Books 2007
Books 兵庫県セーリング連盟ジュニア

2007/12 「マネー・ボール」 マイケル・ルイス ランダムハウス講談社 ★★
最近、日本人がどんどん渡米して活躍し、大リーグが身近になりました。スポーツニュースでも毎日のように大リーグの話題が出ます。日本人中堅選手が、驚くような高年棒で大リーグにキャリアを求め、メジャーで活躍していた選手がFA権を得て、天文学的な数字で新チームと契約する。
そんな中、アスレチックスというチームがたまに紹介される。日本でいうなら広島カープのように、FA選手に興味を示さないけど、広島と違い強い不思議なチームと。ヤンキースを筆頭に、FA選手を大量に集めて優勝を狙う金万球団の対極にあるチームです。イチロウが所属するマリナーズと同じリーグ地区に所属し、近年毎年優勝候補の筆頭です。毎年のようにプレーオフに進出している強豪チームです。でも選手年棒総額はとても低い。
この本は、ベストセラー作家マイケル・ルイスが、そんなチーム作りの中心にいる球団GMビリー・ビーンの考えを披露した書です。ビリー自身、元メジャーリーガーですが、高校卒業時の体格や体力・容貌・実績など超一流の素質を持っていたにもかかわらず、3Aとメジャーを行ったり来たりの程度の選手生活を送った。数球団をトレードなどで渡り歩き、選手生活最後のアスレチックスでスカウトからフロント入りする。
その時のGMの考え方が独特だったので、それに惹かれ、GMに就任後、もっと積極的にその考え方を推し進める。打率・打点・ホームラン数が打撃部門3冠で、盗塁・失策数が次に来る。防御率・三振・セーブ・勝ち星・勝率が投手部門で重要視される。このような従来型では、どうしても欲しい選手が他球団と重なり、その年棒が球団財政を圧迫する。アスレチックスは貧乏球団なので、そういう補強はできない。そこで、野球ゲームの一部マニアの中だけで信奉されていたデータを重視する補強策に出る。野球はアウトにならない限り永遠に得点できるゲームと考え、打率より出塁率重視、打点はヒットを打った時にたまたまランナーがいたかどうかだから重視しない。犠牲バントはアウトを献上する作戦なのでナンセンス、同じく盗塁も。
コンピューターを使ったシュミレーションで、より得点を上げられる方法を追求していくと、従来と違う選手が重要だと出て、活躍して高額年棒になった選手を放出し、他球団で眠っている選手やドラフトで独特の眼鏡で取った安い選手をレギュラーに引き上げる。
ビリーは、自身の方針に異を唱えるスカウトなどを当初大量に解雇し、野球経験のないハーバードなどの数字に明るいスタッフを集める。従来型の考えに染まっていない情にほだされない人材で、まるで選手を証券とするトレーダーのような経営を始めた。これが大リーグ一の効率的な球団経営の源だった。
書かれていることは、野球という世界だけど、内容は他の分野にも応用できるものです。球団内外部の人から取材した内容をうまく織り込んで、読者を引き込むように読ませている。とても面白い本です。

2007/12 「小説夕凪の街、桜の国」 原作/こうの史代 脚本/国井桂 監督/佐々部清 双葉社 ★★★
今夏、映画館で観た作品の小説に書き下ろしたものです。原作は漫画家のこうのさん。監督は佐々部清さん。映画を観たとき、この監督はすごいなあと思いました。これからいい仕事をしていかれるでしょう。
幸せに暮らす5人の一家。1945年夏の日、広島の原爆で、父は仕事場で跡形もなく亡くなった。2番目の姉は、焼け焦げパンパンにはれた顔をしながら、長女皆実の背中で息を引き取った。「お姉ちゃん。長生きしてね。そして私を忘れんといてね」。それが最後の言葉だった。皆実は数日後母と再会し、川沿いのバラックで、母の洋裁の仕事で小さく暮らしはじめた。13年後、あれから病気気味になった母を見ながら、元気に働く皆実が吐血した。
仲のいい会社友達、皆実を想ってくれる男性もいた。でも皆実には、「自分だけ幸せになってもいいのだろうか」と妹の幻影が蘇る。あの日の話は誰もしないけれど、毎日の銭湯では、どこかにやけどの跡がある共通の体をみると、いまでもずっとそこにあの日があることがわかる。あの日の後も、毎年吐血や体に斑点を広げて死んでいく隣人が後を絶たない。
あの日、家族でただ1人水戸の親戚の家に疎開し、そのまま養子になって、見えない亡霊に悩まされずに済んでいる旭が、姉の危篤の報で帰ってきた。母や姉の暮らしをみて、来年広島の大学を受験し、姉に代わりに母と暮らす決心をする。
現在、定年退職した旭は、成人した娘七波と息子の3人で東京に暮らしている。退職してから不可解な行動を取る旭を、ボケてきたかなあと子供達は心配している。ある日、旭はブラッと自転車で出ていった。七波は父を追いかけた。父は夜行バスで広島に向かう。父の訪問先を追いかけながら、生前何も語らなかった母や祖母の経験し、背負った広島を感じることが出来た。
会ったことのない叔母皆実と七波を通して、戦争反対を叫ぶわけでもなく、その悲惨さを描くのでもないけれど、深くじんわりそれが伝わってくる。今日の明日の生活を何よりも優先して生きていかなければならないごく普通の人の我慢強さと、それに甘えてはならない為政者への警告を感じました。
今年最高の映画でした。その脚本家が小説に書き下ろしたこの作品も素晴らしい感動を呼びます。

2007/12 「7月24日通り」 吉田修一 新潮文庫
昨年のクリスマスに映画化された作品です。観にいきたかった映画ですが、夜の時間帯に上映されておらず残念でした
主人公小百合は、ごく普通のもう一ついけてない女の子だと、小さな時から自分のことを思い、そうゆう風に目立たない暮らしをしていた。でも、かっこよくて女子に人気のある弟耕治を自分のブランドだと思い、密かに自慢している所もある。中学生になり、周りの女子が男の子と付き合いだし自分にもと思いながらも、クラスであまり目立たない、自分と同じようなごく普通の男の子真木から声をかけられた時、「私はこの程度?」と思って泣きながら家に帰ったこともある。
高校の時はサッカー部のマネージャーをしていて、一番人気の1年先輩の聡史に熱をあげていたが、彼は小百合の友達だった亜希子と付き合っていた。2人は小百合も認める、誰が見てもお似合いのカップル。
聡史は、東京の大学に進学し東京の人になり、小百合は地元の短大から地元の小さな会社に就職し、平凡な生活を送っている。ある日、自分の住む地方都市をリスボンに似ていることを発見し、密かに通りの名前や公園や駅をリスボンの名に置き換えて楽しんでいる。
そんなある日、高校サッカー部の同窓会が地元で開かれることになった。小百合はそこで受付をしていた真木に会い、自分とよく似ているということをまた感じてしまう。憧れの聡史から声をかけられ、小百合の会社の上司と結婚した亜希子がやってくる。
本屋で会った真木に似ている青年(警備員の仕事をしながら画家を目指している)や、耕治が付き合いだした今までにないほど地味な彼女(小百合は弟のブランドと合わないと思っている)などが絡み合って、失敗を恐れて羽ばたけない女性の微妙な心理を描き出している。
王子さまの出現を待っている自分に、現実に生きるように誘う言葉が投げかけられたり、でも自分の今までの殻を破って、失敗してもいいから飛び出そうと思う自分の葛藤がうまく散りばめられている。
最後に、本書の最後に書かれている解説を引用しておこうと思います。このように生きようといつもしているつもりですが、現実にはいろいろ迷い躊躇して、あの時と振り返ってしまう。それが生きるということなのでしょう。家族や周りの人の積極的な変化の芽を摘む存在ではなく、少しでも前向きな勇気を与えられる存在でいたいと思います。
『他力本顧でなく、自分から動いて欲しいものを獲得しょうとする。それはもう、高望みなんかじゃない。そんな風に言われるようなものじゃない。
何もせずに未練を残すか、何かやってみて後悔するか。あなたが選ぶなら、どちらだろう。行動を起こしても、起こさなくても、取り返しの付かなくなってしまうことはある。ならば、動いてみたほうがよいのでないか。変化を怖れ傍観者になっていては、後々「あの時ああしていたら」「こうしていれば」という「たら」「れば」が蓄積されていくだけだ。でも、ひとたび動いてみたなら、たとえそれが結果的に間違った行為だったとしても、未練を残さない分、自分の中で次のステップへと移る足がかりができるのではないか。そうしてこそ、幸せに近づくことができる、と信じさせてくれるのが、本書である。』

2007/12 「マイクロソフトでは出会えなかった天職」 ジョン・ウッド ランダムハウス講談社 ★★★
マイクロソフトのアジア担当エクゼクティブ時代、休暇でネパールをトレッキングした著者。コーヒーで一服していた時、たまたま一緒になったネパール人ディネシュから、これから小学校に行くということを聞く。単なるトレッキングよりいいかもと、同行させてもらって見た小学校の教室には、椅子はあるが机がなかった。
どう見ても定員の3倍もの生徒がギュウギュウ詰めで座っていた。そして教科書がなかった。笑顔で応対してくれた校長先生に図書室を見せてもらうと、そこには本が数冊しかなかった。しかもとても子供用とは思えない英語やフランス語の旅行者が置いていった本だった。そして貴重な本を盗難から守るために図書室に鍵がかかっていた。
ジョンは、とても本好きな少年だった。本をむさぼるように読む小学生になったジョンへのプレゼントは自転車だった。それは、決して裕福ではなかった両親が、経済的理由もあり、本をプレゼントするより、図書館に容易に行く手段を提供した方がいいと考えた末の贈り物だった。ジョンは、今の自分の基礎を作ったのは、図書館でたくさんの本と出会い、勉強が出来たことだと思っている。
でもここネパールでは、生まれながらにハンディキャップを負った少年少女がたくさんいる。小学校を去るとき、校長先生が「本を寄付して欲しい。あなたはきっと本を持ってまたここに来るでしょう」と予言した。
カトマンズに戻ったジョンは、友人達に、「読み終えた本を寄付して欲しい」と自分のオーストラリアオフィスと、コロラドの両親の家の住所を送り先として書いた。そして、あなたの友人にもこのメールを転送して欲しいと書いた。
すぐに期待していた以上の反応があり、両親からの連絡には、ガレージから車を出し、そこが倉庫になっている。出来るだけ早く戻ってくるようにと書かれてあった。
仕事をしながら、財団を回り寄付をお願いした。両親も寄付してくれた。そして休暇を利用して、父親とともに数頭のラバの背に本を括り付けて、あの小学校を再び訪問した。無給の現地職員を申し出たディネシュの事前連絡により、大歓迎され、素晴らしいひと時を過ごした。
それ以来、マイクロソフトでの多忙な日々の間も、ネパールの子供達の笑顔が頭から離れなくなり、ついに会社を辞めて、ネパールに本を贈る仕事に専念する決断をする。限りなく減っていき数年でゼロになるであろう貯金通帳のこと、数ヶ国語を操り中国で一緒に暮らしている恋人へ打ち明けること、両親に自分の決断を話すこと・・・優秀な人材が豊富なマイクロソフトはあまり困らないだろうが、障壁は山のようにある。
自分の心に正直に行動を起こす。毎日飛び回る忙しいけれど充実した日々に賛同者が現れ、寄付が集まり、1つの学校に本を届けるところから数校になり、図書館建設になり、学校建設、貧困国では特に軽視される女子教育のための女子奨学金システム、他国からのオファーや現地協力者を得て、ネパールという国の枠を越えていく。

多くのNPOは、集めた資金の大半を自分達の人件費などに使い、実態が見えない。だから街頭や飛込みで仕事場にやってくるボランティアには、寄付行為をしていない。商工会議所などを通してのものや、実態がわかっているところだけにしている。
ジョンの作ったNPO 「Room to Read」は、2500ドルで少女奨学金10年分、3000ドルで図書室開設、10000ドルで図書館、15000〜35000ドルで学校建設、と具体的なメニューを出し、寄付者のお金が何処の国の何に使われ、なんという名前に図書館かを知らせている。寄付者を募る時も、その希望を聞き、それに沿う使い方をする。
この本を読みながら、中学で教えてもらったキリスト教的考え方を再認識した。「全ての人は、神様の意思によって地上にやってくる。無意味な人は1人もいない。神様からの使命を持っている。その使命は、直接あなた方の心に届く。心に浮かぶ『・・したい・・・になりたい』は神様からのお願い。それがどんなに困難なことで、途中で挫折しようとも、勇気を持って進めばいい。神様がついています。そして神様に約束された、あなたの一番輝ける場所にたどり着きます」
ジョンが最後に書いた言葉に、「マイクロソフトでの経験は、今の仕事へのステップだった。NPOに最先端のビジネスモデルを投入できたことが、今の結果に導いている」とある。これこそ神の導きだと思いました。
そして、マイクロソフトからのリタイヤを告げたときの上司の反応や、彼女との縁が切れてしまったのは、世間として当たり前だが、初めから応援した両親の姿があったからこそジョンをここまで来させたと思いました。
私がもう一つ大切に、実践してきた「子供への親のNOの言葉は、子供の自信を奪い、YESの言葉は子供に勇気を与える」に、大きな丸をくれたように思いました。世間は過去の実績などで人を判断するが、家族は違う。何の根拠もない、何の見返りも期待しない、家族を信じる気持ちや言葉・行動が、家族に勇気を与え、予想もしていなかった素晴らしい結果に導く。
とてもいい本でした。

2007/12 「Little DJ 小さな恋の物語」 鬼塚忠 ポプラ社 ★
今年映画上映される作品の原作です。著者の鬼塚さんは病院を取材していて、院長から聞いたノンフィクションに感動して、小さなメモに残していた。それを映画プロデューサーとの話の中で出すと、原作もないまま一気に映像化の話になった。
方や映画化のために脚本家・監督・俳優などを集めることに奔走し、鬼塚さんは、原作製作に励む。という1年余りで、映画と原作が完成したそうです。
10才の太郎は、仕事熱心で怖くて、家庭をあまり顧みない父正彦があまり好きではなかった。父の野球好きの影響で野球を始め、家での素振りの時間だけが父子の会話の時間だった。いつもプロ野球の実況放送と音楽DJを聞きながら素振りをしていた。でも本当はDJの方がしたかった。
ある日太郎は、学校で中々鼻血が止まらず、母親のひろ子は保健室に呼び出された。ひろ子とともにひろ子の妹が勤める病院に向かった。そこにはアメリカ帰りの優秀な医師と、半分引退している心の優しい大先生と呼ばれているやはり医師の父親、そして・・・同年代のたまきが入院していた。
自分の病気が何なのかわからず無為に病院で過ごしている太郎は、いつも昼食時にスピーカーから流れてくるクラシック音楽に興味を持った。大先生が治療の一環として流していたのだ。両親と喧嘩してすさんでいく太郎を大先生は隣の自宅に連れて行く。そこには昼食時の音楽を流す立派なスタジオがあった。
太郎の本当に好きなことを聞き出した大先生は、太郎に昼食時のDJを任せることにした。水を得た魚のようになった太郎は、毎日にハリを見つけ、検査数値も少しずつ改善していく。症状の改善から4人部屋に移った太郎は、いろんな人と知り合っていく。そしてたまきとも・・・

2007/12 「コーチ」 マイケル・ルイス ランダムハウス講談社 ★
大リーグ・アスレチックスGMのお金をかけない強豪チーム作りを書いた「マネー・ボール」で有名になったノンフィクション作家の作品です。
「マネー・ボール」の書評を読んでいて、この作家が今最も書きたいとして選んだテーマが、彼の高校時代のコーチということを知りました。とても興味を引かれ、100ページほどの小著を購入することにしました。
先にこの「コーチ」の方を読んだのですが、アメリカ人作家らしく小さな洒落たジョークを散りばめながら、とても読みやすい作品になっています。そして内容が素晴らしく、一気に読んでしまいました。さすがに売れっ子ベストセラー作家です。
体罰というものは使わず、言葉で鼓舞する。元プロ野球選手らしく、結果を貪欲に追い求める姿勢はあるが、真剣な練習の積み重ねとサボらない精神がそれに結びつくという考え方に基づいている。小手先の技術ではなく、本筋重視の姿勢で、プロ選手を育てるのではなく、どんな世界に行っても通用する根性のある人間を育てるためにスポーツを活用している社会科の教師でもある。
ルイス自身、自分の人生に最も良い影響を与えたコーチとしているが、多くのOB達も同様のようで、このコーチの名を拝した室内練習場建設にすぐに寄付が集まる。でも一方で、現役学生の親からは、コーチの厳しい指導やわが子がサボってレギュラーからはずされたことに対して、コーチのクビまで校長に進言されてもいる。
わが子第一の過保護な親には、真正面から厳しく鍛えるコーチは受けない世の中になりつつあるのだろう。行間から、いろいろ考えさせられる作品でした。

2007/12 「闇の傀儡師 上・下」 藤沢周平 文春文庫 ★★
久しぶりの藤沢周平です。この作品も文句なく面白いですが、作品数に限りがある藤沢さんの未読作がまた1つ減ってしまったなと、妙な読後感を持ちました。
世は、老中田沼意次が幕府の実質指導者として権勢を振るい出す変換の時。緩やかにジリ貧を続けている幕府の金蔵を憂いで、田沼は豪商を使っての農地干拓や海外貿易で稼ぎつつある。しかし、建前主義・前例踏襲主義の旧勢力の巻き返しで再び倹約令で街から灯が消える政治に戻してはならないと考えている。
自分の力を磐石にしようとする田沼、お世継ぎの目がなくなった一ツ橋家、積年の幕府への恨みを晴らすために江戸の市井の民として過ごしながら、将軍家お家騒動の折になると暗躍する正体不明の集団八嶽党、それらの勢力が結びつき、将軍家のお世継ぎを亡き者にする暗躍が頭をもたげる。それを阻止すべく幕府隠密を密かに使って対抗する旧勢力の老いた老中。
隠密と八嶽党の暗闇の暗闘に、偶然出くわしたが故に飲み込まれていく主人公鶴見源次郎。彼は、旗本の嫡男だったが、身に備わった剣才を磨くために若妻織江を残して、大師匠を頼って山にこもる。山中の2年の時は、彼に無限流の極意を開眼させたが、織江は叔父と深い仲になり離縁することになってしまった。
失意の源次郎は家督を弟に譲り、市井の裏店に住みながら筆耕で口を養う生活をしていた。さらに彼を追い打つように、離縁した織江が自害したという知らせが、彼女の妹から届く。
忍びの技を使う八嶽党と公儀隠密。無限流の使い手源次郎と、過去に同流派を破門された使い手八木典膳。一ツ橋家の柳生流使い手白井半兵衛。古い柳生流を使う八嶽党の頭目とその弟子、八嶽党が積年の恨みを晴らすべく世に出そうとしている徳川の血を注ぐ・・。
いろんな魅力的な登場人物が、縦横無尽に動き出す。動きの中で、過去からの流れ、影でつながる勢力、本当に一番裏で操っているのは誰か・・・。

小説の内容とは別に、とかく賄賂老中としてマイナスイメージの強い田沼意次ですが、私の母方の血筋は田沼家本家の家老職の家柄らしく、郷里の田沼町ではやたら母の旧姓八下田姓が多い。
この小説に描かれている田沼は、田舎侍の側用人から大出世した実力者としての顔と、幕府財政を考え豪商に有利な政治、つまり規制と引き換えにその財力で農地を開墾するという賄賂にまみれやすい政治をせざる終えない葛藤を持つ顔で描かれている。
この小説で、田沼がやがて没落していくほころびの目の端緒が描かれているが、もし田沼政治が数代の筆頭老中に受け継がれたら、鎖国はもっと早く解けていたと思われる。また、明治の代になってから慌てて西洋ヨーロッパ技術を取り入れることもなかったと思える。しかしながら、豪商の財力を頼むということは、政治、ひいては世の中の乱れを導いていく。果たして江戸の建前を重んじる清廉な武士道が道にまで開花したかどうかわからない。
遠い先祖と縁のある田沼を応援する気持ちと、そうではない複雑な気持ち、いろんな意味で楽しく読めました。

