Books 2009
Books 兵庫県セーリング連盟ジュニア

2009/12 「風の中のマリア」 百田尚樹 ★
百田さんの最新作です。当然購入。「大人も子供も、男も女も、みんながオオスズメバチに夢中になった」という宣伝文句を見て、「みなしごハッチ」や「みつばちマーヤ」のように、擬人化されたハチが風の中を飛んで大冒険する物語かなと思いました。
この本の内容は、そういう「お涙頂戴物」とは大きく違いました。オオスズメバチの働きバチマリアの生涯を、解明されているその生態に忠実に従って書かれた物でした。
バイクを買ってから細い山道を走ったり歩いたりするようになり、スズメバチに遭遇する機会が増えました。子供の頃、何度もアシナガバチに刺されたことがあり、自分なりにどうしたら怒らせるかを知ってるつもりでした。でも、なぜ秋になるとスズメバチが怖い季節になるのか漠然とした疑問がありました。
その僕の疑問に的確に答えてくれるものでした。難しい言葉で無味乾燥として書かれた学術物とは大きく違い、マリアの行動やその言葉、マリアに対する言葉を通して、正確なオオスズメバチの姿を伝える物でした。この本を読めば、ハチの本当の姿を容易に頭に入れることが出来ます。オオスズメバチの餌になるような虫は、マリアから攻撃されないような防御をしてから語り、餌にならない虫は堂々とマリアに語ります。小説の面白さに学術論文の正確さを載せたような作品でした。

2009/12 「1985年の奇跡」 五十嵐貴久 ★
高校野球部が甲子園出場を目指す高校野球物です。よくあるパターンと思いきや、この作品はちょっと趣が違いました。まずプロローグ、いきなり部員同士の口喧嘩のシーンから始まります。熱血主人公がやる気の無い部員に喝を入れているのではなく、なんとおニャン子クラブの誰が可愛いかをむを巡っての口論でした。主人公のキャプテン「オカ」を含めてやる気が無い野球部でした。
そんなクラブに、超高校級のピッチャーがやってきて、さらに部員をやる気満々にする女子マネージャーまで来てしまう。その後どうなって行くかは、想像の範囲なのだが、途中に一捻り・ふた捻りを経て、実にゆるく楽しく軽妙に物語が展開されて行く。それが実に心地いいです。そしてクライマックスに向かう手前で、予想外の感動が読者の僕を待っていた。「セーラー服を脱がさないで、今はダメよ我慢なさって・・・」というおニャン子クラブのデビュー曲の中で、僕が感動の涙を流しているなんて・・・。
とても素敵な作品でした。

2009/11 「聖夜の贈り物」 百田尚樹 ★★★
クリスマスイブに5人の女性に起きた心温まる出来事を、オムニバス方式にまとめた5短編作品です。現代日本人作家の中で唯一、作品内容など気にせず買ってしまう作家です。デビュー作「永遠のゼロ」で大きな感動に浸り、後続の作品でも実に上手に僕の心に響かせてくる。
百田さんの他作品同様、悪い人は出てきません。だから心をかきむしる通快感はありません。でも、「優しさ故、黙ってる」「世渡り下手故、隅にいる」そんな市井の人々が、ちょっとした日常から予想もしない変化に出会い、素敵な世界に足を踏み入れていく。そんな作品です。小説の中なので、ある程度次の展開が予想出来たりしますが、それでもなお主人公の幸せを素直に喜ぶ涙を誘います。
何かに挫折し落ち込んだとき、そのことを深く考えるのではなく、こういう作品を読む方がよっぽど明日に笑顔に繋がるように思います。

2009/10 「天と地と」上・中・下 海音寺潮五郎 ★★★
久しぶりの「天と地と」です。中学生の頃、NHKの大河ドラマで「天と地と」が放映されていました。多分僕は全部見たように思う。それだけ楽しみにし、惹かれた作品でした。もちろん主人公の「上杉謙信」の生き方に惹かれたのです。「利」より「義」を重んじ、「義」で戦えるために治める越後の庶民の生活を豊かにするために努力する。実にカッコいい生き方で、僕もこう生きたいと思った。
本好きの僕は、当然のようにこの本を手に取った。そしてもっと深く謙信を知り、ますます好きになった。以来、好きな戦国武将No1の座を圧倒的な差で保っている。ちなみに2番は明智光秀で、どうも好きになれない織田信長を打ち破ったから。中世から近世に移る過程で、旧秩序の大きな勢力を保っていた寺社と対決する運命にあったのかもしれないが、自分に従わない者にたいする過酷なまでの殲滅で対応する信長にはどうも。絶対服従・信賞必罰のドライな組織を作り上げ、利にさといが、義・縁・恩・・・などをあまりに遠ざけるのがどうも。
謙信の好敵手だった武田信玄も好きです。戦上手は謙信の方だったようだし、領土拡張に熱心で度々信濃を攻略したが、彼の「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵」という生き方に惹かれる。信賞必罰を徹底し過去の功績にも重きを置かない信長が、元家臣から何度も寝返られたのと大きく違い、家臣団の団結でいえば最も強かったように思う。徳川家康も対外的には「狸親父」宜しく、魑魅魍魎のなせる業を駆使したが、家臣には厚く対応し、信玄同様強固な家臣団を作り上げ、ついに天下を取ったのが、人を惹きつける生き方を示しているように思う。
さて、最初に読んでから30年以上経って、今年の大河ドラマ「天地人」が始まった。謙信の後を継いだ上杉景勝の腹心直江兼続の生涯を描いたものだが、謙信の「義」が直江を通して、後の上杉治世地会津・米沢にも伝わり、幕末でも「義」を貫く土台を作ったようだ。
このドラマを見ながら、もう一度「天と地と」を読もうと思ったわけです。上中下3巻という大作で、ドラマのような大きな盛り上がりを強いて作っているわけもないのに、引き込まれていきます。著者の筆力故なんでしょうが、さすが大家の作品です。

