ウェブマスター日記 2015/7-8

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2015/8/30
家内は仕事関係の下見で、京都に行きます。8時頃家内を駅まで送り、帰宅してお天気の様子見です。助手席に座る家内の横顔を見て、「いやあ、美人やなあ」とまた言っちゃいました。天気予報は、午後から雨が止むとなっていますが、6時頃降っていた雨も上がり、既に雨は降っていません。遅めの朝ご飯を食べながら、NHKの農業番組と政治番組を見ます。
バイク装束を着込みます。コミネプロテクターメッシュパンツは、ずっと同じですが、夏前に家内とお揃いで買った「コミネ・プロテクト・メッシュパーカ・L・ブロンズ・11600円」を初めて着ました。パーカなので帽子付きですが、これは使わないので、外します。ファスナーとマジックテープで襟に繋がっているだけなので、簡単に外れます。バイクを買った時(2008年)に買ったコミネプロテクターメッシュジャケット・7000円や、去年買った3シーズン・コミネプロテクターメッシュジャケット(16500円)と違い、メッシュ糸は細めなので、全体的に柔らかいジャケットです。家内用ジャケットも同様にしっかり生地だったので、「重い」と不評でした。そこで、少しでも軽く、そして女性用もラインナップされているので、ペアルックに出来ると思い購入しました。軽めですが、透けることはなく、ちょっとカジュアルな感じがしてナイスです。肩・肘・胸にハード、背中にソフトプロテクターが入っており、安心でもあります。お値段も手頃なので、売れると思います。秋からは、通勤用として使い出すので、活躍してもらいましょう。
「里山・ひこにゃんVTR250」を出して、10:46出発。目的地は、篠山盆地の西の山塊です。東:武庫川・西:加古川・北:篠山川・南:R372に挟まれたエリアを、歴史探索しようと思います。篠山から篠山川沿いr77を西進し、「JR谷川」から「高座神社」「首切地蔵尊」を訪ねます。加古川を南下し、R372で篠山に帰りがてら、気になる枝道に入り探索しながら篠山に戻るコースです。
長尾山トンネル〜r325〜r33〜r323〜r37で羽束川沿いを走り後川奥へ。ここから後川奥林道で永沢寺に上がります。r49に乗り、美濃坂峠を越えて篠山盆地に下ろうと思ったら、峠へのアプローチに「通行止め看板」が出て、道を半分塞いでいます。先月、逆方向から入ろうとして、R372から分岐したとこに「通行止め看板」があり断念しましたが、まだ通行止めが続いているようです。これは困りました。ここが抜けられなければ、新三田まで戻ってR176か、r12で城東トンネル越えしかありません。いずれにしても大きなロスです。
バイクなので、通れるかもしれないと思い、強行突破しました。11:54、美濃坂峠の近畿自然歩道・「ふきのとう休憩所」で、全面バリケードされていました。バイクを置いて、崩落現場を見に行くことにしました。峠を越え、篠山側の展望台手前まで歩きましたが、崩落現場はまだ先のようです。晴れた日でも、山側の崖から水が滲み出ているエリアのようです。道が細いので重機も入りづらいところなので、「しばらく、あかんな」と思い、バイクに戻りました。
すると、一眼レフ2台を首から下げた男性が、三国ヶ岳の方から降りて来られました。「三国ヶ岳に登られたのですか?」「いいえ、少し下に軽四を置いて、ぐるっと上がってきました」。三国ヶ岳山頂は、篠山盆地の雲海ポイントです。木々が成長し、盆地を見下ろす景観はイマイチになっていますが、それでもここらの最高峰なので、景色はいいです。
「行けないでしょう。地元の方の話では、道が落ちてるから、1年ぐらい通れないということですよ」「そうなんですか」「昔は、つづら折れを切り返ししながら、バスが走ってたんですよ。当時はどうも思わなかったけど、路線が廃止されると、一度は乗ってみたかったなと思いますよ」・・・バイクだから平気で突っ込みますが、車の時は避ける道です。この道をバスが走っていたとは・・・。
意気消沈し、お昼でもあるので昼食を食べることにしました。r49を戻ると、屋根の銅板が金色に輝く新築中のお宮が目に入りました。12:10「大歳神社」、摂社も丁寧に朽ちた足をジャッキで支えながら、修理中でした。「シュガー」を見ると「定休日」となっていました。日曜日は定休日じゃなかったのに・・・。観光客を集める永澤寺と篠山盆地を結ぶ道沿いだから、r49の通行止めで客足が鈍っただろうな・・・。永澤寺を通過し、「バイカーズカフェ・虎亀」さんに行きました。ゼファーが3〜4台停まり、オーナーさん方が駐車場でおしゃべりしています。
店内に入り、ピラフセットを注文。お天気の話題や、奥さんがニンジャに乗り換えたことは聞いていましたが、ご主人もハーレーをゼファーに乗り換えたそうです。ご夫婦は、アメリカン乗りからネイキッド乗りに変身されたようです。相変わらず、可愛らしい奥さんです。ご主人さんが、「r49の開通は半年かかるのでは?」と言っておられました。
食事を終え、店を後にします。もう予定通りこなすのは無理ですが、首切り地蔵尊だけでも見に行こうと思います。r49を永沢寺まで北上し、後川奥林道で後川奥へ。お店を出てから落ちてきた小雨が強くなったので、13:48・神社に雨宿り。雨が上がったので再出発し、久しぶりに曽地奥林道に入ります。獣避け網を開閉して山に入ります。あの網ができてから、交通量が更に減ったのだろう、枝が道に下がり、雑草の道への侵食が進んでいます。廃道寸前の感じがします。
曽地奥〜r308〜r12でR372。R372を西進し、r77に入り篠山川を渡ります。舞鶴道の高架下を抜けたとこで、「あの山城跡に寄ろう」と思い立ち、側道を北に上る枝道に入りました。舞鶴道から見えているお宮が、山城跡ですが、ビンゴ!とは行きませんでした。ゆっくり走り、止まって上を見上げ山の形を確認しながら走ると、車が沢山路上駐車していました。「あれ、不思議?」と思ったら、「西紀SA」の裏でした。外からSAのお店に入れそう。
更に進むと、14:32・目的のお宮到着。真横を舞鶴道が走り、小高い山頂に向かって、階段が付いています。現在「稲荷神社」が建つ「内場山城址」です。ササユリがいっぱい咲いています。山頂の稲荷神社に上がり、更に奥の山頂に上がり、曲輪などを探索しましたが、「これぞ」という痕跡は発見できませんでした。稲荷神社からは、西紀地区が見下ろせ、景観はナイスでした。南の篠山口・住吉台も一望でき、物見としてもいい位置にあります。
更に側道を北に進みます。14:45・お宮がありました。『川内多々奴比神社 祭神:天照大御神・建速須佐之男命 崇神天皇の御代、将軍丹波道主命が野陣を張り、賊徒征伐に苦慮された時、白髪の翁が現れ玉剣を授けた。その加護により平定することが出来たので、勅命によりここに宮地を営んだ。天武天皇白鳳元年、国司により造営され、氏子中20社の総社で平生は一ノ宮と呼んでいる』
背後の小山を背に社殿が建ち、前に沼があり、ガマの群生地になっている。豪族の館地や陣地としていい立地だなと思いながら社地に入ると、『頼光駒止めの樫 990年、摂津守・源頼光が大江山の鬼退治に向かう道中、当社に立ち寄り太刀一振りを奉納し、必勝祈願しました。伝説の駒止めの樫は老木のため、昭和38年の豪雪で枯れましたが、現在直系の樫が育っています。太刀は神社の宝物になっています』
渡辺党・渡辺綱や足柄山の金太郎を家来に、藤原氏の傭兵として大活躍し、清和源氏のその後の隆盛のもとを築いた有名人・頼光の痕跡がこんなところにひっそりと残っていました。樹齢1000年のイチョウもありました。ここも舞鶴道の真横で、現代文明に押しつぶされそうです。あやめの咲く池・沼もありました。参道を挟んで左右に、ガマの沼とあやめの池があり、遠征隊を野営させる絶好の地でした。舞鶴道を隔てて水田が広がり、頼光の時代は水はけの悪い大湿地や沼・川などが走っていたのかも。脳内想像の翼を広げながら、更に北に走り出しました。
舞鶴道の東に抜け、r289に合流し、15:03「明月神社」。『祭神:月夜見命 後鳥羽天皇・1188年創立。神社後方は絶壁状の岩山で、一瞬の地盤沈下で裂かれた岩が鏡のようになったことから、断層鏡肌と呼ばれる。裂かれた岩の片側は、神社の下にあると云われています』。月夜見命は、天照大神・素盞鳴尊の兄弟で、月の神様で夜を治めます。後鳥羽天皇は、平清盛・木曽義仲・源頼朝・義経など、武士勢力と丁々発止と渡り合った後白河法皇の院生時代の天皇で、晩年は祖父・後白河同様、武士打倒を画策したが、鎌倉北条執権に露見し、隠岐の島に流され崩御した。昭和天皇もそうですが、武人を抱えその上に乗っていながら、武人政権には否定的なのが天皇家の基本的な考えのようです。蟇股などの彫刻が素晴らしい。拝殿左右の柱に新しく大きめの榊が配され、地元の信仰が厚いようです。
r289は再び舞鶴道の下をくぐり西側へ。「佐仲オートキャンプ場」というのがありました。更に奥に進むと、「佐仲ダム」があり、「佐仲峠2.3km・三尾山3.2km」となっていました。「三尾山」山頂に、三尾山城がありました。荒々しい山頂の様子プラス比高もあるので、攻めるのに難しい威風堂々とした印象を受けます。山城攻めの候補地です。佐仲ダム湖は、釣り池になっていました。その横にあった謂れ板には、『佐仲峠 古代、出雲族・楯縫族がこの佐仲峠を越え、河内の郷に移住し、開拓した由緒ある峠である。この峠は、西国巡礼道であり、篠山から宮津に通じる道にして、多紀郡から福知山に向かう最短距離としてこの峠を利用する者が多く、峠の入口には清水の湧き出る茶屋・清水茶屋があ離島げの名物として賑わった』
『分水界 雲海の怪 鏡峠入口』と書かれた杭も立っていた。地図で鏡峠を探すと、舞鶴道のトンネルの真上にありました。西紀周辺は霧のメッカなので、それを見下ろす絶好のポイントなのでしょう。巨大な篠山盆地の北西の位置なので、朝霧の朝は、霧に沈む盆地の中央から太陽が上がってくるのを見れるのではないだろうか?
15:24、県道のどん詰まり到着。『この先通り抜け不可 関係者以外通行ご遠慮ください』と書かれていました。『佐仲峠1.6km・三尾山2.5km』。舗装路がまだ続いているので、城攻めの時はもう少し進みたいところだけど、15時を回ったので、ここから帰路に着きます。ハイキングコース図も立っていました。
舞鶴道に沿って南下し、往路気になったr140に乗り、西に走り出します。すぐに、『観音堂・耳薬師』の看板が目に入り、また寄り道です。『本尊:薬師如来・十二神将 耳に効験の如来、付近に南北朝時代の宝篋印塔二基』とあるので、登ってみます。本尊は当然拝めませんでしたが、宝篋印塔は見つかりました。野ざらしなのに余る朽ちておらず、豪族の墓かな?と思いました。バイクを置いて、登ろうとすると、横のお宅からご主人が出てこられました。軽くお辞儀をすると、「こんにちは」と思いのほか明るい挨拶が返ってきて恐縮しちゃいました。境内の草刈りなども、日常としてされているのでしょう。僕は不審者とは映らなかったようです。
バイクに乗り、更に西を目指そうとしますが、西の空の雲が暗く、雨が降っていそうです。1つ峠を越えたとこで、左の枝道に鳥居を見つけ寄り道します。鳥居前にバイクを止め振り返ると、先ほどの観音堂の裏山の山頂が、「いかにも中世の山城があります」という地形に見え、観音堂は当時この地を治めた豪族の日頃の館として機能していたのかもしれない。観音堂から細い山道があったので、それが大手道だったのかもしれない。
鳥居をくぐり階段を上がると、あっさり加茂神社に着きました。探索用にお賽銭をはずみ、本殿裏の山頂に登ってみます。大きな収穫もなく、探索終了。バイクに戻り、喉が渇いたので、西紀SAに向かいました。往路で見つけたSA裏道路に駐輪し、16:10裏からSAに入りました。おトイレを拝借し、アイスを買おうと思ったら、破格の230円だったので、無料のお水だけ飲んで退散しました。バイクを止めたとこも、ササユリの群生地でした。
r77〜R372〜r12で南下しました。大野山にも暗い雲が掛かり、小雨が落ちてきます。これ以上強くなるとカッパだなと思いながら、南の明るめの空に期待して走っていると、雨雲の下を通過したようで、雨が上がりました。r319〜r33で、西谷大池のドライブインに下がる「氷」の暖簾に惹かれて入店。今年最後のかき氷になるでしょう。「いちご350円・いちごミルク400円」、どう考えてもミルクをかけるだけで50円プラスはアレですが、いちごミルクを注文しました。
ここは、大池釣り堀横に位置し、釣り堀を見ながら食事ができます。かき氷を食べ終わると、暖かいお茶が出てきました。8月とはいえ、時折小雨が落ちるかき氷には寒い日なので、気を利かせてくれたようです。温かいお茶が、胃袋を温めました。精算時に「お気をつけて」の言葉を頂き、店を出ます。
r33〜r325〜長尾山トンネルで大阪平野に下り、17:58・「宝塚176出光」で給油。219km/7.36L=29.8km/L。18:06、帰宅。家内が帰っていました。JR京都駅・山陰線ホームで待ち合わせ、JR嵯峨嵐山で下車し、小倉山麓の大河内山荘や竹林の道を歩き、ご同伴さん達が嵐山でお土産を買うのに付き合い、嵐電に乗って四条大宮まで戻り、JR京都駅まで歩いたそうです。戦利品のお土産のお菓子が、食卓に並んでいました。
風呂に入り、夕食を食べ、モヤモヤさま〜ずを見て寝ました。土曜日帰宅すると、土曜ドラマ・高橋是清をしていました。国家予算に占める軍部の比率が高まることに抵抗し、2.26事件で倒れた大蔵大臣です。5.15事件で倒れた当時の首相・犬飼毅の岡山の実家を訪問したことがあり、その時じっくり調べたので、大蔵大臣として二人三脚だった高橋是清についても記憶に残っていました。是清さんの人生の大体の経過は、脳内記憶とほぼ同じで、ちょっと記憶力に自信を持ちました。

2015/8/23
日曜日は、大学ヨット部のコーチングです。この日は学生枠を超えた全日本選手権予選の琵琶湖選手権です。全日本インカレ予選でもある近畿北陸学生選手権まであと1ヶ月、主なライバル大学も出場するので、現在の自分たちの力を見る絶好の機会です。
6時出発・7時琵琶湖を予定していましたが、目覚めが遅くなっちゃいました。目覚ましを掛けないので、体調が起床時間に如実に現れます。お盆の頃は今よりもっと暑かったのに、快調に夜明け前に目が覚めていました。でもここ数日は、6時頃目が覚め、季節の変わり目を感じます。季節の変わり目はいつも目覚めが遅くなります。
天気予報が申し分ないので、「招き猫CB400SB」を出しました。ライジャケ・双眼鏡・カメラなどを積んで出発。6:18・コンビニで「おにぎり2個・220円」購入。なんか暑い。春夏秋3シーズン用・コミネ・メッシュプロテクタージャケットを着てきましたが、道端に停めて脱いでみると、メッシュの内側にウインドプルーフジャケットを着けたままでした。しばらく、シンプルな夏用メッシュジャケットを着ていたので、これをまた装着したのを忘れていました。ファスナーを開け外し、快適になりました。豊中ICから中国道〜名神高速に乗り、いつも休憩する桂川PAは通過し、京都東IC下車〜湖西道路経由で、ヨットハーバー到着。他大学の学生さんに「おはよう」と声を掛けながら艇庫前に行き、みんなに挨拶します。
大会本部に、レース1日目・土曜日の結果を見に行くと、滋賀県連会長さんに後ろから声を掛けられました。「あれ、誰かと思ったら・・・」「ああ、おはようございます」。「息子さんは?」「はい、今年結婚しました」「そうですか、みんな大きくなるね」・・・。息子がジュニア時代から、琵琶湖のレースに来る度にお世話になっていました。「今日は運営ですか?」「ええ、そうです」。「熱心にコーチしてるね」「息子も卒業して久しいのに、毎年更新してくれるので・・・」「必要とされているうちは、いいんじゃないの」。
ハーバー内では、息子がジュニア時代、何度か出場したことがある「セイル大津」という琵琶湖ヨットクラブが運営する大会もやっており、1回生は1人乗りヨットでそちらに出場します。公式戦初レースで、気合が入っているでしょう。
院試でキャプテンがいないので、サブキャプテンから集合の声が掛かります。前期テストが7月で、8・9月が夏休みで、8月に院試がある学部が多いです。院に進む学生が多いので、8月の活動は4回生がパラパラと抜けます。就職解禁がずれたので、今年から全日本インカレ予選が8月末から9月末に変更されました。
ミーティングを終えると、横でシーホースを艤装されていた琵琶湖ヨットクラブの方から、声が掛かりました。「シーホースが余ってるのですが、おたくの大学のOBさんで乗る方はいませんか?BYCに入部していただいたら、1艇差し上げます。OB会長さんにも声を掛けたんですけどね〜」とのこと。ウッドのシーホースは、とても美しく、ここに6艇あり、琵琶湖水域では10艇以上あるそうです。全日本には40艇集まるそうで、意外に活動が盛んなようです。
9時第1レース・8時出艇予定でしたが、風がなく延期フラッグが大会本部のポールに揚がりました。470チームは陸上待機ですが、スナイプチームは海上練習を選択し、僕もコーチボートで出ます。マークを打ったり、レース艇を追いかけて、セイルシェイプをアドバイスしたりしていると、少しあった風もなくなりました。昼から吹いてくるであろう北方向・琵琶湖大橋を双眼鏡で見ますが、しばらく本格的な風は降りてこないみたい。
