ウェブマスター日記 2012/9-10

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2012/10/29
日曜日の予定は二転三転しました。10/21と11/4インカレ全日本最終日に琵琶湖に行くつもりでしたが、10/21はAMのみ・11/4は全日仕事になってしまいました。この日は家内と遊ぶ予定でしたが雨予報でどうするかな?と思っていたら、「2日も行けなかったから、ヨットに行って来たら」とかないが提案してくれました。そうしようかなと思ってたので、渡りに船です。長年夫婦やってるので、以心伝心ってやつでしょう。
今年は琵琶湖がインカレ開催地で、全国からやってきてる出場校が出場するポイントレースがあり、8時出艇です。全日本インカレのプラクティスレースの位置づけになります。雨予報でなければバイクで行くのだけど、また車出動です。
6:30に出ようとあれこれやってると、家内も着替えています。僕の出発に合わせ、中山寺回り大阪のデパート巡りに出るそうです。一緒に家を出ます。
6:33、近所のコンビニで、おにぎり2個・お茶476円購入。
6:38、御用達GSで給油。43.23L=6052円。車は大食漢です。
小雨が時折落ちる中、名神・湖西道路でヨットハーバー着。カッパなどを入れたリュックを背負って駐車場から下りると、息子のジュニアヨットクラブ後輩のT君がいました。九州に行き1回生です。当然ヨット部です。あ〜だこ〜だ話し、他の九州の子とも話しましたが楽しそうでとてもいいです。
コーチしてるクラブに顔を出し、レース1週間前に入ってる他校を見に、ハーバーを巡ります。出艇時間になったのでクラブに戻り、監督さんと女子マネさん3人とともにレスキューボートに乗り込みます。レース艇3艇の他に、レギュラーでない1回生だけで組んだ4艇もレース海面に向かいます。まだまだですが、将来有望です。
しばらく練習し、10時前レース海面に戻ります。10:00、風向北・3〜4m/sでR1スタート。470クラストップ艇のラインの位置をキープしながらレース海面左側を上マークに向かいます。アウタースタートの数艇と一緒に上がりますが、日大のN君の上手さをすぐ感じました。ボートのヒールバランスが安定し、落ち着いて走っています。北風なので大きな風の振れはありませんが、強弱がそれなりにあります。でもヒールがずっと一定です。「この子は上手いですね」と監督さんに言いました。
一番左まで出して(琵琶湖の気まぐれな風を考えると、少し一人旅が長すぎだと思った)タックしました。その直後スキッパーNくんは藻が絡んでないかサッとラダーをチェックします。その時ティラー・エクステンションを離しました。でもボートはまっすぐ走りました。練習で細かくチューニングし、とても良いバランスのボートを作り上げたきたようです。よくチューニングされたレース用バイクが、チェッカーフラッグを受けた後手放しで走っても真っ直ぐ走るのと同じです。
第1上マークは、金沢のエース君がトップで日大Nくんは2位。その後母校KG・金沢・日大が上位で回航していきます。関東2位だった早稲田はイマイチで3位日大の後塵を拝しています。ボートスピードの勝るN君がトップフィニッシュ。3艇総合ではKG・金沢・日大の順でした。全部で10校35艇ほど出ています。Sクラスも、同じく3校の上位争いでこっちもKGの勝ち。
日大コーチボートが近づいてきたので、いい体格で目立つ監督さんに声を掛けました。N君の印象を話すと、「いやあ、社会人にはまだまだですよ」って謙遜してるけど手応えを感じたのではないでしょうか。
KGコーチボートが来たので、「いい感じやん」と声を掛けると、「・・さん(僕)、トイレ貸してもらえませんか?」って。KG女子レースメンバーがスタンバイしています。こちらに乗せトイレを貸します。あ〜だこ〜だコーチK君と話します。
KG監督艇も来たので、監督とあ〜だこ〜だ。彼が現役の時、僕がコーチしていました。1回生の時、あまりにボロいライフジャケットを着ているので事情を聞くと、こんなのしか残っていないとのこと。6人の1回生に6万円を渡し、オーバーしたら自己負担するように言ってライジャケ購入させました。「上に取られないように、すぐ名前書いとけよ」。懐かしい思い出です。
去年470リーダーで優勝旗を持ち帰り卒業したKA君が乗ってたので、「お父さんは?」「高校の練習に行ってます」とあ〜だこ〜だ話します。彼も息子のジュニア後輩で、お父さんも僕のヨット部後輩です。その昔、僕がジュニアに誘いました。
続いてR2。R1同様KGはスタートでラインギリギリを攻めていません。リコール(フライング)すると失格なので、監督・コーチの指示が徹底されているようです。去年470優勝でしたが、Sクラスでこれで4位に沈み、総合で日大に負けて2位でした。
1上マーク。アウター下1・2で好スタートをした金沢2艇・日大N君・KG3艇が回航していきます。関東地区予選で総合優勝した早稲田が、トップ争いに絡みません。
ここでマネさん交代の為一旦ハーバーバックし、再びレース海面に戻ると2上回航後のスピン勝負でした。N君ダントツ・KG・KG・金沢・KG・・・。2レース総合では、KG・金沢・日大・・・の順。
関東の明治・法政・慶応もいましたが、レースに加わりませんでした。関西の関大も独自練習をしています。地元の雄・立命館・同志社も加わっていません。でも関東を制した早稲田の出来を考えると関東トップは日大ではないかな?地元2位だけどノーマークの金沢にここまで走られると、関東勢は大慌てなんじゃないだろうか?
不気味なのが同志社です。地元地区予選で2位金沢を寄せ付けず圧勝したので、この日のレース結果を見ると、同志社が強そうです。今年の同志社・KG定期戦でほぼ互角だったので、今年の全日本総合制覇はこの両校の争いと見ました。それに日大が絡む展開か。早稲田・慶応(関東470優勝・総合2位)・関大はその下に見えました。
面白かったのは九州です。高校でのヨット部経験者K君が2回生におり、息子後輩1回生T君もいます。スポーツセレクションのない国立大で、九州地区の雄・福大を蹴散らして全日本に駒を進めたのは立派です。R1・R2ともにトップ5に1艇・トップ10に1艇入り、かなりの実力です。まだ1・2回生なので、全日本の台風の目になるかもしれません。
R2が終わり、本部船にAP/Aが揚がりました。本日のレース終了です。弱くなっても降り続いていた雨での体調面・午後風が落ちる予報両方を考えたのでしょう。県連主催だから仕方ないね。学連レースでは考えられない。
遠征の他校がハーバーバックする中、本部船に挨拶をして練習開始です。レスキューボートは監督がレースメンバー指導をし、僕はインフレータブル・コーチボートに乗り移って1回生の練習です。ホイッスルを口に、連続タック・ジャイブの基本練習・コーチボートを各艇一定の間隔を保って追いかけるトレイン・キャッチアップ・コーチボートの回りをぐるぐるトレインしながら回る練習・ゲートスタート・・・休憩を頻繁に入れながらハードワークしました。ハーバーバック16時までみっちり練習しましたが、ハーバー前で練習を終えハードだったか?と声をかけると、皆んな面白かったと笑顔でした。こいつらの体力無尽蔵だね。練習を始めると雨が止み、予報に反していい風が続き、内容の濃い練習になりました。
艇庫前でブリーフィングして監督さんは帰りました。全日本本番に来れない僕は合宿所でのミーティングに残り、もう少し詳しく感じたことを伝え、1回生には今日の練習内容と目的、レースの何処に使えるかをしゃべりました。
全体ミーティングが終わり「さあ帰ろう」と皆んなに挨拶をして合宿所を出ようとすると、3回生H君に呼び止められました。「来年度チームの1年間の強化方法・練習内容の流れのアドバイスを頂きたい」。別室で僕の考える具体的強化スケジュールを伝えました。いろんな人から、アドバイスをもらっているようです。
19:00出発。合宿所でのミーティング中に、カミナリが鳴り出してまた雨が降って来ました。でも湖西道路〜名神で京都盆地に入ると雨は降っていません。家まで降りませんでした。
20時に帰宅すると、家内が昼間カミナリが鳴って降っていたことなど、今日の出来事を教えてくれました。夕食を食べ21時なると、家内のお気に入りの航空管制官のドラマにチャンネルを合わせ15分ほど一緒に見ました。風呂に入るために中座すると家内も眠たさの限界に達したようで、風呂から上がる前に寝てしまっていました。僕もオヤスミです。

2012/10/22
日曜日はヨット部コーチの予定でしたが、仕事の都合がつかずキャンセルさせてもらいました。インカレ本番2週間前なのに、なんとも申し訳ない。日曜早朝5時から仕事場にやってきてあ〜だこ〜だやってました。何とか片付いたのが11時。今から琵琶湖に向かえば午後の練習に間に合うかもしれないという微妙な時間です。急いで家に帰りましたが時間は刻々と過ぎていく・・・焦ったら碌なことないから清く諦めましょう。
で、どうしようか?上天気なのでバイクですね。家内は和歌山のホテルに行っちゃったし・・・。春秋バージョンの定番装束に着替え、里山VTR250を出します。「朝霧雲海ポイント探し」がお題なので、初めての山道もありCBはやめです。通勤リード110の方がいいんだけど、篠山の向こうなので距離がありスクーターではつまらないです。
長尾山トンネル〜r325〜r33の定番コースで北摂里山地帯に侵入し、r323〜r37で「小柿渓谷」を走ります。「後川奥」からお気に入りの道で「永沢寺」に上がります。小腹が空いたので、「シュガー」さんに寄ろうかと思ったけど、車が2台だけだったのでスルーしました。日没も早いので、先を急ぎましょう。いつか入らなきゃな。
r49で「美濃坂峠」を越えて、篠山側に下ります。そのままr49を北上します。r77との交差点で左折してr77に乗ります。丹波篠山は「丹波黒豆」一色です。中心街ではないのに、篠山ではないr33沿いにも、r37にもr49にも「枝豆」の幟が立ち、車が停まっています。
r77は篠山川沿いになり、JR福知山線・単線が良い感じの篠山川渓谷道になります。いつも休憩する「丹波竜」を通過し、13:21「JR下滝駅」到着。ここまで一気に走り、この無人駅でおトイレ拝借です。「急ぐとも、外に漏らすな、吉野山。桜の花も、散れば見苦し」。確か前回訪問時も張ってあったな。素晴らしい。
r77を更に西進し、さすがにお腹が減ったので「JR谷川駅」で何か腹に入れるものを物色しましょう。が・・・売店のシャッターが下りています。コンビニでおにぎり買ってもいいけど、なんだか味気ないんですよね。駅員さんがいて、数人だけどお客さんがいるとこの方がいい。すぐにバイクに戻り、更にr77を西進。篠山丹波黒豆を目指すのか、ツーリング・バイクと何台もすれ違います。バイクピースの反応率もいいです。きっと上天気だから気分が乗ってるのでしょう。
得体のしれない「円応教本部」の巨大建物の前を通過し、R175に出合い乗り換えます。すぐに加古川と名前を変える佐治川対岸に渡りr532を北上します。道なりにr109になり、氷上町中心部に突入。このr109は、R175に並行して走っていますが、信号は少ないし交通量は少ないし、絶対こっちがお勧めです。r78ではなく、氷上町市街地一番北の東西道を探し出し、ゆっくりと西進します。僕の脳内メモには、「瓦屋」さんのある交差点を北上すると目的地「安全山山頂」に行けると書き込まれています。
安全山と思われる山頂に、大きなアンテナ施設が見えます。「あのメンテナンスに舗装路が必要だとよね」と期待が膨らみます。が・・・怪しげな山へ向かう直線道は数本田圃の中に見つけましたが。「瓦屋」がありません。r78に出ちゃいました。
脳内情報に、「氷上町内から達身寺に向かう・・・」との書き込みもあり、r78沿いの「瓦屋」があるのかな?と思い直し、「達身寺」の道標に従って進みます。途中臨時駐車場が作られ人が大勢歩いてるとこがありました。数区画の畑が満開のコスモスで埋め尽くされています。三脚激写タイムの方もいます。道からも観れるのにあぜ道入口で入場料を取っています。まあ、こんなのはケチらない方が来年もコスモスを育てようと思う地元の方の意欲アップにつながりいいんだけど・・・僕はスルーして「達身寺」駐車場まで来てしまいました。
ここは2度訪問していますが、仏像工房があったお寺のようで宝物殿には、かなりのお宝が眠っています。でも駐車場誘導者がいるのは初めてです。作戦を立て直すべく思案してると、誘導のおじさんが寄ってきて、「どうしましたか?」。ガードマンではなく、さっきのコスモス畑同様、地元の方のようです。
「僕は上がったことないけど、安全山だったら県道を戻り最初の信号「下新庄」付近で聞くといいよ」と、教えてくれました。引き返し、「下新庄」交差点まで来ましたが、聞けそうな人がいなかったぞ。往路で横を通った畑の真ん中でテントが出て人集りしてるのが見え、そこで聞こうかとも思いましたが、また達身寺側に少し戻ったGSでガソリン補給することにしました。結構バイクが走ってます。きっと達身寺手前の「卵かけご飯」のお店目当てでしょうね。僕もここで腹ごしらえしようと思ったけど、14時という微妙は時間です。前回「14時まで」というタイムリミットでありつけなかったんですよね。
丹波ひかみ農協SSで給油。208km/6.79L=30.6km/L。「田んぼの真中にテントが出てるから、その道を北に上がると安全山ですよ」と30〜40台の女性店員さんが教えてくれました。女性だから知らないかな?と思ったのですが、「雲海を観に行かれますよ」しっかり知ってました。
田圃の中のテントは、やはり枝豆売りでした。田圃の中を真っ直ぐな直線が山に向かっています。山際で西進し、事前情報で入手してた獣避け扉がありました。「18時〜6時は施錠します。18時までに下山してね。入ったら必ず扉を閉めてね」と書いてありましたが、開いたままだったのでスルーしちゃいました。
いきなり舗装はボロボロ、砂利有りで前途多難です。「ほんまに上がれるのか?」。不安なアプローチ平坦路でしたが、勾配を増すと道は良くなり(と言っても、舗装はされてる程度の1車線山道)、サード・セカンドギアでゆっくり上がります。つづら折れで標高を稼ぐとこが少ししかなく大丈夫でした。でもCBで来てたら、最初の砂利道でUターンだったでしょう。
路肩に1台駐車してる車があっただけで、対向車がなく助かりました。こっちがバイクでも一旦停止が必要な細道です。上から歩行者が2人降りてきました。さっきの車の方かな?会釈。GPSで道無き道を走っていましたが、ディスプレイに「安全山」と表示されたとこが近づきます。「もうすぐだな」と思ったら、アンテナが目に入り登頂成功。14:46。
「NHK、kissFM神戸」のアンテナです。安全祈願の石柱が建っています。北東側・南東側の視界が開け、加古川沿いを走る高架の「春日和田山道路」を中心に下界が綺麗に見下ろせます。遠くまで朝霧が見渡せるな・・・でも比高が400mもある530mという標高が高すぎて、僕の好きな朝霧雲海上部すれすれからの眺めではないな。しかも、この道は夜明け前の暗い時間帯に登るのは危険です。出勤前早朝バイクには不向きでした。
激写・ムービー撮影して下山します。2速・3速でエンジンブレーキを使いながら、登り同様時速20km/hほどでゆっくり下ります。さっきの2人連れを抜きました。車の横を通過し、Uターンを考えた砂利・ボロ舗装を抜け門扉を出ました。
ミッション1を達成し、まだ時間があるのでミッション2に向かいます。こっちは楽勝だと踏んでいます。活発にパラグライダー・フライトが繰り返されている「岩屋山」山頂です。氷上町中心まで戻り、r109を北上開始。前回給油したGSがお休みしています。日曜日開いてたのに・・・GSが減り、田舎道で心細くなることがあります。こうなると民間GSより、地元密着で絶対なくならない農協GSだな。
道なりにr7に合流し、「青垣」を目指します。「丹波・少年自然の家」の道案内版があったので左折します。先月もr7を走ったので、ここは間違えません。あとは一本道。すぐに「自然の家」がありました。バーベキューサイトがあったのでキャンプサイトもあるのでしょう。駐車場には車がいっぱい来ており、ちびっ子サッカーユニフォームがいたから、試合でもやってるのかな?
