ウェブマスター日記 2014/5-6

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2014/6/29
日曜日は、映画「WOOD JOB」のロケ地・三重県美杉を、夫婦サイクリングしようと思っていました。先週、天候不良・次男の帰省により順延していました。ところがこの日も雨予報が出ていたので諦め、インカレ個人戦予選へのコーチング参加をクラブの学生に伝えました。すると前日の天気予報から晴れマークに変わりました。残念でしたが、レースコーチを優先することにしました。
4時に目が覚め、ちょっとゴソゴソし、続いて庭の雑草取りに精を出し風呂に入っていると、いつもより遅く6時前に家内が起きてきました。当初、一緒にレース会場のヨットハーバー最寄りのJR大津京駅まで行き、家内は近江八幡を散策して、帰りにまた合流する計画でした。でもデパートに買い物に行くとのことで、計画は流れたのでゆっくり起床です。
6時に出発しました。バイクで行こうかとも考えましたが、天気予報は夕立を予想しており、不安定な梅雨の季節なので車を選択しました。曇空での出発でしたが、天王山を越え京都盆地に入ると陽が差してきました。7時にハーバーに着き、学生に挨拶し、土曜日の成績表を見に行きます。風がなかったようで、1レースのみ成立していました。両クラス、上位6艇まで全日本学生個人戦出場枠があり、2艇が圏内に入っています。
艇庫前に戻り、あれやこれや話をして、レース運営する次期監督の次男同期君と現監督さんが来られました。8:15に出艇D旗がレース本部のポールに上がり、監督・マネージャー・1回生数人と一緒にコーチボートに乗り込みました。大会運営要員の1回生以外の1回生がレース艇に乗り込み出艇していく選手に、大声でエールを送ります。それに大声で応えるレース要員・・・何度見ても清々しい学生レース風景です。
R1は南西の三井寺からの風で、強弱・風向の変化のあるレースでした。各クラス5艇ずつ出場していますが、2回生スキッパーが3艇・1回生スキッパーが1艇出ており、どうしてもそちらに目が行きます。特に1回生・T君のレースを見るのが初めてなので注目です。スタートはアウター有利でしたが、典型的な三井寺の風なら右にシフトしていくはずです。アウター有利ならスタート号砲直後タックする船が多く、ポートの走り合い勝負になります。先にタックしバウを出した者勝ちです。T君はほぼ号砲同時タックで艇団から右に出し、集団がバラけたとこで再びタックをして左に行きました。スタート後、左からブローが入り、右有利の展開にはなりませんでしたが、素晴らしい先手・先手のコース引きです。将来有望な新人です。
D社ダークブルースピンが先頭集団で次々に上がります。3艇合計で見ると対抗するのが金沢で、少し離され次がうちで僅差のRitsが追う感じです。D社は2年連続全国制覇中で、今年の僕の母校との定期戦結果を見ても、今年も全国制覇の本命です。関東を制した日大と一騎打ちになりそうです。良いターゲットが同じ水域にいるので、大いに胸を借りて技術を磨いてほしいものです。
フィニッシュ後、次々に戻ってくる艇に、感じたことを話します。艇の感触を聞きながら、セッティングアドバイスをして、次のレースに気持ちを切り返らせて送り出します。T君にはスタート時のナイスを褒めます。
風が落ちて風待ち後に、北から6m/sほどのブローが入ってきました。R2もT君メインに見ます。中央アウター目から第一線で出たT君は風上艇よりスピードがあり、少しずつバウを出していきます。よりアウター寄りからからスターとして走り負けしてタックを返してきた艇のバウを切っていい感じです。しかし、返してきた走り勝った数艇にバウを切られました。この中に2艇の友軍艇がいたので、この2艇に期待です。
1上を先頭艇から回り始めましたがスピンが上がりません。サイドマークまでの風向がキツイようです。金沢のスピンが上がりましたが、また下ろしました。D社のダークブルースピンが上がりました。次々にダークブルースピンのみが上がります。D社が綺麗に張れており、風速も8m/sぐらいなのに、スピンを上げない選択をしている他艇は気持ちで負けてるね。自信がないんだろうな。僕が4回生の時の全日本個選第1レースで、江ノ島で15m/sオーバーが入りました。1上トップ回航した僕は、迷わずスピンを上げ快走し、3位回航の僚艇を除いて誰もスピンを上げず、ぐんぐん差が開き、フィニッシュ時にワンマーク離れちゃいました。それを思い出し、D社との気持ちの違いを感じました。
1上はワンツーとうちでした。サイドマークまではリードを保ちましたが、サイド〜下レグで見ていると、追うD社との船の安定感が違い、下マーク手前で抜かれてしまいました。フィニッシュ後、コーチボートに帰ってきた2艇から少し遅れたけど上位フィニッシュしたT君に、「ワンツーやったぞ」と笑顔で声が掛かっていました。「ほんまですか?僕もあそこで・・・」と悔しそうでした。いい感じです。上位2艇には、この風でのボートスピードを褒め、チューニングデータをノートするようアドバイス、そしてフリーの安定感に欠けるので、練習での課題にしました。T君には、最も遅い船での大健闘に拍手し、練習でボートスピードを磨くことをアドバイスしました。全艇へのアドバイスで最も大切にしているのが、次のレースに笑顔で臨めるようにすることです。ミスは当然指摘しますが、必ず良かったとこも話し、最後には握手したり肩をたたいたりして送り出します。
R3は、少し風速が落ちましたが安定した北風で、ボートスピード勝負になりました。ワンツーが金沢でD社が追う展開で、その中に3位でT君が回航し、最終マークまで3位キープでしたが、きついアビームでD社3艇に相次いで抜かれてしまいました。それでも素晴らしいです。ジュニア上がりの次男が1回生の最初のこの大会で、初日3レース終了時トップという鮮烈学連レースデビューを飾りましたが、奇しくも同じ艇で立派にレースを終えました。
全体的には、下級生の船も含め、レース前半で後位に甘んじても必ずマーク毎に順位を上げてくる艇が殆どで頼もしく見えました。部員が増え、部内競争が激しくなり、多数艇で練習できるようになり、良い循環になっています。
R3で最終レーススタート時刻リミットの14時を回り、トータル4レースで大会が終わりました。16時前にハーバーバックしました。プロテストが多く出ているようで、閉会式を待っていては帰宅が遅くなりそうです。ブリーフィングで気づいたことを話し、ハーバーを後にしました。日のあるうちに帰宅できそうで、一人ぼっちにした家内と何かできそうです。
湖西道路〜名神〜中国道で17時過ぎに帰宅しましたが、家内はいませんでした。ヨットの用意を片付け、至福のヨーグルトタイムしてから、風呂に入ってクレンジングでUVクリームを落とします。その時、家内が帰ってきました。「どこ行ってたの?」「近江八幡に行ったよ。帰りにハーバーに寄ったんだけど、入れ違いだったみたい」「え〜、ごめん〜、悪かったなあ。携帯電話の電源を入れてなかったわ」「ふふふ、いつものことだからいいよ。近江八幡に行かないと言ってたし・・・」。ぐあ〜、ガッカリです。ハーバー出る時、家内に電話しようかな?と一瞬思ったので不覚でした。
日曜定番の「ダーウィンが来た」「軍師官兵衛」を見て、21時に床につきました。監督から聞いたのですが、2週間後7大学戦にレース運営として次男が参加するそうです。それを話すと、家内がまたウキウキし始めました。自宅に顔を出すかどうかわからないけどね。

2014/6/22
土曜の晩、次男が帰ってきました。予定では金曜の晩帰宅で、家内が張り切って用意をしていましたが、仕事が長引き新幹線に乗れなくなって1日遅れました。土曜の晩帰宅すると家内はお化粧を落とさずに手持ち無沙汰の様子です。昼に帰ってくると思ってた次男がまだ帰ってこず、「夕食はどうするのかな〜、今日帰ってくるのかな〜」って言ってます。「電話してみれば、いいじゃん」と僕が電話してみました。「電話の取れない場所におられるか・・・」の定番アナウンスが聞こえてきたので、新幹線内だと思い風呂に入り出てくると、そのタイミングで電話が鳴りました。「今、大阪駅だからあと20分ぐらいで伊丹駅に着く」とのことで、お迎えに上がりました。駅前で待っていると、明るくやってきて、あ〜だこ〜だで土曜の晩が終わりました。相手が息子なのに、化粧を取らずに待ってる家内が可愛いぞ。
日曜日は朝から雨でした。晴れなら、映画「WOOD JOB」ロケ地をサイクリングする計画でしたが、次男帰宅の報でそれがなくなり、雨でも残念感はないです。4時に目が覚めたので、早朝バイクできなかっただけです。9時になり、マンダイスーパーまで車で買い物に出ました。春の彼岸からお墓に参っていないので、そのお花を買います。いくらあってもすぐなくなる500gヨーグルトを6個、パン・・・など買い出ししました。
11時になっても起きてこない次男を起こし、ブランチを食べさせました。この日は小学生時代の同級生同士の結婚式で、披露宴2次会に呼ばれています。彼は中学受験して地元中学に通わなかったのに、小学生時代の友達とも交流を続けており、素晴らしいです。「あべのハルカス」見物してから2次会・東京へ帰るという予定のようです。
雨が上がったので、11:45に家内と車でお墓に向かいました。r12を北上し、12:17両親が眠る猪名川霊園に到着しました。3ヶ月ぶりのお墓は、小砂利を敷いているからマシですがそれなりに草が生えており、30分以上草抜き仕事になりました。山にこだまするホトトギスの声を聞き、目の前の墓標に止まったビタキの綺麗なさえずりの中、気持ちの良い作業でした。今朝もスーパーから帰宅後、「伸びたねえ」と家内に言われた隣の実家の塀から道路に越境してる小枝を裁ちばさみで選定しました。庭の雑草ジャングルとの格闘も道半ばなので、草刈り仕事は当分続きそうです。でも、日本の多雨気候が、うんざりするほど植物の成長を促し、豊かな農作物を実らせて人間含め多くの動物を育んでいるのだから、文句を言ったら罰が当たります。
13:06、お墓を出発しr12を北上。13:16、「丹波篠山渓谷の森公園」着、昼食にします。丹波黒豆コロッケ定食770円×2=1540円。紫陽花・ヤマボウシを激写し、じっくり見たことのない家内に栗の花を見せます。一見花に見えないね。キャンプ場とバンガローが建ち、大野山登山口でもあります。所要時間1.5時間。ホタルが乱舞する羽束川まで徒歩5分なので、今の時期は小さなお子さん連れがいいと思います。でも、登山駐車500円・コテージ・バンガロー4人用で19500円とは、料金が高いな。
r12を少し北上し、後川で左折して気になってた「後川稲荷神社」を探索します。簡単に見つけられました。「太平山清陰寺(曹洞宗)」と神仏習合スタイルになっていました。
『室町時代・1423年に創建され、その後荒廃しましたが、1682年に再興しました。境内に後川稲荷神社があります。摂関職・二条家が厚く信仰し、村人の他・杜氏・商人の参拝も多く、お供えの油が鍋からいつも溢れだしていたと言われています。願済みに奉納された大小千数百個の鈴を収納した鈴堂があり、赤く塗られた眷属堂に、真っ白な狐の木像が数十体並ぶ様相には魅惑を感じます。 篠山市』
今や人口流出で小学校も廃校になった後川ですが、伊丹や灘に向かう丹波杜氏往来の要衝地なので、往時のにぎわいを感じる謂れ板の文言です。歴史あるお宮であることは資料で知っていたけれど、寺院の門扉の壮観は現在の後川集落からは想像できない立派さでした。北摂第二峰である「大野山」の麓という立地から、深い森がすぐ横まで迫り、かなり感動します。案内板に従って境内の横に向かうと、太いご神木に苔むした境内がナイスな稲荷神社です。家内は稲荷社に直接向かいますが、僕は墓地を先に探索します。苔むし角が丸くなった年輪を感じさせる小さな五輪塔に、妙に惹かれました。稲荷社本殿に向かうと、50はあろうかと思われる朱塗りの鳥居が参道に林立し、信仰の篤さが想像されます。
家内はたいそう感動したれたようで、お賽銭に100円と大奮発しています。本殿裏に謂われ板に書いてあった白狐さんの木像がずらりと並んでいます。この集落にこんな経済力があるんだと再認識するような立派な銅葺き屋根で、蟇股にこの1時間後に知ることになる「お宝有り」マークと亀の彫刻が見事です。想像を倍するナイスなお宮で、訪問した甲斐がありました。
