Books 2006 first
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2006/6 「町長選挙」 奥田英朗 文芸春秋
とんでも精神科医伊良部シリーズ第3弾。相変わらず痛快な伊良部さんの患者さんに、どう読んでも読売の渡辺会長と思われる人物が登場する「オーナー」、ホリエモンと思える「アンポンマン」、それに人気女優さんの「カリスマ稼業」と、時代の話題にあわせた短編が収録されているが、作品としては今一感がある。面白いのだけれどギャグ的な感じです。でも最後の「町長選挙」は、地方の選挙の実態をちょっと誇張した作品。これは面白かった。そこで何代も生き続け、その土地を守りつづける人々をユーモラスではあるが愛情たっぷりに描いている。
私の父方の祖父は、物心ついてからずっと首長でした。最初は村長だったけど、村に工場がやってきて発展し、やがて町長になった。多分20年くらいやってたと思う。父の田舎も典型的な村社会で、昔から首長は、うちの神谷家かもう一軒からしか出ない。どうやら親戚筋らしいのですが、周りの家はみんな苗字が神谷。苗字で呼ばずに名前で呼び合う。おまけに名前まで一緒の人がいるから、ニシンチの太郎とかヒガシンチの次郎などと呼び分けている。
首長選挙となると、両方の本家の党首が立候補し、親戚総動員で選挙戦を繰り広げる。私の小さい頃も、父は軍資金を持って遠く群馬県まで帰り数週間留守にしていた。選挙の様子を聞いたことがあるが、とにかく有権者を食わせるそうだ。どちらが首長になってもさほど政治が変わらないので、朝から近所や親戚の女性達が飯を作り、男達は用事を作っては家を訪問し、道で歩いている人、野良仕事の手を休めている人・・・片っ端から家に呼び飯を食わせる。お昼時や夕方、家や庭に人が多く集まっている方が優勢で、相手方を偵察して現状分析する。コアな支持者を除いて、人が集まり出すと人が人を呼ぶ。要するに一般の村民にとっては、食って一杯飲みながら、どうでもいい話をして笑い合いたいだけだから。そしてそのままの選挙結果になる。
親父が選挙の応援に出かけるときは、何となく楽しそうだった。実の父親の選挙なので、コア中のコア運動員で、投票日が近づいていくとどんどんヒートアップしてお祭のようになるらしい。物騒な物を振りかざさない陣取り合戦で、選挙は一度経験したら止められへん魅力があると言っていた。今はそんなことはないのだろうが、当時は警察も選挙違反などというけちなことは言わない。厳密にしたらほとんど逮捕者ばかりになるのだろう。
この「町長選挙」を読みながら、親父から聞いた面白い田舎の選挙を思い出しました。結局こういう泥臭い所で、生活のベースは動いているのだろう。そしてこういうことで日頃のコツコツした生活の憂さを晴らしているような気がする。農業が主産業の田舎では、エキサイティングな事がない。台風などの自然の猛威には、それを回避する術もない。人はばかする時がなけりゃ生きていけないようです。

2006/6 「空中ブランコ」 奥田英朗 文芸春秋
相変わらず痛快なとんでも医者伊良部、おかしさ炸裂です。幼稚園児の何にでも興味を示す性格と行動、それにその体型で・・・こんな精神科医が本当にいたら、確かに通っている患者さんの方が、「俺の方がまともだ」と思って、治ってしまいそうです。
伊良部の同級生で、出身大学の学部長の娘婿に納まっている池山さんは、明らかにかつらだとわかる義理父のかつらを取ってみたくてしょうがない衝動に駆られる。義理父と話をしていても、義理父家と食事をしていても、気になってしょうがない。本人に聞けないし、嫁さんにも聞けない。その話題をみんなで避けているように思えて仕方がない。それから、どうも精神的におかしい。元々明るく悪戯好きだったのに、大学講師になり、学部長の娘婿なら将来の教授間違いなし。悪ふざけできずに、その上義理父一家は、とても高尚な一家で、本来の自分を押さえて生活している。
伊良部の精神科に通い、伊良部を見ていると、自由奔放で羨ましい。伊良部のアドバイスというか、そそのかしに応じて、思い切って本来の自分を出してみようかと思うようになる。「最初は変に見られても、ずっとそうしてると、そういう人だと思われて、変に見られなくなるのよ」
親父ギャグを連発するようになり、大学の廊下を金ちゃん走りをする。以前から気になっていた、歩道橋にかかっている「金王神社前」という道路標識に「、」を入れることを、伊良部とともに実行してしまう。しかし数日後には、世間の反応もなく、ただ元通りに塗り替えられていた。次は「東大前」と「王子税務署前」に「、」を入れた。さすがに東大はインパクトがあったようで、ニュースになった。次は、「大井一丁目」を「天丼一丁目」にしたくてしょうがない。
大分、気分が晴れてきたが、最も気になっていることが心の引っかかっている。大学内研究室でスライド担当をしていたとき、前に座って居眠りを始めた義理父のズラをちょっと持ち上げてみた。それを運悪く、仲のいい同級生の講師倉本に見つかってしまい、慌てて元に戻す。これをなんとかしないと、病気は治りそうにない。
それを伊良部に打ち明けると、いつもの調子で、簡単な解決法を提案される。・・・・・とうとう、義理父が昼休みにいつも昼寝している中庭に、伊良部が現れる。伊良部が義理父が寝ている間にズラを上にあげるので、池山はそれを写真に収める係。休み時間で多くの学生が見ている前で、それは行われた。それに気づいて止めに入る倉本含めて3人で取っ組み合い・・・というより、元同級生のじゃれあい・・・目撃した生徒他多数は、それを学部長に報告するはずもなく、闇に消えていく・・・どうやら池山の精神的な病気も治ったようだ。他数編の伊良部を主人公にした短編が載っています。
気持ちが落ち込んだ時は、精神科医伊良部物を読むのは、とてもいいように思います。ところで、風呂場でこれを読んで笑っている私を見て、家人はどう思っているだろうか?まあどう思われようと、伊良部よりましだ。どうやら、私の精神も開放されている
ようです。ところで本の帯に、「阿部寛さんTVドラマで伊良部を主演」と書いてあった。「え〜、これが映像化されたの〜」、ってビックリしました。

2006/6 「天使と悪魔」 ダン・ブラウン 角川書店
ダヴィンチコードがあまりに面白かったので、ラングドン・シリーズの第一弾のこの本を読み始めました。
スイスの科学研究所セルンの所長から、ラングドンは夜明け前の時間に呼び出しを受けた。超高速専用機でセルンについたラングドンが見たものは、古の昔、カトリックの総本山バチカンから迫害を受けたガリレオが創設した科学者の秘密結社イルミナティの幻の紋章を胸に焼き付けられた科学者ヴェトラの死体。そこに父の死を知り、海洋学者の娘ヴィットリアが急遽帰ってきた。父娘で密かに研究していた反物質の事を知る。これは途方もない破壊力とエネルギーを秘めた無公害の夢の物質。サンプルも既に完成しており、厳重に保管されている。ところがそれが盗まれていることが判明。24時間後に爆発する。どこにあるのだろうか?ちょうどそのとき、バチカン警備のスイス警備隊から連絡が入る。バチカン内の警備カメラに写っているのは、時限を刻む反物質。その警備カメラは所定の場所にはなく、何処にあるか分からない。
ここから、ラングドンとヴィットリア、それにスイス警備隊のローマを舞台にした捜索が始まる。ちょうどこの日は、バチカンが新教皇を選ぶコンクラーベの日。世界中から集まった枢機卿の運命は・・・有力な新教皇候補の4人が行方不明になっている。そこに犯人から冷たい電話がかかる。1時間に1人ずつ・・・そして最後にバチカンが・・・。イルミナティの謎を解き、4人の枢機卿を救出できるのか?バチカンの運命は?
ダヴィンチコード同様、ぐいぐい引き込まれる。それとともに、科学的なもの、宗教的なものを知る知的な楽しみもある。ローマを旅した方には、町並みが思い浮かぶかもしれない。組織もそうだが、設定が実際に即しているので迫力や現実感が増している。これはダヴィンチコードと同じ流れで、膨大な下調べの上に立った作品です。

2006/6 「いま、会いにゆきます」 市川拓司 小学館 ★★★
とうとうこの本を読んでしまった。読書好きの長男が、何気なく階段に置いていた本を見てから、いつか読んでみたいなと思っていた本です。
そのときの本の帯には、「TVで大人気」とかって書いてあったように思います。そういえば、そういうTVを聞いたような?その後かその前かに映画にもなっていたと思いますが、ずっとそれに触れる機会は幸か不幸かなかった。
高校生になって3年間、同じクラスで同じ班、席もすぐ後ろとか横とかで過ごした主人公巧と澪。何となく意識しながらも学校以外で会うこともなく卒業式を迎える。「お別れね。巧君、何かメッセージを書いて?」って、机の中の整理をしていた僕にノートが差し出される。「君の隣が居心地よかった」。反対に僕のノートに残してくれた彼女からのメッセージも「あなたの隣は居心地よかった」。
別々の大学に進学したその夏。「あなたのシャープペンシルを預かっています。お返ししたいんですが・・・」と彼女から手紙が届く。それはずっと探していたシャープペンシルだった。だっておじいさんから最初にもらったプレゼントだったから。その夏駅で待ち合わせたところから、2人は始まる。
それはゆっくりだけど素敵な物語です。読み進めて行くと、この小説とは別にあることに気づいてきた。ノンブル先生の飼っていた犬が、「ヒューイック」って鳴く。そしてノンブル先生の入院と共に、どこかに行ってしまう。この特徴ある鳴き方は、同じく市川さんの後の作品「そのときは彼によろしく」に登場してくるワンちゃんに結びついている。そして、主人公2人の一人息子佑司は、「そのとき・・・」の佑司じゃないのか?それなら、祐二と暮らしているおじいさんはノンブル先生のその後?
家族や隣人への愛をはぐくむ小説です。私は、悪者がいない作品に惹かれるところがあります。「魔女の宅急便」「紅の豚」などの宮崎駿作品、「Dr.スランプあられちゃん」・・・この本もとても心地いい読後感です。
それにしても、市川拓司という方は、アメリカのニコラス・スパークスに似た愛の世界を作り出すすばらしい作家です。

2006/6 「イン・ザ・プール」 奥田英朗 文春文庫
とんでもない、ありえない、天真爛漫な精神科医伊良部一郎。新たなヒーロー登場です。
読んでいて痛快で、読書の時間でもあるお風呂で笑っています。家族はどう思っているのだろう?なんて人のことを気にしている方にはお奨めです。超自分本位で馬鹿だけど、精神科にやってくるどこかちょっと変な患者さんを100%信じる言葉をかけ、徹底的に付き合います。この医者に比べりゃまだ私の方がましだわと思わせて、見事治してしまう、そんな変な医者です。
別に精神が病んでいるとは思っていない私ですが、伊良部一郎を読んでいると、「何くよくよ考えてるの?」と、自分が開放されていく感じがします。子供の頃、「それをすればどうなるか?」なんて深く考えず、やってみたくなったらとりあえずやってみた、ああいう感じの好奇心と直結した行動。大人になると言うことは、そういうものをいっぱい子供っぽいという言葉で捨ててきたのではないか。伊良部一郎シリーズは、みんな読んでしまいそうです。

2006/6 「オロロ畑でつかまえて」 荻原浩 集英社文庫
荻原さんのデビュー作品です。「神様からの一言」のユーモアが面白く、探していたらこの本もユーモア作品だということで購入しました。映画化されたので「明日の記憶」の方が有名ですが、この作品の展開も中々のもので、こういう作風の方が上手なように思います。
ド田舎の村の青年団が村を活性させようと動き始めます。村で唯一の大学出で標準語がしゃべれる青年団会長には、東京の大手広告社に勤める大学の時の同期がいます。相当時代が戻ったファッションに身を包んだ青年団会長は、勇んで東京にやってきます。しかし予算の桁が違いでアウト。でも手ぶらで村に帰れません。他を当たるも、軒並み断られます。ふと目に付いた看板は中々立派です。「ユニバーサル広告社」。でも扉を開けたとたん失敗したと後悔します。看板とはえらい違いです。
倒産寸前の広告社には、仕事をえり好みできるはずもなく、格好の獲物です。この弱者同士のタッグが成立します。広告社の面々は、駅前通が1分ほどで過ぎてしまう駅に降り立ち、日に3本のバスを待ちます。終点で降りると、不釣合いなくらい立派なホワイトハウスが立っている。村長唯一の仕事、トイレです。そこからランドクルーザーに乗って数十分。途中でファッションでなくこの車を使っている理由を知る。そこは青年団会長の経営する旅館。出迎えたのは、フィリピーナの奥さん。青年団面々との話し合い・・・とは名ばかりに宴会。そして翌日は村の特産を見て回る。ここではごく普通のありふれた物が、都会人にはとんでもなく得体の知れない物。けったいな人に、とんでもない食べ物。
龍神湖というさらに奥にある湖を見てある計画を思いつく。「牛穴村、新発売キャンペーン」の始まりはじまり。まあココからが、ココまでもそうですがで、けったいな展開に笑えます。読み終えて、「ユニバーサル広告社」の続編を注文してしまいました。

2006/5 「幸福な食卓」 瀬尾まいこ 講談社
何処にでもありそうな家族、父・母・お兄ちゃん・妹の私のごく普通の朝食。でも、朝食は家族4人で揃って食べることにずっとなっていた。最初からそうだったので何の疑問も持たずにそうして来たけど、夜遅くまで何かやってたり、朝早く出かけたり、それぞれの生活が出来てくると不都合も多い。
お父さんにもお母さんにも、そしてお兄ちゃんには細かいことが起きて、その度に家族の軽いおせっかいでまた元に戻っていた。いつもみんなの顔が集まる朝食で、それぞれの報告をすることが暗黙の決まりみたいになってる。その日は父さんが、「父さんは、今日で父さんをやめようと思う」って宣言しちゃった。どうやら父さんをするのに疲れちゃったみたい。それからいつもの決まった朝食の風景が変わった。でも相変わらず私とお兄ちゃんは隣同士で座って朝食を食べてる。
私のすごく素敵な感じで進んでいた毎日に、突然ショックなことが起こっちゃった。立ち直れそうもないことだけど、みんなが支えようとしてくれる。どうやら元に戻れそう。こういうのが家族なんだな。ちょっと不自然になってしまった家族だけど、これがきっかけになって家族が変わっていくかもしれない。「父さんさあ、やっぱり元の父さんに戻ろうと思うんだ」って宣言があった。
家族のごくありふれた日常が、実はとても大切だということを軽いタッチで語りかけてくれます。

