ウェブマスター日記 2013/1-2

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2013/2/25
日曜日は、赤穂市坂越に焼き牡蠣を食べに行きました。家内は仕事関係の会合の司会をするそうでお出かけです。家内は、小学校時代は放送部で、中学時代もテニス部と放送部に所属しており、基本昼休みは放送室でマイクに向かって喋ってました。最近、会合で司会をすることが多くなりましたが、基本好きなんでしょう。会合はほとんどホテルなので、シティー派の家内にはおしゃれする機会でもあり、嬉々としてお肌のお手入れなど楽しそうにやってます。
ということで、前回計画した「播磨の山城攻め」をしようかな?船に乗ろうかな?など考えました。が、土曜日の天気予報でも日曜日の最高気温が7℃という予報なので、ソロより大勢がいいなと、先月初参加した「和歌山バイクの会」のツーリングに申し込みました。
8:40に須磨集合なので、6:30に家を出てのんびり行こうかな?と思っていたのですが、なんだかんだやってたら出発が7時になってしまいました。なんだかんだ作業は、「ニューイング・エアーチェックバルブ」への交換です。タイヤ・バルブのキャップをこれに変更すると、規定の空気圧以上あるかどうか一目瞭然でわかる優れものです。1つ500円前後で、設定値ごとに5種類発売されています。車もバイクも指定の空気圧がありますが、その設定値に近いこのキャップに変えておくだけで空気圧点検の必要がなくなります。
車1台・4つ、バイク3台・6つの計10個購入し、キャップを交換して行きました。すべて規定値以上入っており、問題なしでした。規定値異常だと透明なキャップ上部にグリーンサインが見えるようになっています。空気圧が下がっていくと、グリーンサインも下がっていき、規定以下になると見えなくなります。そうなったら空気補充です。簡単な構造なのにうまく出来てるなと関心したり、外したキャップはどうするか・・・それぞれの車両内に置いておくことにしました・・・などゴソゴソやってました。
集合場所には30分前に着いておきたいので、高速道路利用に変更しました。下道オンリーなツーリングということだったので、里山VTR250を出す予定でしたが、招き猫CB400SBにしました。雪がチラチラ舞っていたので、中国道・阪神高速北神戸線経由ではなく、より気温の高い阪神高速神戸線利用にしました。R171を西宮まで走り、えべっさんのとこから阪神高速に上がりました。上がると下道では感じなかった風を感じます。結構強いですよ。怖いので、80km/hぐらいで適当な先導車を見つけて金魚のフン状態で西進しました。
須磨・若宮ICで下車。時刻は7:50です。あまりに早すぎます。R2を西進し、集合場所のコンビニ前を通り過ぎ、8:04「山陽電車・須磨浦公園」到着。南に播磨の海がキラキラ輝いています。雪のチラホラは、我が家付近だけで、道中雪は降りませんでした。気温は低いのでしょうが、バイク装束のお陰で寒さを感じません。
北を向けば須磨浦公園の山が迫っています。ここらは源平一の谷合戦の古戦場で、平敦盛の塚や合戦場の碑などがあります。須磨裏の山に向かってロープウェイが架かっており、その乗り場が山陽電車の駅に隣接していますが、営業時間前のようでまだシャッターが下りています。でもその前に、山登りスタイルの方が10人ほどいます。ロープウェイ開業時間待ちかな?と思ったのですが、駅で待ち合わせをしているだけのようです。次の電車が来て、集まったグループごとに上って行かれました。この駅を起点にしたトレッキングも楽しそう。メニューに入れておきましょう。
R2を戻り、集合場所の「ローソン・須磨浦5丁目店」に着くと、30分前なのに既に3台停まっていました。原付二種で参加の方がキャンセルされたので、高速に乗って来たそうです。リーダーGさん以外は、お初の方です。Yさんは奈良からだそうで、バンディット1250です。高速道路での風の具合を聞くと、やはり大型バイクでも振られるとのことですが、100km/h巡航で来られたようで、80km/hなら平気なのでしょう。Mさんは、ここの近所にお住まいの話しやすく気さくな女性です。足つきの良いアメリカンに乗ってる女性が多いな。僕より後でやってきたKさんは、後で分かったのですがジュベル250?でした。オフ車なので、背が高く、もっと大きな排気量だと思ってました。最後に、僕の近所のTさん登場。僕と同じCB400。カイロを貼って、コーヒーで温まるようです。これで全員集合です。
8:30に、次の集合場所に向け、Mさん先頭に出発です。R2を西進し、8:53・「セブン-イレブン・明石硯町店」到着。ここで、昼食用のおにぎりを1つ買います。115円。
次の休憩場所は、「道の駅みつ」です。リーダーさん先頭に、R2〜R250バイパスで一気に姫路まで西進しました。原付二種では走行できないところもあったと思います。オール下道ということだったので、旧R250をのんびり走るのかな?と思ってましたが、250以上になったのでルート変更したのでしょう。明石江井ヶ島には、僕が大学時代前半に付き合ってたGFさんの実家があり、周りの様子がどうなってるか見たかったのですが、お預けになりました。学校帰りに、何度も送って行ったなあ・・・後期試験がキャンセルになりレポート提出に変更され、彼女の家でレポートを書き上げたこともありました。
姫路からは、昔のままのR250です。網干を通過し、御津町に入り、七曲りの海岸線に出たところで、10:14「道の駅みつ」到着。寒いのに、20台ぐらいのバイクがいました。売店を冷やかしに行くと、焼き牡蠣も売っていました。バイク置き場に戻ると、20台ぐらいの団体さんが入って来ました。七曲りや牡蠣が目的と思われます。
それに追い出されるように、リーダーさん先頭に出発です。ここからは僕だけ遅れそうなので、一番後ろの位置を確保しました。次の休憩場所「道の駅・白龍城」まで一本道なので遅れても問題なしです。うまい具合に適当なスピードの四輪に阻まれ、前のバイクが視界から消えることなくついて行けました。
相生湾のドックに、「新日本海フェリー」が入っています。IHIの造船所もあります。重厚長大産業が謳歌していた頃は、素晴らしく活気があった町なのだろうな。高校ヨット部の県内唯一のライバル・相生産業が練習している湾だ。いつも風が弱いので、風が上がれば我が方断然有利になりました。相生湾の付け根にある「道の駅ペーロン城」に、10:46到着。地元の産品がたくさん売っています。牡蠣ももちろんありました。Tさんがまた試食しています。でも合格点に至らなかったのか、購入はなしでした。僕もおせんべいを試食したけど、先週の「たこせんべいの里」の方が美味かった。
次は、最終目的地の鎌倉水産です。ウネウネのr568はパスして、R250を西進し、千種川を渡る橋の所からr32に入って「坂越湾」に出ました。この道は初めてでした。風情のある坂越の町の中を通る通過するだけではもったいない道でした。
海に出たとこで左折し、r568に逆から入ります。漁港みたいなとこに「鎌倉水産」がありました。車がいっぱいで大人気です。何処に停めればいいかな?と案じていたら、先に入ったリーダーさんから、「バックするよ。向こうの山の方に行きます」との司令です。2足バックでゴソゴソ動き出しましたが、逆坂でギブアップ。降りて押しバックになりました。
さっきの交差点まで戻り、r32海岸線を南下します。家内と去年赤穂に来た時、播磨灘の絶景を望んで休憩したとこを通過したとこに、もう一つの「鎌倉水産」がありました。11:19、道横の駐車場に置いて、海岸線を崖下に階段で下ります。
リーダーさんは、「二輪土日休日通行禁止」道標と停まってたパトカーを気にしておられましたが、海岸線r32とr568交差点とこのは、「この先1800m、二輪土日休日通行禁止」だったし、途中に「この先1000m・・・」の道標もあったので、予告道標で、アースの工場のとこからが通行禁止だと思うので、ここまではセーフでしょう。
下に降りると、海面上にコンクリートテラスが作られています。ちょうど沖からクレーンが備えられた牡蠣漁船が入って来ました。ここの桟橋に直接採りたての牡蠣を水揚げするみたい。水洗いなどする加工場はないようなので、さっきの鎌倉水産で加工したのを、こっちに運んできただけかもしれません。
牡蠣は1kg・1300円・約17個で、それを5kgにイワシの丸干しを追加し、1人1400円のお支払いです。炭火バーベキュー机を囲んで屋外で食します。去年のツーリングでは、雨の中カッパ着て食べたとか・・・ワイルドやなあ。そこまでして食べるか〜・・・男の子のノリって奴ですね。女性が1人でもいれば、もっと上品な屋内で食べたでしょう。軍手・炭・紙皿・割り箸付きなので、何も持っていく必要がありません。
網の上に牡蠣やイワシを並べ、その横にさっき買ったおにぎりを載せます。牡蠣は火が通ると、プシューって蓋が開き食べごろのようです。大きな食べごたえのある牡蠣を口に運びます。熱いかな?と恐る恐る歯を入れましたが、カキ殻がいい塩梅のお皿になってて温かい程度です。めちゃ美味い!
リーダーさん他はベテランさんのようで、数種類の調味料持参です。次週も来るようですよ。Tさんは、道の駅・白龍城で、牡蠣ポン酢というのを買って来てるし、Mさんはアルミホイル持参です。そのままでも海の塩味が利いて美味いのに、いろんな調味料でも頂きました。ごちそうさまでした。イワシの丸干しは、なかなか中まで火が通らず、お勧めじゃないです。こりゃ毎年通う人が大勢いるのもうなずけます。こんなお店が、ここらの海岸線沿いにたくさんあります。20年前には子供達と潮干狩り等でここらの海岸線によく来たけど、こんなお店はありませんでした。市場に卸すより、直接消費者に販売するうま味を漁師さんが知ったのでしょうね。
ここで一応解散です。お土産のために、道の駅・白龍城までr568で戻り、相生からR2に出るまでの間にあったGSで2台がガソリン補給しました。ここからR2に出て、皆さんなんとなくスピードアップされて、僕の視界から消えて行きました。
揖保町のr29との交差点角にあったファミリーマートで、車載カメラセット休憩をしました。まだ13:30なので、ゆっくり田舎道を縫いながら下道で帰りましょう。R2・太子竜野バイパスを東進し、R29・姫路西バイパスで北上します。そのまま山陽道に乗れるのですが、山陽道・姫路西ICのとこで下に降り、ここからムービーONです。まずは、先々週行けなかった「置塩城址」の登城口探索です。
GPS地図をチラ見しながら、r545を東進すると県立大工学部前を通過。続いて甲子園で優勝経験もある野球強豪校・東洋大姫路高校前を通過。こんなとこにあったんや・・・・。すぐに見覚えのある夢前川を渡り、書写山アプローチ道の対岸・r67を夢前川に沿って北上開始です。交通量もそれほど多くなく、良い感じの道です。r67は道なりに夢前川を西岸に渡りますが、ここを渡らずにそのまま直進します。「置塩城址」の案内板が途中にありました。登山ブームを背景に、軽く山城ブームも来てるようで、新しく案内板が設置されたり、見通せなかった山頂曲輪周囲の雑木が伐採され絶景が堪能できるようになったり、良い感じです。
この夢前川に沿う道は素晴らしかったです。自転車でのんびり走りたいぞ。14:13・「置塩城址」登城口到着。10台ほど停められる駐車場があるので、車で来ても大丈夫です。謂れ板や縄張り図も立っており、登城路も明確です。さすが播磨の雄・赤松氏が再興した後の居城です。赤松氏の山城と言えば、贅沢な石垣がトレードマークですが、ここも残っているのかな?期待が膨らみます。片道40分となってたので、休憩を入れても往復2時間コースです。また家内と来よう。駐車場横に、「第10回、全国山城サミット・シンポジウム記念」の石柱が立っていました。山城サミットなどというものがあるんだな。その開催地になったということは、かなり整備されて貧脚の僕らでも遭難の危険はなさそうです。
登城口横に、「置塩家の墓」がありました。横には「置塩山権太夫」さん他、古い時代の個人墓標も立っています。「丸に上がり藤」紋です。赤松一族?かと思ったのですが、藤紋は天下の藤原氏流れであることを示すもの。ここの地名が「置塩」なので、この地を収めた藤原氏流れの豪族が「置塩氏」を名乗ったのでしょう。赤松氏の配下に下ったのか、滅んで庶流が地元で帰農したのか・・・。う〜、お墓を守っている当主さんさえようわかってないかもしれない楽しい堂々巡りが、頭の中で遊んでいます。
少し北に神社が見えます。赤松氏の祈願神社なのかな?「櫃蔵神社」という名前でした。炊いたお米を入れる「お櫃」に、明日の糧を収納する「蔵」とは、ご利益の有りそうな素敵な名前です。謂れ板には、「・・・1340年創建。置塩城5代・赤松則房が1577年羽柴秀吉に服して開城の時、城の守護神は当社と糸田の「橿森神社」・恒屋の「櫃倉神社」の3所に分祀された。拝殿には貴重な絵馬が多く奉納されている。・・・」と書かれていました。創建が室町幕府が始まった頃で赤松円心(前期赤松氏初代)が播磨守になった頃だから、ここに居城を移した後期赤松氏播磨守時代の100年ほど前という延喜式に載るような格式のある神社ではない。だからメインではなかったかもしれないが、赤松氏と縁が深かったことは分祀されたことで伺えます。他の2つのお宮の位置も確認しました。頭の中の赤松氏探索の旅のターゲットに加えておきましょう。
古い絵馬が沢山掛かっていました。おお〜、かなりのお宝です。最近無住職の田舎のお寺の本尊を盗む罰当たりが出没してるけど、こういうのを盗む輩が出没しなければいいがなあ・・・。地元の方が定期的に手入れしながら、何の盗難予防もせず夜中だって誰でも拝見できるこういう日本の素晴らしい治安がずっと保たれるのを願います。
ちょっと戻り、r80で西進開始。14:33、赤松氏と縁の深い「性海寺」を訪問しました。謂れ板には、「716年創建。1439年大洪水で壊れた本堂・坊舎を播磨守護・赤松氏と英賀城主・三木氏によって再建された。本尊1.8m・十一面千手観音像の胎内に、置塩城初代・赤松政則の持念仏が収められています。・・・」となっていました。政則は、室町幕府・山名宗全軍に滅ぼされた赤松宗家を、南朝に奪われていた三種の神器を奪って北朝・室町幕府に戻した功績で再興した後期赤松播磨守初代です。この持念仏をずっと懐に入れていたと言われている。本尊の胎内に収められたから、本尊が壊れでもしない限り世には再び出ないのだろうが、どんな姿をしているのだろう・・・?
