雪があるし、路面は雪解け水で濡れています。正月三が日から思えば温かくなったこの日ですが、阪神間の我が家とは気温も標高も違います。朝一番に出かけようかなと思ったけど、「雪でこけたらあかんし」と思って午前中は自重していました。
でもココまで来る間、数台のツーリングバイクとロードバイクとすれ違いました。皆さん朝早く出て、午後早い時間に帰路ということでしょう。篠山盆地前の峠を越えなければ、これもアリですね。
R372を篠山方面に曲がり、すぐにr304・r305で篠山の北に入ります。予定では畑川に沿ってr301を北上し、多紀アルプスという豪華な名前が付いてる三峰の2つ、三嶽と小金ヶ嶽の間を京都府側に抜け、本郷からr97でアルプスの裏を西進して、北から篠山に下ろうと思っていました。でもr301の北に上がる交差点を見過ごしたようでした。大体、古坂峠の様子を見て、もっと標高の高い多紀アルプスの峠越えは危なそうであきらめていたこともあり、r301の西進し、そのまま篠山の北をかすめ西紀の方まで行きました。
途中、盃ヶ岳の西で北上する道方向に「ユニトピアささやま」という看板があったので、お風呂かなと思って行ってみましたが、パナソニック労働組合の保養所でした。でかいです。r301に戻る途中、「春日神社」という長い歴史を持ってそうなお宮がありました。立派な大木に守られるように昼なお暗い宮が階段を上るとありました。苔むした石段・・・いい雰囲気です。数日前は地元の方がお参
りしたのでしょう。新しいお正月用の供えがされていました。井戸?かけ水場?には、きちんと洗われたタオルが掛けてあり、風に飛ばないように洗濯ばさみで留められていました。きちんと近所の方々がお守りしているようで、とても感じがいいです。すぐ隣にも同じお宮があります。こちらも一緒です。篠山は山陰から京都への通り道という重要な地の利があるので、古刹・名刹や社が多い地域です。
r301を東に少し戻ると、盃ヶ岳の東側に北上する道があります。藤岡ダムに行く道みたいです。ここにも入ってみます。篠山盆地周辺の気軽に行ける高台を探索しています。家内に朝霧の雲海を見せたくて、家から1時間で行ける篠山盆地をターゲットにしています。もう冬になってしまったので、春までは夜明け前に峠道を上るのは危険なので諦めていますが、この春や秋に行けたらなと思っています。ヘアピンカーブを2ヶ所越えて藤岡ダムまで来ましたが、篠山盆地方面に東西の稜線が邪魔して狭くしか開いていません。ここはダメですね。最低限の標高300mはクリアしてる場所なのですが。
またr301に戻り東進し、篠山の城北交差点から市内に南下し、篠山城址前でバイクを停めました。バイクの気軽さで駐車場はパスです。一番レフをバイク便ボックスからゴソゴソ取り出します。本当は昼間で最高の被写体もないので、コンパクトデジカメで撮ろうと思っていたのですが、生憎電池切れでデジタル一眼レフのお出ましです。タンクボックスからGPSなど金目の物をバイク便ボックスに入れて鍵を掛けていると、中型スクーターがやってきました。キョロキョロしながら私の横に置きます。「ここなら大丈夫かなあ、先客もいるし」という感じなのでしょう。
久しぶりの篠山城址です。元旦も家族で篠山に来て牡丹鍋を食べたけど、城址はパスしました。石垣だけでお城がないからなあ。しかも駐車料金かかるし。城跡に上ると、木造の建物が建ってました。観光資料館のようなものでしょう。ココはパスです。城跡は随分綺麗になっていました。西から眼下のお堀を見ると、ゲートボールのおじさんやおばさんが大騒ぎしています。南から三国ヶ岳などの篠山の南の峰をパチリ、東にあるもう一段高い天守閣跡?にある神社の木々の間を抜け亀岡方面の山々、そして今日行く予定で断念した多紀アルプスの山々をパチリです。
バイクに戻り、出発の準備をしていると、先ほどの中型スクーターの方が下りて来られました。私と同じく一眼レフで写真を撮られています。なんか同じ臭いを感じ、「滋賀県からですか?随分かかるでしょう」と声を掛けました。4時間あまりかかったそうです。「ここが目的ですか?」と聞くと、特に目標はなく、行けるところまでというアバウトな感じで来られたそうです。「ではお気をつけて」とお先に城址を後にします。
今度はr49を南下します。先月上った三国ヶ岳の美濃坂峠を越えて、前回の走行で気に入ってしまったr308を走ることにします。美濃坂峠にはやはり雪がありました。走行車線は濡れているだけでしたが、ゆっくり走ります。峠を下りr49を離れr308に入ります。青野川に沿う道は細いけど気持ちがいいです。オーバートップにギアを入れて、のんびり40km/hで走っていると、「あれっ、こんなにすぐに終わったっけ?」という感じで千丈寺湖が横に現れました。前回はここを真っ直ぐ行ってしまって別荘地帯に入り込んでしまいました。今回もr309の分岐を通り過ぎてしまいました。「前に進もうかな」とも思いましたが、ここのr309は走ったことないので、Uターンして無事r309に入ります。
しばらくr308と並行して走り、ぐっと東に進路を変えます。北から来たr49に交差し、r49で南下です。志手原交差点でr37と合流し、三田とr12猪名川町を結ぶ東西のr68との交差点でr68に乗り換えて東進します。蛇行しながら東西に走る道と、南北に交差する道の関係が段々分かってきました。宝塚から篠山に掛けての道は、同じような標高の里山がポコポコあるので、迷路にはまり込んでしまったように最初思いました。いっぱい間違って最近はGPSのお世話にならなくても平気になってきました。
西谷へのショートカット道に入り、私にとっての北摂の中心西谷農協交差点に到着です。ここでr33を横切り、南で大きく蛇行するr33のショートカット道に入ります。再びr33に合流し、西宮方面に抜けるr33と別れr325で長尾山トンネルを抜けて阪神間に戻ってきました。
時速40km/hで車もたまにしか走らない田舎道をトコトコ、のんびりバイクのショート・ツーリング。気持ちよく正月休みの締めくくりです。冬を越えたら多紀アルプスを探索しないとね。

5日は仕事始めです。メールチェックしないとね。家内から「今年も宜しく」という件名のメールが届いていました。「楽しい正月をありがとう。ター君の顔も見れたし、みんな元気で楽しく過ごせることが一番です」とありました。朝、家を出る時、遅れて届いた次男君の年賀状の事をメールで連絡していたのは知ってたけど、僕にもメールしてくれてたんだ。お返しに、カメラからPCに取り込んだお正月の写真を数枚添付しておきました。なんか嬉しいじゃないですか。新しい1年、こちらこそよろしくです。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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