Books 2012
Books 兵庫県セーリング連盟ジュニア

2012/12 「心を掴む」 森清範 講談社
著者は、京都清水寺・管主さんで、年末恒例の「今年の一字」を書かれている方です。特に目新しいことも、秘策も書かれていませんが、人が誰でも当たり前のように出くわす事象とその時の気持ちを仏教の教えをヒントに優しい言葉で紐解いている書と感じました。
---以下引用---
「身を大事にする」
師匠である良慶和上が百歳を迎えられた頃、アメリカで著名な作家・パール・バックさんが清水寺を訪ねてこられました。
師匠は晩年になると、目がよく見えず、耳も聞こえにくくなり、日常の所作を滞り無く行うのも難しくなって来ました。
パールさんが、「今までの人生の中で、いつが一番良かったですか?」と尋ねられました。すると師匠は、「いまがええねえ」と即座に答えられた。
目がよく見え、耳ははっきりと聞こえる。好きなところにいつでも行ける。駆けることも飛ぶことも自在にできる。できたことに価値を置けば、やはり若い頃がいちばんいいというふうになります。ところが師匠は「いまやな」と断じられた。
師匠には、過去に対する未練がなかったのです。未練というのは、過去に対する囚われですが、これは過去にいい思いをしたから生じるというよりも、いまを受け入れ難いと思うときに未練が生まれるのです。
人は過去を程遠することもできます。嫌な思い出さえもっと嫌な経験をすると、ずいぶんマシに見えたりするものです。だから見るべきは過去ではなく、やはりいま現在なのです。
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なるほどなあ・・・とお釈迦様が説かれた仏教的な別の見方をされると、「ふむ」と妙に納得してしまう。自分の様々な事象に対する見方を、一度シャッフルされる感じがしました。

2012/12 「反逆」上・下 遠藤周作 講談社文庫 ★
上をも凌ぐ絶対君主として自分自身を神格化し、自らの意に背く者を敵対勢力は云うに及ばず、僧や領民・女・子供まで抹殺していく織田信長を対立軸にして、人本来持っている畏敬の念・性や業との間に揺れ動く信長麾下の武将たちの心の葛藤を描いている。上巻は荒木村重、下巻は明智光秀を主人公にしている。
遠藤周作氏の母方の祖・竹井氏から導いた架空の藤蔵。荒木村重の嫡男・村次に嫁ぎ、反逆時に戻されて光秀重臣・明智秀光に嫁いだ光秀の長女・さと。本能寺の変の遠因とされる光秀の和平に乗り開城したのに結果的に信長に惨殺された丹波八上城主・波多野秀治の遺臣・与平。これらが名脇役として小説の深さを増している。
後に天下を平定する羽柴秀吉の天下人までの道や徳川家康のように信長がもう少し人としての心を持っていたならば、このように次々と重臣から反逆をされなかっただろうし、もっと早く信長自身の手によって天下平定がなされたように思う。
この小説を読みながら、憎しみ・猜疑心・妬みなどのマイナスではなく、寛容・思いやりなどのプラスの心こそが世のトップに立つ者に必要なことなんだなと考えさせられました。