1回生女子マネ3名・上級生女子マネ3名と僕というハーレム状態のコーチボートなのでウハウハです。練習もできないので、1回生マネさんの操船練習をしました。11時頃になり風が入りだし、ハーバーからレース艇が出てきます。でも風が弱いから、ハーバー沖まで戻り、曳航してレース海面にレース艇を運びます。
スタート前練習に入り気合が入ってきましたが、また風がなくなり、本部船にレース延期フラッグが揚がりました。1回生マネさんに、シートの結び方レッスンをします。入部から半年経ちましたが、あと半年でボート免許を持った男でもできるマネさんに成長してもらわないといけません。「あ〜、ちょっと違うな〜惜しい」「よっしゃ、正解」と褒めてやると、ノリノリで試行錯誤しています。うら若き美女3人に囲まれて、僕もウキウキ。
今年の琵琶湖就航の様子を聞きました。部員が多いので、ヨット・レスキューボートの水上隊は1・2回生で、上級生有志が車でのサポート隊をしたそうです。コーチボートに乗ってた2回生女子マネさんが、就航隊長をしたそうで、お寺に泊まったことなど、いろいろお教えてくれました。ヨット部が枝分かれしたボート部から続く、部の伝統行事です。日頃はレースに勝つため、スピードアップ練習などに明け暮れていますが、日頃行くことのない琵琶湖・北湖を含めた大きな琵琶湖を楽しむことも、ずっと続けて欲しい。
北から風が降りてきたので、レースマーニューバルに入るも、また風が落ち延期フラッグ。レース艇がお昼ごはんを取りに来たので、マネさん達が冷たい水や麦茶をコップであげています。「うわ〜生き返ります」「女子の手尺付きやから、1割増しで美味いやろ」などど、炎天下での風待ちの気分を入れ替えさせます。
お昼ごろから風が入り、2レース行いました。前日の4レースを加え、全6レースで大会終了です。15時頃ハーバーバックし、船を片付けた後、ブリーフィングで気づいたことを話しました。その後、個人的にアドバイスを貰いに来る選手に話し、閉会式前にハーバーを後にしました。セイル大津の閉会式後のパーティーの横を通ると、1回生が箱を持っています。「お〜、賞品獲得したんだ、頑張ったなあ〜」「えへへ、失礼します」と、嬉しそうです。
バイクで荷造りしていると、横をセイル大津に出場したであろう小学生の子が大きなキャンプターフの箱を抱えて、ジュニアの艇庫に歩いています。「お〜、レースで獲得したんや、これは値打ちがあるな」と声をかけると、めちゃ喜んでいます。次男も、レースで賞品をもらう度に喜んでいました。小さな子は可愛いな。バイクに乗り、出発しようとすると、その子と綺麗なお母さんが艇庫から出てきました。「お母さん、大会参加費を取り戻しましたね。うちの子も兵庫ジュニアでやってたんですよ」「こないだ、兵庫にお邪魔し、レースしてきました」「ああ、関西選手権ですね」。「うちの子は、4年生で乗り出して2年なんですが、お子さんは?」「うちはもう30ですよ。ヨットが大好きになり、ヨット部のある中学を受験し、高校・大学もヨット部でした。国際レースにも参戦しましたよ」「ヨット、面白いやろ。楽しみな」とお子さんに声を掛け、バイクを動かしました。
湖西道路〜名神で、17:54「桂川PA」で「京しぐれ・108円」というかき氷アイスを食べながら休憩。帰宅しバイクを片付け、風呂に飛び込みました。お素麺とおかずの夕食を食べ、「ダーウィンが来た」を見て、「花萌ゆ」見ながら寝てしまいました。


2015/8/16
特に予定はなく、1日が始まります。妊娠初期のお嫁さんの検診は2週間毎で、お盆明けが次の検査だそうです。順調に育っているといいな。つわりは遼くんの時も楽だったので気持ち悪さはないのですが、遼くんの時同様、軽い蕁麻疹が出るそうです。そういうのが殆ど無く、出産時間も短かった家内は、ラッキーだったようです。
朝から曇り空で、夕方から雨予報も出ているので、船に乗ることを提案しました。「じゃあ行こうか」ということになりました。ヨットハーバーの係留桟橋に着き、エンジンを掛けると一発始動です。桟橋電源から引いている電源ラインを外し、あれこれ長男に指示しながら、10時に桟橋を離れました。お隣さんは、フジツボ取りのため、水中メガネをして潜っています。
ステアリング上のサンシェイドが修理成ったようで、業者さんによりセットされていました。ハーバーの外に出て、1〜2m/sの弱い風の中、セイルを上げます。エンジンを切り、超ゆっくりの帆走です。長男は高校生の時、船舶免許を取りました。お嫁さんも遼くんも運転しました。家内の姉から家内に電話が入りました。次男の結婚式に出席できるそうです。宿直当番の関係があり、ずっと保留でした。前泊もシェラトンホテルを取ったらしく、次男達の負担にならないように気を遣ってくれています。姉と甥のお嫁さんの留め袖がドレスがバッグがどうのこうの・・・長男のお嫁さんも加わって、女同士しかわからないやりとりをしています。帰路に着き、風が弱いのでエンジンをかけると、嫡孫くんがエンジンを切れと言います。音もなく静かに走るヨットに魅せられたのかも・・・良い傾向です。ヨット、やらないかな?
ハーバーに戻り、遼くんがいるのでみんなを先にハーバー内レストランに行かせますが、家内は残って後片付けを手伝ってくれます。センターハウスに入ると、曇り空とはいえやはり外は暑く、冷房で生き返ります。レストランに座って冷水を一気に飲んじゃいました。船の上でも魔法瓶の冷えた麦茶を飲んでいたのですが、コップ1杯の一気飲みは格別です。
次男お嫁さんからもらったアルバムと、今月の社内報をみんなで見ます。先月のお嫁さん誕生日祝いで、次男夫婦は伊豆箱根1泊旅行に行きました。学生ヨットのメッカ葉山の森戸海岸にある森戸神社にも寄ったそうです。子宝のお宮で、「早く子宝に恵まれますように」と書いた絵馬を奉納しています。遼くんがゆかちゃん大好きで寄ってくるので、早く子宝を恵まれたくなったのかな?こればかりは授かりものなので、なんともしようがないから、気長に平常心でいてくれたらなと思います。
社内報には、次男のメッセージと資格取得、2人の写真が載っていました。長男のお嫁さんの社内報は、こんなにカラー刷りの立派なのではなかったそうです。長男のとこは、毎月3冊あるそうです。三菱グループ報・キリングループ報・そして社内報、社内報以外は大きすぎて惹かれる記事はなく、社内報も次男の会社のようなアットホーム感がなく、事務的な感じだそうです。次男夫婦の会社の社内報や社内・その家族向けビデオは、以前にも見たことがありますが、アットホームで実に楽しそうです。
エビフライのランチを注文し、セットのデザートとパインジュースも堪能し、午前中だけクルージングが終了です。12:19、「一点鐘」で、「Gill・EyewearRetainer」864円を購入。サングラスの落下防止に使います。
R171で帰宅し、洗濯物を室内に入れ、網一式・ポータブルチェアを積んで、北に向かいます。1週間前に下見した「道の駅いながわ」裏の猪名川が目的地です。r12で道の駅到着。みんなで川を渡り、河原の適当な場所に椅子を4脚広げます。遼くんは、小石を持って川にポンと投げて遊び出します。長男は魚を取ろうと網を持って悪戦苦闘。トンボのヤゴ・エビ・魚数匹を僕と長男で捕まえ、水槽カゴに入れます。遼くんは、観察したり、河原に全部ぶちまけたり忙しい。
道の駅にかき氷を買いに行き戻ってくると、遼くんがじっと見ています。ストロースプーンを2つもらってきたので、1本をお嫁さんに渡し、みんなで楽しみます。最後は、遼くんがコップ飲みしてお終い。この空きコップが気に入って、遼くんはこれを持って川の中に。水を汲んで「お水どうぞ」とお店屋さん開店です。続いて水槽に水を入れたり石を入れたり、家内も僕も川に入り、3人でザブザブ忙しいです。遼くんのお尻が濡れたところで水着に着替え、パパとジャブジャブ。長男が川下に偵察に行きます。「パパに網を持って行こうか」と提案すると、遼くんが「ウン」。手をつないで歩いて行くと、r68沿いからの支流の水が冷たい。河原に湧き水のところがあり、家内含めて遊びだしました。お嫁さんが荷物の番をしているので、僕が戻って交代しました。家内も戻ってきたので、僕がお嫁さん用に椅子を持って、再び川下へ。戻ってくると、長男一家は楽しく遊んでいるので、16:49、僕はアイスクリーム・126円を買いに行きました。遼くんに見つからないように食べます。
ゆっくり味わいながら半分まで食べたところで、長男一家が引き上げてくるのが見えました。スピードアップでアイスをお腹に入れ、戻ってきた長男たちと一緒に撤収を始めました。薄めだけど雨雲から雨が落ちてきそうです。車に戻り、濡れた足元などをタオルで拭いて履き替えていると、雨が落ちてきました。リアゲートが屋根になって、問題なしでした。
r68〜r33〜r325〜長尾山トンネルで大阪平野に戻り、宝塚安倉R176沿いのお好み焼き屋「いっきゅうさん」にテイクアウトで寄りました。待ち時間に、横のバッティングセンターで長男が汗を流します。小学生時代は少年野球をやっていたので、2人でよくバッティングセンターに行きました。あの頃の方が、フォームが綺麗でライナーが飛んでいたように思います。
自宅に戻り、実家で夕食です。僕は「そば飯」です。長男によると、神戸名物になってるそうです。ここで解散し、帰宅してNHK大河ドラマを見て寝ちゃいました。これで、お盆休み4日目終了です。毎年ですが、息子たちが帰省してくれて、楽しませてくれます。ありがたい。次の日・月曜の昼に飛行機で東京に帰るので、昼休みに飛行場まで送り届けて、お盆休み全日程終了です。

2015/8/15
次男夫婦は、当初USJに行く予定でしたが、あまりの混雑予想なので止めました。僕が提案していた「高野山に行く案」も、前日ハイキングで歩いたので、長男からダメ出しを喰らっていました。妊娠中のお嫁さんの体調を気遣ってです。
僕は早朝自転車で、また猪名川を走りました。軍行橋を東に渡り、河川敷自転車・歩道を川西池田方面に北に上がります。ヌートリアに会えないか期待しましたが不発でした。でも猪名川花火大会の準備を見ることが出来ました。中国道の北側の河川敷が打ち上げ場所のようで、花火業者さんのトラックが2台来ており、作業を進めていました。観客席の位置も把握出来ました。R176で西に渡り、猪名川土手を軍行橋まで戻り帰宅しました。43:32・11:31km・平均14.4km/h・最高31.6km/h。
甲子園高校野球観戦に予定変更した次男達を、9時に甲子園に送る予定でしたが、6:40に満員入場制限が出されているということで、第1試合の早稲田実業の試合終了に合わせて出発することになりました。早稲田実業の1年生・清宮君を見て、第2試合のお嫁さん実家・埼玉代表校の応援予定でしたが、無理でした。次男から「行くよ」の声がかかるまで暇なので、高校野球をTV観戦していると、清宮くんがホームランを打ちました。我が家のお風呂から、お湯をプールに入れながら、実家のお風呂のお湯を、長男とバケツリレーで継ぎ足します。適当なとこで、長男と嫡孫くんは、プールで遊び出します。横に子供たちがちびの時に使っていたキャンプ用品のテーブル・椅子を広げ、上にパラソルを差して、ちょっとしたリゾート気分を味わいます。嫡孫くんの可愛いサンダルは、クロックスでした。「こんな小さいのに3000円もするんだ。でも、足指が全部保護されているし、かかとストラップを掛ければ走っても脱げないし、靴感覚で履けるんだ」とのことです。
終戦記念日なので、国旗を玄関に揚げました。子供の頃は、日曜日や祝日に揚げていましたが、ずっとご無沙汰でした。今年に入り、新たにポール&国旗セットを購入し、それなりの日に揚げるようにしています。
次男からお声が掛かり、9:30に家内と4人で甲子園に向かいます。R171〜武庫川土手道路・r114で南下〜R2〜r340で甲子園球場。ものすごい人で、一気に「夏の甲子園」の熱気を感じます。3人を降ろし、僕は家内の帰りを車でお留守番です。車の横で球場を見ていると、すぐに家内が戻って来ました。お土産のお店とか見ておいでと提案しましたが、人が多くお店に入るのにも並ぶ必要があったそうで諦めて帰ってきました。見るところはまだあると思うのですが、極度の方向音痴故1人だと迷子になりそうで不安なのでしょう。
自宅に戻る途中、旧甲子園ホテル・現武庫川女子大建築学部校舎前に車を停め、激写。次男から電話があり、無事3塁側アルプススタンドに入れたそうです。「TVに映るかどうか見なくちゃ」と家内が嬉しそう。R171・武庫川東カーブが渋滞中だったので、東土手道路を北上しました。イオン前が混むかと思いましたがそうでもなく、スムーズに自宅近くまで帰ってこれました。住友グランド横のせせらぎの道では、ザリガニ釣りをしていました。北伊丹駅横の「西猪名公園・ウォーターランド」も偵察しました。ここのプールは浅く、小さな子向けです。でも大混雑でした。お上品で慎重派の嫡孫くんでは、圧倒されちゃうかも。
昼食は、次男一家とまた素麺を食べました。その後、嫡孫くんの昼寝に合わせて僕も昼寝です。14時過ぎて、次男からのお迎え依頼電話が入り、家内とまた甲子園までお迎えに行きました。埼玉代表の勝利を応援し、関東第一の豪腕投手と強力打線を満喫したそうです。炎天下で4時間もご苦労さまです。お嫁さんのお父さんは野球をやっており、子供の頃の日曜日は、お父さんの試合の応援と試合後のチームメイトとのバーベキューを楽しんだそうです。彼女自身も、小学生の時はテニス少女で、県代表で全国大会にも参加したスポーツ好きです。
帰宅すると遼くんが起きており、あれやこれやで遊びました。次男夫婦は、帰宅の飛行機の時間までお昼寝です。20:20発JAL羽田便に合わせ、19時に家内と4人で自宅を出ます。長男一家は、19:20始まりの猪名川花火大会を観に行きます。ちびさん連れなので自宅から徒歩でいける高台の公園から観ます。我が家は猪名川西岸の河岸段丘上にあるので、河岸段丘の端まで行くと、大阪平野が見渡せます。流星群の時や花火の時、チビだった息子たちを連れて行ったところです。
次男夫婦を空港に降ろし、帰宅してから、家内と通勤リード110に乗り、公園を目指します。小さな公園なので、すぐに長男たちを見つけ、一緒に花火を楽しみました。低い花火は樹木で見えませんが、ほとんどの打ち上げ花火は観れます。家内が嫡孫くんに声を掛け笑っています。家内の笑顔を見るのが、僕の一番の喜びです。
花火が終わり、夕食を途中にあったハンバーグ屋さんで食べようと思いましたが、30分待ちということで諦めました。僕らはお腹が減っていないので、自宅に戻ります。長男たちは、車で何処かに行ったようです。ということで、お盆休み3日目終了。

2015/8/14
お寺さんがお盆法要のために、11時に来てくれます。いつも、この日は弟一家と一緒に法要・お墓参り・ハイキングという定番メニューです。目を覚ましてしばらくゴソゴソし、6時前に早朝サイクリングに出ます。猪名川の軍行橋で左岸に渡り、空港を見ながら土手を下ります。離着陸がないこの時間でも、いつも滑走路の誘導灯が点灯しています。園田競馬まで下り、競走馬の朝のトレーニングを見て、JR伊丹から線路沿いを北上して帰宅する定番コースです。1:18:54・18.67km・平均速度14.2km/h・最高速度31.6km/h。一汗かいて朝風呂に入ってサッパリするのが気持ち良いです。
家内は隣の実家の仏壇のお花を造花から生花に変更しています。僕と長男は、2Fから座椅子を10脚下ろして、仏間の周りに置きます。長男中心に庭に去年買った大きめプールを設置しました。四角に支柱を立て、長辺に2本・単辺に1本の支柱を入れて本体を支えます。説明書を見て指示してくる長男に従い去年を思い出して10分ほどで完成。
9時にお墓で弟一家と合流なので、8時に出発します。新調した実家2Fのエアコンは問題なく動いたようで、次男たちも気持ちよく眠れたそうです。長尾山トンネル〜r325〜r33〜r319〜r12のコースでお墓のある霊園が見えてきました。家内に弟のお嫁さんに電話してもらいます。向こうは「道の駅いながわ」を過ぎたようなので、僕らがお花を買うことにしました。霊園事務所に車を入れ、遼くんが選んだお花を買います。1対1500円。
お墓横の駐車場まで上がると、弟が車から出てきました。義理妹と姪は先にお墓の掃除に向かったそうです。みんなでわいわい言いながら、お墓の掃除をします。我が家のお墓より、横の弟のお墓の方が雑草が多いです。いつも同じように草刈りしてるのに変ね。お線香を上げ、お墓をバックに初めての次男お嫁さんを含めた集合写真を撮りました。
次の集合場所を自宅にして、弟と別れます。僕らは往路と同じコースで帰宅しましたが、弟はr12コースだったようで、10分ほど遅れて到着しました。家内は自宅でお昼ごはんのお素麺の準備と、お坊さんへの麦茶などの準備で忙しそう。僕は仏間のボンボリに電気を入れ回転させます。いつも担当してくれる甥が、予備校の勉強のためにお休みなので、長男がお線香やろうそく、お焼香の準備をします。僕は家内の手伝いで自宅でゴソゴソしていると、定刻通り11時にお坊さんの到着です。
「去年は父の病気でバタバタしてしまいましたが、今年は1人で檀家さんを回るのにも慣れ、余裕が出てきました」の挨拶後、「皆さんおそろいですか、では始めさせていただきます」。気持ちの良いお経を聞きながら、僕から順番にお焼香していきます。遼くんは、木魚のポコポコ叩くお坊さんの手元を見たりしながら、お利口さんに静かにしています。ママのお焼香時にママと一緒に手を合わせ、様になってきました。
