Books 2011
Books 兵庫県セーリング連盟ジュニア

2011/12 「甲陽軍鑑」 佐藤正英 ちくま学芸文庫 ★★★
誰もが認める戦国戦史書のバイブルです。新羅三郎義光を祖とし、戦国時代の名族・甲斐源氏19代・武田信玄の生涯を中心に、武田家の家訓・治世の法度や信玄の生き方を、その臣・高坂昌信を案内人に書かれている。生死が表裏一体にあった当事の武士の世界で、清く生きる姿を、遺訓・故事・眼の前で起こったことなど多方面から記述している。
戦国史として読むのもまた面白い。宿敵・上杉謙信、甲斐国の周りを囲む駿河・今川、後北条氏、徳川家康、織田信長を、武田側からその人物像を中心に描いている。
一般的な働き盛りの年齢を過ぎてから信玄に仕えた山本勘助の生き様も、なかなか面白い。一流の武芸者で諸国を放浪しながら仕官先を探すが、片目・片足の醜男所以かどこにも士官出来なかった。その勘助が信玄の傅役・板垣信方の口添えで信玄に仕官した。初面会した信玄は、勘助の人を見て予定の倍の禄にその場で増やし、1人の郎党も持たない勘助に数名の下士を付けて初登城させた。
実力でメキメキ頭角を表し、軍師にまで抜擢され数々の城を落としてきた。川中島での上杉謙信との戦いで、山に立てこもった謙信を軍師山本勘助の啄木鳥の戦法で挟み撃ちにしようと思ったが、策破れ謙信旗本に真一文字に迫る謙信軍。それを見た勘助は、信玄旗本軍に急行し、信玄の影武者になり「我は信玄なり」と呼ばわりついに果てた。僕の好きな武田信玄の名言『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』が表に出た瞬間のように思う。
父の実家は、上野国の大庄屋ですが、代々続く紋は武田菱。上野国にも勢力を伸ばした武田との因縁を推察するので、興味深く読ませてもらった。随分前に他者の甲陽軍鑑を読みましたが、再読の機会を持ちとても良かった。
甲陽軍鑑は、全20巻・59品からなる大書ですが、この佐藤正英版は14品までを現代語訳で現している。エッセンスということです。江戸時代に、武士道の書として広く武士階級に読まれたのも頷ける。
最後に、文中の一説を残しておく。
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太郎武王信勝公に学問を教えた鑑首座は、ひときわ激しくきびしい仏法を説き、快川紹喜に対してもたびたび難しい問答を試みたので、この僧は精神力がぬきんでているといい、鑑首座は、信玄公の意向で当主の子息である信勝公の学問の師匠となった。このときも信玄公の言葉の通りであると思わせられた。「幼少の者は、ものを習う僧や子守の者が非常に大切である。というのは、生まれつき賢いことはあまりない。幼少の頃に身近につれ添ったひとのようになるものだ。なかでもとくに声変りの頃が善悪の填である。このときによいひとに添えばよい者になり、悪いひとに添えば悪い者になる。町人や職人に十四、五の頃添った者は、生涯欲得の気立てがぬけず、値段をまけさせる思慮をするものだ」と信玄公はいわれた。大身・小身を問わず、わが子の扱いはこのようにすべきであろう。

2011/12 「SENGOKU」上・下 山科けいすけ 新潮文庫
戦国時代の英雄を登場人物にした4コマ漫画です。織田信長を中心に武田信玄・上杉謙信・毛利三川、織田友軍の徳川家康、家臣の羽柴秀吉・明智光秀・柴田勝家などの代表的戦国武将が登場します。織田包囲網の本願寺顕如・足利義昭・浅井朝倉、そして梟雄松永久秀がスパイスを利かし、お市の方・服部半蔵、何故か剣豪塚原卜伝と上泉信綱、更に竹中半兵衛・武田勝頼・北条氏康、面白い所で風魔小太郎や山中鹿之助が登場します。
みんな英雄と言うよりバカの役回りで、たった4コマ、あるいは8コマしかないのに、歴史的に有名な出来事の裏側をクスリと笑わせながら、あの時代に沿って流れていきます。
登場人物それぞれのキャラクターを1つに絞り込んで、大げさに表現し、とても面白かったです。こんな漫画で、ざっと戦国時代を流すと、本筋の教科書日本史も大筋の流れが理解しやすいし、とっつき良くなるように思います。
あまりに面白かったので、同著者の「サカモト」も買ってしまいました。

2011/11 「疾風六文銭 真田三代と信州上田」 週間上田新聞社 解説/寺島隆史・金子万平 ★★★
真田昌幸・幸村父子が、関ヶ原の戦い後、徳川家康により蟄居させられた九度山町真田庵訪問時に購入した本です。表紙に「上田市観光ガイド付」とあり、目を引く外観といい真田父子のガイドブック的な物かな?と、気軽に購入したのですが、この内容は多岐にわたり、地元信州上田の歴史家など多くの人が携わったであろうことが想像される良書でした。
武田信玄が信州に進出する以前の東信州〜西上野国の情勢から語られ、信玄に敗れて上野国に逃れ牢人した宗家・海野家から真田家の起こり。信玄の武将として旧地を回復し、武田勝頼の自刃により武田氏から独立して戦国大名になっていく過程。多勢徳川軍を二度にわたり破った上田城籠城戦から、真田父子の九度山蟄居。さらに真田家のクライマックス・大阪冬の陣・夏の陣での赤備え・真田幸村軍の大活躍まで語られている。
真田家由来の遺物もカラー写真で多数紹介され、素晴らしい出来の真田家ガイドブックです。それほど歴史に興味の無い方でも、真田幸村や真田十勇士の名は聞いたことがあると思うので、楽しく読めると思います。
僕の歴史好きの原点の1つも、子供の頃本で読み、TVで見た真田十勇士だから、ここから新たな歴史好きが生まれるかもしれない。

