ウェブマスター日記 Jan-Jun/2006

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
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2006/6/26
金曜日は、森田さんの会社に出向き船用GPSを受け取り、夜、船に置いてきました。修理ついでに伊藤君に設置をお任せです。夜9時過ぎ、こんな時間にYHを訪れることはありませんでしたが、数組のカップルの語らいの場所になっていました。桟橋入口横のベンチは1組づつに占領され、なにやらいい感じでした。そんの中、でかいダンボールを抱えた私は、「およびでない」典型でした。「申し訳ないなあ」と思いながら、桟橋ドアをそっと閉め、ちょびっと気を使いました。
日曜日は、琵琶湖でプレインカレです。朝一番にいつものように柳ヶ崎に寄り、土曜日の成績チェックです。1位RAFとか2位OCSとか痛快なレースをしているようです。まあ成績を見てがっくりしたんだろうけど、楽しく緊張感のあるレースができて、よかったのではないでしょうか。
艇庫に着くと、今年卒業した女子マネさんが名古屋から来ていました。土曜日の仕事後、新幹線でやってきたそうです。朝は恒例の風待ちでしたが昼前にいよいよ出艇です。浜で、部旗を立て、エールを切っていざ行かん。エールを切られた方も、大声でそれに答えています。・・・それを見ながら、自分の学生時代を思い出しました。2回生になって初めてレギュラークルーとしてレースに臨んだとき、出艇時に浜から校歌を歌ってもらい、レース海面に続く長い防波堤上を他校に負けじと走って先端の灯台まで走ってくれます。またそこで応援してもらい、エールで自分の名前を叫んでもらった時は、感動して不覚にも涙がこぼれてしまいました。
大声で声援に答えながら、「ようし、レースに出ていない仲間のためにもがんばるぞ」と思いました。以降レースに出るたびに段々慣れていき涙が出ることはなくなりましたが、あの時センターケースの上に腰掛けながら、涙を見られないように少しうつむき加減の自分の情景を今でも思い出せます。それと、どんな成績を取っても、レース海面から浜に戻ってきた時、後輩がザブザブと水の中に入ってきて自分の船のバウをつかみに来る。その時の「お疲れ様でした」とか「ご苦労様でした」。自分も1回生の時やっていたけど、選手にこんなにインパクトがある行為だとは分かりませんでした。
この感動が、ヨット部卒業以降もヨットとかかわっている原点かもしれない。ヨット部とは違うが長男に体育会を薦めたのも、次男のジュニアヨットチームの同学年の子達に、「大学体育会ヨット部でヨットをやりな」とよく言ってたのも、あの光景が頭に浮かぶからだと思う。とかくダサいとかきついとかの代名詞になる体育会だけど、そこにどっぷり浸かった者でないと分からないところがある。勝利至上主義のようでそうでもなく、効率至上主義でもない。成績に関係なく先輩上位の年功序列と、儒教的な後輩への金銭面や無償の体と時間の奉仕。これらが微妙なバランスで成り立っているのが体育会。
次男が去年練習後に浜でみんなが一列になって、練習を提供してくれた琵琶湖に大声で「ありがとうございました」とやり始めたのも、この日見たエールも、成績に繋がるという数字的なものはない。でもこういうことができる時に、ばかやってみるのが人生の大きなプラスになると思う。本当は、マネさんに「ごくろうさん」じゃなくって「ありがとう」と言いたかったけど、彼女のこういう気持ちが次男達の学年をがんばらせたと思う。きっと旦那をうまく乗せ、子供達の才能を素直に伸ばさせるいいお母さんになるんじゃないかなあと思う。
7月2週目に新西宮YHで7大学戦がある。地元ハーバーでもあり、ミーティングでいろいろしゃべりました。一番言いたかったのは、今回は京都から近いから、マネさんもみんな参加して、レースを含めたその他もろもろを楽しむことです。エ号は用意しているけど、OBさんに声をかけ、クルーザーを出してもらえれば、みんなが海上でレースに参加できる。特にマネさんには、学生時代の想い出にしてほしいな。そういうのが、その学年のヨットの成績にも繋がると思うんだけど・・・
この日のプレインカレのレースの方は、海上に出てから風がなくなり、私はレスキューのデッキで小雨に打たれながら寝て過ごしました。N・Aフラッグがあがりノーレースでした。残念だけどこれもレースです。家に帰って来て、PCで家内と映画DVDを観ました。「いま、会いにゆきます」。梅雨の時期に起こった6週間の奇跡の物語です。中村獅童と竹内結子が競演後結婚してしまいました。夫婦・父子・母子・家族、周りの取り巻く方々のやさしさや愛情があふれた作品です。涙もろい私は、また泣いてしまいました。「おはよう」というごく普通の言葉がとても大切に思える作品です。観終った直後の家内からの「ありがとう」が新鮮に響きました。PCを片付けている間に席を立った家内が、何かの用事で東京に住んでいる長男に電話をかけ始めました。長男への何かの連絡がこちらにあり、それを伝えているようでしたが、最後に「元気にしてる?・・・そう。じゃあね」って、家内らしい短い電話のやり取りでしたが、この映画で何かを感じたのかなあ?なんかとてもいい1日でした。

2006/6/19
日曜日は、新西宮でドラゴンのレース予定でした。ところがメンバーが揃わず、田和さんとこのメンバーの重友さんが助っ人に来てくれるのでレースに出るように連絡を受けました。渋川さんは、バリに行くそうです。羨ましい限りです。あそこのご夫婦はほんとに仲がいいです。さてもう1人は京都のOBを予定していました。最近次男は休日も勉強をしているので、「誰かおらんかな」と手配を頼みました。しかにちょうど琵琶湖の草レースらしく、OB達もそちらにいくようで、結局重友さんと2人乗りで出ることになりました。
前のセールを艤装し、ちょっと遅い出艇です。重友さんは私の1つ下で、お子さん達が働き始めた子・今学生の子・そして中学生と、年齢が近いので楽しい1日になりました。レースは朝から南が入り、フルバランスでした。この風向になると相変わらず西有利です。途中まではそれほどでもないのですが、最後に西からブローで、ポートがぐっとおきてしまいます。しばらく北風が段々恋しくなってきました。第1レース1上3番からレースが始まりましたが、スピンダウンで最後強く引きすぎてスピンのへそ部分が破れてしまい結局ビリになってしまいました。第2レースはスタートライン中央付近から出ましたが、何故か下艇の31がタックして来て緊急タックを余儀なくされてしまいました。すぐ上には山村艇がおり、叫びながら再び緊急タック。山村さんも避けてくれて助かりました。31は何かトラぶったのでしょうか、通常考えられないタックでした。でもぶつからなかったので良かったです。不可抗力とは言え、山村さんには悪いことをしてしまいました。1上までの我が艇は3位で次のマークからはビリでした。次は1上2番でしたが同じような感じでビリに、しかし最後の下マークで田中さんが珍しくスピンをバウの下にくぐらせてしまったようで、ビリから2番目。最後のレースは1上3番、下で31に抜かされずビリから2番、次の上りレグで31にかなりの差をつけたので下マークまで持つかと思いましたが、水を取られてしまいました。途中まで西について行きましたが、どんどん右に振れ最後は左に出しもっと離されてしまいました。
この日は、田和さんとこが終始西を攻めよく走っていました。最終はトップだったと思います。ご機嫌で帰られたのではないでしょうか。重友さんは、ドラゴンが長く、初めての船なのに、2人分の働きを十分こなしてくださいました。スキッパーを交代しようかとも思ったのですが、もしそのときトラブルがあったら責任を感じられるといけないので、私が全責任を負う事にしました。それにしても、スタート直後の下艇のタックには肝を冷やしました。ティラーが手から滑ってしまったのか?ポートになっていましたがフルセイルではなく動揺に色が見えました。とっさに上艇との距離を判断し、叫びながらダブルタックの感じになりました。でもドラゴンの回転は遅く、山村さんが、タックして避けてくれ助かりました。タック後振り返って「抗議やで」と言われるのはごもっともです。まあ仕方なかったとは言え悪いことをしてしまいました。スピンがなく、スタートラインに戻ったらすぐスタートになってしまったので、謝る機会を失ってしまいました。次会ったときには謝っておかねばなりません。
ところで、巷はサッカーのワールドカップの話題で持ちきりです。早く寝てしまい日本-クロアチア戦を見なかったのですが、引き分けてしまい、次のブラジルに勝つ以外決勝トーナメントに残る道はなくなったようです。何か、戦前の私の予想通り、1ブラジル2クロアチア3オーストラリア4日本となってしまいそうです。日本はテクニックが高いそうですが、韓国のように前へ前へ、そしてシュートを果敢に打つ姿勢に薄いように見えてなりません。1対1の勝負をさけ、無難な横パスが多く、昔サッカーをしていた経験からすると、あんまり強さを感じませんし、圧力も今一な感じがします。それと年齢が高すぎる感じがします。中田らが黄金世代と言われていますが、4年前とそれほど変わっていない印象があります。国際試合に若い選手を積極的に出して、人材発掘とやる気を起こさせるのをやってこなかった感じがします。4年前は、カズが外されるなど、下の世代にかなり変わりフレッシュでした。日本開催ということもありますが、若さの勝利だったような気がします。今は24才の加地がレギュラーで最も若く、28や29の人ばかりで、名前は通っていても、チャレンジャーとしては年齢が高すぎます。中田も老獪な感じはしますが、イタリアに渡って弱小チームでいきなり活躍した頃が旬です。そのような発展途上の選手が、国内にいっぱいいると思います。
ブラジルの2連覇予想がありますが、やはりロナウドが良くなく、彼をフォワードからはずさないと無理な感じがします。私の優勝予想はアルゼンチンでしたが、セルビアに6点も取って、いよいよ本来の力が出て来たかなあと言う感じです。テベスやメッシなど若い人材を登用しているのも好印象です。アルゼンチンは多くの名前が通っている選手を外しました。あと、チェコとスペインも強い感じがするのですが・・・どうなることやら、面白いです。

2006/6/12
土曜の夜から、市川拓司著『いま、会いにゆきます』が佳境に入ってきて、日曜日の朝起きてすぐから読んでいました。映画でも本でも最後が盛り上がるので、最後は一気に読んでしまう感じにいつもなってしまいます。
朝は結構風があり、天気も今一でした。でも昼前になってくると時折晴れ間も覗くようになり、西宮に船を見に行くことにしました。ボトルを固定する方法でも考えてみようかと。しかしハーバーに着くとまだ修理中のようで、陸上にあがったままでした。バウとサイドボトムにFRPが当たっています。ライフラインもはずされており、まだしばらくかかりそうです。
「さてと・・・」芦屋に回ってみる事にしました。小林さんに貸していたものを、持ってきてはったらそれをもらって帰ろうかなと・・・久しぶりのOPです。居眠りヨットですっかり頭にインプットされたU君と話していると、「工作コーチの船を買ってん。ほんで前のをMきゃんにあげてん」「セール新しいなあ〜」「うん、お父さんの友達がココの会社の人で貸してもらってんねん。でももう買うねん」って、よく知っています。小3の内田君が気軽に話かけてくれ、OPはほんとにいい世界です。工作君ももう立派なコーチなんだなあ。今度入られた丸山さんは、HPからの縁で、お母さんとお嬢さんとはこないだ神戸空港までのクルージングでご一緒しましたが、お父さんとは初対面です。でもメールで明るい人柄は感じていましたので、初対面とは思えません。予想通りすでに、サントピアマリーナの船に行く回数が減り、こっちに来る回数が増えているようです。子供はすぐに大きくなってしまうので、しばらくOPでいいんじゃないでしょうか。
この日はまた新しくOPの試乗に来られた方がおられて、レスキューがブロンズに2艇、シルバー・ゴールドに1艇のようです。もうすぐ出艇の時間ですが、何やらいつもとちょっと雰囲気が違います。読売新聞の取材が入っているようで、記者が小林さんにインタビューしています。読売新聞も今日来られた方もHPからの縁で、HP担当としては、しっかり楽しい雰囲気で更新していかなきゃって思います。取材の最後に全員の写真です。たまに来た私もちゃっかり被写体に入っています。日頃の行いがいいせいか、読売新聞を買わなきゃ。
と言うことで、練習にでます。選手インタビューもあり、小林君と田中君の出艇が遅れました。小林さんを沖のゴールドの練習に送ることもあり、2艇を引っ張って沖出しです。新人さんとお父さんも一緒でしたが、1年生の新人さんも沖を怖がることもなく平気なようです。湾内に戻ってきてブロンズの練習に合流です。内田さんを中心に練習をしていますが、とてもいい練習で、みんな揃っています。この練習をしていればグングン上達するでしょう。とてもコーチが上手です。小学校低学年の子達は、楽しそうな声を発しながらも、ちゃんと練習できています。飽きないようにマークを打ってのレースもあり、それなりにコースを考えているのが分かります。上・下マークでフィニッシュのコースで、下マークをこのボートが担当しましたが、トップで帰って来る船のスキッパーはみんな饒舌でニコニコです。でも後ろの方になっちゃうと、とたんに不機嫌になったり、実に面白い。まだOPを始めたばっかりの丸山さんとこのお嬢さんがうまいのにビックリしてしまいました。お父さんの船に乗っていたからヨットには慣れているだろうけど、他の子と違和感なく走れるからすごいです。下マーク回航で、上りすぎちゃって止まってしまったりするのは仕方ないですが、去年の吉保さんと同じように、女の子の方が飲み込みが早いのだろうか?どうやら超新人のようです。吉保さんなんてもうシルバーに上がって沖練習してるものなあ。
練習の合間に、新人ちゃんをOPに乗せましたが、小3が一人前にセールやティラーを指差して教えている姿はいいです。カメラを持って来るべきだったと後悔です。お父さんは関学のウインドサーフィン部だったらしく、今年の新人さんは海を知っているお父さんで頼もしいです。レースも知っているので、兵庫はさらにパワーアップしそうです。練習を終え陸に戻ると、新人さんのお母さんと下の子も来ていました。お父さんに電話でもくれたら一緒にボートに乗ってもらえたのにね。でも陸上でお母さん方といろいろ話が出来たようで、こっちの方が良かったかもしれません。お客さんという雰囲気ではなく、馴染み気味ですので、もう入部決定と見たんだけど。次は小巻さんに使う船を決めてもらい、1日ちょっとでもOPに乗って、練習というかヨットで海遊びをしていたらいいなと思います。
清風が兵庫県高校総体にオープン参加していたようです。工作君に声をかけると、「勝った」とか言ってたので、よく走ったのでしょう。本田先生によると、KG西尾君は速いらしく、啓明笠井君ともどもKG関係2艇、加えて清風3艇が来週和歌山である関西インターハイ予選で通りそうです。それにしても、清風は練習に数の割にみんな上手になって卒業して行きます。特に厳しいというわけではないですが、西村先生を中心とする指導がうまいんでしょうね。次男も自分で選んだとは言え、いい学校と縁があったようです。西村先生としばらくしゃべって家路につきました。ブロンズのミーティングに出て、下マーク回航の事をちょこっと言った方が良かったかなあ?

