ウェブマスター日記 2004

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部
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2004/12/30
今年も後2日になりました。月日の経つのは早いものです。昨年の日記を読み返すと、今年の10大ニュースを書いていて、最後に家内の事を書いている。
私の今年を振り返ると、まず春から夏にかけて「冬のソナタ」にはまってしまいました。ということは、昼メロにはまる体質を持っているようです。

次が、次男の大活躍です。3回生になり近畿北陸フリートトップレーサーに成長し、夏から毎回トップに絡み、とうとう全日本学生・全日本470にまで出場できるようになりました。全日本では男子16位というとんでもない成績を残し、私の3回生時18位?を上回りました。つくづく、OP時代成績に頓着せず、ニコニコ笑っていて良かったと思いました。
この子は、3/28生まれということもあり、小6まで同学年で一番チビ、幼稚園時代は何でも同学年で一番できず、かわいそうになあと思っていました。分かっていながら、4/27生まれの長男のクラスでの位置と心のどこかで比較してしまいました。でも本人は、そんなことは何も気にせず、元気に成長し、自分で自分の位置を切り開いていきました。ほんとかわいそうなんて失礼な気持ちを持っていたものです。
親が感じていたことを本人に何も言わずに良かったなと、最近思います。もし言っていれば、本人の力を制限することになってしまっていたかもと思います。親が真面目に生活して、精一杯子供と楽しく暮らしていれば、子供は自分の力で育つのだなあと教えてくれました。

そして最後に、長男の就職が決まったことです。今R1であと1年院生生活は残っていますが、R2に上がらず就職を選んだようです。我が家は、自分の人生ご自由にどうぞという主義で、子供たちと接してきたので、いつもどおり12月に入り事後報告されました。新薬開発職らしいですが、彼の頭のよさ・人を引き付ける魅力・行動力・結果を生み出す力、みんな目を見張るものがありますので、多分30年後には社長をしていると思います。
彼の口から、大阪に残りたかったけど、最近は本社がみんな東京だからと言うのを聞いて、何も言わなかったけれど、さすがに長男、常に家のこと、衰えていく親や祖父母を考えながらいろんな選択をしているのだなあと、言葉の間から伝わってきました。
まあ親としては、私にできる精一杯の勉強する環境は与えてきたつもりなので、親のことなど気にせず世界中何処で暮らしても、輝いていてくれればと思っています。親へ恩返しなんて考えてもらわなくていいです。苦労して育てたような感じはないし、君たちがうちに生まれてきてくれたおかげで楽しく暮らせました。感謝・感謝だけです。
もうそろそろ親も卒業だなあと感じている今日この頃です。

2004/12/21
日曜日は神戸まで勉強会に行った。午後からでそれほど寒くなかったのでバイクで行くことにした。会場が神戸市役所の近くだったので、「駅から歩くなあ・・・」なんて考えていたら、バイクでキョロキョロしながら行くと、別の阪神間が見れるかも?なんてことで、バイクで出発。快調でした。信号待ちの車の横をすり抜けるのが快感だったりします。でもここでドアが開いたらなんて思うから、ゆっくりと。
この日の会合はかなりよく、気持ちがやさしく、ニコニコ笑顔になり、帰りのバイクから見る景色は、行きとちょっと変わっていました。その時の心のアンテナで見えるものが変わるんだなあと実感。山手幹線沿いにクリスマス関連の飾りだけを売っているお店が目に入ってきて、覗くことにしました。サンタの光物・電飾・雪だるま・・・欲しいものがいっぱいです。子供が小さな時、ベランダを電飾し、光るサンタクロースを飾り、この季節家が輝いていた記憶が蘇ってきました。よっしゃと、電飾と光るスノーマンを購入、本当はもう少し買いたかったけどバイクだから・・・。急いで家に帰るとまだ家内は帰ってきていません。驚かそうと、早速ベランダを電飾して、玄関にスノーマンをぶら下げてスイッチオン。きれいです。かなり満足して、店に行った。
帰って来ると、家内が「お父さんが飾ったの?きれいね」とニコニコだった。ちょっとやったかも?サンタクロースをやめてスノーマンにしたのは、サンタクロースだったら12/25までだから・・・できれば、多分年末に帰って来る次男をスノーマンで迎えてやろうかな?なんて思って。月曜日は夕方に10分仕事をサボって自宅にスイッチを入れに帰った。しばらくこの生活をしよう。みんなが帰って来るとき、家が輝いてた方がうれしいじゃない。いつも光のついていない家に帰り、笑顔で私を迎えてくれる家内を、スノーマンが「おかえり」って言ってくれたら。

月曜日嬉しいことがあった。夜自宅に帰ろうと直前の交差点を曲がった所で長男と一緒になった。「お父さん、あのさあ、就職決まったから」「そうか、おめでとう」。大手企業のバイオ関連事業の開発職らしい。R1でそんな研究室に行ってるから、その延長の仕事らしい。最先端技術で、マザー細胞からいろんな細胞を作る技術、究極は人間のコピーを作るものと理解しているが、これから伸びるだろう。「サイボーグ作るやつか?」なんて聞いたら、「ちょっと違うけどまあそんなとこかなあ」と答えが返ってきた。家に入り、家内に決めたからと詳しく説明していた。いろんな会社から話を頂いたそうだが、ここに決めたそうだ。最後に、大阪を離れたくなかったけど、職種的に本社勤務になるそうで、みんな本社が東京だからって言っていた。
小さな頃から息子達とは、「親を気にせず好きなことをしな」と接してきたつもりだが、やはり長男だから親が気になるのだろう。今回も事後報告になった。子供たちの人生だから、余計なことを言って、好きなことをやめて欲しくないと思って、重要な節目こそ何も言わずに自分で考え決めるように仕向けた。中学も大学も学部もR1も就職もみんな事後報告になった。どうなっても自分で決めたことなら納得できるし、楽しいと思う。どんな世界に行っても、結局は自分の力で切り開くものだから・・・本当はR2に上がってドクターを取りたかったのかもしれないかも?でも自分で決めたことだから・・・会社からアメリカに社費留学させてもらうくらいになったらいいな。
その晩、「お父さんさあ、お墓どう行くんやったっけ」と部屋に来た。家内の実家の墓参りに行くらしい。お墓に入っているおじいちゃんに報告に行き、おばあちゃんにも会ってくるのだろう。立派なヤツやなあ。親がゴチャゴチャ言わなくてもちゃんと育ってる。親がちゃんと真面目に毎日を生きていれば、そして子供をきつく叱ったりしなければ、ちゃんと普通に真面目なヤツになる。「子供は親の鏡」を実感した嬉しい日だった。他ページに載せている言葉を載せておこう。自分の気持ちがここからこれからもそれないように。
スノーマンからのプレゼントか?今年のクリスマスプレゼントは最高だった。
最後家内に、いい子達に育ててくれて、「雅代ちゃんありがとう」
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『子供が育つ魔法のことば
 ドロシー・ロー・ノルト子は親の鏡
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる


2004/12/14
日曜日、母校に行ってきました。中学時代の社会の先生が、母校校長からKGが吸収した系列校校長に移った時、応援しようと数年前に同期で八郎会というのをつくりました。系列校も軌道に乗ってきて、同期の同窓会だけで思い出に浸ってるだけじゃ・・・というので勉強会が始まった。その1回目で30人近く集まったが半数は同期だった。
集まった所は学校敷地内にあるKG会館。私はKGに中学から10年間通い、中・高・大が同じ敷地だったので、もう寝てても行ける所です。でも昨年春以来で、1時間ほど前に行き、校内を1周してきました。
「懐かしい」「あれ、こんなのが出来てる」
台風で倒れた木も元に戻っていました。いつ見てもきれいな、正門から中央芝生越しに見る時計台に思わずシャッターを切りました。

大学正門右手にチャペルがあります。大学は宗教色が中学ほど強くないので、中学のチャペルよりも小さいのですが、ここで私は結婚式を挙げました。さて時間だと思って、またチャペル前を通ると、横の建物からゾロゾロと着飾った人達がチャペルに向かっている。学生服を着た参列者もいた。
「多分新郎さんが体育会なんだろうなあ」なんて思いました。
このような光景は中学生のときから幾度となく見た。日曜日でも近所の人が芝生で子供達を遊ばせる為に入ってくるので、こんなに目だってかっこ悪いなあなんて思っていたが、10年も通うと学校に対する愛着が違ってて、結婚式場を考える時真っ先にここが浮かんだ。
神父さんを中学の校長に頼んで、婚約パーティーの招待状からなにから手作りで一連の結婚行事をこなした。披露宴もここですれば、超格安結婚式ができるのだが、建物が古く宝塚ホテルでした。
参列者がオルガンの音色に誘われてチャペルに入り、表のドアが閉まった。やがて新郎新婦が、控え室から出てきて、定番の曲に変わると、ドアが開いて入っていった。チャペルからは拍手の嵐だった。チャペルの横の芝生では、写真屋さんが段を組んで記念写真の準備をしていた。
「う〜ん、思い出すなあ」

さて目的の勉強会の会場KG会館に行くと、披露宴の受付が出ていた。そうか、古かった会館が建て変わり、ここで披露宴をする人が多くなったんだ。チャペルで結婚式を挙げる人は、新郎がKG中学出身のカップルが多いと聞く。確かに友人の結婚式で何度かここに来たが、全員そうだった。次は体育会などで濃く学校と関係を持った人らしい。
恩師と雑談をしていたら、今の学長・副学長・理事長、その前も多くがKG中学出身なので、他から奉職してくれた人との垣根を作らないように注意しているらしい。でも、10年も通ったヤツは愛着が全然違うので、OB会や体育会、中学部・高等部との関係などを考えると、どうしてもそのような人がなるほうがうまく回るようだ。
私自身それなりの年齢になると、中学の同窓生にKG教授はいるし、事務職員もいる。恩師の行った系列中高の事務局長は同級生で、教頭も1学年上の知ってる人。まあ系列中学を持ってる私立の経営は大なり小なりこうなるのだろうなあ。日曜日集まった同級生の2割くらいは子供も同じ学校に通っている。

2004/12/6
11/28琵琶湖に行った。近畿北陸インカレプレプレ選手権。この日は自転車で行くことにした。折りたたみ自転車で颯爽と駅まで走り、たたんで電車に乗せ、西大津で再び組み立てて琵琶湖まで行くという作戦だった。しかし、世の中うまく行かず、まず朝寝坊をした。目覚ましは鳴ったけど、無意識に止めてしまったようだ。自転車を持って慌てて玄関を飛び出して組み立て、颯爽と走り出したが、どうもゴツゴツするなあ?なんかペダルをこぐのが重くないか?「ありゃ、タイヤの空気が・・・このままではタイヤはもちろん車輪まで・・・」ということで、自転車を諦めた。と言っても家まで持って帰らなきゃ。押して帰った。
車にするか?いやライジャケを着込んで、カッパをつめたかばんをしょってるじゃないか。車で行ったら、しょってるかばんはなんだったんだ。ということで、バイクで行くことにした。JR伊丹にバイクを預けて、電車に乗り、尼崎で新快速に乗り換えてとうまく行くはずだった。ところが時間の余裕がない時ほどミスるもの。尼崎のホームで待っていると、湖西線に行く新快速が別のホームに着いた。5分前後の狂いならそんなもんでしょと頓着しない腕時計をしているもんだから、悠長に待っていた。「ありゃ、電光掲示板が次の電車に変わってる。ひょとしてさっき隣のホームから出たのが・・・」。これはもう間に合いそうもありません。艇庫の電話番号を知らないので次男に電話。しばらくして電話がかかってきた「ごめん、遅れるわ」。野洲行き快速に乗ったが、「う、やばい、朝あっぱ必須の私が慌てていたから・・・」高槻下車。再び電車に乗り京都着。
家内から「K大1回生から電話かかってきたよ」「御免遅れてるねん、あと30分遅れるって言っといて」
1回生から電話「いま何処ですか?」「今京都駅、御免な、先行ってくれていいよ」「待ってます」
西大津からタクシーに乗り艇庫着、即ヤマハマリーナまでテクシー」
レスキューに着くと、マネさんなどいっぱい待たせちゃってる。「御免、御免」。隣の船から「ドラゴンのOって知ってます?」「ああ、お世話になってるよ」「私、Oの息子です」。隣の艇庫の大学ヨット部監督をしているとお父さんから聞いていたが、いい男である。外観もそうだが、さわやかな笑顔・言葉使い、こりゃ女の子にもてるなあ。
部員は別にして、何時も縁の下の力持ちしてくれているマネさんを待たせちゃったのは、特に申し訳ない。シーズン最後のレースなので楽しみに来ただろうに・・・何かお詫びの・・・ないかなあ?・・・ありました。得意の親ばか名刺。先月一部写真を入れ替えてバージョンアップしたやつ。「親ばか名刺、渡したっけ?まだだよね、じゃあこれ、笑ってやって」「これター君ですか?」「小さい頃、かわいいでしょ」「この写真、誰ですか?」「ター君のお母さん」「へ〜美人」「でしょ、でしょ」。これを言われないかなあと半分期待して、親ばか名刺を出してる所があるなあ。
レースの方は、D社470が走っていた。3艇目も走るとは思っていなかったが、夏まで今一だったSさんが安定して前に来ていた。こりゃ2005D社は強力だわ。K大は次男が1R目片手、2R目レース前のエリア選択が当たらず10位、3R目リコールビリスタートからラッキーをつかめて10番台まであがってきた。前日トップを引いたようで、470は問題ない、レース慣れしてくればいずれ出てくる。スナイプは片手もあるが、後ろの方もありムラがある。この時期片手を取ったことが重要です。S君もK君もフィニッシュ後戦況を話しにレスキューに寄ってきた。「いいね、いいね、これからです」。総合優勝を金沢大がした。すばらしい。ここはかなり部員が多く、数は力だなあと思う。


2004/11/26
2004全日本470写真集
22日夜再び唐津に向けて大阪から夜行バスに乗った。新幹線もいいが最近の夜行バスにも興味があり乗ってみた。ビックリしたのは、横3列シートでそれぞれ独立している。だから横の人にあたる心配はない。リクライニングもそうとうするし、足置きまである。こうなってるんだと思った。そして、女性客が多い。独立シートにしたので女性の方が増えたのだろうか?大昔東京で暮らしている時、よく帰りにバスを利用していたが、男ばっかりだったイメージがある。
朝7:15博多について、地下鉄経由JR唐津へ。電車から見える朝の陽光に輝く海は懐かしい、なんとかの松原の海岸線越しに見える島、レース海面にはヨットはまだ出ていない。出艇に間に合うかも?と思い、唐津駅から急いでタクシーに乗る。「すいません、唐津ヨットハーバーまで」
「全日本関係の方ですか?」と予想外の返事が運転手さんから返ってきた。しかもやたらとヨットについて詳しい。「数年前に世界選手権もあったんですよ。その時オーストラリア選手の送り迎えをしました」「よくご存知ですね?皆さんこんなにヨットの事を知ってるんですか?」「唐津はオリンピック選手が育った町で、ヨットは有名です。でも私の息子が唐津東高校でボート部だった関係で良く知っているだけです」
東高のこと、唐津出身の運転手さんの子供の頃のことなど、楽しいハーバーまでの車内だった。ハーバー前の長い直線道路に入り、ディンギーヤードを見ると、もう船はいない。「う〜ん、残念。もう出ちゃったんだ」
ハーバー入口で降りると、懐かしい方が目に入った。江ノ島ジュニアから唐津に進学したS君のお母さんだ。「息子さんがお世話になってるので、手伝いに来てるんだ」「神谷さんですよね、今日来られたんですか?」「Sさんこんにちわ、今夜琵琶湖まで船を持って帰る運転手で来たんです。成績表、どっかに貼ってありますか?」「こっちにありますよ」と公式掲示板まで案内してもらった。S君お兄ちゃんも出場してる。なるほど、こりゃお母さんも来るわな。
こっちに昨日から来ているはずの梅野さんに電話すると、博多でレンタカー手配しているらしい。することないし、「ハーバーの上に上がって寝るか?唐津城まで行けば観光地双眼鏡でレース海面見れるかなあ」なんて考えていると、S母がエスコートして、えらいさんがゾロゾロ桟橋に向かって歩いてこられた。「船を出すんだ。もやいでも手伝うか」とついて行くと、よく知っている息子のK大先輩T氏がいる。
「Tさん、こんにちわ」「ああ、神谷さん、今日来たの?乗る?定員何人ですか?選手のお父さんなんです、乗れませんか?」ということで、ラッキーにも観覧船(多分VIP船)に乗せてもらえることになった。例の親ばか名刺を配り自己紹介する。470協会会長有馬さん筆頭に理事の皆さん・・・Tさんも理事だ。
レース海面に向かっていると、なんとなくスタートした模様。南風(陸風)の3m/sくらいで、次男にはいい感じの風で期待できる。上マークにつくとすぐトップ艇がアプローチしてきた。全体的に右海面に行く船が多く、あの島の付近にいい風があるのか?スターボリフトが入るのか?エンドを越えていく船まである。
「いくらなんでも行き過ぎやろ」なんて考えながら、3840・3842・3998・4083を探すが見つからない。Tさんから、「あれじゃない?あのポート」「あ、ほんとだ、いいんじゃない?」なんと7位回航。この面子で学連艇で7位は立派。回航前にそり出して、クルーのシバちゃんがポールセットし始める。Tさんも喜んでいる。「おたくの息子さん?やるねえ」なんて理事さんに誉められてまんざらでもない。「いやあ、いいもの見せてもらったなあ」
サイドは7位、下回航は10位くらい。ほとんどの艇が右海面を選択して、そのままポートを伸ばす。ター君は先行艇についていっている。タックの選択肢もあるが、スピン集団が切れるまで我慢なのでしょう。次見たときは、邪魔な先行艇がいなくなっていた。どんどん右に伸ばしている。梅野君・小巻君・・・知った顔が回航していく。次の上マークでコース短縮フィニッシュ、結局ター君は12位だった。Tさんによると、「昨日まで8レース消化していて、あと2レースすると、2レースカットになるので、最終スタート1時までに最低2レーススタートさせたいとレース委員長松山さんは考えているのだろう」とのこと。
ター君に「写真撮るぞ」と声をかけると、寄ってきて「吉迫さん、めちゃ速いわ」。下平行から、どんどんバウを出されるらしい。「でも吉迫さん13位でこのレースは勝った。すごいなあ」確か吉迫さんは、1上真中くらいだったから、誰でも走れる風の中、確実にスピードで順位をあげてくる、う〜んやっぱり強いなあ。
第10レースは、すぐに始まった。本部船有利のようで、スタートライン真中から下には1艇もいない。ター君のことだから、「もういっちょう」と本部船寄りから即タックするだろうなあ。1上まで上がっているとき、最もアウター寄りから出たリコールNo46福大がスターボで伸ばしている。さっきのレース状況から見ると冒険なんだけど確信があるのかなあ?乗ってる者しか分からないものがあるからなあ?1上で見ていると、今度はポートがあまりベアが入らない。島の方まで先にポートを延ばした本部船即タック組がスターボに返して来るが、バウを切れないようで、再び下受けタックをしてさらに島に寄っている。「ありゃりゃ、多分本部船寄り即タック組にいるであろうター君は苦しいかな?」。小巻君が回航し、ター君は40位くらいで回航、4〜5艇後ろに梅ちゃんがいる。ター君は上マーク20艇身くらいの最終見通しをうまくオーバーセールしてスターボアプローチに乗る。うまいなあ、セオリーどおり、上マークはちょいオーバー。上マーク付近で艇速の落ちた数艇の上突破回航、余裕のアプローチの回航前にブームの下から先行艇の動きをしきりに見ていて、回航即ジャイブを選択した。即ジャイブした艇は少ない。Tさんは「うまく行けばノンジャイブ集団をごそっと行けるね」、時々失敗するがター君の上を目指す積極的な姿勢が好きだな。失敗してもクラブの先輩からダメ出しされていないのだろう。ヨットレースはゲームだから、積極的にコース選択し思いっきり楽しんだらいい。いっぱい失敗して自ら覚えたらいい。消極的な姿勢で動かないで悔いが残るのが一番残念かなあ?失敗にダメ出ししすぎちゃうと、積極的な姿勢が薄れ結局その子は伸びない。「まあこんなこともあるわな」と笑ってごまかして、真剣に自らのミスを分析したら勝つパターンが見えてくる。
なんで1上マーク即ジャイブになるかというと、今度のレースはソーセージ2周のコースだから。島からいい風ちょうだいな。梅ちゃんも即ジャイブを選択した。下マークで待っていると、トップ集団がポートアプローチしてくる。思いっきりノンジャイブで左海面に出した艇もいる。ター君がスターボアプローチしている。さっきのクローズレグ同様、左から風が入ってきた。中央選択の艇も左の風を受けてスターボにジャイブ。ター君やばいかも?でも全体的に入っているようで、ター君のスターボはのぼり目の風を受けてスピードが出る。最後スピードのないポート集団の内側にすごいスピードのスターボで突っ込んで10艇ほど上がり30位くらいで下回航。多分もう少し早くジャイブしていれば、オーバーセールしなかったので、もう10艇ほどかもっていたかもしれない。今度は左の風を拾いに左海面を選択したようで、ブローを拾うタックを繰り返しながら左に行く。フリーレグでの左からの風を見ればより確率が高い選択だなあ。でも必ずしもセオリー通りにならないところが、ヨットレースの理不尽さであり、面白さだ。同じくらいのところで回航した吉迫さんがター君の上で、ター君がタックしたら押さえるようにタックをしている。あの2人は同じ考えなんだ。梅ちゃんと小巻君は、あまり左には行かず、集団の右を上がっていく。
次の上マークで短縮になったようで、上マークについたときにはすでに5艇ほどフィニッシュしている。吉迫さんのセールにはスポンサーの「SHIMASEIKI」ロゴが入っているので分かりやすい。その後も同じ考えならその付近にター君がいるはずだ。いないんあとキョロキョロしていると、Tさんが「あれじゃない?」違うようだ。「いました、いました」吉迫さんの後ろのポートです。結構接戦でフィニッシュしてくるので、吉迫さんとの間に何艇入ったのか不明だが、25位くらい、さらに5艇ほど抜いたようだ。「ター君速いなあ」

風が更に落ち、どうやら陸風が終わって海風に変わるような感じ。470理事さん達は「こりゃ無理だな、帰ろうよ」ということで、VIP艇はハーバーバック。ムム、1艇だけハーバーに向かって走っている。最終レースを待たずに優勝を決めた関選手、最終レースのDNC勝ちか、かっこいいな。さすがオリンピック銅メダリスト。
あとはよくある最終日の風景、行き同様3艇トレーラーに積んだ。琵琶湖チームはター君だけが閉会式に出て、D社組は艇の用意。S君兄弟もレースに出ていた。高校生の弟に4回生お兄ちゃん負けなくて良かったね。そういえば、U君兄弟対決は弟に軍配が上がった。Wチームのヒロシ君、元兵庫チームの和歌ちゃん、偏差値最高のK君もいる。K君はフェリーで東京から来たそうだ。丸1日以上かかるらしい。運転席ドアが下がってうまく閉まらず、スピードメーターは120km固定、唐津に着いてから一時動かなくなった車の上に積んできたようだ。「あの車、やばいですよ。フェリー乗り場まで無事つけるか心配です」などとしゃべっている。みんなそれぞれのスタイルで。梅野さんはWチームの助っ人でトラック運転して小戸まで行き船とトラックを返し、フェリーに乗って帰るらしい。琵琶湖チームの方が先に出発したので分からないが、フェリーの時間に間に合ったのだろうか?
そうそう、本部船での仕事が終わって牟田口さんが来られ、声をかけてくれた。横でOPが艤装をはじめ練習に出て行った。

帰りの車で、S母から声をかけてもらったこと。多分牟田口さんだと思うが、本部船から呼ばれて写真を撮ってもらったこと、9レースフィニッシュ後吉迫さんにコース選択の考え方など聞いたこと、セール計測で重さんから「OPの時来てたよね」って声をかけられ、「正月合宿で一緒に走りました」と答えたことなど、ター君から聞いた。勝ち負けだけにこだわらないこんな雰囲気でレースができるター君達が羨ましいぞ。ちなみに2004年度470全日本トップ10の内9人のスキッパーは元OPだ。
夕方5:30に唐津を出発し、朝5時過ぎに琵琶湖についた。ドライバー1人だったので、長時間運転に耐える為にゆっくり走り、1時頃からは全SAに止まった。何とか最後まで無事たどりつけてよかった。

2004/11/22
11/18昼から次男の全日本470出場の為に、最近うわさの佐賀県唐津まで行ってきました。
2日前に、運送屋さんに同志社2艇と共に息子のK大1艇をトラックで運んでもらい、同志社選手4名は飛行機、K大2名は夜行バスというところにこぎつけたが、新たな問題が発生しました。船の運送費がやたら高い。
この3艇の艇長は、琵琶湖ジュニア1・兵庫ジュニア2で、小学生から旧知の仲。予算を突然オーバーし、同志社君が「困った時のお父さん頼み」というジュニアから使ってきた伝家の宝刀を抜きました。父親同士も仲がよく、ジュニア・高校・大学と別のチームだったが、同じ船に乗って応援をしてきた仲、まあ巨人・阪神応援団が隣同士で笛太鼓を叩いている状態。瞬く間にSOS情報が回ってきました。
「神谷さん、確か最悪行き帰り運転する準備してるって言ってなかった?」「うん、最悪ね、どうやら何とかしたみたいだけど・・・」「それが状況が変わってさ・・・行ける?」「多分行けるよ」「ありがたい、車・トレーラーの準備はこっちでするから頼むわ」ってことで急遽、ワゴンでトレーラーを引っ張っていくことになりました。
PM1店出発、向かうは阪急バス営業所。11/22夜行バスを予約したが、チケットをすぐ買わないとキャンセルになってしまう。そして1時間ちょっとで滋賀県草津へ。トレーラーを引っぱる為には、車に特殊な部品が付いていなくてはならない。私のワゴンには付いていないので、琵琶湖ジュニアの別のお父さんの車と交換。
そこから30分柳ヶ崎ヨットハーバーにあるトレーラーを取りに行く。その間、各艇庫で出発準備をしている選手と電話でやり取り。ここで参ったのが、運転中携帯通話不可のあの法律。う〜ん、ちゃんと止めて話しました。ここで警察に引っ張られて貴重な時間を費やしている暇はない。事故ったら何のこっちゃになってしまう。
柳ヶ崎に着くと、琵琶湖ジュニア出身のD社君が、トレーラーの準備をしていた。と言いたい所だけど、してないじゃない・・・すぐ横のK大艇庫から息子ペアが来て、4人で準備。ワゴンに空トレーラーを引っ張って、D社艇庫。トレーラーの上に、船を重ねて積む為のラック、つまり棚を載せ、途中で落ちないように厳重に結ぶ。なんせ120kgの470艇を3艇、それにマストなど備品多数を乗せるので多分450kg。これを高速で落とせば、大渋滞間違いなし。
次にD社艇を一番上の棚に載せる。見上げること多分4m上空の棚に載せなければ・・・「せーの」って乗せ、次は2段目。お父さん達も私1人に任せるのは忍びなかったのか、兵庫県と京都市から駆けつける。細かい作業は日頃遠征で鍛えられている現役諸君が手際よくする。あいにくの雨の中、琵琶湖出発予定時刻6時に、何とかD社大470を2艇乗せて一段落。
トレーラーを引っ張ると、全長が10m以上になる。しかも、バックになると、素人の私ではうまく後ろのトレーラーの向きをコントロールできない。この状態でコンビニは無理なので、徒歩で近くのコンビニに夕食を買いに行くことにした。ところがここで、喫茶店盛業中の兵庫お父さんから絶妙の差し入れ。
「雨で暇で、昼食の材料余ったから・・・」と7人分の夕食。みんなに気を使わせない配慮、そんなこと分かってるって、別に用意して来てくれたんですよね。ありがたい。「一同大喜び」
さて次に向かうはK大艇庫、5分と近いのだけれど、道路からのアプローチが狭い。もちろん私の腕前では、トレーラーをバックでここを入るのは無理。う〜ん、ひらめきました、グッドアイデア。人海戦術。道路で止めて、トレーラーと車を分離。トレーラーを押して人力バックオーライ。トレーラーの自重と合わせて500kgはあるだろうに、以外に楽に動かせる。2人で十分、一旦動き始めたら1人でもOK。
K大艇を素早く積み込み7時、すぐK大艇庫で夕食にする。一足早く弁当を持って2Fに上がると、中央のテーブルで書きかけの手紙。「拝啓、・・・寒くなってまいりました。さて、K大ヨット部では・・・。主将神谷」どうやら冬の行事の案内をOB諸氏に書いているようだった。何時の間に、こんなしっかりした文面を書けるようになったのか?さすが体育会、親は何もしなくても身につけさせてくれる。ちょっと嬉しかった。
ドヤドヤみんな上がって来て、すきっ腹に染み込む愛情弁当。
「(D大主将)Kさん、いつもこんなうまい飯食ってんですか?」
「おう」「いいっすねえ、うちのマネNo1昼食よりはるかに上じゃないですか」「当たり前やろ、うちの親これで飯食ってんねんで」「おっちゃんが作ってるんですか?」「いや、これは母親や、夫婦でやってるからなあ」「で、おっちゃん何してるんですか?」「ビミョウ」この会話には笑ってしまいました。
「ビミョウって、お父さんだって昼食作ってるし、おいしいコーヒーだって作ってるちゅうねん」
D大主将は昔から笑いを取るのがうまい。親でも何でもネタにしちゃうようです。
食べながら、「セール積んだ?」「艇の計測証明は?」「アンカーは?」「あ、忘れた、D社艇庫に取りに帰りますわ」「ええって、K大の使い〜や、ちゃんと返してや」なんて、忘れ物がないかお互いにチェックしていました。

7:30出発。ワゴンに荷物・7人乗って、後ろに総重量700kg近いトレーラーを引っぱって、まあ動きませんわ。重いですわ。高速でも登り坂はからっきしダメで、みるみる速度が落ち登板車線の常連さん。その代わり、下り坂ではぐんぐんトレーラーが押してくる。微妙な道路の凹凸をトレーラーも拾い、ワゴンにまで伝えてくる。時速80kmを維持するのにちょいとコツが要る。
元琵琶湖ジュニアD社艇長が運転ができるので、交代でやっとこさ今朝6時唐津に着きました。もう1人の免許持ち我が子の出番はナシ。免許とってまだ1週間、湯気が立ってる。これはやばい。D社主将はもうすぐ仮免で、同じく使い物にならず。
D社主将は、出発してしばらく、電話で監督・コーチ・主要OB達に、クラブの現状報告・行事日程などを伝えていた。電話を切ると、D社・K大のみんなから突っ込みが入る。それを見事に笑いに切り替えていく。こんなおもろい主将はきっとクラブの雰囲気を明るくするだろうな。
唐津に着いて、即新幹線利用して昼前には帰ってきました。
明日から4日間、海上ではライバル、陸上では和気藹々一緒に行動、帰りの車でのお土産話が楽しみだ。誰か社会人に食い込んですばらしい成績を残せれば痛快だが・・・

11/21KGヨット部に昼過ぎ行ってきた。マネさんの作ったカレーを食べて、全日本学生団体戦後初めて練習を見た。みんながんばってる。いい天気でいい風が入っていたのでカメラを持って来るんだったと少し残念。2〜3艇行ってるのかなと思っていたが、梅野/加藤組だけが470全日本に参加のようだ。
1日目3〜4m/sの風の中、2レース行われた。個人的の当然最も気になる次男君、なんと、なんと、もひとつおまけになんと、1レース目の第1マークをトップ回航したそうです。ついでに第2マークもトップ。その後元兵庫ジュニア同学年第1経済田畑さんに抜かれた。そして、次男君2レース終わって9位と、とんでもなくいい成績です。
1レース大体1時間、第1マークまで20分間もトップを走ったと言うことです。学生の船は50万円、社会人の船は200万円、いかんともしがたい艇差をひっくり返しているということです。オリンピック銅メダルの関君の前を走ったということだ。私的には初日にして大満足です。あとボロボロでも大喜びです。
ちなみに田畑さんが2レース合計3位。彼女は船も違い、アテネ予選2位だったので、特に驚きませんが、元コーチとして日本のセーリングシーンでダントツの激戦470クラスでトップ10に、初日だけとはいえ2人も入るなんて感激です。小学生時代から、うちのワゴンの後ろに乗せ一緒に遠征していた子が、一時1・2なんて、これに感激しないで他に感激するものがあるでしょうか?

