ウェブマスター日記 2012/7-8

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2012/8/27
日曜日は、先週に引き続き琵琶湖でコーチングです。近畿北陸学生選手権大会・・・学連全日本・近畿北陸予選です。今年の学連全日本は琵琶湖開催なので、開催地枠として1校プラスで上位4校まで全日本出場権利を得ます。
家内の予定は、夕方から神戸後発のディナークルーズです。明石海峡大橋の下まで行くはずです。豪華版だな。3日間レース最終日なので、早く帰れそうだから高倉健の映画を誘ったのですが、振られてしまいました。次の日曜日はOKそうです。
こうなるとレース後のツーリング込みということで、バイクでグイーンと行きたいところですが、ウォータークーラーという荷物があるので仕方なく車です。6:18、近所のコンビニで「ミネラル麦茶199×2+朝食用エビマヨおにぎり110円+氷1.1kg242円」購入。名神を走って柳が崎YH到着。
応援のOBが数名、運営OBも数名います。3日間・10レース予定ですが、2日間で8レース終了しており、3位リッツさんと30点差の4位です。リッツさんにいつもの勢いがないので、3位に上がりたいものです。
今日も朝から風があります。定刻に出艇。R9、北風3m/s。3艇とも本部船寄りでスタート即タック。ある程度バラけてきたところで4352タック。しばらくフレッシュウインドで走れるいい選択です。数十艇身走り4010タック。中央手前まで寄せるが、西の集団に北からのブローが入り前をかわせずタック。この状況を見ながら、そのまま右(東)に伸ばしている4250が心配になる。たっくするタイミングを逸して最終見通し付近まで右に出た4250がタックした時点ではビリも覚悟の位置です。ここで西のブローが落ちてきました。今度はスターボが上りだし、4010と4250が復活しました。上下レグで、ショートレグを先に走り先行集団の西側に出た4010のレーンにいい風が入り、7位フィニッシュまで上がりました。コーチボートに戻ってくるレース艇に、冷たい麦茶を振る舞いながら気づいたことをアドバイスします。
最終レースですが、時間はたっぷりあります。120度の東風で安定したので、思いっきり遠くに上マークを打ちます。2回ゼネリコ、最終レースなので一発逆転を狙ってスタートラインギリギリを狙う下位艇の入れ込みが原因でしょう。3艇とも中央〜本部船からクリアエアーでスタート。先週のレースより明らかにスタートが上達しています。落ち着いてフルセイルのタイミングまで船を止める余裕を感じます。
下10ぐらいでスタートした4010が、クローズちょいベアでフルセイルして加速し、号砲クローズの抜群スタートです。すぐに下艇を上突破し、更に前の挺も上突破するスピードがあります。下先行でタックしてくる艇もことごとくスターンをかわしていく。それを受けてタックするというトップ艇コースです。右奥に行く対処の仕様が無い艇との勝敗はわかりませんが良い感じです。スピードのあるD社2艇に負けて1上3位回航。結果、6・7・8位でレース終了。リッツさんに15点差まで迫ったけど4位は変わりませんでした。
ハーバーバックし、ミーティング後帰路につきます。駐車料金300円。14時台に帰宅しましたが家内はもう出発しています。日はまだ高いので、バイク装束に着替え里山VTR250で出動。
お題は「六甲山に行こう」。小浜交差点から武庫川を渡り、市役所北の公園脇を走ってると「氷」の屋台が出ています。チラ見したら、昔のかき氷の機械のようです。一気にかき氷熱が上がりました。逆瀬川からr16で登ります。
勾配が急なとこもあるのであれだけど、楽しく上りました。一軒茶屋に「氷」暖簾が下がっていたので、逆瀬川で火がついた僕の「かき氷熱」を冷ますべく寄りました。「16:30までですがいいですか?」。時刻は16:05。お客さんは誰もいません。山登りの方の憩いの茶屋だけど、お昼前後がピークでこの時間はみなさん下山した後ですね。子供の頃のふわふわかき氷ではありませんでした。あのかき氷はどこに行ったのだろう?
六甲山で一番繁華なガーデンテラス目指して西進します。前後に車なくマイペースで走ってると、羽のようなデザインがタンクに施されたからCBRだと思うバイクが追いついてきたので慌てました。カーブの連続とイエローラインで下手に左ウインカー出して正面衝突なんてなったら大変だし。といって速く走れないし・・・少し直線のあるとこで抜いてもらいました。下手っぴな僕を焦らせないように、車間距離を開けてついて来てくれました。それとも、「こいつ、こけるかも?」と思って安全距離を保ったのでしょうか?かっこ良く左手でサンキューサイン出しながら抜いていったけど、僕より数倍鈍足な車に引っかかって追いついてしまいました。山頂駅まで行列走行でした。路肩がないので離脱して間を置くことも出来ません。
ガーデンテラスの方に曲がるとすぐに駐車場渋滞です。2台車を挟んだ前にタンデムスクーターが並んでいますが、バイクの特典で前方に出てみます。係の方がさらに先に行くように指示・・・駐車場への誘導コーンが並んでいますが、その向こうのかかりの方が手招きされるので、コーンの間を突破すると二輪駐輪場がありました。車は500円だけど二輪は無料です。駐車代かかるならUターンしようと思ってました。
カメラ持って、テラスに出て外界を激写。空気が澄んでて大阪平野を囲む高槻茨木の北摂の山・京都から流れる淀川の切れ込みを経て生駒の山並み・金剛山系と綺麗に見渡せます。僕のお遊びフィールド大阪湾もクリアです。
そういえば・・・ここで買ったクリスタルカエルをVTRのブレーキフルードボックスの上につけていたのですが、なくなっていました。また買おうと同じ店に入りました。16:38、ビードロショップ・プリズムで「金パックアニマル・亀L840円」を購入。前回は、「必ず帰る」に引っ掛けてカエルでしたが、今回は今までどおり「鈍足カメに徹します」に引っ掛けます。
六甲ワインや六甲ぶどう酒がありました。ワインとぶどう酒はどう違うのかな?ぶどう酒の方が美味しそう。ぶどうジュースがあったらお土産にしたけど・・・。
六甲山ホテルの方に行ったら、どんなお店があるかな?と更に西進。オルゴール館に寄ろうと思ったら駐車料金徴収ハウスがあるのでパス。バイクもいるのかな?植物園とか色々寄りたいけど、都度駐車代がかかるとなあ。勾配があって道が狭いので思案する時間がありません。要下調べ。
六甲山ホテル付近は何だか少々静かです。昔はもっと人が歩いていたような。お店から出てきたおじさんとうお若い女子カップルが、黄色のフェラーリに乗り込んでいます。あんな派手な車によく乗れるなあ・・・僕は恥ずかしくて乗れないわ。買うお金もないけどね・・・いや維持するお金もないわ。
ここから神戸に向かって下るのでUターンです。来た道を戻ります。日曜の夕方なので車が多く行列でクネクネ部を走りました。う〜む、やはり早朝がいいかも。宝塚市役所横の公園であの氷屋台を探しました。氷のれんは下がってるけどお片づけ中です。ふわふわかき氷を食べたいなあ・・・
バイクを倉庫に片づけ、通勤リードに乗って「チャーハン定食・こってりラーメン大」を夕食として食しに「天下一品」に行きました。いつものように「こちら亀有公園前派出所」を読みながら、美味しくいただきました。
ガチャガチャ・・・門扉の開く音です。玄関まで飛んでいき、家内を出迎えました。「予選、通ったの?」「うん」に始まり、お互いの今日の出来事をうだうだ話し、NHK「フローズンプラネット」の驚異の映像を見ながら眠ってしまいました。

2012/8/20
日曜日は、琵琶湖に近畿北陸ヨット選手権コーチングに行きました。次男も出場しているので、6:15夫婦で出発です。まず近所のコンビニで、氷2.2kg+麦茶3L=1233円を購入。キャンプで使ってた6Lウォータークーラーに突っ込んで選手サポートの用意をします。
ここ数日と同様、朝から上天気なので、連日続く午後の夕立を予想しながら名神を東進します。京都東〜大津IC間で事故のようで3km渋滞の電光掲示があったが、渋滞最後尾が京都東ICほんの手前だったので、登坂車線+IC出口車線を利用して難なくクリア出来ました。
柳が崎YHに着くと、朝から北風があります。「どうせ風待ちだろう」と予想していたのですが、朝からレースができそうです。大学艇庫に下り、マネさんに差し入れの缶詰を渡し、出場するOBくん達や監督さんとおしゃべり。
8時にAP旗が上がりますが、予定通り8:30出艇で行けそうです。大会本部に成績表を見に行く。立命館艇庫前から母校KGがレース前練習のために出艇していきます。土曜日は1レースのみで、次男は20位/50数艇。まだ1レースとは言え、現役レギュラーが3艇ともその後というのに、複雑な気持ちです。なんせクルーがまだ入部した手の1回生だからなあ。
8:30にAPが下り出艇です。家内は京都永観堂にお墓参りに向かい、僕は監督さん・マネさん・部員とともにレスキューです。家内の次男の名前を呼んでの応援の声が聞こえています。後輩たちがたくさんいる中、次男もそれに応えています。いいね。5月のレースではコンビを組んだ次男同期のI君もスキッパーで湖面に出ていきます。300mmを付けた一眼レフで激写。
R1。北風2m/sほどでスタート。号砲同時全艇タックというアウター有利のスタートラインでレギュラー3艇とも本部船寄りスタートです。確かに混んでないので楽にスタート出来るが、上マークまでの距離の無さを考えると、スタート時点での最後尾スタートはいただけない。闘争心が・・・
次男は中央下寄りから号砲タックスタートでポートレグの走り合いです。艇団とともに上マークまで上がりますが、レース前練習ではスピードアドバンテージが感じられなかったけど、良いスピードで並んだ走る艇たちから抜けていきます。いっこも練習してないのに凄いな。15番ぐらいで上マーク回航。
レギュラー3艇はスタート時のマイナスが大きく、スターボに返して左展開艇団に寄せるも前を切れるわけもなく、右端のみしかコースの選択肢がない苦しい展開です。
フリーレグの次男艇は、スピンが綺麗に展開できず抜かれまくりです。フィニッシュ後聞くと下マークではビリ回航したそうです。結局ビリから10番ぐらいでフィニッシュ。フリーの遅い中、よくクローズで上がったものです。レギュラー3艇とも下位に沈みビリから20番ぐらい。コーチボートに戻ってきた選手に、下有利を感じた時期を聞くとスタートラインに並び始めた時とのこと。まだ2分はあったのだから、フルセイルでより有利なアウター目指して走らないと・・・闘争心が・・・
R2。このスタート前に、スナイプOB艇が寄って来ました。なんとキングストーンが抜けていたそうで水舟状態です。急いで曳航しハーバーバック。ハーバーで20分ぐらい水抜きに時間がかかりました。
レース海面に戻るとすでにレースは終盤です。次男が20〜25番ぐらいでフィニッシュ。下〜フィニッシュで逆から風が入ったようで、随分抜かれたと笑っています。今度はクルーのスピンがマシだったようです。1レースごとにぐんぐん上達する1回生だから、なにかポイントを掴んだかな?R2前、スピンポールが低いとアドバイスしたのも良かったのか・・・まあ次男がクルーの技量を把握し、風の入りやすい位置で走らせたのでしょう。レギュラー3艇はその後にフィニッシュ。う〜む。
R3。スタート号砲1分前。2回生レギュラースキッパーMさんが本部船側でポートで走っています。第一線から落ちてしまいスタート位置を探しているのかもしれません。第一線スタートを諦めて、早めの右展開で集団から離れる切り替えを早くしたら良かったけど、スタート後スターボで20艇身ほど走ってしまい右展開が遅れたかな?
