ウェブマスター日記 October-December/2009

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2009/12/29
今年最後の日曜日でした。1週間前に母が亡くなり喪主をやってたので、どうも日頃のペースに戻りません。3日もサボったから仕事のしわ寄せが来てるし、でも仕事ばかりする人間じゃないし、まあボチボチこなしましょう。それにも増して葬儀の事後処理に追われています。参列いただいた親戚に礼状を出し、親しい同級生などにはメール連絡・・・。
例年なら営業する日曜日ですが、地元自治会等へのお礼が年越しになってしまいそうで、お休みしました。百貨店の開く時間に合わせて、お礼のお使い物を買いに行きます。自治会長さん、老年部部会長さん・・・と頭を下げて回ります。午後に入り最後に、母のお世話になった尼崎のヨガ教室に出向きます。車だと何かと大変なので、通勤スクーターリード110を駆って塚口に突入します。駅北のごちゃごちゃした細い道に入ってみると、武家長屋風のいい感じの建物があるじゃないですか・・・「おっ」塚口城跡を発見しました。この界隈をじっくり攻めに来なければなりませんね。
ヨガ教室に入ると、いきなり参列いただいた先生がおられました。「母が長い間お世話になりました」「25年以上です。合宿にも参加いただいて。ひょうひょうとされてたので、皆さんに人気がありましたよ」。物忘れが顕著になり、確か前回の合宿は日を間違えて2日目から参加したんじゃないかな。迷惑を掛けていたろう。

告別式を終え、長男はもう1日こちらで過ごしました。その時長男から、「お父さん、ここに置いてあった本は何処にいったん?」と聞かれました。僕が読み終えたばかりの百田尚樹さんの「風の中のマリア」のことでした。「読み終わったんやったら貸してくれへん?気になっていた本やねん」とのことでした。ちょうどいつものように読後書評を書くべく仕事場に持っていってた時だったので、正月に貸すことにしました。まあ貸すといっても戻ってこないと思います。今まで帰ってきたことはなかったし。どうでもいいことです。僕も読書家の長男の読んでる本を見て参考にしたりしてるので、「本好き」の共通項でお互い気になっています。そう言えば今年は村上春樹な年でした。「1Q84」が売れたそうだ。本屋さんで山積みになってたもんな。長男の部屋に並んでた「ノルウェイの森」を読み、短編も読んだけどどうも僕の琴線に触れませんでした。
話が脱線してしまったので元に戻ります。そんな長男が、「お父さん、森見登美彦って知ってるやろ。「夜は短し、歩けよ乙女」って本な、あのラブレターで結婚してんで、知ってる?」と興味深いエピソードを教えてくれました。森見さんは京都の大学のライフル射撃部でした。クラブは違うけど、次男と同じ学校です。長男は大阪の大学のライフル射撃部で、京都のその大学と親しく交流があり、学生時代は長男も向こうに時々行っていたようです。たぶん飲み会だと思われます。長男は森見さんと知り合いです。
そして、今年だったか去年だったか結婚した森見さんの奥さんは、森見さんのライフル部の後輩で、長男と同じ学年の子だそうです。森見さんの出世作「夜は短し・・・」は、京都のしがない男子学生が、クラブに入ってきた後輩の女子学生に惚れて、偶然を装い、彼女の行動範囲をストーカーのようにうろつく話です。長男から「あの本、そのまんま彼女へのラブレターやねん」と聞いて、「やるなあ」「カッコいいなあ」と思いました。
自分自身のことを描いた本だったんだ〜、強い強い気持ちが入っていたから読者に伝わったのでしょう。彼女はあの本を読み、自分がモデルになってることを感じたでしょう。どんな感じがしたんだろう?「ドキンとする」どころの話じゃないだろうな。こんなことされたら、気持ちに応えてしまうなあ。作曲家が好きな子にラブソングを書き、歌い演奏するのと同じです。ますます森見さんが好きになりました。大恋愛じゃないか・・・
大恋愛と言えば、葬儀の親戚との会食の場で、家内の姉から「この子ら、大恋愛やったんよ」と言われてしまいました。家内を見ると、まんざらでもない顔をしてたので、まだ僕を見捨ててないなとホッとしました。大恋愛はいいです。僕の家内への気持ちは、今でもほとんど変わっていない感じがします。息子たちもそんな感じがします。大好きな人と一緒になることは、人生最大の幸せかもしれません。なんか今年最後の日記は、「おのろけ」で終わってしまいました。日頃から、「親ばか」と「おのろけ」ばかりな気がしますが、まあいいでしょう。「来年も頑張って前向きに生きて生きましょい」です。

2009/12/24
日曜日は、バイクで篠山盆地の北に連なる多紀連山に行ってきました。最初家内とどこかに行こうと思っていたのですが、家人は寒いので家にいるとのことで振られてしまいました。ではと、「三田マスターズマラソン」に行こうかと。高校時代からの友人が2人エントリーすると聞いていました。場所は・・・スタート時間は・・・と調べてみると、なんと5500人もエントリーするのだとか・・・これじゃあ探すのが難しそうだなと断念しました。
朝ぶらぶらゴソゴソしながら、多紀連山の道路凍結が溶けるのを待ちました。それほど寒くないですが、初めての多紀連山なので用心のためです。11時になり、「いざ行かん」です。寒くなったので暖機時間を長く取り、いつものように長尾山トンネルを抜け、r33で北上しました。r68で西進し、志手原からr37・r49で久しぶりの永澤寺です。昼時だというのに、夏場はあんなに多かった観光客がほとんどいません。峠を越え篠山盆地に下ります。冬になり葉が落ち、峠からの篠山盆地の眺めが良くなっているかなと思ったのですが、元の気が伸びすぎのようで夏とあまり変わりませんでした。篠山盆地の眺めが謳い文句の展望台なんだから、もうちょっと何とかならないものかなあ。
小枕交差点を直進し、篠山川を渡ったところで左折してr77、川北交差点から北上し、西紀トンネルを抜けて右折しr97で西から多紀連山に取り付きます。多紀連山は、別名多紀アルプスと呼ばれているので、さぞ急になるのかなと思ったら、篠山盆地の延長のような感じです。なんだこんなもんかと思いながら東進していると、「栗柄」の地名が出てきました。「谷中分水嶺」という平地にある分水嶺までやってきました。普通分水嶺は人里離れた山の中ですが、ここは周囲に田畑が広がり人家もあるよくある里山風景です。バイクを置いて、しばらく探索してみます。篠山川に注ぎ、加古川を経て瀬戸内海に続く南進する川と、由良川を経て日本海に向けて北進する川が、至近距離で道路と田を挟んでしばらく並進しています。こんなに近い川同士なのに、面白いです。
「鼓峠」を越えると視界が大きく広がりました。「え〜、こんなに高いところを走ってたの」というぐらい山の上という感じで、東と北の山並みが見渡せます。道はつづら折れで高度を下げ、栗柄峠までの道とは大きく様変わりなので、高度の感覚がおかしくなりそうです。「本郷」地区に突入しました。ここは、3本も県道が交差する所なのでちょっとした町だろうと思って来たのですが、それなりに家や学校などがありましたが、あてにしていた昼食処はありませんでした。「お腹減ったのに・・・」。でも雰囲気のいい神社やお寺があり、結構楽しめました。「松隣寺」というお寺はこの地を治めた豪族の菩提寺だそうで、近くの「春日神社」も館として機能しそうな地形に建っていました。
食事にありつけなかったので、仕方なくr300・r301で南下し始めました。西に多紀連山主峰「三嶽793m」、東に副峰「小金ヶ嶽725m」がある峠に着きました。車が20台は置ける駐車場があります。峠道にバイクを置いて探索です。ここは多紀連山登山の基地のようです。駐車場から北の山並みが見渡せます。西の「三嶽」はまだ上りという感じですが、東の「小金ヶ嶽」はここからそれほど標高を増す感じではなさそうに見えます。僕のような登山初心者でもハイキング感覚で山頂に立てそうです。駐車場に停っていた車から軽装の男性が東の登山口から山の中に入って行かれました。もっと人の多い季節に僕も挑戦してみましょう。
ここは「大たわ」と呼ばれる所のようです。「たわ」は「たわみ」という意味で、山の連なりがたわんでいる所を呼ぶそうです。ここは昔修験者の一大山岳道場の地で、多くの修験者寺院があったそうです。ところが大峯の僧兵が攻めて来て、ほとんどの寺院が焼き払われたのだとか。仏教の多くの宗派が山にこもって悟りを開いた宗祖によって始まったのに、えらく生臭い話です。「大峯」ということは、奈良の大峰山のことでしょう。大峰山は今でも女人禁制の修行の山ですが、その時の戦いの勝敗で大きくその後が決されたのでしょうね。
篠山盆地側に下ります。ほとんど交通量のない山道r301を下っていると、山際から伏水が流れ出し、道路を横切っています。しかも凍結しています。「うわあ、こりゃあかんがな」と一旦停止。「行けるかなあ?」、道の山際ぎりぎりだと幅20cmほど、中央で1mほどの凍結です。沢側にはガードレールもあり、ブレーキを掛けなければ行けるだろうと、両足を摺ながら道路中央に突っ込みました。すると一瞬でコケました。「あらら」と思ったら、氷の上をバイクと共に滑ります。氷が切れたところで止まりました。氷のところで踏ん張ってもバイクは立たないだろうと思い、バイクを回してアスファルトの踏み場を確保し、「うんしょ」と立てました。バイクを押してスタンドを立てて被害を点検です。エンジンカバーが効いて被害なしのようです。マフラーにまた擦り傷が増えたけど、大したことないです。「エンジンがかかるかな?」と恐る恐るキーを回すと、簡単に回りだしました。バイクはこけると、オイルやガソリンが変な所に回るのか、しばらくエンジンが掛からない時があります。これで4回目のコケです。全部山道の勾配のあるところです。2回はUターン中。1年前からコケてないので、もうこけへんと思ってたけど、氷の上は走れませんでした。15分はここでゴソゴソやってたのに、車は1台も通りませんでした。まだ3時頃なので、あと30分ぐらいはウロウロできるかなと思ってたのですが、こけたので帰ることにしました。
自宅で昼寝をしていた家内は、午後2時頃、隣に住んでる母親が勝手口から入ってくるのに気づきました。家内の部屋を開けた母は、家内の寝てるのを見て「今日はいるのね。じゃあいいね」とお隣に帰っていきました。共稼ぎの我が家の洗濯物をいつもこの時間に母が取り込みに来ます。1時間ほどしてまた母が勝手口を開けたような気配がしたけど、部屋に入ってきません。「あれ?さっきも来たのに?」。勝手口が閉まる音もしないので、また開けっ放しだと思い行ってみるとちゃんと閉まっています。でも鍵穴が斜めになったまま。斜めでは鍵が抜けないので、また鍵を差したままで帰ったのかなと思って鍵を見るとありません。「おかしいな?」。
4時頃僕が戻り、お歳暮の買い物をしに川西阪急まで家内と出かけて、帰りに讃岐うどんのお店で夕食を取りました。食べながら、家内は「お母さんを連れてきたら良かったね」。僕は、「正月の墓参りの後、立杭焼のところにある大村崑の家に寄るのはどうかな。昭和の香りプンプンの所だから、母親も喜ぶと思うんだけど・・・」なんて話していました。

そして翌月曜日の朝、「お母さん、またTVをつけたまま寝てるみたい。夜中4時頃トイレに起きた時も点いてたの」。またいつものことだと思いながら、また様子を見に行くことにしました。母の家の勝手口を開け、母の椅子を背もたれにした寝姿を見ながら「お母さん」と声を掛けましたが、返事がありません。「あれっ?」。母をゆすり、手を握ると冷たい。頚動脈に触れてみるが脈動がない。もう一方の手を持ちあげるが、もう死後硬直が始まっていて動きません。
もう手遅れだと思いながら、家内を呼び、すぐに警察に電話します。母の状態を話すと、救急にも電話するように指示され119番にします。救急が来るまで、家内は「お母さん。お母さん」と何度も何度も呼びかけ体をゆすっています。「私があの時見に行っていれば・・・きっと日曜日の午後3時頃、私を呼びに来たのよ。気づいて上げられなかった。私のせいだ」と大泣きしています。
僕は、バイクでこけた時刻もそれぐらいだったと話し、寿命だから責任を感じる必要はないし、特に病気で苦しむこともなく、TVを見ながら寝た延長でなくなるという僕もこうありたいと望む最期だったことを話し、「大丈夫、大丈夫」とむしろ笑顔で慰めました。僕の実の母親だけど、なんか立場が逆転してるかも?もう81年生きたこともあり、僕はむしろサバサバしていました。警察や救急への電話も落ち着いて対応出来ました。葬儀の準備を考え、長男に電話して次男への連絡を頼みました。弟に電話し、家内の姉への電話も僕がしました。救急隊員がAEDを持って母の傍らに来ましたが、やはり無理とのこと。誰が見てもそうですね。警察の事情聴取が始まりました。現金の有無、室内の荒れ方、僕らにも部屋を見せないようにして、母の外傷や喉の詰まりを見て死因を解明しようとしています。僕と家内は上手に離され、刑事さんから事情聴取を受けます。
「事件性はないようです。不審な点はないので、司法解剖の必要はありません。死因を究明したければ、行政解剖を願い出ればしてくれます」と伝えられました。母の体を刻まれるのは嫌です。即座に「行政解剖はしません」と答えました。医者が来て死因は不明なので「心筋梗塞」という死因になりました。死亡推定時刻は午前4時。父の時と同じように、中学から大学までの友達がやってる葬儀屋さんに連絡しました。弟が来たので、家内と手分けして仕事場に臨時休業の張り紙をし、抽選会と売り出しの始まっていた店は従業員さんにお願いして、バタバタと自分達の予定を空けて行きます。親戚の核となる家数軒に連絡し、タコ足状に連絡を頼みます。
その日子供たちが帰ってきて、臨戦態勢が整いました。月曜日は仮通夜、火曜日は長男のフィアンセさんがやってきて受付などを手伝ってもらい通夜。親戚に彼女を紹介する機会を得ることが出来ました。次男の方は、海外にいるようで今回は無理でした。水曜日は告別式、ちょうど祝日だったので関東からも親戚が来てくれました。
長男からは「お父さん、長いんや」と言われる喪主としての僕の挨拶をしながら、「これで僕の喪主の仕事も終わりやな。せっかく慣れてきたのに・・・」なんて不謹慎なことを考えてしまいました。家内は、「あなたの挨拶は、流暢ではないけど、心に響くから楽しみよ」と、僕のスピーチを応援してくれます。今回も葬儀屋さんの「お通夜では、喪主の挨拶がないのが普通です」の言葉に、「しなきゃダメよ」と即答でした。30代の時、初めて結婚式の主賓になった時、僕の挨拶に隣で泣かれました。それを見て、「わが子の成長に涙する母親」を見た気持ちになりました。旦那なんて、女性から見たら大きな息子なんでしょう。
供花もたくさん頂きました。花の好きだった母にふさわしい感じになりました。息子たちが家から持ってきた母親愛用の帽子を頭に被せ、いつも出かけるときはたすき掛けにしていたポシェットも棺に入れました。数年前まで父親と一緒に国内・海外とこのスタイルで飛び回っていたから、天国でまた2人で行けるでしょう。わが子君達は、内孫だったので毎日のように遊んでもらったからか、帰宅後すぐに母の亡骸脇に座り、ポロポロと大粒の涙を流し、目を真っ赤にしていました。母もこんな孫達に恵まれ、いい人生だったのではないでしょうか。次回は僕の孫とかひ孫とかに生まれてくればいいのに。僕が育んだ家族で今度は母の霊の成長を見てみたいです。
次男は、日曜日の夜映画「インディペンデンス・デイ」をやってたじゃない(僕も見ました)。「あれを見ながら亡くなったんじゃないかなあ」と言っていました。インディペンデンス・デイは独立記念日。「アメリカの独立記念日7/4が、これからは人類の独立記念日になる」と、元パイロットだったアメリカ大統領が、エーリアンの大型円盤に戦いを挑む為に戦闘機に乗り込む前、多くのパイロットを前にした演説で語ります。7/4は母の誕生日です。
いいねえ、いい話だ。でも口紅を塗っていたから、お出かけの時だったはずなんだよな。ひょっとすると、化粧をしてから映画を見だしたのだろうか。「ありがとうおフクロ。またな」。