両サイドの「自然の家」を通過すると、そこから山登りです。でも、狭くても1.5車線の舗装路が続き、気持よく登れます。2台ライトバンが下りてきました。ハングライダーもこの時間じゃ終わりなんでしょう。撤収してきたのかな?
かなり標高を稼いだところで、ゴルフ場内道路のようにネットで覆われたトンネルを抜けると終点でした。15:29、到着。10台は車が停められる駐車場があり、ライトバンや乗用車が3台停まっています。その道は、NTT・Docomoの扉で終わりです。その先にDocomoの巨大アンテナが建っています。
反対側の駐車場から道を戻ったとこから20mほど舗装路が上がり、東屋が見えています。チビさんを連れた家族連れがそっちから下りてきて「こんにちは」。上がるとバーンと視界が広がり、数名のスカイ野郎・レディーさんがスタンバイしています。
すぐ横にパラグライダーが数機飛んでいます。東や横から激写&ムービー。トランシーバー片手アラウンド30女性が仕切り役のようで、「いい風が入ってきたよ」「じゃあ行きます」。「・・さん、出ます」とトランシーバーで着陸基地に伝えています。
斜度が40度ぐらいあるテイクオフバーンに向かって、後ろ向きでスタートします。後ろには広げられただけのパラグライダーがあり、ウイングが風を捉えたらくるりと態勢を入れ替え前を向いて飛び出していきます。すぐに舞い上がります。すげー。高所恐怖症気味の僕ならただ「ギャー」なだけの標高700m・比高600mからのダイブです。
一定の間隔で、いい風が入るごとに飛び出していきます。飛び出したパラグライダーは、ビーコン音(というのかな?)をピーピー鳴らしながら、テイクオフバーン側まで近づいてきて上昇気流を捉えて舞い上がるを繰り返し、近場をフライトしています。半分ぐらい女性で、事も無げに飛び出していきます。
「はい、右旋回して」なんて、フライトリーダーからの指示なのか、中級者講習なのかトランシーバーから声が聞こえてきます。さっきのライトバンは、これが本日最後のフライトんいなるんだろうこの方々を運んだ帰りだったんでしょう。いいものを見せてもらったな。家内を連れてこよう。ここなら列車&タンデムで上がってこれるぞ。
名残惜しいけど、18時になると暗くなるので、帰路に着きます。「青垣IC」から高速に乗ればいいのですが、どうせ宝塚トンネルで渋滞だから下道で帰ります。家内の帰宅は20時予定と聞いてるので、早く帰ってもつまらないし。
r7を黙々と南下します。氷上中心地で混みだしたけど、構わずR176に乗ります。「柏原」を通過し、「鐘ヶ坂峠」アプローチに入りスムーズに流れだしました。左手に鳥居発見。緊急停止し、16:30「苅野神社」参拝。
駐車場横の石段を上がりだしカメラを構えると、ちょうどそこを通りかかった地元おばちゃんが、「もっと上がったら紅葉が綺麗だよ」「もう色づいていますか?」「いや、まだかな」「ありがとうございます」。神域に入り更に石段を上がると、拝殿前の長屋門前の石段をもみじの枝が覆っています。もう少し秋が深まったら綺麗だろうな。
長屋門をくぐり、拝殿にお参り。裏の本殿も立派です。長屋門に謂れ板がありました。
『桓武天皇第3皇子を祭神とする』。桓武天皇は(大仏さんも泣くよ・794年)平安遷都の天皇だから、800年頃創建だね。
『1471年、管領細川勝元が久下重元に小椋庄領家職の安堵状を授く・・・』。久下氏は清和源氏の古い流れで、源頼朝に従って鎌倉幕府成立に貢献し、この地に所領を得ました。往路で通った「JR谷川駅」近くを本居城を有し、足利尊氏の鎌倉幕府・京都六波羅に対する丹波・篠村八幡宮旗揚げにもいち早く参戦した家柄の古い丹波の豪族です。細川勝元は、戦国時代への岐路と言われている「応仁の乱」の東軍総大将なので、戦国前夜にこの地を安堵されたようです。
『天正6年(1578年)12月7日、織田信長軍・丹波攻略総大将・明智光秀が金山城に陣し、麓の苅野神社及び社坊ことごとく兵火で消失す。・・・」。最初織田軍に名簿を送った丹波豪族の雄・波多野氏&赤井氏が離反し、光秀は緒戦で命からがら逃げ出している。第2次丹波攻略では、ジワリジワリを両雄の支城を落とし、両雄の連絡を分断するために中間にある交通の要衝にある金山山頂に城を築きました。ここはまさにその麓です。西洋ヨーロッパもそうでしたが、中世は宗教勢力がとても強かった時代です。日本では宗教を全否定し、仏塔を壊して城の石垣に使った信長が近世への扉を開いた人物ですが、どうも信長軍の苛烈な根絶やし恐怖戦術には眉が曇ります。過去の忠勤や実績など考慮せず、使えなくなったら使い捨ての軍団長の中で、最も信長の戦術に忠実に行動しNo2まで上り詰めた光秀に悲哀を感じます。善政で領国民に今でも親しまれている光秀だから、信長の理に長けた情の薄い性格とは、根のところで相容れないところがあったのだろう。なのに・・・きっとここでも、波多野氏の最期同様の阿鼻狂乱の大殺戮があったのだろう・・・うう。
谷筋に建つお宮なので、有難い水の手に感謝するところから始まっているのだろうが、両サイドの枝尾根に防衛施設を築けば、いかにも豪族の館然とした地形です。妄想が膨らみます。国道沿いに数軒、良い感じの旧家があります。ふむ。
R176で金山下を「鐘ヶ坂トンネル」でくぐり篠山側に出て、r140に左折。「舞鶴道・西紀SA」下をくぐり東進し、「篠山署」の交差点から南下開始です。この時期、観光客を多く吸い込む篠山城址周辺に興味が湧き、二階町筋に突っ込もうとしたら、歩行者天国になっててバイクもクローズでした。もう夕方なのに・・・。
城址横を通り、r77からR372に入り、すぐに波多野氏居城・八上城址があった「高城山」脇を東進します。旧山陰街道にもいい感じの旧家があり、交通量がとても少ないので、快走路・R372より好きです。しばらく走り、より山側の東西道にチェンジし、r12に乗りました。
ここから定番コース。r12で2つの峠を越え、「六瀬」からr319〜r33〜r325〜長尾山トンネルで倉庫に帰りました。通勤リード110に乗り換え、定番の「天下一品」に参上です。いつもの「チャーハン定食・ラーメン大」を食し19:00帰宅しました。20時前なので、「お迎えお願い電話」が入った場合でも対応可能です。するとなんと、明かりが灯っています。少し早めに和歌山のホテルを出て帰ってきたそうです。先に帰宅し、一緒に夕食を食べに行くべきでした。
いつものように1日の出来事をあ〜だこ〜だ話しながら、家内のご贔屓「モヤモヤさま〜ず」を見ました。「今日はもうダメ」と20時過ぎに寝てしまったので、僕が変わって先週始まったご贔屓の「航空管制官のドラマ」を見ました。今回もJALがよく登場しました。家内が見たら喜ぶだろうに・・・。見終わって・・・おやすみなさい。ああ楽しかった。

2012/10/15
日曜日は、家内は仕事がらみの総会の司会者という大役で大阪のホテルです。ということで残念がら(ラッキーにも?)1人なので、「北摂バイクツーリング」グループ会に参加しました。お題は「和田山竹田城址」です。僕の一番好きな山城で、平城を含めてもNo1の場所です。しかも朝霧雲海鑑賞しようと言うことで、6:30に「道の駅あさご」集合という早朝ツーリングもプラスされています。
10月も中旬になり、いよいよ濃厚朝霧の季節突入です。前日・土曜日は、「夜から昼まで晴れマーク」「風速0〜1m/s」という絶好の朝霧予想だったので、篠山の朝霧ポイント・盃ヶ岳に登って鑑賞しようとしたのですが、篠山盆地について愕然、雲ひとつない空なのに霧が出ていません。がっくり東の空を眺めていると朝日が上がって来ました。
そんな前日のリベンジも兼ねて、2日連続の朝霧雲海目指しです。他のツーリンググループのリーダーをされているJさんから、「何時に出かけるの〜」って連絡があったので、一緒に行こうよと誘いました。
3:30出発・5時城址到着、道が見えるようになって登城、日の出で真っ赤に染まる朝霧雲海激写を目論んでいたので、中国道・赤松PA4:15集合・出発にしました。「中国道福崎IC〜播但道和田山IC下車(霧中走行になる舞鶴道春日IC〜北近畿豊岡道は避ける)、「山城の郷」にナビ誘導させ、その横の一本道を上がると城址駐車場がある」とルート案内を伝えたので、僕が寝坊しても問題無いですが、いつものように起きた時間が出発時間というスタイルを放棄し目覚ましを掛けました。
でも結局2:50に目覚め、目覚ましを切りました。土曜日の朝北摂の気温が7度で、冬用グローブでも指がしびれ気味になり、夏用メッシュ上下+DAIWA釣りスーツスタイルでは少々寒く帰宅後風呂で温める感じになったので、冬用プロテクター上下を着こみました。日中は暑いかも?