拝殿脇に、木造のお坊さんが、東大寺の大仏さんと同じ印を結んで座っておられます。あの印は、右手の「恐れることはない」と左手の「願いを叶えよう」の印を組み合わせたものだったはずです。白目だけが異様に白く、その他は良い感じで年季が入っています。左手の上に桃のような果物が載っています。桃は仙人の食べ物で不老長寿の象徴だから、永遠の命を授けようとでも語っているのかな?ぐふふ、面白いぞ。
裏には、弁天堂に上る階段がありました。ここは夢前・七福神の弁天様だと、駐車場横の大きな看板に謳っていました。その階段脇に、子育観音像があり、観音様の足元にまるで母親を慕うように裸ん坊のこの像がまとわりついていました。珍しい像です。
r80に戻り東進します。「暮坂峠」を越えて東側に降りると、T字路です。r80は左折で、R312は右折のようです。r80を進みますが、しばらく走ると一気に1〜1.5車線になって山中の森の中に消えています。地図ではR312まで行けそうなのですが、「4t車通行不可」とか書かれてるし、怪しい峠越えでCBをこかしたらあかんと思い、Uターンしました。
さっきの交差点までにあった「式内田川神社」という雰囲気のいいお宮に、14:57寄り道しました。「式内」となっているので、延喜式に収載されている平安時代には既にあったお宮でしょう。謂れ板によると、神功皇后(269年頃)にまつわる神社とのこと。古いなあ。拝殿には、僕にはお宝に見える素敵な絵馬が何枚も掛かっています。いいね。本殿の屋根もかっこいいし、「山神社」「地神社」という手入れされた祠も佇んでいます。樹齢550年の大ケヤキがドンと本殿裏を守っています。地元に大事にされているのがよくわかるな。さらに境内入口に石の石柱が立っていますが、謂れ板によると、「石の大鳥居と灯籠が奥須加院東端に位置し、一の鳥居から社殿まで相当離れており、現在は昔の参道の面影はなくなっているが、距離から見ても往時の勢力がわかる神域の広さである。」となっていました。
その後R312に向かってのどかな田園地帯をゆるく下りましたが、先ほど書かれていた大鳥居が、田畑に囲まれてその道沿いにありました。ありゃ〜確かにここから社殿までかなりの距離があるぞ。15時を回ったので、もう寄り道の時間はなくなりました。とっとと帰りましょう。R312に出て少々北上し、右折しr81で市川を渡ります。r117で北東に進み、加西市の中心地・北条電鉄北条町駅横を走り、r24で東進、r24が北向きになったので、r371に乗り換えて東進します。GPSを見ながら、東へ東へとチェンジしているだけです。中国道の南側を並行して走っています。
R372に出たので、それに乗っかり、「滝野社IC」の近くで中国道沿いを三田まで走るr17を発見しました。これに乗れば、もう地図なしで帰宅出来ます。山陽道沿いを走るr38同様、交通量が多くなく、信号が少なく流れのいいお気に入りの東西道です。
「ひょうご東条IC」のとこで、16:17「道の駅とうじょう」で休憩しました。1時間走りっぱなしでした。お腹がすいたので、出店で売ってたコロッケ5個・500円を購入し、1個食べました。「揚げたてで美味しいですよ」と売店のお兄ちゃんが言ってた通り、うまかった。中国道案内掲示には、「事故渋滞10km」となっていました。下道帰宅決定。
日没が遅くなったので、気持よくr17を東進し、三田でR176に出ました。少しR176を南下し、お得意のr327で「JR道場」〜「武庫川渓谷」〜「川下川ダム」ルートです。ダム上の新名神高速道路橋脚&橋梁は完成しており、武庫川を渡る部分は天を指すような高い橋脚だけ出来ていました。これが出来ると中国道宝塚トンネル渋滞が解消されるね。
r33〜r325〜長尾山トンネルで、大阪平野に降りて来ました。17:47、宝塚伊丹産業エッソで給油。277km/12.12L=22.9km/L。購入してからの平均燃費24.5km/Lに届きません。寒いからかなあ・・・。
18時に帰宅しました。倉庫前でいつもの乾拭きをします。武庫川沿いの道に何故か水たまりがあり、泥跳ねしちゃいましたよ。明るいうちに帰宅できて良かった。初焼き牡蠣も美味しかったし、播磨赤松探索も面白かった。家内がまだだったので、暖房やお風呂スイッチを入れてから、荷物の片付けをしてると帰ってきました。気合入れて薄着気味に家内は、「寒い寒い」って特急で着替えています。コートぐらい厚いのを着て行けばいいのに・・・女子はおしゃれ命ですね。また楽しい1日が終わりました。

2013/2/18
日曜日は、淡路島七福神巡りをしました。当初、家内に用事があったので、グループツーリングに参加しようと思いました。この日にイベントを予定しているグループが2つありましたが、両方共淡路島が訪問地でした。たこフェリーがなくなったので、明石海峡大橋を渡るしか方法がありません。僕は高いとこが苦手で、あそこは吹きっ晒しの海峡のかなり高い所に架かってるので、僕にはハードルが高すぎます。そこで、ソロで播磨・備前の山城跡巡りでもしようかな・・・前日の天気予報を待って、風が弱そうならグループに参加して初明石海峡大橋バイク渡橋にチャレンジしてもいいかも?なんて日を送っていました。
水曜日になって、家内の用事がなくなりました。こうなれば夫婦デート決定です。有馬温泉に行って姉夫婦トレッキングに合流、山城跡登城も頭を過ぎりましたが、「淡路島七福神巡り」に決定しました。先月初孫が産まれたので、おめでたい七福神です。プラスして、国産みの物語の最初の国・淡路島の一宮・伊弉諾神社訪問、そして歴史古代ロマン・北緯34度32分のお宮探索を計画しました。これを家内に提案すると、「うん、行く行く〜」って。
前日夜の天気予報は、晴れ予報です。Good!でも朝の気温が−1℃ですよ。ノーマルタイヤの車なので、6時出発予定を6時半出発に遅らせました。朝起きると庭に霜が降りています。やばいな〜とグズグズしてたら、駐車場に行くのが6:20になってしまいましたよ。フロントガラスに霜が凍ってて、今シーズン一番のガリガリで更に時間が押してしまいました。
家内が、「今日は楽しみ〜」ってウキウキしながら乗り込んできます。僕も頑張らなきゃ。結局、車に乗り込んでまず行った給油が、6:59・宝塚出光になってしまいました。中国道宝塚ICから高速に乗り込みました。いきなり両側の山は霜で真っ白です。路面も乾いた霜で濡れています。路肩には氷が張ってます。いつもなら阪神高速北神戸線経由・明石大橋なのですが、六甲山の北と西を通る北神戸線の路面状態が凍結でおっかないので、三木経由にしました。山陽道に入り、三木JCTさら南下し明石大橋にエントリーです。
風は弱いようですが、相変わらずの高さで、遥か下に海が見えます。勝手にそれが目に入ってきて、足先から血の気が引いていきます。怖い!それを言うと、高いとこが平気な家内は、「海を見なきゃいいのよ」とか、「もっと真ん中の車線を走ったら?」なんて笑っています。チラチラ僕の顔を見て、泣き出す瞬間でも見ようとしているのか・・・
無事海峡を渡り終えました。心臓のドキドキを解消スべく、7:54・淡路SAで休憩します。観覧車は営業前ですが、その下から今渡ってきた橋と明石海峡が綺麗に見えます。ここでGPSをシガーソケットにつないで、案内開始です。訪問メニューが多いので、本日はGPS誘導を利用します。車のGPSへの事前登録ができなかったので、自宅で事前登録したバイク用に使ってるパナソニック・ゴリラGPSを登場させます。ここで問題発生です。初めて使う吸盤マウントの方法がわかりません。仕方ないので、家内の手持ちマウントで1日過ごすことになりました。
「淡路IC」で下車し、ぐんぐん東海岸に下って、8:14・「石屋神社」到着。海側には、絵島のような変わった侵食をされた島が見えます。海に向かって素敵な長屋門を備えた立派なお宮です。
左に穏やかな海を見ながらR28を「東浦・久留麻」まで南下し、8:35・「伊勢久留麻神社」訪問。謂れ板によると、「伊勢久留真より勧請され、太陽神・天照大御神を祀る。延喜式では、淡路三ノ宮で一宮は伊弉諾神社。古代の謎・北緯34度32分上にあるお宮」となっていました。
北緯34度32分上には、多くの信仰の宮があります。東から伊勢湾神島・伊勢斎宮・室生寺・長谷寺・日本最古の神社三輪山・女王卑弥呼の墓と推測され注目を集める箸墓古墳・伊勢久留麻神社・石上神社と並びます。国産み伝説で日本で最初に産まれた陸地・淡路島にはここと石上神社がありますが、石上神社は今でも女人禁制なので、この日の訪問から外しました。海に向かって正面し、のびのびした感じを受けます。34度32分の謎を考えると、海に向かってじゃなく、卑弥呼の墓に向かって、あるいは伊勢に向かっているのかもしれない・・・そんな想像が頭を巡り1人顔が綻びます。怪しいね。
更にR28を南下し、やっと本日のメインイベントの始まり・七福神巡り最初のお寺・「八浄寺(大黒天)」に、8:59到着しました。駐車場にはバスが1台入っています。駐車場横には、テントのお花屋さんがあり、その横にはお花栽培の温室があります。周りの畑はお花畑のようです。京阪神に出荷しているのでしょうね。
朱色の綺麗な大塔が、このお寺の経済力を物語っています。僕らが駐車場に戻った時は、「淡路島七福神巡り」とフロントガラスに掲げた更に2台の大型観光バスがいました。2月の観光シーズンとは遠い季節なのに、続々と観光客が訪れています。恐るべし「淡路島七福神巡り」。
神社の手水のようなものが有り、神社の手水といえば龍の口から水が出ているのが定番ですが、ここのは七福神さんの掌から水が出ています。家内が「可愛い」と喜んでいます。ここで七福神巡りの受付をしました。1人・1400円払い、黄色のスタンプ用紙を受け取ります。訪問寺でスタンプを押して貰い、全部集まったら福笹をいただけます。そして、各寺でご祈祷と法話を聞けます。2人なので2800円。
僕はその他に、「御寶印帳」も買いました。2種類あり、2800円のは大きめで、予め各寺の訪問文字が書かれており、各寺訪問時にスタンプを押して貰うもの。1800円(だったと思う)のは、無地で各寺で文字とスタンプを押して貰うタイプで、7ページ以上あるので七福神以外のお寺訪問時にも引き続き使えます。僕は1800円の方にしました。その場で、ささっと八浄寺のサイン&スタンプを押してもらいました。ぐふふ、楽しいかも。ご法話&ご祈祷は、続々やってくる観光バスツアーさんに押されてパスしました。八浄寺訪問お土産として、マッチ&「幸せ実る花の種」を頂きました。
車に戻り、「すごい人気だねえ〜」と僕らの認識の甘さを笑い合って、次を目指します。R28を南下、r66にちょこっと入り、9:38・「志筑神社」到着。謂れ板によると、ここも延喜式に記載された歴史由緒あるお宮で、静御前所縁の一条中納言家の荘園であった志筑郷の首座神社だそうです。鎌倉時代には一遍上人も訪問されたようで、平安・鎌倉時代が全盛であったのかも?境内に楠の木?の巨木があり、しめ縄が張られています。八百万の神がおわす国・日本は、至る所に神が鎮座しています。いかにも神様が宿っているような巨木です。人の営みを何百年も静かに見守って来たのだろうな・・・。
r66を更に西へ進み、10:00・「たこせんべいの里」到着。車がいっぱいです。ガードマンさんに誘導されて車を停め、中に入ります。ここはバイク知り合いの話題に上る有名な場所なので、一度訪問しようと思ってました。「コーヒー飲み放題・おせんべい食べ放題」に惹かれての訪問でしたが、ちゃっかりお買い物に誘導されちゃいました。りんちょこ300円+磯みりん×3・900円=1200円也。駐車場に出たら、隣のスペースにバイクが10台ぐらい停まっていました。僕が参加してるグループかな?と思ったけど、見覚えのないバイクばかりだから別グループのようです。
r66を東に少し戻り、10:12・「静の里公園」到着。源義経のいい人だった絶世の美女・静御前ですが、淡路島にどんな縁があるのだろう?とここの訪問を楽しみにしていました。ここが10時開園なので、それに合わせてルートを考えましたが、ピッタリの時間です。「静御前ゆかりの地・一億円金塊発祥の地」の立て札が迎えてくれます。
金塊の文字に目が眩み、まずはそっちの建物を訪問です。「力自慢コーナー」、1億円金塊と同じ重さ・63kgの鉛と銅の塊が置いてあります。持ち上げようと思ったけど、重すぎて動かすのがやっとです。三菱のマークが付いた金塊が4つショーケースに入っています。辺りには家内以外誰もいません。出来心を刺激されましたが、後々これで家内と血みどろの戦いになること必定なので止めておきます。
「1億円金塊年譜」がありました。平成元年(1989年)、津名中学校グラウンドへヘリコプターで輸送され、静の里公園にて展示開始。平成5年(1993年)、年間入館者数30万人を記録。平成10年(1998年)、明石海峡大橋開通により過去最多入館者数39万人を記録。平成11年(1999年)、金相場の下落により107kg・181kgの2個の金塊を借り受ける。平成12年、入場料を有料化・100円。平成18年(2006年)、金相場高騰により1個の金塊を三菱マテリアルへ返還。平成20年(2008年)、入館料を200円に。平成22年(2010年)、金塊を返還、総入場者数377万人。
金塊に踊らされたのは僕だけじゃなかったようで、お仲間の先輩方がが377万人もいましたよ。そして今は、我が夫婦だけ也。年間39万人/12ヶ月=32500人/4週間=8125人。半分が日曜日の来館として、/2=4063人。プロ野球パ・リーグの下手な対戦カードより多いんじゃないかな?どうでも良い計算を家内とあ〜だこ〜だしながら、笑い合いました。
静御前のお墓がありました。謂れ板によると、「静御前は、その容姿麗しく、世に隠れなき美人なり舞も当代屈指の名手にて、源義経公の寵愛をうく。義経公、兄頼朝公と仲違いあり、鎌倉鶴岡八幡宮に召し出され、夫との愛別離苦の嘆きを詠み・舞い、社壇一同を感涙せしめた。没後、一条中納言家の荘園たりしこの地に葬す」。隣に、義経さんのお墓も並んでいました。お墓を包むように作られた池には、「泳ぐ金塊」と称されて色鮮やかな鯉が泳いでいました。そう言えば建物の入口に餌の「ふ」の販売機がありました。
r66を東に戻り、R28に出て南下、r469を南に走り、10:45・「宝生寺(寿老人)」到着。拝観料1人200円×2+「御寶印帳」を出して訪問サイン&スタンプ300円=700円支出。記念品に、和尚さんが笑いを込めて話されていた法話が書かれた御札を頂きました。「気は長く、心は丸く、腹立てず、口慎めば、命長らえ」等など。ここのお話が一番上手でした。お隣に神社があり、神仏習合の長い日本の歴史を形でとどめています。
ここで、鮮やかな七福神さん方が並んだ「七福神置物」を買いました。1500円也。ここも観光バスが3台おり、大繁盛です。適当にお客様が来られると、法話・お念仏をされるので、日曜日のご住職は休みなしです。笑いのツボを心得たご法話に、お客さんの笑い声や納得顔が絶えません。
次が、南淡路七福神3ヶ寺訪問予定でしたが、到着予定時間が11:30です。昼食予定が、11:30〜13:30バイキングなので、そちらを優先しました。鳴門渦潮観潮基地の福良港目指してR28を南西に走ります。途中で、「覚住寺」「護国寺」「万福寺」の道案内票を通り過ぎます。福良でr25に逸れて、11:50・山の上にある「休暇村・南あわじ」に到着。
第1駐車場に、見覚えのあるバイクが10台ほど停まっています。南東の水仙郷を巡るはずなのに早いな。このグループのリーダーさんが「いいよ」と書かれていたので、真似させてもらいました。ここらに来た過去2回とも、「道の駅・うずしお」でお昼にしました。バイクだったから平気でしたが、2回とも車は駐車場待ちの列が出来ていました。お客さんも多く、鳴門大橋の上から観潮できるけど、どうも落ち着きませんでした。
