ウェブマスター日記 September-December/2008

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2008/12/22
日曜日は、浜でドラゴンの整備です。そして夕方からは、家内と去年に続き六甲山から夜景見物の予定でした。ですが、日曜日の天気予報が思わしくありません。午前中は持ちそうですが、午後、特に夕方からは雨、しかも3mmとはしっかりとした雨脚です。こんな天気で夜景も今一だろうし、遠くの和歌山の灯は望めそうもありません。そこで六甲山を中止し、先週に続き「嵐山花灯路」に2人で行く事にしました。「同じところなのに御免ね」とか言われたけど、日が落ちてからの夜間拝観の2時間ほどで全部回れるはずもなく、全体の1/3程度しか行けていません。まだまだ観たい所は十分にあります。それに「大河内山荘」で「お抹茶&和菓子」を家内と楽しみたいし。入山料の中に含まれていましたが、1人でお茶席に座って食べてもなあ・・・と寄りませんでした。
もう一つ、朝密かに狙っていたのは、丹波篠山の朝霧雲海ツアーです。秋の終わりから春の頭にかけての冷える季節、北摂から日本海にかけての盆地に朝霧が立ちます。晴れた日、夜間の放射冷却で冷やされた空気に対し、相対的に温かい川の水から風呂の湯気のように霧が立ちます。せいぜい標高300mほどなので、それ以上の標高のところからは、雲海に浮かぶ山の頂上がまるで海の島のように見える絶景に出会えます。
先月、兵庫県で一番有名な竹田城址に行って、その素晴らしさに魅せられ、家内にも見せたくなりました。でも竹田城に家を出発したのは朝3時というとんでもない時間で、美容命で睡眠時間は小学生並の家内を叩き起こすことはできません。そこでもっと近くの絶海雲海ポイントをいろいろ調べて、篠山盆地をターゲットにするのが一番良さそうだということがわかりました。
次は篠山盆地を囲む標高400m以上のポイント探しです。篠山盆地南の愛宕山・三国ヶ岳・高城山、北部の盃ヶ岳・八百里山・衣笠山、東の松尾山周辺が良さそうです。頂上に登れば何処からでも見えるのでしょうが、標高5〜600mの山に登るのは私たちにとってはきついことです。まして朝です。車に乗ったまま直接標高400m以上に行ける峠を探しました。地図で400mの等高線を沿って探すが、標高400m以上の峠というのは少ないものですね。見つけたのは2箇所、愛宕山と三国ヶ岳の間を三田と篠山をつないでいるr49、母子の北にある美濃坂峠と、八百里山と衣笠山の間を縫うr301の峠。それともう一つ、峠ではありませんが、盃ヶ岳と八百里山の間を流れる藤岡川を登っていくとある東窟寺。ココから先は破線になってるので、以降は徒歩でないと無理そうですが、お寺までは車でも行けそうです。
前置きが長くなりましたが、以上のようなことを調べて、土曜日の夜目覚ましを5時にセットして眠りに付きました。朝5時に目覚め、すぐにNHKをつけて天気予報チェックです。PCを立ち上げて気象庁の注意報をチェック。「ううむ、やはり兵庫県北部に濃霧注意報は出ていないか」。篠山の朝の気温が6度で、天気が曇りでは無理ですね。道路凍結より少し上の気温と晴れが組み合わされば、丹波黒豆を育てる朝霧は確実なんですが・・・。濃い朝霧は期待出来そうもないので、家内を起こすのはやめて、バイクで下調べに出発です。一番近い「母子」の往復なら2時間半あれば出来そうです。タイトですが、6時出発・8時半帰宅・9時浜が出来そうです。
プロテクターを身に着け、GPS・電話・緊急食のパン・ポカリ、カッパなどのバイク用品を用意して6時出発です。R176を三田まで走って母子を目指してもいいのですが、バイクでは今一面白くありません。時々走ってる制限速度をはるかに越えた車も怖いし。ということでいつものように長尾山トンネルを抜けて宝塚・三田の里山地域に入ります。途中の中山寺の住宅地からの大阪平野の夜景が綺麗です。r33を北上、西谷農協付近をショートカットしてr68を三田方向に西進、千刈を越えてr49に乗り換えて母子まで北上します。なかなか走りやすい道です。
峠に入り、道が大きなカーブを描きながら標高を高くしていきます。もうついたのかなあとGPSを見ると母子はまだ先です。ランドマークになる長澤寺を越えていよいよ美濃坂峠にかかります。舗装されていますが、この道は狭いです。バイクなら平気ですが、車がすれ違うのには見通しの利かないカーブの連続する坂道でもあるので、あんまり車では走りたくない道です。
峠を越え篠山盆地側に出ると、木々の間から篠山の朝霧が眼下に見えます。道が広がったところに車3台ほどが停められる展望台があります。そこにバイクを停め、カメラで雲海を収めます。厚さのない朝霧ですが、町の2/3は霧の下です。時刻は7時。周りの木が生長していて、篠山盆地を一望というところまではいきません。時刻は7時。山のてっぺんに上ればもっとよく見えるでしょう。峠の途中に観光看板が設置された休憩所のようなものがあったなあ。r49を走りながら見上げた両側の2つの山はそれほど高くないように見えました。ここで標高400m、頂上は600mを越えるが、途中にビューポイントがあるかもしれない。
ということで観光看板のところまでバックします。看板はこぎれいなもので、自然道と両山の山頂へのルートが載っています。ここは三国ヶ岳への登山口のようです。愛宕山へは別の場所にある天台宗のお寺からのルートだそうです。天台宗本山は、比叡山延暦寺で千日回峰で有名な山歩き修行宗教。両山はかつては修行の山だったそうな。なるほど。ビューポイントまで10分ぐらいかなと思って一眼レフカメラだけ持って登山道に入ります。
注意書きとして、「11月15日までの2ヶ月間は入山禁止」「11月15日からは猟期になるので注意して登るように」と立て札があります。入山禁止期間は、マツタケ取りを防ぐためでしょう。それ以降の猟期に関しては、山猟師さんに中止してもらうしかありません。子供達が小さな頃、冬の日曜日に篠山によく来ました。篠山市内のしし肉屋「おおみや」さんの前でひっくり返ってる、朝撃たれたばかりの猪を見るためです。弾の痕からは血が滴り、猪の剛毛を触り大騒ぎです。昼に鹿やしし肉を食べて帰宅というパターンが多かったような。
登山道を外れないように歩かなければなりません。幸いもう明るいので猪に間違われることはないでしょう。こんなとこで頓死なんてかっこ悪いです。母子周辺に点在する茶畑がココにもあります。畑の周りに網囲いや電流柵がないので、「お茶は鹿や猪さんのお好みでないのかなあ」なんて考えながら歩いていると、いきなり目の前に鹿さんがいます。私を見て、白いお尻を見せながら早足に去っていきます。人にお尻を向けるなんて失礼な。でも猪でなくて良かったです。猪さんなら猪突猛進、捨て身で突進してくるからなあ。カメラをスタンバイしていなかったので写真は撮れず、次回のチャンスを狙おうと立ち止まってカメラを用意していると、鹿の泣く声がたくさん聞こえています。「キュン・キュン」、「あやしいヤツが来たぞ。皆様ご注意を」とでも仲間に知らせているのでしょうか。そういえば前から聞こえていたような。
多数の鹿の声を聞きながら先を進みます。しばらく歩いていると集落に出てしまいました。「あれっ?」。集落の中を適当に登っていくと、茶畑の上でどう見ても道はなくなっています。これ以上ここから登っていくと、ほんまに猟師さんの餌食になりそうです。どこかで間違えたようで、元来た道を戻ります。さっき鹿さんに出会ったところにしっかりした「山頂こっち」という道標がありました。鹿に目が行って見過ごしたようです。
気を取り直して山頂に向かいます。これがまた急な道で、竹田城跡の坂以上です。なんとなく道らしく木が払われているだけで、落ち葉で覆われています。少し平坦なところには鹿さんのウンチがコロコロと転がっています。この登山道は、山の母子側にあり、篠山盆地を望むビューポイントはありません。第一道が狭いので母子側も望めません。やがて道の先に空が見えるようになり、ビューポイントかもと思って登ると、そこはもう頂上でした。もっとスカッと何もなかったら景色がいいのに、伸びた木々が邪魔して、盆地を一望というところではありませんでした。でも眼下に盆地が見えその向こうには篠山連山?だったけが見えます。
振り返り母子側からは三田や宝塚、猪名川町の里山が一望できます。三角点の他に、南斜面から見える山々の山名が書かれたしっかりした案内板がありました。中高年の登山・山歩きブームに乗って、春から秋の季節は多くの方が登っているようです。
四方を写真に収め、下山します。上りは途中休憩しながら息を整えましたが、下りは楽です。根っこや石につまずかないように、落ち葉に滑らないようにするだけでぐんぐん下ります。バイクに着いてGPS電源を入れると8時になっています。道を間違えたので、山頂まで30分というところでしょう。9時に浜は無理そうです。こうなったら10時浜に予定変更して、篠山盆地側から登る愛宕山登山口の「竜蔵寺」を見に行くことにします。r49を篠山側に抜け、R372を西進、「竜蔵寺こっち」の看板に従って左折してお寺に到着しました。その先に舗装されていない道があります。ここを入れば愛宕山山頂なのでしょう。もう時間がないし、無理すると足があかんようになります。元来た道を帰っていると、行く時はなかったワゴン車が停まっています。その横にはオレンジ色のジャンパーを着てライフルを持った方が林を見つめています。その先にもう一人、忍び足で一点を見つめてゆっくり歩いています。猟師さんのようです。お揃いのジャンパーを着ているので、こういう決まりなのでしょう。日曜日なので篠山にしし肉を食べに来る観光客が多いだろうから、仕留めた猪や鹿を「おおみや」さんなどに卸すのでしょうね。
おとなしいとは言え一応バイクなので、ゆっくり通過します。その後耳をすませながらR372に乗りましたが、鉄砲の音がしなかったので、獲物を追い詰めるところまではいかなかったようです。
「さあて、急いで帰らなくてはなりません」。目的地を自宅にセットされたGPSは、お姉さんの声でしきりに指示を出してきますが、みんな高速や国道に向かうもので、みんな無視してr49で母子を越えます。このままr49でもいいのですが、r49に平行するように南に向かう青野川沿いのr308が気になって、母子からr308にチェンジします。最初だけ片側1車線の綺麗な道でしたが、すぐに中央線のない1.5車線道になりました。車では今一でしょうが、バイクや自転車には最高の道です。三田に向けて長い緩やかな下りが続いており、r49のような峠道がありません。母子側からだと、車があまり通らないので、自転車小僧には最高の快速道になるでしょう。横には青野川の小さな流れ、林の中を抜け山が迫り、気分は最高です。9時を少し回り、ドラゴンオーナーのシブカワさんの携帯に「10時に行けそうもありません」と連絡をいれます。留守電になっていたので浜に向かい運転中かもしれません。
今後何度でも走りたいr308は、やがて千丈寺湖左岸道路になりました。ここで左にタックして東に向かいr49に乗り換えるのがプロパーコースだったようですが、湖岸の別荘地に迷い込んでしまいました。でもそのまま湖岸を走っているとやがて別荘地を抜けr49に合流しました。そのまま南下して、川西と三田を東西に結ぶr68を今度は東進し、タックして乗ったr33を南下し自宅に戻りました。10時を少し回っています。随分と時間がかかってしまいました。
朝食を食べる時間はありません。家内は既に出かけています。朝起きたら旦那がおらず、バイクの靴がなくなってるので、「またどっかに行ったなあ」ぐらいで、なんら気にせず都会のウインドウショッピングにでも行ったのでしょう。
バイク装束を脱ぎます。結構気温が高く、背中のプロテクター部分に汗をかいています。京都を歩くためにリュックに傘2本とその他を入れて、今度はスクーターで出発です。予定では家内と4時に阪急塚口駅待ち合わせなので、浜から塚口までバイクで戻り、適当に置いて電車に乗る算段です。ちゃんとした駐車場がなく路上駐車になると、綺麗なバイクは心配です。
R171を思いっきり飛ばします。時々リミッターが利いてスピード制限がかかります。免許を取って今まで「スピード違反でのお縄」というものを一度も経験したことがありません。スピードを出さないからなのですが、引っかかるとしたら原付に乗ってるときだろうと予想しています。R171を30km/hで走るなんて、車との速度差がありすぎて怖くて走れません。
既に11時頃です。めちゃくちゃ遅れてしまいました。浜に着いて、陸置きバースに走っていくと、ちょうどドラゴンの1艇目のマストを抜いているところでした。サワダ艇。続いてウチ、そしてヒライ艇の順にマストを抜いて横置き・点検です。全艇、鳥さんにウィンデックスをかじられています。オオノさん製の簡易人力マスト倒しパイプは優れものです。人数は数人必要ですが、あまり怖い感じはしません。
1時にドラゴン整備終了です。次はエ号で忘年会です。その前に、一点鐘にバイク便ボックスに貼るかっこいいステッカーを物色しにいきますが、最近はメーカーもステッカーを作らないようです。いいのがなく、国際信号機ステッカーでも貼ろうかと525円で購入しました。エ号に行くと、桟橋でキンノさん・モリタさん・マダムシブカワさん・シンタニさんが鍋の食材を切っています。
皿を調達しにハーバー前生協に向かうシンタニさんに同行し、箸やコーヒーなどを購入。帰りの途中で船から「コンロ1個壊れてるようなのでカセットコンロ器具を買って来るように」と指示を受け、シンタニさんと東灘のカインズホームに行きます。1980円・2580円・3980円と3種類あり、迷わず1980円を購入。カセットコンロに使うカセットボンベは十分あるのかなあ?
船に戻ると、イカミさん・オオノさん・ヒライさん・サワダ君がいて、鍋をつついています。船内は暑いようで、コクピットに出てくる方も。新しいカセットコンロは火力が強く、すぐに次の鍋が出来上がり、1時間弱だったけどお腹を満たしハーバーを後にしました。篠山に雲海を見に行ったことを話すと、ヒライさんが「竹田城って知ってる?」と。私とキンノさんが雲海を観にいった行ったと言うと、「駐車場に停めた?あそこ、うちの駐車場だから駐車料金もらうよ」だって。あの山の1/3ぐらいはヒライさんとこのらしいです。でもあれだけの文化財になっちゃうと、開発して稼ぐことで出来ませんね。モリタさんはご夫婦で土曜日に「嵐山花灯路」に行ってきたそうです。シブカワさんご夫婦は去年行ったそうで、皆さんなんだかんだ言いながら奥さん孝行してますね。
約束の4時までは50分ほどです。これだったら駅前の店にバイクを置いても間に合いそうです。伊丹から電車に乗り塚口で家内と合流し、嵐山に向けて出発です。家内は朝からずっと新しく出来た「西宮ガーデンプレイス」に行ってたそうです。予想通り都会のウインドウショッピングでした。屋上の駐車場の横に庭園があるそうです。1Fから全部見たそうで、すでに2時間ほど歩いてきたようです。まだ開店1ヶ月ぐらいだから物見遊山の方が多いでしょうね。
途中の十三で乗り換えられるが、座りたかったので終点梅田まで乗り、そこで京都線に乗り換えです。ホームに止まっていた特急は既にほぼ座席は埋まっています。2人掛けで空いている席はなく、家内と別の座席に座り、高槻で隣の方が下りられたので家内が移動してきました。桂で嵐山線に乗り換えて、初めて終点阪急嵐山駅に降ります。改札を抜けてまず「嵐山花灯路」のパンフをもらいます。これで今日の作戦を立てます。渡月橋の少し下、右岸に駅はあります。傘が必要か必要でないかの雨が降り出しました。
先週左岸から見えていたたくさんの明かりは、芸大生の創作灯篭でした。大小いろいろあり、いろんな模様が描かれています。テキヤさんもいっぱい出ているし、スターバックスのバスが、無料コーヒーをサービスしています。消防詰め所テント・・・いろいろあります。渡月橋を左岸の方に渡りますが、先週よりは少ないものの左岸信号で人通り渋滞が発生している模様です。信号を越え、メインストリートをそのまま進みます。ここで雨脚が強まってきました。予報に3mmの雨脚を越え、5mmぐらいの雨量です。傘がないとすぐにずぶ濡れ状態になるでしょう。
最近思うのですが、若い日本人女子はますます綺麗になってます。肌は白いし、指は長い。お化粧テクニックが上がっているのか。更に冬だというのに、ミニスカート女子の多いこと。さすがにタイツなどを履いて防寒対策していますが、それでも十分綺麗です。これでは今の10代・20代男子は、負けっぱなしですね。過酷な世の中になってきました。まあ別の楽しみは倍増しているからいいのですが。
「竹林の小道」への分岐を曲がらず、真っ直ぐ進みます。人の流れから外れたので、一気に人が少なくなりました。ここから「大河内山荘」までは大変な人なので、先週行けなかった「ニ尊院」にダイレクトに向かいます。人力車がこの道を行くので、それと同じ道を進めば着く筈です。
灯篭が両側に並ぶ道は趣があります。6時ぐらいでしょうか、まずニシンそばで腹ごしらえです。800円。ニシンがうまいです。店を出ると、一旦小康状態になった雨がまた強まっています。この日は結局、5mmからほぼゼロまで雨脚の強弱の多い散策になりました。まず「二尊院」に入ります。ニ尊というぐらいだから二つの本尊さんが祭られているのでしょう。釈迦さんと阿弥陀さんだそうです。本堂に並んでおられました。横ではお坊さんが尺八を吹いています。家内が「テープだと思ったら、ライブ演奏だった」と笑っています。ライトに浮かぶお寺は、昼間とは別の姿です。ここも天台宗のお寺だそうで、後ろの山で修行をするのでしょうか?
渡月橋からの流れに逆行するように、次は「常寂光寺」に向かいます。途中の畑には電流柵が入っています。鹿が来るのでしょうね。こんな街中に鹿が来るとは、哲学の道の蛍といい、京都という町はほんとに自然に隣接しているというか、それを観光に結び付けて素晴らしい町です。家内が「灯篭がなかったら真っ暗だねえ。夜歩くのは怖いわ」と言います。確かに街灯というものがありません。もちろん電柱もありません。町全体のコンセプトがすごいです。多少の、というかかなりの不便を平気で享受する姿が見えます。
「常寂光寺」は、名前から来る女性的な雰囲気がそのままでした。東山の「法然院」のような古いかやぶきの山門が光に浮かび上がっています。現在の山門からそこまで緩やかな石段の横には、竹筒が並んでいます。配線がないので、雨が降っていなければ、ろうそくの光が足元を照らすのでしょう。家内が「素敵ねえ。雨が降ってなかったら、もっと綺麗でしょうね」と言っています。本堂裏の小さな池を配した庭園はこじんまりしていますが、なかなかのものです、上方には多重塔が光に怪しく浮かび、たくさんのお客さんが座って見ています。横の竹林も小ぶりですが、綺麗にライトを浴びて浮かび上がっています。
そして次は本日のメインイベント「大河内山荘」です。入山料500円、2人で1000円。「あれっ、先週は1000円払った記憶が?」。先週同様の道を家内と2人で巡ります。最初、「先週より人が多いなあ。遅い時間だからかなあ」と思っていたら、なんか一気に静かになっていきました。一番高いところにある亭に座り、京都の町を眺めます。遠く京都タワーも望めます。「ター君もこんなところに来たのかなあ?」だって。1回生の時は清水寺などを回ったように聞いてるけど、その後はどうだったんだろう?さすが当代きっての売れっ子映画俳優、いいところに山荘をお持ちです。最後に先週気づかなかった大河内博物館に寄り、丹下左膳などの写真を見て、亡くなったのが昭和37年ということを知りました。家内が「私たちの生まれた頃は、まだ生きてらっしゃったのねえ」と言っています。戦前の無声映画時代の俳優さんというイメージでしたが、美空ひばりさん、富士山のとびうお古橋広之進さんと同様、晩年は戦後日本を大いに力づけた方だったのかもしれません。
最後に「抹茶&和菓子」をよばれようとお茶席に向かいましたが、なんと電気が消えています。「え、え〜」、まだ8時前ですが、もうお終いのようです。山荘に入って先にお茶席に向かえばよかったです。家内に悪いことしちゃったな。久しぶりにお抹茶を味わいたかっただろうに。
ライトアップでこの時間でも人が多い竹林を通り渡月橋に戻ります。竹林小道では、人が少なくなるライトアップ最後のタイミングを狙って、三脚デジカメ一眼の本格的なカメラ小僧の方々が、思い思いの場所に三脚を構えています。本格的な方はみなさんエアシャッターですね。手押しでの手振れさえ気に入らないのでしょう。
先週同様、京福電鉄嵐山駅の花電車を覗き、中村屋のコロッケを買って渡月橋を渡りました。スターバックスコーヒーバスはまだ呼び込んでいます。行きしはお客さんがたくさん並んでいたのですが、雨もありこの時間帯はもう誰も並んでいません。その横の休憩所に入りコロッケを頂きました。
阪急嵐山から桂、そこからは立たないといけない特急を敬遠し各駅停車で戻って来ました。ちょうど駅にバスが来ていたので家内に傘を渡して、私はバイクで自宅に。5時から3時間近く嵐山界隈をよく歩きました。家に戻り「今日はよく歩いたねえ。でも楽しかったわ。ありがとう」と家内に言ってもらいました。
「大河内山荘」は気に入ったみたいだし、「お抹茶&和菓子」はまたの機会に持ち越しです。「良かったわ。また来年も行こうね」だって。何となく春の「東山界隈ライトアップ」に行きそうです。これが3月。4月は桜で・・・京都はお客さんを呼ぶ方策がエンドレスで続いています。雪に埋もれる金閣寺も観たいものです。

2008/12/16
金曜日、次男君と兵庫ジュニアで一緒だったワカちゃんのお父さんが仕事場にやってこられました。コマキさんのとこに寄ってこられたようです。シャープの堺新工場の用事で福岡から来られたようで、数百億円?の大プロジェクトで国内の一支店の総売り上げより大きいのだそうな。なんか皆目想像のつかない金額です。
日曜日は、京都で講習会でした。スポーツ指導者の講習ですが、地元の兵庫県ではいつも土曜日開催なので行く機会がありません。そこで体育協会に問い合わせたら「他府県でもOK」ということで、大阪や京都に問い合わせました。年2回開催の京都はいつも日曜日のようで、夏前にこの日を予約していました。
時間は10時半から夕方4時までです。「その後、何するかなあ・・・」「せっかく京都に行くのに・・・」と思い家内と相談です。京都で合流して「嵐山花灯路」に行く計画でしたが、家内も別の講習を神戸で受けており、合流は7時ぐらいになりそうで、それから終わりの8時半まで嵐山を楽しんで帰宅すると、帰りのバスを心配するような時間になるのであきらめました。
ということで私一人で「花灯路」に行くことにしました。このイベントは、嵐山・渡月橋をライトアップし、界隈の寺社もライトアップ・夜間拝観します。更にその道沿いがたくさんの灯篭で照らされるというものです。講習会があるのは南区の東寺付近で、そこからどうして嵐山まで行くか考えると、必然的にバイクで行く事に。京都の観光地を車で行くのは、渋滞や駐車場の問題があり辛いです。まあ「バイクに乗りたいから」なのですが。
朝6時頃起き出して準備を始めます。いつもの通勤防寒対策の下に夏用バイクジャケットと下半身は膝・スネプロテクターを加えます。バイクジャケットはプロテクターが付いてるから必須ですが、冬用を持っていないのでメッシュの夏用の上からモコモコ冬ジャンパーというあまりかっこよくないいでたちです。さらにハンドルカバーを装着しました。2週間ほど前、早朝に2時間ほど走った時、1時間過ぎてくると指先が冷たくしびれる感じになったので、今回はこれを試します。
これコミネという老舗バイク関連メーカーの製品です。バイクジャケット・肘プロテクター・膝プロテクター・ハンドルカバーもココの製品です。バイク用品として最初に買ったのがバイクジャケットで、何故これにしたかというと、プロテクターが硬いしっかりしたものだったからです。プロテクター付きでも、硬質スポンジみたいな柔らかいものが付いた製品の方がずっと多かったです。こんなのがプロテクターと言えるのだろうか?と思いました。軽くてかっこいいけど、コミネさんの安心を買いました。店員さんに聞くと、ベイシックなしっかりした製品を長年作り続けている会社ということです。以来、なんか買おうと物色していると、縫製もしっかりしているし、デザインも派手でなく落ち着いているコミネさんに落ち着いてばかりです。
チョークを引いてセルボタンを押すと、エンジンは快調にいつものように一発点火です。この夏バイクに乗り出したとき、一発でエンジンがかからなかった時があったのでバイク屋さんに訊きました。バイクという乗り物は、基本的に夏でもチョークを引いてエンジンを掛けるものなのだそうです。アイドリングを安定させてから、チョークを戻して走り出すということを教えてもらいました。車や原付スクーターとは別物なのだそうで、子供の頃親父がボンネットの前から棒を突っ込んで、その棒をぐるぐる回してエンジンを掛けていた時代とあまり代わっていない乗り物のようです。ホンダはトラブルが少ないけど、平気でエンジンがかからなかったりする、そういうのも楽しめる趣味性の高いものだそうです。
トリップメーターが250kmを越えているので給油しに行きます。今回の燃費は「257.5km/8.1L=31.8km/L」でした。竹田城跡に高速往復で雲海を観にいった時以外は、ずっとリッター30kmを越えます。どうやらこのバイクは、高速道路を走ると燃費が悪くなるようです。トップギア4000回転で60km/hなので、エンジンというのは回りすぎると燃費効率が落ちるものなのかもしれません。うちの車は確か3000回転で100km/hぐらいだったと思うので、5000回転以上になるとエンジンががんばり過ぎになるのでしょう。レシートに載ってる価格は、リッター109円でした。表の表示111円・前売り109円、毎回もっと多く給油する車の方なら次回2円引きチケットが出てくるので107円です。ガソリンも一気に安くなったものです。昔の米騒動ではありませんが、現代の米に匹敵するガソリンなどに投機マネーが入って価格が乱高下するのには規制が必要な気がします。消費者はもちろん、ガソリンスタンドだって大迷惑なんじゃないのだろうか。
R171・中央縦貫・名神高速で行くと1時間かからずに現地に着くのですが、これではつまらないし、第一高速道路が怖いです。そこで北上して亀岡に入り、R9を南下して京都に入ることを計画していました。だから早く起きたんだけどね。
亀岡までは、池田からR423で行くのが最も早いのですが、R477を園部方向に抜けたことがないので、そちらを初体験することにします。京都北部のR477の狭さとまでは行きませんが、まあ60km/hで巡航できるような道ではありませんでした。R423より高低差がないからいい道なのではないかと思っていましたが、そんなことないですね。でも道が狭い分、速度を落としてゆっくり走れます。総合評価としてはR477の方が好きです。
篠山から来るR372と交差し、右折してR372で亀岡を目指します。亀岡からはR9でもいいのですが、京都手前の高低差のある高速カーブをパスするために、京都縦貫道に乗って一気に京都市内に入ります。R9は京都五条通になり、やがてR1になって大津から東京まで続いています。西大路通との交差を右折して九条まで南下し、九条通を左折です。ココの交差点はまだR171のようですが、すぐに九条通になりました。東寺の前を過ぎて、近鉄京都線東寺駅を過ぎて右に見えてきた体育館のような大きな建物がこの日の目的地です。
午前中は、スポーツ選手の安全対策の話で、水分補給の大切さやもっと消費してくると塩分補給、更にミネラル補給が必要だよと。地球温暖化の影響で増えている熱中症対策の話を聞きます。大塚製薬さんのバックアップがあるようで、資料には大塚さんの宣伝が入り、ポカリスウェットなどをもらいました。「熱中症対策にポカリを飲みましょう」ということですね。午後は、AEDの話と実技でした。最近AEDを駅などで当たり前に見かけるようになりましたが、ここ2年程で急速に設置が増えているようです。
AEDで助かった人も増えており、去年まではAEDで人助けをした人には記者の取材が入り、新聞に載ってたけど、それも今年が最後でしょうとのこと。その件数が増えており、消防署表彰止まりでしょうということです。講習の最初に、「AEDに触ったことがある人」の挙手を求められましたが、200人ほどの受講生の内、体験者は1/5もいませんでした。スポーツ指導者の講習なので8割ぐらいかなあと思っていたので意外でした。
仕事関係で、メーカーさんに教えてもらいながら操作させてもらったことも、消防署に申し込んで救急隊員から直接教えてもらったこともありますが、この日の講習では、大学の先生から詳しく教えてもらいました。普及の現状から具体的な救助例まで。心停止したときの心電図波形がAEDでどうなるのか、具体的に救助された方の例で教えてもらいました。
意識確認・呼吸確認から心臓マッサージ・AED操作まで、もう何度も講習を受けたので、緊急時にも何となく出来そうですが、こういう救急救命のことは何度も受ける機会を持たないといけませんね。メインで講習された先生は、母校の方だったりしました。麻酔科だって。