2006/6/5
日曜日は琵琶湖に行ってきました。先週は神戸空港クルージング、先々週はドラゴンのレースでしたので、その前の週の京滋4大学戦以来です。今回は1年生の練習を担当しました。今日初めての子から10回目の子までレベルはバラバラですが、初心者に教えるのは結構面白いです。上達するのが手にとるように分かるので、それを見ているのは楽しいことです。ホッパーとシーマーチンを出しましたが、朝一番はみんなバラバラでした。インフレータブルについてくるフォローザリーダーをしても、1艇ぐらいしかついて来れないし、「ここにバウを向けな〜」とエンジンヘッドを叩くけど中々向きません。やろうとしているのはよく分かります。みんな最初そうだものなあ。目は向いているんだけど、バウが向かないんだよね。シートをゴソゴソしてると明後日の方に向いちゃうし・・・。今までマークを使った練習をしたことなかったらしく、2つのマークをアビームに打って、ソーセージ、そして八の字。次はクローズドリーチに打ってソーセージ。そして次は上下。それに、ホイッスルでタックとクローズホールド練習。乗る前後位置・左右位置・ヒール、シートの引き具合、そして基本姿勢。横向きに座って、顔は斜め上のセールのラフを注視。裏風の入る感じとティラー操作・・・。グングンできるようになりました。午後の最後はすごかったです。ホイッスルに合わせて、全艇がタックしてクローズが走れるようになりました。連続タックまで出来ました。レギュラーチームの上マークまでホイッスルタックで、全艇揃って上がることができました。本当は本部船に帰る時もジャイブ練習がいいのでしょうが、あまり欲張らず今日はタックとクローズだけで、フリーは目標だけ指示してフリーにしました。でもブームを出したり、乗る位置を変えたり、揺すったり、みんなそれなりに試行錯誤して他艇に勝とうとしています。コーチをする時は言い過ぎないことにしていますが、ヒントだけ与えたり、何か分かってきた兆しが見えたらあえて何も言わずにしたりで、自分で考えゴソゴソやることがとても大切だと思います。
本部船に帰って来るまでの時間は、インフレータブル運転の練習です。「これがエンジンのかけ方。はいやってごらん」「こっちが前進、ちょっと動かしてみて・・・」「じゃあ目標はあのマーク、スピードアップ、もう少しスピードアップ、もう少し・・・」スピードに慣れることと落ちない姿勢を身体に覚えこます。「じゃあスラローム、このスピードで少し右に切って、大きく切ったらあかんで」「じゃあこれとあのマークでソーセージ。直線はスピード出して、曲がる時はゆっくり。次は八の字ね」「あのマークを上げるよ。風下からまっすぐマークにぶつける感じで・・・はいニュートラル。うまいね〜」
みんなが船舶免許を取るようにしている。去年は2回目の受験でみんな合格しました。海で遊ぶためには、それなりのものを身につけた方がいい。免許や堅苦しい試験には賛否両論だろうけど、いざという時、堅苦しい知識や試験の経験が物を言うと思ってる。ヨットはライジャケさえ着ていればとても安全なスポーツだけど、レスキューの質はサバイバルの時とても大切です。一番大切なのは安全です。親御さんが全精力を傾け、本人が努力してここまで育った。安心して練習に臨めて初めてヨッ部と言える。
5時にホッパーを着艇させて、470・スナイプチームは6時着艇です。インフレータブルに1回生を乗せ、艇隊練習を接近戦で見せる。「もうすぐタックするよ」。4〜5m/sのいい風が入り、フルトラピーズ・フルハイクの素早い動きが要求される練習。きっといろんなものを感じたと思います。いい感じやなあと思っていたら、ハードレスキューの方にトラブル発生。また前進ギアが入らなくなりました。去年もあって、直したのになあ。一旦入ると問題ないのですが、エンジンをかけて前進ギアに入れてもギアが噛まず空吹かしになることがあります。修理後快調だったのになあ。去年で癖を知ってるので、アンカー打って時間を置いています。最悪インフレータブルで曳航することになります。横着けして、「夏になるとあかんということは、エンジンに藻が湧いてるのかもね」「寒い時は調子いいと言うことは、怪談話でもやってみる?受けない冗談でエンジンに寒けを感じさせるのもいいかも?」なんて冗談飛ばしながら、遠くの470・スナイプチームを眺めています。トラブルも余裕で楽しまなきゃ、船なんて車と違ってトラブルが付き物。そこで何とかする知恵の蓄積が海での安全につながります。他校は全部帰り、京都だけが練習しています。運良く前進ギアに入りました。いい感じの楽しい練習ができました。家に帰ると、眠くて仕方ない状態になってましたが、元気いっぱいの子達の仲間に入って1日過ごせるのは、とても幸せなことです。
これでこの時期に新人さんを教えるインフレータブル担当は3年目です。過去が何故か好評のようで、「また新人が揃ってきましたので、またお願いします」なんて言われましたが、唯一辛い所は、インフレータブのの振動です。やっぱりハードボトムボートと違って疲れるんだわ。運動と思えばいいんだけど、ドラゴンのレースより疲れるからなあ・・・まだ波が小さいだけ西宮よりましなんだけどね。つ

2006/5/29
日曜日は、1人でドラゴンの整備とエ号の修理状況を見に行こうと思っていましたが、ブロンズクラスのクルージングの連絡が入りました。朝10時にハーバーに着くと、既にラムソールがディンギー桟橋に着いています。そのまま桟橋に行き、結局エ号を見にいくこともなく1日が終わりました。1人でゴソゴソしているより皆さんとペチャクチャしゃべっている方が楽しいし、いい1日になりました。
土日と関々同立定期戦が関学主催で行われています。元々小巻さんが今井さんや西村さんを誘って、藤井さんにラムソールを出してもらい観戦予定だったそうですが、都合がつかなくなりブロンズクルージングに変更になったようです。日頃OPに乗っているチビッコですが、いろんなヨットがあることを知るいい機会になったと思います。ちょうどいい風と天気でしたので、セールアップになるかなと思っていましたが、ジブシートがクルーに繋がっておらず、1日中機走になりました。きちんといつも整理しているのか、しばらくセーリングしていないのか・・・多分後者でしょう。ラムソールはヤンマーの4GHTだそうで、船底がきれいなら8ノットも出るそうです。42フィートで55馬力でこれぐらいの実力か、なるほど。
午前中は定期戦の観戦です。土曜日は同志社がダントツだったらしく、今井君は上がっていました。余裕です。昼一旦ハーバーバックして昼食です。トイレの為にディンギーハウスに行くと、甲南コーチをしている森本さんがいます。ペチャクチャ。私と同じように子供さんと一緒にクラブに関わり、楽しそうです。船に帰っていると、村山さんが関大A級セールバックをぶら下げて歩いて来られます。全日本に向けて関大のA級のセールを作るそうです。関大前にはA級が出ており、入江さんなど先輩方がおられます。ああだこうだと取らぬ狸の皮算用をしているのでしょう。関大艇は速いからさらにパワーアップしそうです。
船に戻って昼食です。OPの69条違反の件を聞きました。気になっていましたが、なんとなくまっとうな結果がでそうです。OPは親子で楽しめてとてもいいと思うのですが、自分の子の成績への必要以上の大人の介入が、ちょっと首をかしげる部分でした。今回の事で、それが是正されるきっかけになると幸いです。表に立たれた国見さんや占部さんにはありがたいと思います。そして、揺らがず自分に素直だった田中君はとても立派だと思いました。
昼食後、神戸空港目指して出発です。南西の風が8m/sぐらいまで上がっており、機走で出発です。赤灯台を越えてもあまり大きな波が出ておらず、風も落ちてきたので絶好のセーリング日和になってきましたが、チビさん達を乗せていることもあり結局全行程機走でした。チビさん達は日頃のOPで慣れており、見事なステアリングです。酔うこともなく、ドッグハウスに入ってトランプをしているかと思えば、何かを飲んだり食べたり、元気いっぱいです。うろちょろしながらも、どこかを持って移動している姿が安心させ、体がそういうことを自然に身につけているのだなあと思いました。
無事新西宮YH着になりましたが、ここでニュートラルとバックギアが入らなくなりました。仕方なく最後はエンジンストップで着岸。ヤマハさんを呼びに行って見て貰いましたが、ギアボックスを分解整備になるそうです。後日整備ということで、一文字YHに戻ります。一文字は地震で傷んだ護岸整備をしているようで、ラムソールの艇置き場が甲子園沖埋め立て島の方に移っていました。全体的な雰囲気は前と同じようでしたが、自分達で手作りしたにしては、中々の艇置き場になっていました。新西宮に比べて艇が少ない事と、みんなの手作りということでアットホームな感じがします。整備積立金があるということですが、艇置き料が年間20万ほどで、とても魅力的な価格です。
この日はクルージング日和のようで、先輩方が噛んでいるシグナスやG2も沖で見かけました。向こうから手を振るので誰かと思ったら、ジュニアOGお父さんの廣戸さんだったりしました。楽しい日でしたが、ただ一つ失敗してしまったのは、帽子と日焼け止めを忘れたことです。昨夜からアズレンの軟膏を塗ってベタベタな顔をしています。早く元通りの色白肌を取り戻さなくては・・・

2006/5/22
日曜日は、ドラゴンのポイントレースでした。今回は皆さんの都合がつかず、澤田君の艇に助っ人に入ることになりました。渋川さんや大野さんにお世話になり、乗る艇を用意してもらいました。大野さんの艇も平井さんの艇も乗り手のメンバー変動があり、いつもと少し違った雰囲気でした。
澤田君の艇は、さすがにチューニングの山村さんの艇だけあり、コントロールシステムが機能的でした。クルーの川瀬君もいい動きで、3msほどの風ということもあり、私がいなくても2人で十分乗れる感じでした。朝は東が吹いていましたが、10時半頃には南が入り安定した風でした。振れは常にありましたが、右奥に行くとベアブローがあり、少しづつ右が前に出て行く感じでした。いつも速い田中艇とスピード差がなく、全3レース共トップでした。最初の2レースは、最初のマークからトップでしたが、途中JPN28に迫られる場面が数度ありました。でもフリーのスピードと何とかトップをキープするコース選択で守り切りました。3レース目は途中まで3位でしたが、2上の最終見通しが抜群で、バウを切っていった先行艇がブランケットタックをしてこず、ラッキーでトップに立てました。バウを切られて、「もっと行ってくれ」という祈る気持ちが神に通じたようです。
澤田君は、今回一番いいセールでしたが、前回は古いセールで今一だったようで、秋の全日本に向けてセールをどうしようか悩んでいました。ポイントレースとはいえいいセールで結果が出ると、そのまま使いたくなるものです。こうやって毎年ニューセールを買うようになっていくのかもしれません。
学部のコーチをしていた時の現役部員とこうやって同じボートでレースに出れるのは愉快なことです。大学のクラブのつながりはありがたいです。

2006/5/16
土曜日は、午前中OB総会で浜に行って来ました。予想以上に参加者が多かったようで、会場が艇庫からディンギーハウス2Fに変わっていました。さらに例年以上に参加者が早く集まったようです。午後から末永さんのセレモニーが海上で予定されており、末永さんの人柄が多くの参加者を集めたのでしょう。でもあいにくの雨でした。1年後輩の沖本君がやってきました。最初誰かなあと思ったのですが、先に声をかけられ名乗られて、「ああそうか」と思い出しました。精悍な頭髪やファッションだったので、とても1年下とは見えず、ずっと下の後輩だと思っていました。若さの秘訣を教えてもらいたいものです。
総会後すぐ東京に向かいました。何とこの日はダブルOB総会で、東京で京都のOB総会に呼ばれていました。新理事長の上田さんから、今の大学ヨット部を取り巻く状況を話すように言われていました。OP選手のレベルアップ、スポーツセレクションのこと、最近の京都の練習などを話しました。
少し早くついたので、私の予定時間までには時間がありました。ドアまで行くと、予算や決算などの話が聞こえてきて、部外者なので入室を遠慮して近くのロビーで待つことにしました。しばらくすると、おばさん方の団体さんが来られます。先頭に立っている方が、この建物について解説しています。「ここに段差がありますが、こっちが新館で、向こう側が旧館になっています。・・・年に建てられて・・・、それでは旧館に参りましょう。会議をしていますので、廊下をお静かに・・・ではこの部屋をご見学ください」なんてやっています。「学士会館」という東京駅丸の内側からタクシーで5分くらいの立地にある建物です。まだ学士さんが珍しかった頃に建てられたもので、観光コースになっているのかもしれません。
OB総会は大きなテーブルを皆さんで囲んでのスタイルでした。次男君と同期のマネさんヤコさんが紅一点でえらくもてていました。女性の参加者は今までいなかったようで、これからも参加してくれたら、参加者がさらに増えるので・・・とか言われていました。彼女は美人で社交的なので、余計に皆さんから注目されたのでしょう。
翌日は、琵琶湖で4大学戦です。今年は滋賀大経済が主催で、土曜日に9レースをしたそうです。470はダントツで同志社、京都は立命に遅れること20点差ほどでよくがんばっています。日曜日も7レース消化し、2日間で全16レースとはがんばりました。レース数の多いのは大好きなので、レースを楽しませてもらいました。京都は、レース経験不足がネックだと思っているので、ありがたいレース運営でした。3m/sぐらいの風の時は、両クラスとも一時トップを走ったりして同志社と互角に戦っていましたが、最後の2レースで風がさらに落ちて、立命と同志社の争いという感じになりました。最終結果は、470が立命館に20数点負けで、今日はほぼ互角の感じだったようです。
5月の連休期間にあったレースの結果などが入ってきました。笠井君/西尾君組が、どんたくレース12レース中11レースでトップを引いたようで、FJヨーロッパ選手権代表に内定したようです。どんたくと言えば福岡だから、第一や三陽高校が出場している中で圧倒する成績はすごいです。インターハイ予選では、KG高等部と啓明に分かれてKG関係で2艇通過できそうです。期待が膨らみます。

2006/5/8
連休中1泊で、エルシノアは淡路島の由良にクルージングに行きました。私は今回パスでしたが、由良の宿に電話をかけると、出来上がっている先輩方が、往路の行程を面白おかしく教えてくれました。いい風向の風に恵まれ9時前出発で2時過ぎには由良に到着したそうです。翌日もいい南風だったようで、スターボで関空沖、ジャイブして一気に西宮と順調だったようです。しかし、ジャイブ時に調理中の鍋がひっくり返り、昼食抜きになってしまったようです。天気にも恵まれ、無事帰港で何よりでした。
私は連休中しっかり仕事をしていたので、日曜日は琵琶湖で練習に付き合おうと思っていました。しかしあいにく朝から雨です。おまけに次男が仲間6人で名古屋に行くということで、6人乗れる私の車がそちらに行き、空を見ながらめげてしまいました。ちょうど台所の天井の照明を婆ちゃんが壊してしまっていたので、電気屋さんとホームセンターに2度行き、日曜大工をしていました。
家内が作ってくれたスープスパゲッティやヨーグルトを食べながら、本を読んだりTVを見たりしていました。今読んでいるのは「アフガニスタンの診療所から」中村哲さんというお医者さんの本です。アフガニスタンのハンセン氏克服に努力している日本アフガン医療サービスの代表で、ソ連のアフガン侵攻以前から活動しています。小さなNGOですが、政府のお金は入っておらず、民間日本人の寄付で地道に活動しています。お金も人も不足しているので、華々しい活動は出来ませんが、地道に地元に同化し、現地の方を雇い、西洋的な論理ではなく、法よりよっぽど現地の人を律しているイスラムの教えに沿って行動しています。この団体に寄付していることもありますが、中村さんの本を読むと、イスラムの考えからくる現地の人の行動様式がよくわかります。日本の武家社会に似たところもあり中々面白いです。女性は家を守り、男性は弱い女性をとことん守る。復讐が合法化されているので、それが凶悪犯罪の抑止力になっている。
TVで渡辺謙さんの特集番組をやっていました。「ラストサムライ」の渡辺謙さんは、とてもよかったですが、あのロケ地がニュージーランドだったことを知りました。植生なども日本とほぼ同じだったのでまさか外国だとは思っていませんでした。映画「明日の記憶」の宣伝的な部分もありました。アルツハイマー病をわずらった主人公と家族の葛藤を描いたものですが、アメリカの本屋でたまたま見つけた原作に引き込まれ、渡辺さんから原作者に「映画にしよう」と手紙を書いた所から映画化が始まったそうです。自身が白血病を2度克服した経験があるからこその行動だったのかもしれません。映画封切り前に、アルツハイマー患者を家族に持つ方々を試写会に呼び、「全く個人的考えですが、皆さんに最初に見てほしかった」と小さな部屋で膝を交え挨拶する渡辺さんが、とても男らしく見えました。
「明日の記憶」は、いい本で映画も気になっていましたが、どうしても読めませんでした。「世界の中心・・・」でも同じような思いでしたが、いかにもお涙頂戴的で、テーマが濃すぎると思っていたからです。「博士の愛した数式」は、同じ記憶不十分のテーマですが、子供への愛情や数式メインで、それほど病気の辛さを正面から捉えていません。こういうものならというところがあります。
これは、多分義理父が晩年このような状態だったことを見てきたからだと思います。今食べた夕食を、まだ食べていないと言う父を、「あらあら」と笑顔でうまくコントロールする義理母はすばらしいものでした。とても自分には出来ないなと思っていました。父は最晩年はずっと家にいましたが、その前は趣味の釣りを毎週楽しんでいました。丈夫だった頃から淡路島由良の同じ船頭さんの船を貸切り、宿もその船頭さんのおうちで、安心なのですが、ちょっと不安なこともあり私が付き添っていました。付き添いというより、一緒に船に乗って、父や船頭さんから海つりの手ほどきを受けていたというのが本当です。父は好きな釣りになると全く問題なく、生き生きとしていました。ただ最後の釣り行で、ドクターストップがかかって、宿で留守番になってしまいました。糖尿病性の記憶不全なので、日光に長く当たるといけません。医学技術的なことでのドクターストップですが、すごくガッカリして釣り後の夕食でも明らかに元気がありませんでした。いかにもかわいそうだったので、「内緒で行きましょうよ」と言いたいのは山々でしたが、ストップをかけた医者が兄で、一緒について来ていたから、どうすることもできません。裏で兄には、「せっかく来たのに・・・」なんて言いましたが、無駄でした。「日焼けして1ヶ月寿命が短くなったっていいじゃない」なんて思いました。
父に対する母の長年に渡る態度を見ていると、大げさに泣きわめく映画の主人公にどうも馴染めません。心の中はそうなんだろうけど、実際にはもっと慎んだ行動でないと、長い間精神的に持たないと思うからです。今、その義理母が、血圧や心臓で遠くに行く時はちょっと注意が必要になっています。東京などに出かける時は、家内や家内の姉が明るく付き添うというか一緒に行っています。父が亡くなって精神的に不安定になった時、「こっちで引き取ってもいいか」と家内が言ってきて、「もちろん」と答えました。きつい現実があっても、それに合わせていては健常のものが持ちません。それでもなお明るく「大丈夫」っていう態度で応対することが、患者さん本人の気持ちを楽にするように思います。
いろいろ考えさせられた渡辺謙特集でした。そして「明日の記憶」をやっぱり読んでみようという気になりました。たまに家にいるのもいいものです。

