ウェブマスター日記 July-September/2009

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2009/9/28
日曜日は、ドラゴンのレースでしたが、僕が抜けてもメンバーは足りるようなので用事で抜けさせてもらい、朝からゴソゴソしていました。
用事を朝一に済ませ、昼前からまた「夫婦で自転車」に出発しました。車に自転車を乗せ、中国道・山陽道を西に向かいます。1時間弱で三木市に到着。三木森林公園内の駐車場に入れて、自転車の準備です。三木市・小野市・加西市・加古川市を走る予定です。まず最寄の神戸電鉄「三木上の丸」駅に下り、いきなり電車に乗車します。車で自転車を運ぶことが多いので、家内も車輪の付け外しに慣れてきました。前輪を外し、はずした車輪を本体にくくるのですが、その時チェーンに触ってしまい、家内の手袋は真っ黒に。「チェーンにタイヤをくくらんでも・・・バーにくくったらいいのに」と言うと、自分の真っ黒な手を見て驚いていました。「チェーン汚れたね」「オイルが塗ってあるから汚れていなくても油が付くよ」。
日曜日の昼前、2両の電車は空いていました。大きな手荷物の自転車を持ち込むので、「混んでたらどうしよう」とそれだけが心配です。2両連結の電車で、ここからJR加古川線「粟生」駅までは単線でした。林や田園地帯の中をゴトンゴトン進みます。キョロキョロ沿線の景色ばかり見ていました。「小野」を通り過ぎて「粟生」に到着しました。この駅は、加古川沿いを南北に走るJR加古川線・東の神戸から内陸をやってくる神戸電鉄・ここから西北に向かう元JR北条線の北条鉄道の3つの鉄道会社が乗り入れる駅です。
でもローカル駅には違いなく、のんびり静かな駅でした。本日のミッション1は、単線・単車両の北条鉄道に乗ることです。先月、映画「僕とママの黄色い自転車」を観た時、「あんなかわいい電車に乗りたいね」と言ってたので、そのリクエストに答えるためにココを見つけました。映画の電車はどこか分からないけど、広々とした田園風景の中を単車両の電車がトコトコ進んでいました。
北条鉄道は1時間に1本で、出発まで40分待ちました。JRも1時間に1本。のんびりしてて、3つの駅をウロウロしたりしながら退屈しませんでした。そこに単車両が入ってきました。自転車を積み込むと、家内は携帯電話を持って駅に出て写真を写していました。僕は、運転手さんに切符の購入のことを聞きます。「すいません、終点の北条まで2人分ください」。JRも北条電車も駅はツーツーで切符を買うところがなかったからです。人の良さそうなニコニコ顔の年配の運転手さんが、「切符はないよ。下りる時にここに現金を入れて。1人400円」と車内に備えてあるバスの料金箱のようなものを指差します。「へ、そうなの」。
運転手さんは、車内を通って反対側の運転席に入り、折り返しの運転手さんになるようです。北条電車のホームにあった時刻表は、A4の紙に打ち出したものをパウチしてるだけのもので、画鋲で留めてあります。JRの赤字路線廃止に伴って第三セクターで運営するようになったのかもしれません。途中の駅は全部無人駅のようですが、ボランティア駅長さんがおられるようで、その横顔を紹介する紙もパウチされていました。
車内には、所有車両の写真や記念切符のことなど、ローカルに徹するハンドメイドさが好印象でした。車椅子スペースに自転車を置きました。乳母車にワンちゃんを乗せて乗ってる方もおり、そのワンちゃんが周りの人に話題を振りまき会話が弾んでいます。都会の電車とは一味違います。そうそうこの列車が電車ではなく、ディーゼル気動車でした。
この沿線は、先の神戸電鉄沿線以上にローカルで、見渡す限りの田園風景の中を列車が走ってるようなところもあります。父の実家のローカル東武電車を思い出します。小学生の時、その列車から実家のこんもりした林が長い間見えていました。最寄の駅から徒歩で30分ほどかかりますが、間にあるのは田畑ばかりで間違いようのない1本道でした。僕も家内も席を立って、後方に過ぎていく単線線路をパチリしたり、のどかな景色の流れを楽しみました。まるで子供です。木造の古びた駅には、最寄の観光地が「東北に4km」とか書かれて、いくつか紹介されています。
7つ目が終点「北条」駅でした。ホームに自転車を下ろし、料金を払いに運転手さんの方に歩いて行くと、現金の手渡しで、自然に「ありがとう」の言葉が出ました。写真を撮ってると、同じ車両に乗り合わせた年配の男性が、「写真、撮ってもらえませんか?」と。ビデオも回しておられました。朝一番に家を出たのにJR加古川線で乗り過ごし西脇まで行ってしまい、「闘竜灘」を観てきたそうな。
駅横の観光案内所で観光地図をゲットし、訪問順路を考えます。案内所に入り係の方から情報を仕入れた先のおじさんが、僕らが自転車を組み立ててる横で、いろいろ教えてくれます。
そういえば、電車が混んでたら上から履こうと僕のリュックに入れたスカートは使いませんでした。家内は、タイツにヒラヒラスカートの自転車スタイルのままです。おまけに赤いヘルメットも被ったままだし。
市内観光に出発です。あっちにウロウロこっちにウロウロ、古い家並みが続き、寺社筋のようなところでは、自転車をレッコしてお参りします。チラホラと観光客がいる程度でどこも静かです。木陰のベンチに座ってお弁当を広げているご夫婦、古い商店を覗いてるご夫婦・・・年配のカップルが多いです。先のおじさんにまたまた出会ってしまいました。北条一の観光名所「五百羅漢」に入ってみました。拝観料200円。「何処から来たの?」「伊丹からです。でもそこまで電車で来たんですが」。ヘルメットを被ってると、よく聞かれる。これも話しのきっかけになりいいものです。家内は「電車で来たなんて言わなくてもいいのに」と言うが、僕らはそんな豪脚じゃないから誤解されると悪いもの。家内は誤解されるのを楽しんでるようです。
写真部だった家内の姉がクラブで五百羅漢に来て撮った写真が実家にあると言っていたが、姉の大学は京都だったので、きっと嵯峨野の五百羅漢なのだろう。「なんか写真と違う。もっとたくさんいたのに」とか言いながら、何体も携帯電話のカメラに収めていました。「家族に似た顔が必ずある」ということで探すと、確かに家内はいました。
「北条」を後にして、沿線沿いを東に向かいます。線路を見失わなければルートは簡単です。できるだけ線路に近い道を選んで走り、あの映画の雰囲気に写真に収めたいと思っています。線路の右にウロウロ左にウロウロしていると、ちょうど1時間に1本の列車がその間に行ってしまったりして、本日のミッション2は結局写真に残せませんでした。でも駅舎にはいくつか立ち寄りました。ボランティア駅長さんが駅裏でお花畑を作っていたり、なかなかいいものです。
「法華口」駅までやってきました。ここから線路を離れて北上です。ミッション3を探します。旧日本海軍の飛行場が残っているそうです。ウロウロしてやっとこ見つけました。現代の滑走路のように幅は広くないですが、長い1本の滑走路が残り、横には海軍の軍艦旗・旭日旗がはためいています。「おお〜」ちょっと感動です。旭日旗のところには蔦で日差しを遮ったベンチが数脚置かれており、立派な記念碑が立っています。
「姫路海軍航空隊・鶉野飛行場跡」。太平洋戦争初戦で、航空兵力の優位さを実戦で実感した軍は、日本各地に搭乗兵養成飛行場をたくさん作った。その一つだそうです。「川西飛行機」というから今の「新明和工業」の工場が隣接し、「紫電」や「紫電改」をココで500機製造し、日本各地に送ったとか。戦局悪化により最後は、「姫路白鷺隊」として特攻隊を鹿児島に送り出したのだとか。真新しい旭日旗が風になびく姿を見ると、今でも海上自衛隊担当者が、毎日朝夕にここに来て掲揚降下されているのでしょう。
海上自衛隊の敷地になっており、「立ち入り禁止」の立て札が立っていますが、いくらでも入れますね。ラジコンヘリコプターを飛ばしている方がいました。でも、僕にはちょっとおかしなところを感じました。滑走路がコンクリートじゃなくてアスファルトです。我が家の近くにも旧軍の滑走路がありました。今は住宅地になってるけど、僕が小学校の時は、だだっ広く残っていました。そこは3m平方ぐらいのコンクリートが敷き詰められた場所で、コンクリの間から草が生え、碁盤の目のように見えていました。あれと随分違います。それを家内に話すと、「今でも何かに使ってるんじゃない」と。
「法華口」駅に戻ります。随分遠回りした感じがするので、周辺の山の景色を見て方角を確定し一気に南下しました。肉牛の牧場があります。2人並んで走ってると、家内が「神戸大学だって」。農学部の施設でした。その横を走ってると、僕の見知った滑走路がありました。「これ、これ、近くにあったのと同じ。懐かしいなあ」。きっとここも滑走路だったのでしょう。
「法華口」から「粟生」に戻り、JR線沿いを南下して家内の実家のお墓の最寄り「市場」駅で加古川の東側に渡ろうかなと思っていたのですが、せっかく粟生の1つ手前の「網引」駅まで来たのに、エンジ色の「自転車道」が現れ、それに乗っかってしまって、「権現ダム」までミスルートしてしまいました。お墓に行く時よく目にする「見土呂」の果樹園の中の道を通り、「上荘橋」で左岸に渡りました。そのままJR「厄神」駅前を通り、一路三木を目指して東に進みます。
という予定でしたが、またミスルーとして南に下ってしまい「加古大池」の横に出て、「ありゃ間違えた」。淡々と僕に任せてついてきた地元加古川の家内からも「何だか南の方だと思ってたの」。15kmぐらい余計に走って、本来のr20に乗っかりました。4時を回り夕方です。ほんとは交通量の多い県道を避け、この道を見失わないように農道を走るつもりでしたが、もうミスルートが許されない時間帯になったので、歩道をひたすら走ります。
何気なく左を見たら、なんと電車の駅があるではないですか。時間もないのに寄り道です。プラットホームに上がると、線路はもうないですが、左右に敷石の道が続いています。このままでは歩行者道にもならないので、歩行者・自転車道にでも整備したら良さそうです。ホームの上の説明を読むと、JR「厄神」から三木まで続いていた旧JR三木線・三木鉄道の駅跡のようです。終点「三木」と西の隣駅「別所」の間の駅です。三木まで150円、厄神まで250円でした。去年までは、先の北条鉄道・神戸電鉄と合わせて、きっとマニアの間では至福のローカル列車エリアだったのでしょう。
最後、三木山公園で車の停めた場所が分からなくなり、もう暗くなった5時半に車に帰着しました。何度もミスルートして家内を振り回してしまいました。細かなルート地図は持ってましたが、ミスルートでその地図外に外れてしまい復帰に手間取りました。加えてもっと大きなエリア地図を持っておかないとダメですね。
家内からは、「道を間違ったおかげで、50km越えたね。ありがと」と言葉を掛けてもらえました。「御免な」。でもほんと、今までの1日最長38kmを大幅更新して、54kmという新記録を打ち立てることが出来ました。

2009/9/21
日曜日は、お墓参りです。こないだお盆に参ったのに・・・お盆と秋のお彼岸はたった1ヶ月、くっつき過ぎですね。参った後、家内が「お爺ちゃん。また来るね。今度は少し空くけど」と話しかけていたが、今度は3ヶ月先ですね。
「敬老の日」を挟んだ秋の連休を「シルバーウィーク」と呼ぶそうです。こんな名称を聞くのは今年が初めてのような気がするけど、前からあったのかな?連休中ということもあり、高速道路の渋滞をかわす為に、朝6時に自宅を出発しました。宝塚インターに向かう途中で高速を見ると、動いているが渋滞が始まっています。まあ、この渋滞は宝塚のトンネルが原因だから、ここからは知れてるのでインターから乗ります。40km/hほどで動いてる高速に合流するとすぐにトンネルで渋滞は解消しました。いつもと同じように1時間で家内の実家のお墓に到着です。
墓地備え付けのバケツにお水を入れ、ひしゃくを持ってお墓の掃除です。お盆に供えたお花はあわれカラカラに乾いています。持参したお花に差し替え、雑巾で墓石をぬぐい、最後に線香に火をつけ、パンパンして退散です。姉夫婦とご一緒したかったけど、休日診療の当番日で無理。インフルエンザ渦で正月並みの人出で、てんてこ舞いしてるらしい。
助手席の家内の寝顔を見ながら一気に帰宅しました。僕は15分前に起床したらOKだけど、朝ごはんを食べないと1日が始まらない家内は1時間前には起きたんじゃないのかな?洗濯機も回ってたし。8時に帰宅し、朝ご飯やお勤めなど朝の野暮用をゴソゴソこなしました。用意ができれば、今度は我が家のお墓参りなので、僕はガソリン補給にGSに行ったり、自転車に空気を入れたりします。
リュックを用意し、車に2台の自転車を積み終わると、家内は既に着替え終わっています。サイクルパンツと、買ったばかりの大人し目のサイクルジャージを着て出発です。バイクの時の定番コースの「長尾山トンネル」からr33で「西谷農協」に向かい、「西谷ふれあい館」に駐車です。「ねえ、家からお墓まで自転車で行ける?坂がある?」なんて、家内が危ない発言をします。「行けるし、猪名川沿いを走れば、急な坂を通らなくて行けるけど車が多いよ。それに往復で50〜60kmぐらいあるんじゃないかなあ?僕らの最高が38kmだし・・・」と言っときました。僕は行けると思うし、家内も休憩を多く取ることで行けると思うけど、「私、もうダメ。ここで待ってるから車で迎えに来て。お願い」なんて、寂しそうな目で見る伝家の宝刀を抜かれると、明るくYESを答え、必死になって自宅まで車を取りに戻るしかありません。既に1度、やられてるし。だからストライキが起こらないように、短めのコースを計画します。余裕がなくなると寄り道出来ないし。
「ふれあい館」到着は10時半頃でしたが、結構車が停まっていました。近隣農家が持ち寄る取れたて新鮮な野菜が目当てなんでしょう。僕らは帰ってきた後に駐車料代わりに購入しましょう。自転車を用意してると、朝早く出たのか、ロードバイクが1台、また1台と、北部からトイレや燃料補給のために入ってきます。
r33を北上し、r319で佐曽利集落に入ります。交通量のあまりないr319ですが、さらに集落内をr319と平行に走る道に乗り入れ、のんびり走ります。あぜ道に色の薄いこの季節に、真っ赤な彼岸花が目立っています。うだうだ話しながら走ってると、「あれ見て」と家内から。r319を5台のロードバイクが並んで疾走して行きます。「速いなあ、かっこいいなあ」と思いながら、僕らの脚力では無理だし、同じ乗り物に乗ってるけど違う世界です。
r323との交差点まで来て、「あぁ、道間違った」と気づきました。「大舟寺」に寄ってからと思ってたのに、大舟寺は一山西でした。ニカッと笑い、「あのさあ、大舟寺に行こうか?あの山の向こうにあって、途中に大したことないけど峠があるんだけど」「いいよ」。いつもはバイクだから、もう一つ西の大坂峠よりマシ程度にしか頭に残っていません。「きつくなかったっけ?」と気になりながら、のぼりに入ります。思っていた以上に楽な峠でした。西側に一気に下り、左折して「八坂神社」に寄り道です。ここから東の峠に向かう田んぼの風景がとても好きです。いつだったか持参したバナナで、道端に座って朝食したことがありました。生まれたばかりの朝の陽の光りに、夜露に濡れた緑の稲穂がキラキラ光り、最高の朝食でした。
いかにも中世は砦だったという小山に上る階段を上がると、軽四トラックの荷台に3人の方が座ってダベっています。兼業農家の旦那さんたちが、休みの日の共同作業の合間に休憩してる風です。ここは日陰で気持ちがいいでしょう。
続いてr323を突っ切り北上し、「大舟寺」に寄り道しました。駐車場には数台の車があり、喪服の方達が帰るところのようです。ここで法事をされたのですね。参道の階段を上がり、家内に見せたかったお寺に入りました。前は「早朝バイク」で来たから遠慮した鐘撞きもやってみました。ここの鐘は、かやぶきの二層のお堂の中に下がっています。床は6畳の畳敷きで、1層の屋根が吹き抜けになって2層目の天井から下がってる鐘を見上げる感じです。「ゴ〜ン」、家内が写真を写してくれましたが、なんだか口をあけててアホみたいな顔してます。自転車のヘルメット被ってるし、様になっていません。
r323を今度は東進で峠を越えます。「笹尾」で道なりに北進し、「六瀬」でr12に合流しました。ここからはr12の歩道などを通って北上します。左手の「春日神社」にまた寄り道します。ここもさっきの「八坂神社」同様、中世の砦の雰囲気ムンムンです。道路脇に鳥居が立ち、本殿のある小山まで田んぼの中の道を進みます。昔はでっかいお宮だったのでしょう。山際の階段の手前にロープが引かれています。小山を囲うようにされているので、「え〜松茸山で参拝できないの?」と思いましたが、それにぶら下がってる札を見ると、「電気が通っています。ご注意ください」。なるほど、松茸山を不法者から守るというより、山から降りてくる鹿から収穫真近の農作物を守るということのようです。自転車ともども電線を乗り越え参拝しました。
そこから10分ほどでお墓に到着しました。さすがにお彼岸、お墓の事務所前の駐車場は満杯です。数台の車が渋滞しています。大きな霊園なので、最寄駅から無料直通バスが出てるし、我が家の地元駅からも日曜祭日は送迎バスが出ます。渋滞の横を抜け事務所横に自転車を駐輪しました。自転車で参る方などいないので目立ちます。家内が事務所外の特設お花売り場に買いに行くと、「何処から来られましたか?」と手で自転車のペダルを回すしぐさ付きで尋ねられたそうです。「近いですよ。伊丹からです」と、ここまで自転車だけで来たと誤解されるように答えたそうです。「僕らは一人前の自転車乗りみたいに思われちゃうジャマイカ」。
でもほんとは一人前の自転車乗りでないので、迷わず山の斜面に広がる墓地を巡回するバスに乗り込みます。だって、我が家のお墓まで、結構階段を上がらないといけないからね。お花変えて、雑草抜いて、石を磨いて、しっかりお参りしました。帰りは、道を歩いていればバスが拾ってくれるけど、階段を歩いて下りました。
トイレを済ませ、事務所内でお茶を飲んで一息入れ、自転車を押して道路に出ようとしていると、「お気をつけて」と特設売り場の方から声がかかりました。r12に出てすぐの喫茶店で昼食にしました。家内は、自転車の時はいつものようにボリュームのあるものです。親子丼セット。僕は「オムそば」。初めての名前だったので、焼きそばをオムライスのように玉子で巻いてあるものと内容を聞いて注文しました。うまかった。1時を過ぎてお腹が空いていたので余計にうまかった。
r12を南下します。往路の向かい風が今度は追い風になり、下り基調ということもあり楽に進みます。いつもの場所にいつものように果物屋台が出ています。なんか買って帰りたかったけど、自転車なので断念しました。「六瀬」を越えて「林田口」で右折し、r12から離れました。家内に見せたい場所2に向かいます。
ここは、r12が大きく東に迂回するポイントです。何故かというと山があるからですが、この山に旧道が通っています。ここに入っていきます。「この先500mトンネルあり。高さ2m制限。迂回路はこっち」と、r12に回ることを勧めています。ギアをガチャガチャ軽くしてしばらく上ると、道はうっそうとしてきて、小さなトンネルが登場しました。
坂の手前でビデオをセットし、家内を先に上り始めたので、狭いトンネルが現れてストップするかなと思ったら、平気な感じでトンネルに突っ込んでいきました。僕が最初にココに来たときは、向こうに抜けられるのか?向こうの道はまともなのか心配でストップしました。ちょうどに向こうから来た犬のお散歩の方に向こうの様子を聞いて出発しました。トンネル内で、トンネルの向こうは急な下り坂でヘアピンカーブも数箇所あるから、その注意を前に向かってすると、「大丈夫よ、行けるんでしょ」と意に返さず、そのまま進んでいきます。「女子は度胸があります」。
「木津」の集落に下りてきて、r12に合流する橋の手前でストップです。ここから川沿いの道に右折し、峠越えで往路走ったr323に合流する算段です。「そこでストップして」と声を掛け、川と橋、周りの風景を見ながら「ここに間違いないな」と確認してると、「何処から来られたのですか?」と声を掛けられました。
橋の下で川に入ってたお子さんのお父さんのようです。横の畑で作業してるんだなと思ってました。「伊丹からです」「だったら、この山を越えた方が早いよ」と。そして「荷物になるけど、これ持ってって」と、今収穫したばかりのサツマイモを2本、箱から出してくださいました。「え・・・」「いいんですか?」。「どうぞ、土だらけだけど。ビニールもなくてごめんね」と。
家内が丁寧にお礼を言って、僕のリュックに突っ込みます。なんだか得しちゃいました。サツマイモ以上に、素敵な気持ちのプレゼントをもらい心が温かくなりました。数日前の「早朝自転車」で、「清荒神」に参った時、参道ですれ違ったお父さんから気持ちのいい「おはようございます」を頂きました。僕も子供達が小さな時、大きな声で挨拶してたけど、このお父さんも両手に2人の男の子をつないでいました。出会う人皆さんに挨拶をしているのでしょう。こういうお父さんのご家庭で育ったお子さんはいい子に育つでしょう。自転車に乗ってるとき、狭い道ですれ違う時などペコリと頭を下げるのが習慣になっています。手綱を引いて避けてくれる犬の散歩の方などには、「すいません」とか「ありがとうございます」とか声を掛けます。これからも続けていこうと思います。
川沿いのこの道は、あまりいい道じゃないし、狭いし時々急坂があるので、自転車を押しながら上りました。「サツマイモもらっちゃった。男1人だと、こうはならないよ。2人できて得しちゃった」「そうなの?」なんて、うっそうとした日陰道をウダウダしゃべりながら30分も歩いてしまいました。おかげで、この日のアベレージは12.1km/hになってしまいました。彼岸花の農道を一気に通り過ぎるのがもったいなくて、歩いて長く楽しんだりもしたからなあ。
往路走ったr323に出て、ここからは往路をトレースするように西谷に戻りました。終始北寄りの風が吹いていましたが、1日中晴天で、いかにも安定してる気持ちのいいサイクリング日和でした。

