ウェブマスター日記 2014/3-4

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2014/4/27
日曜日は有馬温泉ベースに六甲山トレッキングしました。昨秋、義理兄が所有してた有馬温泉マンションを売却し、週末は有馬温泉・有馬グランドホテルを定宿にすることに変更しました。腰の悪い兄は、有馬にマンションを買い歩きだしてから腰の不安がなくなりました。でも兄もそろそろ引退なので、高額なマンション管理費負担を軽減すべく、所有より安上がりなホテル泊に切り替えました。このマンションがアベノミクスの影響で、購入時より高く売却でき、兄夫婦が出会った京都にも近い高槻にマンションを買っちゃいました。事業や家内の実家近くで住んでいた自宅もリタイヤを機に売却し、夫婦で京都三昧するそうです。
そんなこんなを家内の姉が仲の良い家内に電話してきて、あれこれ話したいのでと、六甲山トレッキングに誘われました。家内が姉と楽しく話しているのを見てるのがとても好きなので、僕も楽しみにしていました。ところが、姉の娘が入院し、その原因が住んでるマンションの湿気にあるということで、一戸建てに引っ越すことになりました。総額5000万ぐらいするそうで、姪の家計では負担が大きく、義理兄が土地の部分だけ購入することになり、その契約がこの日になっちゃいました。兄が亡くなれば姪に遺産相続になり次世代に受け継がれます。
ということで、朝食だけ有馬グランドホテルのバイキングでご一緒し、その後は僕ら夫婦だけで六甲山トレッキングすることにしました。日曜日の朝5:40、シジュウカラがしきりに鳴いています。2月末から春告鳥・ウグイスが鳴き出し、その後渡り小鳥が渡ってくる季節になり、最近はウグイスも鳴いていますが、他の小鳥の声も賑やかです。ここ数日、シジュウカラの鳴き声が頻りです。いつも同じTVアンテナに留まって鳴いてるので、追っかけてみることにしました。そして発見してしまいました。鳴き声が静かになった後、近所の鉄製の電柱の小さな穴で巣作りをしていました。2羽のシジュウカラがやってきて、草をくわえた1羽がその穴から入り、もう1羽はそれを見張るように近くの電線に留まってキョロキョロしています。穴から出てきた1羽が飛んで行くと、見張りのもう1羽がそれを追います。これを繰り返しています。しきりに鳴いてた個体と巣作り個体が同一とは特定できませんが、一連の行動を見て、「お〜い朝だよ、巣作り始めるよ〜、僕はここにいるよ」「あ〜ら早いのね、じゃあ巣作りを始めるから見張りを頼みますよ」という感じなんじゃないのかな?と思いました。それを家内に話すと、ふふふ・・・と微笑んでいます。
有馬グランドホテルの朝食バイキングは8時開始なので、7時を回ってから家を出ます。最初通勤リード110・タンデムを考えていましたが、バイクプロテクター装束ではトレッキングで不便なので車にしました。R176〜r51・有馬街道で有馬温泉を目指します。「船坂」で気になっていた倉庫型のしゃれた建物に、JIBショップがオープンしていました。以前は別の方が所有だったようですが、しばらく活動してる感じがなく、去年から動き出して、なんと「JIB」ロゴが付いたので、「あれ〜スギハラさんが買ったのかな?」と思っていました。今回は敷地内にJIBショップも開店しており、以前からあった大きな倉庫型の建物の方は工房として使っているのでしょう。楽しみが増えました。
7:50、有馬グランドホテル到着。ロビーでホテルフロント嬢に、有馬温泉内周遊バスのことを訊きます。以前は周遊バスが走っており、神戸電鉄有馬温泉駅から高台にあるロープウェー駅までバス移動出来ました。それを利用しようと算段していましたが、運行中止になったようです。「ホテルの車で送り迎えしますよ」と言われましたが、2000円ほどの朝食バイキングの利用だけでそれを使うのは気が引けます。宿泊客オンリーな気もするし。
義理姉に電話すると、すぐに義理兄夫婦が下りてきました。そこから約2時間、たらふく食べながら、夏にある甥の結婚式のことや、そのお相手さんのこと・・・、色々おしゃべりしました。義理兄は次男ですが、東京に行ってしまった長男さんとは馬が合わず、兄が自分の実家のお墓などの世話をしています。男兄弟との交流がないので、妻の妹の夫である僕をとても好んでくれます。姉夫婦は京都の大学で知り合い、援助物資の運び屋だった当時高校生だった家内と兄は結婚前から親しくなり、大学生になり付き合い始めた僕が2つ目の大学に通い始めた義理兄の浜松のアパートまでの援助物資の運び屋になりました。無収入の学生だった義理兄を、赤ちゃんを抱えながら働いて支えたのが義理姉です。僕らも結婚し、2家族で海水浴だキャンプだスキーだと、わいわいやりました。そんなこんなで僕ら夫婦が仲が良いので、息子たち従兄弟も仲良しです。忙しくて休めない姉夫婦抜きで、姪や甥を我が家の正月スキーに連れて行ったこともあります。ほんと、この夫婦といると、義理関係とは思えない居心地の良さです。兄の事業も家内の実家からの援助で立ち上げたこともあり、娘の家庭の側面支援も当たり前のようにやっています。
朝食バイキングの終了時間ギリギリまでおしゃべりし、僕らはトレッキングに出発です。「今回はおごりよ」「いやあ、ちゃんとお金持ってきたから」・・・なんて姉妹でなんだかんだやってます。僕は「ちゃんと僕らの分を払う方が、お互い楽だよ」と家内には家で言っていますが、こういう場面では我関せずです。そんな会話自体、姉妹が楽しんでる風です。この仲の良い姉妹の存在が、わが子たちに計り知れない恩恵をもたらしていると思います。家庭が温和で親戚関係も楽しいと、この世が素晴らしいと思うようになり、笑顔で人生を歩めるように思います。これがないと、妻を損得勘定なしに心から愛し家族を愛おしむ心が育たないと思っています。
ブイーンと「六甲有馬ロープウェー」乗り場に向かいます。連休に入った日曜日なので混んでると予想しましたが、専用駐車場に空きスペースがありました。管理人さんに声をかけると、ロープウェー乗車半券を見せると無料駐車できるんだって。リュックを背負って駅に上がり、片道1人1010円の切符を買います。家内はピンクのジャケットとブルー基調のチェックミニスカート&山ガール御用達タイツです。なかなかオシャレで、僕の頬も緩みます。「どう、山ガールになってる?」「うん、似合うね〜」っていつものイタリアーノな台詞です。
10:10のロープウェーに乗りました。乗り残しが出るほど多くはないですが、お客さんは多く僕は立っていました。おばあさんが2人おり、自然に男性が立って譲っています。「荷物は持ちますよ」と座ったおばあさんがありがとうと言っています。こういうのを見るのが好きです。それだけで狭い社内の雰囲気が和みます。
足がゾワゾワする高所恐怖が終わり、無事山頂駅に到着。とことこ歩き出し、10:27・ガーデンテラス到着。南の大阪湾側の下界を望みますが、夏の空気になっており視界がイマイチで、紀伊半島は望めません。無料のバイク置き場に5台ほどのバイクがおり、歓談しています。ガラス細工の売店に入り、フクロウカップルの置物を買っちゃいました。ここで買った亀さん置物はバイクハンドルにくっつけてるので、こいつもバイク搭載しましょう。
バス停で、トレッキングの開始場所・六甲山ホテル行きのバスを待ちます。ロープウェーで一緒だったカップルがいました。ここは「ガーデンテラス」バス停ですが、やってきた「六甲山頂駅行き」のバスに乗り込んでいきました。「あれ〜もう帰っちゃうのかな?」「いや、きっと間違えたね」。反対方向行きのバスが来たので乗り込むと、やはりさっきのカップルが乗っていました。バスの運転手さんに、「そのまま乗っておきな」とでも言われたのでしょう。人様の話題で家内とペチャクチャ。
「六甲山ホテル前」で下り、テクテクそのまま西に下り、11:14・「シュラインロード」のエンド・「前が辻」到着。南へ向かう登山道・「アイスロード」の起点でもあります。ここから神戸電鉄「有馬口」駅に向かう「シュラインロード」をトレッキングしますが、「シュラインロード」案内板がなく少々不安です。後にわかったのですが、六甲山ホテル東側が正式なエンドのようです。
「六甲阪神稲荷」の赤鳥居横の舗装枝道を入って行きます。会社保養所街を歩いていると案内板が現れ、ちゃんとシュラインロードを歩いているのが確認できました。六甲山ホテルから前が辻までに1組、ここまでで1組、有馬口側から上がってきたと思われるグループとすれ違いました。更に少し下ったとこでお若い山ガール2人連れとすれ違いました。「普通は、昼食時間に山上到着予定で下から上がってくるんだよね〜。僕らみたいな軟弱な下りトレッキングは、邪道だよね〜」なんて笑い合います。
シュラインロードの名の由来になってる石仏が現れ出します。最初に見つけたのは26番でした。町石の変わりかな?と思ったら、間隔はバラバラでした。営業を終えたホテルがひっそりしていたり、「魚屋道」とは大違いで人気のない道です。僕らののんびりペースには、こちらの方が落ち着きます。距離は6.5kmと書かれていたので、普通に歩けば2時間です。
「あれっ」、前を歩いていた家内が立ち止まります。大きめのリス発見。慌ててムービースイッチを入れ、松の木を登って行くリス君を追います。グハハ〜いい物に巡り会えた〜。小動物との出会いは、楽しさ倍増です。
11:44、「行者堂」到着。石造の小さな祠で、「六甲山多聞寺」他2社の稲荷神社が同居してるようです。多聞さんは好きな毘沙門天さんなので、お姿を覗き込みますが、どうも想像したお姿とは違いました。
時折木々の合間から下界が見え、森には様々な小鳥の声が聞こえ、ほんとに気持ちが良い道です。「私一人なら、こんなとこ絶対に来れないわ。いい道ねえ」って家内も喜んでいます。背中が黄色いヒヨドリ程度の雀より大き目の小鳥が枝に留まっており、目の前を飛び去りました。暑くなったと家内がジャケットを脱ぐというので、僕もお嫁さんからプレゼントされたトレーナーを脱ぎました。