ということで、4時に講習が終わり、嵐山を目指します。GPSもタンクバックに積んできていますが、本日は知ってるところばかりなので使いません。京都中心部から嵐山に西進するのは混んでそうなので、先に桂川土手まで西進し、川沿いに北上する計画です。九条通・R171からは土手に行けなさそうなので、五条通・R9から土手道が一番良さそうです。ところがうまく行かないもので、R9を西進しているとき、いかにも「ここから橋になりますよ」というところが見えてきたので、手前の交差点で右折すると普通の街中の道でした。再度四条を西進し、今度はうまく桂川の左岸土手道路に入れました。
嵐山渡月橋が近づくにつれて交通量が増えましたが、予想よりは車も少なかい。交通規制もあるだろうから、下手すると車は動かないんじゃないかなと思っていましたが、混んでるものの車で来ても大丈夫な範囲でした。私はバイクなので、止まってる車の横をスイスイ進んで、渡月橋のところの市営駐車場に入れることが出来ました。駐車料金は200円です。料金所すぐ横の空いたスペースがバイク用のようで、「狭いけど入る?」と指示されました。「あかんわ」というと奥を指示されそうですし、まあ大丈夫そうだったので、そこに置きました。2台のバイクが停まっています。ヘルメットを脱いで、カメラを用意しながら見ていると、車は800円払っていました。
5時前なので、まだ明るいです。嵐山に向かってのサーチライトにまだ照明が入っていません。そこでみやげ物屋を覗きながら左岸を上り、渡月橋の北に進みます。夕闇が迫る渡月橋をパチリ。「宝厳院」という所に入りました。ちょうど夜間拝観が始まった時間で、境内には誰もいません。夕闇が迫る時間帯の紅葉もいいものですが、境内が思っていたほど大きくなく、拝観料600円は高いぞ。まあ綺麗だけど、先週の「高台寺」と比べると・・・京都価格ですね。でもたくさん写真を写しました。
そろそろ嵐山に灯が入ったかなあと渡月橋の方に戻ります。左岸から対岸の嵐山に向けてライトが入っています。そのライトが保津川下りの船だまりにあるので、ライトに船が浮かんでいます。なかなかいいです。渡月橋まで戻り、そこを左折して橋とは反対側に進みます。人がいっぱいで、黄色いジャンパーを着た学生などが交通整理しています。京都に来るといつも感じるのですが、こういう人達がよく訓練されています。道路工事の今一なガードマンとは違い、しっかり声を出して仕事しています。大学生の町だからだろうか、みんな一定の質を保っているのでお客さんを上手に誘導しています。有名寺院への曲がり角にいる学生は、「ここが・・への交差点です」とか声を出してくれてるので迷いません。日曜日の朝早く京都に入ると、近所の人がゴミ拾いしていたりしてて、観光の町の地道な努力を感じます。ここはやはり一級の観光の町ですね。
雑踏を流されるように「野宮神社」への道に入ります。本日のメインイベントは、野宮神社から大河内山荘に続く竹林のライトアップです。阪急電車の「嵐山花灯路」の広告にも、ココの写真が使われていました。感想は、「綺麗だけど高台寺さんの小さな竹林のライトアップの方がよかったかも」というものでした。お客さんが多いので、除夜の鐘直後の流れ作業の初詣みたいに、長く停まって眺めている余裕がなかったからです。次に、楽しみにしていた「大河内山荘」に入りました。「おのおの方、拙者・・・」である程度以上の方には有名な大映画俳優大河内伝次郎さんの京都の別宅です。映画産業隆盛の頃は、時代劇は京都での撮影が多く、多くの俳優さんが各社の京都撮影所に詰めていました。大河内さんの本宅は何処にあったのか知りませんが、ココでも暮らしていたようです。
1000円という入山料は、京都でもかなり高いように思いますが、ここは値打ちがありました。京都の町が一望でき、洗練された庭の配置で、東屋もいい雰囲気を醸し出しています。これは家内にも見せてあげなければね。1人だしあまり遅くなりたくないのでよばれませんでしたが、お抹茶・お菓子付き入山料なので、小さな頃からその習い事をやってた家内は喜ぶでしょう。今は国指定の文化財になってるそうです。
本日もたくさん写真を撮りました。100枚は撮ったと思います。帰路につきます。元来た道を渡月橋の方に戻ります。みやげ物屋を覗きながら歩いていると、途中の京福電鉄嵐山駅の前で、学生風女子が「花電車を無料開放しています」みたいな呼び込みをしています。「花電車ってなんや?」と思って駅改札に向かうと、駅構内にアートされた電車が停まっています。横には四条大宮に向かう営業車両があるのに、何の囲いもなく無料で構内に入れ花電車に乗り込めます。「花電車は動きません。ご自由にお入りください」と女子が構内から呼び込みをしています。帰宅後調べてわかったのですが、嵯峨美術大学と京福電鉄との共同イベントだったようです。嵯峨美の学生さんの作品灯路も多数道を照らしていたし、学生の町なればこそですね。こういう発表の場所がある学生さんも幸せでしょう。
駐車場近くまで戻ってきて、「湯葉コロッケ」に目が留まりました。「嵐山名物」「ココでしか食べられません」という宣伝文句にキャッチされてしまいました。家に帰れば夕食が待ってるでしょうが、お腹も空いてるし。「豆腐コロッケ」もありましたが、豆腐はいかにも味がなさそうです。去年のお盆、ココで食べた豆腐ソフトクリームの味のなさを思い出し湯葉の方にしました。でも湯葉も豆乳の膜だから豆腐と同類、味があるのかなあと一抹の不安が・・・。200円。桂川土手のベンチに腰掛け、早速食してみました。味がありました。お腹が空いてたことを差し引いてもうまかったです。この寒い時期に横ではソフトクリームも売ってました。最近ソフトクリームは夏限定ではないようです。やがてカキ氷もそうなるのでしょうか?我慢大会のようですね。
少しお腹を満たし、バイクに乗車です。来た時隣にあったバイク2台は、まだそのままです。向いには更に10台ほどのバイクが並んでいます。なんだココでなくてもあっちでよかったんだ。カメラをリアボックスにしまっていると、カップル2人乗りバイクが入ってきました。学生時代、否応ナシに密着しちゃうああいうのにあこがれたけど、家内を後ろに乗っけて落っことしたらと思うと、怖くて出来そうもないです。
今度は渡月橋を右岸に渡り、桂川に沿って下ります。R9との交差点を右折し亀岡に向かいます。また京都縦貫道に乗り、10kmで亀岡です。R372を西進し、朝気に入ったR477に乗り換えて池田を目指します。アップダウンは少ないものの細くカーブが多いので慎重に走ります。
朝のように楽しくありませんでした。ライトが下向き過ぎるのか対向車がなくなるとすぐにアッパーに切り替えないと前が見えず怖いです。途中に住宅地があるからか、R372より交通量が多く対向車が頻繁にやってきます。前が見通せないので制限速度ぐらいで走っていると、後ろからも車が追いついてきて、直線に入ると左ウインカー出して抜いてもらうのに忙しいです。前を凝視し、ライトを頻繁に切り替え、更にバックミラーにも気を使い、全然マイペースで走れませんでした。夜間のR477はダメです。日中限定の道です。
今回寒さ対策の為に試したネオプレーン素材のハンドルカバーは、最高でした。薄いネオプレーンのバイク用ではないグローブをしていましたが、全く寒さや冷たさを感じませんでした。ただハンドルカバーのグローブを突っ込むところが狭いので、出し入れが少し窮屈です。走り出したら問題ありませんが、手がだるくなって片手運転などする時が少し不安な気がします。だからこの日は片手運転ナシでした。内側に入ってるゴムを切って広くしてやろうかな?
バイクを丁寧に拭きカバーを掛け、玄関を開けたのは9時少し前でした。ということは嵐山を出たのは7時ごろですね。寝るのが早い家内は既に夢の中のようです。用意されていた夕食を腹いっぱい食べて、本日もお終いです。楽しい1日でした。

2008/12/8
日曜日は、午後から神戸で仕事の講習会がありました。当初、朝一番に散髪に行き、その足でバイクに乗って六甲山の裏側を走り、六甲の西回りで神戸に入る予定でいました。講習を終え、一旦自宅に戻り電車で京都に行き、家内と待ち合わせてお寺を夜間拝観しようと。
「午後5時に阪急河原町上の阪急百貨店で待ち合わせできる?」と家内に聞くと、「私も講習会に行くよ」と・・・。なんだ、ずっと一緒でした。半分喜び、「バイク乗れないじゃん」と半分がっかりでした。でも講習会に間に合うためには11時に家を出ればよく、それまで2時間は乗れそうです。
まず散髪屋さんが始まる8時まで、家の外の掃除です。この日は町内会の掃除の日です。まず各戸が家の周りの側溝などをさらう掃除をして、手の空いた人は10時から廃寺周りの掃除手伝いです。家の周りは適当に掃除してるので割合綺麗です。でも側溝は、年に数度垣根を切る時以外はほったらかしなので、泥が堆積しています。側溝の蓋を開け、泥をさらいゴミ袋に入れます。余分にすくってしまった水をゴミ袋から出しながら、腰に来る作業を続けます。
8時になったので散髪に。正月にはまだ早いですが、頭がさっぱりしました。でも家への帰りが寒い。「お坊さんはさぞ寒いことでしょう」、なんて思いながら。更に「これから2時間何処を走るかなあ」と考えながら家に戻ると、家内はほぼ出発する用意が出来ています。「早いやん」「どうせだから、早く行こうと思って」。「そうだね。じゃあ、すぐに行く用意するから」。とてもじゃないけど、「バイクで2時間程走って来るわ」なんて言えませんでした。ここは、円満な家庭生活のためにも我慢です。「げ〜、次の週にはバッテリー上がってるかも」の心配が頭を過ぎりました。既に10日は空いています。
というようなことはおくびにも出さず、家内とともにバス停に向かいます。さあて講習が始まるまで何処に行くか頭をめぐらせます。何も提案できないと、家内のショッピングのお供になってしまいます。「神戸空港に行こうか」。講習のあるポートライナーの駅から3つ目が空港です。我ながらなかなかいいアイデアです。
阪急で三宮に出て、ポートライナーに乗り換えて終点の空港に向かいます。外から見える神戸港の風景は楽しいです。コーストガードの船が停泊しています。消防ガンを2門供えた真っ赤な消防船がいます。そして西を見ると、くっきりと淡路島が見え、明石海峡大橋まで綺麗に見えています。空は雲ひとつない晴天で、こんなに空気が澄み見通しのいい日は珍しいです。海上も風が穏やかで、プラプラ・のんびりクルージングに最適です。「船に乗りたいかも」。
ポートライナーで神戸空港に来るのは初めてでした。駅と空港が直結していて搭乗カウンターが目の前です。非常にコンパクトでこれは楽です。国際空港と地方空港の違いはありますが、かなり歩くことになる関空とは大きな違いです。すぐに滑走路が見えるのも好印象です。上には展望デッキもあるし、便数は少ないけど開港初年度から黒字になった神戸空港の良さがわかります。飛行機に乗る人だけを相手にしていては黒字化は難しいでしょう。飛行機・飛行場という魅力で、「ちょっと飛行機でも見にいく?」需要で稼がないとね。
おみやげ物屋さんを覗き、展望デッキでJAL便を背景に家内をパチリ。家内から子供に送る写真ネタをゲットできました。滑走路の見えるお店で昼食をとり講習会に向かいます。神戸国際会議場はかなり席が狭く、これで国際会議したらヒンシュクを買いそうです。足も組めない我慢の講習を終えて、京都に向かいます。
阪急三宮に出たのが午後3時30分。神戸線から十三で京都線に乗り換えて4時15分ほどに河原町に到着しました。JRより随分余計に時間がかかるかなあと思っていましたが、それほどでもないようです。この日の目的地は、八坂神社の南東にある高台寺さんなので、JR京都駅だとバスに乗らないと来れません。でも阪急だと徒歩だからね。
河原町駅を上がり四条通に出ると、人でいっぱいです。八坂神社目指して東に進みますが、信号と人で苦労しました。地上に出たところが駅の西寄りだったので余計です。駅構内を東出口まで歩いてから地上に出たらよかったです。
四条大橋を渡る頃は少し暗くなりつつありました。寒いですが、大阪難波の道頓堀川にかかる橋の上とは大違いで、気持ちいいです。水がずっと綺麗で、臭いが全然違います。
花見小路を帰りに通ることを話しながら横切って、八坂神社前の東大路通りを少し南下し、適当な小路を再び東に入ります。京都は秋が一番混みます。春の桜同様、秋の紅葉目当ての観光客が多いので、秋は敬遠していました。でも家内の実家のご先祖さんが分骨されている永観堂さんは「モミジの永観堂」として、紅葉シーズンは京都一の観光スポットになります。それがTVで紹介されているのを家内が見たそうで、「永観堂のもみじ、綺麗だったよ」と先週言われました。
「どうやら家内は、紅葉の永観堂さんをご所望らしい」。少しでも人の少ない夜間拝観ならましかなあと調べたら、永観堂さんはじめほとんどの夜間拝観・ライトアップは11月いっぱいで終了でした。でも高台寺・清水寺・嵐山がまだやってました。一番観光客が少なそうな高台寺さんをチョイスしました。秀吉の正室のねねさんのお寺なので、女性向けでしょう。せっかくだから家内の点数を稼いでおかなくちゃね。
大体の見当で歩きましたが、簡単にねねの道に入ることが出来、沿道の土産物屋さんを見ながらプラプラ歩いていると程なく高台寺さんの入口が見えました。予想に反してえらい賑わいです。夜間拝観だから人が少ないだろうと思っていたのですが、これは間違いです。これ絶対昼間より混んでます。拝観チケットを買うまで5分ほど並ぶことになりましたが、割合列は進み、バイトの学生さんなのか、きちんとお客さんを誘導する声が要所に聞こえ、気持ちよく並べました。その間もライトアップされている紅葉が目を楽しませてくれます。既にもう真っ暗なので、コンパクトカメラでは綺麗な写真が撮れないから、一眼レフを取り出してパチリパチリです。遠く京都タワーが見えます。手前にライトアップされた八坂さんの塔が浮かび、とても綺麗です。次男君は下宿中、こんなところに来ていたのだろうか、カップルで来たら男子の評価2割増しになること疑いなしですね。
高台寺さんの拝観料は600円ですが、「圓徳院」さんと「掌美術館」を合わせた900円の方を購入しました。順路に沿って高台寺さんを拝観しました。ライトアップされた紅葉の美しさ、池に映る紅葉、竹林のライトアップもとてもいいです。ただ竹林の方は、森見登美彦氏の最新小説が頭に浮かび、本当は幻想的な美しさなんだけど、そこにちょっとお笑いが入ってしまいました。室内には光源氏の年齢順刺繍が展示されていました。確か源氏物語1000年とかで、最近よく露出する光源氏君。最も似合う京都にも登場でした。
高台寺さんは、来たことがあったようななかったようなですが、こんなに広かったって?という感じでした。夜だからそう感じたのかもしれませんが、ココは値打ちがありました。ねねの道まで出て、今度は高台寺の美術館である「掌美術館」に入ります。茶道具が展示されており、裏千家免許皆伝の家内から説明を受けます。「へえ、そうなの」。説明しながら、家内は楽しそうです。小さな土産物屋さんを一々覗きながら、圓徳院さんに入ります。小さなお寺です。徳川家康から政治的な思惑もあり庇護された秀吉の正室ねねさんの公式寺である高台寺さんに対して、ここはねねさん自身の私的住まいだったように思われます。
高台寺さんよりずっと観光客が少なく、ライトアップされたお庭を縁側からいつまでも眺めていられます。室内の襖絵も一級品で実に見事でした。高台寺600円、美術館100円、圓徳院200円という拝観料割りなら、間違いなく圓徳院さんが一番コストパフォーマンスがいいです。
満足してねねの道に出てきました。たこ焼き・たい焼きのテキヤさんが夜間拝観客目当てに店を出しています。後ろに衝突防止灯を点滅させた人力車が客引きをしています。「どちらまで行かれますか?」「阪急河原町まで」「河原町はあっちですよ。途中で名所に寄り道しながらどうですか?」「ありがとう、おおきに」と笑顔でお断りしてブラブラと。ねねの道のはずれで少し広い東西の道を東大路通の方に曲がります。東大路通を北進しながら、花小路通を南から北に歩くべく適当に西に小路を入ります。
でもこの路、段々暗くなってきて、ご休憩できるお店街になりました。なるほど、そういう具合になってるのね。更に進み、北に西に2度タックすると、ちょうど建仁寺さんの北門のところに出てきました。花見小路南端ビンゴです。歌舞練場の前を通り、置き屋さんやお茶屋さん、お任せセット15000円とかいうお食事処を見ながら歩きます。この路沿いはほんと高いです。
時折着物姿の女子とすれ違います。「あれは?」「もっと品があるでしょう」、「あれは?」「もっと綺麗でなくちゃ」・・・などと、京都に着いてからそのような女子とすれ違うたびに家内と品評会議です。京都の一団観光産業の着物着付け込み貸衣装はどれぐらいの金額なのでしょう?なんちゃって着物カップルやなんちゃって舞妓さんなどたくさん歩いています。ねねの道ではなんちゃって新撰組までいました。
そしてとうとうなんちゃってじゃない芸妓さんとすれ違いました。「あれは?」「本物だよね」、あの高い木製の履物を履きながら、先を急いでいます。「本物さんは稽古・お座敷で忙しいのでゆっくり歩いていない」「並以上の器量である」「衣装が似合ってる」などにみんな当てはまっています。お茶・お華を小さな頃からやっていた家内には、すぐに分かるでしょう。着物を着慣れてる歩き方というより、着物を着慣れてる人は、それを着てのお稽古事の作法をこなすことから来る姿勢が表に出るのだと思います。ピンと伸びた背筋とか足の運び、首と頭の動きなど、家内に初めて会った時の印象が、綺麗な歩き方をする人だったから。なんか品が漂っていました。
てな具合で、阪急河原町に戻ってきた時は、夜の8時になっていました。3時間も歩いたようです。見所盛りだくさんで、その時間がとても短く感じました。

2008/12/1
日曜日は琵琶湖に行ってきました。手伝ってる大学ヨット部の今年最後のレースです。今年最後と言っても、来シーズンに向けて始まった、各校新チームの初戦です。秋の練習の成果を占う意味で大きな意味づけがあります。
レースなので、支援艇に交換セイルなどを積むために艇庫からハーバーまで荷物を運ぶ算段があり、車で出発です。名神を走っていると、上下を黒の皮?に身を包んだ婦女子バイクが抜かしていきました。フルフェイスのヘルメットの後ろから出てる長い髪が風に吹かれてセクシーです。どうもヘルメットから覗く黒髪に弱いようです。「峰フジ子」・・・を連想しながら、ヘルメット姿だけを眺めている方がきっといいのだろうと、遠ざかる後姿に思う。
しばらくすると、時速80km/hぐらいで走ってるアメリカンバイク3台に追いつきました。こちらも3台目は女子のようで、ジェットヘルの後ろに髪がなびいています。アメリカンは座席が低いので安心して乗れそうですが、いかにも重そうなので、こけたら1人で立てられへん感じがします。追い抜かしながら3台を見ると、マフラーを喉・口から鼻にかけて巻いています。寒いのにがんばってはります。
いつもの場所でいつものアッパタイムを過ごして艇庫に着くと、マネさんが艇庫を後にするところでした。浜では、プレイヤーが集まっています。すぐ出艇ですね。うちの車に、支援用備品・食事、セイルなどを積み込んでハーバーに向かいます。ハーバーで自分の荷物をバッグに入れて、歩き出したところでシラカワ監督さんがバイクでやってきました。ヘルメットと荷物を持った監督さんと一緒にコーチボートに向かいます。大会会場の柳ヶ崎YHで出艇申告などを終えた1回生がやってきて出艇です。
土曜日の1日目は、4レースを終え、リッツさんに50点差を付けて470クラスはトップだそうです。去年からのメンバーが全員残っているので幸先良く初戦の第1日目を終えたようです。前日はキャプテン君が1回トップホーンを鳴らしたようで、2日目のこの日もトップホーンこそありませんでしたが、3レースで2回、第1マークをトップ回航できていい感じです。そしてそれが、去年の3番艇だったからなおさらいい感じです。この日は彼が部内で一番成績が良かったようで、毎回3艇ともシングルに入って来る安定感で、秋の練習の成果を見せてもらいました。3艇ともがトップを引く力量を持っています。後は前を走る経験を重ねれば、現実にトップホーンを鳴らしてくれるでしょう。
でも、安定して上位を走る同志社さんが、2艇でのエントリーで団体戦としては圏外、京産さんも同様に3艇に満たないエントリー、2日目の強風レースで急激に追い上げてきた金沢さんが1校3艇までというエントリー制限、同じく1軍・2軍を交代させながらレースをしていたリッツさんが3艇エントリーだったりで、今回の成績を単純に去年までと比べられないのは確かです。
成績の方は、2日目に3レースで5つもOCSを連発して、横文字ナシにまとめたリッツさんに逆転されてしまいました。でも反対に言えば5つも横文字を並べながら2位に踏みとどまったのは立派かもしれません。470最終レースは、すごいレースでした。スタートホーン時、みんな相当高く、「ゼネリコだなあ」と思っていたのですが、Xフラッグでした。案外リコールが少なかったのかなあとその時は思いましたが、結果は2艇以外全艇リコールで、リッツさんが3艇帰り、実際は5艇でのレースになってたようです。「30以上のリコールをよく読んだなあ」というより、2艇しかコースサイド外にいなかったのでリコールを読むのが簡単だったのかもしれません。来シーズンに向けてのレース委員会からのメッセージかもしれません。「こりゃゼネリコだなあ」と思って安易に前に出ちゃうのを避けなければならないようです。
女子マネジャーさんは、まゆみさん・まりえさん・あすみさんの3人が乗ってくれていましたが、この寒い時期5年前だったらゼロだったなあと、ちょっと感慨深いものがありました。近年の成績上昇は、間違いなく彼女たちの力が大きいです。芸術系学部のあすみさんに、数年前のエリコさん同様、「新人勧誘のでっかい看板をデザインして、みんなを指揮監督して作ってよ」とお願いしておきました。エリコさんデザイン作業指揮監督の看板が学校のいつもの場所からなくなってちょいと寂しく思ってるので、復活するといいね。
11月末の風は、季節相応に寒いものでしたが、2日間とも風に恵まれいいレースが出来ました。日曜日は天気もよく、青空に白い雲が浮かんでいました。でも北の比良山系を見ると、時折しぐれ雲がかかり、雪か雨が降っていそうでした。その南の比叡山系との間から見える京都北部から福井県にかかる山々もしぐれ雲が何度も通り過ぎる寒そうな姿を見せていました。1ヶ月前は、携帯電話が通じないあそこをバイクで走っていたが、もう春まで行けない場所になってしまったようです。
ミーティングを終え、5時半過ぎに艇庫を出ましたが、いつもなら渋滞してる前のR161が、空いていました。R161バイパスに上がると多少は混んでいましたが、いつもなら7時でももっと混んでた感じなので、行楽のお客さんは寒くなってグンと減ってるのでしょうね。
名神は天王山トンネル付近で数キロ40km/hほどのスピードで車が続いていましたが、渋滞とまでは行っていません。そんな中、時折プラス10km/hほどの速さでバイクが2車線の間を前に抜いて行きます。後ろを見ずに車線変更する車があるとぶつかりそうです。僕なら、車が止まっていたら抜かせるけど、動いていたら怖いので出来そうもありません。
家に着くとちょうど7時でした。玄関を開け荷物を廊下に置くと、外の門扉が鳴りました。ほぼ家内と同時に帰宅でした。僕の後姿を見ながら歩いてきたそうです。本日の様子を家内に聞くと、「また迷っちゃった」。梅田で阪急から地下鉄の東梅田駅に向かうところで迷い、現地の地下鉄の駅からの出口が前回と違ったようで、1時間あればいけるところを倍かかったそうです。相変わらずの方向音痴です。前回、細かくポイントを書いた地図を渡しました。それを見ながらストレートで行けたのに気をよくし、適当にしか地図を見なかったのでわけがわからなくなったようです。
新婚当時、近所の交差点のど真ん中に地図を広げて、地図を回していく方向を決めていた姿が蘇りました。あれからあまり進歩していないようです。というか、こういう感覚は改善しないものなのでしょう。家内の話を聞きながら、まあ仕方ないねえと口にしながら、心の中では大笑いしていました。この日も楽しい1日になりました。

