ウェブマスター日記 2011/7-8

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
感想をいただけるとありがたいです→webmaster

2011/8/29
日曜日は、前週に続き琵琶湖に行ってきました。近畿北陸インカレ予選団体戦です。1週間前の個人戦で、1人全国への切符を手にしたので、その勢いで団体戦の切符も手に入れたいです。
予選は3日間のレースです。2日間終え、スナイプ級3位です。1・2位のD・リッツさんと大きな差ができていますが、4位に20点の差があります。予選通過は上位3校なので、ここは死守したいところです。3・4・5位3校の争いが最終日の焦点になりそうです。
5時半に目覚めました。1週間前は目覚めが遅れ慌てたけど、余裕で用意できました。朝食・朝風呂入って、家内が差し入れのりんごジュース30本を持たせてくれました。家内は、次男がお世話になったクラブなので、僕のように直接言葉をかける事はできないけど、気持ちよくヨットに出してくれ、何かと縁の下の力持ちをしてくれます。女性というのは凄いものだなあと感心してしまいます。
8月最後の日曜日、良い天気で、交通量も心持ち少なめな感じがしました。夏休み最後なので、宿題の追い込みで家族行楽が減ったのかも?YHの駐車場に入れ用意してると、レース委員長のタイさんの車が入ってきました。僕の停めた3Fの日陰駐車場をキョロキョロしていましたが、スペースがないので屋上に上がっていかれました。
3m/sほどの軽風が北から入っています。北風は安定するので、先週のように長い風待ちがないことを祈ります。2日間で4レースしか消化されておらず、結果はどうあれ、たくさんレースして勝っても負けても、納得できるレースになることを期待します。ホーンが鳴り、予定通り出艇申告が始まりました。コーチボートの他に観覧船も1艇用意されており、マネージャーやOBを満載して沖に出ます。
R1。4174は、本部船側の空いたスペースから出ました。フルセイルのタイミングが5秒遅いかな?号砲直後のボートスピードがイマイチです。でもセオリー通り即タックして右展開します。Goodです。4352は、スタート後のタックが気になります。早く集団から離れる、つまり外に出すのが大切なんだけど。30383は、4回のタックで4位で上マーク回航しました。セオリー通りのコース引きで、ボートスピードもあるので、安心して見ていられます。
R2。4352は、上一スタート・即タック。早く外に出していい感じです。右に出すポート集団の一番下でトップです。レグの1/2走ってタックを返しセオリー通りのいい展開です。バウをどんどん切って中央に寄せて順位を確定していくのですが、バウを切られてしまう船が数艇。う〜むボートスピードにアドバンテージがないようです。再び右に出し、長い最終見通しを取りました。ロング最終見通しになると、どうしても順位を落とし気味になります。
R3。4174、本部船寄りスタート・即タック。レグ1/3でタック。いい感じです。そして1上トップ回航。彼女は、早めにスタートラインに並び、号砲直前のフルセイルのタイミングまでシバーさせて待てる落ち着きがあります。練習して、スタートラインの把握やボートスピードが増せば、素晴らしい選手に育ちそうです。
今回は、1回生・初レースということもあり、ボートとセイルのポテンシャルが落ちていますが、次戦からはそっちのパフォーマンスも上がるでしょう。30383、上一即タック。トップコースです。しかし、最後左から風が入ったようで1上・8位。サイドへのコースも常にフレッシュウインドを受け5位。最終4位。ボートスピードと、オーソドックスなコース引きで安心してみていられます。まあ、ボートスピードがあるから、オーソドックスなコース引きになるんだけど、勝ち方を知っているコースです。
R4。4532、上4スタート・早めにタックしてケツなめして、右海面に出ていきます。スタートが低かったようですが、リカバリーとしてはGoodです。30383のコース引きを1上まで追いました。スタート1分ほど前からスターボ・フルセイルで走っています。なんとか間に合って、遅れ下一スタート。下2・下3の艇よりスピードがあり、上突破されずにバウを出していきます。スターボ集団が歯抜けのようにタックしていき、いい感じで集団から離れました。レグ1/2でタック、2艇のバウを交わしましたが、3艇目のDリコNo3にバウを切られます。でも1艇だけなので、そのまま中央に寄せていきます。右から寄せてきた上位艇とのミートが始まり、3艇集団とのミートで下タックしました。バウを切れなかったのでしょう。このタックはGoodです。ここをベアしていたら、次々やってくるスターボ集団に飲み込まれてフレッシュウインドが受けられません。Dリコ3にバウを切られ、そのラインより上がったところでタック。全レグの1/4のラインです。どんどんバウを切っていき、右のトップ集団にはバウを切られますが、中央まで寄せ、次は右がいいと判断したようでそのまま右に出してタック。僕のコース引きととても似ています。まずレグ1/2までは外に出し、タックして中央に寄せながら反対海面に行った艇とのパフォーマンスを見に行きます。向こうが良ければ、バウを切れない集団とのミートになるので、たいていは下タックしてフレッシュウインドを失わないようにします。1/2の1/2つまり全体の1/4の中央点を目標に、再びタックして中央に寄せます。ここまで来ると、ボートスピードのない船は脱落しているので、バウを切られてもフレッシュウインドを長時間失うことはありません。フレッシュウインドのことを考えずに、自由なコース引きに切り替えます。30383は結局6位で1上回航。30383と一緒に左海面を選択したトップ艇Dリコ3は4位。右海面の方が良かったようですが、反対海面に出たとしても、そっちのトップにいれば、1上上位に必ず来ます。このレースのトップ6は、良い海面4・悪い海面2でした。レースなんていつもこうなります。ボートスピードを磨き(セッティングが重要)、オーソドックスなコースを引けば、レース杯数が増えるほど、これを知ってる艇とそうでない艇との差が大きく出ます。

結局、金沢さんが3位で4位が龍谷さん、5位に落ちてしまいました。残念ですが、これが実力なので仕方ないです。閉会式までハーバーにおり、合宿所に帰って代交代式になりました。
OBから始まって、僕も話をさせてもらいました。僕が関わってから卒業した若手OBの僕の知らなかった本音話は面白かったな。OBであり、今教授として母校に戻ってきてる部長さんは、研究室で長年いろんな院生を指導してきたけど、2人のヨット部主将経験者がピカイチの研究者だったと言われていました。ここ一番で更に頑張れる才能が、最も重要な才能だとか。若手OBの研究者としての出世頭A君は、ヨット部しながら1番で卒業しました。彼の話も素晴らしいものでした。体育会クラブをしたら勉強ができないなんて、何の根拠もありません。一回り大きな器の人間を作るのに体育会はとてもいいです。
新チームでもまだ現役の部員からの言葉、それに答える新OB・OGの言葉、当然涙をこらえながらしゃべる子もおり、僕の目頭も忙しい。こういうステップを踏みながら、どんどん成長していく。一生懸命やった者にしか体験できないいい時間を共有させてもらいました。
この日は、ドラゴンのレースとバッティングしたので、そちらのメンバーから降ろしてもらいましたが、軽風の楽しいレースだったことを願いながら、帰路に着きました。