2006/5/1
先週、船を上架して、伊藤君が整備してくれました。昼休みに見に行きましたが、きれいなブルーの船底塗料で鮮やかでした。機走速度の遅さが気になっていましたが、フジツボなどをきれいにしたら7ノット出たそうです。
昨日の日曜日は、整備後の試走と連休クルージングの準備です。この日は、兵庫jrに他クラブから寄っての合同練習も計画されており、9時に芦屋YHに寄りました。天気もよくいい練習日よりです。チビッコセーラーが船の準備をしているので、カメラを出してきて数枚撮りました。マストトップにメジャーを引っ掛けてレーキを測っている子や、親子であれこれやってる子、こういうところからヨットを始められる子は幸せだなあと思ってしまいます。
私は高校ヨット部からヨットを始めましたが、いつも横には勝負があり、楽しむという点で片手落ちだったように思います。遊びの延長からヨットを知り、レースでの勝敗にこだわるようになっても、ヨットとの接点が広く、いろんなヨットを知っている幅が余裕を生むように思います。次男を見ていて、つくづくそう思います。「一緒に沖に出れますか?」と声をかけていただきましたが、予定がありお断りしました。声をかけていただいて、ありがたいことです。
新西に回り桟橋に行くと船がいつもの場所に係留されています。船底もサイドもきれいで光っています。さすがプロです。ハッチを開けて風を通し、両面テープを買いにハーバー前のコープさんまで買出しです。戻ってくると、金野さんと渋川さんがおられました。豊三さんはこれから来られるそうで、お2人は食料の買出しです。早速、トイレの使い方などのパウチを両面テープで貼ります。すぐに終わってしまいブームの影で読書です。「そのときは彼によろしく」という市川拓司さんの本を読んでいますが、TV・映画でうけた「いま会いに行きます」同様、ゆったりさせてくれる本です。「いま・・・」もそうですが、今後この人の作品を本で読んでみようと思います。
金野シェフが料理に取り掛かります。私は水汲みぐらいしか出番はありませんが、いつもながらに手際よく、味も中々いけます。豊三さんも交えて食事をし、沖に出発です。いつもの南西が3m/sぐらいでしょうか。気持ちのいいセーリングです。国体予選が行われています。その向こうにOPが20近く練習しています。ハーバーでの給油後からラットを握りましたが、ウソのように軽くなっています。伊藤君の話だと単に塩が噛んでいただけだそうですが、それをとるだけでここまで違うものかと思ってしまいます。クローズのセーリングでも腰掛けながら楽にラットが動かせ快調です。ヘルムスを交代しマストに行くと、この風でリーサイドのサイドステイがダラダラなので、3周締めることにします。赤灯台沖のブイを回って、修理したスピンを上げることになりました。ポールセットしてシートをスピンにセットして・・・横でやっているレース艇に比べると何倍の時間がかかっているのだろう?ケブラーセール群の出場するレースでは邪魔になるだけのような気がします。ジェノアがライフラインの内側まで引き込まれているし・・・すごいなあ。
一文字の白灯台を回ってハーバーバックです。食器を洗い、連休に予定している初1泊クルージングに向けて、アンカーや救命ブイの相談をして解散しました。といっても私はそのクルージングには不参加です。かつて義理父の釣り行のお供で行った淡路島の由良が目的地です。予報では天気も良さそうだし、安全に気をつけながら楽しい航海になるといいです。

2006/4/24
昨日は海に行きたかったけど、マンションの臨時総会が2時まで伸びてしまい行けませんでした。今年は理事ではなく、例年なら委任状を出しておしまいなのですが、ちょいと揉め事が多く、総会が流会になってしまって、再びの総会でした。
争点は、数件あるが、みんな理事になった1人が、マンション管理規則などで決まっている100%を実現しようとして、話し合う余地なくごり押ししていることで起こっている。皆さんうんざりなのだが、過去の「まあしゃあないですなあ」と解決済のことまでほじくり返して裁判まで起こしている。マンションの共同財産を訴訟に使われてたまったものではない。
ということで、昼から浜に行こうと思っていたのに残念なことになりました。司馬遼太郎の「俄(にわか)」という800ページもある文庫本を読み、DVD「ラストサムライ」を観ておしまい。なんともまあ今一な日でした。
「俄」は、江戸から明治にかけて存在した実在の人物を書いたもので、司馬遼太郎節と言うのでしょうか、丹念に調べた史実を淡々と重ねられている。公儀隠密として大阪に潜伏していた親父が妻子を置いて行方不明になる。丁稚奉公をしていた万吉は、明日の米がない母親と妹のために手っ取り早くお金を作ろうと、奉公を止め「どつかれや」なるものになる。名主さんに過去帳から自分の名前を消してもらい親子の縁を切り、何をしても家族に迷惑がかからないようにする。まだ子供なので、当時の子供博打の行われている賭場に行き、お金にガバッと乗りかかる。当然どつかれるわけだけど、一切反撃せず泣きもせず、血を流しながらもただ黙々と懐に金を入れる。段々どついている相手が気味悪くなり放免される。これを毎日界隈で繰り返すと有名になり、顔を見せるだけで相手からお金を出すようになる。そのお金を食費以外みんな人に頼んで母親の家に放り込んでもらう。
15才になり、子供相手を卒業し、大人の賭場で同じことをし始める。賭場は利益は上がるが、禁制なので公には出来ないから死人がでたら大変。全く無抵抗なので、半殺しまでで止まるとんでもない生活をする。名はさらに売れ、質素な生活が染み込んでいるのでお金はたまる。大きな家を買って事務所ができる。あるとき大きな依頼があった。幕府が金に困ると、江戸の御用商人を遣い大阪の米相場を高騰させ暴利を得ることが時々ある。相手には幕府が付いており、役人まで相手方なので大阪の商人では太刀打ちできず中小米問屋はバタバタ倒れる。そんな時、この組合の長がやってきて、翌日の米相場をぶっ壊して暴落させて一矢報いたいと依頼される。相当金は溜まっていたので、米の値段など知る由もなかったが、手伝いのばあさんに聞くと、多くの庶民の助けになると知り人肌脱ぐ。200人の人足を雇い、相場に乗り込む。相手方が雇っていたヤクザ者が匕首などで対抗してくるが、手ぬぐいに石を包んでブンブン鼻目掛けて振り回すもんだから、追い散らされる。役人は、相場に不正が入らないようにここには入れない。外で捕り方が歯軋りして見ている。米が暴落するので大観衆が押しかけて応援してくれる。そこで200人が一斉に八方に散り逃げ出す。最後に万吉1人残り素直にお縄になる。凄惨な拷問が始まったが、元々どつかれ屋稼業で慣れている。決して依頼者を白状しない。奉行の方が感心して根負け、放免になる。この結果が、生涯年二千石の報酬を得ることになる。
そして今度はなんと奉行から依頼が来る。奉行は公儀からの役、つまり中央官庁からの出向だが、その下の与力以下は地元の人間という構造になっていて溝が深い。与力が商人と結託して密輸見逃しで賄賂を手にしているので、その内定に入った公儀隠密が捕らえられて牢に入れられている。隠密なので本名を名乗るわけには行かず、何処の牢に入っている何といおう名の者か分からない。ついては偽の罪人になって牢内を探ってほしいという依頼。牢内は牢名主に大きな権限があり、自治組織になっていて、ややこしい罪人は、お白洲もほどほどに、与力の命令で牢名主が牢内で葬り去る。外部には病死ということになる。万吉は毎日違う牢に入って理不尽な仕打ちを受けながらついに隠密を発見する。しかし、翌日には病死になる予定になっているという。牢名主の命を助けることを条件に1日伸ばしてもらい、隠密を助け出す。そしてなんと次の奉行として、助け出したあの元隠密がやってきて、悪与力と商人を捕まえるのも手伝い、そっちの方にも大きな顔が利くようになる。婆さん1人と質素な生活を続けているんで、訪ねてくる多くの不器用者に飯を食わせるのは平気でできる。その頃には、親分子分という契りは交わさないが、拒みもしないので、自称万吉の子分が山ほどできていた。
幕末が近づき、京都では倒幕の獅子たちが、その名の元に狼藉を働くが、幕藩体制の与力組織では組織暴力には歯が立たない。そこで藩に強力な警察組織を丸なげで作らせる。京都担当の会津藩が作ったのが新撰組。大阪にもつくられることになり、大阪の1/4を担当することになったのが1万石の播州小野藩。1万石とは、武士が30人ほどの零細藩で大阪詰は5人。5人でこの役目ができるわけがない。困った大阪在住家老は万吉に「武士になってその組織をやってくれないか」と来た。しかし藩には万吉に支払う財力がない。婆さんに聞くと、最近世の中が物騒になり、大阪湾から船で大阪に入り京都に倒幕獅子達が入っている。「人助けになる」ということで引き受ける。翌日万吉は京都の新撰組本陣を訪ね土方に面会する。「大阪に組織を立ち上げるが、おたくの真似だと言われたくないので視察に来た」と言う。さてこれからどうなるのか・・・
映画のビデオ・DVDは10本も持っていないが、その中の1本「ラストサムライ」鑑賞はとてもよかった。「日本は少数の者によってすばらしい秩序を保ってきた。それは『名誉』」で始まり、数箇所武士道という言葉が出てくる。「利より義、外見ではなく心の品を大切にそういう家系であろうとする」目指し、凛とした生き方をしたい私の琴線に触れる映画です。また凛の気持ちが充電できた。そう思えば、充実した1日であったかもしれない。

2006/4/17
昨日の日曜日は、新西宮YHでの「山村さんを偲ぶ会」でした。ミュンヘンオリンピックのFD級代表です。遠目で見たトラピーズでフルハイクして快走する山村兄弟艇はかっこよかったなあ。ドラゴンに乗るようになり、近年ドラゴン級に情熱を燃やしておられる山村さんとレースができるようになり、雲の上の方と同じ場所にいる自分が不思議な感じでした。
雨模様を覚悟していたのですが、朝は曇空です。適当に風も入っており、このままの天気ならいいのになあと船に急ぎました。先週作ったトイレの使い方をパウチしたものをエルシノアに置こうと少し早めに行ったのですが、エルシノアに乗ろうとした時、「ザザー」って水の音がしました。「あれ〜」、とても嫌な予感です。船に上がってみると、ラット横のボックスから水がコクピットに流れ出ています。ドキンとしてしまいました。「ドッグハウス内も水びたしなら、ドラゴンのレースどころではありません」。すぐにカギを開けて中を覗くと、ドッグハウスはドライで安心しました。水をかい出しながら原因を探っていると、ボックス内の排水網が詰まってしまったようです。そこを指できれいにすると排水ホースの方に流れ出しました。幸いコクピットの排水穴は塞がっておらず、ここ数日の雨は流れ出していたようですが、もしここが詰まると、イグニッションが水浸しになり、エンジンがかからなくなるかもしれません。今後点検しておく必要があります。本当はもう少し掃除をしたかったのですが、渋川さんからの約束の時間8:30が迫り、乾かすためにボックスを開けたままにしてドラゴンに急ぎました。
久しぶりのドラゴンの艤装でしたが、思いの他スムーズに運び、9:30のハーバーの下架作業開始時間を待つ余裕がありました。ハーバーインフレータブルに引っぱられ、山村さん海上偲ぶ会場所に移動です。芦屋YHからも、ジュニアやレーザーフリートの方が多数出てこられており、かなりの数のボート・ヨットが集まりました。各艇に花束・ホーン・御骨が配られ、私は御骨の役です。ゆっくり時計回りに全艇が回り出し、トランペットの調べで黙祷、ホーンの合図で御骨を、そしてお花を流し、最後は各艇の鳴らす長音一声でお別れをしました。生前の行いの賜物でしょうが、大勢の方に送られて御霊も幸せでしょう。
続いて、徐々に上がってくる風の中、ポイントレースに向かいました。ドラゴンが8艇揃っています。今回はスキッパーをすることになりました。一番重要なミドルを渋川さんがされます。クルーは力なしですが何となくできるようになったのですが、ミドルは役に立たないでしょう。この日のスキッパーとしての課題は、ランナーをちゃんとすることです。でも何度も忘れてしまいまだまだです。ツイーカーも忘れてスピンを飛ばし、ジャイブ後クルーがポールセットに時間がかかります。真っ直ぐ舵を引くだけしかできない半人前というところです。
しかしながらこの日は手ごたえがありました。10月のインターポートでJPN28田中さんの船でスキッパーをさせてもらい、ボートバランスというか、ジブラフの裏風の入り具合というか、速いボートの感触を感じたのが大きかったと思います。その後の最終ポイントレースでダンシングクイーンでもある程度再現できました。極楽地さんからボート上で学んだことや、桟橋で田中さんが教えてくれたことで、段々ドラゴンが分かってきた感じがします。
1レース目は2位で上マークを回航できました。田中さんには負けましたが、昨年のラッキートップより嬉しかったですね。前回は誰も西に行かないところを1艇だけで行ってトップでしたが、はっきり行ってケアーされていないからフリーで行けた感じがします。でも今回は、走り負けしていません。私はレースで参加できなかったのですが、1週間前の整備で船が速くなっています。全日本王者平井さんも来てくれて、平井さんの船のチューニングをコピーしたようです。
アウター有利、下2でスタートし、タックできるタイミングまで下1の田中さんについていけ、タック後ポートにベアが少しづつ入る感じはありましたが、下先行艇が前に消えていかず、走り勝っている感じです。背中の田中さんのバウが下に落ちてきているのを見ても下先行有利なはずですが、位置をキープできています。その時点でタックを入れて、田中さんのバウを切るのも作戦ですが、やはり6艇が下にいる状況ではそれはできず走り合いに徹しました。
上回航後田中艇に近づく場面もあり、先行艇に後ろを気にさせる時もありましたが、ブランケットコーンを探るもうまく掛けられず、下マークでは差を広げられてしまいました。渋川さんから「今日は順位守ろうぜ」と声がかかりました。スピードの感触がよく自分でも守れそうな気がします。下マーク回航がまだドラゴンの回航半径がつかめずいつも今一で、先行艇をリーバウに置けません。この状況では段々遅れていくのですが、案外粘り、少しづつ高さを上がって、左有利?と思わせて先行艇のタックを狙ったりしましたが、百戦錬磨の田中さんはクローズの角度を守り、より先行を許しました。しかし後続の勇さんは苦しくなってタックし、順位を落としました。東海面は良くなかったようです。よくあるパターンです。次の上マークで3位と開いたので、最終見通しをルーズに取りましたが、風が6m/sほどに上がってきた状況では、スピードアドバンテージがなくなっているようです。ウエザーヘルムがきつく、カニンガム・バングをいじくりましたが、トラベラーで逃げる感じになっています。まだまだフルパワーで走れるはずです。後続艇を離せません。むしろ詰められている嫌な感じでフィニッシュしました。
2レース目は、本部船有利のスタートラインです。ここまで風が西に振っているようです。皆さん本部船狙いのようで、上に放り出されるのを嫌い、上のデンジャラスライン内に早めに入りましたが、メインシートを出しすぎていたようで、いいタイミングで引き出したつもりでしたが、完全に遅く、メインシート自体を引ききれずメインがシバーしてしまいました。まるで素人です、かっこ悪〜。下3の田中さんにバウを出され終わった状態でしたが、案外粘ります。後で考えれば、その他の3艇が即タック気味に西に行き、自艇も西に行きたかったのだから、セールを緩めスピードを落として早めにタックを入れた方が良かったです。田中艇に接近しすぎてついていけていたから、積極的な次の行動が出来ませんでした。
タック後暫くは、下先行艇に負けていない感じだったのですが、レグ中盤から窓から見えていた下艇が窓の前に消えていきました。西に風が回っています。下艇がタックして来て10艇身以上前を切られる状況で、そのまま切られたのはミスでした。ここはバウを切られる前にタックを入れて東に行った2艇にミートしに行くべきでした。東の艇はうちよりもっと悪い状況でしょうから、バウを切れたはずです。下受けしなかったからタックのタイミングが遅れ、結果オーバーセールで、東海面艇にもやられてしまいました。風が上がってセーリングに余裕がなくなり、タックの基本動作にまだ自信がないので、どうしても動作を少なくしようと考えてしまいます。6位回航でした。やはり東に行った艇は4位が精一杯です。次のスピンランは風が上がったので基本動作が今一になってしまい、下マークで1艇やられてしまいました。下回航後、みんなについて西に行きながら、西に大きめに振れる状況になり、バウが落とされ先行艇のブランケットが来ました。ここでタックです。フレッシュをつかみなおすことになり、いいタイミングのタックでした。上マークが12:30に見え、ブローによっては12時になります。うちよりさらに西に行った先行艇はオーバーセールです。マークに近づくと下振れがきて、先行艇との差を詰めることができました。
バタバタ気味ながら、何とか大きなトラブルなしに下マークを回航し、一路西に向かいます。先行艇が牽制しあってか、タックを返しました。希望が出てきました。ここでスキッパーが走れば、きっと西有利に振れるはずだから逆転も可能です。「ようし、諦めないぞ〜」って言ってしまいました。そしてタック。これがオーバーセールでした。ロングの見通しは難しいです。ドラゴンの風速ごとの登り角度がまだよくわかっていないので、かなりのオーバーです。それでもフィニッシュでは先行艇に追いついて、ジャストミートの4位争いに食い込めました。5位だと思ったけど、最後はよくがんばりました。あと1つ2つミスが減れば4位以上にはいけたと思います。あの失敗スタートからでも十分戦える感触を得ました。
陸に上がり解装をしていると、朝に続きセールメーカーさんが来られました。田中さんに紹介してもらった田中さんと同じニューセールを購入したのですが、気になったのか渋川艇の様子を見に来られたようです。前のセールより十分速いです。渋川さんも満足そうにメーカーさんと話されています。
着替えて6時からの「山村さんを偲ぶ会」に備えます。ちょうどこの日は、フローティングボートショーです。エルシノアに回って、朝乾かしておいたコクピットサイドボックスを閉め、ボートショーが開催されているゲストバースの方に行きます。ボートの出品の方が多いですが、ヨットの方は羨ましいほどのものが浮かんでいます。一番気に入ったのは、ハンゼです。エルシノアと同じ34フィートですが、頭の高さが室内の端まで高く圧迫感がありません。横幅も広く感じます。ただただ「いいな〜」でした。
6時から「偲ぶ会」が始まりました。出身の甲南大学関係者がメインで、レーザーやドラゴン関係者、ハーバー関係者、それに多方面のヨット関係者が100名以上集まりました。挨拶に立たれた方々が生前のエピソードを交えてスピーチをされます。それを聞きながらKGの先輩が多いのに気づきました。各方面の世話役をしておられます。頭が下がります。
最後に山村さんが好きだった「海、その愛」(加山雄三)を全員で肩を組んで歌いお開きになりました。「命に限りのない向こうの世界で思いっきりセーリングを楽しんでいるでしょう」という言葉が印象に残りました。