12:27、「裏六甲ドライブウェイ」との交差点に出ました。「九体仏」の案内板がありましたが、見つけられませんでした。ドライブウェイを少し歩くのかな?高速車が走ってきそうで怖くて探索からすぐ撤退しました。ここで休憩してたら、ソロの男性がドライブウェイを渡ったとこで地図確認してから、先に進んでいきました。初めて追いぬかれました。更にソロの年配さん1人が抜いていきました。
道を渡ったとこに石鳥居が立っており、それをくぐって先に進みます。すぐに道に突き当たり、T字路になっています。石柱道標に、「左:六甲登山口駅、右:逢山峡方面」と書かれており、野生の勘では方角的に「左」でしたが、さっき抜いていった年配男性がそこで休憩しておられたので訊いてみると、「右ですよ」と明快な回答でした。「前が辻2km・神鉄六甲駅3.2km」の木柱も立っており、あれだけ歩いたのにまだ半分行ってないんだとビックリしました。
右に歩いて行くと、最初に抜かれたソロ青年さんが戻って来られました。「通行止めとかあるのかな?」と神鉄・有馬口駅への道を訊くと、すぐに橋があるからそこを渡って・・・と、これまた明白な回答を得ました。お二人共六甲山のベテランさんのようです。「ベテラン山歩きの人は、やっぱり1人で歩くんだな〜」と言うと、家内が「案外夫婦で歩いてるのを羨ましく思っていらっしゃるかもよ」だって。「そうか、家で一緒に行こうよ〜」って誘っても、「あなたは早いからついていけないもの」なんて断られてるのかな?なんて想像し、話が盛り上がりました。
12:50、「鍋滝川・猪鼻橋」通過。ドライブウェイを渡ってから、石仏がなくなりました。でも真っ赤な椿が咲いていたり、道に小鳥が留まっていたり目を和ませてくれます。13:11・「奥山川・猪の鼻小橋」。橋の下に小さな滝があり、適度な水量で夏なら足を漬けたいとこです。がけ崩れ修理場所を通過し、「逢山峡砂防ダム」と、人の営みを感じるようになりました。道の山側の樹の根元に穴が開いてるとこがあり、「立入禁止 この中にマムシがいます。噛まれたら死ぬぞ! 兵庫登山会」の看板が立っていました。道脇の木にコップがぶら下がり、その脇に湧き水が出ています。「六甲のおいしい水ね」と家内がニコニコしています。でも飲む勇気なし。冷たく感じる綺麗な水でした。
13:26、「不動明王」のコンクリート塚到着。綺麗な造花が手向けられています。ここでジャケットを脱ぎます。標高も下がりかなり暑くなってきました。「お父さんは厚着だから、我慢せずに脱がなきゃ」と、去年山城攻めで熱中症気味になったピンチを見てるから、しっかり注意されました。更に下ると、下の谷底から笑い声が聞こえてきます。覗くとグループが、バーベキューをしています。そこは河原遊びポイントのようで、10組ぐらいのグループが歓声を上げていました。下の橋から河原を見ると、浅いきれいな川を幼稚園通いぐらいの子供たちがバシャバシャ歩いています。
ここからの道が工事通行止めで、迂回路看板が出ていました。13:48、阪神高速・7号北神戸線をくぐります。「山王神社」前を過ぎ、「専念寺」への分岐に来ました。建武の新政の頃、赤松円心とその子・則祐がこの地に滞在したと言われ、その供養碑が立っているそうです。円心寄贈の子安地蔵尊もあるそうです。いつもなら寄り道するのですが、疲れているのでスルーです。素敵な微妙なカーブを描く屋根を持った旧家があり、ここらは桐紋の家が多いです。母が嫁入り道具として持ってきた桐箪笥が我が家にありますが、今でも素晴らしい密閉率で、軽くて型くずれしない桐の箪笥は最高級品です。高いので女の子が生まれると桐を植えて嫁入り道具をこれで作ったそうです。現在は殆ど見ない桐ですが、桐は生活に密着した樹だった名残ですね。
14:19、神戸電鉄・有馬口駅にゴールです。11:14、「前の辻」を出発して6.5kmを3時間で走破しました。反対に上りのコースだったら・・・想像したくありません。駅のトイレで用を足し・・・僕はOKでしたが、女子用がクローズだったようで家内は我慢しちゃいました。電車に乗り、「有馬温泉駅」下車。そこでトイレを済ませ、ぶらぶら最後の上りを気力振り絞ってロープウェー駅に向かいます。
が・・・、温泉街の以前入ったことのある喫茶店・カフェ・ド・ボウホットにフラフラと入ってしまいました。「有馬ロール・290円」を食べたいというので僕もお付き合いし、家内はホット・550円、僕はぶどうジュース860円を注文しました。有馬ロールは、有馬温泉・金線の塩を使用しているとのこと、ぶどうジュースは100%ジュースで、昔家で作っていたぶどう酒の元の味でした。15:13精算し、無事車に到着です。
r51・有馬街道を宝塚に向かって下り、15:42・船坂でJIBショップを見るとスギハラさんが、外でたばこを吸っていました。「ちょっと挨拶していくわ」とUターンし、駐車場に車を入れ声をかけると、「やあ、いらっしゃい」「スギハラさんの隠れ家ですか?」「仕事場や〜。入って見ていって」と軽口が飛び交います。僕のヨットレース仲間です。スタッフの女性がジュースを入れてくれました。僕の大学ヨット部の後輩で、スギハラ艇のクルーをしている君もいました。
外のデッキ席で、家内・スギハラさんの3人でおしゃべり開始です。バイクツーリングして帰ってきたとこだそうです。去年購入したそうで、西宮の本店勤務からこっちばかりになったそうです。そりゃこちらの里山の方が気持ちが良いものね。今年我がフリートが主催する国際レースでは、外人セーラーを有馬温泉に招待し、ここでバーベキューなどしようと話が進んでいるそうです。
若い時の大洋を渡る外洋レースでの大アクシデントなど、面白おかしく話してくれ、ノストラダムスの予言を信じていたそうで、その時買ったオフロード四輪やホンダスポーツカーを今でも所有し、今はここをベースに走り回っているそうです。1999年7月も無事過ぎ、何も変わっていないので、若い時に事故して封印していたバイクを解禁したそうです。250ccオフバイクも2台置いているので、貸すからここで乗り換えて遊んだらどう?とか提案頂きました。赤いバイクかホンダNSXがあったらいるから、いつでも寄ってよとのこと。赤いバイクも見せてもらいました。ハーレーに乗ってると思ったのですが、BMW1200GSでした。またがらせてもらったけど、片足半分接地がやっとの巨体で、僕には到底無理なバイクでした。これで青森から九州まで走ったそうです。スクリーンが大きく、高速100km/hオーバーでも平気で横を向けるそうです。スクリーン上部エンドが目の高さぐらいで立ち気味のスクリーンなので、風防効果が高そうです。BMWは僕の体力では無理そうだけど、ホンダの小さなカッコ優先スクリーンと違い、実用本位なとこに惹かれます。ボクサーエンジンは低重心に決まってるし、製品製造ポリシーが違う感じがします。
30分ほどおしゃべりし、帰路に着きました。17時頃帰宅し、軽く片付けて後、通勤リード110・タンデムで、電気屋さんから来てた「くまモンレジャーバッグ」をもらいに出ました。駅前の店なので路肩に路上駐車し待つことにしましたが、バイクだから駐禁にならないだろうと高をくくって家内の後を追いました。家内は電気屋さんは2Fですが、エスカレーターを2Fに上がったのに、更に3Fに上がっていきました。グハハ・・・何度も来てる電気屋さんなのに、また方向音痴を炸裂させてる・・・3Fで気づいたようで、下りエスカレーターに乗り換えました。2Fフロアーに来てこっちに歩いてくるだろうと、電気屋さんの前で隠れていました。しかし・・・「ん?あまりに時間がかかりし過ぎ・・・」とエスカレーターを見ると、2Fフロアーはもちろん、1Fにも3Fにもいません。「どうなったの?」・・・狐につままれたようになり、「ひょっとしてバイクに戻ったかな?」と急いでバイクに戻りますがいません。仕方なく待っていると、しばらくすると何もなかったように戻ってきました。「電気屋さんに行けた?」「うん、ほら」ってくまモンを見せてくれます。「電気屋さんを通り越して3Fまで上がったでしょ」「あれ〜見てたの〜。1Fまで下りてスーパーで買い物してから電気屋さんに行ったよ」って。1F〜3F〜1F〜2F〜1Fという僕には考えられない行動をしていました。今まで妙に時間がかかるなと思った時が何度もありますが、いつもこんなだったのかも?おもろいわ。
17:30頃帰宅し、夕食を食べながら、家内ご要望の「京都・嵐電沿線」の番組を見て大笑いし、久しぶりの大河ドラマを見たら、荒木村重謀反前夜まで物語が進んでおり、だし・桐谷美玲さんが登場しキュンとなりました。風呂に入り21時過ぎに寝ちゃいました。家内は、JIBで「珍しい人にも会えたし・・・」と大満足な1日になったようです。

2014/4/20
日曜日は、3週連続の大学ヨット部新人勧誘試乗会の手伝いです。10:30正門クスノキ前集合なので、その前の時間を京都散策しようと決めていました。目的地を「東福寺」にしました。東福寺は紅葉で有名ですが、その季節でもなく桜も終わったので、ゆっくり回れそうです。
金曜の晩仕事から帰ると、家内が掃除をしています。いつもなら寝る時間なのに・・・、「今晩ターくんが帰ってくるって。12:10にJR伊丹駅に着くから迎えに行ってね」とのお達しです。家内は、「あ〜眠い〜」と頑張っていましたがしばらくしてダウン。僕もTVを見て頑張りましたが、いつの間にかダウンし、次男からの電話で起きました。「あ〜寝てもうた。すぐ行くから10分ぐらい待ってて」「あ〜ええよ、タクシーで帰るから」って羽目になってしまいました。夜遅いのは大の苦手です。金曜夜の就寝時間の遅れにより、土曜日の目覚めが遅れ、せっかくのいい天気なのに、早朝バイクの時間が取れませんでした。
