-ウェブマスター日記 2016/11-12

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2016/12/25
あさイチから映画です。いつものように夜明け前に起きゴソゴソ、6時になったので行動開始です。家内の朝風呂の後に風呂に入り、トースト1枚の軽い朝食を済ませ、7時過ぎに通勤リード110にタンデムし、映画館に向かいます。
ダイヤモンドシティに着いたら、いつもの駐輪場がまだ開いておらず施錠中。仕方なく歩道路上駐車して最上階の映画館に上がります。こちらもドアオープンが7:30で施錠中です。中学生風男子グループが数組おり、大人も含め20人ほど待っています。
オープンを待って館内に入り、チケット購入。7:40から「海賊とよばれた男」を観ます。ナイスな作家「百田尚樹」さんのベストセラー小説の映画化です。読もう読もうと思いながら、読みたい本の在庫が机の上で唸ってるので先送りになっています。映画化されたのだから、文庫本化もされているはずなので買わなきゃ。映画は、「永遠のゼロ」のスタッフが制作しただけあって、2時間オーバーの大作ながら、時間を感じさせることなく、「え〜もう終わり〜」って感じの秀作でした。
出光興産創業者・出光佐三の伝記物語です。破天荒な商法でのし上がり、社員の大半が戦地から帰ってきた時に既に還暦を迎えていた佐三ですが、商魂衰えず、社員のため・太平洋戦争に至った最大の原因「日本の自前エネルギー資源の無さ」を克服すべく、奮闘します。
佐三の若かりし頃の奮闘を観ながら、僕が幼い頃、父のあぐらの上に乗り、聞かせてもらった商社マン時代の想い出が、自然に頭に浮かびました。20才で終戦を迎え、ボルネオ島の戦地から復員し、しばらく北関東の実家でブラブラした後、親戚がやってる商社に入社しました。終戦直後で、闇市善政の頃、食うためには盗みだって働くご時世、信用できる社員がいないので、父はいきなり大阪支店の支店長になり、支店を再開しました。
船舶で使用するウエスや綿・繊維原料を商売にして、ぐんぐん成績を上げていきました。九州や東北に貨車満載で送ったはずの商品が、現地につくと空っぽなんてこともあり、親父も部下たちと一緒に貨車に乗り込み、ウエスの上で寝ながら商品とともに旅をし、ストップすると商品の点検をしていたそうです。拳銃やドスで脅されたり、ヤクザの親分と直談判したり、被告として裁判所に出向いたことも2〜3度あったそうです。
そんな波乱万丈の20代を過ごし、30才になり母と結婚しました。僕も父の話を聞きながら、商社の面白さを感じ、子供の頃は商社マンになろうと思っていました。ライバル商社の伊藤忠などの幹部とも交流があり、商社に入りたいなら話をすると言ってくれていました。
僕が小学生に上がる頃、東京本社より大阪支店の方が利益で上回り、社長の息子さんより優秀なことで社長から退職を求められ、会社を去りました。これで大阪支店の精鋭に嫌気が走り、父を社長にして新会社を立ち上げる算段をしていたのを、うちの家でしていました。
父は、親戚と商売敵になるのを良しとせず、社員の就職先を世話してから、商社という業界から去りました。その部下たちを入社させた父の親友の会社は、そこから急成長し、今やその業界の日本トップ企業になっています。
僕ら夫婦の結婚式の仲人をお願いに上がると、社長なのに二つ返事でOKしてくれました。僕と家内を前に「お前のお父さんには明日不渡り倒産という時に、緊急融資してもらい今の会社があるんだ。なんでも言ってこい、この恩に比べれば小さなことだ」と言われました。その後、政商として新聞を賑わしたりいろいろありました。父が亡くなった時、その方は既に亡くなっていましたが、子供の頃遊んでもらった弟さんの会長と、一緒に遊んだ息子さんの社長が参列してくださいました。
敗戦という途端の苦労があった時代ですが、既得の老人が自信を失い、若者にとって大きなチャンスが転がっていた時代でした。佐三が若者だった大正・昭和初期の時代も、日本が曙の勢いだった時代、面白い時代だったのだろう。
現代は、戦後再び曙の勢いで快進撃した日本が、大人の成長になっている時代で物分りの良い老人が、日本の地盤沈下を嘆き、負の面を強調しダメだと貶めているが、日本人気質を失わない限り、世界にはチャンスがいくらでも転がっている。真面目で、時間を守り、勤勉に働く日本人は、どんな世の中になっても、どんな環境であっても、必ず頭角を現します。そんな希望を感じさせる映画でした。
「良かったねえ」の家内の一言からエンディングの余韻から覚め、バイクに戻り、家内ご要望のレストランに向かいます。11時5分前に「イタリアン・グラーツィエ」に入店し、11時からだという「グラーツィエ・セット・1380円」と「ケーキセット850円」を注文します。小西酒造本社跡地に開店してから1〜2年のお店で、「伊丹シティホテル」が経営していました。席の配置に余裕があり、コテコテしたところもなく、気楽に美味しくいただきました。できればケーキがもっと大きければ・・・。
11:41に会計をして、スーパーに寄り、買い物をしました。家内は年末の用事がありここで別れ、僕はそのまま自宅に戻り、冷蔵庫に買い物を入れました。またバイクで北摂を巡っても良かったのですが、16時からまた映画を観ようと思っているのでパスし、ゴソゴソ。
バイクの整備をしようと思っていたら、家内が帰ってきました。美容院に行くと言っていたのにお早いお帰りです。「眠くなったから」と帰宅したので、しばらくお喋りし、バイク整備を始めました。家内は昼寝です。
15時になったので、道具を自宅に戻し、通勤リード110に乗って再び映画館へ。お正月用の和菓子や洋菓子専門店を探しましたが、ダイヤモンドシティにはなく、15:50「ローグ・ワン」を観ました。約40年前にエピソード4から始まったスターウォーズシリーズのスピンアウト作品です。
一番面白かったエピソード4では、ルーク・スカイウォーカーが、帝国の最終兵器「デススター」を破壊しますが、その設計図をレジスタンスの共和国軍が入手します。その入手に至るエピソードが、「ローグ・ワン」で描かれます。
作品中に、エピソード4で大人気になったキャラクター、C3POとR2D2がチラリと登場し、レーア姫が設計図を受け取った場面でエンディングを迎えます。設計図獲得に向かう戦士は、次々に命を落として行き、このエピソードの主人公も最後に命を落とします。エピソード3から4への繋がりが見え、未来宇宙冒険活劇として楽しめました。
最新作以外全てDVDで持っている僕としては、どうしても観たかった作品ですが、家内に振られました。やはり1人で見るより、2人の方がより楽しいね。
18時過ぎに帰宅し、家内に作ってもらった夕食を食べながら、お喋り。20時前に家内が寝てしまったので、僕も自室に上がり寝てしまいました。家内は眠り姫で、寝床に入り横になると、5分もしないうちに寝息を立てます。僕もすぐ寝てしまいますが、不眠とは別世界にいます。
朝、腰が痛いと湿布を貼らされました。というより貼らさせていただきました。仰向けに寝た家内の衣服を解き、顕になったウエストラインが美しすぎます。このクビレが堪らないな。なんだかんだじっくりゆっくり湿布を貼り、触りまくって素敵な感触を堪能させてもらいました。この人、ほんま美人やわ。

2016/12/18
地区の年末お掃除の日です。各戸、自宅周りの道路の側溝や雑草の掃除をします。手が空いたら、地区内の廃寺の掃除で集まります。役員は廃寺掃除が義務ですが、我が家は今年役に当たっていないのでサボリます。
夜が明け明るくなってきたので、掃除開始です。大雨の時しか水が流れない側溝の方は綺麗なもので、庭の雑草引きと同時に定期的に掃除してるので何もする必要がありません。
少し深い道路下に隠れた側溝は、この機会に掃除です。側溝の蓋を空け、「溝さらえ」の道具でドロをさらいます。お隣の家は、ご夫婦で入院中なので、お隣さんの側溝も掃除します。ゴミ袋で6袋になりました。泥を入れるので、とても重たい。所定の場所に運び、終了。家内は、道路の雑草引きをしていました。
家内が大阪のデパートに出て、実家に義理母の命日用のお供えを送ると言っていたので、駅まで送る予定でしたが、草引きで疲れてしまったようで、「パスする」と言い出しました。お姉さんが守ってくれている仏壇が寂しいし、お寺さんも来てくれるので、命日のクリスマスまでにどうせ買いに行かねばなりません。ちょうどクリスマスが日曜日なので、僕らも法要に伺えばいいのですが、「どうせ正月に会うし・・・」と家内の方が乗り気ではありません。
僕が車で乗せていける「川西阪急」に行くことにしました。家内を駅に送ってから、バイクで走ろうと思っていたのに・・・。川西阪急で、果物の詰め合わせを送り、正月に帰省する次男一家と食べれるように、ロールケーキやバウムクーヘンを物色しましたが、賞味期限が短くてNGでした。日を改めねば・・・
百貨店でウインドウショッピングをしたからか、家内は元気を取り戻しました。伊丹まで戻り、卸売市場内のスーパーに入ってみます。道の駅のような品揃えで、市内や近在の産品を売っています。小ぶりな白菜1個のみ購入。市場内の食堂に入ります。海鮮丼・味噌汁付き1000円を食べてみました。お洒落ではない町の食堂の作りですが、店員さんは気さくで、美味しく量が多くお腹いっぱいになりました。味噌汁が貝汁風味でとても美味しい。リピーターになりそうです。
駅に家内を降ろし、ギュイーンと帰宅し、倉庫からバイクを出します。朝は晴天で放射冷却が進み寒かったが、日中は11月の気温になるということなので、春秋用バイク装束に着替えました。プロテクタージャケット・パンツは、まだ夏用メッシュです。
アメリカンフットボールの学生日本一を競う「甲子園ボウル」の日でもあります。レウ年応援に行ってたのですが、今年は先輩からの誘いがなく、家内と2人で応援に行こうと思いましたが、前売りチケットが売りソルドアウトでした。どこでも良ければあるのですが、やはり良い席で応援したい。
家内との約束があるので、15時に帰宅せねばならず、「里山VTR250」で12:37出発。池田から、R423で北上します。目的地は「北摂・朝川寺」です。今月知った小ぶりの仁王像を観に行きましょう。
上天気で気持ちが良い。高速車がおらず、気楽に走れました。「箕面グリーンロード」との合流地点の新名神工事は、ほぼ終了しているような感じです。迂回路も元に戻っています。「能勢町役場」前を通過し、r109にチェンジ。すぐ朝川寺があるはずだけどない・・・r110沿いだったようです。
そのまま、r109のワインディングを流します。12月ですが穏やかなお天気なので、バイクがたくさん走っています。バイクピースが楽しい。13:07、「能勢町立郷土資料館」に寄り道しますが、日曜閉館のようで残念。横に「東能勢小学校」があり、以前から気になっていた裏山を見ます。山城跡がありそうな雰囲気満点です。「余野の旧池田亀岡街道道標」がありました。1849年製だそうで、刻まれた文字が鮮明に残って読めます。僕の歴史ランドマーク年表では、1855年・安政2年は、安政の江戸大地震があった年で、元年の安政東海地震・南海地震から続く大地震と、安政5年の井伊直弼による「安政の大獄」で、幕藩体制の大転換期に入り、7年の井伊直弼暗殺「桜田門外の変」に終わる激動の安政期です。そんな時代に立てられた道標だと思うと、ひっそりと歴史を見てきたんだなと愛おしくなる。