2006/4/10
日曜日は、芦屋に兵庫ジュニア主催レースのヘルプに行って来ました。本当は、琵琶湖の次男君大学ヨット部新入生歓迎試乗会に行きたかったのですが、小巻さんからの電話で・・・。昨年の試乗会では、レスキューの運転手をしました。レスキューを沖に停めて大勢の新入生をヨットに乗せる手伝いでした。大学受験をくぐって入学式を終えたばかりのティーンエイジャーと話をしながら、手伝いができるのは楽しいことです。中でも最も嬉しかったのは、470に乗るためにトラピーズハーネスを着ける時です。男には指示するだけで、おかしな所があると手を貸すだけですが、女性には当然もっと親切です。だってきちんとつけていないと事故の元ですので仕方ありません。腰のベルトがゆるいといけませんし、肩ベルトも・・・。「ハーネスを履く時フラフラするなら私の肩につかまってもらったらいいよ」なんて実に親切です。「役得やなあ」なんてチラッと頭をよぎります。今年は、京都女子大からマネージャー志願者を琵琶湖まで運ぶ運転手に立候補してたのに、OPのレースとは・・・ローティーンやそれ以下だものなあ・・・。琵琶湖に参加する次男君が少し羨ましくもありました。
さて、朝一番に浜に寄り、船のスピードメーターのチェックです。スピードメーターは船の底に差し込むようになっています。外に出ているプロペラが回ることでスピードを測ります。しかし小さな部品ですので係留していると、フジツボなどがついて羽根が回らなくなり計測不能になります。本来係留中は抜いておくらしいのですが、抜くと栓をしないと海水が流れ込んで船が沈んでしまいます。その栓を発注するためにはメーカーや品番が必要ですが、それがわからず船に見に行きました。どうやらSILVAらしいですが、部品に品番などがなく、これでヤマハに問い合わせることにします。
その後芦屋に回ると、既に大勢の方が来られています。兵庫ジュニアの隆盛とともに、年々参加者が増えている感じで、ありがたいことです。天気予報では、終日1m/sの風速となっていましたが、北東の風が3〜4m/sぐらいは入っている感じです。いつも安定しない東の風が予報されていたので、朝の風のある間に出来るだけ多くレースをしたいものです。今日の役目はBG号でブロンズクラスのレースサポートです。このレースは上位1名にOP全日本の参加資格がありますが、ブロンズクラスは最初からその資格を捨てて、レース経験を積むのが目的です。だからBG号はレース海面に入ってアドバイスします。
朝田中お母さんから、「ブロンズの数人は沈したら1人で船を起こせないからお願いします」と言われましたが、小学校低学年なんて、まだ体が小さいから出来ないのが普通ですね。それより、いつもハーバーの前の波のないところで練習しているのに、あんな沖のレース海面まで行くだけですごいです。この子達にとっては、それだけでも「冒険」の類じゃないかなあ。普通、岸から米粒ぐらいにしか見えない海の上で1人で船に乗ってるだけで同世代にとってはとんでもないことです。
ハーバーでフラッグが上がり、出艇して行きます。OPの大きい子達が小さな子をサポートして海に出しています。勝手の分からない他クラブの子達にもさりげなくサポートしています。大きいと言ってもまだ中学生なのに、偉いなあと思いました。親達から時々言われているのかもしれませんが、義務とかやらなきゃという感じではなく、さりげなくというのが伝わってきます。自分たちもチビの時困ったから小さい子の気持ちが分かるのでしょうね。
BG号は、一番最後から遅れた数艇を引っ張ってレース海面に急ぎましたが、こんな遠くまでの大冒険を1人でやってのけたブロンズクラスの子達が数艇既に着いています。小巻さんが、「スプリット、もう少し上げて」とか声をかけています。風は4m/sを越えそうな勢いですが、恐怖でこわばった顔がありません。優秀です。そして第1レース。スタートラインから段々離れていき、スタートできない子もいるかなあと思っていましたが、第3線スタートであっても、ちゃんとスタートしていきます。「みんなスタートできるやん」と小巻さんに声をかけると、「スタートは出来ます。でも朝のミーティングで”リコールしよう”と言ったのに、第3線はあかんなあ」とえらい高いレベルの答えが返ってきました。ブロンズクラスの小巻主任コーチは、なかなか上手に教えているようです。
レース艇団を追いかけながら、クローズが明後日の方向になってしまう子を追いかけて、「テルテール見てごらん」「もっと上れるよ」「シートが甘いよ、シート引いて」「もうすぐ上マークだよ」って、まあ忙しい。言い過ぎてもいけないので、ちょっとアドバイスしては離れてしばらく放っておく。このバランスがとても大事で、自分で考えて自分でやってみる時間がないと上達しない。
上マークを回ると、フリーはスイスイ行きます。最初のレースは広島から来てくれたOPを始めて1年の佐々木君がビリになっちゃったけど、これはセールのセッティングの問題が大きかったようです。マストのピークとセールが離れていてラフが浅くなりすぎています。メインシートが引ききれず、しかもバングがゆるいので風でリーチが開きすぎています。さらにラフがきつすぎてスピードリンクルもなく、走りにくそうです。レース後広島のコーチボートにそのことを言いに行ったら、友絵ちゃんがコーチとして乗っています。いやあ久しぶりです。OP卒業して今は何に乗ってるのかなあ?2レース目からきれいにセットしてもらい佐々木君もスピードが出てきました。
各クラブのコーチボートを見てビックリしました。藤沢はこっちで借りたのか?ハードボートに乗ってるし、なごやなどは今話題のスロベニアのインフレータブルです。TOYOTAのロゴがトランサムに書いてあり、羨ましい限りです。
全部で4レースできましたが、最後の方のレースでは、ブロンズクラスの数名がもう限界になっていました。一番面白かったのは、内田さんとこの子で、参加最年少子かな?クローズで完全に寝ていました。遠目ではちゃんとしているように見えなくもありませんが、どうも船の前に顔が向いていないです。少しうつむき加減でブームの下の方を向いていて顔があまり動かない。長年OPをやっていると分かります。sleepy modeに入っているようです。気づかれないように近づいて、写真をパチリ。しかしながら、それなりには走っているから不思議です。内田君は天才かもしれません。小巻さんがアカクミに少し水を入れて「パチャ」ってかけます。驚いて目が開いた内田君に、「波や」なんてうそ言っちゃってます。アハハでした。上マークにいたお父さんが息子を見て、「もう限界ですね〜」って。
最後にクロージングセレモニーです。レース結果は、さすがに今年のナショナルチームは速く、みんな上位です。SRは相変わらず奥村君が強く他を圧倒しています。その他に飛び賞があり、ブービー賞の内田君が嬉しそうです。ター君が初レースの関西選手権でブービー賞や参加賞をもらってすごく喜んでいたのを思い出します。大人にとっては大したことないことでも、こんな小さな子には宝物です。これが内田君の長いヨット人生の出発点の1つになればいいなと思います。いっや久しぶりのOPは面白かったです。

2006/4/3
日曜日は、ドラゴンの整備予定でした。しかし当日は朝から雨模様です。前日の連絡どおり、整備は中止のようです。昼から兵庫jrのバーベキューに行こうと思っていましたが、出かけようとしたとき、あまりの大雨にめげてしまいました。3台も車があるのにみんな出払っていてバイクしかありません。少々の雨なら平気ですが、こう本格的に降られると仕方ありません。
小降りの時を見計らって店に行き、ゴソゴソしていましたが、その間に道に停めていたバイクの前が割れてしまいました。多分停めた時前に停まっていた車が知らずにバックしてぶつかったのでしょう。ありゃりゃとは思いましたが、まあ仕方ないです。壊れた部品を拾い、接着剤を買い、今日からゴソゴソ修理です。
先週は光ウィークの嬉しい知らせが届きました。FJ級とシーホッパーSR級の両方で兵庫jrの選手がアベック優勝しました。強豪の九州の選手が参加していませんでしたが、これまた強豪の碧南が来ていた中での優勝はすばらしいです。しかも強風でぶっちぎるそうで、頼もしいです。
FJ優勝の笠井君・西尾君、SR優勝の笠田君3位の山本君だったっけ?、4人ともKG系列高校生、KG中の西尾弟君もアジア選手権日本代表に選ばれたし、KGヨット部の将来は明るいです。先輩方が系列中の土曜講座で継続してやっているヨット講座から、続々有望新人が出てくるでしょう。彼らが大学に上がってくるまでに、いい道具を揃えておきたいものです。そのためには計画的なお金の使い方が大事です。なんと言っても資金は限られていますからね。

2006/3/27
金曜日は、次男君の学部卒業式でした。甥君(家内の姉の子)も同時に卒業なので、姉妹で卒業式を見に行くことになっていました。朝ピンク基調に黒のアクセントのあるスーツを着た家内と次男を駅まで送って行きました。おしゃれをした家内は中々のもので、次男との2ショットを玄関で写真に収めました。ここでの写真は、長男君の中学入学式に向かう2人を撮って以来です。次男が家内を連れて行く感じで京都に向かいました。この日は、長男のMコース卒業式でもありました。前夜家内が、「次男の卒業式に行くから、あなたの方には行けないわ」と言っているのを聞いて知ったのですが、「学部の卒業式じゃないから親なんて来ないよ、というか来んといてよ」なんて言われていました。そう言えばあの日まだ長男は寝ていたようですが、卒業式に行ったのだろうか?
京都の卒業式は、卒業生2700人が体育館1Fで、親達は2Fの観客席に陣取るようです。姉が先に席を取りましたが、あまりに多い卒業生の為に息子たちが何処にいるか分かりません。そこで、式が始まる前、なんと姉は息子達に電話を掛けました。甥君は、いつもの留守番モードで出ません。次男君は電話を取り、リクエストに答えて、後ろを向きても振ったそうです(こんなことやる親子って変じゃない?)。式が始まると新庄ばりの5レンジャーが登場し、壇上に女子学生が上がると、それをサポートしたそうです。壇上の教授連も笑っていたようです。校庭にある初代校長の銅像が、ゴルゴ13やスッパマン氏に1夜にして変装させられ、それをそのままお咎めなしにする校風ですから、毎年こういう輩が登場するのかもしれません。他に頭にでかい椰子の木が生えた南方系衣装の卒業生もいたそうです。外に出ると、応援団やチアリーダーがエールを切っており、十分雰囲気が盛り上がった親達が生協で学校グッズを大量購入に走っていたそうな。もちろん家内も大量購入してきました。ペナント・小さな甥姪達にあげるしおり・ファイル・携帯電話を持っていないのに携帯ストラップ・・・「この携帯ストラップ、くれる?」「だめ〜、記念に置いとくの〜」だって、「なんでやねん」
そのまま次男は、翌日から琵琶湖で始まる同志社ウィークに向かったそうです。その夜は、家内から写真の説明を聞きながら眠りにつきました。長男君は、帰って来ません。卒業式に行ったような気もしますが、ヤツは何処をほっつき歩いているのでしょう。

日曜日は、朝から同志社ウィークに向かいました。朝京都の艇庫に着くと、何と前KG主将梅ちゃんがいました。どうやら次男と組んでレースに出場しているようです。しかも清風高校OBチームという所属名です。高校時代のコンビ復活です。もうOBになったので、練習でしか使わない船を2人でチューニングしていました。「これで今日は走るなあ」なんて言ってました。土曜日は交代でスキッパーをしたようで、14位と26位フィニッシュでトータル16位です。この日は風が入らず結局ノーレースになってしまいました。次男は同回生と食べに行き、梅ちゃんは柳ヶ崎で開催されているFJの琵琶湖レガッタに出場している清風高校の方に行きました。例年どおり、北大が京都の艇庫に泊まりながら練習に来ており、東大からは川田君1艇だけが来ていました。
11時半にノーレースの連絡があったので、西宮に戻り船で読書をすることにしました。途中で先日村山さんから聞いたことを思い出しました。「スピードメーターは微妙なものだから、使うときだけ着けて、停泊中は抜いておくのが普通だよ」。ヤマハに寄り、スピードメーターを抜いた時に入れておく栓を聞きましたが、あいにく分かっている方がいません。ウィークデーに連絡することにしました。桟橋を歩いていると中村さんが船の後始末をしています。寄ろうかと思いましたが、神田さん?と親しく話をしているようで遠慮しました。船の空気を入れ替えてエンジンをかけていると、レージージャックのロープが変わっています。昨日来られて交換されたんだ。脚立を作る時にホームセンターで買って来たロープの残りを使われたようって、ヨット用ではないので耐久に問題があるかなあと思いましたが、その時はその時でまた考えればいいことです。少しづつ船がきれいになっていきます。本を読んでいると、シグナスさんが帰って来て柴田さんが、「1人か?昨日みんな来とったぞ」って。新西のレースの帰りのようです。シグナスはいつも成績がいいので今日もよかったのでしょう。ツインスターもレースに出ているのでしょうか?出払っています。4時前まで船で本を読んでいましたが、冷たい風が出てきたので退散です。船で本を読んで、ウトウトできるなんて幸せな時間です。
家に戻ると、長男のスーツケースが出ており、家内が食事中、「ご飯は?今から買い物に行ける?」。今晩からまた長男は旅行のようです。「結局何処に行くの?」「プーケット」「タイだよね、007のピピ島の近くだよね」。JR尼崎まで長男を送り、その帰りにニトリで、クローゼット用アクリル整理箱を3つと枕兼用マット、それに洗濯籠を購入です。家に帰り、来月から会社の寮暮らしになる長男の荷造りをしながら、新しい布団にしようと言う事になり再びニトリへ。
なんか本人はリゾートへの機上の人になってるのに・・・なんで親が荷造り?って思いながらも、家内が廊下や部屋に荷物を積み上げて生き生きとがんばってるので、やらねばなるまいて。「ちゃんと拭いてから入れてあげてね」「ハ〜イ」。
ゴソゴソ家内の手伝いをしていると、いろんな発見があります。金曜日に我子達が獲得してきた学位が2つ。次男のは昔ながらの賞状タイプで筒に入っている。長男のは学部の時と同じようにノート型でスマートでコンパクトです。こっちの方がいい感じです。次男に言われて持って帰ってきた荷物に成績表なるものがありました。でも封がしてあって中が見れない。「どんな成績だったんだろうね」と家内に言うと、成績表あるよって別のものを見せてくれました。卒業単位は3年でオーバーしていました。ようがんばったなあ。

木曜日から始まったOptiナショナルチーム最終選考会で、アジア選手権とヨーロッパ選手権代表に兵庫jrチームは計3名の枠を取りました。まだアセアン選手権や北米選手権枠が出そうですので、5名全員のナショナルチーム入りも夢ではなさそうです。