法要が終わり、僕だけお坊さんを見送りに外に出ます。お父様からの引き継ぎで、息子たちやそのお嫁さん・チビちゃんが誰の子かなど僕に質問し、頭に入れておられます。末永く、お願いします。
みんなで、お素麺タイムです。家内は素麺の追加でてんてこ舞いです。続いてみんなでハイキングに向かいます。弟の車を従え、長尾山トンネル〜r325〜r33で、JR武田尾手前の「武庫川渓谷・JR福知山線廃線ウォーク」入口でみんなを下ろします。r33沿いの新名神工事が進んでいます。
僕と弟は、車を予約していたJR武田尾駐車場に置きに行きます。3年前に心筋梗塞を起こした弟は、ハイキングをパスして駅で待ってるようです。12:53に駐車場を出発し、みんなを追いかけます。12:57、廃線路入口。ここにトイレが有ります。武庫川沿いの枕木が残る廃線路を早足で歩きます。13:00、最初のトンネル入口で待っていたみんなに追いつきます。遼くんが好きなトンネルに入ります。出口が見えているので、懐中電灯がなくても足元が見えます。
次男のお嫁さんは、先月の誕生日に家内が贈ったJIBバッグを使ってくれています。気に入ってくれたようです。遼くんも僕が手を引き暗いトンネルを抜け、明るくなると走り出します。みんなで川に落ちないようにサポートしながらですが、話題の中心でみんなを笑顔にさせてくれます。お喋りが楽しそうで、ずっと喋っています。マイブームの歌「恋しちゃったんだ 多分気づいていないでしょ・・・」を歌い出し、これまたみんなを笑わせます。帰宅後調べたら、「YUIのCHERRY」という歌のようです。
13:10「第2トンネル」、ここも懐中電灯なしでも歩けます。13:20「さくら広場」、母親が健在だった前回のハイキングでは、ここでみんなでお弁当にしました。横に沢が流れ、武庫川に流れ込んでいます。サワガニがいそうな遊べそうな沢で、数人遊んでいます。長男が、次男夫婦を写真に収めようとカメラを構えると、遼くんがちゃっかり間に入り込み、ポーズを取っています。綺麗な尻尾のトカゲがいたり楽しい。
13:35「3つ目のトンネル」、これは暗く足元も悪いので、懐中電灯必須です。ハイカーが適当に向かうからやって来るので、1人で来ても安全です。「こんにちは」の挨拶が気持ち良い。トンネルを出たらすぐに、鉄橋がありました。鉄橋横の点検橋を渡ります。武庫川を渡るので、ちょっと怖いです。
鉄橋を渡ると、またすぐに4つ目のトンネルがありました。ここは、JR武田尾から2.2km地点で、全行程6kmの1/3です。ここで長男一家と弟一家がリタイヤして戻ります。ここで弟とはお別れです。僕と手をつないで歩いてきたので、遼くんが「爺ちゃん、バイバイ、ダメ〜」と一泣きしました。
4つ目のトンネルは真っ暗です。トンネル天井から地下水が落ちている所もあり、探検気分満点です。渓谷美が深まり、豪快に大岩の間を流れる水流で秘境感も味わえます。JR西日本の「ここはハイキング道ではありません。自己責任で・・・」という看板が目立ちます。ヤマユリが満開で群生している場所もありました。14:12「5つ目のトンネル」、こちらも真っ暗です。出口付近にあった枕木に座って水分補給休憩します。
14:48「6つ目のトンネル」、こちらも途中でカーブしているようで真っ暗です。トンネルを出ると、アオサギが河原にいました。続いてコサギが数羽、魚でも狙っているのか、大岩の上にいます。
15:16、「JR名塩」への分岐階段。登っていけば名塩ですが、反対に田んぼの間の畦道を川の方に下り、「JR生瀬」を目指します。15:18「水道橋」、川を渡る水道管をメンテナンスする橋が歩道になっています。これで武庫川の左岸に渡ります。住宅地の坂を階段で上ります。ここがこのルート最大の難所です。心臓破りの階段(勝手に命名)を登ると、中国道下の公園です。ここの水道で顔を洗いサッパリします。
今度は住宅地を階段で下り、15:43再び右岸に渡る「赤橋」。R176を渡り、JR線路をくぐり、「JR生瀬」到着。駅前にコープさんがあり、ここでみんなアイス補給です。僕はガリガリ君を買いました。駅のホームのベンチに座ってアイスを食べながら電車を待ちます。10分ほどして新三田行き電車がやってきて、車内で涼みます。
長男夫婦と次男夫婦は、LINE仲間です。4人でグループを作っており、次男が現在地を流していたようで、16:13着でJR武田尾駅を出ると、そこに車が待っていました。廃線ウォーク3時間、全行程4時間弱のハイキングはお終いです。長男に長く待ったかと聞くと、帰路途中の「桜の園」にある沢で散々遊んだようで、あまり待たなかったそうです。サワガニがいたのかな?
r33〜r325〜長尾山トンネルコースで帰宅し、回転寿司・スシローで夕食にしました。30分の待ち時間があったので、嫡孫くんを中心に遊びます。スシローの扉にある鍵穴を見つけ、「鍵」というので僕の車の鍵を渡すと、鍵穴に入れようとします。「ダメね〜」と可愛い声。達成感を味あわせようと、手をつないで2人で車に行きます。鍵を渡して抱っこすると、鍵穴に鍵を入れ左右に回しています。力が弱いので僕が少しサポートしてガチャリ、開きました。「遼くん開いたよ、凄いね〜」と褒めると満面の笑みです。しかし、警報音が鳴り出しました。何処の車かな?と周りを見回すと、うちの車からのようです。慌ててハンドルの鍵穴にキーを入れて捻ると警報音は止まりました。盗難防止警報装置つきの車ですが、鳴ったのは初めてです。プッシュボタン遠隔操作キーが好きではないので、ずっと複製キーを使っていました。長男に渡しているマスターキーのプッシュボタンで閉めたら、警報装置は作動するようで、僕の複製キーに反応し警報音を鳴らしたようです。
帰宅後、花火をしました。我が家と実家の間にプールを設置したので、我が家の家内の部屋に面した庭でします。ベランダのコンクリートにろうそくを立て、花火開始です。遼くんは、最初の1本が怖かったようで、以降は終わった花火を水を張ったバケツに入れる係です。さんざん遊んで解散し、楽しい1日だったなと室内に入ると、なんと花火の煙が充満しています。家内の部屋の窓を開けていたからです。慌てて換気扇を回しました。ということで、お盆休み2日目終了。

2015/2/13
2/12・20:35着のJAL便で、次男夫婦が東京から帰省しました。2015お盆休みの始まりです。我が家は空港から車で10分なので、到着後電話もらってから家を出ても間に合うのですが、楽しみで10分前に到着ロビーに着いちゃいました。
いつもなら家内と2人でお迎えなのですが、今回は1人です。今年の正月に入籍し新婚さんになったので、次男夫婦と長男一家が初めて隣の家の僕の実家で泊まります。1F長男一家・2F次男夫婦に泊まってもらおうと、ずっと使っていなかった2Fを綺麗にしました。春に襖・網戸を張り替え、畳も綺麗にしたのですが、エアコンのことを忘れていました。
「年間使用日数を考えれば、冷風扇でいいんじゃないの?」なんて考えましたが、「冬の暖房は?。2Fなので昼間の屋根からの熱で余計暑いよ。僕のように冷房や暖房を入れて寝ると体調崩すので、エアコンを使わない人じゃない。長男一家と差をつけるのは良くない」ということで、エアコンを新調することにしました。
そのエアコン設置工事が、2/12でした。我が家の御用達の近所の電気屋さんなので、いつもの様に僕ら仕事中に家の鍵を渡して工事をしてもらいました。いつも綺麗に工事のゴミの掃除などしてくれるのですが、主婦としては掃除をしておかなくちゃ・・・ということだそうです。
飛行機は定刻に着陸し、15分ほどしてロビーに出てきました。荷物を預けると、その受け取りでターンベルトで待ち時間が必要です。僕のように、爺ちゃん婆ちゃんが、息子・娘夫婦をお迎えしてる姿があちこちにあります。皆さん笑顔で、見ていてこっちまでウキウキします。タクシーの運転手さんが、小さなプラカードを持ってお客さんをお迎えしています。その人数が日頃より多いので、お盆の旅行増を感じます。
お嫁さんが先に僕を見つけました。2人笑顔でロビーに出てきましたが、新たに出来た娘の笑顔は最高です。歯並びがとてもいいお嫁さんなので、笑顔から覗く真っ白の歯が印象的です。「いらっしゃい」ではなく、「おかえり」で迎えました。
乗ってきた便は、30年前御巣鷹山に墜落した同じ時刻出発便だったそうです。伊丹空港着陸後、機長からメッセージがあったそうです。長男のお嫁さんはJAL勤務なので、会社からの慰霊登山をしました。長男も一緒にプライベートで登ったこともあります。そう言えばニュースで何度も流れ、特集番組も組まれていました。次男夫婦が乗った便が落ちていたら・・・と想像し、ご遺族のご冥福を祈りました。
8/13は、次男達と我が家の遠い先祖の地を訪問します。4:30から行動開始です。夜中1時頃激しい雨で目が覚め、日中も美作・津山は雨予報なので、カッパと傘を車に積みます。その他ゴソゴソして、6時に家を出ました。宝塚ICから中国道に乗りました。6時過ぎなのに、さすがにお盆、車が多いです。本線合流が渋滞で、数百m先の渋滞のボトルネック・宝塚東トンネルまでノロノロ運転でした。トンネルに入る以降は、車が多いけど渋滞することはなく順調に走り、加西SAの2Fレストランで990円バイキングで朝食を取りました。
福崎IC〜山崎IC間で、故障車渋滞で15分ほどロスしましたが、9:39に最初の目的地・「津山城」到着。ここの城主の名前の読みが次男と一緒です。そしてそのお父さんの名の読みが、僕と一緒です。更にこの地に山城を最初に築いた山名氏の名前の読みも次男と一緒です。天守閣はないですが、とても立派なお城なので、次男夫婦と家内に見せたくてやってきました。
でも生憎の雨で、しかもしっかり降っています。観光協会の無料駐車場に車を停め、僕ら夫婦の自転車用のカッパを次男夫婦に貸し、僕らはバイク用のカッパを着て、傘を差して出発しました。お嫁さんが、先月の誕生日に僕らがプレゼントしたJIBバッグを使ってくれています。「可愛い」と気に入ってくれているようです。
門前の謂れ板を読み、城主さんの銅像とともに次男夫婦を写真に収め、300円を払ってお城見学に登ります。江戸時代に平城として整備された城ですが、鶴山という山にあった中世の山城を整備したので、平城にしては高さがあります。往時の天守などが残っていれば、間違いなく国宝指定されたであろう姫路城より少し小さい程度の堂々とした佇まいです。石垣が見事で、圧倒されます。
「この城主さんのお父さんは、僕と同じ名前でね、織田信長の片腕として琵琶湖大津のお城で討ち死にしたんだ。その時籠って、浅井朝倉軍と死闘を演じたのが次男が大学時代活動したヨットハーバーから見える山なんだ。城主さんの長兄・次兄さんは秀吉方として徳川家康と戦った「鳥羽長久手の戦い」で戦死し、3・4・5兄は、信長の小姓として「本能寺の変」で信長とともに討ち死にしたんだ。3兄は有名な森蘭丸だよ。・・・なんてお嫁さんに話します。このお城のことは名前をつけてから知ったけど、家内の実家播州・姫路の殿様と我が家のある摂津と隣接する丹波篠山の城主さんから拝借して、次男の名前をつけたことも話しました。
復元された「備中櫓」と呼ばれる隅櫓に入り見学し外にでると、小雨になっていました。その後、天守跡などを巡りました。次男夫婦はとても仲が良く、次男が幸せそうで楽しそうで、いい人と縁ができたと改めて思います。家内もそう思ってるようで、「あの2人イイね」とニコニコしています。
津山城を出発し、R53で北東に向かいます。11:33、我が家の遠い先祖・美作菅家党の祖が祀られた神社に到着。神社前の銅像や謂れを読み、僕が我家の庭に勧請したお宮に上がります。相変わらず消火栓や満水の防火バケツ多数が設置されており、きっと遠い遠い親戚だろう地元の方の日頃の手入れを感じ、嬉しくなります。訪問者ノートを開くと、前回訪問した時の僕の名前も残っていました。次男が夫婦の名前を書き込んでいました。
雨はほぼ止んでいますが、ご先祖様の城・「大別当城」登山は諦めました。駐車場からの標高差はあまり無いようですが、雨を含んで足元が悪そうです。雲がかかり山も望めず残念でしたが、お天気には勝てません。「この銅像の主は菅原道真の子孫で、菅原氏は天皇家の子や孫で、天皇から姓を賜って臣籍降下した者です。我が家も天候家と血が繋がり、多くの日本人がルーツを辿れば源平などの臣籍降下した家に辿り着くので、天皇の遠い親戚の民族なんだ。この銅像の主は、美作守・現在で言えば県知事として京都から下り、戦で討ち死にし、その頭部がこの神社に葬られているんだ。その息子たちがここ那岐山を中心に武家として勢力拡大し、長兄・有元氏の流れが我が家で、鎌倉幕府瓦解・室町幕府成立の時の戦争で、足利尊氏・赤松氏与力として、新田義貞軍と戦い城を落とされ、親戚筋の北関東・唐沢山に籠った佐野氏を頼って北関東に落ちていったんだ。・・・」なんていう我が家のルーツを話しました。直接的には何の役にも立たない事ですが、僕がまともに育ったように、先祖を知るということは悪の世界へ入ることの妨げに成ります。
R53で那岐山の肩を鳥取県側に抜け、無料高速・鳥取道の智頭〜用瀬区間と使いました。用瀬を降りると用瀬城が目に入りました。r324〜R482で隼駅横を通り、R29・「道の駅はっとう」で昼食にしました。若桜の街に入り、13:59・「若桜城址」到着。先月はバイクだったので、舗装路エンドの駐車場から歩きましたが、今回は四輪なので馬場跡まで登って、そこから歩きました。
堀切を渡り、動物避け電気柵を開閉し城を見学しました。素晴らしい絶景を見せたくて来ましたが、雨は上がっていますがまだ雲の中です。霧に包まれ幻想的です。家内も次男夫婦もふんだんに石垣が残る山城に興奮気味です。次男夫婦は、自撮り棒にセットしたスマホで写真やビデオを撮っています。時々、僕らも含めて4人で写真に収まります。主郭に登った頃から雲の切れ間は増えだし、下界の景色が見えてきました。山城の高所感が、高すぎず低すぎず、下界の動きが見えいい感じです。
車に戻り、ナビの目的地を自宅にセットすると、帰宅時間が長男一家の空港到着時間と一緒です。「これはヤバイ」と思いながらも、「まあいいか」。R29を東に走り、14:50・「不動院岩屋堂」に寄り道。僕らは訪問済みだけど、次男達は初めてなので、岩盤をくりぬいた中に作られたお堂に驚いています。
更に走り、先月見つけた平家の経盛が隠れ住んだ集落をみんなに説明する。新戸倉トンネルを抜け、「峠の流しそうめん屋」の川を渡る長い樋をちら見します。r48に入り、スキー場横を走り、「天竜」への分岐を過ぎ、r6を東進して、養父ICから「北近畿道」に乗りました。和田山ICを越え、「道の駅但馬まほろば」でトイレ休憩です。
ここで次男に運転を変わってもらい、昼寝して体力回復しました。目を覚ましたら、ちょうど舞鶴道の春日ICで、次に目を覚ましたら、篠山口IC手前でした。ナビの到着時間が長男の空港到着時間+30分ですが、次男は慌てずマイペースで安全運転。結婚してから、運転速度が下がり、僕と同じぐらいです。家族を持つと違ってくるな。長男もそうなり、いい感じです。
宝塚トンネル渋滞情報は見なかったそうだけど、回りの車の量から見て渋滞しているのは確実なので、篠山口IC下車を指示します。r94〜r77で東進し、R372に合流。そしてr12に乗り換え、南下します。次男が、途中にある我が家のお墓を、お嫁さんに教えています。お嫁さんは、正月に家内の実家のお墓に参っただけで、うちのお墓は知りません。次男夫婦はおしゃべりが尽きず、とても仲良しで微笑ましい。
やがて長男が乗ってる飛行機が伊丹空港に到着する時間になったので、長男に電話します。どうせ遅れるだろうし、荷物受け取りで時間を食うはずだから、ジャストタイムに空港に到着するかな?と思っていたのですが、「はいはい」とすぐに長男が出ました。「もう着陸したの?」「うん」「あのね、30分ほど遅れそうだから、空港で待ってて」「タクシーで帰るから迎えはいいよ」「鍵は・・にあるからね」ということになりました。
30分遅れで自宅への最終コーナーを曲がると、自宅前に長男とお嫁さんに手をつながれた嫡孫くんがいます。自宅に荷物をおろして、外に出てきたところでした。みんなで「のらや」に行き、うどんを夕食として食べます。嫡孫・遼くんは、みんなを認識できており、人見知りすることもなく、5月からさらに進んだおしゃべり能力を披露してくれます。2センテンスだったおしゃべりが、ちゃんと会話になっています。相変わらずの次男のお嫁さん好きで、「ゆかちゃん」を連発しています。という感じで、お盆休み初日が終わりました。

2015/8/9
月1ヨットレース日なので空けていましたが、メンバーにお呼びがかかりませんでした。5人のメンバーで回していますが、猛暑の8月なのに、リタイヤを申し出る方がいなかったようです。
家内も休みなので、お盆前の早朝出勤前を予定していた家内実家のお墓参りを前倒ししました。8時に出発したので、中国道宝塚トンネル西行き渋滞にハマりましたが、宝塚ICから乗るので、トンネルまで1kmもなく、実質マイナス時間は5分ほどでしょう。
山陽道・三木SAで、いつものようにトイレ休憩を入れようとするも、お盆帰省がプラスしたのか、女性用トイレが渋滞中です。諦めて再び走り始めました。トラックは少なめですが、乗用車がもとても多かった。
