ウェブマスター日記 2014/11-12

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2014/12/28
今年最後の日曜日です。元旦には長男一家・次男カップルが帰省するので、掃除とかそれらの用意があるから、家内も休みだったけど、予定はありません。7時前に階下に降り、僕の仕事を聞くと、隣の実家の風呂掃除をしてもらいたいけど、雨戸・玄関・庭の手入れ・垣根の手入れなどをすればOKとのことです。ならば年末2日間の早朝仕事に回し、夜明けが遅くなり乗らなくなったバイクに乗ることにしました。冬場の早朝バイクは、凍結が心配で、暗い早朝は怖くて乗れません。
9時頃車に乗り、家内とモーニングコーヒーを飲みに行きます。「蔵人珈琲」で、家内はケーキセットを、僕は朝食を食べたのにホットサンドモーニングを賞味しました。その足で家内と阪急オアシスに買い出しです。お米やお餅、その他諸々購入し、家内を駅前まで送って帰宅しました。買い物を片付け、バイク装束に着替えます。今シーズン最初の冬装束です。コミネプロテクタージャケットに裏地をセットし、パンツもコミネプロテクター冬用です。お嫁さんからプレゼントされた愛用のネックウォーマーも今シーズン初使用です。
いつもなら「里山VTR250」の登場ですが、バッテリー上がりを防ぐために「招き猫CB400SB」を倉庫から出します。2週間ほど前に、お手製テーブルクロス・ナックルガードを装着していたので、車載カメラをセットしただけで、12:18・出発しました。室内保管なので寒風に当たらないから、2ヶ月放っておいても大丈夫なので安心してるのですが、一抹の不安を胸にセルを・・・一発始動でした。ホンダは優秀です。
目的地はr12・後川北の城東トンネル上にある山城です。定番の阪急山本駅から長尾山トンネルに上がります。トンネル入口の温度計は、8℃でした。コミネ冬装束は、さすがにバイク用で全く寒くありません。値引き0.5万円でも上2万円・下1.5万円という価格を高いと感じ、2シーズン夏用メッシュプロテクターの上に重ね着をしましたが、常に寒さを感じていました。でもさすがバイク用は暖かく、これを買ってからは、あの2シーズンは無駄だったと思いました。やはり、餅は餅屋です。
長尾山トンネル〜r325〜r33で、久しぶりの北摂里山地帯です。前回の全山紅葉も薄れ、色のない冬景色になっていますが、気持ちが良いです。r319で更に北上し、いつもならr12に合流なのですが、あえて遠回りします。r323で西進します。ロードバイクがバラバラと5台もすれ違いました。年末年始休みに入り、仲間と走りに来たのでしょう。
r37に乗り、羽束川沿いを北上します。高島〜十倉の田園の広がりが好きです。小柿渓谷でも数台のロードバイクとすれ違いました。2日前の雨の影響か、川の水はまだ濁っています。山がドロドロだったらいやだな・・・。r12・「後川」に合流し、少しr12を城東トンネルの方に北上し、赤い鳥居を視認し枝道に入り、13:10・バイクを停めます。天気予報は、猪名川町も篠山も18時から1ミリ/h・19時2ミリ/hの雨です。1ミリ降水量はしっかりとした雨なので、16時帰宅を予定しています。ここは山なので、1〜2時間早く雨になるだろうと、万一を考えヘルメットを車載カメラに被せ、リアボックスから山歩き用帽子を出して被り、手袋をはめて歩き出します。
山の入口にある祠には、小さな正月飾りが飾られています。安全をお願いし、斜面を登ります。すぐにある獣避けフェンスの扉を開閉し、山域に侵入します。すぐに水が抜かれた小さな溜池があります。が、ここで困りました。人の歩いた形跡が見当たりません。中世の山城は、そこに籠もった子孫が周辺に帰農して生活している事が多く、年数回でも先祖の供養のために人が歩いている獣道があるものです。その形跡が全く見当たりません。完全に見捨てられた山城なのかもしれません。丹波から摂津に通じる旧街道を見下ろす位置にあり、絶対に山城があったはずだと思い、やっと探し当てた先人の登城記ですが、藪こぎ直登山城攻めだったのかな・・・。僕はいつも単独で城攻めするので、足元に何が潜んでいるかわからない藪こぎや、滑って怪我をする危険がある道無き道を登る直登もやらないようにしています。冬枯れで藪はなく見通しがよく、目的地の山頂も視認できます。単純な地形だし、獣避けフェンスが周囲を巡っているので、入山場所に戻ってくるのは簡単そうだけど・・・。
まずフェンス沿いに右に歩きます。鹿糞を見つけたり、落ち葉に滑ったりしながら、フェンスを片手に歩きます。r12が眼下に見えて来て、城東トンネル手前のつづら折れの上のようです。ここで雨が降った時川になる自然の沢に行き当たりました。ここまで山に上る獣道はありませんでした。
一旦引き返し、元の溜池に戻り、今度は左側にフェンス沿いに歩きます。獣道と見えなくもない山に登る尾根上の儚い道を登ります。左は微かに水が流れる沢があります。先祖を供養する祠や地蔵があることを期待していましたが、勾配が急に成ったところで道は消えました。
全く手がかりがなく、撤退することにしました。午後からの入山で、16時になると暗くなり、しかも雨が降ります。君子危うきに近寄らずです。フェンスを開閉し、祠にお礼の手を合わせ、バイクに戻りました。
13:50、r12に戻らず、r37に合流すべく、西に向かいます。r37に合流し、「後川下」から後川奥林道に入ります。予想通り霧雨が落ちてきましたが、まだ雲が薄く、薄雲を通して弱く陽が差したので、r37から一気に帰るのが勿体なくなって、母子に上がることにしました。永沢寺でr49に合流し、永澤寺山を登り南下します。また霧雨が落ちてきましたが、まだ本降りには時間がありそうだったので、14:02・「バイカーズカフェ虎亀」に寄ることにしました。車が2台だけで、バイクはゼロです。1台の車は、バーハンドルのトゥクトゥクでした。タイから直輸入したのだろうか?日本で車検が取れるのだとちょっと驚き。
珈琲を飲んで、30分ほど休憩し、r49〜r68〜r33〜r325〜長尾山トンネルという定番コースで15時頃帰宅しました。虎亀を出た時は、霧雨から小雨になっていましたが、合羽を着るほどではありません。都会に近づくと霧雨に戻りましたが、倉庫に入れて汚れを拭いてやり、久しぶりのバイク散歩終了です。
15時を回っているのに家内はまだのようです。玄関に家内の靴がありません。TV見ながら用意してある昼食を食べていると、勝手口が開き、家内がゴソゴソしている風です。僕に気づかず、すぐに出て行きました。隣の実家のお正月用意をしていたようです。
遅ればせながら隣に行くと、今回はお嫁さんとフィアンセさんの2人の女性が泊まるので、毛布を増量するということで、自宅から毛布を持って来るように仰せつかりました。電気カーペットを追加するので、僕が以前使っていたのを運びました。更に次男が前回使ったお客様用マットレス・寝具一式も運び入れました。これで寝具関係はOKですが、お客様用は4セットしか用意していないので、孫くんが大きくなり、孫が増えたら、両親が用意してた古いお客様用布団セットを捨て、新しい布団セットを購入しなければなりません。2Fの元弟の部屋も掃除しなければ・・・。
あれやこれや、家内の手下として働き、夕食を食べ風呂に入り、19時頃寝てしまいました。

2014/12/21
3週連続で日曜日にヨットに乗りましたが、今週は予定なしです。家内もお休みなので、息子たちが帰省するお正月のために、篠山のぼたん鍋屋を見に行くことにしていました。ウダウダやっていたら、7時過ぎに階下から、「タリーズにモーニング食べに行かない?」と声が掛かりました。市内中心地の白雪本社が工場に移転し、白雪がタリーズのフランチャイズに入って営業するようです。新聞折込で知り、「オープンしたら、行ってみない?」って誘われていました。一目散に階下に下り、特急で準備して、車を出しました。
本社跡に出来た駐車場に車を入れ、タリーズに入りました。この手の外資系カフェの経験は1度しかないのですが、ここもセルフ方式のようです。オープン2日目なので、僕らのようなお客さんが多い。店内に入るとすぐに、「予約席」と書かれたカードを渡され、先にテーブルを確保して注文の列に並ぶようです。8:19、マクドナルドみたいに注文・精算し、席に着きます。座席の配置がゆったりしておりくつろぎやすいですが、この日はお客さんが多いので、早めに席を立ちます。モーニングセット2人で1190円でした。僕はサンドイッチとヨーグルトアサイー、家内はサンドイッチとコーヒーを飲みました。
そのまま篠山に向かいます。r13〜r12で北上すると、寒波の切れ間で上天気なので、バイクが沢山走っていました。北田原の「猪名川マス釣り場」もお客さんが入っています。摂津と丹波の境の西峠・城東トンネルが冬場の難関ですが、雪もも見当たらず難なくクリアしました。
R372に突き当たり左折、すぐに右折しr304で篠山川を渡ります。更に左折してr702に乗り、篠山市街地を目指しますが、県道を行くのも芸がないので、適当に枝道に入ると、山城跡を思わせる地形が目についたので、10:04、篠山中学の駐車場に入れて、探索開始です。野生の勘で民家裏の道に入って行くと、丘に上る階段を発見しました。それを上がると、六地蔵が並んでいました。どれが天道で、どれが餓鬼道か、お地蔵さんの表情を拝もうと思いましたが、風化でよくわかりませんでした。地形的には後輩の小高い里山の枝尾根の先端に上がると、古墳に見えるこんもりした塚がありました。枝尾根を奥に進むと、堀切に見える浅い溝があり、少し低い郭があり、また堀切を経て一段高い郭、その奥にも堀切があり、山林になっていました。畑にも利用されず、お墓があるわけでもないのに、大きな木が切り払われて、草刈りもされています。民家の裏山ではありますが、手入れ管理されています。防御も軽い山城とは言えない砦程度のものが、中世には建っていたように想像されますが、子孫の方が先祖に敬意を表しておられるのかな?と、得意の妄想をしながら歩きました。
市街地方面に少し走ると、「王地山公園ささやま荘」の案内板が目に入り、行ってみることにしました。篠山盆地内の里山に登って行きます。ささやま荘は、宿泊施設のようで、日帰りぼたん鍋もやっていました。これぞ中世の山城があったであろう地形です。駐車場が下の方だったので、再び上がってくるのが面倒で探索しませんでしたが、お宮が見晴らしの良さそうな場所にあり、山城遺構がありそうでした。
