ウェブマスター日記 2013/9-10

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
感想をいただけるとありがたいです→webmaster

2013/10/27
日曜日は、ヨット部卒業クルージングの連絡が入るかなと思っていたのですがなかったので、琵琶湖西北マキノ・メタセコイヤ並木ツーリングに参加しました。数年前の春先、道路から雪が消えた時期に行ったことがあるのですが、その他の時期がなく2回目のメタセコイヤです。10時に京都南部・久御山町集合だったので、お城巡りをすることにしました。ほんとは織田信長が畿内に進出する以前に畿内を制していた三好長慶の本拠地・「芥川山城」攻めをしたかったのですが、登城口の確認すらできていないので中途半端に終わりそうで、確実に行けそうなお城にしました。
5時半に目を覚まし、下はコミネメッシュプロテクターパンツ+DAIWA釣りスーツ下、上は冬用コミネポロテクタージャケット(インナー外し)を着こみました。名神少々と湖西線走りがあるので、高速道路用招き猫CB400SBを倉庫から出しました。前回鳥取林道巡りの朝手が冷たかったので、冬用グローブをはめて、夏用をリアボックスに入れて、6時過ぎに家を出ました。
中国道豊中ICから高速入りし、大山崎IC下車・・・の予定でしたが、天王山トンネルは左ルート・左車線を走っていたのですが、IC出口がわかりませんでした。バス停・京滋バイパス・京都縦貫道への分岐があり非常にややこしく、「大山崎IC」の表示があったのかどうか・・・通りすぎてしまいました。次の「京都南第2」で下りて、R1南下〜名神高速側道・R171を走り、最後ごちゃごちゃして「JR長岡京」駅前に出ました。そして最初の目的地・「勝竜寺城址」に7:05到着。
細川氏の居城で、明智光秀の娘・たま(細川ガラシャ)が輿入れしたお城です。三日天下・明智光秀と中国大返しをした羽柴秀吉との天王山大決戦の敗戦後、光秀が逃げ込んだ城です。城址公園程度でブランコなんかが並んでるのかな?と予想していたのですが、立派なお城ルックな建物(たぶん資料館)が建ち、狭いながらお堀まで備わって、立派な観光施設になっていました。「長岡京ガラシャ祭」の幟が林立していました。「九曜紋」の幟もたくさん立ってたので、細川氏の「九曜紋」、足利氏一族の「二つ引紋」も立っています。もちろん、光秀の土岐氏流れの桔梗紋も立っていました。僕は信長を討ったので好きなんだけど、日本の正史的には逆賊の光秀の痕跡が消されておらず、好感が持てました。
こんなに立派な建物が建ってたら場内に入れないかなと思ったら、横の門が開いています。中に入ると、鯉の品評会でもあるのか業者さんが沢山の水槽に錦鯉を運び入れておりラッキーでした。本丸より更に高台になってる「沼田丸」の郭に上がり、周囲を見渡します。ふむふむ、決戦の地・「大山崎」など遠望し、地図では感じることが出来ない地理的位置を頭に刻みました。
堀横に立ってた「西国街道とガラシャゆかりの地を歩く」案内板に書いてあった「式内神足神社」に向かいます。境内入口に「神足」さんの表札が上がったお宅があり、宮司さん宅かな?なんて思いました。延喜式に収載されているのだから平安時代からある歴史ある古社なのですが、現在の外観は日本全国にある普通のお宮さんです。謂れ板によると、794年平安遷都した桓武天皇の夢のお告げで、太刀と絹(当時の貨幣)を贈られて建てられたそうです。太刀が残っていたら国宝ものでしょうね。最大の目的である「勝竜寺城・土塁」はすぐ見つかりました。空堀も健在です。謂れ板によると比高6mだったそうで、2階建ての家と同じぐらいの高さでそびえていたのですね。
次の目的地は「淀城」です。京都北部から流れてくる桂川・琵琶湖からの宇治川・三重京都南部からの木津川という三川が合流する地に築かれたお城で、大坂城の豊臣秀吉が京都朝廷に睨みを利かすために作られた淀君が住んだお城で有名です。これを「淀古城」と呼ぶそうですが、今は石碑しかないそうで残念です。その後、徳川秀忠が建てた「淀城」に向かいます。
桂川を渡って、宇治川との合流の方に下ります。「八幡」へ向かう主要府道r13沿いにありました。7:40、到着。こちらは江戸時代の為政者徳川秀忠が京都に来た時のねぐらなので立派に残っていました。水堀からの石垣も高く、堀も幅があります。謂れ板によると、水車で宇治川から水を引き入れたそうです。謂れ板に1619年築城となっていました。家康が亡くなるのが1616年だから、家康の京都の家・二条城を廃し、新たに名実ともに徳川の顔になった秀忠がこの城で独自色を打ち出したのかもしれない。京都市街地の二条城より、少し離れたこの地の方が安全面など何かと便利だったのかもしれない。
何れにしても、1611年二条城での家康・豊臣秀頼会見で家康が秀頼の器量が息子秀忠を凌ぐと感じ、急ぎ秀頼を取り除こうと1614〜15年に大坂の陣を起こし、翌年家康没だから際どいタイミングです。大阪の者としては、家康没後秀頼健在ならもう一波乱・・・なんてね。朝鮮通信使が江戸に向かう時、ここで船から上がり宿泊し、陸路江戸に向かったと謂れ板に書いてありました。
城内に「與杼神社」というのがありました。「よどじんじゃ」と読むようです。式内社という古刹で、お城がこの社を接収したのかな?と思ったら、別の場所にあった神社が明治期に引っ越してきたそうです。境内に「淀屋」寄贈の高燈籠がありました。「淀屋」といえば幕府を凌ぐ財力を有した豪商でしたが、取り壊し財産没収になりました。その後子孫が再建し、先祖発祥の地・淀に寄進したそうです。だから「淀屋」だったんだ〜と、ちょっと賢くなりました。
淀城内に、田辺治之助記念碑というのが建っていました。存じ上げない人だったので調べたら、『慶応4(1868)年正月,鳥羽伏見戦が勃発し,幕府方大坂方面へ敗走した。同5日敗軍は淀城の開門を迫ったが,藩士は城門ととざして入城を拒否した。物頭役田辺治之助は大手門の守衛を指揮し,たまたま警衛を破り侵入した者があったので,藩主が朝敵の名を被らないようにその責任をとり自決した。この碑は田辺治之助の志操を顕彰するもので,戊辰戦争勃発70年に建立された。』となっていました。
幕末は、譜代大名・稲葉氏の居城でしたが、天皇を取り込み「錦の御旗」を立てた薩長軍に適しない姿勢を貫き、幕府軍を入城させなかったようです。「鳥羽・伏見の戦い」はこのすぐ近くで、海軍力を含め薩長軍を装備の上でも戦力でも上回っていた幕府軍が敗戦した一連の戦いの緒戦です。日本で何度も繰り返されてきた『天皇「錦の味方」=いいもん、敵はわるもん・賊軍』の構図の威力に、ビックリします。
まだ8時なので、時間に余裕があります。そこで「流れ橋」を見に行くことにしました。r15で「宇治川」を渡り、R1で「木津川」を渡ります。何度も走ったことがある宇治川左岸に沿うr22を上流に向かって上ります。「第二京阪道路」が木津川を渡る上流に「流れ橋」がありますが、数度寄った「四季彩館」の看板が見つけられませんでした。Uターンして橋最寄りの枝道にバイクを入れ、木津川土手に上がります。
8:19、「流れ橋」。先月の台風で流れています。橋脚だけの姿を見るのは2度目です。同時に浸かったであろう河川敷の茶畑は、何事もなかったようにいつもの姿です。いい天気なので、土手の「京都八幡木津自転車道」をスポーツ自転車が気持ちよさそうに走っています。自転車道の案内板を見ながら、「嵐山まで往復50kmなら、嵐山観光にここを拠点に自転車で行こうかな〜」なんて想像しました。ここの休憩所に10台ぐらいいます。大盛況です。「大阪湾まで42km」と看板に書いています。三川合流地点から「淀川」と名前を変え、大阪湾に出ます。
まだ時間があるので、「飛行神社」に向かいます。r22を石清水八幡宮に向けて戻ります。途中にいい感じのお宮を見つけ、寄り道しました。8:37、「御園神社」。謂れ板によると、桓武天皇が猟遊していた時に神託があり、大納言藤原継縄に命じて建立させたそうです。藤原氏なので藤原氏の守り神・奈良春日社より三神を移座させたのだとか。度々戦火で焼け、現在の本殿は1701年製だそうです。覆い屋でクリアには見えませんが、彩色メンテナンスもされてよく保存されています。
r22を更に進み、八幡宮麓の「飛行神社」に、8:52到着。ご神体?のジェットエンジンがドカンとお迎えです。鳥居はアルミ色で如何にもな感じ。世界で初めて飛行機で空を飛んだ二宮忠八が晩年宮司さんになって建てた航空安全祈願のお宮です。木津川河川敷が二宮忠八の飛行場でした。境内に鎮座している引き上げられたゼロ戦のエンジン・プロペラもご神体かもしれません。絵馬を買いたかったのに社務所が開いていません。御用の方はベルを鳴らすように書いてあったので、ベルを押すと即答で社務所扉が開きました。宮司スタイルの方から絵馬・600円購入。わが家の屋敷祠・三穂神社に、初孫君の安全祈願を書いて置いておこうと思ってます。彼の誕生記念に建立したんだから、証拠となるものを残しておかなきゃ。
r22〜第二京阪側道R1で木津川を渡り、9:22・「ローソン久御山工業団地前店」に到着しました。一番乗りかも?って思っていたのですが、6台目でした。麦茶98円+グリコジャイアントコーンアイス126円を購入し、朝ごはんとします。
Tamさんのバイクがスクーターに変わっていました。Jinさんのオフバイクは初めてです。Miyさんとはお初ですが、大東からで大型アメリカンでとても感じのいい方でした。Toyさんの来るスクーターも初めてのはず。Jさんは僕他が散財させたホンダ・アメリカン。原付二種でご一緒する紅一点Kazさんのバイクは?と思ったら、Tamさんのリアシートのようです。
ワイワイやってたら、三重から遠路Marさんが到着しました。赤のCTX700、この春発売された新車です。シートが低く、足を前目に置くアメリカンポジションです。またがらせてもらったら220kgとCB400より重いのに、軽く引き起こせました。「何、この軽さ」・・・同じエンジンのNC700XやSにまたがった事がありますが、重さが全然違います。ガソリンタンクがスクーターのように足元にあるのかと聞いたら、CBと同じところにあります。この軽さは不思議です。立ちごけにもかなり耐えそうです。というより、僕のリード110同様、立ちごけしなさそうです。
続いて、舞子からからNakさん到着。こちらも新車で、GSR250で綺麗な白です。ギアポジションインジケーターが標準装備で、これは羨ましいです。燃料計が標準装備になりつつあり、このインジケーターも標準装備になっていったらいいなと思っています。上り細山道でギア位置を知りたい。
10時になり、出発です。R1で宇治川を渡り、右折して「六地蔵」まで宇治川右岸を走り、ここから北上し「山科」のR1沿い「ローソン山科大塚店」到着。Ojiさんと初対面。1500ccのワルキューレ?というホンダの水平対向6気筒バイクに乗っておられ、横幅が迫力です。和歌山在住で、このツーリングのために前泊されたとか。感じがよく、話しやすい方でした。
気楽なビリポジションは、カメラマンのMarさんに取られたので、ビリ2ポジションでR1を北上し、名神京都東ICのとこから湖西道路で琵琶湖右岸を北上開始です。トンネルを抜けて「皇子山」からの琵琶湖は風があるようです。コーチングでここを通る時、琵琶湖南湖を俯瞰できるここから朝の風の様子を予想します。
2車線から1車線に減るとこで渋滞しましたが、概ね順調に進みます。天気が良いのでバイクが多いです。気持ちいいですが、高架の吹きっさらしでは横風が強く少し振られます。11:37、ワルキューレさんがGSに入ったので、僕もまだ半分あるけど入れておきます。帰宅するまでに1回は給油が必要だからね。「セルフ安曇川SS」・200km/7.92L=25.3km/L。
12:00、「セブン-イレブンマキノ工業団地店」到着。予定より30分遅れたそうです。ここでまたまたお初の地元マキノのWodさんとご対面。BMWの1100ccです。スクリーンが高く、高速道路でも風が当たらないそうです。BMWのツーリングバイクは、スクリーンが大き目で快適ロングツーリングをよく考えています。カワサキも大き目な感じがしますが、ホンダは小さ目で、スクリーンの意味があるのか?って感じです。僕のSBも新車購入時にいきなり大き目に交換して納車してもらいました。
12:14、「高島市マキノ町高木浜・お食事処ととろ」到着。Tamさんが「寒い」を連発しています。冬用バイクジャケットが正解だったようで、僕は平気で、しかもホカホカ過ぎて腕のスリットを開けています。ひょっとしてTamさんの「寒い」は、後ろに載せてる紅一点Kazさんへの「もっとくっついて」のアピールだったのかな・・・。
座敷に上がり自己紹介をして、幹事Jさんが予約してくれていた「おまかせ定食・1370円」を食べます。ご主人が「今朝採れたてのサンマの刺し身は、どうですか?」って、言ってはりました。琵琶湖岸でサンマ?って違和感を感じましたが、北に一山越えれば敦賀ですものね。お隣の座敷は、名古屋・岐阜ナンバーのハーレー軍団でした。黄色い声が多く、全員女子との情報を得て、Marさんがお近づき行動を始めそうでしたが、会計の時ご一緒になると男性もいるじゃん・・・Marさんは「やらなくて良かった」と胸を撫で下ろしていたのかもしれません。美味しく頂き、あ〜だこ〜だ楽しくおしゃべりし、12:34辞しました。
次は、マキノといえば定番の「メタセコイヤ並木」に向かいます。Wodさん先導で、13:12並木到着。前回はまだ山に雪の残る春先だったので葉っぱがありませんでしたが、緑の一直線トンネルを走ります。バイクもたくさん来ています。洋梨かと思ったらりんごの木の農園が広がっていました。記念写真して、「小浜」経由で帰宅する僕だけここで離脱しました。
車載カメラをセットし、皆さんに少し遅れて並木道に出ます。あえてゆっくり奥の方に走ると、折り返してきた皆さんと対面できました。バイバイの手振りです。そういえばこの日も沢山バイクピースを飛ばしました。スポーツロードバイクも沢山走ってたので、人力の健闘をたたえ、こちらにはいつものガッツポーズです。ロードバイクは前傾なので視野が狭いから、右手で飛ばします。ほとんどの方が、会釈「おおきに」挨拶を返してくれました。
R161南下〜r534西進・みちなり南下でR303に乗りました。R303て手前でWodさんBMWとすれ違いました。皆さんをR303まで送っていったようです。ご苦労様&お世話になりました。R303を西進しR367との交差点を少しR367に入り、山道で「水坂峠」を越えました。位置的に「水越トンネル」が出来るまでの旧道だと思うので、もっと細道・山道・絶景の峠を期待したのですが、どうってことなく再びR303に合流しました。
14:19、「道の駅・熊川宿」で休憩し、宿場を歩こうかと思いましたが、どうやら車両通行規制がないようなので、バイクに戻りゆっくり宿場メインストリートを流して通過しました。
「上中」でR27に合流し、R27を西進します。小浜に近づいていくので、少しずつ交通量が増えていきます。そこで予定通りr23に回避。r23で少し南下し、「若狭西部広域農道」に乗れました。これで交通量の多い海岸線の国道をパスします。信号のほぼない2車線道路が山の中腹を縫って走っています。しかも交通量が少なく、超快適マイペースで走れます。r35と交差し、高速の下をくぐり、R162と交差し西に走り続けます。
このままr1まで走れると思っていたのですが、ナビが示すr1の下をくぐっちゃいました。「え〜、広域農道が県道をくっついてないの〜」って慌てて、ナビ誘導に従って一旦R27に出て東にバックし、r1に乗ろうと思ったら、なんとそれは高速道路入口へ向かう道でした。地図で確認すると、r1はもっと西じゃん・・・r1と思ってた道は高速道路でした。Uターンして元の広域農道まで戻り、更に西進し無事r1に合流しました。
このr1は、子どもたちがチビだった頃、海水浴で通った福井県の海水浴場への裏道です。海岸国道が混みそうな時はこれを使っていました。田舎道で、狭路もあり仕方なく走っていましたが、バイクで走るのは初めてです。20年前より格段に整備され2車線中央白線道路に変わっていました。でも交通量は相変わらずで、未整備区間も少しあるけど、バイクで走るなら最高ランクの道でした。
むちゃくちゃ快適にルンルン気分で、r1を快走し、15:49「光明寺」への分岐到着。懐かしい稲穂干しを激写。正面に見える低山にお寺があるのかな?と思いながらバイクにまたがります。Tマップルには国宝の仁王門があるとあるのですが、訪問レポートが少ないお寺です。予想外に細道細かいカーブの連続する枯れ葉・枯れ枝道で、VTRで来ればよかった〜と後悔しつつ上りました。だんだん木々の切れ間から絶景の山並みが望めるようになり、ワクワクしながらもお寺探索・帰路を考え、日没との競争だなと思うようになりました。
16:04、「光明寺駐車場」到着。「こんなとこ観光客なんて来るのか?」って感じの山の中です。途中1台の車とすれ違いましたが、人の気配がここまでありませんでした。標高400mオーバーの人気のない駐車場横に、民家がありました。住職のお宅と容易に想像出来ましたが、謂れ板を読んでて車がやってきた時にはドキンとしました。住職のお宅に吸い込まれていきました。
国宝は下りで、本殿は登りです。まず国宝を観に行きます。駐車場から隣峰の頂上にそれが見えました。それへの尾根道を下り、16:10到着。とてもいい雰囲気で、世界遺産「龍安寺の庭」よりよっぽどカッコ良いです。空海・弘法大師の時代、密教として日本に伝わった山岳修行で悟りを拓く仏教の姿を垣間見る雰囲気満点です。山門の横に苔むした五輪塔が幾つも立ち、国宝が何の防御もなしに山中にひっそりと佇んでいます。観光化されていないこういう自然な姿が大好きです。「来て良かった〜」、大満足!