2008/11/24
土曜日の夜、自宅に帰ると長男君がお風呂に入っていました。明日の法事の為に予定通り帰って来たようです。ご飯を食べながら周りを見ると、日頃の夫婦2人の生活に少しいろんなものがプラスされています。「寒くないかな?」という気遣いの綿入れが掛けてあり、その他いろいろ、長男君の部屋には布団も出されているのだろう。この週末は、次男君も琵琶湖にレースで来てるので、なんか家内はご機嫌な感じです。次男が大学入学で下宿するまでは、家族4人プラス隣の両親含めて6人でした。長男君が就職して東京に行くのと交代するように、学部を卒業して次男君が帰ってきた。でもこの春次男君が就職して東京に行ってから夫婦プラス隣に母親の3人になってしまった。特に寂しいこともありませんが、家族はやはり多い方がいいですね。
日曜日の朝、車にガソリンを補給し空気圧を点検して自宅に戻り、3人で家内の実家に出発です。義理母の3回忌です。中国道から山陽道、三木ジャンクションで淡路島方面に入り、第2神明に合流して播州に向かいます。
もう人の住まなくなった実家は更地になってしまったので、近所に住んでる姉夫婦の家で法事です。姪達の家族・甥、おじさんやおばさん達も集まりました。長年お世話になってるお寺さんが来られましたが、今回は息子さんです。住職さんがご病気ということで、ココ数回の月命日は息子さんに来て頂いていたようです。義理兄の出身大学の後輩で病院にお勤めです。兼業農家が増えましたが、お寺や神社もそういうところが多いです。子供達の名前を授けてくださった近所の神社の神主さんも市役所職員との兼業です。でも病院勤めは夜勤もあるので、こちらはハードそうです。
法要が終わり、近所の料理屋さんに移動し、3時ごろまでウダウダやってました。家内の豊中の従兄弟夫婦・姫路の従兄弟の座る席に座った長男君は、相変わらず上手におしゃべりしています。車好きの従兄弟と北海道ラリー見物に行った話などで盛り上がっています。この従兄弟夫婦、僕らより5歳ほど年下ですが、僕らが結婚した時出席してくれました。高校生の時から付き合いだし、当時大学生でした。親戚達に話題にされながら照れていたのを思い出します。その後どうなるか分からないけれど、オープンに出席者に入れる家内の親戚の大らかな雰囲気が好ましく感じました。
次にお墓に向かう為に駐車場に出ると、豊中の従兄弟がおり、「息子さんと楽しくおしゃべりさせてもらいましたよ。誰かいい人がいるの?イケ面で・・・もてるだろうなあ」なんて褒めてもらいました。いい人がいなかったら、紹介されそうです。
自慢の息子君です。あまりしゃべらないおじさんやおばさんの中に入れば、話をリードし、いろんな人に上手に話を振り場を和ませます。就職の時、専攻とは畑違いのマスコミも視野に入れていたぐらいです。今年は8回も友人の結婚式に出席したそうで、交友の広さというか人気度が伺えます。特に帰ってくるように言わないのに、積極的に親戚の法事に帰って来てくれます。何も言わないのに、長男としての自分の立場をしっかり自覚しているようで頼もしいです。
お墓にみんなでお参りし4時、今度は空港に向かいます。自宅を掠めて空港着、前回は空港屋上から長男君の乗る飛行機を見送りましたが、今回はすぐに琵琶湖に出発です。次男君のレースは終わっている時間ですが、りんごやみかんを艇庫のみんなに差し入れです。数日前家内に、「レースに間に合わないかも知れないけど、琵琶湖に顔見に行く?」と聞くと、「行く」と即答でした。
次男君は、働き出してもレースに参戦できて幸せ者です。乗る船や一緒に乗ってくれるクルーが、出身クラブで簡単に用意できます。お互いギブアンドテイクなのでしょうが、ほんとにありがたいことです。親として出来ることは、差し入れぐらいですね。
艇庫に着き2Fに上がると、ちょうど夕食の準備中でした。「こんばんは」。マネージャーさん達が、「神谷さん、夕食食べて行きますか?」とまず第一声。次男君を見つけ、「お母さんが来てるけど」と伝えたら、2Fに上がってきた家内を見つけてゴソゴソ。後から聞いたら「食事、食べてく?」だったとのこと。
次男君が楽しくヨットに乗れるのも、ここにいるみんなや先輩、未来の後輩のおかげです。差し入れをマネージャーさんに渡して辞しました。無事自宅に戻り、ゴソゴソ片付けていると、うどんを作ってくれている家内から、「今日は面白かったね」と。西に東に運転は大変だったけど、最後に琵琶湖行きオプションを加えて家内の満足度が上がったかもしれません。楽しい1日になりました。
5時半ごろ、名神の京都南ICを通過しましたが、京都に下りる車が並んでいました。交差する1号線も京都に入る車でいっぱいでした。京都は秋が一番混みます。この時期、陽が落ちると、神社やお寺の境内がライトアップされ、モミジや銀杏の紅葉が素敵に演出されます。今月いっぱいが見ごろでしょう。

2008/11/17
日曜日は朝から雨でした。天気予報通りでしたが、ひょっとすると「雨のち曇り」予報が、「雨が降りそう曇り」にいい具合に変わってくれたらなあと期待して昨夜寝ました。が、朝の雨はしっかりしたものでした。
午前中神戸・午後から大阪へとお出かけする家内を車で送り、自宅に戻って庭の草木に落ちる雨に注意しながらうどんを食べました。バイクの防寒対策で購入した2点(ハンドルカバー・スクリーン)の内、スクリーンがいい工具がなくて未装着になっています。バイク屋さんに持って行って工具をちょっと借りて着ける予定にしていました。ヨットの方はドラゴンの今シーズンレースが終了し、寒い風の強い季節に入ったこともあり半冬眠ですね。
10時前、ふと気付いて庭を見ると、葉っぱからの雫が止まってるみたいです。「おや、止んだかな?」。窓を開けると止んでそう。生憎そこにスリッパがなかったので玄関に回って外に出ると、確かに上がっています。天気予報通りなら、もう雨は降りません。いつものようにプロテクターを着け、その上から釣具屋さんで買った雨にも強い防寒上下を着込んで出発です。リアボックスにスクリーンを入れ、カッパ・パン・飲み物・工具も入れます。タンクバックには、GPS・電話・携帯カメラのいつもの装備です。
ちょうど10時ごろバイク屋さんのメンテナンス工場に着いたのですが、まだ始業前らしくシャッターは開いていますが、みなさん外で缶コーヒーを飲んでいます。「もう大丈夫ですか?」。動かないネジを緩める工具だけ借りる予定でしたが、プロにとっては朝飯前の仕事のようで、というか素人のへっぴり腰仕事が見ていられないのか、チャチャっと着けてくれました。ヘッドライトのネジを緩めるので光軸を調整してもらわないといけないのだけど、それも簡単にやってくれました。「おいくら?」「いいですよ。装着だけだし、こんなのでお金もらえないですよ」とのことです。
この日やってくれたお兄ちゃんから、タンクバックに入ってるカメラを見ながら、「写真撮りに行くのですか?」と。「北摂の里山をトコトコ走ろうかと思って」。「武田尾、行ったことあります?」、JR道場駅の近くに住んでるようで、道場駅の西にある「百丈岩」というところからの景色はいいですよと教えてくれました。武庫川の西にあるらしく今回のトコトコエリアからはずれていますが、駅から遠くなくすぐ分かるようなので次回チャレンジすることにします。
山本の駅から山に上がり長尾山トンネルを抜けると、山の南側とは打って変わってすぐに里山です。長尾山トンネルを抜けた橋上の直線でスクリーンの風防効果を実感しました。銀行バイクさんのような大きなスクリーンではなく、ホンダさんの名称が「メーターバイザー」というぐらいメーターをカバーする程度の大きさですが、バイク屋さんの言うとおり確かに違います。
木曜日の朝もこの橋を通って武田尾駅まで行きましたが、ココから下に見える紅葉はなかなかいい景色です。法定速度やそれ以下の40km/hでトコトコ走りながらキョロキョロ。早い車が追いついてくるとウインカーを出して抜いてもらいます。里山は秋の色でいっぱいでした。r325からr33、西谷農協のところを左折してr68(三田川西線)にショートカットし波豆川に沿って西に走ります。こんな速度でも追いついてくる車もほとんどなく、トコトコ走ります。どこかからかバックミラーに現れた車もこちらと同様のスピードのようで、こういうところを走るのはこの程度のスピードが似合います。
信号もほとんどなく走りやすいです。「都会人の払う税金で田舎の暮らしを支えている」と問題提起する首長さんもいますが、「都会人も田舎に触れて英気を養ってるのになあ」と思います。交通量は少ないけど、こういう綺麗な道があるから里山に気軽に来れます。
神戸市の千刈水源地を越えて、千刈の水源羽束川沿いを上がります。この川はホタルの生息地で、来年の季節には家内とココに蛍狩りに来ようと思っています。まず母校KGの千刈キャンプ場があり、続いて伊丹市の野外センターがありました。
小学校の時学校行事で野外センターで泊まりました。確か5年生。6年の修学旅行の予行演習という意味合いもあったのでしょうが、「まくら投げ」に興じ先生に怒られたように思います。記憶では、体育館のようなところに寝て、まくらを思いっきり上に向かって投げます。落ちてきたまくらが誰かに当たり、「イテ〜」なんて声がどこかで上がり、「静かに寝なさい」と言われていたので、声を殺した笑い声がそこココから上がります。そういう楽しいことはエスカレートするのは世の常で・・・、首謀者数人に名を連ねていた僕は、悪友と一緒に先生から怒られました。まあ先生もその年頃の頃はやってた口だったろうから、半分笑ってましたけどね。というより、こういう大人の目を盗んだ軽い悪さが打たれ強い男子を育てるように思います。立場上叱らないといけない先生も辛いのかもね。
KG千刈キャンプは、中学に入学してすぐでした。なんといってもメチャビーが思い出されます。今どうなっているのか入ってみようと思っていましたが、「関係者以外立ち入り禁止」の車よけが道路を塞いでいました。「今の僕は関係者かなあ?」と思いながら、そのまま通過しました。
キャンプ場のある森のエリアを通過し、田んぼのエリアに出て視界が開けました。典型的な里山風景が広がります。遠くの田んぼの中を郵便バイクが走っています。それに刺激され県道を逸れてアスファルトの農道に入っていきます。天気は段々良くなって行ってるようで、気持ちがいいです。しかも暖かい。通勤バイクで着けているフェイスマスクなんて要りません。紅葉・川鷺、橋の上でエンジンを切って聞こえる川水のささやき、下を見ると山女?がいます。見に見える範囲に地元の人は誰もいません。車も走ってない。遠くの平地が切れたところから白い煙が上がっています。赤い郵便バイクが1台、郵便物の投函を終えたようで動き始めました。こんなのどかのところを私一人で独占・・・もったいないです。羽束川沿いを上がっていくと、川が石ころで適当に仕切られ、有料アマゴ釣り場になっています。1つの釣り場に1組、釣りを楽しんでいます。橋の上から覗き込むと結構大きなのが泳いでいます。川の向こうには立派な建物が立っています。ここが三田市の「野外活動センター」なのかもしれません。この辺が蛍刈りで有名なと
ころですね。記憶に残しておきましょう。
どうやらこの道は旧道だったようで、また元のr37(三田後川上線)に合流しました。合流してから県道は、篠山との境の山の中に入っていきました。見事な黄色の銀杏があります。真っ赤なのも。走っては止まりパチリの繰り返しです。ギアをニュートラルに戻すのが面倒で、ローまで落として止めてキルスイッチでエンジンを切るのを繰り返します。教習所で先生がキルスイッチをよく使っていたので平気なのでしょうが、エンジンやギアに負担があるのかバイク屋さんに聞いてみなければなりませんね。
r12に合流する前の山の中で、「母子」に抜ける道がありました。まともな標識だったので車でも通れそうで、いってみることにしました。多分峠越えになるでしょう。途中急坂のヘアピンカーブが数箇所ありましたが、まあまともな道でした。「母子」に抜けるとすぐ右手が、長沢寺がありました。結構大きなお寺で「ペット供養のお墓」も並んでいました。「そば道場」のような建物もあり、手打ち体験が出来るようです。マウンテンバイクの同年代の方が休憩していました。何処から来られたのでしょう。産地直売のようなお店の前から篠山の方に走り出されました。
もと来た道を戻り、再び羽束川を目指しました。再び峠を越えると、谷の向こうに大野山が見えます。山頂に建物が見えるので大野山だとわかります。展望台でしょう。瀬戸内海側からみると、約1000mの六甲山の北にある最初の高い山です。と言っても750mぐらいだったような。独立峰に近いので、展望台や通信施設が設置されています。あそこを目指すことにしました。
沿道にうちのお墓があるr12を越えてさらに羽束川に沿って上流に上がります。「篭坊温泉」の看板を見つけ、秘湯という篭坊温泉に寄り道です。r12を越えると畑の周りが鹿よけ網で囲われています。弱い電流を通すラインを固定する杭が囲っている畑もあります。しょっちゅう鹿の被害に合ってるのでしょうね。僕みたいな都会人には「鹿に会えたらいいのになあ」なのでしょうが、地元の人からみれば「せっかく労力を込めたのに収穫間際に・・・」なのでしょう。先日新聞に鹿や猪が増えて里山の被害が増えていると載っていました。それと同じように「山ヒル」も都会で見られるようになったとか。そういえば今朝台所の扉を開けて母の家に行こうと思ったら、そこに「山ヒル」がいました。普通のヒルと違い、シュモクザメのように頭の両側に目?が付く部分が飛び出てるのが特徴です。子供達はヒルに食いつかれた経験はないように思いますが、私は子供の頃時々血を吸われました。
遊びに夢中になってるとくっついています。田んぼの横の用水路で川に入ってドジョウやザリガニを取ってる時によくくっつかれたように思います。手で払っても取れますが、強いやつはマッチの火を近づけポロンと落とします。「山ヒル」にくっつかれた経験はありませんが、これは火でないとしぶとく落ちないそうです。今朝家内に話すと、「これ、ナメクジかと思ってた」と今まで何度も目にしていたそうです。
篭坊温泉は、山間のひなびた温泉でした。でも定番のお客さんがおられるのか、数件の旅館が地道な営業を続けている感じに見えました。このr308・r538は、r12西峠手前からR173に抜けるr601に合流するのですが、羽束川沿いの道が良かったのでもと来た道を戻りました。
そして川西から篠山に抜ける幹線県道r12との交差点に戻り、r12を南下し大野山を目指します。記憶では杉尾の交差点を西でしたが、杉尾の交差点には亀岡方面に行く東への道しかありませんでした。通り過ぎてきた小さく「大野山頂」とあった標識を入るのだろうかと戻ることにしました。確かに正面に大野山がありますが、じっくりその道を見ると、なんとなく登山道みたいな感じで、先の保障はありません。
仕方ないので、GPSに大野山山頂を入力し案内を頼みました。GPSは便利ですが、こればっかり使ってると道が覚えられません。時間が許す時は出来るだけ、昔ながらの道路標識と感で走ります。「ミステイクもまた楽し」です。杉尾の交差点から少し南に大野山への分岐点がありました。さっき、あと30秒走っていればココでした。ううむ。
中央線のある立派な道で、天文台など公共施設があるとこんなに予算が付くんだなあと感心していると、勾配がきつくなると一気に道は細くなりました。標識も手作りの小さな木の立て札になってるし。集落の中にポツンと立ってるので見落としそうです。GPSの彼女の案内で迷わなくてよかったけど。ココまでのしっかりした道がウソのように細くなりました。「なんだ?公共施設じゃなくてこの集落の実力者が立派な道路を引っ張ってきたのか?」。
でもこれでもまだいい方でした。続いてゴルフ場との分岐を越えると、さらに細い道になりました。車の離合は無理です。のぼりの一方通行の落ち葉だらけの道で、危なっかしいです。こんなところを施設の作業車が本当に登ったのだろうか?
頂上に着くと視界は開け、右手に芝生のキャンプサイトがあります。テントをたたんでる家族がいます。11月にここで寝たのだろうか?更に進んで下りに入ったところに駐車場がありました。一旦入りましたが、ジャリなので安定して止められるか不安になり道路に脱出し、下りに入る前の少しの平地エリアに停めました。
展望台のある最高峰地点にあがり四方を見渡します。東側は通信施設に遮られ見えませんが、南の大阪平野方面〜六甲山、西の三田の町並み、北の篠山から亀岡に続くR372のある谷を挟んで広がる北部の里山、北東の京都の山並みまで見渡せます。時折日が差す天気にまで回復してきました。時刻は3時。家内との映画の約束は7時ですが、ココから自宅まで1時間なのでまだまだ余裕があります。でも4時を回ると暗くなりだすからなあ・・・。
バイクにまたがりヘルメットを被ろうとしている時、お父さんと幼稚園年長さんぐらいのお子さんが前から来て横を通り過ぎました。お子さんが私の方をしきりに気にしている風です。後ろから何か小さな声が聞こえます。お父さんとしゃべっているのかなあ?聞き取れませんが、どうやら私が話題のようです。私の方を向いてしゃべってるようです。「バイクが上りの一方通行の方に向いているから、間違ってそっちに行かないように注意したいのかなあ」なんて思いながらグローブも着けて準備万端スターターを回します。
エンジンを吹かせて「ギュィーン」と一気にバイクを回し・・・とは行かず、ゆっくりこけないようにセットバックを入れて下山方向に向きを変えると、お子さんが小さく手を振っています。「かっこいい」と目を輝かせている風です。白のバイク便ボックスが乗ってるのは置いといて、青い綺麗なバイクだからかっこいいのかもしれません。山の頂上でバイクは私のだけだし。「エッ、そうなの?」と思いながら、片手を離して手を振りながら、お父さんに抱っこされているお子さんの憧れの眼差し に応えて颯爽と下山道に入っていきました。が、下山道は上り道同様の道です。落ち葉がたっぷり乗っているのでセカンドギアでゆっくり、臆病なかっこ悪さ満点で下山します。山頂から西、下に見えていたゴルフ場の入口に出ました。ここから細いながらまともな道になりました。
ゴルフ場が立派な道を引っ張ってきたのですね。バブル期のゴルフ場会員権高騰時に引っ張ってきたのでしょう。日曜日だというのにひっそりとした感じです。ゴルフ場入口から出てきた職員の車が出てから入口のフェンスを動かして閉めてるし。
r12に下り、一路南に下ります。墓地の入口が見えてきたので、親父にお花でも供えるかとお墓に向かいました。いつもなら下の事務所でお花を買って上がるのですが、今回はナシです。お彼岸の時、先客がおられたようで、すでに新しいお花が供えてありました。今回もお花が供わり、お線香の燃えカスがありました。
朝雨が降っていたのでその後来られた方がいたようです。誰が・・・お墓の掃除をして事務所に寄り、うちの墓地との契約を調べてもらいました。でも毎月の供養をする契約にはなっていませんでした。随分前の契約だといえ、私が契約者なので仏さんがいないのにそんな契約をするわけがありません。父が入ったのは去年で、新たな契約をした覚えもありません。誰が・・・謎です。弟しか思いつきませんが、岸和田から来るので母親のところには寄るだろうし・・・でも母に聞いてもわかりません。謎です。まあ翌日の朝、母に聞くと、弟の奥さんと子供達が午後ずっと来ていたとのことなので、お墓に寄ってから帰りに我が家に寄ったのでしょう。でも母は「お墓に行ったとは言ってなかったよ」と。きっと弟ですね。電話で確かめるほどのことではないし、次会った時に聞いてみましょう。
r12を下って屏風岩のところの「槻並」という標識に誘われて左折してみました。1本東に南北に走るR173に抜ける道かなあと思っていたら、北に向かいます。なだらかな勾配で北に上がる落ち着いた道です。R173とr12に挟まれているのに、山間部の細い川に沿った集落ではなく、結構田んぼに横の広がりがあります。
「こんなところにこんな集落があったんだ」とちょっとした発見でした。ランニングウェアーに身を包んで走っている人がいます。ずっと続くなだらかな勾配は、心配能力を適度に鍛えるだろうなとゆっくり走っていると、「オリンピック選手がトレーニングする道です」という立て札が目に入りました。オオ〜その世界では有名な場所かもしれません。
集落が終わり、急に勾配が増したのでUターンしました。r12に戻りトコトコ南下し、ジャスコのあるところまで来ました。ここから交通量と信号が増え、あまり面白くありません。銀山方面の交差点を過ぎ、r324に入り西進します。相変わらず昼なお暗い細い道です。4時を回り、横の小川から霧が発生しているのか、なんか煙っています。r33・r325を通りお気に入りの長尾山トンネルを抜けて宝塚の山本に下りました。長尾山トンネル手前から眼下に見える多田院に抜けるr325も一度走ってみたいです。
北摂からのバイクでの帰りは、いつもr33経由長尾山トンネルですが、r12旧道からr325・長尾山トンネルというのもいいかもしれません。これがいい感じだったら、R477からの帰りも交通量の多い川西市街地からの道をパスできます。
ホンダVTR250は2気筒エンジンで、「トコトコトコトコ」という音がします。回せばそれなりのウィーンな音もでますが、1気筒が「トトトト」という音で、4気筒は初めから「ブイーン」といういい音が出ます。バイクに乗り出して初めてそういうことを知りました。日本4大メーカーの作る高性能エンジンは4気筒で、高出力でいい音ですが、少ない気筒数のバイクにもそれなりの味があります。ハーレーは、大きな排気量のエンジンでも2気筒だそうです。VTRよりもっと低音の「ドド・ドド・ドド・ドド」という感じです。
私の場合のバイクは、どこか遠くへ行く足としての役割ではなく、その道中を楽しむ感じなので、細い道でも入っていける取り回しが大切で、出来るだけ静かでありたいと思っています。1気筒は振動が大きいそうなので2気筒を選択しましたが、自分に合ってるなと感じます。時速40km/hで5速に入れ、「トコトコ・トコトコ」ゆっくり走ります。お気に入りなので、長く付き合いたいと思います。

自宅に戻り、車で映画館に出かけました。上映30分ほど前に家内と合流し、姪や甥にクリスマスプレゼントの本を購入しました。我が家からのプレゼントはいつも本です。小さなうちに、親に読んでもらったりして本に親しむのが勉強好きの近道だと思うからです。どんな職業についてもずっと勉強です。マイペースで学ぶのは、先人の書いた本を読むことから始まります。落ち込んだ時にエネルギーをくれるのは言葉で、人から言葉を掛けてもらうか文字を読んで得るかです。必要な時に温かい小説を読むと心が温まります。人が文明を発展させてきたのは、道具を使うようになったことと、文字で後年に伝えることが出来るようになったことが大きいと思います。石器時代から絵文字で残してきました。単に「文字が読める」というのではなく、積極的に「文字から先人の知識を得る」生き方の入口が、「本が好き」だと思います。
映画「ハッピーフライト」を観ました。我が家の関係者がこういう関係なので、少しでも理解するために観ました。「ウォーターボーイズ」や「スイングガールズ」の監督作品なので、もう少し期待していたのですが、感動的な場面があるわけではありませんでした。というよりストーリーがないです。でも家内も私も「面白かったね」でした。直接応援なんて出来ないけど、いろんなところから知識を得、理解しようとすることが応援になるのかなと。