2006/3/20
昨日は、待ちに待ったニューセールでの初セーリングです。クルージング用のヨットのセールが、もうかなりくたびれていて、昨秋から買い換えようかという話が出ていた。和歌山や四国への往復で破れてしまっては、エンジンでずっと走らなければならない。そうなると、楽しさが半減してしまいますからね。年末には出来上がっていたのですが、どうせなら春になってから新しいのを付けようということになって、セールメーカーさんに預かってもらっていた。フレーザーの村山さんに作ってもらいました。村山さんは学生時代西宮YHの隣の艇庫近大の3年先輩です。次男がOPをやっていて、琵琶湖でのレースで村山さんを見たときにはビックリしました。私は後輩なので覚えているは当たり前ですが、村山さんも覚えていてくれていて嬉しかったです。私は高校生からヨット部だったので、4年間も隣同士の艇庫だったからかもしれません。うちのグループは、3年上の先輩が中心なので、村山さんのところなら、値段も品質も無理を聞いてもらえるから発注したのかもしれません。まあ少しでも儲けてもらうなら、知り合いの方がいいですからね。
1週間前の土曜日に、村山さんが来てくれて、新谷さんとお嬢さん含めて3人でセールをセットしてくれました。あ、お嬢さんは名大に合格したそうです。おめでとうございます。賢いなあ。なんとメンバーのお嬢さん方3名揃って、今年から大学生で、名大に女学院とみんな賢いです。
朝集合時間より少し早めに船に行くと、新谷さんも到着でした。2人で前のセールをたたんで、いざと言う時の為に、船の邪魔にならないところに片付けて、私は脚立を用意します。渋川さんの奥さんも来られるので、乗りやすいように桟橋に置きます。まあ、奥さんも元母校ヨット部員で、名前が変わる前から知っている方ですが、でも今はもう、走り回って海にジャブジャブ入る感じではありません。男どもだけが、相も変わらず同じようなメンバーとバチャバチャやっています。成長がないですねえ。
集合時間になると、休みの関係であまり来られていない原さんがやってきました。「久しぶりです」。しかし、何故かスーツです?今は会社のクレーム部門におられるらしく、クレーマーさんと話し合いがあるらしく、お昼までしかおれないらしいです。母校OB会理事の先輩2人が、12時まで理事会に出席なので、せっかく来られたのだから、それまで1時間ほど沖に出ることになりました。
沖は、アベレージは4m/sくらいでしたが、時折10m/sオーバーのブローが入ります。強烈なブローが練習している学生集団に入ると、パタパタと数艇がひっくり返ります。兵庫ジュニアのチビッコが4艇だけ朝から沖に来ています。近づくと、こちらを見つけて「こんにちは」。今週末の世界選手権最終選考会に向けての最後の練習です。チビだけど、安定している船型のOPだから、学生よりよっぽど安定して走っています。遠くに見えるKGの練習に出ているであろう原さんと同期の河野さんを目指しましたが、ブローが入りブローチング気味です。フリーなんだから、当て舵で下に落とせばヒールが立ってくるのに・・・上に向けて風を逃がそうとされています。学生時代は、ガンガン落として突っ走ってはったのに、原さんもやさしくなったなあと感じました。渋川さんの奥さんを落っことしたら大変やし、船内のものをひっくり返してもあかんし、リーフして機走に切り替えを提案しました。私もかなり弱気です。
お昼にハーバーに帰ると、メンバーが揃っており、みんなでバーベキューです。しかし、ここで問題が・・・今日の天気は時折雨というか雪が舞い降ります。「ハーバーのバーベキューのところでしようや」「え〜、雪ふっとるぞ」「すぐ止むって、外の方が面倒やないで」「船でしようや」。先輩方がてんでに、笑いながら言い合っています。基本的にみなさんどちらでもいい感じです。私はこの船のメンバーでは一番下で、傍観者の如くです。3つ上の方が主力で、2つ上が2人です。全員母校ヨット部出身で、体育会という縦割り社会そのままですので、最終的には一番上の学年、さらにその時の元キャプテンの渋川さんの一声で決まります。食事関係は、当船のシェフ金野さんがリーダーで、バーベキューサイトを利用することになりました。みんな荷物を持って、ゾロゾロゾロゾロ。
私と森田さんが、場所確保の為にヨットクラブ事務所に顔を出すと、ここに勤めている元母校マネージャーさんがいました。TVは、始まったばかりの野球の韓国日本戦を流しています。1番青木が凡退です。クラブハウス横の場所を確保しようと交渉しに行ったのですが、ここはあかんそうです。この日はレースで、上の方の人が、沖のレース海面に出ているので、一存でOKしてえなと、笑顔の中にクラブの先輩という暗黙の力を込めて迫ったのですが、規則でそこはバーベキューが出来ないと決まっているようで、ダメでした。仕方なく、ハーバーカウンターでバーベキューサイトを借りることにしました。
「借りましたよ」という証明のパウチを持ってバーベキューサイトに戻りましたが、こんな天気の日にバーベキューをしようとする物好きがいるはずもなく、我々だけです。この日はゲストにセールメーカーの村山さんを迎えています。セールメーカーとお客さんという関係というより、同窓会のようなもので、昔ばなしに花が咲きます。
大体15分に1回、雲行きが怪しくなり、雪や小雨が降る天気でしたが、王ジャパンの活躍もあり、昔話に花が咲き楽しいバーベキューでした。しかし、みなさんヨット用のカッパを着て、傍目には修行僧のような宴でした。

それが終わり、いよいよ待望のニューセールのお披露目です。沖に出て、村山さんがリーフラインをセットして、メインセールがするすると上がります。真っ白なセールです。JPN6272・・・前のセールより浅いです。今時のセールという感じです。ジェノアも出しましたが、「この風でリーフはかっこ悪い」ということで、フルメインに変更です。フリーで沖に出し、クローズでハーバーに戻ってきました。初帆走はご機嫌でした。桟橋着艇は、渋川奥さんの出番です。なんと言っても最新の講習を受けて1級を取ったのですから、腕に自信ありです。
桟橋に戻り、お抱え金野シェフの焼きそばタイムです。私以外の先輩方は、ゲストのセールメーカーさんとは、10年とか30年ぶりとかいう感じなので話が尽きません。最後は、コーヒーアンドシュークリームのデザートタイムです。アルコールのダメな私は、実はこれが一番楽しみに待っていたかもしれません。隣の奥さんから、シュークリームを食べるのにダメ出しされた渋川さんの分も頂いてしまいました。このシュークリームは、原さんが持ってきてくれたのですが、不覚にも箱ごとちょっとひっくり返って数個形がかわいそうになっていましたが、味は最高でした。バーベキュー後は、天気もよくなり、楽しい1日でした。

2006/3/13
土曜日に、次男君の大学ヨット部卒業懇親会がありました。昨年初めて参加させていただいたのですが、かつての私を思い起こされ、とてもいいものでした。今年も再び呼んで貰い楽しみに出かけました。
京都に向かう電車で、リリーフランキーの東京タワーという本を読んでいたのですが、ちょうど泣けてくる場面になってしまい、このまま読んでいては周りの人にも恥かしいし、これはあかんと思い、すぐに本を閉じました。この本は、翌日仕事で行った淡路島への車中で読み止らなくなり、他のお客さんに分からないよう、壁の方を向いて涙を拭き拭き読み終えました。
リリー・フランキーなんて、リリーもフランキーもファーストネームみたいだし、性別はどっちなのか?それとも中間性の人なのか、変な名前と思って手にとった本ですが、グングン読み進めるかなりいい本でした。詳しくは書評ページに書くつもりですが、今朝TVで映画かドラマになると言ってました。
さて京都に向かう電車で本を閉じ、暫く後にしゃべる挨拶を考えてメモしていました。まあいつもの事で、考えた内容と相当ずれた話をすることになろうけれど、まあ一応ね。会場は、昨年同様京都駅隣のビルのアサヒビールホール内の部屋です。林部長さんの挨拶から始まりました。先生は世界的研究者のようなのですが、先生の話はいつも褒める感じで、短いのですがいつも印象に残ります。結果は相対的なことで、最後まで続けたことがすばらしいみたいな話があり、話そうと思っていたことと同じでした。「できた、できなかった」は神のみぞ知る世界で、「する、しない」「始めたら最後まで続ける」という自分の意志で決められることに値打ちがあるように思います。
卒業生が1人1人感謝の言葉を述べます。久しぶりに見る次男君は、母親譲りの色白に戻っていました。昨年は送る方の代表で涙でボロボロになっていましたが、今年は普通に挨拶をしていました。佐藤君・入口君。エリコさんが、話している途中でこみ上げてくるものが押さえられない様子で言葉が詰まったりしていました。「がんばれ」とともに、彼女とはレスキューでよく一緒だったので、その時のいろんな場面が、チラチラと頭に浮かんできました。鈴木さん・間嶋さん。みんなありがとう。そしてこれからも生涯続く同回生として、次男君を宜しくお願いします。
次々挨拶される中、東京からもOBOGさんが来られており、ありがたいものです。さて私の挨拶ですが、4年間で長足の進歩を遂げました。まだヨットとの関わりが始まったばかりなので、これからもずっと海で楽しんで欲しい。免許もちの女子マネさんを同回生に持って、成績の半分は彼女達が叩き出したもの。親として4年間のお礼をOBOGさん、そして現役みんなに。それからこれは最も言っておきたかったマネージャーさんの食事への感謝。毎週きちんとした食事を取れたことは下宿生の息子を持つ親として、最もありがたかった事でした。
次に、現役諸君からの言葉が続きます。2回生の金谷君の挨拶がとてもうまく、笑いを取る箇所が適当に散りばめられており、こいつできるなあと思ってしまいました。それから司会をした歌書君、彼はいい雰囲気を持っており、噛めば噛むほどいい味を出す感じです。とても上手に和やかに会を進行させていました。
最後は恒例のエール、そして応援歌、最後が全員で肩を組んだ「琵琶湖周航の歌」です。今年は外ではなく、店内で行ったので、一応個室になっていますが、店内全部にエールが響き渡ったでしょう。お客さんは突然の大声にビックリされたのではないかなあ。私が学生時代、他大学ヨット部にも関わらず何度も琵琶湖周航の歌を歌いました。元々次男大ヨット部の枝分かれする前のボート部の歌で、ボート部がもう周航をしていない今、脈々と伝統の周航を続けているこのヨット部が本家本元のような感じです。次男君が入部以来毎年琵琶湖周航に行く時、感慨深いものがありましたが、こうして私自身がそのクラブで肩を組んで歌っているのに涙が出そうでした。

電車での帰り、OBの恩田さん・上田さんとご一緒しました。今年、A級の関西選手権が大阪大学主催で、新西宮で行われるそうです。大阪からKGに協力要請があると思うという話でした。フルセイルを読んだ上田さんから、「インカレ予選最終日に顔が見えないなあと思っていたら、息子さんから遠慮してくれと言われたのですね」と言われました。「まあ、キャプテンとしてそれだけクラブみんなで一丸になりたかったのでしょう」と答えました。
帰ってから、そういうことが書かれてあるのかと、懇親会の最後に配られたフルセイルという卒業生製作の記念誌を読みました。先週家内が持って帰っていたのですが、感動するから懇親会が終わってから読んだ方がいいよと言われていました。とても読みやすい文章で、我が子ながらこの構成力、国語力は武器だなあと思いました。私たち親に対する感謝の言葉まで書かれており、家内もここに感動したのでしょう。写真が数枚載っていました。ヨット部創部70周年で琵琶湖クルーズ船ビアンカを借り切った時、次男君が挨拶している姿、国立7大学定期戦で大学での体育会壮行会で選手宣誓をしている姿、もちろんレースの写真もあります。最後に上田さん指摘のことが書いてありました。「最後に両親へ」という項目をわざわざ作って・・・。最初の「今一番言いたいこと」にも感謝の言葉があり、家内が言うように、心に強く響くものでした。
両親のおかげと書いてありましたが、事実はちょっと違う気がするなあ。お兄ちゃんが楽しく塾に通っているのを見て、早く通いたいという感じで、楽しく熱心に塾に通っていました。まあ、親夫婦もおじさん夫婦も兄も従兄弟たちも全員中学受験したので、それが当たり前だと思っていたようです。「お父さん、中学って受験せんでも行けるの?なんか友達がそう言ってた」って6年の夏前に聞いてきたときには、「そうや」と普通に答えましたが、「今まで知らんかったんや」と心の中ではずっこけました。
私が大学卒業してすぐ設立に関わった近所のジュニアヨットクラブに入部したのも本人です。ヨット教室の開催が載った伊丹市広報を見せたのは私だけど、お兄ちゃんは野球を選び、本人はヨットを選んだだけ。私がヨットをやってたからと、父親のためにヨットをするのは為にならないと、あえて教室には一度も顔を見せませんでしたが、もらってきた修了証書を手にもち、「僕クラブに入って、もっとヨットやりたい」と言ってきたのも本人。一緒にヨット教室に通った誰かに誘われたのかなあと思い、「他の子も入ると言ってるの?」の質問に、「僕だけ」との答え。
6年秋に、ヨット部のある清風中学に第一志望校を変更したいと言ってきたのも本人。慌てて、顧問先生に電話をすると、なんと現役時代定期戦で対戦していた3年上の同志社OBの西村さんが顧問先生だった。運良く合格したが、もっと偏差値の高い元の第一志望校にも合格していて、塾に報告しに行くと、「本当にそれでいいの」と何度も念を押されました。その後は塾にも行かず、黙々と勉強し、高2からの2年間は、クラブをしながら毎晩2時ごろまで勉強し、身体が大丈夫かだけ心配していた。この大学を受けるというのも知ったのは、センターテストの少し前。
学業成績にもヨットの成績にも何も言ってこなかった、ただ横にいただけ。ヨットのサポートは、小3での初レースでスタート前に沈して引っぱられて帰って来てビリ、翌日の別のレースでは、ちょうどいい風で全レースフィニッシュできたがブービー賞、しょげてるかなあと思っていたそのレースの帰り、車の中で「レースめちゃ面白い、これから全部レースに出るから、全部教えてや」と言われたのを忠実に守って伝えていただけ。みんな自分で選択してこうなった。
3年の470全日本で、1上トップ回航と聞いて、私と全く同じ年齢の同じレースの第1レーストップ回航に運命を感じた。私は沈して順位を下げたが、次男君もやはり順位を下げた。でも総合成績は次男の方が上だったので、「抜かれたなあ」と思った。子供に抜かれるというのは実に気持ちのいいものです。
よく言われることですが、「親という字は、木の上に立って見ている」と書きます。それをしていただけで、これからもそうだろう。フルセイルに書かれていた息子からの過分な褒め言葉で、優良可の可ぐらいでは、親科目の単位がもらえたかなあと思いました。まあこれからも宜しくたのみます。

2006/3/6
日曜日は船に行く予定で、朝風呂でゆっくり本を読み、ゆっくり着替えていると、TVで相田翔子さんのヒストリーの番組が始まりました。これは見なくちゃと思い、11時の最後まで見ていました。「かわいいんですね」。基本的に丸顔でお肌のきめ細かい人が好きなんですね。家内に初めて会った時、きめ細かいほっぺたに触ってみたい衝動に駆られました。相田さんはそんな感じです。アップに耐えられます。
さて遅れましたが、ホームセンターで鏡をくっつけるテープを買って船に向かいました。ハーバー前の生協で弁当を買って船に着くと、金野さんがニス塗りをしておられます。桟橋には、塗り終えたスイタが乾かされています。さて、鏡と脚立の整備にかかろうと思いながら話していると、昨日勇さんから呼び出されて、ドラゴンのレース観戦をされたとのこと。「今日も出ようと思って、誰か来ないか待ってたところ」と言うことでした。風も穏やかでいい天気・・・早速海に出ました。
ドラゴンのレースを1レースだけ観戦し、セールをあげて神戸空港目指して帆走に入ります。いつもながら、メインを上げるとき、グルーブのカーが小さいので、何度も引っかかります。これもあと2週間で解消です。セールが風を流し始めるとスピードが増します。陽光にきらめく波を見ながら、気持ちのいい帆走です。それにしても何故こんなにすぐにヒールするのだろうと思ってしまいます。ボトムの形状がおわん型だからか?OPのようにもっとフラットボトムで横幅があったらヒールがましなのか?ヒールが多きいと居住性が損なわれます。ジェノアをリーフすることになりました。メインもすぐリーフできるように、エンドにリーフラインを常に通しておく方がいいのかもしれません。この日は陽光に誘われてか、多くのクルーザーが出ていました。
気持ちよく走っていたのですが、ゆっくりな乗り物故、中々神戸空港まで行けません。出発が遅かったので、帰りも考え2時半過ぎに引き返すことにしました。次回はもう少し早く出発する方がいいようです。もう1つ残念なことがありました。何度かタックをしているとトラベラーカーにトラベラーシートが絡み動かなくなりました。次のタックで元に戻るだろうとしていたら、さらにきつく噛んだようです。強制的に戻そうと軽くコンコンと蹴ると、シートが外れてカーが動き出したのはいいのですが、ポロポロとボールが落ちます。「ありゃりゃ、ラチェットが壊れたかな」と最初思いましたが、どうやらトラベラーレールとカーの摩擦を軽減するためのボールが出てしまったようです。よく見ると、カーの端のプラスチックのツメが折れています。ビスで留まっているツメなので、これを交換すればいいだけのようですが、金野さんがシートで応急に修理し、トラベラーが中央固定になってしまいました。あれくらいで壊れるなんて、劣化としか言いようがありませんが、宿泊する長距離帆走までに壊れる所は壊れて、安心できる船にならないとね・・・。
ハーバーに戻り、鏡と脚立の整備の続きです。今日で何とかかっこがつきました。金野さんの一連のニス塗り作業の方も一応終了のような感じです。ニスだけで、木部に光沢が出て、なんかとてもきれいになりました。後は外観です。船に向かう前に一点鐘に寄って、大野さんに教えてもらったイエロー・ステイン・リムーバーなるものを聞きましたが、ありませんでした。女の子に調べてくれるように頼んだのですが、「神谷君のお父さんですか?」なんて言われてしまいビックリです。聞くと彼女は、芦屋高校ヨット部出身で、梅野君の・・・という話しで、ははあ、彼女がうわさの・・・関大さんの・・・ここでバイトしてるんだ。思わぬ収穫でした。