r12を更に北上し、城東トンネルを抜けて「日置」を左折し、旧山陰道に入り西進します。波多野氏居城・八上城址登城口・春日神社の山陰道に面してある「古美術・国宝堂」に立ち寄りました。家内は「お墓参り」目的でしたが、僕は密かに国宝堂訪問がメインターゲットでした。水曜日朝の早朝ツーリングで、「武田菱家紋瓦はいくらするのだろう?」を聞くためです。「こんにちは、拝見させてください」と店内に入ると、如何にも古物商という感じのご主人が現れます。目的の家紋瓦と絵馬瓦の値段を尋ねても、のらりくらり「いくらぐらいに見えますか?」と、こちらに値踏みを聞いてきます。「新品なら対で10万ぐらいでしょうか?中古だからその半額。片方だけ2万でどうですか?絵馬は3000円」と答えると、「いい線ですね。既成品なら10万、特注したらそれを超えますかね。片方だけで2万は厳しいので、対で5万、絵馬瓦も付けますが・・・」とのことでした。
絵馬瓦はまだ新しく見えるけど、家紋瓦は50〜100年ほど前のものですか?と聞くと、500年ものだと推測してるそうです。2000年-500年=1500年って、室町時代じゃないか・・・ほとんど傷んでいない外観を見て、驚きました。住宅新築時に瓦の新装するので、それを買うのだそうです。しっかり作られ手入れされた木造住宅は、簡単に壊れないので、売主さえ製造年代を定かにわからない世界だそうです。「横にあるのは桃の瓦でしょう?」と聞くと、「これはお宝あり」のマークです。30分前にも後川稲荷神社の屋根で見た割合ポピュラーな紋瓦は、永遠の命を授ける桃のマークではなく、お宝のマークだそうです。由緒ある寺院や神社に使われるのだそうです。
店内はお宝の山で、刀剣・槍以下様々な目の毒(保養)がところ狭しと並んでいました。父の実家の土蔵を小学生の時祖父と一緒に探検した時のようです。最も目に留まったのが、能勢氏の「切竹矢筈十字」家紋が付いた刀でした。「これ、能勢氏の紋が入ってますね、すごいな〜」と言うと、「わかりますか」とご機嫌なご主人がいろいろと教えてくれます。「天皇に拝謁するときに帯びる刀で、中身の真剣は白鞘に入れて別に保管しています」とのことでした。通常真剣は、白鞘に入れておかないと錆びてしまうそうです。保有には銃刀法の関係で免許や許可が要るのだろうと聞くと、刀に許可証が付いており、所有者は誰であろうと平気だそうです。長男が大学ライフル射撃部時代、自宅にエアーライフルとボアライフルがありました。本人が銃保有許認可を得て、毎年警察官による保管設備などの立ち入り検査が課せられました。骨董品・美術品として価値の高い刀剣は、登録されその証明書があれば、むしろ銃刀法取り締まりは緩いようです。「篠山だけでも1000振りではきかない刀剣・槍が民家に眠っています」とのことでした。
元々神戸で古美術商をやっていられて、実家に戻ったそうです。ご先祖は、波多野氏の家老職だったそうで、当時からここに住んでいたそうです。「裏に公共トイレがありますが、元々うちの蔵でした」。「城址に登る時、そのトイレを利用させてもらいました」「トイレのなかった時は、うちの店の横にあったトイレをご婦人方が利用されていましたよ」と、あれやこれや話に花が咲いて、あっという間に1時間ほど過ぎていました。僕は面白すぎて、まだまだ喋っていたかったけど、家内同伴の手前退散することにしました。
野ざらし展示だから、武田菱家紋瓦も1万円以下で手に入るかも?と思っていましたが、500年ものの瓦は対で5万という値で手が出ませんでした。でも絵馬瓦は3000円でOKだそうで、買って帰りました。
店に入る時は雨が降っていましたが、出た時は止んでおり、R372〜r49で美濃坂峠を越え母子、永沢寺前からr323〜r33〜r325〜長尾山トンネル経由で、阪急山本駅近くの「和菓子・菅家」に17:06寄り道しました。月曜日が定休日のようで、めぼしい日持ちのしない和菓子は売り切れており、和菓子2個500円・三笠150円を買いました。帰宅後、すぐに絵馬瓦を屋敷祠に奉納しました。2週連続で映画鑑賞で見れなかった「ダーウィンが来た」「軍師官兵衛」を見て21時に寝ました。

2014/6/15
ドラゴン級のレース日です。早朝4時前に目覚めましたが、早朝ツーリングを自重し、ゴソゴソした後、7時前になったので垣根のツツジの手入れをしました。自宅の周囲2辺の石垣の腰の高さぐらいに20本ぐらいツツジが植わっています。大学生までは、この手入れは僕の仕事でしたが、仕事を持つようになってからは親父のリタイヤ仕事になり、親父が亡くなってからはまた僕の仕事です。ずっと植木刈りはさみで刈っていましたが、5年ほど前からは電動刈払い機で楽になりました。ただ作業時間が朝の出勤前だけなので、今回も3日目の作業です。ツツジは4月に入り若葉を伸ばし、5月になると白や濃いピンクの花をつけます。我が家周辺のお宅の石垣にツツジが多く、かなり見事なのですが、花の終わりはあじさい同様みすぼらしいです。6月に入り花期が終わると、かなりかっこ悪くなる石垣を綺麗にすべく、梅雨の合間を狙っての作業開始です。石垣の蔦やクローバーが伸び放題になってるので、30分ほどの作業で最後の一部をやっつけ終わりました。乾いてる側溝に刈り取った葉っぱなどを全て落とし、最後にそれをかき集めて作業終了です。大きなゴミ袋を担いで庭に戻ると、ジャングル状態になってる庭が目に入ります。腰が痛くなるので、1日の作業時間を30分と決めているので、夏のお盆まで植物の勢いのあるしばらくは、毎年のことですがエンドレスで草刈りが続きます。雨の多い日本の恵み故だと、頑張りましょう。
8時になり、ヨットの用意をして通勤リード110で家を出ました。ずっと探してたパドジャケを早朝のゴソゴソ作業で見つけました。1つ前のヘリーハンセンの黄色のパドジャケは次男に「いいのあるやん、貸して・・・」の流れから持って行かれちゃったので、クルセーバーの赤のパドジャケを買ったのですが、ここ2〜3年行方不明になっていました。首や手首のゴム部?が経年劣化してポロポロ剥がれます。それを洗面台で落としていたら、「なにこれ〜、外でやったら」と家内にダメ出しを食らい、洗面を掃除して玄関外で落としていたら、コンクリートに黒い点々が付いてしまいました。中に入ると洗面所前の板の間に張り付いた点々ゴムが取れないと、再び家内に駄目だしされちゃいました。「新しいの買ったら〜」と笑っています。最近山用品主力のモンベルが、カヌー用にパドリングジャケットを1万円を超えるヨット用のより安く、1万円を切るお値段で売り出しています。それがちょっと気になります。
8:12、近所のセブン-イレブンで辛子明太子・エビマヨおにぎりを200円で購入し、続いて8:15、御用達伊丹産業SSで給油しました。167km/3.86L=43.3km/L。R171を西宮に向かってブーンと走り、8:40にハーバー到着です。陸置きバースのレース艇に行くと、Oさん・Hさんのメンバーが到着済みです。僕が1番だった先月より10分遅かっただけなのに、他艇メンバーの多くも艤装作業に入っています。サッカーワールドカップが始まり、朝早くから起きるようになったのかな?サクッと艤装を終え、9:30には桟橋に降ろされました。第1レースは11時スタートなので、いつもの様に10時まで出艇を待ちますが、他艇は暇なので次々に出ていきます。朝からSWが入っているので、スタート位置はハーバーに近いはずですが、他艇メンバーのKG後輩に聞くと、関関戦・国公立戦・インターハイ近畿予選と他に3つのレースがあるそうで、ドラゴンは遠くの海面でのレースになりそうです。
10時になり桟橋を離れ、レース海面に向かいます。SW・3〜4m/sが入っており、天気予報通り6〜8m/sのレースになりそうです。国公立が東・関関戦中央・近畿インターハイが西の芦屋沖と住み分けされており、KYCのレースは関関戦の上マークの風上に設置されました。赤白灯台の港湾口に向かってのレース海面で、港湾外からの波の影響が上マークに近づくほどありそうです。
R1は遅れ上一でスタートし、波の影響を最小限にするOさんのレースプラン通り、そのままスターボで南に向かいます。苦しい位置での走りですが、チューニングがバッチリのようで、位置をキープできます。上一艇JPN46がタックして西海面に向かいます。レースプラン通りなのでしょう。JPN52・28がスターボの走り合いに脱落し、タックしてスターンを抜けていきます。
上マークへの微妙な位置に本船が係留されており、2艇の本船の間を抜ける作戦でタックしましたが、微妙に本船のブランケットを食らい、うちに遅れてタックし斜め上後ろにいたJPN49に上並行にまで前に出られ抜かれました。向こうの方がブランケットがきつかったはずなのに・・・。
JPN34・49に続き3番で上マーク回航し、そのままの順位で下マーク回航後、即タックして再び南を攻めました。これが裏目で、西から入ったブローに乗り遅れ、ビリ2の6位で2上回航になり、そのまま6位フィニッシュ。Hさんのマストセッティングがいい感じで、ボートスピードが上がり上り角度もいいです。スタート直後のスターボを走りながら、グッドな感触を得ました。いい走りだったので、2上レグの冒険コースではなく、セオリー通りのコースなら下マークでJRN34を追い詰めていたので、トップフィニッシュだったかもしれません。自滅ですね。でもまあスキッパーOさんの自信策だったのでOKです。和気あいあいとあ〜だこ〜だワイワイレース中も軽口叩きながら、楽しめました。
12時過ぎから始まった第2レースは、5レグのロングコースです。JPN34・49に続いて3位フィニッシュでした。第2・第3上りレグは目の前のJPN34を追いかけて、走り合い勝負しましたが、JPN34もよく上り早くて追いつけませんでした。最後の下マーク回航で時間的余裕がなく、スピンに穴を開けちゃいました。5レグのロングコースだったのでこれで終了と思い、フィニッシュボートに声を掛けたら、「もう1レース」との返事が返ってきました。グア〜映画が・・・。
次の5レグ・上マークまで1.2マイルのロングコースです。JPN46だけ1艇抜け出しトップで上マーク回航しましたが、あとはテールtoノーズです。僕らはJPN34に続いて3位回航で、2上レグで後ろを離し3位ながらセーフティーリードです。ここでOさんが西いっぱいに風舳が振り切ったので南だとタックを選択しました。セオリーなら、他艇より南の位置キープですが、全艇コンスタントに西がいい今日のレース海面なので、セオリー通りそのままポートで突っ込んでいきます。この冒険は第1レース同様抜かれるリスクだけだけど、スキッパーの意思を汲まなければ。ストラテジーはスキッパーで、僕はタクティクス担当なので、本船位置を考え、南一本の大冒険コースを微妙に回避する位置でタックを進言します。ミドル担当のHさんも僕に賛成のようでタック。次のミートはやはり先行2艇に大きく離され、後続艇のギリギリ前という位置まで追いつかれてしまいました。でもボーツスピードのアドバンテージがあるので、気持ちは楽でした。3位キープでフィニッシュしました。
僕の好きな上り角度の取れるボートにマストセッティングが成され、8m/sながらバックステイを利かせなくてもヘルムが安定しています。スキッパーのティラー感触は当たり前ですが、クルー位置から見てもウエザーヘルムがきつすぎるバウの暴れがないです。カニンガム・アウトホール・バングなど風力の強弱に合わせたチューニングが当たり前ですが、スピードアドバンテージのあるレースが楽しいです。常勝チームJPN28・52がイマイチな日でした。
気温も暑からず寒からずで、シースプレーが気持よく、パンツも濡れますが持っていったパドジャケも着ずに、とても気持ちのいい3レースでした。ハーバーバックは16時を過ぎ、日はまだ高いですが、僕には映画のタイムリミットがあるので焦ります。レース艇の片付けをすべて終えて通勤リードに戻ると、17:30でした。家内に電話し、帰宅は無理なので映画館で待ち合わせることにしました。この日はもう一つ用事がありました。前日に高校ヨット部同期の病気療養中のS君宅に、中高同級生が集まるとのことで、レース後少しの時間でも顔を出す予定でした。それが無理になってしまいました。
