ウェブマスター日記 2011/5-6

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2011/6/27
日曜日は、家内とタンデムで丹後半島一周してきました。ちょっと前の予報は良くなかったのですが、朝鮮半島に行った台風が撹乱したようで、近畿南部は雨模様だけど、北部の予報は好転しました。
そこで北を目指すことにしました。丹後半島往復は400kmもあるので、高速に乗れないリード110のタンデムでは辛そうなので、得意の家内だけ電車利用です。福知山で待ち合わせします。福知山まで88kmあるので、休憩時間を入れて3時間だから5時に出発しました。電車は2時間なので、家内は6時台の電車です。池田からR173でとにかく北上します。5:30、川西の山下で給油170km/3.67=46.3km/L。服装は、コミネの夏用プロテクターメッシュ上下です。既に23度あり、全く寒くありません。
6時に篠山通過、R9にチェンジして、福知山を目指します。6:30の気温は24度。もう福知山市のかかりなので早すぎますね。巨木のあるバス停で休憩します。7:00に市内に入ってしまいました。家内がやってくるのは、8:30の電車か9:50のです。福知山城を見学しに行きました。レプリカ城だし、早すぎて入れないだろうから外観だけ拝みました。
7:30に駅到着。蒸気機関車が駅前に展示されています。家内に電話すると、まだ篠山手前でした。改札前の待合室で、おにぎり2個とアイス1本食べて、パンフレットを読みながら時間つぶしです。
9時に家内と合流し、R9〜R173〜R176で北上。鬼伝説の大江山横を通過し、道の駅かやのSL広場で休憩しました。大阪ナンバーのアメリカンが2台、ご夫婦で来られてるようです。高速で来られたようで、大阪福知山が下道で2時間だったと話したら、帰りは下道にしようかな?とか言っておられました。
更に北上、r2〜r76でショートカットし、R312に合流。タンゴ鉄道に沿い、途中でr17にチェンジして「網野」まで来ました。伊根まで町がないので、ここで給油140km/3.27L=42.8km/L、11:18。子供たちがチビの時、ここらの海水浴場によく来ました。懐かしい名前が並んでいます。「ここ、来たことあるねえ」なんて、家内と無線で話します。長い間生活を共にしてきたので、共通の話題が豊富なとこが、夫婦のいいところでしょうか。この会話のおかげで、家内の眠気もマシそうです。「間人(たいざ)」の集落に寄ってみますが、特に何もありません。
玄武岩の巨石「立岩」が海岸すぐのところにあります。ここでキャンプしたなあ。「道の駅・てんきてんき丹後」がありました。12:46、海鮮定食1200円で昼食にしました。
丹後松島の素晴らしい景観を横目に走ります。車より、ずっと風景が身近です。でも足から時折血の気が引く高さなのが・・・。「経ヶ岬」への分岐に入ると、風が強くなりました。海からの霧が、半島の切り立った山を越えて流れています。海霧からの小雨が落ちてきました。少し手前に海上自衛隊基地があり、山の上には大きなレーダーサイトもあります。ここは、朝鮮半島への防衛拠点でもあります。
経ヶ岬駐車場に、車が数台停まっていました。1台の車の助手席にはバズーカカメラが載っています。隼激写チームですね。山道を400m、経ヶ岬灯台まで歩いてみます。
カッパを着る程でもない霧雨が止んだり降ったりします。「浦嶋神社」にお参りしましたが、ここから海岸線を行く道はパスしました。4時福知山で解散の予定を組んでいたのですが、時間が押しています。
伊根でカッパを着ます。舟屋の海岸線を周り、「道の駅・舟屋の里伊根」で休憩しました。R178で、天橋立方面に南下します。天橋立は125cc以下のバイクは走れるので、走ってみようと思ってます。無線の電池がなくなったので、次の休憩の電池交換までOFFにします。
ブレーキを掛けると、コツンとヘルメットが当たります。「ヘルメット5回ぶつけると、それはアイシテルのサイン」なのですが、我家の場合は、家内が寝そうなサインです。スピード落として、「どこかで休憩しなくちゃ」と走ってると、とうとうヘルメットが当たりっぱなしになりました。コンビニ発見。家内はパンなどを買い、僕はアイス購入。バイク停めた駐車レーンの縁石に腰掛けて食べます。まるでクラブ帰りの中高生ですね。
電池交換し、無線復活でおしゃべりしながら天橋立に到着し、念願のバイク通過開始・・・あれ〜橋にロープが架ってる・・・橋の中央部が90度回っています。船が通過するので、渡れません。家内はこういう橋を初めて見たようで、はしゃいでいます。ちょうどいい時に来ました。
いよいよバイク通過開始です。舗装路が走ってると思ったら、砂が締まった道でした。バイク走行に支障はありません。ロードバイクも向こうからやって来ます。ん?景色がおかしいぞ。どうやら南から北に向かっています。さっき、天橋立駅があって、おかしいなと思ってたんです。どうやら橋立の北の入口を見落とし、南口まで来てしまったようです。少し走り、一応満足し引き返しました。海岸の少し沖に浮いてる台を見て、ここに家族で海水浴で来た事を思い出し、家内と思い出話になりました。
福知山までは、1時間以上かかるので、ここは無理せず家内を天橋立駅に下ろします。天橋立は、雨が降った形跡なしなので、カッパを脱いで、しばしお別れです。家内は、僕と同じコミネプロテクターメッシュ上下を脱いで、街着に着替え電車の人になりました。
海岸線を円山川まで走り、R178の対岸のr55で円山川沿いを南下し、福知山からR9、R173にチェンジし、「道の駅・瑞穂の里」で休憩しようと思ったら、すでに営業終了だったので、そのまま篠山まで南下。時々休憩する「福井」の洋品店&ヤマザキコンビニのお店で、コーヒーとアイスで休憩しました。18:15。外のベンチで、地図見ながら、今通ってきた道から見た枝道は、何処に続いているのかなあ?なんて見てたら、外に電気を点けてくれました。
能勢温泉の所のGSで給油。202km/4=50.5km/L・19:22。もう僕の庭みたいな道なのですが、雨雲が流れてきてザッと来ました。慌ててカッパを着て走りだすと、すぐに雨が上がりました。川西能勢口まで帰ってきて電話をチェックすると、家内から電話が入ってたみたい。慌てて折り返し電話し、買い物帰りの家内を駅で乗せて帰りました。軽い雨に降られましたが、楽しい1日になりました。

2011/6/24
日曜日は、1人で北海道に行ってきました。日帰りではもったいないので、日〜火まで3日間です。新婚旅行で富良野にスキーに行って以来2度目、雪のない北海道は初めてです。
昨秋バイク友達に、「気ままに寄り道バイク旅」というNHKの番組を録画したBDをもらったのが、この計画のきっかけです。清水國明さんと国井律子さんが、年に1度バイクで旅をするシリーズ物の第1回が北海道でした。あまりのでかい景色に、走ってみたくなりました。
「ツーリングマップル北海道」「昭文社道路地図北海道」「0円マップ北海道」の3冊の地図を買ってきて、計画を練りました。3日間しかないので、北海道中央部の富良野・美瑛メインにしました。天候を調べると、6月の晴天率が一番高く、気温も雪が降る程でもなく、ここに決定。7・8月は、ラベンダー始めお花の最盛期で、美瑛の丘も最も美しいということですが、観光客も半端無く多いらしく、何かと料金が安いです。今回泊まった宿のご主人も、6月が一番いいと言ってました。
日本旅行で、2ヶ月ほど前に航空券を手配しました。片道2万円・往復4万円です。もちろんJALは外せません。バイク旅人御用達のライダーハウス宿泊を考えて、「0円マップ」を買ったのですが、「とほ宿」というもう少しお高い宿にグレードアップしました。
ライダーハウスは、素泊まり無料や1000円と安価なのですが、毛布持参なんてとこもあり、食事は基本付いてないので面倒になったからです。今回泊まった「とほ宿」は、1泊目は2食付き4900円、2泊目は夕食のみ付けてもらい4400円でした。
出発2週間ほど前から、北海道の天気や気温を天気予報で気にしていました。この3日間の予報では、札幌や旭川は最高気温が25度前後でこちらとあまりかわりません。でも最低気温は、5度は低い。ルート上の峠は800mや1000mのところもあり、トマムが札幌より5〜10度寒い。冬用バイクプロテクター上下装束に決定しました。

ツーリング初日・6/19(日)。
空港までどうやって行くか・・・スクーターを3日間も空港に置いとくのも何だし・・・車は駐車代が掛かり却下・・・自転車は帰りに無くなっているかも?・・・バスは一旦市内中心部に出て乗り換えなのでかったるい・・・何てったって、我が家から空港は、自転車で10分ほどです・・・徒歩でもOKな距離です。荷物もあるので、タクシーにしました。2000円・・・う〜むちと高いな。
荷物を機内持ち込みしようとしましたが、バイク用工具のドライバーが機内持ち込みできません。仕方なく預けることにしました。預けると、30分は荷物受け取りに掛かるので面倒なのですが、仕方ありません。続いて、僕自身がX線検査で引っかかりました。「え〜?」バイク用に使ってる安全靴がアウトのようです。先の硬い芯が金属なのかな?
JAL2001伊丹〜新千歳8:50〜10:30・26C席に乗りました。何度乗っても、飛行機の揺れに慣れません。おっかないフライトも終了し、千歳到着。18度・晴れです。
オリックスレンタカーカウンターに向かい、送迎バスに乗り込みます。空港から10分の所に、レンタカー数社共同で、大きな敷地のレンタカーターミナルがありました。オリックスレンタカーに間借りしてるレンタルバイク・キズキさんの方が、バス降り場にいました。僕の借りるCB400SBとアメリカンタイプのバイクが、スタンバっていました。
2日間レンタルで、CB400SB本体(各種保険付き)24225円+オプション3400円(リアボックス+ヘルメット+シガーソケット)+車両保険4500円(壊しても少額の免責でOK)=32125円。ETCはもれなく付いてて、ナビは申し込んでないけど付いてました。家から持ってきたナビは用なしですね。
日頃は、VTR250だから少し大きいです。教習所で載ってたCB400にカウルが付いたモデルがCB400SBなので、大丈夫だろうとこれを申し込んでおきました。去年上野でスクーターを借りて、家内とタンデムで都内見物した時の系列レンタル屋さんなので、なんとなく安心です。
車載カメラセットして走り出したら、違和感なし。ギアの入りがとても軽く、シフトが楽です。教習所のより、かなり乗りやすいです。カーブもVTR250よりタイヤが広いせいか安定感があります。さすがベストセラーバイクです。
千歳東から夕張まで、道東高速道に乗ります。VTR250とCB400SBとの高速安定感の違い比較のためです。同じ回転数で10km/hほど速度が違います。VTR250だと6000回転で80km/hですが、CB400だと5000回転で同速度です。バイク自体の重さが、150kgと200kgで50kgの重量増により、風に対するふらつきも減ります。やっぱり高速だと、400ccの方が楽です。CB400SB・・・いいかも・・・。
夕張ICが、道東自動車道の終点でした。今年中に「占冠IC」までつながり、ずっと東まで高速で行けるそうです。この日は、高速道社会実験の最終日で、この区間は無料実験区間です。千歳で入れた僕のETCカードでパスしました。
ここから、R452で北上します。R452に入ると、ボタン山のようなものが・・・夕張炭鉱の遺物でしょう。ラッセル車がいます。ここで休憩。「三菱大夕張鉄道車両保存地」。続いて、「大夕張ダム」。ダム湖を渡る鉄橋があります。さっきの列車が、走っていた鉄道なのかも?廃線になっているようです。
ここから、富良野まで30km?50km?GSがないと、ツーリングマップルに載っています。CB400は、300kmは走れるそうなので安心です。1車線ですが、車線の巾が広く、路肩も段差がなく広いので、ゆったり走りやすいです。300m程の標高のところを走ってるはずなのですが、冬装束では暑いです。下着の上の丸首シャツを脱ぎ、胸のファスナーも10cmぐらい開けていますが、まだ暑い。でもトンネルに入ると、グンと気温が下がります。奈良のトンネルもヒヤッとしますが、断然北海道の方が気温が低いと感じます。
岩見沢に向かうr116と交差するまで、交通量はほとんどありません。キタキツネが路肩を歩いていました。僕に気づいても怖がる感じがありません。何か長い物くわえています。バナナかな?なんて最初思いましたが、蛇のようです。その後何度も蛇の交通事故現場に出くわしました。
r116交差手前の桂沢ダム湖を渡る橋で、ママチャリを置いて写真を撮ってるお若い女性が2人いました。「こんな人気のないところに・・・」。僕も写真撮ってると、中国語のようです。華人パワーは凄い。
少し休憩し、さあ行こうと交差点で止まったら、富良野方面から車が途切れなく続いています。午後1時を回ったので、富良野からの帰りの車でしょうか。数分待ってやっと流れに乗りましたが、対向の車がとても多いです。反面富良野に向かう車は殆ど無いようです。
14:10「三段滝」到着、見物&休憩します。r135に入り、富良野はもうすぐです。R38を右折し、富良野市街地に向かい、まずは新婚旅行できた「富良野プリンスホテル」を再訪します。あの時は3月、旭川に出た1日を除き5日間ぐらいスキーをしていました。千歳からバスで札幌に出て、富良野まで国鉄でやってきました。タクシーに乗ってホテルに向かったのですが、山を登ることなく、平地からいきなりスキー場でした。
プリンスホテルがありました。大きな三角屋根です。ロビーでお茶でも飲もうと思ったのですが、「全館貸切」の案内板が出ています。残念。ロビーの女性が出てきて、新婚旅行の思い出の地の話をして、山手側に歩いて入りました。「ここにリフトが架かっていたよなあ」「夜、ここにキタキツネがやってきて、外に出て見たなあ」、いろんなことを思い出します。
r253・r298の真っ直ぐな道を走り、交差する良さ気なまっすぐな道に曲がっています。「パノラマロード江花」という道の終点まで走り、「千望峠」で富良野の丘を眺めます。「なんと素晴らしい」。道を走りながら、ここもいいなあとご機嫌なバイクです。「深山峠」「四季彩の丘」「新栄の丘」「三愛の丘」など、適当に走りながら眺めのいい展望所の案内板が出てくると寄り道します。素晴らしい景色です。
途中、「上富良野駅」と「美馬牛駅」に寄り、踏切で止まり線路内から単線線路を鉄路を眺めます。そろそろいい時間になってきたので、R273に出て南下。今回一番走りたかった道を探します。1度通りすぎて、怪しいなと思った道に入ると、交差点に小さく目指す「ジェットコースターの道」と書いてありました。
アップ、そしてダウン、まっすぐな道が上下を繰り返し、「わお〜」とヘルメット内で叫んだ大きなダウンの先に「止まれ」看板がありました。交差点を過ぎ、またアップになる道に入りながら、怪しいなと左手の建物を見ると、「旅の途中」という今夜の宿の看板を見つけました。真っ直ぐなジェットコースターの道の最後まで走り、Uターンして宿に着きました。18:00。
ちょっと大きめの普通の民家が宿です。気さくなご主人にバイク置き場(納屋の中)を指示され、屋内に入ると先客が1人おられます。部屋に入り、着替えて風呂に入り、家内に到着の電話をして、夕食になりました。アスパラが美味いです。カメラの電池を変えているとき、横でアスパラの収穫をしていました。腰のザルにアスパラを入れていました。
先客さんは、室蘭からバイクで来られた方で、ご主人と先客さんから北海道の道路事情や、美瑛の見所、ご主人秘蔵の道など、教えてもらいました。北海道のドライバーは、1km1分で目的地までの所要時間を考えるそうです。広くて真っ直ぐで、交差点が少なく交通量がしれてるので、地道でも80km/hぐらいで飛ばす。「う〜む、今日の経験で確かにと納得」。たまに双方不注意で、360度視界のある真っ直ぐな農道交差点で、猛スピードの大事故が起こるらしい。バイクのすり抜けをあまりしないので、後ろも見ずに突然左折する車があるからすり抜けに要注意だそうです。
ご主人は、元スバルのメカニックだったそうです。大阪などのお客さんが、春にバイクでやってきてここに預け、数度やってきては自分のバイクで遊び、秋にバイクで帰っていく常連さんがいるそうです。納屋でカバーが被ってたバイクはお客さんので、その他がレンタルバイクやレンタル自転車らしい。ご主人案内のツアーなどもやってるそうです。僕はお先に、10時過ぎに休みました。

