Books 2008
Books 兵庫県セーリング連盟ジュニア

2008/12 「君のためなら千回でも」上・下 カーレド・ホッセイニ 早川文庫 ★
映画化されたので知りました。上映を観にいきたかったのですが都合がつかず、ずっと気になっていた小説でした。この作品は、ソ連のアフガニスタン侵攻によって母国に帰れなくなり、アメリカに亡命した外交官の成長した息子さんによって書かれました。
侵攻ソ連軍は、アメリカの後ろ盾で執拗なゲリラ行動をとったムジャヒディンによって駆逐され、傀儡政権は倒れました。しかしその後の主導権争いで内戦が続き、内戦に勝利したタリバンが政権を握り、他北部勢力は政権から遠ざけられました。最初民衆に歓迎されたタリバンですが、その極端すぎるイスラム原理主義に裏打ちされた厳罰主義に民衆がついて行けず、ソ連侵攻から30年経った今も、内戦が絶えない状態が続いています。
この小説は、日本もそうですがアジアで一度も欧米列強の植民地になっていないアフガニスタン人の男意気、そのベースにあるからこそ悩む意気地なしの自分への思い、家族愛・差別など人が生きていく上での深いテーマを、国の大きな変遷とともに描いています。
今までほとんど知らなかったアフガニスタンという国の人々の生活や考え方を、知ることが出来たように思います。また民族が平和な母国を持つことの意味を再認識しました。そして多民族国家だからなのでしょうが、アメリカの懐の深さも。それらを除いた上に記した普遍的テーマに対しても、上質の小説になっています。

2008/12 「感動する脳」 茂木健一郎 PHP研究所 ★★★
10年ほど前、文部科学省の「スポーツ指導者」に認定されましたが、そのテキストに脳科学からスポーツ選手育成へのアプローチが載っていました。もっとも進んでいるアメリカの「スポーツ科学」の一片でした。それまで「スポーツ科学」といえば、基礎体力作りの栄養学や食べ方、効率よくその競技に向く筋力や瞬発力を付けるトレーニング方法のことだと思っていました。
でもそのテキストには、精神的なスポーツ科学についても書かれていました。「出来なかったことに罰を与えるのではなく、出来たことを褒める」「楽しく」「笑顔」・・・これにより、選手本人が自発的にスポーツに取り組む姿勢が醸成され、その競技を始めた初期段階では良い結果が出せなくても、長い目で見ればはるかに高い競技力を身に付けることになるということ。
「コーチの仕事は、怒ってやらせる。結果を残せば選手はその競技が好きになる」に疑問を持っていた私には、目からうろこが取れるようでした。わが子が生まれて、自分が嫌だったのでほとんど怒らず、転ばぬ先の杖をせずに、やりたいようにさせて失敗したり、転んで泣いた時に、手を差し伸べて、「どうしたらいいの?」の声を待ってアドバイスするようにしてきました。
そうすると、初めはうまく出来なくても、自分なりの方法で出来るようになっていきます。親に言われた通りにして出来るより、はるかに楽しそうにしています。そして何より、親子喧嘩になりようがありません。これはよそのお子さんに対しても同じように成り立つ方法だなと、その後のスポーツ指導で実感しました。
「何故、野茂やイチローがアメリカで野球を続けたいのか」は、コーチの選手に対するアプローチ方法にあるように思いました。「練習時間が短く、選手自身が考えて練習する。選手がアプローチしないとアドバイスしないコーチ」と、「コーチの持論をきつく選手に求める日本的なコーチング」の違い。もっと深いところでは、支配者階級に都合のいいピラミッド階級構造を崩さない儒教的考え方が根付いている日本と、全ての人は神の子という人が並列に並ぶキリスト教的考えが根付いている欧米社会との違いかもしれない。
以来、いろんな脳科学の本を読み、いよいよ自分のアプローチに自信を持つようになった。自分自身の子供時代の親子関係に起因した、若年重大犯罪事件を詳細に調べた本をよく読んできました。今までは研究書とまではいかないまでも、卒論のような脳科学本を読むことが多かったが、それでも若年重大犯罪事件子育て本とオーバーラップするところが多くあると感じていました。
茂木さんの本を読むのは、2冊目のような気がしますが、この本はとても分かりやすく書かれている本でした。多くの方が読み、「怒ってやらせて失敗させない」から、「失敗を見守って、尻拭いはコーチや親が担当しながら、本人自ら失敗を成功に導く方法を考え実行する」になって欲しいなと思います。
『怒られて、強制的にやらされて成功しても、辛い思いと成功体験が結びついて嫌なものとして脳に記憶され、やがてやめてしまう』『初期段階での競技成績は伸びなくても、笑顔で褒めていると、小さな成功と嬉しい感情が結びついてずっと続ける。結局長く続けた者が上に行く』。こういうことが書かれていたテキストの言葉を、脳科学者から科学的な裏づけをする本でした。
あまりに内容が素晴らしかったので、備忘録としてここに引用しておきます。

● 人生は不確実性に満ちている
 人間の脳には、コンピュータでは決してできない判断力が備わっています。人はすべて日々の日常生活の中で、非常に多くの判断を下しながら生きています。当たり前のように送っている日々も、実はさまざまな判断によって成り立っているのです。
 では、人間はどうしてそのような判断をすることができるのか。その判断の元となるものはいったい何なのか。研究の結果、実は「感情」こそが判断の元になっていることが明らかになってきました。
 なぜ感情が判断を支えていると言えるのか。それは人間が直面する人生のさまざまな出来事は、基本的に正解が分かるものではない。つまり不確実性が支配する世界だからです。たとえば具体的に思い浮かべてください。自分はどういう学校に入るべきか。何を専門に学べばいいのか。そしてどういう仕事に就けばいいのか。自分にはどんな才能があって、どういう職種に向いているのか。実はこれらは、前もって分かるものではありません。それは情報がないからです。もちろん何となく想像ができるくらいの情報はあるでしょうが、それは的確なものではない。自分がやったこともない仕事が自分に向くかどうかなど、分からなくて当然なのです。
 人生はその節目節目で大きな選択を迫られます。しかし考えてみれば、そのほとんどに充分な情報がありません。こちらの道を選べば自分の人生はこうなる。あっちの道へ行けば五年後にはこうなる。そんな情報があるはずもないのです。
 その典型が恋愛と結婚です。相手についての情報はもちろんあります。年齢だとか職業だとか、あるいは出身地だとか。しかしそれらはあくまで上辺だけのもので、相手の人間性を示すものではありません。また、その相手を選んだからといって、うまくいくかどうかは分からない。結婚してうまくいく確率が何パーセントと、そんな情報などはどこにも存在しません。まさに不確実性の最たるものです。
 ではそういう時に人間は、何をもって判断するのか。この人とおつきあいをするか否か。この人と結婚するか、しないのか。最終的な判断は、とても感覚的なものに委ねられることになります。何となく合うような気がする。この人となら何となくいい家庭を築けそうな気がする。ハッキリとした根拠があるわけではなく、ただ感情の動きによって選択するというのがほとんどです。
 これは脳科学者が発見する以前から、生活実感としてみんな分かっていたことだと思います。しかし一時期の脳科学では、このことにあまり目を向けていなかった。脳イコール知識や論理的思考であるという思い込みに支配され、その根本にあるのは実は感情であったということを見失っていたのかもしれません。
 たとえて言えば、大脳皮質というのはどちらかというとコンピュータに近い。大脳皮質がやっていることは論理的な推論です。実はそこが人間の本質ではなくて、古い脳と言われていた大脳辺縁系の感情の働きこそが、人間らしい判断を下している。そういうことが分かってきたのです。つまり、人間の脳に備わっている知能と感情が複雑にからみ合って、不確実性の中で判断を下しているわけです。
 従って自分らしく生きるとか、自分の潜在能力を活かすということは、単に論理的に判断することではない。人生というものは、そんなに計算通りに運ぶものではない。だからこそ自分の中にある感情というものを最大限に活用することが大切なのです。
 自分の感情を大切にしながら、しかも感情だけに流されないよう知性でコントロールする。それこそが人間らしさと言えるのかもしれません。

● 決断するメカニズム
 人間はいろんな体験を積むと、その体験が側頭葉に蓄えられていきます。それを元に意思決定をしたり判断をするわけです。ただ、そうであれば年を取って経験を積めば、みんなが素早い意思決定ができるはず。ところがそうはなりません。単に経験を積むだけでなく、やはり意思決定の回路を鍛えることが大切です。他人に決めてもらうのではなく、自分で考えて判断を下すという訓練。その積み重ねこそが意思決定には必要です。
 たとえば若い頃は、どのレストランに入ったらいいか迷うものです。どんな料理を出す店なのか、どんな雰囲気の店なのか、そして値段はどれくらいなのか。入ったことがないのですから分からなくて当然です。それでも多くのレストランに通う経験を積むことで、この店はこういう料理を出す店だな、二人で一万円もあれば足りるだろうと予測できるようになる。そしてその自分の中の情報を元にしてレストランに入る決断を下すわけです。
 ところが同じ数だけレストランに入った経験を持つ人でも、いつも自分で入る店を決めてきた人と、常に誰かの後にくつついて行った人とでは、その判断力の差は大きく違ってきます。いつも人にばかり頼って自分で決めてこなかった人は、結局は自分でレストランを選ぶ力がつきません。
 よく言われるのは車の運転です。自分でハンドルを握っているドライバーは道をよく覚えています。それは常に道を覚えようとする脳の神経回路が働いているからです。ところがいつも助手席に乗っている人は、ほとんど道を覚えていません。要するに脳の回路が働いていないのです。同じ時間、同じ道のりを体験しているにもかかわらず、ドライバーと助手席の人とでは記憶が全く変わってくる。これは記憶力の差などではなく、使う神経の差なのです。
 そういう意味でも、人生のドライバーズ・シートに座らなければならない。人生の助手席に座って、いつも判断を他人任せにする。それは自分の人生ではなく他人の人生と同じようなものです。失敗しても選択を誤っても、自分が主体となって意思決定をする。そこに人生の喜びがあるのではないでしょうか。

● 百歳になっても脳は成長し続ける
 人はそれぞれが遺伝子(DNA)を持って生まれてきます。DNAというのはまさに人間の設計図のようなものであり、それに沿ったかたちで人は成長していくわけです。そこで多くの人は勘違いをしています。設計図には完成品が措かれているのだと。
 自分には自分のDNAが既にあるのだから、それに逆らっても仕方がない。いくらあがいたところで自分のDNAは変えられるものではないと。そんなふうに思い込んでいませんか。もしそう考えているとしたら、それは大きな間違いです。DNAには、完成品など書き込まれていません。
 実際に人間の脳というのは、生きている限り自発的に活動し続けています。そしてそれに伴って、神経細胞の結びつきというのも変化している。中高年になったから活動しなくなるというのは間違いです。よく「もう歳だから、若い頃のように頭が働かないよ」とか「脳細胞がどんどん消滅していくのだから、今から新しいことを始めるのはムリだよ」と言う人がいるでしょう。それは単に自分が努力をしていないだけ。生きる意欲がなくなってきただけなのです。我々は専門用語で「オープン・エンド」といいますが、脳はいつまで経っても完成を迎えることのない、まさに青天井の構造をしているのです。なのに自分で天井を勝手に決めてしまうのは勿体ないことです。
 人間の寿命はせいぜい百年くらいのものです。どんな頑強な人間でも、百年もすれば死んでしまいます。ならば百歳で死を迎える時に脳は完成しているのかと言うと、実はまだまだ発展途上に過ぎない。もしも人間が二百年も三百年も生きられたとしたなら、脳は三百年間も変化し続けることになります。
 つまり人生というのは、実は永遠に完成することのない、終着点のない旅だとも言えるでしょう。生きている限りにおいて、脳は何百年でも変化を続けている。従って人間の脳というのは、非常に残念なことに、どこまで行けるかというその限界を見ないうちに寿命を迎えてしまう運命にあるのです。

● 若さとは、変化するということ
 感動というのは、未知のものとの出会いから生まれるもの。子供の頃を思い出してみてください。子供の頃は未知のものと出会った時に、とても素直にそれを受け入れることができたでしょう。素直に驚き、素直に自分の中に取り入れ、そして素直に感動する。だから毎日がキラキラと輝いていたのです。
 子供にとっては、周りの世界のほとんどが未知のものです。それらを受け入れながら成長していく。もし未知のものを拒否していたなら、子供は成長することができないのです。ところが大人になって知識や経験が増えてくると、自分なりの考え方や感じ方、やり方やポリシーみたいなものができてきます。もちろんそれは悪いことではなく、考え方やポリシーがなければ社会生活は営めません。
 ただ、あまりにもそれに固執し過ぎるのはよくありません。自分の世界観やポリシーに合わないものは世の中にいくらでもあります。そうした未知のものに出会った時に、ついついそれを拒否してしまう。一種の精神の免疫系みたいなものができてしまって、異物が入ってこようとしたら排除する気持ちが生まれてくる。これが感動の妨げになってしまうわけです。
 もちろんある程度は、自分のやり方を保つためには必要なことでもあります。子供の頃のように、全てのものを素直に受け入れることは難しい。またその必要もないでしょう。しかし、あまりにも新しいものへの拒絶反応が大きいと、それは自分が成長するチャンスを逃がすことにもなってしまいます。
 やはり未知なるものに出会った時に、できる限りそれを素直に受け入れて自分のものにする。そのプロセスにこそ感動があるわけです。感動というのは脳が自らが変わるきっかけを察知し、それを逃がさないように感情や記憶のシステムを活性化するということです。従って感動しないということは、もう自らの世界観や経験を広げる必要がないと、脳が判断していることに相当する。これでは人生を変えるきっかけをつかむことはできないし、せっかくそういうきっかけが前を通り過ぎても、チャンスを逸してしまうことになります。
 新しいものや、時には違和感を覚えるようなものに出会った時に、いたずらに拒絶しない。とにかく一度、素直に受け入れてみることが大切です。受け入れてみたけれど、どうしても自分の考え方には合わない。そういうことももちろんあるでしょう。その時は無理をしてまで自分の薗に取り込む必要はありません。ただ、一度は未知のものを受け入れてみるという作業が、人生の深みをつくつていくと私は思っています。
 未知のものに出会った時、素直に受け入れる人と、ハナから拒絶する人がいます。この差はとても大きなものです。実際にどのような差が生じるのか。
 結局、未知のものを受け入れて感動できる人というのは、いつまで経っても若々しくいられます。若さとは変化するということで、決して年齢の問題ではありません。
 みなさんの周りにも、いくつになっても若々しい人というのがいるでしょう。そういう人をよく観察してみてください。きっと未知のものにいつも興味を持ち、感動することを楽しんでいるはずです。四十歳になったからオジサンになるのではありません。四十歳になって、もう人生に変化などないと諦めてしまうことでオジサンになっていく。
 そうなってしまったら、もうその後の人生に変化などありません。ずっと同じ風景しか目に入らなくなってしまう。日常生活は退屈なものになり、人生が後ろ向きで退屈しのぎになっていく。それはとても寂しい生き方ではないでしょうか。