2004/11/19
11/14日曜日、琵琶湖に行って来た。K大ヨット部の手伝いだが、あいにく朝から風がない。「練習に出るようになったら連絡してね」と、隣の柳ヶ崎YHで開催されている琵琶湖ジュニア主催のユースレガッタを覗きに行った。こちらももちろん風待ちでAP・陸上待機になっている。
兵庫jrからの参加者は今回は少なく3名だった。「いつも10人くらい来るのになあ?」
国体艇庫2Fの成績表を見に行くと、兵庫のエース吉田君が全3レースオールトップで1位。さすがに強い。彼はコンスタントに大崩れせず必ず結果を出す。すばらしい選手だ。
秋山さん・松永さん・木村さんがジュリー担当で、いろんな話を聞かせてもらった。秋山さんからは、諸外国のヨット事情、ヨットの世界に入って普通の人では経験できないことをたくさん経験でき感謝していること。確かにバッキンガム宮殿には入れないでしょう。松永さんからはアテネオリンピック目指した息子さんの話や今後、「応援Tシャツ、売らな・・・」とお父さんもがんばってサポートしています。木村さんとは、OPパパを卒業してからの方が良くしゃべるようになったのですが、なんかしゃべってて温かみがあり好きな方です。木村さんはまだOPパパ現役ですが、一番上のお兄ちゃんは確か我が子の1つ上。ほんとに長いです。このジュリーコンビ、長い間日本のヨットを支えている、3世代の典型的な親像。
滋賀県連の山田さんにも会った。山田さんの話は面白い。しゃべり方がほんわかして、しゃべっていて楽しい人だ。「おたくの息子さん昨日優勝しとったなあ」「え、そうなんですか?」リュートカップで優勝したようだ。「よかった」
この良かったには、少し別の意味があります。先週艇庫に行ったとき、首の取れた優勝カップがテーブルの上に置いてあった。「あらら、直さなきゃね」「リュートカップの470優勝カップなんだけど、首が取れてた」
前年も優勝したのでカップはK大にあったのだが、どうしたことか壊れてしまったようです。「ボンドで直そう」「割り箸を使って直そう」「・・・」いろんなアイデアが出ていたが、また今年も優勝して持ってきたら、問題先送りできる・・・わはは・・・なんてやってました。
昼食時に艇庫に帰って、リュートカップをどのように修理したか聞いたら、なんとガムテープで巻いて優勝カップ返還したそうです。主催の滋賀大教育学部のスタッフはどんな目で見たのだろう・・・「わはは、ガムテはないやろ」「ですよね〜」、まあいいかげんなやつらだ。
私のこの姿も典型的な親像。今日の登場人物、親ばか揃いです。

2004/11/8
「美しき日々」という韓国ドラマが1週飛んでしまった。「冬のソナタ」が終わって、2匹目のどじょうを狙って土曜日夜同じ時間帯にやっている。
何じゃこの演技、ちょっと大げさじゃないの?と思いながら見始めた「冬のソナタ」にはまってしまったが、最終回を見れなかった。確か小戸のインカレ個選の日だったと思う。最後どうなったのかわからないのが少し心残りだが、何処かから借りたりしてみようとは思わない。そこまではまっていないのかなあ。
その流れで見ている新番組では、泣かないなあ。前の番組ではよく涙が出てきたけど。でもチェ・ジウさんはかわいい。見てて飽きない。こんな感じの女性が好きだな。家内と同じようにいつまで見ていても飽きない。きれいだけじゃダメ、しぐさというか雰囲気がいい感じ。
6日は、災害復興支援24時間番組をNHKが組んでいて見れなかった。ちょっと残念。

日曜日、久しぶりに琵琶湖に行ってきた。8月末以来だ。
先週の西宮レースで、来てもらった京都の1回生に、「また琵琶湖にきてください」と言われた。彼らが入学してから4ヶ月、昨年から月1回練習に顔を出していたので、4〜5回一緒にレスキューに乗ったり、練習のコーチをした。コーチングやミーティングで言った言葉が、受け入れられたようで、素直に嬉しかった。
その後息子から、「練習に来れる日教えて」と連絡があった。9月に新キャプテンになって、みんなの気持ちをつかむことができるようになったのかな?1つずつ組み立てるタイプなので、そこまで積みあがったということかな?効率よく練習する為に、私に声がかかったのだろう。
ヨットは安全なスポーツだけど、やはり水の上、安全には特に注意しなければならない。だからレスキューボート要員は必要です。でもヨットに乗らないとうまくならないし、やっぱり乗ってる方が面白い。
私が行くとレスキュー要員を減らして、ヨットに乗れる子が増える。「休みの日は、いくらでも手伝うよ」。でも、息子の学校のOBじゃないし、選手の親なので気を使わなきゃ。それに、息子の立場や人間的な成長を考えると、押しかけていっちゃダメだと思う。勝つことは大切だが、もっともっと多くのものを学ぶチャンスだ。息子達の学年で考えたやり方で私が必要なら声をかけてくれたらいい。主役は息子達なんだから、彼の能動的な行動に呼応するのがいいと思っている。彼らのクラブのこと、私は駒になればいい。ちゃんと同回生で話し合って決めているのだろう。
朝から風がなく、練習少し、整備の日になった。息子は新艇の艤装をしていた。「この船、速いといいな」。スナイプチームも整備に余念がない。そして1回生はバーゼルのパンク修理などもしていた。人数が多いので頼もしい。彼らの学年は強くなると思う。
練習のとき、掛け声をかけて出艇するようになっていた。またレースに臨むに当たって、「フィニッシュ後みんなで集まり、話し合う」ことにしたようだ。行動に現すチーム運営をするようだ。いいんじゃない、やりたいことをいろいろやろうよ。ミーティングで1回生から3回生に要望が出ていた。「その時言ってくれたらいいよ、今回は3回生があかんかったようやから御免な」と素直にター君が謝っていた。これまたいいんじゃないかな。不満を貯めちゃダメで、小さなことが時々ある方がお互いの信頼が深まり、クラブがよりまとまると思う。
「ター君の講義、聞きました?」マネージャーさんの話によると、夜のミーティングで、ター君が講義しているらしい。今までのヨット人生で学んだテクニックやレース展開をしゃべっているのだろう。昨日は、楽しくミーティングしようと、笑顔で盛り上げていた。なんか同期の子達が立派に見えた。「地位が人を作るなあ」みんな一生懸命なのがわかる。
解散後、体育会夕食の溜まり場「サラサ」まで数人を乗せて京都まで送って行った。来週は学園祭で、焼き鳥の模擬店を出すらしく、焼き鳥とバーベキューセットも積んだ。「学園祭に来ませんか?」なんて女子マネさんから声をかけられた。かなり嬉しいぞ。

午前中風のない時、柳ヶ崎に行った。京産N君がいて、琵琶湖jr艇庫前でしばらく話した。全日本最終レースでトップ回航したのに、ラダーが外れてしまったようだ。午後、琵琶湖フリートから全日本チャーターボート用にレンタルした470が帰ってきて、その艇体チェックに付き合ったが、京都も下の艇を貸し出していて、センターの欠け・ボトムの擦り傷・チェーンプレート紛失・バーゼルタイヤ破損・パンクなど傷ついて帰って来た。京産・龍谷・同志社・立命・・・みんなそうなのだろう。傷ついて帰ってきたらますます古い船しか集まらない。運営してくれた地元中部の子も、すまなさそうにしている。負担があまりに大きすぎる。もう完全にチャーターボート制は破綻している。1クール終わる前だが、関東学連は来年の江ノ島大会から自艇+希望校チャーター制にするそうだ。懸命な考えだと思う。
京産はT君・同志社はK君が新キャプテンになったようだ。KGのU君・京都ター君、さらに立命N君。兵庫jr・清風の同学年の子達がみんなキャプテンになった。なんかすごくない?特に近畿北陸3強、いや4強がみんな小学生からの友達っていうのも面白い。こんなことって過去あったのだろうか?合同レース練習しないかなあ。なんか琵琶湖が面白くなってきた。

2004/11/6
11/3、全日本学生ヨット選手権団体戦が終わった。10/31から11/3まで愛知県蒲郡で行われていました。学生ヨット部員達の目標はこの団体戦がメインです。KGは、例年どおり順調に駒を進めました。470は圧倒的な強さで関西を制し、例年以上に自信を持ってこの大会に臨んだと思う。
伝統的に、吹いた方が得意で、海陽は風の吹く所で有名なので、今年は全日本上位進出するチャンスと思っていたが、どうも世の中そうはうまく行かず、最終日以外は微風に終始しました。470クラス8位、2クラス総合10位でした。
クラブのHPを担当している関係で、当日のレース結果と情報を毎日送ってくれるように女子マネさんにお願いしておいた。10/28出発から、順調に情報が入ってきて、毎晩HPにアップしていたが、11/3は何時までたっても入ってこない。最終日のレースは昼過ぎに終わり、閉会式があるので、早めにレース結果が出るはず。その前までは、夜出るレース結果を8時頃には送ってきてくれていたのに・・・昨日は閉店後になっても送られてこない。
それじゃあ、「催促したらいいじゃない」ということですが、これが気を使います。なんせ、最上級生は4年間の集大成がこのレースで、新チームになって1年間このレースに勝つことを目標に、週末練習してきた。
全国の予選を勝ち抜いてきた選手みんな同じ気持ちなので、はっきり言って大会の雰囲気が違う。1回生のマネさんに仕事を頼んだが、その雰囲気を感じて、さらに3日目まで終わって、上位と大差がついて、上級生の無念さを感じる。きっと最終日は、OB会で用意したクルーザーにみんな乗って、応援しただろう。レースが終了して、帰る用意をし終わった頃、閉会式の案内。入賞校が表彰される中、どんな思いだったろう。素直に拍手を遅れただろうか?
その後宿舎に帰って、応援に駆けつけたOBからのねぎらいの話。キャプテンはじめ、4回生の挨拶。そしてクラブの幹部交代式。
春、大学に入学して、「ヨットやってみようかなあ?」「ヨット部のマネージャーってかっこいいかな?」なんて始めた子達が、この大会を経験することで、本当のヨット部員になる。上級生が目標にしていた大会を実際に経験することで、何かをつかみ、1つの目標の実態が見えてくる。
いろんな思いを想像するが、全国の応援団にレース結果を伝える役割があるので、「今日のレース結果、何時ごろになるかなあ?明日になるかなあ?」と遠慮がちなメールをマネさんに送った。程なくレース結果が送られてきた。
いつものメッセージが付いていない、味気ないレース結果だけを手に、大昔に経験したヨット部最終日の思いが走馬灯のように心の浮かび上がってきた。

「4回生のみんな、ご苦労さん。心のどこかにポッカリ空いた空間を感じるだろう。さあ、明日から次の1歩を踏み出そうや」


2004/10/29
2日前お客さんから、「新潟地震で車ごと埋まってしまった母子の2才の子が助け出されたのよ。本当に良かったわ。救助をずっとTVで見ててお宅に来るのが遅くなっちゃった。救助された時は、手を叩いて泣いちゃった」と聞いた。
夜ニュースで、小さな子がレスキュー隊に抱っこされて救助された映像を見た。あんな小さな子が・・・真っ暗で狭く、しかも埃の中ですごいなあと思った。お母さんとお姉ちゃんは残念だったようだが、1人だけでも助かってよかった。お父さんも心強いだろう。お子さんの為にもがんばれるだろうし、助かったお子さんも、強い子に育つだろう。
翌朝の新聞に、助け出したレスキュー隊員の談話が載っていた。「自分の子のように思った」「がんばれって、みんなで声をかけ続けた」「救助中に岩の崩落があったら、仕方ないなと思ってました」
それを読んで、10年以上前兵庫県のスキー場で知り合った方を思い出した。当時私は特定の休みなしで働いていた。冬、寒波が来て翌日新雪が降りそうだと、翌日店を任せて、閉店後一目散に自宅に帰り、板・靴・ストック・スキーウエア一式の入ったボックス・布団一式をワゴンに積んで、一路スキー場を目指した。
スタジオジブリと共に好きな、映画製作工房ホイチョイムービーの「私をスキーに連れてって」の、スキーにはまっている主人公同様の生活をしていた。朝一番のリフトに並び、まだ誰も滑っていない雪に、自分の跡を刻むのが快感だった。
4WD・スタッドレスで2時間半、兵庫県のスキー場なので十分ノンストップで上がれた。そして2・3列目シートをフルフラットにして、家と同じように布団を敷き、大の字になってねた。スキー場で1人はつまらないので、いつもスキー学校に入った。一番上級クラスなので、先生もガンガンすべる。
ある時、スキー学校で一緒になった方が、消防署にお勤めだった。田舎なので仕事があまりなく、公務員になろうと思った。役場に勤めるには頭も必要で、警察官か消防署に決めた。なんとなく消防署に決めたが、ハードな訓練が待っていた。
消防車や救急車で現場に急行すると、かなり厳しい状況があり、何とか助けることができると、家族の方にとても感謝される。警察官のように取り締まることがなく、よかったと思った。こちらはこの仕事で給料ももらっているのに、申し訳ないなと思いながら、自分の生きている価値が毎日「ありがとう」という声で返って来て、最高の職業に着いたと言っておられた。知らない職業だったので興味深く聞いていると、話しやすかったのか?いろんな話をしてくれた。
最もひどい惨状は、群馬県に日航機が墜落した頃、兵庫北部に飛行機が墜落した現場たった。行方不明の一報が、所属の広域レスキュー本部に入り、どうやら管轄内の山に落ちたようだが、ヘリが降りる場所がない。下から徒歩で登るしかないということで、重い救急荷物を背負い6時間かかって墜落現場に着いた。
そこには想像を絶する光景が広がっていた。木々はなぎ倒され、くすぶりいたるところで煙が上がっている。飛行機はバラバラで広い範囲に散らばっている。乗客の方は・・・1片1片拾い集めることを延々とした。声を掛け合い、励ましあって登った仲間が、業務的な言葉だけになり、みんな無言でそれをしている。救助の望みがなく、涙があふれてきた。やがて、地元消防団や地域の救急隊員が、同じルートを上がって来たそうだが、それまでの半日は地獄絵だった。
そう話しながら、泣いておられた。この方とはその後何度も一緒になった。「火事や災害現場で、助けを求める人がおられたら、2次災害はわかっていても、思いとどまるのは難しいよ。隊長は辛い選択になる時もある」と言っていたのが印象に残っている。
新聞に載っていた隊員の言葉にはいろんな思いがあるのだろう。

2004/10/19
10/17浜に行った。昨日からラジアルカットセールを出してチューニングしているらしい。合野君以外はまだわからない所があるということだった。
梅ちゃんはレーキを落として、リーチを開くように持っていく方がいい様だと言っていた。リーチが短くなっているので、レーキを落とすのはよくわかる。確かター君もその方がいいと言っていた。ほんの少しでボートのパフォーマンスが変わるので、これが470の面白い所といえる。
昼食は250円のレストランKGだったが、現役用にボリュームがありすぎて、私には少し多かったようだ。ご飯を残すのはいけないとしつけられ、貧乏性なので全部食べたが食べ過ぎた。河野さんは残しておられた。私もそうすればよかったかな。
午前中近大と関大が合同レース練習をしていて、混ざったらいいのにと思っていたが、ニューセールのチューニングで独自練習を選択したようだ。午後からは2校に混じってレースをしたが、もう少しレグが長い方が練習になるなと思った。近年、レース練習が減っているように思う。現役だった頃、やっぱりレースが面白いのでレース練習主体だったように思う。基本練習・ロング帆走練習が終わればレース練習をする。なんどレースしても同じ風はないので面白い。
午後から北風で風が上がり、牛尾君/今村君ペアが体力の限界か、アップアップになってきていた。牛尾君は病み上がりということもあり、酷な風だったかもしれないがクローズでメインが緩んでいた。
レース練習後、帆走練習に移ったので、バングを引いて楽に走るように指示した。今村君が2度落水した。これも体力面かなあ?まだ1回生なので、大学ヨット部の体力がついていないようだ。私もそうだったが、2回生になると楽に長時間ハイクアウトしても平気になった。少しずつのトレーニングが効いてくるのだろうなあ。もう1人のレギュラー1回生斎藤君は、タック後の飛び出しなどうまくなっている。タック後片足フットベルトでヒールを立てようとしている姿がとてもかっこいい。レースまで後少しだが、まだうまくなるだろう。2年間スナイプを支えてきた渋川君の技術を少しでも身につけて欲しい。速い人のクルーをするのはとても勉強になる。
陸に上がって田中さんから、清風の学校案内を借りた。ター君がクラブ案内の他に、メインの学校案内にも載っている。かなり嬉しい。早速PCに取り込もう。

2004/10/5
10/3 4大学OB戦に参加しました。前回西宮大会はスナイプとドラゴンがレース種目でしたが、今年はY23です。これは濡れませんね。前回スナイプで出場しましたが、今回はレース運営です。
数日前、「レース運営してくれたら準備万端なんやけどな」の連絡があり、当然OKです。よっぽどの事情がない限り、OK&「はいわかりました」以外の答えは出ないでしょう。
SSクラスの全日本が同日に開催されており、「レースフラッグ・マーク・竿などレース用品揃うのかなあ?」と一抹の不安を抱えながら朝一番に浜に行きました。早速確認すると、ちゃんと揃っていました。さすがです、OB会事務局。
小堀レース委員長と本部船ジャッキーをディンギー桟橋に回航し、さあ次はレース備品積み込みと設定です。なんと、レース運営が2人だけとのこと。「まあ何とかなるけど、きついなあ」
フラッグボックスと竿を艇庫から運び・・・あと、マークも艇庫裏にあったが、見たとたん「これは遠慮したいものだ」と思った。三角おにぎりオレンジマークだが、アンカーとブロックが・・・「これは重たいぞ、1人で持つと腰いわしそうだ」と周りを見回すが、現役は来週のレースで忙しそうだし・・・名案がひらめいた・・・得意の「後回し」。次の風が吹くのを期待するのは、昔から変わらない。ヨット部はこうでなくっちゃ。
レースボックスと竿を持って、桟橋のジャッキーが遠くかすんで見える。現役時代なら、「走れ」なんて言われ、いえ自主的?に走っていただろうが、そんな無理をしてはいけません。
なんとか運んで、さあ次は大物マーク2発・・・「どないすんねん・・・現役おらへんし・・・」とブツブツ思いながら思い足取りで、艇庫に戻る。レース本部後ろで何やらしている女子マネさんに、「マーク持って行ってくれる?」と声をかけると、あっさりと「は〜い」の気持ちのいい返事。「あの重さ、知ってんのかいな?ほんまに持ってきてくれるんやろか?」
小堀さんと、2人で1発マークを持ち、再びジャッキーまで。やっとこ、1発積み終りさあ次。と振り返ると、マネさんが桟橋の扉まで残りのマークを運んできて、扉にマークがひっかかり苦闘している。「いや〜、ありがたい」ここは手助け、扉まで行きブロックの方を持って(軽い方のアンカーだったっけ)船に運び込む。
オレンジ・AP・H・P・S・X・第一代表旗、まあこれくらいあればOKかな。L旗がないけどまあいいか。ブラックなんて使わないなあ。ところでクラス旗は?と帆走指示書を確認するが、特に謳われていない。「う〜ん、Y23なんてあるわけないし・・・お〜F旗があるのでこれにしようか」
と早速、竿の上下にフラッグを巻く。ここで登場、朝コンビニで買ってきたビニールテープ。「やっぱり、ビニールテープはボックスに入ってなかった。なんて私は気が利いているのだ・・・」
この辺は、我輩慣れております。我がジュニア君の為に何度したことか。元ヨット部員はお分かりでしょうが、ヨットをする我が子ほどかわいいものはない。はい、何でもしちゃいます。
艇庫前の開会式に戻り、レース委員長から諸注意がある。「絶対船備え付けのライジャケを着てください」
ここで小堀さんは大きなリクルートをした。濱永さんを本部船要員にリクルート成功、本部船が3人になった。さすが、レース委員長。これでずいぶん仕事が楽になる。
スキッパーズミーティングというか全員への諸注意伝達が終わって、3人で本部船に向かう。メンバーを見て、当然私が何でもさせていただきます。特に力仕事関係は・・・先輩方のお手を煩わしては・・・特に現役時代監督をしていただいた濱永さんには・・・はい。
乗り込んだらすぐ、オレンジフラッグがマストに上がった。ラインを離して乗り込もうとしたら、邪魔だぞ太っといスピンポール、いきなりはまってしまう所だった。ライフラインで助かった。「よかった〜、かっこ悪いもいいとこだった」
もやいのラインを整理し、フェンダーを上げ、次マークのラインの整理。動作は遅いが、これでも全速で走っています、お許しを・・・「上マーク投下」「そして、アウター兼下マーク投下」こんな近くていいんですか?いいそうです。仮にもクルーザー、学連レースの半分くらいしか上マークまでの距離がありません。しかし、これくらいが一番いいということを後で知りました。さすがレース委員長。
そして、「本部船アンカー投下」これは電動ウインチでゆっくり下りていきます。ラインはオールチェーンです。「これだけ大きい船は、これでないと留まらないんだ」「本部船がツインスターでなくて良かった。たしかあっちは電動ウインチではなかったような・・・ちがったかなあ」
レース艇が集まってきた。早く来た艇は、早くレースを始めてもらいたそうです。カメラを構えると、皆さん手を振られる。楽しそうだ。そうだろうなあ、この仲間なら何でも言えるからなあ。年に数度の楽しい旅行かもしれない。「体育会やってよかったな」
レース委員長は、フリーで全体に目を配るのがいいのでしょうが、3人ではそうも言っておられません。ホーン係。
濱永さんが、P旗とスタートラインスリット、そして私がその他全部、つまり時計・フラッグ(F・X・第1)・記録・カメラということになった。
「F掲揚まで1分・・・P降下まで30秒・・・P降下・・・まだリコールなし・・・3番艇がリコール来そうだ・・・いや大丈夫・・・スタートまで10秒・9・8・・・」「リコールなし」いや〜ホッとした。皆さんちゃんと運営のことを考えて?リコールしないでくれた。5〜6m/sコンスタントにあり、ブローは8m/sオーバー吹いている。スタート前のレース艇衝突を考えてスタートラインを広めにしたのが幸いしたのか?少しアウター有利になったラインの傾きが幸いしたのか?厳しくラインギリギリまで上がってこなかった。
一息つくと濱永さんが、ポロッと、「時計気にせんでええから楽やなあ、レースを楽しめるわ」濱永さんが楽しそうだ。いつもレースで中心になって運営しておられたなあ。思い出した。できるだけいいレースをと何回本部船に乗ったのだろう?「現役時代、お世話になりました」

無事4レース消化しました。お疲れ様でした。陸上に上がり、弁当を食べて、閉会式には出ずに、午後からの現役練習に参加しました。またブルーサブに乗れて、かっ飛ばしました。
KGも今日からラジアルカットニューセールです。5〜8m/sの風速ですが、470もスナイプも変なしわが入って、パネルカットよりパフォーマンスが上がっているとは思えなかった。「ラジアルは難しい」と聞いていたので、レース直前での入荷では落ち着いてセッティングする時間がなく、レースで使うのは冒険のように思った。
梅470はリーチがまん中から開いており、バングなどでリーチテンションを入れるか、マストを立て目にしないといけないかもしれない。私ならまずサイドピンを上げて、ジブハリテンションをかけて、マストプラーをもっと入れるかなあ?ダメなら反対につめてバンクテンションを強めに入れるかもしれない。梅によると、「パワーアップしているが、オーバーパワーでシートを出すと一気にパワーが抜けて不安定」とのこと。どうもよく分からない。ジブリーチも丸みが入っているので抜ける感じではない。いずれにしても数日でセッティングが出るとは思えない。
ター君のラジアルはきれいなカーブが出てとても速い。セッティングの違いを聞いたが試行錯誤をいろいろしたようだ。去年の夏に、寺倉君のラジアルが速いと感じ、それをターゲットに1年かかってラジアルにチェンジしたようだ。いろいろアイデアは持っているだろうが、梅のとカットが違うので参考に出来ない。

追申
難敵のマーク、再びマネさんが桟橋から艇庫に運んでくれたようです。「おおきに、ありがとう」、運営最若手の私としては大助かりです。ヨット部の年功序列はゆるぎなく続いております、はい。
追申その2
SS全日本に、470女子オリンピック代表吉迫さんが来ていました。「お〜、オリンピック毎日楽しませてもらったよ」「ありがとうございます。成績が今一で・・・」オリンピックが終わったからか?元々ニコニコしている子ですが、以前よりニコニコ度が上がったような・・・SS勝てたのかなあ?ところで佐竹さんも来てたのかなあ?会いたかったなあ・・・


2004/9/27
9/26KGヨット部主催海徳メモリアル・ディンギーレースに参加した。
鷲見君・佐々木君と一緒にブルーサブでサイドマーク担当しました。と言っても、風向は通常の振れの範囲だったのでサイドマーク打ち替えはなく、自由に動いていました。レース運営を無線で聞いていると、さすが学連OB運営で同じヨット部出身なので気心も知れており、運営がスムーズだった。なんとなく指示来そうだなと予想して行動してくれるので、本部船も指示しやすいでしょう。
レースで気になったことがあった。P旗スタートの時が全部ゼネリコで、選手にゼネリコを予想されているように感じた。結局ブラックの時しかスタートできず、毎回1〜2回ゼネリコを繰り返すのに、本部船はよく我慢していると思った。私なら我慢できずにすぐブラックだろうし、初めからI旗を選択すると思う。
P旗を出すなら、1/3くらいOCS出す覚悟で、読みまくらないと、「どうせゼネリコ」と思われても仕方ないだろう。しっかりラインを読んで留まっている選手がやる気を無くすような気がする。リコールを読むことがフェアプレイのメッセージで、読めないなら他のフラッグを選択するべきと私は考える。水泳でフライング即失格の時代である。しばらく他クラスの運営に携わり、関西学連のレースを見ると、「ゆっくりしている」が第一印象だ。ゼネリコ中に振れが入りレース延期したりして成立するレースの絶対数が少ない。大学からヨットを始める選手が多いから、どんどんレースをしてレースの面白さや駆け引きを習得する機会を多く持った方がいいと思う。ここでもまれることでその後の進歩が変わるような気がする。
学連レース全部がそうなのかと思ったが、近畿北陸ブロックのレースを見ると厳しさが全然違う。レースフラッグがどんどん上がり、レース数が多い。振れや強弱はヨットレースに付き物なので、それで延期したりしない。厳しい環境と運営により、どんな状況に変化しても対応できる者しかトータルで上位キープは難しく、単にスピードがあるだけではダメだ。我が子も1回生からスピードはあったが、たまのドカンで沈んでいた。3回生になって琵琶湖の気まぐれな風と厳しい運営に鍛えられてしたたかに結果を残すようになってきた。全日本でも変な風の時、琵琶湖勢がしたたかに上位キープしてくるのは、日頃のレースの厳しさから来るものだと思う。先月の関東学生個人戦で、76艇中37艇ブラックというレースがあった。関西ならどうだろう。再度ゼネリコにしたのではないだろうか?
昨日は、フラッグ選択以外の部分はスピーディーで好感が持てたがまだまだ他地域に比べて甘いと思った。多分1日1レースは多くできたのではないだろうか。いつだったか?レース閉会式で「スタートの未熟さ」の危惧をレース委員長が話されていたことがあったが、運営が行動で厳しく行くというメッセージを示すことが先なように思った。選手はしたたかにすぐ対応してくるだろう。
1日6レースは平気でこなし、3日間19レースを息子が1回生の時経験し、驚きだったが、数年見ているうちに、これが普通で、これも近畿北陸ブロックの強さの1つと感じるようになった。OPの時、1レースは1日の練習に匹敵するとの持論の元、ゼネリコを心配されるようなら、いきなりI旗、タイムアローアンス10分でどんどんスタートさせていた。父母には大変好評で「レースを堪能した」とよく言われた。
近畿北陸のレースを体験し、ますます持論に自信を持った。近畿北陸は、今年も学生個選2日間9レース、学生団体戦3日間15レース、470選手権2日間11レースです。トップ艇フィニッシュ時刻は関西と変わらず、関西より風がないので風待ちを含めてこの実績。大会自体多いので、年間レース数は関西の倍だろう。ここに強化ポイントがあるように思う。琵琶湖の気まぐれで弱い風でこれだけレースができるのだから、西宮では相当できるはずだ。