日曜日は5:30に目覚め、6時からロードバイク・DEFY2で出発です。いつもの土手上道ではなく、猪名川河川敷を下り、6:24「園田競馬場」土手から無料朝の調教見物です。競走馬が、鼻息荒く疾走しています。河川敷のムクドリが忙しそうに動き回っています。こいつら秋になると大集団になり、都会の街路樹に群生するから困り者です。足とくちばしがオレンジ色で目立ちます。帰路、駄六川沿いを鯉見て、鴨見て、早咲きのフジ見て、最後に赤と白の見事に咲いたハナミズキ2本を見て帰りました。ハナミズキを激写したら、そのお宅のご主人が庭仕事しておらてたのに気づいて、「おはようございます」と挨拶すると、ニコニコ道路に出てこられ、ハナミズキの育て方を聞きました。植木屋さんから、選定しない方がいいと言われているので、何も手入れしていないとのことでした。うちのがピンク色なので、どうしたらこんな綺麗な赤になるのか聞いたのですが、赤・ピンク・白の3種類あるそうです。街路樹に使われるぐらい手間なし&丈夫な木ですが、やはり日当たりが良いことが一番の手入れなのかもしれません。
日曜日は8時前に家を出発し、次男もヨット部試乗会に行くそうで、京都駅まで3人で車で行きました。途中、次男主催パーティーの写真やムービーを、家内は車内で見せてもらっていました。ギター演奏し、藤井フミヤを熱唱していました。9時にJR京都駅で次男を下ろし、京都で着物用髪飾りを買いたいという家内の要望もあり「東福寺」をパスし、東山の「将軍塚」に上がってみることにしました。「東大路通」を北上し、「東山五条」を右折してR1に乗りました。ここの交差点は、浄土真宗大谷廟と清水寺があるので、いつも車が多いです。特に大谷廟は、観光地でもないのに多くの信者さんが寄り、真宗の巨大勢力を感じます。
東山トンネル手前で脇道に入り、「東山ドライブウェイ」に乗ります。展望のない道ですが、適度なワインディングで二輪で走りたい道ですが、土日祝日の二輪通行禁止です。やんちゃ二輪が、過去いろいろやったツケですね。京大天文台のとこで、家内が「山伏修行ラン大会」の看板を見つけました。「さすが天台宗修行の東山・・・山伏のあのカッコして走るのだろうか?・・・山道ランニング大会なんだろうな・・・」といろいろ盛り上がりました。
6:49、東山山頂駐車場到着。展望台から京都盆地が一望でき、愛宕山のデカさを感じることが出来ました。京都市街地は、建物高さ規制で京都タワーが目立ちます。それを基準に東西南北を見ると、それぞれの位置関係がよくわかります。平城京から長岡京に遷都したが、水害等で失敗した桓武天皇を、和気清麻呂がここに連れてきて、京都盆地での遷都を勧めたという故事が残る場所です。桓武天皇ではなく和気清麻呂になった気持ちで眺めました。判官びいきの僕は、武内宿禰・吉備真備・和気清麻呂・菅原道真など藤原氏でない賢者に惹かれます。
さて、桓武天皇が都の平安を願って鎧兜を着せた将軍像を埋めたと言われる「将軍塚」を見に行きましょう。北に歩き出すとすぐ、知恩院への山道がありました。20分だって。麓にある「青蓮院門跡」の飛び地・「大日堂」山門が見えていますが、工事バリケードされています。横から回るのだろうと山門前まで来ましたが、どこからも入れません。「将軍塚」を見れず残念でしたが、また次回ですね。
「京都一周トレイル」道の案内板が立っており、「高台寺」裏山のここらは縦横に散策山道が走っているようで、家内と「ここを歩きに来ようか」と話しました。粟田口・蹴上の大日堂口・知恩院口・清水寺口などから山に上がれ、清水山山頂も巡っています。「大文字火床」同様、ナイスな景色でした。
R1に下り、道なりに五条通を西進し、京阪・清水五条駅のとこから、鴨川沿いを京阪・祇園四条まで北上し、左折して四条通に乗りました。方向音痴の家内のために、帰りの電車乗り場の「阪急四条河原町駅」の前で車を停め、「ここらへんを巡ったら、和装小物店がたくさんあるはずだよ」って下ろしました。翌朝聞いたら、着物用小ぶり扇子・髪留めなどゲットした品々を見せてくれました。1万円少しほどのお安い好みの和装バッグもあったけど、母親からのお下がりとかもあるから、それはやめといたそうです。仕事関係の全国大会が横浜であるので、それに着物で出席すべく、あれやこれややってるのだとか。
大学生門時計台前に、約束の15分前・10:15に着きました。すでに担当のアトウ君と新入生1人が来ています。すぐに6人揃い、第1陣として6人(女子2人)乗せて出発しました。下宿の子が多いので、初比叡山越え・初琵琶湖に感動の声も聞こえます。
艇庫に着き、新入生が着替えに向かったとこでレスキューに乗り出艇です。試乗会エリアの目安に四方にマークを打ち、一旦戻って着替え終えた新入生を乗せて沖に出ます。3〜4m/sの試乗会向きの風が入っており、随時ハーバーに戻り次々京都から運ばれてくる新入生を入れ替えながら試乗させます。レスキュー上で、面白おかしくクラブや琵琶湖を紹介しながら、トークで盛り上がります。次男も新入生を乗せて、乗り換える度に写真を撮ってもらいにレスキュー艇に近づき大車輪していました。
湖上試乗会を終えたのが16:30ぐらいでした。いつもより30分ほど時間が押しています。ハーバーバックして、合宿所に新入生を乗せて戻り、鍋パーティーが始まります。1回生自己紹介タイムしている間に、もう東京に帰ったと思ってた次男がやってきました。「東京ばな奈」と「東京・・?」の差し入れを出してきたので、ボスマネさんを呼んだら大喜びしていました。
次男を駅まで送りたかったけど、「いろいろあるやろ、1人で帰るからええで」の言葉を残し帰って行きました。時間が押してるので、1回生自己紹介の後すぐ僕の挨拶になり、大学での居場所のこと・今年で79年になるヨット部の歴史・生涯スポーツであるヨット・安全なスポーツヨット・・・演説をぶちかましました。最後にキャプテン挨拶でお開きです。
京女生が2名だけだったので、8人乗りの僕の車は外され、男ばっかり7人乗せ「山中越え」で京都に戻り、正門でみんなを下ろして帰路に着きました。「東大路通」〜九条通〜R1〜名神〜中国道で21時帰宅しました。家内は寝ているだろうと静かに後片付けを始めようとしたら、珍しく家内が起きており自室から「おかえり」って出てきました。次男のパーティー用に僕が見繕って次男に送った写真を次男が持って帰って来たので、それを見ながら思い出に浸っていたそうです。
食事をしながら、買い物の成果を聞きました。また方向音痴炸裂の爆笑トークを期待したのですが、ちゃんと買い物をして予定のパーマにも行けたという充実ぶりでした。着物用小ぶり扇子・髪留めなどゲットした品々を見せてくれました。1万円少しほどのお安い好みの和装バッグもあったけど、母親からのお下がりとかもあるから、それはやめといたそうです。仕事関係の全国大会が横浜であるので、それに着物で出席すべく、あれやこれややってるのだとか。

2014/4/13
日曜日は、先週に続き大学ヨット部の新入部員勧誘試乗会の手伝いでした。10:30に正門・クスノキ前都の指示です。家内は着付け教室の卒業パーティーがあるので、1人でそれまでの時間を京都散策することにしました。目的地は、山科にしました。家内と数年前に登った京都大文字山から、如意ヶ嶽の山中を南禅寺や山科・毘沙門堂までハイキング道が通っているそうです。「その毘沙門堂側口が見つかれば・・・」という軽い気持ちです。
朝ゴソゴソし、6:30に自宅を出ました。中国道〜名神〜桂PA休憩〜京都東IC下車して、R1を西にバックしました。初めに「山科本願寺」を訪問しようと思っていました。本願寺中興の祖・蓮如上人が、永平寺により大谷本願寺を破却された後、越前吉崎御坊で本願寺を再興し、京再進出の拠点となった平城並みに水堀で囲んだ寺院です。これも法華宗に落とされ、大坂石山本願寺に拠点を移しますが、その跡に大谷・本願寺両派の寺院が建ち、堀跡も残っているらしい。
それらを探索したかったのですが、時間的に本願寺と毘沙門堂の両方の探索は無理そうと判断し、より時間が掛かりそうで、より歴史的に興味深い本願寺探索は次回に持ち越しました。R1から外れ、JR山科駅までまっすぐ北上し、通り越してさらに東山に向かってなだらかな坂を北上すると、7:51「毘沙門堂」に難なく辿りつけました。
「臨時駐車場」案内板に導かれ、最後は「えっ、ここを上がるの?」って感じの四輪離合不能・急坂を上がると、少年野球の練習場よこに駐車場がありました。横を見ると、半分散った桜と伽藍が見えます。寺院正面は山門からかなり下に続く石段の下ですが、横からショートカットで山門横からエントリーします。
山門に「毘沙門堂門跡」と掛かっています。天皇の王子や公家師弟が入る門跡寺院なのですね。寺の格を感じます。境内に入ると、いきなり花吹雪の歓迎に会いました。TVニュースでワシントンの満開の桜を市民が楽しんでいる姿が紹介されていましたが、この花吹雪も大きな桜の魅力ですね。満開を過ぎた枝垂れ桜がナイスでした。1週間前なら満開で、大勢の桜ファンが訪問していたでしょうね。本堂は、徳川将軍家綱が再建したそうです。東照宮風に鮮やかな彩色が施され艶やかです。
「毘沙門堂」の名の由来は、天台宗創始・最澄自ら手彫した毘沙門天像を本尊として祀ったことから始まるそうです。拝観料としてお賽銭チャリんして本殿内に入ると、大好きな毘沙門天像他が安置されていましたが、本尊は秘仏と書かれていたので、レプリカでしょう。「日本野鳥の会」推奨のバードウォッチング用小型双眼鏡を出し、細部を目に焼き付けます。本殿内は撮影禁止なのが残念ですが、仕方ないですね。
