ウェブマスター日記 2014/9-10

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2014/10/26
4時に目覚めました。しかもスッキリさわやかで、体も軽い。「よし行こう」。1週間前の日曜日、美濃〜越前国境の3つの峠の2つ目「冠山峠」攻めをしましたが、その2日後から節々が痛く微熱が出て食欲なしという、体調イマイチな日々を過ごしていました。仕事に穴を開けたら大変なので、早朝活動はせず、ひたすら睡眠追加に専念し、お薬飲んで小康状態を保っていました。
少年の頃、よく熱を出す子だったので、微熱が出るとすぐわかります。この1週間、上がったり下がったりを繰り返し、やっと金曜日から体調がマシになりました。これなら行けるかもと思い、デイツーリングの案を練りました。先週また時間切れで行けなかった旧北陸本線の廃トンネルを含む、2週連続の越前攻め。バイクでお遍路さんの1回目。そして、兵庫県の誇る大規模林道・「妙見蘇武林道」の3案です。
しかし、土曜夕方から再びの微熱襲来で、日曜日は家でゴロゴロだなと諦めることにして、床につきました。日曜は、家内は仕事で大阪のホテルに行き、パーティーにも出るそうなので、僕は1日中1人です。・・・ああ、つまらない。こんな状態で寝たのに、朝は体調バッチリで目覚めました。下着・キルティングパンツ・夏用プロテクターメッシュ、上半身は下着・丸首長袖アンダーシャツ・トレーナー・夏用プロテクターメッシュ、その上からDAIWAフィッシングスーツという出で立ちにしました。天気予報は、近畿全般最高気温を24℃と報じているので、冬用プロテクターメッシュでは暑くなったときの対応幅が少なすぎます。倉庫から、「里山VTR250」を出し、タンクバックなどをCBから付け替えました。起きた時、冬場はクローズになる「妙見蘇武林道」に行こうと決めました。未走で不案内な上標高1000mも含み、北に続いている「三川林道」も加えると距離50kmという林道です。軽いVTRをお供にします。
4:40に出発。長尾山トンネルに向かう途中、まだ2分しか走ってない所でストップ。VTRの用意をしている時から汗をかいて、背中が濡れてる。走り出してもまだ暑い。1週間前も、隣町の豊中で給油後、暑いのでトレーナーを脱ぎました。それでも背中に汗をかくのは変わらず、冠山林道の岐阜県側登り途中で、プロテクターメッシュのインナーを外しました。その後快適になりました。インナーは保温効果が抜群ですが、10月ではオーバークオリティなのでしょう。トレーナーはそのままで、インナーのみ外しました。その後快適になりました。透湿性がないので汗をかいてしまい、先週はそれで身体を冷やし体調を崩したのでしょう。学習しました。
長尾山トンネル〜r325〜r33〜r12〜西峠〜城東トンネルを抜けて、篠山入りしました。軽量ゆえ高速での横風に弱いVTR250なので、高速道路回避ルートです。r12よりr49の方が近道ですが、真っ暗な中、あの山道は怖いです。r12杉生より北は鹿が出るけど、r49で遭遇するよりマシです。
家を出る時星が出ていたので、篠山は朝霧が出ているだろうと予想していましたが、日置までは出ていませんでした。R372に乗ると、前方が白いです。朝霧に突入し、r77に乗り換え市街地の南をかすめました。朝霧の最も濃い篠山川北エリアは濃霧で、ゆっくりそして頻繁にヘルメットのシールドを拭きながら市街地を西に抜けます。「丹波黒豆」の臨時即売テントが道の両側に並んでいます。日中は多くの人がやってくるのでしょう。
r97を渡り、舞鶴道高架下を抜けます。少し北にある「西紀SA」は霧に沈んでいるのでしょう。朝一で兵庫県北部のスキー場に向かう時は、毎度の「霧の西紀SA」でした。R176を渡り、篠山川川内渓谷・JR福知山線沿いに西進します。6:16、JR鉄橋で激写タイム。濃霧ではありませんが、背景はきりで真っ白です。いい雰囲気。6:15、川内渓谷キャンプ場の吊り橋。やっと霧が消えました。6:39、JR下滝駅にてトイレ拝借。『急ぐとも 外に漏らすな 吉野山 桜の花も 散れば見苦し』、毎度ながら素晴らしい。途中、JR列車と行き交いました。できれば追い抜いて行く絵が欲しかったな。
久しぶりに駅の裏にある吊り橋を渡ろうと行ってみると、なんと付け替え工事中でした。駅の観光案内看板にも載ってる名物吊り橋なのに、跡形もなくなっていました。高所恐怖症克服のため、家内とJR丹波大山駅からJR谷川駅までサイクリングした時渡った思い出の橋なのに・・・。「大歳社天満宮」に寄りました。拝殿も従えない小ぶりな本殿ですが、檜皮葺の屋根が美しい。覆い屋もないので、四方から存分に楽しめます。千木・鰹木もかっこ良く、蟇股・木鼻に施された彫刻もいい出来です。阿吽の狛犬が、いい感じで年代を重ねています。手水場には手ぬぐいが2枚下がっており、清潔です。芸術品とも言えるこういうお宮が、日本中何処にでもあり、悪さもされず年中無休でエブリタイム・ウェルカムな日本という国はなんて素晴らしいのだろう。拝観料おば、チャリン。
7:00、JR谷川駅。何かお腹に入れようと立ち寄ったのですが、売店はオープン前でした。さらにr77を西進し、JR加古川線・「久下村駅」付近で、JR線に別れを告げます。ここのパルプ工場は、いつもながらたくさん噴煙を上げて操業中で、空気層の違いにより、無風故一定の高さ以下に横に広がっています。巨大な宗教施設・円応教本部を過ぎ、7:14・丹波市山南町村森・ミニストップで、手巻明太子マヨ108縁+アンたっぷり栗どら焼き133円×2個購入し、店内お食事スペースでおにぎりを朝ごはんにします。どら焼きは、補給食・緊急食用です。
r77〜R175〜r86で「小野尻トンネル」を抜ける。ここに旧道・旧トンネルがあるんだよな。ここ数年、興味の端にはあるけど、いつも探索せずに来ました。本日も先に大林道があるのでパス。多可町側に下りて、適当に右折し、R427にチェンジして西進を続けます。7:48、多可町西脇エッソにて給油、194km/7.23L=26.8km/L。店員さん給油だったので、思いっきりギリギリまで入れはりました。
r8に乗り換え、8:02・「松が井の水」到着。2組のご夫婦が、名水を汲んではりました。1組は、洗車もしてはりました。名水で洗車とは贅沢です。きっと車を舐めるのでしょう。「高坂トンネル」を抜け神崎町側へ。標高500mほどだけど、山並みが展望できる場所で激写。まだ朝霧に包まれている小盆地が見える。
8:19、「越知川」上流から下ってきたr367と合流。「住吉神社」という立派な神社に寄り道しようかとバイクを降りたが、階段を見て「先は長い」とパスすることにしました。ここらの集落の秋の旅行会のようで、やってきた神姫交通の大型バスの前で、大勢があ〜だこ〜だやってる。お米の収穫を終え、一段落のこの時期は、神社のお祭や町内旅行会が多い。住吉神社の川を隔てた向かいに大きな岩がありました。とても目立ちます。岩の上に柵があるように見えているので、僕同様あの上に上がってみたいと思う子供が多いのだろう。
越知川は、神姫バスがサイクリングのサポートをしている。市川に合流する栗賀から上流の「新田ふるさと村」まで、自転車をそのままバスに載せてくれます。バイクで走ったことがありますが、下り基調のナイスなサイクリング道です。県道も交通量が少ないですが、サイクリング用道案内に従うと、名水など見どころに連れて行ってくれます。下り基調でレンタサイクルもあるので、スポーツサイクルである必要はありません。
8:33、「法楽寺」着。ツーリングマップルに、「播州犬寺・大黒小黒2匹の犬を祀っている」と紹介されていたので寄りましたが、越知川沿いの仁王様が守る山門を入ると、ギョエ〜な階段が登場し、「先が長い」と断念しました。R312を少し南下し、再びr8に乗り、播但道高架下を抜け、JR播但線を寺前駅横で渡りました。家内と生野からサイクリングした時、寺前駅前で「銀の馬車道ラーメン」というのを食べました。昼の県道なのに猿軍団に行く手を塞がれ、しばらく待ったこともありました。
r8を西にグングン上がり、「峰山高原ホテルリラクシア」の案内板に従って枝道に入り、9:13・「リラクシア」到着。前回はなかった「ノルウェイの森」の看板を読むと710m進んだ森の小径でロケされたそうです。何度もノーベル文学賞候補になってる村上春樹の有名な小説ですが、長男から借りて読んだけど意味不明で途中で投げ出しました。だから映画も観ていません。村上春樹の小説の魅力がわかりません。映画の世界に浸ろうと、少し入ってみました。陽光が木々の間から漏れ、素敵な散策小径でした。駐車場のおトイレ拝借し、「砥峰高原」に向かって、林道を北上します。
このエリアは、標高1000mほどの山に囲まれた高原で、道端はすすきの穂が銀色に輝き、山の上部は紅葉が始まっています。このエリアの北を東西に横切るR429から「千町段ヶ峰林道」が福知渓谷まで続き、南北に尾根を走っています。そこから砥峰高原経由でr8まで「峰山広域基幹林道」が続き、さらにr8から南下し中国道まで「雪彦峰山林道」が続いている。50kmはありそうな長大林道です。r8から南は走ったことがあり、高所感がナイスな道でした。通しで走ってみたいが、未舗装部分がまだ少し残っているようです。
9:40、「砥峰高原」着。なんだかお祭中のようで、人がいっぱいです。駐車場に誘導され、いつものお店正面の道は歩行者専用で入れません。車は500円だけど、バイクは駐車料タダでラッキーでした。先着2台のバイクが置いてありましたが、ライダーには会えずでした。屋台などたくさんのお店が準備中でした。いつものようにブラブラしてると、ベンチャーズをバンドが練習し始めた。本番に備えて準備中のようです。おじさんバンドでした。別嬪さんのボーカルでもいると長居するかもしれないけど、ひと通り回って退散しました。僕が出ようとしたら、5〜6台のバイクグループが入ってきました。バイク駐輪スペースが小さいので、バイクがあふれるのが必死です。
ここに来たのは、初めて走る「福知渓谷」目当てです。ずっと通行止めだったので、走る機会に恵まれませんでした。お店正面の道が、福知渓谷の入口なんだけど、迂回路が看板に書かれていました。迂回の舗装路を入って行くと、正面が未舗装路で、左折が舗装路なので、舗装路を下って行ったら、なんとお店の木製のベランダに出てしまいました。その下は高原正面の木製階段で、バンドを見物してる人たちが、たくさん座っています。オフ車なら階段を下りるのも、新手な出し物ですが、僕の腕では、無事下りられる保証もないし・・・。バイクの横にテーブルと椅子が並び、「なんてこった」状態です。お客さんも、「なんでこんなとこにバイク?」って顔をしています。しかも、そこから警官が、バンド演奏を見ていました。「ええ〜」とそこに突っ込むと、警官が笑って、「どこから来ました?」。地道の方が正解の道のようです。木製ベランダ場で、よちよち折り返しUターンして、未舗装路を下って、福知渓谷への道・r39に合流しました。
福知渓谷は、紅葉が始まっており、ナイスな景色でした。1〜1.5車線の四輪離合が難しい道で、路上河川部分もあり、好きな道でした。10:06、「千町段ヶ峰線」起点がありました。これで3本の大規模基幹林道の侵入場所を確認できたので、いつか走破しに来よう。10:23、綺麗に紅葉した木があったので、激写タイムしていると、2台の車がやってきて、サンデー毎日なカメラ小僧・女子が一眼レフ片手にぞろぞろ出てきました。砥峰高原からの帰路でしょう。ところで、本日のメインディッシュは、まだまだ先です。標高1000mの50km林道なので、走破に3時間は掛かるでしょう。日没までに山を下りるためには、16時脱出を予定しています。突入タイムリミットは、遅くとも13時、更に1時間余裕を持って12時突入を考えているのだけれど、このペースではヤバそうです。
寄り道・激写タイムを減らし、ひたすら走ることにしました。福地川が揖保川に合流する所で、r39からr6にチェンジ。r6を北上し、R429に乗り東北に走り、再びr6単独路に乗り北上します。10:55、「富士野トンネル」で休憩。「富士野峠」と書かれた板が立っていたので、いつもの癖で旧道を探すが見つかりませんでした。「このせせらぎの揖保川です。美しい水を汚さないで 倉床自治会・清流を守る会」という立て札が立っていました。不法投棄するのかな?この峠を北に抜ければ、大屋市街地に向かって下りです。峠の分水嶺から北は、明延川に沿います。沿線に「明延鉱山跡」があるのですが、一度訪問したことがあるのでパス。
11:22、「ボランピア大屋」バス停前でバイクを停め、屋根のあるバス停内ベンチに座り、補給食「アンたっぷり栗どら焼き」を食べました。美味い!大屋市街地に出て、r48〜r714でまた峠越えの北上です。r714へのエントリーを間違え、ナビ地図&野生の勘で上っていくと「農業公園」なるとこに出て道が終わっていました。ナビ電源は入ってるけど、案内はさせていません。国道があるのに県道を、主要県道があるのにわざわざ峠越えを選択する僕には、ナビ案内は煩わしいだけです。ナビで現在地を知り、メモして来た県道・国道ナンバー・通過ランドマークを見て、タンクバック内の地図見ながら野生の勘が、僕のソロツーリングのデフォルトスタイルです。
r714の峠への上りで、暑くなったのでDAIWAつりスーツ上を脱ぎました。下にトレーナーを着ていますが、外見は夏用プロテクターメッシュで、まちゃ頑張ってる兄ちゃんです。でも、これが気持ちいい。天気予報予想で24℃になったのでしょう。スキーで毎週のように通ったR9に出て、少し西進して予定通りr87に入りました。交通量のR9から平和な県道です。
r87〜r269で、R9から「ハチ北」に入ったとこの交差点に出ました。「ああ、ここに出るのか」、上にはおなじみ「またおお越しをハチ北高原」の看板が立っていました。R9を北上し、林道アプローチのr259に入りました。山に登り出してすぐ、12:32「八坂神社」で小休止。予定の30分遅れですが、許容範囲内です。「燿山観音」「牛恩碑」という興味を引く石碑がありましたが、謂れ板がないのが残念でした。4体のお地蔵さんが祠に並んでおり、こちらも謂れ板が欲しい。お地蔵様の後ろの板に、神棚が祀られており、我が家の仏壇に蛍光マリア様像が載ってるような感覚で、他の宗教を否定する一神教じゃない日本人的な神仏習合が気持ちいい。お地蔵さん皆さんには朱い前掛けが結ばれ、それぞれの前に置かれた花瓶に手向けられた花束は、お花屋さんが交換してると思うほど新鮮でした。で、穏やかな気持になり微笑ましくさえ思いました。瓦葺の質素なお宮ですが、蟇股の龍の彫刻が複雑で、腕の良い職人が彫ったものを思われる。本殿脇の彫刻は、くちばしが曲がっているからシギと想像しましたが、こちらも素晴らしい出来でした。摂社は、石柱や石に社名を彫られているだけでした。「妙見名草神社」「若宮大明神」「賽の神」。「賽の神」が峠でもないこんなところに鎮座して、ちょっと不思議でした。神仏習合した道祖神の一種ですが、お地蔵さんが道中の安全を願って、道沿いのいろんなところに立ってるのに対し、「賽の神(才の神)」は峠とかの境界線に多く見かけ、「ここから隣村だよ」とか「ここが峠の分岐だよ、道を間違えないようにね」とかの目印だと思っていました。何故にここに・・・。「中瀬大日寺」という摂社と完全に異なる寺院名の刻まれた石柱が、並んでいました。これは何故に・・・。
12:42、「女郎滝」。いよいよ本格的な1車線山道だなと進んでいると、カーブを曲がると突然滝に巡り合いました。先客さんが1台おり、頭を下げて停車すると、ご主人が、「20年前ぶりなんですよ。滝を見ながらご飯です」と、奥さんもモグモグしています。「この斜面に山椒がたくさん生えていたのに、簡単に抜けるからみんななくなっちゃってます」とのこと。なるほど、「山椒の実目当てでここまで登って来られたのだな・・・」と想像しちゃいました。
やがて、「妙見蘇武林道」に入ったと思われ、勾配が増しつづら折れを繰り返し、高度を上げて行きます。カーブミラーが殆ど無いので、時々ホーンで合図します。でもすれ違う車両などほぼナシです。尾根に上がったのか、勾配が緩やかになり、12:53・視界が広がる所に出ました。R9の走る谷を隔てて、10年ほど僕のホームゲレンデだったハチ北スキー場が見えます。SIAゴールドメダルを取ったのもここだし、スノードルフィンスキースクールの常連さんでした。夏に来たことがないので、新鮮です。13:00、ベンチのある簡単な展望所がありました。