2012/11 「白洲次郎」 白洲正子・朝吹登水子・辻井喬・中村政則・宮沢喜一・三宅一生・青柳恵介ほか 平凡社 ★★
遠藤周作「反逆」と並行して読んでいたが、こちらが先に読み終えた。
この本は前述の「白洲次郎の流儀」以上に写真集っぽいです。白洲さんと身近に接せられた方々の本音が写真とともに語られ、その生き方や考え方、そしてスタイルが若々しい日本の時代背景とともにすんなり入ってくる。
この本で最も感じたこと、つまり著者の多くが語った「目上・目下、年長者・年少者との差を付けない接し方」という白洲次郎という人間の生き方の芯です。何度も出てくるこの接し方を読む度、僕が幼少期に、親父のあぐらの上に座って聞いた親父の言葉を思い出しました。
戦時中ボルネオ島で30名ほどの兵の隊長をしていた親父が、そこで学んだ処世術です。南方方面日本軍の戦死者の内、もっとも多かったのが餓死者、次に多かったのが友軍に撃たれた者だそうです。当時の軍は、下級兵への往復ビンタが当たり前の世界で、それに恨みを持った兵は多かった。そんな時いざ米軍との戦闘になると、土塁に身を潜めて応戦することになるが、後方に伏せた兵が日頃の恨みを果たすべく、友軍の上官を撃つのだそうです。
戦闘が終わり傷兵を回収する時、後ろから頭を撃ち抜かれた往復ビンタ上官が少なからずいます。言葉には出ませんが、それがどういう意味かみんな知ったそうです。幸い親父はそういうことをしなかったので命を永らえました。
極限状態になった時の人間の心理を、幼い僕に語ってくれました。「目下の者に偉そうな言葉を使うな。むしろ大切にしろ」「目下に小言を言うなら、同様に目上にも言え。目下だけに小言を言うのを、弱い者いじめという」「喧嘩はなんぼでもしろ。でも最後はちょっと負けておけ。こてんぱんにやっつけると、その内容とは関係なく恨みを買う」という趣旨のことでした。
僕は、親父から聞いたこの言葉が生き方の芯になっているように思う。小学校3〜5年時代は、よく喧嘩をした。ほとんどがいじめを見て、いじめっ子に突っ込んでいくことから始まる喧嘩だった。何度も母親は校長室に呼ばれて謝っていたが、親父は一言も説教をしなかった。担任先生は、僕の隣の席にいじめられっ子の席を指定した。
僕は弱い者に対して喧嘩をふっかけたことはなく、強いものに対する喧嘩もパンチを繰り出さすただ押すだけなので、いつもボコボコに叩かれて泣きながらまだ突っ込んでいく僕に戦意を失ったいじめっ子が逃げていくので終わる。だから喧嘩に勝ったことがない。
大人になり当時を振り返るようになって、親父の言葉を実践してきたなと懐かしかった。何かと小言を言うおふくろには当然反発し喧嘩をしたが、僕が最強者になった僕の家庭では、夫婦喧嘩をしたことがない。息子たちが男の子の性でたくさんやらかすやんちゃにも小言を言わないので、息子たちと喧嘩をしたことがない。長男の結婚式の最後の長男の挨拶で「親に叱られたことがない」と披露していたぐらいです。
この生き方は、喧嘩弱くても女性にはモテる生き方でもある。学年が変わる最初や次の学期の級長選挙で、いつも僕は女子の大量得票を得て役職になっていた。その延長で、誰の目にも不釣り合いな最高の伴侶を得られたように思う。
そして年下から敬遠されない。次男に頼まれて次男の入学した大学ヨット部のコーチを引き受けたが、次男が卒業しても毎年僕にコーチ業の延長を申し出てくれるのも、こんな生き方が影響してるように思う。有難いことだ。
今は亡き親父の兄弟が、時々僕に「お前の親父はようモテてた」と昔話を語ってくれる。そして我が息子たちも、どうやらそのようだ。親父からの生き方が、言葉はなくても伝わっているのかもしれない。
白洲さんは喧嘩っ早く、子供の頃は迷惑を掛けた友人に謝りに行くための菓子折りが家に常備されていたというところが僕とは違うが、吉田首相やGHQ高官にさえズケズケと物言うのに、目下の者には、特に女性には優しかったというのが、かっこいい生き方の芯だったように読んで感じた。
当然こういう人間は、女性にモテるのである。気持よく読み終える本でした。

2012/11 「白洲次郎の流儀」 白洲次郎・白洲正子・青柳恵介・牧山桂子ほか 新潮社 ★★★
我が家の在所・摂津三田藩儒学者家老の血筋に生まれ、我が在所・伊丹市で育った白洲次郎さんのご本人の言葉やご家族の回想が披露された本です。2004年9月、終の棲家となった武相荘で「白洲次郎展」が開催された時のオフィシャルブックです。留学先のイギリスから武相荘まで、多くの写真が散りばめられた写真集でもあります。
敗戦占領下からサンフランシスコ平和条約〜新憲法成立〜独立に至る吉田茂首相のブレーンとして、占領軍と対等に渡り合った「従順ならざる唯一の日本人」と称された男のナマの姿が伝わってきました。
白洲次郎さんの娘婿・牧山圭男さんの回想の一節を・・・
『 白洲が好んでよく話していたのは帝国生命(現・朝日生命)や三越の社長をされた朝吹常吉さんのこと。白洲がゴルフ場にランド・ローバーで乗り付けると「朝吹のジイサンがクラブハウスの中から出てきてステッキで駐車している車を軽く叩きながら、こいつは会社の車、こいつも公社の車で来てやがる、そこへ行くと次郎は感心だ、自分の車で来ていると褒めてくれたが、実はジイサン俺が時々会社の車で来ているのを知っていてわざと言いやがる」「朝晩さんが外出のため出てこられ、運転手にちょっと待っててくれと合図して、10メートル先の郵便ポストヘ手紙を投函し叉戻り、さあ行こうと言われる。言ってドされば車でまわったのにと秘書が言ったら、いや良いんだ、あれは僕のプライベートな要件だからとすましておられた。この頃ああいう素敵なジイサンが少なくなった」「能力のある人もいるが、皆ポーズが足りないよ」とも言っていた。力ずくでおさえ込もうとするだけでなく、”武士は食わねど”といったポーズをくずさず、ずるく統治するイギリスの植民地政策のように。
 白洲自身も自分の公用車を、正子や家族が単独でプライベートにつかうことは一切認めなかった。
 その頑固な生きざ圭は、当然の事ながらイギリス風のキックの刊いたジョークと共に、服装などにも彼の言うプリンシプルがあった。これはちょっと娘を取られた腹いせの、ただの意地悪ではないかとも思うが、我々が結婚するときに私は嬉しくてブラックタイをはじめて新調したのだが、5時から始まる披露宴には、白洲は「明るいうちからディナージャケットはおかしいから俺は平服にする」と言って着ず、義兄だけがつきあってくれた。
・・・
 お洒落もカスタムあっての着崩しで、白洲にとっては服装も車と同じで、単なる道具ではなく、生き様を投影した生活の大事なパーツだったのだ。
 白洲はよくステーション、すなわち分際をわき圭えるという事を話していたが、「イギリスではロールス・ロイスに乗っていい奴と、ジャギュア(ジャガー)までしか乗ってはいけない奴がいるんだ]「でも、昔はロンドンでドレスアップした美しいレディーが、ミニクーパーを白い手袋に帽子を披ったショーファー(運転手)に運転させて、コ・ドライバ−ズシート(助手席)にすわりハロッズに乗りつけて優雅な物腰で買い物をするのを見掛けたり、正装した若い上品なカップルがクラワッジスやホテル・サヴォイに、泥だらけのブカッティーの幌を上げて乗り付けたりしたが、あれが本当のお洒落、スマートというものだ」といっていた。』
この「武士は食わねど」のところが、最も気に入った一節です。「武士は食わねど高楊枝」は、時代が変わっているのに昔の習慣を変えない馬鹿者の代名詞として使われる場合が多いが、僕はその姿が美しいと思う。どんなに惨めな姿に身をやつしても肉体的命を守るより、自分の信念を曲げず村八分になることを恐れず発言・行動し記憶に残る精神的な魂を持って死んで行く方がカッコいいと思ってる。そんなところが、藤沢周平の世界に繋がる白洲次郎の生き様が再び脚光を浴びている所以ではないかな。
ケンブリッジ時代の級友で生涯の友となるストラットフォード伯爵家の来客簿の次郎の署名「1924.9.20〜24。大日本兵庫県川辺郡伊丹町・白洲次郎」とある写真も載っていた。この伊丹の旧邸は、僕の小学校の校区内で仲間との遊び場になっていた。当時まだ取り壊されずに残っており、大きな煙突が記憶に残っているように思う。それだけで嬉しかったりする。