次男は中央付近で常に第一線をキープし、早めのフルセイルで綺麗に出ていきます。さすがに上手い。トラブルがない限り上マーク15位までには来るでしょう。トップ艇がサイドマーク回航してすぐ、瀬田方面にあった優勢な雨雲が湖面に出て近寄って来ました。北風と南東風との勝負です。
より瀬田に近いスタートラインでは、スナイプのスタートがおかしくなってるみたい。上マークに向かう470ビリ数艇がスピンを上げはじめます。サイドマークから下マークに向かう470も北風を受けてスピンランなので、遠目では琵琶湖特有のスピンを上げた艇同士のすれ違いです。
南東風の方が優勢で、470先頭からスピンを下ろしクローズになっていきます。スナイプスタートはキャンセルされたようです。第3マークを回った470が豪快なアビームスピンランで僕らのいる第1マークにかっ飛んできます。10m/sオーバーのブローなので沈艇が出そうな展開ですが、ここで運営艇にN/Hが上がりました。ノーレース&ハーバーバック指示です。
さてトラブル艇を見落とさないように艇団の最後尾を追いかけながらハーバーに向かっていると、本部船にL旗が上がり停止しました。「我に続け」です。積乱雲の突風が抜けたので、次のレースに向けて湖上待機のようです。
ここから15時過ぎまで長い待機になりました。南東の瀬田・東の近江富士・北の琵琶湖大橋、3方面から代わる代わる大雨を伴った積乱雲が琵琶湖に入ってきます。雷が鳴らないのが不思議なくらいです。基本の風向は北のようですが、積乱雲が入るたび風向が変わり、マークも打てない状況で、15時過ぎN/Aが上がりました。「本日のレースは終了」。混乱のうちに終了した470最終レースは、選手へのコールで混乱が生じたようで、第3マーク回航順位で成績確定したようです。
何度も湖上から家内に状況を電話していましたが、ハーバーに戻ると家内が待っていました。閉会式の前にミーティングしてハーバーを離れました。次週は学生全日本出場をかけた予選です。次男は、体調管理・整備の話をしました。僕は体調管理(数日のオフも含めての就寝時間)と闘争心の話をしました。
帰路も名神ですが雨が降った気配がありません。よく雨の降る中国道豊中丘陵に入って道が濡れています。我が家付近も水たまりが残っているので、ついさっきまで降ってたみたい。
まだ17時なので、かき氷を食べに行きました。早朝バイクでいつも通る道に気になるパン屋さんがあり、確か「氷」の暖簾が下がっていたはず。「ル・クロワッサン宝塚山本丸橋」で、ぼうしパン・半熟たまごカレーパン・メロンパン・黒豆パン・ショコラバケット808円を2人で分けて食べ、僕は更にいちごかき氷189円を追加注文しました。17:20、お店を出て帰宅しました。ああ楽しかった。

2012/8/16
8/12日曜日は、お盆休みの初日です。土曜日遅く帰省した次男は、夕方から小学校の友達とワイワイやるそうで、食事だけ作って置いておき夫婦でお出かけです。
去年もお盆休みにスクータータンデムで、亀岡から北山回りで貴船・鞍馬と回りましたが、今年も回ります。去年貴船神社周辺がとても混んだので、芦生に回ることにしました。
7時に出発です。池田からR173・R477で北上します。R372を少し西進しr73・r452で八木に出て、8:32八木の出光で給油。183km/4.06L=45.1km/L。
ここからR477を東進し、京都北山の山道突入です。廻り田池・神吉を過ぎて、いよいよ山道本番ですが、何度も走ってるので慣れてきたのか、特に苦もなく京北町周山に出ました。道の駅にバイクを置き、サン・ダイコーにアイスを買いに行きます。9:44、ガリガリ君ソーダ購入。家内はもっといいのを買ったので、締めて196円。駐車場に100円ショップがオープンしており、拡大鏡105円を購入。
R477を桂川に沿って東進。去年は、上空をパラグライダーが飛んでいたけど、今年はなしです。風が強いからかな?でも去年同様、鮎釣りの長い竿が川に動き、交通量の少なさも相まって気持ちのいい道です。r38に入り、「花背交流の森」通過。ロードバイクがたくさん止まっています。R477では自転車も気持ちよさそうに走っていました。影のない道ですが、勾配が殆ど無い道なので、僕らでも走れそうです。
広河原スキー場前で休憩。冬場営業しているのか?怪しいスキー場ですが、ゲレンデの草は伸びていないので手入れはされているようです。佐々里峠を登ります。
峠の停留所で休憩。地図を見ると、京大芦生演習林管理施設までの道があるようです。どれぐらい時間がかかるのだろう?一度歩いてみたい演習林ですが、迷子になるのが怖いです。「山岳遭難が多発しています」「熊に注意」とか思いっきり脅かしてくれてるし・・・。僕らと一緒に駐車場に入って来た車から、大きな網を持って男性が山道に入って行きました。「研究者さんかな?」
家内の要望で、かやぶきの里から自転車で演習林まで走った時に寄った芦生のお蕎麦屋さんに寄りました。芦生の森は、淀川になって大阪湾に注ぐ桂川と日本海に注ぐ由良川の源流です。その由良川に面してお店があり、のどかな景色がご馳走です。愛想のいいご主人ご夫婦と話しながらお蕎麦定食を食べました。11:30だったのでこの日初めてのお客さんだそうで、自家製トマトを前菜にいただきました。ご主人に聞くと、1時間半あれば佐々里峠から京大まで降りてこらえるそうです。
かやぶきの里を通過し、r19で園部、R477で池田まで。途中ときわ台の桜谷軽便鉄道の門が開いてたので寄り道しました。「次の運転は9/2だそうです。う〜ん、かっこいい」。

8/13
前日真夜中に長男夫婦が東京から車で帰って来ました。一家で家内の実家のお墓参りです。7時を過ぎて家を出たので、中国道沿いのR176から混んでいます。コンビニで僕ら以外朝の遅かった子供らの朝食を調達し、宝塚ICに向かいます。朝の早い僕ら夫婦だけなら朝5時台に出発するので、こんなに混む経験がありません。いつもならたった5分ほどの距離を20分ぐらい掛かったと思います。
高速に乗ると、渋滞のネックの宝塚トンネルが目の前なのですぐに渋滞解消です。中国道・山陽道を走って三木SAで休憩。小野ICで降りて、お墓到着。お墓も混んでいました。駐車場がいっぱいです。こんなお墓を見るのは初めてです。チビの頃から年4回のお墓参りを欠かさなかった息子たちは段取りを心得ており、僕らの出番はありません。線香などのお墓参りセットを用意するだけでいいです。まあそれも家内担当なので、僕の出番はありません。
ここからヨットに乗る予定だったのですが、お嫁さんのお腹が大きいので却下になりました。第一子誕生の長男は、より慎重です。そこで用意していた第2弾登場です。「書写山円教寺」お参り。ここは次男の名前を拝借した方の菩提寺です。
息子達の名前は氏宮でご近所天満宮でつけてもらいました。僕の小学校同級生のお父さんでもある宮司さんに、僕の名前の一字を入れる条件を出して依頼しました。10ほどの候補から選ぶのですが、長男に僕の2人の祖母の読みが入るという120点満点の先祖のご加護の名前を付けたので、それに匹敵するのは難しいです。
そこで歴史好きの僕は、いろいろ調べました。徳川家康家中最高の武闘派本多忠勝の長子で播州姫路城主の名前の読みをいただきました。これまた家康側近中の側近・青山家の篠山藩主の名前と同じです。更に調べると、青山さんの息子に、僕の名前を長男の名前が見えます。昔から天運を運んでくる字数で命名すると、同じ組み合わせになるようです。
地道をゴソゴソ走り、姫路に向かいます。家内の父親が生まれた実家のあった小山の横を通り過ぎました。ここのお山にあった城の姫様が、秀吉の側近黒田官兵衛の正妻さんです。クリスチャンであった官兵衛は、生涯側室を持たなかったとか。
姫路北方の景勝地・書写山到着。お盆なので混んでいるのを覚悟でしたが、通常の日曜日より少ないぐらいです。書写山ロープウェイ900円に乗ってしばし空中散歩です。ここから小山に入るのに500円必要です。さらに往復バス代として更に500円。この料金が、お参りのお客さんを減らしているのかな?
