ウェブマスター日記 May-August/2008

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
感想をいただけるとありがたいです→webmaster

2008/8/25
日曜日はバイクの日でした。ここ数年、この時期は琵琶湖通いをしていましたが、手伝ってる大学ヨット部の全日本予選が、4年に1度の北陸開催で石川県まで日帰りはきついので、サボっています。先々週の西宮でのレースが最後で、あとは予選通過を願いばかりです。
10日ぶりのバイクです。一番の懸念はバッテリーです。2〜3回セルをミスっていたらセル回りがあやしくなってしまいました。車のバッテリーとケーブルをつなぎ、エンジンをかけてバイクのエンジンを回しました。中古バイクなのでバッテリーが弱っているのか、バイクのバッテリーはこんなものなのか?こんなことばかりしていると更にバッテリーの寿命が短くなりますね。
リアタイヤ泥避けとリアボックス装着キャリアを着ける為に、バイクと部品を持って近所の自転車屋さんに行きます。自転車と原付バイクの方のお世話になってるお店で、店先でゴソゴソ・あ〜だこ〜だやってると、時々おっちゃんがアドバイスをしてくれます。自分の工具で取り付けたのですが、頼りない私の手つきを見て、「これ使ってみな」と気軽に工具を貸してくれます。
昼食は六甲山の上という予定でしたが、すでに12時を回っていたので近所で昼食を食べて出発しました。午後はジュニアのバイク乗りオクムラさんに、買ったバイクを見せに行くことになってるので、六甲山は断念し、甲山・森林公園を回り、鶯林寺から夙川に下りて西宮YHに向かいました。この間、このバイクで初給油しました。7リッター入りました。満タンで17リッターなので、バイク屋さんから受け取った時10リッターほど入っていたようです。オクムラさんは西宮カップの運営をしているので、レース後ハーバーで待ち合わせです。
ディンギーヤードの裏にバイクを置こうと駐車場に入っていくと、既にレースは終ったようで、トラックにレース艇を積み込んでいます。帽子留めを買おうとセンターハウスに向かうと、なんとナガホリお母さんに会いました。2週間前にここで会ったばかりです。ユカちゃんがSSでレースに出ていたようで、お父さんも一緒に来てるようです。高木さんのクリニックも同時開催だそうです。クルーの都合がつかずOPつながりでヒナタちゃんと組んでたそうです。
センターハウスに入り、一点鐘で買い物をしてベンチに座ると、偶然オクムラさんがやってきました。続いてウメノさんもやってきて、バイクの話を少々、4時の閉会式まで時間があるので、オクムラさんとバイクまで歩きました。オクムラさんのバイクは650ccの2気筒です。同じ2気筒なのでエンジン音は同じような音です。落ち着いたスタイルで、大人なバイクです。燃費は30km/h弱というところで、私の250ccとあまり変わりません。燃費というのは排気量より気筒数の影響が大きいのでしょうか、4気筒だと一気に悪くなるようです。
私のバイクを見て「新車じゃないですか」と言っておられました。まだ800kmほどしか走ってないし、こけた形跡ナシでバイク屋さんが一押ししてくれた綺麗なバイクです。私自身ゆっくり走る人で、ここ20年ほど原付でこけたことがありません。なんとかこのバイクでもこけないようにして綺麗を保ちたいものです。
閉会式の時間が近づいてきたのでセンターハウスに戻り、係留バースを見るとエ号が目に入りました。前回電動トイレが不調だったので歩いて行くと、さっきあったのにいません。「ありゃ」と思って給油桟橋を見ると向こうに移動しています。待ってると先輩方と東京におられるはずの崎浜先輩が乗っています。母校ヨット部の理事会で来られたようで、午後からちょっと出ていたようです。
エ号に水をかけ、センターハウスに戻ると、閉会式がちょうど終ったみたいで選手などが下りてきています。ベンチに座っていると、ヨシサコさんがクルーのオオクマさんとやってきました。「こんにちは」「あれ、レースに出てたの。先々週ワカちゃんが来てたよ。さすがに全部トップだったわ」。このコンビも前レーストップだったようで、オリンピックのこの辺のクラスの子達は、頭2つほど抜けてるみたいですね。
去年彼女達の地元岡山でのジュニアクラブの立ち上げのことで何度か連絡しあったのを思い出し、その後の経過を聞いてみました。現役メインなので、ヨット体験や短期ヨット教室をやってるようで、本格的なジュニアクラブの立ち上げには至っていないようです。立ち上げの時は、安全面でヨットを知ってる人が必要で、部員の親御さんをクラブ運営に引き入れていくノウハウがないと、継続的な発展は難しいと思います。そうでなくちゃ、彼女達がずっとクラブについていなきゃなりません。岡山のヨット乗りの2世がまだ幼稚園ぐらいの年齢のようで、この子達が小学生に上がってくる頃がチャンスだと言ってました。岡山に新しいクラブが出来るのは、兵庫ジュニアの子達にも楽しみが増えます。ディンギーヤード裏の駐車場に戻る彼女達と、近藤さんや松永君のオリンピックのことや、彼女達が次のロンドンをどうするのかウダウダ話しながら、バイクに戻りました。
家に戻り、シャワーを浴びてさっぱりしてからバイクにつけるタンクバックを見に行きました。持ち合わせがなかったので冷やかしだけで帰ってくると家内が戻っていました。「バイクで走ってるの、バスから見たよ」と言われちゃいました。果たしてどんな風に写ったのでしょうか?
その夜、次男君から電話が入りました。今年の卒業制作展で作ったヨットが学内準グランプリになったのですが、それを全国卒業制作展に出品したそうです。展示したパネルなどの書類審査を通り、実物審査に駒を進めたそうです。そこで来月それを取りに戻ってくるそうです。自宅に戻り船を乗せ、週末の2日間琵琶湖での470全日本予選に出場し、その足で東京に戻り展示会場に搬入するそうです。審査が終わり2週間後ぐらいにヨットを持って帰るようです。1/1サイズの素晴らしい出来のヨットなので、私から見ればグランプリ間違いなしですが、どうなることやら。結果は神のみぞ知る領域ですが、強行軍なので休憩をゆっくりとって何事もなく全工程を無事にこなすことだけを願っています。チャレンジ精神満点でいいねえ。

2008/8/18
週末は3日間、楽しく過ごさせていただきました。
金曜日は、高校ヨット部時代の同期とエ号でクルージングです。東京に住んでる同期が父親が1人で住んでる実家に月1で帰ってきており、お盆休みで帰ってきたのでミニ同窓会をしました。ヨット部同期4人中3人が集まりました。その他に、年末に集まってる高校からの同級生が1人加わり、4人で西宮から船を出しました。
10時に集合し、行き先は特に決めていませんでしたが、朝から南の3m/sほどが入っていたので、とりあえずセイリングという感じで、東出口から出ました。すぐにセイルを上げました。フルセイルで一文字の赤灯台を目指してクローズホールドです。私がヘルムスをしても仕方ないので、交代でステアリングを担当してもらいました。さすが元ヨット部員、無難にクローズを走り、タックもスムーズにしています。私はセイルアップの時から、指示役でウインチぐるぐるなど力の要るところは高みの見物をしていました。
数週間前から陸置きバースに置いてあった気になるTP52ですが、この日は朝から桟橋に下りており、初セイリング?をしていました。赤灯台の沖からジェネカーを張って帰ってきます。サポートのエンジンボートがその周りを走り回っています。チューニング中という感じです。
当たり前ですが、明らかにバウの波が我がエ号とは大きく違い、速そうです。オフショアのトランパックレース仕様だから、強度も十分あるでしょうし、今後のレースでの結果が気になるボートです。
赤灯台を出る頃、11時頃でしたが、昼食の話題になり、北港YHのパパヘミングウェイに電話をしてみました。お盆ですが営業してるようで、一応12時に予約を入れました。さあここからが大変でした。赤灯台から北港はほぼランニングまで落とさなければなりません。風は2〜3m/sで暑いのなんの。このメンバーでスピンを上げるのは無謀なので、時々上り目に走りジェノアをはらましスピードを上げて風に吹かれました。でもいよいよ予約の12時が迫り、時刻を30分遅くしてもらって、エンジンを回しながら機走で北港に入りました。
いつもの1200円?のパスタ定食にしようと思っていましたが、お盆料金でそのメニューはなく、2000円からのランチだけになっていました。うだうだ話して2時前に帰路につきました。午後は予想通りいい風が入ってきました。朝の感じで6m/sぐらいまでいくかなあと思っていましたが、8m/sオーバーまで上がりました。大阪湾の上の海面に白波が踊り、強い日差しにキラキラ光っています。典型的な西宮沖の夏の午後です。
バースに戻り、デッキを洗い、ディンギーヤードの方に帰りました。ここで電話が入りました。リュックから電話を出すのに手間取っていると切れてしまいました。電話機を開けると、「着信メッセージあり」となっています。電話機の指示通り操作すると、家内からのメッセージが残されていました。「来てみたけど、帰るね」・・・どういうこと?と思いながら電話を閉じました。ほとんど携帯電話を使わない私は、この電話にメッセージ保存機能があることを初めてしりました。
関西ヨットクラブ3Fレストランでお茶することになり、1時間ほどまたウダウダしゃべって解散しました。バイクで来ていたので、プロテクタージャケットを着て、膝のプロテクターも着けて171号線を帰りました。朝も同じく171号線を走りましたが、信号待ちでもすり抜けに自信がなく車の後ろに止まったままで、バイクの利点を生かせませんでしたが、帰りは原付の時のようにすり抜けで信号の先頭に出ることをやってみました。
朝、上り坂も練習しなくちゃと、甲山まで登り、頻繁なシフトチェンジで大分バイクに慣れてきたこともあり、少し自信がついていました。フル加速の元気な2スト原付お兄さんともっと大きな排気量のバイクには負けますが、アクセルをそれほど開けなくても、普通に車には負けずに発進できました。これなら信号先頭になっても、エンストさえしなければ迷惑を掛けなさそうです。
自宅に戻り、しばらくすると家内が帰ってきました。電話のことを聞くと、携帯電話を持たない家内は公衆電話から電話を掛けてきたそうです。公衆電話がハーバーになく、外に出てしまったので、再びハーバーに戻るのが面倒で、バスで帰ってきたそうです。呼び出し音の後、メッセージ録音に切り替わったので、私が携帯を取らない仕様にしていると思って、私とのコンタクトを諦めたみたいです。
携帯はいろんなところに入れるので、すぐに取れない時があります。つながらない時はもう一度電話してもらうことにしました。お互い携帯電話はほとんど使わないので、ダメですね。せっかくみんなに会いに来てくれたのに、ハーバーで会えなかったのが残念でした。ちょっとみんなに自慢したかったかも。

土曜日は、朝から京都に出かけました。北関東から知り合いが青春18切符で関西に出てきているので、会いに行きました。私より10才ほど年上のサンデー毎日な人で、年数回いろんなところに1週間単位で旅行しておられます。
16日の京都五山送り火を見物に来られたようで、ご一緒させてもらうことにしました。家内に話すと、13日から帰って来ている次男君が東京に戻る日だから、そっちを優先するようです。いくつになっても旦那より息子を優先するのは、賢明な選択でしょう。
ということで1人で京都に向かいました。待ち合わせはJR二条駅。貸し自転車を借りて、自転車の機動力で京都を走り回ろうという計画です。駅で2年ぶりに会った見知った顔は、以前と変わらない笑顔でした。なんと1200円の宿に泊まっているようです。以前泊まっていた京都の定宿は、2000円と破格の安さだったのに、500円値上がりしたので浮気したそうです。それでもこの料金です。しかもお盆料金で200円アップしているらしく、通常なら1泊1000円です。この方、以前は数店舗の書店を経営されており、奥さんも会社の経営者で現在も各支店を飛び回っているお金持ちなのに、何故にいつもこのような安旅行なんでしょう。
国内の移動は青春18切符利用なので、学生の長期休みに合わせるようにその時期になると、旅行を開始されます。そのことを聞くと、安宿は国際色豊かな宿泊客になるからだそうです。しかもみんな若い。若い頃世界を放浪し、南アジアの難民キャンプのボランティアなどを経験しているので、スラムにでも平気で行けるそうです。そして大抵はインターネット使い放題なので、PCを持ち歩かなくても現地で情報を得て臨機応変に予定変更できるからのようです。何か旅の達人のような感じです。
前日朝この宿に入ったのですが、宿の貸し自転車が全部出払っていたので、京都散策を諦め、急遽電車で奈良見物に行ったそうです。奈良の鹿は暑さでグロッキーだったそうです。木陰で休んでいたり、中には池に前足をつけている鹿もいたそうです。なんかこう暑いと、人間も鹿もやることは一緒のようです。
二条駅で自転車を借りようとしたら、このHさんが宿の自転車を2台借りて持って来てくれていました。駅で借りると1000円だけど宿だと500円だから・・・だけどボロだけどねって。美術館・博物館フリークであるHさんは、国立近代美術館のタダ券を2枚持っていました。私の本日の目的、五山送り火護摩木を奉納することと、映画「クローズドノート」のあの場所を見ること、それに2人共通の目的送り火をライブ見物すること、この4つを自転車で回るつもりで、二条を東に向かって走り出しました。
しばらく走ると、京都御所の南側に沿うようになりました。せっかくだから道路を走るより御所内を走ろうと御所に入っていきました。自転車の機動力ですね。バイクでも入れない場所です。広大な御所の敷地内のジャリをエッチラオッチラ漕いでいると、池が見えてきたので、そちらに入りました。東屋があり日本庭園になっています。東屋に上がると拝観料がいるようなので、自転車を置いて庭園内をうろうろ写真をパチパチ撮りました。
再び自転車に乗って東に向かいます。東側の門が見えてきたので、そこから御所を脱出し、よく京都地理もわからないまま更に東に向かいます。Hさんが何度も地蔵さんで止まって写真を撮り、裏道を東に進んでいると、京大病院の北側に面した道になりました。ということは、南北の高さ的には美術館より銀閣寺の今出川通りに近いようです。
最初の目的地を銀閣寺にし、東大路通りを北に方向を変えました。するとすぐにあの京大吉田寮です。何度もこの前の道は通っていますが寮に入ったことはありません。ウワサでは相当ひどいけどとんでもなく安い寮費、確か1ヶ月数百円。でもちゃんと寮生が続いているそうです。自転車を寮の敷地内に入れて、見学です。大きな木にやぐらが組んであり、秘密基地のようになっています。4mほど上ったところにテラスが作ってあり、ベンチまであります。夕涼みに最高なのかもしれません。一見畜産小屋に見えた建物に「吉田食堂」と書いた看板がかかっています。グリークラブや囲碁クラブの入った部室棟があります。こちらも吉田寮に負けない古さです。そして吉田寮。広い玄関は開け放され、上がってすぐのところにTVがあり、その前の数脚の長いすに数人の寮生と思われる学生がTVを見ています。我々が興味深々で入っていっても、なんら気にかける風はありません。
寮の雰囲気に合うチープな価格の紀州田辺ツアーのでかい案内看板が、入口の横に立てかけてあります。寮入口内には、年代物のナウシカのポスターが貼ってあり、宮崎駿ファンがいたようで、その関係物が数点無造作にあります。
いかにも権力になびかない自由な校風を旨とする京大らしく、ここの一角は治外法権になってるようです。ここまで徹底的に古いけど汚いけど安いを追求していると、学校側もいまさらここをどうにかしようとは思わないのでしょうね。筋向いの京大医学部が、世界最先端iES細胞の本拠地であるこの立地が、何でもありの奔放さを内包するこの学校を象徴しているのかもしれません。
11時半になりお腹がすいてきたので、京大内の学食で食事することにしました。正門を入ってすぐ左のカフェレストランという雰囲気のこぎれいなところです。春、ヨット部の手伝いでここに来て、一度食べてみたいなと思っていたところです。若いウェイターやウェイトレスさんが小気味よく動いています。総長プロデュースカレーは中々うまかったです。時計台内の資料室を回り、時計台内レストランのメニュー金額を確認し、次はこっちで食事をしようと思いました。
今出川通りに出て東に向かい、銀閣寺前の哲学の道で自転車を停め、門前土産屋で帽子を買い、銀閣寺入口前の仮設テントで護摩木を2本買い、家内に頼まれていた(そんなん病か?)というような願い事を、私の願い事とともに書き奉納しておきました。その夜の送り火で、大文字の火になるはずです。
哲学の道を南下し、近代美術館に入りました。久しぶりに芸術とやらに浸り、祇園方面に向かおうと思ったら、外は雨になっていました。前のコンビニで傘を買ってもいいですが、急ぐこともないので、しばし美術館内のコーヒーショップで休憩です。窓の外には鴨川に向かう疎水本流が流れています。
そして驚いたことに、目の前の疎水本流から分流されて小さい川になっています。きっとこれが白川疎水の流れです。河岸には浅い白川疎水に下りれるようになっているらしく、数人の大人とワンちゃんが疎水内を歩いています。夏の昼間は日常的に、近所の子供達が疎水の水の中を歩いているのかもしれません。次のルートが決まりました。でも雨がやまず結局2時間ぐらいそこにいたように思います。
やっと雨が上がり、白川疎水沿いの道を自転車で下り出しました。「クローズドノート」のあの小さな細い橋は何処かなあ?疎水にかかる石造りの橋はどれも雰囲気があります。しょっちゅう止まって写真をパチリです。そしてとうとう見つけました。あの橋です。
少し広い橋も数十メートル上流にありましたが、きっとこっちです。知恩院正面の橋の20mほど上流でしょうか、川底から数十センチのボードウォークからカメラを構えたら、映画のあの雰囲気に写真を写せます。幅は1mもない細い石造りの橋・・・雰囲気があります。両岸に続く柳と、これはラッキーですが、鴨川からやってきたのでしょうか川サギが水流の中をゆっくり歩いています。やはりここは最高の雰囲気があります。観光客もいません。
ボードウォークの横に仮設テントが張られ、お盆の町内行事なんでしょう、たくさんの供物が置いてあります。と、そこにお坊さんがやってこらて、近所の方も出てこられ、法要が始まりました。こちらも、とてもラッキーでした。
さらに白川疎水を下ると、観光案内に紹介されているのでしょう、いかにも京都という雰囲気のお茶屋さんが並ぶ道に、火曜サスペンス劇場などに出てくる橋。観光客が多く、浴衣のお嬢さんに混じって、1/4は外国人です。
西に向かい少し南に下って四条に出て、祇園界隈、都踊りのメッカ、風神雷神絵巻があるお寺、芸能人が出てくるのか、たくさんのカメラを構えた観光客に囲まれた御茶屋さんの玄関を通り、西に向かうと自転車を押して歩く狭い路の正面に清水寺の近所にある五重塔が見えます。絵になりますね。道は段々のぼり、清水寺に続いているようです。
ここで界隈散策をやめ、本日のメインイベント、大文字の送り火を見に行くことにしました。再び今出川通りまで北上です。東大路通りをギッコギッコひたすら北上し、再び吉田寮の前を通り、百万遍交差点までやってきました。斜め左、出町柳の駅方向に曲がります。いかにも地元の、という雰囲気のうどん屋に入り、田舎そばを食べ腹は万端整いました。次男君の元下宿の前を通り、出町柳交差点に出ると、警察車両が停まっており、街宣車のようなその車両の上で婦人警官が「橋の上で止まって見る事はできません。止まらずにお進みください」と叫んでいます。「自転車での通行は出来ません。押してお通りください」。すごい人手で、とても自転車での通行は出来ません。申し訳ないなと思いながら自転車を押して橋を通り、横道にそれて自転車を置き、土手に下りました。時折フラッシュが焚かれるのか、大文字山の中腹に大の字が想像できます。
そしてその時、8時ジャストに大文字に火が入りました。中心が一気に明るくなったと思ったら、すぐに大の字に火が入り、大文字の送り火が夜空に浮かび上がります。想像以上に大きいです。送り火というのは火が入って30分ほどで消えるそうなので、10分ほど五山送り火のメイン大文字を堪能し、他の送り火を見るために西に向かいました。
そば屋さんが言ってたように、今出川通りに出ると、何処からでも綺麗に大文字が見えます。二条の宿に戻り、自転車を返し、屋上に上がります。そこには数脚のテーブルと椅子があり、宿泊客が送り火を見ながらだべっています。英語やスペイン語?に混じって、ここにはむしろ不似合いな日本語が聞こえます。舟形と左大文字が見えています。銀閣寺裏の如意が嶽の大文字に8時に火が入ってから、10分刻みぐらいで五山に次々に火が入るようです。
初めて五山の送り火をライブで楽しみました。二条の駅まで歩き、10時過ぎに家に戻りました。次は家内と来たいです。