生きていくということは、常に不確実性の中に身を置いているということです。先に何があるか分からない。先がどうなるか予測できない。まさに人生は不安との戦いです。人は誰しも失敗することが怖い。先に進んで失敗するのなら、今のままでもいい。そういう気持ちがどこかにある。しかしそれではイキイキした人生は歩めません。
 子供の頃を思い出してください。好奇心とチャレンジ精神に満ち溢れていたでしょう。何かにつまずいても、次の日にはケロッと忘れている。しかしそれは本当に忘れたわけじゃない。次の日にさらなるチャレンジをしているために、前日のことなど気にならなかっただけなのです。
 ではどうして、子供の頃は不安を乗り越えることができたのか。失敗しても、すぐに次のチャレンジに向かうことができたのか。その理由を知ることは、大人にとっても大変参考になるでしょう。
 ジョン・ボルビーというイギリスの心理学者がその理由を発見しています。どうして子供は、不確実なものに対しても怖がらずにチャレンジできるのか。それは、子供には「安全基地」があるからだと彼は言います。
「安全基地」というのは、つまりは逃げ込める場所のことです。外に出てさまざまなことにチャレンジする。もしも失敗して傷ついたとしても、安全基地に逃げ込めば、そこには自分を温かく守ってくれるものがある。多くの子供にとって、それは父親であり、母親です。その安心感があるからこそ、子供たちは脳をいつもポジティブに保つことができる。
 過保護に子供を縛ったりせずに、子供の自発性にまかせて好きなようにやらせてみる。
それを親は後ろから見守り、危険になったり傷ついたりした時に温かく手を差しのべてあげる。家庭という場が安全基地になることで、子供は積極的に世界を広げていくことができるわけです。
 では、安全基地を不幸にも持てなかった子供はどうなるか。親が自分のことを充分に守ってくれない。それどころか育児放棄や虐待といった仕打ちを受ける。常に不安を抱きながら育った子供は、大人になってからもネガティブ脳から抜け出すことができないとボルビーは指摘しています。
 それは時に深刻な発達障害をまねく恐れもあります。またティーン・エージャーになった頃に問題行動を起こしたり、あるいは極端な場合には犯罪行為に走ることもある。それほどに、この安全基地というのは人間が成長する上で重要なものなのです。
 大人になってネガティブ脳になってしまっている状態。不安ばかりに占領されて現実から逃げ出したいと思っている状態。それはちょうど、安全基地がない子供の脳にとてもよく似ています。そしてこの状態は、生きる上で非常に深刻な事態であることを認識すべきなのです。単に逃げ場がないとか、ホッとする場がないなどという単純な問題ではありません。
 そもそも人間の脳というものは、一生学び続けるものです。この働きが止まってしまえば、それは人間の脳とは言えないほど、学ぶことは大切です。新しいものを学び、新しい世界を知るからこそ感動というものが生まれる。そして感動があるからこそ、人間らしく生きることができる。
 ネガティブ脳に陥ることは、この大切な感動に触れられないということ。そして感動がないがゆえに喜びも楽しみもなく、引っ込み思案で劣等感にさいなまれてしまう。そうならないためにも、大人になってからの安全基地の構築が必要になってくるのです。

● 大人にとっての安全基地とは何か
 ネガティブな不安から脱出するためには、安全基地を持つことが必要です。しかし大人になれば、親に頼ることはできません。もちろん友人や恋人、あるいは妻や夫が心の支えになるでしょう。でもそれは、子供の頃のような絶対的な安全基地にはなり得ない。また結婚して家庭を持てば、自分自身が子供の安全基地にならなくてはなりません。基本的には自分の力で問題を解決し、不安と戦わなくてはならないのです。
 ならば、大人にとっての安全基地とは何なのか。その大きなものは、やはり経験やスキル、知識といったものであると思います。それは逃げ込むための基地ではなくて、世の中で戦っていくための基地であるかもしれません。
 たとえば、どうしてもうまくいかないことがあったとします。その時に、どうせオレにはできないんだ、と考えてはいけない。感情的に自分を責めてしまうと、それは人格を否定することにつながります。人格を否定してしまうと、必ずネガティブ脳は強化されてしまいます。
 そうではなく、一歩引いて客観的に物事を眺めてみること。どうしてもこの仕事がうまくできない。もしかしたらその原因は、その仕事をやるためのスキルが自分に欠けているのではないかと考えてみる。その結果、欠けているスキルが見つかったのなら、そのスキルを磨けばいいわけです。何かの経験が足りないのであれば、足りない経験を積み重ねていけばいい。明確な欠点を認識することと人格を否定することは全く別のことです。
 たとえばイタリア語が全くできない人が、イタリアに住まなくてはならなくなった。これは不安でたまらないでしょう。イタリア語ができないから生活もままならない。話しかけられるのが怖いから外に出かけなくなる。そうして一日中家に閉じこもっていれば、だんだん自分はダメな人間だと思うようになる。明らかに負のスパイラルに陥っていくでしょう。
 それは、その人がダメなわけじゃない。落ち込む必要など全くありません。その不安を解消するためにはイタリア語を覚えること。ただそれだけのことなのです。イタリア語が分からないという欠点。それだけに目を向ければいい。とりあえず「ありがとう」と「こんにちは」を覚えれば、どこの国だって生きていけるものです。
 日本にいても同じです。日本社会で生きていくための知識やスキルとは何なのか。今の自分の仕事に必要なスキルは何なのか。そして自分には何が備わっていて、何が足りないのか。それを客観的に考えて、足りない部分を埋めていく努力をする。それだけで多くの不安材料はなくなっていくものです。
 要するに、不安になったり逃げたいと思ってしまうのは、単に気持ちの問題だけではない。何か自分に欠けているものがあるから、前向きな気持ちが持てないわけです。そこから目をそらすのではなく、しつかりと欠けている資質を見据える。そしてそれを払拭する努力をすることです。もちろん一朝一夕には解決できないかもしれませんが、少なくとも努力し続けることで不安は少なくなるでしょう。
 ネガティブな状況から抜け出そうとあがいている人の中には、一発逆転ばかりをねらう人がいます。やたらと大きな夢を抱いたり、時には誇大妄想になってしまったりする。会社の中でも、たとえば恵まれない境遇に置かれていたり、仕事がうまくできずに評価されない人がいます。そういう人がかえって、大きなことを言ったり、異常に強がってみせたりするものです。そしていつも、現実的ではない一発逆転ばかりを考えている。これではいつまで経っても状況は変わりません。
 やはり大切なことは、地道に一歩一歩進むことです。自分の欠点を少しずつ克服しながら、小さな成功体験をたくさん積み重ねていくこと。子供が歩き始める時に伝い歩きをするように、着実に歩むことです。歩く力もないのに、いきなり走り出すことはできない。
そして最初の一歩、小さな一歩がうまくいけば、後は坂道を転がるようにポジティプな脳の回路が働き出すものです。
 安全基地ということで言えば、スキルや知識だけでなく、やはり心の拠り所も欲しいものです。確かに大人になれば保護者はいません。年老いた父や母に頼るのも気が引ける。
ならば自分で心の安全基地となる人をつくるのも一つの方法です。相談にのってくれる友人、手助けしてくれる先輩、悩みを問いてくれる上司、そして心からホッとできる妻や夫。
一人の人間に、それら全てを要求するのはとてもムリなことです。だから、常に何人かの拠り所をつくつておく。個別のステーションをたくさん持っていればいいと思います。
そして自らも、誰かの安全基地であること。みんながどこかに安全基地を持っていて、みんなが誰かの安全基地になっている。それが理想の形なのかもしれません。

2008/12 「泥の河 蛍川 道頓堀川」 宮本輝 ちくま文庫 ★
宮本さんのデビュー作品「蛍川」に、初期作品を加えた川三部作と言われているものです。太宰治賞・芥川賞をこの初期三部作で受賞し、華々しく文壇デビューされたようです。
宮本さんの作品は、土地勘のある関西が舞台の作品が多く、この作品も馴染みのある場所なので親密感を覚えます。そして、その後の多くの作品同様、青春作品なので、「そんな時があったなあ」と学生時代の何にでも興味を持ち、でも中途半端な自信しかなかった頃を思い出します。劇的な展開はないけれど惹かれる作品です。「蛍川」が一番良かったかな。

2008/11 「最後の初恋」 ニコラス・スパークス ソフトバンク・クリエイティブ ★
毎年1作、新作を出されるスパークスさんの最新作です。「ウォーク・トゥー・リメンバー」以来のファンなので、楽しみにしていた本でした。今年の日本語版の発売が映画の封切とほぼ同時になったようで、クリスマス頃に検索して新作を購入するパターンだったのが、映画の予告編を見て購入ということになりました。
もちろん映画の方も観ましたが、それぞれの良さを感じることができました。

外に女性が出来て夫は家を出て行き、子供3人ともうあまり長くないだろう父親を背負い将来に不安を抱えて暮らしているエイドリアンが、気晴らしにと引き受けた海辺の宿の留守番。そこにたった1人のお客さんとしてやってきたポール。
ポールは、美容外科医で、手術の失敗で訴えられており、その夫に「話をしたい」と手紙をもらいこの町にやって来た。今までのやり手医者ポールであれば、無視していただろうが、あまりに仕事中心に生きてきたツケは大きく、医者になった一人息子とはもう何年も口を利いていず、数ヶ月前には妻も出て行った。
家族との現実に直面し、今まで自分は何をしてきたのかと人生をやり直そうと、家を売り払いここにやってきた。
ハリケーンが襲来し、宿の建物を守り、2人だけで過ごした数日が失意の2人を変えた。エイドリアンには、あらたな幸せに向かう希望を。ポールには、エクアドルでボランティア医療をしている息子の手伝いをしながら、関係の修復をする勇気を。
そして2人は・・・相変わらずのラブストーリーです。

2008/10 「雪明かり」 藤沢周平 講談社文庫 ★★
短編集です。藤沢周平さんの作品に関しては、もう何もありません。時代小説なんだけど、人の素晴らしい生き方の背骨を貫く、どんなに時代が変わろうとも変わらない真髄が語られているように思います。
ハッピーエンドな作品ばかりではありませんが・・・というより、むしろこれからの不遇に向けて強く生きていく意味を感じさせつつ終わる作品が多いが、とても惹かれます。
既に読んだことのある作品が何篇か含まれていましたが、何度読んでもいいです。時々藤沢周平作品を読むことで、自分の生き方を見つめなおすいい機会になっています。

2008/10 「飢えた海」 ウィルバー・スミス 飯島宏訳 文春文庫
海の小説が読みたいと思ってセレクトしたのが、冒険小説家ウィルバースミスさんのこの作品です。
タグボート乗組員出身のニコラスは、イギリスの一タグボート会社を有数の総合商船観光会社に育てた。娘婿に迎えられ、美しい妻と息子を得て幸せな生活を送っていたが、会計部門の有能でハンサムなライバルアレキサンダーに妻を取られてしまった。
離婚して、失意の内にタグ部門子会社に社長として舞い戻ったニコラスは、一船長として身体を張って船員達の信望を得ていく。そんな時、アレキサンダーの会社になってしまったかつての会社の南極観光大型客船が座礁してしまった。それをロイズオープン方式で救助し、タグ会社の当座の運営資金を得た。その時新しい愛も得た。
かつての妻から相談が持ちかけられた。「うちに戻ってきて欲しい」。心は新しい愛を選んでいるが、自分が大きくした会社と、かつて愛した妻、そして息子がいる。会社の現状を調べてみると、アレキサンダーのあやしい経営によって、窮地に陥っていることがわかってきた。
男の強さと弱さ、女の巧さの他に、厳しい海象になった時の海の恐ろしさが巧に描かれている。年1作のペースで発表される作品が、毎回前作を上回るセールスを見せるという売れっ子作家の作品は、さすがに面白いです。

2008/8 「サヨナライツカ」 辻仁成 幻冬舎文庫
タイバンコクの駐在員時代、背が高く、野球で鍛えた肉体を持ち、温和に人に対応する航空会社の広報マンの主人公豊は、「好青年」と呼ばれ、タイ在住の日本人会で人気があった。
会社の会長夫人からの縁談の話が進み、申し分のない妻をクリスマスに迎えようとしていたその夏、彼は沓子に会ってしまった。着飾って目立ってはいたけど、ただそれだけと「好青年」な彼は特に印象に残らなかった。でも後日突然彼の部屋を訪ねてきた沓子は素晴らしかった。
南国の地で自由奔放に生きている沓子に惹かれていく自分と、家族に祝福され、周りのみんながうらやむしとやかな婚約者の光子との間で心は揺れるが、「好青年」の彼は、沓子に本心を打ち明けることなく光子との生活を選ぶ。
光子に初めて会った時、「人間が死ぬ時、愛したことを思い出す人と、愛されたことを思い出す人に分かれます。あなたはどちら?私は愛したことを思いだす人です」の言葉が豊を捕らえていた。
沓子に会った時、同じ質問を沓子に投げかけると「私は愛されたこと」と答えていた。でもクリスマスが翌日に迫った日、「愛したことを思い出す」と変わっていた。
その後それぞれの道を歩んだ2人は、25年後再びバンコクで出会う。そして・・・
誰にでも、かつての忘れられない異性との思い出があるだろう。私にだってある。「あの時・・・」であれば、きっと今とは大きく違った生活になっていただろうと思う人がいる。今どうしているのだろう?と思うが、永久に会わない方がいいとも思う。淡い切ない思い出のままにしておきたいと私は思う。
彼女とのことで成長し別の人との今の生活があり、決して今大切な人には話せないその思い出を思い出すことで、今をがんばれることもある。そして大切な人にもあるだろうそういう思い出にも拍手を送れる。誰にでもあるそういう思い出が綴られた小説です。

2008/7 「胸の香り」 宮本輝 文春文庫
宮本さんの短編集です。こないだ読んだ村上春樹さんご推薦のレイモンド・ガーバーより、動きがあってずっと良かったかな。宮本さんは、私の中では、青春小説家というイメージが強いのですが、この7つの短編の主人公は総じて中年です。
問題を抱えながらも、若者にはない経験から来る強さで淡々と生きていこうとしている。それぞれが、もう少し膨らんでも面白いなと思いました。

2008/7 「愛は脳を活性化する」 松本元 岩波書店 ★★★
最近、コンピューターやロボットの研究から、最も素晴らしいPCでもある人の脳に関する研究が進んできました。自分の周りには様々な情報が飛び交っています。でも、今の自分に必要のない情報をカットして、必要な情報を選択してインプットする素晴らしい働きが脳にあります。
例えば、車の運転をしている時「お腹がすいてきたな」と思ったら、レストラン・パン屋・・・などが過ぎ去る景色から浮き出るように見えてきます。こういう種々選択する働きがあるから、こんなに小さな脳で、こんなに大きな働きが出来るのだろうし、PCに比べるととんでもなく省エネになっています。
そういう興味から、「岩波科学ライブラリー」シリーズのこの本を手に取ることになりました。松本さんは、脳型コンピューターの研究家です。現在のPCは、とんでもなく早く計算などをしますが、あくまで人がデータや命令をキーボードでインプットしないといけません。最近は、ロボット研究から人の目にあたるレンズを通して入ってきた情報にも反応するようになりましたが、あくまで人がプログラムしたものに基づいてです。
脳型PCというのは、人間と同じように脳が考え、脳が情報を得ようと行動し、そしてそれを判断し次の行動に結び付けていくPCのことです。
この本の前半は、論文を読みやすくしたような私のような素人には、興味深いけど、幾分間延びしてしまうような松本さんの研究成果から得た硬い言葉が並びます。が、PCの研究で分かってきた人の脳の記憶の仕組み、記憶を呼び出す仕組み、判断の優先度の話になってくると、とても面白く、子育てや家族とのかかわり方を、脳の仕組みからみると、生き方や接し方の真髄が見えてくるようです。
たった100ページ足らずの本ですが、とても素晴らしい内容で、最高点★3つでした。
あまりに素晴らしい内容で、私の言葉でこれを表わすことは到底出来ないので、多数箇所の引用によって、それに代えたいと思います。