R171を伊丹に戻りました。朝の快走とは違い、この時間帯は車が多いです。映画館に着いたのは16:30で、チケットを買ってる間に上映10分前の入場案内が流れました。18:20、「春を背負って」上映開始。1週間前の「WOOD JOB」を観た時の予告編が良く、2週連続の映画です。撮影・監督が同じ方で、映画カメラマンさんが監督をしたようです。珍しいね。立山の山小屋を舞台にした映画で、素晴らしい山の景色が広がり、「うわ〜」ってなっちゃいました。立山から富士山が見えるんだと驚きました。大阪〜新潟の飛行機からは、立山・槍ヶ岳・御嶽山・富士山が以外に近いと俯瞰できましが、地上でははるかに遠い印象でした。
山小屋を経営する親父が突然亡くなり、東京の投資会社勤務の主人公・息子が帰ってきます。原作ではいろいろな展開があるのかもしれませんが、父親の葬儀であとを継ぐことを決めて、大きの気持ちのいい仲間に支えられながら一生懸命に、大自然の中で新たな生活を始めます。僕の好きな悪者のいないストーリーで、ドラマチックな展開も控えめな秀作でした。
家内はヘルメット持参で来ていました。映画を観終わりバイクまで戻る時やタンデムでゆっくり走りながら、いろいろ映画のことを話しました。「僕らには、あんなとこまで登れないなあ」「あの娘は小さい体なのに、頑張るねえ」・・・楽しい週末でした。

2014/6/8
日・月は、半年前から温めていた「隠岐の島ツーリング」の決行日でした。年に一度の宿泊ツーリングですが、今年は3泊から2泊に減らし沖縄ツーリングを2月に、厳しい寒さの大阪を脱出する天国ツーリングとしてやってしまいました。残りの1泊を隠岐の島に当てるべく、決行日を探っていました。日曜休日の家内に用事があって、月曜の仕事をサボれる日はそう多くはなく、やっと巡ってきたチャンス日でした。天気も曇りながら雨はなさそうなので、フェリー会社や地元観光協会に電話して、予約状況や宿予約状況を聞きました。この時期のフェリーは、まあ予約なしでも乗れそうですが3回フェリーに乗るので、予約を入れておいた方が無難です。宿泊の方は、食事付きなら当日申し込みは厳しそうですが、素泊まりならやる気満々な観光協会の担当女性が簡単にどこかを見つけてくれそうです。地元観光協会は、地元の商工会が地元経済のために躍起になってるので、条件がなければほぼ確実に探してくれるのでありがたいです。でも梅雨入りした天気は、予報がコロコロ変わり、最終決定を土曜昼まで伸ばしましたが、ついに月曜日の予報が雨から変わらず断念しました。日曜日も曇り予報で、できれば日差しの降り注ぐ中で海岸線の絶景を望みたいからね。
「明日琵琶湖に行ってくるわ」と家内に伝えた後就寝し、日曜日は、少々残念な気持ちで目覚めました。天気予報をチェックすると近畿地方は夕方まで曇りで雨の心配はなさそうで、夕方から雨の予報です。「日中琵琶湖・夜北摂で蛍狩り」を考えていましたが、雨ではホタルも飛びにくいので、18:45〜映画鑑賞という予定に切り替え、家内に打診して快諾を得ました。
6時に家を出ました。バイクで行きたかったのですが、往復高速道路でイマイチだし、夕方からの雨予報が夕立気味になると映画の時間があるので雨宿りする余裕がないので、仕方なく車出動です。中国道〜名神〜湖西道路と順調に走りました。晴れていますが、夕方からの天気予報もあり、バイクは少なめでした。
7時に琵琶湖のヨットハーバーに着き、艤装してる学生に挨拶し、キャプテンとあれやこれや話します。部員達も笑顔がそこここに溢れ、楽しそうです。レースでの勝利を追求はしてるけど、勝利至上主義に行きすぎてギスギスしたクラブになっちゃうのは本末転倒な気がして嫌です。学生の本分は学業で、それをしっかりやりながら余暇でスポーツを高いレベルで楽しむのが、プロスポーツではない学生スポーツのあるべき姿だと思っています。上手下手・体力のあるなしなどで差別せず、部員本人がヨットでいろんな楽しみを見つけて欲しいと思っています。ある時のヨット部卒業式で、「僕はヨットは上手ではなかったけど、練習を終え西にあるヨットハーバーに向かって帰る時、朱い西日に向かって帰る姿が好きでした。結果は別にして、1日僕の精一杯でヨットを楽しめた充実感で満足が胸いっぱいに広がりました」という言葉を聞いた時、僕は心を打たれました。
僕は1回だけキャプテンが下級生に度を過ぎて厳しく当たるのを目にし、個人的にキャプテンに注意し、以降その代のコーチングに行かなかったことがあります。プロスポーツなら、勝利に貢献しない選手を切るのもアリだと思いますが、将来このスポーツで食えるわけでもないので、団体行動・生涯の仲間作り・社会性醸成・社会ルールを守る・目上目下同期との言葉使い挨拶交流・・・いろんなことを学べる場が、体育会スポーツ部だと思います。
それでも翌年のキャプテンが、また僕にコーチングの依頼をくれました。ありがたいことです。今年も1回生が10人オーバーで入部してくれたので、スナイプ7・470級7・合計14艇での練習です。470級で一番走らないと言われている艇のチューニングを、マストステップの位置から大きく変えるようその艇のペアと話し合い変更しました。8時に出艇し、午前中はスナイプ級を指導しました。風力に合わせたジブハリヤードチューニングと、メインセイルトリムをアドバイスし、チューニングアドバイスした2艇はかなり速くなりました。朝の出艇前ブリーフィングでも、チューニングでのボートスピードの変化の大きさを伝えたので、湖上練習でそれの実践です。データのノートを口が酸っぱくなるほど常に喋ってるので、ボートにガムテープを貼りマジックで記入しています。
1回生はシーホッパー4艇使って、1人乗り練習です。いっぱいひっくり返って身体で操船を覚えます。ホッパー担当のインフレータブルボートで、2交代で乗り換えますが、「次おれの番だ!」と楽しそうです。帰国子女2名女子が入部していました。イギリスとアメリカからの帰国子女で、アメリカからの娘は6月に向こうを卒業し帰国してから予備校通いしたそうです。さすがアメリカでもまれただけあって、誰にでも物怖じせず自分の意見を述べています。彼女は体操係のようで、朝の体操の号令を掛けていました。レース練習・スタート練習の時計係を買って出たので、彼女に任せましたがナイスでした。今年の7大学戦はうち担当で、全国から6校がやってきます。レース運営の主体はうちのクラブなので、1回生は実務部隊です。来月本番ですが僕の役割指名や指示にもみんなグッドな仕事ぶりで頼もしいです。
微軽風の練習に終始し、ほぼ無風にまで風が落ちたので、クルーを1回生に交代させ、ショートレース練習をしました。12時にハーバーバックし、合宿所に戻って昼食です。湖面上空は朝から明るい雲がポコポコと浮き、真夏の空です。気温もグングン上がり、網戸横で食べていると、湖面から吹いてくるそよ風が気持ちよすぎて、目を閉じれば一瞬で昼寝体制になってしまいそうです。
女子マネさんが作ってくれた昼食を美味しくいただき、ブラブラ歩いてハーバーに戻ります。朝大きくチューニングを変えた艇の具合を聞くと、まあまあな感触が伝わって来ました。湖上でしたチューニングを聞くと、あまり風が吹かなかったこともあり、朝僕がアドバイスしたままのようです。まだパワー不足を感じるようで、マストのプリベンド数値をチェックしながらサイドステイを1ピン詰めました。当然プリベンドが増すので、マストプラーを一番きつく入れます。それでも足らないので、艇庫からかまぼこ板を探しださせ、プラーに詰めて目標のプリベンド量にしてメインセイルラフを適正な深さにしてパワーを増すようにセッティングしました。
午後出艇前ブリーフィングで、キャプテンからハーバーバック16:30の指示が出されました。17時に琵琶湖を出れば余裕で映画に間に合います。グフフ・・・。470級の帆走練習に付き合い、2度止めて、遅い2艇のチューニングを変更させます。その後2艇ともスピード負けしないようになったので、学習したでしょう。
こういうのを部員みんなで共有してほしいです。朝からチューニング大幅変更した艇は、メインもジブもリーチが明らかに開いてるので、ジブリーダーを更に前にして、メイントラベラーを更に下げてブーム位置を下げられるようにしてメインシートを引かせます。いい感じのセイルシルエットになり、他艇と互角のスピードになりました。スタート練習・レース練習の時間になり、僕が乗るコーチボートはマーク設定に向かいましたが、チューニング大幅改造艇からみんなに声を掛け、更にスピード練習をしようとリーダーに提案していました。いい感触を得たのでしょう。いいね・・・今めちゃ楽しいでしょう。ハーバーバック後ペアと話し合いました。乗ってるものしか感じ得ないさらなる改善ポイントを3人で話し合い、更なるスピードアップへのチューニングの流れを見い出せたようでした。
スタート・ショートレース練習では、またAM時計係してくれたアメリカン帰国子女さんが、1人乗り練習を終えコーチボートに上がってきたタイミングでした。「また時計係ね、英語でカウントダウンしてね」「え〜いいんですか〜、みんなに変な目で見られませんか?」「そんなん思うやついないよ、第一ヨットは欧米のスポーツだから国際レースはみんな英語だよ」って言ったら、英語でのカウントダウンが始まりました。「うぉ〜カッコイイ」とコーチボート上は大盛り上がりです。レース艇の部員も喜んでいるでしょう。トゥエンティーワンではなく、トゥエニィワン・トゥエニ・・・とカウントダウンが進み、ミスると「オ〜オケイ」なんて英語口になってます。スタート時に「オールフェア」と部員が口にするので、国際レースでは「オールクリア」が標準だよと教え、少しだけインターナショナルになりました。
16時を過ぎ練習を終えハーバーバック指示し、帰路彼女と話しました。彼女は長い夏季休暇の時ヨットキャンプに参加したことがあるそうです。ヨット部員にキャンパスで声を掛けられ、試乗会に参加したそうです。アメリカではかなりのステイタスであるヨットクラブだけど、日本では全くのマイナーで驚いたそうです。試乗会夕食での僕の話で、大学ヨット部はヨットの始まりで、道具を使うスポーツなので卒業後も高いレベルで競技を楽しめ、大型艇に乗って海を渡る世界もあると僕の実体験を交えて話しました。それを聞いて入部したそうです。僕のお話勧誘も、役立ってるようで嬉しくなりました。
ハーバーに戻り、みんなに挨拶してハーバーを後にしました。この日琵琶湖ジュニアの元お父さん2人に会いました。息子さんたちの話を聞かせてもらいました。午後の練習最後には、比叡山を越えて雷雨もありそうな小さな黒雲が琵琶湖上空にも張り出して来ましたが、草津の一部に雨が落ちてるのが視認できただけでした。何もない空が大きく広がる湖面・海面上は近接の陸上の天気が手に取るようにわかります。
湖西線〜名神と渋滞なく順調に戻り、尼崎ICで下車しました。家内と待ち合わせしてるJR尼崎駅前の「ココエ尼崎」映画館に、1時間も前に着きました。電話すると家内はもうすぐ尼崎駅に着くようで、チケットを購入し映画館前で10分ほど待って合流出来ました。用事が早めに終わったようで、買い物を自宅に置いてからまた出てきたようです。
この日観る映画は、「WOOD JOB」です。「道の駅・美杉」をベースにした「夫婦サイクリング」のルートがロケ地の映画です。2ヶ月ほど前に観に行きたいと思ってた映画ですが、先月上映開始されていました。新聞でロケ地巡りを大々的に応援してる美杉町を目にし、上映時間を見るとロードショー終盤で尼崎の映画館でこの時間帯にやっててラッキーでした。
主演の染谷将太君は、大好きでDVDも買っちゃったドラマ・「10年先も君に恋して」での好演が印象に残っていました。脇役が伊藤英明で予想通りいい演技をしていました。大学受験に失敗した若者が、パンフレット表紙の女子に会いたいだけの動機で1年間の林業研修に三重県にやってくる。林業の枝打ちや木に登るシーン・大木を切り倒すシーンに足をすくませながら、楽しい時間を持てました。お客さんは、僕らより年配なご夫婦1組だけで、観客4人でほぼ貸し切りで観ることが出来ました。観終わった家内の第一声は、「すっごく面白かったわ」でした。
ロケ地巡り・サイクリングという新しい夫婦サイクリングのジャンルが立ち上がるかも?ローカル列車シーンが良く、美杉のあの路線は数年前から大雨被害で不通になってるからどこかな?と調べたら、去年の宿泊ツーリングで横を走った明知鉄道だそうです。いいね!