2009/9/14
日曜日、家内は朝から尼崎のホテルに行き、夜まで戻ってきません。この日をどう過ごそうか前日から思案していました。企画1、ヨット部を手伝いに琵琶湖に行く。企画2、午後から手伝うとして、午前中は前から気になっていた箕面以東の北摂の山の中をバイクで探索する。特にR423から東に北摂の山中に突入し、京都の西山から向日市に下りるr733を完全走破してみたい。企画3、バイクで先週下った篠山川の続き。先週はJR谷川から加古川を南下して三田に戻ってきたが、JR谷川からJR福知山線に沿って北上・東進し、JR黒井方面を探索。の3案が頭に浮かびました。
土曜の夜、天気予報で「明日は晴れ」と言ってたので、企画ナンバー3に決定です。僕の場合、雨中バイクは平気ですが、寺社寄り道が趣味みたいなものだから、しょっちゅう山の中の細い道に入るので、雨はちょいと危険です。「今日遅くなるから、夕食もどこかで食べてね」などと言われながら、しっかり朝食をお腹に入れます。7時ごろ、いつものようにバイク便ボックスに、カッパ・工具・鍵・サングラスを入れ、「ちょっと寒くなって来たから出しといたよ」と言われていた春秋用通勤ジャンパーも入れました。長距離なので、タンクバックも装備し、GPSも入れときました。でも、出来るだけこれにはお世話になりたくない。迷ったら地図を取り出し、あ〜だこ〜だ思案し、偶然見つけた寺社などの掘り出し物に寄り道するのが楽しいから。それに、GPSの支持は太い道優先で目的地へは早く着くが、道中が面白くないし。
「長尾山トンネル」を抜けて北摂地区に突入です。遠くに朝霧の残りが浮いています。r33から「西谷農協」を左折し、r68に乗って西進します。この途中で霧に突入しました。「雨にならないだろうか?」と少し心配しましたが通常の霧でした。「志手原」からr49を北上し、「尼寺」のところを千丈寺湖沿いに左折しました。r49前方の「花山院」のところが急な坂で道が狭く、バイクは平気だけど自転車だと、坂でしんどく車に気をつけなければならない難所です。ここを回避するルートを開拓しておかないと家内を連れて来れません。
気持ちのいい千丈寺湖沿いの別荘地の道をのんびり走っていると、ダムにせき止められて広くなった黒川を渡る橋から、幻想的な景色が目に飛び込んできました。北摂の霧の生産地でもある流れのない川から、湯気がたくさん立っています。その中を朝一番のバス釣りボートが進んでいます。緊急停止です。もちろんカメラを構えます。一眼レフ&三脚の被写体ですが、ポケットに入ってるコンパクトデジカメで我慢します。
そろそろ花山院の山を越えたかなと、適当に湖岸から離れる道に入り東進すると、小野公園のところでr49に復帰しました。ここで地図を取り出して、ルートを頭に入れます。坂がなくて車が来なくていい道でした。でもそのまま真っ直ぐ行ってたらr309に合流していました。そっちの道の方が簡単そうです。
r49との合流の前方に、r49旧道が集落の中に向かっています。前から気になっていた道だったので、得意の寄り道です。すぐに本日の1つ目「大日堂」という小さなお宮さんがありました。その前に立ってるポールに、消防ホースが3本も吊り上げられて干されています。朝、集落の消防団が集まったのでしょう。都会に住んでいたら分からない、こういう集落の組織が実は日本を底辺から支えているんだよなあ。
この「大日堂」は当たりでした。お宮の前に立ってる謂れを読むと、飛鳥時代、中大兄皇子(天智天皇)が中臣(藤原)鎌足を従えてこの地にやってきたそうな。645年、蘇我入鹿を討って天皇家に権力を取り戻したクーデターの主役2人ではないか。この地の美女を妃にして子を宿した。無事皇子を出産したが、出産後に逝ってしまった。出産は危険だからなあ。一振りの刀と共に養育を託された妃の父親は皇子を育て上げた。成長した皇子は都に上ったが、1年後に亡くなった。嘆いた父親は、賜った刀を御神体に、ここにこの宮を立てたそうな。最後に花山法皇の読んだ詩が書かれていました。早くに引退した花山法皇が、この地に住んだのと何か関係があるのかなあ・・・きっと当時有名な場所だったんでしょう。
続いて本日2軒目小野の天満神社に寄り道。ここで小銭入れをゴソゴソすると、お賽銭の持ち駒が少なくなってる。寄り道した寺社では、写真モデル料・拝観料とこれまでの我が家の無事に感謝していくばくかのチャリンをするのですが、500円玉は痛いので、それ以下の小銭です。途中で何か買わないと、品切れになってしまいそうです。本殿が県の重文指定されていたので、拝殿から覗くとなかなか趣がありました。室町末期の作だそうです。戦禍に生き残ったのは立派です。
石灯篭がいい形をしていました。このままr49を篠山に北上するのではなく、いつもダラダラな下りが気持ちがいいので帰路にした使っていなかったr308を北上することにしました。r309を西進し、r49の1本西にある南北道r308に乗ります。右手に感じのいいお宮が見えてきたのでまたより道。「感神社」でした。「おお、千丈寺山への登山取り付き口があるところだ〜」。
この道を上るのは初めてですが、逆からだと別の景色です。田園風景の向こうに篠山との境の山が見えます。佐曽利カルデラの北側の外輪山の流れです。またストップしてパチリしました。の向日にでbb下りでは気づかなかった「母子大池」への林道が分岐していました。「入ってみよう」と思いましたが、いきなりの舗装切れ道で、ココからの距離を考え断念しました。
続いて、「尼ン滝」。r308に沿う青野川の細い流れが、少し急な段差になってるだけで、滝と呼ぶには?ですが、小さな滝が連なる眺めはなかなかいいです。すぐ横の道の交通量はほとんどないし、しばらく見入ってしまいました。ビデオまで回したし。
茶畑が出て来て、母子まで上ってきました。篠山に下りる三国ヶ岳横の峠はすぐそこで標高は500m近いはずですが、急な坂がなく、r308利用なら自転車でも上って来れそうです。いい道発見です。ここで母子大池に寄り道することにしました。r308から500mほどの距離ですが、砂利道でした。なだらかな丘の向こうになるので、隔離されてる雰囲気があります。バイクを置いて、木陰の湖畔の道を少し歩いてみました。盛夏だったらくもの巣の罠が1晩でたくさん出来るような道です。今の時期はスズメバチに気をつけなければなりませんね。それと足元。鹿のコロコロ糞が道の草にまぎれてそうです。まだ開いていませんが、日が当たる茶畑の土手にはススキが準備を整えています。
季節は秋に向かってまっしぐらです。秋といえば、バイクを停めたところの前で田舎の定番車軽4WDが止まっており、おっちゃん2人が杭を打っていました。「ここに停めていいですか?すぐに戻ってきます」「ええよ」。作業は「入山禁止 三田警察署 9/10〜11/15まで松茸山につき、入札者以外の入山を固く禁じます」という看板設置でした。荷台にはロープも積んであったので、これから作業なのかな?
散々道草して、やっとこ峠を越えて篠山市に入りました。峠の篠山側は大型車走行不能のかなり勾配のきつい細い道です。胸の前のファスナーをはだけだおっちゃんクロスバイクが上ってきました。「すげ〜」歩いていません。小枕の集落を真っ直ぐな道が貫いています。この道好きです。側溝には豊富な水が流れ、豊さを感じます。
R372を突っ切り篠山市街地の方に入ります。篠山川を越え、すぐのr77を左折しました。道なりに進んで、先週来た篠山川渓谷道に入りました。先週写真を写せなかった渓谷とJR鉄橋を写真に収めます。数時間早いだけで、車の交通量がかなり少ないです。今の時間帯なら自転車でも大丈夫そうです。
下滝手前の丹波恐竜発掘現場にまた寄り、先週見つけられなかった発電所跡を探します。「あれ〜ないなあ?」。とその時、発掘現場の方からおっちゃんが歩いてきました。「発掘現場、見ましたか?」。ボランティアの説明員さんのようです。「これは何ですか?」と僕が指差した先を見つめ、「大正時代の水力発電所跡です。老朽化したので、手を入れています」とのこと。白い工事現場の幕で覆われ、風情も何もありませんが、廃墟をおっかなびっくり探検するのから、観光名所に生まれ変わるようです。
JR下滝まで来ました。道中、篠山川の向こう岸に走る道が気になっていました。自転車ならあっちの方が確実に楽しそうです。そこで下滝駅の近くの踏切を川の方に渡ってみました。「川を向こうに渡る橋を見つけないとなあ」と思ってると、その道なりに橋があります。ところが、この橋何と吊り橋です。しかも「ワイヤーで組んだ」というのではなくて針金で組んであります。ワイヤーかなと思った太い架線も針金を何本も束にしただけのもので、いかにも頼りな気です。でも下の板はしっかりしてそうです。「通行制限 この橋は歩行者・二輪車(50cc以下)に制限します」の看板が・・・まあそうでしょう。僕のバイクはアウトです。でも向こうの道を見てみたいです。下板がしっかりしてそうなのでチャレンジです。
揺れは案外少なく、見た目より安全そうです。「向こうまで渡れそうだな」と橋の真ん中をへっぴり腰でゆっくり歩いていったのですが、ど真ん中に節穴が開いてる板があり、そこから川面が見えるじゃないですか。横から見えるのはマシですが、僕は足元から見えるのに弱いようです。先週に続いてまた吊り橋断念です。
踏切に戻ると音が鳴り出しました。「鉄っちゃん」でもないのにカメラを取り出して、線路が見渡せるところに走ります。横に駅があるので余裕があると思ってたら、特急列車でした。今一な写真になってしまいました。
JR下滝からすぐのr77沿いの小高い丘にいい感じの社が見えました。道草です。バイクを置いて急な坂を上ると、「岩上神社」がありました。これはいかにも中世の砦です。ここに陣屋を立て櫓を組んで街道を見張るのにうってつけです。朽ちそうな拝殿があり、奉納絵馬が元の絵が分からないぐらいに痛んでますが、いろんな想像が湧きます。更に上ると稲荷神社があり、山容は分かりませんが、小城があったのかもしれません。
JR谷川から、今度は北にJR福知山線沿いに上ります。柏原まで抜けるこの道が気になっていました。このr86の勾配によっては、自転車道の選択が広がります。アプローチはなだらかな上り坂です。トンネルがあるから勾配を増すだろうなと思っていたら、あっさり「奥野トンネル」に至りました。柏原側への下りもあっさりで、この道は使えます。ここで篠山からショートカットしてきたR176に合流しました。柏原も古い町なので、駅に立ち寄り市内観光のパンフレットでもゲットしようとしましたが、京都などの遠くの観光地パンフばっかりで、期待はずれでした。駅によくある観光案内所もないし。
次のJR石生に向かいます。国道と言っても交通量がさほどないので迂回路を探す必要はありません。「水別れ公園こっち」の看板に従って右折です。ここは日本で一番低い分水嶺があります。分水嶺なんだから多少は上るのだろうと思っていたら、小川に沿って走るとあっさり到着です。その小川が二股に分かれていて、一方に「日本海へ70km」、もう一方に「瀬戸内海へ70km」という看板が付いていました。「なんとまあ」。この小川の流れに沿って分水嶺があり、最も低いところが95mとなっていました。一方は由良川を経て日本海へ、もう一方は加古川を経て瀬戸内海に注いでいるのだそうです。95mとは低いですね。駅前から500mぐらいじゃないかなあ。この地域全体が標高100mぐらいだから、駅前と標高差はなしという感じです。近くの神社に寄ってバイクに戻ってくると、先客の2台のバイクのオーナーさんたちが戻って来られました。
「こんにちは」、バイク乗りというだけど、気軽に声を掛けられます。この日も何度すれ違うバイクにペコリとしただろう。「バイク、速そうですね?」「250ccですから大したことないですよ」。「これって、ホンダのVTRってやつですか?」「はい」「新型?」「いえ、今年出たのとは違います。1世代前のです」「このボックスは?」「バイク便ボックスの一番小さなものです。キャリアも専用のもので、プロ御用達だから丈夫で実用的です。でも嫁さんからは「かっこ悪い」と言われています」。
姫路から来られたご夫婦で、「夫婦でバイクツーリングなんていいですね」と言うと、奥さんは去年バイクの免許を取ったそうで、乗ってるのはピンクナンバーだったから125ccのようです。ホンダのAPEのようです。運転に慣れたので、少し大きいのに変えるご希望があるようで、僕のバイクに興味を持たれたのでしょう。旦那さんのは、250ccか400ccのスクーターで、確かに馬力に差がありますね。
「何処に行かれるのですか?」「北上して滝を観にいこうかと思ってます」「一度行ったことがあります。向こうに行かれるなら「達身寺」に行かれたらいいですよ」と、情報を頂きました。
続いて、JRの次の駅「黒井駅」へ。3代将軍徳川家光の教育係「春日の局」の生誕地です。父親は明智光秀の腹心斉藤利三。「本能寺の変」の時、堺にいた家康は、伊賀者の服部半蔵の手引きの下、命からがら伊賀越えして三河に戻ったと歴史ではなってる。その敵の娘に、これほどの厚遇を与え、将来将軍職を継ぐ我が孫の教育を任せるのは異例です。光秀と家康の間に、本能寺の密約があったとされる根拠の1つです。
「黒井駅」に寄り、観光案内を探しましたが、ナッシングでした。待合室内看板地図を頼りにかつて斉藤利三が守備した黒井城跡に向かいました。光秀の丹波攻略の時、頑強に抵抗し、一度は敗退し、なかなか落とせなかった2城、波多野氏の八上城と赤井氏のココ。続いて黒井城の居館跡に立つ「興禅寺」を訪問。
r285に乗って山脇を通って西進、途中にあった「兵主神社」を訪問。加古川沿いに北上し、本日のメインイベント「独鈷の滝」を訪問。隣接する「岩瀧寺」も訪問しました。途中の田舎道を走ってるのは楽しかったけど、滝はまあまあでした。滝に至る歩道の雰囲気は良かったけど。
どういうルートで帰ろうかなと地図をみていて、「達身寺」を発見しました。勧められた時、地図のどこかで見た記憶があったのですが、加古川の対岸なので寄り道することにしました。50〜60km/hで走る田舎道は楽しいです。田園と背後の山が旅心をくすぐります。
「達身寺」はそれほど大きなお寺ではありませんでしたが、立地を考えればお客さんは多い方でした。駐車場には車が5台も停まってて、寺内にも人がいました。今まで誰もいないところばかりだったので、余計にそう思います。本堂の拝観には400円要ります。ちょっと覗いたけど、「1人で拝観料払ってもなあ」と思いやんぺ。無料のお庭に回ると、ここの本尊の身の丈に合わせた小さな伽藍が建って、中に本尊様がいました。謂れを読むと、空海がココに篭って彫った尊像で、国の重文指定されているものでした。国内に3体しかないそうで、これはいい感じでした。こっちが無料なら、入場料を取る本堂にはどんなお宝が眠っているのかと思いましたが、家内と訪問する時のお楽しみにしておきましょう。でっかく、「NHKで放送予定」と張ってありました。
もう帰らないといけません。r109で南下します。前回ガソリン補給から250kmを越えてきたので、GSを探しますが、日曜定休のところが多く少々焦ってきました。満タン13Lで燃費30km/Lなので、まだ大丈夫ですが、僕は燃料が少ないのが嫌いな性分です。やっとこ開いてたGSがあったのでホッとしました。ところが・・・トリップメーター262kmなので、8Lは入るだろうなと思っていたら、5.9?とかで店員さんがメーターを見ながら追い入れ状態になってます。入ったのは6L。「おかしいな。ほんまに満タン入れたの?」と思いながら清算し、走りながら簡易計算すると、燃費46km/Lってあんた、あまりに良すぎです。今まで良くても35kmどまりで、最高38というのがあったけど、前後の満タン入れ具合での誤差だと思ってたのに、なんと46kmとは、まるで50cc4スト原付車です。満タンが怪しいので、次回は少し早めに給油しましょう。
R175に平行するように、篠山川が加古川に合流するところまで下り、そこからこれも地図を見て気になっていたr86で杉原川まで西進しました。「小野尻トンネル」のこの道は僕ら夫婦の自転車ではきつそうです。峠を越えてから、道なりにr86を南下、R427で杉原川に沿って更に南下しました。道路標識に「西脇」の文字が多くなり、「どうするかなあ」と思案です。西脇に出て三田に抜けてもいいけど、それだと先週と同じだし、久しぶりに「闘龍灘」も見たいし。
西脇市内で多少間違いながら、無事抜け出しr17を走ってると、なんと道の横に電車が。緊急停止です。横には駅があります。でも線路はありません。「これが、廃線になったJR鍛冶屋線の名残りだ〜」。また寄り道して、駅舎内の現役引退した品々を写真に収めました。
そして闘龍灘。横をゆったり流れていた加古川の流れとは打って変わって、「なぜココに」と思えるいくつもの巨岩に行く手を阻まれた流れが、一気に狭い瀬を流れています。期待してなかったけど、なかなか壮観でした。
r17は、中国道滝野社ICまで南下し、中国道に沿って東進して神戸三田ICまで行きます。道なりに帰ることにしました。神戸三田から、「三田・道場・北摂・r33ルート」にするか、r82で「有馬・西宮・逆瀬川ルート」にするか考えたらいいかなと。r17は快適道でした。交通量は少ないし、信号も少ない。60km/h以上でぶっ飛ばす車もいないし、僕にちょうど良い流れでした。
例によって、中国道宝塚が混んでるとの表示が出ています。西宮北ICから降りて六甲山を抜ける車で有馬温泉回りは混みそうに思えたので、三田回りに決めました。が、ここでミスルートしてしまいr82に乗ってしまいました。もう「怖いもの見たさ」の心境に変更し、有馬温泉ルートに突入です。案の定r82は混んでたので、r51で宝塚に抜けようとルート変更です。なんとなくこっちも混んでそうで勇気ある退却です。R176という絶対混む、とてもオーソドックスなルートを取りました。まあこっちはバイクなので、車が止まると、横を抜けて前に出ます。それでも左手のクラッチ操作がいい加減嫌になりながら、5時半に帰宅しました。
結局昼食抜きでした。でもまだメニューはあります。車に自転車を乗っけて自転車屋さんに向かいます。2週間前に品切れだったビンディングペダルが入荷してるので、付けてもらいましょう。ペダル5000円・靴8000円です。お店では、案外簡単にビンディングの脱着が出来ました。後は回数乗って慣れるのみです。「早朝自転車」がんばるぞ〜。