2009/9 「きみと選ぶ道」 ニコラス・スパークス ★★
新聞だったか、どこかの本の書評欄だったか、ふとこの本が目に付いた。毎年1冊のペースで新作を出しているスパークスさんの本。ゆっくりした流れと、フロリダの北の大西洋岸ノースカロライナのゆっかりした風景が絵で見えるような文章に惹かれて、楽しみに待っている。最近、ちょっと新作ペースが早まっているのか?年に1.5冊ペースになってるのかな?
父親の獣医師病院を継いだトラヴィスは、木々に囲まれた海岸の家に1人で住んでいる。舞台はいつものようにノースカロライナ。3人の子供時代からの悪がき友達がいて、週末になると彼らは家族を伴ってやってくる。彼らの関心ごとは、トラヴィスの結婚。彼だけが1人身だからどうしてもそうなる。真面目な職業を持ち、落ち着いた生活をし、おまけにカッコいいスポーツマンといいこと尽くめなのに・・・。でも当の本人は、いい人が現れたらというスタンスで何処吹く風。
そんなトラヴィスの家のお隣にギャビーが引っ越してきた。小児科の医師で、忙しい毎日を過ごし、ゆったりしようとする週末の夜、お隣の騒がしさにうんざりしている。そこにきて飼ってるワンちゃんのお腹が大きくなり元気がない。「きっと妊娠したに違いない。お相手はきっとお隣のはしこいオス犬。今日こそは文句を言ってやろうと日曜日の朝、庭伝いにトラヴィスの家にやってきた。冷静に話そうと思っていた矢先、つまづいて醜態をさらけ出してしまう。恥ずかしさも加わって、しゃべってそれを隠そうと一方的にしゃべりだす。トラヴィスはそんな彼女がおかしくてならない。そしてギャビーのワンちゃんの様子を見て、「妊娠じゃないかもしれないよ。医者に診せた方がいいんじゃないかな」と答える。冷静さを失っていると自分でも分かってるギャビーは、トラヴィスの余裕のある対応に自分が惨めに感じ、捨て台詞をはいて退散する。
冷静に考えればトラヴィスの言うとおり。早速最寄の獣医さんにワンちゃんを連れて行くと・・・そこにはトラヴィスが・・・「何故、あなたがここにいるの?」。ギャビーが気になって、そして気に入っていたトラヴィスは、ワンちゃんの感染処置をして、週末の集まりにギャビーを誘う。ギャビーには、決まったBFさんがいたけど、お隣との交流だし、前日の失礼のお詫びもあるし・・・と誘いに乗ることにした。
この集まりが温かく、トラヴィスの船でパラセイルの初体験などもして、トラヴィスに惹かれて行く自分に気づく。BFさんとのお出かけの時は、ワンちゃんの世話もしてくれるお隣さん。やがて・・・
いいんだよなあ、スパークス作品のこの展開。

2009/8 「BOX!」 百田尚樹 ★★★
百田さんの名前は、随分前から知っています。朝日放送のラジオ番組の放送作家をしていて、出演者から何度も「おもろいヤツ」として電波に乗っていました。それから「探偵ナイトスクープ」を手がけ、今も放送作家をやってるのかどうか知らないけど、この人の本は素晴らしいです。
「まさか売れるとは思わなかった」出版社の見込み違いで、初版本が売り切れになった「永遠のゼロ」を読んで、「あのお笑い百田さんが・・・」と驚きました。僕の評価では文句なしの満点★3つでした。
「次の本が出ないかなあ?」と思いながらも、星の数ほど出版される本なんて出会いだから特に探しもしませんでしたが、僕の網にまた引っかかりました。引っかかった瞬間に御用達のお店に注文した本です。
「BOX」・・・箱?・・・なんおこっちゃ?と思っていたのですが、高校ボクシングの本です。最近のボクシングの試合では、レフェリーは「ファイト」と言うんじゃなくて「ボックス」と声を掛けるそうです。
進学校の劣等性クラスに入学した鏑矢。幼稚園からの幼馴染で、鏑矢の強さに憧れている優等生の木樽。ひょんなことから彼らボクシング部の副顧問になった耀子。この3人を中心に物語は進みます。好敵手の稲村・・・数々の挫折を乗り越え成長し、僕にはどうにも野蛮にしか見えないボクシングというスポーツにかける真剣さが伝わってきます。
本の帯に「映画化決定」となってるので、映画になるのでしょう。僕は観にいくことはないでしょうが、すさまじい青春物になるような予感がします。「ヒーローズ」という高校野球の映画が今年ヒットしましたが、あのような典型的な悪がきは登場せずとも、もっと上質で現実的でしかも感動を呼ぶ物語になっています。今年NO1の本でした。
おっと映画配役の予想ですが、ボクシング部の顧問は赤井秀和でしょう。僕らの年代のなにわボクサーヒーローといえば彼を置いて他にいません。

2009/7 「本能寺の変 427年目の真実」 明智憲三郎 ★★
「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」の織田信長。豊臣秀吉、徳川家康との3人は、何かと比べられる戦国時代の英雄ですが、僕は3人ともそれほど好きではない。武将で最も好きなのは上杉謙信、次いで明智光秀、浅井長政。理念ナシに策略を巡らし領土拡張に走ったところが今一好きになれないところだけど、優秀な部下を育て人望が厚かった武田信玄は凄い人だと思うし、ヒーローといえば真田幸村。真田昌幸・信之・幸村親子の物語は面白いです。それに加え、地元の摂津・北摂丹波・丹後の武将をからめたところが、私の中の中世戦国の絵図のようです。ちょっと時代が遡るけど、足利尊氏の負けても負けても再起する不屈の精神と、人に慕われていたであろうところも好きかな。
長く主殺し逆賊扱いされてきた光秀ですが、地元にはとても愛されていたようです。その戦いぶりは、敵戦闘員やそれに協力する者に的を絞り、むやみに根絶やしにしないのも好印象だし、なんと言っても「勝てば官軍」的に、人の心を踏みにじりながら踏み潰していく信長を倒したところが僕に中でヒーローです。
最終的に天下を取った家康家臣からあまり反逆者が出ていないのに、盟友といえる浅井長政、信長軍団の中核松永久秀、荒木村重、友軍だった播磨の別所、丹波の波多野と、次々に内部から反逆者を出した信長は、客観的に見て慕われる大将ではなかったようです。全て失敗に終わった反逆ですが、とうとう信長軍団のNO2だった光秀によって成し遂げられます。
逆賊光秀ですが、子を含め子孫は、同世代を生きた後の秀吉や家康に寛大な措置を取られ、というよりむしろ褒美と思われる処遇を得た。この事実は、「何を言わんや」です。後の為政者が自身やその子孫の反映のために作る歴史書の建前と本音が見え隠れしているように思われてなりません。
著者は明智氏の子孫です。子孫なるが故に割り引く必要があるのかもしれませんが、家系の名誉のために既存の資料を丁寧に素直に読み解き、近年高まっている逆賊光秀の再評価に一考を投じています。
僕は、「主君光秀の首を見つかりやすいように残しておく不自然さ」から、秀吉の残党狩りから落ち延びたと思う方が自然だと思い、「天海和尚となって家康の片腕になった説」は、眉唾だと思いながらも痛快だなあと愉快に受け止めているのですが、著者は討ち取られた説を取っている素直さがあります。面白い本でした。

