ウェブマスター日記 January-April / 2008

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2008/4/28
日曜日は、またまた京都ヨット部の手伝いに行ってきました。今月の日曜日は全部京都行きでした。新人勧誘試乗会にフル参加したのは、初めてです。例年なら2回ほどなのですが、少ない部員でがんばってるので、応援しないとね・・・なんて思って。
当初、最後の試乗会だから、参加者も少ないかなあと思い、先輩とのクルージングや私達夫婦の死後の分骨の為のゴソゴソをしようかなと思っていました。でも金曜日に届いた参加人数が、前回とほぼ同じということで、いつでも出来る他を後回しにすることにしました。
朝7時に家内と一緒に自宅を出発しました。家内と京都のお寺を回り、家内は実家に、私は大学に回ります。家内には、実家解体前の掃除をしようと義理姉から連絡が入っていました。実家近くの姉の家で昼食を取ってから実家に行くので、京都を9時頃出なければなりません。
8時前に知恩院に着きました。朝早くから対応してくれるお坊さんがいることを少し期待していましたが、やはり10時ぐらいにならないと無理そうです。久しぶりの知恩院は、以前より大きく感じ、何となく大きすぎるなあという感じを家内も受けたようです。本堂などを回って、案内パンフレットを数冊手にして、百万遍知恩寺の方に回ることにしました。
私は先週、お坊さんから話を聞いていたので、その内容を家内に伝え、案内して貰った本堂や納骨堂を家内ともう一度見て回りました。京都以外にあれば大きなお寺なんでしょうが、京都では目立たなく静かでいい雰囲気です。何より、父が吉田山近辺にかつて仕事で縁があり、隣に次男の通った学校があるという縁も感じます。家内が「将来子供達がココに来たとき、懐かしく感じるかもしれないね」と乗り気です。
我が家は法然さんの開いた浄土宗で、法要をお願いしているお寺さんの本山が百万遍知恩寺さんです。お寺さんに訊くと、分骨は本山でもいいし、総本山の知恩院でもいいとのことです。知恩寺さんは、総本山の下の七つある本山の1つです。最近は、疫病を治めたなどの百万遍という別名がついた謂れより、広い境内を使った古本市や手作り市で有名です。
続いて、永観堂さんに回ることにしました。永観堂さんには、家内の両親と先代の骨が分骨されています。本骨のあるお墓は実家近くにあり、姉夫婦が守ってくれていますが、月参りをお願いしているお寺さんの本山が永観堂さんで、ココにも分骨されています。彼岸の法要が数日前にありました。家内はウィークデーだったので参加できず姉だけが参加しました。そこで遅ればせながら、我々夫婦も手を合わせに来ました。まだ参拝時間前なので入れるかどうか心配しましたが、参拝受付の準備をしていた方に話すとOKとのこと。観光客ではないので、参拝料も無料でラッキーです。お墓の奥の納骨堂の前で手を合わせてきました。周りのお墓には、古いお寺なので、歴史上の有名人のお墓があるのかもしれません。もみじの永観堂として有名なお寺で、東山のかかりに建つ五重の塔が、京都らしい風情を感じさせる綺麗なお寺です。
そこからJR京都駅まで車を走らせ、9時7分に駅到着です。ココで家内と別れて大学正門を目指します。朝早くから京都市内をぐるぐる回りました。でもみんな近所にあり、思ったほど時間がかからず、予定していた全メニューをこなすことが出来ました。
正門に着き、時計台で用を足して戻ると、イシイちゃんとショウ君が来ていました。横を見ると目の毒というか目の栄養になるだろうお姉さんがいます・・・ヨット部試乗会に・・・残念、よそのクラブのようです。前回や前々回参加の新入生も数人やってきて、第3弾として艇庫に出発しました。助手席に座ったのは、付属池田出身の男の子で、大阪の南から2時間近くかけて通っていたようです。大学にも自宅通学するようで、鍋を7時半に終えてから帰るのが面倒なようで、寝袋持参でした。
艇庫に着くと、いい風が吹いています。セーリングを満喫できる試乗会になりそうです。キャプテンのアキラ君を見つけて、頼んだユニフォームの代金を払おうとすると、なんと「いつもお世話になってるので、部員からプレゼントさせてもらいます」とのこと。ううむ、確かに交通費だけでも結構かかります・・・でもまあ、世の中そういうもので、学生だった時代には私も先輩によくしてもらいました。息子もこのクラブで、生涯にわたる大切な、そして素敵なものをいっぱいもらったし、多くの親御さんの感謝が、そういうことが出来る立場にいる私を通してクラブに行ってるだけだけどなあ。でもまあ、そういう気持ちを部員達からもらったのは、とても嬉しいです。きっとミーティングでこの話題が出て、みんな賛成してくれたのでしょう。こういう気持ちがある限り、卒業後世の中を渡っていくのはそれほど難しくないでしょう。類は友を呼び、いろんな助けが都度入ります。そして、都度助けを周りにできる大人になるはずです。本日2回目のラッキーです。
12時に試乗艇が艇庫出艇なので、それに合わせレスキューの方に回ります。シキちゃん・アキラ君・カタカワ君とレスキュー担当です。レスキューをアンカリングし、アキラ君だったっけ?カタカワ君?が、日焼け止めを出しました。資生堂の高級ブランドアネッサだったので、「高いのを使ってるなあ。俺はコーセーの一般ブランドの1200円のを使ってるのに、家内は次男にいつもアネッサの3000円のを渡していたんだ。男の子やのに贅沢やなあと思ったわ」と言うと、シキちゃんから「いいのを使わないとダメですよ」と。
さすがに色白のシキちゃん、「子供には絶対いいのを使わせますよ」とのことです。家内にはいつまでも綺麗でいてほしいので、鏡台の高い化粧品を見て、むしろ嬉しくなる方ですが、息子に3000円の日焼け止めが必要か?1200円で十分じゃないのと一度言った事があります。そのとき、シキちゃんと同じ答えが返って来たことを思い出しました。男の子だって女の子だって、母親にとって同じ子供なんでしょうね。アネッサを出してきたアキラ君のお母さんの息子にこれを渡した気持ちが推察されます。本人が絶対買わないと思うから。
いい風の中、無事試乗会が終わり艇庫に戻りました。センゴクさんという方が来ておられました。東大ヨット部クルーザー班の監督さんで、今年から京都の准教授に赴任された方です。毎週、小網代までクラブの練習を見に行ってるそうです。
次男と同じ年のカワタ君の事を訊いたら、有望新人の入学で入部に日参したとの事でした。今彼はディンギー班のコーチをしているそうです。カワタ君在部中に次男との関係から、かつての定期戦復活を探りましたが、東大の部員不足で片クラスという事情から実現しませんでした。今度センゴウさんというパイプを得て、再びその機運が高まればなあと思います。
そこに新人勧誘隊長のカタカワ君がやってきました。どうやら帰りは部員の車で対応できるようで、私の本日のお役目は御免とのことになりました。そして「これ、奥様と2人で食べてください」と、京都・・堂?とか書いてあるお土産をもらってしまいました。本日3回目のラッキーでした。
家に戻り、9時前に家内から電話が入りました。駅まで迎えに行き、家でもらった包みを渡すと、「気を使う必要なんてないのにねえ、部費大変だろうに・・・。お世話になってるのはこっちの方なんおにね」と包みを開け、「おいしそう。少しずつ食べようね」とのことでした。気楽にヨットに行けるのも、今朝のように、慌しいお寺巡りにも文句一つ言わず、「十分手伝ってあげて」と送り出してくれる家内のおかげです。懐の深い嫁さんをもらうと一生のお得のようです。
「こっちの方がお世話になってるのに・・・」の台詞には、息子がお世話になってることにプラスして、旦那がお世話になってるのが多分に含まれているような気がしました。確かに・・・二十歳前後の彼らや彼女らと親しく話せることは、私に1つの豊かさを与えてくれています。息子にも家内にも、そして温かく迎え入れてくれるクラブのみんなにも感謝です。

2008/4/21
土曜日の昼過ぎ、先輩のキンノさんから電話をもらいました。今からKGヨット部の新人勧誘試乗会の手伝いでクルーザーを出すのですが、明日の日曜日も頼まれたけどドライバーがいないから出来ないかとのことです。とても楽しそうな仕事ですが、京都のヨット部の方に行く約束が成っていたのでお断りするしかありませんでした。例年なら4月の2週目に一番多くの新入生がやってくるのですが、今年は履修申し込みなどの関係で3週目が一番多いと言うことです。1台車が減ってしまうと辛いだろうし・・・。去年は2日間KGヨット部を手伝ったけど、今年は京都の部員が少ないので母校には「御免してね」です。
日曜日の朝トイレに立つと、窓越しに隣の母の家との間の庭に綺麗に咲くチューリップが見えました。小学生の頃育てたそれより倍ぐらいの大きさです。「あんなに大きくなるのかなあ?でも種類が違うんだろうな」といつも見ていました。その先に見える元父の部屋にある仏壇にチンしにいきました。朝余裕がある日曜日の日課です。仏壇に電気を入れ、チンして、お水やご飯を替えます。いつもは家内がやってくれてるけど、たまにはしなきゃね。
そこに母がやってきたので、この大きなチューリップの事を訊いてみました。「何にもしなくても毎年咲くのよね」と、詳しいことは何も知らないようです。農家出身の父が手入れなどしていたのでしょう。そこから話が進んで、淡路島にチューリップがいっぱい咲いてるところがあるとTVで流れていたので、そこに行かないかとのことです。家内も私も用事があるので、早速PCで調べてみました。花博会場跡地でたくさん咲いてるようです。電車とバスの道順を書いて母に渡します。「今日は日曜日だから混んでるかねえ?」「ウィークデーだったら空き過ぎて寂しいかも知れないよ。行くなら日曜日」と答えておきました。
約束の10時の30分前、京都百万遍交差点にいました。東大路通りを北に向けて信号を待ってると、学校正門担当のイシイちゃんがバイクで白川通りから東山通りに向けて曲がっていきました。いつもの黄色のバイクに新人勧誘の看板を下げています。正門側に向かうのでしょう。
私はそのまま百万遍知恩寺さんの駐車場に車を入れました。以前から気になっていた分骨の相談をするためです。家内の実家のお寺さんの本山は京都の永観堂さんです。昨年、義理父母・義理祖父の分骨をしました。義理祖母はかなり前に分骨されています。そのときの法要が素晴らしく、1000年近く続いているお寺さんで永代供養されると言うのもいいものだなあと思いました。
うちのお寺さんの本山は百万遍知恩寺さん、浄土宗総本山の京都知恩院さんの下に位置する7ヶ寺の大本山の1つです。うちのお寺さんに相談すると、総本山でもどっちでもいいとのことで、その他のお寺に分骨してもいいとのことです。
「僕は次男君が隣にある学校に進学した縁もあるし、百万遍さんに分骨してほしい。できれば親も僕らもと思ってるけど・・・」と家内に相談しました。家内は合点承知ノ介でした。父も次男君が進学する以前から、百万遍や吉田山のことを家内に話していたそうです。独立以前に、ここらへんの取引先と懇意にしていたようで、私も数度話を聞いた記憶があります。
総本山知恩院は全国的にも有名ですが、あまりに大きく、京都の中心地四条に位置するので観光客も多く、永代供養していただくには大きすぎという感じがします。家内も同感のようです。
先月、母と3人で下鴨神社と知恩寺さんを訪問しようと思っていましたが、母に行かないとあっさり断られました。母にお寺の雰囲気を感じてもらい、分骨のことを話そうと思っていましたが、もくろみは外れました。今度はしっかり内容を聞いて、母に話してから訪問しようと思いました。母がOKなら、父の分骨を母にも体験してほしいと思っています。
知恩寺の駐車場は、街中によくあるコインパーキングと同じ様でした。パーキングの中には、バスの駐車スペースも数台分確保されています。寺院事務所棟に入ると、「ピンポン」と鳴ります。しばらくすると作務衣姿の若いお坊さんが出てこられました。
分骨費用は5万円で、1年間は骨壷のまま納骨堂に収められ、その後すり潰して粉にし、納骨堂の仏様のお腹に納められます。他の方のお骨と一緒になるので、また出してくれということは出来ないそうです。
ここは、百万遍さんの手作り市が毎月15日に催され、境内は人でいっぱいになりますが、この日はとても静かで、ちいさな娘さんの手を引いたお父さんがいるだけでした。知恩寺さんは数百年前、京都に疫病がはやった時、ここの上人さんが百万遍参りして疫病を鎮めたことから俗名百万遍と呼ばれるようになりました。多分全国的には百万遍さんの方が名が通っていると思います。義理両親が分骨された永観堂禅林寺さんと同じですね。
ますます百万遍さんでの分骨の意思が強くなったところで大学正門の方に回ることにしました。料金表のない駐車場から車を出す時「駐車料金はいくらかなあ」とパーキングチケットを通しました。無料でした。30分ぐらいだったので、無料だったのでしょう。
ほぼ約束どおりの時間に正門を入っていくと、先週までより多くのクラブが勧誘活動をしていました。ヨット部にも随分集まっており、すぐ第一便として出発になりました。何となく風がありそうな雰囲気です。女子4人と前回も参加してくれた入部有望新人男子が3人です。助手席に座った女子は、新潟出身だそうです。次男がジュニアだったころ新潟の柏崎にレースで行ったことを話すと、その隣町からやってきたそうです。気さくにしゃべる新潟美人さんでした。
いつものように比叡山を越えて、眼下に琵琶湖が広がると、「うわあ、きれい」と女子が嬉しそうです。いい天気で湖面がキラキラ輝き、前面にブローが入っています。今日はいい試乗会になりそうです。艇庫に着くとすぐに次の指示が飛びました。「京女に迎えに行ってもらえませんか?」。もちろんOKです。大体、正門の集合場所で、「今日は京女担当でお願いします」を期待してましたし。
鼻息荒く勇んで出発です。大津京駅からバイパスに入り、下りてすぐの三叉を・・・あっミスりました。三条方面に入ってしまいました。1号線を五条方面の方が近道です。道が混んできたので、すぐに1号線の方に左タックしました。1号線は順調に車が進みます。艇庫を出る時にGPSが示していた到着予想時間10:56分がミスで11時を越えましたが、挽回出来そうです。
五条道路に入り、再びミスしてしまいました、東山五条交差点の手前で近道に入るようGPSが音声でも画面でも指示したのですが、CDを熱心に聴きすぎていて失敗です。東山五条交差点が混んで結局11時10分ほどに京女に到着です。それでも30分ぐらいだから京都より近いのですね。
集合場所には10人ちょっとの女子と部員の車が2台。2台あるなら1台は第一弾として早く出たらいいのにと思いましたが、そこは男子部員、1対4で車中で圧倒されるより他の部員がいるなかでのちょっとがんばった会話を楽しみたい気持ちは分かるので、からかう一言を言うのをやめときました。
1対7の状況で、第一弾として私が出発です。自己紹介と本日の予定とたまに彼女達の会話に混じる程度で、やはり私も圧倒されながら艇庫に向かいました。男子たるもの、いくつになっても女子には弱いものです。ハーレムな状況を望んでいながら、このテイタラク、ああ情けなや。
艇庫に着くと、試乗会第一陣が着替えて艇庫前でブリーフィングを受けています。勧誘隊長カタカワ君から「すぐにレスキューに向かいます。アイドリングしてますので、2Fで昼食を食べてから来てください」との指示。2Fでマネさんが「ご飯少なめですよね」ってハヤシライスをよそってくれます。部員と同じように特盛を食べてたら、私のメタボは大変なことになりそうです。
先週と大きく違い、4〜5m/s程のいい風で試乗会が出来ました。いい感じです。もうすぐ終了かなあと思っている頃、風上から網を引きながら流れてくる漁船に気づきました。乗ってる2人は網ばかりみているからか、こっちに気づいていないようです。すぐにホイッスルを吹き続けます。気づいてくれましたが、そのまま流れてきます。「アンカー上げろ」と漁船から指示。
「なんでこっちが?」とも思いましたが、やばい!すぐにエンジンをかけ、緊急避難しようとアンカーを上げようとしましたが、すでに遅しです。アンカーが網に絡まったのか、部員のアンカーを上げる手が止まりました。部員に船の間に手を入れないように何度も指示しながら、前進・後進ギアを入れながら、漁船と出来るだけぶつからないように平行になろうと動かします。
アンカーと網の引っ張り合いでは状況が変わらないので、レスキュー側のアンカーラインを解き、漁船に渡すと漁師さんに提案しました。海上衝突安全法ではこっちに権利があるのでしょうが、プレジャーボートと漁船では、圧倒的に向こうの立場が強いから、ここは何度も「すいません」と頭を下げながら下手に出ます。若者らしい正義感で権利の主張とかしちゃって、漁師さんが怒り出したら大変です。
アンカーを渡して、一旦船を離します。しばらくして漁船に引き上げたアンカーをもらいに行きました。一旦引き上げた網の中途にブイを付けて湖に落とし、それからアンカーを上げていました。藻は絡まっていましたが、すんなりアンカーを上げていたので、上手なものだなあと関心しました。
漁船との接触で、フェンダーの上のFRPが3cmほど欠けてしまいましたが、これだけで済んでよかったです。何より部員に怪我がなくて良かった。テープを巻いて応急処置しました。後日FRPでしっかり修理ですね。
艇庫に戻ると、いつもの鍋の用意ができています。部員が新入生の間に散らばり、ここからが部員獲得の本番です。OB部屋であまり為にならない話をしている横でヨコゼキ君がクジを作っています。彼の本名はとても立派でちょっと長く「横綱大関」と言います。日本広しといえども「横綱大関」さんはまあいないでしょう。きっとご先祖さんは、横綱と大関を足した体格をお持ちだったのでしょう。そして無口を基本にし、たまに「ごっつぁんです」。あまりに長いので通称「ヨコゼキ」君です。いつも落ち着いてOB達の突っ込みを巧みなお惚けで飄々とかわし作業しています。
ラーメンでも食べに行こうと国道を歩き始めました。道が例によって混んでいて、車で行くより早そうです。するとOBが乗るバイクが追い抜いていき、後ろから徒歩のOBがやってくる。サイゼリアに行くということなので、それならご一緒しようと、先週に続きみんなで夕食です。サイゼリアは長男君が学生の時バイトしていた店ですが、食べたことがありませんでした。スパゲッティが299円からあり、なんという安さと驚きました。周りを見回すと、家族連れに混じって高校生や中学生のグループが結構入っています。小遣いで食べられるからなんでしょうね。
399円のたらこスパゲッティを注文し、その他数品をダン君とマツミヤ君と分けて食べ700円ほどでした。艇庫に戻りOBコタツにたむろしていると、鍋部屋から部員や新入生が時々出てきます。ちょっとサボりに、OBコタツにやってくる部員もいます。
7時半定刻に鍋がお開きになり、京女まで7人という指令を受け、再びハーレムを満喫できない小心を情けないと思いながら、適当にしゃべりながら送りました。試乗会後のアンケートについて話題を振ると、インフレータブルボートを1人で担当していたカトウ君しか名前知らないし、優しそうだからという理由で「気になった部員名」欄にカトウ君の名前を書いたことが判明しました。
あのアンケートでの一番人気に、何でかなあと思っていたら、予想通りでした。カトウ君の名前が出ると、「カトウさんの面白い話を聞いたよ」と、ビラ配りで京女の門衛さんに追いかけられて壁に激突した事件を披露していました。鍋の席で部員から聞いたようです。銀歯の話題が出て、カトウ君の人気が乱高下です。
そこでカトウ君人気を再び上昇すべく、「カトウ君は自分で作った弁当を持って学校に行く」男児であることを披露しました。経済性とマメさ、そして栄養バランスも考えるしっかり主夫をアピールしておきました。吹き荒れるギョウザ禍を果敢に生き抜くでしょう。
「何か似合いそう」「料理する男の人って素敵です」・・・予想以上に再上昇してしまいました。入部してカトウ君のズッコケ姿を見て、好印象だったからこその大きな反動が心配です。まあ、「私には関係ないし」と、よそを向いて無関係を装っておくことにしましょう。
全員寮生のようで、今度はGPSの指示通り間違えずに京女正門への裏道を進んでいると、「うわあ、もう着いた。早い。あ、ここでいいです」と寮の前で6人降ろしました。ここにも寮があるのか。1人は大学構内の別の寮で正門まで送って、本日のミッションを全て終了しました。
しばらく家内を車に乗せず、年頃の女子7人の色香をゆっくり退散させましょう。「今夜は夕食抜き!」宣言は辛すぎます。