2004/9/22
9/19、久しぶりに練習に参加しました。雨が降りそうな?くもり空ですが、最近バイクの気持ち良さにはまっているのでカッパを持って出発。
艇庫に着くとOBが数人来ている。「乗る?クルーやで・・・」楽しそうな会話をしていた。名古屋から鷲見君も来ていた。多田君とは全日本スナイプマスターズ以来だ。世代が違えどフラッと集まる場所があるのは幸せなことだ。
早速朝の練習に入ろうと、新月に乗り込むとエンジンがかからない?あれ?ニュートラル確認?あれ?バッテリー液は少ないがセルは回っているのに・・・?コツがあるらしく、昨日もかかったらしいが、OBと1回生だけでコツが分かっているヤツがおらん。こういう場合は、早く諦めるのがもいい。練習にレスキューがないというのはまずいので、ニューブルーサブの出艇を決断。
ニューブルーサブも先代同様、走ります。速いです。楽しめます。レース練習でスタートさせてから、アンカーラインにフェンダーをつけて離し、レース艇のすぐ後ろからレース展開を見ました。本来コーチボートというのは、こういうボートを言うんだよな。
思いがけずブルーサブに乗れたが、このボートは気持ちいい。ハードボトムでスピードを出しても安定感がある。今週末は海徳メモリアルだが、これの担当になりたいな、レース展開もかなり楽しめるような気がする。

9/21小型船舶1級5t限定試験をうけてきた。
網野コーチがKGOBメーリングリストに載せてくれた連絡で、4級からステップアップすることにしました。普通1級取ろうと思ったら10万くらいかかるのに、3万でいけるの?お得ではないかい?
早速、連絡場所として教えてもらった大阪府モーターボート協会に連絡を取り、講習と試験の申し込みをしました。
9/11朝から講習です。講習に行くと網野コーチも来ていました。夕方までみっちり講習を受け、参考書・問題集・海図にコンバスと三角定規で悪戦苦闘してきました。天気やエンジンなどは何とかこなせそうですが、海図はややこしい。時間があれば出来そうだが、あせるとずれてしまう。
最後に講師から、「海図の3問は後回しでいいですから、その他の問題からしましょうね。6割正解なら合格ですよ」とのお言葉。
早速勉強しなきゃと、帰りの電車で問題集に取り組む。いきなりでも6割は取れそうだ。しか〜し、海図全部アウトを考えるとこのままではあかんなあ。それから10日間、勉強しました。みっちり延べ4時間。
家に帰ってきても、プロ野球のゴタゴタの方が面白くて勉強する気になりません。我が阪神タイガースの危機、勉強なんぞしていられるか・・・
試験が迫ると、さすがに不安になり少しずつ勉強する気になり、週末に2時間ずつ2日間しました。そしてテスト前日は海図の練習問題を3問・・・これって学生時代に得意だった一夜漬けってやつやないの?う〜ん、成長せんなあ。
そしてテスト当日、試験会場に着くと、神戸大学の同期高見君がいるではないか。「お〜」ヤツはこの期に及んでやたら勉強している。
俺も最後のあがき、せなあかんなあと思い、机に座って問題集を広げると、坂東先輩が「お〜、網野君も来とったぞ」。
テストは何とかなりそうな気がしていたが、一抹の不安が・・・視力検査です。両眼、0.6以上ないとその時点でアウトになる。しかし、難なくクリア。「我が肉体もなかなかやるなあ」と妙に自信が出てきた。
テストが終わると、即解答が張り出された。どれどれと確認した所、海図を1問ミスっていた。坂東先輩は2問、網野コーチは全問正解でKGは全員合格確実の模様です。坂東さん、網野さんと一緒に昼食を取り、免許の前祝をした。めでたし、めでたしであった。

2004/9/16
日曜日、艇庫でのKGセーリング理事会後、幼稚園の同窓会に行ってきました。
大抵こう話すと、「え〜、幼稚園の同窓会?」とビックリされます。

でも本当です。延々小学生の時から、同窓会を続けています。小さな頃は親と一緒に同窓会に参加し、今は親は親同士でやっています。日本広しと言えども、かなり珍しい同窓会だと思っています。この同窓会のことは何度もこの日記に書きました。大切にしている仲間です。
今回集まった9名の内、松山と北九州から各1名、レストランでの昼食と午後のひと時のためだけにやってきた。「あほちゃうか」なやつらです。海外勤務から関西に戻ってきた子と会おうか?から始まった今回の同窓会、3日前の連絡でこれだけ遠方から集まるか?「頭のねじが1本抜けているとしか思えない」
まあ2年前の同窓会で東京に私と元女の子1人も八重洲口の中華料理屋で夕食する為だけに行ったから、私もねじ2本抜けている。
今回のトピックスは、来年卒業する同窓生の息子、灘中・高・東大君が、キャリアで厚生労働省に決まったことだ。
「うお〜」「よっしゃ、総理大臣や」と盛り上がった。
親がかすみを食べても教育費だけは湯水のように使った姿が想像できる。幼稚園4才から、電車バスで1人で通園させる「飛んでる母ちゃん」の私たち子供は、その辺の出費は平気だ。この辺は先代の「飛んでる母ちゃん」をしのぐかもしれない。しかし、今も続いている出身幼稚園に子供を通わせた同窓生はいない。

「親世代より、まともな人間になったからか?」「時代の変化で、1人で通園をしなくなったまともな園に魅力を感じなくなったのか?」きっとどちらかだろう。
もちろん私は前者の方だ。まともな世界に復帰した。と思う。ひょっとすると、家内が元々前者だったからかもしれない。

息子から、近畿北陸470級選手権で2番になったので11月の470全日本に唐津に行くと連絡があった。出場は60艇を越えているようだ。初日6レース終わって16点というダントツの成績だったらしいが、2日目は調子悪かったそうだ。2番というのが我が子らしい。1番などという失礼な成績を取らないことを小さな頃から貫いている。なかなか出来ないことだ。初日6レースは平均3位以下なので、また2〜3レーストップフィニッシュしたのかなあ?すごいなあ。

2004/9/6
9/4-5と全日本学生ヨット個人選手権に行ってきた。
KGから、3艇出場し、息子の清風ヨット部同期4人全員・兵庫ジュニア同期5名全員、みんなスキッパーで出場する。こんな機会はないかもしれない。
ちょうどいいタイミングで、元琵琶湖ジュニアのお父さん達から「一緒に行かへん?みんなで乗合して安う行きましょうや」というお誘いを受けた。
次男は大学から1艇だけの参加なので、サポートすることがあるかも?とも思い喜んで参加した。
9/3夜9時に伊丹に集合してワゴンに7人乗り込み出発。
車の中は、子供たちがジュニア時代のレース宿舎の夜と同じように、ワイワイがやがや、いい年のおっちゃん達が大変な盛り上がりです。疋田さんの新車エルグランドは快適で、いろんな装備カーナビ・携帯電話スピーカー・燃費メーター・・・おもちゃになっていました。
9/4AM5時ごろ小戸に着きました。YH前で仮眠後、朝食を買いに行って戻ってくるとやってきました梅野車、KGチームです。YHに入ると、関西フリートの選手達、近畿北陸フリートの選手、元Optiのなじみのある顔、結構女の子が多いのに驚きました。
公式掲示板を見に行くと一番気になる成績表が・・・どれどれ・・・次男は8位を引いている。全日本でシングルはすごいんじゃないの。
「和歌ちゃん・・・」セットが終わってリラックスしている。昨日の風は難しかったらしい。船を見ながら話しているとター君が来た。
「3レース目はめちゃラッキーやった。1レース目はあんな風になって一気にやられちゃった・・・」「昨日は地元でもわかんないよ、地元の私もわからなかったもん」「1上は全部4番くらいやったのに、フリーみんな速いんや、アビームくらい上っていってジャイブしたら前にいるんや。船見せてもらっていい?」「いいよ」「カメラ貸して」「はいよ」
新艇のフィッティングの参考にするのか私が和歌ちゃんのボートのブームを持ち上げて写真を写していました。入口君のほかに中島君もいる。中島君はサポーターで来てくれたのか、ありがたいな。雰囲気を感じて来年選手として来て欲しいな。
今井君・小巻君も笑顔、疋田さんの笑顔を見つけて近大みんなを写真に収めた。団体戦のピリピリした雰囲気がなくこっちの方が好きだな。

470は前田君がトップ。彼は沖縄jrで全日本用にOPを本土に置いていたな。スナイプも福大がトップ。地元でもあり強いなあ。西村君が3番、以外に豊田君が今一だ。優勝もあるのではないかと思っていたのに優勝には苦しいかな。
琵琶湖の子達が高校のとき、中村三陽や博多女子という地元に来ていたので観覧船を手配してくれた。ラッキー。KG牛尾君のお父さん、中央加藤君のお母さんとおばあちゃんが乗ってこられた。三陽の昨年卒業生。応援に来てくれると嬉しいだろう。牛尾君は予選で落ちてしまったが来年は全日本に駒を進めて欲しい。
AMは風が安定せず、一旦ハーバーバック。風待ちのとき、知ってる子がボートに挨拶に来たり、声をかけるとにこっと笑ったりいい雰囲気です。乗ってる大人の子の学校がバラバラでこの船は多国籍船です。昨年の西宮全日本でも感じたがいろんな子が寄ってきて楽しい。
PMはゼネリコが1回あったが3レース消化できた。ター君はスタートがいいし、その後落ちていくこともない。とても走っているので、初日全部1上4位くらいもうなずける。リカバリーのタイミングが少しずれているのかなあ?1/2作戦をしたらもっと安定するのかもしれないが走っているので見ていてとても気持ちがいい。

さて今夜の宿はハイアット。めちゃ高そうと思ったが、西村さんが会員だそうで、会員用の広〜いツインに7人詰め込みでかなり安価になった。
寝る前に夕食&飲みに行った。元OP関係では甲山さん・田畑さんが来られ、福大・三陽関係の城さんも来られた。城さんから、昨年OPの大会日程に反対した私の意見を誉めてもらった。「OP選手は確かにすごいが、特別視しすぎは疑問。学校優先でたった1日の休みにこだわった」ことに賛成していただいた。ここで賛成意見を頂くとは思っていなかった。かなりうれしい。

最終日、雨かなと思っていた天気が晴れていた。シーブリーズを期待しよう。ハーバーに着くとちょうどレース艇が出艇していくところだった。
昨日忠成から、「中島君お父さんが乗っている船に乗せてもらえないかなあ。サポートしてくれてるんだ」
この言葉を聞いて嬉しかった。中島君に対するありがとうの気持ちの言葉に、私の代わりに乗ってもらおうと思った。
今井さん達から「定員内だから神谷さんも乗れるよ」
ありがたかった。中島君も海上から見ることで何かを感じてくれるといいな。
佐藤さん夫婦も乗り込んで昨日以上に楽しくなった。
レースの方は、ター君が下1スタートを決めていい感じだったが、ゼネリコで残念。次は下3くらいでこれもいいスタート。生き残って左に伸ばしタックを返す、シングル確実パターンだったが振れが反対で15位回航。この順位でパッシングレーンの下のレーンを選択している。琵琶湖のように風がなくなることは少ないのでこの選択はどうなのかなあ?先行艇のブランケットでフレッシュが受けられず、下突破はかなり難しいので上がれないと思うのだけど。
次の最終レースは、さっきの振れを考えて本部船寄りからスタートしたようだ。でも今度はポートが上り反対だった。下1で伸ばした今井君がタックして左集団のバウを次々交わしていく。トップだと思ったが、今井君によると滑り負けたそうだ。さすがに各地区予選を勝ち抜いてきた選手ばかりでみんな速い。ター君も高いレベルでレースが出来て楽しいだろう。結構ここは大きく振れが入る。
くしくも私が大学3年の時もここで全日本が行われた。クルーだったけどベストペアだった。確か予選は全レースダントツを引いた記憶がある。能古島の右からの風で、本部船寄りスタート、即タック、左海面利用でスターボがどんどん上ってオーバーセールまで行った記憶がある。来年の7大学に役立てて欲しい。
ター君は総合20位くらいだったが、最高に楽しい観戦だった。


2004/8/30
8/29近畿北陸ブロック学生ヨット選手権大会に行ってきました。
1年間コーチをしていた息子の大学、残念ながら4位で団体全日本選手権に駒を進めることが出来ませんでした。
2日目まで3位で4位同志社と2点差でした。
昨年6位なので大健闘です。1日目終わって、送られてきた成績表に目を疑いました。
何と85点リード。
絶対勝てると言い続けてきましたが、現実になろうとしている数字を見て驚愕しました。

「みんなすごい」

2日目台風の影響で不得手な強風の1日で、一気に貯金を使い果たしましたが、まだリード。
私が観戦に行ったのがいけなかったようで、3日目の強風レースで実力差がでて逆転されてしまいました。

最終レースフィニッシュ後、レース運営艇に全艇でお礼を言いに行っていました。
いつもなら3枚目のセール(帆)を上げて、まだ練習とばかりに帰っていくのですが、この日は違いました。
負けを受け止め、放心したようにゆっくり艇庫に向かってレース海面を離れていく艇を見て、目頭が熱くなりました。
どんなことを話していたんだろう。

表彰式の前、来週の全日本個人戦に出場する息子は、数時間前までライバルだった同じく個人戦出場権を獲得した選手達と、船の運搬方法・宿などのことを話しているようでした。
戦いすんですぐ明日に向かって、この地区代表としてできるだけ安価に遠征するために仲間になっています。

4回生のある子がやってきました。
「すごくがんばってたね。良かったよ」
「すいません、コーチしていただいたのに、残念な結果しか残せませんでした」
「そんなことないよ、ここまでやったじゃない」
「・・・すいません・・・僕がみんなの足を引っ張ってしまいました・・・僕の成績がもっとよかったら・・・すいません」
彼の目の涙に感動してしまいました。
そんなこと誰も思っていないし、それを攻める子なんかいないでしょう。

表彰式で、個人1位だった元兵庫ジュニアの子と、2位だった次男を写真に収めました。
表彰式後、監督さんやOBさんから、「これでこのチームは解散です。次の代に変わる行事がこれから艇庫であります。来られませんか?」
と声を頂きましたが、他校出身の私は遠慮することにしました。
コーチはしたけれど、彼らの努力に比べたら小さなことです。
4年間艇庫で過ごした思いを素直に語って卒業する4回生、後をたくされる1・2・3回生、彼らを影で支えたマネージャー・・・同じ釜の飯を食って、1つの目標に向かって努力した者達だけに共有できる空間がそこにあるはずです。

艇庫に帰るみんなに「ありがとう」です。
息子も一回り大きく成長できたでしょう。

結果は大切ですが、一生懸命した日頃の努力が人を作ると思います。
その努力ができる人は、次の何かに向かっても努力すると思います。
自分で考え、行動した彼らは偉いです。
それがたとえ変な行動でも、結果が出ない行動でもすばらしいことです。
何でもたった一人の行動から始まります。
初めに手を上げるのはとても勇気がいることです。

「すごいね」と拍手を送ることが彼らの勇気につながり、それを見ている他の多くの子にも手を上げる勇気を与えると思います。
次の、そしてさらに次の行動を起こすことで、過去の行動が幼稚であったことを自ら知ることもあるでしょう。
行動を起こすことが大切なことです。
最初に「すごいね」と拍手する人でいたいと思っています。

2004/8/25
月曜日にハッピーが舞い込みました。
小巻さんから、「ター君おめでとう。小戸に一緒に行きましょう。一番走っていたようですよ」
青島キャンプに行っていたとき、琵琶湖では、ター君が全日本学生ヨット個人戦の近畿北陸予選が行われていました。
「どうなってるかなあ」と思いながら、トップレベルのスピードを持ってるから今年は行けるかなと期待していました。ひょっとすると、京都から2艇かも?

1回生の時、1日目トップだったけど結局7位で次点になり、2回生は確か次々点、いいスピードなんだけど、風の気まぐれにやられちゃうんだよね。
でも琵琶湖の気まぐれな風であれだけ走れるのはすばらしいと思っていました。

長男が今年学生を卒業したので、学生ライフル選手権にはもう行けず、密かな応援が終わってしまいました。
20才以下世界選手権日本代表候補になり、夏休みに1ヶ月ほど山形ナショナルチーム合宿に参加したり、学校では歴代トップの点数をたたき出し、全日本でも17位?で「すごい、すごい」と応援していましたが、今年はクラブチーム全日本に参加していました。

次男忠成君は、1回生の全日本個選の時、下宿して初めて自宅に帰ってきました。
「お帰り」と言うと、全日本に行けなかったのが悔しかったのか、「家に帰るんじゃなくって、レースに行きたかった」とこたえました。ター君の性格ならもっと淡々としていると思っていましたが意外でした。
今回全日本出場がかなって良かったなあ。

先月から、今井さん・小巻さんの同志社コンビの父親中心に、小戸全日本応援ツアーが計画されていました。
元Opti琵琶湖jr今井さん・疋田さん・西村さん、兵庫jr小巻さん・梅野さん・豊田さん・私がメンバーらしいが、我が子がどうなるかわからないし・・・
ところが、関西水域と近畿北陸水域で全員6位以内に入りました。
まだ行くかどうか決めていませんが(京都で1艇のター君・入口君のサポートも必要かな?)、中川さんも行けたらいいな。

Opti上がりは強いなと思うと同時に、Optiファミリーには学校の垣根がなく、素直によその子を応援できるし、してくれるいい関係があると感じます。
ター君がOptiをしてくれたおかげで私も人生をもっと楽しむことが出来ています。
ありがたいです。

小巻さんからの連絡の後、上位6位までの成績が手に入りました。
ター君はいきなり1Rトップで5・6OCS・8・3・2・1・1・3で全レースシングル・7レース片手・3レーストップというすごい成績でした。OCSで優勝を逃して悔しがっているだろうが、ご愛嬌ということで・・・
「うわ〜」の一言です。
小巻君470優勝・豊田君スナイプ優勝で元兵庫jrが上位独占にも驚きました。
「すごいなあ〜」
全日本では、元兵庫jr5人が高校の国体同様別々の学校からですが、同窓会です。清風の4人も同窓会です。これからもみんな伸び伸びヨットを楽しんで欲しいものです。

2004/8/23

先週末は「青島キャンプ」に参加しました。
8/19自宅を朝5:30に出発し、西宮・芦屋・神戸を回り先輩方と合流し一路牛窓へ。牛窓港10:30の待ち合わせ時間に余裕があったので、牛窓YHのインターハイ会場にお邪魔しました。
高等部の上田君・田坂君は、「あれ〜」という顔で見ていましたが、嬉しそうです。計測が済み、開会式まで時間がありますが、台風の影響で風が上がり、出艇禁止になっているので、しかたなくKGのテントで待っているところでした。
牛窓港から青島に向けて出発しましたが、波の影響で、島のブランケットを利用しながら大回りコースで青島に向かいます。途中シースプレーが心配でPCを守ることだけを考えていました。

昼食後、ヨット講習の始まりです。風が落ち気味ですが、波も残っており、艤装や座学をする予定でしたが、艤装をしている間、波だけ残っている状態になり、4m/sくらいだから出艇することにしました。
簡単な操作方法を教えただけですが、河野インストラクターに続いて何とか船を走らせ沖に出て来れました。沈も数艇でましたが、安全に対しては、まあ余裕のアビーム練習をしていました。
練習が後半に入るころ、風が上がり出し8m/sオーバーになってきました。
生まれて初めてのヨット初日にしてはちょいと強い風なので青島バックをコールしました。
レスキューが各艇のバウラインを取り繋げましたが、波も残りこの風なので手間取り、帰着予定時刻を少しオーバーしてしまいました。
河野さんはOPでマーク回収し、颯爽と青島に向かうが、何故坂東さんは早々にマストを倒して曳航を待っているんだろう?2人だけの白熱のレースを期待していたのに・・・
河野さんも、青島と隣の前島との間の潮の流れにはOPでは勝てず、結局曳航になってしまいました。

さあ、待ちに待った生徒さん手作り夕食です。
本日のメニューはシチューです。昨年の経験もあり、戦々恐々としていましたが、「ご飯に焦げがない」のに感激しました。「シチューとご飯」のみのちょいと物足りない夕食でしたが、きっとこんな生活が健康にいいのだろう。それと、泡がでる珍しいお茶もついていました。

夕食後、ヨット雑学が坂東さんから、ヨットは風だけで何故動くか?何故風上に行けるかを私が1時間ほどしゃべりました。

この島には電気が来ていません。
よって自家発電です。クーラーもありません。涼は網戸と風だけが頼りですが、健康的な野外活動後でもあり、割合早く寝付けます。

9/20 昨日と打って変わって朝から風がありません。
青島時間7時起床、即朝礼が始まります。
朝礼ではシャツをちゃんとズボンに入れなければなりません。賛美歌を歌い(1年ぶりにアーメンを言いました)、聖書を読み、KGフラッグ掲揚です。
attention. 青島の歌を歌いながら掲揚。any announcement? 解散です。officiallanguage が English なのでちょっとかっこいいかも・・・
青島時間7:30ラジオ体操。
青島では青島時間(サマータイム)が採用されており、1時間日本時間とずれます。
青島時間7:30=日本時間6:30でNHKラジオからラジオ体操が流れてきます。

朝食は、パン1個+ウインナー1個+牛乳+オレンジジュース+アロエヨーグルト、以上です。朝食は定番です。昨年からの疑問ですが、何故牛乳とオレンジジュースが出るのだろう?その分もうちょっとパン増やして・・・
パン1個とウインナーだけでは腹が持たんなあ!と考えつつ、よく考えると日頃よく朝食抜きだ。規則正しい生活を送ると腹が減る。

AMは微風ということもあり、レースをしました。本能的にラダーでスカリングが始まる。まあ最初はスカリングで強制的にバウを向ける技術も必要なので特に何も言わない。
PMは、前島までの遠泳を希望する生徒とヨット希望の生徒さんに分かれ、遠泳の横でヨットレースをする。
鵜飼の鵜のように腰に巻いたシートを伴走船に持たれているが、遠泳しながらしゃべっている子もおり、「余裕やなあ、私もそうやったかなあ?」と思う。

写真とヨットレース成績表をプリントアウトして外に貼る。
夕食後のヨット講座は、河野さんの操船方法の講義。整然としておりよく分かる。
「う〜ん、私はあんな風にいかんなあ」

8/21土曜日。段々と曜日の感覚がなくなってきた。
AM3m/sくらいでレースを入れながら練習。潮の流れがあるので、レース運営も難しい。潮に流される方にフィニッシュを設定し、レース艇の動きによってフィニッシュラインが動くのがおかしい。というか、みんなに達成感がなくちゃね・・・運営が動かしている。

PMは、朝から連絡を取り合った三原監督からの情報でインターハイを見に行く。
3艇に生徒さんや先生が分乗してまず牛窓YHへ、15分くらいだったかな?そこで、三原監督・網野コーチ・川瀬高等部コーチ・笠井さんを拾い、レース海面へ。
レース海面はYHの前で、YHからも双眼鏡でセールNoは読める。
APが上がり、風向の変化でマーク打ち変え・本部船移動という良くあるセレモニーがあり、「はよレース始めて・・・、今日は未来のヨット部員になる生徒さんも観戦しているんだから、ヨットのかっこいいイメージを・・・」

さらに、I旗にもかかわらずゼネリコ2回という、参った展開になり、未来のヨット部員は、眠りの世界に入っていったのであった。
スタート後、レースエリアの外にいる監視船の外を通って上マークを目指す。
が、海上自衛隊の日の丸をつけたインフレータブルボートが近づいてくる。「どちらさんですか?」「キャンプに来たものです」「そうですか、レースをしていますので注意して観戦してください」

黒っぽいウエットスーツに身を包んだ隊員さんが、rescueフラッグを掲げていた。暑いのに大変だなあ、きっと水の中に入りたいだろうな、なんて思ってしまいました。
はるか沖には大型自衛艦がアンカリングしている。あそこから来たんだろうなあ。大げさやなあ・・・他にすることないからなあ・・・平和のありがたさを感じる。

8/22最終日は、4〜5m/sのちょうどいい風です。
沖でレスキューをリーダーにフォロー・ザ・リーダー。後半は1分毎にタッキングを混ぜながらのフォロー・ザ・リーダー、いい感じでついてくる。50°位の角度で上れるようになり、かなり沖合いまで来た。
定刻に沖で青島バックを指示したが、みんな上手にポンツーンに帰って行く。
「お〜、うまなっとるがな」

昼食後、花崎校長よりレース表彰と賞品の写した写真授与があり、無事ヨットを終えることができました。
啓明の高橋先生と安福教頭を中心に、最終日のたった一人の24時間テント生活まであと数日キャンプは続きます。
久しぶりに本土に上陸すると一路神戸のすし屋での打ち上げ目指して車を飛ばしました。久しぶりの娑婆のクーラーとうまいものを腹に入れ満足して解散しました。

2004/8/16
昨日、KGヨット部のレース観戦に行った。
「全日本学生個人ヨット選手権」の関西地区予選だ。
今母校ヨット部には、次男と一緒に小学生から同じクラブでヨットを始めた梅ちゃんがいる。
彼と次男は高校ヨット部も一緒で家族ぐるみの付き合いが10年以上続いている。
彼は、全日本学生団体選手権には1回生から出場しているが、昨年初めて全日本学生個人選手権に出場した。
今年は艇長になって初めての挑戦だ。

関西水域(大阪・兵庫・奈良・和歌山)から6艇だけ選ばれる。
6月の同地域のレースでは個人優勝しているので、楽に全日本に駒を進めると予想していた。
ところが初日、本人に言わせれば安全・確実にいこうと、スタートでギリギリを狙うチャレンジする気持ちが後退し、第1レースで失敗レースをしてしまった。
気持ちの切り替えがうまく行かず、2・3レースもよくなく、後がなくなった4・5レースは厳しい所を狙い、少し浮上してきたが12位というふがいない成績だった。
日曜日は最終日、今日に全てを賭けなければ・・・
大学の観覧船に、今日はやってくれるだろうと彼の父親と一緒に乗った。今日3レースを予定されているので十分挽回可能で、彼の実力からいって、それでも余裕があった。
ところが、スタート予定時刻になっても安定した風が吹いてこない。
最終スタート時刻はPM2時、これ以降はスタートしないので、2時までに風が吹いてこなければ本日ノーレースで順位が確定してしまう。
ところが神様は見放さなかった。
弱い風が吹いてきて、1:55スタート。1レース1時間くらいかかるので当然次のレースはない。6位までの20数点差を逆転できるか・・・
ヨットレースは1位1点・2位2点・・・となっているので、暫定総合上位の6艇に、1レースで20位以上の差をつけなければならない。
自分が走ることは当然だが、相手艇のミスを願う他力本願を臨むしかない。

最終レース、彼は一番有利なスタートエンドからトップスタートを切った。全艇を従える形で風上の1マークに向かう。
ヨットは風上に対して約45°までしか向かえないので、風上マークに向かう時は、まっすぐいけず、右に45°左に45°というようにジグザグに進む。
1艇左の風を取りに一番左寄りのコースを引いた艇に一番強い風が入り、1上マークをトップ回航を許すが、2位で回航。
2マークまでにトップ艇を抜き去り2・3マークをトップ回航。そして次のフィニッシュマークに向かって後続艇との差を広げていく。
そしてトップフィニッシュ。初日の憂さを晴らしたのかフィニッシュホーンと同時にガッツポーズが出た。後は運を天に任せるしかない。2・3位も母校艇がフィニッシュする。3艇出場して、1・2・3なので、観覧船ではお祭り騒ぎ。

陸上に戻り、最終レースの成績が出るのを待つ。確定順位が出た。彼の親と点数計算を始める。1〜4位には届かない。あと全日本への椅子は2つ。5・6位が共に、トップ艇フィニッシュから15分以内にフィニッシュしなければならないというルール内にフィニッシュ出来なかったようで、最下位点になり脱落。7位には届かない。残る椅子は1つ。8〜11位には逆転して、奇跡の総合6位に滑り込んだ。
親は「いいもの見せてもらった」と大喜び。6時間に及ぶ海上での待ち時間の間も気持ちを切らさず、最終レースのスタートに集中した気持ちの強さに脱帽した。
「おめでとう、よかったな」と一声かけてヨットハーバーを後にした。彼の父親と帰り道いろいろ話した。