2007/11 「聖夜の越境者」 多島斗志彦 講談社文庫 ★★
今回の作品は、ソ連のアフガン侵攻がテーマです。1979年のクリスマス、かつてソ連がチェコ侵攻し民主化を阻止したのに似た電撃作戦で、アフガニスタンに侵攻しました。アフガンにソ連の傀儡政権を樹立することと、伝統的な南下作戦と思われていたが、本当はどうだったのだろうか?
結局、西側諸国の大きな反発に合い、西側諸国からの禁輸措置が更に強くなり、モスクワ五輪は多くの不参加国を出しました。内政では、約10年後のアフガン撤退まで、数万に上る兵士の犠牲者と戦費を浪費しただけで何も得られずに終わりました。かつてアメリカがベトナム戦争で国力を落とし、ドルの下落・反戦・ヒッピー・・・など負の遺産に苦しみましたが、ソ連にとってもアフガンでの敗戦の影響は大きく、書記長の頻繁な交代から最後には共産主義ソ連の崩壊にまで至りました。
この歴史の流れに、アメリカから小麦を大量輸入しないと食べていけないソ連の食糧自給問題を解決する起死回生の作戦というテーマを1つ入れることで、壮大なフィクションを作り出している。多島さん得意の歴史的事実とリンクしたわくわくする展開が始まります。

日本人学者の一行がソ連侵攻前のアフガンに入る。それに参加した片桐は、アフガンに住み亡くなった彼の恩師の娘集子のつてで、政府の力が及ばず自治されているヌーリスタン地方の訪問許可を得る。ここへの許可はまず出ないので、同行していた植物学者の前沢は、予定を変更して片桐と行動を共にすることにする。
そこで前沢はある野生小麦を採集してきた。アメリカンに研究ベースを移した前沢は、ある品種と掛け合わすことで、極寒に強い小麦の新品種を作った。これを栽培すれば、小麦の栽培北限が変わる画期的なものだった。
その情報をつかんだKGBは、その種子を奪うべく動いたが、CIAが全て焼却処分し、前沢まで謎の死を遂げる。ソ連は、元の野生品種を探すべくアフガン侵攻し、探し回ったが発見できない。そこでKGBが動き、前沢と一緒にユーリスタンに入った片桐に道案内させようと動き出した。果たしてその成果は・・・という物語です。
かつて片桐が想いを寄せた集子は、アフガンに住み政府高官の妻になっていたが、ソ連侵攻によって夫は処刑され、集子自身はアフガン新政府によって刑務所に送られている。片桐と集子はどうなるのか?
ソ連に新種小麦を開発されると、アメリカの優位が失われ、小麦相場暴落による穀物メジャーの損失も莫大なものになる。それを阻止すべく米軍・CIAは、援助国の隣国パキスタンをベースに、反政府勢力に援助し、奇跡の野生小麦自体を闇に葬り去ろうとするはず。しかし、ソ連侵攻で冷や飯食いになってしまったかつてのアフガンCIA職員に下った命令は、野生小麦を葬ることではなく、片桐と集子の身柄確保だけだった。KGB・CIA、その両方から甘い汁を吸うアフガン人情報屋、現地に長く暮らすと、裏の顔を持つお互いを知っている。その駆け引き・・・
いやあ、面白いです。

2007/11 「守護天使」 上村佑 宝島社 ★★
2006年度第2回ラブストーリー大賞受賞作品です。この賞は出来たばかりですが、2005年度大賞の「カフーを待ちわびて」が素晴らしい作品で、今回も迷わず購入しました。
選考委員は、作家の他に書店員、大賞は映画化されるというおまけもついているので映像系と、バラエティーに富んでいる。その影響か、楽しめる作品が選ばれるような感じがする。この賞は、これから注目度を増す賞ではないかと思う。
さて、この作品の内容ですが、あまりに面白く、スピーディーで、なんと2日で読んでしまいました。地方の同属会社に勤めていた主人公啓一は、あまりに理不尽な理由で解雇されてしまった。裕福な家庭に育ち、人のいい啓一はいつもの「まあ仕方ない」で諦め、東京に出てくる。仕事の口を見つけるつなぎにと思って働き出したカウンセリング会社の仕事が性に合い、給料は安いが楽しく職場に通っている。一方、腕のいい美容師である啓一の奥さんは、東京でもすぐに新しい職を見つけ、以前同様啓一よりずっと稼いでいる。
家庭での力関係は、経済力の差に体力・腕力・口・体格の差も加わって、圧倒的に嫁の方が強い。嫁から2日で500円玉3つ小遣いをもらって仕事に出かける啓一だが、その財源は、元々啓一がコツコツ貯めた500円貯金だからあきれてしまう。でも啓一は「まあ仕方ない」と遠慮しながら家を出る毎日を続けている。
ある日の通勤電車で、啓一は女子高生の美少女にに恋をしてしまった。50男で、頭が薄く、腹が出ていて身長の低い自分では、とても彼女の恋の対象になるとは思えず、何に対してか定かでないがただ彼女を守る守護天使になろうとする。
しかし、座っている彼女の前に立つと、「どうぞ」と席を譲られるし、ちょっと離れた場所でかっこよく読めもしない英字雑誌などを開いていると、外人さんに声を掛けられ恥をかくし、風采同様賛嘆たるものです。しかも帰宅を守ろうとして後を歩いていると、ストーカーと間違われる始末です。
彼女のことをもっと知ろうと、かつて引きこもりを立ち直らせたヤマトに相談すると、さすがに彼女と同世代、彼女の学校や有名なお嬢様学校で、しかも彼女が開いたブログも見つけてしまう。でもそのブログは、彼女が書いているものではなく、そこに書かれている内容は彼女を陥れようとしている類のもので、それに食いついた得体の知れない輩が動き出したような書き込みもある。
さあ、それを知った啓一は、本物の彼女の守護天使となって立ち上がる。果たして啓一は彼女を守れるのか?
まあ、甘いラブストーリーというわけではなく、「カフー・・・」のような雰囲気も全然ない。やることなすことかっこ悪い啓一が巻き起こす笑いと、一癖も二癖もある登場人物の友情で、一方的な愛情が肉付けされ、最後に家族や夫婦の愛情が乗っかる。私のような適当に不真面目な男性には、最高に面白い作品でしょう。

2007/11 「クローズド・ノート」 雫井脩介 角川書店 ★
今秋同名で映画化された原作です。映画が上映される前に読む予定でしたが、結局文庫化されずに映画を先に観ました。
今回原作を読んで、原作の舞台は東京と知ったのですが、映画では舞台が京都になっていました。琵琶湖疏水・哲学の道・出町柳の加茂川合流・・・そして何といっても南禅寺のレンガアーチが舞台です。
ちょうど1ヶ月前に、レンガアーチの前で家内に、幸せのクリスタルりんごをプレゼントしていました。次男が来年就職して我が家を旅立ちます。結婚してから28年間、家を守ってくれた家内へのささやかな感謝の印です。
家内と映画を観ながら、南禅寺が・・・レンガアーチが・・・とても感動してしまいました。家内の横顔を見ると、どうやら私と同じような気持ちを共有しているようです。あまりのタイミングの良さに、この流れを演出する神様はなんて素晴らしいのだろうと思ってしまいました。
映画を観終え、ちょっと出費だけどこの単行本を買いました。そして今読み終えました。当然いろんな描写が小説の方が細やかでしたが、ぐんぐん引き込む筆力が弱く、今年の大きな思い出になった京都が舞台というアドバンテージもあり、私には映画の方がワンランク上と感じました。と言うより、先にあのできの映画を観てしまったので原作は少々不利になったのかもしれません。
元は携帯電話小説だったということもあり、作家としてはこれからだなあと偉そうなことを思いながら読んでいましたが、そこで光り輝き読者を獲得していった源を、作者の後書きに見つけました。主人公の伊吹先生のモデルが作者自身の亡くなった姉だそうです。小学校の先生をしていたそうで、遺品を片付けていた時出てきた子供達からの手紙や不登校児との葛藤、そして太陽の子通信。そこに書かれていた文章をそのままこの小説にも登場させたそうです。
作者の姉への追悼小説でもあるわけで、きっとそういう強い思いが、作品を際立たせたのでしょう。

2007/11 「密約幻書」 多島斗志之 講談社 ★
もう絶版になってる多島さん1989年の作品です。歴史ノンフィクションにフィクションを加味される多島さんのいつもの作りになっています。歴史好きには、そこから調べ物をして物語で語られる以上に厚みが増します。これは、多島さんのこの作風と語り口に惹かれ、絶版を数冊購入した中の1冊です。
舞台はイギリス、日露戦争当時、ヨーロッパでロシアを内部崩壊させようと暗躍した日本軍人スパイアカシ大佐と、社会主義革命の急先鋒レーニンとの密約書を巡るものです。日露戦争が始まり、旅順陥落やバルチック艦隊全滅の前、世界も日本自身も大国ロシアに勝利するとは考えてはいなかった。アカシ大佐は国外亡命しているレーニンに資金援助し、ロシアの内部から揺さぶろうと考えた。レーニンへの資金援助そのものは歴史事実として残っていないが、各反ロシア分子に資金援助したのは事実として歴史に残っている。
レーニンとアカシ大佐の間で、資金援助の見返りに交わされた密約文書には、ロシアの大きな不利益になる内容が書かれていた。その密約はアカシ大佐のカバンにしまわれ、彼と親しくしていたロシア人女性に渡された。彼女はロシア革命によって祖国ロシアを捨て、日本に亡命し神戸に住んだ。彼女・彼女の夫・子が亡くなり、孫娘だけが残った。それが孫娘が売ろうとしている祖父母の代から住んでいる古い異人館にあるのではないか?
その文書を握って冷戦時代の敵対国ソビエトに有利な立場になろうと動くイギリス情報部MI5、それを阻止しソビエトにその文書を持ち帰ろうとするソビエト諜報部KGB、否応なくその暗闘に飲み込まれていく孫娘・・・
ロシア共産主義革命は、当時資本家と労働者という2極化に苦しむ庶民と、それを開放したいと思う進歩的知識人の心情的応援が世界中にあった。その革命が成功し、それが世界の国に伝播して、生まれた境遇で固定化されつつある生涯を打破できたらと多くの資金援助があったのは事実です。ロシアと利害が対立する周辺国は、革命の成否に関わらず内部抗争によってロシアが弱体化するのを歓迎なので、そこからも資金援助があったとするのが、ごく自然なものです。現在でも多くの周辺国や大国が、自国の利益のために同様の事をしている。
実に面白かった。事実とフィクションを把握するためにいろいろ調べていくと、日露戦争当時ロシアの内部崩壊を狙って、ヨーロッパで謀略を駆使した明石大佐の資金は、現在の価値としては100億円ともそれ以上とも言われ、表と裏を使い分けながらしたたかに生き残ろうとする日本政府の姿が見えてくる。教科書には載らない国の裏の姿が見えてくる。

2007/11 「行きずりの街」 志水辰夫 新潮文庫
1991年度このミステリーがすごい第1位に輝いた作品です。主人公波多野は、郷里で塾の教師をしている。元は東京の女子高校で教鞭を取っていたが、教え子に惚れて彼女の卒業後、すぐに結婚した。それがPTAで問題になり、学校を追われた過去がある。田舎に帰ろうとした波多野に東京育ちの妻は着いて来れずに離婚してしまった。あれから10年、再び東京に行かなければならない状況が巡ってきた。東京の専門学校に通うようになった波多野の元塾生ゆかりの親代わりだった祖母が入院し、容態があまり良くない。ゆかりと連絡がつかないと親戚に相談され、探しに来たのだ。
彼女は既にアパートを引越し、専門学校生には到底不釣合いな高級マンションに替わっていた。しかも彼女はここずっと帰っていないという。彼女の行方は?スポンサーは誰なのか?それを調べていくうちに、暴漢に襲われ、元勤めていた学校の影がちらつく。更に別れた妻とも関係があるらしい。
自分が学校から追い出された背景、大学開校にまで大きくなった元の勤め先、しきりに復職を勧める校長と、PTAを纏め上げ波多野を追い出した池辺が今や実質学校経営を牛耳っている実態。
ミステリーであり、スリル・サスペンスであり、そしてラブストーリーが底辺を流れている。

2007/10 「追憶列車」 多島斗志之 角川文庫
多島さんの短編集です。「マリア観音」は、キリシタン弾圧の中で、子供を抱く観音像を作って、そこにマリア像を投影することで密かに信仰を続けた歴史から生まれた。そこに現代を生きる子供を手放してしまった過去を持つ母親の姿が重なって、物語が綴られていく。
「預け物」は、娘達の言葉や生活の乱れに頭を悩ます母親の日常。そこに、自分がその年頃の時に経験した事件で誓った復讐の機会が巡ってくる。それが終わり、再び平凡な我が家に戻ってくる母親の話。
「追憶列車」は、第2次世界大戦中、ノルマンディー上陸作戦後、フランスからドイツに逃げていく日本人達の姿が描かれる。
「虜囚の寺」は、日露戦争で捕虜になったロシア人収容所があった四国松山の町での出来事を綴る。将校は町への外出OKで、本国から家族を呼び寄せる者もいる。本国から送金されるお金で、自然に暮らす捕虜将校は、金払いの良さから町の者からむしろ歓迎される存在である。捕虜でありながら気概を持つ者と、それを取り締まる日本軍人の関係など、とても興味深い。
「お蝶殺し」は、ご存知清水の次郎長の3番目の妻で2代目お蝶の物語です。
これらの作品は、それぞれに物語が深く、短編で終わってしまうのがもったいない感じがします。多島さんの作品は、興味をそそる歴史的事実が底辺にあって作られているので、ついつい物語の背景を調べてしまう。その時代・その土地に入り込んでしまうところがあります。

2007/10 「錦繍」 宮本輝 新潮文庫 ★
田邊聖子さんとともに私の地元に住んでおられるのが宮本輝さんです。同じ市内ですが他所に引っ越すまでは、うちのお店を利用していただいており顧客名簿にも載っていました。家内のお店で、家内の色香に迷ったのか小説を書いてるんですよと自己紹介されて驚いたと言ってた想い出があります。彼女を題材に小説なんかが書かれたらすごいんだけどな。
大学時代に知り合い、かつて夫婦だった2人が、旦那の過去から引きずる必然だったのか、不幸な出来事だったのか、ある事件で夫婦別れする。彼女の父親の会社の跡継ぎとしての立場が、娘の夫というより会社の後継者として婿を赦せなかったのでしょう。
あれから10年、互いに別々の人生を歩いていた2人が、蔵王という遠い場所で再会する。元夫はいかにも落ちぶれた風情で、元妻は松葉杖をついてゆっくり歩く脳性まひで発達の遅い息子を伴っていた。
一言も交わさなかったが、懐かしさとその後の生活、そして夫婦別れのきっかけになったあの事件の真相を知りたくて、元妻は元夫に長い手紙を送る。7回に渡る往復の手紙だけでこの小説は構成されている。その手紙だけで何の解説もなく、結婚するまでのこと、あの事件のこと、そしてその後のお互いの遍歴がうまく表現されている。十分に話し合う間もなく別れてしまい、懺悔の気持ちと恨みを持ちながら次の生活を歩んできた2人だったけど、会話ではなく文字という媒体がゆえのお互いの心の内の正直な吐露によって、赦しあえ分かり合えるようになっていくお互いが、一人称の手紙でうまく表現されている。そしてお互いの今の生活へのエールのような、励ましのようなエピローグで1年に渡る手紙の交換が終わる。大人の小説という感じで雰囲気のいい読後感です。
関西在住の宮本さんらしく、舞台は香枦園であり、京都です。香枦園という全国的には無名の場所だけれど、私にはとても馴染みのある場所で、そういう意味でもとても親近感を持つ小説でした。また物語の流れが、設定の舞台に合うゆったり落ち着いたもので、それも好ましく感じます。

2007/10 「白楼夢 海峡植民地にて」 多島斗志之 創元推理文庫
多島さんの歴史小説です。日中戦争勃発後のイギリスの東洋における植民地経営の一大拠点シンガポールが舞台です。
林田は、日本国内での平凡な生活に見切りをつけ、南方の新天地シンガポールで充実した何かをすべくやってきます。あては、学生時代机を並べたシンガポールからの留学生呂氏だけ。ところがこの呂氏は、この地で意外に大きな存在だった。
植民地統治しているのはイギリスだったが、実際に経済を動かしているのは華僑で、華僑達は彼らの出身地ごとに硬いつながりを持っており、互いにけん制し合い対立し合っていた。そこに台頭してきたのが日本出身者。本国の台頭と共にアジアでの影響力を増しつつある。統治者は、華僑の各グループと当地の日本社会の勢力争いを巧に利用し、老獪な経営を続けていた。
そんな中、林田は日本人社会内部の反目の仲裁で名を上げ、華僑グループの仲裁にも力をふるい、次第にこの地での顔役になっていく。そして、あの日林田は、華僑グループの総帥である呂氏の妹と会うために放置されているゴム園の集積小屋に向かう。だがそこで待っていたのは、呂の妹の変わり果てた姿だった。そしてちょうどそこにこの農園の経営者のイギリス人夫婦。彼らは一目散に車に戻り、その場を離れていってしまう。
無実を訴えるために夫婦を追った林田であったが、それを諦め、その場を離れ逃亡の道を選ぶ。イギリス警察当局と、呂氏グループから追跡を逃れながら、事件の真相と真犯人を追う。この事件の真実は・・・自分が急速に顔役になったベースにあったものと、各組織の暗躍と組織のトップ同士のつながりが見えてくる。

この小説の最後の解説で、他の著書に付された著者の言葉が引用されていた。
『歴史の背中にはジッパーが付いている。そのジッパーをそっと下ろすと、隠された素肌が現れる。その素肌を、しかししかし気軽に見せてもらえない。となると余計に見たい。歴史の衣をそっと剥いてみるのはぞくぞくする作業だけども、なかなか骨が折れる。ジッパーが硬く錆付いていて、近頃の女性のドレスのように簡単には開かないのだ』
印象に残るしゃれた言葉だが、多島さんの作品に共通している素敵なものを語っているように思う。

2007/10 「『一隅の教育』にかく学んだ 関西学院中学部
母校で学んだ時はもう定年退職されていた矢内元部長さんの著書「一隅の教育」が再出版された。これを購入したら、その概略と矢内先生から直接学んだ先輩たちが投稿されているこの本がついていました。他に矢内先生の礼拝での話やPTAでの話が収録されているDVDも付属しています。
先生には直接学びませんでしたが、在学中何度も礼拝に来られて話を聞き、当時の現役先生からも矢内イズムというか、KG建学イズムを牛のよだれのごとく、ゆっくりじんわり学ばせてもらった。
今の私の行動や気持ちの持ち方の大きな部分を作ってくれた中学部には感謝しています。心に残った部分を抜粋します。

『一隅の教育者の自叙伝 矢内正一』

もう一つ中学生活について感謝していることは、スポーツの体験である。私のやったのは剣道で、上級生にも鍛えられ、学校の選手としてよく試合に出た。岡山、神戸、京都などの大会にもよく出たが、肉体的にも精神的にも、私が剣道から得たものは実に大きい。
スポーツの重視と寄宿舎生活とは、英国のパブリック・スクールでも人間形成の手段として伝統的に用いる教育方法で、現代の受験準備だけの学校生括では人間は育たない。利己的ながんばりの精神は受験準備からも育つであろうが、協同とか、献身犠牲とかの精神はそこからはなかなか育たない。
それに青白い秀才で、三十歳で若々しい活力を失うような青年は、いくら秀才であっても、人生の勝者にはなれない。絶対「参った」と言わない精神と身体、卑劣なことを絶対にしないで、ひたすら団体のために忠誠を尽くす精神はスポーツの神髄で、クーペルタン氏が近代オリンピック大会を始めたのも、英国のパブリック・スクールのスポーツによる人間形成に感動したからだと伝えられている。
中学時代は、学問とともにスポーツをやらせ、知育、体育、徳育、どれにも偏しない基礎教育であるべきで、受験準備の功利的な勉強だけの中学生括・高校生括で、将来大きく伸びる人間が出来るはずがない。
専門を選んで命がけで勉強に打ち込むべきところが大学と大学院なので、日本の教育は順序を転倒してはいないか、と私は考える。

入学試験は、日本の教育をゆがめるものとして大きな問題になっている。入学試験は、決して公平に人間の学力をはかりうるものではない。将来の学力がどう伸びるかの可能性をはかりうるものでもない。追跡調査をしてみても、入学試験が入学後の成境と一致するものではない。まして創造力とか指導性とかをはかることは、今の入学試験ではとうていできない。
私も今日まで一万千人以上の学生・生徒を教え、ある者はすでに七十歳を越しているが、学問だけからいっても、中学時代に一向ふるわなかった者が、何かに発奮して大学では最優秀な学生になったり、成績は悪かったが、社会人としてすばらしく伸びた者も無数にある。人間の価値はある一面だけでとらえてはならないし、また今の状態でただちにその将来をはかるべきものではない。
ことにまだ本質的なものが出ていない小学生を、不備な入学試験で合格者と不合格者に分けることは、私としては教師の仕事のうちで一番つらい仕事だった。関西学院中学部の入学試験を受けて落ちた生徒すべてに、私が激励の手紙を出すようになったのは、まだ小さい少年がこの不合格のゆえに、自分はだめだと絶望したり、劣等警持ったりすると、これほど残念なことはないと思ったからである。そして、この失敗の中から多くの教訓を得て、この失敗がかえって将来の大きな躍進の源となるなら、これほどうれしいことはないと思ったからである。
少年たちからは種々の返事が来た。ある小学生は次のように書いた。

