ウェブマスター日記 April-June/2009

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2009/6/30
日曜日は、琵琶湖でプレインカレのレースでした。3日ほど前の天気予報では、雨を覚悟という感じだったのですが、前日の天気予報では曇りに回復しています。当日の朝、曇り空で目覚めました。暑くなるかもしれないので、6リットル入りのウォータークーラーを車に積んで6時前に出発です。
7時頃柳ヶ崎に到着し、いつものように柳ヶ崎駐車場前に車を止めて朝のお勤めです。ここは元原っぱで、適当に駐車してたけど舗装されて無料駐車場になり、ゲートが出来て朝一番は入れなくなりました。今回訪問すると、24時間入れるようになってるけど、駐車料金が必要になっています。それが1日上限・・円という表示がなく時間単位の料金設定だけのようで、ここに1日停めたら、街中の駐車場よりはるかに高くつくようになってました。ここ数年のここら辺の発展はすさまじいです。レイクビューな高層マンションがポコポコ建ち、人口急増地だと思います。京都駅までJRで2駅なのに、琵琶湖を望むリゾートな景色の中で暮らせます。
7時15分頃、艇庫の方に回りました。朝から風が入っており、いいレースが期待できます。8時定刻で出艇申告提出、シラカワ監督さん・OBヨシダさんがやってきてレスキューの方に回ります。新人マネさん3名とマリエさんを乗せ、一旦コンビニに寄って、麦茶4リットルと氷1kgを買ってクーラーに詰めます。いつもの夏場のレースのように、レース後「冷たいお茶を振舞ってリラックスしてもらおう」。綺麗どころのマネさんが5人も乗ってるし、選手はがんばらなくっちゃね。

レースは、レース中ほぼ0という風速から3m/sぐらいまでの微風・軽風の風域で4レース行われました。2日間トータルで8レース、スナイプ2位・470級3位でした。スナイプ柴田君が、この風域でスピードアドバンテージを持っており、スタート後順調にバウを出して下の船を上突破していきます。今後の練習は、彼をランドマークに練習すれば、スナイプチーム全体のスピードアップにつながりそうです。
最終レースでイシイちゃんがトップホーン鳴らすし、470のカトウ君も一時トップの時があったしいい感じです。先週の練習を見て、なかなかいい状態になってるので、大いに褒めましたが、それが結果でも証明され良かったです。ただキャプテンうえの君が出入りの激しいレースをしていたので、不本意だったでしょう。良く走ってるのにOCSなどでもったいないです。まあ、「まだ本番じゃなくいろいろ試せる時期だから、チャレンジ心を失わないように」と先週レースに臨むに当たってしゃべったので、これもいいでしょう。彼のボートスピードは一級品なので、470チームのランドマークです。
ただ一つ残念だったのは、レース前帆走練習で、高さが上がってリードした艇が負けてる艇にベアして合わせたことでした。それをしたらあかんと毎年のように言ってるけれど、もうあきらめた方がいいのだろうか。これをやってたら、負けてる方の船が、どれほど負けるのか・スピードで負けるのか・高さで負けるのかが分かりません。「敗者へのやさしさ」という感じでベアして揃えるのだろうけど、僕には「強者のおごり」「強者から敗者への施し」にしか見えません。敗者にとって、何の益にもならないと思います。
考察・実験・検証・考察・実験・検証・・・の連続で、その風域にベストスピードが出せるセッティングノウハウを積んでいかなければなりません。その実験の結果が、「どれだけ負けたか」になります。勝者は敗者の実験結果を、きちんと与えなければなりません。そこを安易にベアして合わせてしまっては、次の検証が出来ません。「あそこをこう動かしたら、差が半分になったぞ」とか「逆に僕の方がどれだけ速くなった」の繰り返しが、ヨットのおもしろさの1つでもあります。
ヨットレースは、根性で勝てるような簡単なものではありません。体力勝負でもありません。レース結果の半分以上は頭の勝負です。速いボートに乗ってないと、どんなにコースを考え、正解コースを引いても結果はついてきません。ボートスピードがないと、コースも見えてきません。速い船に仕上げ、風域や波に合わせてチューニングを変え、乗る位置やハンドリングを変えないと勝てません。
レース後の全体ミーティングでまたこのことをしゃべりました。スピードアドバンテージのある艇は、自艇と敗者との差をきちんと示すようにと。必ずその結果を良しとせず、セッティングを変えて自分との差を縮めて来るから仲間を信じていたらいいと。差が付いたら艇団を止めて、チューニング時間を取って再び帆走練習に入ったらいいと言いました。果たしてどうなることやら。

レスキューに乗ってた1回生の名前を聞きました。覚えの悪いおっちゃんですが、覚えていかなければ失礼になります。記憶が間違っていなければ、ナカシマ君のようにいつもタオルを頭に巻いてるマエカワキヨシ(キヨシは本名ではないみたい)君、一番黒くなってるノムラ君、そしてカナサキ君。女子マネさんも3人いてたけど、覚えられたのはカイさんだけ。「これから5回は名前なんだったっけ?って聞くから教えてね」と言ってあるので、いずれ覚えられるでしょう。

2009/6/22
日曜日は、琵琶湖での大学ヨット部コーチです。でもその前に3ヶ月毎にやってくるバイクの定期点検です。買ったお店に連絡すると10:30からOKということです。その前の時間帯で、家内と早朝自転車の予定を組みました。午後から都会に出て用事のある家内も、最近自転車に乗るのが楽しみのようです。
このルートに毎回結構悩みます。ウィークデイの1人だけの早朝自転車なら、出発した方向で適当に決め、適用に予定変更し、適当に帰ってくればいいですが、家内との場合、上り坂を多くしすぎちゃだめだし、長い距離もダメです。と言っても、僕自身スポーツ自転車初心者で上り坂にはからきし弱いし、1日の最高距離だって、家内と走った時の30km少しなので、家内を上手にサポートするなんてことは出来ません。自転車だけじゃなくて、今までの旅行でもなんでも、「どこかに行く」事に関しては、全面的に僕にお任せしてくれるので、その信頼を裏切らないことだけを考えて計画しています。
土曜の夜は、大まかにルートを決めて夢の中に。気になるのは天気だけでしたが、朝、目を覚ますと外から雨音が聞こえています。まだ5時半なので出発予定の7時までに止んでくれることを願い起き出しました。「おはよう」、起き出してきた家内からは、「おはよう、雨降ってるね」。シャワーを浴びて、午後からのヨットの用意をしてたら、天気予報通り雨は上がってゆきます。
「雨、降ってるから8時から車でどこかに行こう」と予定変更していたのですが、さらに予定変更して当初の予定通り7時に出発にしました。車に僕の自転車を積んで、続いて家内の自転車の前輪をはずし、車に積もうと表に出ると、雨が降り出しました。「こりゃ、あかんわ」。家内の自転車をラックに戻し、前輪のはずされた僕の自転車だけを積んだまま、車で出発です。
僕はいつもの休日のおっちゃんのトレーニングのようなスタイルですが、家内は前回の自転車スタイルからバージョンアップしています。速い人が着てるピチットした黒タイツは同じだけど、前回その上にはいてたヒラヒラスカートが、赤青チェックのミニスカートに変更されており、なかなかおしゃれです。「こんな格好で自転車がないと、かっこ悪いね」なんて言ってますが、都会に出るわけではないので平気でしょう。
向かった先は清和源氏とつながりの深い「満願寺」です。源氏本拠地の多田神社が平地にあるので、他勢力から攻められた時の山の上にあるここに上って抵抗するようになってたのだと思います。ここに上がれば、中山連山の山中を移動し、いろんなところに逃げられます。
先週の早朝自転車で行ったとこです。昔から知ってたのに、一度も行った事なかったところですが、とても雰囲気のいいところでした。「ここは家内にも見せてあげなくちゃ」と思ったのですが、阪急宝塚線花やしき駅からの上りが、半端なくきついです。前回、自転車で来た僕は延々と続く坂にあっさり諦めて、自転車を押して上がりました。原付バイクだってひーひー言いながら上がらなければならない坂です。こんなとこ家内と自転車で来たら、僕の評価はダダ下がりです。
「この坂、きついやろ。押して上がってん」と車で楽々上がり、無料の満願寺駐車場に車を入れて、清和源氏の本拠地多田神社から移設されてきた仁王門から入っていきました。小雨が降る満願寺は、前回よりいい感じでした。多田神社とのハイキングコースの標識があったので、「源氏のふるさとを巡る」ツアーもいいかもしれません。僕なら多田神社から上ってくるコースより、ここまでバスで上がり、多田神社に下るコースを選択するでしょう。
ここには、歌舞伎で有名な美女丸さんのお墓がありました。美女丸さんは清和源氏の祖源満仲の子で比叡山の高僧源賢の幼名で、親子・家来との悲劇の主人公です。更に坂田金時(足柄山の金太郎)のお墓がありました。まだ早いので開いていませんでしたが、売店のウインドウを覗くと金太郎さんのTシャツがありました。でもやっぱり金太郎さんと言えば四角い腹当てでしょう。
この周りは宝塚市なんですが、満願寺だけ川西市なんだそうです。川西市にある多田神社との関係なんでしょうね。
家内もとっても喜んでいる風なので、車で多田神社に回りました。直線のハイキングコースなら3〜4kmというところなんでしょうが、一旦雲雀丘花屋敷駅まで下りて、川西能勢口から猪名川に沿ってr12旧道を北上します。僕が小学校の頃は猪名川沿いの道からずっと見えていた赤橋が、今は住宅が立ち並び見えません。
それらしき地名の交差点があったので、そこで右を見ると赤橋が見えました。右折して赤橋の手前で止めます。自転車で来たときは自転車を置いて参拝したのですが、駐車料金が取られるので、赤橋から遠望して猪名川町役場の方に進みました。
この役場、趣のある歴史建造物だったのですが、今は建て替えられてがっかりです。その手前にいい感じのお寺があったので、役場の駐車場に車を止めて見学しました。ところが早すぎて門が閉まってる・・・お寺はもっと早起きなんじゃないの?なんて思いながら横の神社にお参りしました。
この神社の狛犬さんの雰囲気がどうも変です。よく見ると、石ではなく鉄なのかな?金属製です。左の狛犬さんは鞠を踏んづけてるし、右のはわが子?を踏んづけてる、踏んづけられてるわが子?は親の足に噛み付いています。なんとまあ・・・写真をパチリしてしまいました。手入れのあまりされていない感じでしたが、この狛犬は値打ちがあるんじゃないのかなあと、お賽銭を奮発しておきました。
その横には、立派なかやぶき屋根の建物があります。土塀もいい感じで興味津々でしたが、如何せんここもまだ開館前でした。拝観無料となっていたので、ここにはもう一度来なければね。
R173に出て一気に帰ってきましたが、r12の方が早かったかもしれません。家に着く頃にはすっかり雨は上がり、もう30分早く雨が上がってくれていたらなあと。

家内はお風呂に入りだし、僕はバイクで点検に出発です。チェーンが少し伸びてきたようで調整してもらい、オイルとオイルフィルターを言われるまま交換しました。オイルは3ヶ月または3000kmに1度交換で、オイルフィルターはオイル交換2回に1回交換なんだそうです。
ちょっと減ってた空気圧を上げてもらい高速で一気に京都東を目指します。もっと排気量の大きなバイクだと気持ちがいいのかもしれませんが、どうもVTR250での高速道路はおっかないです。前回奈良に行く時時速100km/hでも走ってみましたが、巡航70km/hというのが僕にはいいです。ということで、70〜80km/hの速度で走ります。天王山トンネルに差し掛かるころ、雨が降ってきました。「なんだ〜」と思いながらも、すぐにトンネル、一瞬でてまた次のトンネル・・・高速道路なので、バス停でもないとカッパを着るためのストップが出来ません。小雨の中突っ走りました。東山の方に雲が掛かっています。あそこは雨かもなあ・・・天王山付近を抜けると雨は上がりましたが、桂川PAで天気様子見とトイレ休憩するためにバイク置き場に入れました。先客のドライバーさんから、「あのすいません。ここから一番近いGSは何処ですか?」との質問です。「すぐに京都南ICで、そこで下りればR1だからGSはありますよ。次の大津SAにもGSありますよ」「大津まではどれぐらいですか?」「さっき標識で大津19km・桂川3kmとなってたから、16km先かな?」。僕のVTRもバイク便ボックスを付けてますが、後に結構荷物をくくりつけておられます。広島からの帰りだそうです。燃料がなくなりリザーブに切り替えてからも結構走ってるそうです。僕のより大きなバイクだけど、16kmなら1Lあれば行けそうです。大丈夫と踏んだのか、タバコを取り出し、喫煙場所の方に行かれました。
トイレから戻ってくると先ほどのバイクはいませんでした。無事GSにたどり着けるのでしょうか?「カッパ要るかなあ」と空を見上げて東山を見ていると、「Super Quarter」とかっこよく書かれた「HONDA JADE」が入ってきました。VTRと同じホンダの250ccホーネットの1代前のバイク、僕の2気筒と違い4気筒の素敵なサウンドです。JADEの方が幾分大きいのかなと思ってみてると、雨に濡れてないじゃん。どうやら僕の通過した10分後には雨が降ってなかったみたいです。
JADEさんは、ヘルメットを脱いでipodを調整しただけで、素敵なサウンドを残して行ってしまいました。ドライブ音楽をいじくっただけのようです。カッパを着るのはやんぺして、そのまま出発です。僕のペースにちょうどの車の後ろにつき京都東インター下車です。バイクにはETCなんて付いてないので一般レーンで、通行券とカードを出します。「これ期限切れてますよ」「なぬ?新しいのが来てたら交換してるはずなのに・・・」「じゃあ現金で」と2000円を渡します。「お騒がせしました」と一言お礼を言って出発です。料金1300円って、普通車1600円なのに高くないかい?今日曜日は1000円で乗り放題だし・・・。

湖西道路を走り、艇庫に1時前に到着しました。3部錬の3回目は1時半に出艇ということでしたが、今浜に着艇しているところです。こりゃ2時出艇になりそうです。2Fに上がると、女子マネ新人さんが3名いました。マリエさんが教えてる風です。子分が出来てよかったね。3人とも見たことあるような感じなので、僕の車で新人勧誘試乗会に送り迎えした子だと思います。
スナイプはマリーナカップという草レースに出場中で、470と新人シーホッパーだけの練習でした。2〜3m/sの琵琶湖らしい風での練習でしたが、470はロールタックの技術が上がっています。全艇丁寧な、でも思い切った大きな動作が出来ているので、この1ヶ月いい練習を積んできてたようです。1回生のシーホッパーは、例年バラバラになってしまう時期ですが、揃ってちゃんとクローズを走っています。上りすぎで止まってしまう船もなく、上回生の教え方もさることながら、飲み込みが早い子が揃ってるようです。いい感じです。
ショートラウンディング・ロングラウンディング・スタート練習・レース練習、ホッパーは同じマークを使って時間差でレース練習しました。時計やフラッグ・ホーンを1回生に振りながら、新人マネさんたちといろんな話しをします。日焼け防止の話をしてる時に、「焼けちゃいました」と手との対比で腕まくりした腕を見たとき、あまりの白さに思わず「綺麗な肌してるなあ」と言ってしまいました。まあおっちゃんというものは、平気でこういうことが言えるヤツだと勘弁してもらうしかありません。
ハーバーにレスキューを戻し、車で艇庫に戻る段になりましたが、6名で定員を1人オーバーです。マツミヤ君運転の第1弾に新人マネさんを乗せ、僕と美人のマリエさんが残り、マツミヤ君の第2弾を待ちます。でもR161は随分混んでる感じなので徒歩で帰ることにしました。元アラカワ車が、今やクラブ共有車になってることを知りました。「普段京都に置いてあり、誰でも使えるようになってるんです」「男の子は悪さに使うんじゃないの?男ってそういうもんだからなあ」。
そしてヤナセ君のおめでたい結婚の話も聞きました。院生だけど、あいつまだ学生の分際なのに・・・。来年の就職は決まったそうですが、新入男子社員を先輩OLさんたちが品定めするちやほやなおいしい時期に、既に既婚者とはご愁傷様です。
全体ミーティングを終え7時半、「今から京都に抜けて亀岡から篠山に抜けてホタル狩りもいいかも」と思いながら、結局クラス別ミーティングにも参加しました。高速利用で帰宅したら、11時でした。この日も盛りだくさんな日曜日になりました。来週は琵琶湖でプレインカレ。再来週はお袋の誕生会。そろそろお盆の墓参りのメニューを考えないとね。

2009/6/15
日曜日は、ドラゴンのポイントレースでした。シブカワさん、モリタさんと組んでの出場です。
レースに興奮したわけではありませんが、5時前に目覚めてしまいました。今年6月はまってるホタル鑑賞に、土曜日の仕事後も行こうかなと思ったのですが、「明日レースだし」と自重したのが好影響したのかもしれません。
4時台に目覚めると、通常なら「早朝自転車」から「早朝バイク」に切り替えです。でもそのまま「早朝自転車」を決行することにしました。地図を見ていると、空港からちょっとで「服部緑地」があることに気づきました。僕の頭の中では、服部緑地は阪急千里線沿線で、阪急宝塚線の西にある空港とは違うエリアでした。「コレぐらいなら僕の貧脚でも行けるかも?」と思っていたところでした。
家内を起こさないようにコソって身支度し、玄関から自転車を外の道路に下ろします。駄六川を進みJR伊丹駅を目指します。浅い都市河川なのですが、結構でかい鯉が泳いでいます。川面の背びれを探しつつよそ見の連続です。JR伊丹駅の地下道を東側に抜け、いきなり立派になった駄六川を猪名川合流部まで。この合流部の橋の下がまた鯉の密集地です。昔、ここの少し下流の猪名川で鯉を狙って置き竿してたら、鈴が盛大になり、なんとどでかいなまずを釣ったことがあります。鯉なら平気で掴むのですが、うろこがなくヌルヌルのなまずはかないません。陸に引っ張りあげて、へっぴり腰で針をはずし、逃しました。それ以来、このエリアでの釣りはやめました。
猪名川を左岸に渡り土手を下り、田能遺跡から東向きに豊中を目指しました。この道沿いに「服部緑地」があるはずですが、工事中で通行止めのところがあり、ごちゃごちゃ曲がっていたらR173に出ました。こっち「服部緑地」の標識に従って右折すると、早朝という事もあり交通量がなく、軽快な道です。「ホンダドリーム」店のショーウインドウから今乗ってるVTR250新型車の試乗車を眺め、「乗ってみたいなあ」と思い、良さそうな自転車屋があり、「覗いてみたいなあ」と思い・・・プラプラ走ってると、「もう80歳近いんじゃないかなあ」という白髪の素敵なランニングスタイルのおじさんを追い抜きました。
緑地に入ると、大勢の方がラジオ体操をしておられました。皆さん僕より上のお年と思われる方々で、毎日の日課になってるんでしょう。ちょっと大きな公園では、早朝のこの時間はどこでも見かける光景です。テニスコート・庭園・古墳・乗馬・・・を回り、花壇の花をパチパチ写真に収めました。
「千里の方に北上し、中央環状を西進して帰ろうかな」と目論んでいたのですが、時刻は6時になっており、7時に帰宅しないとレースに遅れそうなのでそれは断念し、空港滑走路の下を東西にくりぬくトンネルを通ってみることにしました。R173に出て、すぐに阪急宝塚線側道にチェンジして北上です。「阪急岡町駅」を西進し、空港トンネルに到着です。東進・西進の道を眺めて、どっちの側道が広いか調べます。同じぐらいであまり広くありません。車道脇の白線の外側が広めなので、そこを走ることに決定しました。このトンネル内は、警官がいるわけないので飛ばす車がいて、自転車では走りたくない道なので敬遠していました。ヘッドライトを点灯し、サドル下の赤灯を点滅にして、ここは一気に西側に通り抜けましょう。足をぐるぐる回し、向こう側まで駆け抜けました。幸い追いつく車はなく、路面への注意だけで事足りました。ここの路面、いいとは言いがたいです。油断してるとこけたり、パンクさせたりしそうです。やっぱり自転車では通りたくない道です。

