Books 2005
Books 兵庫県セーリング連盟ジュニア

2005/12 「白菊特攻隊」 永末千里 光人社
予科練から飛練を経て、海軍雷撃機操縦士になり、2度特別攻撃隊に編入された著者。運命のいたずらとしか言いようがない状況で命を拾い、戦後は海上自衛隊勤務をされ、定年退職後、講演や執筆、マスコミ出演それにHPも運用されておられます。
当時の自らの感情も交えながら、日記を編集するように事実を重ねていく本で、本当はどうだったのかを、教えてくれます。元々書き始めたのは、事実に基づかなかったり、フィクションを交えながら海外や国内で、特攻隊のことを語る方を知って、事実を残さなければ、という気持ちからだと書いてあります。
ご自身のこととともに、同じような環境で生き残った方の話、ご遺族からの話、遺稿なども交えてあり、淡々と語られる中に、時々胸の詰まるものがあります。戦後すぐであったり、自衛隊勤務中では、語ることがはばかられる自分の本当の感情が、素直に語られているのではないかなあと思いました。
先の大戦を実際に経験なさった方が、段々少なくなっていく中、貴重な資料ともいえます。こういうものが肉声の活字で残っていると、戦争を知らない私の世代や、その下の世代に、少しでも戦争の本当の姿が伝わると思います。貴重なものです。
これを読んで、理不尽と思いながらも、自らの置かれている環境で精一杯行動する日本人の美しさと、従順すぎる反面を感じました。武士道に通じる潔さはありますが、年の若い、半強制的に軍に入った子達にそれを求めるのはどうか?こういう民族なのだから、より指導者の考えや行動が重要に感じます。
感銘を受けた一文を、私自身が忘れないようにコピーしておきます。

『慰霊祭に参加されたある父親は、「もし許されるなら、息子に代わって老い先短い私の方が死ねばよかった。息子には長生きして欲しかった・・・」と涙ながらに感嘆された。またある母親は、ご子息の無事を願って、「茶断ち」「塩断ち」などをされたと話しておられた。
あの当時、我々が命に代えて護ろうとしていた肉親もまた、自分の命を縮めてもと、わが子の無事を祈っていたのである。子は親の安泰を願い、親はわが子をかばう。この肉親の愛情が重なり合って、あの必死必殺の「体当たり攻撃」が生まれたのだとすれば、真に非情である。「体当たり」の寸前、彼らの脳裏には、やさしく微笑む母親の面影が焼きついていたに違いない。』

著者が特攻機として与えられた白菊という飛行機は、航空兵志願者が最初に乗る練習機で、脚の格納も出来ず、動作も鈍い遅い飛行機です。作戦行動機がそれだけ少なくなっている状況。戦闘機などと対峙すれば簡単に追いつかれ落とされるので、夜間特攻しか出来ません。特攻を覚悟したのに・・・と自分が情けなくもあったが、それでも整備兵が操縦席をきれいに拭き、塗装を施し、精一杯のサポートをする。
武運を願って帰還のない出撃に飛び立つ友に手を降り送り出し、自分の名が登場名簿に載れば・・・。著者は18才で終戦を迎え、多くの同期生を特攻で失った。
そういう戦争・時代・心であった。

2005/12 「あらしのよるに」「あるはれたひに」 木村裕一 講談社
今年映画化されました。映画館で予告編を観ながら興味を持ち、「あらしのよるに」を購入しました。絵本ですのですぐに読めたのですが、どうしても続きが読みたくて「あるはれたひに」を続けて買ってしまいました。
狼さんとやぎさんの物語ですが、作者は事実を重ねながら、そして狼さんとやぎさんの心の中を文中に語りながら、いろんな大切なことを子供達に伝えようとしているのを感じます。それを語りすぎず、何度もお母さんやお父さんに読んでもらうことで、段々気づいていく、あるいは心の底に寝かしておく、そんな感じを受けました。今特に何も感じなくても、将来根雪が溶けるようにお友達との関わりの中に、行動として出てくるのを期待している本なのかなあと感じました。
甥姪へのプレゼントにします。

2005/12 「雨のちレインボー」 ナカムラミツル 宝島社
自分の経験を元に、小さな行き違いやちょっと感じたことを、短い温かい言葉で語ります。一番好きな部分をコピーしておきます。
● 人生がうまく行かない時・・・「登山の目的」
近道はすればするほど、思い出が減るのかもしれません。
寄り道や遠回りの僕ですが、だから思い出だけはたくさんあります。
誰にも負けないくらいたくさん。
上手に生きられない僕だけど、それでいいと今は思えるんです。
だってこんなにたくさんの思い出があるから。
--->小学生の頃に登山をした時、どんだけ長く歩いたかわからないくらい、辛い道のりを歩きました。頂上に着いたら「ヤッホー」って言いたいとか、景色を見ながらご飯を食べたいとか、いろいろ考えながら歩きました。
子供の頃は登山というと、頂上に着いて何かやることだと思っていたけど、実際のメインは登っている時。きっとヘリコプターで頂上に行ったとしても、心に残るものなんてほとんどないんですよ。
あの時大人たちが教えたかったことは、頂上までたどり着くことだけじゃなく、その過程にこそ大事なことがあるってことだったんだって、大人になってから気づきました。
人は、結果や答えをすぐに出そうとしがちだけど、その答えを導いている時の方が成長するし、何か残るものです。きっと旅行が好きな人は、「どこでもドア」があってもそれを使って旅行はしないと思うんです。それは、その道程で起こるいろんなことの意義を知ってるからです。
だから遠回りには意義があると思うんです。その過程で苦しんだとしても、後で振り返ると楽しいことだったんだな、って思う時期が来るとか、そこでどれだけ得るものがあるかを知ったら、人生が楽しくなると思うんです。結果だけを重視するのではなく、そこまでコツコツやったりすることこそが大事なのだと、今は思います。
「うまくいかない」って努力したり、あがいている時こそ、人は成長しているのですから・・・

2005/12 「よるくま クリスマスのまえのよる」 酒井駒子 白泉社
姪へのクリスマスプレゼントにしました。
僕、クリスマスにサンタさんからプレゼントもらえるかなあ?いい子じゃなかったものなあ・・・「こんばんは」とよるくま君が訪ねてきました。よるくま君、かわいいな。クリスマスプレゼントに何かあげようか?とツリーに飾ってある飛行機や・・・をあげるね。
・・・そのよるくま君の正体は実は・・・

