ウェブマスター日記 2013/3-4

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2013/4/29
日曜日は、またまた琵琶湖でした。3週連続の学生ヨット部新人勧誘の手伝いです。週半ばに、家内が夕方から仕事で神戸に行くことがあり、11時過ぎに「終わった〜今から帰る」電話があり、24時過ぎお迎え1時就寝という日があったので、ここ数日6時起きぐらいになってました。この時間帯じゃ、早朝自転車か庭の草刈りしかできません。おかげで庭の今年1回目の草刈りが終了しました。
そんなこんなの早朝活動でしたが、日曜日は睡眠不足を解消したのか4時前に目覚めました。「よっしゃ〜」。真っ暗だけどバイク装束に着替え、こっそり家を抜け出しました。車載カメラ・CanonA1200がとうとう壊れたので、新規導入したA1400のお試しムービー撮りです。里山VTR250に車載し、4時過ぎに出発しました。
お題は、「能勢・長谷の棚田」です。川西能勢口からr12・旧道で猪名川沿いを北上し、「紫合」からr603でホタル川である阿古谷川沿いの集落を北上します。三草山の肩を越え、5:12・長谷の集落に降ります。まだ朝の明るさはありませんし、雲も割合多いですが、いつ来ても気持ちのいい集落です。長谷川沿いの自称「長谷ストレート」を緩やかに登ります。水田には水が張られ、このGWが田植えウィークなんでしょうね。兼業農家が増えたので、休日こそ農繁日です。「才の神峠」に続くいつもの道をウネウネ上がっていきます。激写ポイントが来るとバイクを止め激写しますが、もう定番ポイントになっちゃってます。才ノ神峠手前の最後の激写ポイントでカメラを構えていると、下からカメラ青年2人組が上がって来ました。この時間帯に登ってくるとは、熱心なカメラ好きさんですね。サンデー毎日・三脚一眼レフおじさんはよくいるけど、青年は珍しいです。
5:36、「才ノ神峠」到着。以前は気づかなかったけど、「文化13年」と掘られた「庚申」の石碑が土から半分出ていました。「屏風岩」方面への道が行けそうだったので今年初走行してみます。数ヶ所の急勾配・急カーブがあるコンクリート簡易舗装細道なので、「槻並」側から登ったことがないです。バイクをこかしそうです。落ち葉満載で、土が残ってるところもあり緊張しますが、毎年ここを数回通ってしまいます。リスを見かけた事がある道ですが、この日の収穫は「うずら」でした。ご夫婦でしょうか、2羽のうずらが僕を先導してくれました。キジよりひと回り小さくて可愛いな。
槻並集落最上部に出て、かつてオリンピック陸上の強化道路指定されていた槻並の緩やかな傾斜道を下り、屏風岩からr12を少し北上し、「道の駅・いながわ」のとこから、r68で西進します。日曜日なので通勤快速車がいなくて快適です。
宝塚・長谷集落まで来ると、「長谷牡丹まつり」の幟がたくさんはためいています。幟に誘われるように、6:02「普光寺」の方に入ってみます。藁葺き屋根の山門に大きな草鞋が下がっています。謂れ板には、「西国巡礼をされる人が草鞋をすり減ら市手持ちがなくなると、先の旅人が奉納した草鞋を拝借し、次の機会に新しい草鞋を奉納するという風習があった。この助け合いは仏教の布施につながるもので、私達も徳を積むために奉納しました。/長谷長寿会」となっていました。
鯉のぼりが30匹ほどワイヤーに吊るされています。「普光寺」手前に「長谷牡丹園」がありました。まだ開いていませんが、入場料大人300円だって。普光寺横に重厚な長屋門を持った「素戔嗚神社」がありました。北摂によく見かける山門です。一応敷地に隔たりがありますが、横の普光寺とともに神仏習合の明治以前のスタイルが保たれています。明治政府の天皇中心中央集権を強化するために、多くの神仏習合寺院が破壊されましたが、この集落の人達は守ったようです。素敵なことです。覆い屋に守られた板屋根の数社の神様が祀られ、良い感じです。
僕は神社を見ると、屋根を見上げてしまいます。良い感じのカーブが付けられ、天を指すような千木の交差と何の意味があるのかわからない鰹木の横棒がそれぞれの神社の特徴があり、その合わせ技が美的に洗練されてカッコいいです。
横に古い宝篋印塔がありました。謂れ板によると、感応元年(1350年)に立てられたそうで、波豆産石材で作られた最も古い宝篋印塔だそうです。室町幕府成立の約10年後ですね。
普光寺本堂入口屋根は、江戸時代様式のカーブした屋根でした。良い感じやね。墓地は裏にあるのかな?目につかなかったので帰路につきました。r33〜r325〜長尾山トンネルの定番コースで、7時帰宅。
家内が出陣OKのスタイルになっています。「何処行くの?」「歯医者さんだったんだけど、急病で入院したとかでキャンセルになっちゃったから、佐川美術館に行く〜」。「場所わかってる?」「うん」。「じゃあ、京都まで一緒に行こうか。10時半時計台だけど、8時に出るよ」「うん」。
8時に家を出ました。中国道〜名神で東を進みます。バイクが一気に増えました。GWに入ったので、遠くに行くのかな?「桂川PA」でトイレ休憩しました。バイクがわんさといます。家内が喜んでいます。「何か持って行こうかな?」と売店を見ていると、以心伝心「差し入れを持って行ったら?」と家内から。1050円の抹茶バームクーヘンを2個購入します。PAを出て本線に戻ると、いきなり渋滞が始まっていました。連休の京都への交通渋滞が読めず早めに出てきたけど、一気に渋滞が長くなってきたみたい。「京都南IC」まであと2kmなんだけど・・・。でもそれは大津への本線方面渋滞で、IC出口への一番外側車線はスムーズでした。「京都南IC」で下りて、R1を北上し、東寺で右折しちょこっと曲がって京都駅南の八条口で家内を下ろします。佐川美術館まで迷わず辿りつけるのだろうか?ちょっと不安です。携帯電話を忘れたので、ヘルプも出来ないし・・・。
三条まで鴨川沿いを北上します。三条バスロータリーから三条通りを東進し、目的の仏壇屋さんを探します。毘沙門天像と菅原道真像を手に入れたくて、最近ゴソゴソしています。嫡孫誕生記念で、一気に屋敷祠勧請まで行きたいところです。結局見つけられず、時計台に着いたら9時半でした。また1時間前なので30分正門前道路で路上駐車し、30分前になって校内に入り無料駐車します。
時計台でトイレを済ませて大クスノキの下を見ると、部員のT君が今日も30分前にヨット部幟を組み立て中です。ヨット部試乗会目当ての新入生がやってきて、6人乗せて「山中越」で琵琶湖柳ヶ崎YHに向かいます。全員2回目の試乗会なので、特に説明もせずウダウダ話しながら、YH着。
先週同様、キャプテンT君と幹部女子マネージャーYさんとで、レスキュー乗船です。最後の新人勧誘試乗会なので、半分以上「こいつは!」と思える有望株を呼んでいます。彼らには一段階上の試乗で、ヘルムスマンとしてラダー(舵)操作してもらいます。試乗会にちょうどいい風と青空で、最高の試乗会になりました。
スポーツ・セレクションのない学校なので、貴重な高校ヨット部経験者を2名呼んでいるので、同じく高校ヨット部経験者の僕があ〜だこ〜だレスキュー上で勧誘します。息子がいきなりのレースにスキッパー(艇長)で誘われて入部したように、来週のレースに誘い、キャプテンに何とか船とOBクルーを確保するように言いました。3回生部員のMさんがショートカットにイメチェンしていて、新たな魅力爆発です。
試乗会を終え合宿所に戻り、バイク乗りOB達とあ〜だこ〜だおしゃべりしてたら、バーベキューが始まりました。食材がわんさとありましたが、若者の胃袋はすごくドンドン腹に収まっていきます。恒例の1回生挨拶が始まり、3名から「入部宣言」が出ました。これで6人入部しました。
先週、ヨット部HPを見つけて直接YHにやってきたマネージャー志望1回生が、また来てくれて入部宣言してくれました。僕がヤイノヤイノ言って女子マネさんに新HPを炊きつけて、1年目から成果が上がりました。HP担当2回生マネにそのことを褒めると、「力こぶし」で返してくれました。やったね!
キャプテン挨拶があり、最後に僕の挨拶でお終いになりました。19時過ぎに、時計台前まで新入生を7名乗せて帰ります。近道グニャグニャ山中越えと三条周りを提案すると、「出来ればグニャグニャでないほうが・・・」という意見が女子から出たのでそっちに決定しました。
今月初めに仕入れた「次男カップルの馴れ初めがヨット部試乗会であること」などのさっきの挨拶とは全然違う柔らかい話題に振って、あ〜だこ〜だ楽しく帰りました。2週間前の女子大コースはまたライバルの3回生M君に取られてしまいましたが、女子が3名乗っていたので、先週より随分楽しかったぞ。
正門前で新入生を降ろし、東大路通〜R1で京都南ICから名神に入ります。「桂川PA」でトイレ休憩し、今朝家内が選んだ抹茶バウムクーヘンを探します。2回生女子マネ・Mさんに「女子マネさんに差し入れだよ。男子に見つかるなよ、食われてまうぞ」って渡したのですが、お陰様で女子マネさんがバーベキュー中に代わる代わるやってきてお礼を言われました。ラッキー!
きっと家内も抹茶バウムクーヘンが食べたいんだろうなと、お土産にしましょう。下り線と上り線のお土産メニューが違うようで、それはなかったけど山盛りの「京ばあむ・10号・1050円」というのを買いました。これも抹茶味です。家内はお茶のお師匠はんなので、抹茶が好きみたい。21時過ぎに帰宅しましたが、家内はすでに夢の中でした。ああ楽しかった。上天気に適当な風で、いい試乗会になりました。

2013/4/22
日曜日は、先週に続き琵琶湖での大学ヨット部新人勧誘の手伝いに参加しました。ほんとはこの日から4日間、一昨年から始めた長期ツーリングに行く予定でしたが、一番の目的地である信州「天空の里・下栗」〜「しらびそ高原」が土曜夜から雪ということで断念しました。標高2000mの高原で、不案内の場所なので「君子危うきに近寄らず」です。
ヨット部には、「天気が良ければツーリングに行くので手伝えないよ」と伝えてあったので、「久しぶりにグループツーリングに参加できるな」と思っていたのですが、タイミングよく「お手伝いOKですか?」というメールがヨット部から届き、「行けるよ」って返事しちゃいました。
日曜日の朝は、土曜日に続き寒いです。2日連続の朝風呂でまず体を温めます。数日前から夜明け頃から「ケキョ」って大声で一声する鳥がいます。「なんて名だろう」と聞いていたのですが、風呂で聞いていたわかりました。「ホケキョ」や小さな「ホー」が前についたりし出しました。まだ下手くそなウグイスです。ウグイス並みのでかい鳴き声だから、わが家近所の新種を期待したのですが・・・。あと1ヶ月もすると、山に行けば同じくでかい鳴き声のホトトギスも渡って来ますね。
「12時に時計台前。新入生を琵琶湖の艇庫まで乗せてきて欲しい。そのままレスキュー乗艇」が、この日の僕へのヨット部からの指示です。朝なら車で1時間の距離ですが、観光客が増える時間帯なので30分前到着目指して、10時にこちらを出たら間に合うね。
防水バッグにカッパを入れ、ヨット用ハット・サングラス・カメラなど一式を積んで、8時に出発しました。まず最寄りの伊丹産業ESSO・GSで給油します。見覚えのあるPCXとアクシストリートが停まっています。上の休憩所を見上げるとビンゴ。給油しながら手を振っていると、気付いてくれました。近所のバイクセブンからツーリングに出る原付二種クラブのメンバーJさんとF子さんです。トイレを拝借し、バイクセブンに移動しました。
ここにツーリングに行かれるJiさん・Tさん、見送りのHさん・3さんがやってきてしばらくあ〜だこ〜だ。Jiさんは1週間前の美山ツーリングで15名ぐらいを引率する副リーダーさんです。15名を連れて食事など短時間に済ませ、適当な見どころを回るのは、いろんな手配が大変ですね。TさんのバイクPCX赤は、リアボックスまで綺麗な赤で、かなり目立ちます。Hさんは僕と同じリード110の銀色です。リアボックス・ストップランプがブレーキ連動で点灯したり、シート下ボックス照明があったり小技が利いています。3さんは、いつものボアアップモンキーで来られました。Jさんも副リーダーさんで、この日の引率です。本日のルートは僕もお手伝いしたけど、不案内な兵庫県エリアにも下調べして万全の供えをいつもされます。適当で下調などしない僕なら、ミスルートや訪問予定お店が閉店であっても笑って誤魔化せなのに、頭が下がります。F子さんは、本日の紅一点です。「え〜山に登るの〜」とか「くねくね道〜」とか言ってはりますが、楽しそうです。
9時出発予定なのに、メンバー全員集まったからと早めに出発されました。残った僕ら3人であ〜だこ〜だの続きをしてから、琵琶湖に向けて出発しました。いつもなら中国道・豊中ICから高速に乗るのですが、時間に余裕があるので吹田ICまで中央環状線を走りました。Hさんのリード110と前に行ったり後に行ったりランデブーしながら吹田まで走りました。
名神に乗り、10:25桂川PAで240円のお寿司を購入。京都南IC下車し、R1で京都市街地入りしました。やはり朝より交通量が多くなっていますが、桜シーズンが過ぎたのでマシかも?です。東大路を北上し始めると、地図や紙を持った観光のお客さんの姿が多くなって来ました。京都は観光名所だらけだから、いつ行っても楽しめますね。
11時に大学正門前に着いてしまいました。R1が少々車が多かっただけで、朝とあまり変わらずの所要時間でした。正門横からいつものように校内に入ろうとしたら、「4/1から有料になりました」との看板が立っています。降りて入場バーのとこの看板をじっくり読むと、「最初の1時間は無料」だそうです。30分正門前の路上で待ち、11:30になったので校内に入りました。
11時の時点では、時計台前に大勢いた学生が大方はけていました。各クラブやサークルの新人勧誘集合場所になってます。過去に、農業サークルが大根片手にタオルを頭に巻いたファーマー姿で陣取っていたり、京都観光サークルがゴミ袋&軍手を新入生にも渡して清掃しながらの新人勧誘だったり、いろんなおもろいのを見ましたが、この日はごくノーマルばかりでした。
時計台にトイレを借りに入ると、フランス料理のお店の前で中年の方々が開店を待っていました。「えらく人気が上がってるぞ」。横の生協さんで金色の金属ブックマークを840円で購入しました。以前、京都東寺で扇子型の金属ブックマークを買いました。気に入ったのでもう一つ長方形のも買おうと先月家内と訪問した時探したのですが、ブックマークがなくなっていました。いいのを見つけちゃった。
時計台を出ると、2回生がヨット部幟を組み立て中でした。正門横のカフェレストランを覗きましたが、こちらも中年の観光客さんが適当に入っており、知られるようになってきましたね。12時集合の5人を乗せて、山中越えで琵琶湖を目指しました。女子学生がおらずテンション下がり気味で、本日の試乗会メニューや安全面などの真面目なお話をしながら柳ヶ崎YH到着。