青柳恵介氏の回想・・・
『 白洲次郎は経済界、政界で活躍した人物であるにもかかわらず、彼が生涯の友情を結び本当に心を許した友には文学者・文士が多かった。くしくも1902年(明治35年)の同年に生まれた河上徹太郎、小林秀雄、兵庫県立第一神戸中学校の同級生だった今日出海、ゴルフや酒呑み仲間の川口伝太郎等々。官僚や政治家や経済人などにも友人はいたが、そうしたつき合いだけでは自足できない何かが彼にはあったようだ。
 白洲次郎は、1919年神戸一中を17才で卒業し、1928年26才で帰国するまで、人間の人格形成で最も大事な時期の10年間をイギリスで過ごした。彼は日本の高校も大学も知らないのである。帰国後も、日本が米英に宣戦を布告するまで、3年に2回位の割合で外国へ行った。だから日本には、1年に4ヶ月位ずつ滞在していたのだと自身で述べている。当時の旅は長い船旅だったのだから、日本にいる期間が[滞在]だったというのは正に実感であろう。
 大正の半ばから昭和16年まで、日本でのわずかな「滞在」期間はあっても、日本においては白洲次郎は言わば不在者として過ごしたのである。暗黒の昭和史というような言葉を私は使いたくないけれども、満州への進出、満州事変、上海事変、満州からの撤退勧告をする国際連盟を脱退、日中戦争、ノモンハン事件と言葉を年表から拾ってくるだけで怖気立たずにはいられない。その日本歴史の恥部を、白洲次郎は一億同胞の視点からではなく、不在者として眺めていたのである。彼が、その時々の事件、事変、戦争をどこで、どのように眺めていたか、そしてその特に「滞在」していた国の人々とどのような会話を交わしたか、もう知る由もない。
 しかし、後年の河上徹太郎と今日出海との座談会で、白洲はこう語っている。
 〈白洲 戦争前は日本の全部が自己陶酔だね、一種の……。始めはちっちゃな嘘なんだ。ちっちゃな嘘をついて、それがバレそうになるとでだんだん嘘を大きくしてゆくんだな。しまいにその嘘をほんとだと自分で思っちゃうんだ。〉(プリンシプルのない日本)所収「日本人という存在−白洲次郎氏を囲んで」) 白洲は嘘が雪だるま式に大きくなって行く様を遠近取り混ぜ様々な角度から眺めていたに違いない。一つの事象を他国から眺めれば、その国の数ごとに異なる像が結ばれる。沢山の像に対する想像力は「自己陶酔」によって消殺される。消極的に言えば白洲次郎は不往者であることによって「自己陶酔」から救われたが、白洲次郎のプラグマティズムは積極的に雪だるまの核になる「墟」を見抜かずにはいられなかったろう。
 戦後の終戦連絡事務局での、GHQを向うにまわした彼の活躍、あるいは商工省から通産省への改組、電力事業の再編成といった経済復興のための荒療治は腕力をもった部外者(彼は外務省の役人でもなければ商工省の役人でもなかったし、代議士でもなかった)の立場であったが故になしとげられた仕事だと思う。白洲次郎の場合、この「部外者の立場」は「不在者の立場」と重なっているように見える。』
イギリス騎士道の末裔である郊外の本拠地に邸宅を持ち世の流れを俯瞰し、ロンドンなど市街地に日頃の住処を持って行動するカントリージェントルマンの姿を日本で実践したようです。男としてしびれる生き方の一部を見てて、とても良かった。