いろんなことを思い出した。ヨットを始めた頃、風が強くなってくると怖くて泣いていたこと。
でも忘れることが出来ないあの体験。
中1で全国トップ40に入り、初めての世界選手権最終選考会の最初のレ−スが25m/sの風で、今まで走ったことがない。
とても無理だと思いチーフコーチの私が「この風は経験がない。船を壊してしまうと明日からのレースに出られない。1/4はリタイヤして出ないそうだ。もし出るならどんなことがあっても絶対にレスキューする。選手である君達が自分で決めることだ。出なくても臆病だとは思わない。私だって怖い。リタイヤするのも勇気がいることだ。どうする?」と聞くと、予想に反して、当クラブから出場した4人全員が躊躇なく「行く」と闘志あふれた目を返してきた。
チームの気持ちは決まった。
4人の親で役割分担した。1人はレース運営に行かなければならない。お母さんに陸上からレース海面を見て、沖に流される艇がいないかの見張りをお願いした。そして私と梅父はレスキュー。
あのレースは厳しかった。レスキュー自体転覆の危険があり、梅父と私はライフジャケットを身につけ、どんなことがあっても彼らを助ける覚悟で出艇した。レスキュー燃料を補充している間にレース艇は豪快にハーバーから荒海に出て行く。子供たちが覚悟を決めてチャレンジの海面に向かっているのに、私たちは見守ってやれない。
やっと補充が終わり、心配なので全速でレース海面に向かう。
もう既にスタートしていた。案の定、次男はスタートラインで転覆して、自分で起こして再帆走したがスタートに間に合わずリタイヤしたようで、本部船に他の数艇とともに繋がっている。JPN2689のセールナンバーがみえた時、レースしていないという残念な気持ちより、生きているという安堵の気持ちの方が強かった。「大丈夫か」と声をかけると、「うん」と言いながら、スタートできなかったのでかっこ悪そうに目を伏せる。しかし私は我が子の無事な姿を見て安心した。
すぐさまあとの3艇を探す。2艇発見。レース続行不能状態で風上マーク付近で右往左往している。これでは時間内のフィニッシュは不可能なので、リタイヤを指示して、2艇離れずにハーバーに帰るように指示する。
最後の1艇。彼だけが何処にいるのかわからない。私と彼の父親は必死に探す。父親の顔が曇ってくるのが分かる。かける言葉が見つからず必死で波間を探す。

クラブで一番上手な子でも帆走不能だ。とても彼は帆走出来ないと私たちは思い、何処かでひっくり返っていると予想する。岸からの風なので、どんどん沖に流されるはずなので、全速で沖に探しに行く。波間に白いものが見えると全速で走って行き、彼の船かどうか確認する。
ライフジャケットを着ているので沈む心配はなく、船も不沈なのでひっくり返っても白い船のボディーは確認できる。船から離れないのが基本中の基本なので自ら離れることはないし、よっぽどの事がない限り、自分の大切な船を見捨てるセーラーはいない。
しっかりした安全指導はしてきたし、パニックに陥る選手がトップ40にはなれず、彼らの技術は信頼している。しかし船が壊れることはある。
最悪事態は想像しなかったが、1人で波間に漂うのは心細いだろう。何よりコーチとして、選手の所在がわからないのは失格だ。
上位艇1/3は上手に船を操り、フィニッシュ目指してぶっ飛んでいる。とても小中学生とは思えない豪快なレースだ。
しかしこちらはそれを見て楽しむ暇はない。4人目を見つけなければ・・・
風下からくまなく探して風上に向かってきたが彼はいない。レース海面に戻ってきた。「ここにいるわけがない、もう一度風下に行こう」と彼の父は言う。
ふと見ると、彼のセールナンバーJPN2690がレース海面を走っている。いや〜ホッとした。と同時に帆走できないだろうと考えた自分が恥ずかしかった。選手を信じてやれないコーチは駄目だな。
トップ艇フィニッシュからかなり時間がたったので、フィニッシュしても時間内フィニッシュは無理で順位はつかないだろう。でも苦労しながらも、一生懸命フィニッシュ目指してファイトしている。

その彼が来月全日本に艇長として挑戦しようとしている。がんばって欲しい。

2004/8/9
金曜日ラックのおっちゃんのお通夜に行った。ラックには本当にお世話になったから、店を30分早仕舞いして駆けつけた。もう誰もいないかもしれないなと思いながら着くと、各校ヨット部関係者がたくさんいた。おっちゃんの顔はきれいだった。「安らかに眠ってください」。そこで久しぶりに関大の竹沢さんに会った。相変わらずかっこいい。1回生のとき、関西スナイプトップレーサー、4回生KG渋川さん・関大竹沢さん・近大森さんの争いにちょっとあこがれた。あんなに速くなれたらいいなと思っていた。竹沢さんはヨットの虫がうずき出して、来週のレーザーマスターズに出場するらしい。
土曜日「冬のソナタ」をまた見てしまった。ちょいと悲しい展開から、来週は少しハッピーな展開に変わりそうな予感だ。まあ楽しませてくれる。
日曜日、琵琶湖の練習に参加した。12月のプレプレと6月のプレを比較していると確実に上位3校との差が縮まっている。横文字を削除しAチームだけの成績をエクセル関数で並べなおすと、9レースして470は30点も差がない。スナイプだって80点くらいの差だ。これは横文字1発で逆転可能ラインまで追いついたことを意味している。その表を持って、数字の上で現状を説明し、意識してもらう為にマネさんに壁に貼ってもらった。レースまで毎日これを見て、「駄目だろうな」から「上位3校に入れたらいいな」さらに「きっとベスト3に入れる」に意識を変えて欲しい。その意識があると、横文字をくらう事がなくなるだろう。「絶対横文字を取らない」という意識があれば、実力的に最終日まで接戦でいられるはずだ。これからレース最終日まであえて顔を見せないつもりだ。これからこのチームの総決算、ヨット漬けの半月が始まる。チーム内で求心力を高めて最後のレースに臨む方がいいだろう。もう私から言うことはない。応援するのみである。

朝9時に出艇しましたが、曇っていた空から日差しがさし始め微風で、グロッキー気味の練習になった。といっても私だけで、選手は今月末に迫ったインカレ予選に向けて、微風のいい練習になりました。近くで練習していた金沢大からもちょっとヒントを得たようです。いろんなところからヒントを得て、ミ−ティングそれが出て、日に日に上手になっていくのが分かる。さらに一緒にレスキューに乗った1年生は、元気ハツラツで、泳いでいました。
女子マネージャさんのおいしい昼食後、午後の練習は、マネさん3人がレスキューに乗り、大勢で練習をサポートした。適正な位置にマークを打つこと、スタートラインの設置、ホイッスル・マイクの使用など、1日でみんな上手になってきました。夜のミーティングでキャプテンに誉められ1年生も鼻が高かったのではないでしょうか。これから半月、最後の仕上げなので1年生は、ヨットに乗る人数が減り練習運営にウェートがかかりますが、上級生のサポートをしっかりしてほしい。
マネさんは湖上に出る機会が少ないので、レース練習のときレース艇に接近してレスキューを走らせ、存分に選手ががんばっている姿を近くで見せた。レースの解説を入れながら、ボートを走らせたので面白かったと思う。各マークをテールトゥーノーズで回航し機敏に体を動かす選手を見て「かっこいい」と思ってくれたら目的は果たせました。レースの勝ち負けは時の運もあるが、やはり総合力の差が出ます。食事を作ったり、艇庫を掃除して住環境をよくすること、笑顔で「おつかれさん」と声をかけることで総合力が高まります。
今日は琵琶湖花火大会だった。夜のミーティングの途中で、「ドーン」と花火が上がり始めた。しかし、いつも通りのミーティングが進行していく。「ドン、ドン、ドン、バーン」、たまらず、「俺もう我慢できん」、と今年卒業したOBが中座する。しかし、軽く笑顔を見せながらキャプテンが、「もうちょっと、しよか」。「バーン、ドドド」ミーティングの横を女子室でゆかたに着替えた1年マネさん4人が外に出て行く。「お、なかなかだ。見て、似合ってるよと言ってあげないとかわいそうだろ」なんて勝手に理屈をつけて私も中座。いやあ若い子の浴衣姿はいい。ミーティングが終わってでてきた次男も浴衣だったが、寝巻きに使用してヨレヨレなのでダサい。「そんな格好で外に出てきたら逮捕されるぞ」なんて思いながら・・・艇庫前の湖岸で暗いし、彼は平気です。
帰りの車の中で、彼女達の浴衣姿が浮かんできた。長男が生まれる時、女の子なら「アイリ・愛里」という名前にすると家内が決めていた。2人目も男の子で、3人目はなかったので日の目を見なかったが、愛里ちゃんが生まれていたら、あんなだったのだろうなあと少し残念だった。「きっと美人だっただろう」と確信している。

2004/8/2
「冬のソナタ」また見てしまいました。あら〜、兄弟か?展開になってきました、ますます昼メロの世界です。また次回も見てしまいそうだ。
8/1は琵琶湖行きでした。KKRホテルで開催されている全日本スナイプマスターズに先輩2艇が出場しているので、朝一番に寄った。艇置き場にはまだ誰も来ておらず、KG艇のオーニングをはずしていると選手が集まってきました。清風の西村先生・刈谷先生ペア登場、同志社の船で密かに優勝を狙っているのだろう。河野さん・濱永さん・中村さん・多田さん、KGメンバーも登場です。
向こうから見慣れた歩き方・体型・顔・・・似てる人がいるなあと思ってたら、福山jr浜田さん本人だ。子供たちのOptiサポートに飽きて?選手として登場です。初日は台風の影響で風が上がって出艇しなかったようですが、結局ノーレースになったようです。同時開催の全日本スナイプ女子選手権では、関大の女の子がトップフィニッシュしたそうです。艤装を手伝っていてやっとランチャーシステムの艤装がわかってきました。
その後京大の練習に参加。10m/sオーバーの風が入りいい練習です。レース本番海面で1上まで10分のマークを打った。振れなどのパターンを頭に入れて欲しい。昼陸上に上がるとマネージャーさんのおいしい昼食が待っていたが、マスターズ選手権が終了しているようなので、解装を手伝いにKKRに向かった。解装と昼食を食べながらレースの様子を伺う。第1レース第1マークは2位・4位回航したが、中村艇はサイドマークで沈したらしい。中村さんの面白おかしな解説が楽しい。
午後の練習はマスターズにレンタルした艇の引取りがあるので変則的だ。出艇してAM同様のマークを打ち、KKRにレスキューボートを横付け。閉会式を待っている間、浜田さんから関大の女の子が女子選手権ウイナーになったことを聞く。早速関大田中監督に電話したが、既にOptiヨーロッパ選手権に向けて機上の人になったようで繋がらなかったそうです。8月は田中さんついてるかも、ヨーロッパ選手権でも誰かがやってくれそうな予感がする。
閉会式後、艤装して京大2滋賀医1を帆走回航に出発し、バーゼル3をレスキューボートに乗せて艇庫沖まで来る。今日インフレータブルのエンジンが調子悪く、この大きなレスキューでは浜に着けられないので、ライジャケをバーゼルにくくって浜の風上から流す。順調に流されて浜に近づくが受け取る方の人が滋賀医の人1人で、ジェットスキーの人に迷惑がかかると柴本君が飛び込んだ。1回生も志願してくれた、しっかりしている。
練習後のミーティングが終わり、明日のテストの為に京都に帰る忠成君・同じく明日明後日テストの入口君に4回生の高井さんを乗せて比叡山越え。高井さんは来週大学院入試で明日は実験らしい。院に上がる部員が多く、来週工学部4回生はみんな練習をお休みのようだ。入口君は毎月1回実家に帰るのを条件に下宿しているので定期帰宅らしい。忠成は下宿に帰らず直接学校で降ろした。下宿に帰っても勉強道具(製図板・・・)がなく、多分今日は学校で徹夜勉強になるのだろう。「風呂にも入りたいけど、下宿に帰ったら眠ってしまいそうや」ちゃんと学校でも宿泊できるようになっているのがすごい。今日吹いたから体はしんどいだろうけど、気持ちよく練習できたので頭すっきりしてもう一がんばりするのだろう。我が子ながらがんばりやさんだ。もうテストが終わった部員は明日も練習だ。みんなそれぞれのヨット部を持っているニュートラルな雰囲気がこのクラブに漂っている。
レスキューの上で4回生吉川さんから「川田君知ってますか?」と声をかけられた。7大学で会ったそうで、同じ高校出身なので話が弾んだのだろう。「理Vはすごい、うちの学校でも学年トップ5に入っていたんじゃないかな」と言っていた。忠成が車の中で、「川田君が中学の時よりかなりオープンな性格に変わってた」と教えてくれた。川田君は470にあまり乗っていないようで、レースになると出て来るのかなあ。彼もマイペースのヨット部だ。


2004/7/31
田中さんが来られた。吉田さんに続き、田中家も航輝君のヨーロッパ選手権のサポーターで一家で海外旅行だ。うらやましい〜。選手の体調管理や成績に一喜一憂だろうけど、今までで最高の夏休みになるだろう。ヨーロッパも天候不順で先日ドイツで雪が降ったとニュースで言っていた。風邪ひかないようにレースを楽しんできて欲しい。

今まで見た映画で印象に残ったのは何だろう?「ベンハー」「スターウォーズ」「燃えよドラゴン」「魔女の宅急便」「マイウェイ」「私をスキーに連れてって」・・・でも一番は「ジョーイ」だ。いくつの時に見たかもう忘れたが強い印象を私に残し、再び映画館に足を運ばせ、後年になってレンタルビデオでも見たような記憶がある。探したけどなかったんだったっけ?TVの洋画劇場でも2回見た。ジョーイは購入して手元に置いておきたいが何処にも売っていない、残念。
ペンシルベニア州立大QBからプロフットボール選手になったジョン・キャパレッティの実話だ。白血病の弟ジョーイを持つ兄は弟の闘病生活を間近で世話しながら、全米学生最優秀選手ハイズマン・トロフィーを得る。弟が兄の活躍を糧に病気と闘っているので、それに答えようとがんばったおかげでハイズマンに手が届く。その授賞式で弟の事を語る兄の言葉は涙なしには見れなかった。
でももっと感動したのは、両親の姿だ。小さな頃からハンデを背負った弟にも、スポーツ万能の兄と同じように接している。日常になっている病院への送り迎えや入院も、穏やかな表情でこなす。しかも父親は、ジョーイがしたいと希望した野球をチームの監督という立場でサポートしている。チャンスでジョーイに打順が回ってきて、凡打だろうと落胆するチームメイトの親を尻目に一生懸命応援し、三振にがっかりして自信を失い投げやりなジョーイに温かい言葉をかけて励ます。チームメイトも落胆の後、ジョーイを励ます。とてもすがすがしい光景だ。
私にとっての理想の父親はあれだ。理想の家族像をこの映画に見たのかもしれない。その後結婚して子供が生まれ、何処かでこの映画の家族の姿を追っていたように思う。「強制しない、失敗を責めない、やりたいことを十分にサポートする」。日曜日にチームを引率して試合に臨み、活躍できない息子を代打に出し、敗戦の責任を負いながら、息子をかばう。ウィークデーは家具職人として仕事場で目立たず働き、長男のハイズマントロフィー授賞式に出席する為に職場責任者に初めて休みを切り出す。あまりにかっこいいお父さんだ。
長男が野球を始めた時、監督さんやコーチのサポートをしたかった。野球は下手だけど、球拾いや応援ならできる。試合の行き帰りの運転も手伝える。でも長男は親が見に来るのがいやらしく、当時は仕事も忙しく行ける機会も少なかった。もっと一緒に行けるなら来て欲しかったのかもしれない、悪いことをしたな。次男とは一緒のチームでヨットが出来てありがたかった。いい子達に恵まれた。
田中さんたちも2週間のスウェーデンでかけがえのないものを得るのだろう。

2004/7/26
24日は冬のソナタを見た。いい感じに主人公達がハッピーエンドになろうとしている時になんと新たな展開、「実は兄弟だった」なんて方向に行きそうだ。完璧に「昼メロ」の世界でそれを見る世代に受けるわけだ。それを楽しみにしている私はとうとう「おばさん化」し始めたのだろうか?
25日は艇庫であったKGSC理事役員会に出席した。いろいろ話し合われ、上の世代の力強さには恐れ入る。KGヨット部70周年記念誌作成の議題があった。HPを担当しているので、なんとなく仕事が回ってきそうな気がしていたら、やっぱり、編集委員になりそうな感じだ。まだ3年も先なので気楽だ。あと1年とか半年とかにならないと気合が入らないような気がする。冗談半分に「物故者にならんようにしよな」、ウワー何という発想、大先輩にとって3年先はそんな感じなのかもしれない。まあ私だって明日どうなっているかわからない。この会議は、担当者が決まるのが早いような気がする。年功序列のみが存在する唯一の基準で、「○○君、やってくれんかな、頼むわ」の先輩の言葉ですんなり決まる。どうしても出来ない理由がなければすんなり受ける。そんな感じ。
関西ヨットクラブで昼食後、艇庫前に戻った。河野さんが黙々と来週のスナイプマスターズに向けて艤装チェックをしていた。パリパリのニューセールはなんとラジアルカットではないか。トップバテンのところのリーチが外に膨らんでいる。スナイプのルール改正で、リーチのふくらみがOKになったらしい。外国では、フットがアウトホールにかけて切り上がっていて、その分のセール面積をリーチに持ってきて、思いっきりリーチの膨らんだセールがあるらしい。
その後、ドラゴンの整備。ランナーを取り替えるのでマストに登り、ランナーをはずしてこなければならない。「誰が登るの?」、年齢からも体重からも私だろう。当然そうだろうと、マストをスワイプする用のズボンを持ってきた。マストに登るのは初めての経験だ。「怖いだろうなあ、高所恐怖症だし」と思っていたが、ハーネスをはき、メンハリのシャックルを留め更に雑シートを結ぶと肝っ玉が据わってきた。楽チンにウインチで引っぱり上げてもらえると思っていたら、自分でよじ登り万一のためにメンハリがあるらしい。何とかランナー取り付け部のビスを緩めて作業完了。怖いと思って下を見ないようにしていたが、ビスが硬く、マストを握る手やステイに絡ませている足を気にしていては力が入らないので、気にせずビスに集中して必死でドライバーを回していたらステイやハーネスへの信頼が高まり平気になってきた。スピンハリの取り替えもうまいこと行き、さあ片付けようと思ったら、ジブハリがたるんでいる。ジブハリを引こうとコクピットのシートを引いても反応がない。ジブハリのコクピット側先がマスト内に入ってしまった。「アチャ〜、もう一辺登らなきゃ」、スピンハリ作業中に変なとこ触っちゃったかなあ?シートの端がシーブを通ってマスト内に入り込まないようにエイトノットは基本中の基本、解けちゃったのかなあ?次はちゃんとチェックしよう。本日は結局3回マストに登った。ノースの470クリニック海上練習を終えた梅野が関西ヨットクラブの方に歩いて行くのが上空から見えた。座学の講習か?お茶か?「オーイ、交代」って言いたくなった。
来週は琵琶湖へ行く予定なのでKKRにもちょっと寄ってみよう。

2004/7/19
18日は新西宮のポイントレースに出場。今日もバイクで西宮に向かった。朝から風が結構有り、これじゃあ出艇出来ないかなあと思いながら西宮に走らせる。着いてみると防波堤の切れ間から見える海はウサギさんがいっぱい飛んでいる。10m/sオーバーの感じ。ドラゴンのリグは大丈夫なのだろうか?関大・阪大が練習の用意をしているが結局阪大が少し練習しただけで帰ってきた。
艇庫で日焼け止めをしっかり塗って艇置き場の方に歩いていくと、既に降ろされているドラゴンが数艇、「この風でも大丈夫なんだ」。破れてもOKなスピンを付けて出艇、防波堤の外の定番のレース海面で3レースしました。8〜12m/sで、風が上がるとスピード負けしているような感じだ。今日は諏訪さんと田中さんが速いようだ。田中さんは出艇前桟橋でマストをさらに後傾にしていた。クローズのクルーは結構他を見れるので田中さんを見ていると、ジブリーチは結構閉じているがオーバーヒールが少ないような気がする。自艇で閉じるとヒールオーバーが来る。ヒールパワーを前進パワーに変えるセッティングが必要だ。艇メーカーもセールも違うのでそれぞれに合ったセッティングが必要だろう。レーキはどれくらいなのだろう?470のチューニングボートに乗っていたので、各部の数字が気になる。最終レース下マークでスピンをまた落として船の下に入ってしまった。今回は完全に船の下に入ってしまい取り込み不可能になり、シートを全部はずすことになりました。やっぱり即ラフで止めた方がよかったと思う。他艇を見ていると、タック時のジブの張り替えが早いように思う。タイミングがまだうまく行っていないようだ。
レースからの帰り、赤灯台付近でOPがしっかり走らせていた。ゴールドクラスだろう。波の練習に沖まで出てきたのだなあ。私はウインチとスピンパワーで腕力低下しているのにこの子達は元気だ。港内中央ではシルバークラスが練習していた。次世代の兵庫jrを担う子達もしっかり走らせている。
OPシルバー付近にいたツインスターが近づいてきた。今日は啓明中・KG中土曜講座生徒達を乗せて大阪湾クルージングの予定だったが、この風で断念してセールを上げずに港内一周かな?ツインスターの前でファーラーしていたジブを出してデモンストレーション帆走した。タックのジブ張り替えも無難にこなし、少し風が落ちるとうまく行くんだけどなあ。大きい船のセーリングを見てもっとヨットが好きになってくれたかなあ?ヘルムスがいつも教えている河野さんなのでより親密感があるような気がする。その後、今朝入港してきたヘリコプター搭載護衛艦の方に向かって行った。これも海の楽しみです。数年後にはKGヨット部だよ。
19日、河野さんは今月末に迫ったスナイプマスターズに向けて練習するらしい。KGが試験休みなのでKDの学生に練習に混ぜてくれるように頼んできたそうな。「元気やなあ、私は今日の風でヘトヘトなのに・・・」

今回のレースでも失敗をたくさんした。目に見えないミスをいっぱい。上回航前にスピンポールの入れ替えをしておくべきでが、40°はヒールしているバウデッキに行って入れ替えるのは落水が心配でどうも行けない。ミスや準備不足で慌ててやらないといけない時でも、渋川さんから「落ち着いて、あわてんとゆっくりいこうや」と決まって声がかかる。あの声で、よりがんばろうと思う。「叱るより誉める」が勝ち、「北風より太陽」が勝つ。「制限より自由」が勝っちゃうんだよな。スポーツ指導員資格取得のテキストにも、「叱るより誉める」方がいいと書いてあった。

2004/7/16
小巻さんから同志社ヨット部ファミリーデイの様子を聞いた。以前日記にも書いたが、今年のKGファミリーデイに参加して、OBの為のファミリーデイになっており、せっかく不安ながら我が子はどんな所で、どんなチームメイトとクラブをしているのだろうと来て頂いた親が小さくなっているような気がした。あれでは親の協力が得られないように思った。部員がOBの世話をしている姿を親が見ても面白くないだろう。実際に練習しているヨットに子供と乗り、生き生きとしている姿を見たいと思う。
先週同志社ファミリーデイがあったようでその様子を聞かせて貰った。部員と親だけでOBは誰も参加しない、親が来ない子などは学校の友人などを呼んでいるようだ。親は夫婦で参加の方が多く、40人も集まるらしい。OBがゼロなので部員も生き生きと、親と乗ったり、練習をレスキューに乗っている親に見せたり・・・遠く広島から毎年参加される方もいるらしい。OBファミリーデイは別の日にしているらしい。そう言えば、僕らの時はヨット試乗会をして、友達などを呼んで楽しむ日があった。次の機会に提案してみよう。
小巻さんから「全日本学生個選(小戸)」に誘われた。琵琶湖jrと兵庫jrの元Optiパパで行かないかとのことだ。多分同志社ファミリーデイで今井さんとの話で出たのだろう。今井さん・疋田さん・西村さん・野田さん・小巻さん・豊田さん・梅野さん・私だそうだ。でもその前に我が子が予選通過しないと・・・当然通過するものと思っているのか?まあ我が子がいなくても知ってる元Optiは多数出るだろうから楽しめるだろう。金曜晩出発して土曜はホテルのスイートをルームチャージして頭割りだそうだ。向こうでの観覧船の手配は?ひょっとして甲山さん?昨秋西宮学生全日本で来て貰ったからなあ・・・いつまでも続くOptiファミリー親の会。ター君は、1年次点・2年次々点だったけど今年はなんか行けそうな気がする。プレでは個人2番だったし。というより、全日本で勝てる力がある。得意な風域とラッキー2回で優勝できる。間違いなく全国トップ15の1ペアだろう。琵琶湖の風が分かってきたようで安定している。あの難しい風が予想できるなんてすごい、琵琶湖の風パターンを教えてもらおう。私よりはるかにうまくなったような気がする。すごいなあ〜。
7大学が終わった。今年は勝てると思ったが、アンラッキーがあり京都は2日目全艇DNCしたようで勝てなかった。予想では、所属水域の強い所がやはり強く、九大・東大・京都に絞られ、東大は部員不足がネックで、昨年より強くなっている京都が有力と踏んだが・・・1日目はやはりトップだったらしい。アクシデントから一刻も早い回復を願うだけだ。川田君が東大470で来たらしい。成績を見ると1日目1・4位、ター君が2・1位、お互いに楽しかっただろう。次は何処の大会で一緒になるかなあ。

気持ちのいいメルマガに会った。「glory joyさん」発行で英語塾をしているようだ。子供との接し方がやさしくとても共感する。「ついてる、とっさん」のと共に読もう。

2004/7/13
7/10唯一欠かさず見ようとしているTV「冬のソナタ」を見た。また泣いてしまった。家内も見ているのか部屋の外から聞き耳を立てたがどうやら別のTVを見ているらしい、おかしいな先週は見ていたのに。この手の涙物は家内と見たくない。大抵私の方が先に涙を流すので隣の家内が気になって仕方がない。伊丹にシネコンができるまで、小さな映画館で独占状態でオールナイト1回目上映を見に行ったが、ここは暗くてよかった。シネコンが出来てこの映画館がなくなり以来映画とご無沙汰だ。この映画館は学生からの私御用達だった。「すいている」のが最高にいい。デートの時はさすがにここには誘わなかったが、大阪の映画館は人が多く適当に席を移動できないのがあかん。子供達を連れても行ったし、子供が小さな時、子供が寝てから隣の両親に頼んで、家内と見に行った。なくなってしまって、残念2
先月Optiヨーロッパ日本代表選手合宿が西宮であったとき夜お邪魔した。その時も土曜日でお母さん方は一斉に「冬のソナタ」を同じ部屋で見ていた。私も誘われたが、涙を出したら何と言われるか?後々の私のイメージに響くので見なかった。だってほとんど毎週涙が出てしまうから。
でもNHKは気に入るドラマをよくやってくれる。「アリーマイラブ」「ホワイトハウス」「救急救命センター?」「イギリスの喜劇の・・・う〜ん忘れた」「グレッグ&ダーマ」・・・そして「冬のソナタ」。世界の何処かで大好評だったドラマは大抵面白い。人種が違っても頭の構造はほとんど同じなのだろう。

7/11ドラゴンの練習で西宮YHに行ってきました。その前に国民の義務?権利?の1票を投じてきました。今回は投票所で投票用紙と交換する通知書が変わっていました。今までは家族全員分が1枚のはがきに連名になっていて、該当者の部分を切るタイプだったけど、1人ずつ別々の通知書になっていた。
次男にも初めて投票用紙が届いた。とうとう満二十歳大人の仲間入りだ。彼はその権利を行使する為にわざわざ下宿から帰ってきた。というのはうそで、7/10-11の北海道であるレースに出るために数日前に帰ってきた。伊丹から千歳に飛ぶようだ。
ドラゴンで沖に出るとY23のマッチレースをしていたので、ちょっと見学をした。後ろを取ってタック・ジャイブのプロテクトをして、スタートから有利な位置関係でスタート。抗議旗が揚がりホイッスルが吹かれてペナルティー旗が揚がり、見ていて結構面白かった。でもしょっちゅうホイッスルの音が聞こえ、ジュリーは大変だ、見ていなかったら選手から「ぼろかす」に言われるのだろうか?
KGOBクルーザージャッキーも見ていました。長井さんと小堀さん乗艇です。「昼、陸に上がる?ちょっと話があるんや」と声がかかる。で沖弁が変更になり、昼上がることになった。ジャッキーにお邪魔すると、そうめんが待ち受けていた。まあ他愛のないよくある「この日空いてる?メンバー足らんのやけど都合つかんか?」の話でした。
チラッと艇庫の方を見ると、A3001?A3701?のセールが見えました。先週のA級全日本でタイトルを取れなかったので、早くも浜のA級は来年に向けて始動のようです?
帰りに艇庫シャッターが開いていたので覗くと、桐谷さんがスナイプトランサムにゲルコートを塗っていました。「おかま」されたのかなあ?試験中も1週間に1回艇庫見回りをしているようです。ご苦労さんです。よくある浜の日曜日の光景でした。

さて、帰路に着くやいなや日頃の行いの悪さが災いしてか?夕立にあいました。ってどうってことないように思うでしょうが、実は伊丹からバイクで来ていたのです。先週昨年壊れたバイクの代わりを購入し、初めての遠出でいきなり雨に降られてしまいました。YHを出てすぐポツっときましたが、ドラゴン乗艇中も通り雨に降られたので、2度はないだろうと思っていたら、ザーっときました。西宮大橋上で雨宿りする場所もなく、そのまま突っ走りました。
雨宿り&ちょっと乾かそうと近くのユニクロに入りました。「ちょっと冷房効きすぎやろ」と1人で文句を言いながら、濡れた体を更に冷やしてしまいました。ウロウロしていると、「このサングラスどうよ」「ドライイージーパンツやって、船に乗るとき早よ乾きそうや」といらん出費で懐も冷えました。
更にすそ上げに30分かかるそうで、「こんなとこにおったら冷えるばっかりや」と思い再びウロウロし始めると、「ラックのおばちゃん居てるかな?」と頭に浮かび、懐かしいラックに行くことにしました。外の喫茶Luckの看板は中に入っていたけど、中を覗くとアキちゃん居てました。
「神谷君久しぶり、ようこっちに来てるの?子供さん大きくなったでしょ。こないだあんたんとこの有馬君が家族と一緒に寄ってくれたんよ・・・」「元気そうやん・・・。渋川さん・河野さんとヨットに乗ってきた帰り・・・」。
昔話、今の話、今年は何処が強いの?、甲南はどう?・・・「あんたんとこの笠井君のお子さん芦屋でやってるの?」「まんぞう君のとこの子供やってるの?」・・・あっと言う間に30分が過ぎました。「また来るわ」「また寄って、渋川さん・河野さんによろしくね」。