2005/12 「よろずや平四郎活人剣 下」 藤沢周平 文春文庫
相変わらず藤沢周平の文は、とてもリズムがいい。上巻より、「よろず相談うけたまわり」の商売に慣れてきて、見入りも増えてきている感じがする。この時代特異な相談もあるが、大抵は現在と同じような悩みが多く、時代や国が変わっても、人はそれほど変わらないものだなあと思う。
武家から市井に降りた平四郎を通して伝わってくる藤沢周平の目は、しっかり者の奥さんに、しっかりしているようでどこか抜けている亭主という感がある。前回にも書きましたが、女性の描き方が美人の場合が多く、周平さんも男、いくつになっても女性への憧れはなくならない姿が見える。
この本の後書きにも書いてありましたが、いろんな相談があり解決していく中、全編を通して流れているものがある。水野老中の緊縮経済運営から来る市井の人々の疲弊と不満。その経済運営を続けようとする派と元に戻そうとする派の対立。平四郎個別の問題として、剣術道場を立ち上げようとすることと、家の取り潰しによって他家に嫁いでしまった許婚との関係。
それらが最終章で、ハッピーエンドを迎え、気持ちよく読み終えることができました。

2005/12 「子供の話にどんな返事をしてますか?」 ハイム・G・ギノット 草思社
世界30ヶ国で翻訳されている育児書。最も大きな影響がある幼少年期の子供との接し方が書いてあります。著者は、イスラエル出身で本国での教師生活を経て、アメリカで博士号を取った臨床心理学者で子供セラピスト。
メインテーマは、「悪感情も含めて子供の感情には寛容に、そして行動の是非を話す」と感じました。まず感情を肯定的に受け入れることで子供の心を和ませ、あるいは落ち着かせる。そうするだけで、自分の取ってしまった行動を自分で反省したり、謝ったりすることも多い。そうでない場合は、プライドを潰さない言葉を使いながら教える。
頭から否定したり、受け入れなかったりすると、親に対して拒絶の姿勢に入り、どんなに諭しても頭に入らない。
とてもよくわかる部分です。実生活でも多数経験してきましたので、このような視線を基本に、親がぶれないことが大事ですね。

2005/12 「父の威厳 数学者の意地」 藤原正彦 新潮文庫
新田二郎さんのお子さんで、数学者でお茶の水女子大教授。この本は、何処で出会ったのだろう?確か日経の書評欄だったと記憶していますが、家内が受験で失敗してしまったお茶大という響きにも何かを感じて購入したと思います。
大学教授というクールで硬い肩書きから来るものに反して、エッセイストでもある氏の軽妙な文体には、肩を張らずに気軽に読めるものがありました。軽く読めるのですが、内容にはかなり深いものがあります。イギリス・アメリカでの数年間の生活での実体験から感じたことが、素直な心の動きと共にかかれており、その生活習慣や考え方の違いに、知らない世界を見る楽しさもありました。
さらに氏は、海外生活で、その国や人を学ぶと共に、日本人としての自分や日本を深く考え、武士道に代表される日本古来の建前や恥の文化に行き着き、実は英国の騎士や紳士の伝統と相通じるところも感じておられます。氏の既著に、アメリカ研究生活での体験や、イギリスケンブリッジ大学での家族と共に過ごした頃の体験を著したものがあり、それらも読んでみたいと思うようになりました。
猪突猛進型の著者の行動と、家族特に負けてはいない奥さんとのせめぎ合いをユーモアたっぷりに描かれることで、内容の濃さや深刻さを軽く心に届けてくれる感じです。
私の未読書在庫が益々増えそうです。

2005/12 「奇蹟を信じて A Walk to Remember」 ニコラス・スパークス アカデミー出版 ★★★
スパークスさんの3作目。前2作があまりに良かったので、きっとこれも・・・と思って購入した。数冊の未読在庫の中で、早く読んでみたいなあと思っていた作品をやっと読み始めた。するとどうだろう、物語にどんどん引きもまれて、たった2日で読み終えてしまった。
この本は、私の生涯のベストブックになるかもしれない。家内へのクリスマスプレゼントもこれにしようと思う。ここまでお読みになられたら、この後はもう読まずにおかれた方がいいと思います。最後のあまりの感動を、自分の心に刻んでおく為にストーリーを書いてしまっています。

