ウェブマスター日記 July-Dec/2006

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2006/12/31
2006年も終わろうとしています。今年もいろいろあったが、最も考え感じたのは、人の生き方のように思う。私はどうも結果より、そのプロセスに心を動かされるようです。一生懸命だったり、不運で落ち込んでも再び立ち上がり前を向いて歩き始める姿であったりに惹かれる。結果には、結構淡白だと思う。
そう考えると、NHK大河ドラマになるような司馬遼太郎より、藤沢周平の下級武士の心意気により惹かれるのも納得がいく。藤沢周平の描く男、特に武士はいいが、女の方がより凛とした生き方をしている。より即物的で結果重視になり、持っている物の多寡で人をランキング付けする風潮の強まった現代人が、忘れてしまった日本人の美しい心に惹かれているのかもしれない。
今年は、再び新渡戸稲造の「武士道」が売れたようだ。ハリウッド映画「ラストサムライ」で、英国の騎士道に通じる日本の武士道が脚光を浴び、昨年の藤沢周平「蝉しぐれ」も後押ししたのかもしれない。
「武士道」の中で、新渡戸さんは、かつて士にとって最も重んぜられたのは廉恥心であると記している。
『武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり、思想・知識・弁論等知的才能は重んぜられなかった。廉恥心は、少年の教育において養成せれるべき最初の徳の一つであった。虚言遁辞はともに卑怯と看做される』
かつて武士の精神的支柱を支えた考えが、藤沢周平の登場人物の生き方に描かれ、未だに多くの人の心を打つようだ。藤沢作品の映画「武士の一分」が日本アカデミー賞を総なめしたのもうなずける。世知辛い世の中になってきたからこその回帰かもしれない。品性のない勝利、品性のない生き方は、人から共感を得ないし、社会を良い方向に向けないと思う。
今年は、久しぶりに甲子園ボールでKGを応援してきた。残念ながら法政に負けてしまったが、その後神戸新聞の記事を読んでいると、アメリカンのコーチが決戦を前に選手にある詩を披露したと書いてあった。
その一節を読んで驚いた。それは、ヨット部の部訓そのものだったからです。元総監督海徳さんが、ヘルシンキオリンピックの土産として持ち帰ったドイツ人スポーツ哲学者カール・ダイムの著書の一節で、ヨット部のウェブサイトにも載せている。ヨット部の部訓を最後に、今年の日記を締めくくろうと思う。

関西学院大学ヨット部 部訓
如何なる闘いにもたじろぐなかれ
但し偶然の利益には 如何なるものでも騎士的に潔く棄てよ
最強の相手を求め、彼を汝の友とせよ
威張らず,誇りをもって勝て
言い訳をせず品位をもって負けよ 勝利より大切なのはこの態度なのだ
汝を打ち破った者に最初の幸福を
汝が打ち負かした者には最初の感激を与えよ
汝と汝のチームに対して願うべきはただ一つ 常に最善の者が勝つことを
汝の身体と精神をそして心構えを常に清潔に保て
汝自身の汝のクラブのそして汝の国の名誉をけがすなかれ


2006/12/25
日本経済新聞のスポーツ欄の「スポートピア」というコラムに目が止まりました。この日は、Jリーグ千葉GMの祖母井秀隆さんでした。祖母井さんは、現日本代表監督のオシムさんを千葉の監督に引っ張ってきたGMです。
オシムさんの著書でも紹介されており、当時レアルマドリードなどのヨーロッパの大クラブとのオシムさん争奪戦で勝利しました。Jリーグで一番予算の小さな千葉が、何故レアルなどに勝てたかというと、祖母井さんの熱意と行動力でした。オシムさんの自宅などを訪問し、熱心に誘いました。そして、Jリーグ最小予算クラブだからこそ、出来上がった選手を集めることが出来ないからこそ、サラリーの多寡ではなくやりがいで仕事を選択し、実績を残してきたオシム監督に白羽の矢を立てたのでしょう。愛情を持って選手に接するオシム監督だったのでしょう。
オシムさんは、旧ユーゴ出身で、最後のユーゴナショナルチームの監督です。内戦によって、奥さんや子供さんと離れ離れになり、数年間安否もわからない辛い時代をくぐってきました。祖母井さんの熱心さと行動力が、サラリーとは違うところでオシムさんの心を捉えたのだと思います。

『JリーグのJEF市原・千葉に、お世話になって12年が過ぎようとしている。私が10年勤めた大学を退職し、サッカーのプロの世界に飛び込んだのは、ちょうど阪神大震災が関西を襲った年である。実家は全壊し私のアパートも半壊した。この地震によって私が生まれ育った神戸は破壊され、私も知人を失った。
そんな状況下でJEFへ行くのは正直言って相当迷った。プロの世界は厳しく、結果が出なければファン、親会社、そしてメディアからも徹底的にたたかれる、言い訳が通用しない世界である。
妻に相談したら、私の仕事が子供の育成をサポー卜するような内容だったので、すぐに理解してくれた。私はなお複雑な気持ちだったが、未来ある子供たちの役に立てるのならと結局、JEFに行く決心をした。
最近、折に触れて思うのは、今、私たちが生活している環境のことである。私には到底理解できない事件が毎日のように起きている。私にはそれら社会問題が、今日の倫理なき経済競争の所産に思えてならない。ヒューマニズムは脇に置かれ、エゴイズムというか自己中心的な社会に急激に変化し、みんなで助け合って生きてきた時代から個人で生きていかなければならない厳しい時代になってしまった、と。
皮肉なことに、そう思う私が毎日接しているプロの世界とは、勝ち負けだけが問われる無慈悲な競争社会である。勝者のみがたたえられるプロスポーツの風潮は、今の社会の流れを後押ししているのかもしれない。諸般の事情でユース年代の育成から、切った張ったのGM稼業に軸足を移した私には内心、恍恨(じくじ)たる思いもある。
妻がカトリック教徒ということで時々、教会へ行くことがある。どの教会にも、みんなで助け合って生きていこうとする雰囲気がある。多くの人々がいろんな分野に関心を持ち、因つている人たちに温かい事を差し伸べようとしている。
私は今年限りでJEFを去り、フランスのグルノーブルで新しい職に就くことになった。JEFでやり残したと残念に思えるのは、そのような平和的な雰囲気をつくれなかったことである。クラブの強化や運営だけではなく、人としてしなければならないことが何かをスタッフや選手、あるいはファンに対して十分に問いかけられなかったことである。
これから21世紀のスポーツに必要なのも、過激な競争社会から失われつつある人間的な営みをスポーツを通じて取り戻すことだろう。JEFも同様で、やみくもに優勝だけ目指し、人間的な温かさを失うようなことがあれぼ、意味のない活動になってしまう。
最後に、JEFを愛するファンヘ、人に愛されるクラブづくりをサポートしてください。これまで長い間、ありがとう。』

オシムさんの著書では、祖母井さんの熱心さは書いてあったが、本当に心動かされた人間性や雰囲気については、載っていなかった。そういう何かが、このコラムを読んで少し分かった気がした。奥さんがカソリック信者ということで、教会のあの雰囲気も、祖母井さんに影響し、何より奥さん自身が大きな影響を与えているのだろう。
私は、学校に上がる前は、母に手を引かれてカソリック教会に行き、小学校時代は、日曜学校と称するプロテスタント系教会で、礼拝した後友達と遊んでいた。中学はプロテスタント系だったので、毎日礼拝と日曜日には地元の教会に通った。
教会というのは、仏教でも同じなのだろうが、キリスト教の教義を教える場だけではない。地域の集会所なんだと思います。賛美歌を歌い礼拝はするのだが、献金があり、寄付活動のお知らせもある。牧師さんの他に、地域の人の話がある。学校の礼拝では、時々各界の一流の方の話や芸能などがあり、これがとても面白い。
阪神大震災で被災して家を失った親戚のおばさんが、うちに来ずにずっと通っていたカソリックの互助精神に身をゆだね、一信者さんの家に厄介になったのも、カソリックにしっかりしたコミュニティーがあったからだ。今のように健康保険や年金がない時代のより所が、このコミュニティーで、そういう人を助ける行為を是とする精神的基盤がカソリックが提供していたというわけだと思う。
辛い世の中を生きていく中で、教会のコミュニティーに所属することで、心の平安を得ていたのだと思う。
私も祖母井さん同様、このまま競争が讃美される社会が進むと、一部の勝者と多数の敗者の社会になってしまう感じがする。勝者とて、それを維持するために、激烈な競争を続けなければならない。競争から降りれば、それは敗者への道なのだから。「勝ち組負け組」「負け犬」という言葉が堂々とマスコミに登場し、書籍になる、こういう言葉も風潮は好きになれません。高級時計を腕にはめ、自分への褒美にする方には、素直に拍手を送りますし、すごいなと思います。でもそうでない方や辛い生活をしている方を、笑いの種にするのは悲しい。そういう大人の世界が次世代を担う子供に影響し、出来ない子、大多数の子と違う子を笑い、蔑む風潮を作る。ただ1つの面だけでその人をランキングし、上手でない子を叩くことを正当化する。ホームレスの人を集団で暴行する。こういうものは、従来「弱い者いじめ」として、最も軽蔑される行為でした。弱者、目下の者に、強制や強い指示ではなく、信頼と赦しの心で接するKG中学部での教えを強く感じた1年でした。

2006/12/18
日曜日は、甲子園ボールに行ってきました。
5年ぶりにKGが甲子園ボールに駒を進めたので、ヨット部の先輩からの誘いで、総勢11名で行ってきました。キックオフは1時なのですが、10時から前座の中学の試合があります。確か中学部のときも前座で中学の試合があり、出場する友達の応援に行った記憶があります。それから数度、中学の試合から大学の試合まで甲子園にいてた記憶があります。
最近は、「甲子園」はブランドになっていますね。汗と涙・感動を運ぶ高校野球の「夏の甲子園」から、アメリカンフットボールの大学日本一決定戦は老舗ですが、ダイエット甲子園とかお笑い甲子園・・・といっぱい甲子園がついたイベントがあります。
中学の試合から観に行こうと思っていたのですが、なんだかんだ12時に球場入りになってしまいました。KGの校技でもあるアメリカンフットボールは、中学から授業でやるので、下から上がった者には、とてもなじみのあるスポーツです。
甲子園ボールに来ると、KG生の同窓会みたいな所があります。ヨット部のもっと上の先輩方も来ておられたし、席の周りには、KGがたくさんいました。
12時に席につくと、先輩はまだ誰も来ていませんでした。こんなに席は狭かったっけ?ここに来るまで何も持って来るかいろいろ迷いました。先輩からのメールでは、各人担当が割り当てられ、この日和歌山から帰って来るタワさんの干物を当てこんで、アルコール担当・七輪担当・お湯担当・・・アルコールのダメな私は水とお茶担当でした。七輪なんて持ってきて、それで干物を焼く場所なんてあるのか?そんなんスタンドでやってもええのん?大体、スタンドで宴会してどうすんねん?これってマジな話?冗談でしょう?いろいろ考えちゃいました。
最初お湯を入れたエアーポットとスティックコーヒーなどを持って行こうかと思っていましたが、車で行ったら駐車場で困りそうなのでバイクで行くことにして、エアーポットの案を却下しました。寒いという予報なのでカイロと軍手を人数分、途中のコンビニでお茶を数本買ってごまかすことにしました。
まだお客さんがまだらな席につくと、KGチアリーダーさんやアメリカンのマネージャーさんなんかが、KGブルーの応援ハリセンを配っています。「おお〜、こりゃいいな」。試合も楽しみだけど、チアさんを観るのはもっと楽しみだったりします。続々とお客さんが入ってきます。KGの帽子を被っている人、KGシャツを着ている人・・・いいねえ、こういう雰囲気は。年代もバラバラですが、元KG・現KGという一体感があります。プロ野球の観戦とは全く違います。
試合の方は、第1クォーターの最初のプレイで、いきなり法政のランニングバック29番がエンドゾーンまでかけこみました。クォーターバックからもらったRBは、オフタックル付近の穴をつき、KGラインズやラインバッカーが3人ほどタックルしましたが、抜けてしまいました。さらに、KGの攻撃シリーズを挟んで、フォースダウンのキックオフリターンで再び法政29番がエンドゾーンまで行ってしまいました。試合が始まったばかりということもありますが、あの29番は速いし、ステップが巧です。相手チームながら素晴らしいランナーです。
前半2クォーターが終わって、KG2タッチダウン法政4TDの14-28、2TD差です。第2クォーター終了少し前にトイレに行き、ハーフタイムショーに合わせます。マーチングバンド演奏とチアリーダーの演技かな?アメリカンは、さすがにアメリカで育ったスポーツ、このハーフタイムショーがいいです。と、と、ところが、ウルトラマンと何とか星人が出てきて、アメリカンをやってる小学生かな?リボンフットボールが始まりました。昔、日曜日のデパートの屋上でやってた正義の味方が悪を倒す幼稚園の子が喜ぶようなヤツでした。隣のMさんはやじってるし・・・気持ち、ようわかります。後のSさんも、試合中に面白い野次をかましています。ヨット部、おもろいです。
後半戦は、KGのいいリズムで始まり1TD差に、KGの方が部員が多く、法政はレフリータイムアウトで傷んだ選手が出始めました。ハーフタイムでKGはいいミーティングをしたのでしょう。エンジンがかかってきました。追いつくのも時間の問題だなあと思っていたら、カミナリ一発の後試合が中断されました。数十分間の中断後、雨中の決戦になりました。
これでまた流れが変わったようで、2TD差に広がりました。結局最後2点差まで追いつきましたが、最後は法政のニーダウン2回で時間が切れてしまいました。
終わってみれば、KGのフィールドゴール2回失敗、さらにエンドゾーン前での4thダウンギャンブル失敗、それに対し法政FG1回成功の差でした。KGはTD後の2点コンバージョン成功で3点差を2点差にしましたが、1thダウンでいきなり2TD差がついたのであせってしまったのが敗因でした。春の法政戦でボロ負けした所からよく追いつきました。QBサックも両軍2〜3回で同じぐらい、アメリカンで最も重要なラインズもしっかりしていました。両軍ともディフェンスチームに比べてオフェンスチームが強い、点の取り合いで面白い試合でした。
試合後、スタンドを下りると、中学から一緒のヨコタ君やイノウエ君に会いました。そのまま先輩方は忘年会に繰り出して行きました。最後、モリタさんから七輪に乗せる網を持って帰り、船に置いておくように託りました。わざわざ東急ハンズまで七輪を見に行き、奥さんに網を買ってきてもらったそうです。タワさんなどに、「あのメールは冗談やろ、やっぱ。干物も七輪もないのに網だけ持ってきてどうすんねん」とか突っ込まれていましたが、真面目に用意されたモリタさんの性格は好きです。ご近所に座られた方は、ヨット部の野次に、クラブの品位を疑ったかもしれませんが、大多数の方は笑っていたと思います。おもろかったです。来年もアメリカンにはがんばってもらって、甲子園ボール出場をお願いしますわ。

2006/12/11
日曜日は、クルーザーレースがありましたが、私は参加せず、また義理母のお見舞いに行ってきました。家内の実家から荷物を運ぶ用事もあったので、今回は車で向かいました。子供たちの手が離れ、家内と2人で車に乗っていると、子供が生まれる前の時間に逆戻りしたようです。でも会話の内容が、親達の体調の事など大分変わりました。
まずお墓参りです。高速を下りて実家に向かう間にお墓があり便利です。お花やお水の入ったペットボトルを持ち、竹の林を歩いていると、風が強いので、葉っぱの触れ合うカサカサという音と、幹が当たる音かな?ポーンという音も聞こえます。その狭い道を抜けると、古くからある地区の小さな墓地に当たります。
「何か変な音・・・怖いね」と家内が訊くので、竹が当たる音じゃないかなと答えながら、子供と2人で来たことを思い出しました。子供はいろんな悪さをし、世間様から怒られることで、社会を学んでいきます。世間や先生から、しっかり怒られたら、それ以上親が言うことはないですが、怒られもせずペナルティも受けない時があります。
これは十分反省しないといけないなという時、2人でここに来ることにしていました。私は、どうも世間一般から言えば、相当甘い親のようで、子供を叱ったり小言を言うことはまずありません。不得手のようです。「爺ちゃんのとこに行くぞ」って、車で往復3時間かけてここに来ます。手をつないで、懐中電灯を持って、夜中お墓に来て、ただ掃除して、手を合わせるだけですが、とても効き目があったように思います。車で他愛のない話をしていても、何故自分がお墓に行くのか分かっています。子供達も知ってる爺ちゃんの骨が、実際にこのお墓の下にあるというだけで、1人で自分と向き合うことができるのかもしれません。
実際に子供と来たのは、2〜3度だけですが、車を運転できるようになって、夜中に「お墓に行ってくるわ」って1人で出かけたこともあります。「これは反省しなきゃ」と思うことをしでかしたのかもしれません。入学の報告に家族で行ったこともありました。長男は就職が決まった時、1人で爺ちゃんに報告に行ってました。彼女とのデートで墓参りをしたのも聞きました。爺ちゃんの前ではごまかせないし、爺ちゃんに紹介することで正直になれるのかもしれません。
不動で、無言のお墓は、現世に生きる家族の重しやより所なのかもしれないな。自分と向き合う場所なのかも知れません。私は、子供の時から先祖のお墓には幾度も足を運びました。小さな時は、親の真似で手を合わせていただけ、少し大きくなると「アレが欲しい。こうなりたいのでお願いします」という願いになり、最近は「家族無事でありがとうございます」という感謝になりました。
今回は、父も義理母も入院中ですが、「どうか治して下さい」ではなくて、「家族無事でありがとうございます」と手を合わせて心で感謝しました。そのまま、親がいなくなることになっても、きっと同じ感謝の言葉しかお墓の前では浮かばないでしょう。