日曜日は我が家の墓参りです。ここで眠る仏さんは父だけです。6時頃に目を覚まし庭の伸びすぎた植物を引っこ抜いたり、剪定してゴミ袋に入れていると、家内が「最近、庭のお手入れに精が出ますねえ」とやってきました。そして「お婆ちゃん、今日お墓参りに行かないんだって。体調が少しって言ってたよ」と笑っています。がっかりです。母は自分優先で人のことは考えない人だから、こうなるんじゃないかなあと思っていましたが、しょっちゅうあるドタキャンをまた食わせられました。
母の為に、墓参り後に丹波篠山で食事して、立杭焼き会館で焼き物体験、そしてその隣にある大村昆の館で、昭和の香り満点の看板などを見せてやろうと計画していたのも御和算です。人の計画に乗ることは、それを計画した人の喜びでもあります。だから人からのプレゼントには、遠慮なんてしたらダメです。いつものウソで毎度おなじみのドタキャンで慣れてしまっていますが、血のつながりのない家内の内心を思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。人の気持ちを大切にしないので嫁姑問題でもめてもおかしくないですが、素晴らしい家内がいつも我慢しています。申し訳ないなあ。
ということで、2週間前の家内の実家のお墓参り同様、2人で墓参りです。昼に篠山を目指す必要がなくなり、10時出発も意味がなくなりました。さてと・・・ここでいいアイデアが閃きました。僕って天才です。家内が行きたいと言っていたキリンのビール工場見学です。PCを立ち上げ検索してフムフム、日曜日でもやってるらしい、予約が必要だけど9時から、場所を調べ、GPSに入れルート検索します。
仏壇にチンをして、家内に急かされるように8時前に家を出て墓参りし、篠山に抜けます。ここでやっと9時になり工場に予約電話をしてみます。日曜日だから混んでるかもなあと思いましたが、定員40名で10分毎に工場案内ツアーが出るらしく、問題なく予約できました。
篠山から高速に乗り、神戸北三田インターで下ります。工場はインターの近くで、住所からすると神戸市の一番北のようです。駐車場に入れようとするとガードマンさんが3人もやってきます。さすがにキリン、厳重です。にこやかにガードマンさんに見学受付への道を教えられ、玄関に向かいます。玄関横には、キリンのビール缶の被り物バスが置いてあり、これで最寄駅との送迎をしているようです。さっきここに来る途中で、本日稼動している被り物バスに出会いました。
家内を入れて写真をパチリ。受付にお姉さんが3人います。パンフレット・ビールの試飲券を2枚、10時10分と書かれたツアー出発組を書いた名札を着けます。ドライバーの私には、ソフトドリンク試飲券2枚と名札の他に、ドライバーでアルコールはダメよみたいな名札が着きます。
2Fのツアー待合場所にいると、10時10分出発の案内のお姉さんがやってきました。10時ジャスト出発の本日の第一陣が、最初のところでなにやら説明を受けています。第一陣が次の場所に移動していったのに続き、出発です。原料のこと、ビールが出来るまで、ビールの歴史、つまりキリンの歴史でもあります。40分で見学終了です。カメラ撮影はOKでした。最後の20分は、社員食堂風のところで試飲です。試飲席なんでしょうね。
家内はキリングリーンラベルを、私はキリンビバレッジのソーダドリンクを頼みました。おつまみも1袋もらいました。お姉さんがビールのおいしい注ぎ方を実演されます。一気にドッと入れると苦味の残った辛口になり、ゆっくり注ぎ、泡がはじけて半分ぐらいになってからゆっくりと注ぐのを2度繰り返すとマイルドな口当たりになるそうです。
お姉さんが注いだ2種類のビールの試飲に、おじさんが立候補し飲み比べていました。確かにそうだと言っていましたが、ビールの飲めない私には、その真意の程は分かりません。皆さんが注目のあの場面では、お姉さんに同調しておくのがいいでしょう。がんばって説明してくれたのに、あそこでへそ曲がりな意見を言うのは、いただけないからなあ。
2枚目の試飲券は、おつまみに交換してもらいました。家内はグリーンビールで酔っちゃったとちょっとトロンとしながら言ってました。「おっとここはチャンス・・・」なんて、私は家内に向かってナニ考えてるんだか・・・。「さすがに大企業ねえ」と家内は社員の教育に、しきりに感心しています。ビール部門ではないけれど、長男君の会社の一部門に触れて、何かいい気持ちです。
母へのお土産を買い、工場内レストランで昼食を取りました。フィッシュのランチは中々うまかったです。お代わり自由のパンもうまく、家内がもう少しもらってお土産にしたらよかったなんて言っています。JR尼崎駅前にあった工場がこっちに引っ越してきたのですが、足の便のいい尼崎で、同じような無料工場見学なんてしていたら、ビールをただで飲めるという目的だけの為に、常連のおっちゃんが大量に発生しそうです。ビール好きのお父さんを「ドライバーなのでアルコールはダメよ」名札でプロテクトできるこの立地がいいのかもしれません。
気持ちよく工場見学を終え、子供達が小さな時以来久しぶりに箕面の滝に行き、父が好きだった勝尾寺に参りました。絵馬掛けには、さすがに勝利祈願のお寺らしく、有名な女子プロテニスプレイヤーの絵馬や、このオリンピックに出場している柔道選手の絵馬も下がっていました。でもやっぱり一番多いのは、受験関係ですね。「どうか・・中学(高校・大学)に合格できますように」。
その帰り、これも家内が行きたいと言っていた万博外周道路のところになるスーパー銭湯に寄りました。ここは温泉だそうです。日本は、何処でも深く掘ると温泉に当たるのかなあ。風呂上りにTVのある座敷で家内と待ち合わせ、それからフェイシャルエステに行く家内をカキ氷を食べながら待ち、1日中2人で過ごしました。
この1日で、家内にかなり点数を稼いだかもしれません。稼げる時にしっかり稼いでおかないとね。

2008/8/12
(つづき) ということで、やっとこハーバーを後にしました。4時を少々回っています。自宅に戻り、バイク用に新しく買ったヤマハのヘルメットと、これまた新しく買ったバイク用手袋を持ってバイク屋さんに向かいます。
バスで15分かなあと思いながらバス停に向かっていると、運よくタクシーが来ました。バイク屋さんに着き、盗難保険の書類にサインし、リアバックや盗難予防ロックの話を聞かせてもらい、自分のバイクでメンテナンスの説明を受けます。
中古だけど走行距離がまだ1000kmも行ってないバイクを手に入れました。免許では400ccまで乗れますが、毎日通勤で原付に乗ってるとはいえ、ギヤのあるバイクはまだ初心者なので、教習所のCB400ほど加速がよくなくてもいいから、取り回しのいいのがいい。
店長さんが、ネイキッドならこれと勧めてくれたバイクです。特徴はないけど、壊れにくい・乗りやすい・燃費がいいトータルバランスで、ホンダVTR250です。2台あったVTRで白の方がカラーリングが好きだったけど、走行距離が少なく、「これほぼ新車のまま置いてあったようで、どこも痛んでないから、ほぼ新車ですよ」と言われて決めた青の方です。
壊れないのと燃費がいいのでバイク便によく使われているというのも決め手でした。プロが使うものならオーソドックスでいいんじゃないかな。
雨の日に乗ったらチェーンオイルを差しておく、ブレーキパッドが減ってきたら交換する、チェーンが緩んできたら後輪タイヤを動かす、3000kmか半年ごとにオイル交換をする、・・・まあ私のことだから、定期的にここに持って来てプロに整備してもらうことになるでしょう。
最後に、バイクを外に出してスイッチ類の操作を教えてもらいました。サイドスタンドを下ろしたままだったら発進できないらしい、バイクなのにハザードもできる、エンジンを掛けると原付同様ライトはつきっぱなしになるのですね。さあ、家まで乗って帰れるでしょうか?初めてのバイクの人で、前が国道で交通量が多いから、すぐ横道に入り交通量の多い道を避けて帰る人もいますよと、少し私を安心させてくれますが、後方の信号が赤になり交通量がなくなった時に国道に出ました。
スムーズに2速に入りました。加速して3速・4速、右ウインカーで追い越し車線に入り、いきなりの右折に備えます。エンジンブレーキがよく利きます。車がAT車になった時、エンジンブレーキが利かないのに驚きましたが、ギアダウンしエンジンブレーキを利かせながら減速すると、フットブレーキだけで止まれます。それも最小限です。教習所では長い直線がなかったので分かりませんでしたが、車よりずっとエンジンブレーキが利くようです。
特に不都合なく自宅に戻ってきました。バイク屋さんに長くいたので、その間に家内が帰宅しているようです。せっかくの日曜日に、これだけでお終いもなんか味気ないので、近所を少し走ることにしました。交通量の多くない道を選択し、10分ほどの教習所に向かいました。まだ7時にもなってないのに、教習車は走っていませんでした。日曜日は少し早く教習が終るのかもしれませんね。なんか愛想ナシになってしまったので、このまま武庫川を下ることにしました。広い道じゃないけど、そんなに交通量が多くなく、昔から好きな道です。
結局河口まで下ってしまいました。気付いたことは、ヤマハのゼニスというヘルメットは、原付で被っているヘルメットと違い風切り音がほとんどしない、巻き込み風もほとんどない、同じジェット型ヘルメットなのに随分違うものです。教習車でギアが入らない時、「ハンクラにすると入るしどんなバイクでもこうだよ」と教えてもらった通り、入りにくい時が一度あったのですがハンクラにしたらすぐに入りました。ギアが教習車より入りやすい。安全靴はつま先が厚いので、深くギアの下に入れてシフトチェンジすると靴が抜きにくい。これは浅く靴を入れると平気でした。一度60km/h弱までスピードを上げましたが、ほとんど制限速度40km/hのプラス10km/hまでで走りました。気持ちがいいです。タイヤが太いからか、原付より安定しているようです。
河口でバイクを停め、一時海を見ながら青春しましたが、納車初日に往復で30kmほど走りました。ドコドコ言う低めでおとなしいエンジン音が心地よく、アクセルは400ccほどではありませんが、車より敏感に反応します。車でも急加速しないからやりませんでしたが、右手をひねるとガツンとスピードが出そうです。でも臆病だからすることはないでしょうね。終始ローギアで停止、右足は止まっていてもリアブレーキの上という教習所で習った通りの運転で家に戻り、カバーを掛けロックしてお終いです。
肩に力が入っていたからか、後半手先がしびれました。信号で止まっている時、右手をハンドルから離しブラリとしたら治りました。左手は停止中もクラッチを握ったままだったので、長い信号のときギアをニュートラルにして左手もブラブラ、これで解消しました。検定では右足をついたら減点でしたが、通常の運転ではそういうことは言ってられないようです。原付で手がしびれたことはなかったので、原付より前かがみの姿勢に原因があるようです。慣れて体が楽な姿勢を覚えるまで仕方ないですね。
意外だったのは、乗り心地がとてもソフトだったことです。原付で段差を踏むとゴトンと来るのですが、大きなバイクはサスペンションが大きいからか、車に乗ってるようにお尻に響きません。次男が生まれた時、1600cc乗用車から2500ccワンボックス車に乗り換えた時のふわっとした感じの差以上です。2年前に「夏は青春だろう」と原付で琵琶湖に行った時、お尻に厳しかったけど、このバイクでは大丈夫かもしれません。
車がAT車になり、車は移動手段に成り下がりました。同じく移動手段であるモーターボートとヨットの違いのように、ギアチェンジのあるバイクは移動中も楽しいです。ニュートラルしかランプがないので、今何速か考えながら走りました。
スピードメーターとタコメーターを見比べて、何速かだいたい分かるようになりました。このバイクは、5速・40km/hで、4000回転です。教習所では余裕がなく見れませんでしたが、もっと大きな排気量のバイクだったら、3000回転ぐらいなのかもしれません。私の運転だと3000〜4000回転でほとんど走ってるみたいです。
減速した後の再加速でギアが高すぎてカラカラ言う時が2度ありましたが、当時AT車なんかなかった、車に乗り始めの頃を思い出します。「おっと」とすぐにシフトダウンしてエンストを免れましたが、こういうのが面白いのですね。バカチョンのAT車より、失敗もするけどやっぱり一眼レフのMT車です。
家内がバイクを見て、「思っていたより大きいわ」と言ってました。でもかっこいいそうです。今までで最高に長い日記になってしまいました。

2008/8/11
日曜日は、ヨット部の先輩の散骨式がありました。その上、手伝ってる京都ヨット部が、新西宮YH会場の関西470・SS・スナイプ選手権に参戦してるので、その観戦もあります。
当初は、レース観戦だけだったので、朝から浜に向かう予定でしたが、急遽散骨の連絡が入り、10時集合ということになったので、朝一番に散髪屋さんに向かいました。お盆だからちょっとはマシな頭にしとかないとね。小学生の頃からずっとお世話になってる散髪屋さんへ。ここに来ると何故か落ち着きます。
9時半ごろハーバーに着くと、ディンギーヤード・ゲート前で、ダッチ君・スギノ君と一緒になりました。ちょうどレース艇が出艇したところです。京都は大阪大学の艇庫に居候させてもらってるようで、スギノ君達はそちらに向かい、私は観戦に出ようとしていたタナカさんと少々話し、エ号に向かいました。
桟橋を歩いていると、ツインスター号の方からシブカワさんご夫婦がツインスターメンバーの他の先輩方と一緒に向かってこられます。10時集合はハーバーのセンターハウスロビーだそうです。エ号はライフライン・ゲートもしまったままで、今日はまだ誰も船に乗っていないみたいです。ゲストも乗られるだろうし、毎度の始業点検をしとかなくちゃね。ハッチを開けて換気し、エンジン始動を確認、そしてトイレ掃除です。トイレの水の流れは、前回よりさらに悪くなっています。流し続けていると段々よくなる。きっとパイプ内にくっついた海洋生物が少し落とされるからなんでしょうね。
10時ちょうどにセンターハウスに入ると、カワセさんやシバタさん筆頭に先輩方が揃っておられます。すぐに船に向かい出艇です。どうやら私が参加者の中では一番若いようです。小走りに桟橋ゲート急ぎ、カードでゲートを開けて皆さんが通過するまでゲートを押さえていると、浜永さんが来られました。
浜永さんは、エ号の方に乗られました。アルコール好きなので体調を心配していましたが、お元気そうです。学生時代監督をしていただきました。

ラッキーで上位入賞した全日本で、翌年のナショナルチームに選ばれました。翌年は、日本で初めて470ワールドが浜名湖で開催されます。開催国枠で出場艇数も7艇に増え、地元開催で470協会も力が入っていました。
翌年はキース・ムストーなど、実力者をコーチとして迎えて、NTだけの合宿がありました。NTと言っても今のように6艇ではなく、前年度全日本上位20艇だったように思います。月1回、合宿やレースがあり、それで世界選手権出場選手を絞り込んでいきます。選考レースは3回です。
学生最終学年でとても合宿には参加できないだろうな、でも参加したい、お金が・・・という状態でしたが、470協会理事でもあった浜永監督は、積極的に後押ししてくれました。「学生より1つ高いレベルで揉まれ、チームにフィードバックしたらいい」「チャンスや」「470チーフのおまえがいなかったら負けると思うのか?いなくても勝てるように練習したらいい。そして仲間を信じろ」。いい言葉を頂きました。選考レースや合宿中、協会の用事で来られるときは、夕食を誘っていただいたりしました。厳しい監督だったので、かなわんなあと思ってたチームメイトもいましたが、今でも「監督」と言えば浜永さんです。結局最後3回目のレースに行く資金がなくワールドを断念しましたが、本当にお世話になりました。「なんで参加しなかった」と監督には後日叱られましたが、3回目の選考会と国体が1週間しか余裕がなく、親からも「どっちかにしろ」と資金供給を止められたので仕方なかったのです。国体をキャンセルしたら、県にも多くの人にも迷惑かけなきゃならないので、選択肢はありませんでした。
2回目までのランキングが6位か7位でした。でもクローズホールドのレグは、強風でも実力者と対当に戦えましたが、強風のフリーレグでは歯が立たず、全国トップ6〜7チームと自分の実力差を思い知らされました。後日浜永さんから「470協会内部では、選考会総合で15位以内だったら私がワールドに選考されるようになってた」と聞きました。学生で唯一トップ20に残っていたので、将来性を買われたようです。でも、仕方ないです。
前年の全日本、風が落ちて100位ぐらいから一気に3位まで1レグで順位を上げたレースがあったり、絶対左から来るとアウタースタートから1艇だけ離れてスターボで突っ込んだところにド強風ブローが入り、1上ダントツトップがあったりで、ラッキーでNT入りしました。その4日間レースで2日目を終えて3位で、「舵」のインタビューを受けました。その後順位を落としたので、幻の舵記事になりましたが、楽しい思い出になりました。
ラッキーで始まり、資金切れであっけなく終った私のワールド・チャレンジ・キャンペーンでした。小松さん・高橋さん・三船さん3艇のヤマハチームの強さ、マリンクラフトチームでご一緒させてもらった関東自動車工業の小川さん・江ノ島ジュニア出身の藤田さんのしぶとさ、松山さんのベアセイリングでの速さ、何故かいつもそこその順位を取り大崩れしない二宮さん・・・同じ土俵で戦い肌で感じたスピードトップ3は、小松さん・三船さん・松山さんでした。
そして一番の思い出は、合宿中に小松さんから「ヤマハに来ないか」と誘われたことです。全日本でド強風ダントツトップの時、ダントツのままアビームスピンでブローチング沈をしました。再帆走してまだ20番台でしたが、沈してる横を2位の小松さんが抜いていきました。そのとき「がんばれよ」と声を掛けてくれました。それが私だったことを覚えていてくれたのです。
470の技術や艤装以上に、いろんなことを学びました。親から見れば、ヨットなど単なる遊びです。自分でもそう思っていましたが、夢を乗せてもいました。働き出してわかりましたが、資金ショートは「たった」十数万円でした。親になって、子供の言ってくることには出来るだけ協力し、たとえ遊びでも思いっきり勝負させてやろうと思うようになりました。
監督から言われた「チームメイトを信じろ」。470チーフとしての立場から来るチーム優先か、何処までできるかチャレンジしてみたいという個人の気持ちで揺れていた明日に、すっきり答えを出させてくれました。5月連休の470合宿に向かう時、「僕はいないけど、このレース絶対勝とう、勝てる、僕らはそれだけの練習を積んできた」と言って、クルーと2人でチームを離れました。合宿中、艇庫には電話がなくこっちからは連絡できませんでしたが、毎日レース結果などを宿舎に連絡してくれました。結局私がいなくても優勝してしまいました。前年の全日本でクルーをしてくれたY君が、スキッパーで全レーストップを引いてくれました。高校からのヨット経験者として彼に負けていられないと、その後の練習で必死になれました。そのライバル関係が結局、学生のレースではどの大会でも2艇でレースを席巻する結果につながりました。まあ全日本インカレ団体戦では、微風でまったくダメでしたけどね。
前年度、ちゃんとした学生個選がなかったので、一般470全日本学生トップの私とY君が、一応学生チャンピオンと発表されましたが、この年はきちんと各水域で予選があってちゃんとした学生個選が江ノ島で開かれました。
強風シリーズで着順トップだった私は、ブラックバンド失格で1レース横文字を食らい15位ぐらいだったと思うけど、Y君は2位になりました。トップは今玄海ジュニアを教えている真崎さん、3人だけが全レースシングルでした。第1レース、15m/s以上のド強風が入り、トップで上マークを回った私はスピンを上げました。ムストーさんのNT合宿で、江ノ島の風速計で25m/sを記録した日、ショートコースのマークラウンディング練習をしました。船を壊すことを恐れて最初から出なかった艇や、途中で帰る艇もいましたが、最後の7〜8艇になるまで練習に参加しました。通常のレースではないポートからスターボへのジャイブを伴うアビームマーク回航、時計回りの上・下マーク回航もありました。最初はこんな強風の中、出来るはずもなくビビッていたら「スピンを上げろ」と非常な指示。上げると同時に沈を繰り返し、午前中だけで20回以上沈をしました。でも人間慣れるものです。午後は3回ぐらいしか沈をしなくなりました。ド強風のコツを掴み、スピンを上げる方が安定することもわかりました。だから15m/sぐらいの風、何の躊躇もなくスピンを上げました。
後続艇はスピンを上げないか、上げて沈するかでした。私はボートコントロールで必死で後ろなんて見る余裕はなかったけど、クルーの報告によると、上位ではY君と2艇だけがスピンでかっ飛んでいましたが、とうとうY君が沈をしてしまいました。それでも再帆走したY君は9位まで順位を上げてフィニッシュしました。上下レグでは1/3ぐらいの艇がスピンを上げましたが、スピンの威力はものすごく、上マーク近くでフィニッシュした時、2位はまだ下マークに向かっていました。もしあの時今のようにトップ艇からのタイムリミット15分とかいうルールがあったら、2位以下全艇DNFに出来ていたと思います。
チーム内にライバルがいることがどれだけ個人をレベルアップさせるか、「自分が教えてやろう」などと悠長なことを考えてると、必ずその時必死に練習してる他チームに足元をすくわれる。チームメイトを信じて、チーム内トップの自分がすべりを磨いていると、自分を見て、自分に負けたくなくて、チームメイトは自ら実力を上げてくる。チーム内トップが如何に更に上を目指すかで、チーム内2位・3位の実力が決まる。

