ウェブマスター日記 2014/7-8

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
感想をいただけるとありがたいです→webmaster

2014/8/31
近畿北陸インカレ団体戦予選です。8時出艇なので、7時着・6時前出発とおおまかに予定を決めて当日の朝を迎えました。予選は金曜日から始まり2日間を終えています。天気予報は、まだオールラウンドな実力のない当方に幸いし、軽風が続いています。今シーズンのチームの成績からすれば、470級は予選通過の3位までには入れそうで、S級はボーダーラインまで実力が伸びてきているという僕の戦力分析です。いいところにつけていると予想していました。予想通り、両クラスとも2年連続全国制覇中のD社に続き2位の連絡が入っています。
4時台に起きちゃったので、少しゴソゴソし、5時半に自宅を出ました。この日は家内も予定がなく、琵琶湖まで同行して、京都・永観堂に先祖の墓参りして帰宅予定でしたが、「6時前に出発か・・・どうしようかな〜」という流れで、朝から別行動になりました。天気予報には夕方18時から畳んだ傘マークが並んでいましたが、久しぶりにバイクで琵琶湖に向かうことにしました。
高速道路を使うので、倉庫から「招き猫CB400SB」を出して出発です。1ヶ月前の隠岐の島ツーリング後、6ヶ月点検でホンダさんまで動かしただけです。時間に余裕があるので、中国道から高速入りの定番を止め、吹田まで中国道沿いの中央縦貫道を走り、吹田から名神高速に入りました。真っ赤な朝日が上がってくる空は晴れ間のある曇りです。夕方雨が降ってくるような気配はなく、いい感じです。巡航80km/h・追いついた車を抜かす時だけ90km/hといういつものペースです。
バイクがいるかな?と桂川PAに寄りましたが、1台もいません。おまけに売店がまだ閉まっていたので、クラブへの差し入れも買えませんでした。京都東IC下車〜湖西道路・皇子山IC下車で、R161に出ました。6:38・セブン-イレブン大津松山町店で、ミネラル麦茶630ml・129円と味付け海苔エビマヨ・120円を朝ごはん用に購入し、6:44・エネオス神宮前SSで給油しました。304km/11.59L=26.2km/L。前回給油が鳥取米子道に入る直前だったので、ほぼオール高速道路での燃費です。目標の25km/Lを越えてナイスです。
ハーバーに入って行くと、メッシュ上下の上にヘリーハンセンのライフジャケットを着た姿が、ヨット関係者もろわかりだし、こんな時間にハーバーにやってくるヤツなんて、学連レース関係者のみなので、朝食を買いに行くのであろう他大学学生達から、「おはようございます」の嵐です。僕もバイザーを上げてそれに応えながら、気持ちのいい朝で1日が始まりました。何はともあれ、挨拶に始まり挨拶で終わる体育会系のこういうとこが好きです。
大会本部に上がり、成績表に目を通します。D社がダントツで、これではD社関係者でもつまらないのでは?と思っちゃいます。近年になり楽勝の予選成績なので、全日本インカレ団体戦3連覇に向かうD社に黄信号ではないかと、思っちゃいました。僕が4回生の時、僕がリーダーの470チームから2艇出場した全日本個人戦では、他を圧する成績で優勝候補本命視されていました。団体戦予選でも地区予選を近年にない圧勝で終え、気が緩んだのか全日本団体戦ではふがいない成績に沈んでしまいました。無風〜微風というレースコンディションだったということもありますが、関東の雄・日大は実力通り優勝したので、それは言い訳にしかなりません。
470級は、トップD社に大きく離されていますが、3位にも最悪の1レースがあってもひっくり返らない大差です。S級は同じくトップには大差ですが、3・4・5位とは大きな差がなく、1レース毎に順位が変わるだろう僅差です。
クラブ艇庫前では、学生が体操をしています。キャプテン他とボートスピードの感触など話し合います。レース運営に携わる若手OBが同回で卒業した女子マネとカップルでやってきたので、冷やかします。「たまたま駅で会ったから」とか言ってますが、「みんなで応援に行こう」とメールを回したに決まっています。エスコートできる男子はいいね。女子マネOGさんたちに、「また綺麗になったね」などイタリアーノな軽口を飛ばしながら笑い合います。勝利を目標に戦うクラブだけど、教育機関のクラブでもあり、「楽しい」や「笑顔」がいつも溢れているクラブであって欲しいので、僕のできることをやります。普通は、彼らの親年代の僕が無口でいると、それだけで雰囲気を悪くするからね。
現監督も、レース運営をする次男同期である次期監督もやってきて、朝のブリーフィングです。「失格を避けること、最終日なのでボーダーライン上のチームから攻撃される可能性への注意、練習でコツコツ積み上げたボートスピードを信じること、選手もサポートも心を合わせて勝利に向かおう・・・」などの言葉を掛けました。
定刻の8時に出艇しました。最終レーススタート・タイムリミットは13:30なので、この日のレース数は3でしょう。この日の第1レース・1上マーク回航トップは我チームの2回生・3回生コンビです。レギュラー争いに食い込み、その座を獲得した次世代エースです。最終的には、後続したD社軍団に包囲されトップフィニッシュできませんでしたが、いい経験をしたでしょう。470チームもS級チームも3艇トータル25点以下のノルマをこなし、3位以下に更に差を広げます。フィニッシュ後コーチボートに戻って来るペアに監督と分担して、アドバイスを与えます。僕は最後に握手したり、肩をポンと叩いたりスキンシップして笑顔で送り出します。
この日の第2レースは、スタート〜第1上マークのファーストレグで大きく風向が変わり、エリアで風速の強弱差が大きくなり波乱含みになりました。1上マークは、両クラスとも「ヤバい」順位で回航します。このままの順位でも470は貯金があるのでまだ安泰ですが、Sクラスは4位以下に沈むことを覚悟します。みんな必死に挽回しました。特に470級は、「どこでそんなに上がったの?」との奇跡のフィニッシュ順位まで3艇とも上がり、3位以下との差を更に広げました。S級も挽回しましたがトータル50点叩いてしまい、好成績でフィニッシュした4位金沢大に一気に詰められ同点2位になりました。3位から4位に落ちたRitsとの差も20点しか無く10点詰められました。
フィニッシュエリアにアンカーを打ち、レース艇が戻ってくるのを待つ隣では、大躍進した金沢のコーチボートが大盛り上がりです。そこにレース艇が大声を上げながら戻って来て、サポートから拍手されています。国立大ながら近年大躍進した金沢のクラブ雰囲気を感じました。元オリンピック選手がコーチで入っていますが、彼もこういう雰囲気が大事だと思っているようです。
風が落ちたので風待ちが入り、30度から入ってきた安定した風に対してのマーク打ち替えなどがあり、次が最終レースになりそうです。両クラスとも安定した走りでしたが、駆け上がってきた金沢の勢いは止まらず、470級は1上マーク回航上位6艇がD社と金沢で、その後ろにうちという展開になりました。トップ10に上位3校のみというゲームになりました。このレースはトータルで金沢に負けましたが、10点ほどのマイナスなので、余裕の2位で3日間を終えました。S級も金沢が爆発し、10点ほど逆転されちゃいました。でも4位には更に点数差を広げ、予選通過の3位は確保できました。
またお隣にアンカリングした金沢コーチボートは、更に盛り上がっています。朝のレースが始まる前は、470級5位・S級4位だったのに、更に3レース消化し、両クラス3位内確保です。こちらからも拍手です。
ハーバーバックし、レース艇を片付けた後、ブリーフィングをしました。「おめでとう。10年前にコーチとして手伝い始めた時、レース後レース艇はコーチボートに戻ってこない、女子マネージャーは夏休みに入ると帰省してしまいこの全日本予選に誰も来ないというバラバラだった様子を話し、今はチーム一丸となり、このクラブの雰囲気を気に入り入部してくれる部員も増えた。その結果がこの成績に繋がっている。選手の頑張りはもちろんだが、サポートの頑張りも含めてのみんなで勝ち取ったものだ・・・。でも一面D社のワンマンショーの大会で、全日本に行けばD社クラスの全国制覇を狙える学校が関東4・近畿2・九州2いる。機会があればD社と合同練習などして、D社のスピードを肌で感じて欲しい」などの話をして、閉会式まで一旦解散しました。
関西の学連ヨット部OB会以来お世話になってるOBのTさん・監督さんの3人で、15:00・マクドナルド柳ヶ崎店にお茶しに行きました。何年ぶりのマックだろう。フィレオフィッシュ・299円&ファンタグレープM・100円を注文し、TさんからTさんや僕の母校先輩が共同所有してるセーリングクルーザーでの九州一周1ヶ月クルージングのこぼれ話を聞きました。去年まで奥様のご病気の看病で、日帰りクルージングにもなかなか参加できない日々と聞いていましたが、大いに楽しんでおられます。僕の2学年下の監督さんは、今シーズンで監督を交代しますが、会社も退職するそうです。就職最難関の会社なのでもったいない感じもしますが、しまなみ海道の島でみかん農園をやってる実家の仕事を継ぐそうです。定年が迫り、次の人生に向かって舵を切るようです。
4:15から閉会式が始まりました。S級2位に躍進した金沢の1艇が、最終レースでルール違反失格したようで、結果は両クラス2位での予選通過になりました。閉会式後、艇庫前に戻りみんなで記念写真です。その後、合宿所に戻り、若手OBが準備した祝勝会になります。予選敗退した時は、幹部交代新チーム結成の会になりますが、今回は文字通り祝勝会です。同じ時間帯に涙涙のキャプテン交代式をしている学校もあるでしょう。いずれにしても感動するんだよなあ・・・
僕は帰路につくことにしました。ハーバーでキャプテンに帰ることを告げると、部員みんなから「ありがとうございました〜」の大合唱でした。ほんま学生スポーツはナイスな世界です。湖西道路〜名神で、17:03・名神桂川PAで休憩し、琵琶湖からの帰りの定番・びっくりソフトバニラ130円を頬張りました。バイク置き場の横に、BMWばかり7台の集団休憩しておられました。BMWばかりなので珍しいな見ていたら、「BMW Motorrad Days」Tシャツを着ておられる方が2人おられ、夏の恒例信州BMWミーティングの帰りなんだとわかりました。
天王山付近に怪しい雨雲を見ましたが、降ってる様子もなく、降られずに帰宅出来ました。倉庫にCBを片付け、通勤リード110で帰宅すると、「おかえり」の明るい声が掛かり、僕のためにお風呂のスイッチを入れてくれる優しい家内の姿がありました。片付けた後、風呂に入り汗を流しました。僕は幸せ者だな。僕の身体の大部分を作ってるヨーグルトの冷蔵庫在庫が1個になったということで、タンデムでスーパーで買い物をしました。NHK「ダーウィンが来た」はお休みのようで、「フィフティーボイス」「軍師官兵衛」を見て自室に上がり、1日が終わりました。

2014/8/24
甥(家内の姉の長男)の結婚式でした。これへの出席のために、1週間前にお盆休みで帰省したばかりの長男一家と次男が、また帰ってきてくれました。長男一家は、前日の土曜日にお嫁さんの妹さんの結婚式が、お嫁さんの郷里・新潟であったので、結婚式の連チャンです。長男は、金曜の仕事後新潟に新幹線で向かい、結婚式終了後即空港に向かい、大阪伊丹空港まで飛んできました。お嫁さんと孫くんは、お盆休み前半を我が家で過ごした後、実家にずっといました。伊丹空港着が20時で、ちょうど空港横の猪名川河川敷で伊丹花火大会があり、飛行機から綺麗に見えたそうです。そのかわり、空港から自宅までタクシー10分の距離を、最寄りR171の大渋滞を避けるために川西回りの遠回りになっちゃったそうです。
次男は新幹線で帰って来ました。土曜朝僕の礼服をチェックしてた家内から、「お父さんの白ネクタイがないよ」と言われ、ありそうなところを探しましたが、何故か行方不明でした。そこで次男に途中どこかで買ってくるように電話しました。そしたら、次男も白ネクタイを紛失したそうで、たまにしか使わないものを同時に無くすなんて、なんちゅう親子やと笑っちゃいました。
結婚式場は「ホテルオークラ神戸」で、親戚紹介などで10:30に行けば良かったのですが、家内とお嫁さんの着付けがあり、8:30に着けるよう1時間前に家を出ました。孫くんは、前回のバイバイから1周間なので僕を覚えていてくれました。相変わらずの飛行機好きで、伊丹空港を離陸する旅客機の音に反応していました。2連続結婚式お呼ばれなので、七分ズボン・白シャツ・ベストの礼服スーツを買ったそうで、1才半なのに一人前に決めています。しかも髪の毛も七三分けになってるし・・・、かっこいいぞ。
R171〜阪神高速で神戸に入り、神戸メリケン波止場隣接の背の高いホテルを視認しながら適当に走り、8:20到着。女性陣は荷物を持って着付け室に向かい、長男は寝てしまった孫くんに付き合い車内待機です。僕と次男は女性陣との待合場所ロビーに向かいました。次男はソファーで寝てしまい、僕は途中で見かけた寄港中の大型帆船を見に、外に出ました。
このホテルの外観は、オーソドックスな四角いビルですが、ロビー・エントランス2F、披露宴宴会控室・着付け等3F、結婚式などの宴会場・庭1Fで、港へ出るためには別の階段でロビーから2階下るという複雑な構造になっています。ロビーで聞いて港側に出ました。ジャパンコーストガード艦船の基地があり、停泊し大型帆船は、練習船日本丸でした。4本マストの美しい帆船です。
メリケンパーク広場では仮設テントをたくさん準備しています。広場越しに帆船をデザインモチーフにした「神戸オリエンタルホテル」が見えます。ポートタワーも見え、その手前には「カワサキワールド」があります。披露宴後、時間があればここに寄るコースが閃きました。男の子であれば、大人も子供も楽しめる施設です。
「神戸港夏物語2014」という催しのようで、「タグボート体験航海受付」をやっていました。カワサキワールド前の「ヤマト1」を見て、メリケン波止場から海越しにモザイクを見ます。5月に西宮から大学ヨット部同期と、セイリングでここまで来ました。特設音楽ステージも準備されています。ジミ・ヘンドリックス瀬藤・・・パイン中本・・・ティータイムスリー・・・パラパラバナナ・・・HHBおっさんバンド・・・等、知らない名前ばかりだけど、Babydollsのステージは女子バンドの雰囲気があり観たいかも・・・。
川崎重工のドッグに、潜水艦がいませんでした。黄色の水陸両用車・スプラッシュが、停留所に停まっています。大人3000円で、神戸の町を陸上見学し、神戸港を海上から見学します。カワサキワールドは、10時〜17時開館で、16:30最終入場だそうです。時間があるといいな。
9:08ホテルに戻って来ました。開業25周年の写真が飾ってありました。皇太子・皇太子妃さんが来賓されたようです。ロービーでは次男が爆睡中で、10時が近くなったので彼を置いて、3F親族控室に向かいました。前を着物美人さんが歩いています。後ろ姿にべっぴんさんの色香が漂っています。「あれっ、僕と同じ新郎の控室に入った・・・」、後をついて控室に入ると、振り返った着物美人さんが、「お父さん」と・・・お嫁さんでした。全然わからなかった〜。兄達や親戚とワイワイやってたら、家内や長男&孫くんもやってきて、キリッと決めた新郎も入って来ました。
10:06、式場前の階段で、新郎新婦の写真撮影をしてるそうで、野次馬に行きます。10:12、係の方に誘導されて、そのまま庭に出ます。新婚カップルの撮影の後、いろんな組み合わせで写真に収まります。次男に電話したけど、ここに来る道順がわからず遅刻しちゃいました。甥は長男ですが3番目の子で、お相手さんも三女というカップルなので、姪・甥が多い。長男の結婚式は、長子長男&長子長女カップルだったから、友人の子1人だけの結婚式でした。
控室に戻り、あ〜だこ〜だの続きをします。孫くんは、姪の子達に遊んでもらっています。壊されるかもしれないのに、男の子らしくメカには何に対しても興味津々な孫くんにDSなどを貸してくれます。親同様、優しい子達です。係の方に誘導されて新婦側親族が入ってきて、親族紹介です。続いてチャペルでの結婚式に向かいます。
11:31、チャペル満員御礼の大勢の祝福を得て、定番のセレモニーが始まりました。賛美歌は312番、聖書は「コリント人への第一の手紙13章」という定番です。中高時代に戻ったようで、気持ちが良い。孫くんは長男に抱っこされて、持ち込んだ「機関車トーマス」の本を楽しそうにめくっています。お母さんが着物なので、いつも以上に長男が大車輪です。