主人公の40年前の回想から始まる。
主人公の高校生ランドンは、南部ノースカロライナの片田舎に住んでいる。おじいさんがちょっと悪どいやり方で財産を築き、父親は下院議員、地方の名士のせがれ。家は大きいが父親はワシントンが長く、母子家庭のような生活をしている。典型的な高校生の生活をしている。クラスには、大抵1人はいるであろう典型的な真面目同級生ジャミーがいる。
彼女は、牧師さんの一人娘。四十過ぎに結婚した牧師さんの奥さんは、流産を繰り返し、やっと彼女が生まれたが、奥さんは助からなかった。牧師さんは、かわいい赤ちゃんと奥さんの亡骸を病院から連れて帰り、肌身はなさず奥さんが持っていた聖書だけが、奥さんの形見として残った。
父親の愛に育まれて育ったジャミーは、いつも同じようなセーターを着て、いつも髪の毛を後にくくっていた地味な女の子。生き甲斐は奉仕活動?と思えるほど、人のために行動していたし、決して悪い言葉を出さず、彼女の言葉には神という言葉がちりばめられ、寛容の気持ちそのままに生きていた。当然、町の大人たちは彼女をとても高く買っていた。ところが、クラスではそのような年齢の者がちょっと憧れるちょい悪やおしゃれとは程遠いジャミーは、どちらかというと煙たがられ、浮いた存在になっていた。ランドンも、彼女を煙たがり、ちょっとした悪さをする連中の一員。
新学期に入り、父親に薦められてしぶしぶ生徒会長に立候補したが、意に反して当選してしまう。単位を取るのが楽だという理由で演劇クラスを選択する。演劇クラスの男子生徒は2人だけで、そのクラスにはジャミーがいた。学園祭のダンスパーティーがある。生徒会長としては必ず出席しなければならないが、ほとんどはカップルで来る。あいにく彼女に振られてしまったランドンは、クラスの女の子に電話を掛け捲るが不運にもみんな相手が決まっていた。
ふとひらめいたのがジャミーのことだが、仲間に何を言われるか分からない。でももう一人の演劇部男子もきっと相手はいないだろうタイプなので、彼に出し抜かれては目も当てられない。仕方なく・・・本当に仕方なく、ジャミーを誘い一緒に出席することにする。ダンスパーティーでは、ジャミーといるにも関わらず、元彼女が気になって仕方がない。間の悪いことに、元彼女の現彼氏と目が合ってしまい、アルコールが入っていた元彼女からもけしかけられて、今にもケンカになりそうな雲行き。
ランドンはそういうのは弱い方で、相手には全くかないそうもない。スーっと間に入ったのはジャミーで、いつもの笑顔で、やさしい言葉だけでその場を収めてしまう。元彼女は飲みすぎたらしく、吐いてしまう。そんな彼女を置いて現彼氏は帰ってしまったので、ランドンとジャミーがトイレで介抱し、家まで送り届ける。初めてのダンスパーティーを台無しにし、洋服まで汚してしまったジャミーを家まで送っていくが、ジャミーからの言葉は、「誘ってくれてありがとう」という感謝の言葉だけ。それに、その日はちょっとおしゃれになっており、まんざらでもない。「助けてもらってありがとう。この埋め合わせはするから」の言葉を彼女に残す。
その埋め合わせの提案は、ジャミーからの孤児院への招待。彼女と一緒に行った孤児院は、12才までここで暮らし、それ以上になると、何処かの家にもらわれていく子が共同で暮らす施設。ジャミーの周りに子供たちが群がり、自分の生活と大きく違う子達と奉仕するジャミーの姿を見る。
高校では、毎年クリスマスに演劇を披露していた。演目は「クリスマスキャロル」の定番だったが、数年前から別の物になっていた。その作者はジャミーの父親で、父娘の生活に天使がからむ心温まる芝居。町の多くの人が観に来るので町のホールを借りなければならない程好評なのだが、今年はさらに盛り上がるだろうと予想されている。なぜなら天使役に作者が作品もモデルにしたであろう娘のジャミーがなることになっていたから。
その練習が始まる時になって問題が持ち上がる。主役の男の子がどうしても降りたいらしい。彼にはドモリの癖があって、かわいそうな面があるが、同年代の男の子は誰もそんな役はしたがらない。ジャミーに主役になってくれるように頼まれたランドンは、一旦断るが、ジャミー父娘の今年の芝居に期待するものを思うと断りきれず、引き受けることにする。
練習初日には、ジャミーは自分の全ての台詞に留まらず、他の出演者のもみんな覚えてきた。ランドンは、仲間にからかわれるのがはずかしく、適当にという調子。同じ方向に家がある2人は一緒に帰る。その帰り、「今日はとてもよかったわ、ランドン」と意外な言葉をジャミーから聞いたランドンは、普通の友達以上の何かを感じた。
ジャミーの温かな言葉に誘われるように練習したランドンは、本番を迎える。主役のランドンを中心に物語りは進む。天使が登場する場面で、背中に天使の登場を感じたランドンが振り返ると、いつもの後に髪を結んだジャミーではなく、ヘアースタイルも衣装もすっかり変わってしまったジャミーがいた。しばらく言葉が出ず、本物の天使を見たような気分だった。しばらくの沈黙の後、ようやく自分の台詞であることを思い出し、その言葉を口にした、「あなたは美しい」。
ジャミーに、彼女の父親に交際を認めてもらい、家の夕食にもジャミーを招待して楽しい日々が始まった。ただ、彼女とその父親からは、ちょっと戸惑いの色が見えたのが気がかりであったが・・・。2人で孤児院のクリスマスに行くことになった。子供たちとの楽しい夕べが終わり、部屋は暗くなった。ランドンは用意していたプレゼントのセーターの包みをジャミーに渡した。ジャミーからも思いがけずプレゼントがあった。でもそれはあまり嬉しくないものだった。包みに入ってはいたが、受け取った時に中身がなんであるか分かった。彼女が肌身離さず持ち歩いている古びた聖書。学校のみんなは、新しいのにすればいいのにと思っているが、ランドンには、それが母親の形見の聖書であることはわかっていた。そんなに大事なものをプレゼントで手渡されてしまった。当惑した。
楽しい日々。お互いの事をしゃべり、夢を語った。ジャミー2人の楽しい日々は、それほど長く続かなかった。ジャミーから、「私病気なの、白血病。あと数ヶ月しか生きられないわ」。その言葉を聞いて、いろんなことがわかった。彼女やお父さんの戸惑った表情。ジャミーは成績はトップクラスなのに大学に行かないだろうと言ったこと。将来の夢が、結婚することという誰でも出来そうなことだったこと。何よりあの聖書をプレゼントされたこと。病気を知ってからもジャミーの明るい、人を気遣う言葉や態度はこれっぽっちも変わらない。
自分の母親に2人でそれを打ち明け3人で泣き、次の日曜日の礼拝では、お父さんの牧師さんが、本当は隠しておきたかったのだろうが、礼拝で公表した。礼拝に集まった人々は言葉を失った。ランドンの母親は、急遽父親をワシントンから呼び返し、できるだけの事をしようとした。自分が入院することで、父親から娘と接する時間を奪うより、父親との時間を少しでも多くしようとするジャミーには、ベットと看護士が自宅に用意された。でも日に日に衰えていくジャミー。
ランドンは、『奇蹟を信じて』、学校から帰るとジャミーの家に行き、2人で聖書を読むようになる。バレンタインデーには、ジャミーから聖書の一節、コリント人への手紙を贈られる。
『愛とはやさしくて忍耐強いもの。決して嫉妬などしないもの。思い上がらず、自慢もしない。利己的にならず、礼も失わない。恨みを抱かず、いらだったりもしない。愛は他人の罪を面白がったりしない。愛は真実を喜ぶ。愛は謝ることを躊躇せず、常に信頼し、希望を持ち続け、何事がおきてもそれに耐える』
ランドンは、母親に、「人には、その人の役割があると思う。そして僕にはまだ何かできるはずだと思う」と、心を打ち明ける。それに母親は、安易な提案をするのではなく、「うんと悲しみなさい。そうすれば、見えてくるものがあるわ」と答える。
ジャミーの横で聖書を読んでいる間、ジャミーは眠ってしまう。体力が続かず最近はよくそうなるようになっていた。その日はどうしてもその先が読みたくて、ある一節に突き当たる。
『汝をもてあそんでいるのではない。だが、私は汝の愛の偽りなきを、他の者たちの熱意と比べて試したい』
ランドンは、ハッとして、ジャミーのお父さんがいる教会に走る。心に浮かんだ提案をしてOKをもらい、すぐに家に引き返し、看護士に部屋から遠慮してもらいジャミーに、「僕を幸せにしてくれるかい」。胸の高鳴りとともに、次の言葉を口にする。「結婚してくれるかい」
当日は、急遽に決まった日取りだったのに、大勢の人が教会に詰め掛けてくれた。教会内に入れない人の方がよっぽど多かった。ランドンの家族は、多くの人の前に立っていた。横の父親から小声で、「私はおまえが誇らしい」「僕こそ」。長年の母子生活同様のものからの父子の関係が一瞬に氷解したようだった。
ジャミーは、衣装が間に合わなかったので、あの天使の衣装で現れ、お父さんの手につかまり、途中立ち止まる時もありながら、みんなの気持ちに押されたのだろうか、ランドンと父親が待つところまでたどり着いた。そして後からついてきた車椅子にここで座った。ランドン、そして父親までもが彼女に合わせるように、ひざまずいた。
ジャミーの父親は、前に進み向き直り、花嫁の父親から司式に変わった。司式までもがひざまずいた。それに答えるようににっこり笑ったジャミーが、司式の手を握り、さらにランドンの手も握り、3人は輪のようになった。
司式はまず、聖書の一節を2人に贈った。バレンタインデーにジャミーからプレゼントされた一節。そして言うべき言葉を捜すように、2人に目を戻して・・・一瞬の静寂の後、大きな声で・・・
「娘を喜んでこの青年に手渡すのが私の義務です。だが私には、できるかどうか自信がありません」
式場は静寂・・・
「ジャミーを渡すぐらいなら、自分の心臓をえぐり取られた方がましなぐらいです。しかし、娘は今日まで私に至上の喜びを与え続けてくれました。この喜びをランドン・カーター君にも分け与えたいと思います。君たち2人に神の祝福がありますように」
そして指輪の交換。