浜永さんの登場で、かなり脱線した日記になってしまいました。話を日曜日に戻します。私がドライブしてハーバーを出ました。沖では、470・SS・スナイプ3クラスの全日本関西予選をしています。その隣では、難波誠メモリアル・マッチレースをしています。
横を通り、写真を写すために金野さんにドライバーを交代して、赤灯台を越え、いつもの散骨式をする場所に向かいます。散骨にはおあつらえ向きのソヨソヨ風の上天気です。
金野さんの用事で再びドライバーを交代し、ツインスターからの指示で3艇身ほど開けて横に並びます。坂東さんの進行で散骨式が始まりました。用意されていた追悼の言葉を坂東さんが読み上げ、最後にみんなで「アーメン」。次いで両艇から散骨します。エ号からは金野さんが代表して散骨。皆さん頭を垂れています。
散骨した場所を2艇で周回し、「1時からヨットクラブのレストランで会食があるので、遅れないように」と一旦解散です。ツ号はセイルを上げて帆走するようです。エ号は前OB会長柴田さんの「レースを見に行こうや」の一言でレース海面に戻ります。
多分第1レースだと思いますが、アキラ君が上からサイドマークに向かうスナイプの5〜6番を走っています。レースに出ているシブカワさんの息子さんを探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。お母さんも乗ってるので見つけたかったのですが・・・。お母さんは「レースに出てるなんて知らなかったのよ」と言ってはりました。浜に来て他大学ヨット部出身の彼のフィアンセさんから聞いたそうです。まあ、うちもそんな感じだし、男の子なんてそんなもんじゃないでしょうか。お父さんの方は何も言ってなかったので、「特に必要もないから言う必要もない」という、男子にしかわからない心境かもしれません。
12時になったのでレース海面を離れ、バースに戻ります。バースに着けて皆さんが降り、すぐにダッチ君に電話をします。午後からは京都の子達を乗せてレース観戦です。OBのダッチ・スギちゃん、4回生女子マネのミサトさん・ナホコさん、1回生のヒョウドウ君・フクナガ君・マツザキ君・・・みんなを乗せて2レース観戦し、最後はセイリングしました。クローズで六甲アイランドの方に向かいましたが、ミサトさんはヒールの大きさにビビッているようでした。スギちゃんにジェノアを半分ファーリングしてもらいヒールを小さくしましたが、びびってる感は顔から失せなかったような?
ということでバースに戻り、水をかけ十分デッキをブラッシングしてお終いです。
さあ、本日もメインイベント「バイク納車」に向かうつもりで、ディンギーヤードに戻り、京都の選手達に声を掛けていると、ナガホリユカちゃんがいるじゃないですか「レースに出てたの?お父さん・お母さんも来てるの?」「お兄ちゃんはマッチレースに出てて、両親もどこかにいます」。ユウキ君は来るし、ター君と同学年のカワタ君も来ました。カワタ君はナガホリ君のバウマンで参加したようです。
休学して470でアテネオリンピックを目指していましたが、最終予選で敗退し勉学の世界に復帰したようです。彼とは7大学戦でも戦い、ジュニア時代から長くヨットで競いました。両方ともヨット好きなので、きっとまたレースをする機会があるでしょう。一緒に乗ることもあるかもしれませんね。
車に向かうと和歌ちゃんがいました。国体の福岡代表としてSSで出ていたようです。京都の学生が、初日前レース福岡がトップと言ってたけど和歌ちゃんだったのですね。2位も同じ人と言ってたけど、元広島ジュニアの高橋さんのようです。
東京代表のユカちゃんが、あの2人は全然速いと言ってたけど、ユカちゃんだって元OPワールド選手だから、国体までには実力接近になるんじゃないかなあ。ナガホリお母さんは、相変わらずキュートで、「あ〜ら神谷さん」と楽しい会話になりました。「最近はドラゴンでレースに出てるんでしょう?こないだ江ノ島で青山さんのドラゴンに、ユウキと一緒に乗せてもらったのよ。優雅でいいよね」「今年の全日本、西宮であるよ、クルーでおいでよ」。
「またうちに遊びに来てね。ター君は?」の言葉で、千葉にいることを話すと、ユウキ君が「え〜俺も千葉で働いていますよ」って、ター君にナガホリ君が同じ県内で働いていることを伝えることになりました。 (つづく)

2008/8/3
日曜日は、結構盛りだくさんな日になりました。
最初の予定では、午前中にバイク屋さんからバイクに乗って帰り、午後の出艇に間に合うように琵琶湖に行く予定でしたが、手違いでバイクの保険が月曜日からということになり、バイクを取りに行くのが後日にずれることになりました。バイク屋さんは「午前中空けていてくださったのにすいません・・・」のようなことを言って恐縮しておられましたが、別に仕事に使うのでもないのでノープロブレムです。まあいろいろあります。
前日の夜、「ヘルメットでも買いに行こうかな」と風呂に入っていたのですが、突然「墓参りに行こう」というアイデアが浮かびました。うちの墓参りは17日と決めてあるのですが、家内の実家のお墓にいつ参るか決めていませんでした。家内に話すと「いいよ。でもお花ないねえ」。私はお花がなくてもお盆には姉夫婦が参るのでいいんじゃないかなあと思ってましたが、「今から買いに行く?着替えるよ」って。
夜12時まで開いてる大型ショッピングセンターに、家内を乗せて出発しました。道すがら「わざわざ家内を同伴しなくても、1人でバイクで来たらよかっただけだったなあ」なんてことを話していると、家内はどうやらこの時間帯のショッピングセンターに行ってみたかったようです。
お花を一対買っても1000円ほどでした。これじゃあ駐車場代は無料にならないだろうと、あと1000円ほど買うことにしました。「じゃあヨーグルト買う?これ必ずはけるよ」と提案し、ヨーグルト売り場を物色しました。我が家の定番の雪印さんや明治のブルガリアさんは1個200円ほどですが、ストアブランドさんは100円ほど。晩酌をしないのですが、毎晩ヨーグルト500gを1個食するのを日課にしています。ジャムをちょこっと入れてスプーンですくって食べるヨーグルトは、至福の時間を提供してくれます。子供達が小さな時は、3人でヨーグルトを囲んで、私のスプーンを待ち遠しそうに食べていたのに、中学生になる頃から「またヨーグルト食べた」と不評です。親父から赤ちゃんのような香りがするのが許せないのか・・・まあ持って生まれた不運だと思ってもらいましょう。赤ちゃんのプルプルお肌が獲得できたら幸せなのですが、世の中それほど甘くはないようです。
ヨーグルトだけで1000円分買うと結構重いし、冷蔵庫のヨーグルト置き場に入らないので、家内のコーヒーとともに買ってレジに移動しました。このレシートと駐車券で駐車場代が無料になるだろうと、係の人に聞くと、「1時間は最初から無料ですよ。これで2時間無料になりました」との回答。なんだ、お花だけで良かったんだ。

家に戻ると、すでに長男君は寝ていました。日曜日に中高の同級生の結婚式があるので金曜日に帰っていました。いつものように大阪出張に引っ掛けての帰省です。その1週間ほど前に突然彼のゴルフバッグが送られてきて、土曜日は中高の同級生達とゴルフに行ってました。炎天下、3時までプレイしていたようで、お早い就寝でした。
さて日曜日、夫婦ともども早寝早起きが更に加速されてきたので、7時台に出発し、お墓を拭き掃除などして9時過ぎには戻ってきました。ここからが大慌てです。というのも、お墓からの帰り「流れ橋って知ってる?」の会話から、急遽「流れ橋」を観に行くことにしたからです。家内は神戸で2時から用事、私は午後の出艇に間に合うように1時には琵琶湖の艇庫に着いておかなければなりません。
GPSに「流れ橋」と「JR長岡京駅」を入れて出発です。名神で大山崎JCから京滋バイパスに入ります。京滋バイパスを通るのは初めてです。最初の久御山淀ICで下り15分ほどで「流れ橋」に着きました。「流れ橋交流プラザ」なる町内会の集会所みたいな建物があり、駐車場は無料です。青空市みたいなのをやっていて、ご近所で収穫された野菜を売っています。「流れ橋」の場所を聞くと、この道を行くとすぐ土手に出るから・・・」とのこと。強い日差しです。
UVプロテクト万全の家内が「帽子を忘れちゃった」というので、車に戻り、入れっぱなしになってるゴルフ用の大きな傘を渡し、私もヨット用にモディファイしたワイヤー補強大型ツバ帽子を被り、日焼け止めを手と顔半分に塗ってイザ出発です。歩き出してすぐに土手があり、土手に上がると正面に「流れ橋」がありました。観光地なんだろうが、観光客はほぼゼロで、川遊びする為に木津川にやってきた家族が数組いるだけでいい感じです。
「流れ橋」は木造です。橋脚も橋桁も。もう一つの特徴は欄干がありません。大水が出て水位が橋桁まで上がると、幅20cmほどの板が無数に並べられた橋桁は流されてしまいます。橋桁が流されることで、上流から流れて来る流木などが橋に引っかかって橋全体が壊れるのを防ぐような作りです。橋作りで一番大変な橋脚に被害が及ばないことで、1人でも運べる橋桁を並べなおしてすばやく復旧させる知恵のある橋です。時代劇の橋のシーン定番撮影スポットでもあります。
随分前、「探偵ナイトスクープ」という番組で、「この橋桁は何枚並べられているか」というのを数える番組を見て、「いつか行くぞ」と心に秘めていました。調べてみると、正式名「上津屋橋」(こうづやばし)橋長356m、幅6m、支間5m、橋脚74基だそうです。
橋の前の看板には、「車は通れません。自転車は押して通行」と注意書きしてありました。歩いてみると、橋桁は釘で打ち付けられている程度なので、ゴトゴト言います。欄干がないのであまり端っこには寄れません。夏なので水量が少なく、川幅の大部分が乾いていましたが、適当に水量があると、吹き渡る風が涼を呼びそうです。でもそうなると欄干がないので怖いかもしれませんね。
向こうから日傘を差した私達と同年輩のご夫婦が歩いてきます。ロードスポーツ自転車に乗った年配のご主人が、自転車に乗ってきます。すれ違いざま、注意書き違反に恐縮してか、ぺこりと頭を下げて行かれます。原付バイクのお母さんが、ゴトゴト言わせながらゆっくり渡っていきます。水が流れているところでは、小さな子供を遊ばせているご家族がいます。日差しは厳しいですが、風景はのどかです。カメラを忘れたので携帯カメラに収めておきました。家内のアップも撮りたかったのですが、鼻の頭に汗を噴出して「ヘナ〜」な顔をしているのでやめときました。カメラを向けたらきっとNGを出されます。あっ、向こう岸まで渡り戻って来たのですが、橋桁の数を数えるのは忘れていました。
家内を長岡京駅に送り、琵琶湖を目指しました。この辺はいつも通過するだけですが、「淀」という地名には、かつて政治の中心だった秀吉時代の哀愁が篭ってるような感じがします。山崎・天王山・淀界隈を1日使って散策するのもいいですね。
艇庫に着くと、昼食が始まるところでした。「神谷さん、昼食ありますよ」とマネさんが声を掛けてくれましたが、家を出る時うどんをたっぷり食べてきたので遠慮しておきました。外ではダン君がバイクの手入れをしています。獣道から落としてしまったバイクです。その時の痛みを修繕しているのかなと思ったら、ほとんど被害はなかったらしく、さすがにオフロードバイクです。艇庫にあるドリルなどを使ってなにやらやっています。出艇の時間が近づいたのか着替えた現役のウエノ君が話に加わって来ました。レース会場の仙台までバイクで行った豪の者です。「500kmあるやろ?」「片道900kmでした」「何日で行ったん?」「1日で行けるけど、1泊しました」「どこに泊まったの?」「最初は・・の軒先で」と、マクドナルドやバイク屋さんの軒先ばかりでした。「日本海は綺麗でした。楽しかった」・・・こいつすごいです。大物です。
昼からの出艇なので、インフラに乗って浜から出てレスキューに乗り込みます。マネさんが3人沖にでましたが、2人は果敢にも半そでです。お若い女子では入店に勇気がいるかもしれませんが、職人の店に風通しのいい長袖が安価にあることを教えておきました。レスキューに乗ってからも、何度か日焼け止めを塗っていました。いいですね。女子の身だしなみを見るのが結構好きだったりします。洗剤の宣伝ではありませんが、ニュービーズと同様、「白さと香り」はいかした婦女子の魅力の第一です。
この日はいい風が入り、気持ちよく練習できたのではないでしょうか。昨年のスナイプチーフのスギノ君がレスキューに乗っていたので、私が運転し、スナイプ艇に接近戦を挑み、走りながら会話が出来る環境を提供しました。インフレータブルボートだと平気だけど、ハードボートだと接近戦は結構大変だったりします。練習後のミーティングも盛り上がり、半月後に迫った全日本予選の本番に向けて有意義な1日になりました。
4回生は4年間の集大成なので、焦りや不安が大きくなる時期ではありますが、結果は神のみぞ知る「神様の領域」です。気まぐれな神など気にせず、今までの精一杯をぶつけたらいいと思います。最近の有力校は、入学時から出来上がってる選手を各学年複数擁して、4年間スキッパーとかクルーとかの分業制になってるのも多いです。でも私が学生だった時のように、スポーツセレクションなく、ほとんどの選手が最初1人乗りで沈を島倉千代子(古!)して(しまくって)、クルーを経験しスキッパーに育つというこのヨット部が結構好きです。がんばってんだよね。結果を求めてミスを怖がり小さくならずに、思いっきり行ってほしいね。
帰宅したらすでに10時を回り、朝7時から西に東に出ずっぱり、走り回りの1日になりました。いつものようにヨーグルトを食べて、コテンとご就寝でした。

2008/7/28
日曜日は、久しぶりに琵琶湖に行ってきました。京都ヨット部の練習です。
暑いので、6リットルウォータークーラーと水出し麦茶ティーバッグ持参です。7時半ごろ艇庫に着くと、ナカシマ君がセクシーな格好でバイクにカバーを掛けています。バイクの事をいろいろ聞かせてもらいました。普通二輪免許を取ってすぐ、若い間しか乗れないからと大型免許に通い免許を取ったそうです。このCB750を乗り出して3年になるそうですが、原付も持ってるそうで、近所はそちらを使ってるそうです。750で東北道を走ったことがあるそうで、交代ドライバーのいないバイクで遠いところまで行ったんだなあと話していると、今月あった7大戦で仙台のレース会場まで250ccで行った部員(ウエノ君だったっけ?)がいると聞き、更に驚きました。外にあった彼のバイクを見ましたが、オフロード様のオンロードバイクでした。
「あれで?お尻痛いやろ。高速道路では風圧がすごいんじゃないの?」「下道で、途中野宿して行ったみたいですよ」。片道800km、レースしてまた800km、う〜む、スゴすぎます。真面目に学業に励んでいながら、奔放にガツンとやりたいことに時々弾けるヤツは好きです。将来、大物や。
うだうだ話していると、出艇時間の8時になってしまいました。レスキュー艇紫雲乗艇なので車でハーバーに向かいます。途中コンビニで氷を2kg買い、クーラーに入れ「インスタント冷たい麦茶」が完成です。部員車にやや遅れハーバー到着です。途中でレスキュー艇の燃料でも買っていたのでしょう。それほど遅れませんでした。
レスキュー要員は、1回生とカタカワ君です。1回生6人の名前を覚えていません。まだ1回目の試乗会で入部したフクナガ君だけしか。「僕に出艇の操縦、やらせて下さい」とのことで1回生が操縦します。前回来た時、風が弱かったので横について帰着ドライバーを初体験してもらった彼です。ニュートラルを使いながら、うまく船をバースから出せています。上出来です。マエダ君と呼ばれていたような?
レギュラークルーのカタカワ君は、足の怪我で戦線離脱中です。バイクのマフラーでやけどをしてしまったようです。ダン君が、たぶん京都北部山中の獣道を自慢のオフロードバイクで走行中、道幅タイヤ2本分というところで、バイクを斜面に数メートル落としてしまったそうで、ヨット部員にレスキュー要請があったそいうです。数名でバイクは引き上げられたが、名誉のやけどを負ってしまったそうな。まあいろいろありますね。本人は平気でしょうが、きっと親はがっかりするでしょうね。
小学生だった長男が足を骨折した時は、本気で代わってやりたいと思ったし、大学生になった次男が、沈してセルフベイラーで足を切って2針縫ったと、自分で手当てしてる姿を見て、「今まで縫うような怪我をしなかったのに・・・」とショックでした。
午前中はいい風が入り、バウに腰掛け470のフルバランスの写真が撮れました。昼艇庫に戻ると、マユミさんの車が止まっています。マユミさんと1回生マネージャーのレナさんが来てくれています。午前中、レスキュー上で1回生に「マネージャー大事にしろよ」と話していたところでした。
試乗会ではマネージャーの入部がありませんでした。「あれだけ京女でがんばったのになあ。カトウ君なんか前歯を犠牲にしてまで奮闘したのに・・・」。ちょっと軽視していた造形大に、緊急パンフ配りした結果2名獲得できたようです。2人とも熱心にクラブに来てくれて、いいマネージャーが来てくれたと喜んでいました。造形大マネージャーと言えば、次男の代に2人いました。熱心だし美人だし、最強のマネさん達でした。プレイヤーは3人だったけど、マネージャーさんには恵まれた代でした。今でも同学年でよく集まってるようです。今度の2人もいいんじゃないかなあ。
2人の名前を教えてもらいましたが、レナさんの名前はすぐに頭に入りました。好きな女優の「タナカレナ」と同じ名前だから。映画出演者に「タナカレナ」と書いてあれば、それだけで要チェックです。ヨット部に「タナカ」マネージャーがいるので、2人を合わせれば「タナカレナ」、覚えるのは簡単でした。
いつものように部員の半量に減らしてもらったおいしい昼食を食べて、午後の出艇です。アキラキャプテンから「雷が鳴ったら練習を中止し、帰着したいと思います」と。琵琶湖大橋の北西の山に、雷雲がかかっています。
インフレータブルで沖に止めていた紫雲に乗り込み、アンカーを上げて、厄介な藻を取っていると、キャプテン艇が近づいてきて、「スナイプ帰着します。470に連絡を」と言ってきました。470チームについて行ったインフレータブルに電話して、帰着の指示をしました。しばらくしてインフレータブルが戻ってきて、レスキューのアンカーをかなり伸ばして走錨対策して、全員陸上に退避です。雷雲がいつものように琵琶湖を東に渡りだし、琵琶湖大橋が見えなくなりました。雨が降ってるのでしょう。アキラ君と「レスキュー艇を見ておく係を決め、しばらくしたら雷雲が消えるから出艇したらいいんじゃないの」なんて話していたら、雷雲からの風でしょうか、午前中と風向が変わって、北風の強風がいきなり入ってきました。
「う〜ん、やっぱりレスキューに3人ほどで残っておくべきだったかなあ」と思いながらレスキューを見ていると、風位に立っていたバウが横を向きました。「あかん、アンカーが流れた」。すぐにレスキューに向かうことにしました。「ここは私が行きましょう」。またバウが風位に立ちましたが、どうも心もとないです。湖底が藻なので、ズルズル流されそうです。風下には浅瀬もあるので早く行かなければ。
紫雲に上がり、アンカーが利いているのを確認して、しばらく待機です。ヒョウドウ君?だっけが、琵琶湖大橋の北に落ちる稲光を見て「今までで一番すごいです。早く帰りましょう」と結構ビビッています。「雷光は見えるけど雷鳴が聞こえないから遠いよ」「かすかに聞こえました」「ほんとに近かったらゴロゴロじゃなくてガラガラだし、北にあるハーバーに戻るのは雷に近づくからなあ」「じゃあ南に非難しましょう」「大丈夫やって。運転席の囲いの中にいたら大丈夫だから」。
積乱雲は陸上に出来るので、陸上より温度の低い海の上に移動してきても次のエネルギーが供給できないから、急速に力を失います。西宮で何度も経験しました。練習海面のすぐ東の比叡山に雷雲が出来たらやばいけど、あそこなら東海岸に渡っていくパターンです。
雨は降ってきませんが、相変わらず強風が吹いています。少しずつ流されているようで、風下のジェットスキーのブイにさっきより近づいています。エンジンを掛けて、アンカーを上げます。適当に前進させながらアンカーの負担を少なく現状維持していると、北部の稲光の数が減り、ほとんどなくなってきました。まだしばらく風が強そうなので、陸上に連絡して、一旦ハーバーに戻ることにしました。20m/s近い強風なので、私が運転してバースに着けました。固縛してハーバー事務所のソファで休憩です。
でもソファは他のお客さんでいっぱいでした。そこで外の階段で風待ちです。事務所でアイスが目に入り、「ご苦労さん、アイスおごったるわ」と車からお金を持ってきましたが、「僕らはいいです」と。アイスのない艇庫にいる他の部員の手前か・・・偉いなあと思いながら、私はアイスの誘惑に負けてしまいました。こういう日のアイスはうまいです。
話を聞いていると彼らにはすごい体験だったみたいです。マジで怖かったようです。ヒョウドウ君?は、明るく楽しそうな好青年ですが、地震カミナリ系にはノミの心臓なのかもしれません。彼の地元ではカミナリはあまり鳴らないのだろうか?面白いね。
しばらくするとウソのように風が収まり、再び出艇です。2〜3m/sの軽風を6時ごろまで練習し、帰着となりました。