元の道に戻り東に進むと、「JA丹波篠山特産館」横に出ました。駐車場に車を入れ、徒歩で市街地を探索します。特産館内レストランにも、ぼたん鍋メニューが有り、ここも「ささやま荘」同様5000円ほどです。相場は去年同様で、ここらが標準のようです。7000円ランクで2回ほど食べたことがありますが、量的なものは同じようなものです。調度品が良かったり、由緒あったりだけです。
道を隔てたお店に、「猪肉うどん」があり、本日の昼食はこれがいいかな?と。横のお店ではホカホカお饅頭の試食があり、つい食べてしまいました。「帰りに買うね」と退散し、「上二階町」交差点の7000円クラスのお店を見てから、二階町を東に歩きます。紙風船や竹トンボなど懐かしいおもちゃを売ってる駄菓子屋さん・「なつかし屋」があり、単品で100〜200円ほどだったので、5〜6点買っちゃいました。孫くんとの遊び道具です。
「春日神社」に入ってみます。謂れ板には、平安時代に奈良春日大社から勧請したと書かれていました。藤原氏全盛時代に、丹波篠山も藤原氏の荘園になったのでしょう。楽屋・袖のある立派な能舞台がありました。TVが普及する以前の娯楽の少なかった時代は、始終活躍していたのでしょう。「青山忠良公顕彰碑」がありました。長く山陰から京・大坂への要衝・篠山を治めた譜代大名・青山家当主で、初代の名前を次男に拝借させてもらいました。青山家の祈願社だったのでしょう。拝殿には、お正月用に新調された真新しいしめ縄が張られていました。「昇り藤紋」でした。
「市立篠山中学開学の地」の謂れ板も立っていました。藩主・青山忠誠公が設立したようで、武家の師弟を教育する藩校ではないようです。門戸を広く広げたのでしょう。学問のある僧が教育者となり開いた寺子屋とともに、こういう支配者が一般市民をも教育するシステムが近世から土台にあった日本だからこそ、明治維新以降の急速な近代化時代に、有能な人材を供給できたのでしょう。本殿を激写しようと裏に回ると、溶け切れていない雪が残っていました。絵馬殿があり、江戸時代の絵馬が、四方に掛かっていました。こういう貴重な文化財が、夜中でも誰でも入れる場所に無造作に置かれているのを見ると、日本の治安の良さを実感します。いつまでもこれが続いて欲しいし、こういう文化こそ世界に広まっていって欲しい。
二階町に戻り、道沿いのお店を冷やかしながら歩きます。鯖寿司がやたら目に留まります。以前はこんなに沢山お店がなかったのに・・・ここ数年取扱店が広がった気がします。11:21、二階町交差点で猪がビルに被さってる「ぼたん亭」到着。ここもお正月の候補です。1年前は、ぼたん鍋を食べたことがないお嫁さんのために、自宅でぼたん鍋をしましたが、次の正月は篠山の本格的なぼたん鍋を食べてもらいましょう。我が家はなんだかんだ、毎年冬になるとぼたん鍋を食べに篠山に来ているように思います。
11:23、商工会議所下の「ささやま屋」で、割れ塩おかき・540円×2=1080円を購入。この手のおかきが好きです。お店から出ると、「潯陽楼があったよ」と家内から。まだ次男が生まれる前、長男と3人でお正月に泊まった料理旅館です。ぼたん鍋の夕食を食べ、朝起きたら目の前にある獅子肉屋さんの店頭に、その日撃たれたばかりの猪が2頭転がっており、ビックリしました。お店の方に断って触らせてもらいました。銃槍から血が流れており、随時裏で解体し、店頭に並べられると教えてもらいました。あれ以来、店頭で猪を見るのとぼたん鍋が冬の恒例になりました。潯陽楼も猪肉屋・鳥幸も健在です。
「ひのき屋」さんの店頭で、猪肉まんじゅうを買いました。肉まんの猪肉版です。お隣に「大手新丁」というレストランが有り、ここもぼたん鍋をやっているようです。お座敷ありということなので、チビさんがいるから、こちらも良さそう。
「誓願寺」に入ってみました。ここは室町幕府13代将軍・足利義輝の嫡男が、父が陪臣・松永久秀に討たれた時、篠山の波多野氏を頼って逃れ、僧になり開山した波多野氏縁のお寺です。細川幽斎の手助けで、僧籍になって南都にいた義輝の弟が還俗し義昭となりました。織田信長をバックに、14代将軍になりましたが、波多野氏にもっと力と野望があれば、誓願寺の和尚が波多野氏をバックに京に上っていたかもしれません。誓願寺は、波多野氏の居城・高城山の麓にありましたが、江戸時代になり篠山城近くのここに引っ越してきました。早朝ツーリングではいつも閉まってるので訪問したかったお寺です。でも家内がいて寒空ですので、墓地の方まで周りませんでした。また訪問しなければ・・・波多野氏の菩提寺なので、墓地にお宝が眠っているかも?
更に西に歩き、猪肉の「おおみや」さん本店前を通りました。店頭の剥製イノシシ君が鉢巻を巻いていました。ブリキ玩具屋さんを探してうろうろし、ようやく見つけました。ここは何度来ても楽しい。鉄腕アトムがブラウン管TVで流され、懐かしいブリキのおもちゃがいっぱいです。製造機械も置いてあります。現在ここで作っているのかは不明ですが、元工場です。ゼンマイ仕掛けのブリキの救急車とパトカーを買いました。
東に戻り、「大正ロマン館」で、12:17・竹箸・500円を購入しました。その夜使いましたが、ナイスな使い心地でした。家内は姪へのプレゼントに、オルゴールを買っていました。「JA篠山特産館」に戻り、出発する時試食したお饅頭を買い、「みたけ」さんで、猪肉とろろ蕎麦995円、家内は猪肉そば890円を食べました。
車に乗り、帰路に着きます。猪名川町に入り、14:17・r12旧道にある「静思館」に到着。ずっと入ってみたかった国の登録有形文化財の旧家です。猪名川町の酒造家の生まれで、京都で美術商として財を蓄えた冨田熊作氏の家で、猪名川町が管理しています。茅葺き・総檜造りの母屋、寺の山門を連想させる門、敷地内の里山に横穴で掘られた氷室、水洗トイレ、オンドル式床暖房、素敵な日本庭園、数棟の土蔵・・・と見どころいっぱいでした。
帰宅後、通勤リード110に乗り換えて、タンデムで大型ショッピングセンターに行きました。さすがに年末前、車は大混雑で駐車場にたどり着くので精一杯の様相です。お正月に、長男一家と次男カップルがやってくるので、女性用パジャマを1組買い増します。ユニクロに行こうと思いましたが、無印良品さんで購入しました。その後、本屋さんで絵本を物色し、帰宅しました。
そして、自宅映画鑑賞です。藤沢周平原作の「花のあと」(北川景子主演)DVDです。お気に入りの佐藤めぐみさんも出演しており、ナイスな作品です。北川景子さんの横顔アップ場面で、「・・ちゃん(家内)の横顔はいいよ」と言うと、「おまけみたいに言って〜」って僕の心を見透かしたようにニコニコされました。
楽しい1日でした。

2014/12/14
コーチをしている大学ヨット部員との卒業生クルージングの日です。1週間前の日曜日は、レースが成立しないほど風がなく、2週間前の日曜日はうららかなクルージング日和でしたが、ウィークデイは例年以上の寒波が入っていました。今度も寒波の合間でありますようにと願っていましたが、虚しく今シーズンの最低気温を更新する寒い日曜日になりました。
集合時間や場所などはメールしていますが、卒業生3人はいずれも都合がつかず、1回生3人が参加するとだけ聞いています。衆議院選挙投票日なので、7時の投票開始直後に家内と投票してきました。民主党政権の不甲斐なさに幻滅した国民が、自民党帰りをしており、前回同様大勝しそうな勢いです。
尖閣諸島警備の巡視船が、体当りしてきた中国漁船を拿捕した事件で、首相が超法規的処置で無罪放免したのには呆れました。首相がその映像を隠し、ユーチューブに流した海上保安庁職員が逮捕されるよいうおかしなことがあり、僕も民主党には幻滅しました。自己規制して、隣国では当たり前の領海侵犯=拿捕をせず、言葉がけのみで対処してきた巡視船でも、命が危ぶまれる体当たりをされたら怒るのは当たり前です。それを、「なんてことしてくれたんだ」と体当りした方を無罪放免するなんて、もう法治国家とは言えません。自国民の財産や人命を守れない首相や政権なんて、そっぽを向かれて当たり前です。
僕は弱い者いじめが大嫌いなので、小学生時代よくいじめっ子と喧嘩をしました。喧嘩は弱いので、いつも泣かされていましたが、女の子やいじめられている子には大人気でした。そして、いじめっ子は弱くても必ず突っかかってくる僕には手出ししませんでした。いじめっ子というものは、女の腐ったような奴だと知りました。反撃してこない奴に強く出て、反撃してくる奴や、自分より強い奴には手出しをしない男とはいえない輩です。毅然とした国際法に則った行動をすればいいだけです。首相自らがそういう行動を取ることで、それが国民の規範になりより良い国になります。
帰宅し、携帯電話の電源を入れると、部員のK君からメールが届いていました。K君は体調不良で不参加で、女子部員2名が来るそうです。ドタキャンで女の子だけにしちゃうなんて男としては情けないので、よっぽど体調が悪いのでしょう。ここは体調不良でも参加し、「素敵〜」って恋の花咲くこともある・・・のに。
ヨット冬用カッパを着込み、ライジャケを持って8時半に家を出ました。R171を西に走り、JR西宮駅北口が直接見える場所に駐車します。待ち合わせの9:30の5分前に、駅に到着したとの電話が入りました。車の場所を伝えると、頭を下げながらやってきました。2人の乗せ、ハーバーに向かいます。Iさんは1回生女子マネージャーで、今年の新人勧誘で僕の車の助手席に乗ってくれた子です。ヨット部に興味を持っており、部員に聞けなかった不安面をストレートに聞いてきました。明るい積極的な子なので、入部してくれたらいいなと思っていました。
Zさんはアメリカからの帰国子女です。お父さんの仕事の関係で高校3年間をワシントンで過ごし、6月に卒業して予備校に入り、帰国子女枠で大学に入学しました。レース練習の時、彼女にカウントダウンを英語でさせ、クラブにインターナショナルな風を入れました。積極的な性格で、4回生女子部員と組んで、全日本女子インカレに出場しました。クラブで新たな体験を積んで、素敵な女性になって欲しい。
ハーバーに着くと、柳ヶ崎とは大きく違うヨットハーバーの規模や雰囲気に驚いています。センターハウス内のヨットショップに目がキラキラしてるので、「帰ってきたらゆっくり見たらいいよ」とキラキラ心を満足させます。レース艇に行きライジャケを2つ下ろし、センターハウスでトイレを済ませ、船に向かいます。Zさんは休暇に家族とカリブ海に行き、船に乗ったこともあるのでもっと大きくて華やかなハーバーを知っていますが、Iさんは「いいな〜いいな〜」の連続です。