2008/4/14
今朝目覚めて台所に行くと、いつものように家内が新聞片手にパンを食べていました。「おはよう」に続き、「また連絡先が消えちゃった」と。次男が東京に行ってしまってから急に熱心になったPCメールの左下に出るアドレス帳が消えてしまったようです。
PCを立ち上げ、表示からチョコチョコ動かして元に戻します。「このやり方、書いといたげるね。PC操作用ノートを用意して、いろんなことをメモしておいたらいいよ」とアドバイスしておきました。
「ねえ、ター君から返事があったよ。ほら見て」と教えてくれます。そこには寮にPC環境を整えメールが見られるようになったと書いてありました。「これ見てみて」。メールに載ってたウェブサイトをクリックすると、3月まで指導いただいた学科の先生の書いてる日記が出てきて、卒業制作展の写真がコメントと共にありました。「ねえ、大きく写真が載ってると書いてあるけど小さいよ。大きい写真は何処にあるの?」。「写真をクリックすると大きくなるよ」「あら」。ついでにこの写真を家内のPCに保存しておきました。
仕事に向かおうと玄関に出ると、小さくホケキョが聞こえています。春から2回目です。桜は散ってしまったけど、今度はウグイスの声狙いで近所の公園をバイクを押しながら抜けていくことにしました。

昨日の日曜日は先週に続き京都ヨット部の応援です。ドラゴンのレースの予定でしたが、レースメンバーを代わってもらいました。先週の新人勧誘試乗会の様子だと、新入生が増えたらしんどそうだったので、急遽この日も手伝うことにしました。前4回生9人が抜けたので、新人を同数ほど獲得しなければ、オー!というところでしょう。みんながんばっています。
先週京都南インターから少し混んだので、30分ほど早めに家を出ました。京都南は8時半ぐらいでした。今週はもう京都の花見客は減ってるだろうから大丈夫だろうなと思いながら寄ってみたいところがあったので早く京都に入りました。
東山七条まできて、右に曲がって寄ってみたいところ、初めて女坂を上ってみました。だらだらした上り坂とは聞いていましたが、一度も上がったことがありませんでした。大学前らしく喫茶店・コピー屋などが並んだ坂を上がり、神社やお寺の入口の雰囲気になってきてUターンしました。結局学校の正門が何処にあるかわかりませんでした。マネージャーの勧誘をどんなところでしてるのか興味がありました。坂を東山通りの方に下りていくと、クラブに向かう女子学生さんが数人上がっていきます。信号待ちしていると、どっかの学校名が書いてある揃いのジャージで女子の団体さんが反対側で待っています。京女で試合をするのかもしれません。
京大時計台前の広場に車を入れ、門番の警備員さんに一言入れて、トコトコ歩き出しました。あの有名な年代わりの折田先生の像が今年もあるかなあといつものところを見に行ったのですが何もありません。もう撤去されてしまったのか?今年はなかったのか?毎年楽しみにしてたのに、とても残念です。
学生時代ロックコンサートで有名だった西部講堂を見に行きことにしました。その横に日仏交流協会という白亜の建物がありました。写真をパチリ。西部講堂のある敷地に入っていきました。ユーズドの冷蔵庫や洗濯機が表に並べられており、生協の職員さんでしょうか並び替えています。多分3月で京都を離れた学生から買い取ったものを、4月から京都にやってきた学生に販売するのでしょう。クラブの看板のかかったプレハブが立ち並んでいます。そう言えば敷地内に入る時、建築確認が掲げられていました。ここに新しい建物が建ち、綺麗になるのでしょうね。屋根にとても目立つ★マークが2個付いた西部講堂が見えてきました。まあかなり悲惨な状態です。元はお寺の講堂だったのか、瓦葺の大屋根の伽藍という雰囲気ですが、学生が長年使うとこういう状態になるのは仕方ないことです。築何年なのだろう、ひょっとすると江戸時代とか・・・もう百年したら国の重要文化財に指定されるかもです。パチリ。
帰りにヨット部の新人勧誘看板を見つけました。次男君たちが作った看板から新調されています。パチリ。東側門から構内に入り、桜をパチリ。校舎の間から見える時計台をパチリ。工学部?校舎の間の並木をパチリして正門に戻りました。
大銀杏の下に腰掛けるとすぐにイシイちゃんが、ヨット部勧誘看板を持ってバイクでやってきました。相変わらずニコニコして感じがいい。ヨット部員と共に新入生もやってきます。第一弾として私の車に7人乗せて出発です。部員がいないので自己紹介からヨット部について、安全である、女子でも男子と差がない、頭を使うので体力勝負にならないスポーツであること・・・、今日の大体の日程などを説明します。質問も出てそれに答えていると比叡山を越えて、眼下に琵琶湖が見えてきました。
艇庫で新入生を下ろし2Fに上がろうかなとふとタイヤを見ると、左後輪の空気が減ってる感じです。すぐにGSさんに向かいました。空気を入れてもらうと、いつも2.5〜3気圧ぐらいなのに1気圧ちょっとしかないとのこと。パンクのようです。
タイヤをはずし点検してもらうと、小さな金属が刺さっています。早速修理してもらいました。ペンチで釘を抜き、接着剤のような液体を専用の器具で傷口に入れて、この液体に溶けながらくっつくゴムのようなものを専用器具で突っ込みます。これで万全だそうです。なんら心配せず新品タイヤと同じように使えるそうです。
艇庫に戻るとマネさんが昼食を持って来てくれました。美味いです。今年卒業したカタオカさんが来ています。彼女は名古屋で就職したはずです。先週はトキワさんが来ていたし、出身クラブの最重要行事新人獲得に遠くからご苦労様です。何か大人の色香が加わってました。こういうときはいつも小心者になってしまいます。
随分前の中高生の頃はミニスカート全盛時代でした。階段を上がる女性がバッグなどを後ろにしてスカートを押さえていました。「だったらミニスカートなど着るな」と大いに憤慨したものです。家内とデートしてた時、向かいに座った家内が食事で前かがみになる時、何気なく胸を押さえます。「だったら、胸の開いた服を着るな!」と思ったものです。でも思っただけで、口に出してなんかとても言えません。
最近は、丈の短いシャツとか、股上の短いパンツで、更に僕をいじめます。「目の前でしゃがむな!」「最近の女子高生は漫画の主人公か?小学生低学年女児か!」と言いたくなるほどドキンとさせます。反則や!そんなに・・したら僕の・・が・・に反して行ってしまうと、目が夏でもないのに泳いでしまいます。
けど何も言えません。怒り以上に圧倒的なこの千載一遇のチャンスに微笑む心があります。小心者万歳です。

随分話が逸れてしまいましたが、風がほとんどなく天気予報でも風を期待できないし、夕方からの雨の予想のこともあるのでしょう、いつもより30分早く出艇することになりました。
今日もレスキュー要員です。シバタ君の運転で出艇です。シキちゃんが食事の時間がなかったとかでパンを食べています。シキちゃんは奈良からなので大変です。
前回同様、レスキューで新入生の艇の乗り換えをしますが、ほんと風がなくて・・・そこで本部船場所にマークを打ち、レスキュー艇紫雲も走り回ることにしました。新入生達にも全員運転を体験してもらいました。みんなボートの運転は初めてなので喜んでいます。20〜30分間隔の艇の乗り換えの時にマークを打った定位置に戻ります。
レスキューでかっ飛ばした柳ヶ崎沖では、リッツさんなども試乗会をしています。ここも風がないです。でも同志社や京都産業の方は風があります。琵琶湖大橋の方から下りてくるクルーザーのレース艇はスピンがはらんでるし・・・もう少し下まで風が下りてくれればと願いながら、結局お終いの頃やっと少し風が入っただけでした。3時頃になり、時々小雨が落ちてくる天気になり、少し早めに試乗会終了です。
艇庫に戻ると、例のお鍋が7つ並んでいます。ナホコマネさんとは追い出しコンパ以来でしょうか。「ちょっと痩せたんじゃない。綺麗になって」と振ると、就職活動をがんばってるとこうなるようです。マユミさん、マリエさんにOBカタオカさんでてきぱきと楽しそうに鍋を作っています。パチリ。これから来てくれた新入生を囲んでみんなで腹ごしらえしながら勧誘です。履修のこと、他クラブの情報・・・いろんな話で盛り上がるのでしょう。
で、私の方は帰りの車の様子を聞きました。「京女の寮に帰る子が1人いるので彼女だけ送ってもらえますか」というありがたい指示を得ました。なんと30分も車でお見合いです、なんという幸運、ラックスです。ということで、OB達と焼肉を食べに行きました。焼肉というのはいつ以来でしょう。マツミヤ君が慣れた手つきで食べ放題を入力します。テーブルの横にあるタッチパネルでメニューを選ぶようになってます。食べ放題を選んで、どんどんメニューを選んで数量を入れていきます。最後に注文をタッチして終了です。う〜ん、最近はこういう風になってるんだ。知りませんでした。また1つ賢くなりました。
店員さんがやってきて、飲み物の注文を聞き終わりの時間を言っていきます。「終了は・・時・・分です」。なんか心の中でゴングが鳴りました。制限時間いっぱいまでいくら食べられるかのバトルが始まったようです。「最近食べられなくなった」とか「現役の頃は」とか言いながらも、若者達はガンガン食べて行きます。彼らの食欲に圧倒されながら少しずつ食べます。お腹がいっぱいになってペースが落ちるだろう後半戦勝負の作戦です。お皿の焼く肉やソーセージ・野菜がどんどんなくなり、どんどんタッチパネルで注文していきます。
隣のテーブルではナカシマ君がご飯のおわんを3つも重ねています。グワ〜強烈な食欲です。京都名物飛脚、じゃなくって人力車のバイトをしているので腹が減るのでしょう。人力車になるのではなく、人力車の引っ張る車夫です、って当たり前ですね。先週は花見でたいそう走り回り稼いだのでしょう。
そろそろ終わりのゴングが鳴る頃、店員さんがやってきて最終注文を聞いていかれます。タッチパネルの他に口頭でも注文できるようです。外は大雨です。日中でなくて良かったですが、「みんなどうして帰るの?駅まで送っていこうか?」と禁句をしゃべってしまいました。「どうする?京都に帰る車はダッチのだけ?」という流れになり、再び「京女まで1人送るだけなんだけど乗ってく?」と再びの禁句です。ということで、30分間車内お見合いがゴワサンになりました。
指定された7時半に艇庫に戻ると、ちょうど宴会が終わるところでした。OB諸氏と京女のA子さん、大津京駅まで送るB子さんを乗せて出発です。B子さんはなんと姫路から新幹線通学だそうです。京都まで出て姫路まで新幹線で帰るのでしょう。学校まで通学時間は新幹線でも2時間だそうです。でも食事などなんだかんだ合わせると下宿するより安いそうな。すごいです。
カタオカさんがA子さんの横に座り、いろいろおしゃべりしています。後輩マネさんになるかもしれないからなあ。楽しくしゃべる女子2人の話を聞きながら、女子のしゃべりにはかなわないなと思いました。3列目の男子3人も出る幕なしです。
東山三条でOB達を下ろし、ここから本日のメインイベント車内お見合いの始まりです。彼女はとても明るく、レスキュー運転の時も「楽しい〜」っとはしゃいでいました。ヨットから下りた時も、「すごく面白い」と場の雰囲気を盛り上げていました。
新入生が30人も集まった花見に参加した時に、先輩マネさんから誘われて試乗会に来たそうです。京女のクラブも回ってるそうですが、他大学のクラブには入らない方がいいよと言われてたそうです。でもヨット部員の雰囲気が和やかで、同大学先輩マネさんがとてもいい方で、このクラブだったら1人で参加してもいいかなと思ってやってきたそうです。この日女の子は5人でしたが唯一の京女さんでした。こういう1人でも参加する人材はいいですね。
料理がとても好きなんだけど、寮に入ったから料理が出来ないのが残念なんて言ってたのも、クラブでその腕を大いにふるってもらえればありがたいし、入部しないかなと思いました。朝、初めて上がった女坂を上がり、朝Uターンした所までやってきました。「ここでいいです。ありがとうございました」。この神社みたいなところを上っていくのかなと思ったら、横にこじんまりした正門がありました。門衛さんがいる門を入って行きました。
焼肉を食べてる時聞いた面白い話を思い出しました。ここで新人勧誘のビラ配りをしていたカトウ君が門衛さんに見つかり追いかけられたそうです。そして何故か壁にぶつかり歯を折ったそうです。そういえば加藤君の笑い顔に燦然と銀歯が輝いていました。「どんな風にして壁にぶつかって歯を折るねん」と本人がいないことをいいことにOB君達はつっこんでいましたが、確かにその場面をいろいろ想像しながら笑ってしまいます。さぞ痛かったでしょうが、その甲斐あってたくさん新人が入部することを願います。カトウ君の銀歯世代ですね。
もう一つ、東京に行ったOBシバちゃんがお台場でOBマロ君に会ったそうです。マロ君はスポーツ専門チャンネルを持つマスコミに就職したようです。「仕事でサッカーを観れるからその会社に入ったんや絶対」とか言われていましたが、マスコミとは意外でした。
マロ君は、京都のお公家さんの雰囲気があります。最初そのあだなを聞いた時、ナイスやなあと思いました。命名者に尊敬さえ覚えます。なんかマスコミという職場がマロ君には最も遠い感じがしたけど、卒業まで右に出る者がいなかった名司会者ぶりからして最も合ってるのかもしれません。彼の司会はアドリブが効いてて、笑わせる術は天性のものを感じさせます。飄々と笑わせる裏で、頭の中がものすごく早く回転しているのでしょう。でもスポーツ実況中継のスピードには合わんなと思います。仕事はネタの配信などをするようですが、一度でいいからサッカーや野球の実況中継を聞いてみたいものです。お台場より、京都の蹴鞠中継が最も似合いそうです。
なんて本人に大変失礼な想像をしながら、局アナさんと合コンなどしたら、おこぼれ頂戴に群がる在京元ヨット部員が後を絶たないでしょう。
ということで9時に帰宅しました。なんと家内は既に寝息を立てていた面白かった日曜日が終りました。

