ウェブマスター日記 2013/11-12

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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12/31
今朝は長男一家が帰省する日です。早めに朝ごはんを食べ、7時に家を出ます。今日長男が車を使うかもしれないし、元旦もお墓参りするのでまず給油です。メーターはまだ半分ですが、車なので35Lも入りました。大食漢です。
7:30に空港に着いて、JAL到着ロビーで待ちます。到着最初の便が東京羽田からの便で、椅子に座っていると7:40オンタイムに、ボードを表示が「定刻」から、「到着しました」になりました。赤ん坊連れなので預け荷物があるだろうから、あと10分かな。この時間に我が家を出ても、ロビーに出てくるまでにここに来れそうです。我が家は飛行場が近いので便利です。
ボチボチと手荷物だけのお客さんがロビーに出て来だしたので、ターンベルトコンベアが見える場所に移動します。中を覗く長男夫婦が荷物が流れてくるのを待っています。目が合い手を振りました。しばらく待って出てきた長男一家と一緒に車に戻ります。機械精算すると、100円でした。羽田6:30発の便なので4時台に起きたけど、初孫君の準備に手間取り、便利のいい駅までタクシーを使ってしまったようです。彼らの自宅は東京の東なので、空港まで電車で1時間掛かります。
嫡孫くんは、掴まる物がなくてもしばらく2本足で立てるようになったそうです。でもまだ一歩が出ないのだとか。前回東京で会った50日前はつかまり立ち横歩きだったので、着実に成長しています。お嫁さんに向かって「ママ」と言うそうで、「パパ」も言ってるような言ってないようなだそうで、親にとって嬉しい時ですね。長男の胸におんぶ紐で括りつけられた嫡孫くんは、「なんか変なおじさんがいるぞ」って目で見てますが、僕が頭を撫ぜても泣きそうでもないし、父親にヘルプを願うでもなさそうで、1日2日で僕に慣れてくれるかもしれません。お盆の時は、当日に僕が抱っこしても平気になり、数時間家内と2人で世話が出来ました。頭が良くなると、防御能力が向上し人見知りをする知恵が付いてくるけど、僕を覚えていてくれているのかな?
自宅に戻り、お迎えの家内と孫くんのあ〜だこ〜だ後、僕は通勤の人になりました。大晦日なので18時に仕事を終え、宅配寿司「銀のさら」の「寿司握り5人前セット」を持って長男一家のいる隣の僕の実家に入ります。家内・次男と賑やかな夕食です。年越しそばを食べ、日曜日に「道の駅いながわ」で買った「ゆずシフォンケーキ」を3/4食べて、皆さんお腹いっぱいです。主役の孫くんは、「二本足立ち」も披露してくれてとっても可愛い。紅白歌合戦とか除夜の鐘とかゆく年くる年とか、TVでいいのをたくさんやってますが、眠気のままに21時台に寝てしまいました。

12/28
今年最後の土曜の夜はD社大ヨット部忘年会でした。長年定期戦をやってるD社の同期から、彼の上下数年のOBが集まってやってる忘年会に誘われました。場所は彼がやってる堂島のレストランです。「ああ、行けるよ」。母校ヨット部の同期にも連絡しましたが、どうやら参加するのは僕だけのようです。大学卒業後、多くのD社OBの方と会っていますが、ガチで勝負してたライバルたちなのでどんな話が出来るのか楽しみです。
仕事を終え、阪急電車で大阪駅まで出ました。21時頃ですが、たまに出た大阪の中心地は人で一杯です。ほろ酔いな方やいかにも忘年会帰りや途中の方々が上機嫌で歩いています。JR大阪駅〜ウェスティングホテル〜と堂島ホテルに向かって歩きます。ミニスカート女子も多く、田舎者には目の毒です。
同期のやってるレストランは、オフィス街の昼食や夕食・バー狙いのお店なので、土日祝日はお休みです。金曜日で今年の営業を終え、この日から正月休みで、この忘年会のために臨時で店を開けています。「こんばんは」と店に入ると、D社OBばかり10名ほどが集まっていました。
次男が中高ヨット部でお世話になったN先生もおられました。次男が中学受験の時、系列高校にヨット部のある清風を受験すると言い出しました。京阪神統一受験日が前年の阪神大震災の関係で兵庫県と大阪府がずれたので、兵庫県の第一志望校の他に大阪府の学校も一次選考で受けることが出来ました。スポーツにも力を入れてる学校ですが、勉強の方が心配で学校に、ヨット部顧問先生と直接話が出来ないかと電話しました。ちょうど授業の合間で顧問先生と話が出来ました。ヨット部員の卒業後進路を聞くと国立にも現役入学実績があり問題なさそうでした。ヨットの事に詳しいので先生のことを聞くと、「D社ヨット部OBでして・・・」「僕はKGヨット部です。ご卒業年度は?」・・・「え〜、先生の4回生の時、僕は1回生でした」って、一気に話が弾みました。兵庫県の第一志望校にも合格しましたが、次男はヨット部のある清風志望なので塾に報告に行くと、「え〜、ほんとにそれでいいの?」と何度も念を押されました。今は出世し、教頭先生だそうです。
僕の後から3つ上のD社・H先輩が来られました。話を伺うと、僕が今レースに出てる船のオーナーさんでもある3つ上のS先輩と同じ会社で、常務さんでした。Sさんが社長さんなので、ヨット部つながりで体育会のノリでやってるのでしょう。ワイワイガヤガヤ、あ〜だこ〜だ22:45までおしゃべりし解散になりました。「また来てくださいよ。D社はウェルカムですから」って、1回下の子らから何度も念を押され、来年また呼ばれたら母校後輩も連れて行かなきゃと思いました。
体育会でカチで勝負してたからこその友情がありました。こういう濃い縁は死ぬまで消えないね。息子たちも体育会で4年間頑張ったので、きっと僕と同じような縁がずっと続くでしょう。いいね、こういう関係。24時前の帰宅になり、久しぶりに午前様就寝になりました。

12/29
今年最後の日曜日は、次男が帰省する日です。家内が駅まで迎えに行くと言うので、12時頃家にいなければなりません。前日の土曜日は0時過ぎに寝たのに、いつものように夜明け前に目が覚めました。明るくなるまでゴソゴソし、朝食を食べて庭の草刈り開始です。これをやっつけたら午前中バイクで走りに行くと家内に宣言しています。草刈り椅子・「草刈まさおくん」にまたがり特急で庭をやっつけ、隣の実家の玄関を雑巾掛けして終了。イザ行かんと意気込んで雑巾を洗っていると、家内から「毛染めに行くから乗せてって〜」と臨時仕事が舞い込み、車で駅まで送ります。
帰宅し特急でバイク装束に着替えます。本日のテーマは、冬用手袋新アイテムお試しです。僕の最強真冬グローブは二重グローブですが、その内側のをテイジンテビロン使用のあったか手袋に交換してみます。2時間走った結果は、より温かくなったけど、極寒時でも指先までぬくぬくとは行かなさそうです。でも、バイクを降りた後グローブを外すと外層手袋だけ外れ、内層手袋が残って普通の手袋として使えるので、別に毛糸手袋を持つ必要がなくなりナイスです。
10時に倉庫から「里山VTR250」を出してエンジン点火。チョークを引っ張ると一発始動で、1ヶ月ぶりの出動なのに快調です。宝塚出光で給油し、定番の長尾山トンネル〜r325〜r33経由で、10:43波豆・八阪神社前定点観測ポイント到着。水を引いた田んぼは氷が張り、冬枯れの里山が晴天の青空の下に清々しいです。たくさんの車が停まっており、石鳥居に梯子が掛かりまたらしいしめ縄がお正月準備中を示しています。境内の掃除など、氏子さん達が寄ってあれやこれややってるのでしょう。
当初は、羽束川の方を巡る予定でしたが、目に入った大船山への登山口を確かめることにしました。家内とのトレッキングで登ろうと思っています。r323を渡って北上し、大舟寺への分岐を少し超えたところにそれを見つけました。この道は町石道になっており、元山中にあった大舟寺への参道だったのでしょう。「治山工事のため登山道通行止め・26年3月まで」との看板が立っているので、そこに書いてあったもう一つの登山口を確認しに行きます。
10:56、「カナディアン大磯」の登山口到着。地図に山頂が653mと書かれています。バックから時計を出し標高標高をチェックすると255mなので、家でチェックした気圧誤差を計算すると300m位だから、ここからの比高350mです。僕らなら1.5時間でしょうか。さっきの町石道登山口より50mほど上がっています。
ペンション・テニス・三田フィールドアスレチック・プールなど書いてありますが、営業してるのだろうか?11:07になったので帰路に着きます。r323〜r319でr12に出て、「道の駅いながわ」まで南下しました。目的は、猪肉屋・根木さんで、今朝穫れたイノシシ見物ですが、ぶら下がっていませんでした。年内はこのまで営業で、年明けは3日から営業だそうで、我が家の墓参りを3日以降にして途中ここで猪肉を買うことにします。お嫁さんにイノシシを見せてやりたいと思っています。道の駅は車がいっぱいで、バイクも10台弱いました。「ゆずシフォンケーキ・1000円」が目につき買っちゃいました。賞味期限が12/31なので、その日の朝帰ってくる長男一家との夕食後に食べましょう。
r68〜r33で西谷農協から長尾山トンネル経由で帰宅しました。冬の日曜日の割にツーリングバイクが走っており、お正月休みなのでバイクピースの反応率も高かったです。12:30頃帰宅し、次男の現在地を確かめに電話してみます。留守電に切り替わったので電車内のようです。家内は隣の実家の掃除をしているようで、1人でTVを見ながら電話を待ちます。新大阪駅に着いた次男から電話があり、13:15頃最寄り駅到着のようです。
次男に会えるのでごきげんな家内を乗せて駅前で待ち、乗ってきた次男に設計した建物を聞いています。来月は薬局のオープンだそうで、先月は野菜工場で出来た野菜を販売するお店をオープンさせたそうです。野菜工場はまだコストが高く試行錯誤中ですが、その間に出来る野菜の販路を作ったそうです。建築会社なのに野菜も売るようになったのだとか。元は、六本木レストランに併設した六本木室内農園を次男が設計してから広がった新分野なので、なんとか成功してもらいたいです。
帰宅ししばらくTVを見ながら昼食で休憩し、夕方から出かける次男を駅に送るついでにお買い物です。小学校の塾の同窓会だそうです。ホームセンターで洗濯物干しを購入し、CALAJAで家内の仕事用薄手セーター・1990円、ワークマンでこれまた家内の仕事着下に着るWキルトベストM・780円を買って18:30に帰宅しました。

2013/12/22
日曜日は、久々に家内とデートの1日でした。家内が秋から「着付け教室」に通い始めたので、バイクや自転車・トレッキングで一緒の時間を過ごす日曜日がなくなりました。年末が近づき、着付け教室がお休みになり、バイクや自転車は寒いからトレッキングをすることにしました。家内の着付けは上達し、1人で着物を着れるようになってきました。まだ朝の出勤前練習だけですが、着物姿の家内がの中にいるだけでなんだかわが家が華やいだように感じます。元旦は着物で過ごすそうです。ぐふふ、いいかも・・・
トレッキングの目的地を、播磨の「置塩城址」にしました。ここは播磨守護の赤松氏の本城です。鎌倉幕府を足利尊氏と共に落とし室町幕府の重臣になった赤松円心の本城・「白旗城」と、新田義貞に追われて九州に落ちていく足利尊氏の窮地を救った円心の子が籠もった「感状山城」と共に、赤松三城の1つです。円心後、足利将軍を暗殺したことで、北の但馬守護の山名氏に攻められ、播磨・備前・美作3ヶ国守護から追われ没落しましたが、応仁の乱で再度3ヶ国守護に返り咲いた赤松氏が新たに築いた本城が「置塩城」です。
3ヶ国守護という大身なので、赤松氏の築いた山城は見応えのあるところが多いです。2年前に登った「感状山城址」が素晴らしかったので、次のターゲットをここに定めていました。「白旗城址」は1段階ハードそうなので、息子たち若いもんと一緒に登る安全策を講じれる時にしようと後回しにしています。
7時頃家を出ます。中国道の側道から見える中国道は渋滞していません。前日9時前の交通情報で、宝塚トンネル東行渋滞中となっていたのでラッキーでした。なんせ3連休の中日です。中国道を西進し、「加西SA」でトイレ休憩し、「福崎IC」で高速を降ります。中国道沿いのr23を西進し、「前之庄」を左折しr67に乗り南下します。「前之庄」という地名は趣があります。夢前川沿いでもあり、きっと歴史遺産がたくさん眠っているでしょう。県道は「夢前高校」正門前を通過しました。素敵な学校名です。半日ぐらいウロウロ歴史遺産を探したい名です。家内が「あっ、夢乃井だ〜」って。塩田温泉・旅館夢乃井さんです。播州で育った家内はもちろん、伊丹の僕でさえ知っている名です。夢前川は姫路に下る河川で、ゆるやかに流れています。