2009/12/14
日曜日は、新西宮から船を出しました。手伝ってる大学ヨット部の今年の卒業生とのクルージングです。毎年恒例になっています。最初、家内と一緒に行こうかなと思っていたのですが、少し熱があるようで家で寝ているとのこと。無理する必要はないし、12月の海の上なんて体調を悪化させる要素満載です。家内の体調不良により、朝の仕事が増えました。ちょうどこの日は町内の年末掃除の日で、自宅と仕事場の周りのドブさらいをしなければなりません。いつも僕の方がサボリ気味だったので、朝から長靴を履き、両手にはゴミ袋をドブさらいスコップを持って活躍してきました。お盆前のドブさらいは、朝早くから外が明るくなるけど、この時期は朝が遅く時間が押して超特急での作業になりました。
作業を終え、オフロに入って朝食をとって、8時半頃出発しました。金曜日に低気圧通過で雨が降ったので、西高東低の寒波が来ると困るなと思っていたのですが、それほどでもなく、ハーバー桟橋に着くと薄く晴れて北から2〜3m/sの風でした。エンジンをかけ、船を換気し、トイレを流し準備万端です。センターハウスに戻ると、部員達も大方集まっていました。10名の参加だったので、ライジャケの数不足を考え、ドラゴンに寄りそこのライジャケを3つを女子用にしました。でもエ号にも十分ありました。
10時過ぎ、東出口より外に出ました。関大と出口ですれ違いました。4回生が卒業して両クラスで11艇、相変わらず人数が多いです。中途半端な時間に着艇です。早朝練習を長くして、昼前からお正月準備の大掃除かもしれません。今週ぐらいで冬のオフに入るクラブが多いんじゃないでしょうか。
すぐにセイルアップ。赤灯台から大阪湾に出て神戸空港方面に行こうかなと思っていたのですが、ランニングで面白くないので、進路を尼崎方面に取り、岸沿いを大阪湾に抜けることにしました。ホワイトレースの最終戦のようで、朝から準備しているレース艇がいました。駐車場で思いがけず琵琶湖のマサヒロ君に会いました。レースに出るようです。レースを観に行ってもいいね。
ドライブを代わりいい感じで一文字の白灯台を抜けました。淀川河口から4〜5m/sのブローが入り出しました。部員サポートで女子マネさんドライブです。海遊館の方に行くことにして、舞洲の水路を抜けました。クローズで数度タックして海遊館の前まで来ました。USJに向けて大川を遡りましたが、遊覧船のサンタマリアが追いかけてきて、邪魔になったらあかんのでUターンしました。復路は海の科学館前を通り、人工島の一番沖を回って再び大阪湾に入りました。北の5〜6m/sに時折ブローが入る気持ちのいい快走です。女子を怖がらせてはいけないので、ジェノアもメインもリーフして、ブローに合わせてメイントリマーが忙しくシートを出し入れする形で一文字の赤灯台目指して大阪湾を横切ります。
ちょうどホワイトレースのスタートと重なり、はるか下でスタートしたレース艇がぐんぐん上ってきます。学生たちは初めて身近に見るクルーザーレースの迫力を楽しめたようです。赤灯台を回り西宮港に入りクローズでハーバーを目指します。東出入口前でセイルを下ろし着艇、船を洗いクラブハウス2Fでお茶して解散しました。半分ホワイトレースの閉会式用に準備され、レースを終えたクルーたちがバラバラと集まって来ていました。
学生たちは1日中いい風に恵まれ、クルーザーセイリングがどんなものかを体験できたようです。学連ヨット部は4年間ですが、ヨットの世界は大きな広がりのある世界なので、これからもヨットを楽しんで欲しいと思います。現役は琵琶湖で練習中のようです。来週も練習しオフに入るとのこと。1回生マネさんをこちらに来させた上回生の気持ちが伝わってきます。頑張ってほしいものです。この日のお礼としてワインをもらいました。
そうそうカトウ君が、元旦の初日の出を最北の地で拝みに行くそうです。無謀にもバイクで。メンバーはダン君・ナカシマ君と3人だそうです。雪道・凍結もあるので軽くて丈夫なスーパーカブを3台連ねるのだとか。日本海をフェリーで北上し、北海道上陸後はひたすら北上・・・来年カトウ君に会えるのだろうか?スーパーカブに乗った状態の3体の氷像が出現するのでは・・・まあ春になれば解けて復活するのでしょうが。北海道出身のシバタ君が、「冬場バイクなんて全く走ってないぞ」と笑っていました。

2009/12/7
日曜日は仕事で午後から神戸でした。勉強した後、参加しなかったけど夜は忘年会という毎年恒例の行事です。この日は家内も別の集まりの忘年会で夕方から大阪でした。
朝はいつものように6時ごろ目覚めたのですが、暗いのと寒いのでグズグズしていました。今月に入り、まだ1日も自転車に乗っていません。3月末にロードバイクを買って、梅雨時でもこんなに連続で自転車に乗らないことはありませんでした。夜明けが遅くなり、真っ暗の中で自転車に乗るのは危ないということもありますが、先週初めに通勤スクーターを新しいのに替えたのが大きいです。
もう5〜6年通勤50ccジョグに乗ってきました。50ccは軽くていいのですが、公道30km/h制限・二段階右折と面倒な縛りがあり、いつか替えたろうと思ってました。ホンダVTR250を買った中古バイク屋さんで、程度のいいホンダリード110赤を見つけ納車されたわけです。このリード、2スト快速ジョグCのような俊敏な出だしはありませんが、ゆったり感があり上品でとても気に入りました。250ccや400ccの大柄なスクーターが、初速は遅いけどグーンと伸びて追い抜いていくのと、2スト50ccが初速は速いけど頭打ちになるのとの中間な感じです。
先週は雨が数日、晴れた日は「早朝バイク・リード編」で、武庫川渓谷雲海や武田尾をし、唯一「早朝自転車」で出動した日は朝の催しが早く訪れ過ぎて、即行バックでこうなったわけです。
日曜日も乗らず、8時を待って我が家御用達の散髪屋さんに行きました。これで頭の方はお正月を迎える準備が整いました。仕事場でゴソゴソやってからリードで神戸に出発しました。R171〜R43というオーソドックスなコースで往復しました。スクーターはギアチェンジがないから楽ですが、VTR250の方が乗ってて楽しいです。リードはジョグよりエンジンブレーキが利きますが、マニュアルギアで自分の思うようにギアを選択しながら加速や減速できるVTRの楽しさにはかないません。まあツーリングするようなバイクじゃないから仕方ないですね。
1週間リードに乗ってみてのインプレッションを少々。まず鍵。盗難やいたずら防止で、鍵穴にシャッターがついています。ヤマハ・ジョグもシャッターがついていたのですが、閉じる時は手動で開ける時は別の鍵穴にメインキーを突っ込んで開けるスタイルでした。ホンダは、シャッターキーが別にあり、開閉ともこれを使わなければなりません。セキュリティー面ではホンダの方が上なのかもしれませんが面倒です。
次はシート下バゲッジボックス。ジョグの倍はあり、収納力は大幅アップです。でも高さがなく、僕の安もんジェットヘルでギリギリです。VTR用に使ってるヤマハゼニスのジェットヘルが入るのか?アライの最高安全規格のフルフェイスヘルメットでは入らないんじゃないかと思います。まあ僕のは問題なしです。ココが浅い分、その下に置かれている燃料タンクの重心が低くなり安定性に貢献しているのでしょう。
足つきは、乗る位置によって違います。後気味に乗るとVTRより足つきが悪く、VTRべたつきだったのに、リードではかかとが少し浮きます。少し前に乗ればべたつきになるし、多少かかとが浮いたことろで問題ないですが。
リードは110ccあるので2人乗りができます。2人乗り出来る原付二種でも実質1人乗りというバイクがある中、リードはゆったりでした。背もたれ用 リアボックスをセットして家内を乗せてみましたが、僕も家内も窮屈な感じはしませんでした。
僕が最も重要視した乗り心地ですが、これも満足点でした。ジョグの10インチタイヤから前輪だけですが12インチになったことで随分良いいです。ジョグでは20kmを越えてくると、お尻と腰が苦痛になってきますが、リードでは50km走っても平気でした。往復100kmぐらいの所までは快適に走れるかもしれません。通勤の帰り、ちょっと足を伸ばして夜景を撮りに行こうとかいうのが出来そうです。夜景だホタルだと、一旦帰宅してVTRに乗り換えていたのですが、そんな面倒なことをしなくてもよくなりそうです。
ハンドルがジョグよりどっしりしており、60km/hぐらいになると頼りなかったのですが、それがなくなりました。VTRに乗った後ジョグに乗ると、実に頼りなかったのですが、リードなら随分違います。横風にあおられるのも随分ましです。これは車重が70kgから110kgになったのも影響しているでしょう。
トルクが大きくなったので、坂道のしんどさがなくなりました。アクセルを回せば上り坂でもスーッと伸びます。車列に入って流れている時安心です。馬力も問題ありません。R42往復で信号・すり抜けで車列の先頭発進するときが多くありましたが、2ストに比べれば初速が遅いけど、余裕で車列をリードできました。まあ制限速度+10km/hまでしかスピードを出さないので、がんばってる車には後で抜かれますが、これは怖くないので大丈夫です。
最後に法令順守。「二段階右折」しなくてよくなり、右折する場所を考えることがなくなりプロパーコースをダイレクトに攻めることが出来るようになりました。「30km/h制限」からも開放され、車と同じ法定速度がOKになりました。これで精神的負担が減りました。生活道路では30km/hで十分なのですが、国道など主要道路になると、そんな速度で走っていたら、車との速度差がありすぎて怖くて仕方がありません。第一危険です。車ドライバーから見ても、邪魔で仕方ないでしょう。スピード違反というのを一度も経験せずに今日まで来ました。お縄になるのなら原付に乗ってるときだろうと予想していたのですが、これでさらに安全圏に入ったようです。
僕のバイクライフは、VTR250とリード110というコンビになりました。いい感じでお互いの欠点を埋めています。家内用に安もんヘルメット4980円を、バイク用品屋さんで初期投資しました。初めてバイクの後座席に乗ったのでまだ怖いでしょうが、今まで車出動していた近場への買い物などで慣れさせて、来夏は「早朝バイク」で北摂の里山に連れ出したいと思います。夜露に濡れた稲穂が低山から顔を出した朝日にキラキラ輝く素晴らしい景色を見せてあげたい。まあ僕が家内の意思に関係なく、そういうのを一緒に見たいと思ってるだけですけど。

2009/11/30
日曜日は、紀伊半島の山深いところにある和歌山県「川湯温泉」と奈良県「谷瀬の吊り橋」に行く予定を立てていました。「川湯温泉」は、河原を掘ると温泉が湧き、そこに川から水を引いて適当な温度にして入る温泉です。スコップ持参だけど無料という変わった温泉です。この温泉に11月に入ると巨大な湯船「千人の湯」が登場します。地元の方が作ってくれるのです。混浴です。まあ水着着用と言うことですが、義務化されているわけではないので、水着なしの漢な男子もいるそうです。
「谷瀬の吊り橋」は、日本一の長さを誇る吊り橋で、写真を見る限り僕には到底渡るのか無理そうな橋です。高いところでは、家内に大きく遅れを取る僕ですが、ここは一発度胸を決めて渡ってやろうと計画しました。去年も計画したのですが、台風の土砂崩れで国道が寸断され交通規制がされていたので断念しました。そして今回・・・も断念になってしまいました。原因は天候です。近畿地方南部は週間天気予報で早々に半分傘マークになってしまいました。
仕方ないので、観光客が多いので遠慮していた紅葉の京都に突っ込むことに変更しました。電車&自転車だと渋滞に巻き込まれることはないと。JR京都-東西本願寺-東寺-機関車館-永観堂-御所-広沢池-大覚寺・大沢池-化野念仏寺-愛宕念仏寺-嵐山-阪急嵐山orJR桂川という30kmコースです。我ながらなかなかいいコースではと自画自賛していました。前回琵琶湖からの帰り、何気なく車窓を見ていて見つけた機関車からメニューに入れた機関車館が一番の楽しみでした。しかしこれもキャンセルになってしまいました。原因は、家内の体調不良です。
前日からおかしいと言っていたので、朝から病院に付き合いました。京都行きを強行することもできましたが、こういう時は無理しない方がいいです。機関車館は逃げないし。10時半頃帰宅して、僕は家内のPCに軽いブラウザーのDonutやEdmaxというメーラーをインストール・設定していました。家内の寝ている横でゴソゴソやっていたのですが、しっかり寝入った昼・・・むずむずと「どっか行こうかな?虫」が騒ぎ始めました。家内もまあ大丈夫そうだし、「どっかに行ってきていいよ」とも言われていたし。
でもそう言われても近くにいるのが「男の優しさ」というものだろうと思い、「じゃあ行ってくるわ」とあっさり出発するのも気が引けゴソゴソしていました。が、自分の体調が原因で旦那の楽しみを奪ったとなると家内の気がひけるだろうと都合のいい理屈に至り、そっと部屋を抜け出しバイク装束に着替え、ドアもそっと締めて出発しました。案の定帰宅後、「起きてしばらくは2Fにいると思ってたわ」と言われてしまいました。家内のことだから皮肉を言うことはありませんが・・・当然家にいるものと思われていたのかも・・・まずいです。僕が体調不良だったら近くにいてくれるでしょう。男ってこんなもんですね。僕が反省するんじゃなくて、この際すっぱりとあきらめてもらいましょう。しかも後で気づいたのですが、携帯電話を家に忘れてきたし。

午後からなので遠くに行く事は出来ません。一眼レフをバイク便ボックスに入れて定番の北摂です。最近は地球温暖化のせいか紅葉が遅くなってる感じがします。11月になってもまだ早く、京都の紅葉もほんとに綺麗なのは、ライトアップも終わり観光客が少なくなった12月の初めなどと言われているぐらいです。12月なんて、小学校の教科書なら寒い北風に葉の落ちた木が耐えてる絵です。
長尾山トンネルを抜け北摂里山地域に突入です。いきなり例の橋からの綺麗な景色がで迎えてくれました。r33を北上し、r68を西進、まずは前から気になっていた羽束山への登山口がある「香下寺」への道に曲がります。緩やかな勾配を上がるとすぐに香下寺に到着しました。お寺自体はそれほど見所があるようには見えませんでしたが、大きく「羽束山登山口」と書かれた看板と横の木箱には何本も木の杖が入っています。金比羅山の石段のように、「しんどいけど素人でも登れるよ」と僕に語りかけているようでした。
「よっしゃ登ったろ。景色のいいところまで上がったら、写真を撮って下ってもいいし」と軽い気持ちで登山道に入りました。いきなり雰囲気のいい神社があり、チャリンパチパチして、ちょっと大げさですが登山の安全を祈願します。上から2組のそれなりの山装束の方が下りて来ました。「こんにちは」。僕より大分年齢が上の方がなんと半そでだったし、ますます楽勝な感じです。で、結局山頂まで誰にも会いませんでした。1時を回っていたので下山の時間ですもんね。
「ハーハー、フーフー」石で階段らしきものが作られて登りやすくなっていますが、やっぱり登りはきついです。「八丁」と書かれた石杭を過ぎると、右手に眼下に南東側の素晴らしい景色が広がるところに出ました。「千刈ダム」を中心に遠くの北摂低山の連なりが一望できます。なかなか良いです。ココまで20分。八丁ということは、あと900m弱で山頂です。ここで思案します。千刈ダムを見下ろせるココは、いい雲海スポットかもしれない。いいとこ見つけたからこれで下山して、篠山盆地の雲海スポット探しに行ってもいいし・・・でも東側や西側、北西側の景色も見てみたいし・・・山頂に立つなんて貧脚の僕にはなかなか望めないことでそのチャンスでもあるわけで・・・僕の小さなチャレンジャー心が、「あと1kmぐらいなんとかなるんちゃうん」となり、上がることにしました。
ここからがきつかったです。一番の難敵は景色が見えないことでした。時々でもいいから下界が見えたら達成感があるのに、見えるのは足元の石、顔を上げてもピークが想像できる空が見えません。「山頂400m」とか「四丁」とかの道しるべだけが折れそうな僕の気持ちを支えてくれます。「二丁」までやってきて少し勾配がマシになり、楽になってきました。
荒れた感じの「羽束寺」に出て「やった〜」と言う感じになりました。「山頂・展望台・羽束神社」と案内板が上がっています。チャリン・パチパチを済ませ山頂に立つと北〜西の下界が一望です。説明図によると、六甲山の西の切れ間から明石海峡が望めるそうです。北摂の山からの眺めは何処もそうですが、下界の低山はやたらとゴルフ場に刻まれています。ゴルフをしない僕には無粋にしか見えませんが。ここで40代ぐらいの男性に会いました。「こんにちは」。西に登山道のような道が続いているので、「この道を行くと何処に下りるのですか?」「西の展望があるだけで、下りれないことはないと思いますが断崖絶壁ですよ」。おっとこれはダメですな。香下寺から40分ほどでした。上り坂だったからきつかったです。でもこれで一山征服です。
暑くて背中に汗をかいています。冬バイクでも平気な最強防寒服装のジャンパーは脱ぎ、バイク用プロテクタージャケットの前ファスナーは全開になっています。ほんまはこれも、さらにオーバーパンツも脱ぎたいのですが、持てないので我慢してる程の暑さでした。足場の悪い石に乗って足をくじかないように慎重に、でも下りだから楽に香下寺まで下山しました。山頂に512mと書いてあったので、300m近く徒歩で標高を稼いだようです。僕も中々やります。香下寺の前の大きな石に腰掛け暑さを整えていると、上の墓地から黒装束の方々が下りてこられました。墓地を見上げると、ここからまあまあ標高を稼げそうです。薄い雲海ならあそこでも雲海スポットになるかもしれません。20分の山登りより楽そうです。
r68で三田を向き、「志手原」からr37で「木器」、さらに北上しお気に入りの「高売布神社」まで足を伸ばしました。途中何度もバイクを止め低山の全山紅葉を写真に収めました。途中、見事な黄葉のイチョウの孤木に魅せられて寄り道すると「岩神社」という趣のある小さな神社がありました。岩から生えた古木がいい感じでこれを祀ってのかなと写真に収め振り返ると、神楽蔵のような建物に隠れるようにココに似つかわしくないほど大きな岩が1つ。これが神社名の謂れのようです。
高売布神社からの「大船山」は、緑とオレンジの曼荼羅でした。同じ景色が季節により劇的に変化します。野焼きの煙が数本上がり、いいなあとしばらく鑑賞していました。小腹が減ったので「つくしの里」で休憩しました。蕎麦かうどんでもと思いましたが、パック入りの御餅とバヤリースオレンジを買っておばちゃんと話しながら食べました。バヤリースオレンジは久しぶりです。子供の頃は、バヤリースかプラッシーがジュースの定番、三ツ矢サイダーもあったけど今やマイナーブランドになってしまいました。時刻は3時半。ここから一気に自宅に戻りました。秋色満喫の3時間でした。
「4時ぐらいに家内が起きるから、5時から百貨店に行ってお歳暮でいいかな」と4時半に戻ると、家内は既に着替えてスタンバっていました。百貨店・ユニクロのような店で買い物を終え、僕の玉手箱な店、釣具屋と職人さんの店に寄りました。この2業種のお店は、おしゃれでもカラフルでもありませんが、定番のデザインと機能優先のところが好きです。「暖かい」と書いてあるものは、ほんまにしっかり暖かいです。そして安価なところがたまりません。ヨット屋さんの価格ってなんなん?って感じです。これから始まる「寒風早朝自転車」にヘルメットの下に被ったら良さそうな「アクリル毛糸帽子にツバがついた帽子」を買ってしまいました。