2012/9 「式の前日」 穂積 小学館
珍しくコミックを読んだ。表題の短編他6篇の作品が収められている大人のコミックです。表題の作品を読んで、人生の大変換期・結婚が明日に迫ったその1日を、僕はどう過ごしたかなぁと思い出そうとした。でも思い出せなかった。
新居が実家の隣、仕事場も変わらない。何も変わらない環境のため、普通に仕事に行き帰ってきたのだろうと思う。しかし、女性の場合大きく変わるんじゃないかな。実際家内は前日までの仕事と新婚旅行後の仕事が変わり、住む家も実の両親と住んでいた実家から、僕の両親が隣に住む半同居生活に変わる。そして、結婚すればいきなり一家の食生活や住環境の責任者・主婦になる。
家内も僕と同様、式の前日も日頃の仕事をこなしたそうだが、気持ちは大きく違う。そんな新婦の前日の数時間を切り取った作品でした。強く印象に残ることはなかったが、「ふむ」と頷く締めくくりにほんのり心が温かくなった。

2012/7 「戦争の日本史9/応仁・文明の乱」 石田晴夫 吉川弘文館
京都在住に室町将軍・足利義政が、自らの継嗣を狙う鎌倉公方など関東諸公方とそのそれぞれの管領との攻防に、室町幕府有力大名の斯波氏・畠山氏の軍事力を動員しようとした。元々家督争いで内紛気味であった諸氏の片方に味方したり、次は他方に味方したりしたので、敵の敵は味方とばかりに細川勝元と山名宗全をトップに東西に別れた大戦争が京都中心に繰り広げられた。
その戦争が地方に波及し、出生や名・過去の権威などが受け継がれて秩序を保っていたのが、この大戦争をきっかけに軍事力こそ正義の世の中になった。下克上が当たり前になったことで、京都在住の守護を地元密着の守護代が立場をひっくり返したりするようになる。そして国中が戦争状態となる戦国時代に突入する。
この乱のきっかけや収拾に失敗したのは、将軍義政の場当たり的な心変わりにあったようで、有力大名の代替わりに自らの有利なように余計な口出しをしたのが同族相争う嘆かわしい世の中を作り出したのだろう。
次の時代を作った徳川政権は、足利政権の足元の弱さを反面教師にして、徳川本体の経済力を有力大名に分散しないように努めたように思う。
室町幕府の武家ピラミッド支配が崩れていく様がよく分かる。しかし、このシリーズ全般に言えることだが、事象を時系列並びに解説されているのではなく、地域区分であったり、大名家区分であるので、巻末の年代史を繰りながら読まないとわけがわからなくなる。年代表記が、西暦表記されていたりなかったりするのも、混乱に拍車をかける。玄人好みの書です。

2012/6 「楠木正成」 北方謙三 中央公論社 ★
太平記のヒーロー楠木正成を読んでみました。ハードボイルド作家・北方謙三には、楠木正成はどう写っているのか?
農民ではなく、武士でもなく、むしろ商人である正成。その商売道具としての陸路荷運び人足・海路船頭人足・生産者としての大和伊賀紀伊の集落との結びつき・大消費地京の都・古都奈良との関係・猿楽一座への面倒見から得られる人心・・・それらのものを使って鎌倉幕府の武士の世の中を転覆させ、自分のような各地の悪党が自由に全国に勇躍できる世を作ろうとした河内の悪党・楠木正成。
太平記の流れを土台に、何故あれほどまで暗愚であった後醍醐天皇を立てたのかの心情を吐露しながら物語が進みます。あの時代、先を見通せる好人物であった武士の足利尊氏・佐々木道誉、悪党であった赤松円心・楠木正成の探り合いがよく書かれている。
ただ、鎌倉幕府滅亡から室町幕府成立・南北朝時代に至る「太平記」の流れを知った上で読んだ方が、ずっと面白いと思う。
楠木正成は、鎌倉幕府・北条氏から足利尊氏に武士の棟梁の座が移り、不満分子として各地に蜂起した悪党も、赤松円心が足利尊氏に従っていくような時代の流れに抗するように暗愚朝廷方を離れなかった。湊川で絶望的な足利尊氏との戦いの中で命の火を消していくが、その前に尊氏を九州に敗走させるまでを描いている。
鎌倉幕府の倒幕は、正成が千早・赤坂に寡勢で籠って、巨大幕府大兵力を散々に打ち破り消耗戦を強いたことで成された。時代の大転換期の巨星としての姿が、悪党という目から描かれており、武士と悪党との境目が、土地への執着の有無・御家人として幕府に連なるか否かという明確な判断基準で書かれ、わかり易かった。今で言う大企業サラリーマンと一匹狼の中小企業親父との違いという感じに映った。技術力はサラリーマン技術者の方が上だけど、奇抜なアイデアや大胆な計画・行動・度胸は中小企業親父の方が上という感じ。楽しく読めました。