この川沿いを姫路に自転車で下ると楽しそうだなと思っているのですが、前之庄に上がる電車がりません。路線バスにロードバイクが積めるといいのになあ・・・なんて軟弱に考えながら、交通量が適当にある県道の川を隔てた向こう側の交通量の少なそうな道に目をやります。「糸田」というところで、県道は対岸・右岸・西岸に渡るのですが、城址は東岸にあるので、ここで橋を渡らず県道から離れました。これが正解で、交通量のぐっと減った田舎道を下ると、去年登城口を確認した時に見つけた「櫃蔵神社」が見えてきました。
櫃蔵神社から50mぐらい南にある登城口に、8:49到着。駐車場に車を置き、トレッキング準備を始めます。他に車はなく、城址独占になりそうです。ことし立った真新しい案内板があり、来年2014年大河ドラマ主人公・姫路城主・黒田官兵衛との縁が書かれていました。来年の観光客アップに向けての準備なのでしょう。赤松氏の家老・小寺氏の家老だったので、ここにも観光客を呼び込もうということらしい。
謂れ板には城址見取り図も載っており、山頂までの所要時間40分となっていました。30分ぐらいと思ってたので、ちょいと覚悟します。僕らのスピードでは1時間でしょう。登城口横にある「置塩家のお墓」にお参りします。赤松氏の前は置塩氏の支配した土地でしょう。この位置にポツンと独立してお墓があるくらいだから、お山は置塩さんの所有地の可能性大です。「おじゃまさせてもらいます」。
9:00、登城口に入ったとこに立ってる「置塩城登山道」案内板横を通過し登城開始です。山道脇の木々に樹木名札が下げられ、そっちの学習も出来てナイスです。神社にはつきものの「榊・さかき」をじっくり観察し、樹皮・葉の形を頭に入れます。いかにも葉っぱという形で、この時期でも緑色が濃いです。この常緑性故に神社神事に使われて来たのでしょう。木偏に神だから、日本神道的には神の木・葉ですね。
つづら折れの道をゆっくり上ります。それでも勾配は中程度なので、なかなかハードです。一丁から始まる丁石が設置されているので、城址のある18丁までを逆算しながら励みます。9:20、初めて南方面の視界がひらけここで小休憩を取りました。書写山方向に流れる夢前川が眼下に望め、なかなかナイスです。9丁を過ぎ、「炭焼き窯跡」がありました。切り出した木をここで炭にして担ぎおろしたのでしょうね。この山には他にも数ヶ所あるそうです。石炭石油以前のエネルギー遺産ですね。
17丁に来ても、山頂はまだ先のように見え、あと1丁(丁石は約108mごとに設置されている)では山頂本丸まで届きそうもありません。「下の案内板に書いてあった18丁は記憶間違いだったかなあ〜」なんて話しながら登ると、9:54、「南曲輪群へ」「本丸へ」の案内板に到着。18丁は城跡までの距離だったようです。
ここから城址探索モードです。南曲輪を探索します。段曲輪になっており、下段にも扁平地があります。それぞれの面積が大きく、本丸に向けての期待が高まります。上の曲輪までの間に帯曲輪も巡っています。500年経ってもまだ素人目にもしっかりそれとわかるのは、当時の要塞の切岸の深さや角度がきつかったことが想像されます。
少し上に上ると18丁石があり、「置塩城址」の石柱が立っていました。「茶室跡」・「石垣崩壊注意」などの案内板を見ながら、それぞれを巡ります。自然石積みの野積み石垣なので水の処理がうまく出来ており、500年の年月しっかり石垣としての使命を果たしています。石垣が崩れたと思われる石も散乱していますが、50年で寿命だ・建て替えだと叫んでる鉄筋コンクリート住宅とは雲泥の差です。
切岸・横堀が大規模で、さすが赤松氏とうならせる見応え充分な山城です。三の丸曲輪を探索し、二の丸曲輪で補給食休憩にしました。適当な石に腰掛け、家から持って来たいただきものの三笠を頬張ります。女性だけで踏み入れるには危ないですが、僕らだけの世界を楽しみます。冬の時期なのに鳥のさえずりがあっちからもこっちからも忙しいです。キツツキのドラミングも聞こえてきて、「あれがキツツキ・・・わかる?」っと家内に説明します。家内はインドア派なので、こういうところに連れてくるだけで僕の株が上がります。一銭もお金を使わずにラッキーです。
「誰かいますか〜」の声が突然聞こえました。「ん?」「誰かいますか?」「あっ、はい」「・・さん?」「はい」・・・我が家の苗字をこんなところで呼ばれるなんて・・・ガサゴソ上がって来られた年配の男性2人が、「10丁付近でお財布を拾いましたよ」「ええ〜」・・・「あっ、私の・・・」「どうもありがとうございます」。景色のいいところで休憩した時に落としたお財布を、後続の親切な方に拾ってもらったようです。「交番に届けようと思ってました」って笑って二の丸探索をされていました。
空腹を少々満たし、「本丸」に向かいます。「二の丸」が山頂なので、一旦下って再び登りになり、10:36・次の頂にある本丸到着。「380m・神戸ツキワ登山会」の板が木に結わえられていました。ツキワ会って、ツキノワグマ探索の会かな?「二の丸」より2〜30m高いです。二の丸・三の丸では展望がありませんでしたが、本丸からは遠く姫路の海まで見通せます。ナイスな眺望を見ながら腰掛けて話していると、先ほどの二人組さんが登って来られました。
「山城巡りですか?」「そうです、岡山から遠征です。日頃は単独行動なのですが、日程が合うと2人で山城に登っています」「僕は歴史が趣味で、次男の名前も姫路の殿様の名を拝借しました」「そりゃ相当だなあ。姫路城主は地元の方は、池田氏より本多氏なんだよなあ」・・・。播州出身ということだったので、家内が姫路の賢明女子出身ですと話したら、「え〜僕は隣の淳心ですよ」「え〜失礼ですがお年は?」「今年還暦です」、「あれ〜僕らは同級生で・・才なので、家内とすれ違っていたかもしれませんね」「ほんとだ〜」、「私は姫路東ですよ」「え〜これまた同じ姫路城内じゃないですか」って、ことで岡山の山城の話などで大いに盛り上がりました。赤松氏の三大山城はその筋でも有名なようで、今日3つ目を制覇されたそうです。まだ攻城していない「白旗城址」のことを聞くと、「ここと同じぐらいの距離かな。でも向こうの方が少し急です」とのことで、「杖を取ろうと適当な枝を拾い上げようとしたら、にょろにょろ動き出してびっくりしたよ。アオダイショウでした」との白旗城址でのエピソードを話してくれました。スズメバチもいるし、山城攻めは冬が一番いいねって、僕と同じ意見でした。
岡山県の山城・約4000のほとんど登ったというガイドさんとも知り合いだという、とても山城に詳しい方でした。先月断念した浦上氏の「天神山城址」を聞いてみました。本丸には一旦下って登り返さないといけないけど、「和気美しい森」まで車で登ると旧城は平坦ですと、これまた僕と同意見でした。
「お先に失礼します」って本丸を後にしました。元の道を下り、登りでは気づかなかった「コジイの板根」というのが目に入りました。根っこがまさに板状です。珍しいな。そこで、帰路のはじめにすれ違った単独行の方に抜かれました。「もう上がってきたのか」。落ち葉満載の山道なので、ゆっくり気をつけようと話していたのに、家内がすってんころりんして笑ってると、さっきの二人組さんに追いつかれ抜かされました。
12:06、無事車まで下りてきました。登り・下り1時間、山城探索30分・おしゃべり30分でした。お財布落としが、楽しいおしゃべり時間をもたらしました。二人組さんの車が隣に駐車されており、お二人は土手でお弁当のようです。家内を「櫃蔵神社」に連れて行きます。ここの絵馬が立派だったので、それを見せました。鎮守の森の巨木は天然記念物で、イチョウだと思ってたら「イチョウ・ムクノキ」と説明されていました。よく見ると共生しています。拝殿瓦の棟瓦に飾り瓦が載っています。鳩?キジ?鳩を家紋にしている豪族も多く、武運長久などを表しているのかな?ここは赤松氏が羽柴秀吉の命で城を破却した時に、城の守護神を分祀した祈願社です。赤松氏は、村上天皇流れの本姓・源氏で、それ以前と思われる置塩氏は、お墓の家紋・「丸に下り藤」から推定すると藤原氏流れです。
本殿の裏に回ると、赤茶色部分がある岩が置いてありました。今秋、出雲をバイクで和鋼巡りした話を本丸でした時、「夢前川にも鉄由来の地名がたくさん残っています。塩田温泉の塩もそうです・・・」と教えてもらいました。塩がどういう関係で鉄に縁のある文字かわかりませんが、この赤茶色は鉄成分含有の岩と推測されます。目立ちませんが、神社本殿横に置かれているのに、古代から続く鉄文化が脳内妄想し始めました。
車に戻ると、ちょうど二人組さんも車に戻って来られました。「次はどちらへ?」「岡山備前の山城です」「今日はありがとうございました」・・・。本丸で、備前長船近くにお住まいと聞き、「長船刀剣博物館」のことを聞いたら、現役の刀鍛冶が実際に打っているところを見れますよと教えてくれました。一振りで、車1台分のお値段で、飾り鞘・保存するときの白鞘・鍔・・・全て含めると・・・。娘が結婚する時、懐刀を嫁入り道具に作ってやろうかと言ったら、「そんな物騒な、現金がいい」と断られたとか、いろんな情報を仕入れることが出来ました。
12:30になったので、帰路に着きます。r80を東に峠を越え、市川沿い・R312を北上し、「福崎IC」から中国道に乗りました。「西宮北JCT」での渋滞が電光表示されています。「吉川IC」で高速を降り、三田「永澤寺」にナビを合わせ、r17〜ウッディータウン〜JR新三田〜有馬富士〜志手原でr49に乗り北上します。
バイカーズカフェ・虎亀さんで昼食にしようと思いましたが、駐車場はバイクがいっぱいで他に回ることにしました。ハーレーの凄いバイクを道から見てると奥さんが出てきて、「あら、遠くから・・・。カスタムショップの団体さんが来られてて、帰られたらいっぺんに空くのですが・・・」「また来ます」。母子の「いまきた」で蕎麦を食べようと北上しました。ここから永澤寺間が三田市最高峰で、見えてた雪景色が気になりましたが突っ込みました。家内お気に入りの「わらび餅屋」さんはお休みです。冬季休業に入ったのでしょう。ここから路肩に雪が残り、路面もシャーベットのところがあります。ノーマルタイヤですが、車重2トンを信じゆっくり上がります。最高所を越え、より注意すべき下りに入ります。なんとかここもクリアし、永澤寺通過。駐車場には車が1台もありません。ここも冬季に来るとこじゃないみたい。喫茶「シュガー」は営業中で、車が2台。ここを通過し、下って「いまきた」到着。なんとここも冬季休業に入ったようです。3連休なので営業してると思ったのですが・・・。
r49を戻る気にならず、青野川沿い・r308を下ることにしました。「青野ダム」手前の前から気になってた喫茶「トムソーヤ」に入ってみました。僕はカレー・家内はリゾットを食べてお腹が満たされました。僕も持ってたオープンリールのティアックの高級品そうなのが数台置かれ、クラシックが流れています。骨董品の壁掛け公衆電話・囲炉裏と店主のこだわりを感じます。村岡町の世界一のお米・「かつらの千年水」「1個1個烙印された玉子」使用という食へのこだわりも感じるお店でした。
千丈寺湖北湖岸道路でr49に出て、志手原〜r68〜r33〜長尾山トンネルを抜けて、阪急オアシスで食料品を仕入れて、16:30に帰宅しました。さて次は、車の中で「映画行く?永遠のゼロ」「うん、行く」と誘っていました。上映時間15:30・18:30も調べ済みです。通勤リード110に乗り換え、家内から要望の「マツヤデンキでひざ掛けを貰えるの」「銀行に寄って欲しいの」を巡り、映画館に到着しました。1時間も時間があるので、家から持って来た三笠を食べちゃいました。連休でお客さんが多く、観察してるだけで楽しいです。
「永遠のゼロ」は百田さんの原作がベストセラーになった時に読んで、大感動した作品です。監督が「三丁目の夕日」製作者なので、期待できます。山田洋次さんのように、原作を土台に自分の色を出し過ぎちゃう監督はダメです。せっかくの原作者の雰囲気が壊れます。そういう方はオリジナル作品がいいです。大好きな藤沢周平を無茶苦茶にしちゃってから、山田さん作品を敬遠するようになりました。
「海軍一の臆病者」と呼ばれた真珠湾経験もある熟練ゼロ戦パイロットが、「必ず生きて帰る」と公言し、部下にも「生きて帰れ」と特攻を許さなかった。そんな爺さんの軌跡を、爺さんの戦友訪問で孫姉弟が明らかにしていきます。戦争という、そして特攻という「九死に一生」どころか「十死零生」の世界で生きた当事者でありながら、当時の世相とは関係なく「妻と生まれたばかりの娘を路頭に迷わせないために生きて帰る」を実践してきた主人公の行動が、僕もそうである当主としての男の生き様を深く考えさせられました。