ぼくの努力が足りなかったのです。はじめて体験する悲しみですが、いつまでも悲しむのはやめにします。先生からいただいたお手紙をぼくは何べんも読みました。暗記するまで読みました。努力すればぼくだって人に負けないりっぱな人になれる、という自信を持つことができるようになりました。

健康に恵まれ、天分に恵まれた者に対しては、その健康と天分とを祝福してやり、彼らを激励して、人類のためにその生涯を捧げる決心をさせるべきであろうし、健康を失い、天分の乏しい者に対しては、これを温かく包み、いたわり、励まして、一人ひとりがその生存の意義をまっとうするのを助けるのが教育者の使命であろう。

「まいったと言わないでがんばる少年は、必ずいつかものになる」。自分の意思を強くしたい人は、小さいことでもよい、何かを毎日必ず実行することから始めるのがよいと教えられました。

1.大事なのは持って生まれた才能などではありません。大切なのは人生に対する態度です。
2.ドイツのシルレルの言葉「汝らの運命の星は、汝らの胸中にあり」
3.「汝ら、世にありては悩みあり、されど雄々しかれ」
4.人間というものは面白いもので、認められないと人間として伸びないのです。子どもも仕事の仲間も認めなさい。
5.チャンスは前髪で捕まえろ!
6.日々新生、つねに希望を失わず。
7.希望と勇気を持って、一筋の道を生きて行きたい。
8.良寛の言葉「花は無心に蝶を招き、蝶は無心に花を尋ぬ、花開くとき、蝶来たり、蝶来たるとき、花開く」

「・・・患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである。」(ローマ人への手紙第五章)です。
「セレニティの祈り」であり、思い出されたのが、「ピリピ人への手紙」の一節であったのです。
「神よ、変えることのできないものを受け入れる平静さを、変えるべきものを変える勇気を、そしてそれらを識別できる知恵を与えたまえ」、「・・・何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、・・・人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」
矢内先生は、「美しい心」、「与えられた場所で全力を尽くすという精神」「スポーツを通じての心身の鍛練」、そして「愛と奉仕の精神」とは何かを警るために・・・
このように若い多感なとき、央内先生の深いキリスト教信仰に根ざした価値観を教えていただいたこと、「地の塩となり、世の光となる人になりなさい」と言われたことが、いま還暦を迎える年となり、心に響いています。

「公明正大であれ。困難な時もまいったと言わず、最後まで勇気と希望を持ってがんばれ。神を信じ、勉学に励み、人に仕える者となりなさい」

「就職先がどこより大きい。自分の就職先はどこより小さい・・・そんなことどうだっていいじゃないですか。そんなこと大きな問題じゃないでしよう。就職先が決まって人生が決まったわけじやない。これからがスタートなんだよ。これから、どう生きていくかで人生が決まってくるんだよ」

「天国と地獄に人々がいます。みんな後ろ手に縛られて、手が自由にならない状態で生活を強いられています。テーブルには食べ物がいっぱい盛られており、いつでも食べられる状態ですが、手が自由にならないため食べ物があるにもかかわらず、地獄の人々はだんだんと苛立ち、やせ細りやがて息絶えてしまう。ところが天国にいる人たちは、みんなこコニコしていて食べ物にも不自由なく、生きていくことができた。なぜだかわかりますか?」という話です。
答えは、「たとえ後ろ手に縛られて自分が食べられなくても、手首より先が動くので後ろ向きで他人を食べさせることができる。自分のことだけを考えている地獄の人間には考えも及ばないことです。まず、他人のことを考え、他人のために自分に何ができるかを考え続けてください」。
われわれが教育を受けるのは、他人のために自分が生かされることができるように、一生懸命自分を高めていくためだということを学びました。教育される中で自分が得意とするものを見つけ、それを伸ばし深め、そして身に付けたものを他人のため、社会のために役立たせるのです。社会的地位を得るためや裕福になるためでは決してありません。

2007/9 「逆軍の旗」 藤沢周平 文春文庫
久しぶりの藤沢さんです。4篇の短編集ですが、お得意の海坂藩フィクション物ではなく、歴史的事実を基にした半ノンフィクション物です。
明智光秀が本能寺に信長を討つ前後の葛藤、財政破綻に陥っていた米沢藩を立て直した上杉鷹山などが題材になっている。
戦国時代の武将は、命のやり取りという極限状態で生きているのでとても魅力的ですが、中でも私の一番好きなのは、上杉謙信と明智光秀です。
謙信はほとんど負けたことがない強さと、他国への侵略をせずひたすら自国を守り、義によって助太刀しても、それ以上は求めない姿に惹かれます。まあ一方で自国経済興隆策により裕福であったことがベースになっていると思いますが、領民もきっと楽であったろうと思う。
明智光秀は、裏切り者として一般的評判はあまり良くありません。でも、織田軍団にあって、秀吉同様立身出世で頭角を現した努力の人でした。秀吉より学があり、交流が公家にまで広がる人脈が、秀吉ほど信長に対してバカになり切れず、信長の猜疑心の標的になったのだと思います。些細なことで多くの部下を切り捨ててきた信長ならば、いずれ光秀もその運命であっただろうことは容易に想像でき、本能寺は信長自身が起こした仕方ないことだったのではないかと思っている。本能寺がなくても、信長の神をも恐れない行動はいずれ崩れただろうし、信長が天下を取らなかった方が良かったように思う。それまでの価値を大転換したあの時期に必要な人材であったが、それ以上のものではなかったように思う。光秀の裏切りは、義や和、赦し、いたわりを大切にする人本来の大切な価値観からの一撃だったように思う。不幸で哀れな最期ではあったが、光秀も長い歴史から見れば、あの時期必要な人材だったのだろう。
過去の栄光から徳川の世になり、衰退に衰退を続けた上杉を経済的に立ち直らせ、上杉の栄光や教えを今でも小学校に伝える米沢の中興の祖と、明智光秀の葛藤を藤沢流に描いている歴史小説です。

2007/9 「永遠のゼロ」 百田尚樹 太田出版 ★★★
久しぶりの星3つ、最高得点です。今年初めてかな? 朝日放送の「探偵ナイトスクープ」などの放送作家百田さんの作品です。昨年発表されましたが、作家が本職ではないので、百田さんの手がけた番組関係者などの間だけで読まれたそうです。でも作品の出来栄えがよく、大阪のタレントさんなどが「すごく良かった」と番組でちょろっと口にしていました。それを聞いて早速発注したのですが、既に完売ということで諦めていました。ところが仕事で琵琶湖のホテルに行った時、横のショッピングセンターの本屋さんで偶然見つけました。偶然というより、入り口に山積みになっていました。相当反響があり売れているのでしょうね。即、手に取りました。
ゼロというのは、ゼロ戦の事で、大戦当初世界一の性能で無敵を誇った戦闘機時代から乗り続け、終戦の年、沖縄戦の後の最後の特攻で散った戦闘機乗りが主人公です。彼は中国戦線から帰国したつかの間の内地の時に結婚します。すぐにラバウルに移動し妻とのやり取りは手紙だけです。結局妻と1人娘を残して逝ってしまいます。
60年後、再婚した妻は亡くなり、一人娘は姉と弟、2人の子供をもうけ、彼らも立派に成人しました。この物語はこの弟が一人称として語っていきます。姉は小さな出版社で働き、弟は祖母が再婚した祖父と同じ弁護士を目指して勉強しています。
そんな時、姉がほとんど何も知らない亡くなった本当の祖父のことを調べたいので手伝ってほしいと言われました。母親が本当の父親の本当の姿を知りたいと願っていると。祖父を知る者が高齢でどんどん亡くなっていく今が、祖父を知る最後のチャンスかもしれないと、主人公も興味を持ち、戦友の会などに連絡を取り、祖父の記憶を持った方々を日本各地に訪ねます。1人、また1人と話を伺ううちに謎に包まれた祖父の姿と、戦争に翻弄される戦闘機乗り・整備兵・海軍・・・いろんなものの生の姿が見えてきます。
相当部分史実に基づいて作られており、読みながらノンフィクションではないかと思うほど、読み応えのある作品です。「妻にどんなことがあっても生きて帰る」と約束し、事実そのように行動した敏腕パイロット。当時の戦闘機乗りとしては異色の存在が、様々な波紋を作り、周りに影響を与え、それが今にまでつながっている。
本当の祖父の話をしない祖父だが、血のつながりがないのに自分達孫をかわいがり、祖父母は仲が良かった。明らかになっていく真実で、戦後の困窮を極めた祖母の生活もわかってくるが、常に亡くなった祖父の愛情が祖母を守っている。
一つ屋根の下で寝食を共にしたのはたった数日であったようだけど、祖父の保母への愛情や仲間・部下へのいたわりの心が、1人になってしまった祖母の周りに助ける者を呼び、1人娘を立派に育てあげた。
戦争という悲惨な題材ではあるが、壮大なラブストーリーだなあと感じました。もし映像化されるなら、大きな感動を呼ぶだろう。

2007/9 「新釈走れメロス」 森見登美彦 祥伝社
あまりに有名で、教科書にも載っている太宰治の「走れメロス」を、森見さんの作品フィールドである怠惰貧乏下宿大学生と京都というところで焼直したらどうなるか・・・という著書です。これは短編集で、「山月記」「藪の中」「桜の森の満開の下」「百物語」を、同様に森見さんの作品フィールドで焼きなおしている。森見作品の既存シーンが出てきたり、他作品とリンクしていたりして、自由に面白く、何より自分が楽しめるように書き綴っているように思える。
「山月記」は知らなかったが、「藪の中」と「桜の森の満開の下」は、映画にもなってる恐ろしげな作品で、これがどんな風になるのか楽しみでした。結論を言えば、どちらも恐ろしくはありません。特に「藪の中」なんて、どう新釈されるのか楽しみでした。
学生映画研究会所属の3人(ヒロイン、元恋人、現恋人)が、現恋人監督・カメラの下、ヒロインと元恋人の出会いから気持ちが最高潮に達するキスシーンに向かって、ノンフィクションをなぞるというとんでもない作品を作る。しかもこの3人だけで製作し、「藪の中」同様、それぞれの製作中の思いを回想する。
でもまあ、オリジナル「藪の中」のすごさには到底かないません。木に縛られた亭主の目の前で山賊にレイプされる嫁。亭主の死因を調べる今で言う刑事の前で、嫁に惚れた山賊が自分が犯人であると語る。レイプされた嫁は縛られていたとはいえ、自分の不浄の姿を見た亭主を山賊に殺させたと言う。死んだ亭主の魂を自分の身体に蘇らせた巫女によって語られる亭主の言い分、自らのふがいなさに怒り自害した。登場人物が少なく、それぞれが語る自分が犯人であるという真実味はすごい。
最後の「百物語」は、ただただ日本の幽霊の怖さばかりが頭にあり、読みながら本当に怖かったらどうしようと思っていました。森見氏本人?が登場し、前4作品の登場人物を再び出演させている。全短編を通じて、作品中に出てくる舞台を、京都の地図を追いながら見ていると、京都がとてもファンキーな町に思えてきて、気持ちがウキウキしてくるのは何でだろう。

2007/8 「離愁」 多島斗志之 角川文庫 ★★
主人公伊尾木は高校生の時、いまだ結婚せず社会から隠居したようなつつましい生活をする藍子叔母(母の妹)の家に、土曜の午後ドイツ語を習いに行っていた。叔母は出版社でパートのささやかな仕事に就いて生計を立てているが、生活に余裕がないのは小さな借家に住み、殺風景な屋内の様子を見ても一目瞭然である。その妹への援助が、伊尾木をドイツ語教室に通わせる理由である。だから、ドイツ語が上達しなくてもなんら親には不満はない。そのいい加減なドイツ語教室に、何かと伊尾木に対抗意識を持つ従兄弟(母の更に下の妹の娘)美那が通うようになった。
美那と2人、毎週土曜に藍子叔母の家に通うようになり、昔の美貌の面影を残しつつ、無表情・無感動に社会との関係を自ら断つような生活をしている藍子叔母の生活に興味を抱く。戦前の日本女子大出という才媛でこの美貌なのに何故?謎の叔母。
そんな叔母は、そのままの生活を続け、50歳過ぎに亡くなり既に30年経っている。伊尾木は出版社勤務から独立し、物書きになっている。地方のある講演で、講演後年配のご婦人に呼び止められた。
「失礼ですが、先生のご親戚に伊尾木藍子さんっておられますか?」「ええ、私の叔母ですが」「やっぱりそうですか。伊尾木というお名前が珍しいので、ひょっとしてと思いまして。藍子さんはお元気ですか?」。という出会いがきっかけで、藍子叔母の遠い謎の過去が紐解かれていく。
声を掛けてきたのは、藍子叔母の女学校時代の仲の良かった友人で、彼女の語る藍子叔母は、伊尾木の印象の叔母とは大きく違い、賢く明るくよく笑うお嬢さん。彼女が保存していた女学校時代の8ミリには、快活に笑う叔母が映っていた。
ここから物書きの習性として、伊尾木が叔母の人生を調べはじめる。日本の米英開戦から大きく日本の行く末に影響している、東京を本拠に活躍したソビエトのドイツ人二重スパイゾルゲ事件と藍子叔母との関係、
そして自分の家族の秘密にも繋がって行く。
多島さんの作品は、ノンフィクションの世界と密接に結びつくのが特徴だが、今回は第2次世界大戦の行方に大きな影響を及ぼしたゾルゲ事件という大きなテーマです。ソビエトが世界で初めて社会主義革命を成功させた。一握りの資本家に搾取され続ける人々は、社会主義が描く理想社会実現に向けて、各国で反体制共産主義運動が高まる。そんな時代背景の中でドイツのポーランド侵攻で第2次世界大戦が始まる。一気にベネルクス3国からフランスまでドイツの旗が席巻し、続いてドイツが相互不可侵条約を破って、電撃的にソビエトに入りモスクワに迫る。日中戦争をしていた日本への防衛に中国満州国境に当たっていた軍を西部戦線に投入したいが、日本軍部の矛先がソビエトに向かうか、豊富な資源を求めて南下して米英と対するかが見えない。
ゾルゲ事件で特高警察に逮捕され処刑される日本の共産主義思想家尾崎は、近衛政権の政策的ブレーンで、ソビエトを守るために日本軍部の矛先がソビエトに向かうことを阻止しようと、南下政策を説く。ゾルゲを中心にしたソビエトの東京スパイ網は、逐一日本の動きをソビエトに送っている。ソビエト侵攻はないと確信したソビエトは、東部防衛隊を対ドイツ戦に投入し、モスクワまで数十キロに迫ったところからの敗北からドイツは勢いを失っていく。日本の南下政策で米英と戦線を開いたことで、それまで直接参戦していなかったアメリカが太平洋とヨーロッパ戦線にも参戦し、本当の意味のだい2次世界大戦が始まり、日本の親米英派が一気に勢いを失い、戦争の結果も見えた。今でも新しいソビエト大使が赴任すると必ず東京にあるゾルゲの墓に参るのが恒例になっているぐらい、国の存亡に大きな貢献をした人物です。
世界情勢を大きく変えたゾルゲ事件には直接関係はしていないが、一途な愛を貫く中で、その流れの中に飲み込まれていく藍子叔母。数奇に満ちた彼女の数年が解き明かされ、彼女から笑顔を奪ったものを描いていく。
途中から物語にぐいぐい引き込んでいく多島さんの文章力は素晴らしい。何故直木賞とかの候補どまりなのかわからない面白い作品です。

2007/8 「海上タクシー〈ガル3号〉備忘録」 多島斗志之 創元推理文庫
「二島物語」の主人公寺田が再び登場です。離婚を機に今治で東京を離れ、海上タクシーを生業に人生を再スタートした寺田。寺田と助手の弓が出会う様々なお客さんとその背景にある物語を、7つの短編として収められている。
潮・波・風・霧・・・海上衝突防止法・海上警察・海上保安庁・夜の浮標灯・・・操船技術・乗務員のコンビネーション・夜間灯火・・・海の魅力がふんだんにちりばめられている。海を楽しむ者として、多島さんの作品は、うそがないので楽しませてくれます。

2007/8 「二島物語」 多島斗志之 創元推理文庫
同じ著者の作品『不思議島』は、尾道から今治にかかる「しまなみ街道」の大島が舞台で、ここ一帯を本拠にした村上水軍からの歴史をベースに、現代に起こった誘拐事件がからむ謎を追う誘拐事件の被害者の話でした。
この『二島物語』の主人公寺田は、東京で暮らしていたが離婚を機に職を辞し、今治に流れてきて海上タクシーでを生計を立てている。今治から尾道につながる海は作者の名の由来のような多島海で、瀬戸内海の要所です。古くは村上水軍に代表される漁民・海賊・傭兵の本拠地で、徳川時代は島津・毛利・黒田などの西国有力大名が江戸に攻め上るのを防ぐ海の関所のようなものがあった。今治は譜代徳川家が西国・瀬戸内海ににらみを利かすために治めていた。
一大事の時、海上封鎖する秘密の作戦を地域の有力者『アウラ衆』にだけ伝えられていて、それがいつしか世襲のようになり、現代でもその家は島の有力家として繁栄している。
主人公の海上タクシーに、「5つの島を回ってお客を乗せて欲しい。行き先は全員が乗った時点で知らせる」という風変わりな依頼があった。各島を回って乗せたお客は、みんな漁業で生計を立てるある1つの島の住民で、不思議なことに全員顔を見られないようにしながら船に乗り込んできた。その途中の瀬戸でこの島とは犬猿の仲と言われている海上運送業で生計を立てるその隣の島の船から航路妨害を受け、何とかそれを突破したら行き先は九州の別府ということ。およそ海上タクシーで向かう場所ではない。妨害船からの執拗な追跡を交わしながら目的地に向かっている途中、「もういい、ありがとう。島に戻ってくれ」との乗客からの不可解な申し出。
その謎を調べるうちに、両島のアウラ衆の末裔の息子が相次いで亡くなる。そして、寺田・寺田の船の美人助手・東京から突然やってきた寺田の息子を事故に見せかけて亡き者にしようとする企みにはまっていく。さて寺田の運命は・・・

舞台になる土地を入念に調べて、それをベースにしながら作品を作り上げる多島さんの手法は、フィクションの小説の中に、歴史ノンフィクションが多く存在し、それを読み調べる楽しみがある。この小説内にこういう記述があった。

『あのときのラジオ番組では、『アウラ衆』のほかに、『地坪』についても解説がされていた。
『地坪』とは、土地の所有を均分化する制度だという。江戸時代に、この地方の多くの島々で、それがおこなわれていたという。
人家の増加や売買によって土地所有の不均衡が目立つようになると、数十年から百年に一度、全体の土地の区割り替えがおこなわれて均分化がはかられたらしい。
だからそれらの島々では地主・小作という立場関係などは生まれようがなかった。「つまり」とその学者はラジオから言っていた。「島という限られた器のなかに暮らす者にとっては、土地の所有はもともと絶対的なものではなく、しかも少数の者の手に集中すべ物ではないという考えが早くから根づいていたようであります。ま、土地に限らず、富というのは強い磁石のようなものでありますから、ほうっておけば、能力や努力への正当な報酬というレベルをはみだして、どんどん偏った集中化が進んでしまう。そのことを、当時の瀬戸内の人々もよく知りぬいていたのでありましょう。数十年に一度の『地坪』によって、その異常な偏りをいったん御破算にするという思いきった制度。これはけっして社会科学者の架空の理論ではなく、瀬戸内の多くの島々において、江戸時代を通じて現実におこなわれていたことなのであります」
しかし、いまではどの島を眺めても『地坪』などおこなわれてはいない』

第二次世界大戦後の農地改革などで、過去の財産の偏りが御和算になったことが、戦後の日本人の努力につながり、稀に見る復活の原動力になったのかもしれない。資本主義や自由は、いずれ少数に多くの富が偏ることになる。多くの者が共生する世界では、この乱暴な再配分『地坪』は案外究極で単純ないい方法なのかもしれない。

2007/8 「深追い」 横山秀夫 新潮文庫
横山さんお得意の警察短編。三ッ鐘署に勤務する交通課・鑑識課・刑事崩れ・副所長・会計課・・・様々な警察官や一般職員の人生の転機になるのかもしれない出来事を描いていく。
横山さんの短編は、読後感がハッピーになるわけでもなく落ち込むのでもない。スーパーマンの主人公がいるわけでもなく、どちらかというと表の顔の他に、誰にでもある悩みやこだわり、そして怯えを持って生きているごく普通の市井の人を一人称にしている。時代劇の藤沢周平の描く世界を現代に置き換えて見ている感じがする。
何故かまた購入してしまう作家です。

