ウェブマスター日記 2005

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部 エルシノア
感想をいただけるとありがたいです→webmaster

2005/12/26
クリスマスが終わってしまいました。わが家のイルミネーションも昨日が最後です。今朝はタイマーセットしなかったので、ピカピカ光る家に帰ることはできません。明日からは昨年同様、玄関のスノーマンだけ点灯して、少しでも寒さを和らがせようかなと思っています。
長男は、やはり帰ってきませんでした。毎年そうだし、日頃も学校によく泊まっているので、もうあまり気になりません。次男君は、先週学生貧乏旅行でオランダに発ちました。BKKでトランジット中にメールがあり、到着して1回、そして昨日1回電話がありました。京都に下宿してから、平気で数ヶ月間音信普通になるのに、どうしちゃったの?と思うほどマメに連絡が入ります。昨日はクリスマスだから家内に声のプレゼントだったのかもしれません。
電話を受けた家内の話によると、ミラノからだったらしく、羨ましいクリスマスを送っているようです。でも変な人にも出会ったようです。ポケットから出ていたストラップを引っぱられたそうで、気づいて手で押さえ、危うく難を逃れたようです。切符の買い方が分からずモジモジしていたら、親切な人が左右につかれて教えてくれたそうですが、その後指南料要求の手が両方から出てきたそうです。まあそれにもめげず、次はドイツやフィンランドに行ってみるそうです。
ということで、家内と2人だけのクリスマスです。新婚の最初のクリスマスには、お腹の中に長男がいて既に3人だったので、どうもこういうクリスマスは落ち着きません。そこで何処かに行こうと映画を考えたのですが、「男達の大和」はどうもクリスマスの雰囲気ではないし、以前S先輩に「きれいだぞ」と教えてもらった新西宮YHのイルミネーションコンテストを観にいくことにしました。クリスマスイブの土曜日、仕事を終え、家内を自宅で拾い、一路西宮へ。ゲスト桟橋にコンテスト参加艇が並び、マストやブームに思い思いの装飾を施したセーリングやモーターヨットがきれいです。10時のおしまい少し前に着きましたが、警備員さんがどうぞどうぞと終わりの時間を気にしていない様子です。そうですよね、この日に「もうダメ」なんて野暮なこと言っちゃあね。
桟橋には家族連れや若いカップルが数組、多からず少なからずいい感じです。カップルが船をバックに写真を撮ってたり、腕を組んだり、いいねいいね。そういう雰囲気を借景にプレゼントを渡しました。1000円ほどの本の値打ちを高めるための演出もただだなんて虫が良すぎるかもしれません。しかも、「イルミネーションコンテスト」に投票して、豪華?景品を当てようなんて思ってるし。
コンテストに出場していたロセッティ初め数艇のドッグハウスに電気がついていました。笑い声が漏れてくる船もありました。どうやら中で宴会をしているようです。中は中の世界で盛り上がっているのでしょうが、「ちょっとしょんべん」なんておっちゃんが出てきたら、カップルには興ざめでしょうね。お兄さんのほっぺたの横に、船から出てきたお姉さんが写っていたりしたら、ケンカの元でしょうし、お嬢さんの肩越しに、はげ頭のおっさんが写っていたら、心霊写真コーナーに投稿され除霊してもらわなければなりません。
さて、1000円という安価なプレゼントにシチュエーションを付けて、家内の心をハートウォームにした(と思っているが?)帰り道、アンリシャルパンティエの工場のイルミネーションで車を停めました。結構車が停まっています。写真を写していると、隣で白の上着に白のマフラーという、いかにもケーキ職人さんといういでたちで、カメラを構えた家族やカップルに声をかけていました。「写真撮りましょうか」「よかったらシャッター押しますよ」
ケーキだけじゃなくって、工場もデコレーションして、さらに写真で素敵な一瞬をプレゼント・・・それを見ながら、これが今年のサンタさんから私へのクリスマスプレゼントかもなと思ってしまいました。
毎週1回書いてきたこの日記も、今年最後の日になってしまいました。「Optiわくわく通信」からだと、5年が過ぎました。ペーパーの日記だったらここまで続かなかったでしょうが、ひょっとして誰かが読んでいてくれているかもと思うと(たまに声をかけていただきます)、それが励みで続けてこれました。ありがとうございます。そしてみなさん、この言葉を今年の最後にします。

『メリークリスマス!サンキュー、サンタさん』

2005/12/19
昨日は、船のエンジンストップケーブル交換整備予定でした。10時くらいに浜に行ったらいいかなあとのんびりしていると、Mさんから電話です。ケーブルを持っておられるKさんが路面凍結で自宅から出られないそうで中止です。やはり六甲の裏は、数日前からの寒波でかなり寒いのでしょう。土曜日から始まった映画「男達の大和」を観ようと相方さんを誘うが、日曜日は予定が立て込んでいてダメでした。この映画は観たいので、寒波が止んで少しましになってからでも行くことにします。
さてちょっと早く昼食を取って、買い物です。布団に入りながら、本を読んだり、PCをゴソゴソするための小さなテーブルとお風呂の蓋を買いに行きます。ベビーテーブルが最高ですが、子供たちが使っていたものは長男がまだ使っているので、新しいのが必要です。大学生が、かわいい絵のついたピンクのテーブルを使っているのはおかしなものです。横には勉強机があるのに・・・。それにしても男の子2人なのに、何故ピンクのテーブルなんだろう?長男がおなかにいる間に、女の子を期待して家内が買ったんだったっけ?もう遠い昔です。
お風呂の蓋は、冬場の天国お風呂に浸かりながら本を読むためです。半分蓋を閉めて、その上に本や新聞を置いて・・・正に至福の時になるはずです。こう寒いとこういう時間が必要です。
近所のホームセンターに向かうが、なんとテーブルがありません。もう少し大きなところと思いついたのが甲子園のホームセンター。そこまで足を伸ばして、やっとこ購入できました。さてここまで来ると、長年染み付いた性といいましょうか、自然に浜に足が向かいます。
船についてエンジンカバーを開けて、交換ケーブルを見ましたが、新しいのが手元にないのに下手な前準備をしたらあかんなあと思いカバーを元に戻しました。先週は数分エンジンを回しただけなので、ちょっと回して充電しておこうとしましたが、セルが弱くてかかりません。先週、電気を使うことは何もしなかったのにどうしてなんだろう?バッテリーがくたびれてしまっているからか、バッテリー液が足らないからか、ソーラーパネルの充電能力が落ちてしまったのか・・・。寒いのでそのままにしましたが、寒波が過ぎた後、夜にでも懐中電灯などを持ってきて、バッテリーと格闘しなければならないようです。
帰り際、クラブハウス2Fの双眼鏡で沖を見ると、OPだけが数艇練習をしています。15m/sくらいは吹いているようで、一面の白波が陽光に輝いて、小さなセールは視認出来ませんが、双眼鏡では確かにクローズで数艇走っています。赤い郵便ゴムも波間にサポートしています。がんばってるなあ。
芦屋に寄ることにして車に帰っていると、ビーバー号をMさんが洗っています。県連の国体強化練習のサポートだそうで、土曜日かなり吹いて一時艇体放棄を2艇出したようで、この日は急遽ビーバーを増やしレスキュー体制を強化したそうです。ご苦労様です。
芦屋YHに着きジュニアの部屋を覗くと、Kさんがブロンズの子達にミーティング中です。ニコニコしながら、ノートを取ってる子、チャチャを入れる子・・・、みんな楽しそうです。横ではお母さん方が、井戸端会議。とてもいい雰囲気です。沖からシルバー・ゴールドチームが戻ってきて、最後のミーティングで強風対策が話されていました。
171で事故の現場検証があり、帰って来るのにかなり時間がかかってしまった。バイクだったら平気なのに・・・と思いながらクリスマスイルミネーションに輝く自宅に戻ると、包装された本と小さな箱が、きれいな小さなバッグに入っています。家内に聞くと箱の中身は化粧品のプレゼントだそうで、次男が持っていきます。20日からオランダですが、前日に自宅に戻り慌しく用意をして出かけるようです。
この本は、私が選んだもので「奇蹟を信じて」という素敵なラブストーリーで、今年の家内へのプレゼントもこれにするつもりです。家内へのものはもう包装してありますが、私が読んだ本でユーズドを包みました。こんなクリスマスプレゼントは怒られるやろか?本なんて中身が勝負で、私の手垢つきで愛情たっぷりなんですが・・・果たして?
小さな甥や姪達へクリスマスプレゼントは、「やさしいあくま」「ぼくのおばあちゃん」と「326の雨のちレインボー」というなかむらみつるさんの絵本。今朝家内からクリスマスプレゼントの相談を受けて、即座にこれを提案しましたが、大阪の本屋さんでも品切れだそうで、小さな子へのプレゼントにされる方が多いようです。
うちの子が小さな時は、レゴを少しづつ買い足しましたが、積み木やレゴなどの想像力を形にするおもちゃや本は、頭の知的学習や訓練にとてもいいと思います。20才までに使った脳細胞が、その後の使える脳細胞領域を決めるそうで、その時期に使わなかったらもう使えなくなるそうです。
勉強・遊び・スポーツでバランスよく脳細胞のいろんな部分を使った方がいいように思っています。スポーツではできるだけ正解を言わず自分で試行錯誤することが頭を使い、おもちゃも1つしか出来ないものより、いろんなものが作れたり、トランプのようにいろんなゲームが出来たりするもの。本を読む習慣は、勉強の基礎中の基礎ですから、いっぱい本を読んであげることは、親ができる大きなプレゼントになると思っています。きっと勉強が好きになります。
無宗教の方の多い日本で、最近は小学校で道徳の時間が削られ、生きる芯をすり込まれないのはかわいそうなことです。そんな時代だから、なかむらみつるさんの絵本が受けるのかもしれません。

2005/12/12
日曜日、マストデータを取るために、新西宮YHに行ってきました。先月、ニューせールの見積もりで琵琶湖jrのお父さんでもある大昔からの知り合いでセールメーカーのMさんが来られました。私はドラゴンのレースでしたので一緒には乗れませんでしたが、Mさんによると、マストが真っ直ぐ立っていないのでは?とのこと。息子と乗ったときに、ジブをファーラーすると、やたらサギングしたので、それも気になって、ヤマハにきちんとしたマストのデータを聞き、立て方も聞いた。それによると、まず今のデータを取ることから始まる。これは1人でも出来るので、道具を持って行って来ました。サイドステイテンションを測ると、左右のテンションが違い、マストレーキや横の船とマストの見通しを見ると、もっとマストを立ててもいいのかもしれません。
ゴソゴソしていると、Hさん筆頭に続々先輩方が桟橋を来られる。どうやらツインスターで宴会のようです。KGアメリカンがRitsに負けてしまって、来週の甲子園ボールに出られなくなって、その残念会でもあるのか、大勢来られていました。昼食後、関西ヨットクラブのレストラン外の双眼鏡を覗くと、OPが練習に出ています。船でも出して見に行くかなあと準備していると、六甲山から雨雲が流れてくる。降られると嫌だなあと、即出艇を断念してしまう所がちょっと情けないが、読書に切り替えました。今読んでいるのは、数学者の藤原さんのエッセイ。中々軽妙で面白い。本といえば、先週読んだニコラスさんの「奇蹟を信じて」は最高に良かった。今までのベストブックかもしれない。
さてとそろそろ帰るかなあと思ったが、久しぶりに芦屋YHに寄ってみることにした。湾岸線の側道を走り、芦屋埋立地の海まで出ると、空にはラジコン飛行機が飛んでいて、岸壁ではつりをする人は竿を振っています。面白いように釣れるのをみていると、水路をOPが戻ってきます。ブロンズクラスのようで、コーチボートから声がかかっています。先頭艇はもう湾岸線下まで行っているので、スゴイ差になっています。ボチボチだよね。沖を見ると清風のFJがクローズで上って来ています。次男の時は12月って練習していたっけ?K先生が顧問に加わって、やる気満々のようです。
芦屋YHに寄ると、OPが上がって来ているところでした。Mr.ブロンズコーチ・OP親御さん・清風先生とウダウダ話していると、OP親御さんのYさんのお父さんがなんと私と同じ系列の保育園出身らしく、ビックリしてしまいました。4才から電車とバスで1人で3年間通いました。今のご時世では、「何考えてるねん」と世間様から言われそうですが、カバンを背負い、胸に住所も書いた名札をつけ、定期を2種類首からぶら下げた4歳が自分の身長より高い改札で、駅員さんに定期を見せながらとおります。懐かしい想い出が甦りました。当時最初は不安だったけど、すぐに平気になったのを覚えています。駅員さんとかお客さんが、偉いねえとか言ってくれたり、ちょっとついて歩いてくれたりしたが、何でそんなこと言うんだろうと思っていたなあ。子供って、ちょっと教えてやれば何だってできるものです。
OPの子だって、小1とかの女の子でもちゃんと数キロ沖まで練習に出ることができるし、この日の最後のミーティングでは、お父さんコーチの話に、適当にちゃちゃを入れながら楽しそうにノートを取っています。海から上がって来たときの、寒さで表情がなかったのとは大違いです。一番小さなビニール手袋を寄付することにしました。我慢大会ではないんだから、ちょっとでも暖かくして練習しようね。

2005/12/5
土曜日は、出身中学の正式授業土曜ヨット講座の今年の打ち上げで、生徒さん達をクルーザーに乗せてセーリングというのがありましたが、残念ながらし仕事で参加できませんでした。でもメンバーから2人参加できたようで問題なく、反対にこっちが多すぎても、定員というものがあり生徒さんが乗れなくなってもいけません。その日の様子は聞いていませんが、きっと楽しい1日になったでしょう。日曜日は琵琶湖に行ってきました。近畿北陸学生選手権秋季大会です。天気予報は冬型になっていくということで、風が上がるのと天気が心配でしたが、果たしてどんよりと曇空でした。朝一番に柳ヶ崎に寄り成績表を見ようと思いましたが、掲示板に掲示されていません。「ありゃ、昨日レースできなかったのかなあ?」と思いながら車に戻ろうとしていると、立命館艇庫裏でN君と会いました。N君は次男とジュニアからの友人で、同じ高校ヨット部でした。彼は私がここにきた目的を察して、「成績表ありますよ」。成績を見ながら昨日の様子を聞かせてくれました。12m/sくらいの風が入り、一旦ハーバーバックが出たそうです。マストが曲がった艇が複数出たそうですが、それぐらいでマストが曲がるとは、整備不良としかいえません。早いもので、キャプテンをしていた彼ももう卒業です。次キャプテンになったのはS君だそうで、彼も清風高校ヨット部だから2代続けてのようです。N君曰く「みんなをまとめるのがうまいですよ。性格が明るいし」と。
レースの方は、三井寺より南からの吹き込みで、大きくは右に振れる感じでした。2レースを終えて3レース目のスタート前西からの風が入りだし、APで延期になりました。「これは西の比叡山降ろしの強風が来るのでは・・・」と思いましたが、1m/sくらいに風が落ち、結局それ以上レースは出来ませんでした。今回のレースは、チームで次男大は470級・S級とも4位でした。随所にいい所が出ており、特に2回生のスキッパーの健闘が光りました。これは人数がいるということもありますが、入部当初のホッパーでの練習が利いているような気がします。ヨットは見るより乗る方が上達が早く、1人乗りでヨットの動きを学んでから、クルーとして乗ることで、スキッパー的な目でクルーが出来ます。去年から、つまり今の2回生からホッパーの練習を見ていますが、シートなどの備品やフィッティングが年々良くなり、上級生のここに対する気の配り方が今回の2回生のがんばりに繋がっているのでしょう。なんか強化のポイントが見えた感じがあります。

2005/11/29
日曜日は、470全日本の最終日でした。次男君の艇を含めて3艇、琵琶湖まで運ばなければならないので、昼前に和歌山に入りました。成績表を見ると、3日間で4レースしか出来ていないようで、最終日になってやっとこさゴールド・シルバーに分かれての決勝シリーズに入るようです。自然相手のスポーツなので仕方がありませんが、せっかく全国から上位選手が集まったのだから、たくさんレースが出来たらよかったのになあと思いました。
ハーバーに着いてまず展望台に上がりました。ちょうど沖からのブローが海面全体に降りてくるところで、マークボートが移動していました。そのまま下に下りると、和歌山県連のNさんがおられ、江ノ島jrのK君ともう1人のK君のお母さんもおられました。なんだかんだゴチャゴチャしゃべっていると、無線から17ノットが入ってきたとか・・・レース経過が入ってきます。
広島のHさんや琵琶湖のNさんご夫婦など、元OPペアレンツの方々が顔を見せます。同窓会のようで懐かしいものがあります。レースも無事終了し、船の積み込みが終わると、私は閉会式を待たずに琵琶湖に急ぎます。トレーラーを引っ張っているので足が遅いこともありますが、事故なく仕事を終えるために、余裕を持って行きたいからです。
柳ヶ崎でR大の船を降ろし、次男大艇庫に回り、全てやり終え、車を借りたMさん宅へ。次男達が買ってきた紀州梅と成績表を渡し、一時その成績表を見ながら、あーだこーだ話した後、帰路につきました。琵琶湖jrの方々には今回も大変お世話になりました。Mさんのところには、白雪奈良漬けでも送っておこう。そしてまた前回のように日曜日に琵琶湖jrクラブハウスに果物でも差し入れしよう。
昨日朝メールを開くと、クラブの先輩から、甲子園ボールをかけたKGvsRitsのアメリカン全勝対決の観戦メールが入っており、負けてしまったようです。12/18甲子園ボール当日は、みんなで応援に行き、関東を破って日本一の余韻のまま船で忘年会という予定が出来ていたのに、午後からセーリングして忘年会という風に変更になりました。アメリカンにはまた来年がんばってもらいましょう。
ところで、次男君の成績は、37位で昨年のようにナショナルチーム最終選考会に進むことは出来ませんでした。でもその1週間前にあった須磨でのクルーザーレースでは優勝したようです。

2005/11/21
先日次男達と乗ったとき、8m/sにしてはジブラフのサギングが強いなあと思い、昨日朝西宮のヤマハに寄り、目安のレーキやテンションを聞きに行きました。ディンギーヤードの方から入ると、後輩のK君がいます。470全日本への船積みで県連として来ているようです。
ヤマハを覗くが数字がなく、本社と整備の電話番号を教えてもらいました。ドラゴンにテンションゲージを取りに行くとジュニアのYさんがいます。マッチレースの講習らしく、J24を用意していました。いろいろ話していると、Yさんと一緒に乗られる方が以前エルシノアに乗っておられたようで、3年前のエルシノアの姿を聞く機会を持てました。かなりラッキーです。
チューニングデータを手に入れなかったのですが、とりあえず現状を測ろうと船に行くと、K先輩がおられる。中からM先輩・S先輩が出てこられ、マットなどを干しながら、備品の整理や何やかやです。お昼を過ぎた頃、K先輩お手製の焼きそばとおでんの登場・・・うまかったですわ。
来週は470全日本の船運び、エルシノアのチューニングデータ調べ・・・、12月には後輩の中学生とその父母を乗せるようなので、そこまでにはきちんとマストを立てておきたいけど。

2005/11/15
日曜日は久しぶりに琵琶湖に行ってきました。次男君が学生全日本予選で負けてしまって引退してから初めてです。次のキャプテン君から、「また時々見に来てください」と電話いただいて、この日に行われたD社クルージング主催レースのレスキュー担当で行ってきました。
電話をもらった時は嬉しかったですね。「声を掛けられるうちが華だなあ」と素直に喜びました。このレースは近畿北陸水域御三家が出ていないこともあり、京都が両クラス優勝、ついでに総合優勝でした。今回のスピンの景色を来年8月に再現してみたいものです。次は来月初めにあるプレプレです。
この日は、今年最後のドラゴンポイントレースでしたが、琵琶湖のレースと重なってしまったので、お断りしました。オーナーS先輩がやる気満々だったのに悪いことをしてしまいました。結局メンバーが集まらず不参加になってしまい、最後のレースは出たかっただろうに・・・とちょっと後ろめたい気持ちです。これから春までオフに入るので、冬眠前整備をがんばって穴埋めするかなと思っています。

2005/11/7
OP全日本・学生全日本、そしてOPアジア選手権、大きな大会が相次いで終わった。そういう時期ですね。みんな次のステージに上がるんだなあ。
私はというと、再び次男君のクラブからお声がかかりました。次男君の次のキャプテンから電話が入りました。ありがたいことです。コーチング技術などはたいしたことないと思っていますが、楽しくヨットをしようと伝えることはできると思っています。レース結果は、監督やコーチが与えるものではなく、選手のもの。いろんな思いでクラブに参加するのだろうが、そのベクトルをある程度揃えて、クラブとしてのまとまりを作るのは、最上級生でありキャプテンの仕事と思っています。
監督やコーチは、その少し長い経験から、忘れていることや抜けていること、技術的なアドバイスをする役目。あといつも前向きに、盛り上げるのも必要なことかなあ。安全に関わることでなければ、制限したり、押し付けたりしないようにしないと、せっかくのクラブが楽しくなくなります。なんと言っても、選手のクラブです。制限されて若者らしい自由な冒険が出来なければ、その後の人生のプラスにならないと思っている。
「気づいたことはアドバイスするけど、それを採用するしないは、選手の問題だよ。採用されなくても私は何も思わないから、自分で判断して」確か、昨年も一昨年も初めの頃に同じことを言ったと思う。
先週、Yさんのお通夜に行ってきた。並びの艇庫の学校出身で、元オリンピック選手。現役の頃、あんなにうまくなれたらいいなあと憧れていた。最近はドラゴンでレースをご一緒させていただいたりしていたが、残念な方が亡くなりました。
さて、昨日は、エルシノアのセール修理に行ってきました。「新しいセール購入を検討しているので修理しなくてもいいよ」とは言われているのですが、自分の中でけじめがつきません。ビリビリになってたら別ですが、修理はそれほど難しいとは思えないし・・・ってことで、午前中から夕方前までやってきました。雨で誰も来られないし、食事や読書を挟みながら、ダラダラ。何で今日雨なの?なんて思いながら、先日用意した雨対策ビニールを張って、コツコツやってました。その後じっくり取り扱い説明書を読んでいましたが、リーフの仕方がやはり甘かったようです。きちんとやってたら大丈夫だったかも?と思いながら・・・何事も経験です。先輩方に悪いことしちゃったな。
自分でも結構読書好きだとは思うが、1時間も読んでいると飽きてしまう。同じ本ばかりだと飽きてしまう。だからいつも読みかけの本が数冊ある。面白くなくて途中でおしまいになってるのもあるし、分野もいろいろ。乱読というか変読かもしれない。わが家では、多分長男と私の読書量が多いと思う。ただ長男は、私の倍以上読んでいる気がします。
小さい頃、子供たちとお風呂に入ることと寝る前に本を読んでやるのが私の仕事で、自分で十分本が読めるまで10年弱も、子守り歌がわりに読んでました。次男と3人での本読みから、段々抜けていったので、彼は十分本読みを堪能したと思う。そうだったからか、中学受験が終わってから、電車通学と言うこともあり、そりゃあ本を読むようになりました。特に歴史関係が好きで、中学生にして三国志を数人の作家ので読破していました。三国志は長く、そして名前が難解で、2〜3度チャレンジしては挫折した私は、その時点で既に負けたなあと思いました。魏延を知ってる中学生なんてそうはいません。魏延の人物像を解説してもらって、こういう話を子供とできるなんてと、たいそう喜んだものです。

2005/10/31
昨日は、ドラゴンのポイントレースでした。土曜日が雨模様の天気で、この時期低気圧が通り過ぎると、西高東低の気圧配置で西風が上がることが多く、先週のように風が強いとやだなあと思いながら日曜日の朝を迎えました。
朝、S先輩を迎えにJR西宮まで。息子さんに車を取られたのでしょうか?
ハーバーに着くと、予想に反して風がない。艤装を終え、桟橋に船が下り、桟橋係留のままメインセールが上げられるコンディションです。「今日はカッパがいらんかなあ」。ソヨソヨの風に乗って、ゆっくりハーバーから出ます。新西宮からは、T先輩艇と2艇だけ・・・2杯じゃ寂しいな。 
KGスナイプが練習しています。週末から11/3にかけて江ノ島で全日本の日程なのにいるのか・・・スナイプは予選で負けちゃったから、全日本に行かずに練習のようです。KDも練習をしています。こちらは、スナイプ6・470も6艇ほど出ていて、しかもレスキューにまだ10人ほど乗っています。全日本に両クラス行っていながら、まだこれだけ下級生がいるのか・・・羨ましいなあ。
 
レース海面に着くと、旧西宮から3艇出てきます。初めは、J24と同時スタートの予定でしたが、これで別スタートになります。
S先輩から、「今日はSTを鍛えるから、おまえスキッパーな」という御達しがあり、今日はスキッパーです。我がチームは、ドラゴンの基本動作をきちんと分かっているのは、S先輩のみで、私はバウの基本動作がまあまあわかってきたくらいで、インターポートでGさんの動作を見て、まだまだいろいろ深いものがあるなあと感じていまところです。ST先輩は、まだドラゴンが2回目か3回目なので、今日はS先輩がまん中で教えるそうです。K先輩が、KG監督になってドラゴンに来れなくなり、私だけが新人だったのが、2人も新人になってS先輩も大変です。 
この日は、最初微風から6m/sくらいの順風に上がり、最終レースの最終レグはまた風が落ちる楽しいウインドコンディションで、3レースできました。 
私はインターポートで2レーススキッパーをして、これで2日目のスキッパーなので、ちょっと余裕が出てきて、タック前のメイントリムや直後のトラベラーなど、落ち着いてできるようになってきました。でもGさんに指摘された、フリーでのランナートリムがまだ忘れる時があります。ジャイブ動作の時は、前2人が忙しいので、他はスキッパーができるようにならないといけないです。次スキッパーをするときの課題にしておきましょう。ディンギーには付いていないランナーというものを、いつも忘れてしまいます。 
インターポートで、TさんのJPN28に乗せてもらい、スキッパーとしてヘルムの感じや、他艇とのスベリの感覚がつかめました。クルーの位置からとスキッパーの位置から見上げた、メインセールのリーチの開き具合などを参考に、できるだけそれに似せようと、バング・アウトホール・トラベラートリムをしました。ジブリーダーの位置も参考になり、ジブリーチを閉じすぎないようにチューニングに気をつけました。
3レースで1上トップが2回と健闘しましたが、速い艇にある程度ついていけるようになったという感じで、コース選択が良かった結果だと思います。スキッパーをすると、ベアとリフトの振れを敏感に感じることが出来、タッキングポイントを感じることが出来ます。470なら、もっと振れに合わせてタッキングをするのでしょうが、ドラゴンではそうもいきません。でも私にしては上出来です。最後まで順位を維持できればいいのですが、まだまだですね。 
スタート直後など並んで走っている時、バウを出して行く感じや高さを稼いでいく感じがなく、こらえてる感じ。JPN28の時は、スピードアドバンテージを感じることが出来、このレグが長く続けばいずれ前に抜けることができると余裕がありましたが、この日はそれがありません。どこかが違うんだよな?ジブハリのテンションかもしれません。S先輩は、マストの立て方じゃないかなと言っておられましたが、私は経験が浅く、どこをどうしたらどうなりそうだというのがよく分かりません。
ドラゴンを片付け、これから前週に破ってしまったエルシノアのセール修理です。道具を持って行きましたが、中央のクリングルが取れ気味で、ニューセール購入も具体的に進んでおり、そのままでいいのではないかとS先輩から言われました。今日はレースに出ておられませんでしたが、ドラゴンの今年のチャンピオンHさんも加えて、エルシノアで2時間ほどゴソゴソしながら、お開きになりました。