21:30に帰宅し、幸せ気分で「おやすみなさい」になりました。

2014/6/1
日曜日は家内も予定なしだったので、8:00・和歌山・南海橋本駅で家内をピックアップ〜r55〜r732〜道の駅・大塔〜R168〜r733〜奥千丈林道〜護摩壇山〜R371・高野龍神スカイライン〜高野山〜南海高野線沿い林道〜14:00・橋本駅ドロップオフ・タンデムツーリングを予定しました。1週間前は曇だった天気予報は日に日に好転し、「晴れ」しかも今年一番の夏本番の暑さになるとか。楽しみで3時台に目覚めましたが、あまりに早いので二度寝にして5時に起床しました。最寄り駅6時の電車に乗せるべく、5:40に家内を乗せて自宅を出ました。
駅に家内を下ろし、r13を南下〜R43を東進。天王寺駅が近づくと前方に高いビルが見えてきました。「ひょっとしたら、あれが「あべのハルカス」なのかな?」と思い、6:21激写。JR天王寺駅前信号待ちでその高いビルの根本を見ると、「あべのハルカス」って書いてあります。JR駅に隣接する近鉄阿倍野駅ビルが「あべのハルカス」だったのですね。天王寺区と阿倍野区とここで隣接していると知りました。このビルは今までも何度も見ていました。
天王寺駅を過ぎると、道なりにR25になり、藤井寺・柏原という生駒山系と南の葛城金剛山系との鞍部を越え大和盆地に抜け、大和郡山〜伊賀〜亀山へと繋がっています。平野からR309にチェンジし南下、阪和道・美原下を抜け、富田林でR170。7:07、次男の会社の展示施設で激写休憩。河内長野からR310〜R371・高野街道で南東進します。南海高野線と並走になり「南海千早口駅」が見え、遠いけど楠木正成の本拠地の方を眺め妄想します。家内の乗った電車は、今どこら辺だろうか?
金剛山系をトンネルで抜け、7:38・「橋本ニュータウンSS」で給油しました。134km/3.15L=42.5km/L。橋本で給油しておかないと、高野山まで開いてるGSがあるかどうかわかりません。7:58・「JR・南海・橋本駅」到着。ここみたいに隣接する駅は同じ名でないと土地勘のない人にはわかり難いね。JR天王寺駅&近鉄阿倍野駅、JR大阪駅&阪急梅田駅など徒歩数分とは想像できません。僕の渡した家内の行動表では7:50橋本駅着なので駅前を見渡しましたが、家内はまだのようです。携帯電話の電源をONにしましたが、着信履歴がないので問題ないでしょう。
方向音痴の家内のことだから、いつものようにどこかでウロウロ道草して遅れているな。トイレを拝借し、8:02・「橋本駅ショップ・たなか」で「柿の葉鯖寿司・800円」購入。キャンプ用ミニ折りたたみチェアを持ってきたので、奥千丈林道の絶景ポイントで昼食として食べるつもりです。駅前で、「橋本歴史ハイキング」の案内看板を眺め、輪行してきたジャイアントのバイクを組み立てている男性に声を掛け、本日の行程など話しました。行者環に行くそうです。R309〜モリクロふらふら〜R169周回コースなのでしょう、僕にはとても無理な健脚です。
ジャイアントさんを見送ると、家内が「待った〜」って笑顔でやって来ました。やはり途中でミスり、南海高野線の電車に1本乗り遅れたそうです。駅内乗り継ぎの余裕が10分あるのに、何で乗り遅れるのだろう?家内の後をストーカーして、おもしろ行動を見たいものです。十分漫才ネタになると思われます。
今年買ってあげたおニューのプロテクタージャケットは着てきてるので、家内にバイク用プロテクターパンツを履かせ、出発します。次の目標地は「道の駅・大塔」ですが、R24〜R168だと面白くないので、紀の川対岸に渡りr55を東進します。r732に入り、これで南下します。すぐにグングン高度を上げ、1.5車線県道横は深い渓谷です。森の中の道で、野鳥のさえずりと絶景を家内とインカムで会話しながら楽しみます。8:43、素敵な景色ポイントで激写タイム。リアボックス背もたれがあるとはいえ、後部座席の窮屈な姿勢の家内を長持ちさせるためには、こまめな休憩が必要です。こんや山奥の急峻な斜面の中腹に民家があります。四国でも九州でも信州でも、「なぜこんなところに住むのかな?」ってとこに家があります。
「富貴」の集落は、意外にも大きな集落で「小学校がある!」と、都会では感動もしないことに家内とはしゃぎます。車では絶対に走りたくない細道山道をうねうね20〜30kmで進みます。大塔まで、高速道路80km/h・一般道30km/h設定しているナビに案内させていますが、到着予定時刻がどんどん遅れていきます。
9:20・和歌山県高野町と奈良県五條市の境の山中で休憩。五條市から高野町に入ったのに、また五條市に入ります。山中なので複雑な境になってるのでしょう。「Koya Trail・弘法大師の道」というシールが木に巻き付けてあり、「弘法大師空海・高野山発見の道・学術調査隊」という木札も下がっています。すぐ横の森が拓かれ、不釣り合いな真新しい砂防工事が成されています。がけ崩れ修復跡のようです。「止め山」の杭が立っています。「止め山につき、阪本分収造林地内への入山を禁止します。期間9/1〜11/30。 阪本分収造林委員会」と書かれており、期間を考えると、松茸山への入山禁止看板のようです。ここまで来る間、「止山」や「止め山」の看板やナイロンロープを多数目にしましたが、松茸密猟禁止を目的にしたものだったようです。「止山」とは権利人以外入山禁止ということです。杭裏に山への獣道が登っており、登山道かと思いましたが、「お願い 送電線の付近で・・・ 電源開発株橋本送電所」の立て札もあったので、送電線点検路のようです。
カメラで家内を追いかけていると、ヘルメットがでかいです。これまで家内のヘルメットは、僕とタンデムを始めた時にバイクセブンで買った125cc以下用のバーゲン品でした。ヘルメットを落としてシールドに薄い傷ラインが入りましたが、シールド交換出来ないので、そのまま使っていました。1年以上前にホンダドリームでモデルチェンジで旧品になり半額以下で売られていた「OGK・アバント」を僕用に買っていました。赤しか色がなくサイズも1種類のみだったけど、定価2万円オーバーの品だから、現状通勤ヘルメットがくたばったら交換するつもりで塩漬けしていました。スモークシールドも購入済だったので、2日前に家内に被らせるとちょうどいいと言います。ジェットヘルですが、頬の部分が更に前までカバーされるようになっておりより安全そうで、家内にあげることにしました。ずっと色白美人でいてほしいので、すぐにスモークシールドに交換し本日のために用意していました。安全性が高まったヘルメットは、緩衝材が多く入ってるのでしょう帽体が一回り大き目です。幼児漫画の主人公のように頭でっかちになって可愛い。
そこからグングン下りになり、R168に合流しました。ちょうど30台ほどのバイク集団が前を南下していき、今までの道とは大違いで「都会に出た」感覚になりました。R168を少し北にバックし、9:37・「道の駅・大塔」到着。バイクが20台ほど休憩しています。トイレタイムにし、前回ここで買おうか迷った「箸」をまた物色し、「亀甲箸・440円」購入。
ここから、R168をしばらく南下します。ナビで「護摩壇山」を目的地に設定すると、到着予定時間は11:30ですが、最短のr53〜野迫川町経由です。奥千丈林道経由だと、更に+1時間のはずです。2年前の大災害のがけ崩れ跡が見え出してきました。当時寸断されたR168の復旧工事と、より災害に強い道への架替工事が同時進行で進んでいます。1つの大規模がけ崩れ現場だけでも、東京ドーム何杯分の土砂が流れたのだろうと思える程の規模で、やはりニュース映像より現場で見る方がリアルです。数軒の家とともに人命が失われた現場もすぐ分かりました。まだその道路は寸断されたままです。対岸の仮設高架道路にバイクを停めましたが、車やバイクが通る度に揺れます。
r734の分岐も過ぎ、家内と僕の高所恐怖症気味を克服するための吊り橋渡りの総仕上げでチャレンジした「谷瀬の吊り橋」を通過しました。いよいよr733への分岐ですが、小さなトンネルを出てすぐ右折のようです。タンデム通勤リードは遅いので、車やバイクに抜いてもらいながらここまで来ましたが、トンネルに入るとバイクの爆音がトンネル内に響き、グングン近づいてくるヘッドライトにビビります。そしてなんとトンネル内で抜いていきます。トンネル出口がカーブになっており、グループバイクの最後の1台が僕に引っかかってまだ後ろです。こんな状況で右折ウインカーなんて出せないので、左ウインカーを出しながらトンネルを脱出しました。前の見通しが良くなり後続バイクが抜いていってくれたので、僕は慎重にUターンして、なんとかr733に侵入することが出来ました。
ここからはR168と打って変わって、渓谷沿いの細道です。10:40、ダム湖に掛かる橋で休憩しました。交通量はほぼなしです。下のダム湖にはバス釣りボートなのか数隻の釣り人が当たりを探っています。のんびりと森の道を上がると、10:48少し見栄えのいい滝がありまた激写休憩しました。
10:52分岐でバス停を発見しまた休憩です。「十津川村・入谷口バス停、時刻表を見ると1日3往復で、土曜1往復、日曜祝日が運行なしでした。出かける用事のある車を動かせない方は、家族や近所に声を掛けて乗せて行ってもらうのでしょう。これから向かう「高野龍神スカイライン」の案内以外に、「世界遺産・熊野参詣道・小辺路、伯母子峠登山口・三浦峠登山口」の案内板がありました。ここから小辺路の峠に登り、小辺路で熊野を目指す人がいるのでしょう。この南北に伸びる山塊の尾根道が小辺路で、南北に伸びる谷筋である十津川・R168を隔てて東の南北の尾根(吉野〜山上ヶ岳〜大峰山系)の行者道も大峰奥駈道として世界遺産・熊野古道の一つです。日本古来の山岳信仰と密教系の山岳修行仏教が結びついた行者信仰は、これぞ修行という感じがして惹かれます。大峯奥駈道沿いの林道をバイクで走った時、吉野で見かけた行者装束の方や、奥駈道と林道が交差するとこで突然姿を表した現代の修行者には、僕の生きている世界とは別の世界に生きる人を感じました。
道の横遙か下を走るのは十津川の支流ですが、小さく見えるシャベルカーがウィークデーは浚渫作業をしているのだろう。山奥なのに川幅が広く、雨毎に山から崩れ落ちる岩や土で、エンドレスな作業が続いているものと思われます。都会のコンクリートビルを作る砂砂利材料に最高品質なのでしょう。
11:08、「五百瀬小学校」到着。集落の大きさからして廃校になってそうな学校で、1人なら当然確かめに行くのですがパスします。「南朝史跡・腰抜田」という石碑が立っていました。言われ板も立っており、
『南北朝の頃、大塔宮護良親王は北朝方の追っ手から逃れ、一時十津川郷に難を避けられ五百瀬を通過しようとしたとき、五百瀬の荘司に行く手を遮られた。荘司は宮の通行を認める代わりに、「家来か錦の御旗を置いていけ」と要求した。宮は大事な家来を置いていくわけにはいかないと、止むなく錦の御旗を置いて通行を許された。暫くして宮の一行に遅れてた家来の村上彦四郎が荘司の館を通りかかり、錦の御旗のあるのを見付け、大いに怒り、荘司の家来を水田の中に投げ飛ばし、錦の御旗を奪い返して宮の後を追った。
その時、投げ飛ばされた家来が、腰を抜かしたのでその田を腰抜田というようになったという。腰抜田は明治の大水害によって埋没し、現在は歴史を秘めたまま川底にねむっている』
大塔宮護良親王は、鎌倉幕府討滅・建武の新政・室町幕府と時代が変わる大変革の「太平記」の時代の主役・後醍醐天皇の嫡男で、天皇の命を受けて地方豪族に声を掛けて回る準主役級です。最後は鎌倉幕府軍に捉えられ、鎌倉で討たれました。錦の御旗は、平清盛が頼朝・義経の父である源義朝を討った平治の乱や、鎌倉幕府崩壊から南北朝時代、そして近くは明治新政府軍に錦の御旗が掲げられた時を境に圧倒的な軍勢を催した江戸幕府軍が鳥羽伏見の戦いで惨敗してしまうなど、「天皇軍」の象徴です。これを人質に取る荘司も度胸があります。
『平維盛の墓 平安時代末期の武将で平清盛の孫。源平合戦の最中、屋島から逃れ高野山に入り、那智の滝で入水したと言われる(享年27才)。しかし、十津川村に伝わる伝承によれば、「維盛は五百瀬に亡命し、その血統は代々小松姓を名乗り、平家重代の宝刀小鳥丸を伝え、屋敷は政所屋敷と言った」とある。ここにある祠が、平維盛の墓と伝えられている。』
ふふふ、小松姓か・・・維盛の父・平重盛は平清盛の嫡男で伊勢平氏太郎の嫡流ですが、清盛が没する前に病没し、続く清盛没後平氏政権の実権は清盛兄弟やその子達に流れ、維盛は飾り物的になっていたそうです。よって源平合戦中盤の屋島敗戦で平家軍から離脱出来たのでしょう。平家再生を願い、父・重盛が京都六波羅小松第に居を構えたことから「小松殿」と呼ばれてたので、「小松」姓にしたのでしょう。ここらは僕の歴史好きにヒット・ヒット・ヒットです。
この奥にどんな歴史秘話が待っているのだろう?絶景の奥千丈林道に期待が膨らみます。が・・・、ここからすぐのとこに、「高野龍神スカイラインまでは行けません」の工事看板が・・・。道路完全封鎖のバリケード工事看板じゃないけど、女子連れのこともあるので、泣く泣くUターンすることにしました。地図をめくり、次案r53経由高野山コースに変更しました。
気を取り直して、R168までの下りに入ります。11:47、小さな滝の日陰ポイントで、野外昼食にします。山並みを眼下に眺める絶景ポイントでの使用を想定し、「キャプテンスタッグ パレット コンパクトチェアミニ マリンブルー&ピンクを、2脚2000円で購入しました。夏の庭でのプールで使うのも念頭に。割合軽く割合丈夫そうで開脚もサルでも分かるワンタッチ操作で、ナイスな買い物だったと思います。2人共バイクジャケットを脱ぎ、柿の葉寿司を頬張りました。途中、上空を鷲が2回やってきて、上空で旋回し様子見していました。R168に出るまで数度、鷲が上空を飛んでる影が僕の前を並走していました。
R168に下りて、今度は北上開始です。12:23、「谷瀬の吊り橋」を激写するために横の駐車場にバイクを入れました。カメラで撮りだすと係の方が来られ、有料の村営駐車場に入れるように指示されました。そそくさと退散です。ここはお隣の橋の袂のお店の駐車場かもしれません。前回はそこで昼食を取ったら無料だったのかも?
