T君メモリー 卒業編

2006年3月11日(土曜日)に、T君の大学ヨット部卒業懇親会がありました。ついにこの日がやってきました。
昨年初めて参加させていただいたのですが、かつての私を思い起こされ、とてもいいものでした。今年も再び呼んで貰い楽しみに出かけました。
京都に向かう電車で本を閉じ、暫く後にしゃべる挨拶を考えてメモしていました。まあいつもの事で、考えた内容と相当ずれた話をすることになろうけれど、まあ一応ね。

会場は、昨年同様京都駅隣のビルのアサヒビールホール内の部屋です。部長さんの挨拶から始まりました。先生は世界的研究者のようなのですが、先生の話はいつも褒める感じで、短いのですがいつも印象に残ります。結果は相対的なことで、最後まで続けたことがすばらしいみたいな話があり、話そうと思っていたことと同じでした。
「できた、できなかった」は神のみぞ知る世界で、「する、しない」「始めたら最後まで続ける」という自分の意志で決められることに値打ちがあるように思います。

卒業生が1人1人感謝の言葉を述べます。久しぶりに見るT君は、母親譲りの色白に戻っていました。昨年は送る方の代表で涙でボロボロになっていましたが、今年は普通に挨拶をしていました。S君・I君。
E子さんが、話している途中でこみ上げてくるものが押さえられない様子で言葉が詰まったりしていました。「がんばれ」とともに、彼女とはレスキューでよく一緒だったので、その時のいろんな場面が、チラチラと頭に浮かんできました。Sさん・Mさん。
みんなありがとう。そしてこれからも生涯続く同回生として、次男君を宜しくお願いします。

次々挨拶される中、東京からもOBOGさんが来られており、ありがたいものです。さて私の挨拶ですが、4年間で長足の進歩を遂げました。まだヨットとの関わりが始まったばかりなので、これからもずっと海で楽しんで欲しい。免許もちの女子マネさんを同回生に持って、成績の半分は彼女達が叩き出したもの。親として4年間のお礼をOBOGさん、そして現役みんなに。
それからこれは最も言っておきたかったマネージャーさんの食事への感謝。毎週きちんとした食事を取れたことは下宿生の息子を持つ親として、最もありがたかった事でした。

次に、現役諸君からの言葉が続きます。2回生のK君の挨拶がとてもうまく、笑いを取る箇所が適当に散りばめられており、こいつできるなあと思ってしまいました。それから司会をしたU君、彼はいい雰囲気を持っており、噛めば噛むほどいい味を出す感じです。とても上手に和やかに会を進行させていました。

最後は恒例のエール、そして応援歌、最後が全員で肩を組んだ「琵琶湖周航の歌」です。今年は外ではなく、店内で行ったので、一応個室になっていますが、店内全部にエールが響き渡ったでしょう。お客さんは突然の大声にビックリされたのではないかなあ。

私が学生時代、他大学ヨット部にも関わらず何度も琵琶湖周航の歌を歌いました。元々次男大ヨット部の枝分かれする前のボート部の歌で、ボート部がもう周航をしていない今、脈々と伝統の周航を続けているこのヨット部が本家本元のような感じです。
次男君が入部以来毎年琵琶湖周航に行く時、感慨深いものがありましたが、こうして私自身がそのクラブで肩を組んで歌っているのに涙が出そうでした。

次男君、大学ヨット部卒業懇親会の帰り、OBのOさん・Uさんとご一緒しました。
Oさんから、「1年からあれだけうまたったのだから、私立の強豪校に行ってたら、もっとうまくなったのにねえ。4年でキャプテンになって、他は未経験者が多いので負担が大きかったですね。すいませんね」と言われました。すいませんなんてとんでもない。
自分で選んだ学校だし、いろんな環境でいろんなものを学び、将来につなげていくのだろう。なんら問題はない。

フルセイルを読んだUさんから、「インカレ予選最終日にあなたの顔が見えないなあと思っていたら、息子さんから来るのを遠慮してくれと言われたのですね」と言われました。「まあ、キャプテンとしてそれだけクラブみんなで一丸になりたかったのでしょう」と答えました。