レストランの窓から、福良湾の眺望が広がっています。30分出遅れたけど席もちゃんとあり、ナイスな昼食場所でした。1人・1500円。料理を取りに行く時、バイクグループさんに声を掛け、席は離れていたけど僕らの席にも訪問頂き、楽しいひと時になりました。帰り時間がほぼ一緒になったので、明石大橋の様子を聞きました。「風がありましたか?」「あったよ。それより寒かったわ」。う〜む、吹流しが斜め下に流れている程度だったのに、あれでも風を感じたのか・・・ハードルが高いなあ・・・。
R28を戻り、13:19・「覚住寺(毘沙門天)」到着。ここもお隣に「上田八幡神社」があったので、初孫を授かったお礼と健やかな成長を祈っておきました。ここの謂れ板を読んで、ちょっと驚きました。「宇佐八幡宮より石清水社へ行幸あり。四国を経由し本州に至る。その道中にて泊りし此処に、宇佐八幡宮を祀る。859年(貞観元年)なり」。清和天皇が、宇佐八幡様を京都に勧請した途中で、ここにも勧請したんだ・・・清和天皇が石清水八幡宮を建てた860年と前年だから、その時の行幸のようです。これは凄いや。清和源氏が信仰し全国に広がっていった八幡様のルーツに非常に近い古さです。武将の歴史好きの僕には、大変なご褒美になりました。
七福神3つ目のお寺ですが、それぞれ鬼瓦に趣向が凝らされ楽しいです。さすが瓦の島・淡路島だなあと感じました。山門にミニチュア草鞋がたくさん下がっています。四国八十八箇所巡りみたいだなと思ってると、そう言えばどこのお寺にも弘法大師様のお像がある・・・唱えるのも「般若心経」。そうか、四国同様真言宗のお寺の集まりなんだと、ちょっと学習しました。700円持って、黄色い紙と御寶印帳を出し、慣れて来ました。太鼓叩いてドンドコお唱えして終了。お土産は、「福寿延命箸」でした。僕の一番好きな戦国武将・上杉謙信が信仰した毘沙門天(多聞天)を祀るこのお寺に一番期待していました。適当な大きさの毘沙門天像があれば買って帰ろうと思ってました。しかし、それはナシ。新たな嫡子誕生記念に、屋敷神社を勧請しようと計画しています。七福神でもありながら、仏教を守護する四天王でもある毘沙門天と、我が血に流れているらしいと幼い頃母から何度も聞かされた菅原道真さんを祀りたいと思っています。
R28を南西に、r76を南に下り、13:58・「万福寺(恵比寿様)」到着。お土産は、知恵の象徴・鉛筆です。
r76を北上、R28をまたいでr31を北上して、14:08・「護国寺(布袋様)」到着。お隣に「賀集八幡神社」がありました。村上源氏流れの播磨赤松氏の紋と同じ「三つ巴紋」が表示された謂れ板には、「貞観2年(860年)、御神託を受けた奈良大安寺僧が、京都石清水八幡宮のご分霊を奉じて淡路に来島、建立した。石清水八幡宮に社殿を模し、壮麗な美を整えた。細川師氏が鏑矢を神前に奉じ、深く信仰し、細川家代々の祈祷所でした」となっていました。
鎌倉幕府倒幕・ご醍醐天皇の建武の新政・足利尊氏の室町幕府成立という1300〜1350年における一連の大変換期に、足利尊氏に味方し後の細川家隆盛の祖を築いた本姓源氏・細川師氏さんは、報酬として淡路国守護に任命されました。後に阿波の三好氏との抗争に敗れ、その軍門に降るが、主を織田信長・徳川家康と変えながら、平成の世に総理大臣まで出す名門中の名門です。巴紋で、長く対岸の播磨守護だった赤松氏の影響を感じましたが、細川諸氏さんの紋なのでしょう。さっきのここの1年前に八幡様を勧請した「上田八幡宮」が、源氏全盛の世を経てもあまり隆盛しなかったのは、守護細川氏がこちらを祈祷所にしたからですね。なるほど。境内に巴紋を腹に頂いた奉納馬像もありました。我が子孫の誕生のお礼をしておきました。
護国寺では、「身と口と心を拭う福の紙」を頂きました。上質の懐紙ですね。ここでもご祈祷して頂きましたが、横の八幡様の印象が強くて、あまり印象に残りませんでした。
r31を北上すると、瓦のモニュメントがあったので寄り道・小休止です。おトイレ拝借。さすが、瓦産業の国・淡路島です。西海岸沿いのサンセット街道になります。子供達がチビの時キャンプに来た「慶野松原」横を通過し、「都志」に入って、15:03・「長林寺(福禄寿)」到着。
お土産はメモ帳です。受付で、ささっと訪問サインを書いて頂いた女性がご住職さんで、「奥へどうぞ」と案内してくれました。ぼくらの後に車が来たので、その人達を待つ間、ご本尊他のお話をしてくれました。お父様が百歳で天寿を全うされてからお寺を守っているそうです。毎朝護摩を炊いているそうで、本殿の仏像他は煤でくすんでいます。照明も少なく、怪しい雰囲気満点です。
七福神巡りの中で唯一七福神像が揃っているという。煤でお顔がよく分からない弁財天様の前には、二股・三股の大根が供えられ、「歓喜天」も祀っているとのこと。留学僧・最澄が伝えた天台宗に遅れること数年で帰ってきた弘法大師・空海さんが開祖した真言宗は、その密教部分が当時の支配者階級に受けたそうです。
今の仏教のように世界平和を願うのとは違い、ライバルを呪詛し亡き者にするとか滅ぼす手段として、山中で長年修行し悟りを開いて現世に舞い戻った者の怪しい魅力に未知の力を見たようです。プロ野球選手が、シーズンオフに高野山の宿坊に篭って汗ダラダラでお経を唱えながら護摩を焚く姿は、「いかにも」な妖しい魅力満点です。夫婦和合・子孫繁栄を願う「歓喜天」なんて、その最たるもので、護摩を焚きながらその前で男女が和合する怪しい儀式が「太平記」にも描写されている。ご祈祷終了後、アカンやろなと思いながら、写真撮影の是非を問うたら、やはりここは無理でした。ここが一番印象に残りました。怪しさ満点です。
謂れ板によると、都志出身の高田屋嘉兵衛が、ここで父母の法要を執り行ったそうです。そしてもう一つ、ご住職から聞いた話で興味深かったのが、菅原道真公が藤原氏の陰謀に落ち、京から太宰府に流される途中にここで泊まったそうです。その時、無念の道真公は、「もう一度、都を志す」として万才したそうです。それが地名になりました。このお寺の住所は、「兵庫県洲本市五色町都志万才975」。素晴らしい・・・これだから、むやみに昔から続く地名を変えちゃあかんのよ。
お寺からr31沿いの駐車場に下る間で、素晴らしいものを発見しました。溜池に、「明石海峡大橋」のミニ版が架かっています。2本橋脚の見事な吊り橋で、ミニカーまで走っています。家内「誰が作ったのかなあ?」・・・僕「個人じゃないかなあ」。僕的には、必見のもう一つの明石海峡大橋でした。
r31を更に北上します。対岸の明石以西の海岸が霞んで見えます。いいね!「明神」というとこから、r468を内陸の東に入り、15:38・「智禅寺(弁財天)」到着。最後が弁天様なんて、素敵な演出です。中間の4ヵ寺は大型観光バス襲来がありませんでしたが、辺鄙なとこにあるのにここで3台の観光バスの襲撃を受けました。さすが弁天様、流し目に観光バス会社もなびいているのでしょう。ここの横にも、石清水八幡宮から勧請された「草香八幡神社」がありました。ここで黄色の紙がスタンプ7つ押されました。お土産は、弁天様〜ジュリアナ東京お立ち台女子〜ひらひら羽毛団扇と容易に想像できる「団扇」です。団扇をヒラヒラさせてるミニスカート様は、弁天様そのものです。僕の「御寶印帳」も7ヵ寺貯まりました。家内が、黄色い紙に1つだけ残ってる○を聞きに行きました。「2回目のお参りの時に押させていただきます。お土産もあります」って、ナイスな商魂です。商人たるもの、こうでなくっちゃ。弘法大師さん、凄いぞ。
r31に戻り北上、一宮町からr88を内陸・東に入り、16:10・「伊弉諾神社」到着。ここは長年訪問したいと思っていたお宮です。神話では、イザナギ・イザナミ夫婦がここ淡路島から日本を生み出して行きました。日本列島を産んでから、山や火や石などあらゆるものの神様を産んでいきました。イザナミさんは、火の神を産んだ時に陰部に火傷を負いました。それをイザナギさんが見ちゃったから、イザナミさんから「ぶっ殺したる」と追いかけられ、各地に隠れて難を逃れました。
最後に、太陽神の天照大神・夜の神様である月夜見尊・海の神様である素盞鳴尊という3人の神様を産んだ。さすがに神様、男だっていっぱい生むんだ。イザナミさんがありとあらゆる物・森羅万象に至るまでそれを司る神様を産んだから、日本のありとあらゆる物に神様が宿る八百万の神の国が出来たんだ。などと、古事記や日本書紀の一部解説を読むだけでも、かなり面白いです。中学・高校の礼拝の時間に、アブラハムから始まる旧約聖書のユダヤ民族の歴史を読んで、物語として面白かったけど、日本神話もあれと同じ「ありえんやろう〜」的なことがふんだんに登場し、飽きないです。読んだことないけど、ギリシャ神話も同様なんだろうな。
日本の始まった島の延喜式・一の宮です。日本国を生んだイザナギ・イザナミ夫婦ですが、先に亡くなったイザナミさんは伯耆の国・比婆山に葬られ、イザナギさんはここに葬られているとか。今でも時々会っているとかで、その逢瀬の場所は、両方の中間にある美作国・那岐山だとか・・・僕のルーツが美作菅家党ということなので、ルーツを辿る伊弉諾神社初訪問でもあります。
いきなり檜皮葺の素敵な門のお出迎えです。宮様や天皇陛下手植えの木があったりで、さすがに天皇さんのルーツ・イザナギさんを祀るお宮です。どこもかしこも小奇麗で、檜皮葺本殿も落ち着いた雰囲気で佇んでいます。「日本誕生の源郷・古事記編纂1300年・伊弉諾神社」と書かれた幟がたくさん立っています。拝殿には、「皇祖親大神」と掛かっています。「天皇皇后両陛下・幣饌料御下賜」と書かれた木札が掛かっています。弊饌とは供物のことで、日付を見ると毎年連続の時もあり、いかに天皇家がこのお宮を大事にしているかがわかります。平成は6年・17年・18年2回です。平成17・18年って、何かあったかな?
奉納馬像がありました。当然、天皇家の紋章・菊のご紋がお腹に金色で輝いています。頭髪感謝の碑がありました。寄贈者は、株式会社毛髪クリニック・リーブ21。あの社長さんは、こことどういう関係かな?家内は、淡路島出身なのかな?と言っていますが、この神社敷地内に碑を建てるなんて、伊勢神宮や出雲大社に碑を建てるのに似てます。いくらお金を積んでも無理そうなのに・・・。
本殿裏を巡ったら、裏に小さな祠が使用済みなのか置かれていました。「これ、もらえないのかな?」なんてあ〜だこ〜だ話しました。ここから払い下げてもらったら、値打ちもんだよな。メジロ似の鳥が境内にいます。激写!
このお宮のすぐ近くが、最後の訪問地です。16:30、「三ツ精機・本社多賀工場」。軍用ヘリコプターや戦闘機が敷地内にあります。防衛庁に精密部品を納入している会社のようです。「この飛行機は、防衛庁航空幕僚監部より当社に貸与された国有財産であります。従いまして、見学される方は、総務部までお申し付けください。ご案内させて頂きます。三ツ精機株式会社」と看板が建っていました。日曜じゃなく営業日なら、触らせてくれるね、きっと。野ざらしなのに、ピカピカに磨かれています。会社の姿勢が伺えます。
最後に、気持ちのいいものを見せていただき、帰路に着きました。r66を東進し、「津名一宮IC」から高速道路に乗りました。17:15・「淡路SA」到着。ここはとても大きなSAですね。トイレ休憩し、ミスタードーナツがワゴンで出ていたので、147円×2=294円で購入。無料のお茶を飲みながら、「今日は良かったね〜」と家内とあ〜だこ〜だ話しました。
再び、明石海峡大橋を渡りました。帰路は、それほど怖くなかったです。慣れたのかな?いつもの足元からのゾワゾワが上がって来なかったし。気温も上がったので、「布施畑JCT」から阪神高速北神戸線に入ります。「宝塚〜山口JCT・事故渋滞2km」と電光掲示されてるので、「有馬口IC」下車。r51で有馬温泉〜船坂経由で、R176・生瀬に下りました。18:30、帰宅。夕食は、昼食バイキングが利いてたので抜きです。風呂に入って20時過ぎに寝てしまいました。ああ、楽しかった。

2013/2/11
日曜日は、姫路で法事でした。家内の母親の実家で、姫路市内で大きな商売をしています。父が亡くなって葬儀一式を終えて、最後の大勢の親戚と会食をしている時に、家内の従兄弟が亡くなったとの連絡が入りました。姫路の家の当主で息子さんがまだ大学生なので、商売がどうなるのか心配でしたが、奥さんが社長に就任し、番頭さんをやってる義理母の弟など親戚数人が要所要所を占めていたので、何も変わらず順調な仕事が続いて来ました。
この冬は、年末に義理母が亡くなり、年が明けて2月になってうちの父・この従兄弟・弟の奥さんの父親と4人も亡くなりました。よって、1周忌・3回忌・7回忌と法事銀座の年があります。今年はその年です。
法事のみで1日が終わるのも勿体ないので、法事前に家内の母校見学、法事が14:30に終われば15時から赤松氏の山城攻め、時間がなければ龍野城見学というメニューを用意して日曜日が始まりました。
法要開始2時間半前の8時に自宅を出ます。定番の黒装束に身を包んでいますが、ストックやカッパを詰めたリュックや、トレッキングウエア一式を車に積み込みます。
宝塚・出光で満タン給油して、宝塚ICから中国道にエントリーしました。権現湖PAで休憩します。目的は、「書写山千年杉ロール」です。数年前に中国道か山陽道の姫路周辺PA・SAで、人気No1となっていたのでお土産に買いました。これが非常に美味しく、その後家内がデパートかどっかのカタログで見つけて、お遣い物にしたこともあります。最近どうも目にしないんですよね。ここのPAではなかったようです。
ポルシェ911が6台ほど並んで停まっていました。名前がわからないイタリアンな雰囲気満載の真っ赤なランボルギーニ?もいました。愛好者のミーティングのようです。家内は「カエルさんみたい」って言ってますが、グイーンって加速をするんだろうな。
姫路でICを下り、姫路城に向かいました。予定通り、1時間前到着なので、家内の母校見学です。土曜夜に地図を見て頭に入れていたので、9:33・難なく「賢明女子学院」に辿り着きました。家内も僕同様、中学受験組です。加古川から姫路まで通っていました。4つ上の姉もここの卒業生です。僕の母校には何度か一緒に行ったことがあり、長男の中学受験の時にも候補だったので、家内が学校説明会に行ったことがあります。でも僕が家内の母校を見るのは初めてです。僕はプロテスタント・メソジスト派だけど、家内のとこはカトリックです。学舎入口にマリア様がいます。
北隣に、家内が毎朝通った教会がありました。「カトリック姫路教会」となっており、日曜礼拝に集う人がいました。時間があれば、久しぶりに礼拝に参加するんだけどな。幼児の頃は、母に連れられてカトリック教会に通っていました。そこで怪しく光るマリア様の像が気に入って、神父さんに駄々をこねて、とうとう小さな蛍光マリア様を手に入れました。これは我が家の仏壇に同居し、弟・長男・次男・先月産まれた孫と、4人続けて「男の子をお願いします」の僕の祈りを叶えてくれました。大切なマリア様です。
家内が通った礼拝堂は、「ザビエル館」となっており、横に立派な礼拝堂が新たに建っていました。ザビエル館の扉を開けると、鍵はかかっていませんでした。使われていないのかな?と思ったのですが、掃除が行き届いており、今でも賢明の女子生徒はここで祈りを捧げているのかもしれません。家内も喜んでいます。
更に北隣に、淳心会本部という趣きのある建物が建っていました。更に北隣が、播州有数の男子進学校・淳心学院中高です。男子校淳心と女子校賢明は、運動場が接しており・・・きっと数々のロマンスがあったのでしょう。その時、他所の人に家内を取られなくて良かったぞ!