されに北上し、r734との分岐を入り、r53経由で高野山に上がろうとしましたが、ここも通行止めでした。またR168に戻り、13:00、r53との分岐「野迫川村営バス・小代下停留所」で休憩しました。ここは9:00と16:00の1日2便です。行き先は「上垣内(野迫川村役場)」のみで、逆方向の時刻表がありません。始発停留所かもしれません。
r53を高野山に向けて登り、13:27・山並みを眼下にする絶景ポイントで激写休憩。高野山の集落が現れR371に合流しましたが、R371は7月まで通行止めのようです。残念ながら走れなかった「高野龍神スカイライン」が高野山から分岐する「中の橋駐車場」にバイクを入れ、ケーキセットがありそうな「はちよう」と言うお店で、僕はケーキセット850円・家内はチーズケーキ470円を食しクールダウンと糖分補給しました。何気なく今シーズン購入につき初めて着た僕のジャケット(コミネ・リヴォルノ)を見ると、裏地が着いてました。冬用ジャケット同様ファスナーを開け、袖のボタンを外して裏地を外しました。もっと早く気付けばよかった。
14:20にお店を出て、帰路につきます。地図を見て南海高野線沿いを下るr118があるのを確認済みです。観光バスが走り渋滞するR480〜R370は、地元の人は使わないだろうとの読みで、裏道探しをしていました。R371は交通量が少なすぎるので、別に道があるはずです。「女人堂」を越え、バス専用道になる直前にそれを発見!しかし、がけ崩れなのか「通行止め」でした。14:38、「女人堂」まで引き返し、初訪問。謂れ板によると、『女人堂 高野山の北西の入り口にある不動口にいまだ残る女人堂は、1000年余りの間女人禁制であった高野山の7つの入口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物である。昔、女性はここから山内に入ることが許されなかった。』
次の手です。高野警察署を左折します。地図を見ての野生の勘で、県道指定はされていませんが、こちらの方が太そうなので、高野山地元民の生活道路と予想した道です。予想通り2車線の快適ワインディングで下り始めますが、完全な1車線山道林道に変身し、まともな道標もない車で走りたくない怪しさ満点の道になりました。多くの分岐があり、GPS画面を見ながら南海高野線に沿うように適当に走ります。ホンマにどっちかわからん時はそこで止まっていたら、地元和歌山ナンバーの軽自動車がやってきて行く方、またはやってくる方に行けば正解です。1台だけ「迷ってるぞ」な他府県ナンバー車が下って行きましたが、適当に交通量があり、予想通り高野山住民の生活道路でした。
当初のミッションは、「南海高野線終点駅・極楽橋」で家内をドロップオフするものでしたが、女人堂県道クローズにより、次の駅「紀伊神谷」にてドロップオフに切り替えています。山中の乗降客なんてほとんどいない駅だろうから、電車に乗るまで一緒にいて帰路に着くと家内には話していました。「紀伊神谷」への分岐道に入ったら、路上落ち枝・落ち葉が半端なくなったので、家内をバイクに残し徒歩探索開始です。カーブを曲がると下につづら折れで舗装路が続いており行けそうですが、屋根に登ってペンキを塗っていた民家があり、「すいませ〜ん」と下から呼び上げ、「この道、紀伊神谷駅に行けますか?」。下にいた住民が2人、家の影から出てきて、「行けるよ、すぐだよ。それで最終的にはどこに行くの?」ってことで、「高野下駅」までの一本道を教えてもらいました。「景色がいいし、面白い道だよ」って、僕のバイク装束を見てオフ車の探検好きと思ってニコニコ笑っています。
バイクに戻り、あまりに怪しい紀伊神谷への道なので、「高野下駅」まで下りることにしました。ぎょえ〜な急坂もあり、下から上がってくるのは願い下げの道ですが、楽しく1車線区間を下れました。ぎょえ〜な急坂完全1車線で車が行き合ったらどうするんだろう?バイク同士でも行き交うのは命がけな完全1車線・ガードレールなし・横は急斜面山転がりでした。
しかし大収穫がありました。15:02、「指定避難場所・元白藤小学校」、廃校になった高野町立・白藤小学校でした。そして『日本最後の「高野の仇討ち」』現場がありました。謂れ板を要約すると、『明治4年2月30日に仇討ちがあった。9年前の播州赤穂藩内で、藩の執政・森主税と参政・村上真輔が自称勤皇派の足軽・西川邦治ら13人に暗殺された。しかし重臣殺しの西川らが罪を赦され、逆に村上一族が閉門・追放となった。この時村上の遺児らは仇討ちを決心した。明治元年になり村上家の再興が認められ、西川らの処遇に困った藩は、彼らを藩の墓所・高野山・釈迦門院の守り役にした。西川らが高野山に向かったその時、村上遺児一派は高野街道を詳細に下調べし、「復讐の地」を探し十分な手配りをして待ち伏せた。宿願を果たし、直轄の五條県庁に自首した。そしてこの事件が直接の原因で、明治6年2月に「仇討禁止令」が出された。村上家の処遇は、1審で全員死罪でしたが、最終的には禁固10年などの判決を得た。全員が自由の身になったのは、明治9年であった。』
山道を下ると、2車線道路になり、川と対岸に道が見えてきました。GPSを見ると見えているのは、数年前に家内と高野山から自転車で下った時に走った「丹生川」とr102でした。丹生川のr102の対岸・左岸の道になり、R370に合流しました。ちょうどr102との合流でゆっくりになったR370を下ってきたSSバイク5台のグループが、「どっから出てくるんや?」な顔で僕らを見ていました。
グループ最後尾に通勤リード110が加わり、数台前を走っている観光バスに続いてゆっくり走ります。インカムで、「不釣り合いなチームに入っちゃよ〜」「うふふ・・・」と家内と会話が弾みます。九度山駅手前の対向車線路肩に、前部が大破したSS大型バイクが、主のお迎えがないまま佇んでいました。走り屋のメッカ・「高野龍神スカイライン」は走りませんでしたが、R168でも高速バイクに何台も抜かされました。「いつかこうなるんだよなあ〜」って、どんな事があってもあっち側のドライバー・ライダーにならないように心を新たにしました。R370〜R371で紀の川を渡り、R24で16時前に「橋本駅」到着。ここで家内をドロップオフし、家内は電車で僕がバイクで帰路に着きました。
ここからは往路同様のコースを順調に帰り、17:02松原市三宅西・セルフ三宅309で給油しました。183km/3.4L=53.8km/L。18時前にr13尼崎某所の路肩から家内に電話をしてみました。「今どこ?」「まだ大阪」(なんかちょっと声のトーンが低い)「尼崎まで来てるから駅まで迎えに行こか」「う〜ん・・・」・・・前回乗換駅のJR尼崎を乗り過ごして西宮からバックしてきた時のトーンと同じだ・・・疲れちゃったのかな?
最寄り駅で18:40に家内をピックアップしました。往路同様、橋本駅から南海高野線に乗ったのに、往路JRから乗り換えた新今宮駅がなく、難波まで行ったら帰り方がわからなくなり遅れたとのことです。おかしいな、新今宮はJR・南海乗り継ぎの重要駅だから特急でも止まるはずなのに・・・それを言っちゃうとかわいそうなので、「へ〜間違った割に早かったなあ」と笑ってあげました。
スーパーで食料品を買い物して帰宅し、作ってくれたお蕎麦を食べながら「ダーウィンが来た」「軍師官兵衛」を見て寝ました。次の機会は「奥千丈林道」を、「高野龍神スカイライン」側から下ってみよう。それなら途中に通行止めがあっても、絶景は望めそうです。

2014/5/25
日曜日は、去年天候不良で断念した「蒜山自転車道・夫婦でサイクリング」に出かけました。1週間前の天気予報では「曇」でしたが、3日前のそれは「降水確率60%」まで悪化し「また断念」かも?と思い、予報の良かった東方面の計画も準備しました。三重県・北畠館・道の駅美杉拠点に川沿い・鉄道沿い40kmコースです。しかし前日の「高原・山の天気予報」で蒜山高原をチェックすると、降水確率10%に劇的に予報が変わり「晴れ」マークです。
6時出発を予定し、土曜日朝自転車を積み込んだ車を自宅前に移動させると、雀より少し小さめ&尾の長い野鳥が、10羽ほどの群れで上空の電線で忙しく囀り合っています。忙しそうにちょこちょこ場所を移動し、撮る方のことも考えてほしいよ。図鑑で調べると、「エナガ」のようです。土曜日の自転車積み込み後、カメラ片手に「ムクドリ」を撮っていると、ワンちゃんお散歩中のご近所さんと立ち話になり、同じくご近所のOさんも野鳥趣味で最寄り公園のカワセミの写真を見せてもらったと言ってました。大阪平野北部に位置する我が家は、住宅地だけど第一種・風致地区なので、建ぺい率が厳しく高層建築禁止などがんじがらめで、緑の多い地区です。2月末からウグイスが鳴き出し、毎朝うぐいすの歌声BGMGが流れます。
エナガ撮影中に出てきた家内を乗せ、まず給油です。6:18、宝塚山本エネオス・40L/162円。「蒜山高原・スポーツ公園・快湯館」にナビを設定し出発。中国道・宝塚ICより高速道路に乗ります。「加西SA」「勝央SA」で休憩し、落合JCT〜米子道に入ります。長いトンネルを抜け「湯原IC」下車し、R313を北上します。「西日本一の露天風呂」の宣伝文句に惹かれた「湯原温泉郷」は谷間の集落でいい感じでしたが通過。
「目的地まであと2.5km」表示を見て、右折指示が出たので右折したら、「蒜山高原」の道標が消え、「おかしいぞ」と思う間に長いトンネルに突入してしまいました。R313・「犬挟トンネル」というトンネルで、峠越えをして鳥取県に入ってしまいました。Uターンして元の交差点に戻り、約100m先の交差点が正解でした。車のナビは日産純正4.8インチでバイク用のパナソニックゴリラ7インチより表示が小さく、いつもちょいと難儀します。日産純正の方が価格は高いのに、パナソニックゴリラのナイスナビに比べ、要らん機能が多く使いにくいです。
交差点を曲がってすぐに、「蒜山高原スポーツ公園」があり、車から下ろした自転車で駐車場を走り回ってる小僧3人+大人数人が見えたので、9:36・ここに駐車することにしました。地元の池に誘致してヨットクラブを立ち上げお世話になった「B&G海洋センター」が、横にあります。家内が、「海も川もないのに、なんで海洋センター?」との疑問を投げつけてくるので、「ブルーウォーター&グリーンランドの略だからいいんよ。海洋センターは、資金源がモーターボート振興会だからいいんよ」と、B&Gの回し者みたいに答えました。
「スポーツ公園」なら事務所に自転車道の地図があるだろうと目論んできたのですが、BG会館は開いてないし困ったものです。自転車を下ろし、前輪をセットしながら、自転車小僧や自転車大人たちの行動を監視します。とりあえず、彼らに着いて行く算段です。・・・が、白いロードバイク中年+ママチャリ老人チームは右に行き、小僧3人+両親ロードバイクチームは左の坂を登っていきます。
「どっちに行こうかな?」・・・予想してたより蒜山の山に遠い位置にスポーツ公園があったので、とりあえず小僧組の行った方にゆるい坂を登り、蒜山に向かいました。すぐに「快湯館」があり、その先に自転車道案内板があり、全体図が載っています。フムフム・・・ここは蒜山高原中心部から最も遠いところです。
一周30kmの細長サイクリングロードは、2コース(高原ルート・パノラマルート)に別れており、ここがその接合部です。このまま進めば「高原ルート」ですが、お食事処とかが高原コースに多そうで、現在10時を考え、Uターンして川沿いのパノラマルートを先に走ることにしました。
サイクリングロードは、車道と分離され、緑色の自転車マークが路面に表示され、安全でわかりやすいです。さっき走ってきたR313を南に渡り、「旭川」沿いを上流に向かって走ります。岡山県の三大河川の1つは蒜山が源流なのですね。勾配は緩やかで、パノラマルート全体15kmで、対向自転車10台・追いぬかれた自転車5台という密度のほぼ僕らで独占して走れるのんびりコースで、車に気を使う必要ないし、家内はごきげんです。3km毎ぐらいに東屋休憩場所が設置されており、数ヶ所にトイレも併設されています。