家内は上映前、「三丁目の夕日」同様年齢層が高いお客さんが集まると言っていましたが、僕はむしろ戦争・特攻を家族から聞いたことがない若い方が多いと予想していました。僕の予想がビンゴでした。原作で、姉弟が爺さんの謎を解く流れ同様、お若い方が2世代前の時代を知ろうとしています。2年前から始まった中国の尖閣諸島へのちょっかい、それに力を得たのか韓国の今までの一線を越えた竹島の大統領上陸・また燻りだした従軍慰安婦問題・・・こんな世相の本質を知ろうとし、自らの行動の規範になるかもしれない先の戦争で起こった実際を学ぼうとしているように思います。僕だってそうです。右翼増長などと評論する人もいますが、勝手な思い込みを封印しても、いろんな意見や先人の行動から学ぼうとする日本人は素晴らしいです。僕の予想通り若者の姿が多かったのを見て、日本は大丈夫と確信しました。「三丁目の夕日」のような昭和へのノスタルジー映画ではありません。家族を守ろうとし26才で散った当主としての男の生き様を感じました。
多くのお客さんがいたのに、本編終了後テロップが流れている間もシーンとして席を立つ音もありません。多くの方と大感動を共有できたのが嬉しかった。これが映画館で観るということだなと思いました。映画館を出て、何度も食べたオムライスのお店で、夕食にしました。僕は、「デミソースオムライスS・1029円」、家内は「トロロ明太子きのこオムライスSS・924円」で、映画チケット半券があると「ケーキ&ドリンク」をおまけで頂けます。
食べながら映画のことをおしゃべりし、これから当主として家族を持つことになる次男に、数日前にメールで勧めたことを話しました。父親は息子にとってはライバルです。どんな男の子も最低父親は超えるぞと思って生きているはずです。そんな父親から命令口調で何かを押し付けられたら、自分もそう思っていても内容とは関係なく反発するのが男という性です。だから「原作読んで感動したんだ。今度お母さんと観に行くんだ。楽しみ〜」とメールするぐらいなんだ〜・・・なんて。21:48に店を出て帰宅しました。

2013/12/15
日曜日は、コーチしてる大学ヨット部の1回生部員を呼んでのクルージング日でした。計画し呼びかけたのが1週間前だったし、ヨット部活動終了後1周間だったので、10人の部員の内予定が空いていたのが3人だけでした。バイトなどでオフも忙しそうです。9時半阪神西宮駅ピックアップなので、朝は余裕です。朝活動の庭の草刈を終え、朝風呂で読書時間を持ってもまだ余裕です。でも家内が着付け教室に出るので、8時過ぎにヨットの用意を済ませ家を出ました。
最寄り駅まで家内を送り、R171で西宮に向かいます。9時前に駅前に着いてしまい車内で暇してると、オガワ君から電話が入りました。「すいません、寝坊してしまい10:15到着予定です。・・・」「了解、・・・」。グフフ、長いヨットシーズンを終え、久々に空いた日曜日なので緊張が緩んだのでしょう。また電話が鳴り、参加予定のイガラシ君から、「すいません、寝坊しました。今からでは大幅に遅刻しそうなので・・・」「がははは、OK〜」。参加者が2名になりました。
車を走らせ、ハーバー30分無料駐車を利用して、船の様子をみます。天気はいいですが、8〜10m/sの風が入る予報なので海の様子にも注視します。せいぜい4〜5m/sなので、1回生にステアリングを持たせても楽しく走れそうです。
適当な時間になったので駅に戻ります。阪神西宮駅回りに駐車スペースがなく、車内からバックミラーで駅からの人の出入りを見ていました。到着予定時間になり電話が鳴りました。「今着きました。何処でしょうか?バスロータリーが見えています」「東に向かって歩いて。その道にいます」「はい」。バックミラーに若者2名が走って南に向かうのが見えました。「あれっ?」。こっちに来る人の姿がないのでまた電話し、地理がわかってないのでバスロータリーに迎えに行くことにしました。車を置いて歩いて行けば簡単ですが、道が狭く車を離れられないので、まず北側のバスロータリーに車を回し探しますがいません。えべっさん関係なのかガードマンがたくさん出て停止することも出来ません。南側のバスロータリーに回ってピックアップ出来ました。僕自身阪神西宮駅を利用しないので、手間取ってしまいました。
ハーバーに向かいます。途中、学生時代活動した旧西宮ヨットハーバーの上を渡る西宮大橋から、跳ね橋をマラソンしてる集団を見ました。マラソン大会が開催されているようで、駅のガードマンも駅前にたくさん集合していた若者たちの集団の理由がわかりました。出場者とかボランティア運営者だったのでしょう。
クリスくんの名前って、まさかリチャードとかじゃないよねって聞いたら笑われました。栗栖という苗字だけど、病院とかで名前を呼ばれる時、金髪を期待する視線が一斉に集まり恐縮するそうです。春の試乗会の時も、参加者名簿にカタカナで書かれ、部員に金髪美人を期待されたそうです。ぐふふ・・・
ハーバーに着き、出艇申告を済ませ、レース艇からライジャケを出して係留艇に向かいます。リーフラインを用意しようと思いましたが、10m/sぐらいの風が入っているので、ジブのみ帆走にします。桟橋から離れ、まず給油桟橋に着けます。職員が桟橋でローブを受け取ってくれます。「免税用紙をお持ちですか?」「いいえ、ハーバーカードで請求書に一緒に載せてください」。海で使うので、道路特定財源制度で課せられる税金は免除になるのですが、毎年面倒な手続きが必要なので手続きをしていません。軽油給油、28.81L・4465円、1L・155円とはガソリン並みの値段だ。手続きをすると税金30円ほど安くなるけど、ポリタンクでGSから買ってくるのと同じぐらいだから、煩雑手続きをしようと思わないです。
以前はポリタンクで買ってきてたけど、それも面倒になってきちゃいました。なんせ、主動力が無料の風なので、給油は半年に1回ぐらいだからなあ。職員さんに風予報を聞くと、夕方まで10m/sぐらいで、甲南大が練習に出たけどさっき帰って来ましたとのことです。新チームだから無理せず練習を途中で中止にしたのでしょう。強風注意報が出ているそうです。
東入口からハーバーを出て、少し西に走った後、ジブを1/2ほど出して帆走開始です。風上を見ると白波が全面に飛び、ジブ半分だけでも結構走ります。メインも上げた方が安定しますが、ヒールに慣れていないクルーザー素人なのでこれで楽しむことにしました。ヘルムスを交代し、僕はのんびり見物です。「うわ〜面白い」って若者が楽しんでいます。
六甲アイランドに係留してるドイツの自動車運搬船近くに行きます。BMWを積んできたのだろうか?フェリー乗り場に近づき、今夕出発の係留中のフェリー2隻を間近から見上げます。海上自衛隊阪神隊に近づき、日の丸・旭日旗を眺め、掃海艇2隻も見ました。ここで13時半、帰路に着きます。風が落ちたので、ディンギーヨットが練習に出てきています。J24がマッチレースのスタート練習をしています。次男後輩の兵庫ジュニアのOPが10艇ほど練習しています。
14時半にハーバー前まで帰って来て、先週同様関西一の高級ハーバー・芦屋マリーナを見物します。桟橋付き住宅も見せ、「イメージをインプットさせたから、将来実現してね。そして僕をゲストに招いてね」って言っときました。新西YHに戻り、船を片付け関西ヨットクラブ・レストランでお茶をしました。クリス君も福岡出身でオガワ君と同じでした。オガワ君が修猷館で、クリス君は公立の小倉高校出身だそうです。クリスくんが注文したジェラートが美味しそうで、僕も追加しちゃいました。「食べたいやろ〜」ってオガワくんに振り、彼も追加。クリスくんも飲みものを追加し、全員ジェラートセットになっちゃいました。
1Fの売店に下り、彼らの物色に付き合いました。ノース店長の関大君を紹介し、来春の合同練習のことをお願いしておきました。バルチックの子供用ライフジャケットがかっこ良く、初孫くんライジャケはこれにしようかな?阪神西宮まで1回生を送りました。「また是非、クルーザーに乗れる機会をお願いします」。冬は日没が早いので、15時帰着で計画しないといけませんが、もっと海上にいたかったそうです。
17時頃帰宅し、ヨットの片付けをしていると家内が帰宅しました。万博イルミネーション見物を予定していましたが、僕がすっかり忘れており、車では駐車場が混むと面倒だし、バイクだと寒いしで止めちゃいました。夕食を食べ、NHK「路線バスの旅」を見ている途中で寝ちゃいました。

2013/12/8
日曜日は、手伝ってる大学ヨット部の卒業生クルージングでした。10時にホームポートにみんながやってきます。10月に予定していたのですが、雨予報でこの日に変更していました。今回の予報は、晴のち曇でGoodでしたが、風が吹かなさそうです。気温が上がればうららかに漂いましょうかね。
7時に明るくなってから、朝活動開始でお正月に向けて庭ジャングルの格闘を開始しました。冬なので雑草がグングン伸びることはありませんが、前回から2ヶ月ほど経ってるので悲惨な庭になってます。先月外の垣根だけはやったのですが、咲き出したスイセンの見栄えを良くするためにも早いとこやっつけとかなくちゃ。
我が家にあるカッパ・手袋を防水リュックに多数詰め込みます。毎回「温かいカッコをして来い」と言ってるのに、若者は薄着で来ます。ガタガタ震えながら、海上の吹きっさらしは辛いので、保険です。8時を回り家を出ました。都会に出る家内を駅まで送り、R171を西宮に向けて走りだしました。
8時半にハーバー前コンビニでおにぎりを2個購入し、ハーバー駐車場に車を停め
船に向かいます。この日は3年乗りドラゴンのポイントレース日で、僕はレースメンバーから外してもらいましたが、他メンバーも忙しくうちのチームは不出場です。桟橋を見ると、IRCレース艇やホワイトレース艇もレース準備をしています。3つのレースを合同開催するようです。
係留艇に乗りドッグハウスの換気をしてトイレ点検、エンジン始動も一発点火でナイスです。前の船はソーラー充電してたけど、今度のは係留中に桟橋電源ポストからケーブルをつなぎっぱなしにしてるので、バッテリーの心配は皆無です。ソーラー充電より強力なので、これは精神的にありがたいです。
センターハウスに戻り、のんびり彼らを待ちます。売店が開店したので物色していると、部員達がやってきました。用事で来れないメンバーもいるので4名です。出艇申告をします。日没が最も早い時期なので、15時帰着予定にします。陸置きヤードに回り、ドラゴンからライジャケを3つ調達し、係留艇に移動します。船内のライジャケを1つ出して全員着用です。
東出口から出て、2m/sほどの弱い風の中セイルアップし、のんびり走りだしました。六甲アイランドのキリンさん(コンテナクレーン)を見に行きたいということで、機走してコンテナ埠頭に接近します。大型コンテナ船が桟橋に横付けされており、まさにコンテナ積み下ろし作業中でした。
赤白灯台の間を抜け、IRCレース海面を目指しますが、風待ちをしてるようなので神戸空港に向かうことにしました。軽いブローが時折入るぐらいののんびりスピードなので、ハーバーへのターン時間13時になってもまだ空港連絡橋に達しません。
Uターンし、ワイワイがやがや、あれやこれや話しながら、機走したり、ブローが入れば帆走オンリーにしたりしながらハーバーを目指します。朝のハーバーはこの時期としては暖かでしたが、海上は寒くやはり女子2人は僕の持参したカッパ着用になりました。レース海面を見ると、レースが終了したのか全艇ハーバーバックしています。
15時半頃ハーバー沖まで戻ってきたので、芦屋マリーナに入ってみます。桟橋係留中の豪華艇を横目に、ガーデン結婚式場が披露宴中のようで垣根の間から黒服の人がチラチラ見えます。桟橋付き邸宅の方に回ります。グランドバンクスがドカンと家の前に係留されています。
ハーバーに戻り、桟橋メンテナンスでスターン着けしていた隣の桟橋から本来の桟橋に槍着けします。ステップなども移動し、陸起きドラゴンにライフ・ジャケットを戻しました。タワ艇とスギハラ艇がレースから戻っていました。4レグのレース中の3レグ目で風がなくなりノーレースになったそうです。ジブ社長さんだよって紹介したら、学生はみんな持ってるジブバックだったので驚いていました。ヨットクラブ内レストランでお茶しようと思ったら、レース後のパーティーのようで貸し切りのようでした。ハーバー1Fレストランで、ワイワイガヤガヤおしゃべりし、阪急西宮北口駅まで送って帰宅しました。
片付けを終えたところに家内が帰宅し、駅で仕入れてきた近場お遊び情報パンフレットを見ながらあれやこれや、息子達が帰ってくるお正月メニューを検討しました。「モヤモヤさま〜ず」「ダーウィンが来た」を見て、「八重の桜」が始まったところで風呂に入り寝床に潜りました。ああ、楽しかった。

2013/12/1
「お父さんの観に行きたいって言ってた映画・・・なんで観に行きたいか分かっちゃた〜。新聞の広告に出てた。うふふ・・・」なんて、家内に言われました。
朝起きて玄関を見ると次男の靴がありません。土曜日にある小学校の同窓会出席のために帰省する予定だったのに、帰って来ていないようです。次男の出身大学ヨット部のコーチングに琵琶湖に行くので、東京に帰る方向だから次男と一緒に行こうと思っていました。残念です。まあ、先週もヨット仲間の結婚式で帰って来ているので、2週連続帰ってくるのかな?とも思っていましたが・・・。