艇庫前にみんなを誘導したら、すぐにレスキューに乗りました。キャプテンT君・マネージャーYさんと僕の3人です。先週は5人でしたが、今週は陸の人数を充実させてるようです。気温が低く、5m/sほどの北風が入っていますが、曇り空からだんだんと晴れて行きました。先週同様、陸上からインフレータブルボートで運ばれてくる新入生の中継地となり、写真班もします。一時、比良山系に掛かっていた雨雲がこちらに流れてきて、カッパも要らない霧雨が降りましたがほんの15分程度でした。最後は男子部員みんな待望の女子3名の試乗で、試乗会が終わりました。
合宿所に戻り、朝買ったお寿司を腹に入れます。腹を空かした学生たち待望のお鍋を横取りしちゃうと悪いものね。新人勧誘鍋が始まり、2回生FくんやNくん・Eくん・キャプテンがいるテーブルに座りましたが、なんとか隣の新入生達を部員に獲得しようとあること無いことのおしゃべりが面白く、めちゃ笑わせてもらいました。若者を観察してると、個性が出ててほんと面白いわ。
F君の司会進行で、新入生自己紹介が始まり再び歓談、キャプテン挨拶、そして僕のお話がトリになってお開きとなりました。「すいません。新入生を京都まで送ってもらいますか?」「いいよ」。ちょいワクワクでしたが、京都女子大行きはM君車に取られてしまい、僕は時計台行きでした。「何のために来たんや〜」などとごねず、気持よく往路メンバーを乗せて時計台に向かいました。
助手席は、洛西ラグビー部出身君でした。2回生部員の同級生でガタイがよく、スナイプ乗りだなという感じですが、ギャングに入部したそうです。昼集まった時も、「もうギャングに入部したんですけど、いいんですか?」と恐縮していました。この体格や経験クラブなら、ギャングの方が合ってるね。名門ギャングの復活を願うよ。また秋のリーグ戦で、我が母校と最終戦を全勝対決したいね。彼が往路の山中越えで気持ち悪くなったらしく、復路は湖西線〜三条通〜東大路で時計台に向かい、「来週は少し違う試乗会みたいだからまた来てね」で解散しました。
先週より少し遅くなりました。22時前に帰宅すると、やはり家内は夢の中でした。家内は仕事関係のレディース会でしたが、翌朝聞くとダーツゲームで豪華景品が当たったと喜んでいました。用意してあったうどんを食べ、風呂に入って床につきました。ああ楽しかった。

2013/4/15
日曜日は、コーチしてる大学ヨット部の新人勧誘のお手伝いに行きました。ドラゴンのレースとバッティングしましたが、レースメンバーから外してもらいました。そして、伊丹市長・市議会議員補欠選挙の日でもありました。
新人勧誘試乗会が12時開始ということだったので、11時に京都でしょう。10時前に家を出ればいいから、9時帰宅・投票でいいでしょう。朝4時台に目覚めたので、早朝バイクに出ましょう。天候にも寄りますが、21日から出る予定のお泊りツーリングのためにカメラ&マウントテストです。定番はRAMマウントシステムですが、「デイトナ・マルチホルダー・クランプ・1804円」+「SLIK・ロアー2クランプヘッド・5525円」を試します。
5時にロングツーリング用・招き猫CB400SBに装備をゴソゴソして出発です。夕方から雨という天気予報ですが、朝は問題無さそうです。ちょこちょこ止まりながら、カメラ交換や新旧マウントシステムを試しながら進みます。
長尾山トンネル〜r325〜r33〜r68〜r37〜r49〜r309で、r37「小柿」に出ます。お気に入り「小柿渓谷」で、r12「後川」。早朝だけど日曜日なので、ロードバイクと数台すれ違いました。「こんにちは」と頭を下げると、皆さん応答してくれました。r12を南下して帰ります。「西峠」の気温計は3℃でした。暖かくなるとの予報でしたが、朝はまだ寒いね。僕も真冬装束のままです。阪神間から北に向かうツーリングバイクとちょこちょこすれ違いました。バイクピースすると、皆さん返してくれました。ワクワク感が伝わってきます。
いつもならr12・旧道ですが、r12現道〜r13で我が家の近所のバイクセブンに戻りました。ここで、京都の美山方面ツーリングに行く原付二種クラブのメンバーさんが8:30に集合します。8時前に着きましたが早すぎたようで、車高短スクーターや大型バイクが集まっていましたが、それらしき二種バイクがいませんでした。
リアボックスからタオルを出してフキフキしていると、シグナス到着。たぶんSさんでしょう。すぐに1台だけ停まってたアメリカンタイプバイクの方と話しています。「ええ〜」って、そのアメリカンバイクのナンバーを見に行くと、なんとピンクナンバーでした。「まさかな〜」、車格から250か400ccだと思ってました。両方ともお初の方なので、Sさんですかと声をかけるとビンゴ。アメリカンさんはNさんでした。韓国のバイクらしい。そういえば、あの方のバイクも韓国製アメリカンで風格がありました。韓国のバイクは、でかいな。
続いて堺ナンバーのSさん登場。ホンダベンリーの荷台に大きなリアボックスが載っています。ホンダドリームで家内のバイク選択した時、新車・未入庫ベンリーを勧められました。僕のリード110が重いと言い、ディオ110は座席が高くて怖いと言う。そこでこれを勧められましたが、発売直後で実車がなかったのでそのままになっていました。2人乗りするためには、リアボックスを外してリアシートを装着しなければならない感じですが、なかなかかっこいいです。新聞配達さんのお仕事バイクのイメージと随分違います。足元もウォークスルーだし、前かごを付ければ積載量は、二種スクーター最高でしょう。
Rさんがシグナスで登場。お隣の街在住だったのに、堺ナンバーになってますよ。引っ越ししたのね。CBR250新車を買ったばかりのJさん登場。僕同様、ここでさようならのようです。納車1ヶ月で2500kmも走ったそうな・・・凄い!隣町のA女史登場。家内同様華奢な美人さんなのに、普通二輪免許を取りに教習所に通ってはります。僕でも必死だった教習バイク・CB400を起こせるとは凄いや。あんなでかいエンジンガードが付いていない僕の招き猫CB400SBを、僕は起こせる自信がありません。8:30になり、一緒に出発しました。これからメンバーを加えながら、最終的には15台ぐらいになるみたい。大盛況ですね。
倉庫にバイクを片づけ、通勤リードで帰宅して、家内と近所の公園内の投票所に向かいました。僕は今回、相続や仕事でお世話になったこともある維新候補に投票しますが、自公民推薦の現職は強いだろうな。市長が4年毎に退職扱いになり、都度2000万円もの退職金を手にするのは、庶民感覚としておかしいと思う。僕らの納めた税金がこんな使われ方をされているのは・・・。総理大臣より多い5000万円もの退職金を手にしていた大阪市や大阪府首長退職金を1/10に激減させた橋下市長率いる維新の会の実績・行動をわが町にも・・・です。
帰宅しPCを開けてメールチェックすると、「11時・柳ヶ崎YHに来てください」だって。京都〜琵琶湖の車送迎の必要がないみたい。車が足りてるのか・・・。「了解」を返信し、10時前に家内と一緒に家を出ます。家内は新大阪のホテルでお仕事です。
バイクでもいいかな?と思ったけど、送迎仕事があったら不味いからキャラバンでブイーンと。名神〜湖西道路でYH到着。今日も昨日と同じ、新入生が30名来るそうです。いっぱい入ってくれるといいな。今回のレスキューは4回生メインです。キャプテンM君・S君・マネYさん+3回生新歓隊長Mさんと僕で、11時に沖に出ます。天気予報で風が上がるということで、朝からいい風です。
アンカーをレッコし、11:20ヨットが出てきて11:45頃出てくるだろう新人を載せたインフレータブルまで体慣らし帆走です。のんびり待っていると、近くで沈した府立医大ヨット部が完沈になって悪戦苦闘しています。アンカーを上げて、沈艇に近づき浮環を投げて艇体に捕まってる新入生だけこっちに引っ張り上げます。
再度元に戻りアンカリングして待ってると新入生たちがやって来ました。レスキューを中心に、インフラがヨット・陸上艇庫間を走り回り、次々に体験ヨットさせていきます。ヨットは適当に走りながら時折レスキューに近づいてきて、激写タイムします。お土産のこの写真を学校で渡す時に、再度入部をプッシュする作戦です。いいね。
レスキュー上ではYさん大爆発です。あることないこと喋って、新入生を和ませます。彼女は明るい性格で笑顔美人です。こういう子は男子に人気があるね。モテそうだなあ。カメラを向けると、さっとピースする子です。プレイヤーMさんは、先月のヨット部卒業式では正装してて、「新しい美人マネさんを獲得したんだ」と間違ったけど、今日は元のヨット女子に戻ってました。いつも楽しそうで、この子もモテそう。
風が上がったので、女子トラピーズメニューがなくなり、お楽しみのうら若き女子へのトラピーズハーネス着用補助がなくなってしまいました。「僕は、何のために来たのか・・・」。まあ、たくさん話が出来たからいいか。でも女子に対しての声掛けの方が男子に対してより多かったのは、部員に気づかれたと思う。ヨットで新入生を乗せてる男子部員達も、明らかに男子を乗せてる時と女子新入生とじゃテンションが違います。特にN君とか、澄ましてるOB・K君やどや顔の前キャプテンK君もいい目をしています。わざとヒールさせて「キャー」なんて黄色い悲鳴を楽しんでるよね。男なんて、所詮そんなものです。
16時になり、楽しい試乗会が終わりハーバーバックです。合宿所に戻ると、陸上担当マネさん達が美味しい鍋を用意して待っていました。1/3改装された合宿所を激写し、鍋夕食に最初だけ加わり、OB部屋でOB・O君とあ〜だこ〜だ話しました。CB400を後輩に譲って、CBR600を買ったそうです。今日来てた来年就職の別回生OB2人が商社の丸紅に入るそうです。お互い知らずに望んだ最終面接で、ばったり会って、面接の方に指示されお互いのいいとこを褒め合ったそうです。ヨット部員を2人も採用して、丸紅は大丈夫か?多くの部員が院に進むので、就職時期が同期でもバラバラです。他大学研究室と合同で中国で水研究してる奴がいて、ビザの関係で3週間毎に帰国してる奴とか、OB君達と話してるだけで、かなり面白いです。
鍋会場では新入生自己紹介が始まり、部員の温かい野次が場を盛り上げます。続いて部員自己紹介で、2人の田中女子マネージャーが指名されます。同じく部員の面白い野次の後、突然電気が消えて、隠してあったバースデーケーキが入場してきました。「ハッピーバースデー・・・」。両田中さんは、今日と明日が誕生日です。両田中さんとも知らなかったようで、ビックリしながらローソクの火を消します。ナイスな演出だな。これは新入生に高得点だったんじゃないかな。
キャプテン挨拶、前キャプテン挨拶、前々キャプテン代行挨拶のトリが僕でした。去年の新歓での僕の挨拶が新人を獲得したのか?またお鉢が回ってきました。大学4年間は、高校までのようにホームルームがないので密な友人が出来にくいから何かクラブに入った方が有意義な学生生活になること・ヨットが安全なこと・僕の年令になっても同じように楽しめること・道具を使うスポーツなので体力差ハンディがないこと・・・学生やOBになったばかりではまだわからない部分を語りました。
19時にお開きになり、「すいません。京女まで送って行ってもらえますか?」というナイスな依頼を受けました。もちろんOKです。新入生とレスキュー上で大活躍だったYマネさんを乗せて、湖西道路〜R1を使って女子寮前まで送り届けました。
その後、東大路通〜八条通〜R1〜名神〜中国道で帰宅しました。名神でパラパラきましたが、すぐに止んでしまいました。家内から「遅くなるから外で食べてきてね」と言われていたので、そのまま近所の「天下一品」で、定番のチャーハン定食を食べて帰宅しました。9時頃の帰宅になりましたが、すでに家内が寝ていました。天下一品に寄らなければよかった〜。

2013/4/8
日曜日は、北関東に法事で行って来ました。亡き親父の田舎が群馬県で、親父の上の兄さんの奥さんが2月末に亡くなりました。ご葬儀には、東京にいる次男に行ってもらったけど、今回は遠征することにしました。今年90歳になる伯父さんと会えて話せる機会はもうあまりないです。僕がチビの時からお世話になってるので、恩を少しでも返しておかねばね。
先月喪主である従兄弟から49日のはがきが届き、「今回は僕が行こうかな」と話したら、家内が「私も行く〜」って乗り気です。お目当ては法事じゃなくて、次男が新しい寮に移ったのでその偵察と、東京の長男宅で初孫くんと遊ぶためでした。「じゃあ、一緒に行こか」。
土曜の夜、喪主の従兄弟から電話があり、「最寄り駅に何時に着くの?娘が迎えに行くから。白のボクシーね。遠くからありがとね。これぐらいしか出来ないから・・・」とのことでした。ありがたく甘えさせて頂きました。
土日は、台風並みに発達する低気圧の影響で、こちらも関東も大荒れの予報です。土曜日は雨風ともに厳しい時間帯がありましたが、日曜の朝は曇り空で雨は降っていませんでした。でも、駅まで歩くことになる電車を止めて、5時前に車で出発しました。5時過ぎに新大阪駅に到着し、高架下駐車場に入れてみどりの窓口に行きました。5時半に開店のようで10分ほど待ちました。
無事、6時始発の新幹線に乗ることが出来、一路東京を目指します。小雨の中の出発でしたが、名古屋を過ぎると晴れ間も見えて来ました。あいにく富士山は裾野まで雲に隠れていましたが、東京に着くと晴れです。
京浜東北線で上野まで家内と一緒でしたが、ここで僕は下車し、東北線で久喜まで出ます。更に東武線に乗り換えて10:30館林駅に到着しました。ボクシーって四角い車だったよな?とローラリーを探すとそんな車がいて、従兄弟の娘さんにピックアップしてもらいました。
10分ほどで、伯父さんの家に到着。小さな頃から伯父さんやここの従兄弟と遊んだけで、みんな本家でのことで、ここの家を訪問するのは初めてです。親父の実家は隣町で、この日お世話になるお寺さんも実家の方の町名です。近すぎて訪問する機会がありませんでした。家の庭には他の叔父さん達の車が数台置いてあり、お迎えのバスに皆さん先に乗っています。家の中から伯父さんが出てきて、まずは挨拶です。そのまま2人でバスに乗り込み、あ〜だこ〜だ話します。周りの席にいた叔母さんや叔父さん達とも、あ〜だこ〜だ。親父が、兄弟の中で割合人気者で、11人兄弟で1軒だけ圧倒的に遠いので、ちやほやしてくれます。
菩提寺さんは真言宗でした。弘法大師さんが境内にいました。本尊を前にご住職さんが座り、右手に男性陣、左手に女性陣と別れて座ります。喪主さんが伯父さんに一言伝えてから、顔を見ながら席順を整えます。11人兄弟の本家を継いだ長男さんと三男の親父が亡くなっています。喪主・次男の伯父さんの次に本家の長男である従兄弟、それから兄弟が続き、僕はその最後です。本家の次男である従兄弟はその次って感じです。本尊に向かって焼香が2つ用意されており、法要の途中でご住職に促され、男性側・女性側それぞれ順番に焼香していきます。全部で80人ぐらいの参列でした。
法要が終わり、またバスに乗ってお墓に向かいます。菩提寺が管理しているお墓だけど、バスで数分離れています。2年前の震災で墓石が倒れて多数新造したそうで、伯父さんの家のも新しくされていました。「心」と大きく書かれた横長の流行りの墓石です。伯父さんは養子に出たので苗字が違います。家紋が、わが家の母方の本家と同じ・梅鉢紋です。菅原道真と同じですね。これを記録に残そうとカメラを写すと、亡くなった伯母さん側のご親族さんから声を掛けられました。高校時代写真部だったそうで、僕のミラーレス・ソニーNEX・C3に興味津々です。小さいのに一眼レフのシャッター音だったのに驚き、こんな小さな一眼レフがあるのかと・・・あ〜だこ〜だ。