あれから40年。町は変わり、人並みの人生を送ってきた。でも自分の人生を変えた17歳当時のことは何一つ忘れていない。自分の番が来た時、最後に思い浮かべるのはあの日の記憶に違いない。今でも彼女を愛している。結婚指輪をはずした事はないし、はずそうと思ったこともない。時は顔にシワを刻んだがそれは仕方ない。でもそれを見上げた私の顔はほころんでいる。まだ1つだけ胸の中にしまってあることがある。40年の体験から得た確信。それを今ここで言う。
『奇蹟って、本当に起るもんなんだ。そしてそれは自分で起こすものなんだ』

ちょうど前日、最近手に入れた映画「ジョーイ」のビデオを観たところだった。この映画は、20代に観た映画だが、ハイズマントロフィーを取ったジョンキャパレッティーの授賞式のスピーチが、あまりに感動的だったので映画化されたノンフィクション映画です。全米一のランニングバックと白血病と闘う末の弟、その家族を描いたものだが、父親が私の理想とする父親像だった。子供たちを同じように愛し、病気でうまく出来ない弟の少年野球のコーチをして、ミスを腐らせず、温かい言葉で励ましつづける。縁あって、私もそのようなことができたが、やっと手に入れたビデオだった。
その次の日に、この本と出会うなんて、単なる偶然とは思えない。ちょうど家内へのクリスマスプレゼントをどうするか考えていたところだったので、迷わずこの本を、この私が読んだ本を、あの言葉にマーカーを引いた本を包んで、あのシチュエーションで渡すことにする。

2005/12 「アルジャーノンに花束を」 ダニエル・キース 早川文庫
長男君の読んでいた本。長男はとても本を読む。彼も私同様乱読で、漫画から小説、私の倍は読むような気がする。以前は歴史小説を好んでいたようだが、きっと今もそうだろう。中学で三国志を読破し、司馬遼太郎の著書もほとんど読んだということで、彼はすごいと思っている。その辺が、長男君の文章力や言葉使いに現れているのだろう。
この本は、IQが低く、パン屋さんの下働きしか出来なかった素直なチャーリーが、生体実験によってIQが高まり、常人では及びもつかないレベルにまで達し、数ヶ国語を操り、かつての自分のような先天的な人を救おうという研究に没頭するが、やがて自分の前に同じ手術を受けてIQが高まったねずみアルジャーノンのその後の経過を観察しながら、自分の将来が見えてくる。
アルジャーノンは、天才ねずみから、学習した物をどんどん忘れて、やがて死んでしまう。
IQが低かった時には見えなかった人々のそういう人への接し方を知るようになり、周りの人の優しさと蔑み、自分の性格の変化を、つまり何を言われているかよく分からなかったが故に素直で優しかった性格と、IQが高くなったが相手を不快にする自分、両方の立場から体験する。それをチャーリー自筆の報告書という形で語られていく。
アルジャーノン同様、段々字が読めなくなっていき、また同じパン屋さんでまた同じ仕事をするようになり・・・しかし一旦知ってしまった自分への蔑みの視線に絶えられず、そのような人たちが集まって暮らす施設に自ら向かう。最後の言葉が、「・・・裏庭のアルジャーノンのお墓に花束を・・・」
幸いに、と言っていいのかどうかわからないが、普通のIQを持って生まれた私は、知らず知らずに相手を不快にする接し方をしていないか?自問してしまった。この気持ちは、今後も持ち続けなければ、と思う。

2005/12 「ぼくのおばあちゃん」 なかむらみつる ぴあ ★
「やさしいあくま」「かげろうかーくん」など、絵本作家であり、イラストレーターであり・・・何でも屋さんのなかむらみつるさん。「やさいいあくま」のことは、以前から知っていたが、幼児向け絵本というジャンルゆえ、何となく手が出なかった。もし今小さな子を持っていたら、きっと購入していただろうが・・・「子供に絵本を読んでいながら、自分が引きずり困れちゃって・・・気がついたら、子供と一緒にいっぱい涙を受けベていたわ」なんて感想になっていたのだろう。
経済的繁栄を求めて、がんばれ〜とがんばってきた日本。でも何か置き忘れてきたものがあるように思う。自然の破壊であり、心の破壊もあっただろう。人は効率ばかりでは生きていけない。やがて、スローライフという言葉が受け入れられ、生き甲斐、生き様・・・より個人としての生き方の多様さを寛容する社会になりつつあるように思う。
それは、勉強一辺倒の社会から一歩引いた「やさしさ」や「思いやり」をより取り入れた小学校の教育から生み出された子供が、やがて若者になり社会に出始めている今だからこそ、受け入れられる感覚。
そういうのが、なかむらみつるさんの世界を求めているのだろう。競争・勉強・受験・効率・・・も大事で、やさしさ・寛容・思いやり・・・も大切。何かそれらがうまくミックスしたよりすばらしい世の中が、次に待っているような気がする。ある方から紹介されてすぐに注文した本ですが、期待にたがわずいい本でした。このような本をたくさん子守唄代わりに読んでもらった子は、人として生きていく大切な芯ができるような気がする。道徳という授業がなくなっていく日本は、無宗教者が多いこともあり、「いい言葉」「素敵な行い」を見聞きする機会が少なくなってきていると思う。そういう社会の帰趨するところは、殺伐としたものです。それを埋めるように、なかむらみつるさんやみつをさん、斉藤一人さん・・・その他多くに人が語るいい言葉に注目が集まっている。とてもいいことだと思います。
ぜひ小さな子供さんに読んであげてください。