起きていた家内に「おはよう」と声をかけ、20:20上映開始前にココエ尼崎の映画館で待ち合わせの約束をして、用意をして6時に車で出かけました。次男が帰ってこないとわかっていたらバイクでも良かったなと思いながら、車モードになっていたのでそのまま中国道〜名神で京都東IC下車、湖西道路をちょっと走り7時過ぎにヨットハーバーに着きました。初日の成績は、470が2位・スナイプ3位です。
学生たちと挨拶を交わし、フィッティングを終えた選手たちとあ〜だこ〜だ前日の様子など話しながら、8時開始予定の出艇申告を待ちます。1回生に高校ヨット部経験者が2名入り、1・2回生それぞれ10名の大所帯になり両クラス5艇ずつ出して練習出来ています。人数が多いと、とても賑やかです。みんなとても楽しそうで、クラブの雰囲気の良さがにじみ出ておりいい感じです。
3m/s・SWの風の中8時に、マネージャーや交代要員の部員と一緒にコーチボートに乗り込み、紅葉の比叡山をバックに気持ちのいい朝を湖面を滑っていきます。来週のポイントレースを最後に、今年の練習は終わります。気持よくシーズンオフに入るためにも、いいレース結果で終われるといいな。でも、本番は来年の夏・秋なので、このレースで結果を求めて萎縮したレースをしてしまえば、今後の伸びしろが小さくなっちゃうので、出艇前ブリーフィングでリコールを恐れず積極的にスタートは第一線を攻めることを指示しました。その他ボートスピードで他校に遅れを取っていないようなので、大きく伸び伸びしたレースコースを取るようにアドバイスしました。
全体の7レース目(この日の第1レース)、470チーフ・ミズノ艇がボートスピードが上がったとの言葉通り、第1マークをトップ回航しました。新人スキッパー・タバタ艇は、本部船より有利スタートの局面でライン中央部・全体の最もアウター寄りからスタートします。どんなコースを引くのか見ていると、少ないアウターよりスタート艇がタックして返すのを待って、一番最後にタックします。上マークまでのレグの1/4でしょうか。右奥の方が風が強いようで、奥のスターボ艇が上っています。左海面艇が不利ですが、負けを覚悟して集団に飲み込まれず、フレッシュウインドの意識が高いです。結果は風が190度から230度まで振り、次の上マークが変更になるほど右有利だったので、1上はビリの方でしたがコース取りはGoodです。前日はずっと上位フィニッシュしており、問題なしです。ただ上りの2レグ目で順位を思うように上げられなかったのが残念でした。1上までのクローズレグでも、レース艇がバラける後半に、有利な右海面に寄せることは出来るはずです。ミズノ艇は3位フィニッシュでした。スナイプはトップ争いは出来ないけど、上位後半〜中位前半にスコアメイク出来る力があるようです。もう一歩ボートスピードを伸ばせればトップ争いに顔を出せそうです。
R7がフィニッシュし、メンバーを乗り換えます。このレースでもっとも成績がダメだった艇のメンバーが交代です。タバタくんが上がり、「あ〜左やと思ってたのに、三井寺パターンやった〜」と笑っています。僕が感じたことを話します。彼は膳所高出身なので、琵琶湖の風のパターンを知っててうまく行かなかったので悔しそうです。今回のレースは各校3艇しか出場できず、メンバーの要るウチはどんどん交代します。本番のインカレ予選ではないので、例年通りBやCチームまで参加OKにした方が下級生部員のモチベーションも上がり、対全国を考えても将来のレベル低下を防げると思うのだけど。レースは1レースで1日の練習以上のものを得ることが出来るので、勿体無いです。スナイプは、新人経験者オガワ君が公式戦初出場です。この2人の経験者は、新人勧誘時に「全国を狙おう」と僕も勧誘しました。1回生の・・・というより来年以降の核になるメンバーです。彼らがいることが、みんなのライバル心を高い段階で燃えさせ好循環になるはずです。
R7では2回も470がゼネラルリコールでスタートをやり直したのに、R8は470・スナイプともオールクリア・スタートでした。R7中盤から風が6m/sほどに上がり、パンピングフラッグ・O旗が上がり、R8は最初から本部船にO旗が上がっています。ミズノ艇は1上3位回航です。R7は1回生クルーで3位フィニッシュだったので、レギュラークルーのフジタ君の心境は如何に・・・交代時に「俺不要説を吹き飛ばすぞ〜」って勇んでいました。スナイプオガワ艇が校内トップで、1上マークを回航しました。乗り方が綺麗で、まだまだ伸びそうです。
スナイプのサイドマーク回航を見送り上マークに向かう途中、R8のスタート後の第1レグで良かった左海面に大きく突っ込んでくる470が2艇いました。部員に何処か見させたらD社でした。「おお〜これはラッキー」、コーチボート上からは、R7同様右からのブローが入っています。右海面に出してスターボでこちらに向かってくる艇がブローを受けて大きくバウを上に向け、大きな上りの風を受けています。「向こうがトップだな。向こうの先頭艇はミズノ嬢じゃないかな?セールナンバーを確認して」・・・やはりそうでした。「こりゃダントツになるぞ。30艇身ぐらいリードして第2上マークを回れそう。ビンゴ・・・風がなくならない限りトップ間違いなしです。最終レースでトップホーンを鳴らし、このレース2回目のトップです。スナイプ注目の新人・オガワ君は順位をキープしましたが、キャプテン艇が猛追で更に上でフィニッシュしました。これで全8レース終了です。まだ午前中なので、これでレースを終えるのは勿体無いですが、早く帰れそうです。総合成績は前日同様でしょう。
ハーバーへの帰路、スナイプを追いかけました。オガワ艇のメインセイルチューニングがイマイチに見えました。リコールナンバー下のエリアに、ブローが入りメインコントロールする時シバーな裏風が入ります。カニンガムを引かせ、更にバングを引かせます。その状態でキャプテン艇と並走させ、その前とのスピード差を感じさせます。ハーバー手前でどんな感じか聞くと、スピードが上がったとの答えが帰って来ました。コーチボートに乗ってた子達も、何かを感じてくれただろう。
ハーバーバックし、解装後ブリーフィングで感じたことをいろいろ話し、帰路に着きました。次男同期のイリグチ君がフィニッシュボートに乗り運営しており、「次の監督に内定しちゃいました」と報告を受けました。「そりゃそうやろ・・・」、現監督から2年後の交代の話が出た時に、「次はおまえやな」って彼に話していました。おめでとう、頑張りな。
YHで家内に電話します。「早く終わったから、1回前の上映に間に合いそうだけど、都合はどう?」。着付け教室は終わったそうですが、仕事関係の講習会があるそうです。帰宅後1回前の上映開始時間を調べて電話することにしました。14時前に帰宅しまし、ヨットの用意を片付け、家内に電話します。「尼崎・15:40、西宮16:30だよ」、15:40尼崎になりました。ご飯食べて、食後のヨーグルトを食べたら体が冷えてお風呂で体を温めないと・・・。15:10自宅出発・・・「うわぁ〜ギリギリになっちゃった〜」。先週同様、上映開始ギリギリに映画館に着き、スクリーンに入ったら予告編が始まっていました。
「あさひるばん」というコメディーですが、感動しちゃって喉まで涙が流れてきちゃった。お目当てのヒロイン・桐谷美玲さんも相変わらず可愛らしく、ナイスな映画でした。僕が彼女が好きであると家内に見ぬかれており、家内から冒頭の言葉を頂いたというわけです。2週連続でナイスな映画を大好きな人と観ることが出来、次は予告編でやってた「永遠のゼロ」です。原作が抜群なので、ナイスな映画なのに決まっています。
映画館のあるCOCOEで夕食を食べ、通勤リード110タンデムで帰宅しました。途中雷が鳴り雨が落ちて来たので、カッパを着たら雨が上がりました。伊丹に入ると雨の跡もありませんでした。帰宅してもまだ19時で、NHK・ダーウィンが来たを見てからお風呂に入り寝ちゃいました。目が覚めると、なんと1時でした。あまりに早すぎるので二度寝したら、次は6時を回って目が覚めました。

2013/11/24
Mさん主催の「伊勢山上・飯福田寺ツーリング」に参加しました。Mさんはネット上のバイク知り合いでしたが、今年の春過ぎだったか奈良の平城宮跡の写真を撮ってる僕を、目の前のGSで給油してたMさんが見つけて声を掛けてくれました。その時偶然一緒だった目的地「針テラス」まで、R369を走りました。そのMさんから「伊勢山上・飯福田寺で修行場巡りします。一緒に行きませんか?」って声がかかりました。僕は遅いので、途中の休憩場所で合流をお願いし、マイペースで走らせてもらうことにOKしてもらいました。
1時間以上掛かりそうな役行者が拓いた修験道修行場巡りがあるので、そんな山道をバイク装束じゃ地獄だなと思い、前日にお寺に電話しました。「バイクで行くのですが、靴とか服装とか着替えたいのですが、預かってもらえませんか?」「いいですよ。駐車場ではなく、直接お寺の方に来てください。バイクも荷物もそこで預かります」。ラッキー、それをMさんに伝えました。
目を覚ましたら4:45。7時に「針テラス」集合なので、「おお〜これは慌てなきゃ」って、ササッと冬装束に着替えました。今月の誕生日にお嫁さんからプレゼントしてもらったネックウォーマーで寒さ対策万全です。伸縮具合が去年バイク7で買ったバイク用より緩くナイスです。裏地もついてるので、寒さは皆無です。1週間前から早朝バイクで使っています。
「招き猫CB400SB」を倉庫から出して5:15出発。中国道・豊中ICから高速道路に入り、近畿道を南下し、「松原JCT」から「西名阪道」に流入しました。6:10、まだガソリンメーターは半分ですが、途中僕の給油で皆さんのペースを乱すといけないので、「香芝SA」下りSSで給油しました。198km/8.42L=23.5km/L。西名阪に復帰し走ってると、1台の黒いバイクが僕を追い抜く時に左手で合図を送って行きます。「あっ、Mさんでは?」と思ったのですが、合図を返す暇なく前に行っちゃいました。なんせ僕は80km/hペースだから、追い越し車線を車列が追い抜いて行きます。僕の横でペースを落としたら、後ろにヒンシュクですよね。西名阪は道なりにR25・旧東名阪になりましたが、制限速度60km/hなのに流れのペースが落ちません。おっかない高速カーブに突入し、「このカーブを80km/hはありえん・・・コケる〜」なんて思いながら遅い軽四に追いついたので、スピードダウンしホッとしました。
予定通り、集合30分前に針テラスに到着出来ました。Mさんと思われる黒ゼファー横にバイクを停め、次の目的地・「飯福田寺」にナビセットしてたらMさんが寄ってきました。コンビニ袋を下げているので、僕も朝食を買いに行きます。6:38、ファミリーマート・針テラス店で手巻き辛子明太子おにぎり・100円を購入しました。Mさんは他の方としゃべっていますが、食べながら話の輪に加わるのは失礼かと、ベンチに座って食べていると、「ベンチ濡れていませんでしたか?」・・・あ〜夜露で濡れてた。バイクパンツは防水なので、全く感じませんでした。
摂津からニンジャ1000で参加のNさん・高槻からハーレーで参加の名前を忘れちゃったさん・Mさん・僕であ〜だこ〜だおしゃべり。Mさんから、「高速道路でドーンと走るのと、くねくね下道で行くのとどっちがいいですか?ハーレーはくねくねはどですか?高速でも最後はくねくねがありますけど・・・」。皆さんどっち
でも良さそうで僕に意見を求められたので、「遅いですけど、下道の方がいいです」。「じゃあ、下道で行きましょう」・・・Mさんも下道の方から行きたそうでした。
ネットだけで交流してるTさんご夫婦がCB1300SBタンデムで来られました。僕が2011年12月に「CB400SB・ホワイトツートン」を買いに行くと、2011CB400SBが完売で2012を勧められました。でも2012からマイナーチェンジでホワイトツートンのホイールが白になってて、汚れの目立つ白ホイールは掃除マメじゃない僕には・・・なんてあ〜だこ〜だやってる時、Mさんから「知り合いにCB白ホイールさんがいるよ」と教えてもらった方です。以来、ネット上で少々のお付き合いが続いていました。初対面です。1日付き合った感想は、とても気さくなご夫婦で夫婦仲が良く、息子と同年代でお子さんはまだですが、僕の人生で学んだ「夫婦仲がいい=家族仲がいい=親子仲がいい」によると素敵な家族を作って行かれるのは間違いなさそうです。じっくり見たホワイトホイールは、綺麗に掃除されていましたがポツポツと小さな黒点があり、やはりズボラな僕ではどうしても取れない黒点が広がり嫌になってそうです。発売から1年半以上経ってますが、未だにCB400SBホワイトホイールを見ていません。売れてるのだろうか?