横に回ると竹林が広がり、巨木が倒木して自然の猛威の姿を見せていました。怪しい山道が伸びており、探索してみたい心がムクムクと湧きましたが、立入禁止となっていたので断念しました。池があり、弁財天が祀られていました。弁財天さんは池に似あいますね。瓦には、門跡寺院らしく天皇家の菊の御紋が入っています。その上に鬼瓦として「桃」をかたどった鬼瓦が載っています。古事記・日本書紀に、イザナギが妻のイザナミに会いに黄泉の国に行きますが、変わり果てたイザナミの姿に怖くなり逃げ帰ります。その時イザナミの命で追いかけてきた鬼に向かって桃を投げつけ難を逃れます。また仏教では桃は不死の食べ物とされています。寺院なので後者でしょうが、魔除けの意味も込めて鬼瓦にされたのでしょう。神仏習合の日本的な流れから来るものかもしれません。境内を後にしようとした時、すれ違った女性が1人で枝垂れ桜を見ています。「女性一人旅・・・」なんか似合います。伽藍の屋根越しに裏山を見上げ、如意ヶ嶽からの山道はこの山を下ってくるのかな?なんて思いました。
車できた道を下り、途中の琵琶湖疏水で停車し、激写タイムしました。三条通を東進し、東山を越え南禅寺から北上し、8:59「永観堂」駐車場に入れます。受付で「すいません、お参りなんですけど・・・」と毎度のセリフを言い、ノートに名前や寺院名を書いて拝観料をパスしました。家内の両親他先祖がここに分骨されており、お参り目的は無料です。「もみじの永観堂」で有名なので、その時期はライトアップされたり大賑わいですが、それ以外の時期は落ち着いた感じの良いお寺です。拝観料で庭の手入れも行き届き、何度足を運んでも気持良いです。
ここの庭や裏山の借景が絵になるので、いつも激写枚数が多くなります。天皇の勅使用に別に設けられた勅使門がいろんな寺社にありますが、山門ほど大げさではないこの門は、僕的にツボです。ここの勅使門もいい感じで、激写枚数が増えました。幌を被ってメンテナンス修理されていた阿弥陀堂が、きれいな彩色で復活しています。家内の母親の分骨の時、この中で大勢のお坊さんの低音読経に大感動したのを思い起こします。今度は「納骨堂」がメンテナンス修理に入っており、足場が組まれていました。春のお彼岸には少し遅れたけど、いつものように手を合わせ、素晴らしいお嬢さんを僕に縁づけて下さったことに感謝しました。「画仙堂」の屋根に、「ワニ?」「龍?」瓦が載っています。これも厄除けですね。最後にいつも綺麗に咲いてる八重桜を激写して、永観堂を後にしました。
「白川通」に出て北上し、「銀閣寺口」を左折して「今出川通」、左手に京都大学・右手に喫茶店「駸々堂」を見て、「百万遍」交差点を右折し、9:43「百万遍知恩寺」駐車場に入れました。親父の吉田山との縁・次男の縁・そしてお世話になってる我が家の寺院さんの本山でもあるここに、家内の実家に習って分骨しようと家内と決めています。さっき「永観堂」を回りながら、同じ浄土宗でもあるし、寺院さんの話では分骨は本山でなくてもOKとのことなので、永観堂にも分骨しようかなと考えるようになりました。そうすれば家内も自分の両親とあの世で一緒になれるし・・・。本骨は我が家のお墓で、分骨は2ヶ所・百万遍智恩寺と永観堂・・・こんなんでどうでしょう。
「手作り市」の問い合わせ電話番号が書かれていました。この市は、「東寺」骨董市・「糺の森」古本市等と同様、なんか面白いんですよね。大変なにぎわいで、新旧混在・怪しげな京都を代表してる催しだなあと思います。僕がいずれ入るであろう納骨堂を覗き、満開の枝垂れ桜・スモモ?などを写しました。本堂横の低木の山桜が満開で綺麗でした。脇社の木蓮もナイスでした。
駐車場は30分以内無料だったようで、精算機械にお金を入れずにOKでした。3つのお寺はどこも駐車無料で切り抜け、京都にしては懐にやさしい朝の探索になりました。10:17、大学の構内に駐車しました。以前は門番さんに言えばOK。でしたが、最近は車での入場に機械ゲートを通らないといけません。クスノキ前のベンチで座っていると、すぐにヨット部員のアトウ君が現れ、新入生もやって来ました。満載になりそうなので、一旦車に戻りチャイルドシートを外して、リアゲート内に移動させます。
戻ってくると定員一杯まで集まっていたので、女子2・男子5の7人載せて、「山中越え」で比叡山を越えて、琵琶湖・柳ヶ崎YH到着。大学では全く風がなく、ちょっと風の心配をしましたが、試乗会にちょうど良い風が吹いています。
僕は先週同様、レスキューボート要員です。ニシムラ君が写真要員としてソニーの一眼レフを持って乗っています。マニュアル撮影にハマっているようで、京都の寺社も巡ってるんだって。毘沙門堂にも激写しに行ったそうです。ミズノさんドライバーで出発です。彼女はヨットも上手ですが、ボートの運転も上手です。センスが良いね。
30名ほどの新入生が来てくれました。順繰りにレスキューを介してヨットに乗せ、写真を撮りに走ります。先週より女子が多いので、写真班のニシムラ君が張り切っています。明らかに女の子と男子を被写体にするときの激写枚数が違います。ヨット担当部員も、女子が乗ってくるとよりニコニコしてます。まあ僕もそうで、男はこうでなくっちゃね。
16時になり湖上試乗会はお終いです。ハーバーバックし、新人を載せ合宿所に戻ります。先週同様、18時から鍋新入生歓迎会です。3回生コジマ君がやってきて、「ヨシヤスさんってご存じですか?」って聞いてきました。アメリカのスタンフォード大学に短期留学したそうで、その時のメンターがヨシヤスさんのお嬢さんユキちゃんだったそうです。これには驚きました。ヨシヤスさんのお父さんは僕の幼稚園の後輩です。ユキちゃんは帰国子女として兵庫ジュニアYCに入部し、次男の後輩になりました。ユキちゃんやお父さん、アメリカのヨット部のことなどで、楽しい会話になりました。
オガワ君司会で、新入生自己紹介・僕の熱い?ヨット迷演説・キャプテン挨拶、最後は「琵琶湖周航の歌」で、19:15締めくくりお開きになりました。帰りは、密かな念願叶い「京都女子コース」に指名されました。京女5人・立命館1人の新入生6人を乗せ、湖西道路〜R1・五条通で京女寮で4人下ろし、阪急で帰るRits女子を阪急・四条河原町駅前で下ろし、最後に八条JR京都駅で京女1名を下ろしました。
R1〜名神京都南IC〜中国道経由で、21時帰宅。家内は既に夢の中だったので、用意されていた夕食を食べ、22時に床につきました。

2014/4/6
日曜日は、大学ヨット部新人勧誘試乗会の手伝いでした。11時に京都の大学から琵琶湖の艇庫まで新入生を運ぶのが、最初の仕事です。家内が1日フリーなので、数年前の同じ時期に岡崎に桜見物した時、「あれに乗りたいな〜」と言ってた屋形船に、仕事前に乗ることにしました。満開の京都の桜で混雑するだろうから早めに京都入りしないと・・・と寝たのですが、目を覚ましたら6時を回っていました。
ゴソゴソ支度をしていたら、前日同様ウグイスの鳴き声が近くで聞こえます。ソーッと外に出て、電線に留まって鳴いてるウグイスの声をムービー録音しました。
7時過ぎに出発し、中国道〜名神を東に向かっていると、数台のバイクが集団で抜いていきます。その中の1台が、漆絵のように綺麗にペイントされていました。落ち着いた赤系で、近くでじっくり見たくて「桂PA」に入ってみました。天王山手前で小雨が落ちて来たので休憩するかな?と予想したらビンゴ、オーナーさん達は離れていたので話はできませんでしたが、タンク・タンデムシートの他に、ホイールからヘルメットまで同じペイントで、素晴らしい出来栄えでした。
「京都南IC」で下車し、R1を北上〜東寺から九条通を西進〜東大路通り北上して、岡崎界隈まで来ました。京都が最も混む紅葉の時期の次に混雑する桜時期ですが、イマイチなお天気の影響か京都南ICでの混雑・渋滞もありませんでした。半年ぶりの家内との京都で、「あっ、帆布かばん屋さん〜」「あそこの家は古い昭和の看板ばっかり〜」なんて、話が弾みます。屋形船乗り場は、インクラインが下り終わる琵琶湖疏水記念館近くから出るので、南禅寺駐車場に向かいました。が、オープンしてる駐車場は満車で、平安神宮大鳥居の方までバックしました。
8:18、「今昔・平安神宮前パーキング」入庫。疎水沿いの桜を愛でながらブラブラ歩きました。時折雨が落ちてくるので、以前京都で買った車備え付けの傘を家内が差しています。なんか・・・いい。「トラベラーズ・イン」というお洒落な宿がありました。1Fレストランで朝食をとってる方は、白人さんばかり。家内が、「いくらで泊まれるのかな〜」と興味津々です。お洒落な教会もあります。枝垂れ桜の素敵なお店?お宿?があり、疏水対岸の「京都動物園」のフラミンゴが鳴き合っています。何度も見た風景ですが、何度見ても京都はいいです。「奈良よりずっといいね」って家内は「奈良より京都派」です。
8:29、屋形船乗り場到着。「岡崎さくらわかば回廊十石舟巡り・大人1000円」を2枚買いました。始発8:45乗船を目論んでいましたが、それは満席で次の9:00発です。インクラインに下り、蹴上の方にインクライン軌道のゆるい坂道を歩いて行きました。
艶やかな花嫁衣装のカップルが、カメラマンなどに付き添われて歩いていました。今日結婚式を挙げるカップルが、早朝散歩してるのかな?・・・満開の桜がインクラインを覆いナイスです。お天道さまも祝福するように、曇り空ですが雨は上がっています。インクラインが現役だった頃の運搬船を復元した船が車台に載っています。水路で東山を越えて、琵琶湖から京都に物資を運ぼうとした先人の大事業に頭が下がります。
出発10分前の8:50に乗り場に戻りました。水圧感知ライフジャケットを腰に巻き、屋形船に乗り込みました。屋根がついてるので雨が落ちてきても大丈夫です。とても声の綺麗な昔のお姉さんの案内で出発です。水面ぎりぎりの高さから見る疏水風景は、道路から見るソレとは違って家内が喜んでいます。2ヶ所低い橋があり、屋根が油圧で上下します。
京都市動物園〜京都市美術館〜国立近代美術館〜聖護院の夷川水力発電所で折り返します。夷川は、森見登美彦さんの小説に出てくるので、なんだか「たぬき」が居そうに見えて仕方ありません。疏水に被る桜の写真をたくさん撮り、ついでに家内の項なども盗み撮りして、25分の船旅が終わりました。船遊び趣味の僕の性として、「ヤマハ船外機20馬力なんだ」と無意識にチェックしていました。