2011/11 「陰徳太平記 上・中・下」 香川正矩原著 松田修・下総俊一訳 教育社新書 ★★★
毛利元就を軸に、中国地方を舞台とする戦国時代の群雄割拠を著した書です。太平記と言えば、足利尊氏の室町幕府に至る戦記物ですが、「・・太平記」として多くの戦記物が残っている。武田信玄の甲陽軍鑑など、戦記物には魅力的な読み物が多い。常に中央の勝者側から書かれ、日本の歴史の真実になっていく中央の歴史書ではなく、往々にして敗者となったヒーローの側から書かれている書も多い。真実の歴史は、後の権力者が息を吹き掛けて書かせた正史にあるかどうか分からず、むしろその反対の場合が多い。
毛利氏は、出雲国・尼子氏と周防国・大友氏という中国二大勢力に挟まれた草刈り場の安芸で、時には右に、時には左に与しながら小豪族として永らえてきた。元就の代になって大内氏を倒し下克上成った陶晴賢を安芸宮島に滅ぼし、安芸の独立勢力として昇龍になった。後に尼子氏も滅ぼし、中国13ヶ国の大守になった。元就の活躍と、元就の次男・吉川元春を送り込んだ吉川家、同じく三男・小早川隆景を送り込んだ小早川家を含んだ毛利三家を中心に、中国地方の戦国の国盗り物語が書かれている。
戦後の世となった室町時代末期、僕の一番好きな武将である義に硬い賢将・上杉謙信が、管領細川家の陪臣・三好氏、更にその陪臣松永久秀に実権を握られている時、上洛して室町将軍に、西の毛利と東の上杉を京に上らせて政治を行わせれば、世は静まると提言したそうです。
短期間に13ヶ国のも国を収めるようになったのは、上杉謙信が推挙した毛利氏の領民を大事にする施政が根底にあったためと言われている。この書は、毛利氏側から書かれたものだが、随所になるほどなと思うところが出てくる。そして、織田信長の命によって中国攻略に乗り出してきた羽柴秀吉との数々の攻防や和睦、最後の備中高松城攻防戦での和睦での毛利方の対応が、秀吉の天下人への転換期だった。それらを毛利方の視点で書かれており、興味深く読ませてもらった。
本訳書では書かれていないが、原書は、後の毛利三家の筆頭・吉川広家が、天下分け目関ヶ原合戦で毛利方の兵の最前線で動かなかったところで終わるらしい。動かなかったことが毛利の参戦を抑え、後の権力徳川の世にも生き延び、250年後の明治維新で天下を取る礎になった。毛利元就の教えを持ち続ける毛利三家の壮大な時代ドラマを見ているようで、とても面白かった。僕の2大読書時間のトイレとお風呂の時間が、ついつい長くなってしまったのは致し方ないことでした。

2011/11 「戦争の日本史8 南北朝の動乱」 森茂暁 吉川弘文堂 ★
足利尊氏と後醍醐天皇が中心となって鎌倉幕府を倒して成った建武の新政。だけど、大きな力を発揮した武士への恩賞や地位向上がなく、平安時代に逆戻りの朝廷・公家政治に逆戻り。不満武士を結集し足利尊氏が後醍醐天皇と袂を分かち、吉野に後醍醐天皇を落とし室町幕府が成立する。
ここから始まる南北朝時代。室町時代初期と重複する時代だけど、北朝と南朝の両朝廷をバックに、軍事的に圧倒的に優位の幕府内の派閥争いにも絡み、ダイナミックに有力武将と朝廷との組み合わせがコロコロ変わるとても面白い戦争の時代です。
鉄砲という大量殺傷飛び道具新兵器がなく、破れて散った兵がまた盛り返すのもまた面白い。この時代の戦争は、殺戮戦なんだけど、名誉や名・義の意地がぶつかり、のんびりした雰囲気もある。好きな時代です。
1人の人物を中心に書かれた時代小説ではなく、様々なテーマに沿った出来事を、おおまかな時系列に沿って書かれている。参考文献の所在も細々と明示し、文学部学生の卒業論文の詳細なようなものにもみえる。
主人公のいる時代小説は、感情を移入しやすいが、反ヒーロー的な出来事が割愛されていることも多く、こういう資料的書物を読むことを時々はさむと、より深くその時代を知ることができると思う。

2011/10 「播磨灘物語」1〜4巻 司馬遼太郎 講談社文庫 ★★
播磨は家内の里のある地で、家内の母型の実家が、この物語の主人公・「黒田官兵衛」が収めた播磨国・姫路。黒田官兵衛の本妻(官兵衛はクリスチャンに入信したので、生涯側室も持たなかった)は、家内の父方の実家のある志方の城主であった棚橋氏の娘です。この実家は、志方城址の城内とも言える峠の地にあり、関所がありそうな地です。古い家なので、この時代当たり前だった半農半兵の高級士族だったのかもしれないと思っている。棚橋氏が没落し、帰農したのかもしれない。
僕自身、気候が温暖な播磨や備前の国が好きなこともあり、この両地に縁が深く、この地で大を成した黒田官兵衛を、きちんと読んでみることにしました。
黒田官兵衛は、その祖が姫路の奥の加古川沿い「本黒田」の出だと思っていましたが、この書によると全国区の定説は、北近江・余呉湖付近であるという。「本黒田」には、勘兵衛の祖・黒田氏の城跡が残り、謂れ板も出されているので、北近江と整合性をもう少し知らべてみたいです。
備前や播磨は、温暖な気候と広大な平野を持った富裕の地です。律令制国家の格では、上国に分類されています。首都・京都とも程よい距離にあり、海運や海路という手段も使え、もっと大立者が出てもおかしくない地でした。
しかし、「赤松円心」の赤松家ぐらいしか、長きに渡って中央に影響力を及ぼした豪族は育たなかった。温暖な気候ゆえ、厳しい寒さと蝦夷地に隣接するが故の民族としての攻防が日常にある関八州の兵に、武力で劣っていたのでしょう。
やがて、赤松家が弱体し、備前では浦上家、さらに宇喜多直家が勃興し、播磨では別所家を中心に、小寺家などの小豪族が分割小競り合いの地になった。
そんな背景に、官兵衛の祖父は、戦に破れ北近江から備前福岡に流れてきました。官兵衛の祖父は、とにかく誠実な生活をした。知恵も才もあるので、やがて人望を得、北近江の地方薬の目薬を製造し、「広峰山」の「広峯神社」の流通ルートに乗って財を成した。名高い神社のご利益も、消費者は願ったのでしょう。それを元に、御着城主・小寺家の家老職として武家に返り咲いた。
官兵衛の代になり、中国の毛利家と上洛後瞬く間に摂津を手に入れた尾張の織田家の勢力のぶつかる地に、播磨・備前・美作がなってしまった。播磨の大半は、本願寺一向宗門徒と対立する仏敵・織田氏を好まず親毛利だったが、官兵衛が播磨の豪族を説き、織田氏の中国方面総司令官の羽柴秀吉を播磨に引き入れた。
ここから波乱万丈の黒田官兵衛のドラマチックな生涯が展開していくのですが、祖父・父譲りの誠実な血が成せる選択・行動にとても惹かれました。戦の勝敗は時の運で大きく左右されますが、生き方はその人個人の考え方が表に出ます。僕は、勝てば官軍ではなく、魅力的な生き方をした人物に惹かれます。
摂津守・荒木村重が、織田信長に反旗を翻した時、単身説得に乗り込み牢に入れられるが信念を曲げませんでした。即座に、官兵衛の裏切りと決め、人質に出していた勘兵衛の嫡男を殺せと命令した信長と、官兵衛の人柄を知り、嫡男をかくまった竹中半兵衛との違い。また、官兵衛の主である小寺氏から殺害を要請されていた荒木村重は、投獄のみで殺害しなかった。官兵衛自身、村重を恨まなかったようです。
織田信長の苛烈な粛清統治をみて、毛利家の外交官吏・安国寺恵瓊は、やがて高転びするであろうと予想するが、果たして予想通り、内部からの次々の謀反に倒されてしまった。
作者・司馬遼太郎が、最も愛すべき人物として黒田官兵衛を語ったように、僕もとてもその行動規範に惹かれました。歴史小説や史伝に何を学ぶか?過去の歴史に起こった事実を学ぶという部分もありますが、多くの偉人の生涯を知ることで、今を生きる自分の行動規範の土台を固めていくのに、大きなプラスがあるように思う。
とてもいい書でした。