船に着き、小僧として使える男子部員がいないので、細々と僕が出艇準備をします。W・8m/sほど吹いているので、慎重に桟橋を離れます。天気予報で吹くのは予想されていたので、メインをワンポイントかツーポイントリーフして走ろうと思っていましたが、女子のみ2人になったので、ジブのみ帆走することにしました。西出入口からハーバーを出ると、白波がバンバン立っており、Zさんにステアリングを交代したら、機走だけでも楽しんでいるので、ジブを上げるのも止めにしました。交代でドライブしてもらいながら、六甲アイランドの九州行きフェリーやアメリカ船籍の自動車運搬船、コンテナクレーンを見て回り、海上自衛隊阪神基地に向かいました。
自衛艦が1隻停泊しており、一般の方が艦船や建物に入っています。見学会をしているようです。僕らは海上から写真を撮りますが、艦船から僕らを写す人もいます。西出入口まで戻り、「この辺に桟橋付きの家があるのですか?」とリクエストしてもらっていたので、芦屋マリーナに入ります。大きな船がマイ桟橋に着けられた大きな家に目を輝かせています。マリーナハウス正面桟橋に近づけると、ハーバー職員がやってきて、「着けられますか?」と聞いてきます。ホームポートで食事の予定だったのでノーサンキューしましたが、喫茶など出来るならこっちでも良かったんだけど・・・。予約が必要なほど大人気なので、ブラリと寄るには使いにくい。
ホームポートに入り、風向を確かめさせて、着艇の手順を伝えます。難なく桟橋に着け、汚れた所をデッキブラシで掃除して舟遊びは終了です。14時過ぎにバック出来たので、遅めのランチです。1F・フリアンディーズでまたDランチにしました。11月から3回連続カキフライランチを注文しています。帰国子女Zさんはお肉系ランチでした。
船の上で、僕の学生時代のヨット部生活などを話していたのですが、ヨット男子部員たちは、女子免疫がないらしく、少々不満らしい。僕の嫁さんとの馴れ初めや学生時代の失恋話なども披露しちゃいました。子育ての面白さや、家族での生活の楽しさも話しました。「運命の人って、現れると思いますか?」・・・なんて女子会話にも乗り、楽しい時間を過ごしました。ハーバー内ショップで、ヘリーハンセンのバッグや先月次男カップルがペアで買ったセーターなどを試着したり、30分ぐらいやってました。僕に女の子がいたらこんななんだろうなと、微笑ましく彼女らの姿を見ていました。
レース艇にライジャケを戻し、彼女たちをJR西宮駅まで送りました。そのまま帰宅すると、17時でした。17時半までウダウダし、通勤リード110に乗り阪急電車の駅に向かいます。この日は、母校アメリカンフットボール部が出場する甲子園ボウルです。今年も関西1部リーグを制し西日本代表になり、関東&東日本代表の日大と学生日本一を掛けた決戦です。現役時代から、アメリカンフットボール部の試合を応援していたヨット部なので、先輩達数人が甲子園球場に行っていました。その後に飲み会が恒例なのですが、それを少々拡大し、近隣7学年の忘年会に衣替えしました。
忘年会開始の18:30の5分前に、大阪梅田の「KICHIRI茶屋町店」に着きました。「お〜よう来た、久しぶり」と、長くお会いしていなかった先輩達から声が掛かりました。総勢15名でビリから3番目の到着でした。大半の方とは、レースでチームを組んだりライバルだったりして、毎月顔を合わせているので毎度おなじみです。僕はクルージングがあったので、甲子園ボウルには行けませんでしたが、母校が55点取り一方的な試合で大勝したそうで、応援に行かれた先輩はそのままのテンションです。
僕の1学年下2名が最下級で、久しぶりでしたが、僕の同期と4人で一番下座になったので、学生時代の話で盛り上がりました。「僕は今でも夢に見ます」と下級生Y君が喋り出しました。僕が4回生の時のインカレ個人戦で、圧倒的に速かった僕がブラックバンド失格した事件のことです。その審判があまりに関東優遇の西日本つぶしの裁定だったので、日本ヨット協会まで上がった当時有名だった事件です。あれがなければ、僕のペア(僕・3回生M君)が優勝で、同期と組んで出場していたY君ペア(4回生YO君・3回生Y君)が3位でした。僕が失格して16位に後退したので、Y君ペアは2位になりましたが、1位3位の方が良かったと、とても悔しかったそうです。2位の喜びはなかったそうです。
あの時の第1レースのことが蘇り、僕が喋りました。18〜20m/sの風でスタートし、強風では圧倒的なアドバンテージがある僕らペアが、第1マークをトップ回航しました。スピンという3枚目のセイルを上げて、更に爆走する僕の艇は第2マークに向かいます。僕の後方に2位でY君艇が回航し、同じくスピンを上げました。Y君によると、爆走するけどひっくり返る危険性が高いスピンを上げるのが怖かったそうです。でもスキッパーの僕の同期が、「よしスピンを上げるぞ」と声が掛かり、一瞬で恐怖が吹っ切れ「よっしゃ〜やったるぞ」と闘志が湧いたそうです。
前年度の一般全日本に、僕はYO君と組んで出場しました。僕らはよく走り、学生ながら8位に入り、モスクワオリンピック強化選手に選ばれました。そこで強風セイリングを鍛えられ、ひっくり返らない技術を得ました。それをクラブに持って帰り、強風のKGと言われるまでになっていました。
トップで回航し、スキッパーの僕は、バランスを取るのに必死で後方を見る余裕がありませんでしたが、クルーのM君が時々後方を見て、報告してくれていました。僕らがトップ回航しスピンで安定爆走に入ってから、「2位が回航しました」「よっしゃ」、「スピンが上がりました。YOさんです。ワンツーです」「よっしゃ〜、行くぞ〜」とテンションアップ。「3位4位はスピンを上げません」「よし」。5位はスピンを上げましたが、沈しました」「よし」。
スピンを上げた船はことごとくひっくり返り、ダントツの僕、それに続くYO君の2艇が、3位以下をグングン離します。乗りに乗って、絶対こけないという自信もありウキウキです。「YOさん、沈しました」と沈んだM君の報告に、僕は「くそ〜。声を出せ、負けるな行くぞ!」とひときわ大きな声で、M君を励まします。「はい!」。そのレースは、2位に1マーク開けるという前代未聞の大差をつけフィニッシュしました。そして、沈を起こし再びスピンを上げて走りだしたYO・Yペア艇が9位まで順位を上げてフィニッシュしました。僕らは大喜びでした。
学生のレースは、個人戦と団体戦がありますが、僕らの目標はクラブ全体が勝者になる団体戦優勝でした。個人戦も他校の戦力分析する機会と捉えていました。燃えに燃えたかけがえのない青春の時でした。
Y君が、携帯をごちゃごちゃし、道上洋三と女性のツーショットの写真を見せてきました。「娘が、道上洋三の朝のラジオ番組のアシスタントしてますねん」「ええ〜、そんなこと、なんで早よ言わんねん」と、僕の同期が言います。2つ上のキャプテンが、「俺、毎朝の車通勤で聞いてるで」と。「道上洋三が、うちの娘をアシスタントにすると、許可を得に我が家に来ましてん。真面目な顔だったので、怖かったですわ」と、大笑いしています。彼は大手広告代理店の子会社の社長さんしてるので、その関係で番組制作会社で働き出した娘が、道上さんと気が合ったそうです。数年ぶりに会っても、同じ釜の飯を食った間柄なので、なんでも言い合える体育会のクラブは最高です。
21時にお開きとなりました。電車とバイクで帰宅し、速攻で風呂に入り22時半頃床につきました。

2014/12/7
日曜日はレースでした。今年最後のレースで楽しみでしたが、1週間前のうららから日曜日後、数日でまた冬型気圧配置に変わり、金曜・土曜と西からの強風の日が続きました。この日のレースは、IRCカテゴリーの最新鋭大型レース艇から最小のJ24や僕らの3人乗りまでの一斉スタートがあるヘリーハンセンカップです。賞品レースではありますが、防波堤の外でやるので、吹けば大波が立ちます。土曜の晩、お風呂に入っていると外が騒がしくなり、雨かなと窓を開けて外を見ると雨はないけど、一層の強風が吹き荒れていました。
「参ったなあ〜」と床につきましたが、日曜日の朝は至って平和なうららかな空模様でした。前日昼にチェックした1時間毎神戸空港天気予報では、W~WSW6m/sだったのが、朝は風向は変わらないものの2m/sになっていました。これなら吹いても6m/sまでだろうと、ウキウキと用意をしました。寒いのは確実なので、イムホフのもっとも温かいカッパ上下を着ました。
9:30スキッパーズミーティング・11時第1レーススタートなので、8時ハーバー着目指して、7時過ぎに家を出ました。ただ寝てる間に捻ったのか、左腰に違和感があり、朝ストレッチをしましたが、左膝を水平以上に上げるのが苦しい。コクピットからデッキに上がるパフォーマンスに響きそうです。
R171を西に走り、8時前にはバーに着きました。陸置きヤードに行くと、ライバル艇のクルーさんが1人先着していました。初めてさんだったので、挨拶を交わしました。年賀状を10年ほど交換してる母校と艇庫を並べるK大OBさんがオーナースキッパーのチームなので、大学の後輩かなを聞いたらビンゴでした。このフリートの大半が学連ヨット部出身なので、出身校は違えど体育会の雰囲気が残り居心地のいい。
レース艇のオーニングを外し、スピンシート・ジブシートをブロックに通して、あれやこれやをセットして、セイルをセットするのみまで準備完了。その間にライバル艇のクルーがやってきて、あ〜だこ〜だおしゃべり。僕らは出場しなかったけど、江ノ島での全日本のことや、また今年も西日本王者になった母校アメリカンフットボールの話題を母校後輩達とあ〜だこ〜だ。大学系列中高では、授業でアメリカンフットボールをやってるので、あのゲームの面白さをみんな体験しており、みんなアメリカンが好きです。うちの艇も、来週の甲子園ボウル(東西アメリカンフットボール学生王者決定戦)の応援に行きます。関東を制したのは日大のようで、この日一緒に乗る日大出身のクルーさんも含めてワイワイ応援します。KG応援団に日大OBさんも入れて楽しむのが、我がチームの恒例です。メンバー3人が揃い、K大出身の本日のスキッパーさんが艇長会議に向かいます。
