ウェブマスター日記 September-October/2010

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2010/10/25
昨日は、ドラゴン全日本でした。レース期間は土日の2日間ですが、僕は例年通り日曜日だけ参加です。レース2日目なので、艤装がなく楽です。9時にハーバーポンツーンに着くと、既にメンバーが揃っていました。土曜日は、風が弱く2レースしか出来なかったそうです。この日は、朝から北東のいい風が入り、夕方から雨という予報なので、海風が入ってくる感じではありません。ブローのつかみ方で勝負が決まりそうです。
シブカワさんが上がり、オオノさんがスキッパーです。僕はジブとスピン担当のバウクルーです。ヒライさんがミドルであっちを手伝いこっちも手伝いと大忙しです。1日中、4〜8m/sのいい風が入り、艇数も12で、とても楽しくレースを楽しめました。エルシノアから観戦していたシブカワさんは、さぞ乗りたかったでしょう。先行しても安心出来ないけど、風を読むのが面白いので北風は好きです。オオノさんは、「僕はもうスキッパーしか出来へん」とか、「ブローが入ると、力あらへんからティラーを引き切れずに持って行かれるわ」なんて軽口を飛ばし、一緒に乗っててほんとに楽しいです。
北風は、岸に近づく上マーク付近は、ポートアプローチが上るので、僕は左海面を使うのが好きです。レース前にオオノさんが、「最初右に行って、適当なところで左に戻すよ」とストラテジーを立てました。高速の白アーチ橋から吹き出して来るので、どっちのエンドも避け、風の強いところを走ろうとの作戦です。
第1レース。即タック狙いで本部船を狙います。ドンピシャ艇がいたので、上1艇の後ろについてスタート。予定通りタックを返して、右海面に進みます。中間に近づいたのでタックを言ったのですが、先に見えるブローまで行ってからタックするとのこと。ブローに入りタックした直後はいい感じで、左海面に行った艇団に対してもいい感じです。5位までには入るかなと思っていたのですが、ヘッダーが入って結局中位以下で回航。
でもフリーが速いです。船底の秘密兵器が効いてるのか、先行艇に追いつき集団で回航。スターボでスピンを下ろしたので、回航直前ジャイブも入り、ヒライさんと大騒ぎです。目をあげると外側艇が水をくれず、マークとの間がありません。「ベアーベアー」と衝突を避ける叫びが思わず起こりましたが、オオノさんは上ってマークタッチで衝突を避けました。マーク際を離れ360度回転すると、ビリになってました。レベルは拮抗していてしびれます。上マークもビリ回航でしたが、またフリーが走り追いつきました。スピンランでフィニッシュで、僕らが下にオーバーラップしてたので、「入れないよ」と言ったのですが、強引にフィニッシュラインに突っ込んできました。B旗を上げようかと相談しましたが、「ビリ争いで抗議もカッコ悪い」ということで、結局ビリでした。
第2レースは、中位で1上を回航し、フリーで追いつき、10艇ほどでオーバーラップしたまま下マークアプローチに入りました。一番外でしかも先行してる。早めにスピンを下ろし、回航順番待ちでなんてタックして高さを保ちました。ゴチャゴチャしてたら、後続2艇にも漁夫の利を得られ、またビリ回航です。僕らは当てたらあかんと思うから優しすぎるようです。クローズで1艇抜き、フリーで2艇抜きましたが、また下位に沈んでしまいました。
最終第3レース。右海面を諦め、下3から左に伸ばします。左からのブローが常に入り、やはりこちらの方がいいようです。少々オーバーセイルになるまで、ブローが続いたので、コース引きの貯金を吐き出してしまいました。ビリ3ぐらいで回航。下もそのぐらいでしたが、回航後良く走り、2艇ほど抜きました。タックして左海面に出ます。左のブローが入った所でタック。今度もオーバーセイルまで上りが続き、集団回航になった上マークで上っておこしてとスターボ艇を避けまくり、元のビリ3に戻りました。最後のフリーはまた良く走り、先行艇を2艇捉えてフィニッシュ。結局総合でビリ3でしたが、レベルが揃ったレースで実に楽しいレースになりました。
マーク回航で何艇譲っただろう。明らかに僕らが権利があるときでも、強引に突っ込んでくるので避けました。でも船を壊してしまったら遊べないから、これでOKです。僕ら同様優しいタワ艇も、上マーク回航前にジャイブしたりしてました。
この日のトピックは、JPN27でしょう。兵庫ジュニアOBのコウサク君がスキッパー、広島ジュニア出身のドイ君とうら若き乙女2名を乗せ、第1レースはダントツでした。
船を片付け、KYC2Fレストランで閉会式です。優勝はスワさんとこで2位がサワダ君とこ。ずっと上位を走る船がおらず、優勝艇も閉会式に来て知ったほどの僅差でした。北陸や関東から遠征して来られた面々も集まり、なごやかな閉会式になりました。富山に、イギリスから1艇入るようで、少しずつフリートが大きくなる予感です。

2010/10/18
日曜日は、KYCのレースにドラゴンが出るとの連絡をいただきましたが、残念ながら午後から所要のため不参加でした。家内も午後からお出かけなので、午前中が空いています。「明日、何時から?」「・・・」「じゃあ箕面に行こか?」「何時から?」「朝早くから」。との会話の後、土曜の夜は暮れました。
日曜の朝は、5時半に目覚めました。階下では、既に洗濯機が回っています。6時に通勤スクーター・リード110に2人乗りして出かけます。r13・R173・R423で余野川を遡ります。いつもより渓谷のゴミが少ない感じです。雨でゴミが流されたか?この1週間、まとまった雨が降ってないと思うけど。
止々呂美のグリーンロードの側道から山道に入ります。ゴミ不法投棄対策の網が無粋ですが、時折広がる眺望は素晴らしいです。僕の確認できるのは、六甲山の山容と大船山だけですが、西の山々の連なりが一望です。必ず動物と遭遇するこの箕面の道ですが、6時という遅い出発だったので遭遇できませんでした。
せっかく家内を連れてきたのに会えないと残念だなあと思いながら、五月山との分岐に到着。箕面ダム方面に向かいます。いつもなら、僕1台でのんびりな道ですが、箕面側から時折車が上がってきます。日曜日の6時台に、山の道に上がってくるのは、ゴルフ場行きの車でしょう。
「こりゃあ、だめだな」と、お猿集団と前回会った箕面ダム横の道への期待も薄れました。遊歩道のことなどを話しながら、ダムに向かって下っていると、「あ、いた」。お猿が1匹、道路脇を歩いていました。僕が横を通っても堂々としています。「1匹いたら・・・」と期待してたら、次々にお猿が現われました。10匹ぐらいと出会っただろうか・・・ゴルフ車にけちらされて、仕方なくお山に退散する途中という感じに見えました。
ダムを渡り、r4を「高山」方面に向かいます。沿線で屋台営業する産直のお店の商材を積んだ軽四も走っていますが、如何にも走り屋さん風の車が低めのギアで頑張っています。まあ僕らはのんびりです。
高山公民館が近づいて来たとき、1台のロードバイクを追い抜きました。ゆっくり近づき、速度計を睨むと、軽いけど上り坂なのに25km/hオーバーで走っています。僕らとは雲泥の差です。
高山公民館には、1台のロードバイクが先着していました。ここの「高札場」を見に行きました。高山右近のお城があった山を指し示し、今年に入ってからの高山通いで得た知識を披露します。
R423「高山口」の方に下ります。ここから眼下に見える道を注視すると、また鹿がいました。しかも立派な角を持った男鹿もいます。止まって家内に見せますが、もっと近くから見たいので、その道を探索することにしました。
再び走りだすと、バックミラーにロードバイクが映りました。こんな下りなら、あっちの方が速いです。信号までに抜かされるかなと思っていましたが、向こうが自重したようで、僕らの方が先に「高山口」到着です。赤信号で止まると、ほぼ同時に止まったロードさんが、信号の押しボタンを押してくれました。「あ、どうもすいません」。40代の方に見えました。速い自転車乗りは、体型がカッコいいです。
R423に乗り、「ここかな?」と思う枝道に2度入りましたが、両方共民家でお終いになっていました。「あの道は、どこにあるのだろう?」と仕方なく家路に着こうとしたら、道の西に沿う余野川の西の道がそれでした。まだ男鹿がいます。Uターンして、余野川沿いに止まって鹿を見ていると、向こうも僕らに気付き、男鹿の鋭い視線。数頭の角のない一回り小さな鹿達が山に入ると、男鹿も山に入って行きました。
すぐ近くに、車が走っているのに悠然としてるんですね。でも止まった物があると、ワーニングレベルが一気に上がるようです。猿と鹿を家内に見せることが出来て、大満足で帰宅しました。2時間のお散歩でした。

まだ時間があるので、僕は散髪。2週間後に迫った長男の結婚式に、ちょっと頭を整えておきましょう。家内と帰宅後の自衛隊行きを決めて、ブラブラ出発。中部方面総監部創隊50周年記念で、正門前は大騒ぎです。正門左右に数名の自衛官。金曜日見た自衛隊白バイも陣取っています。白バイなのに、制服が自衛隊迷彩服というのがカッコいい。
散髪帰りに通ると、自衛隊や重用?された阪急バスが次々に隊内に吸い込まれていきます。交通整理の自衛官が、テキパキと交通整理し、お客さんを誘導しています。とても統制が取れています。正門正面の建物の屋上には、TVカメラみたいな大きなカメラが、正門を捉えています。隊員が2名。きっと僕らを見張っているのでしょう。何か事件が起こったら、その映像を分析するはずです。
帰宅すると、家内の用意が出来ており、早速隊内見学です。ここで、カメラを忘れたのに気付き、1周した後、僕だけで再び訪問するはめになりました。隊内に入ると、まず手荷物検査です。以前はこういうことはなかったのですが、昨今の社会事情もあり、仕方ないです。この春には、自衛隊ナンバー3である中部方面総監官舎で放火ぼやがあったので、尚更です。あの時は、我が家にも不審人物の聞込みで刑事さんが来ました。新聞には載りませんでしたが、やけどを負ったとのこと。
「ちびっ子ミニSL」に親子の列が出来ていました。母子で乗ったミニSLを、お父さんが写真やビデオに収めるというのが、1つのパターンのようです。「ポー」って蒸気を吐き、動き出します。小さな子は、満足そうで得意気な顔をお父さんに向けています。いいね。