2009/11/23
日曜日は、ドラゴン級の今シーズン最終戦兼山村メモリアルレースでした。レースは毎月やってくる定期便ですが、この週末は僕の人生にとって大きな出来事が起こりました。
今月初めに長男君から、「11/21にクラブの後輩の結婚式があるから帰るわ。Sさんも来るかも?」という連絡を受けていました。先週は毎朝、家内は家の掃除に余念がありませんでした。
土曜の夜11時頃、長男君から電話が入り、いつものように伊丹駅まで迎えに行きました。11時半頃帰ってきたのはいいのですが、なんとバッテリー上がりでエンジンが掛かりません。この3週間で先週末に次男のお迎えで20分ほど使っただけでした。もう6年以上バッテリー換えてないし・・・。JAFに電話すると救援到着が52分後だそうです。待ってる間、「あのさあ、Sさんと結婚するから。その挨拶で明日来るから」・・・「えっ」、初めてのことでなんて答えたらいいかわからなくて「良かったなあ」と。「おめでとう」と言うべきだったのかな?
披露宴帰りでいい気分の長男君を寒空にいさせては風邪を引かせると思いタクシーで家に戻し、星空を見上げながら、「結納は・・・」「明日のレースは・・・レース後のパーティーは・・・」「結婚式はどうするんだろう・・・」「新居は・・・」いろいろ考えました。JAFが到着しバッテリーパックを繋ぐと一発始動しました。「他に問題はなさそうなのでこれで平気ですけど、このバッテリーどれぐらい使ってますか?」「6・7年かなあ」「よく持ってますね。3年が寿命です。でもそろそろ換えたほうがいいように思いますよ。良かったらありますよ」「バッテリー持ってるのですか?」「はい」「じゃあついでに換えてもらえますか」。ということで、新品バッテリーに交換しました。
日曜日の朝家内に、昨日聞いた衝撃の事実を伝えると「そう、来年?」と衝撃を受けた様子はありません。「そんなのわかってたじゃない。お互いの家族を見て特に問題がなければそうなるでしょ」「まあそうなんだろうけど」。僕の人生も新たなステップを踏んだようです。いまだに海や山にうろうろしてて進歩していないように思うけど、人生のベルトコンベアーは確実にフォーワードに動いているようです。「3時頃ハーバーに戻ってくるから、よかったらみんなで来たらいいよ」と伝えて出発しました。

天気予報は夕方から雨なので、面倒だからヨットの乗りのカッコで通勤スクーターでハーバーに向かいました。カッパは防寒対策にもなり快適です。8時半ごろ陸置きヤードに着いてカバーを外し艤装を開始します。2ヶ月連続で野暮用と重なりレースメンバーから外れていたので久しぶりのドラゴンです。トヨゾウさんとシブカワさんが来られ我が家の事情を話すと、ラッキーにも月曜日にマストの乗せ換えをするようで、レース後は桟橋に繋いだままにしておくようで船の塩出しがありません。ちょっとお先に失礼することになりました。
朝からどんよりと曇り、夕方から雨という天気予報は当たりそうです。北の軽風で、ブローと気まぐれな振れで、最後までチャンスはあるけどミスると大差で負けるレースになりそうです。西宮にある船をチャーターして富山から2艇参加されており、10艇のレースで楽しそうです。
シンタニさんとキンノさんが乗ったエルシノア号が見守る中、第1レースはスタートしました。いつものようにハーバー岸壁から西のブローが入り、西目のコースを選択し、トップ争いをしながら上回航です。気まぐれな振れと強弱に翻弄され、めまぐるしく暫定順位が上下します。2上を2位で回りましたが、中央コースを選択したのが悪かったようで、まあ僕のスピンが走らなかったからですが、6位まで順位を下げて最終下マーク回航です。調子のいいクローズで4位まで挽回してフィニッシュ。
2レース目もアウタースタートを狙い、下3でスタートしましたが高さでラインに届いておらず、上平行に富山さんがいる苦しいスタートになりました。スタート直前さらに風が下に振れたので下1艇でさえスタートが苦しいです。こういう時は早くタックし、最初のポートの走りあいが勝負の分かれ目になります。スキッパーに「今はタック出来ません」。富山さんがタックしたので、うちもタック。
スピードがついたところでスターボ艇が来ました。レースの流れとしては「うそ」と言う感じですが、少しベアになりそうだなと思ってると、リーバウを走る富山さんから「前を通らせて下さい」というレースとは思えない声が上がりました。スターボ艇からはもちろん拒否の声。当たり前ですね、これが通ればルールなんて要りません。富山さんはスターボ艇の下受けして左に行かれました。僕らにはラッキーです。スタートラインを離れるためにリーバウに富山さんがいる苦しい位置でもポートにしたのですが、スターボ艇が露払いのように富山さんを連れていってくれました。前がクリアになり、その後左目の展開して7番ぐらいで回航。
トヨゾウさんからスピンポールの高さを指摘され、高め高めのセットで2艇抜き先行艇との差をつめました。トップ艇の田中さんも何度もジャイブし苦しそうです。次ののぼりレグはスピードはありましたがコースが悪かったようで、左右に出した艇に抜かれて8位。ベアブローに乗せてタックしてたつもりですが、中途半端だったようです。せっかくのクローズのスピードが生かせませんでした。反面ランニングは今回も調子よく、まあ第1レースでふがいなかったので、僕もかなり真剣でしたが、6位で最終下回航。富山さんに上平行気味に押さえられながら西に出ます。少しずつうちがバウを出すので、いずれやられると思って富山さんが小さなベアブローでタックしました。次にもっと大きなベアブローが入り、喜びのタック。「このままこののぼりが続け」とばかりに「いいですよ、走ってます」とスキッパーに声を掛けます。ヒールと小さなジブトリム以外クルーの仕事は少ないです。スキッパーの滑りに託すしかありません。スキッパーから見えるポートの先行2艇との差は縮まる気配がありませんが、見えない東海面の艇よりいいようですし、先にタックした富山さんとは高さがどんどん開いていっています。「右海面艇は全部抜きましたよ」「先行艇とは差がありますが、後続艇には大差をつけましたよ」。スキッパーを乗せ、気持ちよく走らせるのも大切です。2艇抜いて4番でフィニッシュ。軽風でレグが長かったので、これでレースは終わりです。

桟橋に戻り、長男君に電話してみました。ハーバー1Fでお茶してるようで、2人でヨットを見に来るようです。桟橋でこの日乗ったヨットを見せ、陸置きバースで先輩方に挨拶して、お先に失礼しました。
小雨の中、家に戻り着替えて長男君の車が戻ってくるのを待ちます。スクーターで30分、車より15分も早く家に着きました。街中ではバイクにかなうものはないですね。近所のサンマルコで食事しながら、「来年結婚するから。5月ぐらいに籍入れるわ」。来春、会社の人事制度とかが変わるらしく、それを待って家とか考えるそうです。2人ともありがたいことに忙しく仕事をこなしているので、今のところ現状維持の生活をするそうです。家内から、とても感じのいい子とは聞いていましたが、初めて会い話をした5月の時から家内に似てるなと感じていました。「ささっとおいしいご飯を作ってくれるねん」だと。長男君がリードし、Sさんが「いいよ」と大きく受け止めてくれる感じで、なかなかいいです。家に戻ると、家内はいつになく饒舌で上機嫌でした。寝床で家内が「私に似てると思うんだけど」と言ってます。僕と同じように感じてたようです。
何度も会ってるようですが、先週はSさんの実家に正式に挨拶に伺い、僕らがOKなら是非にと言われてきたそうです。子供達の選択に反対したことなどないので、長男君は自分の選択を伝えるだけで気楽な感じです。僕はSさんに「ありがとう」、家内は「おめでとう」の言葉でした。「ありがとう」と「おめでとう」、微妙なニュアンスの差・・・男女の差なのか?母親と父親の差なのか?面白いです。いずれにしても末永く笑って人生を進んで行って貰いたいです。Sさんはかなりの美景です。美形を通り越して借景にしたいほどです。僕にこんな綺麗な娘が出来ていいものでしょうか?

2009/11/16
日曜日の予定は、夜7時からの代交代式だけでした。家内は都会で用事なので、ドカンと時間が空いています。こういう時はバイクなんですが、前回走行でチェーンから小さく「シャカシャカ」音がしてたのに気づいたので、チェーンの掃除をしないと乗る気がしない。まあ乗っても平気なんでしょうが。
「そういえば自転車のチェーンも購入以来1度の洗ってないし」と、先週チェーンメンテナンスのケミカルと器具を購入しました。朝2日間使って2台の自転車を洗いオイルを差したのだけど、変な音がしてたので、3ヵ月毎の自転車屋さんの無料定期点検に持って行ってもいいな。
ということを考えながら日曜日を迎え、目を覚ましました。7時過ぎに自転車で出発です。チェーンメンテナンス後2回目の出動ですが、異音は全くしなくなっていました。「馴染んだってやつかな?」と思いながら、9時半帰宅予定で未知の西国街道「箕面牧落」以遠探索に行くことにしました。
軍行橋から西国街道をショートカットする旧R171で東進、阪急石橋の阪大坂下から阪急箕面線を渡り西国街道に入ります。阪急桜井駅前を過ぎて再び阪急線を渡ります。箕面市も名所旧跡の案内立て札を充実してくれているので、何も知識を持っていなくても旧跡に案内してくれます。「牧落の旧札場と道標」がありました。謂れによると、「箕面大坂道」と「西国街道」が交差する四つ辻だったようで、ココに幕府や領主からの木札や貼り札が立ったようです。今でいう回覧板や市広報の役目ですね。そうかこれが「箕面大坂道」かと交差する南北の道をちょっとだけ探索しました。
西国街道に戻り東進すると、すぐに現R171と合流し牧落の交差点です。左右に目を光らし西国街道への分岐を探します。右にそれらしきを発見。交通量の多いR171を南に渡ります。西国街道の表示はないけど旧街道の空気が漂っています。街道沿いには寺社がある。寺社は新道が出来てもおいそれとは移転できないからね。旧家がある。修復しながらも趣のある家が残っています。後裔さんも立派な業績を残した先祖の残した財産家を簡単に潰して新築しないので、修復しながら住んでおられます。歩き主体だったから、結構曲がりくねっている。そして道が狭い。
札場の所に立ってた「萱野三平旧邸1.8km」をサイクルCPで計測しながら走ってると、西国街道に面した長屋門を発見しました。後裔の方はこの門を使っていないようで、横に現代風の門がある大きな家です。向かいの家も武家風、この周りに数軒のお武家様の家・・・この辺は武家町だったのかな。この一角に「萱野三平旧邸」がありました。
謂れによると、美濃の旗本大島家の所領豊中市大島町の代官だった父の三男として生まれる。主君大島氏の口利きで赤穂浅野内匠頭の小姓になる。江戸城松の廊下での殺傷沙汰を国許赤穂に伝えるために、事件の第一報として江戸から赤穂に向かって駈けた。実家を通った時、ちょうど母親の葬列に出くわしたが、御家の一大事と涙ながらに振り切り、また駈けたそうな。これは有名な話ですね。僕でも知っています。その人の実家がココだったなんて。
主君の無念を果たすために仇討ち浪士に加わろうとしたが、推挙した大島家に迷惑が掛かると父に反対され、大石内蔵助に遺書を書き、吉良邸討ち入りの11ヶ月前の主君内匠頭の月命日に当地で自刃したとのことです。
R171のここらを通るたびに、「萱野三平邸こっち」の看板を目にしていましたが、画家かなんかの人だと思っていました。武士だったんですね。しかも僕でも知ってる有名なエピソードの主人公だったとは・・・うろうろ・キョロキョロ・パチリしてると千里中央からの道で西国街道は途切れました。
時刻は8時半、R171で帰ることにします。軽い下りが続くから楽だと思っていたら、強い向かい風でスピードが乗りませんでした。「萱野三平旧邸」発見は大きな収穫でした。京都の「嵐山」から西国街道を自転車で下ってくると、いろんな発見がありそうです。ここまで50kmぐらいあると思いますが、しんどくなったらJRや阪急線輪行に切り替えたらいいだけなので、いつか挑戦してみましょう。こんな僕の鈍足・道草・謂れ読み趣味に、文句も言わず楽しそうに付き合ってくれるのは家内しかいないなあ。向かい風に苦しみましたが、自宅まで45分でした。

自転車を車に積み込み、10時開店一番乗り目指して自転車屋さんに点検に向かいました。家内の自転車の洗浄後の異音はなくなっていました。自転車屋さんによると、洗浄後の水滴などが残っているとシャカシャカ音がするそうです。オイルのつけ方もこんなものでいいようです。僕の自転車は、サドル傾斜を変えてみましょうということでちょっと変更。サドルバックに隠れて見えづらかったリアライトの位置を変えてもらいました。
チェーンオイルを落として水洗いしたのですが、オイルがまだ残ってたみたいで家内のピンクのフレームに黒い斑点が着いてしまいました。相談すると自転車用オレンジ洗浄剤を教えてもらい購入しました。一発で綺麗に落ちたので、その報告もしときました。店の裏に置いてあったのですが、僕みたいな人は大勢いると思うので前面に出してもいいと思うんだけど。

自宅に戻り、続いてバイクのチェーン掃除にかかります。まずは道具です。購入して15ヶ月、初めてのチェーン掃除です。ケミカルは先週バイク屋さんに行って相談し購入済みですが、VTRにはセンタースタンドが着いてないので後輪を浮かせることが出来ません。車でメンテスタンドを買いに行きます。車種を言って「素人でも簡単・安全なものを」と相談し、J-Trip社のを購入しました。
いざ始めるかとケミカル付属使用書を読むと、汚れたオイルを受けるためにオイル受けが必要なようです。通勤スクーターで買いに行きます。購入後、VTRを買った中古バイク屋さんに寄って、新型リードの中古出物が入ったかなと寄り道することにしました。前回はいいものがありませんでした。
1世代前のリードが2台ありました。ちと走行距離が多すぎます。他の原付二種もあったけど、通勤スクーターに使う僕の希望仕様は、足元にいつも使ってる箱が置けることと、前カゴが着くこと、乗り心地が50ccスクーターよりいいことなので、リードしかダメです。タイホンダから逆輸入された中国製新車がありました。エンジンも外観も同じで、前パネルだけが違うだけでリードよりかなり安い。これにしようかなと思ったけど、前カゴが着かないそうでアウト。系列店の在庫を調べてもらうと、現リード・走行3000km・赤というのがありました。価格はタイホンダと同じで、こっちは前カゴを着けられるし、走行距離もOKなので乗り換えることにしました。走行距離9kmとか100km未満のもありましたが、新車と価格がそんなに違いませんでした。
VTRもここで買ったこともあり、下取りに色がつき、前カゴだとかリアボックスだとかの装着工賃をおまけになりました。これで二段階右折や守ってないけど30km/h制限速度から開放されます。リアボックスを背もたれに、家内とのご近所買い物にも利用できそうです。一々車を出す面倒からも開放されます。これで僕も街中最強移動手段原付二種にアップグレードです。一旦家に戻ってVTRに乗り換え出動して、VTRシャカシャカ音を見てもらい、やはりチェーンのオイル切れと診断していただきました。購入手続きやなんだかんだで時間がなくなり、チェーンメンテはお預けになりました。

今度は電車で琵琶湖行きです。6時半に艇庫最寄のJR大津京に着き、ここから歩きです。この距離が中途半端で徒歩15分でしょうか。バスはないし、タクシーも中途半端、徒歩も・・・折りたたみ自転車も考えましたがタイヤの空気が抜け気味だったのでやんぺしてしまいました。
艇庫前まであるいてくると、タクシーが止まり、OBM君とマネOGSさんが降り立った。代交代宴会の時も隣で親しそうにしゃべってるし・・・フムフム。僕は例によって現役マネさん達の隣に陣取りました。監督さんたちの隣でもありますが。新たな旅立ちに向かう新OB・OGさんに、熱いエール?のメッセージをしゃべり帰路に着きました。涙あり笑いありの卒業生挨拶、現役エールコメント・・・何度経験してもいいです。僕自身がクラブを卒業した時の事を思い出します。
「電車がないのでは」と心配しながら駅までを急ぎ足で歩きましたが、意外に連絡がよく新快速にも乗れて、帰宅時間は12時ごろでした。電車に乗ってるときのいつもの就寝時間になり眠かったので、今朝はいつもより1時間以上遅い7時起床になってしまいました。仕事前メンテは後日に順延です。