2005/10/24
昨日はエルシノアに乗りました。息子のヨット部の外部コーチを2年間させてもらい、いい経験をさせてもらったお礼に、クルーザーのセーリングも経験させてあげたいと思い、先輩方に打診しました。皆さん快くOKしていただき、彼らを招待することが出来ました。KD監督さんが中心になり、毎年ヨット部卒業生と数泊のクルーザーセーリング旅行をしているのが、いいことだなあと思っていたので、ちっぽけながら実現させることが出来ました。次男君に乗りたい人がいたら先輩にも声をかけてねと言っておいたのですが、土曜晩まで連絡なし。ありゃりゃ中止になっちゃうのかなあと思っていると、「お父さん、僕入れて4人、僕の代だけ」と言ってきました。
週末自宅に帰ってきていたので、次男君と家を出てJR西宮でみんなを乗せハーバーへ。毎週日曜日は天気がよく、風もいい感じなので期待していたのですがあいにくの冬型気圧配置で、風が強く寒いです。ハーバーで学連艇庫側から入ると、艇庫のきれいさに羨ましがっていました。確かに彼等の艇庫とは住環境が大分違うなあ。
船に着くとオーナーのKさんがおられて、予備燃料のことなど教えてくれました。Mさんとともにツインスターに乗る予定と言うことでしたが、先輩方が多いので遠慮するとの事。ヨット部上がりとは言え、クルーザーは素人で、私も素人に毛が生えた程度、心配して来てくれはったのでしょう。ありがたい。女子マネさんにトイレの使い方もレクチャーいただきました。ツインスターに乗らないのなら、ご一緒にと誘ったのですが、親子セーリングに気を使われたのか遠慮なさいました。そう言えば親子でヨットに乗るのは初めてです。
ツインスターにヨット屋さんに勤める後輩のI君が来ていましたので、Mさんが水のポンプのこと、ビルジポンプのことを見てもらっていました。どうやら正常に動いているようです。問題点が1つずつ解決していきます。
11時に出発です。Mさんから、「今日セール上げたらメイン破れるんちゃうか」。何か私もそんな感じがしたのでリーフするためのシートだけは用意してきました。東入口から出て機走で風位に立てながらメインアップ。あらかじめ1ポイントリーフ用にシートを通していたのでそこまで上げ、ジブを展開すると、間もなく「ビリッ」という聞きたくない音が・・・ありゃりゃ、リーフしたクリングル周りのセールが持たなかったようです。フルセールの時はブーム全体で上に引っ張られるのを押さえていたが、リーフすると3ヶ所のクリングルで耐えるわけだからなあ。もっと一番後ろのクリングルからアウトホールテンションをきつく入れておけば良かったなあ。すぐにメインを2ポイントリーフまで下ろし、そこでリーフです。
ヨット部員だけならフルメインでジブファーリングで行くのだが、女子マネさんがいるし、ヒールに恐がってしまうと子供にヨットをやらせようと思わなくなったらと思うので、今日はどんぶらこっこのスローライフセーリングです。OPが練習しています。みんなが「あれ後輩?」って聞きます。遠くにFJが2艇。清風だったかもしれません。
赤灯台に向かっていると、先に沖に出ていたレース艇が防波堤内に戻ってきます。西風で波が良くないのかなあと思いながら、息子の「沖に行こう」の言葉で赤灯台を抜け、沖の浮標に向けます。他の子は港内でも琵琶湖よりは数段上の波なので「すごいなあ」と言っていますが、息子は元々ここでヨットを覚えもっとすごい所でも乗っていたので、その辺に関しては平気です。「スピンついてないの?」には、ツイーカーがないから暴れて大変やから今日は上げへんとキャンセル。
一文字の白灯台を回って港内に入ることにしました。白灯台を回りポートで岸に伸ばすと、水深が浅くなってきます。こりゃいかんなと思い、タックをするが砂利船集団の中で、ジブファーリングの影響で上り角度も悪く、何度もタックです。みんなそれなりにコンビネーションが出来てきました。セールを小さくしていることもあり、マネージャーさんが舵を取ったりしていましたが、あ〜だこ〜だ楽しそうです。
学生が練習している海面を横目に、東入口近くまで帰ってきて、ジブをファーリングして、メインダウンです。ちょうどツインスターも上から下りて来てセールを下ろしています。3時前に帰着して後片付け、マネさんにログブックを書いてもらいましたが何を書いたのか?次のときのお楽しみ。ちょうどフローティングボートショーだったので見ていきたかったのですが、これからバイトの子がいてそのまま帰りました。帰りは、初めてのクルーザーセーリングが楽しかったようで、みんなでお金を貯めて・・・なんてしゃべっていました。ヨットは、卒業してからも長く遊べるからね。仕事の息抜きに海で遊んで欲しいものです。

2005/10/17
先週は、プレ国体の成績や写真が流れてきました。兵庫ジュニア出身の子達や兵庫県連の選手がたくさん優勝し、おめでたい週でした。来年の兵庫国体本番でもこのような成績が残せたらすばらしいのにね。北港ランチクルージングの写真を見ながら、HPでアップしたら参加されなかった方も楽しめるかなあと思い、メンバーさんに提案してみました。反対の方は誰もおらず、早速作ってみました。
日曜日はエルシノアの整備です。朝5時にめざめてしまい、先週同様店で仕事です。十分余裕があると思ったらすぐに時間が経ってしまい8時を回ってしまいました。朝散髪に行く予定でわが家御用達のお店に急ぎましたが、どうやら出遅れのようで終わったら10時。10時から浜というお達しには間に合いそうもありません。
10時半前に浜に着くと、この日は新西宮YH開港○周年記念の行事のようで、車がいっぱい、芝生では司会者が何やらしゃべっています。フラフラと芝生に導かれ、バザーのお店を回り、焼きそば屋が出てるなあなどとざっと見て回りました。ゲスト桟橋ではトヨタマリンの試乗会をしていたので、そちらにもお邪魔しました。さて係留艇桟橋ゲートまで来ましたが、船に行かれる方の出入りが一段落した時間帯のようで、20分近くそこで待つことになりました。遠くにエルシノアでボトムを磨いている先輩方を見ながら、近くで荷物を積み込んで出ようとしている船を見ながら、ゆっくり待っていました。電話を掛ければいいものを、いつものように携帯電話を持ってきていないし、ハーバー受付まで行くのも面倒だし、まあOFFの日なのでのんびりゆっくりがいいです。人の動きをゆっくり見ているのも中々面白いものです。
11時前にようやく船にたどり着くと、先輩方がボトムの汚れ落しをしていたり、シュラウドにテープを巻いたり、ステアリングのサビ取りなどゆっくりとコツコツと働いておられます。私は早速担当の風見付けです。次男とOPサーカスをしていた頃のツールボックスを持参していたので、スピンクロスを切りサイドステイにくっつけます。クルーザーでサイドステイに風見が付いているのをあまり見かけませんが、先週スピントリムでマストトップを見上げてまぶしかったし、先輩方もサイドステイに風見がヒラヒラしていた方が走らせやすいようです。ディンギー乗りの性なのでしょうか?
この日もS先輩の奥さんが来られていました。元ヨット部員で旧姓の頃からみんな知っているのでいいのですが、もっと他の奥さんも来られたらいいなと思いました。うちは?家内は色白命だから中々なあ・・・大昔お盆にあった次男君のレースに参加したとき、気を利かせてクルーザーに乗せたのが良くなかった。くっきり日焼け跡がついちゃうし、遠慮しちゃってトイレを言えなかったようだ。私はコーチボートに乗っててサポートして上げられなかったし・・・。
この日は、少し風が強めでしたが、いい天気です。またまた土曜日が雨で日曜日がいい天気のパターンで、いい感じで周期が回っています。M先輩のお嬢さんが文化祭だそうで、大学も決まったそうです。お〜、友達を伴って来られたら華やぐなあなんて思っちゃいました。お隣さんは、オーナーさん?と若くきれいな方が楽しそうだし・・・。
YHフェスティバルで、芝生の音楽が流れてきていつもより華やいでいました。昼から、記念レース参加艇が続々帰ってきて、母校OB会長先輩の船も帰ってきました。いつも成績がいいので、今回も良かったのでしょう。先週スピードメーターが動かなかったので、船内からメーターを抜くことになりました。抜くとやはり海水が入ってきて、そこをウエスで押さえながら、プロペラに付いているフジツボ取りです。チェックのために船を沖に出し全速で走りましたが、明らかに実際の速度より遅く表示されます。おかしいなと取扱説明書を見ながら抜いた所をゴソゴソしていたら、きちんと元に戻せていなかっらようで、正規の位置に差し込んだらそれなりの艇速を表示するようになりました。最初の状態では抜け止めストッパーにかかっていなかったので、いつか自然に抜けて船が沈没していたかもしれません。危ない所でした。先週のオイルといい、毎回勉強になります。

2005/10/10
先週初めに、世の中連休ということもあり、船でどこかに1泊旅行に行こうかとお誘いがありました。嬉しいけど休みは日曜だけだし・・・。淡路島とか淡輪はどない?ということだったので、日曜日の朝一番に出発すれば、10時までにはどちらにでも着けるので、復路だけ参加希望と返事をしておきました。
 
結局、日曜日だけの日程になり、北港レストランでのランチということになりました。朝ハーバーに着くと、前日からの兵庫国体リハーサル大会で、テントや船がいっぱいです。船に着くと、S先輩から、「オイル入ってなかったんや、やばかったぞ」とのこと。M先輩がオイルに気づき、用意してくれたのでエンジンが助かりました。
本日のメンバーは、S先輩ご夫婦・K先輩・もう1人のS先輩、そして私の5人です。10時に桟橋を離岸。ハーバーのゲスト桟橋には神戸港観光船のような船が着いていて、お客さんがたくさん乗っています。国体観戦なのでしょう。
沖に出ると、すぐに「警戒船」とフラッグを揚げた船がいます。ブルーのマークがレース海面を囲むように入っています。プレジャーボートがレース海面に入って来ないように警戒しているのでしょう。反対側の芦屋埋立地の先端に目をやると、テントの下にTVカメラがレース海面を狙っています。こんな遠い所から映せるのだろうか?まあすごい機材持ってるからなあ・・・
 
さあセールアップ。メインのラフがカーになっているので、スムーズに揚がります。でもカーに繋がっているクリングルが取れそうなところが数箇所。あまり力任せに揚げるとさらに傷めてしまうなあ。ジブのファーリングを解くと、明らかにジブの方がきれい。「このメインでは、ホワイトセールレースには出れないかも」なんてしょうもないことを考える。
この日は北風なので、赤灯台を目指してランニング。左手は、リハーサル大会A・B両レース海面で、A海面では先頭集団が回航しスピンが咲いている。B海面はスタート前のようです。いい天気です。昨日の雨模様とは大違い、日頃の行いのよさが分かります。その分暑く、厚手の長袖が耐えられなくなり、半そでになりながら日焼け止めもしっかり塗る。
 
赤灯台を過ぎると、北港YHまでポートののぼり1本です。一文字防波堤に沿ってセールを絞るとかなりヒールが入ります。北風なので波がなく濡れないのですが、フルムスが大変そうです。そこで、ジブをファーリングして、もっと快適セーリング。S先輩から、「帰りはスピン上げるぞ」とのお達し。一応スピンシートをセットしてあるが、「初めてスピンを上げるのには、なんかちょっと風が強すぎませんか?最初は2m/sくらいの微風で・・・ごにょごにょ」。どう見てもその倍は吹いていますよ。「ツイーカーがありませんね。ブローで左右に振られたら・・・ごにょごにょ」
南の海面を見ると、IMSのレースをしており、巨大なスピンの花が咲いています。防波堤沿いには、漁船が1隻。操業中なのかなあ?一文字の沖まで出てくるといつも気づくのですが、大阪方面に見える杭の林立はなんだろう?埋め立て予定地を示すものかなあ?
 
一文字の大阪側白灯台を交わす所まで上ってきました。日曜日で天気もいいので、釣りの人がたくさん出ています。岸の方に目をやると、鳴尾の海釣り公園が見えます。こちらもたくさん人が出ています。 
ここまで来ると、北港YHはもうすぐそこです。西宮から海岸沿いに白灯台を目指せば、すぐに北港、1時間かからない距離だもんなあ。大阪市の舞洲ごみ焼却場が見えます。イタリア人デザイナーのユニークな煙突や建物が特徴で、アミューズメントパークのような外観です。こんなのにお金使ってるから、今赤字で困ることになるんだよなあ。
いよいよ北港YHです。クルーザーが数艇出てきます。次男君が高校の時練習していた淀川河口では、相変わらずディンギーが練習しています。エンジンをかけ、ジブをファーリングして、メインを降ろし入港します。湾内ではアクセスディンギーが練習しています。
一番手前のゲスト桟橋内側に横着けし上陸。「変わらんなあ」2年ぶりくらいだけど、ほとんど何も変わっていません。
 
沖から予約しておいたレストラン・パパヘミングウェイに入ります。11時半くらい。お客さんはまだ少ない。2Fには何度か入ったことがありますが、1Fは初めてです。イタリアレストランになっています。パスタのランチコース1400円を注文。
レストランの海側がオープンになっていてウォークインで屋根のある外のテラスに出ることが出来ます。ちょうどいい季節で暑からず寒からず。テラス越しに海や係留艇が見えます。小さなチャペルがあり、ウェディングドレスが飾ってあります。ここを貸切にしてウェディングも中々おしゃれでいい感じです。
 
2時間弱、先輩方はビールやワインでしたが、私は最後のケーキとジュースを飲んで、帰路に出発です。スピンかなあ・・・
ゲスト桟橋を見ると、外側にきれいな船が着いています。明らかに艇体の白さが違います。近づいて見るとデュフォーの新艇のようです。衣類洗剤の宣伝ではありませんが、「白さが輝く」状態です。
沖に出ると風が落ちています。スピンにはちょうどいい風です。スピンバックをバウに出して、ピークから丁寧にエッジを探りながらタックとクリューにスピンシートをノット。ポールをガイにセット、トッピングとダウンをセット、ポールをマストにセット、いよいよスピンアップです。風が弱いこともありますが、いきなりアビームでアップ。
ブローが入りヒールする度に、ヘルムスは当て舵です。ランニングできるシチュエーションになり、バウを落とすとさすがに安定します。艇速も落ち暑さが戻ってきます。トリムのためにスピンを見上げるので顔が日焼けしそうです。でかいツバの帽子を被っていますが、すぐに日焼け止めを取り出しお肌のお手入れ。
 
スピンを降ろし、私にヘルムスの交代指令が。この船はステアリングタイプなので、車と同じような切り方なので、ティラータイプとは感覚的に逆になります。風上に座り、すぐ慣れ、中々いい感じです。それにしてもステアリング重いと思うのですが・・・グリースを挿したいんだけど、何処からこのステアリングボックスを開けるのかなあ。
 
やっぱりヨットはクローズホールド。ギリギリの微妙なところを探るのが楽しい。風が幾分落ちているのでフルセイルで快調です。次、S先輩に交代。赤灯台を越え、湾内に入ると左海面から快調に走ってくる艇が・・・サイドボトムがツインスターカラーです。セールNoがJPN0001ツインスターでした。
S先輩に、「あれに負けるな」と指令が飛ぶ。5艇身前をスターボで交わし、平行位置でタック。走り比べです。やはりこちらの方が大きいからか、スピードも上回って、のぼり角度までいいようです。
ツインスターはジブが小さく、100%以下のような感じです。操作しやすいように、今日は小さ目のセールを出しているのかなあ?そのままハーバーバックして、残った時間で整備です。雨漏り対策やら、なんやから。指がベトベトですが、これまた船の楽しみというところでしょうか。

2005/10/2
昨日はインターポートというドラゴンのレースに参加しました。
シドニー・バンクーバー・香港・西宮、4ヨットハーバーのドラゴンフリートの対抗戦です。今年は西宮がホストで何度も話し合っていました。と言っても私はクルーなので、ただ聞いているだけです。今年はバンクーバーが不参加で、3カ国各3艇に乗り、2カ国づつ総当りののチームレース戦です。
朝桟橋に着くと、チーム編成です。私はS先輩といつもは他艇に乗っておられるG先輩とご一緒です。乗る船もいつものダンシングクイーンとは違い、基本動作の順番やコントロールシステムに多少戸惑いました。あまり回数乗っていないので仕方ないですね。
この日は、ドラゴンで初めてスキッパーをさせてもらいました。1レース目、スタート直後リーヘルムが強く、ナチュラルにベアしすぎていたようです。ジブラフのテルテールの感覚に慣れてくると、何かいい感じになってきて、徐々に挽回している感じでしたが、今回はスタートから上マークまでが近く、タック後風上艇とミートになってしまいました。でもフリーは470の感覚でスピンに目が行き、メインを見る余裕がありませんでした。スピンシートをコントロールする動作がない代わりに、ランニングバックステイコントロールがスキッパーの基本動作に含まれるのですが、指示されてばかりでした。次のクローズはいい感じですべり、タックも段々落ち着いてきました。
レースが終わり休憩していると、OPが10杯くらいこっちに向かってきます。兵庫ジュニアの面々で、みんなきれいに走れています。邪魔になりそうだったので反対タックで動き出すと、私に気づいた子達が手を振ってくれます。レスキューの2杯からも、意外なところで私を見つけたとばかりに手を振ってくれます。うれしいですね。
さて次のレースです。ドラゴンの動きに慣れてきたので、他艇よりスタートラインに近い位置をキープしながら、下に入られるのをケアしてボートコントロールして下一から出ることが出来ました。今度は落としすぎる事もなく、1上トップ。ジャイブなどの基本動作が安定してできるなら、VMGを考えてもっと上らしめで走るのですが、ランニングに近く走って味方艇にブランケットされてしまいました。でもチームとして勝ったのでよかったです。クローズは自分でどんどん安定してきているのがわかります。
スキッパーをしている時、Gさんの細かいジブトリムを見、クルーをしている時はGさんから具体的にジブトリムの指示を頂きました。なるほどなあ、速い船はそうやってるんだとヒントをもらったような・・・ありがとうございます。

藤沢周平原作の映画「蝉しぐれ」を家内と観にいきました。原作も遠い昔に読んだことがあり、今回の映画は期待大でした。いやあ、とてもよかったです。映画は映画の魅力がありました。
いろんなことに耐える事が多かった時代に、淡い想いを心に抱きながら生きた主人公達。日本人の心に流れている何かを再認識したような、とてもいい余韻が残りました。家内もよかったと言ってくれました。
主人公ではありませんが、自分の大切な人を守るのために命を賭けることは、生き様として最高ですね。

2005/9/26
24日からドラゴン全日本でした。25日ダンシングクイーンのクルーで出場しました。
内心、台風の影響で吹き上がったらやだなあ〜なんて思いながら、そのときはそのときで何とかなるかなあとも思ってハーバーに向かいました。
レース海面も西宮、参加艇もいつものメンバーが大半で、ポイントレースの延長のような感じ。集合時間も適当にしか聞いていなく、こんなもんやろうという時間にハーバーに着いたら、船は下架されてセールもちゃんとついています。一抹の不安を持っていたサイドステイにつけた風見も健在で何もすることがなく、艇置き場に戻ると、KG後輩がドラゴンのセッティングに余念がありません。
「昨日出なかったの?」「出たんですけどスピンハリが飛んで、マスト倒して通しなおしました」
そりゃ大仕事。昨日は相当吹いたようで、フリートで多数トラブルが出たそうです。桟橋に戻り船でゴソゴソしていると、艇長とM先輩が到着。他艇クルーと昨日のレースの話に花が咲き、24日のクルーだったS先輩は、帰りの船の中で水に浸かりながら寝ていたとか、桟橋にもやいを取るなり大の字になったとか、今後の酒の肴になるだろうエピソードをたくさん聞かせてもらいました。他艇でブームパンチにより病院に行った方もおり、幸い大したことはなかったそうだが、気をつけたいものです。
この日も北のいい風です。西からブローが入るいつものパターンです。北風は波があまり上がらず、コースがより重要になるので結構好きですが、ドラゴンは気軽にタックできないのが難点でストレスがたまります。470なら、ベアでどんどんタックしていくのだけれどそうはいきません。
段々風が上がり、最終レースのフィニッシュ前にブローチングがきました。「おまえ落ち着いてたなあ」と言われましたが、スキッパーが当て舵して、私がアフターガイを離さなければ大丈夫なので、「ああ、来たなあ」程度でした。学生時代にスピンではイヤと言うほどいろいろ経験してるから、体に動作が染み付いているようです。
最後、そのままフィニッシュですが、そのすぐ先に砂利船が泊まっているので、フィニッシュ手前でスピンダウン動作に入りました。スピードの追求は面白いが、無理してトラぶった時船を傷めては次遊べなくなります。
レース後、ハーバーに向かっているとKG監督艇が寄ってきて、後ろに乗っていた1回生を見て「あんな若いヤツやったら、飛び跳ねて動けるやろなあ」なんて思い、適当な会話を交わし・・・「やっぱりレースはおもろい」
シャワー後、関西ヨットクラブ前の中庭で閉会式。優勝はA大先輩の艇でKG後輩君がスキッパー。パチパチパチパチ。
ミッドをしていたM先輩が、「悔しいなあ、来年優勝するぞ」って、私は参加することに意義があるオリンピック派なのに。まあヨットはやっぱり乗らなくっちゃね、そしてレースは面白い。
これでドラゴンに乗艇は10回弱になったと思いますが、無駄な動きが減った感じで、翌日の筋肉痛があまりない。

2005/9/19
土曜日から3日間、関西インカレです。日曜日はその観戦に行ってきました。
私が観覧船のキーを持っていたので早めに行かなければなりません。雨も振りそうにないのでバイクで出発。バイクは渋滞というものがないので快調です。信号で止まっている車の間をゆっくり信号の先頭まで行くのは、何か得した気持ちになります。
ハーバーに着いてドラゴンを横目で見ながら、桟橋入口までやってきました。船のキーはあるが桟橋のカードがないので、しばしどなたか来られるまで読書をしていました。私はかなり本を読むのが好きなようで、いつも読みかけの本が数冊あり、気分によって読む本を変えています。
ハーバー本館はまだ開いていませんでしたが、子犬をつれた主婦?2人が階段に座っておしゃべり・・・おじいさんとキックボードに乗ったお孫さんがやってきて、自販機でジュースを買っています。車椅子のおじさんが、快調に飛ばしてやってきて、最も本館寄りに係留している堀江さんのマーメイドに見入っています。天気もくもりで、暑くもなく寒くもなく、ゆっくり気持ちのいい日曜日を連想させる朝でした。
やがて船から戻って来られる方がいて目出度く桟橋ゲートを通る事が出来ました。船に着いて台風に備えた増しもやいをはずし、各ドアを開け窓も開けて空気の入れ変えです。メインスイッチを探すが何処にあるか分からない。ライトスイッチを入れてライトをつけるとちゃんとつく。これでいいのかな?電動計器類もスイッチを入れると作動、ついでに電動トイレの使い方も学習して、再び読書。朝船で読書なんてこの上ない幸せではないか・・・。
ふと見るとツインスターのエンジンがかかっている。「誰かいるのかなあ?」K監督がKGフラッグとかをハリヤードにくくっていました。昨日の成績の事など話して・・・、なんとメインセールを新調したらしい。でも中に入ったままで、ブームに巻いてある旧セールとチェンジしないままらしい。でもニューセールがあるというだけで気持ちはハイになるなあ。
再び本を読んでいると、「ブ−」、レースの陸上ホーンのようです。「さてと、まだ時間はあるし、昨日の成績でも見に行くかなあ」とディンギーヤードの方に歩を進める。ちょうどKGが出艇する所、レースの出艇前のガチャガチャしながらもちょっと張り詰めた雰囲気の中、ノーティスボードの成績を見ていると、現役のUお父さん、昨年小戸でお世話になりました。その後、監督とF先輩が来られ、「Fさん、そっちに乗せてくれる?」と言う事で、UさんとF先輩もご一緒することになりました。「スタートの時、その延長線上に上がらないように。予告前でもレース艇から離れるように言われるよ、気をつけて。それからA大先輩が10時に来られるそうやから、そちらに乗ってもらって」と監督から。どうやら例年以上にレース艇から離れていた方がいいようです。
桟橋に戻り、S先輩ご夫婦と合流し、A大先輩ご家族4人を待って出発です。「神谷ドライバー頼むで」ということで終日ドライバーをすることになりました。A先輩からフラッグ持ってきたから揚げようということになりましたが、なんと海軍旗、日の丸の中心から放射状に赤線が広がっている海軍の軍艦に掲げられている日章旗。海軍旗というのはこの旗の事を言うのかとこの年になって初めて知りました。
レースが始まり、470が10番台で3艇回航しました。「かんがく〜」とA先輩がレース艇に向かって大きな声で応援しています。レース中にいいのかなあと思いながら、これくらいいいよね。第一、80うん才ということでこのエリアにいる誰よりも先輩かもしれません。オールマイティーだよな。
本部船がN旗を掲げて走ってきます。470は既に第2上を回航してるのに・・・これで本当にノーレースにしちゃうのかなあ?にわかには信じられないぞ。成績の良かった学校からレース委員会に抗議がでそうです。次のレースはKG470が1・2位回航しました。「オオ〜さっきのノーレースはラッキー」。A大先輩のテンションが上がります。何時の間にか、座っておられるトランサムのオーナーズチェア横のシュラウドにZ旗が揚がっています。これって確か海軍では、行け〜とか突っ込め〜とかいう時に揚がるのでは・・・。
左右のオーナーズチェアの間に私が挟まれてドライブしていましたので、A大先輩からいろいろ聞く事が出来ました。多分学徒出陣なのでしょう。海軍航空隊で九州の基地で終戦を迎えたそうです。もう少し終戦が後なら、鹿児島の知覧基地から特別攻撃隊で出撃なさっていたのかもしれません。私のようなこせがれにも気軽の話し掛けられておられますが、壮絶な人生を送ってこられたのかも、と想像してしまいました。
ちょうどさっきまで読んでいた本が、「特攻と日本人」という本で、陸軍特攻隊員の日記等が書いてある本です。今日A大先輩とご一緒するのも縁だなあと神様の存在を感じざるをえません。A大先輩とF先輩が昼で帰られるそうで、ハーバーに一旦戻ります。帰りもA先輩はご機嫌で、「あんた国体出たか?・・・大昔国体で優勝したんや、あん時はセールが1枚しかなく、最近は2枚セールがあるヨットでビックリしてまうわ」「先輩、最近は3枚のもありまっせ」
「国体で優勝して社内で有名になってもうてな、女子社員のアイドルになったんや・・・そんで家内と知りあったんや、なあおまえ・・・」、奥さんはかなわんなあ1/3ととニコニコ2/3です。「うわあ、すごいこと聞いてしまった」とA先輩のお子さん夫婦と顔を見合わせてしまいました。
その他、「今1番走ってるのが、ユニバーシアードに出場した女の子です」「そうか、寄付したぞ。孫の嫁にどうや・・・」とか、ご機嫌でした。船から降りられて、ポンツーンで船と共に家族写真にご夫婦の写真、マーメイドの前でも写真を撮られて帰っていかれました。「冥土の土産や」「葬式の写真出来たわ」笑わせていただきました。それと共に、いい感じのご夫婦で、こんな風に家内と年を取れたらいいなあと羨ましくもありました。それとS先輩がよくご夫婦で来られる姿にも、いいなあなんて感じています。
午後も再び観戦し、上がってからドラゴンのインターポートの打ち合わせ。いつもより遅く家路に着きましたが、ちょうど国道の正面に名月が浮かび、いい感じでした。