74式戦車前での記念写真。子供用の自衛官制服を貸してくれるようで、それを着て専用台に乗ったちびっ子が、敬礼して写真に収まっています。カメラをお持ちでない親子には、自衛官のカメラマンサービスがあります。「敬礼」と自衛官に促されたちびっ子が、ピースサインを出し、「自衛隊式の敬礼はこうだよ」と教えられていました。写した写真を、すぐにプリントし、お客さんに渡してるようです。制服貸出・着替え・PCプリントと、担当者は大忙しのようです。既にたくさん親子が並んでいます。
戦車・装甲車・ジープ・迫撃砲・ミサイル・・・「阪神大震災も出動した」と書かれた災害救助ドーム・手術車・手術準備車・・・AED使用体験できるテント・・・変わったところでは、足湯までありました。
広場では、隊員の行進やエライさんの挨拶をやってました。カメラ抱えて2度目に訪問した帰りには、自衛官白バイ先導の黒塗り車が正門を出ていきました。演説を終えた防衛大臣か幕僚長が帰るのでしょう。家に帰ると、模擬演習でしょうか、期間中の連射音や大砲の音がしていました。またヘリコプターも10機ほど飛来していました。

2010/10/11
日曜日は、中学部の同級生H君と「W夫婦で自転車」してきました。彼と会うのは、多分30年以上ぶりです。僕ら夫婦がスポーツ自転車に乗り始めたのを共通の友人から聞いて、連絡をくれました。とてもありがたい。最初、名前を言われても誰だかわかりませんでしたが、家内が出してきた中学部の卒業アルバムを見て、一気に思い出しました。そして昨日、彼の家に迎えに行き顔を見て、遠い思い出が次から次に思い出されました。僕の記憶の引き出しにアクセス出来たようです。
車の中で、思い出した記憶を話すと、みんなぴったりでした。中学か高校時代、彼の家に遊びに行って、オーディオ・アマチュア無線のでかいアンテナ・でかい自作スピーカー・ハンダ付け・・・電波系男子の夢の部屋でした。僕は買いたくても買えなかった高級機材に溢れていました。おとなしい奥さんと大学生の男の子2人・・・幸せな生活を送っているようです。
彼の車は、息子さんがF1に行くのに使ってるそうで、僕の車に自転車4台を積むことになっていました。隣町に住んでる彼の家に朝8時半の予定でしたが、天気予報が良くなく、1時間遅れの9時半に変更になりました。
最初この話を貰った時、躊躇しました。多分一番遅いであろう家内が、足手まといを心配し遠慮するのではないかと。でもそんな危惧は取り越し苦労で、「行く。練習しなくちゃ」と、僕の「早朝自転車」にも参加するようになりました。女子はこれでいい。可愛らしく甘えていたらいい。気を使うのは男に任せておけばいい。そういうのも男のプライドをくすぐるもの。男の不得手なところで、暖かく見守ってくれてたらいい。
金曜の夜から降り始めた雨は、土曜日も降り続きましたが、天気の回復が予報より早く、日曜の朝は陽が差すほどになっていました。出発1時間半前から、自転車2台を積んでみました。いつもは家内の自転車だけタイして、僕のは無造作に放り込んでいるだけでしたが、4台となるとしっかり端に寄せてタイせねば。あ〜だこ〜だ、ようやく目処が付いたら、もう30分しかありません。家内の準備はもう出来てそうだし、慌てて他の荷物を乗せて出発です。
彼の家は、山の手の新興住宅地なので、当然坂。僕の自転車では辛いな。4台積み込んで出発しました。いいおっさんになってるのに、会話は一気に中学生。いっこも変わってないね。R173〜r604・r106・R477・R372を少々西進・r73で亀岡の千代川まで来ました。ここから無料になった京都丹波道に乗って丹波ICまでワープ。R9・r27、由良川を渡った所でr12に入り、目的の「大野ダム」到着です。
「ここ、来たことあるね」と家内。美山からの帰りに寄ったことがあります。ここから「美山・かやぶきの里」まで往復するのが、本日のメニューです。H君の奥さんも嫌みたいで、上り坂の少ないルートをH君が考えてくれました。期待大です。ところがそれに水を差すのが天気です。さすがに山間部、雨が降ってます。時雨の感じなので、時雨雲が来るとパラパラという感じ。まあ大した雨にはなりそうもなく、流れとしては天候回復なので出発します。ちょうど時雨が切れたので、自転車を出して準備、ダム資料館のトイレがあるので身体の準備にも都合がいいです。
時雨雲が、2〜3来るかなと思っていたのですが、結局どんどん晴れて行き、雨が降る事無く、気温21〜22℃の清々しい自転車日和になりました。僕のリュックには、いつものようにカッパも入っていましたが、用なしでよかったです。
r12を美山に向かって、由良川沿いを遡ります。上り基調ですが、ほぼ平坦で気持がいいです。なんといっても景色がいいです。僕はキョロキョロ、キョロキョロ、寄り道したい神社や写真に収めたい旧家が盛りだくさん。美山まで行かなくても、茅葺き屋根の家はあちこちにあります。車では見落としていました。バイクでは気持ちのいいカービングに気が行き、自転車ではより景色に目が行くようです。それぞれの楽しみ方があるな。
H君が先頭で奥さんが次、さらに家内が続いて最後が僕。H君は遅い僕らを気を使ってゆっくり走ってくれます。そのスピードが、僕にちょうどぐらいですが、奥さんはH君のすぐ後に続いています。家内も頑張ってついて行っていますが、僕から見ればオーバーペース。最後まで持つのかちょっと心配なので、自分のペースで走るように言うけど、自分に挑戦してるみたい。
僕は、いつも程は写真を撮れないけど、時々止まって写真を撮り追いかけるパターンです。「こんなところにユースホステルがあるぞ」「・・家住宅の道案内が立ち、寄り道したいなあ」なんて。
この道、R162の九鬼ヶ坂が自転車では危険で斜度のある難所なんですが、ここを由良川沿いに迂回するルートをH君は選択してくれました。美山役場があり、そこをベースに美山ロードレースが、行われているのだそうです。この道が良かった。特に「下吉田トンネル」を迂回する旧道が、僕好みの道でした。「日吉」から来るr19に合流し、R162久喜の坂を越えた所に合流。「美山ふれあい広場」のある交差点から、r38に乗りました。
ここからは、「かやぶきの里」目当ての観光バスが走ります。R162経由のバイクや車も増えます。でもまあ田舎道なので大したことはありません。気になってる「手作りハムの店」「水車のある喫茶店」「良さ気な茅葺き屋根のお食事処」を通り過ぎ、「かやぶきの里」に到着しました。あの赤ポストで、観光客の方に声を掛け、4人での記念写真を撮りました。さすがに3連休、更に前日の土曜日が雨だったこともあり、いつもより観光客が多いみたい。
そして、昼食を食べに「自然休暇村」向かいました。12時40分に出発して時刻は1時過ぎ、距離は25kmほどあるので、僕ら2人だけならあと1時間ぐらい掛かっていたでしょう。寄り道しなくても30分は早いです。さあ、ご飯食べようかなと思ったら、なんと1時間待ちだそうです。だったらと、かやぶきの里のきたむらで食べることにしました。美味しそうなりんごを1kg単位で売ってたので買いたかったのですが、自転車なので500mlのりんごジュースに変更。濃くてとても美味しい。
きたむらまで戻って店内を覗くと・・・こちらも混んでます。まあこっちの方が混んでるのが当たり前か。H君は、「お腹大丈夫?」と気を使ってくれますが、僕らは平気。往路にあった茅葺きのお店に、行くことにしました。自転車を置いて店に入ると、なんともうお終いのようです。営業時間内ですが、多分食材がなくなったのでしょう。次は水車のあった所を目指します。H君は途中のハム工房で止まったけど、喫茶だけのようだったのでパス。そして水車のある喫茶店の近くの茅葺き(じゃなかったかもしれない)お店に着きました。僕が偵察してOK。ここにしました。
店内は囲炉裏がある田舎家です。土間に厨房があり、座敷に上がって畳に座って食事をします。広い縁側に続く襖は全開され、風が通っています。4人にはちょっと大きめのテーブルが空いていたので、そこに陣取りました。でもこの席、ちょうど囲炉裏の風下で、灰が定期的に降ってきます。縁側の席もあったけど、テーブルが小さいのでここで我慢です。まあ、料理が運ばれてくると灰も気にならなくなり、みんな完食です。僕はとろろそば定食、家内は親子鍋定食です。とろろそばにご飯・卵・ナスなどなどが付いて美味しゅうございました。久しぶりに卵ご飯を食べました。子供の頃は、毎日食べてたのにね。3軒も振られてやっとありついた遅い昼食でしたが、結果的には落ち着いた雰囲気で一番いいところで食べられたようです。
3時に店を出ました。帰路は、基本下りなので楽です。往路で走った道を逆にトレースするだけなので、H君も僕らへの気遣いを少なくし、奥さんとのペースで先に行きます。相変わらず家内は、追いつこうとオーバーペースを守っているので、「中学部の同級生だから、遅れたって気にしないよ」「休憩しよか?」と声を掛けますが、限界に挑戦しています。
要所要所でH君達が待っており、道を間違えることもなくr12に入りました。ここからは由良川沿いをダムまで走るだけです。だんだんH君達が見えなくなりました。往路のオーバーペースの影響で、いつもなら平気な小さな登り返しで、家内のスピードが相当落ちます。軽いギアへのチェンジもしないようになったし。僕は、「ここまで帰ってきたから、あと・・kmぐらいだな」とか、「気持いいなあ」「あそこに寄ってみたいなあ」「休憩しよか」など、気を紛らす言葉を掛けながら走りました。「止まったら、次しんどいし」なんて言いながら、家内はペダリングをやめません。4時に近づき、山の陰が所々落ちる風景がまたいいです。もう少し季節が進むと、これに紅葉が加わるのでしょう。
軽く踏むだけでいい気持ちのいい下り坂、たまに軽い登り返し、快調に進みます。「んっ?」、足を止めてもスピードが増す直線の下りの終わりで、ねずみ取りが張られていました。40km制限区間・・・車でもバイクでも鈍速な僕は大丈夫でしょうが、50km/hを超える車は多いんじゃないかな。そんな殺生な所でせんでも・・・。H君によると、原付スピード制限に準ずるスポーツ自転車で、40km/hを越えるのは簡単そうなところでした。それに対し、警察官はどう対応するのだろう?