倉庫でニコニコCB400SBに、昨シーズン大活躍した「お手製透明ビニールクロス・ハンドルガード」をセットしました。結束バンドで固定するだけなので簡単です。冬でもメッシュグローブでOKなぐらい防風効果が高いでかさなので、夏用メッシュグローブにしました。
続いてGSへ。3:25、出光セルフ宝塚176。一度も使ったことがない出光カードを、セルフで使えるか試したかったのでここにしました。セルフでカード給油初体験です。出光カードボタンを押してカードを入れたらアウト、出光まいどカードボタンを押すと使えました。64km/3.51L=18.2km/L。
宝塚ICから中国道に乗り、80km/h巡航。4時5分ほど前に赤松PA到着。いつも集合場所に早く来られるJさんがコーヒーを飲んでいます。愛車スティードにスクリーンが付いています。これがあるのとないのとでは、冬場の胸の冷たさが大きく違います。冬場仕様が進んでいます。
たぶん予定通り4:15頃出発。「次は三木SAで休憩します」と言って走りだしたのですが、すぐに間違いに気づきました。「三木SA」は山陽道で、中国道は「加西SA」でした。80〜90km/h巡航で無事到着。ここでも、あ〜だこ〜だ喋ります。Jさんとは気が合うというか、話してて楽なのでついついしゃべっちゃいます。お得な性格してはるので、人に好かれるでしょう。
遅れ気味に出発。久しぶりの中国道〜播但道ルートでしたが、迷うこともなく中国道福崎IC〜播但道福崎北ICにチェンジできました。ここから片側一車線自動車専用道で、制限速度が50km/h。速度が落ちたので、気楽モードになりましたが、困った困ったこまどり姉妹、後続車が追いついて来ました。スピードアップすると怖いし、なかなか登坂車線は現れないし・・・トラックも追いついてきて車4台を引き連れての大名行列になってしまいました。登坂車線で後続に抜いてもらい、60km/h制限にアップしたので僕もスピードアップ。山の輪郭が見え出しましたが、空に星が見えません。予報と違い曇ってる・・・朝霧出てるかなあ・・・少々トーンダウンです。
「朝来SA」で休憩。空を見上げると、薄い雲で切れ間から星も見えます。薄い霧が浮いていますが、期待薄かも?ここでもおしゃべりし、5:30・出発。
次の「朝来IC」下車して北上するのがプロパーコースなのでしょうが、あえてその次の終点「和田山IC」まで行って下ります。播但道は、福崎北〜和田山間にいくつかICがあるのですが、すべてETCレーンがありません。ETCカードを渡して、料金所のカードリーダーに通してもらわないといけません。僕のCBは別体型ETC車載機でカードの入ってる本体がシート下なので、料金所でキーを抜いてシート外さないと駄目です。こんなことしてたら、後続車に大ブーイングです。里山VTRだったら脱着に小一時間掛かっちゃうよ。
いくつかトンネルを抜けると、正面上方に竹田城址がドカーンと出現しました。大きく指さしましたが、Jさんに意思が伝わったでしょうか?「下からクリアに見えるということは、朝霧が出てないってことじゃないか。ブ〜」。城址トンネルを抜けて、「和田山IC」下車。R312をバックし、城址アプローチ道r136に右折します。先月も竹田城址雲海鑑賞に来ましたが、霧が出てなかったのでこの道には入らず他を回りました。最後は2〜3年ほど前ですが、案内板の数が増え立派になっています。最近人気だと聞いてるが、凄いな。それに、僕の前にR312を走ってた車が2台もこの道に入りました。こんなこと以前はありませんでした。早朝の寂しい道を寂しく走ったのに。
「山城の郷」の建物が見えてきて、左折。左折せずに「藤和峠」まで行っても、朝霧に浮かぶ天空の城が鑑賞できるんだけどね。左折してすぐ、驚きました。「山城の郷」駐車場への渋滞です。「え〜どうなってるんだ〜、まだ6時前だよ」。でもまあ、バイクだから上に上がれるだろうと思い、渋滞列を追い越して前に行くと、係の方が「先へどうぞ」なジェスチャー。城址を目指したくさんの人が歩いています。上の駐車場が満車で、ここの駐車場から歩くよう指示されているようです。ここからは、結構な距離だよ。まあ山城に登った気分になるけどね。
「すんませんね〜」という感じで、20km/hほどの低速で人を避けながら登ります。この道から見えてくる城址もいいんだよね。以前はストップして激写したけど、とてもそんな悠長なことはしていられない。城址下の駐車場まで来ました。係の方に、「更に上の大手までバイクで上がれるか」聞きましたが無理でした。数年前までは更に上がれ、車数台の駐車は可能だったんだけど。
5:50、僕の船仲間Hさんの持ってる駐車場に駐車。車が満車で、バイクも10台以上停まっています。いつも登ってた距離が短いけど急なコースは、ロープが張られクローズになっています。大手の方に向けて舗装路を歩きます。前にも後ろにも人が歩いています。しっかりした歩道向きのガードレールが谷側に設置されています。以前はガードレールのなかったとこもあったのに。一気に観光整備が成された感じです。
大手手前から城址に上る道を登ります。城址の石垣が見えています。薄い朝霧が浮いています。城址の石垣上に人がいます。カメラ三脚の人もいます。でもバズーカ一眼レフのおじさん達はいません。サンデー毎日なカメラおじさんは、わざわざ人の多い休日に来ないね。6時を回ったので、この日のツーリング主催者Kさんに電話してみます。「車は下の山城の郷で駐車場渋滞しています。バイクは上の駐車場まで上がれます」「じゃあ早めに出ますね」と情報提供。
城址に上がると、それなりの雲海が出ていました。数年前に観たあれには敵わないけど、十分幻想的です。Jさんはしきりに激写しています。僕は天守郭の方がもっといいのを知ってるから、適当に写して、「上に行ってますね」と更に上がりました。
天守郭に上がる階段が立派になっていました。その横に慎重に登らなければならなかったやばい梯子が置かれています。天守は人が多いので、東向きの三の郭?の東向き石垣に腰掛け、雲に隠れてる朝日が顔を出す瞬間を待ちます。時々一部顔を出す朝日から光の筋が雲海にオレンジ色を与えます。「綺麗だなあ」。雲海が出てて良かった。霧が薄くなり下界が見えてきたので終わりかなと思ったら、弱い南風に乗って濃い霧が押し寄せ、薄くなったり濃くなったりを繰り返しています。
天守郭にJさんを見つけたので、また上がってみます。北近畿豊岡道の方は、優勢な霧に包まれています。あっちから来たら、難儀しただろうな。7時を回ったので、Kさんに電話。「登って来てますか?僕は上にいます」「もう城址に上がったよ。上から見えない?」「南側に回ってみますね」。下で手を振ってるのが見えます。カメラを構えられたので、両手で手を振りポーズ。
Jさんと下に降りて挨拶を交わします。Kさん・Yちゃん女史、お初のKちゃん女史・HGさん。ワイワイ・ガヤガヤまた上に登り天守郭を征服し、下の郭を巡りながら下ります。大手側に下りて、謂れ板を読みます。確か前も読んだけど、何度読んでも頭の中で妄想が膨らみます。城址には8:07までいました。
駐車場に下り、次のバイカーズカフェへのルートを検索していると、JKさん到着。お〜ZZR、「1100ですか?」「いえ、400です」「え〜、リッターバイクに見えるなあ」「600用のボディーに、400のエンジンが載ってます」。僕と同じ400ccには見えないな。
城址の車道は一方通行になっており、城址の南側に下りました。そのままR312の信号待ちをしていると、前をYさんご夫婦通過。ここで今日の参加者全員合流しました。数台給油し、R312にを北上します。先月走ったr136に右折。更に枝道に右折、そして右折してバイカーズカフェ「Capter & Clover」到着。HGさんはコーヒーで、その他の方は全員モーニングです。前日の土曜日に日帰り1000kmツーリングで行かれた山口県の角島のお話で盛り上がりました。
このお店の玄関に、ハーレーが置いてあります。更にモンキーとオフ車1台。草刈りを中途で止めたご主人がカメラを持って登場。東北であったHDミーティングのお話をされ、写真をパチリ。お店訪問のお客さん写真が壁にたくさん貼ってありました。モーニング400円、コーヒー360円、半切りトースト2枚+レタスサラダ他は40円のようです。コストパフォーマンスに、また話が盛り上がる。おトイレを拝借しバイクに戻ると、ご主人さんがバイク&ライダーをパチリ。僕も写してもらいました。ここでJさん離脱。スクリーンを留めてるネジの1つが取れて、軽くガタつくそうです。ご主人にホームセンターの場所を聞いていました。
「この道を真っ直ぐ行くと、立雲峡の前の県道に出ますよ」。え〜こっちの方が断然早いです。次の目的地は「ちくさ高原スキー場」です。ご主人に教えてもらった枝道を行くとr277。それを西進し、先月間違えた「ホテル立雲峡」のでかい看板前を通過し、正面に「竹田城址」の勇姿がドーンと出現します。立雲峡側からの景色もいいね。
R312を南下し、R429に右折。神子畑選鉱場前を通過、草置城址看板通過と先月のルートと同じです。R29に出て南下し、11:27「道の駅・みなみ波賀」到着。Yさんから「GSあったら停まってね」リクエストがあり、R429交差点を過ぎてR29を更に北上するが、2軒あったGSは休日休業でした。更に北上しましたが、R29にはもうないとリーダーKさんストップ。遅れたMさんを待ちます。というのも、走りだしてすぐ忘れ物をしたのかMさんがUターンしました。
最後尾の僕は、次の目的地「ちくさ高原」はR429を西進なので、追ってくるMさんが間違えそうだから停まって待とうかなと思いました。前を走るJKさんも同様のことを思ったようで、2台でゆっくり走りましたが、薄情者の僕は前を追ってしまいました。Kさんがストップしたので、MさんがUターンしたことをJKさんが知らせる。僕は先にR429交差点まで戻りました。JKさんがやってきて、道の駅まで戻って確かめてくるとのことで走って行きました。僕はR429との交差点南側で路肩に停めて待ちます。本体は、R429を東進したとこで待ちます。JKさんが「Mさんいなかった」とやってきたので、2台で本体合流。Mさんの奥さんが電話するも、多分走行中のため交信できず。まあ行き先は知ってるから先に行ってるだろうと、出発しました。
くねくね山道があり、先頭Kさん・Yちゃん女史・Kちゃん女史が視界から消えていきます。僕の後ろにはHGさん先頭に数珠つなぎです。臆病者で、ごめんなさいね。山が終わり後ろを待つため遅くなったKさん達3台に追いついて、r72を右折して北上開始。12:23、「ちくさ高原スキー場」到着。無事、Mさんと合流。片側1車線の立派な道がついており、勾配も急ではありません。ロードバイクが数台ヒルクライムをしていました。ヒルクライムロードレースが出来るいい道です。
ここで昼食。スキーの季節は中央レストランという感じかな。目の前にリフト乗り場があります。また1人ラーメンの方がいましたが、その他はみんなおすすめメニュー1000円の定食です。これまたコストパフォーマンスがいい。
ここでも、あ〜だこ〜だ。リーダーKさんが、「途中のくねくね山道、良かったでしょ。あんな道になると、血が騒ぐんだよね」って楽しそう。Mさんの奥さんは、今年免許を取った初心者です。アメリカンバイクを買ったのが5月で、まだ半年ですが、めちゃ上手です。僕の半年後より確実に上手いし、今の僕より上手い。以前Mさんが、奥さんの初回教習に付き合い、いきなりスムーズに走るのに驚いたと言っておられましたが、まさにその通りです。この後、先頭Kさんの後ろについて走っていましたが、遅れることもなく、車線中央側を走るKさんの後ろの歩道側をブレることなく走ります。原付経験もなく、自転車からいきなりミッションバイクですからたまげます。
バイクを並べて記念写真パシャ。Kちゃんさんリクエストのタンデム走行会開催される。
Kさん車載ムービーを後ろ向きに撮るとのことで、適当に順番を入れ替わりながら皆さんがKさんの後ろ位置を入れ替わります。僕も2回、Kさんの真後ろ3台目を走らせてもらいました。
r72を下り、東西を走るR429も越えて更に下ります。GS給油。僕は6メモリの半分残っているのでパス。14:27、「道の駅ちくさ」到着。15分ほど休憩しました。ツーリング後半の僕の定番・アイスクリームで糖分補給。名刺を交換しました。Mさんが僕のCB400に乗り「姿勢が前傾じゃないね、これなら乗れるな」、JKさんのZZRに乗り「クラッチ軽い」・・・ミッション車乗り換え?増車?
「加西まで一気に走るよ」のKさん号令とともに出発。r72を更に下ります。この道は交通量も多くなく、とても走りやすい道です。r53に左折して東進しだすとやがて中国道とパラレルする道になりました。そして「山崎IC」横通過。r23になり更に中国道とパラレルしながら東進。「福崎IC」も越え、r23で更に東進。
いつの間にか「がいな製麺所ツーリング」の時走ったr145に乗っており、「中国道・加西IC」北の「満久」交差点にあるローソン到着、16:03。おトイレ他休憩し、次回ツーリングの日程などあ〜だこ〜だし解散になりました。
ガソリンメモリが2/6になったので、臆病者の僕は給油してから高速道路侵入を選択。16:37、加西コスモ282km/10.59L=26.6km/L。18Lタンクだからあと7L残ってました。航続距離400kmオーバーは素晴らしい。
「加西IC」から中国道に乗りました。「神戸三田〜宝塚トンネル・渋滞17km」の電光表示。予想では7km渋滞だったのに、連休並みの長い渋滞が発生しています。三田で脱出することにして、80〜90km/hで巡航。さあ神戸三田IC脱出しようと思ったら、脱出渋滞が長蛇の列です。車の時同様、1つ手前の「吉川IC」脱出したら良かった。バイクだから「ごめんね〜」してもいいけど、「宝塚ICまで1時間」となってたので久しぶりに渋滞にハマってみました。渋滞ストップしたら車線間バイクの金魚のフンし、渋滞が動き出したら車線に戻ってを繰り返し宝塚トンネル到着。
トンネルに入る頃になると、不思議といつも渋滞と言えないスピードで動き出します。通常スピードになって「宝塚IC」下車。18:10、倉庫着。渋滞中にスクリーンに雨粒が付いて気づく程度の小雨に遭いました。
帰宅すると、真っ暗です。僕の方が早かったみたい。片づけてPCを点け、無事帰宅報告を入れて風呂に入ります。家内の用意してくれた夕食を食べながら、家内が好きな「モヤモヤさま〜ず・横浜ぶらぶら編」を見ます。眠たくなったので、自室に戻り布団に入ると、門扉のガチャガチャ音がします。階下に飛び降りて玄関オープン。