「三木小野IC」で下車し、加古川市営・「日光山墓苑」到着。平野のみの伊丹市には市営墓地がなく、我が家は猪名川町の私営霊園なので、加古川市が羨ましい。でも欠点もあるわけで、私営霊園は事務所でお花も線香も販売しており、休憩所まである。親方日の丸の市営の事務所は貧弱で、お花さえ買えない。そこで墓苑隣接の石材店で、お花を購入しました。「お盆なので値上がりしています。1400円」とのことでしたが、我が家の墓苑ではいつも1対1500円なので、むしろお安い。
お盆1週間前だけど盛況で、お墓参りの方がたくさん来られています。お墓を掃除し、お花を飾って、線香を手向け手を合わせます。年4回繰り返す定番行事ですが、なんだか好きなんですよね。
家内のトイレ待ちで東屋で行くと、東屋前の墓地のご夫婦と、「暑いですね」から会話が始まりました。総本山・永平寺の曹洞宗らしく、お父様がお正月に永平寺に行きたいというので連れて行ったら、その年に亡くなってしまったという話を聞かせてくれました。ご両親が亡くなり、墓守当番になってから、いろんな知識を得たそうです。僕も、墓守当番になってから、先祖のこと・血のつながり・次世代に伝えることなど、家系について深く考え調べるようになりました。
お嬢さんが3人で、あまり墓参りしないと言っておられるのを聞き、デートでGFさんを連れ墓参りする息子たちは特別なんだなと、改めて感じました。先祖を大切に意識しながら生きたら、自ずと先祖が悲しむような行動をしないようになるので、いいことだと思います。家内の両親を、本山の京都永観堂に分骨した時、法要後法主さんから頂いた言葉が、これに類するものでした。「永観堂は拝観料が必要だけど、お墓参りは無料なので、お子さんを連れて気楽に何度でもお参りください。いい子に育ちますよ」と。
一気に12時前に帰宅し、昼食を取ってから、家内の用事で通勤リード110にタンデムし、市街地に出ました。帰宅後、バイク装束に着替え、2人で北摂里山を巡ることにしました。しかし、首から上に汗をかく体質の家内は、頭から流れる汗とお化粧が目に入り、早々にリタイヤです。
家に戻り、車に乗り換えて出かけることにしました。息子たちの帰省時のお遊びメニュー下調べです。r12を北上し、「道の駅いながわ」到着。スリッパに履き替え、裏の猪名川に入ってみます。僕が道の駅で、かき氷・ブルーハワイ・200円を買ってる間に、家内は先に行っちゃいました。水着姿のちびっ子が、浮き輪や網を持ってはしゃいでいます。お父さんお母さんも、無料川水浴中です。流れはそれなりにありますが、深い所でも小学生のお尻程度で、くるぶし程度の水深のところで岸から岸に歩けます。
ザブザブ歩いて川を渡り、r68橋の下の日陰の石に座り、家内とかき氷を食べます。網で何が取れるのか水槽兼用虫カゴを覗くと、ハゼなどの小魚とともにカニも取れています。意外にお母さんが網を持って真剣です。孫くん2才よりチビな子も遊んでおり、ここはいいな。
r68〜r33で、JR武田尾に行きました。我が家のお盆の恒例行事は、お寺さんのお盆法要後のハイキングです。父が亡くなって1人になった母をみんなで囲むイベントとして始めました。第1回目は、JR武田尾廃線ウォークでした。弟一家・我が家4人・母で、途中お弁当タイムを持って歩きました。以降、万願寺〜西明寺滝、京都保津川とハイキングして、3年後ポックリ亡くなりました。
それ以降は、うちと弟一家との恒例行事となりました。そして今年、初孫君がトンネル・マイブームになってるので、また最初の廃線ウォークを企画しました。武田尾の小さな食堂の現状把握が主目的でしたが、新名神新設工事に伴う河川土手改修工事で全ての家がなくなっていました。
JR武田尾駅下にある駐輪場・駐車場管理ハウスに行き、お盆の駐車場予約を2台分しました。面倒が無いよう駐車料金1000円を前払いします。お盆といえど行楽地のように満車にはならないと思いますが、路上駐車は嫌なので一応予約しました。河川脇のお店のことを聞くと、土手改修のため3年間移転したとのことです。改修成ったら戻ってくるそうですが、お店も戻ってくるのかな?「廃線歩きなら、懐中電灯は必須だよ」など、教えてくれました。
r33〜r325で長尾山トンネルを抜け、阪急オアシスで食材を買います。花火を売っていたので、打ち上げ花火の入っていないセットを買いました。お盆の帰省に向け用意しておこうと思った網とカゴがありません。自宅近所のホームセンターに寄り、虫あみ・虫カゴ・魚網を買いました。ついでに、「防草シート」とそれを留めるペグも購入。庭の祠周辺だけ、これを敷いて防草しようと思います。

2015/8/2
家内に用事があるので、1人遊びです。またまた林道ツーリングしようかな?とも思いましたが、お盆に息子たちが帰省した時、「船に乗ろう」という流れになるかもしれないので、ヨット部同期中心に誘ってみることにしました。
3日前の木曜晩という急な誘いにもかかわらず、同期で1人・1学年下で2人暇なやつを捕まえました。朝9時にハーバー集合で、大阪湾にデイセイリングに出て、13時にハーバーバックし、ハーバーレストランで昼食を食べて解散というスケジュールです。午後からの猛暑前に帰着します。
5時頃目覚め、ゴソゴソしてから庭の雑草ジャングルと格闘しました。毎日30分ぐらいの作業ですが、お盆の帰省には間に合いそうです。風呂に入り汗を流し、7時を回ったので出発します。キャンプ用に大昔に買った6Lウォータークーラーとコップを、通勤リード110に積みます。ハーバー近くのコンビニで、氷と麦茶を購入し、ウォータークーラーを満タンにします。
8時前にハーバーに着き、係留艇に行き、エンジンを掛けます。一発始動で快調です。ハッチを開けて空気を入れ替え、トイレをゴシゴシ入念に磨き上げます。台風通過後、共同オーナーの先輩が乗られたようで、台風のために補強した固定ロープは片付けられており、その手間は要りませんでした。
8:30になったので、桟橋をぶらぶら歩きながらセンターハウスに戻っていると、電話が鳴りました。「先輩、ハーバーに着きました」「今センターハウスに向かって桟橋を歩いているから、そこにいて」。Mくんは、僕が4回生の時組んでいたペアです。彼と国体やインカレ・モスクワオリンピック強化選手合宿など、いろんな大会に参加し、2人で泣き笑いした大切な後輩です。ですが、卒業後すぐ僕は東京勤務になったので、彼の4回生の活動を見に行けず、関西に戻ってきた時は、彼が関西を離れたので入れ違いになってしまいました。彼は転勤族なので、卒業後数回しか会っていませんでした。
センターハウスで彼に会い、懐かしいなと思いながらも、お互い長いブランクなどなかったように、話題の花が咲きました。練習や試合で、朝から晩まで、船の上で2人だけの世界を1年間で100日以上過ごしたので、遠慮というものがありません。
続いて僕の同期Yくんがやって来ました。「ん、1人?」・・・「いやあ、断られてしもてん。トイレ掃除してくれたんやろ、申し訳なくて返信メールもできへんかったんや」と笑っています。彼は女子大勤務で、附属幼稚園もあるので、そこの幼稚園教諭を連れてくると言っていました。ガックリ・・・一時的にテンションが下がりました。トイレ掃除もそうですが、6L麦茶も用意し、コップも洗ったのに・・・。カメラはもちろん、小道具として双眼鏡も用意したのに・・・。
最後に後輩のOくん登場。なんとタンクトップスタイルです。「お前なあ、還暦のおっさんが肩出してどうすんねん。めちゃ日焼けするぞ」「白いのがいやですねん。ジムの日焼け機械に年数回入ってるのですが、先週孫とプールに行った時肩が白くてかっこ悪かったんですわ。彼は体型が変わらず、道上洋三バリの短髪でかっこいいので、タンクトップも様になりますが、日焼けが怖くて僕には真似できないです。
トイレを済ませ船に行き、早速出艇です。朝から南西の風が入り、天気予報での12時6m/sが期待できそうです。僕がステアリングでみんなに指示し、桟橋を離れ、ハーバーを出ます。防波堤を離れてから、メインセイル・ジェノアセイルを上げてエンジンを切ります。
ステアリングを交代し、麦茶を飲みます。学生時代の話から始まって、いろんな話をしました。この4人は全員KG中出身者なので、中学・高校の話でも盛り上がります。Mくんは中学の時バスケット部で、Yくんはバレー部。学年は違いますが同じ体育館で活動していたから、共通の体育館仲間が多くいます。僕・Yくんと同じ学年のH君が、Mくんの会社・住友生命の社長をやってるそうです。Mくん同期のK君が、4月に昭和シェル石油の社長になったのに、出光興産との合併でTVニュースに登場し驚いたなど、知らなかった話を知りました。
外資系製薬会社に勤めるOくんに、長男の英語の実力はどんなものなのかと、TOEIC・900点オーバーについて聞きました。コーチしてる大学では、TOEFLを全員で受けるようだし、この点数が成績に加味されます。僕が中学・高校の時は、英検がそんな感じになってて、中卒時に英検3級、高卒時に英検2級が必須だった。みんな中3・高1・2でそれをクリアしていました。僕も高1で2級だったと記憶している。
現在の上司がドイツ人で、その前がイギリス人だったそうです。TOEICは会話のみに絞った試験ではないのでネイティブさんにとっても難しく、会社のネイティブさんが受けても、900点付近だそうです。彼の会社では、もっと英会話重視の国際テストを受けているということでした。やはり900点オーバーは、かなりの実力だそうです。ついでに長男の会社のことを聞いたら、「勝ち組ですね」との答えが帰ってきて、ありがたいと思いました。
神戸空港連絡橋下をくぐりましたが、風が3m/sほどで弱く、予定の神戸港内には行けず、Uターンしました。摩耶沖〜六甲アイランド沖〜芦屋沖を通り西宮に戻りました。風を後ろから受けるので、向かい風のように風を感じることが出来ず、暑さ倍増です。
13時に桟橋に戻り、片付けてレストランに避難します。外のテラスもありますが、当然冷房の利いたハウス内で食べます。14時過ぎに解散し、帰宅後散髪に行き、夕方少し涼しくなってから庭の雑草との格闘をしました。

2015/7/26
家内が用事なので、また一人遊びです。大学ヨット部コーチングの方は、学生が前期テスト中につき、練習していないのでなし。船に乗ろうかと思ったけど、お仲間が忙しそうなのでなし。思い立ったが吉日とばかりに、前日に誘うのが常だから、皆さん予定決めちゃってますよね。グループツーリングもないので、前回雲が多くキャンセルした絶景舗装林道に再チャレンジすることにしました。誰かを誘おうかな?と思ったけど、僕のツーリングは予定変更当たり前・突然の寄り道当たり前なので、今回も気楽なソロツーリングにしました。
目覚めたのは4時。1ヶ月前なら朝の明るさがあった時間なのに、まだ夜です。あ〜あ、今年も早朝ツーリングのピークの時が過ぎちゃいました。速攻で着替え、「招き猫CB400SB」を出します。4:34、「R176宝塚山本SS」で給油。207km/9.1L=22.7km/L。
「宝塚IC」から中国道に乗り、一路西へ。「加西SA」でいつもの「朝カレー」で腹ごしらえします。お腹持ちを良くするのは、お米が一番です。パンは早く腹が減るのでまた食べたくなる。欧米の肥満の原因は、パン食なんじゃないかと思っています。米を多食する国は、肥満者が少ないような・・・。
6時に、ドライブレコーダーをセットして出発。山崎盆地に入ると、朝霧で真っ白です。中国道で山崎盆地を走ると、北側に「黒田官兵衛」と染め抜いた山城遺構が見える。「聖山城址」と思われる。山崎の中世の山城といえば宇野氏本城「長水城」ですが、難攻不落の高所故二の足を踏み続けている。それに対し、同じ宇野氏の城ながら、比高も往復30分程度に見え、今回行き掛けの駄賃で城攻めしようと思っていました。でも朝霧にくじかれ、パスすることにしました。「長水城」なら朝霧の上から素晴らしい朝霧雲海が楽しめそうだが、「聖山城」は比高がないので、下界の景色さえ楽しめません。残念だけど、朝霧が出るということは、「晴れ」が予想され気持ちがウキウキしてきます。おそらく、絶景林道はお約束の絶景を楽しませてくれるでしょう。
6:20に、「山崎IC」下車。R29を北上します。揖保川に沿う道は、気持ちが良いです。6:32、「播磨一の宮・伊和神社」到着。3度目の訪問なので、裏道から境内に入ります。薄暗い鎮守の森の中の苔むした道を歩き陽光降り注ぐ境内に出ると、拝殿・本殿の大きさを更に強く感じます。宮司さんが朝のお勤め中で、太鼓の音と祝詞が聞こえます。拝殿に掛かる武者絵馬を見上げ、祝詞の雰囲気に浸っていると、日本という長い長い歴史のある国に生まれたことに感謝する気持ちが湧いてきました。
謂れ板を読んでいると、最後に書かれた『・・・創祀伝説を今に伝える鶴石は、本殿のうしろにあります』が目に留まり、見に行きました。本殿裏の細い隙間に入ってみると、しめ縄の向こうに玉垣で囲まれたなめらかな岩がありました。この神社は、この地の豪族・伊和氏が大国主命を祀ったことに始まります。『岩の上に北向きに2羽の鶴が北向きに眠っていたのを見て、そこに社殿を建てた』が、創祀伝説です。
地図で地形を見ると、西側約400mを揖保川が流れています。その西側は山が南北に連なりますが、東側は神社・現国道を含め、川からの比高10mほどの幅6〜700mの細長い平野が南北に広がり、東の南北山岳になります。ここは、治水技術が未発達だったころは、洪水の度に流れる場所を変える揖保川の河川敷だったのでしょう。だから鶴石は丸くなり、鶴の絶好の休憩場所だったのだろう。暴れ川だけど、東からの小河川の流水・堆積土砂が優勢で、肥沃な土地が東側に出現し、揖保川を次第に西側に追いやったという経過が想像されました。その地を領し裕福だった伊和氏が氏宮をこの地に建てたのは物の道理です。
一般には、日の出を望む東向きに本殿・拝殿・鳥居を配置する。次いで南向きが多く、北や西向き配置は、何らかの意図がなければ創られない。僕が庭に西向きに「三穂神社」を創ったのは、遠い先祖の地「美作・三穂神社」を向いているからです。「伊和神社」の配置が北向きなのに、ずっと違和感を感じていました。その答えが見つかりました。創祀者は、自然の恵みをこの地に与え続けてくれる揖保川の源流に拝していたのか・・・。
R29をさらに北上し、r6〜r39で「福知渓谷」を遡ります。この渓谷は、いつも砥峰高原から下りばかりで、初めて遡ります。単に逆方向から走っているだけなのに、渓谷の表情が違って見えます。見えなかった小さな滝にも気づきます。7:15・「おとせ岩・水すべり場」。岩の滑り台かと探したけど、それらしき岩が見つかりません。小さな滝の岩はゴツゴツして、滑ったらお尻が痛そう。上流遥か上に見える山は陽光を受け輝いています。林道からの景色が良さそう。
7:25、「千町段ヶ峰林道」起点。福山に再上陸し北上していった台風による通行止めが心配だったけど、前回同様の看板だけだったので、支障なさそう、GO!中央白線はありませんが、1.8車線ぐらいの山岳林道にしては異例の広さです。R429から中国道に至る尾根伝いの3区間に別れた大規模林道ですが、一番南のr8〜中国道間より道幅規格が広がっています。
7:38、初めての舗装路分岐到着。一方は「草木」、もう一方は「千町峠」とマジックで手書きされています。これはとてもありがたい道標でした。これがないとどっちへ行っていいかわかりませんでした。ツーリングマップルを広げてみると、現在地が特定されます。「草木」方面は、R429経由で以前に登った「草木城」へ続く道のようです。きっとこちらも全舗装でしょう。少し歩いて草木方面を見に行きましたが、ナイスな景色が広がっていました。走りたいけど我慢して、千町峠方面へ。
僕のヨット仲間Aさんは、草木城主の末裔です。元は房総半島の豪族・千葉氏で、鎌倉幕府成立時に大活躍したので、地頭としてこの地を得ました。室町・戦国時代に入り、播磨の雄・赤松氏と但馬の雄・山名氏の勢力範囲が重なる地で、草木城を本拠地に粘り、赤松氏配下で苦労したそうです。Aさんのおじいさんが、山名氏配下の竹田城主に婿養子として入り、竹田城の山の1/3を持っています。この林道からは、たくさんの支線が出ており、旺盛な林業を感じます。未舗装でチェーンが掛けられているので、迷うことは有りません。入口に占有者の林業組合名・占有目的などが書かれた杭が打たれています。これがあると、専有外使用を希望する時、話の先が明確でいいな。僕が地元で子供のヨットクラブを作った時、市役所や水利組合など利権者との交渉で、いろいろ世の中の仕組みを学びました。
7:52、「千町ヶ峰登山口」。「せんちょうがみね」と読むようです。7:59、分岐。一方は、「段ヶ峰・千町峠」。もう一方は、「笠杉山・杉山・岩塊流」。地図を見ると、笠杉山方面が正解ですが、千町峠が気になるので、そちらへ。8:03、「千町峠」。東・JR播但線側の景色が広がります。ここには「悠々山荘」という建物がありました。まさか、こんな立地の喫茶店では利益は出ないだろうから個人宅なおでしょうが、広いテラスにテーブル&チェアが数脚、絶景を肴にアイスコーヒーを飲みたい気分だ。地図を見ると、ここから生野高原まで道が続いている。舗装路なら下ってみたいな。手持ちの2010年版地図では、千町段ヶ峰林道同様未舗装マークですが、大規模林道と一体舗装されることはないだろう。でかい鯉のぼりが上げれるようなポールが2本立っていますが、何に使いのだろう?「平石山登山口」もありました。標高1000m。