2009/11/9
日曜日はバイクで生野に行ってきました。秋になり、寒くなるまでに行ってみたいと思ってたところが3ヶ所ありました。第1は、去年R168の土砂崩れ通行止めで断念した和歌山・奈良の「川湯温泉&谷瀬の吊り橋」。第2は、琵琶湖北西マキノのメタセコイヤ並木。そして第3がここ、生野・加美の山間道路。バイクを買ってから積み残しの「淡路島一周」も残ってますね。この日家内は仕事がらみで大阪のホテルに行っちゃうので、家内と行きたい第1・第2はアウト。
山に行けば紅葉が綺麗なんじゃないかなと思って、「生野・加美町」コースに決定しました。天気も晴れ、気温も高くなるそうで、この時期山に入るのに、これ以上の好条件はありません。このコース、夏から2度挑戦しています。でも時間がなくなり撤退すること2度。原因は僕の道草癖です。ついつい魅力的な寺社があると、「謂れ読み」したい心に火がついちゃうし、「城山」なんて表示があると、「中世の石垣が残ってるかも?」なんて寄ってしまいます。山や川の風景でも止まるし、花に惹かれてストップも多々。
しかし、「今回こそは」と意気込みも新たに再挑戦です。途中の魔力を振り切るために、三田まではしょっちゅう走ってる里山を通るけど、以降は面白みのないR176・R175で福知山まで走る計画です。前2回は、このルートを「篠山川沿い」とか県道を利用したから、誘惑に負けてしまいました。福知山からが本番なのに、その手前で昼を回り、「とても生野までは無理・・・日が落ちて山ん中を走るのは獣や妖怪に取り込まれそうで怖い」となって名誉の撤退と相成ったわけです。

朝起きると5時半。これは幸先良し。「ん?もう家内が起きてるじゃないか。いつも6時なのに早いなあ」。「家内を起こさないように早く着替えて家を出る」好条件がなくなり、適当にしゃべってしまい着替えスピードが鈍って・・・ついでだからと、先日購入したバイク時計をステイなどネジ止めして装着していたら、出発が8時半になってしまいました。
長尾山トンネルを抜け、いつもの老人ホームの下り坂まで来ると、前方の山々が霧に浮かんでおり、朝は優勢な朝霧が出ていたようです。西谷を抜け、r68を道なりに西進し有馬富士公園を下ってJR新三田でR176に合流です。この道、中国道の宝塚トンネル渋滞やR176渋滞の迂回路です。上り下りとも、日曜日の夕方でもまず混むことはありません。
R176も三田を越えると空いています。篠山から三田や宝塚まで自転車で帰ってくることも考えているので、JR線や左右の道をキョロキョロしながら、いつもの制限速度+10km/hの60キロほどで北上します。篠山盆地に入ると霧です。さすが霧のメッカ。この時間帯でも霞んでいます。
出発時間は遅れたけど快調です。そのまま県道に逸れず一気に柏原に。中世は篠山と柏原は別の勢力圏でした。篠山の波多野氏と黒田城の赤井氏が、近世の夜明け信長軍団の光秀に滅ぼされるまでは、別の地方豪族が支配していました。この間に高い山が連なって容易に交通できなかったからです。その中の雄山的なのが金山で、鐘が坂峠。そこをR176がトンネルを開けて突っ切ります。第1次丹波平定で、赤井氏黒井城を包囲した光秀は、多分ここを越えて篠山側から入った波多野氏に大敗北し、ほうほうの体で京都に逃げ帰っています。第2次遠征では金山に砦を築いて、篠山と黒田を分断してこの地域最強の二氏を打ち破り丹波平定に成功します。江戸時代は、家康の大臣青山氏が篠山で西国に睨みを効かし、柏原は信長の息子信雄の子系「織田氏」が配されました。反逆大名に祭り上げられ利用されやすい「織田」をココに置くことで、動きを抑えようとしたのでしょうか。
「あれが金山かなあ」とキョロキョロしていたら、左手に黄色鮮やかな大銀杏を発見。「寄らなかったら航海するぞ」といつもの声が聞こえ、本日最初の寄り道です。バイクを停めようと横道に入ると、奥さんが銀杏の葉を拾っています。ご主人はカメラ片手に境内に入って行きます。僕と同じ穴の狢のようです。「追手神社」、名前に由来がありそうで、謂れ読みに期待が高まります。紅葉してる境内の木々もたくさんありましたが、この大銀杏の黄葉は他を圧倒していました。
謂れを読むと、国指定天然記念物になってる横の「千年モミ」(日本一のモミだって)の方が格は上なようですが、この時期はこっちの「夫婦銀杏」の方が上ですね。一面の黄色い地面の中央にドンとまっ黄色な銀杏です。お互い一眼レフを構えるご主人と笑顔で顔を見合わせ「見事ですね」、話が弾みました。この旦那さん、奥さんがご一緒じゃないときはバイクで回ってるようで、これまた僕と一緒です。福知山と出石を結ぶ県道沿いにある温泉にも大銀杏があるらしく、それも見ごろだそうです。
せっかく横道に逸れたので、そのままR176に戻るのがもったいなく、平行する神社前の道を走り出すと、「追入神社」というのがありました。「追手」「追入」と謂れがありそうです。こっちにも寄り道しましたが、名前の謂れは立っていませんでした。ここに金山への取り付き道があるようで、それに関係するのかな?
と想像しました。秘密を知った密使を追って、討手が放たれ、ここで返り討ちにあったとか・・・。バイクで出発しようとしたら、さっき通り過ぎたおじさんが川で水を汲んできたようで、目が合いました。「おはようございます」「どこから来てくれたんな」・・・、こういう地元の方との何気ない会話がバイク旅の楽しみです。敷居が低いのだと思います。山登りのカッコの方が降りてこられました。
そのまま進むと、突然金網で閉鎖されたトンネルに出くわしました。「鐘が坂トンネル」。「あっ、これは閉鎖された昭和のトンネルだ」。予想外にトンネルは短く455mとなっていました。まっすぐな直線なので、柏原側も見えています。「では平成の現役トンネルは?」と周りを見渡すと、なんと下にありました。
「峠に向かって上って行きトンネルになる」とうのが一般的なトンネルパターンですが、この昭和のトンネルでさえ、あまり上っていません。この下を通る「平成トンネル」は、むしろ下がってると思われます。柏原側はさらに低いからこれでいいのでしょうが。
ここには、「明治」「昭和」「平成」の3つのトンネルがあります。それを思い出しました。「明治のを見に行こう」と新たな寄り道誘惑が・・・昭和トンネルのすぐ横に「らしい」道があります。「この先行けません」と書いてあるところがますます怪しい。早速突入です。50mほどでアスファルトが切れて地道になっていました。きっと当たりなんだろうけど、こりゃあかんわと撤退しました。平成トンネルで柏原側に抜け、すぐに右側から山に上がってる道に大きくUターンしました。昭和トンネルの柏原側を拝みに行きましょう。すぐに到着し、目ざとく「明治トンネル800m」を見つけました。鍵の掛かった獣フェンスがあり、バイクでは無理なので、「鐘が坂公園」にバイクを置き、カメラをぶら下げ徒歩突入しました。小さな倒木はそのままになってる道でした。柏原側からの金山登山取り付き口もありました。当たり前だけど、誰にも会わず「鐘が坂隊道」に到着。
明治12年に両側の地元郡長が話し合って兵庫県に申請して作られたそうです。資金の半分は両郡の寄付だったとか。日本で5番目のトンネルで、レンガ造り最古だそうです。柏原に専用釜が3つ作られ、28万枚のレンガが使われたそうです。黒い小さな口を見せていたので、向こう側まで行けるかも?と思い突入しましたが、当然鉄格子で閉ざされていました。隊道脇には謂れや地蔵さんが立ち、工事で命を落とされた方を慰めているのかもしれません。お地蔵さんをみると、日本人の心の優しさや細やかさを感じます。
いいところを見つけました。これだから道草はやめられません。公園に戻ると車が入ってきました。サンデー毎日風な2人連れさんです。「こんにちは」「今年の紅葉はあかんねえ」。紅葉情報を交換しましたが、かなりの通らしく今年は寒暖の差が少なくあかんそうです。車からカメラと杖が出て来て、金山山頂まで登られるそうです。
丹波市柏原に入りました。前回寄らなかったので、少し探索です。まず「織田氏廟」、織田数代のお墓が並んでいましたが、菩提寺は廃寺になったとかで崩れかかった土塀に囲まれているだけでした。お寺の遺構もありませんでした。ううむ、織田のような大看板が・・・。織田旧邸は工事中でした。R176に戻ろうと旧道を走ってると八幡神社がありました。なかなか立派です。トイレ休憩と写真を撮ろうとバイクを停めると、横に「木の根橋」なるものがありました。大ケヤキの根が対岸にまで伸びて橋になってます。横にちゃんとした橋がありますが、珍しいです。
ここで時刻は11時。予定では11時に生野にいるはずだったのですが、大幅に遅れています。まだ2時間はかかりそうです。でもなんとか日没までには帰路予定している山中地域を脱することが出来そうなので、このまま進むことにします。石生を過ぎR175に乗り換えです。左に行く方が生野に早く行けます。迷いましたが、JR福知山線沿いの道も見たくて右折。R175で福知山市街に入り、R9で西進、そしてひっそりたたずむR429入口を発見しました。「よっしゃ〜」と思わず独り言。
ココから生野まで、いくつかの集落をつなぎながら、R477京北に匹敵する山間道です。GPSはしきりに生野までの別の道を指示し、R9に乗れと言ってます。「大型車通行不能」の看板、「さもあろう、望むところじゃ」ってかっこよく。しばらく国道らしい道を前後車に挟まれながら巡航してると、いかにも「こっちじゃないやろ」という細めの上り坂へ分岐しました。ここからは一人旅です。国道なのに、バイクを停めてしばらく写真撮っててもだ〜れも来ない道が続きます。速いバイクに追い抜かれるだろうと思っていたのですが、それも来ません。時折やってくる車やバイクに「あんたも好きね」と言いたくなります。こんな道、地元か物好きじゃないと通らないでしょう。もちろん1車線でガードレールナシの山道です。出来るだけ山側を通ります。
ウネウネの榎峠を越え青垣に出ました。山を抜け空が広がると、空にパラグライダーを数機舞っています。パラグライダーテイクオフ基地岩屋山が目の前です。写真を撮ろうとストップすると、後の緩やかな斜面でパラグライダーの練習をしています。走り出して、テイクオフ・・・「風に向かって・・・そっちじゃないよ〜」、インストラクターに指示されて、5〜6機が練習しています。
前方の交差点で赤色灯が点滅しています。道路中央にはバリケードも。「お酒飲んでないし・・・善良な市民だし・・・」と分かっていてもどうもアレには緊張します。交差点に近づくとおじさんが僕の方へ・・・「真っ直ぐなら行ってください」ってあっさり。パラグライダーのイベントで交通規制でもしてるのかもしてません。ボランティアのおじさんのようです。「あの〜R429で生野に行きたいんですけど」、警官が寄ってきて、交差点名まで入れて丁寧に教えてくれました。
GPSも指示しない国道を行こうとしてるので、指示はめちゃくちゃで信用できなくなっていました。「狭い道なので気をつけて下さいね」と言われて無罪釈放されました。
山道第2弾です。道脇の沢の対岸で崖が崩れ気が根こそぎいかれています。あと1〜2週間が見ごろなんだろう紅葉と沢のコントラストが綺麗です。何度もストップし目の保養です。生野峠を越え、黒川ダムへの分岐を越えました。黒川ダムにも行く予定だったのですが時間の事もありカットです。「魚ヶ滝荘」で昼食にしようと思っていたのですが、おびただしいバイクが綺麗に並んで停まっていました。
バイクの団体さんに一度抜かれたのですが、これが目当てだったのかもしれません。ホンダ主催の感じです。僕がゆっくり近づいていくと、誘導係員でしょうかホンダジャンパーの方が寄ってきました。これじゃあお昼ご飯は無理そうなので、パスしました。
銀山湖に向かう間、何台もバイクとすれ違いました。ほとんどのバイクはこちら側から上るのでしょう。銀山湖・生野ダムでトイレ・写真休憩して白口地区に入っていくr367入口を探します。発見、左折。山道3段目です。この道が一番厳しいでしょう。破線になってる地図もあったし。お決まりの「大型車通行不能」。GPSを見ても道なき道を進んでいます。
「お墓だ・・・しかも両側に・・・」、道路上だけど、墓場の真ん中にある交差点でストップします。右折すると滝があるらしい。でも「クマ注意」の看板も立ってるし。お地蔵さんもたくさん並んでいます。謂れを読むと、1600年にここに銀鉱脈が発見され生野銀山発展の基となった。880軒の集落になり大いに発展したが、採掘技術の発達で現生野からの地下坑道に移り廃れていったそうです。周囲をうろうろしながら写真を撮ってると、坑道がありました。木組みで坑道が確保され、奥まで線路が入っています。どう見ても坑道なのに、何の看板もありません。道路沿いの白口地区の集落の大部分は廃屋になってるようです。朽ち果てようとしています。軒に4つもスズメバチの巣を下げた廃屋があります。越知川新田側への峠を越えました。こちら側は九十九折れを繰り返す急斜面です。木々の間から素敵な景色が見えますが、平地がないのでバイクを停めるところにも難儀します。
ようやく急斜面が終わったようで坂が緩やかになりました。「おっと、さっき右手に看板があったぞ。きっと謂れ」、慎重にバイクのこけないところを探して停止。カメラを抱えて戻ると、「史跡御口屋」生野代官所跡だそうです。建物なんてないんだけど。天領生野銀山へのこの道に番所を建て、役人が2人常駐してたそうです。
越知川に出ました。ここは路線バスで自転車を運び、上流から下るのをやってます。夏に家内と播但線・市川沿いを自転車で下った時偶然見つけました。暑い季節に来ようと思っています。その始発点「新田ふるさと村」まで遡りました。キャンプ場になってのかコテージが何棟も建っています。ここで昼食と思ったのですが、レストランらしき建物に電気はついていません。う〜む。時刻は2時を回ってるのに・・・。広場にオースチンミニが30台ほど並んで停まっていました。横のバーベキューテラスで大勢の人が・・・こっちはオースチンミーティングのようです。時々オースチンの集団に出くわしますが、こういうミーティングの帰りなのかもしれません。
越知川沿いを下り始めました。すぐに吊り橋が架かっていたので停止。写真に収めていると、土手から「千ヶ峰の湧き水」が流れ出ていました。水質検査証とともに、飲めるとあったので、残り少なくなったペットボトルに満たしました。「沸騰必要」となってたけど「まあ大丈夫やろ」と。急な下りはなく、だらだらな軽い下りで、自転車天国な感じです。キツネのマスコットが示す名所案内看板や「自転車下りコース」の矢印もたくさん立ってて、道に迷うこともなく楽しく探索出来そうです。下っていると大杉を抱える神社がありました。他を圧倒する高さです。「うわぁ、すごい」。越知川を渡って対岸の道から写しました。これは凄いです。ここはいいです。僕ら夫婦のような軟弱サイクリングには最高の場所だと思います。
r8に出たので左折です。右折すると越知川と市川の合流地点に行けます。JR播但線の駅です。「高坂トンネル」を越え加美入りです。そのまま行けばR427に合流ですが、峠越えもう1本です。左折してr143、「野間川」沿いです。この川もホタルの川です。去年は「畑谷川」で僕も家内も生涯最高の乱舞を堪能しましたが、ここもそんな川なんだろうか?適当な蕎麦屋とかがあれば遅い昼食をとるつもりでしたが、店がありません。「お腹が減った」。後のバイク便ボックスには非常用のパンがありますが、地元のものが食べたいし、ちょっとでも自然を楽しませてもらった恩返しの金子を地元に落とせるからなあ。朝からの走行距離199km、GSがあったので給油しました。田舎なのにセルフでした。僕のセルフでの目安まで入れたら、なんと4.85Lしか入らない。3速メインの山道をこれだけ走ってきたのに、燃費41km/Lとは。VTR250、なんという安上がりなバイクでしょう。僕の50ccスクーターより燃費がいいし・・・。近くの土手でバイクを止め、我慢してきたセーターを脱ぎます。山道なので寒いだろうと、真冬装束で来たのですが、思いのほか気温が高く、山でも暑かった。汗で濡れています。脱いだら適正温度になりました。もっと早く脱いだらよかった。
西脇市街まで来てしまいました。加古川を少し遡り「JR比延」からr294に入ります。家内の知り合いの実家のお寺&幼稚園にちょっと立ち寄ります。「かわらないなあ」。子供達が小さな頃、芋ほりだとかイチゴ狩りだとかに、自家農園に呼んでもらいました。今は家が立ってるので、借家にしたのかもしれません。少し北上し、最後の峠越え、「畑谷川」沿いのr38に入ります。えっちらおっちら上っていると、速いバイク集団に追いつかれました。少し広がったところで停止、10台ぐらいに抜いてもらいます。再び走り始めたらすぐに峠に到着です。展望が少しあったので停止して、篠山盆地を写しました。
下り始めたら車が停まっています。スクーターのお婆さんを数人が囲んでいます。車がさらに2〜3台。バイクのおばあさんがこけたのかも?接触でもあったのかな?囲んでる1人の人が携帯電話で「すいません」とかしゃべっています。相手は警察かも?ゆっくり近づきましたが、僕の出番はなさそうなので通過しました。
往路で走った「丹波大山」近くのR176交差点に来ました。篠山で食事してr49で帰ろうかと思いましたが、空腹感が薄れています。「早よ帰ろ」。r176を右折して一気に新三田。信号は少なく、信号で引っかかっても先頭まで出るので快調です。往路をなぞるようにJR新三田で左折。ここから交通量が増えました。週末の恒例、三田・宝塚間のR176・中国道の渋滞を回避する車です。有馬富士公園を抜けてr68を東進。裏道車は運転が荒いです。「せっかく渋滞を回避したんだから渋滞の車より遅くなってはあかん」という気持ちが働くのでしょう。とにかく飛ばします。幅のないバイクだから強引に抜いて行きます。事故したらあかんから僕もスピードを落とすけど、僕だって制限速度+10km/hで走ってるのに。バイクは信号で一気抜きになるから一緒なのに。