Mさんから、「最後尾をマイペースで走ってくださいね。間違いやすい交差点では待ってますから大丈夫です」と声を掛けられ、7:20、5台6人で「針テラス」出発。R25に乗り、次の「小倉IC」まで少し走り、前回Mさんから教えてもらって走った広域農道・「やまなみロード」に入りました。みなさんは徐々に視界から消え、あのスピードでは心臓ドキドキで事故必須な僕はマイペースで楽しみます。山の木々が秋色に染まり気持ちが良いです。
次の集合場所「室生寺」近所のr28との合流地点の「室生寺龍穴神社」前で待ってる皆さんに追い付きました。Mさんから「こんな感じですがどうですか?マイペースで走ってくださいね。ここにトイレがありますよ」って声がかかり、OK!問題なし。Mさんが、「ここから道が細くなります、気をつけてください。じゃあ次は、R369との合流地点で集合」と皆さんに声を掛け出発。
ここからr28です。すぐにソロになり山の景色を堪能しながら走ってると、トイレで出発が遅れたTさんご夫婦CB1300が、僕が左ウインカーを出す間もなくドーンと抜いていかれました。R369・旧道との交点で皆さんに追いつきました。自転車レースをやってるのか、イベントジャンパーのおじさん数人が旗持ちでおられ、自転車数台がその指示に従って室生寺の方に曲がって行きます。「次は道の駅み・・で」ということで出発。僕が待たせている間おしゃべりしてるのでしょうが、うだうだおしゃべりがなくさっぱりしてて小気味良いです。
R369現道との交点で皆さんに追いつき、現道を気持ち良く走ります。「曽爾高原」へ向かうr81との交点を越え、初めて走る区間です。ずっとTMおすすめの道を、マイペースでキョロキョロ景色を堪能しながら楽しく走ります。8:15「道の駅・御杖」到着・・・ん?誰もいません・・・。土地勘がないこともあり、「どっかで道を間違えて抜いちゃったかな?」って根が気楽なもので気軽に考え、イベント準備をしてるテントなどを写真に収め、トイレに行きます。出てくると黒いバイクが入ってきました。「おっ、来た来た」・・・僕のバイクと違う離れたとこに停められます・・・変だな?・・・降りて来られた方はMさんではありません。こりゃなんか変だぞってTMを開いてみると、更に5kmほど先に「道の駅・美杉」がありました。「あ〜、こんなにちかくに「み」のつく道の駅があった〜」。
慌てて再出発したら、1台の黒バイクが対向してきた。僕の安否を気遣ってMさんが探しに来た?バイクピースは交わしたけど、違いました。バックミラーに黒バイクが映り急接近してきましたが、追いぬく気配はなくむしろ車間距離を開けます。僕を発見して安心したMさんかな?「道の駅・美杉」に到着。後ろのバイクはそのまま通過・・・さっき「道の駅・御杖」に入ってきたバイクだったのかも?皆さん揃っていました。「いや〜すいません。途中で道を間違え抜いちゃったかなと「御杖」でトイレ休憩してました。TMでここを見つけ慌てて来ました。ほんとに申し訳ありません」。「あ〜やっぱり〜、そうじゃないかと思ってましたよ〜」って笑っています。良かった〜。
「ここから道が細いところもあります。交差点では待ってますので、自分のペースで走ってください」ってことで出発。r30に入り、Mさんと初対面した日に訪問した「北畠館」横を通ります。続くr43も気持ちのいい川沿いの田舎道です。何度か交差点で待ってるみなさんに追い付きながら、r29〜r30〜r29で、目的地の「伊勢山上・飯福田寺」駐車場到着。Mさんが、「さっきのとこがお寺ですよね。
あっちで預かってくれるんですよね。ちょっと見てきますので、待っててください」って戻って行かれました。すぐに歩いて来られ、全員太鼓橋を渡って護摩堂前の砂利広場にバイクを入れます。砂利は慎重に走らないとね。サイドスタンドがめり込みそうなので、一応平たい石を噛ませました。みなさんも探した板切れなどを噛ませています。
9:34、受付建物(本堂?)横の「籠り堂」内に入りバイク装束を山歩きの軽装に着替えて、そこに置いておきます。ご住職に行者場巡り入山料200円を払って、諸注意を受けます。ハーレーさんの靴を指摘され、ご住職のいつも行者場巡りに使ってる靴に交換になりました。靴が岩場慣れしてるのでGoodでしょう。事故もあるので、しっかりと頭に入れます。鎖場が数ヶ所あり、1ヶ所は避けられないけど他は迂回路があるそうです。一旦迂回路で岩場からの下りを確認してから岩場に登ることを薦められる。岩の馬の背渡りもあるそうで、回避できない鎖場以外は全部回避になりそう。1本の鎖には必ず1人だけで、沢山で取り付くと鎖が振られるので危険だそうです。所要時間を聞くと、2時間だそうです。うへ〜、かなりハードだぞ〜。Mさんが買ってきた軍手の配給がありました。これは最高のプレゼントでした。寒くないように毛糸の帽子と手袋は持って来ましたが、手がすべらない軍手が最高に重宝しました。
9:46、出発。珍しい石垣囲みのお寺前を流れている小川に紅葉がかかり、いい感じです。急階段を上がり「薬師堂」横の行者場巡り入口から山に入ります。Tさんご夫婦は奥さんの方がカメラマンのようです。行者場にはポイントの目印として小さな明王像が、勇ましい姿で睨んでいます。如来はお釈迦さんが悟った後の姿で、柔和な表情をしています。菩薩はお釈迦さんが修行中の姿で、苦悩の表情を浮かべていたりします。それに対し明王は如来が化身し庶民を仏の道に導く姿で、怒り満面に導いてたり武器を持っていたりして勇ましく怖いです。修行場には、辛くて心が折れそうな仏教への修行者を叱咤する明王像が似合うように思います。
9:57、早速鎖場登場です。20代の若いN君が、早速先頭で鎖に取り付きます。次がハーレーさんで、岩場途中で持ち替える2本目の鎖を直登の方を選択します。3番目の僕は、N君の後を追って2本目の鎖は斜めの方に付いてる方を選びます。岩場を上がり、横からハーレーさんを見ると、直登鎖が終わってから更に鎖のない急な岩登りが残っており、上から「気をつけてよ〜」ってより安全なコースを指示します。
岩場の上に、ご住職さんが言ってた岩の裂け目を登るコースがあり、最大の見せ場・岩屋堂の上に出ます。裂け目を上がる前に、ご住職が言ってた手すりを伝って岩屋堂を観に行きます。R29沿いにある「不動院岩屋堂」同様に大岩を削ってオーバーハングの下に祠が建っています。その下は断崖絶壁で、腹ばいになって下を覗きます。ギョエ〜、誰かに足を持たれていれば、「悪いことはもうしません」って叫びますね。
N君がお堂脇の行者場本道を上がっていきます。垂直の岩に天然の岩の出っ張りが出来ており、それを手がかりに登っていきます。「大丈夫か〜」、「これ、取れないですよね〜」って小さな手がかりを心配しています。「室町時代からあるそうだから、今日は落ちないんじゃないの〜」なんて呑気に安心させますが、本人は「もう降りることも怖くてできませんよ」って言ってます。垂直の壁を登り切ったので、僕は岩の裂け目迂回路に回ります。先に大岩の上に出て下を見ると、N君が鎖を握って上がってきます。ギョエ〜、見てるだけど怖いです。
ここから急な山道です。ハーハー言いながらN君・ハーレーさんに続いて登ります。途中でN君と休憩し、後続のMさんTさんご夫婦を待ちます。N君はバイク免許を取ってからまだ4ヶ月だそうです。小型免許を取りPCXを買ったけど、龍神スカイラインに行ったら非力を感じ大型免許を取りに行ったそうです。PCXをフォルツァに乗り換えたけど、龍神スカイラインでまだ不満を感じ、ニンジャ1000を追加購入したそうです。4ヶ月に3台・・・強者でした。バイク走行は当たり前ですが、山道もゆっくりな僕が大幅に遅れると思って早め早めに出発したのですが、更にゆっくりなTさんご夫婦とMさんがいてラッキーでした。Tさん旦那は、常に奥さんの近くにおり、優しさ満点でした。
10:29、「小天上」ということろに上がり、下りの先の道が見えます。「ピークに着きましたよ。ここからは下りです」なんて、後続に「やれやれ」信号を送りました。全員集合し、が、やれうあら安心付きましたよやれやれ・・・と思っていると、先頭のN君からまた歩き出しましたが、先頭のN君から「また登ります〜」って声が掛かり、がっかりです。隣を歩くハーレーさんから、「「小天上」があるんだから「大天井」があるんじゃないの?」「う〜む、理屈です。中天井もあったりして・・・」。
10:54、「大天井」到着。これが本当のピークのようです。全員集合で記念写真をパチリ。Tさんのカメラを木にぶら下げ、パチリ。このカメラが凄いです。被写体の僕らからも映りが見えるモニターが上に上がります。更に被写体の僕らが動くとタイマーがリセットし、赤点滅が始まり数秒後にシャッターが下ります。これを何度でも繰り返すので、カメラに行かなくても自動でセルフタイマー始動ができます。奥さんに聞くと、カシオでした。
「亀岩」に着きました。岩の上からの景色が素晴らしいです。先を見ると、大岩の狭い馬の背が見えます。あかん・・・迂回路に回ります。僕以外は行かれました。「小尻返し」の岩場。ここからの景色もよく、一段下がった所に先行グループが寛いでいます。女子の小尻は好きですが、僕は返されて迂回路です。小尻返しからの降り場に回ると、さっきの岩屋堂が斜め下に見えます。鎖を伝って小尻返しから下りるのですが、先行グループの男子が女子をサポートして足場を指示しています。楽しそう。その先頭が保育園児という男の子で、平気に降りて来たのに、若者女子がビビって遅いです。それが終わって、我がグループの下降です。ワイワイガヤガヤ・・・。
次は馬の背登りです。さっき上から見えてたヤツかもしれません。僕は迂回路で・・・迂回路の一部の土が木の根に乗っているのでしょうか、弾力があってビックリしました。回避できない岩の背下りが少々あり、安心な土の山道を下ります。ここからも岩屋堂が見えます。更に土道を下ると、12:05・岩屋堂より少し下がった高さのところから岩屋堂が見える場所に出ました。岩屋堂に相対し、丸太のベンチがあり、ここでまた全員の記念写真です。ここは適当な木がなく、手持ち写真になりました。
更に下ると、神社跡がありました。そこから下に向かってご住職が言ってた長い急階段です。手摺りがないので慎重に下ります。足を踏み外せば下まで転がり落ちるのは必至です。12:12、無事戻ってきました。2時間半でしたが、ワイワイと話しながらだったし、アトラクション満載だったのでこんなに時間が過ぎてたとは感じませんでした。
続いて30分の「裏修行場巡り」です。僕とハーレーさん、仕事の電話が入ったN君はここで待ち、Mさん・Tさんご夫婦がまたご住職の説明を聞いて挑戦に出発しました。N君はIT関係のお仕事で、管理してるサーバーがダウンしたら自動で入るメールが、電波の入るお寺に戻ってきて届いてると確認したそうです。すぐに上司と連絡を取りましたが、N君は行けないので他のメンバーがサポートする体制になるだろうとのことです。僕らは300円コーヒー&お菓子で境内のテーブルを囲います。
先行グループの方のヘルメットがOGKの自転車用だったので、夫婦でスポーツ自転車を楽しんでいる話をすると、ハーレーさんは20代ではまったそうです。琵琶湖一周どころか四国一周もやったとか。自宅の高槻から比叡山越えをプラスした琵琶湖一周だそうで、恐れいります。凄いや・・・。トイレで一緒になった方が、「そばを食べに来たら、こんなお寺があってびっくりしたと話していました。蕎麦屋もあるのですね。
Mさん達が帰って来て、次の昼食「とりいち松阪店」に向けて出発です。僕はここで離脱します。17:30からの映画に家内から誘われたので、尼崎の映画館に向かいます。間に合わなかったら次の日曜日にずらすことになってますが、ナビの下道検索で16:30到着と出たので、のんびり下道を行きましょう。
車載カメラをセットして、r45まで皆さんを追いかけます。皆さんはr45を右折して行きましたが、僕は左折してr30。伊勢自動車道が見えてきた所で、r67にチェンジし高速道に沿って北上します。r58〜r503〜R165少し〜r659で北上し、TMおすすめの道・R163に乗ります。伊賀上野まで未走なので楽しみます。TM「情緒ある街道の雰囲気残す」は、情緒を感じないまま「もう通り過ぎてる」。TM「日本の峠百選・長野峠」は通行止め看板が出てたので「長野トンネル」を抜けました。ここは、「伊賀七峠」の1つなので期待してきたのですが・・・残念。でもトンネルがかなり長かったので、峠を行っていれば走破に時間がかかっていたでしょう。
1週間前の美作探索で早朝は冬用1重グローブでは指先が冷たかったので、今回は朝から2重グローブにしました。これで指先はOKでしたが、針テラスから三重県に抜ける山越えではやはり指先が冷たくなりました。そこで、「飯福田寺」から最強の雨用ウェットスーツ素材グローブの登場を願ったのですが、気温の上がった午後ということもあり、今度は暑すぎます。我慢ならなくなりここでギブアップして2重グローブに戻しました。雨用ではなく、防寒用としてウェットスーツ素材グローブが開発されるといいけど・・・。
しばらくのんびりした田舎道でしたが、伊賀上野に近づくと少しづつ交通量が増え、市内に入ると観光客が目につきだし、伊賀上野城址が見上げられる位置に国道が走っていました。たぶん元場内の位置に趣きのある木造校舎があり、元藩校だったのかな?観光客がカメラを構えていました。僕には時間がないので通過です。
R163はR422に突き当たり、右折するとR422&R163共用区間を経て、木津の方にR163が伸びています。僕は左折しR422区間を経て元東名阪高架道でない方のR25に入ります。TMおすすめの道で田舎道になりました。これで南東に走り、r4にチェンジし、初「月ヶ瀬」を目指します。R25でもそうでしたが、r4もバイク比率が高いです。まあ全体交通量が少ないのでたまにバイクが来る程度ですが・・・。
高い渓谷沿いのナイスな道を楽しく走り、15:22・「月ヶ瀬ダム」到着。一般車に加え、バイクが20台ほどと同じ形のスポーツカーが数台います。スポーツカーの同好会でしょう。真っ赤なモミジや赤い吊り橋が綺麗です。よく「月ヶ瀬ダム」と聞きますが、なるほど道中も楽しいし、ツーリングの目的地になるわな。納得。