そして大野ダムに到着しました。50kmオーバーでした。家内によると、「今までで一番頑張った」そうです。自転車を積み込み、帰路に着きます。往路と同じ道を戻りましたが、R477からr106へは入らず、R477を進みました。H君御用達の「秋鹿酒造」の前を通りました。「地黄」の集落に入ったところで、前から山車が・・・。ちょうど狭いところを進んでるところだったので、車外に出て写真を撮ってしばし待ちます。「野間神社」の秋祭りのようです。野間中交差点から先は、土砂崩れで未だ通行止めなので、右折して・・・また野間神社の山車の通過待ちです。お米の収穫が一段落し、豊穣お礼の秋祭りの時期です。「野間大けやき」横を通り、r604。「一庫ダム」・R173で無事H君の家に着きました。6時です。
「家でお茶でも飲んでいかない?」と誘ってくれたのですが、注文してた蛍光灯を買う用事があるので辞退しました。電気屋に寄って、自転車屋さんにも寄りました。僕の自転車の前ギアを軽い方から重い方にチェンジするとき、入りづらい時があるので見てもらうために。ワイヤーが伸びてきてるみたいで、調節してもらいました。家内のも同じようで、こちらも調節してもらいました。
天気に恵まれ、楽しい1日になりました。

2010/10/4
日曜日は、バイクVTR250で高野山に行ってきました。夏が終わり、日が短くなってきました。特に夜明けが遅くなりました。こうなると、長年目覚まし時計をやめ、早寝を心がけ目覚めを体内時計に任せてきた体は正直に反応します。目覚めの時間も遅くなってきました。よって、より早く起きないとできない「早朝バイク」ができない日が増えてきました。その分「早朝自転車」をするだけだから、どうってことはないのですがやはりバイクに乗りたい。
ということで、午後から雨という天気予報にもかかわらず、計画を練りました。まず考えたのは、「美作」「備前」「但馬」。続いて、「東近江」。「丹後」「丹波」を含めて、僕のお気に入りの地域はどこも昼の12時の時点で雨です。しかも雨量が2〜3mmとしっかりした雨です。天気概況を読むと、日本海を低気圧が進むとのことなので、近畿地方南部を調べてみました。日頃雨の多い奈良は、兵庫県以上によくありませんでしたが、和歌山県北部は比較的ましで、九度山町や高野町は15時以降に1mmという予報でした。
高野山なら片道2時間あまりなので、寄り道しても6時間です。朝5時に出れば、昼ごろ帰ってこれます。決定。「ツーリングマップル」で道を調べました。この地図はその道路の交通量や道路状況、さらに見所まで載っているのでとても重宝します。

朝の目覚めは5時少し前でした。予定通りだったのですが、用意などに時間を食い出発は5時半になってしまいました。さらにGPSを忘れたので一旦帰宅したから、6時出発になってしまいました。まずは給油です。車の時使う学生時代からの御用達さんで、194km/5.64L=34.4km/L。天気は薄雲がかかるも日も差しています。東の空は朝焼けしており明日の天気の悪化を示していますが、この日の午後雨になる感じではありませんでした。「雨が降らなければいいのになあ」と希望的観測を頭に、東に向けて走り出しました。
風があり、出来るだけ高速は走りたくないので、吹田まで中央環状を利用しました。吹田から近畿道・阪和道で南下します。安全速度の80km/s前後で走り、適当な車があると、その後ろに着きます。そうでないと、僕を抜かすとき、1車線横ではなく、半車線ぐらいしか離さず抜く車があるからです。僕も車線のど真ん中を走るように心がけます。すぐ横を抜かされるときの風圧はキツイです。こけるとは思わないけど、いい気持ちではありません。大型バイクになると、ここが大きく違うように思います。
「岸和田SA」で休憩しました。時刻は7時半。お寿司と備え付けのお水で朝食です。バイク便ボックスの前にくっつけた先月買った「ひこにゃん」ぬいぐるみが、中学生男子に受けています。お寿司を食べながら、遠目でバイクを眺め、次は女子にうけますようにと願いました。
泉佐野JCTで関空方面に入り、すぐの上之郷ICで下りました。ツーリングマップルのオススメ道になってるr62で大阪和歌山県境峠を越えました。適度なワインディングで交通量も少なく楽しい道でした。
和歌山県に入り、紀の川に向かって下ります。真っ直ぐ下って紀の川を渡ります。この紀の川って、上流の奈良県では「吉野川」と呼びます。京都の桂川同様、出世魚がごとく変名する川です。特に他の河川と合流しないのに名前が変わるそれを知ったのは、ここ10年ほど前です。大きな地図では、吉野山と高野山が、紀の川・吉野川の南に位置する山塊として並んでいるとは・・・。
紀の川を渡るところでは、自動的にR424に変わっています。紀の川を渡ってすぐのT字路信号をR424の流れで右に曲がります。そしてr3に入りました。ここからR480出合まで上り基調です。交通量の少ない田舎道で、高野山からの下りに使うならGoodです。山間・谷筋の絵に書いたような山村風景が時々出現し、何度も止まって堪能しました。「高野山参拝道・早期整備」の看板が何本も立っていましたが、旅人として来る僕としては、「このままがいいんじゃない」と思ったりしました。
そしてR480に合流。この道も、おすすめ道指定でしたが、ブラインドカーブが多く、車もそれなりに走っており、自転車には不適な道に見えました。高野山僧坊群地域に入る直前、交差点に「高野山駅」と書かれていました。前回の高野山ケーブル山頂駅からの交通手段はバスを利用しました。この道、バス専用道になっており、自転車であの道を走れるのか不安でした。でもこの交差点は、バス道とは別の道で、こちらを通ればOKですね。
僧坊群は、この夏に来たばかりなのでスルーしました。1ヶ所檜皮葺きの門があったので入ってみます。宿坊のようです。落ち着いた雰囲気で、軒下に小振りの鐘が下がっているのが印象的でした。これで起床などを知らせるのでしょうか?
おすすめルートのR371の分岐を過ぎました。護摩壇山に向かうこの道も魅力的ですが、ここに入ってしまうと確実に帰りは日没になります。午後の天気予報を考えるとパスです。
ここからが本日のメイン探索ルートR371橋本方面です。おすすめルート指定されていませんが、「細い舗装林道・交通量少」となっています。僕の最も好きな道です。これは、鈍速自転車にとっても「最高」ランクの道です。最初急勾配&カーブで、舗装もいいとは言えませんが、それはOKです。交通量ほぼナシなので、ゆっくり下ります。「弘法大師・衣干しの岩」という観光名所?がありました。岩の前に小さな祠があり、横には取水できる清水がありました。水筒を忘れたので、ここで補給させてもらいました。その横には、空のペットボトルがたくさん入った透明衣装ケースが置いてあり、「ご自由にお使いください」となっていました。ありがたい事です。きっと、助かったと思う人がこれに水を汲んで持って帰り、反対にペットボトルを置いていく方もいるのでしょう。
そしてこの管理を横の売店の方がやってるのかな?これも弘法大師さんのご利益ですね。写真を撮ってると、マイクロバスが到着し、白装束の方々が下りてこられました。お坊さんも同行されており、四国お遍路さんの締めくくりの道中のようです。お遍路の最後、高野山奥之院の弘法大師さんのお墓に参り、ここなのかな?最近は、旅行会社がお遍路を細切れに月例で参る商品を出してるので、ブームなんだそうです。
やがて勾配が緩くなり、丹生川に沿う道になりました。この道は最高でした。緩やかな直線があってもゆっくり走り、そこを堪能しました。でも好事ばかりではありません。なんとなく雨が降ってるようなという感じになってきました。「山だから」ならいいのですが。下からロードバイクが上がってきました。合羽も持っていない軽装備なので、空模様を気にされています。
工事現場がありました。その手前に「トイレがあります。ご自由にお使いください」との看板。女子連れにはありがたいです。ストップして探索。工事用トイレを、工事のない土日も開放してくれているようです。写真を撮ってると、さっきのロードバイクが下って通り過ぎました。空模様で断念したのでしょう。
僕も出発です。途中の軽い上り区間で追いついたようで、ロードバイクを視界に捉えました。が、下り区間は同じぐらいのスピードのようで、少し後ろを見え隠れしながら追随する形になりました。近づきすぎると気になるだろうし、さりとて追い抜かすより、景色を堪能したいし。
r102との分岐に来ました。丹生川は、こっちに沿う様で、この渓谷が良いそうなので、そちらに入りました。更に勾配は緩くなり、最高に気持ちのいい道でした。水は醒井養鱒場よりよっぽど綺麗で、自転車だったらもっと気持がいいでしょう。たまに上りはありますが、ご愛嬌ですね。みかん畑が山の斜面にあります。かなりの急勾配の坂を上がって行く農道が、r102から分岐しています。時々止まって眺めましたが、かなりの急峻な斜面なので、この農作業は大変そうです。
南海高野線に沿う、高野山へのメインルートR370に出ました。この道を下ると「九度山」に出ました。ほんとは、ここで真田幸村を探索し、ゆかりのお宮で六文銭のお守りを得たかったのですが、空模様が気になりそれは次回にしました。ここまで下ると雨は上がっていました。さっきのは山間部なるがゆえだったようです。
ここでも雨なら、高速に向かうつもりでしたが、まだ大丈夫そうなので当初の予定を履行することにしました。紀の川を渡らず、R370で紀の川に沿いながら東進します。道なりにr55に入ります。橋本市を過ぎ五條市に入り、R168に出ました。ここから大阪・河内長野市までが「おすすめルート」になっています。「交通量少なく、傾斜も緩やか」となっていましたが、紀ノ川側がグニャグニャで描かれており、疑っていました。
当初交通量が多かったのですが徐々に減り、大阪奈良県境に向けてつづら折れを繰り返し高度が上がります。時折見える下界の景色は絶景でした。道が曲がりくねり狭いので停められなかったことが残念です。さらに残念なことに、雨がヘルメットに当たる音が聞こえるようになってきました。この日の出で立ちは、夏用プロテクターメッシュジャケットと夏用プロテクターメッシュパンツの上に、釣り用ジャケットとパンツです。高速でも十分暖かく、この時期最高の組み合わせです。さらに釣り用なので、水滴が弾いて合羽並みの撥水効果のようです。でもまだ標高が上がるので、土砂降りなんてことになったら勿体無いので、広くなった場所でカッパに着替えました。着てからの感想ですが、カッパの方が寒いです。釣具屋アイテムはかなりの優れものです。安価なのもいいです。また、ここで「ひこにゃん」ぬいぐるみとのタンデムが終了となりました。僕の後ろの座席から、バイク便ボックス内に移動です。ご苦労様でした。
河内長野まで下りると、雨は殆どなしです。着替えるのも面倒なので、そのままで進みました。R170からR309に入り、もうすぐ高速です。200kmを越えたので給油しなきゃなあと思ってたら、GS銀座みたいになっていました。セルフじゃないところがあったので、そこで給油。219km/6.8L=32.2km/L。80kmほど燃費が悪くなる高速を使ったのに、なかなか好成績です。高速側道に入り、美原北ICから阪和道・近畿道で吹田までワープしました。雨が降ってるのですが、道路も濡れていない程度でした。でも北風のようで、風に振られるから75〜80km/hという感じで、往路より5km/hマイナス巡航になりました。
帰ってきたのは、1時半。道路はしっかり濡れていましたが傘も要らない感じだったので、もう雨は終わりかなと思って讃岐うどん屋で遅めの昼食にしました。半日ツーリングで後半日もったいないですが、TVを点けるとモトバイクレースをやっていたので、見ながら横になり、そのまま寝てしまいました。6時ぐらいに家内が帰宅し、今日の出来事をゴチャゴチャ話し、日曜日が終わりました。

2010/9/27
日曜日は、ドラゴンのレースでした。KYCオータムレガッタなので2日間なのですが、僕はいつものように日曜日だけの参加です。
数日前、僕のKG中学部時代の同級生ホリウチ君から電話がありました。ホリウチ君とは社会人になってから交流がなく、突然という感じでした。共通の友人とよく飲みに行くそうで、その席で僕が「夫婦で自転車」してるのを聞いたそうです。ホリウチ君も、ご夫婦で自転車に乗っているそうです。遠い時代の友人が、思い出してくれて連絡してくれるなんて、とてもありがたい事で嬉しいことです。
数度連絡をとりあって、10/10に夫婦2組で走ることになりました。ルートは、ホリウチ君のお勧めで、僕がホリウチ君の家まで迎えに行き、自転車4台乗っけていきます。この話を貰ったとき、少々戸惑いがありました。と言うのも、スポーツをすることに縁のなかった家内が、やっと見つけて自転車の趣味なので、早く走れません。僕の寺社巡り・謂れ読みの趣味と相まって、寺社を見つけては休憩・喉が乾いたので休憩・そろそろ休憩と、多分どの自転車乗りより休憩が多いです。しかも方向音痴でもあるので、僕が一緒でなかったら迷ってしまうので出かけられない。美容命の家内のそのたびの化粧直しに、のんびり付き合える人なんていないと思ったからです。