2011/8/22
日曜日は、琵琶湖の近畿北陸インカレ個人戦に行ってきました。ここを突破しないと、全日本インカレ個人戦に出場できない。そして次の週末の団体戦予選を突破しないと、インカレ団体戦に出場できません。4回生は、クラブの引退がかかった大事なレースです。
前回、合宿所前の草刈りが雨で出来なかったので、今回こそと我が家の誇る電動垣根刈りを用意したのですが、朝の天気を見て持っていくのをやめました。朝の目覚めが6時と遅くなったので、慌てて準備です。家内が実家冷蔵庫から、スイカと桃を持ってきてくれました。僕は麦茶をクーラーに用意し、双眼鏡など観戦グッズ準備をしました。
車に乗るとガソリンがちょっと寂しいし、昼食のおにぎりをコンビニに買いに行かないとダメやし・・・なんて考えながら積み込みしてたら桃を忘れちゃいました。全ては起床が遅くて余裕がなかったからです。
僕御用達GSを出て走りだすと、雨がポツポツ落ちてきました。中国道に乗ると豪雨です。ワイパーが忙しなく動いています。雷さんは鳴っていませんが、夕立ちみたいに局地的で、すぐに曇り空に戻り、天王山トンネルのとこで再び豪雨になりました。
小降りの琵琶湖柳が崎YHに到着すると、前に見慣れたユニフォームの女子が歩いています。女子マネさんです。「あのさあ、スイカと桃持ってきたんだけど、こっちに持ってきていいかな?」。駐車場に停め、着替えて差し入れを出そうとすると・・・桃がありません。「あれ〜忘れちゃった〜」。ガッカリです。
艇庫前に、みんなの元気な姿がありました。すぐ後に監督さんがやってきました。なんと手にはヘルメット・・・この豪雨の中、バイクで来られたようです。凄い。
8:30、琵琶湖らしく風待ちAP旗が上がり、11時頃のAP降下まで長い出艇待ちになりました。基本、マネさん達のご近所に居場所を確保し、選手やOB達とおしゃべりして過ごします。マネボス・フルカワさんが、僕の御相手をしてくれます。みんなと喋ってると楽しいな。陸上本部に成績表を見に行きます。同志社のタイさんが詰めています。レース委員長やってるのかも?オカモト君が6位で、全日本切符のギリギリにいます。あと1日、頑張って欲しいものです。まだ2レースしかやってないので、他の選手も今日の成績如何では全日本に行けます。
同志社のナラ君とぴーちゃんが、それぞれのクラストップです。リッツのソワ君が2番。相変わらずOP上がりは強いね。リッツのソワ君がやってきたので、ちょっとおしゃべり。お父さんに似て、気のいい楽しいやつです。リッツOGになってしまったリエちゃんがいたので、近況をおしゃべり。僕を覚えててくれてありがたいです。
APが下りて全艇出艇。選手を応援する陸上からの声援があり、雰囲気が盛り上がります。レスキューに、監督・僕・1回生1人の他は女子マネさんたちが乗り込み、総勢9名で沖に出ます。雨が降ったり止んだりだったので、カッパを着たり脱いだり忙しい1日になりました。
しばらく風待ちした後、2回のゼネリコ後にスタートしました。三井寺〜南の風2〜3m/sほど。470期待の新人ミズノさんは、混んでるアウター側を避け、本部船よりから出ます。セオリー通りタックして右海面に出ていきます。ナイスなコースですが、ボートスピードにアドバンテージがないようで、上突破されてしまいました。でもそのまま右に伸ばしたので、逃げて集団に飲み込まれるよりマシだなと目を離しました。マエカワ君のスタートは確認できませんでしたが、アウター側から出たようです。序盤で中央に寄せてきて、ここでからんだ数艇との関係で3回もタックしていました。序盤の局地戦でのタックは、長いレースとしては致命的です。その後、右にコース取りしてるのを双眼鏡で追いかけていると、ミズノさんとミート負けしています。う〜む、やはり。もったいないぞ。2艇とも、ケツ5〜10で1上マーク回航。ここからマエカワ君はかなり挽回してフィニッシュしたので、序盤のタックが悔やまれます。
レースフィニッシュ後、コーチボートにやってきたマエカワ君に、気付いた事をアドバイスします。ちょっとしょげ気味だったので、冷たい麦茶を出し、元気付けの明るい言葉で、次のレースに追い出します。気持ちの切り替えが大事です。
ミズノさんは、楽しそうにコーチボートにやってきました。明らかに練習のスピードが出ておらず、大学公式戦スキーパー初レースで緊張してるかなと思ったのですが、笑顔なので安心しました。成績は上位とは行かなかったけど、図太くいかなきゃね。朝の出艇前は、「大学のレースは罵声もありおっかない」と言ってたけど、図太かったらすぐに慣れます。スピードが出ない時は、冷静にセイルセッティングをチェックすることと、きついアビームでスピンポールが低かったことをアドバイスしました。スタート後、しばらく落ち着かず、シートを引けてるのか引けてないのかもわからなかったそうです。1回生コンビだから、心細いと思うけど、ゲームなんだから楽しんでほしい。冷たい麦茶振舞って、「ビビってスタートラインから下がらないように」「思いっきり行きなよ」と明るく大きな声を掛けて送り出しました。
スナイプは1回ゼネリコした後オールクリアでスタート。1上回航はマツザキ20位・オカモト25位・カネダその後ろで苦しい展開です。風が右に振り、上〜サイドマークが、ポートレグ20艇身ほど必要なレグになりました。トップ5はセオリー通りロングレグのスターボでサイドマークに向かいます。オカモトはセオリー通りスターボのいい位置でフレッシュウインド受けてるので、10艇ぐらい食えるかなと予想しました。マツザキは、前半にジャイブしてショートレグを使います。後続艇のブランケットを避けてジャイブして内に入る船も多いですが、僕には冒険に見えました。風が振れ戻せば万事休します。
結局オカモトはサイドで5艇上がり、マツザキは10艇食いました。レース後コーチボートで聞くと、ブランケットを避けながら、上り目スピード重視でフレッシュを受け続けたようです。ボートスピードがあったのですね。フィニッシュでは、オカモトが9位まで上げ、総合6位はまだなんとか確保したみたいです。
1度スタートして、大きく風が振れノーレースというのがありましたが、ここから長い風待ちになりました。冨山大さんは、全員お揃いの黒いライジャケでカッコいい。コーチボートもVSRです。近くに来られたので「いい船ですね」と声をかけると、体格のいい監督さん?が、「まあなんとか・・・」と言ってました。ソワ君が近所に来たので声をかけると、にこにこしています。ピーちゃんが来たので、「優勝やね」と声をかけると、わざわざ船を止めて立って、「カミヤさん、お久しぶりです」だって。全日本スナイプで兄弟参戦したことに触れると、楽しそうに話してくれました。
風が来ず、これでレース終了です。オカモトくんは、全日本インカレ個人戦に駒を進めました。解装後ミーティングして帰宅しました。帰りも豪雨が1度ありました。桂PAには、さすがにバイクが1台。バイクツーリングは全滅やね。
帰宅後、桃を忘れちゃったことを家内に話すと、「玄関前に出したのに、それを言うのを忘れちゃたの。ごめんね」だって。「せっかく用意してくれてたのに、ごめんね」。

2011/8/17
お盆初日の土曜日は、新エルシノアのお披露目でした。13時に浜集合でしたが、キンノさんからの連絡もあり、11時目指して10時半に浜に着きました。我が家からは、キャンプ用椅子・テーブル・パラソルセットと、麦茶6Lウォータークーラーを出動させました。キャンプセットは、20年は使っていなかったでしょうが、倉庫を探すと健在でした。パラソルは、もう朽ち果ててるかと期待しませんでしたが、こちらも立派に現役を維持してくれていました。
家内と2人、えっちらおっちらそれらを船に運び終えたところに、キンノさんから電話が入りました。食材の購入についての電話でした。家内と船内・船上をあ〜だこ〜だ、写真写したりしてたら、キンノさん登場。いつものバースでは、桟橋が狭いので、桟橋の一番南に船を移動させます。ここは、ユーティリティスペースなので、ここの広い桟橋にキャンプセットを立てます。パラソルを立てると、ちょっとした海水浴場の砂浜の気分です。大きな船が並んでるので、リゾート気分でしょうか。
家内に留守番を頼み、キンノさんと2人で生協さんに買い物です。サンドイッチ・揚げ物・飲み物・氷を購入。僕の寄付したエルシノア・キャリアが大活躍です。こんな重いものを手に下げて運べないわ。
船に戻ると、皆さんがパラパラと来られます。さあ、始めようと、シブカワさんが持ってこられたシャンパンの準備をしようと、ラップを剥がし、コルク留めてる針金を緩めると、いきなりポンと蓋が飛んでしまいました。あちゃ〜、アルコール飲まない僕は、こういうものに無知です。
でも、購入したシャンパンがあるので、そっちでポンとやり、船のバウに少々掛けます。「もったいないから、ちょっとでええから」やって。中古艇だけど、無事進水式が終わりました。その後は歓談です。上品なお話は少なく、家内に聞かせたくないような話も普通に出て、僕の評価は下がったでしょう。まあ、これがヨット部だから仕方ないね。
僕ら夫婦とシブカワさんが、桟橋に残り、他の方は処女航海です。15時に神戸の法事を終えてオオノさんが来られました。みかん・ぶどう・パイナップルの差し入れで、4人で大いに盛り上がりました。
エルシノアが帰ってきて、もう一度盛り上がり、16:30に解散しました。エルシノア3は34フィートでしたが、今度のエルシノア4は32.2フィート。全長が短くなり、横幅も1m狭くなったそうですが、船内に入った感じは、あまり変わりません。フランスのジャノー社製です。これからこの船で楽しみましょう。

20:30に、高校ヨット部同期の集まりが我が家であるので、生協さんでいろいろ買い込み、家路を急ぎます。僕はこれといった仕事はありませんが、主婦である家内は忙しいです。僕のやったことは、この機会にテーブルクロスを新調するために、コーナンに買い物に行ったことぐらいです。
スギモトとサトナカがタクシーでやってきました。家内含めて3人でごちゃごちゃやりました。水割りの冷えた水が2本しかない・・・ロックの氷がない・・・アルコール飲まない我が家だから、気付きませんでした。氷を入れる容器とか、ロックをかき混ぜる棒とかも必要だったな〜。僕の感覚で買ったソフトドリンクが、たくさん余りました。カタオカがやってきました。家内が寝たので、4人で23:30まで盛り上がりました。布団も4人分用意してましたが、僕が駅まで車で送り、みんな電車で帰りました。


お盆2日目の日曜日は、8:00にお寺さんがお盆法要にやってきます。前日、いつもより遅く寝たので、起床が遅くなりました。家内はいつものように、仏壇のお世話やお寺さんへのお礼など、朝一番から働いています。僕のやったことは、麦茶作ったことぐらいです。
弟家族がやってきて、テル君に火を準備してもらい、お寺さんのお盆法要も無事終わりました。2台でお墓に向かいました。先月も来たはずなのに、弟のとこのお墓に草が多く生えています。お墓の掃除して、線香上げてお終い。ここから、お盆恒例のハイキングです。
まず、先月の早朝バイクで見つけた篠山の蕎麦屋さんに向かいます。10:15に「自然薯庵」に着いたのですが、開店は11:00だそうで、一番に名前を書いて周りでうろうろしながら待ちます。ひょうたん棚の下にテーブルと椅子があり、置いてある本を見ながらワイワイやってました。姪がまだ小学生なので、笑いと和みがあります。女子力は凄いね。
開店時間に近づくと、続々とお客さんが来られます。開店と同時に、1番の僕らから順番に店内に案内されます。茅葺きの田舎家で、とてもいい雰囲気です。そして満席になりました。なんだか、すごく流行ってるお店みたい。
家内は特製こだわりざるそば、僕は自然薯とろろそば大。自然薯の粘り具合がすごく、今までで一番粘ったと思います。とても美味しく、大当たりのお店でした。でもここは、待つことを頭に入れて来ないと・・・僕らがお店を出た時には、外でお客さんが数組待っていましたに。大流行のお店でした。6人で9000円ぐらいだったかな?ここは、いつものように長男の我が家持ちです。
お腹も満足したので、本日のメインイベント・高城山・八上城趾登城です。丹波の3強の1つ、篠山を抑えていた波多野氏の居城です。篠山盆地の南、旧山陰街道のすぐ南にそびえる三角の秀麗な山が高城山です。信長の命で丹波平定に入った明智光秀を1度は打ち破りましたが、ついに包囲され、兵糧攻めにあい悲惨な最期を遂げました。
麓の春日神社から登ります。保存会の方が手入れされているようで、道に迷うことなく、本丸まで上がれました。約1時間です。ストックが役に立ちました。やっぱり楽だわ。麓からは見上げるような高い山なのに、コツコツ登りだすと山頂まで行けるものです。ただ家内は、本丸下の二の丸で足がつってしまいました。本丸にいる弟たちと話しながらワイワイやります。
途中に、西の展望がある曲輪とか、北の展望が広がるところとかがあり、楽しい登城でした。山頂に来ると、三の丸・二の丸・本丸と曲輪が続き、3大勢力の八木城址・黒井城址より規模が大きいのが分かりました。本丸には石垣も残っています。
2度しか休憩せずに登ったのが足に来たのかなと思い、下りは6回ぐらい休憩しながら、僕ら夫婦はゆっくり下りました。春日神社を過ぎ、旧山陰街道を歩いていると、弟が車でやってきて、僕らに水とスポーツドリンクの補給をしてくれました。ありがたい。
すぐに車に着き、弟たちの待つコンビニに向かいます。弟は、暑い駐車場にいましたが、他の3人はコンビニ内で涼んでいます。弟は車のエアコンをかけないそうで、窓全開走行だそうです。僕らの子供時代は、車にクーラーなど付いていなかったので当たり前だったけど、今の世の中、す・す・すごいです。やるなあ、弟。僕は当然コンビニ内で涼みます。ガリガリ君を、店内の椅子に腰掛け、天国気分で頂きます。
ここで解散します。R372からr49に入り、永澤寺を通り過ぎ、「わらび餅屋」で休憩しました。家内を連れてきたかったお店です。休みが多いので、お盆のこの時期休業確率60%ぐらいと思ってたのですが、家内は茅葺屋根と店内の落ち着いた雰囲気に大喜びでした。「一緒に来たら良かったね」って。そうです、あそこで解散せずに弟達と一緒に来たら良かったです。