バスに揺られて10分ほどで摩尼殿下に到着。13時なのでここで昼食にしました。なぜかみんな熱いうどんばかり注文し、そうめんを注文した長男だけが涼しい顔です。
摩尼殿に参ります。長男夫婦が並んで手を合わせている後ろ姿を見ながら、なんだか嬉しい気持ちが湧いてきます。山道を5分ほど歩き、映画ラストサムライのロケ地になった「3つの堂」に向かいます。相変わらず枯れたいい雰囲気です。
うどんを食べた食堂に、今度封切られるここがロケ地になった映画のポスターが貼られていました。僕以上の読書好きの長男は原作を読んだそうで、面白かったとか。要チェック映画です。前回入場料が必要で入らなかった食堂に入ってみます。・・・お〜無料になってる。天台宗の古刹らしく、立派な仏像が多数展示されていました。ここは値打ちがあります。
横にある本多家の御廟訪問です。次男の名前を拝借した初代の御廟を次男が写真に撮っていました。どんな気持ちなんだろう。自分の名前のルーツをはっきり知るのはいいことじゃないかな。長男も、「名前は僕がつける」とまだ見ぬ第一子誕生に張り切っています。
鐘楼・展望所・奥の院を回ります。ここで家内から、「お父さん三脚持ってきた?」「・・・」。こんな事もあろうかと手抜かりはありません。ヒップバックから三脚を出して、次男にタイマーセットなどしてもらって家族写真を撮りました。
ロープウェイ山上駅までの下りは、前回同様歩きです。家内とお嫁さんはバスです。前回も亡き母と一緒だったので、家内は付き添いバスでした。姫路城が描かれた田んぼアートを絶景ポイントから激写しバス停に着くと、10分ほど待ったとか。じゃあ歩きで15〜20分というとこですね。

8/14
8時にお寺さんが我が家に来られる日です。早朝に大雨が降り、高槻で1時間に100mm降ったとか。京都宇治が浸水し、大山崎豪雨で新幹線新大阪京都間が普通、京滋バイパスも土砂崩れ通行止めになってしまいました。
5分前に弟家族登場。でも時刻の8時になってもお寺さんは姿を見せません。いつもなら5分ほど前に来られるのに。きっと大雨の中檀家回りをされて、遅れ気味なのでしょう。30分遅れで来られ、端折って、「お焼香は後でしておいてください」という言葉を残し、お盆法要が終わりました。8時の時点で30分遅れだから、巻きで回らなければね。
我が家のお墓に向かいます。弟が前に向かい、僕らは傘を忘れたので取りに戻ったり、GSに寄ったりで15分は弟を待たせたと思います。お花も掃除も弟家族がやってくれたのですぐにお墓参りも終わりました。
次のメニューは有馬温泉です。ニジマス釣りをする予定で兄に電話すると、みんなでご飯を食べようということになりました。r12・r319・r323・r37・R176・r82・r98で11時にマンション到着。1時間早いので、マンションの部屋で兄の用意してくれた「赤ちゃんの皮膚病DVD」でお勉強です。お嫁さんは真剣に見ていました。世の中の全員のお母さんがこんななんだよな。子宮内の胎児の写真を見せてもらいました。僕らの頃も家内は産婦人科で見せてもらったが、今は写真でくれるんだな。もう頭・手・胴体が分かります。オチンチンは・・・不明。
姪が子供2人連れて有馬温泉駅に着いたので、有馬六彩に移動です。早朝の豪雨でJRダイヤに影響が出ているらしく、電車が大幅に遅れているそうです。兄夫婦・姪家族3・僕ら夫婦・長男夫婦・次男・弟家族4と大所帯です。兄が全員にコース料理をおごってくれました。僕ら夫婦とバイキングする時は割り勘なんだけど、ここのコースの時は払わせてくれません。高いんじゃないのかな?兄は僕ら家族が気楽なんでしょう。お互いの子供が同じぐらいの年齢で、いろんな所に2家族で行ってたから、僕ら夫婦と本当の兄弟以上に気軽に付き合ってくれます。家内と姉姉妹の仲がいいのも影響してるんだろうな。
13時半に食事を終え、マンションの片付けをする兄夫婦を置いて有馬マス釣場に向かいます。まず駐車料金500円、入場券大人150円、そして貸し竿1000円(3尾料理付き)を6本。家内は会計に奔走してます。僕の子供の頃の体験から、マス釣りなんて入れ食いで簡単と思っていたら、返しのない針なので針には乗るけど不本意リリースの連続です。微妙に針が外に曲げられていると見えたのが原因だと思う。でも4尾目から追加料金が発生するのでこれでOKです。本日の釣り人チャンピオンは姪の長女9才。釣果の半分は釣りました。14:52、有馬ます池で唐揚げにしてもらい、3家族で分けてマンションに戻りました。弟家族が徒歩になったので、うちの車に全員乗って帰りました。距離がそれほどないので徒歩でも車でもあまり変わりません。
次男と長男が、ちびさんたちのサポートに回っています。2人とも子供好きなので、盛り上げてくれています。ちびさんたちは大はしゃぎです。次は家族で釣りに来るかな?息子たちの上手なちびさん扱いを話すと、家内が「お父さんにああしてもらったからね」だって。ふむ

8/15
長男夫婦は14時に家を出発する予定です。次男は琵琶湖でヨットの練習です。また全日本予選に出るそうです。ということで僕は用事がありません。「あのさあ、どっか行ってきてもいい?」「いいよ、行っといで」の了承を前夜もらい、4時半に目を覚ましたので、そのまま招き猫CBで兵庫県北西部を目指します。
長尾山トンネル・r33・r68・r49で篠山盆地に下ります。r77に乗り、篠山川沿いを西進します。JR福知山線・篠山川渓谷がいい眺めです。恐竜発見場所で休憩し、水力発電所遺構で自動音声説明を聞きました。
JR谷川駅を過ぎ、r86に乗り換えです。「岩尾城址」の看板を見つけました。石垣がしっかりと残るとどこかで読んだ記憶が・・・もちろん寄り道します。地図を確認。城のある山塊を一周する道路があり、より城に近いところを通る道に登城口があるだろうとゆっくり進みます。しかしどこにも案内板がありません。結局一周してしまいました。赤い鳥居が見えたので、手がかりでもあればと寄ると、ビンゴ「岩尾城址(蛇山)2080m」の看板が立っていました。
山道に入り、いくつか鳥居をくぐると小さな祠があります。更に登ると石仏様がおられる石祠がポツポツとあります。山頂までこの調子であると、楽な道を想像しましたが、藪化が激しく道をロストしそうです。藪蚊も寄ってくるし、蜘蛛の巣折れ枝を振り回しながらの2kmはキツイなと思い、ここで断念しました。帰宅後調べたら、ここは大手道のようですが、近くに小学校があり、その裏手から登るのがポピュラーのようです。
当初、氷ノ山・鉢伏・神鍋の高所林道を予定しましたが、雨は落ちてこないものの怪しげな雲が風に流されています。ちょっと高い山の山頂は雲に隠れ、道は雨の跡がありありとしています。ここで長男の出発時間14時前に帰宅することにしました。長男出発後、家内が一人だし。
R427に出て、r8とかr143とか気の向くまま寄り道し、目についた小さな神社にお参りします。おトイレがあったので拝借。拝殿には「五神社」と掲げられていました。このお宮の前の田んぼの緑が見事で、低山とマッチしています。
「道の駅かみ」目指して、R427を北上します。ツーリングマップルで快走路指定されている通り、交通量が少なく快適な道です。「道の駅かみ」到着。目の前に「青玉神社」という雰囲気のいいお宮がありました。杉の大木が林立する鎮守の森を有する神社は相当な歴史がありそうです。本殿横に文化財指定の千年夫婦杉があり、それと比較しても600年・700年の大木に守られたお宮のようです。
10:01、道の駅に戻りアイス126円購入。横の川にかかる橋の上で食べました。雲の流れが早く、小雨が降ってきたり止んだりです。北上し、北近畿豊岡道に沿うr7を南下します。ここでさっき道の駅で一緒だった白いKUOTAロードバイクを追い抜きました。「道の駅あおがき」でまた休憩。大阪ナンバーの荷物満載のロングツーリング仕様カブが後から入って来ました。小腹が空いたので、5個入り500円のコロッケ購入。まだ暖かく美味でした。ロードバイクが2台休憩中。
更に南下し、R176に乗り篠山へ。r77・r49で永沢寺横を抜け、わらび餅屋へ。営業中で混んでそうもありませんでしたが、気になっていた「バイカーズカフェ・虎亀」でアイスコーヒー休憩しました。先客はハーレー2台。僕と入れ替わりにハーレー3台。目の前に閉店したハーレーショップがあるからかハーレー率が高いお店でした。
13:30帰宅しましたが、長男たちは12時頃出発したようです。家内が張り切って後片付けをしています。「二料山荘」にでも行こうかと思っていましたが、長男夫婦が泊まった隣の実家を片付け中で自重しました。
風呂に入り、そうめんを食べTVを見ていると、片付けを終えた家内が飯島直子の自転車便のDVDを観ようと言って来ました。「ガッテンだ」、しばらく鑑賞。ホイチョイムービーの映画はいいです。「私をスキーに連れてって」も持っています。
ロイヤルホストに繰り出しました。僕は和風スパ924円+いちごミルクかき氷504円、家内はおかゆ766円。18:37会計を済ませ、お盆休みが終わりました。ああ楽しかった。
あとは次男が身を固めてくれれば。お墓に向かう途中の車で、長男が次男にいつ会うって、次男GFさんを交えて4人出会う約束をしていました。学生時代から付き合ってるのにまだ結婚しない次男たちに横から援護射撃するのでしょう。僕も弟にいろいろしたけど、長男は頼もしいです。

2012/8/6
日曜日はドラゴンのレースでした。当初の予定では上がりだったので、琵琶湖の大学練習に参加するつもりでしたが、メンバーの体調不良で急遽レースメンバーになりました。オーナーS先輩がやっと上がりで、クルージング艇でのんびり須磨方面です。病み上がりでもあり、今年はゆっくりして欲しいと思ってました。
8時出発なので、早朝活動ができず、庭の雑草との格闘をやり、やっと庭を一巡しました。2週間で1巡なので、最初格闘したとこの雑草は既に復活の兆しです。この時期エンドレスなので達成感が得られないのが参るな。
ハット・カッパ・サングラス・セイリンググローブ、コンビニでお茶・カフェオレ・水を調達し、通勤リード110で浜に向かいます。陸置きヤードに着くと、もう他メンバーさんがおられ、艤装が始まっています。台風の影響で珍しく東風が入っています。朝から8m/sぐらい吹いています。東なので波は小さいですが、体力勝負になりそう。
10時を回り、出艇です。この日のポジションはバウクルー。いつものレース海面は、既に学生たちに陣取られています。県連のポイントレースのようですが、夏休みに入りインカレ予選に向けて各校気合が入っているようで、参加艇数が多いです。湾内西海面でもレース開催のようで、ヨットレース花ざかりです。赤灯台付近にスタートライン設置で、県連レースとの間の短めのレース海面になりました。スタート前、先輩方の乗ったエ号がいましたが、須磨に向けて去って行きました。
R1。遅れ本部船寄りスタートでタック。右海面を使い上マークにアプローチしますが、左寄りの方が風が良かったようで5位回航(全6艇)。先行艇の上マーク付近団子に漁夫の利を得て追いつき、1下マークはテールtoノーズで5位回航。ここからが大変でした。スピンのセッティングミスがあり、クローズでバウデッキでスピンと格闘です。これでオーバーセイルしてしまいビリになりました。結局直せず、次のランニングレグでスピンを半分上げてまた格闘です。ここですんなりトラブル解消できましたが、ビリフィニッシュになってしまいました。
R2。本部船寄りスタート右海面の予定でしたが、トップスタートが切れたので、そのままスターボで伸ばしました。左からのブローラインに乗ってからタックを返し、1上トップ回航。朝吹いてたので古いスピンをセットしていたのですが、風が落ちてきてランニングのスピードがイマイチでJPN28に追いつかれます。でもクローズのコース取りが良く、レース終盤までデッドヒートを繰り広げました。
R3。R2同様の位置取りでスタートを待ちましたが、遅れ上1スタートです。真ん前のJPN35が、その前のJPN28のために走りにくく、僕らより先にタックして右海面に抜けて行きました。僕らはそのまま左海面に向かいますが、どんどん風が上りに振れていきます。JPN35がダントツ気味になるが、上りレグなので他艇は誰もタックできす左のブローに期待です。
左からのブローに入り下艇から順にタックし、僕らのスターンを抜けていきます。最後に僕らもタック。予想通り今度はポートレグが上り、上マーク付近ではオーバーセイルまで風が変化し、JPN28に抜かれました。ダントツJPN35に続いてJPN28、僅差で3位回航です。ランニングはクローズレグの左(ランニングの右)からラのブローに期待しノンジャイブで右に出します。これでJPN28を抜きされました。でもランニングスピードがイマイチで、再び逆転され下1を3位回航。