セレモニー後、小さな介添えさんを前にして、チャペル前の庭に出ます。渡された花吹雪シャワーをみんなに掛けられながらニコニコ進んできます。チビの時、僕の肩車をせがんで、何度も乗せてやった子が・・・って、親でもないのにちょっとウルウルです。
12:18、披露宴会場の受付に並びます。署名は筆のみでした。しかも根本まで柔らかい筆だし・・・「うわぁ〜うまく書けないよ」。ご祝儀は、家内実家親戚内の暗黙の取り決めで10万です。次男分は僕らが祝儀袋に入れて5万用意し、次男に渡しています。交通費として2万引き出物に入っていたそうで、うちからの交通費も合わせると、次男は儲かってます。長男一家は3人なので10万すると言ってましたが、僕ら親と同額は多過ぎるということで7万にしました。こちらも交通費を3万貰ったそうです。最近の結婚式は、交通費を渡すのが流行りだな。僕の結婚式の時は、交通費は出さなかったから、総費用の大方をご祝儀で賄えたけど、今なら大変そう。
12:44、新郎新婦入場・・・で披露宴が始まりました。子供たちの前には年齢に応じたおもちゃなどが置いてあり、孫くんはドンピシャの機関車トーマスのおもちゃでした。大はしゃぎで親に開けろとアピールしてます。ただあんまりドンピシャ過ぎて、自宅に全く同じ物を持ってるそうです。グフフ・・・
定番のケーキカットに始まり、挨拶や余興があり、お色直し後キャンドルサービスです。各テーブルを回るのですが、姪の息子君が「クロスVサインを全員でや!」と言い出し、わいわいそれを新郎新婦にも強いて記念写真に収まりました。一番じっとしていない孫くんですが、子供たちに遊んでもらい泣いてヒンシュクを買うようなことはありませんでした。
最後は、新郎新婦と両親が袖に出ての挨拶です。お兄さんは、結婚するときに「夫婦間でも挨拶をきちんとする」「なんでも話し合う」の2つの決め事をしてスタートしたが、「自慢になってしまい申し訳ないですが、子供たちが僕らのような夫婦になりたい」と言ってくれているので、なんとかうまく行ったかなと思っていると、話しました。最後は新郎の挨拶で占めます。ウェルカムボードに「感謝」と自筆して色紙を飾ったが、その言葉が全てです」と、各テーブルの仲間を紹介しながらエピソードを加えて感謝の言葉を述べていました。2人共落ち着いてナイスでした。落ち着いて入るけど、長くなりがちな僕のスピーチよりずっといい。
お開きになりました。僕が先頭で新郎新婦ご両親の前をコメントを言いながら出ました。女性陣の着替えをロビーで待ちました。外は雨が降っており、六甲山上空を見ると暗い雲が掛かっています。止んだり降ったり、怪しい天気です。孫くんは、姪の息子くんに遊んでもらい退屈しませんでした。
カワサキワールドに寄り道する時間はなく、16:30にホテルを後にしました。日曜日の夕方なので阪神高速は混んでると予想し、R43〜R171で帰りました。交通量が多く、いつもなら1時間の道中を+30分ペースで伊丹まで来たところで、豪雨になりました。R171の歩道側1車線が冠水しています。甲武橋に向け混んでいるようだったので、勝手知ったる地元生活道路にコース変更しましたが、全面冠水しているところがあり、ゆっくりツッコミ突破しました。
18時に帰宅しましたが、傘がなくずぶぬれ必須だったので、家内が先に家に入り、傘を持ってきました。次男の荷物がまとまるのを待って、JR伊丹駅まで送りました。豪雨は小康状態になっていましたが、近所の駄六川の水位がかなり上がっていました。帰宅後TVを点けると、隣町の池田・箕面・茨木などの時間雨量や避難指示などのテロップが流れていました。僕らが神戸で宴会やってる時に自宅は豪雨の中に耐えていたようです。
翌月曜の朝、長男一家を空港まで送り、この週末行事は終了しました。新婚さんは、来月フィンランドに新婚旅行に行くそうです。オーロラ・ムーミン・・・が目的だそうです。


2014/8/17
14日から4日間お盆休みでした。12日昼に次男が帰省し、13日昼の長男一家が帰ってきました。長男の要望で用意した2.2×1.5mプールを庭に接地し、1才半嫡孫くん含め男3人で入ったそうです。14日は自宅にお寺さんがやってきて定番の法要をし、弟一家とお墓参りした後、京都梅小路機関車館に姪を含め遊びに行き、SLに乗ったりしました。15日は大阪湾セイリングの予定でしたが、新西宮YHに行くと8m/sオーバーの風が入り波も残っていたので、ハーバーセンターハウスでうだうだし、昼食後姪と別れました。帰宅後プールで遊びました。16日はみんなが帰る日で、朝一に長男一家を伊丹空港に送り、帰宅後次男をJR伊丹駅に送った足で、家内の実家・加古川に向かいました。義理姉の家を訪問し、甥や姪達一家と昼食を囲み、みんなでお墓参りに行きました。この本当の狙いは、来週結婚式を上げる甥のお嫁さんに会うためです。
そして17日は、お盆休み4日目は最終日です。息子たちも帰り、また夫婦2人だけの第2の新婚生活に戻りました。「奈良山の辺の道サイクリング」「2台バイクツーリング篠山方面」など、二輪での計画をしていましたが、生憎の天気予報です。前日夜のニュースで、「福知山市の由良川が危険水位を越えた」という北部の大雨を伝え、僕の早朝バイクフィールドの「武田尾温泉に避難勧告」「宝塚市玉瀬に避難勧告」という北摂里山エリアにも大雨警報です。
朝起きても同様の状態で、北には行けそうもありません。そこで、雨でも平気な古都・奈良のお寺めぐりを車でしようと、地図を開きました。近畿地方の天気予報では、奈良がマシです。・・・そうだ、前回三重県美杉町サイクリングで思いの外時間が押してしまい、帰路車で訪問できなかった「室生寺」「長谷寺」を巡ろう。小学校時代の遠足で訪問した記憶があり、家族旅行でも親に連れて行ってもらったように思うけど、もう記憶に残っていません。2寺では時間が余りそうなので、美杉町に行くとき見かけた「談山神社」訪問も加えるといい感じになりそう。
家内が起きてきたようなので階下に下りると、「今日はどこに連れて行ってくれるの?」とニコッとされます。「北の方は雨で、南の方がマシそうなんだ。バイクタンデムでもいいけど、小雨には遭いそう。カッパを着るのは暑いから、車で室生寺に行こうと思うけど、どう?」「いいよ〜、何時に出発?」「6時過ぎに出れるかな?」という会話で決定しました。
6時過ぎに出発し、中国道〜近畿道〜西名阪道〜名阪国道で、7:30・「針テラス」で休憩しました。まだ朝早いし、天気もイマイチなので、バイクは10台ほどでした。でもうちのようなワゴン車から自転車を出しているのが4台おり、柳生や室生の方に走りに行くのかな?と想像しました。ここから柳生までのR369は交通量も少なく、アップダウンも多くなく、サイクリングに良さそうです。
R369を南下し、r28も南下して、R165を少々走り、「室小寺入口」交差点から再びr28。交通量のない川沿いのきれいな道で、気持ちが良いです。川からは薄く朝霧が立っています。8:14、室生寺の拝観時間が8:30なので、時間つぶし激写タイム。「室生寺駐車場」の看板が出てきましたが、お寺の位置がわからずゆっくり進みます。川向うに室生寺が確認できましたが、無料駐車場はないようで、少しUターンバックし適当な駐車場に入れました。
駐車料金500円。「赤い太鼓橋を渡ってくださいね」と駐車場のご主人に教えてもらい、カメラと水筒を肩にかけて歩き出しました。赤橋を渡り、室生寺全体図でアバウトに位置を把握し、8:34・室生寺拝観料600円×2を用意したら、「仏様が東北に出張中なので・・・」と、2人で600円でした。
女人高野・室生寺さんの山門を守る仁王さんは、右が赤と左が青の色付きさんでした。朝一番なので売店や受付の職員さんは、石段などを掃除中でした。「おはようございます」と、朝の挨拶は気持ちが良いです。重文・弥勒堂、国宝・金堂、更に石段を上り国宝・五重塔を見て回ります。家内は、東寺・五重塔より小じんまりした佇まいが気に入ったようで、「女性らいい五重塔で素敵ね」と言っています。
僕は、五重塔へ向かう左手にあった「北畠親房の墓」に、ビビッと来ちゃいました。太平記の南朝・後醍醐天皇方のヒーロー・北畠顕家のお父さんです。常に後醍醐天皇の片腕として働き、顕家戦死後も後醍醐天皇没後も南朝トップの公家として南朝第2代・村上天皇を補佐しました。良い物を見つけたと有頂天になっていると家内が、「伝と書かれているよ・・・」と。そういうのはいいのです、他に親房のお墓があれど、古くからの供養塔であったり縁があるものだから、学者でもないので真意を突き止めるなどせず、単純に喜ぶのが僕のスタイルです。五重塔の奥から奥の院への石段が上っていましたが、僕らはここで引き返します。朝一番だからか観光客が少なく、落ち着いて巡れナイスなお寺でした。仏様が出張中なので旅行者もツアーを組みにくいしね。
『女人高野として名高いこの寺は、天武天皇9年(681年)役行者によって拓かれ、後に弘法大師によって伽藍の整備が行われました。この寺は、高野山と同じ真言宗に属していますが、古くから女人の入山を許していました。境内には金堂・五重塔などの伽藍、本尊・釈迦如来坐像、十一面観音像等多くの国宝・重文が残されています 環境庁・奈良県』
五重塔の絵馬・300円を買いました。女人高野なので、お嫁さんの末永い健康を願って文言を書き、屋敷祠にでもぶら下げましょう。一家の大黒柱は表向きは旦那ですが、主婦がしっかりしていると家が落ち着き、家族が世間で頑張れます。家内が僕の両親を含め上手にコントロールする姿を横で見て確信しました。お嫁さんが落ち着いて元気でいると、長男も孫も思いっきりチャレンジャーでいてくれるでしょう。
9:20・室生寺を後にして、長谷寺に向かいます。r28〜R165・初瀬街道を進み、長谷寺口からr38に入ると門前商店街が道の左右に並び、10:13すぐに長谷寺に到着しました。駐車場に入れましたが誰もおらず、帰りに料金を支払うことにします。
長谷寺拝観料は、500円でした。扇の要の位置にある山門・仁王門から、扇を広げたように周囲の山裾に伽藍群を配しています。
『長谷寺縁起 朱鳥元年(686年)天武天皇の御願により創建されました。50年後聖武天皇の勅願を受け、楠の霊木をもって十一面観世音菩薩を造立し、大伽藍を建立しました。本尊は10m余で右手に錫杖を持ち、大盤石の上に立つお姿で、霊験あらたかなことはつと有名であり、源氏物語や枕草子などにも「初瀬詣」として語られています。長谷寺信仰は全国に広まり、鎌倉の長谷寺など百数十ヶ寺を数えます。』
室生寺の少し後に建立されたのですね。登り廊下が伽藍に向かって伸びています。蟇股などに施された彫刻が素敵でした。お坊さんが出てきた本坊を見学しました。観光客とガイドさんがやってきたので、ガイドさんの説明に聞き耳を立てました。「ここから本堂を拝む景色が絵になります」というので振り返ると、説明通りベリーナイスでした。4年前の天皇皇后両陛下お手植松がありました。
入口で頂いた長谷寺境内地図に青破線で示された40分コースを歩くことにしました。長い石段を本堂まで登ります。上がったとこに設置されていたミストシャワーで一息つき、売店で物色します。京都清水寺のように舞台造のミニ版になっており、テラスのように眼下に他の伽藍を見下ろせます。少し見上げる位置に五重塔の一部が見え、京都永観堂に似ています。
国宝・本堂内に入り、絵馬などを激写していると、お坊さんが本尊前で何やら準備をしています。脇席に10名ほどの方が導かれています。読経が始まりそうなので待っていると、導師様に続き若手僧侶が10名ほど入場され、読経が始まりました。家内の母親が亡くなった時、先祖が眠る京都永観堂に父親のお骨とともに分骨しました。その時と同じです。このお寺で、永代供養される仏様のお供養読経のようです。男声合唱団といえば趣が違いますが、低音で気持ちが落ち着く読経です。重文・ご本尊は、大きくて雰囲気がとてもいいです。
途中で本堂を出て、真言宗のお寺にはよくある弘法大師御影堂〜五重塔〜納骨堂を巡ります。本堂からは地道で基本下り勾配なので楽です。ここの五重塔も室生寺と同じぐらいの大きさです。でも室生寺の方が、なんか雰囲気がいい。きれいな納骨堂で、中を覗くと位牌が整然と並んでいます。家内が、「永観堂のも、ここぐらい綺麗にしてくれたらなあ〜」と羨ましそうです。僕は家内の実家に習って、お寺さんの上部寺・京都百萬遍知恩寺さんに分骨してもらおうと希望していますが、永観堂納骨堂で義理両親と一緒でもいいです。
11:38、長谷寺を出て、門前食堂で食事にします。おみやげ屋さん兼業なので、四国88ヶ所巡りのために用意しようと思ってる納経帳入れを物色しました。NHK趣味Do楽のテキストには、白装束・白さんや袋が基本のようですが、これはいつ野垂れ死んでもそのまま埋葬できるように死装束の白だそうで、僕は野垂れ死ぬつもりがないから、ちょいとお洒落なのにしようと思っています。駐車場に戻ると掛かり人がいて、500円お支払いしました。長谷寺は、適当に観光客がいました。室生寺より地の利がいいものね。
次は、「談山神社」に向かいます。R165に出て西進し、桜井からr37で南下です。すぐに山道になり、どんどん登ります。桜井の85mから490mまで登りました。こんなに標高の高いとこにあるとは思いませんでした。最後r155に乗り、12:43・大きな駐車場に着きました。でも先客は1台だけです。ここにあった観光地図を見てわかったのですが、r155で峠を西に越えれば明日香村で、石舞台古墳や高松塚古墳・飛鳥寺です。談山神社は、飛鳥時代に蘇我氏専横政治を天皇中心政治に取り戻したクーデター・大化の改新・645年を、中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足が諮った場所です。政治の中心・明日香の東の峯を登ったとこだったんだと、現地に来て位置関係が認識出来ました。
道標で道案内されるまま、一旦谷に下り、沢沿いを登って12:51に神社入口に到着。拝観料は大人500円です。
『重要文化財 神廟拝所(旧・講堂) 定慧和尚が白鳳8年(679年)父・鎌足公供養のため創建した妙楽寺の講堂で、塔の正面に仏堂をつくる伽藍の特色を持ち、内部壁面には羅漢と天女の像が描かれている。現存のものは寛文8年(1668年)の再建である。』
鎌足さんの長男は仏跡に入り、鎌足の跡を継いだ不比等は弟さん。最初の妻だった人との間に出来た定慧さんは、鎌足さんの盟友でもあり主人でもある天智天皇の寵愛した女性を正室に授かり、そこに生まれたのが不比等さんで、一説には天智天皇との間に懐妊した後授かったというのがあり、その流れから当然不比等さんが藤原氏の嫡流を継ぐことになったようです。
内部に入ると、前述の壁画に囲まれた室内に、秘仏の入った箱や鎌足さんや不比等さんの像がありました。お客さんが少ないので、2人でゆっくりしました。こんな重要文化財が監視もおらず、手を伸ばせば触れる位置に置かれている日本の治安の良さに嬉しくなります。東京圏にあれば、そうも行かないのでしょうが、片田舎になってしまった奈良盆地の更に南東の端の東峰の上という立地故で有難いことです。
「龍神の磐座」と「恋の磐座」がありました。自然物に八百万の神が宿り、神が降臨した岩にしめ縄を巻き手を合わせる日本の信教が落ち着きます。石段を上り本殿に上がってみました。本殿に相対する拝殿に、鉄の甲や大化の改新絵巻が展示されていました。NHK・ETVなどで見る絵巻で、物語絵巻が面白く、解説が書かれているのでわかりやすいです。蘇我入鹿の首が飛んでいます。刀を振るっているのが中大兄皇子で、弓を構えているのが中臣鎌足だそうです。拝殿から見る本殿は、藤原氏の総鎮守社・春日大社本殿と同じ造りで、脇殿が左右にあり、渡り廊下で拝殿と繋がっています。横の社務所で、十三重塔の絵馬を買いました。これも我が家の屋敷祠に掛けましょう。
本殿横に、重文・十三重塔が建っていました。家内が、模型見たいと言っていますが、まさにそうで、寸分の狂いなくまっすぐ天に向けて13の屋根が整然としています。定慧が父の供養に建てたもので、享禄5年(1532年)再建されたものとは思えない綺麗な姿を見せています。常に修復の手を加えられてきたのでしょう。こういう文化の継承が出来る日本民族の余裕が、ずっと続いて欲しい。
朝、近畿道を南下している時、生駒山系向こうの大和の空に一部青空が見えていたので、「これは晴れるかも?」と期待して来ましたが、空を見上げると夏の雲が浮いています。福知山などを襲った大雨は梅雨の終わりの集中豪雨に似て、それが終わり夏が始まった感じの空です。太平洋高気圧が勢力を盛り返し、日本列島に再び張り出してきたのかな?