日頃の行いがよく、雨に降られたおかげで、サングラスもパンツも買え、アキちゃんにも会えた楽しい1日でした。伊丹に帰ってくると雨の跡がない?「なんでやねん」とつっこみつつ自宅につきました。しかしバイクは気持ちがいい。基本的に冷房が嫌いなので、真夏でも窓全開で車に乗っている時がある。子供が小学校低学年の頃まで乗っていた車には冷房自体つけなかった。なんかあの変なにおいが車の狭い空間に充満するのが気持ち悪い。家内など滝のような汗を流しながらお盆の家族旅行に行った。「小さな子を冷房で育てたら体が弱くなる」という独特の理屈を通していたが、今子供達は思いっきり冷房を使う。反動か?育て方を間違った?生意気に冷房を付けながら寝ている。私は家でほとんど冷房をつけない。この我慢大会が気持ちいい。変かなあ?
ついでに言えば、車のオートマチックも嫌いだ。「走り屋の私にはミッションが似合う」これを言うと大抵笑われる。「走り屋がなんでワンボックスワゴンやねん、なんでディーゼルやねん、いっこも走らんやないか」。でも今どのギアかようわからんオートマは嫌いや。さらにパワーウインドが嫌いや。料金所でさもパワーウインドを操作するように、涼しい顔で手首だけでハンドルを回して窓を下げるのに自信があったのに、学生時代後ろで走っているツレから「パワーウインドついてるん?」と言われるのが快感だったりもした。前の車を買ったとき、「え〜、ミッションですか?あったかなあ」なんて言われた。ミッションは一応あったが、窓ハンドルのついた車はなかった。仕方なくパワーウインドーにしたが、これまた残念3

2004/7/10
曽我ひとみさんがインドネシアで家族と再会できた。本当に良かった。一連の北朝鮮拉致事件関係がだんだんわかってくると、いろんな疑問が頭に浮かぶ。強制的に他国の人を連れて来て、自国の為に働かせることは良くない。いくらいい待遇を与えても被害者の方々が結局日本を選ぶのは、自由があるからだと思う。自分のしたいようにできる自由が一番大切なんだなあ。これからも人の自由を制限する行動には反対意見を言おうと思う。制限する人は制限された人から好かれることはない。それに反対する意見が出ることで、制限する人も何かを気付く。そして修正する。それでいいと思う。自由の制限はイヤだなあと思いながら何も言わない人は、軋轢を生まないので世渡り上手かもしれないが、それでは自分の所属グループが表面上だけの付き合いになり、真の信頼関係で結びつかず結局弱いグループになってしまうだろう。どうしても意見のいえない方もいるので私は言う人でいよう。
何故国として拉致という犯罪を犯したのに、人道支援と称して食糧援助などをするのか?過去朝鮮半島の人々を当時は日本国内移動だったとはいえ、強制的に連れてきて炭鉱などで働かせたことをちゃんと「ごめんなさい」と謝っていないからきつく言えないのだろうか。ミサイル開発や核開発を中止してもらう代わりに食糧援助というのも筋が通っていないような気がする。経済力があるのだから、そちらの面から何とかできないのだろうか?子供には理解できないだろう。棒を持ってきて「叩くぞ」と言ってくる相手に、「飴あげるから、棒を棄てて」と言っているように思う。次はバットを持ってきて・・・と永遠に続くように思う。そうじゃなくって「もし叩いたら、叩き返すよ。そして2度と飴をあげないし、友達のたけちゃんやまっちゃんにも言って飴をあげないようにするよ」そして、「あのね、隣のたけちゃんやまっちゃんは、僕や遠くのひとみちゃんからあめの作り方を教えてもらって、おいしい飴が作れるようになったんだ。それを買ってひとみちゃんやまほちゃんがすごく喜んでるし、たけちゃんやまっちゃんも売ったお金でひとみちゃんからきれいな服を買って喜んでるよ」。「ケンカするんじゃなくって仲良くしようよ」みたいにならないのだろうか?人道援助として食料を北朝鮮に送っていることは現体制を延命させているだけだと思う。対価を払わない以上食料を渡さないようにすると、いずれ内部崩壊が起こると思う。まあ私のような単純な考え方、理想論では世の中うまく渡れないのだろう。
それにしても曽我ひとみさんは強い。あれだけの災難に合ったにもかかわらず佐渡で家族を受け入れる為に自立して働いている。私たちの苦労なんて足元にも及ばない。見習わなければ。
昨日小学校の同級生が店にやってきた。公明党の市会議員で選挙のお願いだ。公明党は議員定年制があり結構好きな党だ。でもイラクの自衛隊が多国籍軍に入ることになるのに納得出来ない。実質的に軍隊かもしれないが、ずっと自衛隊と呼んできた。「名は体を現す」小学生でも、自分を守る隊と分かるけど、外国でとはいえ軍に入るんだ。こんな大切なことを一存で約束していいものだろうか?「実質的に今までと同じ活動を続けるだけだ」と言うなら多国籍軍に入らなくてもいいんじゃないのかなあ。「Armyじゃなくってself-defense forceでいこうよ」。公明党や自民党の内部からももっと反対意見が出てもいいと思う。なんか自分の保身の為に、自分の地位・グループ内の自分の位置のために声を出さないようにしているように思う。最初に声をあげるのは勇気のいることだけど、とても大切なことだ。1人目がいないと2人目は現れない。1人目がいないと、声の大きな人に引きずられてしまう。合議制というのには大きな落とし穴がある。「みんなで決めた」という外見上の民主的な手続きを経ているので、責任の所在が不明確になる。グループでは声の大きな人や発言回数の多い人の意見に引きづられる。つまりグループ内の1人の声の大きな人の意見がグループ全員の意見になってしまう。私は最初に声を出す人を尊敬する。たとえ自分と反対の意見でも尊敬する。小泉さんも自分の意見をずっと言ってきた。体制に引きずられない雰囲気が人気を得たと思う。明日は参議院議員の投票日だ。1票の権利を行使できる日だ。過去1回しか選挙を棄権したことがない。不在者投票も過去何度しただろう。
京大の荒川君のミーティング司会はすばらしい。タイで経験したミーティングに似ている。ユーモアがあって意見の出ていない部員を流れに乗ってうまく指名し、流れと違う意見でも言いやすい雰囲気がある。私は真面目すぎて駄目だ。彼からもっと学び取ろうと思う。

2004/7/9
一昨晩忠成君が帰ってきた。明日からの7大学定期戦の主管が北大なので今日伊丹から飛行機で行った。最初私が空港まで送っていく予定だったがじいさんが行くことになった。車で10分なのですぐだ。ヨットはたしか去年九大が優勝した。今年は強いので優勝する力はあると思う。でもまあ、他大学に友人を多く作って欲しい。きっと将来力になるだろう。主催校が東大・名大・北大と変わってきたが来年は何処だろう。京都はないということだったので、大阪だったらいいな。西宮なので応援にいける。ター君が1年のとき、長男は3年で東大の赤門をくぐったと言っていた。長男はライフルなのでキャンパス内の射撃場に行く時くぐったそうだ。ヨットはキャンパス内に行くことはなく、北大の時計台も見ずに帰ってくるのだろう。しかし、7大学では北海道が一番海がきれいでサザエがそこらに転がっているそうだ。レースを終えて浜に帰ってくると、レース中浜で取ったサザエなどを肴に宴会が始まるのだろうか?いいなあ。
そう言えば、この日記で毎度おなじみ、私の幼稚園の友達の一人協子ちゃんから今週メールが届いた。先週末東京に行き、東京在住の幼稚園クラスメイトと会っていた。何故か今回は携帯メールから短い文章、「品川プリンスで会ってしゃべってきたよ。みんな元気だったよ。私の葬儀に厚生労働省から弔電が届くことになったよ。PC当分使えません」。後半の文は意味不明、なんのこっちゃ。「愚息の就職おかげさまで内定です」ってとんでもないニュースじゃない。灘中・高・東大・政府官僚って絵に描いたようなエリートコース、またまた身近にこんなすごい奴が現れた。
昨夜店に吉田母さんが寄られた。昨日はOptiワールドチームが出発した日で、昼過ぎ吉田さんの携帯メールに「元気に出発した?」と送っておいた。多分その時はまだ成田だったのだろう。成田から伊丹に飛行機で帰ってきてその足で寄ってくれたようだ。出発前後のことを楽しそうに話してくれた。小巻さんの店に何か食べに行くそうで、閉店後私も小巻さんの店にお邪魔した。
曽和さんと吉田さんが今朝伊丹空港に集まって成田まで飛んだそうだ。仕事場が近いこともあるが、田中さんも来られたそうだ。気がつくなあ。ちょっとしたことなんだけれど、こんなことが子供達の心に残ると思う。してもらったことはしてあげようと思うのが普通で、小さなこんな出来事の積み重ねが回りに好かれる子に、周りにサービスできるいい人に育てるんじゃないかな。吉田さんが寄ってくれて嬉しかった。「元気に出発しました」という報告だけだったろうが、うれしいものだ。お父さんがその週末からワールドの終わりまでずっとチームと帯同するそうだ。海外ヨットレースの経験があり、チームの力になるだろうが、それ以上に工作君の不安を除き、お母さんも心強いだろう。お父さんは今まで使わずに残っていた有給休暇を全部使うそうだ。一生の思い出になるだろう。ハッキリ言って、うらやましいぞ。おっと、工作君の名刺を作らないといけない。明日お父さんがそれを持って行く。忘れちゃ大変。
小一時間で名刺100枚完成。しかし切るのに時間がかかった。夕方、工作君お父さん来店、「荷物まだ持てるんやけど、何か必要なもんありますか?」「ふりかけは?のりは?味噌汁の素は?」「工作は朝米を食べないと力が出ない子なので、その辺は持っていきましたわ」「私はカロリーメイトを持っていって、出艇の時に選手に配りましたよ、レースの合間の非常食として。それからポカリスウェット粉も好評で、両方最終日を待たずになくなりましたよ」「それいいな」。今夜は会社の仲間が盛大に出発宴会を開いてくれるらしい。お父さんは終始満面の笑顔、うらやましいな。いや〜、うらやましい。

2004/7/5
7/3夜、Optiナショナルチームに選ばれた吉田君・田中君・柏原さんの壮行会が西宮の中華料理屋さんでありました。それに先立ってまた小松さんから「有志でカンパしませんか?」メールが届いた。クラブで何もないと寂しいなと思っていたところだったので嬉しかった。行けなかったけどカンパのメンバーに入れてもらった。
大人にはどうって事ないことでも、子供や本人にはとてもインパクトのあることだと思う。喜んでくれる、大切にされていると感じることが、周りの人を励まし明るく元気にさせるすばらしい人を作ると思う。ヨットを始めたばかりのもっと小さな子にはさらに大きな影響があるんじゃないかな?いつも一緒に練習しているみんなから「すごいなあ、おめでとう」と言ってもらったり、それを見ていたりすること、うらやましいと思う方に回ってもとてもいい影響があると思う。改めてそんな機会が持てて良かったなあ。企画して頂いた方に「ありがとう」です。
次男がヨットを始めたきっかけもちょっとしたイベントだった。3日間のヨット教室に参加して、終了証をもらってかえってきた。低学年だったので誇らしげに見せてくれた。ちょうど日曜日で、週1回の外食の夕食の日だったので、ちょっと奮発してホテルに行った。そこで、「ヨットクラブがあるって言ってたけど、僕入りたい」と言い出したのがヨットとの付き合いの始まりだ。今ならPCですぐに作れるB5の終了証、小さい子にはとても大きなインパクトがある。あれから13年、多分一生ヨットを楽しむだろう。
ナショナルチームに選ばれて日の丸を胸に海外レースにチャレンジする子もすばらしいが、自分の事のように「おめでとう」「すごいなあ」「いいなあ」と言える子はもっとすばらしいと思う。拍手したり拍手されたり、みんなそれぞれ得意があるのでお互い様だ。でも、「おめでとう」と素直に言える人は人望を得ると思う。KGYCのミッション『汝を打ち破った者に最初の幸福を、汝が打ち負かした者には最初の感激を与えよ』はとても大切な人生訓だと思う。昨夜ウィンブルドン男子ファイナルが終わって、テニスの最も権威のある大会が終了した。勝った方も負けた方も、勝敗が決した瞬間は喜びと悲しみがそれぞれの心を占めるが、次に2人は歩み寄り、互いの健闘を称えあう。「あなたにはかなわないわ、おめでとう。あなたを目標にまた1年がんばれるわ。いい試合をありがとう」と「あなたは強敵だったわ、今日は私がちょっとつきがあっただけよ。ディフェンディングする為に私こそ1年がんばるわ。いい試合をまたしましょう」が短い握手に込められているように思う。
私も学生時代、レースに強敵が出てこないと拍子抜けした。彼のいないレースで勝っても・・・なんて思った。レースで一番楽しい時間は、フィニッシュ後最後まで接近戦を演じた相手と並んで帰るときだ。「速いなあ」「そっちこそ、あそこのタックがポイントだったかなあ?」「あれなあ、俺もそう思う、あのタックせんかったら負けてたなあ、今日めちゃおもろかったわ」などとしゃべりながら帰る。結局そんな奴と一番仲がよくなる。今年の琵琶湖メイレガッタの最終レースで、仲野照美さん・今井君と接近戦を演じて、最後今井君に逆転トップを引かれたけど、レース後観覧船に寄ってきて次男の第一声「あ〜、おもろかったわ」は嬉しかった。勝ち負けから、お互いの実力を認め合ってゲームを楽しむ域に達しているようだ。
人生は勝ちより負けの方がはるかに多いように思う。負けて学ぶことの方がはるかに多いと思う。負けた時、いじけず、悔しい気持ちを持ちながらも勝った人に拍手を送ることで、自分が勝った時、敗者にやさしくなれる。敗者を徹底的に痛めつけるのは弱いものいじめでしかない。敗者に逃げ道を作ることで敗者にも好かれる人になれる。孫子の兵法だし、秀吉の行き方だろう。
まだ柔らか頭の小さな頃、そんな機会を子供に与えてやりたい。ビリでも閉会式にオーディエンスとして出席して、拍手することで多くを学ぶだろう。「あんな風になりたい」や勝者の態度からも何かをつかむだろう。阪神タイガースが昨年優勝したが、一昨年巨人の胴上げをグランドで見ていた。以前から何故相手チームが目の前で胴上げしているのに負けたチームは帰ってしまうのだろうと思っていた。最大のくやしさを味わうこと、うらやましいと思うことで、喜びもさらに大きくなる。垂直飛びするときは、まず一番小さく縮まないと大きなジャンプに繋がらない。前年の阪神は、チームとして「胴上げを見るな」という命令がなかったのだろう。数人ずっと見ていた。私はプロ野球も変わったなあと感じた。
兵庫jrは、チームみんな仲良く、次の柏原さん・田中君・吉田君がクラブから出るよう練習してほしい。この日の壮行会は明日のゆりちゃん・航輝君・工作君に繋がるだろう。壮行会にメッセージを届けようと書いたが、料理店にFAXがなくがっかりだった。

7/4日曜日、仕事で大津プリンスホテルに初めて行った。いつも琵琶湖上から風向を見るときのランドマーク(大津方面・南の背の高いビル)で、あの上から琵琶湖をみたらどんなかなあ?と思っていた。一番上にある展望レストランに行ったがさすがにいい景色だった。昼ホテルに向かうタクシーから琵琶湖を見たが既に吹いていた。湖岸道路に植えてあるやしの木が気持ちよくゆれている。琵琶湖には珍しいな。来週の7大学に向けて最後の練習に我が子はこの何処かで励んでいるだろうと思った。夕方帰る時、バスに乗った。まだ吹いている。6m/sほどの琵琶湖には珍しい東風でウサギさん(白波)が少し飛んでいました。Ritsのスピンが4艇確認できた。いつもはその倍くらいの艇数で練習しているので、試験のために希望者だけの自主練習でもしているのだろうか?
息子から以前聞いたところによると、他校と連絡を取って自主練習する時があるらしい。各艇庫から出て湖上で待ち合わせるそうだ。日頃スナイプに乗っている翔史が470で出てきて、「翔史470でも速いで」と言っていた。ジュニアからの勝敗を越えた友がたくさんおり、クラブを超えた交流が続いておりありがたい。多くの船が出ていたが、みんないい風でいい練習になっただろう。

渋川さんからドラゴンの練習日程が届いた。お〜毎週練習や。来月に迫った全日本に向けてレーシングマインドが上がってきたようだ。今月は毎週新西に通うぞ。来月は琵琶湖だ。そこで、今日バイクと自転車を買った。1年前に長年使っていたバイクがとうとう壊れて廃車にした。夜ちょっと店に行く時やちょいとそこまでの時バイクは便利なんだよね。欲しいなあと思いつつ、新車は盗られてしまいそうで躊躇していた。西尾さんと小巻さんの店に行った時、西尾さんのは中古バイクで中古しか買ったことがないと聞き、早速西川自転車にいいのあったら紹介してと頼んでおいた。私はついててすぐに出物が見つかった。西川さんの「これはいいよ」の保証つきで、4000km走ってるジョグCで6.5万円、定価の半額だそうだ。名義変更・保険・前かごをつけてもらい出来上がった。明日はヘルメット持ってきて乗って帰ろう。雨以外はバイク通勤しよう。車がオートマチックになり運転がつまらない。バイクの方が楽しいじゃん。西宮にもバイクで行こう。真夏のうだるようなヘルメットの中と風を切る肌の気持ちよさのギャップがいい。私はクーラーの効いた車よりバイクの方が涼しいんだけど。
日曜日は大津まで電車で行った。最近車の遠出があまり好きじゃなくなってきた。柳ヶ崎に用があるときたまに電車で行っていたが、昨日電車で本を読んでいると、「電車だったら本読めるんだよな」と思い、いつか見た自転車野郎の集団を思い出した。でっかい荷物だなあと見ていると袋からサドルが出ている。折りたたみ自転車を持って電車に乗っていた。邪魔にならないように、分散して1人づつ乗っていた。俺も自転車野郎になろうと突然決めた。そして今日買った。付属品としてチェーン+カギ500円、キャリングバッグ1000円、一番大切なお尻にやさしいサドル1000円、総額9350円。来月は自転車持って電車に乗るぞ、わくわくでもあり、ドキドキでもあります。

2004/7/1
6/27は琵琶湖に行ってきました。ドラゴンのポイントレースのお誘いも受けていたが、今年は琵琶湖優先です。西宮でも琵琶湖でも学生ヨット選手権夏季大会が6/26-27の日程で行われました。西宮ではKG470がまた2位にダブルスコアで優勝です。そしてスナイプが3位です。私が思うに、スナイプの最近の不振はずばり船の差だと思うのですが・・・。
今回の京都レース支援艇は紫雲です。OBの堀内さんが来られていました。ヨット部卒業しても学校に残られて勉強を続けている方が多いので、運営や練習に良く来られます。練習では一緒に乗るので現役のいい相手になります。私が高校生のときの学部の雰囲気があります。あの当時、私達高等部ヨット部は星林に負けてばかりでインターハイにいけませんでしたが、学部は全日本インカレの常連でしかも2位とか3位とかすごい成績でした。若手OBの方が熱心に日曜日の練習に参加され、艇数が倍くらいになっていました。OBがおられると、クラブがちょっとゆったりした雰囲気になり、なんか好きでした。超微風のレース練習ではリーサイドから手が水面をゆっくり掻いていたり、遊びがありました。
朝柳ヶ崎北側の駐車場脇のトイレで恒例のゆっくりタイムを過ごし、YHに入るとすでに艇庫が開いており、その前で運営テーブルが出ていました。しかも出艇申告の列も出来ていました。まだ7:30なのに、と思いながら横を見ると公式掲示板に土曜日の成績が貼ってあります。京都と元OP選手の成績をチェックしてノートに書き込みました。豊田君・中川君・今井君・小巻君・出道君・西村君みんなそこそこ走っています。京都470は2レース目2艇がBFD、4レース目DNFが1艇、英語がポツポツありますが、全体的に良く走っているようです。ター君の成績は、1レース目が10番台で以降4レースが上位安定、風向が同じなので風の傾向を1レース目で把握して以降のレースに役立てているような感じです。風を見る頭が良くなったんだなあと思った。琵琶湖の不安定な風の中安定した成績を出す艇は、みんなそれが出来ていて他地域のレースでも短時間にそれを感じて修正できるのだろうと思う。スナイプは安定して英語もありません。風を見る目が備わったら行けそうです。ロングレースとミーティングを繰り返すことで、スタート前から振れの予想ができるようになるはずです。ヨットレースは頭だから。
艇庫に着くと浜に艇が移動中でした。今日はちょっと遅れちゃった。しかし、琵琶湖恒例のAPです。みんなと話をしていて面白い話が聞けました。その1、2レース目470は、1上1・2・6で回航したそうですが、ブラックで1・2が1上で排除されたようです。3位の立命館が満面の笑みを浮かべてラッキーを喜んでいたそうです。「やったと思ったのになあ・・・」、いいんじゃないですか、中途半端な順位より1・2は自信になるよ。3レース目1・2フィニッシュだし、4レース目もトップ、すばらしいじゃないか。その2、4レース目470のDNFは、コースがショートになりフィニッシュラインを間違って、フィニッシュしたと思って小用をしていてDNFになってしまった。他艇の変な雰囲気を悟って慌ててフィニッシングラインに向かったが間に合わずだったそうです。確か1/3はDNFだったレースです。一応3艇時間内にフィニッシュもどき出来たから良しとしましょう。これはOBになってもずっとみんなの記憶に残るだろう。
今日の1レース目、やや下有利、アウター側から出てポートのブローを受けた今井君がトップ、遅れ気味だったが左のフレッシュまで我慢して左に出した園田君がシングルでした。7レース目、アウター下1園田君がデンジャラスラインを割ってスタートできず・・・しかしゼネリコでラッキー。やり直しスタートでター君が下1、上1即タックは血がそうさせるのか?多いが下1は珍しい。デンジャラスラインを割り気味だったが強引に何とかスタートできた。上艇のブランケットを気にしながらだけどすべりがいいので抜けていく。何故かヨットレースは端の方が風があるんだよな。いい感じでフレッシュのラインを確保してポートに返す。しかし1上は余りよくない。右が入ったんだなあ。小巻トップ。ター君はレグ毎に上がり5位まで上がった。うまいなあ。
8レース目、やはり右がいいようで小巻また1上トップ、荒川君が片手に絡んでいる。ブローが入りトップ艇からプレーニングし始めてすっ飛んでいく。ブローで荒川君がバランスを崩し、その間に立命館などの5〜10の後続集団に飲み込まれる。10位前後で回って先行集団より落し気味で走っていたター君がうまくプレーニングさせごっそり集団に追いつき、2マークで水を取った。ジャイブした瞬間にはもうスピンがはらんでいて、クルーの入口君のうまさと2人のコンビネーションに見ていてうなってしまう。フルトラピーズで少しバウが上がってカッ飛ぶプレーニングは豪快で、見ていて気持ちいい。乗ってるともっと快感がある。これだからヨットはやめられない。15位くらいで上を回った園田君が、ブローの沈艇も出る混乱の中うまくボートのバランスを保ちプレーニングさせて、集団に追いつく。荒川君・園田君・ター君の3艇を含んだ集団で、2マーク回航したが、一番内側で水を取ったター君がスピン操作の手際よさも加わって、ブローで一気に集団を置いていく。園田君も内側を取り同じブローに乗って行く。荒川君は囲まれて身動き取れずアンラッキーだった。ここでの差で4・6・13という結果になった。荒川艇がブローを無難に処理出来ていれば3艇片手もあった。他艇が木になって前に出すより、集団に対して上ろうとしてブローチング気味になってしまったのだろう。かなり差があったのに小巻が追いつかれて2上ではあまり差がない。結局抜かれたらしい。
9レース目、極端なアウター有利でスターボで出られない。小巻下1、アウターを交わせず号砲少し前にジャイブしてポートで本部船ギリギリを狙う、下2今井君もタックしてこの2艇が全艇の平行上の位置。その2艇下に寺倉君がいる。ほぼ全艇即タックなのでルンルン気分だろうな、12時に上マークが見えている。風はさっきより弱いので、さてこの風が上まで持つだろうか?でもこの展開はアウタースタート有利だろうなあ。ところがどっこい、琵琶湖はおそろしい。下4寺倉君が完全に押さえられていた小巻・今井艇から抜けて1上トップ、同志社は寺倉君に走り負けたのだろう。小巻君・今井君ともシングル後半で回航、スタートラインの中央〜本部船寄りからスタートしたと思われるター君がシングル前半に食い込んでいる。そのまま微風が続きスナイプは2上でショートになった。結局京産が1・2フィニッシュ、ター君・今井君はそのままの順位だったが小巻くんはかなり落ちてしまった。前のレースからかなり風が落ちたのでサイドピンなどのセッティッグ変更忘れかなあ?微風で走り負けたようだ。
最後のミーティングを聞いていると、ター君は琵琶湖の風がわかってきているようだ。それにしても京都のミーティングは和やかだ、荒川キャプテン中心に4回生の雰囲気がそうさせているのだろう。470のミーティングは園田君と荒川君にしゃれっ気があり面白い。ター君はいいクラブで過ごせて幸せだ。この交流は一生続くので財産と言ってもいい。ありがたい。

2004/6/26
久しぶりに山下さんから電話を頂いた。今年の江ノ島OP全日本で以前私が作ったエントリーフォームを使ってくれるようだ。お役に立っているようで嬉しい。兵庫jrのお母さん方に手伝ってもらって滞りなく全日本事務局が出来たので、私のフォームも値打ちが上がったのだろうか。目に見えない周りのサポートがあってのフォームだったような気がする。いいお母さん方に恵まれてラッキーだった。
でももうOP協会の手伝いはしないだろう。勉強第一・学校優先と違うように変わったので怖くて手伝えない。オリンピックでメダルを取るより、しっかり勉強して将来の生活基盤をしっかりさせることを全国組織は考えるべきだと思う。オリンピックは個人でがんばってもらったらいいと思うし、自分の生きる道を自分でしっかり考え決められる義務教育を卒業してからにしたらいい。470ナショナルチームと同じヨットハーバーにいるために、140名以上の小・中学生に学校を休ませることが決定されてしまう体質に失望した。野球のオリンピック選手が横の球場で試合するからと、100名以上の小中学生に学校を休ませたら、大変な社会問題になると思う。事故でも起こったら抗弁の余地はなく、組織の解散にまで発展しかねない。私には踏み越えてはならない一線を越えたと感じた。
私は一線を越えることに対して頭が固い方だと思う。車に乗るときは絶対にアルコールを飲まないし、人にアルコールをすすめない。事故を起こしたら一生を棒に振ることになりかねず、恐ろしくて「ちょっとぐらい大丈夫ですよ」などと軽々しく口に出せない。KG中の土曜講座にも、不安な部分がある。このままでは、またOP協会の時のように火中の栗を拾う役目をしそうだ。あ〜あ、頭が固いなあ。でも自分の立場が悪くなることを怖がって、何もしないことが生き方として正しいこととは思えない。気付いた者があえて辛い発言をすることが、多くの被害者を出すことを未然に防ぐことになると思う。
7/3・4県連レースのヘルプの連絡を受けたが、仕事で駄目だ。御免なさい戸嶋さん。明日は琵琶湖のプレインカレに行く。我が子大は4大学の調子で上位3大学に食い込んだらレースを2倍楽しめるだろう。今回は紫雲が直ったようなのでカメラを持って行き、みんなに写真を配ろうかな?部員の親に郵送したら喜ぶだろうな。雨だけが心配だ。明日琵琶湖に行くので、ダンシングクイーンのクルーはお休みです。ポイントレースのクルー見つかったのだろうか?改良したバングとアウトホールの威力を発揮するだろう。河野スキッパーだったら勝ってしまうかも知れないな。申し訳ないのでこんなのを作った。

2004/6/21
今日は台風通過しました。天気予報では強力ということだったので心配していましたが、たいしたことなく被害なしでした。
19日夜、OPヨーロッパチーム西宮合宿に顔を出しました。門限のある鳴尾体育館なので夜中帰れるか不安でしたが、お世話になった方々が遠くからお見えになっているのでお邪魔しました。現地について行ってくれる山岡さんのミーティング中でした。温和な方なのでOPに合っていると思う。子供達は世界に目が向いているので、国際レース経験が豊富なこのような方がOPの子供達をこれからもサポートしてくれれば心強い。
その後、親だけの懇親会が始まった。航空券の手配や重量オーバーチャージや機内荷物長さ制限のことなど、大切なことを決めていく。有能な方が多いので資料がきちんとされていて、細かい所までぬかりはない。ほとんど親主導でチーム運営されているので参加する親もしんどいけど楽しいだろう。やっぱり親が一番熱いからな。
一段落し他愛のない会話をしていると、お母さんがTVのスイッチをつけた。11:15冬のソナタの始まりだ。過去の日記にも数回書いたが私も楽しみにしている。しかし、ここは「そうでもないよ」みたいな顔をしておこう。お母さんばっかりの中に入って真剣に見られないもんな。他のお父さんもそんな感じだが、これだけお母さんみんなが見ているということは、自宅ではこの時間夫婦一緒に見ているのではないかな?家に帰るのを諦めそのまま宿泊した。