分岐に戻り、「笠杉山」方面へ。8:18、「千町岩塊流・どうどう橋」到着。「杉山・段ヶ峰登山口」「千町小屋」の道標が立っています。『千町岩塊流は、260万年前から始まった地球上に氷期が繰り返し訪れた時代に出来た「周氷河地形」と言われる貴重な地形です。段ヶ峰1103mと笠杉山1032mの間、標高880m〜1050mの山頂部西斜面にあり、大きさ1〜4mの岩塊が数層に厚く重なって、幅20m・長さ600mに渡り、川の流れのように重なって存在する県内最大級の岩塊流です。岩塊流の下に冷たい水が流れています。冷たい水で冷やされた岩の上に水滴ができやすくなり、苔が生えます。コケの上に落ちた草木の種子が成長し、数十年を経て落葉樹の森になります。岩塊流の下の冷水が絶えなければ、この幻想的な風景は継続します。このように岩塊の上で森林が更新される現象を「岩上更新」といいます』。なるほど、勉強になります。小学校で一番好きな授業が社会科見学だった僕は、こういうのが一番好きです。そう言えば、僕の旅のスタイルは、社会科見学の延長線ですね。
『お知らせ・入山者の皆様へ H27年4月18日〜H27年7月12日まで、銃器による有害鳥獣駆除を実施します。入山される際は、目立つ服装をされるなど、事故防止にご協力お願いします。 宍粟市』
「どうどう橋」は、岩塊流を傷つけないように、上を渡っています。下に降り、岩塊流の見学です。山頂付近にあるのに、まるで大河川の中流域に見られる角の削れた巨岩が川のように上から下につながっています。流れる氷河に削られたのでしょう。想像を絶する長い期間が必要だなあと、一見してわかります。その上に苔がつき、ツタが生え、気が生えています。野鳥のさえずりが盛んで、素敵なひとり時間です。橋の下を観察すると、蟻地獄のロート状の罠がたくさんありました。「いるかな?」と思って周囲の砂を入れてみましたが、それを上に投げ出す蟻地獄特有の動きは確認できませんでした。空き家なのかも?
8:40、「千峰」と書かれた林道開通の碑がありました。『千町段ヶ峰線の概要 延長17.051m・利用区域面積2181ha・工事期間平成4年〜24年・事業費37億7300万円・題字兵庫県知事井戸敏三書』。素晴らしい山の連なり・・・。「ヤケノ小屋」と道標された未舗装路から、2台のオフロードバイクが登ってきました。自然にお互いに挨拶し、僕がこれから進む方向に下って行きました。
北と西の山並み視界が広がるとこに出たので、バイクを停めて激写してるとオフバイクの音が聞こえてきます。僕がバイクを停めた横から分岐する未舗装路を上って来て、また挨拶。先ほどのバイク2台でした。
林道は勾配を増やして下り、R429に出ました。R429を西、r6を南西に走り、数時間前に曲がったr39との分岐を逆方向からクロス。更に南下し、R29に出ました。R29を北上し、9:45「道の駅・みなみ波賀」到着。裏の揖保川の土手で休憩。見上げる山は青空に生えて美しい。
ここの道の駅の波賀町観光地図に載ってた「郷社八幡神社」に寄り道しました。道の駅のすぐ西側です。亀がたくさんいる池があり、四天王寺さんみたい。道標が移設されていました。明治の中頃に南方100mより移動させたそうです。食料品や日用品を運ぶため作州(岡山県美作市)・因州(鳥取県若桜町)・但州(兵庫県養父町)に通じる唯一の道の標識として備えられました』。「力石」も2個置いてありました。
有形文化財の太刀があるそうです。『1540年・千草城主であった大河原備中守之清が奉納した。刀身に八幡大菩薩の神号があり、銘は「備中国住長船次郎左衛門尉勝光作波賀上之方八幡宮御剣末代天文9年8月吉日」。作者の勝光は、室町時代後期の備前国長船の刀工団の代表者で、文明から永正に掛けての年紀作がある』
R29を北上します。10:28、新戸倉峠の「流しそうめん屋」で休憩。バイクが15台ほどいます。車もいるので満席かと思ったら、そうでもない。順番待ち顔で屯してる方々は、どういう方なのだろう。開店したとこだから、満席フル回転するほどそうめんの準備ができていないのかな?ここは、樋が長く川の上空を渡って流れてくるので大人気です。熊の檻は健在でした。僕が最初に訪問した時は、熊さんも健在でしたが、亡くなって久しいです。近所で捕獲された赤ちゃんクマを、ここのご主人が育てた流しそうめん屋の看板熊でした。次の小熊捕獲を待っているのかな?
『この子熊が猟師に発見された時、母親にはぐれ何日の餌を食べず、痩せて立つことも出来ず、目だけが大きく、生きるのが困難に見えた。猟師は自宅に抱いて帰ったが途方に暮れた。昭和60年の早春だった。これを伝え聞いた滝流しそうめんの社長が飼うことを決意、レストランの隣に鉄製の小屋を建て、主任に飼育を任せた。クロと名付け、牛乳を飲ませ、我が子のように育てた。夜自宅に帰った彼は、クロに餌をやるのを忘れた事に気づき、戸倉峠を引き返し、真っ暗になっている小屋に「クロすまなかった」と声を掛けた。クロは彼の手を優しくなめた。1月の大雪の夕方、スキー場の残飯を運んだ時、レストランの屋根の落雪で、クロの小屋がすっぽり埋まっていた。雪を取り除いて餌を与えると、「ウオー、ウオー」と泣いた。それは喜びの鳴き声であった。レストランを訪れるお客様の人気ものになったクロは、可愛い仕草で愛嬌を振りまいた。時に限りがあるように、元気だったクロも平成15年に入ると、食事の量がだんだんと減り痩せていった。この年の3月、手作り豆腐店から、出来たてのオカラを与えたのが最後の食事になった。眠るような最後だった。「人間の歳なら、もうとっくに80を超えていた。長い間楽しみをありがとう」社長はクロに語りかけた。この時肩を落とした主任の目にも光るものがあった。このクロの剥製は、今も小屋にございます。 戸倉峠滝流しそうめん』
バイクに戻ると、ご夫婦風2台のバイクが出発しようとしていました。奥さんの方が手間取っている風で、それを横目に先に出発しました。R29に乗ると、バイクが追いついてきたので左ウインカーを出すと、先ほどのバイク2台が抜いていきました。新戸倉トンネルを抜けると、さっきのバイクが、右ウインカーを出して、路肩に停まっています。「ん?」と思いましたが、僕が抜いていくと、道を渡って旧道で戸倉峠に上がっていきました。このトンネルに入る前、峠に上がっていく道が気になりました。2台のバイクは、トンネルを抜けて鳥取県側から上がっていったので、峠道はもう繋がっていないのかもしれません。入口は廃道化していなかったけど・・・。
鳥取県側に下り、「ん、ここかな?」ってとこで路肩にストップしました。「平経盛の墓」「平経盛隠棲の洞窟」の案内板がありました。僕みたいな歴史好きにとっては、かなりインパクトの有る歴史遺跡。もっと大きな看板を希望します。枝道に入ると墓石が並んでいます。「平家」姓の墓石にびっくりし、10:44・バイクを停めます。近くの墓石にも平家さん。あっちもこっちも・・・。「平家家代々の墓」となっているので、苗字が「平」ではなく「平家」のようです。本姓は「平」なんでしょうが・・・。戸倉峠を鳥取県側に下った最初の集落で、麓の若桜の町からもかなり標高を稼ぎます。山の中ですが、四国の同じく平家の落武者集落・祖谷よりは、はるかに人里に近い。経盛は、清盛の腹違いの弟です。源平合戦の頃は、平家の実権は息子たち世代に移っており、義経との初戦・一の谷合戦で嫡男はじめ、謡曲で有名な3男敦盛まで息子3人を失っており、後の合戦中は厭戦気分だったようです。但馬・播磨と因幡を結ぶ主要街道沿いのこの立地は、明らかに源氏からの逃げのみではなく、再起を狙っています。この街道沿いで軍を養い兵を起こせば、頼朝3代の政権が滅んだあと、一定の影響力が出るでしょう。
「松に鳩」という紋が民家の屋根に・・・帰宅後、家紋図鑑で調べましたが見つかりませんでした。家紋ではないのかな?ナイスな絵柄でしたが・・・。お休みになっていたご夫婦が仕事開始するようで、僕の方に歩いてきたので挨拶すると、「どちらからですか?」と奥さんに聞かれました。「兵庫県伊丹市から」と答えると、「ご苦労さまです」とおっとりと。旦那さんから、経盛のお墓と洞窟の場所を教えてもらいました。この方もきっと平家さんなんでしょう。
隠棲当時は、大ぴらに「平」なんて使えないから別の苗字を名乗ったのでしょうが、いつから「平家」苗字を使うようになったのだろう。お墓に向かって歩き出すと、小さな戸のない小屋があり、中を覗くと生き生きとした花が飾られた祭壇です。その隣の小屋には花の飾られた六地蔵。小屋というより覆い屋のようです。平家落ち武者の里として見ているからか、優雅に見えちゃいます。
『平家伝承の地・落折 平経盛の墓:経盛主従の墓と七色に変化するモミジがある(ここより右側20m)。 経盛隠棲の洞窟:源平合戦で敗れた平清盛の弟、経盛らがこの村に逃れてきて、村奥の洞窟に隠れたと伝えられる巨岩がある(これより右側・家の谷川上流400m)。 若桜町』
苔むした主従の小さな石積み墓に参り、お賽銭を入れ手を合わせました。洞窟の方を見に行くと、バイクでも上がれそうな道なので、バイクに戻って上がっていきました。井田端会議中の方がおられたので会釈。道は沢沿いを上がり、獣避けネットで塞がれていました。手前に車3台ほどの駐車場があったので、ここから歩くことにします。ネットを開閉し、山道を上ります。この道も車で平気な1.5車線でバイクで上っても問題有りませんが、沢の水音などが聞けて徒歩の方がいいです。
道端の電信柱に、箒が下がっています。あっちにもこっちにも。平家さんが集まった集落の結束は強いようです。当番制で道の掃除をしているでしょう。先ほどの奥さんの「ご苦労さまです」に、「訪問頂きありがとうございます」の気持ちを感じたのは、こういう日頃の行いから来るのでしょう。
11:01、洞窟の前に来ました。舗装路の両側に門のように巨岩が立っています。東側は沢ですが、西側斜面に巨岩が重なりあっており、ここに潜んだようです。洞穴に、小さな祠があります。巨岩の下にも箒が・・・。
『1185年、壇ノ浦の戦に敗れた平氏の落武者達は、源氏の厳しい詮索の目を逃れ、全国の果てに隠れ住んだと言われている。この落折部落もその「隠れ里」と伝えられる1つで、平経盛主従20余人が、この洞窟内に隠れ、密かに再挙を夢見ていたと伝えられる。巨岩重畳として広い空間を作り、あちこちの抜け穴は連絡道となって、攻めるに難く守るに易い地下城を思わせるに充分である。この道を少し上ると、落人達が馬のいななきを警戒して、馬を隠したと伝えられる「ウマガクシの谷」のたわみが見える。落折部落は全て平家姓である』
バイクで上がってきていたら、更に奥を探索するのに・・・。いい感じの1.5車線舗装路が谷の奥に向かっていました。沢の水音を聞きながら下ります。小さな滝があり、それらしき名前さえつければこれも観光につながるでしょう。電気柵手前(山側)の沢に橋がかかっており、山からホースで引いた水が噴水のように湧き出ています。山仕事の方の飲料水に見え、飲んでみました。乾いた喉に美味しい。
バイクに戻り下ります。井戸端会議はまだ続いており、会釈して通り過ぎたとこの小さなイケスにニジマスを発見しました。綺麗なレインボーが入り、沢の水で育てているようです。その横に「営業中」の民家喫茶店があり、庭に置かれたテーブル・イス席のテラス席オンリーのようです。
R29に戻り、11:38「道の駅若桜」到着。「鳥取梨ゼリー・430円」と「キャラメルミルクティームース・380円」で昼食としました。若桜鉄道若桜駅に並んでおり、2週間前に動いてたSLは、この道の駅脇まで構内運転していました。SLの車庫は横にあります。若桜鉄道との間に「若桜駅番所」がありました。『1863年、鳥取藩によって、八東川を挟んだ若桜宿の向かいにある浅井集落の外れに設置されました。幕末の動乱の中で、人や物の出入りを監視するために置かれたものです。・・・』
道の駅の観光案内板で見つけた「三百田住宅」を見に行きました。「若桜町歴史民俗資料館」が併設されていました。建物は、明治時代の典型的な土蔵造りで、山陰合同銀行若桜支店の社屋だったそうです。昭和10年「白銀の王者」という映画のロケ地だったようで、氷ノ山ロケの写真や当時のスキーが展示されていました。若桜城址のジオラマがありました。2週間前の記憶に重ねて見ます。僕が帰路についた最高所から先に進むと馬場があったようです。稚桜(わかさくら)〜若桜(わかさくら)〜若桜(わかさ)と地名が変遷したようです。よくある話ですね。現代ほど識字率が高くなかったので、漢字の意味より音優先は仕方がないです。分厚い土蔵の扉は、両親の実家を思い出します。刀・槍をはじめ、色んな物が出てくる宝箱に僕の目には見えていたから、爺ちゃんや婆ちゃんに開けてくれとよくねだったものです。「鳥取県立八東高等学校・若桜分校跡」の石碑が立っていました。
さきほど「意非神社」の大鳥居の下をバイクでくぐりましたが、神社本体がありませんでした。ここから大鳥居を見ると、鳥居の右手の丘の上に何かが見えます。R29から入った道に大鳥居が掛かっているのですが、神社名がなく変な鳥居だと思ったら、社殿はR29と鳥居の間の丘の上にあり、裏から鳥居をくぐったので社名が見えなかったようです。そして残念なことに、建て替え作業中でした。拝殿も本殿も何もかも有りません。ここに惹かれたのは、「日本一の幟」と案内板に書いてあったからです。神社がお祭りの時に上げる幟は、かっこいいです。素晴らしく巨大なものがあり、見るものを圧倒します。どうやら、幟も再建中は出していないようです。
R29に戻り、西に進み、r37に入ります。「安徳天皇の里姫路公園」というのがマップルに記されており、楽しい道をルンルン走っていると、12:40「小耶馬渓」というところに出ました。道から連なった滝が見え、当然寄り道します。
12:56、「広域基幹林道・河合谷線」起点到着。『工事期間・昭和43年〜59年、工事費・22億3551万円、増員4.6〜5.0m、延長32882m』。1.8車線林道でカーブもきつくなく、勾配のきついつづら折れもありません。森の中の道、谷側の木々が邪魔して景色はイマイチなので、淡々と登り、13:15・峠を越え「八頭町」から「鳥取市」に入りました。ここに谷側の木々が払われ、景色の良さそうな展望台がありました。
『峠の見晴らし広場 ここは国府町と群家町の境界で、標高850mです。ウッドデッキからは鳥取砂丘・大山¥扇の山などが、見えます』。町村合併以前の案内板がそのままのようです。ウッドデッキは老朽化でクローズになっていましたが、その手前からの素晴らしい眺望が見渡せます。山陰の海が眼下に見え、「やって来ました日本海」って気分です。
13:34、「扇の山登山口入口・上地ルート(上級者向け)・中国自然歩道合流点まで2.5km」到着。少し入ってみました。急な沢沿いの道で、下草が伸び、迷子になりそう。13:37・「唐戸渓谷」到着。「探索コース 1の滝・2の滝・3の滝・唐戸大滝」と書かれています。ここには距離が書かれていませんが、さっきどこかで見た案内板には徒歩50分と書かれていた記憶があります。当然パス。絶景場所で激写タイムを取りつつ、13:54・「扇ノ山登山道入口・大石ルート・中国自然歩道合流点まで2.4km」。こちらは森の中の道で、登る方が多いのか下草がなくルートがはっきりしています。「扇ノ山頂上3.2km」「天神池」の道標が立っています。要所要所に「山陰海岸ジオパーク」の案内地図が立っています。海岸線だけだと思っていたら、こんな山中も指定されているのですね。マップルは参考程度で当てにならず、この案内地図が詳しく、現在地と次の目標確認で助かりました。
14:11、突然車が3台もいる広場に到着。湧き水がワンサカ出ており、ピックアップトラックの男性2人がポリタンク20本ほどに、積み込んでいます。ご夫婦の奥さんが、「すごく冷たいよ」と教えてくれます。僕も空になったペットボトルに汲みに行きます。ポリタンクおじさんが、ホースを僕の方に向けてくれました。勢い良く出ているので、一気に満杯です。すぐにボトルの周りに水滴がつく冷たさで、夏は最高ですね。美味い。
『ここは河合谷高原の中ほどで、標高1100mで、麓に雨滝、牧場近くに天神池、これより先に河合谷大根畑、ブナ林などがあります。滝から流れる水は扇ノ山の伏流水で、四季を通し水量と水温が変わりません』
ここは、「河合谷林道」と「海上林道」が交差するところです。河合谷林道をそのまま進めば、「雨滝」「鳥取市」です。皆さんに挨拶し、「上山高原・海上林道」方面に進みます。50mほどで小さな切り通し峠があり、「鳥取県国府町」と「兵庫県温泉町」の県境でした。
14:23、「小ズッコ山小屋・150m」「扇ノ山・3050m」。ここにある案内板を見ていると、黒のエストレアに乗った青年が、反対側からやって来ました。「この前に牧場があるか?」「舗装路が続くのか?」など情報を仕入れました。神戸から来た青年で、僕の反対ルートで若桜に向かうそうです。でも今から3050m先の扇ノ山に登るというから驚きです。山の3kmは時間がかかります。2〜3時間コースだと思います。しかも片道で・・・。現在時刻が14:30なので、早歩きでもバイクに戻るのは19時だと思うけど・・・。バイクでどこでも行ってる風で、テントなども積んでいるので、旅慣れてる感じがします。山中でビバークなんてへっちゃらなんでしょう。帰宅後写真見て思ったのですが、150mなら山小屋まで行けば良かった。常駐で誰か居るのかな?