2008/11/10
日曜日は、家内とドライブデートでした。最初は、紀伊半島和歌山県と奈良県の県境の山の中にある「川湯温泉」と「谷瀬の吊り橋」に行く予定でした。「川湯温泉」は、十津川温泉の近所で河原を掘ると温泉が出ます。夏場などは、スコップ持参で河原の適当な場所を掘り、川から水を引いて適温までうめてプライベート露天風呂を楽しむそうです。川の水量の減る冬場は、地元の方が仙人風呂という千人?入れる大きな露天風呂を作ってくれるので、そこを楽しむそうです。
仙人風呂を楽しんだ後、紀伊半島の中央部の和歌山・奈良県山岳地帯を大阪に向かって走る国道168号線を北上して、その途中にある日本一の歩行吊り橋「谷瀬の吊り橋」に挑戦し帰って来る予定でした。
金曜日、何気なく「他にどんなところがあるのかなあ」と調べてみると、なんと168号線に通行止め区間があることが判明しました。「谷瀬の吊り橋」の北で土砂崩れし、復旧の目処が立っていないとのこと。山岳地帯なので迂回路はありません。バイクなら峡路の峠越えもまた楽しいですが、車で家内を乗っけてそんなとこを通る気になりません。
温泉から吊り橋まで1時間以上かかりそうなので、また温泉まで戻って大阪湾側に出て高速を帰るのは、時間的に厳しいです。ドライバーが1人という我が家の事情を考えても無理は出来ません。不本意ながら、またの機会にして予定変更です。

そこで考えたのが、数日前のウィークデーの仕事前に行ってきた「竹田城跡」行きです。和田山の少し南にある「竹田城跡」は、典型的な山城です。出石城に本拠を構えた山名宗全が、山陰と京都の交通の要所であり、山陽姫路から出石への防衛線でもある和田山竹田地区に作った城です。
山名宗全といえば、応仁の乱の片方の総大将。つまり室町幕府が衰退し、公家の貴族支配の時代から武家支配への過渡期、戦国時代の入口を生きた人です。当時の城は守りを重視した天然の要害山の上に作られました。ただ山城は、日頃の行き来も大変なので、平地に堀を巡らした城に主役の座が変わって行きます。
竹田の山城は、400mほどの山の上に建ち、今は石垣だけの城跡ですが、日本のお城百選に選ばれるほど素敵なお城です。そしてこの城を更に有名にしているのが、別名「天空の城」と呼ばれる雲海に浮かぶ城跡風景です。
ここの雲海というのは、朝霧です。気温が下がる秋から春にかけて、それほど下がらない水温との温度差が夜中から夜明け前にかけて大きくなります。お風呂の湯気と同様に、自ら湯気が上ります。竹田城周辺には小河川があり、日本海に注ぐ一級河川の円山川という霧の供給元があります。夜明け前、スキーに行くためにここらを走るといつも霧で困りました。
ずっと見てみたかった竹田城跡からの雲海に挑戦することにしました。11月に入り雲海の季節到来です。兵庫県北部の天気予報を気にするようにしていました。まず当日は晴れでないと・・・前日日本海に高気圧があり、夜中放射冷却で冷えないと・・・こういう天候を待ちました。そしてその日が先週やってきました。現地に5時に到着するために朝3時にバイクで出発です。中国道・舞鶴道の春日ICから「北近畿豊岡道」に入り竹田まで行きました。この道路、片側1車線の高速道路規格なのですが、国道指定されており無料です。綺麗で気持ちよく走れます。
夜明け前の真っ暗な城山を登り、城跡から雲海を眺めてきました。朝6時前だというのに天守閣跡には、三脚に高級一眼レフをスタンバイさせたカメラ小僧と言っては失礼な「サンデー毎日」な大人の方を中心に50人程の方がおられました。ビデオを回しておられる方もいます。私もデジタル一眼レフを持参したのですが、三脚もなくでかくもなく、この時間のココには不釣合いな感じでした。夜明けが近づき、山が赤くなり雲海が1秒ごとに更に白く浮かんでいきます。日が昇ると急速に霧が晴れていくので、1時間ぐらいの自然のショーなのでしょう。仕事の時間があり30分ほどで退散しましたが、『絶景』を大いに楽しみました。

なんかすごく前置きが長くなってしまいましたが、ここからがこの日曜日のことです。家内と朝7時に出発です。家内に2時起きを強いるのはかわいそうなので雲海デートはお預けです。中国道で福崎まで行き和田山に向かう播但道に乗り換えです。神崎南で下りてススキで有名な峰山高原に上がります。周りは紅葉の黄色や赤が人工林の杉の緑の中に映えています。この日1日、車で走りながら、「思いっきり黄色」な銀杏の木をいくつも堪能させてもらいました。
高原は紅葉で綺麗なのですが、寒いし人がいないので、早々に隣の砥峰高原に移動です。広くはないのですが快適な高原道路が走っています。カーブを曲がると・・・「あっ・・・鹿がいる・・・」。ストップ!
道路中央に2匹の鹿がいます。こっちをじっと見ています。「カメラ、カメラ」。フロンドガラス越しに、窓を開けて何枚か撮りました。なかなか逃げないなあと思っていたら、道路脇のガードレールすぐ外を小さな尻尾が移動しています。小鹿さんです。親?の方に近づき、3頭で森の中に消えていきました。「鹿を見れるなんて・・・」と家内と話しながら走り出したら、路上だけではなく、崖の上にもいます。車に驚いて走り出すと、石が落ちてきます。なるほど、路上に落ちてる石はこういうことだったのか・・・と一つ賢くなりました。「あっ、いる。あっちにも。かわいい」と家内も大喜びです。
砥峰高原に着きました。こちらは広大な一面のススキ原です。トイレ・食事施設があり、ススキ原には自然に出来た歩行路が走り、小さく人が歩いています。「こりゃすごいなあ」とシャッターを切っていると、小型観光バスがやってきてカメラバックと三脚を抱えた一団が下りてきました。僕のカメラの倍はありそうな高級一眼レフを持ってる人もいます。連射機能とか付いてるはずです。ここも早朝の竹田城跡同様、カメラおじさん・おばさん天国でした。このバスのフロントガラスに書いてある「・・ご一行様」を見て、高級一眼レフ団体さんだった訳がわかりました。カメラやさんのお客さん撮影ツアーだったようです。はるばる岡山県から・・・。
次は生野銀山です。生野銀山は、播但線を隔てて反対側にあるので、一旦播但線沿いに下りました。312号線ではなく線路沿いの道を北に走っていると、「あっ・・・」今度は猿です。数匹が道路上を歩いています。ストップ!「カメラ、カメラ」。さっきの鹿の時と同じパターンで写真を撮ります。車のすぐ横に木の上に登ったので、運転席の窓から少し乗り出してパチリ。変電ボックスに乗ってるのをパチリ。猿集団が線路の方に行ったので車を動かすと、運のいいことに踏切で線路を渡ります。お猿さん数匹が線路を歩いています。電車があまり通らないJR単線をいいことに線路中央で車を止めてカメラを構えます。
生野銀山に着きました。家族スキーで何度も生野は通りましたが、銀山に来たのは初めてです。900円の入場料を払い坑道に入ります。ちょうど「なんとか水利組合」の団体さんと一緒になったので、銀山ガイドさんの説明を一緒に聞くことが出来ました。銀山といいながら、金・銅・ニッケル・・・いろいろ出たそうです。こういうメタルやレアメタルは、地下のマグマが岩盤の切れ目に上がってきて固まったものだそうです。だからメタル層の平均は80cm、運よくその層に当たったら、その層をひたすら掘るそうです。
昔は今のような電気や爆発物の力技が利かなかったので、1日数センチという気の遠くなるような手掘りで、最悪な労働条件の中がんばってたそうな。人が立てるような大きな坑道を掘るのは時間の無駄なので、腹ばいにプラスアルファぐらいの狭い坑道を掘っていたそうです。一旦入ったら3日は穴の中で作業したそうで、掘った土砂を外に運ぶ者は当然ながら、水を抜く者・食事を作り運ぶ者・・・多くの人が穴倉で生活したそうです。そしてこの銀山は、1970年代の閉山までに地下800mまで掘り下げられたそうです。そこは冬でも摂氏40度以上の世界だそうです。
資料館を見ていたら、家内の賢明中学時代の友達が生野から来ていて、お父さんが鉱山で働いていたそうです。当時お父さんが単身赴任していた岩手県の鉱山に2人で旅行したようで、「トロッコに乗せてもらった」とか懐かしそうに、同じような景色が写る写真を見ながら説明してくれました。ここは三菱なので、きっと岩手県の三菱系鉱山に行ってたのですね。

次がやっと竹田城跡です。生野を出る時に既に12時を回っています。砺峰高原が良かったのと、坑道内見学が800mとたっぷりあったので予定時間より1時間遅れです。
4日前ですが竹田城跡雲海を堪能した時、雲海に沈む谷はいいとして、雲海の上にある山から竹田城跡はどんな風に見えるのだろうか・・・「天空の城」としてどう見えるのか興味が湧きました。次の楽しみにしたのですが、その下調べもあり、等高線地図を調べながらお城近くの「藤和峠」を目指しました。竹田城跡への最後の分かれ道を別の方に入り10分弱で「藤和峠」がありました。峠のほんの少し手前にちょうどよく駐車スペースがありました。「スクールバスUターン場所に付き駐車ご遠慮ください」となっていましたが、日曜日なのでスクールバスは来ないだろうし・・・。大体こんな峠のてっぺんに住んでる人がいるのでしょうか?古いけど屋根のあるバス待合があるし、夜中ここで待ってたら「もののけネコバス」がやってきそうです。
ここからの竹田城跡の景色はいい感じでした。標高も同じぐらいなので、ココは雲海の浮いてそうです。次回は「天空の城」をカメラに収めたいです。いよいよ本日のメインイベント「竹田城跡登山」です。ここの駐車場から10分ほどで竹田城跡のある頂上ですが、この道かなり急です。滑らないように木が入り階段が作られていますが、きついです。
前回最初不覚にも早足で上がってしまったので、途中で足が上がらなくなり休憩を余儀なくされました。そのことを家内に話し、ゆっくりペースで登り始めました。雲海に沈んでいた谷がクリアに見えています。写真を写そうとしているアベックさんがいます。「写してあげなくちゃね」とカメラをぶら下げた私が近づくと、「すいません。写していただけますか?」。こうして何人写してあげただろう。家族アルバムの最初の1ページに参加できるのは光栄です。高いところが苦手ではない家内は、とても喜んでる風です。この日一番良かったのは、やはりココだったそうです。
最後は出石で出石そばを食べることです。日曜日の昼時は混むかもしれないから1時過ぎ到着を計画していたのですが、既にその時間になっています。2時半過ぎに出石に到着し、400円で駐車場に入れ、小さな町をブラブラしてお蕎麦屋さんに入りました。1人前5皿で850円です。子供達が小学生の頃、何皿食べれるか挑戦したことがあります。「・・皿以上食べたら無料」とか「過去最高記録・・皿、今年の最高・・皿」とか壁に貼ってある店で、やたらと挑戦をあおっていました。
まあ最高記録の半分にも行かず、もちろんタダにはなりませんでした。追加で10皿注文し、家内は6皿、僕は14皿でした。ここで無理して「そば嫌い」になっても仕方ないからね。池野めだかさんではありませんが、「今日はこんなもんで勘弁しといたろ」ってとこです。
帰りは国道426で福知山に出て、舞鶴道福知山インターから高速に乗り戻ってきました。楽しい1日でした。帰って写真を整理すると、200枚以上撮ってました。デジカメはフイルムの入れ替えがないので、どんどん撮っちゃいますね。でも現像する時その分金額が張るんだよね。

2008/11/3
日曜日は、ドラゴンの今年最終戦です。が、シブカワさん以下のメンバーが仕事で都合がつかず、オオノさんと私だけです。助っ人に京大ヨット部のシラカワ監督さんに入ってもらいました。ちょうど西宮開催のインカレと日程が重なっており、ドラゴンのレースはそれにはじかれるように、防波堤の外でするという連絡が入りました。南西で風が上がるとカッパ必着の厳しいレースになりそうです。天気予報も、西から南西で4〜6m/sとなってたので、海上でのプラスアルファを考えるときつい1日になりそうです。
レースの着替え荷物もあるので、車で行こうと思っていたのですが、インカレだからたくさんのOBさんが来られるだろうから、いつもの無料駐車場は無理かもしれないのでバイクで行くことにしました。
7時過ぎに自宅を出発です。快調にハーバーに着くと、インカレの雰囲気満載です。カッパ等のレース荷物に、KGヨット部在籍中のマスカワさんの載った朝日新聞を持ってインカレ会場の方に歩き出しました。マスカワさんのお父さんがレース期間中ずっとこっちにいるようで、多分手に入れてると思うけど、もし持っていなかったらお嬢さんの載った新聞をあげようと思って。
歩き出すとすぐに、艇置き場の方からやって来る琵琶湖のイマイさんに会いました。観戦用の船を確保しているようです。「やあやあ」なんだかんだ話していると、福岡のシンゴウさんご夫婦がやってきました。さらにご夫婦それぞれのお母さんも。早稲田の息子君は、大応援団ですね。お婆ちゃんたちは初めてのヨットレースみたいです。連れ立って艇置き場に入ると、琵琶湖のニシムラさんがいます。同志社のエースになってる息子君の応援で来てるようです。その横を鹿屋体育大に行ってるシンノスケ君が、「おはようございます」と言って通り過ぎました。
インターハイもそうですが、インカレも元OP選手やその親の同窓会の雰囲気があります。わが子やその所属校の成績は気になりますが、小さかったOPライバル達の成長した姿を見たり、かつては毎月や毎週のように各地のレース会場で顔を合わせ、レース運営で協力しあった親達と久しぶりに会う機会でもあります。
ディンギーヤードのスロープには、レース艇が壮観に並び、大会本部テント前に下級生やマネージャーが出艇申告の受付の為に並んでいます。いつもの光景ですね。結局マスカワさんには会えず、時間も8時15分になったので、ドラゴンの艇置き場の方に回りました。
ドラゴンヤードに、他艇はいませんでした。既に艤装を終えたのか桟橋の方に下ろされています。今日のレースは防波堤沖なので、うちは30分早めただけだけど、もっと早く来られたのかもしれません。「やる気満々やなあ」、さすがに最終戦です。このレースは、「山村杯」でもあります。元ドラゴン協会会長さんの故山村さんの記念大会です。単独で賞があるので、それもあるのでしょう。
ジョーガに上がり、オーニングを取り、ジブシート・スピンシートをセットしているとシラカワさんがやってきました。すぐにオオノさんも来られ、今日は練習用セイルの指示を受け、セットしていきます。
艤装が終わったので、下架を頼みに行く途中トイレに寄ると、去年京都産業を卒業したニシムラ長男君がいました。同志社の弟と母校のレースの応援なのでしょう。母校の支援艇に乗るのか?お父さんと一緒に元OP親同窓会艇に乗るのか?
波の立たないありがたい北風が吹いていますが、弱いです。本日の私のポジションはスキッパーです。一番ドラゴンに精通しているオオノさんがミドルというのが、落ち着きますね。そしてシラカワさんがバウです。レース運営艇が来たのでセイルを使わず桟橋を離れます。パドリングですぐに引っ張ってもらおうとの算段です。少しジブ帆走をしましたが、すぐに引っ張ってもらい防波堤沖に向かいます。インカレのレース集団が、赤灯台の少し内側にいます。そこからスピンを上げてこっちに向かってきます。朝の北風でマークセットしようとおもったけど、早々に南に風向が変わり、南西セットに変更するようです。
それを見ながら、この時間で海風が入ってきたのなら、はやり今日は吹くなあと覚悟しました。2艇の運営艇に引かれて出てきたドラゴン5艇を見て、先に出ていたJ24レース艇がジブを上げ始めました。ここでもやいを離され、いつもIMSがやってるもう少し大阪寄りのレース海面に向かいます。南の沖にブローがありますが、あまり強そうではありません。一応その風を受けていますが、たいしたことなく、我々はいいにしろ、インカレ集団には、西宮らしい風を与えてあげたいですね。
と思っていたら、西の海面が濃くなってきました。西からブローが下りてきましたね。いきなり結構濃い色です。本部船アンカリングの場所に入るまでにブローが入ってきました。風速は4〜5m/sですが、風軸が安定せず、ランニングということもあり気を使います。ワイルドジャイブを入れてしまっては危険です。吹き出しは、しばらくの間注意です。本部船付近に来て、早速カッパを着込みます。
「今日は西からブローが入るようですね。即タック右海面ですかね」と言うと、「う〜ん、僕らの風じゃないなあ。他の4艇は速い船ばっかりだし、タックの数を減らしてミス少なく行こう」とオオノさんから。「了解です」。
第1レース、上1を狙ったのですが、上のデンジャーギリギリに2艇詰めていたので、先行艇がタックしないことを願って遅れ即タック狙いで、上1のスターンにつけます。470では細かい動きが出来るけど、ドラゴンでは無理なので、本部船との狭いスペースに強引に入れることは危険です。船を壊してしまったり怪我をしてしまうのは、絶対に避けなければなりません。
即タックして1人旅です。沖に泊まってる本船の大分下を通ったのですが、それでも少しブランケットがあったような。風はすでに8m/sまで上がっています。ブローでは10m/s超えですね。トラベラーセンターは無理で、ヘルムを感じながら、ブローの強弱でトラベラーを下いっぱいまで落としたり、センター付近まで上げてきたりセイリングになっています。波が上がってきて、ヘルムトリムをミスると波を叩いて失速してしまいます。
1本コースでオーバー気味に上マークアプローチします。オーバーセイル分だけ先行されたようで、2艇身差がつかず、各艇続いて回ります。久しぶりに正スキッパー・イトウ君がやってきたブルードラゴンがトップで、タナカさんが2番。2上でイトウ君だけが前に行きセーフティー・リードになりましたが、他は順位も差もあまり変わらず回航。そのまま5番でフィニッシュしました。
フィニッシュしてシラカワさんが、「レベル高いですねえ」と感心しています。去年まで西宮のIMSボートに乗ってレースしてたそうなので、レベル的にはあまり変わらないかもしれませんね。IMSよりは船が小さいから、よりおじさん向きということで。まあ、オリンピックやワールド経験者がたくさんいるフリートなので、レベルは相当高いと私も思います。
第2レースは、J24スタートの時から本部船が流れており、スターボでスタートラインを切るのは無理になりそうです。「全艇、スタート号砲同時タック」になりそうです。オオノさんから「アウターからポートで出よう」と指示があり、アウターの下で時間調整します。あまり厳しくポートジャストに取ると、アウタージャストスターボ艇が来た時慌てるので、ポートで時間調整しながら、他艇の様子を見ます。ブルードラゴンだけが、うちと同じ作戦で上に止めています。イトウ君は、するするとアウターポートラインジャストまで落として、フルセイルで出て行きます。スターボ艇は、アウタージャストまでは届かなそうです。ブルードラゴンのアスターンで、ポートスタートしました。みなさんレースを知ってるので、そのままスターボで突っ込んでくる艇はなく、号砲時には全艇ポートです。スタート直後はいい景色でしたが、イトウ君についていく事ができません。4位・3位と上がりましたが、最後のレグのタックでジブシートがウインチにからみ、4位フィニッシュでした。
第3レース。1時45分なので、たぶんこれが最終レースでしょう。第4レースがあったら、「しんどくなったら、僕とスキッパー交代ね」とオオノさんが言ってたので交代するか、リタイヤ・ハーバーバックですね。ミドルがレース展開とか組み立てられて面白いだろうけど、若い私が体力的に楽なスキッパーですいません。
再び本部船が流れています。前回同様ポートアプローチです。イトウ君も同じです。さっきと同じようにスタートします。10度ぐらい風が振れています。第1レース第1レグより第2レース第1レグは南に振れ、第3レースは西に振れ戻っています。うちはクリア出来そうですが、風下艇が正面の停泊本船をかわせずタックしてくるでしょう。何となく西に振れているようで下艇が先行していきます。ミート前にタックすることにしました。このスターボが走りませんでした。徐々に高さ負けしていきます。「下手だから」の一言ですが、メインシートは目いっぱい引いてるし、バングも緩んでないし、バックステイでメインリーチコントロールしても今一です。ジブクリューを下げて、ジブリーチを閉じてスロットルを狭くすることも試してみたらよかったな。1上5位でした。サワダ君艇のスピントラブルで4位に上がっただけで、走り負けでした。
ということで本日のレース終了です。いい風の中、昼食の時間もなく、続けざまの3レースでした。スキッパーをシラカワさんと交代しハーバーバックします。ちょうど470の第1マークスピンが上がるところで、1・3位が第一経済、2位KGで15番前後にあとの2艇KG艇が続いています。インカレは全72艇でのレースですが、1レース3艇合計45点で収めていけば優勝します。今日いい風が入って、KG470が実力を発揮しているようです。明日の最終日もこんな風が吹いたら、2日目までのビハインドを取り戻せそうです。朝聞いたところによると、470は同志社・総合は立命がいいようです。
今シーズン最後のレースで、春まで冬眠だから船を念入りに洗います。セイルも水洗いします。ただ乾かないので、水がついたまま直すことになりました。晴れた日に整備して、セイルをもう一度出して乾かさないといけませんね。
山村杯の食べ物つき表彰式は、関西ヨットクラブのウェットバーらしいです。会員カードを持ってないシラカワさんをシャワールームまで送り、バイクに着替えを入れます。ウェットバーに行く前にマスカワさんに電話しようと携帯を取り出すが、マスカワさんの番号は入っていないので仕方ないなと前を見ると、シンゴウさんがいます。なにやら奥さんとお婆さんたち女子3人組に待ちぼうけを食らわされているらしいです。またうだうだ話していると、福山のキヤマさんご夫婦が来られました。キヤマさんは今岐阜にいるそうで、来年定年だそうです。空の方の自衛隊の偉いさんなので、空トップが更迭されて、キヤマさんの名前が出るかも?なんて思っていたのですが、「まだまだ上がいるから何も変わりませんよ」とのことでした。岐阜に空の施設があるのでしょうか?
シンゴウさんが、「良かったですね、これで殉職はなくなったわけだ」と笑っています。「イラクからも今度引き上げるし、もう大丈夫そうです」なんて答えていました。仕事とはいえ、有事には真っ先に命と引き換える厳しい仕事です。
余談ですが、空トップの更迭に至った論文の全文を読みました。それほど過激で偏っ論文とは感じませんでした。東条さんの遺族の方がおっしゃっておられるような強い主張ではなく、事実を明記し大きな視野で戦争に至った流れを書かれているようで、学者にはもっと過激な考えを披露されている方もいます。でも日本政府公式見解とは確かに違いますね。本音をオブラートに包んで表現しているのでしょうが、自衛隊という強力な力を持つトップという公人にいる立場としては不適切だったのでしょう。即更迭という政府の早業に、諸外国に対するメッセージが込められていますね。
ここにマスカワさんと東京のカミヤさんがやって来られました。お嬢さんの新聞の事を聞くと、もう確保されたようです。良かったです。きっと将来、いい記念になると思います。
ウェットバーのガーデンの方に電気が入り、表彰式です。まずヤマムラさんの奥さんの挨拶、私より10歳は上のお年だろうにお綺麗です。挨拶も堂々と、そして日本女性らしい引きもあり、さすがに大きな会社をやってるだけあって慣れてますね。レストランやってるゴクラクジさんとこの食事を食べながら、タナカさんの乾杯に続いて、成績発表や来年のドラゴン西宮フリートについて・・・。タワフリートキャプテンが、東京に行ってて不在なので、ヤマムラ弟さんがメインで説明など。
と、そこに同志社のタイさんがやってきました。マツナガ君・ウエノ君・ヨシサコさんを引き連れています。3人ともオリンピック経験者。ウエノ君は先月のドラゴンレースに参加したので、オオノさんやタナカさんにでも声を掛けて、北京オリンピックの土産話でも披露してもらったらよかったです。タイさんが、「そういえば俺すごいメンバーを引き連れてるなあ」と言ってました。彼が監督やってた時の選手達だからなあ。
6時になり、オオノさんにお暇を言って、シラカワさんと退席しました。全く知らないドラゴンフリートにヘルプをお願いして、退席しづらいでしょう。1人2人退席したので、そろそろいいかなと思ったのですが、引き止めすぎたかもしれません。バイクのところで準備していると、カワセ君やアリマ君も退席してきたようで、若手の退席の引き金になったかもしれません。相変わらず、楽しいレースでした。
シラカワさんは「明日筋肉痛かなあ」とか「明日大学の練習に参加予定だけど行けるかなあ」なんて言ってました。私も久しぶりの波の中のレーシングだったので筋肉痛かなあと思ってましたが、今朝はいつも通り平気でした。スキッパーをしたこともあるでしょうが、ドラゴンに使う筋肉が付き、うまくサボっていたのでしょう。

