ウェブマスター日記 2014/1-2

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2014/2/23
日曜日は、家内の着物コンテストの追っかけをしました。家内は小さな頃から僕と結婚するまでずっと華道・茶道をやってきた免許持ちです。でも僕と結婚後は、フルタイム労働者の日常&子育てで着物も着なくなっちゃいました。我が家の和ダンスには、娘時代の着物や着道楽だった母親の形見の着物が唸っています。息子たちも巣立ち、いろんな会合に出席する時にそれらの着物を着ようと、昨秋から着付け教室に通いだしました。
その教室で立ち姿が綺麗だから着物コンテストに出たらどうかと勧められました。華道・茶道経験が長いので、姿勢がとてもいいです。僕が家内に会った第一印象が、立ち姿勢・歩き姿勢がとてもいいことと、お肌が透き通り決めが細かいシミ一つない美貌美人でした。そんなこんなで、家内は大学生時代結婚式場の着物モデルもやっていました。結婚式場ロビーの吹き抜け壁一面に家内の大アップ着物姿を見た時は、ビックリしちゃいました。
6時過ぎに家内を駅まで送り帰宅すると、うぐいすの初鳴きを聞きました。我が家周辺は風致地区&建ぺい率がきついので、木が多いです。毎年2月末になるとうぐいすが鳴き始め、これを聞くと出勤前早朝ショートツーリングの季節の幕開けになります。春を感じました。
ササッと朝ごはんをやっつけ、先週の沖縄ツーリングの車載ムービー編集などしてから、10:30になったので「通勤リード110」に乗り、ホンダドリーム尼崎店に向かいます。2月はバイクメンテナンス月間で、バイク3台の法定定期点検をします。先週「里山VTR250」が終わり、「招き猫CB400SB」も点検終了したので迎えに行きます。
『法定12ヶ月点検(メンテナンスパック・ステアリング装置・ブレーキ装置・走行装置・エンジン・動力伝達装置・電気装置・有害ガス等飛散防止装置・法定点検36項目・ホンダ指定点検5項目)工賃9450円+エンジンオイル交換(ウルトラG1SL10W3・3L3621円+工賃1050円+ワッシャードレンプラグ31円)+プラグ交換(NGK・CR8EH9・4本・3148円)+エレメントエアクリーナー3507円+各部締め付け・給油・洗車-調整額(内メンテナンスパック値引き2835円)5696円-預かり金6615円=8696円』でした。
これでまた半年、気持よく乗れます。

次の点検のリードをお店に置き、CBで倉庫まで戻り、代車のPCXで自宅まで戻ります。これから家内の着物コンテスト応援のために、京都に向かいます。電車お出かけスタイルに衣替えし、11:30頃PCXでJR最寄り駅に向かいました。駅で電車を待ってると、乗る方向に対向する「下り線走行中の車両で異音が認められたので、点検しています」のアナウンスが流れてきました。自宅で着替え中に、ニュースで京浜東北線川崎付近で回送車が作業車に衝突して脱線横転したと流れていたので、「こっちもか〜」と思いました。でも10分遅れで動き出し、運行が止まっていた上り線ホームにも電車が入ってきました。
JRで京都駅まで来て、駅前からタクシーに乗り、720円でコンテスト会場の「ハイアットリージェンシー京都ホテル」に、13時頃到着しました。何処にあるか知らなかったのですが、三十三間堂の隣で、京都国立博物館の向かいでした。ロビーに掲示されていた案内板に従って会場の方に歩いて行くと、グッドタイミングで家内がドアを開けて出てきました。
世界大会にまでつながっている着物コンテストで、日本代表を決める東京全国大会への出場権がかかる15地区大会の1つ京都予選です。14時から家内の出場する個人戦ですが、少し前から団体戦が始まりました。アップテンポの音楽をバックに、ここぞ商機とばかりに気合が入ってる着物メーカー社員さんや着付け教室関係者の大声援の中、レッドカーペットに出場者が現れます。司会者女性が軽妙に場を盛り上げ、思い思いの振り付けでファッションショーのように、会場中央先端まで歩き、そこで構えたプロカメラマンに激写されています。
続いて個人戦が始まり、エントリーナンバーを帯に挟んだ出場者が、司会者の紹介に合わせて1人ずつレッドカーペットに登場します。ステージ進行役が、ストップ&ゴーを指示し、お若い方から妙齢のお方まで笑顔を振りまきながら歩いていきます。エントリーナンバー14番の家内が登場しました。右手を前帯に添え左手は左下に伸ばして人差し指も伸ばしてポージングです。家でこんなのやってたな。ニコニコ楽しそうに歩き出し、ステージ中央でクルリと回り、ステージエンドで激写されてお終いです。103名も個人戦に出場していました。
投票集計時間の間は、メーカーさんのファッションショーです。こちらは男性モデルも登場です。大島とか砺波とか、各地のメーカーさんが商魂たくましいです。この間僕は会場正面奥の壁に持たれて写真を撮っていましたが、横に来られた着物姿が似合う男性から声を掛けられました。「京都にお住まいですか?」・・・着物事情にとても詳しくメーカーさんかな?と思っていました。おかげで楽しい時間を過ごせました。
続いて結果発表です。団体戦の結果から発表されます。プレゼンターは先程話しかけて下さった男性でした。家内が通ってる着付け教室&主催社の副社長さんだそうです。続いて個人戦結果発表です。副社長さんがレベルが高いと言われていた京都地区予選を家内は見事突破しました。14番と発表され、嬉しそうにステージに登場し、副社長さんから花束を受け取り、ツーショット写真をプロに撮ってもらっています。東京の全国大会出場権を得ましたが、ウィークデイ開催のようで家内は行かないようです。東京大会でも選ばれたらニューヨークでの世界大会に招待されるそうです。いい記念になったね。大ベテランさんも楽しそうにステージを歩いており、和気あいあいのアニュアルミーティングになっているのかもしれません。着物趣味を同じくする方との交流の場としてハードルが高くなく、着物業界も上手に仕掛けています。
家内は8時から、プロにヘアセット・お化粧をしてもらったそうです。着物は家から着て行ったのですが、先生にダメ出しされ、着つけ直しをしてもらったそうです。素人目には上手に着れてると思うのですが、着付けの腕はまだまだのようです。予選出場は無料のようですが、ヘアセット他は7500円とお高めです。この売上でホテルの会場費をペイしちゃうのでしょう。
東京全国大会出場への説明が少しあり、着物業者ブースをウロウロしてから帰路に着きました。ホテルからタクシーに乗り、15:42JR京都駅到着。810円でした。15:57、JR京都駅ビル・カフェ・デュ・モンドで、鳴門金時蒸しパン200円・バナナクロッカン200円・ミックスサンド380円・セットカフェオレ310円・キャラメルオレS420円・計1510円で小腹を膨らませました。
この日着た家内の着物は亡き母親の形見で、同じく形見のバッグを持ち、「ちょっと親孝行出来たかな?姉に写真送ってね」と頼まれました。着物の似合う家内の横に座り、JRで楽しく会話しながら帰ってきました。僕は最寄り駅からPCXだったけど、家内はバスに乗って帰宅です。
帰宅するとすぐにヘアーセットやつけまつげなどディープなお化粧を普段に直し、天下一品で夕食を食べました。帰宅して僕が撮ったこの日の写真やビデオをあ〜だこ〜だ鑑賞し、「これは姉に送ってOK、これはNG」との指示を受けました。大河ドラマ「軍師官兵衛」を見ましたが、残念ながら荒木村重の正妻だし役の「桐谷美玲」さんの出番はありませんでした。楽しい1日になりました。

2014/2/16
1年間温めていた企画・「寒い大阪から沖縄へ脱出の旅」の日が来ました。1月でも良かったのですが、なんだかんだと仕事の都合がつかず、2/16からの週から3月中旬の週まで大丈夫そうになりました。本当は家内とオープンカーをレンタルして走りたかったのですが、家内の仕事の都合がつかずソロツーリングになりました。
日・月・火の3日間を予定し、10日前天気予報と睨めっこしていました。沖縄の天気予報は、連日肩に傘マークがありましたが、15日から傘マークが消え16日も傘マークがありません。次の日の10日前天気予報で17日にも傘マークがなかったので、GOに決定しました。神戸空港発のLCC・ソラシドエアーの往復チケットを「チケットハウスきっぷきっぷ」というネットショップで32150円で購入しました。
続いてレンタルバイクの手配です。予定してた「ホンダスポーツ池原」さんに連絡したら、希望のVTR250もCB400もないそうです。他にお安いレンタル屋さんがあったのですが、あまり安いのも裏がありそうで敬遠し、東京と北海道でお世話になったレンタル819キズキさんに電話しました。那覇空港店が新千歳空港店同様に、空港からの無料送り迎え付きなので便利なのですが、2/16まで1週間ほどお休みということで、新都心店で借りることになりました。希望のVTR250は、2/16予約が入っており、CB400SFを借りることにしました。
続いてお宿です。2/16は8:30神戸発〜10:30那覇着なのでバイクで走り出しは昼前、2/17は1日走れるので本島ノースピーク往復、2/18の飛行機を最終19時半にしたので、サウスピークを巡るというおおまかな予定なので、恩納村付近が良さそうです。ホテルは愛想なしなので民宿の方がいいので、目星をつけた最初の1軒目に電話すると、空いてる季節のようであっさり2泊確保出来ました。
5時に目が覚めたのでゴソゴソし、上半身は冬用バイク装束・下半身は春秋用のメッシュパンツ&DAIWAつりスーツ下にしました。沖縄の気温を考えれば上もメッシュ&DAIWAなのですが、神戸往復が厳しそうです。車ならいいのですが、3日間も空港に停めておくのが心配で、家内のアドレスV125で行くことにしました。スクーターなので下半身は直接風が当たらないので、上半身だけ冬フル装備としました。
6時に出発です。走りだしたら、荷物を足元に置いてるので足がガニ股になって膝に直接風を受けます。失敗したかも?と思っていましたが、メッシュパンツの下に着たワークマンキルティング保温パンツが温かく凍えることはありませんでした。反対にフロントスクリーンが利いて胸に直接風が当たらないので、上半身の背中が暑く汗をかきそうです。DAIWA釣りスーツの上にどうせ持っていくカッパでも着たら、上もメッシュジャケットでもOKだったかも・・・。
6:10・西宮鞍掛町サンクスで、空港での朝食用におにぎり2個・243円購入し、7時前に神戸空港に着いちゃいました。「海底トンネル」を初体験しようと思っていたのですが、R43からのルートがわからず、ポートライナー沿いの神戸大橋ルートになっちゃいました。
道案内に従って、すんなりと神戸空港駐車場に入り、角の無料駐輪場に停めました。神戸空港はコンパクトなので、非常にわかりやすいです。開港時に家内とポートライナーで来たことがありましたが、神戸空港駅を降りたらいきなり出発ロビーで、チケットを購入したらその奥の保安検査場を抜けたら搭乗待合室です。
駐輪場から道を渡ってターミナルビルに入り、エスカレーターで2Fに上がり、お姉さんにチケット予約Noなどが書かれたメールを見せ、チャチャッとチケットになりました。すぐ荷物を預け、保安検査場に向かいますが、ここでピーピー攻撃を受けました。安全靴の金具がピーピーなのでスリッパに履き替えて再検査です。バイク装束のサスペンダーの金具がピーピー、そしてナニのチャック金具もピーピーです。「失礼致しますが、手で確認してもよろしいですか?」とうら若き乙女さんに言われ、「どうぞどうぞ」と期待しましたが、さすがにナニのチャックは目視のみでした。職務怠慢かも・・・
8:25発・那覇行き・SNA(ソラシドエアー)23便の出発まで1時間以上あります。こんな時のために本を持って来たんだと本を取り出そうとしたら、ヒップバックに入れ忘れており、本は預けた荷物の中でした。仕方なくおにぎりをぱくついて、ウロウロしながら暇をつぶします。ヘルメットが邪魔だけど、忘れそうで難儀でした。
定刻になり乗船案内に促され機内に入り着席します。ソラシドエアー神戸沖縄便の使用機材はボーイング737-800(738)です。コクピットクルー2名・キャビンクルー4名・横2分割6席縦29列総座席数174で最大速度マッハ0.82で飛びます。人生初のLCCのファーストインプレッションは、「座席間隔が狭い」です。座った状態での膝と前の座席の余裕があまりありません。同じLCCのピーチエアーが、ワンフライトを4時間までの距離としているのがわかりました。でもまあ、座席数を増やしてお安いのだからOKです。そしてキャビンアテンダントの美人度もそれなりで、低下したとはいえやはりJALには・・・「贅沢は敵だ!欲しがりません勝つまでは!」で良いでしょう。
離陸がアナウンスされ、エンジン音がいきなり高回転になりテイクオフします。何度乗っても飛行機は気持ちのいい乗り物ではありません。でも飛行機での高所恐怖症気味は最近改善されたようで、17Fという翼の後ろの窓側席からの下界の眺めを楽しめました。四国の中央構造線である徳島河口の吉野川の流れとその北の讃岐との国境になる山脈が一列で綺麗です。剣山は飛行機の真下で見えませんが、雪を被った四国最高峰&西日本最高峰の石鎚山が見えます。あそこを走る尾根林道「瓶ヶ森林道」からの最高の眺めを思い出します。
好きな承平天慶の乱の西日本主人公である藤原純友の海賊本拠地「日振島」が見えるかなと期待したのですが、どうやら「宇和海」の更に南を海に出たようで、眼下に見えるのは「宿毛」付近の島のようです。「日向灘」の陸地から離れた所に航路があるのか期待してた「桜島」も見えませんでした。まあ毎日噴火してるような火山付近は回避するのが当たり前ですね。次に「屋久島」かな?雪を頂いた山頂がある島が視界に入ります。南西諸島に雪の山は違和感ありです。十字滑走路だけが見える小島があります。JALやANAが旅客機パイロット養成してる島かな?写真で見たことがある形の島の幾つかを視界に入れながら飛び、雲で視界が遮られるようになったら沖縄本島に沿う海の上でした。
那覇は沖縄本島の南西に位置しますが、海岸線沖を回るように南からの侵入です。那覇空港は南北滑走路だから、南風が強いと本島西海岸沖を通って南向きに着陸するのかもしれません。ナイスなサンゴ礁を頂いた海岸線を視界に入れながら下降し、10:23・無事着陸しました。最近出世して国内出張が減ったそうですが、長男は年に2回平均で飛行機に乗っていました。お嫁さんもそこで見つけちゃったので、飛行機はありがたいですが、僕はどうも飛行機が苦手です。
預け荷物を受け取り、レンタルバイク屋さんに向かいます。タクシーでも良かったのですが、乗りたかったモノレール「ゆいレール」に乗ります。「ゆい」という名前に惹かれました。那覇空港駅〜おもろまち駅まで290円。羽田駅〜浜松町駅のモノレールみたいに外向き座席があるわけではない普通の電車座席配置でした。最近の日本のメイン観光地同様中国語がよく聞こえます。2駅目ぐらいでお客さんが混んでくると、大きな旅行スーツケースのカップルが席を立ちました。中国人みたいに大きな声ではなく朝鮮語のようです。次の駅で降りるのかな?と思っていたけど降りません。どうやら席を譲ったようです。韓国からの新婚旅行カップルと想像しました。優先座席に座っていたわけではありませんが、かつて日本でも頻繁に見られた光景です。優先座席などなかった小学生の頃、小学校で先生からよく「お年寄りや妊婦さんなどに座席を譲りましょう」と言われました。中高生時代、混んでるのに座ってるとなんとなくかっこ悪いと思え、スッと立ったものです。そんな美徳があった日本なのに、わざわざ優先座席が用意され、おまけに車内アナウンスまでされて、かっこ悪くなったものです。この韓国人カップルは姿形もよく、きっと幸せな将来を送るでしょう。
「おもろまち駅」で下車し、駅前のタクシー乗り場で目的地の「南海部品沖縄店」を告げます。運転手さんがピンとこなかったので、「R58・「てんく」交差点北にあるバイク屋さんです」と言うと、「ああ、「あまく」のバイク屋さんね」と「天久」の正しい読みを教えてくれました。料金670円。南海部品沖縄店さんは全国FCチェーン「レンタル819キズキ」に加入してるようです。
店頭に僕がレンタルするCB400SFが用意されていました。ブラック・レッドツートンカラーなので、2011年スペシャルエディションモデルです。11:40、現状の傷具合の説明を受け諸手続きを済ませます。時間オーバー予定ですが、オーバーはレンタルバック時の精算ということで、署名して2日間レンタル・14535円を払います。「CB400SF・沖縄わ329・損害上限額60万円・2/16・11:50〜返却予定2/18・12:00」。前2回は車両保険も付けましたが、1日2000円で立ちごけなどでレバーを折ったりしたら、営業不能期間保証というのには使えずに実費負担数万円になるとのことで、車両保険は付けませんでした。
リアボックスはなくレンタルできなかったのでリアバッグを着けてくれていましたが、容量が小さいので外してもらい、自前の釣用防水バッグに工具など重たい荷物を入れて、自前ネットでくくります。軽くなったコミネ50L防水バッグを背負って乗ると、いい感じでリアバッグの上に乗り肩に重さを感じなくなりました。タンクバックをセットし、用意してもらったソケットから電源を取ってGPSナビをハンドルにセットしました。ナビも貸してくれるのですが、バイク用は画面が小さいのでおじさん仕様の自前7インチパナソニックゴリラです。ソケットが用意できなかった時用に、バッテリーから配線するソケットを持参しましたが、必要ないですね。続いて車載カメラセットです。二股ソケット&ドライブマン1080も持参していますが、今回はバックアップにします。VTR250メイン車載カメラのCanonA1400をセットします。単3乾電池2本仕様で、バッテリー負担がありません。レンタルバイクなので、バッテリー負担を少しでも減らします。左ハンドルにRAMマウントを持参の工具でセットし、準備万端整い出発です。すでに20℃に迫る気温で暑いので、プロテクターメッシュパンツの下に履いてるキルティング保温パンツを脱ぎ、上半身はセーター・ネルシャツを脱いで下着・丸首シャツ・インナーを外した冬用プロテクタージャケットの出で立ちに変更しました。
GPSを「残念世界遺産」らしい「首里城」にセットします。僕の乗ってるCB400SBと姉妹車なので、エンジンフィーリングも一緒ですから気楽です。12:38・難なく目的地に到着しましたが、裏口だったようでバイク駐輪場がありません。駐車場おじさんに聞くと、小型バイク用はあるけど、トイレを挟んだ先のスペースに置いてとの指示でした。歩道に乗り上げ、植え込みの間のスペースに置きます。前回の20年ほど前の仕事接待沖縄旅行で、観光タクシーで3日間巡りましたが、そのコースから首里城は「見るとこないよ」と外れていました。ざっと巡り、拝観料が要るとこは入りませんでした。
「Can I help me」の女性の声が聞こえたので目をやると、門の正面階段のところに10人弱の方が並び、お父さんがカメラを構えています。なんだかヘルプ呼びかけに、近くの人の反応がないようなので、ははあ・・・にこにこ手を挙げながら近づき、「OK,Shall I take your picture?」「Thank you」「Push onry?」「Yes」って流れでパチリしました。「Where are you come from?」「from China」「Wellcome to Japan. Have a nice day.」って感じでバイバイしました。さすが日本人より一般的に映画が上手な中国人です。綺麗なイントネーションでした。美しい声の女子には弱いです。文法的なことは気にしない、得意の単語羅列のスクールイングリッシュです。過去、Can May Shallの使い方を間違って、反対に僕を写してくれようとされたこともありました。その場合は、ジェスチャーでなんとかなりますね。とにかく知らない言葉でも、万国共通の笑顔があればなんとかなるからなあ。中学生の時、永平寺に家族旅行した時、外人さんと受付で困ってる坊さんに、母親が「この子は英語がわかりますから」って無謀にも連れだされ、なんとか通訳したのが実用英会話の最初でした。その時は「Zazen's office」の場所と受付方法を聞いていました。「follow me」とか言って、案内のお坊さんの後ろについて行きました。
ファスナー全開で走ると涼しいです。CB400SFはフロントスクリーンがないので胸に風が当たり涼しいです。初冬用グローブを持ってきましたが、これが暑く汗をかくので神戸空港での使用を考えて持ってきた毛糸手袋にチェンジしました。北海道のように軍手購入も考えましたが、毛糸手袋で3日間通しました。
次は、今回の旅テーマの中世の城「浦添城址」です。「首里城址」もそうですが、再建築見え見えの観光城址なのでカウントしていません。13:21・浦添城址にも難なく到着しました。2つのお城とも丘陵地にあり、周りが無秩序に開発されたようで、やたらとアップダウンが多い道でした。車の流れはゆっくりで、煽る車もなく安心です。そして気に入ったのが、路肩の広いことです。路肩スペースが取れないところもありましたが、外の白線と段差歩道の間が広く走りやすいです。でも舗装はイマイチかな。信号停車して気づいたのが、アスファルトが滑ることです。
靴底がちょっとスケートみたいにスッと前後できます。沖縄の道路は滑るので運転注意と書かれていましたが、この事だなと思いました。3日間走ってわかったのですが、沖縄の土台はサンゴ礁の島で、城の石垣も脆くて軽そうな穴あき岩です。岩が軽いので運搬が楽なのでしょう、そんあ岩を積み重ねた石垣で囲まれています。それが混ざってるから滑りやすいようです。でもまあ、普通に安全速度で走ってれば問題無いです。一度もタイヤが滑った事もなかったし。
喉が渇いたので、駐車場の自販機で、「バンビタスーバーC・100円」という見たことないようなペットボトルを買いました。冬用ジャケットの手首・袖・胸のファスナーを全開し風を入れて歩き出しました。浦添城は、薩摩島津氏の沖縄侵攻で落とされ、太平洋戦争でも日米の激戦地になったようです。岩盤の上に整形された石を隙間なく積み上げ石垣が組まれています。近年に修理されたことが伺えます。沖縄の民家は、ただコンクリートを四角に組んだけの設計が多く見られ、お洒落とかセンスとかをあまり感じません。この石垣修理を見ても、過去を大切に遺そうという気持ちが薄いように感じました。
すぐ近くの「浦添ようどれ」も見学しました。琉球王朝初期の王墓です。沖縄のお墓は、岩盤が掘りやすいので、横穴を掘ってそこに埋葬したそうです。3日間でたくさん岩盤横穴墓を見ました。一般現代人のお墓も独特で、岩盤横穴墓から発展したと容易に推定できます。供養の方が供物を載せたお盆を持って参っておられました。
次は、米軍最新ヘリコプター配備で脚光を浴びてる「普天間飛行場」です。ヘリコプターの垂直離着陸能力と飛行機の燃費・航続距離向上を狙った最新式で、運用初期から墜落事故が多いことが配備反対に火を付けたようですが、最新機導入初期には運転不慣れと設計段階での予期せぬ不良は付き物で、明らかに休止期ヘリよりは能力向上してるので、多少は目を瞑らないといけないんじゃないかなと思っています。だいたい事故による人名損傷が大きければ、米軍自体が配備拡大を中止するでしょう。
R58を北上しましたが、「ん?近くのはずなのに・・・」、GPSをチェックすると嘉手納基地に間違えてセットしてありUターンし、14:43・「嘉敷高台公園」に到着。太平洋戦争で沖縄本島中部の西海岸に上陸した米軍が南下し、この丘を中心に防衛戦を張った日本軍と衝突したそうです。住民が避難した洞窟・日本軍使用トーチカなどの爪痕が残り、コンクリート塀に弾痕がありました。住民の半数が亡くなった悲惨な戦闘だったようです。展望台があり、普天間飛行場の全容が見渡せます。オスプレイも綺麗に並んで駐機されていました。確かに周辺は建物が立ち並んでいるけど、元は何もなかった丘だったそうで、この街は基地の後から建て込んだそうです。伊丹空港があったところに移り住んできた人が、飛行機騒音がうるさいと「出て行け宣言」してるのに構図が似てますね。基地が撤去されれば、街自体が地番沈下し縮小に向かうのかも・・・。もう撤去方針は変わらないようなので、結果は20年後に現実になるでしょう。
次の目的地・「嘉手納飛行場」に向かいます。R58は広大な嘉手納飛行場脇を通ります。前回来た時は、「延々と飛行場が続くなあ、伊丹空港なんて比じゃない大きさだなあ」と「戦闘機の爆音が凄いなあ」という印象でしたが、今回は日曜日だからか戦闘機爆音は気になりませんでした。
r74に右折し、15:44・「道の駅・かでな」到着。「独立行政法人・駐留軍等労働者労務管理機構・沖縄支部」という施設がありました。原発労働者団体までは追い詰められていませんが、米軍の動向が気になりますね。
次は、「読谷村補助飛行場跡」です。旧陸軍飛行場で、米軍トリイ基地飛行場になったようですが、周辺は農地が広がっていました。トリイ基地は見つかりましたが、結局飛行場跡は見つけられずに次に向かいました。「トリイ基地」とは変な名前だと思ったら、なんと基地正面に朱塗りの鳥居が立っていました。「なんだ〜日本語か〜」とビックリしました。
16:36、「世界遺産・座間味城址」到着。謂れ板によると、15世紀だから室町時代前期に築かれた城で今帰仁城攻略に重要な位置を占め、琉球王朝統一に一役買ったそうです。整形された石積みの城壁で、周囲は芝生が張られ、綺麗だけど本土の中世の山城ファンとしては、哀愁とか「兵どもの夢の跡」が感じられずイマイチ満足感がないなあ。
16時半を回り、大阪では日没が気になる時間帯になりましたが、大阪よりかなり西にあるようで、まだ余裕がありそう。17:05、「残波岬」到着。脆そうな岩盤が海に落ち込み、波の侵食でナイスな海岸岬美です。宿まで10km程しかないので、r6海岸道路を東に進みます。小さな入江の海岸美がナイスです。南の島・リゾートって感じです。シーサーが守ってる家がたくさんあり、今でもシーサー信仰が凄いんだなあと思いました。沖縄独特のお墓が墓地として集まっているのが散見します。本土のそれとは比べようもなく大きく、屋根や庇まで付いて立派です。一家のお墓なんだろうか?一族のそれなのかな?海を見ると、数十メートルか百数十メートル沖にサンゴ礁リーフの境目があるようで、そこで外洋から来る波が崩れ、そこからこっちの波が穏やかです。素敵な海です。「真栄田岬」はパスしました。
18:07、2泊するお宿・「民宿山内荘」さんに到着です。まだ十分に明るいです。住所は、国頭郡恩納村字仲泊83です。看板がなく不安でしたが、ネットで見た外観そっくりな3F建てがあったので、「ごめんください」と一般家庭の玄関を入るとビンゴでした。「楽天からの予約ですか?」って年配のご主人が予約帳をめくっていますが、僕の予約が入っていないようです。「えっ、僕が電話した宿とここを間違えたのかな?」。でも、「部屋はあるから」ってことで、宿帳に記入し、2泊・6000円払って部屋に上がります。3Fの一番奥です。一旦玄関を出て外階段から上がりマンションの一室に入る感じの構造になっています。
内装は、大きめワンルームマンションそのもので、玄関・下駄箱、メインルームが8畳たたみ、バス・トイレは独立しておりホテルの感覚では広いです。流し・ガステーブルコンロ・台所スペースが4畳・洗濯機・冷蔵庫・電子レンジ・トースター・鍋食器完備で料理もできます。テーブル・椅子・本棚も板の間スペースにあり、長期滞在OKです。ベランダには物干し竿などの設備があります。ベランダの眼前にはビーチが広がり、気の合うダイバー数人でシェアすると、友達の家感覚で夏シーズンの快適生活が出来そうです。精算は前払いで外階段なので、最終日出発時に部屋のキーを1F母屋の新聞ポストに入れてお終いという簡単システムです。オーナーさんとの談話室会話を楽しみにしていましたが、これはこれでOKです。
荷物を片付け、夕食は、オーナーさんから教えてもらったおすすめのお店に向かいます。バイクで2分ほどの距離にある「海鮮料理店・島」というお店です。座敷席もある10テーブルほどのお店ですが、7割方席は埋まっています。「うな重・もずく・味噌汁付き・1500円」を注文しました。香の物もついて適当な量で美味いです。18:12、本日最初のまともな食事にありつけました。
宿に戻り、家内に宿到着電話をしました。宿の住所・電話番号と2泊する旨の事務連絡です。「楽しい?そう良かったねえ」って声を聞くと、なんだか安心できます。家内がお気に入りの「モヤモヤさま〜ず」で次男が住んでる町を巡ってるというので、家内と共有しようとチャンネルを回しましたが、沖縄ではやってないみたいです。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を見終わり、電気を消しました。