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「記憶の階層構造」
脳のメモリ、すなわち記憶の機能をもう少し詳しく見てみよう。脳は、一度アルゴリズムを長期的な記憶として獲得すると、その獲得したアルゴリズム(記憶)はその後一生涯消去されないと考えられている。すなわち、脳のメモリは消去不能なライト・ワンス型なのである。しかしわれわれは日常的に、記憶が時の経過とともに薄れ、失われていくことを経験している。脳が記憶を一生保持するとすれば、われわれが物を忘れていくのはなぜなのだろうか。
これはメモリの内容が失われるためではなく、何らかの機構によってメモリを呼び出す(活性化する)ための闘値(しきいとなる値)が高くなり、呼び出しにくくなるためであると考えられる。時間のたったメモリが呼び出されるのは、そのメモリが形成された状況に限りなく近い入力情報が得られたときや、何かとてつもない衝動的な事件に遭遇して脳全体の活性が異常に高まったとき、などである。前者では、入力情報に相関した特定の記憶が出力されるのに対し、後者では脳全体の活性の上昇度に従って、それによって出力できる記憶が無差別に出力されることになる。
 脳という記憶庫を氷山にたとえ、海水面を意識とすると、海水面より上、すなわち意識の上にある部分がワーキングメモリとして日常的な活動に使われている記憶である。
一方、海水面以下の意識下の部分、つまり潜在意識下のメモリは脳の大部分を占めており、ここに生まれてから現在まで脳が強い刺激を受けて長期記憶化したメモリが固定され保存されている。しかし、潜在的なメモリは呼び出される闘値が高いというだけで、メモリの内容は緻密なまま保存されている。この潜在記憶が、メモリを掘り出すのに十分マッチした入力情報が脳に入力されたときには選択的に、また衝撃的事件などによって脳全体の活性が大幅に上がったときには無選択に、取り出されるのである。このようなときには、潜在的なメモリが突然に出力として取り出され、それによって言動などの
出力がなされることになる。

「記憶と追加学習性」
このように脳の記憶は階層構造化しているが、この点においても、遺伝との共通性が見られる。遺伝情報も同じくすべてが記憶庫であり、そこでも追加学習能がある。遺伝におけるアルゴリズム獲得のきっかけは、主として偶発的に起こるDNA配列の変化であると先に述たが、遺伝情報にもDNA配列自身に関する学習則があると考えられる。
例えば、あるブロックのDNA配列を相互に入れ換えるなど、自分自身のアルゴリズム獲得のための戦略(学習能)を自ら有するのである。そしてこうした戦略によって記憶が階層構造化されていることが、各生物が進化に至る過程で得たあらゆる記憶を保存しているということにつながるのである。このように、脳と遺伝という生物の代表的情報システムはともにメモリベースアーキテクチャであり、同様の構造をもつと見ることができる。さらに言えば、免疫も同型の構造をもつと考えることができるだろう。
 追加学習能による階層構造化によってメモリを形成するシステムは、大規模な問題に対処する場合に適している。長年月による積み上げで問題対処の答を得ることができるからである。しかも、遺伝と脳のような二重構造を作り、生物の悠久な時間的発展の中で基本的に対処すべき課題と、生物一個体の中で環境に対し適合しながら対処すべき課題とを分けて設定しているというのは、きわめて優れたシステムと考えてよいのではないだろうか。
 現在のコンピュータで大規模問題に対処しようとするときには、その負担は多くソフトウェア開発に課せられる。ソフトウェア危機(クライシス)などと呼ばれる由縁である(もちろん、大規模問題の処理に対するソフトウェアの負担を軽減するためには、新しいハードウエアの開発が必要であり、大規模問題はこれと相倹って解決されるべきであろう)。現在では、ソフトウェアをハード化するのはきわめて普通のこととなっており、ハードとソフトの境界はますます小さくなっている。例えば、身近な典型例が、ペンティアムという新しいプロセッサ(ハードウエア)の開発による画期的なウィンドウズ95というソフトウェアの開発である。
 これとは別に、脳や遺伝のシステムでは学習によって記憶を階層化し、徐々に対処できる問題の規模を大きくすることで、ついには大規模問題を解決する。したがって、脳と同じ原理で働き、アルゴリズムを自動獲得する脳型コンピュータが完成すれば、大規模問題に対してもアルゴリズムを自動獲得して対処できるものと期待される。

「価値と認知の二重性」
 脳は学習によってアルゴリズムを自動獲得すると再三述べてきたが、その獲得すべきアルゴリズムに対する情報をどのように選択するかは、どのような機構によって決められるのだろうか。すなわち、学習すべき方向(目的)とその評価の決定機構である。
 ここで脳は、価値と認知という二重構造によって情報の選択を行っている。すなわち、まず脳はその情鞄に「価値」があるかどうかを大ざっぱに判断し、その後、より詳しい分析を「認知」の機能によって行うのである。こうして脳に入力された情報によって、脳はアルゴリズムを選択し、情報を処理すべき方向(目的)を決定する。
 この脳の二重構造は、大脳皮質の古皮質系にある「価値情報システム」と新皮質系にある「認知・運動情報システム」とからなっている。価値情報システムは、入力情報の価値をまず粗く判断し、脳が情報処理すべき方向を設定する。その後、認知情報システムはその論理の裏付けを与えるように働く。脳は、したがって、「仮説立証主義」を採用しているのである。この方式によって、入力された情報は、脳の膨大な記憶庫の中から必要とする記憶を高速に検索し、出力できるのである。価値情報システムは、入力情報が認知情報システムを高速検索するためのインデックス付加を行うシステムとみることができる。脳がメモリベースアーキテクチャのコンピュータである特徴が十分生きるためのアーキテクチャ上の工夫として、脳の情報処理は価値と認知・運動情報の二重構造となって、並列に行われる仕組みになっているのである。これらの仕組み(アーキテクチャ)は、遺伝情報が35億年の歳月を経て獲得してきたものである。
 学習効果は、脳が入力情報を強い入力刺激として受け取ったときに生じる。強い入力刺激を脳(あるいは神経細胞)が受け取ったとき、脳(あるいは神経細胞)は出力を出す。
それでは、脳が強い刺激として受け取り、出力を出すに至る入力情報とは、どのような情報なのだろうか。それはまず第一に、価値があると脳が認めた入力情報である。
 脳は、外界の情報を目や耳などの各種感覚器を通して入力する。各種の感覚情報は一度視床で統合された後、視床から直接扁桃体へ入力される「情動経路」と視床から大脳新皮質に入力される「感覚認知経路」の二つの経路へと送られる。これらの並列経路の存在は近年、ルドーらのラットに対する情動学習の神経機構の研究によって明らかになった。ラットにブザー音を聴かせ、このブザー音の終了直前に強い電気ショックを与えるという組合せ刺激を加えたとき、この組合せ刺激を2〜3回与えられたラットは、ブザー音だけでこの後電気ショックが来ることを予想するように学習付けられる(「恐怖の古典的条件学習付け」)。ルドーらは、このように恐怖の古典的条件学習付けをされたラットの脳の各部位に損傷を与え、それぞれの場合に恐怖反応が再現されるかどうか調べていった。その結果、恐怖中枢は大脳扁桃体に存在することが判明した。音刺激の信号は視床を通った後、大脳皮質経由か、もしくは直接に、扁桃体外側核と呼ばれる部分に入る。そして、直接に、もしくは副基底核や外価基底核経由で扁桃体中心核に入り、恐怖行動を起こすような生理反応が引き起こされることがわかったのである。

「不測の事態に対処できる脳型コンピュータ」
 さて、脳型コンピュータのイメージの第一は、アルゴリズム(プログラム)自動作成型コンピュータである、と先に述べた。ここまで見てきた価値と認知という脳の二重構造との関連で考えると、入力情報の意味を即座に判断してそのための認知情報処理を行うことができるコンピュータが、脳型コンピュータのもう一つのイメージである。一このことは、脳型コンピュータが不測の事態にも対応でき、危機管理の行えるコンピュータとなり得ることを示している。現在のコンピュータはすべてマニュアルに従って作動するので、不測の事態には対処できない。したがって、例えば自動車の安全運転走行を現在のコンピュータ管理の下でさせようとしても、人工的によく管理されたテストサーキッ トでは可能であっても、町中で実際に使うことは難しい。町中ではどんな不測の事態が生じるか判らないので、全てをマニュアル化してコンピューターに指示することが出来ないからである。原子力発電所を運転する際の危機管理も原則的には同じだろう。
このように、情報化社会が進展して、社会的な秩序や運営がコンピュータで管理されることが多くなってくるとき、それがすべてマニュアル管理のコンピュータで行われると、危機管理に大きな障害が生じる可能性がある。しかしそれ以前に、人や社会もマニュアル化され、自由さえも大幅に管理されることで、人としての尊厳を失うことにもなりかねない。マニュアル型のコンピュータを使い続けると、ユーザであるわれわれも「マニュアル型」になってしまうおそれがある。人がコンピュータに適合するのではなく、人の道具としてコンピュータがあり続けるためにも、脳型コンピュータの研究開発が必要な由縁である。

 脳型コンピュータの研究開発における脳の役割についても、飛行機開発と鳥との関係と対比的に考えることができる。脳の存在が脳型コンピュータ開発の夢を描かせ、そしてその開発を通して脳の原理がより深く理解できるようになると期待されるのである。

「脳型コンピュータの特徴」
 脳型コンピュータの特徴としては、アルゴリズムの自動獲得ができること、柔らかい情報処理ができること、不測の事態や危機管理など実世界対応が可能なこと、階層構造性によって大規模問題に対処できること、超並列性により高速演算が行えることなどがあげられる。また、これを実現するための素子を基本的に一種類用意するだけで、そこで担うべきアルゴリズムを自動獲得してゆくことができる点も特徴的だし、さらに、メモリベースアーキテクチャであるために、情報処理システム全体を常時稼働させる必要がなく、検索のために情報インデックスを付け、それによって選択されるメモリ部だけを活性化(稼働)させるので、大規模でもきわめて低エネルギー消費のコンピュータとして実現できる、などの長所をもっている。これらの特徴は、現在のコンピュータがはからずもきわめて不得意、あるいは技術的障壁が高いと考えている情報処理、またはコンピュータの構成上の技術をクリアしている。
さらに前にも述べたように現在のコンピューターを情報処理・情報通信の手段に使い続けると、我々自身がコンピューターのようにマニュアル型になりかねない。コンピューター自体がマニュアル稼働であるので、このようなコンピュータを使い続けているうちに、これにわれわれが適応してしまい、われわれもマニュアルに従わないと判断・行動ができず、適切な対応のできないマニュアル人間になりかねないのである。われわれの周囲を少し注意深く見渡すと、このことに気付き博然となることがある。情報処理や通信の手段としてコンピュータを使っているうちに、人として最も大切な適切な対応性(しなやかさ)や潤い、ぬくもりなどの情感が失われるとすると、便利と思って使ってい
るコンピュータが、実は人間にとってかけがえのないものを奪うことになりかねない。
このためにも、脳と同じタイプのコンピュータを使って人間の情報を処理・通信することがきわめて大切なのである。
 脳もコンピュータもともに計算汎用性があり、究極的にはともに同じ能力を持つ情報処理システムを実現できると考えられる。しかし、情報処理システムの表現の仕方の原理が違うので、脳とコンピュータの特性は相補的なものとなる。
 前に述べたように、脳と同じ特徴をもつ脳型コンピュータが工学実現できる、ということの確信は、脳というコンピュータが存在しているということからくる。

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 このことをつきつめていくと、「科学に客観はない」ということにつながる。科学は自然現象の論理的・体系的理解として、長く「客観性」をその理解の基盤としてきた。しかし、これまで述べたように、自然現象を最終的に認識する「人の脳」の情報処理が主観的なものであるということは、自然認識(すなわち科学)も、客観的には行い得ない、ということを示している。客観的に行い得ているように思えるのは、自然現象の観測者側の学習体験を共通させることで、見かけ上の客観性が保たれているにすぎないのである。
 自然現象はこうである、と認識するとき、人はそれまでの学習経験で作った脳の内部世界によってそのように認識しているにすぎない。それまでの学習経験が異なると、自然現象の観察や認識は異なるのである。
 例えば、ケンブリッジ大学の生理学の教授ブレイクモアは生まれたばかりの子ネコを用いて次のような実験を行った。子ネコを生後三週間まで、縦縞だけしか見えない環境で育てたら、このネコはその後横縞のある環境に移しても横縞が見えにくくなったのである。これは、このネコの大脳皮質視覚領と呼ばれる部分に、縦縞に応答する神経細胞が圧倒的に多く形成され、横縞に応答するものはあまり作られなかったためである。
 人の場合でも、視覚の初期回路形成は、生後3才ぐらいまでが特に環境に対しての感受性が高く(ネコの3週間ぐらいまでに対応する)、この時期は臨界期と呼ばれている。この時期に、例えば1週間程度以上眼帯などで片眼を覆い視覚入力を遮断すると、視覚性刺激速断弱視と呼ばれる視覚障害を起こすことが臨床的にもよく知られている。
以上のことは、人が共通した学習体験によって育てられないかぎり、自然現象として観察するものも大いに異なることを示唆している。そしてこのことは、普通の人と異なった環境に生育した人は、普通の人とは異なって世界を観察し認識するようになることを示している。人はみな個々に異なった内部世界をもち、それぞれ異なった自然と接しているのである。