2011/8 「バースデーイブ」 大森美香 講談社
26人の女性の25才の誕生日の前夜のお話です。それぞれ主人公は違いますが、別の話の登場人物だったりするので、最後のページに主人公相関図なるものが付録されていて面白い。
司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読んでいるのですが、4冊もあるので途中のデザートみたいに、このオムニバス・ラブストーリーを読んでみました。
DVDで買ってしまった、僕の一番のお気に入りドラマ「10年先も君に恋して」の3度目観賞を終え、文字で読みたいなとスタッフを読むと、脚本が大森美香さんでした。これで調べると、この本がヒットしたわけで、それぞれのオムニバスを膨らますと、素敵なドラマの脚本になるのだなと思いました。

エピローグ(主人公:矢内亜矢)のショートストーリー。
亜矢は、直毅との披露宴のひな壇に座っている。横の直毅を見ながら、早まったかな?と心穏やかではない。披露宴準備を、忙しいからと亜矢に押し付けておきながら、亜矢の考えた進行や招待メンバーにいちいち小言を挟む直毅と、とうとう喧嘩してしまった。それ以来話していない。優しかった直毅は、何処にいってしまったのかなあ・・・ブルーな気持ちで結婚式当日になってしまった。
最後のお色直しで控え室に戻ると、そこには未来からやってきた私がいた。「今なら引き返せるよ」と私に話しかけてきた。これからやってくる直毅とのすれ違いの生活、そして・・・。未来の私に、直毅の良さを示し、「5年後も10年後もおじいさんになってもずっと好き」って反論する私。
エピローグのショートストーリーは、以下のように結ばれていた。
『 披露宴会場に向かう途中、ふと彼女に聞いてみたいことを思いついて慌てて控え室に戻ったけれど、もう中には誰もいなかった。
 直毅が、なにやってんだよ、と走ってくる。
「ねぇ。直毅、今日ずっと笑顔がひきつってるよ」
「は? 亜矢がだろ? ずっと口だけ笑ってるからハニワみたいだった」
「ひどい。みんなにもバレてたと思う?」
「さぁね。でもまぁ、お互いバレないうちに仲直りしよう」
 直毅が私の手を取った。
 ドアが開かれて、拍手をするみんなの顔が見えてくる。
 ケンカしながら選んだキャンドルをふたりでぎゆうぎゆうに握って、私たちはゆっくりと歩き出した。
 私たちの作る未来は今、はじまったばかりだ。』

ぐふふ、これって、「10年先も君に恋して」に似てないか?裏表紙を見ると、2010年3月初版。ドラマの放映が2010年8月だったから、このショートストーリーから膨らんだのかも?僕のお相手は家内しかいないけど、ラブリーな気分で読み終えました。

2011/7 「夏草の賦」上・下 司馬遼太郎 文春文庫 ★
戦国時代の四国の雄・長宗我部元親の生涯を綴った史伝小説です。海音寺潮五郎さんの歴史に残る諸説を併記して、「私はこういう理由でこうだったと思う」で小説を進める史伝という書き方の歴史小説の後継者・司馬遼太郎さんのを手に取りました。
最速交通手段が馬というまだ情報発達速度の遅い時代、土佐の一郡を支配する豪族だった元親が、二十数年かけてほぼ四国統一を果たす。しかし、上方から豊臣秀吉という巨大勢力が侵攻してきて、一撃を加えたが、一族の存亡のために土佐一国を安堵されて撤退していく。
それ以前と、それ以降の元親の行動力の差を大きく違う。元親同様、中央から遠いところから全国制覇の野望を抱いていた仙台の雄・伊達政宗が、時の権力者・秀吉、さらには徳川家康へ軸足を移して、したたかに一族を存続させる基盤を築いたのに、元親は別の生き方をした。
自分の野望が潰え行動力が鈍っても、自分より優秀な嫡男の信親に家を託し、自分の野望・第二章に希望を抱いている風であったが、九州島津攻めの時、秀吉から派遣された軍師・仙石秀久の無謀な作戦で信親を失い、失意の最後を過ごした。
この時、正妻の奈々(明智光秀の片腕・斎藤利三の娘)に語らせた言葉に、激しく同意した。『彼に四国制覇と天下への夢があった時は、体の隅々の細胞まで勢いよく活動し、彼の意に逆らうような事態や考え方ややり方をも受け入れることが出来たであろう。しかし、土佐一国に閉じ込められてからは、それは必要でなくなった。(男というものは、そうらしい)と、奈々は元親を眺めながら、このようなことを考えている。夢と志を失った時、年齢とはかかわりなく、別の人間に変わるのではないか。(というより、男を成り立たせているのは、夢と志なのだろう)』
天下人がめまぐるしく代わるこの時期の対応が、大阪夏の陣での長宗我部家の滅亡に繋がっているようだ。しかしながら、知略を遣い、敵方の攻略と友軍の鼓舞に長けた元親は、戦国屈指の弓取りであり、「一領具足」などの元親が考えだし小国ながら大きな軍事力を引き出す力は、長宗我部家滅亡後も土佐に根付き、幕末の変換期の雄藩に繋がったと思う。戦国時代、九州を切り取った薩摩、中国地方の毛利、四国の土佐が、逸材を搬出して国を次のステージに導いた。
それと、もう一点、読む前から楽しみにしていたことにも解決が付いた。次男の小学校時代の友人に香宗我部君という子がいた。先祖は四国土佐の出ではないかと、すぐにピンときた。長宗我部家は、平安から鎌倉時代に土佐に下ったようだ。土佐は流人の地でもあったので、流人であったのかもしれない。元は宗我部氏を自称していたが、土佐・香美郡にも宗我部氏を名乗る豪族があったので、在所の長岡郡の一字をとって「長宗我部」とし、香美郡のもう一方の宗我部氏は香宗我部を名乗るようになったそうです。かなり珍しい苗字なので、やはりという感じがする。