左海面の最後のブローを期待しまた左へ。JPN28がひつこく抑えてきます。左海面を使ってフィニッシュアプローチですが、最後の右海面を一本コースで突っ込んだJPN46にやられてしまい4位フィニッシュ。
月1のポイントレースは、8月が暑くて最も過酷です。でもこの日は割合雲が多く、周辺の陸上を見ると、2〜3の小さな雲から雨が落ちてるのがわかる天気でした。2度ほど雲が海上にも流れてきて小雨でクールダウンでき、楽なレースを過ごせました。
次男の兵庫ジュニア同級生のたばたさんが、ロンドンオリンピック女子470級に参加しています。ちょうどレース中で、楽しんでもらいたいものです。
15時を回り、ポイントレースのレース艇とともにハーバーバックし、解装して家路に着きました。この日の家内は、仕事関係の宴会で帰宅が遅いです。帰宅してすぐ、土曜日の夜近所の盆踊りで手に入れた焼きそばを食べました。寄付したので金券をもらっており、焼きそば5人前と交換していました。
食べ終わってもまだ外は明るい。かき氷でも食べようと、通勤リードで出かけました。「氷」ののれんが下がってるお店を探しながら、お店さえまばらな大好きな北摂里山地帯を走っていました。
西谷のGSで給油。225q/4.2L=53.6q/L。これで小銭を使いきってしまったので、自販機でジュースを買うこともできず、かき氷を食べられなかった失意の中、十倉まで北上後帰路につきました。家の近所のファミレスに寄ればかき氷を食べられるのですが、どうもおばちゃんがやってる小さな食堂でおしゃべりしながら食べたいので1時間も北上してしまいました。
20時過ぎに帰宅し、22時頃家内からのお迎え要請電話で駅まで迎えに行って日曜日が終わりました。ああ、楽しかった。

2012/7/30
日曜日は、家内とタンデムで舞鶴に行って来ました。最初「大台ヶ原タンデムツーリング」の予定でしたが、KEKEさんの夕張メロンパフェが食べたくなり前日に予定変更しました。前々から家内が「舞鶴に行きたい」と言ってたので一石二鳥です。
ざっくりルートを決め舞鶴往復の距離を計ると360kmもあります。往復タンデムは家内に負担を強いるので、片道帰路のみタンデムに決め、予定を家内に渡しました。僕はR173で自宅から89km(3時間)北上し、家内は6:14乗車・福知山経由で8:43綾部駅着待ち合わせです。
いつもそうなるのですが、家内とお出かけの時は楽しみで目覚めが早いです。2時台に目覚め、次は4時に目が開きました。早朝ツーリングなら篠山の北まで行けるのに・・・と思いながら次の目覚めは5時でした。
ここからゴソゴソ用意し、5:50家内を後ろに乗せて家を出ます。駅で家内を降ろし北上開始です。横目で見た「道の駅・能勢くりの郷」には数台のバイクが・・・ツーリングの待ち合わせでしょう。
R173篠山に下りる恐怖の縦溝をこわごわ通過し、6:49・ローソン篠山安田交差点で、最初の休憩です。手巻きエビマヨ110円+カチ割りレモン158円を購入しました。駐車場でエビマヨを食べていると、待ち合わせバイクが数台入って来ます。ウォータージェットを牽引した車が2台やってきて、背中がガバっと開いた目のやり場に困る女子を2人排出します。トイレ休憩のようですが、幸せそうな腑抜け顔になってる運転手と交代したいぞ。
気を取り直して再び北上開始。ここから北のR173は快走路で交通量が少なくなるので快適です。高速車が追いついてきても、左ウインカーであっさり抜いていってくれます。「道の駅・瑞穂の里さらびき」をチラ見しましたが、駐車場にバイクの姿が数台。R9を越え、山内一豊の親父が生まれた「三ノ宮城址」を過ぎ、「質志鍾乳洞」を通過。この暑い時期は、鍾乳洞が涼しいでしょう。R173もトンネルに入る毎に涼風で天国気分に浸れます。
綾部手前の峠で、ルート確認休憩します。綾部駅は初めてなので、その回りがどうなってるのか、次のr8・r9へのアプローチがどうか見ます。通勤リード110の前バスケットに入れておいたフローズンかち割りレモンを飲んでみます。少しずつ溶けて、それを飲むのでいつまでも冷たく飲めます。「ん?結構早く溶けてるな」。
8時前に綾部駅に到着。家内到着まで1時間もあります。家内に電話を入れると、まだ福知山線春日の「黒井駅」とのこと。赤井氏の黒井城址に登った記憶が蘇ります。バイクを歩道に停め、観光案内所で待ちます。フローズンレモンは、もう全部溶けて、もう常温になってます。「ありゃ、こんなに早く溶けるのか」。案内所前の天井にツバメの巣があり、雛が3羽親から餌をもらっています。
同席した競馬場に屯してる風の地元のおっちゃんに声を掛けられ、あ〜だこ〜だ話します。同じ質問を繰り返すのは勘弁願いたい。だいたい、僕はおっちゃんでええけど、家内をおばちゃん呼ばわりするのが許せん。嫌いじゃ。前日はお祭りだったらしく、夕立が凄かったとのこと。駅前で「由良川ロックフェスティバル」会場の解体作業をしています。
観光協会のお姉さんが出勤してきて、綾部駅北に見えた山城跡について質問します。一目して山城とわかる山頂が平坦に整地された地形で、遠目でも山頂曲輪の広さがわかります。「城山ですね」と答えが返って来たけど、地元でも観光施設として力が入っていないみたいです。ハイキングの山程度みたい。山頂に木が伐採されていたので、山城遺跡案内とか立てているのかとおもいきや、ハイキングの方の山頂からの展望確保目的の伐採みたい。登ってみたいな。
家内の到着時間が迫ったのを機に、おっちゃんにお暇を言う。やっと開放される・・・。改札で家内を迎え、積んできたバイク装束に着替えるために案内所トイレに向かうと、おっちゃんが出てきて家内に馴れ馴れしく話しかける。べっぴんさんやと思て、へこへこ出てきて・・・難儀なやっちゃ。気持ちはわかるけどね。
駅前からr8・r9で由良川に向かいます。R173で北上・R175で西進がプロパーコースですが、国道は面白く無いし、タンデムになってよりゆっくりになるから交通量の少ない道が良い。予想通りののんびり道でした。白鷺が田圃にポツポツおり、のどかです。家内との無線会話が増えます。
由良川土手が見えてきて、手前でr55に乗り換え由良川にそって北上します。R175との交差点で右折し、舞鶴方面に向かうとすぐにランドマークの「ふじつ温泉」が見えてきました。その隣りの「KEKE」はすぐに見つかりました。結構大きな駐車場を持った喫茶店です。9:30着。「休」の大きな字が気になりましたが、扉に臨時休業の張り紙もないので安心し、10時開店を待ちます。開店前に車が3台やってきました。大阪ナンバー・愛知ナンバー・京都ナンバー。
開店と同時に入店。他の3組は渡されたメニューを見ていますが、僕らはメニューなんて見ずに、季節限定の「夕張メロンパフェ」を注文。値段もわかりません。他のテーブルの方も、全員同じものを注文しています。一気に10個以上の注文です。僕らが一番注文だったので、最初にやって来ました。夕張メロンのオレンジの果肉の上にアイスとかパイナップルとかが載っています。料理を写真に収めることはないのですが、今回はカメラを出します。家内も携帯で撮ってます。その場で息子たちに転送したみたい。
噂に違わずおいしゅうございました。メロン半分なので量もあり、家内のを1/3ももらったので、満腹になりました。10:40、夕張メロンパフェ1680円×2。あと前回一般公開しておらず乗れなかった自衛艦に乗れれば、僕の今回の目的達成です。
R175東進、舞鶴市街地に入り、「とれとれ市場」休憩。海の幸をひと通り見て回り脱出。次は海上自衛隊基地を目標にさらに東進し始めたらすぐに、西舞鶴港内岸壁に軍船が停まり、催し物をやってるみたい。
白い制服の自衛艦さん達に誘導されて埠頭に駐車。海自・陸自合同の催しのようです。装甲車や地対空ミサイル車両がいます。軍用バイクもいます。艦船も見学できるみたい。ラッキー。「掃海艇・すがしま」と「第2ミサイル艦隊・うみたか」を見学。艦橋の操縦席に家内を座らせ激写。国際信号旗がWELCOMEと上がっています。後方甲板にミサイル4門が空を睨んでいますが、発射管ごとトラックでやってきて積み替えるそうで、射程数キロで相手が異常な動きさえしなければ100%命中するそうです。「うみたか」から周りの景色を見ていると、扁平山頂の山を見つけてしまいました。「山城か?」、僕も相当病んでます。
自衛隊バイクに家内を導き激写。座席が高いのでガバっと乗った時「足がつった〜」と笑っています。若い担当自衛官さんが慌てています。よくあることなので、ゆっくり近づきふくらはぎを擦ると、すぐに筋肉が柔らかくなって終了です。ニコニコしてバイクに跨っています。僕の目的はこれで終了です。満足。
後はおまけ、r565で西舞鶴湾東海岸を北上します。半島の先端まで行って枝道にチェンジ。「海上保安学校」正門前で激写。「海猿」の世界です。リアル仙崎はいるのか?前回見学できた「海上自衛隊舞鶴航空基地」に回るが、一般公開はしていません。
R27に戻り、自衛隊基地前を通過。やはりこっちは今日一般公開していないようです。市役所駐車場に入れ、レンガ倉庫群見学です。旧海軍が日露戦争に向けて弾薬庫として建設したそうです。バルチック艦隊撃破に向けて周到な準備をしていたようです。3棟を舞鶴市が買い取り、耐震補強を施し一般公開しているそうです。国が所有してる3棟は放ったらかしですが、レンガは朽ちた感じはなく洗うだけで雰囲気のある綺麗な建物にすぐ変身できそうです。13:11、説明してくれたレンガ棟内の市の観光案内施設「まいずる知恵蔵」で海軍カレー2人前830円を購入して次に進みます。
次は、「舞鶴引揚記念館」です。6km東舞鶴湾東海岸を北上します。家内の父親はソ連に抑留されて終戦後数年して日本に帰ってきました。義理父がここに帰ってきました。家内が行きたいと行ってたとこです。入場料300円。
館内の最初の映像に見っていると職員さんが説明をしてくれました。「父がソ連抑留後ここに帰還したので・・・」と言うと、その後の展示施設で興味深く止まっていると、都度説明をしてくれました。この施設は、舞鶴市が運営してるそうです。日本国は、ソ連抑留者は捕虜ではないという立場なので、一切の保障を民主党政権になる前まで拒否してきました。しかし多くの帰還者や抑留者からの寄付と市の税金を投入し、この施設を建てその様子を後世に残すようにしたそうです。
駐車場で僕らの前世代の「岸壁の母」の歌を聞き笑ってましたが、いろんな説明を聞き、パネル展示を見、寄付された備品やシベリア抑留者の粗末な服を見ていると込み上げてくるものがありました。僕の親父が米軍魚雷に撃沈されずボルネオ島に渡り、奇跡的な生還を遂げたように、家内の父がシベリアの過酷な自然を生き抜いたお陰で僕らがいます。そして、今僕の孫が生まれようとしています。帰りの駐車場では、僕らの前世代の昭和歌謡に笑って冗談を飛ばすことが出来なくなっていました。頑張れ舞鶴市!本来国のする仕事じゃないのか?日本国!
ここから帰路です。予定ではタンデム帰宅でしたが、「頭からの汗が目に入っちゃった」とか言ってる家内をバイクに乗せて100km以上は可哀想になってきました。多数の休憩ポイントを予定していましたが、電車帰宅してもらうことにしました。東舞鶴駅まで行き、帰りの電車を確認し、「お金持ってるよね。じゃあ」って、ここで別れました。14:30。
R27を東進。懐かしい「若宮海水浴場」が見えてきたところに昼食を予定してたレストラン「ラ・イルマーレ」がありました。この海水浴場に何度家族出来ただろう・・・。息子たちがチビでおもろかったあの時代を、息子たちが親父としてこれからプロデュースしていくのだろうな。ありがとう。
更に東進し、15:01「大飯高浜町R27沿いシェル」で給油。171km/3.48L=49.1km/L。ここまでの交通費がたった450円。r16にチェンジして南下開始です。名田庄までの山越え県道なので不安でしたが、「大飯高浜IC」までの連絡道なので立派です。しかしICを越えると予想通りのつづら折れ山道になりました。でも峠を越えたら良い感じの道になり、バイクには快適です。緩い下りワインディングを楽しんでR162に出ました。右折し京都方面へ。
すぐに「道の駅名田庄」があり、遅い昼食にします。ざるそばを食べました。方向音痴の家内なので心配で電話すると、福知山に到着したようで一安心です。平気で反対向きに乗る人だからね。「あと1時間待ちだよ」だって。19:30ぐらいに自宅最寄り駅かな?