ツーリング2日目・6/20(月)。
4時半に目が覚めました。最初の予定では、朝食なしでそのまま出発でしたが、「周りに沢山見るところがあるから、一度帰ってきて朝食食べて行ったら?」の提案を受け、そうすることにしました。5時から6時過ぎまで、富良野の丘探索。既に農作業が始まっており、見たことないような大きなトラクターや散水車が、丘を越えて広がる巨大な農地で作業しています。
7:30朝食。美瑛町のR237の西側の丘探索。適当にあっちに走り、こっちに走りしてると、「ケンとメリーの木」や「マイルドセブンの丘」があるので寄ります。
今度はR237の東側、r966で十勝岳に向かいます。r966との交差点GSで給油。5914km-5635km=279km/10.6L=26.3km/L・1548円。ここで「宿主取っておきの道」に入ります。詳しい地図を書いてもらったので、難なく起点に到着。この道はr966と平行に、丘の稜線を走る道なので、左右両側雄大な景色です。今回のツーリングで一番景色の良かった道になりました。この起点は、地図がないとわからないです。走って一番「わお〜」なのは、ジェットコースターの道です。これで、このツアーのメインイベント美瑛の丘走行は終了です。
r966に下り、十勝岳に向かいます。これも、どこまでもまっすぐな道です。11:00青い池到着。美瑛川の土木工事で堰き止められた水に、白金温泉の温泉水が混じり、水が青いです。温泉水の影響で、立ち枯れた木々が池面から立っています。小さな池ですが、なんとも素敵な景色です。
そのまま、「望岳台」に向かいます。十勝岳の登山口で、入山ポストが立っています。目の前に広がる十勝岳には、残雪が。頂上付近から小さく噴煙も上がっています。「十勝岳スカイライン」を気持ちよく走っていると、雨が降ってきました。バイクスーツの防水で十分なほどのお湿りですが、車載カメラにビニールを被せます。フワフワした白い物も舞っています。雪だったのかな?いつまでも下るr291で上富良野の町に下りてきました。
麓に降りると雨の形跡はなし。R237で一気に富良野まで。途中でまた暑くなってきたので、「そうだ軍手を買おう」とコンビニストップ12:42。冬用グローブから軍手にチェンジ。2足組み208円。
r253を、「北の国から」ロケ地を目指します。「五郎の拾って来た家」で「石の家」との入場券を500円で購入。見学して出る頃、また雨が落ちてきました。売店に雨宿りして、仕事場の方にワインと家内にぶどうジュースのお土産を購入しました。液体物なので重たいから、我が家に郵送手続きしました。1981円・送料1750円。それを終え外に出ると、雨は止んでいました。
数分走って「五郎の石の家」です。ドラマで使った五郎の愛車やトラクターもあります。初代の木の家も残っています。駐車場から家までの間に、「北の国からクイズ全6問」がありました。等間隔で、問題と答えが交互に立っています。5問正解。蛍の旦那の名前が不正解でした。家の裏では、熊除けの鈴の音が流れていました。横は、「東大演習林」で、動植物の採集禁止の看板が上がっていました。
これで、富良野はお終いです。r253で南下。R38に合流し、少し富良野側にバック。15:00、R38とR237交差点で、R237で南下。空知川沿いを走ります。「ツーリングマップル」で景色のいい道に指定されてるr465で、「かなやま湖」沿いを走ります。交通量の少ない道で、キタキツネの子供ペアを2ヶ所で発見しました。1ヶ所では、止まって見てる僕が餌をくれるんじゃないかと思ったのか、寄ってきたので素早く退散しました。
再度R38に合流。3:30、「道の駅南ふらの」着。遅い昼食カレーを食べました。熊の剥製が置いてあり、狩猟者と狩猟日時も書いてあります。ここは、ヒグマのリアルな世界です。正面にスキー場が見えます。これだけ走ってまだ富良野?と思ったら、宿主の「美瑛町だけで、東京23区と同じぐらいの大きさですよ」の言葉を思い出しました。
4:00、「JR幾寅駅」に寄り道。ここは高倉健主演「鉄道員・ポッポや」ロケの駅で、映画の駅名「幌舞駅」の名でロケセットが残っています。駅前には同じく床屋さんなども保存さています。
ここで、手持ちの方のカメラのバッテリー切れ。新しいバッテリーに交換するも写せない・・・あれ〜、充電してくるのを忘れました。でも慌てません。実は車載用カメラとして、Nikonに加えCanonも新機種導入していました。なかなか来れない北海道で車載カメラトラブルで、ムービーを残せないのは残念だからね。少し大きく、少し重たいけど単3で動くカメラは便利ですね。エネループ12本持ってきてますよ。以降の手持ちカメラを、予備カメラのNikonL20君に変更しました。
JR根室本線沿い・R38を東進。十勝との峠「狩勝峠」、標高は600mあります。十勝平野が眼下にでっかく広がっています。雄大だけど、風が強く、高所恐怖症気味の僕には、展望台に上がるのがちょっと辛いです。高所の恐怖で血の気が引く足にゾクゾクしながら十勝側に下ります。「新得町」に入り、r75。さあ、ここからゴソゴソ宿を見つけなきゃと思っていたら、r75沿いに看板が出ていました。行きすぎてUターン。宿への道に入ろうとすると、宿主さんが立っていました。「バイクの音がしたから・・・」。5:00「ドラム館」到着。
ここは、大阪出身の兄弟が営業されています。最初は、今は亡きご両親と越してきたそうです。お兄さんが僕の1つ上で、弟さんが1つ下。かつては阪神命だったそうで、ここまで来て弱くてガラガラだった甲子園球場の話題で盛り上がりました。同宿者は1人。夜10時過ぎに到着。名古屋から来られた常連さんで、今朝日本海側の島から本土に戻り、高速バスで札幌に出て、レンタカーを借りてやって来たそうです。僕とはスケールが違う旅人です。10時半に床につきました。