2008/7/21
日曜日は、ドラゴンのポイントレースでした。
先週、近畿地方の梅雨が明けたそうです。7月に入り、各地で集中豪雨のニュースが出るようになり、それが途切れたら梅雨明けというのが、個人的な梅雨明けなので、梅雨明け宣言が遅いなあと思っていました。でも今年は、実質的な例年より梅雨明けが早かったのではないでしょうか。
朝起きてみると上天気です。密かに曇りを期待していましたが、今日は日差しの厳しい1日になりそうです。まず植木ばさみを持って道に出て、垣根の手入れです。梅雨の雨を吸って元気よく枝を伸ばしています。門の横がかっこ悪くなっています。本日はゴミ袋2袋になりました。庭に入り玄関脇の石の移動です。引きずって動かせる微妙な大きさの石が数個あり、何とかこれを壊して捨ててしまおうと思うのですが、難関です。本日は作業場までの移動で勘弁してもらいました。たったこれだけなのに大汗をかき、シャワーして浜に向けて出発です。
夕方から家内と映画の約束があるので、帰りの渋滞を考え原付で出発です。車でヨット用の靴・ライジャケ・カッパを積みました。スクーターには、もちろんクーラーはついていませんが、風を切るので夏でも快適です。ただ信号待ちが長いとどうもね。
陸置き艇のヤードに行くと、8時半前だというのに、結構参加者が来ています。皆さんやる気満々で早いなあと思っていたら、架下作業も開始されています。ハーバーも今日は大忙しのようです。
オーナーの渋川さんが来られており、その横にお嬢さんが・・・隣の艇庫の関大出身のキタムラさんです。「とうとう、やってきましたね」。彼女は来年には、・・さんのお嬢さんになる予定です。前回のポイントレースの帰り、関大コーチボートに彼女が乗っていて、「今度連れてきてくださいよ」なんてリクエストしておきました。
渋川さんは、「彼女頼むわ」と大野さんに言い、他艇のヘルプに行かれました。彼女は、この連休フィアンセ君と予定が合わず暇になってしまったので、渋川さんにドラゴン乗艇を頼んだそうです。まあ「今度乗せたるからおいで」とでも言ってあったのでしょう。
ヨット部出身とはいえ、コントロールロープの多いドラゴンは、結構クルーは大変です。よって新人さんはスキッパーです。「じゃあキタムラさんがスキッパーで、神谷さんはクルーね」と大野さんの指示で艤装開始です。
彼女に教えながら、私自身がこの船で3回目なので、「あれ、ジブハリどこに来てたっけ?」と復習しながらフィッティングです。朝から2m/sぐらいの南風が入っていますが、日差しは厳しく、きつい1日になりそうです。長袖・長ズボン・幅広帽子はもちろん、日焼け止めをたっぷり塗り、暑いけどグローブをはめて作業をしていると汗が吹き出てきます。
「海の上のほうが涼しいよね」ということで10時を待たずに出艇しました。出艇時は私がスキッパーをしましたが、ハーバーを出てすぐ交代です。レース前までにドラゴンの感覚を少しでもつかんでほしいからなあ。桟橋で「いいでしょう」と他艇に自慢していると、「セクハラに気をつけなあかんで」と悔し紛れの言葉が返ってきていました。
「気持ちいいです」と、スキッパー女史は嬉しそうです。ここから大野氏のレクチャーが始まりました。私が最初にこの船に乗った時は、こんなにいろいろ教えてはくれませんでしたが、手取り足取りまではいかないまでも、熱心に教えていました。まあ気持ちはよくわかります。
予定通りスタートしました。兵庫国体の高校生代表を決める2次予選が芦屋沖で開催されているので、いつもより少しレグが短いかもしれません。3m/sほどの気持ちのいい風です。本部船寄り上1・即タック狙いで、少し遅れてのスタートになりましたが、いい感じでスタートです。下艇の35番サワダ艇は更に遅れており、前の28番タナカ艇の後ろにすぐに落ちました。28番がさらに上ってくるので、いずれうちも走れなくなりそうなので、「タックしよか」とスキッパーにリクエストしましたが、「まだ行ける」ということでそのまま。35番から「タックしませんか?」と声がかかるが「まだ行くわ」と答える。35番は、少しずつベアしてタックのスペースを作ろうとし始めました。
まだいけると思っていましたが、28番が前まで出てきたので、失速する前にタックすることにしました。タック動作でジェノアのウインチなどをガチャガチャして新しいタックで走り出すと、35番と同時タックになったようで、完全にブランケットしています。「まずったなあ」。
下マークに向かうレグで、35番に追いついて上にオーバーラップしたら、追い上げてきます。スキッパー女史が「新人なんで・・・」とお願いしても執拗に追い上げてきます。大野さんと「スタートの時のを起こってはるなあ」と。
結局第1をフィニッシュ直前で2艇抜かれてビリ、第2レースを4位、第3レースは接戦しながらビリでレースを終えました。将来の旦那がドラゴンのスキッパーをした時は、かなり離されてのビリばかりだったようで、彼女はご機嫌です。新婚の時から夫婦の立場が想像されます。第4レースはリタイヤしてハーバーに戻りました。大野さんは、第2・3レースのクローズのレグやスタートラインに戻る間、目をつぶっていたので当然第4レースはリタイヤ宣言すると言うと思っていましたが、「じゃあもう1つがんばるか」と言われました。
炎天下でもあり「大丈夫かなあ」と思いましたが、女史の方が用事があるということで、最初の予定通り3レースで終わりになりました。トイレの事もあるしね。ハーバーに戻ると大野さんは首に流水を長い間かけていたので、無理しなくて良かったと思います。こんなに気温が高く、日差しのきつい炎天下のレースは、年に1度か2度です。新人スキッパーということもあり無理しない方がいいと思います。
艇を片付け、一点鐘に置いてもらっているエ号の信号紅炎をもらいに行き、エ号に置いてドラゴンに戻り解散になりました。トイレに行き、バックを持って帰り始めると、サワダ君達がやってきました。「ごめんな。あの後うちも走れなくなってタックしてしもて・・・勘弁な」。「そりゃ殺生やと思って、あの後頭に血が上ってしまいましたわ。彼女・・・渋川さんの・・・それ聞いて、えらいことしてしもた、関学の印象悪くしてしもたんちゃいますやろか」と。「まあ明るい子で気にしてへんかったよ」。
でもあのタックは失敗でした。ルール上何も悪くはありませんが、タック指示を出したのは私です。後輩に悪いことをしてしまいました。
3:45、急げばバイク屋さんに行けるかもしれません。5:30からの映画に焦りながら自宅方面に向かいましたが、バイクは早く、バイク屋さんに寄ることにしました。手付けを払い購入手続をしましたが、担当者が別のお客さんで手が離せなかったので時間がなくなりまってしまいました。なんと5時数分前です。もう車で映画館に行く余裕はありません。
急いで自宅に帰り、シャワーを浴びて着替え、国道に出ると5時7分。ここで信号にかかり、映画館のあるショッピングセンターの駐車場到着が5時25分。走って映画館に上がると、チケット売り場に長蛇の列・・・上映開始が5時25分・・・あかんかも・・・長蛇の列の先頭横に見慣れた美人が・・・メーカーの勉強会で京都の本能寺に行ってたのでおしゃれな服装で目立ちます・・・家内が列に並んでいたようです。
「まだかなあ」と次の人に順番を譲りながら待ってたんだろうな。申し訳ない。チケットカウンターの掲示には、次の9時の上映の案内が出ていました。「5時半のはもう無理ですか?」「まだ本編が始まっていませんから大丈夫ですよ」。ギリギリ、チケットを買い、予告編が流れている暗い映画館に入り席に着きました。
ほぼ着いたと同時に本編が始まりました。「クライマーズ・ハイ」。横山秀夫作品の中で一番好きな作品です。群馬県の新聞記者の主人公悠木が、日航墜落事件全権デスクでの活躍を縦糸に、友人の死、その友人の息子、新聞記者という仕事ゆえないがしろにしてしまった家族、特に息子との関係を横糸にした秀作です。
クライマーの友人の死後の、残された友人家族との関係や、悠木の家族とのギクシャクした関係の部分は、映画という時間制約ゆえそっくり抜け落ちていましたが、総じて原作に忠実で、いい映画でした。原作を読んでいない家内も楽しめたと思う。
鑑賞後、下のスーパーで買い物をして、家内はバスで、私は買い物荷物を積んでバイクで帰宅しました。楽しい1日でした。

2008/7/14
日曜日は、午後から仕事で出かけるので海には行かず、朝から車屋さんに行ってきました。3週間ほど前に車検を受けたのですが、その後エンジンを掛けると毎回5秒間ほどキュルキュル異音がするようになりました。毎回と言っても週に1回しか車を使わないので、この日でたった3回なのですが。
車検なので新しい部品が落ち着くまでこういうこともあるのだろうなと放っておきましたが、気持ち悪いのでプロに見てもらうことにしました。日産のディーラーに着いて現象を話しても、エンジンを切ってすぐなのでもう音は出ません。「ファンベルトを交換したから、その緩みでしょう」ということで、少し締めてもらいました。「たぶんこれで大丈夫ですよ」とのことです。
一旦家に帰るも、まだ出かけるまで時間があるので、今度はバイク屋さんを覗きにいくことにしました。
日頃、通勤で原付バイクに乗っているのですが、原付は30km/h制限とか、片側三車線交差点の二段階右折とかの制限があるので、次は制限のない125ccのスクーターに変えようかなと思い、普通自動二輪免許(400ccまでのバイクに乗れる)を取るために自動車教習所に通っていました。2年ほど前に二段階右折で警察に止められたことがあります。「いつそんなもん決まってん?」、あれは努力目標だと思っていたら、いつの間にか義務になってたのですね。「片側三車線道路じゃないじゃない」と一瞬あがきましたが、交差点手前だけ右折レーンが増えてちょっとだけ三車線になってる。引っ掛け問題に引っ掛けられたような後味の悪さを感じながらも、「あ、そうなんですか」と明るくサインする自分がちょっと情けなかった。
第一段階9時間、第二段階9時間の教習を終え、見極めもそれぞれ通り、卒業試験までストレートに合格しました。実技1時間目の直線のゴー・ストップだけにさえ結構手間取ったことを思えば、上出来でした。いろんな方と教習時間をご一緒しましたが、AT免許の同年齢の方が1人いただけで、他の生徒さんは皆さん年下でした。
バイク教習の2時間目の最初にいきなり、「じゃあ外周道路を走ります。ついてきてください」と言われて、おっかなびっくりギアチェンジしてスピードを上げると、400ccバイクは原付と違い、とても安定して走り出し、異次元の加速でした。それからいろいろミスはしたものの、教習の時間はとても楽しめました。
当初の125ccスクーターにステップアップという考えは、すぐに消えてしまい、ミッション・バイクで遠出したい願望がムクムクと頭をもたげてきました。
ということで、バイクについていろんなことが聞きたくて、バイク屋さん訪問を思い立ちました。「バイクは車と違いエンジンむき出しなので故障が多そう。ちゃんと修理してくれるのか?」「バイクって、何年、何キロぐらい持つのだろう?」「バイク素人なので、気楽にアドバイスを受けることができるか?」などを考えて、原付の修理などをお願いしてる近所の自転車屋さんではなくて、バイク屋さんを探すことにしました。
ヘルメットを買ったオートバックスがやってるバイク屋さんは、バイク用品を買うのに便利なお店だけど、お店が大きすぎて、修理からトータルにうだうだ話が出来る雰囲気がないような気がします。大体私のような素人と無駄話をしてくれそうもないし・・・。
頭に浮かんだのが、近くのインターチェンジを下りて自宅に帰る間にある、結構たくさんバイクを並べているお店。早速原付に乗って訪問です。5〜6台ほどの駐車場で原付バイクを店員さんが修理してるみたいです。
おっかなびっくり店内に入ると、中古バイクを中心に50台ほど並んでいます。横のテーブルでは、家族連れが契約してるみたい。20代のお兄さんが400ccか750ccかのバイクを店員さんと一緒に見ています。外に出してエンジンを吹かしています。
教習所で乗ってたホンダCB400が数台置いてあったので、それを見に行きました。50万・40万・30万台とあります。新車では70万ぐらいするはずです。最初は素人の荒い使い方で痛むだろうから車の時と同様、中古車にしようと思っていますが、あまり古いのだと、修理費が高くつくので、その辺は聞かなきゃね。
「暇な店員さん、いるかなあ?」と店内を見渡すと、私の方を見ていた店員さんがいました。「あの・・・」と、免許取立ての素人であることと本日は情報収集であることを話し、先の疑問の他に、保険のこと、服装のことなど、いろんな質問をぶつけました。
落ち着いて素人にも分かるようにいろいろ教えてくれました。2サイクルと4サイクル、単気筒と2気筒・4気筒、それぞれの音・振動・燃費。盗難やいたずらをされる確率の高いのは、4気筒エンジンのバイクで、特に250cc4気筒は高回転エンジンなので音がいいので、狙われやすいそうです。
この店員さんのお勧めは、この方自身が通勤に使ってる250cc単気筒のオフロードバイクです。教習所バイクの200kgバイクより随分軽い120kg台で、最初のバイクには必須の取り回しの楽さがあるとの事でした。さらに30km/Lの燃費だそうです。今乗ってる2サイクルの原付以上かもしれません。でも乗った感じがノッポで、ちょっと不安。いろんなバイクに乗り、押してみて、400ccより50kgも軽く、少し小ぶりの安心感から、買うなら250cc2気筒のがいいなと思いました。
でもこのバイク、排ガス規制の関係で、生産中止になってるそうです。各社の250cc4サイクル2気筒バイクは生産中止になっていくらしく、250ccは単気筒と4気筒になるか、電子制御をつけた2気筒が新しく発売されるかだそうです。この電子制御が高いらしく、400ccとの値段差があまりなくなるので、メーカーは売れないかもしれないと二の足を踏んでるらしい。
そんな関係で、元々250cc4気筒バイクのように売れていなかったこともあり、中古の人気車種になってるそうです。5年落ちの走行距離の少ない綺麗なもので、新車価格48万のところが、35万ほどです。燃費は街中で25km/Lぐらいいくらしく、これもお勧め。関東にもお店があるらしく、リクエストを出しておけば、予算内に合うバイクを探してくれるそうです。
ということで、バイク屋さんを後にしましたが、最後に差し出された名刺には店長さんと書いてありました。好印象のお店でした。さあて、買う気満々になって家に帰って来ましたが、最大のネックの置き場所が気になります。
我が家は、道路から4段ほど階段を上がって敷地があります。集中豪雨で家の前の道が川になっても、水害とは無縁ですが、車関係を置く場所がないんですね。店の裏は人通りがないから心配、もう1軒の店の裏は人通りがあるけど、駅に近く夜が心配、借りてる駐車場の車の後ろに置く、ご近所さんに頼んで敷地内に置かせてもらう、いつも空いてる自宅隣のマンションの駐車場に置かせてもらう、ご近所さんはいい方ばかりなので多分大丈夫だろうけど、悩みどころです。

2008/7/8
日曜日は、淡路島の明石海峡の袂、明石の対岸岩屋港までクルージングです。
正月に淡路島の津名港から帰ってきて以来のクルージングだと思います。明石海峡の潮が、午前中は西向きで、12時ごろ止まって、午後は東向きといういい感じです。
9時に集合・出発なので、一番下っ端の私は、1時間弱前に船に着くように家を出ました。いつまでも学連での上下関係は変わりませんね。6リットル入るウォータークーラーに水をいれ、家で使ってる冷水用麦茶パックを2袋入れました。途中のコンビニで、氷を2kg調達して、みんなで1日中冷たい麦茶が飲めるように準備しました。防水双眼鏡と車・徒歩にご愛用の携帯GPSも準備しました。
船に着いて、エンジンを回してみます。やはりスイッチを入れて10秒ほど異音がします。エンジンは快調に回り、トイレの掃除をして、ハッチなどを開けて換気です。その間に出艇申告をしようとセンターハウスに向かうと、センターハウス前がなにやら騒がしいです。波力ボートでハワイから日本を目指していた堀江健一さんが、昨日だったか一昨日だったかにフィニッシュしたとニュースで言ってたので、今日このホームポートに着岸するのでしょう。桟橋を振り返り、堀江さんの出身の関西大学関係のボートを見たら、やっぱりいませんでした。きっと関係者大勢で、出迎えに出たのでしょう。
ゲスト桟橋には、港めぐりの観覧船のような船が、お出迎えのお客さんやプレスを大勢乗せています。これは関係ないと思いますが、100フィートはありそうな巨大なセーリングボートも泊まっています。船尾にはためくユニオンジャック・・・旧大英帝国のどこかの国からやってきたのでしょうね。
行き先/大阪湾・播磨沖、帰着予定午後4時で出艇申告しました。後で気づいたのですが、モリタさんもキンノさんも出艇申告したそうです。3枚も出艇申告出すなんて・・・あの機械にも「なんとかせえよ」なんて思いました。
6人のメンバーで9時に出艇です。船内のGPSに岩屋港の座標を入れるように言われ、船内で作業をしていると、気持ち悪くなってきました。いろんな座標を入れて遊んでいたら30分ぐらいでダメになってきました。コクピットに出て風に吹かれ治りましたが、ほんま揺れる船内に弱いです。
風が弱くずっと機走です。風向も目的地方角からなのでメインを上げて船のヒールを片方に安定させることも出来ません。神戸空港沖は、今日も漁船がたくさん出て網を引いています。神戸空港島がいい漁礁になってるのでしょうね。
ただ、大阪-明石海峡航路に近いので、漁船の邪魔にならないようにその沖を通ると、本船が近くを通り、その引き波に難儀します。神戸空港を交わしたぐらいから風向が幾分南に振れて、メインを上げられるようになりました。
結局そのまま岩屋港まで、風に恵まれずずっとエンジンを回して走りました。今回の目的地は明石海峡の袂という簡単な位置だったので、迷わず一発で港に入れました。港に入り、昼食を予定していた『源平』さんに電話し、係留場所の指示を仰ぎました。
指示された岸壁に着けて接岸作業をしていると、明石との連絡船から声がかかり、「もう少し向こうに行って」。給油作業をする岸壁のようで、その接岸にちょっと邪魔のようです。この少しの移動で、船体にタイヤの跡がくっきり付いてしまいました。俵フェンダーのような大きなフェンダーが、こういう普通の漁港停泊には必要ですね。

『源平』さんはたぶんすし屋ですが、新鮮な魚でいろんな料理がありました。私は、寿司・もずく・刺身・そばの定食を注文しましたが、先輩方は「はものしゃぶしゃぶ定食」を食べていました。
カウンター越しに、船が見えて、とても安心して食事が食べられる場所です。いいところを見つけました。すぐ近くに姉妹店のステーキハウスがあるそうです。
「次はそっちに行くか」で盛り上がっていましたが、元々あまり好きではない肉が、最近さらに敬遠気味になってる私は、「なんで漁港に来てステーキなん?魚でしょ」と心の中で突っ込んでおきました。

1時半ごろ、西宮に向けて出発です。帰りはセーリング出来ると思っていたのに、風向が変わったようで、西宮90度方向に向けても向かい風です。いつもなら大阪湾から大阪平野に向けて入る海風の南西なのに・・・淡路島を離れ、もっと神戸に近づいたらいい風になるのかな?
淡路島を離れていくと、少しずつ風が出てきました。まだ弱いがメインを上げることになりました。それを機に、往路に続いて復路もずっとステアリングだったキンノさんから、イサミさんに交代です。でも風が弱く、私にステアリングが回ってきました。
パラパラと雨が落ちてきたら、「じゃあ頼むで」とみなさんドッグハウスに消えて行きます。「そんな殺生な。もっと振ってきたらカッパ取ってくださいよ」と言おうとおもったら、雨は止んでしまいました。カッパを着て出てきた先輩方は、暑いだけじゃないかなあ。
機帆走でジブを張ると裏風が入るだけという微妙な風向で、神戸空港の連絡橋を目指します。空港島に差し掛かると風が後ろに回り、スピンを上げられそうになってきました。「スピン準備」でポールセット、スピンシートセット、スピンをシートに結びます。橋脚を過ぎたらスピンアップですね。
スピンアップです。やっとこ風が来たので、勇んでスピンが上がっていきます。
ワイルドを入れないように、スピンがはらみやすいように、マストトップの風見とセイルを見ながら、角度に気をつけて走っていると、「ハラリ」。ピークが落ちてきました」「ピークが外れた。スピン回収や」。無残にもスピンさんは一度もはらまずに落下してしまいました。でもメインで結構艇速がある中、うまくスピンを回収できました。バウをくぐると、破れていたかもしれません。なにしろスピンは巨大ですからね。
メインを降ろして、メンハリで人をマストトップに上げて、上に上がってしまったスピンハリを降ろして、再びスピンを上げるという意見もありましたが、走ってる間にそれするのは危ないやろというところに落ち着きました。桟橋に係留してから回収です。
その後一度ポートにジャイブして西宮港内に入りました。赤灯台付近で、関大の470集団とミートしました。4m/sほどの風でフルハイクの7艇の470がバウを揃えて走っている姿はいいですね。
OPが9艇だったか11艇だったか、同じくクローズでミートしてきます。チビさん達カッコいいですね。