2005/9/12
昨日は衆議院議員選挙でした。朝一番に選挙に行こうと家内を誘いましたが、お化粧していないからダメと断られ、「選挙一番乗りだったら、投票箱に前もって何も入っていないことを確認できるんだよ」とさらに誘うが、「もう7時半、7時から選挙が始まってるのに1番な訳ないでしょ」、「それはわからんで」とさらに食い下がるが、1人でトボトボと行くことになりました。
無党派層の私は、今回民主党に入れました。戦争が一番イヤな私は社民党に入れればよさそうなものだが、小選挙区制では勝てっこないし。自民党もなあ・・・小泉さんのイラク派遣の答弁や今回の選挙で、昨日の友の息の根を止めるために刺客送ったりする手法が怖く感じました。多くの人がいずれ郵便局は民営化されるだろうと思っているから、もう少し時間をかければ別れなくて済んだのに・・・。強引な手法で、党内からいろんな意見を駆逐し、自由な発言に心理的圧迫を与えることは、長い目で戦争に繋がる気がします。つまり、それを前例に未来の党運営がされ、少しづつ・・・。

さて選挙も済み、西宮に向かいました。ドラゴンのレースで全日本に向けてニューセールのお披露目です。全日本には日程的に出場できないのでこの日はクルーザーから見物の予定でしたが、同期のY君が来れなくなったので、「乗りかなあ」。11時位から練習レースだからこんなもんかなあと9時に着くと、既にオーナーが来られていました。「やべっ」と思いながら、最後だけ走って「おはようございます」。もう学連は遠い昔に卒業したのに、オーナーは私が1回生の時のキャプテンということもあり、体力的な問題を大いに抱えながらも形だけは学連の乗りです。
ニューセールをセットしながら、「ええなあ、パリパリ言ってるわ。スピンも白やし」。学連でバリバリにやってた時、KGの白スピンは輝いていました。日本に初めて入ってきた、まだ白しかない新素材で作ったスピンを思い出します。白がかえって目立ち、前しか走らなかったからなあ。
M先輩とS先輩が来られました。「やったオーナー入れて4人、上がりになれるかも?」・・・「おはようございます。今日はクルーザーの方でいいですか?」「何言うてんねん」。一言で淡い期待も惨めに砕け散りました。くもりで微風、日焼けが気になるとくもりが最高の天気です。もう少し風は欲しいですが、学生のように「6m/sはないとなあ」なんて口が裂けても言いません。4m/sあれば十分すぎます。微風の中レースが始まりましたが、ニューセールはリーチがいい感じで、前のようにバング入れないとリーチルーズすぎるやろなんて感じませんでした。そして確実に前より速いです。コースで上がっても、並んで走ってて段々負けていくのは精神的に良くないです。ミスが重なってびりになっても、速いボートに乗っていれば気持ちがいいです。
1レース目は3位、2レース目は風の振れで1上ビリ回航になったが、1下でテールトゥーノーズまで追いついて、さてこれからという時、右海面を選択し先行艇の下突破を選択したのがミスでただ高さを負けていくだけ。よくある光景で、やっぱり下突破はできないよなあ。風がさらに落ち、前回同様左から風が入ると予想して、ブローで左に返しブローに乗って先行艇よりいいスピードで走っていましたが、やがて風は落ち、タックして止まって終わりました。この船重いので、スピードがない時タックしたらうんともすんともいいません。ロッキングなんて全く効かないので、ただ漂っていました。
「お〜い、曳航しよか」、「まだレース中や」とオーナースキッパーが強気な言葉を発していましたが、ティラーはM先輩に渡してるし、目は笑っています。「え〜、まだレース中?フィニッシュにお尻向けて、バウはハーバー向いてるで。てっきり諦めて帰ってるんやと思ったわ」。他艇ははるかかなたでフィニッシュ目前ですが、我々は潮に流されてフィニッシュから離れるばかりでよた話。やがてフィニッシュした艇が曳航されながら自艇の横を通り、そのままなんとなくDNF、曳航されてハーバーに戻りました。私も一応レース中だというのに、かなり前から曳航ロープをバウに結びに行き、曳航される気満々。気心の知れたメンバーで馬鹿言いながら・・・楽しいレースでした。

2005/9/5
土曜日、「映画行く?奥様は魔女か容疑者室井慎治、どちらがいい?」と家内にFAXを送っておいた。
仕事を終え、急いで家に帰り車を自宅に乗りつけた。玄関を入ると、家内が靴を履いているところ。映画館まで10分の車の中。

「いつもなら、帰ってくる頃なのにね。どうしちゃったのかなあ」
「放心状態なんじゃないかなあ、僕は全日本に行けたけど、まさかの成績だったので、今の気持ちわかるなあ」

昨日ハーバーでレース艇の整備をしていると、一緒に乗ってる先輩から、
「ところで、ジュニアどうやってん?」
「あきませんでしたわ、またD社に負けましたわ。毎年全日本予選が終わったこの時期、実家に帰ってくるんですが、今年は帰ってきませんわ」
「目標がなくなって、何をしていいかわからんようになってるんやろうなあ。俺も全日本で負けて、そうやったもんなあ。でも8月末のこの時期は、まだヨットに十分乗れる時期やからきついなあ。俺の時は11月やったから、忘れてスキーや、と切り替えられたからなあ。俺の息子は、今ウインドやっとるわ」

次男君は、結局4回生も全日本団体予選で敗退してしまいました。4年間、最高学年での全日本団体戦出場目指して練習してきましたが、敗退すると、大きな目標がなくなり、放心状態になり、数日何をするにしても気持ちが入らない、むなしい感じになります。多分、スポーツに限らず、一生懸命打ち込めば打ち込むほど、そうなるのでしょう。
入試などでは、多くの人が合格しますが、スポーツは最後まで勝利するのは、個人戦ではたった1人だったりするので、ほとんどの人が負けを味わいます。私も高校インターハイ予選で負けて、話す気もなく帰り、数日ただ家でゴロゴロしていました。同じく放心状態で帰った仲間は、大切なセール(帆)を電車に置き忘れてしまいました。その後、貸してくれた学部ヨット部に、みんなでお金を出し合って弁償したのも今ではいい思い出です。

大学では、その年の個人戦で、私ともう1人が抜群に走り、着順1位と3位だったので、団体戦優勝の本命、自分でも自信を持って臨みました。しかし、全く風がなく、琵琶湖の学校にやられてしまいました。江ノ島から西宮までの帰り、自分のふがいなさに情けなくなって、高速をぶっ飛ばして帰りました。2台しか抜かれなかったような。
次男君は、夏休みが9月いっぱいまであるので、後輩のコーチや恒例の琵琶湖周航のサポートをして傷心を癒すのでしょう。私の次男君大コーチ稼業もこれでおしまいです。何も役に立てなくて、申し訳なかったな。次男の気持ちがわかるだけに、私の分も含めて、1週間ガッカリしていました。
「小巻、ター君の分も含めて、去年みたいに全日本で走れよ。去年は和歌ちゃんの第一経済に負けたけど、今年は神風が吹くかもよ?いずれにせよ、昨年同様、兵庫ジュニア卒業生でワンツー行こうぜ」

2005/8/29
ジュニアヨットのアセアン選手権が土曜日に終わりました。開催地は、マレーシアのポートディクソンというところでアーリーアライバルも含めて1週間です。首都クアラルンプールの南40kmのリゾート地です。
兵庫jrからも1人参加していたので、毎日チェックしていました。日本チームHPがあり、掲示板もあります。まあ、ナショナルチームではここ数年、各チームが定番で持ちます。ヨットなんて、かっこいいイメージはありますが、やってる子が非常に少ないので協会は年中金欠です。よって、みんなボランティアで子供達を少しでも盛り上げようと、設置します。
運用者は大抵親で、身内で盛り上がります。そこに、同じクラブの子やその親から、応援メッセージが入ったり、時には同じ学校の友達から入るときもあります。
チームが出来てから、国内練習の様子などトピックスや写真がアップされます。レースが始まると、現地にPC持ち込んで、PC環境がいいと毎日の近況報告が載ります。私は、レース前に応援メッセージを書き込み、レース終了後ご苦労様メッセージを書き込みました。現地でも見れるので、レース後ホテルに帰ってきてから、選手たちは楽しみにしているようです。今日帰国予定です。

みんな想い出に残る夏休みになったでしょう。砂浜、椰子の木・・・南国です。選手にとっても想い出だろうけど、親にとってもすばらしい子供からのプレゼントです。兵庫から参加した選手のお母さんは、一緒について行ってサポーターをしました。
英語の先生なので、ヨット用語はわからないが通訳になるし、ちょうど夏休みでこんなチャンスはありません。「絶対行くべき」と強く勧めましたが、それ以前に行くつもりだったみたい。
この子は去年中学受験で、私の母校に入ったのですが、去年ほとんど何処にも行かず、ひたすら勉強だったので、2年分を2人で満喫したのでしょう。

ただいいことばかりではありませんでした。このHPを立ち上げて運用していた関東の子のお母さんが、出発する数日前にお亡くなりになりました。以前から悪く入院していたのですが、病室からの更新をされていました。アセアン選手権の経験があるので、私が行った時作ったHPを復活させて、そこからリンクしたり・・・なんかすごく残念でした。
でもこの子に対する応援も多数入り、みんな温かいなあと思いました。いっぱい泣いただろうけど、乗り越えてね。

もう一つビックリすることがありました。ヘイズって知ってます?エイズではありません、ヘイズです。
レース10日程前に、インドネシアの山焼きの影響で、マレーシアの広い地域で、煙が立ちこめました。在マレーシア日本大使館のHPによると、外出は控えるように・・・なんてなってました。一時は大会の中止や延期も検討されましたが、どうにか大会前に影響がなくなりました。
日本でいう光化学スモッグなのでしょうか?でも日本では外出危険度・・なんて事にはならないのに、危険度・・とか、地域別に表示されていたからそれ以上なのでしょう。インドネシアって海を隔てて対岸なのに、地球規模なんだなあ。

2005/8/24
日曜日、相も変わらず琵琶湖に行ってきました。琵琶湖といえば、京都のさらに向こう。ちょっと前は、京都だって小旅行だったのに、交通機関のスピードが上がり、琵琶湖だって1時間くらいで行けてしまうようになってしまった。
この日は、近畿北陸学生個人選手権の2日目で最終日。全日本学生個人選手権予選でもあります。去年、ター君は非常に速く、圧倒的なボートスピードで、トップフィニッシュを連発し、1レース早すぎるスタートで失格したにもかかわらず2位になった。
クラブの最終目標は、全日本学生選手権団体戦への出場なので、去年の速い船を後輩に譲り、また一から船のチューニングを始めた。でも今一スピードが出ないようです。
それでも土曜日は総合4位にいたが、日曜日はOCS失格し、結局それを取り戻せず、全日本個人戦への出場権のある上位6位に残れなかった。残念だけど、仕方がない。

という残念なことがあったが、いいこともありました。個人の各校上位3艇の成績を合計すると、スタートミスがなければ、3位に入ってる。今週末にある団体戦で同様の成績が残せれば、目出度く全日本団体戦に行ける。昔は常連だったけど、もう10年くらい行ってないと思う。
そうなればいいけどなあ・・・それにしてもター君、とてもタイプじゃないと思っていたが、1年間キャプテンとして、みんなをよくここまで引っぱってきたなあと感心してしまいます。最近、親の欲目でしょうが、さまになってるんですよねえ。

それともう一ついいことがありました。こっちの方が嬉しいかもしれません。
レースが終わり、レスキューを片付けて艇庫に帰ってくると、選手たちが自分の船の片付けをしていました。艇庫と国道の間が駐車場になっているのですが、なにやらおばさんと1回生部員が話しています。特に気にも止めませんでしたが、その後のミーティングで何の話だったかわかりました。
ミーティングの初め、次男君が「連絡事項ありませんか?」。「レスキューが直りました」とか、いろいろみんなで共有しておいた方がいい話題が、いろんな人から出ます。
次男君が、「車を弁償せなあかんようになりました、いくらって言ってた?」
担当「はい、先ほど連絡がありまして、2万いくらだとか、ということです」
次男「うんわかった。それじゃさあ、出納費から出金という事で、どうでしょうか。ということで、来合宿はみんな1000円余分に持ってきて、出納係に渡してください」
みんな「・・・」
次男「人数何人だったっけ?お〜、出納係喜べ、むしろ出納費残高が増えるぞ」

艇庫に帰ってきたとき、次男君の車を2回生のマネさんが運転して3名乗って、レース本部のあるハーバーに向かう所だった。バックで四苦八苦していて、駐車していた車に急接近したので、「ストップ」と声をかけ、ハンドル操作を指導して、スムーズに出て行った。あの前に、駐車してる車のバンパーとかにこすっちゃったようです。軽微なので、持ち主が帰ってくるのを気にしておくように頼んで、ハーバーに向かったんだなあ。
ター君は、新しい車じゃないけど、自分の車も傷がついたろうに、おくびにも出さず、相手の車の修理費用の事後処理の話だけ。そして、事情を知ってるみんなも、運転してた子のことには触れず・・・優しいよね。ミーティングで、「どうしたの?何があったの?」という発言がなかったということは、みんな事前に知ってたのね。
もっとも、いつもおいしいご飯を外食より圧倒的に安い費用で作ってもらって、1000円くらい2日もあれば元を取っちゃうのかもしれないが。最後に次男君が、出納費の残高が増えて得したな、みたいな笑いに持っていったのも、リーダーの言葉だなあと思いました。

1年間キャプテンをさせてもらって、いろんな勉強してるなあ。本当にありがたい。私はヨット大好き人間で、順位が出るレースはさらに好き、純粋に勝利を目指す体育会も好き。なのに、レース結果がよくなくてもあまり気にならない。むしろ、それまでのがんばってる過程が好きなのかもしれない。
ずっと艇庫にいたが、誰も車の事で騒がず、次男の発言や、みんなの優しい気持ちに触れ、このみんなと一緒の時間を過ごしている私は、とても幸せなんじゃないかなあと思いました。当事者というか被害者でもあるのに、次男君は優しく育ってるなあ。帰りの車の中は、満足度100%でした。子供って、親に幸せを届けてくれるありがたい存在、神様いい子をありがとうです、ハイ。

台風が心配ですが、この週末は、学生全日本団体戦予選です。学生選手権には、どんなに単位を落としても4年間しか出場できないので、次男君最後の琵琶湖での学生公式戦です。高校野球の甲子園じゃないけど、4回生は4年間のクラブの集大成です。上位3校以外は、その晩に引退して、新体制に変わります。
精一杯悔いのないレースをしてほしいな、結果は別にどうなっても満足です。

2005/8/23
駒大苫小牧には、ビックリしました。生徒同士や、喫煙などは、まだ未成年の事、仕方ない気がしますが、野球部長の暴力には、もう問題外です。体罰という言葉でオブラートにくるんだ暴力です。自分の強い立場を利用した弱い者イジメです。大人であれば、強い立場であればこそ、してはいけないことです。
相手を言葉のわからない動物に対するように、傷みでわからせようとするのは、相手に対して失礼です。同級生同士のケンカより、ずっと陰湿な感じを受けます。大人同士であれば、この方も暴力をふるっていなかったはずです。
言葉で諭すことが出来ないので暴力に訴えているだけで、ご自身の気持ちをそれですっとさせているだけです。暴力をふるわれた方には、その原因を考える以上に、相手に対しての悪感情が長い間残ります。私も高校生のとき、それを先輩から受け、私は猛反発しました。「ミスったのは悪いと思っています。でも何故腰を蹴られなければならないのですか?コンビ解消や、浜につけろ」。言ってしまいま。その場で謝られたので、それ以上言いませんでした。キャプテンがよくそういうことをやっており、それがその方に伝播したと思っています。

どこかで断ち切らなければなりません。優勝校の要職にあるおごりがあったのかもしれません。暴力行為と優勝が結びついたら、クラブに蔓延します。そういう行為をされて、ありがたかったと思う人は、ほんの一握りです。多くのスポーツ大好き人間が、それでスポーツを辞めています。
体育会に対する悪いイメージの代表です。ほとんどの体育系クラブが暴力のないところで活動しています。体育会で育ち、勝利を目指す姿が好きで、ずっとそういうクラブにいますが、こういうことをされると迷惑です。駒大苫小牧は暴力などなくても、立派に優勝できたはずです。残念です。

この方は、「子供は、親や周りの大人の真似をして育つ」ということを勉強しなおす必要があります。数年すれば、子供は成長し、親や教師と同じように社会人になります。立派になった元生徒を見て、過去にその子に対してした行為を恥ずかしく思うでしょう。
このような立派な学校の部長さんなら、審判の資格とともに、スポーツ指導者資格も持っておられると思います。スポーツ医学から緊急時の応急処置、精神的なケアまで教科書に書いてあります。永久資格ではなく更新しないといけないようになっています。暴力のことも書いてあります。

2005/8/22
衆議院議員選挙です。小泉さんと小池さんが店の前のロータリーに来られました。仕事をしていても、ガンガン聞こえてくる演説の声を聞きながら、何故か先日TVで見たことを思い浮かべました。
新聞で映画「大和」の広告を見て、私の赤ちゃんの時の記憶に残っている2つに折れて沈んでいった戦艦じゃないかなと思ったことからかもしれません。

先日見た番組の題材は、既に知っていたことでした。その方は、鹿児島県の特攻機基地で教官をしていた。各地でにわか操縦訓練を受けた若者達が集まってくる。さらにここで訓練を・・・といっても燃料も貴重なので、それほど出来なかったのだろう。
任務は、特攻機の付き添いだったそうです。片道の燃料を積み、爆弾をいっぱい抱えて、飛行能力の落ちた特攻機を特攻海面まで誘導する任務。特攻機は、重量の問題か?あまり高く飛べないらしいです。それを上から誘導。それを繰り返す・・・聞いただけで辛い任務です。
教官といっても、年齢はほとんど変わらず・・・もう生きて帰れないのに、気丈に機に乗り込み・・・それを見て、数時間後突っ込んでいくのを見て・・・。別の番組で、特攻の戦果を見届けて基地に戻り報告する役目の機もあると言っていた。この方も、その戦果を報告していたのかもしれない。
辛いなあ・・・特攻隊員の自ら命を絶つ瞬間を見て、帰り道どんな心境で帰ってくるのだろう。そしてまた出撃・・・
終戦になり、1機基地を飛び立ち、家族の住む生まれ故郷の上空に戻り、数度旋回し、まっさかさまに空き地に突っ込んだ。
生まれ故郷を最後に見て・・・生んで育ててくれた親、そして兄弟への想い・・・彼が最後に基地を飛び立つのを、決意した時の想い・・・基地でそれを見送った人の想い・・・飛行機の墜落を見て救助に走るふるさとの人・・・彼の姿を見つけて・・・ふるさとの人の心は・・・家族の気持ち・・・

武力行使は、いろんな理屈で始まる。もう我慢できなくて・・・バンって机を叩くのはかっこいいよ。演説で勇ましい発言をして、国民を鼓舞する。現在でも、どっかの大統領が同じことをやってる。
でも自分だけの事じゃなくって、多くの人のそれぞれの将来を断ち切ることになる。バンと机を叩く人が、真っ先に銃を持ち、出発する人ではない。まだ我慢できるはず・・・お互いに損害があるのだから、まだ話し合う余地はあるはず。
一旦始まってしまえば、仲間がやられたらやり返すことの繰り返し。最初始まった時の、理念など何処かに飛んでしまう。最前線にいる人には、戦争目的など関係なくなる。トップの勇ましい鼓舞により、より相手に対して残虐になる。そしてそれへの反撃もエスカレートする。

郵政民営化ごときで、切れて解散して刺客を送るようなトップでは、最後の最後の最後の話し合いでの粘りは期待できない。もう少し時間をかければ出来たと思うのに、党内を固めきれず、のるかそるか、一か八か、脅しをちらつかせながら、採決に突入するトップは危ない、そしてあさはか。
一兵士、一市民はとても弱い。トップは弱者の気持ちに配慮してほしい。たった1つの意見の相違で、かつての仲間の政治生命を断とうと、窮地に追い込む施策を矢継ぎ早にこれでもかと繰り出す人には、その気持ちは感じられない。
小さな頃、親父のあぐらの上で聞かされた、戦争で学んだ事、「いくら自分が正しくても人を追い込みすぎるな、必ずもっと大きな反撃を食らう」とは違う。「ありんこを水溜りに放り込んでも、その上から石を投げるな、それくらいにしとけ。岸に泳ぎ着いたらそれ以上手を出すな」

弱い者イジメが過ぎる人は嫌い。大勢のSPに囲まれて、広場を2周し市民に手を振る小泉さんの笑顔を見ながら、今回の選挙は小学生の時、負けるとわかっていながら弱いものイジメに頭から突っ込んでいった頃の心境になった。弱いものをいじめていい気に笑っている人は最低だと思った。そんなにしたければ、まず自分が選挙区を変わって、相手の総大将と同じ選挙区で勝負したらいい。

2005/8/15
14日日曜日、ドラゴンの整備で西宮に行ってきました。ドラゴンの整備日に参加できないので、何か出来ることはと、前日ビスの増し留め・CRCをし、ラチェット・カム・ブロックを見ました。ティラーのところがシートで補強されており、そこのビスの増し留めが十分出来なかったので、この日は一度シートをほどき、増し留め後再び巻きなおしました。
前日から始まっている学生個人選手権のレース結果を見に行き、ウメちゃんがトップのような感じでした。このまま行ってくれるでしょう。さてと・・・バイクで風を切りながら気持ちよく家路についていると、ふと六甲山にでも登ろうかという気になり、そのまま逆瀬川から登り始めました。標高が上がるとだんだん涼しくなりますが、やはり50ccバイク傾斜20度になるとしんどそうです。後から煙でも出てきたらどうしようと時々後を振り返りながら、でも気持ちいい。
車が路肩に並んで止まっているところがあり、下の川を見ると小さな子を持った家族連れが浅い川で網を持って・・・、そう言えば昔同じことをしていたなあ・・・
六甲山の最高峰、タラボラアンテナのある一軒茶屋まで来て、氷の旗に誘われるように店に入り、今年最初のかき氷、うまかったです。私以外は皆さん登山の服装、「芦屋駅から登ってきたのかなあ」なんて思いながら、なんか自分が軟弱に思え、最高峰までちょっとだけ登山をすることにしました。
ちょっとなのに、足の後が痛い、あかんなあ・・・無事最高峰に登れましたが、眼下に雲があり、下界は見えませんでした。一軒茶屋に戻ると、自転車が数台、その横で外人さん数名と日本人・・・バイクにまたがりながら、耳を傾けていると、どうやらニュージーランドから来ているらしい。声がでかいから聞こえてしまいます。向こうでこのような上り下りのある所でよくバイク(バイシクル自転車)に乗っているらしい。疲れたと言いながら、みんな笑っている。モーターバイクにまたがっている私がなんか恥ずかしくなり、スゴスゴと退散です。
家に帰ると家内が帰っている。月曜日早朝に予定しているお墓参りの御花もある。このまま行くことに決めた。家内の実家加古川のお墓まで片道1時間、往復2時間は久しぶりの車で2人きりのデート。
家内が、「ター君、クラブでキャプテンなんかさせてもらってよかったね。ああいうことをするタイプじゃなかったものね。新しい世界が開けたよね」「自分ががんばったからだけど、ほんとについてるよね。去年なんか大学体育会部員全員の代表で選手宣誓したもんね。何百人の代表だよ。今年はクラブの70周年で、いろんなことできたし、式典の最後にキャプテンとして挨拶できたし。あいつほんまラッキーやわ」と答えた。
ところでもっと関心のあるのは、先月家内の店につれてきた女の子のこと。自慢のお母さんを見せたかったんだろうな?親父は別にいいけど・・・そうです、それでいい。「きれいやった?」「今風の子で、スタイルよかったよ、細かった」「よくしゃべる子やった?」「ううん、私がしゃべりかけたら返事するけど、自分からどんどんしゃべる感じじゃないみたい」「まさよちゃんに似てるんじゃないの?」「そうかなあ・・・」。なんかいい感じがするぞ。今はデンマーク?オランダ?そこらへんに留学しているらしい。

2005/8/11
日曜日、琵琶湖レースで感じたことを再び。この日、女子マネさんが2名参加していました。女子マネさんはたくさんいるのですが、夏休みに入るこの時期8月、練習にもレースにも参加がなくなります。
京都の学生さんは、遠くから来て下宿している子が多いから仕方ないのですが、何か1年間部員と一緒にクラブを盛り立ててきて、クラブの最終目標のレース、全日本インカレ予選にいないというのは、何か尻切れトンボのような気がしていました。そこで時々、最後のレースには1日でもいいから顔を見せたらどうかなあ、結果はどうあれ、部員のみんなと大きな感動を得られるよと話してきました。
4回生のEマネージャーチーフさんは、今年は最後だから、付き合おうと思っていますと言ってた。彼女とそして2回生のTマネさんと2人が来てくれている。ありがたいことで、きっと青春の1ページになる思い出に出会えるだろうと思う。
この2人は寮生ではなく下宿生ということもあり、日頃から熱心にサポートしてくれています。4回生のEさんは、レースになるといつも大会本部付きの運営をしているので、他校とのパイプ作りに役立っているだろうし、彼女自身も楽しんでやっているように思えます。大会本部でなくてはならない存在としてブイブイ言わせている?と言うのは冗談ですが、頼りにされているのだろう。
この調子だと、他のマネさんも8月最終週の本番レースには、実家からやってくるかもしれない。そういう多くのみんなの想いがすばらしい結果を生むように思うのだが・・・