入口社務所を出ると、駐車場への帰り道が左右両方を指さしています。左の道は沢を下る来た道なので、右に行ってみます。上り下りなしに駐車場に行けるかも?道標がないと決して入らないような道でしたが、結果はビンゴ!楽々車に着けました。ただ、沢道沿いにあったかき氷にありつけなかったのが残念です。
r155を西進すると、すぐに峠を越え、「明日香村」に入りました。下ると明日香の歴史ゾーンで、蘇我馬子の墓と言われている石舞台古墳横の道を通りました。「氷」ののれんが下がった店がありましたが、ふわふわかき氷でなさそうなのでパス。
R169を北上し、大和高田バイパス〜南阪奈道路〜近畿道〜中国道で伊丹まで帰ってきました。帰宅する前に、近所のふわふわかき氷のお店で、「マンゴーかき氷」を食べました。今年2度目のかき氷です。
帰宅し、乾いたお風呂マットのビニールをお風呂マットに被せて、お盆行事の後始末を終えました。「モヤモヤさま〜ず」を見ながら寝てしまい、「ダーウィンが来た」を見逃し「大河ドラマ・軍師官兵衛」を見て、自室に上がり寝てしまいました。これでお盆休み4日間が終わりました。

2014/8/10
大学ヨット部練習コーチングで琵琶湖に行く予定でしたが、もろ台風通過日になってしまったのでキャンセルし、自宅待機していました。土曜日夜は小雨程度でしたが、夜中に風雨が強くなり、3時ぐらいに目を覚ましちゃいました。ここからゴソゴソしていました。
台風は土佐安芸市に上陸し、一旦瀬戸内海に出た後播磨赤穂市に再上陸しました。我が家の2Fの四方の窓から時々外の様子を見ます。風向は、東から南、そして西に変わり、確実に台風中心が北上してるのが分かりました。10時頃台風らしく強くなり、12〜14時が最盛期で、台風中心が舞鶴付近をNHKが言う頃風が収まってきました。
まだ雨風ともに強いけど、家内と車であちこち見て回ります。どうやら被害はなさそうだったので、スーパーとホームセンターに寄り買い物してから帰宅しました。水鉄砲などプール用品も買おうと思っていたのですが、スポーツ洋品店に売ってるのかな?来週半ばにはお盆で息子たちが帰省するので、早朝活動は掃除ばかりになりそう。
日頃から寝は足りてるはずなのに、同じ場面の繰り返しの台風報道なのでついつい目を閉じてウトウトしてしまい何時間寝たろう・・・それでも日曜定番の軍師官兵衛を見て、本格的に寝れました。そんな1日でした。

2014/8/3
日曜日は、3人乗りヨットの月1レース日でした。大学ヨット部時代の先輩など5人のメンバーで回しています。先月のレースはコーチしてる大学ヨット部のレース日とバッティングしたので、レースメンバーを交代してもらいコーチングの方に回りました。今月のレースはオフの予定でしたが、1週間前の日曜日、隠岐の島に向かうフェリー上で携帯電話の電源を入れると、メンバーのHさんからの着信履歴がありました。しかも2回。慌てて電話すると、今回のレースメンバーの先輩の体調不良で乗れないかとの打診です。大学ヨット部コーチング予定日だったので返事を保留し、隠岐から帰宅後コーチングを翌週に調整してスケジュールを空けました。
晴れの天気予報が、台風の影響で閉じた傘マーク&4〜6m/sの南西風予想に変わりました。閉じた傘マーク程度のお湿りは、この時期改正よりむしろ歓迎です。風さえあれば問題なしです。
朝起きたら曇っていましたが、西の六甲さんは雲の切れ間もあり、僕の観天望気では「雨は降らない、むしろ天気は好転」でした。ゴソゴソした後、することがなくなったので、早いけど7時頃家を出ました。コンビニで昼食用おにぎりを購入し、通勤リード110でR171を西に走って7:30にヨットハーバーに到着しました。
ハーバーセンターハウスはまだクローズなので、ハウス横の道を通りカードゲートを開けて、係留桟橋に向かいます。クルージングに向かうハーバーメンバーの方と桟橋ですれ違ったので挨拶した後、桟橋からクルージング艇に乗り移り、始業点検です。バッテリーをONにしエンジンを掛けると一発始動で、冷却水もしっかりした量出ています。トイレを掃除し、ビルジのたまりもなくドライなので点検終了です。
息子たちがお盆で帰省するので、孫くんの都合が良ければ家族で乗れるかもしれません。彼は僕に似て慎重派のようなので、船を怖がるかもしれません。GWに次男のレース応援で乗った琵琶湖遊覧船とは大きさが全く違います。一応彼用のライフジャケットを、先週スポーツデポで買いました。大人用ライジャケは船の常備していますが、1才半用はありません。僕が子供たち用に買った30年前は、サイズもデザインも1種類でしたが、色もデザインもサイズも品揃えが豊富になっていました。安全基準合格品のかっこいいブルーのコールマン・ライジャケにしました。アウトドアメーカーのコールマンだったらいいでしょう。いくら安くてもわけのわからない中国メーカー製などに孫の命を託せません。僕も息子たちも超豪華版や派手なものを避け、反対に最安価品も選択肢から外れ、しっかりした良品を買う癖があります。安心の日本メーカー品を買いがちです。隣の実家の仏壇に上げています。ご先祖様に守り神として乗り移ってもらいます。
係留艇を降り、レース艇陸置きヤードに入ります。まだ8時ですが、現在ポイントレーストップの後輩艇のスキッパーS君が既に来て艤装中でした。この船はいつも早いです。自艇のオーニングを外し、スピンシート・ジブシートを通しているとメンバーのHさんが登場。2人でセイルをフィッティングを始めるとオーナーのS先輩登場。1週間前は足にばい菌が入り靴も履けないほど腫れたそうですが、治ったそうです。
クレーンでレース艇を桟橋に下ろしてもらっていると、470・スナイプ級関西選手権に出場する学生など多くのディンギーがハーバーを出て行きました。30年前は僕もあの中にいました。9時になるので、センターハウス・ヨットクラブ内でのレース開会式に向かいます。今回も大型クルーザーとの合同レースです。北欧スウェーデンのマリンウエアメーカー・セイルレーシングのスポンサー付きレースのようで、美味しいことがあるかも?です。レース時刻・コース・マークを確認しレース艇に戻ります。
風が弱く、西宮尼崎港防波堤沖の遠い海面でのレースなので、開会式で言われた通り、エンジン付きの大型クルーザーが僕らのエンジンなし艇を引っ張ってくれました。10時半にレース海面に到着しましたが、天気予報とは違う北東から弱い風が入っています。その風も弱く13:30まで風待ちでした。安定した風が予想された南方面は曇って視界が悪いです。六甲さんもイマイチのお天気です。
いつものように、ウダウダ話が続きます。1年前この状態でS先輩御夫婦で行かれた隠岐島の良さを聞き、先週のツーリングに繋がりましたが、今度は佐渡島が良かったという話でした。「行ってみたいな」。午後になり、六甲山上に厚い雲が掛かるようになり、霧雨が落ちてきました。新調したモンベル・パドリングジャケットの出番になるほど落ちてこず、夏に至福のお湿りです。しばらくして風向が南西に変わり、西宮沖の安定する風向になりました。
もう1レースする時間しかありませんが、14時前に僕らのドラゴン級からスタートしました。レース前予定で右海面に行く予定だったので、下2スタートでしたが、下1艇・JPN46の影響で苦しくなる前にタックし、風上艇のスターンを舐めて右に出ます。他の6艇は全て左毎面に伸ばしています。右海面は予想に反しベアの風が入らずタックするポイントが見つからないままエンドが近づいてきたのでタックし左海面集団にミートしに行きます。ここで風が落ち風もベアに回り自艇は最悪の展開です。6艇がはるか前50艇身を切っていき、5分遅れスタートした大型艇にも数艇抜かれています。普通なら追いつける差ではありません。これがヨットレースの怖さです。
次の展開は左海面有利だと読み、一番左まで我慢のセイリングしてタックし第1上マークにアプローチします。ここで神は我らを見捨てず、先行艇がカームに捕まっている間僕らだけが風をもらいぐんぐん追いつきました。6位艇に遅れること30艇身で上マーク回航です。ここでも神は我に微笑みました。5位以下艇に左からのブローが入り、先行艇の風が落ちました。さらに最後尾の僕らにさらにいい風が入り、ぐんぐん前に追いつきます。結局、3位までジャンプアップした5位艇にテイルtoノーズまで追いつき4位回航です。これがヨットレースのたまらなく面白いところです。小3が中3に勝て、全日本チャンピオンに女子がなってしまう所以です。
トップ艇がさっき良かった左海面に向かいます。2・3・4位は右界面に向かいますが、自艇のスベリが良く、3位艇を捉えました。2位艇がタックして左海面に寄せますが、このスターボがいい風を受けておらず、僕らももう少し行ったとこでタックを返し、2位艇・JPN28をは違うレーンを使います。僕らが抜き去った4位艇は僕らからさらに右に伸ばし、レースエリアのエンドでタックを返し僕らとは別のレーンに乗りました。
左に出したトップ艇は遅れ、JPN28がトップに出て右海面選択が正解でしたが、一番右に出した艇が最も良く、僕らは抜き返し元のトップのJPN52をも抜いて2位回航し、僕らは4位で2回目の上マークを回航しました。次はフィニッシュに向かう最終風下レグです。1・3位艇は左海面に向かい、2・4位艇が右海面に向かいます。僕らは後ろから迫る大型艇にブランケットされて艇速を落とされましたが、4位キープでフィニッシュしました。
風が弱いので、また大型艇に引っ張ってもらい4時にハーバーバックしました。船を片付け5時の閉会式に望みます。セイルレーシングからのお土産はたっぷりあり、参加各艇にTシャツやパンツが配られました。僕らの隣の席は僕らとは逆に気まぐれな風に翻弄されビリになったJIB艇で、最年少君が綺麗なグリーンのTシャツゲットです。僕らは白のパンツでしたが、SサイズだったのでJIB最年少くんに結婚祝いとしてあげました。新婚の奥さんへのいいお土産になったでしょう。
ピザやお菓子などしっかり腹に入れ、お開きになりました。僕は1Fの一点鐘でヘリーハンセンのブルーのライジャケを買いました。10年ぶりにライジャケの更新です。ムストーのライジャケが色あせちゃってます。孫くんとお揃いのブルーにしてみました。
レース中も止みなく霧雨が落ちており、帰路のR171も雨中でした。でも夏なのでどうってことない雨で、カッパも着ませんでした。帰宅すると家内がスーパーまで買い物に出るということなので、車で向かいました。500gプレーンヨーグルト8つゲットです。僕の食生活はこれなしに成り立ちません。
久しぶりに「ダーウィンがきた」「軍師官兵衛」の定番番組を見て寝ました。ああ面白かった。

2014/7/27
日・月と1泊で隠岐の島ツーリングに行ってきました。先月行く予定でしたが、天候不良で順延していた旅です。森村誠一「太平記」を読んで、いつか後醍醐天皇配流の島・隠岐の島を探索したいと思っていました。去年、ヨットレース中に、S先輩が奥様と飛行機で行かれた隠岐の島の話を聞きながら、具体的な旅の姿が見えてきました。「隠岐の島、ええぞ〜」にグラリと来ちゃいました。
知夫里島・西ノ島・島後の3つの島を巡りたいと思ったけど、フェリーの都合で1泊では無理そうなので、西ノ島と島後を巡ることにしました。注視してた週間天気予報も落ち着き、金曜日に隠岐汽船に電話し本土〜西ノ島・西ノ島〜島後・島後〜本土のフェリーを予約しました。続いて島後隠岐の島町観光協会に電話して、フェリー着の西郷港周辺の民宿の手配をお願いしました。15分後電話があり、民宿は空きがなく(日曜晩宿泊なのでお休みのとこが多いのでしょう)旅館を確保しました。
土曜日朝準備開始、いつもの用意に加え、コミネ軽量バイクカバー・コミネセーフティーメッシュベスト・地図・NEXUS・着替え・洗面用品などと、コミネ50Lショルダーバッグを準備しました。準備万端整えて出勤したので、土曜晩は帰宅後食事して風呂に入って、22時に床につきました。鳥取県境港近くの島根県七類港9:30発のフェリーですが、「1時間前に来てね」と書いてありました。自宅から七類港までは230kmなので、小休憩込みで時速60kmで計算すると4時間。4時発が必須なので、一応3時に目覚ましを掛けます。
目覚めら2時で早過ぎるけど二度寝は命取りになるので、身体の赴くまま清く起床しました。倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、ナビバッグをセット、リアボックス内を整理、コミネバッグをネットでボックス前に固定し、コミネセフティーメッシュベストを着て、2:21・エネオスR176宝塚山本SSで給油。195km/8L=24.4km/L。
このベストは、コミネ夜間走行用自転車用品で、ヘッドライトで反射して光ります。道路工事の交通整理ガードマンさんのベストのおしゃれ版です。通勤リード110にも、ランニング用品のピカピカタスキを標準装備しています。早朝や夜間ランニングされている方が、光って目立ってるので誘発されました。冬用バイクジャケットを買い替えたのも、前回のが黒で夜は目立たないと思い、白が入ったものに新調しました。CBを白にしたのも、夜間少しでも目立つのが目的です。
中国道・宝塚ICから高速に乗り、一路西に向かいます。3:25・加西SA、3:53・揖保川PA、4:28上月PAと小刻みに休憩して、4:49・勝央SAで、ジャージー牛カフェオレ235円購入。4時間睡眠では足りないようで、PAではベンチで横になっていました。上月〜勝央間で夜が明けました。夜間走行で薄く霧が流れていましたが、夜明けの空はどんよりです。
落合JCTより米子自動車道に乗り換え北上開始です。夜が明けると眠気も消え、僕は昼行性動物の典型だなと思いました。米子道は瀬戸内と日本海側の気候を隔てる脊梁の中国山地を多くのトンネルで抜けて行きます。「トンネル出口雨」の電光掲示が始まり、カッパを着るほどではないものの雨の気配です。高速道路のフロントスクリーンの威力は偉大で、スクリーンには水滴がつくものの身体は全く雨を受けてる感じがありません。唯一心配だったウエストバッグですが、こちらもセーフでした。「トンネルを抜けたらいきなり大雨かも?」を想像しながら走ったので、眠気が吹き飛んじゃったのかも?
6:23・蒜山SA、時間に余裕があるのでここで少々休憩します。7:06・大山PA着。時折落ちてきていた小雨も上がりました。車載ムービーをセットしました。今回のお供は、オリンパス・リニアPCMレコーダーLS20Mです。
終点の米子ICで下車し、道なりにR431。ガソリンはまだ半分のメモリですが、フェリーに乗るまでに給油予定だったので、7:22・エネオスウイング米子インターで給油・230km/9.3L=24.7km/L。R431は広く快適な海岸道路です。中海と日本海を隔てる弓ヶ浜の砂防林に守られて北に伸びています。佐賀県唐津もそうですが、海岸沿いに防風林がある海は、日中海風が強く良いヨットレース海面です。ここの沖も、国体や各種ディンギー全日本のナイスゲレンデです。
「米子鬼太郎空港」という寄り道をそそる名前が案内板に出てきますが振り切り、r221〜r246で8:03、ダイハツ軽自動車CMで話題になった「ベタ踏み坂・江島大橋」に寄り道です。もっと時間に余裕があり、境港ゲゲゲの鬼太郎ロードに寄り道予定でしたが、ここだけになりました。往復しました。ここでご同輩と思われるキャンプ用品を積んだ大型バイクを見かけました。
r246〜r47でR431に戻り、海峡を越え島根県へ。8:25、R485との交差点にあるコンビニ・ポプラ美保関森山店で、手巻きシーチキンマヨネーズ108円・手巻き博多辛子明太子135円おにぎり2個購入しました。出てきたらさっきのキャンプ満載大型バイクがフェリー乗り場のあるR485に曲がっていきました。ご一緒になるかな?僕もそちらに向かいます。トンネルを抜けて、フェリー案内に従ってフェリー2隻の接岸するターミナルに入っていきます。「手続きはまだですか?ならばあちらにバイクを置いて・・・」と促され、7120円支払ってバイクに戻ります。
乗り場で並んでいた車は全てフェリーの中に入ったようで、「乗ってください」と促されます。ガタゴトとフェリーに乗り込み、係員の指示に従い所定の位置にバイクを置き、エンジンなどを切って降りようとしたら、「あらら・・・」ゴトン・・・CBで初コケしちゃいました。スタンドが十分出ていなかったようです。僕のバイクを括ろうと前後に構えていた係員さんがすかさず起こしてくれました。
2年と5ヶ月での初コケはショックだったけど、教習所バイクのように横にはみ出してるリアガードの威力は絶大で、前後ガード以外どこも地面に当たっていません。よってガード以外の傷はナシです。「おお〜、これは凄い」、2点のガードでクリアに浮いてる姿を写真に撮りたかったけど、船員さんに一瞬で起こされてその暇はありませんでした。
8:59、2等船室に収まりました。僕以外にバイクはなく拍子抜けです。日曜日なのに、隠岐の島ツーリングの方は皆無のようです。9時発で七類〜島後〜島前各島〜七類の「フェリーおき」もあるので、さっきのキャンプ大型バイクはそちらに乗られたのかも・・・・この「フェリーくにが」は、七類〜島前各島〜島後〜七類です。あと夕方に乗る「フェリーしらしま」島後〜島前各島〜境港〜島前西ノ島〜島後もあります。
9:30岸壁を離れ、12:05西ノ島・別府港まで寝ておきましょう。家から持ってきた麦茶をリアボックスに忘れたので、「いろはすオレンジ160円」を買いました。11:10目が覚めると、島が近くに見えていました。波は穏やかで、感じるのはうねりだけです。海象が悪ければ船酔いするかも?と心配でしたが、うねりも小さく問題なしです。ちょうどフェリーが対向してすれ違いました。夕方お世話になる「フェリーしらしま」のようです。
見えているのは、最初の寄港地「知夫里島」のようです。隠岐諸島は、西の島前と東の島後に分かれます。島前は、現在西ノ島にある火山のカルデラ地形が海に落ち込んだもので、カルデラ外輪山が海で3つに分割され、中央部の火山本体が外輪の西ノ島とくっついて形作られています。島前行きフェリーは、外輪山の割れ目から内側に入りました。うねりを外輪が遮ったようで、うねりを感じなくなりました。大きな内海に入ったようで、台風などの時も内海は波もマシなんじゃないかな?