「H汲んご夫婦に迷惑掛けるなあ・・・」「迷惑掛けると思って、家内が辞退するのでは・・・」なんて思いました。ところが家内に話すと、大いに乗り気です。そうそう、相手への気遣いも大切ですが、結構他の方は気にしていないものです。僕のKG友人ということも、好印象なのでしょう。さらに、「私も朝自転車に乗ろうかな?」なんて言い出しました。どうやら、少しでも付いて行くために、頑張ろうと思ったみたいです。
前置きは長くなりましたが、こういう事情で、この日の朝「夫婦で自転車」をすることになりました。家内のこの日の用事は、やっと始まった我が家の「地デジ化」電気工事の番だけなので、余裕を持っています。
目的地を、宝塚の「清荒神」にしました。往復1.5時間コースです。9時に浜に行かないといけないので、7時半着の予定で6時出発。の予定でしたが、僕の朝のお勤めで15分遅刻で出発しました。お散歩の方を追い越しながら天神川沿いの自転車・歩行者道を北上します。R176旧道を東進して、中山寺の派手な伽藍が見えてきたので北に進路を変え、阪急電車の踏切を渡り、中山寺門前まで来ました。
「中山さんに寄って行く?」「時間があれば」「じゃあ、ないから通過」。「売布神社」への細い参拝道を通って売布神社、中国道の上を越え、さらに細い側溝沿い道を通って清荒神の参拝道に出ました。石畳の道を急なところは歩いて上がります。家内のチェーンが外れました。家内はペダルを回しながらギアチェンジ出来ません。足を止めて、ガチャガチャとチェンジし、また足を回します。上り坂でこれが一瞬遅れると、速度がなくなり、ペダルを逆回ししてグイと踏みます。いつかチェーンが外れるなと危惧していました。
これで2回目ですが、今回もほんの10秒ほどでチェーンをかけることが出来ました。「チェンジ中は、逆回しにペダルを動かさない方がいいよ」「でも、動かないよ」「降りればいいよ。急ぐわけじゃなし」。僕らの自転車は、これでいいのです。のんびり歩けばいいだけのことです。
意外にも、家内には初めての清荒神だったようです。僕はなんども来ているので、一緒に来たこともあると思ってました。一通り巡ってお賽銭チャリンして、参拝道をR176旧道まで下って、その後は来た道を戻りました。帰路は下り基調なので、往路の半分ぐらいの時間で戻って来れました。走行距離16km、アベレージ14km/hでした。特訓終了。

出発が遅くなってしまったこともあり、8時前の帰宅になりました。急いで朝風呂・着替えを済ませ、デッドラインの8時半が近づいて、浜に向けて通勤リードで出発です。ここで大きな忘れ物に気付きました。時計です。レースで時計は必須です。仕事場に取りに行ってから、必死に飛ばしました。原付二種は、制限速度が車と同じなのでありがたいです。
浜に着いて係留バースに向かいます。僕のチームの皆さんは、既にお揃いです。昨日は吹いてたそうで、他艇にトラブルがあり、無事帰還で楽しく遊ぼうとのこと。シブカワさんとヒライさんと僕で出艇。昨日乗ったモリタさんが乗りの格好でおられたので、僕はお休みでも良かったみたいです。予定通りのメンバーでレースに入りました。10艇参加で、3位と6位。まあ1艇はDNCで、タワ艇も途中でマストが折れるというトラブルでDNCだったので、真ん中辺の順位でした。
定時に、先行するJ24がスタートしたのですが、風のフレが大きくなったようで、ドラゴンはAP、J24はノーレースになりました。一時南から風が入り、また東、さらに北と風は振れ、風速もあまり上がらないので、なかなかスタートが出来ません。僕らは適当なところでスタートしてもらった方が楽しいのですが、運営としては、そうはいかないところなのでしょう。日頃のポイントレースとは違う品質でした。そのうち、タワ艇がメインセイルを下ろしました。「どうしたんかなあ?」と近づくと、デッキの上でマストにヒビが入っていました。ヒビはほぼ一周回り、マストに打たれた細いプレートで立ってる状態です。本部船が曳航してハーバーに向かい、僕らは適当に練習です。
ハーバーから出てきたサポートボートにタワ艇を渡して本部船が戻り、スタート再開です。北・2〜3m/s。第1レースのラインは、ほぼイーブンですが少々本部船有利。左に伸ばした方が風があるようなので、アウター側から出る予定でしたが、5分前にスタートしたJ24は、本部船寄りの艇が伸びています。上2でスタート。
リーバウJ27がタック。少々ベアして避けました。行けると思ったのでしょうが、無理ですね。新規参入のKGセイリングチームなので、大目に見ます。上1のJ32が伸びます。下艇が伸び出し、J35がアヘッドまで上がってきたので逃げタック。しばらくしてJ28がタック、続いて他艇が次々タックして、ポートの走り合いです。左からのブローで、どうもやられてる感じです。右奥にブローがあり、そこまで粘ります。先に右に行ったJ27がタックを返してきましたが、はるかアスターンを抜けて行きました。予定通り、右からのブローが入り、タックした左海面の上艇に対して伸びていきます。上艇のバウが起きてきて、前も少なくなってきたのでタックするタイミングですが、きっかけのベアブローが入りません。
コレというタイミングはありませんでしたがタック。弱いながらスターボの上りブローが続き、結局3艇身ほどオーバーセイルになってしまいました。順位を少々取り戻し、5位で1上回航。もう少し早いタイミングでタックしていれば、あと2つは前だったように思います。
そのまま5位で1下回航。アヘッド先行J32がスピントラブルしてるので、即タック。行きたい左海面に大きく伸ばすいい位置取りができました。左先行したJ28が伸びてタックし、上後方で軽く2番手のJ28抑えながら走っていたトップ艇J35を捉えてトップが入れ替わります。J35は、そのままクロスし、左位置で次の左からのブローを期待してタック。そのアスターン気味でうちもタック。この左に行った3艇が左からのブローを受け伸び、うちは3番まで上がれました。
J35が再び抜き返し、2上トップ回航、うちもJ28に追いつき、上マークでうちが先行ミートになりました。下受けのスペースがありそうでしたが、安全策でベアして3位回航。そのまま次の下マークでフィニッシュ。
第2レースも同じような風速風向です。左に行きたかったのでアウター下1スタート。他艇はみんな、高い本部船寄りです。最初は負けていましたが、予想通り左が伸び始め、いい感じです。そろそろタックのタイミングですが、ベアセイリングのJ34が上から下りてきて、うちのサドンタック位置についてしまいタックが出来ません。「そろそろタックしませんか〜」「スギハラさん、オーバーしてしまいますよ〜」と声を掛けます。最初、「前に見えてるブローまで行くわ」と言っておられましたが、「タックするわ」とタックして行かれました。少し高さを取ってタック。最初いい感じでしたが、ブローが続かず、右に行った艇が復活し、乱戦気味になりました。中の上の順位を吐き出し、1上6位回航。今度はポートロングで早めにジャイブします。まあほとんどの艇がそうですが。そのまま1下6位回航。
J28がダントツ気味で、6番まで団子です。先行艇が連続して即タックしたので、そのままポートを伸ばし、左に行くタイミングを探ります。集団と少し離れた位置でレグ序盤でタックして左海面に向かいます。団子先行艇が牽制しあって落ちてくれればと思ったのですが、そうは行かず中盤のミートでは6位のまま。初志貫徹、しっかり左に出します。2艇抜いて2上4位回航。1レース目に続いて良いコースでした。
ところが、風が落ち、右からブローが入ってきました。離れた1・2位を除いて、一番左にいたうちは、右目にいた後続艇に追いつかれ、一時7位。競り合う3艇がアウターを狙う中、より近いように見えた本部船フィニッシュを狙います。3艇が競いあって集団自滅を期待しましたが、そううまくいきません、でも1艇抜き返し6位フィニッシュ。これで本日のレース終了。楽しいレースでした。
ところが、ここから地獄が待っていました。ハーバーバックに掛かるとすぐ風がなくなり、ひたすらパドリングになりました。運営艇は、さっさと帰ってしまうし・・・。「KYCに電話して、引っ張りに来てとお願いできないのかなあ・・・」なんて思いながら、奴隷のようにパドリングが続きました。レグの3/4走ってやっと運営艇がやってきて安堵しました。

これによって、船の片付け終わりが遅くなり、ハーバーを出るのが5時になりました。6時過ぎの映画を家内と観る約束は履行できそうもありません。帰路のR171は、いつもより空いていて5時半帰宅。映画を諦める話をしましたが、家内は未練があるみたい。次の8時過ぎの上映に行くことにしました。終わりは10時を回るので、最後まで起きていられるでしょうか?家内だって、9時台に寝てしまう人です。
地デジ化されたTV3台を順に観てみました。数日前に地デジ化した家内の仕事場のTVが、とても綺麗と喜んでいたのがわかります。僕的には、そんなに綺麗でなくてもいいんだけど。1台だけモノラルTVが僕の寝室にあり、その使い方がわからず、雨が降ったままです。電気屋さんに電話で使い方を聞かなければ。
通勤リード2人乗りで出発。時間に余裕があるので、讃岐うどんを食べてショッピングモールの映画館に向かいました。上映まで、ユニクロとABCマートを探索するつもりでしたが、「海猿3」の3Dがあるので、先に席を確保しようと映画館に行くと、「次のご案内が7時上映のですが・・・」「今、7時5分なんだけど・・・」「只今予告編中ですので、入れます」。ラッキー、3Dとそうでないのとで上映時間が違いました。ON TIMEで映画を観れました。3Dのメガネに最初戸惑い、目が疲れそうなので外して観ようかなと思いましたが、外すと2重に見えます。
そのうち慣れて3Dを楽しみました。僕的には、3Dでなくてもいいなという感想です。この日も、自転車・ヨット・映画と充実した1日になりました。

2010/9/20
日曜日は、滋賀県の醒ヶ井に行ってきました。何年ぶりでしょう。前回は子供たちが小学校か保育園の頃だったと思います。僕が子供時代、親に連れていってもらったこともあるので、これで3回目か4回目です。僕の醒ヶ井の印象は、「きれいな水の流れる涼しい川にニジマスがたくさん泳いでる」というものです。
今回は家内と2人、自転車で行こうと計画しました。JRで行くのが楽なのですが、大阪〜京都間の混み具合が気になり、気楽に行ける車輪行にしました。そして現地では電車も利用することにしました。最近は、このパターンが多いです。
6:15に自宅出発。中国道・名神と乗り継いで湖東を北上します。連休中日で、お彼岸も重なり、交通量は多目です。でも渋滞するまでには至りません。「黒丸PA」など、長男が中学に上がるまで、スキー行でよくお世話になった名前が通り過ぎます。彦根が近くなったので、「多賀SA」で休憩しました。僕は朝ごはんとして「近江牛コロッケカレー」を注文、家内はおにぎりのようなものを買ってきました。食後、「美味しそうなものがいっぱい売ってる」と家内に連れられて、SA内売店を見て回ります。オムライスみたいに生地が乗ってるメロンパンがあり、たくさん予約の札が下がっています。高速道路のSA内なのに、予約だなんて。確かに昔のカレーと麺類しかなかったSAとは大違いです。他のSAでホテルの売店部門が出店してるところもあるぐらいですから、ここも様変わりです。とってもおしゃれで、トラック運ちゃんの居場所がないですね。あの方たちは何処に行ったのでしょう。まさか予約でメロンパンを購入する人種になってるとは思えないけど。
「彦根IC」で下りました。GPSは動いていますが、地図で見てきた記憶と道標を手がかりにあえて無視。目指す彦根駅前駐車場は見つからず、彦根城のお堀端に来てしまいました。いつの間にJRを渡ったのでしょう?彦根城の勇姿を横目に、野生の勘で駅前到着。駐車場は、駅の横で、車から降ろした自転車をその場で輪行袋に入れて駅まで歩きました。幸いエレベーターがあり、コンコースの3Fまで苦労要らずでした。家内が醒ヶ井までの切符を買っている間に、僕は隣接する近江鉄道の改札口に行って、1日乗り放題切符を購入しました。この切符は550円と安価です。乗る予定の五個荘〜彦根間が520円なので差額が30円しかありません。しかもこの切符を提示すると、五個荘の近江商人の家や彦根城入場料が割引されるのでお得です。
彦根〜米原、米原で名古屋方面に乗り換えて「醒ヶ井」に到着しました。醒ヶ井は切符を郵便受けボックスに入れるようになっていました。田舎無人駅ではよくあるパターンです。7〜8人のハイキング風おじさんおばさんグループは、とても喜んでいます。今まで都会近郊の山ばかりを歩いていたのだろうか?