バスで会食のお店に移動しました。バスの運転手さんがエプロンしてるのが不思議だなと思っていましたが、このお店のサービスでバスを出してたのですね。本家次男の同じ年の従兄弟と隣同士で座り、彼の長男が大学の建築科3回生で就活で大変だとかの話しをしました。うちの次男も建築科なので、話が弾みます。小学生の時は、毎年夏休みに数週間親父の実家で過ごしていたので、遊び友達でした。前の席は、叔母さんの旦那さんで、僕と同じ歴史に興味がある方なので、そっちの話で盛り上がります。この方の家の歴史は古く、半農半兵の家だったので今でも武器が梁に飾ってあります。下野国ではちょっとした家である母の実家本家から、この人のお婆さんが嫁いできており、その辺の共通性もあります。本家実家の歴史が書かれた母が一番大事にして、僕に後を託した本の内容を以前伝えたところ、近隣ということもあり、更に突っ込んで調べ回り、その成果を送ってくれました。「我が家の歴史を調べて本にしてるから、出来たらあんたに送るね。歴史好き以外興味がないからなあ・・・」。その気持ち、よくわかります。単に放置されているかつての山城跡を目指して山を登ってる僕も、一般の人から見れば、怪しさ120%だものね。
ここで、伯母さんの遺影の前にお供物とご霊前を置きましたが、喪主の従兄弟が伯父さんに一言伝えて、僕にご霊前を持って来ました。「遠くから来てもらってるので、それだけで大変ありがたいから、これは交通費にでも・・・」。ええ〜と思いましたが、「親父もそう言ってるから」って言われちゃうと受け取るしかありません。伯父さんはそんなこと言ってないと思うけど、かつての遊び友達もこういうことをするようになったんだなと嬉しくなりました。最後に、従兄弟が伯父さんを指名し、「親父から一言・・・」って。「どこかの法要で、ご住職から故人の供養は、自分への思慕よりもこういう集まりに大勢寄って親族の親交を深め、繋がりをより強めることが一番です。故人もそれを望んでおられると思いますと聞き、そうだなあと思いました。これからも故人になった婆さん同様に、息子たちをよろしくお願い致します」と、いい締めくくりの言葉でした。そういえば、僕も今年初めの母の三回忌で、同じ事を喋りました。結婚式などのおめでたい席もありますが、葬儀・法要という席の役目は、今を生きる親族の繋がりを強めることにあると思います。いろんなアクシデントがありますが、家族だけでは負い切れない時に威力を発揮するのが、親族の繋がりです。そんな風に思ってるので、最近流行りの「家族葬」で親戚にさえ連絡をしない風潮がとても残念です。人は所詮1人では生きていけないもので、それを行政に押し付けるのは、あまりに寂しいです。血のつながりは、無限のパワーを秘めてるように思います。
14時過ぎにお開きとなり、一旦伯父さん家に戻りました。伯母さんの祭壇から、位牌を仏壇に移しました。伯父さんに続き、三男の長男である僕がお線香を上げます。あ〜だこ〜だ叔父さんや叔母さん達と話していると、伯父さんがへそくりを持ってきて、遠方の僕と、10番目・11番目の弟さんを指名して、「これは交通費や、まあ取っといてくれや」って1万円ずつくれました。「え〜俺にはないのかよ〜。今日頑張ったぞ〜」と喪主の従兄弟が笑っています。「オメエとは、これからも喧嘩相手やからな」って伯父さんも笑っています。叔母さん達も、「もらっとき〜。いつまで経っても可愛い弟やからねえ」って、戸惑ってる下の伯父さんや僕に促します。伯父さん達は、立派に仕事を続け定年になってるのにね。
従兄弟の長男に館林駅まで送ってもらい、駅で家内に電話を入れました。「終わった〜こっちに来る?」「今から2時間かかるからなあ・・・東京駅で待ち合わせしよう」。15時の電車に乗り、久喜に出ました。ここからJRで、上野に向かいます。車窓を見てたら、東の晴れた空に雲が一本の線になって筋を引いています。温暖前線かな?ところどころ、黒雲のカーテンが下がっています。あの下は雨が降ってるね。関東平野はでかいから、海の上空と同じではっきりと天気図が視認できます。
東京に16時半に着きました。家内とは新幹線改札で待ち合わせですが、「遅れてもいいから、思う存分息子たちや孫くんと遊んでからおいで」と言ってあるので、まだ着いていないでしょう。「そうだ、東京駅丸の内を見学しよう」と丸の内北口に回り、駅員さんに切符を見せながら、「ちょっとだけ外に出れませんか?」と聞いてみました。即OKでした。こんな人はたくさんいるのでしょう。丸天井を激写し、外から新装成った煉瓦駅舎を激写。家内に電話すると、「私も丸の内にいるよ。お父さん何処?」との返事。「丸の内北口改札から外に出たとこ」と答えると、すぐ近くで、家内が手を振っています。おお〜、赤い糸だね。この北口は、毎日長男が通勤してくる改札です。ぶらぶら激写しながら丸の内南口まで歩き、構内に入りました。
17:10の「のぞみ博多行き」に乗り、お互いの楽しかった1日を報告し合いあ〜だこ〜だ。静岡でもまだ日があり、雪を被った富士山がくっきりと青い空の下に存在していました。「綺麗な山だなあ」。関ヶ原周辺で雨が降っていましたが、新大阪は降っていませんでした。19:56、新大阪駅南駐車場1700円を払って、帰路につきました。僕がもらってきた饅頭を食べ、お互いの写真をPCにダウンロードして拡大して見て、長男がくれた孫くん写真満載のCDを笑いながら見て、楽しい1日が終わりました。
僕のとこにやってきてくれた家内が、我が子をプレゼントしてくれ、今度は息子とお嫁さんが孫君をプレゼントしてくれました。僕も人並みの幸せ路線を、順調に歩ませてもらっています。神様・ご先祖様、そして僕の家族・・・ありがとう。

2013/4/1
日曜日は、通勤リード110で今年初めてのタンデム・ツーリングをしました。家内もお休みだったので、内緒で買ってしまった家内用アドレス125と2台で夫婦初2台ツーリングしようと思ってました。この日は、僕ら夫婦の結婚記念日なので、喜ぶかどうかは疑問ですが、僕的になナイスなプレゼントの計画でした。
でも家内が微熱を出してしまい、4/7(日)に予定している東京行きのこともあるので外出自重&「お父さんは、1人で遊びに行って来たら・・・」とデートのキャンセルを言い渡されました。そこで、A案:グループツーリングに参加を画策しましたが、天気予報不良のため中止になってしまいました。続いてB案:美作・備前・播磨山城攻め・・・などとやってたら、家内から「だいぶ良くなったから、一緒に行く」となりました。
ならば2台ツーリング復活・・・と行くのでしょうが、体調回復直後なので運転で気を使わせるのもなあ・・・。ならば車での山城攻めは・・・これも山登りできついし・・・。「午前中は雨が降るかも?」でも行くというので、伊賀上野〜三国越林道〜笠置寺〜長岡京・小倉山荘〜r733〜二料山荘というコースをタンデムツーリングすることにしました。
日曜日は4時に起きちゃいました。最終天気予報チェックでも、基本曇りで時々小雨程度で午後からは晴れていくらしい。Good!。いつも通り家内の負担を減らすべく、家内は6:30に最寄り駅から電車で伊賀上野まで行くので、6時自宅出発です。駅で家内を降ろし、中央環状線側道で門真まで走ります。千里付近を走行中、何かがコツンと右の膝に当りました。「何かな?」・・・ハンドル横にマジックテープで付けていた小さな時計がありません。Uターンして探しましたが、ありません。膝にあたって道路に落ちずに、家内のバイクウエアを入れてる座席前の大きな袋に入ったなと見当をつけ、そのまま先を急ぎました。
門真からR163に乗って東進します。飯盛山周辺は、織田信長が畿内に勢力を伸ばす前畿内を抑えていた三好氏他の古戦場であり、居城があった場所です。「ここらも歴史探索しなきゃな」と考えながら通過。
「JR木津」前で、家内に電話をしました。方向音痴の家内用に、電車ルート・時刻表を渡してありますが、この時間帯は大阪天王寺経由なので何度も乗り換えがあります。「電車にちゃんと乗れた?」「ううん、関西線がわからなくて乗り遅れちゃった。20分遅いJR加茂行きに乗ってる」「そうかあ・・・。じゃあさ、終点のJR加茂で待ち合わせしよう」。加茂〜伊賀上野は、1時間に1本ぐらいしか列車がないので、上野まで行ったら、後半の予定が時間切れでキャンセルになりそうです。家内が行きたいと言ってた「小倉山荘」は絶対外せません。
8:10、JR加茂駅・到着。予定の到着時間ですが、20分遅れと言ってたから、ローソン加茂駅前店でトイレを拝借し、「UCあんこや生どら焼き・150円」を購入します。いざという時の補給食です。
ここで家内と合流しました。どら焼きを勧めましたが、お腹は大丈夫とのこと。プロテクター入りのバイクウエアを着てもらい、出発します。朝から薄曇り空で、予報より体感気温が低いです。家内は夏用エアスルーウエアしか持っていないので、DAIWA釣具カッパ上下を着ます。僕もコミネ夏用エアスループロテクターウエア&DAIWAスーツなのでペアルックです。
加茂駅前で、ツーリングマップル見て検討したルートr47で柳生に向かいます。「石仏を巡る素朴な道」と紹介されています。地理的に、新しい都・京都と旧都・奈良との間にあり、旧街道道中の安全や不慮の事故の供養のために石仏が置かれたのかな・・・なんて想像しましたが、良い感じに寂れた道なのにいっこも石仏がありません。
「岩船寺」というどっかで聞いた名のお寺があったので訪問しようと思いましたが、駐車料金1500円という場所柄たいそうな高額料金だったで、バイクは無料かもしれないけどスルーしました。帰宅後調べたら、行基建立の真言律宗の寺院だそうす。行基は聖武天皇に命じられて奈良東大寺・盧遮那仏を造った僧なので、
真言宗・宗祖の法然より前の時代だから、後に宗派が変わったのでしょう。当初、鑑真和上が中国から帰化して広めた律教寺院だったことが想像されます。
9:06、磨崖仏の辻に来ました。「わらい仏・浄瑠璃寺」と書かれた自然歩道のような道が続いています。バイクなら平気そうでしたが、柳生や笠置での時間を多く取りたくてスルーしちゃいました。
r47はいい山道でした。2週間前に走ったR369に合流し、9:33「柳生の里」到着。ここも800円とか駐車料金が必要なようなので、バイクの特典で適当に駐車して「旧柳生藩家老屋敷・350円」を訪問しました。柳生石舟斎・柳生宗矩・柳生十兵衛で、時代劇の人気者です。謂れ板によると、ここは国元家老の屋敷跡だったようで、その後山岡荘八が購入し、ここで小説を書いたとか。さすが時代小説家、雰囲気のある場所で小説を書くんだなあ。裏に山を抱え、有事にはいつでも山に逃れる事ができる立地に建てています。
続いて、R369を隔てて反対側にある柳生家の菩提寺・「芳徳寺」を訪問しました。自主的拝観料200円となっています。静かな里山で、徳川将軍の剣術指南役旗本として権勢を誇った地元とは思えません。実に素朴でいいです。時折、ツーリングバイクが通りすぎて行きます。
菩提寺前に、石舟斎塁城址の碑が立っていました。街道を押さえる好立地で、菩提寺も有事は山城に出来るようにしてあったのでしょう。この碑のところが本郭前の郭、菩提寺が本郭、後方の柳生家歴代墓所が二番郭という感じです。急斜面に囲まれ、本郭と二郭の間尾根は細く当時は土橋程度で、二郭を落とされた後の本郭防備を考えていたでしょう。周囲の斜面を見下ろし巡りながら、山城ファンとして楽しみました。
柳生初代宗矩を中心に、歴代城主の墓が並び、墓所の端に、上泉伊勢守秀綱の供養塔が並んでいました。剣聖で、新陰流の祖ですね。上州上野国に生まれ、上杉謙信・武田信玄に仕え、剣の道を極めるために西上の旅をして、伊勢・北畠家を経てここ柳生の里で指南し、後の柳生新陰流に至りました。
墓所からバイクに戻ろうとしたら、大きな雷が鳴りました。ポツポツと雨が落ちてきて、隣の山を見ると煙っています。菩提寺の門の下に逃げ込もうと思いましたが、いきなりどっと来そうなので「雨、来るよ」と家内を促し、菩提寺の軒先に避難しました。間一髪、ドカッと降って来ました。「30分我慢すれば止むから」と声を掛け、軒先に座ってトークタイムです。さっき家老屋敷に入ってた時も小雨が降ってて、ここでも雨宿り出来てラッキーでした。結局、この日雨に降られたのはこの時だけでした。雨は10分ほどで止み、菩提寺正面に回ると、柳生家遺品展示室もありました。本堂にも回れましたが、カッパを脱ぐのが面倒でパス。剣道場もあり、さすが剣の里です。
10:39、JA奈良県・柳生給油所で給油。154km/3.97L=38.8km/L。ここで次の目的地「笠置寺」への道を聞きました。GPSがあるから問題ないのですが、ナイスな道の紹介があるかもしれません。「この交差点をまっすぐ行くだけだよ。すぐです」。良い感じの田舎道を進むと、四輪離合不能な道になり、100mほど未舗装路もありました。また狭い舗装路に昇格し、小さな峠を越えると、いきなり「毘沙門堂」というお堂の真正面になりました。「ええ〜、裏道から来たと思ったけど、いきなりお堂の真正面じゃないか。ここまで入っていいのか?」。
とりあえずバイクを止めて、徒歩探索します。もう境内内に入ってますが、他に駐車スペースがないのでここにバイクを置いて、11:10探索開始です。ここは、鎌倉幕府倒幕を目指した後醍醐天皇が、旗揚げした(元弘の乱)場所です。その宣旨に呼応した楠木正成と運命の出会いをした場所です。結果、幕府軍に攻め落とされ、隠岐に流罪となりますが、楠木党や赤松党などの悪党のゲリラ作戦に幕府は手こずり、鎌倉幕府が倒れてしまいます。大好きな太平記の世界です。
まず、毘沙門堂の手前の高台に登ってみます。地形からして、当時ここは重要な守備郭があったのでしょう。朽ち果て気味の小さな祠が、いい雰囲気を醸しています。木津川方面は断崖が続くので攻撃に失敗しましたが、最後は大きく迂回してやってきた別働隊に裏のこちら側から侵入されて落ちます。最初に落ちた郭がここのようです。
毘沙門堂の先に進み、拝観料300円を払って磨崖仏の方に向かいます。まず巨石に圧倒されました。次の巨石に磨崖仏が掘られていたようで、今は輪郭しか残っていませんが、その前の「正月堂」内にデジタル処理された復活磨崖仏がデジタル展示されていました。柳生に行く途中で見つけた磨崖仏の謂れ板に、この笠置磨崖仏を模写したと書いてありました。
「正月堂」の謂れが手書きで書いてありました。ご住職のこだわりでしょうか、「東大寺二月堂のお水取りは、最初ここ正月堂で始まった」と。ぐふふ、それで東大寺には、二月堂・三月堂・・はあっても一月堂がないんだ。面白いな。
正月堂の脇に、「笠置山霊場めぐり」コース入口がありました。一周40分(僕ら夫婦では1時間?)でしょうが、来週の東京行きを控え筋肉痛にさせたらあかんからパスしました。大峰山の修行場よりずっと優しそうなので、いつかチャレンジしたいな。「覗き」とかあるのかな?