帰宅は5時前、加美からは早かった。日没との競争のように寄り道もほとんどしなかったし。すぐにバイク装束を着替え、スクーターに乗り換えてJR伊丹駅に向かいました。大阪から家内が戻ってくる時間帯です。電話して伊丹で会えたら、ダイヤモンドシティにあるユニクロとスポーツオーソリティで家内の冬用自転車装束の物色です。駅に着いて電話「今どこ?」「家」、なんと行き違いです。そのまま引き返し、家内と車でJR中山寺のスポーツデポに。冬装束はいいのがなかったので、僕のと同じパールイズミのバイカーズパンツを注文することにしました。その代わり、家内用のサドルジェルカバーと、山歩きの方が使ってるリュックレインカバーを購入しました。総走行距離300km弱の楽しい山道バイクでした。

2009/11/2
日曜日は、また牛窓に行ってきました。2週間前は全日本インカレ練習手伝いでしたが、今回は本番のレース応援です。ほんとはレースサポートと言いたいところなのですが、支援艇はインフレータブルボートだけなので、工具・セイルなど交換部品を積むと一杯で2人が限界のように思い船上サポートは出来そうもありません。ハーバー近くでレースをするようで、防波堤観戦できるようなので、参加各校もそういう体制のところが多いでしょう。1レースごとにハーバーに戻ってくるようですし、陸上サポートすることにしました。
前回、車に自転車を積んで行き、練習開始まで早朝自転車したので、今回はバイクで行く予定でした。ところが、日曜日の午後に前線通過してその後冬型気圧配置になって一気に気温が下がるという予報になりました。前線通過=しっかりした雨&強風という構図が成り立つので、バイクを断念することにしました。手前の相生とかで高速を下車し、地道でたっぷりと兵庫・岡山県境を楽しもうとおもってたのに残念です。
家内を「牛窓で自転車に乗る?」と誘ってみると「行く」とのこと。あそこのハーバーの駐車場問題のことと、早朝自転車の時間を考え5時に自宅を出発しました。朝慌てて用意するのは忘れ物の元なので、夜のうちに車に自転車など大物を積んでおきました。
連休中ですが、早朝なので渋滞もなく順調に中国道・山陽道を西進し、GPSの指示通り、前回同様の道を辿ります。山陽道備前IC-地道-ブルーライン蕃山IC-一本松IC-地道牛窓です。2時間ちょっとで牛窓到着。まず牛窓YHに。ハーバー正門前に選手の人だかりが出来ています。まだ門が開いてないようです。自転車の用意をしてる間に門が開き、選手達の掛け声がハーバー内に走りこんで行きます。僕も学生時代はこんなでした。
係りの方に駐車場所を指示してもらおうと思ったのですが、2週間前に停めたハーバー前の駐車場がかなり空いています。「ここでも良さそうだな」と特等席に駐車できました。早速自転車を出してゴソゴソしてると、京都の子達が同じくここに車で到着しました。「おはようございます」「ここ大丈夫かな?」「いいみたいですよ」「ちょっとぐるっと回ってから戻ってくるわ」。
「まずトイレ」というリクエストなので、牛窓ホテルリマーニに向かいます。ホテル前に自転車を置いてると、クロークの方が出てこられて、「こっちの見えるところにどうぞ」。朝の身だしなみで女子は時間が掛かります。僕はホテルの桟橋まで出てクルーザーを見物。ロビーに戻って「朝ごはんを食べてもいいな」と物色していると、「キヤマさんじゃ?」。1年ぶりです。奥さんも降りてこられ、「いや〜」。僕らの装束を見て、「自転車乗ってるの〜」。朝食バイキングは8時からとのことなので、自転車後にしました。朝ごはんを食べないと何も始まらない家内は、家でもう食べています。バイキングにはイチノさんらしき姿も。

「木蓮寺」に上がり、趣のある家が並ぶ旧道を東進し牛窓瀬戸。木造の灯台を見上げ海岸に沿って北上し牛窓海水浴場。ここに牛窓神社の石鳥居があり、石段の広さが大神社の風格です。ここからえっちらおっちら道路は勾配を強め、牛窓神社裏のトンネルを抜けて海に向かって下ります。ここからダウン基調で快調に下ると、いかにも湾を防波堤で仕切りましたという広大な平地が広がりました。農地拡大で仕切ったのでしょうが、減反の世の中、ただ遊んでるだけの原野になっています。防波堤上の車進入禁止の道路を北上します。1段下がった海際で釣り人が竿を振っています。「朝の自転車って気持ちいいね」と気持ち良さそうなので、今度日頃の「早朝自転車」に誘ってもいいかもしれません。
広大な平坦地を回って、今度は西進です。浄水場のように小さなプールをいくつか持った工場がありました。そのプールを見て「塩田だ」とピンと来ました。「塩田」という文字を道中で見かけたし、水が干上がったプールは真っ白です。いかにも塩です。そのまま西進したら、見慣れた景色のところに出てきました。消防本部の建物の横を、車で朝走ってきました。その時は気づきませんでしたが、ブルーラインのICがそこにあります。「なんだ?ここで下りれば、近いじゃないか」。
そこに「竹久夢二生家こっち」の看板があったので、更に少し西進しました。東京から移設されてきた夢路が住んだ家と、生家がありました。「ここ来たことある」と家内。言われてみれば以前来たような。子供達が小さな時、家族で牛窓に来た時寄ったのでしょう。牛窓のペンションに泊ったなあ。500円払って拝見し、横の公園の売店で、家内がお土産に予定していた食べる方のバージンオイルを購入しました。その売店のおばさんのしゃべることすさまじく、「疲れないのかなあ?」とあっけに取られました。
ここから田舎道を牛窓に向かって南下します。交通量の少ないこの道も快適ですが、オリーブ畑があるかなとちょっと道を逸れてヒルクライム。お目当てのオリーブ畑があり、牛舎もあって楽しい道でした。朝車で走った道に出てきたので、手前の旧道をゆっくり走ります。
牛窓市街まで戻ってきて10時半、UOUOというレース海面が見渡せるレストランでブランチにしました。まだレースは始まっていなさそうです。海上で風待ちをしているのかもしれません。シーフードなメニューをおいしく平らげていると、レース艇がハーバーに戻っていきます。陸上待機になったのかな?さあ行くかと、外に出てみると軽く雨が降ったみたいで、道路に雨粒の跡。サドルにも数滴。3時間毎の天気予報で12時に雨だったので、自転車中に雨に降られることを覚悟していましたがラッキーでした。しかも空を見上げると2時間ぐらいはまだ持ちそうです。

ハーバーに戻り、中に入りといきなりシンゴウさんがいました。「やあやあ」。京都のバースに行くと、予想に反し、「え〜自転車。かっこいい」とか行って集まってきて囲まれてしまいました。昼食後も陸上待機でつまらなかったのでしょう。格好の話題提供になってしまいました。「かっこいいって・・・初心者用だし・・・」。ロードバイクでは一番安い10万円ほどのヤツなのに、えらく持ち上げられました。家内のはピンクでかわいいって。
レースはスナイプだけ出艇したのですが、3回のゼネリコ後陸上待機になったそうです。車に戻り自転車を片付け、双眼鏡などレース観戦グッズを肩にレース観戦装束になって再びハーバーに。KGバースにコウノ監督とオグリパパさんがいました。隣のKDバースにはキヤマ君が。ノースが売店を出しており、ショックコードを購入。
京都のミーティングを終えダベッてると、雨がポツポツ。気温も下がったのでこりゃ来るなと、車に戻りカッパ&傘装束に。ニシムラさん、ノダさん、ハマダさん、ソワさんと話し、イイヅカさん他元OPペアレンツさん達と交流を持てました。ハマダパパさんは、江ノ島で行われているOP全日本のレース委員長だそうで、いろんなところからOP情報が入ってるようです。今朝は20m/s以上の風が入り出艇禁止・・・1レースやったとか・・・独自のネットワークですね。
雨が小降りになったところで、学生達が声を張り上げ船に走り出しました。いよいよ出艇かなと思っていたら、なんとレース中止で解装です。挨拶して帰路に着きました。帰りは自転車に乗ってて見つけた邑久ICからブルーラインに乗りました。ノダさんの話だと、新しいGPSは邑久ICを案内するそうです。新しく出来たICなんだそうです。結局「レース応援&おまけ自転車」だったのが、「自転車&おまけダベリング」な1日になりました。

2009/10/27
日曜日は、今月初めての「夫婦で自転車」で篠山に行ってきました。夫婦といえどそれぞれの世界があり、好きなことも違うので、お互いのスケジュールが合うのが月に数度。しかも法事だなんだかんだと野暮用・・・ではなく大切な用事も入り、2人で自転車に乗れるのは1度ぐらいです。運動とは縁のなかった家内が一緒なので、僕だけの「早朝自転車」の巡航速度より5km/hは遅い15km/hほどで、翌週の仕事に差し支えのないようゆっくり走ってるのですが、これがかなり面白いです。
バイクと同じで、目的地以上に道程が面白いので、道草・寄り道は数知れず、GPSでは指示されない車の少ない道を、「きっとそっちに行けるだろう」で選ぶので迷い道・Uターン・遠回りは当たり前です。時に、最高に気持ちのいい道に当たり、2人並んで「あ〜だ、こ〜だ」出来ます。
隣の母の家で仏壇の掃除とかやってたもので、この日の出発は9時になってしまいました。観光客が多い時間帯になるので、篠山川沿いのr77の交通量が多いと嫌だなと思いながらも予定通りJR最寄駅に向かいます。駅前で1回目のタイヤ外し袋入れの輪行作業です。繁華な大阪に向かうのとは反対側に向かうので気は楽ですが、混んでると自転車をヒンシュクの目で見られそうです。各駅停車で新三田まで。宝塚から三田までの車窓から時折見える武庫川の景色がいいです。今はトンネルばかりになっちゃったけど、武庫川沿いをウネウネ走ってた旧線路だったら、1ヵ月後は保津峡のような紅葉を楽しめたかもしれません。
新三田で福知山方面に行く「丹波路快速」に乗り換えました。素敵な名前が付いた列車ですが、2両連結の快速とは名ばかりの電車です。でも車窓からの景色がいいです。自転車の旅は、車窓からの景色も楽しめていいです。予定では篠山口駅から自転車の始まりだったのですが、この列車は更に先まで行くので、住吉台のアップダウンを回避するために、次の「丹波大山」で降りることにしました。
でもこれが小さな誤算を呼びました。自転車が邪魔にならないように最後尾に置いていたのですが、アナウンスで、先頭車両の一番前のドアしか開かないとのこと。どうやら無人駅が続くので、運転席のところで運賃清算をするようです。「そんな〜」と思いながら、えっちらおっちら移動します。この1駅の距離が短くて、駅に着いてから僕らのために少し待ってもらう羽目になりました。「アナウンス聞いてからすぐに行動しとけばよかった」。
この駅で降りたお客さんは、僕らの他に1人。だ〜れもいない駅前の小さな広場の電話ボックスにもたれさせて自転車の組み立てです。家内も随分慣れて、僕とそんなに変わらない時間で組み立てます。駅の横の篠山川にダムがあります。ダム沿いの道を下流に向かいますが、ちょうど川を渡る橋から合流したランニングのおじさんと同速度です。まるでマラソン練習の伴走自転車みたいです。「ファイト」とか声を掛けようと思ったけど、おじさんの息遣いが「がんばってます」だったので、リズムを崩すと悪いから止めときました。それにしてもランニングの素人さんと同じスピードとは、自転車として情けなくもあります。
r77に合流です。ここからは篠山川に沿って軽い下りのセンターラインのない道です。路肩もほとんどないので、交通量が多いと辛いです。僕が後になって真っ直ぐ走ることに気をつけます。でも交通量はかなり少なく、むしろ快適な道でした。篠山川の渓谷と向こう側に行ったりこっちに来たりするJR単線、鉄橋・・・素敵な景色です。遅い自転車なので余計に楽しめます。車が少ないのを幸いに、大声で家内に話しかけます。初心の家内のサポートを放棄し、僕だけ勝手に止まってパチリして、大急ぎで追いかけるなどやってました。
あっさりとつり橋のある公園に着きました。先月バイクで来たときは、結構人がいて水着のお姉さんが河原にいたんだけど、この日は人っ子一人いません。駐車場にも車はゼロです。自転車を押して橋を渡り、向こう側にある公園に入ってみます。バーベキューのできるとことか、夏に大勢で来たら楽しめそうなとこです。
時刻は11時過ぎ、ここにある「恐竜うどん」が前回から気になっていたんですが、家内に提案すると、「もう少し後で」ということで今回もパスです。店のおじさんも暇と見えて、外でなにやら大工仕事をしています。テーブルでも作っているのでしょうか?何故こんなとこに「恐竜うどん」かというと、ここから下ること1kmぐらいのとこで、恐竜の化石が数年前に発掘されたからです。ちょっとここに寄り道します。
発掘された恐竜の等身大の張りぼてがデンと立ってるのですぐわかります。自転車なので駐車場をパスし、現場に乗り付けます。最近こういうとこで見かけるボランティアのおじさんが暇そうにしていました。張りぼてをバックに写真を写していると、「発掘現場はココですよ」と声を掛けてくれました。お客さんは僕らだけだから、近づいて説明を聞きます。僕は相槌を打ち、適当に質問し驚いて、おじさんの張り合いになります。家内はあっちにうろうろ、こっちにうろうろ、ボタンを押して機械の説明を聞いたりしてます。
ここは屋外ですが、手作りの説明がしっかり設置されて、フレンドリーな感じでいいです。前回は工事現場の白ビニールに覆われていた大正時代のレンガ造りの発電所が、ビニールが取られかなりきれいになっていました。おじさんによると、来月修理を終え公開されるようです。ほんとは修理に入る前のを見たかったのですが仕方ないです。発掘現場のすぐ横なので、発電所と共にそれの展示室になるのでしょう。
またr77に戻り下りだしました。すぐに「下滝駅」が見えてきたので、前の家内に声をかけ、川の方に左折です。前回偶然見つけた針金吊り橋に家内を誘導します。高所に弱い僕は、足がぞわぞわして前回渡れませんでした。ワイヤーを1本も使っていない針金で吊った橋です。サビも目立つし、お相撲さんが飛び跳ねて渡ったら壊れそうです。
「ここ自転車に乗って渡るの?」なんて、家内はとんでもなく恐ろしいことを言います。「そんなわけないやろ。押して渡ろう」「そうなの?」。僕の弱点を楽しんでいる感じです。「揺れないねえ。案外しっかりしてるね」「十分揺れてるじゃないか」。でも今回は渡れました。前回途中で止まったから揺れを思いっきり感じて引き返す羽目になったけど、一気に渡ったのとお連れさんがいることで克服できたようです。「50ccバイクまで。1度に5人まで」と制限されてる橋です。
向こう側に渡ると、いい感じの細い道が川沿いに続いています。何となく途中で舗装が切れそうですが、行ってみることにしましょう。この道がこの日最高の道でした。車はやってこないし。人も歩いていませんが人家は適当にあり日差しの入る明るい道で、「大歳神社」というのが2社あり、どちらの手入れがされていて、古いけど気持ちのいい神社でした。氏子さんの信仰の厚さを感じます。調べたら大歳さんは収穫の神様だそうです。収穫の喜びの秋祭りが終わったばかりかもしれません。
JR線が走る対岸の山の切れ目を見ながら下り、適当なところにあった橋を渡りました。河原ではロックバンドの練習をしていました。ここなら大きな音を立てても大丈夫ですね。橋を渡って家内はまた川沿いの道を下ろうとしました。さっきの道が気持ちよかったのでしょう。続きをしたかったんだろうな。でも正面が「谷川駅」のようなので、ここで前半の自転車は終わりです。
ここは加古川沿いを北上してきた加古川線と福知山線が合流する重要な駅です。前回は、ハイキングのお客さんがたくさんいてたけど、この日はロータリーに新聞を広げたタクシーが1台いるだけです。早速本日2回目の輪行準備です。時刻表を見にいくと、1時間に1本の列車が30分後に来ます。余裕で準備し、駅員さんに「ICOCA使えますか?」と質問。自動改札機がないので予想通り「使えません」。
切符を買ってホームに入ると、さっきのタクシーさんがやってきて、「何処から?」「伊丹からです」「へ〜」「でも篠山まで電車で来ましたから」。駅員さんもやってきて、「自転車で琵琶湖を半周したら、筋肉痛でひどいことになった」とか話が弾みます。自転車はバイクに乗り出して、見知らぬ人とよく話すようになりました。一期一会ってやつですね。この自転車、同じスポーツ自転車乗りはもとより、一般の方に対してもネタ提供に最高です。
今走ってきた篠山川を遡り、車窓からの眺めを楽しみます。家内が「電車でずるしたなんて言わなくてもいいのに」と言います。「でも誤解するやん」。どうやら家内は誤解してるのが楽しいのでしょう。「おぬしも、悪よのう」。
篠山口で下車し、再び自転車で篠山市街に向けて走り出しました。「お菓子の里」というのが目に付いて寄り道します。お菓子ばかりのところかなと思ったら、レストランとお土産屋さんでした。ここでバラ寿司セットを注文しました。うどんも付いてるのですが、このうどん、どうやら黒豆が入ってるみたいです。うどん自体に黒いプツプツがあり、味が違います。篠山は何でもかんでも「丹波黒豆」あやかりですが、中々の美味でした。
レストランの窓からかやぶきの家が見えています。そっちの方に行かれるお客さんが一杯いるので、僕らも食後のお散歩にそっちに行ってみました。趣のある洋館も建っていました。舞子から移設した洋館で、入ってみるとケーキカフェになっていました。マイセンなどのティーカップも売っており、食後でなかったらここでケーキタイムしていたでしょう。外の池を借景にバルコニーでお茶してる方が数組いました。入口には年代物のかわいいフォードが置いてあり、パンクしてるのが今一でしたが、なかなかのとこでした。
篠山市街に入り、何回も通ったメインストリートの二階町を外し、うろうろしてると、ブリキのおもちゃが飾ってあるお店がありました。アトムとか鉄人28号とか懐かしいです。奥には僕が小学生時代に我が家が初めて買ったTVとそっくりなのが映像を映していました。聞こえてくるのは懐かしいTV漫画の主題歌です・・・「リボンの騎士や」とか何故かみんな分かってしまいました。子供の頃の記憶というのは恐ろしいものです。家内が「うちのレジこんなんだった」と古い古いレジを指差しています。値段表示は、「・・円・・銭」。いくらなんでも「・・銭」は通用しなかった時代に生まれたので、それはないと思いましたが、確かに我が家の最初のレジもこんなんでした。どうやらここはブリキのおもちゃを作ってたお店のようで、製造機械が綺麗に並んでいました。「鉄人28号」をモデルに、ブリキおもちゃ製造工程がパネルになってます。今ブリキおもちゃも密かなブームだから、ひょっとするとウィークデイは製造してるのかも?です。さっきのTVが流してるのは古い歌番組でした。どうも漫画ソングと映像が合わないなと思ったら、音声はデッキから流れていました。古いスクーターも置いてあり、レトロな店でした。誰も人がいないし値札も付いていない、ので販売店ではないですね。
観光客がたくさん歩いていました。と言ってもどこも混んでる風はなく、ちょうどいいぐらいです。
交差点に「武家屋敷こっち」というのを見つけて、そっちに行ってみました。自動車の通行禁止なのか広い道なのに車は通りません。何度も篠山に来ていますが、ここも初めてです。表札に「・・家」と大書きされています。謂れを読んでいると、「お隣の家に観光客が入っていったよ」と家内は自転車を押して門を入って行きました。自転車が2台置かれています。「これレンタサイクルかなあ?」なんて見てますが、「・・高校」って書いてあるし。引き戸の玄関は閉まっています。僕は門の外に自転車を置いて、ガラガラと玄関を開けると、そこには無造作に靴が並んでる。「自由に上がっていいのかな?」と一瞬思いましたが、冷静さを取り戻しました。玄関を締め、門を出て見ると、「・・家」といういかにも観光施設風の大書きの下に表札が掛かっています。「ここ普通に住んでる民家ジャマイカ」。慌てて退散しました。「不法侵入です」。でも間違うだろうなと思います。自転車に乗りながら、「もし僕が入っていかなかったら、家内は観光施設と疑わず上がりこんで、住人の方と「えっ?」って鉢合わせしてるでしょう。大笑いのネタになったのに残念なことをしたな」と1人でくすくすしてました。
武家屋敷はお城の西だったので、お堀を南・東と回って商家筋の二階町に入りました。お堀の南にバイクが10台ほど綺麗に並べられていました。東に回るとオーナーさん方がお土産を持って歩いてきます。中高年のおじさん集団さんと30〜40代女性グループでした。こういう方達が高級大型バイクブームを作ってるのだと思います。
大きな猪さんがビルの屋上から睨みを利かせてる獅子鍋専門店ビルがありました。駅に帰ろうとゆっくり走ってると、「甚陽楼」という旅館が目に留まりました。子供達が小さな時に泊ったことがあります。目の前に猪肉のお店があり・・・まだありました。懐かしいです。何度も車でこの道を通り、このお店を探したけどいつも見つけられなかったんです。自転車だと簡単に見つかりました。
あの時の朝、ここに猟師さんが早朝に獲ってきた猪が横たわり、血を流していました。鉄砲の穴も生々しく、ビックリしました。それから毎年のように季節になるとここに来て、剛毛を触ったり、時には軽くまたがらせてもらいました。
篠山口駅まで戻り、3度目の輪行準備して、今度は伊丹まで一気に戻りました。駅でまた組み立ててお客さんの絵画展に顔を出し、自宅に戻りました。自転車での全走行距離約30kmの楽しい1日でした。暑くもなく寒くもなく、車窓からの眺めも良く、自転車には最高の季節なのかもしれません。
月曜日の朝、「筋肉痛やわ」って家内。いつも大丈夫だったのにと思ったら、なんと腕だそうです。自転車を持っての階段の上り下りが利いたみたいです。僕が運ぶと言ってるのですが、私が運ぶとがんばります。1人で何でもやらないと慣れないからだそうです。それだけ自転車を気に入ってるということですね。僕はダイレクトに自転車を持った方が楽だけど、家内用にショルダーの紐を用意してみようと思います。タイオガ輪行袋に付属の紐はシステムがよくわからない代物だったから他で探さないと。