2011/7 「平将門」 赤城宗徳 角川選書 ★★
平安期のまだ黎明期にある武士の代表選手・平将門です。著者は、将門の活躍した南関東出身の赤城宗徳さんです。赤城さんは、元農林大臣で、その地盤を引き継いだお孫さんも自民党の衆議院議で、農林大臣の時、絆創膏貼って有名になった方です。
近くに将門関連の史跡があり、天皇中心の朝廷に対して反乱を起こした大罪者とされていた将門が慕われて人気がある土壌で育ちました。政治家でありながら、第一級の将門研究家というユニークな方です。同じく平将門を書かれた海音寺潮五郎さんが、赤城さんを大絶賛されているので、手に取りました。
小説ではなく、海音寺さん得意の史伝とも違う、研究書と史伝の中間ぐらいの位置で書かれた将門の生涯です。さすがに、地元の研究者だけあって、将門の真実の生涯を探ろうと、深く掘り下げています。将門が掘り下げられると、それに大きく関係した人物も、必然的に掘り下げられます。
僕の平将門への興味は、ご本人の魅力的な生涯もさることながら、将門を倒した俵藤太秀郷への関心が大きい。母の実家は、栃木県佐野市田沼町です。まさに俵藤太の本拠地ドンピシャです。俵藤太の末・佐野氏は、ここから近くの唐沢山に山城を築き、北条氏など大大名の影響下の元、関東管領・上杉謙信に数度攻められるが一度も落城せず、江戸時代まで下野国を領しました。この佐野氏の傍流で田沼を領した田沼家に仕えた家老職でした。そして私の祖母の祖母は、佐野家の家老職の出でした。
平将門を読むことは、僕の血のルーツ探しの旅でもあります。だから、歴史事実をデフォルメして読者の興味をそそる小説より、もっと真実に近づきたくて、赤城さんのこの書にたどり着きました。
戦後、大悪人から稀代の英雄に世評が大転換した悲劇のヒーロー・平将門を討ち取ってしまった俵藤太秀郷の本拠地は、まさに田沼であり、俵藤太の前半生の無法ぶり、その子孫の暴れん坊ぶりまで書かれ、大変興味深く読ませていただきました。
僕は、将門をストレートに読むのではなく、その時代背景や関東の状況、特に下野国中心に読んだので、少しズレますが、僕にとって貴重な書になりました。

2011/6 「悪人列伝・近代編」 海音寺潮五郎 文春文庫
悪人列伝シリーズ・江戸時代〜明治時代で、加賀事件の大槻伝蔵、徳川将軍の子と偽った天一坊、収賄の幕府側用人・田沼意次、鳥居耀蔵、悪女・高橋お伝、明治新政府高官になり私腹を肥やした井上馨が収録されている。
僕の歴史興味は、平安〜戦国時代なので、江戸以降の人物は手にしないのだが、田沼意次を読みたくて購入しました。田沼家が田原藤太秀郷の末・佐野家被官として基盤のあった田沼が、母の実家で田沼家の家老職であったこともあり、意次さんには僕のルーツとしての興味もある。
海音寺さんが、どう書くのだろう?と、特にじっくり読んでみました。後の為政者が都合よく歴史を歪曲して流布したのが、いつしか史実になる歴史の必然。歌舞伎や講談により、より興味をひく作り物になる歴史。田沼意次さんが、史伝という形で、より真実に迫ろうとする海音寺さんの筆でどう描かれるのか・・・「僕は、このような人物は嫌いだ」と最後に書かれたことに集約される人物評であった。う〜む、再評価もかなりされているが、こうなのか・・・。田沼さんに先入観なしに資料からより迫った結果が、こうだったようです。まあ、仕方ないわな。

2011/6 「戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦」 福島克彦 吉川弘文館 ★★
「首都・京都・争奪戦! 細川・畠山・三好・松永・・・。信長登場まで、本当に「英雄」不在だったのか?」と帯に。本の裏には、「将軍家の継承問題、畠山・細川氏の内紛、三好長慶や松永久秀らによる騒乱・・・。応仁・文明の乱後も、畿内近国では戦乱が繰り広げられた。「英雄不在」と言われる信長以前の約100年間、「都の戦国時代」を詳細に描く。」と書かれている通りの内容でした。
僕の回れる機内近国の山城の生い立ちや、役割りが詳細に書かれている。室町幕府三管領の畠山・細川両家の継承問題が、短期間に兵を動員できる畿内豪族の京都防備・京都攻略に絡み、首都を舞台にした応仁の長期大戦争に発展した。やがて各地方を押さえた大名の国盗り物語が展開され、織田・豊臣を経て、徳川の武家長期政権に続いていく。
首都京都を押さえながら、あるいは政権打倒がすぐにでも可能な地理的位置にいた摂津・丹波・河内・大和の有力豪族は、大名と呼べるまで大きく成長できなかったのか?なにより、首都のお膝元・山城国の豪族は、有力豪族と呼ばれるまでにも成長できなかったのか?
管領細川の守護国の丹波・摂津、畠山の守護国・河内の豪族は、常に宗主家の政権争いに駆り出され、あるいは足利将軍自身の京都奪還の戦、時には京都防衛の任で力を削がれ、実力を地元で蓄えることが出来なかった姿が、この度重なる戦争の歴史を読んで、明らかになってきた。
地元の市井の歴史研究家の著書だけに、現地に何度も足を運んだからこそわかる地形や川の流れからの影響がよくわかる。とても興味深く、これからの僕の畿内探索のベースになる書になった。

2011/5 「ラスト・ソング」 ニコラス・スパークス アチーブメント出版 ★★
毎年恒例のスパークスさん作品です。年1冊のペースで新作が出ますが、ほとんど読んでます。相変わらずのノースカロライナで、相変わらずのラブストーリーですが、今回もまたいいです。
母親と離婚した父親のスティーブとひと夏を過ごすためにノースカロライナの海辺のロッジにやってきたロニーと弟のジョナ。ジュリアード音楽院の教師だった父親は、突然職をやめ、コンサートピアニストとして全国を回りだす。家族と疎遠になり、夫婦の絆も切れて離婚。そんな父親を憎んでさえいたロニー。「なんで、今更父親と夏休みを一緒に過ごさないといけないの?」。父親への反発から、ピアノの才能に蓋をして、自分の将来が見えない鬱憤も、ロニーの心を重くしている。
そんな思いでニューヨークからやってきたロニーに、ノースカロライナの夏の陽光と、ニューヨークにはないのんびりした時間が、別の世界を与え出す。ジョナは、父親と共に火災で失われた教会のステンドガラス作りに精をだし、ロニーには、素晴らしい青春の出会いが待っていた。
父親の穏やかな自分への接し方に次第にロニーの心が開かれ、やがて笑顔で親切な元のロニーに戻って行く。そんな幸せに満ちた夏が終わろうとする頃、父親の抱える大きな秘密が明らかになる。そして離婚の本当の原因も。
父親がこだわったステンドガラスは?資金難で中断してしまった教会の再建は?行き違いから別れてしまった恋人のウィルとの関係は?そして夏を終えるロニーの次の道は?
10代のスウィーティーな恋、親子の愛。それを包み応援するような匿名の寄付。スパークスさんの作品にはつきものの、揺るぎなく温かい愛をつぎ込む男性の姿があります。また映画化されるようです。