知夫里島到着まで30分です。走りたかった知夫里島をくまなく見ます。最も標高の高いところ一帯に立ち木がなく草原になっています。そこで牛が放牧されているはずです。このエリアがかなり広く、素晴らしい景色が想像されます。
11:28、知夫里島・来居着岸。岩盤が海に落ち込み、ずっと着岸できそうな海岸がないなと思っていたら、無理やり力技で作ったような港で、水深は深そうですが、コンクリート岸壁がないと風波をまともに受けそうな良港とは言い難い港でした。道が背後の山をつづら折れしながら登っています。岸壁では、旅館の送迎バスが待っています。海水が透き通り、素敵な島です。
再び出港し、窓から島の景色を眺めていたら、目的地の西ノ島・別府港まで30分なので、艦内放送で下車の人は車両甲板まで下りるように促されました。11:49、バイクまで降りるとまだガッチリ固定されたままです。初コケのガードの傷を確認するが、手で触ってザラつきを感じるぐらいでノープロブレムでした。
下船します。17:05発の島後行きに乗るためにここに戻って来なければならず、4時間の島内探索の始まりです。港から東方面は、後醍醐天皇の御在所跡だけなので、歴史遺産は後回しでR485で西に向かいます。島前最大の西ノ島も、あと少し侵食が進めば2つに分かれそうなぐらいになっており、その狭い海峡ルックなとこを赤橋で渡りました。12:13、橋の中央でバイクを停め、荷造り確認しながら眼下の景色を眺めます。天気は「晴れ」で素晴らしいです。交通量殆どなし。フェリーから降りた観光客バイク1台僕のみ。他は数台の仕事車。
港の横を通ると、島根県警の警察艇やイカ釣り漁船がもやっていました。目的地の一つ・「由良比女神社」がありました。島の文化財的なものは2つの神社しかなく、期待していませんでしたが、これが大ビンゴでした。檜皮葺も厚くて重厚感満点だし、しめ縄が出雲大社的に太くかっこいい。蟇股や屋根を支える部分の龍の彫刻が立体的でリアルです。日曜日なのに観光客は僕一人ですが、本土にあれば多くのファンを惹きつけることまちがいなしです。謂れ板を読むと、延喜式に収載された古社で、これを建てる経済力の源が何処から?と疑問に思いましたが、社前の浜に10月から2月までイカが滝のごとく群集し、多い時は数万バイと書かれていました。しかも番小屋で待ち、網ですくい取るだけだというからオイシイ仕事です。漁具も漁船も貧弱だった昔なら、願ってもない棚ぼたです。イカで社殿が成ったのかもしれません。と言うより、このイカのご利益を願ってこの地に建てたんじゃないかな?お見事!
道なりにr320になり、「鬼舞スカイライン」に登ってみました。スカイラインの名のごとく、尾根道からの景色が素晴らしい。でも、馬糞・牛糞が半端ないです。今朝したてのリアルな盛り上がりのはあまりなく、風が吹き抜ける尾根道なので臭いもありません。ただ雨の日に来ると・・・。最初は避けていましたが、無数にあるし乾いてるので後半は回避動作が面倒になりました。
13:02、どん詰まりの「鬼舞展望所」が見える駐車場まで来ました。草原を登っていく階段が晴天下で美しいですが、馬がいるし・・・体力温存することにしました。1〜1.5車線ですが舗装された道が縦横に走っています。案内板もしっかり設置されてて、迷う心配はなさそうです。高木がなく海まで見通せるので気持ちが良いです。帰路、さっきはいなかった牛が道端にいます。肉牛です。デカくてとてもバイクじゃ対決出来そうにないです。展望所のように見えたとも目指して適当に走ってると、それは牛の監視所なのか牛しかいませんでした。ここから更に海側に見える展望所も牛が周りにいます。やたらに牛が目につきます。
13:29、「赤尾展望所」に着きました。摩天崖の上部と通天橋が綺麗に見えます。夢中で写真を撮っていると、定期観光マイクロバスが来ました。島が運営しているようです。お客さんが窓からカメラを構えています。一旦r320に戻り、r315で摩天崖・国賀海岸方面に進んでみます。そこに木造2階建ての「西ノ島小学校」がありました。
13:52、途中何度も絶景激写しながら、「摩天崖展望所」到着。奇岩を激写しながら「西ノ島ウォーキングコース」案内板を見ていました。高木のない日陰なしのコースが書かれていますが、炎天下なので辛そう。観光タクシー運転手と思われる方がお客さんに説明しています。「道のように見える白い筋が見えるでしょ、あれは牛や馬が勝手に歩いてできた道です。あの向こう側は放牧場なので、時々やってきます。草を食べちゃうので、木が生えてないです」・・・フムフム。
14:10、摩天崖の上の方を走ってると思うのですが、案内板に導かれるままです。牛馬が屯してるとこを激写してると、僕の上を2羽のトビが旋回しています。僕が野垂れ死ぬのを待っているのでしょうか?地元の車と1台すれ違っただけの1車線グニャグニャ舗装路を上がると、さっきのウォーキングコースの最高所でした。
14:17、「魔天崖」到着。以外にも数台の車がおり、観光客が10名以上います。みなさん魔天崖の崖っぷちまで歩いて行かれます。僕はパスして下ります。R485で赤橋を渡り、島前の中心の元火山・「焼火山」山腹にある「焼火神社」を目指します。が、途中まで上ったとこでUターンしました。島内随一の神社なのですが、駐車場から20分近く歩かないと神社に辿りつけないとわかってるので、もういいかって感じです。この島最大のお楽しみ訪問地・後醍醐天皇配流所が残っているので、そっちで慌ただしく回るのも嫌だし。
別府港前を通り過ぎ、14:49・「黒木配流所」到着。御所と書かれているけど、鎌倉幕府倒幕に失敗して罪人として流されたのだから御所は持ち上げ過ぎでしょう。この事件の100年前に後鳥羽上皇も幕府倒幕に失敗し、隠岐島前の中ノ島に流され、そこで生涯を終えています。大正・昭和・現天皇・現皇太子も自らの御代になる前の皇太子時代に参っているようです。後醍醐天皇配流所とされる場所は、島後にもあります。でも宮内庁はここを正式に配流所と認定しているようです。カルデラ内湾に望む小高い丘に配流所跡があり、森村誠一もここを配流所として太平記を書いており、女房として唯一ついてきた三位の局との失意の生活・楠木正成からの使者訪問・脱出行・・・配所展望所から、穏やかな湾を後醍醐天皇になった気持ちで眺めると、脳内で想像の翼が開いていきます。隠岐の国守護・佐々木氏も幕府の命令で監視するも、相手が天皇故手荒な真似は出来ないし・・・隠岐脱出には本土に渡れるそれなりの大きさの船が必要だから、佐々木氏自ら機内の楠木正成など倒幕派と鎮圧幕府軍の戦闘の情報を得ながら、最後は脱出を見逃したのだろうと思いました。夜陰に紛れても、それなりの大きさの船でなければならず、島前各島の監視所の目から逃れるのは無理です。さらに最も船足の速い大型船は、守護が持っているに決まっているから、見つけられたら本土まで逃げおおせるのは無理でしょう。森村誠一・太平記では犠牲を払って逃げ切ったように書かれていますが、真実はそこにはないなと思いました。下の港脇で、買ってきたおにぎりを1つ食べました。フェリー内で食べる予定だったけど忘れていました。
15:12、別府港まで戻ってきました。島前各島を結ぶ小型フェリーが来ました。このフェリーも利用したら、他の島にも渡れたかもしれませんが、時間に追い立てられるのは勘弁なのでいいです。15:44、「フェリーおき」が来ました。次は本土・七類港です。これを見送ってから、切符売り場に向かいます。「バイクで予約してました・・・」まで言うと、「はい、・・さんですね。バイクは400ccですね」ってツーカーです。4000円。
15:58、アイスソフト130円でクールダウン&糖分補給し、ブラブラしてたら、「飛行場の浜」という謂れ板が目につきました。昭和10年に隠岐の島に初めての空路が開設され、ここに飛行場があったそうです。平地などないのにと読み進めると、ここで酒造業を営む安藤猪太郎氏が航空会社に要請したそうです。使った機材は水上飛行機だそうで、波穏やかなこの湾なら可能ですね。当時の飛行運賃が6円で、隠岐汽船三等運賃の4倍だったそうです。僕の乗ってきたフェリーの二等運賃は3240円です。謂れ板の立つ後ろに隠岐酒造・安藤本店がありました。なるほど・・・楽しいな。現当主の爺さんが水上飛行機を引っ張ってきたんだな。ムフフ・・・。
隠岐汽船を設立した焼火神社神官・松浦さんの像が立っていました。当時帆船で命がけだった本土航路の近代化を願って、明治18年、自らが購入費の半額&損失全額負担を約して汽船を共同購入した。しかし経営は苦しく、所有する焼火山所有林を全て伐採して定期運行存続に務めたが、志半ば明治23年38才の若さで病に倒れる。氏の遺志は3年後の隠岐汽船株式会社設立の祖となる。
貧富の差が大きかった当時は、地域の篤志家が私財を投じてインフラ整備していったが、その最たるものですね。財を積上げるばかりの成金は、いずれ庶民の心が離れ落ちぶれる。帰宅後、現在の焼火神社の宮司さんを調べたら、やはり松浦さんでした。さっきの安藤酒造同様、篤志家として地域の信望を集める家系には、それなりの人物が時代に合わせて現れ、そんな先祖を持った子孫は今も繁栄している。目先の利に軽進せず、どっしりと生きたいものです。僕も自分の才はわかっているつもりだから、最高の嫁を娶り後進につないだつもりです。僕の子孫にも、先祖に勝るとも劣らない逸材がまた現れるはずです。できれば僕がまた子孫に生まれ、それをやってのけたい。
「フェリーしらしま」が接岸し、僕と車2台が乗り込みました。またバイクは1台のみです。境港からやってきた船ですが、下りた車が2台ほどで、フェリー内の車は全部で5台ほどです。客室もガラガラでした。ツーリング初日・西ノ島の天気は晴れで日差しはきつかったけど、大阪のようなジメッとした空気じゃなく爽やかでした。海風が入っているので、過ごしやすそうです。
ゴロリと寝転びウトウトして15分ほど短く寝て目を覚ましたら、もう島後が見えています。上部甲板に上がって、海の景色を激写します。傾いた太陽から伸びる光の筋が海に美しい。高速旅客船が、水中翼で船体を浮かせ、島後から島前に向かってカットビですれ違いました。
18:30に島後・西郷港に到着し、まだ陽があるので、旅館に入るのを後回しにして、R485〜西郷広域農道を経て、18:42・隠岐空港に到着しました。丘の上のコンパクトな空港でいい感じです。都会からの観光客の玄関口ですね。滑走路を見渡せそうな高台に上がってみました。そこで無線飛行機が飛んでいました。空中停止の曲芸バリの操縦で、なかなかの腕前のようです。
19時、西郷港近くの「旅館竹の坊」に着きました。バイク置き場を聞くと、宿横の立体駐車場内です。屋根があってバイクカバーは不要のようです。宿帳に記入し、翌朝目覚めたら発つことを話し、精算してもらいました。6000円。部屋に案内してもらい、家内に無事到着の報告をしました。素泊まり予約なので食事処を聞くが、日曜日で休業のとこや時間が遅いので閉店してるとのことで、居酒屋ならたくさんあるそうで飲食店マップを貰って出ましたが、アルコールがいただけないので居酒屋に入った経験も2度ほどしかなく、どうもあの雰囲気は・・・ってことで、港で夜釣りを眺めてから宿に戻りました。おにぎりの残り1つを食べて、風呂に入り、TVを点けたらスマップのコンサートをしていました。夏のTV祭りの一環番組内企画のようでした。他のチャンネルボタンを押しても全て同じ番組で、NHKが入らないのかな?と不思議でした。軍師官兵衛が見たかったんだけどな。
クーラーもありましたが、風邪をひくとまずいので窓を開けて寝ました。これだけで十分涼しいです。20時過ぎに寝ました。日曜の晩なので、お客さんは僕だけのようで貸し切りです。

7/28
目を覚ましたら、窓の外は真っ暗でした。二度寝して次に目を覚ましたら、うっすらと朝の気配がしていたので出発することにしました。自宅でも感じていますが、1ヶ月前よりは確実に夜明けが遅くなっており少々ブルーです。ここは自宅より西に位置するから余計です。布団をたたみ、バイク装束に着替え、昨夜女将さんに言われたように部屋に鍵を置きます。カメラ貴重品を入れてる釣り用ヒップバッグを肩腰に固定し、コミネバッグを背負って、4:28旅館を出ました。
バイクは旅館のすぐ脇の駐車場なので、エンジンを掛けるのをはばかり裏側の国道まで押して出ます。ここでエンジンON、島一周にいざ行かん。R485を北上し、4:49「玉若酢神社」に到着。国指定重文。「酢」の字があるので、調味料の酢に関係あるのかな?とも思っていましたが、神様の名前でした。謂れ板によると、景行天皇がここに遣わした皇子の名前だそうです。景行天皇は古墳時代黎明期の12代天皇で、記紀によると王子のヤマトタケルを西国・東国成敗に遣わした大和朝廷の勢力圏を拡大したランドマークな天皇です。古代史の逸材・武内宿禰の時代ですね。それにしても大和から遠いので、出雲政権の隠岐島征服を示しているように思う。本殿の全体像や屋根の形状が京都や奈良のシュッとした様式とはなんとなく違い、出雲の神社様式に近い重厚さを感じます。
西ノ島の神社同様、重厚感が有り惹きつけられる神社でした。本土と海を隔て独自文化が流れているのかな?と想像して来ましたが、対岸の古い歴史を持つ出雲の神社建築様式がより濃く感じました。地理的な関係で、本土建築・細工・彫刻職人を引っ張ってくるのに無理があるにも関わらず、これだけのものを島内職人で建ててしまう技術力・文化力は相当なものです。境内の大杉が見事で、江戸時代までは主燃料・主材料だった木材なのに鎮守の森として手をつけないのは文化的高さを物語っています。お守りが並べてあり、横に料金箱があったので、500円で「縁結びのお守り」を買いました。女性が多く買われるのでしょう、ピンク系の袋に赤で「えんむすび」と書かれています。次男に良い縁を授かりましょう。
隣接して隠岐国国造・億岐家住宅(国重文)があり、「おお〜」と小さな感動を覚えました。億岐氏は天皇家・出雲大社宮司千家家に準ずる歴史の古い家系です。国造は、律令制の古い時代の官職名で、後に国守・守護などに名前を変えていく現在の知事職ですが、古代地域を支配していた豪族が大和朝廷から任命され、統治・収税業務委託されたそうです。世襲制を取っていたようで、出雲や隠岐は神官として世襲し、地域の篤志家として家系を保っている名族です。こじんまりした茅葺き屋根の質素な住宅でした。開館前で中を拝見できなかったのが残念ですが、早朝時間帯で観光客ゼロで隠岐国の古代中心を見れて有意義でした。「隠岐は水木のルーツです 水木しげる」の碑が立っていました。歴史文化の凝縮された感じがしていたので、納得できました。
R485を少し戻り、r44で西進します。夕方まで大きく島後を時計回りで主に海岸線を一周する計画です。海岸線に出ると海が素晴らしく、山を振り返ると断崖が聳え立つところが見え、こちらも素晴らしい。
5:52、「屋那の松原」手前の「釜屋」というところの舟屋がナイスで激写休憩。すぐに「屋那闘牛場」があり、その浜側が松原でした。僕的にはこの松原は規模が小さくイマイチ。闘牛場は、沖縄同様円形で周りに観客席が巡っています。
r44を海岸線に沿って少し北上し、分岐に迷いましたが、なんとか「壇鏡神社」への道に入り込みました。ここから舗装林道で、山を登ります。後で調べたら、「牛突場」案内板に従えば良かったのですが、「かたくりトンネル」を抜けてしまい、逆に間違えて入った山道を戻ったりして、6:20「亀の原池水鳥公園」でトイレを拝借しました。水面から朝霧が立ち、いい感じでした。「壇鏡の滝・6.3km」の案内板が立っていました。
1車線の舗装林道をグニャグニャ時速20kmほどで登り、標高400mほどまで登ったとこに、痩せた2本の滝がありました。怪しい林道脇の滝で、観光客を呼ぶ駐車場もないので目的の滝ではなさそうだけど、滝・神社の上を巡る林道なので、この水流の下に目的の滝があるのかもしれません。
林道は下り基調になり、参拝メインルートである1.5車線道に合流しました。それに乗って少し登ると、6:51「壇鏡の滝」到着です。誰もいません。ここにバイクを置き、勾配のゆるい沢道を徒歩で登っていくようです。鳥居の前の狛犬の位置に2本の巨杉がそびえています。「謂れ板・壇鏡神社と杉の木」によると、『松尾山光山寺住職が滝の側で見つけた神鏡を祭ったのが壇鏡神社の始まりです。昔壇鏡神社に出雲大社から神殿修理に協力するよう文書が届き、境内の杉の木を要求されました。出雲大社の横暴に村人は腹を立てたものの仕方なく、境内の杉の木を切り出しましたが、鳥居を後ろに動かすものがいて、鳥居の外は神社の所有ではないとして、2本の巨杉が残りました』とありました。面白いね。
滝までの参道の脇は巨杉が林立していました。山中の神社の雰囲気を盛り上げています。岩盤を削った沢の底はなめらかな岩が綺麗です。6:59、「壇鏡の滝」に着きました。水量は多くないですが、落差もそれなりにあり、1本は岩肌を縫うように流れ、もう1本はオーバーハングした落ち口から岩を離れ、下の岩に落ちています。滝の奥の岩盤に祠があり、小さな洞窟の入口に木格子されています。あの格子の奥に鏡が祀られていたら絵になるなと、滝の裏側に入ってみることにしましたが、蜘蛛の巣トラップにより退散しました。ここでも写真モデル代お賽銭チャリン。