水分切れになったのでペットボトル1本購入し、R162を快調に南下します。トンネルに入ると天国涼風です。「美山」まで南下し、r12・r368をちょこっと走りr19に乗りました。快適r19を快走。趣きのある神社を発見し寄り道「多治神社」。中大兄皇子・天智天皇第3王子の勧進だそうで、奈良時代。今の社殿は播磨の宮大工さんの手で建てられたそうで江戸時代。歴史も建物も古いね。
「スプリング日吉」まで南下。ここで休憩です。オフローダーが10台ぐらいいます。アイスクリームでクールダウン。空を見上げて夕立ち観測しながら走って来ましたが、なんとなく大丈夫そう。
「園部」からR477。篠山でR372を東進、R477を南下し池田に戻りました。舞鶴からドカンとR173利用なら3時間だけど、R162経由で4時間、16:30帰宅です。家内に電話すると、大阪で電車事故がありダイヤが乱れてるみたいで遅れているとのこと。風呂に入ってさっぱりし、荷物を片づけ家内から電話が入るまでグタ〜っとします。TV「モヤモヤさまーず」を今日は1人です。結局20時を回って家内が帰ってきました。駅に着いたらバスがすぐに来たので直接帰ってきました。お疲れ様。行きたかった舞鶴を楽しめて満足そうでした。

2012/7/23
日曜日は、夫婦タンデムで「大台ヶ原ツーリング」の予定でした。しかし土曜の朝メールチェックすると、次男が帰ってくるとのこと。急遽計画中止を家内にメールしました。僕より息子と一緒にいる方がいいに決まってるものな。
小学校の同窓会目的のようなので、出かけている間近場をタンデムしようと思って、日曜の朝いつものように早朝バイクに出かけました。お題は、Kodak・PlayTouch車載実験2回目です。1回目は、底面積が小さく横長なので、バイク振動を拾って前後揺れするのでイマイチでした。ホームセンターで金具を数種購入し、がっちり固定しました。結果は上々です。外部マイク端子付きなので風切り音のないクリアな音を拾っています。プラグインパワー方式のマイクは使用不能ということだったけど、手持ちの「オーディオテクニカ・AT9902」で問題なしでした。
金具は、マウントネジとカメラ本体ネジ穴の間にL字金具を挟みました。このL字金具の一面がカメラ本体の前に沿って上がっています。カメラと金具の間にクッションを入れて、金具とカメラ両方を2枚のI字金具で挟み、左右の穴にボルトを通し、ナットで締め込みL字金具にカメラを固定します。SDHCカードを毎回抜き差しするので、簡単に金具を取り外せるように、ナットを蝶ナットにしました。これなら手で簡単に締め緩め出来ます。
日本メーカーのようなレンズの優秀さはないので、VTR250用車載コンパクトカメラCanonA1200より暗く映ります。まあ仕方ないです。一眼レフカメラの振動対策が出来たら最高なんだけど、今の僕の技術では無理そうなのでこれで我慢です。これで、CB400SB用車載カメラの目処が付きました。
5:00出発。早朝バイク定番の「長尾山トンネル」を抜けて北摂里山地帯に入ります。土曜夜の天気予報では、雲の肩に傘マークがありましたが、日曜朝の天気予報では雲マークだけになっていました。出発前、北摂エントリーの山に雲がかかり、雨が降ってるかもなと思っていましたが、久しぶりの朝霧でした。秋から春にかけて、毎日濃霧朝霧の北摂里山地帯ですが、夏期間に入りご無沙汰気味でした。霧好きなので良い感じで北上します。
r33経由でr68に乗り西進。千苅ダム湖の霧は薄くイマイチでした。「仕手原」からr49にチェンジ。さらに「千丈寺湖」沿いに別荘地内湖畔道路に入ります。千丈寺湖の霧もイマイチでしたが、定番の橋の上からパチリ。バス釣りのゴムボートが出ています。花山院のある山が消えてゆく朝霧と相まっていい雰囲気を作っています。
r308に乗り、青野川沿いを北上します。相変わらずいい雰囲気の道です。勾配も緩く自転車向きです。「尼ん滝」で激写タイム。青野川の小さな滝群ですが、尼さんが打たれて修行したという謂れのある落差の小さな女性的な滝です。前日も雨が降ったのだろうか?いつもより水量が多く気持ちのいい滝の音を周囲に響かせていました。
続いて母子の茶畑の間を通ります。いつもこの景色が楽しみですが、ちょうど茶葉が刈り取られた後のようで、枝が目立ちこんもり茶葉の丸さがなくなっていました。激写パスです。
r49を「美濃坂峠」とは反対に、ここから南下開始です。「永沢寺」通過してお気に入りの道からr37方面に下る計画でしたが、出勤のない日曜日ですので、時間制限がないので有馬温泉に回ろうと計画変更し、r49をそのまま南下しました。
「わらび餅屋」「虎亀」「閉店ハーレー」を過ぎて「小野交差点」を越えて、「小野大日堂」に寄って「元気な男の子のお願い」をしました。ここは中大兄皇子(天智天皇)・中臣鎌足(藤原氏祖)に深い謂れが残るお社です。この地に生まれた天智天皇の后と息子が若くして亡くならなかったら、日本正史に変化があったでしょう。その悲運を嘆いた花山院さんも、この小さなお宮に手を差し伸べました。ここに「元気な男の子をお願い」し希望通り賜れば、わが家正史にも影響大かと・・・。
「仕手原」からr37でR176、ドカンと下ってr82・r98で有馬温泉突入です。姉のマンション前をキョロキョロしながら通過。7:45。この週末も夫婦で有馬に来てるだろうから、ちょうど向かいの朝食バイキングに出てくる時間帯です。見つかったら、「あんた〜」って言われそうだけど、無視するわけにも行かず。幸い無事通過。
「魚屋道」との合流口から舗装路に土がたくさん出ています。大雨で流出してきたのでしょう。ゆっくり通過。「六甲有馬ロープウェイ」の「有馬温泉駅」でストップ。姉から聞いた「マス釣り場」の偵察です。お盆のお墓参り後イベントとして毎年ハイキングをしているのですが、今年は長男のお嫁さんのお腹が大きいので長く歩くのはNGです。
キョロキョロ見回しましたが、道順を書いた看板だけ見つかりました。一旦バイクに戻り、またマンション前を通過し、有馬温泉中心街から「マス釣場」に向かいます。場所確認できました。そこへの道は通ったことがあり、「ロープウェイ有馬温泉駅」に直接行けるはずです。簡単にさっきの駅に戻れました。そして3回目のマンション前通過。r51で宝塚に下り9時過ぎ帰宅しました。

次男は金曜夜艇庫に泊まり、土曜日は出身大学ヨット部の練習に加わってきたそうです。先週は僕が行き、先々週は次男と3週連続で参加ですね。その後仲間とワイワイやってきたのか、日曜夜中2時過ぎに帰宅しました。よって朝9時でもまだ起きていません。
朝食を食べ終わり、手持ち無沙汰の家内と一緒にDVDで映画を観ました。僕の一番好きな作家・藤沢周平原作「花のあと」。この映画のヒロインで、いっぺんに好きになった北川景子さん主演。脇役にこれまた好きな佐藤めぐみさんもいます。北川景子さんは、和服が似合いますね。家内と体型が似てて、細い首が和服美人のポイントかも。背筋がピンと伸び美女剣士の役どころにピッタリです。
家内を最初見た時、背筋をピンと伸ばして歩く姿が実に綺麗だなと印象に残りました。小さん時からお茶・お華の稽古に通ってて師範免許を持っていました。和服を着る機会も多く、自然にこういう歩き方になるそうです。
さすがの藤沢周平原作のストーリーを、上手に演出しています。いい監督さんだと思います。藤沢周平原作映画で、唯一がっかりしたのは山田洋次監督作品でした。2つの作品をくっつけちゃうという乱暴なことをしました。言葉少なに、読者の想像力を掻き立てながら、その後の展開を匂わせて終わるところが、素晴らしい読後感につながります。原作を大事にしない山田監督は、寅さんのような自らの脚本の映画を撮ってればいいと思いました。
北川景子さんのアップもありましたが、シミひとつ無いお肌美人です。映画館で見た時も、あのドアップにも堪えるお肌美人に参ってしまいました。家内との出会いも、きめ細かで一点の曇もないお肌に驚きました。スタイルのいい白人さんはたくさんいますが、日本人の色白美人肌に敵う人はいません。僕はどうもお肌美人に弱いようです。
映画が終わる頃次男が起きてきましたが、18時に難波で同窓会の予定だそうで、それまで僕の出番はなさそうです。庭の雑草と30分格闘し、2度めのツーリングに出ることにしました。
今度は里山VTR250です。CB400SBの車載カメラの目処がつき、本来のこいつメインに戻れます。長尾山トンネル〜r325〜r33〜r68で、「道の駅いながわ」到着。ここでトイレ休憩し、13:47昼食代わりに126円で棒アイス購入。
r12を北上し、「西峠」を越えR372に乗って東進。R173に乗り換え再び北上開始。16:30帰宅目標なので15:00ぐらいまで北上できます。篠山から北のR173は交通量の少ない快走路です。天気も上々でバイクが沢山出ています。
「道の駅・瑞穂の里さらびき」手前の峠から、更に北綾部方面に黒雲が浮いているのが見えました。雲の下には、豪雨が降ってる風の斜線が見えます。道の駅到着。15:08、りんごジャム840円とおやつとして京しぐれ氷アイス105円購入。北の暗い雲を見ながら、ベンチに腰掛け氷アイスで体を冷やします。下着+プロテクター上下だけですが、胸と背中のプロテクターがあるとこ中心に汗で下着が濡れています。
北の方に稲光が光りました。らタイムリミットでもあり、更に北上すると雷雨に突っ込むだけだから、とっとと帰ります。トンネル手前まで旧道を1本走りました。R173を一気に南下。
小野新交差点を過ぎ、魔の縦溝区間を通過し、羽束川に沿うr601に右折、r12杉生新田に出て、r12を南下。16:00、猪名川町笹尾シェルで給油。257km/8.07L=31.8km/L。
r319・r33・r325・長尾山トンネル経由で16:30帰宅。次男を車で駅まで送り、家内とタンデムお買い物に出ました。帰宅して門を入ると、玄関前を蝉の幼虫が歩いていました。今年2匹目の我が家での羽化です。そう言えば、里山でたくさんヒグラシが鳴いていました。カナカナを聞くと、涼しさを感じます。山の涼しいとこや、猛暑ピークを過ぎた夕方のセミという感じがします。20時過ぎ就寝で1日が終わりました。

2012/7/16
日曜日は琵琶湖に行きました。大学ヨット部のコーチングです。出艇8:00なので、5時から2.5時間ある。亀岡・周山・R477回りのアイデアも浮かびましたが、時間的に厳しそう。亀岡・京都北山通り・山中越えが良さそうだと決めていました。
日曜日起きてTV点けると、「京都北区・大雨洪水警報解除」のテロップが流れています。なに〜、天気予報では終日曇りなのに・・・。なんだか天候不安定なのでバイクを諦めました。最強通勤リード110スクーターなら、土砂降りでも平気ですが、帰宅が暗い時間帯なので車選択です。
6:30出発。ガソリン補給し東に向かっていると、時計を忘れたことに気づきました。「これはいかん」と戻って再スタートです。名神から見える京都西山に怪しげな雲がかかっています。雨がよく降る天王山西側も、夜中は雨に洗われたようです。桂川も真っ茶色な水が水量多く流れています。