13:14、東屋のある広い場所・「蘇武岳登山口駅」に出ました。横では、ヘルメットを着用し、パラシュートを背負ったパラグライダーが4機スタンバイしています。東屋には、登山帰りと思われる女性が2人。車が5台ほど停まっています。バイクから降りて、スタンバイの方々が見上げてる上空を見ると、遙かな高みで5〜6機飛んでいます。「いい上昇気流を捕まえて、ここが約1000mだけど、更に1000mほど稼いで上がっていますよ」と教えてもらいました。「ここに当たる気流に乗ってるのですか?」「YES」。指導者的な方が、飛び立つ男性のサポートをしながら説明してくれます。1機飛び立ち、次は女性です。「風を捉えたら、怖がらずに下に走ってね」・・・テイクオフ・・・「走れ!」・・・さっきの男性より低空で斜面を滑空し、足を木のてっぺんにぶつけながら飛び立ちました。
登山口から下りて、僕の横で見てた熟年ご夫婦の旦那さんが、「お〜恐ろしい。とてもじゃないけど、無理だわ」。指導者的な方は落ち着いており、無線で彼女に指示を出しています。「気流の位置を想像して・・・そこは真っ直ぐ走り、風を捉えたら右旋回・・・」、3機目は余裕で飛び立ち、3機とも旋回しながら高度を上げてこのバーンより高く上がっていきます。指導者的な方も飛ぶようで、自分の機を準備しています。「ありがとうございました。いいものを観せていただきました」。途中で、オープンにした2シーターコペンが上がってきて、見物していました。石碑に、『蘇武林道の概要 この広域基幹林道は、林業の振興と過疎地域の活性化並びに森林の多目的機能促進を図るため、但馬の南北を結ぶ24.8kmの林道です。』
テイクオフバーンは蘇武山の山頂・1074m直下にあるようで、見上げる山頂はありません。ここからならハイキング程度で山頂に立てそう。ここから下り基調になりますが、蘇武連山の尾根直下を林道が走っているようで、連山の標高に応じて上りもあります。13:33、見通しのいい場所で激写タイム。林道脇の広葉樹は秋色に色づき、それを林道が横に切ってうねっています。
13:40、「銚子ヶ谷・カキツバタ群生地」。「マムシに注意 足元にご注意」と書かれた看板がマムシの写真入で注意を呼びかけています。僕が小学生の頃は、今住む場所にも蛇はそこかしこにおり、友達とよく捕まえたものです。アオダイショウなどは長いだけで毒がないので、平気で素早くしっぽに取り付き、ブーメランのように回転させて噛まれないようにしました。鮮やかな縞模様のマムシもおり、これには勝負しませんでした。2年ほど前に、能勢の丸山城址上りで見かけたのが最後です。蛇は膝から下に噛み付くので、子供の頃蛇と遊ぶ時は、長靴を履いて行きました。今も山歩きの時は、くるぶしの上まであるバイク用作業ブーツで入ります。スニーカーで藪こぎする勇気は、今もありません。
13:47、視界が開けました。スキー場のゲレンデに出ました。上空をリフトのワイヤーが走り、すぐ上にリフト降り場があります。下界の眺めを見ると、奥神鍋スキー場最上部のようです。同じく対向で停まっていたオフロードバイクが走りだしました。雪のないゲレンデの急斜面は怖いな。こんなとこ歩いてでも降りようとは思わないけど、雪があり板を履いていれば、嬉々としてGO!なんだよね。
僕の初スキーは、正月休みに親に連れてきてもらった小学生時代の神鍋山スキー場でした。貸しスキーで、大根につまずいてコケた思い出があります。北関東出身なのに親はスキーが出来ず、トコトコ歩いて登り、板をはめて自己流でただまっすぐ滑っただけですが、スピードが出るのに爽快感を感じました。大学生時代の神鍋は中央の神鍋山には雪が少すぎるし、緩斜面過ぎるので、奥の名色・万座・奥神鍋じゃないと楽しくなかった。それでも各ゲレンデが繋がっていないので、規模の大きなハチ北スキー場ばかりに行っていました。
13:58、十文字交差点に出ました。横浜ナンバーのランクルが止まっており、案内板などを見ています。「妙見蘇武林道」の終点でした。25.6kmを、走破しました。そして、正面の道が、「三川林道・29.5km」で、ここが起点です。地図によると、蘇武岳の下を抜けるR482・「蘇武トンネル」の上で、右に下るとR482に出れるようです。地図ではダートになってる。左もR482に繋がっていますが、いきなりダートなので、選択肢は一択です。
14:14、「秘境・小代集落眺望駅 起点から4.7km・終点まで24.8km」。小代スキー場にも滑りに来たことがあるが、地図で確認するとかなり離れていました。14:20、「小代分岐駅」。ここから「普通林道・小代線」というのが分岐しており、地図を見るとr258と繋がっているような感じがする。「ここからブナの原生林1.5km」と書かれた案内板が、折れて転がっていた。ブナの巨木は、雰囲気があり物の怪が住んでる風で好きです。白樺と同じく、地衣類が樹皮に寄生するので苔が生えたように見える。でもブナの方がよっぽど巨木になり、白樺のようにシュッとしておらず、怪しい雰囲気満点です。
14:24、電波塔が立つ山が「三川山」のようです。直下にこの林道がはしっており、そこに登山道があるなら、10〜20分で山頂に立てそうです。周囲は紅葉が進んでおり、なかなか綺麗です。14:29、ブナの巨木の谷がありました。素敵な雰囲気ですが、陽が落ちたらただならぬ妖気が漂っていそう。こちらの林道に入ってから、やたらとコロコロの鹿糞が落ちています。開けて平らな道に集まり、鹿が井戸端会議をしているのでしょう。これはいいのですが、大型の糞が舗装路中央に落ちていました。まさか・・・人が道のど真ん中に置き土産しないし、イノシシより大きな感じだし・・・如何にもツキノワグマが生息していそうな連山なので、いても不思議ではないのですが、見なかったことにしてスルーしました。まあ、集団行動する野犬ほど怖くはないけど・・・。14:32、林道斜面に怪しい爪あとが・・・イノシシのほじくりとは明らかに違い、鹿ならもっとスマートに登るし・・・。
14:44、「三川線・展望駅」。素晴らしい山並みが眼前に広がっています。本日最高の山並み展望です。ここで休憩中に抜いていったオフロードバイクが、谷を隔てた三上山直下の林道を走って行きます。針葉樹の植林の緑と朱黄の紅葉のパッチワークの山肌を横にスパッと林道が走る様は、とても綺麗。
15:00、三上山直下の林道を走り、尾根の北側に出ると日本海が見えてきました。林道脇の木々の切れ間を見つけ、しばし激写タイム。ベース3速・時々2速で延々走って来た林道に、正直「もう結構」になっていたので、この海の眺望は最後のカンフル剤になりました。地図を見ると「香住」の入江のようです。15:15、「33 現場事務所まで8.4km・国道まで10.9km」看板。15:22、「30 現場事務所まで10.1km・国道まで9.2km」。香住の海が更に近くに見える。15:35、三川林道のエンドに着きました。半分バリケードされており、「9.6km付近(19.9km先)路肩崩壊・通行止め」との看板が立っています。もう修復されているようですが、こんな看板が立ってたら僕はUターンしていたでしょう。こちら側からチャレンジしなくて良かった。バイクを停め、道にべったり座って、最後の補給食・アンたっぷり栗どら焼きを頬張ります。1台林道側からプリウスが出てきたので、ひょこひょこ移動したが、やりきった感で大満足でした。3時間、800〜1000mの尾根を縫う大舗装林道の旅が終わりました。
「三川林道」はr256エンドに合流すると思っていましたが、ナビ地図ではr256と並行して山道を北上しています。r256がR178に合流する近くで、林道もやっと平地に下り、R178合流で終わりました。2つ合計で50kmの長大林道を堪能しました。R178に乗り、一路自宅を目指します。交通量は多くなく快適に走ります。「こうのとり但馬空港」の案内板に惹かれて、r242〜r713で空港へ。小高い丘にありました。16:21、無料駐車場にバイクを入れ、展示してあったYS11を四方から激写し、空港内を探索しておトイレ拝借。JALカウンターしかない地方の小さな空港ですが、アットホーム感がいい。r50で下ると、単線のJR山陰線を渡り、R312に乗りました。円山川とJRとパラレルしながら南下です。16:51、豊岡市日高町祢布・出光で給油。196km/6.3L=31.1km/L。あれだけ山道を走ったのに、燃費悪化せず。八鹿に近づくと、信号渋滞してきました。
これを避けるために、快適路・R426で福知山を目指す手もあるけど、北近畿道・和田山より北を走ったことないし、早めに高速に乗る方が早く帰宅できるので、四輪がストップするとバイクの利点を生かしながら前に進出し、高速入口を目指します。「北近畿豊岡道」の案内板に従ってR9に乗り、「八鹿氷ノ山IC」から高速道路に乗りました。ここから乗るのは初めてですが、ここまで高速で来れたら、鉢伏や神鍋のスキー場は近いです。片側1車線の無料自動車専用道です。
制限速度は70km/hで、いつものように80km/h定速で走りました。風がなく軽量VTRにとってラッキーでした。追い越し車線になると、後ろにできた行列から高速の後続車が抜いていきますが、どうも1車線高速道路は後続車が気になって苦手です。次のPAで休憩しようと思っていましたが、和田山IC通過後の「道の駅・丹波のまほろばSA」までありませんでした。
17:45、ここで休憩しました。「夕食パーティーに出るので夕食を食べて来てね」と家内に言われているので、ビーフカレー620円を夕食にしました。18:07、近くの「海鮮せんべい但馬」で売ってるような「訳あり割れせん540円、訳ありおかき540円」を購入し、後日のおやつにします。バイクの戻ると、陽が落ちて真っ暗になっていました。高速道路に戻り、春日までの唯一の有料区間・「遠坂トンネル」料金所を通り、春日に向かいます。
高速道路渋滞情報で、宝塚トンネル20kmと出ていたので、当初のプラン通り篠山口IC下車・下道コースで帰りましょう。氷上ICを通過し、黒井城址が見えるはずですが、夜で何も見えません。春日ICから舞鶴道に乗り南下開始です。宝塚トンネル渋滞は17kmに減りましたが、下道コースに変更なしです。西紀SA・バイク置き場に入ると、駄弁っていたバイク乗りさんから「渋滞は何キロになってました?」との質問がやってきた。渋滞が短くなるのを待ってるのかも?
18:51、「どでかいちごチョコバー・135円」を買い、バイク置き場横の石に腰掛け、糖分補給しました。丹南篠山口ICで下車し、r94に乗って東進。r49で南下する方が早いかもしれないけど、日没後にr49の狭路山道を走るのは危ないので、r49との交差点をスルー。道なりに朝走ったr77に合流し、さらに道なりにR372に合流。r12に右折し、朝同様この道で篠山盆地南辺の山岳を突破します。城東トンネル〜西峠〜杉生〜r319〜r33〜r325〜長尾山トンネルという定番コースで帰宅しました。帰りついたら、先週同様21時で、片付けながら、歯磨きなど寝支度中の家内に今日のツーリングのことをあれこれ話しました。風呂に入ろうとトイレに入ると、雨が屋根を打つ音が聞こえてきました。降雨前に帰宅できてラッキーでした。風呂に入って22時床につきました。

2014/10/19
日曜日、家内は仕事で琵琶湖ホテルに行きます。デートは無理なので、1人遊びです。天気予報を見ると、前日の土曜日に続き、近畿地方は晴れマークのみです。ツーリングに決定。「四国バイクお遍路」の1回目も有力候補でしたが、来月は凍結の心配がある美濃・越前国境峠の2つ目・「冠山峠」越えをすることにしました。半年間の冬季閉鎖に加え、土砂崩れ通行止めで数ヶ月閉鎖が日常の峠なので、数少ないチャンスです。岐阜県側と福井県側の地元自治体道路情報には通行止めが書かれていないので、どうやら通れるようです。先月越えた「温見峠」を含めた3つの峠越えのもう一つ「高倉峠」は、まだ閉鎖中と書かれていました。去年もずっと通れなかったと記憶しているので、来年に期待しましょう。「冠山峠」に至るルートを考えていると、近江〜美濃の峠越え・「鳥越峠」が思い浮かびました。伊吹山より北の国境を越える魅力的な峠が3つあります。伊吹山のすぐ北から、「国見峠」「鳥越峠」「八草峠」です。それぞれ歴史は古く、歴史書を読んでいると出てきます。国見峠は、ここ数年災害復旧工事中通行止めが続いており、八草峠は、旧R303ですがオンロードバイクでは辛そうな状態になっているそうです。
目を覚ますと、2:30でした。早過ぎると思いながらも、二度寝したら次の目覚めは4時だろうから出発することにしました。眠り姫の家内が寝ているので、起こさないように抜き足差し足ながら、ササッと着替えます。先月の峠越えは暑かったけど、寒いだろうと思い下半身は、下着・キルティングロングパンツ・コミネ夏用プロテクターメッシュパンツ・DAIWA釣りスーツ、上半身は下着・丸首長袖アンダーシャツ・トレーナー・コミネ夏用プロテクターメッシュジャケット・DAIWA釣りスーツという、脱ぎ着で幅広く温度調節できるスタイルです。倉庫から、「招き猫CB400SB」を出して、リアボックスにカッパ・車載カメラ一式・車載工具一式という定番に加え、最悪の事態の宿泊も考えタブレット端末・NEXUS7を加えました。携帯ナビ・Panasonicゴリラ7インチをハンドル固定し、3:14に出発しました。
R171〜中央環状線に乗り、普段なら豊中ICから中国道に乗るのですが、ガソリンがメモリ1つになってたのでパスして給油します。3:33・「エネオス・中央環状線豊中SS」、333km/13.25L=25.1km/L。ここまでですでに暑くて、トレーナーを脱ぎました。真夏期間は外していたメッシュジャケット付属の風を通さない裏地をセットしてきたのが、オーバークオリティだったようです。
吹田ICから名神に乗り、4:27・「名神大津SA」で休憩。ツナマヨネーズ・108円を買い、小腹を少し満足させました。5:14・「黒丸PA」で休憩。東の山の稜線がほんのりオレンジで、もうすぐ朝日が昇ってくるとわかります。三日月のしっかり上空に輝いています。伊藤園ミネラル麦茶・151円を購入。これを今日1日ちょこちょこ飲もうと思います。
米原JCTから北陸道に侵入し、6:09・「神田PA」で休憩。ここに入る手前で田園に朝霧がかかっていて綺麗だったので、すぐに高台を探しました。「展望台」という案内板が目につき上がってみると、「お見事!」な風景が広がっていました。地上2〜3mまでの薄霧がナイスです。「SL北びわこ号」の追っかけでランドマークになった長浜ドームも見えています。伊吹山を見上げると、手前の黒い山に対し朝日を浴びてオレンジです。ここで30分ムービーを回せば、伊吹山がオレンジ色に輝いていく姿が撮影できるでしょう。東の山の稜線から、今にも朝日が上がってきそうで、ムービー回しながら道草しようかとも考えましたが、まだまだ先が長いです。
ここで車載ムービーをセットします。次の「長浜IC」下車。r37〜r243〜R365で木之本方面に進路を取ります。姉川の支流・草野川を越え、「お市の里」の案内板があった「草野川北詰」交差点を右折し、草野川に沿って北上します。浅井・朝倉連合軍と、織田徳川連合軍が雌雄を決した姉川大会戦の舞台です。浅井軍の猛攻で数陣敗れた織田軍総崩れ間近の徳川軍迂回軍の起死回生の一策が、浅井朝倉軍を破りました。結果的には、浅井氏は滅び、大飛躍し全国区になった織田政権中枢大名に列することは出来ませんでした。浅井氏との同盟条件の朝倉氏不侵攻を破った信長と対立し袂を分かちた浅井氏と、信長からの嫡男切腹の厳命に従い同盟関係を切らなかった家康との違いが、将来の両者の大きな開きとなりました。
左岸を走るr273・r264に並行しながら、右岸を走ります。「この先行き止まり」看板で橋を渡り左岸のr264に乗ります。ゆるやかな勾配がダラダラと続き、サイクリングロードです。7:04、「白龍神社」という小さなお宮があったので休憩。小さな池を覗くと、湧水が湧いています。「平成の名水・堂来清水の由来」という謂れ板が立っていました。『・・・2009年、平成の水100選に選ばれました。堂来清水は、遠く三国峠の夜叉ヶ池を姉池とし、榧谷山(かやたにやま)山腹の妹池に発すると伝えられている。往古より湧き出て年間水量に大きな変化はなく、道行く人々の心を癒やし、渇きを満たしている。厚い信仰の対象となっている。時代の変遷を経て地元では、神事の洗米水としても活かされて、遠方からは清澄な水を求めて訪れる人は多い。 長浜市役所・高山町自治会』。三国峠・夜叉ヶ池姉池・妹池・・・むむ〜、見てみたい。
出発しようと思ったら、上流から四駆が下りてきて、リアゲートからワンちゃんを出して、散歩し始めました。上に民家があるのかな?と草野川沿いのなだらかな道を上っていくと、「高山キャンプ場」がありました。意外にお客さんが多いみたい。数台の車が停まっていました。この横に、「鳥越林道」の表示がありました。見つけた!いざ行かん!