2005/8/8
日曜日は、琵琶湖で470・スナイプ選手権でした。ETCの割引をせこく獲得すべく、またまたあほほど早く家を出て、柳ヶ崎YH着。土曜日のレース結果が貼ってなく、第1レースはノーレースになりましたという1枚のみ。ありゃりゃ、琵琶湖の得意技、風なし待機で1日終わりというやつかなあ?
艇庫に着き、部員に尋ねると、無風風待ちの後、出艇すると突然反対方向から爆風が入り、マストの折れた艇まで出たそうな。K大もOBさんが乗ってた艇のブームが1本折れていました。もうかなり古いブームなので寿命ですね。セールも少し傷んだそうで修理に出したそうです。
それで思い出しましたが、先日艇庫宛に届いた荷物の住所を見ると、「大津市・・・番外地」、なんとここは正式住所のない番外地なんだ、「網走番外地」を連想してしまう私は相当古いですね。
話は元に戻って、その日夜のミーティングで、突風・爆風でのサバイバルの事を話しました。まずメインせールを降ろすこと、沈して立たない時はメインを降ろしてから立てること、どうしようもない時はあえて完沈くじら状態にしてボトムの上に乗って待つこと、ボトムから落ちそうなら左右のサイドステイからボトム側にメインシートなどを張ってボトムに手がかりを作ること、自分の胴体と艇を結ぶこと、艇から離れないこと。
まあこのような状況を経験せずに済めばよいですが、もしそんな事になったら思い出してくれやってとこです。

日曜日は風が入り6レースできました。ター君はそれなりに、全日本470選手権出場資格の6位以内キープの感じでしたが、5レース目にスピントラブルでスピンなしになってしまいました。がっくり。1上でスピントラブルを双眼鏡で確認し、コーチボートではリカバリー作業です。今回は多数の艇を出しているし、学連本番レースでもないので、スピンの予備がありません。即座にOB艇とスピン交換に切り替えました。スピンハリのトラブルも考えられ、その場合はコーチボートを使っての横転です。
フィニッシュして近づいてくる艇に声を掛けると、もうOB艇にスピン交換の手はずを整えており、今回はスピンセールナンバーも共通でないといけないようで、マジックでナンバーを書き換えるように指示がありました。さすがター君、細かい所まで気がつきます。最近よく感じるのですが、慌てず落ち着いていて優秀やなあと。我が子ながらなかなかです。
5レース目で大量失点してしまったので、6レース目はちょっとリスクを取ったのか?コースミスでこのレースも今一で9位でした。こういう時は、K大の別の子がぐ〜んとくればいいのですが、今回はそれがありませんでした。
もう1つ残念なことは、D社のI君が7位だったことです。3レース目にブラックフラッグ失格を抱えてしまい、その他は抜群の走りでここまで挽回したのですが、あと1歩でした。昨年抜群の走りだったター君が、1つOCSを抱えながらトップまで後少しの2位まで浮上したのとは大違い、この差はなんだ?土曜日の爆風ノーレースだけですね。
でも去年も7位だったI君が全日本に出場できたように、今年もI君の強運のパワーが発揮されたらいいのにね。

2005/8/1
昨日の日曜日は、西宮沖でドラゴンのレースに出ていました。
先週も次男君のクラブで、スナイプに乗って学生さんと練習・レースをしていましたが、ヨットは見るものではなく乗るものです。実に楽しい。
現在OPの世界選手権期間中で、日本チームのHPを担当しているので、日曜日の朝一番に起きてメールチェックと大会公式HPをチェックしました。チームからのメッセージとこれはという写真、それに日本選手の映った写真をチェックして、チームのページに載せます。1時間少しかかります。よって、6時起きです。
くもり・軽風という天気予報なので、今日はいいレースになるなあとルンルン気分で出発です。日焼け対策のため、長袖・長ズボン・サングラス・ツバの大きな帽子、それにこれが一番大事ライフジャケットを着て、セールセットをしていると先輩方がやってきました。そして他艇に乗る後輩も・・・。
その日海上で、M先輩が、「この3人で次乗るのは、10年後かもしれないな」と言われましたが、確かにそのとおり、2度とないかもしれません。学生時代の全日本優勝を目標に明け暮れていた頃とは、二味ほど違うゆっくりした朝の風景。
クレーンで海面に下ろしてもらい、桟橋につけて残った装備を施していると、他艇に乗る兵庫ジュニアの子のお父さんがやってきました。
「ああ、Yさん。今朝の成績見た?111位だって」
「昨日リコールしちゃったみたいで、40位台と50位台もあるから、これで3発目」
と言いながら、お父さんはニコニコです。
だって世界選手権で何位だろうと、日本ではトップ5なんだからね。111位だって、参加艇数260でまだ半分。260艇が一斉スタートできないから、6ディビジョンに分けて、2ディビジョンづつ組み合わせてスタートする。3フライト(6ディビジョン)で1レース。そのレースの最下位は80位くらい。失格すると80数点荒稼ぎして大きく順位を下げる。
「ライブビデオ見た?」
「いいえ、仕事があるからなあ」
「何で、時差が7時間だから、日本時間の17時から24時くらいまで、ずっと見れるよ」
「あ、そうか、今日は早よ帰って見るわ」

西宮沖のポイントレースに参加するのは久しぶりです。毎月やってるのだけど、琵琶湖にばかり行ってるので参加できていませんでした。私が乗るS先輩艇のセールが深いです。それに合わせたマストの立て方など試行錯誤中です。大体クルーの私がジブのいい感じのセットがまだよくわからないし。
他艇に乗る先輩方が、いろいろ教えてくれます。そして、私がいない間に、Sオーナー先輩は、ニューセールを注文したそうです。そこで、随分浅く速いといわれている、それと同じカットのジブセールを先輩が貸してくれて、セットしてレースに臨みました。今まで使っていたのとセールカーブが違うので、セッティングに手間取り、第1レースは全然遅くて、ビリを走っていました。
ところが2度目のクローズレグで、大雨とともに強風がレース海面の右から入り、ちょうどそちらの海面を選択していた我が艇は、ラッキーな風の振れももらい、1艇抜いてフィニッシュ、さらにリコール艇があり、最期にビリから3艇目4位でフィニッシュ。結局オーバーセールまで風が振ったので、M先輩の、「そろそろタックしとく」の言葉に従っていればさらに数艇抜いていたかもしれません。
ラッキーだったんだけど、レース中の突然の大雨でびしょぬれになってしまいました。最初から軽風じゃなかったら、カッパを着ていたのに、暑いこともあり軽装だったので、おじさんたちは寒いを連発。
M先輩が、「一般の人から見たらおいらあほやで。何で、大雨の中レースに躍起になっとんねん。交代で服を着たらええものを・・・レース中はそんなこと全然考えへんねんから・・・大雨の中ゴルフやってるバカとかわらんなあ。おまけにカミナリも鳴ってたで」まったくごもっともです。
第2レースが始まったが、このレースはあきまへん。ドンドン先行艇に先にいかれ・・・参ったなあ状態。ビリ街道まっしぐらという感じです。「セールのセットが何か違うんだよな」と、メインを見上げたり、ジブをいじくったり・・・ここで、どうやら走るジブのセッティングポイントがわかってきました。いい感じでスピードが出てきた。ジブリーチが張りすぎが問題でした。
「今からスタートしたいなあ」と思いながら走っていると、結構I先輩の艇に追いついている感じで、上マーク回航。スピンでもスピードがあり、下マークをテールトゥーノーズで回航。
フリーを走りながら、下マークに向かって右から風が入るので、クローズは左海面に出て勝負したいなあと感じました。回航後すかさずタックを進言しましたが、タイミングが・・・470なら気軽に即タックしていくのですが、ドラゴンは重いキールをぶら下げているので、タックでのスピードロスが大きいです。もう少し走ったらタックと思っていると、風がどんどんなくなってきてタックしたら止まりそうです。
やっとこさそっちに行くが、タイミングを逸してしまったようで、途中経過では再び離されている。でも左海面の方が風があるようで、さらに左から風が入ってきます。
来ました来ました。どんぶらこ、どんぶらこと、風のない中、漂っている他艇を尻目に走り出しました。フィニッシュ手前でI先輩艇を捕らえて逆転しました。あと少しでその前にも追いつけたのにな。風がなくなってきて、スキッパーをしていたSオーナーが、「俺、結構こういう風好きや」と言って、ジブもメインもしっかり緩めて、ヒールを安定させて、どっかりティラーを動かしていましたが、さすがに言葉どおりスピードが出てました。M先輩の「上りすぎたら止まるで」も良かったと思います。

さあ、スピードも出てきたし、次は行けるぞと思っていたら、風が弱いのでレース中止になりました。ドラゴンは、船底に2トンもある重りをぶら下げており、エンジンがついていないので、風がないとハーバーに帰るのも大変です。そこですかさず、バウ(船の先)に行って、もやいロープを持って、「引っぱって帰ってくれるんでしょ〜」をアピール。運営艇が寄ってきてロープを取ってくれました。ラッキーです。
我が艇のメンバーを見ると、私が率先してパドルを出してこぐのが暗黙の了解です。しかし、2トンもぶら下げて、こげども漕げども動くものではありません。助かりました。

まだ1時なのに・・・午後からは整備です。他艇の先輩方がやってきて、「こうせなあかん」「おまえんとこはここがあかん」「今日のセールはどうやった?」・・・。私はうちの艇のメンバーでは一番若いので、デッキの下に潜って、プライヤー・ドライバーなどで格闘し、マストの立て方を変更しました。雨が降ってから涼しくなったので助かりました。デッキの下は、この時期地獄の暑さですからね。

2005/7/25
日曜日はまた琵琶湖に行ってきました。名神京都東を降り、湖西道路に入り、すぐに西大津で降りるのですが、その道路上から琵琶湖が見えます。大津港から琵琶湖大橋まで南湖をほぼ見渡せます。高台になってるので風の入り具合もわかります。この日は朝から風が入っていました。
一旦柳ヶ崎YH近所の駐車場に寄り、それから艇庫横の空き地に止めます。ここでしばし休憩です。ここで休憩するなら、もっとゆっくり家を出れば、という話になるのでしょうが、ETCってやつが車に着いてるのでこの時間になります。
ETCは、高速道路の料金所を止まらず通過できるシステムですが、いろんな値引きがあって、大都市周辺夜間割引を利用すると料金が半額になります。この時間が、夜10時から朝6時までに入り口か出口の料金所を通過しなければなりません。せっかくついているんだからお得しなくちゃということで、朝6時少し前に高速に乗ります。すると早く着きすぎることになります。
こないだは「こころのチキンスープ」、この日は「宇宙からの帰還」を読んでいました。2〜3m/sの気持ちのいい風が入っていたので、湖岸の砂浜に座って本を広げます。ここはでっかい空き地で、どう見てもワゴン車を止めて住んでいる人も数人います。横には犬がつながれてるし、訪ねてきた知り合いのおばちゃんと話し込んでるし、都会の公園や橋の下のダンボールの家より快適そうです。まだ周りには数台放置されている車があるから、人口が増えそうです。
小さくて浅い川を隔てて向こうは、ジェットスキーのメッカのような所で、こちらはちゃんとキャンプしています。といってもテントを張っての本格的キャンプではなく、ワゴン車とその横に日よけテントを張って、椅子とテーブル、それに簡単な調理道具があるくらいですが、中々いい感じです。
朝、めざめた眠い目をこすりながら、椅子に腰掛けている子や、歯を磨いている方もいます。子供が中学になるまでは、毎年海辺でキャンプをしていたので、あのけだるい、だけどのんびりした雰囲気を思い出します。

午前の練習に入ると、1艇スナイプが浜に残っています。レスキューに乗りながら、2回生2人と1回生1人乗っているので、スナイプに乗るように勧めましたが、なんかもじもじ。マークを打って、遅れて来た1回生を浜に迎えに行く時、私と2回生1人降りて、スナイプで出ることにしました。
久しぶりのスナイプです。スピード感覚が鈍っているので、練習海面に上がるまで、レースに向かっていたスナイプと走り合わせをしました。中々いい感じでしたが、練習では、この風でバングを効かせたらどうなのだろうとか、アフターは?ジブリーダーは?といろいろいじくっていました。
ここで1つ、問題です。セットを変えて走り合わせしている時、アドバンテージを得た艇が遅い船に合わせてベアしてきたりするのです。前々から気になっていたのですが、スキッパーが他艇を見ずにスベリに集中してチラッと振り返る時、対象艇がベアしていたら意味がありません。こりゃ、スピードアップの練習にはならないな。
何度か言った事があるが、この日もまたミーティングに出しました。強制はしたくないし、選択するのは選手だし・・・でもこれでは短時間にチューンナップ出来ないなと思いました。

2005/7/18
ジュニアヨットのヨーロッパ選手権が終わりました。日本チームは、最終日を残して男女とも18位の選手がいて、入賞の15位に手が届くところにいました。でも最終日の2レースは、どうもよその国の子に神様が微笑んだようでした。
今年のヨーロッパ選手権には、いろんな意味で関心がありました。開催地がポーランドという東欧の国だからです。東西冷戦が終わってから、知り合いがロシアやポーランドのレースなどに参加していましたが、大人のレースは、ウェブサイトが充実していないので、写真などが豊富ではなく、客観的な資料がすくないです。
ところが、子供のレースは、というより子供のイベントは、世界共通で大人がよりがんばり、より楽しく盛り上げようとします。ウェブサイトも充実します。発信される情報を見て、どのような国なのか少し想像が出来ます。
今回の大会は、スロベニア・クロアチアという旧ユーゴスラビアで行われた大会から数年あきました。まずウェブサイトを見て思ったのが、NIVEAという冠スポンサーがついた大会になっていました。サッカーの世界一クラブ決定戦に、TOYOTAが冠スポンサーになったのと同じように、大会名の前にスポンサー名がついています。
NIVEAというのは、ドイツの企業で、日本では花王がニベアクリームとしてライセンス生産し、販売しています。NIVEAといえば、昔からブルーの缶やチューブです。この大会も基調は全てブルーです。
参加した方のレポートでは、街中にブルーのNIVEAフラッグがはためいて、日本でいう選挙の時の投票日をお知らせするのぼりの様が想像されます。「なるほど、NIVEAはポーランドに生産拠点を持っていそうだな。ポーランド、そしてヨーロッパに自社ブランドを浸透させる格好の宣伝媒体と思ってるんだな。さすがヨット競技発祥のヨーロッパ、ヨットレースへの一般の人の関心度が高いのだなあ。・・・」いろいろ感じました。

大会期間中にスポンサーレースもあり、自由参加なのですが全艇支給されたブルーのセールでレースしたようです。ブルーの象さんがNIVEAのメインキャラクターのようで、それを持っている子が写っています。参加賞なのかな?
これは、相当なお金が主催のポーランドOP協会に入っているなあ。これは大幅な黒字だぞ。OPやその後のヨット競技の強化費になるのでしょう。なるほど、なるほど、頭にノートしておこう。
花王のような巨大企業に、OP全日本の冠スポンサーを売るってのはどうだろう。ニベアのように子供も使うクリームを持ってるし、子供のイベントをサポートしている企業というイメージは、お母さんに受けると思う。花王の商品の主な購買層は主婦だからなあ。花王のシールを貼ったセールで、小さな子が思いっきりハイクアウトして疾走しているOPは絵になると思うがなあ。
おっさんが汗をたらしながらグラインダーを回し、ビールを飲むのより絶対上だと思うがなあ。

クロージングセレモニーの前に、プロのバンドが入って演奏があったようです。さらにキレイな、そして夏らしい服装のお姉さんの歌っている姿も数組写っています。HPでのクロージングセレモニーノーティスには、バンドが入ると書いてありましたが、想像していた以上に本格的なコンサートになったようです。それにしても、選手全員15才以下ですので、日本ではまず考えられないなあ。ポーランドもやっぱりヨーロッパの国、子供にも子ども扱いしないなあ。それとも、選手以上に集まっている各国のサポーター向けなのかなあ。

最後に、プライズギブンの時の光景がやっぱり気になりました。コンサートが終わったばかりの屋外特設ステージに、1・2・3位の台が置かれ、その上に選手の方を向いて選手が上がり、トロフィーを持って手を振ったり、ガッツポーズだったり、羽織ってきた国旗を広げたり・・・満面の笑みをみんなに見せています。
それを選手側斜め前から、トロフィーを渡した大会役員が、拍手して祝福しています。良い成績を収めた選手が、選手に背を向けて役員から賞状をもらうのと、一段高いところに上がって、選手の方を向いてもらうのとでは、全然違うと思うんです。
参加選手だって、背中に向かって拍手するのと、トロフィーやメダルをもらって笑顔に向かって拍手するのとでは、全然違うと思います。日本に、もっと選手側を向いてメダルをもらう方式が根付いて欲しいな。

2005/7/11
この土日、次男君K大主力は、福岡で7大学定期戦をしていたが、ちょうど同じ日程で、琵琶湖でもレースでした。こちらは全日本女子インカレ予選です。私はこっちのサポートです。なんせ、全日本予選なので、こっちの方が値打ちは上。K大から1艇参加で、彼女達は行きたい行きたい明太子遠征を我慢してのレースです。女子部員が少なく、ずっと参加していませんでした。
今年春の新入生勧誘前に、「せっかく女子部員が1名いるのだから、なんとしても1回生を獲得して、女子インカレに出場しようよ」とミーティングで話したのですが、みんなもそう思っていたらしく、3回生の彼女の人柄もあり、男子部員達もとても盛り上がり、彼女も「私と全日本目指そう」と勧誘し、2名の女子部員を獲得した。
まだ1回生なので、とても上手とはいえないのですが、なんとか3回生スキッパーのクルーとして予選に参加した。スキッパーだけの腕なら、楽々予選通過の実力はある。風が強くなると、クルーの力量がより問われるので、風が上がらないようにと天にお願いしていた。
土曜日の成績は、予選通過ギリギリ。8艇が予選突破できるのだが、7位です。日曜日朝琵琶湖を見ると、風が上がる三井寺の風向。う〜ん、やばいなあ。
と思いつつも、選手には「大丈夫やって」と笑顔で接しています。先週艇長の3回生は、「他校はみんなレースメンバーみたいです。なんかやばそうです・・・」なんて弱気なことを言っていた。「九州遠征の方に行きたかった・・・」等と、予選突破できるという自信さえも風前のともし火状態だった。
なんせ、何でもいいから自信をつけさせることが肝心。行けるかなあ?とか行けたらいいなあ?と思っていても、口からは行けるに決まってるわ、みたいな言葉を発しないと、行けるものも行けなくなってしまいます。試合とはそういうものです。土曜日5レースしたので、日曜日は残りあと3レース。風が上がらないうちに、3レースできたら。

第6レース、いい感じで走り、ボーダーラインの9位と少し差を広げる。第7レース、神は私の願いを聞き入れず風が上がってきた。スタート前、強風用にセットするように、セッティング個所を言うが、適当にしか動かしていない。K大は微軽風はいいのだが、順風以上の適切なセッティングがみんな甘いから、これくらいと思っているのだろうなあ、やったことのないセッティングをやらないのはごく自然です。スピンは、風が上がって来ているので、無理しないように指示した。これは、主にクルーが操作するので、ミスってしまうとひっくり返る危険がある。
スピンを易しいところでは展開したが、それ以外はやめていた。なんとかフィニッシュしたが、やはりコンビを組んでいるのがヨットにまだ10回も乗っていない子なので、成績は今一でボーダーラインが近づく。
でも、最終レースを残すのみで、ひっくり返ってビリになっても、予選通過できそうです。という点数計算の元、冒険に出ました。最終第8レース前、風はさらに上がり、湖面全体に白波が立っています。予選通過は手中に収めたので、強風用のきちんとしたセッティングをすることにしました。女の子ということもあり、もっと楽にそしてスピードを持って強風に乗れるという経験をさせてあげたくなりました。
私はコーチですが、自分の考えを選手に押し付けるのは嫌いです。自分自身、人から命令されるのが嫌いという事があるからでしょうが、「私はこう思うけど、それを採用するのは選手自身だよ」みたいなコーチングをします。別に従わなくても平気です。
だって、いろんな目的でクラブに参加しているのだし、学生が本職だから息抜きとしてクラブに参加してる子に、勝利を言い過ぎるのはあかんやろ。これも人生、あれも人生という考え、コーチとしては失格なのだろうけど、ヨットを好きになってくれたら、それでいいかなみたいな考えです。

でも最終レース、この風でクルーの技量を考えると、ビリフィニッシュに限りなく近い。クルーに、のどか湧いてないかな?何かちょっと食べる?なんて明るく声をかけるが、顔が死んでる。ヨット乗りはここを乗り越えなければならない。ここを経験しておけば、大抵の風は平気になる。
「なんかあと1レースだけど、ヨットでは経験したことがないほど風が上がって、湖面を見ているだけで怖い」という心境なのだろう。よくわかる、私も高校生でヨットに乗りたての頃は何度も経験した。「生きて帰れるのだろうか」とも思ったことがある。
艇長も彼女を落ち着かせようと声をかけているが、艇長自身、この風でこの子とのコンビでは心もとないと思っていると思う。
「さらに風が上がってきたねえ、これはこのレース中、この風が吹きつづけるよ」と言って、覚悟を促す。「スピン目のセールは、要注意だよ。張らなくて遅くなっても、セールをあげた艇がひっくり返ったりするから大丈夫、その間に追い抜けるよ」。前のレースを見て、他艇の技量が大体わかったので、かなり確信を持ってこう言った。
「よっしゃ、強風スペシャルなセッティングをするよ」と言って、コーチボートをレース艇に横付けして、コントロールロープを指示どおり目の前で動かさせた。「よっしゃ、いい感じ。これで楽に走れて、スピードも上がるよ」
普通は、レース本番にぶっつけで選手が体験した事のないセッティングをするのはよくない。レース結果は、7レースまでに出たので、練習のつもりで。

スタートした。一斉に左に向かってスタートするレース艇団。
2番目に右海面にタック。ずっと後から見ていたが、慣れないセッティングのせいか、ボートのバランスが今一、風によくあおられている。でも最初に右海面に方向転換した艇より、明らかに速い。やがて追い抜いた。
「よっしゃ、ええ感じや」次方向転換した時、左海面に行った多くの艇とどのくらいの感じで交差するかが楽しみになる。ところが好事魔多し。次のタックで、裏ジブで沈してしまった。やっと起こしたらまた反対側に沈。クルーがまだ自力で船に這い上がれないんだよな〜。スタート前の練習で沈した時、中々上がれなかったのでトランサムから上がるように言ってすぐ上がれたが、あんな感じで上がれるといいけど・・・何となくリタイヤという文字が・・・頭をよぎる。
でもがんばって走り出した。お〜がんばれ〜。う〜ん、1マークはビリ回航。沈して横倒しになって、起こすまで時間がかかり、トップ艇とははるかな差がついてしまった。2マークに向かっている間、1艇スピンでトラブっている。ラッキー。1艇抜いて2マーク回航。
ここでまた強いブローが入った。スピンをあげていた先行艇2艇がトラブル。おお〜またまたラッキー。予想していたとは言え、神は我に味方した。我が部は、スピンをあげていないので平気。3マークで先行艇に追いついて3艇がほぼ同時に回航。その前の艇にもかなり追いついている。ただ上手なトップ艇などは、はるかかなたには変わりない。
勝負の2度目の風上に向かうレグ。何とか・・・と思ってみていると、セッティングが正解のようで、明らかに他艇とスピードが違う。みるみる同時に回った艇を離していく。前の艇もすぐ追い抜いた。次のマークで、はるか前だった1度もトラブっていない艇に追いついて抜く。同時に回った艇ははるか後。
ところが2上回航でジブカムが切れずベア沈。またせっかく追い抜いた1艇に抜かれたが、その後とは大差をつけていたのでそのままフィニッシュ。目出度し目出度し、全日本女子インカレ出場です。

「ご苦労さん」と声をかけると、「めちゃ速かったです、走りながら絶対行けると思いました」なんて、白波の海面で笑顔。他から見ると、どんな度胸の据わった強い女が乗ってるのだろうと思われるなあ。
艇庫に戻って、彼女達とレース運営に駆り出されていたOBさん達と話していると、スキッパーは、最終レース走りながら、クルーに声をかけていたそうです。
「もうちょっとやから、がんばろね。全日本の権利取ったら、好きなものおごってあげるからね」「え、本とですか、じゃあ冷やしうどん」
とクルーが答えて、さらに張り切り出したそうです。
焼肉とか言われると思ったけど、冷やしうどんとは安上がりやと思ったそうです。この2日間で、クルーの1回生はとても上手になったそうです。「土曜日の第1レースと日曜日の第8レースでは、全然違いました」と、笑顔のスキッパーでした。
でもクルーの成長はスキッパーに負うところが多い。クルーのミスにブスっとしていたら成長しない。クルーが何度失敗しても、落ち着いて声をかけることが出来たから、成長したと思うよ。いいスキッパーだね。だから最終レース、沈したけど他艇のスピントラブルというラッキーで帳消しにしてくれたんだな。

2005/7/4
日曜日は、また琵琶湖に行ってきました。この日は、練習後レスキューボートを泊めてから、次の仕事をしました。
大きな方のレスキューボートは、いつも近くのハーバーに泊めているのですが、1艇づつの海上係留場所に鉄の頑丈な鉄柱が左右に立っています。この鉄柱の間を通って係留するのですが、ここはゆっくりゆっくりボートをコントロールしないと、ポールに艇が当ってしまいます。この係留場所は、細い通路を通って90度右に曲がって係留するので、かなり難しいです。ゆっくりでも、ボートの重量を考えると、当りそうだと思って手で止め様と思っても無理です。ほとんど止まってる状態で、最後は鉄柱についているロープを手で持って、人力で引っ張り入れます。ところが、風が強く波が出ている時など、どうしても鉄柱にぐ〜っと当ってしまう時があります。
その度に船が傷みます。船がかわいそうなので、その鉄柱にお風呂用のマットを巻く方がいいと思い、昼休みに、マットとロープ、それに蛍光イエローのスプレーペイントを買いに行きました。スプレーペイントの方は、くすんで見えにくくなってきたマークを復活させるためです。
さて、ボートを泊め、鉄柱にバスマットを巻く作業ですが、思いのほか大変でした。しかし、今日に限ってボートに乗っていた次男君が、中々鋭いロープの巻き方をして、かなりしっかり巻く事が出来ました。彼は、小さな時から手先が器用で、ドライバーでおもちゃを分解してまた元に戻したり、細かいギアを変えてみたり、細かいことを苦にしません。本職の建築科のデザインや作品もかなりの出来栄えです。1本の鉄柱に巻いて、次はまた次の機会にしようかと提案しましたが、「どうせやから、一気にやってしまおう」と次男君。基本的に、細かいことをするのが好きやからなあ。
1時間弱かけて、4人で雨の中マットを巻き、さて帰ろうと思ってハーバーを出ようとすると、シーホッパーという1人乗りのヨットらしきものの先だけが、川の土手からちょこっと見えています。「あれ、ホッパーちゃうん、捨ててあるんやったらタダでもらえるかもしれんで・・・」と言うと、次男君はすぐ見に行き、「ほんまや」と早速ハーバー事務所に相談に入っていきました。
程なく出てくると、そのヨットの持ち主らしい業者さんの事務所に行き相談すると、お客さんのを預かって管理していたんだけど、もういらないそうで処分しようと思ってそこに放置していたそうです。「持って行ってくれるんやったら、ありがたいわ」ということで、交渉成立のようです。それに付随するマストやセール、細かい部品も捜してくれるそうで、後日次男君に連絡が入るそうです。
なんとすごい拾い物をしてしまいました。雨の中作業をしたご褒美でしょうか?これが4〜5艇あり、みんな整備して使えるようになれば、1回生の練習にもってこいです。ありがたい、ありがたい。ちょうど次男君がいて良かった。
めぐり合わせと言うか・・・それにしても次男君の行動力には感心しました。以前はお兄ちゃんの影に隠れている子(お兄ちゃんがいるのでこういう立場を取っていた)だったのに、入ったクラブで貴重な経験者として必要とされ、キャプテンなどという肩書きをもらって、積極的にそして能動的に行動しています。
神様に、次男君にとって一番ふさわしい必要とされている職業や社会的な場所に、導かれているような感じを受けます。お兄ちゃんのようにもっと積極的になったらいいのになあ、なんて思ったこともありましたが、そんなことを言わなくても、ちゃんとそれなりの時期にそれなりのことが起こって、できるようになっていくんですね。