東西道路を挟んで、北隣が国立姫路病院で、その北隣が家内の母親が結婚するまで教鞭をとった姫路東高校です。目を西に向けると、南北道路を挟んで美術館が建ち、横のお堀の向こうはスクリーンを被った国宝・姫路城です。江戸時代までは城の敷地内だったようで、城門跡は学校群の東にあります。
天守閣の絵が描かれた白スクリーンに、修復中の天守閣が包まれています。修復が成ったらまた見学したいな。すごい人だろうね。赤レンガ造りの美術館は、なかなかいいです。こっちにも興味があるけど、10時になったのでその南の駐車場に戻ります。
親戚の家は、姫路城からほど近い北西にあります。お城の南側を回って向かいます。南・JR姫路駅側からの眺めが、やはり一番綺麗ですね。天守閣は隠れていますが、それでも十分素敵なスタイルです。
この日の法事はご自宅です。城周囲の細い道なので、ご自宅の駐車場に入れるのに難儀しましたが、7台も自宅横に駐車スペースがあるとは凄いな。30数人集まったのでさすがに座布団前のスペースが窮屈ですが、全部入れる部屋があるだけでも凄いわ。
僕ら到着と前後して、お寺さん到着。浄土真宗さんです。2回の休憩を挟み、3部構成の法要です。最後はみんなで渡された本を見ながら、お経を合唱します。面白いな。
そしてお寺さんからのお話です。「回向」について。「死んだら終わりや」と俗に言いますが、本当に終わりなんだろうか?肉体が滅んで浄土行く「往相」と、肉体が滅んでなおこの世に影響を及ぼす「還元」があります。このように多くの方が故人を偲んで集まるのは、皆さんの意思での行動ですが、皆さんにそうさせようとする見えない働きが「還元」です。
すべて俺が俺がでは、自我が表に出すぎて世の中がうまくいきません。すべての行動は、大なり小なり他所の人から、あるいはご先祖様からの還元の影響を受けています。謙虚にそのことを受け入れ、常に他所様にありがたいと思って行動すると、人生がとてもうまく行きます。う〜む、また学びました。お坊さんは人生の大学者ですね。
姫路駅南にある「竹善」という料理屋さんに向かいました。13:00から懐石開始です。故人の長男さんが挨拶です。東京の日本一の卸売市場で修行中です。でも会社の屋台骨を支えてきた叔父さん達が引退していくので、来年には家に戻り実業のバトンタッチをして、母親から社長業を引き継がなければね。とても明るく元気の良い挨拶で、懐石の最後の締めでは、法事なのに市場仕込みの一本締めでお開きにしました。ふふふ、威勢がよくていいね。
8人掛けのテーブル席で、僕ら夫婦の横に姉夫婦、向かいに会社の屋台骨を支えてきた親戚の叔父さん夫婦と同じく支えたおばさん、そして山崎在住の義理母の妹さんです。このおじさんは、義理母の一番下の弟です。家内が我が家に輿入れしてくる時に、会社のトラックを運転して、嫁入り道具一式を運んできてくれました。
気のいい叔父さんですが、血のつながりはありません。戦災孤児でした。姫路の家は篤志家で幸い自宅が空襲で焼けなかったので、親を失った孤児を数十人家内のお婆さんが拾って家に連れて帰りました。彼らを育てて、他家に養子に出したりお嫁に行かせたり、学費の面倒を見たり、大勢の子を助けました。その中の1人です。正式に養子縁組し、会社の中枢として姫路の家を支えてくれました。戦前は貧富の差が大きかったので、裕福な家はこういう今で言う慈善事業をするのが当たり前の時代でした。僕の母親のお婆さんの家も、同じようなことをして回りの方に感謝されていました。
おばさんは、お婆さんの実家の姪です。血の濃い同族を中心にした結束の堅い会社です。山崎の叔母さんの話が、とても面白かったです。姫路の家の長女が家内の母親で、その下が跡を取った長男。その次の妹がこの方で、更に下に豊中の妹がいます。
勉強好きでとても優秀だった家内の母は、姫路駅前に商売をするための土地を宛てがわれ、親から「この子は婿をとって家に置いておく」と言われていたそうです。その土地が、今日航ホテルになってるそうでビックリしました。勉強会で、何度かこのホテルを利用したことがあります。
義理母は、それに反発し家出するように義理父の許に奔ったそうです。その義理父は、シベリア抑留のちょっとした部隊長で、戦争犯罪人をかろうじて逃れたという上の方の人でした。新聞の復員広報で、「・・部隊」と家内の実家の苗字の付いた部隊名を見つけ、お爺さんが婿にと骨を折ったそうです。家内の家は姉妹2人で、2人とも家を出て苗字を継ぐ者がいなくなったけど、「あんたら2人が他家にお嫁に行くと言い出しても、あんたらのお母さんは反対出来ないわね。自分がそうしてきたんだから」ね。お父さんは格好良かったよ。って、笑って家内と姉に話してくれました。
「姫路の日赤病院が土地を売ってくれと言ってきて、あんたらのお爺さんが裏の山と一緒に売ったんよ。その病院に、今孫が勤めてるんだからね。縁だねえ・・・」。へ〜そうなんだと、家内たちも知らなかった事を、物語ってくれます。
「あんたらのお母さんが姫路東高の化学の先生になってすぐ、「あんたらもお姉ちゃんの学校がいいやろう」と中学の先生が学区を外してくれて入学したんよ。「まさか、妹を当てないだろうと、適当に手を上げていたら当てられてね、授業で大恥書いたわ。お母さんはモテモテで、顧問してた化学部は一番部員が多かったのよ。でも私は入らなかったわ。」って笑っています。
スーパーのジャスコってね、中部の「岡田屋」と大阪の「シロ」・姫路の「フタギ」が合併して出来たんよ。合併の前にフタギが土地を貸してくれと言ってきたので、お爺さんが貸してたんよ。そこから縁ができ、イオンに卸してるでしょ。義理堅いよ。姫路の家は、近隣のジャスコ・イオン各店舗に卸しています。そういう関係があるんだ・・・知らなかったなあ。
故人の奥さんで、現社長として会社を切り盛りしてる奥さんがやってきました。従兄弟が亡くなった当時、慶応の学生君だった次の当主君ですが、まだ未婚だそうです。お付き合いしてるお相手さんは、数年前までJAL国際線のフライトアテンダントさんだったようで、去年法事に来られたお宅のお嫁さんを、ひょっとすると知ってるのかもね。縁が成ったら面白いね・・・だって。ぐふふ、これは面白い。
懐石最後のデザートも、皆さんのお腹に収まった頃、最後の言葉として、次期社長くんのお姉さんの旦那さんの挨拶が始まりました。元大手銀行員でしたが、あまりに仕事がハードなので、大阪に帰ってきたそうです。その時この会社に入れることも検討したそうですが、あまりに優秀で地方の卸売市場じゃ勿体ないと別の金融機関を世話したそうです。今やお迎え車が来るまで大出世したそうです。
そんな人なのでさぞやお固い挨拶になるかとおもいきや、とても気さくな笑顔満点のお話で、大笑い連発になりました。この方も、故人のお父さんが、銀行員としてやってきた彼を、「こいつはいい」と娘との縁談を持ちかけたそうです。そして最後に、故人の長男くんが、前述の一本締めでお開きになりました。
お返しのお土産がいっぱいです。とても1回では運べないので、家内と2人で2往復しました。車で時計を確認すると、15時を回っています。赤松氏の山城攻めは、時間的に無理そうです。登り1時間なので、15時登山開始・17時下山でないと、山中で日没してしまいます。
姉たちは、今から仕事の残りを3時間ほどして、有馬温泉のマンションに向かうそうです。連休だから月曜のお休みに、定番の六甲山ハイキングをするのでしょう。駐車場でバイバイし、僕らはR2バイパスで西を目指します。
山崎の叔母さんから、「遅れちゃったねえ」と5万円も長男の結婚祝いをもらいました。長男たちに子供が産まれたのを知ると、出産祝いをしなくちゃねなどという。「もう十分やから・・・」ってお断りしても、「姉ちゃんには今の商売でもたくさん助けてもろうたんやから・・・」と引き下がらない。もう80才なので、上手に忘れてくれることを期待しましょう。
いただいた5万円を、「結婚&出産祝い」として長男に報告することにしました。そのお返しをどうするか、あ〜だこ〜だ家内と車内でおしゃべりです。この叔母さんと長男はウマがあってよく喋ってるので、自分達で返したかったらそうすればいいし、姉や僕の仕事仲間からの時と同じく僕らがお返ししてもいいし。
16時前に、龍野到着です。お城の位置はだいたい分かるのですが、駐車場がありません。うろうろ狭い道を野生の勘で移動していたら、やっとこ15台ほどの駐車場を見つけました。
うろうろしたので、脳内地図にだいたいの位置が入っちゃいましたよ。駐車場で黒装束からハイキングスタイルに着替えて、まずはお城見学です。「いかにも山城」という好立地の低山を背に石垣囲いの上に白い櫓が綺麗です。そこに至る道沿いに「龍野小学校水練場」と門札が下がった武家屋敷を思わせる豪華な木製扉があり、瓦白塀が囲っています。要するに小学校のプールなんだろうけど、景観維持が徹底されています。
場内に入ると、書院風の立派な建物が2棟建っています。拝観無料なので入ってみます。狩野派の襖絵や金天井が綺麗です。ヒガシマル醤油さんからの寄贈により、脇坂老中・寺社奉行時代の豪華さが再現されているそうです。
謂れ板を読んで、ここの流れが頭に入りました。播磨守護・赤松氏宗家が室町幕府将軍を暗殺した嘉吉の乱で、北に隣接する丹波守護・山名宗全に滅ぼされました。その後、南朝に盗られていた三種の神器を赤松氏郎党が取り戻した功績で、越前半国で守護に返り咲きました。戦国時代の幕開けとなった応仁の乱で、山名氏と対立した東軍の細川勝元に与力し播磨を攻め、山名氏を駆逐し、播磨・備前・美作の旧領3ヶ国を回復しました。その時、この城の裏山・鶏龍山山頂に城を築きました。羽柴秀吉の中国平定時に秀吉の軍門に降り、やがて山城は破却されたようです。
江戸時代になり、この地に平城が築かれましたが、京極家の丸亀転封により破却され天領になった。その後、脇坂家が入封するも、太平の世でも有り、外様大名なので幕府から嫌疑を避けるためにあえて御殿式の築城をしたそうです。ふむふむ。
龍野は、醤油の町です。この醤油が播磨播州素麺・揖保乃糸につながっています。高いレンガ造りの煙突が見え、良い感じに落ち着いた雰囲気を町に与えています。「うすくち龍野醤油資料館」、驚きの「醤油・もろみ自動販売機」、「鯉が泳いでる側溝の一角」、「脇坂藩総菩提所」となってる「如来寺」、有形文化財「ヒガシマル醤油本社?」入館料10円、「法華宗・遠寿山・本行寺」には27世のご住職墓石までずらり(27世×25年=675年)でビックリな歴史、とうろうろしました。
車に帰ろうと歩いていると、童謡「赤とんぼ」が聞こえて来ました。17時なんでしょう。龍野小学校の「5時です。お家に帰りましょう」メロディーなのかもしれません。さすが、この曲の作詞家・三木露風のふるさと龍野ですね。マンホールの蓋のデザインも側溝の蓋にも、電信柱にも赤とんぼが飛んでいます。落ち着いた3階建民家があったり、ライブ演奏中のカフェがあったり、ゆっくり回れる落ち着いた町でした。
17時に帰路に着きます。山陽道に龍野ICから乗っかって、一路東を目指します。「白鳥PA」で千年杉ロールを探しますがナシ。続いて「権現湖上り線PA」にもないよ。宝塚トンネル・事故渋滞10kmとなっており、宝塚ICまで60分と表示されています。それを計算すると、帰宅予定時刻は20時です。「チャレンジ〜」、「神戸北IC」で下車し、r82〜R176〜r82で有馬温泉をかすめてr51・有馬街道に出て、R176・生瀬に下りました。帰宅したのが19:30前でした。30分早かったね。バイクなら、JR道場〜武庫川渓谷〜川下川ダム〜長尾山トンネルの定番コースなんだけど、有馬街道の宝塚トンネル渋滞時の最近の混雑具合を知りたくて、こっちを選択しました。渋滞なしでした。
家内に作ってもらったうどんを食べながら、大河ドラマ「八重の桜」を見てご就寝になりました。今度の大河ドラマは、画像や衣装が「平清盛」のようにくすんでなくていいです。主役が綾瀬はるかで次男GFさん似だしね。
面白い1日でした。

2013/2/4
日曜日は、お嫁さんの実家・新潟に、長男の第一子・遼成君に会いに行って来ました。出産前から男の子とわかっていたので、お腹にいるときに命名式を済ませています。名前を送ってきた時に、すぐ長男の一番好きな作家・司馬遼太郎だなとピンときましたが、ピンポ〜ンでした。司馬遼太郎さんから一字と、自分の名前の一字を息子に贈ったようです。
土曜夜に、用意を整えました。雪はあまり降らない新潟市街地ですが、天気予報は「曇り/雪」です。ヨット用にイムホフのカッパ上を着ていくことにしました。これなら降られても、傘なしでOKです。ついでにバッグもハイド・セイルバックにしました。最重要の一眼レフを入れます。
日曜日は4時過ぎに目覚めました。出発まで時間がたっぷりあります。あ〜だこ〜だ家内とお喋りしながらゆっくりして、6:30に自宅を出ました。空港まで通勤リード110でタンデムです。家内はトレッキング用カッパのズボンを履いて防寒です。10分で空港到着。
長男がプレゼントしてくれた航空券に換える手続きは、すぐ終わりました。仕事で溜まりまくってるマイルか、お嫁さんの会社なのでそちらの家族割引りようなのか知りませんが、いつも飛行機チケットをプレゼントしてくれます。
トイレや売店を冷やかしながら時間を潰し、搭乗口に向かいます。いつものように家内は金属探知機に引っかかり、身体検査されています。女性は金属があちこちについてるものね。JAL・20番搭乗口前の椅子の列に誰もいません。7:40出発で、現在時刻7:20なのに・・・「え〜貸切〜」。前の売店を冷やかしていると、面白そうなPHP新書「日本はなぜ、世界でいちばん人気があるのか」を、衝動買いしてしまいました。7:40、搭乗開始。まずはお子さん連れなど、続いて特別会員さん・・・ですが、誰もいません。そして一般客・・・貸切ではなくて僕ら含めて4人のお客さんでした。パイロット・コパイロット・客室乗務員2名とお客さんとマンツーマン体制で飛び立ちました。JALの地方路線Jエアー社が運行しているようです。スッチーさん2名は、前回の新潟行きと違って超の付く美人さんです。そのことを話すと、家内が「お父さん、嬉しいねえ〜」って笑っています。
長男は入社1年目に、この状況でお嫁さんを見初めて、フライト終了後上司さんの目の前でアタックしたんだよね。男はこうでなくちゃね。お相手を聞いた時、家内の第一志望のアテンダントさんということで、ちょっと運命を感じました。まだ入社3年目だったあの時声を掛けなければ、侍ジャパンと一緒にアメリカを飛んだりしていたので、プロ野球選手の奥さんになってたかもしれません。
8:04、超美人アテンダントさんが、Jエアー手作り地図を持ってきて「富士山が見えていますよ」と教えてくれました。遠くにひときわ高い富士山が見えています。眼下には御嶽山の火口もクリアに見え、続いて北アルプスの真っ白な山並みが下に見えてきて、槍ヶ岳がかっこいいです。
ここまでは晴れていましたが、これから以北は、雲の下に隠れてしまいました。僕の一番好きな武将・上杉謙信の春日山城は残念ながら今回は望めませんでした。
8:37、新潟空港着陸。向こうのお父さんの話だと、冬はほとんどどんより曇り空が新潟市の定番天気だそうですが、雲の切れ間に青空が見えるラッキーな天気でした。ここは国際空港で、KOREAN・AIRが駐機しています。写真撮ったりトイレに行ったりしてから到着ロビーに降りると、向こうにお父さんと長男が待ってくれていました。
実家はここから車で10分ほどです。向こうの家の車に乗り込み、JR新潟駅に向かいます。駅で東京から新幹線でやってきた次男をピックアップして、ご実家に向かいます。次男のGFさんも来れたら良かったのですが、お友達の結婚式で大阪に帰ってて残念でした。綾瀬はるかさん似の可愛い娘さんです。
庭の駐車場から玄関に回ると、お母さんとお嫁さん、そして本日の主役・遼成くんが出迎えてくれました。予定日より3週間早く2500gで産まれたのでもっと小さいかと思ったのですが、赤ちゃんにしては整った綺麗な顔をしているのでちょっとびっくりです。我が家は、川西阪急で用意した神戸アンテノールさんのお菓子を用意しましたが、次男も用意していました。「東京ぼーの」という羽田空港にしか売っていないチーズケーキでした。僕は知らなかったのですが、向こうのご家族にも家内にも女性陣に大好評でした。次男はよくこんなものを知ってるなあ・・・。
1.17・阪神淡路大震災の日に産まれたので、生まれてまだ2週間です。母乳を飲んで眠り、昼夜逆転の時間割で生活しているようです。日に日に泣き声が大きくなり、誕生後数日の体重減少を経て体重も増えており、3000g近くになっているそうです。でもまだハンカチサイズです。
9:28、長男から「抱っこしてみる?」って手渡された次男が可愛がってる姿を激写。布団の上より、誰かに抱っこされている方がおとなしいらしく、家内が抱っこしても僕の膝の上に乗っても、時折伸びをしながらスヤスヤと眠っています。強膜の白目部分にまだ澄んでおらず黄疸が残っていそうですが、とても元気そうです。少し浮腫んでいると聞いていたお嫁さんも、以前と同じ顔色でむくみも見えません。母子ともに健康で、何よりです。
お昼になり、ご用意いただいた出前寿司他でお腹がいっぱいになりました。ご両親の北海道旅行をされた時の話、僕のバイク旅行話・・・いろんな話が弾みます。とても気持ちのいいご両親なので、会話が楽しいです。その間に主役君が「おっぱい催促」したり、長男が沐浴させたり、お嫁さん監督のもとおむつ替えしたり・・・楽しい楽しい時間があっという間に過ぎてしまいます。
土日の沐浴は長男がしているようなので、慣れた手つきです。主役くんはお湯に浸かると気持ち良さそうな表情です。でも、一抹の不安があるようえ、拳をしっかり握っています。ダイニング・リビングの流しにベビーバスが入り、その周りから皆んなが笑顔で見つめます。
最後に全員の集合写真でお開きです。カメラセットした長男がシャッターに間に合わずNG、主役が頭の影になってNG、お父さんが目をつぶっててNGと、数度のNG後撮影監督・長男のOKサインが出ました。
18:10発の飛行機で伊丹に帰るので、それに合わせて次男も駅まで送ってもらいます。新潟発の新幹線は1時間に1本ということで、次男に合わせて早めに出ます。米どころ新潟のおせんべいのお土産が、我が家と次男に用意されていました。気を使ってもらっちゃった。16:30を回って家を出て、JR新潟駅で次男が下りて空港まで送ってもらいました。
また予約メールを見せて、チケットに交換してもらいます。1時間も時間があるので少し空港内をウロウロしてから出発ロビーへ。家内は毎度の金属反応に引っかかっていましたが、今回は僕も引っかかりました。胸ポケットに入れたままになっていたメガネケースが反応したようです。
新潟空港搭乗口は、A・Bの2つしかありません。出発ロビーで、誕生祝いをもらった弟や義理姉用にお土産を買います。僕は抜けてるので忘れがちですが、家内があ〜だこ〜だいい具合にやってくれます。
復路の方が往路より小さな機体ですが、お客さんは多いです。でもアテンダントさんは1人です。家内は、「お父さん美人よ」と僕をつつきますが、僕には往路の方が高得点でした。往路は、コーヒー他いろんな飲み物メニューが選べましたが、復路は冷たいお茶のボトルと紙コップで回ってこられました。言えば他もあるのでしょうが、冷たいお茶で十分です。夜景を見ながらのナイトフライトでした。奈良盆地上空から伊丹空港に向かって高度がどんどん下がり、見慣れた景色に「あれが、ど〜のこ〜の」とお喋りしながら帰ってきました。
往路は、エンブラエル170で80席ぐらいでしたが、帰路は更に小さいボンバルディアCRJ200で60人乗りぐらいでした。高さが低いので、僕が小学生の頃のように、滑走路を歩いで乗り込みます。この方が飛行機に乗った感があります。飛行機を降りて激写しようとカメラを出すと、「お父さん、私を撮って」って。こんなことするお上りさんは僕らだけで、また到着ロビーから出るのが最後になっちゃいました。
空港からは通勤リード110タンデムで帰宅し、お昼にお寿司を食べ過ぎたので、夕食抜きにしました。僕ら夫婦に出来た次の次の世代に触れて、新しい展開が始まった楽しい1日になりました。「楽しかったねえ」って2人で笑い合い、大河ドラマ主役の綾瀬はるかさんを見ながら、次男も早く結婚したらいいのになって思いました。人生って素晴らしいな。

2013/1/28
日曜日は、父親の7回忌法要でした。今回は両親の実家北関東から来られる方がいなかったので、弟家族と義理姉夫婦だけの身内の気楽な会になりました。土曜日の夜に長男がお嫁さんの実家・新潟から飛行機で飛んできました。10日前に長男が誕生し、お嫁さんと長男くんに会いに、週末ごとに東京から新潟まで帰っています。土曜朝に新潟入りし、初沐浴をお嫁さんの指導のもとお父さん訓練でやった後、やってきました。
出産に立ち会い、息子のへその緒も切ったそうです。その写真やビデオを見せてもらいました。我が子が生まれた頃は、出産は男子禁制みたいな世界だったと思うのに、今はお父さんも付き添うのが普通のようで、明るい個室にお父さんも寝て、陣痛の一晩を一緒に過ごしたそうです。3D胎児写真にも驚いたけど、世の中変わったなあ。
日曜日10時半のお寺さんでの法要に備えて、あれやこれや準備しました。9時半に3人で家をでたら10分でお寺到着。位牌や遺影、供物を本堂に供え、僕は弟と義理姉の車が来るのを待ちます。我が家がお世話になってるのは、当時日本有数の総構の城だった荒木村重の有岡城内にあるお寺です。横には「白雪本社」があり、「伊丹マルシェ」という手作り朝市みたいなのがお寺さんの前の小さな広場で行われています。アクセサリーやコーヒーなどが販売されていて、長男はモーニングコーヒーを飲んでいます。アコーディオンのお姉さんが、場を盛り上げています。紙芝居も始まりましたよ。
皆んな揃って法要が始まりました。ご住職さんは、急な葬儀が有りそちらに行かれたので、娘婿の副住職さんが供養してくれました。境内に荒木村重が落とした伊丹城(後の有岡城)主・伊丹氏の供養塔が立っています。宝きょう印塔ですね。末裔さんが建てたのだろうか?