山門正面に回ると、山門正面下りに道が付いています。こちらが参拝正面の道でしょう。左右の仁王像が僕を睨んでいます。ちょっとした仁王像でも、網で囲まれまともに写真にも収まらないのが多いですが、この仁王像はダイレクトに見えるし、低い木柵を乗り越えれば手で触れます。国宝山門を守る仁王像ですぞ・・・。僕は当然そんな悪さをせず、お賽銭をはずみました。
駐車場まで戻り、今度は本殿まで上がると、天台宗的な枯れた趣を持ったお堂が存在感をもってそこにありました。これが江戸時代に再建されたお堂ですね。蟇股が、獅子・龍・象で、素晴らしい彫刻です。誰もいない山中にこういう素晴らしい物が、誰にもいたずらされずに300年もあり続ける日本って・・・こんなに素晴らしく道徳心の高い国はないんじゃないだろうか。
謂れ板には、『真言宗の古刹で、推古天皇7年聖徳太子によって建立され、後に役小角(役行者)がこの地で修行し、延喜年中真言の道場として再興、坊舎72坊に及ぶ大寺院であったが、1527年兵火によって仁王門を除く全山が消失した。1533年再建したが、天正年間の戦乱で再び消失した。本堂は天保7年(1836年)に再建され、本尊は千手観世音菩薩を祀る。国宝仁王門は宝治2年(1248年)竣工したことが柱上の墨書銘によって判明、鎌倉時代における類例の少ない和様系二重門の遺構である。市指定文化財の宝篋印塔は無銘ではあるが、細部にわたって丁寧に仕上げられた南北朝時代の優品である。勧進帳は天文2年再建時の勧進状と奉加帳で、数少ない中世の生活資料として貴重である。』とありました。
う〜む、ここはかなり凄い。こんな山奥を焼く必要なんてあるんだろうかと、戦略的意味を考えちゃいます。当時は僧兵を抱える一大勢力だったのでしょうね。信長が、天台宗比叡山の次に標的にしていた真言宗高野山系の大寺院だからなあ・・・。
山中人気はありませんが、予想外のお宝を発見した喜びで、興奮で火照りながらバイクに戻ると16:29でした。西の空の朱い太陽が山の向こうに落ちそうです。早く里山まで下りなきゃ。徘徊中、ヒューンという鹿の鳴き声ばかり聞こえていました。夜明け時間と日没時間が鹿が最も活動する時間帯らしいので、もうすぐ山道は人間の世界から獣の世界に入れ替わります。
舗装路だけど、落ち葉枯れ枝の道路を慎重に下ります。r1に出ると快適な道が続き、R27に出ました。R27よりR173の方が快走路なので、R27で綾部市街地に出て、R173で南下開始です。もう陽は落ちており、明るさの残影が徐々に消えて闇の世界に負けそうです。
予定の「大原神社」訪問はパスし、「質志鍾乳洞」「土佐山ノ内家発祥の三宮城址」まではなんとか光があったが、「瑞穂の里さらびき」ではもう闇の中走行になりました。ここで既に録画を止めた車載カメラなどを休憩ついでに収納し、最後の踏ん張りです。
R372を越え、難関の天王峠高速ワインディング&高所恐怖のダブルパンチ区間です。交通量の少ないr12へのチェンジも考えましたが、もう真っ暗なのでどっちでも怖いです。登板車線で後続車に抜いてもらい上がります。真っ暗で外界が見えないのが幸いし、高所恐怖の方はゼロでした。縦溝区間はよく見えないからなんだか通過し、僕の後ろに遅い車がおりブロックしてくれて高速車追撃もありませんでした。
「天王トンネル」に突入しホッとし、下りの大S字カーブも追い付いてきた車が、それ以上車間距離を詰めなかったのでなんとかクリアしました。信号の関係で前の車に追いつき、これが僕より幾分遅いペースだったので大名行列に紛れ、いい具合に「多田」まで降りて来れました。r12旧道・r13で19時頃帰宅しました。倉庫前で乾拭きし、楽しいバイク旅を終えました。
帰宅すると家内はまだで、ゴソゴソ片付けていると家内が帰宅し、あ〜だこ〜だ食事しながらおしゃべりし、風呂に入ってから久しぶりに「八重の桜」を見てお休み時間となりました。

2013/10/20
日曜日は、コーチングしてる大学ヨット部の卒業記念クルージングの予定でしたが、あいにくの雨模様でキャンセルしました。当初曇り予報でしたが、前日から始まる3時間予報で午前中雨+午後5時雨となり、土曜夜には午後4時まで雨・雨量3ミリとなり、「雨でも平気なら船出すよ」と学生に連絡したら、「では順延で」ということになりました。9名参加予定だったので、残念でした。
これで一気に暇になり、朝から夕方までホテルで着付け教室缶詰の家内を駅まで送り、空港に寄り道しました。11/10に長男から誘われて、東京の長男家を訪問することになりました。往路は長男のマイルで家内と2人分の航空券を買ってくれたのですが、復路はマイルで買える枠が売り切れだそうでこっちで予約しました。そのチケット購入が目的です。2人で28340円でした。
風呂に入ってDVDを観ていました。「Love Letter」という中山美穂・豊川悦司主演の1995年の映画です。山で亡くなった婚約者の三回忌後、元婚約者のお宅で中学時代のアルバムを見て、当時の住所(小樽)に「お元気ですか?私は元気です」と手紙を出します。届くはずのない手紙の返事が届いたことから、奇妙な文通が始まります。元婚約者の親だけれど、もう何の縁もないお母さんと主人公の交流・・・、現在付き合っている元婚約者の友人と主人公の関係・・・、奇妙な偶然で小樽側差出人になった家族の雰囲気・・・、更にそれを取り巻く友人や親族・・・・僕の好きな悪者がいない映画で、声を張り上げるシーンなどなく、温かい空気に中で物語は進み、とてもいい気持ちで見終えることが出来ました。
この映画は1995年の映画賞の多くを受賞し、特に韓国で大成功を収め、韓国人観光客の小樽ロケ地巡りのブームが起こったそうです。物語の終盤に、主人公が婚約者の亡くなった山に向かって、「お元気ですか?私は元気です」と叫ぶシーンが有るのですが、これが流行ったとか・・・。
そんなこんなを知り、DVDと岩井俊二監督自身書き下ろしのノベルスを同時購入してしまいました。家内と観るタイミングがなく、ズルズル伸びていましたが、朝家内がお化粧してるタイミングで観だし、「これ何?映画?」「そう、今日何時に帰ってくる?一緒に観ない」って誘っておきました。
雨は強まったり弱くなったりで、お昼になったので冷蔵庫から昼食を出して腹ごしらえしてから、車に先月設置したドライブレコーダのSDカードを出してきてPCでチェックしたり、ゴソゴソやりました。「Driveman・720」という警察御用達製品を導入したのですが、デジカメ・ムービーに劣らぬ画質で大満足でした。
13時半近くなったので、カッパを着込んで通勤リード110で運転免許更新に市内の免許センターに向かいました。日曜日は混んでるかな?と思ったのですが、雨だからか、受け入れ体制が素晴らしいのか、窓口に並ぶこともなく、むしろ急かされるようにかかりの方に促され、ベルトコンベアーに乗ってる如く「一般講習・1時間」を受けて、晴れて5年間有効の免許証に更新されました。更新通知はがきには、3年半前の通行区分違反(日曜夕方のダダ込み中国道・宝塚トンネル渋滞でのバイクでの路肩走行違反お縄)が載っていました。過去5年間の違反はこれ1つで、これがなければ初ゴールド免許でした。その前のお縄は、更に2年遡り、原付50cc右折禁止違反です。その前は更に3年ほど前の駐車禁止違反です。スピード違反経験はありませんが、平均3年に1度ほとんど駐車違反で検挙されています。死ぬまでに一度は手にしたいゴールド免許・・・。
2時半頃免許センターから出た時は、雨が上がっていました。バイクセブンに寄り道してから帰宅し、TVを見ながら昼寝してたら暗くなってました。18時過ぎに家内が帰宅し、一緒に「Love Letter」鑑賞して1日が終わりました。家内の琴線に触れたようで、来月息子たちのとこに置いてこようって言ってました。

2013/10/13
日曜日は、兵庫県西部・岡山県北部・鳥取県南部のエリアにある「氷ノ山後山那岐山国定公園」内の林道を走りに行きました。3時半に目が覚めたので、プロテクターメッシュ上下+DAIWA釣りスーツという秋の定番の出で立ちに着替えます。2週間前に奥出雲歴史探索をした時は暑くて、結局プロテクターメッシュ上下で走ったのですが、前日から30℃以下の気温になってるのでちょうどいいはずです。
この日の相棒は、里山VTR250です。往復で高速道路を200km走るのでCBを選択したいところですが、未走林道なので軽い250ccにします。4時に出発です。中国道・宝塚ICから高速道路にエントリーし、山陽道に乗り換え最初のSA・「三木SA」に4:44到着。チョッパータイプのアメリカンバイクがいます。震えるほどではありませんが、上半身が少し寒いです。まあ1日で最も気温の低い時間帯なので、日が昇れば大丈夫でしょう。より堪えたのが手です。メッシュグローブではもうダメな季節のようです。ここからオーバーレイングローブを重ねてはめて楽になりました。ここで昼食用おにぎりを2個240円購入。
淡々と定番の時速80kmで西に向かいます。CB400より50kg軽いVTRなので、追い抜いていったトラックが前に入ると、左右からの乱流で車体が振られます。前が乗用車なら楽なのですが、大型車両に弱いです。「山陽道・龍野西IC」で下りました。r93に乗り北上開始です。でも想定外だったのは、まだ暗いことです。5:45頃、「セブン-イレブン龍野・揖西南山店」で休憩し、おトイレを拝借し、「麺たっぷり焼きそばパン」150円を買い朝食にしました。6時になり明るくなったので、r93北上開始です。東西に走るr5に突き当たったので、r5を西進し、r44・「播磨テクノライン」を北上します。道なりにr28になるのですが、この交差点付近がテクノタウンの中央道のようになりました。6:31、ここは標高が高く、これから向かう北側に雲海が見えています。r28で北に下りだすと、霧に突入です。
日曜の朝だから交通量が少なく、気持よく走れました。「三日月」というところで、JR姫新線を渡りR179を少しだけ東進です。この道もJR沿いなので列車期待でしたが、残念でした。そして走りたかった「志文川」沿いのr154に間違えずに乗れました。GPSは起動していますが、現在地表示のみで道路標識に従って走っています。中国道の下をくぐって、少しr53と共用して再びr154単独になり、川沿いを北上します。6:56、激写休憩。朝の川霧に沈む景色がいいです。ほぼ川の流れに沿って走るので常に川が横を流れ、勾配も緩くナイスな道でした。この道は自転車乗りさんから教えてもらいました。交通量はあまりなく、北からなら基本下りなので、僕ら夫婦の自転車には最高なのですが、上流に電車の駅がありません。更に北にあり「ちくさ高原」まで誰かに車で上げてもらった一番なんだけど。7:24、屋根の妻のすぐ下の家紋が入るとこに立体的なを入れた家があった。7:33、川沿いで激写休憩。
最後は少々下って、R429に出ました。これも北上し、「ちくさ高原」に向かうr72で北上します。8:10、「ちくさ高原」への途中で、1回100円で入れ放題な「行者霊水」という名水汲み場がありました。地下26mからの掘削湧水だそうです。ここは登山口のようです。「修験道場・西大峰」「平成之大馬鹿門・登山口」「行者山1344.6m登山口」となっていました。名水を汲んでるご夫婦と話をしました。ツーリングマップル(TM)に「走りやすい舗装林道」と書かれている「大通中江林道」ですが尋ねてみました。「倒木がなければ、若桜の岩谷堂に抜けられるよ」。名水のことやあれやこれや話し、別れました。
バイクなど数台が上がっていきました。あれが林道目的なら僕のVTRなど楽勝なのですが、はたして・・・。林道は、「三室高原」・「大通峠」経由若桜行きなので、それへの分岐に気をつけながら走ります。道標にでかく「三室高原」と書いてあったのでスムーズにエントリーできました。林道レベルになると、GPSにデータがあるのかないのか、「500m表示」サイズでは道が表示されません。
のどかな田舎の風景の中を北上してると、8.23・ご神木と言えるサイズの鎮守の木2本が目に留まり寄り道しました。秋祭りの準備中で、サンデー毎日年代のお父さん方が準備に余念がありません。『パワースポットご神木の大杉と大ケヤキの間に立ち、向かいの山の頂上に向かって拍手を無心になって打つべし 中ノ宮神社・神』・・・50年も生き子供にもまれ立派に育ったので僕らはもういいです。次世代やその次の世代の幸せを願いました。拝殿には、新しい絵馬も下がっており、今なお地の篤い信仰が集まっているようです。境内中央に藁で土俵?が作られて、中央の土盛りに榊の枝が立てられていたので、神前奉納相撲もあるのかな?これから登る「三室山」が大きく見えています。
勾配を増し登って行くと、8:37・「三室の滝」というのがありました。落差3mほどの滝が3筋。ここでもかなりの標高だと思うのですが、水量が豊富です。空を見上げると、怪しいグレーな雲が浮いており、雨が多い所なのでしょう。舗装林道ですが落ち葉・落ち枝だらけで道が茶色です。20km/h・2速or3速で慎重に上がります。8:53、標高が上がり林道脇に山並みが広がったので休憩。9:00、林道下からの大きながけ崩れが起こっていました。現場修復中を激写。前方に見えるのは「後山」かな?大きな山です。
9:07、「鳥取県」の道標が立ってるところが「大通峠」でした。標高1358mの三室山と「高倉」1137mの間の尾根越えの道で、ここでも1000m越えてます。R429の分岐が標高300mほどだから、700mも登りました。ここからが、「大通中江林道」です。同じような道を「若桜」に向かって下ります。少し下り、9:19・すぐ近くに見える山が「高倉」かな?頂上は小さな高原状のようで、木が少ないです。延々と沢沿いの道で、9:29・小さな数段の滝で激写タイム。まだ標高は高いはずなのに沢の水量も豊富で、水が透き通っています。甌穴岩群があったり飽きません。紅葉の季節になると綺麗そうです。鳥取県側からなら、紅葉の穴場でしょう。
R29に出ました。R29を少し北西に走り9:54・「岩屋堂」のところからr72に入ります。岩盤をくりぬいた下にお堂が作られ、「投入堂」の優しい版です。当初、「大通峠」から少し下ったところから分岐してる林道にチェンジして、「高倉」の尾根を越えこれから進む「沖ノ山林道」にショートカットしようと思ってたけど、分岐部分は舗装されてるけど、土が乗って茶色だったので諦めました。
「岩屋堂」前にバイクを置き、おにぎりを1つ食べます。滑落やエンコで動けなくなった用に、もう1つは残しておきます。前回はここで雨に降られ、林道チャレンジを断念しました。雨が降ればいろんな所で崩れる林道に雨中突っ込むのは危険過ぎます。最初快適な2車線県道でした。「地元の願い・・線早期完成」と描いた看板があったので、兵庫県側に抜ける構想があるのでしょう。予算が付かず工事が止まっているのだろう。
10:11、「沖ノ山林道・終点」の道標。長い長い林道に突入しました。10:28、「美作声登山口 中国自然歩道・芦津吉川越3.5km・若杉峠0.9km」の道標。標高の最も高いとこからは、中国自然歩道の「若杉峠」越えコースが伸びており、車のなかった時代は、ここを越えたのでしょう。ブナがまだ小さいけど実をつけている。熊さんの好物でいかにもいそうな山深さだけど、「クマ注意」看板がないから出没しないのでしょう。10:35、標高800m。絶景の山並みが広がっています。
10:52、林道完成碑が標高995mに立っています。昭和37年から作り始め、この碑が立ったのは平成4年・・・。ここの標高が1060m。TMに「谷間をひたすら行く舗装林道」となっていたので、谷筋林道かなと思っていたのですが、この林道も標高1000mオーバーの道でした。
ここから下りです。10:58、また中国自然歩道の登山口がありました。ここからだと「若杉峠」は5.8kmです。こんなところを歩く人がいるのだろうか?とふと横の空き地を見ると四駆が1台停まっています。いますね。ここは「林道・沖ノ山線」の町界のようで、ここで「若狭町」と別れ、「智頭町」に突入です。
11:15、「森林軌道跡」と案内板が立っていました。横に伸びる未舗装路が軌道跡だそうです。大正11年から半世紀もの間、国有林の伐採木運搬用に森林軌道が通っていたそうです。少し歩けば鉄路も残っているようですが、パスです。凸凹舗装のところはありませんでしたが、落ち枝葉がびっちりのところも多々あり、時速20kmの世界でした。
初めての対向車・ジムニーに出くわしました。向こうが止まったので、横をすり抜けようとしたら、「すいません。この道向こうに抜けられますか?1ヶ所、崩れて不通部分があると聞いたのですが・・・」って声を掛けられました。「行けますよ、僕は若桜から来ました。がけ崩れ部分は鉄板2枚敷いてあり、更に1mほど地道もあったので、鉄板の横幅+1m以内なら通れます。ジムニーなら楽勝でしょう」って答えておきました。