2007/8 「きみにしか聞こえない」 乙一 角川書店
映画化されましたが、近所での上映がなく原作を読むことにしました。乙一さんの小説は初めてです。「変な名前だなあ」とか「なんて読むのかなあ」なんて思いながら気になっていた小説家ではありました。
ファンタジー短編集ですが、まだ読者をぐっと引き込むような力強さはない感じがあり、携帯小説のようなライトな感じです。表題の作品より、「華歌」という作品の方が印象に残りました。読み終えて作者の経歴を読むと、まだ29歳という若さに驚きました。作家デビューは高校生の時ということです。

2007/7 「戦争のほんとうの恐さを知る財界人の直言」 品川正治 新日本出版社 ★
最近話題になっている書です。俗に言う勝ち組財界人から、アメリカ追随を鮮明にしだした日本政府への真っ向反対の言葉は少ない。戦争をしている、し続けているアメリカという国と、日本では大きく違う。9条改正というアメリカからの要求は、アメリカの軍事を背景にした世界にアメリカ的価値観を広げていく世界戦略の一部である。軍事オプションに関わる人的・財政負担の一部を日本に肩代わりを求めている姿である。生の戦争を実体験し、経済界でのその後の経験からアメリカに追随する本当の恐さを訴えている。
あれだけ追随していたのに、小泉首相時代の日本の国連常任安全保障国入りにアメリカは反対した。憲法9条の制約により軍事オプションが取れない国だからという排除もあるだろうが、現常任理事国1/5から日本とドイツが入った1/7や、ブラジル・インドを含めた1/9に、国連内での自国の影響力が小さくなるのを嫌ったと見えた。イラク戦争の時も、国連憲章にある武力行使制限条項を守らず、国連内のコンセンサスがないまま国連加盟国に武力行使した。つまり時間のかかる多国間のコンセンサス作りより、自国の利益をはるかに優先する国に見える。
品川さんは、その辺に本著で明確に答えている。憲法9条改正が、今後の日本の行く末に大きな影響がある一里塚であると語っている。「国の交戦権を認めない」と世界で唯一憲法9条で明確に表現しており、この精神を捨てずに、軍事オプション以外の面で世界に貢献する行動をすることが、本当の意味で日本という国の価値を高めると語っています。
自衛隊基地のある町に育ち、小学校のクラスには多くは自衛隊員の息子や娘がいた。毎日若い隊員さんと相対していると、彼らの朴訥さを感じる。彼らはイラクに派遣され、9条瓦解の時は、必ず武器を他国民に向けることになる。そういう国になってほしくない。子や孫・ひ孫が武器を持つようになって欲しくない。父の戦争での体験や、お尻や背中の戦傷に触れている私だから、品川さんのような考えが広まることを期待している。

2007/7 「不思議島」 多島斗志之 創元推理文庫 ★
同じ著者の書いた「海賊モア船長の遍歴」がとても面白い小説だったので、同じ海洋物の本書を読むことにしました。「モア船長・・・」は、登場人物や地理・時代背景まで歴史に即しており、小説としての面白さと共に、歴史や時代を調べながら読み進める楽しみが加味されていました。
本書は瀬戸内海伊予大島が舞台ですが、「モア船長・・・」同様、村上水軍の本拠地と言う興味をそそる歴史上の事実とリンクしながら進んでいく。本書を読みながら、何度地図やこの島に関する過去を調べただろう。知的興味をそそる小説です。
大島の名家の長女として生まれた主人公ゆり子は、生まれ故郷の中学で数学の教師をしている。彼女は、過去のある出来事によって、どちらかと言うと内気で遠くへ行くことなく、大学も実家から通える四国のそれに通った。12才の時誘拐されて無人島に置き去りにされた過去。夜には父親に助けられたのだけれど、事件は未解決のまま彼女の心の底に暗く沈んでいる。
島で唯一の町営診療所に新しく赴任してきた青年医師と知り合い、歴史好きの彼の導きによって、彼女の過去の事件の真相に迫っていく。しかしその真犯人は彼女の一族を指しており、一族は彼を島から追い出そうとする。自分の過去の真相を知ろうとするゆり子は当時事件を担当した刑事に会い、ますます一族への疑いを深めていくが、その疑いを感じた叔父から驚愕の事実を告げられる。
好感を持ち付き合うようになった青年医師は、彼女のあの事件当時診療所で働いていた医師の年の離れた弟で、苗字まで変えている。偶然ゆり子と知り合ったのではなく、意図を持って近づいてきたということ。それを医師にぶつけると・・・二重三重のどんでん返しを伴いながら真相に近づいていく。
青年医師がゆり子と初めて知り合った時に話していた村上水軍時代のトリックが、ゆり子誘拐事件のトリックに似て、キーワードは数学用語でもある相似。信頼していた家族や思いを寄せた青年医師が信じられる存在ではなくなっていき、前を向いても後ろを振り返っても不信という相似。女性数学教師という珍しい職業を持っているなあと、読みはじめに思ったことは、隠れた暗示だったようだ。とてもうまく作られた小説でした。
また、作品中に時々顔を出す村上水軍時代の遺物に、「紺糸裾素懸威胴丸」というのがあります。現存する唯一の女性用鎧で、中国・四国の大勢力と戦い続けながら水軍独自の特殊戦略を使って独立していた村上水軍の女性リーダーの物です。男兄弟や許婚が戦死し、それを受けて戦を指揮したまだ十代の彼女は、ついに相手を打ち破る。再び訪れたつかの間の平和を実感し、自分の役目は終わったとでも言うように兄や許婚の後を追って自害する。調べた写真を見ると、赤で胸のふくらみもウエストのくびれもあるセクシーな胴丸だったが、彼女の強さと娘の一途さがそれに染み付いているのだろうと思うと、いとおしくさえ見えてしまう。
こういう面でも楽しめる小説です。

2007/7 「たたかうジャーナリスト宣言 ボクの観た本当の戦争」 志葉玲 社会批評社
イラク戦争でフセイン大統領の銅像が倒された。現地からその様子を伝えるジャーナリストの言葉に「この地域限定の喜びであり、バクダッドの大部分ではそれほど喜んではいません」というのがあった。イラク人の自由を束縛していたフセイン大統領が取り除かれたのに、なぜ喜ばないのだろうと疑問に思った。
「戦闘地域に入るのは危険だ」「自己責任」として、イラクで拘束された日本人の救出に異を唱える国会議員などの言動に違和感を覚えた。危険だ、自己責任で、と実質日本人ジャーナリストを締め出して米軍発表をそのまま流すメディアに、一方の発表だけを聞くのはおかしいと思って、ネットでいろんな情報を探した。その時見つけたのが志葉さんのウェブサイトです。
元はイラク戦争開戦前夜、世界中から集まった米軍にイラクを攻撃させない為の人間の盾としてイラク入りしたのが始まりだったようですが、現地の本当を自分の目で確かめジャーナリストを志す。戦争後も数度イラクを訪問し、最激戦地ファルージャ、陸上自衛隊イラク救援隊などを取材する。
自身、イラクで米軍に拘束され、手錠・頭に袋をかぶせられ一般のイラク人同様監獄生活を強いられた。高遠さんは米軍に対立する武装組織に拘束され日本のメディアに載ったが、米軍に拘束された志葉さんはメディアに載らないことだけとっても、一方からの情報に偏重しているのがわかる。高遠さんのNGOの他にいろんなイラク救援日本NGOとパイプを持ち、現地入りした時のつながりでイラクの一般の人から直接情報が入っている人。最近は時々TVのニュース番組にもイラクの本当の実態を伝えるために登場しています。
イラク、インドネシア・アチェを中心に、現地を歩くことで見えてくる世界を書いた本です。不戦を誓った憲法9条変更をターゲットにした憲法改正が日本国民に問われようとしている今、アメリカという国の一面、戦争の実態を少しでも理解する一助になる書だと思う。

2007/7 「しゃべれども、しゃべれども」 佐藤多佳子 新潮文庫 ★
現在映画館で上映されている原作です。「一瞬の風になって」で今年話題になっている作家の作品ですが、この作品でいくつかの賞を過去に得ています。
主人公は、落語好きの爺さんに連れられて寄席に通ったせいか落語好きになり、師匠にあこがれてこの世界に入った落語家三つ葉。駆け出しでもなく真打まではうまくなく、といった中途半端な立場にいる。師匠の古典にあこがれて古典を極めようとしているが、師匠に言わせると自分の色が出せずに笑いを今一取れていない。ずっと片思いの大学生の幼馴染はいるが、自分に自信がなく軽口以上に進んでいない。
ある日、師匠のお供でカルチャースクールの話し方教室について行った。テニスの腕はいいのだが、生徒さんを気にしすぎてうまくコーチが出来ない従兄弟の良にそこの受講を勧めるが、大勢の生徒さんの前でしゃべれない良は、三つ葉に話し方を習おうとする。そんなのが数人集まって三つ葉の家で、落語教室が始まった。頑なに大阪弁と阪神タイガースにこだわりクラスで浮いている小学生、えらい美人だけどうまくしゃべれないので振られてばかりのお姉さん、そして日頃毒舌な癖にマイクの前では上品になってしまい、仕事に悩んでいる代打専門の元プロ野球選手。
三つ葉以外は、落語教室にやってきてもお互いにしゃべらない変わった教室が始まり、少しずつお互いの置かれている立場を理解しだし、同類だからこその仲間が出来上がっていく。とてもいい雰囲気で物語は進み、みんなの欠点が改善されていくという風には見えないけど、そんな自分を少しずつ好きになっていく感じが伝わってくる。映画がとても評判がいいのがうなずける。一番気に入ったこの小説のエッセンスのように思うところを抜粋しておきます。

『俺は良に自信を持てと言った。何度も何度も言った。無責任に繰り返してきた。俺は生まれて以来、じいさんのひいきのひきたおし教育のせいか、まったく自分に不当な自信を抱いてきた。自信のない人間なんて理解できなかった。手足や目鼻がついているのと同じに、自信はすべての人に当り前にそなわっていると思っていた。いや、改めて考えたことすらなかった。二十六にして、初めて、仕事と恋につまずいて、根拠のない鉄壁の自信がぐらついた。
自信って、一体何なんだろうな。
自分の能力が評価される、自分の人柄が愛される、自分の立場が誇れる−そういうことだが、それより、何より、肝心なのは、自分で自分を”良し”と納得することかもしれない。”良し”の度が過ぎると、ナルシシズムに陥り、”良し”が足りないとコンプレックスにさいなまれる。
だが、そんなに適量に配合された人間がいるわけがなく、たいていはうぬぼれたり、いじけたり、ぎくしやくとみっともなく日々を生きている。
綾丸良は”良し”が圧倒的に足りない。十河五月も”良し”がもっと必要だ。村林優は無理をした”良し”が多い。湯河原太一は一部で極度に多く、一部で極度に少ない。外山達也は満タンから激減して何がなにやらわからなくなっている。』

2007/6 「秘密」 東野圭吾 文春文庫 ★★
自動車部品メーカーの工場に勤める平介は、夜勤開け、1人で妻の直子の作っておいてくれた朝食を摂っていた。何気なく見ていたTVニュースは、スキーバスが転落事故を起こしたことを報じていた。このバス会社名は・・・ドキンとした。法事で長野の田舎に帰る妻は、娘の藻奈美とスキーバスで帰ることにしていた。慌てて現地に向かった平介は、・妻は転落したバスの中で、娘を庇うようにして亡くなり、それに守られて無傷で娘は助かったことを知る。でも娘の意識は戻らなかった。
数日後、意識が戻った娘は言葉を失ったようにぼんやりとしていた。平介と2人きりになった時、藻奈美は自分は直子だと打ち明けた。娘の肉体に母親である直子の意識が宿っていた。主婦の生活から小学校5年生の生活に逆戻りし、主婦の生活も今までどおりやり始めた。奇妙な2人の、というか3人の生活。結婚指輪は、藻奈美が大切にしていた熊のぬいぐるみの中に2人で縫い付けて隠した。
外見は、母を失くした父娘の生活だが、2人の間では、夫であるのに妻の意識を持った娘に触れられない。夫がいるのに娘の肉体を持ったがために夫に甘えられない。人には言えない問題を抱えるようになった。でも直子は前向きに、再び与えられた人生を、悔いのないように生きようとする。娘の意識が戻った時に消えるであろう自分が娘に残せるものは何かを考え・・・自分と娘の関係はどういうものか医学部に進んで脳の研究をしようとする。中学受験・高校受験、そして大学受験へと向かう。平介に後添えをもらうことを薦める雰囲気が周りにあり、惹かれる女性もいないわけではないが、娘の身体を持っているが妻への気持ちがあり、進む気持ちにはなれない。一方、子供から少女へ、そして美しい娘へ変わっていく妻への嫉妬は抑えられない。家にかかってくる男の子からの電話・・・娘の部屋に入って家捜し、そして電話の盗聴・・・クリスマスイブに誘われていることを知る。妻は断りに行き、夫は妻を取り戻しに行く。奇妙な3人が集まる。何故父親にそこまで邪魔されるのかと思う彼、何故夫がこの場所と時間を知っていたのか疑問を持つ妻、自分の卑劣さに嫌気をさしながらも行動してしまう夫。お互いに誠実であろうとするあまり、すれ違いでどうしようもなくなってしまう。そして電話盗聴が見つかってしまう。2人の関係は冷え切ってしまった。

こういう事故後の家庭内での流れとともに、もう一つの流れが平介にはあった。事故後の被害者の会でバス会社に対する補償問題が出た。最初の会合で、そのバスの運転手の妻が謝罪に訪れた。誠実にただ頭を下げるのみに徹する妻に、被害者の遺族は辛らつな言葉を投げかけた。事故調査で、この運転手はかなり無理をして自ら仕事に入り、より多くを稼ごうとしていたことがわかっている。
塞いだ気持ちでその会合を終えて外に出た平介は、片隅でうずくまる運転手の妻を見つけた。そして彼女は倒れた。被害者と加害者という関係とは別に彼女を家まで送った。娘が1人いたが、無理して稼いでいた風には見えない生活を送っているようだった。そこで、平介は疑問を投げかけた。「無理して稼がれていたのに・・・」。「でもうちにはほんとお金がないのです。夫とは再婚同士で、娘は私の連れ子ということもあり、夫のことはよくわかりません」。
しばらく経って、加害者の妻から呼び出された。そこで見せられたのは、平介の疑問に対する答えだった。夫の前の奥さん宛に毎月送られていた証拠。札幌の住所も記されていた。平介は札幌出張の時、一度寄ってみようと思った。自分の妻を失う原因を知りたいし、毎月高額な送金をもらっていたのに線香の一つもあげに来ない前妻と、話がしてみたかった。もしかすると前夫の死を知らないのかもしれないと。そして、亡くなった運転手がいつも持っていた懐中時計を託された。その時計には、かわいい男の子の写真が入っていた。
札幌の住所には、息子さんしかいなかった。写真の男の子の成長した姿だった。息子さんはお金の援助をしてもらっていたことを知らなかった。だまって出て行った父親をとても憎んでいた。その後の母親の苦しみを思うと二度と縁をつなぎたくない相手だった。母親には会わないで欲しいということで、仕方なく写真だけを息子さんに預けて、懐中時計は持って帰ることになった。
数年後、運転手の妻は無理がたたって亡くなり娘さんだけになってしまった。さらに数年後、平介の電話盗聴が見つかった時、札幌のバス運転手の前妻から電話をもらう。そこで意外な話を聞く。彼女の息子は運転手の子供ではなかった。元ホステスの彼女は、結婚する直前に別の男の子供を身ごもったのだった。どちらの子供かわからずと惑う彼女だったが、夫がたいそう喜ぶので言い出せずズルズルと大きく育っていった。小学生になった頃、彼は会社の血液検査で自分の血液型を知り真実を知る。でも表面上は今までと変わらなかった。妻を咎めることもなかった。ただ時々虚空を見つめるようになった。そして一通の書置き「ごめん、父親を演じきる自信がありません」と、それまでの家族の写真アルバムを持って家を出て行った。
以来音信がなかったが、息子が高校生になると再び連絡があり、今の妻とその連れ子を愛して暮らしている。家族の事を考え、自分に出来ることを一生懸命している。今思えば、あの時は自分の事しか考えていなかった。お前と息子の事を考えれば、家を出ることなど出来なかったはずだ。せめて大学受験の費用の援助くらいはさせて欲しいと、家計が苦しい時でもあり仕送りを受けるようになった。でも子供には言えなかった。札幌に来られた時、息子は何も私に伝えなくて失礼してしまった。でも数日前、家で彼が持っているはずのない幼い自分の写真が出てきて、来訪を知りました。被害者でもあるあなたには真実を話さなくてはと思い、来させてもらった。お詫びをすると共に、出来れば夫の次の妻の子供の居所を教えて欲しいと。

この話を聞き、加害者であるバス運転手は、自分の子でもない子を育て、立派に成人するようにいつまでも助け続けた。でも今の自分は、自分の嫉妬心だけで娘の肉体を持った妻と接している。「その夜、すまなかったと妻に謝った」。夫の心からの謝罪を受け妻は涙にくれた。翌朝、娘の部屋は空っぽだった。慌てて階下に下りると、娘はボ〜っとしていた。その目を見て平介には事情がわかった。これは直子ではなく藻奈美だ。直子の人格が消えて、藻奈美が蘇った。奇妙な3人の関係が、昨夜の心の通い合いで普通の関係の戻ったのだ。でもすぐに藻奈美は眠ってしまい、次に起きた時には直子の人格に戻っていた。
それから数ヶ月藻奈美と直子の入れ替わりの生活が始まり、藻奈美の人格の経験しなかった数年間の出来事を直子は藻奈美へのメッセージとしてノートに残していった。そしてお互いの時間に経験したことを伝えるための交換ノートになっていった。段々、藻奈美の身体は藻奈美の人格でいる時間が長くなり、直子の人格の時間が減っていった。そしてある日藻奈美から「お父さん、明日山下公園に連れていって」の言葉が・・・平介はそれで全てを悟った。直子と最初のデートをしたのが山下公園、直子との最後の時が来たのだろう。車を洗い散髪をしてラジカセとCDも買った。土曜の昼、藻奈美の学校に藻奈美を迎えに行った。娘を車に乗せ山下公園に向かった。藻奈美とベンチに座り、藻奈美は眠りについた。目を覚ました直子は、ユーミンの曲が流れる山下公園を喜んだ。そして直子の頬を涙が流れ落ちた。そしてさようなら。
その頃、会社で驚きの青年に出会った。工学系の大学院を卒業する札幌の息子さんが自分の会社の就職試験に来ていた。平介の存在も志望の1つだったようだ。母親も元気で、今は夫の次の奥さんの残した娘さんに援助している。苦しかった時助けてくれた夫への恩返しでもある。翌日も面接があるようで、自宅に招待した。事故以来初めての来客だった。藻奈美の手料理でもてなし、出来上がった彼に藻奈美は数学のわからない問題を教えてもらった。その時平介は何かを感じた。
歳月は過ぎ、藻奈美は25才、研修医になって脳の研究していた。研究などしていてはお嫁に行き遅れると心配したが、それは杞憂だった。この日、平介の予感どおり札幌の青年と結婚式を挙げることになっていた。娘や親戚が会場に向かった後、家で一人になった平介はある計画を思いついた。新郎になる彼のお父さんの形見である懐中時計を彼に返そうと。直子との結婚指輪でもお世話になった親戚の時計屋さんに、壊れてしまった懐中時計を直しに持っていったが、短時間では無理らしく、渡してから再び預かり直すことになった。その時、時計屋さんから不思議なことを聞いた。藻奈美が直子の結婚指輪を持って来て、新しく作る結婚指輪の新婦側の指輪はこれを溶かして作って欲しいと持ってきたそうだ。そして決して誰にも言わないで欲しいと念を押されて。時計屋さんは、亡くなった母親の指輪を娘がはめるなんてすばらしい話で、お父さんなら喜ぶだろうと話したのだ。
平介には、それを秘密にする意味がわかった。直子と平介の2人の秘密だった直子の指輪の隠し場所を何故藻奈美が知っていたのか・・・今まさに結婚しようとしている藻奈美は本当に藻奈美なのか?急いで結婚式場に向かい、ウェディングドレスに身を包む新婦の部屋で2人きりになった。「お父さん、今まで育てていただきありがとうございました」の型どおりの挨拶の後、真実を聞こうと思った。でも聞けなかった。真実はどうあれ、藻奈美は否定するだろう。そして、藻奈美の肉体を持ってしまった直子は、こうする以外なかっただろう。平介にしても、こういう関係になる以外救われないだろう。
平介が直子に謝ったあの夜、直子はお互いに傷つかない遠大な計画を練ったのかもしれない。山下公園での直子の涙は、直子が自分の人格を消し去った涙だったのかもしれないと思った。そして藻奈美の目を見た。その目には、真実が・・・。