ここからメインルートでr44まで下ります。途中に「光山寺跡」がありました。謂われ板によると、奈良時代末期770〜780年創建で、小野篁配流所とありました。小野妹子と関係ある人かな?と帰宅後調べたら、遣隋使小野妹子の子孫で、遣唐副使だった人物でしたが、遣唐正使とのいざこざで仮病でズル休みしてここに配流されていたそうです。麦茶休憩しながら、CB400SBの装備点検します。今年装着したシグナス125用ロングリアフェンダーは威力抜群で、水はねをリアボックスに巻き込むことがなくなり、リアボックス後面の汚れは皆無になりました。同じくプロト・ワイドステップCB400X(NC47)用は、走行中の足置きが楽になり、土踏まずの痛みが解消しました。昨日威力を発揮したリアガードもありがたかったし、RAMマウント固定してるオリンパス車載カメラLS20Mもいい仕事をしてくれています。
r44に合流し、再び海岸線を北上します。7:41、「那久岬」到着。沖をセーリングクルーザーがフルセイルで進んでいます。風速3m/sののんびりアビームのようです。晴天に白い帆1つ、絵になるね。岬の先に白灯台が立っています。歩いて行けそうですがパス。白い灯台が多いのは、早朝や薄暮でも視認性がいいからでしょう。バイクも白系統が夜間でも安全そう。『許すな密航・密輸・テロ! 不審な人・車・船を見たらすぐ110番』の警察案内板が貼ってありました。素敵な景色の隠岐の島だけど、これが現実でもあるのですね。そう言えば、西郷港に『竹島と海を返せ』の看板が立っていました。韓国との領有権問題でもめている竹島は、隠岐の島町の管轄なんだろうな。僕がポツンと展望所にいると、軽四トラックに乗ったおっちゃんが、見回りに来ました。崖下を覗いていたので、密漁監視の当番漁師さんかもしれない。
更に北上し福浦漁村脇を走りぬけようとしたら、路上横断中のカニさんを発見しました。無事横断成功。ここから「ローソク岩遊覧船」が出ているようです。
「福浦トンネル」の小さな看板を見落とさず、入江脇道を入っていきます。8:21、通行止めバリケート到着。ここから徒歩です。海の水が綺麗で、我が家周囲では6月で鳴かなくなったうぐいすがまだ鳴いています。カニやフナムシがちょこちょこ歩いています。いい感じの手掘りトンネルでした。
「ローソク岩展望台」案内に従って、9:00・「尾白鼻園地」到着。「ローソク岩」も見えましたが、その他の断崖が海に落ち込み海岸線も素晴らしく、晴天に輝いていました。
「水若酢神社」に向かっていると、「伊勢命神社」を発見しました。島内で2つの若酢神社に次ぐ規模で、なかなか感じが良かった。しめ縄の太さが、出雲様式を感じさせます。龍の彫刻がリアルです。本殿の屋根妻部分を長い尾が巻いているようです。
R485に合流し、9:45・「水若酢神社」到着。ここが隠岐国一の宮です。土俵があり、2013年公開の映画「渾身」のロケに使われたようです。見てないけど相撲の映画だったような・・・。
これで島の西半分の予定地を全部廻りました。帰路フェリーは西郷港15:10発なので、余裕です。旅館の朝ごはんに付き合っていたら、予定の半分ぐらいしか回れないでしょう。僕はツーリングに出ると、食べる時間を惜しんで走ります。1食・2食抜いたって死にやせんし、食べてもすぐ出来そうな物を注文するので、カレーが多くなります。
R485を最北端に向けて走ります。10:18、「白島崎展望台」到着。「竹島161km・対馬434km・国後島1366km・尖閣諸島1503km」と書かれた案内板が立っていました。国境の島を意識されます。大きな岩礁が点在し、白灯台も立っています。
特に白くもないのに「白島」ってどういうことかな?と思ったら、ここから見える小島・岩場が99あり、百に一つ少ないから「白島」だそうです。
北端の「白島崎」から東海岸を南下開始です。しばらく走り、r316で島の中央部を目指します。10:49、「かぶら杉」は県道脇にありました。道から徒歩で登るのかと思っていたので楽でした。
「銚子ダム」から隠岐諸島の最高峰・大満寺山607mに向かって林道を登ります。ここからの道が事前調べで最も怪しい道で、未舗装で断念も有りと踏んでいました。グニャグニャ20km/hで登ります。1車線細道だけど舗装されていました。観光の島だからか、道路メンテナンスはしっかりされており、脇からの草が伸び放題の場所も多いですが、舗装自体が傷んでボロボロってとこはありませんでした。
11:16、登りピークの乢・大満寺山登山口到着。「乳房杉600m・大満寺山600m」。11:25、「天然記念物・岩倉の乳房杉」到着。こちらも林道脇に鳥居が立ち、その後ろにありました。「樹齢800年・高さ38m・幹周り11m・地上数メートルから15体に幹別れしており、大小24個の乳房状の下垂根を枝に下げている」。ウラスギという種類の杉だそうです。
林道を東海岸に向かって下っていると、林業のおっちゃんたちが道いっぱいに広がって、昼食時間に入ったとこに出くわしました。慌てて退いてくれたので、「すいません」と会釈しながらゆっくり通過しましたが、誰も来ない道なのでしょう。11:47、「大山神社」と立て札と鳥居が立ったとこがありました。後ろには杉の巨木があり、幹にいろいろ巻かれています。林業関係者が神事を執り行う場所と想像します。
「布施」でR485に合流し、11:56「浄土ヶ浦」到着。「浄土ヶ浦伝説」が掲げられていました。『京都の一休和尚が庵を建てた時、柱に隠岐嶋右衛門と読める虫食いがされたので、嶋右衛門に会うためにやってきた。一夜語り明かし、朝食の段になり漁師なので魚しかありませんが?と聞くと、一休は魚をくれと鯛を食べた。その後でたらいに潮水を汲み、「仏僧の身でありながら魚を食べたから、成仏させるために」と、口から生きた鯛を吐き出した。それを見て嶋右衛門は、「魚は食われ人を助けたと心得て成仏しています」と、阿弥陀や観音を吐き出した』。この話は一休さんで知っています。ここの伝説だったんだ。
休憩所のような建物の横に、「キッチンはやし」と書かれた移動販売ワゴン車が停まっていました。外から丸見えの建物内にメニューが書かれています。何か食べようかなと店内に入るが、お肉メニュー2品だったのでパスし、「ブルーベリーソーダ・250円」を注文し、目の前の浄土ヶ浦を激写していました。小さな岩場の入江で、ゴーグルで覗いたら、いろんな魚がいそう。店内で小休憩です。役場の人のような人がやってきて、「今日からですね。いつも移動販売車からだから、低い位置にいる・・さんに慣れないな」と軽口を叩いています。メニュー見て、「食事は肉料理なの?僕は肉がダメだから・・・」と、メニューにない野菜料理を作ってもらっていました。僕が開店初のお客さんだったのかも?話に割り込めないから、お二人の会話を聞いてるだけでした。
道なりにr47になり、東海岸線を南下します。絶景の海岸線が続きます。西郷に戻り、最後の訪問地・隠岐国分寺に13:03到着。ここにも後醍醐天皇配流所跡があり、隠岐諸島内で論争中なのでしょうか?拝観料400円で中に入ります。2/25に本堂が全焼しちゃったようで、再建工事中でした。『天平年間、聖武天皇により建立される。元弘2年4月から1年間、後醍醐天皇の行在所となる。 昭和12年・文部省』。なるほど、こちらは戦前の文部省のお墨付きで、後醍醐天皇配流所を謳っているのですね。西ノ島の方は宮内庁で、大正天皇以下現皇太子まで詣っているのだから、あちらが本命のように思うけど・・・。この旅の目的の一つである後醍醐天皇配流所現地調査で、勝負ありです。
裏に、首のない仏像などバラバラの石仏が集められていました。明治2年の廃仏毀釈運動により打ち壊されたもののようです。数年前の江戸時代は、地域の役所としての機能まで担っていたお寺なのに酷いことをするなと思いますが、役人もどきとして庶民に高飛車な態度を取っていたのも想像されます。やはりそこにいる人で、判断するものね。江戸時代までの神仏習合スタイルそのまま今に至っているところも多くあります。謂れによると、隠岐の島の神仏希釈は極端な形で現れ、寺院や財宝など徹底的に破壊され、僧侶の生活が成り立たず還俗するか追放されたそうです。
今回旅のお伴をしてくれた「アシックス安全靴ウィンジョブ53S」ですが、靴底がナイスなクッションで、歩くのが楽でした。ただ高さがくるぶしまではありますが、それ以上ないので、冬は寒そうです。バイクで使うなら、あくまで春〜秋仕様です。
まだ早いけど西郷港に着き、乗船手続き・7120円を済ませると、「もうすぐフェリーが入ってきますから、すぐ乗れますよ」と言われた。15:10発ですが、14:00到着のようです。ボーと汽笛が聞こえたので、乗船待ち場にバイクを回すと、すぐにフェリーが接岸されました。乗る車両は、軽四1台とバイク1台の僕のみ。後から来る車もあるかな?西郷港周辺で何か食べようと思ったのに、14:10には船上の人になっちゃいました。家内に、フェリーに乗った旨の電話をしました。次男からメールが届いたようで、「また活躍したの?」と聞くと、「うん、また見せてあげるね、楽しみに帰ってきて。電話ありがとう」「6時に境港着でゆっくり休憩しながら帰るから、午前様の帰宅になるかも?じゃあね」って電話を切りました。
隠岐汽船くにが内売店にはうどんなどもないので、「たけのこの里・240円、リングケーキキャラメルナッツ・140円、同抹茶140」で小腹を膨らませました。横になるとすぐ寝ちゃいました。16:30に目覚め、海を見ると穏やかで、うねりさえあまり感じませんでした。またすぐに寝ちゃいました。次は到着を知らせる艦内放送で起きました。靴を履こうと思ったら、左足ふくらはぎが攣りました。暑いので靴下なしで寝てたら、冷房で寒かったんですよね。バイク装束を脱ぎ半袖1枚だったし。
定刻17時半に七類港に到着し、R485で弓ヶ浜を快調に走り、18:16・出光ニューカイケSSで給油。254km/12.07L=21.0km/L。20km/hで林道を走ったので燃費悪化です。道なりに米子自動車道に乗りました。フェリーで寝たからか眠気もないので、できるだけ明るいうちに距離を稼いでおこうと、19:31・蒜山高原SA到着。ここで、この旅で初めての食事を取りました。「ビーフカレー・620円」。プロテクターメッシュだけでは少し寒い感じもするので、下着の上に長袖丸首シャツを着て、夜間区間の始まりなので往路夜明け前同様、コミネ蛍光ビブスをジャケットの上に着ます。
次の休憩は、勝央SAでしました。昼行性人間なので暗くなると眠くなるから、自販機で「ブレンディ・150円」を買うため200円投入しました。お釣りを取りながら「なんだか多いな」と数えると、10円玉ばかり10枚ありちょっと得しちゃいました。それを飲みながら、家内に電話します。「あと135kmだから、やはり午前様になりそう」「うん、安全運転でゆっくりね、電話ありがとう」。お土産コーナーを見ていたら・・・20:41・勝央レストラン・蒜山産ヨーグルトロールケーキ・1400円を買っちゃいました。
いつもの寝る時間帯21時になるとまぶたが重くなり、21:28・「安富PA」でトイレ休憩し、ベンチで横になります。ここは等身大人形がいるPAで、黒田官兵衛・長政・てる親子がいました。「傷んだ車だな」と駐車車両を見ると、去年12/23からの放置車だって・・・ナンバー付いてるからすぐ足がつきそうだけど、高速PAに車を捨てに来るとは大胆です。
続いて、「加西SA」休憩。安いアイスはまだ置いていません。ここのアイスは200円オーバーばかりです。22:22、「社PA」到着。バイク置き場に高速に乗ってから1台も見なかったバイクが入っています。ちょっとボロいなと見たら、今年4/16からの放置バイクだそうで、これは高速道路PAが大変なことになりそうです。ここのPAにはコンビニが入っており、お安いアイスが手に入るのでお気に入りです。「牛乳屋さんが作ったカフェソフト・108円」を頬張りながら休憩し、ここからノンストップで、23:30に倉庫に着きました。
お世話になった「招き猫CB400SB」を、いつもの様に乾拭きし、通勤リード110と入れ替えます。帰宅しますが家内は当然夢の中で、静かに荷物を片付け、風呂に入りました。ギリギリ午前様にならずに、ヨーグルト持って自室に上がり、TV見ながらの至福の10分間を過ごし、コテンと寝ちゃいました。ああ、楽しかった。

2014/7/20
日曜日は、「夫婦でサイクリング」をしました。当初50%の確率で「曇り時々雨」だった三重県津市の予報が前日には「くもり」まで良くなったので、美杉町のピンポイント天気予報を見に行きました。日中はお日様マークも出ています。一度天気予報悪化で延期した「映画WOOD JOBロケ地巡り」サイクリングの決行です。真夏のサイクリングはきついので、今年前半戦最後の「夫婦でサイクリング」になりそうです。
4時に目覚めごそごそし、5時から用意を始めました。リュックにカッパ・カメラを突っ込み、自転車2台の空気圧をチェックして前輪を外し、車に乗せて固定します。道の駅美杉・室生寺・長谷寺をナビ登録して家に入ると、5:50です。家内はもう準備万端整っており、作業開始が遅かったようです。朝食食べたら6:10出発になっちゃいました。
中国道〜近畿道〜南阪奈道で奈良盆地入りしました。途中の大阪側・羽曳野市で、「白鳥」のマークがあったけど何かな?って家内が聞くので、古事記・日本書紀の世界やねって答え、暴れん坊だったヤマトタケルは景行天皇の皇子で、後に大和の軍勢を率いて西国遠征して平らげ、帰国後羽曳野で姫さんを娶った。その後東国遠征し、まず今から行く伊勢の国で、須佐之男命が退治したヤマタノオロチの尻尾から出てきた天叢雲の剣を受け取ったんだ。
尾張に入り、その地の豪族の娘と結婚の約束をして、その兄が率いる軍勢を味方に引き入れた。相模の国で地元豪族の計略にかかり、ヤマトタケルがいる草原の周囲に火が放たれ絶体絶命になった。その時天叢雲の剣で周囲の草を刈り、火打石でそれに火を点け向い火で難を逃れるとともに、風向きが幸いし敵軍を殲滅することができた。天叢雲の剣は、草薙の剣と改名された。焼かれたところが「焼津」と呼ばれるようになり、それが今の焼津市。
三浦半島で羽曳野の姫と合流し、房総半島に渡る船旅で嵐に襲われた。海の神様の怒りを鎮めようと、姫は海に身を投げて無事房総半島にたどり着いた。東国を平定して帰路に着き、尾張の姫の元に戻り結婚した。次に伊吹山の神を平定して出かけたが、侮って草薙の剣を姫の元に置いていった。息吹の神の返り討ちにあい瀕死の重傷を負ってしまいました。麓の泉で水を飲みなんとか足腰が立つようになった。この泉がヤマトタケルを醒ましたので「醒ヶ井」と呼ばれるようになった。故郷の大和一歩手前の伊勢まで戻ったところで、命を落としてしまう。そのため草薙の剣は、尾張の熱田神宮に今でも置いたままになっている。
終焉の地に陵墓を造ったら、そこから1羽の白鳥が天高く飛び立った。その白鳥は故郷の大和に落ちたち、再び飛び立って羽曳野の最初の妻の故郷に降り立った。そしてまたいずれかに飛び去ってしまった。という僕にとってのヤマトタケルのラブストーリーを話しました。記紀の神話に出てくる今神社に祀られている神は、ヒーローだけど女性に弱くそして助けられ、勘違いややり過ぎや反省、男として当然のエッチさを繰り返しながら成長していく。人間臭くて愛嬌があります。
ヤマトタケルのモデルと言われる武内宿禰(AD100年前後)の話から、この道の古道・日本最初の国道・竹内街道の話になり、紀氏・御所氏・葛城氏・蘇我氏などの祖になった秀才のこと、羽曳野丘陵を覆うぶどう畑からぶどうの話など、話が尽きませんでした。まさにこの道の上空を、白鳥が飛んだんだと・・・。トンネルを抜け、大和葛城山系の峠を大和側に抜けると、眼下に大和盆地が広がります。この景色が好きです。
大和高田バイパスで、耳成山・天香久山・畝傍山という低山の大和三山の間を縫い、大和・伊勢の県境を作る山岳地帯の入口・三輪山が見えてきました。この山の麓に日本最初の神社・大神大社があり、その北の麓を縫う山の辺の道沿いに景行天皇の陵墓があることを話しました。でもこれは卓上書物から得た知識で、何もわからず小学生時の遠足で訪問して以来歩いたことがありません。この道のサイクリング計画を実行しなくちゃ。こういう道こそ、僕ら夫婦のような歴史遺産・絶景目当てのサイクリングにはうってつけのはずです。
櫻井を過ぎ、ナビの示すR165からR166にチェンジします。続いてr198に進む予定がミスってそのままR166〜R370で遠回りになっちゃいました。でも素敵な田舎道で、家内もごきげんなのでOKです。宇陀市中心部・近鉄榛原駅前に突っ込み信号銀座で時間を食いました。グループツーリングでバイパスを通ったのに、ナビの導きに素直過ぎました。バイパスは僕の車のナビ以降に敷かれたのかな?