2009/7 「奇跡の脳」 ジル・ボルト・テイラー 新潮社 ★★★
「2008年度世界に影響を与えた100人」に選ばれたテイラーさんの著書です。著
者は、ハーバードの脳科学者でしたが、30代の若さで脳出血により生死の間をさ
まよいました。脳科学の最先端の記憶はもとより数字の概念すら分からなくなり、
話すことも手足も動かすこともできなくなりました。しかし、その母親は回復へ
の希望を失わず、もう一度彼女を赤ちゃんとして育てなおしました。結果、奇跡
の回復をとげ、講演会をこなし本を著すまでになりました。
今まで医学的に不可能とされていた自分自身の脅威の回復を伝えることによって、
脳の素晴らしさと共に同じ病気で苦しむ家族の希望になろうとしたのだと思いま
す。
この本は、NHKのTVで彼女を紹介されていたのを見て知ったのですが、この本の
内容を読むと、とてもユニークな行動が良く出てきます。TVと本で知った一番す
ごいと思ったことは、急な知らせを聞いて駆けつけた母親が、すっかり変わって
しまった無表情のわが子を見て、すぐに同じベッドに入り、生まれたばかりのわ
が子を慈しむように添い寝を始めたことです。この事実1つだけでもこの本の内
容は想像できると思います。
僕は本を読む時、気になったところがあるとそのページを折るのですが、読み終
わって数えたところ、11ヶ所もありました。5ヶ所あれば相当多い方なので、今
まで読んだ本の中でも最高に多い部類です。

2009/6 「身近になるロボット」 白井良明・浅田稔 大阪大学出版会
ロボット工学やロボット技術は日本が世界をリードしている分野のようです。そ
の日本のロボットの最先端研究センターが大阪大学の著者が属する研究室を中心
としたグループです。
2001年出版ですので、日々進化する最先端分野なので、今となっては少し古い内
容になるのかもしれません。しかし、当時の大阪大学出版局が大学内の各分野の
最先端研究者が平易に書いた論文を出版したのは素晴らしいと思います。大学研
究の入口にいる学部生の教科書になっていたのかもしれません。
自己学習型ロボットの中枢技術人工知能への興味から購入した本ですが、前述の
ようにたった8年間で、素人の僕でさえ、少し陳腐化した内容になっていました。
最近の脳研究と結びついたロボット分野の書籍が多数出版される状況なので、そ
れを読んでる僕の頭の中の方が、この書籍の内容より進んでいるのかもしれませ
ん。
しかしながら、過去からのロボット研究の進化のアウトラインや、その進化に大
いに役立った若手研究者をこの分野に誘い込んだロボコン競技の発想など、興味
深い内容でした。
ロボコンの先駆けになった同大学が主催するロボコンサッカーのユニークさと、
世界的に広がっているその熱が、伝わってきます。「2050年までにヒューマノイ
ド型ロボットで、ワールドカップサッカー優勝チームに勝つ」という壮大なプラ
ンが実に楽しい。
本を読みながら、研究室のワクワクさが伝わってきました。

2009/5 「真田十勇士」巻の一〜五 笹沢左保 ★
徳川家康の豊臣家滅亡を狙った大坂冬の陣・夏の陣。豊臣恩顧の武将まで、ほぼ全てが徳川方に回った勝ち目のない大坂城入りして徳川の巨大勢力相手に戦い、散っていった真田幸村。
戦後、徳川方にも幸村主従の勇敢な戦いを称える武将がたくさん出た。幸村の遺児の娘達は、反逆の臣の子とは思えないほど引く手あまたであった。江戸時代になっても、無理難題・手練手管を使って豊臣家を滅ぼした家康を嫌う民が多く、真田の戦いやその家来達の勇敢さを称える庶民の芝居娯楽から創作されたといわれる「真田十勇士」。
日本人の判官びいきの心にも乗って、現代にも脈々と伝えられている。十勇士の多くには、大坂の役で散っていったモデルになる真田配下の将がいるようですが、真実と虚実がうまく絡み合い、史実ともうまくマッチしている。
文庫本で5巻という長さですが、実に面白いので一気に読めてしまいます。こうして面白く読むと、史実がより楽に頭に入ってくるように思います。大昔、NHKの人形劇として楽しみに見ていた「真田十勇士」をあらためて読んでとてもよかった。

2009/4 「智将真田幸村」 阿見宏介 PHP文庫 ★
父昌幸、長男信之、そして弟幸村、この時代の真田はとても魅力的です。武田の家臣だった昌幸、信玄が最も信頼を寄せた作戦家だったそうだ。武田が滅び、上田の領にあって近隣の徳川・上杉の大勢力、さらに天下人豊臣との間を巧に信条を貫きながらた生き抜いていく。
長男信之は家康与力となり、父と弟幸村は豊臣与力として、天下分け目関が原を戦う。幸村・信之ともに、秀吉・家康の信を得、家督を継ぐ信之は、家康側近の本多忠勝の養女を妻にする。私の次男忠成(ただまさ)の名前の由来でもある忠勝嫡男姫路城主忠政と義兄弟である。
昌幸嫡男信之は家系の存続に生き、幸村は知将昌幸の血を継ぎ、思う存分武門として戦って散っていった。小大名ゆえ、力技ではない裏工作、忍者を多用した情報戦、謀略戦に長け、歴史から痕跡が消えた大阪冬の陣で本当に亡くなったのか謎の多い武将でもあります。他武将以上に影武者を使っていたようです。
武田の赤備え→真田の赤備え、として美的にも魅力的な武将です。