ここでナビを一般道から高速道利用に変更します。一般道なら約束の17:30を過ぎちゃいます。r4後半〜柳生からのR369を快走し到着予定時間は17:11でしたが、奈良市街地に入る最後のR369で混み始めました。ナビは春日大社前から阪奈道路にまっすぐのルートを指示しますが、これではずっと渋滞なので、奈良ナンバーが数台右折するのを信じて、僕も右折し後を追います。案の定R369西進の道に平行して西進できました。
R369に復帰し、阪奈道路〜高速の第2阪奈道路〜阪神高速・東大阪線〜環状線〜池田線を渋滞なしで駆け抜け、「加島IC」下車。ナビに導かれるままJR尼崎に、17:23到着しました。バイク駐輪場に置いて、走りながら家内に電話します。エレベーターがなかなか来ずに、電話がつながったのは17:28。「今エレベーターの中、チケット買っといて」。エレベータを下りてからも天井からぶら下がってるMOVIX案内板に従って走りまくり、チケット購入中の家内に合流出来ました。「間に合ったね、ありがとう。慌てたでしょう」って、微笑んでいます。この微笑みにいつもやられちゃいます。
「MOVIXあまがさき」・17:30上映開始・「すべては君に逢えたから」夫婦50割引き2000円。本編開始前の宣伝や予告編の最後に入り、真っ暗後ろの方の邪魔にならないように頭を下げて席に着きます。すぐに本編が始まりました。オムニバス形式の東京駅をキーワードにした短編が6つ、クリスマスイブをクライマックスに6つの物語が同時進行していきます。タイムテーブルは、遠距離恋愛カップルの彼女が手の甲に書く「あと・・日」という映像でクリスマス何日前かを示します。
それぞれどの物語も素敵で、クリスマスプレゼントがいなくなったお母さんが帰ってくると信じてる教会運営の養護施設に暮らす小学生の女の子のお話・・・、JR新幹線の運転手を余命短い病気により退職して、その余命を小学生の息子に父親のしてあげられることをしてあげようとするお父さんのお話・・・、親の反対で駆け落ちしたが、約束した新幹線ホームにやってこなかったことが相手の返事だとして、以来結婚せずに小さなケーキ屋さんを切り盛りして暮らす老年期に入ろうとする女性のお話・・・、そのケーキ屋さんでバイトする女子大生の先輩への片想いのお話・・・、偶然から出会う若手実業家とお芝居で身を立てようと東京に出てきた女性とのお話・・・。
そして僕の印象に一番残ったのが、遠距離恋愛のカップルのお話です。大学時代に将来を約束した家内ですが、運命とは酷なもので僕の最初の赴任先が東京でした。僕が東京に立つ日、家内が新幹線のホームまで送りに来てくれました。「向こうに行ったら素敵な人がたくさんいるから、私のことは忘れてくれてもいいよ・・・」っと、ボロボロと涙が溢れていました。ひと目を気にせず抱きしめ、毎月帰ってくるから毎日電話するからとなだめ別れました。
これはかなりひと目を引いたようで、家内は帰りの電車など偶然取材に来てたTVクルーにストーカーされ、新幹線ホームでの市井の人のドラマとしてTV番組で流れました。僕にも家内から連絡がありましたが、東京では放映されずのローカル番組だったので見れませんでした。僕の方は、席につくと隣のおっちゃんが、「いいね〜見てたよ。彼女大切にしなよ」って缶ビールをくれました。
「女性の涙ほど強いものはなく」、あんなに僕のために涙を流されたら、それに応えられなかったら男じゃないものね。寮の電話で毎日長距離電話したので、寮の電話が赤電話に変わっちゃいました。毎月交互に家内が東京に来るのと、僕が家内に会いに関西に戻ることをしていたら、関西の人数が足りなくなったので、3年の予定が1年で関西に戻れることになりました。神様って、見てるな〜と思いました。
それから結婚資金を貯めだし、1年で100万円貯めました。あとは親に援助してもらいましたが、収支決算はお祝いのご祝儀で親の援助は全て返しなんと利益が出ました。結婚式を繰り返せば、それだけで食えるかも?なんて妄想も頭をよぎりました。チラチラと横の家内を見ましたが、真剣に観てるようでした。
そんなこんなを、遠距離恋愛ストーリーを追いながら思い出しました。家内をJRの駅に送る途中話していると、家内も遠距離恋愛ストーリーが一番心に残ったようです。ここで食事してから帰ろうかと思いましたが、家で何か作るよって言うのでここで一旦バイバイしました。
バイクは3時間無料内だったようで、駐輪料金はかかりませんでした。倉庫にバイクを戻し帰宅すると、美味しいご飯が待っていました。朝からおにぎり1つだったものね。「空腹は最高の調味料なり」。食卓を囲みながら、お互いの今日の出来事をあ〜だこ〜だおしゃべりし、風呂に入って10時過ぎに床に入りました。ああ、面白かった。

2013/11/17
日曜日は、美作・備中・備前をツーリングしてきました。月1のレース日だったのでレースメンバー招集があるかな?と空けていたのですが、今月は上がりということで暇になりました。家内は、着付け教室日なのでツーリングに出ることにしました。当初の目的地は、前回時間切れで巡れなかった「美作北林道」と「美作北2号林道」でしたが、気温低下・思わしくない天気予報によって、津山から南部を周るコースに変更しました。1000m高所林道なので平地より雨の確率が高く、雲の中だと絶景を期待できません。
当日朝は、4:30に目覚めました。ご一緒するMarさんに「用意して出ます」とメールし、上半身は下着・丸首シャツ・薄手ダウンチョッキの上に冬用プロテクタージャケット、下半身は下着・キルティングパッチ・冬用プロテクターパンツという出で立ちになりました。倉庫から「招き猫CB400SB」を出し、まずは給油です。5:11、「宝塚山本出光」221km/8.47L=26.1km/L。目標の25km/Lクリアです。購入してから1年半のトータル燃費は25.0km/Lで、購入前の目標値カタログ燃費31.0km×0.8=24.8km/Lをギリギリクリア維持しています。
中国道・宝塚ICから高速走行です。西宮北の山陽道分岐を過ぎから、照明が少なくなるようで一気に暗くなります。おまけに朝霧が出ており、慎重に走ります。加西市の穀倉地帯に入ると霧がマシになり、6:07・「加西SA」到着。下半身と胸は平気なのですが、薄手ダウンチョッキがカバーしていない腕が少し寒いです。山城攻めで暑くなるから薄着にしたのですが、セーターを着てきた方が正解でしたね。トイレしてから、持参したタブレット・Nexus7で天気予報などをチェックして朝の光を待ちます。霧の中でも少しでも明るいと安全ですし、朝日が上ると急速に消えていく朝霧の消失を期待してです。
6:23、東の空に霧越しの真っ赤な太陽を背負いながら、朝の明るさの中出発です。懸念してた盆地の霧はマシで、80km/hを維持できる視界も確保されていました。「勝央SA」でトイレ休憩・僕の高速道路移動の朝の定番・朝カレーを食べて、お腹からの要求を満たします。駐車場にキャンピングカーがいます。中できっと幸せに寝ておられるのでしょう。ネグラともども移動するヤドカリ旅はいいな。
7:32・出発し、「津山IC」下車。吉井川沿いのR179を西進し、7:49・JR津山駅到着。まずは地元駅で市内観光のネタを探します。最初の探索予定の「津山城」は、8:40開城です。それまでの時間を市内観光に使います。駅前の観光案内看板で、大体の地図を頭に入れ、「歴史景観保存地区」訪問を決定。「みまさかスローライフ列車の旅」というパンフレットで、「扇形機関車庫」の写真に目が留まりました。
車載ムービーをONにして出発。8:10、駅の南側にある「旧津山扇型機関車庫」に回ります。JR京都駅近くの「梅小路操車場」同様の造りで、転車台も残っています。というより、扇形機関車庫内に現役の列車が格納されているので、現役で使われているのでしょう。いいものを見せてもらいました。見学もできるようですが、まだその営業時間前です。
さっき仕入れた脳内地図に従って、再び線路を北側に越え、お城の南側に至るであろう適当な道を右折し東進開始。ちょうど「津山城址」前を通る道だったので、お城見学時の駐車場を探しながらゆっくり走ってると、「ん?青のバリオス」・・・誰かと話してるライダーさんと目が合って、初対面ですがMarさんと確信します。待ち合わせは、僕がお城から出てくる9:15にお城の駐車場ですが、早く到着されたようです。手を挙げられたので、「先に景観保存地区を見学してきます」旨の合図をして通り過ぎます。
8:25、お城のすぐ東側を南北に流れる「宮川」を渡る所で、祭装束で笛太鼓を鳴らして歩く数人と出くわしました。橋の上で止まり、川とお城の比高などを激写します。南側を東西に流れる一級河川「吉井川」とその支流「宮川」を天然の水濠にする小高い丘陵上に「津山城」が建っています。津山城下を一望できる好立地です。Marさんが追いかけて来られ、初対面お挨拶です。走るスピードも僕同様ゆっくりのようで、自転車を山城攻めの足に使ったり、山歩きも趣味のようで僕と似てる感じだから、以前からご一緒したいと思っていました。やっとこの機会を得ました。岡山在住の方ですが、本日は僕にお任せのルートです。ソロツーリング同様、適当に寄り道・激写タイムを入れながら走ろうと思っています。
ここから東が「歴史景観保存地区」のようで、「寅さんロケ地」とか「作州城東屋敷」とか適当に止まりながら激写タイムです。この道は「旧出雲街道」だそうで、津山城前を東西に走っています。謂れ板によると、城東の出雲街道沿い南側は町家が並び、北側は武家屋敷だったそうです。北側中町の足軽屋敷が払い下げられ、町人通りが形成されたとか。
開城時間に近づいたので折り返し、Marさんが止まっておられた「津山観光センター」駐車場にバイクを停めます。ここは無料でした。8:44、登城開始。幅の広い立派な石段です。森氏という戦国時代後期に大活躍した大名にふさわしい遺構です。まず江戸時代初代藩主「森忠政」公の坐像と謂れ板が出迎えてくれます。復元図は、往時の城の巨大さを物語るものでした。往時は姫路城以上の櫓を持った城だったそうで、姫路城のように残っていれば・・・。まあ津山中心地だけでは修繕維持費を工面できる経済力がなさそうだから、早晩破綻していただろうけど。
『津山城は、もと山城のあった鶴山に森忠政が1604年(関ヶ原合戦1600年)起工・1616年完成の平山城です。往時は五層の天守閣がそびえていたが、実戦的なものでした。当時の築城技術の粋を集め、縄張りの巧妙さは攻防において非常に優れ、近世平山城の典型とされています。明治の廃城令により城郭は公募販売され、天守閣他建物は取り壊されたが、豪壮堅固な石垣は残りました。』
『森忠政1570〜1634 美濃・金山城に生まれる。本能寺の変で非業の死を遂げる森蘭丸の弟。1584年兄長可戦死後家督を継ぎ、豊臣秀吉に仕え金山7万石、のち徳川家康に仕え信濃・川中島13万7千石を領す。美濃一円18万6500石を与えられ津山入封。なおこの像は、津山市小田中・森家菩提寺・本源寺にある木像を基としたものである。』
僕の次男の名も「ただまさ」です。そして僕の名がお気に入りの「よしなり」。家内の出身地・播州のお城といえば姫路城で、江戸時代初期入府したのが徳川家康四天王一の武闘派・本多忠勝の嫡男の忠政です。正室は家康の孫で、次を継いだ嫡男・忠刻も豊臣秀頼の正室で大坂夏の陣で城から助けだされた千姫です。2代続けて家康の孫を正室に迎える信頼篤い家柄・人物です。この殿様の名を頂戴して命名しました。僕の在所・摂津の北隣の丹波篠山藩初代も青山忠正(ただまさ)で、僕としては抜群の名前です。
忠政の父・森可成(よしなり)は、美濃の豪族で織田信長配下で活躍し、信長が石山本願寺攻めに出陣していた時は、浅井朝倉軍の南下の押さえとして、大津の少し北・琵琶湖西岸の「宇佐山城」に籠もりました。南下してきた浅い朝倉連合軍に対し、一歩も引かず戦いましたが、最後は多勢に無勢嫡男・可隆とともに討ち死にしました。「本能寺の変」では、信長の小姓であった息子の三男蘭丸以下・四男坊丸・五男力丸が信長とともに討ち死にし、次男の猛将・長可も本能寺の変後の羽柴秀吉と徳川家康の「小牧長久手の戦い」で秀吉方として戦死しています。そんなこんなで、6男・忠政が森家の家督を継ぎました。
建物は残っていませんが、加藤清正の熊本城に匹敵する石垣の壮大さで、さすが戦国の最前線を戦い抜いてきた勇将の血筋を感じます。丹波篠山城程度の石垣の残り具合の見どころのないお城だと思っていましたが、大きく裏切られました。天守閣のあった本郭に登ると、朝霧に包まれた津山の町が眼下に一望です。イチョウの大木が黄色に色づき始めており、内堀の一部が残っていました。横の役所と思われる建物は堀を埋めた地に建てただろうと想像に、内堀の幅が現在の2〜3倍はあったろうと思います。津山城址拝観料・300円で、なかなか楽しめました。やったな「ただまさ」って、我が子の将来にもエールです。
9:19、「津山観光センター」に戻り、次の城攻めに出発です。r68で北上し、中国道を北側に抜けたとこを左折し山に向かいます。ここで2度ほどミスルートしましたが、9:36・「神楽尾公園」駐車場到着。ちょうどお散歩の方が降りて来られたので、城址の道順を訊きました。すぐに「神楽尾山城址」案内板が立っており、その後も分岐要所要所に案内板が設置され、山城を含め山歩き公園になってるようです。
9:48、教えてもらった山登り用杖棒が置いてある分岐に到着。ここから木製土留めの入り勾配が増します。さすが1日中山歩きをするMarさんは健脚で、僕よりペースが早いです。いつもは1人で黙々と上がるのですが、あ〜だこ〜だ話しながらだから楽に上がれるような気になります。9:53、「二の丸」と「狼煙台郭」との堀切だったと思われる切通に到着。雑木が払われ遺構が見やすくなってる両方の郭を見学してると、東方角はるか上方に教えてもらった本丸郭の東屋を発見しました。ぐえ〜、まだここから30分ぐらい上がりそう。往復&見学1時間予定を大幅にオーバーしそう。でも行くよ。
如何にも深い堀切があったと思われる「土橋」を通過。500年後の今でもはっきりと堀切と分かる深さがあるので、当時はそうとう深かっただろう。土橋の幅は人一人だから、狙い撃ちだね。「泥田堀」を通過、日頃の食料補給と有事の泥田足止めの防衛線だろうけど、あまりに幅が狭く小さい。往時はもっと大きかっただろうけど、平地の広がりが残っていない。