更に下った所で、突然ウェットスーツの男性が3人前を歩いていました。沢道なので魚でも採るのかな?更に進むとさらに多くの人が東屋とトイレのある場所に屯しています。写真でも撮ろうとバイクを停めると、「この区間で交通量調査をしています。停めてもいいですが、30分ほど動けませんが・・・」なんて訳の分からない事を言われました。日曜日だって、限りなくゼロに近い交通量です。ここで映画の撮影でもするんじゃないかな?って思いましたが、それらしき機材もない。胡散臭い連中とは距離を置いた方がいいので、トイレ休憩も止めてそこを後にしました。すぐに、「三滝ダム」でした。
11:52、「ふるさと林道・中ノ津線」の看板の立ってる「要谷橋」の前で休憩。案内板を見ると、ツキノワグマも書いてありました。この川は「北股川」だそうです。11:58、「中国電力・芦津ダム」到着。山の斜面をパイプが一直線に下ってきています。凄い水圧で歯車が回っているのだろう。
林道が終わり、r6に出ました。南西に進みR373に出て、北上して12:32・智頭石油出光で給油しました。222km/7.58L=29.3km/L。「智頭宿」に寄り道しようと思ったけどパスして少し北上し、r40に入りました。ここも見つかるかな?と思っていた交差点ですが、大きく「板井原集落」と観光案内板が立っていました。TMに、「昭和30年代にタイムスリップ・山村集落の原風景」となっていますが、どうせ大したことないやろと思っていたのですが、意外に観光スポットのようです。
r40に30台ほど停められる駐車場があり、僕はバイクなので林道に入っていきます。12:43、「板井原集落」到着。怪しい朽ち果てた家屋が並ぶ廃村かと思っていましたが、綺麗な茅葺の家もあり「野土香」という廃屋リニューアル喫茶店まであります。神社があり、その下に「洗足山の湧水」というのがありました。山に住んでいた鬼が人目を忍んでこの湧水を飲み、八上姫に会いに行ったそうです。何故か「山中鹿之介」と刻まれた灯籠が立っていました。なるほど・・・。
r40に戻り、北上開始です。これまた舗装してあるが落ち枝落ち葉満載の山道県道で、時速20kmの世界です。13:07、「赤波川渓谷甌穴群」で休憩。というところに出ました。「釜穴型」という川岸の岩に小さな洞窟が開いています。この中に石ころが入り岩を削ったそうです。この甌穴は初めてです。
R482に出て西に走り、R53を北上し、r195〜r196〜r49〜r196と西に進みます。R53からの分岐も自信なかったのですが、「三滝渓」の案内板が要所に立っており問題なく進めました。ただ走ろうと思ってた「林道・若桜江府線」への入口をミスってr196・「三滝渓」の方に入っちゃいました、すぐに引き返し無事林道にエントリーできました。勾配が増したとこで、13:52・県指定天然記念物「落河内のカツラ」を発見、緊急停止しました。周囲12.9mもある幹で、さすがに立派な枝張りです。神が住んでますね。
この道もぐんぐん登ります。14:06、絶景休憩。14:09「高山登山口」到着。標高850mほどです。トンネルを抜けてから下りになります。14:38、工事用モノレールのとこで休憩し、残しておいたおにぎりを食べました。後の林道は大したことないと踏んでいるので、非常食はもう要らないでしょう。
道なりにr33になり、西進してr29との交差点に着きました。15時になろうとしているので、ここで林道探索は時間切れ終了としました。「投入堂」「美作北2号林道」「根知遠藤林道」「美作北林道」「那岐山三穂神社御札」断念。往路高速道路100km+一般道(林道含め)350km+復路高速120km=570km・15時間予定なんて所詮無理です。
ここでGPS目的地を自宅にして、案内開始させます。すぐに高速道路もアレなので、r29西進〜R179南下〜R179東進〜人形峠下を通過〜R179南下。16:11、「奥津温泉ふるさと物産館」でトイレ休憩し、「さわやかいちご小ぶりロールケーキ・130円」をお土産にします。
R179南下の道は、TMおすすめの道指定ではなかったので、連休だから混んでるかな?と思ったのですが快走でした。中国道・「院庄IC」に乗ります。16:44、最初のSA「勝央SAレストラン」で、チョコバリアイスで糖分補給します。日が昇り暑くなったので、途中でカッパグローブを外しましたが、最後までメッシュグローブでOKでした。
車載カメラを収納して出発し、美作IC〜山崎IC間でトンネル工事のため対面通行渋滞がありました。18:12・前回の奥出雲行同様「安富PA」で早目の夕食にします。エビカレー650円。案山子さんたちに囲まれて休憩します。18:36、加西SA・宇佐美出光で給油。215km/5.94L=36.2km/L。
ネックの「宝塚トンネル渋滞」が20kmと表示されてたので、「吉川IC」で下車し、r17で三田、「JR道場」をかすめて武庫川沿いを走り、「川下川ダム」経由でr33に抜けて、「長尾山トンネル」経由で20:30帰宅。16時前に帰宅行動を開始してるのに5時間・・・鳥取は遠いな。お土産を食卓に置いて、もう寝る体制の家内の寝室に忍び込んで、少しだけあ〜だこ〜だ土産話をして寝ました。
しかしその後が大変でした。お布団の中でゾクゾクします。熱が出てる・・・早朝の手と上半身の冷えから風邪が入ったようです。起き出して2度目のお風呂に入って、追い焚きで熱くします。帰宅後の1度目のお風呂ではどうってことなかったのに・・・。冬用のパジャマに着替えて薬を飲み床につきますが、2〜3時間で目を覚ましまたお風呂で温めを2度して朝になりました。朝はけだるい目覚めでしたが、熱は下がっているようです。風の諸症状も出ていません。薬を飲んで出勤しました。昼休みはご飯食べて寝てました。数日早朝活動自粛でおとなしくして、早く回復させなきゃ。

2013/10/6
日曜日は、原付二種ツーリングに参加しました。目的地は奈良県曽爾村の屏風岩です。10時に奈良県葛城市の「ふたかみパーク」集合なので、朝寄り道が出来そうです。
5時半頃起床し、プロテクターメッシュ上下+DAIWA釣りスーツの上だけ羽織ります。10月に入ったのに、夏のように30℃を越える暑さになるということなので、釣りスーツを脱ぐことになることを考え、メッシュの下に丸首シャツを加えました。リアボックスをセットし、中に地図を入れます。そしてGPSをセットし、最初の目的地・平群町役場へのルートガイドをお願いして6時出発。
中国道に沿う中央縦貫道を東進し、道なりに近畿道高架下を快走するr2を南下します。摂津大橋のとこで新幹線を横目にゆっくり走り、門真に入りました。GPSは、R163を行くように指示してきますが、何度も走った道なのでパスします。バイクで走ったことのないr8・「阪奈道路」で奈良県入りを企んでいます。安心のスクーターなのでr308・「暗峠」越えでもいいのですが、あそこに突っ込んじゃうと楽しくって時間を食いそうです。
目的のr8に乗り、生駒山系越えの前に給油します。6:53・大東市新田東本町・セルフ大東店、108km/2.54L=42.5km/L。R308・第2阪奈道路開通までは、この道が大阪奈良間の主要道だったので、何度も走ったはずですが記憶は消えています。上りに入り、大きなカーブを繰り返しながら、大阪平野が眼下に広がって来ます。気の利いた展望駐車場でもあればいいなと思いましたが、今でも幹線道路には違いなく、バイクの特権で路上駐車するのも危険を感じるスピードで車が流れています。怖がりの僕は当然そんな車の流れに乗れるわけもなく、広めの路肩を見つけるたびに左ウインカーで後続車を捌きます。結論、「バイクでこの道を走るのは怖いわ」。ようやく峠かな?と勾配が緩くなったとこに「信貴生駒スカイライン」入口がありました。
随分前に数度走った経験がありますが、大阪平野の景色を堪能するならこの道なのでしょう。バイクは走れないはずなので残念です。暴走バイクが事故ばかり起こすからなあ・・・。奈良側は恐怖なカーブもなく気持ちよく下り、R168に乗り換えて南下開始です。7:30、近鉄生駒線・「元山上駅」があったので、休憩を入れました。駅前の観光案内板掲示板横で、めぼしい寄り道先を探します。西にある生駒山系の「十三峠」が魅力的ですが、バイクで大阪側が走れないのが残念なところです。
「平群町役場」前を通過し、信貴山へのアプローチ道・r250に乗ることが出来ました。R168を走りながら信貴山を探していましたが、いかにも中世の山城があったと想像できる大きく扁平になってるのがそうだなと勝手に決めました。予習では双子の山でしたが、中世の三大梟雄筆頭の松永弾正久秀が奈良盆地&大阪平野に睨みを利かせる存在感のある山は、あれぐらい標高がないと無理でしょう。
r250を登り、7:45・「フラワーロード」という広域農道との交差点に出ました。赤字で、「この先行き止まり。信貴山朝護孫子寺へお参りの方は左記の地図通り・・・」と、フラワーロード利用を促しています。振り返れば、奈良盆地が眼下に見渡せます。景色はいいが、山城の感覚からすれば比高がありすぎます。有事の時すぐに下りられないし、城本体は更に上です。日頃は大和守護・興福寺を押さえる位置にある多聞山城を拠点にしていたであろうことが容易に想像出来ました。
「この先、行き止まり」の道を進みます。舗装が切れそうな怪しい山道を走りながら、時折見える信貴山山頂を睨みながら、登山口を探します。7:52、西ルートの口があるという「宝青院」到着。バイクを路肩の落ち葉の上に置いて、勇んでお寺に上がりましたが、それらしき山道の口は見つけられませんでした。消沈してバイクに戻る階段で、バイクの横をおばちゃん軽四が奥に入って行きました。ここに停める前、少し奥を探索しましたが、急な下りを経て更に怪しい道になったので引き返していました。
意を決して再びr250・奥を探索しましたが、時間切れになりそうで脱出しました。「宝青院」は一番下の曲輪跡かな?と想像して来たのですが、見上げる山頂までは、まだ片道30分は掛かりそうです。「宝青院」周辺に、怪しげな山道を数本見つけましたが、いずれも信貴山城址への案内板がなく自重しました。
「フラワーロード」に戻り、朝護孫子寺の案内板通りに南下します。r236で西進して信貴山を登ります。8:21、「朝護孫子寺」は信貴山の南にあるお寺で、駐車場のおじさんにバイク駐輪を聞いたら、「トイレの横なら無料でいいよ」。駐車場に車も多く、ここまで大きなお寺だと思っていませんでした。信貴山山頂にもお堂を持っているので、山城攻城ルートは楽そうです。山内に入ると、でかい張子の虎が歓迎してくれます。謂れ板を読みます。
『今から1400年余前、日本の国の平和を乱す朝敵物部守屋を討伐するため、聖徳太子がこの山に来たり、戦勝の祈願をされると頭上に毘沙門天が出現され必勝の秘法を授けられました。奇しくもその日は、寅年・寅の日・寅の刻でありました。太子はそのご加護で敵を滅ぼされ、世治まりて後、自ら天王のご尊像を刻まれ伽藍を創建して、信ずべき尊ぶべき山「信貴山」と名付けられました。以来、信貴山の毘沙門天王は虎に縁のある福の神として、寅年・寅の日を縁日と定め大法要が行われます。』
軍事力で天皇家朝廷に取って代わろうとした物部氏をやっつけた太子の逸話ですね。まあ天皇家に嫁を入れ蘇我氏が物部氏を追い落とそうとした豪族間の勢力争いですね。守旧日本神道派・物部氏vs革新仏教派・蘇我氏の戦いでもあり、蘇我氏の血を引く聖徳太子は、その将軍格で武闘派蘇我氏を滅ぼしました。
ご神木・かやの大木があり、その前の祠が檜皮葺で小社ながらかなり素敵です。本堂にお参りし、好きな毘沙門天のお守りを600円で購入し、信貴山城址へのアプローチ道を目に収め、下ります。やたらとお着物のご婦人が多いと思ったら、本堂で裏千家の集まりがあるようで、お点前もあるのでしょう。裏千家免許皆伝の家内がいたら喜びそうです。撫で小槌を撫で、「父虎・母虎・子虎・三虎の虎の胎内くぐり」があったのでくぐりました。これで更に幸運が巡ってきそうです。ここからの奈良盆地の景色が、ナイスでした。
9:12、駐車場に戻りました。もう時間がないので、「ふたかみパーク」に向かいます。r236を東進して奈良盆地に下り、R168を南下し、9:48「ふたかみパーク當麻」到着。参加者5名となっていたのに、ドタ参さんで11名参加になっていました。僕が最後の到着者だったみたい。
自己紹介・記念撮影後、9台+車2台でR165〜大和高田バイパスで奈良盆地を東進します。この道は、「山の辺の道」同様、日本最古の官道・竹内街道です。「竹内峠」付近も探索に来なきゃな。大和高田バイパスは制限速度60km/hなので、その+10ぐらいまで速度があがります。中間に位置していた僕の前が少し離れますが、信号で追いつきます。途中、GPSを見ながら「畝傍山」「耳成山」「天の香具山」の大和三山を確認しながら、古都奈良の位置関係を脳内地図に書き入れます。入れます。
R166〜r198〜R370〜r31で、11:00・宇陀市・オークワ・サンクシティ榛原店で各自昼食を買います。僕は、スシマスで「にぎり鈴蘭・650円」。r31〜R369で東進します。時折「伊勢本街道」の立て札が目に入ります。この古道は、以前走った「美杉」の山道狭路部分を経てお伊勢に至る魅力的な道です。山深い「室生」のトンネルが片側通行になっており、東進が峠道経由に迂回させられていました。通常ならトンネルで一気に抜ける所を旧道で走ることが出来、ラッキーでした。峠を抜けて下ると曽爾村です。兜岳・鎧岳の異様が目に入ります。このグループの「曽爾高原ツーリング」で初めてこの地を訪問し、非常に印象的な山容でした。
r81に入り、どちらかの山の絶壁が「屏風岩」と言うんだろうなと前のバイクを追いましたが、逆方向の枝道に入っていきます。あれ〜?出発前、リーダーMARさんから「急坂だから車間距離を空けてね」と言われた区間に入ったようです。急勾配ヘアピンカーブが続き、僕の速度は落ち前が視界から消えていきます。でも間違えそうな分岐の度にMASさんが待ってくれており助かりました。僕がグループからはぐれてしまうパターンはいつもこれです。
僕は山道狭路好きなのに、非常に遅いです。僕が中間にいるので後ろは大変です。トルクがないというKSRのSIBさんが、カーブでスピードが落ちるたびにブンブンエンジンを回しています。辛そうだな〜抜いてくれるといいな〜と思っていると、「すいません、先に行きます」って以心伝心していました。
11:59、「屏風岩」駐車場到着。お弁当をぶら下げてブラブラ歩き始めます。山並みの絶景です。もちろんすぐ上にまっすぐそびえる屏風岩も素晴らしい。黒くないけど玄武岩みたいに、柱状の一枚岩がカッコ良い。桜の古木に囲まれて公園に到着し、MARさん持参のブルーシートが広げられ皆さん着席。時計で簡易標高をチェックすると、730mあります。
『国指定天然記念物・屏風岩 標高868m、兜岳の南西に屏風のように柱状節理の巨大な岸壁が連なっています。高さ200m・長さ1500mに渡る。この岩は、室生火山岩主部の流紋岩質溶結疑灰岩で、10数mから450mの層を成していることから、火山活動が何回か繰り返されたことが伺える。』
少し秋色に色づき始めた木々が見えます。四輪組が遅れて到着します。あ〜だこ〜だおしゃべりしていると、山ガールを数人含めたサンデー毎日世代3グループが山から降りて来られました。声をかけると、「上からブルーシートが見えたよ」「せっかくここまで来たのに、上がらな〜」とかワイワイとサンデー毎日山ガール女子は姦しいです。僕の目測では、1時間あれば屏風岩の上まで上がれそうですが、サンデー毎日女子さんのリュックの大きさを見ると、イザって時にビバーク出来る用意を背負っているようです。MARさんによると、兜岳などを含めた縦走路もあるそうです。
13時になり、昼食がお開きです。グループは曽爾高原に御茶しに行くようですが、僕は家内との約束がありここで離脱です。皆さんはr81現道を行きますが、僕は旧道に別れます。13:11、「門僕神社」に寄り道。いい感じの明るいお宮でした。「青蓮寺川」に面した高台にあったので、川の恵みと背後の山の富に感謝するお宮でしょう。鎮守の森に杉の巨木がたくさんあったので、長い歴史がありそうです。コンクリート製の沈下橋が見えます。r81現道の橋をグループ本体が渡っていきます。
ツーリングマップル(TM)おすすめのr81は前回走ったので、r794を選択しました。峠を越えて「赤目口」に抜けます。「兜岳」鞍部を越えるのが魅力的に見えました。道は交通量のない1.5車線・山道で、13:23「長走りの滝」というところで激写休憩しました。「鎧岳」がいい感じに見えますが、滝は木々に隠され見えそうで見えない音だけのお披露目でした。