この復路は距離が短いようで、往路より15分は短縮できたようです。シャワーを浴びて着替えて、原付でハーバーに出動です。「あっ、時計忘れた」・・・取りに戻り、「サングラス忘れた」・・・もうええわ、で余裕で船に着くつもりが、集合時間の9時ほぼジャストになってしまいました。先輩方はもう来てオーニングがはずされてるし・・・。
マストのてっぺんの先月動いていなかった風見を見上げると、動いています。それはいいのですが、ランニングの時の目安になるウィンデックス下の2本の針金がどっかにいっています。「う〜む、かなわんなあ」、シブカワさんは「今年1年はこれでいかなしゃあないなあ」と言っておられたが、果たして来月まで持つのでしょうか?お隣や、そのお隣を見てもちゃんと現状維持してるのに、うちだけなんでなんでしょう?きっとこの春新品に交換したから匂いとかが違うのでしょう。鳥さんの好きな魚味とかなんじゃないのかな?
艤装中は風が弱く、10時ごろになると南に振っており、スタートの11時には3m/hほどの風が入っていました。弱いながら絶好のレース日和です。この日の僕のポジションはクルーです。シブカワさんがここ2ヶ月お休みで、ずっとスキッパーをしてたので、クルーのルーチンを思い出します。
第1レースは、スタートを出遅れました。下マークでのモタモタもあり5番でフィニッシュです。5分前にスタートするJ24は、久しぶりの盛況で8艇です。去年の全日本の為に福岡に行ってた数艇が戻ってきています。
第2レースも出遅れで5番、第3レースはラインに乗ってスタートし、2上は先行する3番のサワダ艇に追いつきましたが、スターボ見通しできつい下タックにあい、逃げタックの決断に躊躇したのが大きく、ビリの6番にまで落ちてしまいました。サワダ艇も5番と散々でした。最後のビーティングで右に出してレインボーさんに追いついた感じになったのですが、がくんとスターボにベアが入って万事休すでした。
ここでレースは終了です。いつもならもう1レースなんでしょうが、夏の暑さだったので、ちょうどいい感じでした。ハーバー片付け後、ヨットクラブ2Fで「どこでもヨット」観戦会です。タワさんが用意されたGPSを全艇のバウ下に装着し、PCに落としました。レース艇がヒョコヒョコ動き、なかなか面白いです。それにしてもレース後の短時間で用意していただいて、「タワさん、ありがとうございました」。イサミさんの膝が赤くなっており、お風呂が辛そうでした。僕は、夏でも長袖長ズボンにツバ広ハットです。
僕は、「車検」の予定があるので、早めに席をはずしました。1Fの一点鐘で、ショックコードとキーホルダーを買いました。キーホルダーは来月母の誕生日に来てくれる弟んとこの兄弟へのプレゼントです。夕方の帰りは、原付の威力発揮です。R171のこの時間帯は渋滞気味なので、車よりも大型バイクよりも早いです。多分最強は、100ccぐらいの原付ニ種スクーターでしょう。
6時過ぎに帰宅し、外でバイクをゴソゴソしながら、「じゃあ行こうか」と玄関を開けると、「どう?これでいい?」と家内が一周回ります。弟から昔もらったたぶんランニング用のピチットした黒のタイツにヒラヒラミニスカート姿です。最近おしゃれな女子がよくやってるコーディネートです。中山寺参拝後に百貨店のスポーツ用品コーナーで自転車ファッションを物色したようで、これに落ち着いたみたいです。「なかなかいいよ。似合ってるよ」「ほんとに?ちゃんと見て言ってるの?」といつものように信用されていませんが、「今一やなあ」なんて言えるわけないでしょ。
すぐに自転車の服装に着替えて出発です。バス道に沿って阪急伊丹まで下り、阪急伊丹線の線路沿いを下り、左折して産業道路沿いの自転車屋さんに向かいました。下り基調の道ということもあるのでしょうが、快調に付いて来ます。家内もクロスバイクに慣れてきたようで、少しずつスピードが上がっています。
今回の「車検」は、車の車検ではなくて、家内の自転車の1ヶ月点検です。自転車屋さんに着き、前車輪をはずす時僕が下手に調整して前ブレーキの引きしろが変わってしまったのを説明し、全体バランスを点検してもらいました。交換部品が出れば別だけど、点検自体は永久無料なので、1ヵ月後は3ヶ月に1回自転車を持ってくるのを勧められました。僕の自転車もあるので、2ヶ月に1度はお世話になるでしょう。
盗難防止用に、家内の自転車のサドルストッパーをレバー式からネジ式に変更しました。僕の携帯空気入れをスタンド式に交換しようと思いましたが、大きめなので足に当たることもあるそうで、ポンピングする必要のないCO2ボンベ式を購入することにしました。
帰路、荒木村重の有岡城の北の守り砦があったところに建つ猪名川神社に寄って帰りました。当時の土塁跡が残り、なかなか雰囲気のいい神社です。7時を回り、暗くなってきたので2台のライトを点灯して家路に着きました。朝と合わせて、トータル33kmを走りました。自転車での過去最高距離です。段々、電車&自転車への自信がついてきました。

2009/6/8
日曜日は、曇りの予報だったので、琵琶湖へ大学ヨット部の手伝いに行こうかなと思っていました。ところが週末に近づくと予報が晴れへと向かい、土曜日には「晴れマーク」だけになりました。兵庫北部・京都北部も、午前中だけ曇りで午後は晴れ。降水確率も低い。予定を変更して、家内に「美山」の「かやぶき屋根の里」を見せてあげようと思いました。ただ観光するだけではつまらないので、自転車を積んで、そこから片道13kmの「京大農学部芦生演習林」を目指すことにしました。芦生付近に源流がある由良川を遡るr38は、昨秋バイクで走りましたが、とても気持ちのいい道です。車だと狭い道ですが、2輪だと最高の道です。
前日、「朝7時に出発。でもまあなんだかんだで8時ぐらいに出発になるかな」と話していたら、まさにその通り、8時出発になりました。いつものように、3列目シートを倒し、僕の自転車を寝かせて、家内の自転車を真っ直ぐに入れて、倒れないように左右からシートで固定します。
r13・R173・R477・R372・R477でひたすら北上し、園部に抜けました。r19で日吉ダム・神楽坂トンネルでR162周山街道に出ました。GPSに指示されるまま快調に来ましたが、なんと霧雨が降ってきたではありませんか。確かに朝起きた時の天気は、予想外に曇りでしたが、天気予報は「急速に回復」を伝えています。スクーターに積んでるカッパを下ろし忘れ、1セットしかカッパを持って来ていません。
「カッパあるかなあ?」と淡い期待を胸に、「美山ふれあい広場」という道の駅に車を入れて休憩です。横に「美山牛乳」と大きく書かれた工場がありました。近所の野菜や魅力的な美山特産品が売っていました。「美山観光センター」に入り、美山の四季の写真を見て、観光地図をいただきました。車を置く予定の「かやぶきの里」には、あと10kmしかないので、時間つぶしでゆっくりします。雨じゃなかったら、すぐに行って自転車を楽しみたいところですが、天気予報を信じて雨が止むのを待つしかありません。
毎晩のヨーグルトのお供用にイチゴジャムを買い、おいしそうだったから昼食用に「鯖寿司」も購入しました。一通り回って車に戻ると、相変わらずの霧雨でしたが、駐車場はバイクばかりになっていました。どうやら皆さん僕らと同じように「雨はないな」と思ってここまで来て、「まいったなあ」と天候の回復を待ってる風です。
ここからr38に入り、田舎道を進みます。「これ由良川やで」と家内に言うと、兵庫県で日本海に注ぐ由良川と京都のこの川が結びつかないようで、頭の中で地図を浮かべている様子です。左右の山は、天気の回復する時に霧が高度を増すように、上の方だけ霧の中です。これがもっと上がり日が差すと虹がかかるんだろうなという感じで、この景色もなかなかいいです。「いい景色ねえ」とキョロキョロしながらご機嫌のようです。
「かやぶきの里」に到着です。駐車場に車を入れて、家内はカッパを着て相合傘で、かやぶき集落の見物です。いっぱい写真を撮りました。観光協会で見た写真では、全部の家がかやぶきでしたが、それは1950年代だったので、今は所々に瓦屋根の家があったりします。時代の流れですね。かやぶき職人の不足や、近隣の家の男手の協力や技術の伝承の影響でしょう。観光地区でもあるけれど、それぞれの家は現役の住居だからなあ。
火災対策の放水ガンがたくさん設置されています。民宿になってる家や農村の暮らしを紹介する家、喫茶店になってるかやぶきの家もあります。車に戻り、天気の回復を願って早めの昼食にします。車でさっき買った鯖寿司を食べるのもいいですが、横にはちゃんとしたお店があるので、そこでお蕎麦を賞味しました。店内では職人さんがそばを打っており、それを見ながらゆっくり食べます。
斜め前の席には、単独行バイク乗りさんが食べています。後ろの席では2人のバイク乗りさんがしゃべっています。ハーレー2台の方でしょう。時々、雨中を奥に向かってr38を進むバイク集団が通り過ぎます。「ここまで来たんだから行こうや」ということなんでしょう。運転手1人だけ乗ってる2シーターのオープンカーが前を通り過ぎます。霧雨だから大丈夫でしょうが、せっかくの車なのに、オープンカーにしての雨中突破はないんじゃないの?ヤケクソですか?
11時半になりました。外のお客さんを見てると、傘を差している人やそうでない人がいます。「私だけカッパ着て自転車で走るから、あなたは後から車で付いてきたらどう?しんどくなったら車に積んでもらうし」「サポートカー付きなんて、どんなすごい選手が走ってるのかと思われるよ。オリンピック選手の強化みたいじゃない」なんて、いろんな話が出ます。12時まで待って今後を考えようと思っていましたが、アイデアが頭に浮かびました。「篠山なら雨は大丈夫なんじゃないかなあ。前回雨で断念してるし」。
そのアイデアを話すと、「うん、それがいい」と、篠山まで戻ることになりました。帰り道は往路とは別の道にしました。R162を少し北上し、JR和知駅に向かうr12由良川に沿う道です。r12に入り、「ここら辺だったなあ」と歩き始めたばかりの長男君と来た正月の宿の事を思っていました。「次男君が家内のお腹にいたんだったっけなあ?」。あの時は、雪が舞っていました。京都市内からR162を北上し美山まで来ました。結婚した次の正月には長男がお腹にいたから、僕ら家族の初めての正月旅行だったかもしれません。
「つるや」という看板を見つけ、「つるやだったんじゃなかったっけ?」と家内に。「ああ、ここだ。見て」と、当時そのままのたたずまいでつるやさんはありました。玄関一面に、草花から作った自家製の果実酒のビンが印象に残っています。女将さんに勧められるまま、おいしい果実酒を部屋で飲みました。口当たりが良く、とてもおいしい。長男君があまりにねだるので、「ちょっとだけ」と口をつけさせたのがダメで、あっちをちょっとこっちをちょっとと口をつけているうちに、とうとうぶっ倒れました。
布団の上をヨチヨチ歩きながら、真横に倒れてしまいました。慌てました。酒飲みのおっさんみたいに、そのまま寝てしまいました。翌日の二日酔いはなかったみたいで、さすがに若いので回復は早いです。後日談があります。大学クラブの新人勧誘コンパで飲んで帰ってきた長男を駅まで迎えに行った時、上機嫌で赤い顔した長男君が第一声、「僕、飲めるかもしれん。お酒おいしいねん」と。つるやさんでのことを思い出しました。あの時、酒の味を覚えたのかも・・・。

篠山まで戻ると、雨の形跡はどこにもありません。午後1時です。前回見つけられなかった「八上ふるさと館」に車を入れました。明智光秀の丹波平定に最後まで抵抗し、謀略で城主が殺されるまで落ちなかった波多野氏の居城「八上城」跡の登山基地です。先客は1台のみです。自転車を出し、空気を入れ出発です。
R372は交通量の多い道ではありませんが、すぐに旧道に入り、家内と横に並んでえっちらおっちら東進です。まず目に付いたのが骨董品屋さん。八上城のある高城山前の立地なので、ゆかりの品でもあるのかな?と中を覗いてみるが、茶碗から大砲まで置いてありました。
「春日神社」というのがあったので、寄ってみることにしました。北摂地域の神社の特徴でしょうか、拝殿の他に能舞台があります。農閑期の娯楽だったのか、この日見た神社全てに能舞台がありました。天井からは古そうな絵馬が風雨にさらされて判読不明のようになっています。奥からは階段が山に続いており、どうやらここから山頂の城跡に登れそうです。
中世の山城は、いくつも登山口があり、平時はその周辺に館を構えていたと思われます。苦戦を強いられると、最後の砦の山城に篭り、地形の利を利用して攻め手の攻撃をしのぐ感じなのかなあ。武運を願い社が作られたのか、山への畏敬の現われか、登山口にはお社があることが多いです。「春日神社」ということは藤原氏の社、曽我入鹿を暗殺し天皇中心を回復した大化の改新の立役者中大兄皇子(天智天皇)を助けた中臣(藤原)鎌足から始まった藤原氏が、武運長久を願ったそうです。
「いつか登ってみようか」と家内を誘ってみるが、昼なお暗い山に伸びる山道を見て「なんか怖い」と。どうやら単独で登ることになりそうです。森を見つけてはちょこちょこお社に寄り道しながら進みます。
「磯宮八幡神社」というのがありました。ここは大きな構えです。でも誰もいません。樹齢何百年と言う木々が茂りいい雰囲気です。足利尊氏が京都で破れ、九州に落ち延びる時に植えたという萱の木がありました。この木の実は、硬い殻がなく渋皮のみで、世界でたった1本だけの珍しい萱の木だそうです。この実を植えても育った萱の実には硬い殻があるそうです。「ハダカガヤ」と紹介されていました。鎌倉幕府を滅ぼし、室町(足利)幕府を創始する足利尊氏が、落ちて行ったところのようです。
篠山は、尊氏が幕府討伐の挙兵をしたところでもあります。鎌倉幕府の御家人だった尊氏が、倒幕に立ち上がった後醍醐天皇勢制圧の為に、関東武士団を率いて京都に攻め上った。後醍醐天皇は敗れて壱岐に流された。再び倒幕に立った後醍醐天皇と戦を交えるが、説得されて倒幕派に変わり、室町幕府へ・・・波乱万丈の人生を歩んだ方です。関東出身のようですが、元は多田神社の清和源氏の流れを汲む人で、倒幕の挙兵を同じ北摂の地というのが興味深いです。敗れても勢力を盛り返す、人が集まる魅力的な人物だったのでしょう。神社やお寺に寄ると、謂れが書かれており、今までの知識と結びついて、歴史ロマンが開きます。僕は楽しくていいのですが、家内は「また寄るの?」みたいな感じです。教科書で習ったものは忘れちゃうけど、現地で見たものは結構忘れないものです。まあお付き合い、宜しくお願いいたします。
日置の集落を東に進むとお馴染みのr12に当たりました。「天引峠」まで旧道を更に東に進んでもいいですが、今回は南下することにしました。光秀は「八上城」を兵糧攻めにしようとして失敗した南からの間道の名残とかがあるかなと、高城山の裏「曽地奥」に回ってみたかったからです。「しばらくr12を走らないとダメかなあ」と思っていたのですが、ほとんど走らずに「曽地奥」への道に入ることが出来ました。
曽地川というのか、川沿いに細い道が通り、車もほとんど走らない斜度もあまりない自転車にやさしい道です。この川沿い、やたらと「ほたるの里」の看板が立っています。ホタル鑑賞ポイントと思われる場所には、ベンチも並んでるし。家内が「ここすごいんじゃない?」。一躍ホタル鑑賞ポイントエリア4に認定です。そのまま道を上がり、田畑が尽きたところで、獣よけフェンスに阻まれてしまいました。道は更に続いているので、その昔は山向こうの集落につながっていたのかもしれません。
上り坂ですが、家内は快調に上がり、どこかに行けるところがないかなと、フェンスを恨めしそうに見ています。Uターンして下りです。家内のやらせ快走シーンをカメラに収めたりしながら、見落とした神社(r12と合流したところにあった八幡神社とか)に寄り道し、車に戻りました。サイクルコンピューターをチェックすると、1時間半走行で20kmとなっています。実際の時間は3時間なので、半分神社に寄り道してたということです。甲山の時は平均速度10km/hでしたが、今回は13km/h。普通に走ったら15km/hぐらいで行けるようです。