翌朝5:30に目がさめた。8時にシーラカンスで琵琶湖に着かなければならない。静かに寝床を抜け出して1Fに下りたが、まだ玄関が開かない。仕方なくロビーでパンフなど見ていると、6時にガードマンが起きてきて開けてくれる。1時間あれば琵琶湖に行けるので余裕だ。途中のパーキングでかつカレーを食べる。朝からしっかり食べられる。
台風の影響が心配されましたが、雨も降っていない。朝7:30KKRに着いた。ロビーに座っていると、濱永さんが下りて来られました。「お〜、作戦会議や」「え〜私と決めてもしょうがないでしょ」「あんたと決めとかな」・・・「第1レースは俺が中村君のクルーをして次交代や・・・」と、作戦を披露して濱永さんは食事にいかれました。
末永さん・中村さんが食事から帰ってきて、レース当日参加の勇さんが着かれました。ここでもまた作戦会議が始まり、「俺は今日乗らんで・・・」「前後半で交代しましょか・・・」。私は今年もKGチームの最年少なので「はい、何でもやらしてもらいます」状態でした。ところが、横のテーブルに座っていた同志社チームが、「KGみたいに若い奴連れてこなあかんな。うち、乗り手がおらんのや。濱永君借りてええか?」「私らはいいですよ」と末永さんと中村さんが答える。
同志社チームはA級要員も揃え人数は十分いるようなのに・・・昨夜のアルコールが残っているからなのか?来週のA級全日本(江ノ島)にそなえて体力温存する作戦を取ったのか?
今年は立命館が幹事校で、コースはスタート・上・アウターマーク・上・アウター回り込みフィニッシュのソーセージ2回です。勇/神谷組で出艇し、中村さんが海上コーチ&交代要員、末永さんが陸上総監督という体制でレースに臨みました。
第1レース、練習でスターボがおきるので、下1スタートしました。下2立命館よりスピードがあるが下3滋賀大経済が速い。予想通り左から風が入りトップで1上回航したが、ノンジャイブを選択したのが悪く、下マークで滋賀経に水を取られ、そのまま2位フィニッシュ。
第2レース、中央からスタートしましたが、アウターが伸び、1上4位回航、センターを上げたいが留め方がわからず足で押さたりしていました。集団で下回航しましたが、メインシートがトランサム角にひっかかり、それを直していると、先行艇のブランケットに落ち、後続艇のサドンタックタックの位置になってしまいました。有利な左海面にも行けず、勇さんと「最低なポジションやなあ」。結局2上6位回航。その後悪夢が待ち受けていました。センターを上げて留める方法をいろいろやっていると、ウイスカが船から落ちてしまいました。慌てて拾いに行くとビリになってしまいました。最後の下マーク回航で前の艇が水を空けたので1艇抜けましたが・・・フィニッシュ後、いろいろあったので思わず笑いがこみ上げてきました。「もうええわ」と勇さん、観覧船の中村監督の所へ「交代しましょ」「あかん、トップ引いて来い」の一言。
470乗り2人でスナイプが良くわかっていない。1レーススタート前、あまりにジブハリがサギングしているのでおかしいなと思うが、ハリヤードの赤テープをセンターケース横の赤テープのところまで引いたらいいのだろうと勝手に解釈していた。立命館の船なので微風はここまでサギングさせてジブを深くするのかと微風のスピードの元見つけたりと思っていた。立命館艇が近づいてきて、クルーの仲野君が「ジブハリゆるすぎますわ、ジブハリのスウェージングを赤テープのところまで引いてください、やばいっすよ」。ありゃりゃ、完璧に間違っていた。勇さんから「でも結構速かったけどな」。
第3レース、右に振れて上マークが打ちかえられている。しかし、アウターはそのままなので思いっきり本部船有利。少し遅れ気味スタートだったかな、ここでも不本意な順位でフィニッシュ。再び中村さんの所へ、「変わりましょか」、今度は背中を向けたまま返事がない。正面に回って声をかけるが、「がんばらんかい」で終わり。勇さんは変わりたそうなので「勇さん変わりましょか?」、「お〜交代しよ、スナイプのクルーは初めてちゃうかな」「まあいいでしょ、十分ですよ」。
第4レース、先ほどでもないが同じく本部船有利。上2くらいからスタートするが、高さは上がるけど、前へ出るスピードが今一かな?タックしてきたポートに2艇バウをギリギリ切られる。ポートロングになってきたのでセオリーなら下受けタックだけど、また左から入りそうなのでそのまま伸ばす。下1の立命館がタックしてきてかなり前を切られそうだ。ここは下受けタック。しか〜し、ベアが入るじゃないの、やばいなあ、ポートロングなのでタックして立命館の左に出せない。そのまま我慢するが、ベアセーリングの立命館に上突破される。右が伸びて1上5位、1下で次の上りレグではやはり左から来そうな感じがする。即タックして左に出す。スターボを走って背中を見ると右のスターボは上っていない。タックしてポートになると左ブローがチラチラ入る。しめしめと思っていると、バウを切った先行艇が11:30のブランケットタックしてきた。「きびし〜」、スターボレグはあまりないのでタックするとその分全部損しそうだ。ここは左からのブローを期待してキリキリ上ってアスターンにつくことにする。うまく上れてブランケットが切れた。ブローでいい感じで上るとバウ艇が視界から消えた。2上3位回航、左ブローを期待してノンジャイブを選択、4位艇の方がフリーが速く、内側に並ばれた。下マーク手前でウイスカをしまい、内側オーバーラップを狙おうかと考えたがOBレースでちょっと熱すぎるなと思いやめる。早めにウイスカをしまい、アスターン回航を狙っていると、先行艇は回航をミスりスペースが空く、すかさずそこにバウを突っ込み思いっきりラフィングして再び3位でフィニッシュ。
前回の4大学では、マークまでの距離が2倍くらいあったので風の振れをもっと楽しめたが、今回は短くゲームとしてはちょっと消化不良だったが、もっと上の方が多数おられるのでしかたない。
レース結果は、年齢ハンディキャップをフルに生かし大阪大学が優勝で、3・1・1・1と走った立命館が最下位でした。立命館の仲野くんは今年卒業したばかりだからどんなに走っても優勝は無理だな。年齢ハンデを考え最下位狙いだったのだろう。幹事校はいろいろ大変です。
濱永さんは4レースとも同志社クルーをしていましたが、帽子と髭の感じがキャプテンサンタのキャラクターのおじさんにそっくりだった。私の現役時代の監督さんだが、かわいく見えてしまった。帰り濱永さんを送った。1ボックスの車を買ったらしい。仕事を引退したので奥さんといろんなところに旅行するのだろう。くれぐれもアルコールを飲んでの運転はしないで下さいよ。私が「監督」と呼べる人は濱永さんだけで、学生の時一般レースにも出ていたので本当に世話になった。当時470協会の理事も兼任で、学生全日本でブラックバンド失格した時も本部船に乗っておられたし、ワールド最終予選に金欠で行けなかった時も一緒に残念がってくれた。さらにヨットだけしていればいい就職先まで世話をしてくれた。ヨットだけの生活は考えられずお世話にならなかったけど、私にオリンピックの夢を描いてくれていたのかもしれない。酒酔い運転で事故なんていやですよ、長生きしてください。

ドラゴンの台風対策とバングが気になり、レースが昼に終わって再び浜に戻った。月曜日には台風が直撃しそうだ。「台風といえば艇庫に泊まり船を守る」という悲しい習性が抜けず、自然に浜に足が向いてしまう。やっかいなものだ。ドラゴンを見に行くとすでに台風準備万端整っており、習性の抜けない方がまだまだいるようだ。夕方になると、ハーバー内アナウンスで台風準備を呼びかけていた。電話でも呼びかけているのか?自主的なのか?夕方から続々と車がYHに入ってきた。

OPヨーロッパチーム合宿の解散にお邪魔した。日曜日も8m/sのいい風が入り、兵庫jrとのフリートレースが楽しめただろう。このチームの雰囲気はとてもいい。埼玉コーチが「次のチームレースは優勝狙うぞ、優勝できるよ」と言っていた。土曜日チームレースの練習を16フライトしたそうなのですばらしい成果がでるのではないだろうか。今合宿のレポートは加佐原さんが担当のようだ。毎回担当者が変わるらしい。みんながかかわるとチームが盛り上がるんだよな。田中監督のチーム運営はすばらしい。

2004/6/18
一昨晩、チャチャチャに仕事帰り寄った。特に用事はなかったが、向こうにはあった。松永君Tシャツが届いたようだ。これでクロアチア遠征費の1/?の足しになっただろう。松永君Tシャツ購入の翌日、470オリンピックを争った他チームHPを訪ねた。石橋/後藤組のTシャツもネットで買った。こちらは3000円と少し高めだったが大いに楽しませてもらったので2枚購入、ミキハウス近藤チームと第一大学和歌ちゃんチームは活動費用が潤沢なのか?特にカンパのお願いはなかった。吉迫/佐竹チームTシャツはすでに売り切れ、高橋チームは現金寄付のようでちょっと味気なくてパスした。浜名湖ビーチスでのレースはスポンサー賞品が多いのに。高橋お父さん、娘の為に人脈をフルに使って気の利いた応援グッズを用意したらいいのに。次の北京の時は弟もチャレンジャーになるかも知れないので兄弟応援グッズ作成かな?

2004/6/14
昨日はドラゴンの整備と練習で西宮に行きました。先月のレースでスキッパーが7〜8m/sで両手ティラーをする状態でバランスが良くありませんでした。ボートスピードが伸びず苦しい展開でした。問題はバングとアウトホールでひきしろが少なくセール形状を変える事が出来ないことでした。午前中そこを直して、スピンポールのリベットも打ち変えました。KGOBと阪大OBのA級が2艇整備していました。阪大のはFRP製でスパーはアルミ、セールもイタリア製でITAのセールNoです。2年前の全日本でよく走った艇で来月の全日本に向けて練習のようです。
この日はポイントレースと関西女子インカレで前日の成績を見ると470は絶好調、スナイプも1年生コンビの牛尾/今村組が船に慣れてきたのか、だんだんと着順が上がってきているようです。琵琶湖ではインターハイ予選で兵庫jrOG吉田さんとKGHチームがインターハイに行けることになりました。柳ヶ崎ではユースレガッタも開催中でにぎわっていたでしょう。
昼食をA級チームと一緒に関西ヨットクラブで食べましたが、備え付けの双眼鏡で見ると北風で上マーク付近は相当振れているようです。でもやっぱり左からのブローがよく入り、ポートがリフトのようです。昼食後、前回の失敗に懲りて日焼け止めでUVプロテクト万全にして出艇です。沖に出るといい風が入っています。ポイントレースを横目に本部船付近まで下り、KGA級とともにクローズ、ジブウインチとテルテールとメインのバックウインドを見ながらジブリーチ形状を調整しているとA級よりはるか前になっていました。当たり前ですね。
今日はメインのトップリーチが流れています。リーチが機能している感じです。やっぱりこんな感じにセールが見えないと速くないでしょう。先月のレースでなんかメインがおかしいと何度も言っていましたが、今日はいい感じです。フィニッシュを見ていると、オーナー息子のKGキャプテンがシングル後半から3位に上がってきていました。練習の為に赤灯台までスピンで下っていると、ヤマハ23が8艇。そういえば今日はマッチレースです。チームバンビーノも来ているのかな?中川兄発見、多分長堀君と組んでいるのでしょう。
赤灯台からクローズで上がって来ると時折10m/sのブローが入ります。1度リーデッキからあかをすくいましたが安定しています。リーウェイが少ないです。スキッパーも今日は片手でティラーを持っています。前回は両手ティラーだったので「ウエザーきつそう、アビーム走ったらブローチング間違いなし、ティラー折れないかなあ」と心配でしたが、今日は安心です。少しづつ慣れてきて余裕が出来、ジブトラベラーの使い方がわかってきたような・・・TRF?だったっけ、どっかのグループのようですが、トラベラーファイン?の略だと思います。要するにジブ・トラベラーです。ブローが入って風を抜くようになると、ジブリーチを開け、ブローが抜けると再び閉めます。チューニングパートナーがいないので、スピードアップになっているのかどうかわかりませんが、いい感じです。ヨットは数字で測れない感覚が大事で、これが大きな魅力でもあります。次はマスト上部コントロールのダイヤモンドコントロールをやろう。
再び赤灯台に下りていくと、神戸フェリー乗り場付近に潜水艦がいます。「あれ見に行きませんか?」とリクエストを出すと、即賛成。今日はスピンダウンをミスりませんでした。オーナーが「今日はええ感じや、バランスがええな、ちょっとのことなんやけどなあ、ブロー入っても横流れせえへんもんなあ、前へ行きよる」、スキッパーが「ヘルムが楽ですわ」。こうなるとレース結果はスキッパーの腕?、次レースに乗ることがあればマーク間違いとスピンを海に落とさないようにしよう。潜水艦は陸から桟橋が渡されていました。船上に白の制服自衛官が1人、大きな時計があり時間を大切にしているのがわかりました。さすがに半分以上沈んでいるので波に揺れることもなくどっしりしていました。
解装を終えハーバー1Fでお茶、いえブルーハワイを注文しました。ブルーハワイ(クリームソーダ)を注文すると、きれいなお姉さんがフラダンスの衣装でハワイアン踊りながら持ってきてくれる・・・訳ないですね。横を琵琶湖の安田君が通りました。Y23のレースに出ていたようです。長堀君のことを聞くとやはり東京から来ているようです。妹は琵琶湖ユースレガッタ参加で親はもちろんそちらに行っているようです。次に山岡さんが通りました。やはりY23運営・ジュリーをやっていたようです。参加費がチャーター料含めて1艇15000円ほどだそうで、4人で割ったら4000円ほどです。閉会式も中野さんの艇庫前のクルーザー陸置きヤードで安価に済ませています。手弁当で手伝う運営がいるから安価に出来るんだなあ。

2004/6/10
吉田君がラジオ関西出演。しっかりした受け答えでビックリしてしまった。付き添いの田中さんがいなくてもOKのような感じだった。でも田中さんがいてくれたから安心して受け答えできたのだろう。
松永君のオリンピックキャンペーンTシャツを買ったので、久しぶりに石橋後藤組HPを訪問した。「ポッカリ穴が開いた・・・」の書き込みがあった。残念だけどこれがスポーツですね。今後どうするのかなあ?長い間楽しませてくれたのでTシャツを2枚注文した。貯金を全部使い果たしてがんばったのだろう、少しでも足しになればと思う。近藤組のページは閉鎖されていて、所属のミキハウスを訪問すると別のページが作られているようだった。年齢からいって北京も目指すのでしょう。田畑さんのところと近藤さんのところが資金的に楽なのかなあ。Tシャツの販売をしていない。

2004/6/9
先日当店で万引きがありました。中学生の女の子3人組で1人の髪の毛は金髪で大声で自分たちだけの話をまるで店員などいないかのように店内でしゃべっています。商品を見ながら「なんで・・・」など店員に聞いてくれたらすぐ解決なのに、自分たちだけでしゃべっています。袋に入れたものを出してもらってお金を払ってもらおうと思ったのだけれど「腹立つ、ぶっ殺すぞ・・・」と言われて怖くなって110番しました。こちらの会話が聞こえたのかすぐ来てくれました。たばこも出てきて補導されてしまいました。事情聴取で親の電話番号は携帯しかないようです。また家庭に問題がある子なのかなあ。元々は悪い子じゃないと思うのですが・・・。その度胸を別の方向に向けたらいいのに、向けるものがないのかなあ。こんなことがあるとこちらも落ち込みます。
「最近の子は・・・」という台詞はよく聞きますが、怖い子もいますが、ほとんどの子は私の小さい頃よりしっかりしていると感じています。百万遍ヨット部の荒川キャプテンは、落ち着いていてしっかりしていますが愛嬌があります。470のミーティングを聞いていて感心するのは、司会者として部員みんなに発言を求めることです。全くフリーの会議にすると発言が偏るのが世の常ですが、うまく関係ありそうな話題になると発言の少ない部員に「どう思う?」「どうしてるの?」と発言を促します。発言の強制じゃなくって雰囲気がやわらかく、その場の流れに乗らない発言でも素直に言い出せるんじゃないだろうか。みんなからキャプテンに押されたのがなんとなくわかります。ちょろっとあごひげがさりげなく自己主張しています。
KG渋川キャプテンもやる気が全面に出ていて「がんばろう、やるぞ人間」ですが、笑顔がとてもよく愛嬌があります。金銭感覚がしっかりしていて甘えがなく好感が持てる好青年です。前キャプテンの中島君はヨットでは多少苦しんだと思うのですが、教職を取り小学校の先生になりたいようで別の大学で勉強しています。勉強・クラブ・将来のバランスをしっかり持ったすばらしい子です。日頃のいろんな努力の褒美として神様が久しぶりの関西制覇をくれたのでしょう。

久しぶりに阪神が勝った。藪が完封、今年の藪はいいけれど、いつも打線が打ってくれなくて勝ち星に恵まれていない、これからですね。

お客さんから、「神谷君のお父さんですよね。今3年生でしょ、娘と浜学園で一緒でした。お迎えの時息子さんがこのお店に帰るのを何度も見ました・・・」と声をかけられた。神戸海星から長男と同じ大学のシステム工学部に進んで、コンピューターでロボットを制御したりしているようだ。「子供から教えてもらうことばかりですよね・・・」「娘の努力を見ていて、母だけど1ファンになり、私もがんばらなくちゃと思うんです」確かにおっしゃるとおりです。私も阪神ファンの数倍我が子達のファンです。最近子供達の同級生の親からよく声をかけられる。小学生時代の友達との関係が偲ばれる。家内の店は自宅の近所なのでもっと多いのだろうなあ。私たち夫婦が共稼ぎなのでかわいそうだけれど1才から保育園に行かせたが、かえって良かったかもしれない。私より周りのみんなとうまくやるのが上手な気がする。

車検で車がないので小巻さんの店に電話して家まで送ってもらうことになった。インターネットに繋がったとたんウイルス感染したらしく、その他いろいろ話していると、日曜日隣で練習していた息子さんが帰ってきた。ちょうどタイミングよく?悪く?彼のヨット部OBの松永君Tシャツを買ってくれないかメールが彼の携帯に届いた。「お父さんTシャツ買わへん?」「何ぼ」「2500円」「1枚でええんか」の親子会話。「神谷さんも買わへん?」おっと振られてしまった。松永君は息子の清風ヨット部の先輩だし、お父さんにはOP時代から世話になっているし、「買いま〜す」。

2004/6/8
「それでもなお、人を愛しなさい」(ケント・M・キース著 早川書房)という本を紹介された。早速近くの本屋さんに注文した。とてもいい言葉だったので忘れないようにここに赤で書いておこう。こんな気持ちで生きて行きたい。
「こころのチキンスープ16」をちょうど昨夜勉強会帰りの電車で読み終えた。この本は涙が出てくるので電車で読むのはちょっと恥ずかしい。最近本を見る眼が肥えてきたのか?はずれの本があまりない。はずれだったらすぐ読むのを止めちゃって部屋のそこらに転がしておくが、いい本はコツコツと数ページづつ読んでいく。平均月2冊のペースかな?メール・HPなどPCデジタル文字も好きだけど、やっぱり本です。というかデジタル文字が好きなのはアナログ文字が好きだからだろう。中学・高校時代は推理小説に明け暮れたが最近は温かい言葉のほんわか系の本が好きだ。本が好きになったのは、赤ちゃんの頃から毎日母親に寝る前に本を読んでもらったからだと思う。レコードも良くかけてもらった。小1ではピアノで作曲もしていたが引越しでピアノを止めてしまったので残念だった。次のピアノの先生が練習してこないと怒るのでいやになってしまった。
我が子にも同じ事をした。オムツ替えもよくしたが、お風呂に一緒に入ってヨーグルトを子供達と私の3人で1つのスプーンで順番に口に運び、本を読みながら寝る(時には私のほうが先に寝てしまった)のは私の仕事だった。「ピンポーン。お父さんみたいよ、玄関空けてあげて。お父さんが帰ってきたからお風呂よ」と家内は私にも子育ての仕事を残してくれていた。ピアノは我が子も続かなかったが、本は好きなようだ。特に長男はすごい。三国志全編や司馬諒太郎全部読んだ奴はそういないだろう。しかも中高の間だけで。
子供が「先生に怒られるからピアノに行きたくない」と言ってきた時、先生に「うまくならなくてもいいです。週に30分だけピアノを弾く時間を子供に持たせてあげたいと願っているだけです」とお願いしたが、子供達が上達しないのに月謝をもらうのが辛いのだろう、熱心すぎて・・・うちはただピアノで遊んでくれるだけでよかったんだけど・・・
最高の家内が来てくれたおかげでいい子供達に恵まれた。彼らのしたいことに素直に協力していこう、きっと周りの人に幸せを運ぶ人になるだろう。
「親にnoとangryは似合わない、yesとsmile,cheerがいい」

(原文)
People are unreasonable, illogical and self-centered. Love them anyway.
If you do good, people will accuse you of selfish motives. Do good anyway.
If you are successful, you will win false friends and true enemies. Succeed anyway.
The good you do today will be forgotten tomorrow. Do good anyway.
Honesty and frankness make you vulnerable. Be honest and frank anyway.
The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women
with the smallest minds. Think big anyway.
People favor underdogs but follow only top dogs. Fight for a few underdogs anyway.
What you spend years building may be destroyed overnight. Build anyway.
People really need help but may attack you if you do help them. Help them anyway.
Give the world the best you have and you will get kicked in the teeth. Give the world your best you have,
anyway.

逆説の10カ条 ケント・M・キース
1. 人は不合理、わからず屋で、わがままだ。それでも、愛そうじゃないか。
2. 何か良いことをすれば、自分のためにやったんだと、人はあなたを批判する。それでも、良いことをしようじゃないか。
3. もしあなたが成功すれば、偽者(にせもの)の友人そして本物の敵が現れる。それでも、成功しようじゃないか。
4. 今日、行った良いことは、明日には忘れられる。それでも、良いことをしようじゃないか。
5. 誠実で、そして正直であれば、あなたは傷つくかも知れない。それでも誠実で、そして正直であろうじゃないか。
6. 大きな理念を抱く大きな人は、小さな心を持つ小さな人に撃ち落される。それでも大きな理念を抱こうじゃないか。
7. 人は弱者に同情するが、結局、強者になびいていく。それでも、少数の弱者のために、戦おうじゃないか。
8. 何年もかかって築き上げたものは、一夜にして崩れ去るかも知れない。それでも、築こうじゃないか。
9. 助けを必要としている人を、本当に助けたら、あなたは攻撃されるかも知れない。それでも、助けようじゃないか。
10. 持っている最高のものを、世の中に与えたら、自分は酷い仕打ちを受けるかも知れない。それでも自分の最高のものを、世の中に与えようじゃないか。

2004/6/7
昨日は次男大学ヨット部の練習に行った。朝から雨だったがいい風が入っていた。やがて雨があがりくもりで日焼けもせず、風はずっとあり快適な1日だった。
1年生が9人でホッパーが1艇のグーズネックが昨日飛んで今日は3艇。セールもいたんだ個所を応急処置だけで済ませているので、1つ1つちゃんと直していくように言った。せっかくクラブにきたのに3交代では面白くないだろう。今日はスタートを入れたレース練習で前回の3倍の距離に上マークを打った。4〜5m/sの中、時には沈をしながら楽しそうにやっている。清風と膳所のヨット部経験者にあまり差をつけられずに帰ってくることもありいい感じだ。上達が早い。経験者が同回生にいると上達が早いし、艤装がちゃんとしている。着艇後にセールの修理を早速していたり意欲があり、この学年はきっと強い学年になるだろう。
午後の後半、470・スナイプもレース練習・スタート練習をした。スタート前まだ十分に船を止めているとは言えないが上にスペースを稼ぐのがとてもうまい。きっと戦力になるだろう。来週のポイントレースが楽しみだ。大体右海面を取った艇が前を走っていたようだ。上マークまでの距離を取ったとはいえ、大きな差になっている時があったので、振れやブローの差があったのだろう。
最後のミーティングで「ロングレース練習は面白い」という声があり良かった。今日は好きなようにマークを打たせてもらったが、ヨットはレースが一番面白く、ロングレースが面白い。セッティングの為のロング帆走で艇速が揃ってきたらレースする方が面白いと思う。本当は隣で練習していた同志社に「レースに入ってくれませんか?」と声をかけたくてウズウズしていたのだけれど。1上でフィニッシュし、下マークに向けて一斉スタートは又接戦になりとてもよかった。いい練習をしているので結果が出てくるだろう。
1回生の経験者はポイントレースに出るのだろうか?ホッパーでしっかり走れているので、未経験者クルーを積んで出場したらいいのに。1回生のやる気をさらに引き出せる気がする。上回生が負けるレースがあるとかなり面白いと思うのだが。私が1年の時同じ状況で、1年コンビでやる気満々で練習に出ていたことを思い出す。私に負けると腕立てやランニングの×トレーニングがあり、上も必死だった。トップなど引いて上が全員走っていくのを勝ち誇った気持ちで1年は見ていた記憶がある。そのために夜遅くまで艇庫で整備をしたこともあった。

今朝関々戦のレース結果が流れてきた。470はKG・スナイプはKDが速かったようだ。2日間で18レース、いい風でレースを満喫できただろう。

長崎でまた悲しい事件が起こった。小6少女が同級生の仲良しを刺してしまった。ご両親も含め大変悲しいことが起きてしまった。インターネットやチャットが悲劇を呼び込んだ面があると報道されているが、携帯電話でもインターネットに繋がるようになって数年、確率から言えば自動車より安全だと思う。もう後戻りできないし、これからもこのような新しい道具はどんどん出てくるだろう。
使う側の心が大切で、子供にとっては親とのかかわり方が大きく左右すると思う。神戸の子もそうだったが、「子供の自主性や気持ちを尊重していたのか」が気になる。親の描く理想の子に子供を当てはめようとして、結果的に自由な選択を奪っていないか?報道されている「子供が洋服選びに時間がかかっていると、怒って親が決めてしまった」「連れてきた友達に、親が帰ってもらいなさいと言った」が気になった。いつもではないのだろうが、自分の事を親が主導することが多いと、子供は親から尊重されていないように思い、本当の心の内を親に話さないようになると思う。親は子供の成長を客観的に感じないので、出来るだけ小さな時からより子供と対等な関係で接していようとする方がいいと思う。

私はKG中に入って本当によかった。キリスト教の礼拝が毎日あった。
「みんな神様の前で平等です。世の中に必要な人しか生まれてきません。神様が子供の養育を成人するまで親に委託しています」
「子供は一時期委託されて育てている別個性で、成人すれば親と離れる」という考えがベースにあるから、親子はもっとドライな関係でいい。儒教の一生親や目上の人を敬う、従い養う関係がずっと続くのとは違う考えを知った。全く別の考えではなく、ウェートの乗る位置がほんの少し違うだけなのだろう。
子供の頃、自分のしたいことに反対され、しつけているのだろうが説教としか聞こえなかった。もっと上の目標設定され、あまり誉めてもらったことがない。親に信用してもらえない自分に自信が持てなかった。その苛立ちからいろんなことに腹が立つ子だった。でも外に現したことはない。
先生からはいい子といつも言われていた。親に一度「席替えで、神谷君の隣の席に、みんなからのけ者にされている子を移動すると、その子に笑顔が戻ると先生から誉められた」と言われたことがある。嬉しかった。でも、その子をいじめる子とケンカしたり、その子と普通に接して友達になるのは、やさしさからじゃない。その子が私と同じ自由を奪われたり制限されたりしているから、仲間と感じるからだ。ケンカするのはストレスの発散で、低学年の時2〜3日に1回はケンカをした。多勢に無勢、体も小さく大抵負けたけど、絶対諦めないで向かっていくので相手がやめた。負けてよく泣いたけど、その後爽快感で気持ちが良かった。親は何度も学校に呼び出されてその度に叱られた。何故ケンカをするかわからなくて悩んだのだろう。
親の過度のしつけは強いものから弱いものに対するいじめだ。しつけと間違えて子供のやりたいことを制限したりしていることはないだろうか?フェアな土俵を用意して、失敗しても成功しても子供を見守る姿勢が親には必要じゃないかなあ。夏の甲子園アルプススタンドでマウンド上やバッターボックスの我が子を応援する親が好き、負けてアルプススタンドに向かって一礼する我が子に「よくがんばった」と涙を流す親が好きです。
今でも自由を制限する人にはすごく反発を覚える。多分一生このままだろう。

私はKG中に導かれたと思う。入学してから自分の内側がやさしくなるのがわかった。
「普通の子が・・・。とてもいい子でまさかあんな事件を起こすなんて・・・」と聞くたびに、子供の時の気持ちが蘇る。「勉強ばかりしてもっと大切な何かを学ばなかったのではないか?・・・。TVゲームをしているから・・・。パソコンが・・・」と見えるものを理由にしようとするが、本当の理由はそうじゃない事が多いと思う。親の愛情をもっと欲しいのだと思う。
「何かを買ってもらうんじゃなくって、自分のしたいことを喜んでさせてくれて、結果がどうあれ応援してくれるだけでいい」。それだけで親は自分を信頼してくれている、応援してくれていると感じ、親をもっと信頼できる。周りの人も信頼できるようになる。
今回の長崎の事件で親の制限の記事に敏感に反応してしまう。加害者の気持ちがわかるような気がする。私も1つ違えば同じような大事件を起こしたかもしれない。きっと事件を起こしてしまった子も根は優しいと思う。罪を償ってご両親の元に帰れたらいいな、ご両親も辛いだろうが支えてあげてほしい。被害者のお父さんはもっと辛いのだろうがインタビューに答える姿には頭が下がった。あんなに冷静に悔しさを殺してすごいなと思う。加害者家族のこともお考えの上での姿だと思う。加害者の女の子を許してあげて欲しい。私には出来るだろうか?