途中で奈良県から三重県に入りました。曽爾村は位置的に三重県と思っていたら奈良県でした。三重県境に奈良県が進出してる県境界線です。山の地形が影響するのでしょうね。三重県側は同じく1.5車線山道ですが、だらだらと長い距離をかけて下ります。沢道の様相で、気持ちのいい杉の森です。
13:41、突然20名ほどのサンデー毎日山装束団体さんが屯しているのに出くわしました。「なんだ〜?」と見ると、路肩が広がり斜め駐車線が引かれています。売店もある。「赤目四十八滝」の山側の入口でした。入山料300円。また沢道に戻り、下って行くと赤目の旅館が並ぶ場所に出ました。R165に乗り南西に走ります。14:14、「道の駅宇陀路室生」でアイスクリーム120円休憩します。r28で北西に上がり、R369に合流し、それを北上し「針テラス」横を通過。R369に入ると、大型バイクが高速で走っていました。僕の怖がり鈍足とは無縁で、これからも危険が危ない世界に足を踏み入れないようにしよう。
R369をそのまま北上し、r47で奈良市街地に向かって西進します。素敵な田舎道で、のんびり走りたい道です。r80に合流し、期待大の道に入ります。やがて眼下に奈良盆地が広がりだし、高速ワインディングになりました。こうなると僕のビビリッターが利いてきて、すぐに四輪行列が後ろに連なりだします。制限速度では走ってるのですが、皆さん速すぎます。絶景を楽しむ余裕なく、バックミラーとウインカーが忙しく盆地に下りました。
R169を少し北上し「春日大社」前を通過して左折し、R369を西進します。奈良市街地のど真ん中なので混んでます。ターゲットを自宅にしたGPSは、朝走ったr8・阪奈道路を指示していますが、四輪に追い掛け回されるのが怖いので、混んでてもR163経由で帰ろうと考えました。「平城宮跡」を越えてから右折、r52で北上し、R163に乗り信号渋滞は適当にすり抜けして中央環状に出て、それに乗りました。16:41、茨木市沢良エネオスで給油・198km/3.73L=53.1km/L。中央環状利用で17時頃快走帰宅しました。
家内はまだ帰宅していませんでした。バイクからツーリング備品を下ろし電話をかけると、電車車中だそうで映画館で待ち合わせることにしました。風呂で汗を流し、18:02・映画館のいつもの場所で家内と合流し、パンケーキ・ツイストチェリトスを購入し、家から持ってきた水で小腹を満たします。「疲れた〜」ってヒールを半分脱いでいます。AMは着付け教室で奮闘し、PMは仕事関係のタダ飯で「大阪ヒルトン・ホテル」に行ってたそうです。「これが重いの〜」って、着物一式ケースを指さしています。
18:30、「そして父になる」を観ました。6年前、出産した病院で間違って我が子となってしまった親子2組の夫婦の葛藤と子供を描く作品です。とても重いテーマで、映画を観ながらもし我が家の出来事だったら・・・と自問しながらの鑑賞でした。
一次、こういう問題がニュースを賑わせた時期もありましたが、わが子たちの時もそうだったように間違いを犯さないように直接子供の足に苗字を記入したりしてこういう間違いはなくなったように思っていたけど、今でもあるのだろうか?こういうことがあると、ほとんどのご夫婦が子供の交換をして新たに家族を再構築していくと作品中では言っていたけど、本当なのだろうか?僕自身は生みの親より育ての親のような気がするけど・・・。僕の従兄弟にも1人、子供が生まれなかった叔父さんの家に養子に入った子がいて、父ちゃんが2人・母ちゃんも2人いるけど、どっちの子と分けずに上手にやってたけど、ああいう風にずっと2家族で交流を持ちながら、成人して独立するまでのらりくらり行けないものだろうか?
鑑賞後、家内といろいろ話しました。家内は血を取ると言い、僕は生後数ヶ月ならいざしらず、記憶に残る年令になるまで白紙の赤ちゃんと一緒に刻んだ数年間に育ての記憶を優先するだろうと話しました。仕事優先の父親と、子供との時間優先の父親という作品中の2人の父親の生き方にも考えさせられるものがありました。そうなった2人の子供時代の親子の関係も、チラリと出ていました。僕は間違いなく子供との時間優先だったし、長男も毎週家族で出かけているようなのでそういう父親のように思う。
上映前の予告編で、「永遠のゼロ」のこの秋公開を知らせていました。百田さんの大感動した小説の映画化なので、次の鑑賞映画が決まりました。今年は、ジブリのゼロ戦の設計者に続き、今度はパイロットです。ゼロ戦当たり年なのかも・・・。家内をタンデムシートに乗せ21時頃帰宅し、楽しい1日が終わりました。

2013/9/29
月1ヨットレース日でしたが、僕は上がりで他メンバーでの参戦になりました。家内は着付け教室に通い出したので、1人遊び日となりました。司馬遼太郎「街道をゆく」で感化された「奥出雲・鉄の道」、美濃・越前の峠「高倉峠」「冠山峠」「温見峠」探索に絞り込みましたが、冠山峠・高倉峠とも災害復旧工事不通のようです。奥出雲鉄の道探索に絞り、山城探索の山陰の一里塚・尼子氏月山富田城址を加え、尼子十指の要害山・三沢城址も加え、更にJR秘境・布原駅を加えたら、650km・12時間オーバーになっちゃいました。日帰りツーリング最長記録になるので体力が持つのか不明ですが、いつもの行き当たりばったりで行くことにします。
前夜、家内に「眠たくなったら津山かどこかで宿を取って、翌朝仕事に間に合うように帰ってくるから」と言うと、「いいよ、電話持って行ってね」って返事です。初めて使うことになるかもしれないと、nexus7を用意します。「明日はハードだぞ。何時に目が覚めるかな?」と思って寝たら、なんと2:30に目が覚めました。しかもスッキリ、パッチリと。ガバっと起きだし、プロテクターメッシュ上下+DAIWA釣りスーツという春秋定番装束に着替えました。寒かった場合の温度調節用に、ジャケット下に1枚化繊の丸首シャツを追加しました。
「招き猫CB400SB」を出して、地図をタンクバックに入れ、GPSをセットして出発です。宝塚ICから中国道に乗り、3:38・加西SA到着。1日のうちで最も気温の低い時間帯ですが、寒くはありません。むしろ暑く、胸元のチャックを下ろし目で風を入れています。次の休憩は4:51、勝央SAです。時速80km巡航・SA毎休憩で、トータル時速60kmが僕の高速道ペースです。駐車場内のポツンと離れたところにキャンピングカーが停まっていました。あんなので期間を区切らず夫婦旅行できたらいいな。神戸ドーナツ・125円を食べて出発です。
最初の目的地・「比婆山久米神社」へは、米子道・溝口IC下車が早いとGPSは教えてくれますが、高速道はつまらないし、早く起きれたこともあり、早めに下車しツーリングマップル(TM)おすすめの道R181を楽しむことにしました。ようやく空が明るくなってきたので、車載ムービーをセットし、米子道に入りすぐの「久世IC」下車。久世市街地を走っていたら、「おお〜」。6:08、「旧遷喬尋常小学校」横を通り、緊急停止しました。明治40年建築の国指定重要文化財だそうです。廃校になってるようで、「久世エスパスランド」と国道に表示されていました。校庭には駐車場を示す白線が、元小学校らしく石灰で引かれていました。木造校舎は、コンクリート校舎とは違い素敵な雰囲気があります。僕の母校は木造でしたが、在学中にコンクリートに建て替えられました。でもその校舎もすでに建て替えられています。明治時代の木造校舎がつい最近まで現役だったのと比べると、考えさせられます。
R181は交通量が非常に少なく、50〜60km/hのマイペースで気持よく走れます。新庄川沿いの風景もいいです。「ああ、なんかいいぞ」というとこに小さな観光駐車場があったので、6:36・休憩にしました。「名勝神代の鬼の穴・竜宮岩」となっています。『新庄川の石灰岩が長年の侵食により様々な祈願を作り出し、あたかも竜宮城のよう・・・』との説明板がありました。確かに綺麗ですが、竜宮城を見た人いるの?浦島太郎さんの親戚?なんて思いながら読みました。
この道を走りながら気になっていたのですが、岡山県南部同様茶色の艶あり屋根瓦の家が多いです。ベンガラ色に共通する色嗜好かな?黒色屋根より家が立派に見えます。なんだか景観条例で統一されているように心地よい気持ちで走っていました。「おお〜、川向うは更に凄いぞ」と、7:01・また激写休憩しました。バイクにまたがりながら写真を撮っていると、「岡山県新庄村」となっていました。「ここが新庄なのか」と予備知識無しでしたが僕の琴線にも触れたようです。TMを見ると、さっきの小学校・竜宮岩も新庄もみんな載っていました。木造三階建ての民家がかっこ良かった。
新庄川を渡ると、「メルヘンの里・新庄」という大きめの道の駅がありました。でもまだ開店前のようでパス。7:21、「金持神社」発見。庶民なので、「金持」の文字に琴線が触れてしまいます。誰もいない駐車場に停め、金持神社参拝しに行きます。分水嶺を越えたので、川が逆に日本海に向かって流れています。空を見上げると、雨は大丈夫そうだけど曇り空です。暑くなくていいね。僕は曇り空が好きです。『・・・元弘の頃、後醍醐天皇の船上山遷幸の折り、金持景勝が名和長年らと義兵を挙げ、聖運の隆盛を当社に祈願し、神前の戸張を御旗としたとも伝えられる』。太平記にも金持の名を読んだように思う。大山ツーリングの時は、船上山に寄ろうと思ってる中世の歴史上重要な地です。ここから京に攻め上り、ついに鎌倉幕府を倒します。
こじんまりした村の鎮守の神様程度のお宮でしたが、「億万長者になれますように」などの一攫千金絵馬が多数下げられ、狛犬や手水などには多数の小銭が雑然と置かれ、さすが〜と思わせていました。筆を使わず、指や手・爪を使って描かれている龍の絵が拝殿内に掲げられていました。筆を使っていないと思えない素晴らしい出来栄えでした。蟇股や木鼻もなかなか風格のあるもので、一攫千金おっさんだけを集める名前だけの神社ではありませんでした。
7:50、鳥取県日野郡日野町根雨の小さな町に出て、JAで給油しました。241km/11.07L=21.8km/L。r35に入ります。この道がナイスで、走りやすい道なのにほんまに交通量が少ないです。TMは、この道をお勧めしないと・・・というか本日走行後の感想は、島根県・岡山県北部の県道はみんなおすすめの道です。
気持ちのいいr35が終わりを告げ、「城山公園」というとこでR180に合流しました。この名は・・・「ああ〜見つけた〜」川向うの山上に、「いかにもお城」という遺構がなんとなく見えます。寄り道すべきか迷いながら、キョロキョロしながら走ります。「・・城址」という看板があれば、一発で寄り道決定だったのですが、予定の訪問地の1つもクリアしていない段階だったのでパスしました。帰宅後調べたら、古くは山名氏統治時代から「法勝寺城」が存在したようで、毛利氏友軍の三村家親も籠もったそうです。三村は備前・宇喜多直家と雌雄を争った備中の雄で、宇喜多氏に負けて根拠を追われこっちに来たようです。あ〜寄り道したかった。
r1で東進し、やっとこr9に乗りました。そして8:33、目的予定地の1つ、「比婆山久米神社里宮」に到着。走りだしてから5時間経過です。『イザナミが眠る比婆山 比婆山(標高320m)は、古事記に「伊邪那美の神は出雲国伯耆国との境なる比婆山に葬しまつりき」とあり、国生みの神伊邪那美が葬られたところで、山頂に御神陵と安産・子授け・子育ての久米神社があり、遠く能義平野・大山・島根半島まで眺望でき、また珍しい玉抱石やこの山にしか自生していない島根県の天然記念物である陰陽竹の群生地があります。』。
出雲大社のそれにはもちろん敵いませんが、子作りながらでかい屋根の威風堂々とした本殿です。「ご自由にお入りください」と書かれた無人の観光案内所があり、お隣の民家のご主人がいたので挨拶して入りました。古事記のイナナギ・イザナミの国生み伝説が、小学生でもわかるように絵入りで書かれていました。イザナミが火の神を産んだ時火傷して死んだことまで書かれていましたが、どこが火傷したのかは書かれていませんでした(惜しい)。その後、妻恋しさに黄泉の国まで会いに行ったイザナギ、妻の恐ろしい姿を目にして逃げ帰ったイザナギ、見られて怒り狂って後を追うイザナミ、大石で道を塞いで助かったイザナギに向かって「お前の子を1日に1000人殺す」というイザナミに対し、ならば1日に1500人生むで対向するイザナギ、ナイスな説明でした。
さて奥宮参りです。北側にある「里宮」横から参拝道が伸びていましたが、「1050m」となっています。地図には南東側から上る道が上まで伸びているので、そっちから上がることに決めています。r9を南下し、「比婆山登山口・山頂まで900m」の看板で曲がりました。登山口から舗装路が急登で上っていますが、木の小さなバリケードで一応車が登らないようにしてるようです。バイクなら横をすり抜けて行けますが、VTRじゃないので諦めます。いかにも「誰もこっちからは登ってないよ」オーラが出ています。やはりメインルートの里宮から登ろうとUターンしましたが、里宮まで標高で50mは下りそうで、またUターンして裏道から登ることにしました。
登山口横の民家のおじさんがいたので、「片道30分ぐらいでしょうか?」と訊きました。「休憩しなければそれぐらいかな、休憩入れれば1時間やな」との返事です。ままよ・・・9:07、登山開始。路上にカマキリ発見・激写。苔むした急登舗装路を上がっていくと、9:09・小さな「不動滝」到着。9:17・小さな砂防ダム到着。ここまでの舗装路は、このダムの建設&メンテナンス用のようです。
ここに、「山頂まで430m」の看板があり、ここから雑木で土留めされた山道が上っています。本格的山道に入りすぐに暑さの限界に達しました。DAIWA釣りカッパ&バイク装束上を脱ぎ、置いて上がります。「ヤマダニがつかないように・・・」。
水筒を持ってこなかったことを後悔しますが、仕方ありません。9:25・クワガタムシの頭のみ・鹿の糞&足跡発見。山に入ると、常に足元を気にするようにしています。動物の糞も注意ですが、大敵は蛇です。誤って踏んじゃったら噛み付かれます。マムシも多いので洒落になりません。鮮やかな模様の小型蛇だったので、たぶんマムシを1匹回避しました。蜘蛛の巣避けの小枝を中空に振り回し、草の多い道の場所になるとそれで探りを入れます。大抵逃げてくれます。蜘蛛の巣トラップに2度引っかかり、週に1人ぐらいしか利用していないようです。
9:26、「総寺坊跡」というところで坂が緩くなりました。山頂はもうすぐのようです。9:27・楡の大木、9:29・八乙女住居跡8戸通過。途中に井戸跡やお寺跡、城主松平公手植えの松、男竹なのに女性的なササが付いているので「陰陽竹」と名付けられた竹林があり、9:32、「奥宮」に到着しました。
奥宮は、ここまでの道同様適当なお手入れだけの草茫々の塚(ここにイザナミが葬られているのでしょう)を塀で囲み、ひっそり建っていました。古事記伝説を知っていなければ何の感慨も湧かないでしょう。「とうとうイザナミの墓に来たぞ!」ってちょっと感動です。イザナミはアマテラスを生んだ母親で、アマテラスの孫のニニギが、大国主が平定した日本に天孫降臨して国を譲り受けます。ということは、天皇家の祖先なわけですが、日本全国に自称イザナミの墓・比婆山があるからか宮内庁の文字はどこにもありません。故に自由に入れます。ここが考古学の世界では一番有力地とされているそうです。
「尼子道」という登山道が西に下っていました。西にある「尼子氏居城・月山富田城」から続いているのでしょう。地図を見ると西側は山ばかりで、城からここまでいくつも山を縫って続いているのでしょう。当然、誰もいません。鳥の声だけの世界です。遠くに海が見えます。1人でグフフってなっています。
もう一本登山道があり、こちらが広く平坦地を進んでいるので、里宮からの登山道でしょう。寄り道します。9:39、「あやや」クマ糞?野犬?がありました。クマはまず突進してこないと言われていますが、野犬は厄介です。というより恐怖です。夜間、獣の世界にかった県道にも野犬が屯していることがあります。車なら平気でしょうが、バイクは恐ろしいです。しきりに吠えてこちらを威嚇し、光る目が恐怖で、ヨダレなど垂らしていたら最低狂犬病です。古の人も野犬や狼を最も恐れたと思います。知能が高く集団行動できるので、間近の恐怖として狼は人間に駆逐されたと思われます。細枝では対抗できないので、太めの枝に持ち替えます。
扁平地を歩いて行くと、9:41・「本社跡」と立て札の立ったところになりました。休憩の東屋まであります。大山が堂々と東の山波を圧倒する存在感でドカンとありました。東屋の屋根に登れたら、木々を上から素晴らしい眺めだろうに・・・。
帰路につきます。猪掘り返し跡発見などしながら、脱いだ装束をしっかり叩いて拾い、9:54・砂防ダム、10:01・下山しました。参道横に摂社と書かれた「厳島神社」がありました。山頂に、「摂社跡」とあったのは、これかもしれません。あんなとこじゃお賽銭も集まらないので、足の便のいいとこに下りて来たのかな?