その後、素直にr12で家に戻りました。でもこれで終わりではありません。ホタル行が待っています。母親を誘うが例によって、あっさり一言「行かない」でがっくり。7時少し前に家を出て、R173天王を目指します。ウィークデイ仕事後に、「こんな遅い時間に飛んでるのだろうか?」と行った阿古谷川で味をしめました。今シーズン早くも2度目(僕は下見も含めて3度目)のホタルです。天王から始まる羽束川を三田野外センターまで下ってみようという計画です。篭坊温泉までの間で「乱舞」を経験したという情報を得ていました。
光を嫌うホタルには好条件の「曇り」です。期待していたのですが、篭坊温泉までは阿古谷には至りませんでした。ゆっくり車で走りながら、たまにホタルさんが光っていましたが、「集団で」という場所はありませんでした。まだ6月の第1週だから時期も早いのですけどね。
篭坊からr12後川に至ろうとするところで、3台の車が止まっていました。「いるのかも」と横を見ると飛んでいます。早速車を止めて鑑賞です。阿古谷以上でした。でもホタルが嫌う風が強いので、草や木に止まって光ってる感じです。
後川を右折し城東トンネルを抜けて、自転車で見つけた曽地川に入ります。日中と違い暗いので雰囲気が全然違います。車が1台、ホタルはいましたが、まだ役不足の数です。ポツン・ポツンと光ってる程度です。そしてここは風がまともなので、ホタルさんも「今日はしゃあないなあ」と開店休業してるのかもしれません。八上城を攻めた光秀は、兵以外の農民などには兵を向けなかったそうです。
でも、兵糧攻めが曽地の僧の働きで利かなかったことに怒った光秀は、関係僧や人足を捕らえて首を撥ねました。昼間、この川沿いの道にそういう首塚や供養碑を見ていたので、暗い寂しい時間帯に長居はしたくなかったので、羽束川に戻ることにしました。
後川から三田に向かって川沿いを走ります。ポツンと光ってる個体は見つけましたが、三田野外センターのところでも川中の草むらに数個光るだけです。風が強く寒いので、早々に引き上げることにしました。r37から離れ、川沿いの道を進むと、高売布神社の北の「ここはいそうだな」というところにいました。でもここも数個で、風を避けるように土手の草むらで光ってるだけです。
r37を南下、「木器」で左折してr323を東進、「出る」という話のある大坂峠を通りたくない夜に通り、波豆川沿いの道を南下します。バイクを買うまでは、北摂のこんな道など知りませんでした。今では、曲がりくねった細い道も、ここは何処に続いてると頭に入ってしまいました。我ながらすごいです。
僕の北摂地区のランドマーク「西谷農協前」をr33の近道に入ります。さっき、いたちが車に轢かれたのか道端で倒れていましたが、今度は狸さんです。僕の車の光に驚いたのか、車の前を走っています。目の周りが黒いのですぐに分かりました。家内が「かわいい」と喜んでいます。道幅は狭くないですが見通しが利かない道なので40km/hほどで走っていましたが、後から車が追いついてきます。道を譲りたいがカーブが多くて危ないので、後を走ってもらいました。カーブを曲がると、今度は猪が道路を横切りました。後の車に道を譲っていれば、猪に車が猪突猛進したかもしれません。平和にこの一瞬を過ごせた功労者は僕かも?
イタチ・狸・猪と段々大きくなり、次は鹿か?と期待しましたが、それはなくr33に合流しました。この近道は、r33の近道というより、こっちがメインストリートのように、ほとんどの車がこの道を選択しますが、この周りは野生動物の宝庫のようです。午後10時でこんなんだったら、更に交通量の減る真夜中はどんなことになってるのでしょうか。「怖いもの見たさ」の心に火がつきそうです。

2009/6/1
日曜日は、朝から雨でした。土曜日の天気から回復し、日曜日は一日中曇りだと思ってたのにがっかりです。午前中、家内と自転車、午後からバイクの予定だったのに困ったものです。
雨が上がったので、8時から散髪です。帰って来て町内会のどぶ掃除です。役に当たってないので、家の周りをすればいいだけです。どぶさらい用スコップでゴミ袋に入れます。水を含んで重たいです。側溝が詰まらないように、道路からの排水が一旦会所に入って、泥を下に沈殿させてから上澄みの水だけを側溝に流すようになっています。うまい具合になっています。側溝は雨が降らないとドライです。会所の泥掃除だけなのですが、両隣は高齢の方なので、三軒分ついでにやります。歩道に這いつくばってゴソゴソやってると、お隣さんのお爺さんに見つかって、「すんませんなあ」「いえいえ別に・・・」。その後お爺さんがお婆さんを呼んだようで、お二人で「すいませんねえ」って、腰をかがめて手伝おうとされます。家内と2人で「腰、痛めますから。お互い様ですし・・・」と返って恐縮してしまいます。町内会の取り決め日ですが、都合のつかない家庭もたくさんあるし、うちだって別の日にしたことも多々あります。

11時を回り、もう雨は降りそうにない感じになってきたので、自転車冒険開始です。甲山の中腹にあるお寺が目標です。「またしんどくなったら、車を取りに帰ってね」の家内の言葉に「のんびり行くさ」と出発です。武庫川を渡り、宝塚競馬場前の道を仁川を目指します。ギアチェンジがよく分からないからと、28T×21T固定で走ってます。「まずこれで慣れてからね」と言ってます。ギア比1.33なんて、僕の自転車の一番軽いギアとあんまりかわりません。軽く回せるだろうけど、平地でスピードが出ません。前回より明らかに遅いです。でもここでなんとかかんとか言うとあかんから、じっと我慢して一緒に走ります。少々の坂は、そのまま平気で上がれるからまあいいかと。
競馬が開催されているようで、お客さんがいっぱい歩いています。道路脇では、駐車場の方が車を呼び込むために大きなフラッグを振っています。1日1000円です。ガードマンさんがたくさん交通整理で立ってます。やっとこ雑踏を通過し、仁川の交差点を仁川に沿って北上です。前を走ってたママチャリおじさんがいきなり右にUターンしました。僕らは真っ直ぐ後ろにいたから平気でしたが、後から来てたロードバイクさんが「おっとっと」と。ママチャリさんを避けて、僕の横を「こんにちは」と言いながら追い抜いていきます。格好はトレーニングウエアズボンの僕らとは相当違ってピチピチパンツの方でしたが、ヘルメット被ってるのは同じだから挨拶をしてくれたのでしょう。「こんにちは」。そのまま上がっていきましたが、それほどスピードを出すようでもなく、家内がいなければ僕でも十分ついていけそうです。ママチャリさんを避けてから、僕の前で「カシャ」。ペダルに足を固定した音のようです。避ける前にサッとはずしたのでしょう。かっこいいです。
僕の母校KG正門前に到着です。正門にはTOEICの試験会場案内の看板があります。「試験会場はこちらです」なんて係りの方が言ってます。チャペル前には「大阪産業大学」と書かれたマイクロバスが止まっています。団体で受験しに来たのでしょう。中央芝生から時計台、背景の甲山が綺麗です。学生時代と変わっていません。日曜日ですが学生は結構歩いています。自転車を押しながら芝生を回り、経済学部から法学部の方に。ここでは「司法事務官一種二種」だったかな?の試験が行われているようです。
学生会館側に抜けて、自転車を停めて食事をすることにしました。ここまで家から40分です。あんなに遅いスピードだったのに、電車で来るよりよっぽど早いです。お尻に「Cheer」書かれたパンツをはいてるチアリーディング部の女子、軽音楽部と思われるサックスをテーブルに置いてる男子、ちょうどお昼ということもあり食事をしていました。お母さんと小学生高学年の男の子・更に妹のグループ、サンデー毎日風のおじさん3人組、僕らのようなご夫婦など、学生ではない方も数組います。
トレイを持って、厨房のおばさんに「カレー下さい」とか言ってお皿を受け取り、最後に会計するシステムです。家内と2人で、カニクリームコロッケ・ライス・味噌汁・デザート・カレーライスで680円。レシートに1206kcalとカロリー表示されていました。メニューには食品自給率まで書いてあり、きつねうどんは12%、味噌汁は優秀で58%でした。
自転車に戻り甲山に登ります。KG裏の浄水場横にKGの新しいグランドが出来ていました。テニス部が練習しており、練習を終えたのかサッカー部が団体で学校の方に下っています。「こんにちは」と僕らにも挨拶してくれます。「えらいねえ。私にも挨拶してくれたよ」と家内。「僕も学生時代は、ハーバーでは誰にでも挨拶してたよ」と話すと、驚いていました。サッカー部には、家内の従兄弟の息子君が在籍してるのですれ違ったかもしれません。
「甲山森林公園」の入口です。地図を見て、大体の方角を頭に入れて甲山大師さんの方に向かいます。公園内は自転車に乗ったらあかんので、押して歩きます。子供達が小さな頃来た事がありますが、家内はすっかり忘れてしまっています。池のカモや亀を眺め、公園事務所横の花壇を眺めます。ここの掲示板には、動植物の目撃情報が載っていて、カワセミもいるようです。魚取るとこ見てみたいなあ。
西宮から上がってくる道路に出てさらに上がります。結構な坂で道路も細いので、ガードレールの外側を歩きます。僕は1年ぶりぐらいの甲山大師神呪寺です。自転車を置いて石段を上がります。道路下の門の前にロードバイクが数台休憩しています。自動販売機が3台もあるから、ここらを走る自転車乗りが集まる場所なのでしょう。関空は霞んでいましたが、海から大阪平野、大阪平野の向こうには生駒の山、池田箕面から宝塚につながる北摂の山が綺麗に見渡せます。新幹線・R171・大阪空港、空港に降りていく飛行機・・・いい景色です。
ここから甲山頂上を目指す・・・ような無謀なことはせず、仁川に向かって下ります。2人の足に相談すると、まだ行けそうなので仁川から北上し、宝塚に回ってみることにしました。ここからは快調な下りです。真夏ほど暑くなく、日差しも曇りで鋭くありません。道路に被さる木々の陰も気持ちいいです。道路の入口に、「二輪・スクーター・自動車通行禁止」というバリケードが置いてあったので、土日祝日は歩行者・自転車天国のようです。「これも二輪じゃないの?」と家内、わざわざスクーターも書いてあるから、あれはバイクのことを指すんでしょう。
フェンスに囲まれた五ヶ池にやってきました。学生の頃は、この池の回りに売店もあり仁川ピクニックセンターといういい場所でした。「滝もあったのになあ」とちょっと残念です。仁川高丸から出来るだけ阪急小林側に下ります。どこかで線路を越えちゃったみたいで、宝塚に向かって北上してると左手に阪急電車が走っています。小林の駅手前で聖心女子が見えたので、ちょっと寄ってみることにしました。小さな案内板に従って行くと駅。ここからどっちに行けばいいんだ?家内が「こっちかなあ」と線路に沿って東側を南下する道を指差しますが、線路を越えないといけないし、小林駅南に踏切はなかったように思うので、陸橋を登って線路を越えるのかなあと思いちょっと偵察。この道はダメそうです。
1つ北の踏切を越えて線路の西側に出ました。ここからは坂を上ります。結構きつくまた自転車を押します。いい加減上がって、もう諦めかなあと思っていた時に、また「聖心学園こっち」という案内がありました。西側・南側と敷地の外を回りましたが、さすがに女子校、校舎の屋根ぐらいしか見えません。南側はゴルフ場の高いネットが張ってありました。
北側を下ると正門がありました。中学か高校の時、1度だけ来た事がありますが、こんなんだたっけな?と記憶が定かではありません。小林聖心は小学校があるけど大学はありません。その割に大きな学校です。敷地内は余裕で校舎が建ってるような気がします。両側の木々の枝に覆われた道を下ると、すぐに阪急電車の線路に出ました。そしてすぐにそれをくぐります。更に進むと、小林駅が。さっき駅に来た時、家内が「こっちかなあ」と言った道でした。ずっと近道でした。線路をくぐったことを思い出しました。
阪急逆瀬川から宝塚南口まで、線路に沿って北上し、武庫川右岸を宝塚温泉街に入っていきます。老舗の宝塚ホテル・・・僕らが披露宴をしたところです。家内に聞くと覚えていました。自転車なんかで来たことないからわからないんじゃないかなと思っていたのですが、そうでもなかったです。母校で式を挙げ、タクシーを連ねてこのホテルに来たなあ・・・。次の橋で左岸に渡り、宝塚駅から宝塚大劇場に続く「花の道」を下ります。
大劇場の方から茶系の制服を着て大きなカバンを持った中学生ぐらいの女子が何人も歩いてきます。髪の毛はみんな後でくくってお団子にしています。宝塚音楽学校の制服はねずみ色で、15歳以上が入学資格だったし・・・でもこの制服も見たことあるなあ・・・音楽学校付属女子中学?音楽学校の予備校の生徒さん?どうもよくわかりません。でも宝塚の雰囲気ムンムンです。大劇場裏門までくると、「いました」。宝塚スターの帰りを待つおばさん追っかけ集団が、30人・・・50人ぐらいいるかな?ベンチなどに腰掛けています。花束を持ってないのが不思議です。エスカレートしたので花束禁止になったのかもしれません。僕には、30代〜40代のおばさんが、20代30代の女子にお熱になる気持ちが分かりませんが、こういう世界もあるのですね。
花の道が終わると、手塚治虫記念館です。入口付近に自転車を停めるスペースがないので入館を断念しましたが、アトムの足型から火の鳥のオブジェまで、写真に収めさせてもらいました。お客さんが結構入っていきます。人気があるようです。そこから下に庭園が見えます。「ここに入ってみようか?」と言うと、「ファミリーランドの跡に出来たガーデンフィールズじゃないかなあ」と家内は詳しいです。
北側の正門に回り、無料のようなので自転車を停めて入ってみました。小さな人工の川が流れる憩いのスペースです。お花屋さんもあります。羊などがいる小さな動物園もあります。かつては「ホワイトタイガー」で有名だった宝塚ファミリーランドですが、一応動物園もあるんだ。小さな子には、コレで十分ですね。我が家も困った時のファミリーランドで何度も利用させてもらいました。ここで一番人気は「ドッグラン」でした。「ドッグラン」というものを初めてじっくり見たのですが、入場料を払って柵の中に入り、そこで鎖をはずしてワンちゃんを自由に走り回らせる施設のようです。たくさんのワンちゃんが入っていました。元気に走り回っていましたが、喧嘩するワンちゃんはいません。家内は「なんで吼えないのかなあ?」って不思議がっています。お隣には、ペット用品のお店があり、この一角はワンちゃん連れのお客さんがいっぱいです。同好の士を探しに来てる方もいるのでしょう。
自転車の方に戻っていると、ベンチに首輪をしたネコちゃんがいました。ここでは何か浮いています。ワンちゃんのように走り回るのがめんどくさいのでしょう、「かなわんなあ」という顔で飼い主さんの横に横たわっています。
ここから自宅に戻りました。走りました。早朝自転車ばかりの僕にも最長記録になった30.1kmです。でも随分自転車を押して歩いたので、平均時速は10km/hです。サイクルコンピューターでは、3時間少し自転車走行したように示しています。5月も総走行距離が200kmを越えました。ああ面白かった。

2009/5/25
日曜日の天気予報は、曇りで少し雨が降るかも?というものでした。家内に予定を聞くと、「インフルエンザ対策で家に篭ってる」ということでした。特に予定のない時は、都会のウインドショッピングに出かけるのが家内のデフォルトなので、人口密度の濃い場所ほど危険値が高くなるウイルス感染渦では出かけられませんね。
ということで、午後から2人で篠山を自転車でちんたら走ることになりました。車に自転車を積み込んでGOです。バイクでの篠山行きなら、のどかな北摂の里山を、のんびり縫って走る方が楽しいのですが、それは篠山でのお楽しみに置いといて、r12を北上します。西峠を越え、城東トンネルを抜けて篠山盆地に入ります。この2つの峠がなければ、自転車での篠山行きも可能なのでしょうが、僕の貧脚なら西峠のなだらかなのぼり坂でダウンでしょう。ましてや家内にそんなことをさせられません。
昼を回ったので、篠山方面から快調に下ってくるロードバイクがいます。家内が「ほら、また来たよ」。下り坂なので漕ぐ必要もなく、気持ち良さそうです。でもその前にしっかり上ってるのですよね。
西峠に差し掛かる頃、なんとなく空模様が怪しいです。「ありゃ、雨が降るかも?」。予報ではもう少し遅くから雨ということでしたが・・・。高城山の篠山側にある八上城資料館に車を置いて、自転車でR372旧道をプラプラ走り、体力が持ちそうなら高城山山頂にある八上城本丸跡まで登ってみようかなと計画していました。でも、資料館の場所がうろ覚えで探している間に、雨が落ちてきました。この時点で自転車を断念しました。家から新しく買った真っ赤なヘルメットを被ったままでやる気満々だった家内もヘルメットを脱ぎます。
八上城は、丹波・丹後・但馬最強のお城でした。ここの波多野氏は強く、信長に丹波平定を命ぜられた光秀さんも落とせなかったお城です。結局光秀さんは和平に活路を見出し、母親を人質として八上城側に差出し、波多野さんを連れて信長のいる京に向かいました。でも光秀さんの思惑通りにことは運ばず、信長はあっさり波多野氏を殺してしまいました。よって光秀の母親も八上城で惨殺されたとか・・・光秀さんが信長に敵意を持つ原因の1つと言われており、その他諸々を含めて、本能寺の変につながったのでしょう。
車でうろうろしただけですが、いい感じの神社やお寺が散在していました。自転車なら「あっちうろうろ、こっちうろうろ」で楽しそうです。雨だから八上城登山も無理で、「篠山市内やお城は、今年もう2度も行ってるので芸ないなあ」と考えていると妙案が・・・篠山南西部にある「立杭焼」に行ってみることにしました。
R372は亀岡と姫路をつなぐ国道で、亀岡・篠山間は狭いところもありますが、交通量が少なく概して綺麗な道路なので、結構好きな道です。気持ちいいだろうなと思って、篠山から姫路の方に進むと、いきなり道は細くなりました。「これで合ってるのかなあ?」と思うような道です。でもバイクなら楽しそうなので、こんど姫路の方に走ってみることにしましょう。
JR福知山線の「古市駅」の近くで線路を渡ります。「いい感じです」。家内に「これ宝塚線の延長だよ。三田から福知山まで行って、途中の「谷川駅」では「加古川線」に出合い、「福知山駅」からは「山陰線」に乗り換えられるんだ」と説明すると、いつも乗ってる宝塚線の風景と大きく違うので驚いています。
少し走って、r382で南下します。「この道沿いなんだけどなあ」とキョロキョロしてると、登り窯が見えました。道沿いに窯元がお店を出し、右手の山の方や左手の川の方に登り窯が見えます。チョコチョコ寄って写真に収めたいのですが、こういうとき車は不便です。でも雨でも濡れないから快適ですけどね。
陶芸センターみたいなところがあり、そこに車を入れました。近所の窯元のお店を覗き、400円だったかの入場料を払って陶芸センターを見学することにしました。ろくろ体験が出来るようですが、インフルエンザでマスクをして、更に雨という状況では今一乗らないのか、「遠慮しとくわ」だって。子供達がいるときは、真っ先に陶芸体験に向かったのになあ。そういえば、いろんなところで作った作品が家に転がっているはずです。
窯元の無人の小さなお店がたくさん入っていました。お皿・お椀・花瓶からふくろうの置物までありました。「ねえ、ケーキ食べない?」と言われて、食堂のある建物に入りました。先々週の母子の売店にもあった「黒豆ソフト」も売っています。あの時は暑かったから食べたけど、雨で肌寒いので本日は素通りです。家内はケーキセット、僕はそば・ご飯・お魚の定食を食します。なかなかうまいです。地元の高校生風の子達が店員さんをしていました。地元の特産焼き物の紹介と地元の人の雇用対策を兼ねた施設なんでしょう。お昼の時間を過ぎていたので、お客さんは僕ら2人だけだったけど、真面目そうなお兄さん・お姉さんでした。
車に戻ろうと階段を下っていると、「あれ、見て」と家内の指差すさきには「昆の村」という看板が。大村昆の別邸が一般公開されてると聞いたことがあります。車に乗って行ってみることにしました。陶芸センターの横という感じで、わざわざ車で来る必要もない距離でした。
空き地のような駐車場で車を止めて、下に見える昆の村に行こうと歩き出すと、「DATSUN三輪トラック」が違和感なく置いてありました。「懐かし〜」と中を覗くと、「てるてる家族で使っていたものです」と書いてありました。僕らが小さな頃、この三輪トラックは主役でした。「昆の村」と言っても、池と建物が2棟建ってるだけです。でもここは昭和レトロの世界でした。
木造の建物の壁には、懐かしい看板だらけです。由美かおるが足出して微笑んでるし・・・この看板、当時は真面目な男子に衝撃だったでしょう。もちろん大村昆のオロナインもあるし、大塚のボンカレーもあります。手動ポンプ式井戸、木製手動脱穀機・・・開いてなかったけど駄菓子や風の「昭和博物館」みたいな建物を覗くと、懐かしいグッズでいっぱいです。
三輪ミゼットが置いてあります。家内が「鈴木オートって書いてあるけど、映画のじゃない?」と指差しています。ピラーが取れてるけど、まさに「三丁目の夕日」の撮影で使われたミゼットでした。大昔見たことがあるもう1台の四輪車には、「乗ってもいいよ。でもドアを閉めないで」みたいな但し書きが書いてありました。ドアをガンガン閉めてたら、絶対壊れそうです。もちろん乗り込み、写真を撮ってもらいました。
「昆の村」の入口に「動物園がある」ように書いてありましたが、どうやらここがそれのようです。でもワンちゃんが2匹いるだけで、家内がほえられてびくっとしてました。そのワンちゃん、大村昆の何かの宣伝で見た風な白いワンちゃんでした。多分ボンカレーじゃなかったかなあ。もちろん本人?本犬が生きているはずもないので、似た犬を飼ってるのでしょう。食堂の建物に入ると、職員さん?のおっちゃんとおばちゃんがいました。売店では、懐かしい丸い玉の風船ガムなどが売ってました。これ、まだ作ってるのですね。映画のポスターなどが壁一面に貼ってありました。
今度は母親を連れてこなくちゃな。僕よりもっと昭和にどっぷりの母だから、大喜びするでしょう。コレはね、あ〜だこ〜だの薀蓄を聞いて上げましょう。駐車場に戻って三輪トラックをもう一度覗き込みました。窓の内側に掛かってるボードの裏には、「本日、昆ちゃん来ています」と書いてありました。ラッキーな日だったら、大村昆さん本人と記念撮影が出来るようです。
家への帰り、子供達にも写真を送ろうかという話になりました。ふと、子供達は大村昆って知ってるのだろうか?と疑問が湧きました。僕らの世代も親の世代も、当たり前で知ってる役者さんですが・・・ヨット部の新人勧誘試乗会で「琵琶湖周航の歌」の話をしても、その歌自体ほとんどの子が知りません。僕は「知らない」、家内は「知ってるに決まってるじゃない」と意見が分かれました。
子供達に確かめてみることにして、楽しい1日を終えました。帰りに気づいたのですが、三田は雨が降らなかったようです。宝塚は雨が降ったようで、伊丹は降らなかったみたい。月曜日のニュースで、芦屋では雷に撃たれて男性が亡くなったと知りビックリです。・・・少しか離れていないのに、局地的な天気だったのですね。