その間に、クレーンで海面に下ろされた船の最終チェックをして、タテイのクルーとあ〜だこ〜だ。セイルを上げ、10時前に桟橋を離れます。天気予報と違いEast1〜2m/sの微風なので、エンジンの付いている大型艇に引っ張ってもらい赤白灯台の間を抜けて、防波堤外のレース海面に出ます。ここも風が弱く、風向も安定していません。加えて、前日の強風で作られた波が残っおり走りにくい。
11時になっても風が安定せず、AP旗が上げられスタート延期です。11:30頃、E・2m/sでRace1スタート。アウター目から出ましたが、大型艇のスピードには勝てず、上突破されてブランケットゾーンに入ってしまいます。ここでタックしても集団に突っ込むだけなので、そのまま左海面に伸ばします。30艇のレースなので、難儀なことです。風は更に落ち、パフがレース海面の一部にアトランダムに入るのみになりました。ノーレース臭いなと思いながら、小さなパフを見つけて上マークまでの中間ぐらいまで進みましたが、ノーレースがコールされスタートラインに戻ります。
ノーレースコールが12時だったので、おにぎりで昼食にします。いつものようにあ〜だこ〜だおしゃべりしながら船の動きを見ていると、SEの潮の流れが強いです。風が弱いので、スタートラインから離れないのが鉄則なので、3人でそれを確認します。が、W・2〜3m/sが入ってスタートシークエンスに入ると、本部船上で待つのが定番のスキッパーなので、スタートラインに戻るのが逆潮になり出遅れてしまいます。波が残っているので艇速も出ず・・・また風がなくなりノーレース。16時閉会式なので、最終スタートリミットは13時と思っていましたが、1レースもできていなので、13:30まで待って弱い風の中で強引にスタートしましたが、また風がなくなり、NH旗が上がり、ノーレース&ハーバーバックになりました。ヘリーハンセンカップの成績はなしになりましたが、年間シリーズトータルでは3位を死守しました。
J24に引っ張ってもらいハーバーに戻りました。IRC艇とJ24・ドラゴンクラスが上架クレーンを使うので、なかなか船が上がってきません。バイク乗りの後輩とあ〜だこ〜だ。ヤマハR1とホンダCB750に乗っていたのですが、両方売ってBMWの1300?に乗り換えたそうです。R1の前傾ポジションがしんどかったそうで、今ごきげんに走っているそうです。上架に時間を食い、片付けを終えたのが16:40でした。家内と18時上映開始の映画を観に行く予定で、予定の15時に自宅に帰れそうになく、家内に電話し、映画館前で待ち合わせすることにしました。閉会式は、じゃんけん大会での賞品分捕り合戦になるのだろうけど、僕は家内との約束を優先し、閉会式には出ずに映画館に急ぎます。
通勤リード110に乗り、R171を帰り、17:30に映画館に着きました。家内の姿はなく携帯電話しますが、誰も出ません。10分後再び電話しますが誰も出ない。さっき電話した時、家内の声にいつものハリがなかったのが気になり出しました。寝起きだと勝手に判断しましたが、体調が悪いのかも?自宅に電話しましたが、誰も出ません。17:50になり、携帯電話に電話すると、なんと「電源が入っていないか・・・」というお決まりのメッセージ。自宅に電話しても誰も出ない。映画館に行くように電話してから1時間20分。自宅からならバスを使っても20分でここに来れます。約束の時間には早めに来る人なので、メチャ心配になりました。自宅で倒れているのか・・・犯人に拉致され携帯電話を取り上げられて電源を切られたのか・・・映画上映5分前ですが、いてもたってもいられず、もう待っていられません。最悪のシナリオ・「自宅で倒れている」を解消すべく、帰宅することにして、急いでバイクに戻ろうとしたら・・・家内が歩いてきました。「うわ〜ホッとした〜。体調が悪い?」「ううん、なんで」「だって何度電話しても・・・」。
かばんに入れてる電話の音に気付かなかっただけのようです。電源が切れたのは、もう電池がなくなったからでした。終わり良ければ全て良しです。チケットを買い、18:00・「MIRACLE・デビクロ君の恋と魔法」を観ました。紅白歌合戦司会の嵐のメンバー・相葉雅紀と榮倉奈々主演のラブストーリーです。人気グループ・嵐のメンバー主演なので、お若いカップルが多いかと思いきや、観客が少なめでした。でもお若い女性1人で観に来ておられる方が数人いました。相葉ファンかな?クリスマスソングで一番好きな「山下達郎・クリスマスイブ」が主題歌になっており、奥さんの竹内まりあさんの曲もフューチャーされていました。主題歌に似合うストーリーを中村航が書き下ろしたそうです。素敵なラブストーリーで、主題歌が流れると、また涙が流れて来ちゃいました。涙もろい僕は、家内にどんな風に映っているのだろう。
ハートウォーミングになって映画館を出て、映画鑑賞後よく入るオムライス専門店で夕食をしました。ハーバーではこの時期当たり前の服装であるカッパを着たままで日焼け防止の真っ赤なハットを被ってる僕は、街中では浮いてるね。映画の半券があるとサービスが有るお店で、家内はジュースを、僕はWアイスをオマケしてもらいました。
20:57、精算し、家内がヘルメットをぶら下げてきていたので、タンデムで帰宅しました。転落防止のリアボックスがないので、いつもよりさらにゆっくり走りました。眠り姫なので、「絶対寝たらあかんで」と念を押しました。楽しい休日でした。

2014/11/30
次男・フィアンセさんと一緒にヨット、フィアンセさんのご実家・埼玉県に挨拶、と2週連続で家内と一緒でしたが、この日曜日は家内は用事です。お歳暮などいろいろあるようで、振られてしまいました。バイクで林道を走りに行くことも考えましたが、夕方から映画デートのOKを取り付けたので、近場で遊ぶことにしました。セイリングしようとヨット部同期に声を掛けましたが、皆さん忙しい。中高同級生に声を掛けたら、暇なやつを1人見つけました。
日曜の朝、2度寝したら、「お父さん、もう8時だけど大丈夫?」と家内に起こされてしまいました。待ち合わせはヨットハーバー9時なので、えらいことです。特急で身支度し、念のためカッパを2セットリュックに入れ、8:20に家を出ます。通勤リード110でR171を西宮に向けて走り、8:50ハーバー着。待ち合わせのセンターハウスに入ると、既にKくんがいました。朝一で船に行き、始動点検後本でも読んでいようかと思ってたのに・・・ぶっつけ本番になってしまいました。
出艇申告をして、船に向かいます。雲ひとつない上天気で、雨の心配ゼロです。12月にしてはポカポカ陽気で気持ちが良いですが、セイリングには風がなさすぎる。エンジンは一発始動で、電源ラインやもやいロープを外し、桟橋を離れます。西出入口を出て、Kくんにステアリングを持ってもらいセイルアップし、エンジンを切ります。
芦屋沖では関西学連のレースをしているようです。近畿北陸水域の学連レースも琵琶湖でやってるので、新チームになって最初の公式戦&シーズンオフに向けて今シーズン最後のレースですね。風速はNE・2m/sほどなので、初心者でも不安なく操舵できるので、Kくんに目標を定めてステアリングを任せます。レース海面に向けて走り、レース観戦しながら赤灯台へ。続いて六甲アイランドに接岸してるコンテナ船の積み下ろしを見に、コンテナヤードに進路を指示します。
Kくんとは長い付き合いなので、あれやこれやおしゃべりが弾みます。K君の長男くんは、次男と同じ大学に入学し、僕がコーチをしてるヨット部の試乗会にも来てくれました。「・・さんですか?私の父は・・です。いつもお世話になっています」としっかりした受け答えの好青年に成長しており、とても嬉しかった。法学部だったのに、学部時代に法律に合わないと感じ、趣旨替えして公認会計士になりました。院生時代猛烈に勉強したそうです。今年結婚した甥も同業なので、どこの監査法人か聞きましたが、残念ながら別の会社でした。
お嬢さんは京都女子大4回生だそうで、栄養士になり、来春から幼稚園に就職するそうです。僕より結婚が遅かったので2人共まだ自宅通勤・通学だそうですが、あと5年もすれば僕同様夫婦だけになるでしょう。お母様が健在なので、毎週顔を見に行ってるそうです。
芦屋沖に戻りセイルダウンし、関西圏最高級芦屋YHに入って行きました。大型フィッシングボートやセイリングボートが並び、羨ましい限りです。ホームポートに戻り、桟橋に近づくと、近隣艇の方が桟橋に出て来られ、もやいロープを取ってくれました。ありがたや。ほとんどKくんにステアリングしてもらい、タック時のセイルの入れ替えも体験してもらいました。微風なのにウインチを利用しないと巻けない風のパワーに驚いていました。
1Fカフェ・レストランで食事しようと思い入ろうとすると、I先輩が食事をしていました。ドラゴンのライバル艇スキッパーで、クルーのSさんも同席していました。江ノ島全日本から帰ってきたので、マストを立てに来たそうです。
2週間前と同様・ランチD(カキフライ)を注文し、1時間半ほどあ〜だこ〜だおしゃべりしました。生徒・学生時代の同級生は、楽でいいね。本日のヨットコーチ代として、ランチ代1500円を奢ってもらいました。一点鐘で、ヘンリーロイドグローブ・4860円を購入しました。僕のギル・セイリンググローブもそろそろ限界です。これで解散し、「じゃあ〜」ってバイクに行き走りだすと・・・なんとバス停でKくんがバスを待ってる・・・え〜、電車とバスで来たんだ。ならば、車できたら良かった。送っていけたのに・・・。
交通量の多くなったR171を、信号待ち毎にバイクの特権を活かしながら前進し、16時前に帰宅しました。映画には時間があるので、ヨーグルトを食べながらTVをON。ETVが写り、「私の部下は50才」という5分番組が連続放送されていました。僕の好きな木南晴夏さん主演で、50歳の部下さんもナイスなボケで、笑ってばかりの番組でした。
16:30になったので、映画館に向かうために笑いながら玄関を出たとこに、「何?」って家内が帰ってきました。17:30に映画館前待ち合わせだったので、驚きました。家内も笑いながら家から出てくる僕に驚いたでしょう。「荷物が重かったから帰ってきたの。着替えるから待ってて」。上天気は、ハーバーを出る頃にくもり空に変わっており、K君の話では夕方から雨が降るということだったので、家内が同行なら車にしようかと思いましたが、「カッパがあれば平気よ」との事だったので、リアボックスをセットし家内用カッパを入れました。