2005/6/27
昨日日曜日はまた琵琶湖に行ってきました。この土日は、近畿北陸ブロックの夏季学生選手権です。大抵の大学ヨット部が目指している、8月末に行われる全日本学生選手権団体戦予選のプレ大会という位置付けです。6月末のこのレースが終わると、7月中旬以降の楽しい前期試験期間に向けてクラブは一休み。
夏休みに入る8月からまた練習を重ね、8月の3週目に全日本学生選手権個人戦予選、そして翌週団体戦という流れです。

朝艇庫に行く前に、大会会場のハーバーに寄りました。土曜日の成績を見るためです。次男君大は、470級が4位、スナイプ級が6位、今の実力通りの成績でした。あと一皮剥ければってとこです。
スナイプは、2艇が早すぎるスタートにより失格をして、1レースづつ最下位プラス1点をもらっているので、それを削ると目標の上位3チームに後少しです。

この日、つまりレースの2日目は、先週同様三井寺からの風で、強弱がありながらも、ちゃんと風があり、いいレースができました。この日の次男君は、調子が今ひとつでした。
スタートミスとかがあったようですが、すぐに抜け出すことが出来ず、第1マークの回航順位が今一で、それから確実に順位は上げてくるのですが、トップ争いまでは行きません。昨年の夏の他を圧倒するスピードまでは至っておらず、ニューボートとニューセールのチューニングをもう少ししないといけないなと思いました。まあ彼はもうベテランなので、自分で解決していくでしょう。

しかし、前のレースくらいから、レースのコース選択がいい感じになってきた4回生のI君は、今回もいい感じで確実に最初のマークから上位に食い込んでいます。一皮むけた感じで、もう一皮剥ければ、トップ争いができるようになります。

ちょっと期待はずれだったのが、3回生君。去年使っていた次男艇に乗り、いい感じで走っていましたが、ニューセールに変わってスピードが落ちているようです。スタートはよく、第1マークまでの1/3くらいでは、3艇の中で一番いいときの方が多いのに、なぜかマーク回航のときはまん中付近まで順位を下げています。これはボートスピード不足の典型です。
しかし考えようによっては、ヨットレースで需要な位置を占めるスタートとその直後の走りはちゃんとしているので、チューニングでスピードを出していけるといいだけなので、強化ポイントが絞れています。
レースがフィニッシュするごとに、コーチボートに来るのですが、本人もよくわかっており、1つだけチューニングポイントを指示して、次のレースに臨むと、そのレース後スピードが出てきたと喜んでいました。

1日いいレースが出来て、閉会式を待つばかりになりましたが、抗議がたくさん出ており審問に時間がかかりました。ドンドン遅くなり、10時を過ぎそうだということになり、各校上回生だけが残り、他は解散になりました。私は、1回生と女子マネさんを京都まで送り、そのまま家路につきました。果たして最終結果はどうなったのでしょうか?昨年は一昨年より、今年は昨年より力がついているようで、みんなほんとによくがんばっています。全体的には順調に来ています。8月末には上位校とあまり差はなくなるような感じです。
ヨットレースでは、抗議が付き物で、本番のインカレ予選に向けて、審問を経験しておこうというのもあるのかな?いい風で接近戦でマーク回航することも多く、艇から艇への抗議が増えました。

2005/6/20
先週は仕事と別件で琵琶湖行きはありませんでしたが、昨日は再び琵琶湖です。
午前中は、北風のそよそよ。来週はプレインカレなので、レース本番海面でレースを想定した遠目のマークを打ちレース練習をしました。ロング走って、スタート練習、そしてレース練習。それをしながら、1回生のホッパーチームにはトレイン練習です。ボートについてこさせ、ジャイブ・タック・アビーム・クローズドリーチ・クォーターリー、中々一直線に並びませんが、日々上達しています。
今日は1回生の女子部員が2名参加です。トレインで先頭艇を交代させるのですが、初めに入部した子は、真っ直ぐボートについてきます。そしてセールをよく見上げてシートトリムして、うまくなりそうです。来月女子インカレ予選に出場です。もう1人の子は、今日はじめてホッパーに1人で乗ります。乗る前、「私1人で乗るの初めてなんですけど・・・」ちょっと不安そうでしたが、「大丈夫やって、乗れるよ」とマネさんと共に励まして乗せました。ちょうどいい風ということもあり、ちゃんとついて来れました。
こればっかりも面白くないので、スタート付きのレース練習も入れ、とにかく練習は面白く、飽きないように。8月のインカレ予選に向けて2回生以上は、自分達のことが中心になるので、ホッパーだけで面白い練習ができるように、いろんなメニューを教えてあげたいですね。
午後から沖に出ると三井寺が吹いていました。この風向の時は、いい風が入ってくるので期待していると、来ました、来ました。ベース6m/sのブローありのいい風です。琵琶湖南湖ではこれ以上ない風です。レース本番並みの大きなレースエリアを取って、サイドマークはちょっときつめに打ちました。かっとびアビームの豪快なセーリングで、ボートバランスと風に負けない強い気持ちが養われればと考えました。
先々週のように同志社が練習していれば合同レース練習を申し込みに行こうと思っていましたが、どうやら遠征中のようです。立命はえらい南で練習してるし、京都産業ははるかかすみのかなたの北の方で練習していて、少し残念でした。ホッパーはフォローザリーダーからクローズとレース練習をしました。沈もかなりしましたが、みんな体力があり、顔色など注意していましたが、平気そうです。やっぱり若いなあ。
本日初めての女の子には、1回生の男の子に一緒にに乗ってもらいスキッパーをしてもらいました。彼女も何度か沈しましたが平気、すごく頼もしいです。ところが1度沈した時艇から離れてしまいました。ちょうど470のサイド下の豪快なアビームに伴走しながら、パンピングのことなど声をかけて、スピンダウン・下マーク回航をみていた時で、ホッパーへの注意を怠って、彼女が船から離れたことがわかりませんでした。
レース練習中のスナイプに引き上げられ、他のスナイプから声を掛けられ、すぐに彼女を拾いに行きましたが、申し訳ないことをしてしまいました。ライジャケを着ていてすぐ近くにみんながいるとは言え、不安だったんじゃないかな?私のミスでした。スナイプのレース練習にも水を差してしまいました。
顔を見るとまだ大丈夫そうでしたが、まあこの風でこれだけ乗ったら十分でしょう。レスキューに上げました。しばらくインフレータブルでマーク打ち変えなどした後、レスキューに上がると、ヨットから降りて動かず風に吹かれていたからでしょうか?「少し寒くなってきました」とのこと、前積んであった毛布は洗濯行きになってるのかありません。ライジャケをさらに着てもらいましたが、果たして効果があったのか?バスタオルと薄いカッパかパドジャケくらいは、これから持って行くことにします。
来週のレースはとても楽しみです。他校もみんなしっかり練習して技術は上がっていると思いますが、ター君大も中々いい練習ができているような気がするので、どんな結果が出るか。6m/s以上の風が吹いてくれると、ボートバランスの体得具合がわかるんだけどなあ。まだアビームでのオーバーヒールでスピードダウンなどあるけれども、大きな失速とか沈しそうにまでバランスを崩すことはないので、いい感じになってきてると思うんだけど。
ター君の組む練習メニューはその意図が感じられ、それに沿って、その成果がより上がるように湖上を走り回っていますが、彼の成長も感じられ、できるだけサポートしてやろうと思います。そうそう、ミーティングが終わり帰ろうと思って外に出ると、艇庫の横で蛍が飛んでいました。何年ぶりかに蛍を見ました。結構いいところで練習しているのかも?今日もよく練習したなというご褒美でしょうか。

2005/6/6
昨日はまたまた琵琶湖です。
次男君大ヨット部は、艇庫前の砂浜から出艇します。以前は、艇庫の前がそのまま砂浜で、出艇が容易だったらしいですが、すぐ横を流れている際川が運んでくる砂で艇庫前の砂浜が広がり、少し向こうまで運んで行かなければなりません。
ところが、ここで1つの問題点があります。際川は小さな川ですが、そのまま素直に流れればいいものを・・・、わざわざ艇庫側に蛇行しています。つまり、艇庫から船を出して、一旦際川を渡って、向こうにある砂浜に船を運ばなければ出艇出来ません。しかも両側から生い茂る樹木によって、10mほど流れに乗って河口に向かい、それから向こう岸に渡るという感じです。
この際川は琵琶湖の水位により、流れがほとんどなくなって深くなったり、よく流れて浅くなったりしています。深いときは腰以上になり、部員は一旦そこまで濡れることになります。プールに入る前に胸や顔に水をつけるという準備運動といえば聞こえはいいが、なんかなあ・・・
私は当然そこを通らず迂回しますが、なんとなくかわいそうだなあと思ってしまいます。それから、遠浅の砂浜からインフレータブルレスキューも出艇するので、エンジンを降ろせる深さの所まで押していかなければなりません。女子マネさんも太ももや時にはお尻まで水に浸かるのが、何か忍びなく、私がもう10年以上使っている長靴と一体になっているカッパをプレゼントしました。
釣具屋さんで売ってるのですが、ズボンが胸まであるので、そこまでの深さなら全く濡れません。去年1着というか1足プレゼントしましたが、好評なので今年もう1足プレゼントしました。
「濡れなくて助かります」と言って、毎回使ってくれていて、とても嬉しく思っています。これは長くもつので、使ったマネさんの名前を書いていったら、女子マネさんの歴史が刻まれるようで、マネさんに提案しています。

さて昨日は、AM気まぐれな風の中、私と免許もちの女子マネさん、2回生1人、そして1回生数人で、練習のサポートをしていました。
1回生が乗るシーホッパーは3艇です。いつも4艇出していたそうですが、土曜日午後にカミナリを伴った集中豪雨が来て、練習を切り上げ、砂浜に艇を置いていると、増水した際川が一番川寄りに置いていたシーホッパーを流してしまいました。それを艇庫から見た3回生M君はすぐさまライジャケを着て艇庫横の際川に飛び込んで、走るより速い川の流れに乗って艇を捕らえました。それを聞いてお見事、そして川の流れに乗ると言う機転の利かせ方にもさすがと思いましたが、残念ながらマストがセールから抜けて琵琶湖の底に沈んでしまいました。残念。セールなどがついたままなら、アンカーサルベージで引っぱり上げることも可能でしょうが・・・
1回生に、初めてマークを打っての、レース練習をしました。みんなを集めて、1分前にホイッスルを吹いて、秒読みをします。リコールしないように動いてうまくスタートできるときもあったけど、まあバラバラです。調子よく進んでいたのに、上マーク付近で何故か止まって、抜かれてしまったり、うまくいってダントツになったり、スタートしようと思ったら、やはりレース練習をしている上回生の船が来てあわてて沈してしまったり・・・見ていても楽しいものでした。
昼艇庫に戻ると、マネさんが1人で全員の食事を作ってくれていました。OBさんも2人来てくれていたので、全員で25名ほどの食事を1人で・・・大変ありがたいです。とてもおいしく、大感謝です。京都までの帰りの車で1回生がしゃべっていましたが、クラブがある土日が規則正しい生活になり、食事も栄養バランスが取れていて、ありがたいと言ってました。まさにその通り、次男の健康はマネさん達かかっていると私も常々思っています。

午後からもレース練習をしましたが、コロコロ変わる風に合わせて、上回生マークと1回生マークの打ち替えをインフレータブルで全部こなしたので、何度アンカーの上げ下げをしたか数え切れません。でも運転をして指示しているだけで、全部1回生の生きのいいのがしてくれたのであんまりしんどくなかったかな。
気まぐれな風に翻弄されて打ち変えながら、東のいつもレースが行われている海面で練習している同志社を見ていると、安定した風の中、長い距離のレース練習をしているようです。キャプテンである次男君に、練習海面の変更を提案し、全艇でそちらに移動しました。やはりいい風が吹いていて、後半は気持ちよく船を走らせられたのではないでしょうか?「思いっきり遠くにマーク打って」とリクエストが来たぐらいですから、気持ちよかったのでしょう。
最後のレース練習で、きついサイドマークを打ったのですが、フルトラピーズ・パンピングでプレーニングして、かっこよく突っ走っていました。3回生S君が、トップで上マークを回航した次男君を上突破し、下マークでは5〜6艇身の差をつけて、いい感じでした。レース練習後、思いっきり遠くまで走って行った470の先頭で、S君が走っているのも好感が持てました。どんどん練習の先頭に立って欲しいです。
練習後のミィーテングでは、1回生のホッパーミーティングに加わり、いろんな質問で盛り上がりました。それがかなり鋭い質問が多く、驚きでした。今年の1回生は相当強くなるのではないかなあと、そんな予感です。そして最後、日曜日恒例の大学裏のサラサでの夕食。再びお邪魔して、その量を写真に収めて帰ってきました。写しながら、つくづく俺もあほやなあと思った日曜日でした。

2005/6/3
日曜日はまた琵琶湖です。最近毎週お邪魔しています。
この日は練習だと思っていましたが、滋賀県セーリング連盟主催のレースでした。今日は1回生の練習に付き合って、ヨットの面白さを伝えたいなと思って艇庫に着いたら、先週突然レースの話があったようで急遽参加することにしたそうです。スピードなどいいレベルに達しているのですが、レース経験の少なさが、強豪校に一歩及ばない原因になっているので、草レースでもドンドン参加して、練習では得られないレースでの駆け引きを学ぶのは大切です。それにレースは面白いです。レースに出ると、「練習がんばるぞ」っていう気持ちになります。
朝、レースエントリーをしに1回生2人が行くことになりました。その後彼らはレース運営です。歩いても5分ほどのヨットハーバーの滋賀県連艇庫が、レース本部ですが、1回生だけでエントリーに行った事がありません。そこで私がついていくことにしました。
エントリーには、エントリーフィーと艇体No・セールNo・選手名が必要です。それを待っていたのですが、中々出来てきません。見に行くと、1回生の練習・そのレスキュー、レース参加チームの支援艇の配置がどうも決まらないようです。できるだけたくさんレース艇を出したいけど、船舶免許所持者との関係もあるし・・・ということで、いろいろパズルをしていました。
「せっかくのレースだから、できるだけ多くレース艇を出したら。サポートは任せときなよ」。フルにレース艇を出して、免許持ちのマネージャーさんと私メインに、2艇のレスキューボートでみんなをサポートすることになりました。幸いあまり強い風が吹きそうもないので、AMは免許持ちマネージャーさんが1回生レスキュー担当で、午後は私が1回生担当になります。
県連事務所に顔を出すと、県連会長さんがおられました。「こんにちは」「ああ、かみやさん、おたくんとこコーチがいいから最近成績良くなってるね」「そんなお世辞言っても何も出ませんよ。いやあ、選手ががんばってますから・・・、私はただレスキュー要員してるだけですよ」なんてね。
「エントリーフィ−は、1艇500円ね」。安!この会長さんのお子さんも、今日の運営をしてくださる県連の方の多くも、お子さんがジュニアからヨットをしました。レース本部船の指揮をとっていたMさんのお子さんは、北京オリンピック男子470級代表をねらって活動しています。アテネでは男子2位で残念ながら・・・ってとこ。運営の1回生を残して艇庫に帰る途中に、今D大ヨット部員になっているジュニア出身のお父さんに会いましたが、やはりレース運営に来たそうです。
みなさん、レースをいっぱい経験することが、楽しみながらヨットがうまくなる秘訣だとわかっているので、ボランティアで運営に集まってこられます。レースがわかっている数人が、参加校の1回生に運営を教えながら、しっかりしたレースを選手に提供します。1回生は、先輩のレースする姿を見ながら、他校の1回生とも友達になり、そして運営でフラッグの意味やルールも覚えていく。
今日は30艇参加したので15000円の収入。運営艇が3艇、燃料費も含めて各艇5000円渡しておしまい。なのかな?お金のない学生にとって、エントリーフィーの安いことはありがたいことです。こんな安価なレースが、すぐに出来てしまうことが、この地域のレベルを保ってます。
艇庫に帰り、レース艇とともに出艇しレース海面に着くが運営艇が出て来ない。おかしいなと思い、レース本部に電話すると、「第3マークとスタートアウターマーク・フィニッシュアウターマークを頼みますわ」。何処かトラぶったのか、急遽チーム支援艇から運営艇に変身することになりました。ひょっとして初めから運営艇だったのに、どこかで連絡ミスがあって知らなかっただけかもしれない。まあそのようなことは不問にして、運営・運営、楽しいなっと。
急いでヨットハーバーに向かい、マークとトランシーバーを積んでレース海面に戻ります。本部船、1・2マーク担当艇と無線交信しながら、速やかにマーク設置して、レースフラッグが揚がります。県連の主な人はお子さんがジュニア時代からの知り合いで、もう何度もレース運営しているし、お互いの技量やくせがわかっているので、やりやすいのでしょう。私も楽。本部船からの指示が予想できるから先回りして動けるのでレースがスピーディーに運べます。それに、マーク設置に走り回りながら、部員のコース引きを見て、今夜のミィーテングの題材を捜し、遠くに見える1回生の練習にも気を配れます。いざという時には駆けつけなければなりませんからね。
レースが終わり、結果はD大・KS大にはあと少しというところでしたが、いい練習になりました。みんないろんなことをつかんだでしょう。
最終レースが終わった頃から、いい風が入ってきて、レース後もしばらく練習しました。1回生の練習も見ましたが、1人乗りのヨットを結構強い風の中、いい感じで走らせています。とても上手です。まだ5〜6回しか乗っていないのに。みんな、いい練習ができました。
ミーティングには、今日の練習に不参加だった次男君が帰ってきており、ミーティング後京都まで部員を乗せて帰り、そしてわが家へという1日でした。

翌日母校ヨット部OB会から、ユニバーシアード日本代表選考会の結果が流れてきた。ユニバーシアード(大学生・22才以下)日本代表は、東日本・西日本から男女各1名。470ジュニアワールド(22才以下)日本代表も同じく男女各1名。西日本予選が西宮であり、女子ユニバーシアード代表に、母校女子部員が選ばれた。今年のユニバーシアードはトルコで、旅費・宿泊費などは、国から出るが、せっかくがんばって権利を取ったのだから、ニューセールをOB会からプレゼントしようというように思うが、如何だろうか?来月早々の理事会で諮ります。ということだった。
おめでとう、よくがんばりました。いい想い出に、トルコで思いっきり悔いのないレースをして来て欲しいと思います。
男子は福岡大学の今年大学を卒業したばかりのM君が選ばれた。M君は、沖縄ジュニア出身で、ジュニア時代からの知り合いだが、高校・大学と強豪ヨット部に在籍して頭角を現した選手です。彼もがんばってきて欲しいな。
当初、次男君もこの大会にエントリーする予定でした。また船を運ぶ手伝いをすることになるかなと、予定はしていたのですが、しばらくして、やっぱりエントリーしないことにしたと連絡が入った。TOEICのテストとバッティングしてしまったということでした。
レースエントリーキャンセルは残念でしたが、TOEICを優先するところが次男君らしく、地に足をつけているなあと感心してしまいました。果たしてTOEICの結果はどうだったか知りませんが、スポーツと勉強の位置付けが常にぶれずに共感が持てる生き方をしています。
ヨット大好き小僧君ですが、どうしても段取りがつかないときは、塾テストや模擬テストなど必ず勉強を優先してきました。でもヨットも乗りたいし、レースにも出たいから、こっちもがんばります。レースで成績だ出なくても、あんまりヨット乗ってないからとか、練習時間を言い分けにしないのもかっこいいです。
この大会に出場していれば、どちらかの大会の出場権を得たような気がしますが、いいんじゃないですかこの選択。どういう選択をしても、私は彼の選択を支持します。親のイエスが子供の自信に繋がると思っています。自分の人生なんだから自分で決めて、親には事後報告で十分です。
こんな言葉があります。「親の心が寛大であるときには、子供は自分の望みを発見できます。自分の望みが親の期待に反するのではないかということを恐れる必要がないからです」

その夜自宅に戻ると、階段に家内の字で、「エントリーの件、・・さんに電話してください」とあった。長男君へのメモのようで、ライフル大会エントリーの事でしょう。見たのかな?と思って2Fに上がると、長男君がちょうど電話をかけているところでした。長男君は最近研究室の方が忙しいようで、学部の時のようにライフルに行ってない感じです。たまにはスカッと好きなことをして、息抜きしてリフレッシュしないとね。大会応援してるよ。

2005/5/25
今週の日曜日も琵琶湖です。京滋4大学という定期戦です。
全日本出場常連校の同志社・立命館に、京都・滋賀大経済が何処まで迫れるか?8月の本番(全日本学生選手権予選)に向けて今の力を測るいいレースです。
土曜日は、3〜5m/sの風が入り、5レースが出来ました。日曜日は、風がなく1レースだけでしたが、主催同志社のEレース委員長が精力的にレース運営をしてくださり、いい感じでした。山のようなレース経験がありますが、一番つまらないのは、風が入っているのに、コース設定に時間がかかり、中々レースフラッグが上がらず待っている時です。レースは選手としても観戦者としても、どちらでも面白いです。そしてゲームなのでたくさんした方が面白い。
同志社や立命館のレース運営は、スピーディーで気持ちがいい。日曜日も土曜日のような風があれば5レースは出来ただろうな。
全レースが終了し、主催校の同志社艇庫で閉会式です。艇庫に艇がきれいに並んでいて、整理整頓が出来ている気持ちがいい艇庫です。
同志社キャプテンのK君がいたので、「ダントツやったなあ、速いなあ」と声をかけると、最近いろいろいじくっていて土曜日は最悪に走らなかったので、夜中2時までかかって再度チューニングをし直したそうです。どうやらいい感じのセッティングが出たようです。
表彰式が終わってエールの交換がありました。エールの声だし君・フラッグ担当、どの学校もピシッとしています。いつ聞いても気持ちのいいものです。体育会やったんやと再認識します。
そして全てが終わり、部員を乗せて艇庫に帰ろうとしていると、立命館のN君がやってきました。「今日正式に主将になりました」とのこと。なんじゃ?今ごろ?と聞くと、秋の代交代から今日まで、主将の席が空席で、交代でやっていたそうです。へえ、こういうのもあるんですね。これで次男君と一緒だった清風高校ヨット部4人ともそれぞれのクラブのキャプテンになったというわけです。さらに兵庫jrの同級生だったT君も京産のキャプテン。クラブの責任者でいろんな仕事が増えるが、社会に出て役立つ貴重な経験をさせてもらっている。ありがたいことだ。それぞれのクラブをまとめて、目標に向かってがんばってね。

2005/5/17
日曜日は、琵琶湖に行ってきました。ター君の学校ヨット部の創部70周年記念行事への参加です。琵琶湖汽船のビアンカを1隻貸切です。なんかクラブのこういう区切りの年に主将ができるなんて彼はついています。昨年は7大学戦壮行会の全クラブ代表として選手宣誓をして新聞に載るし、勉強も中学も大学もみんな自分で選択し努力したのだけれど、とてもついてる人生を送っているなあと感じています。
数日前、ター君から電話があり、「470ナショナルチーム選考会の自分の成績が載ってる雑誌舵を持ってたら持ってきて」ということだった。70周年記念で来られる総長さんにOBさんが見せて、ヨット部もがんばってる所を見てもらうのだそうです。自宅に帰り、舵を調べていると、成績が15位まで載っているところの15位に名前がある。昨年の470全日本では、20位までの成績でちょうど20位というラッキーを発見。あと1つ下だったら載ってないし、1つ上でも目立たない。ちょうどが一番目立つ位置、それを見ながら「なんてついてるんだ」と。
さて当日は8:50に大津港ということで、京都の下宿に8時着。一緒に大津に向かいましたが、おもむろに足の治療をし始めました。先週の練習で沈した時、センターに乗るときミスったのか?ボトムのセルフベーラーで切ってしまったようです。なんと3針も縫ってしまったようで、大怪我ではないか・・・ヨットで怪我したのは初めてじゃないかな?生涯初めての縫う怪我じゃないかな?私も縫うような怪我はヨットでしたことがないので、ヨットでの怪我としては大惨事に近い。
京都三条通りを真っ直ぐ東に向かうと、何処も曲がらずに大津港に着きました。これが旧東海道だったっけ?このアクセスのよさはきっとそうでしょう。大津港が近づいてくると、湖上にたくさんのセールが見えます。多分あれが関々同立定期戦のレース艇でしょう。我がKGはどうなっているのだろう?がんばって欲しいな。
実行委員さんと現役君達は打ち合わせをして、その後プラカードを持って最寄駅に向かったり、受付の準備をしたり大忙しです。
10:30受付開始、女子マネージャーさんとOGマネージャーさんが主力で受付です。私はというと、コーチとして参加なのだけれど、来賓です。受付を済ませると、マネさんから花を胸につけて貰いました。なんか悪いなあと思いながら、どうも似合わないなあ、大体ネクタイも似合わないのに。
11時にビアンカは桟橋を離れました。4Fデッキでオープニングです。司会者がとても上手だなあと思っていたら、自己紹介を聞いて納得しました。プロのナレーターだそうで、しゃべりなれています。結婚式の進行などいろいろアルバイトが出来そうです。彼女もOGさんでした。いろんな人材がいるなあと思いながら、スリットの入ったチャイナドレス風のお洋服がまた良かったりする。
尾池総長さんの挨拶を筆頭に、他大学ヨット部関係者の来賓挨拶が続き、なんか今年の我が子君チームへの期待がたくさん出て、みんながんばらなくっちゃと思っただろう。アーカンシェルという女性ボーカルグループの歌が、なんか男性の多い雰囲気を和ませる。こんな演出もいいなあ。
その後、尾池総長さんに挨拶をして、林部長先生としばし歓談ってとこで、昼食のために室内に入りました。参加人数が250人と多いので、2F・3F・4Fに分かれます。私は4Fで、出発前に琵琶湖汽船事務所で仕入れた情報では、多分2000円の弁当が用意されていました。それを食べながら、各階のコンダクターが各卒業年度別に、挨拶というか一言の披露を進行します。
4Fは、ちょうど私の年代より今年卒業したOBまでで、一番若い年代です。何人目だったか?奥さんとお子さんも参加しておられた方の一言の中に、お子さんにヨット・・・みたいな話が出ました。そこですかさずコンダクターから次の一言に私の指名です。ヨットを始めたきっかけなどを話しました。
私が聞いていて興味深かったのは、470初全国制覇・スナイプ初全国制覇をした年代の方の話です。特に470制覇は、私の1つ下の代でそのリーダーだった藤原さんやその頃の人の話は、そうだったのかというところがありました。
一通り終わると、アーカンシェルの面々がステージドレスに着替えて4Fに登場です。他階の方も上がってこられて、シャンソンやクラブゆかりの歌で盛り上がりました。このアーカンシェルさんは多分40代のグループだと思うが、若いグループにない雰囲気があり、これもいいものだなと思いました。多分ウィークデーは主婦業をしながら仕事が入れば変身しているのだろう。歌はとてもうまくこんな生き方もいいものです。
さて琵琶湖北湖に出ていたビアンカも再び琵琶湖大橋に戻ってきました。その頃より再び4Fデッキにて、エンディングです。主将挨拶があり、はにかみながらもしっかりした挨拶でした。このような機会は、高校まではなかったと思うので、体育会に入って人生にとって大切なものをどんどん身に付けているのがわかります。ありがたいことです。
最後に現役によるエール、定番の全員で肩を組んでの琵琶湖周航の歌。これはヨット部が別れる前のボート部の選手が作った歌で、ボート部が琵琶湖周航をしていない今、ヨット部の歌というか本流と言ってもいいのかもしれません。先ほどアーカンシェルとの合唱で、ヨット部OBさんが作り歌い継がれている歌が披露されましたが、作詞作曲者が出席していたり、いろんな才能のある方がいるなあと改めて思いました。
この日、いろんな方に出会いました。滋賀県連副会長のOさんは、わが家同様息子さんがOPを琵琶湖ジュニアでしておられました。以前から大会委員長などで挨拶しておられる姿は見ていたが、話をするのは初めてです。先日の同志社ウィークに東北大ヨット部が遠征して来た関係で知り合ったOBのKさんから同じ東北大の方を紹介してもらい、それから東大ヨット部会長さん。日本ジュニアヨット連盟の理事さんでもあり、OPや川田君のこともよくご存知で有意義な話ができました。東大の人数が減り片クラスになるまではずっと続いていた定期戦の復活を是非と言っておられた。
大津港に接岸し、後片付けも終わり解散です。次男君達大半の部員は、どっかに行こうということで大津方面に消えたが、京都に帰る部員達を乗せて再び三条目指して出発です。なんだかんだいろいろしゃべりながら、今日は息子からそしてこの子達からのプレゼントだったなあとしみじみ思いました。ごく普通に私を受け入れてくれてほんとにありがたい。
今年最高の1日だった。ところで、次男君は昔ミシガンに乗って食事をしながら琵琶湖1周したことを覚えているのだろうか?