2005/11 「よろずや平四郎活人剣 上」 藤沢周平 文春文庫
旗本の末弟の平四郎は、知行千石の家とは言え、あまり面白くない生活をしていた。そこに剣の腕を頼みに道場を共同出資・経営する話が出て、渡りに船とばかりに家を出たが、これがとんだ食わせ話ですってんてんになってしまった。再び頭を下げて家に帰ることはできるが、一時町屋の生活の自由を知ってしまったら、あの堅苦しい生活に戻りたくなくなった。しかしながら、食い扶持を何とかしないと干上がってしまうので、考え出したのが、「よろず相談うけたまわる」という生業。ケンカ50文・口論20文・揉め事仲裁100文・・・最初は、道場共同出資の話を持ってきて、資金を持ってドロンを決め込んだ金にはルーズだが、どこか憎めない仲間達からの斡旋仕事だったが、段々と信用を得て年越しを迎えられるようになる。
肩のこらない軽妙なタッチで描かれる様子が、今の世よりずっと単純だった江戸の世を想像させる。しかし、女性の依頼者や相手方の様子が、いつもよさげに描かれているのは、私のような読者の興味を惹くためか?はたまた、作者本人の意欲を増すためか?どうも余計な所に関心が行ってしまう。
2005/11 「たそがれ清兵衛」 藤沢周平 新潮文庫
今夏の映画「蝉しぐれ」に感動し、再び藤沢周平を読むようになりました。「たそがれ清兵衛」を含む短編8編ですが、風采が上がらなかったり、変なくせを持つ、出世しようとはあまり思っていない主人公ばかりである。ところが自らの意思に反し、剣の腕を見込まれて、お家騒動の重要な役目をするようなことになる。
肩もこらず楽しく読める本ですが、江戸時代の膠着した身分制度、武士の中でも禄高や家柄での違いがよく書かれており、当時の時代の雰囲気が読むうちに自然に入ってきます。

2005/11 「きみに読む物語 The Notebook」 ニコラス・スパークス アーティストハウス ★
ニコラス・スパークスのデビュー作。様々な職業を経た作者が、妻の祖父母の実話に基づいた作品で、この作品も「メッセージ・イン・ア・ボトル」に続いて映画化されたそうだ。
主人公の青年の住む田舎町に、都会から美しい少女が越して来た。たった数ヶ月の間だったが、都会の上流階級の彼女には、彼がまぶしく写り、自然に育まれた美しい経験を与えてくれた彼が忘れられなくなった。彼にもたった一度の想いを心に残していった。
やがて彼女は都会の元の生活に戻り、彼も元に戻った。彼は幾通も手紙を出したが、ついに返事が届くことはなかった。なぜなら、彼女の母親がその手紙を止めていたからだ。階級差が大きく、娘が辛い思いをするのを見ていられなかったのだろう。
青年は、様々な職業を経て、ある仕事で経営者に認められ会社を大きくするのに貢献した。在任中戦争が始まり、志願して兵に出て、帰ってみるとその経営者が彼への遺言を残して亡くなっていた。その遺言には、死後清算した会社の財産の一部を彼に残すことが書かれており、彼に取っては法外の金額を弁護士から受け取ることになる。彼は迷わず、十数年前の彼女との思い出の川や木がある土地を手に入れ、いつかあそこに住みたいと彼女に話した夢を実現するために、そこにある朽ち果てた家も購入した。残ったお金で数年掛けて家を修理し、そこに住み始めた。
その頃、彼女は名家の息子さんとの縁談がまとまり、婚約をした。ある朝、彼女の母親が新聞を開くと、立派な家の写真が載っていた。「あなたが数ヶ月住んだことのある土地の家だわ」・・・彼女はその家の写真を見て・・・。数日後、彼女はお別れを言うためであろうか?懐かしさのためか・・・マリッジブルーのいたずらかもしれない・・・その土地に向った。
彼は、ここ数年の同じような生活、つまり船で川に出て、家の修繕が終わり、夕食までのひと時、ベランダのロッキングチェアーで物想いに揺られていた。そこに見知らぬ車がやってきて、降り立ったのはあれから彼の頭の片隅に住み着いた物想いの彼女だった。たわいもない近況を報告し合い、お互いに知らなかった、彼から投函された手紙と彼女が書いたけれど投函する勇気が出なかった手紙の存在を知った。そしてお互いに未だにお互いに惹かれあっていることに気づいた。そして彼女が諦めた絵の才能を彼が再び目覚めさせてくれた。暖炉の上の一番いい場所に、かつて彼女が書いて、お別れの日に彼にプレゼントした絵が飾ってあった。
彼女の婚約者は、いつものように彼女と話したくて、彼女の泊まっているホテルに電話を掛けた。でも不在、再び電話をしたがまた不在・・・。ホテルに帰ってきた彼女は支配人から電話があったことを聞いたが、電話をすることに乗り気ではなかった。弁護士としての仕事に忙しいので邪魔をしてはいけないという都合のいい言い訳を思いついて電話をしなかった。翌日彼から少女の時と同じように、特別な場所に案内するという誘いに応じ、午前中に書いた彼の絵を持って家に急いだ。
2人は川に船を出し、かつて良く見た陸の上の木を眺め、白鳥達が集う秘密の場所に着いた。でも低い雲からは雨が降り出し、帰りのボートは大雨の中を進むことになってしまった。やっとの思いで家の前の川辺にたどり着いたが、ずぶぬれの彼女は輝くほど眩しく喜んでいた・・・その日彼女はホテルに帰らなかった。
その日も電話を掛けてきた婚約者は、彼女が心配になり、翌日の裁判の延期手続きをとり、彼女の母親に連絡してきた。
明るい日差しと素敵な気持ちで目覚めた2人は、朝早くドアを叩く音を聞いた。開けると予期せぬ来訪者・・・彼女の母親だった。言葉はなくても、数日前の新聞を見る彼女を見て全てを察していた母親は、娘と2人になり、婚約者がこっちに向かっていることを告げ、封を開けていない彼からの手紙の束を渡した。彼女は、「私、どうしたらいいの?」と母親に尋ねるが、母親は娘の手を握り、あなたの問題であること、自分の心に正直であること、そしてどんなことになっても私はあなたと共にいることを答え出て行った。
途方にくれる彼女・・・私はどうすればいいの・・・彼はこのまま残るように言う。彼女は、優しく仕事もできる、理想の旦那様になるであろう婚約者の事を想う。彼女に夢のような自然を見せてくれ、彼女の才能を信じてくれる彼のことも想う。やがて身支度を急いで整え・・・昨日画いた彼とその家の絵を彼に渡し、家を後にする。ホテルに戻ると、ロビーに婚約者が待っており、静かな優しいまなざしの中の話があり・・・