2009/9/7
日曜日の「早朝自転車」で、空港に行ってきました。滑走路北の箕面川が猪名川に合流するところから出来るだけ空港から離れないように、交差点があれば空港の方へ曲がり、初めての道を行きます。車ではとても入れない道ですが、生活の匂いがぷんぷんした路地が気持ちよかったりします。狭い路地に入ってきた場違いな僕を、道に出された縁台に座ってだべってるおじさん達が見ます。軽く会釈して進むと、「ああ、ここに出るのか」と知った道に出ました。
空港北の各社整備格納庫や貨物エリアを自転車で回りながら、空港ターミナルビルの方に向かいます。空港からR171に出るとき使う近道が整備され、両方向通行可になっていました。この道は空港に向かう時も楽です。ターミナル東の混んで難儀な右折を回避できます。
ターミナルエリアにやってきました。車道は反対向きの一方通行なので歩道をゆっくり走ります。リムジンバス乗り場で行き先や料金を眺め、JALカウンターを歩道から眺めました。まだ7時なのにお客さんが続々とやって来られています。さすがに自転車に乗ったままでは迷惑そうなので、降りて押し歩きです。中にも入ってみたかったけど、自転車を置くところがないのであきらめて帰宅しました。

家内はお出かけし、神戸に行く僕の本日の仕事がなくなったので、野暮用を片付けることにしました。まずは散髪、子供の時からお世話になってるいつものお店で、ご主人や奥さんと話しながら髪を整えてもらいました。バイク出撃のカッコをしていたので、膝プロテクターやプロテクタージャケットを脱ぎます。それをきっかけに、北部の寺社や観光地の話に花が咲きました。
バイクでホームセンターに乗りつけ、ボルト・ナット・ワッシャを購入です。バイク便ボックスを付けてるキャリアを留めてるボルトなどがなくなっていたので、駐車場で早速固定します。r13・r12で篠山を目指します。本日のメニューは篠山川に沿って走るr77を、篠山から谷川まで下ることです。r12の御用達GSで給油、今回の燃費は31.9km/Lでした。シフトチェンジしないといけない燃費の悪そうな走りをするのに、相変わらず良好な燃費です。高速を80km/h平均で走ると燃費はむしろ悪くなり、60km/h巡航でもさほど良くなりません。車の感覚とは随分違います。
西峠と古坂トンネルを越えて篠山盆地に入ります。R372を西進し、r77との分岐のところに来て、ここを直進すれば、篠山城の近くを通って、ずっと篠山川沿いを走れますが、あえて左折しR372でR176の交差点まで行ってみる事にしました。「夫婦で自転車」の下見も兼ねて、JR福知山線沿いを走ってみようと思って。古市駅・南矢代駅・篠山口駅の横を走って、住吉台を越えてJR丹波大山駅。この駅で降りる日が来るかもしれない。
r77との交差点を今度は迷わず左折します。ここからが本番です。左を走る篠山川の渓谷が深くなっていきます。r77と同じく篠山川にからむJRの線路もいい感じです。でもこの道、車の交通量が適当にあります。バイクなら問題なしですが、自転車はちょっと怖そうです。路肩もないところが多いので、ストップして景色を楽しむ気にもなれません。シャッターポイントが次々現れましたが、止まるのをやめてしまいました。「う〜む」と思っていると、すぐにベンチのある休憩場所がありました。迷わずストップして渓谷を観にいきますが、草がぼうぼうで川がよく見えません。「こりゃあかんわ」とバイクに戻り、GPSの電源を入れて今後の道を検討しようとしてると、ゼファーさんが止まりました。
僕が会釈すると、「こんにちは、どちらに行かれるのですか?」と声をかけていただきました。「恐竜の発見場所を見て、黒田の方まで」と答えました。気さくな方で、京都にお住まいだけど、箕面で仕事を済ませてやってきたとのこと。僕と同じように田舎道がお好きなようで、R176からr68で三田まで西進し、また東進してR372に出てからこっちに来られたとか。ゼファーって750ccなのかな?僕のより一回り大きいです。
僕はお茶を飲んでお先に出発しました。すぐに渓谷美が広がり、路肩が広くなったので2度ほどカメラに収めていたら、先ほどのゼファーさんが追い抜いていかれました。ペコリ。すぐに吊り橋が見えてきました。駐車場を備えた川代公園というのがありました。お昼を回ったので何か食べようかなと駐車場に入れました。
GPSなど金目のものをタンクボックスからボックスに移し鍵をかけ、カメラを持って吊り橋に向かいます。立派な橋なので怖くなさそうです。スタスタと歩き、一度止まってみます。「あかん、揺れてます」。先月の一庫ダムや昨年の洞川のように歩いていても揺れを感じるのよりマシですが、足がすくんで、手すりを持って進むことにしました。ゼファーさんが、橋の中央で下を見ていました。鯉がいました。川にはビキニのお姉さん達がいます。楽しそうです。
食べるところがなかったので、先に行くことにしました。すぐに恐竜発見場所がありました。r77を逸れ川沿いの発見場所にバイクを停めます。「川床は1億年以上前の堆積岩です」などと丁寧な説明が付いています。JR下滝駅に寄ります。無人駅なのでプラットホームに入り線路を眺めたりして、おトイレを拝借しました。正面には、『急ぐとも 外に漏らすな 吉野山 桜の花も 散れば見苦し』と、ラジャー。r77に戻り、JR谷川に来ました。ここは大阪から山陰線福知山に抜ける福知山線と加古川線の乗り換えのJRの重要駅です。バイクを下りて駅に入ると駅員さんが3名も目に入りました。JRの田舎駅では無人駅は普通にあります。誰もいないプラットホームにブラッと上がれるのも普通だから、なんだか新鮮です。お客さんも結構います。駅前にはタクシーも待ってるし、想像以上の繁華な駅でした。加古川線の電車はどれぐらいの間隔であるのかなと時刻表を見上げると、2〜3時間に1本でした。う〜む。時間帯によっては、西脇に行くのは自転車の方が速いなあ。
駅前ロータリーで輪行準備している方がいました。ジオスブルーのクロモリ自転車です。後のタイヤをはずしておられるので、手間だとか変速機の故障だとかを聞きました。慣れると前輪をはずすのと同じで、変速機がおかしくなったこともなしだそうです。神戸から加古川まで輪行し、加古川を遡り、篠山まで行くつもりだったけど、あまりの暑さにここで音を上げたそうです。
クロモリ自転車の乗り心地を聞くと、前カーボン自転車に乗ってたそうですが、車に轢かれて壊れたそうで、賠償金でこれを買ったそうな。フレームだけでなんと25万だとか。フルセットなら40万の世界ですね。すげ〜。ロードバイク用靴とビンディングペダルをされていたので、普通の靴との差を聞いてみました。「全然違います。勝手にペダルが上がってくる感じで、のぼり坂は特に楽です」とのこと。お〜、そんなに違うものなのか。
r77がJRと離れて行くので、JR沿いのr139に乗り換えです。加古川を眼下にいい感じでJRを渡る踏切があったので、そこで写真をパチリ。線路もパチリして振り返ると、加古川の対岸に巨大な施設。宗教施設です。無税だとどんだけ儲かるんやと思えるような大きさです。しばらく見ていると、小型バスが2台も坂を上って行きました。
加古川とJRに付かず離れず走っていると、r294に表示が変わっていました。「黒田」の地名が出始めたので、黒田勘兵衛さんの家が起こったのはここらだなあと思いながら、この山かなあと山容をチラチラ見ていると、「黒田城跡こっち」の看板が目に入りました。寄り道です。でも道が分からず山に入っていき、荘厳寺というお寺に行き当たりました。大きな駐車場がありましたが、山門は閉まっていました。謂れを読むと、650年頃インドのお坊さんが開いたとか。これは古いです。中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我入鹿を暗殺した大化の改新645年の当時です。
山頂の「黒田城」を背後に、平時生活する館跡に出来たお寺かなと思っていたのですが、こっちの方がよっぽど古いです。本堂は更に上にあるようで、少し上りました。もっと下から続いている石段が苔むしており雰囲気がいいです。結局黒田城跡は分からずでした。
r294を更に下ります。JR黒田庄近くまで来ました。右手に池の真ん中に小さな島があり、鷺が2羽舞い降りたので停止しました。鷺を写真に収めようと構えると、その向こうにいい感じの神社が見えます。Uターンして神社まで戻りました。「兵主神社」・・・兵主は源氏が信仰したと記憶しているが・・・謂れを読むと、源氏の名前は何処にも出てこなかった。でも拝殿に掛けられた写真(奉納されたんじゃないかなあ?)に太平洋戦争当時の戦艦のようなのがあったので、やはり武運の神様であるのだろう。拝殿はかなり大きく、かやぶきの立派な造作です。
この拝殿は、784年に作られたと謂れに書かれてあった。何度か作り変えられたのであろうが、この神社も古いです。794年が(大仏さんが都が京都に移って泣いちゃった、なくよ平安遷都)だから、それ以前からあったということです。氏子中奉納となっていたが、立派な馬の銅像がありました。お腹には桐の紋が入っていたので、徳川さん関係のお宮?なんて思ってしまいました。またこれも立派な牛の銅像も拝殿横に、まるで狛犬のように鎮座していました。農耕の象徴、牛頭天王、仏教・・・いろんな歴史を感じます。これだけ立派な神社なんだから、もっと詳しい読み応えのある謂れがあるんだろうなあと想像を膨らませました。
家内との約束の4時に間に合うためには、谷川駅から一気に帰らないといけなかったのに、かなり寄り道してしまいました。まあ、きちんと約束の時間を決めたわけではなく、「4時ぐらいには帰って来てるよ」程度のもので場所も自宅だから、まあいいでしょう。でもここからは一気に帰りました。東経135度・北緯35度が交わるJR「日本のへそ公園」駅、JR比延まで加古川を南下し、家内の友達の家の横を通り、r566で東進します。「しら坂トンネル」をくぐりR372を交差し、r311で更に東進、「清水寺」を通り、東条川のところでr141に乗り換え三田市に突入です。JR相野からr309に乗り換え東進、ところが「宝塚こっち」の標識にだまされて右折してしまいR176に乗っちゃいました。JR広野でr309に乗り千丈寺湖を越えて再びr308で東進、r49で南下、r68で東進、千刈ダムを越えてごちゃごちゃ裏道を駆使して、僕のランドマーク西谷農協大池からr33、最後は中山連山を抜けて帰りました。でも1時間遅れの5時帰宅でした。結局昼食抜きです。

ひょっとしてまだ帰ってないのかな?と玄関の鍵を開けると「おかえり」の声がかかりました。飯島尚子さんが出てる自転車映画「メッセンジャー」を自分のPCで観たそうです。う〜む、随分待たせちゃったみたいです。PCでDVD映画を観れるなんて家内のPCスキルも上がったようです。「すごいやん」と褒めときました。音が小さかったから、僕の使ってるヘッドホンを持ってきたというから大したものです。
家内とのメニューは、姪からもらった万博阪急ホテルの岩盤浴です。千里阪急ホテルで泊ったとき、抽選で当てたんだとか。車で万博外周道路を回ってホテルに入りました。「岩盤浴」なるもの、よく目にするのですが初めてです。家内にどんなものが様子を聞き、受付の方の説明を聞いて、まずは裸になってタオル地の作務衣に着替えます。家内と並んで石の上にバスタオルを敷いて寝転がります。
「何が悲しくて石ころの上に寝なあかんねん」なんて思いながら目をつぶります。新手のサウナですね。汗が噴出して、家内が持って来てくれた水を飲みます。「サウナならもうそろそろ水風呂の方に行きたいかも」と思って、また水を飲むと、寝てると思ってた家内が起きて来て、「何分経った?」。時計を見ると20分経過。「もう出ようか?」。まだ時間があるんじゃないかな?「もう汗かいたし、時間がもったいないし・・・」。で岩盤浴終了です。そのまま脱衣場に向かい、普通の大浴場に浸かりました。「やっぱ、こっちの方がいいわ」。

2009/8/31
日曜日は、衆議院議員選挙でした。小泉さんが首相になり、郵政民営化是か非かのみに争点を絞り込んで臨んだ前回選挙で、刺客と称して党内反対議員に苛烈に対立候補を当て、追い落とすやり方に寒いものを感じました。従来の意見対立がありながらも根元ではつながってる自民党の姿から大きく変わった「弱肉強食」「勝てば官軍」を見て、ずっと続けてきた保守自民党支持をやめました。「たった1つの考え方の違い」で、他の多くの意見が同じでも排斥してしまう。しかも立場の強い自民党総裁として大ナタを振るうのは、どうも僕の一番嫌いな「弱いものいじめ」に見えてしまいました。
郵政選挙では、負けてしまったけど民主党候補に投票しました。でも小泉さんの後に首相になった安倍さんには期待しました。いきなり小泉さん政治でギクシャクした対外近隣国関係を修復し、郵政民営化反対で党を追い出された議員さんに手を差し伸べました。でも小泉さんの残した圧倒的多数の衆議院議員の力を頼りに、法案を通していきました。「郵政民営化是か非か」だけを争点に集めた力なんだから、民営化が実現した後、これからの政治の方向を示して衆議院を解散すべきでした。衆議院議員は別名代議士、国民の意見の代弁者で代表です。常に国民に「これでいいだろうか?」と問うために、行政府の長総理大臣に衆議院解散権が与えられている。衆議院が参議院より優位なのは、常に国民の声に近いからです。それをしないまま、小泉さんへの信任で選ばれた議員の上に立っていたので、党内孤立に追い込まれ辞任に追い込まれました。次の福田さんは、参議院とのねじれ現象が原因かのように、法案が通らないと嘆き民主党を批判していました。嘆く前に解散権を使い国民に信を問い、自らの信任を得たらいいのに。信任を得られなかったら、信任を得た者が行政府を構成すればいいだけです。国民の利より、「負けるかもしれない」と自分の肩書きに固執しているようにしか見えなかった。今回の選挙でもそうでしたが、従来の自民党ではしなかった他党へのネガティブキャンペーンに、僕は辟易してしまいました。
安倍さん以降の首相の政治を見ていると、小泉さんの政治とは随分違う感じで、首相就任後の麻生さんの「本当は郵政民営化反対だった」の言葉に、「だったら反対意見を言わなきゃ」と、「長いものには巻かれろ」的なものを見ました。政権与党という重要な党の議員でいながらご自身の意見を言わない方は、退場された方がいいなと、今回も民主党に投票しました。僕は、「意見は違うけど、勝ち馬に乗っておこう」を是としない性格なもので。結果は、前回自民党大勝以上の民主党勝利でした。「勝ちすぎだなあ」と思いながら、かつての自民党内派閥の意見の違いのように、いつでも政権バトンタッチできる別の保守政党に育てばいいなと期待しています。

日曜日は、いつものように「早朝自転車」で近所の猪名川土手を走りに行きました。北風が強く平均速度が20km/hを越えられるかもと、往路を快調に飛ばしましたが、復路の向かい風にやられてしまい結局19.7km/hと、悲願達成できませんでした。ロードバイクに乗り始めて60日以上走ってますが、10km以上走って平均20km/hを越えたのはたった2日です。ロードバイクを抜かしたことは1度もないし、抜かされてばかりです。貧脚な僕は、「いいんだレースに出るわけじゃないし」と最近開き直ってきています。
いつもより早く切り上げ、朝7時に家内と投票所に出かけました。朝食を食べて浜に出発です。ドラゴンのポイントレースの日です。前日の土曜日は、アメリカスカップ日本艇のスキッパーだったピーターギルモアが、僕の入ってるチームシブオの母艦ジョーガ号に乗って、西宮ドラゴンフリートのレースに参戦しました。
本日のレースに出たかったけど、メンバーが揃っていれば抜けさせてもらい、帰省する次男君の顔をみたいなと、早めにハーバーに向かいました。艤装をがんばり、一抜けを承諾してもらおうと考えていましたが、船は前日のレースの続きで桟橋係留のままで、艤装するところは何もなく、ボディーとブームに書かれたギルモアさんのサインを見ながら、メインシートのねじれを伸ばすことをしながら時間つぶしました。
土曜日は、各100kgのギルモアさん・谷路さんのヤンマーレーシングチームのプロに混じってモリタさんが乗ったそうです。風が弱く、格の違いを見せ付けて当たり前のようにトップを引くことは出来ませんでしたが、ランニングは恐ろしく速かったそうです。スピンシートを握る谷路さんが風のプレッシャーをスキッパーに常に報告し続け、それに合わせてギルモアさんが上ったり落としたり、微妙にコース変更していたそうです。風上にスピンを張るなど、あたり前のことを徹底してやってたそうです。見習わないとね。
「本日のレースは、世界レベルを身につけたモリタさんの言うがままに行く」という本気か冗談か分からない言葉を残して桟橋を離れていきました。で、僕は一点鐘に寄って買い物したあと家路に着きました。朝一番に東京を出てきた次男君は、隣のお婆ちゃんとちょっと話して、風呂に入っていました。彼にとってちょっと緊張する日です。単身赴任されているので、今まで会えなかったGFさんのお父さんに初めて会います。ほんとは先週末の予定だったのですが、忙しい方なので赴任先から帰って来れなくなったのでしょう。GFさんとは学生時代からの付き合いなので、何度も会ったことがあると思っていたので意外でした。家内によると、ちょっと前に電話してきた時に、服装は?お土産は?と家内に相談したみたいです。こういうことは親父の僕は当てにならないからなあ。
我が家から武庫之荘は、15分ぐらいなのに電車とバスでは数倍の時間が掛かるので、「お父さん、送ってくれる?」の要望にもちろんOKで送りました。家内も一緒に乗って行きました。高校ヨット部同期のスギモト君ちに近く、町内会の距離でした。玄関前に横付けすると、「え〜、私普段着よ〜、ご両親が出てこられたらどうするの〜」と家内が何やら言ってました。僕的には、「別にいいじゃん、結納に来たわけじゃないし」なんだけど。
GFさん家に、スーツ&お土産で訪問する息子君を見て、なんか滑稽でした。僕がそのカッコで家内の家に行った時は、正式に結婚の承諾を得るための時でした。それまで何度も訪問してたし、泊ったことも何度もあったので気軽でした。いつも僕などに気を使わない家内のお父さんが、ネクタイ締めてたのに驚いたぐらいです。