イザナミのお墓と1人でゆっくり静かに対面し、雄大な大山や海まで望める景色を見ながら脳内妄想を膨らませました。古代、出雲の地を治めた豪族の長が葬られたのだろう。この地に残るそんな言い伝えを、有力豪族の連合国家・大和朝廷が融和を図るために祖先神の神話に書き残し、対立し滅ぼす敵から親戚筋にしてしまったのかも。古事記・日本書紀を読むと、イザナギ・イザナミの国生み・アマテラス以下の神産み、出雲に飛来した大国主の東進による日本統一(大国主を助勢した大物主が日本最古の大和三輪神社に祀られている)、天孫降臨したニニギ以降の九州勢力の神武天皇東進で近畿・大和への進出、ヤマトタケルの西域平定・中部地方以遠の東方平定以降の日本国成立という4つのパートに読める。
記紀の成立した奈良時代初めに、なぜ出雲は重要な位置を占めていたのだろうの疑問は、司馬遼太郎の「出雲鉄の道」の記述で大いに明るくなった。当時の先進国家・中国朝鮮半島からの地理的条件で、出雲より九州北部の方がより先進していただろうにと思っていたのですが、木材を大量に消費する当時の製鉄技術から中国山地が鉄の大生産地になり、農耕の鍬に始まって農業生産力を飛躍的に伸ばす原動力がこの地にあったのだと。その技術と裕福を持って東方進出して行ったのだろうと。このような大きな影響力が、この地方の一伝説が日本国家国生みという中心的伝説に祀り上げられたのだろう・・・なんて考えながら、大満足の比婆山奥宮参拝から下りました。
これだけで帰宅してもいい満足感を得ましたが、探索予定地はまだ3つ残っています。次は、戦国時代に山陰の大勢力を誇った尼子氏の居城・「月山富田城」です。r9を安来市街地に向かって北上し、r102で西進します。DAIWA釣りスーツは脱いでしまい、プロテクターメッシュだけの真夏装束で走ります。
r102との交差が安来市大塚町で、「ゲゲゲの女房のふるさと」という上りが林立しています。楽しみにしていたNHK朝ドラなのでキョロキョロしていたら、「ゲゲゲの女房の生家」という案内板発見。当然寄り道します。1度間違えましたが、ゴニョゴニョ集落内生活道路を曲がって、10:24・「ゲゲゲの女房生家」到着。
『「ゲゲゲの女房」原案者・布枝さんの生家(飯塚家)。小説ゲゲゲの女房は、漫画家水木しげる夫妻の半生を振り返った自伝。昭和初期〜30年代の町の風景が、小宇宙として描かれている。』。町の酒屋さんとして営業しておられました。記念に水でも買おうと思いましたが、アルコール類ばかりのようです。店頭の自販機もオールアルコールで、残念でした。
r102からr45に乗り換え、南下します。「広瀬」という地名がチラホラ見え始めて、目指す山城はどの山だろうとキョロキョロ。川向うに「道の駅・広瀬富田城」を見つけたけど、なにやらこちら側が騒がしいと思い川に面した広場に、10:41横付けすると「わぉ〜」、武者行列です。「月山富田尼子フェスティバル」の幟が林立し、警官が交通整理しています。駐禁であろう警官の目の前にバイクを停め、激写タイム。「母里武者連」「母里甲冑の会」「要害山山城祭」などの幟を持ったり背中に挿した甲冑姿の大人やちびっ子が列を成しています。司会進行のお姉さんの紹介を受け、整然と進んでいきます。
母里とか要害山は、山中鹿之介などと同様、尼子十士の猛将縁の地です。要害山のちびっ子連歌参加しており、地域の歴史を後世につなぐ努力が続けられている姿に頼もしさを感じました。戦国前期、中国地方を大内氏と二分していた大勢力でしたが、大内方の毛利元就を大軍をもって攻めて大敗敗走し勢力求心力を落とし、ついに毛利氏にこの城を落とされてしまう。戦国後期・江戸時代に家名を残さなかったので、地元でも忘れられた存在なのかもと予想して来たのですが、予定外の盛り上がりで、各地の尼子与力の方々も参加してのこんな大きなお祭りが開催されているとは思いませんでした。
富田城の案内図に従ったつもりがロストしてしまったので、交通整理の警官に聞いてみました。「あの山の山頂にあります。対岸の道の駅の横から上がれます。バイクなら途中まで上がれますので、トンネル手前の少し広くなった所に置いて、そこからは徒歩です。日頃運動されていますか?運動されているなら30分で上がれます」と的確に教えてもらいました。
「道の駅広瀬富田城」に移動し、水を調達します。30分と言えど、難攻不落を誇った城なので油断してはいけません。対岸では、火縄銃の試射のでかい音がしています。こちら側の河川敷には騎馬装束の馬と武者が待機しています。安来市立歴史資料館が横にあり、屋外の謂れ板や城址ジオラマで道を確認し、四輪では離合困難な道を登り始めました。
『富田城の概要 富田城は、安来市広瀬町富田に位置し飯梨川右岸の月山(189m)を中心に築かれた連郭式の山城である。陰陽11ヶ国を領有した尼子氏の本城で、周囲は断崖絶壁が多く、防衛上最高の立地条件を備えており、中国地方における中世城郭の代表的な城跡として重要視され、昭和9年1月22日、国の史跡に指定された。』
年表を見ると、尼子以前・1467〜1566尼子時代・〜1585毛利時代・豊臣天下の1591〜1600吉川広家時代・徳川天下の1600〜1615堀尾時代で廃城のようです。たった100年の尼子時代ですが、強烈に地元の印象に残ったようです。そして尼子氏の治世は魅力的だったのでしょう。
11:04、トンネル手前にバイクを停め、登山開始です。いきなり横に石垣があります。江戸時代初期にたった8年間だけ堀尾氏がここを本拠にしただけですが、江戸の石垣普請の名残を感じます。尼子氏時代は、ここまで立派に石垣は積まれていなかったでしょう。いきなり広い郭部があり、山城の壮大さを予想されます。案内板バッチリなので迷うことはないです。
11:10、親子観音。「本丸520m」の案内板があります。比婆山より距離は短いが、ここから山道です。つづら折れを繰り返しながら登っていきます。非常にきついので、何度も水を飲み、1度土留め枕木で休憩しました。直登は絶対無理な勾配のつづら折れで上からは丸見えだから、ここから攻め上るのは無理そうです。下山3組とすれ違う。
「山中御殿跡」を通過し、11:19・「三の丸」到着。やっと平坦になり、やれやれです。ペットボトルの半分以上飲んでしまいました。標高190m。11:22、「二の丸」到着。富田集落〜海が眼下に広がっています。フェスティバルの鉄砲音や司会進行の言葉も聞き取れます。エイエイオーの掛け声も。側の山塊が近いので、イザという時逃げられそうです。
11:29、「本丸」到着。二の丸と並列して本丸があります。一旦堀切底まで5mほど下って本丸に登り返します。中世山城遺構を沢山登りましたが、本来の堀切はこれぐらい深かったのでしょうね。400年以上の堆積により溝程度に埋まっているところが大半です。山ガール2名、昼食中でした。本格的な山装束なので、麓から上がってきたのでしょう。
本丸郭奥に歩いて行くと、11:33・「勝日高守神社」がありました。オオクニヌシノミコトを祀っています。標高197mで、時計簡易計測したら130mとなったので、本日のこの辺は+70mすれば実際標高のようです。四方は急峻で、二の丸から見えていた隣峯へのルートがありません。これは文字通り最後の砦「詰城」です。
11:50、バイクに戻りました。横を見ると藤の実が垂れ下がっています。次は古代史に足跡を残した原動力となったであろう出雲の鉄探索です。r45を南西に進みます。この道も気持ちよく走れます。JRに沿う道なので列車との遭遇を期待しましたが、残念でした。12:51、木次町の「日登堰堤魚道」というところで休憩しました。堰堤を作ったら魚が上流部に行けなくなったので、勾配のゆるい魚道を横に作ったよというものです。途中分岐してる広域農道と思われる道の方が早く行けそうでしたが、あえてr176にチェンジ〜R314〜飯石ふれあい農道〜r51〜r272で、13:15・「菅谷たたら」到着。JRと数度交差する怪しい沢道とか楽しい行程でした。
旧吉田村(現雲南市吉田)は、奥出雲鉄師筆頭・田部家の生産中心地で、田部本家や蔵などがある。ここ「菅谷たたら」は田部家の鉄生産拠点で、砂鉄を大量の木材を燃やして高温にした炉を使って鉄を作り出す施設です。老朽化により大規模修理中なので見学はできませんが、その場を見て、ふ〜むこういう所だったのかと感じるものがありました。横を流れる川の川床や石が鉄茶色になっており、周囲の山の鉄分の多さを感じました。山深いので燃料の木は豊富です。司馬遼太郎さんの書によれば、先に鉄産業の起った朝鮮半島は、鉄生産のために森林伐採が続き丸裸の山だらけになってしまったそうです。それに引き換え日本海からの豊富な水の恵みが降る日本列島は、森林の回復力が高く、朝鮮半島から多くの鉄師が移住してきたのが容易に想像されるとのことでした。
リニューアル設計監理:文化財保存協会・飛島建設施工で、山間の小規模な仕事なのに大手が噛んでおり、しっかり修繕されそうです。横に弁柄色の壁を持つ倉庫があり、いかにも鉱山という感じです。13:32、旧吉田村中心地に移動しました。「鉄の歴史館・麦藁工房駐車場」にバイクを停め、山間の街を見学です。田部家倉庫群はすぐ見つかりました。観光用にカラー舗装された旧メインストリートを歩いていると、「自由民主党・日本を取り戻す」と書かれた安倍晋三首相のアップの真新しいポスターが目に留まりました。片隅に「島根県第2選挙区支部長・竹下亘」となっていました。元首相・竹下登さんの選挙区で、たたら経営で財を成した田部家はそのパトロンです。たたらを経営するために多くの森林が必要で、日本一の山持ちでもあります。
バイクの所に戻ると、「奥出雲三大鉄師のたたら経営」と題された鉄の歴史村フォーラム2013のポスターが貼ってありました。絲原家花抱き茗荷紋・櫻井家丸に梶の葉紋・田部家角切角蔦紋が、三大鉄師だそうです。ここの川も清流ですが、川石が鉄色です。その土地に来ないとわからないものがあります。
次は2つ目の山城・「要害山・三沢城址」です。こうなることはわかっていましたが、すでに予定より2時間遅れです。出発が2時間早かったのに・・・。近くの「松江道・雲南吉田」から高速に乗り帰宅しても日没前に帰宅できるか怪しいです。日没前帰宅を諦め、r38で西進し、r269で北東に進み、R314で東に向かいます。三沢城址は、東側からしか登城できないようなので城址を大きく巻いて向かいます。14:15、「道の駅・おろちの里」で休憩。駐車場では、地元の産直農家さんがテントを片付けています。僕のソロツーリングでは毎度のことですが、朝から食したのは早朝5時にの高速道休憩で食べたドーナツ1つです。何か食べようとレストランに入ろうとしたら閉店したとこのようです。売店で、ブルーベリーマリアージュ・315円を買って駐車場で食べ、ブルーベリージャム・525円を僕のおみやげにします。
R314で「三沢」を走りながら、三沢城址探索後、2本の山道県道で2つの峠を越えて、最後にJR秘境駅訪問のこれからの予定を考えます。16時を回って未走の山道に突っ込むのは大人の行動ではありません。残念ながら、「三沢城址探索」パスに決定。1本目の県道r15に突っ込みます。「才の峠」を越え、島根県から鳥取県に入り、R183まで下りてきました。次はr11です。交差点でストップし、TMを見ます。冬季閉鎖3ヶ所のバツマークがあり、峠を下りても「人の気配を感じない寂しいほど静かな道」と書かれています。何かアクシデントがあると、すぐ日没になっちゃうのでルート変更しましょう。距離はあるけど早く行けるだろうR183で北東に進み、r8で南下開始です。ずっとJRに沿う道なので、また列車期待です。15:58・JR沿いで休憩。対向するすれ違う車もナシの素敵な田舎道でした。水を飲みながらのんびり休憩していると、先頭ゴールドウイングタンデムの10台ほどのツーリンググループが追い抜いて行きました。島根県は素晴らしい道の宝庫なのに、ツーリングバイクが少ないです。でもバイクピース率は高く、ソロでも楽しいです。
「新見IC」の道標が現れだし、目的の秘境駅「布原」まで駅2つまで迫ったけど、秘境駅に至る道もそれに相応しい道ということなので、日没を警戒してR182に曲がります。無事「中国道・新見IC」に入り、17:18・「大佐SA」で休憩します。車載カメラなどを片付け、「岡山の桃・小内・630円」という木箱入りの小型桃型和菓子を家内へのお土産に買いました。ここで、さっきr8で休憩中に抜かれたGW先頭バイク10台集団が多少少なくなって入ってきました。どこかで休憩したようです。
ここからまだ自宅まで200kmほど高速道を走らなければなりません。DAIWA釣りスーツのジャケットだけ着て出発。疲れがマシなように時速80kmを維持しますが、60km毎にあるSA毎休憩で体が持つかなぁ〜と、一抹の不安を覚えながら走りだしました。一般道は速度が低いからかかなり持ちますが、高速道路は高速の緊張からすぐに疲れを感じてしまいます。18:19、「勝央SA」でも休憩し、チョコバリ・125円で糖分補給します。
ここに入った時は10台ほどのバイクがいたのですが、出る時は僕1台になっていました。そうだよな、もう暗いもの。次のSAまで持たず、19:23・「安富PA」で休憩。バニラソフト・125円でまた糖分ドーピングです。相次ぐ糖分ドーピングで、元気回復してきました。自宅に近づいたのもあるでしょう。
19:52・「加西SA」で給油のみ。351km/13.08L=26.8km/L。20:16、「社PA」でブルガリア飲むヨーグルト・ブルーベリー・128円を飲む。飲むヨーグルトもなかなかいけるな。「赤松PA」で本日初の食事・ラーメン680円を堪能。
電光掲示で最高12kmあった中国道・宝塚トンネル渋滞も解消後通過し、21時に帰宅しました。家内は布団の中から「お帰り〜」の言葉だけで、その横で軽くおしゃべりし、カラスの行水風呂後、床につきました。翌日の目覚めは7時で、10時間近く寝ちゃいました。ああ、楽しかった。要害山・三沢城址が残念でした。

2013/9/22
日曜日は、琵琶湖に大学ヨット部ファミリーデイの手伝いに行きました。家内はこの日からしばらく日曜日毎に着付け教室に通うので、1人遊びが続きそうです。せっかくの秋晴れの季節なのに・・・蒜山高原サイクリングもおあずけです。他大学では年中行事に組み込まれている部員の親御さんや兄弟を呼んで楽しむファミリーデイですが、その1回目をすることになりました。僕も元部員の親ですし、親御さんと年齢の近いので何かと役に立つかな?と参加です。
11時からバーベキュー、午後から出艇ということだったので、10時到着目標にして寝ました。車で名神は連休中で混みそうなので、バイクで亀岡〜R477・百井峠回り予定です。6時出発で4時間見込みです。ところが、家内がお風呂に入っている音で目が覚めました。あれ〜6時を回っています。遅くても5時台には目が覚めるのに・・・。
朝のあれやこれやを済ませ、倉庫から里山VTR250を出します。もう明るいので空気圧チェックも出発前に目視できます。簡易ゲージ付きキャップに変更しているので、キャップの透明頭にグリーンが見えてたらOKです。8時前出発。遅くなったので、亀岡〜R477〜周山〜R162または、R477〜花背〜鞍馬ルートで京都〜山中越え〜琵琶湖に変更です。
池田からR423で亀岡に抜けます。京都丹波自動車道高架下を抜けてR372、木々で何も見えない亀岡城址横を、「自由に入れたら探索したいな」と考えながら保津峡下り起点で保津川を渡ります。1週間前は、この川の下流・嵐山で氾濫し大きな被害が出ました。河原に置いてある川下り船が流されているのでは?と危惧していましたが、8:54・保津橋から激写、健在でした。ここらはそれほど水面が上がらなかったのだろうか?