お盆休み3日目の月曜日。前日、家内の足がつったのでどうしようかなと思ったのですが、家内が行くということなので、予定通り信楽に行きました。本当は、バイクタンデムで四国上陸予定でした。神戸からフェリーで高松に上陸し、祖谷のかずら橋と、四国カルストを回ろうと思っていたのですが、フェリーの予約が取れませんでした。カルストの宿も取れなかったし・・・。
次案の「とびしま・しまなみ海道、タンデムバイク&自転車ツアー」は、帰省の高速代渋滞ニュースにビビってしまいました。車に自転車と布団を載せて夜出発し、初日福山でレンタルバイクして「とびしま街道」〜フェリーで大三島〜福山。2日目は、しまなみ海道の大三島の隣の生口島まで車移動し、自転車で島を一周というものでした。

6:30に自宅を出発。近畿道を南下し、東大阪JCTから阪神高速・第二阪奈道で奈良入りしました。平城宮跡の横を通り、関西線のJR加茂駅に7:50に到着。駅前に、1日300円のパーキングがあって助かりました。奈良の混雑を危惧していたのですが、京都と違い観光客が少ないです。難なく市内をクリアしました。8:17の列車に乗らないと1時間待ちとなるので慌てて輪行パックします。まあ、慣れてるので余裕で間に合いました。
亀山行きの始発駅なので、ゆったり座れました。2両連結のディーゼル車、ここから先は未電化のようです。出発間際、大阪方面からやってきた電車が着いたのか、立つ人が出る位の混雑になりました。2駅過ぎるとまたガラガラの車内になりました。
9:11柘植駅下車、9:40JR草津線に乗り換えて出発。こっちは電化されています。電車は、ディーゼル車に比べてパワーがあります。車もバッテリー価格が下がり、充電時間・航続距離が改善されれば、一気にエンジン車は姿を消しそうです。関西線も草津線も単線です。自転車持ちですが、こういうローカル線の旅も楽しいです。
10:01貴生川駅下車。ここから信楽鉄道に乗り換えです。10:54、1両編成の信楽鉄道で出発。お客さん少ないし、雰囲気のいい鉄道旅でした。家内は、キョロキョロ半分腰が浮いてます。途中に、紫香楽宮跡駅があり、こんな山奥に、よく都を移そうとしたなとびっくりです。
11:18、終点信楽駅到着。駅前で自転車を組み立て、駅舎に観光地図がなかったので、まず観光協会に向かいます。あっちもこっちも、信楽焼名物・狸の置物だらけです。ドデカイのや、でっかい寝てるのも。家内は、さすがお茶の免許皆伝者だけあって、その関係の器に興味が行っています。

12:40、「永和寿司」さんで昼食にします。家内は穴子丼900円、僕は鳥なんば750円。「そば」の幟に混じって「ちば寿司」の幟がたくさん立っていたので、店名が「ちば寿司」と思っていたので、割り箸の袋の「永和寿司」の店名見て、不思議だなと思いました。家内にそのことを話すと、じっと「ちば寿司」の幟を見ながら、「あれは、「さば寿司」の幟じゃない」と鋭い指摘です。「ああ、そうか」。風が反対になびいて、「さば」の字が裏返しになっていました。きっと僕の小学生並みの文字力に呆れたでしょう。そう言えば、能勢町の喫茶店の「山のさん」の看板見て、我が家のお隣の「山野さん」と同じだと叫んだら、家内から、「あれは「山のさと」だよ」って指摘されたこともありました。崩した字だから間違えるんだよ〜。
車を置いたJR加茂駅まで30km走るのですが、標高差240m。緩やかな下りがずっと続くらくちんコースだと思っていたら、途中に滋賀県と京都府の県境があり、そこまでは緩い登りでした。交通量多めのR307を4kmほど走ります。ほぼ平坦なのですが、向かい風であまり進みません。
交通量の殆ど無いr5に入ったら、木々で向かい風はなくなりましたが、軽い登りです。2km程の距離ですが、最後の県境・峠100mぐらい勾配がきつくなりました。僕が先にバックミラーに家内を見ながら峠に着きました。家内の頑張ってる姿をカメラに収めようとスタンバイしました。ところが、なかなかやってきません。ありゃおかしいな?峠の手前でカーブしてるので、峠の登り坂が見通せません。
バックしてみると、坂の途中で家内が止まっています。「また足がつったかな?」と心配になりましたが、自転車が動かなくなったとのこと。チェーンが前ギアのチェンジ途中で止まっています。変速前にスピードがなくなり過ぎたようで、後ろタイヤを浮かして、ペダルを回すとスムーズに前ギアにチェーンが入りました。
僕が乗ってみると、何も問題ありませんでした。後ひとこぎできれば、問題なかったのにね。自分で直そうと、チェーンを直接持って動かしていたみたいで、グローブの指先に油が付いて黒くなっています。それで触ったピンクのお気に入りウエアも黒くなっています。
県境を越えてからは、快調な下りでした。沢沿い・川沿いの下りで気持ちがいいです。浅い沢にキャンプ場があり、小さい子が親の周りで川遊びしています。
「山の駅」というのがあったので、かき氷狙いで休憩しました。氷がなかったので、サイダーと抹茶ソフトを食べました。和束町に入り、お茶畑が目立つようになり、お茶畑ばかりのところもあります。これは相当な量のお茶です。宇治茶の看板もあり、和束茶は宇治茶の最高級ブランドだと知りました。
木津川を越え、JR加茂駅到着。自転車走行時間2時間5分18秒・30.49km=平均速度14.6km/h・最高速度36.8km/hでした。3時間掛けて電車で信楽まで行き、自転車走行2時間・休憩含めて3時間で戻ってきました。R307で10人ぐらいの速い集団に抜かされました。僕らの倍のスピードでした。あの人達だったら、1時間ほどで加茂まで行っちゃいそうです。


お盆4日目最終日は、バイクタンデムです。いつものように通勤リード110に活躍してもらいます。
7時頃出発しました。まず、R423を北上します。+10kmの50km/hぐらいで、高速車にスムーズに抜いてもらいながら、「乳の泉」に到着しました。いつもながら、じゃんじゃん湧き水が湧いています。
京都府・亀岡市に入り、こないだ探索した「れいせんGC」の看板が目に入ります。霊仙ヶ岳の亀岡盆地側が宅地開発されているのか、作業用道路がR423から山に向かって伸びています。雲海ポイントがあるかもしれません。要探索です。
亀岡盆地に下りて、r407「穴太寺」経由でR372にショートカットします。R372・デカンショ街道を西進。R477分岐・r73分岐を過ぎ、九州大学の風力発電所で休憩します。世界一効率のいい風車発電機だそうです。風車の周りにリングが付いているだけに見えるのだけど、どういう理屈なのだろう?
交通量の少ないr452に入ります。ここで交代して家内のバイク練習しようとしたら、免許忘れたんだって・・・ガックリ。これまた交通量の少ないr453にチェンジ。川沿いの旧道に入るとすぐに、バイクの音が聞こえてきます。10台ぐらいのバイクが、たぶん80km/hぐらいの高速で突っ走って行きます。一発免停のスピードです。
細道の「中山峠」を越え、r702へ。ちょっとr303を南下し、「市野々」のあのカッコいいお家に寄ります。篠山一かっこいい家だと思います。近くに神社があり、裏山の位置にお寺があり、土塀が薄いピンクで粋です。いかにも名のある武士・小豪族の館です。ちょうど、お家の方が、車に荷物を運び入れていました。末裔なんだろうか?
r702をR173福井交差点に向かっていると、かっこいい車が停まっていました。近くで農作業してる方の車でしょう。「ライガー4WD」。名前もかっこいい。1人乗り・太いタイヤ・ナンバーに「農」の字。免許取立ての家内は、「小型特殊自動車やね」と言ってます。軽四4WDを更に小さくした形です。荷台部分は取り外せるのかも?
9:30、福井交差点で、お気に入りの「おくも」で休憩です。昔の田舎のスーパー・何でも屋です。元は洋服屋さんだったのか、店の半分は洋服売り場です。あと半分は、ヤマザキショップだけど、じょうろだったりバケツだったり、田舎ならではの品揃えです。
家内が、モグラ取り器具を発見しました。モグラは大食漢で、自身の体ぐらいの食物を毎日食べるそうです。トンネルを歩きまわり、そこに出てきたミミズなどを食するのだとか。モグラの本道(地面が膨らんでるのは枝道)を見つけ、そこにこの筒を仕掛けるのだとか。匂いに敏感なので、手を洗い、器具を洗い、器具に土をすり込むなどが重要だとか。なるほど、1つ買おうかと思ったけど、モグラなんていない我が家だから、思いっきり家内に馬鹿にされそうでやめました。
僕が好きなとこは、店の前のテントの下に大きな机のあるベンチがあり、日陰の屋外で買ったものを食べれるところです。290円のお寿司を買い、半分こ朝食しました。ゴミ捨てに出てきたお店のおばちゃんと話していると、福井からほんの少しR173を北上した所から東側に枝道を入ると滝があるのだとか・・・これは知らなかった。次回探索ポイントです。
R173を南下します。篠山マラソンのコースを家内に説明し、r702を西進。「雲部車塚古墳」到着。R173に戻り、10:00、エネオスで給油。181km/4L=45.3km/L。更に北上し、枝道に入り、「筱見四十八滝」到着。次回ハイキングコースにどうかなと、家内と相談しました。
R173に戻り、北上します。R9〜r709「三春峠」〜春日〜R175「安全山・ハングライダー・テイクオフ基地」というメニューなんだけど、家内の会話反応が鈍くなっていきます。「あかん、寝るかも」。
道の駅「瑞穂の里さらびき」で休憩しました。僕らの前に停まってたCB1300さんが出発の用意をしていました。鹿児島ナンバーなので、声を掛けてみました。「鹿児島からですか?遠くから・・・」。なんと北海道からの帰りだそうです。ということは、帰路の半分以上来てるということですね。鹿児島〜大阪、舞鶴〜小樽をフェリー利用で、大阪〜舞鶴を自走だそうです。今夜は、大阪此花区春日の友人宅に泊まるのだとか。学生時代250ccに乗ってて、最近CB1300でリターンしたそうです。「まだ慣れなくて・・・」と言っておられましたが、1300ccあれば楽でしょう。別れ際の定番「気をつけて」で別れました。バイク乗り同士は、すぐに会話が弾みいいね。
安全山まで、家内の睡魔が持ちそうにないと判断し、ここから帰路です。R173を南下し、r300・r301で「本郷」に出ます。本郷の春日神社で休憩。ここからr97で「鼓峠」。「栗柄峠」の分水界で休憩。
「西紀」に下り、西紀トンネル通って篠山市へ。「デカンショ祭」ということだったので、市街地を巡ってみました。夜は盆踊りのようです。甘いものセットと前から一度飲んでみたかった「冷やしあめ」を注文。少し甘く、生姜が入ってるのか少しピリリとします。生姜湯を冷やしたものかな?これは旨いというものではありませんでした。
r49・r308で青野川沿いを下り、千丈寺湖を巡り、再びr49。r68からr33に出て、西谷農協・大池の食堂で昼食にしました。家内は、そば定食。僕は食後にかき氷も食べました。ここのかき氷は期待したのですが、冷蔵庫の小型氷を砕く目の荒いかき氷で、昔のあの氷かき器で大きな氷を細かく削るかき氷ではありませんでした。あの削り氷が旨いんだけどなあ・・・。目の前の釣り堀・大池は大流行で、貸し竿用池では次々に鯉が釣り上げられていました。お父さんの息子2人が目の前で釣り上げてるのを、美人のお母さんがかき氷を食べながら写真に撮っていました。昔の我が家を見てるようで、懐かしく見てしまいました。