2008/4/7
日曜日は、一眼レフを抱えて京都に行ってきました。
手伝ってる京大ヨット部新人勧誘試乗会の1回目です。今月の日曜日は毎週試乗会です。例年同様ですが、以前からアキラ君から打診があり、1週間前には今年の新人勧誘隊長のカタカワ君から「行きと帰りの車」の打診を受けました。
今年は現役車に8人乗りが1台加わったようですが、次男車含めて学部卒業後も勉強している車所有の子達が大量に京都を去り、台数が減っています。勧誘を指揮する新2回生がプレイヤー3人、マネージャー2人と少人数ということもあり、今年はがんばって手伝ってあげようと思っています。と言っても、これも人生勉強になるので、頼まれたことをやるだけで余計な口出しはしませんが。
10時大学正門集合でしたが、8時ごろ家を出ました。京都で1時間ぐらい花見をしようという計画です。京都南インターを下りると、花見客でしょうがいつもより車が多いです。このまま東寺まで北に上がってしまうとJRを北に越えるところで渋滞に入ってしまいそうなので、早めに東に折れ京都中心部を避け、東山通りを北上です。
京都女子のところから七条通りを東から中心部に向かい、鴨川沿いを右折して北上しました。京都の桜の名所はたくさんありますが、鴨川沿いが一番好きです。どこか駐車場に入れて写真を撮ろうと思っていましたが、所々に車退避場所のようなものがあり、そこに車を入れて写真を撮りました。
ジョギングしているおじさん、自転車をこいでる学生風、乳母車を押している夫婦など、日常の人々に混じって、桜目当ての観光客が桜をバックに写真を撮っています。階段に下り川べりに下りると、下から桜並木を見上げる感じになります。西側の対岸では、さくら祭りのイベントの準備に忙しそうです。
二条の所で、右折して琵琶湖疏水沿いの桜を見に行きました。国立近代美術館から平安神宮にかけての疎水沿いの桜はちょうど見ごろでした。満開の桜を写真に収めていると、疎水遊覧船がやってきました。これも絵になります。パチリパチリ、既に30枚ほどシャッターを押しました。
疎水沿いにある偽電気ブラン密造所夷川発電所を横目に、再び鴨川に戻ります。ここが下鴨家と対立する夷川家の重要拠点だなあ・・・などと不敵な笑みを浮かべながらしょうもない事を考えていました。全うな一般人にはなんのこっちゃ分からないと思いますが、詳しくは森見登美彦氏の新刊「有頂天家族」をお読みください。スリルとサスペンスにイリュージョンも重なり、あまりのばかばかしさを真剣に読んでいる自分に大笑い間違いなしです。
丸田町通りを右折し、また東山通りを左折して大学の正門がある吉田に入ります。10時数分前になっていたので、既にヨット部看板が出ており、イシイ君やマツミヤ君がいる。なかなか苦しゅうない婦女子2名を含め、新入生が数人集まっている。4月1週目の試乗会にしては上出来の人数が集まっているように思います。せっかくカメラを持ってきたのだからと、校内の桜と勧誘風景を数枚写真に収めていると、ユキナガ女史が自転車で颯爽とやってきました。
どうやら私の一眼レフに興味津々のようです。彼女はヨット部と写真部を掛け持ちしていました。次男君が学校の卒業制作展で、ニコンのデジタル一眼を副賞でもらったのに刺激され、ソニーを買ってしまいました。随分前から持ってるミノルタ一眼レフのズームレンズなどを使えるということでソニーにしました。ミノルタはコニカと合併しコニカミノルタになり、そのカメラ部門をソニーが買収したようです。
いろいろカメラのことを聞いていると、「・・さんですか?」と他クラブの部員から声がかかりました。「いいえ違います」と答えていましたが、新入生と間違われて内心彼女はホクホクだったのではないかと思ってしまいました。
さて艇庫に向けて出発です。先に紹介した新入生女子2名と、マツミヤ君・ダン君が同乗です。本日参加の女子2名をきっちり抑えるなんて、さすがにOB、抜け目がないです。
艇庫に着くと、部室で談笑が始まっています。お茶?コーヒー?飲み物が出ています。その風景を数枚写真に収めOB部屋に入ると、PCとキャノンの写真現像に特化したプリンターをOBがゴソゴソいじくっています。一眼レフをユキナガさんに貸すと、慣れた手つきでいろんな設定を変えて、そこにいるOBの写真を撮っています。早速現像すると、かなりいい出来栄えです。しばらく外に持って行って花の写真などを撮っていましたが、帰宅してそれを見ると、私が撮る写真よりかなりハイレベルです。う〜ん、写真はこうして撮るのか。
マネージャーさんが大量に作ったカレーで昼食です。いつもながらかなり美味です。前の日の晩家内に、試乗会で帰りも京都に送ることになりそうで遅くなると話した時、「いいよ、十分手伝ってあげてね。ター君があのクラブにどれだけ世話になったかわからないよ」と言われた、その言葉を思い出しました。母親としては、下宿生のわが子の食生活が最も心配だったのでしょう。こんなうまい食事を食べさせてもらい、クラブで食生活と生活のリズムを作ってもらったと思います。ありがたい事です。
部員がホワイトボードを使ってヨットの風だけで走る原理などを教え、実際のヨット試乗に出発です。私はレスキュー担当で、スナイプ・470・インフレータブル・シングルハンドをみんなが経験できるように、中継船に乗っていました。ハーネスの付け替えなどをしましたが、今年も女子学生の付け替えを手伝えました。
まだ二十歳前の娘さんと接近戦になるのは、この上ない幸福かもしれません。これはあほな男子には年齢問わず共通することのようで、女子を乗せるとどのヨットも定刻を回ってもなかなか中継船に戻って来ません。時計を見、待ってる次の新入生のことを考え、「早よ帰って来いよ」と口に出しながらも、「まあその心理はよ〜く分かるなあ」と。特にタビト君とイシイ君はいつも以上ににやけていました。彼らはこのシチュエーションを狙ってかどうかわかりませんが、彼らはシングルハンド艇に1人で乗っています。「次、女の子を乗せてあげて」と声を掛けると目の色を変えて中継船に寄って来ました。「写真撮りますよ」の声に振り向いた顔が実にしまりがないです。「情けなや」・・・まあ人の事を言えないですが。
終了の4時に艇庫に戻りました。マネージャーのミサトさん、シキちゃん、マユミさん、マリエさんに、OGになったばかりのトキワさんが鍋の準備をしています。OB部屋の横で鍋に火を入れているので、おいしそうな香りがお腹を刺激します。そこにカタカワ君がやってきて、帰りの車は私のがなくなっても何とかなりそうだということです。OBたちと談笑して艇庫を後にしました。
まだ京都で勉強すると言っていたトキワさんが、2日後に京都を離れるそうです。郷里の大学院の方に進学することにしたそうです。この2年間、彼女がマネージャー部隊の先頭に立ってがんばってくれました。笑ってる顔がとてもチャーミングで、笑顔を見てるだけでこっちまで楽しくなってしまいます。ダン君と並んでコタツに入っていたので、写真家ユキナガ女史によってツーショットに収められていましたが、以前からなんとなくこの2人お似合いだと思ってるのですが・・・。まあまた京都に来る時があるでしょう。「またね。勉強がんばりね」。

2008/3/31
日曜日は朝4時半起きでした。家内が子供達の寮ツアーをするからです。3/26に次男が就職のために東京に行ってしまい、子供達は2人とも東京の人になりました。電車で30分ぐらいの距離なので、何かと助け合うのでしょう。次男は1才になる前から保育園に行きましたが、同じ園にいた長男は日に何度も次男の教室に顔を出し声を掛けていたそうです。先生からそれを聞いて、「家では楽しく遊んでいたと思えば喧嘩して、また遊びだすを繰り返していたのに、さすがにお兄ちゃんだなあ」と思いました。四半世紀を経て再び夫婦2人の生活になりました。
子供達がいなくなる生活に寂しさを感じたのか、1ヶ月ほど前に、子供達の新生活の館、会社の寮を見にいくと言い出しました。「あなたも一緒に行く?」と誘われましたが生憎予定が出来上がっており、家内だけで行くことになりました。予定がなくても行かなかったと思います。入寮してまだ1週間も経っていないところに父親が行くのもなあ・・・。
方向音痴の家内のために、電車での乗り換え、関東の路線図(長男は埼玉、次男は千葉)、子供達の寮の駅からの地図を用意しました。5時に家を出発し新大阪まで家内を送り、その足で琵琶湖に向かいました。
琵琶湖では、用務員をしている大学ヨット部の部内新人戦です。毎年、春休み集中練習期間の最終日に1回生の部内新人戦を行います。今まで参加したことがなかったので、興味津々での参加です。
艇庫に着き、帆走指示書を読ませてもらいました。様式は本式のレースに沿っていますが、文言は実にユニークでユーモアにあふれています。選手紹介も笑ってしまいます。誰の作かと聞くと、前年度優勝でレース委員長のシバタ君作とのこと。いいねえ。このキャラクターでHPなどを作ったら、面白いものが出来そうです。部員紹介のところだけでもやったらどうかなと思いました。
時間になりました。艇庫前で開会式。選手入場では、なんかよくわからない歌を歌って入ってきます。最近こんな歌はやってるの?聞いたことないぞ。レース委員長の進行で、大会会長だとかジュリーの挨拶です。みんな部員なのですが、ちゃんとしたレースの形式にのっとっています、でもユニークなアイデアが散りばめられておりおもしろいです。カタカワ君の選手宣誓もありましたが、突然の終り方で・・・あれっそれで終わり?って感じ。絶対笑いを取ろうと思ってますね。
本部船要員はレスキューハーバーに移動です。カッパを着ながら、予備カッパを1つバッグに入れました。天気予報通り雨に降られるかもなあ?マネさん2人来てるから2つ入れる方がいいかな?でも降らないかも?と、少し考えながら結局1つだけにしました(これが失敗)。
レース海面は、新人戦にはおあつらえ向きの風速1m/sです。第1レーススタート。下1を決めようとしたセト君がアウターのラインに引っかかって大きく出遅れです。でもヤケクソ?で突っ込んだ海面がよく一気に挽回しましたが、上りすぎで艇速が上がりません。本部船からは、「セト止まってる〜」「ヨコゼキが来た〜」と賑やかです。トップホーンとウンタ(ビリを何故ウンタというのか不明。
どっかの方言?)ホーンが鳴ります。
シーホッパーを使ったレースなのですが、残ったホッパーとシーマーチンに2回生以上も乗ってレースに混じっています。上回生が先頭に立つと、ジュリーボートが寄ってきて無常のRRS42違反の笛が鳴ります。「ちょっと身体が動いた」「ちょっとシートが動かしたみたい」と、謂れのない違反で720度回転を強いられます。それは先刻承知のようで、トップホーン直前で派手に沈したりしています。先のハンドボールオリンピック予選ではありませんが、審判が敵側に付いたら勝てませんね。
と言うのも、トップホーンを鳴らすと、マネージャーから特別なプレゼントがあるからです。これは私が猪突に決めました。トップホーンを鳴らした選手を本部船に呼びます。前日のレースレセプションで残った饅頭をマネさんから愛情をこめて食べさせてもらえます。マネさんは「仕方ないわねえ」みたいな乗りですが、選手は大きく口を開けニカッて笑っています。基本的にバカな男子の乗りに付き合ってあげる母性愛は、いい女にとって欠かせないもののように思うのは私だけでしょうか。もちろん写真をパチリ。
マネさんは、マユミさんとウチヤマさんの2人が来てくれています。レースフラッグを担当し、時にはインフレータブルボートの方に乗って、選手を間近から応援してます。少しずつ風が上がり1時頃から小雨が落ちてきました。マユミさんはセーターが一番上で、ウチヤマさんは、ヘリハンのクラブユニフォームです。「マユミさん、カッパある?」「いいえ」「じゃあ、これ貸したげるね」。この子は、色白でお肌が綺麗です。ウチヤマさんはまあ大丈夫そうですが、やっぱりもう1つカッパを持ってきた方が良かったです。好感度をあげるチャンスを逸してしまいました。
レースが終わり、ハーバーバースへの着艇です。1回生マネさんのウチヤマさんがドライブして帰ります。北向きバースに槍付けで、風向が北なのでやり易い状況ですが、いい感じで入れることが出来ました。上出来です。この日寄付したボートフックも活躍しました。
艇庫に戻ると閉会式です。カタガワ君がDSQを1発もらったにも関わらず優勝で、ヨコゼキ君とセト君が僅差で2位・3位でした。風が3m/sほどに上がると、みんないいパフォーマンスで、毎レーステールtoノーズのマーク回航になっていました。
1位・2位・3位には、それぞれ賞品が出るのですが、これは上回生からの寄付のようです。いろんな物がありました。優勝賞品に枕がダブっており、精力剤があったり、もう何年もこのレースの賞品になっているツワモノ(誰も必要としないので、翌年レースに出品されている)まで、逸品からガラクタまでいろいろです。選手が賞品紹介するたびに、上回生から突込みが入っています。
4時半から、春合宿の打ち上げとカトウ君の誕生日を祝って、「餃子の大将」に繰り出します。みんな大量に注文します。「こんなに食べれるのか」?と思うほどテーブルに並べられたお皿から、どんどんうまいものがなくなっていきます。さすがに大学生はよく食べます。親御さんも安心ですね。ちょこっと寄付して帰路につきました。
家に着くとちょうど家内が帰ってきました。「電話したんだけど」。しまった、もう少し早く帰宅していれば迎えにいけたのに・・・。家内はすぐに息子達に無事帰宅した電話を入れていました。「すごく面白かった」と、饒舌に寮や子供達の近況の話をしてくれます。
入寮初日に、引越し荷物の1箱は行方不明になって警察沙汰になったこと(家内が次男の寮にいる間に警察官がやってきました)。やってきた長男を含めて3人でイタリアンを食べに行ったこと。
長男から「今度来たときは、都内をいろいろ案内してくれる」って言って貰ったと嬉しそうに話しています。「また行くんだ〜」って楽しそうです。家内が行くと言うことで、長男のGFさんが来る予定だったらしいですが、「急に仕事が入って来れなくなったんだ〜」と長男が言ってたそうです。今オランダにいるそうです。長男はちょっと出世したそうです。それに伴って給料が上がったそうな。目出度いことです。きっとこの日は家内にとって、素晴らしい日になるだろうなと思っていましたが、予想以上になったようです。