まだまだ話は続くのだが・・・彼のような行動をとり、彼のような気持ちのまま、私も最期の時を迎えたいものです。スパークスさんの本は2冊目ですが、この本も読み終えた後、心地いいものが残りました。
何故かなあと考えてみると、人を信じる、家族を信じるという人としての品が底流に流れているのを感じるからのような気がします。お金持ちとか服装がどうとかではなく、思考・行動に品のある登場人物が織り成すストーリーだからでしょう。例えばこの物語の彼女の母親が、青春のひと時の感情だと思って彼から届いた手紙を隠してしまうのですが、ずっと持ちつづける彼女の強い想いを感じると、婚約者との最悪の体面を回避すべく行動し、何も意見を言わず、ただ隠していた手紙を渡して帰っていくというように・・・。自分の意見を押し付けずに、この子ならきっときちんとした行動を取ると信じていることです。それと、「どんなことがあっても、いつでもあなたの味方よ、あなたの母親は変わらないわ」という言葉は、大きな彼女の支えになります。
人は信じてもらうことで勇気が出て、自分を信じることが出来て前向きな行動に繋がります。どんなに失敗しても、「いつかは」と信じてくれる家族がいることは、多分その人にとって最大の財産です。そういうのを感じるから、余韻が気持ちいいのでしょう。

2005/11 「蝉しぐれ」 藤沢周平 文春文庫 ★★★
今夏、映画化されたので、かなり期待して家内と一緒に観にいった。実はかなり以前に読んだことがあり2度目です。以前TV化された時も感動を覚えたが、映画は期待にたがわず秀作で、再び本で読んでみようと思い立った。しかし私の乱読故、何処に行ったか分からず、再び購入することになった。確か前はもっと大きな本だったように思ったが、今は文庫化されており、安価で手に入った。
本の最後を見ると、第1刷が1991年と言うことで、それほど古くはない。作者の藤沢周平の年表を見ても、それほど古い方ではないのだけれど、中高時代に読んだように思っていた。何故そのような勘違いの世界に陥るのか分からないが、多分田んぼやその他の風景描写が子供の頃、ずっと時間が余っていた頃に見たものと重なるからではないかと思う。さらに題名にもなっている「蝉しぐれ」が、小学校時代近所の公園で夏休み中捕っていた蝉と合わさるのだろう。頭に記憶される時には、単純なる数字より語呂合わせの方が、歴史の年表などが覚えられるように、何か別のものとくっつくらしい。まさに私の「蝉しぐれ」は、そのサンプルのように、子供の頃と結びついているようだ。
今夏の映画を観て、蝉しぐれがバックに流れる場面が少ないなあと感じ、オリジナルとは違う所が多々ありましたが、それは表現媒体の違いで仕方がないことですが、あやふやになってしまっていた本の記憶との相違を確かめたくなったのも、再読のきっかけです。
映画を観てからこの本を読んで、一番感じたのは、のちに藩主の側室になる幼馴染のお福のイメージです。どうしてもこの役をなさった木村佳乃さんをダブらせながら読んでしまいます。その事は別の楽しみになり、映画を観た後に読んだからで、前回読んだ時よりこの小説を面白くさせました。私は木村佳乃さんのお福さんに恋をしてしまったのかもしれません。
物語は、下級武士の少年時代から始まります。同職が家を連ねる環境で、隣に住む同年代の少女が川で蛇にかまれます。すかさず彼女の指から毒を吸い出す少年・・・。淡い恋だけれど、今とは時代が違い、それぞれの今一番大切なことを優先することで、心の中の想いのままに過ぎます。
藩の勢力争いに巻き込まれ少年の父親が切腹させられる。反逆者となった父親の遺骸を車に乗せ寺から引き取るが、誰も相手にしない家への帰り道、友人とふくだけが蝉しぐれの中、それを押してくれる。禄は減ぜられるが家は保たれ、貧乏長屋に引っ越すも、文と武の道は閉ざされず、母とともに親友の変わらぬ付き合いにも助けられ、成長していく。
最後の父との短い面会で、「わしを恥じるでない、母親を頼む」と言った父親の言葉が少年の胸に残る。多分その言葉が、少年にはあまりに荷が重い現実を生きる力になったのだと思われる。
剣の道で一目置かれるようになり、対抗する道場の好敵手との試合に勝ったことで、道場に伝わる秘伝を伝えられることになる。その秘伝の使い手は藩の重鎮であり、その接点を得ることになる。
やがて時は移り、禄が戻され藩に召抱えられることになるが、その命を発するのが、かつて父親に切腹を下した筆頭家老である。ふくは、江戸の藩主邸に奉公にあがり、藩主のお手が付き子供を身ごもっている。かつて2大勢力が拮抗していたが、藩主の2人の子の世継ぎをきっかけに父親が死ぬ事件に発展したのだが、幸の多い失脚勢力が再び勢力を盛り返していた。そんなときの再びの男子誕生で、藩内の抗争が再燃しつつある。
再び対抗勢力に打撃を与えるべく、筆頭家老は主人公に、ふくとその子がいる秘密の場所から子供をさらうように命ずる。断ることが出来ない主人公は一計を案じ、親友の手を借り福と子を秘剣の伝達者宅にかくまうことに成功する。かつての同門や他門の好敵手との殺陣があり、かつて父親の担当だった時の善政によって領民の協力があり何とかうまく運ぶことができた。
再び時は過ぎ、奉行になった主人公に、お福から手紙が届く。「藩主の1周忌を前に髪をおとし尼寺に入る。一度会って欲しい」。お忍びで会う2人は、お福からの子供時代の想い出の会話で進む。
2人ともそれぞれ人の親になったのですね・・・さようですな・・・文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか・・・それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております・・・うれしい。でもきっとこういう風に終わるのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから・・・
江戸に行く前の夜に、私が文四郎さんのお家を訪ねたのを覚えておられますか・・・よく覚えています・・・私は江戸に行くのがいやで、あのときお母様に、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みにいったのです。でもとてもそんなこと言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家に戻ったことを忘れることが出来ません・・・
この指を覚えていますか。蛇にかまれた指です・・・さよう。それがしが血を吸ってさしあげた・・・
これで思い残すことはありません・・・