いつものように家内と今日の出来事を話します。「あんな司会で、1万円稼いじゃった〜」ってご機嫌です。「でもね、この為に美容液が増えちゃった」って洗面台を指さします。そういえば、僕の歯ブラシの前の美容液は、この為の投資だったのか。裏の値段は見ない方がいいね。
来週末の長男お嫁さんの誕生日プレゼントを伊勢丹で買ったそうです。妹さんが伊勢丹にお勤めなので、一石二鳥したようです。これで僕のJIBバック購入はなくなったな。「一緒に食べよう」と、「タニタ食堂のデザート100kcalカスタードプリン」を2個持って来ました。美味しゅうございました。
自室に上がりゴソゴソしてると、「飛行機のドラマだよ」ってお呼びがかかりました。お嫁さんの仕事が飛行機関係なので、飛行機関係はドラマも映画も要チェックしておられます。学生時代、僕と付き合ってる時「フライトアテンダント志望」だったので、より気になるようです。「JALなんだよ」。空港管制官のドラマですが、JALがよく出ます。ANAとJALで、この取り合いがあったんだろうなと、ドラマの裏を妄想しニンマリ。
お陰で、朝3時に起きたのに22時過ぎまで起きていました。よって月曜日は早く起きれるはずもなく、7時起床になってしまいました。

2012/10/8
日曜日は、有馬拠点に裏六甲トレッキングしました。義理姉からのお誘いで有馬に呼ばれました。毎週末有馬入りし、マンションに泊まって山歩きしてる姉たちですが、2人で歩いてて木の根っこにつまずいて、姉の膝のお皿が骨折してしまいました。全治3ヶ月なので、次の山歩きは来春までお預けです。腰に持病を抱える義理兄は、山歩きしだしてから腰が強くなったので、お連れさんとして呼ばれました。今まで何度も2夫婦で六甲山を歩いてきたので、気楽な僕らに声がかかりました。
いつものように5時前に目覚めましたが、8時有馬なので早朝活動は自粛です。そのかわり、自宅PCのセットアップをしました。気まぐれに自動シャットダウンし、動作も遅くなったXP機を最新ウィンドウズ7に更新です。また富士通・64ビット・4GBメモリー・CPUインテルCore i5搭載ノートです。Becky・DonutRAPTはまだですが、あとちょっとで自宅も快適PC環境になります。まあ、休日はPCにあまり触らないので、子守唄ムービーぐらいしか使わないんだけど・・・。
7:30、姉のとこに持っていく荷物を積んで、華麗な山ガールに変身した家内を助手席に乗せて出発です。姉夫婦は気持ちのいい人たちなので、とても楽しみです。R176〜r51有馬街道を経て、8:00有馬マンション着。電話すると「直接上がって来て」、とのことなので部屋番号を押して、エントランスセキュリティーを解除してもらい、部屋まで上がりました。
いつも有馬六彩で朝食バイキングだったのに、部屋でパン果物朝食です。姉の料理してる対面の席に座り、あ〜だこ〜だ喋ります。姉側で話をしながらしゃがみこんでなんかやってる兄が、「この玉子、綺麗に剥けないわ」って立ち上がりました。ゴミ箱を抱えて、ゆで卵を剥いてたようです。先週寄った三田・心月院の話や、三田観光案内で目にした兄の母校・三田学園の話で盛り上がり、結局マンションを出発したのが10時になりました。
左膝が曲がりにくい姉は留守番、3人で出掛けます。昼食は、かんぽの宿バイキングなので3〜4時間トレッキングです。ロープウェイ有馬駅まで車道を歩き、僕ら夫婦の写真を撮ってくれるそうです。「今日はちゃんと充電してきたからね」って。今まで2回もせっかくカメラ持参したのに、充電忘れで撮れなかった兄は準備万端のようです。兄たち夫婦は、大学の写真部仲間でもあります。我が家の玄関には、結婚した時から姉に撮ってもらい額にしてもらった家内の高校生の時の写真が飾ってあります。上手です。今回も、デジカメ一眼レフのダイヤルをあれこれ動かし、フラッシュを掛けたり満足の1枚まで数ショット撮ってます。
紅葉道を山頂に向けて上りだします。表六甲芦屋側から山頂に登って有馬に降ってきた健脚さんグループと挨拶してすれ違います。連休なので人が少し多いみたい。
「炭屋道」に左折します。ここから勾配がきつくなりましたが、家内を気遣ってか休憩を多く入れてくれたので、家内も平気でした。姉夫婦も大学同級生夫婦で、学生時代京都で下宿してた姉への実家からの軍資金・物資運搬で、家内は兄とも仲良しでした。その時からのお気に入り妹なので、兄も楽しそうです。ワイワイ・ガヤガヤ歩いていると、下から男の子2人連れの家族が追いついて来ました。走って上がってくる下の子に年を聞くと小1・・・む〜既に僕らは完敗です。
しばらくすると、20代と思われるしっかり装備カップルに追いつかれました。前に掛けてる地図バッグなどはリュックの前フックに掛けてたり、リュックの後ろから出てるチューブに繋がってたりして、首に負担が掛からないようになっていました。なるほど、やっぱりね。出かける際、首に重い一眼レフを掛ける兄を見て、結束バンドでリュックにカメラを引っ掛けて首の負担を和らげる提案をしました。ついでにいつも数本持ってる結束バンドを1本あげて、早速試しています。
数度休憩し、「ととや道」に合流しました。僕らはこの道は初めてでしたが、兄によると初めてこの道で人に会ったそうです。「ととや道」を六甲山頂に向けて少し登り東屋で休憩します。追い抜いていった小1家族とカップルもいます。やはり人が多そうです。
更に少し登り、「筆屋道」に左折して「有馬瑞宝寺公園」に下ります。さすがにこの道は誰ともすれ違いません。前回歩いた時より脇の熊笹が伸び、怪しげな道になってるとこもありますが、踏み跡がしっかりしてて案内板も立ってるので、迷子になる心配はありません。
前回は兄たちも初めてで、「展望台」で4人の集合写真を撮ったのですが、その後兄夫婦で探索し、「展望台に上がらなくてもいい、もっと楽なコースを見つけた」という提案で、楽ちんコース(有馬川沿い)を下りました。ブナの木が緑の葉っぱを広げ、沢の水音を伴いながら歩きます。家内が気持ちよさそうでごきげんです。
数回沢を渡って、12:30瑞宝寺公園到着。ここで小雨が落ちてきました。曇り空でしたが、森の中を歩いていたので雲の変化は見えていませんでした。見上げると灰色の雲が上空にあります。でも北の方角には青空があるので、すぐ止みそう。東屋で雨宿りです。
兄が姉に電話しています。僕同様何かないと電話などしなかったので、学生時代夏休みになっても三田に帰ってこない兄を心配して、お母さんが姉に電話を掛けてきたこともあったそうです。これも僕同様、最近は電話をするようです。ほんの10分ほどでしょうか、兄は傘を出し、僕らはカッパを着終わったら雨が止み出発です。ここから有馬川に沿って「メイプル有馬」まで下り、有馬川を渡ってせっかく下ったのに再び登り車道でマンションに帰ります。もっと上流で有馬川を渡れればいいのに。カッパを着てしまったので、汗をかきましたよ。
兄は着替えに上がりましたが、僕らは降りてきた姉とともに先に「かんぽの宿」に入ります。バイキングなので取り戻さねばと食べ過ぎました。タイムリミット14:20まで、あ〜だこ〜だ喋り、あれやこれや口に入れてマンションに戻りました。いつもの「温泉に入ってけ〜」の兄の言葉を丁重に断り、有馬を辞しました。
次はデパートです。長男のお嫁さんが今月末誕生日なので、そのプレゼントを物色するそうです。r51〜R176で川西に出て、「川西阪急」です。繁華な大阪や神戸に出なくていいので、我が家の百貨店はいつもここです。来年になると、赤ちゃんで奮闘しないと行けないので、ちょいと羽織る室内着を物色してましたが、白羽の矢が立ったのがないとのことでスルーになりました。
「来週大阪に出るので、帰りにデパートを回ろうかなあ〜。お父さん何かない?」「そうやなあ、本でも贈れば。生まれるまで産休で暇やから、胎教に良いおだやかな気持ちになれる小説とか・・・」「本〜、お父さんの趣味やなあってユキクン(長男)に言われるね」「あとはJIBのバッグとか・・・」「「あれ丈夫だし、簡単に洗えるから、おむつなど何でも入れられていいかも。その後の使えるしね」。ということで、僕が買うハメになるかも?何も買わなかったので、駐車料金400円が発生しました。
16時前に帰宅しました。「あのさあ、「新しい靴を買わなくちゃ」が昨日から始まってるよ」と車の中で教えると、「じゃあ、観に行こう。何時から?」と言う流れになり、30分ほどゴロゴロし(家内は家事をやってました)、16:30過ぎに通勤リード110タンデムで出掛けました。
パリに住む主人公女性と、妹のお守りとしてついてきた兄とがハイヒールの足が折れたのをきっかけに知り合うラブストーリーです。波瀾万丈があるわけでもなく、淡々とストーリーが進みゆったり気分で楽しめました。帰路、信号や踏切待ちの間いろいろ喋りました。「私はホテルへの道順を教えられないから、恋愛が始まらないね。誰かに聞いてくださいで終わりになっちゃう」だって。
この日も、内容盛り沢山な日曜日になりました。

2012/10/1
日曜日は、1ヶ月ぶりの家内とのデート日です。「淡路島を自転車で走ろうか?」「ちょっと腰が痛いから、治ってたらね」。「じゃあバイクで三田探索しようか?」「うんいいよ」。ということになっていましたが、台風が速度を早めてこっちに向かってきたので、車での散策にしました。
まずは我が家の墓参りだけど、お花が買える墓地事務所オープンが9時なので8時出発にしていました。ところが朝の天気予報の雨量予想は15時から風雨共に強まる感じです。今ならまだ雨も降ってないし、風も弱いです。6時に「先週参ってくれた弟一家のお花があるから、早めに出発しよう」と決定しました。
7時に出発し、8時に墓地。小雨が降っていましたが、お墓参りの時だけ上がってくれてラッキーでした。隣の弟んとこの聖地に彼岸花が咲きかけになっていました。やはり我が家より気温が低いので、遅いようです。うちの聖地の彼岸花は、それより数日遅れのようです。何も手入れしてないのに、毎年咲いてくれます。お花の手入れをして、お線香を焚いて手を合わせました。「元気な男の子をお願いします。Sさん(お嫁さん)お願いします」。
r12〜r319〜r323〜r37でJR三田、早朝バイク探索で見つけた収穫・9時に三田城址に車を停めます。興味深く三田小学校正門に立つ謂れ板を読んでいます。僕の影響で、じっくり読むようになりました。周囲をウロウロし、城址見取り図や石碑などを散策。僕が心月院で仕入れた資料を前読みしてるので、会話が弾みます。
次に、三田藩主・九鬼家の祈願所・天満神社訪問。「元気な男の子お願い」をします。9:30、本日のメインイベント・「心月院」に到着。小雨より強く傘が必要な雨になってきました。僕はいつもバイクで使ってる春秋装束のDAIWA釣りスーツ上+ヨット用つば広ハット+傘、家内は丈の長いレインカッパ+ファッションブーツ風長靴+傘です。
白洲次郎3代の資料が展示されている本堂に行くと、扉が閉まっています。「え〜入れないかも〜。台風が来てるからなあ・・・」。「ご自由にお入りください」の立て札がそのままあるので扉に手をかけると開きました。電気もついているので、「おじゃましま〜す」。おっと、その前にお賽銭箱にチャリンです。「私の分も入れといてね」とのことなので財布を見ると、10円玉な品切れで、5円・50円・100円・500円玉しかありません。仕方なく、55円。「五円は縁起がいいのよ」って笑っています。
ひと通り見て回り、幕末・明治維新時の三田藩大立者・小寺泰次郎&白洲退蔵の小冊子を各300円で購入しました。横の箱にお金を入れるだけです。箱には既にお金が入っています。台風の日なのに、僕同様の物好きが来てたみたい。現住職さんが書かれた色紙が、どれでも100円で販売されています。とても上手な字です。
本堂を出てお墓の方に回ります。家内のレインブーツはスリムなので、履くのに時間がかかります。雨降りの土の墓地を歩くにはもったいない感じですが、長靴だからいいのだそうです。
三田藩主代々の九鬼家のお墓群エリアに参ります。続いて男爵・九鬼隆一郎さんのお墓、そして最後の藩主で最初の三田藩知事・九鬼隆義さんのお墓エリアへ。歴代藩主の多くが10代・20代でお亡くなりになっています。
ご本人・歴代のご婦人方とそのお子達の墓石が並んでいます。藩主としてはお子がないと藩取り潰し理由になるので致し方ないとはいえ、ハーレムです。「童女」や「童子」の戒名が刻まれた墓石が多いな。江戸時代・明治初期の過酷な生活環境名が想像されます。英文の戒名?メッセージが刻まれた童女の墓石もあります。
最後の白洲家のエリアです。小さめの墓石が並びます。次郎・正子のユニークなお墓の前には、燃え尽きたお線香の残骸が大きめの線香立てに入っています。「葬式も戒名も要らん」と遺言して亡くなった白洲次郎の墓石には戒名はなく、梵字一字が刻まれているだけです。一枚岩を五輪塔の輪郭に削られています。横の正子さんも同様。このお墓は、正子さんがデザインしたのだとか。
織田信長の石山本願寺攻めの時活躍し、鉄の大軍船を建造し、毛利水軍を大阪湾に破り兵糧断ちで本願寺を屈服させた志摩の九鬼水軍九鬼氏が、江戸時代に家督争いのゴタゴタで三田藩に転封させられました。その時、志摩の菩提寺だった心月院も引っ越してきました。そんな藩主の菩提寺に葬られる家は限られていたのでしょう。今は、お金さえ出せば九鬼家や白洲家に並んだお墓が持てます。「好評分譲中」と書かれた幟を見ながら、そんな話をしていると、家内はこういうとこに眠りたい風です。
車に戻る時に、重職さんと思われる方が帰ってこられました。朝、寄り合いでもあったのかな?「おはようございます」。三田の歴史資料館になってる九鬼家家老・和洋折衷屋敷に向かいます。10:10、資料館で女性職員さんの説明を聞きながら展示を見ます。三田出身の義理兄の母校・三田学園の創立百周年事業パンフレットがありました。ここで、九鬼家の紋を教えてもらいました。そこここで見た巴紋と七曜紋の2つだそうです。そして兄の母校・三田学園百周年パンフレットに書かれていた主催者が七曜会。元の藩校なのかな?と思って後日調べたら、藩の重職・小寺家が創立したそうです。ふむ、なるほど。
隣の九鬼家家老住宅に回ります。こちらにもボランティアなのか案内人さんがおり、つきっきりで案内していただきました。
続いて、「がんこ三田店」に昼食しに行きます。2日前、仕事場に「がんこ宝塚店」の方が来られて、「ぜひ、お食事に使ってください」とパンフレットを置いて行きました。それを見ながら、以前にもらった時考えた法事食事処のアイデアがまた浮かんできました。