2012/5 「太平記」全6巻 森村誠一 角川文庫 ★★
久しぶりに「太平記」を読もうと調べてみると、森村誠一版がありました。僕の中ではミステリー・推理小説家というイメージが強いですが、あれだけ面白い小説を書く人だから、どんな登場人物に光を当て、どのような解釈で展開させていくのだろうと手に取りました。全6巻というところも、人物を深く掘り下げ読み応えがありそうです。
各巻の冒頭に、メインの登場人物である「持明院統」「大覚寺統」両統の天皇家の家系図、足利氏、楠氏の旧姓・橘氏、新田氏の家系図が示されています。「太平記」は、鎌倉幕府の瓦解から南北朝時代と並行しながら進む室町幕府誕生後までの大戦乱記なので、登場人物が多いです。メインキャラクターの楠木正成が戦死してもその子正行が、正行が戦死しても弟・正儀と、南朝方武将として一貫して楠木氏が登場し、新田氏も義貞以下同様にこの時代の歴史に重きを置く。この家系図がとても便利です。一門が登場する時、嫡流のどこからの庶流なのか参考になりました。鎌倉幕府執権として実権を握っていた北条氏も、最後の執権・高時亡き後もその子・時行が北条再興のため戦い続けるのだから、北条氏の家系図も欲しかったな。
驚いたのが、大聖歓喜天の儀式の場面から始まったところです。人類が続くのにとても大切な男女和合ですが、あまりに甘美であり、あまりに妖艶、そしてあまりに本能的であるゆえ、道徳的な面から闇の部分に置かれるこういう儀式は、世界中の宗教にブラックな面として存在します。
それをいきなり冒頭に配し、読者の度肝を抜き、一気にこの小説の世界に引き込もうとする手法に、さすがだなあと思いました。同じ歴史を扱った小説でも、僕の好きな海音寺潮五郎や司馬遼太郎などのより史実に忠実に、時には時分の取った史実とは別の史実も並行して紹介しながら、淡々と物語が進行する史伝とは違います。歴史の史実を含みながら、登場人物が作者の息吹で大胆に行動する歴史小説です。
現代人では理解し難い14世紀の護摩祈祷が大きく幅を利かせていた時代に、大聖歓喜天というド迫力でワープしてしまいました。この儀式の怪しげな僧・文観の性奴として登場する菊夜叉なる人物(架空と思われる)が、大政奉還を狙った後醍醐天皇の意に沿い鎌倉幕府執権・北条高時の暗殺に向かう。
こういうワクワクするようなプロローグから、一統が育んだ社会の底辺を生きる者達の術中を駆使して、しかしながら一途に後醍醐帝・南朝に味方する河内の悪党・楠木正成、清和源氏の嫡流・新田義貞、同じく清和源氏の庶流ながら鎌倉幕府内で最大の戦力を維持してきた足利氏の当主・サラブレッド足利尊氏が、時代を大きく変えていく。
平安朝末期の平将門・藤原純友の乱、平清盛・源頼朝・義経の最初の武家政権・鎌倉幕府成立の乱、そしてこの太平記の時代は面白い。
織田信長が半農半兵から職業軍人常備軍を整備し一気に日本を席巻していき、秀吉が戦争に商売を入れてロジスティックを整備し圧倒的な物量で圧倒する。最後はそれに部下を大切にする徳川家康が日本を統一し250年の平和な時代を創造する。これらも味はあるけど、プリンスで温厚なので人望が集まる足利尊氏でさえ勝ったり負けたりする時代が面白い。
山に逃げ込めば、今より圧倒的に人口が少ない山岳国家日本では、いくらでも逃げ通せ再起の機会がある。情報伝達手段が限られ、伝播が遅いので、偶然が勝敗を分け、勝利に乗った寡勢が数倍する大兵力を席巻していく。勝者側の戦後褒美目当ての地方小豪族や悪党が、劣勢になるや一気に優勢側に寝返るダイナミズムが痛快で、本姓を持った武士の貧弱さもまた面白い。
生きるのには大変であったろうが、チャンスはいくらでも転がっており、男が面白かった時代なんじゃないだろうか?安全な今の時代を生きる僕は、ぬくぬくとしてところで楽しく読めました。