r13を南下し、JR尼崎駅前「ココエ尼崎」着。4Fに上がり、17:40「トワイライトささらさや」夫婦割引2200円を買いました。17時なので時間はたっぷりあります。予告編を見ながら、家内とあ〜だこ〜だ。17:30になり劇場内に入り、新垣結衣さん主演の映画を観ました。彼女は演技が自然で、好感の持てる女優さんです。ドンパチ物や判事物は好まなくなり、ハートフル物ばかり観るようになりました。
助演大泉洋さん演じる売れない落語家が、唯一笑ってくれた新垣結衣さんにアタックし、結婚し赤ちゃんが生まれます。が・・・死んじゃいました。新垣さんが心配で成仏できず、いろんな人に乗り移って2人を助け見守っていく作品です。新垣さんが何故笑っていたかというと、「一生懸命だったから」という答えます。このセリフが気に入りました。人の成功・失敗人生の多くは運に左右されます。猜疑心の強い織田信長が、農民に生まれていたら周りに総スカンされて、一家は傾くでしょう。今の世に生まれていてもダメだろう。
日本一のお金持ちと言われている方の講演を聞いた時も、同じようなことを言われていました。人生の95%は運ですと。あなたの10倍・100倍稼いでいるかもしれませんが、あなたの10倍・100倍働いているわけではありません。同じ能力の2人が、どの業界に就職したかで、稼ぎは大きく異なり、同じ業界の同じような規模の会社でも、一方は世界一になり、一方は倒産してしまう。人生はたまたまなんです。いろんな人がいて健全な世の中になります。僕は今お金持ちの役回りを演じていますが、前世は・・・来世は・・・別の役回りです。人生で学ぶべきは、稼ぎ方ではなく、穏やかな心を保ち人に優しくコツコツ努力することです。結果ではなく、経過に拍手を送れる人になればあなたの霊は成長し、来世は成長したその霊を持って人生を始めることが出来ます。そうやって、何百年・何千年、代を重ねて人類は成長して来ました。少しずつ良い世界になってきています。
新垣さんが、周りの方と違う落語の聞き方をされ、その一生懸命さに笑ったように、僕も生きていけたらいいなと思いました。頬に何度も涙を流した素敵な映画でした。Kくんも言ってたけど、「最後はやっぱり同世代の配偶者だよね」。親は子はいずれ離れて行きます。「家内を大切にしなきゃ」
木南さんや大泉さんのような三枚目の役を自然にこなす役者さんはいい。二枚目の言葉より、こういう方の言葉の方が、スコンと胸に染みます。
映画館を出ると雨が降っていました。強いてカッパが必要な雨ではないけど、家内に風邪を引かせちゃダメです。防寒の意味も兼ねかっぱを着て帰りました。楽しい1日でした。

2014/11/23
次男のフィアンセさんのご実家を訪問しました。お相手は次男の会社の後輩で、一緒に会社の創業祭などのイベント司会などをやった仲で、正式なお付き合いは今年からです。次男プロデュースの自分の誕生日・3/28パーティーに、会社の仲間や大学友人・クラブ友人・長男一家など、大勢集まってくれました。その写真に写った多くの女性の中で、家内が「この子綺麗ね。こんな子がいいんじゃない」と言っていました。その時は次男は何も言いませんでしたが、既にお付き合いが始まっていたそうで、なんとそれがビンゴ!僕は、「女の勘」の鋭さを再認識しました。
7月に東京の長男宅を訪問した時、次男カップルもやってきて、そこで初めてフィアンセさんに会いました。とても感じの良い美人さんで、僕ら夫婦は大喜びでした。向こうのご両親への挨拶を済ませ、先週我が家に結婚の挨拶にやってきました。次男は生まれ育った我が家周辺や出身小中高を見せ、日曜日は一緒に船に乗りました。次男が彼女に惹かれたところもわかりました。
結婚式は後ですが、1/3・大安に入籍することに決めたらしく、親の顔合わせのセッティングをしてもらいました。僕は、長男のお嫁さんの実家に挨拶に行った服装と同じものを用意し縁起を担ぎ、土曜の晩の床につきました。新大阪駅始発6:00新幹線に乗り遅れないように思うことと、明日の楽しみで2時に目覚めちゃいました。さすがに早過ぎるので二度寝したら、4時過ぎに目を覚ましました。既に家内は階下で洗濯機を回しています。
慌てて起きて用意をします。昨夜収穫した庭の柚子を40個、かばんに入れます。ご実家・お婆さん宅・次男宅・長男宅用に各10個、これが重たい。4:50に家を出ました。R171〜中央縦貫道〜新御堂筋〜新大阪駅着。駅南の最も近い駐車場前に車を停め、料金偵察します。30分は無料というお迎えには良いですが、1日最大料金が書かれていません。たまたまそこにいたタクシー運ちゃんが、「1日停めたら高いよ」と教えてくれたので、何度も利用してる最大料金1800円の新御堂筋高架下駐車場に入れました。
5:26、「ローソン西中島」にて、焼たらこマヨネーズ125円・辛子明太子135円のおにぎり2つ購入し駅に向かいます。前もって地元のJR駅で、切符を手配していたので、難なく始発新幹線「のぞみ」に乗れました。新幹線で寝る予定でしたが、あ〜だこ〜だ家内とおしゃべりしてて、睡眠不足解消できませんでした。名古屋に近づくと、真っ朱な朝日が上り、それに照らされた家々が美しい。雲ひとつない快晴なので、雪を被った富士山が美しい。
8:20・品川駅着。結婚式をここから近い白金台・「八芳園」というとこで挙げるそうです。旧薩摩藩邸だったそうで、素敵な所らしい。1日の挙式を2組限定にしているらしく、予約がいっぱいで式は1年後です。
品川で降り、JR京浜東北線に乗り換え、9:15埼玉県「蕨(わらび)駅」着。改札向こうにフィアンセさんが迎えてくれていますが、家内が最終身だしなみチェックタイムです。駅ロータリーで待つ次男運転のフィアンセさんの車に乗せてもらい、ご自宅に向かいます。2人は昨晩ご実家に泊まり、迎えに来てくれました。祝いの席ですが、僕がアルコールを飲めないので、次男がお父さんの相手をします。よって、ご自宅訪問後はフィアンセさんの運転なので、次男の車はお留守番です。
川口市は鋳物が有名だそうで、1964年「東京オリンピック」の聖火台は川口製だとか。10分ほどでご自宅着。次男は何度も訪問し、宿泊もさせてもらっていますが、「まだ道が覚えられないなあ」と言っています。門の前に車数台置けるスペースが有り、庭の広いお宅です。お父さんが芝生が好きで、全面芝生です。燐家との境界のフェンスを隠すように垣根木が植えられ、綺麗に刈られています。お父さんの話では、我が家同様家の外はお父さん担当だそうで、植木・芝生と格闘したそうです。
玄関で挨拶し、リビングに通されました。三越にお勤めの妹さんもおられました。ちょうど遅番勤務だそうで、10時に家を出発するそうです。我が家の戸籍謄本と我が家の家系や家族の歴史を書いたものや写真を送っているので、話がスムーズです。ご両親は、お嬢様同様気さくな方で、肩肘張らずに気楽な話が出来ました。
ヨット・自転車など僕らの趣味の話、着物などの家内の話に始まり、ご両親のドライブ趣味の話を伺いました。ガレージには日頃使いの日産マーチと、夫婦ドライブに使用するのだろうメルセデスの2シーターが入っていました。それを見てドライブ好きだと感じましたが、ビンゴでした。お父さんは1人で遊びに行くことはなく、いつも家族連れだそうです。従兄弟2人とお父さんのご実家葛飾区で草野球チームに入っており、試合の時は家族で帰り従兄弟家族とワイワイやるそうです。毎年元旦に、葛飾のご実家に親戚が集まるのを恒例にしているそうです。家族や親戚の仲がいい環境で育った人はいいです。良い方と縁が出来ました。そういう環境で育った彼女から漂う育ちの良さに、次男は惹かれたのでしょう。
家族の写真も見せてもらいました。次男同様、小学生時代からスポーツをしていたフィアンセさんのテニス姿です。埼玉県代表で全国大会に出た時の「真っ黒で恥ずかしい」という姿も、なかなか可愛いです。尾頭付きの鯛を用意してくださっており、取り寄せしたお寿司の他に、お母様手作りのほうれん草や天ぷらなど、美味しくいただきました。お父様も技術系のお仕事のようで、次男と気が合うようです。その話の流れで、次男が開発したものが、次男の名前で意匠登録されたと知りました。「青色発光ダイオードで8億円」って冗談も、お父さんの口から出ましたが、技術者にとっては自分の成果が特許や意匠登録されることこそがやりがいなんだろうと思います。最後に集合写真を撮り、1:30・ご自宅を後にしました。
フィアンセさんの運転で、会社や新居訪問です。「運転の自信がない」と言ってる彼女ですが、安全速度と十分な車間距離を保ち、安心して後部座席に乗っていました。スバルR2という軽自動車ですが、音も大きくなく軽自動車も進化しています。
2人の勤める会社で、いろいろ見せてもらいました。環境のいいところで、近くに東大や千葉大があります。後で知ったのですが、長男はこの東大や隣接する「国立がん研究センター」を、仕事で訪問するそうです。
続いて新居訪問です。今年も災害のニュースをたくさん見ましたので、立地や周囲環境が気になっていましたが、閑静な住宅地でその中で道路から階段を数段上がった所にあり、災害の心配はなさそうです。室内は2人で、無印良品・ニトリ・イケアなどで揃えたという自己主張の薄いセンスのいい家具が入っていました。次男の部屋の机の上には、設計職らしくワイヤレス・マッキントッシュが置かれ、部屋には小型鉢植えが並んでいました。シュッとスッキリした空間で、家内によると次男らしい新居でした。
再びフィアンセさんの車に乗り、高速道路利用で都心に向かいます。ネオンが綺麗なスカイツリー、アサヒビールの金の雲・蔵前国技館を通り、長男のマンション前に着きました。来客者用スペースに駐車し、お盆1週間後の甥の結婚式以来の孫くんとのご対面です。いつものように、「誰だ?」という表情で始まりました。次男が新人教育で使用したレゴデュプロを上げると、テンションアップし親に買ってもらったデュプロも使い、組み立て始めます。お嫁さんの入れてくれたコーヒーを飲みながら、ワイワイやってると和んだようで、新幹線の種類を教えてくれ、はにかんだ表情や何を言ってるのかわからないけどおしゃべりが始まりました。
次男達は、長男一家と鍋を囲むようで残り、僕らは電車で帰路につきます。京葉線に乗ると、ディズニーランド帰りとすぐわかる衣装の小さなレディーや、あのお土産バッグを下げたお客さんがたくさん乗っていました。東京駅に出て、19:20発新幹線のぞみN700系に乗ります。楽しかった1日を振り返り、家内とニコニコです。名古屋までおしゃべりが尽きず、さすがに朝一から動き回ったので眠たくなり、新大阪までウトウトしました。