家に戻ると12時過ぎです。昼食を家で食べるかどうか迷いましたが、「夫婦で自転車」の出先でもっとお腹を減らしてから食べることにしました。本日の自転車メニューは、「箕面の滝」です。大雑把に、R171の猪名川軍行橋のところに合流する猪名川の支流箕面川を遡るルートで阪急石橋から阪急箕面に行き、そのまま箕面川沿いの歩行者ルートを箕面大滝まで上る。帰路は、箕面山・五月山の麓を西進し池田に出て、池田城などを見てから帰宅と決めて出発です。
地図音痴の家内は、いつも知った道ばかり使うので、近所でもあまり知りません。「これが箕面川。この上流に箕面の滝があるよ」と、走りながら箕面山を指差していろいろ教えます。軽い上り基調の道を基本川を遡り、阪急箕面線に出ました。箕面駅に向かって線路沿いを走ります。車なら、r43を上るのですが、自転車であの道は坂がきついし、車が多いので危険です。多分自転車なら走れるだろうと、川沿いの歩行者道を上り始めました。さすがに観光地なので、みやげ物屋や食堂が両側に並んでいます。昔は何度か来ていた箕面温泉が随分高いところにあります。車だったから高さに無頓着でした。
小学生の時の遠足で歩いたのかもしれませんが、川沿いの道は初めてです。斜度が急なら押し歩きだなあと覚悟してきたのですが、それほどの坂はありません。家内でも足をつくことなく上がれました。下界の景色は望めませんが、木々が生い茂り涼しいです。心配していた観光客の多さですが、あと1〜2ヶ月すると紅葉狩りで観光客が多くなりそうですが、なんとか走ることができました。でも、歩行者に気をつけてスピードは出せません。追い抜く時は「右側を通ります」などと声を掛け、「すいません」とお礼を言いながらの走行です。
滝まで行くと、滝近くの駐車場からの車のお客さんもいるからと、途中にあるお店でカレーで昼食にしました。阪急箕面まで家から1時間ぐらいだったので、随分遅い昼食になりました。いつもならもっとあっさりした食事を取る家内ですが、僕と同じカレーです。自転車に乗るときは、ガソリン補給のために食べないといけません。
標高200mの滝まで上がってくると、下界より少し涼しいです。滝は昔より水量が少ないみたいです。水しぶきがかかることはないです。上流にダムが出来たからでしょうか。自転車との写真を写し、カキ氷を食べて中からも涼しくなりました。
ここからは帰路です。基本下りなので気が楽です。ハンドルの上にビデオをセットし、前を走る家内を追いかけます。上りと同様、歩行者に声を掛けながらゆっくり下ります。阪急箕面からr9で西進します。山の麓を走ってる道なので、時折上りもあります。上ったご褒美の下りを満喫する道じゃないので、往路と復路のルートをチェンジした方がよかったかもしれません。
復元された「池田城」を見学しました。南北朝時代から室町時代末期にかけて、細川氏の下で摂津北部を守護した池田氏の居城で、池田氏の内紛に乗じて覇権を握った荒木村重が伊丹に居城を変えて廃城になったそうです。五月山の南麓の高台にあり、池田市・川西市から大阪平野を一望できます。阪急池田まで下り、「ラーメン博物館」に寄りました。日清食品の創業者安藤百福さんが、ここで世界初のインスタントラーメンを研究し発明しました。ラーメン博物館では、世界でたった1つのマイカップヌードルが作れますが、自転車で荷物になるので、本日はパスです。博物館正面の家が安藤さんとなっていたので、まさにここだったのですね。弟の中高時代の級友に安藤君がおり、百福さんの長男さんの長男さんだったので、今は社長さんでもしてるのでしょうか?この家の主なのかもしれません。我が家にも何度か来ていて、僕も会ったことがあります。安藤さんの敷地を覗きながら、ミーハーしてました。
次に「呉服神社」に参拝しました。中国から渡来した織物の女性職人さんを祀ったお宮です。ここから織物が全国に広がって行ったのですね。当時中国を支配していたのが「呉」の国で、呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)が渡来したとか。「呉服」や「織物」の語源は、ここにあるようです。ちなみにこの神社の名前は、「ごふく」ではなく「くれは」です。近所の猪名川にかかる橋は「呉服橋」です。ところで、我が家のお隣さんは「穴織さん」なのですが、由緒のある苗字なんじゃないかなあ。
「夫婦で自転車・箕面の滝偏」は、走行時間2時間少々、走行距離30km弱でした。平均速度は、滝道の上り下り共の鈍足の影響で、12km/hでした。その後僕だけ自転車屋さんに行き、3ヶ月点検を受けてきました。そしてとうとう「ビンディングペダル」に挑戦すべく、専用靴と専用ペダルを注文してきました。ロードバイク用の硬い靴は、僕のようなしょっちゅう停まって寺社観光する者にとっては、歩行が困難なので向かないそうです。お勧めのマウンテンバイク用の歩ける靴にしました。ほんとは、自転車にセットしてもらい、使い方も実地で教えてもらおうと思ってたのですが、お勧めの表面がビンディング用で、裏が普通の靴用のビンディングペダルがちょうどさっき売り切れたそうで、次回にお預けになってしまいました。
まあ急がないので、全く問題なしです。他店を回るようなことはせず、何でもかんでもこのお店でお世話になります。素人の僕たち夫婦がスポーツ自転車に乗って行こうと思うと、僕たちの履歴を知ってくれて何でも相談できるプロが必要です。

2009/8/24
日曜日は、近畿北陸インカレ団体予選で琵琶湖に行ってきました。1年間の1つの節目、ここで上位3校に入れなければこの代は終わります。
このレースに合わせて帰省する次男君と一緒に行くつもりでしたが、盆休みに続き東京で勉強三昧を続けるようで、帰省は来週に延期され、私1人で行くことになりました。前日に用意したカッパ等のヨット一式バック、麦茶を入れる4Lウォータークーラーを車に積み込みます。私がレースに出るわけじゃないけど、大げさですが「決戦の地にいざ行かん」です。
「京都東インター」から「湖西道路」に乗り換え、「皇子山ランプ」で眼下に広がる琵琶湖は、「風はあまり期待できそうもないかな?」でした。艇庫に着いて湖面を見ると、ムッとした感じはなく、長い風待ちにはならなそうな感じです。先週の学生全日本個人予選を経た2週間ぶりに見る顔は、いつもと同じく落ち着いて見えます。
体操の後、シラカワ監督に続いて指名されました。「この1年間の集大成の最終日、萎縮せずに思いっきりレースにぶつけ、レースを楽しもう。でも最終日、特に最終レースはみんな入れ込んでくるから、冷静に、特にスタート前はね。案外横文字が多く登場し、レース結果を大きく左右するものだよ」みたいなことをしゃべる。

ミーティングが終わり、レスキュー艇を停めてある琵琶湖マリーナに向かいます。女子マネ3人を車に乗せるが、何で2列目シートにゼロで、3列目に3人なの?おじさんは少し寂しいかも?ハーバーに着いて、上回生のマネさんに聞くと、3人の1回生マネさんたちは、夏休みもずっとクラブに来ていたそうです。当たり前といえば当たり前なのですが、こういうのがクラブ全体の力をアップさせると思っています。
ハーバーには、観覧船になるOBさんのクルーザーが停まっていました。半分そちらに分かれ、監督さんはじめOBさん3人、卒業したばかりの若手OB、それに上回生の2人のマネージャーさんと一緒に、支援艇の方に乗り込みました。マネさんもウォータークーラーを持ってたので、僕のは余分だったので観覧船側に寄付です。
470は2日間8レース終えて4位。3位とは、残り2レースを3艇とも片手付近でまとめて追いつくぐらいの点差です。8レース目は、2・3・4位でまとめ20点縮めたので、あと2つ続けるといい。更に最終日は横文字があるから、何があるかわからないからね。スナイプは現在3位。2位とは大きく離れ、4位京都産業・5位同志社とは1レースでひっくり返る10点、2レースでひっくり返る50点の点差です。
残り2レースなので、運営側も出来るだけいい風でレースをさせてやりたいとの配慮が伺え、なかなかスタートさせません。まあ集大成のレースだけど、微風が得意な選手、強風が得意な選手、なんだか振れに触れまくるわけの分からないレースになるといつの間にか上位に顔を出す選手など、いろいろいるので、僕はどんどんレース数を重ねる方がより実力が出るんじゃないかなと思います。だから僕がレースをプロデュースする時は、ちょっと無理かな程度のレース数を公示して、どんどんフラッグを上げます。時間が許す限りレース数をこなすのが僕のやり方です。選手の時、無風は別として、マーク打ち変えとか風待ちとかの時間がとてももったいないと感じていたからです。
全日本の最終予選だけど、まだまだ将来が長い選手達なので、1回のワンダフルなレースより、3回のレースをこなし、レースでしか身につかないものをつけてやるのも必要じゃないかなあと思います。次男君が1回生の時にはじめて見た近畿北陸予選が、スピーディーにどんどんフラッグが上がり、全19レース。みんなの顔を見ていると、やりきった感じが見えました。結果は公平だと分かっていてもつい考えてしまう「あの時・・だったら」のようなことを挟まない実力さを大きな差で各校に見せ付けていました。次男君も、「あんだけやったら納得や」みたいな感じですっきりしていました。僕には、とてもナイスな大会に映りました。
風の吹かない琵琶湖で、気まぐれな風を無駄にせず拾ってレースをする運営が、練習環境としては決していいとは言えない琵琶湖のレベルを常に上位に保っている1つの要因に見えました。
第9レースは、リコール艇ありでスタートしました。カトウ君が戻りビリから2番目でスタートしました。ここからどれだけ上げるかです。ウエノ君も戻りポートで伸ばしていきます。「何でそこまで攻めるのかなあ?スピードがあるのにもったいないなあ」と思います。スタートは第一線から出ないとダメだけど、反対に言えば、スピードアドバンテージがあれば、そこで頭一つ出す必要はない。第一線でさえいたらいい。
スナイプは、下一得意のヤマダ君がX旗で戻りました。アウターとのデンジャラスラインが気になって早めに出ちゃうんだろうな。止める・動かす・回るという基本動作の練習不足を感じます。でも。こういうのは随分贅沢な悩みです。僕が最初見たレースでは、2・3線スタートが当たり前まで実力が下がっていたから、毎年着実にクラブとしてレベルアップしてると思います。
レースフィニッシュ後や風待ちで、寄ってくるレース艇に4回生マネマユミさんが作ってきた麦茶を振舞っています。レースには出てないけど、彼女も4年間一緒に戦った仲間です。最後の最後まで出来るだけのサポートをしてあげたいのでしょう。いいね、こういうの。
そして最後の10レースになりました。気まぐれな風を読んで、本部船が我慢強く風を待ち、北のいい風でスタートしました。しかしゼネリコ・・・再び第一代表旗・・・また長い風待ちでタイムリミットギリギリの1時半にスタート・・・でもゼネリコ・・・第一代表旗を上げたまま実質風待ち・・・そしてN/A旗が揚がりシリーズは終了しました。
9レース目で、470は3位との点差を縮め、スナイプは4位との点差を広げ2位との差も縮める活躍を見せました。結果はスナイプだけが全日本学生団体戦に駒を進めました。半分残念だけど、おめでとう。

艇庫に戻ると、運営をやってた若手OBもパラパラと戻ってきます。久しぶりに来年院を卒業するヤナセ君と顔を合わせました。生意気に学生の分際でこの夏結婚しました。「おめでとう」。そういえば学生の分際ではなかったけど、僕も24歳で結婚したっけ・・・しかもヤナセ君より家庭を顧みず、数年後に学生になっちゃったし。楽しい家庭を築いてください。
閉会式はすぐに始まりました。この日の抗議はなかったのかな?戻ってきた現役が船を片付けています。2Fでは若手OBが、買ってきた食材を並べて、祝勝会?残念会?ご苦労様会の準備をしています。窓から下を見ると、ウエノキャプテンが念入りに自艇を洗っています。ここで彼の学生470は終わりました。「1年間、ありがとうな」と船に語りかけているみたいです。僕は彼の背中に同じ言葉を掛けておきました。

5時を5分回りました。「何時から会を始めるの?」「もうすぐ始めます」・・・「ちょっと用事があるから先に失礼するわ。嫁さんと映画に行く約束があるんだ。待たせるとヤバイからなあ」と軽口を叩いて艇庫を後にしました。このレースで敗退した470チーム4回生は、感極まるものがあると思います。僕も全日本の最終日の夜、行われたチームの解散の日に感極まりました。最終レースまで駒を進めたけど、自信を持って臨んだ全国制覇には届きませんでした。
監督さんはじめ数名の現役チーム担当のOBさんがいるので、僕は抜けてもいいでしょう。家内との約束は6時半に茨木だから、まだ時間に余裕があったけど、無念な彼らに掛ける言葉が浮かばない。何を言っても、今の彼らの心に届く言葉にはならないように思う。だって、月に1〜2回の手伝いなのに・・・。

映画「ぼくとママの黄色い自転車」を観ました。最近自転車にはまってる家内が1ヶ月以上前に「これ観にいかない?」と見つけてきた映画です。調べてみると兵庫県で上映する映画館はなく、大阪に2館あるだけでした。原作は、新堂冬樹さんの『僕の行く道』で、数年前に読んでとても良かったので、きっと面白いだろうと、8月のカレンダーに封切日を書いておきました。
やっぱり原作の方がストーリーがゆっくり進み丁寧なので感動は大きかったけど、素敵な映画でした。涙腺の弱い僕はもちろんだけど、横目でゆっくり顔を動かしてみた家内の頬にも一筋の涙が流れていました。観に来て良かったです。こういうコツコツの小さな単打の積み重ねが夫婦を長く続けるコツなのかもしれません。まるで僕はイチローみたいです。
本といえば、今朝読み終えた百田尚樹著「BOX」は良かった。百田さんの本は外れなくいいので、多分全部読んでると思います。本の帯に「映画化決定」となってるのでこれも楽しみですが、題材が高校ボクシングだから女性には刺激が強そうです。かく言う僕も苦手です。高校の授業でグローブをつけてるとはいえ、友達をぶん殴ることが出来ず無抵抗しました。先生が「手を出さんか、弱虫、金玉付いてるんか」みたいなことを言ったので、「何で友達を殴れるねん。こんなのが授業か」と大喧嘩した経験があります。僕のあまりの剣幕にクラスは静まり返り、授業は流れ解散になりました。親が呼び出されたんだったっけ?二度とボクシングの授業はありませんでした。あんなの素人の高校生にやらせる授業ではありません。だから観にいかないだろうな。活字の頭の中の想像の世界だから楽しめます。僕の頭の中では、美しく敗れ去っていくからね。

2009/8/20
お盆の日曜日、「京大芦生研究林」への「夫婦で自転車」再チャレンジしました。前回は、ベースとなる「美山かやぶきの里」まで行きながら、雨により断念し篠山を走りました。
土曜の夜「明日の予定は?」「何もないよ」「じゃあ」ということで決まったのですが、朝起きてゴソゴソしてると雨が降ってきました。「雨、降ってきたよ」「天気予報では午後から良くなるみたいだから行くよ」。自転車を積み込む時には雨は上がっていました。
r12・R173・R477でR372まで出ます。少しR477との共用区間R372を西進して、またR477で北上します。r19・ちょっとR162・r38で「美山かやぶきの里」の駐車場に到着です。家から2時間弱です。池田を離れるとずっと気持ちのいい田舎道なので、家内はキョロキョロ景色を楽しんでいました。
早速自転車を下ろし、前輪をセットして準備します。2日前に自転車屋さんに行って、家内のESCAPE3のハンドルにエンドバーを付けてもらいました。また前輪を付け外しする時、家内の力で楽にブレーキをはずす方法を教えてもらいました。僕が自転車を下ろすと、早速車輪を持って来て自分で着けようとしています。今までは僕がやるのを待ってただけだったけど、どんどんスポーツ自転車が楽しくなってるようです。すぐに手伝えるように家内を見ながら、僕は着替えました。
僕が着替えて僕の自転車の準備を終えるまでに、自分で全部出来ました。僕のと見比べながら「ねえ、ちゃんと出来てるか見て?」「着け終わったら、車輪を回してみるといいよ。斜めに入ってたらブレーキパットに触れるから、快調に回らないんだ」。上出来でした。えらそうに言ってますが、僕もスポーツ自転車半年の初心者なので、いい加減なものです。
トイレに行って、持ってきた水が少なそうだったので、2本ペットボトルのお茶を購入し、出発です。r38を「佐々里」の方に向かいます。すぐにr38が沿う由良川の対岸に「自然休暇村」というのが見えてきました。そこに「河鹿荘」がありました。この付近に民宿やキャンプ場があるのでしょう。たくさんの方が河原で遊んでいました。「かやぶきの里」の奥に入る車が結構あるので、「この奥に何かあったっけ?」と思ってたのですが、皆さんのお目当てはここだったみたいです。
ここを過ぎると車はたまに通る程度です。一応京都まで行けるけど、車で行くにはかなりハードな道です。また少し行くと、左手に木造の大きな2階建てが見えてきました。感じがいいなと止まってみると、小学校でした。木造の小学校なんて、僕の小学校時代を思い出します。家内も「わあ、小学校だ。懐かしいわあ」。パチリしました。
軽い上り坂をボチボチ僕らのペースで上って行きます。すると向こうから自転車が3台連なってやってきました。下りというのもあるのでしょうが、凄いスピードです。先頭の方が頭を下げます。少し間が開いて10台弱。頭を下げると、「こんにちは」、そして中間の方が手を振ってくれました。
僕らとは衣装も速度も大違いですが、スポーツ自転車という共通の仲間意識みたいなものがあります。また少し開いて1台。みんなのペースに付いて行けずに遅れちゃったから、必死で追いかけてる感じです。さらにまた3台。この道は京都の自転車レーサーのトレーニングロードになってるのかもしれません。
右手に由良川の素敵な流れを見ながら、2人横に並んで静かな道を進みます。時折バックミラーに現れる車を見つけると、僕が後ろに下がり縦になって邪魔しないように。少し上って下りもあって、上り基調の道が続きます。「田歌」の集落で、r38から少し離れ、由良川に沿うようにある旧道に入り、集落内を走ります。「r38から外れると急な坂があるかも?」と少し迷いましたが、平坦な道でこっちの道の方が良かったです。
大きく由良川がカーブするところがあり、だいぶ高いところを走ってるr38からは絶景です。パチリ。後から来る車に気をつけていると、バックミラーに自転車が映りました。僕らは17〜18km/hで走ってるのですが、みるみる追いついてあっさり抜いて行きます。倍以上のスピードです。「こんにちは〜」とか、僕が家内の後ろになり縦になったので、「すいませ〜ん」なんて言われます。女性の方も数人混じっています。肩幅とかで女性だとすぐに分かりますが、スピードは男性に負けていません。というか僕より倍速いです。20台ぐらいの自転車に抜かれました。
「速いなあ」「どこかにアシストが付いてるんじゃない?」「きっと、僕らの初心者用じゃなくて、速い自転車なんだろうねえ」と自転車の違いにしておきましょう。
そして「出合橋」までやってきました。僕が写真撮ってるときに前に行っていた家内が、r38を「佐々里」の方に行くので、慌てて追いかけて、「あそこ曲がるよ」と。この「出合橋」で、さっき抜かされた自転車集団が団体でおられました。後続の仲間を待っておられるのか、折り返して下りに入るまでの休憩を取ってるのでしょうか。

「こんにちは」と挨拶して、芦生の方に入っていきます。ここからは僕も初めての道です。前回は紅葉が綺麗な秋11月にr38を通りました。この「出合橋」で休憩しましたが、芦生の方は、なんか暗くて熊でも出そうな感じでしたが、今回は自転車集団がいたこともあるのでしょうが、明るい感じで入りやすかったです。
ここからきつい上り坂を覚悟していましたが、急にはなったけど家内でも降りずに上がれる道でした。上空に鷲が飛び、手付かずの森に期待が膨らみます。ところが予想に反し、坂を上り平坦になると家がありました。アユ釣りしてる方もいました。「こんなに奥にも、人が住んでるのねえ」と家内も感心しています。
「芦生山の家」というのがあり、すぐ先に「京大研究林」の施設がありました。「やった〜到着です」。その入り口に、鎖が掛かっていますが、舗装された林道が続いています。横には「仮入林受付所」というボックスが立っており、中にはノートがありました。ここに名前を書いて入林するようです。「無断立ち入り禁止、必ず入山手続をしてください」「単独での入林禁止」「これより京都大学芦生研究林の管理道につき関係者以外の車両(バイク・自転車などを含む)の通行を禁止します」となっていました。
事務所棟や研究棟などの木造の施設が並んでいます。トロッコ線路が奥に向かっています。「芦生・灰野-佐々里峠ハイキングコース」の案内も上がっていました。横の無料駐車場に数台の車があったので、ここに行かれたのかもしれません。僕らはハイキングする気もなく、事務所棟の前の階段に腰掛けて持ってきたパンを食べました。12時半、ここまで2時間です。元来た道を戻ります。今度は下り基調なのでペダルを回すのも軽く快調に進みます。ちょっと暗めの雲が出てきました。「出合橋」までのところに、お蕎麦屋さんがありました。美山周辺から唯一の食べるところです。ここで昼食にします。
家内が店内の様子を見に行き、僕は店先の軒の下に自転車をくくります。「大盛りはダメだけど普通盛りなら出来るんだって」。1時を回っているので、もう本日分が終わりのようです。
バイクが2台と、10人ほどの法事帰りの方がいました。「仕事を引退なさってお店を始めた」という感じのご夫婦で、感じのいいお店でした。屋根のある木造のテラスが出ていて、目の前が由良川です。素敵なロケーションです。出来るのをゆっくり待ってると、雨が降りそうな雰囲気になってきました。バイクのお二人が、バイクにまたがり帰っていかれました。
間もなく夕立のような大粒の雨が降ってきました。川面を雨粒がたたきます。写真に写るほどの雨粒ですが、これが実に風情があります。自転車に乗ってる時だったら、緊急雨宿りなどで難儀してると思いますが、余裕で外を眺めています。降った雨が蒸発して出来たのか、山肌の森から霧が立ち上ります。こんな景色を望めるなんてラッキーです。ご主人が横の畑で育てたお蕎麦もとてもおいしく、夕立が止むまで、コーヒーとケーキを食べながらもう少し休憩です。「雨、すぐに上がりますよ。どちらからですか?」、ご主人との会話が楽しいです。
お店のネームカードを頂きました。11月末から4月末までは冬季休業、土日祝日が営業で、平日は予約営業だそうです。山深いところだから、冬は雪に閉ざされるのですね。その時はここに住まれるのでしょうか?それとも半年は都会で暮らすのでしょうか?
「また来てくださいね」「はい、また来ます」って家内が答えています。お気に入りになったみたいです。雨の上がった道を下ります。「田歌」まで来ると、ちょっと気温が上がったみたいでムッとしました。道は全く濡れていません。ここは降らなかったのですね。気温が24度と表示されていました。だったら芦生は20度ぐらいだったんだ。美山に戻ると30度と表示されていました。下りは写真を撮りながらでも1時間半でした。
家内の新兵器、ハンドルエンドバーはなかなかいいそうです。ハンドルを持つポジションが変えられ、「これいいわ」。プロの自転車屋さんのお勧めはやっぱりいいね。スポーツ自転車の本場ヨーロッパ規格なので、日本人女性にはハンドルが広いそうです。「ほんとは少しハンドルを切ってやると、もっと楽になりますよ」とのこと。エンドバーを付けるのでブレーキなどを内側に寄せたけど、違和感がないようなので、しばらく乗ったらお勧め通り切りましょう。家内がルンルンで車輪をはずしてる姿を見ながら、「ますます自転車が好きになったみたいだなあ」と思いました。あのお店のご夫婦の雰囲気もプラスに働いたようです。家に帰ると「ユキ君もター君も自転車に乗ったらいいのに」と言うし、PCソフトのパスワードを忘れた時の暗号に「趣味、自転車」と登録してました。なんとまあ、3ヶ月で劇的な変貌を遂げました。