ハーバーで京都七条の学校寮生活の女子マネさんなどに聞くと、「雨降ってなかった〜」「雨降ったの?」「夜中凄かったよ」と様々。男子に聞くと「鞍馬で土砂崩れなどしたみたい」とのこと。
今朝確認したら、鞍馬線や保津川トロッコ列車の線路が土砂崩れで不通になり、京都北区や亀岡で川が氾濫し浸水した家も多数出ていました。1日中、雨の気配もなく、午後は「この入道雲は、もう梅雨明けでしょ」という天気でしたが、一極集中で豪雨があったようです。TVを付けず5時出発亀岡回りをしていれば、豪雨の遭っていたか、その濁流を目の当たりにしたかでした。
ハーバーに着くと、お初の1回生がやってきて「よろしくお願いします」。この日、1回生プレイヤーや1回生女子マネージャーさんと話し、様子を見ていましたが今年の新人勧誘は大成功ですね。みんな積極的に動き将来有望です。
出艇前ミーティングを終え、その最後にキャプテンから風待ち指示が出ました。艇庫前で470とスナイプを使って、1回生向けクルーの動作練習です。OBナカシマ君が遥々東京から来ていました。同じくOBのシバモト君が結婚するそうで、そのプロフィールビデオ製作の打ち合わせで来たそうです。新婦は金沢大ヨット部女子だそうで、江ノ島でスナイプ借りて2人で乗ったら吹いてきて険悪な空気になったとか・・・ガハハ、お相手もヨット乗りだといろいろあるわな・・・。
10時になり風が出てきたので、スタンバイです。と・・・横を見ると、なんとシンノスケ君がいます。「あれ〜なんでここにおるの」。今は鹿屋体育大職員の身分だそうだけど、京都の教職試験受けて就職希望だそうです。彼が中学生の時、ジュニアのアセアン選手権に一緒に遠征しました。彼が選手で僕が監督。まあジュニアの監督というのは名ばかりで、大会本部とのコンタクトに始まって、旅の引率、選手の体調管理、レースコーチまで担う雑用係でしかありませんがね。
その彼が今やレーザー日本代表トップ選手です。ここ2〜3年国内敵なしだったので、ロンドンオリンピックに行くものと思っていたのですが、5月のワールドでの最終選考で国別出場権を獲得できず残念でした。そのことには触れず、うだうだ・ワーワー笑い合って、「今日は来れに乗りますねん」とウインドサーフィンを指さします。若者が、新しい世界に挑戦する姿はいいものです。「稼ぐ方も趣味の方も、笑顔を忘れず大いにやるべし」。
4回生女子マネ・ヒメちゃんと1回生2人と僕で、レスキューに乗り込みます。風が弱く、前半マークを2つ打って1回生の運転練習です。直進・カーブ・マーク拾い上げ練習。どんどん上手くなります。後半は470練習艇について、気づいたことをアドバイスします。微風時の乗る位置・接水面積。いい風が入ってきだしてから、ブローが入った時のメインシートの出し入れなども。
12時なり昼食を取りに合宿所に戻ります。ショウ君がいました。食べたらハーバーにとんぼ返り。ミーティング後出艇。ショウ君が470、ナカシマ君がスナイプに乗り、1回生を乗せて練習してます。僕は4回生女子マネマドカさん・1回生1人・女子マネ3人とともにレスキュー乗艇。練習海面に向かう時、シンノスケ君のウインドとすれ違います。「どうや」「へへへ、難しいですわ」。「彼は、負けちゃったけどロンドンオリンピックを目指してたレーザートップ選手だよ」と1回生に教えてあげました。とても驚いていました。小さな事でも、ヨットに興味を持ってもらえればいいです。
この出艇前に、3回生ホシノ君から「午後から新人女子マネが乗ります。ヤル気満々ですからいろいろ教えて上げてください。定期的に風向・風速を女子マネが記録するようにしましたが、それがどのように練習やレースに結びつくかわかっていません。ほんとは、もう一歩突っ込んだ報告を期待しています。その辺をアドバイス願ったら」と言われていました。彼は、新人勧誘隊長としていい仕事をしていました。1回生はいい先輩に恵まているね。
練習海面のポイントのマークを1つ打ちます。1回生マネさん達が自主的に、風向風速を記録します。「240度・4m/s」。それを聞いてて、「そこで問題です。ジャジャン。南とか北とか一般の人は言うでしょ。240度ってそれで表すとどうなる?」。みんな頭の中で考えます。「北が0度だから・・・180度って南?ですよね。じゃあ東?・・・」。ひと通り各自が考えた答えを口に出した後、「0度・360度は北、180度は南・・・240度は大体西南西」と答えを教えます。
続いて「ミーティングで、今日は240度の風向だったからと出るのは少なく、西とか北とか大きなくくりで出てくるから、それと何度と頭の中でリンクしてないとわからないんだ。リンク出来るようになると、言ってることがわかりだすよ」。
更に、「比叡山山頂は何度?」「三井寺は?」「大津港があれだよ。何度?」「あの高いビルはプリンスホテルで、あれもランドマークでミーティングに出るよ。何度?」「瀬田の唐橋って知ってる?あそこに見える瀬田大橋の川下にあるんだ。瀬田大橋は何度?」「遠くに小さく橋が見える?あの橋が琵琶湖大橋で何度?」。
ヨットレースは、開催場所で風の癖があり、それを知りそれに合わせたコース引きをすることが勝利につながります。その癖は毎年変化することはなく、ずっと同じです。平安時代から相変わらず西に比叡山がそびえ、三井寺方向に、南の山並みと比叡山の山並みとの間の谷があり、風の通り道です。地形によりベンドされた風が入って来ます。80%はスタート後同じ方角に行く方が有利になります。
もっと超基本中の基本、「西風ってさあ、西に流れていく風じゃなくて、西から流れてくる風のことだよ」ってことも口に出します。いろんなことを知り、ヨットに関わることの何かに興味を持ってもらえればいい。
練習艇に伴走し、「次4250の真後ろ3艇身について、後ろからビデオ撮ります」など課題を与え、ビデオ撮影などどんどん経験させます。その間、フルトラピーズ時のクルーの反り方・利くハイクアウトの仕方を選手に大声を張り上げます。
15:00から「スタート練習」という練習予定に沿って、20分前に練習艇団から離れ、前もって打っていたランドマークのマークをアウターマークとして、上マークを打ち、レスキューを本部船としてアンカリングします。時計係は・・・、ホーンは・・・、ポールは・・・、ビデオは・・・、スタート時の本部船マニューバリングを始めます。最初ぎこちなかったけど、回数を重ねる毎に慣れてきて最後はもう安心して見ていられます。本部船がテキパキ動くと、練習が引き締まります。
4250のメインリーチが5〜6m/sの風に対しては開きすぎてるので、カニンガムを引くことと、ブームバングをもっと入れてリーチをもう少し閉じ、メインセイルのドラフト位置を前に移動するように指示。4010のジブ上部が開いてるので、ジブリーダーを前に移動させる。夜のミーティングで確認したら、両艇ともより速くなったとのことだった。チューニングボートである470のセッティングを再認識してくれたことと思う。
フリーでのパンピングが、4174のみしているのでぐんぐん前に行く。他の2艇は明らかに少ないので置いていかれる。この風ではパンピングフラッグが上がる。パンピングOKになったのに、パンピングしない船は置いて行かれることを、休憩時に全艇に伝える。
そういうことをしながら、レスキュー艇上は素敵に魅力的な女子に囲まれたハーレム状態なので、軽口を飛ばして楽しい雰囲気を演出する。圧倒的に年上の僕の笑顔がなければ雰囲気悪くなるからね。楽しく練習し、楽しいクラブでなくちゃ。琵琶湖上から見える広い空には、白い積乱雲が数個もくもくと盛り上がり、もう夏の空です。
16:30、スタート+レース練習終了。470チームリーダーにロング帆走練習に入ることを指示し、練習リードを本部船からリーダー艇に移管する。マーク回収のため1回生マネさんにドライブ交代し、マークピックアップ練習です。ハーバー前まで4回生マネさんに指導を任せドライブ練習です。この日初めてドライブするマネさんもグングン上達し、真っ直ぐ走らせるようになり、マークピックアップも出来るようになりました。
17:30練習終了。ハーバー帰着。船を上げて全員海に向かって横に並び、キャプテンの号令のもと、「ありがとうございました」。数年前、次男がキャプテン時代に始めた最後の挨拶が復活していました。嬉しいな。シンノスケ君のお父さんがいました。ジュニア時代同様、どうでもいい話をあ〜だこ〜だ笑い合って、学生たちが船を仕舞い終わるのを待ちます。
合宿所に戻り、18:45からミーティング。いつものように気づいたことを話し、家路に着きました。20:36、名神桂川PAにて、125円アイスで糖分補給して21時過ぎ帰宅しました。家内はまだ帰宅していないようで、シャワーで日焼け止めを落とし、食パンで夕食。電話が鳴るのを待ちます。時間が余ったので、これならマネさんに勧められるまま、合宿所でうどんを食べて来たら良かったかも。美味そうだった。
電話が入り、家内を駅まで迎えに行きました。今日は仕事で熱海です。「熱海って田舎ねえ。有馬温泉とは随分違ったよ。海が近かったよ」と饒舌です。楽しかったみたい。帰宅して、「お土産買うつもりなかったのに、一緒になった大阪の人に勧められて買ってきちゃった」と、その人が前もって物色したお土産のお饅頭を見せてくれた。「帰りの新幹線であまりにお腹が空いたから、2個食べちゃった」と笑っています。ごきげんな家内を見るのは嬉しいことです。
ということで、23時を回って床につきます。ああ面白かった。でも、月曜日の起床は7時近くになりました。

2012/7/9
日曜日はドラゴンのレースでした。いつものように5時台に目が覚めたけど、8時に用意して出かけなければならず、早朝ツーリングに行く時間はない。6時ぐらいまでゴソゴソして、早朝自転車にしました。週間天気予報ではずっと曇りだったけど、梅雨とは思われない上天気でした。あと2日で、僕なりの実質梅雨明け日・7/10でもあるし、もう実質梅雨は開けたなと確信しました。まさに夏の雲がポツンと浮いていました。定番コース猪名川土手を走っていると、ツーリングに向かうのであろうバイクが、楽しそうに北を目指していました。少しでもその気分を頂こうとバイクセブン横をかすめて帰宅。まだ早いので、バイクセブン駐車場にはツーリングバイクが来ていませんでした。
いつものように通勤リード110に乗り込み、R171で一路浜を目指します。ハーバー駐車場に着いて用意を確認していると、グローブ忘れです。仕方なく通勤用軍手をポケットに入れる。陸置きバースに着くと、JPN28Tさんが艤装を開始しています。最近乗ってる後輩JPN35はもう桟橋に下ろしてるし。オーニングを外し、シートを通しているとHさん登場。続いてSさん登場。本日は一番新しいセールのようです。着いた頃は天気予報どおり安定しない東風が吹いていましたが、桟橋に下ろした時は西に振っています。天気予報では、微風で東から南に振るようになっていましたが、既に西なら良い感じの風に恵まれるかも?