2008/3/24
日曜日はドラゴンのレースでした。和歌山ではOPのワールド最終選考会、琵琶湖では同志社ウィークをやっており、観にいきたかったけど、自分のレースの方がそりゃ魅力的で面白いです。今シーズンの初戦でニュー?モディファイ?マストでの初レースでもあります。昨シーズン後、マストを抜く時に「折れている」のに気づきました。ヨット屋さんが内側に素管を入れて直してくれました。その後ヒライさん監修の元、マストを立て直しました。
この日は、5時半に起床しました。浜に行く前に、家内の実家の墓参りをすることにしたからです。6時に家を出発し、中国道〜山陽道を西に向かいます。7時にお墓に着きましたが、さすがに早く、誰もおられません。次男君は同志社ウィークに出場するとのことで、家内と2人、お水の入れ替えやお線香を手向けたりして戻りました。家内はこのままどこかに行くらしく阪急西宮に下ろし、浜に向かいました。
ディンギーヤード裏の駐車場入口が開いておりガードマンさんが出ています。金曜日からやってるフローティングボートショー関係のトラックの出入りがある関係でしょう。このレースは、スプリングレガッタの中のレースなので、いつものポイントレースと違い2日間レースです。土曜日もレースがあったので、船はセイルがセットされたまま桟橋に繋がれています。土曜日は8時半集合でしたが、日曜日の時間は聞いていません。多分9時なんだろうなと思いながら8時半に桟橋に着くと、シブカワさんが来ておられました。コントロールロープをシンプルにしたモディファイマストの初日だったので、多少不具合が出たようで、その整備のようです。着くと早速デッキ下にもぐり、マスト周りをシブカワさんの指示に従って交換していきます。桟橋から見ると、マストレーキは前と同じようなものです。桟橋に並んでいる他艇を見ると、ランバージャックが最も後傾セットになっています。
いつもより30分早く、10:30スタートらしいです。9時半ごろ各艇は桟橋を離れ、北風が入ってきたレース海面に出て行きます。いつもはJ24フリートと一緒にレースをしているのですが、今年に入りJ24数艇が全日本の行われる福岡に移動したようで、ドラゴン単独のレースになりました。ドラゴン5艇に対し、運営艇2艇、ジュリー2艇というもったいないレースになっていました。
今回は各艇メンバーが不足気味で、KG・京都OBに当たりましたが、結局シブカワジュニア以外集まりませんでした。同志社ウィークとのバッティングが痛かったです。日曜日のDQ号は、ヒライさんに助っ人に入ってもらい、私はクルーをしました。2m/sほどの風で1レース行い、1時間ほど風待ちした後、3〜4m/sで2レース、土日で6レースのシリーズになりました。
クローズでは、前より速くなっている感じがしましたが、シブカワスキッパーによるとパワー不足ということで、次はマストをもう少し後傾にするそうです。

2008/3/17
日曜日、朝早く目覚めました。6時前です。この時間帯は・・・とTVをNHK教育にあわせ、「心の時代」だったって?キリスト教の番組を見て、それが終ると民放の政治時事放談を見ました。この時間帯に起きた時は、いつもこのパターンです。7時になったので、隣の家に行き、仏壇にチンして仏壇のご飯を換え、母に墓参りに行く旨を伝えます。我が家には家内の両親の写真を飾って簡易仏壇があり、毎朝「こんにちは」みたいな感じのことをしているのですが、隣の家には、休みの日の朝から用事のない時しか行けていません。
朝8時に3人で出発です。気持ちよく晴れて、1時間の田舎道も心地良いです。墓地の事務所でお花を買い、うちの墓と隣の弟の墓の掃除をして、線香をたいて、お水をかけ手を合わせ、お終いです。管理も行き届いており、いい墓地ですが、まだ歴史が30年ほどのところなので、戦争で亡くなられた兵隊さんの墓標がありません。それだけが今一だなあと思っています。
両親の実家のお墓もそうでしたが、家内の実家のお墓も、墓地の入口に、大きな戦死者のお墓が立っています。無縁仏さんのお地蔵さんのようなお墓もあり、こういうところにお参りすると、自分の家だけでなく、長い歴史を感じることが出来ます。うちのお墓の後、子供達と必ず戦死者と無縁仏さんにも線香を手向け、お水をかけ手を合わせることをしていたので、なんかまだ終ってない感じがしてなりません。
子供達が小さな頃は、うちのお墓に手を合わせると、水を持って一目散に戦死者の大きな墓標の方に走って行き、無縁仏さんの多数のお墓まで、水をかけるのを競っていました。「お兄ちゃん、ずるいで〜。僕もやる〜」と追いかけていく弟。私の手から線香を取り、1本ずつお墓に置いて行く。少し大きくなると、フィリピン沖とかブーゲンビル島とかの文字を見ながら、なにやら考えています。こういうのが歴史教育にも、不戦にもつながるのではないかと思っていました。
綺麗に整地され、最近は新しいデザインのお墓も増えてきた我が家の墓地ですが、何か少し物足りなく感じるのは、もう時代遅れなのでしょうか。

帰り、家内を途中の駅で降ろし、母を自宅に送り、浜に出発です。午後から母校ヨット部の今年の卒業生達と船に乗る予定になっています。これがなければ、家内の実家のお墓にも参るんだったんだけど、これは次回に回します。
車を置き、ちょっと直してもらった船のソファをかかえて船に向かっていると、ドラゴンヤードにヒライさんの車が止まっています。ダンシングクイーンを整備してくれているようですが、姿が見えません。土曜日にマストを立てたようです。やっぱりヨットはマストが立ってないと様になりませんね。エ号に行き、ソファをくっつけ、エンジンを回します。いつもと同じように、セル一発ではかかりませんでした。暖かくなってきたのになあ。ハッチを開け風の入れ替えをしながら、トイレの水を流します。学生を迎える準備はできたので、クラブハウスで庭でパンを食べることにしました。パンを半分食べたところで、ヒライさんから電話が入りました。「今どこ?」「クラブハウスです」「暇ですか?整備してますねん。待ってますよ」。ということで、すぐドラゴンの方に向かいました。マスト周りのシートなど、ヒライさんのアシスタントをしました。
と、ヨット部卒業生のタカテラマネージャーさんから電話です。「終りました。今から行きます。2時半に1人来るのですが・・・」「じゃあその時間に一旦戻ってこよう」。「お〜い、飯行くぞ〜」午前中あったクラブの理事会に出席していた先輩方が、クラブハウスに向かう途中でやってきました。「あいつらすぐ来るんで、私は遠慮しときます」。卒業生達も艇庫でそれに出席していて、後片付けをしてからやってきました。
プレイヤー3人、マネージャー3人という少ない代でしたが、全国制覇をなしとげました。このマネージャー達はよくがんばりました。懸案の現役HPを軌道に乗せ、マネージャーの海上練習サポート体制を確立しました。毎学年最低3名のマネージャー確保を目指し、彼女達が食事と海上練習サポートに分かれ、マーク打ちからホイッスルまで一応出来る体制にしました。これで随分プレイヤーの負担が軽減されました。
このHPが出来るまで、3年ぐらい私がOB会HPとして現役情報をマメにアップしていましたが、やっとこ熱心にHPを更新するマネージャー部員が入ってきてくれました。最初は、「そんなの無理です」とか言ってたけど、彼女は大手メーカーにSEとして就職するまでになりました。HP担当をやってる間に、面白くなったのかなあ?最初はいろいろサポートしたけど、2年ぐらい過ぎると、もうほっといても大丈夫になり、彼女が考えたマネージャー日記は大人気です。
最初やってきたのは、タカテラさん・イヌイさんとプレイヤーのサイトウ君の3人です。キンノさんも乗ってくれるそうで、5人で出艇です。風は3〜4m/sで、ハーバーを出てセイルを上げると、快調に走ります。4年間もヨット部だったのに、クルーザーでのセーリングは初めてのようです。ディンギーにないヒールに最初驚いていました。でもドライバーを交代し慣れてくると、楽しそうにはしゃいでいます。セイルアップもタッキングでのジェノアウインチも学生に任せ、指示だけ出していました。ウインチを手だけで回そうとしているので重いです。タッキングのジェノアシート引きを1回見本に見せると、「サイトウ、だめ〜。カミヤさんに負けてる〜」とマネさんからだめ出しが入りました。
プレイヤーのサイトウ君も、その後腰の入ったいい感じになってきました。「ドラゴンのクルーが足らんのや。レースでは呼ぶから来いよ」「え〜勘弁してくださいよ〜」。と、2時半に一旦ハーバーバックしました。
やってきたのはプレイヤーのキクちゃんです。彼女は去年の女子インカレ優勝者です。ちょうどこの日、学校でこの1年活躍した学生の表彰・祝賀会があって、そっちに行っていました。キャプテンとマネージャーボスも行っており、2人はその後の祝賀会から抜けられず来れなくなりました。全国制覇したから仕方ないね。
今度は、尼崎沖の白灯台から大阪湾に出ました。いきなりキクちゃんにドライブを任せましたが、さすがにプレイヤーは安心して任せられます。大阪の風景を見ながら神戸に進路を取りました。そっちで大型クルーザーのレースをしているようです。本部船に向かっていると、いい具合にレース艇が上マークを回航しそうです。レース艇が本部船近くの下マークを回航するのに合うように速度調節します。先に下マークに着いて、次のクローズの角度に合わせて下で待ちます。邪魔にならない下でレース艇と並んでクローズを走ります。ですが、当然のようにスピードでかなうはずもなく、後ろから来たトップ艇が10艇身ほど風上を突破していきます。マネージャーさん達は、写真を撮りながら楽しんでいます。
4時が過ぎ、帰ることにしました。1日中天気がよく、典型的な海風陸風のパターンです。夕凪の時間に入ったようで、段々風が落ちてきました。ハーバーまでもう少しのところまで帆走で帰ってきましたが、最後は、セイルを下ろして機走でハーバーに入りました。就職して何処に行っても、そこのヨット部OB会に連絡とったらいいよと言っときました。せっかく4年間もヨットしたんだから、これからの人生のどこかにヨットを置いといて欲しいと思います。仕事と家庭だけなんて、豊かな人生とはどうも思えないから。

2008/3/10
土曜日、京大ヨット部の卒業式(通称追い出しコンパ)が、いつもの京都駅前のアサヒビールのお店でありました。今年も誘われたので、仕事の関係で1時間ほど遅刻しましたが、参加してきました。
店の前の受付には、もう誰もいません。卒業記念誌の「フルセイル」と、来訪者名簿があるのみです。いつもの部屋に入ると、マネージャーさん達が入口付近にいます。正装すると、ますます美人が引き立ちます。すぐ前には、ドクターコースに進んでいるのだろう3年以上前に卒業したOBさん達が並んでいます。その前には現役と若手卒業生、左手には長老のOBさん達がテーブル席に腰掛けています。
正面では卒業生達の挨拶が始まっています。これで4年連続で参加していますが、各代に共通する雰囲気があるようです。涙々の卒業式の時もあれば、笑いを誘う言葉が続く時もあります。今年はノーマル型かもしれません。涙はないようです。まあ彼らの涙は、昨年のインカレ最終日の夜にたっぷり見させていただきました。