自宅に帰り、風呂に入ってまたまた読書の時間をしていると家内が帰ってきました。次男君の下宿に行ってきたそうです。電話も掛けずに突然行ったそうですが、ちょうど下宿にいて、同期のマネさんの卒業作品展が行われている美術館に、その後5人ほどで連れ立って行ったそうです。次男君自慢のお母さんをみんなに紹介できて良かったんじゃないかなあ。帰りに、ヨット部の卒業記念紙フルセイルをもらってきた。
連絡がつかなかったので、電話もせずに下宿に向かったから、次男と会えるとは思わず、ケーキでも買って置手紙でもしてこようと思っていたらしいですが、日頃の行いのよさからでしょうか、会えたんですね。よかったよかった。
今回の家内の下宿行きには、何か二重の喜びがあります。1月のヨーロッパから帰って来た次男が、家内にペアコップを買ってきました。私でも知ってるちょっと名の通ったメーカーので、「高かったんじゃないの?」と聞きました。次男は、「まあ僕の買える範囲で」と答えました。ここで家内は、「おばあちゃんのお土産は?」「いいや買ってない」「じゃあ、これはおばあちゃんのところに持って行けばいいよ」・・・結局隣のおばあちゃんのところに持っていきました。それを見ていて、次男がかわいそうになりました。せっかくお母さんにと思って買ってきたのに・・・きっと、毎朝食卓でコーヒーを飲んでいるお母さんの姿を頭に描いて、品定めしていたと思う。包装してもらい、割れないように荷物に詰め、持って帰って来た。それが最後、お母さんの手に渡らなかった。次男の計画が最後に頓挫してしまって・・・かわいそうに・・・。家内はわが家の嫁だから、うちの親を大切に思ってくれているのはありがたい。でも我が子の気持ちをもっと優先して欲しい。
彼が高3の時の国体が福井県でありました。最後の国体になると思ったので、家内に見に行くように薦めた。見に行くことになり、電車の時刻表や道順も調べて手渡すと、「やっぱり行かない。レース分からないし。お父さんが行って手伝ってあげて」と言われてしまった。ガッカリしてレースに行くと、次男君から、「あれお父さんだけ?お母さんが来るんじゃなかったの?」と一言。かわいそうなことしちゃったなあと思いました。
お母さんという存在は、子供にとっては特別なものだと思っています。お父さんがどんなにがんばっても、足元にも及ばない存在です。だから最後の国体ぐらい、そういう場所で、何も分からず、何の役にもたたなくてもいいからただ見ているだけでいいと思うんです。それで順位が10番下がっても、何も問題がないと思う。その数倍の温かいものが、子供の心の中の映像に残ると思う。
おばあちゃんだけにプレゼントを買ってきたことだってある。みんな子供が考えることで、素直に「ありがとう」でいい。そうすると、受け取ってもらえるだろうかとか考えずに、自分が主体に行動できる。プレゼントされる方は嬉しいが、する方がもっと嬉しい。される方の喜びは一瞬だけど、する方は計画段階から相手の反応を想像したりず〜っと楽しみが続く。強い者・目上の者・年齢の上の者のyesの言葉が、弱いもの・年齢の低い者の自信やチャレンジする勇気につながると思っている。Noは人間をどんどん小さくすると思う。
遠慮はとても大切な心だけど、そのし過ぎはマイナスに影響すると、家内につい1週間ほど前に伝えたところでした。それが何処かに引っかかっての行動なのか、4年目にして初めて下宿を訪問した。そういう家内の気持ちも嬉しかったし、神様が次男とこれからも末永く付き合いが続くヨット部の友達を、家内に引き合わせたような気がした。
「フルセイルはお父さんには土曜日のヨット部卒業式でくれるらしいから、その式が終わってから読んだ方がいいよ。感動することが書いてあるよ」と言われて、フルセイルは読まないことにしたが、家内がしゃべる日曜日の様子を聞きながら、とても幸せな気持ちになりました。

2006/3/2
先の日曜日、尾崎八郎先生を囲む五合庵塾に参加してきました。その時、同期が新聞のコピーを配ってくれた。感銘を受けたので、下記にコピーしておきます。

神戸新聞 2005年11月28日
『アジアの赤ひげ逝く 岩村氏死去 生きるとは分かち合うこと』
「アジアの赤ひげが逝った。ヒマラヤ山中の無医村で18年間、医療奉仕に身をささげ、後進指導などに取り組んだ。
「日本人は物持ち、金持ちになった。これからは『心持ち』にならなければ」。岩村昇さんの言葉は今も行きつづけている。
広島で被爆した経験から医療の道に進む。骨を埋める覚悟で渡ったネパールで、12人の身寄りのない子供を養子として育てた。
帰国後は、「貧困から村を救える人脈づくり」を目指した運動を提唱した。「平和・健康・人づくり」の英語の頭文字から取ったPHD運動は、神戸市を拠点にしたPHD協会に発展し、アジアの研修生を受け入れるなど、草の根運動として結実した。
同協会総主事代行の藤野達也さんは、「国際協力で大切なのは物や金ではなく、人づくり。そんな視点を自然に持てるよう、仕掛けづくりをしてきた人だった」と惜しむ。「自分の考えを押し付けない、説教臭くない人。いつも『行ってみたら』『やってみたら』というのが口ぐせで、私もその言葉に乗って、今がある」と振り返る。
「赤ひげと呼ばれるリーダーを育てたい」と1968年、神戸大教授の職を辞してタイへ。「プライマリー・ヘルスケア・センター」の設立に尽力。その後功績を称え、ネパールには「岩村記念病院」が建設された。
2001年10月、神戸市内で開かれたPHD協会設立20周年記念式典で、車椅子に乗って挨拶した岩村さん。ネパールで病に倒れ、村人が調合した薬草で救われた体験を紹介。「生きることは分かち合うことと、今も心に刻んでいる」と静かに語りかけた。
<デスク日誌>・・・結核の老女を3日間、背負って運んだネパールの青年に謝礼を渡そうとした。「ドクター、おれは金儲けのために運んだんじゃない。若さと体力を、弱い人におすそ分けしただけだ」。岩村昇さんは、自ら言い聞かせるようにこの話をよくしたという。
*マニラでマグサイサイ賞授賞式で、ラモス大統領から賞を受ける岩村昇氏。1993年8月 の写真が載っていた。

2006/2/27
私のトリノオリンピックが終わりました。モーグルの上村愛子さんとフィギアの荒川静香さんを応援していました。上村さんは、前回のオリンピックで不満だったジャンプに磨きをかけ、参加選手中一番の出来だと思いました。そして、前回より順位を上げて5位です。メダルを期待していた向きもあるでしょうが、彼女はすごく満足できるスベリが出来たのではないでしょうか。さらに上に4人いただけの話です。ライバル達がいなければ、ここまで自分の技術が上がらなかっただろうし、結果は別にいいと思います。
そしてオリンピック終盤に荒川静香さんが登場してきました。ショートプログラムでトップとほとんど差のない3位です。そして迎えたフリーの演技、すばらしかったです。点数にならないらしいけど、あえて自分の良さを出すため、というより選択した曲にはこれを入れないと・・・ということで取り入れたらしいイナバウアー。特に良かったです。ライブでの拍手も、この演技の時が一番大きかったらしく、お客さんを喜ばせるのを、取り入れるサービスを感じました。
応援していた2人とも上々の出来栄えで応援した甲斐がありました。日曜日夜、がんばってる方のお母さんにスポットを当てた番組があり、よく見ています。昨夜は前回の予告編とは違い、荒川さんのお母さんにスポットが当たっていました。静香さんは、小さな時から抜群の運動神経を持っていたようで、何でもすぐ出来ちゃったようです。興味を示したスケートを、やらせてみたらドンドンうまくなってしまって、それをサポートするために、パートをし、衣装を手作りし・・・という自然な子供との付き合い、そしてできるだけのサポートに、こうでなくっちゃと思ってしまいました。上村さんにも荒川さんにも、こういう家族の自然なサポートの背景があり、こういうところを以前から知っていたので応援していました。
今回のオリンピックで、荒川さんの両親の露出が多くなりましたが、演技当日のお母さんが、「ここにいる皆さんの中で、私が一番大きな拍手をしなくっちゃ、それくらいしかして上げられないし・・・」と言った言葉にじ〜んときてしまいました。親なんてそうなんだよね。あそこがどうとか、ここをもう少しこうしなくっちゃとか言うんじゃなくって、大きな拍手して、「すごいね〜」って言ってればいいと思う。満足できない成績の時も、親だけは、「よかったよ〜」って言ってればいい。
私の理想としている、映画「ジョーイ」の親父さんと一緒。子供を不甲斐ない成績の時怒ったって、子供には何の益もない。番組中で、昨年の世界選手権で惨敗した静香さんについてお母さんが語っていた、「1番だって、7番だって、9番だって、みんながんばったの。その子の上に何人かいただけ。だからそのがんばりに拍手です」。
いやあ、私と全く同じ感じ方です。人には持って生まれたタレントというものがあり、どうにもならない部分もあります。結果を重視したら、高校野球で数千の負けの中にたった1つ勝ちがあるように、みんな敗者になっちゃう。結果じゃなくって、それに向かっての努力に目を向けると、みんな勝者です。結果は本人やコーチが自分の今の位置をみる指標で目標であればいいもの。チャレンジこそ、素敵なものです。

さて、日曜日は大雨で午前中船に行って整備するのを諦めました。午後からは、尾崎の八っちゃんを囲む会「五合庵塾」です。今回のテーマは、校歌「空の翼」を考えるです。校歌の出来たいきさつの説明、これは学校の大学承認にさかのぼる時代背景もからみ、興味深いものでした。続いて参加者全員の校歌への想いの発表がありました。各人それぞれの話を聞きながら、いろいろ考えてしまいました。
私も当然発表したわけで、親にやらされていた小学校までの屈折から、「ポプラは羽ばたく」の軽妙なテンポと明るい歌詞に出会って、頭に浮かんだ情景の事などを話しました。あのポプラは、サッカーグラウンド脇の通学路から見上げたポプラ並木で、その上に広がる青い空です。KG中で学んだ、「みんな神様の子供である。神様は世の中に必要な人しか生を与えない。自分の心に浮かんだ「・・・したい」「・・・になりたい」こそ神様のあなたへのメッセージで、たとえそれがいかに厳しそうなものでも、それに素直に従って行動すれば、あなたの一番輝ける場所に導かれる」を話しました。私の上にいた親がはずれ、私の上にはポプラ並木の向こうに青い空が広がっている。
子供の単純な「・・・したい」という思いや言葉に、親の不用意なマイナス言葉でその希望をしぼませてはいけない、という子供との接し方の延長に、昔で言う元服15才の時の手紙があり、それを書いて渡した。と話しました。会が終わって、その手紙に尾崎先生が興味を示してくださり、なんかこそばいような気持ちになりました。
その日の晩、先ほどの荒川さんのお母さんの番組・・・なんかそういう日だったんだなあ・・・

2006/2/20
昨日はドラゴンの整備の日でした。デッキのクラック補習でFRPを使うかもしれない日なのに、あまり天気がよくありません。午後からは雨と天気予報も言っています。車に、船の鏡と脚立と板を乗せて浜に向けて出発です。それに先日もらった賞状も積みました。
最初に、賞状を渡しに芦屋YHに向かいました。駐車場につくと梅さんがいはります。梅さん久しぶりです。私が行く時にはいつもいないのですね。今年卒業する長男君が学連関西団体制覇で、学校から賞状をもらったそうです。彼の大学ヨット部生活の締めくくりです。4年間どうだったのかな?
OPの子達が親御さんと出艇の用意しています。慌しくも楽しげな日曜日の朝です。賞状を渡すとちょうどこの日は親の会だそうで、東京の報告も兼ねて出席することにしました。いろんな意見が出て、月1回こういう話し合いの会を持つのは、情報の共有の面でもとてもいいですね。
すっかり遅くなりましたが、西宮に移動です。ドラゴンに寄りましたが誰もおられないのでパスして桟橋係留の船の方に行きました。鏡をくっつける面をさらに磨きあげようと、先週に続き桟橋でゴシゴシ。これぐらいでいいかなと思い、鏡を貼り付ける作業に入ろうとすると・・・「テープを車に忘れてきたことを思い出しました。先週、ホームセンターに接着剤を買いに行ったのですが、かなり磨いてもきれいに平にならない鏡を張る部分を頭に描くと、弾力性のある強力両面テープの方がいいのではないかと思い直し、買ってきたものです。
それを持って船に戻る途中ドラゴンを見ると、渋さんが来ておられました。一声かけて、先にエルシノアの鏡を仕上げてドラゴンに戻ることにしました。さらにサンドペーパーで磨き上げ、テープで鏡を付けます。それを洗面室に付けると中々の出来栄えです。いい感じで写っています。続いてもう1面張る作業に入りましたが、なんとテープがなくなってしまいました。う〜ん、また次に引き延ばしです。桟橋の脚立ですが、下に木の板をつけることにしました。簡易な感じですが、これでも乗り降りの安定はかなり増します。桟橋に細工もしないので、これでいいでしょう。後日ニス塗りをして完成にしましょう。
ドラゴンに向かい、サイドステイ・スプレッダー基部の浮き部分は、渋さんがきれいに直しておられました。ネジを留めていたFRP部の穴が大きくなっていて浮いてしまっていたのですが、チューブのものを注入するだけで、その穴が復活するらしく、しっかり留まっていました。さらにネジ山つぶれにも、怪しい液体をチョチョイとつけるだけでネジ山も復活するらしいです。見事に終わっていたネジ山を復活させて、ネジを新しいのに交換してありました。渋さん曰く、「DIYはアメリカやで」に、世の中にはすごいものがあると再認識しました。私はパテで、クラックを埋めました。とりあえずこれでいって、次の機会にFRP補習です。
エルさんに戻り、コーヒーと砂糖を補充して、コーヒー飲んで解散です。「国家の品格の本、読んだ?」と渋さんから。そうか、前の時はこの本を船で読んでいたので、私が読んでいることを知っておられたのですね。渋さんも読まれたそうで、しばしそれに関連した話をしました。社員さんに、「本を読みな」と言っているらしいです。「学力も最後は国語力」という話も出て、私と同じ考えのようです。同じ本を読まれたなんて、かなり嬉しいです。
私が本好きのこともあり、子供達が小さな時には必ず毎晩本を読んで寝かせたが、文章を書くのがとても得意な子になりました。作文コンクールで入賞したこともありました。センター試験後の、各校の2次試験は、記憶力ではなく総合力を試される問題が多いらしく、様々な知識をベースに、それをどう組み立てて相手に伝えるからしいです。長男の時はありませんでしたが、次男の時は、入試後学校から送られてきた成績表が送られてきました。合格者平均点など詳しい全体データと個人成績が載っていましたが、かなりの高得点で、センターの点数より2次試験でかなり点数を稼いだようでした。確かに、彼らの文章は、親が読んでも完全に脱帽の、まとまったものになっています。
私自身、大学の時、とてもまとまっていると教授に数度褒められたことがあります。1年の後期テストが全科目レポートになったときも、軒並み優を取れたし、卒論も学部で選ばれ、優秀論文冊子に載りました。今思えば、母親に毎晩本を読んでもらい、本だけはたくさん買ってもらったおかげかなあと思います。渋さんのお子さんが皆さん優秀なのは、国語を大切にする目で接してこれたらからかなあと思います。
渋さんは、先週大宰府と呉の大和ミュージアムに行って来られたそうです。大和ミュージアムは、映画の影響か、とても人が多かったそうですが、鎮魂とかそういう雰囲気ではなくて、「こんなんでええんか?」と思ったそうです。まあ熱しやすく冷めやすい日本人にはそんなものなのでしょう。私も、この映画を観た日は、感動・感動、戦争の理不尽を強く感じましたが、すぐにへらへら笑ってるし・・・典型的な日本人ですね。