r25で北上開始です。地図もGPSも持ってこなかったので、記憶のまま走ります。ショートカット道をミスって、「平の沢池」横を通過しR477に乗りました。池田からR477コースの方が早そうでしたが、保津峡下りの台風被害を確認したくて少し遠回りしました。「廻り田池」までの渓谷沿い細道で、土砂崩れ後の砂が載っているところがあり慎重に登ります。9:16、1週間経ってもまだまっ茶色の川水が流れているのを激写。「越畑口」でなんと通行止めの看板でクローズになっていました。R477通行止め・越畑〜嵯峨も通れないと書いてあり、撤退すべきか一瞬考えましたが、「周山までクローズ」とは書いてないので、池までの区間だけクローズと前向きに解釈し、越畑への新道を登ります。琵琶湖到着時間目標は、とっくに11時のバーベキュー始まりに変更しています。
越畑を左折し、「廻り田池」経由でR477復帰です。北山杉の森の中の細山道を慎重に進みます。r363との交差点まで来たら、r363はクローズになっていました。r363で里山に下り、R162にショートカットしようと思ってたのにあてが外れました。R477の方が土砂崩れしてるかも?と思ってたのですが、杉の森の保水力はなかなかなようで、山側から流れた土を取り除いた跡は残っているものの、道路自体は台風にびくともしなかったようです。バイクに乗り出してすぐこの道を走った時はとても長く感じ、かなりビビって走った記憶があるけど、今は安定した走りで楽しいです。
森を出た後、追い付いてきた大型バイクが抜いていき、r362へ曲がって行きました。r362との分岐の道標「五条・・・」で、R162にショートカットできるかな?と思ったのですが、京都五条ははるかに遠いので別の五条かと思いパスしました。周山のR162交差点に向けて北に進路を変えるとこで、r362が正解だったと脳内地図が蘇ってきました。GPSがあれば・・・10分マイナス。
9:54、周山・「ウッディー京北」到着。う〜むタイムリミットまであと1時間。池田からR423選択で-15分、越畑通行止めで-10分、r362ミスで-10分。鞍馬回りはダメですね。鞍馬〜R477がクローズかもしれません。現にここから北に向かうR162に通行止め看板が立ち、道の半分を塞いでいます。美山方面に行けないのかも・・・。
トイレ休憩のみで、R162を京都市内に向けて走りだしました。長い「笠トンネル」を抜けて、「杉阪・真弓」の道標に惹かれてr31に入っちゃいました。時間がないのに・・・R162の方が確実なのに・・・GPSないのに・・・。小さな交差点をr107・・・走りたいと思ってた「雲ケ畑」経由で京都市街地に下りれる道だと思ったのですが、対向車が全然来ないし怪しい感じがしたので、Uターン。
R162へ戻る手前のさっきの交差点で左折します。道標に「京都」となってるので、R162へのショートカットと思いました。しかし道は山を登りだし、峠を過ぎてもR162に合流する気配がありません。少し下ると、南の山並みが木々の間から見え出しました。「あ〜、ひょっとしたら走りたいと思ってた「京見峠」なのかも?」と脳内地図の現在地を京都市街地北の山中にポイントします。道路工事片側通行信号待ち2分で、ロードバイク女子さんと並びました。車ともすれ違いましたが、ロードバイクと10台以上すれ違っていました。「すいません、この道は何処に出ますか?」。やはり「京見峠」を通過したようです。平安時代から戦国への数々の京都を巡る戦闘で、為政者の京都脱出路になったり、京都攻め道になったり歴史的にとても有名な峠です。謂れ板の1枚でも立ってれば、それなりに楽しめたのに。神社を何社か通過したように思うので、寄り道すればよかったな。ロードバイク女子は、京都市街地から雲ケ畑回りで市街地に戻る途中のようです。疲れている風もなく、僕よりよっぽど健脚です。さっきUターンした道は、やはり「雲ケ畑」への道だったみたい。
青信号になり、列先頭の車1台、「では、お気をつけて」と言葉を残し僕、ロードバイク女子と下りだします。山道下りで2度もロードバイクに追いぬかれている僕は、後続女子が気になります。前の車はすぐ視界から消え、きついつづら折れの度に、ロードバイク女子の姿がバックミラーに現れます。
どこかわからん市街地最北部に出て左折し、東にVTRを向けます。南に下れば金閣寺・龍安寺前の東西道・「北大路通」に出るでしょうが、この時間帯の連休中ですので渋滞にハマるかもしれません。道標「修学院」方面に東進します。帰宅後地図で確認すると、「北山通」を走ったようです。「植物園」横を通り、学生時代ヨット部スキーツアーパンフレット配りでよく来たノートルダム女子大も通過しました。
京北電鉄・修学院駅横の踏切りを渡り、「白川通」に出ました。鮮明な脳内地図に、現在地をポイント出来ました。次男同期のマネージャーをしてくれた女子の母校・「京都造形芸術大学」は、なんか催し物をやってるみたい。巨大なオブジェが数体飾られ、奇抜な格好の若者がゾロゾロと学舎に向かっています。春秋の花灯路や京都市内寺社のイベントに、市内の芸術系学生が多数協力しています。家内と二条城ライトアップに行った時、同じくマネージャーの芸術系学部女子に偶然出会ったこともあります。イベント側には人手と若い感性取り込みになるし、学生やゼミには社会との接点の生きた勉強になります。
これまた京都攻防の重要街道「山中越え」で琵琶湖側に出ました。途中「滋賀越え」道標も見つけたので、いつか探索してみたいな。プロテクターメッシュ上下+DAIWA釣りスーツという春秋仕様で来ましたが、京都市内に入りいよいよ暑くなり、山中越え途中で車載カメラ電池切れついでに釣りスーツを脱いで真夏仕様になりました。丁度いい感じでした。「近江神宮」横に出て、琵琶湖に向かって下り、11:30「柳ヶ崎YH」着。すぐキャプテンに呼ばれ、滋賀県連から借りたクルーザーのエンジンが掛からないとのことで、見に行きます。やはりわからなかったので、ハーバー事務所通じて県連にヘルプです。
バーベキューは始まっていました。20名ほどの親御さんが来られているとのことです。高速道路が混んでるようで、まだ数組未到着だそうです。始まりの挨拶がまだのようなので、キャプテンに段取りを聞くとあやふやなので、母校のファミリーデイを参考に、キャプテンに司会を指名させ、部員毎の一家自己紹介・スケジュール説明などすぐ始めるように促します。
キャプテン挨拶後、僕が指名され、親御さんが最も心配されてる安全面の話(ライフ・ジャケット必着、レスキュー体制、ボディーコンタクトのないヨット競技の怪我もしない安全性など)、練習スケジュール(土日休日練習なので勉強の妨げにならないこと、体育会出身教授中ヨット部が一番多いこと、ヨット部活動を理由にしての不勉強言い逃れはできないと部員にも釘を差します)、同じ釜の飯を食う体育会クラブは生涯の友になるなどを話しました。雰囲気などは、言わなくても感じてもらえるでしょう。
上回生から、部員・親族ペアで出身地や一言などの自己紹介をします。新人勧誘の時なら、部員から笑いを誘う質問が出るのに、みんなおとなしくしています。仕方なく僕が親御さん席側から、「出身地は?」「お父さんから一言聞きたいな」「お姉さん美人〜」「弟くんも、受験しヨット部に入らんか」など、雰囲気を和らげようと野次を飛ばしました。福岡からご夫婦で来られた親御さんが最遠でした。
カレーやおにぎり、バーベキューでお腹を満たします。僕は親御さんを回って、あ〜だこ〜だ話します。午後から出艇です。練習を見てもらって、お子さんのドライブで、お子さんの乗ってるヨットに試乗してもらいます。僕はクルーザードライバーに指名され、1回生2名と親御さん多数と一緒に乗り込みます。県連レース運営で一度乗り、何故か帰路は僕がドライブして帰ったことのあるクルーザーです。
練習を追いかけ、今どんな動作をしているのか大声で説明します。模擬練習が終わり、親御さん達を乗せる段になって、クルーザーのギアが抜けてしまいました。エンジンは快調に回るけど、前進も後進もしません。部員にアンカーを指示し、船を固定します。噴水が上がる大津港の話、そこから引かれた琵琶湖疏水の話。大津プリンスホテル向こうに見える瀬田の新橋から川下の瀬田の唐橋・・・そこで練習するボート部の話・・・ボート部から派生したヨット部の話・・・「琵琶湖周航の歌」がボート部員が作詞作曲し、ボート部の伝統周航をヨット部が引き継いで今月周航したこと。琵琶湖の北湖・南湖の話・・・。親御さんを迎えに来るヨットにご父兄を乗り降りさせながら、あ〜だこ〜だ話します。初めて乗るヨット、しかも息子さんやお嬢さんドライブで、かなり興奮されていました。試乗に最高の3〜4m/sの風が安定して入り、天気もよく楽しんでいただけたと思います。
15時過ぎにそれも終わり、レスキュー艇に親御さん達を乗せて先に陸上に上がってもらいました。バウに曳航ラインを用意し、スターンにも眺めのラインを準備します。部員2名に、ハーバーバック時の段取りを説明し確認します。緊急のアンカーもすぐ打てるように指示。戻ってきたレスキューに曳航され、ハーバーバックです。ハーバー内に入り、ラインの開放をレスキューに指示し、行き足を使ってラダーで所定の位置にクルーザーを動かし、アンカー投入、これである程度船が固定されます。バウで部員が所定のブイを拾ってる間に、桟橋に来てる部員にスターンのラインを投げます。うまく拾ってもらい人力で桟橋に船を近づけます。いろんなラインを使って、出艇時同様に固定して終了です。
艇庫前に戻り、あ〜だこ〜だ歓談して解散です。ハーバー到着時に脱いでいたバイク装束をまた着ます。釣りスーツはなしです。湖西道路〜名神高速で、17:36・「桂川PA」休憩。スーパーびっくりソフト・125円を購入し、糖分補給です。ハーバーでは、クルーザー関係などで食べれませんでした。
中国道・豊中IC下車、18:22・伊丹産業・伊丹北園SSにて給油しました。264km/8.27L=31.9km/L。倉庫でVTRをいつものように乾拭きし、19時前に帰宅しました。家内は戻っており、「モヤモヤさま〜ず」を見ながら夕食しました。長男の住む江東区界隈だったので、家内も熱心に見ていました。「八重の桜」途中で風呂に入り、就寝しました。ああ、楽しかった。

2013/9/16
お手伝いしてる大学ヨット部の代交代式でしたが、次の日曜日がファミリーデイということなので、そちらを優先することにしました。部員の親御さんとお話をし、ヨット部へのご理解が進むといいなと思って。僕は親御さんたちと同世代だからね。母校ヨット部が関西インカレ(全日本インカレ団体戦予選)の日です。先輩と一緒に運用してるクルーザーの観覧船としての出番とドライバーの有無を確認すると、僕が行かなくても良さそうです。
ということで、またまた家内とデートすることにしました。次の日曜日から数回家内が忙しいので、チャンスを逃してはいけません。まず、「また2台でツーリングしようか?」と提案しましたが、あっさり「運転するのは嫌〜」って断られました。近江の山城登城や寺社訪問を考えたけど、連休中日なので名神が混みそうで却下。奈良の高取山城址・大台ケ原・・・いろいろアイデアが出ましたが、蒜山高原サイクリングに決定しました。しかし、台風接近により天気予報がどんどん悪い方向に向かいます。土曜夜の3時間毎天気予報では、自宅3時雨・6時くもり・9時以降雨で、蒜山高原18時以降雨になりました。6時自宅出発・9時ヒルゼン高原着・サイクリング周回ロード28kmなので12時車着・以降適当に観光という計画なので、ギリギリ大丈夫です。6時自宅出発を決めて寝ました。
夜中1時に雨音で目が覚めました。ちょっと予報より早くないか?しかも予報より、盛大に降っています。朝5時、まだ盛大に降っています。5:30になっても同様で、蒜山高原3時間予報を見ると、終日雨に予報が悪化しています。「あかんわ、今日のサイクリングは中止。猪名川酒造に出来たカフェに、モーニングを食べに行こう。お昼は新西宮ヨットハーバーでランチしよう」と、家内に予定変更を伝えました。早く起きて家事を済ませた家内は、すでにサイクリングスタイルになっていました。「うふふ、仕方ないね」。
猪名川酒造リニューアルカフェ「K'z deli」は7時オープンなので、小雨を待って早めに出る予定でしたが、7時を回ってから雨が止みました。車に乗りr12を北上し、8:01「K'z deli」到着。駐車場に車を停めてお店を見ると、まだ開いていません。看板の7時からオープンの7が8にマジックで変更されています。その8時も回っているのに、まだ準備中のようです。周辺を激写します。裏にオープンカフェもあり、なかなか良い雰囲気です。砂利部分の駐車場以外はバイク訪問もアリですね。
また雨が落ちてきたので、ちょっとそこらを一周りすることにして、r12を数百メーター北上し、「猪名川町ふるさと館」到着。8時過ぎなので開いてるはずもなく、更に北上してお彼岸のお墓参りを前倒しでやっつけることにしました。正月・春のお彼岸・お盆・秋のお彼岸の年4回墓参りが定番ですが、お盆からまだ1ヶ月しか経っていません。下の事務所で買ったお花を供え、雑草を抜いていたらいつも咲く場所に彼岸花の芽が出ていました。彼岸花は成長が早いので、数日で咲くでしょう。我家の庭の彼岸花は音沙汰ないんだけど・・・。
家内の実家の墓参り日程を話していて、「雨だし、ついでに行っちゃおう」という結論に達しました。また「K'z deli」がお預けになっちゃいました。r12を北上し、西峠を越え「後川」から羽束川沿いr37を南下し、「小柿」からr309。「須磨田」から武庫川沿いのお気に入りの道でJR福知山線・藍本駅に至りました。ここまでは家内とのバイク練習コースでもあるので、「あんなことがあったね」とかあ〜だこ〜だ楽しく田舎道を走りました。
ここからr75でお墓を目指します。サイクリングお墓参りのコースとして考えた道です。加古川の支流・東条川沿いを走るので基本下りです。サイクリングは基本下りが好きです。JR加古川線・粟生駅まで西進し、ここから南下です。神戸電鉄・三木駅から輪行し、この駅で北条電鉄に乗り換えたことがあります。のんびりした駅で、北条電鉄も単線の素敵な列車で、その時の話が盛り上がりました。北条五百羅漢・鶉野飛行場跡などサイクリングしながら三木まで戻りました。最後道をロストしてしまい、日没後の車到着でしたが、最高に楽しかったです。
r81を南下し、10:43・そのサイクリングの時寄った「小野町駅・ぷらっと・きすみの」で食事にしました。遅いモーニング&早いランチです。僕は「おろしそば定食・750円」、家内は「おぼろそば定食温・750円」でお腹いっぱいになりました。カウンター席と長テーブル1つの小さなお店ですが、地元の方が集まっての運営とみえて雰囲気がいいです。「きすみの」って何かな?と思ったら、この辺を「きすみの」と呼ぶそうです。
11:10、精算して外に出ます。駅に「きすみの散歩道」という観光案内板が立っていました。「来住城跡(きしじょうあと)」「竹谷構居跡(たけたにこうきょあと)」など、探索してみたいとこが載っていました。
お墓に向かいます。観光案内図の載ってた線路の西側の道を南下し、JR市場駅西「黍田」でr375に合流しました。気になっていたサイクルショップの案内板に従って寄り道します。11:15、「MISAKI SPORTS」到着。DE ROSAとかCARRERAフレームや完成車が展示されていました。スポーツサイクルの組み立て工房のようです。播州のスポーツサイクル乗りが目的地の1つにするのかも?