帰ってから、そういうことが書かれてあるのかと、懇親会の最後に配られたフルセイルという卒業生製作の記念誌を読みました。先週家内が持って帰っていたのですが、感動するから懇親会が終わってから読んだ方がいいよと言われていました。

とても読みやすい文章で、我が子ながらこの構成力、国語力は武器だなあと思いました。私たち親に対する感謝の言葉まで書かれており、家内もここに感動したのでしょう。写真が数枚載っていました。
ヨット部創部70周年で琵琶湖クルーズ船ビアンカを借り切った時、次男君が挨拶している姿、7大学定期戦で大学での体育会壮行会で選手宣誓をしている姿、もちろんレースの写真もあります。

最後にUさん指摘のことが書いてありました。「最後に両親へ」という項目をわざわざ作って・・・。最初の「今一番言いたいこと」にも親への感謝の言葉があり、家内が言うように、心に強く響くものでした。

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1.今、一書言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげで京都大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「京大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「京大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、京大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

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両親のおかげと書いてありましたが、事実はちょっと違う気がするなあ。
お兄ちゃんが楽しく塾に通っているのを見て、早く通いたいという感じで、楽しく熱心に塾に通っていました。まあ、親夫婦もおじさん夫婦も兄も従兄弟たちも全員中学受験したので、それが当たり前だと思っていたようです。「お父さん、中学って受験せんでも行けるの?なんか友達がそう言ってた」って6年の夏前に訊いてきたときには、「そうや」と普通に答えましたが、「今まで知らんかったんや」と心の中ではずっこけました。

私が大学卒業してすぐ設立に関わった近所のジュニアヨットクラブに入部したのも本人です。
ヨット教室の開催が載った伊丹市広報を見せたのは私だけど、お兄ちゃんは野球を選び、本人はヨットを選んだだけ。私がヨットをやってたからと、父親のためにヨットをするのは為にならないと、あえて教室には一度も顔を見せませんでしたが、もらってきた修了証書を手に、「僕クラブに入って、もっとヨットやりたい」と言ってきたのも本人。一緒にヨット教室に通った誰かに誘われたのかなあと思い、「他の子も入ると言ってるの?」の質問に、「僕だけ」との答え。

6年秋に、ヨット部のある清風中学に第一志望校を変更したいと言ってきたのも本人。
慌てて、クラブと勉強の両立を聞こうと思って顧問先生に電話をすると、なんと現役時代定期戦で対戦していた3年上の同志社OBのNさんが顧問先生だった。運良く合格したが、もっと偏差値の高い元の第一志望校にも合格していて、塾に報告しに行くと、「本当にそれでいいの」と何度も念を押されました。

その後は塾にも行かず、黙々と勉強し、高2からの2年間は、クラブをしながら毎晩2時ごろまで勉強し、身体が大丈夫か?だけが心配でした。この大学を受けるというのも知ったのは、センターテストの少し前。

学業成績にもヨットの成績にも何も言ってこなかった、ただ横にいただけ。
ヨットのサポートは、小3での初レースでスタート前に沈して引っぱられて帰って来てビリ、翌日の別のレースでは、ちょうどいい風で全レースフィニッシュできたがブービー賞、しょげてるかなあと思っていたその日の帰り、車の中で「レースめちゃ面白い、これから全部レースに出るから、全部教えてや」と言われたのを忠実に守って伝えていただけ。
みんな自分で選択してこうなった。

大学3年の470全日本で、1上トップ回航と聞いて、私と全く同じ年齢の同じレースの第1レーストップ回航に運命を感じた。私は沈して順位を下げたが、次男君もやはり順位を下げた。でも総合成績は次男の方が上だったので、「抜かれたなあ」と思った。
子供に抜かれるというのは実に気持ちのいいものです。
よく言われることですが、「親という字は、木の上に立って見ている」と書きます。それをしていただけで、これからもそうだろう。
フルセイルに書かれていた息子からの過分な褒め言葉で、優良可の可ぐらいでは、親科目の単位がもらえたかなあと思いました。
まあこれからも宜しくたのみます。
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