「潜在記憶が掘り出されるとき」
 このように内部世界が人によって異なっているということと、さらに外部情報が内部世界からの答を引き出す検索情報として働くことから生じる心の特性を考えてみよう。
 長年連れ添ってきた仲のよい夫婦に起こったケースとして、次のような高がある。妻が夫に買い物を頼んで夫が戻ってきたとき、妻が「あなた、おつりは?」ときいた。その途端、夫は烈火のごとく怒り妻を罵倒したのである。夫は後に冷静になったとき、「なぜ『おつりは?』と聞かれただけで自分がカッとなり、冷静さを失ってしまったのかわからない」とカウンセラーに告白している。
 カウンセラーは夫の個人史を探ることから、小学校三年生のときに父親に買い物を頼まれた際、おつりをごまかしてしまい、そのことが長く意識下の心の痛みとなってきたことを知った。すなわち、何度もおつりを父親に返そう、返さなくてはいけないと思いながらその勇気が出せず、自分を責めていたが、半年から一年経つうちにまったく忘れてしまっていた、というのである。そうした記憶が妻の一言によって突然浮上し、先のような言動につながったのであった。
 この夫は小学校三年生のときの経験から、「おつり」という言葉と「自分に対する嫌悪の情」を結びつけ、潜在記憶として脳に貯えてしまったのである。半年から一年経って忘れてしまったように思っているが、数十年経っても脳の潜在記憶には貯えられていて、単に取り出しにくくなっていたにすぎないのである。そうしたときに、記憶を貯えたときと同じような状況が再現されて、記憶がよみがえりそのときの感情がありありと浮かび上がったのである。
 このケースは、自分を信頼してくれていた父を裏切って、おつりをごまかした記憶が、同様に信頼していてくれる妻に「おつりは?」と聞かれたことからよみがえり、「おつり」という胃薬に付随して「自分は嫌な男だ」という感情が連想されて取り出された、と考えることができる。その後、この夫婦の間は急速に険悪となり、カウンセラーはその調整に大変なご苦労をされた、という。
 動物の情動応答は、相手から不快な情報を得たと思うと、その相手に不快な応答を返し、快の情報をくれたと思う相手には快の応答を返すというものである。われわれ人も、基本的にこれと同様である。無論、人の場合には価値の第一次判断系で右のような基本的応答に至っても、認識系を含んだ第二次の判断系が一次系の判断による出力を抑制して、例えば言動面で不快応答を抑制して隠すということも起こり得る。しかし、いくら出力を抑制しても、脳は基本的には「嫌いなものは嫌い」であり、「好きなものは好き」ととらえている。
 さらに、脳には連想学習性(情報を連合して学習する性質)というものがある。その結果、ある人から不快な情報を得て、その人を嫌いとなると、その不快情報が強烈であるほど「嫌い」という感情がその人のもつ属性全般にどんどん広がってゆく。数学の先生が嫌いになると、数学まで嫌いになってしまう。さらにその先生に対する「嫌いの情」が強くなると、先生一般、さらには学校までも嫌いになるというように、嫌いの範囲が拡大するのである。先の例の妻は夫から罵倒されたために夫が嫌いになったのだが、そのときの罵倒のされ方があまりに強烈であったため、それだけ夫の多くの点が気にくわなくなってしまったのである。
 「おつりは?」という言葉と「自分は嫌な男だ」という感情との連想から、「あなたは本当はものすごく嫌な男なのね」と言われたと同じ感情が引き出され、そう言われたものと思ってしまった。そのため、夫はこの強烈な不快情報をくれたのは妻であると誤解し、徹底的に不快応答を返した。このように、潜在記憶として存在する過去の痛み、苦しみ、怨念がその過去と似た状況の中で、それらの感情と結びついている言葉や行為などによって掘り出されたとき、われわれは思いもよらぬ言動をすることがある。
 こうしたとき、われわれはたいがい自分がする思いがけない言動の根拠がわからない。それは、潜在的にふだん障れているわれわれの内部世界が突然、顔を出すからである。調べてみると、このようなことが原因で引き起こされる刑事事件も数多いようだ。
例えば、一九五大年に高知市で「おんし」(「お前」という意味)という言葉をしつこく使った人が、「おんし」という言葉が深い憎悪の念と結びついた過去を持つ人に殺害されたという事例のあることが報告されている。ちなみにこのような例では、罪の軽重は主として、この行為に至った原因が意識されたものであるかどうかで決まり、「殺人の故意は意識の深層にあっても成立する」と解釈されるのが裁判の上では通例であるようだ。すなわち、「おんしし に深い憎悪の念を結びつけた過去を持つ人が、そのきっかけとなった事件を自分の内部世界にそのまま持ち込んで、処理しないまま潜在記憶としていたことが立証されれば、意識の深層にそうした危険なものを保存していた個人の責任が追及され、犯した行為は故意である、と認められるというのである。この場合の加害者は、犯行が終わったときには平静に戻り、「こんなはずではなかった。殺す意志はなかった。」と反省することが多いという。
 ここで繰り返し述べておきたいことは、外部情報を快・不快ととらえるのは脳の内部構造だということである。決して外部情報が快・不快という感情を運び込むのではない。
精神的な痛みを伴うために不快ととらえがちなことも、「自分にとって価値がある」と思えば、脳は活性化され、問題解決へ向けて自律的に脳の回路が形成されていくのである。カウンセラーにできることは、クライアントを直接治すことではなく、クライアントがいまある状態のありのままを受け入れ、そう思わざるをえない感情を共有することで、クライアントが自主的に問題を解決できるよう手助けすることであろう。いつも喜び、感謝する気持ちがあれば、どんなことにも対処できる道を脳は生み出すことができる。

「記憶を書き換えること」
 第1章で述べた記憶の特性から、怨念、苦しみ、悲しみなどと結びついて一度長期記憶化し、潜在記憶化したものは一生涯消えない記憶として脳に留まると考えられる。それでは一度怨念や苦しみの感情と結びつけて潜在記憶に貯めこんでしまったものは、どのようにすれば好ましい記憶に転化させることができるのだろうか。
 それは、潜在記憶を何らかの形で意識の上に呼び出し、その記憶にまつわる感情を好ましいものに結びつけ変え、感情の部分が転化した新しい記憶として長期記憶化することによって可能となる。映画評論家の淀川長治氏の例を考えよう。氏は父親に対し強い嫌悪の情を抱きつづけ、父親が亡くなった後もこの怨念は晴れなかったという。しかし、あるとき自分がなぜ映画の世界にあって、ここから人生を学び、心の豊かさを得ているかを考えたとき、その手ほどきを小さいときにしてくれたのが父親であったことに気付いた。そして、これまで父親を怨み嫌ってきたことをすまなく思って涙した、という。淀川氏はこの日を境に、父親に対する怨みの気持ちが嘘のように消え去り、感謝できるようになったそうである。
 この例は、父親に対する記憶と怨念の感情とが連合していたのが、感謝の気持ちとの連合記憶へと変換され、新たな長期記憶として形成されたものと考えられる。この長期記憶の形成は、父親にまつわる自分の感情の連想を、泣くほど強い刺激として入力したために行い得たと思われる。こうして新しく長期記憶化した「父親と感情」という記憶は、古くに長期記憶化した「父親と怨念」という記憶よりも取り出しやすい、意識の表層に近いところに形成されている。そのため、以降は父親のことを思うと、より容易に感謝の念が付随して取り出されるようになり、怨みの気持ちは取り出されなくなったのである。
 淀川氏は「感情のすげ変え」を、自分で気付くことによって達成された。しかし、こうした問題にカウンセリングによって気付かされ、それによって過去の精神的痛みから解放される場合もある。深層に強い怨念、痛み、苦しみ、悲しみなどの感情が強く長期記憶化している人は、さまざまな入力情報によってこれらが呼び出される機会も多いだろう。そうした場合、その苦しさ、痛さの原因が自分ではわからないことが多い。このようなとき、カウンセラーとの対話の中で、原因を掘り下げ、その転化へと自分をもっていくことが可能になる場合がある。こうした臨床心理療法はかなり経験的なものとされているが、脳の特性からみて理にかなったものであることが多いと思われる。

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ラットの情動実験の例でもわかるように、脳が損傷を受けていても「快」の情動を受け入れることは可能であるから、それによって脳の活性が向上し、脳内に入力される情報を処理する回路が作られるのである。この結果、情動情報が脳活性を制御し、脳が自ら価値を認めた情報を処理する神経回路が脳内に表現される。これが「愛は脳を活性化する」という意味である。

「意欲ということ」
 心は知・情・意からなる、と言われる。ここまで述べたようなことから、われわれは情を受け入れ(価値を認めて)、意が向上し(脳の活性が上がって)、知が働く(脳が働く)生物であることがわかる。すなわち、情がマスター(主人)で、知はスレーブ(従僕)である。脳は意欲で働くのである。特にわれわれは、人から受け入れられ、人からわかってもらうことで意欲があがり、知が働くように作られている。
 優れたバイオリニストを数多く育てられたことで知られる鈴木慎一氏は、優れたバイオリニストを育てる方法として次のように述べられている。すなわち、バイオリンを習いたいといってきた子供たちに、最初からバイオリンをもたせることはしない。まずはその親に、一曲弾けるようになるまで指導するのだそうだ。この間、子供には家庭でバイオリンのレコードを聞かせるのである。そうして親が弾けるようになってくると、子供にとってはバイオリンのある環境が自然なものとなる。そしてそのうちに「自分もバイオリンを習いたい」という意欲が自然と沸いてくる。そうしたときに、はじめてバイオリンをもたせるのだそうだ。
 普通の子供は、自分からバイオリンをやりたいとはなかなか思わないものである。一般的には、「親に言われて」ということが多いだろう。そうした子供に無理やりバイオリンを持たせても、決して上達しない。自分から弾きたいという気持ちにさせること、意欲をもたせることが、熟達への第一歩だというのである。鈴木氏の話は、脳がある目的に価値を認め、意欲をもつことによって学習性を高めるという脳の特性とよく合致している。

「人にとって情報とは」
 人にとって情報とは、自分に何らかの影響を与える事柄である。一方、脳にとっての情報とは、脳の活性に影響する事柄であると言える。脳の活性に最も支配的な情報は、「情」に関するものである。一般的に、情は低次元の心のはたらきと思われがちだが、実際には情こそ脳というエンジンをもっともよく働かせるガソリンなのである。人は情が受け入れられ・・・それによって意欲が上がると脳の活性も高まり、知が働くようになる。
 人と人との会話を例に考えてみよう。会話が生き生きと成り立つのは、単に事実や考えのみが交流されているときではなく、感情にしっかりと焦点が当てられているときであろう。実は、人は感情を受け止めてもらいたいために会管し情警やりとりするのだ、と言っても過言ではない。
 子供が母親に、「お父さんから1000円お小遣いをもらったので、絵本を買いにいきます」と言ったとしよう。この子はこの言葉によって母親に、「父親から小遣いをもらった」という事実と、「もらった1000円で絵本を買いたい」という考えを伝えている。しかしこの子はこうした会話によって、これらの事実と考えだけでなく、母親に、自分がどんなに嬉しいかを伝えたいのである。したがって母親この子の感情に焦点をあてた受け答えをしないでいると、この子は自分が母親に伝えようとした真意が伝わっていないと思い、自分が理解されていないと感じてしまう。このとき親が、「よかったわね。お父さんからお小遣いをもらって好きな本を買えてうれしいでしょう」という趣旨の受け答えをすれば、心のやりとりの会話が成立し、この子は理解され支えられている安心感を得るのである。こうすることによって、脳はよい影響を受け育ってゆくだろう。人を理解するということは、その人の発した言葉の内容を理解するだけでなく、その言葉を発する基盤となる感情を理解することなのである。

「日本人の文化と心」
 人の情報を担うものは、言葉だけではない。特に感情の伝達・処理には非言語的なものの果たす役割が大きい。西欧人は、キリスト教を文化の基盤にしていることなどによって、言葉に対する情報の依存度が高いと言われる(新約聖書の「ヨハネによる福音書」一章一節に「初めに言葉ありき」という句がある)。これに対し、日本人は伝統的に少ない言葉の中に感情を埋め込んで情報を伝えることに長けている。例えば、俳句や短歌などを見ても、日本人が言語の行間に醸し出される情報を大切にする文化をもつことがわかる。
 このことは、よく日本人に対して聞かれる批判である「あいまいだ」「何を考えているかわからない」「論理的思考が劣る」などにもつながると思われがちである。しかし、日本の文化の一つの特徴は、すべてを言葉で言わなくても、人としての情報が十分伝えられるようなことを重視してきた、ということであろう。脳では、学習経験によって情報処理の特性が決まるので、このような日本人のタイプは日本文化の反映であり、ある意味では世界の中でも特異な脳の特性分化をとげたものといえる。話された言葉から、その背景にある話し手の感情を思いやり、理解しようとするというような心の交流は、日本人的な感性を持たなければ成り立たないであろう。言葉でだけ情報を伝えようとし、言葉でなくては情報を受け付けないとする文化では、同じ言葉を使う人との間でさえ心の交流は難しいのである。
 人は言動などの行為(doing)の基盤となる存在(being)を人に支えてもらうことによって、人と人との関係を成り立たせることができ、このことを通して、自分がわかってもらったという安心感も得られる。そのために必要なのが心の交流に支えられた対話なのである。例えば、オートバイを暴走させる男の子がいたとしよう。この子がこの行為に走る基盤にあるのは、心理学的に見ると、社会や家庭から愛されていない淋しい感情であると言われている。そうであるとすれば、脳の特性から見て、われわれはこのような子との会話やその他の接触を通して、こうした感情に焦点を当てた受け答えをすることが重要である。すなわちこの淋しさを理解し充足するように応答することによって、この感情の発露となっている行為を解消することにつながるのではないだろうか。この子の行為を改めるように教えるのではなく、その行為の発露の源となっている感情を「わかる」 ことが最も大切なのである。
 人は人との関係において生きる。そのため、われわれは情報なしに生きることはできない。これまで述べてきたことからもわかるように、情報の中で人にとって最も重要な事柄は「情」である。人の存在は情によって支えられ、その行為や言葉はその情を表現する手段にすぎない。どんなにインターネットで事実や考えが頻繁に飛び交う世の中になっても、事実や考えを伝え合う情報だけでは真の情報化社会とはいえない。人にとっての情報化社会とは、人の心に潤いを与える、情の通い合う社会でなくてはならないのである。

「なぜ欲求があるのか」
 人は、その脳の特性から、欲求を充足する方向に行動する。そして人には、一つの欲求が充足されると次の段階へさらに欲求を進めようとする傾向がある。
 このため、人は現在その人の置かれた位置がたとえ他人から高く羨ましいと思われていても、その位置そのものには満足できない。むしろ、欲求のベクトル(方向)が上向いていると思うことによって幸福感が得られるのである。したがって、人の幸福度とはその人がいる位置ではなく、そこから向かうべき方向が上向きかどうかによって決まるといえる。たとえ悲惨な災害に遭って、多くの物が失われたとしても、将来に希望を抱きそれにむかって進もうとすることのできる人は幸福である。
 しかし人は、ある欲求が達成されると、むしろ脱力感を覚え、その目標に対する意欲がむしろ減退してしまうことがある。そればかりか、欲求が達成されればされるほど、次の目標に欲求のベクトルを上向けようと、さらに高いものを望むというのが常である。
「もっともっと」と欲求を追い求めるのである。このような脳の性質によって、人は芸術、文化、科学技術といったものを進歩させてきたことも事実である。現代の消費社会はこうした性質をうまく利用し、「あれば便利」というものを常に人に追求させるように進んできた。しかし、こうした飽くなき欲求の追求によって、人は「人としてなくてはならないもの」を失ってはいないだろうか。

「生まれつき備わった関係欲求」
 生まれたばかりの赤ちゃんでさえ、誰に教えられなくても、おっぱいに吸い付く。欲求のベースは遺伝的に与えられているのである。われわれの肉体を維持、発展させるために、遺伝的な欲求として食欲、飲水欲、睡眠欲などの生理的欲求が備わっていることはよく知られている。しかし、われわれにとって重要な欲求はそれらばかりではない。
 われわれ人は、集団として生きる動物であり、集団の中で生活し、行動する社会的な動物として進化してきた。言ってみれば、われわれは他の人と関わることによってのみ、生きることができるのである。そのためわれわれには、生まれつき人との関わりを求めようとする「関係要求」が、遺伝的に備わっていると考えることができる。
昔、ドイツのフレデリック二世は、生まれてきた赤ちゃんがどのように育裔を獲得するのかを観察するため、赤ちゃんの生理欲求はよく満たすが、赤ちゃんと関わることを一切しないという実験をしたという。話しかけるなどの関わりを一切断ったとき、赤ちゃんの言語獲得はどうなるのかをみようとしたのである。この結果は大変悲惨で、実験された赤ちゃんはみんな死んでしまったということが記録に残されている。関係欲求が充足されないと、たとえ生理欲求がよく充足されていても、脳活性は上がらない。外部情報に対し価値を認めることができず、意欲も上がらないために、脳の発育(神経回路の整備)は不全となってしまう。これがひいては免疫活性の低下につながるなどして、病気になり生命を失ってしまったのではないだろうか。
 この例では、関係欲求の不充足がきわめて強調されて現れたのは、実は生理欲求がよく充足されていたからだ、と考えられる。現代は「心の時代である」と言われるが、今の時代の状況はこの実験における状況に似てはいないだろうか。現在、われわれは物質的に豊かな環境にあり、生理欲求はまず満たされている。したがって、われわれの関心は関係欲求の充足・不充足へと集中する。そして、関係欲求が充足されないことでさまざまな支障を生℃ているととらえることができるのではないか。