ツーリング最終日・6/21(火)。
ドタ参加朝食OKということなので、疲れてて起きるのが遅ければ朝食後出発の予定で休みましたが、3:30に目が覚めました。外はまだ夜が明けだしたばかりです。窓から見える外は、なんだか白い・・・朝霧・・・狩勝峠から朝霧に沈む十勝平野が見えるかも?・・・壮大な雲海風景が頭に浮かび、そのまま出発することにしました。
4:00出発。少しずつ明るくなる中を峠に向かいます。霧は出てるけど、それほど濃くないな・・・4:30「狩勝峠」到着。峠からの景色は、遠くの平野は霧の下だけど、肝心の足元の平野には霧がかかっていません。雲海は残念でしたが、昨日の強風とは違い風が弱く、そんなに怖くないです。
昨日走ったR38を反対に西進し、「落合」からr1117で南下して「トマム」を目指します。県道や府道で3桁のはたくさん走りましたが、4桁道は初めてです。さすが大きな北海道、4桁道まであるんだ。
4:45、寒いです。冬用上下を着て、冬グローブにしていますが、それでも寒いです。標高500m。丸首シャツとジャージパジャマを追加します。着替えてると、「久しぶりに獲物が来た」とばかりに、虫が僕の周りに集まってきます。加速度的に増えてくるので、手を振りながら歩きながらの着替えで難儀です。まあこんな事してても、たまにしか車が来ないのでいいですけど。みなさん、80km/hは出てます。対向車線まで僕を避けて、ブーンって抜いていきます。この道も何もありません。燃料計がそろそろ半分なので、GSに寄りたいけど、トマムで開いてるGSがあるだろうか?
トマムのツインタワーが見えてきました。トマム名物の雲海が前方に横たわっています。5:00、JRトマム駅到着。ツーリングマップルには、雲海テラスが載ってるけど、ゴンドラが動いてる時間じゃないので、ここでの雲海見物も残念でした。と、駅から通過列車の放送が流れてきました。慌ててカメラ持ってホームに上がります。無人駅です。貨物列車でした。この線は、こないだトンネル内で特急が燃えた線で、トマム〜占冠間のはずです。
トマムは、アルファリゾートがあるだけのリゾートタウンでした。商店通りもなければ、GSもなしです。線路と高速道路に沿うr136を西進していると、「泣く木」というのがありました。まっぷるに載ってた「切り倒そうとしたら泣くので」という木ですね。こういうおっかないのが苦手なので、そのまま通過しました。
トマムから20kmほど走って、次の町「占冠」に6:00到着。北海道の道は、西部劇みたいに町にしか家がなく、それをつなぐ道の途中には何も無い感じです。R237に合流しましたが、占冠ホクレンセルフGSの開店は8時からのようで、ここでも補給できませんでした。
また20kmほど走って次の町「日高」に到着。R274との交差点にエネオスがありましたが、ここも開店前です。僕の予定ルートでは、次は千歳近くまで80kmほど町がないんですけど・・・CB400のタンクは18L、現在メモリーが真ん中やや下、悪くても燃費20km/Lはあるだろうから、千歳まででも走れると思うけど・・・気持ちの余裕が・・・よりGSがありそうなR274で走ろうかなあ?でも交通量多そうだし、高速車が多いと宿主さんが言ってたし・・・なんて、交差点付近でしばらく考えていると、エネオスの閉鎖ロープが外されました。目出度く、6:43給油できました。6219km-5914km=305km/10.17=30km/L・1525円。
これで、心の余裕が出来ました。次の町にあったコンビニ・セイコーマートで、おにぎり朝食しました。駐車場横のベンチで食べながらバイクを見ると、昨日の十勝岳の雨で随分汚れました。乗り出した時のピカピカバイクが、長距離走破の貫禄が付きました。
R237からr131にシフト。日高はサラブレッドの産地なので、牧場が時々現れます。スタイルのいい馬が、のんびり草を食んでいます。広い牧草地があったり、気持ちいいです。千歳の牧場巡りでもしようかな?
r74〜r59で、9:00「厚真」到着。もうすぐ千歳で、帰りの便は18:20なので余裕のよっちゃんです。予定のr10をやめて、r287〜r482でマップルに、「日本最古の木造サイロ」と載ってる「山田牧場」に寄りました。
続いて、これも予定外の「ウトナイ湖」、10:00。ラムサール条約登録湿地だそうです。ちょっと見物してバイクに戻ると、横に長崎ナンバーのオフロードがいました。ドライバーは女性で、荷物満載です。「凄い、長崎から来たんだ〜」。話をしてみたかったけど、出発準備の最後のようで、すぐに出て行かれました。
R36〜r781、ここは苫小牧市街地道路です。マップルおすすめの道・R276に入ると、交通量が減り、「支笏湖」に向かいます。「支笏湖」到着、駐輪料金・100円。国内屈指のカルデラ湖で、水深360mは国内第2位・透明度18mは国内第4位だそうです。確かに綺麗な水でした。ウィークデイなのに、観光バスも入り、適当に観光客がいました。札幌や千歳に近いものね。
駐車場に戻り、係のおじさんに「おすすめポイント」を聞く。いくつか滝を教えてもらいました。札幌に下る道沿いと千歳に下る道沿いだったので、千歳を選択する。出発しようと思ったら、向かいのGS脇にさっきの長崎オフロードがいました。駐車料金を節約していました。
R453、支笏湖に沿う道路を走ります。がけ崩れなのか、何ヶ所も工事をして、ガードマンが交互通行させていました。この道もマップルおすすめの道で、適当にワインディングがあり楽しいです。いつものように+αで走ってて、車に追いつかれたので道を譲ると、猛烈なスピードで視界から消え去りました。次の車も同様。
r117にチェンジ。「白扇の滝」で休憩。横の大型バイクのおじさんが、これから家族サービスで帰らなアカンのやと残念そうに話していました。その隣では、ここで会ったのか、若い男女のアメリカン乗りが、お互いのバイクの品評会をしています。
「ラルマナイ滝」でまた休憩。走りだすと、かなりのスピードの対向バイクとスレ違いました。サイレンの音がして、その音の主を自家用車がブロックしています。路肩に寄ろうとしたら、白バイをブロックした形になったようです。それを交わし、サイレン鳴らして猛烈なスピードで追跡開始です。さっきのバイクがターゲットなのかな?この手前でも、乗用車が白バイに捕まってはりました。女性警官でした。女子の白バイ警官なんて、珍しいんじゃないのかな?この道は、そういう道のようです。まあ僕にはスピード違反は縁がないです。
さっきの品評会男女のアメリカンに追いつかれ、3台並んで千歳に戻ってきました。まだ時間がたっぷりあるので、サラブレッドの牧場巡りをしました。r258・r10・R234周辺の枝道を、あっちこっち入って行きました。「社台ファーム」って競馬で知ってます。「ノーザンファーム」系列の牧場がいくつもあり、それぞれがものすごく大きな規模です。調教?してます。競馬場のような巨大なコースがあります。広大な牧草地があります。美瑛みたいに、みんな広大です。「ノーザンファーム空港」というのもありました。専用空港を持ってるのかと思い向かいましたが、見つけられませんでした。
15:00、コスモ石油で最後の給油。6475km-6219km=256km/9L=28.4km/L・1368円。Total、6475km-5635km=840km/29.77L=28.2km/L。
CB400のカタログデータが、31km/Lなので、僕の急発進・急加速なし・のんびり走行では、×0.8で24km/Lぐらいかな思ってましたが、信号のない北海道の道ではさらに伸びるようです。
レンタカーターミナルに帰着。CB400SBのレンタル料金は、24h・15000円、2日目以降10000円ですが、2日間に3時間延長したので、延長料金・6400円支払いました。

専用バスで新千歳空港に戻り、遅い昼食。鮭コロッケカレー960円。家内に無事到着の電話を掛けます。「まだ早いのに、もっと走ってたらいいのに〜」なんて言われました。
18:20新千歳〜伊丹・JAL2016・41K窓側。外でも見ながらと思っていたのですが、離陸の加速が始まったところで寝てしまいました。起きたのが、着陸10分前です。「え〜、ジュースのサービスを逃しちゃった〜。この時間帯だから、軽食の機内食が出たかもしれないのに〜残念」。
空港から自宅までタクシーで帰りました。1440円。北海道840kmで4500円しか使ってないのに、どうもこの料金に納得できないぞ〜。あ〜楽しいツーリングでした。
北海道はツーリング・パラダイスです。道は広くて、交通量は少なく走りやすい。しかもバイクピース反応率はほぼ100%でした。3日間で町中やカーブ以外は大体バイクピースしたのに、無反応はたった1人。1人で走っていても、楽しいです。これが、バイク乗りを北海道に惹きつける魅力の第一なのかもしれません。

2011/6/13
日曜日は、午前中仕事の会合で大阪に出ました。久しぶりの大坂城、そしてホテルニューオオタニは2度目かな?僕には場違いなホテルです。スクーターで乗り付けるんだから、「バイクの駐車場は何処ですか?」と聞いても、「当ホテルをご利用のお客様ですか?」なんて切り替えされちゃいますね。

昼過ぎに帰宅し、少し後に帰宅した家内と、亀岡にタンデム・ツーリングすることにしました。天気予報では夕方から雨なので、気になっているお店(レストラン?喫茶店?のよう)に寄って早めに帰宅する算段で家を出ると、すぐにポツポツが始まりました。
1時前だけど、更に雨が降りやすい山沿いに行くので、帰宅して車に乗り換えました。2人とも、釣具屋レインスーツが定番のバイク装束なので、平気なのですが、時々交代して家内のバイク練習も兼ねたツーリングなので、バイクで行く意味半減と判断しました。
池田からR423で亀岡を目指し、そこに着きました。「DREAMTON」というお店で、数日前の早朝バイクで探索したところです。コンセプトはイングランド・カントリーです。イギリスの田舎にあるような質素な土壁の家が数軒建ち、レストラン&喫茶の看板が上がっています。
早朝にもかかわらず、大きめのしっかりした下着が干してあった前回と同じように、雨にもかかわらず洗濯物が干してあります。これは、看板でもあるのですね。予想に反して、10台ほどの車が駐車されています。こんなど田舎なのに、知ってる人は知ってるようです。数軒、同じような建物が並ぶ中の一番大きな建物が、やはりレストランでした。店内も外観そのままの作りで、厚い白っぽい土壁に小さな窓、アンティークな机と椅子にお客さんが満席です。
2Fの部屋に上げてもらい、そこで食事をしました。僕は、「フィッシュ&チップス」。外国映画で、ロードサイドレストランで、若者が注文するごくありふれた料理です。イギリスの料理の不味さを体験しようと思いましたが、やはり日本人の口に合うようになってて、美味いです。アフタヌーンティーが付いて、1100円。店内のパンフレットや調度品を、家内が興味深そうに手にとっています。イギリス風の建物を売る会社の展示場でもあるようです。
帰りに、別棟のインポート雑貨や食材を売るお店で、イギリスのブルーベリージャムを買いました。525円。こちらで不味いイギリスの味を体験しましょう。ここの店員さんは、「大草原の小さな家」に出てくるような衣装に前掛けをされていました。可愛い衣装ですが、高校生女子のバイトさんぐらいの若さの方に似合うんだけど・・・。
R372に出て、亀岡に出ました。R9を少し北上し、山陰道旧道を篠山に向けて進みました。旧山陰道は、京都〜亀岡〜篠山〜と走っていました。趣きのある家が街道筋に並び、家内に見せたかった道です。「稗田神社」の駐車場に入れ、神社と「大石酒造」を見学しました。大石酒造は、お客さんでいっぱいです。R372沿いに大きな駐車場があり、観光バスが3台も停まっています。酒蔵見学がツアーに組み込まれているようです。
R372に合流し、更に篠山に向かい、R477で帰路に着きました。途中GSで給油。セルフじゃないので、おっちゃんとおしゃべり。山城情報を仕入れたかったけど、僕が登ったことのあるとこだけで、オフロードバイクの林道情報が仕入れられました。僕のバイクじゃ、無理だけどね。r106で「ここ曲がるとお墓の方だよ」と言うと、「お墓に寄りたい」とリクエストが来ました。春のお彼岸に、家内の実家のお墓にしか行っていなかったから気になっていたようです。僕だけツーリングついでに寄ってお茶を濁していました。小雨の降る中、掃除してお花を飾り帰宅しました。