駅前で自転車を組み立てていると、車整理のおじさんが、「簡単に組み立てられるねえ。これ10万位するの?」と声を掛けてきました。田舎に来ると、人との距離が近くていいです。家内がおトイレに行ってる間に、おじさんから付近の情報をいろいろ得ました。「醒ヶ井養鱒場までは結構急だよ。でも帰りは漕がなくても帰ってこれるよ」とのこと。僕の調べでは、急坂はないはずなのに、ちょっと覚悟を決めました。
養鱒場に向かって、ゆるいゆるい上りを上がっていきます。「天神水」という看板があったので、いきなり寄り道しました。道脇には古墳の案内が立ち、横の川には、「禁漁・ハリヨ・ホタル保護区」の看板が立っています。「絶滅危惧種ハリヨがいるんだ〜」と川を覗き込みます。「天神水」の湧き出るところは整備されていましたが、木陰で涼しく、湧き出る清流が豊富で冷たく澄んでいます。とても気持ちのいいところでした。地元のおじさんたちが3人、ここのメンテナンスの相談をしていました。「どこから来たね」「兵庫県からですけど、そこまで電車で来まして・・・」。梅花藻の説明板には、6〜8月が季節を書いてありましたが、白い小さな花が水中・水上に咲いていました。1〜2ヶ月前は、もっとたくさん咲いてたのかなあ?おじさんに養鱒場までの道程を聞くと、「少し上るくらいで、自転車でも楽だ」とのこと。家内が、「人によってぜんぜん違うね」。
丹生川沿いに戻って、養鱒場を目指しました。山中の谷筋に入っての丹生川には、「禁漁」の看板が立っていました。醒井養鱒場の飼育地のようです。川を眺めながら登っていると、時々魚影が目に入ります。なだらかな坂を上がっていくと、苦も無く養鱒場に到着しました。20年前は必要なかったと思う入場料が必要で、丹生川自体にたくさん泳いでたニジマスのほとんどは、養殖池内にいました。前回もあったと思うニジマス釣りが盛況でしたが、マス料理のお店が少なくなってるようでした。ニジマスの他に、これがニジマスか?と思われる巨大なものや、幻の淡水魚イトウもいました。イトウはほんまにでかいです。ハリヨもいました。
「天神水」のところのおじさんが、養鱒場の方がもっと綺麗だと言ってましたが、明らかに「天神水」の勝ちでした。天然の川で飼育してるところはもちろん綺麗ですが、養殖池は餌などの関係でしょう白く濁っていました。案内板によると、池の上の照明施設により、年3回採卵できるようにして、繁殖に努めているようです、ニジマスさんも難儀なものです。
快調に一気にJR線まで下り、JR・新幹線・名神高速に沿って中山道を彦根の方に向かいます。現在の中山道は、R21であり、米原からはR8ですが、ほとんどの区間旧中山道を走りました。旧道は、交通量が一気に減り、自転車には心地いいです。
少しの間、R21の歩道を走りましたが、米原IC手前の「樋口」から高速道路沿い旧道に入ります。一里塚で休憩。程なく「番場宿」。謂れ板などが整備され、楽しい自転車行です。「南北朝の古戦場・六波羅探題・北條仲時墳墓・蓮花寺」という道標が立っていました。仲時の名は記憶にありませんでしたが、「南北朝古戦場」「六波羅探題」「北條」とくれば、鎌倉末期・足利尊氏か新田義貞との戦いに敗れた政府京都守護警察トップ討死の地なんだろう。家に帰ってきての調べでは、天皇再興を狙った後醍醐天皇を笠置山に攻め、壱岐に配流した六波羅探題トップだったようです。後醍醐に呼応した足利尊氏に敗れ、東国に敗走する途中ここで地方豪族に討ち取られたそうです。「う〜む、これだから旧道探訪は面白い。
「鎌刃城登山口」がありました。謂れ板によると、浅井長政配下の武将が守備し、長政と織田信長が敵対した時に織田方につき、長政や同じく信長と敵対してい石山本願寺門徒の一向一揆勢に攻められ落城寸前に至ったそうです。秀吉の援軍でかろうじて落城をまぬがれたのだとか。思い出しました。
旧街道沿いのお宮やお寺は、どこも立派です。街道側に鳥居が立っていても拝殿までの参道が長く続き、当時の敷地の大きさが想像されます。立派な白壁板塀の民家が立ち、今は田舎で人も歩いていませんが、ここらの経済力の大きさを感じます。
「摺針峠」に差し掛かりました。地図では、名神高速と道が重なるので、高速道路の下を通るのかと思っていました。ところが現地に来ると、峠の名と急勾配の坂・・・ううむ。地図をよく見ると高速道路はトンネルに入っています。「まさか、トンネルの上まで上がるの?」。古い地名には、それなりの謂れがあるものなので、「膝を摺って上がり、針を打たないと治らないほどの坂」なんて想像し、先が思いやられました。でも行くしかないので上がります。途中から急になり、僕らはもちろん歩きです。名神と同じ高さになり、それを下に見るようになったところで峠に着きました。
シュ〜ンと下ると、醒ヶ井と彦根の道標、横には中山道の道標が立っていました。家内は満足そうに笑っています。この峠道で、若い夫婦を追い抜きました。奥さんはなんとお腹が大きい。安産のために運動しているのでしょうか?「こんなところで産気づいたら大変ね」なんて家内が言っていました。でもまだ臨月ほどおおきくないので大丈夫なんでしょう。
ここから「鳥居本宿」までスイ〜っと下ると思っていたら大違いで、また上りがありました。今度は自転車を下りるほどのものではなく、なんとか峠まで上がると、「神明宮」というのがありました。鳥居まで急な階段があったので、道から見上げただけでした。そこからは森の中の快調な下りです。途中で「中山道」と矢印された道標があり、そっちは獣道のようなものでした。昔は、こんな道を歩いたようです。家内が、「女の人がこんな道を歩いたのね。頭に布をまとって」と被衣のことを言ってるようですが、人に会わなさそうなこんな山道では脱いでいたんじゃないのかなあ?だって、暑すぎるもの。
現中山道R8に下りてきました。でもすぐに旧道の方に。折れるとすぐに、「おいでやす彦根市」と書かれたモニュメントが出迎えてくれました。ポールのてっぺんには、近江商人風の旅姿の御人が乗っています。中山道67次の63番目「鳥居本宿」に入りました。お祭りでもあるのか、赤い布が道々のお宅の塀に飾ってあります。「赤玉神教丸」を現在も製造している有川家ののれんが目立ちます。店先に懐かしい赤い郵便ポストが立っています。きっと現役です。「脇本陣・問屋跡」「合羽所」、謂れ板が立っているので、それを読みながらの散策が面白い。乗っては下りの連続なので、歩くスピードより遅くなってると思います。たまに車が走り、中山道目当てに来たと思われるバイクがゆっくり走っています。宿場内の「本陣」の地を見ながら、ここに参勤交代のお殿様が宿泊したのだなあ。「脇本陣」には、同日にバッティングした格下殿様や家老さんが泊まったんだなあ。「西の番場」では、今の駐車場だなあ。なんて想像を楽しみました。
「小野小町」の塚がありました。楊貴妃・クレオパトラと並び称される絶世の美女・小野小町は、ここの生まれなんだそうです。「高宮宿」に到着。ここの大きな石鳥居が建っていました。謂れを読むと、「多賀大社の西方4kmにある鳥居」とのこと。多賀大社といえば、ここを通る近江鉄道から支線で山の方に数駅行ったところです。少なくともここから本殿までは社領なので、驚きの大きな神社ですね。
「高宮宿」を出ると、松並木の道になりました。その外側は、近江平野の水田地帯。暑いさなかの道行で、この松並木はありがたかったでしょうね。近所の中学から、運動会のアナウンスが聞こえてきます。秋のいい季節への幕開けです。
突然、左手に、賑やかな駐車場がありました。「ん?」とそちらを見ると、時折見かけた派手な車の同類が数台止まっています。家内と見に行こうと話してた「旧豊郷小学校」でした。数年前に、町長が老朽化したこの小学校の立替を提案し、町を二分した数度の選挙を経て、建物存続・新たに新校舎建設というところに落ち着いた場所です。町長リコールまでして建物の存続に尽力した町民の思いの元は、ヴォーリス建築です。僕の出身KG中学がヴォーリス建築で、それとの相違も見てみたかったのです。車の中で、「小学校なのに入れるの?」「小学校は別に作って歴史的建築物になってるから、見学出来るようになってるんじゃないのかなあ?」なんて話してたのですが、どっこいえらい人気じゃないですか。
自転車を降りて、置く場所を探していると、青と白のセーラー服に女装した青年とすれ違いました。通りすぎてから、「見た?」「見た。ここはどういうところなんでしょうね」と家内。駐車場には、アニメキャラクターをボンネット全面や、車の側面全部に貼ったかわいい車がたくさんいます。自転車を置いて校舎に向かったら、遠くの芝生の上にはセーラー服フィギアが数十ならんで、それを写真に収めている集団。横の芝生では、「ご主人様」というメイド姿の女子にカメラが向けられています。校舎の別棟入口に等身大のメイド看板が立ち、人がひっきりなしに出入しています。お宅っぽい小太りの一眼レフ持ちが、一般社会よりずっと高密度にいます。
校舎内は、上履きに履き替えて入るようです。廊下が広く、窓の開け方がKG同様で懐かしい。階段の手摺が同じです。でもKGの方が重厚な感じがするのは気のせいでしょうか。上の階には、舞台のある部屋がありました。数人がエレキギターを弾いています。五線譜黒板があります。別の部屋に入ると、テーブル上にケーキが乗ったお皿が・・・カップが・・・黒板には、色とりどりの白墨で書かれたメッセージが・・・。僕も写したけど、これらを熱心に読む人や写真に収める人がいっぱいです。アニメの写真が張ってあり、ケイオンの文字も。TVアニメのようです。この小学校出身の作者が描いたもの?このアニメが、この小学校を舞台に映画化された?ここはどういうところなんでしょう?