2009/5/19
日曜日は、ドラゴンのポイントレースでした。
先月は、大学ヨット部の手伝いで参加できなかったので、勇んで参加です。でもチームのメンバーで参加できるのが、オオノさんと2人だけです。4〜5日前から助っ人を探しましたが、結局無理でした。天気予報では、全線通過で強風を報道しています。
予報通りの風では、2人ではレース参加は無理そうだなあと思いながら、8時半にハーバー到着しました。曇って怪しい天気ですが、風は弱い東風です。「これなら2人でもレースに出れるかもしれないな」と思いながら艤装開始です。オーニングをはずし、ジブシートをセットし、スピンシートをセットしようとしていたらオオノさんがやってこられました。「スピン、どうします?」「セットしとこうか」、ということで風が上がるまではスピンを上げる予定でセットしました。
「1レース目スキッパーしてや。僕は1レースでバテバテになるから、2レース目は交代ね」とオオノさんからの指示です。「え〜大丈夫ですか?僕がずっとクルーしますよ」。スキッパーの腕はレース成績にはより重要ですが、クルーに比べると楽です。2人なので、クルーの役目とミドルの役目をクルー1人で担わなければなりません。僕より10才以上上なので、僕がクルーをしようと思ってたのに、オオノさん大丈夫かなあ?
レース艇を桟橋に下ろし、最後の艤装をし、「今日は2人ですから、風が上がってきたらリタイヤして帰りますわ」なんて、他艇のクルーと軽口を叩いていると、いかにもクルージングから帰ってきた風のX41が桟橋に帰ってきました。出迎えのクルーに乗ってきたクルーから、「明石大橋までが大変やったわ。40ノット越えてたからなあ」と。皆さんライフラインをセットされており、今のここの微風に似合わない重装備です。やっぱり西から優勢な前線がやってきそうです。
オオノさんが陸艇置き場から桟橋に降りてきて、「朗報や、レインボーさんが4人で乗るそうやから、1人助っ人に来てもらうことになった」と、嬉しい知らせです。これでメンバーが3人揃い、風が上がってもスピンを上げられます。11時スタートなので、10時に桟橋を離れる準備です。10分ほど前に桟橋を離れたサワダ君とこの船はまだ桟橋から見えるところで漂っています。「出て漂っとこうか」ということで桟橋を離れました。それが合図になったのか、朝の東風が南に変わり、ソヨソヨと2m /sほどの風が入ってきました。「この時点で南風・・・やっぱり風が上がりそうです」。
予定通り11時にJ24クラスがスタートし、続いてドラゴンです。アウターの方が高いなあと思いつつ、レース前走った感じでは右の方が良かったので本部船寄り上1からスタートしました。定石どおり、すぐにタックして右海面を目指します。アウターから出た艇が1艇返しています。「ありゃりゃ、相当アウター艇が高いです。うそここまで向こうの方が高いのか。こりゃ上マークまで相当の風の振れがないと追いつけそうもありません」。やはりスターボがきついようで、次々ポートに返し、うちが一番下で少しバウを出してるけど、高さで大分負けており、まあビリです。スタート前ラインを流していた時、かなり強い右からの潮を感じたので、それに期待するしかありません。
もうこのレグを一生懸命走るしかないです。時々背中を振り返ると、予想通り少しずつ風が右にシフトしてるようですが、スタートでの遅れを取り戻せるほどではありません。上マークでは2艇抜いて4位。そのままなんの波乱もなくフィニッシュまで4番でした。
既に8m/sを越える風が入っています。1艇のJ24がアップアップで、向こうの方が早いはずなのに、5分前にスタートしたその艇を抜いちゃったからもっと風が上がっていたのかもしれません。2人だったら、1レース目でもスピンは1回目のランニングレグしか上げられなかったと思います。2レース目も同じようなラインだったので、本部船の右から本部船の上を通ってスタートラインアプローチです。皆さんあまりアウターを攻めてこない感じなので、少し早めにアウターの外に出てポートスタートアプローチです。
1艇はアウタージャストに来るかなあと思っていたのですが、ラッキーです。1艇もアウターギリギリに来ません。そのままポートでトップスタートできました。
僕がうまければそのまま1上トップなのでしょうが、ますます上がる風にスピードアドバンテージがありません。しかもまだ3回目の乗艇になる助っ人さんの事を考え基本動作を減らす作戦なのでオーバーセイルで上マークアプローチしたので、タナカさんに抜かれてしまいました。さらにサワダ君にも追いつかれ、上マーク3艇身でギリギリ下タックしてきたので、上に大きく避けました。まともに走ってたら衝突してました。しかもガンガン上ってくるので、失速です。結局うちは回れましたが、サワダ君は回れずリラウンドです。2艇が失速してる間にスワ艇に上から行かれるし・・・せっかくのスタートアドバンテージを吐き出してしまいました。要するにもう少しクローズが走っていたら、この状況に巻き込まれなかったのです。
1レース目同様、ほぼスターボ1本のランニングコースで下マークにアプローチです。そのまま早めにスピンを下ろしましたが、ミスってバウをくぐりました。すぐにオオノさんがバウに走り、ちょっと遅れてスピン回収。ここでタワ艇に前に入られました。う〜むまた4番じゃないか・・・先行する2艇身前のタワ艇に高さ負けしないようにこまめにトラベラーをいじくります。メインを2人がかりでガンガンに引き、その状態でバングを更にガンガンに入れます。
少しずつタワさん艇に前に行かれながらも何とか高さを保ちついて行ってる状態です。ここでえらいことが起こりました。2番を走っていたからもっと前を走ってるはずのスワさんとこがスターボでやってきてジャストミートでした。うちのボートクローズラインの下を走ってる先行艇がいたとは考えもせず、ノーケアでした。タワさんとせっていて2番艇に追いついたというより、スワさんとこは下マーク回航でうち以上にトラぶり、復帰までに時間がかかって遅れたのでしょう。
「当たる」と覚悟しました。下から何か声が聞こえると見た瞬間にティラーを押していました。もう無意識の状態です。既に10m/sは越え15m/sも越えてるような感じなので、裏ジブ沈も考えられます。ティラーを押しながら、「タック、ジブ切って」とこれも条件反射状態で叫びました。オオノさんも当たったと思ったそうですが、スワさんがこっちを認識していたので、衝突は避けられました。もう一つ、2艇のマストが上空でチャンバラして折れるかも?嫌な金属音を聞くこともなく助かりました。ドラゴンはジブがジェノアで大きく死角が大きいです。僕がクルーの時は、ほんと怖くて、時々下に降りて死角の海面を覗いていました。
僕の意識が、ミスるとタワ艇に一気に置いていかれると走りに行ってしまいすぎていました。すぐにメインを絞り走りだします。まだドラゴンの経験が数回の助っ人さんは、ただ呆然としているようなので、「走ります。ジブ引いて」とクローズレグに復帰です。それでもまだ心臓はドキドキしていて平常心ではありません。
ここで「回っとこか」とオオノさんからの指示です。「この風で360度回転はきついなあ。ジャイブ出来るんやろかと」。でも指示なのでベアしてチャレンジしましたが、ジブ張ったままではベアも出来ません。というか後で冷静に考えればバングが利いていたようです。バングを緩めればベアで来ましたね。スワ艇とのミートで頭がクールでなくなっていたようです。ブームエンドが海面に当たりそうです。無理してベアしたら、ブームが海に入りコントロールを失ってブローチングしてしまいます。「あかん」と諦めました。
海面はますます風が上がりすごいことになっています。全面的に白波が立ち、ウサギさんのオンパレードです。更に波頭が風に吹かれて飛沫が飛び、海面1〜2mが真っ白です。20m/sを越えましたね。僕が弱いのかもしれませんが、ここで気持ちが切れてレース続行を諦めました。多分360度にチャレンジした時点でレースへの気持ちは切れてたと思います。
まあ長くヨットやってるとこのような海象も何度か経験済みです。高校生の時には沈したスナイプのボトムにクルーと2人で乗って、波にさらわれないように、シートで船と身体を結んで前線通過を待った時もあります。そんな経験から命の危険は感じませんでしたが、この船を無傷で陸上に戻すことが出来るかなと。ジェノアかメインが破れるかもなあと考えながら、新西宮YHの西出口の方に向かい一時芦屋YHへの水路で前線をやり過ごそうかなと思い提案しましたが、オオノさんの指示は「東出入口から入るよ」。確かに一時水路に入ってしまうと、再び荒れた海面に出て行く気力が半減します。
風を抜きながら、風速にあわせアビームとクォーターリーで風下に向かいます。「コレぐらいで入れるかなあ」と思ってタック回りして東入口にバウを向けましたが、真ランニング。波に乗ってラダーを取られワイルドジャイブが入れば乗員に危険だし、グーズネックを壊すかもしれません。下手したらマスト折るし・・・。ダイレクトに入口を目指すのは諦めて、少し上り目で走り、再びタック回り2回で最終アプローチです。入口はすぐ下に防波堤があるので、そことハーバー防波堤との返り波で三角波のオンパレードです。ラダーを持っていかれてエクステンションを飛ばしてしまうかもしれないので、ティラーエクステンションを持つのをやめ、ダイレクトにティラーを持ちます。「何が何でもこれは離さないぞ」。
三角波の洗礼を受け、バウから波が乗り越えてきます。助っ人マサオさんが頭から波を被って、「わ〜」とか叫んでいます。一番後ろに座ってるスキッパーの僕の背中にも水が入りました。防波堤をクリアして、すぐにオオノさんがメインを引いてくれます。クローズにすると、もう一つの防波堤はクリア出来そうです。「ようやった」とオオノさんからねぎらいの言葉が掛かります。オオノさんも「ミスったら船潰すなあ」と思ってたようです。後で聞いたのですが、防波堤前に三角波への対策をいろいろ言うと、新人クルーさんがビビッてしまうかなと思って無言にしてたそうです。僕にもいらんプレッシャーを掛けたくなかったようです。そう言えば、3人ともあの時は無言だったですね。
2時台に帰着し、他艇の桟橋帰着も手伝い、ハードだったけど面白い海の1日が終わりました。でも船の片づけを終えてもまだ3時台です。コレで終わりませんでした。KYCのウェットバーでは、皆さんの話で盛り上がっているのでしょうが、家内との約束で家に急ぎました。家でうどんを食べ、インフルエンザウイルスの空気感染まで防止出来る一番いいマスクをして、家内と一緒に西宮ガーデンズに向かいました。お目当ては、「60歳のラブレター」。今週からの話題の映画は、なんといってもダン・ブラウンの「天使と悪魔」ですが、推理映画について来れない家内には、こっちの方がいいでしょう。
涙腺の弱い僕はまた泣いてしまい「いい映画やった」でしたが、家内は「あんなうまく行かないよねえ」と冷静な感想を述べています。ずっとすれ違い生活だった夫婦が定年離婚したけど、夫婦だった間は気づかなかった奥さんの優しさを発見し、また奥さんにアプローチして元に鞘に戻るのですが、「あんなにうまくいかないよねえ」とは、何となく僕の首に冷たい風が吹いてるみたいです。離婚なんて勘弁してね。僕、結構よいしょしてるし。