2009/10/20
日曜日は、牛窓に行ってきました。11月の初めにあるインカレ会場です。手伝ってるクラブが出場するので、先週からレース艇をこっちに持って来て、週末練習しています。その手伝いと、牛窓・小豆島のあの付近は、風光明媚でいいんですよね。観光も少しです。
朝8時半出艇なので、それまでの時間を観光に当てるために土曜の夜出発しました。自転車持参で電車に乗り、駅から吉井川沿いに下るのも魅力的でしたが、朝の出艇に間に合いません。バイクも考えましたが、夜明け前に2時間、1日インフレータブルボートで海上練習に付き合った後に、夜を2時間高速というのは安全上の問題から選択から外れました。でもほんとはバイクで行ってみたいんですよね。最寄は備前ICだけど、赤穂とか相生で高速を下りて、時速50kmほどであの辺の空気や風・匂い・景色を感じたい。

仕事を終え自宅に戻り、夕食と風呂をやっつけ、用意を始めました。僕の車はワンボックスワゴンなのでこういう時便利です。2・3列目シートを倒しフルフラットの床を作り、布団を敷いて家と同様の状態で社中泊できます。自転車などを積んで家を出ました。ご贔屓のGSでガソリン補給と空気圧点検して高速に乗ります。時刻は11時、夜出発だと時間に余裕があるので気楽です。でもいつもなら夢の中の時もある時間です。睡魔に勝てるのか?俺。
中国道から山陽道に乗り換え、単調だけど一気に備前ICまで。ここからがいいんだけど、あいにく真っ暗です。GPSの指示通り、高速もどきのブルーハイウェイに乗り、2時間10分ほどで牛窓に着きました。前回はいつだったろう?子供達と共に家族旅行で来た時は夏だったな。その後レースがらみで来たし・・・そうそう母校中学の夏キャンプの応援で来たのが最後だったような。
牛窓港で寝ようと思ってきたが、ヨットハーバー付近にも車を停めるところがあるかもしれないとYHに来ると、門の前に30台ほどの無料駐車場があります。ハーバー内駐車場も無料みたいだけど、朝の事を考えると外の方がいいかな。すぐに夢の中に落ちてしまいました。
いつもより2時間ぐらい遅く寝たので朝起きれるかなと思っていましたが、5時半に目覚めました。まだ外は暗いし・・・と頭を巡らせば、朝焼けなのか、東の空が赤い感じです。ライトがいらなくなる6時ごろ、自転車を用意し、ヘルメットを被り「早朝自転車・牛窓偏」に出発です。まず牛窓市街から離れる方向に向かいます。女3人かしましいおばさんが、朝の散歩からお帰りのようです。「おはようございます」。早朝活動仲間として、この挨拶が似合います。地元でも反応はいいですが、ここの方がやはり反応がいいです。車が停まっていると釣り人有です。海岸べりの空き地にキャンピングカーが停まっており、横のテントには前夜の夕食の段取りが食事以外そのままな感じです。自転車が車に寄りかかっており、絵になっています。風はなく結構暖かいので、気持ちがいいです。
牛窓湾を望む海岸を走り、次の入江に沿う道が大きくカーブするところでUターンです。ハーバー前を通過し、今度は市街地に向かいます。市街地と言っても知れてます。牛窓町役場が瀬戸内市牛窓支所に変わっていました。磯の香りがそれほど強くないけど、釣り人が多いです。いつものように旧道と思われる道に進路を取ります。行き止まりUターンもありましたが、古い町並みや寺社が現われ、写真を撮ったりや自転車を置いて階段を上って景色を眺めたりで忙しい。「本蓮寺」というお寺に上ると、境内を掃いていたお爺さんがいました。「おはようございます」「早いね。ここは牛窓観光の人はみんな立ち寄るところだよ。朝は誰もいなくていいよ」と。どうやらボランティアで毎朝掃除してる風です。牛窓では一番大きそうなお寺だから、住職などがいるだろうに。こういう方がいるから朝早いのに門が開いていたのかもしれません。近隣の方みんなが自動的に氏子である神社は、門はなく夜中でも誰でもウェルカムな感じだけど、檀家が維持するお寺は、門があって早朝は閉ざされている感じです。
ここは少し高台になってるので、牛窓湾の眺めがいいです。牛窓・前島間のフェリーが動いています。明治時代の銀行が観光施設になってたり、趣のある佇まいの家があったり、苔むしたレンガ作りの煙突があったり見飽きません。「素晴らしい眺望」だったかな?そんな文句の看板に誘われて階段を上ると小さな神社がありました。「こっちの方がいい眺めだな」と思い四方を巡らすと、いかにも眺望の良さそうなところに鳥居が見えました。「あっちに上ってみよう」。入り組んだ道を感で移動すると当たりです。
麓にも鳥居があり、階段を上って行くと、南側の牛窓湾だけじゃなくて東の瀬戸内海も見渡せます。お参りのご夫婦が後から上がってこられ「おはようございます」。二拍一礼一拍の様式に乗っ取り、毎朝の定番という風にお参りをなされ、本殿を一周され、横の小さなお宮さんにも定番されました。こっちは何の神様なのかな?神様の世界は、昔からフライチャイズ制度が整っているのか、本宮の後とか横に小さな社が並び、恵比寿さんや宮島さんなど、一所でいろんな神様のご利益を得られるようになっています。きっとフランチャイズ料として上納金が上がるようになってるんだろうなあ。
更に東に向かうと、どんつきは牛窓瀬戸でした。瀬戸には灯台があるのが定番です。趣のある木造の灯台が残っていました。もう現役を退いて観光目的のためだけにあるのかもしれませんが、なかなかいい雰囲気です。瀬戸を見ると、牛窓湾から東の瀬戸内海に向けて結構な流れです。小型セーリングクルーザーの非力補機では突破できないかもしれません。
灯台を1周しようと向こう側に回ると、そこで釣りをしていた20代の男子3人から「おはようございます」と挨拶されました。おっとこれは失礼「おはようございます」。都会を少し離れると、10代のいまどきのかっこした中高生でも男子は、結構挨拶をしてきます。そんな時、「日本も捨てたもんじゃないなあ」と思います。学力などは都会の子の方が有利なんでしょうが、田舎にはそんなんで測れない人としての温かみみたいなものがあるように思います。損得に走りやすい殺伐としがちな都会の目線で、日本全部を見ては間違うし、「いまどきの若者・・・」という表現は、一部の人しか見ていない表わし方じゃないかなと思います。
地元の方風だったので、ついでにココの瀬戸の流れの事を聞いてみました。さっき神社から見た風景では、前島の向こうに2つ小さめの無人島がありました。当然その間にも瀬戸があり、その流れがみんなレース海面の牛窓湾に影響します。ココの瀬戸が一番流れは速いそうです。フムフム。
船だまりなどを写真に収めつつ、のんびりハーバーの方に戻ります。いつもの寄り道心のまま適当に横道に逸れましたが、たいてい堤防で終わってたりしてUターンな道でした。一応朝食用のパンは持って来ていますが、昼食分を調達しなければなりません。自転車にセットしておいたお茶も家内に抜き取られ処分されていたようで、朝から水分を欲していましたが自販機がなく喉がカラカラです。「なんでなくなってるねん」と一言言いたいところですが、自転車セットのペットボトルは、なくなるまでそのまま何日も飲むので、家内が定期的に処分し僕の健康を守ってくれているので、仕方のないところです。
「どこかで調達しなくちゃ・・・」と思案していると、多分市街地唯一のコンビニを発見できました。お茶におにぎり2つを持って支払おうと思ったら、なんと350円で足りませんでした。泣く泣くおにぎりを1個除きました。僕の寺社めぐりのお賽銭相場は、通常10円で、「寂れてる(氏子が少なそう)けど雰囲気のいい神社」には50円とか100円とかなのですが、本日のポケットには10円が少なく、それが品切れになったので気前良く100円とかをチャリンしたのでこんな羽目になってしまいました。
8時半出艇だから7時半ごろ来るかなあとハーバーに入り、船の置いてあるところに着きましたが誰も来ていません。ここでおにぎり朝食です。車に帰ろうかなとハーバーを出ようと思ったら、駐車場でみんながゴソゴソしていました。再びみんなと一緒に船に向かうと、「え〜自転車ですか〜」と驚かれました。「そうや、家から150km、大したことないわ」なんて言えたらすごいのですが。