「???」状態で外に出て、集まってる人の会話に耳を立てます。「今日はいつもより人が多いね」「でも、みんな知ってる人ばかり」・・・駐車場の車のナンバーは、関東の方のまであります。帰ってきて、調べてみました。
『2010年8月現在、アニメ「けいおん!!」が大流行しているためほぼネット上では「けいおん」といえばアニメ、漫画、他それにかかわる物のことを指すことになっている様。
「けいおん!&!!」とは?軽音部に入部した女の子達のほのぼのとした学園コメディーである。
「けいおん!」は原作者:かきふらい の四コマ漫画(単行本発売中)とアニメの一期のこと。「けいおん!!」はアニメ「けいおん!」がヒットしたために2期が決定された。2期のタイトルである。
アニメの世界を圧倒させたこのアニメ。軽音楽部の内容だけあって、OPテーマ、EDテーマ、キャラクターソング共に大ヒットである。CDの売り上げ枚数もアニメのCDとは思えないほどの伸び率』
とのこと。現在進行形のアニメだそうですが、4コマ漫画だそうです。見たことないです。何処に連載されてるのかな?さらに、
『日本郵政グループは、2010年8月2日(月)より、オリジナルフレーム切手 「豊郷小学校旧校舎群」1000シート(予定)を1200円で販売開始することを発表した。豊郷小学校旧校舎は、TVアニメ「けいおん!!」の舞台として多くのファンが訪れる「聖地」として有名。
切手には、ギターやティーカップが写ったものも用意されており、「けいおん!!」のファン層を取り込む意欲が満々だ。 オリジナルフレーム切手は、8月5日(木)より郵便局ホームページ 「郵便局の通販ショップ」でも取扱いが開始される。』
郵政省の切手になるほどに人気ぶりだそうです。とんでもないことになってるようです。でもなんでここが聖地なのか不明。
駐車場で、アニメキャラクター車をじっくり見させてもらいました。家内が、「かわいいねえ。綺麗ねえ」を連発です。僕もそう思います。真っ白なロードバイクの車輪に、アニメ写真がくっついています。家内が見つけ、「これ見て〜」。赤のDUCATIが2台並んでいました。カッコいい。炎ペイントなバイクに、小さくアニメシールが。思いがけず、いいものを見せてもらいました。
あと近江鉄道の駅で2駅、五箇荘駅に向かいます。「伊藤長兵衛」の碑が建っています。伊藤忠と丸紅を作った伊藤忠兵衛ではないのか?謂れを読んで、ふむふむと納得。「愛知川宿」を通り、五個荘に入りました。ここで遅い昼食にしました。僕は天丼セット。大盛りのざる蕎麦が付いているので満腹になりました。近江商人の旧家を見て、鯉の泳ぐ広い側溝を眺めました。綺麗な側溝の水を敷地内に引き込む工夫がされており、庭の水撒きや洗い物に使ったのでしょう。経済力のあったこの地らしい大きな神社を巡って、近江電鉄「五箇荘駅」に向かいました。
駅なんだからそこかしこに駅への道標があるだろうと思っていたら、ここはもうインフラとしての電車の地位が下がってしまったのか、何処にもありません。少々迷って、踏切の遮断機の音でわかって駅に辿りつきました。電車は行った後で、30分待ちます。近江鉄道は、サイクルトレインになっており、街中の駅を除き殆どの駅が自転車持ち込み可です。そのままの状態で乗れるのだそうです。半信半疑で、無人の改札を通り、プラットホームに自転車を並べました。改札外からでも入れるし、お客さんは僕ら2人だけで無人駅なので、一抹の不安が。駅には、「ケイオン見学割引乗車券」のポスターが貼ってありました。地元では大いに盛り上がっているのかもしれません。ちょうど新幹線と交差する所で、待ってる間に新幹線が数本通り過ぎました。音が聞こえだしたので、手に持ったカメラの電源を入れて準備が整うと、もう通り過ぎている感じです。新幹線って静かです。
やってきた電車は2両編成で、1両に1人ずつ女性車掌さんが乗っています。そのまま自転車を入れると、整理券を渡してくれます。「1日券持ってるんですけど」と言ったら整理券は要らないそうです。車内は、昔ながらの向かい合ったベンチ席です。オープンスペースが広く、しかも幸いにして空いていたので、僕らは向い合って自転車を持ったまま座りました。次の駅でおじさんが、普通のシティーサイクルで乗ってきて、スタンドを立てて自転車を置きます。次の駅では青年が自転車を持って乗ってきました。地元の方のようです。他の方も、自転車をそのまま乗せてきた僕らを奇異の目で見ていません。ここでは当たり前のようです。もう少し揺れが小さいと、自転車を持つのも楽なのにね。
自転車持ち込み不可の彦根駅の1つ手前の「ひこね芹川」で下りました。無人駅なので、1日乗車券を車掌さんに見せて降ります。彦根城に行きました。予定では車に自転車を入れてから徒歩で彦根城見学に行く予定でしたが、4時を廻っているので中の見学時間はないと思い外観だけ見に行くことにしました。
「夢京橋キャッスルロード」という通りの両側のお店が白壁と黒塀に統一されたお土産道がありました。「ひこにゃん」のぬいぐるみが方々に飾ってあり、家内がかわいいとニコニコしています。お土産物屋さんに入ると、石田三成くんや島左近君もいます。「さよならセント君」と奈良平城遷都キャラクターが、「全品半額」でたたき売りされています。まだ今年いっぱい遷都祭なのに・・・。
僕はかき氷、家内はソフトクリームを食べ、僕はVTR250用に「ひこにゃんぬいぐるみ」を買いました。家内の様子を見てると、かなりひこにゃんにご終身のようで、五個荘を削ってでも彦根城に早めに来たら良かったと後悔しました。実物ひこにゃんに会いたいみたいです。あんた小学生か?
6時前に車に戻り、帰路に着きました。第二京阪の開通によって名神の京都が混まなくなったので安心していましたが、新名神合流までの区間が混んでおり、渋滞も発生していました。1時間で行けるところに2時間もかかってしまいました。でもその後は快調で、9時前に帰宅できました。本日の自転車走行距離45kmです。

2010/9/13
日曜日は、午後からエルシノアでクルージングです。午後までは時間があるので、亀岡方面に走りに行きます。目的は、新たな林道探索です。朝5時に目覚めたので、5時半出発です。いつもの「早朝バイク」と違い、出勤時間までに帰る必要がないから余裕があります。地図を見て、「ここは通れるのだろうか?」と気になってる道を数本ピックアップし、起点の場所を大体頭に入れてきました。R423周辺の亀岡より南の北摂なので、GPSや地図は必要ないでしょう。
まずは給油。180km/5.17L=34.8km/L。お財布に優しいです。そういえば6月に買い換えた車・キャラバンワゴンも、3ヶ月1350km走った段階で、平均燃費9.3kmとこちらも優しいです。前回キャラバンワゴンは、平均7.5kmだったからね。6気筒から4気筒になったことと、排気量が3000ccから2400ccにサイズダウンした影響でしょう。まあ、高速道路上り坂で上がるのがしんどくなったけど、ワンボックス車なので、周りもトロイと思ってるからOKです。
兵庫県道r13、池田からR173・R423で北上を始めました。伏尾からすぐ川沿いの田舎を走る風景になるので好きです。余野川沿い渓谷を過ぎ、視界が広がるところで謂れ板を見つけました。停車。横にたってる石道標についてです。「牧の妙見山道標」。江戸時代から盛んになった「京都からの妙見山詣」のことが書いてありました。バブル期以降の自然回帰・登山ハイキングブームで、各自治体が謂れ板を設置するようになり、歴史好きの僕の興味をさらに煽ります。そこから見える棚田も美しいので、写真をパチリ。ここの写真って、何度も撮ってるように思います。それを集めると、四季の移り変わりが楽しめますね。バイクに戻ろうと歩いていると、道路の反対側に横穴が開いています。一見横穴式古墳に見えます。謂れ板を捜しましたが、設置はなし。地元の方が、何かに利用してるものでしょう。
大阪府豊能町から京都府亀岡市に入りました。この辺に有名な湧き水ポイントがあるらしいので、注意します。ありました。Uターンして探索します。予想通り、お店が数件あるところでした。朝から車が数台止まり、2Lペットボトルを数本抱えた方々が、3本の取水口から水を汲んでいます。その横の口から勢いよく流れだす水が落ちる池には大きな鯉が数匹泳いでいます。その水の水源は柵をした上に小さな池。おっぱいの形をした口から湧き水が。
謂れを読むと、「京都の皇女が若君を生んだがおっぱいが出ず、若君の元気がなくなっていく・・・夢に亀山の地が出て、ここに来てこの湧き水を飲むとおっぱいが溢れるように出だした・・・」と書いてありました。なるほど、だからおっぱいの形をしてるのね。誰一人おっぱいのお世話にならなかった人はいないでしょう。偉大です・・・おっぱい。バス停は、「神地」となっていました。横の「白髭神社」も探索。
さらに北上します。1本目の林道「R423犬甘野口〜R423つづら折れ最終カーブ」に向かいましたが、途中のr733分岐交差点で信号に引っかかったので、r733に入ってみました。こっちにも探索林道があるので、先にこちらに行きましょう。r46・r733で京都の方角に向かうつもりでしたが、r46との合流手前で、北に向かう細道が僕を誘います。細道好きの僕は誘惑に負け左折しました。落ち葉も溜まっておらず、中央苔もないので、生活道路としてしっかり使われている道のようです。さらに支線に入ってしまったようで、2度Uターンの憂き目に遇いましたが、本線を探り広い道に出ました。どうやらr407のようです。
亀岡方面に下りました。R423と合流する手前、左右に田圃が広がり景色がいいです。激写。R423に合流し、池田の方に戻ります。つづら折れの最初のカーブでストップ。「曽我部町中」を通って「犬甘野口」に抜ける林道入口なのですが、いきなり石ころだらけの道でした。残念、この道は無理です。本日のメニュー1つ目の林道は、「通れない」ということに判明。
UターンしてR423を下ります。2つ目の林道に向かいます。京都縦貫道交差点を右折して、高速側道に入ります。「出雲大社京都分院」というのがあって、南の山に上がる怪しげな道を発見。入ってみます。が、行き止まりでUターン。亀岡に下って、r6を高槻方面に南下します。r46との合流を過ぎ、樫田トンネルを抜けます。ここらは、ほぼ初めての道です。高槻に向かうr6から京都に向かうr733に乗ります。r733は交通量が少なく、いい感じです。
ゆっくり走りながら、左手を注意。「ここかな?」という怪しい林道を発見。でも高槻警察の名前で地元の方以外進入禁止になっていました。左右からの杭で入口は狭くなっていますが、バリケードもなく行けるといえば行けそうですが・・・道も落ち葉が乗ってる感じではないので、適当に交通量がありそうなのですが・・・撤退することにしました。ここから「京都縦貫道篠IC」に抜ける林道が地図にあるのですが・・・残念です。2つ目の林道もダメ。もう少し情報を仕入れ、強行突破なり再挑戦してみたいです。「中畑回転場」となっていました。バスでも回転するのでしょうか。
最後は「桜峠」です。r733を西進します。右手に良さ気な神社発見。寄り道します。バイクを停めて参道に入ろうとすると、ロードバイクのおじさんが休憩していました。「こんにちは」。腰を上げて、行ってしまわれました。話そうと思ったのに、残念。「大神宮社」。「本殿に至る参道や深い木立ちに包まれた境内は、鳥のさえずりだけが周辺にこだまし、訪れた人々にやすらぎと潤いのひとときを与えてくれる」と謂れ板に書かれている通りの静かなお宮でした。しばらく走ると、また謂れ板発見。「樫船神社」。