下船し、再びインクラインを渡って、対岸の「琵琶湖疏水記念館」に行きます。インクライン正面上方に見える「都ホテル」がいい感じです。さっきの花嫁さんカップルも、都ホテルのウェディング・オプションプランでここに来たのかも・・・。
9:29、「琵琶湖疏水記念館」入場。入口前に「災害用備蓄飲料水」と書かれた「疏水物語」という商品名の自販機がありました。初めて見る商品です。記念館内には、「田辺朔郎の卒論」や疏水設計図・工事写真・京都府疏水事務所木製看板などがありました。江戸から明治時代になり、天皇が東京に遷り、地盤沈下激しい京都の町を活性化させるべく、東京大学の学生の卒論に目をつけた府知事が、世紀の大事業の総監督にその学生・田辺朔郎を大抜擢しました。大興奮して嬉々として事業の実現に翻弄しただろうし、未知の若者に大きな権限を与えた明治の若々しさにロマンを感じました。学生を終えたばかりの総監督では、絵に描いた餅を現実化するのは無理だったでしょうが、実績を積んた現場職人さんが手直ししながら大事業を完成させてしまう日本人技術者・職人さんの技術の高さに感心してしまいます。
9:39、「Kyoto City Zoo」前・・・屋形船お姉さんの説明では、東京上野動物園に続き日本で2番目に出来た動物園だそうです。市立で動物園を運営できる京都市の豊かな財政が素晴らしい。
9:43、落ち着いたいい雰囲気の佇まいに目が留まりました。道をわたって「謂れ板」を読むと、「白河院庭園は、かつて白河天皇が営んだ法勝寺の境内にあたり、白河院の名称は、これに因んで付けられたものという。・・・現所有者:私立学校教職員共済組合の宿泊施設・・・」。
法勝寺は、現在読み進めている「新・平家物語」に何度も出てくるお寺です。源平盛衰の保元平治の乱〜鎌倉幕府成立時代の一方の主役・後白河天皇の近衆僧で、後白河天皇とともに平家転覆を謀った「鹿ヶ谷事件」の発覚で配流された俊寛が執行をやっていたお寺です。僕にとってタイムリーなお寺に、ここで出会えるとはラッキーでした。東大路通で通過してきた平家武者町・六波羅との位置や距離関係がストンと頭に入りました。目の前のバス停は、「岡崎法勝寺町」となっており、既に跡形もないお寺ですが、このように地名に残して後の時代にその位置を伝える日本という国の人々が愛おしくなりました。
動物園の北西角を曲がり、南に向かいました。ここは桜の名所・岡崎公園前でもあるので、露天商さん数店が開店準備をしていました。店主さんはいないけど、並べられてる「いちご大福」に目が留まりました。僕は朝ごはんを食べていません。お隣の開店準備に忙しいお姉さんに、「これ、買えませんか?」と聞くと、「大丈夫ですよ」と明るい返事です。お姉さんが入れてくれようとしたら、別のお店の準備応援していたのか店主さんが慌てて走って来られ、豆大福・わらび餅も含め800円分入れてくれました。
9:54・京都市美術館通過、10:04・平安神宮前パーキング出庫・800円。コーチしてる次男が学んだ大学内に駐車し、10:21・大学時計台下の展示室で大学の歴史などを見ました。ここも何度も来ましたが、家内は2回目です。また小雨が時折落ちてくる空模様になり、時計台前・クスノキ下で食べようと思っていたのに生憎です。でもクスノキの枝葉の傘により濡れていないとこを確保し、家内と並んでいちご大福を食べます。しばらくすると2回生部員のアトウ君がヨット部の幟を持って来ました。
少し話をして、家内とバイバイです。出町柳駅から鞍馬・貴船への観光を勧め、出町柳駅までの道順を教えました。極度の方向音痴なので、一抹の不安が・・・。月曜の朝聞いた所、案の定で百万遍交差点から北に歩いて行き、「叡山電鉄・元田中駅」に出てしまい、駅員さんがいないので聞けずに来た電車に乗ったら、鞍馬とは反対側に向かい「出町柳駅」に到着。京阪電車・出町柳駅〜四条駅、阪急電車・四条河原町駅から阪急で帰宅したそうです。う〜む、笑ってはいけないが、心の中では大笑いです。
この時期なので、各クラブとも新入部員獲得に熱心です。隣に、「クジャク同好会」というのがやってきました。そういえばさっき、場違いにクジャク2羽が入った檻をリヤカーで引っ張っていた怪しい輩がいました。興味津々で、「クジャク同好会って、何するの?」と訊いたら、「クジャクを飼い始めたんですけど、世話が大変になりクラブにしちゃおうと思って作りました。卵を孵して・・・」と、「マジで〜」という答えが返ってきました。後に艇庫でその話をすると、「あ〜、僕の友人がそのクラブに入っていますよ。部員もそこそこいて、面白いらしいですよ」・・・この学校は、怪しい輩が多いです。クジャクの世話をするクラブを立ち上げる奴に、そこに入る奴・・・。
約束の11時になっても、予定は6人だったのにやってきた新入生は1人でした。車でやって来た部員のイチカワ君が乗せて、女子マネ募集してる京都女子に行きました。10分後1人やってきて、11:15彼を助手席に乗せて、「山中越」で比叡山を越えて琵琶湖の艇庫に向かいました。我が家の隣町・豊中市の実家から通いだそうです。モノレール〜阪急電車〜京阪電車のルートで、しばらくしたら下宿するそうです。中高は金蘭千里で、男子が入れる運動部が2つしかなかったそうです。小学生の時からやってたテニスに飽きたので、別のクラブを模索中だそうです。
艇庫に着きみんなに挨拶し、用意でき次第沖に出発です。スナイプがハーバーを出たところで10m/hオーバーのブローが入り、ひっくり返りました。沖ではバタバタと他校の試乗会艇がひっくり返っています。直ちにレスキューに出ましたが、ブローはすぐ止んでお気に着く前に全艇起き上がり再帆走し始めました、でも試乗会用にボロいセールを着けていたから、破れてる艇もチラホラいます。
一旦ハーバーバックし、再び出て試乗会開始です。雪の残った比良山上はくっきり見えていますが、比叡山上に怪しい雲が尻尾を山に流しています。その動きに注意しながら試乗会を進めます。時折ブローが入りますが、8m/h以下で問題なしです。比叡山上の怪しい雲は消えたけど、終了前の16時前になって、比良山に2時間ほど前からかかった雪雲が湖上に流れ出し、北の琵琶湖大橋の方に優勢なブローが下りてきました。「これはヤバイな」と、全艇ハーバーバックの指示を出します。特急で目安に打ってたマークを引き上げ、レスキュー体制で試乗会艇の最後尾を守るようにハーバーバックします。ハーバー手前で最後の艇がブローに捕まり、一気に風向も変わりクルーが湖面に浸かりますが、1回生はインフレータブルボートに降ろしていたので問題なしでした。
着替え終わった新入生たちを乗せて、合宿所に戻りました。ここでマネージャーさんたちが歓迎の鍋を用意してくれています。16:59・合宿所前水路を激写。ここを艇庫に使っていた2年前までは、この水路から出艇していました。新2回生・オガワ君の司会で18時から鍋が始まり、僕は片隅のこたつで暖まりながら、学生たちの楽しそうな会話を聞いていました。僕は息子たちがおもちゃで遊んでいる時も、こういう位置から眺めているのが好きでした。
18:30〜1回生の自己紹介・初ヨットの感想などが始まり、19時から僕の挨拶です。昨年・一昨年同様、ホームルームのない大学は根無し草になりやすいので、クラブに所属することの良さ、長い伝統のあるクラブ・特に体育会クラブに所属することで得る今後の人生での大きなプラス、道具を使うヨット競技は馬術・アーチェリー同様長く競技の第一線で楽しめるスポーツであること、世界一周レースもあるヨット競技のスケールのデカさ、ヨットの安全さなどを話しました。僕がヨット部卒業後からの話を4月の試乗会で話すようになってから、部員獲得数が増えてるので3年目もこのジンクスが守れますように・・・。15分ぐらい喋っちゃいました。
続いて新3回生アサオ君製作のヨット部イメージビデオを鑑賞し、最後にキャプテンの挨拶で締めくくり、部歌の「琵琶湖周航の歌」を全員で片組んで円陣を作り合唱して、19:45解散になりました。密かに京都女子大周りを期待しましたが適わず、往路同様京都の大学正門まで新入生を送ってから帰路に着きました。東大路通を南下しましたが、バス停には多くの観光客が並んでいました。東山界隈の桜スポットを観光した帰りでしょう。名神〜中国道で21:30帰宅。家内はもう寝ており、用意されていた夕食を食べ22時過ぎに床につきました。

2014/3/30
日曜日は、今月から来月にかけて続くヨット遊びの谷間のような予定のない日曜日でした。家内も仕事で大阪に行くので、フリーです。こういう日は当然バイク遊びです。岡山県の中世の山城探索に出ようと予定していましたが、天気予報がしっかりした雨を予想しています。朝5時に目を覚ましましたが、予報通り前夜から降り始めた雨が降り続いています。予報では9時に雨脚のピークが来るので、ゴソゴソした後二度寝決定です。
再び目を覚まして朝食後、8時過ぎから家内と映画DVD「はなみずき」を観ました。映画館で家内と観て感動し、格安のレンタルバック品を見つけて購入していたものです。高校生で出会う2人が急接近〜それぞれの道での努力〜それぞれ別のパートナーを見つけての新生活〜それぞれが破局〜間接的なメッセージが奇跡的に相手に繋がり再び〜という素晴らしいストーリーで、主演俳優の生田斗真と新垣結衣さんが素晴らしい演技で、結衣さんの可愛らしさ満点です。僕の好きな悪者のいないストーリーがまたいいです。北海道の大自然の広さ・灯台の美しさ・絵になるローカル列車・・・大感動の2時間でした。