「愛とは何か」
 関係欲求を、これまで述べてきた脳の機能と合わせて理解しょうとすると以下のようになる。脳は、遺伝的な生理欲求と関係欲求を基に、外部情報の価値を判定するところから成長を始め、この価値判定に基づいて行動規範を決める。それと同時に、価値によって脳内活性を調節し、学習能を制御することで、価値情報処理回路を形成する。そしてこの処理回路による価値基準に基づき言動出力し、外界からの応答結果を再評価して、必要とあれば価値情報処理回路を変更、修正する。すなわち、価値情報処理回路も遺伝的な欲求(生理欲求と関係欲求)をベースにしながら、学習によって脳内に固定化され、外部情報はその回路を活性化することで価値判定の結果を出力するのである。
 「愛」とはこうした関係欲求における価値表現である。つまり、愛とは人との関わりを求め、人の存在をそのまま受け入れるための価値の尺度ということになる。そしてわれわれは、愛をもつためには、自分自身が愛を受けた経験をもってそれを学習し、脳内にそうした回路を形成していかなくてはならない。
N君の例でもわかるように、愛は脳を活性化し、意欲を向上させて脳を育てる。われわれが、どんな悪い状況にあるときでも、愛によって支えられることでエネルギーが得られ、問題の解決につながるという経験をするのはそのためである。そして人は愛なしには生きられない動物であり、愛されることによって安心感を得て、「そのままの自分をいきいきと生きる」ことができるのである。
 困難や苦しみに出会ったとき、人は自分でそれに立ち向かい、その解決の道を自分で探り出す努力の中で、そのための脳の回路を形成する。そしてそれを乗り越えるステップを発見して、われわれは成長していく。こういうとき、困難や苦しみから逃げないで立ち向かう勇気は、愛によってのみ与えられるだろう。愛は人が成長する源であり、心の活性化エネルギーなのである。脳にとっての最大の価値、そして活性化のもとは、関係欲求の充足であり、それは愛という概念で表現されるものなのである。

 生後数日の赤ちゃんでも、外部情報を大ざっばに概念化し、その意味づけを判断することができる。特に、今取り巻かれている環境がよいか悪いかを情動によって判断する能力は早くから備わっている。赤ちゃんの脳を育てるために胎教をするなどという話を聞くが、赤ちゃんにとって最良の環境は、母親から愛情あふれるケアをなされることであろう。こうした環境の情報は赤ちゃんの脳への「快」の情動情報として送り込まれ、脳は安心感を得て活性化され、脳の順調な発育につながるに違いない。

「信仰は合理的である」
脳における情報処理は「仮説立証型」であることを第1章で述べた。こうした方式は、学習によって獲得した答の中から自分が必要とする答を効率的に引き出す方法として脳が採用したものであった。またこの方式は、脳の発生・分化の過程で脳がアルゴリズムを自動獲得する方式としても、きわめて合目的的なものである。
 脳は「できる」と確信する(仮説を立てる)と、その「確信」の論理的な後ろ盾を与えるべく認知情報処理系がフル活動をする。そのため「できる」と確信したことは必ずできるようになる。逆に「できない」と確信してしまうと、脳は「できない」ことの論理的理由を明らかにするように働き、できる可能性をどんどん縮小する方向に働く。また、確信するものが何もない場合には、脳は情報処理の向かうべき方向が与えられず混乱してしまう。確信とは、脳の向かうべき方向の強固さの尺度であり、これなくして脳は十分に働くことができないのである。
 われわれは、こうした脳の特性によって、自分が望んでいる事柄や未だ経験したことのない事柄に対し、自分をどの方向に誘導すべきかの「確信」を常に求めている。信仰とは、脳のもつこうした性質から生じているのではないだろうか。したがって、信仰に対する欲求はきわめて「合脳的」なものであると言える。
 新約聖書「ヘブル人への手紙」11章1節に「信仰とは望んでいる事柄を確信し、未だ見ていない事実を確認することである」という信仰の定義が述べられている。われわれは何かを確信することによって、自分で思ってもみなかったような大きな力を得て、大きな仕事を成就したりするという経験に遭遇することがある。こうしたとき、人はそこに「見えない存在」を実感することがある。こうした実感が信仰する喜びを与え、それが自分を動かす大きな存在としての「神」を思うことにつながるのではないだろうか。
そしてそうした信仰の喜びが、時代を経て、宗教という体系へと発展していったのではないかと思われる。
 宗教がそうであったように、科学も文明の誕生とともに進展してきた。しかし科学は、論理の積み上げによる自然の理解をめざすものである。科学を探求する人々は、こうあってほしいという期待を持って研究に携わることはあっても、「こうある」という確信をあらかじめ持つことは禁忌とされる。科学では、事柄の追求の結果として、確信が得られるのである。
 こうした筋道の違いが、科学と宗教の決定的違いであり、科学と宗教がえてして水と油のように融合しない原因であると考えられる。同じように確信を与えてくれるものではあるが、それがあらかじめ与えられそれに向かって行動するのと、何らかの論理的な思考の結果、ある確信へと達するのでは、脳にとっての意味が大きく異なるのである。
 脳は直観的な確信をまず得て、その後その確信を検証する論理の後ろ盾を導くように認知情報処理が進むと述べた。この認知情報処理の結果と最初の確信が整合していると判断されると、この確信はさらに深まり、われわれは納得してその方向に進むことができる。脳の情報処理がこうした特徴をもつために、われわれは複雑で見通しの得にくい現実世界の中で、論理とは異なる次元で何かを「信じ続けること」を欲するのであろう。

「脳科学から見たキリスト教」
 次に、キリスト教を例に、科学と宗教の問題を考えてみたい。なぜキリスト教かという理由の一つは、その教典である聖書がきわめて平易に書かれていて、誰にも理解しやすい形で提示されているからである。さらにキリスト教は、仏教、イスラム教などとともに長い歴史の検証を経てきており、現代においても、マザー・テレサをはじめ多くの人々が、その教義に従って、人としてすばらしい生き方をされて車るからである。しかし、聖書の人間理解は奥深いものであり、私の理解の及ばないことが多い。ただ脳科学が、何かを成し遂げるにはまずその第一歩を「踏み出す」ことが重要であると教えてくれているので、科学と宗教の問題を考えるために、あえてその第一歩を記してみたい。
 聖書を貫く基本精神は、人はすばらしく時間発展する可能性をもった存在であるということ、そしてすばらしく発展するための必要かつ十分条件は「愛」である、という二点に要約することが出来ると思う。人は人との関係によって生き、一人では生きられない存在である。人は人との関係の中で、「自分の存在が(存在するだけで)意味がある」ことを受け入れられ、自分のあることに平安を得ていきいきと生きることができる。
 聖書は、人はこの世に生まれて存在していること自体で意義深いと教える。新約聖書にも、愛とはこのことを認め、人に対しても自分に対しても、愛をもって接することが重要であると述べられている。さらに、「愛は寛容であり、愛は親切である」(「コリント人への第一の手紙」一三章四節)と定義されている。ここでいう寛容とは、人をありのままに受け入れることである。人の行為によって意義深い人であるかどうかを判定するのではなく、その人の存在そのものを意義深いと認める(受け入れる)ことが愛だというのである。前にも述べたように、人は存在を受容されることで基本的な関係欲求を充足することができ、これによって最高の快情報を得る。その結果、快情報を与えてくれた、すなわち自分を受け入れてくれた人には快応答を返す(親切になる)ことができるようになる。こうして、「愛は親切である」ということになる。
 こうして見てくると、聖書の基本精神は、われわれが遺伝的に獲得した関係欲求をもっており、その欲求を充足するように行動するという脳の性質ときわめてよく整合することがわかる。しかし、このような分析的な見方、すなわち科学的な理解は、現象の理解にとどまるかせりは単なる道理の説明でしかない。宗教は、信仰に生きる人にとって生きることの感動を味あわせてくれ、喜びを与えてくれるものである。そうした人たちには、宗教に合理的な説明をつけることは何の意味もないかもしれない。しかし、こうした見方を互いに共有することによって、まったく異質の分野とされてきた大きな二つの世界に接点が見出され、一元的な世界観が生み出されることが期待される。そして、こうしたことを通して、宗教に生きる人も、科学をよりどころにする人も、ともにわかり合えることができれば、どんなにかすばらしいことであろうか。

「「神」の実体としての遺伝情報」
 脳科学という観点に立つまでもなく、人を人たらしめているのは脳であることは自明であろう。われわれが考えたり、感動したり、日常生活を上手にヱなしたり、健康に過ごしたりすることができるのは、すべて脳に大きく依存している。脳はわれわれの存在そのものと言って過言ではない。
 脳が環境に適合して作られていく基本的戦略、そしてその潜在的な可能性は、すべて遺伝子の中の情報として与えられている。それは進化の過程で獲得されてきたものであり、人は自然が35億年かけて獲得してきた遺伝子によって作られるものなのである。
こうして、人は遺伝的情報の中で生きている。人がその生涯の中で、成長し自己発展し、多くの事を成し遂げていく場合にも、その方法、目的、到達可能なことはすべて遺伝情報の手の中にあり、その枠から逃れることはできないのである。
宗教における「神」の実体は、したがって、進化の過程で獲得されてきた遺伝情報そのものであると考えることができよう。神とは何でもできる万能の存在である。人の遺伝情報も、人に無限の可能性を与えてくれる。したがって、神(遺伝情報)は、何でもでき、人は神(遺伝情報)を通して何でもなすことができる。神(遺伝情報)の与えてくれる無限の可能性の中から何を人が選択するかは、神(遺伝情報)の摂理に従って、人の生後の環境が決定する。われわれは神(遺伝情報)の要請を逃れることはできない。人が神(遺伝情報)を選んだのではなく、神(遺伝情報)がわれわれを選んだのである。
 しかし、われわれが遺伝情報に忠実に生きるのは至難の技である。子供のときから「立派になれ」「人から尊敬されるようになれ」「人に負けるな」などの言葉をいつも聞かされて育ってくると、それを学習して「人からひとかどの人物であると言われるようになりたい」などという価値判断基準を作ってしまう。これは関係欲求によって、人との関係をポジティプにしたいと欲するあまり、関係を持ちたい人の価値に迎合してしまう結果である。この結果、自分の外の価値に振り回され、自分らしい人生を生きないことになり、神の言う「ありのままの自分をいきいきと生きる人になりなさい」からますます遠ざかって、自分の本音(神、遺伝情報)の願望とのギャップで苦しむことになってしまう。
 ありのままの自分をいきいきと生きることができれば、周囲に振り回されることなく、人の評価も気にせず、自分の納得のいく生き方を貫くことができるはずである。このような生き方は現在の自分と自分を取り巻く環境を肯定しているので、これによって脳活性は最大に高まり、結果として最高の人生を送ることになるのである。宗教的に正しく生きるということは、いつも遺伝情報の目的とそのやり方(神の摂理)に立ち返って、現在までに学習によって後天的に得たものと考え合わせ、それが神(遺伝情報)の精神に添うものかどうかを知ることであろう。このための所作が、祈りをはじめ、さまざまな宗教的所作と関連するのであろう。
 神(遺伝情報)の精神は、地球環境の問題を考えるときにもーつの基準となりうる。例えば種の保存に関して、「この種は○○のために必要だからぜひ残そう」とか「緑は人のために必要だからしっかり保存したい」などと考えるのは、神(遺伝情報)の摂理にそむいている。自然が35億年にわたって生み出されてきたものであることに思いをはせ、人の思いをはるかに超えて存在する自然の奥深い「意図」を味わい、あるがままの自然を受け入れることから、地球環境および自然の保護は出発するべきであろう。「災害」と人が思うものでも、自然の悠久の発展の中では必要なものもあるかもしれない。
 人が人の後天的に作った内部世界の価値尺度から自然を認識し、その尺度から、自然の中のこれはよい現象であり、あれは悪い現象であるなどと選別するとき、そのような選別という行為をなすことは、(あるがままを受け入れるというのでなく)すでに行為によって対象を評価する内部構造が人の中に出来上がっていることを示している。この内部構造による評価は、自然に向けられるだけでなく、自分をも含めた人にも及ぶ。「裁くな、裁かれないためである」と言われる由縁である。

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脳というのは、生まれてからの記録を全て記録している。さらに遺伝情報として、親からのものよりはるかに多く、悠久の35億年間の先祖の成長記録・経験をも記憶している。あることをしようとするとき、それら自分の脳に詰まった記憶と、そのためにこれから行う学習や行為を集めて、成就に導く。
記憶は、それを経験した時の感情と結びついて記憶されている。呼び起こしやすい記憶は、「快」という感情と結びついたもので、「不快」という感情と結びついた記憶は、思い出しずらい。
「何かをやり遂げられる」と思えば、やり遂げることが出来る記憶を脳からたくさん引き出してきて成就してしまう。反対に「きっと出来ない」と思えば、出来ない記憶を引き出して、成就しない。
人は人とのかかわりの中で生活する動物で、「快」の感情は、生まれた時からの周りの人から受けるもので、それが人生の原動力になる。
今までの人生を振り返ると、まさにその通りだと思う。現在のPCのように、外からの命令によって動くのではない脳PCを持つ人を、上手に成長させるためには、周りからの「快」感情が絶対条件になる。
「快」感情を与え続けていれば、自ら努力し、行動するのが脳PCです。新品の脳PCを持つ子供に、「・・しなさい」「・・してはいけません」の命令は、「快」より「不快」感情ではないだろうか。「快」感情を言葉などで与えることが重要で、「不快」情報をいかに「快」感情として与えるかが大人の技術なのかもしれない。
素晴らしい本でした。

2008/6 「男の子を伸ばす母親はここが違う!」 松永暢史 扶桑社
『わが子のオチンチン力をつぶしていませんか?』という副題が表わすように、男の子は、本来チョロチョロするもので、いくら「しなさんな」と言っても手を出したがるもの。小さな頃の脱線経験が、大きくなって実を結ぶ。エピローグに近いところに全体をまとめているような章があったので引用します。

『子の根本は「オチンチンカ」である
 少子化社会です。しかもすでにその少子化社会は世代交代しています。・・・現在のほとんどのお母さんは、女だけの一人っ子の方や女姉妹だけの方や、男兄弟がいても兄か弟だけの方ばかりでしょう。つまり、皆さんのほとんどは、お子さんが生まれるまで真近くで幼児のオチンチンを見ることがなかった方たちだと言えると思います。
 ここで質問ですが、自分のおしっこで、地面に半径二メートル以上の円をあっという間に措くことができますか。また、自分の背より高い塀の向こう側におしっこをすることができますか。さらに直径二センチの穴の空いている高壁の前に立ち、壁の向こう側におしっこをすることができますか。
 男の子はいとも簡単にこれができるのです。しかも全員です。それは、男性の性器が、カラダの外へ突出しているというほかには見られぬ臓器だからです。
 男の子はおしっこをするとき、それをどこへ向かってするかという判断をします。同時に自らの手でそれを支えて出したい方向に確実に用を足そうとします。ここには、意思が働きます。おしっこは男の子の自己コントロールの根本なのです。ということは、便器を汚さず確実におしっこができるようになったチどもはしっかりしやすいということになります。