ハーバーから出ると、470・スナイプのポイントレースなのか多数の船が集まっています。大所帯KDは別に練習しています。同じく大所帯の母校はレースの方です。まだ風は3m/sほどで安定しているとは言えませんが、定時スタートです。参加艇は6艇。中央でスタート。背中艇2艇のタックに続きタック。ポートの走りあい勝負ですが、イマイチスピードに乗れていません。じわりじわりと第一線からバウが下がっていく展開で苦しい。
結局ビリで上マーク回航。スピンアップして即ジャイブ、先行艇の内側に入り、すぐに1艇抜きました。でもマークは右なのに、その艇が先頭艇以下に続くように左に上るので右に行けない。スキッパーに「マーク3時、もっともっと右です」と報告し、抜いた1艇の前を通って右へ。僕らの大きく動いた行動を見て先行艇もマークを見つけたようで、全艇ジャイブ。一連の行動で先行艇集団に追いつきました。ここから更にスピードが上がり、1下はトップ艇も抜き去ってしまいました。
先月のポイントレースから僕のスピンワークとスキッパーの舵操作がピッタリのようです。上回航後、「今日はクロスがあかんから、フリーでまた爆発してや」と言われましたが、まさか全艇抜き去ってしまうとは・・・。
続く第2クローズレグでも、チューニングをいろいろチェック変更しましたがスピードが上がりません。ブービーにまで4位似まで落ちましたが、またスピンレグで爆発し2位まで上がりました。最後うちが内側で3艇並んでいましたが、JPN35がジャイブでうちの内側に入って来ました。学生時代ならジャイブして内側ポジションを死守しますが、最後のクローズに自信がないので内側ポジションを譲りました。
2下、3位回航。やはりクローズが走らずビリフィニッシュ。原因はダイヤモンドのテンションとメインセイルが上がりきっていなかったことでした。メインラフにドラフトが寄りすぎていたようだが、これだけ走らないとコースも見えません。メンハリを上げ次のレースでリベンジです。
12時を回りおにぎりを食べながらスタートラインに戻りますが、更に風が落ち暑いです。それからブローが入ってマークを打ち替え、スタートモードに入ると風が落ちるパターンで、風向もコロコロ変化。JPN28・35・46母校先輩後輩チームとすれ違う度話しますが、ここで育ったヨット乗りばかり、「今日はもう無理ね」と意見は一致していました。結局14時AP・Hフラッグで終わりました。今日はフリーがよく走り一時はトップに立てたのだから、トップフィニッシュのチャンスでした。先月のクロスの滑りから様変わりでした。しかし、船上の会話はいつもの様に面白かった。知らない世界が色々聞けて楽しいです。
ハーバー内一点鐘でGillのセイリンググローブを買いました。セイリンググローブが行方不明で、しばらく荷造り用軍手でごまかしていましたが、ちゃんとしたものを買います。ノースショップでハーケンステッカーは買おうとしたら、日頃のおまけでもらっちゃいました。ウェットバーでポカリスウェットで電解質を補給し帰宅しました。
家内の帰宅予定が16時と聞いていたので、早めに帰って何処かに行こうと思って急ぎます。途中「2りんかん」に寄り道。OGKの軽いヘルメットを店員さんがプッシュしていました。R1はかっこいいな。16時半に帰宅しましたが、家内はまだです。冷蔵庫に残ってたソーメンを食べ、シャワーで日焼け止めを落とします。朝家内が風呂に入らなかったので、2度めのシャワーです。
通勤リード110のシート下ボックス仕切り改良と、CB400SBバックミラーモディファイのミッション遂行のため、ホームセンターに物色しに行きました。プレートを3つ購入。自宅前でリードをゴソゴソ。良い感じに出来上がりました。ここで家に入ると家内が「おかえり」って。結局6時になってたのでお出かけはやんぺし、家内が好きなTV「モヤモヤさま〜ず」を一緒に見てました。さまーずと一緒に歩く女子アナさんを、僕と同じく好きなようです。のんびりしゃべってほんわかなんだけど、あっさり自分に正直に行動する男らしいとこが気に入っています。女子会とは一線を画す1人で行動する家内と共通するとこがあります。これから2ヶ月、ヨットメインの休日生活です。

2012/7/3
日曜日は、大阪府唯一の村・千早赤阪村に楠木正成探索に行って来ました。原付二種ツーリングクラブでこの近所に行く企画がされたので、昼食だけおじゃま虫しようと計画しました。ヨットのグループも京都西山でイベントが計画されており、午後からそちらに向かおうと盛り沢山になりました。
ところが原付二種ツーリングがポシャってしまいました。当初、南河内から京都までの長距離移動があり、高速道路が楽なCB400SBで行く予定でしたが、雨予報なので通勤リード110にしました。高速利用なしでも、70kmだから南河内12時出発したら14時に京都西山に着くのではないかな?との計画です。
5時過ぎ起床・5:30出発しましたが、地図を取りに戻りロスしました。曇りでの出発でしたが、途中で小雨が降って来ました。GPSも積みましたが、結局1日中リアボックスで寝ていました。地図・道標・野生の勘頼りです。
r13を南下、R43を東進、天王寺通過後そのままR25に変身。平野でR309に右折し南下、7:12堺市美原区のコンビニでおにぎり2個+いろはすみかん1本購入。富田林のPL塔はランドマークだな。「道の駅かなん」通過し、あと後少しです。「道の駅ちはやあかさか」の道標が出て来だし一安心しました。難なく道の駅に到着。
郷土の英雄・楠木正成の館跡に建てられた千早赤阪村郷土資料館に隣接したこじんまりした道の駅でした。ちょっとした高台になっており、さすがに良い場所に館を建てています。頭の中は太平記の世界です。「参加するかも?」と言ってたTさんはいません。まあ雨だしキャンセルでしょうね。コンビニで買ったおにぎりを食べながら地図を見て、次の行動計画を練ります。
ずっと小雨だったので、プロテクターメッシュ上下の上にワークマンカッパ・長靴・オーバーレイングローブで来ましたが蒸し暑い。フロントスクリーンのお陰で胸に雨が当たらないので、カッパのファスナーを開けられて身体はマシですが、手が暑すぎます。外からは濡れないのに、汗でグローブがしっとり濡れ脱ぎづらいです。ツーリング用で買い完璧防水が気に入り通勤用にホンダオーバーレイングローブを買い増しましたが、夏場は要らんね。ここでオーバーグローブは秋までお蔵入り決定です。その後は、メッシュグローブだけで走りましたが、雨で濡れてもかえって気持ちがいいです。
隣の「くすのきホール」前に、楠木正成の生涯がタイルになって屋外展示されています。太平記の記述と少々違うところがありますが、地元で伝わる言い伝えも加味されているのでしょう。こういうとこが現地に行くとわかります。教科書歴史より地元言い伝えの方が内から見た真実に忠実だと思います。教科書歴史は、その後の為政者が文字に遺した物に大きく左右されるものね。誰でも文字に残せる今の時代だって、立場によって同じ出来事の見方は大きく違います。
8時になったので出発です。まず目の前になった「楠公産湯の井戸」見学。鎧を来た武者案山子さんが守っています。楠公にあやかろうと、「元気な男の子をお願いします」と手を合わせました。続いて「楠公誕生地」見学。周りの緑の棚田を激写。
バイクに乗り、「建水分神社」を目指します。後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒蜂起に呼応した楠木正成さんが戦勝祈願したのがここです。楠家の氏神様で、菊水の紋の水はこの神社の守護を表すらしい。道の駅の案内板で頭に入れた道で向かうと「奉建塔」というのが目に入った。早速寄り道です。
バイクを置いて小高い丘に登ります。徳島県人の楠木正成信奉者の個人を発起人に、地元有志・全国の児童生徒の浄財を集めて、楠木正成没後600年を記念し、昭和12年起工・15年完成したらしい。太平洋戦争前の天皇中心国家時代で、後醍醐天皇一途で戦死し、子の正行・正儀も衰退一途の南朝一途で滅んだ楠家の忠君は、戦時色の濃いこの時代の民衆の心を天皇に集める絶好の題材です。時代を感じます。
徒歩散策の道標に従って、「建水分神社」に向かいます。棚田に咲く紫陽花がとても綺麗。農作業のおばさんに神社の場所を聞くと、「ここ降りたら見えてるよ」。しか〜し迷いました。目を引く土壁の家を激写して歩いていると満足しちゃってバイクに戻りました。
r705に出て、「千早赤阪村村立中学校」を探します。難なく発見。地元野菜テント即売所から坂を上がります。中学校の2つの校舎の間を道が突っ切っています。生徒さんは、校舎移動の時この道を渡るんだ〜。まあ交通量はかなり少ないんだろうけど。中学校の校舎のすぐ上に「下赤阪城址」がありました。金剛山の支脈の先端という感じで、東も西の谷に落ち込んでいます。支脈先端というのは山城のよくあるパターンです。
鎌倉幕府の大群が押し寄せた時、自らの館に火を放ち、沢を天然の水濠に利用した急ごしらえのこの城に籠り奮戦します。その奇想天外なゲリラ戦で多勢を翻弄し打ち負かすのが痛快です。最後は水の手を絶たれ、戦死した将兵を本丸郭に入れて火を放ち、尾根続きの金剛山奥に逃げます。正成戦死の噂を流し、悪党としての本業で稼ぎ、再興の時を待ちます。東は中学校側・西は素敵な棚田になっています。日本棚田百選に選ばれるだけあって、この棚田目当ての観光の車が、雨の中5台も来ていました。この棚田は見応え充分です。ここは一眼レフ出動ですね。ソニーNEXC3のスイッチON・・・「ん?」電池切れ・・・参ったなあ。でもこの景色は「お得しました」。
続いて「上赤坂城址」に向かいます。r705に看板が出ているだろうと思ったのですが、山城なんてマイナーな観光資源なのでそんなのありませんでした。地図見ながらウロウロし、最後は野生の勘で突き止めました。「グリーンロード」という広域農道沿いにそれへの枝道があり、そこに道標が立っていました。「給食センター前」というバス停が目印です。ここから30分とありましたが、舗装路が続いているのでルンルンで入って行くと、すぐに小さな駐車場になりました。ここから山道です。ここに「一の木戸」があったらしい。
ヘルメットを脱ぎ、プーマの赤いつば広ハットを被ります。運良く雨は少し前から止んでいますが、カッパを着たまま登ります。「ニの木戸」の案内板のあったとこは、左手が小高い丘になっており、なるほどここに城兵を駐屯させたらいい防衛施設です。
金剛山登山道と本丸との分岐に出ました。なるほど、いつでも金剛山に退却できますね。本丸に向かいます。また雨が降り出しました。それもしっかりした雨です。でもさすがヨットハーバーで買ったプーマは全く水を通しません。しかも型崩れもなし。まあこれは、レースの時風でめくれるのを防ぐためにピアノ線で補強した結果なんだろうけど、ご立派な仕事してます。
本丸に石碑が立ち、遠く富田林のPL塔も遠望できました。「下赤阪城」よりずっと奥なのに、下界の情勢を見渡せる好立地にあります。ここから探索開始です。この時期草に覆われていますが、獣道様のかすかな道を辿ってウロウロします。本丸郭から地形に沿って左右に郭がつながり、草が伐採された段郭もありました。そこから周囲を覗くとまた郭があります。山奥なのに、当時は結構しっかりした山城だったことを伺わせます。
こんな都から遠い辺境地の山城なんて放っときゃいいのに、南河内で楠木正成との戦いで10万と言われる鎌倉幕府大群を張り付けて戦費浪費したから、さらなる重税が幕府からの心を離し、ついに幕府は滅んでしまった。
壮絶な戦いの舞台となったいろいろ山城に登ったけど、たいてい主要街道を見下ろせたり、水運の要衝にあったり、それなりに重要拠点だったのに、ここはどうでもいいとこだなと感じました。築いた楠木正成も完全なる防衛の城としての目的だったのでしょう。山賊がネグラにする住処より用途がないです。
大群をこんなとこに張り付けられて、陣を維持するための兵糧の運搬・確保に苦労したはずです。こんなん続けていたら、兵に厭戦気分がはびこるやろうな。ここにそれだけの大群を来させた楠木正成のゲリラ戦略は大したものです。
登りだして40分ほどの探索で駐車場に戻って来ました。雨は上がりました。駐車場に維持管理のための浄財寄付ボックスがあり、大枚100円を入れておきました。続いて楠木正成の詰の城「千早城址」に向かいます。
r705を更に奥に走ります。気持ちのいい道です。「金剛山登山口バス停」着。ここに登城口があるはず。左を見ながらゆっくり走ると、バス停横駐車場のすぐ横でした。鎧武者案山子がいます。いきなり階段が登ってる。大枚300円の駐車料金・・・路上駐車でもいいけど・・・「遠くから来はってんねえ」のおばちゃんの言葉でお願いすることにした。
10:00、雨が降りそうではないけど、そのままのカッコで登り出す。急な階段を上がり、次を見るとまた階段、そしてまた階段と、これはきついです。いつ着くのかわからないので気力も続かず、階段に腰掛けて4回も休憩しました。最初の休憩でカッパを脱ぎました。その度に「いろはす」飲んでたら一気に減りました。1段が高いのでとてもきついです。
4回目の休憩を終え、階段を曲がると神社が見えました。助かった。ここまで誰にも会いませんでした。金剛山登山道なのですが、こんなに人が少ないところを見ると、もっと楽な道がありそうです。物好きな山城ファン・楠木正成ファンしか使わないのかも?