2011/5 「阪急電車」 有川浩 幻冬舎文庫 ★★
映画「阪急電車」が、最高の映画だったので、原作を手に取りました。僕が10年間通った阪急電車・今津線・西宮北口〜宝塚を各駅停車で往復し、車内やホーム・近隣で起こる様々な出来事をオムニバス方式で小説にしています。
図書館ライバルのカップルを主軸に、ワンちゃん好きのお婆ちゃんと孫、悲しい結果に至った社内結婚、素敵な恋愛進行形の関学の学生カップル、悲しい恋愛をしてる学生、PTAのしがらみから抜け出せない奥さん、小学生にして女子のドロドロとして世界に苦しんでる女の子が横糸として、各駅で物語を作ってる。
それに、大都会駅じゃないけど田舎の駅でもない各駅の素朴さや、沿線の穏やかな雰囲気が、いい味を出しています。
映画の方は、お婆ちゃんと孫が主軸になってるけど、どっちもいいです。まあ原作より母校をクローズアップしてくれてるので、僕は映画の方がいいけどね。今年イチオシの小説です。

2011/4 「荒木村重」 黒部亨 PHP文庫 ★★
地元の戦国武将・荒木村重を、黒部亨さんの書かれたものがあったので読んでみました。同著者の戦国の梟雄第一の松永久秀が、存外面白かったので、これまた主の池田城主池田氏を追い出し、さらにその後与力した織田信長に反旗した村重はどう書かれるのか興味がそそられたからです。
村重は、さらに織田軍包囲の中を単身城外に逃れ、有岡城落城・一族郎党虐殺後も毛利に身を寄せ生き続け、天下人秀吉の御伽衆となり摂津に舞い戻った。歴史上は、評判の良くない武将ですが、織田軍団内では、細川幽斎・明智光秀に並ぶ数奇者で、茶・能・書画・・・文武両方に長けた武将です。さらに、信長の命であっても、非戦闘員の虐殺に手を染めず、主君池田氏を追い出した時も、討手をかけず、秀吉の軍師・黒田官兵衛も城内軟禁にとどめ、命までは取らなかった。潔しではなかったかもしれないが、その辺が僕を好きにさせています。
村重の他の書同様、信長麾下に入るまでは、勇猛で人心を集める雄の者として書かれています。信長上洛から西進の折り、2度も信長軍と戦い勝利しています。信長は、比叡山・長島一揆・越前一揆平定時、数万に及ぶ非戦闘員を虐殺しています。信長軍内に入り、軍団内の普代や与力武将の殺伐とした信長感に肌を触れ、秀吉の中国平定の副将軍格で毛利と戦った時、信長の命で友軍の尼子氏残党や山中鹿之助を上月城に捨て殺ししたのに接し、兵を本国摂津に引きました。京に隣接する畿内中心摂津と丹波が反信長になり、勇猛な村重の反旗は、信長の一大危機になった。村重の一族である高山右近・中川清秀が、信長の調略に乗らなかったら、大きく歴史は動いていたかもしれない。
勝てば官軍の非情な信長の戦略に相容れなくなったのでしょう。鉄砲や鋼鉄船など斬新な新兵器を繰り出し、破竹の勢いの織田軍団であっても、丹波・波多野氏・赤井氏、播磨・別所氏、摂津・荒木村重と、勇猛友軍の反旗が後を絶たなかったのは、一に信長の過激苛烈な性格によるところだろう。
結局、No2格の明智光秀に反旗され自刃に追いやられる。自軍の将を手厚く扱った秀吉が天下を取り、天下人になった秀吉が信長的に近しい部下を自刃に陥れたりする晩年を送ると、その子ではなくもっと恩恵な家康に天下が移った。家康は普代武将や与力を大事にし、家康軍団内からは反旗する武将は出なかった。天の配剤としか思えない流れの中、荒木村重の存在も、一気呵成に信長を天下人に上げなかった天の配剤と言えそうです。

2011/3 「松永弾正久秀」 黒部亨 PHP文庫 ★
戦国の三梟雄の1人、宇喜多直家に続いて松永久秀を読んでみました。梟雄と言われている宇喜多直家には、それほど悪役という感じを持っていませんでした。毛利と織田の東西の大勢力に挟まれた播磨・備前・備中の地、草刈り場であるにもかかわらず、戦国武将にのし上がり、一定の力を保持したまま次世代の宇喜多秀家に家督を譲ることができたしたたかさに好感も持っていました。
ちゃんとした時代小説として読み、さらに好感度が増しました。その流れで、三梟雄No1と言われている松永弾正を読んでみることにしました。こちらは直家どころではなく、陪々臣の身でありながら室町幕府現役将軍を謀殺し、奈良の東大寺大仏殿まで灰にした仏敵でもあります。
でも久秀の生涯は、波乱万丈で面白いです。出生不明ながら室町幕府管領細川家の陪臣三好家に拾われ、後に京に上り実質幕府を動かすことになる三好長慶の側近として、今日の実権を掌中にする。山城・摂津・河内・大和を縦横に暴れまわり、堺の富とも結び、我が世の春を謳歌する。
信長の大勢力が、久秀が討った幕府の再興を旗印に畿内に伸びてくると、ころっと信長の下に下る。武田信玄が上洛に動き出すと、機を逃さず信長の留守を突いて反旗を翻し、信玄病死後はまたころっと信長の下に下る。上杉謙信上洛に当たって、再び反旗を翻し、最後は信貴山城で爆死するという破天荒な生涯を送る。
支配地には、かなりの重税を課したようで、死後も人気は芳しくないが、人生を思いっきり生きた人ではあったと思う。信貴山のような摂津・河内・大和を見下ろす高い山の山上城にも関わらず、物見としてではなく権威の象徴として高い櫓を立て、信長は安土城でそれを模したとされる。また大仏殿放火を真似て、比叡山も焼いたともいう。小信長とも言える。
室町幕府の晩年期は、信長や秀吉の活躍の面から多く語られるが、その時期京・幕府を実質動かしたのが、阿波の三好であり松永久秀であるので、こちら側の視点で畿内の動きを読めたので、とても面白かった。地元北摂津勢・伊丹・池田などの動き、丹波の波多野の動きも登場し、親近感を持って読めた。