2006/5 「春秋山伏記」 藤沢周平 角川文庫
藤沢さんの郷里庄内の里村の神社の守役を任命されやってきた、この村出身の山伏の目から見た農村の暮らし、そして一般の人からみた山伏の位置を語っている。比叡山の修行僧や吉野の修験者の映像で見る姿でしか、山伏という職業の近辺を知らない。山伏には、厳しい修行を経て、数々の生死の境を見ることで身につく、動物としての人間が本来持っている何かを呼び起こし、身につけている人というイメージがある。精神的なものを中心に気から来る病を鎮めたり、加持祈祷で一般人とは違う世界との会話をしている人のように思う。
作者の後書きで、子供の頃は家に山伏が回ってきたと書いてあり、それへの不思議と畏怖を書こうとしたのだろうと思うが、今を生きる私が体験する托鉢僧を見るのと同じ感じなのかもしれない。
この本を読んで、山伏の姿・仕事・一般人との関わりが良く分かった。勧進帳などで山伏姿に変装した源平・義経などが、割合楽に関所を通ることができる背景が少しわかった気がする。身体で言えば、全身を巡る本流である血管に隠れているリンパ管が、体を守る大切な働きをするリンパ液を巡らしているように、社会の裏の部分を担当しながら円滑に回している山伏組織の姿が見えます。

2006/5 「明日の記憶」 荻原浩 光文社
ちょうど今映画が封切りされています。アルツハイマー性痴呆症で過去の記憶を少しづつ失い、家族の顔も自分の存在さえ分からなくなっていく。そんな病気になった主人公が、自分の言葉として語っていく小説です。
痴呆と言うことは、平均寿命が延びた日本で、これからますます社会問題として重みを増していくだろうと思う。最初にその事実を身近に感じたのは、近所に住んでいたおばさんとのこと。ずっと昔からそこに住んでおり、私が小学生の時は、飴玉をくれたり、何故そうなったか忘れてしまったが、家に上がっておしゃべりしたこともあった。大人になり仕事をするようになり、今度はお客さんとして接するようになった。それが数年たち、よく同じ物を数日おきに買いにこられるようになった。おかしいなと思いながら販売はしていたが、いよいよおかしいと思い同居している息子さんの奥さんに連絡を取ると、使っていないそれが数個あるという。それから少しづつ症状が重くなり、徘徊で家に帰れなくなったりするようになった。
そういう事情を聞かされていたので、おばさん(当時はもうおばあさん)が来られると、気持ちよく世間話をして販売し、後日こっそりお嫁さんから返品を受けるようにしていた。帰るおうちが分からなさそうな感じで歩いておられると、声をかけて家まで送っていった。息子さんやお嫁さんは恐縮されるのだけど、本人さんは楽しそうです。もう何度も聞かされた話を、楽しそうに話される。長年住み慣れて、近所も顔見知りが多く、それまでのご近所との関係が良好だったから、ご近所の温かい心の中で過ごすことが出来たと思う。そういうのが大切なんだと思う。
義理の父が、晩年糖尿から来る痴呆だった。いつも1人で行っていた趣味の船釣りが危なくなり、私がついて行ったこともある。おトイレと違う所でそそうをしたりするようになったが、義理母は怒りもせず嘆きもせず、「あらあら」なんて接していたのが思い起こされる。そして今、うちにある小さな写真の前にお水を毎日欠かさずにいる。健常な大人と言う視線から見ると、段々情けなくなっていくのかもしれないが、赤ちゃんに戻っていくだけで、今までの人生が否定されることもなく、今までの業績はそのままなんら変わらない。
この小説の主人公は、広告代理店で働く部長さん。クライアントに頼りにされ、新たな仕事も獲得しハードに働いている。ちょっとしたポカが気になり始め、医者にかかると・・・という宣告。1人娘の結婚が済んで会社をリタイヤする。奥さんとの生活を守ろうと、そして自分の寿命が大体わかるので少しでもお金を残そうと、そういう生活をしながら、少しづつ記憶が消えていく。プツンと自分にだけ感じる音とともに少しづつ消えていく。
趣味の焼き物を楽しんでいたが、教室の先生といざこざがあり、その教室から離れてしまう。ある日、奥さんが初孫の世話で娘の家に行った。その日、学生最後の時期に足繁く通った山奥の登り釜に行ってみることにした。今の主人公にとっては大冒険。行けるかどうか心配だったが、大昔の記憶が鮮明に甦り、危惧することもなく着けた。そこには年を取ったが、元の師匠がおり、同じく記憶に問題を抱えているようだが、相変わらず同じような生活を送っている。そこで1晩過ごし、山道を下り出す。プツン。

----『つり橋の手前まで来た所で、誰かが立っていることに気づく。きれいな女性だ。こんな時間にこんな所にいては・・・きっと駅への帰り道が分からなくなったのだろう。女性は私を見つめて安堵しているようだった。いつもそうするように、「こんんちは。夕日きれいですね」。私の声に戸惑ったような顔をする。つり橋を渡り始めると彼女もついてくる。1人で心細かったのだろう、私の後ろではなく横をついてくる。彼女に合わせて私が歩調をゆるめると、向こうは私に合わせて少しだけ急ぎ足になる。「心配しないで、大丈夫ですよ。この道に間違いないですよ。僕が一緒に行きますから」。夕日が急速に色を失っていく。1人で歩くには寂しい道だ。隣を歩く彼女の存在が心強かった。太陽の照らす最後の光が照らす道に、私と隣の女性、ふたつの影が寄り添って伸びていた。私はまず自分を名乗り、彼女の名前を尋ねた。答えは少しの間返って来なかった。影の長さ2つ分歩いてから、じっと前を見つめていた横顔がきっぱりとこちらを向いた。「枝実子って言います。枝に実る子と書いて、枝実子」。素敵な名前だ。「いい名前ですね」。ようやく彼女は少しだけ笑ってくれた。そうすると、頬の上のほくろもすぼまった。------

2006/5 「さくら」 西加奈子 小学館 ★★
神戸であった勉強会に少し早く着いたので、ふらっと立ち寄った本屋さんで買ってしまった本です。以前からちょびっと気になっていて、前神戸にきた時もお奨めコーナーみたいな所に置いてあって・・・勝ってしまいました。
さくらっていうのは、この家で飼われているワンちゃんの名前です。お兄ちゃん・僕・妹の5人家族に最後にやってきた。妹の「ワンチャン飼いたい」に押されて見に行ったら、何故か一番弱々しいさくらに目が行った僕。言い出しっぺの妹の選んだ元気のいいワンちゃんを押しのけて決めちゃった。
小学校・中学校・高校・大学と僕達は成長していく中、みんなにやってくる何とかの目覚めから嬉しいこと、そして辛いこと、家族に起こるいろんなことを、あまり感情を表に出さずに、いつも同じように同じ温度を保っていたさくら。彼女の存在が、バラバラになりそうな家族のアンカーになっていたのかもしれない。
きれいで明るいお母さん、無口だけどしっかり働くお父さん、スポーツが出来てハンサムなモテモテお兄ちゃん、何故かあまり勉強しないのに成績はいい僕、世界で2番目と思うほどの美少女だけどちょっと変わってる妹、幸せな家庭が、お兄ちゃんの事故で瓦解していく。過食とアルコール依存になっていくお母さん、フラッと家を出たまま行方知れずのお父さん、自暴自棄になって命を絶ってしまうお兄ちゃん、それに深く関わってしまう妹。そして僕は大学生になり東京に出て行く。
正月を前に、父さんから「正月は家に帰ります」という手紙が届く。暗い実家の事を考え彼女と過ごそうと思っていた僕は、「私と家族とどっちが大事?」なんて言う言葉を振り切って、かつて楽しかった実家に向けて新幹線に乗る。家に戻ると、数年で思いっきり太ってしまった母さんがお尻を向けて何かしている。高校に行かなくなった妹が正月恒例の餃子を作っている。そしていつもと変わらないさくら。そして父さんが帰って来る。
ここから再生する家族・・・読み終えて、大切な大切な家族を思い浮かべ、素敵な気持ちになりました。家内を・・・子供達を・・・。最後の妹美紀ちゃんの言葉、「もし好きな人が出来たら、迷わず好きやって言う。言わんかったら、その人はどっかに行ってしまうかもしれん。もしその人もうちを好いてくれてたら一緒になって、赤ちゃんができるんや。男の子でも女の子でも、指がなくっても、耳が聞こえんでもええ・・・」。お母さんの、「生まれてきてくれて、ありがとう」。そして父さんの、「何て美しくて・・・」

2006/5 「風の果て」上・下 藤沢周平 文春文庫
主人公桑山又佐衛門は、前髪時代からの親友市之丞からの果たし状を見ている。期日は数日後。どうしたものか?何故果し合いを申し込んできたのか?何かの誤解か?話せば分かることではないのか?様々な思いが又佐の胸の内を通り過ぎる。
前髪の頃、同じ片貝道場に通った5人はとても仲が良かった。中に代々家老職を輩出する上司の嫡男忠兵衛がおり、他の軽輩の子は忠兵衛に連れられいろんな所に出入りする。忠兵衛は上司の子であるが、身分を傘に着ることなく、対等にみなに付き合った。
やがて忠兵衛が家督を継ぐことになり、皆に分かれの宴を設けた。そこで、みなの憧れていたマドンナと結婚することになったことも披露した。これがこの5人の楽しかった青春時代の終わりだった。他の4人は、嫡男ではなく、他家の婿に入らなければ厄介叔父として、人生を過ごす次男や三男だった。1人1人と、他家の婿に入り、又佐も郷方勤めの他家に婿に入った。
5人の様々な運命の糸が絡み合い又佐は家老職に上り詰め、忠兵衛と対決し、筆頭家老になる。市之丞は何処からか闇普請が出ているようだが厄介叔父のまま今に至っている。その市之丞からの果たし状を手に彼を探し、前髪の頃からの5人のその後を振り返る。何故俺は出世し、友人だった忠兵衛を追い落とさなければならなかったのか?市之丞と俺の運命の違いは何処にあったのか?そして、運命の果し合いの時がやってくる。

2006/5 「アフガニスタンの診療所から」 中村哲 ちくま文庫
アフガニスタンでハンセン氏病治療のNGO代表をしている中村さんの本です。登山を目的に初めてアフガンに渡り、その後縁がありキリスト教医療派遣で現地に渡りました。他のNGOも医療活動をする中、他が手をつけないハンセン氏病に特化して活動し始めた。中村医師の個人的な活動を支援するためにペシャワール会が日本に設立され、日本の個人の寄付で運営されている。他のNGOと違い、資金が少ないので、多くの現地の人を訓練し職員にして活動しています。このことが単発やトピック的な活動ではなく、もう20年もの長きに渡って活動して来れた源泉のようです。
本職はハンセン氏病ですが、内乱の時は一般診療もし、靴に問題ありと感じると安価で機能的な靴を靴職人と開発し、内乱で破壊された水を確保するために井戸を掘りカレーズを修復するという、医療活動から派生する諸問題にも積極的に取り組んでおられる。
またその間、ソ連のアフガン侵攻・撤退・内乱・・・いろんな出来事があり、それを現地で生で感じ、欧米に対するアフガン人の感情、イスラム教から見た日本を含めての諸外国への目・・・日本にいて、欧米特にアメリカ側からの報道や見方では感じられない視線を読むことができる。
このような個人同士の草の根交流が、国のイメージを決定すると思っており、とても私にはできない行動を行っておられる中村さんを応援する意味でペシャワール会に寄付をし、書籍を購入するとこでさらに応援できると思っています。

2006/5 「ジーニアス・ファクトリー ノーベル賞受賞者精子バンクの奇妙な物語」 デイビッド・プロッツ 早川書房
1990年代末に資金難から閉鎖されたが、かつてアメリカに表題のような精子を保存提供した施設があった。プラスチック眼鏡レンズを発明して巨富を得たロバート・グラハムが、子供の頃に見た光景から夢を描く。自分の才能をいかし、その報酬を恵まれない方に使う町の名士の子孫がいなくなり、町の人はその死を残念がる。それに比べ、ロバートの会社で働く労働者は、自分の努力を横において、いかに政府から福祉予算をひったくるかが一番の感心事。このままでは、圧倒的に数の多いそういう人たちに、勤勉で優秀な血が駆逐されてしまう。
そこで、白人のノーベル賞受賞者の精子を冷凍保存し、一定以上のIQの持ち主の女性に提供しようとする。生命の尊厳・神の成せる業への挑戦と捉える方もおられ、設立当時大変な話題になる。実際に協力する精子提供者も現れ、体外受精し生まれた子も20年間で200人いるという。
その後、密かに閉鎖されたが、「ノーベル賞受賞者の遺伝子を持つ子は、その後どうなったのか?」「その遺伝子を受けた女性や家族のその後はどうなったのだろう?」。当事者が口を閉ざす状況で、純粋に科学として、その後に興味を持った筆者が、ジャーナリストらしい取材を重ねたノンフィクションです。
この本を読み始めた時、「ノーベル賞受賞者なら高齢者が多いだろう、その精子の活性は・・・」「精子提供者を知らされずに出産・育児する母親や家族の気持ちは・・・」「自分の素性に疑問を持つ本人の気持は・・・」「人にはいろいろな役割が与えられて生まれてくる。誰1人不必要な人は生まれないと思うが、こういう思想は人の区別に繋がり、結局人を滅ぼすことになりはしないか」などの気持ちが生まれ、そして、「機械のような人間で幸せか?」という疑問に行き着く。
この壮大な実験の結果をどう読むかは、それぞれの方の分かれるところだろう。

2006/5 「こころのチキンスープ 愛の奇跡の物語」 ジャック・キャンフィールド/マーク・V・ハンセン ダイヤモンド社 ★
このシリーズは、何冊読んでも最高です。ごく普通の人の、ごく普通の日常に起こった出来事がその人を変え、それが語られた時、大きな心の栄養を耳を澄ます方に届きます。世の中は、このような素敵な出来事の積み重ねで続いているように思えます。これを神様の成せる業と言うのかも知れませんし、天使の囁きと表現するのかもしれません。

2006/5 「神様からひと言」 荻原浩 光文社文庫
最大手広告代理店をある事件で首になってしまった主人公凉平は、中堅食品メーカーに再就職した。創業者が汗水たらし試行錯誤しながら会社を大きくしたが、現在は大手の二番煎じで食いつないでいる状態。右肩下がりなので、恒常的に人員削減のリストラされているが、創業者の孫が副社長になり、新製品発売などで巻き返そうとしている。そこに販売促進のプロとして入社する。いきなり4ヶ月に及ぶ新製品の広告宣伝を任され、勇んで役員会議に臨む。しかし、そこで見たものは、創業者と共に苦労してきた古株役員個人の牛耳られる役員会の姿。自分の人事を気にして、事なかれ主義が席巻している。遅れてやってきた副社長は、そういう空気を一新しようとしている。それに取り入ろうと、販促課長が凉平のプレゼンテーションを横取りしてしまったから、何はうまく行かずにおかしくなる。凉平がそれを収集しようとするが、プライドの高い凉平は、なんと役員会議でケンカをしてしまう。
入社早々の失態で、会社のリストラ予備軍が集まるとされているお客様相談室に転属になる。まあお客様からの苦情に謝る仕事が主です。凉平は、プライドが邪魔して全く使い物にならず、1日目にして電話の音恐怖症になる。私生活でも大切な彼女を失って失意。もう辞めてやろうと思うが、部屋の家賃とギターのローンの為にあと2ヶ月我慢することにする。馬鹿呼ばわりされる苦情・創業者のお妾さんで筆頭株主の方からのアドバイス・異物混入をネタを作り出して金銭をせしめようとする輩・ミスをついて大金を取ろうとするヤクザさん。個性豊かな5人の部屋を、実質的に切り盛りしているのが篠崎が見事に乗り切っていく。競艇狂いで仕事中も通う遅刻の常習、しかも仕事家庭にも問題を抱えているが、苦情処理には抜群の切れを見せる彼に鍛えられて、段々慣れていく。
お客様相談室は、会社の現状を最も早く敏感に知る部署ではあるが、そこからの報告が官僚的な組織の中で立ち消え、改善されていない。かつて凉平も関わった、副社長の肝いりで発売された新製品への苦情がどんどん増えていく。何かがおかしいと、篠崎と共に訪れた原料を納入している会社で、その原因を知る。その裏には、会社を私物化している実態があった。
お客様相談室から会社が動き出す。凉平の私生活も、篠崎の存在と、夜息抜きにやっている公園での弾き語りで会う謎の人物のアドバイスで動き出す。