2009/3 「男の一生」 遠藤周作 講談社 ★
川並衆と呼ばれる木曽川周辺に住んで、川とともに生きていた野武士達がいました。平時は、それぞれの家族や親族の協力によって、海運・漁業・農業などで生計を立て、有事には結束して集落を守る。武将同士の決戦があれば、与力として一方に味方し、報酬を得るという何処の地方にもあった豪族集団。
この川並衆に脚光を当てたのが、羽柴秀吉。一介の足軽から才覚で小部隊を率いることになったが、所詮は農民の出なので、有能な部下がいるわけでもない。主人の信長と美濃の斉藤龍興との争いで、木曽川の墨俣に一夜にして砦を作り上げ、これをきっかけに斉藤龍興に勝利した。
その時秀吉が与力を頼んだのが、川並衆。墨俣という川中の立地での作戦ゆえ、このとき、それ以降の川並衆の働きがなければ、秀吉を天下人にまで押し上げることはなかっただろう。もう一つ言えば、初期信長の軍資金を工面してタニマチをしていたのが、信長が愛した吉乃の父親で彼も川並衆であった。
この川並衆の頭領が、蜂須賀小六であり、前野衆を率いていた前野将右衛門でした。この前野将右衛門の生涯を描いたのがこの作品です。
好きな下りを引用します。
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「連れ出せ」と、市助は足軽に命じた。
足軽は容赦なく縄を引きお栄は前によろめいた。
「手荒なこと、もう致すな」と、半兵衛が足軽を制し、「一柳殿、あとは前野殿に任せよう」と言ってくれた。
寺の築地の蔭にお栄を坐らせた。坐る時、彼女はかすかに坤き声をあげた。一柳市助の容赦ない責めに体を痛めたのであろう。
松明をもってついてきた足軽たちに、「うしろで待っておれ」と命じた。そして二人だけになると、「みどもにほ、まだようわからぬ。お栄殿。なぜ都から逃げずに留まった。坐して囚われるのをなぜ待った」
「これが前世から定められたわたくしの生涯でござりましょう。戦国に生れた我らにはそれぞれの業があり、それぞれの行末がございます。わたくしが将右衛門さまにお会いして、こうなりましたのも前世に定められたことと思うております」
「親御、兄弟はおられぬのか」
「親は赤井忠右衛門と申し、斉藤道三さまの家臣でございましたが、高野に登って亡君、道三の菩提を弔い先年、亡くなりました。兄弟は姉川の戦いにて朝倉方に馳せ参じ、討死にいたしました。今はお栄一人にございます」
「何か望みほないか」
「この上は早う早う、親兄弟のおります浄土に参りとう存じます。望みはただひとつ、将右衛門さまにその兼元にて斬って頂くこと」
やつれた彼女の顔に月の光があたり、青白い。
(吉乃さまに似ている)
この瞬間将右衛門は痛切にそれを感じた。彼がせめてもの薬になると思い伊木山の山芋や古川の泥鱒を運んだ時の吉乃、このようにやつれていた吉乃。彼の人生に岐路を与えてくれたお方、あのお方が月の光をあぴて合掌し坐っておられる・・・
将右衛門は言った。
「眼かくしを致そうか」
「いりませぬ」とお栄は髪を上にあげ、首をさしのぺ、
「その兼元の刀はわが父の腰に差していた物でございます」
大上段に将右衛門は刀をふりかぶり、腰に力をためた。お栄に苦痛を与えぬため一太刀で首をはねる瞬間がきた。
「好きにございました」と突然、お栄は叫んだ。「この末世にも将右衛門さまのごとく人を疑わぬお方がおられました」
月光に自刃がきらめいた瞬間、吉乃とお栄の二つの姿が将右衛門の眼に重なった。
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単純な性格の将右衛門は、兄と慕う小六とともに秀吉に仕える道を選び、秀吉の破竹の出世をサポートする。やがて出石城を預る主にまで出世するが、乱世が終わり武勇の将より、管理事務方の能力が必要な世になり、小六も亡くなり秀吉側近でなくなっていく。
そして子のない秀吉の養子となり関白職を継ぎ、次の天下人を約束されていた関白秀次の側近であった息子が、秀次謀反の連座の罪を背負い秀吉から自刃を強いられる。これにより、将右衛門も絶望のうちに自ら生涯を閉じる。過ぎ去りし昔を懐かしみながら・・・
秀吉とともに戦国の世を命をかけて生き抜いていた頃は、主従関係もないざっくばらんな秀吉を頭に、和気藹々と結束の硬かった秀吉部隊だった。生死を共にしてきた武勇側近を、晩年の秀吉は1人1人武勇があるがゆえ、自分の子の時代になった時の謀反を恐れ切って行った。人の心の機微に長けた秀吉が、信長のように情け容赦のない自分本位な性格に変わっていく。
晩年の秀吉によって、切り捨てられた武勇の将がそのまま残っていれば、その後の徳川家康との戦の展開も変わっていたと思われる。利で豊臣とつながっていなかったそれらの将は、利は徳川にあったとしても「大阪冬・夏の陣」に豊臣側として戦ったように思う。
反対に策略家・謀略家であった家康であったが、家臣、特に側近のミスを晩年の秀吉ほど苛烈に責めなかった。それがあれだけの大勢力を惹きつけた所以なのかもしれない。
武勇に秀でていた信長が側近の謀反に倒れ、秀吉も晩年の武勇側近への猜疑心で家を滅ぼしてしまった。つくづく、最後は技術ではなく心だなあと思う。

2009/3 「人生に生かす易経」 竹村亜希子 致知出版社 ★★
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の易の本です。ただ当てずっぽうではなく、四季の移り変わりや自然の変化・事象に基づき、「こういう時にはこういう事が起きやすい」という自然と調和しないと生きていけなかった時代の人の「観天望気」的な生きる知恵を、体系立てて後世に伝えた書です。孔子・孟子の時代より遡る最も古い中国の古典です。中国の古典「四書・五経」の筆頭の書で、孔子の時代においても古典であり、これを元に孔子は「儒教」を体系立てました。
自然の移り変わりを、人の一生に当てはめて、幼少の頃、青年、成人、壮年、老年のその一時期の生き方や考え方、行動の仕方の規範を伝えてもいます。それを潜龍・昇龍・飛龍など龍に例えて書かれているのがとても面白いです。
漢詩を筆頭にエリート武士の必須科目だった難しい書を本屋さんや図書館で手に取ったことはありましたが、何が書かれているのか皆目分からず敬遠していましたが、この本はとても分かりやすく書かれているので、親しみさえ覚えます。

2009/2 「草原の椅子」上・下 宮本輝 ★
大手カメラメーカーに勤める50男トーマ、その友人カメラ店を営む50男トガシは、がむしゃらに生きてきた若さの時代を過ぎ、これからの人生への不安を胸に秘めていた。そこに、トーマの趣味陶器のお店を切り盛りするトーマの憧れの君40美女貴志子、そして母親の虐待から成長も遅れ、子供らしい無邪気さを失ってしまった縁もゆかりもない5才の少年圭輔が現れる。
やがて圭輔のリハビリを中心に、トーマの回りが動き出し、この4人で中国領からチベット高原を経てパキスタン内にある理想郷フンザに向かう旅が始まる。
作家の宮本さんは市内に住む方ですが、阪神淡路大震災で家を失い、半年後にシルクロードの旅に出たそうです。そこでの経験から浮かんだ小説なのでしょう、震災から4年後に発表されました。
宮本さんの小説らしく、ごくありふれた日常から、ほんの少しの決断で動き出す新しい世界が描かれています。多大な震災被害を受けた同胞として感じた、世の中の、日本という国の、プラス面とマイナス面がトーマとトガシの心に流れており、共感するところがたくさんありました。心の中に巣食ってしまったマイナス面を開放する旅がフンザだったのだなあと思いました。トガシの言葉を一部引用しておきます。
『「なあ、この国をつかさどうてる連中は、なんで、国民のためになることをやってやろうと、ほんのちょっとでも考えへんのやろ。こうしたら、国民が喜ぶんやないか。ああしたら、経済的な事情で学校を辞めなあかん青年が学校に行けるんやないか、こうしたら、アルツハイマーにかかった年寄りの余生を見てやれるんやないかっちゅうことに、なんで知恵を絞らへんのやろ。俺はそれが不思議でしょうがないんや。そのために使う金なんて、たかが知れてるやないか。なあ、なんでや。なんで、そんな人間が、この国の中枢におらんのや?」』