2/17 17行
4時台に目が覚めました。21時に寝たので、7時間睡眠したのでこれで十分ですがはまだ暗いです。二度寝・三度寝して、6:46やっと朝って感じです。やはり大阪よりだいぶ西にあるから、夜明けも遅いです。綺麗な声の鳥に起こされました。3Fベランダの目の前がビーチで、夏はたくさんの海水浴客で混みそうです。海底の色の違いが分かり、綺麗な水と岩場海底に熱帯魚が戯れていそうです。お天気は薄曇りで雨の心配はなさそうで、天気予報の晴れを期待しましょう。セーターなどの使いそうもない荷物を部屋に置き、2日目出発です。
R58を北上します。道は良く、車も少ないのでマイペースの50km/hでスムーズに進みます。僕は50km/hほどで走るのが最も気持ちが良いです。前回20年前に泊まった「サンマリーナホテル」横を通過しました。ホテル横の海岸で泳ぎましたが、色とりどりの熱帯魚がそこかしこにおりナイスでした。7:47、「万座毛」到着。
駐車場を囲むようにおみやげ屋が並び、開店準備をしています。まだ車が少ないです。本土では見られない独特の植物と、断崖絶壁の岬の大胆美、海に垂直に落ち込む崖から覗き込んだ海は水が澄みナイスです。前回来た時は、怖くて覗き込めなかったのに、手すりがあるとはいえ平気です。2年間家内に付き合ってもらって吊り橋巡りした高所恐怖症気味克服キャンペーンの成果が、確実に出ているようです。那覇市内のお城関係では少なかった白人の観光客の割合が増えました。白人カップルや、日本人奥さんとお子さんの家族連れとかがいて休日を楽しんでいます。
ここらから、「やっぱり家内を強引に誘えば良かったかなあ〜」って気持ちが持ち上がってきました。結婚以来、連休で2人で休めるのは盆と正月のみで、結婚後最初のお盆には長男がお腹にいたので、2人だけでの旅は学生時代家内の親に内緒で行ったスキーのみです。最近の盆正月は、4人の両親も全て他界し、子どもたちの帰省先になるので家を空けられません。盆正月以外に、3日ぐらい仕事をサボって夫婦旅をしても罰が当たらないんじゃないかな〜。万座毛の北の入江を挟んだ対岸の岬に「ANAインターコンチネンタルホテル」が見えます。ホテルのプライベートビーチと思われる砂浜も見えます。海はまだ冷たいかもしれませんが、砂浜に寝そべるぐらいなら寒くありません。方向音痴の家内は仕事以外で1人で旅行などしないので、僕がアッシー君として連れ出さないと知った大阪や神戸にしか行きません。来年はちょっと作戦を考え根回ししてみよう。僕の両親は、僕ら家族が隣に住んだこともあり、50代前半で引退しよく旅行に行ってました。癌で余命3ヶ月宣言を受けた親父なんか、もうすぐ終わりだからと毎月のように海外旅行に行ってましたが、ズルズル82才まで行きちゃって、お袋も途中で親父に付き合い海外旅行も飽きちゃってました。僕ら夫婦はまだまだ現役なのであそこまで出来ませんが、少しは・・・ね。黒い雨に濡れても平気そうなシーサー1対・1500円を、屋敷祠の狛犬の代わりにしようと購入しました。「今日最初のお客さんだから」って、ミニシーサーをおまけしてくれました。これはバイクに載せちゃおうかな?
R58を快調に北上し、8:28・「テラスホテル・ブセナ」到着。R58から曲がったら、料金所みたいなのがあって守衛さんが立ってたので、「ホテル専用ですか?」って聞いたら、「いいえ、無料です、どうぞ」と言われたので安心して入りました。海中公園とかがあるようですが、海岸を見て先に進みます。ホテル送迎車が停まってる横にCBを停めたら、送迎車は全部BMWとメルセデスでした。
R58を北上し、名護市街地に入りました。「名護城址」の案内板が目に留まり、右折しましたが、それ以降の案内板がなく、道なりに走っていると、道路ど真ん中に大きなガジュマルの木が立っていました。激写しようと止まると、国指定天然記念物らしく「200年・九州沖縄サミット」でここで挨拶してる森首相の写真がでかく看板になっていました。
R449に入り、9:31・「瀬底大橋」到着。エメラルドブルーの海が綺麗ですが、天気は晴れて気持ちが良いけど風が強いので、「瀬底大橋」を渡るのは止めました。9:45、「沖縄海洋博公園」到着。ここは、中学生になって初めてお盆の家族旅行「沖縄海洋博」に参加しなかった時の会場です。何度も母親に誘われましたが、クラブ優先しました。「あれだけ誘われたのに悪かったかなあ」って、ちょっと心残りしていました。これで天国の母親に、ちょっと返せるかも?です。
入場料が高かったら止めとこと思い正面ゲートを見ると、「入場無料」の看板が目に入りちょっと入ってみます。花人形でタコやヤドカリが作られています。皆さんの流れに沿って歩いて行くと、土産物屋があり「シーサー君ぬいぐるみ」が目に留まりました。帰路に購入することにして、沖縄の一番人気「美ら海水族館」の入場料を見に行きます。まだ10時なので1時間ぐらい寄り道してもOKな気分になってます。正面の海にはトンガリ山が中央にある「伊江島」が見えています。サンゴ環礁内のエメラルドブルーがとても綺麗です。
そんな景色に魅せられて気持ちが大きくなってしまい大枚1800円という入場料をつい払ってしまいました。ヒトデなどを触るコーナーから始まります。熱帯魚の水槽が続き、中小型魚の大きめ水槽で自由にお魚さんが泳いでいます。サンゴの解説コーナー、でかいエビ水槽の次が、ジンベイザメが泳ぐ大水槽です。ジンベイさんが3頭悠然と泳いでいます。他にサメやエイがカッコイイです。ここはいくら見てても飽きないなあ。上方・中程・下からと色んな角度から見れ、日曜日でも夏休みでもないからお客さんが多くなく、のんびり見ていられます。椅子に座っていいな〜いいな〜としていました。次がサメの水槽で、洗練されたプロポーションがナイスです。ダイオウイカ・高足ガニ・深海魚・メガマウスの剥製もいました。鯨の骨格はデカイな。というとこで、お終いです。
一旦外に出て、流れに沿って次の建物に入るとマナティーがいました。水槽の底を歩いています。水面に浮いたキャベツを手で挟んで食べています。マナティーはしっぽが丸く、ジュゴンはイルカのようにしっぽが割れてるのが見分け方だって。次の建物はウミガメ水槽でした。マナティー水槽からずっと女子大生風乙女グループと一緒で、明るい会話とくったくのない笑顔、そしてホットパンツやミニスカートが眩しくて、とても良い気持ちになりました。まさか激写は出来ませんね。
これで終わりかな?と出口の方に歩き出すと、「只今からイルカショーが始まりま〜す」のお姉さんの呼び込みがあり、ついその流れに乗ってしまいました。11:00開演の部だって。いつの間にか既に1時間経過です。上手に調教されたイルカたちの曲芸を大いに楽しみました。「オキちゃん劇場」という数頭のイルカショーですが、主役のミナミバンドウイルカのオキちゃんは、30年前の海洋博で初演してる大ベテランで、まだ初代が頭を張ってるそうです。30年経ても体型を維持し大ジャンプを披露する姿に、これこそ「オジサンの星」だろうと我が身を振り返って励みにしました。11:22、「海洋博公園ショップやんばるの杜」で「シーサー君S赤・1365円」を購入し、また里山VTR250のタンデム相手が増えました。
楽しかったけど思いの外時間を食ってしまい先を急ぎます。11:37、本部半島の先っぽ・「備瀬岬」到着。「フクギ並木」というのがあります。民家を囲む防風林のようですが、石積みや石塀に囲まれたシーサーが屋根の乗った家は、如何にも沖縄って感じです。映画やドラマのロケに使われていそうです。
r114〜R505〜r115を経て、11:57・「世界遺産・今帰仁城址」到着。入場料・400円。初夏の日差しが本格的になり、かなり暑いです。ここも石積みの城壁が芝生の高台に立っています。琉球王国統一以前、本当は北・中・南の3つに分かれて統治されており、北部当地の本拠地がここだったそうです。今まで観てきた城の中で、一番でかいと思いました。
次の目的地は、「嵐山展望台」ですが、見上げる高さにあり、風が強いのでキャンセルしました。R505に戻り、r248〜r110〜r247で、12:57・「古宇利大橋」到着。ここを渡るのを楽しみに来ましたが、強風でここも断念しました。橋の袂の駐車場にバイクを停め、外観を激写しましたが、太陽に日差しに海の青さが増しナイスです。沖縄を走って感じたのですが、車いす用駐車スペースが多く、車いすトイレ完備のところが多いです。
r125〜r110を経て、南北の大動脈・R158に出て北上開始です。12時に本当最北部の岬を予定していたのですが、大幅に遅れています。ペットボトルをちょこちょこ飲んでいたのですが底を尽き、13:15・ファミリーマート名護真喜屋店で「TEAS'ベリーティー・125円」を補給です。13:28、「JAおきなわ・くがにSS」で給油・8.93L・1268円。13:43、「歓迎・日本ハムファイターズ」の幟が上がってる球場があったので寄り道。グラウンド整備車だけが動いていました。観客ゼロだったので、おやすみの日かサブグラウンドかもしれません。
本島最北端・「辺戸岬」が近づくと、異様な断崖がそびえていました。目的地の展望絶景地「茅打ちバンタ」のようですが、強風のためキャンセル。あそこまで上がる道中が怖い。14:25、「辺戸岬」到着。ここも海に落ち込む断崖景勝地で、東シナ海からの波が砕けています。バイクに戻ろうとすると、でかいヤンバルクイナが丘の上に立って、東シナ海を見つめています。これが、「ヤンバルクイナ展望台」のようです。
ここから帰路です。東海岸を南下します。R58からr70に入り、一気に交通量がなくなります。「ツーリングマップル(TM)九州・沖縄」には、「ヤンバルクイナ飛び出し注意」なんて書いてありますが、ニワトリの飛び出しに遭遇するのも稀なので、「真っ昼間に、ありえんやろう〜」とツッコミを入れながら、カラスに反応しちゃう悲しい性です。
14:55、高倉健風の映画手書き看板が立ってるとこで休憩しました。砂浜に出ると、いい感じに岩があり、水平線まで続くブルーの海と良い絵になります。TMに「亀甲墓や赤煉瓦屋根の民家が立ち並ぶ」と紹介されてる「安波集落」に寄り道予定でしたが、アプローチ道が細くて急勾配だったので断念しました。高度をグングン上げ峠を越えて降りだした頃、「ヤンバルの森に米軍は要らない」などの横断幕がたくさんひるがえる闘争掘っ建て小屋が現れました。「何だ何だ?」とスピードを緩めると、数人が西の山を見つめています。米軍基地があるようです。こんな何もないとこなら軍事訓練してもいいと思うんだけど・・・米軍が完全撤退したら、お隣の国が乗っ取りに来るよ。友軍が駐留までして日本を守ってくれてるのに・・・。お隣の国は、第2次世界大戦終戦のドサクサに紛れて、チベットやウイグルを併呑しちゃって、今盛んに民族粛清して中華民族を送り込んでるじゃない。僕が沖縄人なら、あんな国より日本国に属してる方を選ぶけど。この人達はホンマに沖縄土着の人達なのだろうか?
車載カメラの電池切れやメモリー切れのタイミングでチョコチョコ休憩を入れながら南下し、道なりにR331になり、16:25・「東村ふれあいヒルギ林」到着。走ってても「おっ」と眼を見張るマングローブ林です。枝分かれした根?茎?がそれとわかります。
突き当りを左折し、R329に乗り、17:11・「辺野古」到着。普天間基地を辺野古沖に新設する基地に移動するという国の流れに抗する地元の反対運動を感じに来ました。僕の住んでる伊丹市も「陸上自衛隊・中部方面総監部司令部」があり、しかも基地が我が家の目の前です。小学生の時、家の前を自動小銃を肩に担いだ隊員が二列縦隊で歩いていたし、近所の公園では無線交信訓練をしていました。クラスメイトにもたくさん隊員のお子さんがいて、まさに基地の街でした。そんな共存の町に、時々「安保反対」とか「自衛隊出て行け」の幟を掲げた団体さんがやってきて、正門前でシュプレヒコールを上げていました。地元民は誰も反対していないのに、TVでそれが放映され、まるで伊丹市全体が自衛隊反対一色のように報道されました。でも自衛隊という軍隊が無くなったら、イザって時に簡単に占領され、奴隷に落とされます。国を失った民族の将来は苦難が待っています。ユダヤ人がイスラエルにこだわるのは、苦難の歴史故でしょう。日本が太古から国を保ってきたのは、海での隔たりと当時世界一の大国だった元に対しても、属領になることを由とせず、先祖が果敢に戦ったからです。昔は人海戦術で竹槍だって立派な武器でしたが、今やミサイルで地平線の向こうから狙われる時代です。最新兵器とその熟練兵を持っていないと、国なんて保てません。話し合いで解決なんて絵空事で、小学生だって大人だって最初は口喧嘩だったものが、取っ組み合いの喧嘩に発展します。相手がバットを振り回してるのに、こっちがヘルメットもなしじゃ勝ち目なしです。目の前で何度も見た自衛隊反対運動に、子供心にめちゃ違和感があったので、辺野古の現実を感じに来ました。
辺野古の集落の何処にも、「反対」の看板も幟も立っていません。海水浴場に設置された闘争テントにそれがあり、基地との境界の砂浜の鉄条網にあるのみです。直接最も大きな影響を受ける横の漁港のどの船にも反対はなく、漁協の建物にもありません。だいたい、キャンプ・シュワブという大きな基地が既にあり、現状米軍と共存しています。僕の地元でも地元民との融和を図るイベントが毎年開催されているから、ここも同様でしょう。この基地の需要で生計を立てている方も多いと思います。キャンプ・シュワブ沖に基地が広がり、隊員が増えるだけです。
これは地元住民の民意が反対ではないなと感じました。「伊丹空港反対撤去」を掲げてゴネ得して周辺全民家に防音工事を獲得した伊丹市などの周辺自治体のそれに似ています。「じゃあ、伊丹空港を廃港にしますわ」と国の態度が変わったら、いっぺんに「空港存続周辺自治体協議会」に衣替えした伊丹市に似てます。
キャンプ・シュワブ沖を一望できる高台展望公園に、水飲み水道が設置されていました。沖縄には我が家周辺から消えてしまったこの施設を、よく見かけました。いいよねこれ。道徳心のない馬鹿者がこれを壊すから、自治体が撤去してしまいます。地域の道徳心のバロメーターでもあるような気がします。今回の旅の1つのテーマでもあった米軍基地の地元の本音を感じることができました。
R329をぐんぐん南下し、「石川」でr73にチェンジし、西海岸の恩納村に戻りました。18:45、前日と同じ「海鮮料理・島」さんで、「島定食・もずく味噌汁付・1500円」を注文しました。鯛のようなお魚1尾丸ごと煮付け+刺し身がメインで、昨日も感じましたが、とてもお安いです。
昨日も感じましたが、本日も感じたのが、街中地元一般車両の速度がゆっくりです。その分、余裕があまりないのに横道から出てくる車が多いです。その割に路線バスが速いです。バス停で停まってる路線バスを抜いたら、後で追い掛け回されたことが数度ありました。CB400のことですが、レンタル車両のノーマルレバーが遠いです。僕はブレーキもクラッチもパワレバーに交換して近くしていますが、手が小さめだと思う僕には、ちょいと辛いです。それと、バイクピース反応率が非常に低いです。対向バイクからのペコリは2〜3ありましたが、手上げ反応はゼロでした。ツーリングバイクが少ないということもありますが、きっと夏の沖縄オンシーズンとは随分違っているのでしょう。家内に宿に戻った報告電話して、21時頃寝ました。