2006/5 「そのときは彼によろしく」 市川拓司 小学館 ★
「いま会いに行きます」で有名になった作家。「いま・・・」は読んでいないが、TVや映画にもなった最近流行りのジャンルの作品・・・最近のスローフーズや癒しの流れに乗っている。資本主義がより厳密に運用されるようになり、上下の差が開いていくアメリカ型社会になっていきつつある日本で、「所得だけが人生じゃないよ」が共感を呼ぶようになってきている。
佑司と花梨と主人公智史は、中学の時の大の仲良し。それぞれ離れ離れになっていくが、それぞれあの時代を懐かしむ心を持ちつづけていた。懐かしむというより、あの頃が一番輝いていたと思って暮らしている。智史は、その頃の夢が実現し、ほんとに小さいながらもアクアショップを持つことができた。ある日、遅い夕食を取って店に帰って来ると、店先にうずくまる人影がある。不信に思い今来た道を帰ろうとすると、その人影から、「店長さん?」って声がかかった。てっきり酔っ払いだと思っていた人影は若い女性だった。そこから物語は、心地よいエピローグに向かってスローに動き出す。3人とその家族、それに1匹の犬が、自分はそれなりにがんばりながらも、相手に自分を押し付けず、長い人生の道のりが絡み合う。遠くに離れていても、心は距離を飛び越えて繋がっている、そんな作品です。読み終えた余韻の中で、再びプロローグを開いて読み始めました。

2006/4 「俄 にわか 浪華遊侠伝」 司馬遼太郎 講談社文庫 ★
江戸から明治にかけて存在した実在の人物を書いたもので、司馬遼太郎節と言うのでしょうか、丹念に調べた史実を淡々と重ねられている。「竜馬が行く」や「功名が辻」と同じ流れのものです。ただ大阪の任侠道に生きた人のことなので、作風は似ていても、登場人物や肌合いが違っています。まあ、とんでもない人生です。
公儀隠密として大阪に潜伏していた親父が妻子を置いて行方不明になる。丁稚奉公をしていた万吉は、明日の米がない母親と妹のために手っ取り早くお金を作ろうと、奉公を止め「どつかれや」なるものになる。名主さんに過去帳から自分の名前を消してもらい親子の縁を切り、何をしても家族に迷惑がかからないようにする。まだ子供なので、当時の子供博打の行われている賭場に行き、お金にガバッと乗りかかる。当然どつかれるわけだけど、一切反撃せず泣きもせず、血を流しながらもただ黙々と懐に金を入れる。段々どついている相手が気味悪くなり放免される。これを毎日界隈で繰り返すと有名になり、顔を見せるだけで相手からお金を出すようになる。そのお金を自分の食費以外みんな人に頼んで母親の家に放り込んでもらう。実家は、誰がお金を入れてくれるのか分からず怖くて一切使えず、相当なお金が押入れに溜まってしまう。
15才になり、子供相手を卒業し、大人の賭場で同じことをし始める。賭場は利益は上がるが、禁制なので公には出来ないから死人がでたら大変。全く無抵抗なので、半殺しまでで止まるとんでもない生活をする。名はさらに売れ、質素な生活が染み込んでいるのでお金はたまる。大きな家を買って事務所ができる。あるとき大きな依頼があった。幕府が金に困ると、江戸の御用商人を遣い大阪の米相場を高騰させ暴利を得ることが時々ある。相手には幕府が付いており、役人まで相手方なので大阪の商人では太刀打ちできず中小米問屋はバタバタ倒れる。そんな時、この組合の長がやってきて、翌日の米相場をぶっ壊して暴落させて一矢報いたいと依頼される。相当金は溜まっていたので、米の値段など知る由もなかったが、手伝いのばあさんに聞くと、多くの庶民の助けになると知り人肌脱ぐ。200人の人足を雇い、相場に乗り込む。相手方が雇っていたヤクザ者が匕首などで対抗してくるが、手ぬぐいに石を包んでブンブン鼻目掛けて振り回すもんだから、追い散らされる。役人は、相場に不正が入らないようにここには入れない決まりになっている。外で捕り方が歯軋りして見ている。米が暴落するので大観衆が押しかけて応援してくれる。そこで200人が一斉に八方に散り逃げ出す。最後に万吉1人残り素直にお縄になる。凄惨な拷問が始まったが、元々どつかれ屋稼業で慣れている。決して依頼者を白状しない。奉行の方が感心して根負け、放免になる。この結果が、生涯年二千石の報酬を得ることになる。
そして今度はなんと奉行から依頼が来る。奉行は公儀からの役、つまり中央官庁からの出向だが、その下の与力以下は地元の人間という構造になっていて溝が深い。与力が商人と結託して密輸見逃しで賄賂を手にしているので、その内定に入った公儀隠密が捕らえられて牢に入れられている。隠密なので本名を名乗るわけには行かず、何処の牢に入っている何といおう名の者か分からない。ついては偽の罪人になって牢内を探ってほしいという依頼。牢内は牢名主に大きな権限があり、自治組織になっていて、ややこしい罪人は、お白洲もほどほどに、与力の命令で牢名主が牢内で葬り去る。外部には病死ということになる。万吉は毎日違う牢に入って理不尽な仕打ちを受けながらついに隠密を発見する。しかし、翌日には病死になる予定になっているという。牢名主の命を助けることを条件に1日伸ばしてもらい、隠密を助け出す。そしてなんと次の奉行として、助け出したあの元隠密がやってきて、悪与力と商人を捕まえるのも手伝い、そっちの方にも大きな顔が利くようになる。婆さん1人と質素な生活を続けているんで、訪ねてくる多くの不器用者に飯を食わせるのは平気でできる。その頃には、親分子分という契りは交わさないが、拒みもしないので、自称万吉の子分が山ほどできていた。
幕末が近づき、京都では倒幕の獅子たちが、その名の元に狼藉を働くが、幕藩体制の与力組織では組織暴力には歯が立たない。そこで藩に強力な警察組織を丸なげで作らせる。京都担当の会津藩が作ったのが新撰組。大阪にもつくられることになり、大阪の1/4を担当することになったのが1万石の播州小野藩。1万石とは、武士が30人ほどの零細藩で大阪詰は5人。5人でこの役目ができるわけがない。困った大阪在住家老は万吉に「武士になってその組織をやってくれないか」と来た。しかし藩には万吉に支払う財力がない。婆さんに聞くと、最近世の中が物騒になり、大阪湾から船で大阪に入り京都に倒幕獅子達が入っている。「人助けになる」ということで引き受ける。翌日万吉は京都の新撰組本陣を訪ね土方に面会する。「大阪に組織を立ち上げるが、おたくの真似だと言われたくないので視察に来た」と言う。さてこれからどうなるのか・・・後年武士に小林佐伝兵衛になる大阪の任侠明石屋万吉という実在の人物の伝記的小説。
本当の悪事はやらず、人助けになると判断すると、腹が立っている相手の前に体を投げ出し反撃せずにただどつかれているだけが能なのだが、がまんが尊敬され信頼され命を投げ出せる子分が寄って来る。そこを頼って仕事も舞い込む。桂小五郎など明治新政府のトップになる人が、幕府の追手から追われているのをかくまって逃がしたりしていたことで、顔役にまでなってしまう。新撰組との関わり、鳥羽伏見の戦い、堺での土佐藩フランス事件・・・歴史のいろんなこととの関わりがあり、別の面からそれらの歴史を感じることができる。
街の不良少年や目の見えない人など働けない人を養う施設を作り、400人もの人を修養する。不良少年には大工その他の職業訓練までする。また大阪の消防が頼りないので市長に頼まれて、公設より頼りにされる私設消防団を組織する。これらを全て私費で行った。
明治の世になり、最後の大仕事になる選挙の帰り、元の第一の子分で今は時計屋の親父になっている軽口屋と2人で歩いているときの言葉が印象に残っている。「親方、お前はんと長い歳月を一緒にすごして、わいはよかったなあ」と軽口屋がいい、「そうかい」と答えた後、「軽口屋、お前も早う死ね」と言う。その翌年、軽口屋は死ぬ。その危篤の枕元で万吉は、「おまえの俄も済んだか。俺もじきに行くでえ」
題名の俄は「にわか」と読み、にわかというのは、江戸時代大阪ではやったお笑い寸劇のことらしい。読み終えて思うのは、題名通り痛快なお笑いの一生を読ませてもらったということ。これが史実に基づいているから、途方もない人物だ。

2006/4 「今日われ生きてあり」 神坂次郎 新潮文庫
特攻隊の記録を集めた著書です。著者は、終戦時航空学校出の18才。自身が特攻隊として散華していたかもしれない運命にあった。「男たちの大和」「女たちの大和」同様、フィクションを廃し、同世代を同じ境遇で生きた者として書かれている迫力がある。著者は、歴史小説などで多数の賞を得ている作家ではあるが、後書きに自身が語っているように、とても書けない題材だったのかもしれない。戦後40年も経って書き残された書で、取り上げるまで40年という年月が必要なほど、辛い題材だったのでしょう。
集めた資料を、ある程度分類してはいるが、自身の言葉を極力廃し、手紙や日記をそのまま全文載せている歴史的資料としての価値もあると思う。文章のテクニックとか、持っていき方など、そういうものを圧倒するノンフィクションとしての迫力が迫ってくる。特攻作戦の是非などを全て飲み込んで、「明日はない」ということをしっかり受け止めている自身や仲間、そして家族や基地周辺の人たちの中で醸成される何かが、行間から心に響いてくる。しかもこれらのほとんどが、20才前後の若者の言葉だから余計切なくもあり、純粋で力強さも感じる。
鹿児島の知覧などから連日特攻出撃があったのは、終戦の年の2月から6月までのたった数ヶ月。知覧基地で玉音放送を聞いた通信兵が書き残している言葉にこういうのがあった。特攻機が離陸する時は、滑走路脇まで無線機を持って走り、250kg爆弾を抱えてフラフラしながら飛び立とうとする機を、「右に寄りすぎています」などと無線機越しに誘導し、最後敵艦に突入する時に打つ信号を、雑音の中から拾う。そういう任務で、自分は何人の若者を死地に送ったのだろうか?どうせ負けるなら何故半年早く・・・多くの悲劇を防げたものを・・・と無念さをにじませながら、自分で深く掘った穴に無線機を埋める。
米軍を恐れさせた特攻の事実を隠蔽するため、真っ先に解散命令が下ったのが特攻隊やその関連施設で、国はその非人道的な作戦を隠そうとした。では何故・・・涙なしには読めないし、戦争と言うものを考えさせられる。また、著者の訴えが強く響く箇所が、特攻隊を指揮鼓舞しながら、戦況不利と見るや我先にと前線から後退し、戦後長く生きた将軍への思いを実名で記されている。この書の感想を書こうと頭をひねるが、どの言葉もこの書に対して失礼な感じがする。グッと心に残った箇所をここに書き留めておこう。

『弟へ、
正しく強くしかも真実を失なわぬ人間であれ、偉い人と言うのは決して立身出世した人間ではないのだ。自分の思った事を信じたことを正直に素直に実行できる人間が本当に偉いんだよ。周囲にどんな虚偽があろうとも決して心にないことをするものではない。周囲に負ける男はみじめで卑怯な人間だ。弟よ、軍人になろうともまたその他の道に進もうとも出世を思う前に今兄の述べたことをしっかり考えるんだよ。弟よ、田舎に育ったいい性格を絶対に都会化するな、小才の利く人間に負けるな、肚で勝つんだよ、それが真の勝利だよ』(ただ1人の弟へ)

日本を救うため、祖国のために、今本気で戦っているのは大臣でも政治家でも将軍でも学者でもなか。体当たり精神を持ったひたむきな若者や一途な少年たちだけだと、あのころ、私たち特攻係の女子団員はみな心の中でそう思うておりました。ですから、拝むような気持ちで特攻を見送ったものです。特攻機のプロペラから吹き付ける土ほこりは、私たちの頬に流れる涙にこびりついて離れませんでした。38年たった今でも、そのときの土ほこりのように心の中にこびりついているのは、朗らかで歌の上手な19才の少年航空兵出の人が、出撃の前の日の夕方「お母さん、お母さん」と薄暗い竹林の中で、日本刀を振り回していた姿です。−立派でした。あん人たちは・・・』

40年という歴史の歳月を濾して太平洋戦争を振り返ってみれば、そこには美があり醜があり、勇があり怯があった。祖国の急を救うため死に赴いた志純の若者や少年たちと、その特攻の若者たちを石つぶての如く修羅に投げ込み、戦況不利と見るや戦線を放棄して遁走した四航軍の首脳や、六航軍の将軍や参謀たちが、戦後ながく亡霊の如く生きて老醜をさらしている姿と・・・』

なつかしい静ちゃん!
お別れのときが来ました。兄ちゃんはいよいよ出撃します。この手紙が届くころは、沖縄の海に散っています。思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを1人残していくのは、とても悲しいのですが、許してください。
兄ちゃんの形見として静ちゃんの名で預けていた郵便通帳とはんこ、これは静ちゃんが女学校にあがるときに使ってください。時計と軍刀も送ります。これも木下のおじちゃんに頼んで、売ってお金に換えなさい。兄ちゃんの肩身などより、これからの静ちゃんの人生のほうが大事なのです。
もうプロペラが回っています。さあ、出撃です。では兄ちゃんは征きます。泣くなよ静ちゃん。がんばれ!』