ここからR369で伊勢の国を目指します。前回グループツーリングでは災害復旧工事中のためトンネルを抜けることが出来ず、山中の旧道(伊勢本街道?)を走りましたが、今回はトンネルを抜けることが出来ました。でも手前で工事をしており、対面通行箇所がありました。
トンネルを抜けると、奈良県から離れ三重県入りというのが、峠トンネルの常ですが、ここはそうではなく、伊勢側への下りに入ってもまだ奈良県で、行の途中で三重県になりました。ここらは三重県と奈良県県境が複雑なので、三重県・奈良県・三重県という県道を走ったこともあります。
「伊勢本街道」の案内板が時々現れるR369は、ナイスなツーリングロードです。対向バイクが楽しそうに過ぎ去っていきます。「伊勢山上福田寺ツーリング」の時、フリー走行&次の集合場所「道の駅美杉」をミスって「道の駅御杖」に行ってしまい迷惑をかけたことがありました。その因縁の御杖でトイレ休憩しました。車は楽だね、ここまでノンストップだから。
ここから、R368で東進です。目的地・「道の駅美杉」まで10kmほどしか離れていません。県外のよそ者には「紛らわしい名前で間違うのも当然」です。この間、アップダウンの多い道で、予定サイクリングルート上・「奥津〜美杉間」にも勾配のきつい坂がありました。家内と、「ここが最大の難所かもね」と話しました。
9:02、自宅から3時間で、「道の駅・美杉」到着です。駐車場はガラガラですが、長時間車を置くので、邪魔にならないよう駅舎奥のスペースに車を入れました。すると目の前に、シャッターが締まってるけど、「映画WOOD JOB記念館」がありました。作品中の架空自治体・「神去村青年団」の幟も上がっています。
自転車を下ろしていると、ハイエースのとこにおられた男性が、パンフレットを見せながら家内に声を掛けてきました。「自転車ですか?どちらを回られます?」。家内はいつも通り全部僕にお任せなので、リアゲートから降りて僕が応対を交代します。パンフレットは、映画「WOOD JOB」のロケ地マップで、それに載ってる地図を指さしながら、「県道を川沿いにダムまで下って、JR沿いに奥津まで上り、国道をここまで戻ってくる予定です」と話すと、「じゃあ、小学校と橋とホテルアネックスに寄れますよ」と、簡単な県道からのルートを教えてくれました。
「伊丹からですか、僕らは尼崎からです。今日はバイクでロケ地を巡りして、映像を撮ろうと思っています。」と、ハイエース横のオフロードバイクを指さされました。僕らの会話の輪に加わった奥さんは、リュック・ヘルメット姿になっています。ここまでバイクをトランスポーターして来られたのですね。
家内は、うちもそうしたら田舎道だけバイクで走れると言いますが、僕のキャラバンはワゴンなので3列シートだから、2列目2座席を外して後部座席を思いっきり前に寄せないとバイクは乗りませんし、バイクの出し入れをする自信がないです。勘弁して頂戴。
ロケ地マップをゲットでき、詳しい方に教えてもらい幸先良いです。この映画の映像関係の関係者なのかな?道の駅のあるR358・上多気交差点からr30に入り、川沿いを下り始めます。すぐに「伊勢本街道」との交差点があり、そこにあった謂れ板で街道の知識を得ます。「北畠氏館跡庭園450m・霧山城址(国指定史跡)2000m」。代々伊勢守だった元後醍醐天皇第一の側近公家出身の北畠家が、何故こんな伊勢国の奥まったとこを本拠地にしたかは、この伊勢本街道を制するためだったのでしょう。当時の最重要産業道路だったのを物語っています。
続いて500m走って北畠館跡を探索します。僕は1人で探索したことがあるので、家内にあれやこれや説明し、銅像が建ってる北畠顕家が歴女さんに人気だと話します。鎌倉〜室町の変動期、後醍醐天皇側だった北畠氏の力を削ぐ目的で、嫡男・顕家を遠く陸奥守に飛ばした足利尊氏の企てでしたが、八幡太郎義家が陸奥守時代に力を蓄え関東に地盤を築いたように陸奥で力を蓄え、後醍醐天皇側危機の時何度も京に攻め上り足利尊氏を敗走させた。討ち死にした最後の戦い以外ほぼ連戦連勝の若き英雄です。同じく悲劇のヒーロー・長宗我部元親同様に、女子のハートをキュンとさせるのでしょう。両方共超美男子だったらしい点もプラスだね。鎮魂碑が建っています。遠く南北朝時代の北畠軍の将兵への鎮魂碑だったとこが珍しいです。楠木正成同様、常に天皇側だった人なので、明治維新〜戦前までは超A級ヒーローに政府から祭り上げられています。北畠氏詰めの山城・霧山城址が国指定史跡なのも、同じ理由からでしょう。常に官軍・負けても官軍ですね。家紋が我が家と同じ武田菱なので調べたら、村上源氏出のようで、系列の多くがこの紋を使っているので、その関係が想像されました。
そのすぐ横にあると教えてもらったロケ地巡り第1弾・「長澤まさみ扮する直紀が務める神去小学校」です。門柱に「津市・多気保育園」と書かれていますが、横に「WOOD JOBのここの場面」の案内板が立っています。「あ〜ここだ」とすぐにその場面を思い出しました。庭の草が少々生えてるので、現役の保育園かなあ?」と疑問も声を上げると、「多気の郷・元気づくり協議会」と門柱の上に載ってるので、元保育園じゃないの」と家内から。「明治31年建立」というコンクリート柱が庭に立っていました。
川のせせらぎの音を横に聞きながら、気持よく走ります。基本下りなので足を止めて惰性で走れる区間も多く、僕は写真を撮りながらだから、家内の前に行ったり抜かされたりランデブーしながら楽しいです。交通量も少なく、ナイスなルートです。お茶畑が多く、山を覗くと間伐材がそのまま放置されており山の恵が持て余し気味です。薪を燃料にしているお宅も多く、薪が積み上げられている家が目につきます。
川沿いの道がr43になり、「下之川」地区に入り、教えてもらった目印の「仲山神社」が見えてきたので、橋を見つけに行きます。10:15、アドバイスがバッチリで、迷わずビンゴでした。子供たちが遊ぶシーンに登場した橋で、上空にアカネトンボがたくさん飛んでいました。梅雨前に里で羽化し、夏は高所で避暑して、秋になると真っ赤に身体を染めて赤とんぼとして里に戻ってくるのと、夏もずっと里にいる種類がありますが、これはどっちかな?一匹、けっこ赤く染まったのもいました。
「仲山神社」に寄り道しました。鳥居前に「津市指定有形文化財・本殿彫刻」と鮮やかな写真入りで紹介されていたので、石段を上がってみました。苔の生えた雰囲気のいい阿吽の狛犬がいて、鎮守も森の杉は巨木で歴史を感じます。でも肝心の本殿は、拝殿と板囲いに囲まれて全容を観れません。ちょいと残念でした。鳥居前の用水路は、川の水同様とても澄み、満々とたたえた水が勢い良く流れていました。水の恵み120%です。
ここらから、長竿を持った鮎釣りさんを見かけるようになりました。「森を育てる若者大募集」の看板があり、映画の主人公はこれに応募したんだなとリアル世界でもそういう若者が増えるのを期待しました。日本の保有する森林資源は計り知れないです。
川沿いの道がr29に変わりました。コミュニティーバスは日に4往復だけですが、バス停はどこも立派です。「おうち?」って間違うようなとこもありました。置き傘備え付けだったり、立派なカーポートだなと思ったらバス停だったり・・・。
我が家のユリはやっと咲き始めましたが、例年同様花の重みに耐えかねて茎下部からお辞儀して地面スレスレですが、ここらのユリはしっかり茎が太いです。「私の水やりが足りないのかな?」って家内はしょげています。
快調に楽しく下ってきましたが、川からだんだん離れて県道が上がっていくとダム湖を思わせる景色になり、なんと「登り」が待っていました。まさかの登りです。勾配がきつくなり、200mほど歩いて上がりました。対岸低くに道が走っており、あっちの道に行ったら良かったなと後悔しました。
切通し峠を越えると、一気の下りが始まり、11:19ダム湖を見下ろす「君ヶ野ダム公園・駐車場」でトイレ休憩しました。やってきた車の中から、麦わら帽子を被り釣り竿などを持った親子連れが出てきて、道を降りて行きました。ダム湖岸につり場があるのでしょう。
「君ヶ野ダム」到着。真っ赤なGSRも止まり、ダムカードゲットしに行くのかな?事務所みたいなとこに歩いて行かれました。案内板に、「雲出川は奈良県境に源を発し伊勢湾に注ぐ1級河川で洪水時に中下流部で氾濫し、多くの被害を与えている。・・・多目的ダムを支流・八手俣川に建設し・・・」とあったので、ここまでお供いただいた川は、「八手俣川」らしい。伊勢湾台風などで下流域が大氾濫したのを教訓に整備された治水・かんがい目的の利水ダムのようです。
日本は多雨で森林・動植物・魚介類資源が豊富な食料を得やすい環境にありますが、反面災害も多い。歴代政権や封建領主が治水・利水インフラを面々と整えてきたことが、今の自然豊かな姿として僕の目を保養させている。植林・植樹・林業でお手入れを続けているお陰でもあります。お隣の国は、さんざん自然から搾取した後、「砂漠化だ」とかでそこを逃げ出して新天地を探そうとしている。「雨が降らなくなった」「農業全滅」などで先進国からのお情けで食いつないでいる国もあれば、他国を武威恫喝して食料をせしめようとしている国もある。インフラは道路やダム・防波堤などから、上下水道・電気・ガスなど全般的に縁の下で市井の人の生活を支え目立たないけど、ものすごく大切なものです。改めてダムの紹介を読みながら、いろいろ脳裏を巡るものがありました。
対岸に「レークサイド君ケ野」という施設があり、「営業中」となっていました。昼食を取ろうと堤上を走り出しました。ダム施設から急勾配にダム湖に向かってレールが敷かれ、モーターボートが施設下にぶら下がっています。海上を走る本船が救命ボートをこんな角度で下ろすようになっていますが、ダムでも同じものがあるのですね・・・ビックリ。ダム中央部で下流側を覗くと、真下でダムから勢い良く水が吐出されています・・・豪快です。
対岸に渡りましたが、レークサイド君ケ野はかなり上で、自転車で上がるには相当な急勾配の道だったので断念しました。そのまま対岸の道を下り降りました。森の中の苔道で、「WOOD JOBみたいね」って家内が喜びながら、写真を撮りに止まった僕を追い越して行きました。
道なりに橋を渡り、r29に合流しました。すぐに単線が見えてきました。台風で運休してるJR名松線です。映画では、この列車で主人公がやってくるのですが、実際は別の単線で撮影したのでしょう。錆びた線路がまっすぐに伸び、廃止するなら人力トロッコレースとかを開催し、自転車トロッコを走らせたりしてレジャー施設化しても面白いと思うのだけど。中部圏から遠くないし採算に乗りそうな気もするけどなあ・・・。
食べるとこをがあるかな?とJR伊勢竹原駅まで行きましたが、お店自体がありませんでした。そう言えば自転車で出発してからコンビニを見ていません。ここで行程の半分下り区間終了です。11:52、20kmで行なのに3時間も掛かっちゃいました。寄り道多しです。
ここからr15でJR名松線沿いに、奥津まで登り区間です。交通量が少し増えましたが、まあ大したことないです。前回バイクで来た時は、この道を下ってきました。こちらも川沿いの道で、こちらが「1級河川・雲出川」でしょう。製茶メーカーさんの看板が目立つようになりました。ここからの沿線に茶畑が多く、大産地に思えます。何度もJRが川を渡り、線路を覗いたりトンネルが見えたり、楽しいです。上り勾配ですが、往路より勾配が低くこちらを帰路になってラッキーでした。
r15には、JR代行バスのバス停があります。名松線運休中の代行運転でしょう。台風災害は5年ぐらいは前じゃないかな?「代行」の名が付くということは、廃止じゃなくて直して再運転するつもりなのかな?