2006/2/16
昨日は久しぶりに東京に行ってきました。土日と家内が横浜に行っていたので、まるで入れ替わりのようです。B&G伊丹海洋クラブのホームページが、B&G財団から表彰されることになったので、代表に行ってもらったらいいと思っていましたら、都合がつかないそうで、その代理で行ってきました。あのHPを立ち上げてから苦節10年くらいでしょうか、優秀賞に選ばれるとは、お守りをしてきた甲斐がありました。まあ最初の頃は大変でしたが、最近は親御さんから送られてくるネタを載せるだけなので、楽しちゃってます。
日本財団で開かれている全国教育長会議の最後に表彰があるそうで、時刻は11時過ぎということでしたが、会議を聞いていてもいいようで、朝一番に家を発ちました。新幹線では、5時起きの影響で、半分睡眠半分読書でした。今は藤原正彦さんの「国家の品格」を読んでいます。東京駅から地下鉄丸の内線で1つ目銀座下車、次に銀座線で2つ目虎ノ門が日本財団ビルの最寄です。新幹線内で事故のアナウンスがあり、東京駅では消防やパトカー・警官がたくさん出ていました。虎ノ門駅でも、機動隊のバスが3台停まっており、首都東京はいつもこうなのでしょうか。
日本財団には10時前につきました。周りは地域の教育行政のトップの方で、何か場違いな所に来てしまったようでした。この日は大会最終日で、パネラーの方を前に報告・質疑応答などがありました。子供には、知育・徳育・体育のバランスが大切ですが、B&Gが寄付した施設や事業の現場の方からは、体育を通して徳育に繋がったりする事例が報告されていた。BGはゲートボール協会も支援しているようで、お年よりのスポーツと言う感じだったので違和感がありましたが、元々はゴルフを子供向けにしたところから始まったそうです。続いて、日本財団会長で衆議院議員の笹川陽平さんの話でおしまいです。
そして最後に表彰です。BG広報大賞は、1500作品から選考されたそうです。TVの部5・新聞の部5・WEBの部3です。こんなに多くの中から選ばれたとは思っていませんでした。女優の岸ユキさん・生島ヒロシさん・神津カンナさん・読売新聞広報部長さん・ミノルタ広報部などが選考委員のようで、岸ユキさんから賞状を手渡されました。何か大勢の教育長さん達に拍手されて照れくさいです、でもいい記念です。その後2ショットの写真も写してもらいました。
私に少し遅れて、江ノ島ジュニアの松本さんが入ってこられました。元ドラゴンの東京オリンピック代表で、早稲田の大御所・・・というより、日本ヨット会の重鎮ですね。江ノ島は新聞の部で選考されたようです。会が終わって挨拶に伺うと、逆に年賀状のお礼を言われてしまいました。OPつながりで、長く年賀状のやり取りがあります。いつもなんかかっこよく、品があります。
Mさんは、在学中にお父さんのご不幸があり、奨学金で大学を卒業され、クラブの時間を削って港で働いて家族を支えたと聞いています。話していると、よく江ノ島ジュニアのレース志向過ぎるところを憂慮されます。レースでないヨットの事業が江ノ島ジュニアで次々に始まるのは、Mさんのバランス感覚のように思います。
この日も、「江ノ島のレース志向はいいんだけど、もっと別の底辺を広げないとなあ。今日の話を聞いていて、首を引っ込めたくなったよ」みたいな話をされました。私も子供達をバランスよく育てようと思っていたので、とても共感がもてます。まあ若い頃苦労なさった方なので、言葉に重さを感じます。

2006/2/13
昨日、日曜日はまた船に行ってきました。船の鏡が、ガラスではないので、気泡のように何箇所も膨れて、全然見えません。そこで、新しい割れない鏡を購入し、以前の鏡にサンダーを当てて、表面をある程度平にした後、くっつけることにしました。船から鏡の付いていた洗面所前の戸棚の蓋をはずして、桟橋に置いて、一身にサンドペーパーでこすっていました。

同じ桟橋に係留している方が寄ってきて、「こんにちは、・・・」。多分、何してるんだろうと見にこられたのでしょう。
「なんやおまえ、遠くから見てると、桟橋を磨いてるのかと思ったぞ」と先輩が通りすぎます。

船に向かって歩いているのを見かけたから・・・とお2人連れ立って船にやってこられた方がいました。こちらは、ドラゴンのライバルチームの方で、ハーバーレストランで食事をしていたそうです。
お一人の方は、次男大学ヨット部の隣の艇庫の学校の監督をしていた方のお父さんです。琵琶湖に行くと、よく息子さんと会います。ここの息子さんは、とても感じがよく、今年から就職だそうですが、きっと多くの方に好かれて、出世するだろうなあと思う子です。2回生の時に上級生がいなくなったこともあり、3年間キャプテンで、その後すぐに監督を2年間していました。1人でクラブを支えているようで、下級生をスキッパーにして自分はクルーでレースに出たり、笑顔が素敵な好青年です。
琵琶湖で感じる息子さんの事を話すと、「本当にそうですか?」と・・・親は自分の子のすばらしさを本当には分かっていないようです。「2000円あれば、1週間も帰ってこない・・・何処をほっつき歩いとるんか・・・」。何処の家も、男の子は似たり寄ったりのようです。
もう1人の方は、関東の大学ヨット部出身で、今年のドラゴン級全日本優勝艇の方です。当時は波が打ち寄せられる砂浜から出艇していたようで、関西の大学ヨット部の環境を最初見た時、恵まれてるなあと思ったそうです。皆さんの顔とか船とかも、雑誌のドラゴン級特集に並んで載ったので、その話で盛り上がりました。
お2人との話で、ビックリしたことを知りました。なんと、お1人の方の年賀状が、1等に当たったそうです。そのハガキと当選番号表のコピーをちゃんと持ち歩いておられ、見せてもらいました。「ス、ス、スゴイ」。初めて1等当選の方とお会いしました。
11月まで使えるハワイ旅行ペアチケットだそうです。ご夫婦にお嬢さんが便乗し、さらにお姉さんも乗っかる予定だそうで、「こんなん当たってもうたから、えらい出費がかさむわ」と笑っておられました。しかし、「好事魔多し」と言われるように、当選の翌週から、いろんなことが起こったそうです。それを聞くにつけ、わが家が最下等2枚当選で、良かったのかもと思えて来ました。当選、おめでとうございます。

2006/2/6
昨日はドラゴンの整備でした。オーナーから声がかかり、その前に船乗り降り用の桟橋脚立を半固定するための木材を買いにホームセンターに行ってきました。最近毎週ここに通っている気がします。適当な部材を買って、船に戻ると渋・さんが来られていました。ドラゴン整備の道具を取りに来られたようです。
脚立の件は、それを持って帰り、毎晩少しづつ作っていけば、来週には完成しそうです。次に洗面所の鏡ですが、割れないプラスチック鏡を購入してつけてみることにしよう。
ドラゴンに移動して整備です。ネジの増し締めをして、ボディーを見ていると、所々クラックが入っているところがあります。そのままにしていると水が染みるので、次の整備の時、FRP樹脂で塞ぐことになりました。きれいな船だから大切に乗らなきゃ。
昼食をハーバー1Fのカフェで食べている時、渋・さんから京都アメリカンフットボール部の話が出ました。「博士が愛した数式」の話が出た後でもあり、「逮捕された子は、親が支えてあげないとねえ」と話すと、「子育ては、どれだけ赦せるかやからなあ」という答えが返って来ました。それを聞いて、ほんまにその通りやと思いました。人に迷惑をかけると世間からバッシングされるのは当たり前です。世間はそれでいいけど、親は世間に同調するのが仕事ではなく、そういうときでこそ、怒るのじゃなく、励ましの言葉で再び自信をつけさせるようにしなきゃなあと思う。
渋・さんはそういう子育てをされてきたから、伸び伸びしたお子さんになった気がする。息子君を見ていると、自分に自信を持っているなあと感じる。何かボソッとだったけど、いい言葉を聞いたぞ。
その後ドラゴンを片付け、クルージング艇で沖に出ました。OPと県連が練習していました。振れまくる感じの風で、マーク打ち直しにレスキューが走り回っていましたが、ヨットはいいです。よく見ると中川君と梅野君、それに懐かしい吉村さんまでいました。クラブを卒業して、SSとかスナイプという今までとは別の艇種に乗っており楽しそうでした。
その後、芦屋ハーバーに回り、先日兵庫ジュニアクラブについて問い合わせのあった5年生の家族が来られたか聞いてみた。船には乗らなかったようですが、4月から入部するそうです。また仲間が増えました。夏に向けて、問い合わせが増えてくるかなあ?クラブのみんなは、来週和歌山コールドカップに向けて船の積み込みをしていました。寒いのに、親御さんも生き生きして楽しそうでした。
家に帰り、のこぎりやドリルで脚立の普請をしながらTVを見ていると、ジャーナリストの有田?ヨシフさんの母親にスポットを当てた番組がやっていました。シリーズでいろんな人の母親を取り上げている番組みたいです。この人の母親もほとんど叱らなかった感じです。それを見ていた家内が、「私もこの番組に出れるかも?」とポロっと口に出し、「そうやなあ、怒ってるの見たことないからなあ。きっと出れるよ」って答えておきました。
子供が大立者になろうがなるまいが、それはどちらでもいいが、そういう気持ちを親が持つのはいいことだと思う。まず自分の子に自信を持たなきゃ。そして応援する。子供の能力を信じず、小言を言い、ああしろこうしろと指導するのは押し付けになるだけで、萎縮するだけ。信じてやれば、失敗しながら自分で工夫するようになる。そう思って接している。
おっと、忘れてはいけません。土曜日に届いた雑誌舵にキールボート特集があり、ドラゴンが取り上げられていました。昨年の西宮全日本の様子が載っており、ラッキーにも名前入りで写真が掲載されてました。松本さん、サンキューです。

2006/2/4
映画「博士の愛した数式」をまた観てきました。事故で80分しか記憶の持たない数学博士の話ですが、その博士の家政婦さんの息子さんに対する接し方がすばらしく、私の理想としている形です。「この頭は、なかなか賢いのが詰まっていそうだよ」と頭をなぜ、勉強面でも野球の面でも、決して叱るようなマイナスな言葉はかけない。80分しか記憶が持たないから、翌日はまた同じ台詞がでてくる。毎日こう言われて育ったらすごいだろうなあと思い、そういう天使の言葉をかける博士を悲しませないように、「それ聞いたよ」などの言葉を返さない周りの姿も、元は博士のプラスの言葉を発する姿勢から導かれるもののように感じました。
博士は、自分の記憶が消えることを受け止めていて、メモを書いておくのですが、それを持ちながら、「それでも今を精一杯生きようと思う」というところは、いろんなことを考えさせられました。
私自身、子供の頃から、失敗を責められ、「そんなことで・・・」と将来の不安を指摘される育てられ方をされてきたので、親が子供に叱っている姿を見ると、「弱いものいじめ」にしか見えません。会社などでは、ミスを怒られるのは普通だと思うが、親子の関係は、そういうのではなく、なにも出来ない子供に自信をつけさせて社会に出す関係だと思っています。
だからどんなに失敗しても、大丈夫と言い、ちょっと出来たことを褒めて、小さな自信をつけさせて、何度失敗しても新しいことにチャレンジする勇気ある心につけてあげたいと思って、子供と接してきました。多くの人から「甘い」と言われましたが、反対の接し方が子供の心にどういうものを残すか自分で体験しているので、ずっと続けてきました。
ようやく最近そういう方が増えてきて、そういう育て方がいいという本が紹介されるようになって、うれしい限りです。まあ、やさしく接するのが行き過ぎちゃって、ゆとり教育や推薦入試の増加など、チャレンジする土俵に上げない風潮には疑問ですが・・・。皇太子さんが妃雅子さんの病状記者会見で、この詩に救われたと、ドロシーノーノルトの「子は親の鏡」には驚きました。とても好きな詩ですが、日本ではマニアにしか知られなかったものが、出てきてビックリでした。
20代で観た映画「ジョーイ」の父親を理想に子供と接してきましたが、この「博士・・・」もそれに匹敵する映画でした。
家内と帰りの車の中で、「ああいう子供との接し方はいいねえ」と言うと、「私たちもあまり変わらない子育てしたよ」と返って来ました。「そうだなあ、雅代ちゃんの怒ったとこ、見た事ないし」・・・素敵な気持ちで帰って来ました。

2006/1/30
昨日は11時まで家でゴロゴロして、昼を目標に浜に向かいました。最初、「博士の愛した数式」を見に行こうと家内を誘ったのですが、振られてしまいました。でもひつこく食い下がり、来週末には行けそうです。だってこれは、芥川賞作家の小川さん原作で、ちょっと気になっていた作家でもあるし、日本書店協会賞受賞作らしく、かなり期待しています。多分本も読むことになりそうです。話題の原作の映画化というのに、どうも弱いです。文字で人の心をつかむことは映像より難しく、駄作はなく、こういう秀作を観て心の栄養にしておくことは、生き方に大きなプラスを呼ぶ気がします。
さて、先週買った脚立を桟橋に固定すべく、途中でホームセンターに寄りました。うちから浜までの間のホームセンターは甲子園のコーナンですが、ここは大きすぎて、いつも欲しいものにたどり着くまで時間がかかります。ちょっとでか過ぎです。探し回ってうろうろすると飽きてしまうので、この日も店員さんに速攻聞く事にしました。
船につくと、金・さんがおられ、階段にサンドペーパーをかけています。ご苦労様です。桟橋に固定していいものか相談すると、「怒られるんちゃうか?」と言うことで、あっさりその作業は諦め、別の方法を考えることにしました。ちょっとアイデアが浮かんだこともあります。
それではと、ハーバー内のヤマハさんに向かいました。船で気になっているのが、機走で4ノットしか上がらないことと、ステアリングの重さです。4ノットぐらいの潮流はよくあり、それくらいの逆潮なら突破できる能力は持っていたいですし、ステアリングの重さは、体力消耗に繋がります。また何処かに負担がかかっている証拠でもあり、トラブルの原因になります。
なんと言ってもステアリングがお釈迦になって、あの不細工で重い鉄のティラーで操船するのは大変です。

2006/1/23
日曜日、浜に行ってきました。船の整備が目的で、この日は2ヶ所。ドアを開けている時、船の動きでドアが暴れるのを防ぐためにショックコードをつけるのと、船の乗り降りが楽になるように桟橋に脚立をつけること。この日も帰りの車の渋滞を考えてバイクを選択しました。
船のキーが変わっていました。予備キーを作ろうとホームセンターに急ぎました。甲子園のコーナンの合鍵コーナーで注文しましたが、どうやらこれは特殊なキーのようで、この形のは汎用品ではないようです。そちらはあきらめ、桟橋につける台だけ購入しました。980円と安価でした。どうして桟橋に固定するかを考えましたが、他艇のを見てくるのを忘れたので、固定部品の購入は止めておきました。
船に戻って、ショックコードのおおよその長さを見当つけて一点鐘で購入。適当に切って、ドアの方は作業完了。次に桟橋に購入してきた脚立を置いてどうするか考えていると、渋・先輩と長・先輩が桟橋をやってきます。渡りに船ということでライターを借り端止めを終え返しに行くと、昼飯を食べようということでハーバー1Fに。先週は来月開港する神戸空港を見に行ったら、警戒艇に追いかけられ、帰りは寒い中思いのほか時間がかかり、森・さんが風邪を引いてしまったようです。昼食を終え、渋さんはドラゴンへ、私は脚立の桟橋固定作業に戻りました。
まずは他艇の細工を見ようと、何箇所か見てツインスターのを見ていると、中の花・先輩から、「お〜、入ってけ」と声がかかりました。脚立固定のL字金具とビスの工夫を見るために、桟橋でひざまずいていたのによく分かったなあと思って艇内に入ると、結構中からは外がきれいに見えます。
鍋の残りを頂きながら、しばし歓談、そうこうしていると坂・先輩などが帰るようです。そろそろと思っていると、秋田さんが来られるようで、秋田さんの前で帰るわけには行かないので残る事にしました。秋田さんがやってこられ、かつてのこの船の戦友と歓談後、県連の理事会に出席されるそうで、そちらまで送りました。お年の割に歩くスピードが速くかくしゃくとしておられます。土曜日は東京でJSAF新年会だったようで、いまだに忙しい方です。さすがに神戸商工会というか関西の重鎮、神戸空港開港一番機に乗るそうです。
再びツインスターに帰って話していると、並びの船のオーナー藤谷?さんが、秋田さんを見かけたのでということで、ワイン片手にやってこられ、メンバーが増えました。KG青島のOPの整備をしなければならないらしく、「おまえ来いよ」と言われてしまいました。一昨年大分修理したのに・・・、まあ整備をしないとドンドン使えなくなりますから仕方ないですね。
この日朝はそれほどでもありませんでしたが、昼頃から西風が強くなり、日が傾き出すと北に回り非情に冷たくなってきました。ではそろそろお開きということで、桟橋の水道で食器などを洗いハーバーハウスに戻りました。ところが桟橋のカーブのところで、「あかん」の声とともに「バシャン」・・・えらいことです。最後に笑い話の落ちがついた楽しい日曜日でした。でも笑い話でよかったですわ。まあこの話は、密かにヨット部の中で尾ひれがついて広がり、語り継がれていくでしょう。そして、当分酒の肴になりそうです。武勇伝にまで発展するかもしれません。