10:01、「三の丸」と「本丸」との分岐に到着。本丸側に「武者溜」があり、三の丸側に「馬場」がありました。10:08、「本丸郭」到着。360度遮るものがないので、絶景の下界が一望出来るはずですが、霧で見えません。中世の山城にしては破格の規模の山城です。これで赤松氏縁の山城に多用されている石垣で武装されていれば、赤松氏の本城に匹敵します。でもまあ、先月探索した伯耆本拠の尼子氏の本城・月山富田城のそれとは、全く規模が違うけどね。標高308m。
10:15、「三の丸」郭探索。案内板にあった「竪堀」は確認できず。下に続く道が往路より広いので、こちら側が大手道だったのかも?案内板には駐車場に降りれるとなってるので、帰路はこっちにします。10:27、「杖場」到着。杖の数が往路のそれより多い。予想通り、往路より道が広めで勾配も少しゆるめに感じたので、馬でも登れそう。こちらが大手道でしょう。「一文字三つ星家紋」の幟が1本挙げられています。赤松氏のそれとも、山名氏のそれとも違います。鎌倉時代、頼朝を支えた重臣・大江広元流れの毛利家の家紋を表しているのかもしれません。長く山名・赤松両氏の取ったり取られたりの最前線でしたが、両氏衰退後、山陰尼子氏が美作に進出し、月山富田城を落とし尼子氏を滅ぼした毛利氏の対信長西部戦線最前線の城になりました。その名残りなのでしょう。
10:39、農業溜池まで下りました。道なりに下る先に県道が見える。これでは公園駐車場より下がっちゃうと思いながら歩き出すと、斜め上にガードレールが見えました。溜池横に怪しい道があったので、一旦戻りそこからガードレールまで上がりました。ガードレールは交通公園で、Marさんから「駐車場横に交通公園があったよ」と。よく見てるなあ。ここから本丸東屋がクリアに見えます。さっきより霧が晴れて、今なら360度絶景が見えるのかも・・・。
10:48、駐車場に戻り、r68南下〜R179東進し、11:15・作楽神社(旧院庄館)に到着。直線参道が長い、こちらも予想以上に立派な神社でした。
『にらみ合いの松 江戸初期森氏入封の折、森忠政がこの地に築城を考え視察した。この時重臣の2人井戸と名護屋の意見が合わず対立、ついに果たし合いとなる。両者相打ちに共に死んだ。その結果、築城を鶴山に変更し、2人の墓を道路を挟んで造り塚として松を植えた。ところが通行人に変事が続き、道を移動し塚は田んぼの真中になってしまった。南に井戸・北に名護屋と並び、一方が栄えると一方が衰えるので、「にらみ合いの松」と呼ばれるようになった。
この名護屋久右衛門は、藩主・忠政夫人の兄で京の四条河原で歌舞伎を始めた出雲お国と浮き名を流した名護屋山三のことで、出雲お国が郷里に帰る途中でこの墓に詣でて涙したと伝えられている。』
ここなら平城で、鶴山の城の方が防備に堅いね。
『院庄館は、鎌倉・室町時代にかけて美作守護所と推定される。現在、館跡中央部には、後醍醐天皇を正祀とし、児島高徳を配祀とした作楽神社が位置している。』
『作楽神社 ご祭神:後醍醐天皇・児島高徳 謂れ 鎌倉幕府のため壱岐に流される途中の後醍醐天皇がこの地にお宿りになり、児島高徳が桜の幹を削って天皇をお慰めした故事により、1688年津山藩森家の執政・長尾勝明が顕彰碑を建て、後にこの地を治めた松平家の家臣・道家大門らの努力によって神社が鎮祭された。境内は1万坪、鎌倉時代の守護職の館であった。大正11年、「院庄館跡・児島高徳伝説地」として国指定史跡となり、社宝の太刀(銘:来国行)は、国指定重要文化財である。』
鎌倉幕府打倒で立った後醍醐天皇ですが、笠置寺が落城し比叡山目指して敗走中に捉えられてしまいます。そして伯耆国沖の隠岐に流されます。その護送道中を襲撃して助け出そうとしたのが、備前の楠木正成同様鎌倉幕府に従わなかった悪党・児島高徳です。襲撃ポイントの峠を護送軍が直前に変更し、慌てて追いかけたが美作政庁のここに先に入られて、奪還計画が潰えました。桜の木を通して後醍醐天皇に意思を伝える太平記の名場面です。ずっと訪問したかったとこに、とうとうやって来ました。
瀟洒な本殿拝殿が建ち、境内に「さざれ石」がありました。「え〜国歌君が代に謳われているさざれ石って、大和にあるんじゃないの〜?」と言ったら、Marさんが「うちにもさざれ石が2個ありますよ。石が集まって岩になってるのを「さざれ石」って言うみたいですよ」だって。大和の磐座に「さざれ石」という固有名詞で呼ばれるのがあると思ってました。また1つ勉強しました。『天皇の世が、千代に八千代に永遠に、さざれ石のようにみんななかよく集まって苔が着くまで続きますように』って歌なんだな。
R179〜R181を西進し、11:42・「道の駅・久米の里」到着。ガンダムを見に来ました。『本機は、久米町在住の中元氏(1964年生まれ)が自ら設計図を引き、独力で制作した。鋼製の内部骨格・外装は繊維強化プラスチック・脚部は動かせるように油圧シリンダー内蔵。コクピット内に2名が乗車・操作できる二足歩行型有人歩行機械として、7年の製作期間を経て1990年に完成した。』
『感謝状 久米の里ガンダム殿 あなたは道の駅久米の里を基地として、地球と地域を衛る正義の戦いに臨まれ、多くの人々に夢と感動を与え、久米の里はじめ久米町の活性化に多大な貢献をされました。 久米町長:杉山和之』
確かに足首・膝関節に油圧機器が入っています。ホンダのアイボ技術とコラボすれば、これ走るんじゃないでしょうか。11:54、お土産に「白桃クリーム大福」1260円+保冷剤100円を購入し出発。
R181を西進し、「岩屋山城址」の案内板を確認しました。当初ここも山城攻め候補だったのですが、城攻め往復1時間なので時間の関係でカットした中世の山城です。場所が確認できたので、次回です。看板がしっかりしてたので、地元の方の山城整備が入っていそうで、迷わず登れそうです。
r411に入りました。この道がナイスで、交通量少なく適度なワインディングで楽しい。後ろのMarさんが車間距離を開けてくれるので、不安がないです。R313に合流し、12:26・「道の駅・醍醐の里」到着。最後、霧雨がパラパラと落ちてきてフロントスクリーンに小さな雨粒が付いてきました。林道に突っ込んでいたら、大粒の雨に打たれていたかも・・・。ここで昼食にします。バイキング800円という看板メニューもありましたが、大食いは健康の敵なので「醍醐ラーメン」650円にします。Marさんは身長180cmなので少なすぎるんじゃないかと思うのですが、僕に付き合って同じメニューです。「どこが醍醐なんでしょうね」とおっしゃるMarさんの指摘はズバリですが、野菜沢山の待ち時間もない料理が食事抜きでも道を走っていたい僕には最高です。あ〜だこ〜だここでもおしゃべりし、お供がいると楽しいね。
ここから本日の道の部メインイベントの県道です。少しR313をバックし、すぐに鋭角に右折しr66に入り南下します。ツーリングマップル(TM)無印で峠もありそうでどうなのかな?と思っていましたが、食事中に小雨も止み、路面良く交通量も少なくナイスな道でした。岡山県は楽しい道の宝庫です。モミジの色づきはイマイチですが、黄色く色づき始めた銀杏の大木が時々現れ目を楽しませてくれます。一瞬道幅が細くなり、「・・様」という幟が立つ枝道が急坂を上がっていました。「横山様って何だこれは?」と思いながら通過し、13:29、道端のイチョウを激写するために止まりました。Marさんから、「さっき横山様ってのがあったでしょ、かつては腰痛に効くと遠く大阪からもお詣りに来たんですよ・・・」と教えてくれました。面白いな。
r31に突き当たり左折して東進開始です。TMおすすめの道です。これもナイスで、快適に楽しくR429に出ました。R429を越えてr31の続きです。ここから交通量が少し増えましたが、信号ストップで前走の四輪集団と千切れてまた単独走行になりました。「うわぁ〜綺麗」・・・これまで大して色づいていなかったモミジが朱色に燃えています。いい具合に駐車場があったのでそこに入れます。13:47、「宇甘渓」でした。Marさんの話では、以前ほどの賑わいがないとのことでしたが、この一角だけモミジが萌え、秋を楽しませてもらいました。
更にr31を東進してると、JR津山線に沿うようになり、列車が走っています。追っかけでスピードアップしましたが、やはり向こうの方が速かった。JR線路を潜り、R53を100mほど北上し、r53で東進。そのままr53で吉井川沿いR374まで走り、「天神山城」西側の要害絶壁を見上げたいと思っていましたが、GPSが示す最短距離でも目的地の「和気美しい森」到着が15:15です。いつものことですが、時間に追われてるので、GPSの指示する最短距離を行きます。r27少し南下、r403東進します。
ここでまた小雨が落ちてきました。スクリーンに雨粒が付く程度で、それが流れる程の雨量ではありません。僕はバイク用防水上下なので、この程度はへっちゃらですがMarさんはどうかな?14:59、r258との交点にある「サークルK」で、車載カメラ収納&カッパ着用タイム。すぐ雨が上がりそうでもあるので、僕はそのままです。
r258〜r79〜r96を東進し、「和気町原エネオス」で給油。252km/10.81L=23.3km/L。「カッパを着ると雨が止む」の格言通り止みました。「吉井川」を渡り、R374を少し北上してr414で山道を上がって行きます・・・と行きたい所だったのですが、R374走行時に西からの怪しい雲が流れてきて、時刻以上に暗くなってきていました。「和気美しい森」から旧本丸まで片道20分なので往復1時間としたら、バイクに戻るのが16時を回ります。時間的余裕がなくなるので、アクシデントがあると危険と判断し、登城を諦めました。
山道のかかりでストップし、その旨をMarさんに伝え、あ〜だこ〜だお話して解散しました。話している間にさっきの怪しい雲が掛かってきたのか本格的に雨が降り出しました。僕もカッパ着用&ウエストバック収納です。R374に出て南下し、r96の橋で右折して倉敷に帰られるMarさんとバイバイ。僕はそのままR374を南下し、道標に従って「和気IC」から山陽道に乗りました。「カッパを着ると雨が止む」の格言はここでも生きており、雨の方はr96交点を越えたら止みました。以降降られませんでしたが、カッパを脱ぐのが面倒で、自宅までそのままでした。
16:11、「龍野西SA」でチョコメロンパン180円で小休憩し、「三木SA」で神戸コロッケ150円でまた小腹を満たします。帰宅すれば家内の美味しい夕飯が待ってるので、この時間帯の小腹がいつも悩ましいです。中国道・宝塚トンネル渋滞が11kmから13kmに増えたので、「神戸北JCT」で六甲北道路にチェンジし、「吉尾IC」下車。r82〜R176〜r82でr51に出ようと思ったのですが、r82の急坂で渋滞です。フットブレーキ・クラッチを使いながらエンストしないように踏ん張りましたが、先の信号渋滞のようで数台ずつしか前に進まず気持ちが折れました。次の交点からR176に下りて、R176〜宝塚という渋滞コースで帰りました。やはり六甲北道路を「有馬口IC」まで南下し、r51で有馬温泉経由「生瀬」R176合流が正解でした。有馬で時間ロスしたので、19時丁度に帰宅しました。ああ楽しかった。でもまた宿題が残ったよ。レースの方は、優勝したそうです。去年に続き2連覇です。

2013/11/10
日曜日は、「遼くんもだいぶ大きくなったよ、見に来る?」って長男に誘われての東京行きでした。長男が貯まったマイルor産休中お嫁さん勤務会社の縁故無料で航空機チケットを買ってくれたのですが、帰りの便は格安枠がなくなったそうでこちらで手配しました。片道1人14170円×2でした。
前日天気予報では、「大阪9〜18時雨・東京21時〜雨」というラッキーな降雨予報で、雨を避けての移動を予想したのですが、日曜日の5時前に起きて3時間毎天気予報をチェックすると、6時から雨に降雨時間が早まっています。朝5:30にお土産の柚子を庭でチョキチョキ収穫していると、雨の気配です。やばいな〜・・・準備万端整えて6時に外に出ると、小雨が降っていました。通勤リードタンデムから車移動に変更です。駐車代2500円の出費増です。たった10分で飛行場なので、カッパを着ても良かったのですが、家内もいるので風邪を引かせてはいけません。
6:14、伊丹空港駐車場着。JALから送られてきたメールを提示し、チケットに交換してもらいました。搭乗カウンターを抜けて搭乗手続きを待ちます。7:10発JAL羽田行き始発に乗り機上の人になりました。早朝自転車で走ってる猪名川土手〜我が家上空を経て、雲の中に入って行きました。庭仕事をしてる時、この飛行機の音で時間を把握しています。
いつも期待してるCAさんですが、普通でした。今年初めに初孫誕生にお嫁さんの実家・新潟へのフライトでの超美人CAさんタイプがいると、一気に空の旅も楽しくなるのだがなあ・・・。雲が切れ下界が見えてきたと思ったら、いつもと違う海岸線と半島の形です。「房総半島じゃないのかな?風向の関係で北東からの侵入かな?」って家内と話していたらビンゴでした。木更津コンビナート・東京ディズニーランドも見え、長男宅の上空を飛んで羽田に降りました。
羽田空港第1ビル・JAL利用駅から東京モノレールに乗り、「天王洲アイル」で乗り換え予定でしたが、特急に乗ったようで空港を過ぎると「浜松町」まで駅に停まりませんでした。そのままJRでも良かったのですが、複雑で人の混む「東京駅」での乗り換えが田舎もんには・・・なので、急行になった同じ車両に乗り、「天王洲アイル」まで戻りました。東京臨海高速鉄道・りんかい線に乗り換え、「新木場」でJRに乗り換え、京葉線「潮見」着。長男のマンション目指し歩き出すと、迎えにやってきた長男が声を掛けてくれました。
お迎えに出てたお嫁さんと初孫・遼くんに「おはよう」をして、マンションに上がります。遼くんは前回のお盆ではハイハイ序章だったのに、すっかりベテランになってどこにでも自由自在です。つかまり立ちもできるようになっており、慎重に座り直すとこが長男の赤ん坊時代にそっくりです。人見知りの知恵が更についたので、「この人は誰だ?信用できるのか?」なんて顔でじっと見つめられていましたが、やはり家内の方から安心されてよく笑うようになりました。家内はごきげんさんで、いろいろ話しかけています。