大きな「寒天釜」が、資料館前の屋外に無造作に置かれていました。現在も寒天作りが見られる北摂ですが、「天保10年・1839年製」と書かれていたので、少なくとも江戸時代まで遡れるようです。
13:24「道の駅・見山の郷」。初めて入ります。トイレを拝借し、店内を物色します。バイクが3台おり、マウンテンバイクも2台休憩していました。
r43に出て南下し、「キリシタン遺物資料館」の案内板に惹かれ、枝道に入りましたが、何処にあるのか見つけられませんでした。どういうこと?枝道入口の案内板には『大正末期から昭和初期にかけ、絵画・彫刻・書籍・墓碑など多くのキリシタン遺物が発見された。これらは、桃山・江戸初期のキリシタン文化遺物で、当時禁教とされたキリスト教信仰が、密かに山中で行われ明治まで継続していた。600m先にある市立キリシタン遺物資料館には、発見された遺物の数々が展示されている』と書かれていました。
茨木市立の施設で残念すぎるので、帰宅後調べたらすぐわかりました。時間に余裕のない時はダメですね、次回回しです。
r110に乗り、西進します。気持の良いワインディングを楽しみ、13:53「朝川寺」。石段を登っていくと、目的の仁王像が守る山門がありました。小ぶりの仁王像ですが、視覚を遮るものがなく、じっくり観察できました。山門名は「向陽山」。
山門に「立春大吉」「鎮防火燭」の木札が下がっているので、禅寺のようです。山門をくぐると、鐘楼があり、役目を終えた立派な鬼瓦が置かれています。現在の本堂は、置かれている鬼瓦より小ぶりのようです。「曹洞宗大本山総持寺元輪番地」と書かれた顕彰碑が建っています。「輪番地」の意味がわかりませんが、由緒ある大寺だったということは想像できる。木鼻に玉眼が入り、「五七桐紋」です。
「五七桐紋」は、天皇家の菊紋に次ぐ権威ある家紋で、日本政府も正式紋として天皇家のこの家紋を使用しています。母の実家もこの「五七桐紋」です。先祖を遡れば、美作菅家党に至り、鎌倉幕府滅亡期に足利尊氏に味方したため、新田義貞軍に持ち城を落とされ、親戚筋を頼り遠く北関東・下野国の佐野家の家臣となり、江戸時代の改易後帰農しました。
その娘が嫁いだ先が、元は佐野家の家臣であった田沼家の家老の子孫です。有名な田沼意次を輩出した血筋です。私の祖父が近衛兵騎兵師団の隊長で、日露戦争で武勲を上げ、金鵄勲章を頂いているので、その時この家紋を許されたのかもしれないが、いつからこの家紋を使用しているかは不明です。僕は、正式には父方の「武田菱」を家紋としていますが、合わせて「五七桐紋」も我が家の家門と認識しています。
帰路につきます。r110〜R432で池田に南下し、14:35「セルフ北村SS」で給油。256km/8.93L=28.7km/L。14:41に帰宅すると、家内は既に帰宅していました。15:50から始まる映画を観に行く予定です。
出発の15:30までの時間を使って、ご近所周りです。1本しかない柚子の木ですが、今年も豊作で、100個以上実をつけています。卸売市場では、傷の入ったものが4個・100円で販売されていたから、我が家のは3個100円で売れそうです。単純計算したら、7000円ほどになりそう。
5個収穫し、お隣さんにピンポーン。更に5個収穫し、別のお隣さんにピンポーン。中から旦那さんが出てくるのと同時に、奥さんが帰宅しました。僕より上の年齢のご夫婦で、奥さんがお喋り好きです。ヤバイと思いながらもお喋りが進みます。奈良女子大付属から京都の大学に進学した奥様は、奈良女子大付属高校の同窓会幹事をされているそうで、その案内ハガキを出してきたところだそうです。
うちの長男一家が正月に帰省していた時お喋りをしたそうで、長男がニュージャージーに転勤したことを話すと、次男さんがMBA取得で、ニューヨーク大学在学中に遊びに行った時の笑い話などを教えてくれました。菩提寺が和歌山の根来寺だそうで、それが遠いということで、我が家がやろうと思ってる京都の寺院への分骨の話をしました。「永代供養・7万円って安いね」って。
京都の北にある桜の名所のことを教えてくれました。桜の街路樹を、自宅にライトアップ設備を整え、季節になるとそれを当てて、我々庶民に夜桜見物をさせてくれるご近所さんからも、その情報を聞いたことがあります。
話を止めるきっかけを探しながら話していると、隣の実家の窓が締まりました。空気の入れ替えをしていた家内が、「あ〜また捕まってる」と援軍してくれました。しかしここでは切れず、自転車で通りすがった知り合いさんに挨拶したタイミングでサヨナラしました。
帰宅すると、「もう、お父さんは〜」と家内に笑われました。「でも、目上の人に、一方的にお喋りを切り上げるのは・・・」と言い訳しました。
更に10個柚子を収穫し、「通勤リード110」にタンデムし、柚子好きのご近所さんにピンポーン。料理好きで、柚子ジャムなどを作られるので、少し多めです。数軒隣なのにバイクで乗り付けたから、「どこかに行って来たの?」「いえ、これから映画を観に行こうと思って」「いいわねえ」。
バイクに乗り、映画館に急ぎます。後ろの家内が「映画は何を観に行ったの?」ってきっと聞きに来るわと笑っています。
年末に向かうので、いつもより映画館併設のショッピングセンター周辺の道路が混んでいます。車なんかで乗り付けられません。映画館に上がり、チケットを買い終わったら、15:40を回っています。ちびっこが多いので上映映画を見ると、「妖怪ウォッチ」がありました。子供映画は親も来るから、流行るね。
「海賊とよばれた男」「ローグワン(スターウォーズ)」も上映中ですが、女子力の高い僕は「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」をチョイスします。まあいつも一緒に観ますが、こんなラブストーリー映画はおっさん1人では観れません。
先々週「君の名は。」を観た時、予告編で伏見稲荷や鴨川がロケ地だと分かり、必ず観ようと思っていました。福士蒼汰くんと小松菜奈さん主演で、小松さんの可愛らしさも良かったが、その15才の少女時代として清原果耶さんが出演していました。NHK朝ドラ「あさが来た」で、「可愛い〜」と注目していましたが、久しぶりに観ました。まだ中学生ぐらいだから、学業をどれぐらいまでなさるかわかりませんが、20才ぐらいになってからグイグイ来そうです。
クリスマス映画は、当たりのラブストーリーが多いです。去年は、「レインツリーの国」でした。今回の映画は、時間が逆に流れるパラレルワールドにいる2人が、5年毎に1ヶ月だけ出合うという設定です。時間が逆に流れているので、福士くんの将来が、小松さんが既に経験した過去という少し複雑な流れです。
真面目な家内は、入れ替わりとか時間系列が過去未来に飛ぶ設定が苦手です。女性は多分にこういう面がありますね。理解出来ているのか心配でしたが、「君の名は。」よりずっとついていけたようです。
予告編で出て来る電車は、京福電鉄嵐山線だと思っていたら、出町柳から八瀬・鞍馬に向かう叡山電鉄でした。鴨川の加茂川・高野川合流部の鴨川デルタの飛び石、白河疎水、柳小路など、歩いたことのある風景がふんだんに登場し、素敵なストーリーと相まって、とても楽しめました。感動屋の僕は、当然涙が・・・。
お客さんは多めで、中央より後部の席は1/3ぐらい埋まっています。エンディングになっても誰も立とうとせず余韻を楽しまれています。上映中でも女の子のすすり泣く音が聞こえて来る時があり、若い子が多そうだと思っていましたが、劇場内が明るくなると、女の子が予想以上に多く、8割女子でした。そそくさと出ていく男子中学生2人組もいました。男2人では恥ずかしかったのかな?これからの人生、異性抜きでは考えられないから、色んな情報を映画から仕入れたらいいね。でもできれば、クラスの女の子を誘えるといいぞ。
中高時代は、デートで映画を観に行くことはありませんでしたが、大学時代はいろいろ行きました。最も衝撃的だったのは、「エマニュエル夫人」でこれは女の子から誘われました。1人で観に行く勇気がなく僕を誘ったのでしょうが、衝撃的なシーンに気持ちも身体も高まってしまい、僕の方に頭を預けてきて、僕の手を自分の足の上に導き、着ていたものを掛けていた下に・・・女の子はこうなっちゃうんだと新しい発見でした。お相手は家内と違うので、口外せず墓場に持っていかなければならない出来事でした。
ルンルンでお喋りしながらバイクに戻りました。帰宅後、今年の夏巡った出雲大社や境港ロケの「モヤモヤさま〜ず」を見て、大河ドラマ「真田丸」最終回を見て1日が終わりました。ラブストーリーを観ると、家内との会話がラブになっていいわ。
翌朝、母校KGが早稲田を破り、「甲子園ボウル」を制し大学日本一になったことを知りました。次は来年1/3、社会人王者・富士通相手に「ライスボウル」で日本一に挑みます。
甲子園では、チアリーダー中心に、両校の応援団が盛り上がっていただろう。4年間で選手全員が入れ替わる大学スポーツはとても面白い。僕も大学ヨット部で選手として日本一に挑み、現在もコーチとして大学ヨット部コーチとして、現役選手たちのサポートをさせてもらっている。
チーム一丸となってレースに臨む若者の姿を見ながら、何度経験しても熱いものが込み上がってくる。大学スポーツは最高です。

2016/12/11
家内は勉強会で、僕はバイク置き場の整理です。夜明け前に起き、自室でゴソゴソして7:30に階下に下りました。ビロードのような肌触りの良いワンピースを着た家内から、「駅まで送っって行って」の要望が来ました。食卓に置かれた朝食を、TVのある部屋に持って行くところでしたが、「がってんだ」とばかりに、食卓に戻そうとしたら、「ご飯ぐらい食べる時間はあるよ、30分後で」ということなので、ゆっくり食事をしました。
僕が食べている横で、「今日は寒いね」とスカートをガバっと上げて、薄い腰腹巻きを履いています。刺激が強いな・・・。「腰に湿布貼って」などと言われ、腹ばいになった家内のシャツをたくし上げる時も、ゾクリとします。女性の身体って、なんでこんなに美しいのだろう。ウエストのくびれや、弾力のある肌触りがたまらないわ。
8時に駅まで送り、その足で職場に行き、要らなくなった棚を車に積み込みます。また別の場所に行き、そこでもアレヤコレヤ。車に荷物を満載し、バイク置き場に持っていき、そこに荷物・棚をおろしアレヤコレヤ。
棚を導入し、雑然としていた物をこの際整理しようと、車から通勤リード110に乗り換えてホームセンターに向かいます。9:57、クリアボックスや道具箱を購入して、バイク置き場に戻り再び整理を始めます。
先週の昼休みも使って、バイク置き場の整理・整頓しましたが、一連の整理でとうとう家内に「招き猫CB400SB」の存在が見つかりました。2012年春に内緒で増車してからずっと秘密にしていましたが、とうとうその日が来てしまいました。家内のアドレスV125、僕の通勤リード110、里山VTR250は知っていたのですが、招き猫CB400SBの存在は、バイク置き場が家内が来ない倉庫であるので、見ることはありませんでした。家内のアドレスV125を出す時も、必ず僕と2台で走るので、倉庫の前で僕が出してくるのを待ってるだけで、倉庫内に入りませんでした。CB400SBを買う前に、「VTR250では高速道路で横風に流され不安だから、もう少し大きいのを買おうと思ってる」とホンダドリームさんに一緒に行き、「これがいいかなと思ってるの」とは言ってたのですが、「買った」とは言っていませんでした。でも、税金の納付は全部家内がやってるので、知る立場にあります。僕から出す写真年賀状にCBを使ったこともあり、僕のツーリング写真でCBが写ってるのもあり、何度もその存在を見せていたのですが・・・。