往路でやり過ごしたr46との交差点を、r46に入ります。「亀岡CC」の道標を右折しました。亀岡CCの横を通る細道が地図にはあったはずです。ここでもミスルートしてUターンを1回。のどかな田舎なので、こう言うのも楽しいです。ゴルフクラブの横は標高が高く、雑木で見通しがききませんが、眼下に絶景が広がっていました。
下ると、さっき通った京都縦貫道の側道に出ました。「なるほど」一気にここらの地図の位置関係が頭に入りました。側道を通って、R423との交差点に戻ってきました。R423を池田方面に南下します。右折すれば「穴太寺」のr407交差点で、高槻方面に左折して、r407を南下します。「与能神社」発見。ここが桜峠起点です。この道の分岐は、見過ごしやすいです。「与能神社」探索。何故は亀の絵馬が掛かっていました。桜峠への分岐に、「石田梅岩心学の道」という石碑が立っていました。「共生の理念。世間の有様を見れば、商人のように見えて盗人あり。実の商人は先も立つ、我も立つことを思うなり・・・」。近江商人の「三方良し」に似た思想ですね。
林道に入ってみました。舗装されていますが落ち葉も多く、小石も乗っています。「さては鹿が落としているな」と思っていたら、道脇の土に猪がほじくった跡が続いているところがありました。イノシシさんも石を転がしているようです。道の両の山側には、入山禁止のロープが張ってありました。松茸山の規制線です。日中は8月と変わらず暑いけど、秋です。緩やかな勾配で、r46に出ました。
r733で「柚原」交差点。R423を南下。「妙見口」からr4で西進。R477を北上して「地黄」。先週見つけた「上田尻」に抜ける山道を通り、r106で北上。r733を東進し、R477を越えて再びR423。11時近くなったので、ここから一気に池田に戻りました。

時間がなくなれば、直接ハーバーに向かうつもりでしたが、余裕の時間だったので、帰宅しリード110に乗り換えてハーバーに向かいました。お腹が空いたので、先輩の讃岐うどんチェーンで710円しました。ここで710円は、結構贅沢です。かけうどん大+トッピング3種。お腹いっぱいです。リードも給油。今回も44km/L、お財布にやさしいです。
ハーバーに着くと、まずはエ号の点検。窓を開け空気を通し、トイレを十分に流します。先週僕のミスでバッテリーを上げてしまったので、エンジンがかかるかが問題です。Aバッテリーではパワーがなくてダメ、Bバッテリーは快調。センターハウスに戻ると、1Fレストランのガーデンでシミズ君発見。奥さんらしい方とお嬢さんは海側に出てきましたが、シミズ君を見失う。ちょうどKG理事会後の昼食を終えたところのようで、先輩方がヨットクラブレストランから下りてこられました。一緒に船に乗るハナサキ先輩とサワダ君もいました。すぐにシミズ君にも遇いました。奥さんとお嬢さんもクルージングに誘えば良かった。サワダ君のゲストがどんなかたかわからず躊躇しました。
ゲストは、サワダ君の高校アメリカンの先輩の気さくな方でした。デッキシューズ着用で、気合が入っています。4人で出艇しました。風は南西・6m/sほど。初心者には風があるので、2ポイントリーフにしました。芦屋川出口を出たところでセイルアップ、エンジンを切ってゲストさんにヘルムス交代です。赤白灯台沖の観測塔手前まで出て戻ってきました。2ポイントリーフしたので、ヒールもさほどでもなく、ヘルムもニュートラルで、調度いい感じでした。時間にして2時間半ほど。堪能していただけただろうか?OPが練習していたので宣伝すると、興味深げでした。お嬢さんはまだ年長さんなので、数年後試乗にお越しになるかも?
ハーバーに戻り、ウエットバーでコーヒー飲んでヒートダウン。ドラゴンで練習してたタナカさんや桟橋の自艇におられたナカムラさんもやってきて、しばし歓談して解散しました。スクーターに戻って、家内に電話してみました。「今どこ?」「新快速で新大阪の付近」。「映画観よか?」「うん、どうしたらいい?」。ということで、JR伊丹の映画館に直行しました。僕はいろんなところに誘うけど、家内は「何を観るの?」とか「何するの?」なんて質問はまずしません。僕に任せっきりにするところが、僕には気持がいいです。「びっくり」させたいときは何も言わないし、用意が必要な時は言うしと、僕のペースで動けます。反対されることもまずないし。
家内は勉強会の後、両親などが分骨している京都の永観堂さんにお参りに行ってました。5:45上映のに間に合いました。お題は「ハナミズキ」。予想通り、素敵な映画でした。カップルで観るのに最高なハッピーエンド・ラブストーリーです。いい映画だったなと余韻に浸っていると、土井裕泰監督の名が流れました。この監督の作品は、いつもいいです。
映画からの帰り、「ハナミズキってあんなに大きくなるのね」と家内。「ハナミズキって紅葉するんだ」と僕。今年、庭を「早朝園芸」で大整理しました。ただ暗くなるだけの木を数本斬りました。その代わり、この5月長男が結婚したのでハナミズキを1本記念植樹しました。この映画の主人公の家の庭には、今は亡くなった父親が誕生記念に植えたハナミズキがあります。我が家のハナミズキも、この主人公の成長と共に大きくなったように、成長してくれるだろうか?家内が、「枯らさないようにしなくちゃね」と。
ハナミズキのピンクを植えたけど、白もなかなかいいです。街路樹としてポピュラーで、藤の花が終わる頃咲き出します。山道を走ると、藤の後にハナミズキって感じが実に分かりやすい。我が家の周りは植木の有名な生産地です。ワシントンに日米友好の印として送ったソメイヨシノは、ここから送られたものです。それに対し、北米原産のハナミズキがアメリカから送られたとのこと。花言葉は、「返礼」。僕と家内の間の子として生まれてくれ、二十数年間かけて僕をお父さんに成長させてくれた。僕ら夫婦に楽しいことを一杯運んできてくれた。これからもたくさん運び続けてくれるだろうけど、ひとつの区切りです。「ありがとう」。

2010/9/6
日曜日は、「夫婦で自転車」をしました。秋のはじめ9月に入りましたが、朝夕少しましになった程度で、観測史上最高気温の夏がまだ続いています。ということで、少しでも涼しいだろう山間部、そして川沿い、という計画を立てました。
「片鉄ロマン街道」というメルヘンな名前がついた自転車道が岡山県にあります。前から気になっていた自転車道です。中国山地から瀬戸内海牛窓近くに注ぐ「吉井川」沿いの片上鉄道の廃線が自転車道になっています。元軌道なので、急坂はないはずです。でも始点JR赤穂線「片上駅」から終点「柵原」までを往復すると、60kmを超えそうで、もう少し余裕を持ちたいところです。
周辺を地図で見ると、柵原で吉井川に合流する吉野川の上流に、JR姫新線「林野」駅があります。JR赤穂線の北側にJR山陽本線が通っており、自転車道は「和気」駅を通っています。JR山陽本線は1時間に1本、姫新線は1本/2h、智頭鉄道1本/1h、JR利用だけでは厳しい時間割になるので、車利用を加えルートを決めました。

朝6時自宅出発なので、5時前に起床し、ガソリン補給・自転車積み込みなどを済ませ、朝風呂ですっきりして家を出ました。中国道は、夏休み中の日曜日より空いています。車が少なくなった分、バイクが目につきました。大型バイクが、パワーと車重の軽さにモノを言わせて、気持よさそうに抜いて行きます。
何処にも休憩せず、一気に兵庫県の一番西の「佐用IC」で下りました。カーナビに載ってた「佐用駅前駐車場」にセットして来たのですが、駅前にはそれらしき駐車場はありません。田舎の駅らしく、駅前のお店も日曜日は定休日の雰囲気に満ちてるし。田舎の駅にしては立派なので、きっと駅員さんが常駐してるなと思い、改札口に走ります。「すいません。駅前に駐車場ありますか?」「駅の裏側に公園があって、そこの駐車場が無料だから、皆さん利用していますよ」。ラッキー無料でした。
駅前に自転車一式と家内を下ろし、僕は車を駅裏に回します。自転車を輪行袋に入れて、切符を買います。「林野」駅まで1人480円でした。ホームに上がると、もうひとつ「智頭鉄道」のホームがありました。「JR特急はくと」がちょうど止まっていました。30分ぐらいホームで待っている間に、智頭鉄道の方は、3本も列車が来ました。こっちはJRなのに・・・まあJR特急が姫新線を利用せずに智頭鉄道を走ってるぐらいだからね。
無事、予定の列車に乗れました。これに遅れると3時間後にしか「林野」に行ける列車は来ません。ワンマンカー。電化されてないので、気動車です。ウイーンという電車音に慣れてる僕には、気動車のディーゼル音が素敵です。如何にも田舎の列車という感じです。山間を走るので、列車にしては急カーブが多く、ブレーキで十分減速してカーブに入ります。それでも線路と車輪がキーキー鳴っています。単線なので、後ろの窓から見える遠ざかっていくトンネルが、旅気分を煽ります。お客さんは20人ぐらいですが、よそ者は僕らぐらいで、後部窓や横の窓から外に目を凝らし、時にはカメラをパシャリしてるのは僕だけです。うろうろして、まるで子供です。
約30分で「林野」駅到着。ワンマンカーで無人駅が多いので、バスみたいに後ろから整理券を取って乗り、前降りの時に運転手に料金を払います。でも僕らは自転車を後部に置いたので、後部ドアから下ります。ホームを前に歩いて、外に出ていた運転手さんに切符を渡します。ここは、美作三湯の1つ「湯郷温泉」最寄りの駅なのに、閑散としています。駅前にタクシーが1台のみ。駅前に商店はナシ。タクシードライバーに見守られながら、自転車を組み立てます。
地図をハンドルにクリップでくっつけて出発します。すぐ近くに吉野川が流れてるので、道は簡単です。吉野川右岸のR374は、交通量が多い(田舎だから知れてるけど)ので、左岸の生活道路を下ります。「湯郷温泉」の大きめの旅館やホテルが右岸に見えてきたので、橋をわたります。温泉街は、道路がカラー舗装され、自治体の力の入れようがわかります。でもお客さんは少なそうです。「オルゴール館」とかがありましたがパスして、結局素通りしただけでした。
ここから、R374が左岸を走るので、僕らは右岸のr362を下ります。「大雨の時は道路を閉鎖します」という看板が出ているので、車の交通量の少ない道のようです。自転車には最高です。山際を通るときは、木々の影で涼しいですが、それを外れると真夏の熱射でとても暑い。遮るもののまるでない土手道の時は、太陽の直射がきついですが、下り基調の道なので順調に下っていきます。
「吉井川」との合流地点まできて、「吉野川」は終わりです。ここで瀬戸内沿い赤穂線「片上」駅からやってきた「片鉄ロマン街道」に出会いました。ここからロマン街道に乗って、「吉井川」を遡ってかつての片上鉄道の終点に向かいます。「鉱山博物館」と書いてありました。この片上鉄道は、柵原鉱山の産物を海まで運ぶために作られた鉄道です。