2009/8/18
お盆休み初日の金曜日、クルージング艇に乗りました。高校ヨット部同期が2人東京から帰省するので、こっちに在住の僕ともう1人の4人で乗ります。更に先日甲子園初戦に勝った野球部だった同級生も加わります。そして今回はなんと家内も一緒です。美容命の家内には、炎天下のヨットなどもっての外の世界でしたが、どういう風の吹き回しか「私も行ってみようかな」とのたまいました。もちろん大歓迎です。
朝8時にお寺さんがお盆参りに来られました。親父の初盆でもないので、今回はあっさりと終了し、次の法要先の斜め向かいのおうちにスクーターを押して行かれました。この時期、スクーターお坊さんをよく見ました。師走は先生が走るけど、お盆はお坊さんが走る時期ですね。

すぐに用意してハーバーに急ぎました。先週も乗ったので不安はありませんが、ゲストを迎えるに当たり一応始業点検しておかないとね。雨の心配はなさそうだけど、風が上がって飛沫を浴びる状況も考え、自宅にあるカッパを全部持ってきました。途中のコンビニで麦茶を4Lと氷を1kg購入し、ウォータークーラーに入れます。みんなが干上がっちゃうと大変です。先週は、桟橋の周りにボラがいっぱいいたけど、この日は少し少なめな感じです。エンジンは快調に回り、ハッチを開けてドッグハウスの換気をし、トイレもうまく流れパイプの詰まりもなさそうです。
少し早めにセンターハウスに行くと、すぐに同級生達がやってきました。出艇申告しようとして、財布ごとセキュリティカードを船に置いてきてしまったことに気づきました。受付のお姉さんに船の番号を聞いて申告し、桟橋に入るために本日のセキュリティ番号を聞きます。
いきなりみんなを待たせちゃって桟橋に入ります。「おい、ちょっと古なったか?」。「うるせえ、余計なお世話じゃ。水漏れしなけりゃOKなんじゃ」。ハルの外観は塗りなおしてないからくたびれ気味だけど、乗ったらそんなとこ見えないし。みんないい年のおっさんになってるのに、会話は一気に中高生のまま、言いたい放題です。
まずは給油桟橋に着けて燃料補給です。65Lも入りました。ほぼ空っぽだったようです。ハーバー防波堤を抜けて、北風の中セイルアップです。本来ならスピンアップなんだけど、僕しかこの船を知らないので、ジェノアをファーリングしたままちんたらランニングで沖を目指します。
母校の練習してる横を通っていたら、目ざとくこの船を見つけて、インフレータブルコーチボートが近づいてきました。僕が立つと、ボートに乗ってた現役がみんな立って、「こんにちは」僕に挨拶します。ちゅこちょこっと最近の様子を聞いて手を振りました。ちょっと前までは、後輩をよくコーチに来てたし、最近はレース観戦や新人勧誘でクルーザーを出して応援してる。練習艇からも、風が弱いので「こんにちは」と立って挨拶が飛んできました。僕も、現役時代は「それらしき人がいたら挨拶しとけ」でやってたけど、今思えば社会人になってほんとに役に立ったと思う。家内が、「運動部の子は気持ちがいいね」と感心しています。あなたの息子君達も、こういう世界をやってきたんだよ。

六甲アイランドのコンテナ埠頭に沿って、ポートアイランドに向かいます。お盆でもコンテナ船が2隻接岸し、荷揚げ・荷積みをしています。毎回思うのですが、クレーン作業が早いです。あんな大きなコンテナが次々に陸揚げされ、それをコンテナ輸送車が所定の場所に移動させています。
風が弱いので機帆走でポートアイランドを沖出しします。神戸空港島とポートアイランドの間を西進します。交代でステアリングを握ります。家内は、船の少し遅れて回頭する船の動きが分からず、最初はみんなすることなんですが、ステアリングを動かしすぎであっちにこっちにバウが定まりません。その点、元ヨット部員はすぐに慣れますね。
神戸空港連絡橋の下を抜けます。ぶつからないと分かっていてもマストトップが不安で見上げてしまいます。神戸空港の港から、関西空港との高速ジェットフォイル連絡船が出発していきました。連絡橋を過ぎて、神戸港に進路を変えました。
風が出てくるとエンジンを止めセーリングだけで、なくなるとエンジン始動という難儀な状態でここまで来ました。ポートタワーを目指して港内奥まで入り、モザイクの観覧車の前まで来てUターンします。港内観光船が僕らの船がいるのでスピードを落としているのかもしれません。この横に観光船船着桟橋があるからね。まあ、警笛を鳴らさないところをみると、セイルアップしたヨットもお客さんの見学対象になっていいのかもしれません。
岸壁に沿って、川崎造船と三菱重工の方に向かいます。神戸港に豪華客船や練習帆船がいなかったのは残念ですが、川崎のドックに潜水艦が2隻いました。日の丸から四方に赤い線が広がる日本海軍からの独特の国旗が掲げられています。僕がドライブして最接近してたら、観光船が2隻続いて潜水艦を見に来ました。もっと見ていたかったけど、ここは早期退散です。メインセイルを上げたままなので、ジャイブやタックが忙しいです。
神戸港を出ると、南寄りの風が入ってきました。1日中北寄りの風の予報だったけど、予想以上に陸の温度が上がったのか海風に変わりました。いい調子で、再び空港連絡橋の下を抜けました。このとき家内がドライブしてたのですが、随分学習したようで、目標を設定してあげると、真っ直ぐ走らせることが出来るようになってました。
空港島を過ぎると、再び陸からの風が入ってきました。この辺で、気圧配置から来る陸風と陸海の温度差から来る海風が喧嘩してるようです。ここからホームポートまで、4〜6m/sほどの気持ちのいい北風が続き、タッキングを繰り返しながら、西宮港内に入りました。
あまりヒールさせると家内が怖がるかなあと思っていたのですが、どうやら平気そうでドッグハウス入口の特等席に座って前を見て風に吹かれています。「タックや、準備いい?」「頭、気をつけて。ブームが返るよ」「ウインチ回せ、ジブ甘いぞ」「ウエザーきついから、少しメイン出して」・・・なんて元ヨット部員達はワイワイがやがや楽しみました。
学生の練習海面に近づくと、他校の学生達も挨拶してきます。船名を見て、あっこのOB艇やとわかるのでしょう。桟橋に戻り、船を洗って、クラブハウス2Fでコーヒータイムにしました。帰りの車で、家内は「みんなとは久しぶりだわ。みんなお父さん(私)と似た雰囲気だね。安心していられるわ」と。同じように受験し、同じ中学の教育を受けたから似てるのでしょう。僕が帰着申告などしてる時に、サッと家内の荷物を僕の車まで運んでくれたそうです。どうやら家内の僕の点数が少々アップした模様です。良かった。

2009/8/10
土日は、470・スナイプ選手権が新西宮YHで開催されました。京都のヨット部が去年に続き遠征してるので、日曜日だけ観覧船を仕立てました。次の週末は、琵琶湖で学生個選予選、さらに次の週は学生団体戦予選なので、予選前の最後のレースです。西宮の方が琵琶湖より風が吹き、環境が変わるのも刺激になるでしょう。

梅雨が上がっても、相変わらず夏の天気という感じではありませんが、「早朝自転車」や「早朝バイク」で、仕事前に1〜2時間野山を駆け回っています。特に2日連続で5時に目が覚めたときに「早朝バイク」は楽しかったです。
亀岡からR432に抜ける林道は、斜度もそれほど急ではなかったので、「夫婦で自転車」の時のメニューに加えておきましょう。誰にも会わない沢沿いの林道をトコトコ走っていると、「何処に出るのだろう?」「この道で合ってるのだろうか?」という不安と、写真を撮るためにエンジンストップした時の気持ちよさがたまりません。
羽束川から母子方面に入り、曽地奥に抜けた峠越え林道は、取り付き標高350mからピーク470mを越える「1日に1人通るの?」という道で、下りで道路全面に張られたクモの巣に、しかたなく突っ込みました。バックミラーやメーターバイザーからクモの糸を引きながら、何故か笑いがこみ上げてきました。
今朝も4時台に目を覚ましたので、「早朝バイク」してきました。先週の2度の峠越え・鞍部越えで気をよくし、数回チャレンジ目前まで行きながら断念を繰り返していた「才ノ神峠」に、再度チャレンジしました。お気に入りの「長尾山トンネル」から北摂里山地帯に入り、我が家のお墓付近のr12に抜けるコースで北上し、「杉生」で右折して「三草山」の北に着きました。棚田で有名な「長谷」のすくすくと育った稲にシュンと澄まして立ってる鷺の白のコントラストが綺麗で、無事代交代を続けられた灰色の幼鳥の姿も見られ、エンジンストップ・シャッターパシャリを繰り返していました。肝心の「才ノ神峠」ですが、北からの取り付きを確認したまでで、今回も断念しました。棚田の景色で満足してしまったことと、取り付きから見上げる林道が急だったこと、それにこれが最大の原因ですが、「おなかが・・・ハヨ帰らんと・・・」で、r603・r12で通勤渋滞をすり抜けながら一気に帰宅してしまいました。

日曜日の朝は小雨が降っていました。せっかくのレース観戦なのに残念です。たぶん女子マネさんが来るからね。家内は「日焼けしなくていいじゃない」とポジティブな発言をしています。「夫婦で自転車」を始めてから、アウトドアと無縁だった家内が、「少々の雨なら自転車決行」と変わってきています。お盆の高校ヨット部同期達とのクルージングにも、「行ってみようかなあ」なんて言い出すし、凄いです。
「ウォータークーラーに麦茶を準備して」とか考えていたのに、小雨の天気でみんなキャンセルにして家でグズグズしていて、「9時出艇だから7時にはハーバーに着いて」というのにも大幅遅刻になってしまいました。8時過ぎにハーバーに着き、船をチェックです。エンジンは一発で始動したのでOKです。ディンギーヤードで京都の船をチェックし、近大艇庫前の成績表を見に行きます。この夏に入り絶好調のシバタ君が、昨日の最終2レースで3位と2位でフィニッシュしています。
いい感じジャマイカ。470はKGイチノ君が貫禄の総合トップです。兵庫ジュニアOBのKGカサイ君は本職の470ではなくてスナイプで出ています。さすが3番です。KGニシオ君が470スキッパーで出ています。彼は大学に入りずっとクルーをしていますが、他から見れば贅沢なクルーです。インターハイでトップ10スキッパーがクルーしてるんだから。広い海面を見てコースの組み立てが出来るクルーは、その楽しさがありますが、スキッパーでも爆発してほしいものです。
SSのレースも同時開催のようで、ヤードは満杯です。京都の艇置き場に戻ると、みんなが最終チェックしていました。神戸の艇庫に居候させてもらったらしく、同世代の他大学部員との交流も楽しかったのでしょう。膳所高ヨット部から大阪や神戸のヨット部にも入ってるらしく、そういうつながりらしいです。みんなリラックスしています。いつもの力が出せると思うので、このレースで今の自分の位置を知り、あと数日の練習につなげてもらいたいです。オカモト君が、大学ヨット部員に似合わない綺麗な格好をしていました。夏前に一式新調したそうで、気合を感じます。
9時になり、大阪の子達が勢いよく出艇していきます。やる気が行動に出ていますね。それを合図に、どんどん出艇していきます。相変わらず小雨が続いていますが、6m/sほどのいい北風が入っているので、風のシフトとともに楽しいレースになりそうです。予報ではずっと北風です。僕的には、レースでは雨が降ってもいいからいい風を頂きたいです。
みんなの出艇を見送りながら、「マネさん達は遅いなあ」と電話を見ると着信していました。ハーバーセンターハウスの方にいるようなので、そちらに回ることにします。マナーモードから音が鳴るモードに切り替えておくのを忘れていました。8時半ごろも、キンノさんから連絡が入ってたのに、その時気づかず少し遅れて連絡しました。「昨日乗った時、いつもドライなドッグハウスにビルジがあったから気をつけてね」というものでしたが、朝ドライで着艇後みても同じだったので、長雨による雨漏りが原因のようです。いつだったか、テーブルが濡れていた時があり、その横の天井を支える柱と天井が濡れていました。経年劣化ということですね。すぐにどうこう問題になるわけじゃないけど、整備しないといけませんね。

センターハウスに着くと、マユミさんとマリエさん、それに新人のハットリさん?とナカタニさん?がいました。まだ1回生の名前をちゃんと覚えられていません。桟橋を歩いていると、間近でクルーザーヨットが並ぶ姿を見る機会が少ないから、キョロキョロ楽しそうです。
北のいい風が入ってて、1回生男子部員がいないので、出艇の流れを算段します。とその時モリタさんが来られました。タワ艇がドラゴンの練習をするということで、ヒライ艇に乗って合同練習をする予定でハーバーに来られたようです。雨が降ってるので、ドラゴンを出すかどうか分からないとのことで、乗っていただけると助かるのですが、まだ決まっていないから僕らだけで出艇します。
案の定、ラインを離すとバウが下を向き、かっこ悪い出艇になりました。ゲスト桟橋に大型のカタマラン型ボートが係留されています。ユニオンジャックが左肩にあるフラッグを掲げているので、イギリス連邦のどこかの国から来られたのでしょう。

レースは、アベレージ6m/s・ブロー8m/sの北風でずっと安定していました。片のぼりのブローでもないので、上位選手の成績は安定しています。スピード勝負という感じでした。470のウエノ君は、1上こそ片手回航することはあっても、ナショナルチームやそれに順ずる力のある社会人6〜7艇に抜かれます。パンピングの頻度・大きさが違い、波を潰すボディーアクションが違います。海上でもミーティングでも話したし、間近で接して学びが多かったでしょう。学生の中ではしっかり走れているので、来週再来週に期待大です。ショウ君も同じような感じで、カトウ君は、最終レースでのスタート後の沈でラダーがはずれDNFになってしまいましたが、このレースでトラブルが出て良かったです。これは他艇にもいい教訓になったでしょう。こんなミスで負けるのは悔いが残るからね。
ボディにTOYOTAと書かれたボートがあったので誰が乗ってるのかなと思ったらヒロシ君でした。社会人になってからずっとスナイプに乗っていましたが、いよいよロンドンに向けて470始動のようです。
スナイプは、シバタ君が好調でスタート後の混戦の中から抜けるスピードとタックのタイミングが安定していて、大崩れしそうもありません。昨日安定した風になってから3位と2位だったので、トップホーンを期待しましたが、5位・3位・5位でした。最終レースは、フィニッシュまで3位で来てたのに、最終タックで無理な下タックをしてしまい720度ペナルティで5番に落ちてしまいました。昨日の2位も帰着申告不申告でPTP7点を余計のもらい総合5位でした。この9点がなければ、PTPの7点だけでもなければ総合2位だったので、力を付けたけど、まだ冷静にレース全般・シリーズ全般を見渡せるところまでは行っておらず、あと一歩です。まあこういう痛い目を経験しないと老獪なレースは出来ないから、仕方ないですね。優勝したキヤマ君は、安定した風の中で行われた5レース連続トップで、頭一つ抜けています。全日本学生個選優勝候補の1人でしょう。シバタ君もトップレーサーの滑りがあるので、琵琶湖予選では優勝候補でしょうし、全日本でも優勝に絡めるかもしれません。トップ10入りはもう射程距離内なので、焦ってミスをしないようにね。イシイちゃんは1上シングルはよく来るので、その後の走りと後続艇の集団の大きな動きに合わせたコース引きが課題じゃないかな。ヤマダ君も何となくイシイちゃんと同じような感じです。2艇ともスタートが低く、ダラダラとそのまま走ってる感じがします。安定した6〜8m/sが入り、波があると、スタートライン上に止まってるようで、どんどん下に流されています。常にライン上に上がる気持ちと、ラインの把握、それに接近して止まる艇の中で細かく船を動かす技術が試されます。スタートを第一線から出る技術をあと1ランク上げれれば、予選通過は堅いでしょう。
今回は、関大のインフルエンザ渦や他のレース参戦不在で、レギュラー艇が数杯参加しなかったようですが、KG470と関大スナイプの強さが目立ちました。甲南スナイプも強いです。この3校に大阪が加わった構図が今年の関西の勢力図に見えました。

いい風で3レースできました。2日間で8レース。この遠征で力を付けたでしょう。琵琶湖予選直前にある西宮での選手権への参加は有意義です。定番化したらいいんじゃないかと思います。宿泊を神戸や大阪に甘え、船運び往復8万円で6艇は安価だと思います。出来ればもう一歩、2日早く西宮に入り、西宮の学校と合同練習出来ればなと思いました。
レース後、船の運送のために小雨の中、みんながんばっていました。マネさんまでカッパも着ずにやってるので、「選手と服装が違うのだからカッパぐらい着るように」言いましたが、彼女達が熱心で頼もしいです。実家が大阪の新人マネさんの荷物が大きいので聞くと、実家に帰っていたけど、この日から京都に戻るそうで、プレイヤーと一緒にがんばってくれるのでしょう。同じヨット部員だから当たり前といえば当たり前なのですが、新人マネさんでこの意欲は近年なかったと思います。クラブ全体の熱が上昇してるのと、上回生が上手に運営してるのでしょう。彼女達のサポートが予選突破に大きな力になりそうです。

2009/8/3
日曜日は、家内の実家加古川にお墓参りです。今回は、今春から始まった「夫婦で自転車」でチャレンジしようと、先週予定していたのですが、生憎の天気で予備日の今週に延期し、より天気がマシだろうということで、淡路島で「夫婦で自転車」しました。
「今度は大丈夫だろう」と、週間天気予報でもいい感じの予報が続いていたのに、金曜日になると「雨」予定に・・・そして土曜日の夜になると更に悪化しました。午前中だけじゃなくて、お昼12時の予報まで雨です。しかも降水予想が結構な量です。0mmや1mmならまだしも、2mmを越えるともうしっかりした雨です。
「僕の雨男が勝つか、家内の幸運の女神が勝つかの勝負」などと笑いながら床につきました。朝目覚めると、6時前です。家内は既に起きて家事をしています。外は雨。しかもすごく降ってるし・・・予報を調べると、自転車ルートの西脇付近は、12でも雨。9時半から走り出し、お墓に到着予定のお昼でも雨だったら、ずっと雨ということです。しかも自宅から駅までの自走中が土砂降りだし・・・こりゃあかんと、本日もパスです。
でも、お墓参りはパスできないので、車でお墓に行くことに決定。NHK天気予報でやってた雨レーダーの動きを見ると、西から天気が回復しそうです。ではと、加古川の更に西の予報をチェック・・・岡山は雨降らない・・・姫路・福崎・生野でも大丈夫そうです。お墓参りの後、播但道・市川沿いを自転車で走ることに決定です。
大雨の中、車に自転車を積み込みます。中国道西行きは、先週より車が多いです。「こんな雨なのに出かけなくても・・・」僕らもそうだけど。山陽道に入ると、六甲山の雲は、「雨が上がりますよ」という感じで晴れて行きます。いい感じです。三木・小野インターを下り、加古川に出ると、濁流が勢いよく流れています。「いつもと違う川になってる」と家内が驚いています。中洲に生えた木が濁流と直接戦ってるし。
当初、自転車で走り出してからお花屋さんで買おうと思ってたのでお花の用意がありません。仕方なく、道端に咲いてる綺麗な花を見つけてはストップして、花を摘んで花束作りです。お墓のお花はしおれて単なるゴミになってました。幸い雨は上がったので、バケツを何往復かして、タオルでお墓を磨き上げます。即席の花束が、なかなか映えています。線香を立てて手を合わせオシマイです。