この書の初めに数枚特攻隊の写真が載っている。その写真に写る隊員の顔から、悲壮感や使命感が感じられない。特攻出撃直前、整備兵達と別れの杯を交わす飛行兵でさえ笑顔であったりする。映画やTVで観る姿とは大きく違うが、その白黒写真を見ながら、こちらが真実だなあと、不思議と納得できる。
何故かと考えると、私にもそういう体験があったからだと思い当たった。戦後何年もして生まれたので、この書にあるような本当の極限は知る由もないが、学生時代4年間を掛けて全国制覇に邁進した経験がそうだった。実は、全日本最終日の最終レースに、私は出場していない。陸からレースを見ていた。最終学年の時は私が引っ張り、私が練習の工夫をし、みんなを鼓舞してきた。
その1ヶ月前の関西制覇の時も最終レースは陸から見ていた。そのときは、関西制覇が最終レースを待たずに決まったから、いつもはレギュラーでない同輩Y君と交代していた。でも全日本のときはそうではなかった。どう計算しても4年間の目標であった全国制覇できないとわかったからだ。そのときは、不思議と「あの時・・・」などという、たら・ればや後悔の念は頭を過ぎらなかった。精一杯やったけど、届かなかったという妙なすがすがしさがあった。そういう心境だった。その1年前の代交代から定期戦を含めて全てのレースシリーズで勝って来た。最終目標である全日本団体戦の前哨戦である全日本個人戦でも、我がクラブから2艇参加し、レースの着順では、1位と3位。どう考えても実力日本一で最後のレースに臨んだ。しかしまともな風が吹かず、実力を見せられないまま最後のレースを迎えた。私は迷わずY君と交代した。最終レース、私の変わりに出場したY君は思うような成績を上げられず、彼の学生最終レースも終わった。帰ってきたY君は、私に申し訳ないという言葉を口にしたが、私は1回生のとき先輩がレースを終えて帰ってきたときのように、Y君を迎えた。多分、Y君の言葉など入らずに、「ご苦労様・・・いいじゃない・・・」なんて言ってたと思う。みんなに支えてもらってここまでやってこれた感謝の気持ちと満足感でいっぱいだった。
これは、先月読んだ次男のヨット部卒業記念誌にも書いてあった。「全日本予選最終日前日。明日は最終レース1レースを残すのみになったが、逆転は不可能になり、全日本出場に手が届かないとわかった。いつもなら悔しさで頭がいっぱいになるのに、不思議と心は落ち着いている。自分でも不思議なくらい笑顔で、主将としての最後のミーティングができた。負けは確定したけど、満足感でいっぱいだった」とあった。
最後のときが決まっている、明日はないと決まっているとこういう心境になるものらしい。敗者の美というものがあるなら、こういう心境のことを指すのかもしれない。特攻隊の最後の杯での笑顔は、それと同じなのかもしれない。次元の違う話だが、今の時代に生きる私としては、これが精一杯です。


2006/4 「隠し剣弧影抄」 藤沢周平 文春文庫
隠し剣シリーズの2作目です。2作目と言っても短編集です。剣はできるが一癖あるので疎んじられていたり、うだつが上がらなかったりする下級武士が主な主人公です。TV化されたこともあると思う「隠し剣鬼の爪」がメインだろうが、印象に残ったのは「女人剣さざ波」の方でした。
主人公俊之助は、藩内で評判の美人の妹を嫁にもらった。ところが姉とは全く違う器量でガッカリしていた。事あるごとに妻を遠ざけ蔑んでいた。しかし母は自分の目に狂いはなかったと大層嫁を気に入っている。まだ子供が出来ないのも原因で、外で飲んで帰ることが多くなった。ある日、そこで働く幼馴染とバッタリ会ってしまう。浮気をするほど禄がないけれど、ウキウキしながらその日を待つ生活がはじまる。そんなある日、家老に呼ばれる。話の初めに、俊之助の飲みに行く話が出たものだから、てっきり注意を受けるものと覚悟したが、話はそうではなかった。対抗勢力の談合が馴染みの飲み屋で密かに行われているとの事。それを探れと言うものだった。藩の勢力争いに荷担したくないが、ここまで打ち明けられれば断る訳にはいかない。仕方なく引き受けるが、家老から飲み代が出るので、幼馴染に会えることもありまんざらでもないと足しげく通うようになる。
その功あって対抗勢力を追い落とすことができた。ところが表の仕事ではないので禄高が増えるわけではない。一時金を懐にしたが、どうも汚いお金に見えて、そっくりそのまま幼馴染に手渡す。2人で馴染みの店を出るとは、幼馴染は一刀に切られる。どちらかの勢力が放った刺客だった。刺客は刀を納め遠山と名を名乗り、後日の果し合いを俊之助に言い渡しその場を去る。
剣の腕はからきしの俊之助だが、武士の端くれ、自分のした武士の風上に置けない後ろめたい行いの酬いと観念する。家に帰り、いきさつを妻邦江に話し、「勝ち目はないと思うが、武士の端くれとして一太刀でも浴びせようと思う。覚悟いたせ」と、翌朝の死闘の刻に間に合うように握り飯の準備を請う。遠山の名を聞いても、藩内でも指折りの剣客であるのも知らない夫を、まず一太刀も届くまいと考えた邦江は、すぐに遠山家に急ぐ。
おとないを入れて遠山に面会して、「夫に代わって私が勝負を」と言うが、当然相手にされない。元の姓と道場名を伝える。国江は、かつて剣名を成した女流剣士であった。その名を聞いて遠山の剣士としての血が騒ぎ、約束の刻の前に新たな刻を定めて死闘を承諾する。邦江は、免許皆伝し、秘剣さざ波も伝授されている。
翌朝、まだ陽が開けきらないうちから、河原の一本松で死闘は始まった。邦江はボロ衣のように切られている。しかしまだ致命傷は負っていない。秘剣さざ波を使って何とかしのいでいる。遠山は小手に深い傷を負っている。秘剣さざ波は、寄せては帰すさざ波の如く、深入りはしないが、小手のみを狙う剣である。数度の小手によって次第に遠山の手の力が抜けていく。
遠山は、長く時間は持たないと思い、一気に勝負をつけにくる。上段に上げた剣から一太刀浴びせようとするその瞬間、小手の力が抜け一瞬の隙を見せる。それを邦江は見逃さなかった。深く胴を見舞うが、遠山も返りの剣を使う。
遠山は倒れるが、邦江も近くの川の水にさえ届かない状態になってしまう。邦江の書置きを見つけた俊之助は一本松に急ぐ。松にもたれて足を投げ出し、首を深くうなだれている邦江の頬を叩くと、目を開けた邦江はかすかに笑った。俊之助が見たこともない美しい笑顔だった。「ひどい傷だ」。邦江の体から襷と鉢巻を取り、わらじのようにひもでくくりつけた草履を取った。「死ぬな」。邦江を背負い歩き出す俊之助に、「家へ帰りましたら・・・去り状をいただきます」「馬鹿申せ」。俊之助は長い間邦江は、この言葉を言いたかったんだと思った。「これまでの事は許せ。俺の間違いだった」。邦江は答えなかったが、俊之助の首に回した手に少し力がこもり、首筋がおびただしい涙で濡れるのを感じた。「仲良くせんとな」。
この藤沢周平の世界に惹かれる。

2006/4 「いい言葉は、いい人生をつくる」 斉藤茂太 成美堂出版
言わずと知れた詩人斉藤茂吉さんの長男で、作家北杜夫さんの兄です。本職は、お父さんの後を継いで病院を経営している精神科医です。お爺さんがドイツ留学して当時珍しい精神科を選択したのが病院の始まりです。
まあこのような事は、あまり関係ありませんが・・・いや精神科というところに関係するかもしれませんが、通称モタさんの本を読むと、気持ちが楽になります。弟北杜夫さんの「ドクトルマンボウ・・・」シリーズの方を先に知り、「楡家の人々」で斉藤家を知りました。弟さんは精神科医というより作家が本職という感じですが、茂太さんは著作は趣味と言う感じを受けます。同じく趣味の旅行の紀行文から執筆活動をし始めたと記憶しています。茂太さんの新しい本が文庫になったから、読んでみようかなという程度で手にしました。
茂太さんの本は、「こころのチキンスープ」同様、ワンパターンです。他の分野を書いた本もあるのでしょうが、私が読む本はいつもワンパターン。「怒らないで」「ニコニコして」「楽しいことをしようよ」「気張らず楽にやろうよ」「マイナス言葉じゃなくってプラス言葉を使おうよ」・・・というワンパターンです。でもこれがいいんですよね。水戸黄門がいつもの印籠パターンで終わると知っているのについ見てしまう、あれと同じです。そしてさりげなく、「うちの嫁さんはすごい、ありがたい」という言葉が語られているのにも惹かれてしまいます。
心に栄養、顔に笑顔をお届けする軽く読める作品です。

2006/4 「ダヴィンチ・コード 上・中・下」 ダン・ブラウン 角川文庫 ★★
ついに・・・ついに・・・手に入れました。昨年?一昨年?何気なく階段に置いてあったこの本を目にしました。ダヴィンチと言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチだと思いましたが、何か変な名前の本だなあと思いました。私よりはるかに読書家の長男の本であるとは察しがつきましたが、芸術に興味が深いとも思えないし、ダ・ヴィンチの科学的なところにでも興味を持ったのかなあと思いました。その後、この本が欧米での大ベストセラーであると知り、さらに興味深い内容を知るにつけ、いずれはどうしても読まなくては・・・と思うようになっていきました。しかしながら、キリスト教には興味があるものの、温かい心が流れている作品が好みの私には、アガサ・クリスティーのような知的ミステリーという色分けで、優先順位は高い方ではありませんでした。
偶然に先月のある日、新聞下欄に文庫本発売の広告を見つけました。映画化されるので文庫化されたのでしょう。そのときが来たのかなあと、その日のうちに近所の私御用達書店に注文しました。いつものように、数冊の本を気の向くままつまみ読みをしながら、この上中下3冊の本が気になります。そしてついにメインに読んでいた斉藤茂太さんを置いて上巻を手に取りました。やはり予想通り、読み止らなくなりました。3巻一気に読んでしまいました。
ルーブル美術館の館長が館内で他殺体で発見された。彼の予定表に今夜会うと書き込まれ、最期の時に書き残した言葉にも名前が書かれていた、ハーバードの宗教象徴学教授ラングドンのパリの宿泊先に警察がやってきた。表向きは奇妙な死に協力してほしいと言うものだったが、実質は第一容疑者。ラングドンは、逃げ場のないルーブル美術館で、司法警察敏腕警部ファーシュと会話をしながら奇妙な殺人現場を見ている。裏では、警察がラングドンがボロを出すところを逃すまいと発信機まで彼につけている。そこに、司法警察暗号解読官のソフィーがやってくる。ソフィーは殺害された館長の孫で、暗号解読科に送られてきた殺害現場に残された謎の言葉は彼女へのメッセージだとすぐにわかり、そこに頼るように書かれていたラングドンを警察の手から逃がすためにやってきた。
警察の手から逃れた彼と彼女は、警察から逃げながら謎の言葉を紐解き、謎の死の核心、そして館長が彼女に残そうとしたものに迫っていく。実は数世紀に渡り、世界で最も大きな力を保っている、カソリック教会の根幹を揺るがす聖杯の秘密を秘匿している秘密結社の総長が、館長だった。過去の総長、ダ・ヴィンチ、ニュートン・・・ジャン・コクトーなどが長年秘匿してきた秘密に誰が挑戦してきたのか?秘密は守れるのだろうか?総長と3人の理事しか知らない本当の秘密が、4人全員殺害された今、永遠に闇に消えていくのか?秘密結社が強大な力を持つカソリック教会から巧妙に隠れながら、ダィンチの最後の晩餐などの絵画にヒントを隠し守ってきた秘密の謎解きと事件解決へのミステリーが、様々な登場人物が絡み合いながら始まる。さらの家族の愛・家系の秘密、師と僕の絆・・・
秘密の核心を知る老婆に行き着き、ダングドンは、「・・・(キリスト教会を根底から揺さぶる)この真実を隠したままなら、永遠に失われてしまう」と聞く。彼女は、「そうかしら?周りを御覧なさい。この真実は芸術・音楽・本の中で語られているわ。日々増えてさえいるかも。振り子は振れているのよ。人類の破壊の道の危うさを、誰も理解し始めている。そして聖なる女性を復活させる必要性も」と答える。作者がこの作品を通して語りたかった今の世の中へのメッセージを聞いた感じがしました。
人気作家ダン・ブラウンの作品を読むのは初めてでしたが、評判にたがわずワクワクする作品でした。前作「天使と悪魔」に続く主人公ラングドン・シリーズで、映画化されることで、ハリウッドはインディージョーンズ・シリーズのようにしようとしているのかもしれません。一気に読めた楽しい作品でしたが、1つ残念なのは、ミステリー映画のロードショーでストーリーを知っていることほどつまらないものはありません。映画を観た後に本を読んだほうが良かったのでは・・・と。

2006/4 「隠し剣秋風抄」 藤沢周平 文春文庫
用心棒シリーズと同じように、隠し剣シリーズの第2弾です。しかし、用心棒シリーズの主人公は、青江又八郎1人ですが、隠し剣シリーズは、たそがれ清兵衛が短編集に収録されていたように、独立した短編になっている。一癖も二癖もある主人公に剣が関わる感じです。
今年山田洋一監督・木村拓也主演で映画化される作品の原作「盲目剣こだま返し」が収録されているが、さすがにこれが一番印象に残りました。「蝉しぐれ」のような長編では、映画にする場合原作から間引くことが多く、原作に勝るのは難しいですが、短編の場合は、ストーリーの芯はあるが、その周りが薄いので、いろんな味付けができそうで、映画としてのストーリー展開が楽しみです。木村拓也がどれだけ枯れた演技ができるかが見ものですが、原作とはガラッと違う新之丞が出来上がるかもしれません。

2006/3 「三屋清佐衛門残日禄」 藤沢周平 文春文庫
百二十石の家に生まれた清佐衛門は、城主の側用人にまで出世し二百七十石にまで禄を増やし、城主の死に合わせるように倅に家督を譲り隠居する。それからの日々の動きを残日禄という名の日記をつけるようになる。息子の嫁里江、前髪の頃から道場や勉学で机を並べたまだ現役だったり、同じく隠居の身になっている友人達との関わりから起きる様々なことが綴られる。また、現城主に頼られ、表立ってお城の役職が動けない仕事の依頼が役職から届く。全編通した芯には、藤沢周平お得意の派閥の政権争いがある。
剣の腕が冴える青年剣士物とは一味違う作品です。

2006/3 「ツキの天使がやってくる秘密のレッスン」 恒吉彩矢子 徳間書店
楽しく生きるがテーマの本です。昔は周りから、「がんばれ、がんばれ、そんなことでどうするんだ」と言われてきた人が多いと思います。私もそうでしたが、「がんばろう」と思うのは、本人の内から湧き出るものではないかなと考えるようになりました。「がんばれ」と言うのは、先生と会社の上司ぐらいでいいのではないでしょうか。特に親が言い過ぎると、子供の居場所がなくなり精神的な成長に影響すると思います。以前こういうことを言うと、甘いとか軟弱とかやる気がないとか言われるのがオチでしたが、最近はそういう考えの本が多数書店に並ぶようになってきました。親の言いすぎから若年者の凶悪犯罪に繋がる研究が進み、成功者の多くが、失敗を責められず赦される家庭環境で育ったという事実が知られるようになったからでしょう。
この本は、そういう背景の本で、「今までと考え方を少し変えてみませんか」というメッセージを、レッスンという形で著されています。
「ハッピーの種の育て方」恒吉彩矢子 恒吉彩生子 創美社
上記の本と同じ著者の同じような本ですが、お姉さんが登場します。
お姉さんは漫画家で、バリの人と結婚しバリ島に住んでいます。楽園で暮らせる夢はもろく崩れ、日本と大きく違う考えに戸惑います。バリの「大丈夫、何とかなるから」の考え方を受け入れることで、日本ではとても味わえなかった幸せ感を味わい、新たな生き方を得ます。
お姉さんの体験をお姉さんの漫画を交えて著し、上記の本の実戦編という感じです。