桟橋に戻り、スピンハリの回収は「困った時の伊藤君」に頼むことにして、タイヤの跡を洗剤で落とす作業にかかります。意外に簡単に落ちたのでラッキーでした。デッキブラシでデッキを洗い、船を片付けてセンターハウスに向かって歩いていると、センターハウス前に堀江さんのマーメイド号が係留されているのが見えました。
カメラを出して数枚写真を撮り解散と相成りました。楽しい1日でした。

2008/6/30
日曜日は琵琶湖に行ってきました。近畿北陸ブロックの学生ヨットレースです。手伝ってる大学ヨット部に、新人勧誘の4月は毎週通いましたが、それ以降はいろんな予定が入り行けていませんでした。
朝起きると、玄関を上がったところの床に長男の服が広げられています。そういえば先輩の結婚式で帰ってくると言ってたっけ。夜遅く帰ってきたのでしょう。お茶・昼食用のパン・双眼鏡・着替えを持って出発です。先々週、車検から帰ってきた車に初めて乗ります。バッテリー上がりが少し心配でしたが、問題なくエンジンがかかりガソリンを入れて高速に向かいます。
バイクの免許を取りに行くようになってから、妙にバイクが目に付くようになります。何を血迷ったか、400ccまで乗れる普通自動二輪免許というのを取るために、今月の16日から教習所に通い始めました。全部で実技17時間、卒業検定に合格したら大きなバイクにも乗れるようになります。最初、倒れたバイクを起こせるのか?初体験のバイクのミッションがうまく出来るのか?という不安を持って教習所通いが始まりましたが、「案ずるより生むが易し」という格言どおり、なんとか無難にバイクに慣れていっています。
通勤の原付バイクにしか乗ったことがなかったのですが、教習所の400ccバイクに乗ると、車を圧倒する加速で風を切る気持ち良さがなんともいえません。「これははまるなあ」と思いました。最初は「原付では法定速度が30kmだし、二段階右折も面倒だし・・・」から始まったので、次は135ccスクーターに乗り換えようかなあという程度のことでしたが、135ccAT(オートマチック)免許なら簡単すぎそうだからと400ccMT(マニュアルトランスミッション)免許の門を叩いたことで一気に世界が広がった感じです。まだ免許も取れていないのに、250ccMTで慣れて、400ccにステップアップしてる自分の姿を描いています。絵に描いた餅になるかもしれませんが、こういうことを考えているのがまた楽しいです。ETC高速料金割引を利用するために6時前に高速に乗り、京都東インターで下りました。湖西バイパスを走りながら、高速のサービスエリアに入って、バイク見物したらよかったとちょっと後悔。
柳ヶ崎YHの掲示板を見にいきましたが、いつものところに土曜日の結果掲示がありません。西宮でもあまり風がなかったようなので、ひょっとすると1レースも成立していないのかも?と思いながら、しばらく本を読んで時間を潰し、艇庫横に車を着けました。風はないけど、雨だけがしっかり降ってる一番嫌な天気です。
艇庫に入ると、「おはようございます」の挨拶がたくさん飛んできます。体育会系の力の篭ったものではなく、自然な挨拶のところが、どうも私の性に合っています。今大会は京大ヨット部が運営主管のようで、泊まっていたのでしょう若手OBがたくさんいます。今年OBになったばかりの学年は、レース後飲み会だそうで、徳島と名古屋から元マネージャーもやってくるそうです。4年間一緒にやってきた絆でしょうか同学年の仲がいいです。次男君も東京に行くまでは、よく集まっていたようだし、いいですね、こういうの。
8時にレスキューに向かう予定で待機していましたが、予想通りAP旗が揚がったそうです。人数分持ってきたダイバーズ・ボードをプレイヤーに渡しながら、750ccバイクに乗ってるOBナカシマ君にバイクの事を聞き、シバちゃんには、昆虫の話を聞きました。ダイバーズ・ボードは、ダイバーが水中で会話をするために鉛筆で書くボードです。消しゴムで消えるので、ヨットの練習やレースで気づいたことをメモしとくには最適です。私も長年首からぶら下げて使っていますが、とても重宝で全く壊れません。プラスチックまな板の薄くて小型のものです。まな板でも使えそうですが、さすがにまな板を首からぶら下げていては、怪しまれます。
シバちゃんの下宿は修学院の山手なのだそうですが、普通にクワガタがやってくるらしいです。「こないだなんか・・ゴキブリという町にはいないゴキブリがやってきて、一人で興奮していました」なんて。彼は昆虫、特にゴキブリの研究をしています。ゴキブリに関しては語ります。でも、あんまり彼女の前では語らない方がいいかもね。シバちゃんはダイビングも始めたそうです。潜れる深度、洞窟に入れるなどいろんな資格があるそうです。艇庫前の琵琶湖に潜って、歴代の先輩が落とした雑多物をサルベージしたら一財産築けそうです。今度沖縄に行くとのこと・・・あの熱帯色の魚の群れに入れるなんてうらやまし過ぎます。口元を少し上に上げたニヤケタ顔が戻らなくなったらどうするのでしょう。まさか熱帯色の縞模様に同化することはないと思いますが、昆虫の研究家ですので、昆虫が葉っぱに同化する術を会得しているのかもしれません。
人力車の車夫でもあるナカシマ君は、車輪物に興味があるのか750ccバイクの乗り手でもあります。数年前、同回生を後ろに乗せて私の仕事場までやってきました。「東北自動車道を400ccで走りましたが、やっぱり750ccとはちょっと違いましたよ」。750ccは高速でも余裕で、400ccとは大分違うそうです。ただ街中では750ccでは余力があり過ぎで、400ccでも能力を発揮する場面がないそうです。彼もバイクに関しては何時間でも語りそうです。仕事もバイク屋さんから三輪車までいろいろある車輪物にするのかなあと思っていましたが、就職は銀行だそうです。でも銀行も転がり物であるコインを扱うので、おんなじような物かもしれません。無理があるかなあ?
10時半になりAP旗が降下しました。出艇です。1回生3、女子マネさんは新人さんから就職が決まった4回生、OGマネさんまで総勢7、そして私と、大勢で観戦・コーチングしました。時折比叡の北の山から雨雲が下りてくる辛い天気でしたが、風は弱いながらも無風まで落ちることはなく3レース、昨日と合計で8レースできました。レース回数が多いと結果に納得でき、楽しめますね。
結局帰宅は10時頃になりましたが、楽しい1日を過ごせました。雨が降ったけど、前回プレゼントしたマネさん用カッパ使用初日になり、良しとしましょう。ヨット部ユニフォームをプレゼントされ、ちょっとお得した日でした。

今回のレースの閉会式・表彰式を見て、日頃思っていることを少し書いておこうと思います。正面に向かって選手達が並び、正面に大会委員長・レース委員長やプロテスト委員長など大会運営関係のトップがいます。司会の進行によって閉会式が進むのですが、プライズギビングになって、正面に向かってトップ3が並び、大会関係者から賞状や盾をもらいます。
この選手達の向きがどうなんだろうと、いつも思うんです。私の関係者が賞を受けるとき、写真を撮るのですが、まず笑ってることはありません。そりゃそうだろうと思うんです。正面には、大会運営のおじさんの顔があるだけなのだから、嬉しくて相好が崩れても今一です。むしろ賞状を渡す方が、「よくがんばったなあ」という笑顔で、握手を求めることもあります。
何かこれを見てて、主役はどっちなんだろうと思います。レース運営の裏方も、選手で賞を受けることも、賞を与える方もしましたが、主役はやっぱり選手だと思うんです。ならば、賞状やトロフィーを受けた時自然に満面の笑みになり、両手を高々と突き上げて雄たけびを上げるぐらいになれるシチュエーションを作った方がいいのになあと思うのです。
つまり、役員側を向いて賞状を受けるのではなく、選手側を向いて賞状を受けるように・・・台でも置いて、一段高いところで参加選手から見えるように。賞状を与える役員さんは、主役選手より低く、参加選手にお尻を向けていていいと思う。オリンピックなどみんなこのスタイルですよね。表彰台に観客に手を振りながら上がった優勝選手が、頭を低くして大会役員からメダルを首に掛けられ、正面の観客に向かって両手を突き上げる。いい絵じゃないですか。いかにも選手が主役だって感じじゃないですか。
参加選手側を向いて賞を受けるだけで、参加選手から写真だって撮られるだろうし、時には「こっち向いて」なんて声が掛かるかもしれない。個人賞でも同じクラブの選手が賞を受けてる姿を見たいと思うし、団体表彰なら自分達の代表のパフォーマンスを見たいだろう。その笑顔を見て、「次は俺が」と思うだろうし、正面に見える大勢の参加選手を見て「こんだけの中で勝ったぞ。次もやったるぞ」になるんじゃないのかなあ。
今の表彰スタイルじゃ、写真を写そうと思っても、役員側に回らないと写せないのでとても気を使う。やんちゃな学生の受けを狙ったパフォーマンスなんて出るわけないです。だいたい笑顔の大会役員を見て参加選手は楽しいか?何かお上からお恵みをうやうやしく頂いてるようにしか見えないんだけど・・・

2008/6/23
日曜日は、幼稚園の同窓会でした。幼稚園のところで、大抵の方に驚かれます。「幼稚園?ほんまに?」。でもこれほんまなんです。私はちょっと変わった幼稚園に通いました。週に3回しかない幼稚園で、夕方まであります。1回は音楽だけの日です。内村鑑三のキリスト教系独立派という考えに沿った幼稚園で、中高は寄宿舎生活で大学もあります。当時他になかった3年保育で、4才から電車とバスに乗って1人で幼稚園まで通いました。親が忙しいからではなくて、親がついて行ったらいけないという教育方針でした。4歳で入園し、最初は園まで親と一緒に行くのですが、毎回親のついていける場所が制限され、1ヶ月ほどで家から定期を首からぶら下げて1人で通うようになります。4歳なんて、赤ちゃんに毛が生えたぐらいで、手を離すと何処に行ってしまうか分からないですが、1人になってしまうと放浪することもなくちゃんと全員通うようになります。人の力ってすごいですね。
1学年15人の1クラスだけで、お昼やおやつは、子供に内緒でやってきた当番の親が作ります。内緒なので絶対子供に姿を見られてはいけません。こんな幼稚園なので、親同士が仲がよく、小学生時代から同窓会が延々と続いています。まあ親の同窓会に子供がお付き合いする状態ですがね。
中学になると同窓会は途切れますが、同窓生の近況は親から入ってきます。こんな幼稚園に入れるぐらいだから、教育熱心な親が多く、ほとんどの子が中学受験をするので、電車通学で一緒になったりしてなんとなく交流が続きます。社会人になると、子供同士での同窓会が始まり、親は別にするようになりました。それから永遠、数年に一度のペースでやっています。今、大学生や社会人になった同窓生の子供達が赤ちゃんの頃を知っていたりする変な関係です。
今回は、京都大文字火床登山をメインにメニューを組みましたが、先週末は雨ばかりだったので、足元を考え登山は中止にしました。都合がつかない同窓生が多く、私と女の子2人の3人の参加になりました。東京から福岡まで住まいが散らばっているので、まあ集まっても5〜6人平均ですがね。
JR京都駅に10時集合です。30分ほど前に着き、バス案内所を覗き、バス発着を見ていました。銀閣寺までバスで行くことを予定していましたが、雨模様なのに大勢の人で、係員が大きな声を上げてバスにお客さんを押し込んでいます。「こりゃあかん」ということで、地下鉄での移動に決めました。
1人は昼から参加なので、朝はアベックでの移動です。蹴上の駅まで移動です。彼女の長男君は厚生省のキャリア組で霞ヶ関に通っています。どんな宿舎にいるのか聞くと、遠くてあまり綺麗じゃないので、大学時代から住んでいるマンションにそのまま住んでるそうです。最近タクシーチケットなどで何かと叩かれている高級官僚ですが、まだ下っ端の彼は任される仕事も小さくまだまだのようです。
蹴上の駅を出て、蹴上浄水場、インクライン、琵琶湖疏水分水、南禅寺疎水レンガアーチ橋、南禅寺、そして永観堂まど話しながら歩きました。永観堂で義理母のお参りということで、拝観料を無料にしてもらいました。2人で1400円のお得です。
さて、銀閣寺に向かって歩き出そうかというところで、元少女Aの電話が鳴りました。元少女Bからのメールです。「京都駅に着いたよ。何処に行けばいい?」。永観堂の門の前で待ち合わせにしました。雨の具合ですが、大雨の予想まで出ていましたが、日頃の行いがいいのか傘がいるのかいらないぐらいの雨が降ったり止んだりで、ちょっとむしっとします。
た元少女Bの乗ったタクシーがやってきました。運転手が下りて、後ろのドアを開けます。元少女Bは、幼稚園時代、女王様でした。男の子はもちろん、女子もみんな彼女の命令で動いていました。「運転手にドアを開けろ」とでも言ったのか?と内心思っていたら、MKタクシーというのは、こうするのだそうです。わざわざMKタクシーを選んで乗ったということなので、多少は女王様キャラが残っているのでしょう。
3人で疎水沿い、つまり哲学の道を歩き始めました。哲学を思う余裕はなく、それぞれの現況などをぺらぺらしゃべっているだけです。法然院の所まで来たので左折します。昼食の予約をした豆腐屋さんのレストラン「そうそう庵」に向かいます。う〜む初めて行くところなので、予想通りよくわかりません。ここで秘密兵器GPSを取り出します。指示通り行くと見えてきました。こじんまりしたお店で、1Fはお豆腐やさんで2Fがレストランです。ここにレストランがあるとは分かりにくいです。店内は豆腐屋さんなのにジャズが流れ、いい感じです。テーブル席と堀座敷があり、座敷の方を選びました。江戸時代創業の京都の老舗豆腐屋さんの支店、まだ出来て数年のようです。
お品書きは文字ばかりでお勧めを聞き、2500円を注文しました。豆腐を使ったいろんな料理、大豆の種類が違ういろんな豆腐に舌鼓。このお店は国産丸大豆の原料にこだわっているようです。2時間ほどおしゃべりしました。年齢はもちろん同じ、子供の年齢も近く、親の介護やお墓の話しまで、いくらでも話が出てきます。ほんとの幼馴染で、時々会ってるから、同窓会の始まりのぎこちなさなどかけらもありません。
食事を終えたところで、元少女達は、あれこれお豆腐を買っていました。「ご自由にお持ち帰りください」と書いてあったオカラの大きな袋もしっかり抱えています。行ってみたかっら法然院に向かいました。哲学の道から心持ち東山に上がったところにあり、ここもわかりにくいです。これが幸いしてか、とてもいい雰囲気です。林の中にある山寺という雰囲気で、苔むした屋根を持った山門がいいです。雨が止んで、杉の木の間に霧が漂っています。日曜日の京都なのに、人がほとんどいません。元少女Bが、「すごくいいね」と喜んでいます。
続いて定番の銀閣寺に向かいます。哲学の道まで下りずに、1本山側の道を北に進むと、銀閣寺の山門の前に出ました。銀閣寺は修理中でした。半分白い工事用シートがかけられていました。去年家内と来た時、かなり痛んだ姿だったので、大修理中なのでしょう。こういう由緒あるお寺は、100年ぐらい先を見ながら、一流の宮大工が一流の材料を使って修理するのでしょうね。
参拝路を山に上がっていくと、もっとも高いところから吉田山と真如堂の森が見えました。雨上がりで晴れとはまた別の雰囲気になっています。3時を回ったので銀閣寺を後にして門前のお店の間を白川通りまで出ます。タクシー乗り場でタクシーに乗り、京都駅まで戻り、JR新快速で大阪に向かいます。この新快速、遅いです。時々停車したり速度がゆっくりです。車内アナウンスも徐行運転のお詫びだけなので、関西で一番多い・・による遅延かもしれません。西宮在住の元少女Bは新大阪で各駅停車に乗り換えます。大阪で地下鉄に乗り換え南海沿線に帰る元少女Aと一緒に大阪駅まで乗り、ここで解散しました。
電車が遅れたので、家内との約束時間5時をもう20分も回っています。電話は鳴らないし、不安になってるんじゃないかなあと気をもむ。急いで阪急梅田駅改札まで行くと、家内が柱にもたれていました。「御免、遅くなってしまった。電車が遅れてしまって・・・」「いいよ」「電話してくれたらよかったのに・・・」「催促してるみたいで悪いじゃない」。
6:30からロフト地下の映画館で「山桜」を観る約束でした。ロフトが分からず人に聞くと、黄色い建物だそうです。若者向けのお店が多いようで、たくさん人がそちらに向かっています。結構駅から離れているのに魅力があるのでしょう。
地下に下りて映画館前にくると、係の人が暇そうにしています。数日前に混み具合を問い合わせたのですが、6:30の最終上映は空いているとのことでしたが納得です。上映までまだ1時間もあるので、腹ごしらえをすることにしました。ロフトの前にマクドナルドがあり、久々にマックを食べることにしました。注文の要領がつかめずお姉さんに誘導されながら、ハンバーガー2個と家内はミルク、私はマックシェイクを注文しました。お会計は500円・・・え〜と思うような安さでした。席に着いて家内はレシートを確認しています。ミルクが一番高いわ。ハンバーガー100円だって、と驚いています。私は次男君のヨットの遠征などでマックにお世話になるけど、家内は10年以上マクドナルドに縁がないのではないでしょうか。まだ時間があるので、ロフトの最上階にある「無印良品」でベルトを買いました。2日前にベルトが壊れたところでした。いつもウエストポーチをベルトに通しているので、ベルトの負担が大きいから壊れたのでしょう。決してメタボでベルトをぶち切ったのではないと思います。いや思いたい。
「山桜」は大好きな藤沢周平原作で、予告編で見たときに、原題は思い出せませんでしたが、随分前に読んだ作品だとわかりました。この監督さんは原作に忠実に作っているようで、原作の雰囲気そのままのようでした。う〜む、藤沢周平の作品に出てくる主人公達は、潔くって生き方がかっこいい。凛としています。
政治を私した家老を斬り自ら大目付け屋敷に自首した手塚は、獄中に捉えられたまま数ヶ月。ヒロイン野江はかつて彼から嫁入りの話をもらっていたが、剣の使い手という経歴に拘り断って他家に嫁いでいた。死別し実家に戻り、再び他家に嫁いだが、これが武士相手の高利貸しで財を成している武士。姑にいじめられ、夫や義理父の生き方や考え方についていけない気持ちを抑えたまま我慢して嫁をしていた。出戻りの自分は2度と結婚に失敗出来ない。そんな時、この事件が家中で起こった。
家老が斬られたので、反対派が盛り返し、重い年貢に苦しめられていた民の暮らし向きがよくなり、国は安定に向かうようになった。手塚のしたことに内心多くの者が拍手を送っている。しかし家中での斬り合いは重罪。裁断に窮した家老達は上様の国許帰りを待ち裁断を仰ぐことにする。
家中での騒動の前、野江は手塚に一度だけ言葉を交わしたことがある。満開の山桜を一指し持って帰りたかったが届かない、その時手塚が手折ってくれた。名前を名乗り、「幸せでお暮らしか?」とだけ声を掛けられた。手塚に剣を習う弟に人柄を聞き、密かに彼を想うようになる。
騒動で手塚を悪く言う主人に意見し、暇を出されて実家に戻された野江は、家中の者が誰も訪ねなくなった手塚家の様子を伺う。実家の母の許しを得て、彼の帰りを1人で待つ手塚の母親の元に向かい、母親の家事を手伝いながら手塚の帰りを待つ。
やがて再び山桜が咲き誇る春になり、獄中に春の光が差す。上様が江戸から国許に帰ってくる。ここで映画は終わる。にくいねえ・・・この終り方。果たして、ハッピーエンドの結末になるのか・・・。重罪を問われ、野江は独り身で生涯を終えるのか・・・。
藤沢作品の中で数少ない女性が主人公の作品です。野江役の田中麗奈はさすがにうまいです。沢尻エリカ、竹内結子を加えた3人は今最高の女優さんだと思います。
映画館を出た家内が、「出て来なかったねえ・・・」と。「そうだね。はれて罪を問われず自由の身になり、みんなの笑顔が揃うとハリウッド映画。スターウォーズの世界だね。あえてそこまで描かないところが藤沢周平ってところかな」。言葉が少なく、目や演技が言葉を発する素敵な映画でした。こういう映画を夫婦でゆっくり観れる・・・四半世紀重ねてきた夫婦の年月なのかも。