橋を渡ったり、ウグイス筆頭に野鳥の鳴き声がBGMで、カッコーやホトトギスの今年初の鳴き声も聞こえます。釣り人はいるなあ・・・と思ったら、最近流行りの野良着着たリアルカカシだったり、家内と前後しながらおしゃべりし激写したり、すごく楽しいです。旭川の向こうに蒜山が見え、地図にあった「加茂神社」を通りすぎて、10:20「美田野休憩所」でトイレ休憩しました。快湯館から6km地点です。
10:32・牛発見。写真を写そうと思って止まると、家内が「気持いいね〜」と笑顔です。わかってないんじゃないかと思って「牛がいるよ」と横を指さすと、「あ〜びっくりした〜」・・・視野狭いなあ、まるで幼児のようです。こういうところが、一緒にいて飽きないとこです。
蒜山は、東から「下蒜山」「中蒜山」「上蒜山」と並んでいます。東から西に向かって旭川を遡っているので、少しづつ景色が変わります。10:41、上蒜山の西にあるとんがった山の後背にひときわ大きな白い山が見えてきました。「あ〜大山が見えてきた〜」、ところどころに真っ白な部分があるので、雪が残っているようです。
北海道・美瑛の丘の小規模版の群馬県・パノラマラインの更に小規模版に見える高原のなだらかな丘をサイクリングロードが突っ切っています。上空にヒバリが数羽飛び、気持ちのいい「ヒバリーヒルズ」です。僕の冗談もスンナリ信じてしまう家内なので、「アメリカの映画のメッカも、もともとヒバリが沢山飛んでたからその名がついたんだよ」と教えると、少し考え「それは違うと思うわ」ってニッコリしてます。少し先に長い直線があり、家内のムービーを撮るために、全速力を出しました。38km/h表示。この手前で、お若い初めてカップルに抜かされました。それまでは、ハンドルを短くモディファイしたクロスバイク若者男子1人に抜かされただけです。
「財団法人・中国四国酪農大学校」がありました。乳牛がおり、サイロがあり、広い牧草地の中に瀟洒な校舎?が建っています。ここで、幼稚園児兄弟ちびっ子自転車&付き添いお父さんチームが勢い良く下りて来ました。手を振ると振り返してくれくれます。この前に峠があり勾配が増したので、無理せず自転車を降り押し上がりました。家内は、昨秋着付け教室通いで「夫婦で自転車」が出来なかったので、久しぶりのクロスバイクです。「足つった〜」とか「もうダメ〜」という声が出たら、また僕だけで車に戻りピックアップに走り回らなければなりません。少しでも家内の負担を減らしておかないと、しっぺ返しが恐いです。
季節が北摂より遅いようで、フジが満開でした。それを観ながらトコトコ小さな峠まで上がり、峠を越えれば下りと相場が決まっており、気持よく一気に旭川まで下りました。ここでこの日の最高速・40km/hを突破しました。旭川沿いには交通量の非常に少ない車道が走っており、サイクリングロードのアップダウンを回避できます・・・と、後で知りました。11:09、「蒜山休暇村サイクリングターミナル」まで、あと4.9km地点です。
旭川沿いの自転車道を遡り、久しぶりに信号のある交差点に出ると、バイクが沢山走っていました。蒜山高原はバイクが多いかな?気持ちのいい自転車道が続いてきたので、家内が「この道でバイクを練習したいわ」「ここは自転車・歩行者専用道だよ」「でも私の乗るバイクなら遅いからちょうどいいじゃない」、むふふ・・・。
休暇村まで1km地点にあった東屋休憩所で水分補給・小休止です。5月は暑からず寒からずなので、ペットボトルの1/3しか消費していません。ちょっと勾配が増し、また50mほど歩き上がりしたら、観覧車が見えてきました。そして眼下に遊園地が広がりました。寂れた遊園地かな?と想像しましたが、観覧車は動いており、駐車場にも沢山車が入っていました。周囲に道路はお店が見え、蒜山のメインエリアのようです。
11:50、「パノラマルート」と「高原ルート」の連結部に到着です。勾配は緩やかですが、基本上り基調でここまで来たので、「高原ルート」は下り基調が期待できます。11:54、「休暇村・蒜山高原・レストラン白樺の丘」到着。ここで昼食にします。バイクがたくさん止まってるオシャレそうなロードサイドのお店も見えましたが、落ち着いたこちらの方が僕らにはいいです。僕らの横の席に着いた後から入ってきたお若いカップルライダーさんも、きっと落ち着いたこちらを選んだのでしょう。家内が、「女性の方は普通の服装ね」と言います。「ライダープロテクター上下に身を包んだ青年が先にバイクを停め、少しおぼつかなく女性がそれに続いたので、免許取りたて初心者女子をエスコートして来たんだよと、僕らと一緒じゃん」と、僕の妄想を話します。「私は一度免許切り替えしたよ。だからもう初心者じゃないはずなんだけどな」って笑っています。
僕は「近江牛コロッケカレー・1080円」・家内は「蒜山焼きそば・760円」を食しました。蒜山が正面に見える席で、遊覧のお馬も見えます。食後周りを見たら、皆さん「蒜山焼きそば」を注文していました。店員さんが持ってきた時、「甘かったら、これを掛けてお好みの味にしてくださいね」とソースを置いていきました。家内に少しもらったら、甘口焼きそばでした。
12:11、精算して「高原ルート」に出発です。木彫のトーテムポールのような「スイトン」君がいろんなところに立っています。魔除けなのかな?遊園地外周を回って、車道沿いの自転車歩行者道のアップダウンを東に向かいます。ライディングパーク(きっと乗馬できるのでしょう)や蒜山登山口を経て、下り基調の森の道を気持ちよく進みます。車道よりアップダウンが少なく整備されており、左手の蒜山側は牧草地が山に向かって広がり、笑顔がこぼれます。時々止まって激写タイムやカッコー・ホトトギスの歌に耳を傾けていると、パノラマルートより少し多めの自転車が通ります。といっても「たま〜に」のレベルですが。
12:59、「道の駅・蒜山高原・サイクリングターミナル」到着。「ホテル蒜山ヒルズ」というのがありました。マウンテンバイク大人300円/h・子供150円/hで、レンタル自転車を見た家内は、「普通の自転車ね重そう、電動式はなかったし・・・」と、一人前を言っています。
家内が僕が自転車に乗ってるとこを写すというので、カメラを渡しました。「あれ〜、全然見えないよ」「日中の屋外だから、液晶が太陽の光に負けて見えないの」「お父さん、これでよく写してるね」「うん、だいたいこんなもんだろうと、適当に写してるの。それでも自動でうまく写るの」「へ〜」。激写後、「写ってるかどうかわからないよ」と戻されましたが、うまく写せていました。
13:40、車に戻りました。ここから出発するとどっち方向に向かっても、帰路は下り基調がロングになるのでいいです。でもパノラマルートを先に走る方が楽しいかな。自転車を車に乗せ、まだ14時前なので、大山見物に向かいました。家内は、「ちょうどいい距離だったわ」と満足そうです。息子たち家族と来れたらな〜と、レンタル自転車のことなど妄想計画を話してくれました。
自転車で下ってきたr422を西に進み、蒜山高原遊園地からr114を登ります。14:15、「鬼女台展望台」。大山手前のとんがった山がカッコイイ。小さな売店があり、僕はどう見ても瓶入りコーヒー牛乳な「蒜山高原カフェオレ」・家内はヨーグルトを買い、ベランダ席に座って食べました。「大学ヨット部の合宿の時の風呂上がりの味だわ」と言うと、家内は「小学生の時のお風呂屋さんの味」だそうです。小学生時代、家内の家にはお風呂がなかったので、毎日おばあさんを連れて近所のお風呂屋さんに行っていました。ここは標高869mだそうです。山名図があり、大山手前のカッコイイとんがった山の名は「烏ヶ山(からすがせん)・1448m」とわかりました。大山(だいせん)は、1729mだそうです。
大山周回道路のr45に合流しました。少し手前で、リュックを背負ったサーファー風二十歳前後グループが数組いました。沢登りかもしれません。交差点付近車道には、疲れ切った風で歩く本格的正統派でかい登山リュックを背負ったグループが2組歩いていました。アップダウンが繰り返されるワインディング・ロードを走っていると、14:54「奥大山スキー場」がありました。大山に更に近づき、ギザギザの険しい山肌が迫力です。
15:02「鍵掛峠」という小さな駐車場で車を停めます。大山に向かって樹海が登っており、迷い込んだら出て来れそうにない感じがします。この周回道はバイクグループがたくさん走っていました。後ろにアメリカンタイプのバイク1台に着かれましたが、ストップせずに追い抜いてもらうところがなく、十分な車間距離を開けてくれているので、15:13・「桝水高原」駐車場までご同行願いました。
ここに観光リフトが掛かっており、上まで上がれますが、その上からも大山頂上は片道2時間コースではとても無理そうなぐらいはるか上です。義理姉夫婦がGWに登る計画をしていましたが、これはかなりハードです。姉夫婦も結局現地で生で見て断念したのですが、正解でしょう。バイクがたくさん停まっており、「レストラン花」の前でくつろいでいます。家内に、「あそこからケーキセットがありそうだよ、行くかい?」と聞くと、まだお腹が減ってないから次でいいそうです。
ここから、ナビに自宅を設定し、帰路に着きます。長い下りをオーバートップカットで下ると、すぐに「米子自動車道・溝口IC」でした。片側1車線&トンネルだらけの米子道を後続車に恐縮しながら+10で走り、蒜山ICぐらいから2車線になり気楽になりました。「落合JCT」で中国道に合流し、16:40「勝央SA」で休憩しました。一気走りし過ぎたようで、少し眠たくなっちゃったので「練乳いちごアイス・130円」をベンチに座って食べました。
何気なく駐車場方向を見ていると、「ん?あれは・・・」、見覚えのあるBMW+梵字付きでかいサイドバック・バイクが、数台のバイクを引き連れて入ってきました。白のCB400は・・さん+黄色のBMWは・・さん。遠くの駐車場所に停まりました。しばらくして、あのアメリカンバイクは・・さんの新車かな?いつものケツ持ちは副リーダー・・さん。おにぎりを買って戻ってきた家内に、「数度お世話になったグループさんみたい」と話し、食べ終わって出発する時その駐車位置に移動すると、リーダさんが歩いており、「こんにちは・・・」と挨拶して、お先に失礼させて頂きました。
17:57、次のSA・「加西サービスエリア」到着。トイレに寄り、いつもならお高いので買わないのですが、「せっかく蒜山に行ってきたんだから」と言う家内の言葉に促され、「ジャージー牛乳ソフト・242円」を買っちゃいました。またBMWリーダー・グループが入ってきました。「また会ったね」「休憩するとこは、そんなにないからね」。
宝塚トンネル渋滞14kmの表示なので、18:12・「加西サービスエリア上り・西日本宇佐美」で10Lのみ給油して、残量を半分まで戻しました。加西SAで夕食も考えたのですが、家内は勝央SAでおにぎりを食べたからまだお腹が空いていないようなので、家の近くで食べることにしました。宝塚IC下車で、19時過ぎて自宅近くになり、「天下一品」で定番のチャーハンセットを食べました。帰宅後、荷物おろして、自転車も玄関内の所定位置に戻し、荷物の片付けを終えたら20:46でした。大河ドラマで「だし」さんを見れなかったのが残念ですが、楽しい1日になりました。風呂に入って21時過ぎに床につきました。

2014/5/18
日曜日は、大学ヨット部同期をクルージングです。9:30ハーバーで待ち合わせなので、時間に余裕があります。朝、SONY・NEXを首からぶら下げ、近所を野鳥の巣探しをしました。今月見つけたシジュウカラの巣は、その後夫婦別れしたのか巣作りカップルの姿がなくなったままです。くちばしと足がオレンジのムクドリが近所に庭に下りて、枯れ草を咥えて飛び立ちました。なんとなく行動を追いかけていると、ご近所さんの家の裏で巣作りをしているようです。数羽がそっちの方に頻繁に飛んでいきます。
そう言えば、今月「鳥にみんな食べられちゃうから・・・」とサクランボをおすそ分けお隣さんの桜の木から、サクランボが全て無くなっていました。ムクドリに全部食べられたのかな?