この代は、私がお手伝いさせてもらってから入学してきた代で、新人勧誘の時から接してきました。この日の挨拶で確認したら、試乗会の時、私の車で大学から艇庫に行った子が9名中1/3もいました。マツミヤ君は覚えていたけど、こんなにいたとは・・・車の中でしゃべったことが、ひょっとすると入部のきっかけの1つになっていたかもしれません。いきなり、どう見ても学生の年齢ではない人の車に乗せられて、「これはどんな人だ?」なんて面食らったかもしれませんね。
最初の練習は、1人乗りヨットのシーホッパーに乗ります。インフレータブルボートからホイッスルを吹き、基本動作の練習と、レース練習。夏の暑い風のない日には、レスキューに乗っていた1回生に、ライジャケを着て泳いで近くのマークまで行くこともしました。
この代のプレイヤー7人はみんな個性的で、それぞれの味を持っていました。このクラブに流れている雰囲気を一言で言えば、「選手を大人として扱う」だと感じています。OBさんや監督さんからの指示しすぎがなく、選手自身が考えて上達していきます。4年間で結果を出すということだけを考えれば、勝ち方を知ってる者からの指示を徹底させる方がいいのかもしれませんが、私は結果ではなく経過だと思っているので、自分達で考える方が好きです。このクラブは、プロではなく、教育機関のクラブだから、ヨット部活動を通して、ヨット以外のものもたくさん学ぶ場であってほしいと思うからです。
この代のキャプテンカナヤ君のこの4年間の歩みが、この代みんなに共通していたように思います。彼は次男君と同じ清風高校ヨット部の出身です。顧問先生が同志社ヨット部出身で、私の3つ上の方で学生時代から存じ上げている方でした。
そんな気安さから、彼が大学ヨット部に入部した時、彼の中高時代のことを話してくれました。中学は入試成績によってクラス分けがあり、その後の成績でクラスが上下します。彼は入学の時「普通科」でしたが、頑張りによって「理数科」そして一番上の「理V」クラスに上がりました。ヨット部に入っても、努力によって少しずつうまくなってきました。「高校3年間ではヨットの腕はまだまだだけ
ど、カナヤはほんまのがんばり屋やから、大学4年間でかなりのレベルまで行くよ」と予想されました。
最初に彼に会ったのは、高校ヨット部での練習でした。次男君はすでに大学生になっていたのですが、乗員交代でレスキューボートに上がってきた彼は、「神谷さんのお父さんですよね。僕も京大に行こうと思っています」とはっきり言いました。そして、彼がキャプテンになった昨年の試乗会で、1回生に「今年、全日本を目指すではなくて、行く、行く事になってるんやけど一緒に行かないか」と熱く語っていました。
彼はそれを実現しました。失礼ながら、1回生の時のシングルハンドでは、さすがヨット部経験者・・・とまでは言えないレベルだったのが、最終学年では一般の全日本出場にまで駒を進める選手になりました。最後の学生全日本団体戦では、平均15位という成績を残し、団体戦優勝は、3艇の1レース合計得点が、大体45点から50点ぐらいなので、彼が3人いれば全日本を制するというレベルにまでなりました。このレースを体験した下級生に、ここに全日本優勝のレベルがあるというのを見せた功績も大きいと思います。これは彼だけに当てはまるものではなく、この学年みんなに共通するもののように感じています。
誰かの指示を忠実に守って達成したものではなく、自分達で考え実行してきた結果です。誰かの操り人形ではなく、自分の人生の主役を堂々と生きてきた結果として残したものです。この行動をそのまま続けていけば、次のステージでも輝ける人になるでしょう。このヨット部でやってきた成功・失敗、みんな自分達の意思から始まったものですから、全部肥やしになるはずです。
この代のメンバーで、とても重要な役目をした子達がいます。それは、トキワさんとカタオカさん、2人の女子マネージャーです。上の学年にマネージャーがいなかったこともあり、2年間大車輪の活躍をしてくれました。マネージャーというのは、クラブの成績に直接残りません。でも、クラブの縁の下の力持ち的なもので、彼女達の活躍なしには、この代の成績はなかったと思います。2年前のエリコさんという偉大なマネージャーの後を受け、トキワさんは船舶免許を取り、食事や艇庫管理以外に、湖上練習にレスキューパイロットとして常に参加し、安全面と練習面を支えました。彼女のおかげで、のべどれだけの選手がレスキュー要員を外れてヨット練習ができたか・・・数えれば、きっと途方もない人数になるでしょう。
強風でずぶ濡れの練習から帰ってくると、おいしい食事が出来ているのは、とても幸せなことです。そのほか、特に日曜日の午後は、レスキューに乗るマネージャーが増えて、ギスギスしがちな練習を少し和やかな雰囲気にしてくれていました。レースではレスキューに乗って湖上から応援してくれました。フィニッシュ後、レスキューで冷たい麦茶をもらい、笑顔で次のレースに送り出してもらうのは、次のレースへの切り替えと、やる気に大いにつながっていると思います。学校や長期休暇の7月8月にも、田舎に帰っている期間を少なくしてサポートしてくれました。数年前のクラブとは大きく違います。そういう雰囲気をマネージャーみんなに浸透させたのは、この2人のマネージャーです。多分1回生のマネージャーは、それが当たり前だと思っているでしょう。
卒業するプレイヤーたちも、女性のこういう姿をこれからもいつも心の片隅に置き、女性を大切にする男であって欲しいと願います。
今年もつたない挨拶をさせていただきました。その後思いがけず、「感謝状」と記念品をOB会からいただいてしまいました。このクラブに来るのを楽しみにだいたい毎月1回寄せてもらっていただけですが、こんな光栄なものをいただいて、なんか申し訳ない気持ちになりました。これからも普段着姿で肩肘張らずにサポートしていきたいと思っています。
最後は恒例の円陣です。京都駅前で、円陣を組み、応援歌とヨット部枝分かれ前のボート部の部歌「琵琶湖周航の歌」で締めくくりました。卒業生へのエールは、何度聞いてもいいものです。それに大声で応える卒業生の前途を祝したいと思います。
「琵琶湖周航の歌」が終わり解散になり、私はそのまま帰宅です。現役は、恒例行事。卒業生のおごりで、京都の町に繰り出して行きました。このメニューも卒業生が考えるそうで、今年は何処に繰り出したのでしょう?翌日曜日に練習予定を入れないくらいだから、エンドレスで続くのかもしれません。
その卒業式に、次男君も出席していましたが、終わってから同回生でどこかに行きました。私より遅れて、同回のマネージャーのエリコさんがやってきて、5人揃いました。エリコさんは髪を切っていて、「楽です」と言ってましたが、女性の長い髪が好きな私はちょっと残念です。最初からいてたマジマさんとエリコさん、2人ともますます綺麗で輝いていました。
マジマさんも今春から就職のようで、学部卒後も勉強を続けていた3人とも働き出すことになりました。彼らの卒業式で、下級生から「僕らの人気ナンバーワンのマジマさんが卒業して残念です」なんて言われていたマジマさんは、引く手あまただろうから、就職せずに結婚してしまうのではないかと思っていたのですが、そうでもないようです。学んできた勉強が生かせる会社に入ったようです。彼女はとてもかわいいから、仕事後のお誘いが多くて大変かもしれませんね。
仕事場に帰ってきて、ゴソゴソしてから帰り、夕食後も4回生の卒業文集『フルセイル』を読んでいたので遅くなってしまいました。11時を過ぎてお風呂に入っていると、電話が鳴りました。次男君からで、「お父さん、最終電車に乗り遅れて大阪までしか帰れないから迎えに来てくれへん?」「いいよ」。大阪駅に電車が着くまで30分少々しかありません。急いで着替えて大阪駅に向かいました。阪神高速に乗ったら、20分ほどで大阪に着いてしまいました。

日曜日の午前中は仕事でした。神戸であったので、それが終わった後、浜に寄りました。エ号で生協さんで買ってきた弁当を食べ、コクピットに座り本を開くと間もなく電話が入りました。
「タワですけど・・・」。ドラゴンのタワさんチームが練習をしていたそうです。ところがこの日は風がなく、ただ西宮から新西宮4時間かけてやってきただけになったそうです。KYCで食事してたら私が見えたので、エ号で西宮までドラゴンを曳航してほしいとのことでした。
もちろんOKで、給油桟橋まで行き、曳航し始めました。イサミさんとシミズ君がいます。シミズ君がエ号に乗ってきて、たわいのない話をしながら西宮まで引っ張っていきました。そのままバースに帰るつもりでしたが、KGと清風の練習を少々見学しました。清風FJスキッパーは、コウサク君と新1年のコウキ君・ムラカミ君、3人とも兵庫ジュニアOBでした。ニシムラ先生にOBマツナガ君の北京オリンピック代表決定の祝福の言葉をかけましたが、ヨット部の予算増額にはつながらないようです。ハーバーに帰ると、もうすでに3時です。ヒライさんからドラゴン整備に声をかけられていたのでドラゴンバースに行きましたが、車はあるが人影がありません。既に整備が終わっている模様で、4時からのドラゴンミーティングまであと30分なのでそちらに回ってみることにしました。レース日程、全日本日程、カナダで行われるインターポート参加など、盛りだくさんな話題を聞いて帰宅しました。

月曜日の朝一番に、「卒業式行ってきたら」と家内に言いました。この日は、次男君の卒業式です。数日前、「おばあちゃんに行ってもらおうかなあ」なんて言ってて、日曜の晩は「おばあちゃんに卒業式のこと言った?」なんて聞いてきました。家内の行きたいという気持ちは十分伝わってきますが、「行ってくるから」なんて言わないんだよな。
私の「行ってきなよ」に後押しされて、すぐに風呂に入り着替えだしました。卒業式会場の中ノ島公会堂までの道順を書いて渡します。カメラの操作も教えて、楽しそうに向かいました。そして、私の仕事場の方に帰ってきた家内は、「準グランプリだったよ」と大きな花束を抱えています。息子の素晴らしい成績に大満足な満面の笑顔です。「ター君のところに行ったら、花束もらっちゃった」。わが子君たちは、みんなよくがんばってくれます。がんばり屋さんの子供達に恵まれて、つくづく、なんて幸せな夫婦だろうと思います。今週も楽しい週末でした。

2008/3/3
日曜日は、朝から家内の実家に向かいました。住むものがいなくなってしまった実家がそのままになっています。私は義理姉の息子もまだ結婚していないし、そのままにしていればいいと思うのだが、建て増しを続けた家は、見た目以上に老朽化しているとのことで、更地にしてしまうらしい。兄弟でもめるのが一番嫌なので、相続放棄して義理姉名義にしてもらった。姉のしたいようにしたらいいと思ってるので、姉からの「使うものあったら、何でも持って行って」に従い、家内の指示のまま、荷物運びです。
結構大きな家なので、荷物がたくさんあります。出来るだけ荷物が少ない方が、解体費用が少なくなるので、持ち出したいのは山々ですが、当方の収納キャパシティに限界があるので、必要なものというより、両親が大切にしていたものを形見分けのように持って帰ることにしました。
家内が何日かこっちに来て、姉と一緒に整理し、うちに持って帰るものとしてセレクトしたのは、着物・装飾品・洋服、それに父の趣味だった釣りの魚拓の入った額、それから写真でした。5月の解体まで数回はこちらに通って荷物運びかなあと思っていたのですが、1回で終わりのようです。「だって、切りがないもの」。
衣装道楽だった母は、着物を山のように持っていました。姉は着道楽ではありませんが、家内はお茶・お華の師範を持ってるぐらいだから、元々着物好きです。ワンボックスワゴンに着物を積みながら、買値で計算したら百万の桁よりきっと1つ桁が多いだろうと想像していました。でもきっと箪笥の肥やしになる運命でしょう。最近は家内も着物をあまり着ないし、息子の嫁さんや孫、親戚のお嬢さんが着てくれたらなあと思います。
夜自宅に下ろした荷物から、私は写真の整理をすることにしました。家内の小さな頃のアルバムを見ていると、彼女は一見外人さんです。出会った時の第一印象はハーフかクォーターだろうと思ったぐらいですから、小さな時からちょっと周りの子と違って写っています。色素が少ないからだろうけど、肌が白く、瞳がブラウンで、髪もブラウンがかっているからだと思います。
結婚式場のモデルをした時にもらったであろう、お見合い写真のような額に入った着物写真がありました。私とのウェディング写真もありますが、家内にはやはり着物の方がより似合うようです。ピアノの発表会の写真が、とてもかわいい。
続いて小・中・高の成績表が出てきました。小学校の成績は、体育や音楽が時々違うぐらいで、ずらっと一番上の欄に丸がついています。学校との連絡帳のようなものがあり、家内の各教科に対するコメント、先生からの言葉、母親のコメントが書かれています。「算数の欄で、やっぱり灘の問題は難しかった」とか書いてありました。私もお世話になった自由自在や応用自在の灘中の入試にチャレンジしての感想だろうと思います。
姫路の賢明中学のものには席次が載っています。毎学期ほぼ1番です。3年の3学期は6番になっており、先生のコメントが「1番で卒業させてあげたかったのですが・・・」となっていました。高校のものは、家内が昔から言っていたように、「高校1年までは天才だったけど、高3では普通になった」を裏付けるように、高校受験して入った地域のトップ校では中の上というところでした。「男の子がやる気になったら、馬力でかなわない」の考えの元はここでの経験なのでしょう。
ラブレターの書きさしが出てきました。私への最初のラブレターの推敲のようで、家内に見せると、「まあそんな時もあったわね」と笑っています。姉に撮ってもらった、アルバムにはなっていない結婚式の写真がたくさん出てきました。
そして最後に、何故家内の実家にあったのか不明ですが、私の保育園時代の連絡帳が出てきました。ぞうぐみ、きりんぐみという、4才と5才の時のものです。結婚する前に、うちの母親が家内に渡したのか?謎です。新婚時代に観光地で2人で焼いた焼き物のVWビートルが出てきました。これも何故ここにあったのか?
いろんな思い出が蘇ってきた楽しい1日でした。

この日の午後は、ドラゴンの整備の予定が入っていました。集合時間の連絡はなかったのですが、昼頃からだろうなと思い、着物を満載した車で浜に向かいました。陸置きヤードに着くと、ヒライさんの車とダンシングクイーン号が出ています。昼食中かと思い、ヨットクラブの2Fに上がると、タナカさんのチームも居られました。ヒライさんとシブカワさんから、私には門外漢の堺市に出来るシャープの工場の話を聞き、いつものランチです。
気温も上がり、外のベランダで食事をしている方もたくさんいます。うららかで風も弱く、絶好のクルージング日和です。こういう日は、ステアリング担当以外は、昼寝になるでしょう。
食後、ドラゴンのマストの整備です。取り外したり新調したステイを取り付け、次の整備の時、マストが立てられるようにします。マストチューニングシステムがシンプルになったようですので、スピードを出すためにしばらくシェイクダウンでごそごそいじくる日が続くと思います。これもまた楽しきかなです。

2008/2/25
日曜日は、次男君の卒業作品展に行ってきました。次男は再び今年卒業します。長男の保育園の卒業に始まって、何度子供達の卒業を迎えたでしょう。これが子供達の最後の卒業になるのかもしれません。「息子さん”賞”取る可能性大とのこと、是非見に来てやってください」と、次男の通っている学校の事務局長さんから、卒業制作展の案内が届きました。この事務局長さん、私の大学の時の同級生で、何かと気にかけてくれています。こんな案内をもらったら、絶対行かなきゃね。賞を取る取らない関係なく、家内は年末から楽しみにしていました。
朝起きると、雪が降っています。昨夜から降り出した雪が降り続いているようで、庭が一面真っ白です。朝食を取り、隣の家の仏壇に父のチンをしに行き、母に「11時からだから、9時半に出るよ」と伝えます。「自動車だから楽だしね」「こんな雪だから電車で行くよ」「あらそう」。なんとなく嫌な予感を抱きながら家に戻り、風呂に入ります。朝風呂は何故か気持ちいいです。夜の風呂は必ず入りますが、朝時間のあるとき入る朝風呂は、なんか格別な感じがします。いい湯だな〜をしている時、電話がなりました。家内が取って「はいはい・・・」と明るく受け答えしています。これは、お姉さんからかな?と思いましたが、母からで、「やっぱり行くのやめとく」・・・嫌な予感が的中しました。またドタキャンです。
道路から雪が解けるのを待って午後から車で行くことも考えましたが、家内と2人で電車で出かけることにしました。阪急で梅田まで出て、地下鉄御堂筋線で本町まで、中央線に乗り換えて海遊館の駅まで。そこから歩いて5分ほど、11時少し過ぎに到着しました。目の前は河口というか運河で、海遊館の海賊船型の遊覧船が走っています。
受付で名前を書き、卒業生達の作品を見ていきます。家内はすぐに次男君の学科の方に行きたいようですが、私はそれは最後にとっておきたいと思い、他の学科の作品を見に行きます。家を出るとき、次男君はまだ自室でゴンゴンと大きな音を時々立てていたので、今日は何時に来るのやら?と思っていたからです。
いろんな学科があり、独創的な作品から、企業に売り込めば、すぐにでも商品化されて稼げるのではないかと思える作品まで、レベルが高いです。あちこち自由に動きながら、家内がちょっと先を進む感じで、やっとこ次男君の所属する学科までやってきました。
「あらあ、もう来てたの?」と家内の声が聞こえます。どうやら次男君は既に着いているようです。他をゆっくり回って次男君の作品の前にやってきました。はっきり言って圧倒的な存在感です。前衛的なヨットがド〜ンとその部屋の中央に飾られていました。「す、す、ス、スゴイ」。ちゃんと人が乗れる1/1スケールなので、マストトップは天井ギリギリまであります。どの作品より場所を取ってい
ます。
「あれっ?もう着いたの?」「11時前には着いてたよ」。後から出たのに、JR利用の方が短時間で来れるようです。壁面には、プレゼンテーションボードが貼ってあります。コンセプトに始まって、開発の目的、利用方法、そして得られることまで、さすがに上手にまとまっています。いつも感心する彼の国語力の賜物です。
机の上には、次男のマックが音楽を鳴らしながら、作業の実際を作業風景の写真を次々に映し出しています。横には、これまでの作品を写した写真集と、イラスト集が置いてあります。それを家内がめくりながら、次男君が熱心に説明しています。
車のイラストがとても上手で、自動車ショーに展示されるコンセプトカーのようなものが並んでいました。小学校だったか中学だったか、りんごを鉛筆だけで描いたイラストが、陰影の付け方など実に詳細で、「すげえ〜」と思ったことを思い出しました。
作品集の中に、家で見たことがある時計が映っていました。短針が2本ある時計で、時差のある遠距離恋愛の恋人に贈るものだそうです。2つ購入し、お互いに相手国の時差に1本の短針を合わせて、今彼、あるいは彼女が何をしているのか・・・いいですね。この作品は売れそうです。特許取ればいいのにと思いました。
壁に作者の顔写真とともに、卒業に当たっての思いが描かれています。その上に”賞候補”となっていました。「すごいなあ」と思うとともに、親であることが嬉しくなってきます。努力賞は確実にもらえるそうです。そして各学科から優秀賞みたいなのに1作品選ばれ、更に全作品から最優秀賞が1つ選ばれるそうです。次男君が熱心に自分の作品を説明してくれます。