2009/5/11
日曜はバイクで篠山の西、生野銀山方面に行ってみようかなと思っていたのですが、土曜日の夜、「明日何するの?」と家内に聞くと、特に予定はないらしい。こういう日は都会に出てデパートというのが相場なのですが、家内用の自転車を買ったことだし、「自転車でお墓に行ってみる?」と誘ってみました。するとあっけなくOK、でも日差しがきついし暑くなりそうだから、「朝ね」とのリクエストです。
家から自転車だと、休憩も含めて多分片道3時間、往復6時間なんてきっと無理です。自転車に慣れてらっしゃる方なら片道2時間なんでしょうが、僕らはそんなスピードで走れません。第一、家内は初めてのスポーツ自転車だし、まず慣れないとね。車に自転車を積んで、「道の駅いながわ」か「西谷ふれあいセンター」に車を置いて、そこから自転車で出発することにしました。両方の起点を比べ、標高100mの「道の駅」より100mも標高が高い「西谷」に決定しました。標高200mって篠山と同じです。西谷ってそんなに高かったんだと調べてみてビックリしました。お墓には遠くなるけど、r12だけでお墓往復するより、里山の道をぶらぶら走るほうが楽しそうです。行けるところまで行って家内がギブアップしたら車を取りに戻ればいいなとアバウトな予定を組みました。一応の目安は、羽束川沿いの「高売布神社」、目標は「三田野外センター」です。まだ行けそうなら後川まで羽束川を上って、r12西峠の上りをがんばり、南下してお墓に回るのもいいです。
8時出発の予定で、いつも通り6時に起き、ツバの広いハットにヘルメットの紐を通る穴を開け、前のツバが風でめくれないようにピアノ線を縫い付けます。家内に怪我をさせたくないので、僕のヘルメットとこの帽子を被ってもらいます。頭を保護するのと日焼け防止です。自転車を玄関に出し、初めて前輪をはずします。はずした後に付属のペグをはめるのですが、これが硬くて無理です。空気圧を確認し、車に積みます。車の3列目シートを前に倒し、1台は寝かせて、もう1台は立てて天井の手すりから紐でくくって固定します。
その他朝食とか朝のお勤めもあり、ちょっと遅れて8時半に出発です。早朝では入れなくなってる西谷ふれあいセンターの駐車場も開いています。近隣の農家と思われるおじさんやおばさんが、産地直売の野菜などを車に乗せて入ってきます。車を入れたとき、1台のロードバイクが止まっており、「私がヘルメット被ってるから目が合っちゃったよ」と家内が言ってます。すぐに前輪を組み立て、早速駐車場で家内は練習開始です。ギアつきの自転車は初めてで、コレぐらいがいいかなと思って調節したサドルの高さが高いようで、下げました。まだ両足べったりでないと怖いようだけど、慣れて少し上げられると快適に走れるんだけどな。
r33からショートカット道を経て、r68を西進します。千刈ダム湖の北辺を通り、KG千刈キャンプ場前で休憩です。バイクで走ってると気にならなかったけど、自転車だと結構この間に上り下りの坂があるのに気づきます。続いて伊丹市の野外センター前に来て、ここでトイレ休憩です。小さな子を連れた家族が数組、楽しそうに遊んでいます。バンガローもありますが、テントが数張、薪割りしてる方もいます。昼食の準備が出来たようで、施設の職員さんに促されて近くの羽束川で魚とりに行くようです。「炊き上がるまで少し時間がありますから、川を楽しんできてください」と、お父さんはセロビンを渡されています。子供の頃セロビンにえさを入れて魚取りを毎日のようにしてたけど、この世代のお父さんにセロビンの経験はあるのだろうか?
この道、森の中を走る感じでとても気持ちいいです。鶯がいい声を聞かせてくれます。あちこちから聞こえてきていいです。真夏になると自転車のスピードだと虫さんに悩まされるかもしれないので、今がここを通る一番いい季節なのかもしれません。そのまま羽束川沿いを北上し、木器でここから羽束川沿いを北上するr37に入ります。木器の手前を走っていると、東西に走るr323をロードバイクが快調に1台、また1台と走ってる姿が見えました。r68よりも車が少ない快適道ですが、少し東に大坂峠という坂があります。昼なお暗い感じで、幽霊の話もあるので夜は避けたい峠です。
r37は、東の大船山と西の山に囲まれたところを流れる羽束川に沿う道で、この田園風景がとてもいいです。バイクで家から1時間弱なので、気持ちのいい空気を吸い込み帰ることを何度もやりました。目指す第一目標の高売布神社はもうすぐです。御餅が売りの小型の道の駅風のお店があったので、ちょっと休憩です。
「あ〜もう限界。私ここで待ってるから車持って来て〜」とギブアップ宣言が出ました。「え〜もう限界?」と思いましたが、そんなこと口に出しちゃいけません。「うんわかった。まあゆっくりしてて」。ここまで15km弱、まだ走れる距離だけど、慣れない自転車で疲れちゃったのでしょう。途中お尻が痛いと言うので、サドルの傾きと前後を2度ほど調節しました。サドルをもっと前に動かして前傾姿勢をゆるくした方がいいかもしれません。「今日だったらママチャリの方がもっと走れたけど、慣れるからね〜」とニコニコしています。
家内の自転車に鍵をかけ、「中でなんか食べててもいいよ」と言い残して、来た道を引き返します。ここまで何台もロードバイクに抜かされ、出合いましたが、皆さん「こんにちは」とかお辞儀したりとかフレンドリーです。95%の方がピチピチスタイルで、たまに見かける集団の中の女性は、体型が華奢なのですぐに女性だと分かります。家内が「女の人もかっこいいね」とか言ってました。僕らは長男君のお下がりのトレーニングウェアズボンにウインドブレーカーだからね。
家内には30分強と言い残して出発しましたが、1時間弱経って家内のところに戻れました。西谷で水分補給し、日曜市を覗いて休憩したからね。でも人力エンジンの場合、これをちゃんとしとかないと疲れすぎちゃうからな。西谷は、バイクや自転車乗りのランドマークになってるようで、数組が集まっていました。山を駈けてきた風のマウンテンバイク乗りさん数人が靴を脱いで休憩してました。
「ごめんね遅くなった」と家内の前に現れると、「この前を自転車やバイクの数人の団体さんが何組も通ったよ。みんな早いの」と。ずっと日陰のある風通しのいいベンチで、楽しんでいたようです。12時半なので、ここで定食を食べました。御餅の入ったうどんにもち米の混ぜご飯にお漬物がついています。とてもうまいです。家内は置いていった僕のカバンに入ってた大型のぶどうパンを1つ食べちゃったようでお腹がいっぱいで、残念そうに見ています。生産者の顔写真が入った産直のお野菜を買って車で出発です。羽束川を上り最初の目標だった高売布神社に到着。荒れてるけど謂れのありそうな本殿を見学しました。国の重要文化財に指定されています。「もっと手入れしたらいいのにね」と僕と同じ感想を持ったようです。「でも人が減ってるから近所だけで維持していくのは大変でしょうね」と、これまた僕と同じ感想です。この神社の前でマウンテンバイクを積んでる2人組がいました。ここに車を置いて、山に入っていたのでしょう。先ほどのお店で御餅とビールで休憩していた方でした。
さらに北上し、東進して母子に抜けました。茶畑が目に付いてきました。永沢寺見学です。ここはいつも人が多いです。「はなしょうぶ園ってよく聞くよ。母子のお茶も聞いた事あるよ」と、ここにあったのかと関心しきりです。「そば打ち体験」もやってるようで、「芝桜」への矢印もありました。初めて入った永沢寺はなかなかのお寺で、本堂はとても涼しい。これからの季節、炎天下を走ってきたバイクや自転車乗りのいい休憩場所になりそうです。売店で「アイス食べる?」と聞くと「冷蔵庫を覗き、モナカ食べようかな」と。黒豆モナカと黒豆ソフトクリームを食べました。今年最初のアイスです。丹波といえば黒豆ですが、さすがに真っ黒じゃなくてちょっと黒っぽい感じでした。母親にヨモギ饅頭を買い、母の日のプレゼントにしました。
再び羽束川に戻り、篭坊温泉まで上っていきました。お昼頃出会った自転車の集団さんはここを走ったのでしょう。大船山から大阪平野に出るまで自転車だったら2時間はかかるので、さらに大坂や神戸に帰るとしたら更に1〜2時間。2時を回ってこの辺にいたら、快適な里山道を選択できず、車の多い国道や県道を一気に行くしかありません。
篭坊から杉生新田に抜け、r12で南下しお墓に寄りました。母の日だから弟一家が帰って来てお墓に来たかな?と思っていましたが、長男君が中学生になりお墓までは来なかったみたいです。墓の掃除をしてお花を供え、お水をたっぷりかけておきました。家内が「お爺ちゃん、次はお盆かな?また来るね」と言ってます。
帰りの車で、「日生中央駅から阪急バスで後川行きに乗ればいいんだって」と教えてくれました。家内の中では僕の方が先に死ぬそうで、1人で来れるように準備してるようです。「盆正月とお彼岸ぐらいはバスに乗って来てあげるからね」だって。今度は、西谷ではなくて羽束川沿いまで車に乗せてきて、もっと坂のないところを自転車で走ろうと次の作戦を練りました。終始にニコニコな1日が過ごせました。京都美山のかやぶき集落まで車で行って、由良川上流のr38を自転車で走るというのもいいなと頭に浮かびました。家内と自転車の付き合い方の目安が出来ました。上手にエスコートしなくちゃね。

2009/5/4
日曜日は、家内と湖西坂本と比叡山観光に出かけました。
当初の予定では、4月4週に渡る新人勧誘試乗会応援が終わったので、京都北山とか篠山から西の加古川沿い方面へ、1日中バイク三昧と思っていました。ところが、「5月の連休の琵琶湖のレースに次男君が出場するんだって」と部員から仕入れたわが子情報を家内に話すと、「じゃあ行ってみる」と言い出したので、予定変更しました。
ヨットレースを1日見てても家内は飽きるだろうし、気象によっては辛くなるから、ゴソゴソとメニューを組んでみました。ずっと散策してみたかった坂本の町をメニューに入れると、比叡山延暦寺に上がる坂本ケーブル、京都側八瀬に下りるロープウェイ・ケーブル、京福電鉄で鞍馬・・・と頭の中で広がります。
連休で帰省している長男君はほっといて(土曜日は阪神巨人戦に繰り出してたようです)、日曜日は5時台に起床です。レース出艇する8時に間に合うように6時出発です。大型連休中で休日高速道路どこまで行っても1000円キャンペーン中なので、車はやんぺです。車がないと車窓から見える景色だとか、徒歩で感じる町の匂いだとかが感じられるから、本日はこっち系を楽しみましょう。
僕は用意が出来たのですが、家内はそれ、まあ女子特有のいろんなことがあり、・・・「派手?笑っちゃやよ」って鮮やかな赤系の上着に持ってる帽子が合わないとかなんとかで・・・30分も遅く自宅を出発しました。女子はこういうのも旅の楽しみなので、ニコニコ笑って適当にヨイショする言葉を掛けながら待ちます。
バスで伊丹駅まで出るのをやめて、徒歩で最寄のJR北伊丹駅まで歩きました。駅に着くと、サンデー毎日なお父さんが、自転車を輪行袋に入れていました。ホームで待っていると、そのお父さんがやってきて家内の向こうの席に座りました。これはラッキーです。「結構小さいな。後のタイヤもはずしてるみたい」。電車に乗ると、先頭車両の運転手の後の広くなってるところにシートで自転車をくくって、前の席に座られました。興味深々で見ます。なるほどそういう風にするのか。
家内がいなかったら、「あの〜すいません」と自転車を電車に乗せるノウハウを聞いていたでしょう。尼崎で新快速に乗り換え、山科駅で湖西線に乗り換え大津京駅で下車。その時点で、「8時半ごろ出るわ」と言われていた8時半です。「間に合わないかもしれないな」と思いながら、家内を失望させたくなくて、「琵琶湖は大抵朝は風ないから、まだいるよ」と声を掛けておきました。
予定通り風はなさそうだなと艇庫に向かって歩き出すと、木々が適当に揺れています。「あかんかも?」と思いながら何も言いません。失望は最後でいいでしょう。柳ヶ崎YHの方を見ると、マストがありません。「こりゃあかんわ」と「どうも出艇しちゃってるみたい。朝からいい風が入ってるから、ター君はたくさんレースを楽しめるよ」と間に合わなかったというマイナス言葉を口にしないようにしました。目立つ赤系の服装は、次男君やクラブの若い子達に「若いお母さん」を演出しようとしたに違いありません。残念だったでしょう。残念・・・
艇庫に着くと、次男君と同回生の入口君と2回下だけど同じく清風ヨット部出身の金谷君が出てきました。「レース見ます?レスキューに乗ってもらうことになりますけど・・・」「観光に来たついでだから、コレ息子に渡しといて」とJAFの申込書を渡しました。家内も「日焼け止めと日焼け止め落としを渡しておいてもらえますか」と、各3000円コースのいいものを渡していました。親父なら「1000円で十分やろ」なのですが、お母さんは全然違います。僕には買ってくれないのに・・・。
京阪近江神社前駅まで歩きました。駅・艇庫・駅が結構歩きます。駅のベンチに腰掛けたら足がホッとしました。京阪のこの駅、旅気分満点です。まず無人駅。改札がなく駅構内への出入り自由です。「電車の中で切符を買うのかな?」と腰掛けていると、もう一つの入口のところにカードリーダーがあります。ICOCAカードを通しておきました。石山行きの反対側電車がやってきて出発していきました。
次の駅に止まったようですが、隣の駅が見通せる距離にあります。「近〜い」。坂本行きの電車がやってきたので、電車オタクの鉄っちゃん風にカメラに収めます。なんか家内に笑われてるけど、まあいいでしょう。2両連結の懐かし気な電車でした。
坂本駅の1つ手前が「穴田駅」でした。「あなたえき」だと思っていたら「あのう」と読むのですね。戦国時代に活躍した石垣積みのプロ穴田衆の本拠地です。いままで穴田積のいろんなお城に書かれていた案内板で、ずっと「あなたつみ」と読んでました。前に座ってた大学生風女子2人組も「あのうって読むんだ〜」と驚いていました。
京阪坂本駅に到着です。体格のいい学生服姿の高校生風お兄ちゃんが数人電車から出てきました。貸し自転車屋がないものか駅員さんに聞いてみましたが、分からないそうで前の観光案内所の場所を教えてくれました。歩き出すと駅員さんが「特設テントが出てるから、そっちで聞いてもらえば」と声を掛けてくれます。
歩き出した時目に入ったそのテントのおじさんに聞いてみるつもりだったのでちょうどいいです。観光協会のおじさんのようで、連休中なので特設テントを駅前に出してるようです。数枚のパンフレットと、いろんな施設利用に使える割引チケットのつづりをもらいました。とても親切です。聞くと丁寧に教えてくれる、人と人のふれあいも旅の楽しみです。田舎はいいね。
貸し自転車はないようなので、予定していた坂本城跡訪問は諦めました。明智光秀ファンの僕としてははずせない場所だったのですが、徒歩だと辛い距離です。渇水時は石垣の遺構が姿を見せるそうですが、日頃は城跡の碑が建ってるだけだから次のお楽しみに残しておきましょう。
ゆるい坂をケーブルの方に上っていきます。「坂本城跡」「穴田積み石垣」「日吉大社」「西教寺」が坂本のメニューでしたが、「穴田積み」は至る所にありました。そこらの石垣がみんなそうです。「穴田衆」が石垣の石積み技術職人集団として今に聞こえているのは、もちろんその優秀さからです。天然石を加工して形を整えず、そのままの形を利用して大小さまざまな形の石を組み合わせて石垣を組みます。時には石碑や墓石まで使われることもあったそうです。石垣崩れの最大の原因、水はけをうまく捌き、内部の土流れを抑えることで長持ちしたそうです。見た目は綺麗ではないのでしょうが、本来の役目に秀でていました。僕には、いろんな形の石が綺麗にはめ込まれているように見え、まるでジグソーパズルを見るようで好感が持てます。
ケーブルの方にしばらく上ると、「右西教寺1.2km」の看板、往復で30分以上歩かなければなりません。光秀のお墓があるからこちらもはずせないと思ってたのですが、足は温存しとかないといけないので諦めました。ケーブル手前で、「日吉大社」に入ります。さっき観光協会のおじさんにもらった割引券で50円引きで2人で500円ほどでした。
全国の日吉神社の総本山のお宮ですが、それほど期待していませんでした。ところがどっこい、ここは素晴らしいです。古事記に載ってるという古い由緒あるお宮で、雰囲気がとてもいいです。桜や紅葉の木がたくさん植わっており、春秋のシーズンはとても綺麗でしょう。坂本の町が京都のような巨大観光スポットではないので、人じゃなくて木々の美しさにゆっくり浸れそうです。惜しむらくは、16世紀以前の建物が残っていないことです。信長の比叡山焼き討ちの時、坂本から上った織田勢にみんな焼かれてしまいました。信長没後、秀吉の命で再建したそうです。後に登った比叡山延暦寺もそうですが、織田軍として焼き討ちに加わった秀吉や友軍だった家康でも、あまりにひどいと思ったのか、信長の非業の死を焼き討ちの災いとして恐れたのか、信長の死後一気に手厚い支援を受けて再建されています。
日吉大社を満喫し、ケーブルに乗ります。駅舎がコンクリート作りなんでしょうが落ち着いた重厚感があります。なんとか文化財指定とか書いてありました。ここでも割引チケットでちょっとお得しました。「出ますよ〜」と促されて乗り込んだのが最後で、座る席はありませんでしたが、これが帰って幸いし、眼下の琵琶湖を窓の正面から見られ、急斜面の線路など楽しい時間を過ごせました。このケーブル、途中に駅があります。五百羅漢の石仏ではありませんが、焼き討ちで無常に命を落とした逃げ惑って比叡山に上って逃れようとした坂本の民や僧を鎮魂して石仏が多数この山に埋まっているようです。今でも出土するそれらの石仏を一箇所に集めた場所に駅が出来ています。案内に促され、それらを収めた洞窟に目を向けると、洞窟の外にも多数の石仏が並び、大人が1人なにやら作業をしていました。強い思いを持って地道な努力をされている方かもしれません。
比叡山山頂駅に着きました。この坂本ケーブルは、国内最長だそうです。でも10分少しの乗車時間でしたけどね。まず東塔エリアの根本中堂に向かいます。比叡山は「東塔エリア」「西塔エリア」「横川エリア」の3つのエリアに伽藍が集まっています。古くからの信仰の山で、最澄が中国で学んできた天台宗を開いた修行の山で、奈良の貴族仏教と違い日本庶民仏教発祥の地なので、その他無数に大小伽藍があるのでしょうが。元々奈良仏教勢力の政治への口出しを嫌い、京都に遷都したから、奈良仏教とは一線を画していますね。
お昼に少し早いですが、比叡山そばを賞味しました。既に朝から随分歩いてるのでうまいです。「根本中堂」にお参りです。こんな山の上にこんな巨大な伽藍が・・・それを見るだけで昔の方の努力に頭が下がります。建物に入ると法要の声が聞こえています。ご本尊を望むお参りの場所から一段下がったところにお坊さんが座られて御作法をなさっています。暗さといい、お声といい、響きといい、お香の香といい、さすがに延暦寺です。自然に正座して手を合わせてしまいます。
お賽銭ももちろん。交通安全のお守りを2つ買いました。1つは車で帰省してきた長男用に。もう一つは交通機関で働く彼のGFさん用に。連休中に4人で食事することになっています。長男君から「一席設ける」と言われています。日頃お世話になってるので、家内が時々GFさんに何か贈ってるようですが、初めての4人の席に何か用意しようと思ってました。お守りだから金額は張りませんが、この雰囲気で購入したものだから値打ちが違うように思うのだけど・・・。
ケーブルに乗るとき、切符売り場で山上シャトルバス乗り放題切符を買うかどうか相談しました。売り場のおばちゃんによると、「横川まで行くのなら必要だけど、東塔・西塔エリアで十分だと思いますよ」とアドバイスを受けました。簡単に歩ける距離だと思って西塔に向け出発です。ところが結構歩きました。20分ぐらい歩いたんじゃないかな。しかも下り坂で階段がいっぱいありました。次に山頂駅から八瀬に下りようと思ってるから、再びこの高さまで上ると思うと、下りながら「もう勘弁してよ」という気持ちになりました。
西塔は、東塔エリアに比べるとぐっと人が減りました。我が家の浄土宗の教祖法然さんの修行の地があり、お釈迦様の歴史とともに生涯の概略が書かれていました。最澄天台宗-法然浄土宗-親鸞浄土真宗の流れがここにあります。みんな天台宗比叡山から派生してるからなあ。どんどん庶民仏教になっていき、浄土真宗は一向宗・一向一揆として時の権力者と一般庶民が真っ向対決しました。三重長島や越中一向一揆は武士に平定されたけど、石山本願寺は最強信長軍団を相手に負けませんでした。天皇の仲介で一向宗が本願寺を出て数年にわたる戦闘が終わりました。秀吉が難攻不落の石山本願寺の地にそのまま大阪城を建て、息子の秀頼に「絶対にこの城を出るな」と遺言したエピソードが残っているぐらい強固な城でした。
家康の甘言にだまされて外堀・内堀を埋められて「大坂夏の陣」で落城しますが、家康方20万の軍に囲まれた「大坂冬の陣」では、半分以下の軍勢、それも寄せ集めの軍勢で勝ち戦を続けました。江戸城は攻められたことがないので防御力は未知数ですが、大阪城、元石山本願寺は戦国最強の城だったのではないのかな?歴史好きの僕のロマンが広がります。
ロマンといえば、家康の軍師天海和尚もここにいた人です。諸国を回る僧から地方情報が集まり、それを家康に伝えていたとか。天海さんは家康没後、比叡山の麓坂本に日吉東照宮を作り、それから日光東照宮を作り、それから各地に家康を祭る東照宮が出来たとか。この天海和尚自身が、光秀と同一人物だったという説もあり、多少の無理があるにせよ「反信長」の僕には聞こえのいい話です。「本能寺の変」の諸説を読んでいると実に面白いです。
光秀の身内や友軍諸将が後の天下人に赦され復活したり、荒木村重なんて大坂に戻って利休同等の秀吉茶人になってます。信長に滅ぼされた浅井長政の娘が秀吉側室淀の方になり、浅井の血を引く秀頼に天下を取らせようと必死になる。関白にまでなっていた秀吉の甥秀次を自刃に追い込み、木下・羽柴の血を政権中枢から追い出し、高齢の秀吉の子か疑問が残る秀頼が秀吉の子でなかったら・・・歴史は実に面白いです。
西塔エリアで、ゴーンと鐘を撞いてきました。それを合図に、でもありませんが、バス停に向かいました。あの階段を上がる気力はありません。もらった比叡山のパンフを凝視して近くにバス停を見つけた時には小躍りする気分でした。バスで山頂駅に着き、ロープウェイとケーブルカーを乗り継いで京都側の八瀬に下りました。八瀬に下りると、市内よりは過ごしやすい場所にあるはずですが、やはり比叡山よりは気温が上がり、ちょっとムッとした感じがありました。1両の叡山鉄道八瀬線に乗って、再び旅気分です。最近の我が夫婦ではお馴染みの出町柳終点までやってきて、家内が「ここに出て来るのね」と驚いています。方向音痴・地図の読めない彼女には、各地が平面地図上でつながっていないのかも知れません。面白いです。
京阪出町柳駅から駅名がおしゃれに変わった祇園四条駅まで乗り、阪急四条河原町駅から帰宅しました。家内にとっては次男君の顔が見れなくて心残りがあったでしょうが、楽しい1日を過ごせました。風はずって吹いてたようなので、次男君もレースを楽しめたでしょう。