2009/2 「ロボット未来世紀 NHK知るを楽しむこの人この世界 浅田稔 ★★
NHK教育TV番組のテキストブックです。現在でもいろんな分野でロボットは活躍しています。特に産業分野では、品質の安定した製品を生み出すために、ある作業に特化したロボットなしでは、成り立たなくなっています。でもこういうロボットは、私のロボットのイメージとは少し違っています。私の中のロボットは鉄腕アトム。自分で考え学習し、判断し行動するロボットです。現在のような、キーボードから人の命令を受け、それを忠実に再現するのとは違います。最近二足歩行ロボットが登場し、アトムに近づいていますが、その制御は人の手によっていることは同じです。
この世界に、新しいロボットが登場しようとしています。自己学習型PC脳を持ったアトム型ロボットです。自己学習脳の理想は人の脳で、脳科学の研究とロボット開発の融合が成果を生み出しています。その研究の世界のトップランナーが大阪大学教授の浅田稔さんで、2ヶ月に渡りTVで、素人にも分かりやすくロボット研究の最先端を教えてくれました。
この番組の中の「身体が脳を作る」というところに、うなってしまいました。胎児のように動く手足と感覚器を持った人をPC内に作り、胎児がお母さんのお腹の中にいる時と同じように、狭い空間に入れておくと、空間の周りにぶつかった手足を脳が感じることから、手足を自分の一部と認識していきます。
今度はその人工胎児を、出産後のように広い区間に出すと、バラバラに動かしていた手足が、段々調和する動きにになり、やがて寝返りがうてるようになりました。人から何も命令されていないのに、ただ動く手足を持たせただけなのに、自分で学習して自分の手足を自己制御できるようになるのです。
僕の子育ての持論、「子供は自分で自分を成長させていく。親が”子供のためを思って”を合い言葉に親の理想像を子供で実現しようと、ある部分は制限し、別の部分には命令するのは、返って子供にはマイナス」に合致してると思いました。
もっと深く知ろうと、この本や別の自己学習ロボットの本を買いました。このNHKテキストは、難しい研究をやさしく広く教えてくれます。

2009/2 「次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?」 柴崎友香 河出文庫
2編の短編が収められている。「次の町まで・・・」は、ディズニーランドに向かう友人カップルの車に、強引に同乗する2名の男子、この4人の道中、特に車内会話から繰り広げられる世界が描かれている。全員学生という、この年代とは切っても切り離せないそれぞれの男女の葛藤が巧妙に描かれている。恩田陸さんの「夜のピクニック」に似ていると思いました。目的地というよりその道中での会話から、登場人物のそれまでの人生や性格、人との交わりが段々明らかになっていき、たった1日や数日の間の心の動きが語られ、軽く読ませていく感じがします。

2009/1 「脳を活かす勉強法」 茂木健一郎 PHP研究所 ★
最近マイブームになっている脳科学の本をまた読んでしまいました。ずっと日本で尊ばれてきた儒教的な考え方「目下は目上を敬い従い、目上は目下を庇護する」が、「目上は目下に強制し、それに従わない目下を排除する」という為政者に都合のいい解釈に変えられ市民権を得ていました。親や教師・上司からの「体罰」「強制」を、「しつけ」や「愛の鞭」として許容されてきました。
そういうものが「弱い者いじめ」にしか見えない私は、儒教的な考え方とは逆とも言えるアメリカなどから入る最新のスポーツ医学が出す結果や、最新の脳科学の研究成果に溜飲を下げています。世界一進んでいる日本のロボットが目指している人と同じ「自己学習型脳」にいずれ結びつくでしょう。
以下に、一部を抜粋しておきます。ケンブリッジ大学の下りは、日本で一番ノーベル賞学者を出している大学に集う学生さんにも共通していると感じます。