再び山陽道に乗り、西に向かいます。「また高速道路に乗るの?」って、一応朝説明したけど、こういうのは僕にお任せの家内は、しっかり聞いてなかったようです。姫路から和田山に北上する播但道に乗り換え福崎を目指します。中国道福崎インターを越え、そろそろ高速を下りることにします。次のインター「市川南」で下ります。「無料駐車できる神社とかないかな」と思う暇もなく、インター下りたとこに市川図書館がありました。立派な施設で、駐車場に入ると芝生に囲まれいい感じです。時刻は9時半。ここに決定して、自転車を下ろし前輪を装着します。家内は、おトイレで身だしなみを整えに行きました。
カッパと輪行袋が入ってるリュックを背負い出発です。朝急遽調べてメモしてきた播但線の時刻表を見ると、10時24分福崎発の電車があります。道路標識にあった駅は甘地駅。福崎より北なので10時半ぐらいの電車があるはずです。地図帳は重いからリュックに入れていません。地図のコピーも時間がなくナシです。ハンディーGPSを積んできたのに、車に忘れてきてるし・・・取りに戻るのも面倒で、まあ、市川と播但線のJR鉄道に沿って走ってれば迷子にならないだろうと、そのまま駅に到着です。
家内は電車の時刻を見に行き、僕は自転車の分解です。と言っても前輪をはずすだけだから簡単です。はずした車輪を車体にヒモでくくり、輪行袋に入れてチャックを閉めたらお終いです。帰ってきた家内が、僕のを見ながら自分の自転車の分解を始めました。「自分で出来なくちゃ、レディースのイベントに参加できないし」と、想定外の発言をしています。地図音痴とメカ音痴の家内が、僕なしでスポーツ自転車イベントへの参加を考えているとはビックリの3乗ぐらいの驚きです。パンクなどしたら、お手上げの2乗になることでしょう。前向きは大賛成なので、「そうだね」とこの場は流しておきました。想定外の「困った」がいろんな学びになりますし、それが人生を何倍にも楽しませてくれます。
2台を袋詰めするのに、1人で、いや1.2人で10分でした。1ヶ月ほど前に家で2台の自転車を1度袋詰めしましたが、首尾は上々、そのときより手際がよくなってます。その時の経験で多めに用意した紐がバッチリです。より簡単にと用意したマジックテープはいらなさそうです。ヨット用のシートは万能でした。
30分ぐらい待つことになりましたが、駅員さん1人の駅はいい雰囲気で、電車の時間に合わせてやってくる地元の方の会話が播州弁で家内には懐かしく感じたのではないでしょうか。切符を買いましたが、自動改札機などない改札は開きっぱなしです。駅員さんにホームに入ってもいいですかと聞くと、改札など必要ないみたいです。電車に乗ってから知ったのですが、無人駅がこの路線のデフォルトなので、車内で回ってくる車掌さんから切符を買うのがデフォルトのようです。
改札とは反対側のホームに渡らなければなりません。階段を上がるのですが、家内も自分の自転車を持って上がりました。僕が往復して2台を移動させることになると思っていたのですが、10kgと軽いので、家内でも十分に階段の上り下りできるようです。ホームに自転車を置いて、初めての輪行の記念写真をパチリ。
定刻から少し遅れてるのか、もう1人の乗客のおばさんが、播州弁で、「次の電車、何時だったかなあ?」と聞いてきます。「少し遅れてるようですね」「どこまで行きないな?」「生野まで行って、そこから自転車でここに戻ってこようと思っています」。バイクでもそうですが、田舎に来ると、見知らぬ人との会話が自然で、旅気分を増してくれます。
前輪を外したとはいえ自転車はまだ大きいので、最後尾に置くのがいいかなと2両連結の後のドアで待ちましたが、入ってきた車両のドアが開きません。「この列車のドアは先頭車両のみドアが開きます」「え〜ここ開かないの?」と慌てて移動しようと・・・ドアの横についてる「開」のボタンを押してみました。開きました。自動で開かないだけで、手動では開くのね。
ドア横の最後尾の車掌さんのスペース前に自転車を2台立てかけます。端っこから車掌さんドアの半分ぐらいまで長さがあります。「やっぱり大きいなあ」。ラッシュアワーの電車には、ヒンシュクの視線が突き刺さりそうです。手すりにシートでくくり座席に座ります。30分2駅で寺前駅に着きました。播但線は、姫路からここまでが1つのエリアです。ここから終点の和田山までは電化されていないので、気動車に乗り換えなくてはなりません。
向かいのホームに止まってる派手なペイントの単車両に乗り換えです。後のドアから入ると、バスの整理券販売機のようなものがあり、その横に車椅子が入るような大き目のスペースがあり、自転車にちょうどでした。これは具合がいいです。「銀の馬車道」とか「鉱石の道」と大きくプリントされた白とピンクの車両です。生野銀山をアピールしてるようです。中学時代、姫路の私立に通ってた家内の親友が行くのから通学してたようで、感慨深げです。ワンマンカーでした。
ここから一気に山が迫り、市川渓谷に列車が入っていきます。窓から見える市川は岩がゴロゴロしています。結構な流れです。市川の対岸に市川に沿うように走る心細い道を僕らは走るのだろうか?ワクワクする感じと、大丈夫なのかなあ?という感じが心を騒がせます。勾配を増す軌道を気動車がうなりを上げて上って行きます。電車より「がんばってる感」が音に現われ、旅気分最高です。
渓谷美を堪能して2駅・30分で生野駅に到着です。生野銀山のある生野駅は、この辺では大きな町なのだろうけど、改札口には駅員さんがいません。切符を入れる箱があったので、そこにポコンと入れて、駅前ロータリーに出ます。首を長くして待っていたのは、2台のタクシーの運転手さんでした。僕らに「タクシーに乗れへんの?」視線を送ってきます。だって降りてきたお客さんは僕らだけだから。
ロータリーの真ん中に灯篭のモニュメントみたいなものが立ってて、その横に自転車を置きます。家内がすぐに袋から自転車を出し前輪を装着し始めました。僕らのタクシー利用がないので車内に戻った運転手さんが、暇つぶしに家内のゴソゴソをじっと見ています。動いてるものは家内だけだからね。僕は、「え〜と、どっちの道を行くのかな?」と周りをキョロキョロ。観光地図看板を見て、道を把握します。ブレーキのセットだけ力が要るので僕がやらないといけませんが、その他は家内1人でできそうです。
ササッと僕のを組み立てると、もう1台入ってきたタクシーの運転手が、缶コーヒーを飲みながら、「何処まで行きないな」「福崎の方までです。まずどっちに行けばいいのかなと思って」「福崎は簡単や。そこの国道に出たら、あとは真っ直ぐ。間違いようないわ。だけど結構スピード出してるから、車には気いつけなさいな」「ありがとうございます。助かりました」。

国道に出て、すぐにいい感じの景色が目に入り写真を取り出していると、家内が下り坂を抜いて行きました。自転車に乗り走り出すと、家内は下ったところの交差点を越えて、次の上りを上がっています。一気に下り下り、交差点を越えるとすぐに市川を越えました。僕の記憶では、市川の左岸から離れたところを播但道とR312が走り、市川右岸を県道が走っていました。「さっきの交差点を右折して、市川の右岸を走るんじゃないん?」。えっちらおっちら、家内を追いかけます。
上りですが快調に上がっているようです。ギアチェンジに慣れてきたようで、後から見てても「楽しい」が伝わってきます。躍動感さえあります。小さな坂を上った所に工場団地に入る右折の道がありました。「マサヨちゃん、ストップ」とそこに差し掛かった家内に声を掛けます。「さっきの川沿いの道を走らない?車も少なくていいと思うんだけど」と団地に入る交差点にあった地図を見上げます。うまい具合に、この道を下りて行っても市川右岸に渡る橋があります。
下って橋を渡ると、列車から見えていたあの景色がそこにありました。連日の雨で水は濁ってるけど、日頃はいい感じの渓谷美を提供してくれてるのでしょう。右岸道路は舗装されてる1.5車線道路です。時折離合エリアがありますが、市川横からすぐに山なので、道路拡張しようがありません。「こんな道、車は入ってこないだろうな」という感じで、結局1駅向こうの長谷駅までの渓谷を抜けるまで走ってる車は見ませんでした。唯一止まってる車のそばには、ウエットスーツのお兄さん2人が岸辺の岩の上にいました。「こんな濁流に入ったら流されちゃうのに、何してるんだろう」。
山からの木々が道を覆い、日が照ってる時でもサンシェイドになります。所々、山からの水が小さな急流になって、道の下を抜けて市川に注いでいます。小さながけ崩れなんでしょうか、小石が固まって路面に散乱してるところがありました。道の上に小さな水溜りが出来てるところもありました。ゆっくりとそこを通ると、後で「あ〜」って。「水が背中にかかった」。スポーツバイクには泥除けが付いていないので、後輪で巻き上げた水を背中に受けたようです。道は狭いけど、自転車には十分な広さで、基本下り時速16〜17km/hで快調に進みます。時折現れる播但線の鉄橋、市川と線路、背景の山・・・とても気持ちがいいです。この道自転車には最高です。写真を撮っては家内に抜かされ、追いつきを繰り返しました。
列車の車窓から頼りなげに見えた道は、素晴らしく素敵な道でした。でも「くま注意」の看板が出てたから、夜はダメですね。もちろん街灯もないので、真っ暗な道になるだろうから、よその世界に紛れ込んでしまいそうです。しばらくして生野から来たr39に合流しました。川沿いの道は県道でもなかったようです。県道に乗り、車を見かけるようになったけど、まだまだ自転車天国の道です。左に現れた播但線を越える踏切で、「あ〜ここ、猿の集団がいたとこだ」。昨秋、家内と車で峰山高原・砥峰高原に来て、生野銀山に向かった時通った道でした。峰山高原では野生の鹿を何十頭と見ました。下りて来たここでは、お猿の団体さんが道に広がり、しばらく写真撮ったりしていました。
ここの対岸に、急峻な山肌を縫って市川に注ぐ川があり、カメラに収めてる間に家内は先に行きました。お猿がいなくて残念なのと、自転車でお猿の団体さんに遭遇したら怖いだろうなと自転車で走り出すと、線路の上の木々がガサガサと・・・お猿さんがいました。ここはお猿の定番の場所かもしれません。しばらく走ると、今度は道路に蛇がいました。Uターンして近づくと・・・動いていません。やられてるみたいです。亀さんは、何匹轢かれて平たくなっていただろう。
長谷駅があったので休憩に寄りました。無人駅で、生野駅同様、切符運賃箱が置いてありました。「当駅は寺前駅が管理しています。御用の方は・・・」と電話番号が書いてありました。そして電話ボックスがありました。時折現れる神社で休憩しながら、広めの歩道を走ります。集落が現れると、県道に平行する集落内の道に入って行きます。畑で精を出している方、土手を草刈り機で刈ってるご主人、子供達数人が集まって小川で遊んでいます。大音量のカラオケの音が聞こえる家があります。ご近所が集まってカラオケ大会でもやってるのでしょうか?こういうのんびりした生活感がたまりません。道路にせり出してる木から、いがぐりが道路に落ちてるし。
寺前駅に寄ってみました。半分戻ってきました。生野を出発したのが11時半で寺前で1時半。昼食にしましょう。駅前に待望のお店がありました。自転車を店の横に並べて固縛。僕は冷やしラーメン、家内はご当地のがないかなと、銀の馬車ラーメンを注文です。生野銀山にあやかってのメニューかなと思っていたのですが、僕のもおいしかったけど、家内のはスープの味が今まで経験しなかった味でとてもおいしいとのこと。「馬のお肉じゃないのかなあ?」「じゃあ、豚骨じゃなくて馬骨スープじゃないの?」。ご主人に聞くと、マスコミに取り上げられた記事やご主人が映ってる雑誌がドンと出てきました。「また寄ってください」。また来ることがあれば寄りましょう。というより、食事が出来るお店は、生野からここまでで初めてだし。
駅前の観光案内看板を見ていて、「越知川名水街道」が目に入りました。越知川沿いの道で、ここを走る路面バスは、寺前の1駅福崎よりの新野駅から越知川上流のバス停まで自転車を乗せてくれます。輪行バックに入れれば、自転車は手荷物なので路線バスにでも乗れますが、このバスは、自転車をそのまま乗せてくれます。駅前には貸し自転車もあるので、手ぶらで来て15kmほどの越知川沿いの下りを楽しめます。機会を見つけて、一度体験しなくちゃね。
神社では、ボールをくわえてる狛犬さんや何かを踏んづけてるの、絵馬や白い牛の絵馬、神様の使い白蛇の絵馬も。家内が先に走っていても、神社やお寺があると「寄ってく?」と僕を待ってくれています。僕の参拝好きというか、謂れ読み好きのお付き合いも大変ですね。
新野駅近くの集落内の道を走っていると、不意に水車が目に飛び込んできました。「あ〜」と声を出して止まると、家内も止まって・・・水車は1台ではありません。水車が並んでる灌漑用水横の農道は、明るい土色の舗装がされています。水車は、低い用水から田に水を上げる仕組みになっています。この日は途中で水路の木枠が外され、引き上げられた水はまた用水に落ちていますが、観光用にもなってるようです。
そして甘地駅に着きました。帰着は3時、トータル3時間半の僕らの自転車遠足が終わりました。いやあ面白かった。生野からの渓谷道は最高でした。

図書館に戻り、自転車を積み込み、トイレで身だしなみを整え播但道南下、中国道東進して西宮北まで順調に走ってきましたが、お約束の宝塚トンネルまでの渋滞に捕まり、ここだけで1時間費やされました。自宅に戻り、スギモト君ちの電話します。母校の野球部が夏の甲子園出場を決めたので、仲間内で昼から祝勝会を開いています。まだみんないるようなので、シャワーを浴びて街中最速のスクーターに乗り換えて出撃しました。