病院に着き、婆ちゃんに「来たよ」って声をかけると、じっと私を見ながら「あんたんとこも大変やのに悪いねえ」って、うちの父親への心配の言葉が返ってきました。このお母さん、好きなんですよね。家内と知り合ってすぐに実家に行き、お母さんと話して、とても気に入りました。
家内は親から叱られた記憶がないらしいです。いつもニコニコして、でも仕事はしっかり出来て、綺麗にしていようとしてて、家庭に温かさが溢れていました。家内の家が羨ましく思うとともに、家内はきっとうちの家庭もこの雰囲気にしてくれると確信したものです。
病院で婆ちゃんの足をさすりながら、「むくみ、大分引いたねえ。ようなってるねえ」って声をかけると、「足も上がるようになったよ」って、嬉しそうに足を上げてくれました。今、お姉さんが買って来た本読みと百マス計算のドリルを1行するのが日課です。
私は荷物を車に積んで先に家に帰りましたが、遅く帰ってきた家内は、「おかしいのよ。突然2たす2は4、3たす3は6なんて言うの。でもね、2たす3みたいなべつの数字の計算は難しいみたい。それはちょっと難しいわね、近所に住む家内の姉さんが相手の時は、ヒントをくれるのに、って私に言うの、おかしいでしょ」って笑顔で話してくれました。
あまり楽しくない話題も、楽しそうに話す家内を見ながら、また好きになってしまいました。あの母にしてこの娘ありってとこです。がんばり屋さんでやさしい子供にも恵まれ、私はかなり幸せな人生のようです。

家に戻り、玄関のクリスマス電飾スノーマンをゴソゴソ動かしていると、コードがおかしくなりました。これはやってしもたかな?とコンセントを入れると、やっぱり電気がつきません。分解して断線を直していると、すっかり暗くなっていました。改めてスノーマンを現場復帰させ、電飾にスイッチを入れると、ベランダのピカピカも始まりました。道路からそれを見ていると、ちょうど歩いておられたご夫婦が、歩きながらですが、ずっと我が家を見上げてくれていました。
少しは綺麗だなと思ってくれたかな?幸せな気持ちをちょっとお届けできたかな?と思うと、無性に他を観にいきたくなりました。ちょっとだけですが、自分の家もデコレートしようと思うきっかけになったおうちは、去年からもうやっていません。屋根にあがってデコレートしていたお父さんは、病気にでもなったのだろうかと心配ですが、他の定番の家をスクーターで回り、途中で新たなイルミネーションハウスも見つけました。幸せ・優しさ・笑顔・思いやり・温かさ・・・そういうのがその家から夜道に溢れてきているように感じます。
サンタさんはすごいわ。これから何百年も世界一の有名人でありつづけるでしょう。

「34丁目の奇跡」という映画があります。何十年も前にアメリカでヒットしたサンタさんの話ですが、今でも全く色あせません。10年ぐらい前にリメイクされた映画を観ました。そして、こないだこの原作本を見つけ読みました。この季節に最高の本ではないかな。
映画といえば「武士の一分」を観てきました。淡々と書かれているから、かえって心にぐっと来る藤沢周平の短編を、予想通り山田洋二監督が、効果音などで場面を盛り上げ、今一お気に入りというわけには行きませんでしたが、原作のエッセンスである凛とした生き方は十二分に伝わってきて、いい作品でした。今よりずっと建前で生きていた時代、男も女も綺麗な生き方をしていた。かっこいいです。

2006/12/4
日曜日は、近畿北陸プレプレ学生選手権でした。新チームになった秋からの練習成果を計る大会です。このレースを区切りに、オフに入り、後期テストあけから春の練習開始です。
朝、息子の運転で琵琶湖に向かいます。らくちんです。まずは柳ヶ崎YHに寄って、土曜日のレース結果を見ます。立命館の艇庫の2Fから翔史君が声をかけてきます。相変わらず明るい感じのいい青年です。結構風の吹いた土曜日の4レースでは、息子の母校は、3強の一角に食い込んで3位です。フムフムと頭に入れながら、いつものアッパ場所に行ってから、艇庫にテクシーで向かいます。
艇庫では、すでにうちの車にセールや昼ご飯などを積み込んでいます。ヤマハハーバーに向かい、すぐに支援艇の出艇です。8月以来の琵琶湖での学生レース観戦ですが、この日もいい風が入り、2時半までに5レーススタートが出来ました。470は、Ritsが抜けていますが、同・京産・京都は中々の接戦です。最終レース、野田さんが2位をはるかに離してトップを走っていたのにはビックリでしたが、まだまだ来年のインカレ予選まで先は長いです。
この日も女子マネさんが5人も乗っていて、いい感じです。結果なんて考えずに、クラブみんなで盛り上がりましょう。みんなの主体的な気持ちが、結局結果を引っ張ってくるからね。

浜に戻り、琵琶湖ジュニアの艇庫に向かいます。こないだトレーラーを借りたお礼ですが、OPが沖で見えなかったので、練習はお休みかなあと一抹の不安を抱えながら。艇庫の前では、宮本さんが子供達とキャッチボールをしています。艇庫を覗くと、鍋を囲んで親御さんの面々が揃っていました。「ええ時にきはりますなあ〜」って今井さん。西村さんや野田さんもいます。野田さんとは、しばらくぶりかもしれません。お嬢さんのレースをチラッと見に来ることもないし。「お嬢さん速かったですよ」とこの日のレースの様子を話しても、「そうなの」って笑っておられます。
椅子を勧められました。忘年会だそうです。責任者の曽和さんに、車検証を返し、息子はレース本部の方に、私は皆さんの話の輪に入りました。小野村さんはじめ現役の親御さんとも話が出来て、楽しい時間でした。レースの方は、プロテストが数件出ていたので閉会式が6時になり、それからのミーティングだったので、思いの他帰りが遅くなりました。息子は、名古屋に就職した同期のマネさんが応援に来たので、同期4人で飲み会のようで、運転手を失った車を運転して帰ることになりました。
楽しい1日でした。

2006/11/27
日曜日は、朝一に起きて、近所の駅まで原付を走らせました。江ノ島でやってる470全日本に次男が出場しているので、その船の運搬の為です。またまた琵琶湖ジュニアさんにトレーラーを貸してもらい、火曜日の晩から水曜日の朝に掛けて、往路運搬してきました。即新幹線で戻り、昼から仕事をしていました。
東京に住んでいた時は、何度か電車で江ノ島に行きましたが、大阪から江ノ島まで電車で行ったのは初めてかもしれません。新幹線のぞみで品川まで出て、東海道線を名古屋の方に数駅バックして藤沢駅に着きます。ここからは、小田急か江ノ島電鉄に乗り換えて、江ノ島で下りたら、あとは徒歩です。
往路は、小田急を利用したので、日曜日は江ノ電にしました。東京勤務時代に乗った江ノ電は、もった左右に揺れて、線路脇の家がもっと迫っていた印象でしたが、安全面の向上か?乗り心地も良くなっていました。
ちょうど、お揃いのワッペンを貼り、同じパンフレットを持ったウォークラリーの集団さんと一緒になりました。自治体とかが募集したものか、リーダーらしき人が皆さんを束ねている風ではなく、馴染みの数人同士がおしゃべりしながら乗っています。そのお子さんが、1両目の運転席の後に陣取って、運転手さんの動きと前の景色を見ています。
本当は私がその場所で見たかったのですが、かき分けて行くことも出来ず、一番前のドア脇に立って、前方を見ていました。カーブが多く、とても急なので、すぐにブレーキを入れ、できるだけ揺れないように運転していました。途中の無人駅では、ポツンと券売機があるだけで、買わずに道からホームに上がり、電車に乗り込む方もいます。運転手さんが、外に出て、切符を受け取っています。なんか、ほんわかしていい電車です。往路に利用した小田急は、もっとスマートですが、なんか江ノ電の方に惹かれます。江ノ電を選択して正解でした。
江ノ島駅を降り、懐かしい風景を左右に見ながら海まで歩きます。サーフショップ、ウェットスーツでボードを脇に抱えたお兄さん、古着屋さん、喫茶店、今でも需要があるのだろうか下駄屋さん・・・もちろんおみやげ物屋さんも・・・
江ノ島の砂洲の上にかかる橋を渡りながら、キスを狙っているのか?投げ釣りのおじさん。OP集団の練習が遠目に見え、クルーザーが1艇、セールアップ。
土産物屋を覗き、得意の岩のりを1ビン買ってしまいました。江ノ島観音に上がる道を上がりながら、左右のお店を覗きます。孫の手・杖・・・行楽地の定番だなあ。
ハーバーに向かい、2Fの大会事務局に上がりました。白羊商会も変わってないなあ。
トレーラーを点検すると、ラックをやり変えた方が良さそうです。駐車場の土手に上がり、レース海面を見ると、思いっきり遠くにいるようです。双眼鏡で、とか言う距離ではありません。車で寝ているつもりでしたが、ラックの底上げの板を買いに行かなければなりません。
ハーバー事務所でホームセンターの場所を聞くと、詳しく丁寧に教えてくれました。無事買って戻ってくると、駐車場が満車です。前から4台目ぐらいになって満車になったようで、出る車がないと入れません。それでも、後にどんどん並びます。まだましな方です。
やっとこ車を置いて、材木を抱えてトレーラーに戻り、ラックを固縛しているシートを外し、材木をかまそうとしたら、どうやら1人でやるのは無理そうです。ちょうど、そういうタイミングでレース艇がハーバーに上がってきました。次男達を捜しに行くと、船に水を掛けている所でした。
初日からの強風で、振るわなかったそうですが、和歌山での選考会の最終日に吹かれて、他艇に置いていかれた頃に比べると、随分ましになったようです。沈するかも?という場面はなかったようです。平均では9m/sになっているけど、もっとずっと強かったそうです。ブローでは15m/sとかだったのでしょうね。
琵琶湖では、レースが中止になって体験できないレースなので、強風の2日間でうまくなったと感じたそうです。金谷君の艇の方は、数え切れないほど沈したそうです。いい練習になったね。これを肥やしにしたらいいね。
次男は2日間の成績でシルバーフリートになり、後半はフルトラピーズぐらいまでの風だったので、もっと走れたと、悔しそうでしたが、1レースだけダントツで1上を回ったそうです。2回目のクローズレグの選択をミスって大量に抜かれちゃったようですが、楽しい経験が出来たね。2艇のクルーは両方とも1回生なので、彼らは大きなお土産が出来たと思います。
帰りの準備をしていていろんな方に会いました。お子さんのOP練習に来ていた国見さん、470に出ている斎藤さん、川添さんのお母さん。斎藤さん、川添さんは、年取らないね。相変わらずお綺麗でした。選手の方では、松永君、和歌ちゃん、三船さん、市野君、佐藤君・・・。
船の積み込みをしていると、息子の大学ヨット部OBの大小池さんが来られました。横浜在住と言うことですので、近いのですが、OB会のワッペンをつけたジャケットで来られました。最初船のところで息子としゃべっておられたようで、「お父さん、OBさんが来られて、閉会式後に一緒に食事どうかな、って誘ってもらったんやけど、待っててくれる?」。そりゃ、もちろんです。「行っといで」。伝統あるクラブというのは、多くの先輩方の努力があってこそ。父親の私が生まれた頃の卒業生だそうで、ありがたいことです。
「いつも息子がお世話になっています。わざわざ、ありがとうございます」と、挨拶に行くと、今年のOB総会で東京に来た時、ご一緒だった方でした。私までご馳走になっちゃいました。「安くて、腹がいっぱいになるやつ」という注文に、お奨めのシラス丼にしました。その他、シラスのかき揚げと、以下の姿焼き。シラス丼は、めちゃくちゃうまかったです。ご飯にシラスがたっぷり乗っていて、醤油をかけて食べるのですが、みんな「うまい、うまい」の連発です。
「横文字がズラリで・・・、速報をOB会に流すことになってるけど、いいか?それとも後日選手から顛末記が届くということにしとこか」とキャプテンに笑いかけています。「成績は1行で、あとはクルーにレポートA41枚をノルマにして、量で成績をごまかします」って返していました。
最近、470もスナイプも全日本に出るようになって、レベルあがってるなと、成績は別にして、後輩の雄姿を大きな大会で見れるのが嬉しそうです。その気持ち、とてもよく分かります。

帰りの車で、助手席に座っている息子と、いろいろ話しました。伝統のある体育会のクラブって、こういうのが面々と続いているのがいいね。いいクラブにお世話になってるよね。私よりまだ上の甲斐さんが出場していること。息子も、はるかに上の世代の方が出場しているのを見て、驚いたそうです。さすがに往年の切れはありませんが、私が息子の年齢の頃、バリバリにオリンピックを目指して、何度も全日本に勝った方。しかも470の世界選手権を日本人で最初に勝った人。もう伝説になっていてもいい方が、また予選を勝ち抜いて出場している。いいね、こういうの。
息子からは、石川君がどんどんうまくなってるなあ。もう2強と肩を並べるぐらいになってる。今年学連艇で、NTに入ったのはすごいわ。石川君はほんとにすごいけど、息子君だって、2年前の全日本で選考会に残り、さらに選考会では、最終日まで次点の7位だったから、最終日も吹かなかったら、入っていたかも、すごいよ。強風がなければという限定かもしれないけど、ほんまにヨット上手になったと思います。大学1年の市野君がトップを1回引いているのにも驚いていました。
今大会は、風の吹かない琵琶湖がベースの近畿北陸水域の大半の選手はダメでした。強風になれていないし、北風でも琵琶湖以上の波が上がる沖の海面だったからね。でもこういうところが、全日本タイトルを争うにふさわしい海面ですね。また、結局トップ10全員が、OP出身レーサーでした。
月曜日の4時過ぎに琵琶湖の艇庫に着き、朝6時半に自宅に戻りました。とうとう24時間、一睡も出来ずでした。1週間前からの睡眠管理もあり、往路・復路とも1人で運転できました。何とか、選手である息子の疲れを少しでも和らげることができ、我ながらがんばった1週間でした。

2006/11/20
日曜日は、琵琶湖に行ってきました。予定では、先輩がご家族を連れてクルーザーに乗られるので、そっちの手伝いで西宮沖に出るようになっていましたが、日曜日の天気があいにくの予想なのでキャンセルになり、急遽久しぶりに琵琶湖ユースレガッタを見に行く事にしました。
ちょうど次男君が、次の週にある全日本470に向けて練習をするようなので、柳ヶ崎まで乗っけていってもらいました。子供の運転する車に乗るというのは、何か家族の長い歴史を感じます。乗っけてもらえるまで無事大きく育って、ありがたいものです。神様に感謝です。
名神を走り、いつも下りる京都東ICに近づいても左車線に寄る気配がありません。「あれ、左やで?」「え、柳ヶ崎やろ。大津やん」「京都東で下りた方が早いよ」「そうなん?いつも大津やった」。ということで、京都東からのルートを教えながら柳ヶ崎に向かいました。OPの頃から、何度も琵琶湖に連れてきていたけど、隣の席に座っていても、中学生では記憶に残っていないものなんだなあ・・・
途中のコンビニで下ろしてもらい、おにぎりを買ってハーバーに着くと、車があり、クルーの奥村君もいます。3人でトレーラーと車を接続しましたが、ウインカーを出すとけったいなところが点滅したりします。西村さんから、トレーラー側の接続端子をちょっと変えないとあかんなと教えてもらいました。弱小チームだったOP時代から、琵琶湖のお父さん方にはお世話になりっぱなしです。今井さんなんかに、次男含めて、うちのクラブの子達が海上で熱心に教えてもらったことを思い出します。
琵琶湖さんが、なんでも懐深く指導してもらった結果が、今のクラブの原点であるし、次男達がこれだけ長くヨットを楽しめることに繋がっているように思います。感謝、感謝です。
松永さんなどと話しているところに田中さんから、「船に乗ります?」ってお誘いです。予定では、陸上に残るいろんなクラブの親御さんとしゃべっていようかなと思っていましたが、「乗せてくれます?」って口が勝手に動いてしまいました。我ながらレースが好きだなあと思います。
レースの方は、航輝君や優希さんの2次選考会出場組は、しっかり風を読み走っています。優希さんは、まだ6年生で、しかもヨットに乗り始めたのが、確か5年生だったはずなのに、長足の進歩です。選考会の風の具合にもよるけど、来年いきなりナショナルチーム入りもあるなあと思いました。とても頭がいいのでしょう。
Aクラスと同時スタートのBクラスでは、健太君が最初のレースの第一マークで、Bクラスの中でトップ回航です。1艇だけAクラスの上位艇に食い込んでいます。何となく航輝君の近くで、航輝君がタックするとタックしていたので、今回はそういう作戦なのか?なんて思いました。ただ、次のレースでは、スタート前まで横にいたのに、スタート直前速い子達が上突破していき、一気に航輝君と離れてしまいました。いろんな経験を積んで学んでいったらいいね。
次のレースでは、壮一朗君が、Bクラスの1番で上マークを回航です。壮一郎君は全4レースとも安定して走っており、Bクラスで3番になり、表彰状をもらいました。よかったね。聞くところによると、初めての表彰状かもしれず、お父さんに「良かったね」と言ったら、ご満悦でした。
2日間のレースだったのですが、土曜日は風がなくノーレースだったそうです。航輝君は、土曜日学校で日曜日だけの参加でしたが、ラッキーな天候もあり優勝してしまいました。これな、同年代の子達から、「おまえなあ〜」とか、「せこ〜」とか言われてネタにされるね。そう言えば、次男がOPやってた頃、同じ状況で日曜日だけ参加だったのですが、風がなく海上で他クラブのみんなとふざけあって、暑くて脱いでいたセーリンググローブを沈めてしまっただけのレースがありました。まあ、いろんなことがあります。
レースが終わり陸に戻ると、次男君が奥村君と村山さんで、船の整備をしています。「まだ出てないねん」って笑っています。とっくに沖に出て練習をしているものとばかり思っていました。新しいマストに換えたそうです。
ジュニアの親御さんに、次男がいることを伝えると、「似てるなあって思ってました」という返事が返ってきました。そうか、似てるのか。なんかいいね。次男は、健太君ら小3・4年の兵庫ジュニアBチームを見て、「小っけえ、かわいいなあ」なんてニコニコしていましたが、次男は小6まで学年一のチビだったので、多分もっと小さなレーサーだったよね。小さな子が、一人前の綺麗なドライにライジャケで身を包み、かっこいいおチビさんに見えたのでしょう。
帰りは、無料駐車場への道の途中に出来た来来亭で、小巻さんとラーメンを食べました。昼から雨が降り、寒いコンディションだったので、熱いラーメンは、最高のご馳走です。小巻さんに家まで送ってもらい、ついてた1日でした。