 
2006/3 「用心棒日月抄 凶刃」 藤沢周平 新潮文庫 ★
用心棒シリーズ4部作最終章です。今回は、前3作から16年経ち、主人公又八郎も40代になっている。そして、3作のように脱藩して江戸で用心棒稼業をしながらの生活ではなく、藩命で江戸詰めになった又八郎。表の使命は、江戸詰め役持ちの病気療養中の交代ということだが、例によって裏の使命も帯びている。藩主を影で支える忍者組織嗅足組の解散を江戸の組織に伝えるためである。
しかしながら、事はそう簡単に行かない様相を呈してくる。出立前に、公儀隠密が藩内を探り、藩内のしかもごくごく一部しか知らない殿側室の出生の秘密に繋がる手紙が盗まれ、寸でのところで取り戻す。江戸嗅足組の頭である佐知の父親でもある嗅足組頭谷口の次の頭が暗殺される。さらに国表出立直前に又八郎自身に白刃が向けられる。などなど不穏な動き。
江戸に着くと、公儀隠密に加え、謎の陰の嗅足組頭領が国から差し向けた嗅足二の組との暗闘があり、組を解散して組の者を少しづつ国に帰すことも出来ない。佐知と共に過去をさかのぼる探索の結果、出生の秘密を知るに至る。
谷口死後の影の頭領石森は、国許の嗅足組とごく少数の剣の立つ者を使って、公儀隠密に対抗し、藩の命運を握る出生の秘密を知る者を全て抹殺するように動く。独自活動が認められていた江戸嗅足は、その技から秘密を嗅ぎつける不安があり、抹殺対象であった。
佐知と又八郎は、江戸嗅足組の者を守る為に、それらと対抗することになり、最後は石森と対決する。様々な暗闘の結果、秘密に繋がる証人がことごとく命を落とし、残ったのは佐知と又八郎のみになる。組は解散し、秘密は誰にも語られぬまま闇に葬るのだろう。全ては解決に至ったが、これは佐知と又八郎との別れを意味する。お互いもう若くはないので今生の別れになるだろうことは容易に想像できる。江戸から国許へ帰る日、佐知から、尼僧になりいずれ国許の尼寺の庵主になると打ち明けられる。又八郎は、年老いて尼寺の縁側で佐知と共にお茶を飲む自分の姿を想像して、気持ちは晴れ哄笑する。佐知も声を立てて笑う。すばらしいハッピーエンド・・・藤沢周平が練りに練った最後に唸ってしまった。
全4編を通して、妻由亀と仕事仲間佐知という2人の女性との関わりが印象に残った。又八郎の許婚であったが、藩の秘密を知ってしまった又八郎を襲った父が、逆に斬られてしまう。しかし娘への最期の言葉が、「又八郎殿を頼りにいたせ」。又八郎は、脱藩し江戸で暮らしだすが、国許から送られてくる刺客を倒しながら、いずれ来るであろう由亀には黙って討たれてやろうと思っている。しかし由亀は、正式な妻ではないが又八郎の家に入り、老いた母親を守る。やがて、又八郎の子を宿し、3人の子を立派に育てる。
方や佐知は、谷口という名家老の父を持つが妾腹の子という影の運命を背負っている。家庭を持つ生活をせず、仕事に生きる、しかも藩の影の部分で生死をやり取りする女頭領。時折見せる又八郎への想いや女としての部分より、仕事を優先する。余生は又八郎の近くで、表で一緒に茶を飲める立場に自分を置こうとしている。
大きく立場は違うが、つくづく女性の強さを感じる。こういう流れを汲んだ日本女性だからこそ、今世界で一番人気があるのだろう。忘れてはならない、日本人としての男と女の心のルーツを藤沢作品は教えてくれる。

2006/3 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 リリー・フランキー 扶桑社 ★★
リリー・フランキーだなんて変な名前。リリーもフランキーも両方ファーストネームみたいだし、女性なのか男性なのか、はたまた中間性の方なのか?って目に止まりました。帯には細かい字でびっしりのいろんな方の紹介文。そしていつものように裏からめくって、作者の概略を読み・・・ふーん。そして・・・この本、たった9ヶ月で22刷?ってビックリしました。初め全く売れると思っていなかったのか?まさかこんなに売れるとは・・・でも大量に刷って売れ残ったら・・・ええ〜また売り切れたの?って感じで22刷にまでなってしまったのでしょう。出版社の嬉しい悲鳴が聞こえてきそうでした。
イラストレーターであり文章家である作者の、半生が書かれた自叙伝ですが、親との関係、特に母親との関係を太い縦糸に書かれています。勉強ができる方でもなく、かっこよくもなく、何かに秀でているでもないが、親は子供を責めるでもなく、できるだけ明るく気持ちを楽にさせようと振舞う。そして作者も親に対して、本当に知りたいことを聞くと親を傷つけるのではないかと、あえて聞かない。
私は、子供と親を両方経験してきたので、その気持ちがとてもよくわかる。責められて育ったが、それがどういう傷を残すかわが身で体験している。だから決して我が子にはそうしない。結果なんてどうでもいい。良ければ褒め拍手し、ダメだったら天気の責任にして子供の能力を信じて疑わない。
親を経験しながら、子供が親に気を遣っていると思えることがしばしばある。親が出来そうもないことを「して欲しい」なんて言わない。本当はあれがあれば、すごくいいなと思っているのに、今あるもので我慢し、それで精一杯がんばる。長男が中学に上がって電車通学し始めた時、「参考書買うから」と何度もお金を要求された。その時家内は、「はいはい」って渡していた。どう考えても別の物を買っていると思って、甘すぎるんじゃないのと伝えた。家内の返事は、「いいじゃないの、騙されていれば」って笑っていた。いつか自分で修正するだろうと、家内の我が子をとことん信じる気持ちを感じて、器の大きさを感じ頭が下がった。家内の想像どおり、数ヶ月でそれは止み、反対にお金を必要な物以外に使わなくなった。お金を使っていた一部は本に化けていたようで、無類の本好きになり、国語力につながり、全体の学業成績のレベルアップになっただろうし、生き方やその他その後の人生の糧になったと思う。バイト・勉強・クラブと、次男も含めて明るくがんばる子に繋がったと思っている。
リリーさんは、わが家よりもっともっとしんどい家庭環境で育ったが、そんな中で立派に家内と同じ気持ちで子育てしたオカンに頭が下がる。この本を読んで、親が子供を信じきることが、最高の子育てと思った。終盤を電車の中で読み、涙がボロボロ落ちてくるのに参ってしまった。でも読み止めることが出来ないほどの本でした。

2006/3 「用心棒日月抄 刺客」 藤沢周平 新潮文庫 ★
用心棒シリーズ第3弾です。主人公又八郎は、江戸での公儀隠密も絡んだ藩の暗闘という家禄にはつながりそうになり仕事を終え、元の身分に戻って平穏な生活をしていた。ところがそんな生活も長く続かなかった。現在藩の実権を握っている中老間宮は、前藩主毒殺の首謀者であった老中大富派に寛大な措置で、藩のこれ以上の内紛を収めた。しかし、真の黒幕であった隠居している風を装っている前藩主の異母兄寿庵保方が、再び巻き返しを画策し始めた。
戦国の世から、どの派にも属せず、表には現れず、藩主の命のみを守る嗅足組という組織が続いている。つまり日頃は藩の様々な仕事についている忍者組織。その頭は、若くして何故か引退してしまった先の名老中谷口。その妾の子佐知が江戸の組織のボスである。
寿庵は、その組織を潰し、自分の意に添う別の影の組織を作ろうと画策する。江戸の組織壊滅のために、旧大富派から腕に自信のある刺客が数名脱藩して江戸に向かう。さらに寿庵の影の組織数名もそれに続く。それを突き止めた谷口に又八郎は呼び出され、佐知及び江戸の嗅足組織を守り、大富派の刺客を討つように命ぜられる。
佐知とは、長いつながりがある。初めの出会いは、最初の脱藩から戻る道中で又八郎への刺客として襲ってきた。危うく難を逃れたが、佐知は又八郎により怪我を負う。その佐知を近所の農家に背負い、金を置いて医者を頼む。次は、間宮の密命を帯びて江戸に出たとき、江戸に出た大富静馬が持っている大富派の血判状などの証拠書類を取り戻す事と、公儀隠密という共通の敵に向かうために、佐知及び嗅足組と協力した。
断ることは出来ず、3度目の脱藩・江戸行きになる。果たして首尾よく事は運ぶか・・・という内容です。こういう縦糸はあるが、国許出立の折、谷口から渡された当座の軍資金を、江戸住い早々に泥棒に奪われ、またまた用心棒稼業で口をしのぎながらの江戸生活に戻ってしまう。様々な用心棒稼業で、人の機微が横糸に描かれ、読んでいて退屈しない。
再び、新妻の由亀と母親を家に残しての江戸行きであるが、さらにおなかの中には子も宿っている。佐知にしても、組織のボスでありながらまだ若い。藩の仕事をしながら組織に気を配り、夜な夜な嗅足の仕事である忍者としての情報集めをしている。彼女達は、不平をもらさず奥の支度という毎日必ず必要な仕事をありながら、女性としてのかわいらしさや想いを時々見せる。家内を見ていても、とても女性にはかなわないなあといつも思う。多分作者の藤沢さんも同じような思いがあったのだろうと思う。登場する女性達がみんないい。これは、藤沢作品全般に言えることで、これも人気の秘密だと思う。

2006/3 「博士の愛した数式」 小川洋子 新潮文庫 ★★
同名映画の原作です。映画館の予告編ポスターで、感じがいいなあと思っていたのですが、映画を観て、今年のベストになるのではと新年早々思ってしまいました。早速原作を読むことにしたのですが、一昨年の本屋大賞に輝くなど、ベストセラーだったらしいです。小川洋子さんは、芥川賞作家ですが、どうも芥川賞のイメージが純文学の重い感じがして、直木賞とは違い頭から避けていたきらいがあります。同じく受賞作の「蹴りたい背中」はそれなりに面白かったわけですから、これからは先入観を持たないようにしないとねと思いました。
2日で読んでしまいました。映画とは違う部分もありましたが、やはりゆっくりした時間が流れ、博士の家政婦さんの息子ルートに対する目線が、とてもやさしく私の理想とするものでした。いろんなところで、「いいよ」と書評がされていたので、もっと早く読んだほうが良かったなあとちょっと反省です。原作を読んでから映画を観たらどんなだったろうと思いますが、まあこれもいいです。本好きの長男君は、よく映画の原作を読んでおり、どちらかというと原作をまず読んでからというパターンが多いようです。
映画と原作、どっちが面白かったと問われると、私は映画かな。原作を読み込んで、その雰囲気をさらに盛り上げる演出、台本を作り上げていました。博士がかっこよく変化していますが、映像になるとそれぞれの方の頭の中のイメージを統一してしまう残酷さがあり、そういうことも営業的に大切なのでしょう。最近の日本映画はいいです。益々の隆盛を願ってやみません。

2006/2 「夜のピクニック」 恩田陸 新潮社
「博士の愛した数式」同様、本屋大賞受賞作品です。毎年行われている80kmを1日かけて歩く学校行事が舞台です。全校生徒が、白いジャージに身を包み、黙々と目標を目指してひたすら歩く。初めは元気だった行列が段々無口になり、真っ暗な闇の世界で懐中電灯の列だけが延々続くようになる。体力が殺ぎ落とされて、友人との語らいがより本質的なものになっていく。なんか分かります。クラブの合宿練習で、段々体力がなくなっていくが、それでも練習を繰り返していると、「あっ」って、何かスピードの感覚が分かる。「そうなんや」って、スピードが出るポイント見たいな物、最も重視すべきポイントが鮮やかに見えてくる感覚。あれに似ているんじゃないかなあと思いました。
最後の方で、「しんどいけど、ただ歩いているだけだけど、修学旅行よりもずっと印象に残る行事だった」という先輩の話が書かれていますが、どんな豪華な観光よりもすばらしい体験なのでしょうね。私の中学同級生達が集まると、修学旅行より青島キャンプの話題が圧倒的に多く出るのと同じなのでしょう。青島キャンプでは、寝る所はテントだし無人島で誰もいない。しかも設備自体何もないので、道路も自分達で作る。石を掘り出して、木を切り、土方のおっちゃんの仕事を1日して、テントで寝るだけ。合間にあるのは、隣の島までの遠泳。楽しみなんて全くない何たる行事。でも最終日のキャンプファイヤーでは、みんなが涙でボロボロになる。あれと一緒かもしれない。
高校生の人間模様が、単調な歩くというしぐさの中に織り込まれていて、年齢を取り戻したような感覚で読めました。最後の終わり方もさわやかで、いい本でした。