お昼は、手巻き寿司でした。お嫁さんは料理が得意なので、すし飯・海苔・海産・玉子焼き・きゅうり・シソなどの野菜を用意してくれています。自分で適当に巻いて食べます。とても美味しい。ベランダに出ると、野球のユニフォームが干されていました。会社の野球チームに入っているようで、前日土曜日は、遼くんが初観戦をしたそうです。午前中1試合・家族でお弁当を食べ・午後1試合したそうです。
お嫁さんによると長男はまた出世し、開発部門と経営中枢部門を掛け持ちしているようです。子供の時から朗らかだけど一生懸命でやりたがりな性格だから、ずっとリーダーをやってきました。彼が社長になるまでは生きていたいと思っています。忙しくても土日の休日はちゃんと取れるそうなので有難いです。家族がエネルギー源でもあるので、楽しく休日を過ごす時間が持てていれば大丈夫だと思っています。開発部門の仕事で国内を飛び回ることが少なくなり、海外の学会や海外子会社とのあれやこれやに仕事の主体が移り、出張は海外ばかりになったようです。さらに隣の席がオランダ人になったようで、英会話力もだいぶ上がったそうです。でも、彼がくしゃみをすると、God bless you! と返さないといけないのが面倒だそうです。ぐふふ・・・
僕のリクエストで、車で「若洲ヨット訓練所」に向かいます。車で10分ほどの距離ですが、途中に広い公園も多く、東京駅から4駅の割に環境がいいです。このハーバーは初めてです。2020年東京オリンピック・セーリング競技会場です。1964年オリンピック会場だった「江ノ島」の方が、競技者としてはいい風も吹き良さそうですが、東京からのアクセスはこっちの方がずっと近いです。しかも陸上からのレース観戦も出来そうです。
次に、「夢の島マリーナ」に回りました。こちらはクルーザー主体ヨットハーバーで、売店やレストランもあります。でもまあ、新西宮YHの方が、ずっといいね。遼君は車内ではチャイルドシートですが、いつも後ろ向きに乗せています。「後ろ向きって、気持ち悪くならないのかな?」って聞いたら、体重10kg以下の赤ちゃんは後ろ向きに乗せるように法律で決まっているのだそうです。急ブレーキ時シートベルトで肋骨や鎖骨をおらない配慮だそうです。知らなかった〜。長男の運転は、スピードもゆっくりで車間距離も十分で、安心して乗っていられます。
マンションに戻り、「お茶でも用意しますね」と言われ遼くんと遊んでいると、火が灯されたバースデーケーキが登場しました。「え、え〜」、3日後の11/13は僕の誕生日です。想定外のバースデープレゼントでした。息子たちが生まれてから、隣に住んでいた親の誕生日は必ずみんなで祝ったけど、自分が子・孫に祝ってもらえるようになるなんて・・・子供って生まれてきてくれてからずっと親にプレゼントを運び続けてくれる存在のようです。ネックウォーマーのプレゼントももらいました。これからの季節、バイク・自転車・トレッキングと重宝しそうです。お正月に帰省するのに、なんで11月という時期に招待されるのかな?って思ったら、これを企んでくれていたんですね。大感動しちゃいました。
美味しくケーキを頂いた後、長男夫婦はお買い物に出て行きました。僕らは遼くんとお留守番です。おもちゃで適当に遊び、一通り遊んだら「抱っこしてくれ」と寄ってきます。しばらく抱っこしてやったら、またオモチャ遊びに戻り、洗い物で家内の顔が見えなくなったら声のする台所へ探しに行きます。
1時間ほどはあっという間でした。ルンバとアンパンマンが怖いようで、ルンバが掃除をし出すと怖がって親の抱っこに逃げ込み、アンパンマンが歌を歌いながら踊りだすと怯えた目になり、泣いて抱っこに避難します。どうやら僕が抱っこしても大丈夫なので、今は強敵アンパンマンに勝ってるようです。
僕らのアドバイスで樋屋奇応丸を買ってきました。夜の睡眠時間が伸びたら、お母さんは楽なんだけどな。まあ我が子たちには絶大な効果だったので大丈夫でしょう。17:30になったので帰路につきます。羽田まで車で送ってくれるそうなので、R357からの車窓を楽しみました。
空港内をウロウロしてから、搭乗カウンターを通過し、19:20発・伊丹空港行きを待ちます。予定では、20:35大阪伊丹空港着なのですが、羽田周辺の気象の影響で遅れており、「伊丹空港21時以降使用制限により、関西空港着陸になるかも?」の条件付きになっちゃいました。アチコチで電話で善後策を打ち合わせしてるお客さんがいますが、まあ関空になったらなったでそれを楽しもうと僕らはゆっくり待ちます。出発予定時刻が20時に変更になり、結局飛び立ったのは20:30頃でした。30分で飛ぶのは無理なので、こりゃ関空着かな?と思っていたら、途中で機長から「21:30着陸予定で、伊丹に降ります」とのアナウンスが有り、乗客からの拍手も聞こえました。
21:26、大阪伊丹空港駐車場に戻り、駐車料金2500円。ブイーンと帰宅し、22時頃風呂に入り、楽しい1日が終わりました。

2013/11/3
日曜日は、インカレ観戦&応援に行きました。家内と一緒に行きたかったのですが、仕事関係の全国大会で博多行きなので、5:30に車で新大阪駅まで送りました。帰宅時間が21時過ぎになるようなので、それまでは自由時間です。一旦帰宅し、朝のお勤め他をサッとこなし、夕方から雨予報なので車で家を出ます。6:44、セブン-イレブンでおにぎり2つ・245円で購入しハーバーに向かいます。
7:23、新西宮YH到着。ディンギーヤード裏の駐車場に、全国から予選を勝ち抜いてきた大学のヨットがおり、多くの学生が艤装しています。空模様はすぐに降る感じはありませんが、どんより曇っています。六甲山なんて皆目見えません。ディンギーヤードに入ると、母校などここを本拠にするヨット部が艤装しています。
まずは係留艇の方に行こうと桟橋を歩いていると、メルジェス20が沢山係留されています。次男ジュニアヨットクラブの後輩君がいたので話を聞くと、こちらの全日本も開催中だそうです。すごく面白そうな船です。船に着き、ドッグハウスのハッチを開け、カーテンを開いて光を入れます。トイレの流れをチェックし、メインスイッチをONしてエンジン始動させます。前日も使ったので問題なく一発始動。冷却水が正常に流れだしているのをチェックしてエンジン停止。観覧船準備OKです。
桟橋を戻り、ディンギーヤードで成績表をチェックします。今年は1ヶ月前にあったインカレ個人戦で470・スナイプ両クラス優勝で望む地元大会なので、ガチガチの優勝候補でしたが、蓋を開けたら前日までの2日間とも風が弱く、微風得意の琵琶湖D社がトップです。インカレは個人戦と団体戦がありましが、全国の大学が目標にしてるのは団体戦の方です。より総合力が試されるので気合の入り方が違います。今日からの後半2日間で挽回可能ですが、この曇り空から予想される微風では・・・僕が4回生だった時も前哨戦の個人戦で本命視されて臨んだけど、団体戦が微風だったのと同じ展開です。
ここ数年で何度か片クラス優勝していますが、総合は2位止まりで、総合トップは僕が2回生だった頃に遡ります。冷静にD社との点差を考えれば挽回は厳しいけど、今年のアメリカスカップの奇跡のようなことがあればなと・・・。
いつもインカレ会場に来て感じるのですが、僕もかつてはこの中にいてただ1つの目標に邁進していたあの頃の感覚が蘇り、嬉しくなってきます。大学の紋章を背負いレースに臨める貴重な体験が、僕のその後の人生に大きな影響を与えてくれました。成績表をチェックした後、防波堤に上り学生たちの動きを俯瞰します。
「Sさ〜ん」、防波堤下のご夫婦は次男ジュニアヨット部の後輩の親御さんです。お父さんはレース運営だそうで海に出て行かれましたが、お母さんが上がってこられあ〜だこ〜だ。母校後輩になった彼女の息子さんは、今年の470クラス個人全国制覇したエースです。小学生から始めたヨットの集大成で、息子のヨット姿を見る最後になるかもと、朝だけ顔を見せたそうです。学校の先生で顧問してるクラブの試合があるからとんぼ返りしないといけないそうです。甲子園の高校野球でそこかしこにあるこういう親の姿を見ると、嬉しくなっちゃいます。平和な世の中で、親子の関係がしっかりしていないとこうはなりません。
母校艇庫前で、母校OB・選手親御さんなどの関係者の観覧船配艇をして、船に向かいます。8:51、レース艇が各校応援に見送られ続々と出艇していきます。うちの船は、1回生お母さん1名の他はOBばかりの配艇でした。初めましてのお母さんに声をかけると、4年前のジュニア全日本を制した広島ジュニア出身で、今年母校に入学した子のお母さんでした。乗艇OBの中で僕だけがジュニア関係者なので、お母さんに積極的に声を掛け、海上では先輩方との話に引っ張り込むようにしました。
誰がステアリングかな?と見ていたら、どうも先輩方は話の方に夢中な感じなので、僕がステアリング担当になりました。後輩も2人いたのですが、僕の方がこの船に慣れてるし・・・。これで海上からの写真はなくなりました。母校関係者のクルーザーが4艇出ていました。他校の船に近づくと、いろんな関係で交流のある人が声を掛け合い、同窓会です。母校応援と称して、旧交を温めに来てます。母校の成績は気になりますが、ダメでも「また頑張りな」って感じで、現役時代のようなライバル関係はもう存在しません。
微風の中レースが始まり、クラス3艇まとまって上位を走る学校はなく乱戦気味でこの日の第1レース終了です。風が更に落ち、AP/H旗で、レース延期・ハーバー待機信号が揚がりました。桟橋に戻り、母校マネージャーが差し入れてくれたおにぎりを頬張りながら、ダベリング大会開始です。斜め前の船上に2日前に電話で話したばかりのD社同期を見つけ、D社観覧船に表敬訪問です。大先輩が多数乗っておられ、挨拶しながらあ〜だこ〜だ歳の差関係なしの現役時代のヨット部生活で笑いあいました。
数艇先の船は、次男ジュニアヨットクラブ後輩の親御さん所有です。表敬訪問すると、この大会に出場してる息子さんの学校の支援艇&ジュニア出身者親御さん観覧船になっていました。それぞれの息子さんのジュニア時代の話など、あ〜だこ〜だ。
1:20頃、ここに電話で、「1:30に本日はこのままノーレースになる」との情報が入りました。船に戻り、それを先輩方に告げ、D社観覧船にも伝えます。1:30になり、にわかにディンギーヤードが賑やかになり、遊びに来てた母校コーチが、「え〜1:30はタイミン的に早すぎるやろ〜」なんて言いながら、ディンギーヤードに帰って行きました。
船を片付け、D社観覧船にお暇の挨拶をしに行くと同期Hくんはいませんでした。レース後都合が合えば、どっかでしゃべろうと話していましたが、仕方ないので帰宅する方向でセンターハウスに戻ると、そこで慶応同期とあ〜だこ〜だやってるHくんがいました。Hくんとヨットクラブレストランで1時間以上話していると、傘が必要な小雨になりました。カッパは着てたけど、海上で雨にならず良かったです。Hくんは電車で来てるようなので駅まで送ることになり、途中で回転寿司に寄り道し、また1時間以上あ〜だこ〜だしゃべっちゃいました。Hくんも今年爺さんになったようで、嫁姑のおもろい話など、いくら喋っても話が尽きそうにありませんでした。
Hくんが「息子は親が言うのもなんだけどイケメンで、お嫁さんも『北川景子』似の超美人と言うので、「北川景子、ファンなんや」と答えました。そっちのお嫁さんはどんなん?と聞くので、「知らんと思うけど、NHKおはよう日本のキャスター鈴木さんという人に似てる」と答えると、「え〜鈴木奈穂子?俺ファンや」って、ものすごい反応です。僕もいいなと思うけど、5:30からの「おはよう日本」キャスターの上條倫子さんがええわと言うと、「あ〜少しぽっちゃりしてる方が好きか」ってバッチリ話が合います。そして携帯電話の待受画面を見せてくれました。現在のお天気キャスター・渡辺さんの1つ前のお天気キャスターお姉さんが待受画面になってました。この子は慶応出身で、今の渡辺さんに交代した時、寿移動やったんちゃうかな〜と遠い目になりました。僕も人のことは言えないけど、学生時代同様、相変わらずのアホです。お互い嫁さんから、女子アナ熱に白い目を向けられている嘆き節もあり、NHK女子アナで、こんなに盛り上がるとは思っていませんでした。
18:00、かっぱ寿司・2503円(H君ビール1杯・550円、赤だし189円×2、105円皿13)でした。Hくんがトイレに行ってる間に僕がおごりましたが、回転寿司ってこんなに安かったっけ?、Hくんも、「そんなに安かったんか?」って驚いていました。
阪神西宮駅でHくんを下ろしました。家に帰ると言ってたけど、この近くでD社先輩方が飲んでるようなので、まっすぐ家に帰ったか疑問です。18:30頃帰宅し、風呂に入ってヨーグルトを食べて寝ました。21:30頃家内から電話があり、最寄り駅まで迎えに行きました。僕からはHくんと盛り上がった話をし、家内からは太宰府天満宮の話を聞きました。午後からの会合なので、我が家系の先祖となってる道真さん天満宮に寄ってきたいと言うから、道順を書いて渡しておきました。太宰府天満宮は、藤原氏の陰謀で失脚させられ大宰府に左遷された菅原道真さんが亡くなった場所で、そのお墓の上に建立された全国天神さんの総本宮です。京都の北野天満宮は、道真さん死去後、雷に撃たれて藤原氏関係者がなくなったり数々の災難が起こりました。雷神になった道真さんのたたりを鎮めるために、失脚させた側の藤原氏が建立したお宮です。
足利尊氏が、対立する南朝・後醍醐天皇亡き後、嵐山に後醍醐天皇の菩提を弔うために天竜寺を建立したり、勝者が敗者を弔うという地が流れています。こんなのは他の国にあるのかな〜なんて、家内が寝るまであ〜だこ〜だしゃべり、22時過ぎに床につきました。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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