2008/10/28
日曜日は、午前中野生の鹿との遭遇、午後から京都ヨット部の練習に参加、という計画を立てていました。
朝5時に起き、6時前にバイクで出発するために、家内を起こさないようにそっとゴソゴソ用意をし始めました。カッパ・GPS・工具・カメラ、ヨットのための着替えを準備し、プロテクターを着て、ライジャケは荷物になるので着ていくことにしました。「さあ出発しようかなあ」と思っていたら、屋根を叩く雨音が・・・外に出るとパラパラ来ていました。「天気予報では雨が降るなんて言ってなかったのに・・・」と一気に気持ちがトーンダウンしてしまいました。
「仕方ないから車で琵琶湖に行くかなあ」とも思いましたが、午前中は、中途半端なところで止まっていたバイクを下ろすための木製スロープを完成させて、午後からの出艇に間に合うように車で出かけることにしました。また寝るのももったいないので、ゴソゴソ・グリグリ日曜大工していると、起きてきた家内が、「スロープ作ってるの?重たいから割れない?」なんて、ちっとも私の知恵と腕を信用してくれません。
朝は、気持ちが集中しているからか、小1時間で完成しました。ふと気付くと雨音がしません。外に出ると雨は止んでいます。こうなると、また予定を変更したくなってきて、またプロテクターを着込んで結局バイクで出発することにしました。懸案のスロープを早速試しましたが、ビクともしません。「ふふ」、家内から浴びせられた視線で低下した自信を、無事蘇られることができました。
タンクバックにいつものようにGPSを入れ、外部バッテリーにつないでバッテリーの電源を入れましたが、バッテリーの容量がゼロになっていました。GPSの内臓バッテリーだと2時間ぐらいしか持ちませんが、この外部バッテリーだと数日持つので、「まだ大丈夫だろう」と点検を忘れていました。「あちゃ〜。せっかく昨夜重要ポイントをGPSに登録したのに」。迷いやすい所だけGPSの電源を入れることにして、感と地図と聞くで行くことにしました。

朝一番の時間を雨で逃してしまったので、もう鹿には会えないかもしれませんが、当初の目的地京都市右京区京北町に向けて出発です。ここに住んでおられる方から「毎日、通勤で鹿に会いますよ」との情報を得ています。
先月京都北山を走った時と同じように、池田からR423で亀岡に抜けて、R477で京北町に向かってもいいのですが、今回はR173で篠山まで抜けることにしました。川西中心部から多田までは交通量もあり、道路工事区間があったりでボチボチでしたが、それを過ぎると気持ちよく走れました。「山に入ると雨が降ってるかもなあ」と思いながらも、朝の天気予報で言ってた「雨は午前中で上がるでしょう」を当たれと願いながら走ります。
篠山でR372を右折、を亀岡方面に向かいます。右折するところにあるコンビニさんに、数台の速そうなバイクが止まっており、ドライバーさんがコーヒーを飲んでいました。「何処に行くのかなあ」なんて思いました。バイクに乗り出すと、以前気にならなかったバイクが気になるようになりました。法定速度?プラス10km/h?の時速60km/hで快調に走ってると、スーッと横にバイクが来て抜いていきました。
交通量が少ないので前の車と車間距離を開けてゆったり走っていたので、ちょっとビックリしました。時々バックミラーも見ていたつもりでしたが、慌ててチェックすると、後ろに2台のバイクが迫っています。さっきのコンビニバイクかも知れません。車線の左に寄せて、抜いてもらいましょう。750ccとかリッターバイクですね。いかにも余裕のある走りで、前の車も楽々パスして行きます。先頭のバイクが、私が端に寄ったので、抜きながら左手を上げて行かれました。後ろの2台も軽く左手を上げて抜いていきます。一応私も返しておきました。
私の250ccバイクでも、原付スクーターと違って、とても安定感があります。直線では片手走行しても、こける感じがしません。あんな大きなバイクだったらなおさらなんでしょう。
途中で園部に抜けるために、府道54に左折しました。ここはもう京都府です。この道はバイクで走るのにちょうどいい道です。交通量が少なく、狭すぎずです。バイクでカーブを気持ちよく曲がる時のコツが、何となくつかめてきました。教習所で習った「視線をカーブの先に向ける」の他に、「体重をカーブの内側に入れる」「胸をカーブの内側に先行動作する」というスキーの時の要領も加えて意識していましたが、「カーブの内側の腕を伸ばす」と気持ちよくバイクがバンクしてカーブしていくことが分かりました。
「右にカーブしたいなら右手でハンドルを押す」「左に曲がりたいなら、左手でハンドルを押す」・・・むしろ反対に、右にカーブしたいなら、右手を引いて左手を押すように思うのですが、実際は反対です。試しに低速で、右手でハンドルを押してみたら分かります。一瞬左を伺いますが、右にバンクして右に向かいます。体重移動する必要はありません。
教習所で、バイクを止める時、左足を出すように教えられました。右足は後輪ブレーキを踏むからです。でも右手で前輪ブレーキをかけることが出来ます。習い始めの時、右足にブレーキがない原付の癖で、すぐに右手でブレーキをかけようとします。すると右にバランスを崩し、右足をブレーキから離して右足をついてしまいます。
「前後輪ブレーキが基本だけど、前輪ブレーキはよく利くから、後輪ブレーキをメインにした方がいいよ。右手ブレーキになっちゃうと、そっちに体重が乗りバイクは右に傾くからね」と、よく注意されました。
『バイクは、右手に力を入れれば、自然に右に体重が乗り、右に曲がる乗り物のようです』
てなことで、園部を過ぎ、日吉ダムまでやってきました。ここで恐れていた雨が、ポツポツ来始めました。これから入っていく前方の京都の北山には、低い雲が垂れもめています。「やっぱり雨か」。路肩に小さな軒を見つけ、そこで停車です。リアボックスからカッパを出します。原付で雨の時は、炊事手袋をはめるのですが、手袋ぐらい濡れても平気だからいいかなと思って、こちらはそのままです。天気予報を信じて、やがて雨は上がると願っていましたが、結局琵琶湖に着いても上がらず、午後2時を回って上がったかな。
府道19で京北町に入り、府道78から府道443でいつも鹿のいる山の中を走りました。もう時間は9時なので野生の鹿は深い山に戻ったのでしょう。鹿には対面できませんでしたが、「ケーン」という鹿の鳴き声が聞こえるいいところでした。1軒も家がないという人里はなれた山中でもないですが、こんなところに野生の鹿が住んでるのですね。庭の家庭菜園に網を張っておかないと、鹿に食べられちゃうようです。「朝起きたら、庭に鹿が数頭いた」というところとは・・・。30km走れば京都市内だから、十分通勤圏ですね。
ここから琵琶湖に抜けます。前回はR162で京都市内に下って東に移動しましたが、今回は当初の予定通り、かやぶき集落で有名な美山を通ってから行くことにします。R162を北上し、バイク乗りでは有名らしい喫茶店?「カモノセキャビン」の前を通過しました。車2台とバイク2台が止まっているだけでした。雨だから少ないようです。
府道38との分岐まで来ました。琵琶湖まで十分燃料が持ちそうですが、先週のツーリングと合わせてトータル200kmになったので、交差点のところのGSで給油しました。220km÷7.1L=31km/L、今回も30kmを越えました。府道38はバイクにいい感じの道です。ただバスがよく走っています。観光名所だからなあ。右手にかやぶき屋根のレストランのような建物が2棟見えてきました。バスが数台停まっています。左手を見ると、かやぶき集落でした。雨なのにお客さんが結構来ています。団体さんが、案内の方の先導でかやぶき集落内に入っていかれます。
そこでバイクを停め、カメラを持って私も別の道から入っていきました。父の実家がかやぶき屋根だったし、特にどうとは思いませんでしたが、まあ一応パチリ。屋根のかやにコケが生えていて、手入れされてないなあと思いました。トタンぶきの家もありますが、確かにこれだけかやぶきの家が集まってる集落も少ないのでしょうね。でもまあ、住んでおられる方は、外を観光客がゾロゾロ歩く休日は、あまり出は入りしたくないでしょうね。
2時間ほど出発が遅れちゃったので、お土産物屋を覗くのもナシで出発です。小雨ですが、「どうせ雨の中や走るのなら、起きた時にそのまま出てきたら良かったなあ」とちょっと後悔。観光客のバスは、もと来た道を戻って行くのですが、私は琵琶湖目指して東に進みます。ここから道は狭くなっていきますが、京都北山のR477と奈良の洞川県道を走った私には、どうってことありません。あれよりずっとマシです。こちらはほんとに人里離れた山の中です。清流の横を走ります。
山の綺麗な景色や紅葉の景色を写真に収めながら走ります。ほんの5kmほど北に上がれば福井県です。芦生というところで、「こっち京都大学演習林」という看板を見つけました。農学部が何やら研究しているのでしょう。ユキナガさんやゴキさんを研究してるシバちゃんを思い出しました。
「・・高校寮」という建物が道の横に現れました。これは驚きです。こんな山の中に高校の寮が・・・バスなんて走れる道ではないので、どうして学校まで通っているのでしょう。寮の建物の玄関が開いてて寮生は生活してるみたいです。「なんか怪しいです」。帰宅して調べたのですが、「京都美山高等学校」というのが地図にありました。ちゃんとした学校でした。しかもそこに。「あの寮の近くに学校もあったのですね。1学年10名ほどの生徒数で全校生徒30名となっていました。この学校に通学するには、寮に入るしかなさそうです。
このまま行くと、北山を横断するR477に合流するのですが、R477の厳しさは経験済みなので、途中からR367に抜ける府道110・滋賀県道783に左折しました。R477よりマシな道でしたが、車では走りたくない道に変わりはありません。ここで後ろからやってきた2台のバイクに抜かされました。府道38の山の中の狭い下りを走ってるとき追いついて来たバイクのようです。広い直線があったら道を譲ろうと思っていたら突然いなくなったバイクです。喫茶店みたいな建物があったから休憩したのだろうと思ってました。それ以降も、走っては写真を撮るを繰り返していたので、喫茶店でのコーヒー1杯分の休憩時間を追いつかれてしまったようです。
まあ、峡路・悪路になると怖いからゆっくり走るようになるし、特に下りは臆病にスピードを落とします。さっきも今も下りで追いつかれました。抜いてもらってから道が広くなり、それ以降電話をするために止まるまでは、ずっと後ろについて走れました。下りが不得手なんでしょうけど、技術もないのにスピード出したらろくなことはないので、あっさり道を譲るのがいいですね。
道が広くなってきたので電話しようと止めたのですが、まだ携帯電話の圏外でした。12時を回り、約束の午後の出艇には間に合いそうもありません。連絡も取れないのでもう少し走るしかありません。まだアップダウンがあり、京都府から滋賀県に入り県道783になりました。いつまで続くのかなあと思っていると、急に視界が開け、民家が現れました。どうやらR367はもうすぐのようです。
やっとこR367の交差点まで出てこれました。ここで電話を開けます。「おお〜、3本立っています」、圏外から脱出しました。時刻は12:45、もう出艇したかもしれません。艇庫に電話すると、ウエノキャプテンが出ました。でもうまく聞き取れません。ヘルメットしたままです。ヘルメットと耳の間に電話を突っ込もうとしたが無理。「まだ京都の山の中で、まだ1時間ぐらいかかるから、私を待たずに。必ず艇庫には行くから」と、とりあえずこちらの状況をしゃべって、慌ててヘルメットをはずす。
「私の着く頃にレスキューを回しますよ」とのことで、待ち合わせをハーバーに1時間後とする。R367を三千院の方、京都に向かい、R477を琵琶湖大橋に左折し、R161をハーバーに急ぐ。R161バイパス「湖西道路」に乗ろうかと思ったけど、「料金所、面倒だし」と下道でハーバーに向かったが、今日通行料を調べてみると、道路公団が民営化された時に、通行料が無料になってるようです。「料金所がないなら乗ればよかった」。
「びわこマリーナ」にちょうど1時間後到着し、そのままのカッコで船に急ぎます。その前にトイレ。ハーバー玄関でマネさん2人が出艇申告を書いていました。「御免な」と詫びを入れて、練習海面に向かいました。
スナイプはショートラウンディング、470はロング帆走練習後、スタート練習しました。スナイプはイシイ君が最初スキッパーをしていましたが、途中から2回生のセト君がスキッパーになりイシイ君がクルーに交代していました。セト君の基本動作はまだ粗いけど、クローズでスピードに乗せるのは上手でした。どっしり落ち着いて乗っており、将来有望です。
着艇は4:40でした。夏は7時ぐらいまで練習をしていたけど、日が短くなりましたね。船を片付け、6時からミーティングです。全体ミーティングで気付いたことを話し、消防署で無料で受けられる救急講習会のことも話しました。蘇生術やAEDのことを触り、随分前に艇庫に寄付した講習会でもらってきた冊子を持ってきて見せる。
ヨット部ということではなくて、一般生活でも蘇生術は役に立ちます。スポーツ指導者資格もそうですが、きちんとした資格や講習は、「免許や資格を持ってる」以上に、いろんな学びがあります。今まで車の免許に付いてる50ccバイク免許で原付に乗ってきましたが、今年バイクの免許を取って、二輪車のいろんなことを学びました。「別に免許なくても乗れるし、講習なんて受けなくても分かってるし」より、ちゃんとしたプロから教えてもらって免許取って、講習受けて、堂々ともっと深いところで人生を歩んで欲しいと思います。
全体ミーティングの後、今までなら個別クラスミーティングになるのですが、この間に整備の時間が入るようになってました。いつも長い・・・長すぎると思う個別クラスミーティングがあるから、それから整備するのは大変だなあと思っていたのですが、これなら自然に個別ミーティングも短くなりそうで、その後の整備にも、少し手をつけているので入りやすいと思います。ウエノ君ナイスです。
毎回、誰かがいろんなテーマで話をするようにしてるみたいです。この日はウエノ君。サッカー部出身のウエノ君らしくトレーニングの話でした。ミーティングに入る前、みんな体重を計ってました。学校で各自目標設定し、マシンを使い負荷をかけてトレーニングをやってるようで、メニューや基礎体力、体重管理、BMIという言葉がみんなの間に出ていました。自分の味を出してますね。積極的で好感が持てます。

私は、整備の時間でOBで来ていたカナヤ君とともに、お邪魔することにしました。時刻は7時、高速を使ったら8時には家に帰れますが、R161バイパス・R1・R9で亀岡まで出て、R423で池田に抜けるコースを行くことにしました。下道を行くにしてもR171は交通量が多く、バイクじゃ面白くないからなあ。
R9を京都から亀岡まで初めて走りましたが、途中結構急なカーブの山越えがありました。下りカーブでスピードを落とすので、後ろの車が気になって仕方ありません。40km/hまでスピードを落とすと車には遅すぎるようです。この間だけでも、京都縦貫自動車道を走ったらよかった。
亀岡から池田に向かってR423を左折です。ここから極端に交通量が減りました。亀岡池田の幹線道路のはずですが、夜8時ともなるとほんと少ないです。バイクでこんなに遅く走るのは初めてです。街頭がない道路なので暗いです。バイクのライトは車より上についてるから下向きがきついのか、アッパーライトにしないと前方がどうなってるのか分かりません。対向車もアッパーライトで走ってる車が多いようですが、通常アッパー、対向車が来ればロアーという切り替えで走ります。前回通った時は、気持ちよく60km/hで走れたのに見通しのいい直線以外は、50km/hが精一杯です。山に入りカーブがきつくなると、道は片側1車線あるのに40km/h、下りカーブは30km/hです。下りで追いついて来た車を左ウインカーと端走行で抜かしてもらうこと2度。3台も後ろに並んだこともありました。平地の直線区間になると快調に走れるのにね。こけるよりマシです。素人の過信は怪我の元です。池田に近づき、街路灯が道を照らし出すと、ロアービームで快適に、そして快調に走り出しました。ちょっと寒いけど、夜だってバイクは気持ちいいです。
午後9時、琵琶湖から2時間、本日も無事帰宅出来ました。ほとんど乾いたけど、雨で濡れた車体をタオルで拭き、ナンバープレートなど汚れたところを丁寧に。車と違ってかなり小さいから、すぐに全部拭けますね。外でゴソゴソしてる時は、家内の部屋の電気がついてたけど、家に入る少し前に電気が消えました。本日はいつもより早く、9時台にお休みなさったようです。ひょっとして旦那が無事帰ってきた物音を聞いて、安心して寝たのかな?

2008/10/20
日曜日は、午後から神戸で仕事でした。
午前中が空くので、バイクで廃坑になった多田銀銅山見学に行くことにしました。廃坑になったのは1990年代で、奈良の大仏さんの鋳造にここから掘り出した銅が使われたという1000年の歴史がある鉱山です。秀吉が直轄し、今の国家予算を凌駕する秀吉の隠し財宝が密かに埋められているというロマンもあります。莫大な富を生み出すこの鉱山は、徳川の世になっても為政者の直轄領になりました。
今回は我が家のお墓がある兵庫県の猪名川町にある廃坑見学できる場所に行きましたが、この鉱脈の規模はとても大きく、兵庫県から大阪府にかけて無数の坑道があったらしく、いくつもの市町村にまたがっています。
この日のメニューは、鉱山見学後、神戸に向かう途中にある六甲山縦走し、神戸でバイクを停め、ジャケット&ネクタイに着替えて勉強です。神戸の中心部にある市の公営駐車場にバイクスペースがあるようで、初めてバイク用駐車場というところに停めることにしました。時間制ではなく、1日400円と安価です。
ジャケットなどを積んで朝8時に出発予定でしたが、先週購入したこけた時にエンジンなどを守ってくれるエンジンガードの取り付けに手惑い1時間ぐらい遅れてしまいました。朝のお勤め中の読書に夢中になってしまったのも原因です。
エンジンガードというのは、白バイのエンジンの左右についている大きなU字型のバーのことです。バイクをこかすのが日常の教習所のバイクにも大きな物が着いています。「かっこ悪い」と思う人も多いと思いますが、見た目のスマートさより実質に重きを置く質実剛健な感じがなんか好きです。VTR用のはそれほど大きな物ではありませんが、ちょっと引き締まったように見えます。
ジムカーナというアスファルトの広場にポールを立てて、それをくるくる回り速さを競うレースがあるようなのですが、その競技用に開発された物らしいです。
取り付けてから急いで鉱山見学に出発したのですが、操作の邪魔にならず違和感全くナシでした。まず燃料補給です。近所の御用達GSに寄ります。先週の奈良洞川行の燃料費です。トリップメーター272kmで9.05L=30.05km/L。セカンド・サードギア多用の山の中の悪路峠越えを繰り返したのに素晴らしい燃費です。奈良の南までの往復で1330円だって。おっと、1Lが147円になっています。一時は180円まで行ってたと思うのに、一気に下がりましたね。
家から30分走って、いつものお墓への道から逸れます。生活している家もあれば、廃屋になってる家もある典型的な田舎道を10分ほど進むと、町営の銀銅山案内館が現れました。10台ほどの駐車場がある小ぶりな施設です。飲食するところもなく、自動販売機が数台あるだけです。自転車・バイク置き場と思われるところに、先客のバイクが1台置いてあったので、その横に置いてここから歩きです。
中に入ると職員のお姉さんが、「初めてですか?」と声を掛けてくれて、案内図と簡単な説明をしてくれます。中に入れる坑道はここから500mほど、一番奥にある今は入れない坑道がさらに700mほどです。
バイクなので厚着をして来ましたが、とてもいい天気で暑くなりそうです。手に持つのも面倒なので、そのまま我慢することにしました。小さな小川を渡ります。いい気持ちです。川を渡ると「代官所跡地こっち」という看板があったので、寄り道です。立て札が立ってるだけで遺構もなんもなし、ほんまに跡地だけです。
道に戻って先に進むと、「代官所の門」がありました。移築したものらしい。さらに進むと「金山彦神社」、作業の安全を祈願したのでしょう。でもここの紹介を読むと、高額な手当てに惹かれて多くの人が集まり、最盛期にはこの地区だけで数千人が住んだそうですが、危険で塵肺対策もされていない時代のこと、30歳まで生きられればお祝いをしたという短寿命だったそうです。寄り道しながら次に現れたのがお目当ての坑道見学できる「青木間歩」。ちょうど小学生低学年の女の子を連れたご夫婦がこれから入ろうとしておられたので、その上にある廃坑を先に見ることにしました。
猪名川町が施設を建てたときの予想に反して、多くの見学者を集めているそうですが、所詮飲食店もないところで知れています。神戸YMCAの団体さん(小学生20人ぐらいとボランティア学生10人弱)以外は、数人のグループが数組来てるだけです。家族だけの薄暗い坑道見学のお邪魔虫になってもなあ。
上の坑道は、腹ばいになって入るような小さな穴でした。こんなところに入っていくのか・・・あまりに過酷です。写真に収めて戻ってくると、先ほどのご家族が出てきたところでした。上に上がろうか思案していました。結構きつい階段を上がっていかなければなりません。私は交代に「青木間歩(まぶ)」に入っていきました。薄暗い照明が数箇所に点いていますが、やっと立って歩ける程度の高さしかありません。背の高い方だと頭を岩にぶつけそうです。
坑道見学後、内部見学はできないけど、奥の坑道を見に行くことにしました。遠くに団体さんの声が聞こえるだけで、曲がりくねった道には誰もいません。小川の向こうの斜面に、水空気抜きの穴と紹介されている穴が開いています。腹ばいの大きさです。こんなんじゃ、灯りを得るために坑内の酸素を使い果たし酸欠で亡くなる方も相当いたんだろうなと思う。
1990年代まで操業していた日本鉱業作業場跡地を過ぎると、鉱脈が地表に露出している場所です。どこかの学生さんなんだろうか、そこを上って石を拾って写真を撮り、熱心に見ている人がいます。「台所間歩」にやってきました。太閤さんの台所をこの坑道でまかなったそうな。「瓢箪間歩」、太閤さんの時代、ここに鉱脈を発見し、喜んだ太閤さんから瓢箪を贈られたそうな。その瓢箪がいつも掲げられていたとか。とてつもない財をもたらし続けていたというのが分かります。
それよりなにより、秀吉さんの莫大な隠し財宝を今でも探している人がいるのだろうか・・・トレジャーハンター、なんかロマンが掻き立てられます。
帰り道、さすがに暑くなってジャンパーとバイク用ジャケットを脱いでしまいました。下に着てるトレーナーはバイクに乗っても必要なさそうです。ブラブラ歩いていると、小川でYMCAの子達が学生ボランティアさんと一緒にはしゃいでいます。「沢ガニいるよ」「あっちから降りれるよ」。いくつかのグループに分かれて行動しているようです。
銀銅山案内施設「悠久の館」に戻ってきました。中からしきりにこちらを見ている方がいます。「ボランティア案内人」さんです。定年退職された年齢の思われる男性が3人、手持ち無沙汰にしています。あと30分遅く来れば、案内人付きで見学できたようです。すれ違う人には「こんにちは」と挨拶するけど、話し相手がいるとさらにいいですね。ボランティアの方も、当番が楽しみなのかもしれません。見学など全部無料です。田舎らしいアットホームな温もりを感じられた坑道見学でした。
相変わらず予定より1時間遅れです。六甲山で休憩するのはナシになりそうです。広い国道を川西市まで戻るのも味気ないので、武田尾に向かう細い道に入ります。途中トラックなどが通れない道幅になるので車は少ないです。車では通りたくない道です。前回ここを走ったときに気付いた「新名神がここを通るよ」の看板がたくさん目に付きます。今の名神の西の終点は西宮で神戸までありません。でもここを通るなら六甲山の北側だけど、一応神戸市が終点になりそうです。
武田尾まで行く途中で、宝塚に抜ける道に左折します。宝塚の山を越える道ですが快適な道です。道の横の畑ではお豆さんが栽培されているようで、丹波の黒豆ののぼりがいくつもはためいています。観光農園風の場所があったり、しばらく走ると直売所があったり。宝塚の山の日本海側は丹波といえば丹波だからなあ。でも本当はもうちょっと北側だと思うんだけどな。
宝塚市内に出て、次は六甲山縦走コースに入ります。逆瀬川から上っていきます。ロードバイクの方が、きつい坂を人力で上がっています。12度の坂は時々あり、最大15度ぐらいだと思います。六甲山最高峰近くにある一軒茶屋が近づいてくるとハイカーさんも歩いています。曲がりくねった道なのでスピードは出せませんが、結構広がって歩いている団体さんもいるので、速度注意です。
11時半を回っているので、一軒茶屋さんのところには人が結構います。ここでちょっと休憩の予定でしたが、時間が押しているのでパスです。ここから植物園やスキー場のなる六甲山での一番の繁華街までは標高差があまりなく道がくねくねしています。ハイキングコースが何箇所かで横切っています。ガーデンテラスで下界を写真に収める予定でしたが、これもナシです。車1台分の自然に出来た駐車場がポツポツあります。いい雰囲気になったアベックさんが夜な夜な下界の夜景を見てさらに盛り上げる場所です。車1台分というのがミソです。そこでちょっとバイクを止め、写真を撮りました。今日は晴れてるのに、あまり綺麗に大阪湾が見えませんね。丁字ヶ辻で左折して神戸の町に下りて行きます。ここの交差点で、西から来たバイクが3台続けてUターンしていきます。「やってるなあ」ここから西が西六甲ドライブウェイです。バイクのワインディングに最適なカーブが連続するのでしょう。バイク小僧さんたちが集まります。私のようなトコトコバイクは、よっぽどの用がない限り通らない方がいい場所です。
神戸大学の横を通って、もうすぐ2号線ですが、2号線を走ってもつまらないので、右折して新幹線の新神戸駅に向かいます。新神戸駅から神戸市内に下りて行きます。目指す神戸市立南駐車場は、フラワーロードの市役所の南に隣接する花時計公園の地下でした。チケットを取る入口が2ヶ所あり、2輪用は車が入れないように狭くなっています。出口も2ヶ所あり、バイク専用清算機があります。清算機と言っても料金は1日400円で一律なので、計算は簡単ですね。
勉強を終わったのが4時、映画が始まるのが6時過ぎ。また家内と映画館前で待ち合わせ、「PSアイラブユー」を観ます。一旦自宅に戻りバイクを片付け、プロテクターを脱いではずして、ラフな格好に着替えて映画館に急ぎます。車では途中の渋滞で間に合わないかもしれないのでスクーターで出発です。
チケット売り場に着くと、家内がソファから歩いてきます。お出かけの服装で、いつもながら際立っています。「う〜む、美人です」。2週間前一緒に観た「最後の初恋」よりお客さんが入っていました。それでも大阪や神戸のような都会ではないので、座席の1/10ぐらいの入りですが。なかなかいい映画でしたが、家内には今一だったようです。テンポが早すぎたのかな。テンポの早い映画だと、いつも「よくわかんない」と言います。8時を過ぎたので、このあいだ食べたお店で夕食を食べて帰ることにしました。食後、家内はバスで帰らないといけないので、一緒にバス停まで歩き、私だけ映画館まで戻ってバイクで帰宅です。途中燃料とオイルを補給しましたが、家内の帰宅の方が早かったです。すぐにバスが来たのでしょうね。