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● 変人であることの自由が、「強化学習」の回路を暴走させる
僕はかりて、イギリスのケンブリッジ大学にある「トリニティカレッジ」で学んでいました。ケンブリッジ大学はかつてニュートンが学んだところとしても知られています。この大学の中には31のカレッジがあって、僕の通っていたトリニティカレッジはそのひとつです。
トリニティカレッジには、ありとあらゆる分野の人が所属しています。食事の際には、ハイ・テーブルに集まった教授たちが、それぞれの専門など気にも留めずに、自由に論議する姿が見られました。
そもそも自分と同じ分野の学者などは、近くには座っていません。
自分は物理学が専門で、隣は数学の専門家。その隣にはイギリス文学がいるかと思えば、その向こうは政治学、こちらは歴史学、というように「人類の知」という多様で豊かな森の中で、さまざまな活動を行っている。
各分野を代表するような研究者たちが、一緒に食事をしながら、大変高度な議論をしているのです。これは、残念ながら日本の大学ではまったく見られない光景です。
美しいチャペルのようなダイニングホールで、まったく違う分野の教授たちが、生き生きと、とても自由な論議を繰り広げている光景を見て、「ああ、この環境があるから、ノーベル賞受賞者を81人(うち、卒業生の受賞者は59人。2005年10月現在)も輩出しているのだな」とはっきりと悟りました。
トリニティカレッジの雰囲気から伝わってくる思想は、「変人であることの自由」です。
そもそも、ケンブリッジでは格好がよくてはだめなのです。パリッとしたスーツを着て歩いている人は、「あいつはどうせ普通の人だろう」とバカにされる。
逆に、穴が開いたセーターを着ている人がぼろぼろの自転車に乗って、カレッジの中をキーコキーコと走っていたりすると、みんなが「ああ、あの人はきっと偉い学者に違いない」と敬仰のまなざしを送る。
そこに集まってくる人たちは普通の人が少ないというより、変人しかいません。
そういう場所なのです。
ではいったい、変人とはどういう人のことを差すのでしょう。実は、これも天才と同じことがいえます。変人は変人として生まれてくるのではありません。
何かの行動に対してドーパミンが大量に放出され、それによって強化学習が成立する。
このサイクルが暴走してしまい、人とは違う方向にどんどんとがってしまう。これが変人の変人たる理由なのです。
そしてトリニティカレッジの「変人であることの自由」という思想は、いうなれば「自分の好きなことをとことん追求することが許される自由」と言い換えることができます。
自分の好きなことをとことん追求することを許された時、人はどういうふうに発展していくのか。現代史はさわやかな実例に満ちています。
たとえば、ipodで有名なアップルコンピュータの創始者スティーブ・ジョブズも、マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツも、いわゆる”変人”であることがよく知られています。
しかし日本にはお世辞にも”変人”を許容する文化があるとはいいがたい。逆に「ほかの人と一緒でなくてはいけない」という(無言の)圧力があります。こうした友人や仲間、社会的通念などの周囲からの圧力のことを「ピアプレッシャー」といいます。ピアプレッシャーには大きく二種類あります。
ひとつは相手の鋭利さを加速させるようなベクトルで、もうひとつが「平均値に引きずり下ろそう」という圧力です。前者はトリニティカレッジに象徴されるピアプレッシャーですが、日本はいつの間にか後者のピアプレッシャーの国になってしまいました。そのため、変人がより変人になるようなことは、なかなか許されない環境です。
一方、アメリカやイギリスは、「変人」であることが許容されている社会です。
その風土があるからこそ、変人さ―つまり「強化学習」の回路を暴走させるという習慣を、うまく経営にも活かしていくことができるのでしょう。
これは日本人にとっても、非常に参考になることです。
日本には和を大切にする文化があります。これは日本の誇れる文化でもあるのですが、一方ではグローバルな競争の時に、足かせになる場合もあるのです。
僕も小学校、中学校時代に日本独特の「ピアプレッシャー」を強く感じて、とても苦しかったことを覚えています。ほかの人と追うことを認められず、なるべく人と同じことを同じようにやることが求められました。
高校生の時になってやっと、魂の安息所を見つけられたという感じになりました。
それは、高校時代には先ほどいったようないい意味での「変人」が、僕のまわりにたくさんいたからです。いまでも覚えているのは、いよいよ大学受験の勉強も本格化してきた高校3年生の秋のことです。
高校の最寄り駅である学芸大学駅で、友人が本を読んでいました。彼は僕が出会った中で「コイツは頭がいい」と思った人のひとり。現在は東大の准教授の職についています。
駅で本を読んでいる彼に「何やっているの?」と声を掛けてみると、「受験勉強は大変だから、こういう時くらいしか本を読む暇がないからね」と言って、一冊の洋書を見せてくれました。
それは、英語で善かれたイギリスのエリザベス一世の伝記でした。なりふり構わず受験勉強していてもおかしくない時期に、原書でエリザベス一世の本を読んでいるわけです。
普通なら「大切な時期に何をやっているんだ・・・」と思うかもしれません。しかしその時は、心の底から「すごいやつだな」と思いました。
彼は高校の卒業文集に「ラテン民族における栄光の概念について」というタイトルのエッセーを書いた人で、高校時代を通して彼には学ぶことの奥深さを教えられた気がします。
一般的に日本の社会というのは、ちょっと変わった人がいると、それを平均値に引き下げようとする傾向があります。ところがトリニティカレッジは、その逆だったのです。「もっと変になれ、もっと変になれ」とあおられる。
この違いは何なのでしょうか。
イギリス人が、日本人よりも遺伝的に知能が高いとか、そういうことではありません。
この「変な行動を奨励する」文化に大きな違いがあるのです。
もちろん、イギリスにもピアプレッシャーはあります。しかしイギリス人の発想が卓越していたのは、彼らをスポイルするのではなく、その変な人たちを集めてコミュニティを形成し、「知」として消化させるしくみを作り上げたことです。
生涯を通して学習を習慣化させるには、こうした環境に身を置くことはとても大切なことです。しかし、日本にはトリニティカレッジのようなコミュニティは数多くは存在していません。それはとても残念なことだと思っています。

● 安全基地からのチャレンジ
あなたは、人生の中で新しいことに積極的にチャレンジしていますか。
十分にチャレンジできないと感じているとか、あるいは自分が直面していることが不安でしかたがない、不確実なことは不安でしかたがないという時には、子どもの時に自分がどうだったかを思い出してみてください。
子どもの頃に直面することは、初めてのことばかりです。立つ、歩くから始まり、お金を持って買い物に行く、電車に乗る、やがて思春期を迎えれば、好きな人ができてデートをする・・・。すべてが「初めて」だったはずです。
その時、どんな気持ちでしたか。
きっと、好奇心とチャレンジする精神にあふれていたと思います。不確実性に立ち向かうことは、新しい可能性を模索することです。
ではどうして、子どもの頃は不安を乗り越えることができたのでしょうか。どうして、失敗しても、すぐに次のチャレンジに向かうことができたのでしょうか。
それは、「安全基地=セキュアベース」があったからなのです。

「安全基地」とは、何かがあった時に逃げ込める場所のことです。
外に出てさまざまなことにチャレンジし、もし失敗して傷ついたとしても、安全基地に逃げ込めばそこには自分を温かく守ってくれるものがある。
多くの子どもにとって、特に幼少期にこの安全基地となるのは「親」です。つまり、親とは、人生の中で自分ができるかどうか分からない不確実なものにチャレンジする時の基盤を確保してくれる人のこと。逆にいえば、親の役割とは子どもに安全基地を与えることにほかなりません。
しかし、注意しなければいけないのは、「安全基地」はいわゆる「過保護」や「過干渉」とは、まったく違うということ。
過保護は、子どもが自由にチャレンジすることを認めずに、あれやこれと指図をすることです。また、絶対に失敗しないような環境に置くことです。あれをやると危ない、これをやるとよくないというように、あらかじめ失敗する可能性(つまり不確実性)を封じ込めてしまった閉鎖空間の中では、脳が新しいことを学んでいけるはずがありません。
せっかく何かをしたいと思っても、「そっちじゃなくて、こっち」と、親の都合や趣味を押しつける「過干渉」も問題です。
『安全基地の役割とは、子どもがあくまでも自主的に挑戦しようとすることを、後ろからそっと支えてあげることです。一書大事なのは、見守ってあげること、見てあげること。見てあげることこそが、安全基地のもっとも大切な要素なのです。』
これは大人になっても同じことです。
もし部下にチャレンジングな仕事をしてもらいたいと思ったら、部下にセキュアベースを与えてあげることが大切です。しかし、子どもに対する親のように四六時中、部下を見てあげるなんて物理的に不可能かもしれません。それでも、「心に掛けていますよ。君がどうやって仕事をしているか、いつも僕の心の片隅にありますよ」というメッセージを送り続けることが、その部下にとっての安全基地になるのです。
あの人は僕が何をやっても関心を示してくれない、自分には関係ないという態度しかとってくれない、と思ったら、人間は投げやりになります。逆に、「自分ががんばっている姿を、あの人は見ていてくれる」と部下が思えば、果敢にチャレンジを行うはずです。
これが人間関係におけるセキュアベースなのです。つまり人間は、セキュアベースが十分でないと絶対に挑戦することができない存在なのです。
イギリスの心理学者が見つけたことなのですが、不幸にして、この安全基地を持つことができない子どもは、親との関係がダメになるだけではなく、大人になってからも非常に深刻な問題を起こすことが多いということが分かっています。
セキュアベースがないため、さまざまなことに心おきなくチャレンジすることができなくなり、どうしても引っ込み思案になってしまう。そのため他者とのコミュニケーションが円滑に進まず、大きなストレスを抱えることになります。場合によっては、ティーンエイジャーになったころに問題行動を起こしたり、極端な場合には犯罪行為に走ったりすることもあるでしょう。
人間の発達過程において、セキュアベースは非常に重要なものなのです。
翻っていえば、自分のなかに確固としたものがある人ほど、チャレンジできるということなのです。考え方が柔軟で、新しい事態にどんどんチャレンジできる人というのは、実は芯にすごく頑固な哲学や揺るぎのない自分を持っています。
逆に自分の中に確固としたものがない人というのは、安全基地がないので、がちがちに自分を守っている。
かたくなにいままでのやり方を守ろうとしたり、新しいことにチャレンジしたりする気持ちがない人は、よく観察してみると、セキュアベースがない人が多いのです。いままでのやり方を守ることによって、弱い自分を守っているのです。
歴史を振り返ると、不確実なものに対して果敢にチャレンジすることこそが、人類の発展に大きく寄与しています。
いつも同じ場所で食物を採っていれば、一定の安全は確保できるかもしれません。
しかし、そこに発展性はありません。いままでと違う場所に食物を探しに行くことは危険を伴いますが、もっとおいしいものがあるかもしれない。