「日光山霊園」で、我が家のお墓がある「猪名川霊園」で買ったお花を供えます。雨とともに風が強くなっており、傘を差しながらなのでお掃除作業は適当です。帰路につきます。山陽道・三木小野ICから高速に乗ります。家内がお姉さんに「お墓詣りしたよ」報告メールしたら、「今有馬温泉、お稲荷さんに登ってマンションに帰ってきたとこ。これから帰ります」の返事が来ました。西宮北IC下車。r82で有馬温泉経由、「西宮北トンネル・250円」で六甲山の下を抜け、r16に出ました。お兄さんの車とすれ違ったいいなと期待してましたが、それはありませんでした。
13:00、新西宮YH到着。ディンギーヤード側からハーバーに入りましたが、整然とレース艇が並び予想通り数レースを終えハーバーバックになったようです。ジブは巻かれているので、待機中と思われます。陸置きヤードでドラゴンのレース艇を見ます。台風接近なので、固縛しようと思いましたが、オーニングを外し固縛済みでした。他のドラゴンも綺麗に固縛されておりハーバー職員がやってくれたのかな?係留クルーザーを見ながらセンターハウスに向かいました。レース観戦から帰って来てるようで、ドライバーの先輩が台風対策をしてくれているでしょうから見に行くのをパスしました。
センターハウスで「一点鐘」や「ノースショップ」を覗いていると、琵琶湖ジュニア出身のノブ君がいました。来週末のJ24全日本の練習で来てるそうです。明日は計測だって。
関西ヨットクラブのレストランに行こうかとも思ったけど、1F「フリアンディーズ」のオープンカフェスペースに、13:21落ち着きました。ケーキセット770円×2です。先客が1組、ワンちゃん連れです。その方たちが帰った後、庭側ゲートからこれまたワンちゃん連れが1組入ってきました。オープンスペースなので、ワンちゃんOKなのですね。母校の漁船型レスキューボートが、ハーバーバックしてきました。レースなので運営艇に出てるはずです。続いて他校レスキューが続々帰ってきたので、正式に本日のこれ以降のレースをノーレースにしたのでしょう。
13:50・精算し、来月末の長男のお嫁さん誕生日プレゼントを物色します。14:02、ヘリーハンセンの母と小さな子のサマーウォーターフロントファッションで決まってるマネキンを激写し、ハーバーを後にしました。ハーバー前のコープで食材を買い、帰宅しました。その後僕は散髪に行き、「ダーウィンが来た」「八重の桜」の定番TVを見て1日が終わりました。ああ、楽しかった。

2013/9/9
日曜日は家内が用事のため一人遊びの日になりました。数日前から天気予報は、降水確率50%でイマイチだったけど、グループツーリングに申し込みました。高所恐怖症気味の僕には最鬼門の「明石海峡大橋」を渡る淡路島ツーリングです。「たこフェリー」がなくなって、バイクで淡路島に行く手段を失っていました。その反面、神戸〜高松フェリー利用の四国開拓が進んだので、それはそれでいいのですが「明石海峡大橋バイク渡橋」の課題はいつか克服しておかねばなりません。そのチャレンジ1回目をすることにしました。予め、「強風が吹いていたらドタキャンするかも」って、リーダーさんに伝えておきました。
金曜日、リーダーさんから「降水確率高いけど決行予定・カッパ持ってきてね」の連絡がありました。そして前日の晩の3時間毎天気予報を確認すると、雨量は1ミリまで行かないようですが降水確率が70%になっています。「ありゃ〜これは中止だろうな」と予想し、ソロでの丹波探索に変更しようと頭の中で明日の行動をシュミレーションしました。当日の朝、いつものように4時台に目覚め天気予報チェックです。降水確率は70%のままですが、3時間毎雨量予想が3ミリとか5ミリとか盛大になっています。でも中止の連絡がないので、「いざ行かん」です。
7:00にゴソゴソ身支度を始め、10時・阪神高速・京橋PA集合だから9時着して朝食でも食べる作戦で8時出発を目論んでいたら、小雨だった雨が強くなりました。「う〜む、家でご飯食べて行こう」とモグモグしながらTV点けたら、2020年オリンピック開催地が東京に決まったニュースで大盛り上がりでした。お店などに集まって徹夜でその瞬間を待った方々がバンザイをしています。自分や我が子がオリンピック出場を決めたらバンザイですが、僕はここまでは・・・なんてクールな感想を抱いていました。
30分ほどしたらまた小雨になったので、ゴソゴソ用意し倉庫から「里山VTR250・ひこにゃん号」を出しました。横風の強い明石大橋を渡るので、「招き猫CB400SB」で行く予定でしたが、リアボックス前に鎮座してる2匹の招き猫さんは、シートベルトでがっちりなので面倒になりました。マジックテープ固定の1世の招き猫さんは、岡山県の山陽道で風で飛んでいかれたので、こうなってます。VTR号のひこにゃんさんはマジックテープ留めでもガッチリなので、雨に濡れないようリアボックスに退避させて出発です。地図もナビもリアボックスです。
まず8:52、伊丹産業SSで給油。82km/3.04L=27.0km/L。なんだか最近燃費が低下してます。アイドリングを上げてもらったからかな?R171を南西に走り、西宮から阪神高速に乗ります。雨はこの頃上がり、ワークマン・カッパで蒸れます。西の空や南の空は、しばらく雨が降らない感じです。ゴアテックス・DAIWA釣りスーツの方が良かったな〜。
9:30、京橋PA到着。施設下の雨のかからないスペースにバイクが2台います。「リーダーさんのバイクかな?」と思ったのですが、ヤマハとスズキのバイクで確信が持てないので後ろに停めるのをやめて、仕方なく青空スペースにバイクを停めます。ゴソゴソしてると、建物下スペースにいた車が出たので、そちらにバイクを移動させました。
何度かここで待ち合わせをしたことがありますが、エレベーターで上がらないとダメなので施設に入ったことがありません。探索開始です。トイレを拝借し、アチコチ見ながらお土産スペースを巡っていると、喫茶スペースにリーダーRさんとM女史さんがお茶していました。家からここまで、スクーターには会いましたがミッションバイクを見た最初の1台目と2台目がこのお二人ということになりました。これで参加者全員集合で、僕も加わってあ〜だこ〜だ。僕はグループツーリングでも5人ぐらいまでが好きです。参加者が多いと、どうもじっくり話せません。天気はアレですが、楽しくなりそう。来週リーダーさんは御岳日帰りで、M女史さんはビーナスライン1泊ツーリングだそうです。5月のビーナスラインで、最高の景色を堪能できたので、来週も晴れるといいな。
10:15、雨はずっと止んでいますが、一応カッパを着て出発します。バイクに跨りエンジンを掛け、さあ出発というとこで、エンジ色のCB750が入ってきました。「どこかで見たような・・・」、リーダーさんがちょこっと話し、4台で出発しました。最後尾の定位置を確保しついていきます。「80km/hぐらいでのんびり走るから」とたぶん僕に気を使っての言葉を掛けてもらってるので、ちぎれる心配はなさそうです。
阪神高速を西進し、第二神明から鬼門の明石海峡大橋に突入です。トンネルを抜け、高速バス停が見えて緊張してきます。肩に力が入ってきます。速度を70km/hぐらいに落とし、横風一発目に備えます。橋突入・・・吹き流しは西風を表していますが、垂れ下がったのが少し動く程度で大したことはありませんでした。Mさんから怖いと言われてた橋の継ぎ目も普通の高速の継ぎ目の大して変わらず楽勝で通過。横風でバイクが振られず余裕が出たので、少し首を左に振って海を見てみます。あかん・・・橋突入から幾分高まっていた動悸が盛大にお祭り騒ぎを始めました。しかも足先から血の気が引いてき出し、足の感覚が遠くなっていきます。
それからひたすら正面凝視です。でかい橋の継ぎ目を通過・・・ギザギザに切られた金属パネルで少し滑った感覚が伝わりました・・・怖い。橋の中央部に掛けて軽い上りになってるようで、「まだ半分にも至っていない」・・・慎重に・・・バックミラーには後続車が離れてる大丈夫・・・なんて気持ちがはるか眼下の海に行かないように走ります。中央部を過ぎると、慣れてきました。速度は80km/h手前まで自然に上がりましたが、どうってことないです。
10:42、無事「淡路SA」到着。バイクが1台もいません。雨予報なので皆さん自重のようです。見覚えのあるCB750は、以前ご一緒したMiさんでした。きっとおもろいトーク炸裂だろうな、ぐはは。写真撮ってトイレを拝借し、あ〜だこ〜だ一通り話して食事予定の「洲本IC」近くのお店まで出発です。
カッパを脱いで、プロテクターメッシュ上下だけの真夏仕様になりました。寒いかも?と思いましたが寒くもなく暑くもなくの快適でした。当初の8:30集合予定では、R28で東海岸を下る予定だったそうですが、一気に高速で「洲本IC」まで下ります。R28に下りて南西に走ります。事前にお店の位置を調べた感じでは、ICすぐ近くだと思ってたのですが意外に距離を走ります。リーダーさんがコンビニに入ったので、「何か買うのかな?」と思ったら、道をロストしたようです。地図を見て経路を頭に入れておられるようです。リアボックスからナビを出してお手伝いした方がいいのでしょうが、別に迷ったからって平気な僕は脳天気にMiさんと笑顔でおしゃべりです。ほんま、おもろいわ。
R28を引き返して12時過ぎに「きとら」到着。お待ちのお客さんがおり、4組目に名前を書いて、駐車場でまたトークです。リーダーさんはこの間に給油です。リーダーさんが戻ってきたタイミングで、僕らの順番です。リーダーさんとMiさんは一番人気メニュー、M女史さんは2番人気、僕は3番人気の「海鮮巻き天ぷらうどんセット・1280円」に舌鼓を打ちます。僕の2食分ぐらいの量でおなかいっぱいになりました。
13:11、「きとら」出発。R28を南西にちょいと走り、「IL ROSA」でお茶です。皆さんはケーキセットでしたが、僕はちょっと冷たいものが欲しくなりチョコパフェ・750円を注文しました。外のテラス席を選択したのですが、風が気持ち良いです。しかしそう思ったのは前半だけで、後半は太陽が雲間から顔を出し、M女史さんとリーダーさんの背中が暑そう。
14:08、「IL ROSA」出発。R28を南西に走ります。去年家内と巡った「七福神めぐり」の毘沙門天さんの看板を通過し、r31に乗り換えます。護国寺・藩の祈願所だった賀集八幡神社が懐かしいな。西海岸に出て、ここから「サンセットライン」です。「慶野松原」通過、「五色浜」通過。「都志」通過・・・ここに私設・淡路ヨットクラブがあるんだな。「一宮町」通過、「淡路城」が工事してて更にグレードアップしそう。リーダーさんも興味津々のようでスピードダウンしてました。「北端震災記念館」横を通過し、右折してr460です。「花さじき」を見学してから高速に乗るのかな?と予想したのですが、分岐を通過し、東海岸に下りてしまいました。ワインディングに入り、臆病者の僕は少しずつ離れて行きますが、チョロチョロ先行車が見えるし一本道なので迷うことはありませんでした。この道は、家内とサイクリングで淡路島を横断した懐かしの道です。そう言えば、サンセットロードで「あわ一サイクリング」のスポーツバイク集団に会いませんでした。
東海岸のR28に下りたとこにある「道の駅・東浦ターミナルパーク」で休憩です。僕は、15:51・「東浦物産館ゆめの浜」というお店で「希少糖ジャムみかん・525円」を購入。ヨーグルトのお供にしましょう。ここで解散になり、Miさんがブーンと出発しました。リーダーさん・M女史さんに続いて僕も出ます。R28を北上し、「淡路夢舞台」横通過。道なりに「淡路SA」横の「淡路IC」から高速に乗ります。ここまで2台についていけましたが、ここから徐々に離れ、鬼門の「明石海峡大橋」に突入です。70km/hほどで走ってる小型乗用車の後ろについて橋に乗りました。往路より風がなく、慣れたのもあるし速度が遅いのもあって、足のゾワゾワもなく渡り切ることが出来ました。
往路はここから第二神明〜阪神高速神戸線なのですが、Miさんが「この時間帯は西宮まで渋滞だ」と言ってたので、渋滞のない六甲山北回りで帰ることにしました。阪神高速7号北神戸線で北東に進み、「有馬口」で地道に下ります。r51で有馬温泉・太閤橋を渡り、r51・有馬街道でR176・「生瀬」に下ります。最後、17:18宝塚出光で給油、231km/8.35L=27.7km/L。う〜む、80km/h前後の高速なら燃費が伸びるはずなのに・・・フロントシールドの角度を立てたせいかな?