2008/10/14
日曜日は、バイクで奈良の山の中、洞川(どろかわ)まで行ってきました。
奈良の南、吉野のさらに南というと遠い感じがしていたのですが、調べてみると片道100kmほど、兵庫県のスキー場に行くより距離はありません。2週間前、京都の北山、琵琶湖半周でバイクで200km以上走れたので、行けそうな感じがして、長距離2度目の挑戦をしました。
難題は奈良との間にある大阪府をどう切り抜けるかです。街中の道路で時間を食うとそこで疲れてしまいそうです。そこで初高速道路に挑戦することにしました。車はETCで楽なのですが、ETCナシのバイクで料金所をどう短時間で通過するかと、100km/sなんてとても出せそうもないので、追い越される車の風圧とまともに食らう風をどう対処するかが問題です。料金所はクレジットカード利用し、現金の受け渡しを回避。他車や風はどうにでもなれです。前夜、一応のルートを地図で確認し、荷物の用意をして就寝。
朝、5時半に目が覚めました。バイクは寒いので、タイツをはき、膝とすねを保護するプロテクターを付けてズボンをはきます。膝から下はこれでそうとう暖かいですが、これでも寒かったら雨用カッパ着用です。上半身は下着・長袖シャツ・トレーナー、その上にプロテクター入りバイク夏用ジャケット、その上に首の上までチャックがあるジャンパーです。
バイク便ボックスをリアキャリアに取り付けて、一眼レフなどの荷物を入れて出発です。まずGSに寄りガソリン補給です。1回目給油で街中燃費27km/Lが、琵琶湖長距離で伸びたのでしょうか?結果は、268km/7.63L=35.1km/Lでした。目標の30km/Lを楽々クリアです。電車で琵琶湖まで1000円ちょっとなので、これはかなり安上がりです。
GPSを洞川にセットして6時出発です。いきなり阪大前の中国道から高速利用を指示してきますが、朝で交通量も少ないので吹田までは下道利用です。近畿道吹田から初高速道です。時速70km/h上がると、風圧が60km/hの時よりぐっと強まる感じがします。80km/hにしてみましたが、これは我慢の世界なので80km/h弱で巡航しました。交通量が少ないのでマシでしたが、4輪車はみんな速いです。対抗車線のバイクを見ていると、流行ってるリッターバイクなのか、カウル付きのかっこいいバイクが、追い越し車線をバンバン走っています。数台が列になって走ってたりします。一発免停になるであろうスピードで追い越し車線を4輪を圧倒するスピードでかっ飛んでいくバイクもあります。あんな芸当は、250ccのVTRでは無理そうです。時速の割りに直線では片手運転でも平気なぐらい安定していますが、80km/hで5000回転超えてるし、エンジンがかわいそうです。
松原ジャンクションを越え、美原ジャンクションで南阪和道に入ります。こんな道いつのまに出来たのでしょう。初めて走る道です。バイクGPSの弱点に気付きました。GPSお姉さんが何か指示していますが、風の音で聞き取れません。頭を伏せてGPSの入ってるタンクバックに近づけますが無理です。そこでお姉さんが何か言い出すとGPS画面をチラ見して、右左折の時大きく出る画面を見て運転します。
五條市で高速は終点で、今度は国道309に右折です。桜の名所吉野の山はここら辺です。近いですね。ここから奈良の南から和歌山まで続く山岳地帯に入ります。道はワインディングしながら峠を越え、次の平地・山・平地と山の中に入っていきます。信号もほとんどないし、バイクでカーブを切りながらなかなか楽しい道です。長いトンネルを2つ越えて天川村に入りました。バイクで初めて長いトンネルに入りましたが、トンネルが暖かいのを体感しました。トンネルは光源が乏しいので暗いですが、暖かいのでホッとします。冬はさらにそうなんでしょう。そして夏は涼しいのかもしれません。
ここまで来ると、洞川は天川村村内なのでもうすぐです。国道309はもっと東の大台ケ原に向かって伸びていますが、ここで洞川地区に入る県道21に乗り換えです。山道を上っていき虻峠のトンネルを抜ければ洞川地区です。車の離合がしづらい道ですが、今は車があるから楽です。だけど、徒歩に頼っていた時代ならホント山の中の孤立地区です。小さな洞川地区を低速で回り、大体の位置を頭に入れます。大峰山龍泉寺という大峰山山岳修行の中心のお寺があり、そこに参るお客さん目当ての駐車場の番の人が、まだ8時半なのにそこここに出ています。これ幸いにバイクの駐車場を聞くと、村営洞川温泉駐車場を教えてくれました。「バイクは無料だよ」親切な方です。
教えてもらった村営洞川温泉駐車場にバイクを入れ、タンクバックをリアボックスにしまい、一眼レフを持って歩きのスタートです。今回の洞川での目的は、龍泉寺・鍾乳洞・つり橋・女人結界です。バイクは初高速道路、県道48のコンクリートで固められていない素掘りのままの小南峠トンネル、自転車ロードバイカーが気持ちよく走るという五番関トンネルのある道を走ることです。
洞川中心を流れる天川は綺麗に澄んでいて、形のいい鮎?山女?が泳いでいます。橋に出て川を写真で撮ってると、アベックさんから「写真、撮ってくれませんか?」とカメラを差し出されました。お安い御用です。いいねえ、家族作りはこれからですね。一役買えて光栄です。
叫び声に近いお経のような声が聞こえてきて、その方に歩いて行くと龍泉寺境内に入りました。そこで見たものは・・・境内にある浅い池の人工の滝の前で肩まで浸かって一心にお経?修行の掛け声?を唱え、手に持った鳴り物を鳴らし続ける男子5人。多分みんな20代です。唖然としてそこに近づくと、「本修行だよ」と教えてくれる白い法被を着た方がいました。同じような法被の男数人が、池の周りから長いひしゃくで池の水をすくい、5人の男達に向かって投げかけています。「まだ10月とはいえ、途方もなく寒いでしょう」。修行が終わり、上がってきた男子を見て分かったのですが、ふんどし一丁ではなくて、タオル一丁でした。前はどのような状態か確認しませんでしたが、修行を見ていたうら若い女子2名の前を堂々と歩いてお堂の方に帰っていかれました。煩悩を超越して、女子など目に入らないのかもしれません。
さすがに歩いている後姿は写真に撮りませんでしたが、修行中の姿はしっかり収めさせてもらいました。こういうタイミングでここにいたとは、とてもラッキーです。
龍泉寺までの道にあった鍾乳洞の看板に沿って山を上がっていきます。すぐにモノレールトロッコがありました。上り5分300円・下り3分200円です。今まさに出発するところで運転手のおじさんが子供さんにヘルメットを被せています。定員は4人で、既に10人近く待っています。歩いて10分だから歩きの方が早そうですが、かなりの急勾配を一直線に上がるトロッコに乗ってみたくて待つことにしました。山の中の杉などを写真に撮りましたが、時間が余って余って、家族連れの話を聞きながら時間つぶしです。30分ほど待ってようやく乗車します。大人も子供もヘルメット着用です。転落した時用かと思ったら、おじさんが「上から枝とか落ちてくるからね」とのこと。この日は風はないですが、風の強い時は確かにそうなるでしょう。両手を使って歩いて上るのも大変なような急斜面をゆっくり確実にトロッコは上がっていきます。モノレールなので、遊園地で小さな子がお母さんに手を振って喜ぶ機関車みたいですが、ギアが噛んで後退しないようになってるのか、おじさんが乗ってる前の動力車が自力であがって行きます。木を切るチェーンソーのような音を出しています。紐引っ張ってエンジン掛けてるし。
鍾乳洞の入口に着きました。洞川の集落を見渡せ、遠くの山々も綺麗に見えるビューポイントです。100円の双眼鏡が2台あるし・・・まあもう私の年齢では興味も湧きませんが。多分今一なんだろうな、と思って入った面不動鍾乳洞は、期待に違わぬ今一で、この鍾乳洞で発見されたと但し書きされている「カワウソの骨」なるものが溜飲を下げるだけでした。が、これとて本物かどうか・・・カワウソの骨を見たことある観光客もまあ少ないし、「カッパの骨」と銘打たないだけ信憑性があるかなと。
前に歩いていた家族が、前日に観光したもう一つの五代松鍾乳洞の方がすごかったねとしゃべってるのを聞いて、やっぱ向こうの方が良かったかと後悔しました。子供が小さかった頃なら迷わず、「じゃあ次行くぞ」と宣言したでしょうが、おっちゃん一人で鍾乳洞の梯子なんてかっこ悪いぞよ。
鍾乳洞を出て下りを歩き出すと、次の目的地「みたらいつり橋こっち」という道案内がありました。けもの道に等しいですが、そちらに入っていきます。誰も歩いていません。杉林の中を縫って道は走っています。まるで階段のように根が道を横切り、うっかり根に乗ってしまうとツルっと滑り危ないです。下に滑るとすう数十メートルは落ちていくような道です。「みたらいつり橋」まで歩いて25分ぐらい、誰にも会いませんでした。それをいいことにマーキングをしておきました。
「みたらいつり橋」は、長さ120mだそうです。幅は2mぐらいでしょうか。ワイヤーで四方を吊られ、下は全面に板が敷いてあります。道や渓谷を渡って対岸の山に架かっています。横と天井は網に覆われ、動物園の鳥かごの中を歩くようなもので、高所恐怖症気味の私にでも平気で渡れそうです。意気揚々と渡り始めましたが、これが直前の予想とは大きく違い、とても恐ろしい。膝から下がスーッとしていきます。いつものことながら、血の気が引いて行ってるのかも知れません。
自分の歩みでつり橋が微妙に揺れ、「揺れるな」と言っても止まりません。慌てて左端に寄って、横の金網を持ちながら歩くことにしました。しかしビビッてばかりいては男が廃ります。片手で金網を持ちながらカメラでパチリ。眼下の沢をパチリ。ゆっくりながら渡り終えました。
橋を渡る前の案内板には、この先は山頂展望台となっていました。この橋をまた戻るのはかなわないなあと思い、渡ったところの案内板を見ると、天の助けか、展望台の他に「キャンプ場こっち」となっています。朝一番にみた沢沿いに点在していたキャンプ場の一つに行けるのでしょう。「助かった」。
さらに山の頂上を目指す「山頂展望台こっち」の道は無視し、下りの道を選択。キャンプ場らしきものが見えてきたとき、学生風4人組男女とすれ違いました。「ぺこり」「こんにちは」「あ、こんにちは」、あの恐怖の後に初めて会った人なのでペコリとすると、きちんとした挨拶が・・・不覚、ちゃんと挨拶しなくちゃね。キャンプに近づくと今度は家族連れが上がってきました。「こんにちは」、挨拶を交わすというのは気持ちがいいです。
天川を渡り、やっとこ朝走った道路に出ました。大分歩いてきたので、ここからバイクまで帰るのに20〜30分かかりそうです。いい天気で日差しが出てきたのでできるだけ日陰を選んで歩くが、バイク乗り仕様なので暑いです。トレーナーとバイクジャケットは脱いできたらよかったと思いながら、ジャンパーとバイクジャケットを脱いで手に持つことにしました。歓声が耳に入り上を見上げると、決死の覚悟で渡った吊り橋をさっきの家族が渡っています。前を行く男の子は走ってるし・・・バカなことをしちゃいかんぜよ!
ここは水が豊富です。家々の軒先には、山から引いた水なのでしょうか、簡易の水のみ場のようなものが作られており、常に水が流れている。その下には木製・ポリ製・石作りの水桶があり、そこからの水があふれている。それを誰が飲んでもいいように、水のみひしゃくまで置いてある。修行の村の無償奉仕なんだろうか・・・きっと昔からそうなんでしょうね。
ここは、胃腸薬の陀羅尼助丸の本場でもあります。「陀羅尼助丸」の看板を掲げたお店が軒を連ね、山岳信仰・山岳修行者向けの旅館も並んでいる。それらが並ぶ道を下り、バイクを置いた村営温泉に戻ってきました。時刻は11時半、お昼にしましょう。一応パンとお茶は持って来ていますが、清流脇のお店に入ります。
「柿の葉寿司定食1100円」を注文し、あまりのうまさに「テイクアウト柿の葉寿司1050円」をお土産に買いました。お昼前だというのに、清流脇のテーブルは埋まっていました。4人掛けテーブルなので、1人の私はそうでないところの方がいいですね。おいしく食べていると、続々とお客さんが入ってきます。入ったときは誰もいなかった道路側の間もいっぱいになり、待ってるグループも出始めたようです。ここは靴を脱いで座敷に上がるので玄関は見えませんが、食事を終えてさっさと交代しなくちゃね。
玄関で会計をしていると、バイクジャケットを着た男女2人が入ってきました。「今日は下見なんだけど、16名の予約は出来ますか?」などと聞いている。どこかのツーリンググループのようです。バイクが縁で知り合った人が、自然発生的にグループに発展しているのが多いのだろうと勝手に思ってる。仕事の他に趣味の仲間を持つというのはいいことですね。煮詰まった時に1つのグループだけしか持っていないと苦しくなるが、いろんなグループを持っているとしぶとい生き方が出来るように思います。
一応、洞川での目的はみんな達成したので、バイクの目的を達成しながら帰路につきます。12時半、出発。まずは県道48号の素掘りトンネルです。鍾乳洞看板の前を通り、大峰山龍泉寺前を通り、みたらい吊り橋の下を通って北上、下市方面に向かいます。短い中央に白線の通るいい道を過ぎるといきなり道は狭まり、山道に突入です。前にワゴン車と乗用車がいるので、ゆっくり進みます。この時点で車の離合困難な道の中央はコケが生えています。どうやらこの道は、京都北山の国道477より厳しそうです。でも、後ろからタンデムアメリカンバイクも追いついてきて合計4台なので安心です。前の乗用車が脇に止めてバイクに道を譲ってくれます。別にいらんのに。後ろについていたタンデムアメリカンもUターンしたのか、いつの間にかいなくなりました。
コケと小石が転がってる道路中央は鬼門なので、左右の轍を注意深く選びながら走ります。そして目的の小南峠トンネルです。前のワゴン車と車間距離を十分開けてゆっくり進入です。入口はコンクリで固めてありました。ここで止まって写真を撮ろうと思っていたのですが、道幅と道路の斜度があり、とても停められません。ハンドブレーキというものがないバイクは、こういうところではギアを入れて車輪ロックして停めるのだろうけど、次にエンジンを掛けるときニュートラルが絶対必要です。足で踏ん張る技量があるかどうか疑問なのでやめときました。
コンクリは入口の数メートルだけでした。中はゴツゴツした岩肌丸出しです。ぼこぼこ出っ張ってるので大きな車だと気をつけないと普通に走っててぶつけてしまいそうです。うちのワンボックスでは絶対ここには来ません。もちろん灯りは全くありません。出口の明かりが見えない夜なんか、どれだけ怖いのだろう。
トンネルを通過すると、先頭のワゴン車がわずかに道が広がったスペースで止まって追い抜くのを待っています。先が不安なんでしょう。それとも写真撮るの?ここで何度か切り返しをして帰って行くのでしょうか。調べたところによると、この先の方がもっと厳しいからここでUターンした方がいいと書かれていた。「僕がここでUターンしようと思ってたのに〜」。仕方なく単独走行になり、次のUターン出来そうな場所を探そう。
道路脇の木が切れたところから山々が綺麗に見渡せます。「写真に収めたい」、でもこんなとこで停められません。書いてあったように洞川側より厳しい道になってきました。随分走ってやっとこUターン出来そうな場所を見つけストップしました。それでも平地というわけではないので何度か切り返しをしないといけません。作戦を考えているとタンデムバイクが追い抜いていきました。アベックなので止まって景色を楽しんだりしてきたのでしょう。
まあそんなことはどうでもいいです。こっちは如何にこかさずにUターンするかが当面の問題です。またがったまま何度か切り返しをしていると、なんとさっきの乗用車が来ました。「うそ、Uターンしたんじゃないの?」。さらにその後ろにはさっきのワゴン車も。僕のバイクが邪魔で抜けません。衆目の中、えっちらおっちら素人丸出しで(そうなんだけど)切り返してボテッとこけるのは、ダンディーを旨とする僕にはかっこ悪すぎます。ここはいかにも「景色観てました」風に何気なく出発するしかありません。本音は「うへ、Uターンせず行くしかないやんかあ〜」です。
結局先に進むことになりました。上り坂はバイクの方が速いけど、下りは車のほうが速いです。向こうは4輪なので、コケや石を踏んでスリップしてコテンがないだけ楽です。2台の車を従えてゆっくり進みます。本当は道を譲りたいのですが、斜度があり安全に道の端に寄せて止められるか不安です。なんせ道幅が狭いからねえ。
さらに進み、コンクリの建物が見えてきました。送電設備なのか公共のような建物のようで、その門前はコンクリが敷かれているスペースがあります。もうかなり下ったようで、多分もうすぐ下市という感じですが、ここでバイクを止めて車に抜いてもらいます。エンジンを切って深呼吸。落ち着いて横を流れる沢で開放感たっぷりにマーキング。誰もいません。ただ沢を流れる水の音だけ。写真を数枚激写。
このまま下市まで下るか、当初の予定通りUターンして、ロードバイク快適道を走って大台ケ原側の国道169に出るか・・・時間はまだ十分あります。ここはコンクリなので簡単にUターンして再び上り始めました。30分ほど走って再び素掘りトンネルです。ここまで1台も対向車と出会いませんでした。全くの単独走行というより孤独走行。あの4台が県道48を通る午後のラッシュだったのでしょうか?もう夜に向けてこの道は静まり返るのでしょうか?
VTRのライトは1灯で車ほど四方を明るくしません。トンネル自体はたぶん200mはないので向こうに出口の明かりが見えるからいいけど、ライトに照らし出される側壁の岩のゴツゴツはかなりハードです。無事通過し、洞川のセンターラインがある道まで下りました。結局ここまですれ違う車もバイクもナシでした。
再び洞川地区を走り、今度は女人結界のある道に入ります。ロードバイク快適道の入口発見です。ここから先はGPSの地図にはない道路です。入口には、建築現場の入口に置かれている黄色と黒のまだら柵が開いており、「道路閉鎖解除中」の案内が架かっています。ということは、閉鎖中の方が多い道路なのかもしれません。車輪の細いロードバイクで人力走行できるぐらいだから、さっきの県道48より随分ましだと思っていたのですが、こっちもハードそうです。
この道、GPSに載っていなくてもなかなか快適でした。景色はいいしいい感じです。でもここでとうとうやってしまいました。気持ちよく走り、五番関トンネルを出ると正面に素晴らしい景色が見えました。大きな観光看板もあるのでスピードを緩め、看板の前の道路が広くなったところで止めることにしました。看板を見ながら、乗ったまま左のスタンドを出して・・・いえ、出したつもりになって、バイクを左に倒していきました。あれっ、スタンドが・・・「ボテン」、バイクを倒してしまいました。30年乗ってきた原付を含めて、バイクを倒したのは初めてです。「うそ、何か壊れた?」と立ててからじっくり見ます。クラッチレバーの先っぽがちょっとギザギザ、ギアチェンジペダルが少し曲がってる。それ以外は大丈夫みたいです。ギアペダルはウンショと力を入れて元通りです。教習所でバイクが倒れると先生が慌てて走ってきてバイクを立てて、エンジンを掛けてみるシーンを何度も見ました。先生に聞くと、バイクは転倒すると簡単にオイルが漏れたり、エンジンがかからなくなったるするもののようです。原付ではそんなことないように思うのだけど、確かに教習所で倒れたバイクの後に液体がこぼれていたりしたもんね。
気をつけていたのに・・・「エンジン架かるかなあ?」一発で架かりました。ギアも普通に入るみたいです。気を取り直して写真を撮り、出発です。ここからは大体下りで、国道169川上村に合流しました。ここでGPSのお姉さん復活です。GPSにない道を走ってたときは、お姉さんは無言でした。
南に30分も行けば大台ケ原ドライブウェイのはずです。大台ケ原は次回にして、道路脇に止めてここで帰路の確認です。ここから2時間ほどで自宅まで戻れるらしい。「ほんまかいな」。まあ自宅から洞川まで2時間半だったから、そんなもんですね。右の大滝ダムを見ながら走り、長く暖かいトンネルを抜けると急に車が増えてきました。
少し信号渋滞の発生する川沿いの国道169を走り(まあ信号があれば一気に前にいけるから時間ロスはあまりないけど)、一旦バイパスのような道を走って再び169に合流。近鉄の駅に沿うように道路は走り、ここは渋滞していました。止まってる車を尻目にひょいひょい前に出て行きます。ここは明日香のようです。どうりで観光客風の若い女子が歩いているはずです。GPSの告げる大きな交差点左折の指示に従い曲がると、一気に快走路になりました。そのまま道なりに朝走った南阪和道路に乗り、近畿自動車道で一気に吹田まで帰ってきました。
クレジットカードでの高速料金決済に慣れてきました。高速走行にも少し慣れたような。朝と違うところは、交通量が増えたことと、風が強かったことです。風は難儀だったけど、まあこけそうな感じはしませんでした。でも80km/hが250ccバイク巡航安全走行では限界の感じがします。大型バイクが爆発的なスピードで抜いて行きますが、タイヤの太さも違うしエンジンパワーによって体感速度はきっと低いと思う。安定して走ってる感じがします。

2008/10/6
金曜日、映画「最後の初恋」を観てきました。ニコラス・スパークスさん原作の映画です。スパークスさんは、ラブストーリーをゆっくり静かに、そして永遠にしてしまう作品を年に1作品ずつ出されています。女性が好む作家かもしれませんが、今まで出された作品のほとんどを読んでいます。毎年末になると、今年のは出たのかなと探しています。
今年は、映画館で見たこの映画の予告編に「君に読む物語の原作者が・・・」という文字を見つけて、「あれっ、もう出たの?いきなり映画?」と驚きました。私は「君に・・・」より「メッセージ・イン・ア・ボトル」や「ウォーク・トゥー・リメンバー」の方が好きだけど。早速原作を、御用達の本屋さんに注文し届きましたが、映画を先に観ようと手をつけませんでした。興行的には今一そうなお客さんの入りでしたが、とてもいい映画でした。隣で観ていた家内も「良かった」と言ってました。