交通量の少ない産業道路から外れた歴史峠道故、落石ゴロゴロ・落ち葉落ち枝いっぱいの森の道を想像していましたが、意外にもマシでした。横の沢から雨で流れでた砂利が路上河川跡に沿って置き土産になっています。先月越えた「R157・温見峠」と違い、「洗い越し」の工夫はされていません。
7:45、琵琶湖が見えました。ここまで標高が上がると視野が広がり、峠道を囲む山々が近づきます。その尾根筋は森林限界線でもないのに大木があまりなく、スッキリしています。風が強くて育たないのかな?うっすらと紅葉してるようです。1台の車とも出合いません。慎重に時速20kmほど・3速メインでトロトロ走りますが、急勾配も強烈なヘアピンつづら折れもなく、1.5車線が確保され大型バイクだって平気で上がれます。
7:58、「2・連状口」と書かれた登山口到着。過ぎてきた「1」から上がってくる登山道が右に、左には登山道が上がっています。小さな登山客用駐車場があり、ここからの絶景を楽しみます。8:12、「鳥越峠」到着。豪雨〜崩壊・通行止めを繰り返しているにもかかわらず、舗装もボロボロではなく、気に入りました。林道開通記念碑によると、『広域基幹林道鳥越線 総延長22km(滋賀県側10km・岐阜県側12km)』となっています。
ここの少し手前で、滋賀県側から軽四トラックが僕を抜かして行きました。峠で挨拶すると、絶景を観に来たようでまた滋賀県側に下って行きました。岐阜県側を見ると、これから走る林道が山腹を線に模様を描いています。のんびり岐阜県側の山並みを見ていると、林道をバイクが上がってきます。まだ小さな点です。見通せるとこで止まり、写真を写しているようです。ご同輩のようです。空を見上げると、真っ青な空に月が浮いています。はるか上空を、音もなくひこうき雲が動いています。もちろんその雲の先端には、小さな小さな飛行機が・・・幸せなき持ちに包まれました。初夏は野鳥の合唱なのでしょうが、今は小鳥の声も少なく、静寂といっていいほどです。全てが、ビューティフルです。空は快晴で気温も上がり、暑いです。ジャケットの防風裏地を外そうかと考えましたが、次の峠はもっと過酷だろうと思いとどまりました。
岐阜県側に下ります。激写中のライダーさんに会釈し、谷側沿いを下ります。滋賀県・木之本から岐阜市に向かうR303に出て、岐阜市側に進みます。9:06、「道の駅・夜叉ヶ池の里さかうち」到着。カワサキの大型バイクと黒いバイクがおり、おしゃべりしていました。「モーニングセット・380円」を注文しました。メニューにダチョウ料理が載っていました。「あ〜ここがダチョウで有名な店なんだ」、道の駅の喫茶店のようなお店とは思いませんでした。「コーヒー・サラダ・味噌汁・トースト・ゆでたまご」というセットで、朝だけ飲み物を注文すると、セットになるそうです。
鳥越峠は気に入りました。この峠道なら女性だって平気でしょう。JR長浜まで電車で来れば、駅で家内をピックアップしてこの峠を越えられます。長浜まで僕は通勤リードなので、130km・4時間半ですが、JR長浜〜鳥越峠〜岐阜県側・R303〜JR木之本は、60kmほどしかなく、休憩なしに走るだけなら2時間強でしょう。浅井長政の小谷城址とミックスもいいかな・・・。
朝食を終えお腹も膨らみ、R303に戻ります。この道はバイクとよくすれ違いました。交通量の少ない快走路です。琵琶湖に行くのでしょう。僕みたいに鳥越峠を越えて行きませんね。でも1件、バイクが絡んだ事故がありました。車2台とオフロードバイク2台が路肩に停まっていました。1台の車のバンパーに傷がありましたが、倒れている人もおらず車の運転手とライダーがメモの交換をしているようだったので、大した事故ではなさそうです。
9:36、「横山ダム」到着。激写中に、ツーリングバイク集団が、2団体通過していきました。救急車のサイレンが聞こえて来ました。やってきた方向は、さっきの事故現場の方からです。ライダーが1人しか視認できなかったけど、もう一人の方が怪我をしたのかな・・・。僕も気をつけて走らなきゃ。ここでR417にチェンジして、日本一の貯水量を誇る「徳山ダム」に向かいます。先に大型ダムがあるので決して悪い道ではありませんが、揖斐川を渡る橋を建設中でした。R417は福井県越前海岸近くまで続く国道なので、「冠山峠」の下に大トンネルをくり抜く工事なのでしょう。これが開通すると、岐阜市〜福井市が直線で結ばれます。
いくつも長いトンネルを抜け、10:08「徳山ダム」到着。ダムから下流を見ると、足がゾワゾワします。ロックフィル式の雄大で美しい多目的ダムです。ダム工事ダンプのタイヤが置いてありました。でかい!躯体のサイズ・構造・工事などがパネルになって屋外設置されています。発電・利水・下流域の洪水損害を最小化するダムですが、多額の税金を投入しているので、こういう説明板はいいね。子供たちに先人の偉業と、身近な安全への寄与、そして将来の素晴らしい仕事への希望でワクワクさせるでしょう。僕は小学生の頃、理科の実験も好きでしたが、社会見学はもっと好きでした。凄いと思えるでっかいものや魔法に見えることを、間近で説明してるそこらにいるおじさんが作ったんだと思うと、大人は凄いなと思えました。最も頭に入る勉強でした。今、グルメやスピード・テクニック追求に関心なく、歴史探索がらみの観光バイクしてるのも、小学生時代の社会見学好きの延長上にあるように思えます。
パネルの1つに、年間降水量図がありました。木曽三川(木曽川・揖斐川・長良川)流域の中で、揖斐川源流部の冠山周辺が年間降水量3200ミリで最高だそうです。三川でもっとも勾配がきついので洪水も多い。故にここに大ダム建設を決めたのでしょう。建設省土木畑の官僚は、数百年・数千年単位の地質を調べて仕事していますね。木曽三川が注ぐ尾張は、3つの大河川の年中行事である氾濫で、湿地が多かったそうです。東海道五十三次でも、唯一海路があるのが尾張です。草薙の剣(天叢雲剣)があると言われている熱田神宮の宿場から、伊勢国・桑名宿までのプロパーコースは海路です。湿地を避ける陸路より、ずっと早く簡単に行けたのでしょう。
ダム内のパネル展示を見に行きました。見学のお礼を言い出てくると、説明板が付いた岩がありました。『この石は、リップラップ材です。徳山ダム堤体表面には、約30万個のリップラップ材を貼り付けています。材質は、海底火山の溶岩が固まって出来た輝緑凝灰岩で、硬く・耐久性に優れることが特徴です』。なるほど、こういうとこにもこだわりがあるんだな。小学生当時は、「大人は凄い」と思っていましたが、今は「日本人は凄い」に変わってきています。各方面のこういう小さなこだわりの積み重ねが、少しずつ日本を良くして行っているのだろう。これも世界でも突出した地震・火山噴火・多雨などの災害国で鍛えられてきた故でしょう。
駐車場をバイクに戻ろうとしたら、木曽三川流域図がパネルになって敷き詰められた場所で、サンデー毎日風のおっちゃんご夫婦に声を掛けられました。「この道を行くと福井県に抜けられると聞いているのですが・・・」。奥さんに行けると説明してるとこに僕がやってきたようです。「行けますよ。よくがけ崩れで通行止めになりますが、今日は通れると思って、今から行きます」「バイクですか?」「ええ、道が細くてもバイクだったら楽だろうと思って・・・」。「僕の車はトラックです」と指差す方を見ると、四駆ランドクルーザーのような車でした。「これなら、邪魔なものはどかして行けますね」と笑ってお別れしました。1人だと、こういう見知らぬ方との会話が自然発生するから楽しい。
徳山ダム湖沿い・R417を北上します。長いトンネルの多い道ですが、道は綺麗です。10:45、R417のエンドに着きました。福井ナンバーのオフロードバイクが3台、エンジンを掛けっぱなしで、激写タイムをしていました。どうやら通れそうだと、安心しました。ここと福井県側R417エンドをつなぐ「冠山峠道路」についての説明板がありました。鯖江市〜大垣市間が、約3時間から2時間に短縮されるそうです。総延長7.8kmを2つのトンネル部大半でぶち抜くようです。工事パネルで見えませんが、トンネル掘削中のようです。
これから登る「冠山林道」入口にパネルがありました。『通行注意 此処から先は徳山ダムの管理用道路です。道路規格構造は、公道と異なり路肩の保全・法面からの落石などの防止が十分ではありません。 独立行政法人水資源機構・徳山ダム管理所』
こちらの峠道は、鳥越林道ほど広くもなく、路面管理もされておらず、穴ぼこトラップがあちこちにあります。先月の「温見峠」よりも悪いです。また20km・3速中心にトコトコ走ります。11:03、「高倉峠」に向かう「林道塚線」への分岐に到着。やはりこちらは通行止めでした。通れるようだったら、帰路塚線利用の予定でしたが、それは無理のようです。ただ「全面通行止め」バリケードの横にバイクなら簡単に通過できるスペースが開いているので、路面崩落工事現場まで行く奴はいそうです。横には、工事資材置場がありました。工事で出た不要物置き場かもしれません。ここから「冠山」を見上げると、命名の由来が伺い知れる山容でした。山頂付近は岩山で、大きな木が生えていません。なるほどね・・・11:13、「冠山峠」と思われる切通しが見える場所まで上がってきました。冠山は更に近づき、「あそこに登る人もいるんだろうな。怖そう」と思いました。稜線近くを走る道路は、なんかかっこいい。11:28、峠と予想した場所まで来ました。冠山の稜線が、それほど高くないとこを走っています。稜線が少し色づいています。谷を見ると、目が眩む高さです。岐阜県側の山並みが幾重にも連なり、ここの高さを物語っています。といっても、「鳥越峠」同様、標高1000mほどです。六甲山と同じといえば身近に感じますが。ここまでの道程が全く違います。
11:35、「冠山峠」到着。僕の激写タイム中に抜いていった大型バイク3台も止まっています。そして多数の車も。西に行けば「金草岳」、東に行けば「冠山」という峠の登山口です。山から下りてきた方が、冠山峠石碑で記念写真を撮っています。
3台の先着大型バイクは、バイクをUターンさせ、岐阜県側に下って行きました。僕は福井県側に下ります。11:53、淡々と下り滝が目についたので、休憩しました。落石・穴ぼこ・雪でグニャグニャのガードレール・コンクリートブロックガードが、冬季閉鎖雪山道路の雰囲気を出しています。12:23、滝が目についたので休憩。R417に乗り、中央センターラインのある「足羽川」沿いです。謂れ板が立っています。『池田町指定文化財 史跡・上島用水 ここ志津原の鯉谷口で取水し、下流の月ヶ瀬に至る8kmあまりの用水路である。この用水は、畑地や荒れ地の多かった月ヶ瀬に水田を拓こうと決意した上島重平によって開削された。1802年着工、1832年に完成し、30余町歩の開田にに成功した。一部を志津原に分水した用水は、現在でも灌漑用水として地域を潤している。 池田町教育委員会』
12:33、「かずら橋」到着。吊り橋チャレンジと思って臨みましたが、「大人300円」・・・「ふふ、止めといたろ。こんなん楽勝やし・・・」。
12:50、「日野宮神社」到着。欽明天皇(509〜571年)の第3皇子が創建したお宮だそうです。大化の改新・645年の100年前の時代、聖徳太子が活躍し、物部氏から蘇我氏に政権の実権が移っていく時代だなあ。本殿参道前に鎮座する狛犬1対が文化財指定されているそうなので激写しました。鎌倉時代の狛犬ということですが、綺麗すぎないか?本物は倉庫に仕舞ってあるのかな?R417で鯖江市内まで出て、1ヶ月前も走ったr2で北陸道の下を西に抜け、r28〜R365で「織田」まで来ました。13:54、1ヶ月前の前回訪問できなかった「剣神社」に到着。ここは織田信長の先祖の地です。足利氏の三管領(細川氏・畠山氏・斯波氏)筆頭で、斯波氏守護地・越前国の織田荘の荘官&剣神社神官を兼務した家柄でした。1400年頃、織田氏に有能な人材が出て、守護・斯波氏に抜擢され、同じく斯波氏守護の地だった尾張国守護代に栄転した。やがて政治の中心地・京都にいて領国経営を守護代に任せていた守護は、守護代に実権を奪われていくという室町時代後半の下克上の世の流れそのままに斯波氏は没落して行き、尾張で織田氏が台頭して行く。織田姓はこの地に由来します。
織田信長の影響か、一地方にしては立派すぎる「織田歴史文化館」というのが神社の横に建っていました。織田信長は政権を取ること無く散り、尾張の地元でもないので、どうせ地方集落の小神社と予想していたのでギャップが有りました。大神社とは言えませんが、それなりに立派な鎮守の森を有し、それなりに整備され、社殿も立派で、社務所にも巫女さんがスタンバイしており、なかなかなものでした。
そしてお賽銭チャリんした横で頂いたパンフレットには、「越前二宮・剣神社」と書かれていました。一宮は気比神社ですが、数ある有名なお宮を差し置いて、特に白山信仰の本山・白山神社平泉寺を差し置いての二宮とは意外でした。謂われ板によると、歴史は古く、『第14代仲哀天皇(ヤマトタケルの息子)の第2皇子が、この地に祀られたと伝えている。神功皇后(仲哀天皇の奥さん)執政の頃、皇子がこの地の賊徒征伐に当たり、織田のこの地に社を営み剣大神と称えた。・・・』
往路に使ったR365を戻ります。14:33、「出光・武生GS・越前市本多」で給油。280km/12.46L=22.5km/L。峠越え2回が利いて、燃費悪化です。それでも4気筒なのに22kmオーバーだから、優秀です。R365をそのまま南下し、家内と敦賀からサイクリングして来て、ここから北陸本線に乗り敦賀まで帰った懐かしい「JR南今庄駅」横を通りました。これも1ヶ月前の前回時間切れでキャンセルした家内とのサイクリング思い出の道r207に入ります。この道は、旧北陸本線軌道が道路になったものです。
15:12、「大桐駅跡」。プラットホームも残り、いい感じ。『明治41年、北陸線の難所と言われ、山中トンネルを頂点とした25/1000勾配を運航するためのスイッチバック拠点として、大桐信号所が開設された。その後地元の要望により停車場に昇格し、旅客・貨物の取り扱い営業を開始した。昭和37年、北陸本線の複線電化の近代化により新線開業とともに廃線となる』
SLに取ってはきつい勾配だけど、自転車なら楽勝なカーブもゆるい交通量のない道を山中トンネルに向かって登ります。15:19、「山中信号場」着。スイッチバックの中心地です。ここまでヒーヒー言いながら登ってきたSLは、ここで勾配のない副線1に入り一息つきます。同じく勾配のないもう一つの副線2にバックし、勾配のない副線2で加速して本線に突入してもうひと踏ん張りします。15:25、「広域基幹林道・山中栃の木峠線」分岐。今庄365スキー場内を突っ切るこの林道も走ってみたいな。R365で何度も見た「栃ノ木峠・通行止め」が気になりますが・・・。15:58、「ふるさと林道・山中〜大谷線」分岐。山中トンネルの上を越え、R8大谷まで繋がっているそうです。こちらも興味津々です。
『山中峠 奈良・京都から北陸・東北に入る北陸官道は、近江〜敦賀〜杉津〜山中峠〜今庄であったが、平安時代初期に木ノ芽峠越えの新道が開かれた。この道は越前への直線に近い峠であったので、北陸道は移ったものの、山中峠越えはその後も引き続き利用された。 万葉の道辺を探る会』
目の前に、山中トンネルが口を開けています。しかも2本。前回走らなかったもう1つのトンネルを覗くと、すぐに行き止まっていました。埋めたのかな?山中トンネルは、高さ3.5mのレンガアーチがナイスな単線規格の軌道トンネルです。幅も単線規格なので、四輪車のすれ違いは無理です。直線なのでトンネル出口の明かりが見えるので、先に入ったもん勝ちです。GO!