2004/5/31
ある方のご主人がなくなった。悲しいことがあったり、テンションが落ちたりすると、前向きな言葉や穏やかでやさしい言葉の書いてある本を読む。これをすると不思議と気持ちが落ち着く。だから新聞の書評や広告などいろんな所で目に付いた本を時々買ってストックしている。1冊一気に読むこともあるが、大抵は数ページ読むと落ち着いてやさしい気持ちになるのでまた次回に置いておく。
配偶者の死はきついものがある。子供や親以上に大切な存在だ。血は繋がっていないが、それを越えたところで信頼しあって一緒になった。お互いを疑っていれば私の家庭は続かない。ここから新たなものが生み出され、子供が生まれて新しい家族が家庭が生まれた。彼女は私の人生そのものかもしれない。出あった頃より美貌は少し落ちたかもしれないがそれ以上の魅力が新たにオンされたように思う。
最近欠かさず見るようにしている唯一の番組「冬のソナタ」を今回見れた。先週は小泉総理大臣訪朝で見れず、先々週は広島に行っていたので見逃した。浮いたようなある意味現実離れしたストーリーかもしれないが、妙に私の心を引き付ける。
きれいな心に触れると自分の心が癒される。笑顔や温和な言葉に触れると自分がやさしくなれる。「魔女の宅急便」や「Dr.スランプ・アラレちゃん」が大好きだ。悪意を持った悪者がいないのがいい。長男幸成は私の父方の祖母ユキと母方の祖母マサを合わせた名前だ。マサは家内の雅代の読みと私良成の1字も入れた。次男忠成は成の字と読みをまず初めに決めて長男同様近所の神社に名前を見てもらって決めた。長男の名前の方が気合が入っていると思うが、あだ名では次男の方に気合が入った。「たーくん」は「turbo君」の変形だ。ターボ君はアラレちゃんの弟、とても賢く何でも作ってしまう天才赤ちゃんです。天才ばかぼんの弟はじめちゃんのような存在です。そうなって欲しいとの願いを込めて「ターボ君」「ターボ」「ター君」と呼んでいた。家内は「た〜」と更に短く呼んでいたが、それはちょっと違うやろと思う。
今置いている「前向き・さしい言葉本」は、「こころのチキンスープ16」だ。今すごく売れているらしい。多分大手書店では平積みになっているのだろう。いつも近所の小さな書店に注文しているので良くわからないが・・・この本をご主人のなくなった方に送りたいな。

5/30西宮のドラゴンレースに出た。天気予報は小雨・風6m/s、厳しい状況を想定し、下カッパ着用し、上長袖薄いシャツ・帽子、パ°ドリングジャケットもかばんに入れいざ出発。朝海に着くと、くもり・無風、たまにパフが通り抜ける。「西宮はここから6m/sまで上がるんだよなあ」なんて考えながら艤装を始める。それにしても暑い、短パンだけでいいかもと思いながら短パンを忘れて下はパンツだけなので脱ぐわけにはいかない。艤装も慣れてきてコントロールロープの位置もわかってきた。
船を降ろしてセールセットも全部終わったが無風です。ドラゴンは重いキールが下にぶら下がっているので470のようにパドリングで進まないだろう、スカリングもほとんど効き目がないらしい、ロッキングなんて無理。甲南艇に誘われて「お茶」に行くことになる。新西メイン塔に入るとクーラーが涼しい、生き返る。A級の話になり、福岡さんの船がバウがストンと落ち、前のほうのボトムの膨らみも小さいようで、先鋭的デザインらしい。いくつになってもレーシングでかっこいい。
曳航されてレース海面に着く。風が弱いので今日のレースは防波堤内芦屋沖のようだ。レース1風速3m/sWSW、西がよさそうだが先にスタートしたJ24を見るとポートもそれほどベアが入らないようだ。下1Xフラッグ、1線スタートできたがフルセールが遅かったようでトップスピードに乗るまで上艇がバウを出してくる。「ジブ張れ、フルセール」と言われたが、ジブが遅かったようだ。タイミングが感覚としてつかめないなあ。左に伸ばし右に返すとベアが入る。やっぱり右の方がいいようだ。第2クロスレグは右海面をとったら暫定トップまで上がったが、上マークが見つからない。最初あったところを目指してスターボで寄せていると、後続艇がスターンを抜けていく。少し上のレーンでスターボアプローチしてくるが数艇そのまま抜けていく。砂利船が多くマークが視認出来ないのがつらい。J24は何処へ行ったのだろう。「あれ、はるか右にマーク発見」移動したようだ。タックするが結局一番左に出したようで順位を落としてしまう。「河野スキッパーすんません」誰やなん自信たっぷりに「この砂利船の陰にマークがあります」と言ったのは。
スタート待ちしていると、「神谷さーん」と高い声が「う〜ん、俺はもてる」。J24に乗っている立命の仲野さんだった、琵琶湖から遠征のようだ。同志社の松永君・西村君も来ている。見慣れたセールNoのFJが3艇・「きよかぜ」が伴走しているので清風だ。田中先生も乗っている。風が上がってきた、5m/sくらい、しかも晴れてきた。日焼け止めを持って来なかったのが悔やまれる。色白のお肌が大変なことになってしまう。
R2、上から出て右海面、風が上がって艇速がもう1つ。メインにバックウインドが大きく入って、メインのリーチが弱い、アウトホールテンションもゆるい。しか〜し、アウトホールもバングももういっぱいです。ドラゴンでは正解かわからないが明らかにメインから風が抜けている。セッティングがうまくいかずせっかくのスキッパーの腕が発揮されない。クロスでバングがピンと張っていないのでメインシートを引くのが大変なはずだ。
R3下回航でスピンの収納に失敗、半分落ちて船の下にくぐった。海の中ではらんでいるようだ。手では引き上げられない。バウ先端でスピンが悲鳴をあげている。「破れるなよ」船を止めてもらい収納できた。渋川さんがスピンダウンシートを引いている時にスピンシートを飛ばすタイミングが遅かったのが原因のようで、スピンがはらんだ状態でダウンシートが重く、そのうちにスピンが落ちてしまったようだ。私はスピンを飛ばしたら、ポールのダウンばかりに気が行ってしまっていた。断ケツまで落ちてしまった、「えらいすんません」。やっぱりこんなに離れるとモチベーションが下がる。スピンの細かいトリムもちょっといいかげん。フィニッシュ後、渋川オーナーより「いい勉強をしたということで・・・」。スタートラインに帰るともう1レースするようだ。
R4、さらに風は上がり8m/s近くなってきた。防波堤の外でしていれば全身ずぶぬれ状態だっただろう。レース後KG現役練習場所の近くを通ると、新月に女子マネさんも数人乗っている。彼女達も乗ってくれることで練習の活気が違うと思う。今後に期待です。「1年生が余っているなら470スキッパーできるかな?」バングのコントロール幅を広げたところでAM5、アウトホールは次回ということになる。渋川さんってこんなやさしい人だった?「学生時代は、こら〜やっとかんかい」だったように思う。今日、基本動作がましになったので他艇のセッティングを前回よりよく見ることが出来た。バング・アウトホール・カニンガム・ジブリーダー、マストトップのサイドベンドを減らしたほうがいいような。クロスでリーサイドデッキを波が洗うようになると、上マークアプローチタッキングアングルが落ちる、多分横流れが大きくなるのだろう。
家に帰ると日焼けしてしまった顔がほてり厳しかった。長袖長ズボンで手足は大丈夫だったが顔は失敗した。今朝起きると中腰のふともものが痛い。しかし、ここ1ヶ月ほど続いていた右肩の傷みが取れてしまいました。店の上の方の棚から商品を降ろす時いつも「痛タタタ」となって左手で取るようになっていたが、今日は右手でも平気です。「48才だから50肩か?40の時は平気だったから40肩とすると8才若いということだな」なんていいように解釈していたが、ウインチ巻いたり、必死でスピンポールをセットしていたら吹っ飛んでしまいました。「リハビリにヨットはいかがでしょうか?」

2004/5/24
昨日は盛りだくさんな1日だった。早朝7時に琵琶湖同志社艇庫にお邪魔した。KGヨット部員が艤装に余念がなかった。関々同立定期戦初日が終わって470が2位でトップの同志社と1点差なので逆転に期待がかかる。スナイプは1回生の牛尾君と今村君が今日コンビを組むらしい。バンバン走ったら痛快だけど?ガンバレー1回生。同志社小巻君や今井君もいた。KG梅野君との走りあいを楽しんでいるだろうな。
一通り写真を撮って京都ヨット部艇庫に行く。どうもこの天気だと風待ちになりそうで、出艇する時は電話もらうことにして柳ヶ崎YHへ向かう。関々同立のレース本部が立命館艇庫でKGマネージャーとも話したい。さらにOpti関西選手権も開催中です。柳ヶ崎に着くと脇さんのお子さんの清風合格を祝福しに琵琶湖jrクラブハウスに顔を出す。兵庫jrに向かっていると、立命館艇庫前で成績表をチェックし、同志社西村君としばらく話す。西村君の弟も清風でヨット部に入ったらしい。お父さんの西村先生もヨット部の指導に気合が入っているだろう。先生には本当にお世話になった。
兵庫jrに入られた奈良さんから470のことを聞き、風待ちで運営艇付近にたむろしているKGマネさんたちを写真に収める。秋山さんと会う。最近ここに来ると必ず合うような気がする。このような現場で汗を流されている長老方がしっかりベースを押さえておられるから琵琶湖全体の活動が活発に行われ、成績も伴うのだろうと思う。国体艇庫2Fからお呼びがかかり、上がっていくと松永さん・今井さんに小巻さん・梅野さんがおられる。松永君のワールド31位の話題から470の話に話題が広がる。私を含めて全員470乗りの息子を持っている。小さな時からこの子達とレースが出来て我が子が羨ましい。
風が出てきたので出艇、シーホッパーを4艇出して1回生が今日は7人。昨年同様自由にホッパーは走っている。陸に上がると今日もおいしい昼食が待っていた。1回生のマネージャーもいたので挨拶をする。我が子の健康はあなた達にかかっています。よろしくお願いします。午後はシーホッパーがバラバラになるのでレースをすることにする。まだヨットに乗るのが5日目位なのに、上マークを回って帰ってくる。3〜4m/sのいい風になるとハイクアウト姿勢もかっこいい。かなりうまいのではないか。
ミーティングが終わって帰ろうとすると、「京都まで送って」とター君から声がかかる。比叡山越えでラジオを聞いていると、阪神が1点差で勝っている、しかもウイリアムス、今日は勝ちだな、・・・ところが小久保の逆転2ランがでて、2人で「うわー」。百万遍付近に入り、夕食を食べる「京大ラサラ」という黄色い看板の店まで送った。農学部裏にあり、アメリカンなど体育会選手が日曜日の練習後に集まる店らしい。ヨット部も艇庫から車やバイク・自転車を使って全員ここに集まり食事後閉店までいるらしい。下宿生の多い京都ならではの店なのかなあ。この店名じゃ一般客はあまり来られないのかもしれない。裏通りにあるのに、ぞろぞろ学生が入っていく。「ここのおじさんは名物おじさんだろう」「マドンナウェートレスがいるのかもしれない」などといろいろ想像した。
今岡の同点打が出て延長戦に入るが、10回先頭の本木にホームランでまた1点差。ウイリアムス・安藤が打たれたけど、いつも抑えてくれているのでしかたないな。名神を走っていると、平下のフォアボールでランナーが2人出た。赤星なので期待大。実況アナウンサーの声が絶叫調になると同時に料金所でラジオが聞けない。料金所を出ると「ワーワー」、赤星のインタビュー・岡田監督のインタビューが入るが、赤星の打球がどうなってサヨナラ勝ちになったか良くわからないぞ。まあ、めでたしめでたしということで・・・
関々同立、KG470は3位、スナイプ4位だった。残念、レース毎に上がるスピンを見ていたが、立命館が前に多く、ひょっとすると同志社にも勝ったのかもしれない。

小泉さんが訪朝した。「パフォーマンス」「年金未納があやふやに・・・」「身元不明者の捜索は・・・」など批判が多く出るのに驚いた。まあいろいろあるが、行動力があってすばらしいと思う。交渉事は相手があるので思うように行かないこともあるが、これからも行動して欲しいし、前回同様また何かが動き出すような予感がする。

2004/5/17
昨日は広島に行ってきた。仕事の取引先の工場見学です。土曜日の最終新幹線のぞみで広島入りした。のぞみに乗ったのは初めてです。店を閉めて急いで駅に向かったのでおなかがぺこぺこでした。新大阪の駅で立ち食いうどんでも食べようと思っていたら、この時間帯です何処も閉店。新幹線ホームも閉店。車内販売もビール・おつまみメインの時間帯でパス。広島リーガロイヤルホテルという高いところに泊まりましたが、ルームサービスまでおしまいでした。「参ったなあ」と思いながら、水飲んで寝ました。毎週楽しみにしていた「冬のソナタ」が見れなかったのが少し残念でした。
この韓国ドラマですが、初めは吹き替えが口とあまり合っておらず、俳優さんの表現がオーバーで「もう1つ」と思っていましたが、まあ話題だからと見ていると引き込まれてしまいました。「なかなかいいんじゃないの」最初の数回、もう1つと思って裏番組に浮気やTVをつけなくて今はちょっぴり後悔しています。
ホテルの風呂に入ったが、どうもこの浅い風呂は苦手だ。何度入ってもしっくり来ない。やはり深い風呂で肩までゆっくり浸かりたい。翌朝の朝食は、バイキング・スカイレストランでの朝食(トースト・コーヒー・スクランブルエッグ?)・和朝食と選べたが、即和朝食に決定、「やっぱり日本人は箸でしょ」
バスで1時間かけて山間ののどかな田園風景の中にある工場に着くと、社員さんが大勢で迎え、会釈する方・手を振る方・・・なんで私は照れているのだろう。この取引先は大きくはない会社だけど、特色がある会社で多分利益は相当に出ていると思う。社員さんを見ていると、親切で一生懸命でゆったりしている、でも土曜日も仕事をしておりとても好感が持てる。だから工場見学に参加したのだけど・・・いきなりの出迎えに「いい所にきたのかも?」と思ってきた。
社長さんから会社の説明を受けた。社員の3割が研究者という会社も珍しい。ここの製品は内容がいい。お客様に安心して販売できる。図書室や記念室をみると、古橋広之進さんや毛利守さんがここを訪れた時の写真、愛用者でもある。秋篠宮様がここで研究していた時の写真もある。科学技術庁長官賞などの賞状がずらっと並んでいる。原料まで自社栽培するので60万坪の農場を北海道に持っている。無農薬栽培だから雑草取りが大変らしい。ロボットの動いている製造現場をガラス越しにじっくり見ていると20名ほどのグループが縦長になってきて私のいる後ろの方は説明が聞こえない。するとすれ違った昼食に向かっていた?社員さんが臨時説明役になって熱心に説明してくれた。会社が好きで工場が好きで、1人でも多くの人に伝えたいという気持ちがにじみ出ていた。最後まで付き合ってくれたので昼食時間がなくなったのではないだろうか?
昼食は社員食堂だった。ここでも社員さんが笑顔で挨拶してくれる。なんかとてもいい気持ち。子供達を引率して海外レースに参加した時と同じように自然に顔が上を向く。相手に構えなくてもいい、素直な自分に戻れる。午後からはここの会社の庭園見学です。バスで10分で着く。6万坪あるそうで、奥まで行けば戻って来れそうにない。この庭園は全部社員さんの手作りで、花はもちろん木も、ごみ箱から建物ログハウスまで全て作ったそうだ。一般の人にも無料開放しているようで雨なのに結構人が来ている。芝生もきれいで、ここなら小さな子供を連れてきて1日中遊べるような気がする。社員さんのあの態度は、仕事から離れて花を植えたりログハウスを建てたりみんなで協力することから生まれてきているのではないだろうか?一般の人に無料開放することでいいことをしていると自分に自信を持てるのではないだろうか?この町は創業者の生誕地だそうだ。本社は大阪で海外36カ国に輸出して、アメリカ法人は数々の特許や研究発表・新製品で注目を浴びている。海外工場もあるが、原料は北海道からで、国内向け商品はここで作っている。特徴のある他がマネの出来ない商品を作っているから出来るのかもしれないが、安易に海外工場移転せず地元密着することが地域の信頼を集め、社員さんのやる気につながり、笑顔に繋がっているような気がする。今回の工場見学は工場というよりこの会社の人にすばらしいものをもらったような気がする。
広島からの帰りはゆっくりしようと、こだまに乗る。各駅に停車しながらどうも遅いなあと感じ、車内の時刻表を見ると、こだまの本数が非常に少ないのを知る。のぞみが昔のひかりで、ひかりが昔のこだまのようだ。所要時間も大阪までのぞみなら1時間半、ひかりなら1時間40分だけど、こだまなら倍ほどかかる。「うーん、やっぱのぞみか」と福山でのぞみに乗り換えて帰ってきた。時々電車で遠くに行かないと世の中から取り残されそうだ。

さて日曜日は、土曜日の晩のクロアチアが気になっていた。470ワールドで現在和歌ちゃんが日本人2番で、アテネオリンピックに行く為には吉迫さんを抜かねばならない。土曜日店を閉めて即ネットにアクセスすると、APがあがったと書いてあった。あの後風は吹き出したのだろうか?
結局追いつけずに日本人2位だった。結果は仕方ないがよくがんばった。世界選手権19位はすごいことだ。「吉迫さん・佐竹さんおめでとう、アテネでがんばってください」。今回近藤さんが初日3位でスタートしたり、高橋さんがゴールドフリート次点だったり470女子のレベルが上がった。世界に通用する選手が増えて頼もしい。しかもこれがみんなOpti上がりで知り合いだから痛快だ。男子で応援していた松永君もゴールドフリートに残り31位。すごいなあ。ター君は松永君にあこがれて、「松永君のクルーになる」と言っていたのだからこれまた痛快です。結局男子もOpti上がりの関君がオリンピック代表で、ター君6年のOpti全日本で彼のお母さんと話して、和歌ちゃんの兵庫移籍を頼まれて、その後数年間やりとりがあった。なんかすごくない?

2004/5/15
工作君の新聞社の取材を見て、新聞社はデジカメを使っていることと、私のデジカメとさほど変わらないものを使っていると知った。ということはこのHPは一流だ。

話は変わって、最近年金未払い議員の話題が盛んだ。福田官房長官が辞めたのには驚いた。「年金未払いくらいで」とビックリした。しかもとんでもない昔のことにさかのぼっている場合もある。議員さんも普通の人で失敗だってするし、「すんません、払ったと思ってました、えらいすんません」で大抵の人は許してくれると思う。「御免なさい」と「ありがとう」が言えない人が多すぎる。素直になれば世の中やさしいと思う。
自分を振り返っても、学校を卒業して勤めていた時は会社の社会保険で、会社を辞めて家業に入った時は親父が手続きしなかったので呼び出されて自分で手続きをした。再び学校に入学して、今度は独立して会社を立ち上げて会社社会保険のあまりの煩雑さに参った。従業員さんの出入りがある度に社会保険事務所に伺い、昼食時間だということで1時間職員さんの弁当を食べている姿を見ていたこともあった。手続きミスで呼び出されたこともあったし、社会保険労務士を紹介されたが、そんな所に費用を使えない。よくわからないので何度も質問していると担当者が怒り出してしまったこともあった。私も未払い期間があるのかもしれない。
原因は?はっきりいって、いろんな年金がありすぎる。事業会社でバラバラになっているので訳がわからない。終身雇用の世の中でなくなり、転職が当たり前で、独立してまた勤め人になったりといろいろなのだから、年金は1本にすればいいと思う。さらに言えば、何故事業会社が従業員さんに代わって納める代行をしなければいけないのか?もっと言えば年金や社会保険の半分を事業会社が持たないといけないのかがわからない。全額本人に渡して本人が自分の裁量で手続きをしたらいいと思う。会社が肩代わりするから、自分が年金を払っていることを意識しなくなる。自分が手続きして、仕事がどう変わろうとも同じ年金ならシンプルでわかりやすい。かつて勤め人だった頃収めた年金は現在国民年金の私にはもう帰ってこないようになっているのではないのかなあ?だって収めた年数が足らないからね。このような訳のわからなくなっているお金がたくさんあると思う。一元管理していないのだから当たり前だ。大企業は全企業の0.024%だったっけ、ほとんどが中小零細個人企業でだから私のような良くわかっていない人間が手続きをしている。
と書きながら、いろいろ間違ったことを書いているように思う。前述した、私の質問に担当者が怒り出した時、家内に交替してから全くタッチしていないので今でもよくわかっていない。は〜、私の年金、どうなってるの〜、誰か教えて〜。
最後に国会議員の皆様、ご自身でもわかっていない年金制度、シンプルにしましょうよ。私は自分の経験から間違って当然と思っているし、これ以上過去をほじくっても何にもならないからわかりやすい年金を作っていただくことを希望します。

2004/5/14 神戸新聞工作君記事
昨日は大雨でした。でも2ついいことがありました。朝ここ数日の習慣にしている470ワールドのHPを見てみると、和歌子ちゃん18位で予選を終え、決勝はゴールドフリートです。「やった〜、第1関門突破」、予選3位吉迫さんとアテネオリンピックを賭けてゴールドフリートで一騎打ちになりました。高橋さんは残念ながら時点でシルバー、初日日本人トップの成績だった近藤さんもシルバーです。みんな知ってるのでみんなを応援したいが、やっぱり田畑さんでしょう。多分我が子も下宿で毎日ウェブチェックして応援していると思う。なんと言ってもOpti時代は我が家の愛車ワゴンに乗って兵庫チームとしてワイワイ遠征していた仲だからね。時には他クラブの子も入ってレース会場に着くまで延々やっていたトランプのスコアボードはまだ車にあります。あのスコアボード、本当はミーティングに使うホワイトボードだよ。いざミーティングで使おうと思ったらインクがなかったり、マーカーの先がつぶれていたり、マーカーを紛失したこともあり参りました。細かい出費も伴いましたが、選手5〜6人でワイワイ楽しそうにやってるのを見て注意できないよね。「まあしゃあないなあ」
もう1つのいいこと、それは工作君が芦屋市長に呼ばれました。神戸での仕事を早めに切り上げてカメラマンで参加です。芦屋市役所は阪神芦屋駅前です。久しぶりに阪神電車に乗りました。神戸センター街を歩いていると、店の前を店員さんが片付けている。「なんで?」、なんと上からポツポツ雨が・・・アーケードがあるのに・・・地下街に入ろうとアーケードの切れ目に来ると、どしゃぶりの雨です。このすごい雨じゃアーケードの雨漏りも仕方ないか。
4時に芦屋市役所市長室です。30分も早く着いたので、広報課を訪ねて挨拶しようと思ったがあいにく課長さん別件で外出中です。広報課長が同席すると思っていたが、秘書課に移っているようだ。でも課長さん、おおきに、あなたの働きで市長さんに呼んでもらえることになりました。工作君の思い出になります。ついでに私も便乗できたし。
市長室に入るとまず秘書課のカウンターがあり用件を話す。ソファーに座っていると、先日電話をいただいた神戸新聞の記者さんが到着。事前に即席インタビューが始まる。ワールド経験者の梅野さんがコーチとして来る予定になっているのに・・・なんで私がインタビュー受けるの?・・・まあ適当に答えていると、携帯が鳴った。今日は携帯の電源を入れていて良かった、神戸でも店から電話が入ったし。今度は梅野さんから「工作がおれへんねん。ちょっと遅れるわ」「えー、もう5分しかないよ、せっかく市長さんが待っているのに、穴あけるの?やばい〜」。事前資料に書いておいた高校生のワールド選手森本君・Optiヨーロッパ代表田中君・アセアン代表柏原さんについても聞かれた。田中君・柏原さんは住所が神戸新聞主力エリアから離れるので記事にならないかも・・・。
どう見繕うか思案しながら神戸新聞のインタビューが続く、しかし頭の中はそれどころではないぞ〜。再び梅野さんから電話「工作見つかったわ、そっちに向かってるからあと5分でつく」「いやー、良かった」。4時になったので、秘書課長が工作君を出迎えにソファーに来ている。「あの〜、学校が少し遅れたそうで、今こちらに向かっていますからあと5分待ってください、申し訳ありません」と平謝りで見繕った。
5分遅れで工作君・お母さん・梅野さん到着。大物になりそうや、中学生にしていきなり市長を待たせたぞ。市長室に入ると、すぐ山中市長が現れる。「よくがんばったね・・・」、事前にお母さんが渡していた資料(クラブ・Opti・ヨット・工作君・ワールド・・・)に目を通しておられるようで、毎日分刻みの日程をこなしているだろうにすごいなあと思う。秋田前JSAF会長と新しくできたYHベルポート芦屋で会ったらしい。南芦屋浜埋立地の核施設YHにかなり芦屋市は力が入っているようだ。確かここのハーバーマスターはKGヨット部の先輩のはず。
カメラマンで参加予定だったが、ゲストになってしまい、ケーブルTVが回っているのでちょこちょこ動きまわれない。「まあいいか」話の輪に入って・・・、市長さんとの話の後、新聞社の工作君へのインタビューが始まる。「目標は?」「・・・」、梅野さん「日本人過去最高は7位です」、「目標は?」。多分威勢のいい目標を記事にしたい記者さんと、あまり大口を叩きたくない工作君、「その辺になれれば・・・」。私なら記者に気を使って「目標は金色のメダルです」とか心にもないことを言ってしまいそうだ。
市長さんからお土産をもらい退室、下の喫茶店でお母さんのおごりで私はクリームソーダを注文。レジで「800円?です」「全員一緒でお願いします」「800円?です」「え〜、安す〜」。吉田さんご馳走様でした。帰りは梅野さんに伊丹まで送ってもらう、ラッキー。ネクタイ締めた梅野さん、う〜ん見慣れないのでどうも違和感がある、人のこと言えないな、私は絶対似合っていないはず。

さっき昼休みに銀行行くついでに阪急伊丹駅改札前の売店へ。ありました神戸新聞。地域のページに結構大きく工作君の写真がありました。記事を読むと「元コーチ神谷さんによると・・・」、あ〜やっぱり、梅野さんだけでも先に来ていたら「梅野コーチによると・・・」になったのに、元コーチってのも変だなあ・・・。

2004/5/11
5/9KGファミリーデーに参加した。AMにOB総会がありHPを立ち上げたので、要望とかあるかなあと思いそちらにも参加した。総会後半なにやら2Fのカーテンの向こうが騒がしい。朝現役がいないなあとは思っていたが、何処からか帰ってきたのかな?と思った。結局HP関係は何もなく、カーテンを開けると、現役が濡れた格好から着替えていた。「練習してたんだ」、がんばってるなあ。
ファミリーデーが例年どおり始まり歓談しながら、PMはクルーザーにチビッコ+ゲスト乗艇といういつものパターンで終わった。クルーザーに乗り出す頃、現役はキャプテン・マネージャーを残して練習に出た。2週間後に迫る関々同立定期戦に向けて気合十分です。3人新人が乗る事になるので1時間でも練習したいのだろう。みんな本とがんばってちょうだい。
ちょっと気になったことがある。ファミリーデーは現役部員ファミリーをゲストとして迎えることも大切なことだと思った。どうもOBOGの同窓会になってしまっているように思う。部員家族といえども入りにくい雰囲気がある。ヨットを知っている人だけじゃなくて、知らない人(部員家族)をもっとクラブに引き入れる努力をした方がいい。ヨットというスポーツは海のスポーツなのでまず安全かどうかが家族にとって一番気になる。少子化で子供が少なく大事に育てられているので、より子供の生活環境が親は気になる。親がクラブを好きになってもらうことは大切なことだと思う。アメリカンフットボール部はチケットの売りさばきということで家族会がとても強力だと聞く。ヨット部もそうなる方がいいと思うし、KG中啓明中のヨット教室が始まり、チラッとヨットを見に来る親が出てくると思う。そうなれば大学生になっても見に来たいと思うのは自然で、陸上のスポーツでは試合に親が見に来るのはごく自然だ。
そこで提案です。@司会を決めて場を盛り上げる。 A受け付けを設けてゲストが第1歩を踏み入れやすくする。の2点はどうだろう。
@がないと、今日はどういうメニューなのか良くわからない。家族が自然に仲間に入れるように司会が声がけするだけでずいぶん違うと思う。OBがしてもいいし、部員がしてもいい。個人的には、新人勧誘のときいいコンビだなあと思った、加藤君・杉田さんコンビがを推薦する。同じようにパーティーゲームをするだけでずいぶん盛り上がると思う。というか、OBは放っておいても盛り上がるので家族が入りやすい。たとえば部員家族をチームのキャプテンにするなどするといいと思うんだがなあ。
新人がベールを脱いだ。プレーヤー10名、女子マネージャー6名、勧誘がんばってたもんな、よくがんばりました、花丸です。1年の2人のヨット経験者がとても楽しい感じのいい好青年なのできっとそのままの人数でいくだろう。この学年は強くなりますよ。良成君の大予言です。3年後の日記が楽しみです。

話は変わって、470ワールドがクロアチアで始まった。10日がレース初日、成績表を見ると女子海面は3m/sくらいで風があまり安定しなかったらしい。近藤愛さん日本人トップで、多分この風域で一番速い吉迫・佐竹組が2位、我が愛する和歌子チームは3位です。初日はこんな感じでいいんじゃない和歌子さん。安定してくればぐんぐん行くはずです。それにしても男女ほとんどが元Opti、OP時代に世界に出ているので目標が違うのか、レベルが違うのか、改めてOPの強さを感じる。彼らはヨットが生活の一部になっていて、大学ヨット部を卒業しても単なる節目でしかないのだろう。田畑さんの同級生高橋さん、2つ上の愛さん、さらに1つ上の吉迫さん。小学生からこの子達は何度レースをしてきたのだろう。今週は470ワールドで楽しもう。

2004/5/8
全国少年少女西日本のレポートが届いた。Bクラス小松君優勝、新人の奈良君トップ1、川西さん・北口さんもシングルを数回、今年の新人当たり年?みんなすごい。小松さんから親ばか写真が多数送られてきた。親ばかを見たり聞いたりするのが好き。そんな時も謙遜するのが日本人の美徳なんだろうけど、私って変かなあ?笑顔満点を見ているとこちらまで嬉しくなる。小松お父さんのはしゃいでいる写真をHPに載っけておこう。
今朝、和歌子ちゃんからメールが届いた。470ワールド(クロアチア)が昨日から始まった。ここで日本人女子1位になればなんとオリンピック選手だ。今月末から、「俺が育てた」なんてホラ吹いてやるぞ。最低10人は御同僚が突然発生するだろう。三船さん・和歌ちゃん、すんません。祭りは当事者が一番楽しめるからちょっとだけ当事者させて。メールは、彼女がOptiヨーロッパ(クロアチア)に参加した時のクロアチア女子選手が、計測員をしており和歌ちゃんに声をかけてきたという内容でした。お互いにどれだけOptiを楽しんだか想像が出来ます。