2011/8/8
昨日は、家内の実家のお墓参りでした。いつもなら、早朝に車で出かけるのですが、通勤リード・タンデムツーリングで涼しいだろう山走りのメニューもオンしました。
村上春樹原作・ノルウェイの森の映画ロケ地になった峰山高原・砥峰高原を目指します。家内のバイク負担を軽減すべく、お得意の電車ライド併用です。播但線・寺前駅で家内と待ち合わせにして、AM5:30出発です。家内の電車は、6:30発・寺前9:00です。通勤リード110だと、電車とだいたい同じぐらいの所要時間です。
6:30に出ればいいのですが、僕の場合、寄り道の時間も確保しておきたいから、少し早めの出発です。ところが、前回丹後半島一周の時、待ち合わせの福知山に僕の方が1時間も早く着いたので、家内も同時出発でした。「おぅ、寄り道時間がなくなるかも?」。
まずは三田を目指します。僕の早朝バイクの定番「長尾山トンネル」を抜けて、北摂里山地帯に入ります。味気なく、無謀な運転する車に追いかけられるR176より、のんびり走れていいです。r33から、「川下川ダム」横を通り、武庫川に出ます。新名神高速道の工事が進んでおり、橋脚がさらに高くなっています。優雅にワシが飛んでた山が削られ、少々悲しいですが、自然の再生力は偉大なので、しばらくすれば無粋な高速道以外は、緑に帰るでしょう。
「JR道場駅」を経てR176に合流し、少し北上し、西進するr17にチェンジします。義理兄の母校・三田学園横を通ります。中国道の通る前、親父に乗せられてよく行った東条湖への懐かしい道です。
やがて中国道に沿う様にr17は走り、「滝野社IC」が近づいてきた頃、いい感じの鳥居に惹かれました。田んぼに囲まれて鳥居が立ち、横を見ると謂れが立っています。「木梨神社」。10代崇神天皇の世、建立されたとか。12代天皇でADだから、BC50年頃でしょうかとても古い歴史のあるお宮です。平安時代、60代醍醐天皇の世、多田満仲がこの地に大池を作り、この宮を再建したのだとか。満仲は、藤原摂関家に軍事部門として仕えたので、ここらは藤原氏の荘園だったのかも?あるいは、満仲の所領だったのかもしれません。いずれにしても、清和源氏の祖・多田満仲が登場したので、鳥居の主に行ってみたくなりました。ぐるり見渡すと、中国道をくぐったところに主があります。中国道を走った時、目に入るお宮でした。小高い拝殿から振り返り、満仲が神社を再建し、ここに兵を駐屯させ、中国道がなければ見渡せる藤原摂関家か自分の所領であるこの田園地帯からの上がりを管理し、防衛してた時代を想像しました。お寺だって神社だって、元はもっと血なまぐさいものです。理屈のわからない天変地異を神の技と怯え、雨や川から供給される水の恵みを上に感謝し、打ち破ったライバルの魂を鎮魂し祟りを恐れて寺を建てたのです。それが、平和のシンボルに昇華しちゃうとこが、ナイスなところです。こんな日本が素敵でたまりません。
7:30、滝野社で給油。前回給油から、148km/3L=49.3km/L。
R372・R175を越え、r145にチェンジ。「釜坂峠」を越え、市川町側に下ります。r34を下り、福崎でR312。これを北上。「JR播但線・甘地駅」でr404にチェンジして、JR播但線沿いを北上します。以前、ここに車を置いて、電車で生野まで北上し、そこから自転車で帰ってきました。
晴天の素晴らしい天気です。左右の山を見上げながら走ってると、いかにも山城があります。という扁平な頂を持った山が西に見えました。麓からバッチリ見えるということは、反対も真なり。春日・黒井城址同様、抜群の眺望が期待できます。「JR鶴居駅」の道標が目に入り、山城の情報があるかも?と寄り道しました。
駅前広場(と言っても自転車置き場程度ですが)に、「鶴居城址」のことが書いてありました。同じ観光案内板に、「橋本忍」さんという方のことも書いてありました。「羅生門」「生きる」「七人の侍」など黒澤明作品を手がけた脚本家で、ここ鶴居出身だそうです。おお〜。
JRを道なりに西に渡り、次の駅「新野」に来ると、駅前の田んぼに水車が回っています。田より低い農業用水路から、水車によって水が田に引き上げられ灌漑しています。自転車できた時も見ましたが、素晴らしい。
次の駅が、待ち合わせの「JR寺前駅」でした。時刻は、8:30。予定より30分も早く家を出た家内が、もう到着してるかもしれません。駅舎を覗くといません。電話すると、福崎駅で乗り換え前らしい。駅前ロータリーにある観光案内所&売店で、ゆず入りケーキ3個入りを購入。ゆずジュース100円を確認し、駅舎待合室で1個食べてみる。ここは、以北の未電化路線への乗換駅なので駅員さんがいます。駅に案内アナウンスが流れ、改札からホームに入り電車をムービーに映します。扉が開き、家内がやって来ました。さっきの観光案内所前のベンチで、ゆずケーキとゆずジュースで小腹を整えました。
r404を少し戻り、r8で西進します。大きな岩がゴロゴロしてる市川の支流を遡ります。ぐんぐん高度を増し、ホテル・リフレシアへの曲がり角を過ぎてから、未走の道です。峠を越え、一宮側に下ります。楽しい道でした。
R29に出て、少し山崎側に南下したら、最初の訪問予定地・「播磨一宮神社」に着きました。一宮は、奈良時代、国が律令制各国に制定したお宮です。行政機関の役目も負っていたそうです。播磨という農業生産量豊富な豊かな上国の一宮としては、かなり辺鄙な所にあります。「なんで、加古川・市川・揖保川の恵み豊富な広い平野を持つ沿海部にないの?」、素直な疑問です。普通、人の多く住む、農業の盛んな便利なところに作るでしょう。
R29で前を通る度、立派な森を持つ神社だなと気になっていました。立派な森は、長い間、木が切られていないということ。歴史のある寺社ということです。「一宮伊和神社」前の道の駅にバイクを停めました。ここは賑わっていますが、R29を渡った伊和神社は、静かに佇んでいます。大きな石鳥居をくぐると、巨木の森です。拝殿に向けて歩いていると、「皇族下乗」の石碑。皇族の定期訪問があるのかもしれません。ここで皇族であっても乗り物から降りるのでしょう。
清潔感と歴史の趣きが佇む素敵な社殿です。僕も家内も、この日一番印象に残った場所になりました。謂れを読むと、「13代成務天皇の144年の創建・・・」。こちらも古いです。ゼロ1つ増えて、1440年でも室町時代で古いのに、ただの144年です。国としての日本が認識されるようになった奈良・明日香はおろか、各地豪族が大胆に移動闘争した古墳時代より前です。天皇なんて言っても、一豪族の長でしかなかった時代なんじゃないのかな?
R29を北上します。「福知渓谷」でまたR312側に戻るべく、r6に入ります。横の川で、地元の方が川魚を取ってるみたい。小さく低いコンクリート堰があり、そこに竹と板で仕切りを付け水流を狭めています。おじさん3人が、そこを覗き込んでゴソゴソしています。面白そうです。横では奥さん方?が、川掃除しています。更に上流に上がると、男2人で網を引いていました。鮎取ってるのかな?
福知渓谷のr39に入ろうとすると、看板が目に入りました。復旧工事のため、通行止めだって。ガックリ。地図を取り出し、R429で市川側に戻ることにしました。r6を更に北上し、R429に入り東進します。10:55、何と読むのかわからない「百千家満」という所に、「草置城址」の案内板が立っていました。「雲海の・・・」なんて、魅力的な言葉も目に入りました。「秋になったら来るといいね」なんて、家内は言いますが、「でも遠いわね」だって。来たいけどそのとおりです。ちゃんとした車道が登っているので、車で行けるのかもしれません。今日のメインメニューは、墓参りなので、次回に回します。
「若杉トンネル」を越えて、市川側に下りだすと、巨大コンクリート遺物が目に入ってきました。「神子畑選鉱場」跡地。「ムーセハウス」というのが建っていました。生野銀山に行った時、イギリス人技術者を呼んで指導を願ったとあったあの人の住まいのようです。ハウス内は、在りし日の選鉱場の様子を写真などで説明していました。明延鉱山からの産出物をここで選鉱し、生野に運んだのだとか。菊の紋章が目立つところにあります。一時、天皇家の所有になったのだとか・・・ココからの上がりを直接天皇家の財産に組み入れたようです。展示品を見て回り、トイレを借りて退出。
少し走ると、「神子畑鋳鉄橋」がありました。遺物というには、今でも実用十分で立派です。この上を線路が走り、鉱石を運んだのでしょう。
更に下ると、ハングライダーが飛んでいます。家内とワーワー言ってると、横に吹流し&男性が2人。バイク止めて、ムービー撮りだすと、目の前の広場にランディングしました。風任せなのに、ピタリとランディングバーンに凄いです。僕のやってるヨットも風任せそうだけど、こちらは3次元ですよ。周囲を見上げると、テイクオフバーンと思われる山上の扁平地が確認できます。
1週間ほど前、新聞記事で見つけたと、家内から「ハングライダーの2人乗りがあるんだって。一緒に乗りに行かない?」って誘われたことを思い出しました。「それは、指導者と一緒に乗るんやないの?」「一緒に乗れないの?」「僕、乗ったことないもん」「操縦出来ないの?」「・・・」。僕を、スーパーマンと勘違いしてるようです。でも、こういうことを真顔で言うところが、愛すべき女子です。
R312に出て、生野まで南下しました。「JR播但線生野駅」は、「夫婦で自転車・市川下り編」の出発地でした。ここから、再びR429で西進、生野銀山の方に進みます。でも少し行ったところで、r367にチェンジ。「白口」の墓場の中を走る県道です。両側にたくさんの墓石が並び、夜は走ったらあかん道です。峠を越え、越智川沿いに出ました。
ここから、サイクリングコースを下ります。本日の出発駅・寺前近くからバスで、越知川上流まで自転車を載せてくれます。ダウンヒルオンリーのサイクリングコースです。貸し自転車もあるので、気楽な1日が楽しめます。サイクリングコース案内看板に沿って下り、途中の大杉で休憩して、r8分岐まで来ました。
ここから、r8で東進です。さあ、加古川のお墓に向かいます。「寺前」からお墓まで、130km・5時間の予定通りのようです。「高原峠」を越え、蛍川で有名な「杉原川」側に出て、r143にチェンジして南下。r24・r79で南下し、中国道をくぐります。「夫婦で自転車・北条〜三木編」で乗った北条鉄道の線路を渡ります。
さあ、お墓への最後のアプローチというところで、道を間違えました。山陽道高架直前で左折してr118に乗り小野向きに東進しましたが、1本早く曲がってしまったようです。すぐお墓があるはずなのに・・・14時を過ぎているので、お昼を食べようと小野駅に向かいました。
14:50、「JR加古川線・小野町駅舎内」の「ぷらっと・きすみの」というお店で、お蕎麦をいただきました。ここが大当たり。狭い店ですが、お蕎麦が美味しく、量も多いです。地元のおっちゃんがお蕎麦打ちを習ってきて、地元のおばちゃんがウエイトレスしてる風で、感じがいいです。
お墓に参ります。線香だけ持ってお花なしです。前日に姉夫婦が来たとのことなので、お花の水を替えるのみでした。暑いので、墓石にたっぷりお水を掛け、線香炊いて手を合わせてお終いです。ここで、姉んとこに電話するように促したけど、家内は「いや〜」って。有馬温泉の家で、朝から山登りすると言ってた姉夫婦が、夜まで有馬にいるようだったら寄ろうかなと思ったのですが・・・。1週間前に、有馬の家においでと誘われたから、次はこちらから声を掛けるのがいいと思うんだけど・・・、もう帰るならそれで義理は立つのです。声を掛けるのが大切、なんて僕は思います。
「JR市場駅」の横を通り、神戸電鉄・三木駅から、r38を東進します。単調な平地でゆるいワインディングな道なので、後ろが気になります。無線の声掛けへの反応が鈍くなり、ブレーキをかけるとコツンとヘルメットが当たるようになると、もうすぐ寝るサイン。休憩を入れます。
「淡河城址」横を過ぎ、有馬温泉への道標に従ってr506にチェンジ。ここで2度目の給油をしました。16:00、214km/4.47L=47.9km/L。「有野台」を上がり、「有馬温泉」到着。姉夫婦のマンション前で、電話します。もう加古川に戻ってるみたいです。しきりに、マンションの温泉に入っていくように勧められるが、帰宅を選択しました。マンション前まで行ったので、義理は立ちました。次は一緒に山歩きしましょう。姉夫婦は、とても感じがよく、お互いの子供たちが手を離れたこれから、子供たちがチビの時のように、気楽に一緒に何処かに行ったり、何かをしたりする機会が増えそうです。
r51で「蓬莱峡」横を下り、R176。16時を回ってるので、中国道・宝塚トンネル渋滞が始まっており、こちらに迂回してくる車が多いと思っていたのですが、スムーズでした。宝塚温泉街を通り、僕らが結婚式を挙げた宝塚ホテルに寄りました。
炎天下のタンデムツーリングで、水分補給ばかりで糖分が薄まっています。甘い物が必要でしょう。ホテルエントランスで、「このバイク装束でお茶してもいいですか?」と確認しました。「お葬式帰りの方も来られるからOKです」と。お葬式帰りの方のほうが、フォーマルだと思うけど。家内は、ケーキセット。僕は本日のオススメ、ケーキとアイスクリーム、さらにクリームソーダを追加しました。
家内は200km弱、僕は300km弱のツーリングでした。ああ、楽しかった。