来年のバレンタインデーは、親父の7回忌です。「法要〜お墓参り〜がんこ三田店で食事〜三田歴史探索」というルートが出来上がりました。その下調べです。時刻は11時。まだ昼食には早いかな?朝ごはんがヨーグルトだけだった僕は腹ペコだけど、家内はどうかな?「おなか減った?」「うん、朝急いだからパン1枚だけだったもの」「じゃあ、ここに行こう」とがんこ三田店のパンフレットを見せます。R176・JR三田付近に出て、それを北上します。地図を見ると、JR新三田までのR176の東側の山の手にあるようです。大原というこの地を収めた豪族の山城跡が残る山の麓の大原氏の館がお店になっています。
「大原」という交差点道標があり、ゆっくりと北上すると、「がんこ・三田店」の案内板発見。それに従って右折して細道を入って行くとありました。さすが豪族の館、周囲の田園を見渡されるいい場所です。長い塀をそのまま保存し、お店の看板が掛かっているだけで、雰囲気を損なわないようにしています。大阪繁華街のがんこさんしか知らなかったので、ここまで慎ましくしているとは思いませんでした。ナイスです、がんこさん。
雰囲気を壊さないように、館の裏に駐車場があります。そこに車を置き、「ここかな?」と思った裏入口から入ろうとすると、「ここは、がんこ三田店の入口ではありません」との看板が。敷地をぐるりと回ります。敷地内に新築の家が建ち、そこの表札は当然「大原」でした。なるほど、旧家をがんこさんにレンタルしてるのですね。
11:05、3/4周敷地を回り、がんこさんの玄関に到着です。中居さんと「ご予約ですか?」「いいえ」のやり取り後、靴を脱ぎ部屋に案内されます。板の間にテーブル席数席と、中庭に向く長テーブルに15席ほど。その他の部屋は障子で仕切られていますが、畳の間にテーブル&椅子という10席程度の部屋が数間あるようです。できるだけ手を加えずに、お店を作っています。少々迷路なお店ですが、それもまたいいです。
「寿司定食うどんorそば付き1280円」を食べようと思ったけど、家内が選んだ「鰻セイロ天ぷら定食1280円」が良い感じです。結局それを2つ、家内はそば・僕はうどんにしました。来年の親父の法事のアイデアを披露し、あ〜だこ〜だ話をしました。食事を終えトイレに行き、先に出た僕は迷路トラップに2度引っかかり玄関にたどり着いて会計を済ませます。家内を待って外に出ると、風雨が強まり台風の雰囲気が出てきました。ちょうどそこに、黒装束の法事帰りの集団が入店してきました。「そうだろうな、こういう使い方にバッチリなお店だよな」。
ここで大原家の由来板を発見しました。鎌倉時代の豪族が、いまだにここに住んでいるのが凄いと思っていました。被支配者の農民は別として、領主というものは分捕り合いの対象だから変遷があるのが当たり前です。
要約すると、『宇多天皇流れで、鎌倉時代にこの地を拝領します。大原一族は、後に播磨三木に移り、小原氏を名乗ります。有馬郡・小原城主です。秀吉の九州平定で初代が討ち死にし、朝鮮出兵では2代目が討ち死にします。3代目は医を業とし、小原伊織が宮本武蔵の養子になっています』。
帰宅後調べると、荒木村重の摂津平定の折、大原城は落ちたそうです。後は想像ですが、一族の一部が帰農し本拠地のこの地に残り、追われた嫡流家は播州に落ちていったのでしょう。生涯独身を通し、剣の道を邁進した宮本武蔵の養子に入るなんてなんという縁なのだろう。家内と自転車で宮本武蔵生誕地を訪問した時のことが思い出されます。ふふふ
車に戻り、次の行き先を伝えます。これも早朝バイクで見つけた「三田・高平の下山家住宅」です。新三田ハウジングという会社が旧家を借り受け事務所にしています。春から見学OKの看板が出ていました。
R176〜r37〜r323で再び下山家住宅の前に来ました。門を見ると、見学料200円だって・・・え〜お金要るの?「どうする?」「ここまで来たから入らなきゃ」、お〜良かった。僕一人なら迷わず入場だけど、僕よりは興味が無い家内はどうかな?と思いました。
12:32、板門扉が開いており中に入ります。続いて頭の低い玄関を開けて中に入ります。「お〜いい感じ」。お若い社長さんが出てこられ、名前・住所・電話番号を記入します。1人200円を払って室内や蔵を、社長さんの案内を聞きながら見学します。
この地の庄屋家が隣の旧家の下山家で、ここはその庶流の旧家。現当主の2代前から医業「下山医院」をここで営み、現当主は鳥取?島根?医大学長だそうです。息子さんも医業ですが他所へお勤めで、この家はずっと空き家で傷みが激しくなるばかりだったそうです。
さっきお墓を訪問した男爵・九鬼隆一の書が掛かっています。「下山君」と書かれているところを見ると、かなり親しかったようです。富岡鉄舟の書も掛かっています。立派な値打ちもんの屏風などもあります。観る人が見たら、お宝の山なのでしょう。
三田出身の社長さんは、大手プレバブメーカーさんにお勤め後、この屋敷を借りて日本家屋の修理・新築の業を起こされたそうです。この座敷で商談していると、一般開放したら?と勧められ、社員と少しずつ整理整頓しながら見学場所を増やしているそうです。蔵には、輿や宋代の花挿しが飾ってあります。最後に、屋敷祠をどうしたら建てられるのか聞いてみました。取引先を紹介してくれるそうです。
r323〜r33〜r325〜長尾山トンネルを抜け、大阪平野側に出ました。山本の阪急オアシスで食品の買い物をして14時過ぎ帰宅しました。楽しい三田歴史になりました。予定通り、台風の風雨が強くなる15時前に帰宅したけど、もうかなり強いです。
30分ほど昼寝して、「DVD観る?」と聞いてみます。OKだったので、「私をスキーに連れてって」を出してきました。原田知世・貴和子姉妹出演のホイチョイムービー制作作品です。原田知世のスキートップを上げるターンが家内と一緒で、三上博史がアドバイスする言葉もよく言いました。
学生時代、僕のやってたスキーツアーに家内を呼んだり、スタッフを共謀者にして家内のお父さんに頼み込んでツアー参加許可をもらい、実は別のスキー場にプライベートスキーに行ったり・・・僕と家内の青春とオーバーラップします。新婚旅行も富良野にスキーだったものな。
「スキーは何故流行らなくなっちゃったのかなぁ〜」「私達、この頃とあまり変わらないね」「まだ私滑られるかなあ?」・・・。いろんな話が出ました。鑑賞終了後、作ってくれた鍋を2人でつつき、19時台に「おやすみ」になっちゃいました。

2012/9/24
日曜日は、ドラゴンのレースでした。土日2日間のKYC主催オータムレガッタです。土曜日は仕事だったので1日のみの参加です。9/23と言えばお彼岸・・・2ヶ所のお墓参りもあります・・・ということで、朝一に家内の実家の墓参りをやっつけておくことにしました。
小雨の中、AM5時に出発し中国道・山陽道で一路播州を目指します。三木SAで休憩。ここで「ハイウェイホテルのご案内」というパンフレットが目につきました。高速道路のSA・PA内に開業してるようです。1人1泊5250円という微妙なお値段ですが、バイク旅の時こういうのがあったら便利だなと思ってたのでナイスでした。
もっとチープな部屋でいいから1泊2000円や3000円にならないものかなあ・・・西に走ると雨はどんどん少なくなり、お墓は降っていませんでした。前日に墓守りしてる義理姉が参ってるので、お花を追加しただけで退散です。お線香も、まだ雨が降りそうなので省略です。7時に帰宅し、風呂に入り8時に通勤リード110に乗り換えて家を出ました。雨でもあり気温が低いので、風呂の温度を38度から39度に上げました。う〜む、夏も終わりだなあ・・・
8:30過ぎハーバーに到着。2日連続のレースなので船は桟橋に係留されています。艤装済なので、特にすることもありません。いつも早いJPN35メンバーがいたのでゴソゴソ喋ります。母校コーチ時代選手だった子もいる後輩チームです。土曜日は吹かなかったようですが、3レース成立したようです。
メンバーのHさんがやってきました。竹田城址のお山の持ち主なので、高倉健主演の映画「あなたへ」でロケ地になってたよと話が盛り上がりました。映画のクレジットに名前出てなかったねえ・・・、ロケ地代でたんまり潤った〜?・・・なんて冗談の連発です。
1週間前のツーリングで、Hさん親戚が再建した城址を訪問したことも話しました。山頂にええ双眼鏡が設置されていたことを話し、下界がバッチリ見えたから、何のために設置してるのか・・・なんて笑い合って。他艇メンバーもOさんもやってきて、ワイワイ楽しいです。いつものポイントレースより30分早い10:30第1レースなので、9:30出艇。天気予報どおり、雨は完全に上がりました。北風3m/sほどです。赤灯台の航路手前まで南に下り、レース海面到着。
R1。アウター寄りスタート、そのまま北西に伸ばし、ポートの上りブローを受けながら1上マークアプローチの作戦で臨む。下1ポジションを取ったが下2JPN28が上突破の勢いで来たので合わせたのが失敗でリコール。アウターマークをリラウンドしてポートでスタートラインを切る。JPN28に上を押さえられたのでタックできず、ズルズル右海面に出ていく。
JPN28がタックしたのでタックしようと思うが、いやらしいとこに本船が停泊しており、それを過ぎてからタック。やはり左海面の方が良く、JPN46・35がはるか前を通る。JPN28にもかなり差を付けられる。その後左海面に出るが、風が落ち局地的な強弱・振れに合わせタックを強いられ、神経戦になってきた。結局5位(ビリ)で1上回航。
2回目の上りレグは左海面寄りから振れに合わせたコース取りをするが、極端に左角まで出して一本コースを引いたJPN34がトップ目まで大躍進する。タックする時、上マーク見通しは3時になっていたろう。断ケツ覚悟のコースを当ててお見事。最終ランニングレグで北西海面を利用し、4位に肉薄するまで迫ったがビリフィニッシュ。
11:45、お昼を食べながらワイワイ。風が落ちてしまいしばらくレースが出来る気配がない。時折接近する他艇と冗談を交わしながら楽しい船上です。Hさんの先祖は、北播磨の小豪族なので歴史に詳しい。先週地元おっちゃんに教えてもらった長水城址のことも知っており、Oさんの親戚が無断で川砂を採取して建設業をやってるのが親戚中の禁句だとの話も面白く、いつもながら楽しい。
R2。13:30を回って、風が南に振りレースマークが設置されました。東から南にシフトしてるのでスキッパーOさんのコース・プランは、更に振ると読んで本部船よりスタート即タック。本部船がスタートライン向きにバウを振ったままなので、潮が左からだからレースの鉄則「先に潮に突っ込め」が気になるが・・・
上1・JPN46のスターンについてスタート、即タック。プラン通りに右海面に行くが、ちょこちょこリフトが入ります。スターボロングなので振れに合わせスターボに返すがすぐにベアブローが入り、なかなかマークにアプローチできない。1艇だけ左に行ったJPN28がダントツ。1上、4位回航。先行するJPN34がセオリー通りロングレグを先に走るために即ジャイブしたが、風は東からで、ノンジャイブの僕らがあっさり抜き去った。1下3位回航。
さっき良かった左海面に行こうと思ったが、中途半端になってしまい、即タックしたJPN35に抜かれた。先行していたJPN46はもっと中途半端なコースだったのでJPN35にかなり追いつかれていた。2上4位回航。また風が入ってくる東寄り位置を取るため少しターボで走るが、ポートロングなのでジャイブ。デッド・ヒートしてる先行艇の東位置で我慢するが、結局追いつけず4位フィニッシュ。そのままレース終了、ハーバーバックとなる。
怪しい黒雲が六甲山から流れてきて、少し小雨が降ったがすぐ上がり、ハーバー前の防波堤を回ると、ちょうど西宮神社・えべっさんの船渡御祭りの船と行き交った。6隻の装飾された船団の上には、神主さん先頭に神前衣装の男女・お子様方がたくさん乗っています。ここでやってる年中行事なのは知ってたけど、見るのは2回目です。これがあったので、去年のディフェンディング・チャンピオンのJPN49がレース不参加でした。西宮港の重鎮なので、事務局として船の手配など走り回っておられるのでしょう。
来週は、4大学(慶応・早稲田・同志社・KG)OB戦でドラゴンを貸すので、古いセイルを載せて解装終了。16:30から閉会式なのでKYCウェットバーに行く。またワイワイ・ガヤガヤ。JPN35が優勝。僕らは土曜日2人しかメンバーが都合つかず3レースともビリだったので、総合でもビリ5位でした。
船渡御が帰って来ました。西宮神社縁の人なのか、地元町内会なのか、大勢人の乗った観覧船?も2艇続いて帰って来ました。参加者は200名以上かも?JPN49・Sさんもやれやれですね。
Hさんとバイクの話をしてると、JPN35スキッパーの後輩S君が、「一捻りでヒューンですよ」と話に加わりました。一番かっこいいバイクと思ってるヤマハR1に乗ってます。195km/hリミッターが付いてるそうですが、その手前まで一捻りなんだって。僕のハートでは耐えられそうもありません。
18:00帰宅。家内とお互いの今日の出来事を喋りながら、日曜日の家内のお楽しみ「モヤモヤさま〜ず」見ながら、肉体労働の気持ちのいい疲れで夢の中に落ちました。

2012/9/18
日曜日は、淡路島までクルージングの予定でした。でも900hPaという超大型台風の接近もありキャンセルしました。さてどうしよう。海上は荒れるかもしれませんが、陸上なら大丈夫そうです。
クルージング計画が出るまで、グループツーリングに申し込んでいましたが、1週間前にキャンセルしてしまっていたので暇になってしまいました。紀伊半島R425横断は、南部の方ほど台風の影響を受けやすいし・・・。岐阜・福井県境の冠山峠は、岐阜県側がまだ通行止めみたいだし・・・。蒜山・大山は魅力的でしたが、1週間前に岡山県西部に行ったので、長駆高速道路を走ったばかりだし・・・。で、残ったのが、氷ノ山・鉢伏・神鍋方面林道ツーリングです。ということを、4:30に目を覚ましゴソゴソ用意しながら決めました。
5:00、ニコニコCBで出発です。宝塚ICから中国道に乗り、朝が白み始めた舞鶴道を北上し、5:44「西紀SA」で休憩しました。道中、朝霧が浮いているところがあり、篠山盆地は優勢な朝霧かなと想像したのですが、そんな時は霧に沈む西紀SAは朝のお勤めと僕のソロツーリングの定番・朝カレーを食します。グルメに関心がない僕は、ソロの時は大抵朝カレーのみが多く、結局この日も食事と呼べるのはこれだけで走り回りました。