「バイク買ったの?」といつ聞かれるかな?と放って置いたら、4年半経ってしまいました。家内の反応は・・・まるで知っていたかのように無反応でした。完全に家内の手のひらの上で僕は泳がされているなと思いました。これぐらいのことは、どうってことないのでしょう。
ひと仕事終え自宅に戻り、春秋用バイク装束に着替えます。下半身は、タイツ・夏用メッシュプロテクターパンツ、上半身は丸首長袖シャツ・セーター・夏用メッシュプロテクタージャケット、その上にDAIWA釣りスーツ。倉庫から「招き猫CB400SB」を出して、11:43出発。目的地はありませんが、とりあえず北へ。長尾山トンネルを抜けます。気温11℃。r325〜r33、いつもの早朝バイクコースです。r319経由でr12に出て北上します。西峠の温度計は、5℃でした。DAIWAフィッシングスーツは、薄手ですが風を通さないので暖かです。ホームセンターカッパよりお洒落で、バイクカッパのようにスリムじゃないから、中にいろいろ着ても余裕があり使い勝手が良いです。
篠山盆地に下り、R372を西進します。篠山盆地内の山城を探索しようと、r304に入り篠山川を渡ろうとしたところで、雨が落ちてきました。地元・伊丹の天気予報は1日中晴れでしたが、兵庫県北部は時雨でした。篠山に入ると高い建物がなく、空が広く、遠くの空まで見渡せます。北の篠山アルプス方面は雨が降っているようで、西から雨雲が流れ込んでいます。篠山盆地周辺はダメですね。雨が降ると、山歩きが滑るので山城攻めを止め、お昼ごはんを食べて帰路の着くことにしました。
R372に戻り、R372を西進し、「小枕」からr49で南下します。狭路を登り、美濃坂峠にある東屋前に軽四が数台停まっていました。東屋で黄色い帽子を被ったおじさんたちがお食事中です。軽四の荷台には檻が載っており、どうやら猟師さんのようです。イノシシを獲ったのでしょう。篠山は猪肉の本場で、ぼたん鍋の店がたくさんあります。猟期に入り稼ぎ時です。農閑期のアルバイトでもあります。早朝バイクでこの辺にやってくると、よく猟をする集団を見かけます。猟犬が吠えて、イノシシを追い詰めています。鹿肉がもっと美味しいと、山のようにいる鹿が減り、生態系が保てていいのだけれど・・・。
更にr49を南下し、喫茶シュガー前を通過。しばらく休んでいたように思ったけど、車が前に停まり営業しているようです。
永沢寺前を通過し、永澤寺山・峠を越え、急坂を下ります。13:14、「バイカーズカフェ・虎亀」着。お嬢さんがお店に出ていました。彼女がまだ中学生?の頃見て以来です。おじいさん・奥さん・お嬢さんが、代わりばんこに同じワンちゃんと散歩しているのを見て、同じ家族なんだと知っていました。おじいさんと奥さんとは挨拶するようになり、奥さんから連れられて訪問したカフェををやってることを聞き、驚いた記憶があります。お嬢さん、大きくなったなあ。奥さんと喋り方が同じで、親子だとすぐわかりました。
ピラフセットを食べ、カウンターであ〜だこ〜だおしゃべりし、14:10帰路につきます。r49で南下し、志手原からr37で東進、r323に乗り換え東進し、波豆川から、波豆川沿いに南下し、西谷農協大池でr33を渡り、r33〜r325〜長尾山トンネルの定番コースで、15:07帰宅。
風呂に入り温まり、16時になったので家内に電話します。まだ勉強中のようで受話器を取りません。ロードショーが始まった「海賊とよばれた男」を観ようと思ったけど・・・。17:50からです。ごそごそしながら、家内からの返信を待ちますがありません。17:40に家内が帰宅し、ロードショーを諦めました。
食卓で2人で夕食を取り、お互いの「今日の出来事」を話します。新聞に「備中松山城」の雲海が紹介されていました。NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニングで使われているようです。
「モヤモヤさま〜ず」は、以前僕が住んでいた東京蒲田をブラブラしていました。この日3回目の風呂から出て、寝る前の楽しみヨーグルトを持って寝室に上がり、「真田丸」見て寝てしまいました。とうとう後藤又兵衛と木村重成が討ち死にしてしまいました。
平野に残る伝説が描かれるかどうか期待していたのですが、どうやらオールスルーされたようです。大阪夏の陣で、家康が二条城から大坂に進出してくる時、平野まで退却した真田幸村は、「ここで家康は休憩するはず」と読み、地雷を仕掛けます。読み通り家康はそのお堂で休みますが、地雷が爆発する直前に小用でその場を離れ、間一髪命拾いします。その爆発で飛んだ地蔵の首が、近所の全興寺まで飛びました。
家康の危機はそれにとどまらず、幸村が伏せておいた伏兵が襲いかかり、家康は少人数の共とともに逃げ出します。ヤブに隠れこれもやり過ごし、更に逃走中、後藤又兵衛隊に見つかり、「怪しい」と読んだ又兵衛が、家康の乗った籠を一突きし通り過ぎます。その籠は、堺まで走りますが、又兵衛の槍を受け重症を負った家康は、ここで絶命します。その後は、家康の影武者が演じ、夏の陣勝利の1年後、家康が亡くなったと公表されます。
この地蔵堂や全興寺、堺の家康の墓もすべて見ているので、三谷幸喜演出なら・・・と期待しましたが、やはりスルーでした。NHK大河ドラマで、後藤又兵衛の槍での死亡説を取ったら、きっと大問題になったでしょう。来週が最終回です。赤備えの幸村軍が、家康前衛陣を突破し本陣突くシーンが見れそうです。

2016/12/4
家内は、お歳暮の申込みでデパートに行く日です。長男のお嫁さんの妹さんが「伊勢丹デパート」に勤めていたので、阪急百貨店から切り替えています。次男のお嫁さんの実家も伊勢丹を利用しています。
僕は、コーチしてる大学ヨット部のこの秋引退した4回生部員とのクルージングをすることにしました。僕が参戦しているヨットレース日でしたが、メンバーから外してもらいました。でも数日前に、メンバーが足らなくなったので、レースに出れないかと連絡をもらい慌てましたが、クルージングの方を優先させてもらいました。
朝起きてゴソゴソし、ライジャケやカッパを用意します。家内は大阪のデパートに出るので、スカートでお洒落しています。髪を整え、お化粧している後ろ姿がいい。8時を回ったので、家内を車に乗せ家を出ます。
駅で家内を降ろし、R171を西進します。参加学生は7名で、9:15「阪神西宮駅」高架下集合で、車でピックアップします。8:45に高架下に着くと、すぐにT君とO君がやってきました。T君は滋賀県ですが、O君は神戸出身です。天下の灘中高出身で、平清盛の「雪御所」跡の碑が立つ小学校に通っていたそうです。周りに、清盛関係の史跡が点在しており、歴史好きの僕には「垂涎の場所」で育ちました。9時前に、残りの5人がやってきました。全員男子で、女子マネージャーが不参加だったのが、ちょっと残念です。新西宮ヨットハーバー駐車場に着き、クルージングカッパとライジャケを着ます。出艇申告をして桟橋を渡ります。レース日なので、皆さんレースの準備をしています。
船に乗り、いつも一抹の不安があるエンジン始動します。問題なくエンジンが回りだし、もやいを解いて桟橋を離れます。北東の風2mほどで、天気は雲はあるものの晴れです。夕方は雨ということですが、雨が降る感じがしません。
上架桟橋に回り、レース艇に声を掛けます。うちのメンバーに、レースに出れなかったお詫びを言います。東出入口からハーバーを出て、尼崎沖の一文字・白灯台を目指します。予報では5〜6m/sの風でしたが、3m/sほどしかありません。セーリング的にはヒールも小さく物足りませんが、クルーザーのヒールに不慣れの学生には、ちょうど良かったかもしれません。
白灯台をかわし、大阪湾に出ました。あべのハルカスや、目立つ市の焼却場煙突が見えます。海遊館の方に行っても良かったのですが、西の赤灯台の方からレース艇が出てきたので、スタートを観戦することにしました。
一文字桟橋の大阪湾側を西に下り、スタートを見学して、赤灯台から尼崎西宮港内に入り、六甲アイランドのフェリー埠頭〜東灘の海上自衛隊阪神基地で掃海艇を見ました。この頃から風が落ちて、2m/sほどになってしまいました。それとともに「雨かな?」と感じる程度の霧雨が落ち始めました。
本降りになる前・14時頃桟橋に戻り、船を片付けます。センターハウスに戻り、1F「フリアンディーズ」でお茶します。僕がケーキセットにしたら、皆右に習えでした。男8人、全員ケーキセットって・・・。学生時代、ヨット部同期7人全員で、お子様ランチを注文した時に似て、ちょっと怪しい。
卒業生から生ヨット部への卒業記念品、卒業記念誌制作、追い出しコンパメニューなどの話題が出るとともに、個人的な男女関係をコーチ権限で暴露させたりして、楽しい時間を過ごしました。
16時になったので解散です。皆を車に乗せ、阪神西宮駅まで送り、17時前に帰宅しました。ヨットの衣類などを片付け、17:30に通勤リード110にリアボックスをセットし、カッパを着て出発しました。
17:45、映画館に着き、ロビーを見渡すと、僕の節穴が美人さんを捉えました。しばらく視線を固定し様子を見ていると、美人さんと視線があった。ニコリと笑うと、美人さんは僕に手を振りかえしてくれました。上映45分前だけど、家内が先に着いていたようです。
「どこの美人さんかなあ〜と見ていたんだ」なんて、得意の歯の浮くような言葉を発すると、「伊勢丹が来年閉店するので、またお中元・お歳暮を阪急に戻そうかな〜」とか、「スカートなので映画館は寒いかな?と思っていたら、伊勢丹でブランケットをもらった」とか、本日で出来事の報告を受け、「雨はどうだったの?」などの質問を受けました。
18:30「君の名は。」。あまりの話題でロングランになってる映画なので、とうとう観てしまいました。飛騨と東京に住む高校生男女が、頻繁に入れ替わるので、頭がついていけるかな〜と、心配していた家内ですが、「だいたいわかった。もう一回観ればバッチリわかるかな」とのことでした。僕は、物語の展開についていけました。
映像が繊細・詳細で、今まで見てきたアニメの概念をドカンと突き破った感じです。アニメなんだけど、建物などのバックも詳細に描かれているので、リアル映像を見ているようでした。
ストーリーも面白く、同じ新海誠監督の「秒速5センチメートル」より、ずっと面白かった。精細画という点では、「秒速」と同じ手法です。
バイクに戻ると、雨が止んでいましたが、防寒の意味で家内にカッパを着せてタンデムで帰宅しました。黒の柄パンストと白スカートだからねえ。

2016/11/27
今月2度目の家内とお休みが合う日、もちろんデートです。先週美濃と近江をバイクで走り、綺麗な紅葉を楽しんだので、京都洛北東山の麓の寺社巡りしながら紅葉を楽しもうと計画しました。曼殊院とか詩仙堂とか狸谷不動尊とか。車では駐車場に困るので、家内を京都駅でピックアップし、通勤リード110タンデムを考えていました。
ところがお天気が雨予報から変わらず、日中ずっと降るようです。風邪を引かせてはダメなので、車で亀岡「湯の花温泉」界隈の寺社巡り&紅葉狩りの第2案を考えました。ところが前日になり、日中降水量がコンスタントに1ミリ以上になり、両案とも断念することにしました。映画鑑賞コースに切り替えです。