5:21〜22:10・新大阪駅南第2駐車場・1800円を精算し、新御堂筋〜中央縦貫〜R171で帰宅しました。残った昼食を詰めてもらい、お赤飯も頂いて帰ってきました。それらで遅い夕食をして、風呂に入り遅い就寝になりました。でもとても充実した1日になりました。

2014/11/16
日曜日は、次男カップルと僕ら夫婦、4人で船に乗りました。7月に東京の長男宅で会ったGFさんと結婚することになりました。部署が違うので、会社の後輩だけど昼食時ぐらいしか会わないそうですが、4月に交際を始めて7月時点で、「これは結婚するな」と僕には見えました。何度も彼女のご自宅を訪問し、泊めてもらったことも数回・・・彼女のご家族の雰囲気も気に入ったのでしょう、先月彼女のご両親に正式に挨拶しました。結婚式は会場の都合で1年も先ですが、妹さんからは「お兄さん」と呼ばれ、もうすっかり新婚さんです。
僕ら両親に正式に挨拶することと、次男の育った環境を見せるために金曜の晩、2人でやってきました。新幹線に乗ってから電話を掛けてきて、最寄駅到着が22:50ということです。仕事を終え、いつものように帰宅し、夕食・風呂を終えて自室に上がったのが22時前です。ここでいつものように布団に入ってしまえば、迎えに行けません。そこで、11/13の僕の誕生日に届いた長男のお嫁さんからのプレゼントのお礼メールを書きました。ノースフェイスのネオプレーングローブをもらったので、早速通勤に使い出しました。小包に同封されていたバースデーカードについても、お礼を書きました。クレヨンでぐるぐると描かれた孫くんの「お誕生日おめでとう絵」が、とても嬉しかった。
早いけど、22:30になったので自宅を出ました。最寄駅の路上に車を停め、22:50を待ちます。電車がやってきて、やがて2人が階段から降りてきました。笑顔の似合う明るいお嬢さんで、7月の初対面の時から感じが良かった。今回は2回目で僕ら夫婦の雰囲気もわかっているからか、車の前に立って階段の方を見てる僕を見つけると、ニコニコして頭を下げています。
「いらっしゃい、ご苦労さん」の後、車を回すとき正面に見えた有岡城址を、「荒木村重という戦国武将知ってる?明智光秀の前に織田信長に謀反した武将さんの居城がここにあったんだ〜」と、いきなり好きな歴史物の話題を出しちゃいました。「お母さんは、もう寝てるやんなあ」「うん、夢の中だわ。明日も仕事だから、挨拶は土曜の晩って言ってたよ」と伝え、次男に実家・我が家・車のワンセット・キーを渡して、バイバイ。我が家のゲストハウス化してる僕の実家に、次男たちは泊まります。
土曜朝はいい天気で、早朝自転車の定番コース・猪名川河川敷から見る大阪空港が輝いていました。一眼レフさんが3名飛行機を狙っていました。走りながら、「明日の朝は次男たちに自転車を貸して、僕らはスクータータンデムで早朝自転車定番30分コースを回ろう」とアイデアが浮かびました。
土曜晩は、少し早めに仕事を切り上げ、20時に帰宅しました。2人が僕の誕生会を開いてくれるというので、実家のテーブルに着きました。まず次男から、結婚宣言です。家内がとったお寿司を食べながら、今朝浮かんだアイデアを提案すると、フィアンセさんが「楽しそう」って乗り気です。次男は家族の中では一番年下なので、長男の提案を待つ立ち位置を守っていますがが、クラブなど外では自ら提案し引っ張っていくタイプです。同期結婚式でも、司会をしたりウェルカムボードを作ったり、2次会をプロデュースしたり、自ら先頭を買って出ます。次男の提案に、「いいよ」と信頼して乗ってくれるフィアンセさんの性格が気に入ったのでしょう。僕もプロデュースする方なので、「はい」って提案に乗ってくれる家内ととても気が合います。
大阪で買ってきてくれたケーキが出てきました。ローソクに火を付け、電気を消します。ハッピーバースデーの歌を歌い、僕がローソクの炎を消します。パチパチパチ・・・、両親が健在だった時の3世代誕生会を思い出しました。フィアンセさんから、プレゼントしてもらいました。「開けて〜」というので、箱を開けました。出てきたのはポロマークのラルフローレンのセーターです。「実は僕とお揃いやねん」と次男が、自分の着ているセーターを指さします。デザインは違いますが、同じポロマークです。僕からフィアンセさんに、長男のお嫁さんにもプレゼントした本「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」をプレゼントしました。
次男もとても楽しそう。僕が家内を「ちゃん付け」で呼び、いつも仲良しモードだからか、次男も僕らが居ないかのごとく、フィアンセさんとラブラブモードです。こういうのは見てる方も楽しくなります。フィアンセさんも朝型人間で、夜は弱い方なので21時半ごろお開きにしました。自宅に戻ると、家内が「すごく楽しそうだったね。いきいきとしてていいわ。あの子は合うね」と、雄弁になっていました。
日曜日は、4時前に目が覚めちゃいました。ゴソゴソして、やっと明るくなってきた6時前、自転車を2台玄関に出しました。僕の自転車は大丈夫ですが、家内のクロスバイクの空気を入れます。ブレーキも点検しOK。家内とタンデムする通勤リード110に、家内転落防止用リアボックスをセットして準備OK。クルージング用に、4人分のカッパ・ライフジャケット・飲み物を用意しました。
近所をグルリと散歩して帰ってくると10分前です。7時になり、隣から次男達が出てきて、自転車の変速システムを説明します。僕らはタンデムし、廃寺・自衛隊を見せ、先導しながら猪名川土手の飛行場滑走路正面であ〜だこ〜だ。土手道はバイクは走れないから、僕らはそれに平行する道で先回りし、次の橋までの中間地点・一眼レフ飛行機撮影ポイントで次男達と合流し、あ〜だこ〜だ。
1つ下流の橋を渡り、前日ピックアップしたJR伊丹駅横から、駄六川沿いを帰ります。水量が多ければ、沢山鯉が泳いでいるのですが、水量が少なく猪名川との合流付近まで下っているようです。アオサギが小魚を狙っていました。旧三田街道で旧家を見ながら走り、家に近づいたので先導から外れ、先に帰宅しました。バイクを片付けていると、2人が帰ってきました。自転車を片付け、車に荷物を積み込み、みんなを車に乗せ、朝食を食べに近所のロイヤルホストの駐車場に入れると・・・10時開店の10分前でした。
R171を西進し、9:56・「ガスト越水店」到着。ここまで何軒も飲食店がありましたが、ことごとく開店前でした。僕は「さばみそ朝食・599円」を食べました。雑炊499円・スクランブルエッグセット399円・スクランブルエッグソーセージ朝食499円・合計2155円。4人で2000円なんて、安いな。味噌汁・ご飯・ドリンクバー付きなので、破格のお安さだと思いました。
10時半前に、ハーバーに着きました。荷物が多いので、次男が南米選手権に遠征した時のナショナルチームバッグに入れてきました。ガラガラに括りつけ、引っ張ります。日の丸の付いたバッグはかっこいいぞ。「これはね・・・」と、僕からフィアンセさんに説明しました。
センターハウスで出艇申告してセンターハウスを抜けたとこで、次男の大学ヨット部の先輩に会いました。ヨット部のOB戦で会うので、次男が大学生になる以前からの知り合いです。僕の先輩とヨットを共同所有しています。家内とフィアンセさんを紹介し、あ〜だこ〜だ。風がないので出艇せずに船で宴会をするそうで、食材の買い出しだそうです。
陸置きバースで、僕のレース艇を見せ記念写真。係留艇の方に歩いていると、今度はさっきの次男先輩と共同所有してる僕の先輩に遭遇。ここでも、あ〜だこ〜だ。センターハウスでトイレを済ませ、10:40に係留艇に着き、次男と出艇準備します。女子2人は全くあてにならないので、ドッグハウス内に荷物を入れたり、カーテンを開けたりしてもらいます。
エンジンは一発始動で、冷却水もしっかり出ているので、僕のステアリングで桟橋を離れます。ヨット初体験のフィアンセさんは、「船の中で食事が作れるんだ〜」「うわ〜動いた〜」と大喜びです。東出入口からハーバーを出て、セイルアップ準備です。各所を次男がフリーにし、マスト・メインハリヤード周りを家内にステアリングを任せて、僕が最終点検します。「え〜私に渡されても〜、何処に行くかわからないよ〜」って、家内がなんか言っています。
僕がステアリングに戻り、風位をキープしながら、次男がメインセイルをアップしていきます。マストトップまでセイルピークが上がった所で、エンジンを切りました。次男がジブファーラーを解除し、ジブシートを引いてジェノアをフルセイルまで展開しました。風が1〜2m/sなので遅いですが、フルセイルで進んでいます。僕の母校が練習しているので近づき、次男が「僕が大学時代乗ってたヨットと同型艇・・・2人乗りで・・・」って説明しています。
この日は、次男ジュニアヨットクラブの部内レース日でしたが、風が弱いからハーバー前にレース海面を変更したようで、ジュニアのちびっ子ヨットは出ていませんでした。それを見せたかったんだけどなあ〜。方向転換し、六甲アイランドに向かいます。次男にステアリングを交代し、主役のフィアンセさんにステアリングを交代します。横で次男がサポートして、ミスって艇速が落ちた所で、優しく教えています。なかなか良い教師です。
コツがわかってきたようで、真っ直ぐ進むようになりました。「こんなにハンドルを動かすの?」「うん、波や風で振られるから、常に動かしている感じなんだ」って、次男も楽しそうです。風速2〜3m/sで初心者に一番いい風が吹いており、僕と次男でセイルトリムしながら、もうフィアンセさんのステアリングは一人前です。「新人が入ってきた時、教えるんだけど、真っ直ぐ走るまでなかなか行かないんだよね。それよりずっと上手だよ〜」って褒めてフィアンセさんの笑顔を更に引き出します。次男は、カメラ片手にシャッター切りまくりです。ムービーも撮っています。
自動車運搬船が沖に停泊しています。シングルハンドのセイリング・クルーザーが走っています。海上自衛隊阪神地区方面隊基地を見ると、機雷掃海艇が停泊しているようです。それを目指します。「目標の背後の建物と煙突を教え、あれを真っ直ぐに見てドライブしてね」。機雷掃海艇だと思ったら、ミサイル駆逐艦でした。後方に艦対空ミサイルが3門装備されています。艦橋前には大砲1門。フェリーに乗ったこともないフィアンセさんには、ビックリな世界のようです。