2011/6/6
日曜日は、また雨の確率が高い予報が出ていました。しかし、日曜日に近づくほどに、予報が好転し、晴マークさえ予報されるようになりました。家内も予定がなかったので、「夫婦でお出かけ」になりました。「夫婦で自転車」も、真夏ほど暑くなくいいのですが、前々から走ってみたかった「林道・吉野大峰線」に行くことにしました。自転車で走る猛者も多いようですが、僕らには無理なので通勤リード110・タンデムです。
我が家から吉野まで80km・2時間半です。この間、家内は電車移動してもらいます。交通量の多い所も通り、快適ではないので、ここで疲れさせては本番で楽しめません。万一の事故の可能性もあるしね。
夫婦とも、夏用プロテクター上下+ダイワ釣り用レインスーツで、6時半に家を出ました。電車でも、高速道路に乗れないリードでも、2時間半の行程です。最寄り駅まで家内を送り、r13をドカンと南に下ります。R43を東進し大阪府に入り、天王寺駅の横を30分後に通過。家内も天王寺までJRで、ここで近鉄に乗り換えます。僕がかなりリードしてるはずです。
道なりにR25に入り、平野の辺でR309にチェンジします。ここらの西は、奈良と大坂の間にそびえる生駒山系の南縁と、金剛山系の北縁の切れ目です。奈良・大阪の交通の要衝で、JR・近鉄・国道・高速道路、みんなこの辺を通ります。
昔はもっと地形的に重要だったので、河内の国の中心は、平野・松原・藤井寺・羽曳野のここらでした。古くは、鎌倉幕府・源頼朝、室町幕府・足利尊氏を輩出する清和源氏流れの河内源氏の本拠地であり、室町幕府の三管領家の一つ・畠山氏の本拠地でもあります。
徳川家康軍の大坂城攻撃陣も、北の淀川流れに沿って南下した軍と、ここを通る大和川を西進する軍に分かれました。外堀・内堀を埋められた大坂方の真田幸村は、大和川を下ってくる家康本体をここに奇襲をかけ、殲滅する作戦を立てました。この作戦は受け入れられませんでしたが、幸村隊や後藤基次隊・毛利勝永隊など、大坂方の猛者達がこの地で徳川方と接戦を演じ、家康が切腹を覚悟するほどに追い詰めた。
今回は、大和川に沿うR25ではなく、R309で吉野に向かいました。攻城しようと思ってる楠木正成の本城のある千早赤阪村の土地勘を磨くためです。金剛山系の雄山、金剛山と葛城山のタワ部下をトンネルで抜けて大和入りします。旧道が残ってるようで、時間があれば走ってみたいところです。
そのままR309一本で、近鉄・下市口駅に出ます。吉野川(紀の川)に沿うR370を吉野方面にさかのぼります。ここでガソリンが少なくなってきたのでGSを探します。ここでも日曜日休みのGSが多く、吉野山へ渡る橋まで来てしまいました。吉野山に入れば、GSなんてなさそうです。地域の草刈りをしておられるおじさんに声を掛けると、基本親切な地域柄、丁寧に教えてくれました。一旦、吉野川の橋まで戻り、R370をあと100m行けばありました。ついでに空気圧も2.3にします。空気圧の低下は、山道で石ころパンクを誘発します。
r15とr37の2本の県道が吉野に向かっています。家内と待ち合わせの「近鉄・吉野駅」へは、線路に沿うr37だけど、時刻は10時前、抜群の流れで来ない限りまだ余裕があるはずなので、r15で吉野山に上がってみます。方向音痴の家内のことだから、30分ぐらいロスするはずだとの読みです。
ケーブル山上駅から、急坂を下って吉野駅に下ります。r37と合流したところで、地図を見ていると、草刈りのおばさんが、「何処に行くね?」と声を掛けてくれました。さすが観光地、土地勘のない方への親切が代々受け継がれているのでしょう。
駅は横なので、「何処で待つかな?」とゆっくり駅前広場に入ると、家内はそこにいて手を振っています。家内も、今着いたところのようです。吉野駅下車のお客さんは、家内ともう1人だけだったそうです。南北朝時代の南朝方朝廷があった場所なのに・・・、いくら有名な吉野千本桜の季節じゃないと言っても・・・、寂しくないかい?もっともっと、賑わっていると思っていました。
ここからタンデムです。「こんな坂上がれるの?」と家内が聞くぐらいの急坂ですが、110ccなので坂途中からでも加速する力強さです。すぐに吉野の伽藍の中心・金峯山寺です。参道に駐車場がありません。門前の饅頭屋さん横に駐車し、ここはそれ、朝食用に饅頭を数個お持ち帰りします。山門をくぐってすぐのスペースで饅頭を頬張ります。うまい。
修験道開祖の役行者さんが開いた修行の地です。吉野〜大峰山〜熊野本宮〜那智大社と、修験道の修行の地が紀伊半島に広がっています。仏教寺院と少し雰囲気が違うんだよね。天台宗や真言密教などの厳しい修行を伴う古い仏教に近い雰囲気があります。家内によると、吉野線の途中の駅で、修験道行者スタイルの方が数人降りたそうです。在野修行者が、濃くやってくる地です。現在の修験道・修行者の中心地・洞川まで、吉野〜熊野本宮間の峰伝い熊野古道(奥駈道)の一部を、これから辿ります。ワクワク。
吉野山を奥に入っていきます。山道なのでぐにゃぐにゃ曲がり、方向感覚がおかしくなります。詳しい地図を持ってこなかったので、「水分神社」を目指していたら、いつの間にか急坂の下りになり、眼下に宿などの集落が見えてきました。これは元の場所に戻ってしまいそうです。山内地図を見ると、「金峰神社」を目指さなければいけないみたい。さっき、それとの分岐をこっちに来てしまいました。
Uターンして、「金峰神社」まできました。道路の中央に停めても、迷惑などかかりそうもない交通量ほぼゼロの道でした。でも、神社前には、4月1ヶ月間の一方通行のお知らせが立っています。すごいな吉野山の桜。横に、「林道・吉野大峯線」の注意事項が書いてあります。路肩保全・法面落石防止が不十分なので、降雨・降雪時はスリップの危険があります。20km/h以下で走行。夜間・濃霧時の走行を避ける。見通しの悪い場所での駐車を避ける。と、書いてありました。
いよいよです。GO!徒歩で熊野本宮を目指す熊野古道と何度も交差しながら、舗装林道が続きます。標高は800m・1000mオーバーと、高所の峰を回りながら進むので、ぐっと気温は下がり、右に左に紀伊半島の峰が雄大な景色を提供してくれます。この熊野古道は、さすが修行の道でもあり、わざわざ山頂に登り返して熊野を目指すようです。忘れたころに車が駐車されています。きっと山登りの方の車でしょう。この道から上がるのであれば、意外に簡単に上がれるかもしれません。
黒滝村と天川村との分岐に着きました。ニホンオオカミの最後の目撃地・黒滝村です。夜なんか歩くと、熊に食われてしまいそうです。法面の崩れは無数にありました。道の1/3ぐらいまで土砂が来てるところもありました。路上に川が流れてるところもありました。木々の根の仕業か、路面陥没なのか、道がうねってるところもあります。20km/h以上出せません。
道の脇に滝が落ちてるところがありました。記念撮影。ヤマボウシの木が白いシャッポを綺麗に被っています。
川上村と天川村との分岐に来ました。ここは、僕がバイク免許を取って、最初のロングツーリングで来た場所です。R309で天川村に入り、r48で戻ろうと思ったら、あまりにハードな道だったのでUターンし、ここからR169に抜けました。ここからは、既走路です。
「大天井滝」がありました。これは見事な滝です。寄り道してパチリ。前回は、滝だとわかったけど、坂に停車できずにスルーしました。全然急坂ではありません。あの時は、ニュートラルでサイドスタンドでしか駐車出来なかったので、少しの坂でもバイクが動き怖かったです。今はいつでもギア入れて停めるから平気です。
「五番関トンネル」通過。登山者の車が数台停まっています。バスも1台。思い返せば、前回、ここでバイクの初コケしました。バイクを停めて、ステップ出したつもりが、出来っておらずバイクを下りたらゴロンとバイクがなりました。微妙な傾斜でビビっていたのでしょう。今見れば、なんてことない傾斜です。3年で成長しました。案内板とか見てると、家内が「五番関」と書いてある登山道を登っていきます。「何処行くの?」と聞くと、「え、登らないの?」だって。「クールロボ・イージートーク」で無線会話してるから、すぐ後ろに僕がついて行ってると思ってたみたい。
「母公堂」の女人結界まで下りてきました。道端の車から、行者装束の方が山に入ろうとしてるのかな?僕は2度目だからそうでもないけど、独特の雰囲気を家内は楽しんでいます。お墓のような石標がたくさん建ってますが、修行記念の石標が多いです。ここは、修行に励む役行者さんの母親が、ここで住まわった所だそうです。息子を心配する母心というところでしょうか。
洞川の湧き水・取水所の前に、五代松鍾乳洞がありました。前回は、もう1つある鍾乳洞に入りました。今度はこっちを体験するつもりでした。が・・・、何と昼休み休憩中でした。12時を数分回ったところです。次は1時からだって。昼食を取りに、洞川の街に下りました。修行者さん向けの宿が並んでいます。全国区では、吉野ほど有名じゃないけど、こっちの方がよっぽど人が多いです。現役修行者の中心地の魅力なんでしょうか。
洞川温泉の駐車場は、バイク無料です。天の川に面したお店で、アマゴの塩焼き定食1380円を賞味。塩焼きも美味かったけど、香の物もうまく、これは大変美味しいお店でした。
修行者の根本寺「龍泉寺」に入ります。前回はここの池で水に浸かり、お経を唱えながら滝に打たれる修行者がいましたが、今回はいません。大型バス2台で帰る団体さんがいたので、修行を終えた後かもしれません。龍泉寺から天の川に向けて、湧き水が大量に流れだしています。名のとおり、地下水が湧く泉があるのでしょう。この水量は、相当なものです。
「五代松鍾乳洞」に戻り、ケーブルカーの切符を買いに入ると、2時のになるとか。あと40分もありますが、待つことにします。歩いたら15分ですが、ケーブルだと6分です。というより、ここの見所は、鍾乳洞よりこのケーブルです。みかん農園など山仕事で高いところに資材や人を運ぶ簡易ケーブルカーです。こんなのめったに乗れませんよ。
前の水汲み場は、駐車場の順番待ちが列を成す人気です。少し飲んでみましたが、味覚音痴の僕には、普通の水としか感じません。小屋に戻り座って待ってると、ケーブルが下りてきました。1:45の便の出発です。お客さんの座席は4、だけど定員は6だそうで、一番後ろにお若いカップルが2人で腰掛け出発です。50cc原付みたいに軽い音を出しながらゆっくり登っていきます。
登り6分・下り6分・残り諸作業で、15分間隔です。かなりの急勾配を、ゆっくりですが確実に安定して上がっていきます。家内は、この日一番の体験だったそうです。下で全員ヘルメットを被ります。僕はバイクのヘルメットを被ろうと持っていたのですが、「それでもいいけど、狭いところがあるから傷つくよ」とのアドバイスで、備え付けのヘルメットを被り、手荷物になってしまいました。
確かに急坂だけど、頭に当たる枝もないから変だなと思っていると、ヘルメットが必要なのは鍾乳洞内でした。僕も2〜3度頭をぶつけるぐらい狭い所を抜けました。ヘルメット必須です。鍾乳洞自体は、前回寄ったもう一つの方が広くて良かったかな。でも広さは、しれています。家内は、狭いところをくぐるのに閉口していました。洞内は、係の方の先導・説明付きで15分。ケーブル駅に降りると、次のケーブルが上がってくるというルーチンになっています。
ここから帰路です。r21でR309に出ます。ローソンそっくりの看板で、ローソンをもじって「モーソン」の看板を上げたお店が模様替えしていました。ローソンからクレームがあったのか、今度はユニクロをモジって、モリクロになっていました。モリクロではまたクレーム対象になると思ったのか、「モリクロ・フラフラ」となっています。ただでは起きないご店主の心意気が素晴らしい。
R309をグーンと、「道の駅・吉野路黒滝」に。修験道修行者装束のおじさんたちが、こんにゃくを食べています。額に丸い物を当てたかっこいい修行者が、ソフトクリームを食べています。家内が、「ソフトクリーム食べないで」って、笑っています。走ってきた山岳路をひたすら歩く修行者の崇高なイメージが、ソフトクリームで崩れていくのでしょう。僕らは、屋台でこんにゃくの串刺しを食べました。これがうまいです。辛の微妙な味付けが素晴らしい。100円。
R309をグーンと、「近鉄・下市口駅」まで。ここで家内と、しばしお別れです。往路と同じ電車を反対に戻るのですが、ちゃんと帰って来るでしょうか?方向音痴なので、一抹の不安が・・・。僕も、ひたすら往路を同じ道を戻ります。6時に地元帰着。家内に電話すると、既に駅から歩き出しているようです。ブーンと家に向かうと家内発見。「暑くて〜」と釣り用スーツの上を脱ぎ、プロテクターの胸ファスナーを大きく下ろしています。「電車はクーラーが効いてたから平気だったけど、歩き出したら暑すぎて・・・」。
またまた、楽しい1日になりました。