ところで、このような不確実さは、実は脳にとって心地よいものなのです。
イギリス・ケンブリッジ大学の脳科学者ヴオルフラム・シュルツ教授が、面白い研究結果を報告しています。
教授は、サルが確実にジュースをもらえる場合と、2回に1回しかジュースがもらえない場合のドーパミンの活動を比較したのです。当然、ジュースをもらえた時はドーパミンが放出されました。しかし、ジュースがもらえるかどうか分からないという不確実な状況でも、別のかたちでドーパミンが放出されていたのです。
どういうことかというと、つまり、ジュースがもらえることと同じくらい、不確実な状況を楽しんでいたのです。これは人間の場合も同じ現象が起きみことが分かっています。
実はこの、脳に不確実性を求める傾向があったからこそ、僕たちの祖先がこうした欲求のもとに試行錯誤を繰り返したからこそ、進化が起きたのです。
これは学習にも応用できるはずです。第1講でも述べましたが、脳は「できると分かっている問題を解いても喜ばない」のです。自分にできるかどうか分からない、そういう「難しさ」に挑戦して乗り超えたときに初めて、僕たちの脳はかけがえのない書びを感じるようにできているのです。

2009/1 「オカンの嫁入り」 咲乃月音 宝島社 ★
「第3回日本ラブストーリー大賞」ニフティ・ココログ賞受賞作品です。先週、「芥川賞」「直木賞」受賞作が発表されましたが、受賞作品の面白さでは、「本屋大賞」同様、この賞の方がずっと面白いと思っています。この賞から出版された作品をすでに5作ほど読んでいますが、どれもかなり面白いです。
主人公「月ちゃん」は、生まれる前に父が亡くなり、その後25年間ずっと母親と2人で暮らしてきた。当初途方にくれていた母を、娘同様に家に迎え住処を提供した口は悪いが心の温かい「サク婆」、拾てきた愛犬の「ハチ」の4人での暮らしの中に、突然「捨て男」がやってきた。
父の思い出を胸に、「センセイ」の病院で看護師として働く「母」が、ある晩酔っ払って、飲み屋さんで拾てきた若い男です。リーゼントの頭髪に真っ赤なシャツ、第一印象は最悪やったけど、なんと「母」は、この「捨て男」と今度結婚すると言うて連れて来た。果たしてうまく行くのか・・・
特徴ある登場人物達が、大阪弁のおもろい語り口で繰り広げるハートフルな物語です。「芥川賞」などのしっかりした文章なのではないのかもしれませんが、軽いタッチでさりげなく、でも結構重いテーマが流れていきます。

2009/1 「明智光秀 作られた謀反人」 小和田哲男 PHP新書 ★
戦国武将で2番目に好きな明智光秀の研究書です。主君織田信長に対する謀反者としてダーティーなイメージが一般的に定着している光秀ですが、信長の粗暴な行動や情け容赦ない指令から、信長軍団の主要武将から次々に反旗を翻された事実から、もし私が信長軍団にいたなら光秀に悪いイメージを湧かないだろうなと思っている。光秀が失敗しても、いずれ誰かに首を取られたのではないかと思う。
ちょうど、信長の言葉を引用して同志国会議員に刺客を送った小泉首相に対する、次の首相福田さん・安倍さんが、誰からも非難されないように、当時の信長軍団内では、気持ちは明智擁護の空気の方が強かったのではないかと思っている。光秀と軍団内ナンバー2の座を争っていた秀吉自身が、天下取りのチャンスを手にし手中に収めていく過程で、主君信長殺しの敵討ちという大義名分のために、後に歴史が作られたと思っている。
光秀の前に信長に反旗を翻し、秀吉の腹心黒田官兵衛を城郭内に閉じ込めてしまった荒木村重に対し、天下人となった後、大阪で親しくしているのがその裏づけのような気がする。
「本能寺の変」は、丹波平定の最重要人物篠山の波多野親子の降伏・和睦を、光秀が母を人質に差し出してまで信長と仲介したのに、あっさり信長に波多野親子を切られ、母を失ったことなどから来る「光秀怨念説」、「秀吉黒幕説」「足利義昭黒幕説」など、日本中世史の大きな謎のままです。が、この書は平氏の末裔を自称する信長が、新たに征夷大将軍に任命されるのを阻止する清和源氏末裔としての光秀の使命感からきたもの。天下をほぼ決した信長晩年、更に粗暴になっていく振る舞いや、天皇や朝廷への見下した態度に対する懸念からくるもの。という新たな説を説いている。
我が家の背後にある、光秀ゆかりの亀岡・福知山、光秀の丹波平定の舞台になった丹波・丹後・播磨北東部、そしてそれにからむ攝津の情勢が語られ、とても興味深く楽しく読めました。


「何があっても大丈夫」 櫻井よしこ ★
女性ニュースキャスター第一号の方ではないだろうか?好きでよく見ていました。はぎれよく、ご自身の意見も少し入れながらのニュース報道には、好感が持てました。今でこそ、ニュース番組アンカーウーマンが数人おられますが、最初はいろんなところで苦労なさったのだろうと思う。
この本は、櫻井さんの自叙伝です。ベトナムで生まれ、父親の海外での商売、敗戦によ全てを失っての引き上げ。父親は、仕事で東京に出て行き、やがてハワイでレストラン経営。ご自身のことも含めて、かなり波乱万丈の生活をしてこられたが、それが故に個としての強さを身につけられた。
キャスター当時、そして今に続く、櫻井さんの強さを育てた土壌がわかりました。回り道することこそ人生が面白く、得るものが多いということがわかります。苦しい生活をどう感じるかで人生が全く違うものになることを知りました。その時の支えは、お金でも地位でもなく、「何があっても大丈夫」という櫻井さんの母親のいつも発しつづけている言葉にあるのだなあと思いました。
本当に言葉というものは、強い力を持っています。