11時に法要を終え、お墓に向かいます。その前に、新潟に帰る長男を義理兄夫婦が空港まで送ってくれました。長男はこの姉夫婦が好きなので、お願いしちゃいました。姉とぺちゃくちゃよく喋っています。
僕と弟は我が家に戻り、弟の車を駐車場に入れて、弟家族がうちの車に乗り込んで2家族でお墓に向かいます。病明けの弟は、義理妹から運転禁止令が出ています。だから妹が運転して来ました。お墓は雪が降っているかもしれないので、より重いのでスリップしにくいからうちの車で向かいます。
r12を北上し猪名川町に入ると、路肩にチラホラ雪が残っています。12:10、お墓到着。兄の車は5分ほど後ろのようです。先に墓石の横にテーブルを出して供物を並べます。1度しか来たことがないのに、兄は広い墓苑の中の最寄り駐車場に車を入れました。「ようわかりましたね」「うん、わかるよ」って。ナビ登録でもしてたのかな?
お線香を上げて、集合写真を撮って、下の墓苑事務所でトイレ休憩します。次に「がんこ・三田の里」に向かいます。r12・r319・r323・r37でJR三田手前でR176に乗って少し北上します。早朝バイク・大原城址探索の時見つけました。荒木村重の摂津平定のおり落とされた大原城主・豪族大原氏の縁者が帰農した大邸宅(多分庄屋)が、がんこ三田の里店になっています。
迷路のような邸内の畳の部屋の個室に通されました。椅子&テーブル席になっており楽です。13:27、父の思い出を話させてもらってから、遅いお昼ごはんスタートです。料理も予約してあるのですぐに食べられます。摂食中の弟に合わせて、弟家族は単品で妹と姪は適当に追加します。僕らと姉夫婦は、寿司懐石の真ん中のお値段のです。
去年、有馬温泉の姉んとこで一緒だったメンバーなので、わいわいがやがやあ〜だこ〜だと、遺影の親父とは全く関係ない話題で盛り上がります。寿司懐石(中)は多すぎました。次回は小にしましょう。
15:30にがんこを出て、次は三田藩主・茎しの菩提寺・心月院です。16:00に着いて、まずは本堂です。ここは、三田藩の最後の家老・白洲退蔵の孫・白洲次郎夫妻のお墓もあります。本堂内に白洲次郎関係の資料や映画・ドラマポスターなどが置かれています。それを皆んなに見せようと思って来たのですが、ご住職が不在なのかクローズになっていました。冬の16時という時間だから、仕方ないね。
墓地の方に回り、歴代九鬼家藩主のお墓、最後の九鬼藩主家族家族のお墓、最後に白洲家の墓所エリアの入ります。兄は三田出身で、白洲退蔵さんと同じ時期に家老だった小寺さんが、明治の世に神戸で大成功し、私財を投じて建てた三田学園で学びました。「がんこ三田の里」は兄の通った三輪小学校の校区だったそうです。心月院にも遠足で来た記憶があるとか。
白洲次郎は、兄の出身地三田に縁があり、お父さんは僕の小学校校区内に4万坪の大邸宅を構えました。白洲次郎夫妻の婚姻届は伊丹市に出されてます。すごく縁のある人なので、今回の法事はこの歴史の流れの披露でもありました。弟は、「僕もあの家で遊んだ」て喜んでいました。
高2の甥は、この日模試で欠席でしたが、小5の姪は何を感じたのだろう。少しは白洲次郎・正子夫婦に興味を持っただろうか?世界を股にかけたでっかい人が実は身近に住んでいたということを知ると、自然に将来への視線が広がるものです。でかい大人に育って欲しいな。僕らの晩年、息子はあれ、孫はそれ、姪は甥は・・・って、いろんな世界で大活躍していれば、痛快にこの世におさらばできます。
心月院で姉夫婦と解散しました。17時半頃帰宅し、弟家族とバイバイしました。その足で川西阪急百貨店に向かい、今回の法事のお返しを手配しました。ここでの主役は家内で、僕は単なるアッシーくんです。帰宅後、お腹が空かず、夫婦揃って夕食抜きです。ああ楽しかった。来週は、長男の初めての子に会いに、新潟に飛びます。ああ、楽しみ〜。

2013/1/21
この日曜日は、当初父親の7回忌法要の日でした。でも先月弟が緊急入院し参加者が減ったので、1週間後ろにずらしました。両親の親戚が北関東ばかりなので、遠路参列の方がおられなかったので、日程変更が利きました。北関東の本家に連絡しましたが、特に問題もなく。
ということで空いたので、家内の都合を聞きました。翌週の参列者へのお礼品の購入と、関東から寄せられた御佛前のお返しの品定めでデパートに行くらしい。「私一人でいいから、バイク遊びしてもいいよ」とのこと。顔色を読まれてますね。1.17に長男に男の子が生まれたので、2/3に会いに行くから、偉業を成し遂げたお嫁さんへのプレゼントも物色したいのだと思います。こういうのは、旦那が横にいると気ままにあっちこっちとウインドウショッピングが出来ないからね。僕はもうプレゼントのセイルバッグを用意済みだから、こちらの心配もありません。
北摂ツーリング会の白崎海岸ツーリングに申し込みました。今年に入ってもう2回目ツーリング参加です。寒さに弱いバイクは、冬になると走行イベントが減りますが、このグループ主催者はオフ車乗りなので、冬でも精力的です。グルメやおしゃべりより、寒かろうが少々雨が降ろうが、走って景色を堪能したり歴史遺産を巡りたい僕には好都合です。
目が覚めたのは4時過ぎ・・・既に階下で家内が活動してる音が聞こえます。いつもより1時間も早い活動開始です。外は真っ暗なので、自室であ〜だこ〜だしてたら1時間早い6時にお風呂に入ってます。朝一から出掛けるのかな?
階下に降りて最近の定番・リンゴダイエット朝食がお皿に載ってたので、TVを見ながら食します。「今朝は早いね。何時に出るの?」「あなたが朝早く出掛けると思って・・・一緒に出るの」。家内はとにかく戸締り・火の元点検に時間がかかります。僕が一緒に点検すると安心するようで、ウィークデイも点検後僕と一緒か、少し早めに家を出ます。
「去年一緒に行った白崎海岸に行ってくるわ。7時に出るよ」「そう、ちょうどいいわ。一緒に家を出るね」。家内と入れ替わりに朝風呂で体を温めます。家内と一緒に自宅を出て、倉庫から「招き猫・CB400SB」を出して自宅前に停めます。前回ツーリングでお手製テーブルクロス・ナックルガードが下にずれるようになったのでゴソゴソしました。2つ穴・結束バンド2本で固定していましたが、3つ穴・結束バンド3本に強化します。結束バンドの1本がすぐ緩むようになったからズレやすくなりました。
8:00、最寄りの御用達・伊丹産業ESSO・GSで給油します。今回は7.9Lでしたが、前回給油の時トリップメーターを控えるのを忘れたので、前回との合計で、440km/19.8=22.2km/L。ホンダドリームにリコール修繕を出したから、その時燃料だけ食ったのでしょう。いつもより燃費が、2kmほど低下。
GSでGPSをセットしたり、ゴソゴソしてから出発します。9時に、近畿道・東大阪PA集合なので余裕です。8:38到着。リーダーKさんのアフリカツインの横に停めます。このバイクは迫力があるな。戸井十月さんの大陸横断・縦断で使われたバイクのイメージがあり、パワフルで壊れない・道を選ばないオールラウンダーでかっこいいです。僕には操れそうにないけどね。
コンビニ店内にKさんがいました。他にもバイク乗りがいましたが、おツレさんがやってきてツーリングに出発されました。Kさんと話しているとY女史が「おはようございます」って登場。お隣の席でもバイク乗りさんの待ち合わせのようです。9時近くになり、播州組がやってきたのが見えたので店を後にします。
店の前で全員集合。メンバーの播州組Y女史のゲストさんは、さっきのお隣集合さん達でした。BMW2台のご夫婦・・・色違いの同じような形のバイクで、BMWジャンパーも色違い。いかにも仲良し夫婦は、見ていて嬉しくなっちゃいます。「いつも喧嘩しながら走ってます」なんて言ってたけど、いい家庭を築かれているのは一目瞭然です。Yさん同様の美人さん1名。この近くにお住まいだとか。神戸の男性は、さっきのご夫婦の旦那さんの同僚だそうです。例年、冬はバイクは冬眠するそうですが、上司からのお誘いに出動してきたのでしょうか?
播州組には、Yさんの奥さんMさんがいます。初高速道路で、「無理そうなら途中で脱落します」とのことでしたが、しっかり走って来たんだ。山陽道・菩提寺PAからノンストップ・1時間ほどでここに来たのは立派です。僕はいつも途中の三木SAで1回休憩をいれないと持ちませんよ。パワフルな感じの奥さんじゃないのに凄いな。
先頭にリーダーKさん、女性陣が続き中間にMさん。最後は鈍足の僕が定位置と思ったけど、先月から3度もご一緒してる播州組Kさんがトリを取るそうです。「僕の後ろなんて、知らないよ〜」で出発しました。Mさんの「まだ着いたばっかりで、温かいコーヒーも飲んでいないよ〜」の声は、出発時間の9時になり無視されました。グハ
近畿道を南下し、阪和道に入り、9:49・岸和田SAで最初の休憩です。80〜90km/h・たまに100km近くで離されたのを追いつきの走行でついて行けました。1週間前の白浜ツーリングの朝走行で寒かったのでチョッキをプラスしてきましたが、暑いです。気温が少し高いのかもしれませんが、ハードプロテクターの胸と背中に汗をかいています。汗はかえって風邪を引くので、チョッキをリアボックスに収納しました。
ここから一路目的地を目指します。初めて下りる「広川IC」下車。紀州広川と言えば、稲むらの火ですね。西進してr23・海岸道路に出ます。そのまま海岸線を南下して行くのかなと思ったら、途中山中に入りr24に出て、海岸線を北上し、11:09・白崎海岸に到着。途中使った道は広域農道なのかな?こんな広めの道がこんなとこを走ってたんだと、びっくりしました。道をよく知ってはります。
相変わらず白い世界です。全11台が横に並ぶと結構な迫力だな。女性陣はおトイレに行かれますが、「展望台に上りますよね」とリーダーさんに確認し、僕は同僚男性さんと展望台に向かいます。風が強いです。前回も前々回も強かったけど、この日は15m/sを超えています。沖はうさぎがぴょんぴょん跳ねて、白波オンパレードです。この風じゃディンギーは辛いな。クルーザーでも2ポイントリーフで安全航行を強いられそうです。シャッターを押そうとしても風でカメラが揺れるので、手振れで写真は全滅かな?と思いましたが、さすがに一眼レフ、失敗作品無しでした。レンズが明るく大きいので、シャッタースピードを短くしても行けるのでしょう。
レストラン「白い岬」で昼食です。「月見しらす丼・850円」を食べました。「満幸食堂」のような「どんだけ〜」なしらす量じゃないけど、美味いね。12:39、精算して出発。
r24・海岸線を南下します。ここでも海岸線をずっと走るのではなく、僕の知らない道を使います。鈍足な僕は遅れ気味で、枯葉マーク車に阻まれたり、道路工事・片側通行区間の信号待ちがあったりで、ちぎれてしまいました。前回2回は、御坊から北上ルートだったので、怪しい道で道間違えをしたようです。Uターンするのも面倒で、R42に出て紀伊由良で本線復帰を試みましたが、ここでもミスロードしてしまいました。紀伊由良は右手なのに、道標は左折道を指示しています。先に右折道があるだろうとスルーしたら、左折道がR42の下をくぐって右に走っていました。ナハ
紀伊内原から右折してr189に入ります。道は順調に西進し、最後の一山の向こうが海岸線というとこまできて左右に道がわかれます。野生の勘で左を選択。僕ら2台の後ろに追いついてきたバイクは右へ。予想通りr24海岸通に出ました。「ああ、ここに出るのか」、見覚えのあるとこで目的地の「日の岬」に近いです。
御坊の海に出たとこの交差点を右折し、13:31・「日の岬」到着。最後のヘアピンカーブを上がっていくと、先着の皆さんが手を振って声を掛けてくれます。僕はそのまま駐車場に上がりましたが、皆さんのバイクがない。後続のKさんが「あっちみたい」とジェスチャーで教えてくれます。下にも駐車場がありました。Kさんは、鈍足でちぎれてしまう僕に付き合わされて大変だね。僕は毎度のことで平気なんですが・・・ぐふふ。リーダーさんに聞いたら、10分遅刻だって。遠回りしちゃいました。
風車が、ブワンブワンと低い不気味な音を立てて回っています。こんなのが近くにあると、恐ろしいし眠れないな。ここも風が強いけど、白崎海岸よりマシですね。トーテムポールと灯台をバックに集合写真をパチリ。ここまで来ると、瀬戸内や大阪湾の海と雰囲気が違い、水平線が長いです。
GS給油し、喫茶店でお茶して高速予定で、帰路に着きます。r24・海岸線を御坊に向かい、長い砂浜の神社のとこでごちゃごちゃと内陸に入りR42に出ます。少し北上しGS給油。僕のはまだメモリが3つで半分近くあるので給油をパス。少し北上しますが喫茶店はありません。リーダーさんは「もうない」と判断し、右折してICに向かいます。初めての「川辺IC」で湯浅御坊道路に乗りました。
14:42、「吉備湯浅PA」でお茶休憩です。僕はクリームソーダで、多くの方はコーヒーで、あ〜だこ〜だが始まりました。ゲストご夫婦さんの旦那さんから、西宮クシタニを教えてもらいました。R171の大きなカーブのところにあるお店でした。以前からバイク屋さんがありましたが、お隣にクシタニさんがあるそうです。僕は1軒のレーシーなお店だと思ってました。
更に北上し、16:17・「岸和田SA」到着。移動販売メロンパン屋さんで、200円チョコレートメロンパンをお土産に買いました。どんな味かは、家内が全部食べちゃったので不明です。「美味しい」らしい。次は2個買おう。
メロンパン屋の前で、ひと通りおしゃべりし、ここで解散し次々に離脱することになりました。僕は一足先に出発しました。頑張って追いかけるより、マイペースで走っても、鈍足なのでどうせ追いつかれ抜かれるだろうとの読みです。80〜85km/hペースで阪和道〜近畿道を北上します。結局追いつかれませんでした。更におしゃべりしてたのかな?