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前夜は雨音がしてたような気がしたなと思いながら目が覚めました。まだ4時です。これでも7時間睡眠してるし、いつもこれぐらいなので気になりませんが、真っ暗なので二度寝します。また雨音がするなと目を覚ますと6時。玄関を出ると道が濡れています。でもほぼ止んでます。昨夜、NEXUS7で調べた3時間ごと天気予報では3時だけが雨で、15時は晴れだったので降っても回復傾向と思っていました。またNEXUS7を立ち上げて天気予報を見ると、6時も雨予報です。でも9時は曇りなのでノープロブレムですね。
できるだけ遅めとゆっくり帰り支度して、7:15頃宿を出ました。神戸で着替えるものをコミネ防水ショルダーバッグに入れて、工具などその他を預け用釣り防水バッグに入れてリアシートにネット留めします。r73〜r8で、7:50・最初の目的地・「安慶名城址」に到着しました。途中小雨が落ちてきて、車載カメラを収納したりしましたが、降ったり止んだりで空模様を見上げると、もう少しこれが続きそうなので、ここで1時間ほど雨宿りすることにしました。宿の海岸線よりは道が濡れています。いい塩梅に屋根のある東屋があります。合羽を着るほどの雨脚ではありませんが、走行ムービーが撮れないのが痛いので、のんびり本を読みます。太平洋戦争の犠牲者名が書かれた鎮魂の碑が立ち、城址前には闘牛場のような円形コロシアムがあります。この城址は、あまり手入れされておらず気が生い茂り、石垣も崩れ気味で修復の手がイマイチで往年の姿を残している感じがします。僕はこういう中世の山城の方が好みです。
雨が止んで20分ほど更にゆっくりし、雲の切れ間から青空が見えてきてから出発しました。r8〜r37で海岸線を、「伊計島」に向けて走ります。9:22、「海中道路ロードパーク」の途中で激写休憩。更に走り、9:28・「道の駅あやはし」というのがあったので、朝食をとるために休憩しました。この道の駅は、本線から外れてから延々駐車場で、かなり走ってから道の駅建屋に着きました。端っこに停めたら、自転車が必要です。
「海の駅あやはし館」で、パイナップルジュース・150円+とろろ焼き完熟パパイヤあんサンド・367円を購入し、外のベンチで朝食にしました。「とろろ焼き」はかなり美味かったです。曇り空ですが、どんどん天気が回復していきそうで、もう雨の心配はなさそうです。しかもここの路面は、随分前に雨が上がった様子です。
さあ行こう。本線に戻ったところで、「あっ、忘れた〜」、座ってたベンチにショルダーバッグを忘れました。バイクを停めて徒歩で戻り再びバイクに戻って発進。「平安座島」に渡り、浜比嘉大橋を渡って「浜比嘉島」に渡ります。10:10、「シルミチュー」到着。沖縄のメイン以外の観光地は観光案内板設置が少ない感じなので空振りに終わるかと思いましたが、ややこしい道で適当に走ったらビンゴでした。ナイスな小さなビーチがあり、夏ならこういう小さな島の入江ビーチが良さそうです。バイクから200mほど、亜熱帯ジャングルの道を歩き、最後は階段を登って到着。ここは「子宝に恵まれる」という沖縄の神様を祀った霊場ということなので、お賽銭をはずんでおきました。一家・一族の繁栄は如何に継続的に子宝に恵まれるかです。長い血の歴史からすればほんの一瞬ですが、現役当主になっちゃったので、最大の関心事です。
10:37、浜比嘉大橋付け根に戻り、r10を更に先に進み、赤い橋を渡って一番端っこの島・「伊計島」に入りました。この島の海岸は「浜比嘉島」以上にナイスで、白い砂浜・青く澄んだ穏やかな海・すぐそこにあるキノコ型の岩礁はマッチし、プライベートビーチ感覚に浸れる浜がたくさんあります。
橋でつながってる離島を堪能し、r10で本島に戻り、GPS案内に従ってr16に入って、11:45・「世界遺産・勝連城址」到着。沖縄最古の城だそうです。トイレの壁に「うるま市限定・一度は食べてねランキング」が張ってあり、「No1とろろ焼き・2うるまの埋蔵金・3みほそ饅頭・4阿麻和利伝説・5塩トマト」となっていました。僕は道の駅でNo1を食べたということですね。ここも芝生&石積み石垣の組み合わせだったので、外観のみで次に向かいます。
r16〜r85〜R329で南下します。12:29・「中城城址」到着。ここも同様だったので外観のみ。R329〜r77に入り、13:08・「JAおきなわ大里北部SS」で給油・10.63L・1584円。ガソリンメーターが半分を差したら早めの給油です。〜r86で、TMに「南部の大パノラマルート」と紹介されてる「ニライ橋・カナイ橋」走りました。丘陵地から眼前に海が広がり「お〜」となる中を、高架道路が下ります。途中U字カーブがあり、気持ちが高揚する道でした。13:29、R331との交差点で激写。干潮時なのか干潟が広がっています。
R331を左折し、TM「沖縄で一番の聖地」という「斎場御嶽」に到着。係の方に誘導され「道の駅・南城」にバイクを停め、500mほど歩きます。火曜日ということもあるのでしょうが、どこの駐車場でもバイクは僕だけです。「斎場御嶽」拝観料は200円でした。ここの沖に見える「久高島」に、琉球始祖が降り立ったということで、歴代王朝はここからの神事を欠かさなかったそうです。亜熱帯ジャングルの石敷き小道を歩いて行くと、神事に使う祭壇があります。岩も穴ぼこだらけの沖縄で見慣れた岩盤で、霊場という雰囲気を漂っています。ここもカメラ撮影OKのようでした。室内保管の国宝の仏像なんかはフラッシュによる影響などで撮影禁止が当たり前ですが、神社のご神体とか、寺院のご本尊とか、霊場と名が付けば写真撮影出来るかどうか気になりますが、今回の沖縄では、撮影禁止の看板は目にしませんでした。多分OKなのでしょう。
帰りの飛行機が那覇19:30なので、レンタルバイク屋さんには17:30には戻らないといけません。余裕を持って16:00を観光タイムリミットにしています。最後の訪問地を、ちょっと期待してる本島最南端・「喜屋武岬」近くの海岸城・「具志川城址」としてるので、GPSをここにセットし、途中観光案内板を見ながら適当に寄り道することにします。R331を海岸線に沿って西に走り出すと、「玉城城址・糸数城址」の案内板が目につき、14:33・「玉城城址」到着。ここは駐車場からの比高がかなりあり、絶景が期待されましたが脚力温存のためパス。城へのルートが丸見えで、途中で休憩してる先達グループを見て諦めました。
「糸数城址」案内板に従いバイクで登って行きますが、「多分ここだな」って高所を見上げただけで、バイクを降りずにパス。R331に戻り、これも海岸城址らしい「具志頭城址」の看板を探しましたが、見つからず具志頭を通過しました。「平和記念公園」「健児の塔」「ひめゆりの塔」など太平洋戦争関係のメジャー観光施設が次々に現れ観光バスも増えましたが、観光タクシーで前回訪問したので全てパスしました。
GPS案内に従い、15:27・「具志川城址」到着。謂れ板を読むと、「久米島の具志川城主が城を落とされ、ここに逃げてきて同じ名の城を築いた・・・」となっていました。この城の位置を探す時、「具志川城」で検索すると久米島のお城がヒットするのはこういうわけだったのですね。この城は丘陵地でもなんでもありません。ただ海岸段丘の海に面した端っこに石積みして築かれていました。目の前に広がる東シナ海の水平線の雄大さに抱かれた朽ちていく城という感じで、かなり気に入りました。石積みを積み直し修理をしていますが、あまり手が入っていないとこがいいです。井戸が残っていました。海岸すぐそばで、丘からの勾配もないので、真水が出るのだろうか?僕同様、如何にも中世の城ファンという年配の男性数人が地図や資料を見ながら各所を見ていました。ふふ・・・ご同輩。ここの沖を那覇空港に降りる旅客機が右旋回して行くので、飛行機の音が定期的に聞こえます。そういえば今回は、米軍戦闘機の爆音をあまり聞かなかったです。あれはかなり低空をアクロバティックに旋回したりするので大迫力でしたが、今回は遠目で飛んでるのを見ただけです。米軍基地バッシングにより、米軍も気を使ってパイロットに自由な操縦を制限してるのかもしれません。
これで沖縄本島3日間サイトシーイングツーリングの終了です。相棒のCBを激写してあげました。最終目的地の「南海部品沖縄店」をGPSナビにセットすると、距離20kmしかありません。r3〜R331で北上開始です。残り10kmを切り、16:21・「那覇市具志・ESSO小禄バイパスSS」で最後の給油です。2.38L・370円。ここまで3日間で486km走ったので、燃費22.2km/Lでした。
〜R58に乗り換え、無事レンタルバイク屋さん到着。あれこれ外して、16:48・南海部品沖縄店で最終精算しました。2日間・48時間レンタル料金だけ払っていたので、5時間延長で1500円×5=7500円だけど、48時間以降1日延長料金が6300円なので、安い方の6300円を追加支払いしました。南海部品〜那覇空港まで、ゆいレールは面倒だったのでタクシー1580円を利用しました。
ANA券売機でチケットに交換し、重い工具などが入ったバッグを預け、身軽になって本日最初のまともな食事を食べましょう。ツーリング中たくさん見た「沖縄そば」の看板が気になりましたが、ここでは目につかなかったので、「那覇空港新旅客ターミナル4F・信州そば処・そじ坊」というお店で、「カツ丼定食(カツ丼・ざるそば)・920円」を食べました。18:08精算して出るもまだ余裕の時間です。18:17・「タイラ空港店」で、「琉球ブッセ5個入り2点・1560円」をお土産にしました。
早めに保安検査場に入りましたが、往路同様、安全靴のバックル・サスペンダー・メッシュパンツのナニのファスナーに反応ありです。今度は男性係官だったので、「ズボンのチャックです」としっかり告げました。無事で良かった。搭乗ロビーで、まず家内に電話し帰宅時間が10:30を回ることを伝え、本を読んで時間をつぶしました。その時ふと・・・「あ〜、車載カメラをセットするためハンドルに付けたRAMマウント回収を忘れた〜」と気が付きました。明日にでも南海部品に電話して、着払いで郵送してもらうことにしましょう。あの時、なんか忘れてる感があり、もう一度点検したんだけどな・・・。
定刻10分遅れで、19:35・SNA30便(ANA共同運行)沖縄那覇〜神戸21:20に乗りました。座席は通路側だったし、外は暗いので読書灯を点け読書タイムです。「う〜む、復路もテンションが上がるアテンダントさんじゃないなあ〜」なんて。神戸空港に着いて、預け荷物受け取り所で、ネックウォーマーやセーターなどを着こみ帰路に備えます。荷物を受け取り、家内アドレスV125に乗り帰ります。今度は初「海底トンネル」体験も出来、R43〜R171でバイクを倉庫に戻しました。アドレスV125はリード110より体格が小さいので、50km/hを越えると安定感がイマイチです。家内と2台で走る時見通しのいい道では50km/h目標でしたが、ちょっとフラフラするので40km/hが良さそうです。
帰宅すると、家内はいつものようにもう寝ていましたが、電灯が点き風呂が沸いており、ありがたい我が家です。日常に戻りました。風呂あがりにいつものようにヨーグルト500gを食べながらTV見て寝ました。旅行中も睡眠不足はありませんでしたが、いろんなお疲れと安心感で8時前に家内に起こされるまで熟睡してました。

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費用
2/16
神戸〜沖縄往復ソラシドエアー32150円
おにぎり2個243円
ゆいレール那覇空港〜おもろまち290円
タクシーおもろまち〜南海部品670円
レンタルバイクキズキ那覇新都心店・CB400SF・2日間・14535円
浦添城址自販機バンビタスーバーC100円
民宿内山荘2泊6000円
島夕食うな重1500円

2/17
万座毛黒陶器シーサー1500円
美ら海水族館1800円
海洋博公園シーサーぬいぐるみ1365円
世界遺産・今帰仁城址400円
ファミリーマート名護真喜屋店TEAS'ベリーティー125円
JAおきなわくがにSS8.93L・1268円
島定食1500円

2/18
海の駅あやはし館・パイナップルジュース150円+とろろ焼き完熟パパイヤあんサンド367円
JAおきなわ大里北部SS・10.63L・1584円
斎場御嶽200円
那覇市具志・ESSO小禄バイパスSS・2.38L・370円
南海部品沖縄店・6300円
南海部品〜那覇空港 三和交通タクシー1580円
那覇空港・カツ丼定食920円
琉球ブッセ5個入り2点・1560円

ソラシドエアー往復32150円
島内交通費 ゆいレール290円+タクシー670円+1580円=2540円
レンタルバイク14535円+6300円
ガソリン(1268円+1584円+370円=)3222円 486km/(8.93L+10.63L+2.38L=21.94L)=22.2km/L
宿泊 6000円
食費 2/16おにぎり248円+ペットボトルジュース100円+夕食うな重1500円=1848円 2/17ペットボトルジュース125円+夕食定食1500円=1625円 2/18ペットボトル150円+あんサンド367円+カツ丼920円=1437円 計4910円
観光 美ら海水族館1800円+今帰仁城址400円+斎場御嶽200円=2400円
お土産 陶器シーサー1500円+ぬいぐるみシーサー1365円+ブッセ1560円=4425円
総計 ソラシドエアー32150円+島内交通費2540円+レンタルバイク20835円+ガソリン3222円+宿泊6000円+食費4910円+観光2400円+お土産4425円=76482円