生田斗真くんは、別れという結果になるだろう新垣結衣さんの東京の大学行きを応援し、また海外に勇躍していく肩を押します。僕と知り合った頃の家内の目標は、スッチーさんになって国際線を飛ぶことでした。中高とESS・放送部に所属し、必要な英語力を高めてきたとを話してくれました。僕は長男でもあり、いずれ地元に戻って両親の面倒を見て墓守りをしなければなりません。家内の親・兄弟・親戚を回ってすごく気に入ったけど、諦めないといけないなと残念に思いながら、家内の夢を応援しました。先の人生設計が違うから2人での将来はないけど、家内には目標を叶えて欲しくて「大丈夫、受かるよ」って、航空会社への就職を言葉だけだけど後押ししました。でも僕を気に入ってくたからか、就職は航空会社を受けず僕の人生に寄り添ってくれました。長男からGFだと新米国内線フライトアテンダントの現在のお嫁さんを紹介され、やがて家内の目標だった国際線にステップアップしていく姿を見ながら、家内と「運命だね」って不思議な縁を感じました。そんなことを思い出しました。
10時半に家内を車で駅まで送り、「ホンダドリーム尼崎店」に寄り、NC700X・400X・VTR250・CB400のステップ写真を撮り、採寸させてもらいました。何故かと言うと、オフ車用のワイドステップをVTR250とCB400SBに移植しようかと考えています。オンロードバイクのステップは細く、長時間乗っているとステップに乗せている足の中央が痛くなって来ます。『ステップを棒から面にすると、足がもっと楽になるのではないか』との仮説です。
プロトからホンダ・オンロードモーターサイクルの400X・CB400F・CBR400R用として発売されています。プロトさんに、「CB400SB・VTR250に着きますか?」と質問しているのですが、「装着可能か未確認です。他のバイクにも流用できるといいですね。担当者に伝えておきます」との返事は頂いていますが、実測確認しに来ました。
元メンテナンスだった現営業担当者と、あ〜だこ〜だ見ました。営業担当者の話では、「ステップのジョイント幅はほぼ共通なのでセット出来ると思う。車種により微妙にジョイント角度が違うので、ステップが水平にならないかもしれない。チェンジレバーやブレーキとの間隔が変わるので、調整が必要だろう。オフ車用は上部にゴムが着いていないので、振動が足に伝わってくるかもしれない」という見解でした。
左右で13000円ほどするので、「失敗してもいいや」と簡単に注文できません。じっくり検討です。ホンダさんは、「オンロードバイクでワイドステップ装着は聞いたことがない」と言っていましたが、NC750Xのホンダメーカーカタログに載ってるのだから、需要があるのでしょう。
西の六甲山の方から明るい薄雲になってきたので雨が上がるのも時間の問題だと予想し、昼食を食べ始めました。しかしそう簡単には天気の回復が進まず、14時出発になってしまいました。春秋装束の定番・プロテクターメッシュ上下+ダイワ釣り防水スーツの組み合わせです。ジャケットの方は、新しく買った物にしました。
倉庫から「里山VTR250・リアシートにはシーサーバージョン」を出します。キャノンA1400を車載カメラにして、長尾山トンネル〜r325〜r33に乗ります。長尾山トンネルを抜けて北摂里山地帯に入ると、小雨がまた降ってきました。進行方向の北の空に暗い雲が浮いてるので、切畑の「森脇農園」でしばし休憩しました。r33〜r319でr12・「六瀬」に出て、r12を北上し、「西峠」を越えて、「後川」を左折し、r37に乗りました。羽束川沿いを西進し、「後川奥」から「永澤寺」に抜ける道を上ります。車載カメラを収納するほどではないけど、小雨が時折落ちてきて、いかにも山沿いの天気という感じです。
永沢寺手前のずっと気になっていた怪しい道を探索しました。方角的にr308の母子〜曾地奥間にアクセスすると予想しています。この間は、曾地奥側が獣フェンスで舗装林道が封鎖されているのは確認済みなので、封鎖区間に抜けられるのかも?と期待して徒歩探索です。意外にコンクリートだけど舗装が続いており、落ち葉や半未舗装の怪しい道ながら緩やかに下って続いています。途中ガードレールが設置され、森の中の道から脱出しr308と思われるガードレール道が見通せるようになりました。その向こうに扇風機付き茶畑があるので、r308であるのは確実です。
一旦バイクに引き返し、r49合流〜永沢寺〜r308と進み、林道から見えていた景色を頼りに反対側から確認します。r308からのエントリーは未舗装ですが、何処につながっているのかわかりました。期待していた未開通区間ではありませんでしたが、長年の疑問が解決です。
もう雨は振らなさそうです。r308〜r49〜永澤寺〜r49〜わらび餅屋を通過し、「バイカーズカフェ虎亀」横でストップしました。時刻は16時を回っており、何時までの営業時間かわかりませんが、一旦下ってUターンして寄り道することにしました。駐車場に車が1台で、お客さんはカウンターに2名です。山道を歩きまわり汗をかいたので、アイスコーヒーでクールダウンします。獣との遭遇があるので、ヘルメット着用で歩いてるから余計に暑いです。
あれやこれや話してると、オーナーさんご夫婦は、姫路の僕と共通の知り合いさんと来月九州ツーリングを計画しているそうです。フェリーで鹿児島・志布志上陸で大分からフェリー帰路のようです。いいな・・・
17時前になったので帰路に着きます。r49〜(高速車が多いr68を回避し)〜r37〜r323〜r33〜r325〜長尾山トンネルを抜け、宝塚出光で給油・272km/10.45L=26.0km/L。12月以来の給油で、2月に12ヶ月点検したので燃費低下です。
倉庫にVTRを戻し、数日前にロング化したリアフェンダーを見ます。見事にリアボックス後ろや下にハネが上がっていません。フェンダーの取り付けも、どこも緩んでおらず及第点です。
通勤リード110に乗り換えホームセンターコーナンで、5ミリのステンレスボルト・ナットワッシャセッを購入しました。「招き猫CB400SB」のリアフェンダー延長ジョイントのビス1ヶ所5ミリにした方が良さそうだったからです。
18:30に帰宅し、夕食を食べ、風呂に入りパジャマに着替えたところで、家内が帰ってきました。夕方に歯医者に寄り、在庫を切らしたバター他食材を買ってきたそうです。我が家は長年マーガリンでしたが、数年前にバターに戻しました。バターが高価なために人造バターであるマーガリンが植物原料で作られ市場を席巻しましたが、近年マーガリンの発がん性物質・トランス脂肪酸(日本では未規制)が問題視され、ヨーロッパ中心にバターへ戻る動きがあります。それを知り、「やっぱり〜」と思いました。脂肪が入ってるのに冷蔵庫で冷やしても固くならないマーガリンに、「家庭でミキサーしたら1日で変色して駄目になるのに、何ヶ月も同じ状態で保存が利く100%ジュースの怪しさ」に似た疑問をずっと持っていました。
「軍師官兵衛」を楽しく見ました。最後紹介されていた竹中半兵衛の居城・美濃垂井菩提山城に行ってみたい病が発病してしまいました。播磨三木城包囲陣中に亡くなった秀吉の軍師・半兵衛のお墓を数度訪問しましたが、今でも地元の方が手入れして守っています。秀吉より若かった半兵衛が早死しなかったら、その後の歴史は違っていただろうと思っています。岡山中世の山城探索ツーリングは断念になりましたが、それなりに有意義な1日になりました。

2014/3/23
日曜日は、同志社ウィークのレースコーチングでした。天気予報は穏やかなので、バイクで行こうか迷いましたが、高速道路用「招き猫CB400SB」のリアフェンダーをロング化してる作業中でナンバーなど外してるので車にしました。ロング化終了した「里山VTR」でも良かったのですが、双眼鏡・300ミリ一眼レフ・カッパ・・・など持ち物が多いので、放り込んだらオシマイの楽ちんな車になびいちゃいました。
6:30に出発し、中国道〜名神で京都東IC〜湖西道路経由で柳ヶ崎YH着です。土日のレースなので、土曜日の成績表を見に行きます。コーチングしてる他の学校のOB君達があちこちにおり、他愛のない挨拶をします。京都府連主催の琵琶湖レガッタ?という高校生のレースも同時開催されており、母校高校ヨット部も参戦しています。次男母校の清風ヨット部も来ており、お世話になった顧問先生など顔見知りと近況情報交換です。次男と同じ高校ヨット部〜同じ大学を卒業したK君が、仕事しながら受験してたけど受からないので学業に専念し医学部に入り直したそうです。僕の兄も大学卒業後に医学部に入り直したけど、あの学部は年齢幅が大きいですね。
8:30出艇ということで、出艇前ミーティングでみんなを鼓舞しました。スタートのことを口にする選手が多かったので、8月末の全日本団体戦予選に向けてはこのレースも練習レースなので、リコールを恐れずスタートを第一線で決められるよう厳しく攻めることを話しました。良い位置からスタートしトップ集団と競わないと、現在の自分のボートスピードがどれぐらいの位置にあるのか分からないからとリコールしてもOKとタガを外してやりました。結局、「リコールしたかも?」ってレース後コーチボートに寄ってきて報告した選手の誰一人リコールしておらず、スタートラインがどこにあるのかより掴めたと思います。
ミーティング後監督さんも来られ、マネージャー達と一緒にコーチボートに乗り込みました。比良山系はまだ白いです。数日前の寒波でまた降ったそうです。2週間前は伊吹山や鈴鹿山系が見えたけど、この日は霞んで見えません。春霞〜黄砂の季節に入り、もう冬の澄んだ空気とはサヨナラのようです。
毎年微風が多いこのレースですが、割合いい風に恵まれ、この日も3レース出来全7レース楽しめました。470級はシングルフィニッシュも数回あり順調ですが、スナイプ級がもうひと踏ん張り必要のようです。
今年は同じYHで練習してる膳所高校ヨット部出身者が浪人1名含め5人も合格したようで、大量獲得して一気に勢いを加速したいぞ。4月は全日曜日新人勧誘試乗会に参加するので、長く楽しめるヨット競技の魅力をまた新入生に熱くおしゃべりしたく思っています。