悲惨な事故の犠牲者と加害者。いろんな形の親子の関係。登場人物みんなが救われる設定になっており、そして父親としての生き方が中心を貫いている。すばらしい作品でした。

2007/6 「ぼくの手はきみのために」 市川拓司 角川書店
市川さんの新作短編集です。過去の市川作品同様の雰囲気が漂っていましたが、短編なるが故の奥深さがなかったかな。これらに肉がついていくと、もっと素敵な作品になっていくように思います。市川ファンとしては、期待してやみません。

2007/6 「いまひとたびの」 志水辰夫 新潮文庫
人生の秋に差し掛かった男の自分の死、家族との別れなどに際した感情を、ゆったりと描く短編集です。哀愁や整理を淡々と言葉ではなく行動で示し、それを感じ取っていく家族。日本人が大切にしてきた言葉にしなくても伝わるものを全ての作品で書かれています。

2007/6 「ラスト・イニング」 あさのあつこ 角川書店
「バッテリー」が最終章を終えましたが、主人公巧の好敵手横手二中の参謀瑞垣の目から見た横手二中と新田東の最後の試合、巧と門脇、そして試合のその後のそれぞれについて書かれています。
原作も映画も、巧が門脇の最初の打席に投げた球の場面で終わっている。いい終わり方であるけど、その後を知りたい気もする。あの球を門脇は打てたのか?試合の流れはどうなり、結果はどうなったのか?を、試合後の瑞垣を中心にした主人公達の動きや会話を通して、少しずつ明らかになっていく。実にうまいやり方であの試合を語っています。
最初「バッテリー」を読み始めたとき、引っ越してきた巧が中学の野球部に入って、ここからきっと高校野球に繋がっていくのだろう、描かれるのであろうと思っていたが、中学野球で終わり、しかも巧が2年になる前に終わってしまった。主人公のその後の成長を描かないまま、大きな期待のまま終わってしまった。
たった1年を数年かけて出された6冊の単行本で現された「バッテリー」。最終章を読み終えた時にも思ったが、この本を読み終えても同じく、ここで終わる方がいいのかもなと思った。すばらしいシリーズでした。

2007/5 「TUGUMI」 吉本ばなな 中公文庫
ばななさんが、「キッチン」で華々しくデビューした後、2作目になるのがこの小説です。「キッチン」を読んだ時のような、ハッとさせる言葉の表現は、それほど多くないと感じました。うまいなあと読み手に思わせる部分に推考を重ねるより、もっと自然に表現しようと思われて書かれたのかもしれない。1作目より落ち着いているなあと感じました。作者の後書きを読んでわかったのですが、舞台の寂れた海岸の町は、作者自身が毎年両親に連れられて訪れていた町だそうで、ご自信を懐かしむ小説なので、自然な表現になったのかもしれません。
主人公の女子大生のまりあは、今は東京に両親とともに住んでいるが、高校生まではこの海岸の町に住んでいた。本妻さんと長期間別居して離婚調停中の父と日陰の身の母親との間に生まれ、母はこの海岸の町に嫁いだ妹夫婦が営む山本屋旅館で働いている。父は毎週末東京からやってきて週明けに東京に帰るという生活をしている。山本屋には、まりあの1つ上の陽子と1つ下のつぐみ従兄弟姉妹がいて、3人姉妹のようにして育った。
キーマンであるつぐみは身体が弱く、甘えて育てられたからか、言葉使いが荒く、きつい言葉を平気で吐く。でもとぎきりの町一番の美少女で、男の子などの前では、がらりと性格や言葉を変えるので、ひどくもてる。でも、そんな自分を自覚していて、どうせ長く生きられないだろうとも思っていて、本気で人を好きになるようなことはない。そんなだから、段々相手にもそれが伝わり、ボーイフレンドはとっかえひっかえになる。
まりあ19才の夏、海岸の町にホテルが建つことになり、山本屋は廃業し、叔父さんの長年の夢だったペンションを山の方で開業することになった。その山本屋最後の夏、まりあは故郷の町で過ごすために山本屋に戻ってきた。陽子・まりあ・つぐみ・叔父さん叔母さん、海岸で知り合いつぐみの新たなボーイフレンドになったホテルの支配人の息子恭一との、ひと夏の出来事を緩やかにほんわりと書かれています。
「キッチン」では、オカマバーを経営する女装のお父さんが登場し、今回はおめかけさんが登場する。二重人格のようなつぐみみ振り回される家族も描かれながら、社会的には後ろ指を差される立場の人が、すんなりと地域社会や周りに受け入れられている。どろどろとしたところは書かずに、それも特徴の1つぐらいの感じで描く作者のやさしさが感じられる。
劇的な展開はないが、精緻でスマートでシャープでウォーミーな言葉使いで何気ない日常が表現され、日が傾いた午後のけだるさがあふれている陽だまりのような読書を読者に提供する作品です。

2007/5 「イラクからの手紙-失われた僕の町ラマディ」 カーシム・トゥルキ 訳/高遠菜穂子・細井明美
イラクの今を語る小冊子を読みました。カーシムさんはイラクの方です。今高遠菜穂子さんのイラク再建プロジェクトのイラク人スタッフの現地トップをしている方です。
大学の機械工学を卒業し、当時のイラクは兵役義務があったので、共和国防衛隊に入隊し、イラク戦争敗戦でバクダッドから数十キロ北の地で軍から解放されました。徒歩でバクダッドに入ると、どこか別の地域から来たとわかるきれいな服を着たイラク人がサダムの失脚を喜んでいました。それを見ていると、すぐに彼らに取り囲まれ、防衛隊だということで袋叩きに合いました。でも、すぐに地の方が大勢助けに来てくれて、その家で怪我が回復するまで数日間世話になりました。
ファルージャやラマディの地元に帰ると、そこはひどいものでした。屋根の上にいる狙撃兵から、動くものは全て撃たれます。病人を運んでいるだけの民間の車が、検問所で撃されるのは、毎日のように起こります。それを外国の通信社に訴えようとバクダッドに戻りましたが、どの通信社も相手にしてくれません。
その時唯一話を聞いてくれたのが、日本人フリージャーナリスト村上和巳さんで、一緒に現地まで来てくれた。その紹介で志葉玲さんと知り合い、ともにラマディを取材するが、現地で米軍に拘束され、戦闘員の印を付けられ、収容所に送られる。プラスチック製の手錠で拘束され、トイレがないので屋内の置いてあるタイヤに米兵に銃を突きつけられながら用を足すも。10日後釈放され、シバさんは国外退去させられる。
銃を手にしたらレジスタンスになってアメリカ軍に対抗しようと決めるが、そこで高遠さんに出会い、別の方法、学校再建という手段でイラクの再建に貢献することにする。日本人からの寄付で材料を買い、多くのイラク人ボランティアが集まって学校を直していく。
でも事態はどんどん悪くなります。民間人が狙撃されて通りの向こうに倒れて、助けを求めています。でも、狙撃手がいるのでそこまで行けません。レジスタンスが発砲し、市街戦が始まります。そこに戦車が来て、その倒れている人をひき殺していきました。身動きできない自分の前に、乗用車が走ってきて助け出してくれた。
家族10人で、自宅で声を潜めていると、大きな爆発があった。表では、アメリカ兵が数名死亡し負傷している。道路に仕掛けられた爆弾が爆発したようだ。レジスタンスの攻撃が始まり、市街戦になる。米兵が無線で応援を求めている。米兵が去り、レジスタンスが「戦車にひき殺された報復だ」と言う。
彼の家は、夜中2度米兵に扉を蹴破られ、家族全員1部屋に閉じ込められて、屋上が狙撃手の陣地になる。2度目の時、彼と兄は拘束され、刑務所に入れられる。裸で尋問を受けた。英語が出来ることは、旧バース党の証拠で、機械工学を専攻したことが爆弾製造出来る知識を持っているということで、それで逮捕された。
高遠さんやシバさんのHPで、現在のイラクの証人としてカーシムさんが来日講演をしていると書いてあったが、大阪に来られた時都合が悪く行けなかった。そこで、その講演や現地から彼がインターネットを通じて高遠さんなどに送って来るメールを編集翻訳した冊子を購入しました。
硫黄島玉砕をテーマに、日米双方から見た硫黄島が映画化されましたが、戦争が始まれば、自国国民を鼓舞し、相手国の悪を大きく自国の悪を隠すプロバガンダは、世の常です。たまに日本人フリージャーナリストが、独自の取材源から入手した情報をマスコミが取り上げますが、米軍がジャーナリストを紛争現場に行かせず、情報コントロールしている現状では、米軍に都合のいい情報しか流れてきません。ベトナム戦争でジャーナリストをフリーにしたのが原因で、本国国民が何が起きているかを知り、戦争続行が不可能になったので学んだのでしょう。
時代がそうなのでしょうが、自由意志で紛争地域に入ろうとするフリージャーナリストを、危険であるということで止めるのは、大きなマイナス面もあるということを知っておかなければならないと思う。権力中枢の暗い部分が、マスコミ報道から多くの国民が知り、そこから捜査が始まることはよくあることです。
これからも、一方からの見方だけではなく、他方からの視点を拾いに行きながら、偏りのないようにしたいと思います。何処の国でも圧倒的多数の平和を望む国民に支持されている米軍駐留なら、これだけの時間駐留しても、戦火がさらに広がるのは、どう考えてもおかしい。他家の夫婦喧嘩に、いつまでも手を突っ込んでいても仕方のないこと、夫婦で家族で話し合うしか解決はない。そこに住む人々の能力を低く見積もっている傲慢か、新たな利権を得ようとしているか、利権を失うのを怖がっているかだと思う。あと、指導者の面子かな。

2007/5 「ホタル帰る」 赤羽礼子・石井宏 ★★
数年間、読もうと思いながら、特攻隊というテーマの重さ故、なかなか手を伸ばせなかった書です。本書の何度目かの映像化に促されるようにとうとう読むことにしました。戦争体験者である父が2月に他界し、父の白装束を見ながら想い出を追うと、幼少の頃、父の胡坐の上に座り聞いた戦争体験に行き着きます。
ボルネオ島での米軍艦船からの花火のようにきれいな艦砲射撃。自分で掘った通称蛸壺に爆弾を抱えて潜み、上を米軍戦車が通ると自ら爆発させる自爆作戦の一夜の事。白兵戦での弾の音。日頃部下を苛めている将校は後ろからの自軍から狙い撃ちに合うこと。敵兵との真正面からの遭遇をお互いに避ける人間本来の生への欲求と、人に死を与えることへのためらい。退却行軍の時、まだ息のある仲間が倒れている横を夢遊病者のように歩き、理性を失うこと。飢えと病気で多くの仲間を失ったこと。特攻命令の当日の朝、マラリアに罹り高熱で起き上がれず、父の部下の大半をその日に失ったこと。いろいろ聞いた。
そこで父から学んだことは、自分の意見をはっきり言うけど、最後まで相手を追い詰めてはいけないということ。最後は自分が正しいと思っても、ある程度の実を取れば負けておいた方がいいこと。
一連の父の法要を喪主として執り行いながら、以前読んだ「白菊特攻隊」「男たちの大和」に続き、ノンフィクションの日本人戦記の本書を読む気になってきた。
第2次世界大戦前半は優勢であったが、国力の大きな差から開戦1年後には戦局が悪化してきた。フィリピン・サイパン・・・そして1945年3月には沖縄沖に圧倒的な米軍艦船が終結し、艦砲射撃が始まった。それを撃滅せんと本土からの航空機による特別攻撃が始まった。
九州の数箇所の飛行場がその基地になったが、海軍は鹿屋、陸軍は知覧基地が主力だった。3月末から6月上旬にかけてのたった2ヶ月で知覧からは500機弱が飛び立ち、総数1000余機とほぼ同数の若い操縦士を米軍艦船への体当たり特攻で失った。
知覧には、富屋食堂という名の食堂があり、軍の指定食堂になったために特攻兵が最後に過ごす数日間の憩いの場所になった。当時女学生だった著者礼子は、そこを切り盛りする母鳥浜トメ・姉美阿子とともに、特攻兵の世話をし、知覧基地に離陸する特攻兵の最期を見送った。その貴重な体験を、「男たちの大和」同様、物語ではなくノンフィクションとして著したのが本書です。
父の戦争戦闘体験を聞いていたからか、淡々と書かれているノンフィクション故の重さを感じました。でもお互いに死にたくないし死なせたくない本音が、あうんの呼吸でやり取りされる陸戦とは違い、特攻隊員は既に命を捨ててきているので、知覧で過ごす最期の数日間の崇高さがあり、その方々をもてなすトメ達の行動も同様なところがある。
ノンフィクションでありながら、その気持ちがにじみ出て、心を打ちます。また戦後のトメと知覧も語られています。予期せぬことに、富屋食堂は、進駐してきた米軍のたまり場になります。特攻隊員がトメを「お母さん」と呼んだように、彼らからも「マーマ」と呼ばれるようになる。彼らが胸から出して見せる家族の写真を見、鬼畜ではなく、言葉はわからないが、特攻隊員と同じ故郷を離れた寂しい20才前後の若者と知る。特攻隊員同様のもてなしにより、彼らの戦争で粗暴になる気持ちを静める。軍国主義が否定されるとともに特攻への侮蔑の気持ちが世の中の体勢になったときに、たった1人で特攻隊員の家族愛・祖国愛に基づいた崇高な気持ちに手を合わせる棒標を立てるトメの気持ちと行動が、やがて観音像建立に繋がり、特攻遺品館に繋がっていく。
私財をほとんど特攻隊員への食事に使い、戦後も使い続けたトメと、それを支えた娘達、そして孫達・・・結婚して東京に移った礼子の家は特攻隊員の生き残りの方達のたまり場になり、それが発展して「薩摩おこじょ」という店になっている。今はトメの孫を中心に、特攻隊員が最期に食べたトメの味を提供し続けている。なんとすごい人生がたくさんたくさんここにありました。

2007/5 「海賊モア船長の経歴」 多島斗志之 中公文庫 ★★
海の小説が読みたくて探していると、この本に行き当たりました。この手の物は、イギリスものが多いように思い翻訳物を探していたのですが、思いがけず日本人作家が書いたものが目に留まりました。日本人がどうヨーロッパの海賊を書くのだろうという興味もあって読むことにした。もう絶版になっているらしく、中古本を購入しました。多分中学生の頃以来の海賊物だと思う。
文庫で500ページに及ぶ長編ですが、痛快アドベンチャーで大当たりでした。セールを操作する動作や、風上風下の位置取りによっての有利不利がヒールと波の打ち込みという技術的なところが書いてあり、ヨット経験のある私には、倍加して楽しく読めました。
イギリスから、主な舞台になるインド洋、そして南太平洋にまで、縦横に航海し、戦略を駆使して、商船を襲うのですが、軍艦との攻防から、裏切られた海賊船との攻防など、実に面白い。
16世紀から17世紀にかけて、アラビアの富やアジアの香料が、ヨーロッパに運ばれていた。そこに大きな利益があり、階級社会に嫌気をさした者・お尋ね者・訳あり者・一攫千金を夢見る者達が、水夫となってインドに向かった。かつて大洋を押さえていたスペイン・ポルトガルに変わって、フランス・オランダ・イギリスが台頭し、とりわけオランダ東インド会社・イギリス東インド会社の勢いが増していた。
主人公モアも、東インド会社の水夫となり、順調に航海士にまで出世していった。先輩航海士の妹を妻にし、人生の華の時期を迎えようとしていたが、乗っていた船が海賊に襲われ、手引きしたのではとの疑いで解雇されてしまう。失意のうちに帰国したモアを待っていたのは妻の不可解な死で、モアに疑いがかかる。証拠不十分で釈放されるが、周りのモアを見る眼差しが冷たい。酒場に入り浸りボロボロの生活をしていた港町で、快速の海賊掃討船「アドベンチャーーギャレー」に乗り込む。
しかし、海賊にめぐり合わず、軍資金に事欠き、なんと海賊になってしまう。略奪した大型船に乗り換えた船長が帰国することになり、帰国は死を意味すると考えたモア他数名が、モアを船長に、譲り受けた「アドベンチャーギャレー」で新たに海賊を立ち上げる。
ここから大洋を舞台にしたアドベンチャーが展開されるのですが、本国イギリスの政情・イギリス東インド会社の内情・オランダなどとの関係、舞台になるインド・インド洋の島々、スマトラ以東遠くの神秘の国日本との関係・・・みんな歴史的にしっかり抑えられている。
地名や人物名が出てくると、一旦ストップして、それらを調べることで世界史・地理の勉強になりました。この調べ物が楽しく、読書のスピードは大いに鈍ったが、2倍楽しめたようです。ほんとこういう感じで歴史に触れると、ずっと学生時代の歴史・地理の時間が楽しくなるだろうし、身につくだろうと思います。当時の海賊には明文化された規律があったらしい。
『一、この船の乗組員は、共通の目的を持って集まった自由人である。親分子分の主従関係とは一切無縁である。従って重要事項の決定については、全員が平等の表決権を持つものとする。
一、船長並びに、それを補佐する操舵手は、全員の表決によって選ぶものとする。従って多数の者から不適任と見なされた場合には、航海途中の解任もありうる。
報酬は、船長が2倍、操舵手など数人の補佐が1.5倍、他は等しく1と決められていた。
船に女を乗せないこと、戦闘中は逃亡しないこと、それらを破ると死刑または無人島に置き去りの刑に処する。
海賊を襲わない。
隠れ家や停泊地での略奪や女を襲う、不払いをしない』
ただこれだけだったようだが、フランス革命の100年前の時代、特権階級の一般市民からの収奪が当たり前の時代に、今日の世界にも通じる自治が海賊の中で出来上がっていたとは驚きで、ほとんどの海賊船がほぼ同じ規律で動いていたようだ。正規軍艦に装備が劣っても活躍したのも頷ける。
この時代は、交易を通じてヨーロッパとアジアが対等に繋がっていた時期で、後の武力による植民地化で根こそぎ富を奪い取る暗い時代に入る前の自由があった時代であった。その時代背景も感じられ、海賊という不法行為をする主人公の本でありながら、どこか明るい感じがする。
あまりに面白かったので続編を買おうと調べると、単行本ではあるがなんと3000円以上するので諦めた。もうしばらく待つことにしよう。

2007/5 「影踏み」 横山秀夫 祥伝社文庫
面白いミステリーや警察ネタを書く横山さんですが、これは犯罪者の側から警察や社会の裏側に住む人たちを描いた小説です。
深夜の住居への忍び込み専門の真壁修一は、2年の刑期を終えてシャバに帰ってくる。 頭の切れる修一は、かつて法学部に進み、法曹への道を進んでいた。 しかし双子の弟啓二は浪人し、小さな犯罪に手を染めてしまう。 悲観した母親が自宅に火を放ち、弟と無理心中し、それを助けようとした父親も亡くなってしまう。 家族の黒焦げの遺体を見てから、修一の生活も荒れ、弟の生活を継ぐように、泥棒家業に落ち、その日暮らしの生活になっていく。
刑務所から出て、まず向かったのは久子のアパートだった。 30歳も半ばに届こうとする今でもずっと自分を思って待っていてくれる人。 でも堅気の仕事に就いて、久子との全うな生活をすることに踏み切れない。 高校生の時、兄弟で争った久子が、修一を選んだ時から啓二は荒れ始めたので、そのことが引っかかっているのかもしれない。 でも今では修一の耳の奥深く住み着いて、修一と会話をしている啓二は、それを赦しているし、久子との普通の生活をするように薦めている。
こんな3人の会話や思いを縦軸に、稼業や仲間とのこと・警察・やくざなどとの関わりを横軸に展開される。 やくざとのハードボイルドな絡み、忍び込みの手口、不幸を背負った仲間やその子への小さな愛情、警察側からではない裏側の人間特有の人脈を使った犯罪の真相探索、そして久子と修一との表面上の言葉では語れない深い部分でのお互いを想う心の動き、それらが上手に絡み合い、うならせる。
横山さんの作品の多くに共通する、手放しのハッピーとはとても言えない作品の重さがこの作品にもある。どんどん引き込まれます。

