番外編 T君メモリーに入るまで |
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偶然、江ノ島ジュニア所属のKさんのHPオフタイムを見つけました。お子さんとのOPが面白おかしく書いてあり、あまりに面白かったので感想を送りました。数回のやり取りの後、わが家のきっかけを書いて送りました。すると、な・な・なんとHPで紹介したいが、多少の脚色と掲載OKか?と連絡を頂きました。そして、2005/6/28「リトル・フラミンゴ」として掲載されました。 あまりに嬉しかったので、それを記念して、私からお送りした元ネタに多少加筆したものを披露するこのページを作りました。お暇な方は、どうぞお読みになって、このwebmasterの破格の親ばかぶりを笑ってやってください。それでは、以下にコピーしておきます。 ---- 私も・・さんに負けないくらいのヨットバカを自認しておりまして、家内のおなかに長男が授かって、これは記念に木を植えねば・・・などとは考えずに、遠大な計画の下、レーザーを購入いたしました。 レーザーの大会が琵琶湖であり、レーザーを販売していた大谷さんがレースのついでに琵琶湖まで持ってきてくれるとの事で、夏のある日の夕方現地入りしました。 レーザーニューボート一式を受け取りながら、大谷さんから・・・ 「ちょうどレースのパーティーやってるからさあ、飲み食いしていったら?今日ここに一泊して、明日のレースに出たら?艤装手伝ってあげるよ・・・」 悪魔のささやきです。 1人なら、当然即OKの返事でしょうが、横にはおなかの大きい家内がいます。・・・身重な身体に突然の1泊などしようものなら、その後の家庭内での私の立場が著しく厳しくなるのは見えています。 というのも・・・ 私が生まれた日は日曜日でした。親父は身重な母を置いて、1人で映画館に行っていたらしいのです。その時産気づき、かかっていた病院に行けず、近所の産婆さんに来てもらって私を自宅出産しました。親父有利で親達が話をしている時、お袋にその話を持ち出されると、親父の言葉に勢いがなくなり、一気に形勢逆転されるのを何度も見ています。ここはぐっと我慢です。 「いや、いいです。また参加しますから」 家内からは、「レースに出たかったら出てもいいよ」 「そんなことないって。おなか大きいのにそんな負担掛けられないよ」 と泣く泣くレ−ザーレースデビューをふいにしてしまいました。 しばらく無名艇でしたが、長男君が歩けるようになった頃、壁に寄りかかりながら何故か1本足で立っているのを見て、遠大な計画その2を実行しました。 「リトル・フラミンゴ」と命名の儀を執り行いました。燦然とバウに輝く艇名。 長男君用に小さなライジャケも購入し、船に一緒に乗せて、ことは順調に運んでいました。 そして、忘れもしません小学校3年生の5月。「ジュニアヨット教室」と載った市の広報紙片手に、総仕上げの「ヨット教室あるんやって、行かへん?(行きませんか?)」 ところが、とんでもない答えが・・・我が耳を疑うようなお答えが・・・「ヨット、せえへん。お父さん、野球部入るから、ユニフォーム買ってや」 なんという非情なお言葉をのたまうのか・・・あえなく苦節10年の遠大な計画は頓挫の憂き目に・・・一応数日置いてもう一度長男君に聞きました。 「クラブとかじゃないんやで。入らんでもええねんで。ヨット、自分で操縦できるんやで。たった3日でうまいこと動かせるようになるんやって、いいと思わん?(いいと思いませんか?)」 しかし、無駄なあがきでした。当然同じ答えです。その2週間前に体験した少年野球に負けてしまいました。1週間後泣き泣きユニフォームなど一式購入と相成りました。「少年野球で玉拾いの手伝いでもいいかもなあ」なんて心境になりました。映画「ジョーイ」で観た素敵なパパさん状態です。 そのとき10年間の大いなる勘違い、「壁にもたれかかっていた1本足は、王貞治を意味していたんだ」を悟りました。 しかし・・・しかし・・・親というものはめげないものです。 2年後再び巡ってきた次男君のチャンスに、同様の行動を起こすと、こちらは意外にあっさり、 「ヨット乗ってみようかなあ?」 お・お・お〜、「こうもあっさりOKをいただけるとは」。次男を抱きしめたい気持ちをぐっと押さえ、「そう、行ってもいいよ」と、お好きにどうぞ光線を送り、私はヨット教室にも顔を出しませんでした。 そうです、ここで深追いしすぎると、釣った魚に逃げられてしまいます。それがわが家の伝統「あまのじゃく」なヤツをこっちのフィールドに引き込む大切な手段なのです。 「追えば逃げ、追わなければ寄ってくる」、嫁さん獲得の時学習した普遍的な法則。 この時、長男と同じミスを犯さないように、ちょっと作戦を実行しました。小3年の5月の連休まで待たず、4月の頭に1度だけヨット体験をお願いしました。これが、4月からのサッカーや野球の誘惑から次男を守りました。大正解です。 そして、NHKの松平アナではありませんが、「今日のそのとき」がやってきました。 ヨット教室最終日にもらってきた終了証を大事に抱え、「僕ヨットクラブに入りたい」「誰か他に入る子がいるの?」「ううん、おらへん、僕だけ。でも前からやってる人がおるねん。僕ヨットやりたい」 く〜、泣けてくるじゃありませんか。お連れさんなしに1人でクラブに入るというのは、本物じゃあありませんか。 苦節・苦節・苦節の過去が走馬灯のように、頭をよぎりました。ヨットの魅力なのでしょうが、こんなにうまく事が運ぶとは・・・ 以来、ヤツはヨット大好き人間なので、小学生時代のビリとDNFをものともせず、中学受験もヨット部のある学校に第1志望を受験半年前に変更し・・・大学受験など何処吹く風と、当たり前のように高3インターハイまでヨット部してました。 大学入学後、各クラブを回っているとの情報を聞きながら、「どうせヨット部に入るやろ」と達観している私がいました。 さてヤツの嫁さんの事です。 ヤツは建築科なのですが、ヤツの下宿の壁に貼ってある船が横付けできる海上コンビニの絵コンテと設計図、さらに模型を見てから、ヨット乗りの嫁さんはやばいなあと感じるようになりました。 せめて嫁さんだけは、シャバの女性でないと、ヤツの人生は即チンで再帆走不能になるのではないかと危惧しています。ヨットは魅力的すぎます。ヨットに理解がない程度の嫁さんでないと、どうも人生のバランスが・・・ ところで、・・・さんの日記に書いてあった、「違うよ、僕がお父さんに付き合ってあげてるんや」とお子さんに言われてしまった部分ですが・・・。OPに成仏してしまったお父さんは皆さん感じているが、ズバリ言われたくなかった台詞かと・・・。そして一言も反論できないお父さん多数ですね。墓穴を掘ったなあと笑いました。 |