12:53、教えてもらった「美杉リゾート・ホテルアネックス」が見えてきました。家内に教えようとバックミラーを見ると、「あれ、止まってる・・・」。急いで戻ると、汗が目に染みると緊急停止しました。「アイシャドーして来なければ良かった〜」と言ってはります。やばいかも・・・伝家の宝刀が・・・人はお腹が減ると気持ちが荒れます。就業後の腹を空かしたミーティングは最悪だそうです。朝食を食べながらのミーティングが平和だそうな・・・。ということで昼食にします。ホテルアネックス前に、映画で鹿にぶち当てて荷台に乗せて食っちゃう軽四トラックが置いてあるそうですが、川から登りますので、川沿いにあったプール施設・火の谷温泉に行くことにしました。
プールに入らないと食べ物にありつけないかと危惧しましたが、プール受付で聞くとあっさりOKでした。プールが見下ろせるクーラーの効いたとこで、家内はチャーハン700円+僕はカレーチャーハン900円=1600円を食べました。周りは家族連れや水着カップルで、僕的にはホテルよりナイスな眺めでした。全工程の3/4まで来ました。「あとちょっとやね〜」とか「意外に勾配が緩く楽やね〜」などと、お腹を満たしながら家内のゴキゲンを取りました。家内も汗以外は、景色もいいしゴキゲンなので問題なしでした。
ここから森の中路線になりました。勾配は少し増しましたがどうってことありません。川と道路と線路がコンパクトに迫り、いい感じです。JRの工事車両?がレールに乗っていました。後ろには四輪ダンプだけど、レールにも乗れるように列車の車輪&車軸が1軸のみ付いています。どういう使い方をするのだろう?いずれにしてもウィークデイは工事復旧作業をしている模様です。対岸の線路に復旧作業用機械が置いてあったり、鉄橋上で作業員が鋭意作業中のとこもありました。廃止じゃなく復旧作業しています。台風で寸断されたのは、この山が迫る区間だったようです。
r666との分岐のとこが、「比津駅下」となっていました。ローカル線の駅は好きなので寄ろうと思っていましたが、ここまで駅が見つかりませんでした。終点・奥津駅の1つ手前なので、自転車を置いて登ってみました。14:17、比津駅。いい感じのローカル感で、「名所案内 北畠氏館跡4km・徒歩50分 霧山城址3.5km・徒歩50分」と案内されていました。ここが最寄り駅なんだ・・・。この路線が復旧したら、「下り自転車&登り列車」のナイスなサイクリングルートだな。
14:31、「好事魔多し」、家内の足が痙りました。トレッキングやサイクリングでたまに痙るんだよね。サドルを上げればもっと楽なのに、足つきが悪くなるのが怖くて上げられません。ペダルが上に来た時窮屈そうで膝が深く曲がり効率悪しです。道脇に座って、いつものお薬を塗って休憩です。ここに家内を置いていくわけにはいかないから、もう少し人通りのあるとこまで頑張ってもらわなくちゃ。バイクで奥津駅から下った時、最初に線路を渡った踏切が見えているので、ここから国道までほぼ平坦で、距離も2kmほどです。
14:48、R368との交差点「奥津」に到着。あとは国道を道の駅まで戻るだけです。距離4km。ただ朝車で走った時に、僕らの脚力自転車では歩きが入るのが必須な勾配があります。いざ行かん!徐々に勾配が増し、トンネルまで1kmぐらい歩く羽目になりました。トンネル手前の小さな公園が見えてきて、トンネル入口も見えてきたとこで、好事魔多し第2段・・・また足が痙った・・・。
トンネルに入れば平坦だし、抜ければ下りなんだけど、トンネル内は緊張を強いられるので、途中で足が痙ってふらついたら危険です。ここは公園があり県道より交通量が多い国道なので安全でしょう。「ここの公園で待ってて、車取ってくるわ」と家内を残し、僕だけ出発しました。トンネル入口脇に、「伊勢本街道」が分岐しており激写します。「飼坂トンネル 1989年8月・三重県・700m」、前後ライトを点滅させてトンネル突入です。自転車でトンネルに突入すると、トンネルに突入した車やバイクの音がゴーって凄いんです。バックミラー見てもまだまだ遠いのですが、おっかない700mでした。ちょい昔のトンネルなので車道のみで路肩もなく、全く自転車のことなど考えていない設計です。
トンネルを抜けると、一気のストレートダウンヒルで、道の駅到着。すぐに自転車前輪を外し、ハンドルを3列目シートに引っ掛けただけで固定せず、車で家内のところまで戻ります。トンネル終盤から家内が見えました。自転車を持ちながら、公園の案内看板を見ているようです。
家内の自転車を車に入れ、2台ともちゃんと固定して、帰路とは反対ですが再び道の駅に戻ります。何故かと言うと、映画記念館が開いていたからです。お客さんが数人入っておられ、中央に主人公が祭りで乗った巨木が置いてありました。
ブーンと一気に戻ると、16:00「あ〜開いてる〜」と家内がゴキゲンです。さっきはいなかった朝パンフレットをくれたご夫婦とバイクがいます。「帰って来られましたか」「ありがとうございます、教えてもらったとこは見てきました」「僕らは全部回りましたよ」「バイクなら簡単でしょ」「いいえ、今帰ってきたとこです。1日掛かりました」。「ダムまで下りて上がってきたら、全部で40kmありました。最後国道のトンネルのとこで家内がダウンし、僕が車で迎えに行きました」「あ〜やっぱりそうだったのか。似た人だなと思ったのですが、お1人だから違う人かなと」。
「良かったらお二人の記念写真取りますよ。まず中を見て・・・」って、完璧にスタッフされています。倉庫内の展示をひと通り見て回ります。映画内で、お地蔵さんにおにぎりをお供えするシーンがあるのですが、それがそのままあり、家内が喜んでいます。準主役・伊藤英明さん扮する木こりさんの顔出しパネルがあり、当然家内に顔出ししてもらい激写しました。あんなに太い巨木を映画の撮影で使って大丈夫なのかな?と思っていたのですが、ずっと細い木を束ねて、縄で巻いてそれらしく見せていただけでした。祭りのふんどし男たちが丸太に登るために縄を巻いてあると思ったけど、カモフラージュのためだったのですね。
あのご夫婦は写真班のようで、「愛羅武勇」手ぬぐいを持って全てのお客さんに記念写真を勧めています。もちろん写してもらいました。その後、「丸太切り体験はいかがですか」と声を掛けられ、やらせてもらいました。我が家ののこぎりとは大違いの切れ味でグングン切れます。最後少し残し、家内に交代です。カメラを構えると、「切れた〜」って家内が喜んでいます。「あ〜、やっちゃいましたね」と、僕のカメラ用意を見てたスタッフさんが笑っています。「え、え〜そうだったの〜」と天然です。いくつになっても、こういう可愛らしさがあります。
みんなで大笑いして、パチリ。1cm厚で切った木を、お土産にもらいました。車に戻り、お財布を持って来て、あのご夫婦に「Tシャツください」。「僕は青年部じゃないけど、ありがとうございます」って。青年部の方に2000円渡し、「WOOD JOB 神去村青年団TシャツL」を買いました。これだけ良くしてもらって、とても楽しかった「夫婦でサイクリング」にお礼しなくちゃ。あのご夫婦の奥さんに、「映像関係のお仕事をされているのですか?」と聞くと、「エキストラです。いろんな映画にその他大勢で出演しています。私も・・・。今回はご主人様が、はだか祭の男衆として伊藤英明さんの後ろで腕を組んで出演しました。フンドシ姿だから、何色の服を着てるなど言えないんです」と笑っていました。「え〜、全国を股にかけてエキストラしてますの〜・・・」「いいえ、行ける所だけです」って。うわ〜、凄いご趣味の方もいたもんだ。参りました。
サイクルコンピューターをチェックします。走行時間3:25:48・距離42.6・平均速度12.4km/h・最高速度52.5km/h。最後のトンネルを抜けた後の下りで、過去最高速速の52.5km/hが出ていました。対向車も後続車もいなかったのでこんなスピードになっちゃいましたが、自転車は安定しておりこんなにスピードが出ていたとは実感がありません。さすがロードバイクです。ツール・ド・フランスでは70km/hオーバーで走るそうですから、秘めたポテンシャルでしょう。
道の駅で、「みぞれクリームアイス・125円」を1つ買い、家内と半分こしました。身体をクールダウンさせていると、山登りルックな一団が入ってきました。お若い山ガールさんから、元ピチピチさんまで。山歩きのベースになってるのかな?それとも伊勢本街道歩きかな?
道の駅を出たとこにあった地下水井戸で、ペットボトル2つを満たしました。ペットボトル1本10円と書かれて寄付箱があったので、20円入れておきました。道の駅を出るとこで、あのご夫婦が手を振ってくれていました。帰路に着きます。R368を西進し、JR奥津駅のとこからr695で雲出川を更に遡ります。ロケ地パンフレットでは近そうでしたが、「あれ、過ぎちゃったかな?」という距離に、中村家がありました。16:47、大きなお屋敷で、門扉など無く車2台がすれ違って入れるほどの出入口を中庭みたいなとこに、民家だろうから遠慮しながら入っていきます。「中村林業」の劇中看板がそのまま掛かっていました。
R369との分岐まで走り、r81に少し入り、17:24鎧岳・兜岳の異様を家内に見せました。奈良県側に入ると、道路が濡れており水たまりもありました。結構な雨量の雨が降ったようですが、自転車に乗ってた時は、西風に乗って奈良県側から山を越えて流れてきた雲から、「ん、雨かな?」程度のお湿りが2度ほどあった程度です。もちろんカッパも着ませんでした。R369〜R165〜R24〜南阪奈道〜近畿道〜中国道で、自宅近所の御用達・「天下一品」まで帰ってきました。家内:わかめラーメンあっさり+僕:チャーハンセットで総額1800円。
20:15・帰宅しました。家の前の道路も濡れています。夕立があったようです。後片付けし終えたら、20:50。軍師官兵衛は終わってますね。風呂に入り21:30床につきました。ああ、楽しかった。

2014/7/13
日曜日は、コーチしてる大学ヨット部のレースコーチをしに琵琶湖に行きました。北海用から九州まで7大学が集まる定期戦です。今年の主管校がうちでした。僕はOBではないので運営には関わりませんが、OBである次男は東京から運営をしに金曜日からやってきています。家内は自宅に帰ってくるかも?と期待していましたが、先週会ったばかりなのでヨット部艇庫か同期の家に泊まったのでしょう。
家内の暇なら、顔を見に行くと僕について来るはずですが、仕事関係の集まりで、AM神戸で用事が有り、夕方から京都でお食事&祇園祭に連れて行ってもらえるそうです。4時前に目覚めました。流石に早く自室でゴソゴソして4:30になりました。ふと窓の外を見ると、「4時半って、こんなに暗かったっけ?」と気になりました。夏至を過ぎましたが、まだ1年中で最も夜明けが早い時期なのに、短くなり始めたのか・・・と少し悲しくなりました。さらに30分後、5時に琵琶湖行きのために活動開始しようと窓の外を見ると厚い雲でした。天気が悪かっただけなのね・・・。
朝風呂に入り、NHKの落語を見ながら朝食を食べ、6時過ぎに車で家を出ました。バイクで行きたかったのですが、午後から結構な雨量予報がでており、また車になっちゃいました。バイクなら京都祇園祭で家内に合流できるかも?と作戦を練っていましたが、車で祇園祭の京都入りなど渋滞や通行止めで難儀しに行くだけなので作戦中止です。
中国道〜名神高速〜湖西道路で、7:15にハーバー着。予報より早く、名神走行中に小雨が落ちてきました。水滴がフロントガラスを上に上がっていくワイパーなど要らない雨なので、ちょうどいいお湿りです。R161からハーバーに入るところに女子マネージャーが、レースプラカードを持って立っていました。この入口はわかりにくいので、観戦に来るOB・OG・選手のご家族は迷います。
大会本部で土曜日の成績を見て、艇庫前で部員とあ〜だこ〜だしました。大会本部に詰めているのであろう次男も何かの連絡で、ちょっと顔を見せました。OBさんも顔を見せられるので、あ〜だこ〜だ。僕同様OBでないのに、九州の大学に進学したT君のお父さんがその大学のレース前ミーティングで話しています。Tさんは僕の出身校のライバル校ヨット部出身で、僕がジュニアヨットに誘いました。T君は次男のジュニアヨット部後輩になり、中学・高校も次男の後輩になりました。大学も次男後輩かも?と期待していたのですが、ライバル校に進学しました。
Tさんがやってきて、あ〜だこ〜だ。息子さんに頼まれて、個人所有のインフレータブルボートを運んできていました。ほぼ新品に見えたので、500万ぐらい?と聞いたら、日本で開催された世界選手権に1レガッタ(1週間)使用しただけなのに破格なお値段で売りに出されていた出物を抽選の末獲得したそうです。120万とはビックリ価格です。メーカーも本国に持ち帰るより、格安で日本で売っちゃったほうが得なのでしょう。同じくジュニアヨット部後輩のT君の妹は、ナショナルチームコーチと一緒にヨーロッパ遠征中で、来週は世界選手権に参戦するそうです。高校1年生という2020年東京オリンピック選手世代なので、日本セーリング連盟も力が入っています。帰国後はインターハイ参戦で、優勝候補の一角です。
8:30出艇予定でしたが、雨が強まって風が落ちたので待機フラッグが上がりました。このヨット部でコーチした卒業生が大勢レース運営に来ており、僕を見つけると声をかけてくれるので、あ〜だこ〜だ楽しく待機時間を過ごしました。
まだ風は出てきていませんが、1時間遅れで出艇しました。各大学の下級生のエールが飛び交い、僕の好きな時間です。他競技も含め、大学体育会の試合前の緊張から解き放たれて試合会場に向かう選手や応援する部員の姿が美しく感じます。レース海面に着いても安定した風が吹いて来ず、しばらく漂っていました。雨が落ちてきたり止んだりで、カッパの脱ぎ着が面倒です。各大学ごとに観覧艇が用意され、うちの観覧艇は監督さん・コーチの僕・次男後輩OB1・OG1・大先輩OB2が乗っています。琵琶湖の湖面にレースの大敵・藻が点々と見えます。湖底から藻が伸びているのですが、僕がコーチをしてから2度目の大繁茂で、センターボードやラダーボードに引っかかって難儀しそうです。
観覧艇は上でその原因の話になり、「栄養が多い」とか「これが食べられたら」で笑っている時、僕が「琵琶湖南湖は、地図で見ると北湖からの流水路で淀川・大阪湾に続く瀬田川の少し太い所に見えるから、周囲の山から流されてきた砂で埋まって行きますよね。500年後は住宅地になってるんじゃないですか?」と言うと、大先輩Kさんが大いに反応しました。元土木の官僚さんなので、その辺のことが非常に詳しいです。Kさんがヨット部在籍中は、ひっくり返ってもマストが湖底に刺さることなどなかったのに、今は1mぐらい刺さります。40年でそれだか浅くなってるのです。そこから海面が5mほど高かった縄文海進の時は、関東平野の大部分が海面下だったとか、大阪平野も上本町大地が半島として大阪湾に出ていただけで、ほとんど海面下だったとか、僕の大好きな話になりました。
先週大阪空港で衝動買いした「竹村幸太郎著・日本史の謎は地形で解ける」を読んで仕入れたばかりの話題「上本町大地・大和川・地形の変化から見た奈良から京都への遷都」などを出すと、土木専門家からの大和川の流れの変化や生駒山系を削り続けている大和川の制御など、100年・1000年単位で土木関係の国の役人さんは考えているということをいろいろ披露してくれました。そこから派生して、日本人のルーツ・大和朝廷の京都遷都の時土地を提供した秦氏と4世紀頃の中国秦との関係・・・僕の歴史興味にビンゴの話を面白おかしく披露してくれました。
BC5000年から現在までの三大文明地を中心にした世界史の動きをエクセルに縦に地域・横に年代としてどでかい年表を個人的に作っているそうです。今までKさんとはいろんな場面で何度の話していますが、勉強好きの血が衰えない別の一面を見てビックリしちゃいました。
災害などの復旧工事をする時、どうしてもその地の過去の災害の歴史を遡らなければならず、歴史に興味を持っていくのかもしれません。人間関係のことでも、机上の空論より、実際にあった過去の人の伝記ほどしっかり学べるものはありません。怒りんぼさん・猜疑心の強い人は一時天下に号令しても、末路はあまり良いものとはいえません。やはり、人に優しい人は多くの人から信頼を得て、自然に身代が太っていくものです。
1時間ほど漂った後、軽風でレースが始まりました。12時以降のスタートがないので、2レースが限界です。最初にOBフリートがスタートし、東北と東京がいい走りをしていました。続いて現役のレースが始まりましたが、470級のスタートがゼネラルリコール(スタートフライング艇多数のため再スタート)になり、時間的に1レースしかできなさそうになりました。続くスタートはオールクリアでスタートし、うちの2艇は良い走りをして、1上マークをワン・ツーで回航しました。が、後続の東北・九州が早く、結局3・4位でフィニシュしました。トップの九州は、Tさんの息子です。やはりジュニア上がりは格が違います。