「人生は最高の宝物」 マーク・フィッシャー ★

「こころのチキンスープ」 ジャック・キャンフィールド ダイヤモンド社 ★★★
このシリーズで多数の本が出ています。このシリーズは、講演家の著者が、全米各地で出会った市井の人のこころ温まるノンフィクションを集めたものです。人は誰でも1つは、そのような体験を持っているものです。あなたにもそして私にも。だからいくらでも本のネタは尽きないと思いますが、1人の貴重な温かい出来事を披露することで、多くの方の心に火を灯し、そして次の体験が出てくるし、そのように人に接するようになります。
随分前に、小さな少年が始めた親切運動が大きなうねりになった映画がありましたが、あれに似ているとも言えます。はっきり言って泣きます。感じる場所は様々でしょうが、誰でも心打つ物語にこの本で出会うでしょう。決して電車で読まないで下さい。私は涙の処理で難儀してしまいました。静かな所で1人でじっくり、感動を噛みしめてください。

「それでもなお人を愛しなさい」 ケント・M・キース 早川書房 ★★★
逆説の十箇条で有名ですが、その内容については、私の好きな言葉のページに載せています。ドロシー・ロー・ノルトさんの言葉は、親が子育てをする指針になりますが、この十箇条は、人との関係の指針でしょうか。
著者は、夏休みのキャンプリーダーをします。その時作って話したことが、キャンプに参加した子達に感動を与えますが、キャンプの目的とは少し違ったようで、惜しまれながらキャンプを去ることになってしまいます。時は経ち、友人からいい言葉があるよ。君にはきっとうまく理解できるはずだと、紹介されたのが、なんとあの時の自分の言葉でした。劇的な過去との出会いを機に、本になったのがこの本です。
ドロシーさんの「子は親の鏡」と同じような運命をたどった、「人生の意味を見つけるための逆説の十箇条」。生き方、人との接し方の根源に迫る本です。

「天才たちの共通項」 小林正観 宝来社 ★★★
この本は、下のドロシーローノルトさんの言葉に出会ってから読んだ本です。この順番が逆になると、また違った印象になったと思いますが、こういう順番であったことは、私にとって幸運でした。
小林正観さんは、本職は旅行作家なのかもしれませんが、素敵な言葉、素敵な人当たりをなさる方です。生き方・人との接し方についての小規模の講演会をよくしておられ、この本の読後、200人ほどの講演会に参加したことがあります。どても感動する内容でした。
私は、長男に生まれ、親からの期待を一身に受けて育てられましたが、関東出身の親の言葉がきついからでしょうか、いつも反発ばかりしていました。「もっと早く一人前になるように」「もっと立派な独り立ちするひとになるように」と、きつい場面に放り込まれました。甘えん坊の私には荷が重く、できない私を叱る親が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
保育園で、蛇事件がありました。西宮の保育園に4歳から電車とバスを乗り継いで1人で通いました。保育園の方針で、最終バス停で親子が離れなければなりません。園に向かって歩き出したら、大きな蛇が階段にいて、怖くて泣いてしまいました。母親は、「行きなさい、怖くないから・・・」と下から見ているばかりで、どうしても蛇を避けていけません。そんな時、その様子を階段の上から見ていた女の子が下りてきて、私の手を引っ張ってくれました。それでやっと園に行くことが出来ました。
その事はもう忘れているのかもしれませんが、今でも彼女とは保育園の同窓会で交流があります。私の初恋ですが、素敵な女性になられ、お金持ちの家に嫁ぎ、3人のお子さんを立派に育てられ、ご自身も代表取締役として会社を経営しています。次男と同じ中高の1年下にお子さんが通われ、不思議な縁を感じます。
大学生の時に家内と出会い、「大丈夫よ、何とかなるからさ」という大きな言葉と、いつもニコニコしているところに惹かれ、1ヵ月後には彼女の家にお邪魔しました。彼女の母親は、うちの母親同様学のある方でしたが、一度も親に叱られたことがないと家内が言うほど、怒らなくて温和な方でした。こんな家庭に育った家内なら間違いないと思い、すぐに一生一緒に暮らしていくことにしました。
うちの子達は、家内に叱られたことはないでしょう。私も経験から、叱っても反発されるだけで何も得るものがないと知っていましたので、ほとんど叱ったことがありません。こんな育て方でいいのかと迷いましたが、叱られる辛さを思うと、どうしても子供を叱れませんでした。
「本当にこれでいいのか?」の答え捜しでこの手の本は、どれだけ読んだか分かりません。とうとう、世界中の方に支持されているドロシーさんの言葉に出会い、そして小林正観さんに出会いました。この本は、私の中では、ドロシーさんの言葉の実践編ともいえる位置付けです。叱るのではなくて、子供を信じる温かい言葉で育てられた内外の偉人について書いてあります。いろんな文献を調べたのでしょうが、エジソンから手塚治虫までの、幼年期・少年期の親、特に母親との関係を詳しく書かれています。

「子供が育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト PHP文庫 ★★★
あまりに有名なこの言葉「子は親の鏡」、というかこの詩は、2005年皇太子妃さんの病気回復の記者会見で、披露された。皇太子妃さんの、「公務出来ない病」は、外交官の父を持ち、自身も外務省勤務していた延長で、より大きな意義のある仕事が出来ると思っていたが、皇室の仕来たりにスポイルされた結果なってしまったと私は考えている。
皇太子さんが、記者会見で異例とも言える詩の朗読をなさった背景には、この詩にどれだけ皇太子妃が助けられ、勇気をもらったかを伝えたかったのでしょう。多くの制限のある中で、精一杯の反発に見え、皇太子妃を守ろうとしていると感じました。
このドロシーさんの言葉は、随分前に発表されたものですが、子育ての真実、子育ての指標が書かれており、私の子供と接する時のバイブルになっています。この言葉は、ドロシーさんの手から離れ、アメリカ初め、ヨーロッパ、そしてアジアにも広がり、本人の知らない間に一人歩きしました。一人歩きしている自分の言葉に出会って、著書としてきちんとしたものになりました。
皇太子さんや皇太子妃さんは、北欧の国の教科書に載っていたこの詩を、披露なさいました。たとえ1次限でもこの詩に出会う機会を小学生の時に持てる子達は幸せだなあと思いました。それだけ値打ちのあるものです。
その内容のエッセンス部分は、好きな言葉のページに載せています。

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