2007/5 「太陽の搭」 森見登美彦 新潮文庫
森見さんのデビュー作です。こないだ読んだ「夜は短し・・・」ほど炸裂していませんが、大学生の勘違いした高尚さ・現実とのギャップ・青春のほとばしりが、おかしく楽しく、高貴な言葉で綴られています。
古都京都が舞台でも、左京区を中心にした一角だけですが、地図を見ながら自転車や徒歩の跡をたどり、あそこの角のコンビニで買い物したことがあるとか、京福電鉄はほんま街中を走ってるよねとか、別の観方も楽しめました。今回の下宿の横の道は何度も通ってるし。
そして、銀閣寺から上る大文字送り火の場所に行ってみたくなりました。天気のよさそうな日に京都の町を見下ろしたい。ついでに、前々から興味のあった琵琶湖疏水をたどって南禅寺を歩んでみたいと。京都の町の怪しい魅力をかもし出しています。

2007/5 「バッテリー」 あさのあつこ 角川文庫
主人公巧も中学に入学して1年の春休み。 不祥事で最後の学年の夏を棒に振ってしまった新田東の卒業したばかりの3年生が、最後の試合に向けて練習に余念がない。 天才ピッチャー巧を投げさせる条件で、全国大会準優勝の横手と非公式戦をするためだ。 巧を打ち砕いて高校野球に上がろうとする横手の天才スラッガー門脇と巧の対決は1度あるが、門脇は打てなかった。 試合巧者の横手の頭脳瑞垣の言葉にキャッチャー豪が崩され、バッテリーは乱打されたが、途中で顧問先生からの中止が入り、中途半端な状態になっていた。
試合に関係する様々な人間の心模様を描写しつつ、試合当日を迎える。 成長したバッテリーを、前回のような小手先の攻めで崩せるはずもなく、たった1点で勝敗は決すると覚悟する。 瑞垣は自身の打順を定位置の5番から3番に打順を上げ、門脇の前に走者を出そうとする。 1回表の横手の攻撃は3者凡退。裏の新田東は、4番前キャプテンの海音寺のヒットで2塁走者が帰ってくるが、ダイレクトバックホームでタッチアウト。
2回表・・・とうとう門脇と巧の天才同士の対決がやってきた。 うなりを上げるストレートが決まる。 続いて、さらにうなりを上げたストレートが大きく頭上にそれる。 それを取った豪は、不適な笑いを浮かべる。 俺の心を虜にした巧のストレート、門脇の闘争心に火をつけたストレート。 豪の次のサインは、ど真ん中のストレート。 巧は首を振らなかった。 バッテリーの気持ちは、真っ向勝負で門脇を粉砕で1つになった。 うなりを上げて、巧の右手からボールはホームベースに向かって放たれた・・・。

後書きで、あさのあつこさんは、
『・・・故郷の美作の冬の景色が好きでした。 花の色彩も草の匂いもない風景の中を、ただ1人走る少年の姿が浮かぶようになったのは、いつからだったろうか・・・肌を刺す風を正面から受け止めながらマウンドから1球を放る・・・彼を書きたくて、彼だけを書きたくて、彼1人を追いかけて10年以上の年月が経ちました。
書ききることが出来なかった無念も、追い続けられず1人残された孤独も、ついに捉えられなかったという落胆も・・・あなたに伝えねばならない言葉があります。 ありがとうございました・・・』
と書かれていました。
たかが中学野球小説、大人向けなのか疑問の残る小説でしたが、確かに私の心を捉えました。十余年、ライフワークのように紡ぎ出したあさのあつこさんは、最終巻を迎えて感無量だったのでしょう。 映画も言い監督に恵まれ、原作の雰囲気を崩すことなく、いい作品に出来上がっていました。この作品には、ありがとうと言いたい。

2007/4 「DEAD LINE」 建倉圭介 角川書店 ★★★
舵という長年購読しているヨット雑誌で紹介されていた本です。海が主の小説ではないが、第2次世界大戦終戦の夏、アメリカ・シアトルから海路アラスカ、アリューシャン列島・カムチャッカ半島を経て日本に、重要情報を持ってきたアメリカ在住日系2世の物語です。
ミノルは大学生だった。両親の祖国日本との戦いが始まり、敵国市民ということで、財産は没収され、他の日系人とともに強制収容所に送られた。そこで、あからさまに差別される日系人のアメリカでの地位向上を願い結成された442部隊に応募する。欧州戦線で目覚しい活躍をし、片目失明負傷除隊したミノルは、収容所から開放され、奨学金も得て、ペンシルベニア大学で学生生活を送るようになる。
ここでは、エニアックという最初のコンピューターが、今まさに製作されており、カリフォルニア大学で電気工学を専攻していたミノルも一員に加わる。これは軍の極秘プロジェクトで、ウラン型・プルトニウム型核爆弾開発と連動してした2大プロジェクトで、偶然核爆弾開発のことを知るようになる。
ミノルの両親と妹は、アメリカに失望し日本に帰国したが、その町は、核の標的都市に挙がっており、家族と日本人の多くを救うために、核爆弾情報を日本にもたらし、降伏時期を早めようと日本行きを決断する。日本人とメキシコ人の混血のエリイは、踊り子をしているが、彼女には息子がいた。しかし、折り合いの悪かった義理父母・夫とともに、自分の留守に日本に帰ってしまった。彼女も日本にいる息子と会うのを生きがいに暮らしていた。
そんな2人が知り合い、軍の最高機密を守ろうとする米軍の追跡を振り切りながら日本へと急ぐ。アメリカ社会で差別されている少数民族、日本社会でも同じように虐げられている少数民族、彼らに助けられながらの逃避行。
コンピューターと核。戦後を大きく変えた2つの大発明への興味と、ノンストップ・スリル、少数民族の悲哀、そして家族・親子への愛情、いろんな要素が詰まっている。500ページですが、文庫本のそれの倍はある、読み応えのある小説です。上手に映画化されたら、相当面白いものになりそうです。

2007/4 「夜は短し、歩けよ乙女」 森見登美彦 角川書店 ★★★
「いや〜、面白かった。もう終わっちゃった〜」が、読み終えたとたんの私の口から出た言葉です。うそ偽りなく、ほんまに口から出ました。お風呂で声を出して笑い、電車ではニヤニヤして怪しまれる作品です。
1979年生まれだから、まだとても若く、なんと私の長男と2才しか違わない。農学部出身というから大学院に通ったのなら、次男と同じキャンパスですれ違っていたかも?と想像すると、もっと痛快です。次男には紹介しないといけませんね。
京都の大学に通う主人公の大学生は、同じサークルの新入生の彼女に恋をしてしまった。ひそかにチャンスをうかがうものの、ストレートに討ち死にする覚悟がなく、いざとなると偶然を装う。小心者の男の子の典型的なパターンで、かつての私もそうであった。共感する!
サークルのコンパで2次会に行こうと思っていたら、彼女が2次会に行かないことを知り、急遽ストーカーに変身し、後をつけることにする。ここから物語が、「そんなことないやろ!」とつい突っ込みたくなる方向に展開していく。主人公と彼女が交互に同じ場面の行動や心理を語りだし、これがまた面白い。文体が面白い。展開が面白い。・・・が面白い。まあストーカーの彼と、ストーカーされているとは気付いていない非ストーカーの彼女の物語です。
舞台は京都の町や実在の大学で、一癖も二癖もある人物が、「そんなのあり?」という展開の下登場してくる。地名や神社、喫茶店までみんな実在で、作者がキャンパス生活で感じた京都や大学をどんどん出して行ってる感じです。
縁あって、舞台の大学に通う子達や先生を知っており、私なりに大学の雰囲気も感じているが、展開されることや登場人物が、いかにもここに生息している人物に重なる。この学校では現実にありうると思えるから恐ろしい。この学校がこういう人種をひきつけるのか、こういう人種が集まるからこの学校がこういう雰囲気をかもし出すのか?いずれにしても、こういう人種を育む学び舎である。
彼らと話すようになって、いかに我が母校がまともな人間の集まりかを再認識させられた。親に信用してもらい、やりたいことを自由にやらせてもらって育ったと感じる。自分を信じている強さを身に付け、失敗のことを考えず、自分の思いにどーんと突き進むいい意味でのアホさを感じる。うらやましい限りであるし、どんな人生を歩むにしても、悔いなく過ごすのだろうと思わせる。
これは他作品を読まざる終えない。これから多数出版されるであろう作品が楽しみです。

2007/4 「一瞬の風になれ」1いちについて・2よーい・3どん 佐藤多佳子 講談社 ★★★
高校陸上競技部を描く全3巻。いろんなところで「いいよ」という書評を見ていたが、3巻もあるのかと思い躊躇していた。でも、とうとう1巻だけ買ってしまったのがいつだったっけ?確か3月の2週目。読み始めてすぐに、2・3巻目を何故一緒に買わなかったか後悔した。それほどガンガン、わくわくさせられた。いつもなら御用達の書店に注文FAXを送って待ってるだけなのに、この時は神戸に出たついでに一気に残りの2冊とも買ってしまった。
主人公の神谷君は、天才型ミッドフィルダーサッカー選手を兄に持つ。両親のサッカー好きもあり、兄に続きサッカーをしている。天性の足の速さを生かしてフォワードをしているが、いつもシュートで球が浮き決まらない。高校進学はいろいろ考えた。サッカーの強い私立?でも近くの公立に進学した。「連君の友達?」って陸上部から勧誘された。中学2年で、全日本中学選手権決勝を走った幼馴染の連は、注目新入生だった。中3で陸上部をやめていた連を誘い、連に誘われ、幼稚園からかけっこを競っていた2人が陸上部に入部した。
それからいろいろ、故障・脱走・大失敗・・・いろんなことを経験して高3になった。100m・200m・4継(100m×4人リレー)、県大会・南関東大会、そしてインターハイに続く高校最後のシーズンが始まった。
中学の時、病気でサッカー部をやめてしまう空白期はあったが、高校・大学と体育会に属して、自分とクラブと学校名を胸にレースをしてきた血が騒ぐ作品でした。練習日のだらけた一時、課題ができるようになった喜び、試合が近づく日々の緊張感、試合前日・当日・スタート前の気持ちの盛り上がり、レースが終わったときの充実感と喪失感・・・何かかつて感受性が高かった時の自分が蘇り、「そうだったよなあ」と懐かしい。
その横糸に、兄とのこと、兄のサッカー、家族の応援、片思いの彼女への気持ち・・・が彩られ、高校生のあの時期にしか味わえない男の子のパワーがうまく描かれています。「バッテリー」同様、この作品の作者も女性だけど、ギラギラした男の子の気持ちを少しソフトに憧れを持って描かれているのが気持ちいい作品です。
私が読んだ2006年新刊書のベストでした。

2007/3 「ゆるすということ」 ジェラルド・G・ジャンポルスキー著 大内博訳 サンマーク出版
生きているといろんな困難や不運がやってくる。その時、多くの人は、災害をもたらした自然が恨み、災難を持ってきた人に腹を立てる。その後の生活の困難やうまく行かないことの原因をそこに求め、いつまでもそこから気持ちが離れず、ますます苦しくなるということが、往々にして起こる。しかし、災難をもたらした自然や相手は、そのことを忘れたように何も変わりなく動いている。いじめられた子が、何年もそれが忘れられないのに、いじめた子は、忘れているのと同じように。
人は何を原動力にして活動しているのだろう? 機械のように燃料を入れれば動くというものではない。食べ物を与えても、みんな同じ動きをすることはない。人は意思・気持ち・心で動いているのだと思う。気持ちが不愉快な経験をしたそこにとどまり、次の一歩が踏み出せずに苦しい人生を歩んでいる時、「ゆるし」をその対象に与えると、実は自分自身が救われる。
このようなことが書かれた本です。著者は精神科の医者であるが、離婚など苦しい経験をし、一時アルコール依存症に苦しんだ経験がある。その時「A Course in Miracles」のセミナーで「ゆるすこと」を学んだ。別れた妻をゆるすことで、悪感情が去っていき、心が晴れやかになり、新しい自分に歩み出せた。そこから「生き方を変えるヒーリングセンター」を創設し、現在は世界中に100ヵ所以上あるという。そして彼は、今での参加者とともに、「ゆるせない事」を挙げるところから一緒にコースを履修している。人は弱い存在で、自分も全てを赦せるところまではまだまだと考えているところがすごい。この姿勢が、人を惹きつけるのだろう。
聖書に書かれている「赦し」から派生した考え方だなあと感じた。イエスが、嫌われる職業の取税人を赦し、姦淫の罪を犯して囲まれて石を投げつけられている女を助け、囲んでいる人々に赦しを説いたように。
この本を読みながら、自然に自分を振り返ってみた。これはと思うことには、結果の成否から来る自分の損得を考えず、発言したり行動したりする方だが、それをいつまでもしない方だ。「そういう人もいるな」と思い、そこやその人と距離を持つことで自分を守ろうとしてきたように思う。
距離を置くことが出来ない家族に関しては、ほぼ何でも赦してきたように思う。子供達の悪さには、叱らないことと大きく許容することで、今でもとてもいい関係でいられる。この本に書かれている「ゆるし」の大きな力を実感するが、私自身まだまだだなあとも思う。大きく言えば、人類永遠のテーマなのかもしれない。

2007/3 「墨攻」 酒見賢一 新潮文庫
同名で映画化された作品です。紀元前の中国戦国時代、今日儒教として伝えられる儒家思想と並び称された墨家を描いた日本人の作品ですが、中国人が映画化しました。戦争映画だったので、特に興味がありませんでしたが、「良かったよ」という話を聞いて、原作を読むことにした。
墨家の思想は、盗みの罪を犯す者より、殺人を犯す者の方が罪が重い。殺人も1人より2人というように罪が重くなるのはごく自然だが、戦争として多くの殺人をする者は、英雄視される。この矛盾を突く思想です。その思想に基づき、大国の侵略に遭う小国や小城からの救助要請に反応し、城(都市)を守り抜くことを業としている。守るが決して攻めない非戦思想が流れている。
墨家集団にいる革離は、趙から攻められようとしている城からの救援要請に応えようとする。しかし、当時の墨家の長は別の考えを持っていた。情報では、趙自身が魏軍に半年後には攻められようとしている。これま
でのように小城を守ることばかりしていても、いずれ同じこと。大局にたって、力を蓄えつつある秦に加勢して他国を攻め落とし中国を平定し、秦の内部に深く入り、墨家の中心思想である非戦を広め、再び戦国の世が訪れないようにしようというもの。
革離は、それにも一理あるとは思いながらも、墨家が長年伝えてきた思想から離れる新たな展開を嫌い、1人で城の救援に向かう。小説は、ここから戦闘の素人である邑人を集め、城の守りを固め、圧倒する大群で攻めてきた趙軍と対決する戦闘シーンが展開される。
この小説には、戦闘シーンとともに、墨家の考え方がよく表わされている。儒家と墨家は、対立する思想だったようだ。儒家は、愛の対象をランキングしているが、墨家はランキングしない。すなわち儒家が、親・子、そして兄弟・家族を愛することを教え、家族の埋葬を十分にするように教える。墨家は、そうランキングすることで、王の死など実力者の死に、多くの労働と過酷なるがゆえの多くの死を伴った大墳墓の構築に至る。わが家族同様に全ての人に愛を注ぐことで、王の死も虐げられた非人の死も同様に薄葬になり、結果多くの人が幸せに暮らしていけるという思想。墨家の思想は、キリスト教の思想に近いと思った。
家族を愛することと、他人を愛することを分けるのを差別愛とし、差別愛こそが、争乱の原因を作り、戦争を引き起こす。人の子と己の子を同様に愛する無差別愛こそが、争いをなくす根本であると説いている。
日本は、武士社会の時代に儒教が入り、儒教を根に据えることで戦闘集団である縦命令絶対服従社会の武家の基盤を固めたように思う。子は親に従い、目下の者は目上の者に従う。親は目上の者は、その見返りに子や目下の者の生活の面倒を見る。
しかし、これは親や目上の者の高い品・節・寛容を求める。これがないと、単なる無節操な上位下達になりかねない。このほころびが、様々な親子関係や社会的強者弱者関係から起こる悲惨な事件に繋がっている。
江戸時代から日本に続くごく当たり前の儒教的考えの家庭で、息が詰まっていた私が、キリスト教に救われたように、なんとなく墨家的思想に惹かれるものがある。儒家思想も墨家思想も一長一短なんだろうけど、古代大国中国にも、墨家的思想があったことを知っただけでも、とても勉強になりました。秦の時代には忽然と消え去ってしまった墨家思想や墨家集団の研究がこれから進むのかもしれない。

2007/3 「流星ワゴン」 重松清 講談社文庫
東京の郊外に住むごく普通の家庭の父親一雄。幸せな家族が、一人息子広樹の中学受験の失敗からおかしくなる。中学生になり引きこもり、家で暴れだす。家具はボロボロ、昼夜逆転の生活。妻は外出が多くなり、夜になっても帰ってこなくなり、「何も言わずに離婚させて」と言われる。そんな時、一雄はリストラに会い職を失う。ただ一つの収入源は、そう長くはない父親を病院に見舞うことだけ。飛行機を使い郷里に帰ると、交通費として多額のお金が入った封筒をくれる。
父親は、一雄が中学の時、金貸しを始め財を成し、建築会社も順調で郷里ではちょっとした会社を経営している。でも、一雄に対する頭ごなしの父親を嫌い、金貸しという職業も嫌い、大学進学で出てきた東京で暮らすようになる。会社は妹の婿が継いでやっている。
自分が最も嫌う父親からのお金を頼りにして、職を失い、家庭崩壊の家族を持つ一雄は、父親の見舞いから帰った最寄の駅前で「帰りたくないなあ。このまま死にたいなあ」と思う。その時目の前に現れたのが、ミニバンのオデッセイ。中には親子が乗っていた。誘われるままに乗ったオデッセイは、見知らぬ道を走り出す。信号は全て青。
「あなたにとって、大切な場所に行きましょう」の言葉と供に、一雄の大切だった過去の時間に、場面に戻る。元気な父親との再会。受験前の息子との会話。都会でふと見かけた妻。いろんな場面をもう一度体験することで、父親への思い、妻への思い、息子への思い、みんなが解けていくようだ。

2007/2 「MOMENT」 本多孝好 集英社文庫
大学4回生になって、単位をとる授業出席が暇になって、でも就職活動も特にしていない。そんな暇な大学生の主人公が、病院の掃除のアルバイトを始めた。
その病院には、奇妙な言い伝えがある。死が近づいた患者さんの最後の望みをかなえてくれる仕事人がいる。それは、掃除人をしている。
主人公の青年は、仕事人ではないが、そのうわさを頼って自分に頼み事を依頼してくる患者さんの望みをかなえる為に動き出す。いろんな環境の患者がおり、その深い部分に踏み込むことになるこの仕事を楽しむようになったいった。
やがて、本当の仕事人が誰なのか?、その仕事の業務は何なのか?、なんとなくわかってくる。
本多さんお得意の、ミステリーでありながら、人間模様を描く小説です。

2007/2 「ビタミンF」 重松清 新潮文庫
重松清さんの家族短編小説です。重松さんと言えば家族がテーマの作品が多いですが、家族に、特に「中年になったお父さんのビタミンになりますよ」という作品を集めたそうです。2つの短編を紹介します。

『せっちゃん』
娘の美奈子さんは、優等生でクラスのリーダー。ずっと小さなときから、親を楽しませてきた。お父さんにとっては自慢の娘でした。中学生になった今でも、学校であった話をお父さんにも楽しそうに話す。でも最近、なんかどこかおかしい。お母さんは、すごくそれを感じる。
「せっちゃんという転校生が来て、クラスのみんなに無視されてかわいそう。でも私が友達になってあげてるの。今日も運動会の演技の振り付けが変わったことを、せっちゃんだけ教えてもらってなくて、かわいそうだったんだ。私は、誰かが伝えているものだと思ってたの」」と、かわいそうなせっちゃんの話がよく出るようになった。「今度の運動会には来なくていいから。親が来れない下級生と一緒にお昼ごはんたべるの。来ないでね」。
運動会を見に行くつもりはなかったけど、出かけるついでに夫婦で演技だけを見に行った。娘に見つからないように後ろからみていたら、美奈子さんは、1人だけ演技の振り付けが合わず浮いていた。お父さんは、悲しい気持ちで仕事場に急いだが、お母さんはそれからしばらく見ていたようだ。昼食時もいつもの友達と一緒ではなく、教室で1人でお弁当を食べたようだ。
後日お母さんは先生に相談したが、いじめの事実には気づいていないよう。でも気をつけて見ているとのこと。転校生のせっちゃんはいなかった。美奈子さんは、しっかりしているからこそ、親に心配させたくなくて、いつものように振舞っていたようだ。
やがて、先生がいじめの事実をつかんで報告してくれた。美奈子さんは何でもできるので、それへのやっかみがクラスの女子から入ったようだ。きちんとクラスで話し合い対処するとのこと。そして、生徒会長に美奈
子さんが立候補したことも。
お父さんは、美奈子さんの苦しい胸のうちを知り、美奈子さんときちんと話し、学校側と対応しようとしたが、お母さんに止められた。「もう少し、そっとして置きましょう。あの子なりに今、がんばってるのよ」。