2006/2 「弧剣 用心棒日月抄」 藤沢周平 新潮文庫 ★
用心棒シリーズ第2弾です。第一弾で、北国の小藩の禄百石の武士主人公又八郎は、偶然聞いてしまった君主暗殺の陰謀を許婚の父親に報告したら、その父親がそちら側に組していたようで斬り付けられ、心ならずも反対に討ってしまう。やむなく脱藩して江戸で用心棒稼業をしながら、陰謀相成った藩を牛耳る家老から放たれる刺客と対決する。刺客を倒しながら、最後はかつての許婚が親の敵としてやって来よう。その時は、討たれてやろうと思っていた。しかしながら、いつまで立っても来ない。なんと、自分の討った許婚の父親からの、「又八郎を頼みにいたせ」という最期の言葉を守って、又八郎の老いた母親を助けながら許婚は又八郎の帰りを待っていた。
こういう生き方にしびれてしまった。映画「ラストサムライ」で描かれた、自分の夫を討ったトムクルーズ扮する外国人の主人公の傷の看病をし、同じ家に住み世話をする女性と、父の仇を前にし、父の鎧と2人時間を持ちながら、黙して語らない息子。正々堂々の男の勝負の勝敗に不平を言わない凛とした生き方に通じるものがあります。
かつての日本人に普通にあった建前を私より重んじる生き方はすがすがしく、勝てば官軍でない同じような生き方が未だに残っているイスラムの世界に少し惹かれる私がいます。
シリーズ第1弾の最後で、又八郎の情報などで陰謀の証拠を握った対抗家老に実権が戻り、又八郎は故郷に帰り禄を戻される。そして首謀者の上意討ちを又八郎が果す。そして、かつての許婚と老母と3人の生活が始まる。
目出度し目出度しというところだが、首謀者の家から首謀者連判状・交流の手紙などの、陰謀に組した者の粛清をする資料が掻き消えていた。というところから第2弾は始まる。めっぽう腕の立つ首謀者の甥がそれを持って江戸に出たのである。さらに、公儀隠密がそれを追っている。もし公儀に渡れば、藩取り潰しになりかねず、首謀者一味と目される江戸家老にそれが渡れば、再び勢力が持ち直るかもしれない。表沙汰に藩から刺客を送れず・・・ということで再び又八郎に密命が下る。「甥からその証拠書類を取り戻せ。しかし裏で処理せねばならず、再び脱藩して江戸に行け」。そんな殺生なという心境だったであろうが、藩がなくなれば禄もなくなるのが必定。仕方なく江戸に向かう。
今回は、第1弾のように、赤穂浪士の討ち入りなどの大きな縦糸との絡みはないが、甥との死闘、首謀者一派との相対、公儀隠密との死闘、そして密かに組してくれる忍の者、そして毎度おなじみ、食わんがための用心棒稼業を織り込みながら、軽快に物語は進む。忍の者が第1弾の最後で死闘を演じ、倒したが介抱して命を助けたくの一という設定がいい。そこは男女の中、惹かれ合うものがありながら、建前であえてすれ違う。
最後、対立する勢力が一時に絡み合う。まず藩内対立以上に怖い公儀隠密を、両派協力して倒す。そして甥と先に対決したかつて又八郎があこがれた首謀者側剣客が、倒されてしまう。次に対決する又八郎は、甥の息づかいに、「少し待つか」「いや、かまわんさ。貴様とはどうせ一度は決着せねばならん」。
又八郎は無事勤めを果たしたが、表の世界で生きてきた首謀者側剣客の死骸を、首謀者側の巣窟である江戸藩邸に戻し、首謀者側江戸家老が、自分の身を危なくする書類を持っていると知っている又八郎から受け取り、うまく処理する。
勝負する時は正面から勝負するが、負けた時はたとえ自分の首が飛ぶかもしれない状況でも勝者を称えるかのように、負け惜しみの裏工作などしない正々堂々の生き方が全編に散りばめられている。相変わらず、すがすがしい読後を運んでくれる藤沢周平の筆のタッチである。

2006/2 「本多静六自伝 体験八十五年」 本多静六 実業之日本社 ★★★
本多静六さんの本を読むのは、これで3〜4冊目だと思いますが、10年以上空いて久しぶりです。1冊目を読んだのは、多分中学生の頃で、母親の持っていた色あせた本でした。株式の事が書いてあったような記憶があります。結婚前にやっていた株への興味で母親がその当時買ったのでしょう。
何気なく読んでいた新聞の下の欄の広告に、神田昌典さんの紹介文とともに本多静六という名前を見つけ、久しぶりに読んでみることにしました。
最初本の題名通り、85年の人生を振り返って、明治・大正・昭和の時代背景と、ご自身の歩みを淡々と書かれているものだと思っていましたが、ほとんどが大学に奉職するまでの30年間の記述でした。苦しい生活の中に、工夫を見つけ、家計からはとても出来そうもない勉学の道に、お金を工面しながら歩んだ努力が書かれていました。本多さんは、この本が絶筆だったようで、この序文が最後の仕事だったそうです。
人生の最期の時期に書かれたエッセンスが、仕事につくまでの勉学時代の事で、「人生日々努力」を最も濃く体験した時代だったのでしょう。この本を読み終えて、私の恵まれた環境を再認識し、どんな環境でも、コツコツ頭を使って工夫すれば、なんでも成し遂げることができる人間の能力の大きさを感じました。
暴れん坊のガキ大将が勉強に目覚め、農繁期は実家で仕事をしながら、農閑期は東京に出て勉強をする。士官学校出などの優等生に混じって大学にビリで入り、とうとう半年留年してしまうが、後半のがんばりで半年早く卒業を迎え、さらに席次1番になる。裕福な婿入り先のお金でドイツに私費留学するが、途中で家が傾き、仕送りが途絶える。しかし、それも乗り越え、というより4年と悠長な留学が出来なくなり、2年で4ヵ年の単位をすべて取り、博士号までとって日本に帰って来る。
学生時代から交流のある、後藤新平から渋沢栄一まで、各界の大立者との交流とともに、日比谷公園・大学演習林・国立公園・・・多くの仕事をこなした。しかしその一方で、給料1/4天引貯金・毎日1枚原稿を書くなどの決め事をコツコツ続ける。やがて俸給よりそちらの利子収入などの方が多くなり、大学教授では考えられない資産を築く。それを大学退官と共のあっさり全部寄付してしまう。なんという人生・・・痛快です。
本多さんが外国を見て帰って来ると必ず一席設けて、その話を聞きに来る人が3人いる。後藤新平は、自分が招待しておきながら、ふんぞり返って目をつぶって寝ているようにも見えるが、その後、さぞ自分が見聞してきたように、さらに大風呂敷を広げて新聞などに発表したりする。渋沢栄一は、秘書を1人連れてきて、細かくメモを取らせ、納得いかない部分は仔細に質問を浴びせてきてかなわないが、後日それが形になって実現していくのが痛快である。後藤新平はドイツ留学時代にひょっこり尋ねてきて、授業を取っていた当時世界一と言われていた経済学者の講義に自分も出られるように斡旋しろと半ば強引。しかしドイツ語がサッパリ分からないので、教えろというので、紹介した後家さんの家に転がり込んで、半ば後釜のように1日中ドイツ語と接して飛躍的に習得していく。しかし博士号を取るのに最も大変な経済学で取るのは諦め、元々医者なので、論文さえ出せば取れる医学系の博士号をとる。それも日本でやってきたものを友人に頼んでドイツ語に翻訳して取ったといういい加減さ。そう言えば、当の本多さん自身、本職の林学ではなく経済学で博士号を取りながら、奉職は農学部という適当さ。85年生きてきた方の書く文章だからかもしれませんが、激動の時代ではありますが楽しく読めました。
以下に、感じ入った部分を書きとめておきます。また、本多式「幸福について」と「成功の近道」は、私の好きな言葉のページに書き写しました。この本は、子供達に1冊ずつプレゼントしようと思います。今までにも数冊、これはという本をプレゼントしてきた。これは、親子の力関係から、子供に私の思いを面と向かって伝えてこなかったことへの繕いです。親は意識しなくても、子供にとっては親の思いは重いものです。友人に忠告されたのとは全く違う重さがあります。
子供達には、親のことなど関係なく、自由に世の中を羽ばたいて欲しいと思っています。親の考えが子ども達の自由を妨げたりしないように、昔の元服である15歳を記念して書いたたった1通の手紙と、他は本のプレゼントでのみ、私のいいなと思うことを伝えています。この本は、充分にそれに値する本です。

『この時代に受けた漢学の教理-特に大学・中庸・論語ないし文選中の諸名文、たとえば「勧学の解」の「書中女あり、顔玉の如く」などが私の苦学時代を支配し、座右銘中の「人の短を誹らず、己の長を誇らず、恩を施しては須く忘るべく、恩を受けては忘るるなかれ、名をして実に過ぎしめず、常に謙譲を守り、俗にありて染まず、暗昧の内に光明を含め、言語飲食を節すべし」のごときは、ついに私の生涯の指針となったのである』

『君が持って生まれた性癖は、容易に直らないが、しかし直さなければ君は意地に食われて死ぬばかりだから、死んだつもりで懸命にその性癖を直しなさい。君は常に人から利口だ、偉い男だと言われよう言われようと思っているが、それが一番悪い癖の源だから、これからはあべこべに、馬鹿になろう馬鹿になろうと心がけ、なんでも人の言うままに従順になって、「あれは薄馬鹿だ」と言われるくらいになれば、それが君の成功の始まりだ』

『この職業の道楽化は、それ自体の愉快、それ自身の面白さで充分酬いられるばかりでなく、多くの場合、その道楽化のカスとして、金も名誉も、生活も、知らず知らずのうちに恵まれてくるに至るのである。
職業を道楽化する方法は、他だ一つ、勉強に存する。努力また努力の他はない。あらゆる職業は、あらゆる芸術と等しく、それには入るには、はじめの間こそ多少苦しみを経なければならぬが、何人も自己の職業、自己の志向を天職と確信して、迷わず、疑わず、専心に努力するからには、早晩必ずその仕事に面白みを感じてくるものである。一度その面白みを生じてくることになれば、もはやその仕事は苦痛ではなく、負担でなく、義務でもない。歓喜の力行となって、立派な職業の道楽化となってくる。
私は米を撒きながら独学したのも、貧乏と戦いながら勉学したのも、初めの間こそいささか苦しいと感じたけれども、やがてはそれが大いに愉快になって、人一倍の努力が面白く払われるようになった。大学教授の36年間はもちろん、大学の勤務も面白く、学外活動も面白く、後輩指導も面白く、社会奉仕も面白く、何から何まで面白ずくめで過ごす事が出来た。これは私として何よりも有り難いことであったと思っている』
『人が財産を欲する目的の最初は、誰しも生活の安定とか、経済の独立とかに置くのであるが、それがいつしか「子孫の幸福」を願う念に連なってくるのは人情という物であろう。
すなわちできるだけ多くの財産をこしらえて、できるだけ多く子孫に伝えたいといった世俗的な考えに変化してくる。恥ずかしながら、私にも多少そうした愚かさがきざないでもなかった。私もわが子孫の幸福について考えるに、まず子孫を健康に育て、完全な教育を施し、かつ相当な財産を分与してさえすれば、それで充分幸福にさせられるものと早合点したものである。これははなはだ間違った考えで、最期の相当な財産の分与などは全く顧慮する必要がなく、それはかえって幸福にするどころか、子孫を不幸に陥らしめるものだと暫時気づくに至ったのである。
「幸福とはなんぞや」という問題になると少しやかましくなるが、それは決して親から譲ろうと思っても譲れるものではなく、また譲ってもらおうと思っても譲ってもらえるものではない。幸福は各自、自分自身の努力と修養によって得られ、感じられるもので、ただ教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるというものではない。健康も大切、教育も大切、しかし、世間でそのうちでも最も大切だと早合点している財産だけは全く不要なもので、それよりもさらに大切なのは、一生涯絶えざる、精神向上の気迫、努力奮闘の精神であって、これをその生活習慣の中に充分沁みこませることである。
「わが人生は闘争なり」
財産がいくらか出来てきて、その財産と子孫の幸福を結び合わせて静かに考えた時、私は遅まきながら、こうした結論に到達したのである。それに、勤倹節約という個人的な努力によったものにしても、また職業道楽化のカスであるといっても、その財産の蓄積には、社会的環境の賜物も多分に加わっているので、それへの御返しも同時に是非とも考慮しなければならぬ。
そこで、昭和2年大学定年退職を機会に、西郷南洲の口吻を真似るわけではないが、「児孫のために美田を買わず」と、新たに決意を表明して、必要による最小限度の財産だけを残し、ほかは全部これを、学校・育英・公益の関係諸団体へ寄付提供することにしてしまったのである。
私の考え抜いた財産処分法でもあり、またかねてから結論づけていた、「子孫を幸福にする方法」の端的な実行でもあったのである』

2006/2 「国家の品格」 藤原正彦 新潮新書 ★
めずらしく、同じ作家の本を連続で読みました。たまたま新聞の下に宣伝されていて、藤原さんらしい本だなあと思い購入していたものです。「遥かなるケンブリッジ」を読み終えて、日本の良さを強く感じたので、自然にこの本に手が行きました。
全編藤原節の本で、今までいろんな経験の中から日本の良さを段々大きく感じてこられた著者が、時々著すその思いを全編に渡って、思いっきり書かれています。日本を、情緒を大事にし、実質より形に重きを置く、そして美的センスにすぐれ、それを守ろうとしてきた国としています。大昔からあった恥の文化が武士道に大成し、権力はあったがお金はなかった武士階級が、「武士は食わねど高楊枝恥」と恥を最も重要な生活規範にした。お金に執着しない武士を他の階級の人が、尊敬していた。お金を持っていた英国の騎士道をさらに進めた考えかもしれない。
今の世の中は、グローバリゼーションとして、アメリカの考え方が世界を席巻していっているが、その本質は、個人の自由・資本主義で、突き詰めると弱肉強食です。行き着くところは、一部の勝者と多数の敗者の構図です。イスラム世界が反発するのは当然で、資本の論理では、人の心は荒廃していく。お金より上に品を置く考え方が広まることで、平和な共存ができるようになる。「恥」「卑怯」「弱いものいじめ」などのキーワードで表されるものだろう。
『父は、「弱いものがいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だ」と言うのです。
父は、「弱いものを救う時は力を用いても良い」とはっきり言いました。但し5つの禁じ手がある。1つ、大きい者が小さい者をぶん殴っちゃいかん。2つ、大勢で1人をやっつけちゃいかん。3つ、男を女を殴っちゃいかん。4つ、武器を手にしていかん。5つ、相手が泣いたり謝ったりしたら、すぐにやめなくてはいかん。「この5つは絶対守れ」と言われました。
しかも父の教えが非常に良かったと思うのは、「それには何の理由もない」と認めたことです。「卑怯だから」でおしまいです。』理屈ではなく、ルールです。
『「卑怯を憎む心」は大切で、「万引きをしないのは、それが法律違反だから」ではなく、そんなことをしたら、「親を泣かせる」「先祖の顔に泥を塗る」「お天道様が見ている」と考えた。』そういう日本人の心を大切にすることで、日本は世界に尊敬される国になる。
『著書『武士道』の中で、新渡戸稲造は、「武士道の将来」と題した最終章にこう記しました。
「武士道」は一の独立せる倫理の掟としては消えゆるかもしれない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気を持って人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」
「武士道精神」の力は地上より滅びません。まず日本人がこれを取り戻し、つまらない理屈ばかりに頼っている世界の人々に伝えていかなければいけないと思います。』
このような言葉で結んでいました。新渡戸稲造の「武士道」は以前に読んで感銘を受けたが、その内容もさることながら、それを翻訳して欧米で喝采を浴びたことの方により驚いた記憶がある。国費留学の者しか海外を知らない時代に、日本人の何たるかを、海外に向けて発表する気概はすばらしいチャレンジ精神であり、祖国への自信と情愛であろう。その時、お札の人から、あっぱれな日本人に私の中で変わった。

こういう考え方は、私の琴線にダイレクトに響きます。私は、損得や人生の近道はどっちの方がいいか的に育てられました。そのためには、子供の考えなど粉砕しても平気というのに理不尽を感じ、反発してきました。KG中でキリスト教的考え方に接し、私の心は癒されました。子供達には、私の経験した子供時代とは真逆の接し方をしてきたつもりです。
卑怯、弱いものいじめには、とても敏感で、目上や肩書きのある人からの、頭ごなしの押し付けにはいつも反発し、一言言わずにおれません。そしてそういう時は、負けるか、勝っても大きく傷つくので、いつも徒党を組みません。世渡りという点では、損な性格だと思いますが、そうしないと私の心がおかしくなります。まあ外から見れば子供じみた感じでしょうが、反面こういう生き方をする自分が好きでもあります。