蛍光灯は等間隔で点灯していますが、非常に暗く、石ころに乗り上げて転倒も考えられるので、30km/h・5速でゆっくり走ります。グフフ、楽しい!こんなトンネルが続きます。中に2つ、信号機の着いたトンネルが有ります。トンネル内部でカーブしているので、エンドまで見通せないから信号で交互通行を強いられます。最初のは「待ち時間3分」だったので、余裕で写真撮ってたら青に変わり、慌ててカメラ仕舞ってグローブはめてたら、フガ〜・・・赤になっちゃった。トンネル内部通行時間も含めているので、通行OKは15秒ぐらいじゃないかな・・・難儀なことで、また3分信号待ちです。対向車なんてゼロだから、バイクなので突っ込んだろうかと悪さの虫がムクムクしましたが、良い子なのでのんびり待ちました。トンネルから出たら、「敦賀湾」が見えていました。誰もいないこんな道で夕日の陽光に光る海を鑑賞します。
こんな素敵なトンネル連続の道を走り、手前でミスロードして「杉津」の方に下っちゃったけど、途中で気づいて戻り、16:00、「ぷらっとパーク・杉津」到着。ここは、「北陸道杉津PA上り線」を利用できます。納入業者&従業員出入口ですね。バイクを置き、とことこPA内にに歩いて入り、「杉津ラーメン・650円」を頬張りました。秋の陽はつるべ落としなので、遅くても17時までにはこの道を突破が金科玉条でした。山道好きですが、陽が落ち人から獣や妖怪が支配する世界に戻る前に脱出するのを鉄則としています。出てくる自信がなかったら、入らないようにしています。ややこしい霊を肩に乗せたくないからね。この真っ暗トンネルの道も同様です。
家内から、「遅くなるから夕食用意できないので食べてきてね」と言われています。これを夕食とします。道なりに走り、R476に合流しました。それを敦賀市内に向けて走り、ナビに誘導されるまま、「敦賀IC」から北陸道に乗りました。
前回同様、舞鶴道にチェンジし、最初の「三方五湖PA」で休憩。17:19・「三方五湖PA・ファミリーマート」で、ホイップチョコロールパン・108円購入。パンを食べてバイクに戻ると、僕がバイクを離れる時に入ってきたヤマハの900ccバイクの方が戻ってきました。「キャンプに行かれてたのですか?」「はい、飛騨の平湯に」「えっ、平湯って標高もかなり高いですよね」「ええ、日中は天気が良かったので暑かったけど、夜中は冷えました」・・・。「大きなバイクですね。僕はこんなのは非力だからとても乗れません」「900ccだけど230kgほどです。わりあい軽いですよ」「CBは200kgあるので、一回り大きいのに30kgしか変わらないのですね」。「2気筒だからトルクがあって楽々ですね」「2気筒なのに意外にトルクがなくて・・・」。「ところで、ずっと高速道路で帰るのですか?」と聞かれたので、「いいえ、綾部で下りてR173で伊丹まで帰ります」と答えると、「僕は隣町の豊中です。小浜で下りて、R162〜r19ルートで帰ります。近くなのに道はいろいろですね」「僕は高速が苦手なので、のんびり帰ります。では・・・」「お互い気をつけて帰りましょう」で別れました。「日中なら僕だって近くて早いR162を選択ですが、真っ暗なR162は何かが出そうで怖いから・・・」なんて言えませんでした。
再び舞鶴道に戻り、80km/h定速で走ります。追い付いてきた四輪に邪魔だろうけど、1車線しかないので左ウインカー退避も出来ません。小浜IC手前で、アッパーライトの二輪が四輪も交わして追い抜いてきました。左に避けると、さっきのTDM900さんで、バイバイしながら抜いていき、ICで降りて行かれました。さっきの話の流れで、2台なら真っ暗山道を通ってもいいかとちょっとだけ思ったのだけど、この運転技術と速度差なら、僕についていくのは無理でした。ICやPAからの合流部でウインカを出し、後ろの車に抜いてもらいます。
「舞鶴PA」で休憩。ベンチで横になり、10分目をつぶります。舞鶴からは2車線になったので気を使うこともなくなりました。「綾部PA」休憩。またベンチで横になり目をつぶります。「綾部IC」で降りて、r77〜R27〜R173に乗り南下開始です。真っ暗な道だけど、R162よりは車が多く走ってるので、安心です。対向車が来る度にアッパー・ロアーを切り替え、四輪が追いついてきたら抜いてもらって、先導車がある分安心してついていく。でも離されてまた一人旅の繰り返しです。
19:37、R9との交差点にある「ローソン・京丹波和田店」で、グリコジャイアントコーン・130円を購入し、店内お食事スペースで食べました。糖分補給と眠気覚ましです。バイクに戻ると、お隣に停まっていたご主人さんから声が掛かりました。「CB400って、教習所で乗ってたバイクだけど、今はこんなにかっこよくなったんだ」「ああ、これはカウルがついてるタイプなので、教習所のCBはカウルなしタイプです。僕は6年前に免許取ったのですが、その時もCB400でした」。「バイク、楽しいでしょ。私も昔乗ってて、今は子供とかいるから、車ばかりです」「バイクなんて1人しか乗れないから、やっぱり車が必要ですよね。僕は下の子が働き出したから、もう親父がいなくなってもいいやと思い、高校生の時から乗りたかったビアクの免許を取りに行ったんです。高校生の時は、母親に反対されて・・・」。色々話していたら、今は篠山に住んでるけど、かつては伊丹在住だったそうです。さっきの豊中の方もそうだけど、今日は近場の方に縁があります。
更にR173を南下。R9交差点以南は、もう家に帰り着いたようなもので気楽です。20:22、「ローソン・篠山和田店」で休憩。「UCドリンク・ヨーグルトストロベリー・126円」を、駐車場で飲みます。この飲むヨーグルトには太いストローがついており、ストロベリーのつぶつぶもストローを通って口の中に入ってきます。少し高めだけど、美味しい。
R173で池田まで南下し、R176〜r13で倉庫まで帰ってきました。荷物を通勤リード110に載せ替え、いつもの様に乾拭きして、CBを倉庫に仕舞いました。21:30に帰宅し、荷物を所定の位置に片付け、お風呂に入って出てきたら22時でした。家内は既に寝ており、450gプレーンヨーグルトを持って自室に上がり、眠りにつきました。3時から22時まで、怒涛の19時間の1日が終わりました。
翌朝起きて、家内とお互いの日曜日をぺちゃくちゃ。家内は表彰してもらったそうですが、気合を入れすぎて高いヒールを履いていったのが災いし足がつり気味で、壇上に上がる時コケないか心配だったとか。冷蔵庫に入ってた近江牛のなんとかとかお菓子みたいなのは、みんなもらってきたそうです。
「大きい方のバイクで行ったの?」と聞かれました。「小さい方じゃ、高速道路に乗れないから大きので行ったよ」「ふ〜ん」。家内の「大きいバイク」というのは何を指しているのだろう。僕は勝手に、家内の言う小さいの=通勤リード110、大きいの=里山VTR250と理解しているのだが・・・僕がもう1台・CB400を持ってるのを知ってるのだろうか?家内はそれを知ってて、小さいの=VTR、大きいの=CBで話をしているのだろうか?バイクの税金通知が3台来るし、ホンダからのDMも全て家内から渡されているのでバレバレなんだけど・・・。僕が出す年賀状にCBが写ってて、それが戻ってきたりするんだけど・・・意外に細かいとこに脳天気だし、バイクの形が多少変わっても同じに見える人だからわかっていないのかも・・・。でもさすがに、青のバイクと白のバイクの区別はつきそうだし・・・。ああ、針のむしろ生活が続きます。まあ、バレても問い詰めたりしない人だから平気なんだけど・・・。

2014/10/12
先週に続き、今週末も台風襲来です。でも当初の予想コースから西に迂回するコースに変わり、日曜日の近畿地方は曇空基調になりました。この変化により、雨の中の映画鑑賞から、アクティブ・サイクリングに変更しました。スポーツの秋です。屋外を大いに楽しみましょう。
楽しみすぎて、4時前に目が覚めちゃいました。自転車の用意はまだですが、あまりに早すぎて外は真っ暗なので、自室でゴソゴソして時間つぶしします。4時半になり、いつもより早く家内が起きて、階下で家事を始める音が聞こえ始めました。6時出発予定なので、僕も行動開始です。
車の2・3座席を前に移動して、自転車の積み込みスペースを作ります。いつもはここで自転車の空気圧を点検・ポンピングするのですが、暗くてメモリが見えないので現地で入れることにします。2台の自転車の前輪を外し、ササッと積み込み、リュックに2人分のカッパと輪行バッグを入れます。ウエストバッグにミラーレス一眼や財布など一式を入れ、準備が整いました。
家内が作ってくれた朝ごはんを食べながらTVを点けると、「ETV・こころの時代」で、プチマイブームのお遍路さんの番組をやっています。「ETV・趣味Do楽」でやってたお遍路さんの先達・講師さんへのインタビューをしながら、「歩きお遍路さん」の魅力が紹介されています。家事を終え、衣装も決まった家内もやってきて、6時の番組終了まで楽しく見ました。車お遍路さんやバスお遍路さんもいいけど、歩きお遍路さんをやってこそ感じるものを語っておられました。
45才まで都市銀行で出世つばぜり合いをして暮らしてきたが、支店長に上る前に関連子会社への出向を命じられ、出世コースから外れたことで挫折を感じました。自分の実力を見抜けない上司への恨みばかり思っていました。その時病を得て1ヶ月入院し、奥さんが持ってきてくれた本を病室のベッドで読みました。そんな本の中に「歩き遍路さん体験記」があり、自分も行ってみたくなりました。その後12年、鬱々と暮らし、歩き遍路すべく57才で早期退職しました。数々のお接待を受け、その他貴重な体験をし1ヶ月余り歩き続け、最後の88番札所にたどり着きました。
そこで般若心経を唱えながら、「明日はもう歩かなくていい」という安堵感に包まれ、涙が出てきました。しかし翌朝、「もう歩けない」という残念感に包まれており、以来NPOの仕事をしながら、休日ごとに遍路道の再生をしながら、12年間に11回歩き遍路を続けてきた。こういう行動を伴った方の語りは、穏やかな表情・語り口ではあるが、真に迫る迫力がある。僕には歩き遍路なんて無理に決まっているけど、お遍路さんへの傾倒を加速させるものがありました。とてもいい番組でした。
僕は21:30〜22:00・ETV・「趣味Do楽」をチェックしています。最初に見だしたのは、スポーツ自転車の時で、トレッキング・着物着付け・モーターサイクル・・・一流の講師さんが素人タレントさんに、丁寧に教えてくれます。その番組が始まる前の「きょうの料理・ビギナーズ」も、楽しみだったりします。スプーンおばさんのあの語り口で、簡単な家庭料理の作り方を伝授してくれます。
番組を見終え、6時過ぎに出発しました。中国道・豊中IC〜近畿道〜第2阪奈道で奈良市内入りしました。まず鹿を見てから行こうと思っていたのに、1頭もいません。家内が、「この3連休は、奈良の鹿の角切りがあるみたいよ」と教えてくれました。お〜、そのために一網打尽にされているのかも・・・いつもならあちこちに目につくのに、見事に1頭もいませんでした。
R169を南下し、天理市役所・天理教本部・天理大学前を通り過ぎ、r51に乗って、7:39・「石上神宮」駐車場に到着しました。天理市役所を遥かに圧倒する天理教本部他天理教関係施設に、驚くばかりです。上納金がどれほどあるのだろう・・・PL教団など小さなもので、創価学会といい勝負なんじゃないかな?ちなみに天理教の家紋は、母方の遠い先祖・菅原道真と同じ・梅鉢紋です。関係ないけど・・・。
r51沿いにある最も遠い第3駐車場に車を停めました。石上神宮は奈良盆地の東山の裾野にあり、天理市街地より少し高めです。西に天理教の特徴的な建物群が広がっています。圧倒的な迫力で、信者さんやそれ目当ての業者さんから多くの税が集まるのだろうけど、宗教法人・天理教本体は無税なんだよな。税金を払わないからこれだけ大きくなれるのだけど、天理市のあれやこれやは天理教団の意向が大きく反映されそうです。
自転車を組み立てちょいと走り、7:56・石上神宮鳥居前に自転車を置きます。境内に入ると、色鮮やかな尾の長い鶏が我が物顔に闊歩しています。藤原氏・春日大社の守り神が鹿のように、石上神宮のそれは鶏なのかも?禁足地も含め、広大な神域を有する広大な神宮ですが、観光地としては、山の辺の道の一神社という感じでしょうか、落ち着いた佇まいです。「天然記念物・石上神宮鏡池のワタカ」という謂れ板が立っていました。コイ科の魚ですが、胸ビレ・背ビレ・尾ビレが長いそうです。う〜む、確かに。
すぐに拝殿があり、駐車場代込みでお賽銭をば・・・。御札・1000円とお箸セット・1000円を購入。今回の山の辺の道サイクリングの最大の目的は、ここに来ることでした。この道周辺は、ヤマト朝廷の最も古い時期に本拠地があった所で、沿線に10代崇神天皇・12代景行天皇の墳墓があります。現在は飛鳥時代から続く「藤原氏」の時代ですが、645年・「大化の改新」で藤原氏の祖・中臣鎌足が葬った「蘇我氏」の時代があり、その蘇我氏も聖徳太子他の軍事戦争で「物部氏」を葬っています。その物部氏は、ヤマト朝廷の軍事部門担当氏族で、ここがその兵器庫でした。
九州からヤマト朝廷の祖・神武天皇が東征して奈良盆地にやってきた時の剣とか、素盞鳴尊がヤマタノオロチを出雲で倒した時の剣とも言われる「布都御魂剣」が、明治時代の発掘によって発見されている。長い間禁足地として守られてきた神域ですが、ある意味無秩序の弱肉強食だった戦国時代を経ても盗掘されずに守られた日本人の心意気に奇跡を感じる地です。
僕には観光客の人気に関係なく、とても重要な神社・禁足地です。ここの御札は、我が家の屋敷祠に収まるべきものです。禁足地故、当然徘徊探索できないのですが、拝殿裏の地を見、ここに来れたことに感動さえ覚えました。
これでもう帰ってもいいのだけど、欲張りな僕は「山の辺の道」探索に出発します。自転車に戻り、自転車を押しながら境内に入り、境内から南に入っていく「山の辺の道」に入り、未舗装路だけどサイクリング開始です。すぐに、8:25・モリアオガエルが産卵するという池に到着。葉わさびを売ってるんだって。近所の農家の無人販売所があります。マスカット・さんしょ・柿・・・いろいろです。
東海自然歩道に指定されているようで、道標がしっかり整備されており、迷うことはないです。道標の示す次の目標は、「夜都伎神社・永久寺跡」です。芭蕉の句碑も立っています。道は奈良盆地を軽く見下ろす高さにあり、登ったり下ったり、舗装路だったり未舗装だったりで、距離は稼げませんがとても楽しい。
8:29、碁盤の目に糸が張られた池に到着。池を見下ろす高台休憩所に上がると、謂れ板が立っています。永久寺跡で、石上神社の神宮寺だったそうです。明治の廃仏毀釈によって廃寺になったそうです。ここで初めて、山の辺の道ハイカーに会いました。ベンチで朝食を摂っておられました。ここまで観光客に会わなかったので、ネームバリューの割に人気がないんだなと思っていました。
僕が写真を撮っている間に先に行った家内が、地元のおじさんに「坂がきついよ、これで登れるかな?」と声を掛けられています。「押して登りますから」と笑顔で応えています。続いて僕が行き挨拶すると、「おはよう」とだけです。女子はお得です。柿畑の間の細い地道を自転車降りてエッチラオッチラ登ります。自然歩道案内板の他に「カッコーツアー」と書かれた目立つ案内板も分岐毎にガムテープで貼られています。「山の辺の道ツアー」のようで、これがありがたい。「綿摘み・種取り・糸紡ぎ体験」の案内板のとこに、実から弾けた綿が付いた枝が差してありました。「綿って、こうなってるんだ」とかないとペチャクチャ。
そのすぐそばにあった「夜都伎神社」に8:54到着。スクーターがたくさん止まっており、境内にはおじさんたちが雑談中でした。どうやらこれからお祭りがあるようで、準備のために集まったとこのようです。漢字は違いますが、「都伎」は「伽」のことでしょう。「夜の接待の神社」という怪しい響きの神社名です。貴人が旅の宿にするのは、その地の大きなお屋敷を持つ家で、食事やアルコールやその後のアレコレの接待(伽)をするのは、そのお屋敷の娘さんや地域で評判の器量良しさんです。アレコレで目出度くご懐妊などすると、一躍玉の輿の時の人になり、当然その親御さんや一族が出世するのは、江戸時代の大奥を待たずとも世の常です。うふふ・・・とあれこれ想像しながら、「どんな祭りかな?」なんて・・・。拝殿など、素敵な出来でした。大きなお社ではありませんが、惹かれるものがあります。家紋は、下がり藤紋。
9:10、「竹之内環濠集落」到着。奈良は、弱肉強食無秩序になった室町時代の影響を強く受け、集落周囲を濠で囲んだ環濠集落が多数あったそうです。その環濠の一部が残っていました。ここで数人の観光客がいました。道ではなく、環濠集落目当てのようで、車で来ておられました。