クリスマスが近づき、ハートウォーミングなラブストーリームービーの季節ですが、ドンピシャな映画はありません。琴線に引っかかったのが、織田裕二「ボクの妻と結婚してください」と、阿部寛「疾風ロンド」でした。両主演とも、好きな俳優さんなので良さそう。「ボクの・・・」は、ロードショー終盤で、午前中しか上映がありません。
朝、4時過ぎに目が覚めゴソゴソし、朝食を食べて、8:30に家を出ました。あいにく予報通り雨が降っており、カッパを着て通勤リード110にタンデムです。車なら楽なのですが、TOHOシネマが入るイオンモールは、日曜日はいつも混むので、スクーターが便利です。
朝から激混みで、駐車場に入る車の列が続いています。スクーターなのでスイスイと駐輪場に入れます。雨がラッキーで、いつもより自転車・バイクが少なく、屋根のある場所に置けました。
「今日はブラックフライデーなんだ」と家内から。僕は知らなかったのですが、アメリカ発祥の商習慣で、11月最終週の週末3日間の大安売り期間を指し、最近日本にも上陸しているそうです。アメリカは、「サンクス・ギビング・デイ」(11月第4木曜日)からクリスマス商戦が始まるそうです。ヨーロッパからの移民は農業を知らず、先住民のアメリカ・インディアンから施しを受けたり、農作業を習ったりして、最初の収穫を得、命をつなげました。それに感謝する日です。10/31「ハロウィン」は、英語圏の日本で言うお盆に該当する死者を迎え、先祖の里帰りを迎える行事ですが、カボチャを飾る収穫の祭でもあります。
11/23は、アメリカ占領軍により、「勤労感謝の日」と祝日の意味を変えさせられてしまいましたが、本来は日本の「新嘗祭」(自然の恵みに感謝する日)です。10月・11月は、収穫に感謝する秋祭りが各地で行われます。「勤労感謝」として勤労者に感謝するんじゃなく、自然の恵みに感謝する古来からの日本人的思考を伝えたいなと思います。アメリカだって、自然の恵みに感謝しており、これは人の本来の姿に見えます。
「サンクス・ギビング・デイ」から始まる最大の消費期間の始まりの週末を盛り上げるために「ブラック・フライデー」が出来たのだとすぐ想像できたけど、株の大暴落があった「ブラック・マンデー」が思い出され、ネーミングとしてどうなのかな?と思っちゃいます。
映画館に上がり、チケットを購入します。「君の名は」はまだ4回上映で、「人気いまだ衰えず」という感じです。観たいけど、家内が「アニメは・・・」なのでパスです。
9:10「ボクの妻と結婚してください」。この映画は、素晴らしく良かった。余命半年と宣告された放送作家が、人生最後の「企画」として、まだ小学生の息子を抱えることになる妻のその後の生活を安定させるべく、妻の再婚相手を探そうとする物語です。
暗い現実ですが、出演者が皆前向きに捉え、相手を気遣い自分のできることをする。そして皆、素敵な周りの人の気遣いや優しさを、この企画から得て、素敵な物語を体験する。
涙もろい僕は、今年一番涙を流してしまった。幸い僕は、健康ではなかった子供時代から想像できないほど、病気なしの高校生以降の人生を歩め、最良の妻を得て、子を授かり、孫まで授かっちゃいました。僕の人生は100点でお釣りが来ます。
もし、主人公のように、子供が小学生の時、余命半年の宣告を受けたら・・・と想像しながら観ました。妻の再婚相手を探すまではしなかったと思うが、常に僕が先に死んだら再婚して欲しいと思っていた。家内は子育て中だってフルタイムで働き、僕の実家でもあり、経済的には大丈夫だと思うが、40才はまだ人生の半分です。子供はいずれ別世帯を持つのが自然なので、同世代の配偶者の存在はとても大きい。
今の僕らみたいに、お互い励ましあい、補い合い、人生の最終盤まで、笑って過ごす人生こそ素晴らしいと思います。
映画が始まる前の予告編で、「ぼくは明日、昨日の君とデートする」がいいなと思いました。映画を観終わった後、通路でそのポスターが貼ってあり、やはりヒロインが可愛い。京都が舞台のようで、伏見稲荷の境内や、朱い鳥居の並ぶあの風景が使われていました。
家内は、「恋妻家宮本」が気になったそうです。阿部寛・天海祐希主演です。上手な俳優さんなので、楽しめそう。それと、「マダム・フローレンス!夢見るふたり」だって。音痴なおばさんである妻の夢「舞台で歌う」を実現させるべく、買収して「おだてる」友を増やしていく物語で、そんな夫婦がいいなと思っているのかもしれません。僕には買収する財力がないけど、財力の要らない「我が口先」ではなんぼでもおだてて上げれるけどね。でもおばさんすぎて、観に行こうとまでは思わないんだって。僕は、「君と100回目の恋」もいいなと思った。
映画を観終わった後、12:20に会計するまで、「コメダ珈琲・イオンモール伊丹店」で、そんなこんなを家内と話しながら、お昼ごはんを食べました。家内はブレンドコーヒー420円、僕はコヒーゼリー520円を飲みながら、シロノワール600円・ミックスサンド580円をシェアしました。
長男夫婦は、このシェアが僕ら以上で、「あ〜これ美味しいわ、食べてみ」とすぐ長男はお嫁さんにプレートを回します。僕らは学生時代の同級生友達夫婦なので、どちらが前とか後とかがありません。長男夫婦も、同じ学年なので、そんな感じがあるのかもしれません。
法事など親戚や兄弟が集まる席では家内が会計しますが、2人だけの時は僕が会計します。でも「ちょっと崩したいから」と家内が言う時は家内が会計します。「どっちでも同じ財布だから一緒」と安心し合える夫婦という存在は、人生をとても豊かにすると思います。主人公の「ボクの妻と結婚してください」という台詞が、素直に違和感なく心に入ってきました。
そんなこんな話している横の席に、小学生のお姉ちゃんと弟を連れた一家が座った。弟くんは、小1かな?お父さん横で、メニューをの覗き込み、お父さんやお母さんに話しかけている。スマホを弄ってるお父さんから「静かにしろ」と言われるが、そんなのお構いなしだ。「泣かされたいんか」と少し強めの言葉がお父さんから・・・。
僕もこんなチビさんがいた頃があるが、どちらかと言うと遊び相手になっていたように思う。叱ったことは無いので、お父さんの言葉が、とてもきつく聞こえた。無限の伸びしろを持ってる子供を制限したら、でっかい人に成長していかない気がするんだけどなあ・・・すごく気になった。男の子に、お姉ちゃんのような大人しさを求めるのは酷のような気がするんだけどなあ。
一旦帰宅し、僕は散髪に行きました。小学生時代から御用達してるいつもの散髪屋さんで、現店主のおじさん、その義理父さんと3代に渡って髪を切ってもらっています。お互いの家庭事情を知ってるので、気楽にお互いの近況を話し、ゆったりした時間を持ちました。
帰宅後、家内が映画館から持ち帰ったフリーペーパーに載ってる話題を振ってきた。一緒にフリーペーパーを覗きながら、あ〜だこ〜だ。15時になったので、再びカッパを着て、通勤リード110に乗り映画館に向かいます。
今週末からロードショーが始まったばかりの「疾風ロンド」を観に行きます。「ぼくの妻・・・」はロードショウ終わりで、朝一でもあり、僕ら以外にお客さんが3人でしたが、「疾風」はそうは行かないでしょう。少し早めに行って席を確保しましょう。1日2本観に行くなんて、映画評論家ではない僕らには初めてのことです。
16:00「疾風ロンド」。阿部寛主演の企業研究者が、生物兵器を作成しますが、研究員の1人がそれを隠し、大金をせしめようとします。身代金要求してきたその研究員が、何と交通事故で死んでしまいます。内緒で研究していたので、警察にも言えず、阿部寛研究員がそれを捜索する物語です。
こちらは涙はなく、クスクス笑いながらの2時間でした。「秘密」「白夜行」「容疑者Xの献身」「手紙」などを書いた東野圭吾原作なので、シリアスなミステリー物を想像していましたが、ミステリーコメディーでした。そのことを話すと、家内は「ストーリーはシリアスなミステリーだったよ」と。
予告編は、午前中とほぼ同じでしたが、「もう一つのスターウォーズ」と銘打った「ローグ・ワン」の予告編が流れました。なんと12月上映開始です。スター・ウォーズ全作品を観た僕には必須の作品です。楽しみだな。家族でも何度も観に行ってるので、長男の部屋にはスター・ウォーズのポスターが貼ってあります。
帰宅後、「ダッシュ海岸」を見て、「真田丸」見て、1日が終わりました。アウトドアなしの珍しい1日だったけど、横にいつも家内がいてとても楽しかった。この人が大好きです。

2016/11/20
家内が仕事の勉強会で、1人遊びの日になりました。奈良・法隆寺界隈の夫婦サイクリングや、京都修学院離宮界隈のタンデム寺社散策を計画していたのですが、金曜日になって計画倒れになってしまいました。
グループ・ツーリングを探したら、雨でのびのびになっていた「徳山ダム〜鳥越林道」ツーリングがありました。参加人数も5人と少なく、ラッキーです。僕は遅いので、大世帯に入ると、僕の前に車間距離が大きく出来、後の方に迷惑を掛けますので、遠慮していました。前と千切れて、僕が別の道を選択してしまい、後続の方全員をかなり遅れて次の集合地点に到着させたこともあります。抜いていってくれるといいのだけど、順番を守る優しい方ばかりだから、申し訳なくて余計気を使ってしまいます。
ややこしいところだけトレイン走行で、それ以外はフリー走行のリーダーさんのツーリングに参加したことがあります。皆さんものすごく速く、すぐに見えなくなったし、後続車も抜いていったけど、マイペースで走れ気楽でした。目的地でのトレッキング修行や食事などだけで、皆さんとワイワイ出来て良かったです。最後尾に置いてくれると、千切られても1人でも次の集合場所に行く自信があるので、気楽なんだけどな。
リーダーさんに連絡すると、「ドタ参OK」とのことで参加することにしました。集合場所は、8:15「名神・黒丸PA」です。スキーフリークやってた頃、福井県や岐阜県のスキー場に行く時、よく利用しました。「チェーン規制」のポイントでもありました。土曜日に、主なポイントのデータをゴリラナビに登録します。これで1人ぼっちになってもOKです。
3時に目が覚めてしまいました。あまりに早く二度寝したら、4:30に目が覚め寝床でゴソゴソしていました。5時になリ、階下で家内が動き出した音がし始めたので、起きることにしました。冬場毎日履いてるワークマンのズボン下と、これまたワークマン丸首シャツを着て、夏用メッシュプロテクター上下、その上にセーターを着て、更に春秋定番の釣り用DAIWAカッパスーツを着ます。5℃以上あれば平気です。ネックウォーマーも考えましたが、要らないでしょう。
高速道路に長く乗るので、「招き猫CB400SB」を選択。6時に出発します。到着予定時刻は7:30です。途中で2回休憩しても間に合いそう。余裕があるので、中国豊中ICはパスし、名神吹田ICから高速に乗ります。名神を走り、大山崎JCTから「京滋バイパス」に入ります。大山崎JCTは、急カーブが多く、分岐が多いので、道標を注意しておかないと、明後日の方向に行ってしまいます。
無事東向きに乗れ、巨椋池を過ぎ、宇治川沿いの山岳部に入ります。ここから霧になりました。朝霧が出ているということは、上空は晴れが定番なので、素晴らしいツーリングが期待できそう。
「瀬田東JCT」で名神に合流し、また名神を走ります。名神に入っても朝霧で、琵琶湖方面の水田地帯が、素晴らしい景色を見せてくれます。停まって写真を撮りたいけど、高速道路上なのでそうも行きません。
栗東が近づき、競走馬輸送トラックが対向車線に目立つようになりました。何処かでレースなのでしょうか?レース日に輸送しても、馬は万全の体制でレースに臨めるのだろうか?