「春日IC」下車。北近畿豊岡道を西進します。自動車専用高架道ですがR483指定で無料です。霧もあり気持ちがいいです。遠坂の山に優勢な霧がかかっているので、遠坂トンネル手前で下りました。スキーフリークだった頃、一足先に開通していた遠阪トンネルだけ有料だけよく利用しました。雪の峠越えをパスするためです。今回はここだけ有料のトンネルをパスして久しぶりの峠の様子伺いです。
「青垣IC」下車。r7に乗ると懐かしいスカイスポーツの建物が目に入りました。「岩屋山」テイクオフポイントから下りてくるんですよね。「以前はここを曲がったよな」とこれまた懐かしい交差点を直進。R427直進となっていたからなのですが、GPS地図上で自車が遠坂峠から離れていきます。間違いました。ぎこちなくUターンして、さっきの交差点を以前同様北に曲がります。こっちもR427です。バイクで初の遠坂峠越えは良い感じのカーブ具合でした。一瞬雲海を見下ろすポイントがあったけど、和田山方面に降りると霧はありませんでした。
霧の中を走っているうちに、竹田城址を観てみたくなりました。僕の中の中世の山城No1&雲海No1の竹田城址には、雲海を朝日が上ってくるのを激写するため、晩秋に夜明けを城址で迎えられるべく来ていましたが、外から城址を写真に収めたことが藤和峠からしかありません。天空の城撮影ポイントの「立雲峡」に寄り道です。
R312に乗り南下し、7:26下から竹田城址を激写。城址にいる観光客も見えます。今は石垣だけですが、往時はお城が建ってたんだよな。当時の人には、大迫力だったろうな。こういう城が中世には、全国至るところにあるちょっとした山の山頂に建っていました。う〜ん。
案内板に従ってr277。派手目な「立雲峡」看板に、「ここかな?」と思ったのですが、「ホテル立雲峡」でパス・・・しばらく走ったら下りだし、どう考えても通り過ぎました。Uターンしてさっきの「ホテル立雲峡」に戻ると、その横に「立雲峡」の案内板も出ていました。「まぎらわしい・・・」。
四輪の対向は無理な細い山道を上がり、7:43立雲峡到着。ここからの竹田城址もいいな。第1展望台まで30分はつらいな、第2展望台まで20分もきつそう、第3展望台まで3分も面倒なので、駐車場から激写。
山を降り、R312も越えて、播但線沿いのr70を南下しました。次の目的地は「さのう高原」です。R429を家内とタンデムした時、空からパラグライダーが下りてきて、ランディングのとこまで追いかけたことがあります。その時、ランディングバーンのおじさんに聞いていました。その現地調査です。スカイスポーツのテイクオフバーンは、機材運搬のため道があり、素晴らしく景色がいいと相場は決まっています。
この道に、「さのう高原」への案内板があると思っていたら、R429まで来てしまいました。8:12、朝来市立野モービルで給油。267km/9.49L=28.1km/L。ちょっと安いと言われたのでセルフ給油したから、給油量が少なかったかも?GSおじさんに道を聞いたら、さのう高原にある「フォレストアドベンチャー」のパンフレットに載ってる地図を見ながら教えてもらいました。R429に乗ります。
「橋のところに小さな看板が立ってるから」、グッドアドバイス・・・そこを右折すれば難なく、8:37さのう高原まで上がれました。途中で鹿に会いました。キャンプ場みたいな所からテイクオフバーンは近いですが、上まで上る道は見つけられませんでした。でも素晴らしい景色。朝早くフライトスクールに人がおらず、道も聞けませんでした。
「ふわり半日体験・チャレンジ青空飛行・6500円」、ふむ。「Sora Cafe」というオープンデッキ喫茶店があり、バイクで休憩も良さそうです。
R429に下り、明延鉱山に向け西進します。9:02、神子畑の鉱山鉄道鉄橋到着。9:06、神子畑・明延鉱山選鉱場到着。選鉱場の廃墟と、明延〜神子畑〜生野を結んでいた軽便鉄道・1円電車の可愛らしさがアンバランスです。
更に西進し、峠を越えてr6へ右折するのが明延鉱山へのプロパーコースですが、家内とタンデムした時見つけた城址探索するために、もう少し西進します。9:31、「百千家満」というけったいな地名のとこにある案内板に沿って山道に入ります。「標高700m高原の郷」「雲海に立つ草置城」、魅力的な案内板です。上りも道の両側にたくさん立ってるし。時折、下界を見下ろす絶景が見える道をひたすら上ります。
9:40、城址到着。道から真新しい2階建ての家が見えます。これが城址なんでしょう。特に戦闘に備えた細工があるわけではないけど、中世の山城のほとんどは地方豪族の詰城で、平時は麓の館で支配地を政治し、外敵の侵入の場合に逃げ込む施設なので、こんなものが当時の姿を再現してるように思います。ここは、さっきの竹田城址の山を持ってる友人の親戚が私財を投じて建てました。その友人はここの豪族の末裔で、爺さんが竹田に婿入りしたそうです。家内と見つけた怪しい山城看板のことを船の上で話してたら、「それうちの親戚が建てたんや」って大笑いでした。
再建山城は閉ざされ、倉庫にでも使っているのだろうか?横に五輪塔があり、先祖のお墓なんでしょう。「頂上へ255段・展望台へ」と書いてあったので、ハーハーフーフー登りました。山頂には、適当に木々が伐採された小さな扁平地がありました。ベンチとビニールを被った物体があります。予想通り、よく展望台に備えられてる100円双眼鏡でした。無料で見ることができます。「NIKON・30×80」、30倍あり、80の明るさなので下のR429が詳細に見えます。畑仕事のおばあさん残しの動きもバッチリです。「これ何ぼするんやろ」、僕の海で使ってるFUJINON7倍でも5万ぐらいしたのに。NIKON・CANON・FUJINONが、自衛隊や海上保安庁からアメリカ沿岸警備隊まで使ってるプロの一級品だから高そう。レンズの老舗NIKONは一番高いんじゃないのかな?
バイクまで戻ると、そこにワンボックスが来ました。「お城まで、行って来たの?」、65年配ほどのおっちゃんが2人、下りてきました。この方達もややこしいもん・怪しいもん好きと見え、「この道、どこへ行くんやろ?」と寄り道好きでもあるようです。僕と志向が似ており、15分ほどなんやかんや話しました。
ラフないつでも作業できる服装だったので、近在の地元の方のようです。この方から耳寄り情報を仕入れました。「山城好きやったら、チョウズジョウに行ったらいいぞ」・・・「R29を下って山崎IC手前の西側に、行き止まりになる道があって、バイクやったら行けるわ。石垣も残ってる立派な城や」。「チョウズって、手水って書きますの?」「長水城や」。1つ山城をやっつけたのに、また1つ出てきたわ。
「ああ、面白かった」、来週会うその友人に話してやろう。「見学する人もいない地方零細豪族の山城を、しかも単なる家みたいに作っても・・・」とバカにしてた友人に、僕みたいな山城バカが喜んで訪問する事実を見せてやろう。感心したのは、ちゃんと手入れされていた事です。普通、蜘蛛の巣を払いながら山頂に登ることになるのですが、杭を打って土留めしただけの簡易階段だけど、蜘蛛の巣が一切張っていません。3日人が歩かなかったら蜘蛛の巣銀座になるはずです。素晴らしい。
R429を少し戻り、r6に入り北上開始。しばらく進むとあった、「銅山」という看板に惹かれ寄り道します。生野銀山や明延鉱山が近くにあるので、銅山跡でもあるかな?と思ったのですが、しばらく沢沿いの良い感じの道を進むと、舗装が切れて地道になっていました。10:32、断念、Uターン。
r6に復帰し、更に北上。10:50、「明延探検坑道」というのが道の横にありました。坑道には鍵が掛かっており、坑道内に入るのには申し込みが必要だそうです。中から涼風が吹き出ています。横に明延の施設図があり、これで全体像が分かりました。
11:00、その図に書かれていた「明延鉱山学習館」というところに来ました。学習できるものと思ってたら、建物はあれどクローズです。でも、可愛い軽便鉄道の車両が置いてあり、激写しました。名前は「赤金号」、微妙な名前です。架線式電気機関車です。最寄りのJR播但線が、まだ電化されておらずディーゼル気動車が走っているのに素晴らしい。謂れ板によると、『昭和4年(1929)に明延〜神子畑の隧道が完成し、鉄道輸送が開始された。神子畑選鉱場まで5.75kmのほとんどがトンネルで、4本のうち最長のものは3937mもあった。昭和20年から客車も常時運行され、駆け足をするくらいのスピードで走っていた。運賃が1円だったので「1円電車」と呼ばれていた。昭和62年(1987)閉山とともに廃止された』となっており、いかにこの鉱山が金のなる木だったかわかります。僕が物心ついた頃は1ドル=360円相場だったので、価格競争力があったのでしょう。今やちまちまここを掘るより、オーストラリアから買っちゃう方が安いんだな。乗ってみたかったな。今こんなのが走ってたら、僕みたいな物好きがワンサカやってくるね。
11:10、明延新興館到着。ここにも軽便鉄道が・・・。11:21、明延鉱山中心地跡到着。谷川沿いに更に奥へと道があるので、一旦奥まで行ってから戻って来ました。道の横に、鉄扉で閉ざされた鉄道隧道の口があります。道を隔てた反対側にある鉱山本体からの鉄路がこっちに向かっているから間違いないです。
鉱山本体の建物は、見上げるようなボタ山の上に見えます。きっと廃墟なんだろうな。行ってみたいけど、ショベルカーで閉ざされていた山に上がるコンクリート道がそうなんだろう。「行くなら徒歩で行ってね」なんだろう。
この道沿いに、龍マークのタバコ屋さんがありました。「たばこ」と続け字の「Cigarette」が時代遅れでカッコいい。タバコ屋の看板娘もとうにお墓の中なのだろうタバコ自販機が頑張ってました。その前には自宅ガレージを開放し、鉱石と華やかし頃の鉱山の写真を飾った家がありました。道から覗き込みました。誰もいないと、一線を越えて中に入りにくいな。
さあ本題の氷ノ山周辺の山岳林道に行こう。r6を北上し、r48で西進します。「天滝」という案内板に心が動き、また寄り道してしまいました。だって落差98mなんて書いてありますよ。お食事処がある大きな駐車場があり、バイクが10台ほど停まっています。「先の駐車場は小さいから、ここから歩け」と書いてありますが、バイクならと思い更に突っ込みます。11:56、どん詰まりまで来ましたが、駐車スペースは余裕です。「天滝まで1.2km・片道40分・・・」という案内板が立っています。その後ろには無料レンタルストックが入れられたドラム缶。即、断念決定。すごすごUターンして帰ります。
またr48を西進。走りながらこれから向かう西の山を見ると、明らかに山岳道が走ってるのが見えます。ここから見えるんだから、向こうからも見えるだろう。そこに上るべく「横行林道」に入ります。先行車が1台います。きっちり舗装されてるか不明の道に行くのかな?しかし、ここで問題が・・・南東からの風に乗って、怪しい雲が・・・下から見上げてもかなりの標高だったので、泣く泣く断念します。雨はまだいいにしても、巨大台風に刺激された強風が吹いてたら、高所恐怖症気味の僕には怖すぎます。景色がいいということは、見ようと思わなくても遥か下の下界が目に入ります。そこに強風など・・・。
またすごすごr48に戻り、R482を北上しR9から和田山方面に戻る作戦に変更です。R29に乗り換えて戸倉峠を上ります。ここらのスキー場にも来たな。12:37、「滝流しそうめん」とデカデカと屋根に書かれたお店のでかい駐車場で休憩します。
お客さんがたくさん並んでいます。バイクもいっぱいいます。「そうめんを滝に流してるのかな?」と興味を惹かれお店の横に回ります。川床みたいなとこに川に向かってお客さんが一列に並び、川の対岸の建物から長い樋が川を渡っています。そこをそうめんが流れて来るようです。巨大なそうめん流しですね。ぐふふ、流行ってます。Vマックス改の3輪バイクがありました。
戸倉峠越えの「新十倉トンネル」でさっきのVマックス集団に追いつかれました。Vマックス以外はピンクナンバーオフ車も混じる小型バイクですが、めちゃ早いです。
雨が落ちてきました。スクリーンに水滴が付く程度で、流れることはないほどの雨量です。南の後山方面から厚めの雲も流れていきます。う〜ん、R482は兵庫県最高峰・氷ノ山がの南西から北に走っています。あっさり断念して、気になってる「沖ノ山林道」を初走行することに変更。
r72交差点を左折・南下。13:14、すぐにある「岩屋堂」を激写。道がかなり濡れています。ついさっき相当降ったようです。めげずに更に南下して岡山県・鳥取県境の山岳地帯に向かいます。黒雲が流れて来るし・・・。車がやって来ました。めちゃ濡れています。・・・まためげました。Uターン。
R29〜R53〜R373で佐用に抜けるのもありですが、那岐山の肩を抜けなければなりません。降ってるかもな・・・霧雨程度の戸倉峠を再び越え、R29山崎回りに決定。R29に戻りまた峠を登りだすと、往路は濡れてなかった道路がしっかり濡れています。結局降られることなく峠越えしました。ちょうど降ってないとこばかりを縫ったようです。ラッキー
全く雨が降った様子もないR29を南下し、13:57、「道の駅はが」到着。モニュメントのでっかいりんごがあります。「りんごマフィン」300円を昼食にします。バイク集団が4ついます。全部で30台以上停まっています。人気やね。連休なので、キャンプ道具を積んでるのか、数台のバイク集団が次々戸倉の方に向かって通り過ぎます。
R29を南下。波賀のいかにも山城が見えてきました。「登ろうかな?」と思ったけど通過。「このまま帰るのはもったいないぞ」、さっきおじさんに教えてもらった「長水城址」を探索しようかな?などと案を練りながら走ってて、r8との交差点で信号に引っかかりました。
「そうだ、雪彦山の林道に行こう」。ウインカーを出しました。左折。山登りの途中の適当なとこで休憩。14:40。川に掛かる橋に腰掛けて、水の流れる音を聞き、同じ事を繰り返す流れを見ます。特に感想なし。
r8東進。14:56、「広域基幹林道・雪彦山峰山線・終点、巾員4m・延長19083m」の看板が立ってます。林道全図も立ってます。さっき走ったR429までつながっています。「草置城」からここまで林道だけで来れそうだ。途中未舗装や工事中もありそうだけど。峰山・砥峰高原をつなぐあの綺麗な道もこの林道の一部なのかな?