土塀に瓦を埋め込んだ素敵なお宅がありました。鬼瓦も埋め込まれ、定番の龍の他に「お宝有り鬼瓦」もありました。大和古墳群という地域になり、あっちにもこっちにも古墳があり、柿畑になってる古墳もありました。「西山塚古墳」は、僕が小1の時遊び場にした伊丹御願塚古墳に似て、環濠していました。奈良らしく金魚がいっぱい泳いでいます。
「山の辺の道」から外れ、案内板に案内され、9:48「衾田陵」到着。宮内庁が管理する巨大な前方後円墳でした。環濠集落で一緒だったおじさんとまた一緒になりました。道が細く曲がりくねり、未舗装路が多いので自転車のアドバンテージがありません。
墓地のど真ん中を「山の辺の道」が突っ切っています。地形的にこの墓地自体が古墳の上にあるようです。1700年の歴史がある墓地って、他にはそうないでしょう。10:01、「大和神社御旅所」というとこに到着。麓の大和神社の春の大祭・橘渡御は、天皇またはその代理を迎え、大和神社からここまで上がってくるそうです。その歴史は1400年あり、それ以前の橘花まつりは2000年の歴史があるそうです。なんと古墳時代以前の弥生時代からのお祭りではないか・・・日本一歴史の長いお祭りかもしれない。驚愕・・・。謂れ板にはまた、『天照大神と倭大国魂の2神を皇居内に祀っていたが、天皇がその神威の強さに畏れ、2神を別々の所に移動させた。今、天照大神は伊勢神宮内宮に、倭大國魂神は大和神社に鎮座される』とも書かれていました。律令国名である大和国は、まさにこの神社名で、「日本」を「やまと」と読んだり、日本国全体を大和の国と表現したりする。小学生の時夢中で作った「戦艦大和」の船名もこの神社に因んだのかもしれない。いずれにしても、天皇またはその代理が毎年出席するお祭りはそうないはずなので、天照大神と双璧の神が祀られている「大和神社」を訪問したくなりました。
ここで残念なことがありました。ガシャンと僕のDefy2・ロードバイクが倒れてしまいました。ガタガタの舗装路に真っ直ぐ停められなかったのが原因です。右に倒れたので、右に着けてるモーターサイクル用ナポレオンミラーが横を向いちゃいました。まあ、ハンドルクランプが回っただけなので、グイと元に戻しましたが、こかしたことなかったのに残念です。
10:23、「カフェ・メリッサ」到着。門前に美人姉妹の写真が載っており、当然家内を誘って入店しました。ケーキセット660円×2で、小休憩です。納屋を改造したお店で窓の外は、穏やかな田園風景が広がり、遠くに大和盆地というナイスなシチュエーションでした。個人の絵画展示即売会が開かれており、周辺の風景や美女の絵画が、3000円〜10000円で販売されていました。買って帰りたかったけど、荷物になるし、母の絵もたくさん残しているので止めておきました。
10:47、エネルギー補給を終え、お店を出発しました。10:48、「長岳寺」到着。花のお寺ということですが、見学はパスしました。狭い道を押し歩き、10:58「10代崇神天皇陵」の前方後円墳に到着。ここも濠が囲んでいます。産直無人店がここまでも多数あり、10時を回ってから多くなってきた道歩きトレッキングの女性の方で、多くの野菜をぶら下げている方がいます。リュックやシューズ・ウエアは、どう見てもトレッキングなのに、買い物帰りのおばちゃんも入っています。「買い出しに来たみたいね」と家内と大笑いしました。
続いて「櫛山古墳」、ここでまたガシャン。激写してる時に、台風の影響か一陣の強風が吹き、また自転車をこかしてしまいました。また右側に倒れ、バックミラーが割れてしまいました。まあナポレオンミラーは1000円なので損害額は小さいですが、割れたガラス片を回収して袋に入れる手間が・・・。ここらは、少し乗ってもすぐ石敷道になったり、根っこ越えだったりで、押してる方が多いです。
「12代影行天皇陵横」に「渋谷向山古墳」という小ぶりの古墳がありました。謂れ板には、卑弥呼に中国・魏から贈られたという三角縁神獣鏡や多数の埴輪の出土をみたそうです。12代影行天皇は、僕の歴史記憶のランドマークです。影行天皇の次男がヤマトタケルで、影行天皇に続き九州の熊襲成敗に成功し、須佐之男命がヤマタノオロチを退治してその尾から得た天叢雲剣を持ち、東海・蝦夷を平定した大和政権のヒーローです。ヤマトタケルの息子が14代仲哀天皇で、その皇后が応神天皇を身ごもったまま急死した夫の仲哀天皇の遺志を継ぎ、三韓征伐(新羅・高句麗・百済)した神功皇后です。これで、朝鮮半島の大部分を大和朝廷の属国化し、半島に利権を得た。この片腕として、僕の好きな、そしてヤマトタケルのモデルとも言われる武内宿禰が活躍した。影行天皇の死がAD130らしいので、2世紀から645年大化の改新で親政成った天智天皇が、白村江の戦いで新羅・中国唐連合軍に、百済軍とともに戦い破れるまで、朝鮮権益が続いた。真意はともかく、国内外でドラマチックに東アジアの歴史が動いた興味深い時代です。
11:26、『神話の里・神籬(ひもろぎ)について この一画の小字名である「ヒモロギ」は、神祭りの施設で神霊の降臨する依代であった「神籬」に由来すると考えられている。「日本書紀:の崇神天皇6年条に、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)をして天照大神を「倭の笠縫邑に祭る。よりて磯堅城の神籬を立つ」とあり、神籬が神祭りの古い形式であったのが分かる。この場所に神籬を設け神霊をお迎えして、神祭りが執り行われたのであろう。一帯は邪馬台国の有力候補地である纒向遺跡に含まれ、倭笠縫邑と伝承される檜原神社にも近く、古代祭祀を考える上で注目される。』
と謂れ板が立っていた。そこは農地に囲まれた一角で、細いあぜ道の横にあった。古墳だらけのこの地だから、この程度の遺跡は鼻にも掛からないのだろう。さっきの大和神社の謂れの件にあった天照大神が皇居から最初に移動した地が近いようだ。
ここから登り基調になった。古道によくあるとにかくアップダウンの大い道でまいります。土手もない川が、雨量の多い山に降った水を集め、大雨ごとに水路を変えて流れる平地は、ぬかるんで歩きにくかったのだろう。そこを道として整備しても、すぐに次の大雨で崩れたりしたのだろう。平地なら川幅も広くなり、渡るのに苦労するだろうし。とにかく古道というやつは、平地の道が整備された現代から見れば、「なんで?」と思えるようにアップダウンの多い山裾を縫う。
11:52、「檜原神社」到着。「元伊勢」とも表示されている通り、皇居から移動した天照大神が祀られた場所です。横には、豊鍬入姫命を祀った祠が立っていました。謂れ板には、豊鍬入姫命は崇神天皇の皇女で、天照大神の初代斎王として奉仕したと書かれていました。神様の世話をする現代の巫女さんの原型なのでしょう。天照大神・倭大國魂神・斎王は、予定になかった学びになりました。脳内歴史パズルに新しいアイテムが加わり、脳内妄想が広がります。そしてここまでのサイクリングで、改めて強く思うのは、「地名を変えちゃダメ」ということです。古代からの文字を伝承してきた日本だからこそ、はるか後の世の僕にも地名から想像できることがある。
鳥居の正面に二上山が見えます。ここから見える二上山は、ふたこぶラクダのように見え、その名の由来が視認できました。門前に茶屋があり、ここで昼食にしました。僕は、勧められた「冷そうめんセット・1000円」、家内は「にゅーめん・800円」を食べました。せっかくここに来たからは、三輪そうめんですね。東海自然歩道の道案内が、「大神神社」になりました。いよいよ「山の辺の道」の南エンドです。でもここからは、舗装路はなく、石敷きも多く、自転車を押してばかりでした。「花もり」という今までに数件あったお休み処がありました。
13:03、大神神社横にある「狭山神社」に到着。以前ツーリングクラブで連れてきてもらったとこなので、懐かしいです。三輪山参拝口まで歩いて行き、おトイレを拝借して、大和国一宮・「大神神社」に参拝します。ここまで5時間半掛かりました。「くすり道」で自転車に戻り、車道の急坂を下って、大神神社鳥居前を家内に見せます。ここの急坂で、前輪ブレーキがスカスカになりました。ブレーキパッドはまだ残ってるように見えるのですが、だんだん手前まで引かないとブレーキが効かなくなっていたので、寿命なんでしょう。いきなりスカスカになったので、ちょっとビックリしました。でもリアブレーキは健在なので、問題なしです。
帰路に着きます。帰路は平地を北上します。大鳥居をくぐり、R169に出ました。北上するとすぐに旧道?と想像される斜めに分かれていく枝道があったので、交通量が少ないので、そちらにチェンジしました。13:52、「箸墓古墳」到着。古代史の謎・女王卑弥呼の墓ではないかという説が出て脚光を浴びているのに、観光客ゼロで、田園の中にポツンと巨大前方後円墳が横たわっていました。14:01、女王卑弥呼の住居と言われる纏向遺跡内にある「纏向石塚古墳」到着。ここらをグルグル回れば面白そうだけど、朝から歩き詰めの家内の事を思うと、車のある北に向きましょう。
道なりに走っていると、並行して走るJR桜井線が近づいてきて、14:16「長柄駅」がありました。線路を撮ろうと近づくと、「大和神社」の看板が立っていました。単線の駅ホームを見ると、近隣観光地として大和神社の名があります。どこかな?と見わたすと、さっきから気になっていた鎮守の森がそれのようです。
そちらを目指して走ると、案内板が現れ、14:23・「大和神社」に到着しました。いきなり、「戦艦大和・ゆかりの神社」と彫られた石碑が目に入り、やはり戦艦大和か・・・とビンゴに小躍りしました。『戦艦大和には、大和神社のご分霊が祀られています。奈良時代、遣唐使らは出発に際し、必ず大和神社へ航海安全の祈願しました。となりの祖霊社には、戦艦大和が撃沈した時の殉死者2735名の御霊が祀られています。戦艦大和の長さは、大和神社の参道とほぼ同じ(270m)で、幅は参道の約5倍(40m)です。』
『日本最古・日本大國魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)・大和神社』と書かれた看板も上がっていました。謂れ板には、『・・・第10代・崇神天皇6年(2000余年前)まで、皇居内に天照大神と共に奉斎されていた大地主(おおとこぬし)に坐します。皇女・渟名城入媛命(ぬなきいりびめのみこと)により、大和郷(現地)に移されたのが当神社の創建。・・・』と記されていました。崇神天皇・天照大神・大和大神・2人の皇女の関係が頭に整理されました。
絵馬などの立派で、観光客ゼロなのが腑に落ちない素晴らしい履歴の神社です。境内に、「戦艦大和展示室」というプレハブ建物があったので、見学します。戦艦大和のデータ・絵画・模型が数点展示されていました。僕が作った1m程の全長の模型もあったので、とても懐かしかった。米空母・エンタープライズも作りましたが、両方とも「じゃまだ捨てろ」と言われ、捨てたような気がする。勿体無かったな。15万馬力・航続距離7200海里(11520km・地球1周40000km)という数字のでかさにビックリしました。家内と参道を正面に見て、大和の大きさを想像しました。こんな戦闘艦を3隻も造っちゃう日本という国の国力や技術は、他国の驚異だろうな。
長柄駅から天理駅までは、1駅です。JRローカル単線の輪行は楽しそうだけど、サイクリングの距離は全く短くならないので、そのまま帰ることにしました。適当に北上するとR169に乗り、東の山裾に近づこうと東に進路を帰るとr15に乗りました。途中、石上神社の案内板も出てきたので安心して走っていたら、道なりに進むとr15から逸れて、天理大学横の道になりました。大学正門から学生風の女子が自転車に乗って出てきましたが、天理教のハッピを着ていました。「あれが大学の制服なのか?」、高校野球で有名な「天理高校」を15:05に激写。天理教本部につき当たり、東に坂を上ると再びr51があり、それに乗って少し北上すると、石上神社第1駐車場に到着です。
15:12着。帰路は2時間でした。往路山の辺の道は5時間半だったので、流石に平地自転車走行は早いです。トータル走行時間2:40:59・走行距離23.67km・平均速度8.8km/h・最高速度34.1km/h。
自転車を積み、ナビに従い、r51〜名阪国道〜天理IC西名阪〜近畿道〜中国道豊中ICで伊丹まで戻りました。まだ時間が早いので、フロントブレーキを復活させようと自転車を買った「伊丹カンザキ」に向かいましたが、流石に連休中であいにくの満員御礼の様子なので、日を改めることにして17:30帰宅しました。

2014/10/5
僕は日曜だけ出場ですが、土日はレース日でした。でも強力な台風も接近してて、レースができるのか?多分日曜日は無理だろうな?でも係留艇の台風雨対策には必ず行かなきゃと、思っていました。
台風最接近は、日曜晩〜月曜朝の予想で、日曜朝も小雨予想だったので。日曜レース前に予定してた係留艇台風対策を前倒しして、土曜朝にハーバーに向かいました。朝からいい風が入っており、今日のレースはエキサイティングになりそうです。ステアリング上の日よけサンブレラを外し、ファーラーされたジェノアの上から、スピンハリヤードを巻きつけます。桟橋から船を少し離れるようにロープを調整します。でもいつも使ってる増しロープが船内になく、スターンを離れた方の桟橋とを結ぶI字ロープを調節し、V字に桟橋と結びます。まだ不安ですが、ハーバー事務所もまだ開いてないので、ロープを借りに行くことも出来ません。7時になり出勤に間に合わなくなるので、ここで退散です。日中仕事場に共同オーナーの先輩から電話が入り、ロープの場所を聞くと、桟橋のボックスの中にあるかも?とのことです。
日曜日は、レース後家内と待ち合わせ、映画を観に行く予定にしていましたが、予想通り日曜のレースは中止になったとの連絡が、チームを組んでる先輩からありました。これで2週連続で、家内と1日一緒に行動できます。嬉しいな。
5時に起き、ゴソゴソして、しばらく雨が降る心配がなさそうな空模様ですが、9時前に家を車で出ました。市内中心部に出て家内の用事を済ませ、ハーバーに向かいます。R171利用で約30分で到着。早速カードゲートを開け桟橋を歩き、もう一度船内でロープ探しです。やはりなく、桟橋ボックス内に1本見つけました。以前はもっとあったのになあ・・・。これで増しロープして、係留艇の台風対策終了。続いて、陸置きレース艇を見に行きます。カバーが外され、ちょうどハーバー職員さんが、ロープ固定作業してくれていました。近くで菓子折りでも買えれば差し入れしたいところでしたが、ここは安上がりの「ありがとう」の言葉だけです。陸置き艇の作業はなくなりました。
センターハウスに戻り、ノースショップを覗いたら、「スナイプの第1レースのようです」と関西インカレ情報をもらいました。ショップ店員さんは、ライバル校のコーチをしています。4ミリのショックコードを5m購入・650円し、家内とこれからの行動を相談します。現在時は10:30、映画上映が西宮ガーデンズ13:20なので、1・早いけどハーバーで昼食を取る2・西宮ガーデンズに移動しお店を回りながら適当に昼食を取る・・・家内から、「後日アナウンサーの講演を聞きに学校に行く予定なので、久しぶりに学校に行きたい」との提案があり、いい感じの時間になりそうなのでそれに乗ることにした。
R171〜廣田神社横を通る。この近くの保育園に、4〜6才の3年間通ったので懐かしい。保育園の方針で1か月後から親の付き添い禁止だったので、電車バスを乗り継いで、伊丹から1時間通学していた。僕は小学校とKG卒業後通った学校以外、13年間も西宮に通学した。家内は電車通学だったので、阪急甲東園からバス・徒歩通学しかしたことないので、この道には馴染みがないです。僕は、ハーバーと学校の最短コースだったので、大学時代はよく利用させてもらった。
懐かしい中学部横を通ると、催し物があるのか親世代の方が正門を出入りしていました。家内は長男の中学受験の時、学校説明会で1回来ただけです。僕が社会を教えてもらった先生が中学部長になっており、そのカッコ良さに賛美の声を上げていた。長男は別の学校を受験したけど、いい思い出です。KG正門に車を突っ込み、警備員さんに駐車場利用を打診したけど、やはり単なる訪問ではダメでした。近くの駐車場に車を入れ、正門から入ります。さっきの警備員さんが、恐縮していたけど、いろんな事情によりそういう規則になってるのだから、仕方ないことです。紋切り型の警備員さんの対応じゃなく、「いい学校だな」と安堵しました。
相変わらず、甲山をバックに借景した中央芝生と時計台が美しく、いまだにこれ以上美しい学校を見たことがない。家内の通った学部横に、新しく建てられた講堂はヴォーリス建築様式を踏襲し、違和感なくキャンパスに溶け込んでいました。家内は学んだ学部玄関扉から中を覗きこんでいます。時計台図書館は、僕の勉強スペースでした。ヨット部の合宿が多かったので、授業時間の合間などここに居着いて勉強していました。僕がまともな成績で卒業できたのは、静かで快適な時計台図書館のお陰です。