京滋バイパスには、SA・PAがありません。名神なら「大津IC」で休憩が定番なのですが、名神に合流して最初の「草津PA」で休憩予定でした。草津は、JCTがあり「新名神」との分岐場所で、PAとJCTの関係がよくわからず、中央車線を走っていたので入れませんでした。仕方なく、7:13、「菩提寺PA」で休憩です。麦茶140円を購入し、ベンチで家から持ってきたバナナを朝食代わりに食べます。
7:31、集合場所の「黒丸PA」到着。ナビは、次のIC下車で引き返すルートを計算しており、菩提寺休憩したのに、計算より早く着いちゃいました。バイク置き場に行くと、リーダーKさんのBMWが既着です。僕より早いなんて・・・、でもリーダーさんはいません。食事でもしているのかな?
店内をウロウロして、「リョウマの休日」というフリーペーパーをゲットし、バイクの見えるベンチで、四国観光名所紹介に目を通していました。僕の横に、別のバイクが停まっています。Kさんがバイクに戻ってこられ、声を掛けようとしたら、お店の方にいた新たなバイクの方と親しくお喋りを始められたので、もう少し雑誌を読むことにしました。
読み終えたので、お二人の所に行き声を掛けました。後から来られた方はKiさんで、以前に一度原付二種のツーリングでご一緒した方でした。背が高い方という印象が残っています。これから飛騨高山に日帰りするそうです。凄いな、僕には無理そう。
白のモトグッチが来られました。お初のCさんです。横置きV字エンジンが独特です。エンジンガードもV字でかっこいいぞ。お二人とも、機関銃トークでめちゃくちゃ楽しそう。Sさんが来られました。前は僕と同じCB400SBだったのに、NC700に乗り換えられたようです。最初にご一緒した時は、スズキ・バンディット1250だったような・・・。最後に、紅一点Aさんが到着。前、原付二種との合同ツーリングでご一緒し、スーパーカブ110だったような。今回は、セローです。軽くて、僕のような林道好きにはピッタリのバイクですが、座面が小さく、お尻が痛くなりそうで敬遠しています。
これで全員だそうで、リーダーさんからブリーフィングがあり、予定の8:30より少し早く出発しました。参加予定に載ってたHさんはお休みのようです。用事ができたのでしょう。僕は、徳山ダムも鳥越林道も走ったことがあるので、希望通り最後尾になりました。良かった、これで後の方に気を使わずに走れます。80〜90km/hで巡航し、「関ヶ原IC」下車。
R21〜r53で池田町に出て、R417を北上します。R157・温井峠を越えて、越前・大野に下った時と同じルートです。9:35、岐阜県揖斐郡池田町「セルフ池田SS」で給油。160km/6L=26.7km/L。今回は、揖斐川沿いを北上です。山に入っていくと、紅葉がとても綺麗です。対岸に県道が走っているのか、より森に包まれてあっちを走りたくなります。
10:20、「道の駅・星のふる里ふじはし」で休憩。少し手前で、煉瓦造りの水力発電所が見えていたので、早速そちらを見に行きます。「日本最初の国産立軸水車」がありました。『大正14年(1915)揖斐川電気株式会社(現イビデン)が建築した西横山発電所の機械で、昭和38年(1963)まで動いていた。当初は、大垣市内の摂津紡績大垣工場(ユニチカ)への電力供給を最優先目的に建設された。横山ダムの完成で湖底に沈むことになった』
道の駅からも、煉瓦の発電所が見え、良い佇まいでした。
「イチゴジャム・400円」を購入。毎日寝る前にプレーンヨーグルト450gを食べるので、ちょいと入れるジャムは、いくらあってもすぐなくなります。お土産で買うと、少々高いのですが、素晴らしい景色を堪能させて貰えるので、それへのおひねりと思って買うようにしています。
「横山ダム」で、共用していたR303は近江の方に分岐して行き、R417は美濃最奥部に向かいます。横山ダムのダム湖沿いをワインディングしながら走ります。対岸の紅葉が鮮やかで、よそ見キョロキョロ。あたり日に来たようです。朝の予想に反し、くもり空ですが、それでも十分堪能出来ます。春の新緑の方が、夜明けがどんどん早くなり、野鳥のさえずりが森全体を包み成長を感じるので好きですが、色鮮やかなのはやはり秋ですね。
徐々に前と離れて行き、一人旅になります。リーダーさんには、前もって「置いていってください」と伝えてあるので、マイペースで景色を楽しみながら走ります。四輪が追いついて来られたので、左ウインカーで2台パスしてもらいました。ナビを見ていると、「藤橋城」が近づいてきます。どんなとこかな?と気になりながら走っていると、僕の前のSさんが分岐に少し入り、ハザードを点滅しています。その前に3台のバイクがあり、予定変更なんだと分岐道に入り、ルートから外れました。
10:46「藤橋城」。綺麗な天守が建っており、石垣の年代はそれより古そうですが、天守を持てそうな石高領主を支える穀倉地がない立地です。中世の豪族の館ぐらいはあったのかもしれないなと、帰宅後調べましたが、完全オリジナルのプラネタリウムだそうです。山頂ではないので、天空が広く広がっているわけではありませんが、星空は綺麗だろうな。
『林道・塚線・冠山線冬季通行止めについて 冠峠にて降雪が確認されたため、冬季通行止めが実施されています。平成28年11月14日〜平成29年6月上旬まで』
11月中旬から通行止めなのですね。美濃〜越前を結ぶ3つの主要林道のうち、温井峠・冠峠は走破しましたが、塚線の高倉峠は、今年も走破できないまま終了したようです。「がけ崩れ通行止め」が多く、高倉峠は、去年に続き今年も開通しないままです。林道を登り、近くから見る冠山は素晴らしく、峠から見る稜線は、高所感半端ないなと感じました。社名不明ですが、神社もありました。
R417に戻り、11:05「徳山ダム」。貯水量日本一です。ロックフィルダムで、ダム下流への傾斜が緩やかで、僕の好きなダム型式です。駐車場横にある小さな展望台に登り下流を見ると、全山紅葉と言える素晴らしい秋色です。工事に使ったダンプカーのタイヤが展示されており、その巨大さにびっくり。ダム堤に上がり、上流の徳山湖を見ると、こちらも秋色が鮮やかです。遠くに雲に隠れる山並みがあり、越前との国境・冠山連山でしょう。
木曽川水系になるのですね。このダムが竣工し、洪水の多い濃尾平野に住む方の生活は大きく改善されたのでしょうね。江戸時代まで、東海道で唯一船に乗って迂回したのが、木曽川・揖斐川・長良川の三川が流れ込む尾張でした。三河から船に乗り伊勢に渡るのが東海道ルートです。大雨が降ると大水が出て、河川流路を治水する土手など、暴れ川により、意味を成しません。新潟も江戸もそうですが、治水により水が集まる地形ゆえ大耕作地が出現します。適当に洪水することで、肥料なしでも山の恵みが耕作地に入り、地力が衰えません。
更に奥に進みます。湖面沿いを走り、徳山ダム湖に突き出た半島にある「徳山会館」に、11:47到着。昼食です。おすすめメニューは、「徳山名物・地獄うどん定食1100円・グツグツ煮立ってるうどんを醤油につけて食べる」「ダムカレーブームの限定20食、ついに登場!徳山ダムカレー850円・ご自身でカレーをダムに放流していただきます」「味噌カツ定食1100円・ガッツリ食べたい方にオススメ、ボリュームたっぷり」「ガッつ〜んとくる辛さ・ツンツンわさび飯定食1100円・衝撃のツンツンをお試しください」。
僕は「地獄うどん」、他の方は「ダムカレー」を注文しました。ダムカレーは、横長のお皿に、ご飯が縦長に2本盛られ、お姉さんがお皿の一方が上がるように下敷きをセットします。お客さんが上流部の方に、別容器に入ったカレーを注ぎます。2本のご飯の間を通ってカレーが下流に流れ、下流にある具に合流します。大の大人がわーわー言いながら、カレーを放流し、それをビデオで写しているおじさん・・・。
他のテーブルを見回すと、一番人気はダムカレーのようです。パット見で既に20食は越えてそう。あの「限定」は何だったのか?注文する時、「あの〜限定ダムカレーありますか?」「有りますよ」の答えに、すぐ注文した「限定」に弱い日本人の本質を見ました。「1時間に20食か?」「いや、30分やろ」・・・
ここから帰路です。R417をブーンと戻り、「横山ダム」からR303へ右折し、琵琶湖方面へ。13:32「道の駅・夜叉ケ池さかうち」。「夜叉ケ池」は、近江と美濃を隔てる南北に連なる山系の1つ「三国岳・1209m」山頂近くにある稜線上の池です。如何にも謂れのありそうな池の名なので、以前調べてみました。
『日照りが続き困っていた村の長者が、蛇に「雨を降らせてくれたら、娘をやる」と言うと、その夜枕元に蛇が現れ、望みを叶えるという。それを3人の娘に話すと、優しい心を持った次女が蛇の嫁に行くという。蛇の化身である若者とともに娘は三国岳を登って行った。心配した長者が三国岳に登ると、龍神が住むという池があり、ひと目会いたいと娘に声を掛けた。波立ち龍が現れ、「私は既に姿を変えてしまいました」と再び池に消えていったそうです』
三国岳は、各地の三国岳の謂れがそうであるように、近江・美濃・越前、3つの国が交わる位置にあります。「夜叉ケ池」への道は標高750mぐらいまで舗装されているという情報を得ているので、そこまではいつか登ってみたいと思っている。この道の駅の名物は、「ダチョウ」です。以前ここでダチョウハンバーグを食べましたが、まさか昼食を食べた後に更に入るわけがなく、「ダチョウコロッケ・150円」を買い、皆さんとシェアしました。
R303を更に少し西に走り、「鳥越林道」に突っ込みます。前回は、近江から下ってきたのでわかりませんでしたが、美濃側の入口は見つけにくいです。沢道になっており、リーダーからの注意事項として、車間距離を取るよう指示されている。僕はそんなこと考えなくても遅れだし、すぐに一人旅になった。沢道から見える紅葉が素晴らしく、「紅葉は谷筋が綺麗」の定番通りです。京都の紅葉の名所・東福寺も、「谷にかかる通天橋から観る沢沿いの紅葉」が売りです。
この林道は、「広域基幹林道」なのでそれほど細くなく、それほど荒れていません。落ち葉の季節でもあり、落ち葉・落枝満載状況ですが、特に危険な箇所はありません。でもスピードオーバーは禁物です。この時間帯なら大丈夫でしょうが、鹿との遭遇は日常でしょうし、クマが生息する山系でもあります。