CB400のガソリンメーターは、液晶で満タン6つマーク表示です。3つになれば残量が半分弱で、最後の1つ表示の次に「ガソリンもうないよ」表示のリレー点滅になります。残量4Lでリレー点滅になるので、あと4L×24km(厳しく見積もって20km)=96km(80km)走れます。朝の集合場所・東大阪PAを通過する時は、メモリ1つになっていました。リレー点滅になったら高速を下りようと思ってましたが、このままでは帰宅できそうです。
阪和道〜中国道ジョイントの「吹田IC」で下車しました。ここから最寄りの「池田IC」までちょっとなのに450円(ETC休日300円)も必要なので節約です。中国道の横を走る中央環状線は、高速道路気味のスピードで流れるので、時間的にもあまり変わりません。僕は高速を走ってて一般道の車両によく抜かれます。
横を走る中国道を見ながら走りましたが、播州組は抜いて行きませんでした。ここでリレー点滅が始まり、17:40・朝給油した御用達・伊丹産業ESSOで給油しました。335km/13.86=24.2km/L。バイクで13Lも給油したのは初めてです。近所のバイクセブン&オートバックスに寄り道し、倉庫前でCBを乾拭きして、18:30頃帰宅しました。家内へお土産のメロンパンを渡すのと交換に、夕食を持ってTVを見ながらムシャムシャ。風呂で温まり、大河ドラマが始まったところで自室に上がり、PCに帰宅メッセージを打ち込み床につきました。ああ面白かった。

2013/1/14
日曜日は、紀伊田辺ツーリングに出ました。寒い冬が続いていますが、この日は平年より高めの気温と上天気という予報だったので、電車でローカル駅巡りをしたそうなことを言ってた家内を都合を聞いてみました。答えはNO。先週、耳鼻科に感動したので歯科でメンテナンスしに行くのだとか。ふむ。
JR・冬のワンデイパス・3500円で、伊丹〜大阪〜和歌山〜五条〜桜井〜奈良・観光〜木津〜尼崎〜伊丹というぐるり周遊計画を練っていましたが、お蔵入りです。
残念1/3・ニヤリ2/3で、ソロツーリング計画を練ります。播磨・備前の海岸線もいいな。雪は大丈夫そうなので播磨北部の山城探索はどうかな?山崎IC下車で長水城址〜毛利・羽柴激突に散った山中鹿之介終焉の城・上月城址〜赤松円心本拠地・白旗城址〜龍野城〜夢前川を北上し宮置・置塩城址・・・いいかも。
奈良から県道利用で沿線の寺社に寄り道しながら鎌倉幕府倒幕のため後醍醐天皇が篭った笠置〜お勧めの道R369で針テラス〜R25の北エリアのお勧めの道利用で柳生探索というのも良さげです。
などと考えていると、バイク知り合いさんから「和歌山田辺・闘鶏神社初詣」のお誘いが舞い込みました。闘鶏神社〜めはり寿司〜白浜とれとれ市場という未知の場所ばかりで魅力的です。前日になり、お誘いに乗っかることに決定しました。誘っていただいた宝塚のTさんと、7:00に伊丹MANDAIスーパー前集合です。メール繋がりで初対面なので、お互いの特徴をやり取りしました。明け方7時に、開店前のスーパー前集合。同じCB400なので、間違う心配はありません。
目が覚めたら6時でした。4時に目覚めて二度寝したからヤバイ時間になりました。朝風呂をやめて速攻で着替え、倉庫に急ぎます。ツーリング道具一式を里山VTRから詰替えます。まあ集合場所まで10分なので悠々間に合いました。6:30到着。ここで地図をタンクバックに収納したり、ヘルメットスクリーンに曇り止め処理したり。GPSナビをハンドルにセットし、グローブの下にポリエチレン使い捨て手袋をはめると暖かいというので、それもやってみます。
ここは、「鴻池」という地名で、昔鴻池という大きな溜池がありました。今は埋め立てられてスーパーや伊丹北高が建っていますが、北高の南に黒池として小さく残っています。前述の山中鹿之介は、参院の雄・尼子氏の家老職でした。中国地方に台頭してきた毛利を攻め滅ぼしに尼子氏は安芸を攻めたが敗戦し、反対に毛利に攻められ安来市・月山富田城に滅びました。
主家の再興に奮闘する鹿之助は、織田軍団の中国平定司令官・羽柴秀吉方に合力しますが、上月城籠城戦に敗れ護送途中に殺害されて果てました。その家族は、秀吉の富の源・多田銀山で暮らします。江戸時代になり鹿之助の息子がここ鴻池で酒造りを始め、大消費地・江戸に運び富を得ました。これが伊丹の酒造の発祥らしい。苗字を山中からここの地名「鴻池」に改め、江戸廻船問屋など鴻池財閥の基礎を作りました。鴻池財閥発祥の地の碑が、黒池の畔に立っているらしいと最近知り、早朝自転車ででも行ってみたいなと思っていたところでした。
なんて考えていると、Tさん登場。メールでのやり取り同様、気さくな方でした。僕に何かあった時の緊急連絡先が財布に入っていることと、携帯電話番号をお伝えしてすぐに出発しました。央環状〜近畿道〜阪和道で、8:30「岸和田SA」集合を目指します。余裕で到着したら、GさんとNさんがいました。GさんのバイクはNC700X・黒です。フロイントサイドパイプ(銀色を黒に塗ったらしい)・純正リアボックス・サイドボックスのHONDAロゴがかっこいい。ホンダドリームに飾ってあるNC700Xと同じバイクには一見して見えないかっこ良さがある。
Nさんのバイクは、「ストライカー」と言ってたと思う。ヤマハの正規逆輸入車で1300ccアメリカン・クルーザーです。幅広タイヤは、安定感抜群だそうです。怖がり僕の苦手・縦溝なんて平気そう。車体が赤で、そう言えばネット上だけのお付き合いのあの人のバイクに似てると思ったら、本人でした。うわぁ〜驚き。架空バイク知り合いが、また1人・リアル知り合いになりました。タンクがスマートでお洒落な湾曲なので容量を聞くと15Lだとか。僕のCB18Lより小さいけど、ツインエンジンだから燃費がいいんだろうなと聞いたら、15km/Lだそうです。航続距離200kmということでした。
Gさん先頭に僕がビリで、高速南下します。手袋内ポリエチレン使い捨て手袋の効果はナシで、いつものように指先が冷たい。今回2回目使用の「KOMINE・ネオプレーン・トゥーウォーマー・ミドル・1155円」は、秀悦な利き目で、足先の冷たさから開放されました。ネオプレーングローブの上にウインターグローブがいいかも?
80〜90km/h巡航だけど、さすがに高速ばかりなので胸の上部が冷えて来ました。一番大きなスクリーンに交換してるけど、スクーター並みのスクリーンが欲しいぞ。BMWのツーリングモデルが一様に大きめスクリーンが着いてるのは流石です。暑いと思って脱いできたチョッキが欲しい。
次の休憩は「印南PA」と聞いてたけど、9:07「吉備湯浅SA」到着。小刻み休憩が有難い。トイレ休憩のみですぐ出発です。9:37「印南PA」到着。ここもトイレ休憩のみです。トイレが少なく、2人待ちでした。「バイクは寒いでしょ」と声を掛けられたので、「冬なんだから車にしときゃいいのにね」っておっちゃんと笑い合った。おっちゃんも暖かい季節は、バイク乗りなんでしょう。
僕の南紀和歌山・高速道路最遠・「みなべIC」を越えて、最終「紀伊田辺IC」で下車。大学卒業後、先輩達とコーチをやってたジュニアヨットのレースで、田辺湾に来て以来です。先入りしたレース艇と選手とは別行動で、夜中走って田辺を目指しました。高速道路もなく途中でダウンし、R42・海南のトンネルを抜けたとこにあったホテルに泊まりました。
「予約なしでいつでも泊まれるから、あそこがいいやろ」と、土曜の夜中・乗用車1台・男4人でラブホテルに突入です。4人部屋ってのがあったのでそれにすると、ドアを開ければメインルームにWベッドがあり、更に扉を開けるとサブルームにまたWベッドがありました。「どんな用途に使うんだ?」っていろいろ想像しながら、最年少の僕はサブルームに、1学年上の先輩と2人で押し込められました。小学校から大学まで一緒の先輩なので気心は知れていますが、「これはやばいかも?眠れないな」って一大決心してWベッドに2人で寝たけど、一瞬で睡魔に負けました。どうやら無事だったようで、気持ちの良い目覚めでした。
田辺市内をゴソゴソ走って、10:06「闘鶏神社」到着。そこに見覚えのある赤のハンターカブがいました。田辺在住のAさんです。この方ともエア・バイク知り合いです。本日3人目のリアル知り合いにチェンジです。Tさんという車で来られた女性もおられました。これで全員集合だそうです。
「闘鶏神社」は、熊野三山の別当だそうで、熊野参りに来られた方が、ここから山道になる熊野三山参りを断念し、ここでお参りして三山参りに変えるお宮だそうです。壮大なお宮でもありませんが、歴史好きの僕のハートを掴む謂れ板が立っていました。源義経の参謀・武蔵坊弁慶がここ熊野三山別当の家系の生まれだそうです。源平の戦いは、一の谷決戦の源氏勝利後瀬戸内海の海上戦闘に移りました。優勢な熊野水軍の動静が戦の勝敗を左右するので、源平双方から援軍要請が届いたそうです。その時弁慶は熊野に戻り、熊野水軍の統率者であった別当の地位にあった父親の説得に当たりました。父親は、紅白各7羽の鶏を戦わせ神意を確かめたとか。「それで、闘鶏神社という変わった名が付いたんだな」。「若王子のご正体」と「金剛童子の旗」をなびかせて、総勢2000人・200隻の熊野水軍が壇ノ浦に向かって出陣したそうです。インド渡来の原始仏教と神道が結びついた行者信仰・熊野信仰の象徴・若王子や金剛童子が旗印とは素晴らしい。「Showthe Flag」で他を圧していたでしょう。小ぶりな社が10社ほど建っており、うち2社は檜皮葺の社です。いいところに連れてきてもらいました。
皆さんと話をしていてわかったのですが、「和歌山の会」のリーダーさんが、田辺出身で大坂に住むGさんで、その初詣ツーリングにお邪魔したようです。Tさんは「おやじツーリングの会」のリーダーさんでした。「また参加してよ。会に入ってよ」って・・・何だか僕のバイクライフも、どんどん広がるね。
10:54、でかい「蕎麦処」の暖簾が下がる「めはり本舗三軒茶屋・田辺店」に到着。Aさんのお店です。めはり寿司をおまけしてもらって、「天丼&温蕎麦セット・1200円」でお昼ごはんにしました。美味しかった。
予定ではここで解散でしたが、11:48、全員で近くの「南方熊楠顕彰館」到着。お隣に住居があります。紀伊半島の博物・生物・民族学者の南方熊楠は有名ですが、田辺市内に住んでいたとは知りませんでした。和歌山の山奥に庵でも結んで、自給自足の生活でもしてたのかと思っていました。住宅は入館料がいるとのことだったので、外から激写しておきました。白壁&板張り2棟の質素な家でした。研究ツアーに熊野に入ると、きっと1ヶ月や2ヶ月は帰って来なかったんだろうな。
ここの駐車場で解散になりましたが、結局全員この後のお目当てが「とれとれ市場」だったので、またもやゾロゾロと並んで走りました。12:39、「白浜・とれとれ市場」到着。マグロの解体をやってました。Tさんの奥様がご贔屓という「薄皮饅頭・6個600円」を購入しました。Tさんは試食魔で、あちこち試食しながら気に入ったのを買っています。家内との御坊〜湯浅タンデムツーリングで好評だった「金山寺味噌」があったので、それも購入しました。
ここでほんまの解散になりました。Aさんは日高郡にお住まいだそうです。御坊〜湯浅ツーリングで、クエを食べたとこやね。Nさんは下道で帰路につくようです。僕も通常なら下道希望ですが、夜には雨になるという天気予報に変わっていて、雲が空を覆っていたので高速組に入ります。
13:17、「田辺高速入り口・Mobil」で、11.9L給油。トリップメーター記録を忘れたので、燃費は次回まわしです。気温が上がり、背中のハードプロテクター回りは汗をかいています。冬用二重グローブが暑く、一重にしました。渋滞もなく順調に3台で北上。僕は2台目を走ります。僕の希望で関空から阪神高速回りにしてもらったので、予定の次の休憩は「紀ノ川SA」でしたが、「吉備湯浅PA」手前で付近で疲れてしまいPA手前で左ウインカーで先頭のTさんにアピールです。後ろのGさんは左ウインカーになりましたがしか〜し、Tさんはバックミラーを見ていなかったようで素通りです。ウインカーを切って、追跡します。
予定通り「紀ノ川SA」休憩。100km近くノンストップだったと思います。信号ストップ等がある下道なら平気で走る距離ですが、高速道路は緊張しちゃってどうも苦手です。SA毎休憩の60kmぐらいが、僕には合ってるようです。海南付近のトンネル銀座で、60km/h巡航で走ってる若葉マークに捕まってスピードダウン時間がかなりあったので、そこで復活しました。
いつもなら、和歌山からの帰路は阪和道〜近畿道ルートなのですが、帰りに「ホンダドリーム尼崎店」に寄ろうと、関空から阪神高速ルートを予定したのですが、「向こうは風が強い日が多いから、危なかったら下道に降りるよ」とのことで、ならば近畿道ルートに変更しちゃいました。「優柔不断でご迷惑おかけします」。
ちょっと怖い「紀ノ川SA」から大阪方面のカーブ下りエリアをクリアし、「松原IC」下車。ここでGさんとお別れです。R309を少し走り、「阪神高速」に乗って環状線〜空港線で、「豊中北IC」下車。ここでTさんとお別れして、大阪空港地下を通ってr13に出て、南下してホンダドリームに到着しました。
整備の方に、リコール・ハガキを見せます。「これって、先週してもらったのと同じですよね。僕のバイクは二重登録になってるかも?1つ消した方がいいよ」。僕のバイクは、2011年最終版でメーカー在庫がなく、「ホンダドリーム尼崎店」の会社「ホンダドリーム近畿」の他店にあった在庫・最後の1台を回してもらいました。その関係で、そのお店から新車移動した時と、僕が2012年2月末に尼崎店から購入した時点の2度販売されたようになったようです。これからも2通届くかも?無料お土産が2つ来たらいいのに。
後ろを走ったGさんからの指摘「ストップランプが、ブレーキも掛けてないのに、明るくなったり暗くなったりしてますよ」を聞いてみました。高速道路で単調運転になると、僕は右足の置き場所を時々変えます。「つま先にブレーキ&土踏まずバー」の通常位置と、「つま先バー&かかとマフラー上かかと置き場」です。今回のリコールは、「雨水侵入によるケーブル不良で、ストップランプが点灯しなくなる事の改善」で、その時ストップランプ点灯タイミング調整したので、それが原因だそうです。以前より、ストップランプ点灯を敏感な方に振ったとのことで、バイクの下に手を入れちょちょいと調整してもらったらお終いでした。
「どこまで行って来たのですか?」「白浜まで」「え〜結構遠くまで・・・」なんて他愛のない会話後、2Fでお水をもらって休憩して帰路に着きました。「あ、そうだ」、16:58バイクセブンに寄り道です。バイクセブンに用はなく、1Fのオートバックス・伊丹店にて、ナビバイザー・1480円を購入。光でナビに見えにくくなる対処としてバイザーを使用してるのですが、一部分壊れてしまいました。使えないことないけど新調です。
17:30帰宅。心筋梗塞療養中の弟が夫婦でやってきたそうです。朝風呂中に電話が入り、慌てて実家の風通しなどしてお迎え。来月受ける2度目の手術の説明を受けたそうです。なんだかんだで、結局歯医者に行けなかったそうな。家内にお土産の薄皮饅頭を見せると、なんと知ってました。店名まで知ってる・・・どこでそんな情報を手に入れるんだ?「美味しいね」ってポコポコと2個食べていました。
風呂に入り、夕食を食べ、日曜夜の家内のお楽しみ「もやもやサマーズ」に付き合っていると寝てしまいました。ああ、楽しかった。

2013/1/7
日曜日は、去年数回参加したツーリンググループの初ツーリングに参加しました。
その前に、長男からまだ見ぬ彼の長男の「命名書き」の写真が届きました。神社で安産も兼ねてお祓いでもしてもらったのかな?僕らの時はしなかったのでわかりませんが、出産予定日が来月に迫りお嫁さんが帰省してる新潟の風習かも知れません。夫婦並んで、色紙に清書された息子の名を額の裏に貼ったものを持っています。今や3D映像でお腹の中の子の成長を写真に残せる時代なので、出産前から性別他わかっています。先月の定期健診報告で、すでに次男の出産体重2580gに肉薄していたので、1週間保育器生活だった次男を超えているでしょう。長男の出産体重2680gも超えそうです。お嫁さんは細いので、難産にならなければいいけど・・・「初孫君、居心地がいいのはわかるけど、適当に出てこないとお母さんがしんどいぞ」。