スナイプ級は、スタートしてしばらく走るとうちのキャプテン艇が集団から抜け出し、グングン差を広げていきます。1上で既にダントツになり、後は一人旅でした。もう1艇も4位で全てのレースを終えました。総合3位でした。僕の乗った観覧艇は9.9馬力船外機エンジン艇で、非常に遅いです。波があまり立たない琵琶湖だから使えますが、海ならこんな非力なエンジンではおっかなくて沖出しする気になりません。横を次男が乗った運営艇が抜いて行きました。
14時頃ハーバーに戻り、各大学に貸与した艇のチェック・受け取りで走り回っている部員を眺めながら、運営の仕事から戻ってくる僕がコーチしたOB・OGさん達とあ〜だこ〜だ。次男も東京に帰って行きました。
14:30に、OBレース閉会式があり、15:30に現役レース閉会式がありました。成績発表・プライズギブンに続き、恒例の全日本での再開と各校の健闘を願ってのエール交換です。北海道は、札幌農学校応援歌を歌っていました。伝統のレース会場現地で見つけた流木を利用した曲がった竿に部旗を括りつけており、北海道の広大な大自然と野生を感じます。東北は部員が60名もいるそうで、震災で流された艇庫も3F建てで復活してるそうです。このレースも九州に続いて2位だったし、震災後このレース繋がりのすべての大学から艇など寄付されて活動再開しましたが、もう立派なものです。来年のこの大会は東北主管で仙台開催です。うちは主催校であるからか大学応援歌とヨット部伝統曲・琵琶湖周航の歌を披露しました。エールが一番かっこよかったと思います。レース前夜祭の芸大会で、九州の後塵を拝したそうなので、一矢報いたのではないでしょうか。
エールが一巡したタイミングで、2Fの大会本部に、キャプテンがタオルにマジックで「J」と書いたフラッグが、ホーンとともに掲揚されました。同時に部員数人がジュースを満載した大きいバケツ2個が各校が円陣で囲む中央に持ち込みます。各校キャプテンがゆっくりバケツの周りに集まり、「ジャンケンポン・アイコでしょ」を始めました。「J旗」は「ジュースの頭文字・J」で、250本用意されたジュースの代金を負けたクラブが全て払う恒例行事です。うちがキャプテンへのエールを歌い始めると、全校対抗してとんでもない大騒ぎになりました。そして、北海道が負けてしまいました。北海道全部員はがっくりですが、勝負が決すると全校から下級生中心にジュースバケツに殺到し、お宝の分捕り合戦です。
獲得したジュース缶が、自校に向けて投げられます。地面に転がった物を拾い上げ、リップルを開けて美味しそうに飲みます。中央ではバケツを中心に、各校部員が折り重なってラグビーのモールが崩れた状態になっており、壮絶です。こんなことを経験し、1回生部員同士の横のつながりが形成されます。僕は一段高い所からこの光景を眺めていましたが、各校の部員がぐちゃぐちゃになってレースでの健闘を個人的に讃え合っています。
ああ、楽しかった。大好きな学生スポーツに、身近に接し続けている僕は運の良いやつです。16:30に帰路に着きました。家内に連絡してみようと思い、携帯電話を探しますが、家に忘れてきたようです。あ〜またやっちゃった・・・。湖西線〜名神〜中国道と帰り、「夕食食べてきてね」と言われているので、近所の天下一品でいつものチャーハンセットを食べました。
帰宅し片付けてから、風呂に入ってゴソゴソしたりTV見たりし、「軍師官兵衛」を見終わった20時過ぎにそろそろお食事会合が終わったかなと、家内に電話してみました。会合が終わり、祇園山鉾巡りをしているそうです。「お父さん、凄いよ〜」って騒音と興奮が伝わって来ます。「ゆっくりしといで、駅に近くなったら電話頂戴ね」と電話を切りました。
再びゴソゴソして、22時になりそろそろだろうと外着に着替えて電話持って家を出ようとした時に、自宅の電話が鳴りました。「阪急で帰るわ、今塚口を出発します」・・・家内を駅まで迎えに行き、案内してくれた方から仕入れた祇園祭の裏話を聞かせてもらいました。以前から女性部会で懇意にしてる案内者は代々祇園山鉾町内の方で、毎年1名選ばれるお稚児さんは、選ばれてから祭り終了まで家族との接触を断つそうです。以前は自宅の敷地に稚児さん専用の別棟を建てたそうですが、今は別のとこで稚児さんは生活するそうです。選ばれると3000万円の持ち出しになるそうで、今年は京つけもの・西利さんのお孫さんだそうです。財力のある京都の名士さんしかなれず、たまに不動産屋さんなどが選ばれると、町内で噂が立つそうです。祭り前から神事のため超多忙になるというのは知っていましたが、家族との接触も絶つとは知りませんでした。
23時前就寝と、いつもより遅くなりましたが、楽しい1日でした。

2014/7/6
日曜日は、家内と東京デートしました。半年前の僕の誕生月同様、長男夫婦の「遼成くんがまた成長したから見においで」のお招きに応じただけですが、とても楽しみにしていました。2週間前に次男が友人の結婚式で帰省したとき、それを話すと、「じゃあ僕も行こうかな?」って便乗してきました。数日後、「僕も行っていい?紹介したい人もいるし・・・」という内容のメールが長男宛・僕CCで届き、そちらも楽しみでした。次男には学生時代からお付き合いしていたGFさんがいたのですが、今年1月にダメになっちゃいました。僕と家内も学生時代からの同級生カップルですが、卒業後2年で結婚しました。家内の姉カップルも同じく学生同級生で、兄が卒業後別の大学に進学した時についていくために、学生結婚しました。結婚は熟成も必要なのでしょうが、勢いのまま速攻の方が成就しやすいように思います。
朝4時に目覚めました。天気予報をチェックすると、大阪は曇で22時以降雨で24時雨量予想1ミリでした。通勤リードタンデムの予定から、車に切り替えようかとも思いましたが、空港まで10分なのでリアボックスに家内用カッパ追加で凌ぐことにしました。昨夜装束で悩んでた家内は、いつもより30分早く4:30に起きてきました。僕も次男新GFさんとの初対面なので、前日に散髪してちょっと気合が入っています。次男は好青年でモテるので心配はないのですが、一番のネックの親父が足を引っ張るわけにはいきません。
僕は、白スラックス&ヘリハン半袖ポロシャツという出で立ちにしました。スーツ姿は堅苦し過ぎるし、嫡孫くんと公園に遊びに行くとのメニューも長男からのメールにあったので、ラフな出で立ちの中に、ヘリーハンセンで少々ヨット風味を加えました。まあ家内のような衣装持ちではないので、ラフな格好しか用意がないのですが・・・。
7:05発東京行き始発なので、余裕を持って6時に空港着しようと5:40になって家を出ました。NHKの日曜朝の落語を見終え、何もすることがなくなったので、早いけど行こうというのが本当のとこです。ブーンと10分空港まで走り、モノレール駅下のバイク無料駐車場に入れて、6時前に空港ターミナルJALカウンターに着きました。カウンターのお姉さんに、予約メールを見せますが、「予約番号はわかりますか?」と問われました。予約番号の書かれていない方のメールをプリントアウトしてきたようです。「では身分証がありますか?奥様のも」・・・これで無事チケットをゲットできました。前回の11月同様、長男夫婦からのプレゼントチケットです。長男の貯まったマイルを使ったのか、お嫁さんの一親等無料チケットを利用したのか不明ですが、「切符は僕が取ったるわ」といつも言ってくれます。
空港売店も開店前なので、搭乗口カウンターを通過して搭乗待合スペースで待つことにしました。家内が化粧室で入念なお化粧最終チェックするというので、僕は本コーナーで物色しました。6:38、1029円の遠視眼鏡と「日本史の謎は地形で解ける・竹村公太郎著・PHP研究所」シリーズ3部作を大人買い2405円しちゃいました。
ペラペラとめくったページに、標高が色でわかる3次元に見える地図が掲載されており、山城探索やサイクリングルート計画で参考にする好きな地図だったので、これはいいと思いました。土木技術が未熟で、一部馬のほぼ徒歩移動していた過去の歴史を探る上では、等高線からの地形図が非常に重要です。
無事定刻に空港を飛び立ちました。左側主翼上の座席だったので、下界の景色は期待できませんでしたが、離陸後の旋回で我が家を視認することができました。曇り空で高山がほとんど雲の下でしたが、富士山だけは頭を出し、綺麗な円錐形を見せてくれました。何度見ても日本一姿のいい山で、多分世界一でしょう。
定刻通り8:05に羽田に着陸し、いつものようにモノレール〜天王洲アイル〜新木場〜潮見ルートで向かおうとモノレール駅に着きましたが、浜松町駅工事中のため天王洲アイルまで行けないそうで、京急線〜浜松町〜JR線を指示されました。巨大駅・東京で乗り換えがあるので好きじゃないのですが、仕方ないです。浜松町で歩きながら家内が長男に無事羽田到着の電話をしました。モノレール工事のため浜松町ルートで向かう事を告げると、「東京駅で長く歩くけど、料金はだいぶ安いよ」とのことでした。
浜松町で同じ飛行機に乗っていた1才ぐらいの女の子連れの御夫婦とまた一緒になり、東京駅で京葉線に乗り換えると、東京ディズニーランドに向かうのが丸わかりのコスチューム女子が増えました。ミニーマウス衣装まんまの幼稚園児もいました。でかい髪リボンが可愛いです。潮見駅は、東京駅から3つ目で、さらに3駅進むと東京ディズニーランド最寄りの「舞浜駅」です。2駅向こうの葛西臨海公園には水族館もあり、楽しそうな立地です。
10時前に潮見駅に着きホームに降り立つと、目の前に長男がいました。嫡男・遼成くんも抱っこされています。挨拶し握手を求めますが、じっと僕を吟味しています。前回会ったのは5月連休で、半日警戒されましたからまた最初からです。我が身を自ら守る人見知り警戒時期で、順調に育っているようです。
4人で歩いて長男のマンションに向かいます。長男から送られてきたムービーを見て、新幹線や消防車などを聞き分け見分けられるようになっているのは知ってるのですが、嫡孫くんは高架上を走る電車に反応し、トラックに反応し、パトカーも指差して「たー、たー」と大喜びしています。男の子のメカ好き・動くもの好きが相当のようです。
玄関前でお嫁さんが迎えてくれました。アイスコーヒーを飲みながら、嫡孫くんと遊んでいると、僕にもバスのおもちゃを持ってきてくれて、「コイツは怪しくない」と受け入れてくれたようです。アメリカンスクールバスで、アメリカンパトカーとともに、長男がシカゴ出張で買ってきたそうです。他にはとバスやはしご車もあります。乗り物絵本を見ながら、「バスは?」「新幹線は?」「オートバイは?」と聞くとちゃんとみんな指摘し、たった2ヶ月ですごく賢くなっていました。
家内は、洋服など嫡孫くんへのプレゼントを僕に内緒で持参しており、何故か単なる服なのに嫡孫くんは興奮気味に喜んでいます。まあ、僕も家内に内緒で持参した絵本をプレゼントしました。僕が弟にも、長男にも次男にも読み聞かせた「岩波の子供の本シリーズ」から2冊です。「きかんしゃやえもん」と「ちいさいおうち」で、今回本屋で物色している時この本を見つけ、僕はびっくりしました。子供たちにこの本を読んでた25年前と、全く変わっていません。表紙の絵もそのまま、持った質感も同じです。家に読み込まれた同じ本がありますが、新調しました。長男は、まだ絵本の内容を覚えており、「懐かしいな〜」とこっちの方が喜んでいました。
11時前になり、「そろそろ着くころね」とお嫁さんが言ったので、次男を迎えにマンションの下まで降りると、エレベーターの前にスリムな別嬪さんGF・Yさんと並んでいました。僕が部屋を出てからマンション玄関オートロック解除のための電話が入ったようです。僕が解除してやろうと思ってたのに、ちょいと遅れました。
挨拶し、長男の部屋に向かうと、みんなが玄関前で出迎えていました。「いらっしゃい、入って入って」と大歓迎です。Yさんは会社の3つ後輩で、人事部で働いています。会社の年次総会で一緒に司会したこともある仲だそうです。お土産にゼリー詰め合わせを持ってきてくれていました。家内が、「いや〜千疋屋〜、いいものをありがとう」と言っていました。スイーツの有名ブランドだそうです。
僕など全くわかりませんが、お嫁さんも知っており女子は物知りです。妹さんとの2人姉妹で、妹さんが銀座三越にお勤めだそうで、そこで買ってきたとのことです。「三越〜、・・さん(お嫁さん)の妹さんも伊勢丹だから同じじゃないの〜」と、また女子組で盛り上がっています。三越と伊勢丹は、合併して同じ会社になってるそうです。女子は物知りです。
次男は3/28生まれです。今年自分の誕生日を自らパーティーを開いて祝いました。会社関係・ヨット部関係・学生関係など大勢呼びました。企画も自分でやり、ギター演奏を披露したり、ビンゴゲームで景品を多数用意し、大赤字でした。その時彼女も参加しており、長男一家も参加しました。このビンゴゲームで1等・空気清浄機を当てたのがなんと長男で、さすがに辞退したそうですが、きっと会場は盛り上がったでしょう。そして2等を当てたのが彼女でした。その時の写真を家内はGWに次男が帰省した時に見ており、「この娘、かわいいね」と言ってた娘がYさんでした。その会話を僕は運転しながら聞いており、鋭いです・女の勘・・・。
みんなでわいわいやってる間にお昼になり、お嫁さんがパエリアを出してくれました。お野菜の添え物など上手に盛り付けされており、ほんとに料理が上手です。新潟のお父さんが買ってくれた乗り物の本がお気に入りで、ボタンを押せば音も出ます。次男カップルに、「パトカーは?」「はい」指差しの芸当を披露し、みんなに褒められてご満悦です。家内も孫くんの方に行って床で遊んでるので、Yさんと食卓であれやこれや話しました。次男や長男のクラブのこと、ヨットを始めたきっかけ、今の建築業界に進んだきっかけになったと思われる阪神淡路大震災の時も模様・・・。話していて、次男が気に入った理由が見えて来ました。どちらかと言うと聞き上手で、家内に似ている一面を感じました。
食後のお茶を飲んで、近所の公園に繰り出しました。数日前の天気予報では、雨マークも肩に載っていたのですが、今朝の天気予報では晴れマークに変わっており、雨の心配は全くありません。トコトコ長男カップルの新婚時代のつり場の公園でブランコなどに乗ります。滑り台スロープを登りだし、適当なとこで身体の向きを変え滑ります。僕・次男・家内、そして「男子たるものこうでなくっちゃ」という感じで、美人Yさんに抱っこされたり肩車されたりして楽しそうです。
部屋に戻り、お嫁さんお手沿いのケーキを美味しく頂きました。Yさん・次男が持ってきた千疋屋セリーもみんなで食べます。甘〜い。女子好き孫くんは、Yさんがお気に入りで、何度も繰り返しYさんに甘えに行きます。Yさんも「気に入ってくれてありがとう」と楽しそうです。本日の主役2人が楽しんでくれ、僕も大満足でした。
帰りの飛行機は19時羽田発で、長男が車で送ってくれるというので、早めの17時前に家を出ました。電車で来た次男カップルとは、ここでお別れです。Yさんに「伊丹にもおいで。船に乗せてあげるよ」って言ってバイバイです。長男一家と車に乗り込みました。17:30に羽田に着き、次は8月だねとバイバイしました。18:30の伊丹行きの空席を聞きましたが満席で変更ができず、19時まで暇です。売店を回っていたら、家内が千疋屋総本店を見つけました。次男・Yさんが持ってきてくれたゼリーも並んでおり、奮発してくれたのがわかりました。
会社の人へのお土産に、プリンパンケーキを買いました。定刻に飛行機に乗り、機内の人になりました。機内ニュースで、「台風7日に沖縄に接近」というのが流れていました。7/10から週末まで、新潟のお嫁さん実家ご両親と長男一家は、台湾旅行に行きます。お中元のお礼メールで、向こうのお父さんから「台風が来なければいいのですが・・・」というのを頂いていたので、10日の東京出発に影響のないことを願いました。孫くんはさすがに仕事で海外を飛び回ってる両親の子だけあって、パスポートを取りました。パスポートって確か10年有効だったはずですが、1才の子のパスポート写真で11才の海外渡航が有効なのか笑っちゃいます。
家内とYさんの好印象のことや、長男たち夫婦が上手に向こうの親も僕らも楽しませてくれるのに感謝したりして、楽しいおしゃべりになりました。僕らも子育て中は、僕の両親は隣の家だったので当たり前ですが、家内実家にも2ヶ月毎ぐらいに顔を見せ、僕は家内実家隣の散髪屋さんの常連になっていました。1世代進んだようですが、ごく普通の日本人の心を持った息子に育ってくれてありがたいです。
機内での機長からの話では、定刻の8:05ランディングでしたが、大阪の空が近づくと「上空雷雲発生のため、着陸渋滞が発生しており15分ほど遅れる」とのアナウンスが有りました。8:20無事着陸しましたが、雷は鳴っていないもののしっかりした雨が降っています。僕が一旦バイクで帰宅し、車でピックアップに戻る作戦にして、家内を待たせて、家内が用意してた折りたたみ傘を差してバイクに向かました。カッパ着て周回道路に出たら、家内もカッパ着れば平気そうに感じ、ターミナル前にいた家内の前に横付けし、カッパを着てもらい、孫くんを追いかけるように家内が持ってきてた運動靴にヒールから履き替えてもらい、ブーンと帰宅しました。楽しい楽しい、そして新たな展開も想像される東京デートでした。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
inserted by FC2 system