六甲アイランド・フェリー埠頭にフェリーが停まっていたので、そちらに向かいます。フィアンセさんは、フェリーを肉眼で見るのが初めてだそうです。ハーバーに向かいます。オートパイロットをオートにしましたが、風が弱く波もないので、ステアリングを動かす動作も殆ど無く面白く無いので、再び手動にします。ハーバー出入口に間に合うように、ジェノアをファーリングし、メインセイルも下ろします。
お隣の芦屋ヨットハーバーに入ってみます。ここは関西屈指の高級ハーバーなので、船の大きさが違います。桟橋付き住宅エリアにも入ってみました。ガーデンウェディング式場をバックに、写真を撮っています。僕はナイスな位置に船を動かして、ちょいとサポートします。
13:30にハーバーに戻り、僕と次男で数本の係留シートで船を適切な位置に固定します。ゲスト2人は、ドッグハウス内の荷物整理です。短時間だったし、飲み物も飲まなかったし、仏壇から持ってきたお菓子にも手が行きませんでした。朝から、プレゼントしてもらったばかりのセーターを着ているのですが、とても暖かく上に来ている薄手ジャンパーも脱いで乗っていました。カッパなど無用の長物でした。
センターハウスに戻ると、他大学ヨット部出身の3つ後輩がいました。「今日は出てたの?」「いいえ、ゴムボートの方の掃除ですわ」って、笑っていました。帰着申告して、1Fレストラン・カフェ・フリアンディーズのテラス席で、昼食にしました。ランチセットを注文しましたが、また見事に全員バラバラA・B・D・F4種類です。僕はカキフライのランチで、前菜・ご飯・デザート・ジュース付きで1500円ほどです。4人で5975円。
僕が大学の学食前で家内を見初めた話をしたら、採用部門で働くフィアンセさんは、管理部門統括の社長と時々行動を共にすることや、大学訪問した時学食で昼食することなどを話してくれました。最近の学食は、安いし栄養バランスはいいし美味しいしと、気に入ってる風です。次男の大学には、フランス料理とイタリア料理店が入ってます。僕らの母校では、カロリーまで書いてあるものね。会長は技術者なので、次男と接触が多いようです。結婚することを、社長にも報告したようで、2人を最終面接したのが社長だったようで、自分が採用した2人が結婚するのをとても喜び、結婚式にも出席してくれるようです。
14:51に、レストランを出ました。僕がガラガラの荷物持って車を回しました。家内の荷物を入れようとセンターハウスに入ると、「なんかペアルックを買おうとしてる。少し待ってあげて。お金を出して上げた方がいいかな?」なんて聞くので、笑ってごまかしました。精算の時にしゃしゃり出て行ったかも?うふふ・・・。ヘリーハンセンのお揃いセーターを着て、出てきました。堀江謙一さんが何度めかの太平洋横断の時に使った「サントリーマーメイド号」をバックに、写真を撮りました。
帰路、僕らの出身大学に寄り道しました。僕の出身中学横を通り、大学正門まで来ましたが、あいにくコイン駐車場が満車ばかりだったので、僕は車で待ち、家内の案内で結婚式を挙げた教会や中央芝生を見てもらいました。「すごく綺麗でした」って、フィアンセさんが帰ってきました。僕もこれ以上綺麗な日本の大学は知りません。ヴォーリス設計だったので、その後の増築などはみな、重厚感がありシックなヴォーリス建築に習って統一されています。
帰宅し、次男達を最寄り駅まで送りました。16時だったので、帰宅は20時頃でしょう。毎年、フィアンセさんのお父さんのお兄さんが継いだ実家のある浅草のホテルで元旦に一族が集まるようで、お母さんの実家近くで住む実家には、お婆さんが毎日顔を出すそうです。元旦に、その席にお邪魔し、顔見世するそうです。家族仲がいい家庭で育った子はいいです。ドラマでは逆境に弱い設定が多いですが、自分の環境に安心して落ち着いてゆったり育つので、反対にチャレンジ心旺盛で周りにやさしい人になるように思います。
1日一緒に行動し、次男の笑顔を見ていると、いい人に巡り会ったなと安心しました。次男が席を外した時、とかく適当になり勝ちな男の食事面や生活面をお願いしますと、頭を下げました。
次の日曜日は、僕らがフィアンセさんの実家に挨拶に伺うので、そのお土産を探しに、川西阪急に行きました。いまいちピンとこないので、清酒発祥の地・地元伊丹の白雪奈良漬けにしました。日曜までに買いに行かなきゃ。

2014/11/9
日曜日は、家内が大阪で1日お勉強の日でした。1ヶ月ほど前に申し込んでおいた「ほっこりカフェの会」に参加しました。「原付二種バイクの会」でお世話になっている方がリーダーで、参加者の半分はそのグループでの知り合いです。今回は、11:30現地集合・現地解散です。
朝5時に目が覚めました。天気予報では日中雨です。当初は、「里山VTR250」で、朝から木津川周辺を探索して、目的のカフェを訪問する予定でしたが、雨の山道は景色が良くないので、次週末の息子カップルとのクルージングに備え、セイルカバーの裁縫仕事に変更していました。
明るくなる6時にハーバー着を目指して行動開始しましたが、雨音が聞こえてきちゃいました。ブーム上での縫製作業なので、雨はNGです。先週の昼休みに船に行き、サンブレラ用の縫い針やUVに強いリペア用糸も買ったのに残念です。
ゆったりと家内に続き朝風呂に入り、8:30家内を車で駅まで送って帰宅しました。雨が降ってるけど、今回のお供を通勤リード110にしました。ゴリラナビをセットし、カッパ・雨の日バイク用ワークマン安全長靴を履いて、9:20出発です。ナビ検索すると到着予定時刻は、10:51です。R171〜中央環状線〜近畿道下r2を南下します。
天気予報通り1ミリ程度の雨なので、しとしと雨って感じです。雨なのでナビをナビバッグに入れる前に、ビニール袋に入れてきました。これが原因でバッグが曇って、よくナビ画面が見えません。音声に従って、R163方向に曲がります。清滝生駒道路で生駒山系をトンネルで抜けました。ここまでは何度も走ったことがあるので、ナビ無しでも問題なしです。
r52〜ならやま大通り〜R42〜京奈和道木津ICとの合流部をを右折して、10:58に「Lier幡」着。11:30集合に間に合いました。駐車場の端っこのスペースにリードを停め、ナビなどを片付けていると、横に黒のバリオスが「こんにちは」って僕の横に入ってきました。初対面の女性LIRさんです。主婦ながら、毎年1ヶ月もバイクで北海道ツーリングする豪傑さんですが、意外に華奢な方でした。
挨拶して、先に準備ができた僕は、お店に入り店員さんにカッパ・ヘルメットの濡れものを置く場所はないかと尋ねました。原付二種の会のリーダーMさんが車でやってきて、これまた原付二種でご一緒のKENさんも到着しました。店員さんが用意してくれた物入れに、僕とLIRさんの濡れものを入れて、店内探索です。
麻小物のメーカーさんのようで、その製品や陶器食器が展示されています。僕の知り合いのバッグメーカーさんも、郊外に工場兼お店を開いていますが、ここでの一般売というより、バイヤーさんとの商談場所という感じです。奥の谷に向かう位置に、昼食・喫茶スペースがあり、麻製品コンセプトに合わせた自然食品を材料にした女性向きのお店になっています。
車でキュートなCOAさん、我が家の隣町から電車バスで来られたCASさん、車で奈良だけど三重との県境に住むSUMさん、車でリーダーJINさんもやってきました。8名全員集合です。男性参加者とへ面識がありますが、女性4名とは初対面です。しばらく店内で、あ〜だこ〜だおしゃべりした後、11:30になり名前を呼ばれて予約席に着きました。
食事メニューは、肉系と魚系の2種類で、既に予約注文済です。食後のデザート(タルトケーキセット)はどうしますか?と店員さんがやってきたので、僕は手を上げました。すると皆さん注文し、僕他2名が紅茶で6名がコーヒーとのセットになりました。でかいおっちゃんがガッツリ食べるお店ではなく、お上品な女性向けのカジュアルな京料理のような感じで、デザートも含め1782円でした。僕は、「でかい」「大盛り」などのメニューはとっくに卒業しているので、こういうお料理がいいです。
CASさんは、何処にでも電車・バスで行っちゃうような方で、方向音痴のうちの家内ではとても来れないようなこのお店にも、時刻表をチェックして来られたそうです。COAさんは、落ち着いた感じで人に好かれそうないい雰囲気を持っています。SUMさんのお宅は、電気柵で田畑を囲うような場所にあり、イノシシの横断を待って車庫入れするそうです。僕の好きな里山が想像され、住みたい場所です。LIRさんの北海道のライダーハウスの話は、興味深かったです。50才以上禁止があったり、男女一緒の雑魚寝も平気・屋外混浴温泉好きとのことで、女性なのにたくましいなと思いました。
JINさんは、喫茶店やランチのお店が特集された本を数冊持っていました。「次は、何処にします?」って、それらを披露されました。亀岡が自宅なのに、なぜこんな奈良郊外のお店を知ってるのかな?と思っていたのですが、こういう雑誌が情報源なのですね。
宇治でランチ・山の辺の道ハイキング&ランチ・・・次は宇治になりそうです。春〜秋はセイリング活動があり参加する機会は減るけど、冬場なら参加できるかな?皆さん穏やかな感じなので、このグループが気に入っちゃいました。
13:30で解散です。まだ少し雨が降っています。KENさんとR163で帰ることになりました。R24との交差点に出て左折しました。KENさんによると、右折しR163に乗る方が簡単コースのようですが、ナビの誘導に従って左折しました。R24は制限速度60km/hの片側2車線高速国道で、ナビ地図によると次は右折なので右車線を走っていたら、立体交差で右折できませんでした。左側に外れて立体交差道路に入るのが正解だったようですが、ナビが曇って次の交差点処理画面が見えないのでミスっちゃいました。立体交差直前に気づきましたが、一気に2車線左に移動するのは、60km/hオーバーで走ってるのでリスクが大きいと思い、自重しました。なかなか右折できる交差点がなく、次の交差点を右折したら、奈良市街地混雑の時使う平城宮跡の北側の道路でした。r52に乗り北上し、R163に乗れました。後は往路同様の道です。このR163も片側2車線バイパスが建設中で、あと数年で高速国道になりそうです。雨が止みました。
KENさんのアドレスV125は、とても綺麗です。信号で停まる毎に、その新車の輝きの秘密を聞き出しました。日焼けで白くなったプラスチックの輝きを復活させるケミカルを使用してるそうです。スクーターの足元などが、新車の黒さを保っています。更に外装も綺麗で、ワックスを塗ったみたいに水滴を弾いています。いいことを聞きました。