5時に起き、家内も休みなので本日のメニューを考えながらあ〜だこ〜だ。朝食食べながらあ〜だこ〜だやってると、家内が「病院に行ってこようかな?」とポツリと言いました。最近、僕との会話で「えっ」って聞き返される回数が増えていました。僕の声が小さいんだなと、大きめに言うようにしていました。いつも右耳で聞いていた電話をたまたま左耳で聞いたら、明らかにクリアに聞こえ方が違ったので自分の右耳に異常があると気づいたそうです。食事するときも、TVを見ている時も、車に乗ってる時も常に僕が家内の右側にいます。金曜夜にそう言うので、僕が家内の左右に動き確かめてみました。「ガ〜ン」。もし右耳が聞こえなくなっても僕らの関係は全く変わらないけど、家内がとてもかわいそうです。すぐに、「一度病院で診てもらった方がいいよ。進行を食い止めることが出来るかもしれないし・・・」と提案しました。
家内もその気になったようです。特急で日曜診療してる耳鼻科を探しました。以前耳が痒くてかきむしってた時お世話になった豊中の日曜診療・耳鼻科に行く事にしました。その時の診察券は出て来ませんでしたが、病院のカルテに残っているでしょう。
病院名が思い出せません。場所も阪急宝塚線・豊中駅付近の数駅の駅前ということだけしか思い出せません。PCで検索して一番上にヒットした「庄内駅」近くの耳鼻科に、「ここだったかな?別に違うとこでもいいやん」程度で行く事にしました。「ただいま診療中」となってたので、確実に診てもらえます。
R176を「阪急蛍池駅」から南下しながら、記憶を呼び起こします。なんだか遠すぎるなと思いながら検索した「おがわ耳鼻科」に到着し、家内を下ろして帰路につきました。
車内での会話「ここは阪急電車だよね」「うん、宝塚線。片方が十三から大阪梅田に、もう一方は川西から宝塚に行けるよ」「じゃあ、終わったら中山さんにでも行こうかな。あそこなら電車で何度も行ったことあるから。お昼ごはんは適当に食べてね」・・・(うはっ、ラッキー)「うん、わかった。じゃあ僕はバイクにでも乗ってるわ」。
家内の耳のことが心配ではありますが、僕が気を揉んでも仕方のないことです。今はそれよりバイクに乗れるこのラッキーでウキウキです。家内もフルタイム労働者なので日曜日毎の病院通いが始まるかも知れません。以前の耳鼻科を探しながら宝塚線沿いを北上します。
結局見つけられず、家に着きました。時刻は10時過ぎ。車の中で「そうだ、北摂ツーリンググループが母子のお店で昼ごはんするから、それに参加しよう」と決め手いたのですぐにPCでそのグループのサイトを見ます。リーダーの集合場所出発時間を過ぎていますよ。「まあ、ドタ参でもOKでしょう」。
バイク装束に着替えて、11時に出発しました。目的地が僕のホームフィールド北摂だし、高速道路利用になることもないだろうから、倉庫から里山VTR250を引っ張り出します。招き猫CB400SBのリアボックスに載ってるカッパや工具を、VTRリアボックスに積み込みます。
長尾山トンネル〜r325〜r33。r68を渡り波豆川沿いに北上し、定点観測ポイント・「八坂神社」にお参りします。11:20、神社前にバイクを停めると、謂れ板が新しくなってるみたい。お祭りを写真入りで紹介しています。境内に山車小屋があるので、中に入ってる山車を見てみたいな。階段を拝殿に上がります。いつも誰もいない境内ですが、車が数台来ており、男衆数人があ〜だこ〜だしています。この日は、謂れ板に書いてあった「正月當」の日です。その準備でしょう。
r323を西進し、「志手原」からr49。「虎亀」集合時間12時には早いです。11:40、「花山院・十二妃の墓」に寄り道し手を合わせます。久しぶりに「花山院」に上がろうと思ったけど、きっとあ〜だこ〜だ寄り道し過ぎそうでここは諦め、そのままr49を北上してがやがや集団が店内に消えた「虎亀」に到着。
リーダーさんのバイクも、播磨方面メンバーさんのバイクも到着済みです。Nさんの新車CBR250もあるぞ。さっきの集団が北摂グループのようです。ほぼ同時到着だったね。店内に入ると見知ったお顔が揃っていました。Y嬢さんがはるばる播磨からタンデムで乗せてきた可愛いお嬢さんのお隣に座りました。
対面で、kさんの漫才トークが始まっています。Y嬢さんと播磨仲間のNさんのお誕生日バトルが面白い。本来おめでたいはずのお誕生日なのに、あと2日あるとか干支がどうとか、些細な数日の攻防が女子には最重要課題のようです。京都からご参加のH2世さんは、バイクの強者のようで非常に詳しい。大型バイクから原付に買い換えたり、楽しい乗り物を追求しているようです。入店前、ピカピカの凄いバイクだなあとジロジロ見た「黒・KAWASAKI・大型バイク」のオーナーでした。「ZZR1400」、世界最速だって・・・凄い。
「虎亀ピラフセット・850円」を、美味しくいただきました。お野菜・ウインナー付きピラフ・コーヒーです。お隣の席では、リーダーさん。ご近所なのでいつもリーダーさんとずっと一緒のY嬢さん。播磨方面隊Yさん&奥さんMさん。禁煙グループリーダーJさん。総勢10台・11名です。ちゃんとしたツーリングじゃなく、リーダーさんが「天気がいいから、初乗します」に、「どこ行くの?」で集まりました。リーダーさんも驚きの通常ツーリングより多い参加人数です。
あ〜だこ〜だトークに花が咲きましたが、次のバイクグループがやってきたので退散です。お正月気分も抜け気味の今年最初の日曜日の上天気なので、モゾモゾ動き出したようです。バイカーズカフェは大賑わいです。
M嬢さんとあ〜だこ〜だ話し、Y嬢さんのバイクを前向きにスべく引っ張り出し、R173沿い「気遊」に向かいます。r49「虎亀」から北の峠は凍結の心配があるので南下します。r323〜r319で東進しr12・「六瀬」に出て北上、「杉生」からr602を東進、R173に出て北上し「気遊」到着。ここでは大きな中央テーブルを囲んで全員座りました。トーク第2段。旅行番組で名前だけ知ってた「チャイ・700円?」を初めて飲みました。生姜とかいろいろ入っているとか。
ここで判明したのですが、Y嬢さんは東京や静岡にバイクで日帰りするそうです。豪傑だ〜。楽しい時間もあっという間に過ぎ、さようなら。播磨組は、R173を北上し、R372を東進して姫路に向かいます。それをお見送りして、北摂近隣メンバー&京都H2世さんは、R173を南下です。H2世さんの後ろを走りましたが、スーパーバイクはちょっとひねるだけで鋭い加速をしています。ビビリの僕には到底乗れそうにない代物です。
池田で皆さんにお別れし、r13利用で16:20に帰宅しました。家内が帰っています。「診断はどうだったのかなあ?」と気になりますが、黙々とお料理中です。外見は、中耳炎の時にする眼帯みたいなのもやってないけど・・・「予後不良の診断でもされたのかな〜」。口をついて出た言葉は「今日は何処に行って来たん?」「中山さん」。わが子たちの安産腹帯を頂いたお寺なので、お嫁さんの無事の出産を願ってきたのでしょう。
「う〜む、診断結果を言い出さないなあ・・・」。意を決して、「病院、どうやった?」「やっぱり前のとこと違ってた。移転したのでもなかった」。そんなことはどうでもええねん・・・診断結果が・・・。明らかに僕の気持ちをわかってはぐらかしています。
「何て言われたん?」・・・お料理の手を止め振り返りました。「それがねえ、笑っちゃうわ。綿棒の先の綿が詰まってただけだって」って笑っています。「前にね、綿棒の先が取れて残ったのでピンセットで取ったことがあったのよ。その時のがまだ残ってたみたい」。
「が〜」脱力しました。そんな結果だったら、じらさずに早よう言いなはれ。僕の心配顔を弄んで遊んでいたな〜。「快適に聞こえるようになったよ」。終わり良ければ全て良しの楽しい今年最初の日曜日でした。

2013/1/5
1/1
「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」「除夜の鐘」という一連の定番年越しTV番組があるので、年に1度親の夜更かし公認の日なのに、ここ10年ほどは「行く年来る年」の前に夢の中が続いています。今回も9時には寝ていました。
よって、いつもの様に真っ暗な早朝起床になりました。「暇や〜」。食事して元旦恒例のお墓参りに出発です。6:59、宝塚出光で給油。2日から高速道路が混むので、高速道路利用で遠くに行くのは元旦がいいです。中国道・山陽道を西進し、「三木小野IC」下車。播州加古川の市営「日光山墓苑」を目指します。いつものように近道の墓苑北側からのルートでしたが、あと数百メートルというとこで凍結していました。手前で車を止めて凍結面を見ましたが、上下2車線とも10m幅で凍結してて滑走必至です。
仕方ないので、一旦加古川の東岸r18に戻って、ぐるりとr65「上荘橋」を渡って南側から墓苑に入りました。9:05、次男がバケツ&柄杓担当になりますが水道が凍結してて出ません。まあ正月墓参ではよくあることで、トイレで水を調達しました。
年末に墓参した姉の花を入れ替えようとすると、凍結してて引き抜けません。グリグリしながらお花の交換をしました。前回お彼岸は雨でお線香を端折ったけど、今回は上天気に恵まれ一連のお墓参りが出来ました。
今年のお正月は、長男の帰省がありません。来月初め実家で出産予定のお嫁さんが実家に帰っているので、そちらでマスオさんです。3D写真とかで男の子が予想されているので、考えた名前を年末にメールしてきました。
僕の名前の一字を息子たちに送ったのですが、同じ字をまだ見ぬ息子に送るようで、それに「遼」の字を加えるようです。石川遼の「遼」ですが、送ってきた名を見てピンと感じたのは、長男がほとんど全作品を読んだという司馬遼太郎の「遼」を拝借したなということです。
r65を西進し、「志方」に向かいます。家内のお父さんの生まれた地で、7年前まではこの地に家内の実家のお墓がありました。去年7回忌だった義理母の埋葬に合わせて、市営墓苑に移動しました。義理兄は義理父同様次男ですが、義理父と同じように先祖の墓守りになりました。兄の実家は三田ですが、兄の実母が亡くなれば、お墓を加古川に移動するということで、隣同士の聖地を購入しました。
家内は姉との2人姉妹なので跡取りがいませんでした。墓守りがいなくなれば僕が2つのお墓を守ると家内に言っていましたが、義理姉のお婿さんになった兄が墓守りするということでメデタシメデタシになっています。生活の苦しかった学生時代に結婚式も挙げずに結婚した姉夫婦、兄がさらに別の学部に進んだのにも快く援助し続けた家内の実家。兄が独立開業する時もその資金を家内の実家が出しました。兄はとても感謝し、家内の実家の面倒をみんな見てくれています。ありがたいことです。
9:25、通い慣れた「志方皿池」を右折し、「志方小学校」のとこを曲がって「観音寺」を発見しました。2014大河ドラマ・黒田官兵衛の奥さんは、ここの城主だった櫛橋氏の娘です。志方城の天守閣があったのがこの観音寺です。文字の半分消えかかった志方城址の謂れ板が立っていました。
櫛橋氏の詰城のあった天神山の鞍部にある峠に上がります。ここに家内の父親の生家がありました。以前のまま何もない広場になっています。八幡神社への参道も変わらぬ姿でそこにありました。
r65を西進し、R372に合流してすぐ「花田IC」から播但道に乗りました。次の目的地は、鶴居城址です。播但道を北上し、ETCのある「福崎北IC」で下りようと思ったけど、下りれなかった。「うわぁ〜、次のICは出口は生野とかになるんじゃないのかな?目的地を通り越しちゃうぞ〜」とちょっと困ったけど、程なく「市川南IC」があり助かりました。10:28花田〜市川南400円。
以前家内と自転車で市川沿いを生野から下った時、車を置いた図書館がありました。「JR甘地」駅から播但線沿いを北上すると、整備されて山城特有の扁平山頂が顕になった稲荷山山頂が正面左に見えてきました。アプローチ道が細くて、駐車車両で迂回したのでちょいと時間を食いましたが、城山登山道入口に到着しました。美味い具合に、墓地の駐車場があり、そこに置かせてもらいました。山頂を見上げると、元旦らしく大きな日の丸が掲揚されているのが見えます。
11:00、獣避けフェンスを開閉し、登城開始。フェンスに謂れ板があります。
『稲荷山は標高433mあり、南北に幾つもの平坦地・石積み・土塁が見られます。南北朝時代後半、赤松円心の孫が築城・居城したのが始まりです。1441年嘉吉の乱後、但馬の山名宗全の兵4500騎に生野峠から攻められ落城。1488年、赤松政則が取り戻すまで山名氏の支配下にあった。その後1560年頃領主が討ち死にしたことにより廃城になったと考えられる』
すぐに、「あと900m」という看板が現れた。さすがに山城、結構な勾配です。「あと700m」の看板のところにベンチが用意されていました。休憩。ここは雑木が一部払われており、東側の市川の風景が見下ろせます。「あと500m」で次のベンチがあり、また休憩。ここもいい景色です。「あと300m」ぐらいになると、南側の山並みと肩を並べる標高になり、播磨の瀬戸内海方面が広範囲で見通せます。「あと100m」にベンチがあり休憩。ここまで上がると、山頂の国旗が目の前です。
山頂手前まで登ったところで、「これ石垣?」って先頭を歩く次男から声が上がります。「あ〜本当だ」、石垣まで整然としていませんが、中世の石積みが残っています。四方の木を利用したブルーシートに囲まれたエリアがあります。「何かな?」と恐る恐るブルーシートをめくると、2本の木が針金で組まれた簡易トイレでした。ここまでの道も上手に整備され登りやすく、地元の方の気持ちが伝わってきます。
12:03、稲荷山鶴居城址本郭に攻め上りました。周囲の木々が払われ、東西南北の下界が一望です。播但線を走る電車の音が意外に大きく聞こえます。非常食として持ってきたバウムクーヘンで登城成功を祝います。墓地に置いた車が見下ろせます。南方面の播磨の山並みの上を見通せ、澄んだ空気の時は播磨灘が見えるようです。百葉箱のようなものが立っており、「きっと、あれが入ってるな」とゴソゴソ動かすと、筆箱とノートがありました。登城記念に3人の名前を書いておきました。2013年最初の記入者になりました。
僕らが駐車場にいる時上がっていったお父さん・小学校低学年娘・息子チームが、僕らの登城直前に下りてきました。男の子が元気いっぱいで下って行きました。若さはいいね。ハイキングコースのお昼の時間帯の割に人が少ないなと下りだすと、「あと100m」付近の最後の休憩ベンチで女性が1人で座っていました。「こんんちは」。更に下ると、ご主人?ご家族?最後にお婆さんという順番に上がって来ました。1:15、駐車場帰着。
「市川南IC」から播但道に乗り、13:38「福崎北IC」まで50円。そのまま中国道に乗って帰りました。帰宅後お出かけする次男を駅まで送り、18時台に寝ちゃいました。

1/2
例年なら高速道が混むので、お正月は元旦以外遠方には行かないのですが、家内のリクエストがあり、岡山県の吹屋観光に向かいました。6:59、宝塚出光給油、30.79L。
中国道もチェーン・スノータイヤ規制が出ています。広島の芸北の方なので行けそうです。8:55、「勝央SA」で最初の休憩です。気になった「津山ドーナツ」1140円を持ってレジに行くと、「本日は2割引きですので912円になります」って、ちょっとお得しちゃいました。駐車場に戻ると、ド派手な東南アジアちっくなトラックがいました。
時折、雪が降り50km速度規制区間もあり、下車予定の「新見IC」以西はチェーン・スノータイヤ規制が出ていました。本線はバリケードで封鎖され、強制的に全車ICに降ろされ、係員さんの目視で再びハイウェイに乗るのですが、僕らは「ここで下ります」「じゃあどうぞ」って感じでした。
R180で新見市街地を抜け、高梁川に出合ったところで、夏の終わりに走って気持ちよかったr33に乗りました。相変わらず交通量が少なく、マイペースでのんびりおしゃべりしながら南下します。前回通行止めで残念だったr50は、まだ通行止めでした。両側に断崖の迫る沢道のようで興味津々なのですが、長期通行止めのようです。
r65に左折し、高度をグングン上げいきます。凍結があってもおかしくないので、ゆっくり走ります。10:45、吹屋ふるさと村到着。前回は、横の茶店がかき氷客が溢れていましたが、駐車場には僕らの車1台だけです。ベンガラ色の町並みをブラブラ歩きます。「綺麗ねえ」と家内が喜んでいるので、僕まで嬉しくなります。多くのお店が閉まっていましたが、店先を掃き掃除してた店主さんの「どうぞ〜」の声に誘われて、おみやげ屋さんに入りました。浮世絵の綺麗なお箸に目が留まりました。箸先に刻みが入り麺類にも使いやすそうなので購入。5膳セット・850円。お隣のお箸は「合格五角箸・5膳セット・800円」で五角形のようです。光沢塗りされていないので使いやすそうで、僕が愛用してる京都手作り市で購入した紫檀箸と同じく先が細いので食べやすそうです。黒檀他5種類の木製が1本ずつセットされており購入。吹屋小学校のことを聞いたら、2年ほど掛けて中を解装し、一般開放するそうです。去年3月に廃校になった後、数日間一般開放したら数時間待ちの大人気だったらしい。