2006/11/13
昨日はエ号の初レースだったけど、私はお休みです。
義理母の入院している病院に家内と2人で出かけました。JR新快速で加古川まで行き、そこからタクシーです。2人だけで電車に乗るなんてほんとに久しぶりです。ひょっとすると新婚以来かもしれません。
家内はそのまま残りましたが、私はそれから琵琶湖まで足を伸ばしました。借りることになるかもしれないトレーラーの確認です。JR宝殿から加古川に出て、新快速で一気に京都から山科まで、湖西線に乗り換えて西大津です。1時過ぎに柳ヶ崎YHに入ると、今井さんや西村さんがジュニアの練習にちょうど出艇するところです。トレーラーに関するレクチャーをいろいろ伺いました。相変わらず熱心です。
曽和さんや、今度次男が船を借りる京都の村山さんと話して、470全日本の遠征についてキャプテンと話すために京都の艇庫に回ります。琵琶湖マリーナの草レースの日で、レースはもう終了していますが、その後も熱心に練習しているようで、まだ上がってきません。新チームになって初めてミーティングに参加しましたが、がんばってるようです。まずは12月のプレプレ目指して練習です。
日が暮れて、西大津まで歩くのは、ちょいと寂しいものがありますが、電車は楽です。本を読みながら、まぶたが重くなれば寝て・・・電車はいいね。

最近、学校でのいじめ問題がクローズアップされています。朝日新聞の「いじめられている君へ」というコラムに、あさのあつこさんが寄稿していました。あさのあつこさんは、『バッテリー』の作家です。

お題は、『生きていれば必ず、だれかの支えになる』
『「おれはおまえの文章が好きだ。才能があるぞ」。中学校のとき、先生は私の作文をそんなふうにほめてくれました。作文の内容は忘れましたが、先生の言葉の内容だけはよく覚えています。何となく「もの書き」になりたいと思っていた私は、夢を捨てなくていいんだ」と、自信を持つことができました。
そのころの私は、勉強も運動も真ん中の下くらい。「ほかの人とちがう人でありたい」と考えているのに、「ちがいを出すにはどうすればいいの」と迷っていました。「あまりちがいすぎてもこわいな」とも思っていて、「だれか答えを教えて」という気持ちでした。先生がほめてくれたのは、そんなときです。もし前日に私がいなくなっていたら、こんなすばらしい瞬間に出会えませんでした。こうした瞬間が来るのは明日かもしれないし、10年後かもしれません。でも、君たちより何十年も長く生きてきた大人として、これだけは言えます。「すばらしい瞬間は必ず来ます」
中学野球が舞台の小説「バッテリー」を読んだ若者から手紙をたくさん受け取りました。「元気が出た」「明日、学校へ行ってみます」。「自分がだれかを支えている」と、とてもほこらしく感じました。「もし、私がいなかったら、その人を元気づけるものが一つ減っていた」と。
人は生きていれば必ず、だれかに支えられるだけでなく、だれかを支えています。もし、あなたがいなくなれば、あなたに支えられるはずだった大勢の人を悲しませることになるのですから。』

これを読んで、市川拓司さんの『もう一つの恋愛写真』の中で語られていた、「あなたは、誰かの幸せを握っている」という意味の言葉を思い出しました。
『神様は、世の中に必要な人にしか生を与えません。みんな、何かの使命を帯びて生まれてきています』これは、私が中学で学び救われた言葉ですが、自分がつまらない人間に思えても、誰かがあなたを好きになる。誰かが、あなたのそばにいることで幸せになる。あなたは、誰かの幸せを握っていることも忘れないで欲しいです。

最近の学校のいじめ報道を聞きながら、おかしいなと思うところがあります。いじめられている子といじめている子がいたら、どっちが悪いのだろう?いじめている方が悪いと私は思う。でも、いじめられている方が学校に行けなくなり、いじめている方がそのまま同じ学校に通っている。これって、なんかおかしくないかなあ?
犯罪があったら、加害者を除外するのが普通で、被害者を除外することなんておかしい。いじめている子はほんの一握りの生徒で、ほとんどの子は、いやだなあと思っていたり、注意したいけど出来ない子じゃないかな。見てみぬ振りをする子を責められません。
いじめている子を除外すれば、いじめられている子はそのままその学校で、普通に勉強が受けられる。学校のいじめから転校し、そこではいじめなどなく、普通に卒業したという人もいます。ということは、その子に社会的に適応できないような瑕疵はなかったのではないか。数人のいじめる子がいたのが原因で、転校せざるおえなかっただけ。
なんで、被害者やその家族が苦しみ、余計な事をしなければならないの?加害者が、その罰として、転校などするのが、普通じゃないかなあ・・・
学校側の対応を聞いていると、「気づいてやれなかった」「保護できなかった」というのが時々出る。被害者を保護する必要なんてないんじゃないのかな?加害者のリーダーを転校処分にしたり、悪質グループがいるなら、それぞれを別の学校に転校させればいい。そのために通学が遠くなったりするのは、罪に対する罰として当然だと思う。
いじめをした生徒がそのままその学校にいれば、「いじめが罪だ」というメッセージを、生徒に送っていないのと同じことになるんじゃないかな。行動が伴わない言葉だけの注意では、伝わらないと思う。全校生徒を集めて、いじめの話をするより、いじめた子を近隣の学校に転校させる方が、ずっと生徒に伝わります。
幾度かの警告を発してなお、いじめを止めないようなら、いじめる方を除外するのがいいと思う。いじめられた子が、フリースクールなんかに行ってるのを見ると、いじめられる方が悪いような印象を受ける。これは教育になってないと思うのですが。
教育と言うのは、知識も大事だけど、それを使う心の方がもっと大事です。技術は、常に諸刃の刃を持っている。原子力は、発電にも使えるが、爆弾にもなる。原子力が悪いのではなくて、それを使う人の心の問題です。その心を教えるのが学校だと思う。学校が知識の習得に偏重してしまえば、塾と一緒です。知識と心、どっちが大事かというと、私は心の方がずっと大事だと思う。

2006/11/6
海遊館クルージング。

2006/10/30
日曜日は、義理母が体調を崩し入院したので、実家近くの病院にお見舞いです。先週はウメさんのお見舞いにも行ったし、最近病院づいています。家内と次男、それに私の3人で行ってきました。早くに用意を終え、車にガソリンを入れ、自宅横に停めてスタンバイして、TVを見ながら2人の用意を待っていました。
最近話題になっている高校生の履修単位不備のことを取り上げていました。そこにちょうど次男が風呂から出てきたので、訊いてみました。ごく普通に習ったそうです。必修の世界史と、日本史と地理はどちらか選択だったそうです。範囲は広いが、しっかり勉強すれば100点が取れる世界史か、常識で多少点数が取れる地理か日本史か、何で大学受験するかです。でもこれは、センターテストだけのことで、個別大学で課せられる2次テストでは、センターテストでは選択しなかった他の科目を受験しなけなければならなかったりするそうです。
ニュースによると、選択ではない必須の世界史を、学校主導で履修しなかったと言っていたので、なんかおかしな感じがしました。なんか生徒の興味、可能性や進路を狭めているように思うのだが・・・
次男が運転で、家内が助手席、私が後で出発です。中国縦貫に乗り、途中で山陽道に入るのですが、後で室内にあった地図などを見ていたら、その分岐を過ぎてしまったようで、三木・加古川インターチェンジの表示が・・・あれれ?・・・「おお、すまん。言うの忘れたわ。道路は間違える方が、よう覚えられるし」なんて、次男に言いましたが、みんな「仕方ないね」みたいな感じです。誰も責めずに、次どうしようかという風になる我が家の雰囲気は中々いいです。仕方ないので福崎まで行き、播但道で姫路方面に、そして姫路から山陽道を逆から乗り、加古川北までというルートになりました。家内は、先週長男と来た時も、同じく山陽道ジャンクションでミスしたようで、同じルートだったそうです。
長男から「山陽道やったっけ?」と訊かれたそうですが、「違うんじゃない?」なんて答えてしまって間違い、長男がリカバリーしたそうです。小1から地図の読めない母親に代わって、助手席で私のサポートをしたのは何故か分かったことでしょう。「これからは、母親に地図の事を訊いてもあかんなあ」と悟ったことだと思います。

まずお墓に寄りました。前回のお墓参りの時、ちょうど日本にいなかった次男は、久しぶりのようです。いつものように、うちの墓の後、戦没者の墓に線香をあげました。この若くして亡くなってしまった方の墓碑が、このお墓の中で一番立派です。親御さんが、子の無念や家族の無念を思う気持ちが現れているように思います。「戦争はあかんわ」
続いて病院に。義理母は、思ったより元気で、あれこれ良くしゃべります。次男君が、浮腫んだ足をさすって、それが引いて嬉しそうです。ベッドで洗髪し、顔や髪の毛のお手入れを手伝います。ちょっと熱があるようで、ベッドから離れないように用心しているようです。髪の毛をとかしている次男が楽しそうですが、婆ちゃんから分け目の位置にダメ出しされて、自分で分け始めたばあちゃんに「ここで、こう分けるといいのよ・・・」みたいなことを言われていました。
病院を退院すると、お姉さんの家に同居するようで、その片づけを手伝おうと電話をしましたが、家がてんやわんやなようで、今日手伝えることはないようです。婆ちゃんに昼食が運ばれてきて、次男と2人で外に食事に出ました。戻って家内と交代する予定でしたが、婆ちゃんが寝てしまったので、次男と帰宅することになりました。
次男は、来月の全日本に向けて、ワカちゃんに電話しています。使う船のガスケットが取れていて、それを修理したが、うまくいかず教えてもらっているようです。

自宅に戻るとまだ2時半です。エ号が出場している西宮のお遊びレースのクロージングには間に合うかもと思いましたが、船には誰もいませんでした。先週やりかけていた地図の整理をして、フローティングヨットショーがらみのイベントやお店を覗いて、芦屋に回ることにしました。皆さん、来週からの全日本や、アセアン選手権出場の準備をしています。新しくジュニアに入った新人君親子もいます。ちょうど清風の顧問先生が通りかかったので、インターハイや国体での活躍の話が出来ました。
帰宅後、こんどは映画です。市川拓司さん原作の映画で、どうしても観たいのが、土曜日から始まっています。この映画、すごく良かったです。原作の雰囲気が崩されておらず、素敵に仕上がっています。ラバーズの2人で観ると、更に気持ちが深まるでしょう。映画が終わり、主題歌と共にキャストのテロップが流れますが、このときにお客さんの反応が一番良く現れます。テロップが流れ出すとすぐに席を立つ人の多い映画は採点が低いです。でもこの日のように、テロップが終わり、劇場が明るくなるまで人が立たない映画は高得点です。エピローグの余韻に十分浸って家路につきました。市川さんのは、メロドラマやドロドロした愛憎劇になりがちなシチュエーションでも、さりげなく微笑みで処理されるので、心に温かさを運んでくれます。登場人物みんながいい人っていうのが結構好きです。「魔女の宅急便」「紅の豚」「Drスランプあられちゃん」・・・明日も笑顔でがんばろうという気持ちになります。
この日は盛りだくさんでした。これだけ、あっちこっちの日も少ないです。

2006/10/23
日曜日は、ドラゴンのエクステンションの事で浜に行ってきました。エクステンションとティラーとの間の遊びが気になっていたので、遊びのないものに交換しようとシブカワオーナーに連絡しました。新しく手に入れたエクステンションをティラーに合わせてみようと、持っていったのですが、ビスのピッチが同じで新たに穴を開けたりすることがないので、オーナーに了解を得ずにその場で交換しました。次シブカワさんが握って判断が下るでしょう。
エ号の救命浮環も手に入れました。ちゃんとしたものが備わっているのですが、それをスタンションなどに固定したり、長いシートの収納もまとまりがないので、面倒で使わないままになっています。まあ、荒天の時は船を出さないでしょうから、それでも大丈夫と言えば大丈夫ですが、ちょっとした風でも落ちる時は落ちるので、いつもスターンにスタンバイされているにこしたことはありません。そこで、簡単に取り付けが出来、シートがコンパクトにバッグに収納されているものを手に入れました。それを持って船に行き、オーナーズチェアにセットすると、いい感じです。これなら、着脱が簡単なので、出艇時にいつもセットして出かけられます。
ちょうどこの日は、ハーバーでフローティング・ボートショーが開催されていました。売店には興味があったが、船の方がヨットはなくモーターボートばかりのようだったので、ジュニアの方に伺うことにしました。
陸置きバースに大きな船が上架されていました。でかいなあと見ていると、ウィットブレッドのステッカーがスターンに貼ってあります。ウィットブレッドは世界1周レースなので、少し前のレースに参加した艇でしょう。横にはワゴンが停めてあり、外人さんが2人と、業者さん風の日本人が1人、キールやボトムを磨いています。ちょっとくたびれ気味ですが、でかいです。W60艇だったと思うので60フィートあるのでしょう。マストは35mを越えそうです。一度間近でセーリングを見てみたいです。ヨットとは思えないスピードでかっ飛びそうです。
兵庫ジュニアに顔を出すと、お母さん方が子ども達の帰りを待っています。みんなが帰って来て、ごちゃごちゃしていると、午後はみんなと一緒に沖に行くことになりました。風がそれほど吹いていなく、初心者のクラブ員がこの日はいないので、全員で沖です。そうそう、OPに試乗の子はいました。この日は2組だそうで、さらにクラブ員が増えそうです。
この日は、本部船ベラノに乗りました。2週間後に全日本なので、いつものゴムではなくて、ベラノでフラッグも使ったレース練習です。風があまりないこともあり、ショートコースです。3分間隔で3回連続スタート練習をして、3回目はI旗でレース練習に入ります。タナカさんを頭に、私が時計とホーン係で、エリちゃんがフラッグ係です。3分間隔なので、1分ごとにフラッグの上げ下げがあり、しかもスタートの時は、X旗や第一代表旗も使います。大人でも結構大変なのに、エリちゃんはバッチリです。フラッグを間違うこともなく、私の秒読みがおろそかになると時計の事も気になってこっちを見ます。そのおかげで、私の時計も大きなミスなく出来ましたが、エリちゃんはかなり優秀です。まだ4年生だったと思うが、タナカさんもフラッグをサポートするそぶりがないので、信頼されているなあと思いました。まだヨット始めて1年ぐらいなのに・・・すごいです。
この日は、B&G財団から視察が見えました。5人来られていたかな?ニシオさんがドライブして接待していましたが、ビデオやカメラに練習の様子が収められていました。今後とも、よろしくお願いします。北の海面では、A級西日本選手権をやっていました。20艇は集まっていたでしょうか、相変わらず盛会です。
練習の方は、4時の終了までみっちりでした。小学生下級生チームは、後半に向けてまぶたが重くなっていきます。最後3時半を回って、4m/sぐらいの風が出てきて、ちょっとシャキッとしたかな?曳航でハーバーバックです。6艇ほどつないで帰りましたが後ろはチビッコで、ブームを持ってウインドのようにしたりして遊んでいます。ドライバーのウチダさんが、後に見ながらスピードを落としたりしていました。曳航中に沈したらヒンシュクだし、他の船にもダメージもあるので、立った時には、さすがに注意されていましたが、こんな遊びの中から船の動きを体が覚えるので、あれもダメこれもダメでは、1つ上のランクにいけません。親のさりげないサポートがみんなを上達させます。小さな子は、無邪気でかわいいですが、どうも孫を見る視線になっているのではと思えていけません。

2006/10/16
日曜日は、ドラゴンの全日本でした。土日の2日間でしたが、私は日曜日だけの参加です。朝桟橋に着き、前日の結果を聞きましたが、風がなくてレースが出来なかったようです。朝から、北のいい風が入っています。このまま風が続いてくれるとありがたいです。私たちはまだいいですが、関東から遠征してきているチームもいるのでね。
シブカワさんがヒライさんの船に助っ人に行かれました。昨年の全日本チャンピオンのヒライさん艇ヘルムスのイトウ君が仕事のようで不参加です。トヨゾウさん・シンタニさん、そして私という初めての組み合わせでレースに臨みました。予定は2レースでしたが、昨日できなかったので4レースになりました。結果は7位。前を走ることも後ろの時もありましたが、全体的に言えることは、クローズののぼり角度とフリーのスピードです。私がメインの形状を風に合わせてうまくコントロールできていないので、クローズでのぼりが良くない感じがする。セールはいいのだからもっとスピードが上がらないといけないと思う。バング・カニンガム・アウトホールのコントロールに気にした方がいいのだろう。フリーでいつも抜かれるのも痛いです。ジャイブポイントが大切だと思うのですが、タック同様トラブルが気になって積極的にタックを変えるコールが出来ないでいます。今回も1レグ半も提灯スピンで上げたり下げたりになってしまいました。ジャイブ後にデッドで走りスピンがつぶれて巻いてしまったのかなあと思います。470の経験では、提灯の原因の大半は、次のアフターガイを前に飛ばしてしまったか、デッドで走ってスピンに風が入らなかったのが原因です。
クローズで順位が上がったり追いつくことが多かったので、クローズのコースはまあまあだったように思う。もう少しボートスピードを上げられれば、楽なレース展開ができるのだろうが、まあ練習不足ですね。結局8m/sぐらいまで風があがり、ブローが左右から入る楽しいレースでした。一緒に乗っている先輩方が気のいい方ばかりなので、楽しく休日が過ごせありがたいです。
ハーバーに戻って船の片づけをしていると、ナガホリ君がアオヤマさんの艇に乗って解装しています。遠征して来ていたようです。西宮への遠征は、マッチレース等で多いのだろうが、ドラゴンクラスには関東で乗っていたのかな?