2009/4/27
日曜日、朝起きると庭の木が大揺れで、天気予報通り強風の1日になりそうです。ヨット部の新人勧誘試乗会の最終回なのに・・・前半2回は今一な人数の集まりで、前回からぐっと増えてきたのに・・・まあお天気任せのスポーツですから仕方ないですね。土曜日は、夕方近くまで雨の1日だったので、まだましと思わないとね。
風は強いですが、空は雲があるものの日差しもあります。よし決行です。家内と先週の日曜日に続き、日曜早朝自転車の予定が組まれています。メニューは園田競馬場です。今まで早朝自転車で3度園田競馬に行きましたが、2回早朝調教していました。「馬が走ってるところを家内に見せられたらいいのにな」との思いからメニューを組みました。ここへの自転車道は、2ルート開拓してあります。猪名川土手道メインのルートと、街中駄六川&猪名川土手ルートです。猪名川土手は吹きっさらしなので風向きが快適さに大きく影響します。北風だと思っていたら、どちらかというと南寄り?西?の風のようなので、帰路を土手ルートに取ることに決定です。
家内はいつもより早く起きて家事をしています。着替えて僕の自転車を玄関ドア前のコンクリの上に出し、サドルを2cmアップします。ゴソゴソやってると、用意が出来たようで家内が出てきました。家内のママチャリと2台で風をものともせず出発です。方向音痴の家内は、知ってる道でしか移動しないので、駄六川がどこにどうつながっているのか知りません。産業道路のところから駄六川沿いの道を下ります。途中からJR宝塚線線路沿いの道を使ったり、JR線路を越える道ルートも頭に浮かびましたが、ここはシンプルにJR伊丹駅まで駄六川利用しました。
駅の下をくぐる自転車道に入ります。「え〜ここ行くの〜」と家内。「この道、線路の下をくぐるんだと思うよ」。僕も初めての道です。走行禁止なので、自転車を押して通りましたが、自転車には十分な広さがあり、乗ったまま走行する人の方が多いと思います。僕1人だったら乗ってると思うし、家内は乗ってます。看板見つけて、「ここ乗っちゃダメなんだ」って降りたけど。
線路をくぐり、再び同じく線路をくぐった駄六川沿いの道を進みます。300mほどで猪名川に合流しお終いです。猪名川の橋を左岸に渡り、土手道を下ります。ここは自転車と歩行者しか通らないので安心です。藻川との分岐を過ぎ最初の橋を両川の間に出来た中洲に渡ります。農業公園の森が見えます。いつか公園内を家内と散策しようと思います。土手道から見える公園内に、いっぱい花が咲いていました。男1人ではどうも様にならないからなあ。
中洲周回土手道路を下るとすぐに園田競馬があります。メインスタンドから見ると、バックストレートの壁が猪名川の土手になっており、馬券は買えませんが無料観戦できます。そこに自転車を停め(僕のはスタンドが付いていないので草の上に寝かせ)、馬見物です。時刻はちょうど7時です。ここまで30分。しっかり飛ばしてきたら20分で来れそうです。馬達がたくさん出てきます。7時から調教なのかもしれません。「やっぱり馬の匂いがするねえ」「あっちの馬、速く走ってきたよ」「あの人女性かなあ?」と家内も楽しそうです。風が強くてグッドコンディションとは言えないけど、ここへのメニューを組んでよかったです。走る音を越えるような鼻息を伴って全速力で走ってきます。
元来た橋で猪名川を渡り、その橋の50mほど下流にある「田野遺跡」に寄り道です。小学校の社会の教科書に出てきた地元の名所です。子供達も遠足でやってきた近隣小学校の遠足の定番です。ここと蝦夷征伐で征夷大将軍になった地元の英雄「坂上田村麻呂」が、僕の心を躍らせました。近所に住む方で「坂上」さんを見ると、「きっと征夷大将軍の子孫だぞ」と今でも思ってしまう古くから続く地の名前です。あと小西さんもそうかな?
ここからはひたすら猪名川を北上します。やはり西風のようで、横からのブローで自転車が振られます。家内は一度止まってしまいました。「飛ばされそうやわ」「軽い自転車になると、もっと振られるかなあ?」なんて言ってます。先週一緒に行った自転車屋さんでまたがってみたクロスバイクを買う?って木曜日に家内に聞いてみました。「一緒に近所を散歩したり、電車に乗せて遠くを散策しない?」って。そしたら、即座にOKをもらえました。気が変わらないうちにと、即効で自転車屋さんに注文の連絡を入れました。スポーツクロスバイクは、僕のロードバイクほどではないけれど、ママチャリの半分ぐらいの重さだから、それを心配しているみたいです。
北上するに従って猪名川は少し東向きになるようです。斜め後から風に押される感じになり、楽にスピードが出ます。反対に南下するママチャリ自転車に乗る人を見ると、いかにも顔ががんばっています。1台下ハンドルを握り、背中を真っ直ぐにして風の抵抗を減らしたロードバイクとすれ違いました。カッコも決まってるし、かっこいいです。
クローバーの花の白い絨毯が覆う河川敷の場所を通り、飛行場を横に見ながら走ります。「JALだあ」「飛び立つよ」とのんびりトコトコ進みます。R171の軍行橋を渡り、いつもなら一番軽いギアに落として漕いで上がる坂まで来ました。家内がいるので迷わず降りて、2人で並んで押して上がります。学校のクラブに向かうのか、高校生ぐらいの兄ちゃんがシティバイクを立ち漕ぎで上がっていきます。パワーが違います。

風呂に入って京都に向けて出発です。家内はデパートに行くそうで、ちょっと早いけど僕の時間に合わせて8時半に家を出ます。最寄のJRの駅で家内を降ろして名神です。名神は車が大目ですがスムーズに流れています。京都のお花見シーズンが終わり、京都市内も順調で、京都南IC・R1・R42・東大路通で七条京女前女坂到着です。9時半少し前、部員も新入生もいません。定位置に車を止め、智積院のトイレを拝借しました。
車に戻るとすぐにカトウ君がやってきました。手にいつものヨット部試乗会看板ではなく、ポスターを持っています。さらにお菓子の袋を僕に・・・当然、僕にではなく、女子にです。「車の中で間が持たないでしょ」ということでしたが、僕は車内が無言にならないようにしゃべってるからいらないんだけどなあ。すぐに2組、試乗会に来てくれた女子が下ってきました。さらに1組。う〜む、結構綺麗どころだぞ。「彼女なら、僕ならアリだな」と僕は何を考えているのでしょう。どうもこの京女集合場所に来る部員は4回生ばかりです。試乗会を仕切ってるのは2回生なので、気を使ってるのか、4回生の無言の圧力でそうなってるのか?そう言えば僕もずっとこちらです。おいしいところをありがとう。
第一陣として、先週に続き女子を満載して琵琶湖に向けて出発です。道中、定番のヨットのお話、本日の試乗会メニューの流れ、ライフジャケットを着るから安全なこと、風だけで走るヨットの魅力、70歳を越えた人が世界一周出来る広がり。そして京都の話。さらに「みんな寮生?」「どこ出身?」と彼女達の懐に飛び込む地元話をしてたら、R161バイパスから琵琶湖が見えてきて、艇庫に着いてしまいました。浜名湖・浜松と福岡のご当地話まででした。まだたくさん乗ってたけどね。
「着いたよ」「艇庫の2Fに上がって」と彼女達に声を掛け、料亭KUYCにご案内し、第2陣で京都に引き返す仕事がないのを確認し、OB部屋に落ち着きます。マリエマネさんが1人で食事つくりをがんばってます。「1人?」「マユミ先輩が買い物に行ってます」でもマネさんは大変だよね。ご苦労様です。マユミさんは就職活動中なのにね。
風が強いから、試乗は諦めて艤装を既にばらしたそうです。「ボーリング組とカラオケ組に分けて・・・」と、担当の試乗会隊長の2回生ヒョウドウ君が説明してくれます。でもヨット試乗に未練があるみたいで、しきりに外を見て「風、落ちてきてますよね」とキャプテンにアピールしています。11時半、マネさんから本日の日当の昼食をいただき、最終判断時間になってきました。
1艇艤装し、模擬帆走をインフレータブルとレスキューボートから見てもらうことになりました。そして3つのメニューの班分けです。隊長のヒョウドウ君が1回生に説明します。「せっかく来て貰ったんだけど、風が強くて無理そうなので、ボーリングとカラオケに・・・」、案の定軽くブーイングです。「濡れるし、ヨットに乗れないかもしれないけど・・・それでも湖上に出たい人」「は〜い」ほぼ全員です。「ヨット部はやっぱりボーリングでしょ・・・と思う人」「し〜ん」・・・「は〜い」1人手を上げました。なんや3回生のセト君です。ボーリング担当に内定していたセト君のささやかなアピールのようです。
ここでウエノ主将登場です。「今日は無理やろと思って決断したのは僕です。・・・練習だったら平気な風なので、ヨットに乗れないかもしれないけど、全員湖上に出るか」と方針変更になりました。ヒョウドウ君が、「ヨットの艤装を見たい人は外に出てください」とリードします。すかさず部員が艤装に走ります。安全のこともあり、470・スナイプ各1艇&レスキュー紫雲&インフレータブルボートで出動です。
僕は、レスキュー担当、湖上隊長のノノ君と昨年の試乗会隊長のカタカワ君との3人でレスキューがあるハーバーに向かいます。ベースは4〜5m/sで、6〜8m/sのブローが入ります。比叡山に雲がかかると、それが流れてきて雨に見舞われます。ブローの息を利用して、安全面も考え部員2人に新入生1人を乗せて試乗してもらいます。風が強くなったら模範帆走を追っかけて見物です。風が強いので、試乗も楽しかったらしく、微風の時よりはみんなはしゃいでいました。案外こっちの方が良かったかもしれません。それにしても、ボーリング場に行って、キャパいっぱいまで予約して場所取りで並んでいると言ってたヤマダ君?(イシイ君?カトウ君?)だったっけは、どうしたのでしょう。骨折りご苦労様でした。
4時半ごろまで試乗し、全員ヨットに乗ってもらうことが出来ました。艇庫に戻り、お疲れのコーヒーをいただき、家路につきました。今日も魅惑の女子のハーネス着脱で至福の時間を過ごさせていただきました。

試乗会の途中で、長男君から2度電話が入りました。北関東の親戚の法事に我が家代表で長男君が行ってくれています。ついでに彼のお爺ちゃんの実家に寄ると言ってたのですが、お婆ちゃんの実家にも向かったようです。「お婆ちゃんに電話して大体の場所はわかったんやけど、今一はっきりせんから・・・」。東京に住んでる彼には、親戚との顔つなぎの意味もあり、「行ってみるかい?」と振りました。「行ってみるわ」とさすが長男です。
僕も中学の頃から、親の代わりに何度か結婚式などに出席するために北関東に出張りましたが、長男だからこれはやらなきゃと思う気持ちがあり、他をキャンセルして優先してたように思います。事故などで子供が1人になった時、喜んで手を差し伸べてくれるのが血のつながりです。長男の僕から長男君に少しずつバトンタッチです。次男君にもそういう機会を積極的に投げていこうと思います。

帰りの名神も渋滞ナシでした。天気が悪いからか、4月初旬の桜行楽疲れか、日頃の日曜日以上にスムーズに走れました。地元に戻り、家に帰らずそのまま自転車屋さんに直行です。注文した家内のクロスバイクの整備は終わっていました。
お金さえ払えばいつでも持って帰れますが、ライトや予備チューブ・サドルバック・・・など必要なものを購入し、ちゃり〜ん5万・・・也。それらを着けてもらい次の日曜日に取りに来ることにしました。今週中に、自転車ラックを2台掛けられるようにしないといけませんね。来月から”夫婦でルンルン自転車”の始まりです。月1〜2回のペースで楽しみたいと思います。

2009/4/21
日曜日は、ドラゴンのポイントレースでしたが、それをサボってまたまたヨット部試乗会の手伝いに行ってきました。この日も「京女の女坂に10時にお願いします」ということだったので、8時ごろには家を出ることにしました。
朝はいつものように6時前に目が覚めました。家内は夜10時、僕は11時がデフォルトな就寝時間なので我が家の朝は早いです。家内も起きており、いつも以上に早く家事しながら朝ごはんを食べています。
というのも、この日は2人で早朝自転車をする約束になっていたからです。6時過ぎに家を出発しました。僕はロードバイクで家内は愛用のママチャリです。次男君の置いていったマウンテンバイクがいいと思っていたのですが、数日前家内がまたがろうとして「これは無理やわ。足つかないもの」ということで諦めました。
まあ僕も最初はこのマウンテンで早朝自転車をするつもりでしたが、数度乗ってこの重さにめげました。家から道路に下りるまでに4段ほど階段があり、毎日ここを上げると思うと、それだけで億劫になってしまいました。続けるにはハードルが低くないとダメだからねえ。
僕がゆっくり走り、家内が着いて来ます。最初時速10km/hほどで走ったのですが、「もっと速く走ってるよ」と後ろから声がかかり、少しずつ速度を上げていくと、いつも15km/hぐらいで走ってることがわかりました。
急な坂もない道をバラ公園に到着です。中では最近はちょっと大きな公園では普通に見かけるサンデー毎日な方のラジオ体操をやってました。横を天神川という小さな川が走ってるので、その土手に上がってみました。道がセットバックで土手まで上がってるのですが、僕のはギアを軽くしたら漕いで上がれました。家内のは無理で、押して上がってきます。「軽くギアの付いてる自転車、楽でいいなあ」と思ってもらえたでしょうか?
土手道路は、早朝散歩の方が適当に歩いています。上流に向かいJR宝塚線をくぐり、阪急宝塚線手前で道がなくなったので、今度は下流に下ることにしました。わずかな下りになったので平均速度が上がります。JRをくぐるときは道が更に下るのでその勢いで、くぐった後ののぼりを漕がずに上りきれました。えっちらおっちら漕いで上がってくる家内を待ちながら、また「軽く走る自転車はいいなあ」と思ってくれたかなあと思ってしまいました。家内がクロスバイクに乗る気になったら、行動範囲が一気に広がります。そうなって欲しいです。
川を下り、瑞ヶ池の横に来ました。ここは次男君がヨットを始めたところです。B&Gのセイルをあげたヨットが桟橋につながれています。ここで自転車を下り、池の横のランニング散歩コースを自転車を押しながら歩きます。目的は池の鯉です。この池、緊急時の水源地なので厳格に魚釣り禁止が守られています。だからなのか、50cmを越える鯉がわんさかといます。散歩コースのすぐ横の水深30cmほどのところにも平気でやってきて、背びれを水面から出しながらバシャバシャ遊んでいます。人間が覗き込んでも平気です。
「いるいる」と2人で立ち止まり覗き込みながらゆっくり散歩モードです。鯉さんをたっぷり堪能し、再び自転車に乗り家に戻りました。1時間弱の早朝自転車でしたが、楽しんでくれたような感じなので僕はニンマリです。着替えてうどんを食べて、僕は京都に向けて出発です。
先週より遅い出発なので京都南インターの混雑が心配でしたが、さすがに京都の桜も終わったので全く混まずにインターを出ることが出来ました。市内もいつもぐらいの交通量で難なく女坂に到着しました。まだ9時半にもなっておらず早すぎました。
定位置に駐車し、「今日はたくさん新入生が着てくれるといいな」と集合場所の交差点周りをうろうろしました。4月の1週目はゼロ、2周目は1人の実績なので、女子マネさんの大きな供給源京女で全滅なんてことになるとえらい事です。9時半になっても部員はやってきません。いつも思うのですが、入部するまでは新入生に対してホストなんだから、早くやってきた子を出迎えるようにしないとあかんのんとちゃうんかなと。まあオンタイムにはちゃんと来るので、何も言いませんが。
集合時間10時の10分前にキャプテン君が車でやってきました。聞くと、この日は10人以上来る予定になっており、僕の車1台では無理なので、今年の卒業生のワゴン・タビト車を急遽借りてきたそうです。車を下りて一生懸命掃除をし始めました。「あまりに汚いので・・・」。「でもさあ、もう時間だから、向こうにいる女の子達に声を掛けた方がいいんじゃないの?ひょっとするとうちの試乗会に来てくれた子かもしれないよ」「すいません、カトウが来ると思うんで、とりあえず掃除します」「・・・」。
カトウ君はまだ来ていません。「集まるところはここでいいのかなあ?」と不安になってると思うんだけどなあ・・・女子はそういう人種だからなあ・・・帰っちゃうかもしれないし・・・ということで、久しぶりにナンパなるものをやっつけることにしました。
「じゃあ俺が行って来るわ」。「なんで俺が行かなあかんねん」と自分で突っ込みながら道を渡ります。キャプテン君が「ええ〜」と言いながら「すみません」と言ってます。次男君のヨット仲間からは、「結構平気で声を掛けに行きますよ」と次男君の親の知られざる世界を聞いてるので負けているわけにはいきません。
というか、それは僕からの遺伝でしょう。「へい彼女〜」なんて下品な声の掛け方はしませんが、誠実そうに真面目に言葉を掛けるので、結構相対してくれます。つまりちょっと自信があります。
「すいません。・・大ヨット部の試乗会に来られた方ですか?」と数組の女子グループに声を掛けていきます。他クラブの勧誘に集まった子達には「いいえ違います」と言われながら、3組はうちのクラブにやって来た子達でした。「あっちの2台の車で艇庫まで送るから道の向こうに渡って。ここは日差しがきついから向こうの木陰がいいよ。あそこにいるのが部員だから、彼のところに行って」「あ、はい。ありがとうございます」。まさか僕を現役部員とは思わないだろうけど、まだまだ僕もやれますね。きっと思いっきりの笑顔だったと思います。
車を女子で満載にして琵琶湖に向けて出発です。道中、1回生同士のおしゃべりの合間に、自己紹介からヨットの話、ヨット部の話、京都の話をして、彼女達の地元の話を聞き出して、車から会話がなくならないようにエスコートします。先週は助手席に家内が乗ってたから、もう少し年齢相応の話し方だったと思いますが、今週はもっとざっくばらんな感じで話しました。ちなみにオンタイムギリギリにやってきたカトウ君に艇庫で「遅かったな〜、しゃあないから俺が声を掛けまくったで〜。でも楽しかったけど」と聞くと、「女子大に行くんだから、身だしなみとして朝風呂に入りたいじゃないですかあ」と笑っていました。彼のゆる〜いキャラは結構好きです。去年の勧誘では、女子大の前でビラ配りをしていて守衛さんに怒られて、慌てて逃げ出し溝にはまって石垣に顔をぶつけ歯を折ったという伝説の持ち主です。
結局総勢30名を越す新入生が集まり、男女比が2:1で部員達はニンマリしていました。どうも男子ばかりだと場の盛り上がりが今一だそうです。しゃあないですね、男の性だから。昼食を食べ、レスキューで出艇です。この日は女子マネさんが2名で、昼食や鍋の準備で大わらわでした。ご苦労様です。
午後一番は1〜2m/sの弱い風でしたが、途中8m/sのブローが入るコンスタント6m/sのいい風になり、最後の4時ごろは4m/sほどの試乗会に最適な風になりました。「ヨット、おもしろい」と女子も男子も言ってくれてたので、この日で数名の部員獲得につながったかもしれません。良かったです。また別の面でも良かったです。マストからぶら下がるワイヤーに身体を引っ掛けて、ヨットが倒れないように船の外に身体を乗り出すのですが、そのためにハーネスという金属フックをお腹の部分につけたものをはかないといけません。
ハーネスは人数分ないので、レスキュー上で付け替えます。当然知ってるものが手伝うのですが、僕は当然こっちをメインに担当しました。男子は普通に、女子は特に丁寧に、背中から肩を回したロープをおへその前でしっかりと留めます。
大勢の乙女さんに合法的に着せてあげられるこんなおいしい仕事は他にあるでしょうか?まあ水着など挑発的なカッコの女子にはさすがに出来ないですが、みんなはまっても濡れないドライスーツを着てるから、こちらもあちらも平気で作業が出来ます。