明治7年開局・「吹屋郵便局」が、かっこいい。ベンガラメインストリートを車に戻り、「吹屋小学校」の方に回ります。11:21、到着。立派な木造校舎に家内が喜んでいます。明治33年(1900年)完成の木造建物が現役なのに、戦後作られた鉄筋コンクリート公団住宅が老朽化で住めないなんておかしいね。防火対策されたら、木造の方がよっぽど長持ちするね。
12:02、吹屋小学校の別棟校舎で営業中の「ラフォーレ吹屋」で昼食にします。前回も食べたかったけど、1人では・・・ね。宿泊もできるようです。僕は「そば」・家内は「松花堂弁当」、合計1890円。お客さんは僕らだけで、店内に熟成中の果実酒のビンが並んでいました。家内がごきげんさんで、口数が多いです。すかさず激写・・・ぐふふ。
前回走った道を逆に進みます。12:16、「ドドーン」広兼邸登場。家内に次の訪問先を何も説明しなかったので、「わぁ〜」って驚いています。山がちの細い田舎道をぐにゃぐにゃ走ってたら、突然前方にドカンだから驚くんだよね。僕も前回、圧倒されました。300円で内部探索。今回は2人なのでより楽しいです。ベンガラで大儲けした庄屋さん・広兼家は、まさに中世の山城を作られました。圧倒的な迫力です。「金田一耕助のふるさと・おかやま・八つ墓村」のポスターが、いい雰囲気です。
「羽山渓」の素掘りトンネルも見せてあげたかったけど、この気温ではそこに至る沢道の凍結必至なのでパスです。備中中部広域農道に出て、r33に戻ります。前回走らなかった「成羽川」沿いの道は、バイクでは最高に楽しそうな道でした。ゆるやかなカーブ・交通量少なめ・渓谷と田園の景色がゆっくり楽しめます。
ツーリングマップルお勧めの道・R313に合流し、素敵な景色が続きます。「高梁川」に合流し、道もR180に合流します。R180を北上し、備中松山城址に向かいますが、小雨が降って来たので、山城攻めは断念し城下町をグルリと回ってお茶を濁します。
高梁川とJR伯備線に挟まれたR180を南下し「総社市」、さらにR180を東進し、R429にちょいと折れると、今度もドカンと左に五重塔が見えてきました。「吉備街道」に入って、14:36次の目的地「備中国分寺」到着。「五重塔だけと思ったら、すごく広いね」ってまた喜んでいます。謂れ板を2人で読みながら、「へ〜」って言ってます。『741年、聖武天皇の建立』。前知識を何も入れない方が、新鮮で楽しいね。大化の改新の約100年後、奈良時代に入る50年前、飛鳥時代だね。
次は7kmしか離れていない備中国一宮・「吉備津神社」です。ここで今年の初詣をしましょう。吉備街道を東に進み、再びR180に合流し、GPSがあと2分と表示したところで車の流れが止まり動かなくなりました。「桃太郎伝説」の吉備津神社は大人気のようです。国分寺でも閑散としてたから甘く見ていました。
駐車場入場まで何時間掛かるか予想もつかないので清く断念し、吉備津神社への交差点をスルーしました。すぐに、備前一宮・「吉備津彦神社」がありますが、こちらはそれほどの人気はないようです。自転車でも数分の徒歩の距離しか離れず、備中と備前の一宮が並び建っています。同じ山の東面と西面の関係ですが、この間に国境があるのですね。神様同士で喧嘩が始まりそう。
ICまで行くのが遠いので、すぐ近くにある「吉備SA・スマートIC」から山陽道に乗りました。岡山ドライブ・デートは楽しかった。18:06、「権現湖PA」で「神戸ブラックバーム1575円20%引き1260円」を購入。ぐんぐん家に近づきますが、「宝塚トンネル〜三木JCT・30km渋滞」の電光表示です。
「三木東IC」で下車し、18:09・「セルフ三木東IC出光」47.79L給油。お気に入りのr38で「道場」に出て、R176を少し三田に向かって北上し、僕のお得意の裏道・JR道場〜武庫川渓谷〜川下川ダム〜r33〜長尾山トンネルを使い、19:30帰宅しました。
帰宅すると、ちょうど次男が家を出るところだったので駅まで送りました。去年は、箱根駅伝・山の神・柏原竜二降臨で涙を流してたのに、今年の往路はどうだったのだろう?風呂に入って、おいしいカレーを食べて、20時台に床につきました。

1/3
この日は寝正月の予定です。夜が白み出したので元旦・2日に届いた年賀状で出していなかった方に、年賀状を制作し投函しました。今が最も朝が遅い時期で、7時近くなってやっと朝という感じです。でも日没が遅くなってきました。12月上旬は16時になると夜の雰囲気だったのに、1時間ぐらい遅くなった感じがします。
7:30、近所の氏神様に初詣。元日は、日付の変わる頃から参拝行列が出来、1日中朝大賑わいなのに、3日ともなるといつもの日曜日の雰囲気です。お参りの行き帰り、家内と毎年恒例の正月お飾り品評会であ〜だこ〜だしました。ここらは昔別荘地だったので、敷地が広く立派な家が多いです。お飾りも一味違ったものが飾られ、見ているだけで楽しいです。我が家もそれに刺激され、以前はスーパーの山盛りだったのに、一工夫されたものに最近変わっています。今年は、「阪急キッチンエール」で980円で購入したものです。家内はちょっとこの購入を楽しんでいるようです。我が家とお隣の実家ともちょいオシャレです。
帰宅後、御用達SSで通勤リード給油・19636km/4.31L。近所に新規開店した「阪急オアシス」に買い物に行くという家内からのリクエストがあったので、すぐに行こうと誘いましたが、10時開店なのでそうも行きません。朝ご飯食べたり、何やかやしたり、箱根駅伝に涙したりしながら時間になったので家内を誘いますがまだ空振りです。今度は「今日は寒いねえ」です。
10:30を回ったので、いざ出陣です。今年初タンデムです。トレッキング用カッパを家内に着せたら、全然寒くないとのことでした。買い物袋2つの食材を買い込んで帰宅し、僕は卵焼き・味噌汁・バターご飯で少し早めの昼食です。またまた箱根駅伝で小さなドラマが起き、「タスキを繋げろ〜頑張れ〜」ってまたまた涙です。
次男の会社の内定者に国学院の選手がいましたが、往路のメンバー変更で走りませんでした。復路にも走らず悔しい思いをしているでしょう。調子を崩しちゃったのかな?往路の2日は、一緒に出かけず次男がTV応援してたのにな。その後彼の悔しさを晴らすべく、西宮のえべっさんまで走りに行ったそうです。
今回次男はランニング用の靴も持ってきています。道中の神社に寄り道しながら20kmほど走り、帰路は電車だったそうです。保育園の時毎日のように通った散歩コースの2つの神社にもお参りしたとのことです。スーツも持って帰ってきています。家内の推察によるとGFさんとこへの挨拶用だそうです。
ということで僕の御役目は御免のようなので、「ちょっと走ってくるわ」とバイク装束に着替えて玄関を脱出しました。倉庫から里山VTR250を引っ張り出します。こいつは1ヶ月ぶりです。早朝活動が自転車ばかりになっちゃったからな。招き猫CBの方も、最後に使ってから3週間です。
チョークを引っ張り、キーONでライト点灯、イグニッションONしたら一発点火してエンジンが動き出しました。荷物を積み込んでいる間に回転数が上がりチョークを戻します。素晴らしいです、ホンダエンジン。
通勤リード用に新規導入したヘルメット「TNK工業・SPEEDPIT・AR7V・AERONATOR」の初ロング使用です。頭のフィット具合・耳のクリアランス(福耳なので重要)・あご紐金具の着脱具合・スクリーンの大きさ・ひさしの日差し遮り具合・風切り不快音など、全ていい感じでした。
長尾山トンネルを抜けていつもの定番里山コースです。r33〜r68〜r49で花山院に差し掛かります。日陰コースなので凍結に注意しますが、問題なしでした。アメリカンバイク6台集団とすれ違いました。「小野」からr309。r37・小柿との中間付近から北に伸びる枝道で、r49・乙原に抜けられる道を地図で見つけたのでその探索をしようと思っていましたが、未舗装路で断念しました。ここでランドナー自転車とすれ違いました。いかにもベテランさんで、ここらの道を知り尽くしているという雰囲気が余裕の走りに漂っていました。かっこいい!
r37に合流し、小柿・三田市野外センターで休憩してるバイクを追い越しました。「あなたも好きね」と、一礼を交わしました。羽束川の小柿渓谷を登ります。年中水が道を渡ってるところがあるので、ゆっくり目に走ります。この日も水が渡っていましたが、凍結はしていませんでした。大阪平野でも最高気温が10℃行かない真冬並み気温なので、要注意です。
r12との交差点・後川が近づくと、「あそこを探索してみよう」と頭に浮かびました。風も弱く、凍結も無さそうなので多少山に入っても大丈夫そうです。「籠坊温泉」まで羽束川沿いを走り、r308のR173への未開通区間に入ります。籠坊に来る度、ずっと気になっていた道です。
r308に折れるとすぐ、路上の水たまりが凍結していました。r37より立派な道がついていました。14:11、民家の軒下にスズメバチの大きな巣発見。14:20、r308エンドの神社探索。14:28、舗装路エンドの先の地道を徒歩探索しました。木が生えて森に還りつつある段々の耕作地がありました。朽ちた石組みが覗く水の手が横堀に似て、これが山頂付近の要害の地なら中世の山城跡と言えそうです。
「後川新田・原」地区まで探索しましたが、最後まで急勾配はなく道も割合広く快適な道でした。エンドにも現役民家があり、少し前までは隠れ里そのものだったでしょう。
さあ帰りましょう。14:35、「黒川新田原」バス停が、原公民館前にありました。ここまでバスが入ってるのに驚きです。往路で見つけた「くろかわ」という蕎麦屋を探索。駐車場もあります。やってないようですが、冬でも住んでおられるような気配がします。その手前に「天空農園」というのもありました。その駐車場にナンバーのないオースチンミニがいます。「弥十郎ヶ嶽」への道があり、山頂まで1時間40分だそうです。
「天空農園」に非常に興味をそそられたので、バイクを置いて「この先農道につき一般車両進入禁止」の地道を上がってみました。管理事務所となってる改装中の民家があり、その上に素敵な茅葺き民家がありました。田んぼに囲まれ「ふむ、天空やな」と思える絵になる風景がありました。「セミナーハウス」とも書いてあったのですが、どういうとこなんだろう?喫茶や食事が出来れば、僕のような物好きが、田舎ののんびりを味わいに寄ってきそう。
14:57、籠坊温泉の下にある「アマゴ釣り・釣り池」横で釣りを見ました。美味しそうな型のがいい引きをしていました。「後川」まで戻り、r12を南下しました。標高の高い「西峠」も凍結に注意しながら越え、「道の駅・いながわ」まで帰って来ました。バイクがいるかな?と覗きましたが、定休日のようです。お隣の「肉の根木」が開いてたので、家内に猪肉の購入を打診すべく携帯電話の電源を入れると電池切れです。僕の携帯電話はいつもこうです。肝心な時に役立たずです。単三電源を導入せねば。
旧r12を利用して帰宅し、VTRのお手製テーブルクロス・ナックルガードにドリルで穴を開け、結束バンドで固定し、長時間走るとずれてくる問題点を解消しました。「塩化カルシウムで汚れた車を洗車してくるわ」と家内に声をかけると、「私も行く」だって。洗車機内に車を止めて洗車機が動くシステムなのですが、自分の車が前後に動いてる錯覚を覚えるとこが好きなんだそうです。17:23、「泡ジェットワックス・700円」洗車機内であ〜だこ〜だ。風呂で温まり、夕食を食べ19時頃寝ちゃいました。

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お正月休みの最終日4日目です。寒い日でしたが、7時を回ったので自転車でグルリお散歩に出ました。晴れの天気に薄い雲がかかり、そこからチラチラと雪が落ちていました。最高気温6℃という日で空気はピンと寒いのですが、自転車だと体は温かです。
帰宅後朝食を食べ、TVを見ながらゴロゴロ粗大ごみをしていましたが、10時半になったので次の行動開始です。家内はまだ起きてこない次男の朝食の用意で待機中なので、僕一人で通勤リードに乗り電気屋さんに向かいました。
1つは、実家の元母親の部屋のエアコンの値段調べです。長男夫婦が帰省した時にこの部屋にもエアコンが必要です。僕同様エアコン嫌いの母親が、外して捨てたのでまた買わなくてはなりません。次の帰省の時は、チビさんが増えているだろうから必須です。「伊丹に行くと、あせもになっちゃった」なんて言われないようにしなくちゃ。
そして2つ目は、携帯電話の単3外部電源です。前日も電話しようと思って電源を入れたら電池切れをしていました。使いものにならない僕の携帯電話のために、外部電源を携帯しようと思います。単3仕様なら、コンビニさえあればどこでも電源が確保できます。
エネループなどのリユース乾電池電源の携帯デジタル機器が、もっと増えたらいいと思います。カメラがそうなれば、機種ごとに異なり捨てられているバッテリーの無駄がなくなるのに。11:29、ジョウシン川西店、単3・2本付きで975円(ポイント値引きで412円)でした。
帰宅後昼食を食べて、前日に続き今年2回目のシュートツーリングに出ました。前日携帯電話が使えず聞けなかった「肉の根木」に猪肉を買いに行きます。家内から頼まれたお使いは、「適当に5人前」です。バイク装束に着替えて、招き猫CB400SBを引き出します。こちらは3週間ぶりです。EFIなので一発点火。これで2台とも3月頭まで2ヶ月間ぐらいはバッテリーが持つでしょう。長尾山トンネル〜r325〜r33。前日以上に気温が低く、r33のいつも水が出てるとこがちょっとおっかなかったです。
r68に乗り一気に「道の駅・いながわ」です。一気と言っても、凍結が心配で制限速度まででゆっくり走りました。幸い交通量が少なく、左ウインカーの出番は1度だけでした。先客バイクが2台いました。「皆さん、好きねえ」。走りだしちゃえば冬用バイク装束のおかげで寒さを感じないのですが、出るまでがねえ。
ここにバイクを置き、お隣の「肉の根木」に向かいます。13:12、腸を抜かれたイノシシが2頭店の横にぶら下がっていました。「大人5人だったらどれぐらいの量が必要ですか?」「500g〜1kgやねえ」。特上以下100g・1100円・1000円・900円の3種類を各300gずつ、加えてぼたん鍋用合わせ味噌で1万円少々でした。家内から預かった弟の住所を宅急便送り状に記入しました。弟のとこに翌日届くそうです。病明けの弟が食べるかどうかわかりませんが、弟の病気でどこにも行けなかった家族にホコホコのお裾分けです。早く元気になってもらわなくちゃ。
バイクに戻り、r12を北上開始です。13:36、もったいないなと思ってた朽ち果てていくばかりの「川辺酒造」が、リニューアルされていました。「K's DELI」というレストラン&喫茶店になっていました。道に「OPEN」と書かれた立て看板が出ていたので緊急停止です。OPEN・7〜17時。最近田舎ではやりの古民家リニューアルレストラン&カフェですが、ここの建物は大きいので、お客さんの入りと経営者の気合で大きく発展するかもしれません。猪名川の流れや素朴な自然がふんだんにあるので、いいんじゃないかな。1人なので、次回家内を誘って入ってみましょう。
r319〜r33〜r325〜長尾山トンネルで帰宅しました。前日より近場のツーリングでお茶を濁したのは、路面状態が怪しかったからです。西峠・城東トンネルの更に気温の低い方に行くのはどうも気が進みませんでした。
帰宅後、また出かける次男を駅まで送り、帰路16:39、靴の量販店・The Shoesで靴紐を購入しました。280円。家内のトレッキングシューズの紐が丸紐で、よく解けるからです。平紐に交換しましょう。
帰宅して早めの夕食を食べて、家内の「なんかいいDVDない?」のリクエストに応え、ロードショータイムです。市川拓司原作の映画「今、会いにゆきます」です。竹内結子・中村獅童主演のラブストーリーです。久しぶりに観ましたが、最高に良かったです。この映画の共演をきっかけに結婚した主演の2人でしたが、破局を迎えた時、かなり悲しかったことを思い出しました。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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