2009/7/27
日曜日は、家内の実家加古川のお墓まで自転車で行く予定でした。我が家からはいつも中国縦貫・山陽高速を使い80kmほどなので往復で2時間しかかかりません。でも自転車で行くとなると、相当な時間が必要で、なんといっても僕らの脚力では無理です。そこで、JR福知山線で篠山まで北上し、そのまま西に向かい谷川駅で下車。ここからJR加古川線でJR西脇市駅まで南下して、ここから自転車で30kmほどお墓まで加古川・JR加古川線沿いに南下して墓参。その後最寄のJR加古川線の駅まで走り、電車で加古川・神戸周りで帰宅という安楽コースを予定しました。費用も「青春18切符」を使うと、1日乗り放題で2300円になるので安価です。
自転車を持って電車に乗るのは初めてです。2週間ほど前、買った輪行袋(自転車を入れる袋)に、僕のと家内の自転車を入れる練習したら10分もあれば出来そうです。土曜日の夜、リュックに輪行袋・カッパ・地図などを詰めて準備万端整えて就寝しました。
日曜日の朝、6時半出発なので5時半頃起きると、唯一心配だったお天気も曇りで大丈夫そうです。ゆっくり朝のお勤めをしていると、屋根を打つ雨の音が・・・しばらくすると土砂降りの音に・・・。「雨、降ってきたねえ」と家内から。多少の雨なら、夏のかんかん照りよりはマシだから決行と決めていましたが、土砂降りはいけません。「どうしようか?カッパ着れば、自転車は濡れても平気だから走れるけど」「私はどっちでもいいよ」といつものように、全面的に僕にお任せ状態です。
6時半には雨は上がりましたが、六甲山方面の空を見上げると黒い雲がしっかりあります。しばし考えて、「墓参り予備日」にしていた来週に順延ということにしました。「今からどうするの?」「18切符で醒ヶ井に行こうか。雨が降らなさそうなら現地で自転車借りたらいいし」ということにして、急遽自転車なしの旅行になりました。すたすた最寄のJR駅まで歩いていると、薄日すら差してきました。う〜む、今から家に戻っても、7時半の予定していた電車に乗れません。この電車に乗れないと、谷川駅発の加古川線電車が2時間に1本なので、帰宅が遅くなってしまいます。
横の家内を見ると「自転車に乗りたい」が透けて見えています。僕は毎朝自転車に乗っていますが、家内がスポーツ自転車に乗るのは日曜日、しかも僕と一緒の時だけです。「車で淡路島に行って自転車に乗ろうか」、それを聴いた瞬間に家内はUターンしました。
自転車に乗る服装に着替えて、車に自転車を積み込みます。7時を過ぎたし、日曜日は1000円で高速乗り放題だから混んでるかなと思いながら、西宮から阪神高速で明石に向かうルートじゃなくて、宝塚から中国縦貫回りにしました。高速は空いていました。西宮北でルートを間違え、山陽道・阪神高速ルートになってしまいましたが、無事明石の街中にやってこれました。明石の町は久しぶりです。
明石港はJRや山陽電車の明石駅の少し南なのですぐ分かりました。フェリーに乗るのが久しぶりなので、車検証を持って切符売り場の建物に行くのだろう適当に車を止め、それらしき建物に入ると売店だけです。あれ?おかしいなとそれらしき人を見つけ聞くと、高速道路の料金所みたいな所を通るだけみたいです。「車と同乗者1名で2150円。自転車だと1台650円です。次の9時の便はもうすぐ出発です。その次の9時半は減便してるので、10時の便になります」ということで、車ごとフェリーに乗ることにしました。最初の予定では、明石に車を置いて自転車でフェリーに乗ろうと思ってたのに。
「たこフェリー」には、子供達が小さかった時に乗ったきりです。当時はまだ明石海峡大橋が出来ていませんでした。日曜日の9時の便で車は10台ほどでした。これで経営が大丈夫なんだろうか。4時半の帰りの便はもっと少なく、岩屋港でいつも待たされたことがウソのようになっていました。売店も閉まってるし・・・。行きも帰りもバスが1台あったので、ホッとしました(僕がホッとしても仕方ないけど)。
波も穏やかで、楽しい船旅になりました。20分なので、外のデッキで海や橋、淡路島の山並み、明石や神戸方向を眺めていたら到着です。岩屋港内の1日500円の立体駐車場に車を駐車し、自転車を出して前輪をセットします。駐車場を出たら目の前が「絵島」です。岩屋港の名所、奇妙な形と色に侵食された島です。今までは通り過ぎるだけでしたが、今回は自転車なのでゆっくり見学です。案内板も読みました。
絵島を出て、まずは南下です。「淡路島にも自転車で行ってみたいと思うの」、1〜2週間ほど前に言った家内の一言でここにやってきました。僕らの脚力では淡路島一周なんて無理だけど、せめて東海岸と西海岸を走りたいので、どこかで横断しようと思う。生憎の向かい風でスピードは出ませんが、東海岸道路を走ります。岩屋の街中の絵島付近は車に気をつけなければなりませんが、街中を過ぎるとすぐに車道脇の歩道が広がり自転車道が始まりました。メンテナンスは今一で敷ブロックの隙間から草がたくさん出ていますが、これで安全に走れます。この道が、花博が開催された夢舞台・翼港まで続いていましたが、ほんとに自転車のことを考えたら、手間のかかるブロックを敷き詰めるのではなく、単に舗装する方がいいです。段差を拾ってやっかいです。国立の道路なんでしょう。無駄使いだなあと思います。
ウェスティンホテルが見えてきて、翼港で休憩しました。まだ11時頃なのでプレジャーボートは1隻です。天気のいい日曜日なら昼頃満員になるはずです。神戸大阪からちょうどいい距離にあります。途中のコンビニで買ったおにぎりで朝ごはんにしました。家内のお化粧直しが終わり出発です。大磯を過ぎ、東浦に入り、「松帆神社」という社を訪問してみました。立派なお社です。名前がいかにも海の神様を祀っています。参道の両側に並んだ石灯篭を見ていると、松下さんもありましたが、井植さんが多く、法人の三洋電機からの寄付もあったようです。裕福な氏子さんを抱えた社のようです。
ここで、珍しいものを見つけました。神社につき物といえば狛犬です。いろんな表情をしてて、ボールを踏んずけてるのがあったり、子供の狛犬を踏んで、その子が親の足を噛んでるという珍しいのまで見ました。狛犬を見るのも神社訪問の楽しみですが、ここの狛犬さんは亀さんでした。でも顔は亀のそれではなく獣の頭を持っています。狛亀とでもいうのでしょうか?裏の説明を読むと、「贔屓」というものらしいです。「ご贔屓」「贔屓の引き倒し」の贔屓です。贔屓というのは、ライオンの身体を持った人であるスフィンクスのように、伝説上の動物のようです。贔屓の字を見ると貝がこれでもかといっぱいあり、おまけに1つは戸の構えの中に入ってるから、お金持ちのご利益がありそうです。「贔屓の身体に触るとご利益が・・・」となっていたので、しっかりナゼナゼしてきました。いつものように、今までの家族の健康に感謝してチャリン・ガラガラ・パチパチです。
さっきから海岸道路の先に海からのランドマークになる大きな観音様が見えています。東浦を過ぎれば、しばらく島を横断する道路がないので、ここで決断しなければなりません。「あのさあ、あの観音様まで行きたい?この先しばらく横断する道はないから、行ったら往復10kmほどでここまで戻ってくることになるけど」「う〜ん、行かない。今日はなんか足が重いし」「足が重いのは向かい風だからだと思うけど、無理せずここから山越えしよう」。
本日の最難関、峠越えです。海岸沿いなので、標高イコール上る高さです。R28からr71に右折です。クルクル、坂はあまり急ではありません。前輪ギアをアウターの50Tからインナーの34Tに落としたら、後ギアは19Tか21Tで上っていけます。後を見ると家内もクルクルして上ってきます。
ところがここでアクシデントです。いかにも「雨降ってます」という感じの南西の山から「雨が降ってくるかもなあ」という暗い雲が流れてきて、一気にドッと降ってきました。「こりゃあかん」と家内の方に戻り、近くの木の下に避難しました。「カッパ着ようか」と促すと、「あそこまで行って雨宿りしたらどうかな」と家内からの提案で、少し上ったところにある小さな工場のようなところを目指しました。ところが、中間ぐらいまで来るとまたドッと降ってきて、たった50mの間に相当濡れてしまいました。まあいい具合のシャワーという感じで寒くはなかったけど。
「吹き流しの里」と書いてあります。鯉のぼりを作ってる工房?「昼休み中」の看板が上がり、「体験できます」ともある。中から子供づれの家族や若い女性のグループが出てきます。家内が英語表記の「TOY'S」を見つけ、「おもちゃ作ってるんじゃない?」。絵を見てわかりました。「吹き流し」は、丸く渦巻きになるチョウチョのくちばしのようなおもちゃで、空気を吹き込むと伸び、やめると渦巻きになって縮む昔からあるおもちゃのようです。子供が自分のを作る体験コーナーも併設してる工房のようです。
雨宿りしてると、ご主人が出て来て、「すいません、雨宿りさせてください」「どうぞ、どうぞ。えらい降りですね。いい自転車ですね。こないだ「安田大サーカス」の団長さんが、TV番組でここを走っていましたよ。時々、この道を自転車が走っていきます」「この道を行くと西海岸に出られますか?」「はい。もう少しで峠だから。この自転車、軽いですね〜」・・・って貴重な昼休みの時間をおしゃべりに付き合ってくれました。
雨が止んできて空が明るくなってきたので、カッパを着て出発しようとしました。家内が着るのを待ってると、「雨、降ってないよ」。なんと日が差してきました。「また降ってきたら着ればいいから、このまま行こうか」と僕もカッパを脱ぎます。
「もう少しって、どれぐらいかなあ?」と、家内は上り坂に閉口気味です。僕は家の近所の坂より随分マシな坂なので、まだ余裕があります。同じぐらいの斜度で少し上り、農業用水を貯めてるのだろう溜め池で平坦になりました。「これであとは下りかな」と期待したのですが、次に見えてきたのは、下りの道とその向こうの上り坂。「ぶ〜」。次の坂はさっきより急です。直前に下った下り坂が恨めしい。遠くに高速道路が見え、あそこまで上るのかなあ・・・。後を振り返ると、家内がいません。次のカーブで後を見ると歩いています。「やっぱり」。上ってきた家内と一緒に歩いて上ります。牛小屋があったり、段々畑があったり、鶯の歌が聞こえ、のどかなものです。
高速道路の下をくぐり、峠と思われるところにある郵便局の前の自動販売機で待ってると、家内は止まらずにそのままダウンヒルに突入していきます。峠制覇のご褒美に冷たいお茶を山分けしようと思ったのに。後で調べたら、標高177mまで上ったみたいです。足を止めて、一気に下ります。やがて眼下に海が見えてきました。海岸に風車が見えます。もちろん都度止まってパチリです。道端の素敵な花壇をパチリしたりするたびに、家内が横を抜いて行きます。
しばらく走って僕が来ないと不安になるのか待っています。そんなこんなで、西海岸まで下りました。横には「淡路高校」があります。西海岸を南北に走る「サンセットロード」r31との交差点で、「やったあ、淡路島横断」と叫びたくなりました。家内は、上りに閉口してたのに、「気持ちよかった」とご機嫌です。ここからは、北上です。山から見た風車が横に来てそれを見てると、「震災記念館」の文字が目に入りました。「寄ってみようか」と、寄り道です。
ここは「野島断層」をそのまま保存しているところでした。ベンチで休憩してると、また雨が降ってきました。慌てて売店の屋根の下に避難です。雨は短時間に上がったので、自転車に鍵をかけて遅い昼食にしました。すでに1時になっていました。家内はいつもぐらいのものを注文した後、「これじゃ足らないわ」とうどんを追加です。「自転車は、自分がエンジンだからしっかり食べないとあかんらしいで」と僕が言うと、「がっついちゃった」と満足そうです。人間おなかが減ると機嫌が悪くなるから、これでしばらくは平和のようです。
野島断層を見学し、震度体験を見て出発しました。震度体験コーナーでは、1度に10名ぐらいの方が、食卓とリビングを模写した部屋の椅子に座って阪神淡路大震災の震度7と震度4を体験するのですが、僕らはもうこりごりなので見ただけでパスしました。震度7ってこんなにすごく揺れるんだとビックリしました。一度ほんまもんを体験してるので、客観的に見る方がその揺れの大きさがわかるみたいです。この揺れに耐えた我が家は丈夫ですね。横には14年前震災にあった家がそのまま展示されており、台所の様子は、水屋が半分倒れ、お皿は割れて床を覆ってる当時の我が家でした。
またクルクル、淡路島の北端が近づいてきます。西海岸は、山が海岸際まで迫ってることもあり、家が少なく車の交通量も少ないです。海岸ではウエットスーツのおじさんがいます。潜ってサザエやあわびを捕ってるのかなあ?
明石海峡は、東進の潮のようです。淡路島先端では川のように潮が海峡に引き込まれています。巨大な明石海峡大橋の下をくぐると、そこに「道の駅あわじ」がありました。ここで休憩です。冷たい水を飲んで、明石焼きをほおばり、岩屋の町に入りました。午後4時半の便でまた海峡を渡りました。土日祭日1000円だと高くなりますが、日頃は橋を渡るよりフェリーの方が安くなります。
天気が思わしくないので、北に行くよりは南の方がましかなと淡路島に行きました。帰り、明石から高速に乗るために北上してると、北から流れてくる明石川が朝より茶色で、水かさが増えています。きっと加古川上流も降ったのでしょう。あっちに行ってたらどんな1日になったのかなあ・・・。

2009/7/20
先週末、僕はドラゴンのレースでしたが、東大主宰の七大学戦もやってました。結果は、470級優勝東大と3点差で3位、スナイプはダントツで手伝ってる京都が総合優勝しました。九大に10年以上負けっぱなしだったのに、やっとこ勝てました。ター君が3年だった北海道の大会では勝てると思ってたけど、アクシデントで全艇リタイヤして逃しました。日・月の連休は、クルージング艇で淡路島に1泊で行こうかという話がありました。でも僕は日曜日の午後仕事があったので、泣く泣く不参加です。
まあそれでシュンとする僕ではないので、朝6時にバイクで出動です。10時に別の用事があるので、遠方には行けず定番の北摂里山巡りです。家内といつか自転車で巡ってみようと思ってる知明湖周辺探索です。このダムは、完成した時から知っています。あらためて調べてみると完成は1983年だそうで、子供達が生まれた頃でした。そんなに古いダムじゃないですね。完成後、釣りに何度か来たことがありますが、その後周辺道路が整備され、行くところから通過するところになっていました。キャンプ場なども出来たことは知ってたのですが、どうも行く気にならなかったところです。ダムが出来る前は、もっともっといいところだったのに・・・。
バイクに乗るようになり、北摂の交通の要衝ということもあり、再び横をよく通りようになりました。国道や県道から外れた道に車がたくさん止まり、休みの日の憩いの地になってる雰囲気です。でもここには1つネックがあります。東側の湖岸道路になってるr604が、土日祝日ダム湖周辺だけバイク通行禁止です。やんちゃなお兄さん達がバイクをかっ飛ばし事故や苦情が多かったのでしょう。バイクでポタポタもっと北から都心に戻るいい道なのに残念です。r604を日曜日走ってて標識に気づきました。「峠道でもないのになんで」と思って、一応川西警察に確認しました。
ここの駐車場に車を置いて、自転車で散策するののに良さそうです。ということで、r12で猪名川沿いに多田まで北上し、多田でR173に合流して更に北上です。「一の鳥居」でR477は右に離れますが、いつもここで思います。「この交差点北の高台にあるお城はなんなんだろう?」。城跡でもなく、観光用のものでもなさそうです。青山短期大学の敷地内にある感じがするので、校舎なんでしょうか?でも青山短大って女子大だろうから、どうもお城の校舎が似合わない気がします。まあ今回も疑問のまま更にR173を北上します。
能勢電の日生中央の辺から、勾配を増して一庫ダムにアプローチです。r604との分岐、一庫ダム交差点です。ここの信号、毎回捕まってる感じがします。日曜日なのでr604には入れません。ここから後方に注意しながら右折場所を探して走ります。一庫交差点を過ぎてから軽い上りですが、しばらく信号がないので流れが早くなります。軽いカーブとトンネルが気持ちいいのかもしれません。反対の南下する方は、軽い下りでスピードオーバーになりがちです。つまり、時速70km/hぐらいで流れています。その途中に信号のない細い湖周道路への入口があります。注意しないと危ないです。
車がビュンビュン走る片側1車線道路の中央で右折のために止まってるのは怖いので、原付のように二段階右折しようと、道路の左端を走ります。最初のアプローチ道を見つけ、キープレフトでストップします。両方向を注意して右折しました。ここからとりあえず北上しました。すぐに立派な橋「さくら橋」があったのでダム湖になってる大路次川の左岸に渡ります。渡ったところに駐車場入口みたいなところがあります。そこは帰りに調べるとして、ダム湖岸というか川を遡ります。
この道、すごく気持ちがいいです。しかし何ヶ所かやんちゃなお兄さん達がぶっ飛ばした黒いタイヤ跡が無数に残ってるところがあります。タイヤ片もたくさん落ちてるし。更に遡ると吊り橋がありました。「龍化吊橋」となっていました。バイクを置いて、渡ってみましょう。「ん?揺れてる?」。吊り橋だけどしっかりした作りなので揺れるとは思っていませんでした。一気に小心になります。とにかく高いところがダメです。高いところに立つといつもなる、ふくらはぎから上がってくる冷たいものは、橋に足を踏み入れた時から上がってきています。しかも揺れて・・・真ん中を歩いたら対岸まで大丈夫だろうと思ってましたが、ここでギブアップ、若干足を広げ気味で、揺らさないようにバイクまで戻ります。「ああ、怖かった」。
更に遡ると、眼下に対岸の川底横を歩いてる釣り人を捕らえました。「あっ、トンネルがある」。ダム完成で沈んでしまった旧湖岸道路のトンネルでしょう。「あそこ、歩いてみたいな」と思いつつ、時間のこともあるので今回は写真だけにしときました。更に遡り、橋で右岸に渡ります。少しR173を走り、すぐに湖岸側道に入ります。こっちの道もいいです。車はほとんど走らないし景色はいい。自転車には最高な感じがします。
最初に渡った「さくら橋」まで戻ってきました。再び左岸に渡り、駐車場をチェックです。ところがここは出口専用らしく、R173・r604を回り反対側から入るように書いてあります。バイクだからチェックにいけません。残念。まだ時間があるので、R173を北上することにしました。ここで重大事が判明しました。交差点前に、バイクの形に斜め赤線が引かれた丸標識が立っています。「なんと」今走った道は土日祭日バイク進入禁止だったのかもしれません。また川西警察に問い合わせなければ。
旧道をチェックしようかなと走り始めたのですが、「民田口」交差点を通過し、更にr104分岐の標識を見つけ、浮気の虫が騒ぎ出して予定変更です。r104を入り、続いてr4、「来栖」からr602に入って「杉生」に向かいます。途中川の反対側に集落を縫う平行する道があるのを見つけ、自転車で来るときはあっちを選択した方が良さそうです。r602は交通量が多い道ではありませんが、僕らのようなスローサイクリングは、車の邪魔になります。
「杉生」からr12を南下し、北プールが視認できるところまできて、前々からずっと気になってたr12横に鳥居があって、本堂に向かって田んぼの中を参道が続いてる神社に寄り道することにしました。「春日神社」、藤原氏が信仰する神社のようです。後背の山に入るところにまた石の鳥居です。苔むした石段がいい雰囲気です。左右の石垣の間に石段が上り、石段の上に門というかやぐらが組んであります。パット見、武士の館です。後背の山の頂上に山城があったのかもしれません。ここは日常執務するその城主の居館跡じゃないのかな?きっとこの神社の裏手から頂上に登れる道がある、あるいはあったのでは?またまた中世への想像が膨らみます。藤原氏の荘園を守ってた農民武士が、公家の力が落ちて戦国の世に変わっていく頃、地域を守る砦が各地に自然発生した・・・そんな1つなのかなあ。銘板がなく、神社の謂れが読めずに残念です。
木津から西に峠を越えr319につながる道を探索してみることにする。木津まで南下し、「この辺だなあ」と思いながら進むが、「猪名川町スポーツセンター」まで来ちゃいました。「道の駅いながわ」なんて絶対南下しすぎです。地図を持ってこなかったので、道の駅で案内板を探します。ありました。じっくり見ていると、つながってるか分からないが、それらしき道は分かりました。ランドマークになる木津のかやぶきのしょうゆ屋さんの北、交番のすぐ北の川筋道のようです。
今度は北上です。何故かいつもここで入れてしまうGSで、ガソリン補給とトイレ休憩をします。怪しげな川筋を見つけ入って行きます。畑仕事の人に尋ねようかなと思いましたが、この川筋に入る時に見上げた後背が谷筋で、左右の山を見回してもここしか向こう側に行けそうな谷はありません。なんとなくビンゴそうでそのまま行く事にしました。上りになると、山を切り開いた小さめの畑でおばさんが作業しています。「こんな道に入って来るなんて」という風に、手を休めて僕を見ています。軽くお辞儀して上っていきます。道はどんどん荒れて行き、一応一度は舗装されているのだけれど、かなりはがれています。自転車ではパンクの危険があります。そして夜は怖くて来れそうもない道です。
左右の木々に覆われかなり暗くなったところを過ぎ、少し勾配がゆるくなったので(5%から2%になったという感じ)、バイクを停めてみました。さっきより明るくなり余裕が出来、鳥の声に包まれたくなったからです。鶯の合唱です。「気持ちいいなあ」。デジカメをビデオに切り替え、1分ほど録画・録音してみました。お金のかからないお土産です。「夫婦で自転車」だと押しが長くなりそうですが、鶯の合唱の中ならいいかもしれません。
エンジンをかけバイクを先に進めるとすぐに森が切れ、r319の見なれた交差点に辿りつきました。r319はここで90度角度を変えるのですが、直進方向にも道があります。車が間違わないように、大きく「r319こっち」看板が出てるので間違うことはないのですが、ずっと「真っ直ぐいくと何処に行くの?」と疑問でした。これで目出度く解決です。
ここからは定番コースです。r319で佐曽利、r68を突っ切りr33で西谷、ショートカット道を使い、長尾山トンネルから阪神間に帰ってきました。楽しかった。バイクはおもろいです。

9時半過ぎに家に戻り、用意されていたうどんの朝食を食べて、家内と車で出発です。注文していた家内のサングラスが入荷し、赤白と赤の色違いが入ったようでどっちにするか選びます。来週の準備が着々と整っていきます。
来週、雨が降らなければ家内の実家まで自転車で墓参りに行く予定です。大阪に出る家内を駅に下ろし、僕は勉強に出発しました。電車に乗るのが面倒だったので、スクーターで神戸まで行きました。連休だからかR43が混んでいますが、スクーターはすり抜けしながら快調です。勉強会の最初に、「今日は神戸祭りで・・・」という挨拶があり、「そうやったんや」、何となく人が多いなと思ってました。
勉強を終え、山手幹線とR2を使って快調に東進してると、芦屋付近で雨にあいました。慌ててカッパ着用しましたが、西宮に入ると雨は降っていなく局地的だったみたいです。一旦仕事場に戻り着替えて映画館に向かいます。家内と6時半に待ち合わせで、ちょっと早めに到着しましたが、更に早く着いてた家内から、「満席だって」。え〜、大阪や神戸なら、西宮でも分かるけど、ここの映画館で満席なんて、初めての経験です。「アマルフィ」前宣伝が効いたのか、僕のように「来た〜」の織田雄二好きの人が増えてるのだろうか?TV宣伝の台詞「ウワサが広まってるみたいです。夏休み初めの連休中日だから多いのでしょうね。平日の仕事後の最終回にでも行く事にしましょう。

2009/7/13
日曜日は、ドラゴンのレースでした。6時ごろ目を覚まし、外の様子を伺うと風の弱い曇り空です。9時にハーバー集合なので8時に家を出たら間に合うので、いつものように早朝自転車です。水を飲んで、ちょっとつまみ食いして出発です。池田の五月山から箕面の方に向かう山側の県道に行ってみようかなと家を出ましたが、サイクルコンピューターの時計を見ながら、がんばって走らないと家に戻るのが遅くなるなと、方針転換しました。川西能勢口から帰路につきます。単純に広い道を走って帰ると早く戻りすぎちゃうし、面白くないので、途中の裏道にコソコソ浮気しながら走ります。
こういう道を行くと、家から遠くないのに一度も訪問したことのないお宮やお寺を発見します。雰囲気の良さそうなところには自転車を停めてお参りです。路地に近所の人が世話をしてる花壇があり、朝顔が咲いてたり、見事な大輪の花を咲かせてる名前の知らない花を見つけたりします。そういう時はパチリです。早朝自転車をするようになって、より人の日常にある世界が見えるようになったと思います。
観光地じゃない小さなお宮でも、氏子の方が順番にやってらっしゃるのか、手水場には綺麗なタオルが掛けてあります。お参りしてると、近所の方だろうが、毎朝の散歩ついでというか、毎朝のお参りが早起きと散歩になってる風の方とたくさん出会います。旦那さんを送り出した後に出てくるのか、大きなおなかで手を合わせている妊婦さんもいます。お若い方には声を掛けないようにしてるのですが、「健康な赤ちゃんが生まれよ」と願ってしまいます。
何処の国と何処の国がど〜のこ〜の・・・、いろんなことが新聞に載りますが、人の世界を脈々と続けてきたのは、こういう何気ない日常なんだろうなと思います。地域のそういうものの拠り所になってきたのが神社なんじゃないのかな?外来の仏教が入ってきてもうまく同化し、明治政府が神仏分離政策する前は、お寺と神社が一緒になったところも多かった。お坊さんがいなくなったお寺は一気に荒れていくのに、神社は氏子中の方々が地域で守っています。お寺は、塀に囲まれ朝早くは門が閉まってたりしますが、神社は大抵はオープンです。夜中だってお参りができる。
どんな都会でも、見渡すと鎮守の森に守られて神社やお寺があります。そこは夏でもちょっと涼しく、銘文を読むまでもなく、百年単位で歴史が刻まれるゆっくりした時間が流れています。好きなんだなあ。でも、田舎の地域のお宮が随分と傷んでいってるように感じます。過疎化もあるのでしょうが、損得や効率・利潤という目先のことに目が行き過ぎて、百年単位で地域で守ってきたこういうものが切り捨てられつつあるのかもしれません。少しでもとチャリン&パチパチしますが、文化が廃れていくのはもったいないです。