ちょうど4時頃、夕日が比叡山にかかろうとする頃、試乗会は終了しました。これから艇庫で鍋パーティーですが、僕はレスキューをハーバーに戻してレスキュー担当部員を艇庫に送ると、一目散に家路に着きました。間に合いそうなら自転車を1ヶ月点検に家内と一緒に行こうと思っていたからです。主目的は点検の方ではなく、家内にクロスバイクを試乗してもらう方です。自転車に乗り出して、「これは僕ら夫婦で楽しめるぞ」と思いました。近所の散歩も歩いて行くよりは行動範囲が広がるし、簡単に車輪がはずせるので電車に乗せるのも容易です。そうなると更に行動範囲が広がります。足腰の衰え予防にも効果があるはずです。ママチャリは日頃から乗ってるので、運動系ではない家内にもハードルは低そうです。
問題点は、サドルに据わった状態で両足が地面に着くかどうかです。ギアチェンジは慣れるでしょうし、ギアで軽く回せるようになると多少の上り坂は下りずに上っていけるはずです。家内と自転車屋さんに行けるのは日曜日だけで、試乗するには雨が降っていては無理です。朝の自転車お散歩で好印象のはず。更に数日前の昼休みに家内の自転車のことで相談に行った時、ちょうどピッタリなサイズのクロスバイクが在庫でありました。色も家内の好きなピンクです。家内の帰宅予定が6時のこの日は、試乗に最適です。この日を逃す手はありません。
先週は高速が混んでいて2時間弱も帰宅までに時間がかかってしまいました。4時45分だからなんとか7時に間に合うぐらいかなあと思いながら車を走らせます。ところがいい具合に予想がはずれ、渋滞ナシに6時前に自宅に戻れました。家内は6時45分に帰宅。「1ヶ月点検に自転車屋さんに行くけど、一緒に行く?」「うん、行く」。試乗するには暗いですが、すぐに自転車屋さんに電話して、点検の了解を得ました。
1ヶ月点検の方は、何も問題はありませんでした。店長さんに、家内にピッタリサイズのピンクの自転車を出してもらいサドルを付けてもらいました。先日の実測では、この一番小さなクロスバイクのサドルの地上高は78cm。家内愛用のママチャリ実測で80cm。絶対に足が着きます。
家内に試乗を勧めるが、外はもう暗いので不安なのか店内で跨るのみになりました。「足着くわ。これなら怖くないわ」と好感触です。僕のように「いっちょ試してみるかな」という性格なら、「ちょっと外走ってみようかな」や「コレ買おうかな」になるのですが、ゆっくりじっくり土壌を耕し、少し後押ししてあげないと新しいものに踏み出せない性格なので、しばらく時間はかかるでしょう。でもスポーツ自転車に「乗れそう」と感じてくれたのは大きな前進です。
せっかくペダルを付けてもらったので、僕が外を試乗してみることにしました。ギアチェンジはハンドルを回して行います。前3枚、後ろ8枚のギアが付いており、僕のロードバイクよりギア比の守備範囲は広いです。僕のより更に厳しい坂もペダルを漕いで上っていけそうです。158cmの家内の身長に合うサイズなので、僕のより2サイズ小さく、さすがに小さいなと感じますが、ママチャリよりは圧倒的に走らせやすく、クロスバイクもなかなかいいなと思いました。
試乗はしなかったけど、「コレおいくらですか?」「4万・・・」「そうですか」と自分で聞いてたから、スポーツ自転車屋さん初体験にしてはいい線まで行ったと思います。更に、「私が自転車に乗ったら、かっこも大切だから、こんなの買わないとダメね」と店内で、自転車雑誌の表紙の女性の服装を指差していました。ヘルメットも被ってたし。帰りの車では、「日焼けしないように帽子が必要ね」と言い出したので、これはチャンスと、次の日曜日の朝、園田競馬場まで一緒に自転車で出かける約束をしました。
「私は速く走るより、景色を見ながらゆっくり走る方がいいわ」とも言ってたから、車の来ない広めの道では横に並んで走りながら、しゃべりかけるようにしたいと思います。何となく「家内と自転車」という次のミッションが実現しそうです。次回子供達が帰ってきた時、玄関を入るといきなり2台の自転車が目に入りおったまげるかもしれません。きっとすぐに、「乗ってもいい?」と言ってくるでしょう。

2009/4/13
日曜日は、午前中京都ヨット部の手伝いで、午後からは家内と京都散策をしていました。
4月の日曜日は、ずっとヨット部の新人勧誘手伝いですが、この日は特別な日「イースター」です。「イースター」はキリスト教国ではクリスマス以上に大事な日で、十字架に架けられたキリストが復活した日といわれています。「隠れキリシタン」な私は、この日に結婚式を挙げました。そうこの日は僕らの結婚記念日でもあります。
「クリスマス」は12月25日と決まっていますが、この「イースター」という日が曲者で、「春分の日」の後の「最初の満月の日」の後の最初の「日曜日」という実にややこしい日で、毎年変動します。しかも3月下旬から4月上旬という範囲で変動するから実に覚えにくい、つまり忘れやすい日です。ということで、大事な結婚記念日であるにもかかわらず、たまたま耳にしたニュースなどで思い出す程度でした。で、多くのご夫婦間では年次行事になっているであろう結婚記念日が、我が家では長く忘れ去られた日になっていました。
でも今年は例年と違います。2月に入ると家内には内緒で日程を調べ始めました。そしてプレゼントを用意し、その日の行動計画も練っていきました。まずはプレゼントです。どうせ今後数年間、ひょっとすると数十年間忘れ去られるであろうから、ちょっと印象に残るものをしたい。そりゃいろいろ考えました。でも中々いいものが思い浮かびません。高価なものなんて僕には合いませんし、家計が一緒の家内との間のことだから、お金を掛けちゃうと返って逆効果です。
ここ数年の家内へのプレゼントは、「読んで良かった本」という最安価なものもありますが、「ネックレス」「クリスタルりんご」「砂時計」などです。その中で一番存在感があり上座に置かれているものは「クリスタルりんご」です。それを見ながら「シンデレラのガラスの靴」が思い浮かびました。あんなに有名なディズニーのお話だからきっと実物があるだろうと探し始めました。
コレが中々ありません。アクセサリーのような小さなものは結構あるのですが、ちゃんと履ける靴はありません。ほぼ1/1モデルのもありましたが、高価でした。「靴買ってきたんだ」・・・靴箱を開けてビックリガラスの靴です。「履いてみて」と家内の前にひざまずいてそれを履かせるという、シンデレラの物語の再現をと考えたのですが、もろくも崩れ去っていきました。
その後数日ゴソゴソ探し、15cmほどのものを見つけました。クリスタルの靴です。製作会社と何度も打ち合わせ、結婚式で牧師さん(中学の時の校長先生)に読んで貰った「コリント人への手紙第一、第13章4節〜7節、同13節」の英文と日本語訳をクリスタルプレートに、靴にはメッセージと日付、そして結婚記念日の旨を刻んでもらうことにしました。
続いて家内に渡すシチュエーションです。「幸せを呼ぶクリスタルりんご」の時は、南禅寺の琵琶湖疏水水楼閣をバックにしました。今度も京都がいいでしょう。当日はヨット部の手伝いを京都琵琶湖間でやってるので、その後となると京都が無理がなく無難です。さて何処がいいかな?家内が一度も行った事がないところで、紅葉の季節に次いで京都観光客の多い季節なので、観光ルートから外れていないといけません。すぐに思いついたのが真如堂でした。広大な敷地があるのも関わらず、銀閣寺の東山観光ルートから少しずれているので落ち着いた雰囲気を醸し出しています。紅葉の季節はそれなりに賑わうのでしょうが、桜の季節はもっと有名な名所があるので、大したことなさそうです。
日が近づき、当初は昼頃京都のどこかで待ち合わせを考えていたのですが、家内が朝から一緒に車に乗ってくると言い出したので、百万遍知恩寺さんの駐車場に車を入れ、京大キャンパス内を通り、時計台レストランで昼食を取り、吉田山をかわしてとことこ歩いて真如堂に入り、お堂の縁側で店を広げて手渡すのが良さそうです。「吉田山に登ってみたい」という家内の前からのリクエストを駐車場への帰りに実現し、しんどくなければ行ったことがない下鴨神社に回る。というルートを考えました。
更に先週の日曜日にレナさんから聞いた「二条城のライトアップ」に回ってもいいです。レナさんの先生のテルミさんにも会えるかも知れません。それまでに相当歩くことになるから、足と相談して行くかどうか決めたらいいなと思っていたのですが、家内は「せっかくだから観てあげなきゃ」と大乗り気です。

前日の土曜日の晩、家に帰ると家内が、「ブラジル人のお客さんから、チョコレートもらっちゃった」との話。バレンタインデーにチョコをあげた方なのですが、ブラジルではイースターにチョコを贈る習慣があるらしく、そのお返しに貰ったそうです。「「イースター」の日はどうして決まるのかとか教えてもらったよ」と。これはまずいです。家内もキリスト教の中学に通っていましたが、僕の中学ほど熱心ではなくて、キリスト教の深いところを知りません。
「イースター」の礼拝や、その何たるかは知ってるだろうけど、意識することはなかったはずです。僕らの結婚式も、僕一人でイースターという大きな祝日に挙げられるのを喜んでいたぐらいです。反面、年間で最も忙しい日に時間の都合のつく牧師さんを探すのに苦労しました。自分の教会を持っていない校長にお願いすることになりました。毎年変動する結婚記念日だから、この日曜日がどういう日なのか気づいていないはずです。ところがこのブラジル人・・・家内の話を聞いていましたが、どうやら僕らの結婚記念日とは結びついていないようです。これはラッキーです。「イースター」というう日の大事さを家内に意識させてくれたようで、むしろ感謝です。
日曜日、7時過ぎに自宅を出発しました。「京都南インター混雑」という電光掲示は出ていましたが難なくインターを下り国道1号線に乗りました。桜の季節ですがこの時間の混雑は大したことがないようで、東寺前を通り五重塔を横目に「京都に来たよ」を印象付けました。京都の桜といえば「川端通」でしょう。七条のところから川端通を北上しました。でもどうやら見ごろは過ぎてしまったようで、多くの桜は散り桜になっています。
デジタル一眼レフを持参して最も期待していた北白川疏水沿いの桜も期待薄のようです。出町柳で右折して今出川通を走り、百万遍交差点で左折して更に右折で、僕が京都で一番の桜と思ってる疏水沿いに車を止めました。やはり見ごろは過ぎていますが、疏水を花びらが流れ、風で落ちる花も中々いいです。
続いて平安神宮の南を流れる疏水本流沿いの桜を観にいきます。「桜いかだ」が疏水表面を流れ、これもいいね。満開の時とはまた違う風情があります。ちょうど観光いかだがやってきたので、お客さんに手を振ってみます。かなりのお客さんが手を振りかえしてくれて、ちっちゃなコミュニケーションです。
京都に入って約1時間、9時頃ヨット部員から電話が入りました。運転中だったから家内に出てもらいました。内容は「今日も京女の方にお願いします」。「京大の中を歩きたい」との家内の希望を聞いていたので、また百万遍に戻り、正門から中に入ります。守衛さんに「ヨット部の新人勧誘です。ちょっと置かせてもらってよろしいですか?」と許可を貰い、時計台前の大クスノキの横に駐車して時計台内のトイレを拝借しました。
大クスノキの下では、なんと喫茶店がオープンしています。派遣切り騒動でニュースで聞いていた非常勤大学職員の契約更新中止に対するストの方々が営業してるようです。クスノキの下にキャンプ用テントが張られ、そこで生活してるみたいです。「団交せよ」の勇ましい文字の看板がかかってるし、「わしらもスターダストや!無期限スト断固支持」の看板も・・・勇ましい眉間にしわを寄せた雰囲気満々の看板とは裏腹に、どこかのんびりしています。テントの上にはクスノキからブランコが下がってるし、喫茶店名が「くびくびカフェ」です。百万遍交差点の石垣撤去反対でその上にやぐらが組まれ、そこで「やぐらカフェ」が長年営業していたのと同じのんびりした雰囲気が漂っています。「今起きました」という雰囲気の住人が数人、青空カフェでのんびりコーヒー飲んでるし。大体大学の顔でもある正門正面の時計台前のれっきとした敷地内にテント・ブランコ・カフェですよ。大学当局ものんびりしたものです。ここに来る前に同志社大学正門を写真に収めに行きましたが、雰囲気が全く違います。
9時半に間に合うように先週も行った京女前の女坂に向かいます。しばらくするとウエノキャプテンが看板を持ってやってきて待ちます。この日の京女生参加者は1人でした。先週よりはおおいけど1人って・・・まあ仕方ないね。来週に期待です。五条通から1号線、湖西バイパスで艇庫まで運びました。
道中たくさんしゃべりました。浜松出身のウチヤマさん、ウチヤマさんって現役マネさんにも同じ苗字の子がいます。お兄ちゃんが静岡大学ヨット部在籍中だそうで、中々有望です。彼女を艇庫に置いて京都に戻る途中、家内は「1人で来る子はいいよ」だって。友達と一緒に来る子とはモチベーションが違いますね。彼女の話しぶりも聞いてて、しっかりした感じが伝わってきたようで、「入部してくれたらいいね」って。