2006/10/9
日曜日は、ドラゴンの整備です。
月曜日まで国体が開催されており、ハーバーは混んでいるでしょう。次男君が、朝国体に寄ってから琵琶湖に練習に行くそうなので、ハーバーのメンバーカードを渡しました。これがないと、駐車場の入場制限にかかり、遠くの駐車場にしか入れません。
ドラゴンのオーニングを外し、選手のバースに戻り、次男と落ち合いカードを受け取りました。次男は知り合いの選手と親しく話しています。同世代のヨット仲間がたくさん、各県の代表で遠くから集まってきているので、久しぶりの交友をしているのかもしれません。
向こうから、ヒデキ君が歩いてきます。土曜日は、強いブローが入ったようで、「沈しまくった」なんて言っています。OP時代の面影を残しながら大きくなった子達が、そこここにいて何やら懐かしいです。
ヒキタさんがやってきます。続いてヤスダさんも。お子さんがシングルハンドで、しっかり走っています。ウダウダ話しているところが、ちょうど長崎のバースだったようでミシマさんが話しに加わります。ハーバー職員から、県職員を経て、今は高校の先生をしているそうです。OP上がりの子達が、ミシマさんを慕って高校に集まり、その子達の多くが国体に出ています。OPの現役の子達を数人連れてきており、次の世代も育てています。ミシマさんがいる限り、長崎のヨットは強力でしょう。
午前中のレースに向けて、陸上フラッグがホーンを伴って次々揚がります。セールを上げて、レース艇が出て行きます。緊張している顔はなく、笑顔の子が多いです。インカレやインターハイ、全日本と違って、国体は随分和やかです。
係留艇に行こうと桟橋を歩いていると、ヨシダさん一家がやってきます。コウサク君の応援でタナカさんの船に乗るようです。家族で応援、こういうのっていいですね。船に近所の寄港地の地図を入れて、タナカ艇に行くと、ミサキちゃんがサビキでいわしを大量に釣り上げています。コウキ君も釣りをしていますが、ルアーのようでこちらはあまり釣れていないようです。おじいちゃんの船に、家族で乗って、こちらもいいです。
ドラゴンに戻って、整備開始です。ニューセールのバテンがどこかにいってしまったので、バテンポケットに合わせて製作です。船底磨きと、ジブファーラーの整備もします。前回のレースで、ファーラーを開放したのに、自動的にジブが巻いてきて、へんてこなジブタック・ラフの形になってしまい、とても気になりました。
私の担当は、電動排水システムの整備です。ヒライさんが、いいものを取り付けてくれましたが、狭い船底を通るホースがカーブで折れてしまい、今一信頼性に欠けます。ヒライさんから前回、整備するところのブリーフィングを受けました。ホームセンターに、ホースとバッテリーチャージャーを買いに行き、船底のポンプの位置を付け替え、いい感じにホースが折れなくなりました。船底の蓋を開けたり閉めたり、暗いところを覗き込んで、ガサゴソ・ガサゴソ。最後水を入れて、ポンプのスイッチON。電動音が鳴り、スターンから勢いよく水が出ます。これで波をすくっても、手動で「うんしょ、うんしょ」しなくても自動排水しそうです。体力に自信のないおじさん達には、こういうのがとても大切です。ドラゴンフリートには、このシステムが、急速に広がっています。整備も済んだし、来週の全日本はちょっとがんばらなあきません。
隣では、サワダ君も整備しています。メンハリに釣り上げられて、マストを登っています。スピンハリのシート皮が抜けたようです。確か昨年の全日本でも、スピンハリトラブルで、夜マストを倒して整備していたような・・・お祭前の儀式でしょうか?
整備していると、国体のマーク回航順位トップ10がアナウンスが流れてきます。「28番、兵庫県」というのがよく聞かれます。地元の国体で、みんなよく走っているようです。3日間終えて、兵庫ジュニア上がりの少年男子FJ級とシングルハンド級、両方でトップ。成年女子SSで2位、シングルハンドでも入賞圏内と、クラブの力が爆発しています。
大昔、国体選手だった時の事を思い出します。県の選手テントで、自分が出場しない時間、他クラスの回航順位で「28番」とアナウンスされると、みんなで盛り上がりました。懐かしい思い出です。
そうそう、昼食でセンターハウスに行くと、SPさんが耳にマイクを入れてあちこちに立っていました。皇室の方が来るようです。大会委員長のカワセさんが、競技の説明などで応対するのでしょう。この日は緊張しまくりの1日なんだろうなあ。
最後、シブカワさんから、カキをもらって解散です。帰りに、国体特設売店の方に行ってみると、ステージが設けられています。月曜日には、ここで表彰式が行われるのでしょう。一番高いところに兵庫県の選手が上がれるといいけど・・・

2006/10/2
日曜日は、次男の1年後輩の今年卒業したヨット部員と一緒に、セーリングクルーザーに乗りました。選手5名と、去年卒業したマネージャーのジュン子さんがやってきました。このマネージャーさんは、次男と同じ学年ですが、去年のこのイベントに参加できませんでした。今年も艇庫に応援に来てくれていて、何かしてあげたいなと思っていたので、今年は参加出来てよかったです。
長男は自宅から大学にも通いましたが、次男は下宿生になりました。彼はマメなので、それほど心配ではありませんでしたが、時間のリズムと食生活には、心配がないと言えばうそになります。何処でもいいから、しっかりしたクラブに入ればいいがなあと思っていたら、ヨット部と縁があり、規則正しい生活と、合宿所でもごく普通の食生活を得ることができました。彼女達には、感謝感謝です。
さて、この日はあいにくの空模様です。前日の天気予報では、午後から小雨が降るということでした。朝船に行き、エンジンをかけると1発でかかります。最近ほんと調子がいいです。予備タンクから燃料を入れ、空っぽになった予備タンクを満たしにGSに行きます。浜に一番近いGSはセルフGSです。最近このタイプが増えましたが、「いらっしゃ〜い」で始まる会話がないので、あまり好きではありません。でも仕方ありませんね。黙々と機械から発せられる綺麗な女性の音声案内に従って操作します。やっぱり、声の主と相対して操作したいです。
ホームポートでは、4日から国体ヨット競技が始まります。駐車場にテントが張られて、各所にガードマンが立っています。船に戻って、GPSに目的地の緯度経度を打ち込み、待ち合わせのセンターハウス前に移動します。「ひょっとすると、駐車場制限されているかなあ」と思い、駐車場入口に移動すると、「メンバーカードの提示をお願いします」とガードマンさんが、入ろうとする車みんなに声をかけています。どうやら彼らはこれにすでにかかってしまった様で、遠くの臨時駐車場の方に移動中のようです。もっと早く私がここに来ていれば、メンバーカードを提示できたのになあ・・・まあ仕方ないです。
ちょっと遅れて10時出艇になりました。北東のいい風が吹いています。ハーバー前でセールアップです。淡路島目指して、ランニングで西宮港の赤灯台を越えます。大きなセーリングボートでの帆走は、みんな初めてのようで、ディンギーとは違うヨットを楽しんでくれているようです。神戸沖の埋立地を越え、神戸空港への連絡橋の下をくぐります。この船は34フィートなので約10m、黄金比を計算するとマストの高さは13〜14m。桁下20mと表示されている中央部の下をくぐるのでぶつかるはずはないのですが、この下を通る時は毎回ちょっと不安が過ぎります。学生達からも、「え〜大丈夫?」「ちょっと、ちょっと」と橋を見上げながら、いろんな声が上がります。マストトップが橋の下に入ると、「大丈夫そう」などの安堵の声。空港の船着場からは、関空行きの連絡船が出て行きます。カタマランで速そうです。
空港島を通り過ぎ、一路淡路島へ。いつもなら明石大橋や島が見えているのに、この日は天気が悪く、そちらはもやの向こうです。交代でヘルムスしている横で、何かあったらすぐにサポートできるようにオーナーズチェアで、みんなといろんな話をします。オンザロックが一番危険なので、水深計には注意しておくこと。GPSデータを見て、進路をそれに合わせていれば、目的地に行けること。もちろんトイレの使い方の実演。それから、学生全日本個人選に2艇出場したスナイプの話。近畿北陸ブロックで、個人上位6艇に2艇も入るなんてすごいことです。いい練習をした結果です。アツシ君は、学連委員長という職にありながらなので、ほんとにすごいなあと思います。シングルを3本、着順3位(1上2位)もとったそうで、いい記念ですね。「オーバーとちゃうかったら1上トップだったかも?」に、「そりゃ2人ともドキドキしたやろ」と返しておきました。どこか冷静さがなくなるんですね。マーク際ショートで2タックしてしまったそうです。
朝からポツポツ降っていましたが、天気予報より早く崩れてきました。予報では午後3時で降水量1mmでしたが、お昼にはカッパが必要になってきました。明石海峡大橋、その近くの潮目で釣りをする乗合船の集団が見えてきます。夢舞台のウェスティングホテル、淡路観音も見えてきます。しかしここで既に12時です。「こりゃ、淡路上陸は無理かもなあ」。翼港なら寄れそうだけど、あと2km南の浦港まではちょっと・・・。
最初翼港寄港予定でしたが、国体の準備でこの日は入港できません。浦港入口の魚網を避けて白灯台前から帰路につきました。のぼりの帆走を楽しもうと思いましたが、淡路島に近づきすぎて、帰路の日没が気になります。風向が変わらず、真っ直ぐ上が西宮です。ここから帆走では時間がかかりすぎます。機走で神戸空港沖まで稼ぐことにしました。2〜3発大きな波を叩くと、止まるぐらいに速度が落ちます。みんな船酔いもせず楽しそうにおしゃべりをしています。「雨さえ降っていなければなあ」と思うのですが、風があるから上出来と思わなければね。神戸空港横まで上ってきました。行きに離陸便を2機見て、ちょうど海上の浸入灯付近を航行中、ユキナガさんが「あれ、なんですか?」見ると着陸機のライトです。海上着陸灯が誘導点滅している方角に向かって機首を下げてきます。ちょうど誘導灯の横にいたので、真上を空港に降りていきました。
大分機走で稼いだので、ここからは帆走です。1ポイントリーフで、ジェノアも半分ぐらいにします。クルーザーは初めてでも、ヨット部員なので、指示をすぐに分かってくれます。クローズに入り、ディンギーではキャプサイスの危険たっぷりのヒールが入り、「うわ〜」「ゆるめろ〜」「大丈夫か〜」と、いろんな歓声があがります。セーリングに入ると、雨が上がり写真日和とは言えませんが、いい感じで写真が写せるようになってきました。最初はアツシ君がステアリングですが、どうもヒールに怖がって上りすぎのようです。「ジブに裏風入ってるよ」。ユキさんにヘルムスを交代です。「うわ〜、緊張する」「この船の運命は私の腕に架かっている感じで緊張します」なんて言ってるけど、顔は笑っています。アツシ君は下のコクピットに行くのが怖いらしい。「これで近北個人優勝スキッパーか?」と思うほどですが、「ディンギーではヒールさせたらあかんから・・・」何かわかったような分からないような理屈です。でもこのギャップが面白い。シバちゃんがメイントリマーしていると、ブローが入るとすぐにメインを抜きます。「大丈夫やって。ひっくり返れへんから」と言っても、長年染み込んだヒールに対してメインを緩める動作は変わりません。メインのカムもしないんだから、「そりゃしんどいやろ」なんて思います。ナカシマ君は、ブローや船の次の動きに対して敏感です。上手に次の船の動きを予想して当て舵を切ります。安定して走っています。「スキッパーやったらよかったのに・・・」「クルーしたから全日本に行けました」「スキッパーでも行けたんじゃないの?」。まあ彼はキャプテンですし、いろいろ考えたのでしょう。ジュンコさんは、平気なようです。下側のコクピットに座って、みんなのビビっている顔を写真に収めています。ヒールの大きさがうまく写らないなあと言いながら、バウを写したり、ナカシマ君にステアリングの後に真っ直ぐ立ってと指示を出し、ヒール角度を写真に表現しようとしています。彼女は度胸があります。ナカシマ君の方が怖そうにしています。
でもまあしばらくすると、みんなヒールに慣れ、楽しそうにワイワイやっています。ハーバー前でセールを降ろしポンツーンに着岸です。雨で濡れたので、センターハウスでシャワーを浴び解散です。そこで、お礼をたくさん頂いてしまいました。「交通費も何もなく、1年間ありがとうございました。今回も、お礼と言うよりは、また楽しませてもらっちゃって・・・」。月1回ぐらいしか行けなかったし、自分が楽しむばっかりで、果たしてクラブのお役に立てたかどうか怪しいものです。「次男の卒業でお手伝いも終わりだな」と思っていたところに、ナカシマ君から連絡をもらった時は、「他大学卒の私でも、役に立つと思ってくれているんだ」と正直嬉しかったのを思い出します。根が甘いので、厳しくみんなを鍛えることなど出来ないけど、自分の好きなヨットを好いてくれる仲間が増えてくれるだけでいいです。数年後、十数年後、お互い学連ヨット部OBOGとしてどこかでバカ話ができたら、面白いです。
『4年間ご苦労様。どんなことでも最後まで続けることは、大変なことです。立派です』

2006/9/25
金曜日の夜、ちゃちゃちゃでOPの相談がありました。近くなので寄りました。現中3がOPを卒業すると、コーチの数が一気に減ってしまうので、各クラスのコーチ体制の練り直しが主な議題です。内田君がシルバーに上がったのかな?お父さんが中堅どころで、中心になって進行しておられます。熱心でコーチもうまく人当たりもいいので、うまくまとめていかれると思います。私もシルバーの遊軍コーチに名前を書かれましたが、自分の活動を中心に空いた時はカッパを持って手伝いをするスタンスで行きたいと思います。親御さんより年齢が上で、一応の経験をしているので、どうしても発言が重くなりがちになると思います。OPは親子の試行錯誤が楽しいところで、成績だけでは計れない部分があります。極端な話、キャンプでしっかりしたリーダーから初めからきちんと教えて失敗しないより、飯盒の水加減を間違ってとても食べられないご飯ができた経験は得がたいものです。ましてそれが親子だと、きっと大きくなっても共通の何かが親子に残ると思います。そういうのは、長い目で見れば成績以上の意味を持ちます。幸か不幸か次男がやってた時、上級生の子達がやめてしまって、OPを良く分かっていない同学年の親達が、子供がまだ小学生なのにクラブのトップになってしまいました。そのときの試行錯誤が一番面白かったように思います。スキーツアーや海水浴に行ったり、ヨットだけじゃなくって、家族同士で共通の時間が持てました。それがあの学年の子ども達の強い絆に繋がったと思います。OPに参加しても、出来るだけ親御さんのそういう部分の邪魔にならないように心がけようと思います。
日曜日は、ドラゴンの練習レースでした。来月全日本があるのですが、今月ポイントレースがないので、ドラゴンだけのレースが組まれました。ドラゴンのメンバーは平均年齢が高いのですが、西宮の学連ヨット部出身の方も多く、仲がいいです。訊けば、というより訊かなくてもライバル艇の方が教えてくれます。レースは勝ったり負けたりしないと面白くないです。でも最後は自分が1番というのが最高でしょうか。「所詮OFFの遊びだから」という感じが、底辺に流れています。OPでもそういうのを感じました。琵琶湖さんなんか、ほんとに良く教えてくれました。関西では1強だったので、近くに強いクラブを作ることが、結局自分達のレベルアップに繋がるというのを感じていたからでしょう。
レースを終え、クルーザー用に買った「たも(魚取り網)」を取りに車に帰ると、ジュニアの小巻さんと柏原さんが歩いて来られました。来月に迫った国体の話し合いがあったようです。ご苦労様です。
ドラゴンメンバーが集まっているウェットバーに寄り、エ号にたもと先週作ったGPSの簡易取り扱い手順シートを置きに行きました。金野さんと原さんとで関空沖までセーリングしてきたそうです。行きはいい風だったようですが帰りは機帆走で、最後風を諦めセールを降ろしてからいい風が入って来たそうです。それでも原さんは久しぶりのセーリングを満喫されたと思います。桟橋を見ると、柴田さん以下シグナスのフルメンバーが揃っており、レースだったのかもしれません。ホワイトセールレースでいつも好成績なので、今年は総合優勝するかもしれません。
うだうだ話した後、船を閉めてクラブハウスに向かうとちょうどウェットバーも解散のようです。駐車場を車に向かっていると、勇さんの車が来ます。とんでもないオーバーセールで順位を落としてしまった最終レースは、勇さんの船が勝ったようです。最終レグは田中艇と2艇でタッキングマッチをしたそうで、押さえきったそうです。うちのチームもがんばらないといけませんが、田和さん勇さんチームもがんばって欲しいです。