14:23、皆様に随分遅れて「鳥越峠」着。峠は、美濃側と近江側の両方が見下ろせます。美濃側は山並みが続きますが、今走ってきた林道も見えます。前回は、ここから美濃側から上がってくれバイクが見えていたので、峠を見上げながら、先行された皆さんのバイクの走行や顔が見えたらいいなと思いましたが、下からは無理でした。前回、琵琶湖側は琵琶湖の湖面まで見下ろせましたが、雲が掛かっていて見えません、残念。
近江と美濃をつなぐ旧道峠で有名なのが3つあり、北から「八草峠」「鳥越峠」「国見峠」です。伊吹山から三国岳まで、1200〜1300mの峰が続き、尾根でも屏風のように2国を遮っています。その北にある「北国街道」は、越前にしか抜けられず、南の「関ヶ原」は「中山道」が通ります。
「八草峠」は美濃側は廃道化のようで、「国見峠」は舗装済で走行可のようで、いつかチャレンジしてやろうと思っています。その他にも峠はありますが、いずれもオンロードバイクでは無理そうです。
皆さんと、達成記念写真を撮りました。対向車はスズキスイフトとジムニー各1台のみ。両方共、僕と同じ林道好きが乗る車です。好きですね、ご同輩。横に、金糞岳(1317m)山頂が見えます。この峠の標高は、1040m。地図によると、比高300m・距離2km。
近江側に下ります。またすぐに離され一人旅です。前回、美濃から越前に抜ける「冠山林道」通行可情報を得て、梅雨明け早々に「鳥越峠」を越えて行ったので、雨水で流された小石が路上に多く残っていました。今回もそれに注意したのですが、ずっと路面が綺麗でした。
14:54、林道の近江側エンド「高山キャンプ場。観光案内板を見ているAさんから、「金糞岳」ってなんて読むの?と質問があり、「かなくそだけ」と答えました。命名の謂れがあったなと思い出そうとしましたが、しっかり思い出せず、「伊吹の神様と金糞の神様が喧嘩して、糞を・・・」なんて適当に答えました。
帰宅して、琵琶湖北岸ツーリングした時、神社の謂れに買いてあったことを書いた日記を検索し、分かりました。嘘八百教えてるし・・・。『伊吹山の神様と、金糞岳(浅井岳)の神様が高さ比べをして、負けた伊吹山の神様が腹を立て、姪である浅井岳の神様の首を撥ねました。飛んだ首が琵琶湖に落ち、竹生島になった』というのと、『金糞岳は鉱山の山で、そこから出る金屎が山名の由来』というのがごっちゃになっていました。頭の中を整理し直せました。
道なりに草野川沿いを下っていくと、r264になり、草野川を渡りr265、雰囲気の良い「谷坂トンネル」をくぐりr276、r273を西進しR8、R8を南下し、15:43「スターバックス・滋賀長浜店」で解散休憩です。2度目のスターバックスで、システムが良くわからないけど、「ドリップコーヒー280円・ラズベリーチョコレートパイ440円」を注文し、屋外スペースで皆さんと歓談します。
ここで解散し、皆さんで「北陸道・長浜IC」に入り、僕が遅れ気味になり、前方でCさん・Sさんがスピードアップして離脱し、16:53Kさん・Aさんに続き、僕も「多賀SA」に入ります。淡路島のたこせんべいさんのお店があるようで物色しましたが、僕は思ってたのがなくパス。KさんもAさんもたくさん買っていました。載せられるのかな?
僕が先に離脱しましたが、やがて混み出して、時速20〜40km/hの渋滞です。途中で、Kさん・Aさんに抜かれました。新名神との合流・草津まで渋滞すると思ったら、上り坂が終わったらところで流れ出しました。「なんなんだ、あの渋滞」、上り坂でスピードダウンするのが引き起こす渋滞だったようです。
SA・PAのない「京滋バイパス」で帰ろうと思っていたので、名神最後のPA「草津PA」に入ります。一旦新名神分岐道に入ってからすぐPAなのですね。17:54「草津PA」。トイレを済ませ、渋滞情報を聞きます。電光掲示もされており、名神は「京都東IC」まで渋滞です。「京滋バイパス」は「笠取」手前で少し渋滞しているだけ。でも吹田JCTまでは、共に60分ということでした。
ならば、往路で「京滋バイパス」を走ったので、名神で帰ろうと決め走り出しましたが、分岐手前から名神は渋滞しており、「京滋バイパス」に入っちゃいました。「笠取」手前の渋滞もほんの少しで、順調に「大山崎JCT」まで来ました。間違えずに名神大阪方面に乗り、渋滞もなく「中国道・豊中池田IC」で一般道に出て、19:01自宅最寄りの「伊丹産業・セルフ北村SS」で給油。240km/9.56L=25.1km/L。平均燃費は24km/Lですが、この日は良かった。SさんのNC700は、2気筒なので35km/Lも伸びるそうです。僕のVTR250の32km/Lより良いとは驚きです。でも僕は、CB400のモーターみたいなサウンドが好きで買ったので、お気に入りのバイクです。多分壊れるまで乗ると思います。
給油後、明るいスタンドの片隅で、車載カメラとナビを外し、いつものように乾拭きをしました。夏の19時ならまだ明るいので、車庫前で作業できるけど、もう真っ暗です。
自宅に戻ると家内がいました。「御飯食べる?」「うん」、いつものようにお互いの今日の出来事を話しました。ああ、楽しかった。

2016/11/13
僕の誕生日です。お誕生祝いに、家内へのプレゼントを買いました。スポーツ用と普段用の中間使いのタイツです。家内は、トレッキングやサイクリングの時、タイツの上に短めのスカートを履きます。お若いモデルさんに敵うものではありませんが、O脚でもX脚でもなくまっ杉伸びた足が気に入っています。
お出かけの時は、スカートを履くことも多いですが、お出かけのない冬の仕事日は、「冷えるから」と何枚も重ね着をします。それを少しでも少なくしてあげたくて、履き心地が良さそうで、温かさもありそうなスポーツタイツを探しました。朝起きて階下に降りると、家内の第一声が「お誕生日、おめでとう」でした。家内と同級生ですが、家内は5月生まれなので、毎年半年間姉さん女房です。僕の誕生日が来ると、何だか楽しそうに祝ってくれます。旦那が同じ満年齢に戻るのが嬉しいのかもしれません。
「ありがとう」と応えた後、用意してたプレゼントを渡しました。「え〜、逆だよ」なんて笑っています。「開けてもいい?」「もちろん」。「うわあ、今日履いてみる」と掃き出し、「どう?」と。細い足が真っすぐ伸び、「きれいな足だな、僕気に入ってるんだ」とナゼナゼしました。
2人で片付けの日なので、8時からあれやこれや、どうのこうのして終えると、「お墓参りに行かない?帰りにケーキセットを食べたいの」と言うので、「何故お墓参り?」と聞くと、僕の誕生日を両親に報告するためだって。
車に乗り、川西能勢口からr12で北上します。「道の駅いながわ」に入ります。11時過ぎですが、ほぼ満車の盛況ぶりです。お花を買いに入ると、野菜売り場でもあり棚の野菜が次々に売れていきます。一通り売店を見て回り、夏に帰省した長男一家と来て、孫と水遊びした裏の川を見ます。
11:30と早めだけど、十割そばを食べます。僕「山菜とろろそば950円」、家内「たぬきそば750円」、出汁がとても美味しく、細麺のそばが美味しい。満足して道の駅を出て、12時頃お墓に着きます。掃除をして、お花を供え、お線香を上げて、僕の誕生日を報告します。天気が良く風が穏やかで、暖かくて気持ちが良い。
往路目についたお店、道の駅の道を隔てたところにあるカフェ、猪名川酒造建物にあるロペス、バイカーズカフェ・アンクルを天秤にかけ、ロペスに寄ります。一度行ったことがありますが、開店前の時間帯でしたので、初入店です。
猪名川酒造の建物は雰囲気抜群で目立ちます。中に入ると、ビンテージ物のバイクや車が贅沢なスペースを取りながら展示されています。席は何処かな?お姉さんがカウンターにいたので、「ケーキセットありますか?」と聞く。ここで注文、精算し、屋外のガーデン席だそうです。
展示車を見て、ガーデン席に行くと、先客さん4人グループさんがいました。店前の駐車場に僕の車しかなかったので不思議に思っていると、どうやら裏にも駐車場があるようです。
家内はチーズケーキとホットコーヒーのセット、僕はアップルパイとアイスジンジャーエールのセットです。アップルパイ生地が柔らかめでとても美味しい。家内が、僕とケーキセットを携帯電話で写真に収めます。僕のPCにその場で送り、「子どもたちにメッセージ付きで送るように」だって。確か去年も、こんなシチュエーションで写真を撮り、祝ってくれたような。
4人組さんの1人はバイク乗りのようで、バイクの話をされている。後からやってきた消防団さんは、お食事を注文されていました。いい感じの量で、好感が持てます。消防団さんはバイク教習所通い中で、4人グループさんのバイク話の輪に加わっていました。4人グループさんの中で最も華奢で瀬も低い女性が、なんとH2乗りだとわかりました。消防団さんとともに、僕もビックリ。
BMWのオープンで男性が来られました。見えるところに車を停め、常連さんらしく店員さんとおしゃべりしながら、スマホ相手にゆっくりとした時間を過ごしています。
大型バイクで男性がやってきました。この方も常連さんのようで、先にカウンターで注文するスタイルを飲み込んでいます。続いて2台のバイクがやってきて、ツーリング中と思われる男性2人が、お食事を注文されています。みんなバイク乗りさんばかりです。
僕は、ちょっと裏を探索しに出かけます。未舗装ですが、広い駐車場があります。ゆったりした時間を終え、店を出ます。家内を裏に誘い、広い駐車場を経て、建物をぐるりと回って車に戻りました。
r12をブーンと帰宅し、僕も最も好きな映画「ジョーイ」を見ることにしました。まだDVD化されておらず、昔買ったVHSビデオを見ます。家内の部屋のTVはVHS一体型でしたが、それはデジタル化とともに変わり、僕の部屋のVHSビデオデッキで見ます。「使えるのだろうか?」と数年ぶりの使用を心配しましたが、TVとの配線を切り替えるだけで問題なく動きました。
僕らが大学4回生だった頃の映画で、ジョーイの兄・ジョンキャパレティを中心に描いた一家のノンフィクション物語です。ジョンは、ロサンゼルス・ラムズのランニングバックで、ハイズマントロフィー(全米学生最優秀賞)を取ったアメリカンフットボール・プレイヤーです。その大学時代(ペンシルバニア州立大学)3年間を描いた秀作です。
僕は、この物語の父親が好きで、「こんな父親になろう」と決めました。地味な目立たない父親ですが、妻を労り、5人の子どもたちの成長に、いつも前向きなアドバイスをします。特に一番下の子・ジョーイ(白血病で運動が苦手)をよくサポートし、彼がやりたいベースボールのコーチを務め、三振とポロリばかりのプレイにも、笑顔と前向きな言葉を掛け続けます。