2006/2 「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」 藤原正彦 新潮文庫
数冊の未読の本のストックから、読み終えた『男たちの大和』で感じた武士道に通じるものは・・・やはりイギリスの騎士道かなと思い、手にしました。先月2度も観てしまった映画『博士の愛した数式』の主人公の博士のモデルの一部に、藤原さんを感じていることも、これを選んだ原因です。
「若き数学者のアメリカ」は、独身時代のアメリカでの生活を書かれたものですが、このケンブリッジ時代は、結婚して子供も3人います。家族みんなで1年間過ごしたので、ケンブリッジという大学のことだけではなく、奥さんや子供さんがいることで、より感じたイギリスの奥深い所が、素直な語り口で書かれています。
一度も訪れたことのないイギリスやイギリス人の内面が、今まで持っていた勝手なイメージと相当違っていました。また世界の秀才が集う場所であるために、ユダヤ人・黒人・・・いろんな考えに触れることが出来たような気がします。そしてこの本を読んで最後に思ったことは、「日本の良さ」です。気候などもそうですが、一番は人の良さです。やさしく、安全で、差別がほとんどない世界・・・すばらしい国で暮らしている自分が幸せに思いました。
『ハイテク製品を売りまくっているだけでは、尊敬を受けることもなければ、真の大国になることもあり得ない。むしろ湾岸戦争時に露呈した、哲学と発想の貧困は、世界の冷笑を買っている。
古くからの誇るべき文化や美しく繊細な情緒を有し、伝統と現代をうまく調和させ、豊で犯罪の少ない社会を作った日本は、混迷の世界を救う、いくつかのカギを持っている。そのうえ、平和や軍縮を語るときは平和憲法が強みになるだろうし、人権を語るときには白人でないことが有利ともなろう。地球環境の保護については、得意技の高度技術が役立つだろう。軍事力ないリーダーとなる資格を十分に備えている』
この引用は、本の最後に書かれていたものです。アメリカンスタンダードが世界を席巻していく中、なおフランス・ドイツ・イギリスなどが大きな力を有するのは、独自のものを守り、迎合しすぎない所があるように思います。アメリカの民主主義を導入しようとしても、結局イスラムの教えに忠実なイスラム原理主義という、宗教と長老の社会秩序維持に戻ろうとする中東諸国を見ても、アメリカンスタンダードを世界を津々浦々まで行き渡らせるのには無理があるように思います。
資本主義が本質的に持っている弱者切り捨て、お金の力が相対的に強くなり、犯罪が増え道徳や品を失っていく、アメリカ自身の矛盾に光明を差せるのは、まだましな日本の役割なのかもしれない。藤原さんのイギリスでの体験を通して、そういうことを考えてしまった本です。

2006/2 「男たちの大和 下」 辺見じゅん ハルキ文庫
上巻に続き、最後の沖縄出撃から、沈没に至り、その後の生存者救助、九州帰還から終戦まで。それから戦後のそれぞれの方の生活と亡くなった方と艦への鎮魂に向かう行動、それから戦後を行きぬいた方の死までが描かれています。
この本は、「小説男たちの大和」とは違い、丁寧な取材を重ね1983年に刊行されたノンフィクションに、その後の史実を加筆したノンフィクションです。フィクションであると思っていた映画で最初と最後に登場する内田さんの娘さんのシーンは、船とヘリコプターの違いはあれど事実なんだと驚きました。映画でも感動を呼んだ、
『「内田兵曹、ただ今、帰りました」ヘリの窓より父に代わって敬礼し、「長生きさせていただき、ありがとうございました」と亡き戦友たちに礼を言うと、ハンカチに包んだ父の骨を海に流した』
この娘さんは、内田さんが育てた11人の戦災孤児の1人です。左眼を失い、毎年のように手術で砲弾の破片を体から出しながら、死線をさまよいながら育てた、本当の親も知らない子供達です。手術の回数が余りに多いために、レントゲンももう撮れず、麻酔さえも出来ない体でありながら、痛みに耐え手術に挑み、戦争が招いた不憫な子供達を育てる。奥さんもそれを一緒になって支える。芸能人の地方講演の元締めや、用心棒稼業で、元柔道部員の体を張った生き様は、高倉健の世界に共通するものがある。私とは、魂のレベルが格段に違う。

最後の出撃後、艦上でそのことを知った乗組員、特に徴兵されたものや学徒出陣で乗り込んだ者に少なからず動揺を与えました。兵学校出の士官と学徒出陣士官の間に激論が起き、無礼講の最後の夜、取っ組み合いのケンカにまで発展しますが、学徒出身の臼淵大尉の言葉、
『進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩と言うことを軽んじすぎた。私的な潔癖や道徳にこだわって、本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ目覚めるか、俺達はその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか』
この一言で、みんなの心は1つになったそうだ。確か、「白菊特別攻撃隊」という本の中で、知覧からの特攻機搭乗学徒兵にも
このような会話がなされたとあった。今よりずっと、日本という国を背負う覚悟が学生にあったのだなあと思う。

八杉さんという方は、大和沈没後漂っていると、救助の駆逐艦が近づいてきた。上官の川崎さんと一緒に駆逐艦に向かって泳いでいた。そこで駆逐艦のおろすロープを奪い合う人々の群れを見た。ロープを身体に巻きつけ、ようやく水面を離れた者の足を、ひき降ろすようにすがる。戦闘の時ではなく、この救助の時に、生まれて初めて地獄を見た。川崎さんは、くるりと向きを変え駆逐艦と反対の方に泳いで姿を消した。上官を呼ぶも一度顔を向きかけたようなしぐさだけだった。八杉さんは死ぬとはもう思わなかった。殺されると思った。
誰が、というより、戦争がそうさせるのだろう。海軍には、たとえ敵兵とて、艦を失い泳いでいる者を撃たない暗黙の了解があるようで、怒りに任せて海上の米兵に機銃を撃ったのに激怒するのが上巻に載っていたが、大和沈没後にグラマンが数機撃っている。これも戦争と言う極限環境が人の心を狂わせたことからだろう。

「私はたった1人の兄が戦死して今年で34年、夢も希望もなくした女です。私も34年前は、日本の乙女として、将来の楽しい夢を見ておりました。でも兄は、おまえは結婚しないで待っていて欲しい。僕が戦死した時はいい人を養子に迎えて、家を守って欲しい、母さんを頼むと言われ、全くそのとおりになってしまいました。母は1人息子に戦死され、妹の私と暮らしておりました。でも77歳でこの世を去りました」
これは、生き残った方が、遺族の墓参りに行きたいとお願いした時帰ってきた断りの手紙の一文です。国と言う大きな組織にとっては、たった1人の戦死ではあるが、遺族にとっては、それが全てであり、それでもなお大きな犠牲を払いながら、遺族が穴埋めをしていかなければならない現実を表す言葉であるように思う。
墓参りをした後、もう二度と戦友の墓参りはしないでおこうと思った方もいる。「招かれざる客だった。母親は横を向いて涙ぐんでしまい、兄と言う人も来てほしくなかったと言う態度は、最初から帰るまで続いた。既に再婚していた元妻にも泣かれてしまった。息子の死を認めたくなかった母親は、この訪問で息子の死を宣告され、口もきかなかった」
「一片の骨もありやせん。役場でもろうた木箱の中は、半紙1枚だけじゃ。半紙にな「お写真」と書かれとった。死んだ場所もわからんで、どうして息子が死んだと思えるじゃろか」
最初にこの本が書かれた20年前は、戦争讃美の本と見られたそうだ。でも、どう読んでも反戦の本であり、脚色なくノンフィクションで、淡々と事実を書かれているからこその迫力がある。これが映画に繋がったのだと思うが、その映画さえ、できるだけ事実に沿って作られている感じを受ける。
壮絶な本であった。

2006/2 「男たちの大和 上」 辺見じゅん ハルキ文庫
映画「男たちの大和」と内容が異なります。映画の方は、「小説男たちの大和」の方でフィクションです。
男たちの大和(上下)は、女たちの大和とならんで、乗組員などの証言を積み重ねたノンフィクションです。同時刻の出来事を、いろんな人の証言を重ね合わせ、いろんな角度からいろんな気持ちが重なる。いろんな方の証言を、時系列に沿って輪切りに横に並べているので、1人の乗組員を縦に見たときのつながりがすぐに繋がらない少々難点があるが、読み進めるうちにスタイルに慣れてきて、事実と当時の乗組員の潔さというか、様々な気持ちは持ちながら、それを心にしまって、建前をより大切に生きようとする姿に、引き込まれていく。
上巻は、大和建造前から、大和最期の出撃で、太平洋に出るまでが書かれている。3333名という男達が、最期の特攻に一糸乱れず向かう姿は、武士道であり、イギリスの騎士道が生きているように感じる。沖縄への片道の燃料を積むよう命令書にありながら、一説には呉港で往復燃料が積まれたという節が書かれていたり、今のご時世では考えられないような厳しい軍生活の中、人間的な目こぼしがあったり、人として救われる部分も随所に出てくる。
そして、親・兄弟・妻・子供への想いや、様々なものを工面して面会に駆けつける家族の姿には、淡々と書かれながらも、涙腺が刺激される。

2006/1 「磨け!人間力」 中村文昭 ざ・ぼんぢわーく
この本は、いつもお世話になっている方から送られてきました。本というより小冊子という方があっている100ページほどの文庫です。値段も420円。でもここに書かれている内容は、私に軽い衝撃を与えました。
中村さんは、三重県でレストランをしている方です。この方が高校を卒業して東京に出て田端さんという方と知り合います。田端さんの話に胸打たれ、即日田端さんと一緒に仕事をするようになり、数々の体験から強くなっていきます。田端さんから受けた衝撃を講演会でしゃべったものの講述録がこの小冊子です。
「人は何のために生きているのか?お金を稼いで、欲しいものを買ってそれで満足か?」・・・否。
「お金をどんな価値ある物に化けさすか、どんな意義ある物に形を変えさせるか、それを考えないと」
「入口ばっかり見ていると、頭の中をお金に支配されてしまう。損得勘定でしか物が見えない人間になってしまう」
「うさぎとカメの競争で、うさぎはカメなんかに負けるはずはないと横ばかり気にしていた。でもカメは、横にいる相手は誰でもよかった。ただ岡の上の旗だけを見つめ、自分のペースで歩きつづけ、日暮れまでにたどり着くことだけを考え、ずっと旗を睨んでいた」
後世に残せるのは、『生き方』。子や孫に、それを残したい。という田端さんの考えに共鳴し、周りの期待以上のことをすることを信条に生きて来られた。熱いものが流れていた1冊でした。そして、出版社の「ざ・ぼんぢわーく」は、熱い思いを世間に発信している方の話を広める事業をしているようです。

 
2006/1 「医者よ信念はいらない、まず命を救え!」 中村哲 羊土社
ペシャワール会の中村さんの著書。ペシャワール会は、パキスタン・アフガニスタンで、ハンセン氏病対策を中心に医療活動を長年続けている日本のNGO団体です。本職は医療活動なのですが、中央アジアを襲った旱魃には、井戸を掘りカレーズ(地下水路)を再生し、旱魃難民の帰還を助け、伝染病やドロ水摂取による腸疾患での乳幼児の死亡を食い止めようとしています。
また、この著書から、現地の方の欧米観・日本観、各国NGO活動の実態、イスラム教の教えであったり、脈々と続いてきたイスラム的な地域政治手法などが伝わってきます。現代日本人の常識でイスラムを見るとずれがあり、江戸時代の農村管理に似ていると感じました。どちらが優位かという問題ではなく、お互いの違いを認めて、自システムを押し付けることの不毛を感じてしまいます。
中村さんは、キリスト教信者ではありますが、イスラムの教えに対抗しようとせず、「郷にいれば郷に従え」的な、日本人の良さで活動していることが、大半が現地職員のこの組織の支柱として、長年この地で活動できている所以だと感じました。
現在、イスラムとアメリカとの武力対立が激化していますが、何故アメリカが受け入れられないか、よく分かります。

2006/1 「若き数学者のアメリカ」 藤原正彦 新潮文庫
藤原さんの初めての著書かもしれません。新田次郎の息子として育った環境からか、著書を著すことが身近だったのかもしれない。最近の軽妙な文章に比べると、朴訥なところはありますが、とても親しみやすい本に仕上がっています。
結婚前の20代に、アメリカの大学に研究員として呼ばれ、1年間実績を積み、コロラド大学の助教授として迎えられる。アメリカのしっかり実績を残していると、年齢関係なく重要ポストに就ける自由さを感じると共に、サボっていると容易に職を失う競争の激しさを感じます。
専門の数学の細かいことは著されておらず、主に人との関係、元々故郷を持たないアメリカ人的考え・行動、そして日本人である自分の心の動き、などアメリカを疑似体験する楽しさがありました。読みかけになっている「遥かなるケンブリッジ」をまた読み始めようと思います。どうやら、藤原さんの年表に沿って、この本を読んでから、ケンブリッジを読むほうがいいような気がします。
ちょうど昨日観た映画『博士の愛した数式』の博士の設定が、ケンブリッジ留学・大学の数学教授というもので、藤原さんを想像させるものでした。ちょうど今読んでいた本が藤原さんというのには、何か流れというものを感じます。

2006/1 「用心棒日月抄」 藤沢周平 新潮文庫 
藤沢周平が、初期の暗い文体から、晩年まで続くより明るい文体に変わった分岐点にある作品と紹介されている。藤沢周平は、随分昔に「蝉しぐれ」他数作品を読んだ記憶があるのですが、時代物ということもあり、「蝉しぐれ」以外はあまり心に残らなかった。
「蝉しぐれ」上映に促されて再度読むと、年齢の違いもあるのだろうか、とても気に入り、これで何冊目かの作品を読んでいます。「蝉しぐれ」ほど硬くなく、「よろずや平四郎」に繋がる軽妙な文体で、用心棒というどちらかというと暗い、そして殺伐とした主人公の稼業にもかかわらず、楽しく読めました。
「よろずや・・・」同様、様々な用心棒稼業という短編をつなぐように、時代背景が読み込まれていおる。今回は、浅野・吉良事件から討ち入りに至る双方の動きが、各作品に織り込まれ、用心棒稼業が実はそれと密接に絡んでいたりして、あまりに有名なその経過を知っているために、ハラハラドキドキさせる場面もある。
そしてもうひとつ、出身藩の内部抗争のキーポイントを知ってしまったがための脱藩から始まって、時折現れる刺客との対決、最後再び藩に戻っての働きまでの流れも縦糸にある。ワクワク楽しく読める作品でした。もちろん続編も読後注文いたしました。
相変わらず藤沢周平の世界にでてくる女性は美しい。表現される美貌という面もあるが、心が美しい。時には剣をも使う密偵も自らの口は自らの稼ぎでしのぎ、生き方が潔い。内儀として奥を預かる、あるいは預かるようになろうとしている女性が、あくまで男を立てる。
浪人として脱藩することになる原因は、許婚の父親を仕える上司の違いから、斬ってしまうことですが、目の前で斬られた父親から娘への最期の言葉が、「許婚を頼るように・・・」。そして、主人公は許婚の父親の上司から執拗に送られてくる刺客を討ち倒しながらも、「許婚が父の敵として来たら、討たれよう。それがせめてもの・・・」と考える主人公。
建前を重んじる生き方に美を感じることが、私が一連の藤沢周平作品に惹かれる所以のような気がする。