 さて、「風もないのに」とか申しますが、オチンチンはいつもプラプラしています。このことからか、男の子は無意識的に気が散りやすいという特性を持ちます。
 男の子はチョロチョロします。際限なくチョロチョロします。まさに「疲れを知らない子どものように」というのは男の子のことでしょう。次から次へと遊び続けます。じっとしていることがありません。私は、長男があまりにチョロチョロするので疲れ果て、父にこぼしたことがあります。すると父は、「ふざけるな。オマエはこの百倍チョロチョロしておったぞ」と宣うたのです。
 まえがきにも記しましたが、私はこのチョロチョロこそが、男の子の最も大切な能力だと思うのです。私はこれを「オチンチンカ」と呼びます。
 オチンチンカはオモロイことを求め、探し、見つけます。またその過程で信じられないような発展的アイデアをもたらします。オチンチンカは男性の創造性のすべての源です。オチンチンカがあるから男はオモロイことを思いつくのです。
そして、オチンチンがあるからこそ絶えず気が散って無意味なことを繰り返すのです。ということは、男の子がチョロチョロするのが許せない親は、オチンチンをとってしまえばその望みがかなえられることになります。現に、男の子はチョロチョロすることを厳しく注意され続けます。
これはまずい。男の子を育てているのに、オチンチンがなければいいと願ってしまう。
この潜在意識はコワイ。実は男の子の指導の専門家(オチンチンの専門家ではない)である私は、このことに強い危倶の気持ちを禁じえません。
 考えてみれば、男兄弟のいないのは、女親に限りません。学校の女性の先生たちも同様だと思います。たぶん彼女らは、男の子のオチンチンをよく了解できていない人たちです。オチンチンカの大切さを知らない人たちです。ゆえに、男の子がチョロチョロするのが大嫌いで少しも許せないのです。「あー、どうして男の子ってこうなの」。よくこう思われる方は、まだオチンチンのことがよくわかっていない人です。
 もちろん、男の子も叱られることで成長する面を持っています。しかし、ただじっとしていることはできない相談です。われわれ男の多くは「散る」という特性を持っています。都市に生活していると、室内でテレビゲームやテレビ、コミックスといったものに向かわざるを得ない子も多いでしょう。しかし、長時間じっとしていると、オチンチンカが暴れる命令を出します。このことが「キレ」の原因のひとつであることも想像できるでしょう。オチンチンカが充分に発揮されたあとに、少しは我慢して机に向かってもいいと思う。これが男の子の普通の姿です。
 男の子を育てるには、チョロチョロするのをやめさせるよりも、上手にチョロチョロさせることが大切です。「落ち着きがない」などと嘆く必要はありません。
元気で男らしいと安心するべきです。たとえは悪いですが、犬の散歩に行って、犬がさも水を得た魚のようにはしゃぐのを見て、思わずこちらも嫁しくなる、そんな気持ちが大切です。
 ひと昔前の男の子たちは、一歩家を出ると、すぐに遊び場や自然環境を手にすることができました。車も住宅街を縦横に走るなんてことはありませんでした。
ところが、今は、男の子が安全に遊ぶ場所は学校の校庭くらいしかありません。
都内では、この五十年に子どもの遊び場は五十分の一以下になりました。変質者の事件も重なり、外で群れて遊ぶ子どもはかえって白い目で見られます。
 私は涙ながらに訴えたいと思います。これでは男の子が育ちません。これではすべての源のオチンチンカが育ちません。だから、われわれ大人は、男の子たちの遊び場環境の整備をなによりも優先することに断固たる決意をしなければなりません。
 私の教育コンサルタントとしての少なからぬ経験から言えること − 男の子をしっかりした子どもにしたければ、まず充分に遊びの経験を積ませること − これに尽きると思います。受験勉強はそのあとです。そしてその場を設ける仕事は、周囲の大人たちにしかできません。社会全体が子どもの遊ぶ環境に向けて協力していくときこそ、わが国の将来を担える子どもたちを育てられるのだと思います。
現代の生活では、男の子がおしっこをする場は激減しました。しかし、洋式便器は、男の子に正しいオチンチンのコントロールを学ばせる格好の教材です。洋式便器には、「壁」がありません。水たまりの中にするカタチになります。水跳ねを避けて、上手にするためには、オチンチンをよくほぐして膝のクッションを上手に使い、便器と水の接点に上手に集中して放水するテクニックが必要です。終わったときの「水切り」も手抜きができません。
 家庭教師の経験上、トイレが尿臭くて汚い家の子どもはしっかりしていないことがほとんどです。これは、「失敗」したときに、拭かせることを徹底しないからです。男の責任のもとはこれです。このことは、チョロチョロの正しい使い方につながる大切なことなので、できるようになるまでしっこく注意し続けることが必要です。お父さんにも見本を見せてもらいます。最近、トイレを汚さないために男の子にも便座にすわらせて川を止させるしつけをするご家庭があるようですが、言語道断です。トイレ掃除の手間をお子さんの教育に優先させて何とします。

 さて、やがてチョロチョロが看板だった男の子たちも、十二歳、十四歳と歳を重ね、陰毛も生えて性器に別の傲きがあることを知るようになると、自然とチョロチョロを停止します。逆にこの歳になってもチョロチョロが終わらないとやや異常です。ひょっとしたら、とんでもない大バカ者か、将来の大人物かもしれません。
 ともあれ、チョロチョロを終了した内面には、長年のチョロチョロの蓄積が大人の男が持つ本格的な好奇心や創造性のコアとなって形成されています。私は、これこそが男の子の学習力の源だと思うのです。充分にチョロチョロし終わった男の子たちは飽くことなく努力をすることができます。しかも、自分から勉強し始めることが多いので、うるさく言う必要がありません。
 また、このようなときにこそ、塾通いなどの教育環境を整備すべきでしょう。
遊びきった感触を持った子どもたちは、どこへ通わせてもまず成績が急上昇するものです。それにこれまでのあれこれの実体験が、学習の困難を解決する時限爆弾となって炸裂していきます。ただし、漢字の書き取り力と計算力が足りないと急速な成績向上の足かせとなるので、これだけはあらかじめしっかりやっておいたほうが後悔することが少ないようです。
こうして、健全なオチンチンカを育成した男の子たちが、やがて探究心・創造性・仕事力に優れた、社会に役立つ大人の男たちに育っていくのです。
 現代社会の男児育ての最大の盲点がこのオチンチンカです。』

2008/6 「「言語技術」が日本のサッカーを変える」 田嶋幸三 光文社新書
以前のサッカーは、「ここにボールを出せ」という感じで大声を出したり、手振りしたりだったが、最近はアイコンタクトで、選手同士が目を合わせただけで相手の意思が伝わってくるのが主流になってきているそうです。それらによってよりスピーディーなオフェンスにつながり、得点機会が増える。
でも、このアイコンタクト。実は、小さな時からのお互いの意見を交わす言語能力の有無によって効果が大きく左右される。現Jリーグ専務理事の筆者が、指導者を目指したドイツ留学時代、その重要性に気づき、福島のJビレッジでサッカーエリートを養成している施設で実際に取り入れている教育法です。
指導者が何か質問すると、「正解を探ろうと指導者の顔色を見て黙ってしまう日本の少年」と「自分の意見を言うヨーロッパの少年」の違いと書いているが、その根底に、小さな頃からの教育の違いをあげている。
1つの絵を見て何を感じるかという、無数に答えがあることに、いろんな意見を出させるようなディベート授業の有無。これをすることで培われる人との違いと正解のないことへの認識が、局面局面で無数に戦略が存在し、即時それらを選択して行動するサッカーに、とても重要だと語っている。
サッカーに限らず海外で活躍するスポーツ選手などは、日本国内では個性が強く時には異端児される傾向の者が多い。個の能力と個の意見を調和させて強力なチームを作らないと海外サッカー強国とは台頭に戦えないとの思いで書かれた本のようです。
サッカーだけではなく、どんな人にも大切なことがたくさん書かれていました。Jビレッジ寄宿舎の階段には、いつも心のどこかに留めておいて欲しい言葉が書かれているそうです。2編を記しておきます。

『弱い者ほど相手を許すことが出来ない。相手を許せる者ほど強い者だ』マホトマ・ガンジー
『失敗とは転ぶことではなく、起き上がらないことである』メアリー・ピッグフォード(アメリカの女優)

2008/6 「レイモンド・ガーバー傑作選」 レイモンド・ガーバー著 村上春樹編・訳 中公文庫
日本と言うより世界的に売れている村上春樹さんお勧めの作家、レイモンド・ガーバー。初めて読んだ作家でしたが、小津安二郎さんの映画みたいに、淡々と市井の人の日常が描かれていた作品でした。村上さんお勧めだけあって、同じような作品の雰囲気があるなあと思いました。
悠久の川が流れるようなゆったりした村上さんの作品には、もうちょっとスパイスを利かせてほしいと思ってる私には、ガーバーさんの作品にも同じような印象を受けました。

2008/5 「春の夢」 宮本輝 文春文庫
数十万円だけど亡くなった父親の借金を背負い、理不尽なヤクザの取立てから逃れるために母親は料理屋の住み込みで働き、主人公の大学生哲之は片田舎のアパートに一人住まいを始める。
ヤクザの取立て、ホテルのボーイのバイト、そして学業・・・将来を悲観しながら、でも希望も持ちながら生きている。こんな彼の生活を、学生特有の誘いや誘惑に身を置きながら、支えている洋子。彼女は、哲之だけでなくその母親をも包み込み、子供が1人の自分の実家の両親のことも考え、2つの家族の次の生活をも考え生活基盤を具体的に組み立てている。
外的要因によって、2人の間は離れたりつながったりしながら流れていく。自分にもかつて、そんなこともあったなあという懐かしさと、洋子のというより女性全般が持っている強さを感じながら読めました。宮本輝さんの小説は、なんか心地良いです。

2008/5 「幸運は誰の手に?」上・下 カール・ハイアセン 扶桑社ミステリー
奇想天外、ドタバタ、あっけらかん、意外に正直、どこか憎めない悪役。ハイアセンさん得意の登場人物が、軽快なテンポで躍動します。
ハイアセンさんと言えばフロリダ、陽光が暖かいこの地に住む幸運という名を持った黒人ジョレイン・ラックスが住んでいます。彼女は人のほうの看護師ですが、今は獣医師のところで働いている。
何故か動物に人気があり、いくら噛みつかれ様が笑顔を絶やさない。おかげでとても流行っている。ラックスの趣味は、開発が進むフロリダの中に残された自然の森をハイキングすること。
ある日、ラックスお気に入りの自然林が売りに出された。これは大変と、そこに住む動物を助け出すために行動を起こすが、みんな逃げ足が早く捕まえることが出来ない。唯一救助できたのがカメ。救出したカメを家で飼うようになったが、周りの住民は、彼女に更に胡散臭い目を注ぐようになった。ラックスの人柄と美貌は人を惹きつけるが、彼女のアンバランスさが胡散臭い。男運も同様で、今までろくな男にめぐり合ったことがない。
ラックスのもう一つの趣味は、宝くじを買うこと。毎回、男と別れた時の自分の年齢を並べた同じ番号で、ロト6を買っている。それがとうとう大当たりした。34億円!それであの売りに出されている土地を買おうと思ったが、不運なことにもう1枚当たりを射止めた人物がいた。ラックスの今までの男運そのままに、ろくでもない生活を送ってきた2人の男。白人至上主義で、自分達の不運な生活は、黒人・ヒスパニック・ユダヤ人などの陰謀だと信じ、NATO軍がアメリカに攻め込んでくる危機が迫っていると確信している。彼らは、この当たり券で、NATO軍を撃退する武器を購入し、アメリカを救うヒーローになろうと思った。
もう1枚当たり券があることを知り、賞金は34億円の半分になることに腹を立てる。これも白人に賞金を独り占めさせないための陰謀だと思い、ラックスを襲って当たり券を横取りしてしまう。
ちょうどそこに、宝くじを当てた幸運な人を記事にして、新聞の明るい面を飾ろうとした新聞記者のトムがやってきた。ラックスの宝くじの使い方に共鳴し、ここからラックスとトムの追跡劇が始まる。
もう一つ、ラックスの住む町は、全米で有名なキリストの奇跡が現れる町です。精巧な仕掛けで時々香水入りの涙を流す聖像。両手両足に穴を開け、傷がふさがらないように気をつけているアヤカリ住民。自宅の前の道路にこぼれたオイルをキリストの顔だと言い張り、自らの聖堂にしてしまった女性。それを観光資源にさらに観光客を誘致しようとする市長。いろんなけったいな人が集まっている。
そこに、ラックスのカメの甲羅に聖人を見てしまう事になるトムの上司、トムの離婚調停に逃げ回っている女優の妻、トムの2週間だけの愛人と判事の夫、頼まれもしないのにトムの家を爆破した判事の忠実な部下、幼馴染のラックスに片思いの敏腕捜査官、あの土地を買いショッピングセンターを立てて失敗しブラックマネーを洗浄しようとするギャングなどが入り乱れる。
痛快に笑えます。

2008/5 「奈緒子」 百瀬しのぶ 小学館文庫 ★
TV宣伝を目にしてとても見に行きたかった映画でしたが、近所でやってなくて断念した作品のノベライズ文庫です。
小学生の時、喘息の転地療養目的でやってきた九州の日本海に浮かぶ島であの事件が起こる。奈緒子は両親・その他の島の方々と一緒に漁船に乗せてもらう。桟橋を離れた漁船を追って防波堤を羽が生えたように綺麗なフォームで走る少年雄介の姿に見入ってしまう。その時、足元を狂わせ奈緒子は船から落水してしまった。船長の雄一はすぐに飛び込み奈緒子を助けるが、ちょうど大きな波が襲い動いた船に頭をぶつけ雄一は亡くなってしまいます。
6年後、東京に暮らす高3になった奈緒子は、受験勉強に専念するの為に陸上部を引退したところだ。運動が得意な奈緒子は、医者や親の反対を押し切って中学から陸上部に入っていた。全国大会の手伝いで受付をしていたところ、100mに出場する選手がなかなか受付にやってこない。心配する顧問先生とともに探し始め、長距離のトラック競技を見ていたその選手を見つける。彼は、日本海の疾風と言われるようになっていた雄介だった。6年ぶりの再会。奈緒子は名前を名乗ると、雄介は「もうなんとも思っていない」と返す。
大会で優勝した雄介は、インタビューでオリンピックへのステップアップなどの質問を受けるが、「駅伝をします」という意外な答えが返ってきた。亡くなった父雄一も駅伝選手だった。雄介の走る才能は父譲りだった。
雄介の駅伝デビューの九州の大きな大会に、奈緒子はまた彼の伸びやかなフォームを見たくて、彼を影から応援したくて出かける。雄一が亡くなってから両親は何度も雄介の家に出かけて謝り、気持ちが落ち着いた奈緒子も一緒に行ったことがある。そのとき、奈緒子を見つけた雄介は、「こいつや、こいつが父ちゃんを殺したんや。父ちゃんを返せ」と鋭い視線を浴びせられた。以来、事故のことがひっかかり心から楽しめる時がなかった。東京の競技場で雄介に再会し、少し楽になった。でも私は彼の・・・という気持ちがあり、影で応援しようと思っていた。
大会は始まった。駅伝選手は駅伝区間数より1人多いだけの無名の島の高校が大健闘し、同県内トップ校を追う。最終区間雄介にバトンが渡り、猛追して年末に都大路を駆ける高校駅伝常連校に追いつく。ここに秋にある高校駅伝予選で勝たないと都大路で襷をリレーできない。さあこれからという時に、雄介の足がもつれ意識がなくなっていき倒れてしまう。原因は給水所で水分補給しなかったから。メンバーの少ない島の高校は、給水要員が1人しかいない。彼がもし給水を失敗した時のためにと奈緒子に2番目の給水要員を頼んでいた。
事情を話せない奈緒子は最初拒んだが、結局引き受ける。給水ゾーンに走ってきた雄介は、最初の給水に失敗する。奈緒子が走り出し雄介に給水ボトルを差し出すが、雄介は受け取りを拒否していた。
失意の監督以下駅伝メンバー。給水に失敗してしまった給水メンバーがみんなに謝るが、遠巻きに見守っていた奈緒子が「私が原因です」と名乗り出る。帰りの空港に向かう車の中で、監督の西浦は奈緒子から雄介との事情を聞く。その場で奈緒子と両親に宛てた手紙を書き、奈緒子に考えてみてくれと渡す。そこには、夏休みに入れば、陸上部の合宿を手伝ってほしいと書いてあった。
西浦は、雄一と同じ高校陸上部のメンバーだった。雄一が亡くなってからは、父親代わりでもあった。「奈緒子さんを私に任せてくれませんか」。
忘れかけている心の傷を再び揺り起こすことになると考えた両親は反対するが、奈緒子の強い意志と西浦の情熱が、夏休みの突入と同時に奈緒子を飛行機に乗せる。
雄介と奈緒子は新たな展開を見せるのか・・・島の高校は、都大路を駆けることが出来るのか・・・不幸な出来事で始まったが、さわやかな若者の疾風が読者の心を走り抜けて行きます。