14時前にハーバーバックし、ブリーフィングして閉会式を待たずに帰路に着きました。湖西道路に上がるとこの桜が満開になっていました。ここの桜はソメイヨシノよりピンク色が濃いので、別の種類です。僕はこの桜の方が好きだな。「桂川PA」でアイスクリーム休憩し、帰宅後まだ陽が高いので、CB400のリアフェンダーロング化作業をゴソゴソしました。陽が落ち始めたので完成には至りませんでしたが、昼休み1回費やすと完成しそうです。
「モヤモヤさま〜ず」は高松でした。「栗林公園」を「くりりん・・・」とサマーズさんが読んでおり、「かわいい読みでいいな」と思いました。そのまま寝入ったら、「8時になったよ」と家内に起こされました。家内の里・播州が舞台の「軍師官兵衛」なので、家内も熱心に見ています。オープニングで荒木村重本妻のだしさんの名がなく少しがっかりでしたが、楽しく見ることが出来ました。

2014/3/16
日曜日は、3人乗りレーシングヨット・ドラゴン級の今シーズン初戦・KYCスプリングレガッタでした。天気予報では昼ごろから8〜10m/sの南西〜西南西の風という予報で、しかもホワイトセイル・クルーザーと同じ防波堤沖海面でのレースなので、波が上がりそうです。ドラゴンはクルーザーと違いデッキが低いので、波を被ります。
いつものようにウグイスの鳴き声をBGMに朝ゴソゴソしていました。晴れで気温も高めなので早朝自転車に出る予定でしたが、腰に痛みがあります。前日午後からイマイチで、一晩寝れば解消かな?と高をくくっていましたが、同じ状態です。ぎっくり腰というわけではなく、歩くのもしんどいという程でもないので、自転車は自重です。
10:30スタートなので、8:30に家を出ます。R171を快調に走り、9時に浜到着。土日の2日間レースなので、上下架桟橋にレース艇はもやわれています。参加艇4艇と少々寂しいですが、土曜日の成績は今シーズンから新規参戦のK大ヨット部監督チーム以外の3艇が接戦のようです。
南からの軽風ですが、吹き上がりを予想し、カッパ上下を着込み完全武装で9:30に出艇しました。尼崎沖の一文字防波堤白灯台を目指し、そこを回りこんで防波堤沿いに回り込みます。風は3m/sほどで、小さなうねりはありますが波も大したことはないです。本部船に1.2マイルという上マークへの距離が掲示されスタート・マニューバリング開始です。
下1ほぼジャストスタートでスタートラインを切りました。土曜日は全然スピードがなかったそうですが、いい感じで下3・I先輩艇とスピード競争です。2艇に挟まれた下2・T先輩艇は、うちの方がスピードアドバンテージがあるので、少しづつ遅れて行き、逃げタックをして右海面に出ていきました。うちの艇は土曜日はコースで1レーストップを取りましたが、ボートスピードはダメだったそうです。土曜日乗っていなかった僕の目にはジブのサギングが大きく見え、バックステイのテンションを上げてチューニング変更してスタートに入りました。これが功を奏したようで、スキッパーS先輩は「ええやん」って喜んでいます。I先輩艇とのスピード勝負もうちの勝ちでI艇はうちの後ろに遅れて行き、逃げタックです。この時点でスターボードレグの半分ぐらい走りましたが、上左右の海面を見ると、左海面の方がブローがありそうで、後続艇をフリーにして左海面のブローに突っ込んでからタックです。
新加入F艇は、スタート直後にタックを返し、遥か遠くの右海面を走っています。大きなブローが入るなら右海面からだから怖いのですが、中央には風がなさそうで、ポートエンド近くまで左に出しました。このままの角度で上マークアプローチできたらウチがトップでしょう。風の強弱・小さなフレに対処しながら、ひたすらポートタックを走ります。F体のはるか前を横切り、次にミートしたT艇の前5艇身を横切ります。最後にスターボに返してきたI艇とは10艇身の差ができていました。
トップで上マークをまわり、スピンランです。僕のポジションは、ジブ・クローズのコース・スピン担当です。1.2マイル先の下マークまでは、僕のスピントリムの腕にかかっています。スピンランでもスピードアドバンテージがウチにあり、下マークで2位・T艇に15艇身ほどの差に広げ、セーフティーリードで回航しました。次の上マークまでのレグは、ブローが右海面の方が強そうです。I艇とかなりの差になったので、右海面をキープしながらT艇を大きく抑えて走るコースにします。T艇もI艇ケアで右についてくるものを予想しましたが、レグ2/3でタックしてウチに勝負して来ました。それを見てセオリー通りウチもタックして上並行で走ります。I艇は当然うちのはるか後ろを切って、そのまま右海面に伸ばして行くので、右からのブローを気にしながらレグ3/4までT艇と並走します。T艇タック。上先行位置でガッチリカバーすると、T艇は逃げて更に左に出ていきそうなので、少し上先行位置でタックしルーズカバーします。
ここから少し風速が上がり始めました。リフトのシフトもありますが、ベアシフトの方が多いです。このポートレグはT艇の方がスピードアドバンテージがあり、徐々に追いつかれます。3艇身リードで上マーク回航しました。僕のスピンラン勝負です。ランニングは後続艇有利の原則そのままに追いつかれ、1.2マイル先のフィニッシュラインでは、30cmの差で負けました。
学生時代のレースなら、当然上下ルールを利用し、ラフィングマッチで勝てる展開でしたが、Tさんは大学ヨット部の先輩でもあるので、うちのスキッパーのS先輩もガチンコ勝負を避け、クリアなスピード勝負で防御し負けてしまいました。フィニッシュ後、「これが俺の処世術や〜」「これで1年間T先輩にかわいがってもらえますよね」って、3人で大笑いです。
5m/sに風が上がるとスピード負けするので、その時のチューニングを再検討しないといけませんね。12:30ですが、ここから風が上がり次のレースは厳しそうです。ホワイトセイルのクルーザーが数艇ハーバーバックしています。「俺も止めや」とS先輩から声が掛かり、本部船に次のレースをリタイヤする旨を伝えに行くと、AP/H旗が上がっています。ハーバーバックの指示です。
ハーバーに戻り船を片付け終わっても、まだ14時前でした。15時にKYC・2Fの元レストランで閉会式です。落ち着いてよく利用してたレストランですが、去年末で退店したそうです。とても残念です。ウチは最終レースの逆転負けで2位でした。ホワイトセイルクラスとドラゴンクラスのプライズギブンに拍手し、帰路に着きました。
まだ明るいので、「里山VTR250」のリアフェンダーをロングにする仕様の続きをゴソゴソしました。倉庫でVTRに乗り換え、自宅前でドリルを使ってゴソゴソ。いい感じに完成しました。ナンバープレートと赤色反射板を外し、ヤマハシグナスのリアフェンダーをノコギリ・ブラインダーで加工したものを、ナンバープレートの2穴&新たに穴あけした1穴を利用し、ボルトオンしました。ガッチリ装着でき、いい感じです。これで雨中走りでも後方への跳ね上げが改善されそうです。「招き猫CB400SB」用に、シグナスリアフェンダーを追加注文したので、同じ要領でボルトオンしましょう。
午前中着付け教室だった家内は帰宅しており、出来上がったVTRを倉庫に戻し夕食を食べてから、仕事の会合で大阪に行く家内を駅まで送りました。帰宅後、「軍師官兵衛」を見て風呂に入ってウトウトしてたら電話が鳴りました。22時頃駅まで戻ってくる予定の家内には早いなと受話器を取ると、義理姉でした。8/24・ホテルオークラ神戸で甥が結婚式を挙げることになり、「予定を空けといて」連絡でした。あれやこれやおしゃべりしウトウトしたところで、家内からのお迎え電話が入り、駅までお迎えに行きました。次週は同志社ウィークのレースコーチングです。

2014/3/9
日曜日は、今年初の大学ヨット部コーチングでした。学生は後期テスト終わり直後の先月末から練習を始めています。僕の今年の船遊びは、先週のレース艇整備から始まりました。4月いっぱいまでは、船関係の日曜日が続きそうです。
朝ゴソゴソしてから、8:45出艇に間に合うよう7時に出発しました。雨の心配はなさそうなのでバイクで行くことも考えましたが、寒の戻り中なので車です。中国道・豊中から名神・京都東まで乗りましたが、バイクは1台も走っていませんでした。湖西道路を皇子山まで短い区間乗りますが、僕を抜いていく車の屋根にスノーボードを積んだ車を3台もいました。湖西は、まだまだ冬のようです。
8時前にハーバー3F駐車場に車を入れ、東方向を見ると太陽がまだ低く、湖面に光の帯を伸ばしています。天気予報は軽風だったので、無風にならないことを願うのみです。トイレに行き、ハーバー事務所で駐車券を2週間後のレース用とともに2枚買い、艇庫前でフィッティング中の学生に「おはよう」と声を掛けます。みんないきいきとしています。
キャプテンと練習内容を話し、みんなの様子を聞きます。オンタイムになったので、天気予報担当からの報告、クラスリーダーからの練習メニュー説明の後、僕がブリーフィングして出艇しました。湖面に出ると、比良山系が真っ白で、それをバックに練習に向かうヨットが、ナイスな絵になっています。午前中はスナイプクラス練習に付き合います。連続タックなどのハード目の基本練習で体を温め、マークを3つ近くに打ってシュートラウンディングの練習です。レースで使う半時計回りと使わない時計回りで、ボートハンドリング練習です。
あまりチマチマ練習ばかりでは飽きるので、ロング帆走練習のホイッスルを吹きながら、マークを少し遠目に打ち替えます。今度はコース・タクティクスも考えながらのマークラウンディング練習です。12時ハーバーバックで練習終了。