2005/5/9
昨日は、ヨット部葬に参加した。昨年お亡くなりになったM先輩は、卒業後もヨット部に多大な貢献をしておられました。船の寄付からバイトの世話まで・・・とても私には出来そうもありません。昔Mさんと話していて、「朝は早く起きんとあかんぞ」の言葉が今でも頭に残っています。仕事で遅くなっても、4時に起きて新聞を数紙読んでから会社に行かれるそうです。
根が単純な私は、そうやなと思い、それを実践しましたが、その目的が何時の間にか新聞を読むことから、近くの池に釣りに行くことに変わっていました。昨日Mさんの言葉を思い出し、今朝は早く起き早く仕事に出ました。果たしていつまで続くのやら?

昨日は9時前にハーバーに着き、ライジャケなど定番服を着ていると、私が乗せていただいている艇のオーナーS先輩がおられた。一緒にMA先輩の船に行き、掃除などして桟橋に移動すると、先輩のクルーザーが続々と着岸してきます。N先輩の新しい船も・・・。M先輩のご家族などが乗ってこられ、5艇で船団を組んで、沖合いに出ました。
ちょうど現役がレース中で、最初のマークを回ったトップ艇がKGで、大いに盛り上がりました。やがて、灯台の外まで出て、校歌の流れる中、M先輩の好きだったお酒やお花を愛された海に流し、帰ってきました。帰ってきてM家のM先輩を偲ぶ会がハーバーであり、先輩方やM家ご家族と歓談してきました。お嬢さんもその旦那さんもKG卒で私と同世代です。さらに息子さんもKGで、3代に渡るKG一家でした。
お嬢さんがお2人おられて、下の方が4回生でうちの下と同じです。とてもきれいな姉妹で、うちにもこのようなお嫁さんが来てくれたらいいなと見ていました。

2005/5/7
兵庫ジュニアHPのトップに、オフタイム(馬?船主&調教師の気持ち)をリンクした。かつてのわが身を外から見ているようで、楽しく読ませていただきました。練習帰りの車の中での会話で、大阪弁で言うならば、「・・・違うで、僕がお父さんに付き合ってあげてるねんで・・・」には、元ヨット乗りパパにとっては痛いところを付かれたなあと笑ってしまった。
さて、この日記にも書いたと思うのですが、先月ター君の大学で見つけた「梅干食べてスッパマン氏」の像の横の説明ボードに載っていた「折田先生」が妙に気になっていた。「折田先生ってだれや?」この疑問を晴らすべく、翌週だったかなあ?折田先生を検索してみた。ビンゴ、一番上に折田先生を讃える会がヒットし、大いに笑わせていただいた。折田先生像の数奇に満ちた深く興味深い歴史と、初代校長であるのに、伝説の人物ではなく、現役として毎年姿を変えながら生徒さんに愛され続けている姿に感銘を受けた。
この学校は世間では自由な校風と言われている。毎年ある晩突然誰かの手により衣替えをなさり、時にはマスコミにも取り上げられる折田先生像を学校が半ば許している校風をもう少し知りたくなり、今週いろいろ調べていると、鉄の貴婦人(うまか棒の奇跡)というサイトに巡り合えた。このような作品を制作し、製作当初からその記録を残すつもりだったのか?克明に記録写真を撮っているところが、さすがに大学生と感心してしまった。こちらもユーモアに富んだ製作記録になっており、楽しく読ませていただいた。

2005/5/2
暦も5月になりました。今年も1/3過ぎちゃったんだ・・・時の経つのは早いもので・・・なんて、小学生の頃はもっとゆっくり時間は流れ、もっといろんな日があったように思うのになあ・・・なんて感傷に浸りながら、この日記も装いも新たに、字がちょいとでかくなりました。
さてあいも変わらず休日はヨットの人生を歩んでいます。ター君ヨット部の試乗会手伝いも終わり、練習の手伝いに戻ります。昨日、バイク&JRというパターンで行こうかと思っていましたが、事故の関係でJRが不通になっています。尼崎までバイクで行くか?高槻まで行くか?・・・しかし、予報ではちょっと帰りの雲行きが怪しく、「やっぱり車だな」
朝車に乗り込もうとすると、「ありゃりゃ、パンクではないか」。運転席側の前輪の空気が抜けています。「あちゃ〜、遅れるって電話しなきゃ」と思いましたが、よく考えたら携帯電話が最近行方不明であることを思い出した。ほとんど使わないので別に構わないが、数ヶ月に1度使いたい時があるんだよな。自宅に戻るのも面倒だし・・・「まあいっか」。
ジャッキを取り出して、スペアタイヤを降ろして、ジャッキアップ・タイヤ交換・御用達のガソリンスタンドに持っていって修理依頼、ついでに燃料入れてシュッパ〜ツ。
9時に艇庫に着きましたが、既にいつも定位置に林立しているマストはない。「やっぱ、出艇してるよね」。沖合いを見ながら艇庫に上がると、陸勤部員君がせっせと洗濯物をたたんでいる。そしてマネージャーさんが、ウイーンって掃除機をかけている。「おっと、おじゃま虫だったかな?」平和な新婚家庭の何気ない日曜日の朝の風景・・・。
なんだかんだしゃべりながら、男なのにきれいに服をたたむので、「いつもしてたの?」と質問すると、家ではしてなかったけどバレー部で鍛えられたとのこと。この大量の洗濯物は試乗会に使った服だそうで、選択してきれいにたたんで来年の春までお蔵入りかな?
昼前、予報より少し早く降って来た小雨の中、みんなが練習から上がってきた。ホッパーも3艇出して、1回生が1人で乗っているようです。2回生と2人で乗っていたホッパーが、着艇少し前に沈しています。まあ沈はつき物だけど、せっかくここまで来たのに最後に沈かなんて思って見ていました。

「ああ、車に何人乗れる?」「8人乗りやけど」「正門前に1回生が6人待ってるんや、一緒に行ってくれへん」「いいよ」ってことで、比叡山越えをして、京都に下りてから「志賀越え道」と「今出川通り」を使って学校まで。艇庫に帰ってくると、ちょっと遅い昼食、そして出艇。1回生はホッパー3艇使って交代で練習、2回生数名がインフレータブルで担当。470・スナイプチームは2日後から始まるレースに向けてスタート練習中心に中程度の1上までのコース練習。
3〜4m/sのいい風の中、みんないい練習ができたようだ。最後もう少し風が上がり、470のアビームプレーニング練習はフルトラピーズで結構迫力があった。ブローが入るとグーンと加速してかっこいいな、1回生諸君見てくれただろうか?「かっこいいでしょヨット部。しかも1艇のスキッパーは女の子だよ」
少し遅れて帰ってきたホッパーが遠目でかなりかっこよく走っている。フルセールで1人で乗ってる。最初2回生が乗っているのかと思ったが、1回生のようだ。「え〜、まだ2〜3回しか乗ってないだろうに、すごい上達」今年の1回生は将来有望です。最後のミーティングでこのことを褒めるの忘れていたな、しまった。
ミーティングが終わっての帰りは、しっかりした雨になっていた。その中なんとチャリで京都まで帰る勇猛果敢な青年が約1名。ノースリーブにジーパンで笠もささずに・・・その姿を見てビビッた。「ヨット部はこんなヤツばかりじゃないよ、新入生諸君」。ヨット部は暦どおり明日は学校で明後日からレース。今日は日曜日恒例の京都サラサでのみんなでの夕食。新人10名にマネさん含めて車はわが家の2台だけで、私のに9名乗っけてサラサまでみんなを送って帰ってきました。この日も義経見れなかったけどいい感じの日曜日を過ごさせていただきました。いつもありがとう、ヨット部諸君。

2005/4/26
日曜日は今週も京都行きでした。ター君の大学ヨット部新人勧誘試乗会の最終日。KGもそうですが、何処の学校もこの日が最後のところが多いです。今年は毎週日曜日の天気がよかったので、部員の入りがいいのではと期待しています。やはり部員が多いほうが何かと盛り上がります。京都は今週も30人以上集まり、2回目・3回目の参加者もいて、土曜日の夜艇庫に部員と泊まった新入生もいたそうです。もう部員と言ってもいいのかもしれません。
この日は1往復でした。朝は少し風があったようですが段々なくなり、昼昼食を食べている時はほとんど風なしの状態です。部員、とくに新人勧誘隊長は、「風がない、どないしょう」と昼食どころではないようです。風はどうすることも出来ないので笑ってごまかすしかないのですが、責任を感じてはります。インフレとレスキューで走り回ってごまかすか?という作戦で出て行きましたが、神の恵みの風がソヨソヨ入ってきて、「ちょうどいい感じになるのではないかなあ」と眺めつつ艇庫を後にしました。
さて、これからどうしようか?ドラゴンのレースと集まりが新西であるが、解装と集まりだけ行ってもなあ・・・そうだ散髪に行こうということにして、自宅に帰り、我が家御用達の散髪屋さんで髪をさっぱりしました。

翌日の月曜日は、JR福知山線尼崎で新快速の脱線事故が起きました。従業員さんが昼の休憩が終わって教えてくれました。夕刊を見ると大きな事故のようです。さらに夜のニュースで映像を見ました。時々JRで通るところです。川西から長い直線が続き、JR神戸線と合流するすぐ手前で、右に少しカーブして続いて大きく左にカーブして尼崎駅に着きます。この左カーブがかなりきつく、かなり減速するのですが、車輪がキーキー言うところです。
想像ですが、伊丹でオーバーランして遅れてしまったので、その遅れを取り戻そうとスピードを上げて走り、カーブ手前でブレーキをかけたが、かけるタイミングが遅く曲がりきれなかったというのが考えられます。でもここをやり過ごしても、次の左カーブで曲がれなかったらもっと大惨事になっていたでしょう。もっときついカーブで高架になっているので、車両ごと下に落下ということになっていたかもしれません。犠牲者が数倍になっていたかもしれません。
国鉄が私鉄JRになって、JRが他の私鉄に料金とスピードの攻勢をかけています。特にスピードは他の追随を許さない域で、最寄の伊丹駅から京都まで1時間かからないし、琵琶湖の西大津まで1時間というとんでもないスピードです。乗換えを考えると新幹線より新快速の方が速いくらいで、京都や琵琶湖は小旅行というより、通勤圏内になってしまいました。琵琶湖に車で行くことがあほらしくなります。
でも限界までスピードアップしたひずみが、今回の事故の底辺にあったのではないかなあと思います。オーバーランなどで数分の遅れを出すと、取り返すためにかなりの無理を強いられます。定刻運転できなかった査定がきつければ、事故の温床を残すことになります。もう少し余裕が必要なのかも知れませんし、査定を減点法から加点法に変えるのも1つの手です。遅れたらマイナス査定というより、遅れなかったらプラス査定にし、皆勤賞みたいにしたらどうかなあとこれも素人考えです。「遅れよりも大切なのは事故を起こさないこと」を肝に命じて、ATSなど人為的なミスを助けるシステムも充実して欲しいものです。
JRが復旧していない関係で、今朝は阪急周辺の駐輪場や裏道に自転車・バイクが増えました。そして今日、うちのお客さんのお子さんが犠牲者になってしまったことを知りました。「あれ、あそこの・・さんって、うちのお客さんじゃないの」と名簿を調べると・・・ご冥福を祈ります。残念、まだお若いのに・・・

2005/4/18
昨日の日曜日も、また同じお手伝いで京都まで行って来ました。鴨川の桜ももうおしまいになっており、桜の命ははかなくて・・・なんてちょっとセンチに・・・また来年の、大好きな桜の季節を待つことにしまう。
例によって大学正門に早めにつきました。先週発見した「すっぱマン氏」は、同じ場所にいてはりました。
今回は、新入生が30人以上ヨット部の試乗会にやってきてくれました。部員に聞くと、前回は、入学式?始業式?2日後で、最初の日曜日でもあり、まだ落ち着いていなかったけど、今回は1週間経ち今回と次回の試乗会で、1回生の部員数が決まるでしょうと分析してくれました。
昨日も、新入生とその家族さんを正門で2組見ました。1組は、お爺さんがはかま・おばあさんも着物で、「結婚式でも行くの?」みたいな正装で、親御さん・本人というメンバーでした。「すんません、写真撮ってもらえませんか?」と新入生の方に「今日試乗会なんやけど・・・やっぱこの感じじゃむりね・・・」視線を送っているヨット部員に頼んでこられた。「いいですよ」と気軽に家族写真を撮ってあげていたが、「撮ってあげたからにゃ、試乗会参加でしょ」みたいに言えないよな、やっぱり。
電話で今日の参加を確認出来ている人が10数名でしたが、陽気に誘われたのか?結局30数名集まりました。続々と車は出発し、私は2台目です。7人乗せて、出発。例によって、親バカ名刺を配り、いつものパターンです。
今回助手席に座ったのは、香川丸亀高校出身の子で、水泳部に入っていたそうです。「合格して親喜んだやろ」「爺さんが一番喜びました、おおはしゃぎでした、わはは」実家は善通寺のようで、それにピンと反応してしまいました。
「善通寺に・・・という店があるんやけど、知ってる?」「知ってますよ、何度か買い物に行ったことがあります。うちの親はよく行ってますよ」「そう、あそこの経営者、うちの店で昔働いてくれてはってん。今でも年賀状のやりとり続いてるんや。ごひいきにお願いしますわ。世の中狭いなあ。これは、ヨット部に入る運命やなあ・・・」なんて勝手に言ってました。
ひょっとすると、息子-母-お店というホットラインで、向こうに伝わるかなあ。なんて、ニコニコしていました。比叡山越え道路を上がっていくと、まだ桜が満開の所があり、最高の天気と相まって気持ちがいいです。
艇庫に着いて、すぐ学校にトンボ帰りです。4台の車では1回では捌ききれず、第2陣です。「すいません、またお願いできますか?」なんて、遠慮気味に言うなよ、いいに決まってるじゃん。練習でも1年間一緒だった部員達ばっかりなので、気心も知れており、まあポーズでしょう。
第2陣を艇庫まで運んでくると、今回は人数が多いので、ピストン試乗会をしなければなりません。得意の「何故ヨットは風で走るか?」の講義は、随時するということで、最初に来てマネさんのヨット部に入れ〜カレーを食べ終わっている新入生から早速着替えてヨットに乗ります。この日は午後から用事がないので、初めて試乗会の午後を経験することにします。車で部員さん2名と女子マネさん1名とともに、レスキューの置いてあるハーバーまで行き、出艇しました。沖に着くと、アンカーを打ちます。すぐに艇庫前の浜から出てきたインフレータブルボートがやってきて、新入生を乗せます。
470級とスナイプ級という2種類のヨットに乗ります。470に乗る時はトラピーズハーネスを着て、マストから下がっているワイヤーにそれを引っ掛けてぶら下がります。これがまた快感なのですが、それを着せる為に部員は大忙しです。
470を体験した子がレスキューに上がってきます。そしたら、すぐにハーネスを脱がせて、次の子に着せます。ちょっとややこしいので、1人では出来ないので、私も手伝いましたが、女の子に、「はい脱いで」なんて言っていいのだろうか?ハーネスを持って、赤ちゃんにパンツをはかせるようにグイっと上にあげて、背中から回したベルトを胸の前で固定して・・・役得やなあ・・・なんて少し、いやだいぶ幸せな気分です。男子新入生は部員に任せて、女の子は人畜無害な私にお任せあれ。
そういえば、学校から艇庫に新入生を運ぶ時、私の前を次男が走っていたのですが、「ヤツめ、4人とも女の子を乗せていた」。新入生勧誘隊長の2回生に、うまいこと4回生のちょいと強い立場を利用して・・・いえ、単に羨ましかっただけです。そして、「血は争えんなあ」

2005/4/11
昨日は京都に行ってきました。次男のヨット部の試乗会の手伝いです。正門から琵琶湖の艇庫まで新入生を運びます。昨年と同じ仕事です。集合は10時ですが、観光地京都市内に入るので、9時目標に出発しました。おっとその前に、7時からの伊丹市長選挙の投票に行きました。
天気予報では、くもりから雨でしたが、名神を走っている間に天気が良くなりサングラス運転になってきました。このままいい天気が続いたらいいな。試乗会の成否は天気に負う所が多いです。たくさん入部して、もっと楽しくなるといいです。京都市内に入り鴨川を北上していると、桜が満開です。「うわ〜、きれいだなあ」思わず車をとめて写真を撮りました。三条から出町柳まで北上しましたが、鴨川沿いは桜がずっと植えてあり、3回も車をとめてしまいました。天気もよく最高のお花見です。
昨年同様、早く学校に着いたので、時計台の方から北に向かって校内散歩です。長男君の大阪は贅沢に校舎や研究棟が立っていて、敷地が余っているのに、こっちは満杯です。桂キャンパスには行ったことがありませんが、将来の拡大に向けて広大な土地を確保しているのだろうか?今度は外を歩いていると、ヨット部の新人勧誘看板発見。でかいです。しかも芸術作品のような仕上がりの絵画です。上手だなあ。作者名も書いてあり、やっぱりマネージャーさんメインの作品でした。
さて新人さんも集まり、3台目に4人乗せて出発です。えらくおしゃべりが弾むなあと思っていたら、4人とも姫路の淳心出身です。家内の通った賢明女子の隣の学校だ。4人揃って入部したらいいなあ。昨年も1人私の車で送った子が入部してくれたから、今年もそうなるような気がするのだけれど。風の具合が心配だったけど、艇庫に着くとどうやら2〜3m/sくらいはある感じで、絶好の試乗会日和です。マネさんが作ってくれたカレーを食べて、西宮に戻ることにする。
この日は、兵庫ジュニアオープンヨットレースで、関東や広島からも来てくれています。顔を見に行こう。芦屋YHにちょっと寄り、芦屋人口浜まで行き、双眼鏡からレースを見ると、4〜5m/sのいい風が入っています。1上までが思いっきり遠く15分かなあ。いい感じのレースになっています。さすが西宮、よく吹くなあ、4レース目くらいかなあと思って芦屋YHに帰って来て聞くと、朝は風がなく、1時に第1レースをスタートしたとのこと。じゃあまだ2レースか、なんかこれでおしまいのような感じだなあ。

2005/4/4
土曜日の午後、中之島中央公会堂に行ってきました。その関係で、夜中まで仕事をすることになってしまいました。
イラクで人質になって救出された高遠さんと、イラク戦争当時ヨルダン大使館勤務をされていて、アメリカに組せず中立の立場の方がいいと外務省に報告して、外務省を辞めることになってしまった、元キャリア官僚天木さんの話を聞いてきました。日本の報道以外も知っておく方がいいかな?どうせ参加者なんて少ないだろうと軽い気持ちで参加しましたが、700人も集まり満員でした。
フセイン政権、特に軍隊に嫌気がさしていたイラクの一般の方は、アメリカ軍に協力的でしたが、駐留が長引くようになっておかしくなってきたそうです。
「仕事がない」などの普通のデモに米軍が発砲したこと。結婚式など祝賀の時には、空に向かって空砲を撃ってお祝いすることが、ポピュラーなのですが、それをテロに間違えて、ヘリからミサイル攻撃する。検問所で走ってくる車に、止まれの合い図で手のひらを相手に向けることが、イラクでは、「やあ、こんにちは」という挨拶であるので、検問所まで進むといきなり撃たれる。止まらせようと空に向かって威嚇射撃することが、前述の祝福の合図。
「何故止まらなかった?」「何もしてないのに一斉射撃された」お互いに不幸なことが、疑心暗鬼を増幅していっている。
少数の外人テロリストと、勝手に家に入ってきて家具などを壊し、やたらに乱射する米軍に対抗するために、家や土地を守る地元レジスタンスの3つがお互いに反目している複雑なことになってしまっているそうです。
現地は報道規制されており、ビデオを写そうとすると即撃たれる中、信用できる外国人には密かにそんなDVD映像が手渡しされ、それも見てきました。圧倒する現実に、感情をあおる言葉など何もないのに、涙もろい私は3回も涙を流してしまいました。
そんな中、親のいない麻薬に侵されたストリートチルドレンの家を建て、大工の職業訓練をして就職させ、家族を持たせている。また学校を修復して学校に通えるように支援している日本人がいるということに、誇りを感じました。
ご自身の主張を表に出さず、淡々と事実を紹介するのはとても迫力がありました。平和でないと、学校にさえ行けない現実。わかってはいたが、改めて見せられると・・・深く考えた午後でした。

日曜日は、ドラゴンの初乗りです。朝のお勤めの関係で少し遅刻してしまいました。天気予報では、大気が不安定で突風やヒョウがふるかも?ということになっていましたが、嵐の前の静けさと言いますか・・・もやっていて風もありません。一応艇を下ろし、運営艇に引っ張られて湾内のレース海面に着きましたが、することなく漂っていました。沖のいつものレース海面で、突風が来たらやばいなあなんて考えていたので、湾内レース海面に少し安心です。若手KGOBがさらにもう1人増えていました。KG関係者が乗っている艇が半分くらいかなあ。
1レース目は、本部船寄りのいいスタートです。右海面を選択しましたが、左の1艇だけが別の風でいい感じで上っていました。我が艇は、どうもすべり負けです。チューニングの問題のようです。2・3レースと進むにつれ、いろいろいじくったチューニングが良くなってきたのか?スピードが出てきました。でもトップ艇には負けている感じがします。
速い艇に乗ったり、外から自艇のセールを見て、いろいろ探るのが常套手段だろうから、機会を見つけてやってみようと思う。

2005/3/29
3月の末の時期は、春休みということもありいろんなレースがあります。まずヤマハ主催のジュニアチャンピオンレガッタで、シーホッパー級で奥村君・ミニホッパー級で小林君がダブル優勝しました。兵庫ジュニア初の快挙です。続いて、海外招待選手を招いたアビームカップという女子470のレースがありました。こちらも田畑さんが貫禄の優勝で、これで昨秋全日本・3月初めナショナルチーム選考会・そしてこれと女子では3連勝です。このまま北京まで突っ走って兵庫ジュニア初のオリンピック選手になってほしいです。そして、OPナショナルチーム選考会。最初の2日間が終わった時点で、2位吉田君・3位田中君といい所につけています。こちらも兵庫ジュニア初のOPワールド2人参加になったらなあ・・・
27日は、同志社ウィークに行って来ました。ター君とこの艇庫で、東北大と東大も泊まっていたようで、春の琵琶湖ビッグイベント盛り上がっています。初日の土曜日はいい風が入ったらしいですが、この日は例によって風待ち陸上待機から始まりました。草津ヨットクラブで活動しておられる東北大ヨット部OBの方が来られたので、一緒にレスキューボートに乗り観戦しました。
東北大・東大学生に、いつもお世話になっている女子マネージャーさん4人と一緒です。彼女達は貴重な戦力で、ストイックに行き過ぎないようにクラブの雰囲気を明るく保っています。衛生面や健康面、そして精神面にもかなりプラスになっていると思っています。彼女達を楽しませて盛り上げてもらわなくっちゃ。
この日は最終日なので、12:30以降のスタートはなく、1レースだけでしたが、470が3艇とも、スナイプも1艇が10位位で回り、スナイプの他の2艇も半分より前でフィニッシュしレスキューは盛り上がりました。できるだけみんなが走っている姿が見やすい位置にレスキューを動かし、フィニッシュの時は、拍手で選手を迎えることが出来ました。いい順位でもそうでなくても、「ごくろうさん」と声を掛けられるのは気持ちのいいことです。また声を掛ける方も楽しいです。
スナイプとともに帰りましたが、本部船のところに行って、全員で立ってレース運営のお礼をしていました。これって、今までなかったような・・・私はこんなのがとても大切だと思って、過去2年間レースに来た時は、レスキューだけでもと思って挨拶をしていましたが、みんなでするようにしたんだとちょっと嬉しくなりました。ター君達の代になって、練習の最後に琵琶湖に向かってみんなで並んでお礼を言ったり、レース前の出艇で円陣を組んで気合を入れたりするようになってきています。
大きな声を張り上げると、やはり気持ちが少し違うと思います。ようしという気になるかもしれないし、レースの雰囲気に飲まれないようになるものです。きっと成績に繋がるでしょうし、既に繋がっているような気がします。
スナイプの挨拶が終わり、艇庫に帰ろうとすると三井寺からいい風が入ってきました。この風でレースができないのは残念ですが、フルハイクのクローズドリーチで艇庫という絶好のシチュエーションになりました。レース艇の前から横からと5mくらいに近づいてマネさんたちに見せてあげられました。みんな写真を撮っていましたが、ヨットってかっこいいと思ってくれたかな?これを自由に操っている選手に惚れたかな?
新人勧誘で、「見て見て、かっこいいでしょう、ヨット部に入らない?」って使ってくれるとうれしいな。
さて成績ですが、軽風は順調のようで結果が出ています。でもやはり強風が問題で、ここで大量失点しないようにしないといけないです。このレースで1筋の光明が見えました。土曜日の吹いた3レースで、ター君が今までとセッティングを変えて、かなり速かったそうです。事実ブラックにひっかかり1上マークで除外されてしまいましたが、そのレースはトップ回航したようです。彼らのことだから、これをみんなのものにして強風でも1ランク上の走りができるようになるでしょう。これは期待が持てます。
来月は新人勧誘です。毎週土日を3週間にわたってするようで、例年の倍かなあ?たくさん部員が入ってくれたら、もっと楽しくもっと強いクラブになるでしょう。特に女子部員が入ると、女子全日本に出場できるし・・・今年のチームは今までと少し違った練習やクラブ運営をしている感じがします。最上級生は大学ヨット部としては最後の1年。悔いのないように、自分たちのしたいことを自信を持ってやって欲しいと思う。できるだけ協力していこうと思う。最後、みんなで笑えるといいね。