謂れ板によると、ここの巨石信仰は古く、296年・解脱上人が塔を建てたのが起源だそうです。弥生時代の終盤、卑弥呼から始まる古墳時代の始まりの頃です。う〜む、凄いぞ。
これで笠置寺を辞しました。帰りも同じ道でお寺を出ます。この細い未舗装路が、メイン・ロードでした。今の時代でも、幕府軍同様木津川方面から笠置山に道路は通せず、裏から攻める以外ないようです。柳生への道の途中から、木津川方面に下るr4に出て、11:54・JR笠置駅到着。駅前に、元弘の乱を表現したオブジェがありました。「太平記・元弘の乱・笠置決戦」と題されています。「かさぎ」と道標にも書かれていますが、駅前商店街には「かさおき」と書かれているお店が多いです。地名の語源は、645年・「大化の改新」で蘇我氏を倒した天智天皇の息子の大友皇子がここで道に迷い、「助けてくれたらここに仏様を掘ります」と祈願し、場所を忘れないように笠を置いたことに始まるそうです。
時刻表を見に行くと、1時間に1本で、次は12:28です。30分あれば、もっと本数の多い奈良線の木津駅まで行けそうですが、木津川沿いの単線・関西線からの車窓もいいので、ここで家内を下ろします。「じゃあ次は向日町駅でね。バイバイ」。
1人で身軽になったので、R163を一気に西進します。「木津」通過時点で時計を見ると、家内はまだ電車待ちしてるはずです。R24に乗り換えて京都に向かって北上開始します。GPS誘導のまま、R1に乗ったところで、見事な桜土手を通り過ぎました。時間も余裕なので寄り道します。「前川堤の桜」となっていました。昭和40年代に植えられた桜を、地元保存会が手入れをしているそうです。まさに満開の桜が両方の土手を延々続き、今年のベストポイントでした。
13:21、「向日町駅」到着。家内の到着予定時刻の40分前です。向日町競輪の開催日のようで、阪急バスが臨時専用バスを走らせています。今度はスムーズに乗り換えができたようで、14:05家内がやって来ました。
14:17、「長岡京・小倉山荘」到着。2年ほど前に、誰かにお使い物としてもらったおかきが美味しかったので、そのメーカーの本社であるここを知りました。「連れてって」とリクエストをもらっていたのを、やっと実現させました。ここに来るためのルート探しで、r733西山の急坂を発見出来た思い入れのあるお店です。
駐車場は満車で、次々お買い物やカフェのお客さんが来ます。僕らはバイクなので問題なしで入店。女性の好みそうなお洒落な落ち着いたお店です。お店の前の枝垂れ桜が満開のお出迎えです。店内に併設されてる「竹生の郷カフェ」で遅い昼食にします。笠置駅で朝買った「生どら焼き」をあげたので、家内の空腹はマシでしょう。家内は「おこわ膳・1155円、僕は「おこわ膳・デザート付き・1522円」を注文し、デザートを半分こします。ここで来週の法事に持っていくおかきを買おうかと思いましたが、運ぶのがバイクなので諦めました。15:12、次に向かいます。
15:22、小倉山荘への途中で道標が目についた「光明寺」に到着。阪急電車で、花が綺麗と宣伝されていた記憶があったので訪問です。「浄土門根元地粟生光明寺」と書かれた石柱が向日市駅前に立っており、その前で家内を待っていました。「西山浄土宗・総本山」となっています。浄土宗総本山・知恩院が東山だから、対比していいね。山門をくぐると、ゆるやかな勾配を低い階段で上がる広さを感じるエントリーロードです。満開の桜がそれに被さり、小鳥のさえずりがかしましいほどで、気に入りました。正面の大屋根はかなり大きく、今月初めの訪問した浄土真宗本願寺の大屋根を彷彿とさせます。
謂れ板を読んでて、驚きました。『1198年、連生法師(熊谷次郎直実)により創立され・・・』。おお〜、熊谷直実が坊さんになったとは知っていましたが、この寺を開山したんだ。気まぐれな寄り道が、思わぬ幸運に結びつきました。直実は源義経の与力として一ノ谷合戦に挑みました。鵯越の逆落としで平家軍に一番乗りし、敗色濃く敗走していく平家武者を「敵に背を向けるか、尋常に勝負」と声をかけると、武者は向き直り雌雄を決します。掻き取った武者の顔は非常に若い。首実検で、平敦盛と知り、武士の性とはいえ戦の無常を嘆き、武士を捨て出家してしまいます。
ここから帰路に着きます。ロングなので、また家内にプロテクターバイクウエアを着てもらいます。r733に出て、急勾配をグイグイ上ります。110ccタンデムなので、馬力的にどうなのかと思いましたが、平気で上がりました。いいね。西山を上がると、急に気温が下がりました。陽は西に傾き、標高も上がった森の中だからね。16:37、「二料山荘」に到着。元造り酒屋さんだから、いい雰囲気の外観です。いつか家内を連れて来たかったので、それは実現しましたが、16:00閉店ということで、念願のお茶休憩は出来ませんでした。一度入ってみたいお店ですが、1人ではねえ。
更にr733を西進し、「柚原」でR423に合流。ここから池田に向かって、南下開始です。ずっと下りなので快走し、池田を通過。17:52、先輩がやってる「金比羅製麺」の川西花屋敷店で、家内は「梅わかめうどん並・350円」、僕は「月見釜玉大430円+海老天130円+コロッケ130円」を食しました。合計1010円で2人分だからお得だね。家内は、トッピングが油物ばかりだから苦手のようですが、僕は讃岐うどんのビジネスモデルは好きですよ。
帰宅して、なんやかや片付けて一段落すると19時前でした。家内も楽しかったみたいだし、楽しい結婚記念日になりました。僕は結婚式を、キリスト教最大の吉日・イースターにしたけど、イースターが記念日としか覚えてないので、何月何日を忘れてしまっています。家内はそれを覚えているようなので、この時期になるとどうも肩身が狭いです。

2013/3/26
土曜の夜、大学時代のヨット部同期3人と飲み会がありました。先月、先輩から声を掛けてもらったD社同期がやってる堂島のお店訪問だったのですが、なんとお休みでした。先に店に行った同期3人から、「お〜い、店閉まってるぞ〜」の大笑い電話をもらいビックリでした。「行くぞ」と伝えてあったのに・・・。同期が本人に電話をすると、「土日・祝日は、休みなんや〜」とのことだったそうです。オフィス街のビジネス客を狙った洋食屋なので、致し方ないところです。
当然、「どっかに行くやろ。店が決まったら電話してや」になりました。仕事を早めに切り上げて電車に乗ったら電話が入り、「梅田のがんこ」に入ったとのこと。阪急梅田駅すぐなので、難なく見つかりました。「奥さん、元気?」「うん」「割合、可愛かったよな。学部で目立ってたよな・・・」。2人が家内と同じ学部で、英語のクラスは別だったけど、2/50という比率で女子が少ない学部なので目立ちます。たまに会う仲間だけど、濃〜い4年間を過ごした仲間なので、いきなり学生時代の会話に戻りました。僕の連絡ミスでおかしなことになっちゃいましたが、そんなの気にする奴なんていません。阪神の震災の時、真っ先に連絡をくれたのもこの仲間です。イザって時に、親戚の次に頼りになる奴らです。僕の同期は7人で、東京にいる1人を除き6人関西にいるので、次はあと2人も呼び出してD社同期の店に行こうということで、10時解散になりました。終始大笑いの楽しい会になりました。
日曜日は、琵琶湖のレース・同志社ウィークのコーチングに行って来ました。家内も用事がなかったのですが、ヨット行事は最優先です。次男がお世話になったクラブのサポートでもあるので、大手を振ってこっち優先です。
6時に家を出発しました。ほんとはバイクで行きたかったのですが、18時に1ミリの雨量予報が出ているので、車を選択です。名神〜湖西道路を経て柳ヶ崎YH駐車場に入れて用意をしていると、大学ヨット部の先輩の運転する車が入って来ました。駐車場に入ると、ワゴン後部から学生がゾロゾロと下りて来ます。「あれ〜」とN先輩に声をかけると、「今日は琵琶湖ウィークや」。高校生のレースが金曜日から3日間開催されていました。次の車にはB先輩とK後輩が、生徒達を乗せてきました。この生徒たちは、僕の後輩でもあります。今年はイマイチとのことですが、去年はインターハイを優勝しちゃいました。
コーチしてる大学クラブに行き、予定を聞くと出艇が8時から8時半に遅れたようで、暇な時間が増えました。大会本部に行くと、ジュニアヨット出身で今年D社大を卒業したN君がいました。「こんにちは」「お父さんや兄貴達は元気か」「はい、兄貴が家を継ぎ、2番目は茨城県の高校教師になりました」。一番上の兄貴は、ジュニア時代にアセアン選手権に引率したことがあります。一番下のこの子は、去年D社キャプテンとしてインカレ優勝しました。この大会がD社主催なので、彼は運営です。
サポート大の横の艇庫が、高校生の大会陸上本部でした。ジュニアヨットクラブの息子の後輩のYお父さんが来ました。「どないしてますのん?」「今A高校のコーチしてますねん」。次男がお世話になった中高ヨット部のN顧問先生が来られました。N先生はD社ヨット部OBで、僕の3つ上です。僕のKGとD社は定期戦をずっとやってるライバル校なので、僕が1回生の時の4回生です。定期戦後のコンパで飲まされました。息子が縁を復活させてくれました。Yさんの息子さんもうちの子同様ここの学校に入ったので、あ〜だこ〜だ、わいわいがやがやと話が弾みました。
時間になり、出艇前ブリーフィングで、このレースは最終目標のレースではないので、練習だと思ってリコール(フライング)を恐れない積極的なスタートをするように指示し、円陣を組んで出ました。7大学つながりで、北大と東北大が一緒に合宿をしています。彼らもこのレースにエントリーしていて、一緒に出ます。北大は地元YHはまだ雪の世界で、毎年このレースに向けて琵琶湖に遠征してきて、ここでシーズン開幕します。
僕は、女子マネ4人、北大部員4人とともにコーチボートに乗り込んでレース海面を目指します。風が弱いので、レース艇を曳航して出ましたが、あまりに弱いので陸上待機のフラッグが上がり、また曳航してハーバーに戻りました。大会本部に向かうと、強力な琵琶湖ジュニアを作り上げたMさんがいました。出身の千葉大ヨット部が遠征してきてるので、そのサポートだそうです。息子さんは、うちの子がヨットを始めた時のジュニアヨット界のスーパースターで、うちの子はこの子にあこがれて、彼が進んだ中高一貫校に入りました。ジュニア理事長だったMさんが辞められる時、関西からの理事がいなくなるから出ないかと打診され、僕の全国理事への道を付けてくれました。その後息子さんは北京オリンピックで7位入賞しました。
大会本部に行くと、地元ジュニアクラブで教えたS君がいました。D社大に進学しヨット部をやってたので、レース運営をしています。「こんにちは。今日は何でこちらへ来られてるんですか?」「コーチングでね。D社のH君のお店に行ったことある?」「はい」「H君来てる?今日レースに来るように言ってたんだけど」「昨日、スケジュールの問い合わせがありました。先生と会う約束だったんですね」「来たら、教えてね」・・・。土曜日に会えなかったけど、ここで会えるといいな。
アイシン精機ヨット部のK君が、学生を集めて講習をしています。K君は、気象不良でキャンセルになった僕が全国理事時代に引率したアセアン選手権の選手でした。その後スペイン開催のヨーロッパ選手権の選手で、この時も僕が担当理事で、ナショナルチーム合宿などで一緒に過ごしました。彼のお姉ちゃんは、北京・ロンドンのオリンピック代表です。懐かしかったけど、熱心に教えているので声を掛けませんでした。
D社同期のことを教えてくれたH先輩も、高校ヨット部コーチとして来られました。「先輩、電話ありがとうございました」「おう、会うたか?」てな会話から、あ〜だこ〜だが始まりました。もう70歳を過ぎてる大先輩だけど、気が若くとても気さくな良い人です。
母校高校ヨット部の後方から熱心に見てるお母さんがおられました。お父さんは、息子のかっこいい姿を激写しまくっています。「KGの親御さんですか?」「はい。息子が3年生です」「僕もKGのOBです。楽しんでやってますか?ヨットはボディーコンタクトがないので、安全で楽しいスポーツですよ。僕は未だにレースに出て楽しんでいます。長く楽しめるスポーツなので、学部に上がってもヨット部に入られるといいですよ」って、リクルートします。
選手たちはすることがないので、早弁を食らっています。僕も早弁と行きたいところだけど、いつものハーバー前のコンビニが閉店しており調達出来ませんでした。朝飯も食べてきていないし、「腹減ったなあ、う〜む」と思ってると、「たこ焼き」の屋台が出ています。高校生の大会にあわせて、滋賀県のZ高OBが趣味で出しています。レース終了後、無料で参加者に食べさせています。部外者の僕でも寄付したら食わせてくれるかな?と思い、交渉に向かいました。「お金払うから食わせてもらえませんか?」「そりゃマズイから無料であげる」「でも・・・」。という交渉の結果、陸上待機してる部員達にジュースをおごるということで彼女たちにお金を渡して、僕のたこ焼きをゲットしました。おもろいオッチャンで、お好み焼きなど、3パターンの軽四屋台を持ってるらしいです。Z高の出場する大会をおっかけて遠征してるのだとか。おもろいなあ。
昼前に風が入りだし、出艇です。風速2m/sほどの弱い風で本日のR1がスタートしました。スタート時のフルセイルにするタイミングが遅いことや、強めに入れてるトップバテンが裏返ってる時があったり。本部船よりからスタートしてるのに、鉄則である即タックで右に行かず、混んでいる中央部に突っ込んでいくなど、レースの勝ち方を知らないのでアラが目につきます。
R1フィニッシュ後、7艇全部にそれぞれの注意点を伝え、R2に備えます。幾分風が上がったR2は、みんなR1より良い感じでした。コーチボート上では、スタートまでのカウントダウンを北大嬢に任せ、全員での復唱を指示しました。女子マネさんたちのレベルが例年より高いです。良い感じで成長しています。
僕は基本ヨイショ男だから、あれいいねえ・これいいよとか平気で言って笑いを取ろうとしますが、「追いコンでクラブHPを褒めてもらって、すっごく嬉しかったです」なんて言ってくれて、こちらこそ嬉しくなりました。学校のクラブなんて、プロじゃないから上手い子のそうでない子も、プレイヤーもマネージャーもそんなの関係なく楽しむ場です。最終目標として全国制覇という大目標を持って勝利を目指すことで、縦筋が通りみんなで力を合わせる喜びを体験する場です。自分なりに積極的に関わり、社会に出てからの下地になればと思っています。常に笑顔を失わず楽しんで欲しい。
レース終了後のハーバーバック時、レスキュードライバーをやってくれてる女子マネTさんに、激写ポイントに行くよう指示しました。僕も撮りましたが、マネさん達も写真を撮っています。新人勧誘に使ったり、意外に写真の少ないヨット部員の勇姿を残して欲しい。この写真データと引き換えに本人におごってもらうなんてこともいいと思います。女子はラッキーだし、おごる方の男子もこういう機会はいくらでも欲しいはずです。
ハーバーに戻り、大会本部に顔を出しS君に「H君来た?」「いえ、まだです」。片付けを見ていると、福岡ジュニア出身のM君がやってきました。「こんにちは」「お〜、今日も全レース、トップだったね。親御さんは元気?」、なんて会話の後、レース艇を引っ張って帰って行きました。この日帰る東北と北大とのいろいろがあるそうで、早めに僕だけのミーティングをして帰路に着きました。新2回生が、「R1後にアドバイスされたようにコース引きしたら、めちゃ順位が上がりました」って満面の笑みです。「だろ〜だろ〜」と僕の鼻は更に高々となり、ふんぞり返り気味です。コーチボート上で、「僕の言った通りやろ。ミーティングでは自慢しまくったろ〜」と冗談で言ってたので、女子マネさんが笑っています。レース出場もおもろいけど、コーチングもまた楽しです。
湖西線〜名神で帰りました。小腹がすいたので、17:30・名神桂川PAに寄り道し、アイス125円を食べました。結局雨は降らずでした。バイクで行ったらもっと楽しかったのになあ・・・。帰宅後、家内が用意してくれたお素麺を食べて、お風呂に入りました。19時頃に寝ちゃったので、目を覚ましたら1:30でした。二度寝もすぐ出来たので、めちゃ寝ました。

2013/3/19
日曜日は、「伊賀の峠探索」と京都で夕方からの「ヨット部・追いコン」に出席してきました。当初予定していた用事が週半ばになくなり、夕方までの時間がポッカリ空いてしまいました。夕方から追いコンがあるので、がっつりソロで1日走ることも出来ず、グループツーリングを模索するも、あまりに大所帯だったのでソロで走ることにしました。
播磨・備前の山城探索をしたかったのですが、我が家を越えて1時間も東の京都まで帰路を走ることになり、宝塚トンネル大渋滞がひどいと時間に間に合いません。行くなら東目だなと地図を見てると、「御斉峠」が目につきました。司馬遼太郎「梟の城」のプロローグの場所で、読んだばかりの司馬遼太郎「街道をゆく・伊賀と甲賀のみち」でも、峠や周辺が魅力的に書かれていました。伊賀〜御斉伽〜紫香楽宮跡〜瀬田〜京都のルートが決まりました。
奈良からツーリングマップル(TM)推薦の道・R369で「針テラス」、更に南下して「東吉野」の「ニホンオオカミの像」と「天誅組の墓」を巡り、R166で旧道の峠「高見峠」と「中央構造線・月出路頭」に寄り道しながら「道の駅・茶倉」。そこからR368で西に折り返し「道の駅・美杉」近所の「北畠氏館跡&霧山城址」探索。TMお勧めの道r15で廃線になりそうなJR休止路線「名松線」に沿って走り、r38を北上してR163に入る。R163を西神し、伊賀の中世の城である下阿波「植田城址」・柘植「福地城址」を探索してから伊賀上野に入り、「御斉峠」以降につなげようかと目論みました。