結局巣の場所は特定できず、駐車場から車を回してヨットの用意を積み、家内を待ちました。7時に仕事で横浜に行く家内を、駅まで送りました。司会やプレゼンターをやるのでしょう、ゴロゴロ・バッグ内に着物を入れています。
R171〜R43で六甲アイランド・フェリー埠頭に向かいました。7:58に到着し、参加してるグループツーリングの面々が、九州弾丸ツーリングから帰ってくるのでお迎えです。2F中央ゲートから大型トラックが下りて来だし、数台の乗用車が下りてきて、「次だな」と構えていると、後部ゲートから乗用車の後バイクが次々に出てきて、「ありゃ〜あっちか〜」と慌ててそっちに向かったけど、それらしき集団は道路に消えていきました。車に戻って追いかけたけど、バイクの機動力に敵うはずもなく、お出迎えは失敗に終わりました。
R42を今度は東に走り、西宮人工島方向に曲がって西宮大橋を渡り、8:43・ハーバー手前のセブン-イレブンで、エビマヨ120円・辛子明太子140円のおにぎり2個買いました。ハーバー内駐車場ゲートを見ると、1日最大料金800円となっており、以前の1200円から値下げされたようです。たいていバイクで行くので、知りませんでした。
係留艇に行き、ドッグハウス内の空気を入れ替えるためにカーテンや窓を開け、トイレ掃除もしました。エンジンは快調で一発始動し、燃料も満タン近いので始業点検はこれで終わりです。あれこれやってる時に、お隣のジャノー34.2さんが船から顔を出したので挨拶すると、「これ乗り換えで売りに出してますねん。買うてくれませんか?掃除に来てますねん」と・・・。47フィートに乗り換えるそうで、次の船もここの大型艇バースに係留中だそうです。「そりゃ、早よ売らなあきませんね。47なら波があっても平気でしょう」「ええ、全然違いますわ」・・・。当然バウスラスター付きで、離岸着岸が圧倒的に楽だそうです。30フィートと40では乗り味が大きく違い、45を越えると安心の安定感です。
会話を終え、桟橋をセンターハウスに戻り、1F・マーメイド号前でやって来たヨット部同期・Y君と会い、出艇申告してから10時頃船を出しました。西出入口から出て、風が弱いので機走のまま赤白灯台を目指します。灯台手前で2〜3m/sの風が吹いてきたので、弱いながらもセイルアップしました。
灯台を抜け大阪湾に出ました。10:56、大阪方面をNEX・210ミリ望遠で撮ります。割合空気が澄んでおり、話題の「あべのハルカス」も遠くに見えました。方角的には天保山海遊館・USJの延長線上です。安定したSWの風向で、少しずつ風力が増す中、スキッパーを交代しながら、神戸空港を目指します。このジャノーは、前のヤマハ艇より直進安定性があり、ステアリングを離してもまっすぐ走るので楽です。ヒールしてもそれほどウエザーヘルムが強くならず、乗りやすいです。ヨットはメイドインジャパンより、やっぱり本場のおフランスですね。
同期Y君と僕はクラブ内470級ライバルで、2人の競い合いで共にレベルを上げました。全日本学生個人選手権も、僕はバラックバンド失格したから16位だったけど、着順だけでは1位と3位でした。僕の失格で2位に上がったY君がとても嬉しそうで、僕らがいれば1ヶ月後の全日本インカレ団体戦も勝てると確信しました。その前年の470級一般全日本にY君と組んで出場し、ど強風のレースで1上トップ回航しました。スタート前に左奥からブローが来ると読んで、アウタースタートからそのまま左に伸ばした艇が僕らだけで、オリンピック選手など社会人のトップ選手は牽制しあって中央海面を取ったので、僕らはダントツ回航しました。マークへのアプローチに入ったポートタックで走ってた僕らの艇の前を交わす艇がなかなか出てこず、クルーのYくんに「ミートするスターボ艇来る?」と聞いたら、Y君もまさかのトップで、「トップかもしれんで〜」と驚いていました。
翌日の超微風レースで、最終マークを回航時、100を越える全レース艇の中でビリから数えられる程の順位だったのに、あれよあれよと風の振れの読みが当たり自艇に有利に風が振り、3位フィニッシュしたこともありました。おかげで学生優勝し、全体でも8位だったので学生で唯一ナショナルチームに選ばれました。Y君は中学1年のクラスメイトで、僕の人生の大感謝人の1人です。
Y君は、学生時代のライバル・神戸大同期数人と毎年11月に「六甲山縦走」してるそうです。朝須磨を出発し、宝塚がゴールだそうです。2000人も参加する大イベントに参加し、10年間のうち8回完走してるそうです。リタイヤすると運営車が拾ってくれるの?と聞くと、それはなく公共交通機関のバス停などでリタイヤしなければならないそうです。僕ら夫婦には無理そうです。
このままでは、「12時には神戸港に入れるな。港内を巡り、帰路は神戸空港島を1周して帰れる」と予想したのですが、風が西に振れクローズでタックを繰り返しながら空港島との間の水路を走る羽目になってしまいました。12:11、Y君スキッパーで、空港の橋の下を通過しました。「下通過できるやんな〜」と不安そうです。橋桁の海面からの高さ24mなので、マストが引っかかることがないのはわかっていますが、下から見上げるとギリギリに見えます。ゴーという音が後ろから近づいてくるので見ると、空港モノレールの音でした。
神戸港内に入ると風が落ちだし、15時帰着予定なので港内見物を早々に切り上げ、エンジンを掛けて機帆走で再び空港橋下を抜けました。地図に載ってない埋め立て島の角を回り、尼崎西宮港の赤白灯台の中間地点ぐらいまで機帆走しました。3m/sほどの風が出てきたのでエンジンを止め、帆走で赤白灯台を抜けました。ハーバーまではランニングの風向で、ほんとはスピンを上げた方が早いのですが、面倒でジェノアがはらむ程度に上らせてスピードをつけながら帰りました。
ハーバー前でジェノアをファーリングし、メインセイルをダウンして機走で西出入口からハーバー内に入り、15時過ぎに無事バースに戻ってきました。桟橋にシート固定しながら、朝と反対隣のナウティキャット艇を洗ってるカップルに挨拶をしました。「どこまで行ってこられたのですか?」「神戸港まで・・・」「船の管理はどこがしてるのですか?」「135Eです。ヨット部の後輩に頼んでます」「ああ、Iさんですね。僕らは業者です。ナウティキャット・ベネトウ・ジャノーを扱っています。前日に電話もらったら、こんな風に清掃をしておきます。・・・」なんて会話がありました。
片付けを終え、桟橋をセンターハウスに戻り、1Fレストランでお茶することにしました。ケーキセットを注文し、仲間の近況などあれやこれや話しました。Y君と同じ職場の離婚調停中の同級生の話に、離婚するなんて凄いパワフルやな僕にはそんな力は残っていないわと感じました。しかも別嬪な若い同僚と同居中というから参りました。「あの娘はええ娘やからなあ〜」と家内を褒めてくれました。
Y君と家内は同じ学部で、女子が非常に少ないので女子は誰でも目立ちます。なんだかんだ話してたら、Yくんの奥さんは家内の中学の後輩であることがわかりました。世の中狭いです。Yくんの職場は、ピチピチ女子大生から幼稚園児までいます。商品に手を出したらあかんので、次回は同僚になる幼稚園教諭さんを誘うよとのことです。うお〜、これはナイスな提案です。その時は先輩には絶対言わずに、同期だけに声をかけることに決めました。Y君も職場ではそれなりの立場にいるのに、先輩にペコペコしてる姿を見せられないからだそうです。本音は、おいしいとこを持ってかれたらあかんからでしょう。男なら当然です。
ここで解散し、R171で帰宅しました。今夜は家内が遅いので、通勤リード110に乗り換え、「天下一品」に行きました。定番の「チャーハンセット」を夕食にしました。まだ陽があるので、バイクセブンに移動し、1Fオートバックスも含めめぼしいものはないかと巡りました。
少し暗くなってきたので帰宅し、風呂に入って「ダーウィンが来た」「軍師官兵衛」を見て床につきました。23時頃電話で起こされ、家内を迎えに駅に行き、あ〜だこ〜だ話した後寝ちゃいました。

2014/5/11
日曜は3人乗りヨットのレースでした。8:30に浜に行けばいいので、起きてからゴソゴソし、5時半頃昼食を食べはじめてロードバイクを朝のお散歩に出ました。猪名川河川敷南下コースを取りましたが、目的の野鳥は目につくのがヒバリ・ムクドリでパス気味です。橋の上から、シラサギ・鵜を撮って6:45帰宅しました。総時間32:20・距離7.74km・平均速度14.3km/h・最高速度31.2km/h。
家にいても暇なので、7:40に通勤リード110に乗り、浜に向けて出発しました。家内は昼から神戸で仕事関係の会合です。冷蔵庫にあったペットボトル水&お茶2本を持ってきたので、途中のコンビニで昼食用のおにぎりを2個買い、20分で浜到着です。
朝の天気予報チェックを忘れましたが、前日の予報では朝は東北東・昼前から南の6m/sとなっていました。陸上予想なので海上では8m/sぐらいだろうと思って来ましたが、無風です。この日のレースは、IRC・ホワイトセイル・J24・ドラゴンの4クラス合同の市長杯です。係留桟橋ではホワイトクラス艇が艤装しています。陸置きヤードに行くと、IRC艇の準備で多くのクルーが動いており、ドラゴンヤードでは昨年末から新しくレースに参加されたFさん艇の若手クルーが艤装しています。「おはようございます」と挨拶し、自艇のオーニングを外していると、Fさんが来られました。「早いですね」「そう、遅れたと思って来たんだけど・・・」。母校ヨット部の並びの艇庫のライバル校出身です。今は監督をしていると思いますが、コーチをしていた20年ほど前に、ジュニアヨットの世界に誘ったことがあります。以来年賀状仲間です。
自艇の仲間・Hさん・S先輩が来られ、チャチャッと艤装終了しました。レースのスキッパーズミーティングがあるということなので、ヨットクラブに向かいます。スタートは3回に分けられドラゴンは3番目のスタート・マーク位置・フィニッシュ位置など確認のブリーフィングを聞き、陸置きヤードに戻ります。ケーブルTVクルーが運営ボートに乗るので、オーナーS先輩は「レース順位より、カメラを意識して・・・」と張り切っています。ハーバーの上架装置の1機がより大型艇用に更新され、100フィートぐらいのでも行けそうです。でもまだ職員が不慣れで、操縦がゆっくりなので船下ろしが遅く、まだ船が下りていませんでした。
僕らの船は旧式リフト(といっても60フィート艇でもOK)利用で下り、無風が続いているので、最後に下りたFさん艇とともに運営艇に曳航されてハーバーを出ました。桟橋横を見るとクラゲが大発生していました。1本西の桟橋には、先輩のクルーザーがクルージングに出かけるようで、数名来ています。S先輩が「こっちに来いや」と声を掛けられていましたが、「今日はレースですねん、無理言わんとって下さいな〜」って。
途中でエンジンがないので遅いドラゴン級のボートを数艇拾いながら、みんなで一文字沖のレース海面に到着です。機走で先に着いていたクルーザーもみんな漂っているだけです。そのまま昼食を食べたりしてウダウダ駄弁り、13時前にようやく南西・250度から風が入ってきたので、スタートです。
有利な本部船寄り上1からトップスタートを切りましたが、上り角度が悪く下艇JPN46・I先輩艇に追い上げられます。苦しくなりそうな展開なのでタックし、スタート前プラン通りの右海面に出ます。すでに風は6m/sに上がって来てるのでジブハリを締め・カニンガム・アウトホールも詰めます。ヘルムスのS先輩に聞くとウエザーヘルムがまだ重めということなので、バックステイも入れて安定したいい走りになりました。スタート後早い段階でうちのアスターンを抜けて先に右海面に出ていたJPN28・G先輩艇とスピード勝負です。
いやらしい位置に本船が停泊しており、オーバーセイルしたらいけないので1回刻んで上マークにアプローチします。左展開していた2艇との勝負になりましたが、向こうが少し前です。先にスタートした大型艇が下マークに向かって来るので、それと交差しない位置でタックして上マークアプローチです。右から来たJPN28のリーバウタックを入れて、JPN35・46・うち・28の順番で上マーク回航しました。