2008/6/16
日曜日は、ドラゴンのレースでした。
夜早く寝ることもあるのでしょうが、7時には自然に目が覚めるので、9時に浜に着けばいいドラゴンのレース日は、目覚ましが必要ありません。最近の私にとっての定刻、7時前に目を覚まし、庭の掃除です。1週間前に草刈りをして積んでおいた草が乾燥してきているので、ゴミ袋に入れます。「一気にたくさん出すとあかんかなあ」と小心者の私は、今回は2袋にしておきました。まだまだ残っているので、その次のゴミの日に出せるようにまたゴミ袋に入れておかないといけませんね。
8:30頃浜に着きエ号に向かいながらドラゴン陸上艇置き場を見ると、艤装を始めている艇もあるようです。エンジンがちょっと不安なエ号に乗り、キーをスタートに回すと、ピー音の他にキュルキュルという異音がまた出ました。10秒ほどで異音が消え、スターターボタンを押せば普通にエンジンがかかるのですが、どうも異音が気になります。1週間ほどエンジンを回さないと異音が出るようです。異音が出るようになってから1ヶ月ほどですが、専門家に点検してもらう方がいいようです。
ドラゴンバースに戻り、艤装を始めます。この日はヒライ艇に乗るオオノさん以外のメンバーはまだ誰も来ていないので、分からないところはオオノさんに聞きながら1人で艤装開始です。船が変わって2回目の乗艇で、まだどういうシステムか把握できていないので、1人でやるといろんなことが頭に入ります。
桟橋に降ろしセイルセットをしていると、コンステレーションが下架されてきました。日頃は桟橋係留なので、船底塗装をしていたのでしょうか。タナカさんに声を掛けると、インターハイ予選で清風高校ヨット部父兄をたくさん乗せて観戦に向かうようです。ヨシダさんも乗っています。多分母校KGと次男の母校清風との優勝争いになるのでしょう。
天気予報では、朝9時N5m/s、12時N1m/s、午後3時S3m/sという予報でした。午前中にNで1レース、長い風待ちの後、1時から軽風で2レースというとこかなあと予想しながら、N3m/sを受けて沖に出ます。今日のポジションはバウクルーです。
定刻にJ24に続いてスタートです。北風なので、左に出してハーバーからのポートが上るブローを拾いながら走るか、右に出してブローと言う風ではないけれど、左のブローが切れた時、スターボの安定した風で寄せるか2択です。私なら左だけと。アウター1番手でスタートしましたが、どうもスピードが出ません。リーチの形はいい感じなのですが、原因は?タナカ艇と高さが開いていきます。
「ちょっとジブ緩めて」とスキッパーから声がかかり、シートを出すとともに、リーダーを3cm外に移動しました。ここからスピードが出てきました。しかしタナカ艇との高さの差は、もう5艇身以上あります。失敗しました。前の艇よりジブリーダーが内側まである分、軽風なのに引き込みすぎたみたいです。
しかし、本部船よりから出た数艇が、何かのトラブルなのかしばらくスピードが上がっていなかったので、それらにはまだ勝っています。そのままスターボに伸ばしてきた艇は、アスターンについて来ています。上のJ28タナカ艇とJ34タカシさん艇がタックし、マークが2時半になりエンド近くなり、ベアが入りだしたので、次のベアでタックすることにしました。ベアタックしたらマーク12時です。
このままの上りが吹いてくれたら、右海面に展開した艇にも勝てそうです。さすがにマークを12時に見るブローはなくなりましたが、こっちの方が風があります
スターボで寄せてきたJ46タワ艇のバウを切り、再びスターボで左海面に出してきたJ34のバウも切りました。J34はこの風では左に出すことが多いので、スターンを切ってエリアのないところをエンドまで出しそうです。行きすぎちゃうかなあと思っていたのですが、タックしてポートエンドアプローチのJ34がいい風を受けてバウを出して来ます。やられるかなあと思いながらも、左にはもうエリアがないのでこのまま行くしかありません。ただ下の先行艇に対しては挽回しています。いい風を受けていたJ34のブローが切れてきてバウがうちを向いてきました。スターンをついて来たJ46にもセーフティーリードを保ち、3位で上マーク回航です。フリーで、トップJ28は安定した走りでセーフティーリードで先行しましたが、2位は混戦になりました。J35サワダ艇のテールトゥーノーズで、うちがJ34に水を取って回航しました。
ここでミスです。メインシートが引き切れず、シートが絡まっています。ブームは中央まで入っていますが、何度かそれを直すチャレンジをしている間は、船が走りません。即タックしたJ34に行かれてしまいました。右に大きく出すコースを引いたJ35が2上で2位、3位J34、4位うちです。J28は中央、J35・J34はジャイブして南、うちは中央、後続のJ46はノンジャイブで右に行きます。
スタート後から、少しずつ落ちてきた風が、なくなりかけです。「スピン勝負やぞ〜」なんてプレッシャーをかけられますが、風がないのでどうしようもありません。スピンポールの高さを頻繁にコントロールし、そのときの風に合わせるしかありません。前の風がなくなりJ28に追いついていきます。左右に出した艇もそれほど風を受けていません。「2位に上がれるかも」。コース短縮のホーンが聞こえます。
後方からJ32鈴木艇が迫ってきます。10艇身以上差があったのに・・・並ばれてしまいました。一番右に出していたJ46が北からの風を受けて寄せてきます。一番左にいたJ35も南からの風を受けて走り出しました。J35が2位で、3位争いが3艇オーバーラップです。J46が前でうちは4位でした。1時間半の長いレースフィニッシュ後、風がなくなりました。南が入るのだろうが、沖の海面もここと変わらない感じで、これは長い風待ちになりそうです。
先輩のお嬢さんが北海道で結婚式を挙げたようで、話題の旭山動物園の見学記を聞かせてもらいました。息子さんも結婚を決めたみたいです。花嫁の父としてバージンロードをエスコートした時、夜店で売ってるピカピカバッジを着けたそうで、新婦さんに驚かれたそうです。「お嬢さんの生涯の一大イベントに何すんねん」と思いながら、大阪人として尊敬してしまいます。参列者のハートをわしづかみしたでしょう。良い印象かどうかは別にして。
結局これでこの日のレースは終了になりました。ハーバー前まで曳航されて帰り、桟橋前で少しずつ動く船で手持ち無沙汰にしていると、郵便ゴムレスキューがディンギー桟橋から出てきました。ウメノさんが乗っています。「引っ張ろか?」「お願い」でドラゴンの先頭で桟橋着艇できました。
船を片付け、着替えてヨットクラブのウェットバーで阪神ロッテ戦を見て、帰宅しました。8時から「インディージョーンズ」を観にいく約束を家内としています。一緒に乗ったモリタさんも奥さんと神戸の映画館に観にいくそうです。ジョージルーカス、スピルバーグ、ハリソンフォードのこのシリーズは押さえとかなきゃね。今まで同様面白い作品でした。1作目に出てきたヒロイン(確か考古学の重鎮の娘だったような)がまた出てきて、彼女には息子がおり、なんと彼は2人の子供でした。父親譲りというか祖父譲りの破天荒な行き当たりばったりの行動が、面白い。インディ同様親父と同じ名前が付けられており、「ジュニアと呼ぶな」とインディが父親に言っていた台詞を息子から言われていました。
ハリソンフォードも、60歳を過ぎており、次のシリーズは、今回登場した息子に引き継がれるのかもしれません。家内と一緒の洋画は、日本語吹き替え版を観ます。外人はみんな同じ顔に見えて区別がつかないそうです。「面白かったなあ」と聞くと、「何かよくわけがわかんなかったけど・・・」とのこと。う〜む、確かに、今までのシリーズ作より展開が早かったかもしれない。

2008/6/9
日曜日は、関々戦の観覧船ドライバーをしてきました。琵琶湖に行く予定でしたがキャンセルになってしまいました。梅雨に入り雨が心配されましたが、2〜3日前にはくもりという予想が出て、家内を「シークレット・ツアー」に誘うことにしました。
このツアーは、「この辺では6月、日没から1時間半ぐらい、雨が降っていない、寒くない、風が強くない、曇りや新月などで暗い」などのキーワードで大きな差が出ます。懐中電灯・写真は多分無理だからビデオを用意します。
家内に夕方5時半出発と約束し、日曜日を迎えました。家内が「朝、私もヨットハーバーに行く」と言い出し、「じゃあ1日一緒に観戦しよう」と誘ったのですが、日焼けノーサンキュー・美容命の家内に、こっちは振られました。でも海に来るのは10年以上ぶりぐらいで、嬉しくなります。子供達がいなくなり、「少し旦那にも付き合ってやるか」という心境になってきたのかもしれません。
7時半に浜に着き、ディンギーヤードの方からハーバーに入り、いつも乗ってるドラゴンのレース艇を見せようと陸置きバースに向かっていると、ヤマハの修理棟の裏で関大の多分1回生が歌っています。そこに監督のタナカさんもいます。関々戦の余興の練習のようですが、これを監督がコーチングしているとは、監督も大変だなあと思う以上に、タナカ監督は余興が好きなんだなあと思いました。
センターハウスで出艇申告をしてエルシノア号に着き、出艇手伝いの学生を呼ぼうかなと思ったけど、家内と2人で出艇することにしました。生憎の北風2m/sで、桟橋から船を離そうとする風向です。家内に手伝わせるわけには行かないので、ササッと動き無事出艇です。ハーバー西出口から出て、ジェノアだけで帆走です。帆走には物足りない風でしたが、家内を怖がらせないちょうどいい風でもありました。ジェノアをファーリングし、東出口からハーバーに入ろうとした時電話が鳴りました。KGマネージャーの巻幡さんからでした。8時45分の出艇時刻が迫っていたので、心配になったのでしょう。「あと5分でディンギー桟橋に着けるよ」と返事しようと思ったら電池切れです。日頃使わないから、こういう準備がダメですね。
桟橋にはジャッキーが着いており、コボリさんが乗っています。電話できなくなりリラウンドしようと思っていたら、学生が気づいてくれました。「こっちこっち、エルシノアが着くよ」。女子マネージャーさんが声を張り上げ、この船の担当なのでしょうか、1回生が数人走って来てくれます。しっかりした女子マネさんがいると、プレイヤーも安心してレースに集中できますね。
OGのキクちゃんとOBイワタ君もいたので、キクちゃんに携帯電話の充電を艇庫でしてもらうようにお願いし、どこかに行く家内を連れてバス停の場所などを教える。船に戻り出艇です。近大と日大の定期戦もやっており、関々戦は芦屋沖でした。北風の最初のレースは、途中で風が落ちノーレース。30分ほどして吹いてきた南風で4レースできました。全部で8レース。470は勝利、スナイプは敗戦で総合は僅差で関大優勝のようです。
新コニーも出ていました。松井さんが乗っていますが、ドライブを現役がしているようです。ベネトウ?のグランドバンクス型トラディショナル・モータークルーザーですが、これが速いです。この大きさと船型で、小型モーターボートのようにバウを浮かせて20ノット以上で走ることが出来ます。レースの合間で、時々バウを浮かせて疾走していましたが気持ち良さそうです。「う〜ん、運転してみたい」。
今年の1回生は、プレイヤー・マネージャー半々ですが総勢26名入部したそうです。すごい数です。彼ら彼女らが全員4回生になったら、とんでもないことが起きそうです。人数も足りてるので、レース後直接バースに戻ることにしました。
ホースとデッキブラシでデッキを洗います。シグナスのメンバーさんが桟橋を歩いてきたので、「クルージングですか?」と聞くと、「オーバーナイトのレースでした」とのこと。毎年恒例のあのレースですね。「夜光虫は出てました?」と聞くと、「去年ほどではないけど、観れましたよ」。幻想的な真っ暗な海を夜光虫で光る引き波を伴ってセーリングなんて、うらやましいです。今夜のシークレットツアーの成功を暗示しているようです。
携帯電話を艇庫にもらいに行く旨マネさんに言ってセンターハウスに戻りました。帰着申告をし、7月に兵庫ジュニアが企画している「親子ヨット体験会」のパンフを置いてもらえないかハーバーと交渉です。顔見知りのカウンターの女の子にその旨話すと、担当さんが出てきました。最初ハーバーマスターの三輪君と交渉しようかと思っていたのですが、生憎横のテーブルで接客中です。難なくOKをもらいコピーしてきた100枚のパンフレットを渡しました。掲示板にも張り出してくれるそうです。
続いて一点鐘に向かいます。頼んでおいたウォータープルーフバックの代金を払い、パンフレットのことも話します。いつもの次男と高校生から知り合いの同学年の女の子がいたので、こちらも難なくOKでした。すぐに前のパンフレット入れに入れてくれました。
時間は4時10分。艇庫に戻って携帯を受け取り、家に戻って家内を拉致し「シークレットツアー」に出発しようかと思って、バックを背負ったら家内がセンターハウスに入ってきました。「4時にセンターハウスにいなかったら、家で待ってるから」ということだったので家にいると思っていたのですが、ちょっと遅れてハーバーにやってきて、車がまだあることを確認して走ってきたようです。しかも艇庫に預けておいた携帯電話を持っています。
ディンギーヤードの出入口の所で、KGヨット部のユニフォームを着ていたマネさんとちょうど会い、しかも彼女が私の携帯を持っていたということで、とてもラッキーなことが起こったようです。

ハーバー前のコープで買い物をし、ちょっと早いけど、「シークレット・ツアー」に出発です。六甲山があるので結局宝塚インターまで戻り、中国道に入ります。高速クルージングに入ったので「現地に近づくと分かるから、シークレット・ツアーを当ててね」と言うと、「ホタル」と一発で当てられてしまいました。
初めて行くところなのに、「西脇、日没後」だけで分かってしまったみたいです。四半世紀も夫婦やってると、私の考えることなどお見通しなんでしょうね。時間調整の意味も兼ね、赤松PAに停め、トイレ休憩です。壁に貼ってあったポスターに書かれていた「名物卵まるごとプリン」に目が留まったようです。「ねえ、あれ食べない?」。椅子に腰掛ける時、横のたこ焼きが目に留まり、本日の夕食はたこ焼きに決定。久しぶりのたこ焼きはうまいです。
そしてメインイベントの「名物卵まるごとプリン」です。ちゃんとした卵の殻に入り、何処にも割った形跡がありません。ゆで卵そのものです。2つに割って添付のシロップをかけて食べるようですが、机の角に当てて力を入れるとグシャって殻がかなり粉々に・・・「ゆで卵みたいに殻を剥くんじゃなくて割るんだよ」と笑っています。いびつですが何とか割り、シロップをかけると、少し硬めの普通のプリンでした。「名物にうまいものナシ」と達観したような台詞を吐いている家内に、もう一つの「名物赤松コロッケ」を買おうと提案しましたが、あっさり却下されました。「でもコロッケは絶対うまいよ」「コープでコロッケ買ったもん」。
滝野社インターを下り西脇市に入ります。家内の料理学校時代の友達の家の前に来ました。お寺も併設の幼稚園も、子供達が小さな頃、イチゴ狩りとか芋ほりとかで来た当時そのままです。「あれ、彼女が乗ってる車かなあ」。弟と同じゴルフが駐車場に入っています。「何かお土産持ってくれば良かった」としばらく車を停めて見ていましたが、寄らずに目的地に急ぐことにしました。
途中からGPSが地図上の道と少しずれて、何もないところを自車が走っています。右手の川の方に、車が数台路上駐車しています。それらしき小屋もあります。そこに車を停め小屋に行くと、ホタル愛好会のホタルマップという看板が立っています。細い人工河川があります。しばらくぶらぶら歩き、車に戻って当初の目的地「双葉小学校」まで上がることにしました。
この小学校から下流の公民館までが一番多いところと紹介されていました。小学校横の路肩に路上駐車して川を見ると、一面草に覆われています。「いかにもホタルがいそうです」。川の横の幅3mほどの道は、車が入らないように赤三角の車止めが立っています。すぐ横に小さな水門に下りる階段があり、日没までそこに座って待つことにしました。
7時過ぎに日没になったようで、どんどん暗くなっていきます。まだ白い空を見上げていると黒く見えるホタルが飛び始めました。ホタルは甲虫なので、カブトムシのように硬い殻を広げ、その下の薄い羽で飛びます。ホタルに間違いないと思うのですが、光っていません。どんどん飛ぶ数が増えていきます。
道の入口に車が停まり、「ホタル愛好会」のジャンパーを着たおじさんがやってきて、階段入口に置いてあった机の上に何かを置き、20mぐらいごとに道端に立ってる箱の中のろうそくに火を入れていきます。その周りだけぼんやり明るくなり、道を照らします。机の上の箱を見に行った家内が、「ホタル募金だって」。早速本日のホタル募金第一号になっときました。
いよいよ暗くなってきました。日曜日のイベントにはちょうど適当と思われる人数が、パラパラと道を入っていきます。カップルと家族ずれがほとんどです。「僕ら2人は、はたしてどっちなんだろう?」。戻ってきた愛好会のおじさんが、「ここは道路を走る車の光が入るからあまり見えないよ。もう少し下ったあたりからたくさん観えるよ」と教えてくれました。
お礼を言いながら川沿いの道を下り始めると、30mも下ったところで「ほわ〜ん」と光りました。「あ、光ったよ」と家内が言うと同時に、あっちでもこっちでも光りだしました。7時半ごろです。写真では光ってはすぐ消えるホタルは撮れないと思ってビデオを用意してきています。ビデオで映しながら下ると、ホタルの光の数が加速度的に増します。その方角にビデオを向けているのですが、液晶画面では光が確認できません。「撮れているのかなあ?」などとごちゃごちゃ話しながら下ります。道に落ちて光っているホタルを子供が拾って手の平に乗せています。家内のアップされた髪のすぐ上をホタルの光が・・・すぐ近くの草の上を・・・対岸の高い木の中間ぐらいでも光っています。
ホタルを観に来たお客さんは、出来るだけ光をつけないようにマナーがとてもいいです。反面、ろうそくの光だけで、すぐ近くにある対岸の景色もよく見えません。最近都会になくなってしまった闇の世界です。30分ぐらい堪能したでしょうか。8時を少し回ったところで帰ることにしました。
それにしてもすごい数のホタルです。こんなに多くのホタルの光を観たのは初めてです。家内なんて「すごいわ。あそこも・・・あそこも・・・ビデオなんてやめて観なきゃ、すごいわ」と、はしゃいでいます。時々液晶画面が光を捉えます。4倍ほどに拡大する方が大きく写るみたいです。ほとんど何も写っていない闇の時間に時折、ホタルの光が写ります。
車が走り出すとすぐに家内は寝てしまいました。朝早くから船に乗り、一旦自宅に戻って大工さんを迎え、またハーバーにやってきて、「今日は大活躍だったね」です。またいい1日が過ごせました。

2008/6/2
日曜日は、中1の時の担任だったカワキタ先生の追悼礼拝でした。私は中学受験をしました。公立小学校での近所の友達が誰もいない新たな旅立ちでした。電車通学は、今では考えられませんが、幼稚園の時1人で通っていた経験があるので平気でした。でも、勉強もスポーツも出来る子ばかりの中に入り、とまどうことだらけでした。そんな生活が始まった中学1年は、担任先生の印象とともに深く記憶に刻まれています。
先生の印象は、温和と熱心の2つに集約されます。司書の先生で、当時の日本では珍しく読書科という授業がある中学でした。この日の先生をしのぶ言葉で知ったのですが、関西で始めての読書科であり司書教諭だったそうです。今でも硬軟いろんな本を読み続け、文字を書くことが結構好きな私の土台の一部を作っているように思います。
先生は夜間高校に通っている時に、KG中に事務員として奉職なさいました。その後夜間大学を卒業し、司書として図書室担当事務から教諭も兼務するようになりました。担任先生と同世代で現啓明中学校長、私の中学時代の社会科教諭先生も苦学生でした。大学に通う学費がなく働こうと中学の校長に相談に行った時、先生から個人的に授業料援助するからしっかり勉強するように促されました。キリスト教を基盤にした建学の精神が脈々と流れている学校だから、こういう方を包み込む校風があり、生徒を育てているように思います。私にとっても、この中学での教育が、最も大きくその後の考え方や行動に影響しています。
これもこの日知ったのですが、最若手先生だった担任先生と前述の現校長が共同で書いて、中学の基盤を築いて引退したばかりの校長先生に提出した今後の中学教育についての文章に、元校長は赤線を引いたそうです。「これが最も重要だなあ」と。『一人の生徒も落ちこぼさない』。お二人のそれまでの育ってきた環境から出た文章なんだろうけど、恩師によって支えられた実体験が篭った言葉です。あらためて、このような先生と接することが出来た私の幸運を感じました。