さて、あっという間に12:30になっていました。どうするかなあ?行きの電車で家内から、いろんな方にこの案内を送ったことを聞きました。次男君が宛名を書いたものをただポストに入れただけですが。「ヨット部の子達にも送ってたの?」「トヨタのインターンシップでお世話になった方や、小学校や中学からの友達なんじゃないのかなあ?」「ヨット部の友達なんかには、わざわざ手紙など送らずにメールだろうからなあ」。家内によると、「きっとあの娘来るよ」とのこと。「東京から来るかなあ?」「来るよきっと」「そうかなあ」。次男に家内が聞くと、どうやら来るらしいです。土曜日には、ヨット部の後輩のアツシ君とミサトさんが差し入れを持ってきてくれたそうで
す。「ミサトさんの手作りケーキだった」と聞くと、今回は買ったものらしいです。ありがたいことです。
先週、一緒に船に乗ったときミサトさんからもらった手作りケーキは、とてもおいしかったです。「ミサトさんにお礼言うの忘れたわ」と次男君。ところで、何故に2人で京都から・・・
次男君のGFさんが、せっかく遠くから来てくれるのだから、待っていようと言う事になり、海遊館の方に行ってみることにしました。駅から見えていた観覧車にも乗りたいぞ。駅の横を歩いていると、大阪芸大の卒業作品展の呼び込みを学生がしていました。肉まんを3つ買い観覧車に乗りました。子供達が小さな頃以来、久しぶりの観覧車です。前、家内と2人で乗ったのは、きっと結婚前でしょう。
乗る前には、「こんなに風があるから、きっと寒いよ」と家内、「そんなわけないやろ」と私。「いまどき、窓が開いてる観覧車なんてあるか〜」と突っ込みたくなりましたが、本気にそう思ってる家内にはかわいそうだと思って、それはやめときました。ぐんぐん高く上がっていきます。中は大人が6〜8人乗れそうです。
「結構、広いねえ」と家内。海遊館の横に泊まっていた旅客船が下にみえています。ノルウェーの国旗がはためいています。サンタマリアだったっけ?海遊館横から出てる遊覧船が、USJの方から戻ってきています。大阪市内中心部の高層ビル群、山頂が雲に隠れている六甲山、淡路島、明石海峡大橋・・・いい眺めです。観覧車がてっぺんに近づくと、風の音とゆれがあります。
これまた久しぶりの水族館、海遊館に入ることも考えましたが、途中で彼女が到着したと連絡が入るかもしれないので、大阪芸大の作品展を見学することにしました。同じ芸術系だけど、次男君のとこの方が面白い作品が多くありました。そして次男君の作品展会場に戻りました。次男君の作品のところに行くと、大学ヨット部同期のサトウ君とイリグチ君が来てくれていました。
先週、彼らの後輩達と海に出たとき言っていた、「1年先輩のアラカワ君に続くのは、サトウ君とこだとみんな言ってたよ」と振ると、「え〜まだ決めていませんよ」「アラカワ君は、就職していきなり結婚資金を会社から借りたらしいけど・・・」「だから、時を見て・・・」なんて言葉を濁していましたが、「でもね、相手がいたらズルズル引っ張ると振られるぞ。僕の経験では、早くても遅くてもあまりかわらないし、早い方が生活にリズムが出来るよ。不思議に別々の生活費を足すより随分安上がりの生活になるよ。1人分の1.5倍もお金かからないし」と勧めておきました。
就職して1年経ったイリグチ君には、「小金、貯まったやろ?」「全然です。飲みに行くとなくなってしまいます。給料日が待ち遠しいです」なんて言っています。イリグチ君と次男君は中・高・大学とずっと一緒の学校・・・長い付き合いです。
次男君に2人の先生を紹介されました。お若い先生です。「クラスの中心になってがんばってくれて・・・」と社交辞令半分として聞きましたが、先生がうまく褒めて、上手に彼をのせたのでしょう。「ありがとうございます」。
次男君と同じ学科の人の作品で、もう一つ気に入った作品がありました。ブロックです。ようするにレゴのような、組み合わせ方でいろんなものになります。これが5種類の人型になっています。逆立ちのカッコだったり、手は前に足は後ろにというカッコだったり、ちゃんと顔がついており、1つのブロックがかわいいです。しかも、「ようこさん」とか名前まで付いています。私もそこに座って1つ小作品を作りましたが、それで作った大き目の作品が展示されていました。もし子供の来場者が多かったら、人気になったでしょう。
子供達が、保育園から小学校低学年にかけて、よくレゴを作っていたのを思い出します。次男は、アイデアはあるのですが、私や長男にどうしても形にする手先の動きが劣るので、「できない〜」と泣いてブロックを放り投げて壊し、しばらくすると、またそれを組み立てなおしていました。お誕生日だ、クリスマスだと、事あるごとにレゴを買い増していきました。こういうおもちゃは、知能を知能を発達させるので、とてもいいおもちゃだと思います。彼のブロックも、放り投げても、踏んづけても壊れそうになく、いいおもちゃだと思います。
2Fの椅子のあるところで、家内は休憩していました。そこに上がって、窓からの気持ちのいい日当たりの中でたたずみ、外の運河を見ていると、4時を回りました。携帯電話を耳にあて、外に次男君が出て駅の方を見ています。「あれ次男君だ。着いたんじゃないかなあ?」「きっとそうよ。私、下に行ってるわ」。私はしばらく駅の方に歩いていく次男君を見て、下に下りました。
「着いた?」「もうすぐだと思うけど」。次男君の作品集を熱心に見てくれている女の子の横で、パネルを読んでいました。この女の子は、次男君に教えてもらったちょっとした遊び心に気づいて、友達を呼んでいます。透明の表紙に名前が書いてあり、その表紙をめくると、2枚目には、「ハロ」とだけ書いてあります。その「ハロ」は、1枚目の名前の一部分です。1枚目には、名前から「ハロ」が欠けています。2枚目の「ハロ」と重なって初めて、次男君の名前になります。女の子達は、驚いて写真を撮っています。気づいたか〜。
東京からミキさんが着きました。「遅くなってしまい、すいません」なんて言っていますが、こっちは勝手に待ってただけだから気にする必要はありません。きっと次男君が「親が長い間待ってたよ」と言ったのでしょう。そんなことより、わざわざ東京から来てくれるなんて、なんと幸せな次男君なのでしょう。そして家内の女の感の鋭さにも脱帽です。
家内に言われて、作品の前でツーショットをパチリ。次男君は、「みんなが見ているやん」とクラスの目を気にして照れていましたが、ミキさんはニコニコしています。この日が作品展の最終日で、5時から片付けだそうです。「ミキさん今日帰るの?気をつけて帰ってね。じゃあ、あなた帰りましょう」。次男君は片付けで遅くなるだろうから、ミキさんの帰りが気になって、「大阪駅まで一緒に帰ろうか?しばらくどこかで待ってるよ」と訊きましたが、なにやら2人で話し、ミキさんは片付けが終わるまで待ってるそうです。
ミキさんは、前江ノ島で会った時より、さらに明るい印象を受けました。色白美人で明るくかわいい、とても感じがいいです。ちょっと家内に似ているのかも。ということで家内と家路に着きました。いい日になりました。

2008/2/18
日曜日は、久しぶりに浜に行きました。京大ヨット部員達とのクルージングです。2ヶ月のオフ明け後に、学連とは別のヨットの世界を体験するのもいいかなと去年より始めました。去年同様、1回生と女子マネージャーさんを招待です。寒いですが、後期試験が終わり、練習が始めるまでの気持ちが楽なこの時期にしました。しかし、1回生は3人とも車の免許を取りに合宿免許教室で行ってるようで、2回生2人カトウ君とイシイ君、キャプテンのアキラ君、そしてきれいどころのマネージャーさん4人ミサトさん・シキちゃん・マユミさん・ウチヤマさんになりました。
あまり吹かなければいいがなあと願っていましたが、前日の天気予報は、昼からみぞれの予報です。当然気温も低く、風向は西で終日6〜10m/s前後との予想です。「寒そうやなあ」と思いながら起きた日曜日の朝は、きれいに晴れています。自宅付近では風もあまり吹いていません。
長靴を履いて「このまま、うららかな天気だったらいいのになあ」と思いながら出発です。1週間前先輩たちが泉佐野まで行ってきたのでエンジンはかかるだろうとは思いましたが、一応約束の1時間前に浜に到着です。
ドッグハウス内は、修理予定のソファがないので今一です。メインスイッチを入れエンジンを回します。寒いので一発でかかることはありませんでしたが、2回目には回りだし、排水もされています。2分ほど回して、トイレの流れを確認し、船内をゴソゴソして、センターハウスに向かいます。本を読んでいると、GPSの設定が気になり、再び船に。この日はIMSのレースのようで、桟橋でレース艇が準備をしています。桟橋をサマーガールからテルミさんが歩いてきます。相変わらず明るくいい子です。49erの牧野君が北京オリンピック代表になったので、北京に応援に行くのかなあ・・・なんて思っています。
GPSをごそごそやりましたが、短時間ではじっくり説明書を読み返す時間がなく、中途半端に15分前になりました。センターハウスに入ると、去年も参加したカトウ君以外、みんな揃っていました。そこで思いかけずミサトさん手作りの本命?のはずはないチョコをもらってしまいました。家内からのチョコ味ケーキに続き、本年2つ目のバレンタインです。手作りというところがいいです。
船に行き、出艇準備をしていると、ドラゴンからライジャケを持ってくるのを忘れたことに気づきました。ドラゴンのライジャケの方がフィットして好きです。男の子達を連れてドラゴンに行くと、サイドデッキがきれいに塗装されています。次はボトムの塗装になるのでしょう。
船に戻り、全員ライジャケを着て出艇です。東出口から出てセールアップします。4〜5m/sのちょうどいい風ですが、天気予報のこともあり、2ポイントリーフで、ジェノアは半分展開です。フルセイルでも十分走れますが、初めて乗った女の子達を怖がらせてはいけません。
クローズで赤灯台を越え、神戸空港方面を目指します。時折ブローが入り、6ノット弱のいい走りです。本格的な西風が入って来るかと、周囲を注意しながら、マネさん達にステアリングをしてもらいます。メイントリマーアキラ君、ジブトリマーカトウ君、ステアリング補助イシイ君です。最初に去年ステアリングを握ったマユミさんがヘルムスマンをします。次いでウチヤマさん。シキちゃん。
どうやら風があまり上がらなそうです。西に防波堤を置きながら、波を気にする必要もない感じだったので、湾中央に出ても大丈夫そうです。ベアしてIMSのレース海面に向かうことにしました。本部船付近に来ると、ちょうどレース艇がフィニッシュしているところでした。次のスタートを見るべく、ラインの付近にいると、レース艇が近くを通ります。手を振ると、向こうからも返って来ます。女の子が乗ってるのでなおさら返してくれるのかもしれません。
ここで周りを見渡すと、六甲山が白く煙っています。どうやら雪が降ってるようです。「寒くない?雪来るから、カッパ着て」とドッグハウスから用意していた4人分のカッパをマネさん達に渡します。ジェノアをファーリングして船を止めていたのがいけなかったのか、着替えながら気持ちが悪くなった子が出ました。「食事にしようか」と言っても、誰も食べようとしません。
こりゃあかんと思って、メインに風を入れ、みんながカッパを着るまでアビームで船を走らせることにしました。カッパを着てフル装備になり、タックしてスタート海面に戻ろうとした時、風と共に雪がかなり降ってきました。グッドタイミングでカッパを着れたようです。目の前をレース艇がスタートしていきます。ミサトさんにヘルムスを交代です。ATCのビルや、大阪市のごみ焼却場煙突を説明し、尼崎側の白灯台を目指します。船が動き出すと、船酔い加減のお嬢さんも回復しました。
防波堤の上には誰もいません。寒い時期なので釣り人も冬眠のようで、渡船屋さんも商売にならないでしょう。白灯台を回ってイシイ君にステアリング交代です。ハーバーを目指します。が、ここで風がなくなってきました。芦屋沖で練習しているディンギーは動いているので、ジブはファーリングして機走でそちらを目指します。白灯台を回る前、レース艇がスピンも上げずにスタート海面に戻っているので、風が大きく振れてノーレースになったのかなあと思っていましたが、風がなくなったのでしょう。風を感じるとエンジンを止めジェノアを出し、また風がなくなると機走を繰り返しながら、ハーバー西出口付近でやっとしっかりした北風を受け始めました。
1時半になっていたので、いい風でセーリングしたい気分を収めてベルポート芦屋YHに上陸することにしました。あまり長い間寒い海上を女の子達を連れまわすのは趣味ではありません。ベルポートでお茶でもしてちょっとリッチな気分の体験もいいかなと。そこに芦屋YHからOPが出てきました。先頭で出てきたのはミサキちゃんのようです。ミサキちゃんに伴走して声を掛けます。インフレータブルが近づいてきます。前に乗ってるのは、清風に合格したばかりのムラカミ君です。今日はコーチのようです。ウメノさんが乗っています。「綺麗どころさん達クルージングです」「京大の子たち?いいなあ。そっちに乗ろうかな?」なんて軽口を叩きます。
ベルポートに入り、桟橋つき邸宅の方に回って沖から見物。「こんなんに住んだら招待してな」と学生達に頼んでおきます。ゲスト桟橋に向かっていると、結婚式場から鐘の音が聞こえてきます。結婚式をやってるようです。いつもなら桟橋に近づくとスタッフがもやいを取りに来てくれるのですが、寒いからお休みのようです。ゲスト桟橋はちょうどハーバーレストランの前です。食事を取りながら、我々の方を皆さん見ています。ちょっとした景色のアクセントなのでしょう。ハーバーハウスに向かうと、ハーバースタッフが桟橋が見えるスタッフルームにいます。女の子ばかり3名です。きっとヨット経験者でしょう。学生でバイトしてるのかな?
レストランに入り、人数とお茶だけでもいいかと聞くと、1Fは満席で4時まで無理だそうです。メンバーさんだと2Fに席を用意するそうですが、隣のハーバーなのでそれは無理です。まあ半分は予想されていたことなので、諦めて・・・隣のガーデン結婚式場を見物しに行くことにしました。入口がわからず裏からぐるっと回ると、中庭でウェディングドレス姿の新婦さんが、皆さんに祝福されています。
正面に回り、パンフレットをもらいます。費用を聞いたら、ドレスなども含めて1人5万円ぐらいだそうです。私の時は35人ぐらいで1人頭同じぐらいだったような気がするので、ホテルでの結婚式とさほど差がないのかなあと思います。レンタルヨットで海からエントリーしたりすることも出来るようです。
また雪が降ってきました。船に戻り、西宮に帰ることにしました。ドラゴンにライジャケを戻して、最後は関西ヨットクラブ2Fでお茶です。4時頃に解散といういい感じの時間になりました。時々雪が降る冬らしい日でしたが、8m/s以上の風が入ることはなく、ところどころ白波が見える程度でよかったです。来月はKG部員です。