2011/5/30
日曜日は、台風2号の影響で梅雨前線が刺激され、雨風の強い1日でした。でも、夫婦で予定のない日でしたので、出かけました。町内会の溝浚いの日だったので、朝一仕事してから出発の予定でしたが、雨のため中止。よって朝一から出発です。まあ7時前だから、いつもより遅いのですが。
雨なので、自転車もバイクも出来ません。電車も考えたのですが、車で僕の遠い先祖が祀られているお宮に出かけることにしました。ずっと家内が訪問したいと言ってたところです。
現岡山県・律令国家で言えば美作の国なので、中国道です。NHKラジオで台風・豪雨情報を聞きながらの道中です。四国に大雨洪水警報が発令され、やがて京都にも発令されました。まさに発令中の中の道中ですが、車は快適です。横風に注意するぐらいで、叩きつける雨音でラジオの音が聞き取りにくいぐらいでしかありません。
さすがにバイクは、走っていません。ところが、「加西SA」で休憩したら、GSに2台のスクーターが給油していました。風防が大きなスクーターですが、この天候では辛いのに・・・強者を見ました。
「山崎IC」下車。R29で北上します。最その目的地は、「岩屋堂」です。スキー場のある「戸倉峠」に向かって、少しずつ登り、とても良い景色がつながります。雨は降ってるけど、ゆっくり走りながら、「あ〜ここいいなあ」なんて2人で。スキー場への案内板が増え、「戸倉峠」を越えました。ここから鳥取県です。4WD車を買い換えてから来なくなったけど、雪の便りを聞くと毎週のように通ったここらのスキー場エリアが、別の景色で見えます。
そろそろ、ここらだなと思いながら道標に注意を払っていると、「岩屋堂」の案内を発見。もっと観光地だと思ってたけど、R29から枝道に入ると、すぐにそれがありました。車5台ほどの駐車場に入り、カッパを着て傘差していざ出陣。激しい雨が小康状態でマシです。岩盤を手彫りした中に、木造のお堂が作られていました。南北朝時代の創立で、修験道の盛んなこの時代の密教系の一院なんだそうです。小さなお堂ですが、凛としたものを感じさせます。この日見物した中で、2人共通して一番良かったところでした。
浄土宗や浄土真宗は、庶民に仏教を広めた宗派ですが、葬儀仏教という感じがします。比叡山の天台宗、高野山の真言密教など古い仏教は、山岳修行を伴い、山深い質素な寺院からは、辛い修行からくる悟りを感じてしまいます。
修験道修行者・山伏は、今でも出家せず在野修行者で、金銭がからまない悟りへの道を極めている感じがして、崇高な人に見えてしまいます。比叡山の千日回峰修行者のあの雰囲気が・・・。大峰山で経文をとなえながら、一心に冷たい水に浸り、滝に打たれる姿を見て唸ってしまいました。外来した仏教と、日本古来の自然信仰が融合して出来上がってきた修験道信仰・・・熊野信仰にも通じますね。惹かれてしまいます。
観光客が誰もいないお堂を後に、R29を更に西進します。若桜鉄道「若桜駅」に到着。転車台があるということだったので寄りました。ここでも雨は小降りでした。駅に素朴な等身大の人形がおり、鉄道員さんの優しさを感じます。駅舎などを写真に収めてると、鉄道に乗ろうとしてたお客さんから声が掛かりました。
「機関車に乗ろうとして来たんね?今日は雨で中止だよ。駅員に声をかければ、ホームにも入れてもらえるよ」と。田舎に来ると、人の優しさと人との間の垣根の低さに感動さえ覚えます。
時刻表を見上げると1〜2時間に1本の運行ですが、「本日雨のため、蒸気機関車の運行を中止します」の紙が下がっています。お願いすれば無料なのかもしれませんが、ここはちゃんと利益を上げてもらわないと。駅員さんに声を掛け、構内見学300円払いました。「ありがとうございます。これ首から下げてね。帰りに戻してくれればいいから」と、人懐っこい駅員さんが対応してくれました。
プラットホームに入ると、ちょうどそこに列車が入ってきました。下りてこられたのは、お婆さんが1人。電化されていないので、ディーゼルエンジンのノスタルジーな音を残し、鳥取方面に折り返していきました。「見学順路」という案内板が立っていますが、どこでも見学自由という感じです。SLを見て、SLの前の転車台を見学、引込み線を囲う建物の中に、貨車が収まっていました。
駅舎に戻ってくると、電気が消えていた待合横に部屋に電気が点き、駅員さんが中を説明してくれました。若桜鉄道グッズの売店であり、観光案内のようであり、楽しい部屋でした。枕木の小片キーホルダー、線路の輪切り文鎮、鉄道グッズもあります。この地で、雨でなければ訪問したかった「若狭鬼ヶ城址」について聞いてみました。小冊子を見せてくれ、外に出て、城山を教えてくれました。道順も聞きました。次回は、登城ですね。700円で、鬼ヶ城保存協会発行の小冊子を購入しました。地元有志や学術研究者が発掘調査した資料が、たった700円でダイジェスト紹介されており、僕にはなかなかの値打ち物です。
ここで、大きな登山リュックを背負った若者が数人、駅舎に入ってきました。鬼ヶ城からの帰りなのだろうか?切符を求めていました。SLのことも駅員さんに尋ねました。第2第4日曜日に、通年運行しているようです。たまたま第4日曜だったので、僕らをそれ目当てのお客さんと思われたようです。家内は、1両の若桜鉄道が気に入ったようで、いずれSLや鉄道に乗りに来るでしょう。その時は自転車持って、半分サイクリングで楽しみましょう。
R29で更に西進。途中でR482に乗り換え、「隼駅」に到着。世界最速バイク・スズキ隼乗りの聖地です。僕のは、250ccの遅速バイクだけど、来てみたかったんです。駅員のいない無人駅なのですが、たくさんやってくるバイク乗りさんのお相手をするために地元の駅守りさんがいます。売店も出来ています。と、駅守りのおじさんに教えてもらいました。「何処から来たね?」「この駅のことを、何処で知ったね?」と、おしゃべりしました。僕もバイクに乗ってることを聞き、いろんなバイクが来るよと教えてくれました。若桜鉄道隼駅の交通安全のお守りステッカーを購入しました。バイクに貼りましょう。
R482を西進、岡山〜鳥取主要幹線のR53を南下。横を走るJR因美線は電化されていないようです。ローカル線が好きな家内は、列車がやってくるのを期待してるみたい。
「智頭」到着。更にR53で美作の雄峰・那岐山の肩を抜けます。トンネルやループ橋で標高を稼ぎ、南側に抜けました。那岐山が、岡山と鳥取の県境で分水嶺です。小さな「奈義トンネル」を抜けてすぐに、目指す「三穂神社」があります。僕の遠い先祖・美作菅家党の粗・三穂太郎を祀った神社です。僕だけが訪問したことがあるので、ずっと家内が来たいと言ってた本日のメインイベント。
外に出ると、これまた雨が小康状態、「私たちラッキーね」と家内が喜んでいます。参道入口の三穂太郎の像を眺め、階段を上がって拝殿本殿に上がります。三穂太郎の謂れを読み、車道の方で車に戻りました。
そのまま南下し、「美作IC」から中国道に乗ってもいいのですが、まだ13時前なので、一旦「智頭」まで戻ることにしました。那岐山の峠のドライブインで、昼食にしました。智頭からR373で「佐用IC」を目指します。以前「夫婦で自転車」でお世話になった「智頭急行」と、「鳥取道」に平行しながら南下します。
宮本武蔵生誕地の大原を訪問しました。生家や宮本武蔵神社・武蔵の墓などを訪問。日曜日なのに、悪天候だからかお休みのお店が多いです。続いて、智頭急行の「宮本武蔵駅」。続いて、R373沿いの宿場町「平福」訪問。宿場町、代官屋敷が残る観光地です。「平福駅」に寄ると、小さいながら落ち着いた観光駅になっていました。地方鉄道の駅は、特色を出そうと楽しいです。列車を下車されたお婆さんなのか1人、お迎えの車を待っている風でした。
平福の佐用川沿いの景観を眺め、最後に平福の外れの六地蔵に行きました。ここは、宮本武蔵の最初の決闘場所です。映画やドラマでは、必ず出てくる六地蔵河原。武蔵がまだ12〜13歳の頃だったようです。28歳で、巌流島で佐々木小次郎と世紀の決闘に勝利するまで、生涯無敗だった剣豪です。ここも、雨脚が落ち着いていて、ほんとにラッキーでした。
再び、R373で南下し出すと、すぐに「佐用IC」でした。帰りの高速は、往路より雨はマシだったけど、風が強くなっていました。強風で、50km規制です。ワンボックスなので、時折風で振られます。明石海峡大橋は、通行止めかな?と思っていたら、ニュースで二輪車通行止めと言ってました。台風並みの悪天候で決行した播磨北部・因幡東部・美作観光でしたが、大満足な1日になりました。いつものように高速に乗ると、スヤスヤ寝だした家内の寝顔を見ながら、強風の場所では速度を落とし、ゆっくり帰りました。

2011/5/24
日曜日は、バイクで四国初上陸の予定でした。しかし、天気予報は無常にも雨・・・四国カルスト目的なので、山の上は更に雨だろうと考え、清く断念することにしました。
晴れの国・岡山、和歌山・奈良南部・兵庫北部などの天気予報を調べ、和歌山・金屋の丸山さんとこの農園を訪問することにしました。丸山さんにコンタクトすると、在宅のようでOKです。
高速でブーンと行くだけだとつまらないので、高野山から有田川沿いを下るルートにしました。高野山への登りも既走の道はつまらないので、新規開拓です。下市市からR309〜r20〜R168〜r53が、良さ気です。高野山より標高の高い峠を通るみたいで、山深い紀伊山地の景色に期待できそうです。
高野山の天気予報は、15時から雨なので、このルートだと、5時出発〜下市7時〜高野山9時〜金屋12時なので、山の中で雨はなさそうです。平地で雨に降られても、雨平気な人なのでどうってことないです。

4時台に目を覚まし、5時過ぎに出発できました。まだ早いけど、まずは給油。147km/4.63L=31.7km/L。早朝バイクで、山城に上ったり、峠三昧したのに素晴らしい燃費です。北の空に暗い雨雲が浮かんでいます。ここらは午後から雨の予報だけど、今にも降ってきそうです。中国道〜近畿道・松原JCT〜西名阪・柏原IC下車。近鉄南大阪線沿いを南下したところで、GPSをON。「下市駅」にルート案内お願いしました。右手に「葛城山」「金剛山」の勇姿を望みながらr30を南下。楠木正成の本拠ですね。いつか「千早赤阪城址」なども探索しなきゃね。
GPS指示に従って、R309で下市到着。予定通りの時間です。天気は晴れ。「雨なんか降るの?」って感じの行楽日和です。紀の川を渡り、R309を進みます。もうGPSルート案内切って、現在地表示のみです。大まかな方角さえ間違っていなければ、道標と野生の勘で迷うのもまた楽しです。いきなりr20への分岐をロストしました。止まってタンクバックの地図見て、アナログ・リルートして、r20に乗りました。最初、拍子抜けするほどいい道でしたが、だんだんそれなりの山道になり、景色を楽しみながらのんびり走行です。交通量がないのがいいです。
R168に合流。この道は何度も走ってるので、気楽なものです。交通量も少ないし、追いついてくる高速車に上手に抜いてもらうだけです。「道の駅・吉野路大塔」でトイレ休憩を取りました。目の前に、「天誅組本陣跡」があります。資料館もあったのですが、まだ開館前の時間で訪問はできませんでした。
出発しようかなと思ったら、パラパラと雨が落ちてきました。山に入ってから雲が出てきたけど、予想外に早い時間帯の雨です。でも車載ムービーを収納するほどの雨ではなく、すぐ上がりそうです。幸いすぐに上がり、「猿谷ダム」からr53に乗りました。ところが、GPSでは東に向かってる・・・あれ〜・・・r53は合ってるけど、反対方向に走ってるようです。Uターンです。静かなダム湖では、バス釣り?ボートが出ています。素敵な景色なので激写数枚。
r53は交通量ほぼゼロの道でした。でも案内板がしっかりしてて、迷うことはありませんでした。細い舗装山道でどんどん上ります。木々の切れ間から、雄大な紀伊山脈の連なりが望めます。素晴らしい景色です。激写タイム。高野山から橋本に下りるR371のトンネルのところに出ました。また小雨が降って来ました。奥の院横から金堂の方に、高野山メインルートを進みます。和菓子屋さんを見つけ寄ります。6個入りの和菓子をお土産に買いました。葛餅が美味しそうだったので、店内で頂きました。
また雨が止んだので出発。12時半なので予定通りです。ここから「金屋」まで長い下りです。「龍神スカイライン」じゃない方のR371に入ります。この道、高野山のとこからすぐに細めの舗装山道でした。しばらく走ると道路が広くなり快走路になりますが、ここで雨脚が強くなってきました。「こりゃあかん」。樹の下に避難し、車載カメラを収納し、カッパを上に着ました。夏用メッシュジャケット&パンツの上に、ダイワブランドの釣り用カッパ上下を着ているので、平気なんでしょうが、ここは無粋な色合いだけど職人さん用のしっかりしたカッパを上から着ます。その後、「金屋」到着まで、時雨雲が来ると降り、通りすぎると上がる繰り返しでした。
いくつかの交差点で迷い、じっくり地図を見て正しい道を選択できました。交通量のない楽しい道でした。こんな不便な山奥でも集落があります。日本人凄いです。20〜30km/hでしか進めない細いワインディング・ロードですが、こんな道好きです。木々が切れると、山並みが広がり、谷底が見えない渓谷にビビります。高所恐怖症気味だから、遥か下が見通せると、足から血の気が引くのを感じます。北摂の低山とは、スケールが違います。
この道、延々走っても、地図上ではなかなか進みません。いつしかR480になり、「有田川」上流沿いを下ります。深山の渓谷道が終わり、道が広がると、「道の駅・しみず」の案内がありました。休憩しようと案内に従って橋を渡るも、どこにあるのか見えへん。国道沿いに道の駅作らなわかりませんがな。
R480に戻り、少し下ると、「あらぎの棚田」の案内がありました。棚田百選の上位ランクで、近畿ではトップランクの棚田です。国道から見えると思ってたのですが、少し逸れて山道を2分ほど走ります。50人ほどの団体さんが下ってきます。見物の柵があり、30人ほどの人がいます。この人ら何処から来たんだ〜。ずっと交通量のない道を来たので、ちょっと驚きました。小雨でしたが、円形棚田が有田川の蛇行で残された土地に・・・見事です。ちょうど田植えの時期で、観光客さんが田植えをしています。お百姓さんが指導する観光田植えなのでしょう。
R480に戻り、すぐに「道の駅・あらぎの里」がありました。棚田で激写休憩したのでパス。「二川ダム湖」がありました。赤い吊り橋に惹かれて停車。高所恐怖症気味克服のため、橋の1/3ぐらいまで歩いてみました。雨に打たれる静かなダム湖がいい雰囲気です。吊り橋上で、傘差して一眼レフ構えるおじさんがいます。きっと棚田からの帰りでしょう。
r182への分岐がありました。丸山さんのみかん畑はこの道沿いだと思うけど、雨降ってることもあり、この枝道はパスしておとなしくR480を南下します。金屋に下りてきて、「道の駅・明恵ふるさと館」に入りました。丸山さんに電話して道順を聞こうとすると、「近くだから、迎えに行きます」と。
お宅は、すぐ近くでした。農園の脇に住んでおられるのかと思ってましたが、街中でした。子供の学校のこともあり、住むのはこっちの方がいいよね。まあ街中とはいえ、南も西もみかん畑で、西のみかん畑の向こうの竹林は、有田川土手とのこと。「う〜ん、羨ましい環境です」。
ちょうど12時に到着したので、お昼をご馳走になりました。こちらは午前中、結構な雨が降ったようで、農園作業はしなかったそうです。浜で買ってきた「しらす」と「かつお?の刺身」を頂きました。僕の為に買いに行かれたのでしょう。申し訳ないです。ここから3時間以上、おしゃべりしました。
南の山から、雨雲の霧が晴れていき、竹林にいるというキジの鳴き声が時々聞こえ、羨ましい羨ましい自然を堪能させてもらいました。おしゃべりのうちに、空模様は晴天にまで回復しました。予報より数時間、天気の流れが早くなったようです。カッパをしまい、通常春秋ルックで帰路に着きます。お土産に、しらすをもらっちゃいました。ご飯&しらす&自家製タレがうまかった。
下ればすぐに有田ICです。海南までの上りはいつも混むのですが、2日前に上りも2車線になったようで、渋滞解消成ったようです。でも天気も良くなり、高速じゃあもったいないので海南まで山越えすることにしました。丸山さんから教えてもらったルートは、3月に「南部梅林ツーリング」の帰りに使った道r18でした。あの時は、10台ぐらいのグループツーリングだったので、ついて行くので必死で、景色を堪能する余裕はありませんでした。
R480からr18にルートチェンジ。楽しいワインディングです。海南側に出た時の景色が最高です。激写タイムを取りました。「海南東IC」から阪和道に乗り、「紀の川SA」で休憩。ガソリン補給、242km/6.75L=35.9km/L。山の中を2速・3速多用だったのに、伸びますね。雨だったのにバイクが30台ぐらいいます。山では会わなかったけど、僕同様、雨平気バイク乗りも多いようです。「貝塚SA」で2度目の休憩。そして、家まで一気に帰りました。ああ面白かった。念願の丸山さん宅訪問も出来た、有意義な1日でした。