2006/1/20
藤沢周平の「用心棒日月抄」を読み終えた。書評のページにも書いたが、軽妙なタッチで作品に引き入れる力はさすがです。これを読み終えて、私を藤沢周平に惹きつけるものは何なのだろうとしばし考えてみた。
まずは、相変わらず藤沢周平の世界にでてくる女性は美しい。表現される美貌という面もあるが、心が美しい。時には剣をも使う密偵も自らの口は自らの稼ぎでしのぎ、生き方が潔い。内儀として奥を預かる、あるいは預かるようになろうとしている女性が、あくまで男を立てる。
この作品は、ある事情から脱藩を余儀なくされ、江戸で用心棒稼業をしながら生活を得る主人公を描いた作品だが、横糸に様々な用心棒稼業が短編のように描かれながら、縦糸に太いものが流れている。1つは赤穂の吉良家に対する思いであり行動、あと1つは藩の主流派から送られて刺客を含めた実家と許婚への想い。
浪人として脱藩することになる原因は、許婚の父親を仕える上司の違いから、斬ってしまうことですが、目の前で斬られた父親から娘への最期の言葉が、「許婚を頼るように・・・」。そして、主人公は許婚の父親の上司から執拗に送られてくる刺客を討ち倒しながらも、「許婚が父の敵として来たら、討たれよう。それがせめてもの・・・」と考える主人公。
経糸に描かれている建前を重んじる生き方に美を感じることが、私が一連の藤沢周平作品に惹かれる所以のような気がする。こういうものが、この用心棒シリーズ・よろずやシリーズ・蝉しぐれ・・・に流れている。この作品で幾度も交錯する浅野の浪士の結束の硬さが、その結果を知っている私には、ビンビン伝わってくる。そして美しい。
御家人や他大名の江戸詰め武士も町人まで、そのピュアな思いが浅野家中の行動から伝わり、目付けへの届けがなされず、目付けや幕府自体にも、その行動を止めようとする行動が起こらない。腕に覚えのある浪人を用心棒として雇い、それに対抗しようとした吉良家は、ピュアな集団には気持ちで対抗し得なかったように思う。敗北は必然であったのでしょう。もし浅野家中が、用心棒を雇う集団であったならば、援護はしないが邪魔もしないという市井の人々の消極的な援護がなく、大願は成就しなかったように思います。
こういうものを好む私の性格が、出身クラブに縁のない人がいきなりヘッドになることに、とても不快感を覚えるのに繋がっているように思います。赤穂浪士のようなピュアさが、勝利を呼び込み、そういうもので勝利に向かうことが感動を呼び、青春の1ページに熱いものを刻む気がします。勝利という目に見えるメダルがなくても、ピュアな目に見えない思いでスクラムを組んだ仲間との経験が、その後の人生の糧になると思う。
『目に見える物を使って、目に見えないものを大切にしたい。だって、目に見えないものは、無くならないし、死なない。だから、永遠に心の中に生きつづける』

2006/1/16
日曜日は、次男君がオランダから帰ってきました。そのピックアップに関空まで行くことにしていました。家内が関空に行ったことがないというので、少し早く行って2人で見学などしようかと思っていたのですが、家内の検診の予定が入り1人で行くことになってしまいました。されば、早めに行くこともないので・・・ふと土曜日が中学の統一受験日であることを思い出し、久しぶりに母校に行ってみることにしました。中学受験にはいろいろ批判はありますが、私自身の大きな転換期でもあったし、子供達と一緒にこれを経験して、家族の絆が深まった気がするからです。それに今でもあの日やそれまでの数年間に渡る彼らの努力を思うと、子供達に頭が下がります。身体は小さかったが、あれを経て真に対等に子供達を見れるようになりました。
車は当然邪魔だと思いバイクで行くことにしました。いつもは171号線を西宮側に渡るのだが、1本上に新しく渡された橋を渡ることにしました。どうやらこちらを渡る方が早いようです。仁川駅に着き、仁川沿いを上がる受験生親子を見ながら、ふと最寄の甲東園駅はどうなっているかなあと思い、そちらに回ってみました。駅前には阪急バスがピストン運転をしているようで、2台・3台と並び、受験生親子が駅から吐き出されるたびに、バス社員の誘導でバスに乗り込みます。いつも通った坂を学校の方に上がると、歩いて上がっている親子もいます。歩きながら、試験前最後の家族の世界を持ち、落ち着かせているのだろうか?と思いました。
やがて時計台が見えてきます。そこを中学部の方に曲がると、先生やバス社員さんが大勢出て、すぐに甲東園にUターンするバスの交通整理と、試験会場への誘導をしています。受験生家族は、落ち着いた中にピリッとした感じがあり、親御さんの方が緊張しているように見えます。この日は日曜日ということもあり、お父さんの姿が多い気がします。そして両親で、というよりどちらか片方でというパターンが多いようです。両親だと、反対にプレッシャーを与えるかも、という親御さんの気遣いか、親御さんの方が心臓バクバクで付き添えないのかもしれません。うちの場合も、長男の受験でヘトヘトになってしまった家内から、次男のときは私に担当変更になりました。
中学部正門前で、塾の先生と思われる方と受験生が話しています。そのうしろにお母さんが。横には黄色の常在戦場の旗を持った浜学園の先生がいます。ペンのマークの日能研の旗もあります。横のチャペル棟の方から運動場に回ると、大手塾が運動場の四隅で集まっています。日能研からの受験生が一番多いようです。浜学園の最後の激励が終わり、続いて日能研が全員の拍手で解散し、受験生は試験会場に向かいます。親御さんが後から続き、受験番号を書いたプラカードを持った在校生に引き寄せられるわが子を、不安そうな顔で見送っています。自分自身の受験や今度は親として関わった子ども達の受験を思い出されます。

自宅に戻り、家内と中学受験の古い話をして、少し早く関空に出発です。関空への連絡橋は、休日往復1000円になっているようで、表示されていた1500円ではありませんでした。今まで数回ここにきましたが、自分の出発や帰国であったりしたので、じっくり関空施設を見たことはありませんでした。展望台にでも行ってみようと思っていたのですが、100円のバスに乗るようで、めんどくさいのでパス。見送った後、搭乗機が滑走路から飛び立つ姿が見られないというのは、空港機能としておかしくないかなあと思ってしまいました。免税店を覗こうと思いましたが、店自体があまりなく、新大阪駅の方が華やかで、伊丹の空港にも完全に負けている感じです。
海外の空港では、巨大ショッピングセンター化したところもあるのに、あまりに情けない風景でした。国内線カウンターは閑古鳥が鳴いており、カウンターに並ぶお客さんより、航空会社のカウンター社員の方が多く、掃除のお姉さんがロビーを動いているのが目立つほどです。大阪利用の国内便お客さんは伊丹空港に完敗のようです。
次に3Fにある国際線カウンターに上がると、ここは人でいっぱいです。各国の言葉が飛び交いますが、韓国・中国が多いようです。フライトスケジュールを見ても、アジア行きがほとんどです。ヨーロッパ直や北米方面は、成田出発が主流のようです。大丈夫か関空?と心配になりました。
1Fの国際線到着ロビーに下りて、出口に近いところの椅子を確保して読書して待つことにします。次男君の便は予定より早く11時半に到着したようで、チラチラと出口を見ていましたが、肝心の出てきたところを見つけられず、椅子の前にキャリーを押して次男が立っていました。「お〜」ってことで、車に戻り自宅に向かいます。いろんな話を聞かせてもらいました。
イタリアではローマが圧倒的に治安が悪く、スリなどが多いそうです。ミラノなどはそうでもなく、オランダや北欧は日本とあまり変わらない感じだったようです。オランダの冬はほとんど曇だそうで、晴れることはほとんどありません。それに対しイタリアはいい天気で、天候が性格に影響していると見えたらしいです。「イタリア人は明るい?」と聞いたところ、イタリア国内を飛行機移動した時、着陸に成功すると、イタリア人はみんな、「ブラボー」と言うらしい。他の国ではそういうことはなく、次男も同じようにタッチダウンしたら、「ブラボー」と叫んだそうです。ガハハハハ。
イタリア、特にローマでは、「こんにちは」とよく声を掛けられたそうです。無視すると、「ニイハオ」「アンニョンハラミダ」と掛けられるそうです。この手の顔は日本人が一番多いのですね。そこここで日本語が聞こえたそうですが、韓国からの留学生と行動を共にしたそうで、一番多い時は6人になっていたそうです。共通言語が英語で、留学生はみんな英語が上手なので、大分上達したそうです。
北欧を回った時、オスロからコペンハーゲンまでフェリー移動したそうですが、コペンハーゲンの1つ手前の港で下船してしまったそうです。夕方にオスロを発って朝コペンハーゲンに到着する便だったそうですが、朝の弱い次男らしく寝ぼけていたのかもしれません。
何か、大都会にしては寂しいぞと聞くとスウェーデンのようで、気づいた時は既に乗ってきた船は出発しており、コペンハーゲン行きの船が出る別の町まで移動して、再び船でコペンハーゲンに移動したそうです。フェリーは12階建てで大ショッピングセンターのようで、かなり高額なVIPルームがある代わりに、次男が乗船したかなり安い席もあり、貧乏旅行の次男には良かったようです。降りるところを間違えたおかげで、訪問予定になかったスウェーデンも回れてラッキーと言ってました。中々頼もしいです。

私は、できるだけ転ばぬ先の杖を言わないようにして子供を育ててきたつもりで、失敗をした方が次に繋がると思っています。そして失敗しても、追い討ちのようにそれを責めず、大したことがないように言ってきました。最近親が子供の失敗を責めないことが、子供に自信をつけ、チャレンジする勇気を与えられると感じています。子供から「・・・したい」と言ってきた事に、NOと言わないことの大切さも感じています。自信は失敗しないことでつくのではなく、失敗しても失敗だと言われない、思わないことでつくようです。その自信を与えられるのは親が一番です。世間にどのように言われても親さえ「大丈夫」と言っていれば、本人が何とかするものです。
このヨーロッパ行きも、全部準備し、親には事後報告でした。親にゴチャゴチャ言われないと分かっているので、全部自分で決められます。準備段階から失敗は数多くしたでしょうが、それが一番身につきます。
この子は中学受験で、ヨット部があるという理由だけで、直前になって第1志望を変更し、受かっていた偏差値の高い元第1志望校を蹴りました。正直、そのことを言ってきた時はどうしたものかと一瞬思いましたが、即断で「いいよ」と言いました。彼の人生だから、親とてアドバイスは出来ても、彼の決定を変更させる権利はありません。変更などさせると、うまく行かなかった時の逆恨みになりかねず、自己責任を教えることができなくなります。親なんていうのは、背中で考え方を伝えるしかなく、説教よりは具体的な事例での行動でしか語れません。
午前中に見た、単純にその日の点数という尺度だけで合否が決まり、何年もその日のために努力している子達の潔さが思い浮かびます。それを経験したことから今に繋がる何かを、次男君が楽しそうに話す失敗談に見た思いです。親が何もしなくても、勝手にドンドン頼もしくなっていきます。

2006/1/9
日曜日は今週も浜行きです。S川さんからN村さんの船で新年会をしています、というメールをもらっていましたので、エルシノアのマストを真っ直ぐ立てるのに挑戦して、ちょっとだけN村さんの船を覗こうかと思って、朝散髪して昼を目標に出かけました。バイクは渋滞もなく快調なのですが、かなり寒くなってきたのでこの日は車です。
浜に着くと、YHから、「ご来場者の皆様、餅つき大会をしています。ご参加ください」のアナウンスが流れてきます。声に誘われて本館前でしばらく餅つきを眺めて船に向かうと、エンジンがかかっています。船内に入ると、エンジンストップワイヤー一式がテーブルの上に置いてありました。こっちの方が気になるし、今日はこっちの整備だなあと頭を切り替え、その前に腹ごしらえしようとしていると、K野さんが来られました。先に来てエンジンを掛けられてから、餅つき大会の方に行っておられたようです。
木部のニス塗りのためにサンダーをかけておられるのを横目にパンを食べ、さてワイヤーの交換作業です。最初、旧ワイヤーの長さ調節をすると、ストップワイヤーのひきしろが少なくなり、止めやすくなりましたが、相変わらず引っぱるのに力が要ります。K野さんから「やっぱり交換した方がいいで」と・・・次にワイヤーの外側のラインはそのままに、中のワイヤーのみの交換に挑戦しましたが、ワイヤーの先が外側ラインに引っかかって最後まで入りません。「外側も傷んでるんやろなあ」とのK野さんからの言葉で、全部交換することになりました。
さて、これが中々の曲者。船の何処を通っているのか分かりません。全ラインを見ることができるといいのですが、果たして見れるのか?船内をゴソゴソしていると、エンジンの後の部屋の床板が外れることを発見。それをはずすとラインがかなり見えます。ここでの作業がメインになりそうなので、中の入っていたものを運び出していると、K野さんが懐中電灯片手に暗い中に入っていかれ、後の板もはずして船内の配線を確認されています。その頃M田さんが、サンドペーパー片手に来られ作業に合流です。船内配線はK野さんがつかめているようなので、こうなると外から新しいワイヤーを入れて来なければなりません。ワイヤーの各部の固定ナットの関係などを頭に入れながら、それらをはずし、スイッチパネルから旧ワイヤーをはずし、新しいのを固定して船内に導きます。K野さんが船内の暗い中からそれを見つけ、あとはリードするだけで簡単です。M田さんがエンジンにそれを固定して完成です。
さて果たしてちゃんとエンジンは止まるのか?エンジンをかけ、ストップワイヤーを引くと簡単に止まります。以前のように、思いっきりちぎれんばかりにワイヤーを引く必要はなく、あっけないくらい軽く引けてエンジンが止まります。整備したという満足感があります。やはり仕上がりがうまく行くと気分がいいです。
ところがです。新たな問題が持ち上がりました。ワイヤーをスイッチパネルに留めている時、横のエンジンキースイッチがポロっと取れてしまいました。うまく固定できたぞと思ってパネルを見ると、ないやら黒い部品が転がっています。「なんじゃこれは?あなたは何処からやって来たの?」とキョロキョロすると、エンジンキーの差込口が分解しています。どうやらこちらも限界だったらしく、横をいろいろいじくっていたから取れてしまったのでしょう。ハーバーにいるとき取れてくれてありがたかったですね。海の上だったりしたら、やっぱりあせりますからねえ。M田さんがこの部品を調達するということで、次回また整備です。でもこの作業は簡単です。パネルに固定して、電気コードを付け替えればおしまいです。
作業中にS川さんから、宴会船の方に来ないかと電話が入りましたが、手が離せない時で行けませんでした。作業後、鳴尾のスーパー銭湯に行くことになりました。K野さんはよくスーパー銭湯に行くそうです。温まりました。風呂上りのフルーツ牛乳が美味しかったです。学生時代の合宿・・・そして子供達が小さかった時よく行っていた銭湯を思い出します。風呂好きが染み付いている根っからの日本人だなあと自分を再確認しました。海から上がった後、銭湯に行ってかた解散というのも中々いいものです。

2006/1/4
年が明けて新しい年が始まりました。今年もいい年であればいいなと思います。
毎年大晦日の除夜の鐘の音と共に、近所の天満宮に初詣をするというのが、わが家の年越しでしたが、次男君2回生を最後におしまいになりました。今年は平日と同じように11時ぐらいに寝て、翌日のお墓参りに備えました。
元旦は、家内・長男君とともに、9時に自宅を出て家内の実家のお墓に急ぎました。道路は空いていて快適で、義理母・姉夫婦・甥と合流してお墓に参りました。すぐ近所の神社に寄り、おみくじを引くと、長男君は凶です。大晦日に参った住吉さんでも凶だったそうで、2連続というのもめずらしいです。マイナス×マイナスはプラスなので、今年彼は就職ということもあり、大きなチャンスに恵まれそうです。
その後、みんなで11月に2人目を出産した姪の家に寄りました。何とかと言う有名なホテルの8万円の御節を食べましたが、時代に合うように保存食という感じから、美味しいものの詰め合わせという感じでした。御節を外で買ったことがなかったので、こういうものかといい経験でした。姪の上の子はもうすぐ2才の女の子でかわいらしく、こういう子が1人いたら楽しいなあと、もう望むべくもない思いが頭を横切りました。
2日目、家内はデパートに行くとのことです。「よくもまあ、福袋で大混雑のところに行くなあ」と思いながら、そちらへのご一緒は、遠慮させてもらいました。というか、都会行きは1人の方が自由が利くので、家内の方から願い下げが、暗黙の了解になっています。その夜映画「三丁目の夕日」をご一緒する約束で、ハーバーに行くことにしました。年末にバッテリー液を足したのですが、その具合とエンジンを少し回しておこうと思いました。
箱根駅伝をしばらく見て、昼前を目標にハーバーに出かけました。しばらくエンジンを回し、再び箱根駅伝を見に帰ろうかと思いましたが、ドラゴンを見ていなかったので、そちらもちょっと見てみようと思い、ディンギーヤードの方から再び入ると、学生艇庫前にドライを着込んだ小さい子達がいます。「OPが練習しているのか、ちょっと寄ってみようか」とそちらに足を向けると、琵琶湖のMさんや東京のNさんの顔が見えます。
「やあ、やあ」ということで、そのままコーチボートに便乗させてもらいました。その夜は、家内との映画の約束があり戻りましたが、翌日またお邪魔して、今度は夜まで楽しく過ごさせていただきました。3日は10m/sオーバーのいい風が入り、エキサイティングな帆走を見せてもらいました。特に5年生の2人の子の帆走には驚きました。この風でもしっかり走れており、風を怖がっていません。女の子のYさんなんて、まだヨットに乗り始めて7ヶ月なのに・・・とちょっと脅威的です。きっと上手になるだろうというより、飄々と乗っている感じなので大変なセーラーになりそうな予感です。
正月3ヶ日で2日も海に行くなんて、今年のオフを想像させる今年の幕開けになりました。
次男君からメールが2本届きました。1本目にはトレビの泉をバックにした写真が添付されており、2本目には、何年かぶりに風邪を引き、年明けは寝正月から始まり、翌日から今度は北欧を回るそうです。オランダより寒いので、エスキモーのような格好を現地調達して回るのかもしれません。イタリアでは、ソウル大学から留学している子とも一緒に回ったそうで、全て英語での会話になり、ちょっと上達したと書いてありました。いいことです。いっぱい吸収してきてもらいたいです。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
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