総走行距離は京都まで350kmでほとんど下道なので、早朝に出発しなければ回れそうにありません。まあ僕のソロツーリングの場合、寄り道が増えるし、その場で臨機応変に予定を変更するので、積み残し次回回しが常だけどね。
4時起床・5時出発を目論みましたが、目を覚ましたら5時でした。「う〜む」。倉庫から里山VTR250を引っ張り出します。距離は長いけど下道メインだし、山道探索もあるので、重いCB400SBより軽いこっちがいいです。
1時間ロスして、6時に出発しました。2月初めに6ヶ月点検整備してから初走行です。来月になれば、ガンガン早朝通勤前ツーリングで活躍してもらわなきゃね。東への走行を開始すると、正面から真っ朱な朝日が上って来ました。いいね!「中国池田IC」から中国道に乗り、近畿道を南下します。「東大阪JCT」から阪神高速に乗り換えて、「第二阪奈道路」で生駒山を抜け、一気に奈良市内に入りました。
6:57、いつも通過だけの「平城宮跡」を写真に収めようとストップ。新しい復元された門と塀があるだけのだだっ広いスペースに、「京都だったら、いろいろやるのにな〜」なんて思いながらバイクに戻ると・・・デジタル上だけのお付き合いであるMさんに声を掛けていただきました。僕の特長ある「バイク便ボックス&ブルーVTR」に、ひょっとして?と。Mさんのバイクは見覚えのある「みどりん号」です。こういう経験は初めてでしたが、初対面なのに、街中で知己に偶然であったような喜びで、めっちゃ嬉しい。ご予定を聞くと、「針テラス」でお友達と待ち合わせして、何処かに食べに行かれるとか。僕も次の目的地が針テラスである旨を伝え、R369を先導してもらうことになりました。
奈良公園には、普通に鹿がいます。春日山の神の使いは、堂々としています。良い感じの田舎道だけど、柳生までは適当に交通量があり、のんびりポタポタと流す感じではありませんでした。しかし柳生を過ぎて針に向けて南下する道になると、好みののんびり道が始まりました。国道から旧家がチラホラ見えます。柳生の地は歴史ある雰囲気がプンプンします。ここだけを巡っても1日楽しめそうです。こういう雰囲気になると、キョロキョロとし出すので僕のスピードはぐんぐん落ちます。「お互いマイペースで」と伝えてあるので、先導のMさんは徐々に視界から消えていきます。でも要所要所の交差点で待っていてくれるので、道に迷うこともなく、8:08「針テラス」に無事到着しました。この道はのんびり走れて、とても気持ちのいい道でした。
お友達のカワサキ650・W3さん?(W3と言われていたと思う)が来られました。40年前のバイクだそうで、太くて頑丈な前輪Wディスクブレーキはじめしっかり者と言う感じです。メンテナンスのことを聞くと、多くの旧車部品在庫を持ち、ないものは作ってしまうというお店とのお付き合いがあって、何ら問題ないそうです。カワサキのWシリーズは、自然なポジションで乗りやすそうです。
たくさんバイクがいるのでそれらを見てたら、「あら?」。バイク知り合いのSさんみたい・・・「おはようございます」「ああ〜」。Sさんもここで待ち合わせ、伊勢に行くそうです。そして僕らの後のバイク駐輪スペースに、赤とオレンジ色のランドセルをエンジンガードに取り付けたアメリカンが停まりました。ご夫婦タンデムのようです。声を掛けて写真を撮らせてもらおうと思いましたが、帰って来られないので無断激写して、8:30にお別れし、ソロツーリング開始です。
出発時点で、当初予定より−1.5時間です。でもこんな素敵な出会いがありラッキーでした。Mさんから、おすすめの広域農道「やまなみロード」と「珍布峠」情報を頂きました。早速、予定を変更し広域農道に向かいます。高速道路みたいなR25をIC・1つだけ乗り、「小倉IC」下車。難なく広域農道入口が見つかりエントリーしました。山間のアップダウンを繰り返しながら、南下します。交通量の少ないナイスな道が気持ちよく伸びています。
東西に走ってるR165を高架で乗り越え、小さな滝が目に止まり、9:00「室生トンネル」停車。トンネルを抜けると、r28に合流しました。そこに良い感じの神社があり寄り道。9:05「室生龍穴神社」。お参りすると、「天の岩戸」「龍の馬場」「招雨瀑」「龍穴」と魅力的な名前がついた場所を巡るコース図が立っていました。「龍の滝に雨乞いしたんだなぁ」と勝手に想像にバイクに戻りました。r28を隔てた向こうに鹿が3頭僕を見ています。神社にお参りに来たのだろうか?r28の向こう側にわたっても逃げようとしません。奈良の鹿は人を恐れないね。
r28を南下開始です。東西道・R369を渡ります。さらにr28ですが、さらに怪しい道になってきました。「チェーン装着」なんて看板もあって、水たまり手前で「大丈夫?」って感じで止まったりしながらの走行になりました。この気温で凍結はないと思うけど・・・ね。
9:31、「東吉野村」との境界の峠に到着。絶景な紀伊半島の山並みが広がっています。9:44、「菅原橋」到着。とても四輪では突っ込む勇気が出ない道でしたが、バイクなら好物な道でした。
R166に出ました。当初予定の「ニホンオオカミの像」と「天誅組の墓」は、ここから西にあり、また帰ってこないと行けないのでパスしました。僕は一筆書きルートが好きです。R166を東に進み、「高見山トンネル」手前で、「高見峠」と道標があった旧道に入ります。高見山は1248mとなっているので、その峠はどれぐらい標高を上がっていくのかな?と期待したのですが、10:06・通行止めバリケードでジ・エンドになってしまいました。残念、「路肩決壊・通行止」だそうです。
TMに「展望の良い旧道・峠百選」と紹介されているのになあ・・・。高見山・山頂が綺麗に見えているので、OKとしましょう。山登りに方々に人気の山で、登山者が乗ってきたと思われる車が数台路肩に停まっています。
「高見山トンネル」を抜けて、更にR166を東進します。TMで「高見山ループ橋」という高所苦手な僕の胸をキュンとさせる橋を下りました。R173の「天王峠ループ」より楽々じゃん。
「おふく茶屋」を確認しました。ここから道標に注意しながら進みます。GPSも交差点に近づきます。「中央高速線・月出路頭」と小さいながら道標が出ていました。迷わずアプローチ道に入れましたが、「林道通行止め」という再びの無常な看板が立っています。でもバリケードされていないから、行けるとこまで行きましょう。続いて、獣避けゲートでトウセンボされました。開閉して山側に入り、山道林道を上ります。視界が開けたところで激写タイムを入れながら上ります。雪が残っている山並みも見えます。
「中央構造線路頭・徒歩900m」と書かれた場所まで来ました。林道の方にも「中央構造線」と書かれているので、迷わず林道を選択。歩道の方は、結構急な勾配で上に向かっています。900mは、上りだけで30分はかかるでしょう。1時間仕事だね。
10:57、「三峰山・登山口」と書かれた峠の小さな駐車場に到着しました。コンクリート登山道が上を目指しています。反対側には、「天然記念物・中央構造線・500m・急勾配につき車での通行はご遠慮ください」の看板が立っています。「ひえ〜、こっちからも500mあるんだ〜」。バイクでなんか行こうとも思わないかなりの急勾配です。
意を決して、徒歩で出発。11:04、「国指定天然記念物・月出の中央構造線」路頭に到着。綺麗にプレート断層が路頭しています。説明板によると、黒っぽいのが「西南日本外帯」で、白っぽいのが「西南日本内帯」だそうです。
日本列島は、大昔はユーラシア大陸にくっついていたのに、日本海が大きくなりついに大陸とお別れしました。南北に走る「フォッサマグナ・糸魚川静岡構造線」で2つの島(西日本と東&北日本)に分かれていたのですが、海が浅かったので堆積物で繋がって陸続きになりました。だから、フォッサマグナを中心に、東西横長の西日本がポキンと折れるみたいに北海道に向かって縦長東&北日本の形になっています。
素人考えでの想像ですが、東から西に押し続けている北米プレートが、ユーラシアプレートに乗っかってる北日本の下に沈み込み、南西から北に押し続けているフィリピン海プレートがユーラシアプレートに乗っかってる西日本の北半分とぶつかっている境界線が、東西に走る中央構造線です。
糸魚川・静岡構造線の長野県中央部から西に走る中央構造線を俯瞰すると地形的な線が見えます。糸魚川から中央構造線との交点までは、北アルプス山脈が連なります。伊勢湾で水面下に潜って紀伊半島に現れた中央構造線は吉野川・紀ノ川ラインで東西に。淡路島南東の水仙郷の海岸線は、海からいきなり切り立った崖で、中央構造線でまっすぐに四国を目指します。四国に上陸したら吉野川が東西に走り、その両側に「剣山」「石鎚山」という西日本No1・2の高峰がそびえます。
不自然に大分県に向かって長く伸びる愛媛県の「佐田岬」を経由し、大分県「佐賀関」半島で九州上陸します。北側に温泉がふんだんに湧く「別府」や大火山「阿蘇」を見ながら「天草」で海面下に消えていきます。
説明板に、「下を流れるワサビ谷(海抜560m)、上部の道路は林道飯高北奥線(644m)・・・」と書かれていました。「うえ〜ん、80mも登らなくちゃ・・・。人間の歴史なんて遠く及ばない地球の地面の対流の歴史が、ここの地表に現れています。「なるほど、こんなに土の色が違うんだ」と感心しながら、フーフー登りました。
11:28、バイクまで登りきりました。息を整えるのとヘルメットまで被ったまま歩いてしまったので、その暑さをクールダウンするために、お茶を飲みながら登山看板を眺めます。「近畿自然歩道・三峰山・中央構造線を歩くみち」。ここからさらに登って、1200mクラスの3つの尾根を巡るコースが書かれています。1235mの山頂まで2時間だった。比高600mを2時間で・・・「僕ら夫婦なら、息子たち若いもんサポートがないと無理そう」。
11:38、「広域基幹林道・飯高北奥線竣工記念」の石碑到着。上空を見上げると、青い空に一本の白い飛行機雲が綺麗です。林道の中間地点のようで、ここから東側に向かって下りになりました。下りの途中で、稜線が綺麗に見える所があり激写タイムです。
R166に降りて、東進を続けます。次に目指すのは、Mさんから教えてもらった「珍布峠」です。「道の駅・飯高駅」付近にあるらしい。TMで目星を付けて進みますが、車載ムービーの電池が切れていましました。今日の相棒は、CanonA1200です。外部マイク接続不可なとこがマイナス点ですが、その他は8000円という価格も含め満点です。ところが本日は調子が悪いです。画質や操作は快適ですが、いつもの1/3ぐらいで電池切れ表示が出ます。単3・2本仕様なので電源の心配がなく、1日中走っても3セットあれば余裕です。でも、ここまでで既に3セット使い切っています。帰宅後、電池残量を調べたら、3セット6本全部2/3残っています。早朝バイク主力機として年間50日以上出動して、バイクの振動にも多少の雨にも耐えてたから寿命なのかも・・・。
北側の山の中腹を見上げながら、「ここかも?」な道は見つけたのですが、ムービー無しはあまりにもったいないです。まずは電池を供給しようと道の駅に入りますが、あいにく電池の取り扱いはなしです。すぐ近くの電気屋さんも、日曜日でお休みだとか。朝から何も口にしていないので、12:29・アイスクリーム・100円を購入し、駐車場で小休憩しました。交通量も少ない道なので、バイクが走りに来ています。
「ちょっと走ったらコンビニがあるよ。横にホームセンターもあるし」と聞いていたので、更に東進します。この「ちょっと」が結構な距離です。12:52、サークルK飯南で、クリームサンド105円+パナソニック単3・8本998円を購入。次の道の駅・「茶倉」の方が近いし・・・。ということで、「珍布峠」探索は次回回しとなりました。
13:03、「道の駅・茶倉」到着。「元・山城があった」とも想像できる地形で、下界の耕作地が見渡せます。でもそれだけのとこです。激写を終えバイクに戻ると、「カワサキ・マッハ3」と書かれたバイクが入って来ました。これがそうなのか・・・すごく速かったらしい旧車です。もう随分三重県に入っちゃったので、ここから西進を開始します。次の目的地は、「道の駅・美杉」です。
R368に乗り換えて西進しだすと、大型車通行不能看板が現れ、山道になりました。林道?と思えるようなグニャグニャ山道で、13:28・「櫃坂」と言う謂れ板が立つ所に来ました。「降り口・伊勢本街道」とも書かれており、大和〜伊勢間を結ぶ旧街道のようです。謂れ板を読みながら、ふむふむと脳内思考を巡らします。
次行く伊勢国主・北畠氏館はR368沿いにあります。今の時代では、伊勢を収めるなら伊勢や松阪・津やろと思うのですが、この「伊勢本街道」を押さえることがより重要だったのでしょう。今は交通量が少ない道ですが、往時は徒歩物流の大動脈だったのだろう。伊勢・近江や伊勢・伊賀国境は山がちだから、都・山城からも大和経由の方が楽だったのかも・・・。やっぱり現地に来ないと、わからないねえ。
13:38、「オフロード・美杉」というのがありました。オフロードバイクが、コースを飛び跳ねています。唸りを上げて、びっくりなスピードで不整地をカーブし、大ジャンプしてしっかりと着地しています。すげーな!
「道の駅・美杉」に到着しましたが、駐車場をグルリとしただけで、そのまま「北畠氏館」に向かいます。北畠顕家は、太平記では最強ヒーローです。父・親房は鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇の側近中の側近の公家さんです。後醍醐天皇の行った建武の新政が、平安政治の公家メイン・武士はその下という体制だったので、鎌倉幕府から地頭職などで土地を宛てがわれていた武士層から、総スカンを食いました。武家の雄・足利尊氏との駆け引きで、後醍醐天皇側のプリンス・顕家は、奥州陸奥国守として京都から遠ざけられました。
側近公家の片腕である息子を遠ざけてしてやったりな尊氏が、後醍醐天皇に反旗を翻し京都市街戦を制し勝利目前になりますが、遠く奥州から天皇軍として西上した顕家は尊氏の本拠地関東を席巻し、最強・顕家軍の後詰で盛り返した新田義貞・楠木正成軍とともに尊氏を破って、九州に追いやりました。
一旦奥州に凱旋した顕家ですが、尊氏が九州から大勢力で東上して、新田・楠木連合軍を破って京都を回復すると、再び奥州軍を率いて向かう所敵なしの快進撃で近江に迫ります。ここを突破されると防御能力のない京都は風前の灯です。「足利尊氏軍危うし」というところで、何故かストレートに近江〜京都ラインを攻めず、一旦南下して伊勢に入り休憩してしまいます。伊賀・大和から回りで南から京に迫った顕家軍は、足利尊氏の側近・高師直軍に敗れ、顕家は討ち死にしてしまいます。
奥州奥羽軍が強いのは、元々白河関以北は京都朝廷の勢力外だったこともあり、一般の日本人とはちょいと違い、顕家軍が通った後はぺんぺん草も生えていないと言われるぐらい略奪が激しかったようです。人種間抗争でもあった古代中国の戦争と同じですね。現在のアフリカの人種間戦争と残虐性が似ています。まあ、兵站線が長くなることなど考えずの特急進軍だったので、兵糧も武器も兵も慰安関係も現地調達だったろうから、有無を言わさずの略奪しか仕方なかったのでしょうね。
そして顕家が戦死した時で21才という若さ故、尊氏のように何度大敗戦してもかっこ悪く逃げまくり、また盛り返すというしぶとさに欠けていたのかもしれません。公家さん流れの美貌な若武者としても、長宗我部元親同様女子に人気があるようです。
北畠流れが代々伊勢国守を務めていましたが、隣国尾張の織田信長の伊勢侵攻の標的とされ、次男・信雄を養子に迎え持ちこたえようとしましたが、殺害され北畠家は途絶えました。
鉄砲という新兵器の登場で、孫子の兵法でいう「戦いは奇をもって勝つ」「勢に求めて人に求めず」「利をもって動かし、卒をもって待つ」という戦闘から、物流戦になってしまいました。信長が導入した訓練された常備兵による鉄砲の大音響と破壊力で相手を圧倒する戦争より、平時は農民である大多数の歩兵を巧みに動かし、神出鬼没や伏兵で、同じく平時農民の大多数の敵兵を恐怖に陥れ、一気に敗走させて態勢を崩してしまう神経戦の方が頭脳戦で好みです。そんな太平記の戦の一方のヒーローを初訪問が実現しました。
「美杉ふるさと資料館」の駐車場にバイクを入れましたが、駐車車両なし。資料館に入ろうとしたら、入館料が表に出ています。スルー決定。13:51、「北畠神社」到着。ここは「北畠氏館跡」で、背後の山の山頂にある「霧山城跡」への登城口でもあります。中世の典型的な背後の詰城を伴った城館ですね。驚いたのは、鎌倉から室町に変わる一時だけ輝いた北畠氏の遺跡が、国指定になっていることです。これは多分に、楠木正成同様、常に天皇方だったからではないかな?天皇中心主義で一気に国力を伸ばそうとした明治期に入って、一気にヒーローに祭り上がられた遺産じゃないかな?
「花将軍・北畠顕家公」の像が立っていますが、観光客は僕と歴女と思われるお若い女子が1人いるだけです。如何にも不人気そうな神社ですが、朱色の鳥居や拝殿などの手入れが行き届いています。小ぶりですが、北畠軍将兵鎮魂の碑も立っています。地元人口も多いとはいえず、この資金はどこから出ているのかな?