いかにも誰も走ってなさそうな道をGO。交通量のない山岳林道に突っ込むには遅い時間だけど行っちゃえ。この道、「いつもで続くの?」と思えるほど続く道でした。細くてグニャグニャでアップダウンもあるから、20〜30km/hを3〜5速で慎重に走らないといけないし・・・。展望がなく素敵な景色が望めません。単調です。
いい加減飽きて、送電線のとこで休憩しました。R29新十倉トンネルを抜けてすぐのとこにあった湧き水を水筒に入れました。そいつを休憩ごとに飲んでいますが、ちょっと特徴のある味です。車が数台停まってて、おじさん達がタンク満タンにしていました。それまで入れてきた家の水道水を飲んでたので、冷たいのがいいね。そこからの景色は、山また山です。送電線の流れだけがはるかにつながっています。すすきが風にそよぎ、道にはまだ小さめのイガグリがたくさん落ちています。
車と2〜3台すれ違いましたが、皆さんお若いカップルでした。静かなとこで景色を愛でたいと思ってるのかな?開けたポイントがあったけど、先客がいました。カップルが外に出て話してる風です。ここで停まったら、空気が読めない完全アウェーですね。当然通過。
15:47、唯一ベンチのあるポイントで停めました。ここも先客がいるけど、山登り風男性で荷造り直ししています。声を掛けると、耳が聞こえないようで、ジェスチャーを加えながら話してくれます。下の駐車場に車を置き、雪彦山に登った帰りとのこと。仲間がいるので急いで下りなきゃと言ってたみたい。先に下りていかれました。雪彦山は近すぎて見えません。姫路方面と思われる山並みが望めますが、山が続いているだけで、この道がチラリと見えるだけです。雪彦山の南にこんなに山が続いていたっけ?中国道はどこを走ってるのかな?
けったいな形の山頂を持つ山が見える。鉾立山と言うらしい。15:52、「賀野神社」到着。十分2時間ぐらい走ったと思うのに、まだ1時間です。「第X回・マイツリー植樹大会記念」と書かれた大きな絵馬が並んで置かれています。山の中の神社なので謂れがありそう。横には、雪彦山の山容が手に取るように見える。拝殿には絵馬が数点。その中に謂れが書かれたのがありました。文字ばかりなので文字絵馬とでも言うのだろうか?『故元衆議院議長・法学博士・従二位勲一等旭日桐花大綬賞清瀬一郎氏は播州の産なり。昭和42年6月27日・83才にて没す。氏は清廉孤高の議員政治家として衆人の尊敬を集め、政界の浄化に一生を捧げ、又法界の拳斗として正義を貫き、大東亜戦争における日本の敗戦にともなう国際裁判にて日本側弁護団長として、生命を賭して堂々の論陣を張り、敗戦国民の士気を鼓舞す。実に播州における偉大なる傑人なり、我等永遠にその功績と徳を慕い、相寄り相図り、氏の命日を期して、氏並びに氏の同僚名士の墨跡を刻み、之を奉納す。 昭和47年6月27日 奉納者、兵庫県知事・坂井時忠、元清瀬一郎秘書・戸井田三郎』。土曜ドラマ・吉田茂をちょうど見てるので、タイムリーにこの絵馬を目にしたものだ。戸井田三郎さんは、この人の秘書でカバン持ちして看板を譲ってもらったのね。ふむ
馬の銅像も奉納されていました。馬の腹には当然奉納主の紋・・・巴紋です。馬を奉納するのは兵馬勝利を願うためで、播州のこの地で巴紋と言えば、播州の雄・村上源氏・赤松家ですね。
「賀野神社」を調べてみると、応神天皇がこの地に御幸した折、夢枕に立った先祖のイザナギ・イザナミさんがこの地に社を建てれば、この地が潤い国が富むと言ったので建てたとなっている。播州の平野を潤す夢前川などがこの雪彦山郡から発するので、祈りの対象になるのは自然な流れです。
応神天皇をきちんと調べると、15代天皇・在位AD270〜310だそうで、この宮の古さがよくわかりました。
牛の銅像も奉納されていました。銘板によると、元々奉納されていたものが、大東亜戦争中の金属供出により供出されました。その後林業AさんBさんの浄財により復活しました。また修理もAさんがしましたとなっています。林業AさんBさんは、このあたりの大山持ちなんでしょう。こういうのは、地域に根づく篤志家がしないとね。
ここで10分ぐらい、15分かな?楽しみました。林道を下りだすと、さっきあった男性が下っています。耳が聴こえないのでゆっくり横に並び、手を振りながら先に行かせてもらいました。
まだまだ山の中だと思ってたら、すぐに民家が見えて男性の言ってた雪彦山登山口駐車場がありました。数人の女性ろうあ者が身振り会話していました。数台の車があったので、さっきの男性を含めろうあ者の登山グループが来られているのでしょう。
道なりにr67になり、「前之庄」で中国道側道のr23に乗って東進。「福崎IC」から中国道に乗り、17:05「加西SA」で休憩。アイスで糖分補給しようと思ったら、なんと230円もするではないか、トイレのみ拝借でアイスはパス。17:38、「社PA」内ファミリーマートで妥当なお値段のチョコバリ126年円購入。
一気に帰宅といきたいとこですが、連休中日だからでしょう宝塚渋滞20kmの表示です。「東条IC」で下車し、r17東進して三田。R176を少し南下してr327。JR道場をかすめ、武庫川渓谷沿いの道を「川下川ダム」。新名神工事が進み、ダムの上に巨大な橋梁が出現していました。武庫川沿いになると、日が落ち暗くなっており、ヘルメットスクリーンがスモークなのでよりゆっくり走りました。
ここまで来るともうホームコース。r33〜r325〜長尾山トンネルという早朝ツーリングの定番ルートで帰宅しました。いつものようにタオルで乾拭きし、倉庫の通勤リード110と入れ替えて19:00帰宅しました。家内は、お気に入りの「モヤモヤさま〜ず」を見ていました。息子たちが住む東京周辺の町を紹介するから気に入っているのでしょう。数年前、息子の江ノ島でのレースを応援に行った時の風景やお店が紹介されており、ごきげんに見ていました。

2012/9/10
日曜日は、グループツーリングに参加しました。バイク乗りさんがよく行く奈良の針テラス・亀山の亀八食堂・青山高原が目的地ですが、いずれも初めての場所です。昔、車で走ってカーブがきつくアップダウンもあるのに平均速度が速く怖い道という印象の強いR25沿いなので、1人でバイクで行こうと思うことはありませんでした。
集合場所は、近畿道・東大阪PA・9時なので余裕です。7時半に倉庫からCB400SBを出し、タンクバック・GPS・荷物積みなどゴソゴソします。メモリはまだ半分だけど、7:54近所のGSで給油して満タンにします。203km/6.9L=29.4km/L。前回岡山県道ツーリング途中で給油後、県道20km+高速道180km走った燃費です。高速道80km〜90km/hでこんなに燃費が良かったっけ?
中国道池田ICから高速に乗り、30分ほどで東大阪PA到着。ここは、東大阪IC出口とPA入口が近接してるから要注意です。PA一番奥のスペースにバイクが3台停まっていました。見知った大型スクーターがあったので、そこに駐車。トイレに向かうとオーナーYさんがおられました。「おはようございます」。播州から参加の3台で一緒に来たそうです。姫路Y女史の小型ハーレー(と言っても僕のより大きい)・明石NさんのVFRです。
コンビニ前の椅子で話していると、リーダーKさん登場。833ccもあるのにハーレーの燃料タンクが小さめということを知りました。僕のVTR250より容量が小さい。2気筒だから燃費はいいのでしょうが、満タン航続距離が200kmほどではGSが気になるなあ。綺麗にまとまっている絵になるバイクです。座席も低いので女性にいいね。
VFRはシルバー色でした。白バイによく使われている車両なので、僕は勝手に白に決めていました。青い上着を着てパトライトでも装着しようものなら、そこのけそこのけになるなと、勝手に想像していました。シルバーVFRは、やはり白バイには見えない。僕のCBは白で、メッシュジャケットが青系なので、数度白バイかと思ったと言われたことがあります。僕の方がまだ白バイチックのようです。Kさんのアフリカツインはでかくて存在感があります。とても僕には乗れそうにないです。
播州組はすでに100kmほど走ってきてるので、次のストップは香芝SA・GSになり9:00出発。遅いので僕が殿になり近畿道を南下、松原JCTから西名阪にチェンジし香芝SA・GS。すぐに出発しR25・名阪国道に乗ります。60km/h制限道路なのに、高速道路並みに車が走っています。元有料道路なのでそのような規格なんでしょうが、僕にはやはり怖いです。だんだん離れて1人旅になりました。でも次の集合場所がわかってるので、ドキドキしながら走るより気楽です。
9:58、針テラス到着。天気もいいので、すごい数のバイクが来ています。初めてなので施設巡り開始です。1/3ほど巡ったところで、ここで集合するRさんと会えました。Rさんと面識があるのは僕だけで、Rさんが僕を探すと言ってた意味がわかりました。これだけバイクがいたら、どれがどのグループか見当がつきません。
ここには温泉もあるようで、泊まれるそうです。高速道路SAも簡易宿泊施設が整備されたら、ロングツーリングに行きやすいのにな・・・バイクでは車のように室内スペースがないからなあ。RさんのMT01を見せてもらいました。雰囲気はヤマハVマックスに似てるけど、少し小振りに見えます。1700ccとは凄いな。2気筒だからドコドコ・バリバリ力強いトルクで行くのだろうと想像しましたが、意外に静かで定速走行からアクセルオンした時の加速音がするぐらいでした。
Kさんに下りる亀山ICを教えてもらい10:30前に出発。名阪道を東進します。遅れ気味についていきます。僕のはオーバースピードですが、時々僕が追いついて来るのを待ってくれるので楽です。亀山ICでは並んで出ます。IC出てすぐに、11:11亀八食堂到着。広い駐車場完備の食堂です。すぐ横に単線のJR関西本線が通っています。メニューはほぼ一択で、ホルモンA6人前+B6人前+うどん6人前です。他に飲み物やライスが選択できるぐらいで、他のお客さんもみなさん同じです。テーブルの上にコンロ鉄板が置かれ、その上にお野菜ドバー・お肉ドバー・横にうどん玉という感じに運ばれてきました。お肉の上に味噌がたっぷり載っています。
この日はバイクが少ないそうです。早朝6時の亀山の天気予報では、6mmの雨となっていたからでしょう。名阪道でも三重県側の下りに入ったら、怪しい雲がいましたし。みそ味焼肉は、いい味でした。お値段も1人1200円だったのでお安く、流行るのがわかります。
次は一番楽しみな青山高原です。r28を走り、広域農道・グリーンロードに乗ります。広域農道は快走路です。もっとバイクが走ってても良さそうな道です。端から端まで走り、R165にチェンジ。R165を少し西進し、r28を北上です。広域農道はr28とパラレルして走ってるようです。13:03、近鉄・榊原温泉口到着。ここで休憩なのかな?と思ったら、Kさんが来られて、「道間違ったみたい。地図見せて」だって。現在地がわかって、r28上です。KさんとRさんが駅売店さんに聞きに行ってる間、気楽な僕は写真撮ったりしています。
この駅に入る手前の線路をくぐる細道がr28でした。細かいウネウネもある県道です。カーブごとに少しずつ離れ、また1人旅になりました。でも次は風車の並んでる山頂と聞いてるので気楽です。オーバースピードでコケる方がよっぽど迷惑をかけるので、マイペースで進みます。こうなると景色が目に入り出します。いいところだなあ。
「青山高原」と書かれた道標に指示されるまま、r512に左折。先行車がこの道を入ったかどうか一抹の不安がありますが、青山高原にたどり着くことは確かです。好きな山道が始まります。ヘアピンで高度を稼ぐところもある細道なのでゆっくり上がります。時々、バイク集団や単独バイクとすれ違うので、この道だと確信しますが、やはり一抹の不安が・・・r512に曲がらず、r28の先で待ってくれているのではないかな?
山道が終わり、13:35、航空自衛隊・笠取山レーダーサイトに着きました。ここが山頂なら、青山高原と別の山に登っちゃったのかな?停車して地図確認しました。青山高原への道は2本しかないし、まさか地図に載っていなような道は行かないだろうし・・・GPS見ると、ちゃんと僕はその道上にいるし・・・写真を1枚写して出発。
少し走ると、風車が見えてきました。半分雲の中なので幻想的な風車です。道のすぐ横に風車が林立してるので、これは楽しい。すぐに先行車が待ってくれていました。出会えて良かった。半分ソロツーリングになるんだろうなと諦めていました。それはいいのですが、携帯電話を忘れて来たので、グループと連絡の取りようがありません。心配してるんだろうなと思ってました。
13:45、展望台のあるところに移動し、景色を堪能します。ちょうど雲の下限と同じ高さで、雲の下が目線に見え、下には外界が広がります。しかし10分もすると雲が流れてきて、外界が見えなくなりました。ニンジャ250が4台いました。
「雲の下は雨かなあ?」と声をありましたが、降っても小雨程度なんじゃないかと思いました。青山高原に東側から登ったのですが、南西に下ります。すぐにまた1人旅になりました。小雨が降って来ましたが、カッパを着るような雨ではありません。R165に出ました。「右・津、左・名張」となっていたので名張を選択。少し走り、乗馬施設のところで地図確認停車します。上野で名阪に乗ると言ってたので、この道で間違いなさそうです。1人でも帰れるように、地図でその後のプランを考えます。
少しずつ雨が強くなって来たところでトンネルがあり、その中で皆さん雨宿りをしていました。皆さんカッパを着ています。僕も停まってカッパ着用。GPSを撤収。ウエストバックもリアボックスに収納し、雨対策はバッチリです。更に雨が強くなり、道路が真っ白に見えます。でもそれも短時間で15分ぐらい雨宿りしただろうか、小雨になってきたので出発します。
走りだして5分もせずに山を降りると、雨は止みました。地元産物を売る小型道の駅みたいなのがあり、休憩です。かき氷を食べる時間はあるとのことなので、マンゴーかき氷を注文します。ザラメかき氷だけど、クールダウンになります。西の空は晴れているのでカッパを脱ぎます。着用時間10分?