バイクを乾拭きし、家内より前・17:30頃帰宅しました。小腹がすいたのでヨーグルト500gをやっつけたら、家内が帰って来ました。ネギが荷物から見えています。主婦は大変だわ。家内ご贔屓の「モヤモヤさまーず」を久しぶりに見ました。ご贔屓の女子アナウンサーさんが交代したから見なくなったのですが、安芸の宮島・呉編で面白かったです。今度から1時間番組だったのが、1時間半番組になるそうで人気番組みたい。「八重の桜」は京都編に入り、馴染みのある場所が出てくるので家内とあそこだね〜とか言いながら楽しく見ました。「八重の桜」が終了し、2Fの自室に上がって床の中・・・平和な1日の終了です。

2013/9/2
コーチしてる大学のインカレ予選最終日です。土曜日就業後車に布団を積み、そのまま北陸を目指し、眠たくなったら北陸道どこかPAで眠って、早朝にレース会場・石川県七尾到着を目論んでいました。しかし台風の進路予想が山陰海岸線〜能登半島になり断念しました。片道6時間の行程なので、夜間・雨中という状況下での24時間内往復は厳しいと考えました。七尾は和倉温泉のあるとこなので、家内も「行こうかな」と言ってました。日中海上に出てる僕とは別行動で、温泉街散策を目論んでいたようです。それもご破算です。
「二条城の門が綺麗になったんだって」と家内から京都を誘われました。でも二条城は数度見学したことがあり、新聞で報道されたのなら多くの人でも予想され、京都東山探索をすることにしました。最大の目的は、山本覚馬さんのお墓です。久しぶりに面白いNHK大河ドラマ「八重の桜」で、主人公新島八重のお兄さん・山本覚馬さんを知りました。戊辰戦争敗退で会津編が終了し、いよいよ京都編に入りました。ここで更に山本覚馬さんがクローズアップされ、ますます興味を持ちました。主人公・八重さんの人生の節目節目に覚馬さんがおり、八重さんの2人の夫は共に覚馬さんと心を同じくするものであったり、覚馬さんの家に住み着いた人です。
我が家の京都東山といえば、家内の実家の先祖が分骨されている「永観堂」です。当然寄って手を合わせるので、その開館時間9時に着くよう7時に家を出発することにしました。出発がいきなり20分遅れになり、時計を忘れて現在時が把握できなかったこともあり、余裕を持ってJR京都線各駅停車で山科に向かったので、地下鉄東西線・蹴上駅を下りてインクライン下のレンガトンネルに着いた時は9:31になっていました。
「東照宮」横を歩き、「南禅寺三門」で9:40。「毘沙門天」同様カッコいい名前だなと思ってる「摩利支天」前、東山中高前を歩き、商売開始前と思われる人力車を激写して、9:50永観堂山門をくぐりました。永観堂幼稚園の塀が綺麗になっており、なんか催し物があるようで幼稚園児と思われる子を連れた親子連れが永観堂駐車場に吸い込まれています。家内の分析では、入園説明会だそうです。
9月に入ったばかりですが、もみじの永観堂の本領発揮はもうすぐとばかりに、気の早いもみじは色づき始めています。拝観料は600円ですが、いつもの様に受付で「お墓参りです」と言い、いつものノートに住所氏名・電話番号・家内実家がお世話になってる永観堂傘下の寺院名を書いて、1200円を免れました。
朝早くから庭師さんがお手入れで入っておられます。もみじはこれからですが、苔が綺麗です。本日の目的地・同志社大学共同墓地は、この永観堂の裏山の頂上にあるそうで、2人で「あそこかなあ〜」って見上げました。台風は前日に低気圧に格下げになり、雨を覚悟で来たのですが、曇っているだけで雨が落ちてくる気配はありません。
家内の両親他が眠る「納骨堂」上にある墓地に上がってみました。最近のお墓は「・・家の墓」と刻まれているのが一般的ですが、「・・夫妻の墓」となってるのが数基ありました。家内の想像は、「お子さんがいない嫡男さんでない方のお墓」ということです。なるほど・・・。両親から始まった我が家は、両親と僕らが入るお墓の隣に、まだ健在だけど弟一家のお墓が立っています。「死んでからも仲良くしようや」です。永観堂南隣の「南禅寺水路閣」を流れた琵琶湖疏水が永観堂裏を流れていますが、墓地からそれが見えます。幕末に会津藩屯所が置かれた吉田山周辺なども見え、いい眺めです。墓地最上部にある「後三条天皇・御骨陵」「清和天皇・御髪陵」を見学して、納骨堂の方に下ります。
チーンとして手を合わせ、周りの歴代ご住職のお墓を探索します。「禅林寺(永観堂)歴代法主之墓」というのがあり、墓碑を見ると「89世」が一番新しい仏様のようです。ひょっとすると、義理母を分骨した時法要を行い有難いお言葉を頂いたあの法主さんかもしれません。あれから5年ぐらい経ちますが、当時車椅子でお堂に入ってこられました。あの法要は、僕の経験した法要No1の素晴らしさでした。10人以上のお坊さんのお経の唱和が堂内に響き、背筋に衝撃が走りました。「もみじの永観堂」No1スポットの池を巡ってみました。ここにも気の早いもみじがあり、観光客の誰もいない僕ら独占の風景がなかなか良いです。また鴨さんが道の真中でうずくまっています。この光景は3度目です。何してるの?
永観堂を後にして、角を曲がって「哲学の道」に行こうとしたら、「新島譲先生墓地登り口」という石道標が目につきました。今年の大河ドラマ向けに急遽作られた道標でもなさそうですが、今まで目につきませんでした。人の目は、目的物以外上手に視界から消す技があるようです。同時に目的物を浮き上がらせる術も。
疎水に出たら、左折して疎水沿いの道を行くのが「哲学の道」ですが、道標に従って「にゃくおうじばし」を渡って直進して「若王子神社」に向かいます。前から気になっていた神社です。名前からして、熊野古道が想像されますが、「熊野若王子神社」となっておりビンゴでした。
このお宮入り口の謂れ板を読みながら、家内とここのご神木「梛」についてあ〜だこ〜だ。地下鉄東西線プラットホームで路線図にあった駅名・「椥辻」を見ながら、「何て読むのかな?」「ちつじ?」ってあ〜だこ〜だしました。ローマ字表記を読んで「なぎつじ」と読むのは分かりましたが、「木偏に知るってどんな意味かな?」。家内から「なぎなたってこんな字じゃなかったよね」・・・なんてことをやってました。「なぎの木」の漢字は、やっぱりこの字「梛」だよね。・・・帰宅後調べたら、「椥」と「梛」は同じだそうで、きっと「椥」が古いのでしょう。「梛」は熊野三山のご神木で、「神様の守護」、葉の丈夫さから「良縁に恵まれる」、「凪」に通じ、漁師・船乗りにもその葉がお守りにされたようで「平穏無事な穏やかな人生」、葉の表裏とも綺麗なことから「裏表のない正直な人間に育つ」、マキ科植物の中で最も美しい葉を持つので「美しく育つ」という意味があるそうです。
10:44・「熊野若王子神社」から出ると、「新島譲・八重(八重子)の共同墓地、この山頂20分」と書かれた真新しい案内板が目に入りました。これは今年立てられたにわか観光案内板のようです。若王子神社奥の小さな滝を横目に山道を登ります。十数本の杖がラックに置かれています。「う〜む、思いの外厳しいのかも・・・」。
途中3名の方に抜かれて11:02、「あと100m」のとこまで上がってきました。ここから墓地のようで、墓石が山中に乱雑に現れ始めました。十字架墓石が多く、キリスト教信者がここに多く集まっているようです。綺麗に整地・整備されたら、京都市街地の眺望も良さそうですが、全く眺望は利きません。どこからともなく、ほら貝の音が聞こえて来ます。南西に「将軍塚」、背後の北東に「大文字山」、東に「如意ヶ岳」をひかえる位置なので、どこかで行者さんが吹いているようです。如意ヶ岳の天狗は鞍馬山の天狗の師匠筋に当たるとかいろんな伝説に包まれた信仰・修行の山なので、如意ヶ岳からの法螺貝と勝手に決めつけた。
11:06、「同志社共葬墓地」到着。手書きに墓地内案内図が門扉に掲示されていました。正面が同志社大学創始者・新島譲さん、その左に新島八重さん、更に左に新島某4名(兄弟のようです)。正面向かって左正面に山本覚馬、その左に八重さんの両親と鳥羽・伏見の戦いで戦死した弟三郎さん、その左に覚馬さんの娘・久栄さんのお墓が並んでいます。
本日のメインディッシュ探索を終えたので、後はお気軽にです。哲学の道を銀閣寺に向かって歩きながら、横の疎水を流れる綺麗な水を見て、時々現れる鯉の大きさに驚きいつものペースです。前から目をつけていた「叶匠壽庵」というお店でお昼を食べようかと思いましたが、家内の電話で時刻を確認したら(僕は時計も電話も忘れました)、11:30過ぎなのでもう少し北に進むことにして、これまた前から気になってた「大豊神社」訪問・・・と思ったら、雨が落ちてきました。少し前から雷鳴が聞こえていましたが、それが近づいてきてパラパラと。哲学の道に戻って、雨宿りするお店を探しながら北に進みます。
11:55、本降りになったので、「五建外良屋」という喫茶店で雨宿り開始です。白人さんがビールを飲んでいます。基本的に白人さんは日本人より暑がりですよね。僕らの後に入ってきたご夫婦は、「もう雨は止まないよ」ってご主人さんがネガティブになってて、バスで帰ろうなんて話してて奥さんが残念そうです。僕の天気予報では、雷雨だから30分すれば上がるので、家内と次の道中をあ〜だこ〜だ。具のいっぱい入ったラーメン700円×2=1400円で、次の歩きに向けてエネルギー補給です。疎水の向こうを歩く人を見ながら、あれこれ勝手にその人の人生を想像して家内とうふふな会話をしてます。
予想通り30分で雨は上がり、また北に向かいます。あぶらとり紙で有名な「ようじや」さんの角を東を見ると、いかにもな鳥居があります。「天皇陵だね」って寄り道。12:38、「冷泉天皇・櫻本陵/宮内庁」。寒くなったようで、家内がカッパを着るということで「ようじや」さんの軒先をお借りました。いつも人だかりがしてるお店だけど、雨模様の天気だからお客さんが少なそうです。家内を待ちながら屋根の上を見ると、嫗翁が八つ手と箒を手にして掃除をしてる瓦人形が載っています。いいね。
少し深くなった疎水にでかい錦鯉が泳いでいます。大都会の市街地外れにこんな鯉やホタルが飛ぶ疎水が流れる京都という町は素晴らしいです。お箸を売ってるお店があり外のゴンドラでお箸を物色していると、お姉さんが「良かったら店内にもたくさんあります。どうぞお入りください」って。帰路に寄ることにしました。銀閣寺が近づくと観光客が一気に増えました。でも銀閣寺駐車場は空きがいっぱいで、いつもよりずっとマシな印象です。
修理が成った「銀閣寺」の見学もいいですが、気になってる「橋本関雪記念館」に行ってみます。予定ではここで食事してお庭見学でしたが、お庭見学だけで拝観料が要るのでパスしました。いずれここで食べたいです。
ここからUターンします。13:18、さっきのお箸のお店・「うるしの常三郎」さんで735円のお箸購入。去年1月に上賀茂神社の手作り市で買ったお箸をご贔屓にしています。以来京都に来る度お箸を見ていますが、気に入るのがないです。塗の厚い丸箸は小さな物を挟みにくいので、実用本位のがいいです。薄い塗で、お洒落な細工が頭にしてあるのが気に入りました。
13:25、さっきカッパを着るので軒先を拝借した「ようじや」さんで、お茶することにしました。「ようじや」さんに喫茶があるのを知りませんでした。いつも人集りしてるのは、この喫茶部目当ての観光客かもしれません。「只今、お席がございます」と喫茶部入り口に札が下がっています。先にお店を覗こうかと家内が先に歩いて行きます。
小さな日本庭園を横切る飛び石を行く家内が、「お父さん、いっせいに視線を浴びるんだけど」って笑っています。僕も進んでいくと、お座敷の喫茶部のお客さんが、皆さん日本庭園の方を向いて喫茶されています。対面じゃなく、こっち向きに座るようにしてるようです。グハ〜、借景の日本庭園に家内ならまだしも、僕の姿は汚物でしかないね。「失礼しま〜す」。13:32、「ようじや」さんで「合わせ鏡・2800円」を購入。なかなか素敵です。お店から門に至る道は喫茶前日本庭園内を通らずとも行ける道もありましたが、もう一度汚物披露したく庭園内を通って門の方へ行きました。喫茶の方は、雰囲気が分かったし、空いてるのだろうけど10組ぐらいはお客さんが入っており、他のお客さんの前の席になりそうで落ち着かなそうなのでパスしました。お店に入る前に、雨も止んでることだし家内はカッパを脱ぎました。
13:45、往路雨でパスした「大豊神社」訪問。太閤秀吉さんとの縁を想像してたけど、関係無さそうでした。脇社の大黒社は、珍しい狛鼠の神社でした。大黒社の謂れ板がなく、なぜ鼠なのかは不明です。
往路家内が、「ここってお使い物によく出てくるお店だよね」って言ってた「叶匠壽庵」で御茶します。往路メニューを見た時、「抹茶」とか「わらび餅」とか家内の好きそうなのがあったのでここにしました。「抹茶パフェ・1050円」×2=2100円を頂きました。家内は、「久しぶりに甘いの食べたわ」ってニコニコです。最初お客さんは僕らだけで、めちゃ落ち着きました。次に来られた女性は、「滋賀のお店にはお邪魔したことがあるけど、こちらにもあるのね」って店員さんとおしゃべりしていました。
14:34、家内がおトイレ中に精算したが、「お足元の悪い中、ありがとうございます」って、和菓子を頂きました。ついでに通販のパンフレットも。家内はそのパンフの本社所在地・滋賀県大津市を見ながら、あのお店とまた別なのかな?って?マークを作っています。僕は、「同じ名前の店名じゃお互いややこしいから同じじゃないの」って適当に述べておきました。家内は帰宅後、阪急の通販カタログを持ちだして吟味していました。家内が勝手に今まで京都のお店と思ってただけのようです。ついでに僕らが生まれた頃の創業で、店名から受ける創業数百年というイメージも崩れたと言ってました。ぐはは・・・
14:55、蹴上のレンガトンネルまで戻ってきました。家内の歯医者さん予約が17:30なのでちょうどいい感じです。地下鉄東西線を東に乗りましたが、「この電車は山科には行きません」とのアナウンス。「あれ〜、ミスっちゃったかな?」、どうやら京阪も乗り入れてるようで、大津の方に行く電車に乗っちゃったみたいです。でも次の「御陵」駅で乗り換えてOKでした。「御陵」って「みささぎ」って読むんだと一つ賢くなりました。「椥」と「梛」もそうですが、古い地名や呼び名がそのまま受け継がれていくことは、歴史の生き証人みたいで好きです。世界共通語が英語になろうと、日本語はそのまま公用語としてずっと使われて行けばいいです。韓国はハングルを全面採用して漢字を読めない人が増えて、過去の歴史書が一般人では読めなくなってしまったようです。すごく残念です。
「山科」でJRに乗り換え、新快速で一気に帰って来ました。歯医者さんに行く家内と駅で別れました。「一緒に行く?30分ぐらいだけど」って誘われたけど、「歯医者さんは痛い子とするから嫌」って断りました。帰宅しヨーグルトを食べて、通勤リード110で電気屋さんに繰り出しました。「nexus7」のカバーの物色です。ついでにおもちゃ売り場のレゴコーナーへ。息子たちに誕生日毎に追加で買ってあげたレゴの最新版の探索です。ずっと変わらぬ規格で販売し続けているレゴは素晴らしいです。僕が子供の頃、レゴが日本に上陸し、うちは買ってもらえなかったけど、お金持ちの友達の家にあって、その正確な作りと組み上げた作品の美しさに憧れました。息子たちが生まれて、「男の子には、こういう想像的なおもちゃがいいんやと高めのお値段だったけど奮発していました。僕も息子たちも、よく遊びました。だんだん作品が大きくなり、ブロック不足に陥り追加・追加になっちゃいました。嫡孫くんがそれなりの年齢になったら、レゴをプレゼントしようと決めています。
帰宅したら家内が帰っていました。お風呂に入ったり夕食を食べたりしながら、NHK「ダーウィンが来た」でニュージーランドの森にいるオットセイを見て驚き、続いて始まった「八重の桜」で八重さんの元旦那・川崎尚之助さんは出石出身で、お墓があると紹介されていた。また出石探索に行かなきゃ。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
inserted by FC2 system