横のr30をロードバイクが快走して行きます。「走りやすいんだろうな」と地図を見ると、ずっと川に沿った道です。川沿いの道は平坦路が多いです。「道の駅・美杉」に車で来て、r30〜r43〜r29で「君ヶ野ダム」まで行き、r15で道の駅まで3kmほどのR368に戻ってこれます。この周遊をするんだなと想像しました。
R368に戻り西進し、TMお勧めのr15に入って北上します。14:17、単線の踏切「JR東海・波篭踏切」を渡りました。遮断棒は外され、両側の線路にはトラロープがされ線路は錆びています。崖崩れ災害によって休止したままの路線・「名松線」に沿う道です。
r15東北上・r28北上・R163西進で、伊賀上野入りを考えていましたが、時間がありません。地図を開くと、r15〜r39〜R422が伊賀上野への最短コースのようなのでこれにします。r15は川沿いの道でJRも沿っており、気持ちがいいです。気持よく走りすぎて、ふとGPSを見ると、r39交差点を大幅に通り過ぎていました。てっきりわかりやすい道路標識があるものと思っていました。
Uターンして、更に時間ロスです。GPSを見ながら、注意して交差点を見ていると、小さなr39の道標を見つけて無事エントリー出来ました。「桜峠」に向かって道が登っていきます。確かに峠付近には桜の木がたくさんあります。標高が580mあるので、開花は4月に入ってからでしょう。
峠を過ぎると快適な田舎道の下りになりました。予定ではR165交差点までこんな道の連続でしたが、「R165左・直進×」の道標が現れ、工事の迂回路かなと思って左折してしまいました。これは、広域農道「伊賀コリドールロード」へ導く道標でした。農道は快走路で快適に走れました。そしてR165との交差点に出ました。r39との交差点から5kmほど西なので、R165に乗ってその交差点まで東に向かいました。あのままr39に乗ってれば良かった。
r39交差点に着き、ここから伊賀上野に向かってR422を北上します。伊賀鉄道に沿いながら伊賀上野市街地に突入しました。15:52、伊賀上野・シェルで給油しました。263km/8.61L=30.5km/L。
本日最大の目的地「御斉峠」へのアプローチ道・r138を発見し侵入しました。TM地図では、一旦伊賀上野側で県道表示が途切れますが、「御斉峠」から信楽に向かってr138表示が復活しています。r138を進めば、御斉峠に着くだろうとr138をなぞったのですが、道が細くなり「信楽には行けません」表示が現れました。
仕方なく、GPSで御斉峠への誘導開始です。r138を戻って、「伊賀コリドールロード」を少し走ったところに、「左・信楽」の道標がありました。この農道は、さっき走りました。TMで確認すると、あのまま農道を走っていれば、伊賀市街地をパスしてここに来ていたのです。ありゃ〜。
想像してた交通量のないグニャグニャ細道ではなく、信楽〜伊賀上野の最短路として整備されており、常時2車線で適当に車も走っています。ぐんぐん高度を増します。増すごとに伊賀上野市街地や木津川が作る平野が、眼下に広がっていきます。停まって激写したいけど、交通量があり路肩がないので残念です。
徳川家康が、伊賀忍者頭領・服部半蔵以下配下忍者に守られながら逃げ延びた「御斉峠」を示す石碑がありましたが、ここも駐車出来そうもないのでスルーです。更に登った所に、「滋賀県・甲賀市」と書かれた県境を示す看板が立っており、勾配もないので16:26・激写タイム。ここが分水嶺峠のようです。TMには絶景ポイント表示がありますので、伊賀盆地を激写します。でも途中のとこの方がより絶景だったな。
18:00に、JR京都駅前のホテルに着かなければなりません。あと1時間半です。「紫香楽宮跡」も訪問予定でしたが、以降の予定を全てキャンセルして、GPSで「アパホテル・京都駅前店」への最速コースをリクエストします。到着予定時間17:37、これしかないね。
「多羅尾」の集落を通過します。江戸時代幕府直轄地だったここの代官を世襲していたのが多羅尾氏で、家康の大ピンチ・御斉峠越えの時、信楽の小豪族だった家に家康一行を宿泊させ、伊賀忍者とともに護衛した。その功績で、江戸時代になり家康から声がかかり、直属旗本に組み入れられた。幕府天領信楽を守護する代官職となり、全国の天領守護代官職の主席を張ったという。
「多羅尾」をキーワードにここらを探索するのも面白そうだけど、時間がないのでスルーします。r138で信楽に出て、R307を北上し、「信楽IC」から新名神に乗り、75〜80km/hの定速走行にスピードアップです。草津JCT手前で、綺麗なトライク集団が追い抜きて行きました。後に乗ってる女子の髪が風になびき良い感じで絵になりますが、シートベルト無し・ヘルメット無しは如何なものだろう。ヘルメット着用義務なしとはいえ、僕はノーヘルメットで乗れないなあ。
草津JCTを越え渋滞に突っ込みました。「7km渋滞」と表示されています。18時到着は万事休すか?「京都南IC」下車し、R1を北上し、東寺に突き当たって道なりに右折し、東寺南東角を左折し北上開始。JR線をくぐってすぐ右折のとこをミスって通過し、次を右折してもう一度右折したらホテル前の道に侵入できました。
ホテル前を見るとネクタイで正装した部員が2人、出迎えのために立っています。時刻は17:50。「すまん、少し遅れるわ」と声をかけ、すぐ横のビルの1Fにある「京都駅ビル・西駐輪場」にバイクを入れます。着替える時間がないので、リアボックスからスラックスとチームジャケットを袋に入れてダッシュ。JR駅の方にも部員が2人立っています。
ホテル玄関にいる部員に部屋を聞くと、B1だそうです。階段を降り、受付の部員たちに「先に着替えるわ」と声を掛け、トイレに駆け込みました。僕がレセプションルームに飛び込み、監督他に挨拶してると、それを待っていたかのように司会の新4回生から開会のコールがありました。
いつものように東京などから、僕より上のお年のOB諸氏が15名ほど来られています。OB会長の挨拶に続き、80歳を超えたという最高齢OBさんから乾杯のご発声があり、レセプション開始です。立食パーティーの年もありますが、今年は着席会食です。ここで、僕は本日最初の食事にありつきました。ソロツーリングすると、食事時間ももったいなくて、ついついこうなります。4年間クラブを全うし、卒業していく部員へのねぎらいのスピーチが続き、現役部員を代表して新キャプテンの送辞。送辞というより「送る言葉」という感じで、卒業生各人の人となりが語られました。
それに対し、卒業生がキャプテンから順にクラブでの想い出や感謝の気持ちを話します。女子マネージャーさん達もいい感じで話しています。僕は監督・このクラブの卒業生でもある部長先生とともに卒業生テーブルに座りました。入部した時に僕が京都から「山中越え」で琵琶湖の艇庫に送った事を、昨日事のように話す女子マネさんもいました。「あの時、この峠を越えて見えてきたのが琵琶湖だよ」と僕が新入生たちに説明したようで、「山の中のくねくね道から、一気に琵琶湖が眼下にうわ〜って見えてきて感激しちゃって、クラブの雰囲気も良かったから、入部を決めました」だって。新キャプテンから打診を受けるままコーチ業を更新してきて良かったなと思いました。
今年は指名がなかったのでスピーチはしませんでしたが、就職するものや院で更に勉学に励む者いろいろですが、このクラブで培った周りと連帯する事をベースに、次のステージでも明るく笑顔で楽しくやって欲しい。
艇庫改修工事の進捗状況の説明が、建設部会の僕の1年下の方からあり、監督の言葉で締めです。ここで、2年後の七大学戦で就任してから7年なので、後進に道を譲りたい旨の言葉がありました。
新4回生から卒業生全員への花束・記念品贈呈があり、僕はカメラマンで走り回りました。このクラブと僕を結びつけてくれたここの卒業生である次男に、少しでもこの様子を伝えなくっちゃ。
全員での記念写真、部歌を歌い、最後に前身のボート部から続く「琵琶湖周航の歌」をいつものように歌ってお開きになりました。大学に奉職してる次男同期君を捕まえ、「次の監督をやれ」ってけしかけておきました。「そんなこと大きな声で言わないでくださいよ。やばいと思ってるんですから・・・」だって。
お開きになり、卒業生に「今日はどこに行くの?」と聞いてみました。小声で「まずは、寿司屋に連れて行きます」。追いコンは現役部員が準備しますが、ここから翌朝まで卒業生が現役部員を連れて豪遊するのが伝統になっています。クラブを引退後、バイトで金を稼ぎ、ここで一気に使い切っちゃいます。この趣向が中々アイデアに富み、シーズンオフに人力車のアルバイトをしていた過去の卒業生が、自転車牽引のリアカーを調達し、その上に「コタツ&みかん」という古き昭和の家庭風景を再現し、後輩を乗せて夜の京都を散策するというのをやったこともあります。その時は、あまりの怪しさに警官に職務質問されたとか・・・当然やね。芸者を上げたことや、後輩女子マネを舞妓体験させたり・・・の案を聞いたこともあります。詳細は不明ですが、あまり深く詮索しない方が良さそうです。
トイレで着替えて外に出ると、雨がパラパラしていました。カッパを着るほどではありませんが、高速で帰るのでカッパを着て駐輪場を出ました。「17:57-20:21・京都駅ビル西駐輪場400円」。250cc以上クラスは、1日400円だそうです。
R1で「京都南IC」まで南下し、名神〜中国道に乗って「中国豊中IC」下車。家までカッパなしでもOKでしたが、ずっと降っていました。バイクの掃除は後日にして倉庫に片付け、10時に帰宅しました。家内はすでに夢の中なので、静かに片付け、用意されていたうどんを腹に入れ、お風呂に入って10:30に床につきました。ああ楽しかった。

2013/3/11
日曜日は、KYCスプリングレガッタでした。今シーズン初戦です。土日2日間のレースですが、僕は日曜日のみ参加です。前日の天気予報は、晴れ/雨という微妙で、昼ごろ前線通過で1ミリ以下の雨が降るらしい。それはいいのですが、3時間毎の詳しい天気予報を見ると、午前中はここ数日の春真っ盛りの高い気温ですが、前線通過後から気温が急激に下がり、夜中0時の予想気温が1℃です。この下がり方は寒冷前線通過の特徴です。天気が急変し、大粒の冷たい雨を伴った強風がドカンとやってきます。気をつけなくちゃ。
日曜日の朝、気象を感じながら早朝自転車で猪名川土手の定番コースを走りました。先週から始まった春の陽気を感じて、橋の欄干にも小鳥がとまっており、河川敷からはひばりがピーチク鳴きながらズンズン高く上がっていきます。土手道の脇にも数種類の小鳥が群れており、カメラを持って来るべきだったと後悔しながら、気持ちの良い時間を過ごしました。
そして何より嬉しかったのは、ウグイスの初鳴きを聞けたことです。夜明け直後、下手くそな鳴き声を聞きましたが、カラスの声が聞こえ出したらどっかに行ってしまいました。サイクリング中、AGF工場内の竹林からと公園の木々の間からと最低2羽はいるなと確認できました。我が家の春は、2月末早朝のウグイスの初鳴きから始まります。今年の冬は寒く、ここに来て一気に暖かくなりましたが、ウグイスの声がないので、イマイチ春になったという気分ではありませんでした。土曜の朝、散歩で近所の公園に行ったけど、メジロがたくさん満開の梅林にやってきてたけど、「梅にウグイス」という花札のような光景はありませんでした。
8時に自宅を通勤リード110で出発しましたが、時計を忘れていることに気づいてUターン、続いて財布&免許証忘れに気づいてUターンと、2度も帰宅したので、8:30出発になっちゃいました。時計を忘れるなんて、ヨットレースレーサーとしては論外です。
9時過ぎにハーバー着。センターハウス前を浮き桟橋を見ながら歩きます。よくこっちにレース艇がもやわれているのですがいないので、陸置きスペースを通りながら上下架桟橋に向かいます。陸置きの所でカッパを出しているHさんに会いました。桟橋に、ドラゴンが3艇しかいません。今回は少ないな。
船に着くと、オーナーS先輩がいます。昨日は上天気で、後半はフルハイクアウトのいい風にも恵まれ、3レース楽しんだそうです。土曜日の参加艇は4艇で、当方は3位だそうです。トップは常連のT先輩ではなく、Sさん艇だそうです。S艇が優勝すると、あれやこれやお裾分けがあるかも?なので、出来ても2レースで優勝に届かない当方の狙いはS艇を優勝させることだって。
皆さん天気予報は確認済みで、気持ちを引き締めてセイルアップです。10:30スタートなので、南風だからスタートラインがハーバーを出てからすぐの所だろうと10時前に桟橋を離れました。僕とオーナーS先輩が学んだKG、その他に甲南と近畿大学が練習しています。
学生の練習マークが打たれた海面の南側にレースエリアが設定されました。10:30、オールクリアでスタート。4m/sぐらいのフルハイクです。2艇に挟まれてスタートしましたが、後のS艇がうちに上り落とされてタックします。リーバウ先行の逆転を狙うT艇がタックしてうちの前を横切り、S艇を抑えに行きます。うちもT艇がリーバウに見えない所まで出してタック。この風向は西有利になる事が多いので、皆さん西目のコース選択です。
ポートの走り合いですが、徐々に予想通り西に風が振れて行きリーバウ艇がバウを出していきます。しかしレグの後半は振れ戻し、こちらがいい感じに高さを上げていきます。S艇をバウで抑える形でT艇がスターボで来ました。後半の振れでスタート直後のマイナスを取り戻したようで、T艇の前を切れそうですが、紳士で無理をしない当方は下受けタックします。
リフトの風を受けて、ギリギリ上マークを回航できそうな時もありましたが、結局少し高さが足らず、マーク際で2タック入れて2位回航しました。全体的に西に振れたようでランニングレグはポートロングになっています。こうなると西に出して内側位置を先に取る方が有利なのでジャイブを進言しますが、「右振れブローが入った」ということで自重してしまいました。その後3位のS艇が先にジャイブし万事休す。先にジャイブされた時点で逆転されてしまいました。まあ、うちが2位になっちゃうと、S艇の優勝が遠のくのでまあ良いです。
下マークをテールtoノーズで3位回航し、一旦タックして左に出します。Sさんは2位狙いに切り替えたようで、うちに合わせてタック。それを抑える形でT艇もタック。基本西がいいと思ってるので、うちがまたタックして西に向かいます。10艇身ほどのショートタック2回でしたが、S艇に+3艇身ほどアドバンテージを取られてしまいました。S艇の航跡を切ったら風速がアップし、西から入った小さなブローを取られたようです。
S艇・T艇を大きく抑える形でタックし、また全艇西への走り合いになりました。最終見通しが迫りタックして先行艇にミートしに行きます。差を半分ぐらいに縮めましたが追いつけず、ここから西に大きく振れだしました。3艇ともオーバーセイルです。
上マークを回航すると、下マークに向かってポートのクローズドリーチ1本まで振れてしまいました。スタート前六甲山上空にあった灰色の雲が東の大阪平野まで流れて寒冷前線先端の線が出来ており、ぐんぐん風速を増します。下マーク横の本部船にS旗が上がっており、コース短縮でそのままフィニッシュです。
フィニッシュ後改めて上空を見上げると、前線東側の空は白い薄雲なので温度差が大きくなさそうで、猛烈な寒冷前線通過気象にはならなさそうです。Hさんがジェノアをファーラーしようとしていますが、風速は15m/sオーバーになっており苦戦しています。ジブラフのサギングが原因のようで、一旦ジェノアを出しきり、僕がジブハリヤードを思いっきり引いてからファーラーすると、何なくファーリング出来ました。
2年前の25m/sまでは行きませんでしたが、20m/s手前のブローが入り続けます。T艇はもう一本トップを取らないと逆転できないので、打ち替えられるだろうスタートライン位置に向かって下っていきます。「次のレースをやろう」というアピールです。S先輩から、「おいらはリタイヤしよ」と声がかかり、メインだけでゆっくりハーバーに向かって上りだしました。結局、次のレースはキャンセルになりました。
キールがぶら下がって安定してるドラゴンに比べ、単なるセンターボードな学生艇が数艇沈して悪戦苦闘しています。KGの後輩達も苦戦していますが、僕らの頃と違って優秀なエンジンレスキューが数艇着いてるので安心です。まあ、みんな経験する道ですね。
ハーバー内に入り、バウクルーの僕は、バウアイにもやいをバウラインノットして、メインダウンに備えます。風向と桟橋が平行なので、メインを降ろさずクローズで桟橋にアプローチし、ひょいと上って着艇でいいと思い、「風向と桟橋が平行です」とスキッパーにアピールします。クローズの角度でゆっくり近づきメインダウン。セイルがなくなると風が強いので一気に艇速を失うので、まだ早いと思いましたが・・・。案の定、桟橋に近づく前に艇速がなくなりました。通常はベアしてアビームで桟橋に近づきぐいと上ればいいだけですが、生憎とそこにはレーシングクルーザーがもやわれています。この風速では横抱きでキッスするだけで傷が付きそうなのでジブを出してリラウンドすることになりました。