2011/8/1
日曜日は、琵琶湖に行きました。大学ヨット部の練習に参加です。5月の連休のレース以来の参加です。5月連休の時は、次男のレース参加の応援で家内と一緒に行ったので、部員と話す時間も限られ、参加してとは言えない。その後、初北海道バイクツーリングに向け、あ〜だこ〜だ用意があったり、3日間連続バイクと言う経験がなかったので、長時間運転の耐久力醸成特訓したりしてて・・・。先月の練習参加予定日は、遠征でいなかったりで、久しぶりの練習参加になってしまいました。
こんなに長い間練習に行かなかったのは、コーチになって初めてかもしれません。底辺には、前の代の練習の時見たがっかりな光景があります。僕は楽しくやらないと上手にならないと思っています。やらされた練習で身につくものが1だとしたら、「ああしよう。こうしよう。あれを別のチューニングにしたらどうなるんだろう?・・・」なんて、自分から動いて失敗や成功を体験する方が、10倍は身につくと思っています。
必ずつきまとう失敗を伴う「自ら積極的に動く」ためのパワーは、失敗を次の成功へつなげる自分への自信が、どれだけ大きいかです。それが大きければ大きいほど、人の目なんて気にならず、自分の考えるまま、いろんなことにチャレンジ出来ます。
その自信は、周りの人の褒め言葉が作り出すように思っています。僕の子育ての信念は、「豚もおだてりゃ空を飛ぶ」です。ブタさんだって、木に登るにとどまらず空を飛ぶまでになるものです。実際に、「紅の豚」のポルコは飛んだし・・・(宮崎駿のアニメだけど)。
小学校の先生からもらった「絵がうまいねえ」の褒め言葉から、絵描きになった人もいます。殆どの人は、褒められたことで、僕はこれが出来るんだと気付き、少しずつ自信を大きくしていくのだと思います。失敗なんて、次の成功の源です。誰でも赤ちゃんの時は何も出来なかったんです。手足をバタバタさせ、いつの間にか寝返りしています。ハイハイし始めは、何故かバックしていきますが、1ヶ月後には上手に前に進みます。僕は親としてとても嬉しかったし、「すごい、すごい」と褒めまくり、誇らしかった。誰でもそうでしょう。でもその時、前に進めないのを叱ったら、それで叩いたら、その子はどう思うでしょう。ハイハイすれば叩かれる・・・ならハイハイしない方がいい・・・とはならないのだろうか?
成長し、年齢が上がると、世の中もっと複雑になってきます。人と比べられます。そうなると、人の成長の本質が見えづらくなります。でも本質は変わらない。僕に一番それを教えてくれたのが、幼稚園の年頃の我が子でした。不用意にマイナス言葉を掛けてしまうと、プイと横を向いてしまいます。時には完全無視に至ります。ところが、レゴブロックで作った飛行機を大げさに褒め、ここは何するもの?なんて興味を持って質問すると、生き生きと語ってくれます。翌日には、飛行機はなくなり、立派なお城に変身しており、自慢気に解説付きで見せに来てくれます。我が子から、いっぱい学びました。
大学生だって同じです。失敗に罵声を浴びせたり、さらに醜い行為に出ると、心の底では横を向き、積極的に工夫するのが阿呆らしくなります。先輩から後輩へ、上司から部下へ、目上の者から目下へ、親から子へ・・・、この儒教的なピラミッドからくる「愛のムチ」は、僕は大嫌いです。次男も、僕の見たような行為を見て、OBだから相当諌めたそうです。僕は足が遠のきました。