2006/9/18
先週金曜日の夜、船の台風対策に行ってきました。ドラゴンのバウとスターンからシートを張り、エ号のフェンダーを増やし、増しロープで桟橋より少し船を離しました。今度の台風は925Hpsという強力な状態で長崎に接近してきました。進路によってはやばいなあと思っていました。YHは、夜でも灯りがあり、安心して作業が出来ますが、ガードマンさんなどから見れば、いかにも怪しい人物です。職務質問などされるかも・・・なんて思っていましたが、ガードマンに会ったのがハーバー建物付近だったので助かりました。約1時間ちょっとの作業を終え、ハーバーの建物の方の桟橋ゲートから出ると、階段やベンチに数組のアベックさんがおられます。いい感じの暗さで・・・かなりうらやましかったぞ。
日曜日は、ジュニアの西宮カップです。いよいよ台風が来そうなので、ドラゴンのオーニング撤去とエ号のGPS関係、それにジブファーラーをスピンハリで巻くのを忘れたのをしに行きました。レースに間に合うようにハーバーに着くと、見知った他クラブの方がチラホラおられます。台風に吹き込む強めの東風が朝から吹いていますが、小さな子も元気に出て行きます。中学生が、小さな子の出艇を手伝って、それから自分達が出て行く姿に、いいクラブだなあと思いました。親御さんたちがなんとなくお願いして、お願いしてきたのでしょうが、自分達が小さな時苦労した記憶もあるのでしょう、すごく自然でした。楽しそうに手伝い、指示する姿がいい感じです。素直ないい子達です。
69条違反のことが、スポーツ仲裁機構に提訴されたり、レースでの暴力が問題になったことが流れてきて、楽しいヨットの暗い影がいろいろ伝わってきて、どうせオフのレクリエーションなのに、もっと気楽に笑顔でできないものかなあと思っていました。何故そこまで結果にこだわるのかなあ、なんて。でも日曜日陸上でジュニアの選手たちを見ていて、やっぱりいいです。元気に出て行ったけど、風が上がってきたので、走れなくなった小さい子からチラホラ、レスキューに引っ張ってもらって帰ってきます。スロープに近づくと船を降り、船を引っ張ってお母さん方が持ってきたトロリーに乗せます。手伝ってもらいながら引っ張り上げ、帰着申告をして船の片付けです。海上では怖かっただろうに、笑顔です。「帰着申告したらぺろぺろキャンディーをあげる」というお母さん方のアイデアはさすがです。「もうちょっとガンバレなかったのか?」なんて言う方はおられず、「お帰り」とか「ご苦労さん」とか。レースではトップ艇にはるか離されて、悔しかっただろうと思うが、それはもう自分で消化してる。「もっと練習しなくちゃなあ」とか「次は・・ちゃんには負けないぞ」とか、いろんなことを心に刻んでいるように思う。これは、本人が思っていればいいこと。大人が、それに追い討ちをかけても意味のないこと。小さな傷に塩をすり込むようなことだと思う。ただ技術的なアドバイスでいいと思う。
親やコーチがきつい言葉で、それを指摘したり、時には「愛のムチ」という美辞の元、目下な者や我が子に暴力を振るう。その暴力は、自分を制御できない弱い者が、自分の気持ちを発散するためにしているだけで、暴力を振るわれた者には、ありがたいという気持ちは残らず、敵愾心のみ残る。ちょうどこの日KG大ヨット部の練習に、多分オーストラリアのウィルモットだったっけ?去年の470ナショナルチーム選考会にもオープン参加していた、470ワールド・オリンピック優勝セーラーがコーチボートに乗っていました。彼らトップセーラーやそのコーチは、決して暴力など使いません。funを選手に感じさせるコーチングをします。楽しむ・笑顔が一番の上達の源泉です。私も高校時代、先輩から振るわれた暴力の記憶が今でも残っている。暴力やひどい言葉は、心に深い傷を刻みます。それを清算するために、自傷行為から自殺、自分より弱い立場の人に対する暴力の連鎖が起こります。自分がそういうことをされても、自分でその連鎖を止めなければなりません。そういう気持ちがムクムクとして来ても、じっと我慢で、温かい言葉に言い換え、その相手に与えよう。そうすると信頼につながり、いずれ伝えたかったこと以上のものが伝わるでしょう。人は、暴力などなくても、言葉というもので伝えられます。『ドロシーローノルトの子は親の鏡』・・・とてもいい詩です。子供達とお母さん方を見ていると、温かいものが流れてきます。「何も言わなくても、きっとうまくなるよ」っていう子供を信じている感じ、いいですね。子供達は数年後に、その期待以上のものを親御さんに届けてくれるでしょう。
このレースには、SRやFJも参加していました。KG中・啓明中の土曜ヨット講座で育った子達やKG高ヨット部も参加していました。花崎さん・坂東さん・森田さん・金野さんが、観覧船とかでサポートしておられました。エ号にいるとツインスターから声がかかりました。花崎さんがシンクの掃除をしているようです。啓明の女子選手のレースの様子など伺いましたが、こういう自前で育った選手が母校学部で活躍すると、嬉しいなあと思いました。あと数年すれば、たくさんの系列中学高校出身のヨット経験者が上がってきます。楽しみです。
さて気持ちよく帰って来ると、いいことは重なるものです。昨夜東京に就職した長男から電話があったようです。「僕は元気にしてるよ。敬老の日だから、何か送るので、加古川のお婆ちゃんの住所を教えて欲しい」という内容だったそうです。私たち夫婦にも・・・まあ家内にだろうけど、何か送ってくるそうです。家内が嬉しそうに話してくれました。「俺はもう敬老の日の対象になったの?」というのもありますが、素直に嬉しいです。自分の経験から、子供を怒ったり叩いたりしなかったけど、普通にいい子に育ちます。うちの子供達はいいヤツになり、いろんな事を教えてくれました。きっと彼らの子供達も親から素敵なものを受け継ぐでしょう。

2006/9/11
日曜日は、関西インカレでした。母校の観戦です。渋川さんの奥さんと長女さん、それに選手として出場する元OP選手のお世話になった親御さん数名に声をかけています。何人来られるかわかりませんが、ウォータークーラーに氷とお茶を満タンに入れハーバー着です。あいにく昼から雨という予報もあり、ゲストさんのカッパ数セット・観戦用双眼鏡などを背負い、船に向かいます。荷物を置いて、エンジンをかけてみると快調に一発で回ります。
ディンギーヤードの大会本部に成績表をチェックしに行きます。470もスナイプも2日目8レースが終わって4位です。成績表は11レースまで書かれていたので、今日3レースして終わりのようです。両クラスとも、近畿・大阪・関西・KGの順番です。470は2〜4位が10点差内にいる混戦です。スナイプは3位と100点も開いているので、よっぽど今日走らなければ予選落ちしてしまいそうです。
しばらくディンギーヤードでゲストさんを待っていましたが、市野さんだけのようで、ツインスターの方に乗られるだろう。森本さんや田中さんと他愛のない話をして、9:30の出艇予定が近づいてきたので船に帰る。皆さんが続々とやってきます。同期の横田君もやってきます。息子君がKGHヨット部に入ったので、数年後が楽しみです。メンハリの修理がまだのようで、ブームが邪魔です。レイジージャックのシートがヨット用ではないこともあり、いつ切れても不思議ではありません。そこで渋川さんの指示で、バックステイからシートでブームエンドを吊りました。周りを見渡すと、そういう風にしている船もあり、恒久的にこうした方がいいかもしれません。
雨予報なので女性陣はキャンセルかなあと思っていたら、きっちり来られました。長女さんとは初対面ですが、明るく社交的な感じで奥ゆかしすぎず、おしゃべりの雰囲気が次女さんと似ていました。親の育て方というか、家庭の雰囲気が何となくわかります。ドイツ留学から帰ってきたところで、いろんな言葉をしゃべることが出来ます。本当はもっとしゃべりたかったのですが、どうもシャイなので、いろんな事を訊けませんでした。
沖に出ると、レースは始まっていました。いきなりKGスピンがトップにいます。次のレースもそうでしたが、上位に近大と関大の3艇がおり、KG2・3艇目はその後です。阪大はその後なので、3位には入れそうですが、近大と関大には差を広げられたようです。スナイプは、シングルに1艇という展開なので苦しいです。2レースが終わり昼食を摂る為にハーバーバックです。金野シェフのカレーうどんです。これがまた美味しく、短時間にさっと作るシェフの腕は一流です。
その後、手分けして小さな修理や掃除をし、解散です。空模様は今一でしたが、結局雨が遭わずラッキーな感じだったので、降る前に家路に着こうという算段です。桟橋を歩いていると、向こうから荒井さんが来られます。そのままコーヒーという流れになり、ハーバーハウスにいる間に、大雨になりそれが止んで、解散になりました。GPS簡単マニュアル作成のために、取り扱い説明書を持ち帰り、夜までPCでゴソゴソやって1日のお終いです。

2006/9/4
2週連続で、琵琶湖のレースに間に合うように5時台に起きていた日曜日。昨日はいつもの7時台まで寝ていました。遅い朝食を摂ってエ号に向かいました。淡路島に行ったとき、GPSがかなりずれていたのが気になって、取り扱い説明書を読みながらいじくってみようと思いました。
船を開けると、土曜日に切れてしまったメンハリのロープが綺麗にコイルされてテーブルに乗っていました。ワイヤーとロープの結び目がなく、編んであったのでビックリ。2本のシートの先をほぐして編んで結ぶのはできるが、ワイヤーとシートが編んでいるのを見たのは初めてです。これで長い間ほどけないとは・・・。2時間弱、説明書片手にGPSと格闘しましたが、ちょっと説明書に丁寧さがなく、しんどいものになりました。私の理解不足かもしれませんが、元に戻るのが出来なくて、電源の切り入りで最初の画面に戻すことしかできません。それでも何となく操作に慣れたので、初歩的な使い方として、目的地登録とその運行だけは誰でもできるように、マニュアルを作成することにします。入れるべきデータがないので、新西カウンターで資料をもらい、コツコツ登録し始めました。名前を入れてデータ打ち込み、そして番号登録してお終いですが、名前入れが大変です。あいうえお順に、ボタンを1つずつ押していって1字入力完了・・・延々続けました。新西YH・サントピア・須磨YH・翼港・マリーナシティ・・・10ヶ所以上登録できました。
登録済みのところに行くなら、目的地を呼び出して、運行ボタンを押すだけで、距離・到着予定時刻・方位が出るはずです。試しに新西YHを目的地にすると、距離が50mで、船からハーバーカウンターまでの距離ぐらいだから、うまく運用できそうな感じがします。まあ実際に遠くの目的地に行ってみないことには・・・。
中でGPSとにらめっこしていると、波による揺れが大きく感じます。どの船がどのくらいのスピードで移動した引き波かとドッグハウスから外を見ると、それほど速いとは思えないスピードです。お互い様とはいえ、ハーバー内に入ったら、スピード出しちゃ皆さんの迷惑になるなあと改めて思いました。品のある運転を心がけたいものです。
その後、ジュニアの方に回り、頼んでいたクラブTシャツをもらいました。3時過ぎに芦屋に回ったのですが、ブロンズクラスは、上がってきたところのようです。西村さんに聞くと、飽きちゃったみたいです。でもハーバーでは、元気いっぱいに船を洗い、定番の水の掛け合いのおふざけも入れながら楽しそうです。お父さんもそれを写真に収めて・・・みんな楽しそうです。片付けを終えた頃、西村さんがミーティングをするみたい。積極的にみんなを教えてくれてるみたい。学生時代ウインド部だったので、海のこともレースのことも知ってるお父さんが入部されて、クラブの安全にも技術にも大きなプラスです。お子さんはまだ1年生ですが、いい方が入ってこられて、この学年付近のお子さんはラッキーなんじゃないだろうか。

2006/8/28
日曜日は、近畿北陸学生ヨット選手権団体戦に行ってきました。お手伝いしているヨット部の全日本予選です。ここで負けてしまえば、その夜代交代で、翌日から新チームです。私は運良く全日本に出場できましたが、勝利の美酒ではなく、敗戦の悔しさの中、後輩にバトンを渡しました。いつか必ず来る日なのですが、寂しいものです。期限が分かっているから、学生スポーツは熱く、いいのでしょうね。
朝、予定より早く目覚めました。電車で行く予定だったけど、時間もあることだし「もう一度青春してみるか」と、予定を変更しバイクで琵琶湖まで行くことにした。7時過ぎに柳ヶ崎に着いて、早速成績表のチェックです。470は、3位の学校の総得点が高いです。8レース終了で既に300点に迫っています。この様子だと、予定の10レースで350点を越えるかもしれません。3艇揃って、まずまず走る学校がないようです。
艇庫に向かい、次男君が乗ってきた車で、いつのもヨット装備(長袖シャツ・一式ジャケット・ライジャケ)に着替え、レスキューに向かいます。次男君の運転する車に乗るのは、ひょっとすると初めてかもしれません。監督さんと、次男の代2人と同じ代のマネージャー2人、まだ今年卒業したばかりだけど、この代は仲がいいです。船に着くと、既に1回生と去年卒業した先輩が待っています。
沖に出て、まず艇庫前に。そこで浜から出艇してくるレース艇に、エールを送ります。野球部出身の1回生に続いて、応援の声を上げます。泣いても笑っても今日が最終日です。「がんばれ」。エールに答えるレギュラーが、大声で返します。何度聴いても、いいなあと思います。
第9レース、470ゼネラルリコール。続いてブラックでスタート。1上、1艇遊んでいる。その横をD社艇がトップ回航。5艇BFDで排除されたが、京都が2艇。万事休すの瞬間です。どうやら470チーフはトップでマークにアプローチし、回航直前にBFD失格排除されたようです。双眼鏡を見ながら戦況報告している次男は、寂しそうです。心の中で「なんでやねん」とでも言っているのでしょう。卒業しても熱くなれるのは幸せなことです。一生懸命やったからこそ、選手の気持ちがわかるのでしょう。排除された艇の選手、僚艇のスピンが揚がらない中、1艇だけで走っている選手の気持ちが手にとるようにわかるのだろうな。個人戦もいいけど、団体戦には大きなものを含んでいるように思えます。
フィニッシュの着順を取り、ボードに各校の暫定得点を書き込んでいる1回生。最初にこのクラブにお邪魔した数年前と比べると、戦う体制が少しづつ整っていくように思えます。夏休み中のレースということもあるのでしょうが、1年の総決算のレースに女子マネさんの参加がゼロを寂しく見ていましたが、今日はOBマネさんも含めて8人ぐらいかな。こういうのがクラブ全体の底力になると思っているので、いずれ花が開きそうです。西宮での7大学戦に観覧船を用意し、マネさんに参加を呼びかけ、一緒に応援できたこともちょっと寄与してるかな。そうだと嬉しいけど。
フィニッシュした470・スナイプが、レスキューにやってきます。「お茶あるよ」。BFDを引いてしまったリーダーも、「次はリアル・トップで頼むで」の声に笑顔で答えています。ただ3回生の次期キャプテンがやってきません。次のレースまでの風待ちの間も待っていましたが、やってきません。「彼に声をかけてやりたいけど、どうかな?」と声を出してみたら、みんなに異存はないみたい。みんな気になっていたのでしょう。近づいて、「最後だよ、いろいろあるさ、笑顔でいこう」と声をかけた。みんなからも声がかかる。私にも経験があるから分かるけど、レギュラーは責任の重さを感じて申し訳ないと思うのかもしれないけど、この場でそれを責めるヤツなんていません。失敗しても、最後まで仲間と一体になってレースに臨んでほしい。まあ、思っていたより笑顔が出ていたので、大丈夫そうです。本当な、女の子の黄色い声援があれば(甘えた声援かな?)、もっと力になるだろうけど。
最終レースが終わり、今年も上位3校に届きませんでした。でも精一杯やりました。悔いのないといえばうそになるのでしょうが、ちょっと甘酸っぱく辛めなのが、若いときの記憶としてはいいのかもしれません。私の1年下で、京都470が全国制覇したときのエース藤原さんとご一緒でした。ウインドに乗っているらしく体力は申し分なく、今度クラブの技術顧問になったようで、情熱も燃えており頼もしいです。土台が整いつつあるなあと思います。
こういう結果の1年で一番特別なこの日は、艇庫に居辛いです。着替えを済ませると早々に退散して、ハーバーで閉会式を待つことにしました。OPの子達がもう上がっています。「セイル大津」というレースがあったようで、OPも参加していたのでしょう。学連レースのノーティスボードを見に行くと、プロテストが3件出ています。470の最終レースで、金沢から同志社に2件。
一昨年、京都と同志社との間にプロテストや720度が多く発生したように、白熱のレース展開の余韻のように、最後の最後までレースが続いています。プロテストに建物に近づいてみると、田井さんや野口さんなど、同年代の方がいます。様子を聞くと、着順では10点差なく同志社が勝っているけど、プロテストが成立すると逆転です。全日本に駒を進められるかどうかのボーダー争いなので、慎重に審議するだろうから、時間がかかるとの予想です。それから延々待ちました。微妙なケースなのでしょう。
この審問で、4:30予定の閉会式が、5時・6時と伸び、6時を回って始まりました。閉会式直前、ざわめきが起こりました。各校選手が会場で、延々待ったところに、プロテストで金沢勝利の結果が飛び込み、3位が逆転です。金沢の選手たちが、審問会場の建物前に向かいます。そこでプロテストから出てきた仲間を拍手で迎え、大歓声があがりました。さらに胴上げになりました。全日本常連校にとっては通過点ですが、どれだけ金沢のみんながこの日を夢見てきたかがわかります。
同・立・京産の3強体制が久しいブロックで、その他の学校にとっては悲願の予選突破です。部員数を着実に増やし、個人戦では、近年いつも最多艇数エントリーしてくる金沢の3位入賞に、すがすがしいものを感じました。女子部員は、みんな泣きはらし、男子部員にも涙を貯めている者がいます。個人戦の成績では、金沢の470と京都のスナイプが3位以内に食い込む有力候補でしたが、金沢のスナイプも3位を脅かし、クラブ全体で充実した練習をしてきたのでしょう。
学生スポーツに感動をもらった1日でした。