テールtoノーズで回航した28は西側コースでうちは東側に別れましたが、次のミートでは抜かれていました。4番手で下マークを回り、28だけ東いっぱいのコースを引き、他5艇の僕らは無難に西コースに別れましたが、僕らのオーバーセイルで28は2番まで順位を上げて2回目の上マーク回航します。僕らは先行の46に迫ったり離されたりで現状維持でしたが、後ろの2艇は更にオーバーセイルし大きく遅れました。フィニッシュマークの下まで46に若干迫りましたが、抜くまでには至りませんでした。
14時になり、閉会式もあるのでこれでハーバーバックです。風は更に10m/s近くまで上がり、ハーバーに戻りました。スタートマニューバリングに入ってから風が上がりだしたのでカッパを着る時間がなく、レース中も何度か波を被りましたが、冷たさは感じず、ハーバーで解装してる間に乾き、5月はナイスな気候です。陸揚げリフトが遅く、16時の閉会式までに解装が終わりませんでした。クロージング・セレモニーに行くと、すでにパーティー食はほぼ終わっており、焼き鳥やポテトチップスで少し食べただけで帰宅の途につきました。4位なので豪華景品?にも縁がないでしょう。
R171でブイーンと帰宅したら、家内はまだでした。荷物だけ置いて、17:34・ジョーシン電気でスピーカー延長ケーブル3m・1100円を買いました。自室のTVからイヤホンジャック経由で手元のスピーカーに音だけ導いています。先週ソニースピーカーが壊れたので、ロジクールスピーカー・1500円を購入しました。製品の配線が短かったので、こいつを買い足しました。
その帰りに、ご近所の御用達散髪屋さんに寄り、頭をさっぱりしました。「今日はツーリングの帰りですか?」「いいえ、ヨットレースです」「気持ちが良いでしょうね」・・・などの会話の後、1レースしただけなのに、しっかり疲れていたようで、気持よく寝させてもらいました。
帰宅後、洗濯物を取り込み、ヨットで使ったものを片付けていると家内が帰宅しました。JR神戸線の「黒田官兵衛」ラッピング車両が走っていたそうです。播州は盛り上がっているでしょうね。夕食を食べ、風呂入って、定番の「ダーウィンが来た」「軍師官兵衛」を見て寝ちゃいました。地元伊丹の荒木村重さんの奥さん「だし」さんが何度も登場し、桐谷さんは可愛いなとナイスな回でした。村重の乱ではだしさんの潔さが主役級だから、しばらく目が離せません。

2014/5/4
前日の金曜日の午後、長男一家が東京から帰省しました。いつも飛行機を利用するのですが、今回は新幹線移動をしたそうです。孫くんがまだ1才になったばかりなので、あれやこれやで地上移動を選択したようです。GWまっただ中の土曜日の新幹線はとても混んでいたようで、長男は孫くんを抱っこしたまま東京・大阪間を立ちっぱなしだったそうです。GW前半はお嫁さんの実家・新潟に行って、主役の孫くんが曽祖父さんまで愛想を振りまいてきました。
5/3は、佐渡ヶ島マラソン大会に長男と、お嫁さんの妹の旦那さんが出場し、ハーフマラソン21kmを2時間弱で走りきりました。オリンピックマラソントップランナーの半分以上のスピードで走った記録なので、単純にたまげました。お嫁さん・孫くん・妹さんも一緒に佐渡ヶ島に渡り応援しました。向こうのご家族・親戚とも良好な人間関係を築いているようで、長男も楽しそうで何よりです。長男は海外出張はあるものの、以前のような週2回の国内出張というハードワークがなくなったようです。しかもまたまたちょいと出世し、僕の予想通り会社の経営室の圧倒的最若手として社長への道まっしぐらのようです。海外生活でも困らないキャリアを持ったお嫁さんを得ているので、病気さえしなければ順調な人生を歩んでいけそうです。ありがたいことです。
「銀のさら」でお寿司を宅配してもらい、土曜の晩はみんなで食事をしました。僕だけが仕事で遅れての参加でした。孫くんは、「こいつは怪しいやつかな?」という視線で、僕を凝視し、泣かれてしまいました。知恵がついてきたようで、人見知り期間に入ったようです。でも家内は最初から安心オーラで迎えられ、もう孫くんを抱っこしています。やはり男は常に女子の風下です。
5/4朝は上天気でした。土曜日に孫くんが大喜びしたという鯉のぼりが空を泳ぎ、いつもの様にウグイスが夜明けを教えてくれました。目覚めたのは4時前でしたが、いつもの様に「よっしゃ〜」とバイクで走りに行けませんでした。琵琶湖のメイレガッタに次男が出場するので、みんなで応援に行く予定になっています。
8時にレース海面に向かって出艇していくので、ハーバーに7時着予定です。6時に出発なので、家内も4:30に起き出し家事を始めます。あれやこれやして朝食も取り、僕の運転で出発します。運転席の後ろという一番安全な席が孫くんの定位置で、2列目・3列目に長男夫婦が座り、窮屈なチャイルドシートに固定されてる孫くんをあやします。体重が9kgを越えたので、前向きに座ってるので、バックミラーをワンプッシュすると孫くんが見れ、楽しいドライブになりました。歯磨きの仕草などいろんなことがお世の言葉でできるようになり、助手席の家内は後ろばかり向いて、笑ってばかりです。
7:18、ハーバーに着き、1ヶ月前は靴を履いて外歩きを始めた孫くんの外歩きを見せてもらいました。小さな勾配に差し掛かると慎重になりますが、安心して見ていられます。歩くのがとても楽しそうで、愛想を振りまいてくれます。次男の出身大学ヨット部前でフィッティングしてる次男のレース艇に着き、わいわいがやがや。僕はコーチでもあるのでキャプテン他と、前日土曜日のレース初日の様子などを聞きます。孫くんが次男のレース艇の乗り、ティラーを握っています。将来のヨットレーサー?の初乗艇・・・。
出艇前ミーティングを終え、8:09次男もレース海面に向かって出艇して行きます。それを見送ってから車に戻りました。R161を琵琶湖沿いに南下し、大津港に着いて家内をチケット購入のために下ろします。僕らは「浜大津アーカス」に駐車しに行きます。8:39ミシガン前で家内と合流しますが、チケット販売がまだ始まっておらず、芝生で遊んだりしながら時間を潰しました。「恋活クルーズ」男性5000円・女性4500円というのが宣伝されています。女性が多い方がこういうイベントは盛り上がるので、女性料金をかなり低く設定するのが常ですが、結構高めだな・・・女性参加希望者が多いんだろうな・・・なんていらん想像しました。
3F展望台に上がってみたり、ミシガンとツーショットしにきたアニメ自転車を遠目から激写したり・・・。長男たちは土日にお弁当を持って近くの公園でピクニックするそうです。屋外でお弁当を広げ、典型的な幸せ一家だなと嬉しくなります。
チケット販売が始まり、家内が買いに行きました。大人2780円で、10時出発・11:30帰着です。9:29、琵琶湖汽船・大津港売店で、巾着袋3点を1080円で購入しました。僕は巾着袋好きでいろんなところに使ってるので、在庫切れになっていました。琵琶湖汽船乗り場に並ぶと、芝生で大道芸の練習をしていた方が、足長ノッポさんに変身して、パフォーマンスを始めました。とても上手で拍手です。
9:50、ミシガンに乗艇開始です。3Fの一番上の席に椅子を確保し、動き出した船からの琵琶湖の景色を楽しみます。周辺の名所案内や、琵琶湖データを面白くアナウンスされます。次男が学生時代にバイトしてた「大津プリンスホテル」前桟橋でお客さんを乗せ、再び出発しました。レースの方は風が弱くレース待ちのようです。バードウォッチング用双眼鏡をお嫁さんに渡し、次男の船を見せます。さっきまでいてた柳ヶ崎ヨットハーバー横の元琵琶湖ホテル前桟橋に到着すると、風待ちで一旦ハーバーバックしてきた次男の学校のレース艇群が近づいてきました。手を振り声を掛けると数名のヨット部員が気づいて、こちらに手を振り返してくれます。その後、練習するためにクローズを走り出しました。
11:30に大津港に戻り、「浜大津アーカス」内のレストランで昼食にします。僕はお得なセットメニュー・オムライスを注文し、デザートに久しぶりにパフェを家内と半分こして食べました。まだベビーフード主体ですが、小さな口を大きく開け美味しそうに食べる孫くんがここでも主役です。沖を見ると、北から風が下りてきてレースが始まったようで、レース艇が走っています。
まだ13時前なので、「流れ橋」に向かいました。R1で山科に入り、r35〜r36で「六地蔵」。宇治川沿い〜観月橋北詰で再びR1に乗り南下し、宇治川・木津川を渡ってからr22に乗り東進しました。家内に、「四季彩館」の看板を見ててねとお願いしましたが、今回も見過ごし、1本東の道を北に枝折れ、もうひとつの駐車場に車を入れました。徒歩で「流れ橋」に向かいます。孫くんは歩くのが楽しく、あっちに行ったりそっちで立ち止まったりしながら、木津川土手に上る上り勾配を頑張って歩き上がりました。
14:09、「流れ橋」到着。木津川自転車道をスポーツ自転車が走っています。孫くんももう僕に慣れ、土手からの下り坂はまだ危ない足取りなので抱っこして橋の方に土手を下りました。河川敷ではバーベキューを楽しんでいるグループが数組おり、適当に人がいて楽しいです。橋の中ほどまで歩き、Uターンして帰ってきました。主役くんは、半分以上歩くことができました。
r22を戻り、14:43・「飛行神社」に寄りました。ライト兄弟より前に人類初飛行の偉業を果たせたのに資金難で先を越された二宮忠八さんが作った神社です。ジェットエンジンやゼロ戦エンジンが境内に鎮座する特徴ある神社で、ここのお守りを長男カップルが夫婦になる前にプレゼントしました。お嫁さんはフライトのお供にしてくれたそうです。
更にr22を西進し、「石清水八幡宮」下の駐車場に着きました。ここから歩いて上がる予定でしたが、あいにく駐車場が満杯で、「上の駐車場なら空いてますよ。男山レクリエーションセンターをナビ設定したらいいですよ」と教えてもらったので、上まで上がることにしました。男山住宅地の細い道をグニャグニャ上がり、ナビがなければ迷いそうな道でした。
男山レクリエーションセンター駐車場は、神社本殿横の駐車場ではないようなので、15:23・更に進んで目標の駐車場に入れることが出来ました。お正月に来た時買った孫くん用お守りをあげました。僕らは10円ずつだったけど、長男夫婦が大枚100円をお賽銭に投入し、並んで手を合わせています。きっと孫くんの健やかな成長をお願いしているのでしょう。いい姿です。お嫁さんの運動靴はニューバランスで孫くんがコンバース・・・並んで歩いている姿が、スポーツも楽しむ一家の将来を暗示しているようです。
楠木正成が必勝祈願で奉納した大楠に、1334年と書かれていました。ともに手を結び成し遂げた鎌倉幕府倒壊後、後醍醐天皇の建武の新政に反対し袂を分けた足利尊氏との最終決戦前夜に祈願した楠でしょう。太平記のドラマだなあ。孟宗竹の森を抜け、15:48・北側の展望台に着きました。北に鳥羽伏見〜京都、西に天王山が望めます。お嫁さんがたくさん写真を撮っていました。
これで本日の観光はお終いです。大山崎ICから名神に乗り、ブイ〜ンと帰宅し、一旦自宅で落ち着きました。18時前に鯉のぼりを下ろしました。孫くんが大きな鯉に興奮して何やら言っており、長男が孫くんにも手伝わせながら下ろしていきます。長男が生まれた時、近所で一番高く上がるように大きな鯉のぼりセットを購入し、長男・次男と毎朝上げたことを思い出しました。少し大きくなったら役割分担でもめながら兄弟で上げていました。再びその鯉を使おうと思いましたが、ポールで大丈夫でしたが、鯉の方の経年劣化が目立ち新調しましたが、素敵な光景です。長男はマンション住まいなので、大きな鯉のぼりを上げることが出来ず、新潟も女の子3人姉妹だったので、孫用の鯉のぼりの用意がなかったようです。「こんな大きな鯉のぼりを上げることが出来ないから、ありがとうな〜」と喜んでいました。
18時からベーカリーレストランに繰り出し、夕食をとって楽しい1日が終わりました。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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