2012/3 「しあわせのパン」三島有紀子 ポプラ文庫 ★★★
先月、西宮の映画館で観た映画の原作です。僕らは年に数本映画を観に行きますが、大抵僕が誘います。僕は、いつもプレゼントをもらってばかりで、素敵なプレゼントをなかなかあげられないから、せめてもの罪滅ぼしです。
僕が仕事から帰る家は、いつも明かりが灯っています。「ただいま」と言うと、いつも「おかえりなさい」という声が聞こえてきます。そして食卓のテーブルの上には、いつもぬくぬくの夕御飯が並んでいます。いつも作り立てってことはないけど、僕が帰ってくるバイクの音が聞こえたら温めなおしてくれるのだと思います。僕がバイクを片付け、玄関を入り着替え終わり台所に行くと、いつもそこに美味しい夕食が湯気を立てています。
時にはTVを見ながら、時には食卓で斜交いに座って話しながらモグモグしてると、「もうすぐお風呂が出来ます」と綺麗な女性の声が聞こえてきます。食事を終え、話を終えると、僕は快適なベルトコンベアーに乗ったように、小説を持ってお風呂でぬくぬく出来るようになっています。こんな生活を何年続けてきただろう?みんなみんな、いつも横にいてくれる家内のおかげです。
でも、家内は僕のような快適のベルトコンベアーに乗っていません。疲れてるだろうに、明かりのない自宅に帰ってスイッチをオンするところから始まります。寒い日は部屋に暖房を入れ、夕食の支度です。
こんな風に、プレゼントを貰ってばかりの僕が、ちょっとお返しできるのが映画です。できるだけ家内が好みそうなほんわか映画を選ぶのですが、この映画は珍しく家内から誘って来ました。「ねえ、この映画観に行きたい」。とても素敵な映画で、その2週間後に観に行った「三丁目の夕日」の映画館で、この映画が再び上映されるポスターを見つけました。「また観たいな」、何気ない家内のつぶやきを聞き逃しませんでした。「よし」。
そしてもう一つの「よし」を、翌日実行しました。「しあわせのパン」を観た後、家内のおトイレを待ってる時に見つけて、「買おうかな?」と迷ったこの本を買うことです。そして読み終えました。素敵な物語でした。
あまりに素敵すぎて、僕がどんなに言葉を尽くして感想文を書いても、この素敵さは伝わらないと思います。エンディングとエピローグの一部を記しておくので、そこからの想像の方がはるかに素敵が伝わるように思えます。

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・・・僕らは初めてカフェの一番奥の席、大きな窓の前にテーブルを1つだけにして、向い合ってごはんを食べました。
・・・
金色のやわらかな斜光がテーブルとりえさんに差し込んでいます。
少し食べた頃、りえさんの手が止まりました。

「水縞くん」
りえさんがボクを呼びます。
ボクは顔を上げてハッとしました。
りえさんの目に、肌に、唇に、髪に、反射した光が眩しいばかりに輝いていました。
りえさんの唇がゆっくり動きます。
「水縞くん、見つけたよ」
最初、ボクにはなんのことかわかりませんでした。
「見つけた。私の《マーニ》」

その意味を理解したとき、ボクの体のすべてからとめどなく涙があふれてきました。
りえさんは見つけたのです。
自分を。
・・・
・・・
・・・

エピローグ
拝啓
夏木立の緑濃く、木漏れ日も輝く季節になりました。
随分と時間が経ってしまいましたが、その後いかがお過ごしですか〜私ももうすぐ四十路を迎えます。私の記憶にある貴方様よりも年齢を重ねてしまいました。
信じられないと思いますが、いま私は北海道の月浦という所でパンと伽排とお料理を出すカフェを営んでいます。貴方様に美味しい伽排のいれ方を教わっていて本当によかったと感謝しています。
もうひとつ信じられないことをお伝えします。実は、二度しか会ったことのない男性と一緒に始めたんですよ。
突然、月浦で暮らそうと言われた時は正直戸惑いましたが、彼が私の大好きな雑貨店と同じ名前だったので、なんとなく受けてしまいました。
水縞尚さん、いまでは私にとってかけがえのない人です。
小さい町だけれど、ゆっくりと時間が流れていて周りではおいしい野菜がたくさん穫れます。もうすぐ、貴方様が大好きだったミニトマトの季節がやってきます。

ここに住所を書いておきます。
いつでもお越しください。
敬具

2012/2 「敗走記」 水木しげる 講談社文庫
NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で興味を持った水木しげるさんの作品です。ドラマの中で、「僕はこれを書かなければ・・・」と自分の体験した南方戦線の戦争を読んでみたくなりました。父親がボルネオ島で同じく従軍していたのも、大きく影響していると思う。
僕の幼少の頃、僕をあぐらの上に乗せて、戦争の話をしてくれた。海岸線を南方に南下する船団で運良く父の乗る船は沈没しなかったこと。夜の米軍艦砲射撃の打ち上げ花火を数段凌駕する綺麗さ。明日が突撃という晩、マラリアの高熱を発症し、それに加われず、父の部隊30名の内帰還したのは2人だったこと。背中とお尻に負った銃弾創のこと。戦死者の多くは、戦闘での戦死ではなく、食糧不足からくる餓死と後方からの友軍から撃たれたことによること。白兵戦では、日米双方とも頭を出さずに適当に撃っており、できれば偶然の遭遇がないようお互いを避けていたこと。夜中に敵戦車の通り道に穴を掘り、爆弾を抱えてその中に潜み、戦車が頭上を通れば戦車もろとも自爆する作戦をした。真っ暗な夜中、同じく穴に潜んだ友軍から発せられる不気味な叫びに怯えたこと。・・・僕の生は、多くの偶然の上に成っていると、幼心に思いました。
そんな父の従軍体験の一部でも知りたいと思いました。水木さんが体験した悲惨が書かれていると思いましたが、それもありますが、極限状態での知恵、明日をも知れぬ身の上でも平和時では決して越えない一線を守った美談、現地の方との友情が生死を分けたことなど、そんな状況で僕に出来るだろうかと思われる事実も記されていました。