R165〜R422を走り、R25・名阪国道に乗りました。次は香芝SA集合で、高速国道R25に乗ると、皆さん先に行ってしまいました。交通量が多いので、時々追いつきまた離れの繰り返しです。前のMT01は、追い越しなどでアクセルをひねる時、2気筒の音を残してぐんぐん前に行きます。パワフルだなあ。奈良盆地側の下りになると、かなり前方まで見える国道にも先行車の姿が見えなくなりました。1人旅になると回りが見え出し、時々綺麗な下界の景色が目に入ります。
西名阪道に乗り、香芝SAが近づき、先行車を視界に捉え始めました。僕も待っていてくれているのでしょう。もうすぐ追いつけるなと思いましたが、計器パネルの警告灯の1つにランプが点いてるのに気付きました。ブルーの警告灯です。「え〜何の警告灯?」、エンジンは調子よく回ってるし、白煙が出てる風もなく、焦げ臭くも無いです。でも用心にスローダウンです。また先行車が離れていきます。五感をバイクに集中し、異常を感じたらすぐに緊急停止しようと構えます。「香芝2km」もうすぐだ・・・あれ〜香芝ICが2kmで、香芝SAはさらに2kmだって・・・。
不安を抱えながら、16:10香芝SA到着。エンジン停止。落ち着いて警告灯を凝視すると、なんとライトのアッパー警告灯でした。ウインカー操作時、ライトをアッパーにしたようです。ライトを切り替えると、ちゃんと消えます。「何じゃそりゃ」、このCBでアッパーライトで走ったことがありませんでした。だからここに警告灯が点くことも知りませんでした。僕以外は、皆さんここまでカッパ着用でした。「蒸れた〜」とか「汗で濡れた〜」とか言ってはります。
アイス168円購入。Rさんはぶどうソフトを食べています。とても美味いとのこと。アイス食べる前だったら、僕も食べたかったな。ここで解散です。「お疲れ様でした」。ガソリンメーターが残り1/3になったので、16:39香芝SA給油。279km/11.45L=24.4km/L。18Lタンクなので、満タンで400kmは余裕で走れますね。
西名阪西進開始。あっという間にみなさんが見えなくなりました。松原JCTで渋滞してて追いついたけど、近畿道に乗るとまた消えて行きました。近畿道〜中国道・池田IC下車、17:30帰宅。タオルでバイクを乾拭きし、倉庫にバイクを片づけました。雨が降ったのは一部のみで、他は雨が降った形跡もなくドライでした。
17:55or18:55上映開始の映画を観に行く予定でした。18:55に決めて後片付けです。風呂に入り汗を流します。通勤リード110に家内脱落防止のリアボックスをセットし、映画館に向かいます。夕食を食べてから映画に行くには時間がないので、映画館の下のスーパーでお寿司とサンドイッチを購入。レジが並んでいたので、僕だけ先に映画館に上がりチケット購入します。
18:55・踊る大捜査線・夫婦割引2人で2000円。今回でシリーズ最終だそうです。派生ムービーも含めて面白く鑑賞させてもらいました。21:30帰宅し、急いで布団に入りました。ああ、今日も1日面白かった。

2012/9/3
日曜日は、岡山ソロツーリングに行って来ました。家内の用事が夕方終わるので、20:00から映画を観る約束をしました。逆算して、15:00に岡山県内中国道ICに乗るのがタイムリミットです。こういう日は大抵早く目覚めるのですが、遅れ気味に5時過ぎウェイクアップ。ゴソゴソしてて、出発が5:30を回ってしまいました。高速道路をかなりの距離走るので、招き猫CB400SBを選択。6:06、高速に乗る前に宝塚で給油。241km/9.27L=26.0km/L。Goodです。
本日のメニューは、岡山県西部・山陽道と中国道に挟まれたエリアです。山陽道を西進し、前から行きたかった「吹屋ベンガラ」&「スケキヨの家」、涼しい鍾乳洞「井倉洞」「満奇洞」を梯子して、中国道を東進して帰宅というルートです。備中美作国を楽しみます。宝塚ICから中国道に乗り、西宮北で山陽道にチェンジします。しばらく走ると朝霧の中に突っ込みました。速度を緩めるほど濃くはありませんでしたが、良い感じで楽しめました。
「三木SA」休憩、バイクは僕のだけです。朝カレーで腹ごしらえをしました。8月が終わり、ツーリングの空白期なのかな?ここのGS・宇佐美さんは、セルフでした。高速道路にもセルフの波が・・・。姫路北部低山地帯を走るので、ここらはトンネルが多いです。朝霧かな?と予想していましたが、こちらはそうでもありませんでした。
「白鳥PA」休憩。続いて「龍野西SA」休憩。ここにはバイクが20台ほどいました。2つのグループが集合場所にしてたようです。女性もけっこういます。扇風機ミストが設置されていたので、当たってみます。長い上り下りがある播磨・備前国境を越え、8:46「瀬戸PA」休憩。高速道路は疲れるので、90km/hまで・十分な車間距離・50km目安に細切れ休憩を心がけます。チョコバリ126円購入。疲れ解消の糖分補給・アイスを食べながら、地図を広げてルート確認です。
最初の目的地「羽山渓」へは、倉敷ICの次の「玉島IC」下車、r54北上・r80西進・r35北上・R313を少し西へはしりr300に乗れば、その道沿いです。初めてスマートETCを体験した「吉備SA」を通過し、「倉敷IC」を越えて「玉島IC500m」の道標を過ぎて、「えっと、IC出て右かな?左かな?」とチラチラとタンクバックの地図を見ながら運転してたら・・・「あ〜、通り過ぎた〜」。気づいた時は、降車レーンの最後半でブレーキを掛ければ間に合うかも?とも思いましたが、「急」のつく運転は危ないので自重です。「うが〜、次は何km先だ〜」、幸いすぐに「鴨方IC8km」の道標が現れました。
「鴨方IC」降りて、r64を北上です。地図を見ると、r64に長いトンネルがあり、「玉島IC」降りても、r80で西進するルートがあるので、結果的にこっちの方が早いみたいです。交通量の少ない県道をルンルン北上しましたが、トンネル通らずに旧道の峠道を走って矢掛町に出ました。
R486を少し西進し、すぐに当初の予定ルートr35に乗りました。北上するだけなのですが、前方に高架が見えてきました。「これは」ととっさの判断で高架手前を右折し、「矢掛駅」に向かいました。井原鉄道です。この沿線は見所が多く平坦なので、「夫婦で自転車」の候補地でした。鉄道沿いは、僕らのようなメカ音痴・脚力不足のサイクリングには最高です。最悪、電車に乗って帰れるし、往路自転車・帰路電車ということもできます。駅の小さなロータリーに着くとちょうど1両編成の電車が入って来ました。「う〜ん、いいな」。元宿場町の矢掛駅でも乗降客が少ないので、輪行も楽そうです。
r35を北上です。山に入れば適当に細くなりますが、バイクが気を使うほどでもなく、基本田園地帯を伸びやかに走ります。もちろん交通量は非常に少なく、マイペースで気持ちよく走れます。当初予定のr80が右から合流し、まだまだ北上です。晴れの国岡山は借入が早いのか、コンバインが走り回って稲の刈り取りを始めている田んぼもかなりあります。
R313に出て左折、成羽川沿いを少し走り、r300に乗りました。「羽山渓」までもうすぐだなと思ったのですが、ここから道は細くなり、中央苔の狭路になりました。しかもどっちでも正解そうな分岐点が2ヶ所ありました。1つ目はクリアしましたが、2つ目はフォルトで、切り返しを5回くらいしてUターンしました。
「おいおい、大丈夫か?」とゆっくり走りながらGPSを見ると、しっかりr300に乗っていることを確認できます。右は垂直に切り立った崖で、左は底の見えない細い渓谷でその左も切り立った垂直崖になり、カーブを曲がったら突然前方に素彫りトンネルが現れました。「うお〜」テンションが上ります。渓谷側ガードレールギリギリに寄せてバイク停車。これでも大型車ならギリギリ交わせるぐらいの狭い道です。
カメラを持って、渓谷側を覗きこみます。30mぐらい下に沢が流れています。真っ暗な素掘りトンネルに入ってみると、すぐにトンネルは抜けました。トンネル内でカーブしてるので向こうの光が入ってなかっただけです。もう1つ素堀トンネルがあり、その下が鍾乳洞になってるようです。鍾乳洞内地図が立っていますが、這って入るような高さしかなく、これは大冒険です。とても1人でチャレンジする気になれません。素掘りトンネルは高さがなく、僕のワンボックス日産キャラバンでは天井が心配で、突っ込めない感じです。わんわん蝉が鳴き、最高の場所でした。車など1台も来ず、ゆっくり楽しめました。ここが「羽山渓」で10:56到着。
トンネルを通過し更に北上し、広域農道「かぐら街道」に出たので左折します。バイク友さんに岡山県広域農道ツーリングに連れてきてもらったことがあり、好印象が残っています。この「かぐら街道」も他と同様、交通量なし・適度な広さ・アップダウン・ワインディングの快適路でした。
次の目的地、「スケキヨの家」へはかぐら街道を十分に堪能した後に右折です。案内板が立っており迷いませんでした。「広兼邸」の案内に従って田舎道を走って、カーブを曲がると突然「ドカーン」という感じで前方上方に石垣を積んだ大邸宅が現れました。「うわぁ〜これは凄い」、道路から激写です。
邸宅に上がる道に、幟が並んで立っているので、見学が出来るのかも?バイクで上がると、駐車場があり300円で見学できます。持ち主が11:29、「吹屋ふるさと村周遊券・850円」を買いました。村内の手描き観光地図をもらいました。この地区の庄屋・広兼家は、「ベンガラ」で大儲けして大豪邸を建てたようです。山の斜面に張り付く姿は、山城です。横溝正史原作・角川映画「八つ墓村」ロケ地で、その他一連の横溝正史シリーズのロケ地がこの地に点在しているようです。大満足です。バイクグループも2つやって来ました。いずれも岡山ナンバーだったので、広兼邸には上がってこず、喫茶店や売店で一服しているようです。
頂いた地図をタンクバックに入れ、12:19・笹畝坑道到着。坑道内を見学します。大人200円ですが、周遊券でパス。12:39、周遊パス対象のベンガラ館到着。ここも200円。操業をやめたベンガラ工場が見学でき、ベンガラの出来るまでの工程が分かります。インドのベンガルに名前の由来があるそうです。
12:53・吹屋ふるさと村到着。かき氷の暖簾に惹かれますが、目標の15:00まで2時間なのでパスして、「郷土館」「旧片山家住宅」(400円)を見学し、ベンガラ色の商店街を歩き、「吹屋小学校」に回ります。現役最古の木造小学校だったのですが、去年だったかな?廃校になりました。ベンガラで裕福な町らしく、立派な小学校でした。
吹屋の街並みをr85が通り、西進するとすぐにr33に乗ります。この道も田園地帯を縫う気持ちのいい道で、少し北上してr50に右折・・・あ〜「全面通行止め」です。r50で「中国道・北房IC」に向けて東進しながら、途中の「井倉洞」と「満奇洞」見学を目論んでいましたが・・・残り時間が少ないこともあり、鍾乳洞見学は次回まわしです。
r33を北上、R180を少し南下し、r78に入るとこ新見市長屋モービルで給油。14:07271km/11.39L=23.8km/L。お兄ちゃんが、ETC・車載カメラ付きの僕のバイクを「いいな、いいな」と言いながら給油してくれました。原付スクーター改に乗ってるらしいが、バイクに乗りたくてしょうがない風です。親の反対で乗れないそうです。
r78を東進、r50に合流し、北房ICから中国道に乗りました。14:55、真庭PAハイウェイショップでアイス125円で糖分補給です。下道はそんなに疲れないのですが、高速道はおっかないこともあり疲れます。適度な休憩を入れながらでも3時間の行程なので、18:00には帰宅できそうです。
でも前方北の空に、怪しげな雲がいます。降るかもなあ?と思っているとポツポツ来ました。バス停で緊急停止。車載カメラを片づけます。カッパをどうしようか迷いましたが、行く手が真っ白というわけでもないので、カッパなしを選択。サーっと来ましたが、すぐに止んでかえって気持ちいいです。スクリーンが利いて、高速道では胸に水滴が当たらないので、意外に濡れません。背中は濡れないし、濡れるのは肩と腕ぐらいです。腕も半分スクリーンに守られています。
「勝央SA」休憩。バイク置き場におられた方に、「降って来ましたね」と言うと、僕の神戸ナンバーを見て、「神戸、降ってるみたいですよ」だって。僕が出ようと用意してる時に入ってきたハーレーさんと少しお話。
出るとまた雨が落ちてきました。播磨・備前国境の揖保川PAで雨やり過ごし休憩です。前方の山の北から真っ白な雲が南下してる感じです。あそこに突っ込む前に様子見です。バンディット1250さんに声をかけられました。尼崎の方で、1泊で鳥取島根に行かれていたそうです。リターンライダーさんで、昨年秋に僕と同じドリーム尼崎でCB1100を購入されたそうですが、僕の早朝バイクコースのr12・旧道でこかしちゃったそうで、縁起が悪いと感じられたのかバンディッドに買い替えだそうです。跨らせてもらったらCB400より足つきがいいです。とても静かでお気に入りのようです。
雨雲がやってきて、ザーッと降って来ました。それもあり、長く話していました。小降りになってきたので、バンディッドさん出発。僕同様、陽のある内に帰宅を心がけているそうです。雨が止んだので出発準備してると、さっきのSAで一緒になったハーレーさん到着。「出発してすぐ降ってきたでしょう」って。
17:15、「加西SA」到着。ここでも無料のお水を飲みます。いろんなジュースもあるけど結局喉が渇きます。お水や麦茶が最高やね。ここで電話の電源を入れます。家内からの着信メールあり。「早く終わったの、連絡頂戴」。電話すると、もう帰宅してるそうです。行程1時間+渋滞30分で19:00帰宅予定を連絡する。
ここからは晴れています。宝塚トンネル渋滞10kmとなっていましたが、宝塚ICまで35分と表示されていたので、渋滞に突っ込みます。10kmなのに、停滞することはほとんどなく、イライラすることもなく19時前に帰宅しました。適当に雨に当たったので、涼しく走れました。

家内はスタンバイしています。通勤リードタンデムで映画館に向かい、20:00上映開始の高倉健主演「あなたへ」を観ました。リタイヤ後再雇用中の富山刑務所刑務官の主人公の奥さんが急に亡くなり、奥さんの希望である出身地の長崎の海に散骨しにいく映画です。リタイヤ後奥さんと2人で全国を巡ろうと改良したエルグランドで車中泊しながらの旅です。
高倉健は80才らしいが、いくつになってもカッコいいね。旅の途中で出会う方々の人生行路もかぶさり、素敵な映画でした。終わる時間が22時なので、途中で寝てしまうかも?と思っていましたが、その心配もなく楽しませてくれました。僕ら夫婦も、次はどちらかが残る人生が待っています。「ありがとう」と「さようなら」で、綺麗にバイバイできたらいいな。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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