2011/5/16
今月の日曜日は、15日でした。以前から訪問してみたかった毎月15日に境内で開催される「百万遍知恩寺さんの手作り市」に行ってきました。
僕ら夫婦は、智恩寺さんに分骨しようと思っています。家内の実家は、京都・永観堂さんに分骨しています。僕らもそれに習い、我が家のお寺さんの本山・浄土宗智恩寺さんにお世話になることにしました。浄土宗総本山・知恩院さんの下の本山七大本山の1つです。浄土宗開祖・法然さんが加茂川で教えを説かれた屋が前身とか。後醍醐天皇の世、京都を襲った疫病平易のため、当山住職が百万遍祈祷し、流行病を退治したそうで、「百万遍」の名を後醍醐天皇から賜ったそうです。
まあ僕らの希望はそうだけど、長男が「骨を2ヶ所に分けるなんて、あかん」と言えば、分骨にならないけどね。家内の実家のお墓にも参るけど、京都・永観堂に参るのを口実に、定期的に京都訪問してる生活もいいなと感じています。

最初、亀岡から自転車で保津峡沿いを走って嵯峨野まで下り、そこから東進して百万遍を目指そうと思っていましたが、数日前に3日間も雨が続き、亀岡〜JR保津峡間のがけ崩れ多発箇所が危険な状態かもと思い、通勤リード110ccタンデムにしました。
日曜日は、その前に一仕事しました。バイク友人のGさんが、自転車でしまなみ海道を渡った旅行記を録画したので、それをダビングしてくれるということで、その受け取りに西宮北IC付近に7時の約束です。
6時に出れば間に合うだろうと、5:30に家を出発し、1時間も早く着きすぎたので、有馬川探索、北六甲台住宅地内で景色のいいところを探索、生野高原住宅地から三田方面を眺めたりしました。待ち合わせ場所のローソンに30分前に到着すると、Gさんは既におられました。今日は車です。
ブルーレイディスクを受け取り、少々あ〜だこ〜だしゃべり、R176で帰宅しました。予定より早く7時過ぎに帰宅しましたが、朝食とか朝風呂とかして8時半に出発です。r12・旧道〜R173〜R477で「亀岡」に入り、r73で「八木」でR9合流。ここのGSで燃料補給とタイヤ空気圧チェックです。これから山道なので、準備は万全に。
R477を走ってると、ツーリングバイクが抜いていきます。さらに10台ぐらいのツーリング集団に道を譲ります。この10台、R9でガソリン補給の時、前を通り過ぎた集団です。遠回りしたみたいですね。
r50との交差点「廻り田池」で激写タイム兼ねた小休憩してると、あの10台が戻ってきて同じく休憩されました。休憩中もツーリングバイクが、2組ほどR477を東進していきます。
r50に入り、「越畑」を越えた次の集落・たぶん「嵯峨密原」で、素晴らしい古民家を見つけました。立派な家だなあと見上げていると、ここらの家は総じて立派です。こんな標高の高い山奥にあるのに、この集落の経済力は何故?なんて考えてしまいました。
「JR保津峡」に向かう下りに入り、柚子畑が山肌に現れ、そして「清和天皇陵」がありました。バイクを置いて、御陵まで歩きはじめましたが、片道20分の案内板を見て・・・往復40分かあ〜・・・と断念しました。軟弱夫婦です。
3月末にここを通った時は、路肩に雪があり、JRまで対向車1台だけでしたが、この日は天気が良く、バイクにロードバイク・ハイキングの人と、数組とすれ違い、この細い道にしては大賑わいでした。上り坂を平地同様のスピードで上がっていくロードバイクに驚かされました。僕らだったら、歩いています。
「JR保津峡駅」で休憩です。3日間の雨の影響で水量が多く、駅の下を保津川が勢い良く流れています。こんなだったら船頭さんは漕がなくてよく楽ですね。その分、岩を避ける竿さばきが冴えないといけませんが。
駅にはロードバイク2台、バイク2台、電車から下りてきたハイキングさん数名がいました。露天売店が開いており、烏龍茶ボトルと玉子を購入しました。おばちゃんに「ゆで卵」を注文すると、「出汁玉子」の方が美味しいよとのこと。そっちを食べました。お蕎麦のつゆに3日間漬けとくといいんだって。
嵐山・嵯峨野方面に出発。すぐに、「トロッコ保津峡駅」で、また休憩。橋を渡っていると、保津峡下り船がやってきたので手を振ります。観光船のお客さんが皆さん手を振り返してくれます。ちょうどそこにトロッコ列車到着。例の鬼さんがご乗車。きっと小さな子を泣かすのでしょう。出発の合図が鳴ったので手を振ります。沢山の方が振り返してくれます。観光地の地元の人(僕は地元じゃないけど)と小さな交流があると、それだけで印象アップだからね。世の中、楽しく行きましょう。
さらに下り、自転車の場合の最大の難所・「六丁峠」に差し掛かります。バイクだから平気だけど、自転車だったら歩き押しだね。峠を越え、嵯峨の赤鳥居に下りてきました。その先は、朝8時からバイク通行禁止です。夏に長男夫婦と歩いた「嵯峨野五百羅漢」の方に進み、「清滝トンネル」手前から嵐山方面に下ります。
「大覚寺・広沢の池」に寄り道。お寺なのに菊の御紋が入っています。謂れを読むと、京都に遷都した桓武天皇の20年後に即位した嵯峨天皇が、ここに別邸を造営し別御所だったそうです。それで、菊の御紋なんだ。
続いて「広沢の池」、大沢の池より広いです。世界遺産ロードを東進し、「仁和寺」「龍安寺」「金閣寺」前を通過します。「加茂川」「高野川」を越え、東大路交差点から南下して百万遍に至りました。百万遍駐車場は、長蛇の列。この界隈の喫茶店外にも行列ができています。「なにこれ?」って家内が驚いています。僕も驚きです。ここまで、「百万遍・手作り市」が人気だとは知りませんでした。百万遍交差点を銀閣寺方面に東進し、歩道にバイクを停め、百万遍さん境内に入ります。ものすごい人です。子供の頃のデパートや、正月のえべっさん状態です。
出店者は自らテントを張り、思い思いの手作りの品をテーブルに並べています。この大勢の人の中を全部見てまわるのは至難の業と思われます。この状態なら、僕らの没後も賑やかそうです。適当に切り上げ、昼食に。前食べた「京大テラス」に向かいましたが、ここも並んでいます。家内から「京大学食」を提案され、歩いて向かいました。体育館の手前の「関西日仏会館」前を通ると、ここにもレストランがあるみたいです。ここにしました。
ちょうど、「英検」ならぬ「仏検」の試験日でした。日仏会館で仏検なんていいですね。まさか仏教の「仏教検定」の略じゃないと思うけど。フランス料理なのでしょう、昼食コース料理を食べました。1500円。家内はケーキ300円も追加してました。

2時を過ぎ、ここから帰路です。旧西国街道で帰るつもりですが、ダイレクトに狙うと車の多い京都中心部を通るので、「今出川通」を西進します。「同志社」「御所」を通過。家内が「同志社小学校は、ここにあるのね」だって。今回、新兵器を投入しました。ヘルメットに付けるバイク用インカム・トランシーバーです。「デイトナ・クールロボ・イージートーク・ワイヤレスインターコム2台セット約2万円」。PTPスイッチ操作など必要ない双方向性インカムです。常時繋がってる電話で話しているような感じで、走行中、横向いて大声で話すなどしなくてもOKです。これは大変便利です。単4電池1個で使えるので、電源確保が簡単です。エネループ予備2個用意してたので、1日OKでした。
道は、「京福電鉄・嵐山線」の側道になり、知らんうちに、「大沢の池」の横を通る道になりました。「嵯峨野」まで出て、「嵐山」に向かって南下。嵐山は、相変わらずの人でした。ちょうど今日は、京都三大祭の「葵祭」でした。御所〜下鴨神社〜上賀茂神社のコースなので、当然これにかち合うと当該道路は通行止めです。昼食を下鴨神社で摂るようなので、走る時間帯をずらしました。
「渡月橋」を渡り、阪急電車に沿ってR9まで南下。道なりにr67で「向日市」。ここはもう「旧西国街道」です。平安京の前10年ほど都があった「長岡京市」。「大山崎」で「油座」の全国総元締めの「離宮八幡」で休憩。サントリー大山崎工場をかすめ、「JR島本駅」横で休憩。ここは、ずっと後醍醐天皇・南朝方だった楠木正成・正行親子別れの場・「櫻井の駅」跡です。僕はアイス、家内はヨーグルトを駅前コンビニで購入し、ベンチに座って食べました。
続いて「郡山宿」で休憩。旧道は、長屋門のある旧家や趣きのある寺社が時々出現し、速度は出ないけど楽しいです。箕面・牧落交差点からR171・西国街道現道でギューンと帰ってきました。京都〜自宅は下道でも2時間なのに、寄り道ばかりで4時間、帰宅は7時前になってしまいました。でも家内が一緒だったので、楽しい1日になりました。このインカムは、タンデム用じゃなくツーリング用なので、2台で走っても会話しながら走れそうです。ナイスなアイテムです。