2012/2 「大化の改新」 海音寺潮五郎 河出文庫 ★★
海音寺潮五郎さんの史伝物です。AD645年、蘇我氏から天皇家に権力を取り戻すクーデター「大化の改新」のことが書かれていると思ったら、「古事記」「日本書紀」に書かれている太古の天皇家の先祖からそこに至る流れから書き起こされていました。長ったらしくとても覚えられない名前故、続きを読むのが面倒になる「古事記」「日本書紀」を、判りやすくかい摘んで解説された書として読むことが出来ました。とてもお得した気分です。史伝故、古書に書かれた事件に対する諸説が披露され、「僕はこう思う」スタイルで物語は進みます。
中国や朝鮮半島から新しい技術を携え派遣されてきた、あるいは帰化した異国人のこと。「白村江の戦い」で敗れ、日本国府任那・親日本百済を通して持っていた朝鮮半島の権益を失う流れ。巨大国家・中国への警戒から生まれる日本国内の影響など、古代日本の北東アジアでの立ち位置が明らかになります。
天皇を中核に機内豪族の集合国家であった大和朝廷が、吉備氏はじめ有力地方豪族を次々に参加に収めていく過程。最後に残った大和朝廷内有力豪族物部氏を破って政権の実権を握った聖徳太子・蘇我氏。この流れの次に、非有力豪族であった中臣氏が、中臣鎌足の智によって「大化の改新」という軍事クーデターを成功させ、一気に蘇我氏を落とし藤原氏の天下にしていく序。
ここで、ありがちな蘇我入鹿悪人説ではなく、勝者が後に「古事記」「日本書紀」で自らの正当性を後付で創り上げていく、後の世も延々続けられる正史作りの流れを指摘し、公平な目で見ている海音寺さんの目線に嬉しくなります。
天皇制を確立したヒーロー中大兄皇子・天智天皇の大転換の苦悩と強権、それをうまく利用し、天智天皇没後の弟・大海人皇子・天武天皇の軍事クーデター成功という飛鳥時代古代史の血沸き踊るトピックスを、歴史資料を交えながら「こうだったのではないか?」と披露されている。とても面白く読めました。

2012/1 「サカモト」山科けいすけ 新潮文庫
前作「SENGOKU」が面白かったので読んでみました。4コマギャグマンガです。幕末の偉人・坂本龍馬を中心に、薩摩の西郷・大久保、長州の高杉・桂、幕臣の勝、そして新選組の沖田・土方・近藤が、知られているキャラクターそのままに絡み笑えます。
しかし、「SENGOKU」に比べると、歴史の展開がなく、歴史教科書の補助教材にはならないです。そういう部分の面白さに欠けていました。


「何があっても大丈夫」 櫻井よしこ ★
女性ニュースキャスター第一号の方ではないだろうか?好きでよく見ていました。はぎれよく、ご自身の意見も少し入れながらのニュース報道には、好感が持てました。今でこそ、ニュース番組アンカーウーマンが数人おられますが、最初はいろんなところで苦労なさったのだろうと思う。
この本は、櫻井さんの自叙伝です。ベトナムで生まれ、父親の海外での商売、敗戦によ全てを失っての引き上げ。父親は、仕事で東京に出て行き、やがてハワイでレストラン経営。ご自身のことも含めて、かなり波乱万丈の生活をしてこられたが、それが故に個としての強さを身につけられた。
キャスター当時、そして今に続く、櫻井さんの強さを育てた土壌がわかりました。回り道することこそ人生が面白く、得るものが多いということがわかります。苦しい生活をどう感じるかで人生が全く違うものになることを知りました。その時の支えは、お金でも地位でもなく、「何があっても大丈夫」という櫻井さんの母親のいつも発しつづけている言葉にあるのだなあと思いました。
本当に言葉というものは、強い力を持っています。

「人生は最高の宝物」 マーク・フィッシャー ★

「こころのチキンスープ」 ジャック・キャンフィールド ダイヤモンド社 ★★★
このシリーズで多数の本が出ています。このシリーズは、講演家の著者が、全米各地で出会った市井の人のこころ温まるノンフィクションを集めたものです。人は誰でも1つは、そのような体験を持っているものです。あなたにもそして私にも。だからいくらでも本のネタは尽きないと思いますが、1人の貴重な温かい出来事を披露することで、多くの方の心に火を灯し、そして次の体験が出てくるし、そのように人に接するようになります。
随分前に、小さな少年が始めた親切運動が大きなうねりになった映画がありましたが、あれに似ているとも言えます。はっきり言って泣きます。感じる場所は様々でしょうが、誰でも心打つ物語にこの本で出会うでしょう。決して電車で読まないで下さい。私は涙の処理で難儀してしまいました。静かな所で1人でじっくり、感動を噛みしめてください。