2008/5 「埋もれる」 奈良美耶 宝島社
日本ラブストーリー大賞受賞作品です。
転勤族の子としてすごした少女時代。友達が出来てもすぐに、何も知らない町に引越し、最初から友達を作っていく。どうしても異端児として見られ、自らも地元のない異端として同級生とちょっと離れたところに立っている。そんな主人公が、修学旅行で訪れた韓国にやってくる。そこで暮らし韓国語を学ぶことで、将来は翻訳の仕事が出来たらと思って。
大きく異端な地に来て、こんな自分を優しく受け入れてくれる彼が出来た。でも、自分と同様に異端を背負った年の離れた男性に惹かれていく。揺れる気持ち。今まで自分を守るために一歩引いていた人間関係から、一歩踏み込んで彼の将来を受け入れる人生に変われるのか・・・彼の中に埋もれていけるのか。

2008/4 「エンキョリレンアイ」 小手鞠るい 世界文化社
京都で出会ってすぐ、ニューヨークと東京に離れて住むことになった2人。今なら、ネット経由の安価なTV電話もあり、直接顔を見て話すことも難しくはないが、メールと料金を気にしながらの電話、そして手紙がメインだった頃の話です。
かつて東京と関西に別れて恋人時代の1年を過ごした経験があるので、主人公のハッピーエンドを願いながら一気に読んでしまいました。
入社していきなり東京勤務を命ぜられ、家内に話したときの沈んだ気持ち、10円玉の束を数本持って寮から電話した日々。毎月1度帰るか来るかで会った休みの1日、新幹線ホームで顔を見つけたときの喜びと、夕方の新幹線ホームで2人の間に扉が閉まっていくときの辛さ。抱擁の温かさと家内の涙の愛おしさが混じった別れ。1日がとても短かった。でも手紙の往復が安心させ、2人をしっかり結び付けていた。
あの時の手紙を出してきて、また読み返してみたいなと思いました。女性作家の作品なので、女性向きかもしれませんが、私にも十分素敵な作品でした。

2008/4 「有頂天家族」 森見登美彦 幻冬舎 ★★★
「いやあ面白かった」。感想はこの一言に尽きます。
例によって森見さんの大得意、というかこれしかない古都京都が舞台になっています。我が家から、適当に遠く、適当に近い地、京都。中学の頃から、電車に乗ってちょっとした小旅行で何度も来ていました。大学生になると、ちょっとおしゃれ?でもないか、ポンコツ車を駆って、国立美術館やどでかい神社の栄光で、我輩をちょいと立派に見せるために婦女子と一緒に来たこともありました。
聞きなれた地名や神社、通り名がふんだんに出てくるので飽きません。読みながら、最近影に潜んだままの研究熱心なマインドがムクムクと持ち上がり、・・通りって何処だったっけ?・・神社に井戸ってあるのかなあ?とやっている。
時は現代?だと思う。天敵が消えうせた京都の町に住む狸さん達の頭目偽右衛門を選ぶ年末の選挙に向けて、主人公下鴨矢三郎の兄矢一郎と、下鴨家と反目する夷川家の家長夷川早雲の一騎打ちの物語である。
ただ何のおいしいこともない単なる名誉職なので、それ以外の狸たちは、別にどっちでもいいと冷めている。先代の偽右衛門は、下鴨四兄弟の父総一郎が務めていた。実に偉大な頭目であったが、昨年の年末、京都狸界唯一の天敵金曜倶楽部に鍋にされて食われてしまった。金曜倶楽部とは、京都界隈在住の人間の名士の集まりで、忘年会に狸鍋をすることを伝統としている。
父の遺志を継ごうとする堅物矢一郎を、京都一やる気のない矢二郎、京都一いたずら好きの矢三郎、まだ未熟者ですぐに化けの皮がはがれる矢四郎が適当に加勢する。対する夷川家はちょっと抜けてる金閣銀閣兄弟としっかり者だけど口は大層悪い妹の海星。海星は矢三郎の元許婚で、下鴨兄弟の母は早雲に好かれているなど、非常に状況が入り組んでいる。大体総一郎と早雲が兄弟だ。
狸同士の化かし合いを駆使した戦いに、鞍馬天狗やかつては天狗界に君臨していたが今はどう見てもどうしようもない独居老人に成り果てた如意ヶ嶽薬師坊赤玉先生、更に赤玉先生がからきし弱い人間の美女弁天が入り乱れる。
壮絶な戦いが繰り広げられているようで他狸の浅知恵と、戦いのさなかなのに何故か相手に敬語で話すユーモアがたまらない。森見先生はますますパワーアップしている模様です。「夜は短し、歩けよ乙女」に続く快作です。
この小説を読みながら、四兄弟の母親の言葉に何故か惹かれました。「蛙でもなんでもいいよ。あなた達がこの世にいるだけで、私はじゅうぶん。それにあなた達が立派な狸だものね。お母さんには分かっているよ」「わが子の事だもの。私が分かってやらなくては、あの子があんまりかわいそうだよ」「ね、矢一郎。お願いだからね、あの子をあんまり責めないでやっておくれ」とりおお」「みんなでお参りできるのはありがたいね。総さんも、きっと喜んでいるでしょうね」、う〜む母の愛です。
もう一つ、森見さん作品では定番の飲み物「偽電気ブラン」ですが、数日前TVで「電気ブラン」というお酒を紹介していたので驚きました。「ほんまにあったんや〜」
2008/3 「黄色い目の魚」 佐藤多佳子 新潮文庫 ★
ここ数年気になっていた本です。佐藤さん作だから面白いのだろうけど、何故か男の子の青春を上手に書く作家だからいいのだろうけど、絶対読みたいでもなし、といって全く興味がないでもない中途半端な位置でずっといました。そしてとうとう読んでみました。
絵ばっかり描いて離婚されてしまった父テッセイを持つ息子木島悟と、協調より反発が勝って、いろんなところでぶつかりながら生きているみのり。木島は、父譲りの絵好きで、みのりは家族からも敬遠されがちになっている。この2人が絵を仲介にして知り合った。みのりの唯一心休まる場所は、プロの絵描きの叔父の家です。絵以外に興味のない叔父は、身内からみればダメ男。でもみのりは、叔父の家の鍵を持ち、時々入り込んで食事を作ったり、電話番をしたりしている。叔父はみのりに何も強制しないので、とても居心地がいい。そして何より絵を描いている姿を見るのが好きだ。
そんなみのりが高校の美術の時間に前に座った木島と、お互いの顔の絵を描くことになった。真剣にみのりを見て描いている木島の姿に好感を持った。水彩と言う課題だったのに、「デッサンがしたいから」という理由だけで、休み時間も気にせず鉛筆画を描き続けている。
木島はまた先生から怒られた。授業中でも先生やクラスの友達の似顔絵をノートや教科書に落書きするので、よく絵のことで怒られる。木島は教室を追い出された。その時みのりは、無意識にすっくと立って木島を追いかけた。何故か分からない。ただ、絵を描いてる木島を見たかったから・・・まだ未完成の自分おデッサンを完成させて欲しかったから・・・モデルの私が行かなきゃ。
テッセイと叔父という2人に共通する現実逃避の居場所から、お互いを新たな居場所に出来るのだろうか・・・

2008/3 「いますぐ使えるメンタルトレーニング選手用」 高妻容一 ベースボールマガジン社
メンタルトレーニングの実践編です。スポーツで勝利するために、「心・技・体」の充実をよく言われますが、「あなたはそれぞれにどれぐらいのウェートをかけていますか?」「3つのうちで重要だと思う順番は?」。こう問われて、「心」の面がとても軽視されているなと思いました。
特別にメンタルトレーニングの時間を取るというより、レース前の数分だけでいいし、日頃の練習でも、「・・するな」「お前は・・はダメだ」から、いいところを褒めるだけで、そのスポーツを始めた頃の「楽しい」の心に戻れる。
今月読んだばかりの高畠導宏コーチと共通するところがあり、私がずっとやってきた「褒めて褒めて持ち上げる」接し方や、レース後「お〜い冷たい麦茶あるぞ」と呼んで、結果がどうあれリセットしてリラックスさせる方法は、理にかなっていたのだなと自信を深めました。

2008/3 「甲子園への遺書」 門田隆将 講談社 ★★★
楽しみにしている番組に、NHK「土曜ドラマ」というのがあります。夜9時からという時間帯なので、見れない日、半分見れる日などでしたが、この本の主人公を描いた素晴らしい作品が放映されました。プロ野球伝説の打撃コーチ高畠導宏さんが、高校の先生になり、甲子園優勝を目指し、道半ばに倒れた教師生活を描いた作品です。
亡くなった後、田口、イチロー、落合・・・多くの選手が高畠コーチのことを話すのに驚いたことを思い出します。そのときは、この方がどういう方が知らず、コーチなのに監督経験者のように慕う選手や元選手が多いのに違和感さえ覚えた記憶があります。この本は、高畠さんの生涯を描いたものですが、今回この本を読んで、何故30年も各球団に請われたかのこの方の生き方の本質に触れたように思いました。素晴らしい本です。
これ以上私の言葉は要らないと思います。この本に書かれていたことと、ドラマで語られていたことを抜粋しておきます。

『高畠さんは、選手が悩んでもいないときに教えても意味がないことを知っています。相談を受けて初めて自分の出番が来るということを知っているんです。それでも絶対ああしろこうしろとは言いません。彼らが最大限の能力を発揮できるように、”環境”を整えてあげることが自分の仕事だと言うんです』

仰木は高畠の事をこう語った。
『コーチとして一番大切なものは、選手の内面と技術をいかに尊重できるかなんです。プロ野球には、いろんなタイプの選手が次から次へと出てきます。個性豊かな人間がたくさんいますからね。しかし、高は、甘いも、すいも、みんなわかっている。選手たちのわがままも個性もすべてを認めた上で、倍頼関係を築き、そこからバッティングを教えられるコーチでした。あの温厚さでね。
時には、選手ごとに正反対のことを”分かった上で”教えることができる。決して”これだ”と押しっけず、選手が理解できているのかどうかを捉えた上で指導できるコーチでした。そうでなければ、長年やってきた選手の修正はできません。
その意味で、高のキャリアは貴重でした』

『コーチの仕事は褒めること。
講演の演題は、「人は人に何を伝えるか」。
私は、コーチになる時、よーし、ほめまくってやろう、選手をほめてほめてほめまくつてやろうと思ったんですよ。
プロの世界に入ってくる人間は、必ずどこかにいいところがある。人より優れたところがなければプロには入ってこられません。だから私は、人より優れているその部分を徹底してほめようと思いました。以後30年、私は一度も選手を怒らずに通してきました。その方が、選手ははるかに成長するからです。だから、私のコーチ時代というのは、本当に選手をほめまくった30年だったと思います。
コーチの仕事はおだてることなんです。少なくとも私はそう思っています。たとえば技術的なことで、その選手のバッティングに、ある欠点があったとします。
しかし、ピッチャーがボールをリリースするところから、バッターのミートポイントまで距離はわずか約15メートルほどしかありません。その短い距離をボールは0.4秒前後でやってきます。しかも、プロの威力あるボールが、その間に沈んだり、食い込んできたり、逃げていったりするんです。そしてボール球は見逃し、ストライクは打たなければならない。プロ野球とはそういう世界です。その中で、身体が覚えてしまっている欠点を直そうとしたって、直るものではありません。
ああだこうだとコーチがいったって直らないんです。無駄な努力です。
コーチも直らないことがわかっていて、パフォーマンスでやっているだけですよ。
自分は仕事をしているということを、上にアピールしたいですからね。だから長所を伸ばすんです。欠点を直すのではなく、その選手がほかの選手より優れているところを伸ばすことが重要なんです』

「言葉の意味」
『たとえば高めのボールには手を出すなと、監督やコーチがいいますよね。でも、これは最もいってはいけない言葉なんだということがわかってきました。なぜなら、こういういい方をすると、意識が逆にその”高め”に行ってしまうからです。
○○はするな、といわれれば、どうしてもそこに意識が行き、そして結果的に言われた通りの失敗をしてしまう。それが人間の心理なんです。
ここは長打を打たれたらだめだ、気をつけろという言葉も、よく監督やコーチがマウンドに行って口にします。しかし、そういわれたら、よけいそこを意識して球が死んでしまいます。
ピッチャーがフォアボールを連発している時でも同じです。真ん中に投げろと、コーチや監督はよくいいますが、実はこれが一番辛いんですね。だって、コントロールが乱れてフォアボールを連発しているのに、真ん中に投げろといわれたって、困るだけじゃないですか。
そういう時は、ピッチャーの意識をストライクを投げることから、逆に外してあげる必要がある。そうすれば、ピッチャーがどのくらい心理的に楽になるかわかりません。たとえば、真ん中に投げろではなく、思いきって腕を振っていこうとか、そういういい方をすればどうでしょうか。その意味では、野球界には、実は、危険なアドバイスが氾濫していると思います。そこで私は、心理の勉強を本格的にしなければならないと思ったんです』

『才能とは、逃げ出さないこと。平凡の繰り返しが非凡になる。そして楽しい野球を教えてあげたい』

『気力とは、あきらめないこと。9回裏2アウト、何点はなされていても諦めないこと。気力は、人を想う事で強くなる。人から想われることでもっと強くなる』

2008/3 「青が散る」 宮本輝 文春文庫 ★★
宮本輝さんの青春物の代表作です。身近にいる人なのに、身近すぎて宮本さんの作品を読まずにここまで来たのが残念でたまりません。宮本さんの作品を読むのは2作目ですが、宮本さんの描く世界にますます引き込ます。藤沢修平さん同様、いずれほとんどの作品を読んでしまいそうな予感がしてなりません。
主人公遼平はあまり乗り気でない新設大学への入学手続にやってきた。その日は手続の最終日、心の中を映すように、激しい雨の降る天気。手続を迷っていると、真っ赤なエナメルのレインコートをまとった夏子がやってきた。一言二言言葉を交わした後、さっさと手続を終えて帰っていく夏子。これで遼平は、この学校の第一期生として入学する決心をした。
テニス部を作るために、テニスコートを作るところから始めている金子のひたむきさにほだされて、期間限定でその作業を手伝い、やがてどっぷりテニスに浸かっていく遼平の周りに、目立たないけどおっとりみんなに大切にされてマネージャーをする祐子、一癖二癖あるテニス部の同級生、それに人目を引く美貌で自由奔放
に生きる夏子・・・、それぞれの家族や家業、様々な人間模様が、かつて私も経験した学生時代を思わせる輝きで描かれている。
かつての私は、あと一歩踏み出したくても、どこか踏みとどまっていた部分を、登場人物たちはあと半歩踏み出している。それが、自分が経験出来そうで出来なかった部分の疑似体験として、どんどん響いてきます。
私にも学生時代、夏子のようなまぶしい存在の同級生がいました。でもあまりの輝きに、あまりの自分と違いに、不釣合いに、お互いに気軽に声をかけ合う間柄なのに、それ以上にはなりませんでした。この小説を読みながら遼平を応援していました。ここで夏子に一言掛けられればと思いながら、私同様なにも出来ず、その頃それと同じぐらい大切だったクラブに没頭していきます。
青春小説そのものだけど、それを過ぎた後に読んでこそ、味わい深く読めるような作品です。