2008/2/11
日曜日は、父の一周忌でした。先週の義理妹の父親の一周忌に続いて2週連続の法事です。そして来年は同じく2週連続の三周忌ということになるでしょう。
11時に市内のお寺さんでの法要ですが、ホストということもあり1時間前にはお寺さんに行こうと準備していました。前日の土曜日、朝から夕方まで雪が降り続き、ちょっと車が気になり、屋根の雪を下ろしながら、キーを回してみました。するとワゴン車の方がピクリともしません。前日の雪の寒さでバッテリーが上がったのかと思い、すぐにJAFに電話です。もう1台の雪下ろしなどしながら待っていると、20分ぐらいで来てくれました。
「ライトの消し忘れですか?」「良く使って週1回の車ですから、雪で冷えたのだと思います」。「キャラバンのバッテリーは何処で
したっけ?」と小さな箱のようなものをそれにつなぎます。「エンジン掛けてみてください」。すぐにかかりました。「しばらくエンジンを回しておいてください」「はい。ありがとうございました、助かりました。早かったですね」「ええ、昨日だったら中々来れなかったと思いますけど。小さい方のサイドミラーがないでしょ。昨日雪で突っ込んで壊しました。昨日は大忙しでした。ここにサインをください」。サインをするために前に回ると、ヘッドライトが付いています。ありゃりゃ、「ライトの消し忘れだったようです」。
ガソリンを補充して自宅に戻り、着替え終わるとすぐに関東から来るおじさんから電話が入りました。「空港に着いたよ。何処にいてたらいい?」。予定では次男君が迎えにいくことになっていましたが、昨夜ヨット部の同回生と飲みに行って朝帰りの次男は、朝風呂に入っています。「帰ってきたらすぐ出発だから」と家内に言って、空港に向かいました。
おじさんをピックアップして自宅に戻り、家内と母を乗せて出発です。朝、車に荷物を乗せておいてよかったです。何かと時間は足りなくなるものです。お寺さんの前で、供物の果物やお菓子などたくさんの箱を下ろしていると、今朝東京から帰ってくる長男から電話が入ったということで、次男が自宅から車で空港に向かうとのこと。
予定では、法要後食事をする予定だった白雪レストランの駐車場に皆さんの車も置く予定でしたが、白雪さんのお祭りで使用するらしく、隣のニトリの駐車場に置くことになりました。義理妹の実家関係の方も揃い、最後に義理姉夫婦がやってきました。加古川からバイパスでこっちに来ましたが、阪神高速で事故が2件起きており、遅くなって10分前に到着でした。
このお寺は、江戸時代に焼失してから再建され、300年ほど経ってるそうです。阪神大震災で外壁などの修理をしたが、本堂の柱などは当時のままだそうです。住職さんに経を上げてもらいながら、最初は自宅でする予定でしたが、お寺さんにお願いしてよかったと思いました。雰囲気が全然違います。皆さんにお礼を言い、食事の用意を白雪レストランでしている旨を伝えました。
終わって外に出ると、副住職さんが法衣で出かけるところでした。息子さんもどこかでお勤めがあるようです。次男と私がお寺さんからの荷物の撤収担当で、家内と長男がレストランへの誘導担当です。いつもなら迷うような距離ではありませんが、この日はお祭りで大勢人が出ています。駐車場からお寺さん前まで車を回し荷物を乗せ、再び駐車場へ。駐車場に車を入れると長男君から電話です。
「お父さんが来ないと始まらないからさあ。次男君にみんな頼んでおいでよ」とのこと。あと数分で行けるからと答えましたが、長男に進行を頼んだらよかったかなと、電話を切ってから思いました。宴会隊長で仕切り屋さんの彼は、私よりよっぽど上手に、全体を把握しながら出来るはずです。
レストランの席に着き、遅れたお詫びと、再度お礼を述べて、食事が始まりました。少しお腹に入れたところで、参加していただいた方の紹介です。私からの紹介も考えましたが、できれば一言いただければと思い、ざっくりとグループを紹介し、自己紹介をお願いしました。それぞれ、思い思いの話をされ、父の思い出の披露もあり、正解でした。
1時間半ほどでそれを終え、お墓に参ることになりました。弟の5年生の長男君は、塾のテストに間に合うようにお母さんと家路に着きます。うちのお墓は遠く片道1時間ほどかかります。土曜日の雪だったらとても無理でしたが、この日はいい天気になり、午後からは車のヒーターも要らない温かい日になりました。
お墓にお花をあげ、イチゴやキャンディーを供えます。父にとって、子・孫で始めて生まれた女の子、弟の長女今年1年生になるりっちゃんが大活躍です。みんなで集合写真を撮って、一応解散です。義理姉夫婦は、兄の実家の三田に向かいます。私と家内は、JRの駅まで関東に帰る皆さんを送り、ご仏前を送っていただいた方へのお返しを贈るためにデパートに向かいます。長い1日が終わりました。

2008/2/4
日曜日は、弟の義理のお父さんの一周忌でした。奥さんの実家の岸和田に、家内と母親と3人で出発です。法要が11時の予定だったので、9時に出発です。ガソリンを入れ、久しぶりに空気圧を点検です。この日は、朝から雨が降っています。天気予報では平野部でも雪というものだったので心配していましたが、どうやら車で行けそうです。
中央環状から和歌山に抜ける高速を走って岸和田和泉というところで高速を下り、あとは地道です。まだ1時間少し時間があるので、途中のスーパーでトイレ休憩と買い物をしました。いい感じの時間になったので実家に向かいましたが、昔からある城下町の道で迷ってしまいました。あまりに細い道をナビさんが指示するので、これはきっと裏道だと思い、記憶に残っている太い道を行くと、たどり着けません。諦めて拡大地図にして指示通りに細い道を入っていくと、実家の裏に出ました。表に回ると弟が車の整理をしています。
実家はスーパーをしており、店の前の駐車場に入れて、2Fに上がります。そこには既に50人ほどの方が集まっていました。お父さんは商店街の会長などもしていて顔が広いのと、ずっと地元なので、小学校の友達なども来られているようです。正座は辛いので、胡坐をかかせてもらい長時間の法要を過ごしました。隣の家内は長年のお茶やお花のお稽古が利いているようで、いつもながら痺れを切らすようなこともなく、まるでお坊さんのようです。前に座った弟は、彼の性格らしくずっと正座をしていました。立ち上がった時、さすがに足にきていたようで、ぎこちない歩き方を見ておかしくなりました。
マイクロバスが迎えに来ていて、近所の結婚式場に向かいます。そこの1部屋を借りて飲み食いです。弟のとこの娘は今年1年生に上がります。うちのおばあちゃんに買ってもらったピンクのランドセルは、自分のお気に入りのブランドのらしく、「店に来るお客さんに見せて回っている」と向こうのお婆ちゃんが話してくれました。
弟は向こうの家の妹さんと結婚し、スーパーの横でも店をしていますが、こっちのご両親に良くしてもらっておりありがたいです。私は弟の父親ではありませんが、実家を継いでいる長男というものは、こういう心境になるものだなと自分でも不思議に思います。向こうのお母さん、お姉さん夫婦には、いつも「弟がお世話になっています」と頭を深く下げてしまいます。
「この子は、何処の子?」という赤ちゃんがいました。様子を見ていると、弟の義理姉夫婦の長男さんの子のようです。「まだ学生とちゃうかったっけ?」。お嫁さんも若いです。弟が部屋の外に出たので、訊いてみました。お父さんが亡くなった後に出来ちゃった結婚したそうです。お父さんは存命中に知ってたようで、公認だったんだろうけど、喪中ということもあり家族だけで結婚式を挙げたそうです。全然知りませんでした。
来週のうちの父親の一周忌に、この家のおばあちゃんとお姉さん夫婦に長男さんも来ることになっています。長男さんが来られるのに長女さんが来られないのは不思議だなと思っていましたが、長男さんが来られるのは、次の当主ということのようです。「長男さんも一家を構えたと言うことは、お返しをもう一つ用意しなければならないのでは?」と思い、弟の奥さんに尋ねると、「要らないですよ。気楽に出席するように言ってますから」とのことです。
「子供が欲しくても中々できない夫婦もいるから、既に子供が出来てからの結婚の方がいいかもね」なんて言ったら、「お兄さんとこも、もうそろそろ結婚するんじゃないの?」と反対に振られてしまいました。「2人ともかっこいいし。絶対もててますよね」と。まあ子供達のことは私の範疇ではありませんが、もてなくて困ることはないと思っています。家族に恵まれ、いい人生を歩ませてもらっているようです。

2008/1/28
琵琶湖ジュニアの松永君が、北京オリンピック470級日本代表に内定しました。セーリング連盟から推薦されるので、私が現役時代にあったモスクワオリンピックボイコットなど、よっぽどのことがない北京に行けるでしょう。
男子チームの中で一番応援していた松永君だったので、とても嬉しいです。1月に入り、オリンピック日本代表最終予選になる世界選手権に向けて、前哨戦のセイルメルボルンも含めて、毎日のようにチェックしていました。土曜日に世界選手権の予選が終わりました。男子は全部で100艇弱のエントリーで、予選の結果で決勝ではゴールド・シルバー・ブロンズの3つのフリートに分かれます。日本の4チームで唯一松永君のチームだけがゴールドフリートに残り、ゴールドフリート入りで獲得するオリンピック選考得点4点を加え、合計7点になりました。日本での2次予選トップだった関君は、ゴールドに残れなかったので、2次予選で獲得した6点のままで、もう増えません。よって松永君に決定です。
次男は、第1次選考会でもあった昨年の全日本でトップ20に残れず敗退しましたが、同じく松永君もトップ20に残れませんでした。後半戦をリタイヤしたからです。次男は過去2度、ナショナルチームの最終選考会に出て、親としては大満足だったのですが、松永君は本気でオリンピックを狙って、常にトップグループにいたから、ここでの敗退は予想外で、本人もお父さんも残念だろうなと思っていました。しかもリタイヤでの敗退とは・・・
最終日に全日本会場だった江ノ島に行っていたので、和歌ちゃんにちょっと松永君の事情を訊いてみました。コーチボートとぶつかって船が壊れたそうで、すぐに修理に走ったそうです。でも、その前のオリンピックウィークの成績で、2次選考会出場権利を確保しているので、まだ大丈夫と聞きホッとしました。
2次選考会では、3位で世界選手権出場権利を得ていました。他の日本3チームがセイルメルボルンで、強豪と戦っている間、世界選手権の会場でトレーニングを積み、ワールド前半の軽中風での予選で上位をキープしました。大会のプロテスト記録を見ると、レースコミッティーに対してウインドシフトで抗議が出ていました。ウインドシフトの琵琶湖で育った松永君に有利に働いたのかもしれません。
次男がOPを始めた頃、松永君はOP界のスーパースターでした。隣の琵琶湖ジュニア所属ということもあって、次男の出場するレースでは、いつも松永君が優勝でした。その松永君がヨット部のある清風高校に進学しました。
OP協会の理事長をしていたお父さん筆頭に琵琶湖ジュニアの親御さんは、弱小伊丹ジュニアのメンバーに気持ちよくOPを教えてくれました。段々ヨットに自信を持ち、面白くなってきた次男は、中学受験で清風を受けると言い出しました。
前年の阪神大震災で、大阪と兵庫の統一受験日がずれて、両方の統一受験日に受けることが出来るようになりました。長男の行ってた高槻中学の他に、大阪の学校の説明会を聞きに行こうと、明星中学と清風中学に足を運びました。長男の時は家内が学校説明会に足を運んでいましたが、合格発表までの過酷さにリタイヤして次男の時は私に交代になりました。彼女も中学受験をしたのに、自分と子供とでは随分違うようです。
もらってきた学校パンフレットに、清風中学にもヨット部があるように書かれていました。それを見つけ、高校に松永君がいることも話すと、次男の第一志望が変わってしまいました。兵庫の六甲中学が第一志望でずっと来ていたのに、清風の理Vに合格したら清風に行くということです。「清風に行って松永君のクルーになる」と言い出しました。清風中学で知ってることは、池谷・西川の高校生体操オリンピック選手を出した学校というぐらいです。ちょっと慌てて、ヨット部の顧問先生に電話をしてみました。するとなんと、大学時代定期戦をしていた同志社ヨット部の先輩の方が顧問先生でした。私が1年の時4年生の方です。私は名前を覚えていました。
スポーツに力を入れている学校というイメージがあり、中学からヨット漬けの人生には疑問を持ってるので、練習日数や内容(スパルタでないか)、学業との両立を訊いてみました。先生は包み隠さずみんな教えてくれました。ヨット部卒業生の現役での進学先を聞き、学業第一のクラブ方針がわかり、大阪は清風を受けることになり、清風に通うことになりました。
中2の時の全日本チームレースが、琵琶湖でありました。次男は、チームでも個人でも3位でした。その時、ちょうど3位のプレゼンターが松永お父さんでした。以前から、「松永君のお父さんが一番かっこいい」と言ってたので、「メダルもかけてもらい、握手もしてもらった」と大喜びでした。
京都の大学に進学し、琵琶湖で練習するようになり、松永君とまた同じレースに出るようになりました。4年生の同志社ウィークの強風のレースで、3位以下を大きく離して、松永君に続き2位でファーストマークを回った時も喜んでいました。
次男がヨットで常に追っかけていた松永君がオリンピック選手になりました。すごいです。これで和歌ちゃんが女子470代表に選ばれたら、万々歳なんだけど。女子470は、3チームともゴールドフリートに残って熱戦中です。

2008/1/21
日曜日、ツマガリの社長の話を聞いてきました。甲陽園にあるお菓子のお店で、数箇所の百貨店にも出店しています。現在、国内最強のブランド力を持っていると言われるお店です。もうすぐバレンタインデーですが、クリスマスとかそういう行事になると、どこからともなくツマガリの名前が漏れ聞こえてきます。誰かの誕生日ケーキにツマガリで・・・なんてのも聞いたような・・・。
大手お菓子メーカーの取締役を退職して独立したという経歴から、スマートな紳士を想像していたのですが、白い服を着て、お菓子屋さんの定番である高い白い帽子を被った恰幅のいいおじさんがしゃべり始めて、その想像が間違っていたとすぐに気づきました。
全くしゃべり慣れておらず、現場のたたき上げというしゃべり方で、スマートなしゃべり方でも、ストーリーのある講演でもなく、さらに声まで歌手にはなれないなというものでした。でも、多く集まっていた私のように者達は、その話に聞き入っていた。あちこち飛ぶ話から、にじみ出ているエッセンスが、容易に頭に入ってきました。
大手メーカーで実現できなかったものをするために独立したのか、独立してからそうなったのかわかりませんが、野菜・砂糖・牛乳・果物・・・本物の食材にとても気を使っています。
それは、宮崎の田舎で暮らした子供の頃の記憶から出ているものでした。父親が家を出て行き、母親が命を絶ち、子供の頃から働かなければ食えなかった。台風は大歓迎で、山ではたくさん食べられる実が落ち、浜でも多く魚が上がった。田んぼに入ってタニシやドジョウを取っていたが、ある時、田んぼに入るのを厳しく叱られた。農薬がまかれるようになったからだ。子供が入らないように紐で囲われた。タニシもドジョウもいなくなった。川にいくらでもいたホタルが姿を消した。
今は大分マシになったが、当時の日本と同様なものを中国が大量に作り、日本に輸出している。日本の消費者がそれに気づき、中国の方がそれを消費している。タニシもドジョウも虫さえ食べないような物が体にいい訳がない。それが、何も手入れしなくても育つアルゼンチンのサトウキビから出来る砂糖、牧場内サイクル(牛の糞-土壌-草-牛)をしている北海道の牧場と直接取引している牛乳、玉子・イチゴ・・・、の使用にこだわる姿勢につながっている。
食の仕事なので、身体に悪いものを使ったり、作ったりしてしまったらと臆病になってしまうそうです。東京への出店など、全百貨店から出店要請は届くが、自分のできる範囲でしかやらないことが世間様に対する責任だということを話されていました。
それを聞きながら、取引のあるある中堅メーカーさんのことが頭を横切りました。いい商品を作るメーカーで好きなのですが、平気で売れ筋商品を半年とか品売れにする。その商品に使われている特定のメーカーの原料が手に入らなくなると、代替品に変更して製造を続けることをしない。一番いいものを、という大手メーカーでは出来ないことに、こだわっている。これが、価格ではないファン層を新たに作っていくのだろう。