2011/3 「宇喜多直家」 黒部亨 PHP文庫 ★★
戦国の三梟雄(きょうゆう)の1人と言われる宇喜多直家を初めて読みました。温暖な瀬戸内海の律令制上国備前に生まれた直家は、幼くして城を落とされ辛い幼年期を送ります。主君浦上家に拾われ、かつての生まれ城を奪い返し、舅の城を落とし妻を自害へと。娘婿の城を落とし娘と孫を自害へ。そして主君・浦上家を滅ぼします。残してきた足跡を見る限り、まさに梟雄、謀将に他ならない。
猛将ではあるが、謀略で勢力圏を拡大して行く姿は、知略を持って正面から軍功を上げる上杉謙信とは対極にあるように思う。でも謀略は、竹中半兵衛が主家・美濃斉藤家の城を乗っ取ったのと同じ、より少ない兵力で、より兵の損失少なく戦う戦術でもある。平安後期から室町、そしてより立ち位置の潔さが求められた江戸時代武家の間に当たる16世紀の戦国時代が、こういう武将を生んだとも言えます。
和睦もしますが、中国の大勢力・毛利と幾度も戦闘し、織田の強大な戦力とも戦闘し一歩も引けを取らない直家の存在が、2大勢力の草刈り場になった播磨・備前・備中・美作の諸国で備前をひときわ浮き立たせていたように思う。
作者の描きようもあるが、一代で備前・美作を平らげ、相当な兵力を投入できる力を作った直家は、当時の諸将をもそれなりに惹きつけた人物だったのだろう。戦国時代の国盗り物語の主役ではありませんが、なかなか面白い脇役だったと好感すら覚えました。

2011/2 「兵庫の壺・異問本能寺の変」 新宮正春 新人物往来社 ★★
地元の豪勇・荒木村重の青年期以降の生涯を、「兵庫の壺」という作者創作の壺?を脇役にしながら語る小説です。平将門を破り滅ぼした下野の田原之藤太秀衡流れの荒木家ですが、丹波の波多野の姻戚だった。北摂津池田の池田氏に仕え、筆頭家老の地位を占めていた父の嫡男として生まれた。豪勇で名をはせ、父の弟が入婿した中河原の中川家の嫡男清秀(従兄弟)とともに、摂津守護代池田家の中枢を歩んだ。伊丹城の伊丹氏の家老の娘が最初の妻で、死に別れ後の2度目の妻は石山本願寺顕如の筆頭僧坊の娘、村重の母親は高槻城の高山氏の娘と、北摂津に多くの姻戚を持っていた。
上洛した織田信長が摂津を伺う時、信長方になった伊丹城の伊丹氏と茨木城の和田氏が信長の先鋒として池田城に押し出してきた。村重は信長軍とは相手せず、姻戚関係を利用して石山本願寺を通じ堺から手配した3千丁の鉄砲を伊丹・茨木軍に向け、多大な被害を与えて撃退した。さらに茨木城に押し出し、出城に構えた家臣の高山親子を囲み、和田氏を本城から誘い出し撃破した。
池田家臣の人望を集め茨木城城代になった右近を、才のない池田家当主が誅殺しようとしたが反対に破れ、とうとう池田城を追い出されてしまった。伊丹氏も退け、戦上手の村重は信長与力になった。信長に反旗し敗れた後の本能寺の変、その後の秀吉との交流など、意外とも言える面白い、でも府に落ちる展開が描かれ、なかなか面白い作品でした。
歴史の傍流村重の生き方が、かなり詳しく書かれている。地元ということもあるが、豪勇・戦争上手だけど人情に厚く、敵方でもむやみに殺さない性格に惹かれる。和田惟政を討った時も、兵力武具で圧する村重軍であったが、城を無理攻撃せず正々堂々野戦で決着し、主であった池田氏を下克上した時も誅せず追放しただけ。信長に謀反した時も、嫡男村次の正室になっていた敵方明智光秀の娘を離縁して坂本に帰している。秀吉参謀の黒田官兵衛が有岡城に説得に来た時も、同じく毛利方に寝返った官兵衛の主人からは即刻誅するように手紙を受け取っていたのに、牢に入れて生かした。これらの行為が、破れた後の天下人との親しい交流につながったのだろうと思う。反対に言えば、石山本願寺と深くかかわりのある摂津軍将兵が、本気で本願寺攻め出来ないのを受け止め、信長の反感を買い反旗せざる負えなかったように思える。
そしてこの書もそうですが、信長記以外の書に共通する猜疑心が強く、利用出来る家臣は徹底的に利用し、利用価値がないと判断すると血も涙もなく重臣さえも誅殺する信長の性格がしっかり描かれている。
権力を握るまでの秀吉、生涯に渡る家康の部下や民を大事にする姿とは大きく違う信長の性格が、次々に軍団内武将の反旗につながったと思うのが自然に感じる。今を生きる者の生き方を、過去の歴史小説から大いに学べる。そのような書です。世の中、「勝てば官軍」では素敵な生涯を送れないようです。

2011/2 「危ない夫婦の再生術」 荒木次也 リヨン社 ★★★
「NHKあさいち」のゲストに来られていた著者の言葉が、なるほどなと心に響き、本書を手に取りました。番組中に紹介されていた「二人の関係を修復させるカウンセリングシート」をきちんと見たかったというのが購入の動機ですが、現代の離婚増加、特に双方とも犯罪があったわけでもなく、不実な行為があったわけでもないのに離婚に至る経緯や原因を分かりやすく解説されており、とても参考になりました。
何故、女性からの離婚が多いか。何故、結婚5年目・子どもの手が離れた40代・定年時期に離婚が増えるか。など、僕にはよくわからなかったところが理解できました。夫が原因の場合が多く、夫は妻に子供の頃母親にしてもらっていたことを求め、妻は結婚と同時に少女から妻に代わり夫の生活面を支えている。夫婦共稼ぎが一般的になり、家庭での仕事負担に大きなアンバランスが生じたことが不仲の原因の大きな部分を占めると。
我が家は、子供が働き出し、第二の新婚時代を迎えています。よく2人で旅行などに出かけ、離婚の危機に至っていない、というより今でもラブラブな感じだと思ってるのです。ですが、本書を読むと家内にしてもらってるところの方が多く、もっと僕が家内の負担を減らさないといけないんだなあと考えるところしきりです。
本書に書かれているカウンセリングシートは、夫婦関係・自分に自信をつける・子供との関係を良くするものと、3種類です。根底に流れている考え方は同じですが、とても参考になります。これの応用は、人と人との関係全般に役立つように思います。
相手に不満をいくらぶつけても、改善するより引かれてしまう。相手を変えるのは至難の業だけど、自分は変えられる。自分が変われば、相手も変わっていく。というスタイルです。
毎日、A4に印刷されたそれぞれのカウンセリングシートを埋めていくのですが、長所や好きなことを毎日書いていくと、相手を観察するようになり、少しずつ長所や好きなことを多く気付くようになっていく。すると相手への言葉が軟らかくなり、相手からの言葉や反発・無視も減っていく。やがて会話が増え・・・という流れが一般的だそうです。
これは容易に想像できます。僕は叩かれ叱られ続けた母との関係が嫌で、おしゃべりじゃない家内と結婚しました。家内にも子供たちにも、怒ったり声を荒らげたり、まして手を上げることなどしたことがありません。悪口や強制の言葉が嫌いなので、子供の悪さに対しても、いつも「よいしょ言葉」に言い換えていました。結果、日常茶飯事だった母と僕の喧嘩が、僕と子どもたちの間には皆無でした。僕の失敗に、家内も子供たちもとても寛容で、家内の優しさの影響が大ですが、居心地のいい家庭で暮らすことが出来ました。
参考例として、改善されたケースの他に、改善に至らなかったケースでは何がネックになったかも紹介されており、著者の豊富なカウンセリング経験と誠実な人柄を偲ばせます。