2006/1 「辺境で診る、辺境から見る」 中村哲 石風社
NGOペシャワール会代表、ペシャワール医療サービス院長の中村さんの著書です。
9.11事件がニューヨークで起こった。イスラム武闘は組織の犯行とされるニューヨークツインビルに旅客機が突っ込んだ事件です。その後、これに対抗すべく、アメリカはその組織の訓練地であるとされ、組織トップのオサマビンラディンさんを拘束すべく、アフガニスタンを空爆した。
アメリカ人の怒りもわかるが、もし日本赤軍がニューヨーク爆破をしたら、日本が米軍からミサイル攻撃されるだろうか?と考えると、何かおかしいと思った。その後日本は、自衛隊の海上給油艇を米軍の後方支援のために派遣し、大きな国内論議を経てイージス艦を派遣した。
カンボジア和平に対する日本の貢献を話し合う場に、現地で活動するNGO代表が駆けつけたが、国会議員のひどい言葉で門前払いをされてしまった。現地の生を肌で感じている人を入れずに・・・いろんな情報を集めた方がよりよい貢献ができるのに・・・と思った。アフガンの時は、カンボジアでNGOを追い返したことへの抗議もあり、中村さんのNGO組織が呼ばれたが、アメリカの公式見解とは随分違う発言をしたので、野次がかなり飛んだ。
イスラエル問題で、イスラムと敵対するアメリカの言うことを鵜呑みに信じ、何年もそこで活動している同じ日本人の発言を頭から否定する姿に、「初めから結論ありき」に向けての芝居を見ているようだった。私と同じように感じた方は多く、草の根の資金がペシャワール会に集まり、国会・政府には信じてもらえなかったけれど、より大きな事業ができるようになった。
ここのHPもたまに訪問しているのですが、本も読んでみようと思い、初めて中村さんの本を手にした。イスラム教の考え方、アフガニスタンやパキスタンの人が見ている日本人像、かつてこの地を植民地支配したイギリス、アフガン侵攻して結局敗れ去ったソ連への現地の人の思い。その後に登場し短期間にアフガン統一を成し遂げたタリバンの現地評。アメリカの公式見解との開きをまた感じた。
イランのイスラム原理主義に対抗するためにイラクに援助し、イラクの力が強くなりすぎると攻撃する。ソ連のアフガン侵攻に対抗するためにタリバンを援助し、タリバンがイスラムの伝統的な慣習に忠実になろうとすると、それを排除する姿が見える。かつて、浦賀などに来航した黒船が有無を言わさない軍事力で日本を自分の思うようにしようとしたのと何ら変わらない。
この本を読んで、イスラム教を基盤にした考え方がとてもよく分かった。かつての日本にもあり、ヨーロッパにもあった考え方で、今も変わらないということだけで、それが劣っているとはとても思えなかった。美しい考え方でもあるのがわかった。

2006/1 「きみに読む物語 もうひとつの愛の奇跡 The Wedding」 ニコラス・スパークス アーティストハウス ★
これでスパークスさんの本を全部読みました。The Notebookでデビューして一躍脚光を浴びた筆者の続編です。ノートブックのその後と言っていいと思います。前述の主人公ノアの娘婿ウィルソンが主人公になっています。仕事メインに家族行事を奥さんに任せていたつけが回ってきて、子供達が育ち2人だけになった家では、ごく普通の会話がなくなっています。結婚記念日をど忘れしてしまいました。
なんとかしなければと思い、ノアに相談するようになります。ノアからはアドバイスらしきものはありませんが、ノアの奥さんアリーが亡くなってからも、ずっとアリーを大切にしている姿を見て、行動に移します。翌年の結婚記念日の1週間前になって、長女がウェディングセレモニーなしに、結婚するために役所に書類を提出すると言い出します。その日は結婚記念日です。
これは、ウィルソン夫婦と同じ結婚の仕方です。ウィルソンの奥さんジェーンは、自分のその結婚をとても後悔しており、たった1週間だけど、できるだけの式を娘のために挙げてやりたいとウィルソンに言います。ウィルソンは、今まで取ったことのない休暇を1週間取り、全力をあげることにします。今は使われずにかなり荒れてしまったノアの家を式場として甦らせ、ケータリング・音楽の手配から何から精力的に行動します。その間にジェーンからの信頼を徐々に取り戻し・・・そして式の当日を迎えます。
多くの列席者が待つ1Fに先に下りて、娘のウェディング姿が2Fから現れるのを待っているジェーン。2Fのドアが開き、下りてくる娘はウェディングドレスではありません。驚いているジェーンに駆け寄る娘・・・ブーケを受け取り、列席者からの喝采を浴び・・・全てが飲み込めました。
私と同世代の夫婦の物語ですが、この本は奥さんに読ませてはいけないと思いました。お父さんが奥の手に残しておきたい物語です。ノートブックの時も思いましたが、A Notebook ではなく、The であるところに、何処にでもない特別なものを連想させます。まさにそういう物語です。

2006/1 「バレンタインの勝ち語録 自分の殻を破るメッセージ80」 ボビー・バレンタイン 主婦と生活社
昨年のプロ野球はロッテの年でした。パリーグ制覇にくわえて日本一になったからですが、たとえそうならなくいても私には、ロッテの年でした。前半パリーグの首位を走っていた時、後半2位に食らいついていたとき、そしてプレーオフ、最後の阪神との日本シリーズでも、監督のキーワードは、「楽しもう」でした。失敗した選手をけなさず、いつも前向きな言葉をかけ続けている監督の姿を見て、阪神ファンだったが、ロッテが勝った方がいいと思うようになりました。
この本は、バレンタインさんの考え方のベースになっている80の短いセンテンスのキーワードについて、監督自身が解説を加えているというスタイルの本です。一部紹介すると、
『敗者は過去の習慣に従順だが、勝者には常に先駆的なアイデアがある』
敗者は自信を失い臆病になります。臆病ゆえに過去の習慣から抜けられません。挑戦的な新しいアイデアは勇気を育てます。勝者のメンタリティーとは、失敗を恐れないことです。私はまず、チームに染み付いていた「敗者の習慣」を変えることに集中しました・・・
『完璧な人間はいないことを思い出させてくれるのは、仲間の「あごを落とすな!」という声』
野球には失敗が付き物ですが、失敗した時は誰もが励ましを必要としています。自信を失いかけている時、完璧な人間はいないのだと思い出させてくれるのがチームメイトの役割です。励ましの声を掛けられた選手も、チームメイトの思いやりを感じたら、ふてくされたりせず、次の試合で必ず成功してみせるという強い気持ちを持つことが大切です。強いチームには、こういった相乗効果が必ず生まれてきます。
日本シリーズに勝って、バレンタイン監督の本が多数出版されるだろうと喜びました。何か読んでみたいなあと思っているところに、TVでロッテの特集をしていました。その時のバレンタインさんの言葉にしびれました。
「負けている試合に、主力を休ませるために選手交代を多くして若手に経験を積ませようとする監督もいますが、私は反対に、勝っている試合こそ若手を出します。勝ちゲームでこそ、学ぶものが多く、勝ちゲームに貢献した喜びは大きく、チームみんなでそれを味わいたいからです。たとえそれで負けてしまっても、その後に繋がります」
落合監督が、若手にどんどんチャンスを与え、2軍選手を固定しないのも、常勝チームを作るとてもいいやり方だなあと思っていましたが、バレンタインさんはさらに上という感じを受け、翌日にこの本を注文しました。


「何があっても大丈夫」 櫻井よしこ ★
女性ニュースキャスター第一号の方ではないだろうか?好きでよく見ていました。はぎれよく、ご自身の意見も少し入れながらのニュース報道には、好感が持てました。今でこそ、ニュース番組アンカーウーマンが数人おられますが、最初はいろんなところで苦労なさったのだろうと思う。
この本は、櫻井さんの自叙伝です。ベトナムで生まれ、父親の海外での商売、敗戦によ全てを失っての引き上げ。父親は、仕事で東京に出て行き、やがてハワイでレストラン経営。ご自身のことも含めて、かなり波乱万丈の生活をしてこられたが、それが故に個としての強さを身につけられた。
キャスター当時、そして今に続く、櫻井さんの強さを育てた土壌がわかりました。回り道することこそ人生が面白く、得るものが多いということがわかります。苦しい生活をどう感じるかで人生が全く違うものになることを知りました。その時の支えは、お金でも地位でもなく、「何があっても大丈夫」という櫻井さんの母親のいつも発しつづけている言葉にあるのだなあと思いました。
本当に言葉というものは、強い力を持っています。

「人生は最高の宝物」 マーク・フィッシャー ★

「こころのチキンスープ」 ジャック・キャンフィールド ダイヤモンド社 ★★★
このシリーズで多数の本が出ています。このシリーズは、講演家の著者が、全米各地で出会った市井の人のこころ温まるノンフィクションを集めたものです。人は誰でも1つは、そのような体験を持っているものです。あなたにもそして私にも。だからいくらでも本のネタは尽きないと思いますが、1人の貴重な温かい出来事を披露することで、多くの方の心に火を灯し、そして次の体験が出てくるし、そのように人に接するようになります。
随分前に、小さな少年が始めた親切運動が大きなうねりになった映画がありましたが、あれに似ているとも言えます。はっきり言って泣きます。感じる場所は様々でしょうが、誰でも心打つ物語にこの本で出会うでしょう。決して電車で読まないで下さい。私は涙の処理で難儀してしまいました。静かな所で1人でじっくり、感動を噛みしめてください。

「それでもなお人を愛しなさい」 ケント・M・キース 早川書房 ★★★
逆説の十箇条で有名ですが、その内容については、私の好きな言葉のページに載せています。ドロシー・ロー・ノルトさんの言葉は、親が子育てをする指針になりますが、この十箇条は、人との関係の指針でしょうか。
著者は、夏休みのキャンプリーダーをします。その時作って話したことが、キャンプに参加した子達に感動を与えますが、キャンプの目的とは少し違ったようで、惜しまれながらキャンプを去ることになってしまいます。時は経ち、友人からいい言葉があるよ。君にはきっとうまく理解できるはずだと、紹介されたのが、なんとあの時の自分の言葉でした。劇的な過去との出会いを機に、本になったのがこの本です。
ドロシーさんの「子は親の鏡」と同じような運命をたどった、「人生の意味を見つけるための逆説の十箇条」。生き方、人との接し方の根源に迫る本です。

「天才たちの共通項」 小林正観 宝来社 ★★★
この本は、下のドロシーローノルトさんの言葉に出会ってから読んだ本です。この順番が逆になると、また違った印象になったと思いますが、こういう順番であったことは、私にとって幸運でした。
小林正観さんは、本職は旅行作家なのかもしれませんが、素敵な言葉、素敵な人当たりをなさる方です。生き方・人との接し方についての小規模の講演会をよくしておられ、この本の読後、200人ほどの講演会に参加したことがあります。どても感動する内容でした。
私は、長男に生まれ、親からの期待を一身に受けて育てられましたが、関東出身の親の言葉がきついからでしょうか、いつも反発ばかりしていました。「もっと早く一人前になるように」「もっと立派な独り立ちするひとになるように」と、きつい場面に放り込まれました。甘えん坊の私には荷が重く、できない私を叱る親が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
保育園で、蛇事件がありました。西宮の保育園に4歳から電車とバスを乗り継いで1人で通いました。保育園の方針で、最終バス停で親子が離れなければなりません。園に向かって歩き出したら、大きな蛇が階段にいて、怖くて泣いてしまいました。母親は、「行きなさい、怖くないから・・・」と下から見ているばかりで、どうしても蛇を避けていけません。そんな時、その様子を階段の上から見ていた女の子が下りてきて、私の手を引っ張ってくれました。それでやっと園に行くことが出来ました。
その事はもう忘れているのかもしれませんが、今でも彼女とは保育園の同窓会で交流があります。私の初恋ですが、素敵な女性になられ、お金持ちの家に嫁ぎ、3人のお子さんを立派に育てられ、ご自身も代表取締役として会社を経営しています。次男と同じ中高の1年下にお子さんが通われ、不思議な縁を感じます。
大学生の時に家内と出会い、「大丈夫よ、何とかなるからさ」という大きな言葉と、いつもニコニコしているところに惹かれ、1ヵ月後には彼女の家にお邪魔しました。彼女の母親は、うちの母親同様学のある方でしたが、一度も親に叱られたことがないと家内が言うほど、怒らなくて温和な方でした。こんな家庭に育った家内なら間違いないと思い、すぐに一生一緒に暮らしていくことにしました。
うちの子達は、家内に叱られたことはないでしょう。私も経験から、叱っても反発されるだけで何も得るものがないと知っていましたので、ほとんど叱ったことがありません。こんな育て方でいいのかと迷いましたが、叱られる辛さを思うと、どうしても子供を叱れませんでした。
「本当にこれでいいのか?」の答え捜しでこの手の本は、どれだけ読んだか分かりません。とうとう、世界中の方に支持されているドロシーさんの言葉に出会い、そして小林正観さんに出会いました。この本は、私の中では、ドロシーさんの言葉の実践編ともいえる位置付けです。叱るのではなくて、子供を信じる温かい言葉で育てられた内外の偉人について書いてあります。いろんな文献を調べたのでしょうが、エジソンから手塚治虫までの、幼年期・少年期の親、特に母親との関係を詳しく書かれています。

「子供が育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト PHP文庫 ★★★
あまりに有名なこの言葉「子は親の鏡」、というかこの詩は、2005年皇太子妃さんの病気回復の記者会見で、披露された。皇太子妃さんの、「公務出来ない病」は、外交官の父を持ち、自身も外務省勤務していた延長で、より大きな意義のある仕事が出来ると思っていたが、皇室の仕来たりにスポイルされた結果なってしまったと私は考えている。
皇太子さんが、記者会見で異例とも言える詩の朗読をなさった背景には、この詩にどれだけ皇太子妃が助けられ、勇気をもらったかを伝えたかったのでしょう。多くの制限のある中で、精一杯の反発に見え、皇太子妃を守ろうとしていると感じました。
このドロシーさんの言葉は、随分前に発表されたものですが、子育ての真実、子育ての指標が書かれており、私の子供と接する時のバイブルになっています。この言葉は、ドロシーさんの手から離れ、アメリカ初め、ヨーロッパ、そしてアジアにも広がり、本人の知らない間に一人歩きしました。一人歩きしている自分の言葉に出会って、著書としてきちんとしたものになりました。
皇太子さんや皇太子妃さんは、北欧の国の教科書に載っていたこの詩を、披露なさいました。たとえ1次限でもこの詩に出会う機会を小学生の時に持てる子達は幸せだなあと思いました。それだけ値打ちのあるものです。
その内容のエッセンス部分は、好きな言葉のページに載せています。

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