この追悼礼拝は、中学の礼拝堂で午後2時からです。中途半端な時間だったので他の予定をキャンセルしましました。午前中空いてしまったので、浜に行って本でも読もうかとバイクで出発しました。いつものようにクルージング艇のエンジンをかけ、船内の空気を入れ替え、トイレを流していると、なんとなく船を出したくなりました。風も弱くいい天気だったからでしょうか。高校ヨット部の同期スギモト君に電話すると、現在鎌倉にいるということで無理。でも新たな情報が。
「カタオカが追悼礼拝のために実家に帰ってるよ」。ということで彼に連絡し、午前中だけ出ることにしました。生憎風がなく、機走で六甲アイランド沖まで行き、帰りは少し出てきた風で帆走で戻ってきました。去年末の高校ヨット部ミニ同窓会に帰ってこなかったので2年ぶりに顔を合わせます。
六甲アイランド沖で帰路についている時、モリタさんから電話が入りました。「今何処?」「六甲沖です。昼帰ります」。船に乗ろうとやってこられたのでしょう。バースに戻ると電話が鳴り、「2Fのレストランから見てるんだけど、すぐ出るからそのままでいいよ」とのこと。センターハウスに戻ると、シンタニさん・キンノさん・モリタさんが出てきます。キンノさんと出艇帰着申告の受け渡しをしました。カウンターで明石海峡の潮を訊かれていたので、そちらに行くみたいです。
カタオカ君は、一旦家に戻って礼拝に行くようで、タクシーを呼んでいたら、ヒライさんがお嬢さんと一緒に入ってこられました。カタオカを送ってヒライさんに電話をします。「食事をするのならご一緒願えませんか?」「クラブハウスの2Fにいますよ」。3人で食事をしました。去年の甲子園ボウルでご一緒したお嬢さんは高校2年生で、そろそろ進路を考え始めたようです。これから家具を見に行くということですが、父娘で食事したり・・・お嬢さんがいるといいですね。男の子とは全然違う感じがします。まあ男の子は男の子の良さがあるけどね。

バイクで母校中学に向かい、校庭内に停めて校舎に入ると、受付があります。記帳して懐かしい校舎を回り、2Fの中学部礼拝堂に入ります。先生の遺影を前に、同級生の顔がすぐに目に入りました。担任先生は、たった1回だけ担任をしました。それが僕らのクラス中1B組です。僕らに手間がかかりすぎたからか、図書室管理がおろそかになり、翌年からは教科の授業と司書の仕事に専念されるようになりました。
もっとすごいヤツがいましたが、私自身放課後のHRで何度も同じ注意をする先生に、「ひつこいなあ」と言ってしまったことがあります。当然叱られ、1学期の懇談で親がそれを知り、母親からの相当叱られました。
担任クラスの同級生・学校関係者プラスアルファぐらいの礼拝になるのかなあと思っていたのですが、数百人集まる礼拝になりました。KG中定年退職後、前述の校長に誘われて啓明中学に奉職されたので、啓明の女子生徒さんも来られていました。黙祷・追悼の言葉・礼拝・・・賛美歌を3編歌いました。キリスト教に長年接した方ばかりなので、賛美歌の歌声が大きく、気持ちのいい礼拝を送ることが出来ました。中学の時毎日あった礼拝で一番好きだったのは賛美歌を歌うことでした。歌が下手なのに、カラオケなんて最も嫌いなものなのに、何故か礼拝での賛美歌は好きです。
同じクラスだったキタグチ君と並んでいたのですが、彼は中1の最初のクラス通信を保管しており、コピーしてご遺族に渡したそうです。礼拝の最後にそれが紹介され、懐かしいクラス通信を手にすることが出来ました。「親が残していたの?」と聞くと、自分でファイルしていたそうで、驚いてしまいました。中1なのに・・・。
前述の現校長オザキ先生、啓明の副校長に出世しはったタカハシ先生、同級生10人以上に会いました。商学部教授になってるコスガ君には会えませんでしたが、今年から経済学部教授で戻ってきたマエダ君はいました。帰ろうかなと校舎の外に出たところでオオカワ君に会いました。「図書室に行かない?」と誘われ再び校舎内に入りました。先生のホームグラウンドである図書室が雑談の場としてオープンされています。オオカワ君と今啓明に通っているお嬢さんに会いました。親子ともにオザキ先生にお世話になってるなんてね。カジ君、イノウエ君、ヨコタ君、ウライ君・・・。オザキ先生からは、青島のヨットの整備に来てよと言われてしまいました。こういう交流が出来るのは私立中学の特権ですね。いい仲間に出会えました。

2008/5/26
日曜日は、KGヨット部現役に頼まれて、関々同立定期戦の観覧船ドライバーをしてきました。週末の天気は日曜日の昼頃は雨で、結構降るようなことを予報されていたので、「かなわんなあ」と思っていました。
金曜日の夜遅く長男君が帰ってきました。土曜日にあるクラブの先輩の結婚式に出席するらしく、金曜日は後輩達と飲んでたようです。土曜日の打ち合わせだったのかもしれません。
土曜日は雨模様で、天気予報を見ると、夜半から雨が強くなるとのこと。できれば日曜日の雨の分まで夜中に降ってくれたらなあと思いながら仕事をしていると1枚のFAXが・・・仕事関係の方が亡くなったようです。これはまずいです。土曜夕方からお通夜で、日曜日の午後ご葬儀です。観覧船ドライバーは私しかいないようで、他のメンバーに交代してもらうことは出来ません。すぐに家内に連絡して行って貰う事になりました。
土曜の夜は結構降りました。雨音で目が覚めたぐらいですから相当です。日曜日の朝、目が覚めると雨音がしません。「おお〜、ラッキー」。天気予報でも昼頃の大雨予想はなくなり、午前中は雨模様だけど、午後は晴れるそうです。
8:45出艇をお願いされているので、8時に浜に着くために7:30出発することにして、洗濯物を干していると、「雨、どうかなあ?」と家内が思案気です。9時から町内会の溝掃除があるようで、今日は廃寺の回りだそうです。9時に雨が降っていたら延期だけど、「早く終らせたいし」なんて言ってます。そういえばうちの横にある町内会掲示板に、そのようなことが書いてありました。溝掃除は旦那さんが出てくる家庭も多いのに、私はのんきなものです。
8時前に浜に着き、エルシノア号のエンジンを回します。一発で回ったので、土曜日も出したようです。雨が降りそうで降らない空模様で、雨が降りカッパを着ても暑くないように、短パンとTシャツに着替えました。出艇の手伝いを現役に頼もうと電話だけを持って艇庫の方に歩いて行き・・・桟橋に入るゲートのカードを忘れたのに気づきました。「参ったなあ」、人通りの多い向こうのゲートまで行って誰かが開けるのに便乗するしかないです。今日の仕事を始めようとしているハーバー職員さんが目に入りました。定刻の仕事始めより早い時間から動き出しているので、レースでもあるのでしょう。聞くと、IMSのポイントレース日だそうです。
事情を話しゲートを開けて貰うことになりました。顔パスが利いて良かった。マネージャーに電話して、手伝いの学生が来るのをゲート内で待ち、船をディンギー桟橋の方に回しました。桟橋には数人の現役が待機しており、きちんと手はずが整えられているヨット部はさすがだなあと思いました。これもマネージャー体制がしっかり出来ているからなんでしょう。
同志社ブルー、リッツレッドのスナイプが並んでいます。ジュニア出身の顔が各校にチラチラいます。リッツ卒業生の野田さんと中川君も来ていました。定刻近くになりましたがまだ増川さんが来られません。数日前に、KGの増川さんはじめ、KG・リッツ・同志社にお子さんが行かれているOP出身の親御さんに、観覧船あるよと連絡しましたが、もうクラブの方からの連絡で予定を立てていた増川さんだけが来られるようです。
数日前から増川さんとメールのやり取りをしましたが、相変わらず楽しいメールです。ホスト校の関大艇庫に行くと、田中さんのほかに、吉田さんもいます。リッツ監督さんなどと話しながら待っていると、意外に時間がかかったと増川さんがやってきました。
増川さんと学生を満載して出艇です。朝から南の2m/sほどが入っており、いい感じで吹き上がるかもしれないなと思いながらレース海面に着きましたが、風がなくなってしまいました。六甲山は雲に隠れ甲山も見えません。雷が鳴っています。海に雷雲があまり来ないので大丈夫だと思いますが、雨が降るかもね。
増川さんは学生達に気さくに声を掛け笑わせています。私が京都の学生達に話しているのと重なります。お嬢さんの生涯にわたる仲間とこの時代に交流が持てるというのは、親として幸せなことですね。昔から続いている4校の定期戦ですが、増川さんが言うように、去年の全日本総合2位・3位と470優勝校がからむ今年の全日本を占う大きなレースですね。関東の学校からも、このレース結果は注目されているでしょう。
すぐに風が入ってきて、日曜日も4レースでき、トータル8レース消化できました。土曜日は、接戦のレース展開だったようですが、土曜日ビリだったKG470がワンツースリーを引いたと思えば、同志社がワンツースリーのお返しをするなど、毎レース上位が変わり、トップを引いた艇が次のレースでビリだったり、何処がリードしているのかさっぱり分かりません。いずれにしてもハイレベルないい練習になっているでしょう。琵琶湖では見ることのできない同志社・リッツさんレギュラー艇のビリ争いも普通にあり、なかなか面白いです。
懸念されていた雨もカッパも要らないぐらいほんの少し短時間降っただけで、午後からは予報どおり晴れてきました。今度は日焼け対策で、長袖長ズボンに着替えて観戦です。レースの方は、どうしても470に目が行ってしまいます。西村君はさすがに手堅くいつも上位を走っていますが、兵庫ジュニア出身の笠井/西尾組もトップとビリを取りながらも、よく走っています。前半下位にいてもしぶとく上がってくるので、スピードがあるのでしょう。どちらもスキッパーが出来るかなり贅沢なペアで、まだ新人だからこれからの4年間KGのベースを支えてくれるでしょう。スナイプで出場した市野君は、こっちでもよく走っています。コース引きで、極端に突っ込むことはありませんが、常にフレッシュウインドを受ける位置ではしり、囲まれた状態でなんとなく走ることがなく、必ずタックして外に出してくるのが印象に残りました。なんだかんだ言いながら、ヨットレースでもっとも大事なのはフレッシュウインドの中を走ること。ビッグフリートのレースになればなるほど、その重要性が分かっているかどうかが利いてきます。さすがです。
レース後、ディンギー桟橋で学生を降ろし、3名の学生を積んでバースに戻りました。モップを渡して船をブラッシングしてお終いです。増川さんと艇庫に戻り、帰り空港まで送る予定でしたが、神戸空港からの最終便のようで先に帰ることにしました。一点鐘で携帯電話の防水袋を買う予定でしたが、どうも他の携帯電話より大きいようで、広げた状態で袋に入れられても、そのまま閉じることが出来ません。ううむ、やっぱりおじさんおばさん世代以上向けのらくらくホンは、でかいようです。他を探してなければこれを買い、折りたたんだまま入れることにしましょう。
レース中、上空を大き目のヘリコプターがよく飛んでいました。洞爺湖サミットに関連してちょうど今開かれている神戸環境大臣サミットの警護だと思われます。神戸空港近辺の海にプレジャーボートの乗り入れ禁止になってるし、空から大勢の目が海や陸に注がれていたのだと思います。でも六甲山で雷が鳴っていた時は飛んでなかったようでした。まだまだ平和ですね、日本は。

2008/5/19
日曜日は、ドラゴンのレースでした。この春、シブカワオーナーがダンシングクイーン号を新しく出来た富山フリートに売り、イカミさんのジョーガ号を買ったので、甲南大OBチームとKG大OBのうちのチームが合体しました。それでもKGOB関係艇は他にまだ4艇もありますが。
先月レースを休んだので、私にとってはジョーガ初乗りでした。朝ハーバーに着き、エルシノア号に寄ってトイレの水を流し、エンジンを数分回して点検してからドラゴンバースに向かいました。この日の海は、冬の綺麗な海とまでは行きませんが、一時悪化していた海水色よりは随分と透明度が増していました。
30分ほど早くジョーガに着いたのですが、甲南チームの中心オオノさんがもう来ておられました。DQ号とビルダーが違うので、いろいろレクチャーを受けながら艤装です。モリタさん含めて3人で乗ります。シブカワさんは、ヒライ艇にヒライさん・タワチームのシミズ君と一緒に乗ります。チームというくくりはありますが、メンバーが足りない時は補い合って、出来るだけ多くのドラゴンを出し、レースを楽しもうというのがドラゴンフリートです。
出艇の10時頃は風が弱く、DQチームからKG大監督に転出したコウノさんがKGインフレータブルボートでドラゴンを降ろした桟橋にやってきたので、引っ張ってもらいました。朝は北風だったので、南から風が入るまで風待ちかなあと思っていたのですが、スタート予定の11時には南からソヨソヨが入ってきはじめ、10分遅れほどでスタートできました。
この日は3レース出来ました。1レース目は、ブロー海面を探して走り、時々途中経過トップの時もありましたが2位でした。久しぶりのドラゴンスキッパーにしては上出来です。とにかく船を止めないことに心がけながら、ブローが切れたときすぐベアせずに艇重のあるドラゴンではそのまま惰性で高さを稼ぐのもアリだよとミッドのオオノさんにアドバイスをもらいながら走らせました。
ドラゴンのメンバーは各艇とも、学生時代や他艇で実績を残した方ばかりなので、ほぼ全員高いレベルでスキッパーが出来ます。ヘルムスをしたいオーナーは舵を握り、ゲームを楽しみたいオーナーはミジップをします。ミジップは、スピン展開では上げ下ろしやジャイブをしなければなりませんが、ボート全体を見て、バウの手助けからヘルムスの手助けまでして、更に他艇の動向を見ながらレース展開を考えタックの指示なども出します。一番面白いポジションかもしれません。ここをやってるオーナーが多いです。
最初のレース、風が弱かったので、フィニッシュまで1時間半もかかりました。2レース目は風が上がり、5〜8m/sのレースになりました。スタート前オオノさんが、この風は得意風域を外れたなあと言ってましたが4位でトップグループにからみまあまあでした。風速のわりに風向がよく変わり、遅れたと思っていた艇が復活してきたり面白いレース展開でした。フリーのジャイブでちょっとまごついている間に、ヒライ艇に後ろにつかれてしまいました。うちが先にジャイブし、左右に離れると思っていたのに、同時ジャイブしてきたようです。これはやばいと思い、ブランケットコーンを切る為に上り目で走り、ヒライ艇がマークにバウを向けるのを確認してうちもそうしました。さてこれで抜かれなくて済んだと思ってチラチラ注意しながら走っていると、なにやら後ろがやかましい。ヒライ艇がトラブルです。ランナーが切れたようです。他艇の不幸は我が艇の幸運とばかりに、それからは落ち着いて走ることが出来ました。多分ランナーを交換すればいいだけでしょうから次のレースは大丈夫でしょう。
2レース目はコース短縮になりました。ショートにしないと3レース目はない時間帯になっていたので、3レース目をするためにショートを選択したようです。
3レース目のスタート1分前半前、ジェノアトラブルでシートを一旦抜くという状況になりました。他艇の邪魔にならないようにしながらもロスを少なくするためにスタートラインからあまり離れずにいて、トラブル解消と同時になんとか10秒遅れぐらいでラインに復帰すると、なんとスタート延期になりました。先にスタートしたJ24が下マークと共通になっているアウターマーク回航にやってきたからです。その前のスタートでドラゴンのレースで初めて経験するゼネラルリコールになり、スタートが遅れてしまったからです。
3レース目の新たなスタートも第一線から出ることができました。この日の3レースともスタートは上々でした。いい感じでリーバウ艇との高さを稼いでいけたので、上艇のリーバウにつこうとトラベラーを上に移動したのが失敗でした。アスターン艇との差を開けられず、しばらく走ると結局リーバウ艇との高さも失ってしまいました。高さを稼ごうとウエザーヘルムを付けすぎたようです。細かい微妙な感覚ですが、当て舵でスピードロスをしたようです。トラベラーを再びさっきの位置に動かし、アスターン艇との差を広げましたが、リーバウ艇との関係はよくありません。でもタックしたら上艇に衝突です。メインを少し緩め、上艇が上平行まで前に出たところでポートにタックです。
ここでジェノアのシートがトラブルで、何度か上り過ぎにしてジェノアトラブルを直そうとしましたが、最後まで引き込めない状態になってしまいました。その間に他艇に行かれてしまいました。最初の上マークはビリかその1つ前で回航しましたが、フリーもまずまず走り置いていかれることはありませんでした。下マークですぐ前で回ったタワ艇がジェノアトラブルの間に上突破できました。
200度方向から入って来る風の中、ブローはいつも220度の西目なので、ブローをもらってスターボに返し、ブローが落ちるとポートにして西に向かうコースプランが良かったようで、2番目の上マークでは2位まで順位を上げることが出来ました。バックウインドの影響はありませんでしたが、リーバウで走っていたスズキ艇を上突破できたのは自信になりました。
スズキさんは、シドニーとアテネ2回もオリンピックに出ており、北京も他クラスのオリンピックメダリストが揃うスター級で目指しましたが、こないだのワールド最終レースで涙を呑んだ現役バリバリのトップレーサーです。朝、ハーバーでその状況を聞くと、最終レースは完璧に抑えられ大きな順位を叩かされたようです。それを聞いてオオノさんが、「ドラゴンでもっと厳しく抑えていくからな。そやないとスズキ君がうまくならない」と半分冗談で言ってましたが、素のクローズの走り比べでほんまにそうなってホクホクでした。ただ、次のクローズで、西についてきたスズキ艇と本来同時タックのところを少し遅らせてしまい、結局下に抜けて行かれ、3位になってしまいました。今度はスターボのロングレグで走り負けました。それにしても毎レース前にいるタナカさんはうまいです。
3レース目の2上で、ドラゴンの舵を持って初めて船をぶつけてしまいました。最終見通しを走っていた自艇の1艇身前をサワダ艇が交わしてブランケットタックをしてきました。マークまでもう10艇身ほどしかないので、ベアしたら上マークを回れません。なんとか食らいついていくしかありません。それがうまく行って、水がもらえると思っていましたが、サワダ君がマーク回航の為にベアしてきて、うちのバウにサワダ君のスターンが当たりそうです。サワダ君も目論見が外れて、マーク回航より衝突を避ける為に更にベアしてスピードを上げます。私は、メインを緩めスピードを落とし、ラフしてサワダ艇のスターンを交わそうとしました。
でもコツンとやってしまいました。モリタさんやオオノさんは強風と言うこともあり感じなかったようですが、レース後ポンツーンに戻って点検すると、サワダ艇はスターン角の金属部分に当たったようで全く損傷ナシでしたが、うちの船のバウ下のゲルコートが一部欠けました。ゲルコートを塗るだけで大丈夫そうでしたが、オーナーはプロにお願いするそうです。
申し訳ないことをしてしまいました。3レース目のスタートで、強引に本部船との間に入ってきた他艇を下に避けましたが、厳しくルールを使って他艇をブロックしながらも、権利非権利関係なく衝突だけは避けなければなりません。今までそれに何より気をつけていたのに、とうとうやってしまいました。ちょっと欠けたぐらいの軽微な傷ですが、ほんま申し訳ないことをしました。これは舵を持ってるヘルムスの責任です。
この日面白い事実を発見しました。モリタさんの長女さんが学生時代からのBFさんと帰ってきて、この日の夕食を家族でするということでした。お嬢さんは中学から聖心で次男と同じ年齢のようです。・・・ということは、次男のGFさんと中高で同級生です。生徒数のそれほど多くない学校なので、名前を言えばお互いに知ってるはずです。大学は別ですが、現在、両方とも実家を離れて東京で働いているので、現在進行形で交流があるかもしれません。それを家内に話すと、次男に聞いてみようということになりました。
オオノさんの息子さんの大学ヨット部の琵琶湖にある艇庫が、次男の大学ヨット部の隣にあり、それが判明する以前から当人同士が知り合いだっりと、世の中実に狭いです。そしてケッサクです。