2014/2/9
家内が仕事で大阪に出るので、1日フリーです。当然バイクでどこかに・・・をしたいところですが、前日朝の積雪で内陸部の路面が心配です。来週は沖縄ツーリングなので、その用意もしなくては・・・。忘れ物リストを作り、持ち物チェックなどしていると、家内を送る時間になりました。朝食を食べ着替えをして8:30に外に出ると、冠雪した六甲山がクリアに見えました。北の空は曇っており、時雨雲が時々流れる天気になりそうです。
家内を駅まで送り、帰宅後朝風呂でゆっくり本読みです。この時期のお風呂での読書は極楽です。吉川英治・「新・平家物語」全16巻を大人買いして、現在3巻目です。既に「保元・平治の乱」が終わり、父・源義朝が討たれ、長兄の猛将・悪源太義平が行方不明になり、三男・頼朝が平清盛の温情により伊豆へ流されたところです。後に兵力が多かったにも関わらず、平氏は源氏に負け続けて滅びますが、兵器より兵士個人の力により勝敗が決することが多かった時代なので、伊勢・西国中心の兵では、関東武士団の源氏には敵わなかったように思います。「保元の乱」で力を合わせた平清盛と源義朝ですが、「平治の乱」では敵味方にわかれます。まともに対戦したら義朝の勝ち戦だったものを、公家の力が落ちたとはいえまだ上位だった能なし公家に従ったばかりに勝機を逸した義朝の描き方が合点の行く形で描かれ、ストレスなく読めています。平家の滅びの原因は、元々平将門の時代に関八州を抑えていた平家が、八幡太郎源義家の活躍で関八州支配権を失ったのが遠因だと思います。やはり強敵の蝦夷地と隣接に、常に戦争をしていた関八州兵は強いです。
湯上がりのヨーグルトを食べながらNHKを見ていたら、ソチオリンピックのフィギュアスケート団体女子の演技録画をしていました。ロシアのジュニアから上がったばかりのヨーロッパチャンピオン少女の演技に見入ってしまいました。アメリカやイタリアの選手より軽々とジャンプし、ビールマン筆頭にスピンの速さが段です。演技終了後スタンディングオベーションが起き、花束がリンクにたくさん放り込まれました。ロシア地元開催ということを差し引いても、オーディエンスの反応が納得の素晴らしい演技でした。その後に浅田真央さんが滑り、アナウンサーや解説者はいいように話していましたが、素人目にも遠く及ばないなと見えました。韓国が団体戦にエントリーしておらず、キムヨナさんの演技が見れませんでしたが、女子シングルスはロシア少女で決まりじゃないでしょうか。浅田真央さんが年齢が低すぎてオリンピックにエントリーできなかった2回前のオリンピックの時のダントツの素晴らしさに似ています。あの時浅田さんがエントリーできていれば、浅田さん金・荒川さん銀メダルだったでしょう。バックに流れる音楽はクラシックの名曲が多いですが、「あまちゃんのテーマソング」で振り付けをする破天荒な選手が出て欲しいな〜なんて思いました。あの局は世界中の人誰でも心躍るんじゃないかと思うし、フィギュアスケートに革命を起こすんじゃないかと思うんだけど・・・。
倉庫に行って、来週のツーリングに乗っていくものの用意をしていたら、バッテリー交換後の慣らしツーリングに出ようかな?と、自宅に「招き猫CB400SB」で戻りました。さくっとバイク装束に着替えて出発です。いつもなら長尾山トンネルを抜けて北摂里山地帯に入るのですが、前日の雪&多分昨夜も降っていただろうことを想像し、標高の高いとこを避けてr13〜r12・旧道で「道の駅・いながわ」までのんびり走りました。気温は10℃に満たないと思いますが、冬用バイク装束は優秀で全く寒くはありません。道の駅のガードマンさんから、「寒いでしょう」と声を掛けられたので、それに合わせて答えておきましたが、背中はじんわり汗をかいているかもです。
路上はもちろん雪が残っていませんでしたが、路肩も大したことなかったので、往路パスしたr33〜長尾山トンネルの定番ルートで帰ることにしました。r68に入ると銀山北側のルートは、路肩に雪がかなり残っていました。それから溶けた水が路面を覆い、「凍結してたら大変」と30km/hほどでの走行になりました。r33への交差点のとこで、「もうちょっと走ろうかな」という気になり、r68を三田に向けて走りました。
銀山北のr68の積雪が最も多く、r68は雪止め水が渡ってるとこもありましたが平気でした。R176で変える予定でしたが、「もうちょっと走ろうかな」と「志手原」からr49に乗って北上しました。路面が怪しくなったら引き返そうと思っていましたが、12:35「バイカーズカフェ虎亀」さんに到着し、ピラフセットを食べました。ちょうどオーナーさんのお父さんもおられ、そのお友達の方とご近所話をしました。前回は12月に家内と車で訪問しましたが、バイクがいっぱいで永沢寺まで上がりましたが、今回は前日来の雪のこともあり上には上がりませんでした。食べてる間、チェーン音を響かせながらバスが1往復しましたが、永澤寺まで路線バスが上がっていると初めて知りました。
r49〜r68〜r33〜r325〜長尾山トンネルで倉庫に戻り、来週の用意を積んで帰宅しました。風呂に入り、適当な時間になったので家内の作ってくれたロールキャベツを平らげ、遅めの昼寝をしました。階下の音で目を覚ますと18時を回っており、家内が帰ったようです。「言うの忘れていたけど、大河ドラマ・軍師官兵衛は19:15からだよ。今日は「だし」が出るから見たいでしょ」だって。「だし」さんは、信長に謀反し、官兵衛を地元伊丹・有岡城に幽閉した摂津守・荒木村重の正室です。この1年余りの幽閉の間に官兵衛は足を悪くし、嫡男は死の危機に落ちたのでヒール役だけど、配役がとてもいいです。「だし」さんなんて、僕の大好きな桐谷美玲さんです。家内も僕の桐谷さん好きを知ってるので、時間変更を教えてくれました。着物がよく似合い、「やっぱり美人やなあ〜」とごきげんで番組を見ました。
本編終わりに、西脇・黒田庄の「黒田家山城」や「兵主神社」が紹介されました。北近江とともに、黒田家発祥の地の伝説が残る場所で、数年前に官兵衛の足跡探しで巡ったとこです。「今度、連れて行くよ」と家内に約束しました。
番組が終わると、東京都知事選挙の報道番組になりました。オリンピックで放映時間が早くなったと思っていたら、都知事選挙の影響だったようです。20時の投票終了と同時に、予想通り舛添さんの当選確実が流れ、すごい世の中になりました。共産党推薦の宇都宮さんが2位とは意外でした。もうご老体なので当選はないなと思いましたが2位細川さん、3位田母神さんだと予想していました。

2014/2/2
日曜日は、久しぶりに奈良観光をしました。家内の着付け教室は、発表会の練習ということで、参加者だけの夜のレッスンだけでした。あと歯医者さんに15時から行くということだったので、予報の雨でも平気な奈良観光することにしました。でも午後から晴れ予報なので、降っても少しでしょう。
日曜はいつものように夜明け前に目を覚まし、自室でゴソゴソしてから6時頃階下に降り支度を始めました。食事して着替えをしながらNHKを見てると、「京都千枚漬け」をやってたので、「奈良漬け」が代表だけどもう少し味の薄い漬物でも買って帰ろうかな〜という気になりました。
7時頃家を出発し、中国道・豊中IC〜近畿道〜第二阪奈道で奈良市内入りしました。周りに何もないちょっと残念な「平城宮跡」横を通過し、奈良公園に差し掛かると鹿さんが散歩してて、「あ〜奈良に来たな」って感じになりました。東大寺の駐車場に入れて、春日大社〜興福寺〜東大寺の順に回る予定だったので、それらの中央付近にある東大寺の道標を探します。
東大寺は、奈良のメインストリートR369を東に直進でした。Pの案内板に従って東大寺前駐車場に車を入れます。「奈良県観光自動車駐車場・1000円」の領収書を受け取り、春日大社への道順を聞きました。「奈良公園周辺マップ・エリアガイド」を下さり、地図に書かれている道を指さしながら、東大寺〜二月堂〜春日大社の道が良い散策路だよって教えてくれました。「東大寺は8時からだから開いてるよ」・・・8:10でした。
予定変更し、教えてもらった道を行くことにしました。駐車場から東大寺への道は鹿さん団体に占拠されています。北摂の里山でなら一目散に逃げていきますが、藤原氏の氏宮・「春日大社」で鹿は神の使いということで保護されてるから、逃げる様子などない。「ちょっと、すいません」という感じで中央突破させて頂き、東大寺正面に出ました。写真を撮ろうとカメラを出していると、真横に鹿さんが顔を出して、鹿せんべいをねだっている目をします。本日1枚目の写真は、鹿さんのアップとなりました。
先週の「石清水八幡宮」と違い、山門正面に大仏殿がまっすぐ見えています。山門のでかい仁王像を見上げて大仏殿に向かって歩き始めると、朝のお勤め帰りなのか、お坊さんが「ようお参り下さいました」と頭を下げてすれ違いました。お坊さんには僕も頭を下げますが、やはりこういう会話があった方が気持ちが良いです。
正面左に回り、拝観料500円×2=1000円を払い久しぶりの大仏殿です。昨年僕に用事がある日曜日に、「奈良の東大寺・春日大社に行ってきたら」との提案に乗り、家内は1人で来ましたが、「こんなに空いてなかった〜」って。僕もこんなに空いてる大仏さんは初めてで、早起きは三文の得、世界最大の木造建築・大仏殿の大きさをより感じることが出来ました。
僕の脳内知識では、創建当初は幅80mオーバーで、戦国時代に筒井順慶との南都支配攻防戦で松永久秀に焼き討ちされ消失したのを再建した現・江戸時代物は、巨木木材不足で50m台に小さくなりました。寺社好きなので、いろいろ見ていますが、どの建物もみなきらびやかではないものの落ち着いており、なんかかっこえます。純日本建築の美というものでしょうか。
奈良の大仏・盧遮那仏さんは堂々と座っておられ、「撮影禁止」は書かれていないので激写。家内は只々見上げています。僕は、地元伊丹にも溜池他数々の土木の足跡を残し、常に市井にあり一般庶民の生活向上のために生涯を捧げた僧・行基さんが、聖武天皇の命で作り上げた盧遮那仏への思いを想像しました。脳内知識では疫病平易が目的だったけど、天皇の後ろ盾資金を得て、身の回りの生きていくための諸事に振り回されバラバラになりがちな庶民の心を1つにできるシンボルを造ろうとしたのかな?・・・なんて。大勢の地元の人の力を結集する「溜池作り」と合い通じるものがあるように感じます。
お釈迦様が悟りを開いて温和なお顔になった如来像、修行中の菩薩像も好きですが、如来様が化身して必死の形相で武器など持って人々を救おうとしている姿・明王像の方がもっと好きです。更に好きなのが天部像で、上杉謙信が自らをその化身と称した「毘沙門天」です。盧遮那仏の脇侍として、広目天と多聞天がおられました。めちゃカッコイイ。多聞天は別名・毘沙門天です。日本全国にいろんな姿の毘沙門天像がありますが、僕の好きなタイプの像でした。売店でこのレプリカは幾らぐらいするのかな?と覗いたのですが、陳列されていませんでした。現在僕が持ってるのは、北条政子の父・北条時政が建立した伊豆・願成就寺の国宝・毘沙門天像のレプリカモデルです。いつか「願成就寺」に本物を観に行きたいと思っています。
売店で、「ご集印帳袋・1000円」を買いました。本来の目的では、単なる巾着袋として使おうと思っています。巾着袋好きなのでいろいろ持っていますが、京都では1000円ショップに3袋で綺麗なのが売っていますが、落ち着いたこのデザインもいいです。「柱穴くぐり」はお客さんがまばらなのでくぐり放題でしたが、「こんなに穴が小さかったっけ?」という感じだったので、途中で詰まったらかっこ悪いのでパスしました。前回の東大寺訪問は、息子たちがちびだった時だったように思いますが、年齢が違うと見え方が大きく違う自分に驚きました。
駐車場おじさんお勧めの道順に沿って、次は「二月堂」です。「手向山神社」というのにも惹かれましたが、まずは二月堂です。緩やかな坂道と石段を上がり、9:01「鐘楼」到着。ここ数年は眠くて見れていない「ゆく年くる年」で中継される東大寺の大鐘でしょう。衝けないように紐は除かれ、撞木は固定されていますが、大鐘の下まで入れます。柱を見ると、鐘楼(鎌倉時代)も梵鐘(奈良時代)も国宝指定されており、まさか創建当初の梵鐘が現役だったとは知りませんでした。鐘の下から、数々の戦火をくぐり抜け、太平洋戦争での金属供出強制時にも守りぬかれたんだなあと見上げ、誰もいなかったので、贅沢な時間を過ごせました。
9:09、「二月堂」到着。家内は前回来なかったそうです。僕も初めての「二月堂」のような気がします。春を告げる「お水取り」の炎が上がる松明が縁を走る映像が蘇ります。隣の僧坊の庭に、元松明?が転がっていました。「修二会」のお水を取る「閼伽井屋」もありました。司馬遼太郎・「街道をゆく」で知った「天皇家」・出雲大社世襲宮司さん「千家家」と並んで古い血筋である東大寺在家宗徒の「堀池家」のことを思い出しました。天平時代の修二会発祥以来ずっと世襲で関わってきた事務方の家です。「きっと堀池さんは、今年のお水取りにも関わるんだろうな」なんてことを家内と話しながら二月堂を巡りました。そんなに登った感じはありませんでしたが、霞んでいるけど奈良盆地を見下ろすいい眺めでした。ここではお賽銭の代わりにお線香にお金を使い、それを挿していい香りに包まれました。翌日・2/3の節分行事の案内が書かれていました。家内は、「今日だったら良かったのにね」と言っていましたが、僕は「今日でなくて良かった」でした。だって、人が多くなったらのんびり散策できないものねえ。東大寺最古の建物・「国宝・3月堂」があったので見学しようと思いましたが、拝観料が要るようでパスしました。
主だった辻に案内板が立ち各寺社への道順がわかりやすいです。それに従い「他向山神社」に寄ります。ここは「対い鳩」紋のようで、灯籠に刻まれたり書かれた紙が貼られたりしています。ここは八幡神社で、東大寺の守り神として宇佐八幡宮から勧請されたそうです。神事の時毎に生馬奉納されたようで、その名残でお守りやお土産には馬関係物が多かった。
案内板に沿って、観光客がほとんどいない山沿いの道を「春日大社」を目指します。「奈良人形一刀彫」の看板を掲げるお店が3軒並んであったので覗きます。ここでの散財はパス。9:51、「若草山」の下の道に来ました。山焼き跡で上の方が真っ黒です。あと1ヶ月もすれば若葉が芽吹いて緑の山に戻るのかな?旅館のワンボックスがやってきて、中国語が飛び交い鹿さんと記念写真を撮っておられました。いいね。
道は若草山を下って、沢を越えて「春日大社」に入りました。この沢を鹿さん集団が渡河中で、小さな橋の上からそれを見てると、大自然な感じもしないではありません。珍しく角の生えてる鹿もおり、角切を数年逃れて来た山育ちの野生を感じました。
「春日大社摂社・水谷神社」から境内に侵入です。鹿さんワンサカの「水谷道」石畳をゆるやかに登ると珍しい「一言主神社」がありました。これまた「司馬遼太郎・街道をゆく」で知った神武東征以前から大和に住んでいた葛城氏の神ですが、春日大社の摂社になっていたとは知らなかった。いつか本宮も訪問したいな。
10:08、「春日大社・本宮」到着。灯籠がやたらに多いです。ここも家内は初めてということです。方向音痴の家内は、1人での行動範囲が狭くちょこっと周っただけですぐ帰ってきます。僕がアッシー君してあげないと、ダメですね。家内が立派な藤棚に気づきました。藤原氏の紋は、「下がり藤」だよって教えてあげたら、「だからなんだ〜」って大発見したように喜んでいます。こういう素直な仕草に、僕はやられちゃいます。さすが「大化の改新」のクーデターから長く栄華を誇った藤原氏の氏宮、洗練された横の広がりを持った本殿周辺でした。
どうやら僕らは、春日大社正面参道からの観光客の流れに逆走しているようで、ここに来て観光客が増えました。絵馬を見ていると、ハート型の絵馬がいくつか下がっており、ラブラブカップルやお相手探しの女子ペアのお願いが書かれています。案内板を見ると、その絵馬の出処であろう摂社を見つけたので、そちらに向かいます。
途中に「若宮神社」があり、千木が長くカッコよく、檜皮葺によく似合っています。ほんま神社はカッコイイわ。10:23、「春日夫婦大国社」到着。「水占い・初穂料300円」と書かれており、その前に石造りの水槽があります。「これ、なんだろう?」と家内に言うと、「これねえ、おみくじを水に浮かべると文字が浮かび上がるのよ」と詳しいです。名前から察し夫婦の縁を末永く結んでくれそうなので、本殿に入り拝所で大枚100円のお賽銭を奮発し手を合わせ終わると、横の売店のおばちゃんが、「出雲大社より大国主命ご夫婦を迎えて作られたお宮です。夫婦だけではなく、あらゆる縁を結ぶ有りがたい神様です」と、「日本唯一・夫婦大国社」と書かれたパンフレットをくれました。家庭は夫婦から始まり、子孫繁栄も夫婦仲が全ての基です。御札を買おうと、「これを下さい」と1000円のを指名すると、おばちゃんが「ご自宅に神棚がありますか?」って聞くので、「あればこちらをお勧めします」と示された800円のが木札でした。木札があるのを見落としていました。当然木札にします。これも家屋内神棚ではなく、屋敷祠の方にいれておこう。
ここから「興福寺」目指して、表参道を参拝のお客さんに逆らって逆行します。ふと前を見ると、僕らの前に「夫婦大国社」で手を合わせていた女性が歩いていました。お年は30過ぎの落ち着いた美人さんです。お参りしてた哀愁を帯びた横顔から、「実らなかった縁を諦め、次の縁へのステップにこのお宮だけを目当てに来られたのでは・・・?」なんて勝手に想像してました。僕はどうも美女に弱右手に明治風の素敵な建築の「奈良国立博物館・仏教美術資料研究センター」がありました。「一の鳥居」をくぐると、R169との交差点に「菊水楼」という古風な観光旅館がありました。表門にのれんが下がり、楠木正成と同じ「菊水紋」が染め抜かれています。「菊の紋は天皇家の紋でしょ。楠木正成は、鎌倉幕府打倒と「建武の新政」の功労で、後醍醐天皇からこの菊の紋の使用を賜ったんだよ〜」なんて、歴史好きにしか興味のない事を話します。
「猿沢の池」が下に見えるところが、「興福寺」の裏の入口でした。11:08、「南円堂」を激写。「まだ工事中だわ」、去年家内はここを訪問したようで、去年同様「中金堂」は再建工事中でした。五重塔を見てから、「興福寺東金堂・国宝館共通券・800円」を購入し、「東金堂」に入ります。栄華を誇った藤原氏の菩提寺なので、金堂が3つもあったようです。世界の海を制した大英帝国博物館のように、お宝ザクザクだったでしょうね。薬師如来を中央に、お決まりの日光&月光菩薩が左右に出張っています。国宝の四天王像や十二神将像が、薄暗い中で存在感たっぷりです。
続いて、「国宝館」に入ります。興福寺では代名詞になった「阿修羅像」がありました。これは奈良時代に作られたもののようですが、保存状態が素晴らしく良いです。平安時代の十二神将像や、鎌倉時代の千手観音像などあっちもこっちも国宝です。大事に大事に手入れされ続けてきたのが伺われます。
12時を回ったので、東大寺駐車場に戻りましょう。ブラブラ歩いていたら、店先に20人ぐらいの行列ができています。「釜飯し・志津香」だって・・・「お食事だから回転良くないから、長く待つでしょうね」って、僕同様並んでまで食べようとは思わない家内です。
もう少し歩くと、「東大寺門前・夢風ひろば」という飲食店街があり、12:23、「奈良みやげ・ならや・東大寺店・大和風料理」さんに入りました。永楽昼膳(特選)1280円・家内は特選釜飯980円を食べました。テーブルは2Fにあり、東大寺の向こうに若草山が見え、ナイスな眺めでした。家内が、「山焼きの時は、ここから見えるね」だって。13:07、東大寺門前の土産物屋・「大和逸品松雲堂」さんで、青とピンクのかわいいガラス製の招き猫・525円×2を買いました。これは、招き猫・CB400SBに着けよう。
奈良市街地〜第二名阪〜阪神高速・東大阪線〜環状線〜空港線・加島IC経由で、歯医者予約時間1時間ほど前の14時に阪急塚口駅前で家内を下ろしました。晴れて気温も上がりナイスな奈良散策になりました。家内はコート無しで降りて行きました。
次の家内の用事は、19〜21時大阪で着物着付けショー出演レッスンですが、「天気もいいし、どっか行ってき」と、送るアッシー君は免除になりました。22時頃に駅まで迎えに行くまでフリーです。当然バイクですよね。一目散に帰宅し、速攻でバイク装束に着替え、倉庫からCB400SBを引っ張りだし、エンジンONして通電しながら車載カメラの設定をゴソゴソいじくっていました。さて準備万端と思ってイグニッションを・・・あれ失敗・・・あれ失敗・・・3回目でセルが回る音がなくなりジージー言うだけになりました。「あちゃ〜、前回1/5に乗ってから1ヶ月経ってるのだから、最初にエンジンを掛けたら良かった〜。バッテリー上がっちゃったよ〜」。新車から2年だから、今月の定期点検でバッテリー交換しようと思ってた矢先です。去年は、1ヶ月半放っておいても平気だったから、弱ってきてますね。「ホンダドリーム尼崎店」に電話したら、メンテナンス担当が電話を取りました。向こうも僕の声で分かったようで、「一度上げたら満充電して点検した方がいいですよ」のアドバイスで、CBでのお出かけは諦め、17時過ぎの引き取りをお願いしました。
12/7・池田早朝ツーリング以来乗ってない家内の「アドレスV125」を引っ張り出し、イグニッションON・・・こちらは一発始動でした。まだ新品バッテリーから10ヶ月だものね。「夫婦でトレッキング」の下見に向かいます。阪急山本駅から「長尾山トンネル」手前まで上がり、適当に中山桜台住宅地最高所を目指しました。
高所住宅地は区画が広く、大きな家ばかりです。標高400m近くあるので眺めは最高だけど、車がないと生活できないなと思いながら・・・でも週末の別荘として使っているだろうと思われる生活感のない一流建築士が設計した建築雑誌に出てきそうな家もあり、見てるだけでなかなか楽しいです。最高所が車両通行止めになっており、でもその先も舗装してあるので、電波塔とかがあるなと予測し、歩いて上がってみることにしました。1〜2分上がると、この時期なのに小鳥がたくさんさえずり、もう山の中の雰囲気です。舗装路の終点に宝塚市の水道施設がありました。そして予想通り、そこから踏みならされた山道が上がっており、更に上がります。
16:30、フェンスを伴う他の山道に突き当たりました。簡易標高時計で測ってみると、標高は450mほどのようです。場所的に「中山縦走コース」に間違いなさそうです。「阪急中山寺駅」から上がるより、かなり苦しい登りを省略できます。中山縦走して、万願寺〜最明寺滝〜阪急山本駅コースが頭に浮かびました。バイクピックアップはバスで上がってくるか、バイクは駅に置いといて最初からバスで住宅地最高所まで上がるかです。帰りの山道は、小鳥を見かけたら時々止まりじっとしました。コゲラのようで、小さな音ですがしきりに小枝をドラミングしています。NHK「ダーウィンが来た」の知識ですが、コツコツ叩いてびっくりして出てくる虫を食べたりするそうです。だから、次々に小さく飛んで別の枝を突くのだとか。
アドレスも充電できたし、いいルートが見つかりルンルン気分で倉庫に戻り、17:20・ローソンでポンジュース・158円を買い、飲みながらCBのピックアップを待ちます。店長さんが来られて、イグニッションON・・・一発点火しました。「あっ、復活してますね。バッテリー寿命は2〜3年だから、充電すれば夏までは問題なく乗れると思いますが、それ以降は怪しくなるでしょうね、どうします?」「いくらですか?」「2万円ぐらい」「今月2年目なので、そろそろ交換を考えていたから、交換して下さい」。
電話で在庫を初期充電してもらい、CBは荷台に僕は助手席に乗りお店まで移動しました。沖縄レンタルバイク・ツーリングで乗るかもしれないので、CB400のバッテリーへのエントリー方法を見ていました。フムフムと見ていたら、「あ〜、お財布忘れた〜免許証もその中だし・・・」ってことが判明しました。倉庫に置いてきちゃいました。「何時まで営業してますか?お財布忘れたから、バッテリー交換後すぐに取りに行ってきます」「19時までだから、明日でいいですよ。まあ誰もいなくなるのはもう少し後ですけど・・・」。免許不携帯でお財布を取りに戻り、19:15頃精算しました。GSユアサ・YTZ10S19100円+工賃1050円=20150円。
倉庫にCBを戻し、帰宅して家内が用意してくれてた夕食を食べながら、大河ドラマ「軍師官兵衛」を見て風呂に入り、21:30頃に家内に呼び出しを受け駅までお迎えに上がり、いろいろあった1日が終わりました。ああ、楽しかった。

