2002年春
小学生から一緒に兵庫ジュニアヨットクラブで楽しんできた同期5人組が、福岡第一大学・京都産業大学・同志社大学・関西学院大学・京都大学にみんな現役合格しました。
ヨットという共通点を持ちながら、それぞれの道を歩んでいます・・・
T君は、小学3年から中学受験進学塾に通っていたので、月1回は塾でヨットに行けませんでした。6年生の時はヨットはほとんどお休みでした。中学受験して兵庫六甲中学合格・大阪清風中学理V進学→清風高校→慶応大学工学部合格・京都大学工学部建築科進学しました。京都大学ヨット部470チームで全日本学生選手権目指して琵琶湖で週末活動しています。
この年、T君パパが驚いたことが2つありました。
その1: 高校3年まで耳にもかからない頭髪だったのに、茶髪になっていたこと。T君パパも学生時代少し長髪だったし、T君兄も大学生になって茶髪にしていたので、今の時代はこうなんだなあという程度でしたが、T君は茶髪を通り越して金髪になっていました。髪の毛が、痛まなければいいが。
その2: T君大学ヨット部のレース観覧船に乗る機会を得て、待ち合わせのハーバーで待っていると、T君が艇庫から自転車に乗ってやってきました。「ああお父さん」「観覧船に乗せて貰おうと思って来たんや」「観覧船はこっちやで」と桟橋まで案内してくれました。T君パパが観覧船に乗ると、T君はもやいを解きながら、「父を宜しくお願いします」と観覧船を用意してくれたOBさんに頭を下げました。「ううむ、T君がヨットを始めた時は私が言ってた台詞ではないか」と、T君の成長に目頭が熱くなってしまいました。
ヨットは勉強と両立できるスポーツです。体格が大きくなくても出来ます。体力勝負でなく、テクニック・俊敏さに加え、風の変化を予想する自然相手の知的スポーツです。だから女の子でもハンディキャップがありません。小学5年の女の子が中学3年の男の子に勝てるスポーツです。 |
大学生になり、オリンピック種目の
470級にステップアップしたT君
「ヨット、最高に面白いよ」 |
2004年秋
兵庫jr・BG伊丹出身のT君の同級生は、みんな各水域のトップレーサーに成長しました。紅一点九州に進学した田畑さんは、学生では2年連続全日本学生選手権ベストスキッパーで、所属校の2年連続470クラス優勝に貢献しています。T君以外はみんな全日本学生選手権(団体)に毎年出場し、小巻君は所属校の総合優勝を引っぱりました。全日本学生個人選手権には、全員出場です。近畿北陸ブロック学生個人選手権では、スナイプ級1位豊君、470級1位小巻君・2位T君で、兵庫伊丹ジュニア出身選手がW制覇しました。
さらに学生の枠を飛び出て、社会人も出場する470級全日本では、スナイプに乗っている豊君以外全員ここにコマを進めました。そこで女子優勝田畑さん、そしてT君も男子16位で2005年470ナショナルチーム最終選考会出場権を獲得しました。ちなみに、男子優勝は関君(他ジュニアクラブOP級出身)で、2004年アテネオリンピック銅メダリストです。 |
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2005年春
前年度の470全日本の成績上位者が出場する470ナショナルチーム選考会に、兵庫jr同級生女子田畑さんとT君は出場することが出来ました。田畑さんは、高校生の時から出場しており、もう2回も全日本優勝しています。ずっとナショナルチームでしたが、とうとうクラブから2人目T君も、この日本小型ヨット最高峰470級の最終レースまで勝ち上がりました。
結果は、女子優勝田畑さんで、T君は男子11位でした。
おまけですが、webmasterはT君大学ヨット部の外部コーチをしています。これはT君が親父を先輩方に推薦してくれたからでしょう。わが子からこんなに信頼されるなんて・・・「親ばか父さん」から「しあわせ父さん」へ・・・大きなプレゼントをもらいました。
2005年秋
全日本予選を通過し、再び全日本470級にチャレンジすることが出来ました。総合37位。 |
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2006年春
無事学部を卒業しました。congratulation ! でもまだ学業を続けるそうです。
T君パパ&ママに素敵なプレゼントが届きました。T君の大学ヨット部には、卒業生が後輩に向けて残す文集:フルセイルがあります。クラブで楽しかったこと、困ったこと、ヨットの技術的なこと・・・思い出文集です。これが配られるのは、「ヨット部卒業式」(俗に言う「追い出しコンパ」)です。卒業生・現役部員・OBさんが多数集まる席に、T君パパも「クラブのコーチ」という立場で呼ばれました。この少し前、T君ママがT君の下宿を訪ねた時に、この文集をもらっていました。先に読んだT君ママからT君パパは、「これもらってきたよ。でもすごく感動するから、卒業式が終わってから読んだ方がいいよ」と言われていました。卒業式からの帰りの電車で、文集を読みました。随分推敲したのだろう読みやすいまとめられた言葉が並んでいました。その卒業文集の半分ぐらいが、T君の言葉で埋められていました。その中、初めと終わりにT君パパ&ママに対する言葉が載っていました。涙腺の弱いT君パパは、電車に腰掛けながらポロポロと・・・
・・・・・ 1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげで京都大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「京大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。
「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「京大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、京大ヨット部があったからこそできたこと。ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。
中略
最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。
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2006年秋
また全日本予選を通過し、全日本470級選手権にチャレンジしました。55位。 |
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5レンジャーの格好で卒業式に臨む卒業生もいます。それに平気な学長。けったいな学校です。 |
T君ママも卒業 |
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2007年秋
全日本470級選手権、42位。
2008年春
学部4回生の時、1ヶ月間ヨーロッパを回り、イタリア教会建築から北欧家具デザインまで、広く一流デザインを見て回り、それに続きデザインの勉強をしました。2年間の学業を終え、就職しました。
その卒業制作作品展で、校内準グランプリを獲得し「デジタル一眼レフ」を獲得しました。更にその作品で全国高校・大学・大学院・専門学校卒業作品展に応募し、数千作品の応募の中からトップ50作品に選ばれました。東京のコンペ会場に搬入しました。「賞にかすらんかったわ。制作費を取り戻したかったんやけどなあ」と笑っていました。1等200万円、2・3等50万円の賞金が出るコンペだったらしいです。
2008年秋
全日本470級選手権、42位。
T君パパは、T君が卒業した後もT君の母校大学ヨット部のコーチをしています。毎年新キャプテンが、「もう1年コーチをお願いします」と更新してくれます。優秀なコーチとはとても言えませんが、これもT君からのプレゼントですね。幸せなことです。声を掛けていただける間は、サポートしていきたいと思っています。 |
卒業作品・・・ヨットだ〜 |
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