2008/5/12
日曜日は、義理父の17回忌法要と家内の実家取り壊し法要?性根抜き?でした。
我が家は、家内・長男と3人で参加です。長男は朝東京を発つので家内と先に行くことにしました。10時から義理姉の家で法要ですが、実家から我が家に持ってくる荷物を車に積むので、8時半を目標に家を発ちます。
朝風呂から出ると長男から電話が入りました。「今東京やけど。普通の服でいいやんなあ。ほんまに普段着やで」。もちろんそれでいいです。今回は17回忌だから、元々普段着でかまわないけど、たとえお葬式でも、服装の関係で参列を遠慮するより、普段着でも参列した方が故人は喜ぶと思います。
世の中には様々なしきたりや仕様がありますが、元々それが始まった頃はそういうものがなかったはずです。そういうしきたりをした方が都合よかったり、綺麗だったりするのでそういうのが出来上がっていったと思います。でも心から出来た行事が、形の方が優先されることは本末転倒でしかないと思います。無理する必要はないけど、供養したいと行く心こそ大事です。
家内の実家についてセコム解除します。前回来たときより随分物がなくなっていました。家内の姉妹であれから何日も来て整理したのでしょう。我が家への荷物を積み、姉の家に持っていく荷物を積みます。兄が持病の腰痛が出て、重い荷物が持てません。私が行く時は出来るだけ手伝おうと。
姉の家に着き、荷物を2Fに持って上がっていると、姪の家族がやってきました。兄から庭に増築した部屋の説明を受けます。建築確認が取れたら本宅とつないでしまうそうです。部屋の中央の畳が切ってあり掘りごたつ式になっています。テーブルをどけて畳をはめることも出来ます。堀ごたつは、洋間より畳の部屋の方が使い勝手がいいけど、正座はかなわないという合理的な方法だと思います。南側のサッシは断熱ガラスを使っています。壁にも天井にも断熱材をふんだんに入れて、夏の暑さと冬の寒さを和らげようとしています。
その後、チビさん2人とパンを食べコーヒーをご馳走になり、グレープフルーツを食べようとしていると、お寺さんが来られました。定刻より20分も早いお越しです。慌ててグレープフルーツを置いて仏間に移動です。法要が始まるちょうどその時長男君が到着しました。
いつものお寺さんの法要の声に中、胡坐をかかせてもらいました。最近は正座が辛くなってきたら我慢せずに胡坐に姿勢を崩すようにしています。姪の子供達2人がこれまたいつものようにチョロチョロしています。法要が終って、いつものようにお寺さんの話です。子供達はチョロチョロさせていればいいです。仏さんも自分の後の末広がりを喜んでいます。うるさくするからと子供さんを家に置いてくる方もいますが、お子さんが場を和ませますし、お子さんも自然にいろんなことを学びます。と和やかな話をいただきました。
次は実家に移動なので、姉が「よっちゃん、グレープフルーツ置いてあるよ。食べて」と渡してくれます。私は食卓でそれを食べていましたが、足がしびれた長男はそのまま仏間で足を伸ばしています。お寺さんと親しく話しています。彼の小さな頃から何度となくお世話になったお寺さんなので、「仕事には慣れましたか?」と、近所のおっちゃんとの会話のようです。
彼は明るく、好奇心旺盛なので、仏事の分からないことを素直に質問し教えてもらっています。彼の話は楽しく、何でも前向きで明るいので、子供の時からいつもリーダーになってしまうのはよくわかります。きっといい人生を歩むのだろうなと思います。
続いて実家の解体法要です。まず家族が一番集った台所から、元仏間、寝室、トイレ、2階の部屋も回ります。そして最後はお店。学生時代、最初にこの家を訪問し、食べきれないほどの山盛りのお肉で歓待された時の事を思い出しました。義理母の私に対する自然な接し方は、私をとてもリラックスさせ、この母親にこの娘かと思いました。
次はみんなで昼食です。そこに向かう間、車の中で長男に新しく買った携帯電話を渡しました。第一声は「でっか」。操作文字や操作ボタンが大きいようです。
「操作の分かりやすい、操作ボタンと文字が大きい、音声が大きな、メールも出来るやつ」とドコモショップでリクエストしたらこれを勧められたんだ」と説明。「万歩計が付いてて指定の電話番号に歩数をお知らせもできて、小さな文字が見れるように拡大鏡も付いてるし、GPSも付いてる。徘徊する親に持たせていると、PCから居場所を追跡できるよ」と更に説明すると、すげ〜なあなんて言ってます。
「でもなあ、GPS使うとお金がいるから使わないし・・・」と言うと、「GPSってお金要らないんじゃないの?」。車のGPSを指差しながら「だってさあ、車のGPSって使ってもただでしょ。この機能が電話についてるだけだから、無料だと思うけど」。「え〜、インターネットにつながりっぱなしになって、電話代がかさむんじゃないの?」と、その方面に明るい方には笑い話になるような会話がありました。
その会話の途中で、「ほら」っと携帯の待ちうけ画面に、次男君から母の日プレゼントでもらった鉢植えの前で撮った家内の写真を貼り付けてくれました。座敷に上がり姉の一言から昼食が始まりました。食事しながら家内が私に、実家で家内が見つけた写真を待ち受け画面に出来ないかなあと言ってきました。次男が生まれた時、2歳の長男が生まれて1ヶ月の次男を抱っこしてる写真です。私が撮って、それをはがきにして実家に送ったものです。母が大事に取っておいてくれたようです。姉と実家を片付けながら、これを見つけたようです。
次男はまだ生まれたばかりなので今一ですが、長男は実にかわいい。世界中の誰よりかわいいです。その日から家内の部屋の写真立てに仲間入りをしています。今日、長男と会うのでこの写真を見せてやろうと持って来ました。
その写真を出して、甥と姉夫婦の横に座った長男のところ行き、「この写真を待ち受け画面にしてくれない?」とリクエストしました。「え〜この写真どうしたん?」。チョチョイとやってくれました。
姉が、今年から京都で仕事をし始めた姉の長男に「転勤あるの?」とか、京都支店の陣容などいろいろ聞いています。うちの長男に「あの子とまだ付き合ってるの?」と聞いています。家内からそのことは内緒だよと言われていたのに、既に姉が直接長男から聞いていたようです。
姉家族とは、2家族で旅行や遊びに行ったりしていたので、大きくなっても気楽に付き合っています。こないだの父の一周忌では、長男が姉夫婦の車に乗ったので、その時いろいろ話をしたのでしょう。息子には聞けないことでも、甥には平気で聞けるところがあるし、親より話しやすい所もあります。まあ長男は家内にはみんな話してるし、私にもバリアを張ったりしないけど、私の方が親の特に父親の言葉の重さを感じて、人生の大きな選択に対しては何も言わないようにしています。
「あんたが結婚しないと、うちのがしないじゃない」などと姉が言っています。「僕はまだまだですよ」と、よくしゃべる姉と明るい長男中心に話が盛り上がっています。
続いてお墓に向かいます。風が強く数日前の夏みたいな暖かさには程遠いですがいい天気です。お寺さんの法要後、解散です。そこでみんなと別れて、山陽道から中国道を通って空港に向かいます。7時半の飛行機を予約していたようですが、6時半に変更するわと携帯でゴチョゴチョやっています。途中、長男が「お爺ちゃんに線香上げて、お婆ちゃんに会っていくわ」ということで、宝塚インターを下りてから電話しました。母は在宅で、家まで帰りました。
朝、弟家族がやってきて、母を連れてうちのお墓に行ってたそうです。久しぶりに顔を見せた長男相手に、母が得意の機関銃喋りを披露しています。その間に家内が、テーブルの上に置いてある母のメモをチェックしています。隣なので簡単なのですが、毎日のように母の家を訪れて、さりげなくサポートしている家内や弟家族、優しい周りに囲まれて母も幸せです。
空港に向かいました。家内が見送りデッキから長男を見送りたいということなので、駐車場に車を停め、3人でターミナルに向かいます。昔は南ターミナルが国際線で、北ターミナルが国内線でしたが、今は南がANA、北がJALです。航空事情に詳しい長男によると、大阪空港は羽田に次いで便数が多いそうです。羽田大阪間なら、ANA・JAL合わせると30分に1本飛行機が飛んでるそうです。
北ターミナルのJALのカウンターに行き、搭乗チケットを発券してもらっています。新幹線の緑の窓口よりスピーディーな発券です。この日は、貯まったマイルを使った無料チケットだったのでカウンターに行く必要があったけど、いつもなら携帯で予約して券売機でチケット交換するだけだそうです。今や飛行機も電車並みですね。
今日の彼の服装も、学校に行ってた時のような普段着で、私なら飛行機に乗るとなるともうちょっとおしゃれしそうなのに、彼にとって飛行機はもうそういう感覚ではないのでしょう。
「ソラベンを買って帰ろうか?」と家内が提案してきました。「ソラベンって何?」と聞くと、駅で売ってる弁当が駅弁で、飛行場で売ってるのが空弁だそうです。家内よりは物知りだと思っていたのですが、どうやらそうでもないようです。長男から高速道路のサービスエリアで売ってるミチベン(道弁)もあると言うことを教えてもらいました。
「僕が買ったるわ」と長男から。「そんなのいいよ」と家内が言うと、マイルは空港のお店で使えるそうで、最近は空港でそれを使っていろんな買い物をしているそうです。出張で1年間に20万マイル貯まるそうで、大阪羽田間チケットが1万マイル、ハワイ成田が4万マイルで買えるそうで、1年間でハワイまで5回もタダで行けてしまいます。一生懸命マイルを使わないと使える期限が切れちゃうからだって。昨年夫婦で江ノ島に行った時も飛行機チケットならおごるよと言ってた意味がわかりました。今度家内が子供達に会いに行く時は、長男におごってもらうのもいいですね。
長男は、JALカードもANAカードも持っていましたが、JALカードの方がずっと貯まってるようです。何故かと言うのは家族の秘密ですが、家内が「やっぱりねえ」なんて言ってました。ギョウザを長男に買ってもらい、「じゃあ帰るわ」とゲートの向こうに消えていきました。
私達は、屋上に上がり、見送りデッキからJAL771便を見送ります。屋上デッキはあいにく風が強く寒かった。でも家内は、ジャンボジェットと小型ジェットの両方を交互に見ていました。6:30出発便が、羽田行きと札幌便2便ありました。どっちの飛行機か分からなかったからですが、ドル箱羽田便が大きい方でしょうね。飛行機への通路を長男らしく人影が歩いていきました。小さな方は外を歩いて搭乗しているので、はっきりと人物が特定できます。こっちには乗らなかったような。やがて2機とも飛び立って行きました。
北と南のターミナルに渡って屋上階を借りているヨーロッパ家具のお店を見て、無料でもらえるパンフレットを家内が集めていました。次男君に送るそうです。次男を抱っこする長男のはがきを入れるちょうどいい写真立てを購入し、レストランで定食を食べてから空港を後にしました。なんかこの日もとても素敵な日曜日になりました。

2008/5/5
日曜日は琵琶湖のレースに行ってきました。GWのこの時期、各地で学生や一般も含めたレースが行われます。先輩からクルージングの誘いもありましたが、今回はレース観戦を優先しました。12月にあった学生新チームの初戦を見ることが出来なかったからです。他校の戦力は?京都の位置は?を知る目安になります。3月末のレースも見れなかったので、今回は見なければ。
朝は風がありましたが、レースに向けて出艇の定刻8時半になると風が落ちてしまいました。大会本部につめているマネージャーからは、レース延期フラッグが上がったとの連絡がありました。今年卒業したマネージャーが2人艇庫に来ていたので、彼女達と一緒に艇庫で待ちます。
プレイヤーは風が弱いけど、練習の為に沖に出て行きます。レースではスタートしない微風ですが、レースの途中でこういう時はあります。繊細な感覚を身に付けて少しでも船を前に出す練習になります。いいですねえ。こういう努力が実を結ぶと思います。
いつものように11時まで風が入らないかなあと思っていたら、10時半にレース延期フラッグが降下したとマネージャーから連絡がありました。彼女が艇庫に帰ってくるのを待ってレスキュー艇に向かいました。2回生マネウチヤマさんにレース本部で待機中の様子を聞くと、他校マネさんなどとあまり会話をしていないようでした。ちょっとしまったなあと思いました。私もレース本部で待機し、他校マネさんや役員さんと彼女の顔つなぎをしたら良かったです。知り合いが多くなると、堂々と行動するようになり、ハーバーや学連内での存在感がまします。そういうのが選手の成績にもつながっていきます。
この日のレースは3レース成立し、土曜日との合計で7レースのレガッタになりました。レース後午前中の反省もあって大会本部前につめていました。タビト君が抗議するようで抗議書を提出し審問を待っています。今年卒業したジュニア出身のマサヒロ君がやってきました。今回は国体の京都代表を目指して、その練習の為に出場したそうです。抗議のことを聞くと、「京都は抗議よくしますよね」という答えが返ってきました。京都の手伝いをし始めた時は、誰も抗議をしませんでした。「ルール違反されたら、ちゃんと抗議しないと、舐められて何度でも仕掛けられるよ」と話したことがあります。抗議すると、その案件を文章と図で表わし、審問で説明しないといけません。それはルール勉強に一番役立ちます。他の競技と違い、選手から選手への抗議があるセーリング競技は、抗議もヨットレースというゲームの一部です。それも大いに楽しまなけりゃ。
彼は学生になってからも何度も抗議し、1回だけ負けたそうです。ルール違反を自分に仕掛けてきた抗議はきっちりやることで、自分に近づいて来なくなりましたと言ってました。近づいてくる船が少ないので楽に走っているのでしょう。これも去年全国制覇したチームのエースに押し上げた要因の1つのような気がします。顔ってやつです。学生時代唯一抗議で失格されられた相手が次男だったそうです。初耳でした。「ジュニア出身は、いろんなことを知ってるからやりにくいです」との事でした。そういえば次男がまだ小さな時、クラブのみんなにへんな事されたら抗議するように何度も言ったことがあります。誰かが抗議すると決めると、私が横について、アドバイスしながら抗議書を書かせ、審問に入る前の不安を取り去るために、審問室前でリラックスさせました。
次男の初抗議も覚えています。相手はレベルが1つ上の老練なセーラーです。多くの人が現場を見ていましたが、「最初の機会に抗議またはプロテストという言葉を発し、相手にその意思を伝える」という審問に入る前の用件が満たされておらず、抗議は却下されました。次男は審問の事前質問で「当たったぞ。回れや」と言ったと答えました。コーチボートに乗っていた私にも聞こえました。相手艇はそれに対して「知らん」というような言葉を発し、次のマークに向けて競いながら言い合いをしていました。審問で相手艇は、「その言葉を聞いていない」と本審問に入ると不利だと思い、全面否定に回りました。結局「回れや」では、抗議の用件に達していないので、却下されました。
こうなることは次男からの状況を聞きながら何となく分かりました。「抗議とかプロテストって言った?」の質問に「言ってない。回れやって言った」と答えたからです。これではダメだなと思いましたが、「抗議って言ったと言いなさい」と指示しませんでした。この審問の行方より、ウソをついてまで結果を求める人になってほしくなかったからです。
あれだけ分かりきったルール違反でも審問が却下されたので、審問室から出て結果を私に報告しながら、悔し涙を流し始めました。「お父さんはちゃんと知ってるよ。審問のジュリーの人もター君が正しいことを言ってると感じたと思うよ。でも抗議には抗議のルールがあり、それをきちんと踏まないと審問してもらえないんだ。結果は残念だけど、うそを言わなかったター君はすごいと思う。ウソを言ってまで優勝した彼よりずっと立派だよ」と話しました。この言葉を聞いて、次男は更に涙があふれてさせていました。
それ以降、いろんな抗議を経験し、ルールの深い理解につなげ、老練なセーラーになったのでしょう。きっと次男も無理な邪魔をされずに楽な位置でレースが出来たのだと思います。
ジュニア選手を審問に向かわせる時、いつも言ったことは、「ウソは言わないこと。正直でいなさい。イエス・ノーをはっきり言うこと」です。ウソで味をしめては、その後の人生にマイナスになると思います。スポーツで正々堂々を学んで人生のプラスにしてほしいと思ったからです。抗議に失敗しても、いろんなことを学ぶことになり、それでいいと思います。
その後、ジュニア出身のフクダ君、ナカガワ君、ヒロシ君などと親しく話をさせてもらいました。トヨタヨット部に入ったヒロシ君は、最近はスナイプでレース活動しています。まずスナイプで成績を残さないと、オリンピック種目の470級活動は出来ないそうです。ハードルが高いんですと言いながら今回も2位で、着実に成績を残しています。北京が終ったら次のロンドンオリンピック目指して、オリンピックキャンペーン活動開始になるかもしれません。それにしても彼は好青年です。お姉ちゃんも妹もヨットの成績は彼同様抜群ですが、なんといっても性格がいいです。ここんちの兄弟は人に好かれます。
抗議が数件あり、クラブのミーティングが6時からになり、残念ながら先に帰ることにしました。家内と映画を観にいく予定になっていたからです。いつもの日曜日より高速の車が多く、15分ほど余計にかかって帰ってきました。
8時45分からの上映時間にはまだ早い7時に家に戻りましたが、家内はすでに家におり、すぐに服を羽織って出発準備です。まだ早いなあと思いながら、日焼け止めのクレンジングだけして家を出ました。夕食を外で一緒に食べようと誘われたからです。大きなショッピングセンターの中にある映画館で、そこで食事をしたそうでしたが、予想通りこの時間帯は人が多く、ちょっとメインストリートから外れたハンバーガーのお店でゆったり食べました。その後、うちの母親に母の日のプレゼントを探しました。
私は日頃いろいろやってるからいらないんじゃないのかなあと思うのですが、実の子ではなくてもさすが女の子の家内は、プレゼントを探しています。アクセサリー・洋服・バッグ・・・どうもピンと来るものがなく本屋さんを覗きました。「大人の塗り絵」・・・老化予防やボケないための計算などが目に留まりましたが、「失礼だよね」と家内が却下しました。去年はフォトスタンドをプレゼントしたそうです。今年はこないだプレゼントした日にち・曜日・温度付き時計でいいかということにしました。でも家内は何か見つけてくるかもしれません。
「砂時計」という映画を観ました。TV宣伝が気になり、いい感じの主題歌だったので家内を数日前に誘いましたが、「なんか暗い映画でしょ」。TVドラマで見たことがやるようでした。他をいろいろ探しましたが、良さそうなのがこれしかなく結局これにしました。家内は目があまりよくないので、字幕を追う映画は見せたくありません。家内自身、外人さんの映画は、顔がみんな一緒に見えて誰が誰だったかこんがらがっちゃうと言います。怖いのは僕がダメで、戦争物も女性はみんなそうかもしれませんが、家内は好きじゃありません。
人気漫画がドラマ化されてさらに映画化された「砂時計」は、家内の言うとおり暗めの題材でしたが、それなりに楽しめました。次は「インディージョーンズ」の吹き替え版と、藤沢周平原作の映画を観にいこうと思っています。
最後に一つ、本日一番嬉しかったことを書いておきます。470チームがレース終了後、集合していました。きっと本部船に揃って向かい、お礼をみんなで言うのだろうと思って見ていました。レスキューに乗ってたマネさん3人にもそう言いました。並んでやってきたので、レスキューの延長にいる本部船に行くのだろうと、運転してるマネさんに、彼らについていき一緒にお礼を言おうと伝えました。
レスキューを追い抜くのを待っていると、レスキューの前でセールをシバーさせ止りました。そして・・・選手みんなが立って・・・意図が分かり、すぐに運転してるマネさんもデッキに出てくるように言いました。「ありがとうございました」とみんなから声がかかり、僕らは「ご苦労様」と頭を下げます。そのとき号令を発した470チームリーダーのショウ君の顔がえらくニコニコしていました。
彼は高校ヨット部の経験者です。チームで唯一の経験者で、技術的に1つ上です。でもこの日のレースでも土曜日も、1レース同学年のウエノ君に負けました。低レベルの競争で負けたのではなく、一時トップを伺う高いレベルでウエノ君が勝ちました。いい感じです。いつもショウ君がクラブ内トップではクラブ全体のレベルは上がりません。これでショウ君のプライドに火がつくでしょう。そして次はカトウ君が来るはずです。自分がクラブ内で負けた悔しさを内に秘めて、自分を負かす人材がクラブ内に育ってきた嬉しさが上回ったのでしょう。そんな内側が見えたような気がしたショウ君の笑顔でした。4回生が1人もいない470チームなので、このままいけば今年も来年も全日本に駒を進めることができるはずです。来年は地区予選優勝も視野に入ります。
ウエノ君が1レースごとにレスキューにやってきてノートを持って行きます。気づいたことをノートしているようです。次のレース前にそれを返しに来ます。彼の地道な努力が上達させているのでしょう。次男がダイバー用品の耐水ペーパーであるダイバーノートをレースにも練習にも乗せていて、気づいたことを書いていました。私がコーチングで首から提げていた耐水ボードにヒントを得たのかもしれません。私は学生時代、ガムテープをデッキに貼り付け、そこに油性マジックでメモしていました。今なら顔料インクでも消えないです。練習後そのガムテープをはがして、片づけが終ってからノートに整理しながら書き写していました。
乗ってたマネさんも、5艇並んだレース艇に立った選手10人から正式にお礼を言われて嬉しかったんじゃないかなあ。こうして段々少しずつクラブの総合力が上がっていくように思います。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
inserted by FC2 system