家に戻り、シャワーを浴びて朝食をとり78時半過ぎに出発できました。ヨットに乗る用意だけだからリュックに入れてスクーターです。街乗りはスクーターが最強です。僕のは50ccだけど、100cc前後の2種スクーターにかなうものはないように思います。渋滞を気にする必要がないからいいです。これが壊れたら二種に買い換えようと思いますが、丈夫で壊れません。
8時半前にハーバーに到着しました。陸置きバースに着いてオーニングをはずします。コクピット内の板をはめ込み、各種シート類をブロックに通し、セールはどれを使うのかな?と思ってるとモリタさん登場です。メンバーが4人になるので、上がってレース観戦などできるかなと思ってると、休みがなくお疲れ気味で艤装だけ手伝うということになってるそうで、それはなくなりました。先月お休みだったオオノさんが来られ、セイルの指示を得てセットし始めると、シブカワさんが来られ、先週のオープンビックのレースでくたびれた話で盛り上がりました。やはり予想通り、ジュニアのチビッコ達にはかなわなかったそうです。ウインドワードに20艇も入ったそうで、ドラゴンフリートでこれを使ったレースをするのだとか・・・。
朝は全く風がなかったのですが、10時になると、11時のスタートに合わせたように南西からソヨソヨと吹き出しました。桟橋を離れようとしてると、ディンギーヤードから学生がたくさん出てきます。レースなのかな?ちょうど甲南のレスキュー艇が出ようとしてたので、引っ張ってもらうことにしました。
11時5分過ぎにJ24の予告信号が上がりました。どうもスピードが乗りません。上り角度が悪いようです。クルーでしたが、シブカワスキッパーの心境が分かります。ミドルのオオノさんがメインのセッティングをいろいろいじくります。僕もジブリーダーの出し入れや高さを変えてジブリーチをコントロールしますが今一です。練習用セイルの限界を感じるなあと言っておられますが、前はもう少しなんとかなってたような感じがするので、悪戦苦闘です。
風はいい具合に上がり、6m/sのいつもの風になりました。3レース目になってやっとこいいセッティングが出ていい感じになってきました。上れるようになりました。「ウエザーヘルムがなくなって、いい感じで前に出る」とスキッパーが嬉しそうです。体力的にきつくなってきますが、スキッパーから「ええ感じや」「ほれ、がんばれ」「最後のタックや」「今のジャイブ、スピンつぶれへんかったぞ、ナイスや」と声が飛んできます。会社でもこの調子なんでしょうね。部下ががんばろういう気になるはずです。僕の会社も、この会社と取引をしていますが、社員さんは皆さん感じがいいです。
最終レースは最終レグのデッドヒートを制して3番に上がり、シブカワさんはご機嫌でした。長めの最終アプローチは、それまでは上り負けで高さを失い負けていたシチュエーションでしたが、上って背中艇のアヘッドまで出て自信になりました。いくつになってもヨットレースは面白いです。後日送られてくるだろうGPSデータが楽しみです。

解装を終え、皆さん着替えてウェットバーで、レースのことで盛り上がるのでしょうが、僕はここで帰ることにしました。一点鐘で買い物しようとセンターハウスに入ると、ノースショップから声が掛かります。関大OBコーチ君が、「こんにちは。何か買ってってください」と。こないだはステッカー買ったけど、なんも買うもんないからなあと、ウダウダ話していると、タナカさんとキジマさんが。「あらま」。キジマ君のマストステップが壊れたそうです。
一点鐘でキーホルダーを2個とショックコードを1m購入しました。ショックコードは自転車にビデオを付けるために、キーホルダーは息子君たちのGFさんへのプレゼントです。そう言えば、モリタさんがギルモアさんのサイン入り帽子をくれるそうです。さらにドラゴン仲間のスギハラさんが、ジブバッグをくれるそうです。出艇前に来られて、「うちの艇は4つ」と言うと社員さんのマサオさんに「覚えといてな」と。ラッキーです。しばらくしたら、スギハラさんに直接ジブバッグをちゃんとお金払って注文しましょう。もらって「ありがとう」だけではあかんでしょう。誰かにプレゼントしたらいいかな?
自転車屋さんに向かいました。先週家内が注文したサングラスを取りに行くためです。しかし、まだ入荷していませんでした。来週の日曜日には入ってるようです。急いでないので平気です。続いてサドルを物色です。家内の自転車に着けたサドルがいいので、僕のもそれにしようかと思って。更にパット付きサイクルパンツ。最初に勧めてもらって買ったのをズボンの下に履いているのですが、レーサーパンツというのを見ると、随分パットが厚いです。「こっちの方がお尻に優しそうだな」と値段を聞くと、なんと1万円を越えます。くるぶしまである長さだからだろうなと、膝上の値段を聞くと8000円。「たかがパンツに8000円とは」、僕の金銭感覚のはるか上です。ではと、前聞いたサドルに付けるジェルカバーのお値段を聞くと1700円。サドルとカバーを購入し家路に着きました。
家に戻るとまだ家内は戻っていません。用意してくれてる夕食を食べ、早速サドルの取替えです。前後位置と角度を微妙に変えながら、町内を一周してまた作業の繰り返しです。「帰ってくるかもなあ?」とバス停にも回っていましたが、すれ違いで帰って来ました。白のスーツが似合っています。来週は僕が仕事でお出かけ、再来週はまた夫婦で自転車でもしましょうかね。

2009/7/7
日曜日は、母親の誕生日会でした。 母の誕生日は、アメリカの独立記念日と同じ7/4です。 「アメリカに生まれていたら、盛大に私の誕生日を祝ってくれてたのに」なんて、僕の小さな頃よく言ってましたが、祝いの機会が1回少なくなるだけなので、僕はやだなと思ってました。
今年は義理妹の提案で、弟家族も寄ってみんなで夕食を食べながら祝うことになってました。それまでは自由なので、「夫婦で自転車」の日にしました。 朝起きるといい感じの曇り空です。天気予報を聞いても、どうやら夕方までは天気が持ちそうです。朝一番に県知事選挙の投票に行き、2台の自転車を車に積み込んで出発です。 輪行袋という電車に自転車を乗せる時に必要な袋も用意できたので、初輪行も考えたのですが、夕方からの用事もあり、年度も経験済みな車にしました。
行き先は三田です。千丈寺湖のどこかに駐車して、武庫川沿いを走って、東条川を下って景色がいいらしい大瀬川渓谷、そこから帰路につきJR相野から千丈寺湖というルートを考えました。 距離的は30kmほどで、僕らには無難なとこでしょう。 寺社の謂れを読むのが好きだから、お寺だ神社だと寄り道するし、綺麗な花を見つけるとパチリしたくなってしまうので、しょっちゅうストップします。 速いスポーツ自転車乗りの方なら、休憩しても1時間半あれば行けちゃう距離ですが、僕らには1日仕事です。

宝塚の阪急山本駅から中山を上がり、定番の長尾山トンネルを抜けて北摂地域に入ります。 ランドマークの西谷農協を越え、r68から千刈ダム。 ここで道を間違えてJR新三田に降りてしまいました。 仕方がないのでR176を広野まで北上し、右折して再び北摂地域に入り千丈寺湖畔まで来ました。 道を間違え、曇り空で太陽の位置がつかめないので千丈寺湖の何処にいるのかよくわかりません。 この湖は、青野川をせき止めた青野ダムによって出来た人造湖で、波豆川も流入してるので湖の形が複雑です。 しかも周りの道路の標高差もほとんどなくわけがわかりません。
でもまあ、適当にどこか無料の駐車場に入れたら、あとは何とかなるでしょう。 小さな湖畔の公園の前に小さな神社がありました。 車が数台停まっています。 バス釣りの方でしょう。 ここに車を置いて、リアゲートから自転車を出します。 僕の自転車は土曜日の「早朝自転車」の時に空気を入れたばかりだから大丈夫だろうけど、家内のは2週間空いたから空気が減ってるだろうなと空気入れも持ってきたのですが、前後輪全然減ってませんでした。
「乗り方、覚えてるかなあ?」なんて家内は言ってますが、ママチャリの方はしょっちゅう乗ってるから乗り方を忘れることはないでしょう。 今までは僕が前輪をセットしたりはずしたりするのを待ってるだけでしたが、どうやら自分でやってみようと言う気になったみたいで、僕の手元を覗き込んでいます。手順を一応教えて、車輪を固定するところだけバトンタッチしました。 僕は自分の自転車のセットに取り掛かりますが、横であ〜だこ〜だやってます。
とりあえずこっちが北かな?と思う方向に出発です。 湖畔の道を進んでいけば、見慣れたところが現れるだろうといい加減なものです。 湖畔の道はとても気持ちがいいです。 車はたまにしか来ないし、道路はいいし、湖面が木々の間から見え隠れします。 バス釣りの方、湖畔でバーベキューをしてるご家族・・・みなさんゆったりしています。 しかも両側の木々に道路が覆われるような感じで、元々日差しはないけど、さらに肌に優しく、時折吹く風が梅雨なのにさわやかです。
この道実は西に向かっていました。 湖が切れたので湖に沿って左折して西に向かってると思ったら南に向かっていました。 なんかおかしいなと思いながら適当に走ってると、「青野ダム記念館」というところにやってきました。 トイレ休憩し青野ダムを渡って上からパチリなどしながら、結局波豆川の方にまで行ってしまい、わけも分からず走ってると、波豆川側の千丈寺湖を一周してまた青野ダム記念館に戻ってきてしまいました。 「あれ?また記念館があるやん」と思ってると家内から、「ここさっき通ったね」。 「え〜」と掲示してある地図のところに行って、周りの地形と道路を見ながらしばし思案です。 「車の場所に帰れるんだろうか?」。
まあしゃあないので、さっきとは別の道を選択しました。 すると車を停めた神社の前を通過。 これでダム湖のどの辺にいて、何処に車を停めたか頭に入りました。当初の計画でいえば、ダム湖の一番最寄の駐車場に停めてたようです。 無駄にダム湖を一周以上してしまいました。 今度は自信を持って北に向かう道を進むと、すぐに見慣れたランドマークに出て、目指す須磨田の交差点はすぐでした。
ここを右折して武庫川沿いを北上します。 この道はとても気持ちのいい道でした。 阪神間からかなり上流に来て、随分細くなった武庫川に沿った道なので、地図を見ながら「なんか良さそうだな」と思っていたのですが、綺麗な中央線のある道なのに車がほとんど通りません。 2台横に並んで走っても平気です。 武庫川の対岸の山の掛かりに鳥居を見つけました。 早速本日1ヶ所目の寄り道です。 日本という国はやたらと神社やお寺があります。 都会でもこういうところは小さな鎮守の森があり、オアシスのようにゆっくり時間が流れてる感じがします。 謂れを読むと、平気で500年という歴史を飛び越えて戦国時代になり、1000年前の鎌倉や平安時代創建のお社だって、簡単に見つけられます。 数々の戦禍の歴史を読むと、偉そうなこと考えてても、悠久の時代の一瞬を生きてるだけだなと思ってしまいます。
この神社は、相当傷んでいそうです。 石段を上がり、さらに上に石段が続いています。 家内は「僕に付き合ってられるか」と言う感じで「ここで待ってるね」と石段を1段も上がろうとしないし・・・おまけにスズメバチがうるさいのでスゴスゴと退散しました。 続いて見つけたのが八幡神社です。 八幡様は、八幡太郎義家を祀るお宮で、鎌倉幕府の祖源頼朝、室町幕府の祖足利尊氏の祖先、多田神社の清和源氏から派生した河内源氏の武将で、とても人気があったとか。 藤原氏の氏神春日神社に匹敵するほど各地にたくさんある神社です。 生花を生業にする農家なのか、数軒の農家がお花畑に高級そうな花を育てています。 写真を撮ってると農家定番のUV対策帽子を被ったおばちゃんが出て来られたので、「綺麗なお花ですね。楽しませてもらってます」「どうぞ、どうぞ」・・・田舎に来ると、こんな会話が自然に出てきます。
無人野菜販売所があり、覗くとでかいピーマンがたくさん入って100円でした。 曲がったきゅうりも100円だし・・・「安〜い、こんな大きなピーマンなかなか売ってないよ」と家内は言ってますが、でかくなりすぎて商品価値がなくなったのでしょう。 きゅうりだって曲がったから農協が買ってくれないのかもしれません。 僕の子供の頃は、こんな不ぞろいな野菜がいっぱい売られていました。 味がおかしいわけじゃないのにもったいないです。 「買って帰る?」と振ってみるが、「何処に積むの?」・・・まあそりゃそうだ、今は籠も付いてない自転車だし。
R176に近づくと、地域の公民館に投票に来る車が入っていきます。 100mほど交通量の多いR176を走り、すぐに向こう側に抜けます。 JRの線路が見えています。 線路を渡ると、「JR藍本、400m」と書いた標識が立っています。 ここで予定変更です。 当初予定は、千丈寺湖で迷ってしまったので、最初から崩れていました。 東条川を回る時間もないし、脚力の余力も心配です。
「駅に行ってみようかな?トイレがあるだろうし」、女子同伴だとトイレ休憩を適当に入れないと男子として失格です。 駅に行く途中、「酒滴神社」というお宮がありました。 道路正面に立ってる銘板を読むと、「さかたれじんじゃ」と読むそうです。 1000年前の疫病の流行時に、ここの山から出たお水を飲んだら治っちゃったそうで、神社が出来たそうな。 室町時代に作られた石鳥居は県下最古だそうで、県の重要文化財指定されてるそうな。フムフム。 こういう謂れを読みながら、「いい国作ろう鎌倉幕府」や「足利尊氏、戦ばかりで散々や」とかで覚えた日本史年表に照らすと、なんかいろんなことが想像できます。 「楽しいんだよな、こういうの」・・・相変わらず石段の下で休憩してる家内は、「そんなの興味ないわ」って感じで、周辺の家や田舎道を眺めています。
すぐにJR藍本駅に着きました。 予想通り無人駅でしたが、何故か横の駐輪場にはおじさんがいて、なんかアンバランスでした。 トイレ休憩してプラットホームに入ってみると大阪行きホームにJRアーバンライナー車両が入ってきました。 乗降者ゼロ。 料金表や路線図を見てると、家内がなんと自転車を押しながらやってきます。 いくら無人駅でも、そりゃあかんのんちゃうん。 プラットホームで自転車に乗り出したら、やんちゃなお兄ちゃんと一緒やんか、と見てると、おばさんがやってきました。 続いて外人さんも。 「どちらまで?」「大阪まで出ようと思って」。 流暢な日本語です。 ここは「立杭焼」の最寄駅だから、焼き物をやってる方かもしれません。 職人さんが着る作務衣風のお召し物が似合ってました。
ここからだと我が家の最寄り駅より、加古川線と合流する福知山線の谷川駅の方が近いです。 いつか輪行で行ってみたいと思ってるところです。 この夏、「家内の実家の墓参り後、突然義理姉の家に自転車で乗り付けてビックリさせてやろう」とういう目標があります。 家からダイレクトに自転車で乗りつけられるような豪脚ではないので、加古川線で出来るだけお墓の最寄駅までズルしてやろうと思ってます。
当初予定を変更し、ここから帰路です。 JR相野駅まで線路沿いを南下し、そこから東進して千丈寺湖に戻ろうとr75を進みます。 なんか風が強いです。 しかも向かい風です。 「雨が降るのかなあ?」なんて家内が言ってます。 適当に車が来るし、なんか今一な感じがしたのでストップ。 「また武庫川沿いを走ろうか?」と家内に提案。 家内は元々プランなんてなく、ただ僕についてきてるだけだから「いいよ」と、もちろんOKです。
武庫川沿いの須磨田の道は、対岸の南側に山があり、予想通り南風を防ぎ気持ちよく走れました。 気持ちのいい道なので調子に乗って、「何キロ出るかチャレンジしてみるわ」と言い残し、足をぐるぐる回しスピードアップ。 ギアを1段1段重い方に切り替えて・・・前からの風圧がすごく、下り坂のようにスピードに乗りません。 今一上がらないスピードメーターを見ながらスピードダウン。 家内を待とうと止まって後ろを振り返ると、家内もぐるぐるしています。 なんか楽しそう。 ツールドフランスとかでは、トップ選手はゴールしたら両手を挙げるんだけど、僕らには両手離し運転は怪我の元なので、にこ〜と笑いながら家内もストップしました。
いつものペースに戻してポタポタ走ります。 須磨田口交差点で自転車を電柱に立てかけて休憩です。 道路の縁石に座ってると、信号で止まった車から視線が飛んできます。 家内はランニング用黒タイツの上からだけど超ミニスカートなので、きっといい感じなんだろう。 男なら普通視線が行くよね。 家内のミニスカートは、最近お若い女子が街着としてよく履いてるフリルが段々になったものだけど、生足にダイレクトにこの超ミニを履いてる子もいる。 脚線美に自信のある子が履くから、ドキンとしてしまいます。 あのスカートの下に白い足は反則です。 犯罪が起こらない方が不思議です。
ここからこの日唯一といっていい上り坂がありました。 「しんどくなったら右ハンドルのギアを1の方に下げたら楽になるからね」「1でもしんどくなったら左ハンドルの前ギアを1にしたら、もっと楽になるよ」と後に声を掛けます。 そろそろ歩くかな?と時々後を振り返りますが、クルクル回しています。 坂の頂上からすぐに掛かってる青野川の橋で止まってると、「歩かなかったよ」と満足そうにやってきました。 「左を1にしたら全然前に進まなくて止まりそうになったから2に戻したよ」と。 「お〜、軽いギアを残しての坂上りだ〜」。 つい2ヶ月前のクロスバイク初日は、「ギア代えたら、そっちが気になって足が止まっちゃってストップしちゃう」と言ってたのに、上り坂の途中でギアチェンジできるなんて随分慣れてきました。
車へは迷わずに戻れました。 硬いフロントブレーキをはずしてやると、家内は自分で前輪をはずしています。 サングラスを忘れたので僕の自転車用サングラスを貸してたのですが、全くずれないし軽いので気に入ったようです。
帰りの車の中で家内が電話をチェックすると、弟から電話が入っていました。 折り返すと義理妹が熱を出したので、本日の母の誕生会には不参加だそうです。 僕の電話もチェックしてもらうと、同じく弟からの電話が録音されていました。 せっかく電話を携帯してたのに、マナーモードでリュックに入れてたら着信が分からないよね。
自宅付近まで車で戻り、予約してた母の誕生日ケーキを買い、隣の母の家に。母には弟からの電話が入ってたようで、弟達が来ないのを知ってました。 5時にはまだ時間があるので、自転車屋さんに向かいました。 家内が僕のと色違いの赤い自転車用サングラスを買うためです。 ついでに僕の自転車の車輪に反射板をつけてもらいました。
母の誕生会は3人になり、3人にしては大きすぎるケーキになってしまいましたが、久しぶりにバースデーソングを歌い、ロウソクを吹き消し、写真を撮りました。 子供達や弟のところに送ります。 来年もやろう。 その後、「まずはファッション」な家内用に自転車の時履くスポーツシューズを買いに行きました。 今履いてる白いFILAだけが前から使ってるものなので、他の服装が新しいものに更新されて合わなくなったようです。 FILAやなんだっけ?なブランドの白や赤やピンクの色の入ったオシャレな靴を物色して、結局アシックスをご購入なさいました。 さすがに元オニツカタイガー、履き心地が最も良かったそうです。
昨日の月曜日、家に帰ると、「お客さんからスタイルいいけど何かやってるの?と聞かれたから、自転車に乗ってます」と答えたそうです。 「レースに出るようなカッコいいのじゃないですよ。サイクリングだから」と付け加えたようですが、この2ヶ月で随分変わったみたいです。 「一緒に自転車に乗らない?」と誘って良かったようです。 ツールドフランスが始まり、TVニュースでそれをやってると2人で見てるなんて構図は、この春までは全く想像もされませんでした。

昨夜、日曜日に千丈寺湖周回道路で家内の後について写したビデオを編集しました。 自転車音や無粋な僕の声が入ってる音声部分を消し、マクロスの天使の絵の具の中島愛版を被せてみました。 オリジナルな飯島真理もいいけど、中島愛もいい。 声優さんって、なんでこんなに綺麗な声してるんだろう。 凝り性ではないので単純に一部分の映像を取り出して音楽を被せただけだけど、いい感じで映像とリズムが重なり、偶然いい出来栄えになりました。 そこで家内のPCフロント画面にくっつけておきました。 新しくアイコンが増えたのに気づくかどうかわからないし、分かってもクリックするかもわからない。 もしクリックしたら驚くだろうな。 内緒にしとこ。 
楽しい日曜日でした。 走行距離は、自転車に乗り出して最高の38kmを記録しました。 帰宅途中で昼食を取った西谷の釣り池のお店で、僕が清算してる間に立ち上がった家内は足に力が入らずこけたと笑ってました。 「僕は平気だよ。月曜日は筋肉痛になるんじゃないの?」と言っといたのですが、どうやら平気だったみたいです。


逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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