前置きが、長くなってしまいました。日曜日、朝6:30に家を出て琵琶湖に向かいました。バイク行きも考えましたが、電動垣根刈り道具の運搬もあり、車にしました。YHに着くと、ホシノ君が「おはようございます」と声を掛けてくれました。いつも気持ちのいい青年です。艇庫前でフィッティング中の部員と、朝の挨拶を交わします。パワーあふれる学生たちと触れ合える機会を持てる僕はラッキーな男です。
午前中の練習は、無風に近い中、レスキューで出ました。1回生2人と一緒です。4月の新人勧誘の時顔を合わせたかもしれないけど、自己紹介すると、既に僕の名前と、OBの親であることを知っていました。次男は、伝説のプレイヤーになってるそうです。27才にしてレジェンドですか・・・ハハハ。5月のレースで来た時、名言でも発したのだろうか?
上がっても2m/sの中、基本練習・ショートマークラウンディング・・・、いろいろメニュー変更して飽きないように練習しました。12時ハーバーバック。車を置いて一旦合宿所に戻って昼食です。いつもながら、マネさんの食事はうまいです。僕の分も用意されてて嬉しいです。でも、ご飯が多く残してしまいました。申し訳ない。学生みたいに食べられないんだよなあ。
1時に出艇です。午前中気付いたことを話して沖に出ます。OBのタビト君が来てて、彼がインフラで1回生と乗り、僕は女子マネさん2人を左右に、ハーレムレスキュー乗船です。スナイプチームは、龍谷と合同レース練習に参加したので、少し出てきた風に合わせてマークを打ち、470チームの練習をしました。マエカワリーダーと、期待の新人スキッパーの2艇の練習です。ミズノさんは、膳所ヨット部出身でFJスキッパーやってたそうです。が、なんとこの日が初470スキッパーだそうです。何ともったいない。いろいろクラブ事情があるのでしょうが、ちゃんと走れるスキッパーが入ってきたので、1艇でも多く出して、新人クルーの練習につなげましょう。
楽しく乗ってるかな?と時々注視しましたが、実に楽しそうに生き生き乗ってました。後半6m/sぐらいまで風が上がりましたが、乗ってる姿勢が綺麗で、きっとうまくなるでしょう。彼女を見ながら、僕が470に乗り出した時のことを思い出しました。FJよりかなり速いのに、ずっと安定していました。バウボトムの幅広形状と水線長の長さが影響してるのだろうけど、風が上がっても安定して走る470をコントロールしながら、ニンマリしちゃいました。「これ、面白い」って。
ロング帆走練習で、470の真後ろ・横・斜め前・・・いろんなところから見ますが、その角度により、ミオミオさんの寝顔がウインドウ越しというシチュエーションがありました。「可愛らしいなあ」、家内はすぐ寝ちゃう人ですが、助手席の寝顔を見るのがお気に入りです。僕に任せきって、安心しきってくれてる感じがしてしまいます。練習艇のビデオ撮影など大活躍だったミオミオさんですが、寝顔も二重丸です。セガワさんは、とても上手になっていました。真後ろ2艇身とかでも安心していられました。
良い風の中、いい練習が出来ましたが、練習終わりが近づく16:30。琵琶湖の東岸・草津が、上空の灰色の雲が地上まで達して見えなくなりました。豪雨が降ってるはずです。稲光に気をつけていましたが、それはないようです。風向が北だったので練習を続けましたが、注意していました。続いて瀬田に灰色が広がり瀬田大橋が見えなくなりました。琵琶湖の上空を見ると、不穏な雲が出てきました。もう練習終わりですが、レスキューを走らせ、急いでハーバーバックするように指示を出しました。「雨、降ってくるかもなあ」。
ハーバーに戻り、雨が降る前に僕は合宿所に引き上げました。帰着後、雨が降り出し、解裝終わりに合わせて車でハーバーに向かい、1回生3人乗せて合宿所に戻りました。今日覚えた1回生の名前は、ナカツカ君とミズノさん。他にも名前を聞いたのに、もう忘れてしまいました。膳所・広島学院・西大和、出身校は3人。覚えた2人も、次の練習まで覚えているか怪しいですが・・・僕を覚えてくれているのに、失礼なことですね。でも、物覚えの悪くなったおじさんなので、勘弁してもらいましょう。
ボスマネ・フルカワさんに出された恒例のOB日誌に、今日の練習で気付いたことを書き、ミーティングをしました。申し合わせ事項と僕のミーティングでしたが、台所では、旨い夕食が出来上がっています。「腹減った〜早よ終わらんかなあ〜」と思ってたでしょうが、僕の話がちょいと長くなってしまい申し訳ない。
夕食は、長崎名物「皿うどん」でした。みんなにとても好評でした。僕も、美味しくいただきました。20時に帰路に着きました。もう雨は止んでいます。桂PAでアイスを食し、名神・中国道で豊中IC下車。西進してると、突然の豪雨です。原付バイクが、陸橋の下で雨宿りしています。上空の細い陸橋なので、雨宿りになるのかな?バイクで行ってたら、ここでずぶ濡れ、慌ててカッパ着用でしたね。ところが豊中の丘を下ると、雨の痕跡すらありません。局地的大雨のようで、夏の夕立ちですね。21時に帰宅しました。

2011/7/25
日曜日は、神戸で仕事の勉強でした。でも午後からなので、午前中走りに行きました。同じくお勉強で大阪に行く家内と、帰宅してからどこかに行く約束して出発します。
この日のメニューは、篠山の「春日」と福知山の間にある「高谷山」、その後「安全山」のハングライダーテイクオフ基地です。4時に出れば、両方回れると算段し床につきましたが、目覚めたら6時前でした。「アカンがな」家内が起きていたので、朝食にありつくことが出来・・・ということで更に出発が遅れ、7時になってしまいました。往路も高速利用すると、両メニューこなせそうな気もしましたが、里山をぼちぼち走るのが楽しいので、僕の定番「長尾山トンネル」から北摂里山地帯に入りました。まず給油。275km/7.93=34.7km/L、素晴らしい。
r33・r323・r37を使って、後川奥。永沢寺に抜けるお気に入り道を上がり、r49で篠山盆地に下りました。R372を突っ切り、そのまま北上し篠山城址横を通ります。まだ観光には早いようで、二階町も閑散としています。
r301・r140で西進。「西紀トンネル」を抜けて、r97で「栗柄峠」経由で、r69にて「春日」に下りました。篠山市街地も朝なので快調です。車が少なく、気持よくここまで来れました。
「道の駅・丹波お婆ちゃんの里」で休憩です。バイクがいるかなと思ったら、1台だけでした。朝のお勤めを無事済ませ、お店をぶらりと回り、目指す峠で食べようと、レーズンとかクルミとか入ってる焼き立てパンを購入しました。
ここから、R175を福知山に向かって北上します。家を出る時、ツーリングマップルがいつもの所にありませんでした。道の駅で地図立ち読みしたらいいかなと出てきたのですが、地図なんかなく、R175の東側の山としか覚えていません。r59があったので、「ここより南だったんじゃないかな?」と思って、東進。
「神池寺」の道標を見つけ、枝道に逸れ登ってみました。本日のメニューは、徒歩なし(あるいは少々)で上がれる雲海ポイント探しなので、別の場所でもOKです。が、この道は、ずっと視界がなくダメでした。でも、山道に入る前の里山は素敵でした。
ここまでで、丹波のタイムリミット10時まで時間が迫ります。雲海ポイントの収穫ゼロで帰路に着きます。「白豪寺」という道標に惹かれ、r283に入りました。時々耳にするお寺なので来てみましたが、拝観料がいるようで、背後の「五大山」を写真に収め、駐車場で撤退です。
r283で気になる「黒井城登山口」という道標を見つけました。黒井城は、春日から登りましたが、何でここに?と一瞬思いましたが、よく考えれば城山の北側です。また寄り道の虫が疼き、枝道を入ってみました。農道のような道が、「保月城址登山道」の道標で舗装路が終わっていました。見上げる山の頂が城址のようです。こちら側には駐車スペースがないので、登山道の様子も何となく想像がつきます。
10時を回ったので、撤退します。「春日IC」から高速に乗り、「吉川JCT」で中国道。「神戸三田IC」で阪神高速。箕谷からR428で、神戸に入りました。意外に早く12時着でした。

勉強を終え、山手幹線を東進し、R171に合流し帰宅しました。家内は既に帰っています。夕方デートのメニューは、伊丹空港です。先々週、山本山手台公園からの夜景で見た空港が素敵だったので、本日は離着陸かぶりつきです。
車は駐車場とかが面倒なので、通勤リード110タンデム出動しました。無線でおしゃべりしながらが、板についてきました。まず、伊丹市クリーンセンターに行ってみます。空港隣接のクリーンセンターの高い建物の上に、ウォータースライダーがあります。「きっと、食べるところがあるだろう」という算段です。が、なんと日・祝18:00終了。ガッカリ。北海道にいく時、機内から目星を付けていたのに・・・
仕方ないので、スカイパークの方に行ってみました。できるだけ滑走路脇を通ろうと道を進んでいると、「スカイランドHARADA」というのがありました。案内板を見ると、ごみ処理施設の屋上が公園になってるようで、抜群の立地です。が、こちらも17:00終了で門が閉まっています。ガッカリ。
もう一度仕方なく、HARADAのところにバイクを停め、スカイパークの南端から入ってみました。小さな丘の上のベンチには、ミストが出ています。ちょうど、大型機用滑走路のランディングバーン前で、離陸機がエンジン音を上げて一気にスピードをあげるところです。伊丹空港は、ひっきりなしに離発着機が滑走路に来るので、実に楽しい。一眼レフを手にした方がチラホラいます。家内が見つけたのですが、駐車してる山口ナンバーの車から、バズーカカメラを出してる人がいます。山口から来たんだろうか?安価な駐車料のみで、こんなに滑走路脇から見れる飛行場はないね。田舎の空港とは、離発着頻度が圧倒的に違うから、ツーにはたまらないでしょう。
飛行機を見ながら、レストランで素敵な夕食が出来なくなったので、土用の鰻を目的に「レストランさと」に入りました。車が多い・・・並んでる・・・結局、得意の讃岐うどんになってしまいました。今考えれば、空港のレストランに行ったら良かったわ。でも、楽しい日曜日でした。