2011/5/9
日曜日は、ドラゴンのポイントレースでしたが、今月のレースメンバーから外れたので、岡山県の広域農道を初体験しに行きました。2週間前に高速道路・ウェルカムゲート巡りに連れていってもらったバイク友Gさんに案内していただきました。毎年のように、岡山広域農道を走りに行ってるようです。
朝7時に、山陽道岡山IC近所の「吉備SA」集合です。僕が体験したスマートICを、体験してみたいということで、こうなりました。自宅から2時間少しかかるので、4時起床・4時半出発の予定を組みました。遅れてはいけないので目覚ましを掛けましたが、3時に自然に起きました。早寝早起きが習慣になってるので、ここ数年、目覚ましのお世話になることがありません。
4時に家を出ました。宝塚ICから中国道に乗り、一路西に。体力温存のため、80km/h走行+SA毎休憩のペースに入ります。まず「三木SA」で休憩し、本線に戻りチンタラ走ってると、前方にバイク。その前の乗用車の後ろについて走っています。ここまで2台、大型バイクに抜かされたけど、前方のは僕のと同じぐらいの車格に見えます。「ひょっとして・・・」と思って抜くとき横を見ると、シルバーのヘルメット、CB223。やはりそうでした。前回は、僕が追いつかれたけど、今回は僕が追いつきました。前回は僕と同じVTR250でしたが、今回はお持ちのもう1台の方です。先月買ったばかりの新車です。
手を振りながら、前に入ります。前の乗用車が遅いので、抜きました。CB223がいっぱいいっぱいなら抜いてこないでしょうが、すぐに僕に追随し、僕の80km/hペースで並んで西進しました。
僕は、60kmほど先の「龍野西SA」で休憩でいいですが、Gさんは神戸からなので休憩を取っておられないことも考えられ、「白鳥PA」で休憩しました。トイレと昼食(またイチロー真似の朝カレー)を済ませ、「吉備SA」まで僕が先導しました。PAで休憩したので70kmほどの距離に増え、最後ちょっと疲れました。SA間隔60kmを休憩含めて1時間のペースがやっぱりいいみたい。
休憩し、ガソリン満タンにして、スマートIC前まで横に寄せてストップ。写真を写しておられます。スマートICはゲート前白線で一旦停止してから、ゲートが開きます。r72交差点まで先導し、ここで交代です。
信号が少ないからと選択されたr61を北上。気持ちのいい道です。前方に池の土手みたいなのが見えてきて、「ははあ、ここだな」と。最初の訪問地は、「岡山空港」です。Gさん曰く「しょぼい二輪置き場」にバイクを入れます。確かに、トタン屋根が錆びてるし、10台も置けない小スペースだし、高校の自転車置き場にも負けそうです。
「地方空港の割に、便数が多いんですよ」との説明。空港ターミナルには、お客さんが次々入ってきて、コリアンエアと中国東方航空が定期便を飛ばしています。国際空港です。100円払って展望デッキに出ると、ちょうどANAが飛び立つところでした。
空港の横から、僕の初岡山広域農道が始まります。「吉備高原街道」。山沿いを走る快走路という広域農道のイメージとは違い、山間部を縫うアップダウンの激しい舗装路でした。標高が高いので、数々の低山の峰を見通せたり、下界の集落を囲む棚田が一望できたり、直線では50〜60km/hで走れるけど、そんなに速く走ってはもったいない最高に気持ちのいい道でした。満開の藤が至る所に下がっています。交差点はありますが、終点まで道なりなので間違いようがありません。そこでフリー走行というお達しで、自由に休憩し写真撮ってOKです。Gさんはもう何度も走ってるので、先に行ってしまいました。で僕は、ゆっくり・キョロキョロ走りながら、写真休憩も挟みます。エンジンを切ると、ウグイスの鳴き交わしが降り注ぎ、素晴らしい道でした。
待ち合わせは、吉備高原街道終点近くの「賀陽IC」から「岡山自動車道」に入り、北上した次の「高梁SA」。「いやあ、最高の道でしたわ」と満面の笑みで、バイク置き場に帰着。すぐに隣のCB1300さんから声を掛けられました。「タンデムひこにゃん」「ビニールテーブルクロスお手製ハンドルガード」の事、「暑いねえ」・・・。続いてヤマハの大型バイクVMAXが入ってきました。存在感のあるバイクです。ヘルメットを取ると、70才越えてるだろうおじさん。「蒜山高原って、どう行けばいいかねえ?」。バイク乗りって、初対面なのに、待ち合わせした知り合い同士みたいにフレンドリーです。
またフリー走行です。「岡山自動車道」を中国道合流の「北房JCT」まで走り、西に向けて中国道に合流して、すぐの「北房IC」出たとこで集合。Gさんは僕のより非力なシングル223ccなのに、スーッと行っちゃいました。後ろから見てると、運転もスムーズで、僕もあと10年ぐらい乗ったら、あんな風に乗れるようになるのだろうか?CB223はウインカーが小さいですね。「曲がりそうだな」と見てるからわかるけど、日中は見落としそうです。追突されそうで、危ないかも?
「北房IC」は、今年「吉備路〜高梁・松山城」ツーリングしたとき乗ったICです。その時利用したR313を高梁の方に少し戻り、ここから2本目の広域農道「奥吉備街道」が始まります。ここも、広域農道の表示が何も無いので、普通なら見過ごします。「有漢常山公園」までフリー走行。「吉備高原街道」より広めの道ですが、交差点は少なく、信号が1つだけです。道なりに走ると難なく公園に到着。快走路です。数台トレインで走っていくバイクとすれ違いました。走り屋さんは、こっちの道を選ぶのですね。こんな道が、大阪近郊にあったら、間違いなく走り屋さんバイクの練習路になり、二輪通行禁止になるでしょう。
お城の形をした展望台がありましたが、眺めは駐車場からとさほど変わりません。石の風車が回る広い芝生公園「風の舞台」がありました。人は少ないですが、小さな子連れで来ると楽しめますね。
さっき通った「岡山自動車道」の有漢IC横を抜けて、ぐにゃぐにゃ曲がりながら東南東に進みます。途中で交差するR429の所にある「道の駅・かもがわ円城」に寄ります。ここはバイクのたまり場とのこと。30台ぐらいのバイクがいました。
ここから「奥吉備街道」に戻り、またフリー走行。いやあ、交通量はほぼナシと言っていいぐらいの快走路で、実に気持ちがいいです。横に斜面に牛がいます。止まって写真撮ってると、牛が「何してんの?」という目で見ています。r71にT字路でぶつかり終了。ここで待ち合わせました。r71で東進。
「奈義山」の方に行くR53で、「旭川」沿いの「福渡」という町で昼食です。Gさんの思ってたR53沿いではなく、「JR福渡駅」の方に少し入ったところでした。お勧めを聞いたら「ハンバーグ定食」ということだったので、それにしました。お肉屋さんのやってる小さなお店ですが、「1DAYドライブ岡山」で取り上げられてるぐらいで美味でした。11:30。
R484で東進。R484は、国道だけど交通量は少ないです。また「?」と思うところに、最後の広域農道「美作やまなみ街道」の入口がありました。これで「津山」まで北上します。地図上では交通量の多いR53と平行して走っていますが、向こうは川沿いで、こちらは山中ぐにゃぐにゃ道。バイクでは、こっちの方が数段楽しいです。ここもフリー走行です。
桃(岡山だから勝手にそう思っています)?梨かな?のビニールを被った畑が広がっています。橋の上でバイクを止め、少し歩いてバックし、橋とバイクを写したり、「美作やまなみ街道」と大きく書いてある交差点で記念撮影したり・・・、津山の町に下りてきて終了です。
「津山IC」から中国道に乗り、「勝央SA」で集合し、ここで解散になりました。ややこしいところだけトレインで、その他ほとんどがフリー走行というツーリングでした。寄り道好きの僕に合わせてくれました。Gさん、待たせてばっかりですいません。・・・ありがとうございます。「晴れの国・岡山」がさらに好きになりました。
「勝央SA」で話してると、スズキのアメリカンバイクで入ってきた方が、停めるときサイドスタンドが出きっておらず立ちゴケされました。大型エンジンガードのおかげで斜めにしかならず、3人で楽々起こせました。「ありがとう。疲れてんのかなあ〜」なんて、言ってはりました。僕はアイス食べて休憩で、Gさんスズキアメリカンさんも、先に行かれました。次の「加西SA」でも、スズキアメリカンさんに、会いました。「加西SA」から、いつもの宝塚トンネル渋滞にも遭わず、ノンストップで帰宅しました。
帰宅してバイクの手入れです。帰りの高速に乗る手前で、チェーン擦れの音が聞こえ始めました。メンテスタンドでバイクを立て、チェーンクリーナーとチェーンルブで、しっかりとオイルの手入れをしました。家にはまだ家内は帰っておらず、風呂に入りました。早朝の高速走行だったので、厚着し過ぎでした。途中1枚脱いだのですが、それでもまだ暑く、結構汗をかいてしまいました。ここは家内が帰って来る前に、さっぱりしなくちゃ。というのも、六甲山山頂に夜景デートの約束があるからです。
風呂から上がり、「もう終わったかな?」と家内に電話。応答なしです。しばらくして電話が掛かってきました。大阪の会合の終了が少し遅れたようです。最寄り駅に迎えに行き、逆瀬川から山頂に向けて上ります。
山頂は、やはり寒かったです。大坂のホテルでの会合用のスカートと薄着なので、僕のジャンパーを貸してあげました。家内のカメラも持って行ったのですが、靴も持って行ったら良かったようです。ハイヒールは、しんどいよね。
景色のいいお店で、お肉の載ったお弁当で夕食にしました。暗くなってきて眼下に夜景が広がっていきます。家内のお目当てだった「六甲枝垂れ」も点灯され綺麗です。この時間になると、お若いカップルが目立ちます。今でも、デートスポット健在のようです。また逆瀬川に下り、楽しい1日が終りになりました。