なんど見ても素晴らしい映画で、家内も覚えていたので、家内と最初に観た映画かもしれない。
映像は随分劣化していましたが、大感動とともに映画鑑賞を終え、その後「モヤモヤさま〜ず」や「京都大原の里」に住む方が紹介された番組を見て、1日を終えました。

2016/11/6
コーチしてる大学ヨット部の全日本団体戦最終日です。会場は愛知県蒲郡。過去何度も息子のレースのサポートや、ジュニアヨット協会理事時代に全日本や世界選手権最終選考会で、事務局・広報委員長として詰めていた思い出の多いハーバーです。しかし、日帰りには遠すぎるので、参加出来ないと選手たちに伝えていました。
土曜の夜、「やっぱり行こう」と仕事を早めに切り上げました。「車に布団を積み込み仕事後走り、眠くなった所で寝て、どうせ夜明け前に起きるのだから、そこからまた走ってハーバー入りすれば、体への負担を減らせるだろう」と。スキーに行くときのいつものスタイルです。ところが、お腹の調子は悪くなり、何度もトイレのお世話になってしまい、自重することにしました。
夜中何度トイレに駆け込むかな?と思いながら22時過ぎに床に入ると、朝までぐっすりで体調は一気に回復しました。4時に目が覚めたので、ツーリングに出ることにしました。家内は、仕事の勉強会です。
先週時間入れで行けなかった兵庫県福崎町の北・「笠形山・千ヶ峰周辺の林道」も候補でしたが、奈良県南部・大台ケ原の南・R169とR425を結ぶ「栃谷西ノ谷林道」にチャレンジすることにしました。標高1100m超えの高所舗装林道です。空気の澄んできた秋なので、晴れていれば大峰山系の高峰の連なりが一望できるでしょう。1週間前の山岳寺院「日光寺」への細道のようなところはなさそうなので、「招き猫CB400SB」で出かけます。
5時に出発し、阪神高速空港線〜東大阪で近畿道に乗り換え、南阪奈道で奈良県入りし、高田バイパスで橿原へ。R169を南下開始。GSが殆ど無いエリアに入るので、オープンしてたセルフ店で給油します。6:01、「セルフ畝傍御陵前」193km/8.27L=23.3km/L。6:28、今年3度目の高取城址への登り口にあるコンビニで、バナナと麦茶を購入。店内で、朝食としてバナナを1本食べます。更にR169を南下し、「道の駅・吉野路大淀センター」前を通過して、r255〜r222で広域農道的なワインディングを楽しみ、吉野川に下って再びR169。
7:00、前から気になっていた「大名持神社」に寄り道。『祭神:大名持御魂神・須勢理姫命・少名彦名命 延喜式神名帳に大和国吉野郷10座の1つとして列せられ。大月次新嘗の官弊にあずかる。貞観元年正一位の神階を授けられた。神社下の吉野川潮生淵に毎年6月30日、海水が湧き上るとの伝えがあり、国中地方から当社に参詣し。この淵で禊する「大汝詣り」が今日も続いている。境内妹山樹叢は、天然記念物指定されている』
「大名持御魂神」は大国主命で、「須勢理姫命」はその妻、「少彦名命」は大国主の国づくりに協力した片腕で、チビだったそうです。一寸法師民話のモデルです。神明式のコンクリート鳥居から、30〜40段の階段を登って行くと境内があり、何の変哲もない拝殿があります。板玉垣に囲まれた後の本殿は、茅葺屋根で雰囲気が一気に上がります。謂れ板に書いてあった天然記念物の社叢は、本殿後の大杉がひときわ目立ち、原始からの営みを感じます。樹齢は如何ほどなのか?R169を南下します。「道の駅・杉の湯川上」を過ぎます。この日は何かあるのか、朝早くからガードマンが出ています。r258との分岐を過ぎ、TM(ツーリングマップル)に、「このあたりすごい滝が連続」と書かれている「上多古川」上流「上谷」地区探索するために、R169から枝道に入ります。
雰囲気の良い細道が続いており、大石ゴロゴロの上多古川沿いの道が気持ち良く、何度も激写タイムを取ります。四国には負けますが、水が綺麗で少し深いとエメラルドグリーンです。2つの沢流が合流する合流する所で道が分かれ、それぞれの川に沿って遡っています。そこに道標が立ち、「上谷」は「Kodani」と発音するようです。
「上谷」へゆっくり登っていくと、樹齢何年?と言うような巨杉が時々現れる原生林という雰囲気になってきました。鹿が出そうです。7:59、前方の枯れ葉が道路を前面に覆う状態になり、倒木が道路を塞いでいます。ここまで意外に舗装路が続いており、問題なく進んできましたが、ここでジ・エンドのようです。
バイクを降りて見に行くと、倒木ではなくゲートでした。開閉して進めるかな?と思ったのですがビクともせず、退却することにしました。ゲートを過ぎれば、また道路を覆う枯れ葉が少なくなっているので、林業関係者の交通量はありそうです。
『火元じゃと 7代たっても 人が言い /北村林業』俳句で火の用心しています。『作業道及び岩石の崩壊を招くため、沢登りを固く禁ず /山主』。「ちぐさモノレール」と座席に書かれた真新しいモノレールが、斜面を上がっていました。林業関係者が敷設したのでしょう。簡単な構造で、容易に敷設撤去でき、原付エンジンでぐんぐん登るモノレールは素晴らしい。
TMに載ってる「すごい滝の連続」はありませんでした。更に奥にありそうですが、トレッキングでチャレンジしないと無理です。「すごい滝の連続」は拝めませんでしたが、気になる道を消せたし、原生林に迷い込んだような体験ができ楽しかった。
R169に戻り、更に南下。大台ケ原への登るr40分岐を過ぎ、R309分岐も過ぎます。7月に走破したR309は、一部通行止めのようです。また土砂崩れを起こしたのでしょう。現在R425の一部が長期通行止めですが、紀伊半島中央部は、国道といえどしょっちゅう通行止めになります。
8:53、「道の駅・吉野路上北山」。売店は開店前ですが、トイレ休憩します。駐車場では、車からロードバイクを下ろしたり、走り出す姿がチラホラ。ここを起点に、大台ケ原などにヒルクライムされるのでしょう。僕にはとても無理です。ここから本日のメインイベント・高所林道「林道・サンギリ線」に入ります。
r226・から「林道・橡谷西ノ谷線」に分岐する道が定かではないので、まず前回確認済みの「サンギリトンネル」に登る道にアプローチします。北山川を渡り、「ここかな?」と思いながら野生の勘で入っていくと、どうやらビンゴのようです。
順調に標高を稼ぎ、木々の切れ間から山並みが見え始めました。晴れていますが雲が多く、コンデションはイマイチですが、高所感が素晴らしい。道は舗装され、幅も広いので、四輪の離合もさほど問題ないです。
9:34「サンギリトンネル」。標高850m。R169が走る谷を隔てて大峰山脈が見えていますが、クリアに視認とまでは行きません。ここまで、対向車1台と写真を撮っている間に抜いていった3台の年配者グループ車のみで、都会を離れた絶景を自由に気の向くまま楽しめるのが良い。舗装林道は最高です。
トンネルを抜け、東側に出ます。『これより18km先・備後橋通行不可』、ここまでに『R425まで・・km』と書かれた案内板を何度か見てきましたが、備後橋はR425の通行止め橋です。TVにニュースでは、紅葉の名所紹介されていますが、関西の紅葉はまだのようです。
西ノ谷をR425に向けて下ります。9:49、抜いていった年配者3台グループが停車しており、なんとお爺さんがロープを垂らしています。下を見ると、滝が見えます。緊急停止し、「野草取りですか?」と聞いてみました。よく聞き取れませんでしたが、ロープを伝って鎌を持ったお爺さんが上がってこられます。メンバーにはお婆さんも混じっており、幼馴染〜悪ガキ一味〜そして現在もダイナミックな山遊び仲間って感じで、たくましさを感じます。「ヤマメ取り」と聞こえたのですが、まさかこんな山奥の高所の滝つぼで、ヤマメ取りはないわな〜と思いました。
更に下っていくと、木々の切れ間から眼下の湖が見えてきました。「坂本ダム湖」のようです。10:15、「坂本ダム」。慰霊碑があります。ダム建設で落命した殉職者の名前が刻まれています。昭和37年完成のようです。ダム上が道路になっており、そこを渡ったところが、R425との合流部でした。
ダムの川下も湖になっており、「池原ダム」のダム湖と連結している形になっています。巨大ダムを見下ろし、次の訪問地や帰路ルートを考えていると、R425三重県側から軽四がやってきて止まりました。
良いタイミングです。「R425で海岸線まで抜けられるか」聞こうと思って会釈したら、先に「どちらから来られました?」と聞かれたので、山の方を指差すと、「サンギリ峠」越えですかと聞かれました。「ここから三重県海岸まで、R425は通れ、良い道だ」という情報を仕入れ、サンギリ峠の情報を伝えました。どうやら、「国道より県道、県道より林道」という同じ嗜好の方のようで、話が弾みました。
近隣の滝のことを聞くと、少し三重県側に走ったとこに良いのがあるらしい。以前、「上北山村」ウェブサイトから仕入れ、プリントアウトした滝の地図がTMのページに挟まっており、「不動滝」と「かくれ滝」のようです。「かくれ滝」では、ロッククライミングで滝登りをされていたようで、聞いたら6時間掛けて登るのだとか。車が停まっているとのこと。
お爺さんがロープを垂らして「山菜採り?」をしていたことを話すと、「それは、シダ取りでしょう」と、三重県在住の方なので詳しく教えてくれました。三重県では、年中玄関にしめ縄を張る風習があるらしく、しめ縄にシダを挟むのだとか。裏白のシダが良いのだとか。
三重県のジジババは元気で、お勤めの会社の社長さんが消防団団長をされており、行方不明が出ると、駆り出されるそうです。行方不明になった本人も慣れており、日没したら動かず体力を温存し命をつなぐそうです。
風が強く、グローブがバイクから落ちました。三重県に出て、帰宅することに決め、「じゃあ、R425通行止めの備後橋を見に行きます」と言って別れました。軽四さんは、「サンギリ峠」方面に上がっていかれました。せっかくの縁なので、遊びの名刺を渡しておきました。
僕は、R425を西進します。一旦下り基調で、また登って、また下り、11:02「備後橋」到着。少し手前から赤い橋が見えており、「災害で落ちた」と想像していたので、「あれっ」って感じでした。「鋭意再建中の工事現場が見れる」と思っていたのですが、拍子抜けです。橋手前の車の前に作業員さんがおり、これから仕事を始めるようでした。