近畿道高架下r2に乗り、摂津の淀川を渡ったとこで、KENさんは左折して土手上道路で大阪市内に向かって行きました。ここの交差点は、鉄板部分が長く、雨の日は適当に滑り楽しいと言っておられましたが、僕には「それは楽しいではなく、危ない」と聞こえるんだけど・・・
自宅近くのバイクセブン下のオートバックスに、プラスチック復活剤を探しに入りましたが、それらしきものがありません。バイクセブンで聞くと、店員さんが案内してくれました。「LAVENプラスチック光沢復活剤」なるものを購入し、後日やってみましょう。
16時半頃帰宅し、風呂に入り、家内が用意してくれていた夕食を食べたらウトウトしちゃいました。小睡眠から目覚め、今日の御礼のメールを送っていたら家内が門扉を開ける音がして、階下に走り降り、玄関を開けました。
雨の1日ながら、結構楽しめました。次の週末は、次男が結婚の承諾を得にフィアンセを連れて帰省します。7月に、東京の長男宅でご一緒した感じの良いお嬢さんだし、息子たちの言ってきたことに反対したことなどないので、ノープロブレムです。向こうのご両親の承諾を得たとこでOKで、本人たちは既に結婚式の日程・場所探しに奔走しています。
次男から、自分が子供の頃から乗ってたヨットを体験させたいとリクエストをもらっているので、次の日曜さえ雨&強風を回避できたら、他はずっと雨でもOKです。

2014/11/2
当初は、2週間前に走った近江・美濃国境の「鳥越林道」をタンデムで走ろうと思っていたのですが、降水確率も高く、峠越えなので降雨必至だろうし、標高1000m峠だから雲の中で下界の絶景が望めそうにありません。そこで予定変更し、北摂〜園部をタンデムツーリングしようと考えました。
日曜の朝起きると、どんより曇り空です。前日の1時間毎天気予報では、夕方から雨予報だったのに、お昼ごろ雨予報に変わっています。仕方なく、8時出発ドライブに変更しました。長尾山トンネル〜r325〜r33という定番コースで北摂里山地帯に入り、「切畑」からr33を「武田尾」に下ります。新名神高速道路の工事を横目に、夏の大雨で崩れたr33沿いの斜面を見ながら、JR武田尾からの廃線路ウォーキング入口で、「来年の夏は、また3世代で歩こうか」と相談しました。父が亡くなった初盆に、母と息子たちと僕ら・弟一家という3世代で歩きました。旧鉄橋を歩いたり、真っ暗なトンネル歩きがあったり、アトラクション盛り沢山な楽しいハイキング道です。
JR武田尾駅の下をくぐり、8:46・紅葉館足湯到着。ここは24Hオープンなので、家内に足湯を体験してもらおうとやってきましたが、ちょっとだけ浮いてる白い泡を見て、「汚れてるから入らない」とダメ出しを喰らいました。僕の基準では平気なので、靴下を脱いで足を着けようとしたら、軽四トラックがやってきました。おっちゃんが下りてきて、「ごめんなさいね、洗います」だって。針金で栓を抜き竹箒でゴシゴシ・・・。源泉掛け流しの湯がそのまま引かれているので、栓が抜かれても、入ってくる方が止まらないのでゆっくり水位が下がっていきます。日帰り温泉があること。料理は京都の料理屋さんがテナントとして入っており、2500円ぐらいから会席料理まであること。夏の豪雨では、この足湯も水没したこと・・・いろいろ教えてもらいました。
掃除が終わると、武庫川沿いをウロウロしていた家内も戻ってきて、2人で足湯に浸かりました。武田尾への道路はどん詰まりで、どこへの抜けられません。故に秘境のままひと昔前の佇まいですが、それがお忍びカップルの密会イメージにピッタリです。そんな話に花を咲かせていると、紅葉館裏扉から、浴衣姿の男女が出てきて、男性が武庫川をバックに女性を写真に収めています。・・・怪しい・・・怪しい・・・、でも母親と息子という感じでもあります。足湯にやって来られ、当たり障りのない会話をして、先に足湯を上がりました。足湯の横には源泉が流れる小さな滝が落ち、足湯の柱にはタオルも下がっていました。廃線ウォーク後の足湯がいいかも・・・。
r33〜r68〜伊丹市野外青少年センター〜半鐘の家〜r37〜三田野外活動センター〜羽束川沿い〜r309〜10:20、「籠坊温泉」到着。見事にイチョウが黄葉しています。籠坊温泉・「渓山荘」を見に行き、ここで「温泉付き・ぼたん鍋」もいいかも・・・なんて考え、小さな篭坊公園の黄葉を楽しみました。見頃はあと1〜2週間後かな?
r538〜r601〜天王からR173を少し南下し、r731〜r54〜10:51・「るり渓温泉」到着。親父が生前足繁く通っていた温泉です。いつも通過ばかりですが、駐車場にいつも車がいっぱいの大盛況なので、探索します。しいたけ取り&バーベキューもあります。温泉施設に入ると、通常の温泉の他に水着着用混浴温泉エリアや温泉プールがあります。お正月の定宿だった白峯高原スキー場近くにある村営の施設に似ています。これなら家族連れで1日遊べそう。息子一家が帰省する時、一緒に来れるな。北摂最高峰・深山トレッキングとセットでも楽しそう。能勢電・日生中央駅とJR園部駅への無料送迎バスもあります。
土産物屋を見ていたら、大きなお鉢に入ったうどんなどが並んだレストラン「山桜桃」が目に入り、少し早いけど食事をすることにしました。家内は親子丼・880円、僕は竹かご膳・1980。なかなか美味しかった。気になっていた大きなお鉢ですが、見本そのままの大きなお鉢に入って配膳されていました。
11:40に、レストランを出ました。精算すると、温泉入浴券を頂きました。僕の1980円は入浴券800円付きのようです。ここは宿泊施設もあり、11月の土日は満室で、12月も土曜は満室でした。大人気のようです。横には野球グランドがあり、少年野球の試合をしていました。温泉施設というより、総合レジャー施設という感じです。駐車場下のバーベキューエリアを探索しました。テントの下に8人用ぐらいのテーブルと椅子があり、テーブル横にバーベキュー・コンロがセットされています。大勢の方が楽しんでおられました。パターゴルフエリアが、11〜4月までイルミネーションエリアになっており、家内が新聞広告で知っていました。観に来たいと言ってるので、別の機会を作らねば・・・。
r54〜るり渓〜R372〜r54で、12:38・「魔気神社」。延喜式収載の古社です。創祀1200年と石碑に刻まれていました。江戸時代の神門も立派ですが、本殿・脇殿が素晴らしいです。檜皮葺の神殿を覆い屋が守っていますが、この覆い屋自体が茅葺屋根で、この厚い屋根だけでも値打ちがあります。園部という京都府の田舎にポツンとあるお宮ですが、京都市内にあってもひときわ目立つでしょう。観光客に忘れ去られたこういう田舎のお宮に惹かれます。ここを家内に見せたくてここまで来ました。
園部市街地に向かって、r54を北上します。夕方から映画鑑賞の予定ですが、まだ時間があるので、以前から気になってる園部城址を見つけに行きます。R477に入り、地形を見ながら盆地中央部にある里山が目につきました。僕が作るならあの山だな・・・その山に向かうと市民グランドのような所に出て、山の登りを見ると学校があります。城址跡が学校や役所になってることはよくあります。家内の中学も元姫路城内です。石垣などの遺構がありそうだなと上っていくと、道なりに丘を下りになりました。そこにドーンと真新しい天守閣が建っていました。よくある鉄筋コンクリート製復元天守閣です。13:05、駐車場に車を停めます。
学校側の急勾配の上には、立派な杉の巨木が数本立っています。寺社の鎮守の森跡かもしれません。その地形を利用し、斜面を削って勾配を増し、城を建てたのかも?現復元天守閣の位置は、自然地形を考えれば、元濠の上に建てたような感じです。丘の上の学校は、元園部藩校かもしれません。学校の丘の背後の山の上面は扁平地形のようで、どう見ても元山城です。園部盆地を見下ろせ、独立峰ですがそれなりの大きさがあり、探索してみたい気にさせます。
復元天守閣は、「南丹市国際交流会館」でした。横に、「南丹市立文化博物館」があります。50mプールもあり、これは近隣の学校が利用しているのでしょう。最近、夏しか利用しないプールの取り壊しをよく見ます。水泳授業を民間スポーツクラブ施設を利用し指導を委託したり、近隣数校で共同利用したりする傾向にあります。1校1プールで整備された施設の老朽化や、プール事故の重大事故化で指導先生や設置自治体が及び腰になっているのでしょう。天守閣の上までエレベーターで上がりましたが、展望所はなく役所としての利用以外に市民の利用を広げるつもりがなさそうです。
帰路に着こうと車を動かすと、立派な城門が目に入りました。石段を上がり城門に着くと、「京都府立園部高校」と「園部高校付属中学校」の木札が下がっていました。この門は、江戸時代の往時の門でしょう。予想通り、明治時代になり城跡が学校に変わったのでしょう。というより元々城内にあった藩校がそのまま旧制中学〜新制高校という流れに乗ったのでしょう。こんな学び舎で学べば、郷土史への興味が増すでしょう。
帰路に着きます。R477〜r454〜r453〜r54で、再びるり渓温泉。r54〜r104〜R173で15時に帰宅しました。ドライブ中は、小雨に降られた時もあったけど、帰宅する頃には晴れ間も見えてきました。家内とタンデムし、近所のスーパーで買物をして、16:30過ぎに映画館に着きました。
17:30から上映開始の「蜩ノ記」を観ます。先月、「柘榴坂の決闘」と迷った作品です。好きな淡々としたストーリーの作品でしたが、原作のいいところが表現しきれていないのか、役者さんはいい演技でしたが、イマイチ心に迫ってくるものが薄かった。「柘榴坂の決闘」の方が良かったな。
帰宅後、夕食はカップラーメンでした。僕は我が家の立地では必要ないと思うのですが、家内が備蓄している食糧の期限切れ消費です。久しぶりのカップ麺でしたが、あの器ではなく、ラーメンどんぶりで出てきたから、言われなければわからなかったな。ラーメンを食べながらTVをオンしましたが、「軍師官兵衛」も年寄った秀吉のわがままが中心で、面白くなく消しちゃいました。次は秀吉家臣団に大きな亀裂が入った朝鮮遠征で、本ちゃん関ヶ原の裏で展開された官兵衛が中心になった九州関ヶ原までつまらなそう。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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