これを読みながら、美奈子さんの気持ちも、お父さんの気持ちも、そしてお母さんの気持ちもわかる。正解なんてないけど、親って、子供を信じて知っていながら見守るお母さんの行動が一番いいのかなと思った。でもいざとなったら実力行使も辞さないお父さんがいるからこそのお母さんの行動だったりするのだろう。

『なぎさホテルにて』
達也は、妻の久美子と、俊介・麻美の2人の子に恵まれ、もうすぐ40歳になろうとしている。最近、「俺の人生もこんなもんかなあ」なんて思うなり、特に不満はないが、久美子との会話が平坦になったいる。「何か私に不満があったら言って。私、直すから」と言ってくれるが、具体的な不満があるわけではない。「離婚してもいいよ」とも言ってくれている。
37歳の誕生日を、家族4人ホテルで過ごすことにした。20歳の誕生日に当時付き合っていた彼女とこのホテルで過ごした。記念日に泊まった方にホテルからタイムカプセルの手紙のサービスがあった。将来のある日にその手紙を届けるサービスで、彼女が書いた。どんな文面を書いたのか、何処に送るようにしたのかはわからない。
その手紙が、達也のところに届いた。「一緒にいるかどうか、お互い別の人と一緒にいるかもしれないけど・・・今のあなたの人生はどうですか?今度の誕生日に思い出のこのホテルに行きませんか?」。ホテルの優待券もホテル側からのプレゼントとして入っていた。
久美子や子供たちには内緒で、またやってきた。ひょっとしたら、会えるかも・・・。「いいホテルね。最後になるかもしれないね?」と夫婦の会話とは別に、「お父さんとお母さん、仲直りしたの?良かった」と俊介から。子供にはわかるようだ。
女性チームと男性チームに分かれて、2部屋取った。先に部屋に戻った久美子さんは、達也に届いたホテルからの手紙を見てしまった。そこには、数年前、ここに泊まった当時の彼女からの手紙も入っていた。「あなたが37歳の誕生日にここに来ることがあったら渡すように言付けて、手紙を書きました。私は来月、今一緒にいる人と結婚します。30歳なんて遅れちゃった。お幸せに」
達也の誕生日には、彼女は現れないだろう。すべてを知った久美子さんは、何も言わずに、いつものように・・・

その後、この家族はどうなっていくのだろうか・・・読みたい気持ちもあるが、そこが書かれていないところが、小説のいいところだろう。事実を探求したり、良し悪しを突き詰めるのが小説の役目ではない。それは読者が決めればいいことで、将来起こる事への疑似体験であったり、人生を豊かにする遊びであったりすればいいと思う。
思い返せば、あの時の彼女とずっと続いていれば・・・あの時あの道を進んでいれば・・・いろんな分岐点があった。でも、それを振り返って後悔していれは前に進めない。その時の自分の選択を肯定し、ただいい思い出として生きていけばいいように思う。
達也さんには、素敵な奥さんと、すばらしい家族がいる。欲を言えば切りがないが、隣の芝生は実はそれほど青くないものだ。また家族で笑いながら歩き出してほしいな。

2007/2 「MISSING」 本多孝好 双葉社
本多さんのデビュー作「眠りの海」を収録した短編集です。表題作は、「このミステリーがすごい2000年」10位、「小説推理新人賞」受賞作ですが、こういうのがミステリーに入るのかと思いました。推理とかミステリーと言うと、探偵さんが出てきて手に汗握る推理が展開されると思っていたのですが、こういうのもありなのですね。
今までも、何となく、ミステリーと言われているが、何となく違うなあと思ってた小説はたくさん読みましたが、面白ければすぐ忘れるので、気にしていませんでしたが、今回は私の分類を変えなければと思いました。
本多さんらしく、物語はゆっくり、心の動きを現しながら、最後はそういう展開になるかと、唸らせながら終わります。すごくうまいです。

2007/1 「きよしこ」 重松清 新潮文庫
ある日、TVのドキュメンタリー番組で見て、自分の息子と同じ吃音があるとわかって、視聴者のあるお母さんから手紙が届いた。作家として生活している自分に、何か息子へのアドバイスを求めている。気になっていたが、適切なアドバイスができるはずもなく、そのまま2年が過ぎた。
この作家の半生を描くように、吃音を持った少年の小学校からの成長する姿を描く小説。吃音によって、言いたい事の半分も言えず、親の都合での度重なる転勤で一から始める学校生活。笑うやつ、親友と言ってくれるヤツ、好いてくれる娘・・・いろんな周りの人との関わりの中で、成長していく。「この本を君に贈るよ」

2007/1 「東大生の親に聞いた「頭のいい子」「集中力のある子」の育て方」 高橋開 エクスナレッジ
日本経済新聞の1面下の書籍広告に載っていた本です。「最近はこんな本が売れるんだな」。俗に言うノウハウ本で、「東大」をキャッチコピーにして売ろうとしてるのだろうなと思った。
親が「ああしろ、こうしろ」と強制・矯正せずに子供の興味のあることを、素直にやらせていたら、持って生まれたタレントに見合う学校に入り、才能を開花させるのだろうと思っている。カンカチの矯正・強制教育ママやパパが子供を潰していくと思っている。この2点は正しいと思っているが、子供はみんなそれぞれパーソナルなもので、共通する親のマニュアルなんてないんじゃないの、と思った。
しばらくこの本の事は忘れていたが、再びどこかで目に付いた。これは何かの縁かもと思い読むことにしました。読み始めて分かったのですが、作者は現役東大生でした。専攻によっては卒論になり、卒論の調査の延長に出版があったのかもしれません。多くの現役東大生からアンケートを取り、自分を含めて、16人の具体的な学生とその親を掘り下げて、淡々と事実を書き連ねてあった。学部や出身高校が偏らないように15人を選んだそうだ。
東・京・阪大生は、都会の私立出身が4割と地方の公立出身者、つまりその地域のトップ高校出身者がほとんどであると、どこかで読んだことがあり、16人いれば、中学受験生が半分ぐらいかなと思ったら、1/3ぐらいでした。それより読んでて感じたのは、子供が自分から勉強し始めるまで、あまり勉強の事は言っていない親がほとんどだと知った。本人の自主性に任せ、環境を整えることはするが、それ以上は口出ししない親の像が浮かんできた。
こういう家庭だから、剣道の上手な子、水泳が県レベルな子、プロとして絵画を売ってる子、高校生でありながら外国語を独学で数十ヶ国語操れるようになった子など、学業以外の興味のあることにも制限されなかった子が1/3もいる。俗に言うユニークな子で、自分をしっかり持ってる子です。「二兎を追うものは一兎をも得ず」のことわざを信奉する親ではないようだ。
確かに、親に管理されて何かをしても、楽しいことはないから、とても東大に入れるほど勉強に向かうことはできないだろう。あるお父さんの言葉が印象に残った。「親は土俵を用意することだけが仕事じゃないですか?土俵でどう相撲を取るかは子供の問題です」。

終章の「本質的な学び」という章で、作者が感じた共通点が紹介されていた。
『その時期に個人差はあれ、子供は自由に、自分から勉強をやり始めた。親は子供に直接的に強いることはなかった。進むべき道も、どのようなやり方を取るのかについても、子供の意思決定を尊重している。
今回、実際に親御さんに話を聞きたいと申し出ると、「お話できるほど大したことはやっていない」「ただ普通にしてきた」という控えめな答えが帰ってきた』
謙遜と取れる部分もあるが、作者自身が大学入学後、塾講師などをした経験で、短絡的な機能主義に陥る親を多く見たが、そういう親とは違うと感じたようだ。
『東大生の多くは、奇抜な方法をやっていない一方で、昔から言われているような地味な努力を地道にしてきている。そしてそのために、親は精一杯に環境を用意する。
それは、親が子供以上に必死になり、子に過剰な鞭を打ちながら東大や有名大学を目指すことを強制するということを意味するのではない。親の独り善がりの愛情ではなく、子供が何を求めているのか察知して、子供の身になって考え解釈して、できることを提示していくことを繰り返す。
これが、本書に登場した親たちが語った「たいしたことはやっていない」という言葉に繋がるのではないだろうか。
しかし、実際にはいくつかの共通点があった。
1.親自身が規則・規律正しい生活を送る。
2.知識(本)を身近なものに感じる環境を提供する。
親自身が本を読み、字が読めない頃は絵本などの読み聞かせをたくさんする。このことで読書を強制ではなく自然な行為として読み始めるように仕向けている。
3.興味を持つ対象を見つける手助けをし、奨励する。
どの親も、勉強以外の事も含めて、子供が興味を持つことを歓迎している。「これはだめ」「あれはいけない」と言って、好奇心の芽を摘むことはせず、積極的にどういうことに興味を持つか探求している。
4.意思を育て、育った意思を尊重する。
子供より先走って必死になることはない。親は子供の意思が育つのを待ち、「・・したい」と言った子供の意思を十分確認している。
5.子供の個性を理解し、認める。
勉強を親が無理やり押し付けることはなく、ある年齢に達するまで、親が知識なり、精神面なりでサポートしている。

最初は、教育評論家が書いたものと思っていたが、作者自身が学生だった。この本を書くきっかけは、親への信頼からだろう。東大受験を2年前に終えたばかりで、子供側からの著書で、登場する15人の親への言葉に共通するのは、「好きにさせてもらった」。「勉強をやらされた」子がおらず、そうなら東大までは届かないのだろう。
現役東大生のほとんどが本名で登場し、子供の時の生活環境、出身中学・高校、親の出身学校から職業、離婚のことまで書いてある。若者らしい真摯な姿勢で書かれた本だった。

最後に、私達夫婦と子供達との関係を本書に沿って振り返ると、結構いい得点を挙げているように思った。私なりの「子供に集中力をつけるには」は、自分で考える時間を充分与えることだと思います。答えを知っていると、どうしてもイライラして子供の思考の途中で答えを言ってしまいがちになる。でもそれを頻繁にしていれば、思考せずに親からの答えを待つ子になってしまう。分からなくて音を上げるまで待つことで、集中力が養われる。間違った答えのときでも、意地悪にならない程度に、答えを言うのではなくヒントを出し、答えを自分の頭で考え出したという達成感を持たせるのがいいように思うんだけど。

2007/1 「僕の行く道」 新堂冬樹 双葉社 ★
小学校3年生の主人公大志君は、お母さんを知らない。小さな時にお母さんはパリにデザイナーの仕事に行ったまま帰ってこない。毎週土曜日に届くお母さんからの手紙がとても楽しみで、毎週返事も書いている。
仕事に忙しいけど、優しいお父さんと、お母さんのように夕食を作ってくれる近所に住むお母さんの妹さん、それにネコのミュウと暮らしている。
「早くパリから帰って来て欲しいなあ」と思う心に、フッと疑問が湧いた。いつも見ているお母さんとのアルバムと同じ景色、コスモスの景色が、お父さんの本棚の写真にあった。そこには半年前にお母さんが小豆島で撮った写真と書いてある。
「小豆島に行けば、お母さんに会える気がする」
ここから始まる1人と1匹での大冒険・・・最後は、本の帯に書いてあるとおりの「感涙のハートフルストーリー」でした。

2007/1 「又蔵の火」 藤沢周平 文春文庫
藤沢周平さんの2作目の作品です。初期の暗い雰囲気の短編集。大好きな藤沢周平ですが、初期の作品はとかく暗いと言われています。何かイメージが崩れるのが嫌で読みませんでしたが、段々藤沢さんの未読のものがなくなり、おっかなびっくり読み始めました。
確かに、主人公がヤクザ者だったり、島帰りだったりするけど、心の一部に人への恩が残り、それにより命を落としたりする不器用さに、あほやなあと思いながらどうも憎めません。首尾一貫している女性の描写は普遍で、俗に言う「いい女」が登場してくる。この辺に藤沢さん個人の女性に対する憧れのようなものを感じ、物語全体の暗さがあまり気にならなかった。
こうなってくると、デビュー作「暗殺の年輪」を行かなきゃなと思ってくる。

2007/1 「小さき者へ」 重松清 新潮文庫
自分の息子へだったり、娘へだったり、監督をしているチームの選手へだったり・・・小さな者へのエールのようで、実は自分自身へのエールでもある。そんな短編を集めた短編集です。
「団旗はためくもとに」という短編が特に良かった。主人公美奈子には、ちょっと変わったお父さんがいる。元大学応援団団長で、外見は四角でいかにもヤクザ風で、卒業してからもずっと団長の気持ちで生活してるような人。小学校に上がった最初の父親参観日には、みんなから「ヤクザが来た」と言われた。緊張しまくって、先生からの挨拶に、団の思い切ったお辞儀をして、前の人や周りのお父さんをなぎ倒した。「またやっちゃった」と思いながらも、お父さんは嫌いじゃない。毎日の挨拶のようにエールを切り応援歌を謳うので近所のおばさんからクレームが入り、最近は河原でやってる。会社の人事異動の時期は、やたら忙しくなるお父さん。
美奈子は高校に通っている意味がわからず、学校を辞めて美容師の学校に入ろうと決めている。お父さんは絶対反対。ただフラフラしているだけに見えている。そんな時、大学卒業後ずっと続いているお父さんが団長をしていた時の集まりが、家であった。いつものメンバーがいつものように美奈子の家に集まってくる。毎年の恒例行事。
学校の事、集まってくる元応援団員のおじさんたちの事、お父さんの会社の事を横軸に、お父さん・お母さんとの会話の中で、美奈子は成長していく。応援団員みんなのエールを切る。上司の方のリストラ退職に際し、駅で一人でエールを切る。

以下引用
『「向こうもそう思ってるよ。押忍、押忍、押忍、押忍・・・バカみたいじゃん」
お父さんの返事はなかった。少し肌寒い風が河原を吹き渡った。空の色は、さっきよりさらに暗くなっていた。明日は、たぶん雨だ。向こう岸の土手道を、小学生の男の子が二人乗りした自転車が走っていく。すれ違うのは、大きな犬を連れたおじさん。顔見知りなのか、あ、どーも、おう、元気か、みたいに挨拶していた。
「美奈子」「・・・なに〜」「押忍」っていうのは、押して、忍ぶ、わかるか〜「ぜんぜん」「「忍ぶ」って言葉の意味はどうだ〜」
「我侵する、一つて感じ〜」
「うん、まあ、言いたいことをグッと呑み込んで耐える、っていう意味だな」
お父さんはそう言って、「でもな」とつづけた。
「逃げながら耐えてるんじゃない。押してるんだ、引いてるんじゃなくて。口に出してああだこうだ言うんじゃなくて、黙って、忍んで、でも負けてない。それが『押忍』の心なんだ」
「・・・よくわかんない」
「あそこ、見てみろ」
指差した先に、黒板みたいなスコアボードがあった。昼間、少年野球の試合があったんだろう、いかにも子どもっぽい字で点数が書いてある。
ワンサイドゲームだった。先攻のジャガーズは一回表に七点、二回表に六点、三回表には九点を入れていた。後攻のビクトリーズは一回、二回と零点で、三回裏にようやく一点を返したけど・・・コールドゲームになったらしく、そこから先のスコアはない。
「負けたチームの最後の一点があるだろ、お父さん、ああいうのが大好きなんだ。試合の勝ち負けとかコールドになるかどうかとか関係なくて、とにかく一点を取った、それがいいんだよなあ」
「『押忍』と関係あるの〜」
お父さんは少し考えて、「ないかな、あんまり」と笑った。

お父さんはお尻をずらして、あたしとの距離を空けた。もしかしたらお尻が半分、ベンチからはみ出しているかもしれない。
「『水無月会』の奴らも、みんな、いつもは『押忍』の心でがんばってるんだ。たまには弱音も吐くけどな、山田も佐藤も田中も鈴木も小林も、みんな『押忍』なんだ、『押忍』で生きてるんだ。お父さんだってそうだぞ。美奈子から見たら、みんなオヤジだけど、ぜんぜんカツコよくないけど、そういうカツコ悪さも含めて、『押忍』の心なんだよ」・・・
お父さんは、今度はあたしの墓に、うんうん、とうなずき、ふふっと笑ってき「でもな」と言った。
「言い訳をせずにすむだろ」
「『押忍』の心は、言い訳をしない心なんだ。お父さんは、美奈子が『押忍』の心を持ってるんなら、学校を辞めたっていいと思うんだ。でも、それがなくて、覚悟もしっかりしないまま辞めちゃうと、絶対後で後悔する瞬間が来る。そのときに、言い訳したり、愚痴ったり、そういうのは聞きたくないんだ」
カッコよすぎ〜っ、カッコよすぎ〜っ、カッコよすぎ〜っ。
「晩ごはんまでには帰るからって、お母さんに言っといてくれ」
「校歌とか歌うの〜」
「ちょっとだけな」
その場にお父さんを残して、土手道に戻った。さっきお父さんと出くわした階段まで引き返していたら、エールをきる声が聞こえた。
佐々木さんの健闘を祈るエールだった。つづけて、佐藤さん、田中さん、鈴木さん、小林さん、山田さん。立ち止まってそれを聞いたあたしは、エールが終わって校歌が始まったのをしおに、また歩きだした。

お母さんは飲みかけのトマトジュースの缶を手に席を立ち、キッチンに入った。
「あのね、美奈子。応援するっていうのは『がんばれ、がんばれ』って言うことだけじゃないの。『ここにオレたちがいるぞ、おまえは一人ぽっちじゃないぞ』って教えてあげることなの。応援団はぜったいにグラウンドには出られないの。野球でもサッカーでもいいけど、グラウンドは選手のものなの。そこにずかずか踏み込むことはできないけど、その代わりスタンドから思いっきり大きな声を出して、太鼓を叩いて、選手に教えてあげるの。『ここにオレたちがいるんだぞーっ、おまえは一人ぽっちじゃないんだぞーっ』ってね」
いつだったか、アサミと話したことを思いだした。人間は二種類、グラウンドで試合をするひとと、それをスタンドから見てるひとに分けられる。
そのときに感じた、納得しきれないひっかかりの正体が、やっとわかった。
応援団だっているじゃん。
そっか、そっか、そーなんだ、と一人でうなずいていたら、いままでばらばらだった考えがやっとひとつにつながったような気がした。
「でも試合してる選手が一所懸命がんばってないと、応援する気なくしちゃうでしょ。勝ち負けとか、強いとか弱いとかじゃなくて、一所懸命やってないとね」
「佐々木さんの事は、あんたが考える必要ないからね」・・・
「でも佐々木さんが自分から言わないうちは、見てるしかないの。応援してるしかないの。それが、なんていうか、友情だから、お父さん達の」

夏休み前の期末試験が終わり、昼休みに臨時ホームルームを開いてもらった。先生が「新しい道を進む」という言い方をしてくれた。
校門を抜けると同時にカバンを晴れた空に放り投げた。カバンは道路に落ちた。視線は道路の先に向いて動かない。お父さんがいた。団旗を持つ学ラン姿の後輩と、大太鼓を構える背広姿のおじさんがいた。
私は、黙ってカバンを拾った。顔を上げるとき、瞼に余計な力が入らないように。
「押忍」
お父さんが吼えた。太い声が校舎に跳ね返ってキンと響いた。今日は、のどの調子がよさそうじゃん、なんて。