2014/1/26
日曜日は、京都お参りツーリングに出ました。当初は、「11時集合・原付二種・伏見稲荷大社グループツーリング」参加に申し込んでいたのですが、降水確率40%ということでツーリングがキャンセルになりました。土日の天気図を見ると、土曜夜から日曜朝にかけて、日本海から太平洋に抜ける低気圧に伴う寒冷前線が近畿地方を通過するようで、それに伴う雨のようです。でも日曜9時の天気図では、寒冷前線も太平洋に抜けており、夜中の前線通過時に降るだろう雨での降水確率アップのようで、朝には上がり以降1ミリ以上の雨は降りそうにありません。
よってソロで、「石清水八幡宮」〜「伏見稲荷大社」〜「家内と待ち合わせ伏見探索」を決行することにして寝ました。1日の降水確率というのは、24時間以内に1ミリ以上の雨が1度でも降る確率なので、0〜6時・18時〜24時というツーリングに関係ない12時間にいくら降っても関係ありません。
日曜日はいつものように夜明け前に目覚めましたが、予想通り雨音は聞こえません。ムフフ、予想通り。ソロツーリングになったので時間に縛られることがなくなり、9:30に家内を乗せて駅まで送りました。家で着物を着て「きもの教室」に通う日ですので、雨に濡れた道路を歩いてハネなど上がるとかわいそうなので、アッシー君をします。またまた見たことない柄の着物が登場し、目の保養をさせてもらいました。もちろん激写も。小学生時代から結婚するまで続けていた茶道・華道時代のたくさんの着物を嫁入り道具として持参したものと、着物の着道楽だった義理母の遺産で、着物は唸っています。着てあげないとね。
早めに昼食を食べ、倉庫から「里山VTR250・姫路城千姫ぬいぐるみタンデムバージョン」を出しました。12/29以来のエンジン始動ですが、チョークを引っ張ると一発始動しました。10:20出発し、中国道・池田ICから高速で、名神・大山崎IC下車しました。前回何処に大山崎IC出口があるのかわからずミスりました。その後「JH西日本」に電話し、「京滋バイパス」方面に入ることを教えてもらいました。ここのJCTはややこしいです。ぐるぐる回って分岐が多いので、しっかり道標を見なくちゃミスりそうです。
R478で「桂川」を渡り、r13で「宇治川」「木津川」を渡ると、男山です。「京阪・八幡駅」からケーブルで上がれますが、男山の西の駐車場から上がれる「表参道」で八幡様に上がります。ゆっくり走ってると、「たこ焼き・いっちゃん」というバイク乗りさんが集まるお店を発見しました。こんなトコにあったんだ。駐車場は舗装なしなので横にバイクを停め、係員さんにバイク置き場を聞きます。ここは四輪専用のようで、木陰とか四輪区分されてないとこだったらどこでも無料だそうです。指示されたバス専用駐車場に入る路上に広がってるスペースに置いて、11:03登山開始です。
まず「ニノ鳥居」をくぐります。緩やかな勾配の階段坂を登ります。急勾配の沢を邸内に引き込んだ風流なお宅があります。辻辻に道標がしっかり設置されており、迷うことはないですね。「石清水社」「松花堂跡」経由の道で上がります。もう一方は「青峯殿」経由で同じ本殿に上がります。11:14、「松花堂跡」到着。謂れ板によると、松花堂さんは江戸時代の真言宗の学僧で、ここに庵を結び暮らしていましたが、明治の廃仏喜捨により撤去されたそうです。
11:16、「石清水社」到着。「八幡太郎・源義家」は、ここの清水を産湯として使ったので、八幡太郎という通名がつきました。今回の訪問の一番の目的はココです。清和源氏から別れた河内源氏大躍進の源氏の代名詞です。平安時代、朝廷に従わなかった蝦夷地(東北地方)平定の命を受け、東北を平らげ京都朝廷の勢力範囲を広げました。その縁で、陸奥・出羽・下野という東北・関東北部の律令国守に任ぜられ、河内源氏の関東武士団形成の基礎を築きました。鎌倉幕府も室町幕府も強兵の関東源氏武士団が全国を席巻して作り上げた武士政権で、関東武士が全国各地に土地を得て、地頭として支配する構図になりました。井戸の中にお賽銭がたくさん見えます。鬼瓦には八幡社の巴紋が・・・。
ここまでは急勾配をつづら折れで上る道で、木々の間から見える木津川などを見ると、男山が昔は木津川に洗われていたのが想像できます。河岸段丘が想像され、大河の数多の氾濫にも堪えた地盤はしっかりしてそうです。「石清水社」を過ぎるとすぐに、裏参道との交差点がありました。下からの登り口同様にバリケードクローズされており、土砂崩れ復旧中なのかな?帰路を「裏参道」と思ってたけど、宛が外れました。
11:26、「男山ケーブル山上駅」への分岐を経て「展望台」到着。西に淀川対岸の「天王山」が見え、「桂川」「宇治川」「木津川」三川の合流、その北に西山・京都市街地、北東の「伏見」「宇治」まで一望です。数々の京都攻防戦の最重要拠点に何度もなった男山で戦士たちが見ていた景色を見ながら、特に「戊辰戦争」緒戦の「鳥羽伏見の戦い」の舞台になった眼下の地を楽しみました。
「NPO法人・八幡たけくらぶ」という施設がありました。館内には竹細工の品々が並べられていました。この山には「孟宗竹」の竹林があり、エジソンが発明した電球のフィラメントの材料にもここの竹が使われました。大昔、エジソンの伝記で読みました。こういう竹文化は、末永く残って欲しいな。
11:37、「石清水八幡宮・本殿」到着。白装束の神官や巫女さんが目につきます。破魔矢を授かり「厄除け参り」する列にも、祈祷昇殿口にもお参りの方が列を成しています。さすが、源氏の見えない力を得ようとする方が多いです。多数の神官や巫女さんを揃えているのでしょう。清和天皇が豊後・宇佐八幡宮から勧請した八幡様を京都の守護にしようと僧を派遣し、帰りに男山の対岸「天王山」で霊験新たかな清水を見つけたので、石清水八幡宮を建立し、その後対岸の要衝の地に移しました。清和源氏の末で源姓を賜って皇室から離れた武士集団が「清和源氏」として、ルーツのここを氏宮としてきました。
壮大な歴史絵図が、ここを取り巻いています。「文武両道・知恵まもり」「竹製ブックマーク栞」「平安風絵図・巾着」「石清水八幡宮・木札」を、総額4500円で購入しました。お守りは、実家の仏壇に供えご先祖様の加護も頂き、嫡孫くんへのプレゼントです。文武両道は、僕の大好きな言葉です。木札は、去年嫡孫誕生記念に勧請した庭の自称・「三穂神社」祠に入れておきましょう。
本殿裏の摂社を巡ると、ちょうど北側に門がありました。軍事基地として男山を見ると、ここからどういう風にさっきの展望台に続いているのかが気になります。あの見晴らしは物見曲輪に決まっているので、物見の兵が駐屯し、常時京都側の戦況を報告していたでしょう。いつ作られた土塀かわかりませんが、織田信長が気に入って多用したという瓦入り土塀で、厚みもあり大砲以前の戦闘なら十分に防御できそう。
北西角に木造の「高倉」がありました。どんなお宝が眠っているのかな?拝殿前に戻ります。弓矢の氏宮らしく、両サイドに大きな矢が立てられ、カッコイイです。お祓いの雅楽に乗って巫女さんが踊り、雰囲気いいな。本殿境内を囲む正面門を出る時気づいたのですが、門から拝殿を見ると、拝殿は正面門を向いておらず、微妙に数度角度がずれています。何故かな?
さっきは正面門に続く石畳参道の途中に登って来たので、帰路は石畳正面道から下りてみます。石畳終わり(始まり)に石鳥居があり、それをくぐるとグルリと曲がってゆるやかな石畳階段で山道を下ります。そこに「神馬舎」がありました。扉が閉まっていましたが、神馬がいるのでしょう。「八幡駅」側に下る道も分岐していましたが、これもクローズされていました。ちょっと高めの観光地価格の茶店があり、廃屋もありました。
登る時に分岐したとこに着き、12:15駐車場の南側に下りてみました。「三條・小鍛治・相槌神社」というボロボロのお宮がありました。鍛冶ということは、兵器や鉄器を生業にした家が連なっていたのかも?「東高野街道」と「奈良街道」の石道標が立っています。旧街道ですね。
12:19、バイクまで戻りました。家内との待ち合わせは、13:30「伏見駅」なので、ちょいと慌てなければなりません。ナビを「伏見稲荷」にセットし、GO!「たこ焼き・いっちゃん」前にバイクはまだいません。r13〜R1〜r201で「龍谷大学」前通過。日曜日なのに大学生風若者がたくさんいます。受験かな?JR・奈良線「稲荷」駅前が伏見稲荷正面で、駐車場は満車でよそに回されています。僕はバイクなので、「バイクはこっちへ」ってバリケードを警備員がどかしてくれます。
13:05「伏見稲荷」着。「石清水八幡宮」とは大きく違い、周辺道路からここへ向かう車で渋滞していたので、ちょいと手間取りました。でもバイクの特権で、マシでした。境内は、中国語で説明するガイドさんの声が聞こえ、土産物屋さんでも中国語が聞こえていました。いつものように僕の人生の幸運に感謝し拝礼し、土産物屋さんに回ります。僕のお目当ては、朱鳥居です。前回家内と参拝した時、見つけていました。去年祠を作った時に、鳥居はここで調達しようと思っていました。バイクに積んで帰ることもあり、6号・鳥居にしました。何故か隣り合ったお店で、どう見ても同じにしか見えないのに、4000円・4300円・4500円とお値段が3種類ありました。屋敷祠も、各種大きさのが売っています。鳥居は4000円を購入し、包んでもらっている間にウロウロしていると、白木木製お賽銭箱も見つけてしまい、我が家のに適当だと思われる一番小さな2200円のを追加購入しました。これで、庭の祠もカッコが付いてきました。
バイクに戻ると、時刻は13:20。大変だ、家内との待ち合わせにあと10分です。遅れるのは必死なので家内に電話すると、既に既着・・・慌ててリアボックスに鳥居を収納しようとしましたが、ギリギリ入りません。蓋が少し開いた状態で出発し、最高速度30km/hで急ぎます。「京阪・伏見稲荷」横を通過し、R1をどんと南下し、13:40「伏見駅」到着。駅が工事中で何処に駅があるのかわからず通過するミスをしましたが、無事家内と合流することが出来ました。どこかにバイクを置いて、伏見散策開始・・・と思いましたが、「お父さん、寒いから帰るわ」・・・っとお言葉が家内から発せられました。「うわ〜ん」、でも仕方ないので撤退決定です。「悪いけどさあ、鳥居持って帰ってくれない?」って家内のガラガラバッグに括りつけバイバイしました。
R1〜京都南IC〜名神高速で帰路に着きました。往路と違い、寒冷前線通過後の西高東低の冬型気圧配置による北西風が強くなっています。軽いVTRということもあり、横風を受けるとこではとても80km/h巡航は無理です。70〜75km/hでビビりながら走り、「吹田IC」で降りちゃいました。中国道豊中丘陵からの下りがおっかなさそうなので回避です。
それでも14:50に帰宅し、家内に電話するとまだ大阪駅ということなので、適当に最寄りの駅まで迎えに行くことにしました。着物の歩幅で歩くのもバスに乗るのも大変です。バイク装束を着替え、全てを片付け駅に向かいましたがなかなかやって来ません。明らかに遅いので電話すると、「あのね〜電車間違えちゃって西宮まで行っちゃって、今尼崎まで帰って来たとこなの・・・」。ぐははは、また方向音痴の技が炸裂してます。16時に無事家内をピックアップできました。
食事〜「モヤモヤさま〜ず」〜「ダーウィンが来た」の定番コースを経て、「大河ドラマ・軍師官兵衛」を仲良く見ました。官兵衛の正室になる志方城主・櫛橋氏の娘・てるとの出会いがありました。番組終了後、1年前の正月家内・次男と3人で訪問した「志方城址」が紹介され、家内の実家の前のお墓・天神山に墓参りした時は毎回寄ってた「志方八幡宮」も紹介されていました。詰城があった天神山山頂と、地形的にこれまた城として使われたであろう「志方城址」後背の「志方八幡宮」を結ぶ東西稜線乢部と、南北街道との交差点が義理父の実家があった場所です。戦国時代まで遡る資料はありませんが、当時からそこに住んでいればどう考えても櫛橋氏の重鎮です。そんなこんなを家内に説明し、「てるさんは、・・ちゃん(家内)や〜。事実かどうかはええねん、こういう風に想像しながら見ると面白いね〜」と笑いながら、大いに盛り上がりました。

2014/1/19
日曜日は、小型船舶1級免許の更新講習に行きました。免許期限は2014年11月ですが、船の免許は1年前から更新可能のようで、大阪府モーターボート連盟から更新ハガキが届いたので、忘れないうちに更新講習の申し込みをしました。
家内は着付け教室だし、講習は大阪市内大手町で午後からなので、午前中先週に続き市内探索することにしました。大阪城〜大阪冬の陣で真田幸村が真田丸を築いて徳川方に大損害を与えた真田山、四天王寺〜北へ続く寺町筋を探索のターゲットに定め、土曜夜に主な位置をGPS登録して床につきました。
日曜日は6時頃目が覚めましたが、非常に寒いです。僕は毎年この時期、「春眠暁を覚えず」のことわざの先取りが始まり、1年中で一番朝寝坊です。低反発マット使用で暖かいせいか、暖房を全く使わずに寝てるので、夜明け前の寒さを体感しないように自己防衛してるのかもしれません。
予定通り7時出発目指して、朝ごはんやお風呂などをやっつけて、イザ出陣と思って窓の外を見ると、雪が舞っています。西の空は時雨雲で視界がなく、六甲山が見えません。どうせすぐ止むだろうと、自宅待機することにしました。9:30に家内が出発するということなので、車で駅まで送って行く臨時仕事が入り、出発が10時を回っちゃいました。
目的地が大阪市内で、ビル内の講習会場だし、市内小回りに便利な通勤リード110で探索するので、冬用バイク装束を止めて通勤スタイルにしました。でもこれは失敗でした。この冬一番低い最高気温6度だったので、バイク用と一般用との差を思い知りました。胸はスクリーンで直接風が当たらないからマシだったけど、肩がいけません。すぐに失敗を感じましたが、面倒だったのでそのまま進み、結局講習後の午後の部探索をキャンセルし、一路帰宅してしまいました。
r13を一気に尼崎に南下し、途中で「ホンダドリーム尼崎」に寄ろうと思いましたが、10:30開店のようでまだ開店準備中でスルーしました。R2に出て一路東進し、「阿波座」〜「森ノ宮」と大阪城南東まで来て、真田山に向けて南下しました。「真田山公園」内にバイクを停め、探索開始です。野球場やプールが有り、開発された町中ですが、「山」と地名に残っている通り、四方に下りを有し山の面影が残っています。
東は湿地&海・北は淀川・西は大和川という大河に囲まれ、そこから堀を引いた織田信長との10年戦争でも落ちなかった石山本願寺跡に建つ大坂城は、要害に囲まれていますが唯一防御の弱いのが南面です。そこに真田幸村が真田丸を築いて徳川軍を翻弄したわけですが、当時は大坂城から丘として見えていたのではないかと想像できました。10:57、「真田山幼稚園」・・・こんな名前の園に通ったら、いずれ歴史に興味が向きそうです。「宝国寺」「西念寺」「本伝寺」・・・ここも寺町ですね。一旦バイクに戻り、寺町続きを更に北に上り「高野山真言宗・興徳寺」内の大きな千手観音像?に目が留まり寄り道。千手観音のように背面から手がたくさん出ていますが、千手ほどはありません。「准低観音像」というそうで、真言密教を開いた空海・弘法大師が強く信仰し、高野山では住まいである僧坊の次に「准低堂」を建て、准低観音像を得度の本尊としたそうです。
11:18、「心眼寺」到着。ここまでの全てのお寺で誰にも会わなかったのに、ここには5〜6人のカメラ片手の散策観光客に会いました。山門前に、「真田幸村出丸跡」の石碑が立っています。でもここは坂の途中なので、真田丸の本丸はもう少し南の真田山最上部に建てたと思われます。もう一つ、面白い石碑が立っていました。
「京都見廻組・桂早之助・渡辺吉太郎・墓所・当山」・・・京都見廻組は、幕末京都守護職・会津藩主・松平容保公の下に置かれた京都治安維持舞台で、新選組と同列の組織です。京都河原町近江屋で坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺した組織で、両名は当事件の襲撃者で、渡辺が坂本を斬ったとなっている。寺内の両名の墓石横に掲げられた謂れ板によると、鳥羽伏見の戦いで見廻組は最前線で戦い戦死したとなっています。戸板で幕府軍総司令官・徳川慶喜がいた大坂城まで搬送され、この寺に葬られたとのことです。戦力で上回る幕府軍が、薩長軍に敗れた鳥羽伏見の戦いは、太古から何度も劣勢を跳ね返した天皇勅命軍の証「錦の御旗」の威力をまざまざと見せつけました。徳川将軍でさえ、緒戦の敗戦を知り、咸臨丸で大坂沖から江戸に敗走・謹慎したぐらいです。しかし、徳川の正義を胸に戦った戦士の無念は如何程だったろう。戦い破れ戸板に乗せられ本陣に帰還したら、主将が既に戦線離脱していたとは・・・。いろんな思いを胸に巡らし、手を合わせました。
真田山を低速で探索し、真田丸本陣があったと思われる「大阪明星学園」正門前に来ました。長男の時も次男の時も中学受験の候補校でした。長男の時は、夫婦で学校説明会にも参加しました。カトリック系の学校で、僕がプロテスタント系でとてもいい教育を受けたので、好印象の学校でした。結局長男は兵庫・甲陽が第一志望で受験せず、次男は私立中学統一受験日が大阪と兵庫でずれたので受験機会ができましたが、兵庫・六甲と大阪・清風を受験しました。公舎のてっぺんに立つマリア像を見上げながら、前日土曜日の近畿中学統一受験日初日で早々と第一志望合格という結果を得た姪の喜びを、マリア像に感謝しました。姪は和歌山のイエズス会親愛女子に通います。宗教がらみの学校に、多感で精神も身体も大きく変わる中高の時期に通うのは、とても有意義だと思います。素敵なレディーに成長するでしょう。
更にうろうろしていると、小さな交差点に「近松門左衛門墓所・0.7km・井原西鶴墓所・誓願寺0.6m」の道標が立っていました。矢印の方向に進んでみました。誓願寺を見つけられず、ナビに探させ、11:44到着。堂塔は道から見えず、ビルとGSとの間のとても狭い山門のみの入口で、一度通り過ぎちゃいました。「井原西鶴・中井一族・墓所」の石柱が立ち、お墓参りしました。中井家というのは知らなかったので、謂れ板や無料でいただけるパンフレットをベンチに座って読みました。江戸中期に「大坂学問所」を開いた教育者一族だそうです。明治維新後の奇跡の急成長も、その礎は江戸時代の識字率の高さです。都市では殆どの人が文字が読め、農村でも半分ぐらいの人が読み書き理解できたそうです。特権階級の支配層しか教育の機会がなかったヨーロッパより高い識字率は、このような市井の教育者がいたからです。ありがたいことです。
更新講習が13:30からなので、昼食&写真撮影を考慮し、早めに切り上げて講習会場に向かおうと道に出ると、なんと駐禁おじさんが僕のリードのナンバーを控えています。「すいませ〜ん」で開放されました。また駐禁でゴールド免許への道が遠のくところでした。「ホッ」。途中12:01、大坂城が見え出した「セブン-イレブン・大阪上町店」で、エビマヨおにぎり・110円+切れてるバニラロールケーキ・128円を昼食用に購入。少し北上して、大手門を激写。12:13、講習会場の「大手前センチュリービル」に到着しました。
すぐにビル内の「大阪府モーターボート連盟」に上がり、スクーター駐輪場所を聞き、所定の位置に停め直します。講習・更新料10500円+写真撮影料500円=11000円を払い、免許用証明を撮ってもらいました。ダイレクトで更新手続きをする方が安いのでしょうが、免許切れ連絡がないので一度失効講習を受ける羽目になったことがあるので、前回同様連盟経由で新免許を送ってもらうことにしました。講習会場は、午前中船舶免許試験会場だったようで、次の講習の準備中でしたがご好意で入れてもらい、昼食をパクつきました。
12:45に会場がオープンし、旧免許証・写真を渡し講習手続完了。身体検査で視力検査はあっさり合格し、席につきます。講習開始まで流れていたビデオで、海の救助ネットワーク・VANネットの宣伝が流れていました。13:30定時に講習が始まり、20分間ビデオを見て、40分間最近の事故事例などの講義です。広島・呉で起きたばかりの自衛艦とプレジャーボートの衝突事故にも、触れていました。
全員ライジャケ未着用だったことが、悲しい結果につながりました。数年前琵琶湖であったヨットの転覆事故でも、子供5人中ライジャケ着用の2名だけが助かり他の3人は亡くなりました。ライジャケ着用子供生存率100%&未着用生存率0%であること。ライジャケ未着用大人女性2名の生存率0%、未着用大人男性4名中生存率50%・・・「ライジャケさえ着ていれば・・・」、水の上に出る時はライジャケを着ようと念を押されていました。
1時間の講習を終え、14:40に開放されました。次は四天王寺界隈の寺町探索予定だったのですが、寒いのでめげました。「大阪・梅田」からR176で淀川を渡り、「十三」〜「加島」から、阪神高速側道r10で北上します。途中で、「ホンダドリーム尼崎」に寄ることを思い出し、「田能遺跡」〜「猪名寺」経由でお店に着きました。
店長さんに、レンタルバイクからシガーソケットを引っ張る方法を聞きました。あまりに寒いので、南の国・沖縄とかに脱出してやろうかと考えています。北海道でレンタルバイクした時は、ナビ・リアボックス付きだったので問題なかったのですが、沖縄のレンタルバイクを調べるとナビもシガーソケットもリアボックスもなしです。僕のVTR250はヘッドライト、CB400SBはリアライトからシガーソケットを引っ張ってもらっていますが、素人なので僕には無理です。バッテリー直なら出来そうですが、プロにやり方の教授を願いました。
VTRにもCB400にも付けてもらった「MCシグナル・DCステーション・2079円」を購入しました。バイク用・防水電源アダプター・12Vシガーソケット2穴・1.5mケーブル・ヒューズ内蔵タイプです。これなら、赤線をバッテリーの赤(+)青線をバッテリーの青にプラスドライバーで着けたらお終いです。勝手知ったるVTR250かCB400を借りるつもりでしたが、VTRならシートを開けたらバッテリーがあるので簡単だそうで、VTR第一志望でレンタルすることにしました。
下調べ中ですが、往復飛行機チケット+民宿2泊セットで4万円弱なので、レンタルバイク3日間+食事その他で7万円で沖縄に脱出できそうです。10万円+クレジットカード持参で余裕でしょう。1月下旬〜2月上旬という極寒期でも最低気温8度〜最高気温18度という天国の世界です。2月はプロ野球キャンプがありますが、航空券の底値時期で、それほど混んでなさそうです。昔に一度だけ夏に行ったことがありますが、メジャー観光地や戦争関係地・熱帯魚との海水浴をしたので、今度は中世のお城・絶景海岸線・辺野古米軍基地予定地などを見学し、一周しようと目論んでいます。週間天気予報を見て、雨を避ける日程で1週間前に一気に予約するつもりなので、ネックは航空券が取れるかだと思っています。
16時頃帰宅すると、家内がタンスの肥やしになってた着物を数着出して来てあれこれしていました。風呂に入り体を温めてから、家内の作業横で邪魔をします。次週は自宅から着物を着て行くそうです。着付け教室卒業コンテストがあるそうで、優秀者は会報に載るそうです。地区大会で優勝すれば東京大会に出て、それにも勝てば世界大会があるそうです。更に女優の道が・・・とか、あ〜だこ〜だ笑い合いました。いつものように、「そりゃ美人やから優勝しちゃうね」なんて、イタリアーノの僕は大いに持ち上げときました。残念なのは、コンテストに家族が見に行けないことです。息子のピアノの発表会を見て、いっちょ前のスーツを着たチビが、いっちょ前にステージでピアノを弾くのが見れてすごく楽しかったのになあ・・・。
「モヤモヤさま〜ず」「ダーウィンが来た」「軍師官兵衛」を見て、おやすみ時間になりました。ああ、面白かった〜。