「ご飯、食べに行こう」、キャンパスに入ってから上機嫌の家内から声がかかり、学生会館の食堂に食べに行きます。京都の次男の学校と大違いで、セクト系の看板も冤罪救済の看板もなく、僕らが通った頃とは大違いです。学生会館の建物は、メンテナンスされているものの当時のままです。ヨット部のトレーニングやミーティングの集合場所は、いつもこの前でした。当然出入りする女子学生の優良可・不可吟味になります。いつもやってくる髪の長い2人連れ女子が目立っており、同じ学部に通う同期から、「学部で一番可愛いかな?」なんて聞いていました。同期女子マネージャーから、「同じ学部の子を紹介してあげようか?」なんてのもありました。その片方の子に、学校とは関係ないとこで一緒になる機会に恵まれ、家内になっちゃいました。僕はその前から家内を知っていたので、その日のうちに手を握っちゃったりしましたが、家内は「なんて強引な男なんだろう」と思ったそうです。
11:38、僕は本日のサンキューセット(ハンバーグ・唐揚げ・味噌汁・ご飯)390円・家内は唐揚げ玉子あん丼370円を注文しました。破格のお安さがナイスです。いろんな学生時代の思い出話や、アメリカンフットボール部・KGファイターズのでかい身体に圧倒されたり、今日は女子学生が少ないなとか、楽しい昼食になりました。幼児を連れた若夫婦が食べていたり、サンデー毎日なハイキング帰りのグループが入ってきたり、このオープンな感じがいいです。僕らも甲山サイクリングの時、ここで昼食にしました。
食後キャンパスを散歩し、正門横のチャペルを見に行くと、まさに今日結婚式を挙げようとしているカップルが、記念写真を撮っていました。30年前の僕らを思い出します。イースターというキリスト教最大のお祭り日に、牧師だった中学部長先生にここで式を挙げてもらいました。披露宴は、タクシーで宝塚ホテルに移動しました。あの日は綺麗に晴れ渡り、たまたま登校してきた多くの学生さんたちにも祝福してもらいました。
車に戻り、西宮ガーデンズに行き、13時にチケットを購入(夫婦で2200円)し、上映を待ちました。前日に封切られた「蜩ノ記」も気になっていたのですが、同じ時代劇の封切りから3週間目に入り、いつ上映しなくなるかわからない「柘榴坂の仇討ち」を観ました。安政の大獄などで、後の明治新政府中枢派を大弾圧した井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」に翻弄された2人の剣士を中心にした物語です。暗殺された側の井伊直弼お側侍の主人公は、明治の世になっても曲げも落とさず腰のものもそのままに、仇討ちに人生を賭けている。対する暗殺した側の水戸藩脱藩者は、井伊直弼の目指した方向でその後国が動き、自分の行為を悔い名前も変え逼塞生活を送っている。そんな2人が、皮肉にも「仇討禁止令」が出た日に出会う・・・。
仇討禁止令が出された直接の事件は、この前年に起こった高野山中での仇討ち事件です。今年、家内とタンデムで高野山を訪問した時、その現場の謂れ板で読んだところでした。ふふふ・・・。言葉は多くなく、派手なアクションもないけど、2人の生き方・行動・言葉、それを支える女性の一途さ、時代の変化にも変われない生き方をする剣士に違和感を感じつつ共感し協力する周囲・・・大感動でいつものように涙で頬を濡らした秀作でした。
映画鑑賞後、長男のお嫁さんの誕生日プレゼント探しで、お隣の阪急百貨店でブランド物のスポーツウエアを物色しましたが、家内のアンテナにピッタリの物がなく次回まわしになりました。自宅近所まで戻り、スーパーで食材を買いました。カートを押して入ると、「かねてっちゃんが来店しています。お写真はいかがですか」の店員さんの声が聞こえて来ました。村上食品だ・・・ヨット部の先輩の会社です。かねてっちゃんの着ぐるみをしげしげと観察し、何処から見ているのかわかりませんでした。家内によると、「見えてないよ」とのこと・・・ほんまかなあ・・・。横のワゴンに積んであるカネテツ商品を買わないわけには行かず、明日の朝の献立はおでんに決定です。
帰宅し、夕食を食べ、家内と「モヤモヤさま〜ず・ローマ編」で笑い、軍師官兵衛まで目が持たず寝てしまいました。月曜朝は台風の風と雨で目が覚めました。雨が止んだので、我が家と隣の実家を点検しました。庭のザクロが目に止まり、「ああ、日曜日の映画は良かったな」と再度反芻し噛み締めました。

2014/9/28
2週間前までは、日月と一泊で大井川鉄道にSL並走&リアルトーマス激写ツーリングに出る予定の日でしたが、家内もお休みということがわかりました。土曜晩車中一泊でのリアルトーマスを誘いましたが、強行軍のため却下され、「四国88ヶ所・お遍路旅」第1回目をすることになりました。
NHK・ETV・「趣味DO楽」で、以前から興味があった「四国お遍路旅」が紹介され、番組テキストを買って読んでいると、無性に行きたくなりました。弘法大師さんが開いた真言密教総本山・高野山で、多くの白装束のお遍路さんのお礼参りに遭遇していたからかもしれません。バスツアーお遍路さんの最後の回が、高野山参りで、僧侶先導に10人ほどの団体さんが高野山奥の院に詣る姿は、堂々としていました。去年、久しぶりにした「淡路島七福神めぐり」が楽しかったこともあります。
地図を見ると、1番〜9番までは吉野川が作る平野部にあり、標高も高くなく距離もそれほどありません。ならば自転車で巡る方が面白そうに思え、サイクリングお遍路さんに決定しました。5時台出発と決め、床につきました。土曜日に準備したのは持ち物ぐらいで、自転車の準備が出来なかったので、「早く起きなきゃ」と思って寝たため2時半に目覚めてしまいました。あまりに早いので二度寝したら、5時に目が覚めました。
人は眠りについてから目を覚ますまで、レム睡眠(浅い眠り・脳活動中・身体の疲れを取っている・夢を見る)とノンレム睡眠(深い眠り・脳も休み精神的な疲れを取る)が1.5〜2.5時間周期で交互に数回繰り返される。気持よく自然に起きれるのは、レム睡眠時だそうです。睡眠時間が長くてもノンレム睡眠時に強制的に起こされると不快な寝起きになるということで、それを知ってから目覚まし時計を止めました。目覚まし時計強制覚醒を止めてから、自分の自然な眠りのペースがわかるようになりました。僕の場合、2時間周期でレム睡眠が来るようで、5時起床目標の日に3時に目覚めたら二度寝しても5時に起きれます。でも4時に目覚め二度寝したら5時には起きられないので、その場合は4時に起きちゃいます。
ということで二度寝したら、5時前に目が覚めました。階下では家内が家事をやっており、僕も活動開始です。車からチャイルドシートを外して隣の家に置き、2列目・3列目シートを前に動かし、自転車スペースを作ります。こうすると前輪を外さなくても2台載せられるのですが、より安定して載せるために前輪を外して搭載します。自転車タイヤ空気圧を7bar以上に入れます。スポーツバイクはタイヤが細く、空気圧を高くし接地面積が減らし接地抵抗を減らして楽に走ります。2台とも高圧に耐えるフランス式バルブですが、欠点は1週間で空気圧が下がることです。週数回乗ってる僕は、毎週頭に空気圧チェックをしています。
予定通り、6時前に家をでることが出来ました。5:42、宝塚176・山本野里・出光で給油。宝塚ICから中国道に乗り、西宮山口JCTから阪神高速北神戸線〜神戸淡路鳴門道に乗りました。明石海峡大橋は風が弱く、上天気で海が朝日で輝いています。多数の遊漁船が朝マズメを狙って出ています。
6:59、淡路SAで休憩。トイレに行った家内が「綺麗やわ」と施設の清潔さなどが気に入ったようです。僕はカレーを朝食としていただきながら、日曜朝にやってる皇室TVを見ていたら、皇太子さんの弟一家の長女さんが、なかなか可愛いことを知りました。サンドイッチを買って戻って来た家内にそのことを話すと、「お姉さん真子さんは清楚な感じだけど、妹さん・佳子さんはもっと今どきの女子大生で、もっと可愛いよ」と、教えてくれました。何故に詳しい・・・?
家内に「鳴門公園」にナビ誘導を頼んで、淡路島を南下し一気に鳴門大橋も渡り、鳴門北ICで下車しました。r11で鳴門公園まで来ましたが通過し、目的は、ツーリングマップルおすすめの道・r183を走ることなので、そのままr183へ。やはりバイクで走る方が気持ちが良さそうなアップダウンワインディングの道でした。交通量も少なく、バイク割合が高い。
8:02、「四方見展望台」。バイクのたまり場になってるようで、20代ぐらいのバイクが停まり、駄弁っていました。小鳴門海峡に続く内海のナイスな景色が広がっています。三脚バズーカ一眼レフおじさんたちも溜まっており、鷲を狙っているようです。エナガの群れが、細かく枝を変えながら、移動していました。
R11〜r228で峠を越え〜r12に出ました。r12は吉野川北側を平行して走る主要県道です。これを西進すると1番札所・霊山寺があるはずと思ったら、この県道沿いにありました。8:46、ナビは掛けていましたが、あまりに簡単に辿りつけたので、拍子抜けです。ここの駐車場が混んでいそうなら、近くの道の駅に移動して、自転車を下ろす予定にしていましたが、十分な駐車スペースがありガラガラだったので、一番奥の邪魔にならなそうな場所に駐車しました。
まずは、形から入らなければと、お遍路グッズを調達しに、門前の売店に入ります。菅笠小1500円・輪袈裟(首に下げます。くくった紐を外さないよう教えてもらいました)2200円・納経帳2500円を購入しました。納経帳にはすでに1番霊山寺の御朱印が書かれていましたので、御朱印料+300円。金剛杖は、二輪お遍路には邪魔なだけなのでパス。白装束も、「お遍路中、いつ野たれ死んでも迷惑を掛けないようにという死装束」の白だそうなので、これは願い下げです。納経袋は白しかなく、ナイスガイ・ナイスウーマンな僕ら夫婦にはもっとお洒落じゃないと・・・と、これも止めます。お支払いを済ますと、「ここにお作法など書いてあるからね」と、「四国遍路・作法とお経の意味・般若心経」と題名されたお遍路さんガイドブックをもらいました。末に般若心経がフリガナ付きで載っており、信仰などとても貧弱なのに、即席でお経を唱えられます。
家内も一緒の今日は、家内が輪袈裟を、僕が背中に菅笠を背負って巡ることにします。山門でピンクな家内を激写。僕らは、煩悩から逃れる修行でもあるお遍路を舐めていますね。境内に入り、チリンチリンといい音をさせながら歩いている女子に、「あれを買わなきゃ」と思いました。何事もそれなりのカッコが大事です。行動心理学では、服装によって行動が左右されると言います。幸い本堂横の売店で持鈴・1000円を購入出来ました。これで、「なんちゃってお遍路さん」が即席に完成です。
車に戻り、バイクを出します。前輪をセットし、サイクリングお遍路さんに出発です。いきなり2番に向かわず、ちょいと走ってツーリングマップルに載ってた「大麻比古神社」の大鳥居をくぐり、9:41に阿波国一宮・大麻比古神社に到着。樹齢1000年の大楠に迎えられ、参拝します。さすがに大社で、千木・鰹木が堂々としています。
家内が「めがね橋」「ドイツ橋」への案内板を見つけ、神社の裏に入っていきます。ここは、第一次世界大戦の青島戦で捕虜にしたドイツ兵の捕虜収容所があった所です。日本兵も近隣住民もとても人道的な対応をしたので、ドイツ兵が地元民のために石橋を造り、戦争が終わり帰国するときには、ベートーベン交響曲第9番の演奏を残して行きました。これが今クリスマス時期になると日本各地で演奏・合唱される「第九」の原点です。現在はヨーロッパに逆輸出している文化です。和歌山串本に難破したトルコ軍艦の乗務員を必死に助けた和歌山のお話同様、とても良いお話なので、その現地を訪問してみたかったのです。
意外に小さかった2つの橋見学を終え、「道の駅・第九の里」に自転車を停め、立派な「ドイツ館」を訪問し、道の駅の案内板に書いてあった「バルトの庭」に行ってみることにしました。途中、「ドイツ兵慰霊碑」に寄り道し、10:25・「バルトの庭」到着。入場料400円で、お茶付きです。ここは、「バルトの楽園」という映画のロケセットを中心に保存している観光施設です。お客さんはゼロで、僕らに説明のお姉さんが付き、各棟や展示品を説明してくれます。ここ「坂東俘虜収容所」所長は、会津藩士の息子として生まれた松江という方で、敗戦国兵士の悲哀を知るためか、他の収容所とは大きく違った運営をしました。捕虜1000名を収容した敷地の周りには鉄条網が張り巡らされていますが、自主運営の養豚場が外部にあったり、夏には近くの川に遊びに出たり、ヨットで遊ぶ写真まで残っていました。捕虜の奥さん達が周辺に住み、面会もOKだったとか・・・。収容所敷地内に、自作の別荘まで許可されたようです。
将校は日本政府から現金で給料を得、志願兵達は現物供与で収入を得たそうです。でもそれでは足らず、自主運営施設の生産物を近隣に販売したり、住民との交流が活発でした。日本政府は戦後倍賞として、これらの支出を含めドイツに請求したが、ドイツにそれを払う財力は残っていなかった。その代償に、日本は南太平洋のドイツ植民地を得た。
他に本職を持つ志願兵が大半だったこともあり、様々な先進のドイツ技術が近隣住民に伝わりました。住民も彼らを捕虜とは見ずに、「ドイツさん」と親しみを込めて呼んだそうです。文化交流も盛んで、その流れが帰国直前の「第九演奏」に繋がったようです。ボーリングレーンも再現されてしました。
将校棟の天井は、100年前・1914年捕虜施設に使われていた本物でした。さっき寄り道したドイツ兵慰霊塔は、ここで亡くなった数名のドイツ兵を慰霊するもので、ドイツ兵帰国後も近隣住民が世話し続けていました。第2時世界大戦後、たまたまここを訪問したドイツ人が、それの周りの草刈りをする住民の行動にいたく感動し、他収容所で亡くなったドイツ兵の慰霊碑を新たに横に作ったそうです。
途中で、さっきドイツ兵慰霊碑で一緒になる言葉を交わした女性の方も入ってきたので、一緒に説明を聞きました。神戸から1人で来られた方で、婦人の文化活動の一環で現地調査のようなことをしに来られたそうです。最後にお茶をごちそうになり、観光客ゼロ故に、ラッキーな濃い時間を過ごせました。
『会津藩・什の掟 1・年長者の言うことに背いてはなりませぬ 1・年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ 1・嘘言を言うことはなりませぬ 1・卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ 1・弱いものをいじめてはなりませぬ 1・戸外で物を食べてはなりませぬ 1・戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ ならぬことはならぬのです』というのが、壁に貼ってありました。
r12を西に走ります。交通量の多い県道ですが、路肩は狭いですが歩道がしっかり整備されているので、危険なく11:17、「2番札所・極楽寺」に着きました。1番から約5kmです。ここにも樹齢1000年級の「長命杉」がありました。御朱印をもらいに行きました。御朱印料は300円で統一されているようです。御朱印をポンポンと押し、スラスラとお寺名?を墨書きしてくれます。かっこいいぞ!
それを見ている間に、家内が納経袋があったよと教えてくれました。白ではなく、もっとかっこいい偉いお坊さんのお袈裟生地のようなので出来た袋が多数並んでいました。たすき掛けできる長寿庵袋・3800円と、納め札70円を買い求めました。袋の中で最も高額だったので、「3800円は高いね。納め札は負けとくね」と70円引きしてくれました。納め札は、御影堂や本堂に参った記念に、所定の箱に入れる薄い紙札です。70円で100枚もあるので、お賽銭の前払い的に考えました。これで各お寺でのお賽銭をカットすることにします。大幅コストダウンです。1回目のお遍路さんは白・5回〜緑・25回〜銀・50回〜金・100回〜錦札と色が違います。
3番までは、約3km。r12の北側に平行して走る歩き遍路道を走ります。単線・1〜2両・未電化のJR高徳線も平行して走り、1両ディーゼル列車が走って行くのを見て、「あれに乗りたい」と家内が楽しそうです。「四国遍路道」として木製の道標が設置されているので、地図なしでも迷いません。趣味DO楽で講師の人が言ってた江戸時代の坊さんが整備した順路道標石碑もありました。その坊さんはお遍路ガイドブックも作ったようで、一気に庶民のお遍路熱が上がったそうです。これにより、四国の真言宗のお寺の収入は一気に安定したでしょうね。それが近隣住民に仕事として渡り、お接待もしたくなりますね。WinWinのビジネスモデルの成功例に見えます。やるなあ、坊主!