2011/7/18
土曜日の朝、「早朝バイク」で北摂里山地域から戻ってくると、金曜日の夜、叔父さんが亡くなったと、別の叔父さんから連絡があったとのこと。父の実家を継いだ我が家の本家の家長さんです。これは、何を差し置いても行かねばなるまい。
弟や息子たちに連絡し、日曜日お通夜・月曜日告別式になるだろうと予想し、夫婦で出かける算段で動いていました。昼過ぎ、喪主である従兄弟から、火曜日通夜・水曜日告別式予定と連絡がありました。ウィークデイなので、僕が代表して行くことにしました。家内は、北関東に旅行に行けると思ってたので、残念そうです。息子たちにも会えると考えていたのでしょう。
予定がなくなった日曜日、当初の予定通り、岡山県の八塔寺に、「夫婦で自転車」しに行くことにしました。5時に起きると、家内は家事に忙しそうです。僕は車を自宅前に出し、自転車の空気を入れ、前輪外して、車に入れます。6時半に出発です。
宝塚ICから中国道に乗ると、いきなりの渋滞です。連休なので渋滞が早く始まっているのかもしれませんが、トンネル入口までのいつものことで、低速で動く渋滞なので、すぐに渋滞区間を通過しました。加西SA・揖保川PAで休憩し、佐用ICで下りました。JR佐用駅裏のJR駅利用者用駐車場に車を置きます。JR利用は最後なので、ここで自転車を組み立て、「夫婦で自転車」の出発です。R179を走らないとダメかなあと思っていたのですが、JR線路に沿う田舎道があり、「JR上月駅」少し手前まで安全な裏道を利用できました。
上月から、R179を西進します。国道だけど交通量は多くなく、快適でした。上月は、織田信長と毛利氏との激戦があったところです。秀吉軍が、毛利方の上月城を落としました。尼子氏再興を信長に託して、秀吉与力になっていた山中鹿之助は、この城を秀吉から託されました。毛利方が大軍を以て奪還に動き、秀吉軍も再出陣して、上月城を中心ににらみ合いです。ここで、播州播磨の信長与力・別所氏が毛利方に寝返り、秀吉は信長にお伺いを立てます。信長からの命令は、「上月城を諦めろ」です。秀吉が引いた後、毛利方の大軍との間で悲惨な戦闘が繰り返され、尼子の勇者・山中鹿之助は討ち死にします。
この秀吉軍に与力として加わっていた摂津守護・荒木村重は、上月城見殺しに悲観し兵を引き、有岡城に籠城します。播磨・摂津、そして丹波の波多野氏も毛利方に変わり、京都の西に勢力を伸ばしていた信長は、大きなピンチを迎えます。信長が全国統一できなかったのは、常に部下や与力内部から反信長が出る信長の猜疑心への失望ゆえでしょう。家康の部下を大事にする行動とは、大きな違いがあります。
なんてことを考えながら、上月城址のあるだろう山を見上げながら進みます。この城跡には、いつか登らないとな。大日山川に沿う林道は、思いの外簡単に見つかりました。「八塔寺ふるさと村」の案内板が立っていました。八塔寺へのアプローチは、南の瀬戸内海側からが一般的で、まさか北からの県道でもない細道に案内が上がっているとは思いませんでした。
事前調べでは、ここから3%の上りが、ダラダラ続きます。僕ら夫婦の貧脚で上がれるのか不安ですが、突っ込みます。この道、沢筋の道で、森の木々が強い日差しを遮り、交通量は殆ど無い、素晴らしい道でした。3%前後の上りは、一番軽いギアにすれば、僕らでも難なく上がれる斜度でした。
路上で、蛇が大往生されています。轢かれたようです。ワシが飛んでいます。広がった水辺には、いろんな種類のサギがじっと立っています。沢には小鳥が多く、なんとカワセミに会いました。「あっ、綺麗」と思って、それを追いかけると、一瞬ホバリング・・・あ〜カワセミだ〜。家内に見せようと、止まってカワセミの行方を凝視していましたが、見失ってしまいました。カップル?でいました。標高が上がり、山頂が見えるようになってくると、トトトト・・・の甲高い音。「聞いた?」「うん」「あれ、キツツキだよ」「そうなの?工事してるのかと思った」。素敵な道でした。この道は、下りでギューンと通り過ぎるより、上りでゆっくり味わった方がいいです。
r368に合流。ここから勿体無いけど、下りが始まりました。最後10%超えの上りがあるので、とても勿体無いです。この途中で、兵庫県から岡山県に入ります。「近畿自然歩道」の看板の上がった道ですが、誰も歩いていません。家内の少し後ろを追いかけていると、分岐を通り過ぎました。「ストップ〜」。地図の読めない家内は、僕に全部お任せで、行ってしまいます。
「太い道はこっちだから、こっちだと思った〜。よくこんな分かれ道に気付いたね」なんて言ってますが、分岐に小さいけど、看板出てるし・・・。しばらく登った「滝谷」の集落から上が、きつい登りでした。つづら折れも繰り返して、標高を増して行きます。貧脚の僕らは、迷わず徒歩です。難民のように、無言で自転車を押します。軽い自転車なので、片手で押せるので助かりますが、それでもきついです。時々休憩し、道路の日陰に腰を下ろします。家内の顔には、汗が浮いています。頭からも流れてくるようで、おでこのバンダナを取り替えています。体内水分の多い女子は、こういう状況になると、たっぷり汗をかきますね。僕は汗が流れるほどではないんだけど。家内の身だしなみに時間がかかるので、水分補給しながらゆっくり休憩します。
途中、3〜4度休憩して、やっと「八塔寺ふるさと村」まで上がりました。最も標高の高い「国際交流村バス停」で休憩。京都美山かやぶきの里を想像していましたが、茅葺の家はあるけど、あれほど多くありません。八塔寺と思われる建物も見えますが、一旦下って又登る行程が見えてるので、「行ってみる?」「やめとく」で双方当然のごとく同意。
売店とか、レストランとか、が皆無です。これには参りました。ここで昼食の予定だったのに・・・。ロードバイクの男性2人が上ってきました。余裕がありそうです。少し休憩し、写真1枚撮ったら下って行かれました。続いてママチャリおばさんが、軽やかに急坂を上がってきます。「え〜」っと見てると、天下の宝刀・電動アシスト自転車の秘密兵器乗車でした。農作業してる知り合いさんと、息も弾ませずに会話して下って行かれます。観光客と思われる乗用車が、1台、また1台と上がってきます。
「売店もない観光地じゃあ、しょうがないよな」なんて、30分ぐらいの長い休憩後、吉永駅に向かって下り開始しました。自転車や乗用車の下っていった方に下ると、「あれ〜トイレあるやん」・・・「キャンプ場もあるし、レストランのメニュー看板が出てるし・・・」。迷わず、「レストラン・望ヶ丘」に入りました。
自転車置いて店内に入ると、クーラーが効いて天国でした。涼しそうなご主人に、「鴨そば定食」を注文。駆けつけ3杯、氷の浮いた水を飲んで一息つきました。家内は、「さっきのとこで休憩せず、早くここに来たら良かったね」「うん、うん」。食後、ご主人が、八塔寺のことをいろいろ説明してくれます。八塔寺は、天台宗のお寺で、修行の地だったそうです。その名残で、僧坊跡の家は「・・堂」なんて苗字を持つ家も数軒あるそうです。「八塔寺八十八ヶ所巡りマップ」をもらいましたが、こんな高低差のあるとこを、あっちこっち巡る気にはなりませんね。行者堂からは、明石海峡大橋が見えるそうで、「今日のこの天気なら見えるよ」なんて言われましたが、「のれんに腕押し」「豚に真珠」「馬の耳に念仏」です。標高を尋ねると、460mあるそうです。上月が100mぐらいだから、いつの間にかすごく上がっていました。
冷たい水をペットボトルに入れてもらい、自転車にセットして出発です。ご主人に教えてもらった道で、吉永に向けて下ります。ほとんど上りになる箇所がなく、快適な下りが続きます。一気にr90との合流地点です。僕が先行し、ゆっくり下ってくる家内を待とうと何度か止まりますが、思いの外家内は早いです。合流地点で、「えらい速いやん」「バイク免許取ったので、スピードに慣れたみたい」だって。この道、サーキットの音がよく聞こえました。「岡山国際サーキット」の音です。どこかで見えるかなと思ったけど、そんな展望はありませんでした。
r368を、八塔寺川沿いに下ります。下り基調なので軽く走れます。1ヶ月ぶりぐらいの自転車の家内ですが、快調のようです。怪しげな枝道発見。手入れされた舗装路で、吊り橋などの案内があります。県道に再び合流するのかわかりませんが、行ってみましょう。この道が最高に良かったです。流れの緩い川に降りて水遊びしてる家族もいます。川沿いの県道の旧道だったようです。やがて県道に合流しました。
現県道を振り返ると、トンネルがあります。あのまま県道を進んでいれば、トンなる突入だったようです。危ないトンネルを回避できました。ここから「八塔寺川ダム湖」が始まりました。県道を下りますが、ダム湖の対岸には、さっき走った旧道のような素敵な道が続いています。県道から分岐していたのでしょう。この道、なんだか外車やスポーツカーが多いです。家内は、「そういう集まりがあったのかな?」と言ってましたが、サーキットへの道だから、日頃から多いのかもしれません。
「レンガ広場」という変わった名称のところがあったので、入ってみました。レンガの家が広い敷地内に、ポツポツ建っています。工場もあるのかな?レストランがあります。食べたいけど、まだお腹減っていません。家内がレストランを偵察しに行き、続いて僕がレンガ建物を偵察に行きます。この時、事件が起きました。走り出そうとすると、家内が止まります。「ねえ、ここになにか刺さってない?」と、太もものお尻側を指さします。スポーツタイツの上からですが、微妙なとこを探ります。短いひらひらスカートの下を目をこらしてる僕の図は、実に怪しいです。「ここも」って手の甲を見ると、蚊に刺されたように膨らんでいます。自転車を置いた木の下の巻石に腰掛けていた時、刺されたのかもしれません。
「あ〜、膨らんでる〜」。微妙なとこを触ると、ポコポコと10ヶ所ほど膨らんでいます。「ハチに刺されたのかなあ?」「ハチなら、刺されたときむちゃくちゃ痛いよ」と、何度のその経験がある僕は断言します。常備してる副腎皮質ホルモン+抗生物質剤軟膏を塗ります。持ってて良かった。子供たちと海水浴やキャンプに行ってた頃から、お出かけ常備薬でいつも家内が持っています。
14:10、JR吉永駅到着。更に4kmほど南に行くと、「閑谷学校」があるので、そこも訪問する予定でしたが、家内のアクシデントにより断念しました。ホントの理由を言うと、僕の行きたいを自分が諦めさせるのが嫌は人なので、「行けるよ」と無理するから、「もう時間がないからねえ」ってことを理由にしました。
自転車を輪行袋に入れ、ゆっくり電車を待ちます。自販機で、冷たいCCレモンを買い、2人で一息いれます。14:47に乗り、2駅で「上郡駅」。智頭急行に乗り換えます。お客さんは、僕らとお婆さん1人。車内に、たくさんの風鈴が下がっています。智頭急行から見える千種川と、その恵みを得た田園風景を楽しみながら「佐用駅」到着。16:00。
咲いているかどうか分からないけど、佐用町の夏と言えば「ひまわり」なので、ひまわり畑を観に行くことにしました。「ひまわり畑」と書かれた大きな看板が、交差点毎に順路を示してくれているので、難なく到着。凄い人出です。野球場のある総合体育館のようなとこの運動場に、ガードマンに誘導されるまま車を入れます。まずは、ひまわりよりかき氷です。「うまい」、最高にうまい。ついでに、ひまわり畑を見に行きます。去年見たから、僕はそうでもないけど、ずっと向こうまでひまわりだらけです。皆さん揃って満開です。見事。だけど、畑のあぜ道を巡るのに100円必要だそうで、もういいかと帰路に着きます。トイレを拝借して、車に乗り込みます。17:20。
「佐用IC」から中国道に乗り、バイクと違い楽に東進します。「鳥取道」分岐には、無料と書いてあります。鳥取道は、社会実験無料区間じゃなくて、元から無料だったようです。「加西SA」で休憩。宝塚トンネル渋滞が16kmと表示されています。渋滞が減るのを期待して、「社PA」休憩。ファミリーマートがありました。SAで高速料金になってた235円アイスが買えなかったので、アイスクリーム・ストッカーに・・・68円ガリガリ君発見。ソーダ味購入。他も100円台です。アイスなんて100〜150円じゃないとね。
渋滞17kmに増えてます。「赤松PA」休憩。売店は狭いけど、レストランもあるし、お土産も売ってます。外ではテント売店もあり、SAみたいです。SA派からPA派に転向しようかな?家内は、じゃがいも購入。「見てたらね、「じゃがいもが売れないわ〜」って嘆いてはったから、買ったの」だって。
仕方なく、17km渋滞(神戸三田IC〜宝塚トンネル)に突入し、のんびり帰宅しました。20:00。ああ楽しかった。