14:35「しょうぶ池」。14:40「牧場」。森が切れ、素晴らしい高原の広がりに道は吸い込まれました。「上山山頂・700m」すぐ近くほぼ真横にあり、「上山高原避難小屋」の真横です。電気柵の向こうには牛が草をはみ、空は真っ青・・・最高の気分です。
『上山高原は、かつて広大なブナの森が広がっていました。昭和10年頃から40年代にかけて、開拓や造林事業のために、多くのブナやトチノキが伐採され、トロッコで運び出されました。このブナ林を復元させるために、スギ人工林の間伐と広葉樹の植樹を進める必要があります。まずは、スギ人工林とブナの林との混交林化を図り、段階を追って全面積をブナの林へと変えていきます。ブナ林を復元することで、ツキノワグマなどに代表される冷温帯動物の生息地になります。ブナの苗は、地元産の種子をホームステイで育成しています』
『上山高原では、かつて但馬牛の放牧を行っていました。牛は、草原の状態にもよりますが、1頭につき1年間放牧して約1haのススキを食べると言われています。ススキ草原を維持するためには、人手による管理に加え、放牧による管理の面積を増やしていく方法もあります。放牧されている牛は、有名な「但馬牛」で、仔牛は松阪牛や神戸牛など全国の名牛の種牛になっています』
草原の広がりに、これから走る道が緩やかに下り、その向こうに山が続き、日本海が見えます。素晴らしい景色です。草原を走り、14:55谷を隔てて向こうに海が見える山の尾根下を林道が走っています。あれが、次走る予定だった「林道・池ノ尾線」かもしれません。もう15時なので、危ないので山に入る時間はありませんが、次回の宿題にしましょう。
15:02、真下に田畑が広がっています。日本人の営みの美しさが絵になります。ギザギザ頭の森の木々と、整然と背丈が整った作物の調和が素晴らしい。そこを走る一本の道・・・僕がこれからそこを走るのかも・・・。ここからグングンと下り、r262に出ました。青年から教えてもらった「おもしろ昆虫化石館」横を走り、R9に出ました。
ここから、延々R9で家路に着きます。「湯村温泉」通過、「村岡トンネル」通過、「ハチ北分岐」通過、ここまで来るとスキーフリーク時代に冬になると毎週通った道です。途中、何度か水分補給休憩しながら、16:18・「道の駅・ようか但馬蔵」で休憩。
高速道路手間でガソリン補給しようと思ったら、GSがなく、「北近畿豊岡道」に乗っちゃいました。横風が気になりながら、75〜80km/hペースで片側1車線無料高速道路を走り、16:49・「道の駅・但馬まほろば」到着。「ミルクソフト・110円」でクールダウンし、「訳ありおかき・540円×2」を購入してお土産にしたら、「本日のみ使用可の200円券」をもらっちゃいました。「雪印コーヒー牛乳・500ml・120円×2-200円」を購入。
また日陰に座って、久しぶりのコーヒー牛乳を飲み、出発しました。北近畿道から「春日IC」で舞鶴道に乗り換え、17:53・「西紀SA」エネオスで給油。361km/12.76L=28.3km/L。「チョコマーブルコーン・135円」でクールダウン&糖分補給しました。
宝塚トンネル渋滞が16kmとなっていたので、「篠山口IC」下車。r94を東進し、r49で南下。R372を越えて「美濃坂峠」に向かうとこで、「通行止め」看板が目に入りました。台風で美濃坂峠北側の山道が崩壊したのかな?
ということで、R372を東進し、r12で「城東トンネル」を抜け、「後川」〜「西峠」〜「杉尾」、「六瀬」からr319〜r33〜r325〜長尾山トンネルを抜けて、19:33帰宅しました。いつものようにバイクを乾拭きしご苦労様。400km強の楽しいツーリングになりました。

2015/7/19
家内もお休みだったので、奈良明日香サイクリングを計画しましたが、昼から1ミリの雨予報が出ており断念しました。家内を用事のある市街地に車で送り、その後僕は通勤リード110に乗ってハーバーに向かいました。
ハーバー内に流木が浮き、台風一過のいつもの光景でしたが、係留艇は桟橋への接触もなく無事でした。ただドッグハウス入口スライドドアから雨が滴り落ちたのか、階段下の足ふきマットが濡れていました。念のため床板を外すと、少量ですがビルジが溜まっています。舐めたらしょっぱくなかったので、雨水のようです。
バッテリーをONにし、電動ポンプで汲み出しました。でもウエスがなかったので、ドライにまでは出来ませんでした。エンジンは一発始動で、冷却水もしっかり出ており問題なしです。
帰宅し、ホームセンター・電気屋さん・スポーツ用品店を巡り、12時過ぎに帰宅しました。家内も帰宅しており、今度はタンデムでお出かけです。前日からロードショー開始された「HERO」を観に行きます。
13:50上映開始といういつもより早い時間だったので、お客さんが多かった。いつも17時・18時台なので空いていたけど、劇場の後ろ半分の席は埋まっており、前から4列目で観ました。
還暦祝いで子供たちからもらった「映画ギフトカード」を使いました。去年フジTVお台場大陸で、次男がHEROセットを設計したので、この映画は観に行かなければなりません。映画1作目も観ているので、楽しめました。
映画の後にいつも行くオムライス屋さんに行くと、コメダコーヒーに変わっており、シロノワールを食べようと入店しました。10組ぐらいの待ちがあり、諦めて帰宅しました。

2015/7/12
家内は仕事だったのですが、ヨットレースの予定が立たず、フリーと分かったのが前日の土曜日でした。学生時代のヨット仲間に連絡して大阪湾クルージングも考えたのですが、前日の連絡では集まらないかなと思い、ソロツーリングに出ることにしました。グループツーリングもありましたが、申し込み終了してるし・・・
どうやら雨は降らなさそうなので、新たな絶景林道探索を計画しました。「千町段ヶ峰林道」が完全舗装されたようです。これは、中国道からR429まで続く大規模林道の北1/3です。南2/3は既に走っているので、これで全線走破完成です。R29の北に以前から気になっていた「河合谷林道」&「海上林道」があり、ペアで走りましょう。海上林道を北に下ったR9から、「林道池ノ尾線」という新しく開通した林道があります。これも走って日本海に出ましょう。ざっと計算して、高速道路200km+下道300kmで、14時間の旅です。
4時に目を覚ましました。プロテクターメッシュ上下の完全夏仕様に着替えます。未走林道4本で風も弱そうなので、より軽い「里山VTR250」を出します。タンクバッグ・GPS・車載カメラなどゴソゴソし、5:14出発。
宝塚ICから中国道に乗り、一路西へ。4時出発を予定していたのに、1時間も遅れちゃったので、舞鶴道〜北近畿道・青垣IC〜R427〜R429というルートを早々にカットし、オール高速にしました。中国道・加西SAでソロツーリングの定番・朝カレーを食べて、6:23出発。予想より天気が悪く、雲が低い。標高800mほどの林道で、下界の景色が望めるのだろうか?
6:32、「福崎JCT」で、播但道に乗り換える。播但道のICは主なとこにしかETCがありません。福崎ICでETCレーンではなくチケットレーンを通ろうと思ったけど、一般レーンが閉鎖されて共用レーンしかありません。仕方なくETCで通過。6:55、問題の「神崎南IC」料金所です。当然、「ETCカードをお願いします」と言われました。ETCはシート下ボックスにあるのですが、タンデムシート上にバイク便キャリア&ボックスを載せているので、ボルト着脱作業で30分掛かります。事情を話すと、電話でなんだかんだ専門用語で話しておられ、現金210円支払いました。
車やCB400なら簡単に取り出せるのですが、VTRは難儀です。次回のためにどうしたら良いか聞いても、明確な返事が有りません。IC下の事務所に詳しい人がいるということなので、聞きに行きます。「入場する福崎IC・チケット機械に着いてる白いボタンを押すと、係の方と話ができます。すぐにチケットを持ってきてくれるので、それで入ると、ETCを通っても認識されない」そうです。面倒だけど、覚えておこう。来年にはETCが各料金所に導入されるそうです。
僕が料金所で話していた間に通ったお客さんから、「ほんまに割引されているのか?」とか「なんで入る時だけETCで出る時ETCがないねん」と、文句を言われていました。ETC導入されていない有料道路も多々ありますが、全ゲートでETC対応されていないのでわかりやすいです。一部のみETC導入というわかりにくさが、諍いのもとです。
r8を西進し、JR播但線を渡り、r404で播但線に沿って北上します。この道はお猿の集団に会ったこともある気持ちのよい田舎道です。「JR長谷」からr39に乗り、西進します。
砥峰高原に上る道で、7:42・「砥峰高原」に到着しトイレ休憩します。ここは、標高800mの「ノルウェイの森」「大河ドラマ平清盛・軍師官兵衛」などのロケ地です。雲の中で真っ白です。視界30mほどで草原が全く見えません。ベンチに座り算段します。「千町段ヶ峰林道」はここよりさらに高所・1000mを走ります。下界の絶景は望めません。その分、鹿を筆頭に野生動物に会える機会が増えるかも・・・。
福知渓谷に下って行きます。車では走りたくない1車線の道ですが、横に沢が流れナイスな道です。梅雨の多雨のため、そこらじゅうで路上河川になっています。泥を踏むとこけるので、慎重にでもワクワクしながら楽しみます。
7:55、「林道起点」到着。道路工事中の看板が立っています。林道なんて大雨毎に何処かが崩れるので、工事なんて通年行事です。ルート決定をここまで先延ばししましたが、山を見上げると雲に隠れています。この林道はパスすることにしました。
福知渓谷を下り、r6に出て北上、R429を西進します。途中の標高の高いとこで休憩し、山並みを眺めると、山頂が見える山が増えてきました。次の林道は楽しめそう。
R29に出て、それを北上し、9:04・「道の駅はが」到着。売店に入ると、プルバック式オープンカー・721円が目につきました。トヨタディーラーでもらった「86カラー見本プルバックカー」は、嫡孫くんに好評で持って帰りました。この手のおもちゃが我が家にないと楽しくないので、購入。観光案内板を見ていると、原不動滝(日本の滝百選)が目につきました。
R29を北上し、「原不動滝」の案内板に従って、左折。9:23、到着。大人200円。「別名:夫婦円満・幸福の滝・恋愛成就の滝」で、りんごソフトクリーム20%OFF券をもらいました。原不動尊の山門をくぐり、沢の上流に向かって歩きます。400mだって。横にはオートキャンプ場があり、浅い川で小さな子が水着になって遊んでいます。ここ良さそう・・・
『この滝は、男滝と女滝からなり、日本の滝百選の1つに選定されています。男滝は88mと県下最大の名瀑である。女滝は源流を異にして男滝に寄り添うように同じ滝壺に落ちている。周辺はブナやもみじの原生林に覆われ、全長88m3段になった岩肌を滑り落ちる飛沫は、過去から現在そして未来へと永久に絶えることなく、私達の心を幽玄の世界へと導いてくれる』
『往時、この地に道範・道禎という2人の名僧がいた。道範は験門の将といわれ、道禎は怪力で知られていた。道範は常に摩尼嶽の行者窟で荒行を重ね数々の霊験を得た。ある時金色の龍、南西に飛ぶを見てこれを追い、棲龍峡に至り、水門に姿を失った。以来、道範はこの金龍を本尊・倶利伽羅不動明王と拝し、この不動滝で荒行を続けた。
天保年間に、長源寺13世が行者窟に護摩堂を再建し、不動滝の岩上に不動堂を建立し、不動明王を勧請した。これより、不動滝と称せられている。昭和の初め頃から、この滝を中心に四国88ヶ所の祠により霊地の順拝を続けている』
沢横に参拝道があるが、通行止めとなっており、上空の吊り橋により空中散歩しながら参れるようになっている。吊り橋を渡り、階段を上がり、9:41・不動滝到着。ナイスな滝でした。3段に分かれているので、落差88mの豪快さはありませんが、梅雨の水量の多さゆえ、いい感じです。
R29に戻り更に北上し、10:04「引原ダム」に掛かる橋上で激写。ボートレース日のようです。戸倉峠を上がります。素麺屋さんは並んでいませんが、駐車場には車やバイクが停まっています。新戸倉トンネルの涼しさが気持ちが良い季節になりました。トンネルに入ってすぐに涼しくなるので、こういうところに道の駅があれば大繁盛な感じがするけど・・・。しかも地下は夏涼しく・冬暖かいので、省エネ営業で利益も増えそう。
鳥取県側に下り、r72にちょこっと入り、10:30「岩谷堂」到着。地元の方が、雑草取りなど清掃をしておられました。ありがとうございます。R29を西進し、若桜の街に入ります。駅の南だとは知っているのですが、見上げてもそれらしい山城地形が見えない。
ゆっくり走っていると、「鬼ヶ城」の案内板発見。山に向かう道をゆっくり走っていると分岐がありました。「国史跡・若桜鬼ヶ城・2.8km、若桜弁財天・1.8km」に分岐しています。弁財天の方を見ると、沢沿いの道です。弁財天=弁天様=水という構図なので、きっと沢の源流に神社が祀ってあるのでしょう。沢の源流は、農業が国の基盤だった最近まで、水の取り合いがあったりする最重要地点です。ここに神様を祀り、神域を持って禁足地にすることは、きれいな水を絶やさないためにもとても重要です。
「鬼ヶ城」に登ります。ありがたいことに、舗装路が続いています。10:57、車5台ほどの駐車場にバイクを置きます。道はまだ続いていますが、未舗装路です。歩くと暑くなるので、メッシュジャケットを脱いで徒歩開始。11:00、「馬場跡」到着。若桜の町・標高220mからここ440mまで比高200mオーバーで、馬場からでも下界が見えます。馬場の本丸寄りエンドに、「鬼ヶ城跡・150m」とあり、山頂を平坦化したような縄張りのようだと、長く平坦な馬場を歩いてきたけど、ここから様子が変わりました。
『若桜鬼ヶ城跡は、播磨・但馬につながる交通の要衝にある。戦国時代において毛利対尼子、毛利対織田等による争奪戦が繰り広げられた。築城時期は不明だが、1489年に「矢部館若狭」の記述がある。山中鹿之介による尼子氏再興戦の舞台にもなった。その後、羽柴秀吉による鳥取城攻めの織田方拠点として機能し、1581年鳥取城陥落後は武将・木下重堅、関ヶ原戦後は山崎家盛が入城している。1617年、池田光政が因・伯2国を領す鳥取城主になると、一国一城令により廃城となった。