11:56、3番札所・「金泉寺」到着。ここでもお賽銭箱横で、般若心経を唱えておられる方が数人います。僕は家内と一緒に「納め札」を「納札入れ」に入れて手を合わすだけの簡易型で、そそくさと御朱印を貰いに行きます。300円。山門前に、次の4番札所までの道標が立っていました。車用と歩き遍路用と方向が違います。歩き遍路用だと自転車でも走れない道に導かれるかなと思い、車用に進みました。これが大きなミスで、アップダウンを繰り返す広域農道に導かれてしまい、何度も歩き遍路(歩き押し遍路)をする羽目になりました。
でも12:16、「白鳥神社」という小さな祠の前を通りました。祭神は「大和武尊」&「弟橘媛」とあり、大和武尊&白鳥とくれば・・・謂れ板を読むと、ヤマトタケルの九州熊襲成敗・蝦夷成敗・天叢雲の剣が草薙の剣になった物語の他に、伊勢で亡くなったヤマトタケルが白鳥に姿を変えたその後が書かれていました。僕の記憶では、伊勢を飛び立ち河内の地に舞い降り(ヤマトタケルの前方後円墳がある)、更に羽を曳くように何処へか飛び去る(羽曳野市の由来)です。
『・・・その後、大川郡松原に飛来の途中、この地に立ち寄られたという伝説があり、ここに白鳥神社を建立して尊を祀っている』と、書かれていました。ヤマトタケルの奥さんだった弟橘媛は、戦いに明け暮れる夫に随行し、2人の乗った船が嵐に遭い絶体絶命の時、自ら海に身を投げ海神の怒りを慰め、夫を助けた。8月お盆に訪問した家内の実家・加古川の日岡神社が、ヤマトタケルの母親の里と知り、僕の中でヤマトタケル熱が上がっているようです。ここを飛び立った白鳥が最終的に向かった先「大川郡松原」は何処?と調べると、香川県東かがわ市白鳥だそうで、ツーリングマップルを見ると、「白鳥神社」が載っていました。行きたくなってきたぞ。
広域農道沿いに、「徳島ヴォルティス」の本拠地・徳島スポーツヴィレッジがありました。大塚製薬サッカー部がプロ化・Jリーグ入りしたチームなので、大塚製薬の工場に隣接してスタジアムがありました。こんなの現地に来ないとわかりません。アップダウンを繰り返し、最後は少し登り、13:05・標高70m・4番札所・「大日寺」到着。「西国33ヶ所巡礼」の木像が並べられ、ここをひと通り見れば、西国巡りと同じ御利益があるというやつのようです。納め札を投函し、御朱印してもらい、僕らのお遍路ペースが出来てきました。
次の5番札所は、下ったとこにあります。13:39、楽ちんに下って、「地蔵寺」到着。最高速47km/hを記録しました。一連のお遍路活動を終え、これからを相談します。予定では、余裕で7番まで巡れると思っていたのですが、いつもの様に道草が多く、昼食を食べていないのに14時になっちゃいました。6番まで5km・更に7番まで1kmですが、それは次回まわしにして帰路につくことにしました。
平坦なr12・歩道を走ります。歩きお遍路さんの便利を考えてか、歩道がしっかり付いているので安心です。13:57、r12沿い「レスト喫茶・阿波路」で昼食タイムにしました。僕はドライカレー、家内は親子丼でトータル1400円。お腹を満足させて、r12を東進すると、14:39「JR板野駅」がありました。狭い高架下トンネルを抜け駅前に到着し、すぐに時刻表を見に行きます。女性駅長さん1人でやりくりする駅で、15:24発という列車があったので乗ることにしました。これで家内の要望に応えることが出来ました。
2人でテキパキとスポーツバイクの前輪を外して輪行バッグに収納し、15:08・切符を買って待合室でのんびりします。僕らとほぼ同時に駅に入ってきたご夫婦は、歩き遍路だそうです。僕らが5番まで巡り、1番・霊山寺に戻ることを話すと、私達もですとのことでした。サイクルコンピューターで20kmほどだったから、寄り道しなければ15kmぐらい歩かれたようです。ここは高徳線(香川県高松〜徳島県徳島)の駅で、徳島方面からやってきたディーゼル1両列車に乗り込みます。ブーンというディーゼル特有の音を上げながら、田園をのんびり走ります。とてもいいです。
2つ目の駅・坂東に到着しました。徳島商業で甲子園優勝投手になり、中日ドラゴンズで活躍した板東英二さんは、この町の出身かもしれません。再び前輪をセットし、霊山寺に戻り、すぐにバイクを車に収納し、帰路に着きました。ナビに導かれるまま板野ICから高松自動車道に乗り、神戸淡路自動車道で鳴門大橋を渡り、16:27・「淡路南PA」で、展望台に上がりラクトアイス・130円休憩しました。続いて、17:29・「淡路SA」で休憩し、チョコパフェ530円を1つ注文すると、スプーン・フォークが2セットついてきたので2人で食べました。ちょっと嬉しかった。
少し睡魔がやってきたので、明石海峡大橋を渡ったとこで阪神高速神戸線経由というわざと渋滞してる道を選択しました。僕は単調な高速道路が最も眠たくなるので、眠くなってきたらわざと下道に下りたりします。
19時過ぎに帰宅し、ささっと片付け、家内が作ってくれたお蕎麦を食べながら大河ドラマを見て、途中で風呂に入って21時前に寝てしまいました。熟睡してると、電話が鳴りました。「誰だ、こんな真夜中に・・・」と起き上がろうとすると、階下で家内が動く音がしたので任せました。なんだかドタバタな音がした後、「あ〜、電話切れちゃった・・・」とつぶやく声が聞こえましたが、数秒後には夢の中に戻ったと思います。翌朝電話のことを聞くと、寝ぼけてて、押入れのふすまを開け、思いっきりおでこを壁にぶつけたそうです。それで切れちゃったと・・・笑っていました。家内は天然に面白い。

2014/9/21
次の日曜日に、「大井川鉄道」にリアルトーマス機関車を観に行くために、お彼岸のお墓参りを前倒ししました。中国道が渋滞する前に家内の実家・播州の墓参りをやっつけるべく、6時に家内と出発しました。先に玄関前に出ると、ワンちゃんお散歩してるご近所さんがおられ、あ〜だこ〜だおしゃべり。
6時なので車が増えてきていましたが、渋滞なく加古川にお墓参りし、お墓を綺麗に掃除し、新しいお花を供えて、お線香をあげました。僕はお墓参りが好きで、正月・お彼岸・お盆と年4回参ります。「この人達が一生懸命行きてくれたから僕ら家族が生を受け楽しく暮らせている」って、実感します。
いつものように車内でおしゃべりし、家内の次週の予定を聞きました。「特にないよ」・・・むむ〜・・・バイクで行く1泊リアルトーマスは無理そうです。「静岡県まで、リアルトーマス機関車観に行かない?片道300kmあるから、出発は土曜の晩で布団積んで行って車内一泊だけど」・・・どうも車内一泊が嫌そう・・・家内は「1人で行っといで」と言ってくれるが、そう言われるとなおさら置いていけない。次案・「四国八十八ヶ所巡り」日帰り第1回案を提案しました。リアルトーマスの姿が・・・
8時過ぎに帰宅し、午前中だけの用事で出かける家内を駅まで送って再び帰宅しました。速攻でバイク装束に着替え、車載カメラの調子が悪かったCBを倉庫から出して出発します。ブイーンと10分、R173沿い池田のコンビニに到着。僕も参加してる「原付二種ツーリングクラブ」のツーリングの集合場所です。10時出発なので9時到着を目論んでいましたが、9:30到着。既に6台のバイクが到着しており、あ〜だこ〜だおしゃべりが始まりました。僕も京都ツーリングに参加したかったのですが、家内が12時に神戸で用事を終え帰ってくるので、午後から両親の眠る我が家のお墓参りを予定しているので、お見送りだけです。
湖東から下道オンリーで長駆ここまでやって来られた方もおりビックリ。亀岡回りで2時間半だったそうなので、早朝なら下道のみでも2時間で近江まで行けるということ・・・。10時になり全員集合したので、出発です。次の「ガレリア亀岡」集合組を加え、16台だそうです。10台ほどの原付二種の殿で、R173〜R423を北上します。早朝ならたまに車がすれ違う程度の田舎道ですが、10時なので北に向かう車も多くなっています。でも渋滞などには縁のない道だし、信号も殆ど無いので、気持よく走ります。
走りながら車載カメラの調子を伺います。ちゃんと操作しても録画されません。ライブ音楽の高品質録音がメインターゲットの「オリンパスLS20M」は、ワンアクション録画開始ではなく、5回ボタンを押す動作が必要です。更にモニターが上を向いてるので、運転しながらではモニターが見えません。それによる操作ミスもあるとは思うのですが、一番の原因はメモリーカードの不良のようです。32GBの1枚に記録できないみたい。「柚原」交差点手前で左折し、皆さんから離れメモリーカードを別のにすると、正常録画出来るようになりました。隠岐の島まで活躍してくれた32GBメモリーですが、昇天なさったみたい。
当初、R477にチェンジし「園部」方面まで北上予定でしたが、腹が減ってきたので「虎亀」に行くことにしました。r732に乗り西進し、R477を越え道なりにr54でR173に出ました。右折し、R173を北上します。「はらがたわトンネル」を抜けて、羽束川沿いr601〜r538で籠坊温泉〜r309でr12・「後川」。r37で羽束川沿いに下り、永沢寺に抜ける林道を上って、r49。11:45に「虎亀」到着。
「虎亀ピラフセット」を注文し、こないだの大雨のことなどを話しました。千刈ダム横のショートカット道通行止めでr68が夕方渋滞して困ってるとのお話だったので、お気に入りのr49〜志手原〜r37〜r323〜波豆川・八坂神社〜西谷中学〜西谷大池コースをお勧めしました。早朝バイクで、虎亀さんとよく会うので、通勤ルートがわかっています。バイクの時はマシだけど、四輪でr68が渋滞すると辛いな。快速道路だけど、交通量が多いから長い渋滞になりそう。
12:25に虎亀を出て、帰路に着きます。家内は神戸を12時まで用事なので、帰宅は13:30頃でしょう。虎亀さんにお勧めした道で帰ります。大池から、r33〜r325〜長尾山トンネルを抜け、13:25帰宅。家内は10分前に帰宅したそうです。家内もバイク装束に着替え、お墓参りセットを通勤リード110に載せて、タンデムでお墓に向かいます。長尾山トンネル〜r325〜r33〜r319〜r12で、お墓到着。家内を下の事務所で下ろし、直前にコンビニで買ったおにぎりを食べる時間にします。
僕は単独でお墓まで上がり、お花の有無を確かめます。予想通り、僕以上に墓参りする弟が参った後のようで、真新しいお花が供えてありました。下の事務所でお花を買わなくて良かった〜。事務所に下り、お茶をもらってヨーグルトを食べます。再びタンデムでお墓まで上がって、お線香をあげ手を合わせます。うちの聖地に親父の蒔いた彼岸花が綺麗に咲いています。
r12に出て北上し、さっき走った「後川」からr37に入って西進。家内から、永沢寺のわらび餅やのリクエストをもらっていましたが、閉店は16時?17時?現在15:30という微妙な時間で、永澤寺まで上がって閉店だったらがっかりなので、そのままr37を道なりに南下しました。16:00、「高売布神社」で休憩。ここまでの道は、去年家内のバイク練習コースです。わらび餅屋の代わりにと、「もち処・つくしの里」に寄りましたが、食事営業時間は終了していました。「ここで待ってたような気がする〜」「そう、スポーツバイクでここまで来てギブアップしたから、僕だけ「西谷農協」までチャリンコを飛ばして、車を取りに行ったとこだよ。今は50km平気になったけど、あの時は10kmでダウンしたんだから・・・」。
r37〜r323で、16:25・「半鐘の家」着。家内はソフトクリーム、僕は今シーズン最後のかき氷になるだろう「いちご」を注文して、落ち着いた和室でのんびり。昼間同様の道で長尾山トンネルを抜け、山本台の「阪急オアシス」で買い物をして、18:30に帰宅しました。たまに入るスーパーは夢ランドで、面白い調理器具などに目が行き遊べます。「モヤモヤさま〜ず」見ながら夕食を食べたら眠たくなり、大河ドラマを前に風呂に入り寝てしまいました。ツーリングモーターサイクルやスポーツバイクをよく見た1日でした。アウトドアが気持ちのいい季節になりました。

2014/9/14
毎月レースに出てる3人乗りヨットの4カ国・4ヨットクラブの持ち回り国際親善レースが、ホームポートで開催される日ですが、3日間レースの日曜日だけしか参加できない僕はオフです。家内も予定があり、デートは出来ません。レース観戦しようかな?とも思いましたが、天気予報があまりに良く、長年の懸案だった美濃〜越前の峠走破をすることにしました。1200〜1500m級の高峰で閉ざされた国境ですが、3つの峠越えの道があります。西から「高倉峠・970m」「冠山峠・1050m」「温見峠・1020m」です。高倉峠から越前に入ったところに、浄土真宗・一向宗中興の祖・蓮如が、比叡山から破門・仏敵とされ本願寺が焼き討ちに遭い不遇の時代を過ごした里があります。当然、もっと楽な琵琶湖の北から今庄に入り、そこから山を登ったのでしょうが、それで高倉峠に興味を持ち、そこから3峠制覇の野望がムクムクと湧きました。これらの峠は、美濃でも最も雪解けが遅い山岳部にあるので、6〜10月しか通れません。しかも、がけ崩れ不通期間も頻繁で、一瞬のタイミングを逃すと通れなくなることを知り、ますます通りたくなりました。
数日前に調べると、「高倉峠」「冠山峠」は不通のようで、去年5年ぶりに「温見峠」を通るR157が去年全線開通したのに、またまたがけ崩れで不通箇所があるそうです。でもこちらは迂回林道があるので、それを狙うことにしました。3つの峠の美濃側起点が、「道の駅・うすずみ桜の里ねお」なので、最終情報を収集できるだろうと思い、まずここを目指します。
3時に目が覚めました。前日も3時に目覚めましたが、体力温存のために早朝ツーリングに出るのを止めて、2度寝3度寝して7時前に床を離れたし、前日も22時前に床に入っていたので、朝早いけど快調です。なんせ予定では、576km・5時間35分という行程なので・・・。速攻で着替えました。下着の上に真夏以外は毎日着てる丸首長袖アンダーシャツを着て、夏用プロテクターメッシュ上下、その上にフィッシング釣りスーツ上下という春秋装束です。倉庫から「招き猫CB400SB」を引っ張り出し、GPS・地図・NEXUS7などを載せて、3:30頃出発しました。
中国道池田ICから高速に侵入し、中国道〜名神で、4:21・大津SAで休憩しました。ツナマヨネーズ・108円をお腹に入れます。次の休憩は、5:28・多賀SA。いつもの朝カレーも考えましたが、まだちょっと朝ご飯には早すぎお腹の減りもイマイチなので、近江牛コロッケ・210円をお腹に入れました。「NEXCO・バイクETC助成キャンペーン」のパンフレットがありました。15000円引きだそうです。VTR250にETCをつけた時は10000円引き・CBの時は5000円引きだった記憶があります。バイク用ETCは高額だから、こういうのを利用したらいいですね。「飛騨路を行くパンフレット」で、岐阜県北部を研究し、「みはま観光ガイドマップ」で、頼朝・義経の父・源義朝が討たれたのはここだったなと、愛知県最南部・知多半島に思いを馳せます。遠いのに頑張ってるなと、福井県美浜町の観光マップだと思って開いたのですが、知多半島の美浜町でした。次男のジュニア時代のヨットレースで2回ほど遠征した地です。やっと夜が明けてきて、山の稜線が見え出しました。西の平野部の市場に朝霧が掛かり、空には雲なく、上天気の一日を予想させます。
米原で北陸道と分岐し、「関ヶ原IC」で高速道路を下りました。R365〜r56〜R21に出て東進します。R21はもっと交通量が多いかと思っていましたが、車が少なく、道幅も片側1車線の道で広くなく、気持ち良く走れました。「垂井」の文字が見えるようになったので「垂井宿」を感じてみようと、「旧中仙道」と思われる道に入ってみました。6:25、「垂井宿」到着。ゆっくり中山道を流し、r53で「養老鉄道・養老線」に向かいます。途中、「池田山」に上がる道が分岐しており、上がってみたい衝動に駆られました。池田山から山頂近くまで車で上がれ、夜景スポットとして眺望は保証済みです。先が長いのでパス。
R417に乗り、養老鉄道沿いに北上します。途中、6:53・「キグナス・岐阜県揖斐郡池田町店」で給油。峠にアプローチしたらGSなんてないに決まってるので、早めの給油です。216km/8.26L=26.2km/L。7:01、終点・「揖斐駅」到着。途中でかわいい列車が僕を追い越して行ったのですが、既に折り返したようで、駅にはいませんでした。ナイスな田舎駅で、「サイクルトレインのご案内」の文字が、僕を惹きつけます。
r417〜R303〜r251で、r40に出ました。「古刹・華厳寺」訪問予定でしたが、デカデカと書かれた駐車場料金がその気を削ぎスルー。7:24、隣接するようにあった、訪問予定の「旧谷汲駅」脇にバイクを停めました。駅のホームは、1926年(大正15年)谷汲鉄道開業当時のものだそうで、同年製の「モ514」と1928年(昭和3年)製の「モ755」が保存されています。僕の母方実家の本家が、明治・大正・昭和の時代に、北関東で銀行や化学肥料会社・鉄道などを創業・経営していたので、鉄道には興味が向きます。どこからどこまでかは知りませんが、東武電車の北関東路線として今なお電車が走っています。
貧富の差が大きかった時代の地主や篤志家には、地域のインフラに私財を投じる習慣がありました。父の実家も農地改革までは大地主だったので、敷地内に鉄道の線路が走り、駅が2つもありました。そういうことをしなければ、地域の人々の信頼を失っていくのでしょう。だからこそ、戦国の世では、地区の農民を集めて利の基である土地を守るために戦うことが出来、自分の盾になってくれたのだろう。ローカル線には、寄り道してしまいます。
r40を西進し、根尾川を渡る手前で左折し、r255に乗りました。次の目的地・樽見鉄道終点・樽見駅にGPSで誘導案内させていますが、やたら川向うを平行して走るR157に誘導します。できるだけ狭い道の方が楽しいので、地図を平行して見ながらいつもこんな感じです。樽見鉄道が真横を走ったり、離れたりを繰り返しながら、列車と並走できればラッキーだなと北上します。7:39、「高科駅」の案内板に惹かれ、バイクを停めます。田んぼの中の道を歩き、揖斐川支流・根尾川沿いを走る樽見鉄道の駅を見学に行きます。納屋?のような小さな小屋が駅舎です。単線の素敵な駅です。僕が小学生時代の父の実家の最寄り駅もこんな風でした。うちの森から出たら一面の田んぼが広がり、その中を線路が走り、ポツンと盛り土したとこが駅です。改札などなく駅員もいません。どこからでもホームに上がれ、東武電車に乗ってから切符を買います。ここの県道に「熊出没注意」看板がありました。これから向かう峠で、何度見ることだろう。
根尾川の渓谷西側を北上し、川を渡ったり戻って来たりする樽見鉄道もナイスで、20km/h程度でしか走れない細道を楽しみます。何度かナイスな渓谷美を激写しながら、8:06・「高尾駅」に寄りました。横の神社や駅のホームを探索しました。でかいムカデがおり、刺されたら厳しいだろうなと考えながら、実に楽しい。バイクに戻り、出発準備をしていると列車の音が・・・、ちょっとだけしか見れなかったけど、かわいい1両編成でした。いいな!