2006/8/21
土曜の晩、店のあるマンションの管理組合理事長さんのお店で、店舗会が開かれました。いろいろありながらも順調に動いていたマンション管理ですが、ここ数年おかしな感じになってきました。区分所有者を管理組合が訴えたり、理事会議事録が閲覧できなかったり、管理会社をクビにしたとの通知が突然届いたり、理事になられた1人の方が、自分の好きにしているようです。でもその方が私腹を肥やしているわけではなく、意見の違いを超えて妥協することができないようです。対決姿勢になってしまい、他の理事さんが「仕方ないなあ」という感じで、ずるずるおかしなことが決まってしまうようです。店舗も住居も入っている大きなマンションで、いろんな意見があるのは当たり前。落しどころを考えないといけないように思います。一般理事なのに、議事録を管理事務所から持ち出したまま1年も他の方が見られない状態にしたり、議事録が変更されたり・・・仕事を引退しているので、時間がありすぎて、誰よりもマンションの事を思っているという自己陶酔に陥っているような気がします。輪番制の理事から外れる今年、理事の仕事ができない方の代理としてまだ理事をしようとしたり・・・さすがに皆さんに一蹴されました。今年、初めて店舗から理事長が選出され、精力的に元のごく普通の体制に戻そうとされています。ありがたいことです。
昨日の日曜日は、琵琶湖行きでした。近畿北陸学生個人選手権です。上位6艇が学生個人全日本に出場です。お手伝いしている学校から、1艇でも行って欲しいなあと思っていました。そしてこれを踏み台に、翌週の団体戦で3位以内に入り、全日本団体戦にも駒を進めてほしいものです。
朝、またバイクで行くか、電車か車か少し迷いましたが、車にしました。土曜の成績を見ると、スナイプの黒ちゃんが2番で、スナイプ選手権の調子が続いている杉さんが5番です。でも470がみんな今一で、スピード負けしているようです。艇庫に行くと、レスキューの修理がまだのようで、インフレータブル支援になるようです。いつも思うのですが、柳ヶ崎YHで成績表を見ていると、いろんな学校の学生さんが「こんにちは」と挨拶してくれます。艇庫でも、隣の滋賀医や工繊の子も挨拶してくれます。負けないように、先に「おはよう」なんて言うようにしていますが、挨拶っていいものです。クラブの成績はともかく、クラブに所属することで、人としてとても大切なことを学んで実践しているように思います。
インフレータブルの定員は6名で、監督さん・私・今年卒業したコーチ・同じくマネージャーの4人現役ではない人が乗ったので、現役は2人になりました。申し訳ないなと思いつつ、手伝いを頼まれている以上レースを見て気づいたことを伝えないとなとも思います。まあ日曜日だけだからね。レースは相変わらずスナイプの2艇は調子よく、マロさんもシングルをしっかり維持でき、前日の横文字3発で成績は沈んでいますが、しっかり走れているようです。スナイプは黒ちゃんが優勝し、杉さんも6位でした。近畿北陸代表として、全日本にチャレンジできる機会を得ました。全日本は海陽のようなので、行ってみてもいいな。470は幸さんが走っていましたが、土曜日の失点が大きく6位までは届きませんでした。
全体ミーティングで、上位回航時のフリーの位置取り、サイドマーク回航直後のアクションなどいろいろ気づいたことを話しました。470個別ミーティングでは、スピードが話題になりました。あかんかった時の理由づけに、スタートが・・・コースが・・・というのをよく聞きますが、抜群のスタートがいつもできるわけでもなく、普通に並んでスタートできたらOKという感じでレースに臨んだほうが、横文字を叩く心配が少なくていいです。着順の要素の大分部は、スタートではなくスピードです。もっとスピードを磨いて欲しいと思います。そこで、もう何度目だろう・・・練習で一番あかんと感じている持論をまたしゃべりました。ロング帆走練習の時、差がつきだしたら、勝っている艇が負けている艇にベアして揃えることです。最初にこれを見たとき、なんじゃこりゃと思いました。きつい言い方をすれば仲良しクラブの練習に見えました。スキッパーで練習に混じった時、自艇が負け出して、スピードリンクルの具合・ジブリーダー・ジブラフテンション・・・、メインをベンドが入るまで引く・緩める・テルテールを両方流す・内ピラでいく・・・いろいろ考えていじくって、その後を検証しようと他艇を見ると、合わせてきていて検証できず参りました。この練習では、スピードアップの効率が悪いなあと感じました。
最近はこういう合わせてみんなで揃って走る練習がはやりかもしれませんが、私にはいいと思えません。スピード優位の艇は、ベアして再び合わせることで競い合いの練習になるかもしれませんが、相手艇のスピードが変わっていないので、結果は同じだと思います。スピードアドバンテージのない艇は、何分走って何艇身リードされるのか具体的な物が見えません。スタートから1上マークまで、10分から15分ですが、3分走って出た差を倍数すれば、スピードでどれだけ差ができるか自覚できます。その自覚がないと、スピードアップに向けての改善策は出ません。1上までスピードでどれだけ負けているかという事実を認識すると、ジブリーダーを2つ動かすだけでその差がなくなる事実も実験・検証で体験できます。
学生時代、各ペアは、レース艇と練習艇を使い分けていました。レース艇とレースセールは、レースの2〜3日前にしか使いませんでした。艇とセールが変わるので、海上で実験・検証を短時間にする必要がありました。その時一番速いターゲット艇に勝るスピードを得ようといろいろいじくり、スピードアップできるようになりました。チューニングノートも充実しました。
OPのコーチ時代、同じ事をしました。朝一番は、スピード差が大きいです。これでレース練習に入っても、コースを学ぶことは出来ません。ある程度スピードの揃った艇がいろんなコースを選ぶことで、自分の選んだコースの良し悪しが自分で学べます。その繰り返しが、大ポカのないコース選択がいつもできることに繋がります。練習はじめに、まず揃ってクローズを走ります。同じタックで走りつづけ、差がついてきたら止めて、チューニングタイム1〜2分を取ります。コーチからチューニングアドバイスもしますが、中学生になると自分で考えてやります。また走り出し・・・これを数回繰り返せば、朝一番よりスピードが揃ってきます。それからレース練習に入ります。
スピードがあれば、マーク回航ミスなどあっても取り戻せるので、短時間で実験・検証できる練習をすればいいなと、勝っている艇が揃える練習に苦言を呈しました。遅い艇に差をガツンと示すことは、ある意味厳しいですが、彼らなら必ず速い船を作り上げてくるという仲間への信頼の証とも言えます。ターゲットである自艇のスピードを仲間に見せることで、標的になればいい。いずれ誰かが自分を抜き、今度は自分が自分より速い仲間を標的にすればいい。こういう循環になると、クラブは強くなります。
でもまあ、今週末の3日間は決戦の時です。ここ数年、京都産業・立命・同志社3強に龍谷・京都が絡む展開だったが、今年は戦国時代到来のようです。同志社スナイプ以外、「ここは大丈夫だろう」というところが見当たりません。金沢・龍谷・京都が3強に絡んで大きな波乱があるかもしれません。
ところで、日曜日の朝、艇庫前にいると次男が艇庫から出てきた。「やっぱり艇庫に来ていたのか」と思ったが、「おはよう」って言ったっきりどこかに行ってしまった。運営の方に行ったのでしょう。レースが終わり、次男の1学年上の方々が艇庫に帰って来て、「ジュリーボートに乗ってました?息子さんと2人で乗ってるように見えたのですが・・・」。ミーティングの後半に、次男と同学年のグチ君が帰ってきました。審問の話を選手にしていたので、どうやら審問室にいたようです。ジャッジの資格を取ったのか、取ろうとしているかでしょう。私もB級だけ持っていますが、ルールへの感心を持続させるし、いざという時にはお手伝いもできるので便利です。A級ジャッジのお誘いも時々ありますが、Aを取るとそちらの誘いが多くなり、気楽に観戦が出来なくなるのでいつも断っています。
ジャッジも極めると楽しいのでしょうが、他のスポーツでもそうですが、納得のいくジャッジが出来て当たり前で、微妙な判定の時、文句を言われ、ボランティアでやるのには割りに合わないなあと思ってしまいます。私がレースでケースを起こして、利害関係者だからそういうことはないと思うが、審問で失格のジャッジを息子から下されるというのも、想像すると中々面白いです。

2006/8/16
全国的にお盆です。阿波踊りレースというのが徳島であるので、エ号で最初そちらにエントリーしようかという話が出ましたが、NORなどを読むと、ジェノアにもスピンにもセールナンバーが必要で、安全備品など揃えないといけないものが多数あり、どうもレースへのハードルは高そうです。JSAF内海または外洋会員がクルーの半数以上乗っていなければならず、現県連JSAF会員ではダメなようです。追加で内海会員になるためには、さらに年会費5000円が必要なようで、そこまでしてクルーザーレースに出なくてもいいかなと思いました。ということで、レースの話はなくなり、牛窓にクルージングの話が浮上しました。日程的に私には無理なので、日曜日だけ船に乗る事にしました。男性・女性・小2のお嬢さんがゲストです。
皆さんヨットは初めてで、天候によっては中止して、六甲山にでもと思っていたのですが、予報通りいい風に恵まれました。朝、船に着くと2m/sほどの南の風で、初心者さんでも酔わない感じでホッとしました。ヨットハーバー自体初めてのようで、いつもの見慣れた風景を写真に収めておられました。北港のパパヘミングウェイに昼食の予約を入れ、もやいを解いていざ出発。西出口から出ると、近大・関大・関学・大阪と学生達が練習をしています。「お盆なのに、ご苦労なことだなあ」と、現役時代は全く思わなかったことが頭に浮かびました。
さて、セールアップ、そしてエンジン停止。波の音だけで、船は進みます。お嬢ちゃんにステアリングを代わりましたが、楽しそうです。夏休みの絵日記の題材になるでしょう。赤灯台を越え、北港目指してベアです。アビームからクォーターの風向で、暑すぎずジェノアも風をはらんでくれます。北港のゲストバースに停め、20分遅刻でレストランへ。テラス越しに見えるYHの風景、さらに防波堤の外で練習しているディンギーの景色がいいです。魚のコースでお腹を満たし、帰路に出発です。
風が4m/sほどに上がっています。往路でヨットに少し慣れた方には、これまたおあつらえ向きの風速です。クローズで赤灯台目指し上って行きます。今度は防波堤から離し、大海原を少し体験してもらおうかな・・・北港は淀川の河口で魚影が濃いようです。船に驚いて、ボラが飛びます。リーサイドデッキにも飛び込んで、跳ねながら落ちていきます。コクピットに飛び込んで来ずに助かりました。難儀するからなあ。
赤灯台を回って港内に入ると、芦屋入口方面にOPが練習しています。お嬢ちゃんにOPを見せて・・・興味が湧いたらヨットを始めたらなあ。無事ホームポートに戻りました。前回のステアリングロックは問題ありませんでした。出発する時、十分ロックネジを緩めてあるのを確認しました。船を片付け、帰路に着くと、反対方向から来る車が濡れています。夕立だったのかなあと思っていると、どうやらその地帯に入ったようで、土砂降りになりました。海には雷雲があまり流れて来ないので、今でも浜は晴れているだろうなあなんて想像しながらの運転でした。

2006/8/7
OPアジア選手権も終わりました。西尾君もお母さんもいろんな体験をしてきただろう。特にお母さんは、息子から、参加したくても参加できない切符をプレゼントされ・・・こういうのって、すごくいいなあと思います。裸のまま何も持たずに生まれてきた子に、おっぱいを飲ませて服を着せて、大きく育っていく。子供のがんばりが実は親へのプレゼント、親の喜びになる。やがて親子の庇護する立場は逆転していく。最近しつけと表する親から子への虐待が報道されている。子供が結果を出すために、親が暴力をふるう。子供の人生の主役は子供本人。結果だって子供本人が受け止めて、次の行動のステップにすればいいこと。その子供の結果に親が云々するのは、子供のためではなく、親のプライドや体裁を整えようとする親のエゴ。子供への暴力や言葉の暴力は、自分より弱い反撃して来ない子への弱い者いじめでしかない。「誰のおかげであなたは生活できているの!」これを言ってしまえばおしまいだと思う。後年親が動けなく、物覚えが悪くなった時、子供から同じ仕打ちをされたらどう思うだろう。相手が弱いからこそ、出来ないからこそ、天使の言葉を囁き、自信をつけさせてあげるべきだと思う。結果が出ない時は、「大丈夫」と言い、結果が良かった時は誰よりも喜ぶ。親はそれだけでいいような気がする。子供はいろんな喜びを運んできてくれる。
日曜日は、西宮で470・スナイプ選手権でした。先輩方から観戦のお誘いを受けましたが、手伝いをしているヨット部の近畿北陸470・スナイプ選手権に行きました。今月末に、団体学生全日本予選がある。連続4位であと一歩。結果は神の領域だけど、私のできる範囲で協力するのみです。
原付で琵琶湖まで行ってきました。前からやってみたいと思っていた事です。以前、車で高速を使わずに下見もしました。朝5時に起きていざ出発です。171号線をひたすら京都を目指し、東寺、女坂を過ぎて、三条堀川から旧東海道に入り、大津を目指す。大津港のところで東海道に別れ、湖西を北上して柳ヶ崎YH。目標の2時間弱で到着です。こんなに長い距離バイクに乗ったことがないので、途中で壊れないかと、前夜はタイヤに空気を入れ、オイルを足しました。
早速公式掲示板を見に行きます。成績表を見ると次男が1回生と組んで出場していました。学部を終えても、熱心に勉強しているので、久しぶりの息抜きなんでしょう。BFDを4レース目で食らっていますが、シングルもしっかり引いており、総合では中盤です。クラブのみんなの成績をチェックし、朝のお勤め後艇庫に向かいます。
紫雲が修理中でインフレータブルのみだそうです。6人乗っているそうで、艇庫から望遠鏡で観戦することにします。2時間少しの風待ち後、みんなが出艇して行きます。まだ十分な風とは言えないので、果たしてレースが出来るのだろうか?2時以降のレースはありません。クーラーを切った暑い部屋で望遠鏡だけセットして、持参した本を読んでいました。しばらくすると、浅田くんが駆け上がってきました。「ありゃ、海上サポートしてるんじゃないの?」。「神谷さん、是非インフレータブルに乗ってもらいたいんですが・・・」。朝、キャプテンに聞いたとき、明確な答えが返って来なかったから遠慮したんだけど・・・きっと海上でキャプテンに言われて、慌てて帰ってきたんだろう。悪いことをしちゃったな。すぐに着替えて出発です。夏になって藻が気持ちよく伸びています。出艇する所は海面まで達しています。こちらは気持ちよくありません。これがもしワカメなら、朝の味噌汁に困らないだろうに。レース海面では、まだ風待ちが続いています。向こうから手を振るかわいい女の子が・・・照美ちゃんです。ちゃんを付けて呼んでは失礼なレディーなんだろうけど、雰囲気がいつまでたってもかわいいです。
レース艇に横付けし、みんなに冷たい麦茶を配りながら、「勘弁してえな、早よ、風入ってこんかなあ」な気分をちょっとリフレッシュ。数字には表せないけど、こういうのって効果があると思ってます。4010から合図が来ました。幸長さんが体調不良だそうです。スキッパーを交代して、艇庫に戻ります。熱射病かなあ・・・艇庫で休んで体調が戻ればいいけど・・・。朝キャプテンに話した事が思い出されました。女子部員が増える傾向にあるヨット部。現レスキュー艇でのトイレの体制を整えないと、安心してヨットを楽しめない。もしレスキュー艇が更新されるなら、そこを現役からきちんと要望する方がいいよと言ったばかりです。今までもレース中、レスキューから「トイレは」って声をかけてきましたが、いつも「大丈夫です」という答え。多分朝から水分を控えていると思う。時々、船につかまって体を水につけ用を足している女子セーラーを見て、とてもかわいそうな気持ちになる。レースになれば、トイレ設備のあるクルーザーが多数出ているのだから、各クルーザーが参加女子選手全員にトイレを開放できないかと思う。OPの大きな大会では、女子のトイレの流れがちゃんと用意され、選手に伝えられている。だから小さな大会で、特に決められていなくても、「トイレ借りれますか?」って寄ってくるし、運営側も体調管理を最優先にしている。ヨット界は女子への配慮というか、男性としてのさりげないやさしさが今一歩かなあと思う。女子トイレ船を示すフラッグでも立てて、艇長会議ででも伝えておけばいいと思う。そうすれば遠慮なく借りに来れる。女性が車に乗っているとき、さりげなく聞いたり、運転手は大丈夫でも、適当にトイレ設備のあるところで停まって、自ら休憩しトイレに行くことで、女性が安心できる。そういうのと一緒だと思うんだけどなあ。
幸長さんを艇庫前に降ろしてレース海面に帰って来ると、それのを待っていたように風が入って来た。琵琶湖大橋からの風。自分ならアウター寄りから出て左海面を使うかなあと思いながらスタートを待つ。いつもながらみんなスタートはいい。ミーティングで「スタートが・・・」とよく聞くが、その後のボートスピードアップの方がもっと重要だなあと思う。ター君は、1上5位で最終マークまで同じような順位だったが、最終3本目のビーティングレグで8位まで順位を落としてしまった。レスキューに寄って来た。「ご苦労さん、冷たい麦茶でもどう?」「最後、落としちゃった」「どっちの方が良かった?」「右」。金谷君がBFDで排除されて暇そうでした。アウターからスタートを見ていたが、本部船側だけが高くて、上1の金谷君1艇だけ出たそうです。でも右海面有利と予想し、上1を取った訳ですから大したものです。もう少しそういうポジションにいることに慣れてきたら、余裕を持てるようになり、リコールギリギリを狙って飛び出さなくてもいいということが身について来ると思います。積極的でいいんじゃないかなあ。スナイプは佐藤君が4位、杉ちゃんが8位。それにしても出道君のボートスピードは他と違う感じがします。それにコース引きが当たり、一旦トップに出るとどんどん他を引き離しダントツになってしまいます。
1時半を回り最終レースです。スタートラインの下からスタートを見ました。全部で50艇。4250が上10まで・4174が上10付近・3840が上15付近で、右海面を選択しているようです。4250がまずタック、右に抜けて行きます。上シングルは硬いコースだが、昨日今日の成績ではスピードがないようだからどうかなあ。4174もタック、ミート艇との関係で一度スターボに戻し、再びタックして右に抜けていきます。スターボの時も上集団でいい位置につけている感じだったので、片手に来るのではと予想した。3840は、BFDを1つ抱えているので、スタートを明らかに自重しています。スピードと右海面選択、試合展開に自信があるのでしょう。ところが、下のフリーウォーターを使ってスピードをつけてスタートした上艇と平行位置になってしまった。下艇の追い上げもあるので、早めに諦めてすぐ右に返し、ミート艇との関係で再びスターボ、更に右に返すが走りにくいレーンだったのか再びスターボ。やっとレーンを見つけ右に抜けていった。1上はようがんばって10番後半という感じ。470前半のレース展開を見ながら、アウターからスナイプのスタートを見るためにゆっくりそちらに移動する。アウター狙いの龍谷OBスナイプが、スタート2分前でもアウターでウロウロしながら2人で話している。右狙い艇が多いのでアウターが空くのは予想済みで、余裕がある。これだけ余裕があれば強いなあと思う。京都の子が見えなかったので、みんな本部船寄りから出て右に行ったのだろう。アウターから出たスナイプのトップラインと同じ位置で上がっていくと、470が1上を回航。7位ぐらいで青白青が上がる。金谷やろうなあと思う。15番付近に2艇。スナイプがサイド付近になると470のサイドマークジャイブが始まる。7位艇は予想に反して3840。あのスタートから7位とはよく走っている。2上は5位。そしてフィニッシュに470トップ集団が向かってくる。徐々に上がってきた3840がとうとう最後にトップ艇を捕らえてトップホーンを鳴らした。後に50艇従えてのトップは気分いいだろう。パチパチパチパチ。レスキューに寄って来た。「右が良かった?」「最終レグはよう走ったわ」。
昨年8月に引退して、ヨットに乗る回数は激減しただろうにさすがです。スタートミスした時のリカバリーも、フィニッシュ前の展開や、とても大事な他艇との駆け引きを伴ったフィニッシュ位置。ソツがないなあと思う。
陸に上がって柳ヶ崎YHに行くと、滋賀県連の先生に会う。「奥村はどうですか?彼使い物になるでしょう」。奥村君は、膳所ヨット部出身で、このレースではター君のクルーをしていた。先生も、卒業後の進路を見ながら、その後が気になるのだろう。奥村君は、公式戦デビューレースでトップを経験できるなんてついています。運は大切だと思う。ター君もまだ入部もしていない5月の連休に470スキッパーデビューした。何とか入部してもらおうと470スキッパーというエサで釣ったのかもしれない。艇番は古いが速い船だったとか、USAのへんてこなセールナンバーのセールが速いなど、いろんな条件がうまく作用して部内で一番走ったのだろう。それで、上の人が抜擢してくれた。奥村君も当然必死でヒールトリムして、スピンをがんばった努力に神様が微笑み、運を引っ張ってきたと思う。