城郭は大きく2群に分かれる。山頂部から南北に伸びる尾根の中腹から先端部にかけて堀切・竪堀が見られ、小規模な曲輪群が構築されている。また山頂付近には、この付近で取れる石材を用いた石垣によって、虎口や曲輪群が構築されている。その構造から、前者は戦国時代の山城の遺構で、後者は近世初頭になって新たな築城技術で構築されたと考えられる。
本丸の西側などかなり石垣が崩れているが、これは廃城の際に意図的に壊されたものである。中世から近世にかけて城郭構造の変遷を窺うことの出来る城として学術的な価値が高いだけでなく、そうした破城の状況を今に留めているものとしても重要である』
いきなり深い堀切があり、明らかに人の手で掘り切られています。かなりの高さで残っており、「凄いじゃないか」と振り返りながら本丸の方に歩いていると、石垣が見えてきました。近世の石垣構築技術といえばそれまでだが、山上にこの大きな石を用いた石垣は、守護級の本拠の城に匹敵する。素晴らしい山城で、大興奮しました。
三の丸・二の丸・本丸と登って行きましたが、石垣の見事さに加え、下界の景色が最高でした。ここはお勧めです。R29から分岐したR482が北に向かい、その先に林道が山肌を斜めに切っています。R482かもしれませんが、その背後の山並みに向かう姿がかっこいい。小代に続く道だから遠い昔に走ったかもしれないが、無性に走りたくなりました。今はバイクだから、狭路最強です。地上では感じなかった風が、10m/sほどの強風で山頂を渡っています。帽子が飛ばされそうです。そしてもう一つ気になるのが、SLの汽笛です。若桜鉄道・若桜駅に動態保存されているSLの音でしょう。
大満足な城攻めが終わり、バイクで下ります。途中の分岐から、気になっった「若桜弁財天」に向かいます。沢を登る道は、中央コケ線がやがて前面コケ道になりました。横は沢で森の中なので、コケも繁殖のし放題です。スリップしないか慎重に進みます。急勾配つづら折れがなく、11:48鳥居前到着。
軽四4WDが1台停まっています。下りの苔道が心配で、コケを踏んでみますが、大丈夫そうです。横の杉に、「日本海テレビ・ふるさと百景・放映記念と書かれています。「枝打ち間伐16年・実験林」と書かれた木もあり、見上げると見事に揃った枝打ちが成されていました。
『市杵島姫命を祀る。古くから神徳高く、夫婦円満・諸願成就の神として崇敬される。伝説によると、平家没落の昔、小松備中守師盛がこの地に隠れ、かねて平民の信仰が厚い弁財天を祀ったものと言われている。その後、鬼ヶ城主矢部・木下・山崎の時代に祈願所となった。因幡伯耆2国の国守・池田光仲は尊崇特に厚く毎年撰銀を奉納した。・・・』
鳥居をくぐると、沢の横に前面苔の緑の道が伸びています。とても気持ちのよい森の道です。小さな滝の横に小さな祠が鎮座し、こういうのが大好きなのでウキウキします。先ほどの鬼ヶ城もそうですが、当然僕以外誰もいません。聞こえるのはせせらぎの水音と野鳥のさえずりだけです。
・・・「あっ、人がいる」、さっきの軽四トラックの方でしょう。脚立に上って参道に続く電線の手入れをしています。その横には小学校高学年と思われる男の子が手伝っています。腰に道具袋を下げ、一人前の職人です。かっこいいな。「ご苦労さまです」「ようお参り」。男の子も素晴らしい挨拶です。挨拶のできる子は、いい子に育ちます。そして田舎の素朴な人の素晴らしさを感じます。山城への道でバイクですれ違った徒歩の人・畑仕事中の人など3人に会釈しましたが、当然親しみの表情やお声で返してくれます。
素晴らしい沢道(400mほど)を黙々と歩くと、12:00・「弁財天」到着。阿吽の駒犬・石灯籠・・・いいねえ。
『江島神社由緒 江ノ島神社(通称若桜弁財天)は、市杵島姫命を祀る。境内は幽邃閑雅にして山は秀で水清く、参拝者がこの地を踏めば霊気に触れ、心身自ら澄み霊妙なる神徳に帰一する想をなす。その祭日たる毎巳の日に際しては、老若男女の参拝者多く、特に9月の初巳の日の縁日は、日本海から漁村の人たちが信仰を寄せ、県内外から参拝者が未明より間断なく続き市をなす状況である。その起源は、諸人弁財天と称して崇敬する事甚だしく、毎年初巳の日祭りで参拝し、あるいは雨を祈りし年には雨乞い踊りとして郷中の男女来たりて謡踊をなすと崇敬の状況を伝えている。
また1185年小松備中平師盛卿がこの地に来て、平氏の信仰が深い弁財天を巨岩を神祠として奉祀せる。また神岩付近に白蛇・金色蛇・あるいは金色カエル、他に見ざる色彩・面影のカエルなどが時により現れ、尊ばれた。ちなみに、大正5年三倉池ノ谷鎮座池谷神社(若一王子と称す)、足谷鎮座虎石神社(祭神手力雄命)、弁天神社の三者を合祀し江島神社と改称される』
市杵島姫命は、宗像三女神ですね。男はみんな弁天さん好きです。「雨乞い踊りとして郷中の男女来たりて謡踊をなすと崇敬」というところに、歌垣山的なフリー恋愛の場を感じました。詩を謡い合い、意気投合すればあっちの物陰でカップルになり・・・。明治開国でやってきた外国人が、日本一般庶民の性の解放度に驚いたそうです。一夫一婦制でもなかったので、厳格なキリスト教信者には、先進的に見えたのでしょう。
先ほど寄った「岩谷堂」の脇に、平経盛のお墓があります。経盛は清盛の弟で、一ノ谷合戦で敦盛他息子を3人も失った一の谷緒戦以降すっと失意だった人です。壇ノ浦で滅びた平家落ち武者の隠匿地でもあります。鎌倉源氏3代が早々に滅んで以降は、落ち武者狩りも終わり平家も表に出てきたのかな?
拝殿の裏に覆い屋に守られた小ぶりだけど素晴らしい彫刻の祠があり、その後ろには謂れ板に書かれた通りの大岩がありました。平家が祠を建てたのが1200年代だから800年も大岩はこのままなのだろうか?大岩の移動により、祠も再建したのだろうか?いずれにしても、悠久の歴史絵巻です。落ち武者平家の末裔がこのお宮の維持保存に力を出し合ってる姿が想像されました。
再び仕事中の親子に挨拶しました。「お盆に向けて修理中ですか?」と聞くと、まさにそうです。あと1ヶ月だからね。「いいものを観た」とこれまた大満足でバイクに跨り、緑の苔道を転けないように慎重に下りました。鬼ヶ城との分岐を過ぎ、12:29・往路気になった神社に寄ります。「若桜弁財天末社」となっており、先ほどの神社の麓宮でした。
謂れ板に、『1333年後醍醐天皇が京都へ還幸の際、名和長年が参拝し、鉾を奉納した』と書かれていました。こちらはとても立派で、阿吽の武者像が左右を守る立派な山門をくぐり、250段の石段を登り、本殿到着。ここでも拝観料・激写料をお賽銭箱にチャリんします。本殿・脇宮前の石囲い(玉垣)に「皇紀2600年」と刻まれていたので、昭和15年・1940年に巻かれたと思われる。拝殿正面の「若櫻神社」の社名には、「陸軍大将・林銑十郎謹書」と書かれていました。これもそういうご時世のもののようです。帰宅後調べると、陸軍大将・内閣総理大臣を歴任した政治家でもあり、日露戦争に従軍した年齢を換算すると、僕の母方の祖父と同年代の方です。祖父も日露戦争に近衛騎兵小隊長として従軍し、金鵄勲章を得ている。40代の若さで亡くなったが、生きていれば第2次世界大戦前夜のきな臭い時代に陸軍を動かす参謀になっていたでしょう。そうであれば、母の実家もどうなっていたか知れず、人生プラスマイナス・イコールゼロに出来ているんだなと思いました。都会にあれば、いつも人がいる神社なんだろうが、当然のように僕一人。こういう田舎の神社が、草ぼうぼうにもならず手入れされている名も無き一般庶民の心が、日本の底力のように思います。
少し下って、これも往路気になった「龍徳寺」に寄り道します。「不許葷酒入山門」の定番の石碑が立っており、禅寺であることがわかった。ニラなど臭いのきついものは精がつくので、修行中の僧には不向きで、心を乱すお酒も持ち込み禁止です。
『・・・1600年、関ヶ原の役後、山崎家盛は鬼ヶ城主に任ぜられ、亡き父の法名「「龍徳院法性覚玄大居士」に因んで、菩提寺として現在地に移し、萬祥山龍徳寺と改称した。境内の大五輪は家盛の遺髪を祀ったと言われ、現在の大銀杏は家盛の子・家治が、その目印のために植えたものだと伝えられる』
瓦屋根の鐘楼門をくぐり境内に入ります。屋根から降ろされた大瓦の紋が、我が家と同じ武田菱でした。鐘楼門の左右の木鼻が、阿吽の獅子でかっこいい。門をくぐりながら上を見上げると、鐘がぶら下がっていました。横には副業の幼稚園が併設されています。本殿などは蟇股の彫刻以外は、時に目につくものが有りません。横からメインイベントの墓地の方に回ります。
大名の菩提寺故、大名家の墓石が・・・と期待したのですが、治世少なく、伯耆・因幡両国の国守になった池田家が鳥取城を本拠地としたので、目立った墓石は見つかりませんでした。茗荷家や播州に多い岸本家があり、山中家もあります。鹿之助がこの城で尼子氏再興の戦をしたという故事を読んだとこなので気になります。一番期待してた平家の残影・「平」や「平家」の墓石が発見できませんでした。
退散し、13:13・「若桜鉄道・若桜駅」到着。SLを見ると、白い煙を吐きながら引込線で待機しています。ディーゼルカーが2両います。やがてプラットホームに止まってたディーゼル列車が、お客さんを乗せて出ていきます。1両の列車は可愛いね。この街は、あちこちの玄関に、等身大のお人形がいます。プラットホームのベンチにもいます。駅に入ると、「SLトロッコ乗車できます 本日走行日 走行時間11:00・13:30・15:15」と書かれています。時間を確認すると13:20。なんとラッキー。
SLそばまで行ける入構券300円購入。売店グッズ50円引き券付き。首からプレートをぶら下げSLまで行きます。案内のお姉さんが、SLが転車台に乗るので、転車台を動かしてみませんか?と誘っています。ちびっ子は、お母さんに説明されてニコニコです。我が家周辺では絶滅してしまったニイニイゼミが健在でした。その声に混じって、SLのシューという音が頬を崩させます。
SLが引っ張るトロッコは、倉庫の中です。本当に乗れるのかな?なんて思ってると、掛かりの男性社員が出てきて転車台の左右を固めます。ポーと汽笛を鳴らしSLが動き出し、中央に停まったとこでSLを固定します。転車台左右に出てる手押し鉄棒に希望者がたかります。「反時計回しです」と言われ、「じゃあ押してください」の合図で転車台ごとSLの向きが180度方向転換します。大人2人で動くんだから、転車台のバランスと構造の素晴らしさが伺えます。運転手も、回転途中でポーと汽笛を鳴らします。
別の引き込み線にSLが移動し、その線路のエンドまで下がります。そしてSL専用プラットホームまでまた戻ってきました。転車台を少し動かし、倉庫の引き込み線に直結します。次に倉庫内のトロッコ車両が係員2人で押し出してきます。人力なのがナイスです。転車台中央まで移動させ、掛かりの大人2人で転車台を動かし、SLの乗った引き込み線と直結させます。
またトロッコを人力で動かし、SL先端部の連結器とトロッコのそれとがガチャンと連結しました。トロッコに乗る方は、乗車券200円が必要です。お姉さんが厚手の乗車券を販売しています。小さいお子さんは当然全員乗ります。僕は自分が乗ってしまえばSLを写せないので乗りません。
SLが少し下がり、トロッコをぷらっとホームに移動させます。皆さんぞろぞろとトロッコに乗ります。その間に営業運転車両が引き込み線に入ってきて、乗ってた乗車員が下りてポイントを切り替え、指差し確認後運転手に合図して、待機線に入って行きました。すぐに別の待機線で止まっていたディーゼルカーが動いて引き込み線を利用して、営業運転のためプラットホームに向まいました。楽しいな。
引き込み線をディーゼルカーが出て行くと、SLの汽笛が鳴り、SLが引き込み線を奥まで走って行きます。トロッコ車両角の出入口に係員が立ち、緑旗を掲げています。またゆっくりホームに帰ってきて終了。親子連れが楽しそうです。C12・167号ありがとう。
13:50、駅から出て、駅前のスーパー「TOSC若桜店」に入り、「赤城時雨いちご・100円」を買いました。駐車場からSLを見ながら、食べました。ちびっこ達が、引込線に戻ったSLに乗り、汽笛を鳴らしています。14:01、再びスーパーに行き、「朝食ヨーグルトいちご・189円」を購入し、昼食の代わりにします。先にアイスを買ったのは、ヨーグルトを食べるためのスプーン確保のためです。「スプーンなんて売ってませんよね?」と聞くと、アイススプーンより大きめのプラスチックスプーンをくれました。スパー横のベンチでヨーグルトを食べていると、道行く人が「こんにちは」。褐色のお肌をした女性3人組が歩いてきて、おしゃべりしてるのがきれいな日本語で驚きました。どう見ても日本人ではありませんが、お嫁さんにでも来たのかな?
もう林道に行く時間も気持ちもなくなり、帰路につきます。R29を走り、平家の落人が住んだ洞穴というのが地図に載ってたので探したが、道標が見つかりませんでした。新戸倉トンネルを抜け、r48〜r6と東進し、「北近畿道」の案内板が出る頃だなと思ったら、この道から直接「養父IC」に入れました。
風が強く80km/hが辛い。トンネルを抜けて和田山市街地に下るとこが一番強かったので70km/hまで落としました。片側1車線で制限速度は70km/hなのですが、大方の車は80km/h以上で飛ばしています。16:18、「道の駅・但馬のまほろば」で休憩し、「ジャージー牛乳ソフト・175円」を購入。ベンチに座っていると、横の男性から「おたくもバイクですか?」と声を掛けられました。「服装バッチリですね。僕はバイクに乗る格好じゃないけど、あのバイクです」と、指差されます。「BMWですか?」と言うと、「いいえ、スズキのバンディッド1250です。とても乗りやすいです」。林道を目指して断念した事を話すと、大規模林道は大好きで、大型バイクでも突っ込むそうです。なんだかんだ楽しいお話ができ、福知山に帰って行かれました。
僕もアイスを食べ終わったので、出発します。舞鶴道に乗り換え、17:16・「西紀SA」エネオスで給油。394km/9.81L=40.2km/L。え〜原付並みに、1Lで40kmまで燃費が伸びました。係の方が、ちょっとでも多くと粘って入れてくれたので、給油量が少ないようには見えませんでした。最高記録かも?