以下引用
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カウンセリングの時に書いてもらう(妻が夫に期待していることのシート)には、
感謝してほしい
やさしくしてほしい
認めてほしい
感想を言ってほしい
思いやりがほしい
もっと話を聞いてほしい
もっと話し合いたい
もっとよく見てほしい
といったことがよく書かれています。妻たちの願いは、「もっと私のことを気にかけてください」ということなのです。

『二人の関係を回復させるためのカウンセリングシート』 毎日続けることで効果が出ます
「相手の長所」を書いてみましょう。(あの人はとても魅力的な人です)21個
「相手の好きなこと」を書いてみましよう。(好きなことは才能・魅力です)12個
「相手にしてもらったこと」を思い出して書いてみましよう。(してもらったことは、あなたへの愛情表現です)12個
「相手にしてもらっていること」を書いてみましょう。(してくれていることは、今のあなたへの愛情表現です)12個
「相手にしてあげたかったことで、まだしていないこと」を書いてみましよう。(愛を忘れていたのです)12個
「相手との楽しい思い出、協力してやったこと」を書いてみましよう。(これは2人の記念碑・絆です)12個
「相手とと良い関係に戻れたら一緒にやってみたいこと」を書いてみましょう。(イメージで体験しましょう)12個
カウンセラーから

『自分らしく生きるためのカウンセリングシート』 毎日続けることで効果が出ます
「私の長所」を書いてみましよう。(長所は素晴らしい才能です)21個
「私の好きなこと」を書いてみましょう。(好きなことは能力です)12個
「私の夢」を書いてみましょう。(夢は才能・能力やる気を引き出します)12個
「身近な人の長所」を書いてみましょう。(良い所を見ていると、嫌な所は気にならなくなります)12個
「今日の良かったこと」を書いてみましょう。(楽しみ・喜びは毎日発見し、気づくものです)6個
「いまの仕事、将来目指す仕事の社会的意義」を書いてみましょう。(どんな仕事でも人の力になっています)6個
「私がしてみたい、気分の良くなる行動」を書いてみましよう。(気分の良い時は幸せです)6個
カウンセラーから

『手どもの才能を発見するカウンセリングシート』 毎日続けるとすごい効果です!
「お子さんの長所」をできるだけ沢山書いて下さい。(長所は素晴らしい才能です)21個
「お子さんの好きなこと」を書いて下さい。(好きなことも才能です)12個
「お子さんの夢」を書いて下さい。(夢は能力を引き出します。できる、できないは考えずに)12個
「配偶者の長所」を書いて下さい。(または、家族の長所)12個
「今日、お子さんをどんなことでほめましたか?j(ほめることは心の栄養です)6個
「あなたがお子さんと一緒にやってみたいこと」を書いて下さい。6個
カウンセラーから

2011/2 「光秀奔る」 家村耕 文芸社 ★★
清和源氏の嫡流に近い能勢氏に興味を持ち、手にしたのが著者の「摂丹の霧」という能勢頼次を主人公にする書です。これでさらに興味が深まり、能勢氏の城跡に登ってみようとかつての能勢氏本拠地の能勢・地黄の集落をうろうろし、城跡への道を尋ねに入ったのが著者の営む酒店でした。偶然見た店頭の文章に惹かれ、店内に入るとこの本が山積みになっていました。酒店なのに不思議だなと思い「これ売ってるのですか?」と聞くと、なんと「私が書きました」との返事。のけぞるほど驚きました。
その場でサインしてもらったこの本を持ち帰り、読み始めました。読みやすく、地元の方が書かれたので、地元の地名が多く登場し、とても親しみながら読めました。こういう本が、もっともっと出版されたらいいのになと思います。
光秀が治世した亀岡や丹波では、反逆者光秀の世間のレッテルとは違い、とても評判がいいです。これは光秀の治世が領民の生活向上に大きなプラスを与えたからだろうと容易に想像できる。そのような地元の声そのままの文脈なので、心地良く読めました。作者が創り出した架空の人物ということですが、「氷上坊」なる登場人物がいます。彼が第一次丹波平定失敗から逃げ帰る時、波多野氏を滅ぼした八上城包囲、後の細川ガラシヤの幽閉時代に大きく関わり、その他の光秀に関わる事件がより身近に読むことが出来ました。
これでまた興味が湧き、同作者の「明智の娘ガラシヤ」を読もうと思いましたが、既に絶版になってるようで、残念でした。

2011/1 「風と雲と虹と」上・下 海音寺潮五郎 角川文庫 ★★★
海音寺さんの「天と地と・上杉謙信」「平将門」に続く、長編小説です。今回の主人公は、藤原純友。平将門と同時代に生き、将門の関八州制服独立に呼応するように伊予を本拠地に瀬戸内海海賊を束ねて、京都まで半日の淀川尻まで攻め上った風雲児です。あと1日将門が生き延びていれば、無防備だった平安京都朝廷は純友の前に崩壊していただろう。
そうなっていれば、機能不全を起こしていた公家貴族政治から、源頼朝が鎌倉幕府を立ち上げる250年前に、武家が支配する国家が誕生していただろう。将門は無類の最強武将であったが、頼朝のような優秀な官僚的ブレーンがいなかったから滅びたが、純友は京都旧政府にも顔が利く、大きく全国を見る視点がある官僚的要素も兼ね備えた武将。
もしこの革命が成就していれば、武家の本場関東で勢力があった平家がもっと太く勢力を張ったかもしれない。負け戦だったのに、偶然流れ矢で将門が命を落としたことで勝利を拾った将門の従兄弟・平貞盛の子孫に清盛が出たのも面白い。でもその時関東は源氏の勢力範囲。勇剛な関東武士を率いた源氏に、清盛の死で奈落の底に落ちるように平氏は追いやられた。
今年の僕のバイク旅は、藤原純友が活躍した四国方面、遠いけど出来れば伊予をターゲットにしてみたい。


「何があっても大丈夫」 櫻井よしこ ★
女性ニュースキャスター第一号の方ではないだろうか?好きでよく見ていました。はぎれよく、ご自身の意見も少し入れながらのニュース報道には、好感が持てました。今でこそ、ニュース番組アンカーウーマンが数人おられますが、最初はいろんなところで苦労なさったのだろうと思う。
この本は、櫻井さんの自叙伝です。ベトナムで生まれ、父親の海外での商売、敗戦によ全てを失っての引き上げ。父親は、仕事で東京に出て行き、やがてハワイでレストラン経営。ご自身のことも含めて、かなり波乱万丈の生活をしてこられたが、それが故に個としての強さを身につけられた。
キャスター当時、そして今に続く、櫻井さんの強さを育てた土壌がわかりました。回り道することこそ人生が面白く、得るものが多いということがわかります。苦しい生活をどう感じるかで人生が全く違うものになることを知りました。その時の支えは、お金でも地位でもなく、「何があっても大丈夫」という櫻井さんの母親のいつも発しつづけている言葉にあるのだなあと思いました。
本当に言葉というものは、強い力を持っています。