ジェノアのトリミングはHさんなのですが、メインがコクピットに下りており、ジブシートが上手にコントロール出来ません。結果論ですが、半分ぐらいファーリングを出すだけで十分な艇速が得られたのでしょうがフルジェノアになったので余計にコントロールが難しくジェノアが暴れます。そしてスターボ側のジブシートのノットが外れたようで、シートがリードアイから抜けてしまいました。
エンジンが付いていない上に、セイルの推進力を失い絶体絶命です。幸いなことに、同じ桟橋に付けようとしていた本部船が目の前にいました。僕はありったけの大声で声を掛けました。向こうのヨット乗りなので、こっちの状況がわかっており、すぐに後進で近づいて来ます。向こうはドライバー1人なので、僕がバウラインを持って飛び移ります。すぐにサイドのアイにラインを巻き、近づいていた防波堤から離してもらいました。本部船は後進でドラゴンが横抱きされているので余計に行きたい方向に進めません。一旦離して真後ろにノットするように指示されますが、行脚を失ったドラゴンは岸壁に行ってしまうと思い、僕は絶対に離しません。2トンのドラゴンを1本のロープで必死に本部船から離さないようにありったけの力を振り絞ります。HさんS先輩も必死で本部船とのゴッツンを最小限にしようとしています。セイルの推進力を失っていることと僕の意図を本部船ドライバーに伝えようと声を張り上げますが、エンジン音などで届いていないみたい。でもそこは以心伝心、意図を汲み取りそのまま桟橋まで近づいてくれました。もう安心な場所まで来てラインをドラゴンに投げて任務終了。その後、本部船に乗ったまま桟橋に着艇しお礼を言って下船しました。ピンチ脱出です。しかし傷んだジェノアは、ノースロフト行きになってしまいました。ジブシートも団子になって皮が向けちゃったし・・・ブ、ブーです。他のドラゴン艇のクルーさん達にも心配かけちゃいました。申し訳無い。
ハーバーは赤旗が上がり、上下架クレーンもストップしています。メインを抜いてコクピットに巻いて直して、KYCウェットバーでダベリングです。サイレンの音がします。ディンギーヤードの方に救急車やウェットスーツを着たダイバーポリスまで来たようなので、14時の閉会式までに帰ってくると言い残して様子を聞きに行きます。
まだまだ風は収まらず、雨も降っています。ディンギーヤードには警官が10人ほどいて、テーブルを出してハーバー地図を見て対策をしているようです。横には赤色灯を回している救急車がいますが、既に1〜2台は救急搬送したみたい。マズイです。兵庫ジュニア出身のKG君がいたので様子を聞きます。部員は全員無事ですが、低体温で他クラブの数人が救急車で運ばれたとのこと。でもまあ命に別状があるような重篤な症状ではないみたい。甲南の部員に聞くと、艇体も部員も無事とのこと。お隣の近大の艇庫前には傷んだスナイプを見ながら、警官がなにか聞いています。現場検証なのでしょう。どうやら近大の部員が救急搬送されたみたい。最悪な状況ではなく、ホッとしました。
14時にKYC理事長が来られて、表彰式がありました。Sさん艇優勝!コメントで、Sさんの会社から全員にプレゼントを差し上げますとの嬉しいコメントが有りました。ぐふふ、セイルバックだと最高だけどなあ・・・
その後、風が収まりリフターが動き出したので、ドラゴンを片づけ16時にハーバーを後にしました。カッパは着ていましたが、シースプレーをふんだんに浴びたので、首から水が入ってて冷たいです。風も収まり、雨もう降っていませんが、着替えもないので、そのままの格好でR171を自宅に走ります。16:30に帰宅すると、出かけていた家内が既に帰宅しています。今日の話を、あ〜だこ〜だしてニュース見てると、今日のYHの救急搬送を映像付きで伝えていました。その後、琵琶湖成蹊スポーツ大学のグラウンドでも、強風でサッカーゴールが倒れて骨折の方が出たと伝えていました。コーチしてる大学ヨット部君達は、練習していたのだろうか?ニュースに出なかったので人的被害はなかったのでしょうが、艇体やセイルがちょいと心配です。

2013/3/4
日曜日は、京都を貸し自転車で巡りました。家内もフリーだったので、播磨の山城攻めでも・・・と思いましたが、週半ばに春の兆しを感じた気温が、金曜の少雨後一気に下がったのでお預けにしました。女子にぬかるんだ山道を歩かせるのは、ちょっとかっこ悪いです。
次に浮かんだアイデアが、京都祠・仏像探索の旅でした。1月に嫡孫が生まれたので、今年中に念願の屋敷祠を勧請しようと思ってます。あ〜だこ〜だ思考し、祠の中に鎮座させるのは、一番好きな武将・上杉謙信公が信心した毘沙門天像と、僕の先祖である菅原道真公の像という取り合わせに決めました。それらのイメージをより明確にするためには、本物を見て見る目を豊かにせねば。あわよくば、適当なお値段で販売してるお店でもあれば・・・。
京都の観光地に車訪問するのは最低な選択です。駐車料金や駐車場所で悩まなければなりません。通勤リード110タンデムは、まだ寒いよ。家内に風邪を引かせるのも男として最低です。ということで、移動で適度に暖まる自転車を選択しました。JR京都駅近くに適当なお店を見つけ、木曜日に予約しました。一般的なシティーサイクル1日800円・3段変速1000円もありましたが、8段変速小径サイクル1200円を選びました。その上に電動アシストなど1日2000円のまであります。
6:30から借りれるようですが、追加料金+300円が発生するので、正規開店時間9:00到着目標で、7:00に家を出ました。駅まで歩いてもいいのですが、家内は今年最初の自転車でもあるので、帰路のグロッキーを考え通勤リードタンデムで駅に向かいました。
駅でJR「春たび」という小冊子を棚から頂き、城崎温泉とか家内が興味を持って話してる言葉に耳を傾けます。こういうのを実現してあげると、僕の点数が上がります。
JR尼崎に出て、快速に乗り換えて京都を目指しました。JR高槻から新快速に乗り換えても良かったのですが、30分も早く着いちゃうので高槻から各駅停車になる快速のままにしました。山崎に近づき、淀川対岸の男山と線路に迫る天王山を見ながら、「山陽路から京都に攻め上る兵を迎撃する地はやっぱりここだねえ」とか「天王山登山に姉たちを誘ったら来るかなあ?」とか、話しながら楽しい電車の旅です。僕の興味をストレートに話しても聞いてくれるのはこの人だけです。
「秀吉はね、明智鉄砲隊の優秀さを知ってたから、あえて鉄砲が使えない雨の日に決戦したんだって・・・」なんて話を他所の人にしたら、引かれて友人がいなくなります。
8:30過ぎ、JR京都駅到着。家内のトイレを待ってる間に八重の桜が表紙のJR小冊子を棚から抜き取って、新島八重さん京都縁の地の地図に目を通しました。南側の八条口側に出ないといけないので、構内を南に歩いていたら新幹線ホームがあるだけでした。駅員さんに聞いたら、横の通路みたいなとこを東に行けばいいとのこと。JR奈良線のホームから八条口側の改札口を出ることが出来ました。
龍谷大学響都ホールというのがありました。新幹線で京都を通過する時は見るけど、こちら側に出る機会はないので新鮮です。パチンコ屋さんの横の路地を入って・・・と脳内地図に照らし合わせながら歩くとビンゴ・レンタル自転車屋さん・京都ecoトリップさん発見。駐車場スペースを数区画借りて営業していました。
手続きして、返却が18:00に遅れた場合の延長料金などの諸注意を聞きます。盗難防止ワイヤーのダイヤル錠ナンバーを覚えやすいのに変更してもらいます。家内用に電動自転車に変更してもらおうと思ったら、家内はそのままでいいと言う。初体験したらいいのに・・・。「自転車でまわる京都map」をもらい、諸観光施設の駐輪場場所などを教えてもらいました。
9:00、出発。すぐに、サドルが硬いと感じました。最初の訪問地は、「東寺」です。遠くから見える京都のシンボル五重塔があるので、それを見ながら行けばいいと思ってたら、自転車なのであえて狭い道を選んでたら、五重塔が見えませんよ。適当に南西方面に走ってたら道標が現れ、9:10・難なく到着。
1年前にバイクグループツーリングで入った駐車場に乗り入れたら、係員さんに二輪置き場に誘導されました。前回と違う場所でした。国宝・「大師堂(御影堂)」を見学したら、東寺が運営する「洛南中高」の陸上部の生徒が手を合わせていました。境内から出ると走り出しました。京都No1の進学校だけど、スポーツ推薦クラスもあるので、運動部も強豪です。二列に並び半数は女子でした。「おはようございます」って、みんな礼儀正しいです。体育系クラブの子はこういうとこがしっかりしてて気持ちがいいです。檜皮葺の素敵な建物です。弘法大師が長く京都の布教の場にしていた真言宗の古刹です。
境内に謂れ板が立っていました。「私は訪問してくる人に京都のお寺を案内するのだが、待ち合わせは「東寺の御影堂の前」にしている。平安最古の遺構であるこの境内を出発点にするのがふさわしく、京都御所などよりはるかに古い形式の住宅建築である御影堂を見てから出発するのが、京都への礼儀のような気がする。・・・古寺巡礼京都・東寺・司馬遼太郎の文章より」。謂れ板ではなく、司馬さんの著書からの引用でした。この文章の書き方は、今読んでる「街道をゆく」シリーズみたい。
「都・七福神・毘沙門天」の立て札に導かれ見学しました。「なんか、車が多いな」と思ってたら、境内で「骨董市」が開かれていました。鬼瓦が売られていたり、着物が並んでいたり、掘り出し物があるかな?と巡りましたが、お買い物はなしです。
拝観料800円×2を払い、金堂・講堂・五重塔の国宝群を見に行きます。薄暗い講堂内でご贔屓の毘沙門天像をじっくり見ました。この形の毘沙門天像が一番好きです。本年中に、上杉謙信本城の春日山城址を訪問し、謙信公が拝んだ毘沙門天像の形を見てこなきゃ。
金堂に入り、薬師如来を支えている十二神将を携帯望遠鏡でじっくり観察します。薬師如来さんのバックの小さな像群は、みな本体と同じ印を結んでいました。左右に、日光・月光菩薩を従え、薬師三尊の一般的な配置です。
五重塔に向かう時、前回同様、「お茶いかがですか?美味しいですよ」の呼び止めに従って、梅煎茶を頂きました。この味が好きで、また買っちゃいました。「東寺金剛茶金粉入焼梅煎茶・20g・600円」20杯ほど、梅風味のお茶を楽しめるそうです。五重塔が特別拝観されており、彩色された内部壁や天井絵を見学しました。枝垂れ桜の巨木を見つけた家内が、横に貼られた「夜間ライトアップ拝観」の満開の桜と五重塔の写真にご満悦です。
東寺でいきなり1時間ぐらい使ってしまいました。毎度だけど、僕の計画した本日の予定は頓挫しそう。東寺を出発し、適当に北上して、JRの線路をくぐります。くぐったら進路を西に向けると、新しく出来た「水族館」がありました。家内がずっと行きたいと行ってた所です。予定終了後、時間があれば寄ることにしましたが、たぶん無理でしょう。更に西進し、10:21「梅小路操車場」に到着。
小さな子を連れた家族が、被写体・お母さん&お子さん、写真家・お父さんという僕もやってたスタイルで、立ち代わり入口で記念写真を撮っています。楽しそうな家族を見ると、こっちまで嬉しくなっちゃいます。「梅小路蒸気機関車館」に入場券400円×2払って入場します。今回の僕のメイン・ディッシュです。JRで京都に来る度に、この半円形の機関車操車場を見ていました。たまに機関車が走っており、ずっと行ってみたいと思ってた施設です。
精巧な機関車モデルを眺め、家内は本物機関車操縦席モデルに乗って、ロープを引っ張ってポーって鳴らしています。操車場に回り、動態保存されている磨き上げられた車両を見て回ります。「うわ〜かっこいい」「車輪でかいなあ」・・・。菊の紋章を付けた「C581・昭和13年汽車会社製造」がいます。御用列車だね。子供そっちのけで、激写しまくってる若いお父さんもいます。きっとお母さんに呆れられてるね。子供を出汁に、自分が来たかっただけ・・・だね。その気持、よ〜わかります。
「なんか並んでるよ」・・・「SLに乗れるみたいよ。乗ろう〜」って家内から。僕は動いてるのを外から観る方がいいんだけど・・・まあ並びましょうか。前に並んだお子さんを抱っこしたお父さんは、機関車と新幹線の車輪の大きさを説明しています。お子さんのリュックは、N700系だし・・・鉄2世作りに余念がありません。11:00から、往復10分で「SLスチーム号」が走ります。ちびさん連れご家族ばかり並んでいますよ。
11時ちょっと前に、切符売り場オープン。200円×2、お支払い。しか〜し、始発には乗れませんでした。10分後に帰ってきた次のに乗り込んで、ポー出発。梅小路電車区所属・C61・2号車と銘板にあります。まずバックして、水族館前までゆっくり移動します。客車はオープンエアーなトロッコスタイルで、雨の日用かな?庇からビニールシートが下りる仕様になってるみたい。僕の一番好きな蒸気が前輪のとこから横から吹き出すシューもやってます。横のJR本線や新幹線を列車が走る度に、「あれはN700系で・・・」「あれは関空特急の・・・」とかアナウンスしてくれます。水族館前から、今度は機関車本来の進行方向になって操車場まで戻ります。「ポー」、いい音だね。10分の機関車旅を楽しみました。まだちょっと物足りないので、次の出発を外からカメラに収めました。
「帰ろうかな」と操車場を見ると、「C62・2」と銘板が打たれた機関車を、ベテラン鉄道員の方がタオルで磨いています。石炭も後に載っています。「楽しくて仕方ない見たね〜」と家内がその鉄道員さんの磨き方を見て微笑んでいます。それを見ていた僕は、「あ〜」。前部側面に「ツバメのマーク」。これは東海道線を走ってた特急つばめ号じゃないか・・・両親の郷里が北関東なので、毎年僕はこれに乗っていました。機関車帰省してたのは幼児の頃だけど、保育園マークを迷わず機関車にした僕は鮮明に覚えています。トンネルに入る手前で窓を閉め忘れて真っ黒な煙が入ってきてビックリした記憶が蘇ります。「こんなところに、おったんか〜」。「D50・140・大正15年日立製造」「三菱製造」の機関車もいます。「いや〜力強そう。かっこいいな」。
本日の目的終了の気分で梅小路蒸気機関車館を後にしました。適当に曲がりながら北東に進みます。次の目的地は、「西本願寺」です。「祝・甲子園出場」の横断幕の掛かった甲子園で有名な「平安高校」がありました。上に「RyukokuUniversity」が付いています。龍谷の系列校になったのか、元々そうだったのか、龍谷大学とのつながりを強調しています。その正門前から車でもバイクでも躊躇する道を東に入ると、龍谷大学がありました。有形文化財指定された本館を激写しに敷地内へ入場。いい雰囲気の建物です。学生がいる雑踏がありません。クラブで来てる子もいないのかな?体育会系の部室や運動場は別の場所のようです。入れないけど、西本願寺の素敵な門があります。龍谷って、西本願寺が作った学校なんだなと、現地に来ると実感出来ます。
南面を東に進み、東面を北上します。西本願寺は、「でかい」。「龍谷山・本願寺(西本願寺)」の謂れ板が立っていました。それで龍谷大学なんだね。戦国期に宗勢を伸ばした親鸞開祖の浄土真宗・一向宗は、その膨大な動員力で戦国大名並の勢力を張り、加賀のように一向宗一揆を作って一国を支配したこともある。
他宗派、特に京都商人が信心した日蓮宗と抗争し、山科に追い出され、そこも追い出されて大坂城の地・石山に戦国の城と見紛う本願寺を建てた。その地を日本平定の次のターゲットアジア進出の本拠地にすべく望んだ織田信長と抗争した。信長後、大坂城を建てた豊臣秀吉からこの地を得て本願寺が建てられました。
西本願寺の北東角に「太鼓楼」がありました。謂れ板によると、「新撰組は、池田屋騒動以降、隊士が増えて壬生屯所では手狭になり、屯所を本願寺に移した。ここ太鼓楼を使用しました。本願寺は、長州と深い縁があり、長州藩士が何かと頼りにしていた。そこに屯所を移すことで、一石二鳥の効果を狙った。・・・」。北東角から北面を西進し、やっと駐車駐輪場です。
ここに、西本願寺聞法会館というのがあり、レストランの看板があります。地下1F「レストランふかもと」で昼食にしました。門徒さん向けだから学生会館並みの破格料金を予想しましたが、家内は「牛肉とじ定食・1100円」、僕は「天とじ定食・1100円」というごく普通のお値段でした。味は美味かったし、さすが宗教関係のレストラン、応対が気持ちよく二重丸でした。研修に来られているのでしょうか、僧衣のお坊さんや門徒さんがお食事中でした。
12:30、精算して西本願寺見学開始です。巨大木造建築に圧倒されます。去年は白いホロを被ってメンテナンス修理中だったけど、火災とかで焼けちゃったら再建できるのだろうかなあ?柱の巨木なんで再調達が厳しそう。圧倒的な大きさにやられて、神妙に正座して頭を垂れます。
境内正面に、横に枝振りの木がありました。「本願寺のイチョウ」となっていました。イチョウは高木ですが、背が低くイチョウには全然見えません。若木のうちから選定すると横に伸びるそうです。秋は真っ黄色になるのだろうか?