2008/2 「その名にちなんで」 J・ラヒリ 新潮文庫
「停電の夜に」で一躍有名になったインド系アメリカ人作家さんの2作目です。前作は短編集だったので、初の長編作品です。
前作同様、登場人物のいろいろな人が一人称になり、それぞれの物語が重なるように小説が進行していきます。作品名が表わすように、名前にこだわって段々それを深く掘り進んで、そこに集約するような作品かと思っていましたが、そうではありませんでした。インドからアメリカに、結婚と同時に移り住んだ主人公の母親アシマの不安なアメリカ生活に始まって、夫アシュケの仕事、主人公であるその長男ゴーゴリ、妹、ゴーゴリの付き合ったGF、結婚することになるモーシュミ、それぞれの生活や考えが淡々と描かれる。
インド人社会、アメリカ内のインド人、民族の血にこだわる一世世代、アメリカ人としてフリーな自分になりたいと願う二世世代、いろんなアメリカを読ませながら、インド人でありながら父アシュケが好きだったロシアの作家ゴーゴリの名をもらった主人公が、気に入らない自分の名前に対する反感から読まずにいた、青年の時代に父からもらったゴーゴリの作品に、父の死亡、自身の離婚を経て初めて向き合う。コツコツと流れる人の年月が描かれています。

2008/1 「忘れないと誓ったぼくがいた」 平山瑞穂 新潮社
影の薄い人がいます。中学に入った頃の私もそうでした。小学校の時は、勉強が出来、スポーツも出来る私は、自分に自信を持っていた。親からは、多くの親が思うように「何にも出来ず中途半端」な存在として見られていて、そういう言葉を掛けられていたが、反発の原動力になるだけだった。
でも中学に入り、優秀な同級生がこんなに多いのかと自分の影が薄くなるのを感じていた。それまでのクラスのリーダーから、単なる構成員になっていく感覚。幸いキリスト教の言葉に救われ、親からの呪縛をも跳ね返すようになったが、「そういえば、そんなヤツがクラスにいたように思う」という存在の人が、どのクラスにも、どのグループにもいるものです。
高3の主人公のタカシは、初めてメガネを作りに行って、バイトの店員あずさに一目ぼれしてしまった。でも翌日には、あんなに想ったあずさの顔が思い出せない。数日後、出来上がったメガネを取りにそのお店を訪れたタカシは、その前にバイトを辞めてしまった彼女の存在を、店長さえあまり覚えていないのに驚いた。
段々あずさの記憶が薄れていく中、偶然学校の昼休みにあずさに会った。同じ学校の高2だった。そして思いがけず彼女に誘われて、午後からの授業をサボって2人で遊園地に行くことになった。そこでの不思議な体験を含め、彼女といると何度も不思議な体験にあった。
そしてある日彼女に、彼女自身どうすることも出来ない秘密があることを打ち明けられる。帰国子女の彼女は、1人で暮らしていた。フランスにいるときも部外者、日本に帰国しても部外者という感覚がある。影の薄い彼女は、フランスに住む両親からの連絡も途絶えていき、クラスでも存在が薄い。人々から忘れらていくとともに、自分自身も時々消えていることに気づく。そして、いつかこの世からフェードアウトしていく運命にあるのだろうと悟っている。だから余計に人との関わりを持とうとしない。
タカシは、大学受験を捨ててまで、そんな彼女を救おうとする。自分自身が彼女を忘れないようにするのが、彼女をこの世に引き止めておく唯一の方法だと必死になる。そして・・・

2008/1 「きみを想う夜空に」 ニコラス・スパークス エクスナレッジ ★★
待望のスパークスさんの新作です。ただ毎日同じ行動をし、郵便配達というルーティング仕事を淡々とこなす父親と、ずっと暮らしてきた少年ジョンは、大学への進学に意欲が湧かず、地元の落ちこぼれ達とアルバイトで日々の生計を立てながらサーファーをする生活をするようになった。父親の生活ぶりに反発し、会話のない父親との生活から逃れる気持ちもあり、GFとの破局を契機に自分を変えようと軍に志願する。
軍の規則正しく厳しい生活は、彼を変えた。1年後の最初の休暇、彼は家に帰ってきた。父親との関係を修復しようと試みるが、うまくいかない。でも以前より父親への感謝の気持ちは大きくなったようだ。久しぶりのサーフィンをしている時、サヴァナと運命の出会いをする。彼女は山の方に住んでいる大学生で、今まで会った誰よりも素敵な人だった。彼女も彼を気に入ってくれている。でも2週間後には軍に帰るためにドイツに出発しなければならない。あと兵役は1年。たった1年我慢すればいいだけだった。・・・除隊の日をカウントダウンしているそんな時、あの9.11が起こった。そして・・・
スパークスさんの作品は、劇的な展開もハードボイルドもないが、心にじんわり染みてくる。生き方の本質に訴えてくる。これも期待に違わぬ作品でした。また来年の新作を待ちましょう。

2008/1 「金塊船消ゆ」 多島斗志之 講談社文庫 ★
絶版になっているので古書を探しました。
第二次世界大戦末期、日本軍フィリピン守備隊の鳥居伍長は、上からの命令で、薪を満載したトラック4台に乗り、目的も目的地も知らされないままジャングルの道を走っていた。基地から離れた後、隊列が止まり、作戦士官から各トラックに乗っていた下士官1名が呼ばれた。鳥居のトラックの下士官は、部下に強圧で接しない浅田という大学出の下士官で、部下から人望がある人だった。
浅田は1枚の地図を持たされて帰ってきた。4台はバラバラの目的地に急ぎ、夜を待って火を炊いた。やがて米軍が上陸し、ジャングルの中を逃げていく間に多くの仲間を失い、そして終戦により捕虜生活に入った。その時、収容所であるうわさが流れた。
「日本軍がフィリピンの裕福な家から接収した大量の金塊を船に積み、沖合いで自沈させた。あの火は自沈場所の目印だった」。多くの根も葉もないうわさがたくさん流れ、そんなうわさの一つとしてすぐに誰も気に留めなくなった。
終戦から10年以上経ったある日、4台のトラックを率いた士官の部下だった鬼下士官が鳥居を訪ねてきた。「あのうわさは本当だった。あの自沈作戦を作成した作戦本部のある将校の元で、あの金塊を引き上げるべく働いている。仲間に入り、火をたいた場所を教えろ。分け前がある」
仲間に入っているトラック隊長は4箇所を知っているはずなので、それで探せばいい。ささやかな生活を乱さないで欲しいと頼むが、その場所には船はなかったようで、浅田と鳥居が別の場所に火をたいたと疑っているようだ。あのトラック隊の生き残りは、この4人だけ。協力しない浅田と鳥居に、必要な嫌がらせが始まった。そして・・・この火が・・・消えてしまったあの船が・・・彼らを翻弄していく。

2008/1 「スイッチ」 さとうさくら 宝島社
第1回ラブストーリー大賞絶賛賞受賞作品です。私には大賞の「カフーを待ちわびて」の方がよかったが、現代社会の一面を切り取った秀作でした。27歳・フリーター・処女という主人公苫子は、短大時代勉強にがんばり最優秀だった。大きな夢を持って就職活動をしたが、自分の能力に見合う仕事につけなかった。以来バイト生活をしながら就職試験を受け続けていた。
だが試験は落ち続け、いつしか就職する意欲も失った。愛想・要領・人付き合いなどに欠ける苫子は、気がつけばバカにしていた短大時代のチャラチャラ同級生みんなに負けていると落ち込む。がんばった自分より、男に媚、中身もないのにニコニコ愛想を振りまいている子の方が世の中に受け入れられる。
幸せそうな人、気に入らない人がいると、その人をこの世から消し去る架空のボタンを首筋に探し、そこを押そうと想像する。そして自分を消し去るために、自分の首筋のボタンも押し続ける。
そんな苫子の日常と淡々と書きながら、ほんの少しで明暗を分ける現実を描く。


「何があっても大丈夫」 櫻井よしこ ★
女性ニュースキャスター第一号の方ではないだろうか?好きでよく見ていました。はぎれよく、ご自身の意見も少し入れながらのニュース報道には、好感が持てました。今でこそ、ニュース番組アンカーウーマンが数人おられますが、最初はいろんなところで苦労なさったのだろうと思う。
この本は、櫻井さんの自叙伝です。ベトナムで生まれ、父親の海外での商売、敗戦によ全てを失っての引き上げ。父親は、仕事で東京に出て行き、やがてハワイでレストラン経営。ご自身のことも含めて、かなり波乱万丈の生活をしてこられたが、それが故に個としての強さを身につけられた。
キャスター当時、そして今に続く、櫻井さんの強さを育てた土壌がわかりました。回り道することこそ人生が面白く、得るものが多いということがわかります。苦しい生活をどう感じるかで人生が全く違うものになることを知りました。その時の支えは、お金でも地位でもなく、「何があっても大丈夫」という櫻井さんの母親のいつも発しつづけている言葉にあるのだなあと思いました。
本当に言葉というものは、強い力を持っています。

「人生は最高の宝物」 マーク・フィッシャー ★

「こころのチキンスープ」 ジャック・キャンフィールド ダイヤモンド社 ★★★
このシリーズで多数の本が出ています。このシリーズは、講演家の著者が、全米各地で出会った市井の人のこころ温まるノンフィクションを集めたものです。人は誰でも1つは、そのような体験を持っているものです。あなたにもそして私にも。だからいくらでも本のネタは尽きないと思いますが、1人の貴重な温かい出来事を披露することで、多くの方の心に火を灯し、そして次の体験が出てくるし、そのように人に接するようになります。
随分前に、小さな少年が始めた親切運動が大きなうねりになった映画がありましたが、あれに似ているとも言えます。はっきり言って泣きます。感じる場所は様々でしょうが、誰でも心打つ物語にこの本で出会うでしょう。決して電車で読まないで下さい。私は涙の処理で難儀してしまいました。静かな所で1人でじっくり、感動を噛みしめてください。

「それでもなお人を愛しなさい」 ケント・M・キース 早川書房 ★★★
逆説の十箇条で有名ですが、その内容については、私の好きな言葉のページに載せています。ドロシー・ロー・ノルトさんの言葉は、親が子育てをする指針になりますが、この十箇条は、人との関係の指針でしょうか。
著者は、夏休みのキャンプリーダーをします。その時作って話したことが、キャンプに参加した子達に感動を与えますが、キャンプの目的とは少し違ったようで、惜しまれながらキャンプを去ることになってしまいます。時は経ち、友人からいい言葉があるよ。君にはきっとうまく理解できるはずだと、紹介されたのが、なんとあの時の自分の言葉でした。劇的な過去との出会いを機に、本になったのがこの本です。
ドロシーさんの「子は親の鏡」と同じような運命をたどった、「人生の意味を見つけるための逆説の十箇条」。生き方、人との接し方の根源に迫る本です。

「天才たちの共通項」 小林正観 宝来社 ★★★
この本は、下のドロシーローノルトさんの言葉に出会ってから読んだ本です。この順番が逆になると、また違った印象になったと思いますが、こういう順番であったことは、私にとって幸運でした。
小林正観さんは、本職は旅行作家なのかもしれませんが、素敵な言葉、素敵な人当たりをなさる方です。生き方・人との接し方についての小規模の講演会をよくしておられ、この本の読後、200人ほどの講演会に参加したことがあります。どても感動する内容でした。
私は、長男に生まれ、親からの期待を一身に受けて育てられましたが、関東出身の親の言葉がきついからでしょうか、いつも反発ばかりしていました。「もっと早く一人前になるように」「もっと立派な独り立ちするひとになるように」と、きつい場面に放り込まれました。甘えん坊の私には荷が重く、できない私を叱る親が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
保育園で、蛇事件がありました。西宮の保育園に4歳から電車とバスを乗り継いで1人で通いました。保育園の方針で、最終バス停で親子が離れなければなりません。園に向かって歩き出したら、大きな蛇が階段にいて、怖くて泣いてしまいました。母親は、「行きなさい、怖くないから・・・」と下から見ているばかりで、どうしても蛇を避けていけません。そんな時、その様子を階段の上から見ていた女の子が下りてきて、私の手を引っ張ってくれました。それでやっと園に行くことが出来ました。
その事はもう忘れているのかもしれませんが、今でも彼女とは保育園の同窓会で交流があります。私の初恋ですが、素敵な女性になられ、お金持ちの家に嫁ぎ、3人のお子さんを立派に育てられ、ご自身も代表取締役として会社を経営しています。次男と同じ中高の1年下にお子さんが通われ、不思議な縁を感じます。
大学生の時に家内と出会い、「大丈夫よ、何とかなるからさ」という大きな言葉と、いつもニコニコしているところに惹かれ、1ヵ月後には彼女の家にお邪魔しました。彼女の母親は、うちの母親同様学のある方でしたが、一度も親に叱られたことがないと家内が言うほど、怒らなくて温和な方でした。こんな家庭に育った家内なら間違いないと思い、すぐに一生一緒に暮らしていくことにしました。
うちの子達は、家内に叱られたことはないでしょう。私も経験から、叱っても反発されるだけで何も得るものがないと知っていましたので、ほとんど叱ったことがありません。こんな育て方でいいのかと迷いましたが、叱られる辛さを思うと、どうしても子供を叱れませんでした。
「本当にこれでいいのか?」の答え捜しでこの手の本は、どれだけ読んだか分かりません。とうとう、世界中の方に支持されているドロシーさんの言葉に出会い、そして小林正観さんに出会いました。この本は、私の中では、ドロシーさんの言葉の実践編ともいえる位置付けです。叱るのではなくて、子供を信じる温かい言葉で育てられた内外の偉人について書いてあります。いろんな文献を調べたのでしょうが、エジソンから手塚治虫までの、幼年期・少年期の親、特に母親との関係を詳しく書かれています。

「子供が育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト PHP文庫 ★★★
あまりに有名なこの言葉「子は親の鏡」、というかこの詩は、2005年皇太子妃さんの病気回復の記者会見で、披露された。皇太子妃さんの、「公務出来ない病」は、外交官の父を持ち、自身も外務省勤務していた延長で、より大きな意義のある仕事が出来ると思っていたが、皇室の仕来たりにスポイルされた結果なってしまったと私は考えている。
皇太子さんが、記者会見で異例とも言える詩の朗読をなさった背景には、この詩にどれだけ皇太子妃が助けられ、勇気をもらったかを伝えたかったのでしょう。多くの制限のある中で、精一杯の反発に見え、皇太子妃を守ろうとしていると感じました。
このドロシーさんの言葉は、随分前に発表されたものですが、子育ての真実、子育ての指標が書かれており、私の子供と接する時のバイブルになっています。この言葉は、ドロシーさんの手から離れ、アメリカ初め、ヨーロッパ、そしてアジアにも広がり、本人の知らない間に一人歩きしました。一人歩きしている自分の言葉に出会って、著書としてきちんとしたものになりました。
皇太子さんや皇太子妃さんは、北欧の国の教科書に載っていたこの詩を、披露なさいました。たとえ1次限でもこの詩に出会う機会を小学生の時に持てる子達は幸せだなあと思いました。それだけ値打ちのあるものです。
その内容のエッセンス部分は、好きな言葉のページに載せています。

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