先週、あの1月17日がまた巡ってきました。前日の夜、明日は・・・と思いながら床に入ると、当日5:30頃目がさめました。あの5:45がもうすぐだったので、TVを点けてみました。でも全国キー局の番組は、いつもの朝の番組のようでした。もう13年も経ちました。仕方ないことです。ろうそくに火を灯しに行っていた私でさえ、この状態です。
でもその日の夕刊には、神戸を中心にした各地のイベントが伝えられていました。当時小学生だった女の子は、非難した小学校の運動場に作られたお風呂に10日ぶりに入りました。その時やさしく言葉をかけてくれた婦人自衛官に憧れ、自衛官になった。そして新潟での震災活動に応募して、自分が同じ仕事をした。小学校の先生に・・・、・・・、いろんな人が、不幸なあの出来事を前向きに捉え、何かを得て前に進んでいる。
大揺れに襲われて、崩れてきた本などから身体を守るためにとっさに布団を被った。暗闇で、ただ呆然とし、状況を把握しようとした時、長男が「みんな生きてる」と大声で叫んだ。ガラスがたくさん割れ、部屋の中を靴を履かないといけない状況になったけど、家族みんなで手分けして、家や仕事場を片付けた。
家内は、「食事は絶対に全員で食べること」にこだわり、昼食時に一旦みんな自宅に集まった。次男は初日震えが止まらず、数日言葉がほとんど出なかった。母親から離れず、ずっと手をつないでいた。私でさえ、何ヶ月も夜が怖かったし、ちょっとしたことで起きたので、随分と神経を病んだのだろう。商品が散乱した店を「ここもひどいねえ」という言葉とともに店内を覗き込む野次馬さんの目にさらされながら、子供と一緒に片付けた。数日して落ち着いてくると、長男は母校の小学校に避難している人の手伝いに数時間出かけるようになった。
初日にやってきた取引先は1社で、状況を見て次に向かった。電話が通じるようになってから安否を気遣う電話を掛けてきてくれた取引先。当日の午後、やってきた従業員さんは1人だけで、自分の家を最優先にするように言って帰らせた。翌日は任せて、神戸の親戚の安否を確かめに行った。ヨット部の同期が何人も連絡してくれて援助を申し出てくれた。
いろんな事を思い出します。大変な損害だったが、自分がもっとも大切にすべき人がはっきりわかった時でもあった。どんなに時代が変わっても、one of themと違うonly oneが誰なのか、自分にとっての本物は。亡くなった方のご冥福を祈りたいと思います。

2008/1/14
日曜日は、来月の父の一周忌法要の内容を決めるために家内と一緒にうろうろしました。随分前から、日時と自宅法要で決まっていたのですが、参加者が想定以上に多くなり、仏壇のある部屋では無理になり、場所を借りることにしました。
先週、父の葬儀をお願いした中学の同級生がやってる平安祭典に電話で仮予約し、食事もそこでするようにしましたが、お寺さんから「お寺でやりますか?」と提案いただき、お寺の方が雰囲気が出るので、変更しようかな?ということに。
そうすると食事をする場所を確保しなければなりません。来られる方の駐車場の確保もあります。まず平安祭典に行き、費用や内容の説明を受け、次にお寺でする場合を考え、お寺に近い伊丹シティホテルに向かいました。駐車場に車を入れ、徒歩でお寺に向かいます。
生憎お寺さんは留守でしたが、近くの白雪長寿蔵のレストランに寄ってみました。この1年で3人も身内が亡くなっているので、その法事などで会席料理にはちょっと飽きています。小さな子もいるので、少し砕けた料理の方がいいかもしれません。話を聞きながら家内と相談し、法要の時間も駐車場を利用させてくれるようなので、食事はここに決定です。
弟、お寺、平安祭典、ホテルと事後処理でいろいろ電話し、一件落着です。案内状を作成に発送すれば終わりです。家内の母親、弟の嫁さんの父親、父と相次いで亡くなり、法事の梯子になる日もあったこの1年ですが、父の一周忌で一段落です。こちらの方面もかなり詳しくなりました。
自宅に戻り、しばし休憩し、再び映画館に出発です。先月から首を長くして待っていた映画『白銀のシーズン』が土曜日から封切りになりました。まだ20代の頃だったと思いますが、家内と見に行った『私をスキーに連れてって』以来のスキー場を舞台にした私の感性に引っかかる映画です。『海猿』の映画監督と田中麗奈の出る映画だからいいに決まっています。
日曜日の6時からなので、ひょっとしたら混んでるかもと思いましたが、スキーが下火ということもあるのでしょう、いつもの地元映画館の入りで、ゆったり観れました。11月に観た『三丁目の夕日』は、地元で初体験の大入りで、家内と2人で驚きましたが、大阪などの大都会じゃないんだから、地元映画館はこうでなくっちゃね。一番席が埋まっていたのが、席の幅が広く一番観やすい特別料金席でした。他がゆっくり座ってるのに、そこだけ混んでる感じで滑稽でした。スキーに思いいれのある男の子が、奮発して彼女を連れてきたということなのかな?
いい映画でした。最高でした。本編が終わりスクリーンがスタッフのロールをしている時も、誰も席を立とうとしませんでした。皆さんも余韻に浸っていたのでしょう。上映中数度、家内の横顔を盗み見ましたが、スクリーンに見入っていました。場内が明るくなり開口一番が「良かったわ」でした。誘った甲斐がありました。
映画の内容は、町営スキー場が雪の教会を作り、スキー場での結婚式で収入を増やそうとしました。その申し込み第一号カップルの花嫁が、式の3日前にスキー場にやってきました。スキーが全く初めての花嫁と、元ワールドカップ選手だった今では町の厄介者スキーフリークとの物語です。
学生の時知り合った家内を、私がやってたスキーツアーに誘ったのに似ています。そのツアーでは、スタッフからはずれ、私も正規料金を払ってお客さんとして参加しました。運動が今一の初心者の家内を教えました。そのシーズンの最後、どうしてももう一度家内とスキーに行きたくて、パンフレットを持って家内の父親にお願いしに行きました。でも、そのツアーのスタッフに裏工作して、全く別の白馬アルプスホテルにペアで行きました。バスではなく、あえて電車にしました。
昼間はスキー、雰囲気のいいディナー、フロントに案内されていたすぐ横の小さな教会での結婚式に出席し、白一色のウェディングを経験しました。結局実現しませんでしたが、ここで結婚式を挙げようと決めました。
楽しかった数日が終わり、帰りの白馬の駅で電車を待ってる時に見た雪山、駅を吹き渡った一陣の風は、スキーシーズンの終わりを告げていました。
映画を観終わり、車で家に向かっている時、家内に「あの時の小さな教会のことを覚えてる?」と訊いてみました。「白馬アルプスホテル覚えてる?」。運転で横を向けませんでしたので、「覚えてるよ」の言葉だけを聞きましたが、with微笑みで私の方に顔を向けてくれたのかもしれません。やっぱり映画はTVじゃなくて映画館ですね。

2008/1/7
日曜日は、淡路島から西宮までのセーリングでした。土日、初セーリングと新年会を兼ねた淡路島津名港行きを誘われました。土曜日は仕事だったので、日曜日のみ参加することにしました。
この正月、元旦は家内の実家と我が家の墓参り、2日は長男の帰省を待ちながら箱根駅伝に感動。3日は同じく箱根駅伝、午後からはキリスト教式のお客さんの葬儀で賛美歌を歌い、夜は毎年恒例の高校ヨット部同期中心の集まりに参加でした。
長男は、学部同期のお葬式と結婚式・ゴルフと相変わらず忙しくしており、次男は勉強とTV・睡眠の日々で正月を過ごしていました。
6日の日曜日、朝5時に起床です。カッパ・帽子・サングラス・靴をリュックに詰めてバイクで出発です。6時ごろ駅に着くと、いつもならいない自転車預かり所のおじさんがいます。年始だから張り切っているのでしょうか?電車に乗りJR舞子駅まで読書です。今は「スイッチ」という本を読んでいます。
神戸を過ぎ、車窓から海が見え出しました。夜明け前の薄明かりの海です。舞子で下車して、淡路島行き高速バスに乗り換えです。長いエスカレーターに乗り、上空の明石大橋手前のバス停まで上がります。途中で朝のお勤めをこなし、バス停に上がると、ちょうどいい具合に7:15のJRバスがやってきました。この時間帯、津名港を通るバスが1時間に3本ぐらいあります。
このバス停で時間合わせをするのか、5分ぐらい停車していましたが、寒い外で待つ時間がなくて助かりました。バスが出発し、明石大橋を渡り始めました。ちょうど太陽が昇ったところです。きっと大阪と奈良の県境の山から昇っているのでしょうが、もらっているので海上から日が昇っているように見えます。赤い太陽に照らされた海面に海峡を大阪方面に抜けた本船が2隻、いい感じです。リュックからカメラを出してパチリです。ついでに岩屋港もパチリ。
途中数箇所のバス停を通り過ぎて津名港に着きました。高速バスは、普通のバス同様停留所案内の後押しボタンを押すのですが、降りる方がいなくても高速道路脇の停留所側道に入り、何度も降りる方がいないか確かめるのですね。市街地のようにバス停を過ぎても止まることができないからなんでしょうね。
8時前に津名港バス停に着きました。家から2時間です。目の前の港に向かうとすぐにエルシノア号が見えました。もう使っていないかつての定期船発着桟橋にたった1隻係留されています。
すぐにキンノさんに電話を入れましたが、出られません。朝食と昼食を確保しようと道路に出て左右を見ましたが、ちょっと歩かなければお店がありません。コンビニも近所にありそうもないので、かつての連絡船待合所に入ると、バス待ちのお客さんが数名おられ、売店もあります。パンを確保しTVを見ながら朝食です。ついでに種類の違うジャムを2ビン購入しました。毎晩のヨーグルトのお供用です。
8時半になり、今度はトヨゾウさんに電話です。朝食を終え、あと15分ほどで船に来られるようです。いい天気で風はなく、温かくなってきそうです。カッパに着替え靴を替えます。と、先輩方皆さん到着です。
何となく私がステアリング担当で復路出発です。港を出たところで漁船が網を入れています。無風で鏡のような海面です。機走6ノット強で西宮を目指します。往路はGPS指示通りに来ると、淡路島の観音さんより北に着いたようで、それから陸地沿いに南下したそうです。到着後修正したそうです。この船のGPSデータは、私がきちんと入れたはずなのですが、どうも毎回ずれます。真方位と磁気方位の差なんでしょう。その辺を勉強する必要があるようです。
メンバーは、あとシブカワさんとシンタニさん兄弟です。西宮に向けて大体60°方向に進路を取ります。津名からだと、それほど岸から離れず、観音さんまでは岸と平行して進んでいます。はるか前方に漁船が数隻操業しています。近づくと回りの海面にかもめが休んでいます。かもめのいるところに魚がいるのか、漁船がいるところにかもめがやってくるのか、網を引き上げている漁船の網にキラキラ魚が光っています。大漁のようです。
次に、たくさんの黄色ブイに囲まれた海域が正面に見えてきました。結構大きな海面を囲んでいます。どうも大阪方面に向けて広がっているようなので、淡路島寄りに回避します。あとで調べてわかったのですが、海苔養殖いかだが設置されているようです。
明石海峡と大阪の航路に差し掛かると、左右から本船がやってきます。スピードではとてもかなわないので、遠くに相手を視認しながら適当にスピード調節します。航路を渡ると、神戸空港と関西空港を結ぶ連絡船が前方を高速で飛ばしています。このころ、復路の2/3を過ぎて、やっと風が入ってきました。それまでも時々弱いブローが入ってきましたが、北気味の風向なのとすぐに止んでしまうので、ジェノアを展開したりファーリングしたりで今一でした。
安定した気圧配置で天気がいいので、きっと海風が入って来るだろうな予想していましたが、大阪湾の中央を過ぎて、中央から大阪平野に向けた海風が来たようです。機走スピードを落としてスピン展開です。スピンは半年振りです。前回は、8m/sぐらいの風で揚げたのですが、風のパワーに負けて、しっかり展開する前に次のジャイブにビビッてしまい、スピンダウンしていました。今回は、3m/sぐらいのいい感じの風です。
スピンソックスがあれば、ピークとタック・クリューにシートをセットして簡単に上がるのでしょうが、ここはセットミスしないように動作を確認しながらスピンアップです。いつもなら私がバウに行って作業ですが、運よくステアリング担当なので、前で作業する先輩方を尻目に楽をしています。でもワイルドを入れちゃうとブームパンチが危ないので、マストトップの風見を見上げてのステアリングです。
西宮から出てきたクルーザーがかなり前でランニングにしたのですが、スピンに手間取っている間に一気に追い抜きました。結構みなさんご機嫌です。ランニングなので、冬の冷たい風に吹かれないので割合温かいこともあるのでしょう。
スターボでスピンアップしたのですが、どうも西宮港の赤灯台の下を通れそうになくジャイブです。ジャイブは、1年ぶりぐらいでしょう。メインを多少絞ってブームをある程度内側に入れ、メインのジャイブ幅を狭めます。ジャイブ後のスピンポール展開もスムーズでした。西宮港内に入り、スピンダウンです。4〜5m/sに風は上がっていましたが、スムーズに作業できました。エンジンをかけ、船を回して風位に立てメインダウンです。
予備タンクの燃料を入れてしまったので、給油桟橋に着けました。ハーバーの営業はこの日からのようです。予備タンクも含めて46L入りました。2日間で26L。往路は5〜6時間、復路は3時間機走してたので、3L/hぐらいのようです。
バースに回すと、シブカワさんの奥さんがやってきました。迎えに来たのでしょう。そう言えば、復路でシブカワさんが「正月はWiiをやってたのに太った」と言っておられました。Wiiの体重計みたいなのに乗ると体重とかがTV画面に出るそうです。フラフープとかバランス、ボーリングなどをやってたそうです。「スキージャンプなんか結構難しい」とか笑いながら教えてくれました。なんかこの顔で(失礼)Wiiボード上でフラフープしてる姿を想像すると、笑ってしまいます。
船を洗っていると、隣の桟橋のG2に人がいます。他の先輩さん達が新年宴会でもしているようです。ナカムラ艇に行くとカンダ先輩やアミノ君に加え関大OBさんとかが集まって盛り上がっています。「よう来た。まあ食ってけ」。「今年も宜しくお願いします」と答えながら、座ったら最後夜まで帰れなくなるなと思い、復路で食べられなかった自宅から持参したカステラを置いて帰りました。
エ号のくたびれたソファを一点鐘に持って行き、修理見積もりをお願いしました。そんなこんなで、今年の初乗りがお終いになりました。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

Full sail
2006年3月、大学ヨット部を卒業する次男から素晴らしいプレゼントをもらいました。それは、卒業記念誌Full sailに数十ページに渡って書かれた次男の思い出の、プロローグとエピローグに書かれていた言葉です。

1.今、一番言いたいこと
私は最高にラッキーな人間だと思う。父親のおかげで幼い頃からヨットができ、これまた教育熱心な両親のおかげでK大学に入ることができた。この2つが実を結んだ結果として、「K大ヨット部主将」になれた。しかも「第70代」という大きなおまけまでついてきた。
本当に幸せな奴だと自分でも思う。

「環境が人間を作る」とはよく言ったもので、今の自分はまさにこの「K大ヨット部主将」という環境が作ってくれた。自分の考えに過ちがあることを初めて知った。自分の非を認めることを初めてした。初めて、人に本気で教えた。本気で伝えたいと思った。他人の気持ちを理解しようとした。組織を動かすということはこんなにも難しいものか、と初めてわかった。すべてが自分の思い通りになるわけではなかった。自分だけではどうにもならないものの存在を初めて知った。その結果、人生で初めて頼れる仲間・頼るべき仲間ができた。その仲間たちは和気藹々と楽しくやっていて、しかしその真ん中には「全日本インカレ」という共通の目標が芯としてしっかり通っていた。そんな仲間ができた。素晴らしい4年間であった。
この経験は、K大ヨット部があったからこそできたこと。、ヨット部を作り、現在まで熟成させてきた、歴代のヨット部員の方々。そのヨット部をずっと支えてきたOB会の方々。ともに戦ってくれた先輩・同輩・後輩たち。私をここまで育ててくれた両親。この場を借りて感謝の意を表したい。ありがとう。

中略

最後に両親へ。
最後のインカレ予選を見に行っていいかと聞かれたとき、断ってしまったことを今でも悔やんでいます。最終日を前にして、もはや負けることは分かっていたので、最終日だけでもきてもらおうと思いましたが、「今呼んだら、自分の中で負けを覚悟したことになる」という思いから、素直になれませんでした。本当に悔やんでいます。息子の最後の雄姿を見て欲しかったです。今の自分は紛れもなくあなたたちのおかげで成り立っています。今後はどのような夢を追いかけるかわかりませんが、温かく見守って欲しいです。

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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