百万遍さんの駐車場に車を入れましたが、「上限・・円」と看板には書いてなく、20分100円だけです。係りのおじさんに聞きに行くと、単純に加算されていくだけだそうです。上限1日1500円のところを教えてもらい、そちらに移動しました。でも計算したら、1時間300円で5時間で1500円。きっとそんなもんだから、どっちでも良かったです。
この選択が後の予定をちょっと狂わせてしまいました。百万遍交差点側から大学内に入り、時計台に向けてブラブラ歩き、目指す時計台レストランに着いて入ろうとすると、「ただいま満席、しばらくお待ちください」というシートを持った店員さんがやってきたところでした。タッチの差で満席になってしまったみたいです。仕方ないので正門横のレストランで食事をすることにしました。「おしゃれなカフェレストラン」という雰囲気ですが、値段は学食そのものです。俗に言う「Aランチ」になるだろう日替わり定食(魚・野菜・パンorライス・アイスコーヒー)で599円でした。2人で1198円でした。
さてお次はメインイベントの真如堂です。正門横の吉田山の麓には吉田神社の大きな鳥居がありますが、地図ではその横を通って吉田山をかわして真如堂に向かう感じですが、それらしき道がなく、吉田山を上っていきます。「このままじゃ吉田神社に行っちゃうんじゃないのかなあ?」と思いながら、山の中腹の民家前で車を洗車してる方にお聞きすると、道はビンゴでした。
もう少し上り別の神社前の峠を越えると、正面に真如堂の大きな屋根が見えました。トコトコトコトコ、真如堂正面横の満開の枝垂桜を写真に収め、本堂に向かいます。予想以上に人が少ないです。これじゃいつもの日曜日と同じぐらいなんじゃないでしょうか。こんな大きなお寺が別の都市にあったら、大変な観光客を呼ぶのだろうが、京都では目立ちませんね。
小さな子を持った若い夫婦が数組、子供を遊ばせています。本堂正面の階段には5足ほどの靴が置いてあるだけ。それぐらいの人しか本堂見物してないです。予定の本堂正面縁側は独占状態で担いできたリュックから箱を取り出します。「あのさあ、プレゼントがあるんだ〜。今日はイースターだから僕らの結婚記念日・・・」「結婚記念日?」。家内は3月末の何日という日付で覚えているのかもしれません。「イースター」と「結婚記念日」が結びついていないようです。「私たちイースターに結婚したんだったっけ?」「・・・そうなんだよね〜」。「クリスタルの靴」と、靴をのけて台座になってるクリスタルプレートに刻まれた文字を読んでいます。「これ牧師さんに引用してもらった聖書の一節だよ」。「ありがとう」。かなりビックリしたようです。今回のオプションは大成功のようです。
駐車場の方に戻るために吉田山を登るのが最短距離です。白川側から登り出しました。銀閣寺裏の大文字山の中腹に大文字の火床がくっきり見えます。僕らが登った時よりかなり多くのお客さんが上がっているようです。白川側からの上り道はわかなかったのですが、自転車が数台止まってるところがあり、「きっと吉田山登山に向かった人の自転車だ」と想像しでそこから上がり始めました。どんどん道は細くなりますが、前にも後ろにも歩いている人がいるようで話し声が聞こえます。夜はおっかなくてとても登れない道を上がると程なく頂上に着きました。
ここにはなんとお店があります。入口と思われる暖簾がかかった扉の前の椅子には人が座ってます。「何のお店だ?」と見てると、「・・様2名様」って、喫茶店のようです。頂上からは京都の町の展望が開けているのかなと思いましたが、木々が生い茂りそれは全くありませんでした。喫茶室のあると思われる2Fでも町は見えないんじゃないかなあ。まだ数組のお客さんが待っていましたので、有名なお店なのでしょう。展望がないお店に並んでまで入ろうとは、僕らの興味は向きませんでした。北側(今出川通)方角に山を下ります。この道は急です。慌てると滑って転びます。慎重に下りました。今出川通に出て百万遍方面に西進します。観光客と思われる方が何台も自転車で追い抜いていきます。クロスバイクやロードバイクも走っています。「自転車があれば、あっという間に行けるのに」と思いながら、足はまだ元気なので「下賀茂神社」に向かいました。
トコトコ百万遍に向かっていると、道の北側に自転車が数台止まってるお店がありました。登山の格好をしたサンデー毎日な方々が、店の前で何やら談合中。「進々堂」と看板に書かれているようです。雰囲気のある面構えのお店で、「ここ有名なコーヒー屋さんじゃないかなあ。なんか名前聞いたことあるよ」と、そう言えば僕もそのような感じがします。パン屋さんの名前にもあったような?百万遍交差点を過ぎ、今出川通の1本北の生活道路で出町柳を目指します。何故かと言うと次男君が下宿してた建物を見るためです。「プロスパコート」ありました。そのままのたたずまいで、次男君の部屋は別の学生が住んでいるのかな?パチリです。出町柳から今出川通の橋を渡り、渡ってすぐの道を北上します。5分もすると下鴨神社に続く糺の森入口です。
ここには自転車置き場があり、カチャカチャ音を鳴らしながら数人のロードバイク乗りのグループがやってきました。今ならあの音が何か分かります。ペダルと靴をくっつける金具の鳴る音です。あんな靴で下鴨神社まで行ってきたのだろうか?1kmはあると思うけど。自転車屋さんによると、「一旦履きだすとやめられなくなる」とのことですが、あれで歩いたら金具がすぐにチビてしまいそうです。「糺の森」はもっと森の濃いイメージだったのですが、それほどでもありませんでした。でも道に沿って流れる小川が良く、いい雰囲気です。人気があるのはうなずけます。下鴨神社も大きな神社というわけではありませんがいい雰囲気で、この日だけで10組近くの結婚式が予定表に載っていましたが、コレもまたうなずけます。京都三大祭の1つ「葵祭」は、この宮のお祭りだから、京都在住のカップルならここを候補に上げるだろうな。
時刻は4時前です。この分なら二条城にも行けそうです。さすがに徒歩では、帰りのこともあるししんどいので車で移動することにしました。今出川通の1本北の橋を東に渡ります。橋からは、東に「大文字」、北に妙法の「法」の火床がくっきり見えます。今度大文字見物の機会があれば、こっちの橋からの方が良さそうです。でも人でいっぱいでしょうけどね。
百万遍交差点少し北の「モスバーガー」さんに入り、コーヒータイムです。「マクドナルド」さんより落ち着いているので「モス」さんの方が好きです。そのことを家内に話すと、「店員さんの年齢が上だからよ」と。それにフランチャイズ店が多いからだと思います。それぞれのオーナーさんがあるから、温かみを感じるんじゃないだろうか?
5時を過ぎ、少し早いけど「二条城」に向かうことにしました。近所の駐車場探しをしなければと思っていたのですが、二条城駐車場にたくさん空きがあります。入口横に止めて、6時からのライトアップ開門を待つ列に並びます。「早すぎたかな」と思っていたのですが、列はどんどん長くなります。開門したらあっさり列は解消されそうですが、結果的には開門同時に入場して良かったです。
「ライトアップ」の雰囲気には遠く夕日の最後を望む時間帯でしたが、僕の写真技術と装備(三脚なし)が真っ暗なシチュエーションではダメだったけど、明るさが残る時間帯だったので、桜を綺麗に撮る事ができました。「京都造形芸術大学」と胸にロゴの入ったスタッフジャンパーを着た学生さんが要所要所に立ち、上手にお客さんを誘導しています。時には写真班になりお客さんの要望でグループを写しています。このお城は、信長が上洛の口実になった足利義昭の為に建てたお城じゃなかったっけ?江戸から明治への大政奉還も確か二条城が舞台だったように覚えてるけど?信長の時代から大きく政局は動き、信長・秀吉・家康と戦禍もあったから、当時の二条城がそのまま残っているとは思えないけど、歴史ロマンを思うと楽しくなります。
写真を撮りながら順路を回っていると、学生さんの作品が庭に並べられているところにやってきました。どうやらテーマが竹のようです。竹を使った作品がライトに照らされたり、中から光が漏れていたり、中々の力作ぞろいです。「レナさんの作品がありました。1人で作った作品や6人がかりの作品もありましたが、レナさんのは2人で作ったようです。作者名が輝いています。親御さんは観に来られたのだろうか?新潟出身だから無理かもなあ?
家内が「観てあげられて良かったね」と。お題は「詩片」です。芸術脳のない僕には何が「詩片」か分からないけど、手間がかかった作品というのだけは分かります。家内は次男君の同期のマネージャーさんの卒業作品も観ています。ただ観にいくことだけでも「ちょっとした力を作者にあげられる」と思います。来て良かった。学生の作品を熱心に見ながらノートをつけている女性がいました。作品を評価してる先生かもしれません。「どうかレナさんの作品には最高の評価をしてあげてください」。
また桜を撮っていると、レナさん本人が順路に立っていました。「やあ」と声を掛けながら思わず手を握ってしまいました。「ドサクサにまぎれて」というヤツです。「作品観たよ」・・・ニコニコ笑っていました。
見学を終え、最後に用意されていた仮設テントで作られた特設お土産エリアを物色していると、「カミヤさん」て声を掛けられました。振り向くまでもなくその声はテルミさんです。ソバージュっていうのかな、髪型は大人っぽくなっていますが、相変わらず人懐っこい笑顔がそこにありました。「どっかで見たようなジャンパーだと思ったらカミヤさんじゃないですか」って。この日はヨット部のユニフォームジャンパーを着ていました。
結婚のお祝いと近況をおしゃべりしました。カメラを持っていたから学生達を回っていたのでしょう。ということは仕事中ですね。売店で、「まるごとイチゴ大福」と家内が「京都で評判だから食べたいな」と言ってた「抹茶ロールケーキ」をお土産に買いました。お土産といっても僕らのお腹に入るんだけどね。
とても楽しい1日を過ごせました。

2009/4/6
日曜日は、京都のヨット部の新人勧誘の手伝いです。これから4週、毎日曜日京都と琵琶湖の往復です。部員に下宿生が多いから車の確保が大変なようなので、毎年4月は他の用をキャンセルして出来るだけ手伝うようにしています。日頃のミーティングで「シャックルがない」と言ってるのに、レンタカー1日1万円は痛いでしょう。
今年の勧誘隊長2回生のヒョウドウ君からの連絡で、9時に艇庫で部員を乗せて京都女子大に向かうとのこと。まだ入学式前なので、試乗会参加新入生が増えるのは来週からだと思うけど、うちの車がおいろけムンムン車になったら嬉しいなと艇庫に向け出発しました。
しばらくチェックしていなかったタイヤ圧を測りにGSさんに寄ると、バイクが結構給油しに入ってきます。天気予報通り、「晴れ、暖かい」とは言えない「うす曇でちょっと寒い」空模様でしたが、ツーリングに出かけるのでしょう。「いいな〜」、バイクに乗ってる方が、ずっと運転が面白いからうらやましいです。
「高速道路何処まで行っても1000円」が始まり、時間も7時過ぎで、「混んでるんじゃないかな?」と思っていましたが、いつもの1時間前の時間帯よりむしろ空いてるぐらいで、最も気になる帰りの高速道路の混み具合も、それほど気にする必要はなさそうでう。
いつものように「京都東」インターで下りました。注目のETC料金表示・・・「900円」・・・って、「あれっ、1000円行ってないし・・・」。通常料金では1650円のはずです。すぐ高速に乗るのも面白くないので、1つ京都寄りのインターから乗ったからかな?それでも900円は安すぎます。数日前に、家内の実家の墓参りに6時過ぎに高速に乗ったときも感じましたが、深夜早朝割引(10時から6時の間高速利用)の他に別の割引の対象になってるようです。
艇庫に着き、9時の出発まで艇庫前で部員と話していました。「天気予報は晴れて暖かいと言ってたのに寒いね」と、ヤマダ君に声を掛けると、「昨日は最悪でした。寒い・雨・風なしでした」と。1日ずれてラッキーでしたね。次男君が試乗会に行った時の事を思い出しました。あれも入学式前で、ウメノさんのトラックを借りて下宿に荷物を運んだ日です。大学内を2人で散歩していると馬がパカパカ・・・それについていくと馬術部があり、すかさず「新入生?」と声をかけられ、にわか馬術部試乗会になりました。嬉しそうに馬に乗る次男を写真に収めました。その後、「ヨット部の試乗会に行くから正門まで送って」という要望に応えて、次男を送り届けました。10時のオンタイムだったのに、新入生はどうやら次男君1人のようです。そんなこと気にしない次男君なので、すたすたお揃いのヘリハン集団の中に入っていきましたが・・・。あの日は、「寒い・小雨・入学式前」という最悪のコンディションでした。ヘリハンのステッカーが貼られたトラックを見て、ヨット部員はどう思ったのでしょう?
「浜に船運ぶぞ〜」の声とともに、「うげ〜」とか言いながらみんな下を着替えだしました。艇庫前から小さな川を隔てた湖岸の砂浜に船を運びます。春は水位が高く、お尻の上まで濡れなければなりません。出艇前に濡れてしまう、このクラブ最大の欠点かもしれません。大規模土木工事で、小川の流れを変えたらいいのにと思います。護岸は砂浜だから、人海戦術でなんとかなる気がするのですが・・・でも部員数を考えると数ヶ月はかかるだろうから(いや数年か?)、「やろう」という気にならないのもうなずけます。砂浜だから許可なども要らなさそうです。これをやったら、「ど阿呆」と「大尊敬」のレジェンドで、後世まで伝わっていくでしょう。
コレ幸いに、1ヶ月ほど前に買った「どぶ・農作業用ズボン」を試してもらう事にしました。長靴とビニールズボンが一体化されており、釣り師御用達のお気に入りズボンと構造は一緒です。でも材質がチャチい。その分安価で1980円でホームセンターで衝動買いしたブツです。横でパンいちになっていた2回生をセレクト。「オカモト君、これ履いてくれない?」「いいんですか?」「いいよ、でも試したことないからいいかどうか分からないよ」。実験は大成功で、これでも十分使えそうです。「これでヨット乗れますかねえ?」「それは無理じゃないかなあ、あの激しい動きでは破れると思うけど」。
オカモト君の後にキャプテン君他1名が飛び出していきました。「フリチ●や〜」とお尻丸出して駆けていきます。他の部員は「え〜、フリチ●ですか〜」と驚いています。蔑んだ眼差しだったか、尊敬だったか定かではありませんが、冷たい水に突っ込むのに、一気にテンションが上がったように見えました。彼らの名誉と勇気のために名前は伏せておきますが、僕には「こいつら、すげ〜」と尊敬方向に矢印が振れました。「うお〜」とか言いながら、両手を上に挙げてるし・・・。
セト君と京女に出向きました。京女生の試乗会予約はゼロ、時間を書いたビラを配ったそうですが、果たして来てくれるのか?去年までは「前もって連絡を下さい」みたいな文言を入れていたのですが、今年は新しい試みだそうです。いろいろ試したらいいね。
東大路通の智積院角の女坂に入るところでヨット部の看板を立てて待ちます。集まるまで暇なので、智積院に入ってみました。東大路通を渡れば三十三間堂、斜め前が国立博物館という有名どころの近所ですが、ここに入るのは初めてです。正面に回ると、中は見えるが柵があって入れません。東大路通に面した階段のところに、自転車ヘルメットを被った方が数名座っています。ここで待ち合わせてどこかに行くのでしょう。クロスバイクが3台、女性のクロスバイクがやってきてそれに加わりました。
女坂側に回ると、こっちからは入れます。桜がいい感じで植えられ金堂をバックに写真をパチリです。女坂に戻ります。交差点側を見ると、まだ新入生は来ていないみたいなので、京女の方に女坂を上ってみることにしました。「おんなざか」この音に響きに何やら感じるのは、男子として正常な証です。バス停がありました。「京都女子学園小学校前」という停留所でしたが、バス停を見て惹かれたのは、「プリンセルライン」という路線名。確かにウィークデーのここらは女子ばかりなんでしょうが、京女のスクールバスでもなく、市バスかJRバス、または京都バスが運行しているのだろうに、ここだけこういう特別な名前が付けられているのですね。やってきたバスは、真っ赤な車体にプリンセスラインと書かれています。京女もお金を出しているのか、京女さまさまの営業路線だからかもしれません。このバス、他の路線には使えませんね。
女坂の入口に「豊国廟参道」と大きく書かれた大きな石標が立っていました。こ女坂を上がると秀吉のお墓があるようです。いつか上ってみましょう。四条の方に北上すると、秀吉の正室ねねが秀吉没後住んだ広台寺があるので、ねねさんは時々こちらに来られていたのでしょう。かつてのその場所で、こういう歴史ロマンを想像するのは楽しいです。
ロマンの素敵な世界に浸っていたら、いきなり現実に引き戻されました。短めのスカートの女子が目の前を下っていきます。「これは、試乗会参加者か?」と期待を込め、一緒に下って行くことにしました。当然「横に並んで」ではなく、少しというか大分間隔を置いて下り出すのが、僕の不甲斐ないところです。
件の女子は、いい感じで試乗会の看板方向に接近して行きましたが、信号を待ち横断歩道を渡って行ってしまいました。残念。看板のところに戻ると、「おかしいなあ?」と、京女生が誰も来ないのに打ちひしがれている部員が約2名います。「まあ入学式前で仕方ないでしょう」。しゃあないので僕が相手をして、深い傷を受けた心にガーゼを当ててあげましょう。
「自転車買ってん」と言うと、キャプテン君が食いついてきました。オフロードバイクに乗り、去年の七大学戦では、野宿1泊しながら仙台までバイクで行ったツワモノの彼ですが、元々自転車好きだったそうです。京都に来てジャイアントのクロスバイクを買って、こっちも乗り回していたそうですが、1週間前に追い出しコンパの時に最寄の駅に停めておいて、それ以来行方知らずになっちゃったそうです。ウ〜ム。
彼のクロスバイクは、ちょうど自転車屋さんお勧めで、家内が乗ってくれたらいいなと思ってた自転車のようです。僕が買ったのもジャイアント製だし。あ〜だこ〜だ、聞きながら時間が過ぎ、ついにタイムリミット、京女方面の本日の釣果はゼロということで失意の内に艇庫に引き上げることにしました。それらしき女子2〜3人連れが近づくたびに、「能動的に行こうぜ」と男子の得意技、俗に言う「ひっかけ」を敢行するように促しましたが、不首尾に終わりました。そらチャレンジしなきゃ不首尾やわなあ。人生「トライ&エラー」で行かなあかんのんとちゃうん?と思うのですが、僕がそれをするわけにもいかないし・・・学生時代なら、何組かにトライしていたように思います。学生君たちは、結構かっこいいし、釣果が上がるように思うんだけどなあ。
艇庫に戻り、おいしいカレーを食べてレスキューに出発です。新入生は男子ばかり8名でした。風は1〜3m/sでもう一声欲しかったですが、天気予報通り段々天気がよくなり、例年通りの試乗会が出来ました。今日は8名と少ないので、たくさんヨットに乗れ来た子はお得だったと思います。ただ試乗会レスキューでの最大の楽しみトラピーズハーネスの着せ替え相手が、男子ばかりだったのが残念でした。きっと新入生が多いだろう来週は、レスキューに乗れないし・・・でもマネージャーのレナさんとたくさんしゃべれたのは楽しかったです。「テルミさんって知ってます?」と彼女から。話を聞くと、彼女の選考の教室の講師?助手?がテルミさんなのだそうです。レナさんは造形大で、授業にクラブのユニフォームで行ったのかな?ヨット関係の服装を見て「ヨットに乗ってるの?」とテルミさんから声を掛けられたそうです。「私もヨットに乗ってたんだよ〜。テルミって呼ばれてたから・・・」などと話したそうです。
ヨットのテルミさんと言えば彼女しかいません。年に数度、最近は西宮で会います。いつも明るく声を掛けてくれて、とてもいい子です。リッツさんの学連OGだということ、女子インカレ優勝者であること、北京オリンピックキャンペーンで4番だったことなどを教えてあげました。レナさんは、とても驚いていました。
「今は・・さんですよ」って、どうやらテルミさんは結婚したようで、苗字が変わってました。1回生と神戸港クルージングに出た時も、新西宮会ったけど、以前と全然変わってなくて、まさか結婚していたとは知りませんでした。レナさんの話しぶりからすれば、今年ではなさそうですが、いつ結婚したんだろう。
テルミさんとレナさんは、二条城のライトアッププロジェクトに参加しているそうです。作品を飾ったり、ライト設置を手がけている感じです。二条城のライトアップか・・・惹かれます。次の日曜日が最終日だそうで、2人ともそちらにつめているのでしょう。ちょうど午後から家内と京都散り桜散策の予定なので、それに組み入れるのもいいかもしれません。
ただ昼過ぎから吉田山界隈を歩き、真如堂でハプニングを敢行しようと思ってるから、午後6時からのライトアップまでは時間があり過ぎるなあ・・・家内が歩きつかれてしまいそうです。来週は車で来ないといけないから駐車場の問題もあるし・・・どうしようかな?
ということで、試乗会1回目は無事終了です。レスキューをバースに戻し艇庫に戻ると、鍋がいい匂いをさせて吹いていました。これから新入生を囲んで鍋パーティーです。ここからが特に用事がないので、応援に駆けつけたOB・OG諸氏とともに退散することにしました。
帰りに、ロードバイクにバックミラーを付けるためのボルトなどを買い、それから数日夜はゴソゴソ作業です。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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