これを書きながらも目頭が熱くなります。自分の想いを素直に出せなかった時代ではあるが、己の分をわきまえ、凛とした生き方がごく普通の人の生活にあった。自分の生き方を自問できる素敵な作品です。TV・映画・原作本、どれもみんなそれぞれの味があり、楽しめます。原作の骨太の部分がしっかりしているからでしょう。

2005/11 「メッセージ・イン・ア・ボトル」 ニコラス・スパークス ヴィレッジブックス ソニーマガジンズ ★★
同名の映画を見たかった。そう、この本が映画化されたものだが、当時はヨットが出てくる映画というだけの興味だった。映画の方はチャンスを逃してしまったが、ずっと心の片隅に残っていた。なぜなら、この題名がミステリアスだから・・・そしてロマンチックだから。
子供の頃、この物語のようにビンに名前と短いメッセージを書いて海に投げたことがある。小学校では風船に紙をくくりつけてみんなで飛ばしたこともある。誰でも1度は経験したのではないだろうか?誰かが拾ってくれるかなあ〜、拾った人から手紙を届くかなあ〜、なんてウキウキした数日を過ごしたものだ。
この物語は、まさにそうしたものだが、ボトルに入ったメッセージの内容は少し違った。今は亡き妻に送ったメッセージ。それを別の女性が偶然海岸で拾ってしまうところから、ステキな展開を見せる。この物語に中には、数通のメッセージが出てくるが、最後のメッセージには自然に涙があふれてきた。

物語の進行を追いながら、私と家内の関係をパラレルに振り返っていたように思う。仕事を終えて後のデスクで・・・寝る前に布団の中で・・・朝起きての短いひと時・・・船でも昼食を食べながらも読んだな。家では一度、家内の部屋に忍び込んで寝顔を覗き込んでしまった。
主人公ギャレットは、身重のまま亡くなってしまった妻への想いが深いがゆえ、女性との関係が前に進めない。多分、私もそうなるような気がする。この年になって笑われそうだが、家内のしぐさなどにドキッとしてしまい、いつまで見ていても見飽きない。客観的に見れば、美貌など20代のそれとは違っているのだろうが、別の魅力が輝き出し、全体的には益々ステキな女性になっていく。
子供たちも立派に、そして何処に出しても誇れる好青年に育った。とてもいい人生を歩んでいるように思えるが、やはりそれを支えているのは彼女だ。私の人生の半分をともに過ごし、これからは私の人生のもっと大きなウェイトを占めるだろう。もし今、この物語の主人公のような境遇になってしまったら、日頃の表向きの生活は変わらず続けていけても、心の空白は埋めようもないだろう。気の合う女性が現れても、前に1歩踏み出せないだろう。自分と重ねながら読んでいた。
反対に私が先立ったらどうだろう?この答えは決まっている。家内と結婚してしばらくして、「私にもしもの事があったら家に戻って再婚しいな。それまでうちにいてもいいし」と言ってある。さらに、子供が大きくなった時、「僕と離婚することになったら、子供の親権は渡すよ。その方が子供にとって幸せだと思うから」と文章で渡してある。うちの親がゴチャゴチャ言わないように、それも文章で残した。心の片隅には置いて欲しいけど、もういなくなってしまった私に縛られて欲しくない。戦国時代の武将の奥さんのように髪を落とすような生活をして欲しくない。いつまでも輝いていて欲しい。だって僕が愛した人だから。

この本を半分くらい読んだとき、映画のDVDを注文した。ケビンコスナー、ポールニューマンという配役を知ってしまったからだろう。ケビンコスナーの配役は知っていたが、その父親役をするポールニューマンの演技がとても気になり、確かめたかったから。
あの時、映画館で観ずに先に本で読めたことはとてもラッキーだったかもしれない。映画は2時間だが、本は数週間、その世界に浸れる。より深く、いろいろ想い、考え、楽しめる。今年は「蝉しぐれ」に続いて、映画館でないのは残念だがステキな映画に触れられそうだ。既に自宅に届いているのだが、本を読み終えるまでお預けにしてある。さて、晴れて家内と2人で観ることができる。本の余韻をもう少し楽しんでからの方がいいだろうか?
藤沢周平は好きな作家で、あの世界は居心地がいいので再び「蝉しぐれ」を読んでみるつもりだが、この本の著者ニコラス・スパークスの別の作品も読みたくなり、同じくベストセラーになった処女作「きみに読む物語」も注文してしまった。「メッセージ・イン・ア・ボトル」は2作目だそうだ。