2005/3/23
無寄港世界1周をしている、堀江さんと斎藤さんが、もうすぐオーストラリアの西にかかります。西といっても、オーストラリア大陸の北西じゃなくって南西です。先日マラッカ海峡で海賊事件が起きましたが、マレーシア・インドネシア・フィリピンの大小さまざまな島が散らばる海は、海賊は当たり前のように出没するそうです。
マラッカ海峡のように、本船航路があり、ひっきりなしに本船が行き来する所でも海賊が出るくらいですから、その他の海では、危険極まりないようです。しかも動力が貧弱なヨットでは、ひとたまりもありません。だから、大抵そこを回避して、オーストラリアの南を回って、ニュージーランドとオーストラリアの間を北上し、細かな島にはあまり近づかないのが賢明だそうです。ヨットの雑誌に数年かけて長距離航海をしている、俗に言うヨッティー達の日記や投稿文が連載されているが、停泊地でヨッティー仲間との情報交換は欠かせないらしい。
どこそこの波止地は、安全でとてもいいだとか、あそこは最悪なので決して近づかないようにだとか。島の集落みんなが共同で生計を立てていて、獲物は山分け。カギなんて何処の家にもなく、調味料がなくなれば勝手に隣の家に入り持ってくる。所有するという感覚が違う島がある。自分の物は、自分の物であってよそさんの物。
だから泥棒というものが成立せずに、警官が1人いるが、パトロールはしない。その警官がパスポートを見て入出国審査官も、役場や郵便局もみんな兼務しているユティリティープレイヤーだったりする。なんて似ているんだろうと思っていたら、実は同じ人だってことを知り、おったまげたなんて話が書いてある。島民があまりにフレンドリーすぎて、勝手に船に上がりこんで、デッキで昼寝していたりして、習慣の違いに驚くことも多いらしい。
古くはマゼランも、これで命を落としたと記憶している。ポルトガル人のマゼランは、経過はもう忘れたが、スペイン国王の遠征隊の隊長として出発する。アメリカ大陸を南下して、ケープホーンをより安全に通過するマゼラン海峡を発見した。南太平洋に入るが、オーストラリアの北の海域まであまり島がないので、食料が尽き、病気で船団が疲弊した。
やっとたどり着いた南太平洋の島で島民から大歓迎を受ける。食料も十分補給し、大いに鋭気を養ったが、自分の物は他人のもの、他人のものは自分のものという考え方の島民なので、勝手に船に上がり込む。いい物があれば、当たり前のように持っていく。やがてけんかになり、見せしめに数人銃で撃ったら、双方に大被害を出し、マゼランは戦死する。
基本の考え方が違うのだから仕方がない。どっちも「なんてことするんだ」状態だったのだろう。結局、200〜300人で出発した船団でスペインに帰り着いたのは、10数人だったと記憶している。
斎藤さんは、どうやらメインセールをまだ修理しているようだ。堀江さんに1日の遅れをとっている。それにしても、無寄港世界1周と言えば聞こえはいいが、世界中の人をひきつけてやまない魅力いっぱいの南太平洋をパスするのは、もったいないなあ。
私ならどうするかなあ?世界1周をする為に寒い南氷洋で、氷山にピリピリしながら走るより、南太平洋の島で天国のような暮らしを選んでしまうだろう。暖かい気候で、食べ物はそこらに実っていて、食べて・・・寝て・・・食べて・・・寿命が10年短くなっても、最後の10年くらいはそんな生活をしてみたいものだ。
「堀江さん、南太平洋で行方不明」。数年後、「大スクープ。堀江さん、南太平洋の島で生きていた」。堀江さんのコメント「もう私を捜さないでください。こちらで楽しく暮らしています」なんてね。

2005/3/14
この時期は受験シーズンとともに卒業シーズンでもあります。土曜日は、次男くんのクラブの卒業式でした。大学なので、俗に言う「追い出しコンパ」というやつです。外部コーチというのを、この1年間してきたので呼ばれました。
昨年8月末、インカレ団体予選敗退の閉会式後、艇庫での幹部交代に誘われましたが、外部の学校出身なので、コアな思いの式にお客さんのように出席してはいけないと思って、お断りしました。今回は、あれから半年経ち、1年間お世話になった学年の送別会でもあり、出席することにしました。
6時に京都駅隣のパル横のアサヒのビヤホールでした。
OBの方が多数出席され、息子がお世話になっているので、名詞配りと日頃のお礼、それに写真を撮っていました。
今年は卒業生も多く、出席者も例年の倍以上ということで、現役のみんなの卒業生に対する、「ありがとう」の気持ちがより大きいようで、嬉しく感じました。ヨットはスポーツなので厳しい所があるけれども、最後のあと1歩という時は、「ありがとう」や「楽しい」「うれしい」という気持ちが、あと1歩の背中を押すと思っています。この気持ちを持っていれば、昨年より強くなるのは間違いないなと思いました。
OB会長さん、ヨット部出身顧問教授さん、多数のOBさん、監督さん・・・、と歓談させてもらいました。
やがて、卒業生10名が前のいすに座り、4年間の想い出やお礼をしゃべられました。多分、予定ではもっと短い挨拶だと思っていたのでしょうが、やはり4年間の想いは大きく、長いものでした。でもとてもいい挨拶でした。
私もコーチということで挨拶し、全員大学からヨットを始めたので、まだまだ始まったばかりで、これからいくらでも乗れ、基礎が出来ているので、なが〜く付き合え味が出るスポーツだということをしゃべりました。
現キャプテンからの言葉として、次男が3年間の先輩方との想い出をしゃべり出しましたが、途中で涙が止まらなくなり、予定の3倍は時間がかかったと思います。「がんばれ、最後までちゃんとしゃべって」という思いとともに、私まで・・・来てしまいました。
その後、店から出て京都駅前で、1回生のエール担当部員の発声で、多分レース毎に何度も歌ったのだろうクラブの応援歌と、伝統の琵琶湖周航の歌をOB含めて50名ほどが肩を組んで歌いました。
最後は、卒業生1人1人に対する個人エールがエール担当から発せられ、それに続いて全員で拍手しながら「フレーフレー・・・(名前)」。それに、「ありがとうございました」と2名の女子マネージャーさんも高い大きな声で答えていました。
駅前でもあり、立ち止まって見ておられる通りすがりの方もおられましたが、そんなことはお構いなしで自分たちの世界に入っていました。卒業生は、花束・記念品、それに部員全員の寄せ書きが書かれた色紙を持って、笑顔・涙・・・とても感動的でした。この場にいる自分がとても幸せでした。
帰りの電車、頂いた卒業生の想いが書かれた記念文集を読みながら帰ってきました。技術的なもの、入部のエピソード、下級生に託す思い、同回生・先輩への感謝、学校のこと。最後に親への感謝も書かれていました。1人10ページにも及ぶものを読みながら、私のクラブ卒業の時とダブって、電車の中でしたが泣いてしまいました。
セレモニーって心に残ります。入学式・卒業式・・・セレモニーで人生の1区切りをつけて、ステップアップしていくのだなあ。息子達からまたお金で買えないプレゼントをもらいました。
卒業するみんなありがとう。OBさんありがとう。現役のみんな、私を呼んでくれてありがとう。

2005/3/10
先週は学校の大切な船を潰してしまうと大変なので、運転ミスのないよう睡眠をしっかり取ることに努めましたので、楽しみにしている3番組、木曜日のH2・土曜日のチェジウさん・日曜日の義経、みんなアウトになってしまいました。
さて次男君ですが、初日出来すぎの男子10位に始まって、2日目にはさらに神風が吹いて、男子9位まで順位をあげました。3日目の2レースは、いい所を走っていたそうですが、風が50度以上変わり、ともにノーレースになりました。
最終日日曜日の朝、4:30起床で駅まで歩き、始発電車で7時に和歌山到着。バスを待っていると、ヨットの雑誌記者が、「あれ、・・・さん。選手に同じ苗字の子がいるから、ひょっとしてお子さんかなあと思ってました。そうですよね」と声をかけてくれて、一緒にタクシーで行くことにしました。
私がジュニアの全日本の事務局長や広報担当をしていたので、何度もこっちには一銭にもならない仕事をご一緒しました。ポルトヨーロッパにでも行って、おいしいものを食べながら双眼鏡でレース観戦でもしようかと思っていましたが、記者さんが乗るプレスボートに乗艇できる幸運に恵まれました。
ハーバーに着くと、選手達がセッティングを終え、出艇申告開始時間までゆっくりしていることろでした。成績表を見ていると、着替えて出てきた次男が寄ってきて、「ナショナルチームにあと5点やねん」「すっごいなあ・・・」男子6位と5点しか離れていないので、6位のチームより6番前でフィニッシュしたら逆転です。
最終日、海上に出ると徐々に風が上がって来て、10m/sオーバーで波も高くなってきました。微風・軽風で次の風を予想する力のレースから、高い波と強い風の中、ボートバランスを保って走らせる力勝負のレースになりました。次男君では、全く歯が立たず、ブービー・ビリ・ブービーの3レースでした。それでも最後まで諦めず、はるか離されても必死に喰らいついていました。その姿勢に神様がプレゼントをくれたのか?最終レースずっとビリを走っていたのですが、最終マークからフィニッシュまでの間に1艇ひっくり返ってブービーに上がることが出来ました。
陸上に上がると、先に帰っていた次男はマストを倒したり船の艤装を解いて、水洗いをしていました。「ようやったなあ、風が落ちてきたらほんま速いなあ」と声をかけると、「風が上がったら、みんなメチャ速かったわ。一気に行かれてしもた」と、やりきった満足感でいっぱいのようで、ニコニコ話してくれました。
車を回してくると、近くにいる選手に声をかけ、船を積むのを手伝ってもらい、反対に用意の出来た船の積み込みに走り回っていました。息子と同学年の偏差値No1大K君がおり、船を並べてワイワイやっていました。関東と関西で離れていましたが、中学受験をした同級生で、お互いの境遇が分かるので、ジュニア時代から親しくさせてもらっている友達です。ジュニア時代幻のアセアン選手権で、私が監督で2人とも選手でした。その子達の10年後のこの光景を見ている私の心境わかります?最高を通り越しています。
今月末琵琶湖であるレースに来るそうで、次男の学校の艇庫で、いつも来ている北海道大学に加えて3大学で雑魚寝状態になるのかもしれません。趣味やクラブで結びついた関係は、勉強だけの仲間より、強くなると思うので、いろんな所にたくさん友達を作って欲しいと思っています。社会人になっても助け合える仲間だと思います。
優勝は、やはりアテネオリンピック銅メダリストで、次男は結局男子11位で全レースを終えました。小さなヨットという世界ですが、生涯忘れる事がないレースになったでしょう。私の部屋の壁に引き伸ばして額に入っている写真があります。大昔、私が江ノ島であったこのレースに1度だけ出場できた時の帰りに、記念にと烏帽子岩をバックに撮ったものです。私を四半世紀経って再びここに来させてくれたお礼に、海上・陸上でいろんな子達の写真を撮りました。帰って見ると、1日で129枚も撮っていました。いつか次男にこの写真をパネルにしてプレゼントできる機会がくるかもしれません。夕方から、和歌山・琵琶湖・京都・大阪と運転したハードでしたが、最高の1日でした。

2005/3/2
昨日とてもいいことがありました。
次男君が、今日から和歌山で始まる2005年ナショナルチーム代表選考会にチャレンジしますが、昨年秋に免許を取り、先月自分の車を持ったばかりなので、船を運ぶヘルプを頼まれました。昨夜船を積む為に琵琶湖の艇庫に行くと、主務の子から、「来週のクラブ送別会で挨拶してもらえますか、短くていいですから」と言われました。
違う学校出身にもかかわらず、昨シーズンクラブを手伝った関係からか、送別会に呼ばれています。OBの方も多数集まる席で、少しお礼を言う機会を与えられました。大きなわが子からのプレゼントです。
その日で合宿が終わり、選手2人と私だけ艇庫に泊まって今朝出発する予定でしたが、下宿の方が暖かいので、4.7mの船と7mのマストをカートップして比叡山を越えて京都に入りました。そのまま部員みんなと学校の裏にあるサラサという、よく大学周辺にある学生のたまり場のような店で夕食を取りました。
カレーの小500円を注文しましたが、普通の量のカレーに野菜が山盛り1皿ついていました。メニューを見ると、ほとんどのメニューが小・中・大、特大があるのまであります。ヨット部の多数が、いろんなメニューの大を注文していましたが、その巨大さにビックリしました。
中華料理の回るテーブルの中央にデンと置かれる、大きなお皿に山盛りです。丼物は、家庭のでっかい丼の2〜3倍は入るだろうと思われる器に、当然山盛りご飯が盛られて、さらにその上に肉がこぼれんばかり。ラーメン丼より大きく、当然ラウンドボトムです。
「こんなもん3人前やんか、ホンマに食べれるの?」と思わず口から出てしまいましたが、みんな完食していました。
さらに、セットメニューとしてケーキとコーヒーが出てきて・・・こいつらの腹、どないなってるんや?毎週日曜日の晩飯はここらしいです。壁に貼ってある感謝の寄せ書きを読むと、「学生時代の健康を支えてくださってありがとう」なんてのもありました。
ラグビー部の写真や、各クラブ・同好会の日誌ノートというか連絡帳が、壁に貼られていたり、棚に並んでいたり・・・、漫画は山のようにありました。自転車やバイクが店の前にいっぱい止まっていて、私以外は全員学生。しかも全員男の子でした。紅一点のバイトの女の子は、きっとマドンナか・・・私にもあったかつてのあの時代にタイムスリップした2時間でした。
息子達は、車に泊まるそうで、合宿所から2人分の布団を積みました。昨夜は息子の下宿に泊まったらと言われましたが、屋根に乗ってるレース艇にいたずらをされたら大変なので、下宿の前に止めて車中泊しました。フルフラットにして快適な寝心地でした。
今朝4時半に京都を出発して、和歌山のヨットハーバーに7時着。即タクシーで駅まで、JRで一気に帰ってきて何とか仕事に間に合いました。大阪環状線外回りで、車窓から外を見ていると、公園に簡易の建物が建っていて、その前でお相撲さんが、体操選手のように開脚してぴたっと地面にお尻・両腿をつけ、前屈して胸も地面につけていました。「うわ、すごい」、もうすぐ大阪場所なのかなあ?

2005/2/22
日曜日午後ジュニアクラブに行ってきました。
朝から風が強かったようで、小1女の子と小2男の子がハーバーで遊んでいました。ヨットに乗る気満々で朝来たのに、出て行ったお兄ちゃんの帰りを待ってるだけ。私を見つけて、「あっちに行ったらあかんで、そこね、今雀のえさ置いてあるから」って物陰から2人でそこを見ています。
「雀、食べに来た?」「うん、あんな〜・・・」といろんなことを話してくれます。「へ〜」「すごいなあ〜」と相槌打ってると、ニコニコ得意げに雀を脱線していろい
ろ教えてくれました。やがて「お母さん達2階にいるよ」と自然に私を解放というか、お役御免になりました。
しばらくすると飽きて2階に上がってきたので、そこにあったザルと割り箸で雀を捕まえる方法を伝授しました。喜んでそれらを抱えて出て行きました。
朝、出たい、怖い、出られないで一悶着あったと思いますが、そんなこと何も思わず次の事をしています。そして来週また乗る気満々で来るのでしょう。やがて強い風でも乗れるようになっていきます。すごいな、この子達。

2005/2/14
昨日浜に行ってきました。シブオ・ファクトリー(勝手に命名)のドラゴン・ダンシングクイーン(DQ)の整備です。朝10時から艇庫でKGSC理事会があると言うことで、10時集合という連絡が入りました。9時頃浜に着き、DQのオーニングをはずし、ディンギーヤードに行くと現役チームは既に沖に出て練習していました。
ダンシングクイーンのスキッパー河野さんが、ヨット部の監督になられ、オーナーさんとともに理事会に出席です。浜で関大の艤装を見ていると、監督さんが救助艇新月の整備?から帰ってこられ、DQの整備個所を聞きました。監督さんは、面倒見がいい方で、メンテナンス面の細かい所に目が行き、ご自身で整理・整頓・整備してしまう方です。こんなこと書くと怒られるかも知れませんが、監督兼用務員ってとこでしょうか?
DQの整備は、ねじの増し締めとCRC、さらにスターボード側ランナーをポート側と同じシステムに変更することです。デッキやコクピット作業は楽でしたが、マスト周りなどバウデッキの下にもぐりこんでする作業は、ちょいと辛いものがありました。なんせ腰の曲がりがきつくなってきているところに、あの辺はシートやブロックが縦横に走り、くもの巣にひっかかってあがいている虫状態です。ドライバー・プライヤー・CRCと格闘しました。
やっとこさ終わって、ランナーシステムを見ると、「う〜ん、これは午後からや」と即結論を出し、艇庫に戻りました。理事会が終わるまで、女子マネさんと楽しいおしゃべり(多分私だけ)をして時間を潰しました。
理事会が終わり、先輩方とYHの1Fに定番の昼食を取りに行きました。先輩方は午後からツインスターで沖に出るそうです。河野ツインスター整備長の話によると、現在メインセールが上がらないそうで、せっかくいい風ですが、帆走できないようです。
さて私たちDQチームは、「あ〜でもない、こ〜でもない」と大のおっさん(失礼おじさんでした)が3人集まって、ブロックにシートを通したり抜いたり、「あれがないぞ」「へい買って来ます」「あ〜失敗してしもた、また買うてきます」・・・まあ平和な午後を過ごしました。
整備も終わり解散し、車に戻ろうと歩いていると、「ん〜、あちらから来るのは、我がKGチームが誇る美女マネさんたちではないか?」。向こうもこっちを見てる。そこで私は熱い視線を感じました。すぐにその視線の行間に隠された言葉を読み取りました。それは、LOVE・・・
・・・というものではなく(当たり前ですね)、「駅まで送ってくれたらうれしいなチョンマゲ」を読み取ってしまいました。
いいえうそでした。「送って行きたいな。殺風景な我が愛車に一足早く春の息吹を入れたいな」です。いくつになっても美女に囲まれるのはいい気持ちです。お〜?ちょっとお化粧してないか?艇庫にいる時より一段ときれいになってるじゃかいか。ということで、阪神西宮までちょいとうれしい時間を持てた日曜日でした。

そう言えば、本日14日は男の子待望のバレンタインデーです。私も一応男の子なので待望しているのですが、いかんせん学生時代のように、チョコレートにうずもれて困ってしまう(これもうそでした)こともなく、最近は嫁さんからの義理チョコすらない寂しいこの日です。今年もチョコレートが好きではないわが子のおすそ分けになるのかなあ?
しか〜し、今年はチョコっと考えて、自らチョコを買ってしまいました。いつも売りに来る手作りパン屋さんの車で売ってたので、思わず買ってしまいました。「あほちゃうか」という声が聞こえてきそうですが、「これもらっちゃった」なんて今夜もって帰ろうと思ってます。さて嫁さんの反応はいかに?「いや、誰、そんな人いるの?う〜ん、くやしい〜、あなたは私だけのものよ〜」なんて反応をするかな?
いえ、私は現実を知っているつもりです。「あっそう、よかったね」という反応に決まっています。
本当は「これ、僕からプレゼント」って渡そうと思っています。毎年チョコをくれていたのに、ホワイトデーにお返ししたのは確か1度だけ。だって、「今日ホワイトデーですよ」って誰も教えてくれないから、いつも忘れてしまった。せめてもの罪滅ぼしです。「どうぞこれからもよろしくお願いします」であります。

2005/1/31
今日は31日、早いものでもう今年も1ヶ月過ぎてしまった。年明け早々のセンターテストに始まって、中学・高校・大学受験の3月まで受験生には、日頃の成果を試す楽しい?辛い?期間だ。
そんなこととは全然関係なく、昨日は家内のPCの再インストール用CDRを作成していた。私は富士通・長男デル・次男ソニー、店では去年までコンパック、その後本体シャープ・ディスプレーコンパックとバラバラだ。ところでコンパックって今はヒューレットパッカードだったっけ?
家内が個人用にNECを買った。家内は何年も店でPCを使っているが、レジ連動で受発注や顧客管理用のPCなので、ウイルスでのシステムダウンやデータ流出を防ぐ為にインターネットには繋げていない。ワード・エクセルもしないので、ネットに関しては素人同様。そこで私が、設定をしたのだが、再インストール用CDRを作る作業が残っていた。すぐできるだろうと思っていたが、なんと15枚も作らないといけない。1枚3分くらいなのだが、その間何もすることがない。TVを見ながらしていたが、どうもつまらない。自宅に帰って風呂をセットしたり、電気屋さんを見に行ったり、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、なんと3時間もかかってしまった。こんなことならPCを自宅に持って帰ってやったらよかった。
大体、ちゃんとセットしたはずのNOD32というアンチウイルスソフトがなくなってるし、日本語入力がローマ字入力にしていたのに変になってるし・・・おかしいなあ、確かにしたはずなのにと思って、夕方帰ってきた家内に聞いてみると、「なんか分からなくって、いろいろしてたらこうなっちゃった。したいことまでなかなか行き着かないのよね」と笑っている。う〜ん、かつて私もそうだったなあ。ちゃんと目的があってPCを立ち上げるのだが、ついつい浮気してると、何がなんだかわからなくなって・・・いったい私は何がしたかったのだろう?なんてことになってしまっていたな。
その後、自宅の自分の部屋でネットに繋がる環境にしてあげようと、電気屋さんに相談に行った。長男の研究室が無線LANのようで、PCに何か無線をとばすものを突っ込んである。とても快適らしいが自宅は有線のシステムになっている。無線ってどれくらい飛ぶものか相談したら、電気屋さんの言うのには、壁があるとネットがよく切れるようになるらしい。鉄筋の壁で1枚、木造の壁で2枚までが限度らしい。2Fの長男の部屋から1Fの家内の部屋までは無理のようなので、有線を買って来て家内の部屋まで引いた。一々長男の部屋にあるモデムをはずして1Fに持ってこないといけないが、まあ仕方がない。午後から半日PC関係で面白くない1日を過ごしてしまった。

先週渋川さんから、ドラゴンJ36ダンシングクイーンの今シーズンの始動について連絡があった。2/13日に整備から始動するそうだ。雨男じゃなくってトラブル男の私がメンバーに入ってから、いろいろトラブルを起こしているので、整備しないと海に出られない。ランナートラブル・スピンハリトラブル、極めつけは有終を飾るべき昨年最後のレースでのメンハリ切断と、私が乗っているときばかりトラぶった。私の全身から発せられるトラブル波に完全にダンシングクイーンはやられている。「はい、私は必ず駆けつけます。なんでしたらまたマストに登ります」、「おまえ、もう触るな」と言われそうな気もしますが・・・

2005/1/22
1月17日は、阪神淡路大震災の起こった日です。我が家は最悪の状態までは行きませんでしたが、相当な被害を受けました。店のコンクリートの内壁には、わざと直していない部分があります。いろんなところに亀裂が入りましたが、ここはお客様から見えない部分で、建物の強度的にも問題がないので、そのままにしています。壁紙を張っていましたが、亀裂に沿ってその壁紙も破れました。ビルの1階で、そのビルは一部損壊という指定を受けました。一部損壊でも、入口ドアが開かなくなってしばらく窓から出入りした上の階の方もいました。ビルの壁に無数の亀裂が入り、柱に致命的な亀裂が入らなかったので、半壊や全壊を免れました。しばらくして、亀裂に応急処理がなされ、とりあえず雨水の浸入をしのぎました。
「雨漏りがする」「天井にしみが出来た」「ふすまが開かなくなった」・・・などまあいろいろなことを上階の方から聞きました。ビルは上のほうが揺れが大きいようです。
一時、亀裂を塞いだ応急処理のパテと元の壁の色が一致せず、フランケンシュタイン状態になりましたが、2年目に改修工事をしてきれいになりました。うちの前のビルも半壊を免れましたが、結局その隣の駅ビルが壊れたので、一時両方とも更地になり、建て替えになりました。横のビルは半壊になり、今は建て替えられた新しいビルに変わっています。

大変な経験をしましたが、家族はみんな無事で、怪我も病気もせず暮らして来れたのは幸いでした。また、当時中1・小5だった子供たちの力を認識するいい機会でした。家や店の片付け・通常業務が最優先と、率先して動いてくれました。いざとなったときはやっぱり家族が頼りということを知ったのは私にとって収穫でした。
従業員さんたちもみんな被災者で、自分の家の事を優先する指示を出しました。一番大変だった、最初の3日間を家族だけで乗り切りました。電気・水道・ガス・電話が止まり、余震が続き不安な日々でした。
子供達の笑顔や無邪気なおしゃべりには勇気づけられました。ボランティア元年と言われますが、若い学生の子達が自然発生的に協力し合って周りを助けている姿に、「今の若い子は・・・」なんて言ってるが、やっぱり人類は進歩というか進化していると感じました。住宅が全壊し学校の避難した方は、今時の若い子にいっぱい勇気をもらったに違いありません。
震災から1週間や10日たって、やってきたセールスさんから聞く慰めの言葉は、内心冷めた心で聞いていました。やっぱりその時、即一緒に片付けた家族、子供達です。少し落ち着いてきてからは、慰めの言葉より仕事の話です。食っていく為には、仕事をしてより多くの人に喜んでもらわないと。当事者になり、不安でいっぱいの被災者の本当の心を知りました。

あの体験をして、少し考えが変わったように思います。紛争や災害後すぐは手を貸し、その後は仕事。その地域に仕事を持って行くのが一番の支援。
「かわいそうねえ」「どうだった」「元気出してね」・・・はもういりません。どうせ当事者や家族で乗り越えなければならないので、むしろ以前と同じように接していただく方が楽です。
この10年で、災害などがありました。ボランティア元年の主力だった10代20代の学生達の働きが、NPO法律を作り、NGOに市民権を与えたように思います。無数に出来た元ボランティアリーダーが、それらの非政府団体を作り、主力になり、国内災害や世界の紛争・災害に即応しています。すばらしいことです。