「通れないよ」と笑顔で言われましたが、バイクを置いて見に行きます。見た感じは通れそうで、老朽化しているのだろうが、このような橋はたくさんありそう。場違いに「養蜂箱」があり、不思議に思う。
「ありがとうございました」と言って退散。R425を今度は東に向かい、11:08橋を渡るところで、景色を激写タイムしようと止まってパシャパシャし始めると、そこに止まっていた車から男性が降りてこられ、「写真取るなら、素晴らしい滝があるよ。ゆっくり歩いて20分だけど、道が整備されてるから迷わないよ・・・」と声を掛けてくれました。
この方は、R425を西に走っている時、鎌を持って歩いていた方で、「シダ取りかな?」と思った方です。小屋の横に、「これより上流、全面禁猟区」と書かれた看板が出ており、案内されるままそこを入ると、木の階段があり、「千尋滝 これより300m・徒歩20分」と書かれた看板が立っています。国道から見えないので、これに気づく方は無さそうです。
「往復1時間か・・・」と計算し、せっかくの縁なので行くことに決定。前述の「上北山村の滝」に載っています。ダムで会った方には、こちらに滝はないと聞いていたので、あっても大したことないと思っていたのですが、このご主人は押してくれます。更に、ダムで会った方に紹介された2つの滝も勧めてくれました。「観に行きますわ、ありがとうございます」と言い、バイクに戻りヘルメットを脱いで帽子を被ります。この帽子はバイクに常備しており、内蔵の網を下ろせば、顔・首を網が蚊やハチの襲撃から守ってくれます。山城探索の必需品です。
11:15、いざ入山。階段を登り、人一人しか通れない山を削った獣道を進み、雑木を組んだだけの橋で地面のないところを渡り、スリル満点です。落ちても木が生えてるので、どこかに引っかかりそうで意外に安心。獣道なので道がわかりにくいところもあるが、木の階段や橋が目印で、見渡せば見つかります。一旦沢に降りて、また登り返し、まだまだ先だろうなと思っていると、突然木々の間から滝が見えました。
11:24、「千尋滝・落差82m」到着。見事な滝です。滝の下には、巨岩がゴロゴロしており、滝壺が出来る前に、岩が崩れ落ちるようです。大満足し、帰路につきます。R425に戻ったのが、11:31。看板の「徒歩20分」は、片道ではなく往復だったようです。
R425を東進し、坂本ダムを通過して更に東に向かっていると、先程の鎌おじさんが何か探しています。「ありがとうございました。良かったですわ」「そやろ、次の滝は道路から見えんけど、案内板が立ってるよ。徒歩1分だから、見てみな」。
次の滝に期待を膨らませていた11:54、カーブを曲がると、目の前に鹿。緊急ストップしましたが、鹿は逃げません。バイクを置いて、カメラを構えて間合いを詰めます。キジに続き、この日2度目の野生との遭遇です。結局、その後またキジに出会い、この日は3度野生と遭遇しました。ダム湖の方を見ると、先程の「備後橋」と同様な構造の赤い「出合橋」が見えています。
道なりに、「出合橋」を対岸に渡り、12:03「不動滝・落差70m」が目の前に見えてきました。ダム湖に直接落ちる滝で、ダム湖がなければもっと落差があるでしょう。不動滝は双子滝になっており、不動滝の上に「銚子滝・落差40m」があります。赤橋の上が展望スポットで、僕が写真を写していると神戸ナンバーの車が止まり、カップルが降りて来られました。もっと滝に近づこうと、少し山に入りましたが、やはり橋の上が一番です。
旦那さんに会釈し、スマホで写真を撮っていた奥さんと「上にも滝がありますね」と話し、坂本ダムで会った方に勧めてもらった滝に向かいます。「ロッククライミング滝登りをまだしてるかな?」。目当ては、「クライマーの車が停まってる」です。
12:22、小さな谷筋に車発見。小さな案内板が立っています。「ならクル・上北山ルート かくれ滝」。これまで何度も見たサイクリングロードの道案内で、自転車のスピードなら見えるけど、車なら見過ごしそう。
山に入り、雑木で作った簡易の木の橋を渡ると、滝の横顔が見えてきました。巨岩ごろごろで、これ以上整備されたルートはなく、適当に岩を歩きます。滑るので、両手も使い近づくと、12:26ドカーンと「かくれ滝・落差103m」。残念ながら滝登りをしているお二人の姿はなく、きっと更に上流に沢登りをしているのでしょう。坂本ダムの方の話では、1人が登り、もう1人がザイルを持ってサポートしていたそうです。交互に登って行くのでしょう。
全ての滝共通ですが、最近雨があまり降っていないので、水量が少なめです。梅雨時などに来れば、大迫力でしょう。12:28、バイクに戻りました。
ここで思案です。ナビに帰宅ルートを訪ねると、R425を東進し、三重県の海岸に出ると、250km・4時間。R425で尾鷲に出て、紀勢道〜伊勢道〜第二名神〜名神〜中国道という大回り・高速道路ルートです。多気町からR166で奈良県・櫻井に抜けるルートだとショートカットだけど、時間的にはもっと必要です。
対して、R425を西に向かい、R169を北上するルートだと、170km・4時間半。あいにく「備後橋」が通行できないので、再度「サンギリ峠」経由出ないと無理だけど、高速道路より楽しいに決まってます。よって、往路走れなかった「橡谷西ノ谷林道」を走ることにしました。
R425を西進して「坂本ダム」に戻り、ダムを渡って、12:52「林道・サンギリ線」に突入。小さな滝や花、絶景を見つける度に激写タイム。山の斜面に刻まれたこれから走る林道や、走ってきた林道を見つけると、満足感満点です。
13:16、往路ジジババさん達がクライミング・シダ取りをしていた場所でバイクと停める。往路は前下がりだったので、バイクから離れると自走して倒れそうで、怖くてバイクを降りれませんでした。2段の緩やかな滝があり、男性的な雄大さはありませんが、なかなか良い感じです。
13:24、「サンギリトンネル」。上空を見上げると、雲の流れが早い。風があり、雲も朝以上に増えており、大峰山脈の絶景は見えそうにない。でも行ってみよう。これから進む方向に、「林道・橡谷西ノ谷線」の表示が立っていました。
「サンギリトンネル・850m」は、「林道・サンギリ線」の最高所ですが、ここからぐんぐん登ります。峰の東側を走っていましたが、西側に林道ルートが変わると、強い風を感じます。風速で8m/sは吹いているでしょう。樹木が少なくなり、吹きっ晒しです。西の展望が開けますが、予想通り大峰山脈は霞んでいます。13:42、「展望東屋」到着。風が強いので、グラーブが飛ばないようにカウルの影に置きます。すぐに軽四が反対方面からやってきて、ご夫婦が降りてこられました。挨拶するが会話にならず、そそくさとサンギリトンネル方面に下って行かれました。
僕は、ここで食べようと残してきたバナナを持って東屋のベンチに座り、霞んだ絶景を見ながら食べます。これから進む峰の林道の下で、紅葉が始まっています。更にゆるく登り、ここらが最高所のようで、標高1100mです。ここを過ぎると、道が急角度で下り、バイクだと「登り」ではなく「下り」で利用したい感じです。
何度も絶景激写を繰り返し、14:14「瀬以呂トンネル」。14:24、r226との分岐・350mに降りてきました。前回大台ケ原探索の時、「ここかな?」と思った場所がビンゴでした。「渓谷の秘境・小処温泉、山のホテル・バンビ 6km」と書かれた看板がある90度カーブです。「大平瀬橋」を渡っていくのが、「林道・橡谷西ノ谷線」です。「ならクル・南部一周コース・道の駅」と書かれたサイクル看板が立っています。なぜ「道の駅」なんだろう。この先に道の駅などないのに・・・。
r226を下り、R169に乗り換えて北上開始です。15:19、すぐにある「道の駅・吉野路上北山」で、アイス・150円と干しぶどうきなこ・324円を購入。「干しぶどうきなこ」という珍しいお菓子を買ってみましたが、帰宅後家内と食べた感想は、イマイチ。家内が好きなきなこがまぶされた「わらび餅」の食感を想像したのですが、きなこが卵の殻のようになっており、その中に干しぶどうが入っているだけです。でもカッパえびせんのように、ポリポリ半分ぐらい食べちゃいました。
ここにある温泉施設に、ローディーやトレッキングスタイルのグループが入っていきます。1日遊んだ疲れを取っていくのでしょう。
R169を北上していくと、速度は制限速度の50〜60km/hですが、北山川沿いのワインディングが楽しく、大台ケ原分岐まであっという間でした。後続の四輪も高速で差を詰めてくる車はなく、前に時々見える四輪に少しずつ近づくものの同じぐらいの速度で、離れたり近づいたりで楽しく、「道の駅・杉の湯川上」到着。
朝感じたように、何かイベントをやってるようで、車が多いです。道の西側の駐車場にバイクが誘導されました。スペースを見つけて横並びで置きましたが、次にやってきたグループが、ガードマンに先客バイクの後ろに置くように言われ、「出れないじゃないか、何考えてんねん」と怒って、出ていきました。
R169を北上し吉野、往路同様r222〜r255でワインディングを楽しみます。圧倒的スピードで、大型バイクが3台抜いていきます。R169に合流。畝傍の「橿原神宮」から混みだし、「大和高田バイパス」に乗ったら、後はスッキリ70km/hで「南阪奈道」に道なりに乗り、近畿道〜中国道で、17:36近所の「伊丹産業セルフ北村」で給油。280km/11.84L=23.6km/L。
帰宅すると、家内はすでに帰宅しており、大台ケ原の南の山道を走ったと告げると、「紅葉はどうだった?」と。電車で出かけるといつも持ち帰る観光パンフレットを持ってきます。阪急電車とJRのもので、沿線の紅葉ポイント特集されています。「来週の日曜日は、ここに行きたい」と、美作の因美線の紅葉列車が紹介されたページを示します。
もう一つ、「凄いの見つけたの」と見せてくれたのが阪急電車のパンフレットで、1ページ全部使って、「桜谷軽便鉄道」が紹介されています。長男一家を連れて行った「隠れたちびっこ大満足ポイント」です。孫の遼くんが大喜びで、結局最後まで連続乗車し、運転手帽子を被り運転もさせてもらいました。「あ〜、これでメジャーになっちゃうのでは・・・」。貸し農地の一角で、ボランティアが集まり、月1回だけ無料運転してるだけなのに、大勢詰めかけたらどうなるのだろう・・・。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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