8:13、怪しい吊り橋を発見したので、探索してみました。渡ったらめちゃ揺れそうな吊り橋でしたが、やはり渡河禁止でした。でもお猿さんが団体で渡っていました。おっと、失礼。
道が広くなり、8:19、「根尾水鳥・根尾谷断層」到着。ここは、訪問予定に入れていました。地球の息吹・断層のズレが地表に現れた貴重な場所です。1891年(明治24年)、日本内陸部過去最大の地震・濃尾地震に際し、福井県から岐阜県に渡り、長さ80kmも断層がずれた世界最大級の地震断層です。県道脇の田畑に、それとわかる段差・6mが一直線に走っています。阪神淡路大震災でずれた「野島断層」も記念館で見ましたが、こちらの方がはるかに大きな段差です。一瞬に6mも隆起する・あるいは下降する衝撃は、どんなだったのだろう・・・
ここのすぐ先で県道は終わり、R157に合流しました。R418に少し入り、8:29・「樽見鉄道終点・樽見駅」到着。「大垣行」の一両編成列車がホームにいました。「ワンマン」と書かれています。ワンマンカーは、停車中運転手さんとの会話があり、いいんだよね。
r255で数台のスポーツ自転車を抜きました。交通量の殆ど無いナイスな道なので、25kmほど下流の「道の駅・織部の里もとす」等に車を置き、ここまで輪行してから渓谷沿いを下るサイクリングコースが浮かびました。ここまで、出発時の装束で来ましたが、雲ひとつない上天気で暑くなってきました。駅前ロータリーの日陰ベンチで脱ごうと向かうと、そこにロードバイクさんがいました。「こんにちは」「おはようございます」・・・まだ「おはよう」の時間帯ですね。僕はすでに5時間も走ったのに、まだ小学校の授業が始まる時間だ。声を掛けた方の自転車は、その筋の人にはわかるTREKのリアル・コンペティション・バイクで、白いバーテープが「走りこんでます」を物語ってます。
高校・大学と自転車競技部に在籍し、現在は本職の傍ら大学自転車部のコーチもしている本格派でした。岐阜県は自転車競技が強く、インターハイ優勝の常連校出身だそうです(知らなかった〜)。なんか競技は違えど僕に似た経歴なので、インターハイ・国体〜ツール・ド・フランスまで、楽しくおしゃべりさせてもらいました。高校ヨットもお知りで、岐阜県の強豪校・海津高校のことも知っていたのにはビックリでした。東日本大震災にボランティアで入ったこともあったそうで、僕の経験した阪神大震災の話など、話の花が咲きました。これから目指す「温見峠」も、自転車で数回登ったことがあり、「冠山峠」「高倉峠」も・・・「ひるがの高原」まで200kmオーバーを日帰り往復する脚力の持ち主でした。3つの峠のベース基地になる近くの道の駅で仕入れようと思ってた情報を、生声で仕入れられてラッキー。
ここで痛恨の1時間ロス・・・いや至福の1時間でした。この日は3回、こんなたわいないおしゃべりがありましたが、ソロツーリングだと偶然の出会いがあり、とてもいいものです。ここからが、本日のメインイベント・温見峠チャレンジです。R157を登っていきます。すぐに国道とは名ばかりの田舎道になります。「根尾西谷川」沿いに登っていきます。急勾配でつづら折れを繰り返しながら登るというより、自転車でも登れそうなゆるい勾配で川沿いの道を登ります。天気は申し分なく、スピードは出せませんが、とても気持ちがいい。
途中がけ崩れ通行止めがあるにも関わらず、ポツポツと車が走ります。後でわかったのですが、温見峠は「能郷白山・1617m」の登山口でした。峠付近では、30台ほど路肩駐車していました。何度か激写タイムを取りながら、10:09・吊り橋のあるダム到着。水が澄んでライトブルーでした。
「黒津」で通行止め看板に出くわしました。僕を抜いていった車が2台、思案しています。ずっと前に抜いていった車が、看板から先に行ってたようで、引き返して迂回路の方に曲がっていきます。僕は想定内だったので、迷わず迂回路へ。
10:35・「越波橋」到着。直進は、「折越林道」経由でr255〜R418で「樽見」に戻れます。左折が、「温見峠」へのアプローチ迂回路・「猫峠林道」です。「林道起点・猫峠・W=4m・L=4520m」、4m巾があれば楽勝ですね。「この道路は落石・崩土の恐れがあり大変危険です。通行する場合は十分注意してください」。GO!こぶし大の落石もありましたが、ゆっくり走れば問題なしです。むしろ楽しく走りました。猫峠までは登り勾配でしたが、以降は登ったり下ったりで、10:45・「大河原橋」到着。ここで、R157に合流します。目指す山の山頂が近づき、「温見峠」が近いのを感じます。R157の下り方面を見ると、「この先全面通行止め・根尾黒津まで」の看板が傍らに立っていました。GO!
11:11、路上を沢川が渡る「洗い越し」を渡ります。結構な水量の洗い越し・3ヶ所目で、最初のは「コケでも生えてたらコケるかも?」と思い慎重に渡りました。洗い越しが現れると、一応一旦停止はしますが、もう慣れました。楽しいかも・・・。山側の沢筋が国道を潜るところは、少し道が窪んでおり、水量が多ければ「洗い越し」になるように作られていました。沈下橋同様、水の勢いに抗せず潜水して道を守る知恵のようです。
11:21、路肩に駐車する車が並びようになったので着いたかな?と思ったらビンゴ、「温見峠」でした。「福井県・大野市」の道標が立っています。標高・1040m。脇に「能郷白山・登山口」があり、入山届ポストも設置されています。岐阜県側の山並みが絶景です。写真を撮ってると、登山帰りの方が降りてきたので、「ここから山頂までどれぐらいですか?」と訊きました。「2時間ぐらいかな」・・・まだ2時間も登るのですね。「どちらから来られました?」「兵庫県の伊丹市です」「いやあの・・・そうではなくて・・・岐阜県側から?福井県側から?」「岐阜県側からです」「R157は通行止め箇所があり、迂回路は林道と聞いていたのですが、バイクが汚れていないから変だなと思って」「舗装林道でしたので、汚れませんでした」・・・てな会話になりました。岐阜県側からのアプローチを諦め、福井県側からここに車でやってきたようです。
帰宅し、車載ムービー編集してる時に、痛恨のミスに気づきました。一番撮りたかった峠越え前後のファイルがありません。バイクのリアランプ連動バッテリー電源供給でドライブしてるオリンパスLS20Mカメラは、録画停止ボタンを押す前にバイクのキーOFFにすると、ファイルが飛んじゃうようです。隠岐の島2日間ツーリングでも、こんなことなかったのに・・・しかも、なんで峠前後やねん!って・・・それとも、バイクの振動で、逝かれ始めてきたのかな?8000円やし、傷は浅いんやけど、高校生でOM2を買ってから続くオリンパスへの信頼が・・・すぐに他の車載カメラ同様、バイクグローブでも押した感が実感できる突起をボタンにくっつけました。
福井県側に下ります。福井県側の方が道路が悪いけど、舗装されてるのでスピードを出さなければ、バイクは平気です。路肩から外れたら確実にあの世に行けるグニャグニャ山道をしばらく下ると、快適な下り2車線道路になりました。12:00、「温見川」を隔てた斜面ががけ崩れしてるとこで、水分補給休憩しました。大型バイクが、猛スピードで行きます。山に入る区間で何台も見たジムニーも、下りで猛スピードです。四国のR438を剱山方面から徳島に下った道に似ており、中央線ありの交通量が少ない舗装路で、ゆるやかなカーブの行だからスピードオーバーになりやすい快走路です。越前朝倉氏が美濃に侵入し、信長が越前一向一揆を討つために越えた歴史街道・温見峠制覇です。
12:43、「JR越美北線・越前大野駅」到着。この鉄道は、九頭竜まで行きます。「天空の城見つけました」のポスターが貼られていました。関西で天空の城といえば「竹田城」ですが、ここも盆地なので朝霧がかかると、竹田城より標高がグッと低いけど、雲海に浮かぶ城になるようです。綺麗だな。駅横に「清水広場」というのがあり、湧水がコンコンと湧いています。水をすくう杓文字コップ完備。黄色い除雪車がいます。僕は子供の頃、除雪車が好きでいろんなタイプのそれを図鑑で眺めて楽しんでいました。スキーをするようになり、雪国でその本物が仕事してる光景に出会い、痛く感動したことを思い出します。
ここで、ソニーNEXC3のバッテリーが無くなりました。予備を常備してるので、慌てず騒がず交換したのですが、うんともすんとも言いません。なんと充電忘れでした。仕方なく、バックアップ車載カメラ・キャノンA1400を手持ちカメラにします。でもこいつは、バイクの振動に耐えてきたので、望遠しようとレンズを伸ばすと引っかかってレンズが引っ込んでしまいます。まあ、仕方ない。
13:03、天空の城・「越前大野城」到着。大野市内の「御清水」という湧き水共同利用場のような施設、朝倉義景墓所を巡ります。織田信長軍に敗れた朝倉義景ですが、越前兵は尾張兵より数段強かったらしく、徳川三河兵の援軍がいなければ信長に勝っていたと言われています。お隣の勝山市に移動し、13:34・高さ日本一の天守閣・「勝山城」到着。濠も何もなく、平地にいきなり天守閣のみという安易な形状で、いかにも戦後の再建城という感じで、僕の興味の対象外です。石垣の龍の模様が綺麗だな。
次に向かうのが、今回の旅の観光面のメインイベント・「平泉寺白山神社」です。勝山城横の道を山に向かい、13:42・到着。「司馬遼太郎・街道を往く・越前の道」で紹介されていた全国白山信仰の神社の総本山です。趣きのある石段が続き、ナイスな神社でした。白山信仰は古く、山岳信仰なので修験道とも結びつき、神仏習合の典型的な神社でした。往時は僧兵を多く抱え、室町・戦国期は一乗谷の朝倉氏と勢力を二分していたそうです。朝倉氏滅亡の時、白山神社は朝倉氏からの救援要請を蹴り、信長側に味方しました。その後、一向一揆勢との戦いで全山一揆勢の焼き討ちに遭いました。
「東尋坊」跡がありました。謂われ石柱には、『東尋坊は力強く乱暴な僧であったので、全山宗徒の恨みを買い、三国の絶壁から突き落とされた・・・』と書かれていました。坊主は税金が掛からないので、貧農家の次男以降など食いつぶした荒くれ者が僧になり、寺社の領地管理における争い事などに武力で威を唱えていたので、こんなヤクザまがいの輩はいくらでもいただろうと思います。江戸時代の再建ではあるが、それなりの雰囲気を山中に漂わせており、長男が初めての息子に名づけるのに拝借した司馬遼太郎繋がりなので、別の意味で感慨に浸りました。バイクまで戻り、駐車場横の売店で、「レモンかき氷・350円」を食べました。こういうシンプルなかき氷が、やっぱり美味しいな。
勝山城近くに見える如何にも新興宗教!という佇まいの巨大建物内に「越前大仏」がいるらしい。15:02、近くまで行ってみましたが、大駐車場完備の天気のいい日曜日なのに、駐車してる車が数台のみという惨状で、パスしました。そろそろ、帰路のことを考える時間です。ここまで予定を順調に消化して来ましたが、いつものように予定時間を大幅にオーバーしています。一乗谷(朝倉氏本拠)〜剣神社(織田家はここの宮司)〜JR今庄駅からr207(北陸本線軌道転用)〜小浜から広域農道〜京都r1〜R173なんて予定を立てていたのですが、総距離576km・15時間半なんて達成できるはずもありません。
「一乗谷朝倉氏館」を見に行こう。15:09・「えちぜん鉄道・勝山駅」到着。かわいい車両が展示されています。サイクリングウエア・ヘルメットの方が10名ほどおり、ロードバイクを輪行して来たのかな?九頭竜川左岸のr168〜r255を下ります。鮎釣りさんがたくさん川に入っており、大盛況です。えちぜん鉄道沿いなので、ここでも並走を願ったのですが、タイミングが合いませんでした。「永平寺大野道路」に乗り、R264で永平寺方面へ。盛況の永平寺を横目に、一度も走ったことがない永平寺から南の国道を走ります。どうってことない田舎道で、観光道路は北側からのみのようです。
R158〜r18で、16:08一乗谷に到着。土塁が残るのみで、建物は、雑人長屋のような建物のみでした。しかし、変に観光客に媚びず、当時の面影の再現に留める姿勢が清く感じました。土塁で区切られた区画に多数の建物が建っていたと思われ、その規模はかなりのものでした。谷の両側を大門で区切り、エリア内が全て要塞化されていたと聞きます。瀟洒な門が再現された場所が、朝倉嫡家の館跡があった場所かもしれません。朝倉氏のような中世の血筋のいい名のある豪族は、日頃政務をとる館の背後山上に最後の砦・詰城を持つのが一般的ですが、館部分だけでこの規模とは朝倉氏の勢力の巨大さがうかがい知れます。方丈に整備された平城宮跡を見るような気持ちになりました。
本当は詰城の方に興味があるのですが、ここが標高50mなのに、裏山の詰城は470mにあり、この比高差は半日仕事なので無理です。登ってみたいなと、見上げるのみでした。
以降の予定を全て次回とし、帰路に着きます。最寄りはr18をバックして「北陸道・福井IC」ですが、まだ陽があるのでr18をそのまま進み、次の「鯖江IC」もパスして、「武生IC」まで田舎道を楽しみました。16:35、途中の「エネオス・越前市野岡町」で給油。170km/6.88L=24.7km/L。給油してくれたお母さんが上まで入れなかったので、いい燃費になりましたが、山岳道路をあれだけ走ったから、−2km/Lぐらいでしょう。
17:08、「南条SA」で休憩。「これからどこに行くのですか?」って、僕の後からバイク置き場に入ってきたハーレー若者2人組に聞かれました。「これから、兵庫県に帰るんですよ」・・・翌日も連休なので、これから出かける方も多いのだろう。福井ナンバーでした。ファミリーマートで、「焼きそばドッグ・98円」でお腹を膨らませます。朝から、おにぎり1個・コロッケ1個・そしてこれ。ソロツーリングだと、食事を待ってる時間がもったいないので、いつもこんな風になっちゃいます。
道路情報では、いつもの様に名神栗東渋滞のようなので、新しく開通した舞鶴道で帰りましょう。18:01、「三方五湖PA」休憩。ファミリーマートで、「ガツンとぶどう・アイス・129円」で糖分補給。三方五湖でお祭りのようで、気球が上がり下がりしています。いよいよ、日没です。どんなPAがあるのか、PAごとに入ってみます。18:41・「加斗PA」はトイレのみ。寒くなってきたので、DAIWAフィッシングスーツの上のみ着ました。「舞鶴PA」もトイレのみ。「綾部PA」もトイレのみで楽しくないな。片側1車線区間が長く、制限速度70km/hのところを80km/hで走りましたが、どうも後方が気になります。路面はナイスですが、山の中腹の吹きっさらしを走る箇所も多く、風の強い日は70km/h巡航になりそう。
宝塚トンネル渋滞がずっと25km表示でしたが、20kmに短縮されました。GPSの示す帰着予定時間は、20:35。まだ渋滞が残っていそうなので、「綾部IC」で下車しました。r77〜R27でR173に乗ります。真っ暗だけど交通量のない道なので、のんびり帰ろうと選択したR173ですが、うまい具合に50〜60km/hで走る先導車の後ろに付き、ライトの切り替えもなしに金魚のフンで楽させてもらいました。R9との分岐で、先導車がR9に行っちゃったので、一人旅になりました。ここはずっとイエローラインで、後続車が僕と同じぐらいのペースなのか、追い付いてくる快速車がいません。
20:39、「ローソン・篠山安田店」でおトイレ拝借し、「ブルガリアのむヨーグルト・5つの果実・120円」を飲んで休憩しました。無事21:30に帰宅しました。ああ、楽しかった。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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