2007/1 「夜の橋」 藤沢周平 中公文庫
市井物・武家物取り混ぜた短編集です。相変わらずの筆のさえだが、「泣くな、けい」は特に良かった。15歳で波十郎の家に奉公に上がった百姓家の娘けいは、病気がちで癇癪もちの妻麻乃に、時には厳しすぎると思われるほどの躾をされる。波十郎が止めに入るほどの事があっても、けいは家を出て行こうとはしなかった。強い娘である。
麻乃はよく体調を壊し、床に伏せるが、今回は湯場に湯治に出かける。
この湯治が長引くが、波十郎はこれ幸いにと勤めの下がりや道場稽古の終わりに酒を飲み歩く。そしてとうとうある夜、けいを手篭めにしてしまった。ふと目覚めた時聞いた台所でけいが湯を使う音に、そそられてしまったのだ。けいは既に19、垢抜けて身だしなみも整い、女らしい仕草が身についていた。浅黒い皮膚の色はそのままだが、目鼻立ちの整い麗しい女子になっていた。事が終わり酔いが覚めてみると、さすがに波十郎は自分のしたことを恥じ、けいにすまないとと思った。しかしけいは、波十郎の力が離れると、急いで身づくろいを整え部屋の隅に行き身を硬くした。「強い女だ」との思いと、翌朝けいから暇願いが出されるかもしれないと思いながら、再び床についた。
翌朝けいに起こされたが、案じていることではなく湯治中の麻乃の様態が急変したという知らせだった。そのまま麻乃は亡くなり、けいと男やもめの生活が始まる。それから数ヶ月後、重大な出来事が起こった。波十郎の仕事は、城の御納戸役宝物庫担当である。紛失などを調べ、常に良い状態に保っておくことが仕事である。先の藩主が亡くなり、このたび新たな藩主が江戸から国許に帰って来るが、始めに藩主の前で宝物改めがある。そのための品を点検していると、大切な小刀の紛失が判明した。
これは先の定期点検の折、磨きを入れるように御納戸奉行助役から申し付けられた。波十郎は磨きに出したが、その出来上がりがちょうど出張直前で、御奉行の所に麻乃に持って行くよう頼んだのだった。麻乃が死に、御奉行に届いていないので慌てて家に飛び帰った。何処をどう捜しても小刀は出て来ない。
途方に暮れ、腹切らされるとけいに話すと、「あの日麻乃はそれを持って出たがその日は帰らず翌日帰ってきた。そのときは持っていなかった」ということを教えてくれた。波十郎が留守の時、麻乃はよく家を空け、長年波十郎の馴染み進之介と浮気をしていたのだ。進之介を問い詰めると、お家の宝とは知らず売ってしまったそうだ。その店に行くと、既に隣国の神保という侍に30両で売ったとのこと。それを御納戸奉行助役に話し、波十郎がすぐに隣国に出向き必ず取り戻してくると提案する。
しかし御納戸助役の反応は違うものだった。既にことは御納戸奉行に伝わっている。2人とも一両日中に自宅謹慎を申し渡されるのは必定。別の者がその任に当たらねばならないが、助役家にはそれができそうな者はいない、如何いたそうか?そこで何故か波十郎の頭にけいの顔が浮かんだ。「娘ではあるが、あの芯の強さがあれば、きっとやってくれるだろう」百両の金子を助役から借り、けいに言い含める。初めはそのような大事なお役目は出来ないと断っていたけいだが、波十郎の腹切りに及ぶと頬が高潮し承諾した。そして翌朝、金子を懐に家を出立した。
見張り役をつけられ、波十郎と助役は自宅に謹慎させられる。初め5日と踏んでいたが、10日経っても半月してもけいは帰って来なかった。日が経つにつれ百両という大金を懐に、麻乃の仕打ちや波十郎の手篭めへの仕返しに、どこかに逃げたかと疑う気持ちも起こったが、けいはそのような女子ではないというけいへの信頼で打ち消される。どこかで襲われたか・・・。
新藩主の到着が2日後に迫り、時間がなくなり、波十郎の心も覚悟が決まり平静になっていた頃、戸口の慌しさで目を覚ました。着物は汚れ、髪は乱れたけいが帰ってきた。「小刀、取り戻して参りました」。波十郎は嬉しさのあまり、けいの旅支度を解く手伝いをしようとする。隣国の神保の家を探し当てたが不在であった。江戸勤めの者で、小刀を持って江戸に出立して既に10日経っている。波十郎に報告に帰ることも考えたが、時間がないと思い、その足で隣国の江戸藩邸に赴き、神保に事情を話した。神保はけいの心意気に感心し、気の毒に思い、買値のままを受け取り小刀をけいに渡した。しかも帰りの路銀までよこした。「これが小刀と残りのお金です。お確かめ下さい」と波十郎の手に渡した。
それを話すと、けいは堰を切ったように泣き出した。波十郎は、芯の強い女子が一旦泣き始めると、中々止まらぬものだなあと思いながら、急いで奉行にそれを伝えるために、監視役を走らせた。事件は、思い違いということで穏便に処理された。
後日、奉行の家に助役と波十郎が呼ばれ祝いの場が設けられた。奉行から、「そこもとのところの女子けいは、見上げたものだな。わしからも何か礼をしたい、何がいいかの」。「それについて御奉行にお願いの儀がございます。ご承知の通り先ごろ妻を亡くしております。先の事ですが一周忌が済みましたら、嫁をもらおうと思います」「ふん、わかった。そのけいとか申す女子を家に入れたいと申すのであろう」「奉公人であり、はばかりあることでございますが」「養い親を立てれば、誰も文句は言いはせん。わしが骨折る。誰もいなければわしが引き受けてもよい」
奉行の屋敷を出て、夜の道を歩きながら、謹慎が解かれた夜、けいと話した言葉を思い出した。「この家を出て行こうと思ったことはないのか」「思いましたが、その度にいろいろなことが起こりまして」と笑い、「両親も既に死に、帰る家もございませんから」
今夜の奉行との話を聞かせたら、けいは喜ぶかもしれないが、その前にまた泣き出しはしないかと、波十郎は心配だった。

藤沢さんのエピローグは、気持ちのいい余韻を残す。特にいい女が出て来る作品のは格別である。主人公は波十郎だが、影の主人公はまぎれもなくけいで、藤沢さんの彼女への思い入れがヒシヒシと伝わってくる。

2007/1 「卒業」 重松清 新潮文庫 ★★★
4編の短編が載っています。最初の「まゆみのマーチ」を読みながら、何度も涙になってしまいました。世の中の多くの人には、「泣けるなあ」程度のごく普通の短編なのだろうが、私には文句なしの最高得点星3つ作品でした。表題作を含め他の3編は無印というところなので、「まゆみのマーチ」のみの評価です。
数年前に父を失い、今母も失おうとしている兄妹。もう中年になっている2人が、もうしゃべることもない病院の母に付き添い夜語り合う。
勉強もスポーツも何でも良くできる兄に対して、妹は明るいだけが取り得で、この年になっても転職を繰り返し、居場所が定まらない妹。あきれて兄弟の積極的な交流をやめ、今の妹の住所さえ知らない。
5年生の卒業式で在校生代表で送辞を読んだ兄、その春は、在校生代表で歓迎の言葉を新1年生に贈った兄だが、新1年生として入学してきた妹がずっと歌を歌っていたので、それが気になりひどい出来になってしまった。歌が何より好きだで食事の時さえ口ずさんでいたのを、母親が注意していればと思い、以来何度も母親に小言を言ってきた。甘やかしなんだ、もっときつく叱って矯正していれば、まだフラフラしているような人生にならなかったのに・・・
その夜、妹が語った思い出の母は、違うものだった。1年生の授業中にも、つい歌を口ずさんでしまう妹は、先生に叱られ、何度注意されても直らないので、授業中はマスクをさせられるようになった。歌はやんだが、マスクにかぶれ元気がなくなり、やがて言葉が出なくなり、学校にも行けなくなった。その時母は、「まゆみは何が好き?」と聞き、「お母さん、次がお父さんとお兄ちゃん、それから学校、そして友達・先生」という答えを聞いた。「だったら好きな学校に行こうね、母さんと一緒に」と、まゆみのマーチを歌いながら、一緒に学校を目指した。
最初の日は、玄関を出るまで、次は門の外まで、次が信号まで・・・段々距離を伸ばして、半年後に学校まで行けるようになった。まゆみのマーチを歌いつづける母親は、変な目で見られていたようだ。まゆみは、その後も社会とうまく付き合えず、模範生徒とは言わないけど、何とか高校を卒業できた。
兄は妹に、「母さんは門の外から、ここまでおいでって手を伸ばしたの?それともお尻を押したの?」と訊いた。ベッドに寝ているだけの母を挟んで、真っ暗な中母の思い出を語るうちに、つい兄が今一番辛く思っていることを妹に語った。中学受験で超難関校に入学したが、学校に行けなくなってしまった長男のこと。アドバイスなんて出来ない妹は、自分の体験談として母との思い出として披露してくれている。
「ううん。母さんは横で一緒に歩いてくれただけ。私が止まれば止まり、そこまでになったらおんぶして家に帰るの」「お父さんやお兄ちゃんの「それは都合が悪いだろ」は、私のためじゃなく、お父さんやお兄ちゃんにとって都合が悪いんだと思った。でもお母さんは、私を全部肯定してくれた」
兄は思った。自分は息子を叱って無理やり学校に行かせようとはしていないけど、お尻を押したり、前から引っ張ったりしていたな・・・何でも出来る自分には見えていないものがあったようだ。そしてその明け方、母は息を引き取った。
慌しく喪主としての仕事をこなす間、ずっと妹の語った言葉を考える。お通夜の朝、一旦家に帰ることにする。「家内と息子を連れてくるから。お通夜には間に合うから」と妹に後を託して飛行機に乗る。突然帰ってきた夫に驚きながら、出発の準備をしている妻。

以下引用
『「亮介・・・お父さんと外に出よう。おばあちゃんにお別れしてやろう」
汗のにおいの澱んだ部屋に座り込んで、僕は言った。「途中まででいいんだ、行けるところまでお父さんと一緒に行こう」とつづけ、「おんぷしてやるよ」と笑った。
売介はベッドに座り込んで膝を両手で抱えたまま、「行けないよ」と細い声で言う。
「・・・電車に乗りたくないし」
「電車なんか乗らなくていいんだ。飛行機にも乗らなくていい」
「・・・なんで?」
「おばあちゃんは、おまえがおとなになっても、ず〜っと待っててくれるよ。だから、今日は行けるところまででいいんだ。明日も、あさっても、ちょっとずつでいいんだ。お婆ちゃんの事が好きなんだったら、お婆ちゃんの所に行こう。学校の方が好きだったら、学校に行ってみよう」
「・・・お母さんは?」
「今、荷造りしているけど、いいんだ、今日は田舎まで行けなくても。お父さん、おまえと一緒にいるから」
母は・・・許してくれる。
「外に出よう」
僕はベッドの横でおんぶの姿勢をとった。
「一歩ずつでいいから、お父さんと一緒に外に出よう」
目をつぶって、しやがんだまま、待った。
沈黙がつづいた。さっきまでかすかに聞こえていた、奈津子が荷造りをする物音も、消えた。
外ほいい天気だったのだ。東京にほ珍しく、青い空が、ふるさとに負けないくらい、ほんとうにきれいだったのだ。見せてやりたい。
やがて、静かに、背中に重みがかかった。
よかゥたねえ、幸ちゃん、よかったねえ、と母が言りてくれた。
僕ほ両足を踏ん張って立ち上がる。奈津子が玄関のドアを開けて、陽の光が射し込んだ。』

この作品を読みながら何度も私と両親の関係が頭をよぎった。読み終え、呆然としてしまった。神様というのは、何と言うタイミングで、こういう作品を私と出会わすのだろう。年末に義理母が亡くなり、父ももう長くないと思う。家内と知り合い、義理母と知り合い、家内の過去を知り、義理母との関係を知る。実の息子でもない私に対しても、義理母は家内への子供時代同様の接し方だった。家内は母親に伴走してもらい、止まれば横に止まり、ただ信頼されていた。何かを見つけるまでいつまでも待っていてくれたのだろう。
義理母が亡くなり、心から泣けた。でも父の時は・・・ただ喪主を無難にこなすだけになるのが怖いし情けない。一番世話になったのに・・・病院のベッドで背を向けて寝ている父の姿がいつまでも残る。

2007/1 「トード島の騒動」上・下 C・ハイアセン 扶桑社
元フロリダのマイアミヘラルド新聞の新聞記者の著者の作品です。マイアミが舞台で環境破壊に対する抵抗物語というところは、他の作品と同様です。
今まで、著者のヤングアダルト向けの作品を数作品読みました。軽快で愉快に、だけど環境問題を語っているのに好感を持ち、アダルト向け作品も読んでみようと手にしたものです。最近がヤングアダルト路線で、以前の作品というところもあるでしょうし、訳者の問題かもしれませんが、ヤングアダルト物の方が随分面白いという印象です。
主人公トゥイリーは、前の車から無造作にファーストフードの食べた後のゴミが捨てられるのを目にした。続いてポイ、またポイ。こうなると、もうトゥイリーの心は止まりません。そのままずっと車をつけて、自宅を確認します。ポイ棄てをしていたのは、やり手のロビイストのストウトですが、後から付かず離れず追ってくる不気味な車が恐ろしくなる。
ストウトは自宅に戻り、そのことを美しい妻デジーに話し、デジーのオープンカーでレストランに夕食をとりに出かける。食事を終え出てきたストウト夫妻が目にしたのは、ゴミ収集車の生ゴミに埋もれたオープンの愛車のかわいそうな姿。
しかししばらくすると、何事もなかったように新車が納入され、相変わらずストウトのポイ棄ては直っていない。ポイ棄てと生ゴミに埋もれた車の結びつきが伝わっていないようです。そこで、トゥイリーは新たな作戦に打って出る。デジーと愛犬を誘拐し、デジーにゴミの結びつきを伝えて開放する。ストウトの品のない振る舞いに辟易していたデジーは、トゥイリーと意気投合して協力することにする。ストウトに事の次第を話したデジーですが、効き目はありません。次にFEDEXで送られてきたのは愛犬の片方の耳、そして次は足。本当は、ハイウェイで車にひかれていた同じような犬なんだけど、ストウトは愛犬を取り戻すために、今
関わっているトード島開発業者や下院議員・知事などと協力して、殺し屋などを雇って動き出す。これがやぶへびになってしまって、たくさんヒキガエルがいる自然たっぷりのトード島の観光開発をぶっ潰すためにトゥイリーが動き出す。
まあ、他の作品同様、どこか一部へんてこな部分を持ってる登場人物が、大騒ぎをしながらクライマックスに向かっていく作品です。


「何があっても大丈夫」 櫻井よしこ ★
女性ニュースキャスター第一号の方ではないだろうか?好きでよく見ていました。はぎれよく、ご自身の意見も少し入れながらのニュース報道には、好感が持てました。今でこそ、ニュース番組アンカーウーマンが数人おられますが、最初はいろんなところで苦労なさったのだろうと思う。
この本は、櫻井さんの自叙伝です。ベトナムで生まれ、父親の海外での商売、敗戦によ全てを失っての引き上げ。父親は、仕事で東京に出て行き、やがてハワイでレストラン経営。ご自身のことも含めて、かなり波乱万丈の生活をしてこられたが、それが故に個としての強さを身につけられた。
キャスター当時、そして今に続く、櫻井さんの強さを育てた土壌がわかりました。回り道することこそ人生が面白く、得るものが多いということがわかります。苦しい生活をどう感じるかで人生が全く違うものになることを知りました。その時の支えは、お金でも地位でもなく、「何があっても大丈夫」という櫻井さんの母親のいつも発しつづけている言葉にあるのだなあと思いました。
本当に言葉というものは、強い力を持っています。

「人生は最高の宝物」 マーク・フィッシャー ★

「こころのチキンスープ」 ジャック・キャンフィールド ダイヤモンド社 ★★★
このシリーズで多数の本が出ています。このシリーズは、講演家の著者が、全米各地で出会った市井の人のこころ温まるノンフィクションを集めたものです。人は誰でも1つは、そのような体験を持っているものです。あなたにもそして私にも。だからいくらでも本のネタは尽きないと思いますが、1人の貴重な温かい出来事を披露することで、多くの方の心に火を灯し、そして次の体験が出てくるし、そのように人に接するようになります。
随分前に、小さな少年が始めた親切運動が大きなうねりになった映画がありましたが、あれに似ているとも言えます。はっきり言って泣きます。感じる場所は様々でしょうが、誰でも心打つ物語にこの本で出会うでしょう。決して電車で読まないで下さい。私は涙の処理で難儀してしまいました。静かな所で1人でじっくり、感動を噛みしめてください。

「それでもなお人を愛しなさい」 ケント・M・キース 早川書房 ★★★
逆説の十箇条で有名ですが、その内容については、私の好きな言葉のページに載せています。ドロシー・ロー・ノルトさんの言葉は、親が子育てをする指針になりますが、この十箇条は、人との関係の指針でしょうか。
著者は、夏休みのキャンプリーダーをします。その時作って話したことが、キャンプに参加した子達に感動を与えますが、キャンプの目的とは少し違ったようで、惜しまれながらキャンプを去ることになってしまいます。時は経ち、友人からいい言葉があるよ。君にはきっとうまく理解できるはずだと、紹介されたのが、なんとあの時の自分の言葉でした。劇的な過去との出会いを機に、本になったのがこの本です。
ドロシーさんの「子は親の鏡」と同じような運命をたどった、「人生の意味を見つけるための逆説の十箇条」。生き方、人との接し方の根源に迫る本です。

「天才たちの共通項」 小林正観 宝来社 ★★★
この本は、下のドロシーローノルトさんの言葉に出会ってから読んだ本です。この順番が逆になると、また違った印象になったと思いますが、こういう順番であったことは、私にとって幸運でした。
小林正観さんは、本職は旅行作家なのかもしれませんが、素敵な言葉、素敵な人当たりをなさる方です。生き方・人との接し方についての小規模の講演会をよくしておられ、この本の読後、200人ほどの講演会に参加したことがあります。どても感動する内容でした。
私は、長男に生まれ、親からの期待を一身に受けて育てられましたが、関東出身の親の言葉がきついからでしょうか、いつも反発ばかりしていました。「もっと早く一人前になるように」「もっと立派な独り立ちするひとになるように」と、きつい場面に放り込まれました。甘えん坊の私には荷が重く、できない私を叱る親が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
保育園で、蛇事件がありました。西宮の保育園に4歳から電車とバスを乗り継いで1人で通いました。保育園の方針で、最終バス停で親子が離れなければなりません。園に向かって歩き出したら、大きな蛇が階段にいて、怖くて泣いてしまいました。母親は、「行きなさい、怖くないから・・・」と下から見ているばかりで、どうしても蛇を避けていけません。そんな時、その様子を階段の上から見ていた女の子が下りてきて、私の手を引っ張ってくれました。それでやっと園に行くことが出来ました。
その事はもう忘れているのかもしれませんが、今でも彼女とは保育園の同窓会で交流があります。私の初恋ですが、素敵な女性になられ、お金持ちの家に嫁ぎ、3人のお子さんを立派に育てられ、ご自身も代表取締役として会社を経営しています。次男と同じ中高の1年下にお子さんが通われ、不思議な縁を感じます。
大学生の時に家内と出会い、「大丈夫よ、何とかなるからさ」という大きな言葉と、いつもニコニコしているところに惹かれ、1ヵ月後には彼女の家にお邪魔しました。彼女の母親は、うちの母親同様学のある方でしたが、一度も親に叱られたことがないと家内が言うほど、怒らなくて温和な方でした。こんな家庭に育った家内なら間違いないと思い、すぐに一生一緒に暮らしていくことにしました。
うちの子達は、家内に叱られたことはないでしょう。私も経験から、叱っても反発されるだけで何も得るものがないと知っていましたので、ほとんど叱ったことがありません。こんな育て方でいいのかと迷いましたが、叱られる辛さを思うと、どうしても子供を叱れませんでした。
「本当にこれでいいのか?」の答え捜しでこの手の本は、どれだけ読んだか分かりません。とうとう、世界中の方に支持されているドロシーさんの言葉に出会い、そして小林正観さんに出会いました。この本は、私の中では、ドロシーさんの言葉の実践編ともいえる位置付けです。叱るのではなくて、子供を信じる温かい言葉で育てられた内外の偉人について書いてあります。いろんな文献を調べたのでしょうが、エジソンから手塚治虫までの、幼年期・少年期の親、特に母親との関係を詳しく書かれています。

「子供が育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト PHP文庫 ★★★
あまりに有名なこの言葉「子は親の鏡」、というかこの詩は、2005年皇太子妃さんの病気回復の記者会見で、披露された。皇太子妃さんの、「公務出来ない病」は、外交官の父を持ち、自身も外務省勤務していた延長で、より大きな意義のある仕事が出来ると思っていたが、皇室の仕来たりにスポイルされた結果なってしまったと私は考えている。
皇太子さんが、記者会見で異例とも言える詩の朗読をなさった背景には、この詩にどれだけ皇太子妃が助けられ、勇気をもらったかを伝えたかったのでしょう。多くの制限のある中で、精一杯の反発に見え、皇太子妃を守ろうとしていると感じました。
このドロシーさんの言葉は、随分前に発表されたものですが、子育ての真実、子育ての指標が書かれており、私の子供と接する時のバイブルになっています。この言葉は、ドロシーさんの手から離れ、アメリカ初め、ヨーロッパ、そしてアジアにも広がり、本人の知らない間に一人歩きしました。一人歩きしている自分の言葉に出会って、著書としてきちんとしたものになりました。
皇太子さんや皇太子妃さんは、北欧の国の教科書に載っていたこの詩を、披露なさいました。たとえ1次限でもこの詩に出会う機会を小学生の時に持てる子達は幸せだなあと思いました。それだけ値打ちのあるものです。
その内容のエッセンス部分は、好きな言葉のページに載せています。

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