「それでもなお人を愛しなさい」 ケント・M・キース 早川書房 ★★★
逆説の十箇条で有名ですが、その内容については、私の好きな言葉のページに載せています。ドロシー・ロー・ノルトさんの言葉は、親が子育てをする指針になりますが、この十箇条は、人との関係の指針でしょうか。
著者は、夏休みのキャンプリーダーをします。その時作って話したことが、キャンプに参加した子達に感動を与えますが、キャンプの目的とは少し違ったようで、惜しまれながらキャンプを去ることになってしまいます。時は経ち、友人からいい言葉があるよ。君にはきっとうまく理解できるはずだと、紹介されたのが、なんとあの時の自分の言葉でした。劇的な過去との出会いを機に、本になったのがこの本です。
ドロシーさんの「子は親の鏡」と同じような運命をたどった、「人生の意味を見つけるための逆説の十箇条」。生き方、人との接し方の根源に迫る本です。

「天才たちの共通項」 小林正観 宝来社 ★★★
この本は、下のドロシーローノルトさんの言葉に出会ってから読んだ本です。この順番が逆になると、また違った印象になったと思いますが、こういう順番であったことは、私にとって幸運でした。
小林正観さんは、本職は旅行作家なのかもしれませんが、素敵な言葉、素敵な人当たりをなさる方です。生き方・人との接し方についての小規模の講演会をよくしておられ、この本の読後、200人ほどの講演会に参加したことがあります。どても感動する内容でした。
私は、長男に生まれ、親からの期待を一身に受けて育てられましたが、関東出身の親の言葉がきついからでしょうか、いつも反発ばかりしていました。「もっと早く一人前になるように」「もっと立派な独り立ちするひとになるように」と、きつい場面に放り込まれました。甘えん坊の私には荷が重く、できない私を叱る親が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
保育園で、蛇事件がありました。西宮の保育園に4歳から電車とバスを乗り継いで1人で通いました。保育園の方針で、最終バス停で親子が離れなければなりません。園に向かって歩き出したら、大きな蛇が階段にいて、怖くて泣いてしまいました。母親は、「行きなさい、怖くないから・・・」と下から見ているばかりで、どうしても蛇を避けていけません。そんな時、その様子を階段の上から見ていた女の子が下りてきて、私の手を引っ張ってくれました。それでやっと園に行くことが出来ました。
その事はもう忘れているのかもしれませんが、今でも彼女とは保育園の同窓会で交流があります。私の初恋ですが、素敵な女性になられ、お金持ちの家に嫁ぎ、3人のお子さんを立派に育てられ、ご自身も代表取締役として会社を経営しています。次男と同じ中高の1年下にお子さんが通われ、不思議な縁を感じます。
大学生の時に家内と出会い、「大丈夫よ、何とかなるからさ」という大きな言葉と、いつもニコニコしているところに惹かれ、1ヵ月後には彼女の家にお邪魔しました。彼女の母親は、うちの母親同様学のある方でしたが、一度も親に叱られたことがないと家内が言うほど、怒らなくて温和な方でした。こんな家庭に育った家内なら間違いないと思い、すぐに一生一緒に暮らしていくことにしました。
うちの子達は、家内に叱られたことはないでしょう。私も経験から、叱っても反発されるだけで何も得るものがないと知っていましたので、ほとんど叱ったことがありません。こんな育て方でいいのかと迷いましたが、叱られる辛さを思うと、どうしても子供を叱れませんでした。
「本当にこれでいいのか?」の答え捜しでこの手の本は、どれだけ読んだか分かりません。とうとう、世界中の方に支持されているドロシーさんの言葉に出会い、そして小林正観さんに出会いました。この本は、私の中では、ドロシーさんの言葉の実践編ともいえる位置付けです。叱るのではなくて、子供を信じる温かい言葉で育てられた内外の偉人について書いてあります。いろんな文献を調べたのでしょうが、エジソンから手塚治虫までの、幼年期・少年期の親、特に母親との関係を詳しく書かれています。

「子供が育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト PHP文庫 ★★★
あまりに有名なこの言葉「子は親の鏡」、というかこの詩は、2005年皇太子妃さんの病気回復の記者会見で、披露された。皇太子妃さんの、「公務出来ない病」は、外交官の父を持ち、自身も外務省勤務していた延長で、より大きな意義のある仕事が出来ると思っていたが、皇室の仕来たりにスポイルされた結果なってしまったと私は考えている。
皇太子さんが、記者会見で異例とも言える詩の朗読をなさった背景には、この詩にどれだけ皇太子妃が助けられ、勇気をもらったかを伝えたかったのでしょう。多くの制限のある中で、精一杯の反発に見え、皇太子妃を守ろうとしていると感じました。
このドロシーさんの言葉は、随分前に発表されたものですが、子育ての真実、子育ての指標が書かれており、私の子供と接する時のバイブルになっています。この言葉は、ドロシーさんの手から離れ、アメリカ初め、ヨーロッパ、そしてアジアにも広がり、本人の知らない間に一人歩きしました。一人歩きしている自分の言葉に出会って、著書としてきちんとしたものになりました。
皇太子さんや皇太子妃さんは、北欧の国の教科書に載っていたこの詩を、披露なさいました。たとえ1次限でもこの詩に出会う機会を小学生の時に持てる子達は幸せだなあと思いました。それだけ値打ちのあるものです。
その内容のエッセンス部分は、好きな言葉のページに載せています。

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