17:25、「ドデカいちごチョコバー・135円」で休憩していると、周りの芝生に少年サッカーのちびさん達がやって来ました。コーチと思われる大学生風のお兄ちゃんに声を掛けます。お揃いのユニフォームに身を包んだ少女2人を見ながら、「姪も少年サッカーしているのですが、女の子も多いですね」「ええ、増えました」。「女の子だけでチームを組むのですか?」「低学年までは男女混合で、高学年になると女子だけのチームになります」。僕もヨットを子どもたちに教えていたことを話すと、会話が弾みました。お母さん方もやってきて、僕が先に失礼すると、バスの出発時間が来たようで、バスに乗り込んでいきました。試合だったのでしょう。楽しいおやこ時間ですね。
「篠山口IC」で下車し、R176〜お気に入りのr310〜r308〜青野ダム堤上〜千丈寺湖南岸〜r49〜r68〜r33〜r325〜長尾山トンネルで、17:10帰宅しました。宝塚トンネル渋滞は、14kmと表示されていました。

2015/7/5
家内がお出かけなので、バイクで走ろうと、天気予報と睨めっこしていました。参加しているツーリンググループのイベントがありますが、予想通り降水確率が40%以下にならず中止になりました。リーダーさんは気を揉むのでしょうが、「明らかに1日中雨以外なら、雨降ってきたらカッパ着たらいいじゃん」な僕は、皆さんと根本的なとこが違っているように思います。車が雨天走行しても大丈夫なように、バイクだって壊れないように作られているはず。雨天走行で錆びるようなバイクは、僕には論外です。船遊びする僕は、晴天でもずぶ濡れの世界で過ごしてきたので、雨天カッパ走行が嫌じゃありません。
朝5時頃、雨音で目覚めました。天気予報では朝9時には上がり、19時からまた雨という予報なので、ツーリングに問題なしです。家内が中山寺に行くというので、7時半に家を出て、8時に中山さんまで家内を送りました。自宅に戻り、着替えて「招き猫CB400SB」を出します。
「ローソンセレクト麦茶・100円」を購入し、9時に出発します。お題は、ツーリングマップルに載ってる小野市と加東市の国宝の古刹見学です。R176でJR・阪急宝塚駅を通り過ぎました。宝塚ガーデンズが取り壊され、工事中でした。ここは元宝塚ファミリーランドで、子供たちがチビの時、何度もお世話になりました。幼児には最高の遊園地で、象・キリン・ライオンなど中規模の動物園があり、絶叫とは行かないマシンのある遊具が揃っており、ナイスな規模でした。所有者の阪急グループが、お花の園でお茶を濁していましたが、デフレからの転換期になってきたので、積極攻勢に出るのだと思います。何が出来るのかな?
武庫川沿いからr51・有馬街道に入り、蓬莱峡を登ります。つづら折れの所で、工事対面通行になっていました。「座頭岩バス停」で多くのハイカーがバスから降り、車道を歩いていました。天気は曇天ですが、山道はぬかるみも残っているでしょう。
船坂の「西宮北有料道路」との分岐を越え、9:40・JIBショップのドアが開いていたので駐車場に入れました。ヨット仲間さんのお店です。今月の海の日の次の日が、次男のお嫁さんの誕生日です。「プレゼント何がいいかな?」と家内に相談されたので、「JIBバッグはどう?」と適当に提案すると、家内が乗ってきました。姪の中学受験合格祝いでプレゼントしたのですが、気に入って使ってくれているので、可愛いと思ったのかもしれません。次男もヨット乗りだから、よりいい感じがしたのかもしれません。在庫は甲子園の本社・本店が多そうなのでそちらで買う予定ですが、こっちにお店を出し、こちらも工場にしてると言ってたので、甲子園のお店をまだやってるのか聞きましょう。
JIBショップの方はカーテンが閉まっていますが、開いてる工場の方のドアから、声を掛けます。「Sさんいますか?」「ちょうど今出て行きました」。ここに入る直前にすれ違った2台の4WDだったのかも?去年、家内とここでお茶をご馳走してもらった時に、悪路遊びしてると話していたし・・・。甲子園店の健在・11〜19時の営業時間を確認でき、仕事完了。
r51を一旦離れ、有馬温泉の山の手道から温泉街に下り、太閤橋から有馬口に抜けようと思いましたが、「有馬グランドホテル」の先で通行止めでした。がけ崩れでもあったのかな?仕方なく、r506で西進し、r38に出ました。
この道で三木まで、西進します。だんだん交通量が減り、信号が少ないので気持ちよく走れます。景色も気持ちよくお気に入りの道です。僕の一番好きな50km/hほどで流すことが出来ます。
10:20、「道の駅・淡河」着。バイクは先着に1台、僕の後から1台と、天気予報故バイクが少ない。観光案内板には、興味をそそる寺社が載っています。トイレ休憩して出発。
r38を西進し、「緑が丘駅」の道標に反応し、そっちに曲がっちゃいました。僕がスキーフリークだった頃のスキー学校仲間が、コープ内でお花屋さんをしています。5年ほど前に初めてお邪魔したら、ちょうど接客中で懐かしい顔だけ見て、声もかけませんでした。適当に走ってたらビンゴになって、コープに入ってみましたがお店が有りませんでした。別の場所に引っ越したのかな?お互いアマチュア無線のアンテナが車に立っており、スキー学校からの帰りも交信しながら走っていました。彼女は当時からバイクに乗っており、バイクの楽しさを聞いていたのが、僕が免許取りの背中を押しました。年数回のスキー学校のみの付き合いだったけど、元気にやってるのかな?「バイクの免許を取ったんだ」と驚かせてやろうと思ったけど、残念でした。まあ僕の顔を覚えていないかもしれないけど・・・ね。
神戸電鉄・緑が丘駅横でr22に乗り北上。神戸電鉄沿いを走り、R175に出て北上。GPS案内に従ってr75に乗り換え、11:21・「浄土寺」着。『浄土寺は、奈良東大寺を再建した重源上人の手によって、鎌倉時代に建てられた寺院です。東の丘陵から伸びた尾根先端地が選ばれています。西方が開け、大きな空が広がっています。夕方になると美しい夕日が望め、西方浄土が実感できる工夫がされています。浄土寺境内の周囲には、現在水田が広がっていますが、かつては絵図面のように多数の寺院が存在していました』。
西方を見ると、三木を走る山陽道のように、西方に丘の連なりが見えいい感じです。駐車場横に、公共トイレ併設の「きよたにいっぷく」というレストランがあります。今でも健在な「歓喜院」を訪問します。「聖天歓喜天」というインド天竺由来の象の頭を持った仏様で、かつては男女の和合行もあったという怪しい密教的信仰も相まって、とても気になります。蟇股の彫刻を激写しようと本殿に近づいたらピンポーンと感知されました。
タチアオイが綺麗に咲いている横を通り、「浄土寺」に参ります。南から30段ほどの階段を上がると境内でした。境内を通り過ぎると北にまた30段ほどの階段で下ります。まさに尾根先です。「加東準四国61番霊場」となっていました。境内に神仏習合時代の名残りなのだろう「楡社八幡神社」が共存していました。八幡神社の石柱横には「陸軍大将男爵本庄繁謹書」と書かれていたので帰宅後調べると、篠山鳳鳴義塾中学から陸軍士官学校に上がった職業軍人で、関東軍司令官・侍従武官長を歴任した方でした。
『八幡神社は浄土寺伽藍の中央正面に位置している。これは重源が八幡信仰を重視したためと考えられる。本殿は室町時代中期の代表的な檜皮葺・三間社流造である。手狭の絵様彫刻や蟇股内の花鳥や透かし彫りなどにその時代の特徴をよく表している』。残念ながらリニューアル中で、少し透けた布で覆われてよく見えない。四方から目を凝らしたが、見えるようで見えない女性のシースルーファッションのようで残念でした。
浄土寺裏山というか尾根上部に、「裏山四国88ヶ所と紫陽花巡り」というのがありました。自宅の紫陽花は、もう枯れて汚くなっていましたが、ここのはまだ健在のもあったので、尾根を上がってみました。1集1500m・30分コースと書かれています。石祠が道脇に点在し、勾配も緩いので軽いハイキングに良さそうです。僕はショートカットして出口に回り、境内に戻りました。
開山堂・薬師堂・経蔵・鐘楼堂の外観を堪能し、本命の国宝・浄土堂の外観へ。『国宝・浄土堂 浄土寺は、重源上人が東大寺領大部之荘(小野市中心加古川東岸一帯)内に建てられた。重源上人が入宋して学んだ「天竺様」という建築技法を用い、1194年の上棟された。天井を張らない化粧屋根裏、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁、鼻隠板を打った軒などにその特徴が伺える。東大寺南大門とともに「天竺風」を伝える貴重な建物で、お堂としては我が国唯一のものです。
国宝・阿弥陀如来及び両脇侍立像 三尊とも名仏師・快慶の作である。浄土堂の本尊で、観音・勢至菩薩を両脇侍として立つ丈六の巨大木像である。好天の日には、堂背の蔀戸(しとみど)から射し込む西日が床に落ち、その反射を背景に、西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀三尊のお姿を拝することが出来る』
満を持して、最後に残しておいたメインイベント・国宝仏像に会いに行きましょう。拝観料500円を払って内部に入ると、太い柱のみで支えられた空間が広がり、中央に巨大仏像が3体並んでいます。丈六ということは、90cm×6=5m40cm。当時大活躍しスピード制作で定評のあった物資集団・快慶作の仏像でも、これほど大きなものはそうはないはずです。「でかい」「金色」が第一印象でした。
ボランティア説明員?なのか、先客さんが帰られ僕だけになったので、話しかけてこられました。「快慶作でもこれほど大きなものは他にあまりないでしょうね」と質問すると、平安の平家政権末期、政権に敵対する南都僧兵を懲らしめるために兵を送った平家との戦いで、東大寺・大仏が焼けてしまいました。弁慶の勧進帳でお馴染みの東大寺勧進が進められ、その総元締め・重源さんが、その一環として東大寺に代わる7ヶ寺を全国に建てたそうです。その1つなので、当時は7体あったそうですが、兵火や失火で多くは戦国時代に入る前の室町時代までに焼けてしまい、唯一ここだけ残ったそうです。
金箔がかなり残っていますが、何時の時代に張り替えられたものですか?と質問すると、Good Questionn!と言わんばかりに、「最初のままです。張り替えてはいません」とのビックリ回答が戻ってきました。「東大寺の大仏も、最初は金ぴかだったのです。でも金箔が落ちていきます。もっとの金箔を落とす行為は触ることです。毎年のお身拭いで金箔が殆ど落ちてしまい今は真っ黒です。でもここは一切触りません。だからこれだけ残っているのです」。衝撃の事実を知りました。「そうなんだ〜」。
「この仏像の心棒が地面まで達しています。その心棒を建物に固定しているので、仏様が倒れることはありません。建物と一体化しているのです。創建依頼そのままのお姿でここにおられます。阪神大震災でもびくともしませんでした。よく、これだけ大きな仏様をどうやってお堂内に入れたのですか?と質問を受けますが、お堂が建てられるのと同時進行で造られたので、出入りは一度もされていません」ここで時間切れ・・・僕が堂内に入ったのが11:45で、受付の元お姉さんに、「12時になったら一旦閉めますけどいいですか?」と聞いていました。「すいません、一旦閉めます。パンフレットをお持ちいただきましたら、午後からも無料で入れますので・・・」。15分でしたが、素晴らしい15分でした。家内を連れてきたい。
国宝の浄土堂の階段に腰掛けて、興奮したまま頂いたパンフレットを読みました。ひと通り読んで靴を履き、北に下り「宝持院」を見学。「九曜紋」でした。12:28、「きよたにいっぷく堂」で「うなぎ御膳・1200円」を頂きました。
r75を北東に走り、12:55・「山王神社」。r564にチェンジし、13:06・「依藤太郎左衛門・冷泉為勝の墓」で緊急停止。依藤氏は、鎌倉幕府御家人で、東条川流域に勢力を張った土豪です。公家である冷泉為勝さんと並んで墓が立っているのが不思議に思い、帰宅後調べてみました。
室町幕府成立の大立者・赤松円心のお膝元・播磨は安定していましたが、足利将軍を暗殺した「嘉吉の乱」以降、但馬の山名氏に攻められたり、それを取り戻したり不安定になり、主家・赤松氏衰退後、別所氏とともに東播磨で依藤氏が台頭してきたそうです。下克上が当たり前になり、旧勢力の公家の年貢が代官に横取りされ困窮を極めた。そこで冷泉為勝が自らの荘園に下って直接支配していたが、別所市に攻められた。領地を接し何かと反目していた依藤太郎左衛門は冷泉家に加勢したが、ともに敗れてここに自刃したそうです。
県道を隔てて反対側にも墓地が広がり、たくさんの墓石が立っていました。全体像を見ると、寺院が建っていたように見える。寺院が荒廃し、ど真ん中に県道を通した感じです。キリスト教の墓石も雑然と立っており、田舎の集合墓地のようになっています。お宝墓石はないかと歩きまわりましたが、目に留まる墓石はありませんでした。
兵庫教育大横を通り、r144〜r17・朝光寺口から北上し、13:28「朝光寺」着。「世界に1つ!加東遺産 朝光寺と鬼追踊」と書かれていました。境内に入ると、「鐘楼」「多宝塔」「国宝・本堂」が見え、コンパクトな寺院です。
『重文・鐘楼 本堂同様平安末期に現在地に移されたと伝えられる。桁行3間・梁間2間・銅板葺き袴腰付きの建築で、全国的にも類例の少ない貴重な遺構です。和様を基調とする様式手法で、屋根の優美な曲線などに鎌倉後期の建築の特徴が現れている。室町後期、赤松義村ら多くの播磨国主の崇敬を受けて、幾度か修理を重ねたという。多宝塔にも、姫路城主・池田輝政の再建寄進銘があるなど、国主豪族の庇護のもとに隆盛を誇った往時が偲ばれる』
鐘楼の四方屋根が非常に大きい感じがする。鐘楼の横に祠があり、神仏習合のいい関係が忍ばれる。真言宗の寺院によくある多宝塔もいい。「つくばねの滝」の案内板があり、滝音も聞こえるので本堂正面の小道を下ります。どうやら僕は裏口からやってきたようで、滝のある川に面して仁王門がありました。水量が多く、なかなかの滝でした。
お楽しみの「国宝・本堂」に入ります。拝観料は無料のようです。本堂内は暗く、本尊が見えません。撮影OKのようなので激写しましたが、浄土寺のようなお宝は眠っていませんでした。案内板には、重要有形文化財の「木像千手観音立像・2体」が書かれていますが、拝めないようで残念。
『国宝・朝光寺本堂 法道仙人の創立と伝え、もとは裏の権現山にあったが、平安末期・1189年に現在地に移したという。桁行7間・梁間7間・単層寄棟造本瓦葺の堂々たる本堂である。和様を基調として、扉の桟唐戸など唐様を取り入れた密教寺院の折衷様式の典型と言うべき貴重な遺構である。昭和10年に3ヵ年に渡り解体修理が行われた。所蔵品には、鎌倉・室町期の銘を有するものが多く、文化財の宝庫である』
ここにもボランティア解説員さんがおられたが、生憎団体さんのお相手中でした。仁王門をくぐり、本来の表門から川に下る。『つくばねの滝は、鹿野川にかかる滝で、朝光寺の周辺にツクバネが多く自生していることからこの名で呼ばれ、親しまれています。ツクバネは、ビャクダン科の植物で、果実の形が羽子板の羽根に似ているので、衝羽根と名付けられました』
沿いの道を歩きバイクを停めた駐車場前の道に出た。r313に出ると、そこは東条湖ランドでした。子供たちがチビの頃、何度もこの遊園地に来ました。ヘリコプターに初めて乗ったのもここでした。駐車場がいっぱいで、交通整理員も多数出ており、一時期衰退したのに盛り返しているようです。懐かしい道を走り、r311へ。これまた懐かしい清水寺があったので、そちらに向かいましたが、ゲートで車が並んでいます。昔は無料でお寺まで上がれたのにな・・・。有料になってから行かなくなりました。今回もパスします。
r141に出て北上し、R372に乗り東進開始です。ここまでの道は、里山のワインディングで、気持よく走れました。古市でR176に合流し、再びR372に分かれ、「木枕」からr49で南下開始です。朝光寺は、源平一の谷合戦の前哨戦・「三草山合戦」の地ですが、古戦場とか陣跡とか旧跡の案内は見つかりませんでした。謂れ板でも見つかればと、密かに期待していたのですが・・・。ここの「木枕」という地名は、元は「駒鞍」で、一の谷に向かう義経が、ここにある神社に自らの駒の鞍を奉納して戦勝祈願したのが謂れです。春日神社前のr49には、謂れ板が立ててあるので、歴史興味がぐんと湧きます。こういうのがほしいな。
美濃坂峠を越え、母子に下り、永澤寺を過ぎ永澤寺峠を越え、「バイカーズカフェ・虎亀」さんで休憩しました。ピラフセット注文。こちらも今日は全く雨が降っていないようです。
r49〜r323、波豆川を南下し、r68を越え、西谷農協大池交差点でr33も渡り、r33〜r325〜長尾山トンネルを抜けて帰宅しました。陽がまだあるので、垣根にバリカンを当てるつもりでしたが、ヨーグルト食べたらくつろいじゃって、「少し暗くなった」を理由に垣根を断念したら、家内が帰宅しました。
時間は17:30なので、甲子園のJIBに車で急ぎました。18時にお店に着き、姪に買ったバッグSの落ち着いた配色のにしました。12000円。学生時代は、レースで使ってた神奈川県のセイルメーカーに行った時、作り方を教えてもらって工業用ミシン使って自分で作りました。セイルを作った端切れで作れるので、無料でした。
まあ白一色で、JIBバッグみたいにカラフルで作りも簡単なのでお洒落ではなかったけど、それが12000円とは驚きのプライスです。素人作りの僕のバッグもまだ現役なので、コストパフォーマンスは最高ですが・・・。社長さんはいなかったけど、社長と組んで乗ってる僕のヨットライバル君が仕事をしていました。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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