日曜日は生憎の雨でした。でも船に乗ってきました。手伝ってる大学ヨット部の4回生、引退したばっかりの子達と約束していたからです。週間予報で出ていた雨マークが、土曜日の時点で夕方まで曇りマークになっていたので、日焼けの心配も少なくなるし最高かな?と思って起きた朝、なんとかすかに雨音が聞こえているではありませんか。雨か・・・出鼻をくじかれ、グズグズゆっくり用意していると、約束の時間ギリギリになってしまいました。家内の作ってくれた讃岐うどんを食べて出発です。
バイクで行くことも考えましたが、ハンドルアップの為にバイク屋さんに預けていてありません。彼らに貸すカッパもあるので荷物が多く、車で出発です。ハーバーのいつもの場所に停め、重いバッグを持ってボッチラボッチラ駐車場を歩いていると、マネさんのみさと車が入ってきました。あきら君となおこさんも乗っています。待ち合わせ時間の10分ぐらい前だったので、待ってるかなあと思っていたのですが、大丈夫そうです。でもこの時間では、前もって船の準備は出来なさそうです。
トイレに行き出艇申告をしていると、シキちゃんがやってきました。残るタビト君はバイクで京都から来るそうですが、何故か西宮で迷ってるそうです。京都からならR171で真っ直ぐきたら突き当りがこのハーバーなのに、どこでどう間違ったのだろう。
みんなが揃って出艇です。相変わらず小雨が降っており、どんよりした空を見ると風もあまり期待できないかなあ。予想通り、カッパの用意が十分ではないようなので、5人全員に貸しました。家から持ってきたバイク用2・船に乗せてあるの1に、車に乗せっぱなしになってるの2です。風さえあれば、雨は関係なく楽しめますが、濡れて不快だったら楽しめません。風邪も引くしね。
あきら君ドライブで、北の風でジャイブを返しながらランニングで神戸空港を目指します。4ノットほどで進みます。空港連絡橋の下をくぐるために少しのぼり西に進路を変えると、埋立島のブランケットが切れたところから、4〜5m/sの六甲山からのいい風が入るようになりました。再びブランケットゾーンに入り橋の下をくぐります。たびと君に交代。前方に潜水艦が浮いています。上には人影が見えます。これは絶好の標的です。洋上に浮いて止まってる潜水艦なんてなかなかお目にかかれません。風が落ちてしまったようで橋をくぐっても艇速が伸びません。そしていると、この船から逃れるように、神戸港の中に入っていってしまいました。三菱にでも点検に入ったのかもしれません。もう少しだったのにな。
ジャイブを返して、空港島を回る進路に変更です。大阪-明石海峡本船ルートの北を東に向かいます。ここは南に下げられないので、いつも空港島のブランケットで風が弱いです。その上に風がさらに落ちたようで、1ノットも出ません。空港島を抜ける東の海面は少し黒いようで、あそこまで行けば風があるかもしれません。ということで、エンジン始動。一気に6ノット強で走り出しました。本船航路右前方から大型帆船がやってきます。海王丸か日本丸のようです。数枚のセイルを上げているようですがエンジンも掛けているのでしょう、結構スピードが出ています。
離れていますがそれとすれ違いブローゾーンにやってきました。やはり風があります。5〜6m/hの風でいい感じでヒールしますが、安全のためジェノアを1/3ほどファーリングし、メインを1ポイントリーフしました。日頃ティラーを握らないマネさんにステアリングを持たせているから、はっちゃきになって走る必要はありません。ヨット操作の面白さを楽しんでくれればOKです。いつでもサポートできるように横にいましたが、その横顔はジェノアのラフとマストトップの風見を見ながら真剣です。交代でステアリングを握ってもらいましたが、すぐに慣れて楽しそうです。
メインシートトリマーは、プレイヤーに任せました。アキラ君はステアリングしているミサトさんに、丁寧にいろいろ教えています。ヨットだけではなく、何事でも女子に対して優しそうです。タビト君トリマーは、マネさんへの優しさからかブローでヒールが入るとすぐにシートを出しています。ひょっとして本人がヒールにびびってる?彼はひょうきんで、愛すべき性格をしています。「びびってるやろ」とからかいながら、もう少しシートを引き気味にしてもらいました。
メインシートをしっかり引かないと上り角度が取れないし、シートが頻繁に動くと、ヘルムが小刻みに変わり、素人ヘルムスマンには操作がしづらくなります。これで上り角度がよくなり、船が安定して走り出しました。マネさんのステアリング操作も小さな動きになりました。
西宮に向け、クローズで上って行きます。IMSのレースがいつもの場所でやっていたので、レース海面に近づいてレース艇の迫力とスピードを見てもらおうかなと思ったのですが、六甲から神戸にかけての埋立地から離れると波が大きくなり、時折バウで切った波のしぶきが一番バウ側に座っているアキラ君にかかります。徐々に上がった風は10m/hほどになってきてるので、波の小さい埋立地近くでタックを繰り返します。
赤灯台を越え、西宮港内に入るとディンギーがたくさん練習しています。大阪大学が練習してたので近づき、両クラス全日本予選を通過して来月の全日本に向けて練習している同回生に声を掛けています。甲南などの練習を避けてタッキングしながらディンギーヤードの方の出入口からハーバーに戻りました。
帰着は3時半、船を洗ってヨットクラブレストランでお茶にしました。船に乗ってから何度もパンやおにぎりなどを食べていたアキラ君は、カレーを注文しました。よく食べます。他はみんなジュースやコーヒーです。富山県羽咋市での8月全日本予選合宿の話を聞かせてもらいました。アキラ君の親戚ルートで元海の家を1軒1ヶ月間借りたそうです。ハーバーにも近く宿泊費が大分浮いたそうです。この夏の3週間は、生涯記憶に残る体験だったのではないでしょうか。
タビト君は、年明けからアフリカに行くそうです。NGOのボランティア活動に参加するそうですが、どんな体験をしてくるのでしょう。土産話が楽しみです。案外現地に溶け込んで帰ってこないかもしれませんけど。彼のキャラクターなら、どこでも好かれる感じがして、そして何処でも暮らせる強さを感じます。就職するマネさん達も慣れ親しんだ京都みたいなので、頻繁に艇庫に顔を見せるんじゃないかなあ。
引退してからみんなで集まったのは初めてらしく、話題が3月の「追い出しコンパ」に移りました。このクラブの追い出しコンパは、どの学校にもあるOBと現役が集う追い出しコンパの後、卒業する4回生プロデュースの翌朝までの徘徊があります。去年は卒業生が多かったからか、お金のかかった豪華なフランス料理・中華・寿司のコースだったそうですが、今回はお金をかけずに自分達らしいのをしたいそうです。
彼らが1回生の時は、ター君が卒業した時ですが、1部屋借りて壁に写真や絵が飾られ、歌はもちろんいろんな楽しい趣向が凝らされ強く印象に残ったそうです。マネさん2人が京都造形大学だったので、出来栄えのいい手作り感が良かったそうです。2回生の時は、人力車車夫のバイトをしているナカシマ君コースでは、手作り人力車にコタツを積み込み、部員4人を乗せてナカシマ君が真夜中の京都の町を引っ張って走ったそうです。これは完全に怪しいですね。そして警ら隊に捕まったというオチまで付いたそうです。やるなあナカシマ。
レストランのテーブルで、あ〜でもない、こ〜でもないとアイデアを練っていましたが、来年はどんな追いコンになるのでしょう。覗いてみたいけど無理だろうなあ・・・。タビト君が熊野寮の住人だということを初めて知りました。吉田寮ほどではないけれど、1ヶ月700円の賃貸料だそうです。安い〜。タビト君に続き、今では4人ほどのヨット部員が暮らしているそうです。
6時に家に戻り、ハンドルアップが終了したバイクを引き取りに、小雨の中バイク屋さんまで歩きました。2cmほどハンドルがアップし、クラッチを少し上向きに調整してもらいいい感じで帰ってきました。再び家に戻ると、ちょうど家内の帰宅と一緒になりました。大阪に行ってた家内はご機嫌で、来週はまた大阪のホテルだそうです。その行事にオプションで付いてる京都金閣寺などへのツアーや、「六なんとか?」とかいう有名な京都会席料理のお店の話をしてくれました。家内とのミニツアーは来月に入らないと無理そうで、今度は下鴨神社から金閣寺にかけての北大路通、自転車散策を予定しましょう。秋の紅葉シーズンになり京都が混む季節ですね。


2008/9/30
土曜日、店のあるマンションの理事会で11時ごろ家に戻ると、ちょうど次男君が荷物を降ろしているところでした。東京のコンペに出品した卒業製作作品を車で持ち帰りました。昼過ぎに向こうを出て、2時間休憩を挟んで8時間で帰ってきたようです。
夕食を食べながら話していると、今回の卒業作品展には全国から2000以上の応募があり、最終選考に残り作品を展示できたのは50数作品だったそうです。大阪の朝日放送のコンペにも出品し、こちらも最終選考に残ったのですが、どちらかにしか出品出来ないので、1等50万円の朝日放送を降り、1等200万円・2等50万円で審査員の顔ぶれも断然上の東京のコンペにしたそうです。
「制作費ぐらいは取り戻したかったんやけど、賞にはかすりもせんかったわ」と笑っていましたが、このチャレンジ精神と、今年度大学〜高専の卒業作品のトップ50に残った技術は、わが子ながらもう尊敬の対象でしかありません。「すごいなあ」と何度も言ってしまいました。ナシをむいて持って来てくれた家内にそのことを話すと、とても嬉しそうにしていました。
1等1作品・2等3作品に入賞していたら、作品の著作権は主催者に渡り、作品も帰ってこなかったそうなので、案外賞にかすらなかったのがよかったかもしれません。作品はまた戻ってきて、将来次男君の子供達が目にする機会があるかもしれません。その大きさと出来栄えにビックリすること請け合いです。

日曜日は、初めてバイクで長距離を走りました。
何を思ったか二輪免許を取るために教習所に通い始めて3ヶ月、250ccバイク購入してから1ヶ月、とうとうバイク・ツーリング・デビューです。教習所で400ccバイクの軽快さと力強さ、そしてバイクギアチェンジの楽しさに目覚め、バイクで淡路島を1周してみたいと思うようになりました。
購入して今まで、自宅とハーバーの往復など、片道30分ぐらいの距離でバイクに慣れるようにしてきましたが、土曜日初めて片道45分かけて有馬温泉まで早朝ツーリングに出かけました。原付での長距離とは違いほとんど疲れなかったので、北琵琶湖マキノにあるセコイヤ並木に挑戦する気になりました。
調べてみると、まだ高速道路はおっかないので下道で走るルートは、R171を京都まで走り、R1で大津手前まで、そこからR161で湖西を北琵琶湖まで走るのが最短のようです。でもこの道は車で何度も経験し、R161に入るまでの道中がつまらなさそうです。
そこで、先に北に上がって、そこから京都の北を東に向かって湖西に出るのはどうだろうと、調べ始めました。「MapFanのルート検索」が便利で、出発点と到着点を指定し、経由点を変更したり加えると、新たなルートを探し出してくれて、距離とおおよその時間を計算してくれます。
池田から亀岡に北上し、そこから琵琶湖大橋までつながるR477がいいみたいです。京都市街地も通らないので、のんびり走れそうです。

興奮していたのか朝4時半に目が覚めました。土曜日の有馬ツーリングが寒かったので、ズボンの下にパッチと膝すねプロテクターを装着、胸・背中・肩・肘にプロテクターが付いたバイク用の服は夏用しか持っていないので、その上に春秋用ジャンパーを着ます。それでもなんか寒そうだったのでベストを探すが、なにぶんまだ早朝で家内を起こしそうなのでライジャケをジャンパーの上に着ることにしました。
バイク便ボックスをリアに取り付けて、カッパ・工具・バッテリーチャージャー・昼食のパンをその中に入れ、燃料タンクの上に着けるタンクバックには、地図・携帯電話・カメラ・携帯GPSのサンヨーミニゴリラ、そしてマウントだけ換えればいろんな携帯機器の電源になるハンディーバッテリーを入れました。ライジャケ着たバイク便という、けったいな格好になってしまいました。白のバイク便ケースにヘリハンとかのヨットのステッカーを貼ってもいいかもしれません。国際信号旗のステッカーを貼ってみようかな?かっこいいのを探さないと。
GPSミニゴリラに、初めて携帯バッテリーをつなぎます。車のシガーソケットから電源を取る車での運用の時は、ちゃんときれいなお姉さんの声で「700m先を斜め右です」とか道案内をしてくれるのですが、歩きの時など内部バッテリーを使う持ち歩く時は無言になってしまいます。期待通り、外部バッテリーをつなぐと、お姉さんの声復活です。バイクで使う時は、携帯バッテリーが必須ですね。土曜日、有馬に行った時初めてバイクに搭載したのですが。タンクバックの窓から画面は見えるのですが、真上を向いてるので上から覗き込まないといけませんでした。運転中はおっかなくって、視界の端でピンクの線上を自車が動いているみたいと、たまに確認できるだけでした。
まず行き先を亀岡に設定していざ出発です。おっといつものガソリン・スタンドで満タンにしないとね。朝まで担当の馴染みのおっちゃんが出てきて、「バイクに乗ってるのか」と驚いています。こことはもう30年以上の付き合いですが、数年前にセルフスタンドになってしまい、車は利用させてもらっていますが、自分でやったらガソリンをいつもこぼしてしまうので、原付は他の店員さんが入れてくれる別のところに行っていました。でもこんな早朝、セルフしか開いていません。
おっかなびっくりタンクを覗き込みながら、「こんなもんかなあ」と止めようとすると、「まだ入るよ。入れたげようか」と結局入れてもらいました。8.28Lでトリップメーターは224km、バイクを購入して1ヶ月、最初の満タン給油での燃費は27km/Lでした。街中乗りばかりだったのに、素晴らしい燃費です。なんとなくこれ以上悪くなることはないんじゃないかなと思います。
池田からR423を亀岡まで。池田を抜けてしばらくすると信号も交通量も少なくなり、時速50〜60km/hで快適にクルージングです。ほとんどの車がこのぐらいのスピードなのか、一人旅の時間が長く、マイペースで左右の景色を楽しみながらの運転です。あぜ道にはこの季節らしく、彼岸花の赤が映えています。

亀岡市内に入り、京都から山陰に抜けるR9との交差点が見えてきました。ここで最初の休憩です。バイクを道端に停めて、GPSに次の目的地R477とR162周山街道との交差点京北を入力します。R9を山陰方面に北上し、いよいよ琵琶湖まで延びる本日のメインルートR477に入ります。「700m先を右です」「200m先を右です」「間もなく右です」・・・指示されたところの右の道路は、とても国道とは思えない。道路入口の上には、「・・の街?」なんて書いてあるゲートがアーケードみたいになってるし、地面がカラーリングされています。アーケードが撤去された市場通りです。尼崎の三和商店街や杭瀬商店街のようなものです。「どう見てもここは違うやろ」と思って次の交差点を探すが、それらしき道路がありません。GPSのお姉さんは元に戻るように矢継ぎ早に指示してくるし・・・結局元に戻り、「こんなとこに入ってもいいのかな?」と思いながら入り、指示通り右折左折ゆっくり進むと川を越え、それらしき道路になりました。近道だったのかもしれません。それともあれがR477?
それらしき道と言っても、普通の国道のそれとは大きく違い、名もない田舎道が舗装されているだけという感じです。GPSが指示するのだから間違いはないのでしょうが、「ほんまにこれでいいの?」と半信半疑で進んでいると、程なく国道477の書いた標識がありました。「すぐに広い道路になるのだろう」と思っていましたが、後にこれでR477の中では素晴らしくいい部分だというのを知ることになります。
この道、地図上で曲がりくねっているので予想はしていましたが、だんだん登って山に入って行きます。やがて高度を増し北山杉の山に入り、車1台が通れる道幅になり、ガードレールもなくなりました。もちろん白線もありません。その部分だけ山を削ってアスファルトを引きましたという感じ。山側も谷側も、そのまま植林された杉が並び、昼なお暗い道です。山側から転がってきた石が道に落ちてるし、曲がりくねった見通しの悪いカーブではクラクションが必要です。カーブに小さいながらもロードミラーが整備されてることぐらいが国道という感じで、バイクだから平気ですが、車なら先が不安で引き返しそうです。だって2台の車が離合する場所でさえなかなかありません。
このまま大原までこの道で行けるのだろうか?途中ダートになってもおかしくない国道です。不安が頭を過ぎりながら走っていると、なんと向こうからバスが来ました。「こんな道にバスが走ってる」という驚きと、「お客さんがいるのか?」という思いが交差しました。宮崎駿さんの映画に出てくるネコバスの方が、この道には合ってる感じがします。左側が山側なのでそちらに寄せてバスをやり過ごしました。谷側じゃなくてよかったです。結局、R162交差点までの20kmほどで対向車3台、後ろから追いついてきて、途中で別の道にそれた車が1台、それと途中片側1車線でガードレール付きになったところで抜かしたロードバイク1台に出会っただけでした。バス以外の車は、みんな軽四トラックで1台はおばちゃん運転でした。軽四トラックがお似合いの道です。競輪選手の乗ってるようなロードバイクを抜かす時、ちょっとスピードを緩めてみました。40km/hほどのスピードで走っています。中学まで乗ってたスピードメーター付きの自転車で、20km/hオーバー出すのに必死だったことを思い出し、最近の自転車はすごいものだなあと感心してしまいました。

やがて道は、山を下りだし京北交差点が近づいてきました。ここで休憩です。道端に寄せエンジンを切り小用を済ませ、GPSに新たな目的地京都大原三千院を入れました。その結果はR162を一旦京都に下り、金閣寺の横を通って北大路通を京都の東まで東進し、R367鯖街道を北上するというものでした。R477はそのまま大原まで抜けるので、真っ直ぐ行けばいいと思っていましたが、コの字型に3辺を走れとGPSが指示するのはよっぽどです。R477はきっともっと過酷な国道になるのでしょう。地図「ツーリング・マップル」を広げると、「ガードレールのない1車線道路、走行注意」「見通しの悪い急カーブが続く」とか書いてあります。今来たR477のところを見ると何も書いてありません。車用の地図だったら「車では無理」とか書いてそうな道路だったけど、さすがにバイク用の地図だから大丈夫と判断したんだろうけど、その地図でさえ「注意」を喚起しているのだから、GPSの指示に従った方が無難そうです。R477なら、ここから大原まで約40km、今までのR477が約20km、これから今までの倍、もっとひどい道を行くのは勇気がいります。事故を起こさなかったとしても、パンクでもしたら、街路灯もないもののけが住んでそうな昼なお暗い道でJAFを待ってるなんて恐ろしいです。チャレンジは、自分自身がもう少しもののけに近づいた頃にしようと思います。でもチャレンジ心は十分くすぐってくれます。などと考えていたら、途中で抜いた快速ロードバイクがサーっと抜いていきました。R477は入って来る車が少ないので、返ってロードバイクには天国なのかもしれません。以前、標高900m以上ある六甲山頂でロードバイクの集団に会いました。下から上がってきたんだと驚きましたが、皆さん実に楽しそうでした。これで車が走っていなければ、もっと楽しく走れるのでしょう。
GPSの指示通り、R162周山街道を京都に向かって下り始めました。広すぎず狭すぎず、そして信号があまりない、いい感じの道路です。京都からやってくる対向車には、バイクの集団が何組もいました。走り屋風のお兄さんの小集団、ハンドルが高く改造されているアメリカンタイプの集団。大きく派手なカウルを着けたハーレーの高級車おじさん集団は、レイバン風のサングラスをして、黒の革ジャンで決まっています。中に袖から暖簾を下げプレスリーしているひげのおっちゃんもいました。ライジャケにバイク便ボックスをリアに担ぎ、サラリーマン風の普通の紺スラックスに、エンジのジャンパー姿の僕は、いかにもイカしていません。
何かのテーマで統一されている素敵な集団とすれ違うと、全員ライジャケ着用の受け狙いの集団ぐらいじゃないと僕は入れそうもなさそうです。快速ロードバイクの集団も何組もいます。身体にフィットしたスーツ着用で、かっこいいです。まだ8時前なので、R477のような北山の道を走りに行くのでしょう。それにしてもあの方達は人力だからすごいです。
いよいよ京都市内に差し掛かったところで、GPSが左折を指示してきました。左折すると世界遺産ルート北大路通でした。仁和寺はどうか知りませんが、それに続く龍安寺の庭、そして金閣寺は世界遺産だったはずです。Ritsさんの前を通り、加茂川を渡り、下鴨神社、高野川を渡って、また左折です。京都市内から大原の里に向かい、日本海の小浜まで続くR367通称鯖街道です。
まだ大原に向かう観光客の車が多くはない時間帯ですが、R477のようなことはありません。時々信号ストップがありますが、そのたびに先頭まで行けるバイクは、案外ストレス知らずな乗り物かもしれません。大原に入り一旦R367を逸れて寂光院の前を通り、河原の道でストップです。

時間は思いの外早く、まだ朝という感じです。次の目的地を当初の目的地メタセコイヤ並木にするか思案です。ここまでで十分バイクを楽しめたので、琵琶湖のヨット部の艇庫に行き、午後からの練習に参加してもいいかな?という案が頭に浮かび予定変更で、GPSの目的地に艇庫を設定しました。今からでは昼には早すぎちゃうけど。
三千院界隈を走り、R367に戻ってまた北を目指します。走り出してすぐに「前方有料道路」「料金所あり」との標識が現れました。なんだ?有料道路になっちゃうの?車ではETCが着いてるから楽だけど、バイクだとグローブしてるのでお金の出し入れが大変です。一旦路肩に寄せて停め、ウエストバックから100円玉と50円玉を出して、タンクバックの小銭入れポケットに移します。再び出発して料金所のところにやってきました。バイクで料金を払うのは初めてです。今バイクが出発して空いた左端のゲートで止まり、ギアをニュートラルにしてグローブをはずし150円を払います。グローブと領収書をハンドルとタンクの隙間に入れて発進し、すぐに左に止めてゆっくりグローブをします。めんどくさいです。
すぐにトンネルなのですが、左手下に車が何台も走ってる道があります。料金所の手前で枝分かれした道みたいです。短めのトンネルを抜けるとすぐに交差点があり、GPSが右折を指示してきました。その交差点、左から来る道は、トンネル前で枝分かれした道じゃないのかなあ?あの料金はトンネルの通行料なのかもしれません。だってトンネルを出たらすぐに「有料道路終わり」なんて看板が立ってたし。なんかあの150円、すっごい損した気分です。
GPSの指示通り右折して琵琶湖大橋の方に向かいます。すぐに右折を指示してきてR161湖西道路のバイパスに入るようです。ここで前方に見える大観覧車に行ってみることにしました。しかしこの観覧車、琵琶湖大橋左岸のレジャー施設のシンボルだったのにもう動いておらず、レジャー施設もなくなってショッピングセンターになっています。右折してR161を南下すれば艇庫に行こうかなとも思ったけど、早く着きすぎるので、琵琶湖大橋を渡ってみることにしました。大橋から左の北湖を見ると、プレジャーボートがたくさん北に向かっています。ヨットも風がないので機走しています。
「いいなあ」と眺めながら橋を渡ると、大橋の料金所です。お値段は100円、今度はグローブをはずさずに、タンクバックポケットから1コインを出して手早く通過できました。学習しました。渡ってすぐの交差点に「湖岸道路」のような標識が出ていたので、右折してそこに入り、路肩に寄せて休憩です。GPSが目的地への最短距離に戻るように指示するので、案内ストップボタンを押して終了させました。大橋を背景にバイクをメインに写真を写し、湖岸に出てバス釣りボートなどを眺めます。
どこまで湖岸を走れるのかなあと思いながら出発です。県道599さざなみ街道と名づけられています。信号が少なく、信号に引っかかっても赤の時間が短い快適な道です。右に琵琶湖が見え、湖岸ではバーベキューなどで楽しんでいる風景が続きます。草津を越え瀬田まで続いていました。気持ちがいい。近江大橋をくぐったところで、ボートが見えてきたので休憩です。バイクは思い立ったらすぐに路肩に停められるのがいいです。湖岸に出てみると、どうやらここはレース会場のようです。スタートラインに等間隔に競技オフィサーの乗るボートが停められており、その間に1人乗りのレースボートが1艇ずつ並んでいます。後ろには審判艇なのかな?少し大きめのボートがいます。スタートして一斉にこぎ始めました。その後ろでは、次のスタートを待っているのでしょうか?エイトのボートが数艇ゆっくり練習しています。帽子から出た髪が白髪の方もいます。楽しんでいますね。
近江大橋で瀬田川を渡ろうとそちらに向かいますが、この橋も有料のようでUターンし下流のR1の橋を大津側に渡り、琵琶湖ホテル新館を横に見ながらR161湖西道路に右折し艇庫を目指しました。

艇庫に着くと、見慣れたバイクや自転車はあるけど車が1台もありません。練習休みなのかな?新人戦だったっけ?昼時になったので、持ってきたパンで昼食です。レースなら柳ヶ崎かなあと思いながらも、彼岸参りで永観堂に行くことを思いつき、そちらを選択しました。今回のお彼岸は、家内と2人で行くことが出来ず、うちのお墓には私1人で、家内の実家の方には分骨してある永観堂に家内1人で行きました。
GPSに永観堂を打ち込んで出発です。R161を南下し、R161バイパスに乗りR1、すぐに府道143で3条大橋を目指し、途中で南禅寺・永観堂方面に右折して永観堂駐車場にバイクを入れました。この駐車場は、門の中にあるのでいつも空いています。一般の観光客の車を入れてはダメなのかもしれませんが、番をする人もいない穴場駐車場です。僕はお参りなので堂々と駐車できます。
拝観料を払う所まで行き、いつものようにお参りの旨伝えると、いつもと同じノートが出てきて、名前・住所・お寺名を記入し無料パスです。観光客同様、本堂などに入っていってもいいのですが、今日は納骨堂だけです。もみじの永観堂で有名なお寺ですが、まだ9月なので、境内のもみじはまだ全然色づいていません。義理母の分骨法要をしてもらった本殿はまだ修理中のようです。春のお彼岸の時も白い工事用テントがかかっていました。こんな特殊な建物の修理は長くかかるのでしょうね。なんといっても数百年単位の建物だから。
1時を回り、帰宅の途に着きます。途中山崎で面白そうなところでもあれば適当に寄り道する気持ちでGPSを自宅にセットし出発です。東大路通りを南下し、お東さん(東寺)の五重塔の横を通り、R171に乗って道なりに進みます。山崎付近で標識に気をつけていましたが、古戦場とか本陣とか明智さんと羽柴さんの戦いゆかりの興味を引くものがなく、そのまま自宅に戻りました。1日の走行距離は200km、今までの1か月分を1日で走りました。ちょっとバイクツーリングの楽しさに触れることが出来ました。
どちらかというとヒール役なんだけど、僕は明智さんに惹かれます。歴史上では、旧体制から徳川幕藩体制への転換の為に必然だったのだろうけど、比叡山の僧坊を全部燃やしちゃったり、あまりに過激な信長さんを倒したヒーローに見えて仕方ありません。明智さんの本拠地亀山や福知山では、今でも明智光秀さんの人気が高く、お祭りまであります。強権なく地元民に愛された人なんだなと思います。今度、京都に残る明智さんの痕跡を訪ねるのもいいね。

番外:東大路通を南下して、八坂神社前の四条との交差点で信号待ちをしていると、四条通から交差点を左折して東大路通を北に向かう大型スクーターがありました。ちょっといかついガタイに、スモークグリーンのサングラス、頭髪はヘルメットで見えませんがきっと角刈りだろう、という方が運転しておられました。
どうやらタンデムをしておられるようで、茶色い服の方が後ろに乗っています。何かちょっと変だなあと注目していると、さらに近づいてきてはっきり見えました。タンデムで後ろに乗ってるのは、人間の大人と同じぐらいの大きさのクマさんのぬいぐるみでした。しかもクマさんの前には、一回り小さな子グマさんが乗っていました。道交法のこともあり、お2人?ともちゃんとヘルメットを被っておられました。
多分30代か40代のお父さんと思われるドライバーさんとタンデム・クマさんの組み合わせが妙におかしく、「ううむ、古都京都には、タヌキやキツネの化けたお方に加え、かような方まで生息しているのか」と思ってしまいました。このようなご趣味の方が集まってくる町なのか、京都という町がこのような方を生み出しているのか。いずれにしても違和感なく育む町ではあるようです。