2014/1/12
日曜日は、家内は着付け教室なので僕はフリーです。「普通二輪以上バイクツーリンググループ」の新年「住吉大社お詣り」に参加しました。堺に集合し、短距離移動してのお詣りで現地解散なので、バイクでなく徒歩でも車でも参加OKでした。大阪市内ということもあり、通勤リード110で参加することにしました。
集合時間11時・「住吉大社南駐車場」なので、それまで市内歴史探索しようと地図を見ていて、「そうだ渡船場確認をしよう」というアイデアが浮かびました。家内とのサイクリングで大阪城に行く計画があるのですが、その途中で大阪市内に点在している無料渡船に乗ろうというアイデアを温めていました。具体的に計画を動かすチャンスです。土曜の晩、現役渡船場が8ヶ所あることを調べ、それぞれをGPSに記憶させて寝ました。
7時出発予定でしたが、休日なので家内のお風呂時間が遅れ、僕のお風呂上がりが7時を回っちゃいました。バイク装束に着替え、GPS・ワークマン膝当てナックルガード・リアボックスをセットし家を出ました。できるだけ想定される自転車コースに沿うべく、まず軍行橋から猪名川土手に沿う市道を南下します。7:49伊丹空港・北に出ると、いつもより飛行場見物の方が多いです。「あれっ、何かあるの?」。少し下ると猪名川土手自転車歩道にバズーカ一眼レフがズラリと並んでいます。帰宅後のニュースで知ったのですが、大量旅客輸送の一時代を築いた「ボーイング747・ジャンボジェット」のお別れ遊覧があったそうです。伊丹往復飛行で富士山遊覧したそうです。滑走路南の着陸ポイントからも一眼レフカメラマンが多数市道に出てきていました。
猪名川を右手にしながら南下し、神崎川を渡りました。続いて淀川を渡らなければなりませんが、R2・「淀川大橋」で渡れるのは知ってるので、R43を探索します。自転車により安全な道を探りながらだったので、ちょいと迷ったりしましたが無事淀川を渡れ、安治川も渡りました。
8:50・「天保山」到着。海遊館観覧車が目印です。船で大阪湾川から遡って来たこともある天保山から対岸のUSJを眺めながら渡船場を探します。9:04「天保山渡船場」到着。日中は30分毎・朝夕は4本/時間の運行のようです。人と自転車が乗った大阪市マークの入った渡船が、対岸のUSJ側に渡って行きました。横には海上保安庁基地があり、海猿観戦が泊まっていました。「日本一低い山・大阪天保山山頂4.53m」の表示があり、単なる公園の植え込みに、生意気にも「国土地理院・三角点」柱が立っていました。バイクに戻る途中天保山公園入口に、「天保山・西ルート・・・階段を登りそのまま直進、山頂まで100m」と書かれた案内看板を見つけました。標高4.53mなのに生意気です。こんなとこに力が入ってる大阪人が、好きです。
続いて、「尻無川」を渡る「甚兵衛渡船場」に9:27到着。ちょうど自転車1台だけのお客さんを乗せて出発するとこでした。市街地から離れ埋め立て工場地帯の日曜日なので、のんびりしてていい感じです。
9:43、「落合上渡船場」到着。木津川を渡る最も上流の渡船場で、こちらも同じような雰囲気です。9:51、「落合下渡船場」到着。9:57、「千本松渡船場」到着。ここは横にループ大橋が掛かり、その下で少年野球チームの練習をしていました。長男が少年野球をしていた時、僕も手伝いに行きたかったけど、当時は日曜日も働いており、夕方まで休みが月2だけという大車輪で働いていた時期なので、その余裕さえありませんでした。少年たちと同じユニフォームに身を包み、ノックをやってたり、インパクトドライバーの音を響かせながら何かを作ってるお父さんの姿を見ながら、長男にはかわいそうなことをしちゃったなあ・・・と過ぎ去った日々を思い出しました。
10:12、「大阪住吉漁協」到着。この4つの渡船場は全て木津川に掛けられています。その一番河口側にある「木津川渡船場」を探したのですが、結局見つけることが出来ませんでした。大きな会社の敷地に入る枝道ばかりで、ここしか川岸まで行けなかったのに・・・何処なんだろう?
探索予定終了しましたが、ここから15分に住吉さんがあるので、時間が余っています。10:35、「ローソン南津守7丁目店」で「もち食感ロール・いちご味・275円」を購入し、朝パンが2枚だけだったので駐車場で小腹を満たせます。
10:41、「阪堺電車」軌道が中央を走る道に出ました。1両の電車が走ってたので、一時停止激写タイム。それを2度ほどしたら、住吉大社さん前でした。道路中央に路面電車駅がありお客さんが待ってます。とってもいい雰囲気です。気に入っちゃいました。住吉さんに来るのはいつ以来だろう。もう記憶も残ってないぐらい昔です。
集合地の「住吉大社・南駐車場」に入ろうとしたら、係の方から「ここはバイクは停められません。1つ北の信号を右に入り、鳥居を潜って太鼓橋手前周辺に停めてください」と言われました。「南海電車・住吉大社」と「阪堺電鉄・住吉鳥居前」駅正面の大手道鳥居を入ったとこに置きました。
10:57、太鼓橋まで露天を探索し、11:04・リーダーさんに「南駐車場にバイクが入れないことと、大鳥居下で待つこと」を電話しようとしたけど、繋がりませんでした。11時に第一集合場所出発予定だったので、もう出たのでしょう。しばらく門前で電車観察し、暇なので先にお詣りすることにしました。まだ正月が明けたばかりだからか、参拝のお客さんが一杯です。4つも本殿があります。全て檜皮葺でいい感じじです。白装束の美形巫女さんが、お正月神事なのか雅楽の調べに乗せて、両手に榊を持って舞っています。11:19、「種貸社」という変な名前の神社参拝。「祝子宝芳名者」の板が立てられており、「子宝授け」の神様のようです。
11:30に鳥居前に戻る直前電話が鳴り、電話を取り出したとこでお揃いの皆さんの顔が見えました。リーダーさんが電話を耳に当てています。僕以外の7名の方は全員第一集合場所からご一緒なので、皆さんに新年の挨拶をして、甚兵衛さん先導でお食事に向かいます。「甚兵衛渡し」を訪問したとこだったので、なんだかこの人が江戸時代の船頭に見えておかしい。
12:54、お食事処「やろく」Dセット・1627円を精算して外に出ます。11:30開店で12時前に行ったのに、既に待ちがでていて人気のお店のようでした。量も多く美味しかった。ここから「住吉大社」参拝開始です。僕はひと通り巡ったので、お守りを物色しました。白馬の金色のブックマークにもなる薄型長方形お守りがあったので、これを家内へのお土産に買いました。1000円。ブックマーク形お守りが流行ってますね。僕は既に2つ持っています。「大筒おみくじ」がありました。両手で持ってガラガラして引きます。
13:06、盆栽甘味処・「盆栽カフェ・グラード」さん到着。ここは住吉大社裏側にあり、「住之江味噌・池田屋」さんというナイスな古民家が近くにありました。池田屋さんの由来板が壁に揚げられており、『明治の初め、当家17代池田屋甚兵衛が多年の研究手法により調整した。明治天皇に15年間献上し、大正天皇・昭和天皇へも献上した。「住之江味噌」命名の由来は、摂津一宮官幣大社宮司・男爵津守国栄卿が、謡曲「高砂」にも記されている古来よりの名勝・住之江の浜に因んで名付けられたもの』となっていました。開いてなかったけど「ハット屋パン」というお店もあり、なんかいい感じの下町でした。池田屋さんも「甚兵衛」でこの日は、「甚兵衛の日」でした。
「抹茶甘味セット・750円」でマッタリし、14:08店を出ました。ブラブラと住吉大社内を帰り、解散になりました。「北津守」〜R43〜r13経由で帰宅しました。途中、14:57・「西淀川区出光・大和田SS」で給油。139km/3.51L=39.6km/L。さらにもう一件、16:02・「アストロプロダクツ・伊丹店」にも寄り道しました。
気になっていたツールショップです。「LED・ボタン型ライト・290円」+それの電源「単4アルカリ電池4本・99円」+「フォーエバーチタン・庭ハサミ・980円」+「伸縮式・孫の手・280円」の無駄使いしてしまいました。男子が好きそうなプロ仕様ツールがいろいろ揃っており、面白いお店でした。
帰宅したら家内も帰っており、着付けの復習を自室であ〜だこ〜だやっていました。お正月に着物を着た生徒友達さんもいたようで、楽しそうです。18時から、前回途中までしか見なかった映画DVD・「ジムキャリー・イエスマン」を最後まで見ました。20時から、1回目は寝てしまって見なかった大河ドラマ「軍師官兵衛」を、揃って見ることが出来ました。