10分ほど遅れて出艇しました。桟橋にはアクセスディンギーが並び、身障者の大会をやっていました。ハーバー内の平水面がレースエリアでした。北港YHでもアクセスディンギーがハーバー内で走ってるけど、こういうところでレースをするのがデフォルトなのかもしれません。
風向は西で、ハーバー沖に上マークを設置すると、下マークは牛窓瀬戸方角で、前島フェリー航路の少し北に設置しました。今まで2回、インターハイと国体のレース観戦に来ていますが、こんなに牛窓港に寄ったことはありません。前島の南西にある黒島とハーバーの間より南西がレース海面だったので、「もっと向こうでレースするんじゃないの?」と言いましたが、NORには「陸上から見れるヨットレース」をするとのことで、ココのエリアだそうです。でもこんなとこで140艇のディンギーが集まったら、「営業船の出入港の邪魔になるんちゃうかな?」と思うのですが。
上・サイドマークに比べて下マーク位置の水深は深いものでした。瀬戸の流れによって海底がかなり掘れているようです。つまり、「ここは流れが強いよ」ということですね。琵琶湖で使ってるアンカーのままなので、マーク流れが心配です。「きっとマークが流れるからチェックしとこう。営業船に迷惑かけたら大変なことになるよ」。潮汐表を見ると、午前11時が満潮で夕方5時が干潮ということです。9時で朝と同じ牛窓湾から牛窓瀬戸から瀬戸内海に向かう北東への流れがしっかりあります。前島港の南西向きの防波堤が、潮当たりで小さな波がたくさん立っています。満潮・干潮時刻と潮止まり・反流開始がどんな関係になるのかチェックしないとあきません。
風速は4m/sほどで、牛窓にしては風がある方じゃないかと思います。楽しい練習が出来そうです。レース練習に入ります。先週から4艇で第1レースのスターター3艇とリザーブ1艇を選ぶレース練習をしています。サイドマークからレースエリアに向かって潮を横から受ける感じになっています。鉄則なら、先にスターボを走って潮に向かう戦術です。第1レース、2艇ずつ左右に分かれましたが、やはり左に出した2艇が前を切りました。振れはありますがブローが入ってる感じではないので、鉄則どおりです。次のレグからは、肌で感じたのでしょうみんな左を基本にコースを組み立てているようです。
インフレータブルアンカーにマークを結び、スタートしたらそれを離してレース艇を追いかけます。予想通り、フリーレグで回航したマークを振り返って確認している艇が見受けられません。キャプテン艇だけがスポンジを投下して潮を確認してるだけでした。上〜サイドは、全艇流されてラムラインの内側を走ってるし、サイド〜下も右後方から潮を受けるのか、左に入り気味です。上〜下に至っては、真ランで下マークなのに即ジャイブして内側に入っています。潮のない海面だとそれでいいのですが、ノンジャイブ艇がダイレクトで下マークまで来れるラムライン上を走ってるので、ジャイブ艇は下回航に向かってスターボがどんどんきつくなっています。2レース、何も言わずに観戦した後、全艇集合させて、潮のことをアドバイスしました。レース前の潮の見方、レース中の見方、対処方法など。流れのない琵琶湖がホームだから感覚的に感じないのは仕方ないです。これから数日の練習で学びましょう。
ブローが南西の牛窓湾口の方から入るようになってきました。先週の練習の風を聞くと、「安定すると南西」とのことなので、基本風軸が左に振っていくのかもしれません。ここで下マークが流れ出しました。「こりゃあかんわ」ということで、下マークを南西側に動かし、瀬戸から離すようにしました。今までの場所はすぐ下が航路なので落ち着きません。レースしながら走り回って、上やサイドも南西に移動です。ハーバー後の山の影響なのでしょう、風の息が結構あります。
ブローは南西からばかりで、山を回って北西側から入るブローはありません。この風向なら沖出しが勝利の基本かもしれません。午後になり、8〜10m/s、ときおり6m/sというコンディションになりました。予想通り風軸が左に触れて南西です。レース艇を追いかけながら、左に左にマークを打ち変えるので忙しいです。さらに2度ほどマークが流れるし・・・。
3時までレースをし、その後はロング帆走練習に入りました。僕が前かなり言ったからか、クローズでアドバンテージを取った船がベアして遅い艇に合わせるのがなくなっていました。こうでなくちゃチューンニングできません。遅い艇がチューニング変更しても、比べるべき指標が動いては、検証が出来ません。今まで何度も何年も言い続けてきたのに、やっと変更されたようです。「考察」「実験」「検証」をやり続けないと、ボートスピードを最大値まで伸ばせません。「勝ってる者が負けてる者に情けを掛ける」ことは、買ってる者の自己満足でしかありません。勝ってる者がそのまま走って自分を指標として敗者に提供し、敗者はそれを凌駕できるチューニングポイントを探すことでしか、クラブ全体のレベルは上がりません。今の敗者であるチームメイトを、「必ず這い上がってくる」と信頼しなくちゃ。僕はコーチで選手じゃないので、きつく言ったりしません。だってあくまでもプロチームではなく、学業の一貫の学生クラブで、どういう結果でも、自分たちで考えて決めた方が悔いが残らないし、失敗があっても多くのことを学べると思ってるからです。
走り合わせはいい練習になりました。ただかなり沖に出たので、少し心配でしたが。フリーも琵琶湖では体験できない波の海面だったので、「パンピング〜」「波に乗せろ〜」「動作を大きく〜」「遊べ〜遊べ〜」と、各艇の後につき叫びました。
日没は5時、6時には暗くなるでしょう。4時半ぐらいが着艇のタイムリミットだなあと思いながら練習に付き合いましたが、沖に出しすぎで遅くまでし過ぎと思いました。未知の海面で、沖の潮がどれほどなのか分かりません。海岸線を見て、「岩場が多いな」と最悪を想定しながら、ドライバーに燃料確認し付き合いました。学生のやる気に水を刺したくないし・・・されとてここまでという限界は僕が判断しないといけないし。コーチボートが全部コントロールできる練習システムだと楽なんだけどなあ。結局、僕が「一旦帰ろう」とスナイプチーフに言って引き返しました。海上での「風が落ちる」「潮に乗ってしまう」「真っ暗」は恐ろしいです。インフレータブルなので航海灯が付いてないし。第一陸上ミーティングの時間がなくなります。
5時10分前に着艇しました。トラブルがなくて良かったです。ミーティングは真っ暗で、潮のことだけしか話せませんでした。でも1日いい練習が出来ました。風も上がったので、みんな気持ちのいい疲労感を持って京都に帰れたでしょう。次週末は練習に参加できないけど、主な出場校も現地入りし合同練習で大会の雰囲気に飲まれないようにしたらいいと思います。その次はレース本番だから、悔いのないよう思い切って、そして楽しんで欲しいです。

2009/10/12
土曜の夜、突然次男君から電話が入りました。「ヨット部先輩のマツムラさんの結婚式で京都に来てるんだけど、電車がなくなって東京に帰られへんから家に帰るわ。それでさあ、大阪までしか電車がないねん。迎えに来てくれる?」「ああいいよ、いつものヨドバシ前ね」。大学ヨット部に入り、1回生の時クルーをしてくれた先輩の方です。穏やかな男前という印象が残っています。
早速パジャマから着替えて、車に乗ります。夜は空いてるので、20分もあれば大阪駅到着です。まだ駅周辺の工事をやってて、上空を見上げて大型クレーンでの作業を見ながら待ちました。同期のイリグチ君と2人でやってきて、彼はこれから人に会うのだとか。スーツがよく似合う社会人になっていました。でも笑顔は学生時代と同じです。
「明日さあ、お母さんと船で関空近所の二色YHに行くんだけど、一緒に行く?」「・・・」「台風対策を元に戻す作業もあるので、朝7時に家を出るけど」「やめとくわ」。これはまずいです。嫁さんがドタキャンを言い出すかも・・・家内は何も知らずスヤスヤ寝てるので、このまま朝になったらいいかも?と思っていましたが、帰宅してゴソゴソしだすと起きて来て「あらっ、帰ってきたの」「明日、やめとくわ」ということになってしまいました。
日曜日は、予定通り出発しました。1人なので原付通勤スクーターで向かいます。車より確実に早いからね。R171を走ってると、後から元気な原付スクーターが、僕を抜かしていきました。「ん?ライジャケ着てるし」。信号で追いついて声を掛けると、やっぱりニシオさんでした。前日、仕事場にやってきたニシオさんと、次男君の国体優勝などで盛り上がったばかりなのに。
しばらく原付バトルを繰り返し、まず実家に向かわれるニシオさんと西宮でお別れしました。僕もライジャケ着てたので、ライジャケ着て原付に乗るこんな特殊人種はすぐに分かりますね。
ハーバーの陸置きヤードで、ハーバーリングと結んだシートを片付け、オーニングを被せ、ドラゴンの台風対策を解除しました。続いてエ号に向かい、まずエンジンを掛けます。すぐにエンジン始動し、こっちの台風対策を解除しました。やれやれと船内で朝ごはんのおにぎりを食べていると、キンノさん到着です。続いて、サイトウさんとシブカワさんご夫婦が到着しました。うちの家内が来る予定だったから、奥さんも来てくれたのかもしれません。「すいません」。

キンノさんドライブで、西出入口から出て、機走しながらセイルアップです。当初は関空近所の二色YHに行く予定でしたが、関空方面はクローズでタックを繰り返す風向なので、この風向でも1本で行ける淡路島翼港に行き先変更しました。翼港寄港には事前FAX申し込みが必要なので、船内から資料を出して来て電話番号を調べます。電話で寄港を申し込むと、大型船寄港予定があるので空いてるか調べてみますと。返答の電話があり、寄港OKになりました。
サイトウさんドライブになり、ポートギリギリの位置にある翼港を目指します。僕は時々ジェノアのウインチを回す程度で、景色を楽しみました。この日は空気が澄んでいて、神戸空港島をまで出ると、綺麗に明石海峡大橋が見えます。淡路島由良も友が島も紀伊半島の加太もクリアに視認できます。夏の霞んだ空気が、冬の澄んだ空気と入れ替わったようです。走り出して2時間、淡路島が近づき、キンノさんにドライブ交代しました。ここからが難儀でした。突然の予定変更で明石海峡の潮を調べていなかったので、ダイレクト少し南寄りに翼港に寄せていましたが、西向きの潮のようで、明石海峡に吸い込まれます。結局、9時に出発して1時前に到着でした。
僕は港事務所に向かい、寄港申込書を書き600円払いました。昼食をウエスティンホテルにするか花さじきにするか迷いましたが、港のおっちゃんによると、ホテルは高いばかりということです。日曜日といえど閑散としてると思ったら、さすがに連休、えらい人出で、どこのお店も並んでいます。中華のお店に入り「本日のランチ1600円」を注文。うまかったです。
で、ここから帰路。後からの風を受けて、快調に新西宮寄港という段取りだったのですが、ここでハプニング発生です。なんとエンジンがかかりません。バッテリー?ようわかりません。僕はこの船のメンテナンスをやってもらってる135のイトウ君に電話です。「バッテリーが弱ってて、圧縮空気に負けているのかもしれません。シリンダーの上の・・・」、指示通りいろいろやりましたが、あきません。「もうすぐフィニッシュなので、一旦切ります」って、レース運営してるみたいです。135が売ってるX35の全日本かもしれません。そんな時でも彼は慌てず、落ち着いています。僕がKGコーチの時の選手だったけど、いいヤツです。
先輩の方からモリタさんにも電話し、ヤンマーメンテナンスの方ともやり取りします。それでもダメなので、最寄りのヤンマー代理店を手配してもらいました。プロのお兄ちゃんがやってきて、「セルが動いていないから、分解清掃してみます」と作業をはじめてくれました。シブカワさんは、僕やキンノさんがエンジンをいじくってる時に、「懐中電灯、手配しよか」「バスの時刻を調べてくるわ」と、もっと高所から今回のトラブルに当たっています。
プロが来られたので僕の出番はなくなり、港事務所に向かい、懐中電灯の確保のために最寄のお店と、交通手段を相談しました。事務所のお母さんから通勤スクーターの借用を取り付け、バイクで20分ほどのところにあるスーパーを教えてもらいました。借りたバイクが素晴らしく、フルフェイスのヘルメットがぶかぶかで、走りながら時々ヘルメットを上に上げないと、目隠しを食らいます。さらにスーパーからの帰りにエンジンがかかりませんでした。セルスイッチは死んでおり、キックも100回はしたけど反応ナシ。やけになって3連続でキックしたら弱く動き出し、これを逃すものかとアクセルを吹かして動き出しました。僕のスクーターの優秀さを再認識しました。
スーパーで懐中電灯を確保し、お兄ちゃんにお土産として缶ビール1セットを購入しました。やっぱスーパードライかなとも思ったのですが、ここは長男君とこの売り上げに貢献しないとと思いキリン秋風を購入。総額4010円。腹が減ると何かといさかいが大きくなりやすいので、巻き寿司セットをいくつか購入しました。翼港に戻るとエンジンが復活して僕を待ってる風です。お母さんに無理やり、ガソリン代として1000円受け取ってもらいました。
「僕らはこれで帰りますんで、サイトウさんはバスで帰ってください。バスと電車の方がずっと早いですから」と、サイトウさんとシブカワさんの奥さんとはココでお別れです。「僕も家内・息子・母親と夕食の約束が・・・」なんて当たり前ですが、おくびにも出しませんでした。もっと大事なことがあっても、僕は船を取ります。「台風だ」と言えば浜に走り、「トラブルだ」となると、「よっしゃあ」と血が騒ぐのは何故でしょう。幼稚園や小学生の頃、川が氾濫して家が浸水した時、大はしゃぎで後始末をがんばり、台風一過の翌日は真っ先に外に出て、近所の台風被害を見て回ったのと、ほとんど進歩していないようです。
4時40分に帰路出航です。一旦凪いでいた風がまた吹き出していますが、帰路のセイルアップはナシということになりました。転潮したようで、どんどん淡路島から離れて行きます。しばらくは航路浮標以外障害物のない海です。魚網ブイにだけ気をつければいいです。家内に電話し「西宮寄港が8時回るから、当初の予定はキャンセルね」。1時間もすると日没時間帯に入り、淡路島の上に夕焼けが綺麗です。それをバックに明石海峡大橋が浮かんでいます。シブカワさん・キンノさんと3人で、寿司を突っつき、コンロでコーヒーや日本茶を作って・・・ガールズトークならいいのですが、残念ながらおっさんトークです。
行程の半分ぐらいシブカワさんドライブで、「寒なってきた交代や」と、後半は僕がドライブしました。大阪湾を包む明石・神戸・大阪の町の灯が輪郭しています。再度山と摩耶山に神戸市のマークが浮かんでいます。摩耶山ケーブルが山に光の筋を作っています。前・後・マストトップの航海灯を点けた僕らの船は、どんな風に見えるのだろう?スプレッダー下の下向きライトが、デッキを明るく照らし、船の回りもぼんやり明るくしてるので、懐中電灯の必要はなさそうです。
当初、神戸空港連絡橋下をくぐる予定でしたが、岸に近づくと何かがあるかもしれないしと、空港島沖を通ることにしました。高速の本船に気をつけましたが、夜はほとんど走っていません。一杯電気を点けたフェリーが通るぐらいです。神戸空港島をかわすと、伊丹空港離発着機が見え出しました。神戸空港離発着機や遠くの関空離発着機の光を見ながら来ましたが、本数では伊丹空港の比ではないです。両空港を足しても伊丹に負けているのではないかなあ。伊丹への侵入路には常時2〜3機のライトが等間隔に並んでいます。その合間に離陸機があり、空港クローズの8時まで大繁盛のようです。橋本知事がいくらがんばっても、伊丹の便利さには関空は太刀打ち出来そうもありません。
遠くに目標の阪神高速湾岸線の灯を視認し、近くの人口島の角っこ灯台の点滅を探してドライブします。GPSで確認してるキンノさんから、「あの点滅の右やで」と確認の声が飛んできます。西宮港の赤・白灯台、夜は赤・緑点滅の間を通り帰ってまいりました。慎重に桟橋に着けて、楽しかったナイトクルージングも終わりました。セイルを上げずの機走だったので、緊急回避にも360度どっちでも対応できるから安心でした。それと、同じヨット部で育った気心の知れたメンバーと一緒だと、今何がして欲しいかとか以心伝心なので、安心できます。ありがたいことです。