「人生は最高の宝物」 マーク・フィッシャー ★

「こころのチキンスープ」 ジャック・キャンフィールド ダイヤモンド社 ★★★
このシリーズで多数の本が出ています。このシリーズは、講演家の著者が、全米各地で出会った市井の人のこころ温まるノンフィクションを集めたものです。人は誰でも1つは、そのような体験を持っているものです。あなたにもそして私にも。だからいくらでも本のネタは尽きないと思いますが、1人の貴重な温かい出来事を披露することで、多くの方の心に火を灯し、そして次の体験が出てくるし、そのように人に接するようになります。
随分前に、小さな少年が始めた親切運動が大きなうねりになった映画がありましたが、あれに似ているとも言えます。はっきり言って泣きます。感じる場所は様々でしょうが、誰でも心打つ物語にこの本で出会うでしょう。決して電車で読まないで下さい。私は涙の処理で難儀してしまいました。静かな所で1人でじっくり、感動を噛みしめてください。

「それでもなお人を愛しなさい」 ケント・M・キース 早川書房 ★★★
逆説の十箇条で有名ですが、その内容については、私の好きな言葉のページに載せています。ドロシー・ロー・ノルトさんの言葉は、親が子育てをする指針になりますが、この十箇条は、人との関係の指針でしょうか。
著者は、夏休みのキャンプリーダーをします。その時作って話したことが、キャンプに参加した子達に感動を与えますが、キャンプの目的とは少し違ったようで、惜しまれながらキャンプを去ることになってしまいます。時は経ち、友人からいい言葉があるよ。君にはきっとうまく理解できるはずだと、紹介されたのが、なんとあの時の自分の言葉でした。劇的な過去との出会いを機に、本になったのがこの本です。
ドロシーさんの「子は親の鏡」と同じような運命をたどった、「人生の意味を見つけるための逆説の十箇条」。生き方、人との接し方の根源に迫る本です。

「天才たちの共通項」 小林正観 宝来社 ★★★
この本は、下のドロシーローノルトさんの言葉に出会ってから読んだ本です。この順番が逆になると、また違った印象になったと思いますが、こういう順番であったことは、私にとって幸運でした。
小林正観さんは、本職は旅行作家なのかもしれませんが、素敵な言葉、素敵な人当たりをなさる方です。生き方・人との接し方についての小規模の講演会をよくしておられ、この本の読後、200人ほどの講演会に参加したことがあります。どても感動する内容でした。
私は、長男に生まれ、親からの期待を一身に受けて育てられましたが、関東出身の親の言葉がきついからでしょうか、いつも反発ばかりしていました。「もっと早く一人前になるように」「もっと立派な独り立ちするひとになるように」と、きつい場面に放り込まれました。甘えん坊の私には荷が重く、できない私を叱る親が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
保育園で、蛇事件がありました。西宮の保育園に4歳から電車とバスを乗り継いで1人で通いました。保育園の方針で、最終バス停で親子が離れなければなりません。園に向かって歩き出したら、大きな蛇が階段にいて、怖くて泣いてしまいました。母親は、「行きなさい、怖くないから・・・」と下から見ているばかりで、どうしても蛇を避けていけません。そんな時、その様子を階段の上から見ていた女の子が下りてきて、私の手を引っ張ってくれました。それでやっと園に行くことが出来ました。
その事はもう忘れているのかもしれませんが、今でも彼女とは保育園の同窓会で交流があります。私の初恋ですが、素敵な女性になられ、お金持ちの家に嫁ぎ、3人のお子さんを立派に育てられ、ご自身も代表取締役として会社を経営しています。次男と同じ中高の1年下にお子さんが通われ、不思議な縁を感じます。
大学生の時に家内と出会い、「大丈夫よ、何とかなるからさ」という大きな言葉と、いつもニコニコしているところに惹かれ、1ヵ月後には彼女の家にお邪魔しました。彼女の母親は、うちの母親同様学のある方でしたが、一度も親に叱られたことがないと家内が言うほど、怒らなくて温和な方でした。こんな家庭に育った家内なら間違いないと思い、すぐに一生一緒に暮らしていくことにしました。
うちの子達は、家内に叱られたことはないでしょう。私も経験から、叱っても反発されるだけで何も得るものがないと知っていましたので、ほとんど叱ったことがありません。こんな育て方でいいのかと迷いましたが、叱られる辛さを思うと、どうしても子供を叱れませんでした。
「本当にこれでいいのか?」の答え捜しでこの手の本は、どれだけ読んだか分かりません。とうとう、世界中の方に支持されているドロシーさんの言葉に出会い、そして小林正観さんに出会いました。この本は、私の中では、ドロシーさんの言葉の実践編ともいえる位置付けです。叱るのではなくて、子供を信じる温かい言葉で育てられた内外の偉人について書いてあります。いろんな文献を調べたのでしょうが、エジソンから手塚治虫までの、幼年期・少年期の親、特に母親との関係を詳しく書かれています。

「子供が育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト PHP文庫 ★★★
あまりに有名なこの言葉「子は親の鏡」、というかこの詩は、2005年皇太子妃さんの病気回復の記者会見で、披露された。皇太子妃さんの、「公務出来ない病」は、外交官の父を持ち、自身も外務省勤務していた延長で、より大きな意義のある仕事が出来ると思っていたが、皇室の仕来たりにスポイルされた結果なってしまったと私は考えている。
皇太子さんが、記者会見で異例とも言える詩の朗読をなさった背景には、この詩にどれだけ皇太子妃が助けられ、勇気をもらったかを伝えたかったのでしょう。多くの制限のある中で、精一杯の反発に見え、皇太子妃を守ろうとしていると感じました。
このドロシーさんの言葉は、随分前に発表されたものですが、子育ての真実、子育ての指標が書かれており、私の子供と接する時のバイブルになっています。この言葉は、ドロシーさんの手から離れ、アメリカ初め、ヨーロッパ、そしてアジアにも広がり、本人の知らない間に一人歩きしました。一人歩きしている自分の言葉に出会って、著書としてきちんとしたものになりました。
皇太子さんや皇太子妃さんは、北欧の国の教科書に載っていたこの詩を、披露なさいました。たとえ1次限でもこの詩に出会う機会を小学生の時に持てる子達は幸せだなあと思いました。それだけ値打ちのあるものです。
その内容のエッセンス部分は、好きな言葉のページに載せています。

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