2011/7/11
日曜日は、久しぶりのドラゴンのレースでした。先月は、仕事とバッティングして参加できませんでした。
梅雨時までは、朝の目覚めもよく、雨の心配がなさそうなときは、早朝ツーリングに出かけていましたが、梅雨明け前後から、起床が遅くなりました。夜明け前に目覚めても、すぐに二度寝してしまい、6時台の起床が続いています。バイクに乗るには時間が中途半端なので、自転車や庭の草抜きや垣根の手入れの朝が続いています。暑さで、薄着で寝るようになり、布団を掛けずに寝るようになったからだと思います。暑い日中、半袖で風に吹かれて体力消耗するより、長袖の方が楽なのと同じだと思います。まあ、こういう時は無理して早起きする必要はありませんね。
6時前に目覚め、朝食とかおトイレとか朝風呂とかやってたら7時になりました。カッパやお茶の用意して、早めに家を出ました。目的地は、ハーバーではなく近所のバイクセブン。原付二種ツーリングクラブの皆さんが、篠山の方に行かれます。8時半出発なので、8時ぐらいまでしゃべっていようかなということで。PCXさんが既に来られており、マジェスティさんなども来られ、8時までしゃべってハーバーに向かいました。
途中でおにぎりを購入し、浜着。既に偽装を終え、船を下ろしているチームもあります。オーニングを外し、スピンシート・ジブシートをセットし、準備していると、一緒に乗るオオノさんとシブカワさんがやってこられました。
朝から上天気で、暑くなりそうです。9時前に既に南西が入っており、吹き上がりそうな予感がします。船を下ろし、10時過ぎまで桟橋で休憩です。南西なので、ハーバー出口近くがスタートラインだと思っていたら、学生がレースをやっており、赤灯台近くがスタートラインでした。僕のポジションは、バウクルーです。
R1。2艇身遅れ上一のビリスタート。高さ負けせず、バウ先行艇の航跡から落ちません。マストのチューニングを変えたそうで、ボートスピードが上がっているようです。1艇抜いていました。上マークまでのレグが短く、マーク際がtail tonoseです。我が艇は、マーク際に優しいので、7位(ビリ2)でした。
R2。コウサク君艇が出てきました。クルーが1人体調不良で2人になったので、出艇を躊躇していたのですが、出てきたようです。「2人でも平気だよ」と僕が何度も出艇を促したので来たのかな?よく見ると、3人乗っています。どこからか女子を1名確保してきたようです。「あいつ、ハーレム作りよって・・・」。更によく見ると、コウサクのお母さんではないか・・・。長いことヨットやっても、親子で乗る機会は、案外ないものです。いいことですね。親孝行だよ。僕も、息子と乗ったのは、ドラゴン全日本で1日と、クルージングに1日だけです。息子というより、僕のいい思い出です。クルージングの時は、家内も乗っていたので、家内は大喜びでした。
半艇身遅れ上一で、そのまま伸ばします。左に伸ばした艇団の流れに乗ってタックし、1上到達。トップ艇にtail to noseで2位回航、5艇ぐらい団子です。4位フィニッシュ。
R3。予想外に風が上がらず、ずっと3〜4m/sです。六甲山もくっきり、紀伊半島も淡路島も山陰が見える澄んだ空気なのに、風が上がりません。暑くて、水分ばかり補給しています。レース中もスキッパーにお茶を渡し、みんなで回し飲みです。遅れ上一、即タック。1上中位で回航するも、1下集団内でマークタッチしリラウンドしてる間にビリ。そのままビリフィニッシュ。
炎天下で、もうバテバテです。レース自体は、適当に風もあり楽しかったのですが、あまりに暑かったです。スピンを上げて、カムしたままハーバーバックしました。ハーバーでの解裝が、グロッキー気味です。関西ヨットクラブのウェットバーで、他艇クルーのだべりながら、冷えたソフトドリンクで、ボーッとした身体を元に戻します。オオノさんが、レースが終わるごとにチョコボールと塩を補給してくれて助かりました。
4時過ぎに帰宅しました。家内からは、義理両親他が分骨されている京都・永観堂さんに行って、帰りが遅くなると聞いていたのですが、少し前に帰宅したようです。家内に、北海道で撮った車載ムービーを見せていると、窓から見える壁がなんだか赤いです。
「おや、夕焼けかな?」と外に出ると、綺麗な夕焼け。明日の夏空の予報です。空を見上げながら、「そうだ、夜景を観に行こう」と決まりました。「夜景観に行く?」「いつ?」「今から」「車で?」「スクーターで」。と言うことで、通勤リード110で宝塚の山に向かいました。
早朝バイクの定番コース、阪急・山本のガード下を抜け、阪急造成地を登ります。造成地内のオアシスに、スクーターを停めます。僕は、コロッケとアイスを購入。家内は、美味しそうなパンを購入。更に200mほど登り、停車。
夜景の穴場の公園に登ります。階段がきついけど、大阪平野の夜景が眼下に広がります。右手に甲山から六甲山、その左手に西宮〜大阪の夜景が広がり、その向こうに黒く見えるのが、今日レースをやってた大阪湾です。その左には、池田や箕面に続く夜景が。
「遠足で来たの?」「いいや、2度目かな」。「五月山じゃないの?」「五月山はもっと東なんだよね」。方向音痴で、地図の読めない家内だから、こんなものです。朝来たことがありますが、夜は初めてです。夜景が綺麗だろうなと思ってました。遅くここを通った時は、道からもその片鱗が見えました。
ここの夜景のハイライトは、何と言っても伊丹空港です。飛行機が離発着する光が、綺麗に見えます。滑走路の一列に並ぶ赤・緑のライトもくっきりです。この位置は、滑走路の延長線上なので、滑走路の延長線上の上空に、光が2つ3つ並びます。着陸機のライトです。滑走路上にライトが付くと、それは離陸機です。離陸機が走り出し、上空に飛び上がり、すぐに大きく左旋回して大阪湾上に出て、それぞれの行き先に向けて進路を変えます。その合間を縫って、1つ、更に1つと、上空のライトが滑走路に下りていきます。
先客のカップルが2組。そして、夜景見ながら食べてる僕ら。暗い街灯が点いてるけど、お互いのシルエットぐらいしかわかりません。1組帰り、僕らが帰ろうと階段を下り出したら、新たなカップルが上ってきました。夜、1人で来ちゃダメですね。
帰宅すると8時半になっていました。素敵な1日の終わりでした。

2011/7/4
日曜日は、原付二種のツーリングクラブの下見ツーリングに参加しました。初参加です。リーダーさんの下見ツーリングなので、参加メンバーは僕含めて3人です。でも集合場所には、他に2名の方が顔をお見せになり、お見知りおきをの挨拶が出来ました。
集合時間は8時ですが、集合場所が近所のバイク7なので、7時まで庭の草刈りをしていました。垣根も庭も、いよいよ緑の侵食の限界で、これ以上放っておくとジャングルになってしまいます。重い腰をやっと上げました。何気なく作業を始めましたが、「いつも実家の庭の方からやってるな」とふと気づきました。地続きなので、どこからやっても我が家なのですが、無意識に親の方からやってるのは何故だろう?血の呪縛なのか?
7時半に集合場所に行くと、PCXさんとボアアップ・モンキーさんがいました。PCXさんは大阪南部から、1時間以上掛けて来られていました。125ccネイキッドがやってきて、リーダーさんのヤマハ125ccスクーター・マジェスティ?がやって来ました。初対面ですが、なんとなくわかりますね。他のツーリングクラブさんも、ここを集合場所にしてるようで、数台のバイクが集まっています。大きなアメリカンバイクに乗ってる女性もいます。すごいな。
8時過ぎに、3台で出発です。目的地はr12篠山手前のピザ屋さんです。情報によると11時開店なので、時間が余り過ぎます。モンキーさん先頭に、僕が間に挟まれ、r12旧道で30分、「道の駅いながわ」到着です。ここで長い休憩を取ります。
続いてr12を素直に走り、西峠。峠越え後の猪村に掛けての林の中は、少し涼しかったです。「城東トンネル」を越えると、目的のお店が見えてきました。以前、なんか出来てるな〜と思ってたお店でした。11時に到着で開店前なのでバイクを停めて待ちます。しばらくすると、10台ほどのバイク集団がやってきました。小学生の女の子をタンデムしてるバイクもあります。車もやってきて、すぐに店の前の駐車場は満杯です。更にバイクが数台やって来ます。「寄ろうかなと思ったけど、混んでそうなので・・・」とパスしていくバイクが数組。えらい流行ってます。
11時半になり、1番に入店しましたが、いきなり満席です。お仲間と一緒でなかったら、入らないお店ですね。味音痴なので、何処で食べてもあまり差を感じ無いので、のんびり出来る・早く食べれる優先の僕です。ピザを2枚注文し、3人で分けます。僕より少し年下ですが、気さくなお二人なので、気楽に付き合えそうです。
r12で、「道の駅いながわ」向かいのコンビニまで戻ります。僕は、アイスの補給です。ここで一応解散しました。r12川西能勢口まで戻り、大阪に帰るリーダーさんとお別れ。R171手前で僕が枝道に離脱しました。

夕方からの家内との映画の約束もあり、VTR250に乗り換えて出かけるにしては、中途半端な時間です。自然に昼寝になってしまいました。4時に起きだし、垣根のバリカンを始めました。タイムリミットは5時なので、2面のうち1面しか出来ませんでしたが、お隣りのご主人と喋りながら、掃除してお終いにしました。電動バリカンがあるので、楽で楽しいですが、刈ったものをゴミ袋に入れる作業が大変です。ついでに溝掃除になるし。
5時前にシャワー浴びてさっぱりしようと裸になったら、家内が帰ってきました。こざっぱりして、通勤リードにタンデムし、映画館に向かいました。本日のお題は、「アンダルシア・女神の報酬」です。織田裕二主演で、黒木メイサ、黒木メイサ、(重要なので復唱しました)も出ます。
予想通り、面白い映画でした。いつものように、空いてるオムライス屋さんで夕食して1日を終えました。楽しい1日でした。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
inserted by FC2 system