柵原到着。時刻は11時半。「林野」に列車が着いたのが9時だったから、ここまで2時間です。鉱山博物館の他に、駅もありました。機関車やかつて使われていた気動車が展示されています。・・・「ん?」、なんとその気動車のエンジン音が聞こえます。制服に身を包んだ鉄道マンがいます。「あれ〜、動くの?」。売店で、家内はパンとコーヒー、僕はソフトクリームを買って見てると、なんと気動車はお客さんを乗せて動きました。踏切はなって遮断機は降りるし、鉄道マンは指差し確認をしています。「本格的じゃん」。鉄っちゃんが数人、一眼レフを構えてるし。
駅舎には、駅の売店の他に切符売り場もあります。駅員さんが切符を販売しています。買う方が、「すいません」と貴重品でも買うようにしています。プラットホームに出ると、走っていった気動車は、150mぐらい向こうに止まっています。また踏切が鳴り出して、発車音とともにホームに帰ってきました。こんな列車に乗るのにきっぷを買うのか?列車が走らない線路の反対側の踏切内から、正面でムービーを撮ってると、ホームの駅員さんから注意されました。「踏切が閉まりますよ」。慌てて、踏切の外に出ます。こっちの踏切も踏切音がなって、自動で閉まりました。ホームに戻ってきた列車から、満席近く埋まったお客さんが、満足そうに下りてきます。駅員さんは、テキパキと決められたルーチンをこなしています。ベテランさんから、作業を教えられながらやってる若い女性鉄道マンがいます。鉄道マン体験をしてるのかもしれません。
ベテランさんも、どう考えてもボランティア鉄道マンです。廃線になってから、地元の元鉄道マンなどがNPOを作って運営しているのかもしれません。次のお客さんを乗せて、また気動車は出ていきました。帰ってくるところを、2往復して終わり。駅員さんの構内放送では、次の発車時刻は20分後です。この辺のJRより、よっぽど運転本数が多いです。鉄道マンもお客さんも、売店のおばちゃんも、鉄っちゃんも、みんな楽しそうです。鉄道好きが集まってますね。
「鉱山資料館」の方に行ってみると、そこには模型の鉄道レールが敷かれ、さらにマニアックなおじさんたちが集まって、自慢の模型列車をレールに乗せています。僕が近づいていくと、リモコンを取り上げ列車が動き始めました。会話を聞いてると、「どこどこの列車は乗り心地が悪い」「そりゃあれは・・系で国鉄のリサイクルだからしょうがない」「いやあ、厳密にはリサイクルじゃなくて、リユースだよな」なんて、僕には意味不明なことを笑いながらしゃべっています。
皆さん、理解できてるみたい。すごいです。ここは、下手な遊園地やテーマパークより、密度濃く人があつまっています。地元の子だろう、小学校低学年ぐらいの子が自転車で走り回り、人懐っこく「こんにちは」と笑顔を投げかけてくれます。田舎の子は、中高生ぐらいの子でも、知らない人に大きな声で挨拶します。こういう場所が仕事がなくなり、過疎化していくのが残念でならない。
ここから、「片鉄ロマン街道」を下ります。元来た道を戻りだすと、家内が「反対じゃないの?さっきこっちから来たよ」。吉野川と吉井川、瀬戸内海の大きな位置関係を説明しましたが、方向音痴の家内は半分しか納得していない風です。でもまあ、僕にお任せなので、「こっちね」と言いながら、一緒に走り出しました。
2河川の合流部まで戻ると、吉井川に細い橋がかかっています。鉄橋風のコンクリート橋で、鉄道の橋を模しているのでしょう。架けかえられたのか、新しいです。左岸にも交通量の少なそうな道が走っていますが、右岸のロマン街道を走りました。でもこの道、土手上を走ってるので、日陰がありません。走りながら向こうのほうが良かったなと・・・でも橋がないから渡れません。「稲蒔」というところに駅跡がありました。ロマン街道はここで橋を渡って左岸を走ります。案内板がちゃんとついてるので、間違ませんね。R374もこの橋で渡り、ここからは吉井川・R374、その横の少し上がった所に「ロマン街道」という感じで下ります。
「天神山城跡」と道横に大きな看板が立っていました。「浦上宗景」の居城だったそうです。東側は吉井川の断崖、北側も同じように急峻、見上げた感じだと攻めにくそうな山城です。山頂は遠望でも平たくなっており、立派なお城だったようです。横に神社がありました。館址と思われます。きっとこの裏から城址への道があるのでしょう。山頂はかなり景色が良さそうです。調べてみると、備前の守護・赤松氏の力が衰え、守護代だった浦上氏が備前を支配したようです。でも浦上氏の家臣だった宇喜多氏にさらに下克上されて落城したようです。
ここに2つトンネルがありました。大きな岩盤なので、トンネルを作って抜けたようです。時々旧駅跡が残る下り基調の軌道跡を下ります。下り基調なのに、風向きが反対で、下りの恩恵も半減してしまいました。この道は、周りに木々も多く日陰もあるのですが、対岸の細道は、日陰ばかりであっちの方がいいなと思います。
自転車道なので、多くの自転車が走っているのかなあと思いましたが、思ったよりかなり少なく、時折すれ違う自転車は高速ロードバイクがほとんどで、僕らのようなゆっくり&休憩系は少ないようでした。唯一お若い女子2・男子1のグループだけが、僕らに近い感じでした。
「益原」まで、旧駅跡毎に休憩していました。時刻は1時半。事前に調べていた「和気」駅の時刻表を確認すると、ターゲットは2:42。あと駅2つ。1駅20〜30分の今までのペースだと、ちょっと辛いかも知れない。1時間に1本なので次のでもいいけど、出来れば計画通りの2:42に乗りたい。家内に言って焦らすのもアレなので、少しペースを上げることにしました。いい感じの下り坂があったので、家内に合わせてブレーキを掛けるのをやめて、先行する。
「本和気」駅跡を過ぎると、地元のおっちゃんがおっちゃん自転車に乗って脇道から合流する。「いい自転車のってるなあ。暑いのお」なんて会話して、そのままのペースでゆっくり漕いで、家内が追いついてくるのを待ってると、・・・「あれ、バックミラーから消えています」。「こりゃあかん」と急いでUターンすると、30m後方、少し上り坂になった手前の家の影にいました。「本和気」駅で休憩しなかったから、ここで休憩のようです。
「あと、どれくらい?」「次の駅」「じゃああと30分ぐらいね」。時刻は2時です。「2:42に電車があるけど、1時間後のにしようか」と提案すると、「じゃあ早く行かなくちゃ。駅で休めるでしょ」と、2:42ターゲットにするそうです。「でも遅れてもいいな」と思って出発すると、その緩やかな坂を上ったら線路が見えてきました。線路を越える坂だったみたい。では西の左手前方に見えてる町が「和気」駅のようです。10分もかからず着いてしまいました。ただ、ロマン街道は、和気駅の南側を通っており、南側に改札口がなかったので、駅東側の踏切を渡って戻る感じになったけど。
疲れているだろうと、家内の自転車梱包を手伝い、僕のに移るときに家内に切符を買ってもらいました。それでも20分ほど余裕がありました。水分&糖分補給のためにキリンレモンを1本のみしました。ルーズ短パン・長髪の一見少女風おじさんが駅に入ってきて、駅員さんと何やら話しています。大阪万博の話をしても、若い駅員さんにはわからないね。迷惑そうです。ゴミ箱に捨てに行った家内を見てて、「奥さん、スタイルいいですね。バレーでもしていたのですか?」なんて声を掛けられていました。「いいえ別に」、僕は「ありがとう」と答えましたが、駅員もおり、お客さんが多い駅で良かったです。怪しげな少女風おじさんと20分も関わるのはかなわんです。バレーをしてたとはいい表現ですね。それぐらいの細さだけど、もっと運動できないとバレーは無理だなあ。
2人で座っていると、次の会話を探るおじさんを感じ、リュックを背負い自転車を持って改札を抜けてホームに入りました。「もう電車来るの?」と僕を訝っていましたが、僕としてはさらに話しかけられて不快な思いをするだろう家内のことを考えてなんだけど。趣味がアレなだけで、人の悪そうな感じがしないおじさんのことを言うのも嫌なので、何も言わないことにしました。
電車が来ました。さすがに山陽本線、1時間に1本という本数だけど、速いです。駅間も長く、乗客も多いです。座れないことはなかったけど、適当な自転車置き場がなかったので、立っていました。3駅・20分ほどで「上郡」到着。駅の端に、ここ始発の「智頭鉄道」の駅があり、一応また改札がありました。切符は「和気」で「佐用」までを買っているので、改札判を押してもらうだけです。
ホームを歩いて気動車に近づくと、中から車掌さんが開けてくれました。姫新線で乗った車両と同型1両車両なので、ワンマンカーだと思われます。自転車置場を考えていると、車椅子用の場所を、「ここはどうですか?」と親切です。「振動で倒れるかもしれませんね」「はい、くくりますから大丈夫です」。クーラーで涼んでいると、「どちらまでですか?」「佐用までです」「佐用は駅員がいますから、改札で切符を渡してください。改札は半地下みたいになってますから、少々歩いてもらわないといけません」。その後、運転席に座られました。「運転手だったんだ」。人懐っこい人でした。ほんと田舎に来ると、人の温かみを感じます。
僕らの貸切状態で出発しました。姫新線同様、単線で山川を縫い、小さな広がりの田畑の黄金色と緑が美しいです。「河野原円心」という駅がありました。円心・・・「赤松円心ではないのか?」。駅ごとにある駅周辺の名所案内に、赤松円心館址というのが載っていました。鎌倉時代後半、足利尊氏に味方し、南北朝時代にも活躍し、播磨中心に活躍した赤松円心の本拠地がここだったんだ。本姓は源氏ですね。赤松氏の力が衰えると、さっき居城の横を走った守護代の浦上氏が、そしてその家臣の宇喜多氏にこの播磨・備前・美作の実権が移っていくのですね。現地を訪ねると、その位置関係を川や山の配置と共に頭に入ります。
僕はまた鉄っちゃん並に、うろうろパシャリ。駅ごとに駅周辺の名所案内を写真に収めます。結局、「佐用」までの4駅区間は、僕らの貸切でした。贅沢というより、なんだか申し訳ない。ホームから運転手さんに「ありがとう」。向こうも会釈。いいな田舎。家内を駅に置いて、駅裏に回って車を取りに行きます。そこには朝なかった鹿の糞が数十個落ちていました。なんと昼間に鹿がやってきたんだ。駅裏といえども、周りには家があります。
「佐用IC」から高速に乗り帰路に着きました。加西SAで、もう4時を回ったけど遅い昼食。「宝塚〜吉川JCT事故渋滞16km・宝塚まで2時間以上」となっており、渋滞に入ってしまいました。宝塚の中国道渋滞は休日の夕方なら当たり前ですが、10km以上になるとかなり時間がかかります。吉川JCTから舞鶴道に入ります。
「三田西」で下りて西谷経由で帰ろうと思ったけど、「三田西」出口が混んでおり、出るまでに時間を食ってしまいました。新三田から得意の北摂里山地帯に入ります。有馬富士の志手原交差点の渋滞が気になりましたが、至ってスムーズで、長尾山トンネルを抜けて7時前に帰宅しました。
楽しい1日になりました。兵庫県西部の播磨北部〜岡山県東部の備前北部・美作は、まだまだ面白そうです。バイクなら、行動範囲も広がり勾配のきつい山道も行けるので、1人の休日はこちらでウロウロしそうです。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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