2014/1/5
前日18時に寝たので、0時に目が覚めました。これでも6時間寝ましたが、あまりに早すぎるので二度寝したら次は4時に目覚めました。ゴソゴソし、7時になり明るくなったのでDriveman1080を車に持って行き、時刻設定・倒立設定・画質設定しました。Driveman720は、720(1280×720)のHDのみでしたが、これはそれに加え1080(1920×1080のフルHD)と1080L(画質を落としたフルHD)の3種類できます。1080は32GBメモリーで8時間だけど、1080Lだと14時間に記録時間が伸びるのでそれにしました。
長男一家は帰りは飛行機が取れず、8:35新大阪出発新幹線で帰るので、7:15に長男一家と家内を乗せて駅まで送りました。駅で遼成君とハイタッチ!してバイバイです。笑ってくれたけど、意味わかってないよね。家内は長男一家が泊まった隣の実家の片付けをするので、「どっかに行ってきたらいいよ」だって。僕は次男が帰る18時まで暇なので、自由時間になりました。
箱根駅伝総集編を途中まで見て、新春初ツーリングに出ることにします。昼食用として、食卓に載ってたバナナ1本と長男一家が食べなかったドーナツ3個をヒップバックに入れます。真冬仕様バイク装束に着替え(篠山では小雪が待っていましたが、寒さは感じませんでした)、「Driveman・1080」を持って倉庫に行き、「招き猫CB400SB」を出します。Driveman設置でナックルガードが映り込むことがわかり、一旦自宅に戻りナックルガードに新たな穴を開けて新たなタイラップで固定し直し、レンズに被らないようにします。
これでやっとこさ出発です。10:21、最寄りの御用達GSで給油。269km/10.61L=25.4km/L。これは前回の岡山県山城巡り&高速道路での燃費ですね。r13〜r12〜R173〜R477で北上開始です。目的地は篠山・味間だけど、時間に余裕があるのであえて遠回りです。野間の大ケヤキを横目に見ると、赤ツートンCBが止まっているのが見えた。そのまま北上していると、そのCBが追い付いてきました。道を譲ったらだんだん離れて行ったけど、R372との交差点信号で追いつきました。同じCB400のカウルなしタイプです。冬は寒いだろうな。R372を西に追走したら、途中でCBは右折し園部の方に行きました。
「天引峠」〜「安田交差点」〜「日置」を越え、r304の篠山川越えの橋が新装成ったようなので、r304に曲がり越えてみます。すぐに篠山川に沿って西進する道にチェンジし、道なりにr702に合流します。戦国末期の丹波篠山の雄・波多野氏居城「八上城址」のあった「高城山」のきれいな姿を横目に、道なりにr77に合流しました。本日の目的は、明智光秀の丹波攻略により陥落した滅亡した波多野秀治の子が逃れた寺院・秀治の墓などの探索です。例によって1回目なので、予備知識で武装せず、行き当たりばったり、地形を見、案内板を見つけ、地元の方に話を聞き、野生の勘を頼りに自由な気持ちで探索します。わかっているのは味間のお寺というだけです。
篠山市街地のお正月の様子も気になりますが、あえてパスし篠山城址の案内板を無視し、r77〜r36でR176に出ます。篠山のR176沿いに鯖寿司の美味しいお店があるそうなので、注意しながらはしったけど見つからず。もっと南か北なのかも。R176を少しだけ走り、山越えで西脇に抜けるr36に入ります。この道沿いに観光案内板があるかもと、ゆっくり進んだら「文保寺」の道標を見つけ左折する。鳥居が立ってたからここじゃないなと別の道を行ったら間違いで、鳥居の道が正解でした。12:05、山門横の駐車場にバイクを停めます。「白髪山登山案内図」があったので、山登り基地にもなってるのかもしれません。
大きな草鞋が供えられた左右の仁王像が守る立派な山門で、謂れ板によると、天正の乱で焼失後の再建だそうです。織田信長の丹波平定の兵火でしょう。戦国末期築でも400年以上経っていますが、信長の兵火がなければ、多くの文化財が一昔前の姿で残っていたかもしれませんね、残念です。
右手に鳥居があり、「二村神社」となっていました。さっきの鳥居は、この神社の神域を示していたのですね。銅板葺きの本殿・拝殿が趣があり、拝観料を賽銭箱にチャリン。ついでに、「幸せな人生をありがとうございます」といつもの言葉をつぶやきます。謂れ板によると、味間地区の惣社で延喜式収載の古社のようです。『・・・明治41年には、御霊神社ほか5社が合祀され全部で19神にわたる神々を祀っている。特に記すべきは、1956年境内地に祀られた波多野秀治の御霊神社である。・・・秀治が当二村神社を崇敬したこともあり、落城に際し秀治の遺児が味間に逃れ来たともある。いずれにせよ、当社と秀治とは因縁浅からぬものがあると思われる』
ここに波多野秀治の子が逃れて来たようで、ならばここ「文保寺」の坊主になったのでしょう。秀治の墓を探すべく、摂社などの周りも探しましたがありませんでした。帰宅後調べたのですが、r36北側に「御霊神社」がありました。この時点では合祀と書かれていたので、御霊神社はもうなくなったと思っていました。
『平成30年春 文保寺再興700年記念開帳法要厳修 本堂改修事業・仁王像修復事業・参詣者用トイレ新築事業など ご支援・ご協力をお願い申し上げます 宗・天台宗文保寺』の大きな看板が立っていました。鎌倉時代末期にに再興されたのですね。
「天台宗・観明院」に入ります。賽銭箱がないので上の本堂まで上がると、ちょうど法要が終わった黒服の方々が出てこられました。ご住職さんも出てこられたので頭を下げます。「ようお詣り」とお礼を言われました。恐縮です。次は「天台宗・大勝院」「真如院」、全部天台宗で更に上・歩いて5分ほどの距離にお堂があります。12:31、ここが「文保寺」でした。賽銭箱があったので、まとめて拝観料をチャリン、ついでに「幸せな人生をありがとうございます」。
謂れ板に、『松尾山・文保寺略縁起 大化年間、印度より法道仙人来朝し、7堂伽藍を造営、聖観音を本尊とされたが、承平・天慶の乱の頃荒廃す。正和年間、ご本尊に慈覚大師作の千手観音を安置再興し、「松尾山・文保寺」の勅願を賜う。戦国時代末期再び荒廃し、江戸時代に再興された。全盛期は21ヶ坊を数えたが、明治以降は3ヶ院となり現在に至る。』と書かれていた。
大化年間ということは、天智天皇と中臣鎌足がクーデターで蘇我氏を追い落とした「大化の改新・645年」頃の創建で、本場印度からの渡来僧だから、歴史が長いしランキングも上位だったのでしょう。「承平・天慶の乱」とは、僕の好きな平将門・藤原純友が平清盛が武士天下を取る100年前に、制度疲労を起こしていた平安時代藤原氏天下から武士天下に変わろうとした時代です。
そして現在の高野山同様、寺町を形成した大寺院だったようです。比叡山天台宗の祖・最澄が生まれるはるか前だから、当時の印度仏教など知りませんが、天台宗のようだったら現在の比叡山のように修行場が背後の松尾山に広がり、お坊さん養成学校でもあったのでしょう。2度目の荒廃の時期に、波多野秀治の子が逃れてきたようです。見下ろすと、篠山盆地の西の端が見えます。秀治の子はどんな気持ちで、きっと現在も大きくは変わっていないだろうこの景色を見ていたのでしょう。誰もいない境内で、脳内妄想が広がります。
帰り道を下っていると、『工事竣功記念 昭和58年9月28日台風10号は、最大日雨量240ミリという未曾有の降雨量を記録し、文保寺の渓谷を覆すが如き甚大なる被害をもたらしたが、町並みは県当局を始め関係各位の絶大なる尽力により昔の面影を一新する文保寺川が蘇った。この大事業を後世に伝えるため記念碑を建立する。 昭和60年10月 文保寺・二村神社・味見奥村』という碑が立っていた。
今回の東北の震災でも過去の記憶が土地に残っていればと思いましたが、こういう碑が人の人生の何倍も長く残ることで、次の被害を少しでも減らせます。こういう日本の何処にでもある当たり前の文化が好きです。帰宅後、よく知る「竣工」と違って「竣功」はどういう意味かな?と調べると、同じ意味だそうです。
12:43、バイクに戻り、波多野秀治のお墓が発見できなかった心残りはありますが、r36の奥をもう少し探索しようと出発しました。r36に戻り、旧道っぽい道があったので突っ込みます。更に細道にも突っ込みましたが、道がなくなり得意のUターンを決行。左ハンドルの車載カメラが邪魔で、右に大きく切れないから、切り返しの数が増えます。
12:53、「安泰山・大国寺」に案内板に誘導されて到着。無人の受付があり、入山料200円だって・・・ブ〜と思いましたが、他でいいものを見せてもらって来てるのでチャリン。小さなお寺なのに、写経会場があったり、境内に営業中のお食事処まであります。観光バスが入れるような道もないのに、何処からお客さんが湧いてくるのだろう。現在は僕の他に誰もいません。その辺を聞きに昼食でも取ろうかと思ったけど、さっき200円払ったばかりなのでやめときました。
パンフレットによると、国の重要文化財指定が本堂と本尊他5体の仏像にされています。重文の仏像は観たいと思いましたが、重文の本堂を眺めても「何処が?」って感じだったので止めました。更に500円必要だし。それらの用の方は、ベルで知らせるシステムになっています。謂れ板によると、ここも大化年間・空鉢仙人建立となっており、こちらも印度のお坊さんかもしれません。悠久の歴史を誇る古刹でした。漂う雰囲気はないけど・・・。
r36を更に進み、13:09・「熊野神社」到着。軽四トラックが入って、何か作業をしています。帰路に着きます。往路で見つけたr36沿いの和菓子屋さん「諏訪園本店」に14:10ストップ。「いちご大福」の看板に釣られたんだけど、売り切れでした。でも和菓子6種類6個・960円で購入。「チョコ大福」とか面白そうなのも買いました(どれもかなり美味しかったです)。家内へのお土産です。ここらは茶畑が多く、店内にはたくさんお茶が売られていました。いい香りです。大体の地形・地図が脳内に入ったので、次は秀治さんのお墓の位置をもう少し調べて探索に来ます。
r36〜R176に乗り南下開始し、鯖寿司のお店を探しながら走りましたが、JR南矢代まで来て発見できずでした。ロードサイドのはずなんだけどなあ。JR藍本駅を過ぎ、「波田東」交差点を左折し、お気に入りの武庫川沿いr310です。r309との交点「須磨田」で左折し千丈寺湖の北岸を走る予定でしたが、何かやってるバイクに気を取られ、直進しちゃいました。ままよ、南岸通行に変更します。また「中西商店」への道をミスって、武庫川まで下っちゃいました。
JR広野駅のとこで、一瞬R176に復帰し、すぐにr308に乗ります。「青野ダム記念館」のとこで右折し、「青野ダム上」を走り、千丈寺湖南岸の細道を走ります。こんなところにダム湖にプレジャーボートを降ろすスロープがありました。大入り満員で、ヒッチメンバーで車に引っ掛け引き上げている方もおられました。「尼寺」でr49に合流し、「志手原」からr37〜r323、定点観測ポイント・「波豆・八阪神社」から南下し、r68を渡り、ずっと気になってた「西谷中学」手前の峠でストップ。
いつもの吠えまくるワンちゃんの位置が、道から離れてて首輪もしっかりしてるので危険はなさそうです。14:24、チャンス到来とばかりに、里山に入り込みます。『宝塚市・大原の地区・里山林等整備事業 新しい里山景観を観て楽しむ森 この森は、田んぼを使わなくなった後に生えたサクラバハンノキ林や、里山を代表する樹木の一つであるコナラ林の雄大な姿を楽しむ森です』という里山散策案内図が立っています。コナラ林・サクラハンノキ林の位置も明示されており、せっかく多大な費用を掛けても、近隣の小学校の授業以外にはほとんど人が入ることなさそうですが、細いながら道は明確そうなので歩いてみましょう。
脱穀した籾がそのままになってる農家の裏庭を通り、「県道へ420m」と「頂上へ320m」の交差点に出ました。r68に行っちゃうと帰るのに県道をかなり歩くことになるので、頂上の方に行ってみましょう。景色が望めるといいなと向かいましたが、少しだけでした。木々を少々伐採したら、r68が一望できそう。
左回りに進む道を選ぶとスタート地点に戻れると踏んでいたのですが、道がなくなっちゃいました。仕方なく「県道方面へ190m」という交点から県道に向かいました。同じ道を戻る方が早くバイクに戻れますが、時間に余裕があるので別のとこも見てみたいです。雨が降ると湿地になるだろう元棚田を下り、14:50・予想通りr68に出ました。
低山里山山中歩き30分でしたが、見覚えのあるこの位置だと舗装路を同じぐらい歩かないとダメそうです。バイク装束の僕がトボトボと県道を歩いてる・・・何台もツーリングバイクとすれ違いましたが、「あの人、どうしたんやろ?」って思ってるでしょうね。バイクに到着15:11。舗装路20分歩きで、トータル1時間の寄り道でした。
峠横の民家に大型トラックが半分道を塞ぐ形でお尻を民家側に突っ込んでいました。何してるのかな?と思ったら、シャベルカーが田んぼに落ちかけて止まっていました。もう一台シャベルカーを運んできて、レスキューするみたいです。里山造成でミスったのかな?
r33〜r325〜「長尾山トンネル」を抜けて、16時頃倉庫着。いつものように乾拭きをしっかりして、通勤リード110に乗り換え帰宅しました。次男が予定より早く17時に東京に帰るそうで、ササッと片付けスタンバっていました。でも次男の友達から電話が入り、家の前までお迎えが来ました。「では、元気でね」・・・。これで、お正月の息子たちの帰省は全て終わり、次男を送り出してから家内が「静かになったね」だって。「毎度のお三どんご苦労様でした」。
この日から始まる大河ドラマ「軍師官兵衛」の裏話や出演者を招いてのトークなどで、NHKは盛り上がっていました。家内は「もうダメやわ」ってことで、始まる前に寝ちゃいました。僕は夕食・お風呂を済ませ、自室で布団に包まってTVを見ていましたが、7:30からの「ダーウィンが来た」の途中で、寝落ちしてしまいました。

2014/1/4
4時に目覚め、ゴソゴソしたり、1/3に届いた年賀状をチェックしたりしました。8時半になったので、隣に行き長男と出発時間の相談です。昨夜の鍋の時、池田の「日清食品・インスタントラーメン記念館」の話が出て、長男一家が東京で行ったビール工場見学が楽しかったそうで、行くことになりました。世界初のインスタントラーメン発明者で創業者の安藤百福さんのお孫さんと、弟は同じ中高の同級生でした。仲のいい遊び仲間で、我が家にもよく来ていました。泊まっていったこともあったような・・・。
10時開館だから、9時半出発と言うと、遼成くんの午前中のお昼寝タイムを考慮し、10時半出発がいいとのこと。長男は僕らの都合より自分の家族優先なので、お父さんとして頼もしいです。家長はこうでなくっちゃ。次男が起きたので誘うと、参加するとのことです。
10:30をまわり、車で出発です。R171で軍行橋を渡ってすぐ左折北上し、家から15分・11:03に「インスタントラーメン記念館」に到着しました。お正月でもあり駐車場待ちを覚悟してたけど、ちょうど北駐車場に1台だけ空きがあり、係員に誘導されラッキー。まずは、安藤百福翁像と並んで、次男が抱っこした遼成君の記念写真です。百福さんみたいなでっかい人になるよ。館内に入ってまず目についたチキンラーメンのマスコット・「ヒヨコちゃんぬいぐるみ」が大量に積まれた「ご来館500万人記念」前でまたパチリ。主役遼成君を交代で抱っこしパチリ・パチリ。インスタントラーメンの歴史展示物を見学する前に、ほとんどの来館者がお目当ての「マイカップヌードル・ファクトリー」行列に並びます。僕らが並んだ横に、「ここから製作終了まで30分」の案内板が出ていました。すぐに列が伸びていきます。いいタイミングで入れたかも・・・。遼成君はお父さんに肩車されながらごきげんさんです。僕が息子たちを肩車してた時は、髪の毛をがっちり掴まれ痛かったけど、遼成君は両手を離してロデオ乗りです。安心してるね。少し進むと、制作手順ムービーが流れていました。これからの工程を学習します。
「made in JAPAN大賞」の垂れ幕が下がっていました。「ラピタ誌」という雑誌が企画した今世紀の日本製品で最も偉大だったものを選ぶ賞で、日清食品カップヌードルが1位に選ばれたそうです。2位ソニーウォークマン・3位JR新幹線・4位任天堂ファミコン・5位三菱重工ゼロ戦・6位日清食品チキンラーメン・7位トヨタプリウス・8位ホンダスーパーカブ・9位ソニートランジスタラジオ・10位味の素だって。
あと10人ぐらいになる横に、自販機があります。これに300円投入し、空のカップのみ購入します。5人分購入。すぐに横のお姉さんがカップにゴミが入らないように簡易蓋をしてくれます。次に手の消毒機械です。所定位置にカップを置いてボタンを押すとジュースが出て来る自販機みたいな機械で、カップを置く部分に手をかざすと霧が手に吹きかけられます。消毒用エタノールの臭いがします。手をもんでアルコールをまんべんなく手になじませ消毒します。
行列の先頭になり、お姉さんに促されて、カップにお絵かきする席に着きます。テーブルに用意されてる6色ほどのマジックで絵や文字を書きます。家内は絵なしで、「遼君もうすぐ1歳記念」と文字を大きく書いてました。長男は遼成くんにマジックを握らせ、苦労してお絵かきさせようとしてます。当然点と線のみで、おまけに長男のズボンにまで書いています。「うわぁ〜やられた〜、これ落ちる〜」とお嫁さんにヘルプしています。「う〜ん、やってみるけど難しいかもね〜」と笑っています。お嫁さんは、チキンラーメンのゆるキャラ・ひよこちゃんを書いてます。僕はCUP NEEDLESの文字を塗り絵し、太陽と海とヨットを書きました。家内が覗きこんで、「やっぱりね〜」だって。建築設計家だけどプロダクト・デザイナーでもある次男はさすがピカイチの上手さで、ひよこちゃん他を書いて配色も素晴らしいセンスです。そのまま製品化出来そうな出来栄えです。ただ子供時代からのいつもの如く、他のみんなが終わっても我関せず急ぎもせず、マイペースで自分の作品に没頭しています。この熱心さがいいんだよね。
次のトッピングコーナーで、お姉さんに「はい、そのハンドルをぐるぐる回してください」言われて、カップを麺にかぶせる作業を手動機械でします。次はトッピングです。中のお兄さんにスープの味(5種類)具(20種類ぐらいの中から4種)を指名し入れてもらいます。その次は包装です。お姉さんがみんなの作品を1つずつ簡単な機械に通してくれ、ビニール圧着包装されるのが見れます。最後に持ち帰り用ビニール袋と紐をもらいます。水鉄砲のような手動ポンプが置いてあるテーブルに行き、ビニール袋の中にカップヌードルを入れ、布団圧縮袋の要領で備え付け手動ポンプでシュポシュポって、ビニール袋に空気を入れていくとそれが膨らみ、中でカップヌードルが固定されます。紐をビニール袋の2つの穴に通し出来上がりです。みんなが肩から下げて姿になり、記念写真をパチリ。僕はでっかいカップヌードル前で遼成くんを抱っこし、家内とスリーショットです。
それをぶら下げながら、颯爽とインスタントラーメンの歴史展示見学に出発です。見学中の12時頃は行列は解消されています。昼食時が空いてるみたい。試食室があります。自販機で日清食品製品を買い、テーブルで食事する流れになってますが、テーブル待ちで20人ぐらいの行列ができていたので退散します。グッズ売り場で、ひよこちゃんぬいぐるみを物色しましたが、手頃な大きさのがなく残念でした。「千姫・VTR250」に続き、「チキンラーメン・VTR250」もデビュー出来たのに・・・。
長男からラーメンを食べに行こうとの提案があり、自宅近所の天下一品に入りました。「久しぶりに、チャーハンセットが食べれるぞ!」。息子たちは懐かしいと言ってます。次男の住む千葉にはないし、長男の住む東京では行列ができる大賑わいで、大阪の人間である長男は、僕同様並んでまで混んでるお店で食べようとは思いません。だから縁がないとか。男組は全員「チャーハンセット・こってり」、女子は「塩味さっぱりラーメン」、遼成君は大人と同じタイミングで食事なので、モリモリベビーフードを食べています。
13時半頃帰宅し、長男一家は翌朝東京に帰るので、遼成くんの体調を整えるために家でゆっくりします。次男が買い物に行くというので、家内と3人で駅まで送りました。その後家内の銀行用事に付き合い、帰宅しました。
ここで僕は、通勤リード110に乗り換え、アマゾンに注文した「Driveman1080・シンプルセット」をヤマト運輸営業所まで取りに行きます。キーON・OFFで自動撮影開始・終了し、32GBメモリーカードで8〜14時間録画できるので、バイク車載してみようと思います。車用「Driveman720」よりグレードを上げたのは、三脚アダプタ付きで倒立撮影が可能だからです。基本車用なのでフロントガラスからぶら下げる仕様だから、バイクでは倒立設置になっちゃいます。倒立撮影モードに切り替えられるのがありがたいです。帰宅して説明書を読んで、720の時の設定知識を思い出します。
そういえばアメリカンフットボールのライスボウルはどうなったかな?風呂に入り本読みし、「岡山の民話・稲田浩二編・未来社」を読み終えました。起きてきた家内とぼたん鍋の残りを食べながら、映画DVD「イエスマン」を途中まで見て、18時頃寝ちゃいました。早起きの分、仕事のない休日はウィークデイ以上に早く眠たくなっちゃいます。

2014/1/3
5:30に起床しました。ゴソゴソし、7時に2日到着分の年賀状住所などをチェックしました。我が家の墓参りをするので、母が好きだった庭の水仙をチョキチョキします。水仙を激写したついでに、車のドライブレコーダーと「Beby in Car」ステッカーを写しました。
9時半に、お墓参りに出発しました。昨夜中高の友達と集まった長男は、高校時代同様麻雀をやってたようで、6:30に朝帰りしたそうです。3列目シートでお嫁さんの膝枕で、すぐにスヤスヤです。家内が仲がいいねと笑っています。僕らに似たのかラブラブは平気です。2列目で家内が子守りし、次男は助手席で僕とあ〜だこ〜だおしゃべりです。
10:25、「道の駅いながわ」横の猪肉専門店・「猪肉の根木」さんに到着しました。弟の家と長男の嫁さんの実家に、猪肉を送ります。お肉をあまり食べないので「1人どれぐらいの量がいいですか?」って聞きました。去年も同じことを聞いたような・・・。1人150g〜200gは標準のようなので、特上霜降り100g・1100円を400g+特選・1000円を400g+ばら肉・800円を200g=合計1kg+ぼたん鍋の合わせ味噌タレを多めの2袋を、両方の家に送りました。お嫁さんに実家の住所を宅急便送り状に書いてもらいました。翌日AM到着指定して、お嫁さんにその旨電話しといてねって頼んでおきました。「お嫁さんも猪肉を食べたことないので、我が家分も同じく1kg+合わせ味噌を購入し、3万円ほどになりました。我が家は4人で1万円だから、お店で食べる1人5000円より安価です。でもお店で食べた方がやはり美味いけどね。
根木さんを出発してお墓に向かうと、家内から「あ〜お父さんの名前で送っちゃった〜、お嫁さんとこにはユキくん(長男)の名前で送れば良かった〜」。長男は、「そんなことええって」と言うが、「いやあかん、電話して変更してもらおう」。「じゃあ、そうする」って家内が電話連絡して、無事変更OK一件落着です。今夜はぼたん鍋です。毎年1回は食べるね。
お墓に到着しました。前日弟が来たので、お花は省略で自宅の庭から今朝切ってきた水仙を加えます。母も喜んでいるでしょう。今回は、「お墓参りセット」を忘れませんでしたが、付属の防風ライターが点かないので、また僕のライターを使用しました。僕のベルトバックにはたばこを吸わないのにライターが入っています。あとハサミも。意外に助かります。
帰路に着き、三田の里山で昼食を取ろうと、r12〜r319〜r323で「峠茶屋」を見ますがお休みみたい。「半鐘の家」も「木器亭」もお休みです。正月三が日だものな。「岡村酒造」横を通り、息子たちも小学生時代お世話になったであろう「伊丹青少年野外センター」に抜ける。息子たちの記憶は、曖昧みたい。僕は小学生時代のお泊り勉強を覚えているけどなあ。体育館に泊まり、初枕投げを体験しました。
次は、家内が大学入学時オリエンテーションで日帰りした「KG千刈キャンプ場」です。僕は中学入学直前オリエンテーションで3泊ほどしました。いきなり、わざわざ乾いたグランドに水を大量に撒いて「どろんこメチャビー」でした。「なんで〜、汚れるやん」で始まったけど、全員どろんこグチョグチョになって、誰も友達のいなかった僕も、すぐみんなと友達になれました。あのタイミングでのあれはいいね。今でもやってるみたいです。
r49からr33・「西谷農協大池レストラン」に行くが、ここもお休みでした。妊娠前のお嫁さんと長男・僕ら夫婦で、釣り堀をした思い出の池です。鯉の引きがすごくて、家内もお嫁さんも大喜びでした。r33〜r325〜長尾山トンネルで大阪平野側に抜けて、「山本台・阪急オアシス」で鍋の具を買いました。阪急山本駅近くのヨット部の先輩がやってる「太鼓亭」で昼食にしました。遼成君はベビーフード+お茶です。12:43海老天カレー924円+親子丼609円+天丼724円×2=1448円+親子丼セット1008円=3989円。
帰宅後、そのまま長男夫婦は車でお出かけで、遼成くんは我が家でお留守番です。僕は年賀状チェックし、家内の着付先生から届いたので、年賀状を送りました。帰宅後遼成君と遊んでいると、長男が庭の窓から声を掛けてきます。遼成君はピクンと反応してキョロキョロ・・・次に玄関からのお父さんの声がして、喜んで高速ハイハイでお父さんに抱っこされに行きます。
6:30のぼたん鍋開始まで暇になったので、自転車でバイク倉庫へGO。元旦に姫路城で買った「しろまるひめ・ぬいぐるみ」を、ひこにゃんと交代でVTRにくっつけられるように、両面テープでマジックテープをくっつけます。
14:04、コンビニでお墓参りセット用にCRライター・120円を新調します。バイクセブン横を通過して定番に「猪名川土手」に上がり、南下開始です。「園田競馬」横の土手には、早朝自転車では誰も居ないのにギャラリーが20人ほどいます。競馬開催中のようです。目の前20mにレーススタートゲートが設置され、ここはナイスな観戦場所です。最後の馬・大外(土手側)12番がスタートゲートに入ったら、3秒ほどでスタートゲートが開きました。
「各馬一斉にスタート!おっと12番が遅れたか・・・」という実況が、馬場を挟んだ観客席スタンドでされていそうです。残念ながら何か放送してるのは聞こえるけど、聞き取れません。12番はいきなり1馬身ほど遅れて最下位スタートして行きました。でも1周して目の前を通った時は6位に順位が上がっています。そして観客席前の最終コーナーを回ったところで、盛大な声援が聞こえてきました。フィニッシュした馬が、惰性で目の前まで半周走って来ます。12番は2位でフィニッシュしたようです。馬券に絡んだね。
レース終了後、ギャラリーは一気に引いていきました。僕も自転車に乗り、更に南下します。競馬は最終レースだったのか、横の駐車場から車が続々と退出してきます。自転車のおっちゃんが、「惜しかったなあ〜、5000円ついたのにな〜」って大声で悔しがっています。馬券はいくらなんだろう?100円のが5000円になったのかな?あの12番が番狂わせしたのかな?
まだ時間があるので、バイクセブンに寄り道しました。バイクばかり並んだ駐輪場に僕のロードバイクが1台・・・違和感アリです。新春大安売り目玉品とか、買わなきゃ損でしょう福袋とかを期待しましたが、財布の紐が緩む目玉品はありませんでした。まあお財布を持ってないので、買うためには一旦帰宅して出直さないといけないんだけど。総走行時間1:11:12・距離18.6km・平均時速15.6km/h・最高速度32.9km/h。
17:30に帰宅したら、家内の鍋の用意が出来上がっていました。18時に次男を駅まで送りました。西宮北口で中高の同級生と集まるそうです。盆・正月に帰省すると旧交を温め合う機会が多いね。長男は次男とフェイスブック友達になってるようで、次男の行動を把握してるんだって。「お父さんも友達になったらいいやん」と言われたけど、息子と友達なんて遠慮しますわ。息子の行動なんて、知りたくないもん。
18:30、長男一家が泊まってる僕の実家でぼたん鍋開始。隣の自宅から、家内が準備した食材を運び入れ、卓上IHを2Fから下ろしてきた座敷机中央に載せてグツグツが始まります。その横で遼成君の夕食で、モリモリベビーフードを食べます。機関車に石炭をスコップで放り込むように、次々とお嫁さんや長男が遼成くんの前にスプーンを出します。口を開けてパクリと気持ちのいい食べっぷりです。タイミングが遅いと、なんか文句唸ってるし。この食欲だと、親も安心です。お腹が膨れだすと、手遊びが始まり、次に移動しだし、わかりやすいです。
ぼたん鍋の方は、かつおだし+肉と一緒に買ったぼたん鍋用合わせ味噌に肉から次々に食材投入です。霜降り部分でも牛のように油っこくなくさっぱり味なので美味しいと、お嫁さんが言って食べてくれます。産休前は皇室渡航にお伴し、社長記者会見でも横に座って新聞に載る才色兼備な会社のエース格のお嫁さんです。そんな自分への自信からか変に僕ら親にこびらず、自然に応対できる素晴らしいお嫁さんです。よくもまあ、長男くんがこんないいお嫁さんを獲得したものです。まあ、僕だってかなり過ぎた家内を獲得してるけどね。
20時前にお開き退散し、21時台に寝ちゃいました。