2011/5/5
昨日は、臨時休業して琵琶湖に行ってきました。
月曜日夕方に、長男夫婦が帰っていきましたが、それと入れ替わるように次男が帰ってきました。次男とこは震災の影響で、休日返上の大車輪になっているので、土曜日も月曜日も仕事だったそうです。木曜日は学校のようで、2日間だけの休みを琵琶湖のレースに出るために帰ってきました。
東京から直接琵琶湖の艇庫に入り、そこで寝泊りする方が楽なのに、月・火と自宅で2泊しました。自分の顔を見せることで、母親が喜ばそうと思ってるね。火曜日、次男がレースに向かった後、「応援に行きたいなあ。もう少し早く言ってくれたらお休みするのに・・・」なんて言ってました。その日仕事しながら少々思案し、家内の要望を叶えてあげることにしました。
「明日、休んで琵琶湖に行こうか?レースは観れないから、出艇したら自転車持って電車で琵琶湖北部を走りに行こう」とFAXしました。しばらくして、「じゃあ、そうする」との返事。レースのタイムスケジュールを予想し、JR湖西線の時刻表を調べ、地図で自転車での所要時間を予想し、「海津大崎〜マキノ・メタセコイヤ並木」と「メタセコイヤ〜新旭町水巡り」の2ルートを考えました。出発時刻によって選択です。
帰宅すると、家内は楽しそうに次男の食事とかやってます。僕が自転車旅の用意をし出すと、「自転車も持っていくの?」って質問。どうやらFAXの後半のメッセージは目に入らなかっら様子です。
火曜日、6:00に出た次男は、連休渋滞で琵琶湖まで1時間40分もかかったようなので、昨日の水曜日は5:30出発しました。ところが渋滞はなく、ハーバーに早く着きすぎました。しばらく車内で話した後、学生たちがやってきたので、準備に下りました。
この日は、京都在住の同期のイリグチ君と組むそうです。次男はトラピーズ・ハーネスを着け、クルーをするみたい。高校生以来久しぶりのクルー姿を見るかもしれません。同学年なので、交代でレースを楽しむのでしょう。静岡からバイクでやってきたナカシマ君、東京から帰省ついでにやってきたアツシ君もいます。アツシ君は、スノーボードで骨折したらしく、歩けなかった時期があったみたい。スノーボードは板が外れないから危ないね。
出艇を見送り、車に戻って自転車の用意です。「遊覧船に乗るの?」って聞いてきます。琵琶湖遊覧船に乗れば、レース海面の近くを通るからだそうです。予約もしてないし・・・乗船時刻も分からないし・・・で、パッと閃いたレース海面を望観できる湖岸の寺社巡りに予定を変更しました。
まず、「近江神宮」に参ります。家内は、今年初めての自転車です。先月後半までバイク免許教習に通ってたから、暖かくなってからも自転車に乗っていませんでした。「夫婦で自転車」の復活です。
「近江神宮」前で自転車を置き、大鳥居から厳かな雰囲気の大社を巡ります。近江神宮の裏山山頂に、森可成最期の地になった去年登った「宇佐山城跡」があります。織田信長が、大坂の石山本願寺攻めしているとき、浅井朝倉連合軍に背後を突かれないように、森可成が守備しました。大兵力の連合軍との戦に敗れ討ち死にしますが、ここで踏ん張ったおかげで、信長は退却の時間を稼げました。森蘭丸以下数名の子息を御側衆に置いたのは、可成への信頼の証ですね。続いて、天智天皇が築いた「大津京の遺跡」に寄りながら南下します。
「皇子山運動公園」横を過ぎると、すぐに「三井寺」前になりました。山門前に自転車を置き、散在する伽藍を観て回ります。ここは「弁慶の引き摺り鐘」で有名ですね。天智天皇が産湯に使ったという湧き水が大事に覆い屋で保護されていました。この「御井戸」が、三井寺の名の謂れだそうです。水の湧く音もします。「ホホ〜」と聞いていると、「CDが流れてるの?」って家内。う〜む、そうかも知れないけど夢の広がりがないなあ・・・。弁慶の引摺鐘にちなんだ風鈴を買いました。山をトレッキングする時の、熊鈴の代わりです。いい音すぎて、反対に熊が寄ってくるかもしれませんが。
レース海面を望観できる高台の茶店で休憩しました。家内は、お抹茶セット。僕は黒蜜トコロテン。トコロテンの原料は寒天。我が家近在では能勢町で作られ、全国的には長野県が生産トップ。寒い山間地方で作られる寒天の原料は、何故か海藻のテングサ。昔は輸送に時間がかかるのに、この辺の結びつきがよく分かりません。
三井寺を順路に従ってぐるりを回ったら、南の「長等神社」に下りてきました。翌日のお祭りの準備で、皆さん忙しそうです。天狗の大きなお面とか、お祭りの出し物とかいろいろ拝見できました。ここから、自転車を置いた所まで三井寺に沿って北上します。この道、琵琶湖疎水の取水口の真上の道でした。前から見たいと思っていた所だったので、ラッキーでした。
自転車に戻り、浜大津港に向かって下りました。ミシガンが接岸し、芝生には家族連れが楽しそうにしています。琵琶湖岸を東進します。いい風が吹いています。たくさんレースが出来そうです。「大津プリンスホテル港」という桟橋があり、横を見上げると高層のランドマーク・プリンスホテルが建っていました。
「近江大橋」から瀬田川沿い右岸を南下します。遊歩道が整備されており、釣り糸を垂れる人が大勢います。大津港からずっと釣り人だらけです。レトロな可愛い船で瀬田川を遊覧する遊覧船が桟橋にいます。その出発を見送り、自転車で桟橋から下りてきた係員さんに声を掛けます。「大人1300円で、1時間遊覧。次は石山寺桟橋から出ますよ」って、教えてくれます。ミシガンより随分小さな船なので、こっちの方が楽しそうです。係の方は、自転車で陸路石山寺桟橋に向かうみたい。なんだか楽しそうです。いつか乗りましょう。
瀬田川は、ボートのメッカ。各大学の艇庫が並び、ボートを整備しています。「瀬田の唐橋」下の川沿いでお昼ごはんしてる女学生のところで休憩。そこに京大ボート部艇庫がありました。へえ〜ここだったのか〜。
川沿いの散策道がなくなりR422に乗ると、すぐに「石山寺」でした。山門前に自転車を置こうと思ったら、駐車場整理の人がやってきて駐車場内にそのスペースがあるのだとか。石山寺は、紫式部が源氏物語を書いたところで有名ですね。伽藍を回り、紫式部の像を写真に収め、下りてきました。山門を出ようと思ったら、向こうから「おおつ光君」がやってきました。「おおつ光君で〜す」と、お姉さんに手を引かれながら、ゆるきゃらぬいぐるみが来ます。家内との2ショットを写真に収めました。
ここで昼食を目論んだのですが、4組待ち、お隣は「40分ぐらいお待ちいただかねがばりませんが・・・」の言葉で退却。仕方ないので、さらに南下し「瀬田の洗堰」を観て、ここで昼食・・・有名だと思うのに、お店屋さんがありません。「う〜む」、家内が燃料切れになりそうですが、ここから帰路・石山寺方面に戻ります。
地元の幸を賞味したいが、それにこだわらず適当なお店を探していると、ちょっと古めのお食事処が目に入りました。家内からのダメ出しが出るかなと思っていたら、お腹の減りがそれを上回ってるようで、あっさりOK。
店内は、地元のお客さん1人、店主さんとその奥さんという、昔はどこにでもあったお食事処です。手書きのメニューを見て、「定食ありますか?」と聞くと、黒板を示され、「今日の定食はこれ、この品みんな付くの。ご飯の量だけ選んで」と。家内は小、僕は中を注文。魚・シジミの味噌汁・お漬物・・・840円にしては豪華です。目の前の瀬田川のシジミというご当地の幸も賞味でき、味もとても美味しい。2人して、「美味しいねえ。石山寺がダメで良かったねえ」と、最高のお昼ごはんになりました。ホームランでした。
往路の道を帰るしかなく、時間的にもレース終了が迫り、京阪坂本線「石山寺」駅から電車に乗ることにしました。途中浜大津を通るので、混み具合が気になりましたが、座席が埋まることなく、自転車乗車でもヒンシュクを買うことはありませんでした。
「皇子山」駅下車。再び自転車を組み立て、ハーバーに戻ります。3時過ぎですが、既にレース艇は着艇していました。自転車を車に載せ、艇庫に下りました。家内から次男との2ショットをせがまれカメラを出すと・・・アツシ君が撮ってくれました。
ここで僕らは帰宅。名古屋方面は、京都ICからずっと渋滞でしたが、反対はスムーズで楽しい1日を終えることができました。次男は4位だったようです。年に数度、レースでしかヨットに乗らないのに、大したものです。今年も全日本に出るのかもしれません。

2011/5/2
日曜日は、新婚の長男夫婦と姉夫婦の有馬温泉のマンションを訪問しました。
長男は金曜日に東京から帰ってきて、お嫁さんは仕事だったので、土曜日に帰ってきました。土曜日は僕らが仕事なので、遅い夕食を回転寿司しました。2月に行ったケニアの新婚旅行の話などで盛り上がり、楽しい夕食になりました。
翌日曜日の朝は、まだお腹が満腹で、朝食抜きになりました。この日の予定は、有馬温泉ケーブル駅から六甲山山頂にケーブルで上がり、トレッキング下山でしたが、天気が思わしくなく、土曜日に義理姉にコンタクトを取りました。すると、ちょうど有馬温泉のマンションに行くから、昼食を一緒に食べようということになりました。結婚式の前日晩に話しましたが、もっとお嫁さんと話したかったのでしょう。うちの子達がちびの頃、2家族でキャンプしたりいろいろ遊んだので、姉夫婦はうちの子達をわが子のように思ってくれています。
「11時に有馬においで」とのことなので、10時まで暇です。で、家内のバイク練習に出ました。小雨の心配がある空なので、カッパを着ます。でも少しかっこいいよ。釣具メーカーのブランド物・ダイワの釣具防寒・防水スーツです。バイク乗るときの春秋用として購入したのが気に入ったので、家内用にも買っていました。黒・灰色・赤しかなく、僕が赤買っちゃったので、家内も赤でお揃いです。この年になってペアルックもなんですが・・・。「これ、私用?」って、喜んでくれたので良しです。ペアルックのことは不問でした。
通勤リード110に2人乗りして坂を下り、川沿いの交通量のない道へ。ここで交代です。300mほど行って、国道側道の橋を10mほど渡って、また川沿いをここに戻って、ここの橋を渡るというコースにしました。全線見渡せるので、何があっても走って行けます。
30km/h程で颯爽と出発しました。国道の側道まで行って、側道に入らずUターンし始めました。ゆっくり足を着きながら回って・・・ドコッ。道の縁石に前輪がぶつかってストップ。少し坂になってるので、バック出来ないようです。下りてバック・・・前進してドコッ。それを繰り返し・・・手を振っています。「ありゃ、ヘルプです」。走って駆けつけます。交代して、ドコッ・トラップから脱出させました。
ドコッっとなってからバックするのはいいですが、ハンドル角度がそのままなので、当然前進しても同じところにドコッです。僕の脱出を見てたので、ここは何も言わず、「じゃあ、今度はこっちから行こうか」、また30km/hぐらいで快調に走り出しました。でもまた向こうで、ドコッ・トラップにはまっています。今度は斜度がないので、数回で脱出して戻ってきました。「あんな、バックするときハンドルを反対に切ったら、ほら」。教習しました。「うわっ、ほんとだ〜」って、あんた小学生か?自転車でこうなった時、どないしてたんやろ?可笑しいというか、可愛いというか・・・心の中で、大笑いしました。

10時になり、車で出発です。R176、宝塚を過ぎr51・有馬街道で一本です。つづら折れで高度を増し、蓬莱峡の横を通るこの道は、僕の早朝バイク定番道でもあります。住所を聞きGPSにインプットしますが、かんぽの宿の前だからすぐわかりそうです。早朝バイクでは、いつも有馬ロープウェイで折り返すのですが、いつもの道沿いにかんぽの宿がありました。実に簡単。温泉街の急坂沿いだったらややこしいなと思っていたのですが、マンションにエントリーするのも楽々です。
マンション前で電話すると、姉たちが下りてきました。部屋からの眺めは南の六甲山向きで、見上げる眺めです。北向きは有馬の町が一望できるけど、日が入らないからこっちにしたんだって。そして姉たちの還暦の祝いのビデオ。姉たちも僕ら同様同級生夫婦なので、2人で赤いちゃんちゃんこと帽子を被っています。子供たちが万事整えてくれたんだって。長男くんの司会です。
小雨の中、有馬温泉の中心部を散策して、予約してくれたレストランに入ります。マンションから道を隔てた東急の施設です。マンションも東急不動産なので、同時期に建てられたのかな?気の知れた僕らなのに、コースを用意してくれてました。いつもはかんぽの宿でバイキングしたり、温泉街の中のうどん屋だったりのようですが、僕らのために奮発してくれたようです。姉たちも初めてのレストランのようで、レポートリーを広げるためのようです。温泉街が一望で、おいしい料理に舌鼓みしました。
北海道の話が出たので、僕の「バイクで北海道」計画を披露すると、「僕のマイルで買ったらええねん」て長男から。「でも君らで使ったらいいやん」「貯まりまくってるから、全然平気だよ」だって。お言葉に甘えて、またまた航空券をプレゼントしてもらおうかな?
おみやげ買って一旦車に戻り、小雨が上がったので再び温泉街散策に出かけます。今度は神戸電鉄・有馬温泉駅まで下ります。ただこの有馬温泉、急坂の町なので、戻ってくるのが大変です。有馬川に掛かる橋で信号待ちしてると、「あれっ?・・さんじゃない?」と姉がそこにいた人に声を掛けます。「あれ〜、なんでこんなところで?」。家内の実家の数軒お隣さんでした。その界隈ではとても大きなお家で、僕もすぐわかりました。横におられた方はお嬢さんで、某TVキー局にお勤めで、TVで見るお顔です。休暇を取って、母娘で有馬温泉旅行のようです。ホテルの送迎バスを待っておれる所でした。
うだうだ話してると、送迎バスがやってきて・・・でも橋に来ずに、そのまま川沿いを上がっていきます。「ありゃ?」、走ってってバスの運転手さんに合図します。で、目出度く乗車。トコトコ散策して、お猿の芸をやってました。さっきのバスは、歩くのと同じぐらいでしか動かないね。
子宝・安産のお宮にお参りし、「裏道から行こか」と、地元の方しか知らない道を兄に付いて上がります。「おお、かんぽの宿の横に出ました」。部屋に戻り、新婚旅行のケニアの写真をワイワイ言いながら見て、鍵を渡されました。前々から、鍵渡すから自由に使ってくれたらいいと言われていました。ただ職員さんとバッティングしたらあかんから、連絡だけするようにと。
長男とお嫁さんがマンション内の大浴場に入るというので、兄に案内してもらいながらついていく。金泉・銀泉両方の温泉が引かれてなかなかいいので、僕も入ることにしました。銀泉の方が、ぬるっとします。屋外露天風呂の金泉の方が肌にピリっと来て、塩分が高いです。「金泉の方が効く感じがするなあ」って長男。僕が先に出て、女湯との間にある休憩室に入ると、お嫁さんが既に出ています。「金泉の方が、効く感じでしたよね」って、さすが夫婦、同じ感想だ。部屋に戻ると、姉夫婦はもう帰ったみたいです。職員さんがやった仕事のチェックを資格持ってる兄がしないとお金をもらえないようで、この日は早めに退散し、月曜日の仕事を終えてまた来て、3白するそうです。

マンションの鍵を閉め、帰宅しました。途中長男たちをショッピングセンターに下ろし、僕らはスクーターに乗り換えてスーパーに食材の買い物です。月曜日に、長男夫婦と入れ替えで帰ってくる次男用です。また家内は、ルンルン気分で買い物をしています。長男たちは、月曜日に家内の実家と我が家と両方のお墓に参るそうなので、そのお花も買います。長男は、ほんと墓参り好きです。帰って来るたびに墓参りしてます。まだ新婚なのに、結婚前からもう何度お嫁さんは墓参りしてるのだろう?
夕食は、みんなでラーメンを食べに行きました。お昼でお腹いっぱいになったので、軽くしか入りません。帰宅後、ケニア土産をもらいました。「きりん置物」「しまうまコースター」僕にKENYA・Tシャツ」「家内にぞうさんキーホルダー」、とてもいい旅行だったようです。また行きたいと話してるのだとか。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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