「千早神社」の石碑が立ち、「千早城」の小さな案内板も見えます。営業をしていない売店もある小さな広場です。ここの階段からの眺めが素晴らしいです。この急勾配を攻め上がるのは至難の業だなあ。
ここに神社の拝殿はありません。一段下って参拝道のような直線路を歩き、再び30段ほど階段を上がると城址の碑。左右から登山道が合流し、更に階段を上がりやっと千早神社がありました。この登山道経由の方が楽だったかも?
楠木正成・楠木正行・正成正妻刀自久子さんを御祭神に祀った神社でした。鎌倉から室町に移る時代、楠木正成室とか、単に女としか歴史に残らない女性がほとんどの中、「刀自久子」を歴史に刻まれる女性は素晴らしい。夫の業績もさることながら、一家・一族というより一統や地域の長の実務を仕切る力量で、後世に名を残したのでしょう。素晴らしい業績を遺した者の影には素晴らしい女性がいるものです。どんな人だったのだろう?現代で想像するなら、大発展させた創業者の奥さんなんだろうな。僕にしては大金をはたいてます。100円投入、ガランガランして「元気な男の子をお願いします」。楠木正成な男が僕の子孫に出ると誇らしいぞ。菊水紋がかっこいい。
ここで大学生風青年2人組に会いました。「こんにちは」。金剛山から下ってきたようです。お参りの前に手水で手を清めています。素晴らしい。タオルやハンカチなど持ち合わせない僕はいつも手を抜いてるのに。登山道の方を下って行きました。僕もついていきたかったけど、どこに行くのかわからないから、往路をそのまま下りました。
一番下の階段で下から上がってきた大学生風カップルとすれ違いました。「こんにちは」。なんだか楽しそうに笑っておしゃべりしています。「ふむ、笑い声があるのも今のうちだけじゃ。階段攻めにきっと無言になるだろうよ」。11:20駐車場帰着。「歩いて30分」と言われていたので、往路の階段で休憩しすぎたようです。駐車場のおばさんにお礼を言って、横のトイレで莉をお楠木正成生誕地に戻ります。
ブイ〜ンと戻る途中、「建水分神社」に寄ります。R309沿いにありました。R309から見える部分から、どうってことない地域の古くからある神社かな?と思ったら、素晴らしい楠木正成公を祀る拝殿もあり良い感じでした。謂れ板によると、「創建は10代崇神天皇・西暦前92年」ととんでもなく古い。創建年代が現代まで伝わっているだけで、廃れることなくずっと地域の民の信仰を集めていたのがわかる。
「水分」の名から想像するに、下流地域の農業に最も大切な水の分配地だったり、関係者が会して利水の取り決めをしたところなんだろう。地域の支配者は変わっても、水の取り分は死活問題だからね。
「信長が神社の社領をことごとく奪って一時衰退したが、秀吉が再び田地を当社領として寄進し旧に復した」ともある。無神論者の信長は各地でこれをやり、旧体制を破壊したが、次代の秀吉はその尻拭いが大変だったろう。ここでもそんな跡が見える。徹底的に破壊された比叡山をすぐに復旧させたのと同じ事をやってる。信長の世が続いていたら、次の標的は高野山だったし、天皇さえどうなっていたかわからない。良くも悪しくも日本人の精神的支柱だった歴史的建造物や旧体制は、教科書に載っていないが次代の秀吉により温存成った。明智光秀であれ、徳川家康であれ同じようにしただろう。ありがたいことです。
ここでも、「元気な男の子をお願いします」と寄付しておきました。拝殿の横に「支社・金峰神社」とある祠がありました。後醍醐天皇が南朝として籠った吉野の金峰山寺と関係があるのだろうか?楠木正成を祀る「南木神社」というのがありました。その拝殿が左右に広がり、あまり見かけない建築様式です。
手水の龍の石像が変わってて写真を撮りに近づくと、自動で水が出ました。始終垂れ流しの手水が多い中、珍しいハイテク手水です。神社全体的に趣があり、手入れが行き届いています。R309すぐの駐車場から上がる道に反射板が備えられていたし、お金回りが良い感じです。氏子さん組織がしっかりしており、地域の信仰も厚いようです。あるいはお正月などに参拝者が多いのかな?
楠木正成生誕地の戻りました。そこに建つ「千早赤阪村郷土資料館」に入りました。200円。桜井駅にあった楠木正成・正行父子別れの像の原型がありました。お決まりの隙・鍬などの農機具の展示もありましたが、特に興味なし。上赤阪城址と千早城址のジオラマを食い入るように見ていました。こういう縄張りで、こっちからの谷からの防御は・・・なんて妄想していました。
駐車場で、コンビニおにぎりを食べました。またポツポツ降ってきたし、これから向かう北の空に雨雲いっぱいだし、またカッパを着ました。12:20出発。資料館ごときでこんなに時間を使ったとは。12時出発予定だったのに・・・。ああ、今日の歴史探索は面白かった。
一路京都西山を目指します。雨はすぐに止んだけどそのままで、R309〜R170を北上します。東大阪手前からまた小雨、大東市で大雨、でも淀川を渡るころまた止みました。和歌山からの帰路、近畿道で北上していると東大阪のここらで降られることがよくあります。大阪湾からの雨雲が生駒山に当たって降るのかな?雨も止んだので給油。184km/3.93L=46.8km/L。通勤じゃないと燃費は伸びるね。
高槻からR171にチェンジして京都を目指します。14時に着けるかなと思ってたけど、時間は刻々と過ぎてゆきます。「水無瀬」までやってきて、時間が押してるのに左折してしまいました。交通量が多いので、旧西国街道にチェンジしたいと思っていたところに、「桜井の駅」の案内を見つけてしまったからです。衝動的に左折。楠木正成探索の締めくくりは、桜井駅での親子の別れでしょう。左折してすぐの見知った「桜井駅」前のコンビニ交差点で、旧西国街道が下り一方通行になっているのに驚きました。「うわ〜ん、右折できない」。親子の別れの像をチラ見して、仕方なくUターン。ゴソゴソと少し京都よりの旧西国街道に出たら以前同様両方向OKでした。
信号はないけど細い旧西国街道r67を上り方面に快走します。「サントリー山崎工場」通過。相変わらず、ただ酒を飲もうとする飲兵衛男女さんがサントリー目指して歩いています。ここに車で乗り付けるのはNGだからね。そのままr10に乗りました。「あれ〜おかしいなあ?」。長岡京市に入ってるのに、長岡天神の前を通りません。「ん?西山から離れすぎてる」、r10より東の道を走ってるようです。西山の風景を目当てに野生の勘で適当に走ります。雨は降ってないけど曇り空なので、太陽の位置がつかめず、山が見えなくなると東西南北がわかりません。
無事r10に復帰しましたが、またロストしてR9沓掛口に出てしまいました。もう14時を回っています。脳内地図の現在地がビンゴしたので、R9からr10に入ります。「交差点に木製道標」を頼りに右折ポイントを探します。「ここだな」、右折して山に登って行くと、京都縦貫道工事を越えました。名神につなげるのだろうけど、名神のどこに繋がるのだろう?
突き当りまで山を登りましたが、なんだか違う・・・おかしいな。途中の分岐を左だったかな?とそこまで戻りまた山の突き当りまで登ったけど、ここも違う。一旦r10まで戻って、ゆっくりR9方面に戻りながら怪しげな交差点で木製の道標を探します。途中、歴史の有りそうな土塀のお宅があり激写。道標に何が書いてあるか知らないし、教えてもらった座標もGPSセットしてないからわからない。というよりセットして簡単にビンゴしたくない。
大体目的地が家なのか、広場なのか、自分が何を目指しているかもわからない・・・僕らしくていいです。しかも電話すればいいものを、道草好き・寄り道好き少年が、山道好き・探索好き大人になっただけの僕が、適当な課題を与えられ嬉々として探しています。電話してヒントもらっちゃおもろない。
「あっ、ここかも?」、グングン山に登るとまた高速道工事。それを越えて更に山に登るとビンゴ・・・再奥にキャンピングカーも停まってるし、ビンゴ。しか〜し、時刻は15:15。16:00お開きの会にこの時間に参入しては却って迷惑です。途中小倉山荘でお土産を買おうと思ったけど、時間に余裕がなくなり手ぶらでお宅に訪問は出来ません。「もう時間が遅くなったので、今日は帰ります」と電話して帰路につきました。
R171回り・R9亀岡回りの帰路ルートもありますが、ここはr733でしょう。未訪問のあのお寺にも寄りたいし。高速工事のとこから、京都の町が一望です。日曜日だけど、張り切って工事をしています。r10を南下し、往路間違った交差点を見つけました。「灰方」からr733に乗りました。縦貫道高架工事の下をくぐりました。「ブランシュ」というレストランがありました。昼夜1組のみの完全予約制と看板にありました。坂を登った一軒家がお店のようです。フレンチなのかな?シャッターが降りてるけど、r733に面した小さなお店もブランシュですが、こちらは何を売ってるのだろう?ケーキかな?
お店が車では絶対走りたくないワクワクな狭路急坂山道です。未訪問の「金蔵寺」に寄りました。「北夷西戎南蛮東狄」の西戎から京都を守る西山のお寺です。誰もいない狭路急坂を登ると、緑鮮やかなもみじの覆われた駐車場にバイクを停めます。雨が上がった後の霧が幻想的な雰囲気です。山内に登ろうと思ったけど、200円寄付の木箱が置いてあります。小銭が品切れで1000円札しかありません。パス。次回、家内と一緒に訪問の時のお楽しみにしました。ハイキングコースの案内板が立っています。前回も今回もr733でハイカーとすれ違いましたが、ここを歩きに来てるのだろうか?
r733に戻り急坂を登ります。お決まりのコンクリート丸型蹄付き舗装です。グイーンと上がり、「逢坂峠」を越えて大阪府高槻市側に入ります。r6〜r46〜r733で「柚原」交差点からR423に乗って南下します。家内へのお土産を買うのを忘れたので、休憩を兼ねて「乳の泉」に寄ります。ほぼ空の「いろはす」を飲み干し、乳の泉を充填してお土産にします。
そのまま一気に帰宅でもいいんだけど、青空さえ見えてきて気持ちがいいので、R423余野止々呂美のコンビニ・セブンイレブン「余野コン」で休憩です。頑張って2本も山登りしたので糖分が必要ですね。アイスを物色します。17:12、森永パルムチョコレート126円購入。棒アイスにチョコが巻いてある定番ものですが、アイスクリームが適度な柔らかさで美味しい。これはヒットしました。
もう一つヒットがあります。リードに座ってアイスを頬張っていると、近隣観光地案内看板が目につきました。「日枝神社跡と止々呂美城跡」、山城好きの僕を惹き付けます。間近に寄って場所を確認。早速向かいます。沢を挟んで向かいにある「青龍寺」は確認できましたが、山城がわかりません。沢沿いの道を上がっていくともう無理になり、Uターンしました。ここに「危険・立入禁止」と書かれた檻が置かれていました。大型の鹿は無理だけど、ツキノワグマなら捕獲できる檻が仕掛けられていました。山に入ればたまに見かけますが、ここは徒歩1分も下れば民家密集地です。こんな近くに・・・僕のような寄り道好き幼稚園児なら檻に捕獲されそう。
止々呂美山城探索はお預けにして、一気に帰りました。18:00帰宅。しっかり汚れたので、すぐさまリードを洗ってあげました。ああ、面白かった。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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