2006/7/31
先週、OPヨーロッパ選手権が終わりました。今年もオフィシャルHPには写真が豊富に載り、英文なので読むのに時間はかかるが、大会の様子がよくわかります。レースが始まると、毎朝早く起き、前日のレースをチェックし、兵庫ジュニアHPに載せるのが日課になります。ヨーロッパは田中君のお母さんが監督で、アジアは西尾君のお母さんが国代表です。海外レースの空気を肌で知る親御さんが増えて、OPの楽しさをクラブに伝えて欲しいと思います。Optimistの日本語訳「楽天家」が似合うクラブが、今後もずっと続いて欲しい。レースのミスや結果ぐらいで、本気になって子供を怒る姿はOPには似合いません。自分の子供を怒った経験がほとんどない私は、そういう光景を見ているだけで、嫌になってしまいます。
続いて始まったFJのヨーロッパ選手権で、笠井君と西尾君のコンビが優勝しました。全10レースで、OCSが1回、2位が3回、その他が全部1位という圧倒的な強さでした。参加国を見ると、ドイツ・ベルギー・オランダ・イタリア・日本が目立ち、FJの盛んな国がよく分かります。数年前の海外レース引率のとき、IODAの理事さんから言われた言葉が甦りました。「OP後のステップアップは、420かレーザーラジアルにしなきゃ。同世代の世界のトップとレースで競い続ける方がいいよ」。それにしても、笠井/西尾コンビの圧倒的な速さはすごいです。
日曜日は、淡路島の翼港に行ってきました。花博をした跡地で、ワールドカップの時ベッカムが泊まったウェスティングホテルもあります。陸上からホテルには行ったことがありますが、海から行くのは初めてです。氷と麦茶で5リットルのウォータークーラーを満たし船に着きました。予備軽油をタンクに満たし、予備タンクに20リットル軽油を補充しました。8:50西宮を出発です。初めて行く所なので、事前に位置や潮流を調べました。行きの時間帯の明石海峡は、西への流れです。
森田さんが、翼港の緯度経度を、これまた実用では初めて使うGPSに打ち込んでいます。金野さんがヘルムスしている間、私が邪魔しながらも、説明書を見ながら何となく入力が出来ました。これが後でいい経験をする元になります。南西から風が入っていますが、2〜3m/sで弱く、機帆走になりました。8ノット弱のスピードで快調に目的地に近づきます。時々船内のGPSを覗きにいきますが、目標までの残存マイル数と時間が表示され、それが確実に減っていくのが、中々いいです。渋川さんから電話が入りました。渋川さん御夫婦は壱岐にいるはずです。雑音が多くてうまく聞き取れず、生返事しかできませんでしたが、森田さんなんかはちゃんと会話になっていたようです。携帯電話に慣れていないから聞き取りにくかったのか?耳を当てる場所がおかしかったのか?なんか不思議です。
神戸空港の南側を通過すると、もうちょっとで全行程の半分になります。神戸空港の遠さを感じると同時に、淡路島の近さも感じます。渋川さんから、「神戸空港を越えたら、淡路島の北端を目指し、ウェスティングホテルが視認できたら、それに向かうだけ」と聞いていたので、ホテルを探します。高速の橋げたの少し南に四角く高いホテルのような建物が見えますが、GPSの示す方位とずれています。「もっと北か?なんか変だなあ」と思いながらも、「淡路島の北から海岸沿いを南下したらいいだろう」ということになり、明石海峡大橋の方に寄りました。潮目のようで、風も弱いのに海面が小さなチョッピーな波にざわめいています。遊漁船が多数出ています。「こういうところに魚が集まるんだなあ」なんて思いながらのんびりしていると、何となく潮に流されているような・・・海岸沿いを南下しますが、中々対地速度が出ません。一生懸命水を切っていますが、いつまで立っても陸地の国旗が同じ角度に見えます。金野さんに「フルスピードで行きませんか」と提案すると、「既にそうしてるんだけどなあ」との返事。「あちゃちゃ」、しばらく粘るしかありません。少しづつ南に下がると、段々対地速度が上がります。海岸に沿っての移動は、水深が気になります。潮が強い場所なので20mはあるのですが、なんか陸地に近くて水深計への注意は怠れません。ちょっとでもバウが陸に向いて潮に振られたら、あっという間に陸に寄せられてしまいそうです。
陸上からウェスティングホテルに向かうバスで見える翼港が見えてきました。やっとこさです。森田さんが、「GPSとこんだけずれてたらあかんなあ。何かを修正するように書いてあったけど、それをせなあかんのかなあ」と言ってました。船の免許を取る時覚えた真方位とか磁気方位とかいうやつのことでしょうか?ひょっとして、その作業が私に回ってくるのでしょうか?カーナビさえ、何か自分が退化しそうでつけないのに、船で使うことになるとは・・・まあ船では必需品ではありますが・・・まあ無言にしときました。
港に入ると小堀さんの船が見えます。停めるところがなさそうで、横抱きかなあと思っていると、金野さんから、「係の人が誘導してる」ということです。数日前に、入港を申し込んだ時には、「係員の誘導がありますから」と聞いていたのですが、半信半疑でした。行楽地の駐車場ではあるまいし、港の入港ぐらいではそのようなことがあるはずもないだろうと思っていました。でもちゃんと誘導がありました。
日除けの長袖からTシャツに着替え桟橋に上がると、皆さんは小堀さんのグループに混じっています。小堀さん達は、新西宮YHジュニアの元親達のグループでした。最近はあまり出ていませんが、小堀さんがやっておられたときは盛んでした。そのときのグループだそうです。久しぶりの同窓会ということでしょうか?子供達も来ていますが、親達の方が楽しそうです。兵庫ジュニアの元親の私には、その気持ち、よくわかります。子供のサポートではあったが、まあ子供を出汁に親は楽しませていただきました。小堀さんの明るく社交的な人柄が接着剤になっているのでしょう。
兵庫ジュニアに移ってきた岡さんご夫婦や、同じく大矢さんのお母さんもおられました。皆さんがそれぞれのご家庭の自慢の手料理を持ち寄り、桟橋上で宴会をしていました。子供達はそこでサヨリを次々釣り上げ、その場で焼いて食べてしまいます。電車のプラットホームの倍はあるような広い桟橋で、天井には商店街のアーケードのような屋根がついています。日差しは強くなってきていますが、吹きぬける風が心地よく、最高のロケーションです。他にモーターボートが数隻、進水式後を思わせるバウに紅白の飾りが巻いてある船もいます。モーターボートなら片道1時間ほどで、「ちょっとそこまで」という感じでしょう。数日前、新西YHに大体の時間を問い合わせたとき、「19マイルです。80分ぐらいです」との答えが返ってきたのを思い出しました。34フィートのセーリングクルーザーと言ったはずなのに・・・「14ノットなんてヨットで出るわけないじゃん」と突っ込もうと思いましたが、19マイルって教えてもらっただけで十分なので、ただ「ありがとう」ってお礼を言いました。彼女は、いつか誰かに突っ込まれるかも?
翼港の停泊料は6時間100円、プラス掃除協力金500円です。今回は、昼食が小堀さんグループのおかげでただになってしまい、かなりラッキーでした。ヨットでは片道3時間ですが、かなり気に入りました。お気に入りに登録です。
小堀艇を見送ってから、追いかけるように桟橋を後にしました。2時出発がもうタイムリミットです。西宮着が5時を回ります。復路はステアリング担当をしました。船を出す段になって、森田さんも金野さんももやいを外す方に行かれます。ということで、エンジンをかけ、ゆっくりと出艇です。桟橋の小さなでっぱりに気をつけながら、後進を入れたり切ったり、ゆっくりゆっくり桟橋をバックで離れます。風や波の影響があり船は1ヶ所に留まれないので、離着岸だけはゆっくり動かすに限ります。2トンの船は行き足があれば、人力ではどうしようもありません。バックの使い方が重要です。
桟橋を離れると、森田さんがライジャケを枕にバウでシエスタです。そうですよね、お腹の膨らんだ午後のこの時間帯はステアリング担当は、できれば避けたいところです。シエスタにかぎります。もう少し風があれば、スピンを張って一気に帰れるのですが、この天気のこの風で、セーリングのランニングをすれば、暑いだけです。フルスロットルまで上げると、7.8ノット出ました。セールを上げると少しでも効率が良くなるという金野さんの提案でセールをあげ、ジェノアも出しましたが、昼寝の妨げになるだけのようでジェノアは途中でしまいました。メインとエンジンで、神戸空港連絡橋の下をくぐって西宮に帰りました。橋の高さは20m。この船は全長10mほどなので、黄金率から言って、大体13〜14mのマストの高さ。十分くぐれると分かっているのですが、いざくぐる時はちょっとビビッてしまいます。下から見上げると、今にも橋脚にマストトップがぶつかりそうです。
西宮港に入り、森田さんが起きてきて、「早かったなあ」。そりゃ中抜けで夢の世界を満喫していれば、すぐ着いた感じですよね。まあステアリングを1人で担当したおかげで、後を振り返り、数日前調べた潮の流れを頭で計算しながら船を動かせました。午前中に明石の潮の強さを、目標と後を振り返りながら験できたことも収穫でした。後を振り返ることで、PCで調べた潮の強さを実体験として得られました。学生時代、「今回ってきたマークを振り返って潮を計算しろ」と耳にタコができるほど言われたことを思い出します。コーチになってからも何度も口にした言葉です。
最後森田さんにステアリングを交代しました。ハーバーに入り、バース並びに入る最後のカーブを曲がった時、それは起こりました。臆病な私は、特に離着岸はゆっくりしますので、何となく、スピードが速いなあと思っていました。フェンダーを用意し、バウで立っていると、「ハンドルがロックした」という声。桟橋やバースに入っている船が前方に迫ります。「やばい」と思って、コクピットに走りエンジンレバーに飛びつきました。一気にエンジンをリバース・フルスロットルに入れます。それでも停泊中の船に迫ります。あと少しのところでどうやら停まりました。ステアリングが利かないので、マストトップの風見で風向を確認し、桟橋やバース・船の位置を落ち着いて確認する。金野さんから「そこの空いてるバースに入れよう」という提案に従い、前進とバックを使って、そこに流される位置に動かします。この状態ならバウが風下に向くはずです。船は止まると重いエンジンがある後部が風上になるようにバウが風下に回頭します。予想通りバウが下に向き、バースにバウが向いたところでちょっと前進を入れ、最後はバックを入れ、ゆっくりバースに収まりました。ステアリング・ロックは速度と関係ありませんが、スピードは、余裕を無くさせ、事故を加速度的に増大させます。このまま離着岸のスピードには、臆病でいようと思いました。
ステアリング・スタンドにある、いつもは馬鹿になっているステアリング固定ネジが、うんともすんとも動かず、これでステアリングをロックしています。ステアリングを動かすと、このネジが連動します。プライヤーで思いっきり回せばロックが外れる気がしましたが、森田さんが伊藤君に連絡を取るということですので、その提案をしませんでした。ハーバーマスターの三輪君にもすぐに連絡し、明日伊藤君が見てくれるまでの置き場所の指示を受けます。森田さんのこういう手際の良さは、いつもながら鮮やかです。うだうだ話さず、すぐ行動に移るのがいいです。「こういうところに奥さんは惚れたのでは?」なんて思っちゃいます。
楽しい1日に最後ちょいとオチが付いた格好になりましたが、ちょこちょこトラブルがあるのが船だと思っているので、特に何とも思いませんでした。トラブルを楽しまなくっちゃ。今までいろんなことを経験しました。沖でエンジンがかからなくなったり、ステアリングが利かなくなったこともあります。ガス欠をやったこともあったなあ。砂利船の下に入ろうとする船から人を引っ張り上げ、砂利船から離れたレーザーを風上から近づいて人とロープを落とし、帆走できる状態になるのを見守り、きちんとしたスキッパーを乗せて帰した事。レースで荒天と日没に追われながら、子供達を全艇無事帰着させた事。あの時は最後私がOPをセーリングして帰りました。本部船から、どんどん上がる風の中、多数のレスキューに指示を出し、報告させ、子供達を救助したこともある。子供達を海で遊ばせるために、相当いろんな経験をし、海を学んだ。大抵のことには動じなくなっている。いつも冷静に的確な判断をすぐに下せるのが大事です。今日のとっさの行動は、我ながら冴えていたかな。さっと一番いい判断『停める』が冷静に出来ました。

2006/7/24
イタリアサッカー界が揺れました。最近2シーズンも制しているイタリアきっての名門クラブユベントスの人事部トップが、ユベントスに有利な審判をするように圧力をかけたそうです。ユベントスはじめ数クラブがセリエBに降格し、ユベントスは1シーズンでセリエAに昇格できないように、来シーズンは勝ち点-30からのスタートになるそうです。ユベントスファンとしてはがっかりですが、スポーツで最も大切な精神『フェアプレイ』が守られ、尊重され、私には妥当なナイスな判断だったと思います。これがあるから、どんな弱小チームにでもチャンスがあります。それがスポーツのすばらしさです。それに、ユベントスやそのファンの方も、ここで十分に頭を打たれ頭を下げることで、次のシーズンから顔をあげてプレーでき、応援できます。該当クラブやそれを取り巻く環境、それぞれの人の1つのリセットだと思います。このままうやむやであれば、いつまでも陰口を叩かれ、暗い部分を持ったままの応援になってしまいます。
深く長く関わってきたOPヨットの世界で、アンフェアな事が起こりました。イタリアサッカーと同じように、選手ではなく大人が起こしました。日本オーソリティトップの裁定が下りましたが、玉虫色だなあと感じました。スポーツの根幹『フェアプレイ』に関わることだから、もっと毅然とした裁定の方が良かったのではないかなあと思いました。何かヨット界全体の『フェアプレイ』の価値が下がってしまったように感じました。
今から数年前にも、インターハイでアンフェアな行為をした学校がありました。コーチの指示ではなく、選手の自主判断だったようですが、全艇全レース失格をきちんと受け入れました。その後、そういうことがあったなあと記憶に残るだけで、その学校やその選手を白い目で見る世間はありませんでした。起きてしまったことは仕方ありません。きちんと頭を下げ償えば、いくらでも顔を上げて引き続き楽しめます。OPという子供のするヨットの世界ですので、間違ったことをしてしまったら素直に頭を下げる大人の姿は、子供の大きな教育になると思います。

日曜日は、仕事を終え、雨も降っていなかったので船に向かいました。この日は、朝の天気を見てクルージングに出るかもしれないとなっていたので、桟橋にないかもしれないなと思っていたのですが、天気の都合で取りやめになったようです。壊れてしまったカギを直しに行ったのですが、簡単に直りました。ネジにサビが浮いているので完璧とは言えませんが、まあまあでしょう。その後、先日ホームセンターで買っておいた自転車用ボトルキーパーを留めるタイを試してみました。これは上出来で、今後はペットボトルを置く場所に困らないでしょう。家から工具まで持って行ったのに、あっけなく作業が終わり、しばらく本を読んでいました。中原みすずの「初恋」。三億円事件が題材で、斬新な犯人の設定ですが、実行犯本人が書いたのではないかと思うほどでした。事件やその実行過程にはそれほどページを割いていませんが、何となく感じていたあの時代のにおいに多くのページが割り当てられていました。結局日曜日の夜まで、土日2日間で一気に読んでしまいました。
雨がほぼ止んだのを機に、西宮大橋を渡っていると、芦屋YH前でたくさんのOPが出ています。そこで芦屋に回ってみることにしました。スロープに出ると、向こうからOPが1艇帰ってきます。先日の「プールでヨット」に参加した子が、兵庫ジュニアのHPを見つけて体験で乗っているようです。そのまま陸で、シートの引き方とタックを練習して、再び沖にでました。陸での練習を少し手伝ったが、本当はまだまだだけど何となく出来た時大げさに褒めてあげると、とても嬉しそうにするんですよね。そんな顔を見るたび、子供は素直でいいなと思います。皆さんとても熱心です。新人君と一緒に艇の片付けをして部室に上がると、ポップコーンが待っていました。午前中ヨット教室があった関係か、お昼はクルクル回るソーメン大会だったようで、お祭?の名残です。内田さん進行でミーティングがされていて、レベルの高い内容でした。それにしても内田さんは上手なコーチです。ヨットが好きな子がますます増えそうです。