2008/9/22
日曜日は、関西インカレの2日目でした。でも今回は浜に行くのをやめて京都・琵琶湖方面です。
次男が東京である卒業制作展に作品を出品すべく、金曜日に東京から帰ってきました。その夜一緒に車に積んで土曜日の早朝、次男は琵琶湖に向かいました。土日開催される470全日本近畿北陸予選に出場するためです。家内がそのレースを見にいきたいとのことで、午前中京都散策して午後琵琶湖に入るコースを考えました。
京都散策をレンタル自転車でしようと思い土曜日にお店に電話すると、既に予約で埋まっているとのこと。でも全部予約に回していないようで、開店時間の9時前後に行けば間違いなく借りれるそうです。
9時JR京都目指して、朝7時過ぎに家を出ました。バス停に着くとすぐにバスが来て、駅に着くとこれまたすぐに遅れていた電車がやってきて、このままでは30分以上早く京都に着いてしまいそうです。ここは曇っているだけですが、在来線電車のダイヤが乱れる程の大雨が篠山で降っているらしく、本日の天気は要注意です。尼崎で新快速に乗り換えて快調に京都を目指していましたが、大山崎ぐらいから雨が降り出し、時折大雨になっています。自転車散策はあきらめた方がいいかなと家内と話していると、電車が止まってしまいました。大雨で?と思っていると、鉄橋を渡った時に異音がしたので電車を点検するとのことです。20分ぐらい止まっていたようですが異常ナシで再出発です。結局ちょうどいいぐらいの時間に京都に着きました。
でも京都は結構な雨が降っています。自転車をあきらめ、バス移動に変更です。すぐ近くのバス案内所に向かうのも傘が必須なぐらいです。家内は傘どころはカッパを着ると言い出し、ゴソゴソしてから案内所に入り、京都市バス1日乗車券500円を2枚購入。東山通りを北上し銀閣寺まで向かう100番系統に乗り、国立近代美術館の前で下車。まだ結構な雨が降ってるので、美術館の軒先を拝借して、家内のように私もカッパを着ることにしました。「ちょっとトイレに行ってくるわ」と家内が館内を指差しています。「入場券を買わないと入れないよ」「でもちょっとだよ」「・・・」。家内と話していると楽しい。賢く手際のいいところと、ありゃ?というところが同居してる。
カッパを着て傘を差して、美術館横の疎水からすぐに分かれている分流白川疎水沿いを歩き出しました。映画『クローズドノート』に出てきた橋を観にいくためです。この日は雨で増量していますが、いい感じの人工河川です。底が浅く、水藻が揺れています。側道は柳並木で、枝葉が白川に優雅な雰囲気を加えています。京都は魅力満載の町ですが、白川沿いはぴか一の棲み家なんじゃないかなと思います。
前を歩く赤いカッパに赤い傘の家内を写真に収めながら下っていると、側道は白川を離れ、町屋の間のに吸い込まれていきます。1軒の家のど真ん中をくりぬいたような細い道「ここ歩いてもいいの?」という状態です。だって上はそのお家の2階があります。道に面する部分が狭く奥行きが長い京都独特の造りの間の道なんでしょうね。
そこを通り抜けると表通りに出ました。また白川に戻り、時折離れを繰り返しました。柳がかかる白川に時々川鷺がたたずんでいます。これがまた絵になります。祇園のはずれの町屋が並ぶ有名な場所に出ました。「新橋通り」京都観光案内でよく見る場所です。いかにも一見さんお断りという感じのお茶屋さんが並び、「豆ちほ」さん「豆そめ」さん「幸良」さんと名前が書かれた表札が上がっている「置き屋」さんもあります。お声がかかり、お座敷に向かう舞子さんさんなどがおられるのでしょう。
そして白川にかかる有名な巽橋で写真をパチリ。そこから向こうに見える四条に向かうと、すぐに祇園の雰囲気が変わり、どこの町にもあるような飲み屋ビルの街になります。少し東に歩き、「花見小路通り」に入ります。ガードマンさんがたくさん出ているので、日曜日だから街が雇っているのかなあと思ったら、制服の背中に「JRA」と書かれています。この道の奥にある場外馬券場のガードマンのようです。どこかで競馬がある日なんでしょう。花見小路を訪れる観光客と場外馬券場にやってくる人は随分違う人だろうから、揉め事が起こらないようにしてるのですね。祇園の歌舞練場の前を通り、建仁寺に入りました。
ここは有名な「風塵雷神」屏風があるところです。臨済宗総本山です。入館料300円だったかな?を払って「方丈」の建物の中に入ります。いきなり「風塵雷神の屏風絵」。落ち着いたたたずまいの建物が廊下でつながり、その中に手入れされたお庭があります。開放感のある空間は落ち着きます。京都の中心地四条河原町から徒歩10分程度でこれがあるのが京都ですね。
達磨さんの掛け軸が数箇所にかけられています。知らなかったのですが、臨済宗というのも座禅を教え修行の中心に据えているようです。禅宗だけだと思っていました。壁に一段上がった座禅修行の間があり、綺麗に座布団が並べられた一般の方が座禅体験する間もありました。丸窓から見えるお庭を借景に家内を写していると、「写真、撮りましょうか?」と声を掛けていただきました。お言葉に甘えて撮ってもらいました。とてもいい記念になったかもしれません。「ありがとう」。ここはお勧めです。
建仁寺を南に突き抜け、今度は東に向かいます。「八坂通り」は、八坂の塔で有名な八坂さんに向かう真っ直ぐな道で、この道から八坂さんを写した写真も京都を代表する景色です。とても絵になるのですが、拝観料を払って上に上がろうとは思わない小さなお寺です。全然雰囲気が違うのでしょうけど、京都タワーに上がる方が京都をもっと高いところから一望できるだろうし。
そのまま、三年坂だったかな?を上がって清水寺まで上がりました。途中土産物屋さんを冷やかしながら・・・というのも、家内が仕事で使う老眼鏡を買うためです。小さい文字を見る時だけ使うので、観光地で売ってる安価なので十分なので、それを探しに。本日の京都散策目的の一つです。嵐山でも銀閣寺でも、1000円ショップにありました。ところが何処にもありまえん。清水から京都の町を一望して、琵琶湖に向かうために下りました。ちょうどお昼時なので小腹が空いて来ましたが、観光地価格はパスして駅ででも食べようかと話していると、お手ごろ価格でへんてこなメニューのお店がありました。「ここに入ってみよう」。
私が注文したのは、「豆腐の入ったカレー」豆腐とご飯なんて絶対合いそうもなく、これにホワイトカレーだったら、白一色のカレーになってしまいますが、カレーの色は普通でした。これがまあまあおいしい。家内が注文したのは「豆腐と湯葉のあんかけご飯」、豆腐と湯葉も同類でへんてこなメニューでしたが、これがまたおいしかったそうです。

バスでJR京都まで戻り、湖西線で大津京駅まで行きました。駅前では「競艇場行きバス、もうすぐ出ます」と呼び込んでいます。艇庫まで歩いて15分ぐらいなのでこれに乗ると艇庫前までタダでいけるラッキーと思い、慌てて乗り込みました。
走り出してからふと思いました。「琵琶湖競艇?琵琶湖競輪?」、ミスってしまいました。競艇場は大津の方で、艇庫前にあるのは競輪場です。競艇場で下りて、結局同じぐらいの距離を歩くことになりました。救いはバス代が予想通りタダだったことです。柳ヶ崎YHに入ると、470やスナイプが出艇するところでした。リッツさんは大声を出しているし。「おかしいな?一旦昼食で帰ってきたのかな?」、2Fの大会本部に上がると、ちょうど運営らしい女子学生さんがいました。
「今から出艇?」「朝からカミナリと雨で警報が出てることもあり出艇見合わせだったので、今から今日始めての出艇です」。2Fから下りて、艇庫の方に行こうかと歩き出し何気なくハーバー艇庫を見上げると、JPN4058がいます。村山さんの船です。あの背中はター君です。家内に教えると「ター君」と大きな声で呼んでいます。2Fに上がり艤装を見学です。1回生の前田君がクルーをしてくれています。
次男君の出艇を家内に見せることが出来てラッキーでした。エレベーターで下りていく船を見て、「いろんな船があるけど、ター君の船が一番かっこいいね」と家内が言っています。
出艇を見送り艇庫まで歩いて行きました。予想通り、マネさんもみんな支援艇の方に行ったようで、艇庫は閉まっています。浜に出て観戦しようと座っていると、カミナリがなり始め、雨が降ってきそうなので、浜を引き上げ艇庫の軒下で雨宿りすることにしました。
結構しっかりした雨が降ってきました。カミナリの音が大きくなり、東海岸に稲光が見えました。そこからレース海面を見ていると、どうやらレース中止になったようで、レース艇がスタート海面からそれぞれの艇庫に散りだしました。
しばらくすると学生達が艇庫に引き上げてきて、鍵が開いたので家内に艇庫見学してもらいました。「これじゃ、女子部員が少ないのは仕方ないわね」と女子目線の感想でした。
お土産のオカキを置いて柳ヶ崎に戻りました。次男たちは草津ヨットクラブの艇庫に船を戻しているところでした。「じゃあ帰るね。気をつけて東京まで帰ってね」と家内が次男に言い、伊丹に戻りました。
本日は盛りだくさんなメニューで、これで帰宅ではありません。映画「おくりびと」を観る為にショッピングモールに向かいます。チケットを買ってまだ1時間半もあるので、食事してパンを買い、メガネを探しました。うまい具合に880円という安価な老眼鏡があり、家内に似合うので購入しました。
「おくりびと」は好きな男優No1の本木さん主演です。2年前に、家内の母とうちの父を亡くしたところで、喪主としてお葬式一式を体験したばかりで、普通あまり目にしない主人公の職業もなんか身近でした。とてもいい映画でした。お勧めです。バスで最寄のバス停で下り、盛りだくさんな日曜日が終わりました。9時過ぎに家内とブラブラ家まで歩きながら、今日の出来事を話す・・・こんな生活がずっと続くといいですね。

2008/9/15
日曜日はドラゴンの全日本でした。全日本と言っても、開催地は地元西宮だし、全9艇の内、富山からと関東からの2艇を除き他は全部地元の船なので、毎月のポイントレースのようなものです。
先週、購入したバイク便の箱をVTRに取り付けるべく、ステイやボルトナットを買い、緩衝用のゴムを付け、ネジ止めするだけになっていました。日曜日の朝早く起きようと思っていたのですが、早く目が覚めすぎたので二度寝したら、今度は遅れ気味に目が覚めました。すぐに作業に取り掛かればいいものを、朝食のうどんをお代わりなどしていたらギリギリになってしまいました。
VTRを出し、ヨットのカッパなどを出してきてキーを回すと、バッテリーが心もとないようでエンジンがかかりません。仕方なくブースターケーブルで車からバッテリー引いて掛けたりしていたので、結局バイク便ケースを取り付ける作業が出来なくなってしまいました。作業は次週に持ち越しのようです。まあ設計通りならネジで留めるだけなので簡単な作業です。
集合時間に少し遅れ浜に着き、バイクにカバーを掛け、陸置きヤードに向かうと船がありません。「そういえば前日に船を下ろしておく」とか言ってたっけ、と上下架桟橋に向かうも姿ナシ。ありゃ?昨年の全日本は係留桟橋置きだったことを思い出しそっちに回ると、レース艇が並んでいました。
フィッティングは前日に終わってるので、皆さんのんびりしています。まだ第1レース予告信号まで1時間以上あります。ミウラさんの船に乗ってたクニオさんが、ロンドンオリンピックのスター代表に向けて始動したようで、ドラゴンをしばらくお休みだそうです。今年のワールド最終レースで北京を逃したのがショックだったのか、地元和歌山にスターを移動しそっちに集中するようです。その代わりに松永君と組んで470で北京を戦った上野君が乗っています。時間があれば話をしたかったのですが、レース後の予定もあるのでまたの機会になってしまいました。
レースは北西の風で始まりました。第1レースはトップ目であと2タックで第1マーク回航まで行きましたが、規定の30度以上の風の振れによってノーレースになってしまいました。続くレースも3位回航目前でノーレース。この風向ではそれぐらい触れるのは必然で、去年までのようにあまりにもひどいのでなければレースを成立させてもいいんじゃないかなあと思いました。
風速が落ちてきて風向が変わり海風が入ってきました。これでレースが出来そうです。3〜4m/hで3レースできました。成績は4・5・4位です。船が代わってから艇速が伸びてシブカワ・オーナースキッパーも自信を持っておられたので、あと1つか2つ前ぐらいいける感じがあったのですが・・・。まあクルーの私もいつも通りミスをしていたので、まだ総合力が足らないというところでしょう。
どのレースも実力伯仲で接戦になり、第1マークはテールトゥーノーズで回ります。最終レース最終下マークでスピンの取り込みをミスり、一気に2艇抜かれて8位まで落ちましたが、次ののぼりがよく走り4艇抜き返しました。相変わらず面白いレースでした。ヨットレースは楽しいです。
4時前にハーバー桟橋に船を着けると、KGヨット部マネさんの祝嶺さんがやってきました。「来週の関西インカレですが・・・」。先週連絡もらったインカレ観覧艇としてクルーザーを出して欲しいという件です。代表のモリタさんはじめ3人メンバーがいるので話が早いです。キンノさんが2日行けるようなので、あと1日はツインスターに当たるということで解決しました。
レース中やレース後、KGレスキューとすれ違ったので、すぐに陸上に連絡を入れて、僕らが帰ってくるのを待っていたのでしょう。恐るべしマネさん連絡網。来週は家内と京都&琵琶湖なので、ヨットはお休みです。天気がいいといいんだけど。
さて6時から琵琶湖の艇庫で、京大ヨット部の代交代式です。このままバイクで行くことも考えましたが、バイクで高速を走ったことないし、地道で往復4時間は1日レースした後の身体には酷すぎる感じがして車に乗り換えて行く事にしました。
一旦自宅に戻り、シャワーを浴びて汗臭いのをマシにして再出発です。5時を少し回ったので、6時までに艇庫に着くのは無理そうです。急がずいつものように80〜90km/hで高速を走り艇庫着です。
「ムム〜」ホンダのすごいバイクが停まっています。誰?これ買ったの。帰宅後調べてみると、1400ccぐらいのバイクかと思ったら680ccでしたが、長男の車と同じように、オートマチックとクラッチレスマニュアルトランスミッションが切り替えで使えるバイクでした。とにかくすごいバイクでした。
代交代式に入ると、フジワラさんがしゃべっているところでした。キリさん・ムラヤマさん・シラカワさんと若手以外のOBさんも来られています。シラカワさんは私より2つ下で、学生時代の勝率が4割という470のスーパースキッパーさんでした。私はどうだったかなあと振り返ると、4回生の学生レースだけをみれば、1レガッタでトップでなかったのが1回だけばかりだったので、結構勝率は高そうです。でもレース自体がとても面白く、背中艇のバウが自艇に向かうパターンになった時の「いただきタック」が楽しくてしょうがなかっただけだったように思う。さっきのバイクはシラカワさんのだそうで、シックなバイクウエアに身を包んで帰っていかれました。
4回生プレイヤーは2人だったけど、ほんとによくやりました。最後の団体戦では2人ともそん色ない走りで、3位に3点差という限りなく予選通過に近い数字で敗退しました。富山という遠いところで開催されたので、コーチになって初めてインカレ予選レースに行けなかったけど、同じく卒業する3人の女子マネさんの奮闘振りは素晴らしかったと聞いています。
このクラブでの4年間の経験を加えて、次のステージでの活躍を願ってやみません。挨拶で4年間やってきた自分の本音を、信頼できる仲間に吐露する代交代式は、何度経験してもいいものです。自分の時を思い出してしまいます。

2008/9/8
日曜日は仕事で神戸に行っていました。夕方、雨が降るかもしれないけど原付で行ってみることにしました。本当は250ccで行ってみたかったのですが、バイク用の駐輪場がなく置き場所に困るのも難儀やからと。ネクタイ締めて原付というサラリーマンさんの通勤のようでした。
171号線をひたすら西宮を目指していると、ふと燃料計に目が行きました。Eが点滅しています。どこかでガソリンを補給しなきゃなあと思いながらスタンドを探していると、セルフスタンドばかりです。セルフでないところは、7時台なのでまだ開いていません。セルフスタンドはあまり好きではありません。安いのかもしれないけど、会話がなくどうも・・・。車の方は、学生時代から御用達してる近所のスタンドがセルフ化されたので仕方なくそちらにお世話になっていますが、いつものおっちゃんが大抵やってきて会話があります。
バイクの給油って難しくないですか?車は横向きのタンク入口に給油ホースを突っ込むので簡単ですが、バイクは下向きの穴なので、いつも最初突っ込む時に少しこぼしてしまいます。
でも今回は、人のいるスタンドを探している余裕はありません。ぐずぐずしていると原付をスタンドまで押す羽目になります。43号線に曲がってすぐのセルフスタンドに入りました。前売りカードを買ってる近所のスタンドとシステムが違います。まずお金を入れて、満タンか指定数量かを選びます。満タンを選ぶと勝手に止まってくれるのか?止まらなくてあふれたら大変だな。指定数量がタンク容量をオーバーしたらあふれる?そんなこともないだろうにいろいろ考えてしまい多分オーバーしない4リットルを指定し、油種を選んで給油し始めました。まあちょうどいいところでしたが、給油レバーをごちゃごちゃしながら、満タンを選んで適当に止めればいいだけだったような気がしてきた。レシートが出てきたけどお釣りが出てこない。あれっと見ていると、別に清算機があるらしい。清算機の読み取りスキャナーにレシートをかざすとお釣りが出てきました。なるほど・・・勉強になりました。でもやっぱり最初にちょっとこぼしてしまった。原付にはタンクの穴の周りに広く受け皿があるので大丈夫だけど、250ccの方ならタンク表面にこぼしてしまうでしょう。最初にスタンドの床にこぼしてから給油口にホースを突っ込まないとダメみたいです。
原付を置く場所ですが、ホテルの前の道に花壇みたいなのがあり、その一角がまるでバイク置き場のようになっており、数台のバイクが置いてあります。カバーを掛けて置いてあるのもあり、問題なく置けました。次は250ccで来るかな。
終わったのは6時で、帰りは7時になってしまいました。往復して燃料計をみると1リットルほどしか使っていません。片道30kmぐらいだから、燃費は40km/hぐらいかもしれません。往復で200円ほどとは安上がりでした。ただ原付は車に抜かされるときが怖いので、こんな遠距離をあんまりこれで行きたくないですね。
帰宅すると、家内が「かあさんとこに行ってきたよ」と。京都のホテルで会合だったので、実家の母が眠る永観堂さんに回ってきたようです。これで実家の方はいいから、お彼岸にはうちのお墓だけ参ればいいと言っています。お彼岸付近の日曜日に墓参りの定番ですが、今年は車が東京に行ってしまうようなので、それまでのウィークデーの朝に参ろうと思っています。朝の通勤渋滞と重ならなければいいけどなあ。
ホテルでもらってきたパンフレットを広げて、再来週の予定を立てています。琵琶湖のレースにター君が出るようなので、去年の全日本のように着艇の時間を目指して琵琶湖入りをしようかな?なんて言ってます。レース見たかったら、大学レスキューに乗せてもらえないか頼むのもありかと思うのですが、ター君が嫌だったらやめた方がいいだろうしね。パンフレットを見ていると、嵐山など京都の西側に行ける京福電鉄と中央の市営地下鉄、西の琵琶湖まで行けるお京阪さんの電鉄3社でタッグを組んで、1日乗り放題1400円切符というのが出ていました。午前中これでうろうろしてから午後琵琶湖入りもいいですね。
でも前回で味をしめた京都自転車うろうろの方が魅力的です。京都駅で自転車を借りて、白川疎水・四条祇園界隈・円山公園から清水寺というのはどうだろう。清水寺ののぼりをどうするかだな。

2008/9/1
日曜日は、ドラゴンのポイントレースです。
8月のポイントレースに出るのは初めてかもしれません。ここ数年、8月最終週は近畿北陸ブロックの学生全日本予選で、そっちに行っていましたからいつもお休みでした。今年もそうなのですが、4年に1度の北陸開催年で断念しました。前回の福井には行きましたが、今回は石川県能登半島の付け根で、かつて家族と夏休みキャンプで行ったところの近くです。この距離を1人で日帰り運転はきついです。結果が気になりますが、4回生は4年間の精一杯をこの大会にぶつけて欲しいです。
朝バイクをゴソゴソしながらハーバーに向かいました。本日の改良点は、リアキャリアがひっくり返しについていたので、これを元に戻すことと、ヘルメットフックをハンドルに着けることです。バイクは原付より収納力がないので、これの充実をコツコツやっています。日曜日ごとにしか作業が出来ず、他のメイン行事の合間にやってるから少しずつしかはかどりません。夕方タンクボックスも購入したし、あとはリアボックスを着ければ完了です。バイクによく着いてる丸っこいデザインのイタリア製のボックスを着けるか、実用本位で四角いバイク便ボックスを着けるか迷っています。どちらかというと実用本位が上位選択基準に来る私には、収納力・耐久性で勝るバイク便ボックスに魅力を感じるのだけど。
9時半頃ハーバーに到着し、バイクにカバーを掛け垣根にチェーンを結びます。原付で来るときは、ハンドルロックだけですが、バイクは盗難が多いと脅されていますので、しっかりやります。バイク駐車場に並んでいる他のバイクも、半分ぐらいはカバーを掛けてチェーンロックしています。直射日光により日焼けとタンクが熱くなるのも防げるからでしょうね。帰りにバイク置き場を見ると、同じ青のVTRがいました。なんか親近感が湧きます。
親近感といえば、ヨット乗りさんが海上ですれ違う時手を振るように、ツーリングですれ違い様合図するのがあるそうです。原付で走っている時、リアボックスを着けたバイクに信号待ちで声を掛け、使い心地を聞いたりしました。車と違い、バイクは囲う物がなく距離が近いので、何か気軽に声を掛ける雰囲気があるのでしょう。バイク免許を取りに行っている時から、ヨット部のバイク乗り学生にいろいろ聞いてきましたが、いろんなことを教えてくれました。それによってバイクを買う気になったのかもしれません。上級生のバイクを下級生が譲ってくれと言っていたり、バイク仲間同士の親近感を感じました。
この日は、北東の風が吹いています。夏は11時ごろ風が落ち、南から海風が入っているパターンが多いのですが、先週のレースはずっと北が続いたようで、この日もそうなのかもしれません。夏の日差しが弱まり、陸地の温度上昇が海風を呼び込むまで行かないのでしょう。
この日は、レース用セイルを出しました。今春船が変わったので、オーナースキッパーもヨーロッパノースのセイルは初めてです。調子がいいようなら来月の全日本をこれで行くようで、順位というより他艇とすべり合わせて、走らせ方やチューニングを見る日にするということです。
ピンポイントの振れとブローで差が出る北風は、チューニングには不向きですが、レースが始まりました。1・2レースとも、途中経過ビリと同じくトップがあるめまぐるしく順位が変わるレース展開になりました。レース海面全体を見ることができるクルーは楽しいが、スキッパーは息を抜く時がなくしんどいレースでした。でも実に面白かった。
今日、油壺ホームポートのドラゴンが加わりました。来月の全日本までここにいるそうです。クルーは東京から来ていました。ブルーのサイドボトムカラーに、デッキはチークの薄板を張ってるようで、とても綺麗な船です。去年まで乗ってたダンシングクイーンと同じ香港のメーカー製で、レストアしたそうです。それにクルーの服装がボトムカラーのブルーと同じ色で、黒のライジャケで統一されいい感じです。「さすが東京もんは、垢抜けてるなあ」と先輩方は言っていました。でも順位には結びつかず、3レースともビリでした。向こうでは競うドラゴンがなくチューニングが進まないだろうし、西宮の風に慣れるのも難しいですね。
風の強弱が多く、2レース目コース短縮下にもかかわらず、2レースを終えて既に3時前です。ここで南が入ってきました。3レース目は、チューニングにいい風です。このセイルがプロデュースするボートスピードが見れます。スタートは遅れてしまいましたが、1上は3位回航です。フリーがいい感じで先行艇に近づき、第2クローズレグでは、後続艇との差を広げそのまま3位でした。
シブカワさんは、「大分このセイルの走らせ方が分かってきた」とご機嫌です。来週整備して、次の週にある全日本に臨みます。整備には仕事で参加できませんが、また今年も全日本を楽しみたいものです。
この日もOPが元気に練習をしていました。どこかのレースに遠征している艇がいるのか、6艇といつもより少ない杯数でしたが、全艇揃って綺麗にクローズを走っていました。この子達にはヨットはおもちゃです。1人乗りということもあり、自由奔放にヨットを楽しんでいる風があります。あの自由さが、こまっしゃくれた上級テクニックの習得やバランス感覚・スピード感覚につながるのでしょう。北京オリンピックのメダリストスキッパー中、OP経験者が85%という驚異的な数字に現れ、日本のオリンピックメダリストは100%、オリンピック選手にもますますOPでヨットを始めた選手が増えるでしょう。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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