合宿所に戻り、昼食です。メニューは三色ご飯でした。コーチボートにも乗っていますが、食事担当女子マネさんが陸上で作ってくれています。内装が新しくなった艇庫は、少しだけ山小屋風になってます。新たに2段ベッドが入ってます。設計は建築科卒のOB担当です。次男もこの改装計画に参加してます。
昼休み30分なので、食べ終わったらすぐにハーバーの艇庫に戻り、午後からの出艇です。午前中気づいたことを、本人達には湖面上でその時伝えていますが、15分ぐらいみんなにしゃべり、全員の共有とします。練習ノートにコーチボート上で気づいた事をメモしますが、上がりでコーチボートに乗っていた1回生に、1つだけ僕が説明したことを書かせていました。その項目を彼に発表させました。「・・・だそうです」と僕が指摘したことが丸わかりでした。「指名するから、まるで自分が気づいたように言え」ってコーチボート上で言ったのに・・・。上回生に「こいつの気づきは凄い」と思わせようとしましたが、作戦失敗です。もっと目立てばいいのに・・・最近の若者は優しいです。
午後は470クラスの練習に付き合います。基本練習で連続タックなどで、琵琶湖水域のトップレーサーに成長したクラスリーダーとの差を確認させます。30分ほどみっちり基本練習したので身体が温めたところで、ロング帆走練習です。1・2回生コンビがあまりに遅いので、時々全体を止めて彼らのボートのチューンナップを指示します。ジブのリーチが開き過ぎなので、次ブリーダー位置を前に移動させると、上り角度が他艇についていけるようになりました。でもまだクルーの乗る位置が他艇に比べ内側なので、ボートにパワーがないのが一目瞭然です。マストプラーをあと3段キツ目に入れさせます。これでラフ寄りに風の力中心を移動させパワーアップです。このチューニングで、まともに走るようになりました。
軽風でいつ風がなくなってもいい状況なので、次の風を見つけるために四方を見渡しながら練習湖面を移動します。雪を被った伊吹山が琵琶湖大橋の東奥に見えています。珍しいなと湖東の南奥に目を移すと、鈴鹿山脈も白く見えています。夏場に伊吹山が琵琶湖南湖から見えることはほとんどなく、澄んでいる冬の空気のもとゆえの光景です。
上下長めにマークを打ち、最後はスナイプクラスも呼んで、全艇でレース練習を数回しました。16時ハーバーバックなので、フィニッシュ後基本練習をしながらハーバーに向かおうと思いましたが、あいにくここで風が落ちてしまいました。レース途中でハーバーバックホイッスルを吹き、練習終了です。
ハーバーに戻り、午後の練習で気づいた事をブリーフィングし、帰路に着きました。名神の新名神への分岐工事が進んでいました。北摂で鋭意進行中の新名神工事ですが、こことくっつけば休日夕方から始まる「宝塚トンネル渋滞」が解消されるでしょう。いつ完成なのかな?
帰宅すると、2Fの電気が点いていました。「おやっ、消し忘れてたかな?」と思ったら、家内が「おかえり〜、夕方帰って2Fでいろいろ考えてたの。御飯作るね」って下りてきました。ヨット用意を自室などに片付けるために2Fに上がると、和ダンスなどから着物や帯がたくさん出されていました。4月の着付け教室卒業謝恩会に着ていく着物を、あれこれ悩んでるんだって・・・。ファッション女子は、悩み事が多いね。
食事しながら、「モヤモヤさま〜ず」「ダーウィンが来た」、そして「軍師官兵衛」を見ておやすみ時間になりました。ああ、楽しかった。

2014/3/2
日曜日は、レース艇・ドラゴンの整備でした。2週間後から始まる今シーズンの月1レースに向けて、昨シーズン終了後倒していたマストを立てます。11時ヨットハーバー集合なので、朝は余裕です。春を告げるウグイスも鳴き出したので、1月・2月とシーズンオフしていた早朝ツーリングを再開しようかと思いましたが、土曜日に雨が降ったので止めにして、散髪をすることにしました。
子供の頃からお世話になってる御用達散髪屋さんが8時開店なので、それまで家でゴソゴソし、朝一のお客さんになりました。さっぱりして9時頃帰宅すると、先週の着物コンサート後最初の着付け教室に行く家内は既に出ていました。いつも世の中が騒がしくなる8時頃になると泣き止んでしまうウグイスが、今朝は下手くそな歌を練習していました。今年は既に上手なのと2羽が、僕の朝を楽しませてくれています。
通勤リード110に乗り倉庫に寄り、車載カメラの角度調整してから浜に向かいました。R171を一気に走り、1時間前の10時にハーバー着。センターハウス内の売店がオープンしてたので寄り道します。一点鐘でヘリーハンセンのチビライジャケに目が留まりました。一番小さなサイズで体重30kg用で、3才ぐらいになれば着れそうです。股下ベルトがないので、自作ですね。8000円。ヘビーウェザー用ウェットスーツ素材ウォームスーツが暖かそうで、冬場のバイクで下に着ると最強かも?なんて・・・。隣のノースショップのマスターK大君が、おんぶ紐で赤ちゃんを抱っこしていました。奥さんが用事のようで、午前中のみ子守りしながらの店番だそうです。「OPおもろいよ〜」って30分以上あ〜だこ〜だ話し込み、前話を聞かせてもらったバルチック・チビライジャケにも目をやりました。こちらは10000円です。ブルーのヘリーハンセンの方がカッコいいな。
11時に迫ってきたので、陸置きヤードに向かいます。KYC桟橋の半分センターハウス正面の船が全て移動しており、桟橋をリニューアルしていました。浮き桟橋が斜めってるところなどあったので、定期修復ですね。うちの係留艇がいる残り半分も新調するのかな?陸置きヤードには、他艇クルーも来ていました。メンバーの集まらない艇もあるので、みんなで力を合わせて4艇のマストを立てます。うちは4名参加でしたが、2名のところもあります。順番にマストを立てていき、3艇目のうちの船で午前中の作業はお終いです。マストを立てた後、ブームなどを取り付け、アレやコレやコントロールロープの取り回しをチェックし、傷んだシートやシュラウドを新品に取り替えます。
ウインチの回りを確かめて、センターハウス1Fで昼食にしました。Dランチ(カキフライタルタルソース・ライス・デザート付き・1380円)を食べながら、先輩のとこの税務監査がどうのこうの、僕の沖縄ツーリングがらみで沖縄米軍基地反対運動がどうのこうの・・・、いつもながらどうでもいい話に花が咲きます。OさんがHさんが持ってる「竹田城址」の新聞記事を取り出しました。あの山の上の駐車場を含む北半分を持ってるようで、先代の時に治水ダムを2つ町に提供し、それの取付道路を私有地に通したりいろいろ町に提供したそうです。戦国時代の豪族の末裔だから、篤志家的な働きを地元に提供する義務があるからなあ。城址に登るのに300円必要になったから、Hさんの実入りも増えそうです。税金の申告を聞きに行く?いや藪蛇になるから、しばらく放おっておく・・・など僕らは人事なので言いたい放題です。
午後は、最後に残った先輩の船のマスト立てです。うんしょうんしょマストを立てたら、「バックステイが付いてないぞ」・・・一旦倒して立て直したら、「あれ〜」ってことで、3度も立て直しました。うちの艇のオーナーとこの艇のオーナーはヨット部同期で、「おまえんとこは準備がなってないな〜」「いや〜うちはいつも適当やからな〜」って言いたい放題笑い合いです。この2人はモントリオールプレオリンピックに、チームを組んで出場した間柄です。プロテスト(ルール違反抗議)を受け、ヨーロッパの何処かのチームと審判に臨み、英語がようわからんかったからYesと答えたら失格になっちゃったという笑い話コンビです。JIBオーナーチームに、1月に姪の中学受験合格祝にJIB甲子園本店に伺ったよと言うと、「僕はいつもあそこでバッグ作ってます。呼んでくれたら良かったのに・・・」って残念がられました。16時に終了し、R171で帰宅しました。家内は歯医者さんにも寄ると言ってたのでまだ早いかと、バイクセブンに寄り道しました。
沖縄ツーリングで相棒になったCB400SFですが、最終日雨の中走ったので、リアに括りつけたバッグにハネが上がっていました。日頃使ってる「里山VTR250」と「招き猫CB400SB」はリアボックスでマシですが、底部と後部が必ず汚れます。通勤リード110は、日常で雨天決行で通勤してるのにハネで汚れることはありません。泥除けなど全くない僕のロードバイク・ジャイアントデフィーは、背中までハネが上がってしまいます。泥除けの大きさ(長さ)の違いによる差でしょう。自分のバイクが汚れるということは、後続の車両にもっと迷惑をかけているのは明白です。
そこで、2台のバイクの泥除けを長くしようかと考えています。ネットで専用のを探しましたが、フェンダーレスキット(泥除けを外す)は出ていますが、長く伸ばすキットは出ていないようです。ホームセンターで部材を買って手作りでもいいですが、既存のスクーター泥除けを加工する方がそれなりのものになりそうです。バイクセブンに間借りしてる「バイク王」さんで在庫スクーターのリアフェンダー形状を見ました。「シグナスX」のが一番長く、効果がありそうです。ふむふむ・・・頭の中で想像を巡らします。
帰宅すると家内が帰っていました。着付け教室から2人がコンテストに参加したようで、2人共旦那も観に行ったので「優しい〜」って皆さんに言われたそうです。「東京の全国大会にもご夫婦でね」と先生に言われたり、「もし参加したらウィークデイだから仕事のある息子たちは無理だろうけど、お嫁さんが孫くんを連れて応援に来そうだね」とか、家内が楽しそうです。時々見てるNHK「路線バスの旅」は見ましたが、風呂に入って「軍師官兵衛」が始まる前に寝てしまいました。おかげで、月曜朝の目覚めは2時、二度寝で4時目覚めという前倒しになっちゃいました。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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