南東にある檜皮葺の素敵な屋根が見えるので、「あそこに行こう」と一旦東面に出てお隣に移動しますが、なんとますが閉ざされた表門に「本願寺幼稚園」と掛かっています。「こんな素敵な園舎なの?」。更に南の「真宗興正派・本山興正寺」に入ります。ここからも園舎の建物がよく見えます。「落書きなんて出来ないね」と家内も言うけど、僕には幼稚園として使っているとは思えない。どう見ても、迎賓館です。真相はいかに?帰宅後調べたら、「飛雲閣」という建物で、秀吉が建てた「聚楽第」の一部で国宝だそうです。そうだろうなあ。納得。一般拝観はしていないのでしょう。境内の紅梅が満開で、とても綺麗です。
次は東本願寺に向かって東進します。仏具筋なので、ゆっくりとウインドウショッピングしながら走りましたが、目につくものは特にありませんでした。瀟洒なレンガ造りの建物が目に入りました。「本願寺伝道院」となっていました。真宗信徒生命保険会社・社屋として明治42年に建てられたと謂れ板に書いてありました。
13:19、世界一でかい木造建物の「東本願寺」到着。謂れ板によると、西本願寺が秀吉の寄進で再興したのに対し、東本願寺は1602年に徳川家康の寄進を受けて建てられたそうです。本堂「阿弥陀堂」は、メンテナンス修理中で、白いホロを被っています。境内に入り門脇の鐘楼を振り返ると、バックに上部に網を被った姿で京都タワーが見えます。タワーもメンテナンス中なのかな?手水の龍が立派です。そしてこれまたどでかい「御影堂」が大迫力です。謂れ板には、「世界一の木造建築で、畳927枚となっていました。中に入ってみて、ここが年末の大掃除の季節になるとTVニュース放映されるあの場所だなって感じました。
ここから京都御所に向かって、烏丸通を北上します。13:35、でかい菊の紋章が目立つ閉ざされた門がありました。寺院なのかな?檜皮葺の屋根が素敵です。家紋は数々あれど、天皇家しか使わない菊紋は、やっぱり「おっ」っと来ます。
13:52、「京都国際マンガミュージアム」というのがありました。淡いピンクのハート型手提げカバンを持った女子が待ち合わせなのか、携帯電話を開いて不安げに佇んでいます。似合うね。
交通量の多い通りなので、歩道で歩行者を避けながら走ったり車道に下りてグーンと走ったりしながら御所の南西角まで北上し、左折して丸太町通を西進。京都府庁前交差点を左折し南下します。14:00、戦国グッズのお店「戦国魂」に到着。
来たかったんだよね〜。黒格子の町家に、小さな「毘」旗が揺れ、「戦国」と染められたのれんが出迎えてくれました。駐車場案内も貼ってあったので、車で行っても大丈夫そうです。「えっ、何・何?」、いかにも僕の趣味だなって、家内は喜んでいます。店内には、女子大生のバイトと言う感じの若い子が、丁寧に説明してくれます。片隅のTVから、毎回欠かさず見てる「NHK歴史秘話」が流れています。小さなお店ですが、TVの前に椅子も置いてあり、出してくれたお茶で一服しました。14:17、戦国魂家紋シール・315円×3+川中島合戦トランプ・1260円購入。
京都御所に戻ります。案内板をじっくり吟味。禁裏である京都御所以外は、皇族や公家さん達の家220があったそうです。御所が東京に移って公園や神社などになったみたい。建礼門・蛤御門など、ムフフな場所を記憶します。自転車通行はあかんのかな?と思って歩き出しましたが、あまりに広大で自転車も時々通るので自転車に戻って再出発です。砂利道で走りにくいけど、一筋の自転車道が砂利中央に通っています。単に自転車がそこを通るから砂利が退いてるだけなんだけど、この道は楽です。
「宗像神社」参拝。「平安京に遷都した桓武天皇期に創建され、歴代皇室の御尊信篤く・・・」となっています。当然、菊の紋です。他ではあまりお目にかかれませんが、さすがに京都、至る所に皇室との関係厚い菊紋があふれています。続いて14:45・「白雲神社」訪問。家内が遅れ気味です。砂利道にやられてしまったのかな?家内は腰掛け、僕だけ参拝。
もうちょっと北上すれば蛤御門や御所なのに、家内の様子を見て砂利道脱出することにします。少しバックし、梅林で激写休憩。紅梅が綺麗です。そこを西進し、一旦烏丸通に出ます。アスファルト歩道を北上開始し、17:52・表から「蛤御門」を見学します。開かずの門だったので蛤御門と名付けられたそうですが、開いていました。天皇をかっさらって幕府討伐の綸旨を得て、オセロの駒のように白黒逆転し、錦の御旗を立てて官軍に裏返ろうとした長州藩が、ここから突入しようとしました。京都所司代の会津藩と薩摩藩が迎え撃ち、長州は破れ、西国街道を長州に退却しました。わが町を通る旧西国街道にも、逃げゆく長州と追いかける薩摩との戦闘の碑が立っています。
御所訪問は諦めました。南北の烏丸通を東西の今出川通まで北上し、大河ドラマで脚光を浴びる同志社を激写。左折して、もう一つのメインイベント・北野天満宮に向かいます。今出川通を西進しますが、とうとう家内がダウンしました。「あとどれくらい?私はここのバス停で待ってるから、行ってきて」「じゃあ、何かあったら電話してね」とスピードアップして西進し始めますが、どうせ向こうでゆっくり出来ないと思い、北野天満宮も諦めて引き返しました。菅原道真を祀る天満宮の総本山なので、いろんなことを期待していましたが、家内の方が大事なので仕方ないです。
数分で戻ってきた僕を、「あれっ、どうしたの?」。「時間がないからさあ、途中にあった気になった神社に寄りながら帰ろう」。更に北上し、「大徳寺」「上賀茂神社」、そこから南下して「相国寺」訪問も企んでいましたが、全部次回回しにしました。
御所まで戻ります。15:28、「白峯神社」というのがあったので寄り道します。「球技上達」スポーツの神様だって。「なでしこジャパン」云々の説明板もあります。拝殿前に、「左近の桜・右近の橘」が植えられています。橘は、我が家の庭の金柑とほぼ一緒の実をつけています。拝殿脇に、サッカー・バレー・ラグビーなどのボールが奉納されています。境内に竹で四方を囲まれた一角があり、「蹴鞠をする所」の説明板が立っていました。「蹴鞠の碑」というのもありました。蹴鞠に関係する神社のようで、そこからサッカーやラグビーなどの球技一般に、更にスポーツの神様に領域拡大してるみたい。
御所北西角まで戻り、烏丸通を南下します。15:45、「護王神社」寄り道。門に、「足腰御守」の垂れ幕が下がっています。謂れ板に、「桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂とその姉広虫を祭神とする神社」となっています。ここも菊紋です。門前に、「手作り市」の看板が置かれており、手作り品が売られています。「市価の半額でアクセサリーを売っています。見ていって〜」と僕らに声が掛かりました。16時前なので、後片付け中のお店もあります。狛犬ではなく駒猪で、境内はイノシシだらけです。手水が猪です。初めて見たわ。
境内の謂れ板に、「イノシシ神社のお話」というのがありました。「奈良時代、称徳天皇の御代、法皇となって権勢を振るっていた振るっていた弓削道鏡は、天皇の位を我が物にしようと、「自分を皇位に就かせたなら、天下太平になると宇佐八幡よりご神託があった」と嘘をつきます。それを確かめに派遣された和気清麻呂は、九州宇佐神社に行きます。ご神託は「天皇の後継者は必ず皇族の者を立てなさい。無道の者は早く追放しなさい」。これを天皇に伝え、道鏡の野望を砕きます。清麻呂は大隅国(鹿児島県)に流されることになり、その旅の途中、道鏡の放った刺客に襲われ、足の筋を切られてしまいます。それでも清麻呂は、皇室の安泰が守られたことを感謝するため、宇佐八幡に立ち寄ることにしました。豊前国(福岡県東部)に差し掛かった時、どこからともなく300頭のイノシシが現れ、輿の周りを守り道中を案内しました。そして宇佐八幡に着くと、足の痛みが治っていました。1年後、称徳天皇の崩御で道鏡が失脚すると、清麻呂は京に呼び戻され晩年まで人々のために尽くしました」。
なるほど、だからイノシシなのね。称徳天皇は特徴があるので知っていました。天平の天然痘大流行を平癒するために東大寺盧遮那仏(大仏)建立を僧・行基に命じた聖武天皇の娘で、男子が生まれなかったので聖武天皇の後・孝謙天皇として即位し、退位して上皇になったのに1代おいてまた天皇に返り咲きました。女帝であることと、天皇に返り咲いたことで印象深い天皇です。しかし女帝なるがゆえ、たくましい弓削道鏡に色仕掛けでつけいられてしまいました。
拝殿に、平成10年・20年・21年・22年・24年と5回の今上天皇からの幣饌料御下賜札が下がっています。こんな小さなお宮に、20年から5年間に4回も・・・天皇家の誰かに足腰が弱ってる人がいるのかな?皇后さんの美智子さんのご病気?皇太子さんの奥さんの・・・?ふふふ・・・面白いな。
軍艦のリアル絵馬(絵)?と共に「忠烈の額」というのも張られています。「軍船・高雄に護王神社のご分霊が祀られていました。ご分霊のご加護により、武運に恵まれ沈没することなく、その任を全うした旧日本海軍の数少ない艦艇である」。ほほう・・・。
由緒有りそうな立派な門を備えた「平安女学院大学」がありました。その横には、赤レンガが美しい「聖アグネス教会」があります。更に下っていると、後の家内から僕を呼び止める声が掛かりました。何事かと戻ると、「菅原天満宮だって」と。横には、「菅原院天満宮神社」がありました。家内もだいぶ僕に感化されてるね。16:02。
僕の祖であるという菅原道真さんが生まれた所だそうで、産湯井戸までありました。ここに、内裏図なるものが貼ってありました。皇族・公家が住んでいたという現在の京都御苑&御所一帯の家屋図です。禁裏を中心に、さすがに五摂家である近衛家や一条家などは広い敷地ですが、小さな敷地なのもあります。それでも、我が家よりは広いんだろうな・・・。これが売っていたら買うんだけどなあ。
道路脇の高い塀で囲まれた森の中に、洋館が佇んでいます。緊急ストップ。壁に「大丸ヴィラ」と銘板が打たれていました。銘板の下には、「1932年(昭和7年)、当時の大丸社長さんの邸宅としてヴォーリス設計・清水組施工・・・」と書かれていました。
レンタルショップに言った帰着予定17:00に間に合わなくなるけど、最後にもう1ヶ所訪問しましょう。御所一角の南面を東進します。南東角まで来て、右側を注意しながら北上開始です。同志社のマークがあったので、すぐに見つかりました。
16:21、「同志社・新島会館」という赤レンガ風の落ち着いた綺麗な建物が建っていますが、その横に現大河ドラマ・八重の桜の主人公・新島八重夫妻が住んだ家が残っています。「受付終了」となっていますが、垣根越しに激写です。この道を少し北上すると、八重が結婚前に奉職していた女学校もあり、八重の桜関係の旧跡は全然回れませんでしたが、まあ次回のお楽しみです。
京都駅に戻るべく南北・「寺町通」を南下開始です。通りの名からすると、往時はお寺銀座だったはずですが、今はそれほどでもないです。東西・「御池通」との交差点で信号ストップしたら、左手に素敵な建物が・・・いつも着物を着てTVに登場する京都市長さん率いる京都市役所でした。いいね。
そのまま直進したら、アーケード商店街に突っ込みました。入ってすぐ左手に、「本能寺」がありました。信長が討ち死にした本能寺から移っている現本能寺です。おトイレ小休憩します。高校生グループが写真を撮っています。
アーケード通りははるかに続き、お客さんも多いので、一本西の南北道・御幸町通にチェンジします。細道ですが、良い感じで南下してたら、正面東西道にカーケードが架かっており、「錦」の文字が・・・これが有名な錦市場なのか・・・。
と激写したら、停まった右横に「まねきねこのて」のお店がありました。僕の「招き猫・CB400SB」の守護神・招き猫ぬいぐるみを購入したお店です。僕は高台寺店で購入したのですが、錦市場にもありました。帰宅後調べたら、ここが本店でした。16:54・店内に入り、新作カラーの「招き猫」530円を買っちゃいました。前回同様、しばらく仏壇に置いといて、ご先祖様に守り神として乗り移ってもらいましょう。初代は、山陽道で僕の代わりに風に吹き飛ばされて高速道の藻屑となりました。2代目はリアシート右側にシートベルト装着で健在です。3代目は2代目の共に、左側を守護してもらいましょう。僕の気まぐれルートは、大正解だったようです。
「近又」という聞いたような、だけど小さなお店がありました。家内が、「懐石で有名なとこでねえ」って物知りです。繁華な東西道に出たと思ったら、見慣れた四条通でした。そのまま南に突っ切り進むと、五条河原町交差点に出ました。ここから河原町通の大通りを下ります。立派な長い土塀が続きました。お寺か神社かなと帰宅後調べると、「渉成園」という東本願寺の別邸でした。徳川三代将軍・家光から寄進されたそうです。宗教勢力はおっかないから、手当に抜かりがありませんね。
七条を越え、あとはどうやってJR線路を越えるかです。河原町通は、線路をくぐっていますが、自転車・荷車通行禁止の道標が立っています。「ままよ」と線路にぶつかって見ようと突っ込むと、河原町通の東側に自転車・歩行者通路がありました。グア〜っと下り、コギコギで上ってJRの南側に出ることが出来ました。
すぐに右折し、八条通を西進します。そして、17:18・自転車レンタルショップに帰着しました。リミット18:00より前なので、追加料金発生なしです。「あ〜お尻が痛かった」。次回は、家からゲルサドルカバーを持ってきて、クッションが入ってるサイクルパンツも履いてこなくちゃ。後半は、左右にお尻を動かしたり立ち漕ぎを適宜入れたりして、お尻に優しく乗りました。家内も、御所からは基本軽い下りなのでギブアップすることなく帰ってこれました。でも、全身筋肉痛だって。グハ。
JR京都駅に入り、朝見つけていたクレープのお店で、1人2個ずつ計4個のクレープを買いました。高槻から快速になる普通電車に乗り込みます。次の新快速に乗る方が早いけど、混むからのんびり行きましょう。それほど混んでおらず、悠々座席を確保出来ました。
クレープを美味しく食べて、小腹の空きを満たします。あ〜だこ〜だ本日の感想などを述べながらJR尼崎までその快速に乗りました。家内はSLに乗れたことが一番良かったそうです。僕も同じく梅小路機関車館で、特急ツバメ号に再会できたことです。
帰宅は、「NHK・ダーウィンが来た」を最初から見れたから、19:30前です。ああ、楽しかった。家内と一緒だと、ほんわか楽しいんだよね。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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