2009/10/5
日曜日は、バイクな1日を送りました。各種予定も入らず、奥方は大阪のホテルに行かれるということで、1ヶ月ぶりに1日バイクに乗れそうなので、早速計画を練りました。丹波と但馬の境付近。東はJR福知山線、西はJR播但線、北はJR山陰線に囲まれたエリアです。先月もそこを目指したのですが、結局JR黒井までしか行けませんでした。「青垣」からR427・R429を使って「生野」、帰路は山深い「越知川」上流から下ってから東に向かい、「谷川」「篠山」を経て帰宅というルートです。そしてもう一つ、「亀岡」からR477とそれを取り巻く未走府道を使い北から「貴船」「鞍馬」という京都市北部の観光地に南下し、再び北上して「芦生」「美山」に至り、r38・日吉ダム・亀岡という半時計周りルートです。
決定したのは後者、理由は先月前者・自宅の北西方面に2度も行ったから。お盆の時の「夫婦で自転車」以来の北東方面攻めにしました。目が覚めると、4時半という願ってもない時間でした。早速バイク装束に着替え、真っ暗な中を出発しました。自宅をまず西に少し走って北に向かうのですが、この西に向かう道の上空低く、見事なお月さんが僕を歓迎してくれました。中秋の名月です。思わずバイクを停めてカメラを構えましたが、さすがに光量不足でろくな写真になりませんでした。
北に向かってガソリン補給し、いつもならそのまま北上して長尾山トンネルを越えて北摂里山地帯突入なのですが、少しでも京都北部でウロウロしたいので時間短縮のために東に向かい、r12に入りました。だったらすぐにr12に入ったらいいのに・・・僕はセルフのGSが好きではありません。1人で淡々と給油し、機械にお支払いするのがつまらないのです。そこで朝5時という時間帯でも人が出て来て、「どこ行きはるん?」みたいな軽い会話がある方がいいんです。211km/6.22L=33.9km/Lと、ますます低燃費に拍車がかかりました。
r12・R176・R173を経て、池田からR423に入りました。夜が白み始め、車が少ないので僕の快適速度50〜60km/hでマイペースで走ります。そのまま亀岡に入ればいいものを、僕の道草な性格が未踏のR423の東の山の中を向かわせます。「切畑口」でr109に浮気。ここから更に標高が上がる山中だし、下着・丸首シャツ・夏用バイクジャケット・薄手ジャンパーでは寒かったので、ここでバイク便ボックスからレインコートを出して加えました。レインコートは雨の時はもちろんですが、防寒着としても優秀です。嵩張らないところがバイクにうってつけです。どこをどう走ったのかよくわかりませんが、r109で東進、r46で北上、最後はr6に入り亀岡市内に下りて来ました。山中に入ると薄い霧に囲まれ、亀岡が近づくとさすがに「霧の亀岡盆地」一層濃くなりました。道は左右に振られ、車対向無理な1車線道路も多数通りました。去年バイクを買っていきなり体験した奈良の「洞川下市線」のようなところもありました。バイクに随分慣れたので余裕がありましたが、こんなとこでバイクが壊れたらお手上げです。
r6でもうすぐ亀岡市内だなと下ってる時、左に旧道が離れていきました。「ミスった。あっちに行ったらよかった」とチラチラ左を見て旧道の流れを追いかけていると、やがて合流。そこに大きな石鳥居がありました。「おっと、ここに寄りましょう」と、旧道に逆から侵入です。すぐに「鍬山神社」がありました。謂れを読むと、709年創祀で、遠い昔湖だった亀岡盆地を大国主命が鍬で開墾したのを祀っているのだとか。鍬といい、豊穣の神様大国主命といい、五穀豊穣を願う社のようです。稲穂たなびく豊穣の亀岡盆地だから多くの人の信仰を集めてきたのでしょう。大国主命は仏教伝来の大黒天とくっついて大黒様になり、恵比寿様と同じくでっかいお腹を抱えて、いかにも豊穣という外観になっています。朝6時ぐらいですが、毎朝の日課の散歩ついでという感じの年配の方がひっきりなしに来られていました。
タンクバックにGPSも乗せてきていますが、あえて電源を入れずタンクバックの地図を時々確認しながらやってきました。R9にぶつかり、北上するr25を探します。すぐに見つかり、r25でゴソゴソ亀岡市内を抜け、JR山陰線を越えると、左手にコスモス畑が広がっていました。かなりの広さです。ココのように休耕田をコスモス畑にして、地勢の衰えを防ぎながら観光客を集めようとする手法は各地に見られます。保津川下りの始点のところを越えるr25を走りたかったのですが、「旧道通行禁止」という立て札が立ってます。新しい立派なr25バイパス橋に誘導されると、下に船着場が見下ろせます。バイクの気軽さで橋上停止して、広い橋上歩道からパチリ。船着場・観光イカダ船のたまり場・嵐山まで下ったイカダ船を運んでくるトラックが広い河川敷にあります。「なるほど、こうなってるのね」。
r25は平坦で、集落を縫うように進むいい道です。いつもなら寄り道するような寺社が多数目に付きました。今度じっくりここを探索してみましょう。これも走ってみたいr405との交差点は、蓮が見事に湖面を覆っている大きな池のある市民憩いの場所というような所でした。もちろんパチリです。ここらで朝のお勤めでもと思い、駐車場のある公園にバイクを入れました。生憎ここはペーパーレスだったので小さい方だけにしときました。駐車場には、普通の乗用車からロードバイクを2台出してる僕より5歳ぐらい上のご夫婦がいました。「おはようございます」と声を掛け、後のタイヤの着脱を教えてもらいました。丁寧に実演してくれ、注意点までご教授いただきました。奥様の自転車も実にシンプルで、走りに徹したバイクでした。「どちらまで行かれるのですか?」「今日は日吉ダムまで行き、そこらを。50kmぐらいでしょうか。走りやすいですよ」「毎週ここに来て、美山に行くこともあります。往復90kmぐらいかな」といとも簡単に言われます。僕らはやっと先週最高記録の50kmをクリアしたばかりなのに。
僕が次のルートを地図で確認してる間に出て行かれました。r25を走り出すと先ほどのご夫婦に追いつきました。僕ら夫婦が走ると、家内は僕にぶつかるのが怖いのか、しっかり距離を取ってついてくるのですが、このご夫婦は2台並んでかっこいいです。速いペースで走ってるし。「お気をつけて」と声を掛けて追い越しました。R477を越え、「紅葉峠」への分岐を探します。どうやら行き過ぎたみたいでUターンし、綺麗な花を写真に収めて走り出すと、再び先ほどのご夫婦とご対面です。お辞儀をしてすれ違いました。
さっき怪しいと思いながら通り過ぎたところが紅葉峠への分岐でした。亀岡盆地を一望できるようなので、雲海の見れるかもしれません。目指す展望台まで来ましたが、まだ霧の中でした。標高は400mなさそうです。300mはありそうな気がするのですが、盆地との標高差200mぐらいでは無理なのでしょうか?峠一杯まで上ると雲海の上のようですが、もう少し上でないと雲海を見下ろす感じにはならないようです。
峠を越え裏のr50側に下りました。左は日吉ダムですが、R477に入り、少し走ってすぐに細野川沿いのr363に入りました。見事な北山杉の山の中の細道ですが、いい感じです。杉山だから獣は少なそうですが、夜は獣・魑魅魍魎の世界でしょう。そのまま東進し、R168周山街道まで出ましたが、この道かなりいいです。バイパスしたR477同様、グニャグニャ坂道・カーブ道を想像していたのですが、道幅は同様なところが多いものの、川沿いの道で「夫婦で自転車」でも大丈夫です。
R168を北上し周山の集落に入りました。ここの交差点付近だけにお店があります。駐車場にバイクを入れ、「ウッディ京北」のお店を覗きます。近隣農家産品を売るお店のようです。朝のお勤めを無事済ませ、不安を一掃、気持ちもすっきりです。先客バイクは1台だったのに、戻ってくると3台増えています。地図を確認しながら交差点を見ていると、さすがにバイク乗りの聖地周山街道、いろんなバイクが通り過ぎていきます。街中のバイク率とは雲泥の差です。
ここから未走のR477を東進します。ここから西のR477は昨年走りましたが、山の中の狭い凄い道で、かなりおっかないとこでした。さあてここからは・・・あっけないほど走りやすい道でした。田園が広がってるところ長く走り、右手の山から飛び立ったのか、ハングライダーが真っ青な空を気持ち良さそうに散歩しています。高所恐怖症気味の僕には望むべくもありませんが、眼下に素晴らしい景色が広がっているのでしょう。
「常照皇寺」訪問のためにr61に入りました。といってもすぐそこでした。「花の寺」なのですが秋シーズンには早いので、駐車場に車はゼロ。参道の石段を上がり、趣のある山門をくぐりました。謂れを読むと、案外歴史は新しく1363年開創というから室町前期です。堂内のお宝を拝見するためには金300万円也がいるようで、桜や紅葉シーズンならいざ知らず今回はパスです。
R477に戻り東進を続けます。山の道になりましたが、昨年の初回R477の印象が強いので、車が離合しにくいからバイク天国でいいじゃん程度に感じます。目指す「貴船」に抜けるr361に右折しました。最初はR477程度の道だなと思っていたのですが、だんだん道が厳しくなってきました。「灰屋川」に沿った時々苔むした所になる僕的にはワクワクな道です。自転車が貴船方面からやってきます。すれ違うのは稀ですが、車0.5・バイク2・自転車4という按配でした。自転車はロードバイクばかりだったので、どうやら先もロードで走れるような道のようです。バイクなら平気ですね。
灰屋川の流れに沿う道なので勾配も知れています。いつ分水嶺になるのかと思いながら小さな上り下りを繰り返しましたが、流れより少し勾配がきつくなったところを過ぎたら、次に出会った川は進行方向と同じ南への流れに変わっていました。京都側の方が勾配が急で勾配がゆるくなったなあと思ったら、すぐに「貴船神社」でした。ということは横を流れるのは「貴船川」ですね。神社参道前の河原には三途の川のように小さな石積みがいくつも立っていました。さすがに貴船、10時を回っていますが観光客が結構歩いています。ゆっくり下ると叡山電鉄「貴船口」駅でした。僕がバイクを停めると、貴船神社向きバス停にバスが停まりました。するとちょうど電車が停まり、そのお客さん達がバスに乗り込みます。「電車の到着に合わせて運行してる」ようです。神社からの下りは歩く人が多いようです。
ここはr38との交差点にもなっており、南下すると京都市内、北上すると鞍馬方面というところです。予定通り、左折して北上します。すぐに車で頭を抑えられた3台のバイクに追いつき4台のゆっくり走行になり、少し走るとよく観光宣伝に出てくる鞍馬寺山門と階段のところに出ました。こちらは貴船以上の人です。秋の紅葉シーズンにここに車で突っ込むと大変なことになりそうです。貴船といい鞍馬といい、市内から離れた山奥なのに、さすが京都。沿道に土産物屋や食事処が並び繁栄しています。僕はそのままr38を北上します。鞍馬を過ぎると一気に人がいなくなり、自転車・バイク天国に逆戻りです。特に自転車が多いです。中には小径車の方もいます。上りが続くのにしんどくないんだろうか?
有名な「百井分れ」に着きました。右折する急な坂に入っていくのがR477できついらしい「百井峠」を経てR367鯖街道に出ます。国道より立派なr38を北上すると、「花背峠」を経て「広河原」から「美山」に向かいます。本日の僕は、r38を更に北上です。未走のR477「百井峠」はおっかなそうです。同じく未走の「花背峠」は難なく越えて花背の集落に入りました。車では走りたくない道で、ここに来ることは今後もなさそうですが、バイクなら楽にクリアです。車幅がないので対向車があったとて気楽です。向こうも相手がバイクならホッとするでしょう。
しばらくR477とr38の重複区間を走り、r38への分岐に来ました。R477から貴船方面に曲がったr361分岐から3kmほど東です。重複区間で、r361ですれ違った外人さんロードバイクとまたすれ違いました。鞍馬・貴船から時計回りに1周してるようです。ほぼ全周、車が非常に少ない2輪天国だから、京都の自転車乗りの素敵なコースなのかもしれません。r38で追い越してきた自転車も、半時計周りで貴船に戻るのでしょう。あるいは遠く美山まで行くのかな?
右折してr38単独道に入りました。これも気持ちのいい道です。すぐ横を川が走りいい気持ち。「峰定寺」という看板を見つけて右折しました。ここには喫茶店のようなお店があり、バイクが数台停まっていました。お蕎麦の旗がなびいていたようなので、おいしい蕎麦屋さんなのかもしれません。ひなびた山寺を想像していたのですが、予想外に門前料理旅館が数件並び、繁盛してそうな空気があります。京都市内からの道は、鞍馬道が一番まともなので、あの道を観光客が来るのかとビックリです。外の小さな池に鯉が清水で飼われています。横に網も置いてあったので、川魚料理・獅子鍋・鹿肉などを売りにしているのでしょう。でも獅子肉のオンシーズンの正月は、雪や凍結で花背峠越えは至難になると思われ・・・。お寺は、山中に点在する伽藍を巡るようになってるみたいで、拝観料を払い山門から入っていく感じです。僕はパス。
r38に戻り、北上を続けます。R367・滋賀県に抜ける既走のr110との分岐までやってきました。更に進むと、前回あっさり通り過ぎた「広河原スキー場」横に来ました。道からリフトが見えています。レストハウスの看板なんか撤去されてる感じなので、昨今の雪不足により廃業したようです。ずっと横を走っていた川は、「桂川」でした。少し先にある「佐々里峠」付近の「芦生」の山々を源流に、南に下り、R477に沿うように西進し、「日吉ダム」を経て南に転じ、保津川として渓谷美をつくり、嵐山で再び桂川に改名して淀の地で、京都市内から流れる「鴨川」を吸収した後、琵琶湖から流れ出た「宇治川」、奈良から北進・西進してきた「木津川」と一緒になって淀川と改名して終わる。同じく「芦生」から北側に流れ出た清流「由良川」は、同じく西進し「美山」から「大野ダム」を経て、JR山陰線の渓流美を作りながら東進・併走し、福知山で北に変じ日本海に注ぐ。今回、この川が桂川だと知り、大河の流れで近畿地図を紐解くのを楽しみました。そしてあらためて芦生周辺の原生林の凄さを思い知りました。
九十九折れで標高を増し、左手に素敵な山並みが見えたところの少し広くなった木陰で車が停まっていました。その横で乗車されていたのだろう3人連れの方がお弁当を広げています。素敵な天気に素敵な景色で、10倍はおいしく食べられそうです。僕は写真をパチリだけで頭を下げると、僕に注目していた向こうの方も笑顔で・・・いいね、こういうの。
更に上ると左路肩に車が1台。「ん?」と思うとそこが「佐々里峠」でした。石造りの峠の室の横の駐車場には車が5台。さっきのは駐車場からあぶれた車なんでしょう。ここから芦生京大農学部演習林までハイキングコースになっています。そこに入ってる方なんでしょう。ハイキングコースと道案内看板にはルートが示されていますが、熊が普通に出るところらしい原生林の中だから、しっかり危険を伴い、京大芦生事務所に入山届けを出さないと入ってはいけないところです。
まあ、それはいいのですが、単独ロードバイクと3人連れロード・小径ロードがワイワイ話していたのに驚きました。前回来た昨年11月は、車はもちろん人っ子一人いなかった峠が、こんなに賑わっているとは・・・。ここの標高は700mぐらいあるんじゃないのかなあ?小径自転車で上ってくるとはツワモノです。
「京大演習林」との分岐まで来ました。右折し演習林の方に入ります。あっさり8月に家内と自転車で来た御蕎麦屋さんに着きました。あの分岐からこんなに近かったっけ?僕らの遅速自転車と楽ちんバイクとは雲泥の差です。
到着は1時前、自宅から一気にきたら2時間なのに、6時間半もかかっています。どんだけ寄り道してわき道に逸れてきたんか分かります。でも車では入っていけない道だから、未走路を開拓しながら堪能しないとね。ヘルメットを持って店内に入り、バイク装束を脱いで丸首シャツになって一息入れます。隣のテーブルの先客さんが、「俺も昔バイクに乗っててね」と話しかけてこられました。お若い時分にメグロとかCB350とか、僕の知らないバイクに乗っておられたそうです。「今のバイクもハンドルの硬さを調節できるのか?」とか高度な話題でついていけませんが、実に楽しそうにお話されます。奥さんとお嬢さんかな?ご家族は、知らないお父さんを知ったようにキョトン。面白いね。
次に入ってこられた年配のご婦人は、大きなツバの帽子を被って日差しを遮りながら、僕の横のテーブルにつかれました。僕のヘルメットを見つけたのか、「バイクですか?私も乗ってました」と。お見受けしたところ60才ぐらいの方で、膝下スカートを履いているので、とてもバイク乗りには見えませんでしたが、なんと中国のタクラマカン砂漠とゴビ砂漠をバイク走破したというツワモノさんでした。「え〜」、バス旅行だけど親父もゴビ砂漠を1週間ほどかけて走破したので、その話題で盛り上がりました。
硬い砂で道路のようなところと、細かい砂でオフロードバイクでも難儀するところもあったそうです。砂が細かすぎて、親父は帰国後も鼻からの砂と鼻血でしばらく難儀してたけど、バイクのエンジンに入って動かなくなるバイク続出で、数台のバイクとサポートトラックで臨んだのに、最後まで動いてたのはこのご婦人のバイクだけだったらしい。自分のバイクで走ったそうで、船で運んだのだろうか。息子さんが北大に進学したので彼と一緒にそのバイクも北海道に渡り、生命を全うしたのだとか。この息子さんも凄く、学生時代に自転車でアメリカ横断をしたのだとか。しかも数日はお母さんも一緒に走ったとか。
この奥さん、「京大芦生原生林」の下見に明石からジムニーで来られたそうで、本日は下見で、今度出不精の旦那を連れて原生林内ハイキングに挑戦するのだとか。明石から女性一人で来られるのも凄いが、乗ってる車がジムニーとは、いかにもという感じです。この方なら、ジムニーで雪山とかに行っちゃうんじゃないのかな?
ここでコーヒーでも飲みながら本でも読もうかなと、20年ぶりぐらい2度目になる海音寺潮五郎「天と地と・中」を持ってきたのですが、ツワモノばかりで素敵な時間を過ごせました。バイクやスポーツ自転車に乗ってると、気軽に声がかかり、声を掛けられます。素敵な世界に踏み込んだようです。
2時を回り、暗くなる5時までもう時間がありません。ここから一気に帰ります。r38で「美山かやぶきの里」を通過し、R162を南下、ぐにゃぐにゃ山道R477を避けたいので、1つ北のr443・r385でバイパスしました。ここでまたより道、日吉ダム湖の北に沿う道はどんなかなあと、「宇津峡公園」から桂川右岸を南下し、ダム道を西進、日吉ダムの手前でダム湖を渡り、r50を南東に走りました。
朝通った「紅葉峠」との分岐に来ました。霧が晴れたから亀岡盆地を一望しようかなと、また紅葉峠に上りました。今度は展望台から素晴らしい景色が眼下に広がっていました。r25に下り、亀岡市内を通ってR372・R432で一気に池田まで。
クラッチを握る左手の腕力が低下しています。はっきり言ってヘロヘロです。出来るだけ左手を使わなくて済むようにギアチェンジ時にタコメーターに注意します。2500から3000回転ぐらいでスムーズにシフトアップすると、なんとノークラッチでギアチェンジできます。一気に吹かしちゃダメです。じんわりアクセルを開け、3000回転目安にアクセルを切ると同時に左足でシフトアップします。スコーンと何の衝撃もなくアップ、それを繰り返しトップギアまで入れると、後は巡航するだけ。まだバイク暦1年なので、時々失敗ししっかりクラッチを切ってギアチェンジする場面もありますが、これは驚きの発見です。
朝出発時の給油から271km、1日での最高距離かもしれません。朝と同じGSで給油しました。6.5L・・・「もう入らない?」「ええ」。燃費41.7km/Lって、ホンダVTRのカタログ燃費40km/Lを越えてるやん。先月43.7km/Lという記録をたたき出した時は、次が27.1km/Lだったから、ひょっとすると次回の燃費も30km/L越えるかもしれません。1日走り回って、交通費800円行かへんとは脅威のバイクです。
夕闇迫る5時半に帰宅。バイクを片付けて玄関に入ると、まだ家内は帰宅してないようです。ふと携帯電話を見ると、着信メールが。「遅くなるから、夕食食べてきてね。Have a nice day」だって。着信時刻は朝8時過ぎ。気づいてないし。スクーターでお気に入りの「天下一品」に参上し、これまたお気に入りの店にある漫画「こちら亀有派出所」を読みながら、「チャーハンセット・こってり・ラーメン大」に舌鼓みしました。おもろい1日でした。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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