2014/1/2
4時頃目覚め、真っ暗で外では活動できないので自室でゴソゴソ。7時になり、PCで送られてきた年賀状の住所などチェックします。家内分の仕事関係に1枚新しい人からのがあったので、印刷して発送しました。ついでにメールチェックすると、妹からメールがあり「10時に岸和田を出ます。お姉さんにも連絡します」となっていました。1/2に我が家の氏宮に参ると言うので、「一緒にお参りに行こう。出発時間が決まったら連絡頂戴」と返していた返信です。
8:23、コンビニに走り、「イタリア栗のクリーミーモンブラン250円×2=500円」+「雪苺娘210円×2=420円」+「もち食感シューロールケーキ168円×2=336円」+「まるごと苺ミニ150円×3=450円」+「7プレミアムふんわりドーナツ298円」+「7プレミアム厚切りバウム298円=2302円」を買いました。
10:35、みんな一緒に氏宮の「臂岡天満宮」に参りました。息子たちの名前を授かったお宮で、遼成君が去年初宮参りしたとこです。遼成君の「人生初おみくじ」を長男が引きました。宮司さんの息子さんが、遼成に手渡そうとしてくれるのだけど、警戒して手を引っ込めて受け取りません。知らない人から身を守る術がちゃんと備わっていますね。でもまだ2回目のご対面の弟や姪には、ちゃんと抱っこされて愛想を振りまいています。親の相対などで、この人は安心だとわかるのかな?長男が受け取り開くと、「運勢・大吉」でした。みんなで大喜びです。弟の持って来た三脚で、全員写真です。僕のカメラなのに使いこなせていない僕は、同じソニーの上位機種一眼レフを持ってる長男に任せます。ちょちょいとセルフタイマーを設定し、3連写を2回して遼成君が正面を向いてる写真が撮れました。3連写だと瞬きしても問題無いですね。
ランニングスタイルの次男は、そのまま走りに行きました。去年は西宮戎まで初詣ツアーをしたので、今年は大阪方面だそうです。帰宅し、お茶タイムです。お目出度いお正月なので、東寺で買った「金箔入り梅茶」の出番です。孫くんは、弟とハイタッチ!しています。弟が「タッチ」って言いながら手のひらを向けると、半分以上無視ですがタッチしてきます。半分近く手が来るので、まぐれではなさそうです。「遼成く〜ん」と名前を呼ぶと、「あ〜」とか言うので、名前もわかってるみたい。
妹が遼成の座ってるベビー椅子を指さし、名前を見つけました。この椅子は僕が赤ん坊の時、両親が買ってくれたものです。母親は少し値が張っても良い物を買う人だったので、僕の次に弟、僕の長男・次男を経て弟の家に行き、甥・姪を使われ、再び我が家に戻ってきて遼成君が座っています。僕の名前以下、歴代使用者の名前と使用初年が書かれています。元旦に長男が遼成の名前を書き加えました。甥の名前は書かれていますが、姪の名がまだだったので弟が書き加えました。
ここまで来ると、もう立派な我が家の家宝です。13時になり、弟家族が我が家の墓参りに出発します。「明日行くから、掃除もお花も要らないわ、ラッキー」って、弟を送り出します。今月の姪の中学受験を天満宮にお願いしておいたので、きっと合格でしょう。女子中高一貫校を目指してるそうで、弟は「僕だけが男女共学やった〜」って残念がっていました。そう言えば、我が家は全員男子校か女子校に進学しました。
長男一家と、遼成君の初靴購入で「川西阪急」に繰り出しました。いつの間にか僕がそのスポンサーになってて、嬉しい限りです。息子たちは、これから子供も増え、いくらでも子供にお金がかかるので、できるだけ協力しなきゃね。まず4Fの「ミキハウス」を覗きます。「なに、このかっこかわいいベビー靴は・・・」。
我が子の頃は、ファミリア一本で如何にもベビーなレースなんかがついてるかわいい系だったのに、イタリアンなカラフルでセンスのいい配色の靴や、「革靴?」と見えるダンディーな靴、更にはミキハウス&ミズノのコラボな「M」マークがかっこいい靴が棚に並んでいます。お値段も良くて、5000円とか7000円とか生意気な価格設定です。
長男が、ベビー靴の並んでる別のお店を覗きに行っています。「あっちのアディダスがあったよ」と僕が言うと、すぐに覗きに行きます。アシックスやなんとニューバランスまであります。スポーツ用品メーカーがベビー靴にも進出してるのですね。店員さんのお姉さんを捕まえ、あれやこれや聞いています。長男は「N」マークがかっこいいニューバランスの茶系靴のデザインが気に入ったようですが、店員さんの採寸11.5では、まだニューバランスの一番小さいのでも大きすぎます。
店員さんによると、初めての靴は10歩ほど歩けるようになった時が買い時だそうで、二足立ちが出来るだけで、最初の一歩がまだ踏み出せない遼成君には早いそうです。大き目を買う手もありますが、結構足は成長するそうでその時採寸して足に合わせるのがいいそうです。ニューバランスのベビー靴は、同じサイズでも少し大き目だそうで、足の形を見るとアシックスの方がいいそうです。
ということで、「今回は見合わせます。いろいろ出して話も聞かせてもらいありがとうございました。参考になりました」と長男が挨拶し、最初の靴は東京で買うことになりました。弟の長男は1歳誕生日に初めて歩いたと妹が言ってたので、10歩歩くのはあと1〜2ヶ月先でしょう。靴を履かせてもらいながら泣いてる子もいましたが、遼成君は赤いかわいい椅子に腰掛けて靴を履かせてもらいながら、店員さんを「怪しいヤツ」という目で見ながら、お父さんの腕をギュッと掴んでいます。小さなカメラを持って行かなかったのが、痛恨の極みです。メチャクチャ可愛いかった〜。泣いてた子は、12.5と13.0の2足を大人買いしていました。「お爺ちゃん・おばあちゃんが喜ぶよ〜」と、お父さんに言われていました。これからジジババの家に行くようです。うち同様、スポンサーはジジババかも?ここは、写真館「スタジオアリス」同様、幸せいっぱいでいいです。
帰りに、14時・イタリアン・ファミリーレストランで、ピザ・パスタで昼食にしました。「靴のお金を渡しとくわ、1万円でいいかな?」って言ったら、「5000円でいいよ。買ったら履いてる写真を送るわ」だって。
帰宅後、18時に中高の同級生と会うという長男を駅まで送りました。車の中で、お嫁さんが綺麗になってると話すと、「変わってないよ。髪を少し切ったのと軽く髪染めしたので、そう見えるのかな?」って、家内と同じことを言ってました。職業柄髪染め&パーマ禁止だったのですが、産休中なので少しイメチェンしたのかな?それにしても女子目線は鋭いです。家内は、バッチリファッション・チェックしています。
帰宅後、家内とNHKドラマ「10年先も君に恋して」のDVDを見ました。いつもの休日のように20時前に床に入りましたが、次男の電話で起こされました。大阪天満宮駅だそうで、最寄り駅に21:40に着くそうです。車で迎えに行きます。大阪城まで、直線距離20km走ったそうです。スマホで神社を検索しながら、20社ほどお参りしトタール距離は30kmになったそうです。お参りの都度食べて休憩し、その度ランニングの薄着だから身体が冷えたそうです。
大坂城がプロジェクションマッピングされており、その入場料が3500円で、1万円の軍資金が残り1000円になったそうです。駅から出てきた時ぎこちなく歩いているので聞くと、「膝が痛い。走り過ぎた〜。去年の20kmは平気やったのに、25kmから膝が痛くなってきた。まだフルマラソンはあかんわ、ハーフがいいとこやわ」だって。グアムマラソンで、5kmけ×4人コースに2度出場してるので、次はハワイか東京マラソンにエントリーするのだとか。
長男も去年2回、大会で10kmを走ったと次男が走りに行った後教えてくれました。次男はずっとヨット部でしたが、長男は少年野球〜中学・陸上部〜高校・将棋〜大学ライフル射撃部といろいろやって来ました。また走りたくなり、家の周りを時々走っていたのですが、目標がないとやる気が起こらないので、新潟マラソンと地元・台東区マラソンにエントリーしたそうです。新潟がお嫁さんの実家だから、帰省がてら大会に参加できるからそうしたそうです。新潟では、ゲストがシドニー金メダルのQちゃんで、沿道から応援がすごくて、あっという間にレースが終わったそうです。でも、台東区の時はゲストが東京2020オリンピック最終プレゼンターだったパラリンピックの佐藤さんで、スタートシグナルだけだったから沿道の応援が少なく、見知った道を淡々と走っただけだったそうです。
その話を次男にすると、「え〜、知らんかった〜」と驚いていました。我が家にマラソン旋風が吹いています。フルマラソンは体の負担が大きいので、ハーフぐらいに止めておいて欲しいな。僕らのようにのんびり自転車なら、あまり心配はないんだけどな。孫が自転車に乗れるようになったら、家族でスポーツ自転車に乗り出すかもしれません。うふふ・・・。

2014/1/1
3:59に目が覚めました。冬場はこんなに早く目が覚めてもすることないのに・・・。夜明けまでゴソゴソし、風呂に入って家内の実家の墓参りに出ました。家内が着物です。グハ〜似合ってる〜。僕の隣に着物美人がいて、僕は果報者です。僕ら夫婦・長男一家3人・次男の6人で車に乗り込み、8時出発。起きるのが遅かった次男用に、コンビニに寄って朝食を購入し、中国道宝塚IC〜山陽道でお墓を目指します。次男が1枚だけ買った宝くじが300円に当たったようです。
9:00、「三木SA」で姪のお土産用に「抹茶バーム・1155円」購入。加古川日光山墓苑でお墓参りをします。大晦日に姉夫婦が参っているのでお花はナシで良かったのですが、お線香などの「墓参りセット」を忘れて来ました。お花の用意など必要なかったのが忘れ物の原因です。家内は、「何しに来たんだか〜」って半分しょげていますが、大笑いでおしまいです。前日のお線香がすぐに消えたようで、まだしっかり燃え残っていたので、それに僕持参のライターで火を点けます。お嫁さんと、嫡孫くんを抱いた長男が代表して再び燃え始めたお線香を供えます。
r65を西進し、義理父の実家があった「志方」横を通過し、今年の大河だラマ・黒田官兵衛の正妻・棚橋娘の実家・志方城の話をします。お嫁さんに知ってもらわなきゃね。家内の母校・「賢明女子」を息子たちに見せ、10:06「姫路城」に到着しました。天守閣は大修理中でシートに覆われて見えませんが、さすが国宝のお城、大迫力の美しい姿です。江戸期の平城もたくさん見ていますが、ダントツに綺麗です。去年訪問した「熊本城」もナイスでしたが、姫路城には敵いませんね。家内の里・播州を治めた殿様の名を次男に付けました。ここは我が家にとって大事な場所です。
僕同様歴史好きの長男が、お嫁さんにいろいろ教えています。元旦は、入場料が無料でした。さらに天守閣修理見学も無料でしたが、その分予約が取れず150分待ちの大行列でした。天守閣は諦め、通常ルートを巡って、入場口に戻ってきました。10:53、「しろまるひめ」という姫路のゆるキャラぬいぐるみ小・900円を購入しました。本多忠政の息子・忠刻のお嫁さんで徳川家康の孫・千姫をモチーフにしているのでしょう。VTRリアシートに乗せられるようにしましょう。
次は加古川の姉宅です。家内の実家は、主がいなくなって雨漏りするようになり、取り壊して駐車場になっています。姉夫婦が近くに住み守っていてくれています。R2を東進していると、黒田官兵衛の主人・小寺氏の本城があった「御着城址」横を通りました。更に進み高砂市に入ると、甥が通った「白陵中高」の案内板がありました。
R250に乗り、姉宅到着。家の前で甥と姪の長男がサッカーボールを追い掛け回しています。甥は白陵時代サッカー部で、まだ小学生ですの姪の息子は「ヴィッセル神戸」サッカー部に通っています。姉夫婦・姪一家・甥で、姉が用意してくれた「下鴨茶寮おせちセット・4万円」を食べました。おせちは味がイマイチなのに高いね。お寿司の方が、安価でずっと美味くお腹も膨れるように思います。
兄が、歴史好きの僕のために、播州信金の姫路城カレンダーを用意してくれていました。PC教室に通ってる姪の作った子供達メインの写真カレンダーがナイスの出来でした。兄達にプレゼントだって。姪の娘と息子がスノーボード教室の事を話してくれました。1年前はスキー教室に参加したそうです。
嫡孫・遼成君はまだ赤ちゃんなのに、生意気にお年玉をもらっていました。お嫁さんは、職業柄子どもと親を見慣れてるお兄さんから「賢い褒め方・叱り方」という本をもらっていました。「お嫁さんは英語がペラペラやねんよ〜」と、孫娘にお勉強しいや〜ってお兄さんが言ってます。兄は人の悪口は言わず、プラス言葉ばかりを口にする人なので僕は好きです。家内と交際中、学生結婚してた姉夫婦の家に、家内の実家からの生活物資を何度もデートついでに浜松まで運びましたが、気持ちのいい兄夫婦なので家内との結婚への気持ちが更に膨らみました。兄一家の家庭には常に笑顔で溢れていて、いつも気持ちのいい帰り道になります。
13時を回り、お暇しました。次は加古川の北の加西市です。「一乗寺」訪問予定にしていましたが、孫くんをまた寒空に出すのが忍びなくそこは飛ばして、「加西・鶉野飛行場跡(旧姫路海軍航空隊基地)」を目指しました。14:43、家内と自転車で来た時は見つけられなかった防空壕を見つけました。民家の庭にある感じですが一般公開されているようで、分厚いコンクリートの半地下ドームが回りの牧場風景に異彩を放っていました。隣は、神戸大学農学部の牧場で、牛が放し飼いされています。滑走路に向かいました。ここは紫電改などを制作していた川西飛行機(現・新明和工業)工場が隣接し、ここから各地の戦線に飛び立っていました。
ここで編成された姫路航空隊特別攻撃隊も、最前線の九州方面に飛び立ちました。元特攻隊員さんが寄贈した旗竿に旭日旗がはためき、ここから飛び立ち戦死した特攻隊員の名が石碑に刻まれていました。負け戦だったので、戦後すぐは「無駄死に」などと陰口を叩かれた特攻隊ですが、あの精神は戦後もずっと日本人の心に勇気を宿し、諸外国の人々にも日本人の組織的な勇敢さを物語ってきたと思います。ご冥福を祈ります。
帰宅後、長男夫婦が車で出るそうで、遼成くんを預かりました。もう僕らに平気で人見知りもせず、チャラチャラ音のする僕の鍵束で遊んでいます。回転椅子の下に入り込んで金属製の脚にそれを当てて音を楽しんでいます。横で年賀状チェックをしている僕の邪魔をしにやってくる。次男の方にもハイハイしていき、遊んでもらっています。次男も子供好きで、楽しそうに笑っています。親に上手に育てられているようで、落ち着いています。次男は僕同様、子煩悩になりそうです。
長男夫婦が帰ってきて、玄関から母親の声が聞こえると、きょとんな表情になり、一目散ハイハイで部屋から出て行きます。再び母親の声を聞くと猛ダッシュでその手の元へ。新しく出来たショッピングセンターに行ってたそうです。長男から「うどんを食べに行こう」という提案があり、みんなで出ました。ベビーフードとともに、親が小さく切ったうどんを食べています。1.5cmぐらいのうどんを、つるりと吸って口に入れています。誰にも教えてもらっていないのに、上手なものです。
薄いブルーのかっこいい肌着のことを聞くと、ユニクロだそうです。ヒートテックも持ってるそうで、チビなのにオシャレです。かっこいいジーパンを履いています。裾の折り返しが可愛く、家内がお尻の可愛いラインが凄くいいとお気に入りです。家内が聞くと、産休中のお嫁さんに代わって長男がシカゴで買ってきたとか。長男の会社の子会社がシカゴにあり、よくシカゴに行っています。
帰宅後、次男が車で出かけました。年賀状チェックしていると、凄いことが書いてあるのを見つけました。次男がジュニアヨット時代、同じヨットクラブだった後輩君のお父さんからの年賀状ですが、「娘が、2014ミス・ユニバース埼玉大会でグランプリを受賞しました。3月のミス・ユニバース・ジャパン日本代表本決戦に挑みます」だって。お兄ちゃんの仕事がモデルで、この妹さんもモデルをやってたはずです。萬田久子とかだよね・・・小学生の頃からかわいい女の子だったけど、ミス・ユニバースは凄いよ。日本代表になったら、関係ないのに「僕が育てた」なんてウソぶけるのに・・・。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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