1/16から、1/17午前5:46まで、毎年行われている公園のろうそくイベントに参加しました。夜9時から30分くらいいました。わが子が通った保育園から100mほどの所にある公園、毎日のようにこの広場に連れてきてもらっていました。そこに運動会などに使うテントを立て、防火・防炎シートを敷き、土の畝が作ってあります。そこにろうそくを立てて行きます。風よけに広くシートが囲っています。「ゆうあい」というNPO(非営利ボランティア組織)がイベントを仕切っています。自治体や企業がベースになる資金を出しているのかも知れませんが、テント無償貸与やろうそく購入資金でしょう。派手さは全くないのでほとんどお金もかかっていないと思います。長男もこのイベントに参加?手伝い?をしていました。こんなので何かを学び伝えるのだろうなと思います。
バイクで公園に行き、まず記帳しました。記帳するとろうそくをいただけます。9時頃でしたが、大勢の人がいました。小さな子供を連れた家族もいました。もう少し早い時間帯ならもっと小さな子が多かったでしょう。
募金箱が目に付き、募金しました。ほとんどの人が募金している感じがします。ろうそくに火をつけ畝にさします。横では、ろうそく作りが子供たちに人気です。

ボランティアさんから、ひもをもらい、熱く溶けたろうそく入りの石油缶にひもをたらします。ゆっくり上げると、蝋がひもにつきます。すぐ冷えて固まるので、また缶に入れます。それを繰り返すと、段々太いろうそくになり、満足できる大きさになったら、はさみで下を切ってもらいます。オリジナルろうそくの出来上がり。
一心にろうそくに火をつけている人、ろうそくの前でじっと手を合わせている人、燃え尽きたろうそくを取り除いて畝を作り直している中学生くらいの男の子ボランティア。いろんな人がいます。
特に順路があるわけでもなし、参加費が必要なわけでもなく、どんどん来る参加者が暗黙の了解のように動いて何かを得て帰っていく。ピラミッド型ではないボランティアの雰囲気がそうさせると感じたが、気持ちのいい一時を過ごすことが出来ました。
公園から外れてバイクの所に向かっていると、小さな子を連れた家族連れ、暗いので抱っこされている男の子が、「お父さん、お祭り?」「ちょっと違うけどな・・・」それに続いてお父さんが、当時まだ生まれていなかったお子さんにどう説明したかわかりませんが、ろうそく祭りと思って毎年参加してもいいな、もう少し大きくなると、段々分かってくるだろう。こんな自然な感じで、次の世代に語り継がれるのだろうな。

2005/1/13
12月に、KGヨット部の監督・ヘッドコーチが交代した。前監督・前ヘッドで昨年・一昨年と関西水域で総合優勝してきた。全日本では不本意な成績だったかもしれないが、水域自体のレベルが関東・近畿北陸・九州に及ばない今、立派な成績だったト思う。前監督・コーチには心からありがとうという気持ちでいっぱいだ。
前監督は、確かに仕事で一昨年ほど浜に来れなくなっていたが、上級生が下級生に教えて高いレベルを保ってきたのだから、私としては重要な試合だけ浜に顔を出しているだけで十分で、私の現役の頃もそうだった。部員が自主的に考え実行することで、ヨットの成績以外のもっと人生にとって、これから社会に出て行く中で、大切な何かを学んでいたと思う。監督は浜に顔を出さなくても、裏でコーチ達から現状報告を受けて、大きくクラブを運営していた。監督は、浜に行けなくて申し訳ないと交代を申し出られたそうだが、ヘッドも一緒にやめられた。これからもっと家族サービスの方に力を入れるのかなあ?まあ長年やってこられたのでそろそろいい時期だったのだろう。
次の世代に監督・ヘッドが交代すると思ったが、そうではなかった。ショックだったのは、ヘッドコーチがKG出身でないことだ。全国トップレベルの人材を毎年輩出しているのに、何で外部から?そこまで追い込まれているのかなあ?と、勝利至上主義ではない私には残念だった。コーチとしてアドバイスしていただけるのは嬉しいが、いきなりヘッドコーチというのは、たくさんいるKG出身コーチ陣をコントロールする訳で、どうも素直に受け入れられない。
KGヨット部出身でなくても、どこかKGに関係する人ならまだ受け入れられる。世代は違えど同じ艇庫で、同じ釜の飯を食い、同じ海面で育った後輩達がチームの主要ポストを占めて全日本を目指すのを応援したい。何か出身クラブが遠く感じるようになってしまったなあ。

2005/1/12
9日、青春18切符で、北陸を目指しました。
天気を調べると、北陸は雪のようで、先週より暖かい服装にしました。ヨットの時よく使う長靴も考えましたが、くるぶしまで高さがある靴にし、ズボンの上から履くようになってる釣具屋さんで買ったアクリル綿入りズボンを履き、防水カッパをかばんに入れました。
大阪を早く発ったら、湖西線から朝日が見れるかなあと、早起きしてそれを目標に出発しました。山科で湖西線に乗り換えです。
スキー・スノボにむかうであろう若者と、中高年の雪山トレッキングをする方が多く乗っていました。山登りの靴を履き、靴の上から雪が入らないようにカバーを履いたり、リュックにカバーをして、手にはスティック。琵琶湖バレイのある駅で一斉に降りて行かれました。
スノボをしようと思っている高校生風のグループの1人は、大阪から志賀駅まで自転車で来た事があるそうです。
同じ職場の若者グループは、お互いのスノボの腕を探っています。特に女の子の腕前が気になるらしく、「私初めてです」とか「雪山自体初めて」という言葉に男の子達は勇気づけられているようでした。ニコニコ会話を聞いていたショートカットの女の子は、きっとかなりうまいと見ました。男の子の小さな自信は一気に崩れる光景が目に浮かびます。

先週同様、本を3冊持っていきました。私はずっと読んでいると段々飽きてきて、ただ活字を追っているだけになり、頭に入らなくなります。そんな時は、ちょっと休憩して別の本を読むという読み方をするので、途中の本がどうしてもたまります。本を読みながら、グループの楽しい会話を聞いていると、琵琶湖と朝日の光景になってきました。ここで写真をパチリ。
琵琶湖大橋を過ぎて湖北に入ると、一気に琵琶湖が大きくなり、湖面が風で波立っています。日本海とはいきませんが、男性的な琵琶湖に変わります。そして、山側は雪景色になっていき、雪も舞ってきました。琵琶湖を離れ今庄まで来ると一面の銀世界です。ここで、後続特急2本に抜かれるので、外に出てみました。「うわ〜きれい」

一番に出て行く方は、ヘビースモーカーの方のようで、出たところでタバコに火をつけています。それから、俗に言う「鉄っちゃん」。雪の積もっているプラットホームを一番前まで歩いて行き、列車の顔を写真を撮っています。それを見ていると、南に下る列車が来たので、私も思わずパチリしてしまいました。鉄っちゃんの入口になる写真になるか?
駅に着く前におっちゃん3人組が、じゃんけんをしていました。列車をパチリしたあと、まだ少し時間があるので駅の外に出てみることにしました。改札では駅員さんが、外の待合のお客さんとお話中で、私のことを気にしていない。手にした18切符を持ったまま改札の外を見ると、「歩いたら濡れるなあ」状態だったので、横の売店を覗いていると、列車に乗っていたお客さんが数人いました。
こんな感じでのんびりしてるんだ。ここにいたら駅員さんから、「もうすぐ列車出るで」なんて言ってくれそうです。じゃんけんに負けたおっちゃんが缶コーヒーをまとめ買いしていました。「そういうことか」
スキー場までは、まあまあ皆さんが座ってるなあくらいの込みようでしたが、それを過ぎてからはすいています。雪たっぷりの山の中を過ぎて、日本海側に出ました。あんがいこっちの方が雪が少ないです。ずっと雪ばかりかと思っていましたが、そうでもありません。

先ほどの3人組おっちゃん達はパンフレットを出して、いろいろ今日の行動を相談しています。どうやら今日のお宿は温泉のようです。この中の1人がリーダー役のようで、旅行関係は取り仕切っているらしい。韓国がどうのこうの、タイがどうのこうの、かなりお詳しい。琵琶湖を過ぎたあたりで、鉄道の電気のことを話しておられました。直流と交流と言っておられたような?「もうすぐ、切り替えだから停電するで」
なるほど、しばらくするとその案内が流れ停電しました。むむ、元鉄チャンかな?
「鉄道研究会」というクラブがありました。文化祭の出展が、いろんな所の写真や列車の顔写真。いろんな説明が事細かに書かれていたが、全く興味がなかったので、ふ〜んと通り過ぎていただけでした。だけど、ここの部員、楽しそうに話してくれます。草を掻き分け、苦労して写した鉄橋を渡る蒸気機関車の写真だけで、いくらでもしゃべります。今で言う「おたく」だが、昔は鉄ちゃんって呼んでたなあ。それから、PCおたくが「おたく」の市民権を得て、ゾロゾロいろんなおたくが出てきました。
本を読みながら、自然に入ってくる回りの人の会話を聞きながら、列車は進みます。何処にも行かない日曜日ならNHKの日曜討論なんかの、難しい顔をしたおじさん達、いやおじいさん達を見ていた時間にこんな楽しい時間を過ごせるなんて、今日はついています。

北陸を北上しながら、外は天気予報どおり、雪はずっと降っています。ここでふと考えました。金沢兼六園に行こうと思っていたが、あの庭園の中は除雪されてないよね。靴は雪が入ってビチャビチャになるかなあ?カッパを着て、手袋をしても、帽子には雪が積もるだろうなあ・・・
早速、時刻表の路線図を開きました。駅名を追いかけていると、勝山が目に入りました。正月スキーに行っていた頃、道路から川向こうのがけ沿いに走る電車を見ました。あの電車に乗ろうと思いました。さらに途中に永平寺口という駅名が・・・永平寺にも行こう。ということで、急遽予定変更です。10時に終点福井に着きました。最初の予定ではここで乗り換えでしたが、JRからえちぜん鉄道に乗り換えです。

永平寺口まで410円・往復820円ですが、1日フリー切符というのがあり、800円で1日乗り放題だそうです。迷わずフリー切符を買い、改札口に行くと、「今掃除してるから、もう少し待ってね」と駅員さんの笑顔。大阪とは全然違う温かさで、時間的余裕を感じます。
2両連結の電車に乗ると、定員の1/4くらいかなあ。車掌さんがお姉さんです。しかも、客室とは隔離された後部運転席に乗っているのではありません。客席の後ろのドア付近に乗っています。
出発の案内をマイクでしています。ミニスカートではありませんが、まるでイベントコンパニオンのようです。「・・・終点勝山駅までは、アテンダントの・・・がご案内します」しばらくすると、最後の方に乗ってきたおばさんのところに行き、回数券をもらっています。そのまま前の車両に行ってしまいました。
前を通る時、胸の名札が目に入りました。「アテンダント・・・」と書いてありました。最近はJRでも女性車掌さんがいるが、アテンダントと名前が変わるだけで、エレガントな感じがするのは、男の性だろうか?見慣れた紺色の制服じゃなくって、ANAのフライトアテンダントのようなきれいな制服です。当然ズボンじゃなくってスカート。首にはスカーフを巻いています。しかも、後ろ手でゴロゴロ、フライトアテンダントさんの定番、コマ付旅行バッグです。
「無人駅は、先頭車両の一番前のドアが開閉します」の案内が流れました。そうか、それで前の車両に移動なんだ。

30分で永平寺口駅に着きました。ここから永平寺までバスに乗ります。ここも410円。
バスが来るまで少し時間があるので、ある用のためにあるところに行きました。用をしながら、前を見ると、「急ぐとも、そっと手を添え、気合込め、外に漏らすな、松葉の露」思わず唸って書き留める私って変だろうか?どんな用事だったかは、想像にお任せします。バス停から記念にパチリ。

雪が積もっていたので、20分くらいかかったのかなあ?無事永平寺参道前に着きました。最後の案内で、「お帰りは、参道から300m下った所に永平寺停留所があります」なるほど、その間にお土産屋さんがいっぱいあります。
参道は、時折雪の重みで枝から雪がバサッと降って来るいい感じ。でパチリ。横の永平寺川はもっといい感じで、またパチリ。中に入る前に、おもな伽藍の配置図をパチリ。
拝観料500円を払い中に入ると、まず拝観の説明を受ける部屋に通される。前で雲水さんが、歴史・各伽藍の説明・注意事項を説明してくれる。その前後に、合掌するのだが、肘を真横に張ってかっこいい。
今から760年前、京都の公家の家に生まれた道元が、両親の早死に接し比叡山に出家した。24才で中国に渡り、坐禅に出会い2年間修行して開いた坐禅修行道場。毎年春に100名以上の修行志願者が訪れ、1年間坐禅修行をする。生活全部が修行で、朝4時から夜9時まで決められた作法に沿いお勤めをして、自由時間はない。道元から歴代住職全員の法要を行っており、ちょうど今日は2人の住職の法要の日。
注意は、雲水の写真を写さないこと。雲水が修行で集団移動しているのに出会ったら、左側通行で道を譲って欲しいこと。山門を通ることができるのは住職のみ、それと雲水が修行に入る時と修行が終わって出る時の生涯2回だけ、だから山門はまたがないこと。

主要伽藍は、廊下で繋がっている。天井絵の間を見学し、次に山門に行ってみました。ここから雲水修行僧が入ってくるんだ。パチリ。ちょうど説明の雲水さんが来られた。「山門には扉がありません。ですから邪気が自由に入ることが出来ます。それを防ぐ為に左右に四天王が守っています。パチリ。「私を山門の外に押さないで下さいね。そのまま修行を中断して山を下りないといけませんから」。なんて言われると、押してみたくなる私の中の悪の心をもちろん押し留めました。
法要が行われる伽藍に行く途中、雲水さんの2列集団が下りて来た。左側に避けると、僧堂という雲水さんが坐禅を組み、食事をし、眠る伽藍に入っていった。足にはサンダルを履いていたがいかにも寒そうな格好です。袈裟の袖に両手を入れて、しっかり前を見ている方、寒そうにうつむいている方、いろいろですが足並みだけは揃っていました。暖房というものはなく、外に対してオープンな廊下も多いので、ほぼ外の気温そのままのだ。雲水の生活に慣れたが、春の卒業前の一番厳しい時期なのだろう。薄い布3枚くらいしか着ていないんじゃないかなあ?粗食と薄着に鍛えられ、風邪を引かない身体になったのだろうか?100名くらいの雲水さんでセキをする方はいなかった。
法要の伽藍に着くと、雲水さんの他に少し違う着物を着た地位の高い僧もおられた。次に移動しようとすると、布にくるまれた小さな箱を持った雲水さんが2人、数人の雲水さんと通られた。あれが元住職さんかなあ?

仏殿の外はこんな感じ、パチリ。伽藍をつなぐ階段は、パチリ。そこから外を見ると、パチリ。そうだ、記念に東司に行っておこう。東司は、ご想像にお任せします。
廊下に、道元禅師からのメッセージが壁に貼ってあった。
「どう生きるか。生まれて死ぬ一度の人生をどう生きるか。それが仏法の根本問題です。長生きをすることが幸せでしょうか。そうでもありません。短命で死ぬのが不幸でしょうか。そうでもありません。問題はどう生きるかなのです」
最後お土産に、道元禅師からのメッセージと今左腕に巻いてある水晶の腕輪を購入した。外に出ると、さらに雪は強く降っていた。転ぶのに注意しながら、バス停まで下っていると、元お姉さんから、「お団子おいしいよ、お食事もうすんだ?」の声がかかった。そういえば、お腹がすいたなあ。精進料理などメニューが並んでいたが、おろしそばを注文した。

永平寺にはこれで3度目だ。
1回目は親に連れられて、確か中学時代。その時、入口でくつを脱いでいると、外人さんがおられてざわついていた。英語で話し掛けている。「誰か英語の分かる方おられませんか?」と誰かが叫んだ。「はい、ここにいます」となんと母親が手を上げた。へえ〜と母を見ていると、こっちに来た外人さんにこの子が話せますと私を指差す。「うそやろ〜」確かに中学で英語習ってるよ、確かに英会話の授業は外人教師だよ、LL教室まである学校だよ。でも外人さんと話したことは、先生と近くに住む先生の娘さんがあまりにかわいく、下心も手伝って話してるだけだよ。「そりゃないよ」
しかし、玄関で多くの人が私を見ている。逃げるわけには行かないので、とりあえず聞いたがわからない。今でもはっきり覚えているが、最初に発した言葉。wait please more slowly。
坐禅をしに来たが何処で受付しているか尋ねていた。近くにいた雲水さんに場所を聞いて、受付まで案内した。please follow meと言ったと思う。そこで事情を話し、記入欄を指差して、name age address ・・・とか説明したように思う。これでドキドキの英会話が終了し、無罪放免された。
これでちょっと自信がつき、神戸港や大阪港に入港した軍艦の一般公開があると、友達と連れ立って見に行った。みんなバラバラになって、暇そうでやさしそうな水兵さんを見つけてしゃべりかけた。しゃべった人数を競争した。大抵は答えてくれるが、フランス軍艦を訪れた時はフランス語?で返された。2人で行ったが、全滅だった。英語は分かっているようだったが英語で答えないので、フランス人は気位が高いという結論に達した。
2度目に訪れたのは、子供が小さい時。多分雪の少なかった正月スキーの半日だったと思う。
1度目は、いきなり親に度肝を抜かれて、また呼ばれたらどうしようと、半分そんなことを考えて、大体お寺なんて面白くない。2度目は、子供達の世話ばかりしていたように思う。
初めてゆっくり観た。そして年齢から来るのだろう、心に染みるものを感じた。

さて、バスに乗って永平寺口まで戻った。駅員さんがバスおりばまできて、「次の電車は2:03です。少し時間がありますから、あちらの待合室で暖まっててください」待合室に入ると、007がビデオ放送されていた。また雑誌や漫画本が置いてある本棚があった。
みんなここでのんびり待つんだなあ。ここから大体30分で福井駅に着く。予定表では、金沢15:10発だからそれには大分早いのでどの列車に乗るかなあと、時刻表を見ると、なんと電車がない。福井で次の列車に乗っても、敦賀で1時間半待ち。「う〜ん、どうしようか?特急に乗れば早いが、18切符で乗れないぞ。結論、当初予定どおり福井と反対の勝山まで行ってそのまままた帰ってくることにしよう」

えちぜん鉄道は単線です。この駅で両方向の電車がすれ違うらしく、同時に入ってくる。少し早くホームに上がり、これから向かう方向をパチリ。私以外の人は全員福井方面行きに乗った。アテンダントさんが会釈してくれた。今度のアテンダントさんは飛び切りの美人。乗ってきたお客さんは私だけだから、私に対してだよね。また無人駅が続くので前の車両に行ってしまった。
外の白い景色、横を流れる川、きれいな風景。途中の無人駅は、まるで庭に駅があるように家の横に停まる。垣根というものがある家が少ない。いい所だなあ。でも暮らしていると、大変なことが多いのだろう。私なんてきっとすぐ音を上げるのだろうなあ。
30分で終点勝山駅。「次は終点勝山です。ご乗車ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」。アテンダントさんがまた後ろの車両に移ってきた。私の前で腰を降ろした。小さな木屑を拾って、私と目が合った。にこっ!

「おきれいですね」007ならさりげなく微笑んで、その後はお決まりの・・・なんて言える分けないです。「この電車、そのまま福井に折り返しますよね」にこっ!「はい、そうです」2度も、にこっとしてくれたぞ。
勝山から10人くらいお客さんが乗ってきました。1人福井の観光の本を片手に、熱心に写真を撮っている方がいました。私もつられてパチリ。
2両にこれだけのお客さん。料金。1時間に2本の運行本数。雪の日曜日のお客さんの数。ウィークデー通勤通学時間はもっと多いのだろうなあ。なんて考えながら計算してみると、車両費用が償却できるのかなあ・・・
昔はこの路線も、JRだったのかなあ?有人駅は終点駅と永平寺駅だけの3つだけで、他は無人駅、車掌さんも若い女性で経費削減しています。でも、駅員さんの愛想よさと、アテンダントさんのおしゃれと笑顔で私には魅力満点に写りました。
昔JRだったのなら、分かれてからいろいろあったんだろうなあ。どうしたら魅力アップできるか、新規お客さんを集めるために努力し、してるんだろうなあ。真冬は雪ばかりの寒いところで、往復2時間立ちっぱなしで、スカートの寒さを笑顔の裏に隠して、みんながんばってるんだよな。採算を真剣に考えずに・・・のところも多いのに・・・

2005/1/5
1月2日に、青春18切符を使って四国讃岐の琴平金毘羅さんに行って来ようと思いました。あの長い石段を登って本場讃岐うどんでも食べようかなと計画しました。
青春18切符ってご存知ですか?私は夏に知りました。知人が、1人2300円で大阪から下関まで夫婦でフグを食べに行ったと聞いて、その交通費の安さに驚きました。奥さんが旅行好きで、いろんなことを知っているのですが、私はこんなJRの割引切符があるとは知りませんでした。このご夫婦、これを利用して日帰りや1泊旅行に行ってるようです。
息子に聞くと、下宿生が実家に帰る時の定番のようで、当然のように知っていました。「知らなかったのは私だけか・・・」春・夏・冬の学生の長期休み期間中にだけ使える、新幹線・特急以外のJR列車1日乗り放題が5枚つづり11500円の回数券切符のようなものです。
どうしてもこの切符を体験したくなって、年末に旅行社に買いに行きました。ネーミングがなんと言ってもいい。「おっちゃんが使っても青春18切符」
1/20が期限なので、初めて体験したというわけです。初心者は、ベテランのコピーをするのが無難なので、琴平に行かれた体験談の真似をすることにしました。
さて朝早く、家を出て山陽本線で一路新快速で姫路まで走りました。新快速は速いです。一気に走ります。神戸を過ぎ、海が見えてきました。読みかけの本を3冊持って行ったのですが、本を読む手を休めてボーっと窓の外の海を見ていました。
やがて明石になり、明石と淡路島を結ぶ明石海峡大橋が見えてきました。船で下をくぐったのは何度もあるのですが、陸上から見るのはいつ以来だろう。確か開通した時、ライトアップあれていて、それを見に家族で車に乗って行ったことはあります。横の道路はそれから2〜3度は通ったことがあるのだろうが、車を運転していたのでゆっくり見た記憶がありません。
電車からゆっくり見るとやはり壮大でした。天気もよくいい景色でした。ここでカメラを持ってくるのを忘れたことを悔やみました。「あ〜、写真が撮れない」写真好きの私としては不覚です。

程なく姫路に着いて、ここで岡山に向けて乗り換えです。お腹がすいてきたので、駅の外に出ましたが、食べるところが目につかず、また改札を通り構内のお店でカレーを食べました。
チラッと見せるだけで、改札を出入りするのは定期を持っていた学生以来で、ちょっと嬉しかったりしました。駅員さんもチラッと見るだけで、この切符がかなりポピュラーなことが分かりました。「う〜ん、知らなかったのは私だけか?」
路線図と時刻表を見ていると、山陽本線から離れて海側を通る赤穂線という支線があります。そっちに行くことにしました。相生から赤穂線に乗り換えて、2両の列車になりました。
赤穂で下車して、見学しようかな?との誘惑にかられましたが、ここはパス。時々海が見えて、日生に着きました。ここには数度車で来たことがあります。これから先は海沿いに電車は走るはずです。その眺めもいいかなと思いましたが、駅に出ていた「小豆島行きフェリー」に心を奪われ、下車してしまいました。改札を出て、フェリーの方に歩いていくと、昔何度か寄った切符売り場がそのままあり、切符を買いフェリーに乗りました。

このフェリーに乗るのは、子供が小さかった時以来です。船に乗るときは、いつもマイライフジャケットを家族みんなで着るのですが、今回は持参していません。とりあえず、ライジャケの位置を確認してしまいました。小型ヨット乗りを長年していると、悲しい性になってしまっているようです。フェリーでもライフジャケットを着ている家族なんて変ですね。子供が「かっこ悪いから脱いでいい?」と何度か言われましたが、ここはぴしゃりノーと答えました。ヨット用だからかなりかっこいいのですが、やはりういていたな。

いい天気の穏やかな海面をフェリーは走ります。左右の島がきれいに見えます。本を読まずにずっと外を見ていました。着岸のときは、舵と2機のスクリューの操作だけで、見事にあの大きな船体をピタリと桟橋に着ける技術を窓越しに見ていました。きっと変なヤツがいると思われただろう。さすがに見事な操船だった。
さて小豆島に上陸したものの車はないし、どうしたものかとブラブラ昔家族キャンプをしたところ目指して歩き始めました。ほどなく着いた懐かしい場所は、当然真冬にキャンプしている人はいませんでしたが、なんとなく面影がありました。沖の小さな島まで子供達を乗せたボートを持って泳いだな。全員ライジャケを着ているので沈む心配がなく、ゆっくりバタ足です。
確かここでキャンプしたのは、淡路島に次いで2度目、「泳いでいる魚が見たい」と言われ、もっと透明度の高い海じゃなきゃということで、翌年のお盆休みから日本海になったような記憶がある。さらに、ここで最新キャンプ用品を持ち込んでいた回りの方に圧倒されて、ドンドン買い揃えるきっかけになったような気がする。特にガスバーナーコンロの火力と調理のスピードに驚かされた。「なんじゃこりゃ、家と変わらんやん」

ここから帰る途中にお遍路さん札所のお寺に寄り、お参りをして鐘をついてきました。そして、フェリー乗り場に戻ると、出発までかなり時間があります。正月小豆島の最高峰に上がり、猿に車のお飾りみかんを取られ、家内の帽子についていた飾りの花をもぎ取られたことも思い出しました。花を取られたのは夏に来た時だったっけ?
本でも読もうと待合所に上がると、箱根駅伝の往路の最終区山登りコースを中継していました。報徳や西脇工業という兵庫県の高校出身の選手もおり、なんとなく応援していました。日体大と中央大の選手が、脅威のスピードで歴代区間新の勢いで快走していました。1人は最後に故障してしまい記録には届きませんでしたが、中央の選手は11人?抜きの記録と従来の区間新を1分も縮める驚愕の記録を打ち立てました。しかも笑顔でゴールして、そのままもう1区走れそうな余裕でした。

帰りの赤穂線は前の車両に乗りました。運転席のドアが開いていて、そこにバスによくある料金箱がついていました。無人駅があるからでしょうか?駅に着くと運転手さんが料金を頂戴し、駅員さんも兼務のようでした。しかも、バスについている電光の料金表がついてるし・・・そういえば、行きしの電車はドアを手で開けて乗る電車でしたし、折りたたみ自転車と乗っている方もいました。
結局讃岐うどんは食べられませんでしたが、かなり楽しい小旅行になりました。次は北陸に雪でも見に行こうかな?なんて思いました。電車でしかもゆっくり走ると、今まで見えていなかったところが見えました。

逆説の10カ条 ケント・M・キース 『それでもなお、人を愛しなさい』早川書房 より引用&モディファイ こんな風に生きたいな・・・
1.  人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2.  何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3.  もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4.  今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5.  誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6.  大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7.  人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8.  何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9.  助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10.  持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

子供が育つ魔法のことば ドロシー・ロー・ノルト
子は親の鏡

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

日記の始まり
ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。

ジュニアヨットに対する基本的考え『学業とヨット』
inserted by FC2 system