2006/7/17
日曜日は、朝から散髪です。どうもうっとうしくなってきたので、そろそろかなあという感じです。すっかり寝てしまいました。十分寝は足りているはずなのに、散髪屋さんというのは、何故あんなに眠りを誘うのでしょう?
家に戻り、バイクで浜に出かけます。最初は琵琶湖までバイクで行こうかと思っていましたが、日差しのきつさにギブアップ。バイクは気持ちがいいです。渋滞知らずや駐車場の心配がないので、最近車をあまり使わなくなってきました。時々エンジンがかかるか、車のキーを回してみますが、快調にかかりホッとします。交通事故で一貫の終わりになっても、子供たちは大学を卒業したし、特に気を残すこともありません。
土曜日に森田さん等がエ号でクルージングに出かけるということだったので、新装開店のエ号で本でも読もうと思っていました。ところがまだバースに帰って来ていなくて、修理が長引いているようです。さればカップホルダー固定のためにホームセンターでも覗こうかと思って歩いていると中村さんにばったり会いました。まだ昼なので、「昨日からクルージングにでも行っていたのですか?」なんて訊いたところ、特に用事もなく船に寄ったようです。ちょっとお茶を飲んで、翼港のことやサントピアなどクルージング情報をもらいました。
翼港というのは、元花博会場にある港で、花博のときは、何度も定期船で行ったことがあったかもしれません。花博の跡に淡路夢舞台というのが出来、日韓ワールドカップでベッカムのいるイングランドチームが泊まったウェスティングホテルもあります。仕事の何やら大会の会場があのホテルになることがありますが、日曜日でもほんとに人が少ないです。夢舞台の施設も、毎年大きな赤字を垂れ流している感じがします。ここ大丈夫なんやろか?とか、何で続けられるんだろう?とそのからくりを考えてしまいます。
中村さんの船は40フィートで、バブルの頃の船で、贅沢な内装で、吹いてもしぶきで濡れないそうです。機走で7.5ノット出るらしく、朝西宮を出て、翼港に船を入れて昼食し、夕方西宮着できるそうです。海の駅に指定されて多くの船が行ってるそうなので、エ号でも日帰りで行けそうです。今までヨットで淡路島に行った時はいつも1泊だったので、日帰りもありかなと思いました。甲子園フェリーがあった時は、釣り道具一式を車に乗せてよく淡路に渡っていましたが、フェリーがなくなってから縁遠くなりました。
その後ホームセンターに寄って、カップホルダーのタイを買いました。外に出ようとすると、雨です。夕立にしては早い時間ですが、店内に戻り1筋づつ物色し、2Fの電気屋さんに上がり時間を潰していました。最近のPCはTV機能がついて、液晶とは思えない画像の製品があります。TVも巨大なのがあり、部屋の後の隅に置くポール型のスピーカーの音の迫力がすごいです。映画をやってたので見ていましたが、もしこれを買っても、普通の小さいTVは絶対いるなあと思いました。半分眠りを誘う道具でもあるTVなのに、この迫力では目が冴えてしまいます。映画なら映画館の迫力には負けるし・・・これから自分の見たいときに見たいものを見るように世の中が変わっていくのでしょう。こんなTVを毎日見ていたら、いっぺんに目が悪くなりそうです。

2006/7/10
土日は、西宮で7帝国大学戦でした。エ号を京都大学の観覧船にして、ヨット部に入って間もない1回生やクラブを支えてくれている女子マネージャーさんにレース観戦してもらおうと思いました。いつも艇庫に行って思うのですが、女子マネさんには頭が下がります。成績を出すのは部員ですが、マネさんの力はとても大きいと思っています。思うように成績が出ない時やいい成績の時、一緒に笑ってくれたり、励ましてくれる存在は大きいです。どんな時でも、淡々と艇庫の生活を支えてくれるのは、慣れてしまうと当たり前に感じてしまいますが、実は中々出来ない事です。家庭にお母さんという存在があってはじめて、お父さんや子供達が思いっきり外でがんばれ、家で愚痴をこぼしたりしてリセットできます。ベースの生活がうまく回っていないクラブに、いい成績に望めないでしょう。
ということで、土曜日朝早くバイクで浜に行きました。エ号は今修理中で、ライフラインがありません。ワイヤーではないので心もとないですが、セーリングはしないのでいいだろうということで、ホームセンターで買って来たシートで応急ライフラインを巡らす作業をしなければなりません。7:30の宿からハーバーでの選手運搬は、ター君が車でします。
船に上がって、まずはエンジン始動。今回も1発でかかりました。最近エンジンは快調です。バッテリー液を補充したのがよかったのか?温かくなってきたからか?冬の不安は解消されています。30mのシートを切らずに、スタンションの穴を1つ通してくくりの繰り返しです。雨を覚悟していたのに、いい具合の曇空の下、単純作業で汗をかいてきました。作業が終わるといい感じの時間で、車に行って着替えです。ディンギーヤードの後の駐車場に各大学のチャーター艇が並び、艤装をしています。なんとなく心はやるいい風景です。ちょうどター君に会い、入口君とともに船をディンギー桟橋に回航します。マストを見上げると、既にわずかな南風が入っています。今、風はほとんど吹いていませんが、いい感じで海風が入ってきそうです。
ディンギーヤードに戻ると、狭間監督などこの日のOBレースに出場するOBさん達が来られていました。船をご一緒する金谷君のご両親もおられます。やがてレース艇が続々と出艇していきます。それを追うように各校の応援です。選手個人名のエールに答える選手の大きな声が聞こえます。さて観覧船の出艇です。マネさん4人と1回生の半分、それに金谷さん夫婦。東入出口の堤防で応援する学校があります。ずらりと並んだ北海道大学は40人ぐらいいます。部旗のポールが、大きく曲がった古木で、バンカラな感じがいいです。いかにも北海道の大地という感じです。わざわざ北海道から持ってきたのか?単に忘れたので現地調達しただけなのか・・・。沖はまだ微風で、10時の予告信号はAPに変わりました。でも10:20にはレースに十分な風が入ってきました。ちょうどOPが近くで練習を始めたので声を掛けに行き、APが降りました。
琵琶湖と違い西宮は風に恵まれています。ゆったりとレースを進め、5レースできました。風のない琵琶湖は、少しの風でも、大きな風の振れがあってもレースをやるので、結局レース数が多く出来ます。理不尽な風の悪戯に対処するために、レース感覚が鍛えられます。西宮は、風に恵まれているので、「いいレースを提供しよう」とするあまり、運営がゆっくりで、地域全体のタフさが磨かれていない感じがします。いっぱいレースをする方が、みんなレースを楽しめていいのに・・・なんて思います。
第1レース前、森田さんから電話が入りました。ツインスターで東大OBさんとともにレース観戦に来るそうです。「船はうまくいってる?GPSで速度出る?」。昼、一旦ハーバーバックし、観覧部員が交代です。1回生残り半分とマネさんに今年OBになった3人。レース海面に戻ると、第2レースの後半のようです。第1レースは、両クラス共京都と九州が上位で、ちょっと九州の方に分がいい感じ。レースが進むごとに段々と風が上がり、定期的に西からブローが降りてくる。右海面に向かい、右のブローに乗ってのぼりのスターボを走る典型的な西宮のレースセオリーになってきました。最終5レースは、軽風の琵琶湖ホームの京都には不利な感じにまで風が上がってきました。470は滑り負けの感じで成績は今一でしたが、スナイプは2・3位で進んでいます。最後の下マークで、1・2位がマーク間違いです。そこを3位の杉野艇がつき、1・2位フィニッシュになりました。これで気持ちよく眠れるでしょう。
日曜日ター君が、琵琶湖の女子インカレの運営に行くので、7:30宿に迎えに行きました。6:45頃、阪神西宮のバス停でエンジのユニフォーム姿の九大の部員がバスに乗り込んでいました。初日首位のチームのやる気を感じます。朝ハーバーに着くと北風の微風です。昨日より南に振れるのが遅いようです。出艇時は南に変わっていましたが、11時にならないとレースが出来ないかもしれないなあ。レース海面でエンジンを切って漂った後、昨日より20分遅れで風が入ってきました。最終レースは、470で柴ちゃんが2位、スナイプでは杉ちゃんが2位でした。両艇とも、レース前半は僚艇の幸長艇や麻呂艇に負けていましたが、第2のぼりレグで右に出してガツンと上がりました。ミーティングでこの風向の西宮の傾向をしっかり伝えたと思っていたのに、最終レースにしてやっと、右の風を信じて取りに来るレースプランの意思を感じました。麻呂君が、スタート後せっかく一番右の位置でポートを伸ばしていたのに、中途半端なときに左に返してトップを逃してしまいました。並んで走っていて1上からダントツになった東北大よりスピードがあり、もっといい位置にいたことを考えると、もったいないことをしてしまいました。みんなボートスピードでアドバンテージがあっただけに、右を信じてくれていれば、両クラス優勝の完全優勝できたレースでした。でも470が3位でスナイプ1位の総合2位は、中々のものです。
表彰式が終わり、エール交換があり、最後に主将対決というのがありました。ジャンケンで負けた学校が参加者全員にジュースをおごる恒例のものだそうです。各校が大きな輪を画く中心に主将が出ます。各校の主将に対する応援がすごいです。懐具合に直接響くので、すさまじいという感じです。北海道大学が負けてしまいました。負けた主将は仰向けに大の字になっています。それを乗り越えて、参加者みんなが我先にと、冷えたジュースが入っている大型バケツに殺到します。帰るときに東大の川田君と高橋君と話しましたが、一昨年東大が負けたらしく、「あれは負けるとヤバイヨ。でもいつか負けるよね」って言ってました。レース後、主催校から高額の請求書が回ってくるそうです。今回名古屋が部員3人で参加だったので、もし負けていたらその支払いをどうするつもりだったのでしょう?一番部員の多い北海道が負けたので、いい落ち着きどころだったのではないでしょうか。最後、盾や表彰状を前にした集合写真はみんな笑顔でいい感じでした。その後3回生と1回の三嶋君をJR西宮まで送りましたが、3回生は北海道の3回生と大阪で飲むそうです。いいねえ、交流を深めて多くの友人を作ってほしいですね。車の中で、ときわさんがとても楽しそうだったのが印象的でした。

2006/7/3
この2週間、親子の関係を何度も考えました。奈良の超進学校大仏さんの高1生が自宅に火をつけて、お母さんと弟が亡くなってしまう事件がありました。勉強での親子関係のもつれが原因なのでは?と思いました。行方不明になっていた長男さんが見つかり、事件の様子が少しづつ明らかになり、やはりという感じでした。いろいろ原因があるのでしょうが、お父さんが勉強に厳しく叩かれていたそうです。こういう事件があると、子供時代の辛い経験から、どうしても事件を起こしてしまった子供さんに同情してしまいます。大人から見れば、まだまだ半人前の子供ですが、親の側からすると悪気のない叱責する地獄言葉や叩くことが、どれだけその子の中に、「僕は出来ないんだ」「僕はいても仕方ないのかなあ?」という気持ちを起こさせるか・・・。子供の能力は子供の気持ちにかかっているように思います。親の不用意な言葉が、親の考えとは逆に、子供の能力を奪い、ダウンサイジングしていきます。自暴自棄になって、不登校、他への暴力や自分への自傷行為につながることがあります。そういう気持ちになることは、自ら体験しているので、はっきり言えます。私は今でも、自分の子を叩く親を見ると、とても嫌な感情が胸の奥から湧いてきます。いずれ親が晩年を迎え出来ない事が多くなって来た時、我が子から出来ないことに対して叩かれたらどう思うか・・・子供は神様の子で、一時養育を託されているのが親。神様の前では親も子も並列。しかも子供の最大の教師は親・・・子を叩く親の元で育った子はどういう親になるか・・・連鎖を断とうとする子の努力を知って欲しい。「子は親の鏡」です。
その続報で、お父さんが長男さんへの接し方を反省していること。長男さんが弁護士さんを通して仏教の本を差し入れてもらっていること。お父さんが学校に退学を申し入れたが、「これからも長男さんと接していきたい」という学校側の考えの元、退学を保留していること。を知りました。長男さんの在学する大仏さんの学校は、宗教ベースの学校です。宗教は、過去貧しい人、虐げられた人、罪深い人の最後のより所になり、多くの人を助けてきました。私も中学でキリスト教の考え方を深く知り、救われたと思っています。
大仏さん学校の大学進学実績はすばらしいですが、この事件への対応は、もっとすばらしいなと感じました。事件以来多くの時間を教職員やPTAと話し合ったと思います。その結論がここに具体的な形になりました。長男さんやお父さんは、世間の目もあるだろうし、お母さんなどの命を失ってしまった無念の気持ちも背負って生きて行かなければなりません。でもがんばって生きて欲しいと思います。
こういう事件が起こるたびに思うのだけれど、勉強やスポーツ、ピアノやバイオリン・・・、子供にそういうのが出来る環境を提供しても、その結果に関しては、褒めることはあっても、叱ることはしない方がいいように思う。どんなに粗に気づいても、ゆっくりした言葉のアドバイス程度にしておく親の懐の大きさが、子供の自信を大きくさせるように思う。上を見れば切りがないけど、下を見ても切りがない。子供の人生の主役は子供自身だから、実際は親が影で大きくサポートしていても、子供自身が自ら切り開いたと思うようにした方がいいように思う。自分が親になった時、親の大きさや接し方のすばらしさをきっと分かってくれると思う。親はその字のとおり、木の上にたって見ているもの。子供の行動を待つのが役割のような気がするけど・・・

日曜日、朝起きると雨模様です。1日中出かけられないかなあと思いながら、朝食をとり本を読んでいました。とんでも精神科医伊良部シリーズで馬鹿笑いした後なので、次の本は、「灰色の北壁」です。作者の真保裕一さんは山岳小説が得意なようで、孤独の中の心の動きの描きかたが中々いいです。織田裕二主演の「ホワイトアウト」が一番有名でしょうが、少し前にNHK土曜ドラマになっていた、殺人事件を冒して出所してきた主人公を描いた作品も良かったです。市井のごく普通の民生委員の方に支えられながら理解のある雇い主に雇われ、新しい生活を始める。しかし家族とはギクシャクし、昔の仲間に再び誘われ・・・揺れながらも真面目に実績を積み重ね、仕事仲間の理解を得、自分の居場所が出来、自分を取り戻していく。
ふと外を見ると、雨がやんでいます。外に出てみると西の空の雲が切れています。来週の7大学戦のこともあり船を見に行きました。西宮に着き、いつものバースを見ると船がありません。ありゃりゃと思いながら上下架桟橋に回ると、1週間前と同じように係留されていました。GPSはつけてもらったようですが、ライフラインがまだです。間に合うのかなあ?と思いながらも、いざとなったらシートをスタンションに通して出艇しようと思いました。桟橋を戻っているとウッドのクルーザーがシングルで着岸しようとしています。「取りましょうか?」と声をかけ、もやいを受け取り桟橋に固縛しながら、ウッド艇のメンテナンスを何気なく聞いてみました。
なんとこの方は、ウッデンヨットを作っている足立ヨットの足立さんでした。舵で読んだこともあるし、HPを見に行ったこともあります。ヨット製作のプロとはラッキーです。いろいろ聞いてしまいました。ヨットの電気は大容量が普通になってきており、足立ヨットの場合電子レンジ・ウォシュレットは常識になっているそうです。ディーゼルエンジンはフルスロットルの8掛けぐらいが巡航速度で、ゆっくり走るとカーボンが貯まってエンジンを傷める。アイドリングを長時間しているのが一番いけないので、しっかり走ってエンジンストップがいいらしい。スピードが出ないのは、スクリューの口径とかが合っていない場合もあるそうです。シャフトドライブとセールドライブの違いも教えてもらいました。今桟橋につけたヨットはお客さんので、上架して、パフォーマンスのいいセールドライブに乗せ換えたところらしいです。ヤンマーの3YMだったっけ?最新のエンジンです。エンジン音が下がり、振動が減り、スピードが増し、バックがよく利くようになったそうです。シャフトドライブは水面に対してスクリューが斜めになっており、ラダーと近すぎてパワーダウンしてしまうそうです。なるほど、勉強になりました。ウッドは、材質さえしっかりしていれば、ニスなどのメンテナンスは不要だそうです。
話している間に、ディンギー桟橋に係留されていたツインスターが人を満載して出て行きます。河野さんがドライブしているようで、KG部員の親子親睦会でもしているようです。市野さんらしきお母さんもいたような・・・。家に帰るには早すぎるので芦屋に回りました。
ハーバーでは小巻さんが、新人君にOPの初歩をレクチャーしています。1年生が2人も入ってきました。3年生が動作見本を見せているのが、これまたかわいらしいです。小巻さんの教え方は相変わらずほんわかで、うまいなあと感心します。午後は、2人ともシングルでの初乗りです。お母さんが何となく心配顔ですが、先に出艇した西村君は、先週内田さんに教えてもらいながら、お父さんと一緒に乗ったらしく、出艇して真っ直ぐみんなが練習している方に向かっていきます。1日1日上達して行く時期ですね。お母さんに後で聞くと、まともに走らせて遠ざかっていく我が子に、ちょっと涙が出てきたそうです。お気持ち、よく分かります。うちの子の初めての全日本の第1レース、とても無理だなあと思う風を見て、「あかんと思ったら出なくていいよ、自分で決めな」と出艇前に言ったことがあります。「僕、行く」って、フルハイクアウトしながら、はるか遠くのレース海面目掛けてセーリングしていく我が子に、同じ気持ちになりました。私も涙があふれてきたなあ。
次に、全く初めての広井君が出艇です。スロープを出たところで、セールがシバーして止まってしまいました。レスキューは西村君の方に行っています。走って堤防の角まで行き、「シート引っ張って〜」などと声をかけると何となく動き出します。「みんなの方に向けて〜、そうそう、上手・・・」。音もなくス〜っと動き出す未体験ゾーンをどう感じたかなあ?高校生で初めてヨットに乗り、「うわ、これ何?すごいなあ」と全く新しい感覚を知ったときのことを思い出しました。広井君の出艇を見つけた別のレスキューが向こうから走ってきます。広井君についてみんなの方に向かう感じです。私の横には広井さんのお父さんとお母さん、それにお姉ちゃんもいます。「レスキューに乗りませんか?」。とっさにホイッスルを吹いて、「ねえ内田さん、乗せてあげて」。広井さんは、我が子の初ヨットを間近に見てどういう感想を持ったのかなあ?
この日は、練習を早めに切り上げて、親の会とナショナルチーム壮行会だそうです。前来たときは読売新聞の取材でちゃっかり写真に写ったし、結構ラッキーかもしれません。OP5人、高校生シングルハンド1名、FJ2人の計8名も海外遠征をします。すごいクラブになってしまいました。選手の自己紹介の後、私に挨拶が回ってきました。小巻さんが乾杯の音頭と、いつのまにか小巻さんと共に一番古株になってしまいました。仕方ないわなあ、我が子はかわいかったOP選手を卒業し、大学まで卒業してしまったからなあ。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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