2005/11 「停電の夜に」 ジュンパ・ヒラリ 新潮文庫
新人ながら、ピュリツァー賞を射止めた才媛、「病気の通訳」がO・ヘンリー賞、「停電の夜に」がヘミングウェイ賞も受賞。両短編を含め9編の短編集。
ヘミングウェイが好きなので、ヘミングウェイ賞受賞という文字に惹かれ手にした。へんてこな名前だなあと言うのが第一印象でしたが、アメリカに住むインドの方でした。全編、インド人・ベンガル人の登場人物とその視線に立った作品で、個性が多くの作家の中で目立つ存在だったのだなあと思った。
さて作品内容の方ですが、「停電の夜に」は、最初の子を死産でなくしてしまった若い夫婦が、それ以来すれ違いになる。しかし予定された毎日1時間の停電を、ろうそくで食事をしながら話をすることで、それが解消されていく。そしてラストは・・・
「三度目で最後の大陸」は、世界を夢見てロンドン留学していた主人公が、アメリカの大学で職を得る。兄の薦めで結婚することになり、アメリカ行きの途中で数日インドに滞在し結婚式をあげる。花嫁のビザが下りるまで6週間、職場近くの老婦人の家に下宿する。そして・・・。最後はこの夫婦の息子がかつて父親が初めて勤めた大学に進学し、夫婦で息子の大学に会いに行く時、この下宿の路地に寄り当時を振り返る。
特に劇的な出来事もなく、淡々とした日常が描かれているのだが、映画で言えば小津安二郎、作家で言えば藤沢周平の世界がそこにあった。情景の細かい描写により、その場面が頭に浮かぶ感じで、荒井裕実の歌の世界にも似ていると感じた。へミングウェイの世界から、女性らしく荒々しい所を除いた感じかな?まあ、感触の世界だから私にしかわからないのだろうが、短編と言うことで大きな期待を持って読み出したわけではないが、読み終えてとても心地いいものが残った。
長編を書かれたら多分ヒットするだろうと思う。そして多分映画化されるのではないだろうか。主人公をアメリカ人俳優が演じるとしたら40才代のロバートレッドフォードだろうか?

2005/10 「ジンメル・つながりの哲学」 菅野仁 NHKブックス
ドイツの哲学者であり社会学者であるジンメルについて、筆者の実体験を交えて、社会と個人の交わりについて書かれた書。ジンメルの、「生徒の才能を軽視するよりも、むしろ過大視したほうがよい。その方が生徒を謙虚にするからである。」などと言葉は、人とのつながりを温かいつながりの方がいいよみたいな響きがあって、100年も前に残された言葉にしては、人に優しいなあと思っていた。
ウェーバーの、「幸福を得ようとする人々の多くの営みが、巨大な社会システムを作り出し、そのシステムに人は組み込まれ歯車になってしまう。化石燃料の最後の1滴を使い果たすまでそれは続けられるだろう」という考え方も一方にはあるが、あまりに悲しい。
それに対し、ジンメルは、「人は自分の願いがかなうものと思いがちで、周りの人は自分の考えを受け止めるだろうと考え勝ち。そこから逆算する減点主義が辛い生活を強いる。むしろ、自分の話はほとんど周りに伝わらず、少しでも伝わり、少しでも自分の願いが実現すればそれを喜ぶ加点主義は、楽しい生活を送る元になる」みたいな考え方は、みんなを笑顔にさせるのではないかと思う。

2005/10 「特攻」と日本人 /保坂正康 講談社現代新書 ★
この書は、先の戦争で最大の悲劇とも言える神風特別攻撃隊について書かれたものです。主に彼等の遺稿とも言える家族や友人あての手紙から、彼等の気持ちを推察・紐解いている。
私は、自衛隊基地のある町に住んでいます。小学生の頃から機関銃の発車音を聞き、起床ラッパも知っている。近所の公園では、通信部隊兵が迷彩服に身を包み、無線ボックスのハンドルを回すのを見ながら育ちました。小学校のクラスには隊員の子どもが何人もいました。
戦争のない平和な日本が続きましたが、非戦闘員としてですが、紛争地域に自衛隊員が派遣され、航空機は米軍物資を運び、艦艇は燃料補給など後方支援部隊として、戦争に参加するようになってきました。憲法の制約さえはずされようとしている感があります。
社会を動かす世代である私を省みますと、あまりに戦争の事を知らなさ過ぎる自分に突き当たります。そこでわが子と同年代で、学問を志してきた若者が学徒出陣という形で強制的に軍に編入され、優秀であるが故、がんばり屋さんであるが故、パイロットとして即製され、十死零生への道をたどったのかを知りたくて、この書を手にしました。
作者が後書きに書いている言葉、「日本社会は、そして日本人は戦争という軍事行動に向いていないとの実感である。私達の国は、ひとたびこうした行動に走れば、際限のない底なし沼に落ち込んでいく性格を持っている。特攻作戦はまさにそうだったのだ」に、今まで生きてきた生活で思い当たるところが多々ある。
「負けることを恥とする」部分は、まだまだ残っていると思う。期限を切らずに際限なく努力すれば必ず1位になれる、という所からの減点主義で物事を捉え、周りにもそれを強いる心。具体的数値などを明示した引き際を持たず、最後は感情論を振りかざす心。
これらを私自身が注意しながら生きていきたいと思う。

2005/10 「白雲悠々 風とともに」 /秋田博正 自伝 神戸新聞総合出版センター
元兵庫県ヨット連盟会長秋田さんの自伝です。
政治家・経済人とのつながりから、KGOB諸先輩方との事まで・・・その時々に、しっかり勉強し、そしてしっかり働き、しかしヨットを通して氏にとってのOFFタイムをも楽しく過ごされた・・・すばらしい人生にノンフィクションで接することができました。

2005/10  「あなたの子どもを、加害者にしないために」 /中尾英司 生活情報センター ★
神戸の酒鬼薔薇事件を家族との関わり合いの面から掘り下げた書

引用  本書を読めば、少年Aは先天性異常などではなく、両親との関係の中であの独特な世界観を構築したのだということが良く理解できるでしょう。「子は親の鏡」という言葉の意味が真にわかると思います。わが子の姿に親の姿が現われているのです。
子は身を挺して親や家族がどこかおかしいと訴えています。その姿を通して親が自らの姿勢に気づくとき親自身が救われ、そして親が救われることによって子どもも救われるのです。
なぜ、親が先に救われなければならないのか。それは、親の子に対する愛情よりも、この親に対する愛情の方が深いからです。子は親を無条件に愛し、そして無条件に赦します。なぜならこの世の唯一の拠点−それが親だからです。

引用  人を育てるのに必要な姿勢は、ただ一つ。「見守るが、干渉しない」ことです。しかし、失敗させたくないという親心のあまり、親は先回りをしてレールを敷き、その上を走るように強制してしまうものです。
私は、レールを敷き、そのレールに乗せ、そのレールの上を遅れないように走らせ、またレールから離脱しないように見張り・・・このように一から十まで子どもの人生に介入してしまう親の病を「お膳立て症候群」と呼んでいます。
「お膳立て症候群」に陥った親は、お膳立てすることが親の努めであり、子どものためであり、子どもを愛している証とさえ思っています。しかし、子供にとってそれは地獄です。それが、どのように子どもを追いつめていくか私の例で見てみましょう。

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