2004/5/7
先日厳しい話を聞いた。「お母さんがすき、自分がすきと言える子に」という本を紹介してくれた方です。最近日本企業の調子が上向いて景気が良くなっていると新聞に出ているが、大手企業の世界的に明るい一部の人達が主導した、涙ぐましい世界規模のリストラが結果を生み出し始めているためで、日本人全体の所得が伸びる時代はもう来ないということだ。大きな所得を生み出す製造工場の海外移転が止まらず、優秀な機械が開発されることで、一部の優秀なエンジニアを除いて賃金の安い労働者でまかなえるようになってきた。工場労働者に賃金の高い日本人はいらず、より付加価値の高い物の製造工場しか国内に残らなくなる。
よって優秀な人材以外は国内で仕事がなくなるので海外に仕事を求めるようになるか、より低賃金で自分を売るしかなくなるそうだ。繁栄を謳歌しているように見えるアメリカの一般労働者の賃金は年収400万円ほどで、日本のそれより低い。さらに年功序列はすでに崩壊して、真面目に働いていれば少しづつ収入が増えることはない。
かつてはアメリカ白人全体の収入が伸び、俗に言う3K職業を白人が敬遠することで、アジアンやヒスパニックが職を得ることが出来たけれども、白人か有色人種かの差から優秀か優秀でないかの尺度になり、優秀でない人からアメリカ国内での職がどんどん奪われている。優秀な人とはしっかり教育をされた人で学業優秀な人です。これは親の所得水準に大きく左右され、教育費を親からかけてもらっていい教育環境を得て、その中で一生懸命がんばった子達だということだ。2極分化が進み、劣悪な教育環境にいてはそれに染まってしまいいい教育が受けられない。
大都会ではダウンタウンに低所得者が住み、ドーナツのように郊外に高額所得者が住むように住環境の分化が進み、それに伴って教育環境が分化する。普通なら暴動が起こってもおかしくないらしいが、アメリカにはちゃんとチャンスがあるシステムが存在する。それは軍隊らしい。軍に入り数年がんばれば奨学金を受けられる。その奨学金を使って退役後大学に入って懸命に勉強すれば優秀なグループに入ることができる。たとえ子供の頃の教育環境が悪くて学力が劣っていても大学入学はそれほど難しくないから、いつからでもやり直しが効くシステムになっている。
しかしここで忘れてはならないのが、大学卒業、つまり学位を取るのが大変難しいということです。大学入学だけでは収入に結びつかず学位を取得して初めて収入に結びつく。巨大企業が幹部候補生として雇い、初めから一般労働者と違うコースだそうだ。より高い学位を得る為により勉強する学生がたくさんいるそうだ。アメリカンフットボールの名門でも卒業できた選手が20%という学校もあるそうで、どんなに優秀な選手でも卒業は難しい。しかしワシントン州立大では90%以上が卒業し、文武両道の名門クラブらしい。
アメリカでは、文武両道がとても重んじられ、全米でアカデミー賞のように発表される。そういえば映画「卒業」の中でダスティンホフマンが表彰されるシーンがあった。これにノミネートされる学生はとても優秀でオリンピック選手を引退した後優秀な外科医になって、かつてオリンピック選手だったことを身近な人でも知らないこともあるそうだ。いつまでも過去の栄光にすがり付いて未来への1歩を踏み出せない人が多いのは、一途を重んじる日本社会とヒーロー扱いしすぎることが原因だろう。スポーツのできる人は勉強もコツコツできる素質も持っており、オリンピックに行った為にそこから離れられずかわいそうな人生になることもある。リセットする勇気が必要で、そのためにも日頃から一途ではなく戦前の学生スポーツ選手のように学業もしっかりしておく必要がある。
入りにくく卒業しやすい日本の大学が、少子化とともにいろんな入学形態が現れ入りやすくなり、卒業しやすいままでは大学の企業に対する卒業生の優秀な人材保証が危うくなり、ランキングが下がる。そこで国家資格などの取得を学生に勧め、優秀な教授の獲得に動き出している。この流れについて来れない勉強をしない学生は人材としての価値が下がる。多少名のある大学を卒業すれば小さな地方銀行でも35才で年収1000万円という夢はもう来ないということだ。正社員が減り人材派遣やパートが増え、一般労働者の所得はどんどん下がっている。しかし一部の優秀な人材の所得は飛躍的に上がっている。
この傾向はますます進むので子供の教育をそれにあわせてしないといけないと言われた。今日本は過渡期で、戦争世代のハングリーに引っ張られ、70年代までに大学を卒業した優秀な人材(世代に対する大卒率20%まで)が日本をまだ引っ張ってこれた。80年代以降大卒率が上がり、90年代は将来の少子化も考え大学生き残りのために入学が安易になり40%という状態になった。希少価値やステイタスが生まれず適切な競争があるとは思えない。この世代の優秀な人材は少ないのではないか。いずれただ大学に通っただけでは無駄ということが認識され、早く社会に出てたたき上げて収入を得ようとする人が増え、大学が淘汰され世界標準に近づくだろう。そこを卒業する若者は戦前の大学卒のように大変優秀でいろんな方面にスキルが高い。たたき上げの人材は学位を持った大卒以上に優秀で、ゼロから1を生み出す能力がある。いつの時代もこのような人材は少なく、血のにじむような努力と長時間労働を苦にせず、チャレンジ精神が旺盛だ。過渡期で軽く見られてきたが再び脚光を浴びるのは明白で、学位を得ようとする流れとは別にこのようなヒーローを目指す流れが太くなるだろう。
たたき上げや戦前・戦後十数年の学位には安易な道はなかった。安易な方法で学位をとるとその子供に努力を求めなくなる。長い目で見るといい方法とは言えない。
「あなたは子供に安易な道を教授していないか?」「あなたの子供の努力を応援しているか?」「あなたの子供に努力できる才能があることを信じているか?」「あなたの子供に安易な道を選ばずとも乗り越えられる力があると信じているか?」「あなたの子供の環境整備だけに努力し子供に指図せず線路を引かず見守れたら優秀な親だ」
と言われた。厳しい話しではあったが明快な話で、私の考えに似ていたのでストンと胸に入ってきた。幼稚園仲間やKG中仲間は自分や子供をそのように育てているので安心してこんな考えを話せるが、親しくならなければ他に話すことはない。まして他からこんな話を聞くことは珍しいので嬉しかった。
そして最後に、「明るく笑顔でなくては壁は乗り越えられない」。「たたき上げや貧乏学生が必死に這い上がろうとしている姿を想像するが当事者は笑って楽しんでいるものだ」と付け加えられた。世の中にはすごい人がいるものだ。

2004/5/5
昨日幼稚園の同窓会に行ってきました。私の日記に時々登場する幼稚園関係ネタ。いったいなんなんだ?幼稚園?の同窓会がある人も珍しいと我ながら思いますが、これがまたいい関係でなんかそこにいると居心地がいいのです。ある著名な教育者主管の主婦の会が理想の教育を求めて作った私立の幼稚園に通ったので、母親の考えが似ている、当然みんなそのように育てられている。だからなんかこの同窓生の考えが似ているんです。自分の本心を話しても、「そうそう、私もそう思うの」みたいに賛同されて気持ちのいい集まりなんです。この「友の会」という集団は、全国に多数の幼稚園を開いており、中学から大学まで持ってるから驚きだ。親戚に大学まで行った人もいる。同窓生には高校まで行った子がいる。
弟も同じ幼稚園で、弟の子供もここに通った。我が子の時も母から薦められたが、まあ少し特殊なので、我が家は深入りせずに「誰が西宮まで送っていくの?」と丁重にお断りした。
でも私は学生時代から数度サンタクロース役でクリスマスに出席したことがある。絶対に「サンタクロースは実在する」という子供の夢を壊しちゃいけないので、幼稚園に知らないお兄さんが入ってくるのを見られちゃ駄目、ドアにカギをかけてからサンタクロース衣装に着替えること、その部屋から子供達のいる部屋に行く時も保母さんが子供に見つからないように見張りをする、白髭を引っぱられて取られたら駄目よ、早足で歩いたら駄目よおじいさんなんだから、終わって園から帰るときも今サンタをみんなが探しているから出ちゃ駄目お昼寝まで待って・・・とたった1時間の為に数時間監禁状態だった。でも本物のサンタに会えた喜びで目が輝いているのがわかり、背中に背負った大きな袋からプレゼントを出して一言とともに渡すと笑顔100点で、こちらも100点笑顔になる。プレゼントは私の時と同様、数週間前に自分が書いた絵が刺繍されているクッション。みんな大喜びというよりびっくりしている。「なんで僕の絵わかったん?・・・」質問責めだ。私も当時びっくりした。まさか母が夜寝静まってから縫っていたとは知らず、なんとなくわかってきたのが小学生高学年で、それまで不思議で仕方がなかった。幼稚園からクッション製作に当たって厳しい御達しが母親に出ているらしく今でも母は「私は作っていない」と言い張る。お墓まで持っていくつもりだ。この幼稚園の保母を同級生がしていたので彼女に確かめて真相を確認した。園児1人にわかってしまうと一気にみんなに伝わるのでとても気をつけるそうだ。保母さんという仕事は夢があり、その子の一生に影響するすばらしい仕事です。
女の子(といっても同じ年だからおばさん)から「教授になった子がGWで帰ってきてるから集まらない?」との誘いが日曜日自宅に入った。ちょうど私は琵琶湖でレース観戦だったので家内が受け、私が帰ってくると「連絡あったよ、行くんだったら店見といてあげるよ」「はい行きます、申し訳ない、お願いします」。
幹事の彼女が富田林なので難波のスイスホテル(南海難波駅上)ロビー集合だった。南海難波は確か地下鉄難波とくっついていたな。阪急梅田から次男の学校清風に行く時通いなれた地下鉄東梅田駅まで歩く。阪急のラガールカードって地下鉄でも使えるのかなあ?カードを見ると「ぐるっとKANSAI」と書いて歩けど?まあいいかいつもニコニコ現金払いでいこう。等と考えながら路線図を見ると、あれっ、難波は御堂筋線でここは谷町線、直接いけません。ありゃりゃ、御堂筋線の梅田駅は阪急梅田の下だったのに遠回りしちゃったぞ。時間に遅れそうです。
谷町線谷町9丁目で乗り換え(ここは清風の最寄駅でよくここへ来たな)て、難波に着きました。しかし御堂筋線の難波駅とは違い駅員さんに聞きながら地下街をずいぶん歩いてやってきました南海難波、へーすごく変わってるなあ。この駅に来たのはいつ以来?○十年は経ってるな。スイスホテル発見、綺麗なホテルでロビーは6F、見渡すといましたいました、懐かしい顔が3人、女の子2人とは去年西宮YHで会ったけど教授とは今日集まった女の子の結婚式以来です。新婦友人として同世代の男の子が行くのも変な関係だな。私達夫婦の婚約パーティーにも結婚式にも彼女達は来た。家内はこんな関係を理解できているのだろうか?
もう1人女の子(幼少時代のチームリーダー)、いやおばさんが集まって5人でホテルの中華料理、その後36階のラウンジで喫茶して昼前から延々4時までしゃべりました。というかおばさんたちのしゃべりを聞いていました、「ようしゃべるなあ」。教授はまだ独身で完全にネタにされている。私も幼稚園時代良く泣いていたので完全におばさん達のネタになっている。「嫁姑問題」「子供何してんのん問題」「名刺の字がこうしないと見えないのよ問題」「教授の私生活問題」「幼稚園時代の泣き虫問題」・・・。泣き虫問題は私の上に夕方親が迎えに来るまで泣いていた上手ががいたのでまだましだったが、教授の私生活追求は厳しかった。嫁もらえだの、いい人いるんじゃないの?、ピチピチギャルいっぱいだから・・・に始まって、学校まで徒歩25分なのに車で行ってるの?歩いてそのお腹どうにかしなさいよ、法律に加えて生活栄養学教えてるの?その体型で?、まあひどいものです。マンション1人暮らしなら危ないわ、万歩計つきの携帯に変えた方がいいよ、夜中に何歩歩いたか自動送信するから私が受けて安否の確認したげる、1日歩いていなかったら確認しに行かないといけないのか、どうしようかな?放っとくかな?「おいおいそりゃないよ」。ちょっと小奇麗にしているが根は大阪のおばちゃんです。

2004/5/3
ゴールデンウィークです、世の中は。しかし私は日頃と変わらない生活です。新幹線乗車率が○○%・・・海外渡航ラッシュが始まりました・・・縁のない話です。と思っていたらそうでもありませんでした。5/2朝琵琶湖に向かっているといつもより車が多い、えーこんな朝早いのに、遅れるかも?と思っていましたが、まあそこまでひどい渋滞ではありませんでした。京都付近で遅くなったぐらいで済みました。でも反対車線(下り)はひどく混んでいました。
5/1・2と近畿北陸フリートと関西フリートの学生がレースです。5/2の休みどちらに行こうか悩みもせず琵琶湖にしました。OBの観戦クルーザー案内もありましたが、練習同様インフレータブルでこまめに選手に声をかけようと思い、キャプテンに教えてもらった8時出艇に間に合うように家を出ました。艇庫に着くと、選手全員レース参加するそうでインフレータブルはお休みです。「すいませんが、OB艇でお願いします」と電話番号を書いてくれました。そこで昨年乗せて頂いた観覧船に電話すると、「どうぞどうぞ」温かく歓迎され、監督・前監督・4人のマネージャーとご一緒しました。いつもながら温かい感じのいい雰囲気が漂っているクラブです。
観覧船出艇時間までまだ1時間あります。柳ヶ崎で1日目の成績表を見ようと歩いていると、「こんにちは」と照美さん、今日はレースに出るらしくウェット着用です。あちらにおられるのは秋山さん、挨拶しておかねばと雑談していると、西村さんが「こんにちは」。レース運営に駆り出されているようで(長男のレース観戦が主目的?)、今晩から大分の3男の全国少年少女に出発し、その後唐津に次男420ワールドユース予選の応援となんというスケジュール。
「江ノ島から来てるよ」と西村さん。そう言えば、川添さんから頼まれて今大会のNORを西村さんに頂いて送ったなあ。同志社ウィーク同様、鈴木さん・川添君に加えて今回は小宮君も引率して高山さんが来ている、しかも小宮君のクルーをするそうだ。小宮君・高山コーチはOPワールドで兵庫jrの工作君と一緒だ。よろしくお願いしておかねば・・・。出艇を見ていると小宮君が船を降ろして浅瀬で待っている高山さんの所へ、高山さんが乗り込みスキッパーとして一連のラダーセットなどをして交替している。小宮君はまだ470が5回ほどで高山さんがスキッパーのハンドリング以外はみんなカバーしているような感じだ。こんなしっかりしたクルーならスキッパーも楽だなあ。
朝からいい風が入っており1日フルトラピーズのレースを観戦できるかなあと思っていたらいきなりAP?なんで?と思っていたらだんだん風が落ち小1時間風待ちです。さすが地元は良くわかっているなあ。風が出てくるが風向は東、「東は安定しないですよね」と聞くと、琵琶湖育ちの監督は「安定せず、振りますよ」。
今日の1レース目スタート、アウター目から3艇とも1線スタート、でもゼネリコの3発ホイッスル。次もいい感じのスタート。1上4位で青白青スピンが上がる。シングル後半に2艇目、20位前後にあと2艇、全部で70艇くらいだからなかなかいい感じ。結局ター君4位フィニッシュ。スナイプもまとまっているがシングルに来ない、うーんどうしてかなあ?
次はスタートライン延長線少し上からスタートを見る、本部船有利に風が振り、あーゼネリコ。今度のスタートはスタート直前にアウター有利に振る。上マークがかなりのポートロングになった。即タックパターンでター君はデインジャラスラインを割った。即タック、やばいスターボ艇が・・・みんな即タックでラッキー、スタートラインを切れた。1上6位に青白青スピン、20番くらいと40番くらいにまた上がる。2回目下マークまでター君はシングル後半をキープしていたが、3回目ののぼりレグは右にコースを引いている。左からブローが入るように見えるんだけどなあ。レースエリア内は、地元の方の予測どおり、フルトラピーズからクルーセンター上まで風速に変化がある。時々爆弾ブローが左から入り沈艇も数艇、この爆弾ブローはエリアが小さくかなり強い。気持ちよく走っていると突然大きなベア爆弾ブローが入りかわいそうにクルースキッパーともども落水という恐ろしいパターンだ。エリアが小さいということは、横に吹き抜けるというより上空からのダウンブローで湖面に吹き降ろす感じで予測が困難だ。クルーザーから見ているとまだわかりやすいがレース艇からは視線が低いので前の船が餌食になるのを見て注意するしかないのかなあ。
さて我が子の予測どおり右からスターボのぼりブローが入る。いいかも?双眼鏡で覗くといいブローを受けているスターボ艇集団のさらに奥に1艇ポート。あの根性は我が子のセーリングスタイルに似ている。10艇程やられて10番台後半まで落ちてしまった。予測は当たっていたが、彼の通った後にブローが上空から降りてきてそのまま湖面に平行に流れている感じでちょっとかわいそう。何故フルトラピーズの風上でクルーオンデッキなの?風下のベルトコンベアーラインに乗った艇がどんどんバウを出していく。面白いなあ。ここで育ったレーサーは混戦に強くなるなあ。
通常の上・サイド・下・上・下・横フィニッシュならター君もシングルだったのになあ。OP時代から「これだ」と決めたらとことん行く性格は変わっていない。それでなんであんたがDNF?というのも山ほど経験したが、好きな性格なんだなあ。きっと私に似てる。私は振れの大きくない海が本拠地だったから成績がよかったが、結構これだと確信したら思ったとおりにコースを引いたのでたまにダントツから2位に落ちた時もあった。「なんでもっときざまんねん」と結果からOBに注意されたがこの強い気持ちがなかったらトップも引けなかったし、トップ回航して誰にも邪魔されず好きなコースを引ける喜びの方が2位に抜かれるリスクより大きく、10艇身リードを少しずつ削ってギリギリトップより、予測を当ててダントツを狙っていたように思う。結果論からコーチングするのは避けなければいけない。個性を殺すし、チャレンジ精神を奪ってしまう。怖い目をおびえてセーリングしても面白くない。「がはは」と積極的なチャレンジの失敗を笑ってやればもっと楽しくレースができるはずだ。レースをTVゲームのようにすぐリセットできるゲーム感覚にしてあげると選手はもっとやる気が出てくるのではないかなあ。
このレース、470に続きスナイプもゼネリコでちょうどスタートが470下回航と重なったのでスタート20秒前にAPが揚がり延期になった。470フィニッシュ後スナイプまでかなり時間がある。荒川君のクルーが女の子幸長さん。トイレの時間が十分あるので声をかけるが大丈夫との返事。女の子はトイレ面のハンディがあるが彼女はがんばりやさんだ。水分補給に注意しているのだろう。彼女は家内と同じ学校出身でニコニコ笑顔がいい。すごいなあ、がんばってるなあ。
3レース目はいきなりブラック。ラインの傾きはイーブン。同じ角度からスタートを見たが、双眼鏡で覗いていると4艇ともセールナンバーが確認できない。やばいな、沈んでいるのかな?号砲上1即タックが3840、右狙い、うわー私の得意だったパターンだ。ポートでぐんぐんバウを出していく。いい感じかもと思いながら、左からブローが入るような感じがする。前監督は「いいんじゃないですか」、「そうかなあ」。ブローが左から入りアウター集団がタックを返していく。2・3線スタート集団がブローを拾いに左海面に来るが、触れ・強弱の大きい東風では今から来ても遅いんじゃないかなあ?やはり予想通り、第2集団で左ブローをもらってタックを返した集団から風が消えていく。今度は右集団がブローをもらって続々スターボにタックを返してくる。ター君はどうなったことやら。
スナイプ最終レーススタート。やはりセールナンバーが確認できない。おかしいなあ。年末あんなによかったのに、積極性が薄れてきてるのかなあ。「OCSだっていいじゃん。思い切って行けよ」。
1上1位即ジャイブして白スピン、2位青白青、3位白スピン。スタートの感じからすればあれはター君に違いない。右のブローに乗ったんだなあ。トップのジャイブは良くわからない。サイドはきつくないが5:1でスターボロング、ブローが向かって右から入ったらポートレグがなくなるかもしれない。3840はそのままスターボでスピンを上げる。OK。抜いたかも。でも上位は学連艇ではないので艇差負けするかなあ?2上は左海面から3840が上がってきた。5艇身アドバンテージでトップ、目の前でトップで青白青スピンが上がりマネージャーが大喜び。4度目の琵琶湖のレースで初めて見る光景だ、私も内心大喜び。4位くらいに同志社青スピン。また今井ノブ君かな?毎レース常に片手付近にいる。彼はすごい。2レース目のスタート後だったかな?ター君のスターボ下平行位置からバウを出してタックしてター君の前を切っていった。なんかすごいスピード、どうなってるんだろう。今日はター君とノブ君が良く絡む。どうやら下マークではもっと差を広げてトップキープで回航したような感じ。クルーの柴本君はヨット始めてまだ1年、レギュラーになって半年なのに上達スピードが速いなあ。スキッパーとのコミュニケーションがうまくいって楽しくクルーしているんだろうなあ。スキッパーの父として気分がいい。人に好かれる子供達であってほしい。
さあフィニッシュです。フィニッシュに向かって左海面にフルトラピーズの470集団が上がってくる。双眼鏡で見るが3840がいない、おかしいなあ。中央右海面の470の方が高さで勝っているような感じ、3998ノブ君だ。それにしてもおかしいなあ。ノブ君の前に数艇いたのに?スナイプ集団が降りて行くと、左海面から2艇が上がってくるのを発見。ポートタックのバウ抑えで3840が前。右奥には完全に勝っている。ノブ君にも勝ってる感じ。3840に抑えられていた照美さん艇がスターボレグがあまり残っていないのにタックしてさらに左に出る。最後のあがきってやつだな。ター君どうするかな?そのまま。かなり離れた右海面艇とのミートを測っているのだろう。しばらく走って3840タック、ということは右には勝ったとの判断で相手艇は照美さん艇のみと判断したんだな。ポートに返した照美さん艇のバウ少し下でタック。絶妙のポイントかな?ばっちり抑えちゃうとさらに外に逃げられてまたケアーしなければいけないからね。さて左からノブ君が上がってきた。ずっと3840との差を測りながら下受けを繰り返しミートを避けてきたのだろう。フィニッシュ5艇身前の勝負ミート、あれれノブ君の方が1艇身前だ。ノブ君逆転トップ、ター君2位。最後のあがきを無視すれば勝ってたな、2回のタックのロスで負けちゃったかな?でも信君に勝ったと判断したんだからその判断は間違っていない。私だって同じ行動をしただろう。コースというよりボートスピードの差で負けちゃったかも。OP時代から信君との勝負は何度見たことか、負けが多かったけど彼には鍛えられた。彼のお父さんにもター君はよく教えてもらった。大学になっても同じフリート所属でラッキーだ。さらに上達できる。最終下マークでの2位との差を減らして2艇に詰められたのは学連ビッグフリートレースでトップを走り慣れていないことが原因だろう。第2クローズで逆転トップになり第3クローズ最後までトップを維持できたのはすごいことで自信になっただろう。練習でもいいスピードを維持できているしトップをどんどん取り出す予感がする。
観覧船に寄ってきて拍手をし「おめでとう」というと、「おもろかったわ」と満面の笑顔。そうだよね、ヨットレースは面白くなくっちゃね。OBの方が「今まで全く寄ってこなかったのに今回は選手がフィニッシュ後寄って来る」と言っておられる。みんなに「リセットの為に他としゃべった方がいい」と言い、年末と同志社ウィークで実践したから習慣になったかなあ。サポーターも含めたチームのつながりがより強くなり見えない強化になると思っている。
ミーティングで、ター君は京大に伝わる鉄則「比叡山が吹けば・・・」「瀬田の強風なら・・・」をまずレース前に考え、そこから現在の状況を見て修正を加えると言っていた。覚えられないので水で消えないノートに書いて船に積んでいるということだ。冬のレースからフィニッシュ後ノートに何か書いていたのはこれだな。練習でも休憩中何かを書いている。すごいな。もう私よりはるか上にいるような気がする。私は470時代良く走ったが、今とは全体のレベルが違う。昨夏前「3840に変わってから走らないねん」と嘆いていたが、「先輩に与えられた3840をしっかりチューニングし直してがんばるわ」と言ってチューニングデータを取ってスピードをフリートトップクラスにしたのはたいしたもんだ。弱音から逃げてしまわない気持ちの強さがある。人生のいろんな困難を打ち破る強さに繋がるだろうし、今までも自分の努力で解決してきた。こんな子の親ができるのは幸せだ。
決して大昔の成功を押し付けないようにしよう。大昔の成功・失敗体験を披露しても選択は選手に任せないといけないし、どのような選択をしてもそれを否定してはいけない。自ら考えた試行錯誤を大きく笑顔で見守る広さが必要だ。それがあれば大きく伸びる。選手の個性は私とは違う。それぞれの個性を自由に伸ばせる環境作りや環境整備が大切だ。ヨットは卒業後も続くし、燃え尽きずにむしろ続けて欲しい。またヨットが人生じゃなくヨットで人生に大切なものを学んだらいいけど、大切なものを捨ててヨットの勝負にこだわるならヨットをする意味がない。今このチームに足らないものは経験のような気がする。強豪校との合同練習を提案しているがその環境整備にもう少し力を注ごう。ただでしゃばってはいけない。それがうまく機能すれば1ランク上のレベルに自然に上がるだろう。それだけの気持ちと技術をみんな持っている。
本部船即タックを選択した3レース目は鉄則重視思考から出した作戦だったんだ。すばらしいスピードに自信を持って同志社ウィークで中央スタートという課題に取り組み、跳ね返され、今回は温故知新のクラブの財産「鉄則」を重視してレースに臨みある程度満足できる結果を残したのではないだろうか。試行錯誤いろいろ試して今夏の近北インカレでは爆発して欲しいものだ。レース毎にクラブ内1番が日替わりになるとぐんぐんチームとして強くなるんだけどなあ。
スナイプが伸び悩んでいるなあ。いいもの持っているのに、萎縮しているのではないのかなあ。いい成績を残そうと慎重になりすぎているのかもしれない。スナイプは全体的におとなしいのかもしれない。470は荒川キャプテンが明るく、園田君のキャラはチームをさらに明るい方向に向けているように思う。
一番気になったことをミーティングに出した。「何故園田/黒川組はレグ毎に確実に順位を上げてくるのか?」。黒川君から「大きく左右のどちら海面を使うか決めて外に出してブローをもらったら中央に返す繰り返し」と説明、園田君から「クルーに任せてセーリングに集中し、納得できないタック指示の時は2人でもう一度考える」。うーん、クルーへの信頼とコミュニケーション、こんなスキッパーならクルーも動かし甲斐があるし、スキッパーも安心できる。このペアはイーブンペアでさすが4回生同士、いい関係だなあ。大崩れしないのではないだろうか。
明日は幼稚園の同窓生と難波でランチ&ティータイム、女子大の教授している友が帰ってきてるので会おうということになった。女子大の裏話でも聞こうか?でも女の子も同席だから聞けないかなあ?女の子?そうか同じ年だからもうおばさんか。こんなこと聞かれたら思いっきり反撃に合いそうだ。


2004/4/26
4/25渋川さんからの連絡でドラゴンクルーです。朝KG艇庫前に行くとだらだらとKGインフレータブルを艇庫前に運んでいます。新人が数名入ったようだ。阪大は陸上で新人に乗り方を教えているような。関大は試乗会が終わり練習だそうだ。そういえば来週春の学連レースです。
集合5分前にドラゴンに行くとすでに渋川さんと河野さんがオーニングをはずしている。急いで上に上りセールをセットする。手際が良くなってきたがまだまだ細かいセットがわかっていないな。出艇すると今日もいい風です。赤灯台沖ブイまで2往復、いい練習になった。タックのジブ張替え、ジャイブのスピンポール入れ替え、大分慣れて早くなってきたが、コントロールロープの手順など渋川さんにかなりサポートされながらなのでまだまだです。「このくらいのスロットルでいいんですか?」「スプレッダーとジブの感じはこんなもんですか?」「メインのリーチはこれくらい開いてOKですか?」とドラゴン素人なのでいろいろ質問しました。「ランナーのテンションをもっと入れた方がいいみたい」「トラベラーの位置、この方が登れるわ」「こうしたらリーチがもっと入ってきたぞ」・・・お2人の会話・試行錯誤を聞きながら「へー」「ほんとだ」と新しい発見ばかりです。ランナーやトラベラーの使い方が具体的にわかってきた。「そうかそうなるんだ」。その時「ガン」といやな音。トラベラーに4本リベットで留まっていたメインシート下取り台座が取れてしまいました。渋川さんが朝から、今年最初だからいろいろトラブルが出るのかなと心配しておられたことが起こりました。「浜に帰って修理しよか」に対して、河野さんが「せっかく出てきたからシートで固定してもう少し練習しましょう」と提案。昨年のレースシリーズで闘争心に火がついたのか?やる気満々です。50のおっちゃん達が熱くなれ、プロ野球名球会より断然かっこよく乗れるのがヨットのいい所だなあと、このスポーツに出会えた幸せをまた感じました。
陸に上がり、車で着替えて戻る途中、ディンギーヤード入口に新入部員3名が新入生を迎えに立っていました。先週試乗会の最後に「ヨット部に入ります」と力強く宣言してくれた彼もいて嬉しくなりました。「今日は何人位集まるの?」「40オーバーの予定です」と返事が返ってきました。20名くらいかなあと予想していましたので、部員のがんばりにびっくりしました。
新西1Fに昼食に行くと花崎さんと坂東さんもおられた。朝から学部部員と試乗会に使うtwin atarの準備をしていたそうです。お2人とも昨日土曜講座に続きご苦労様です。昼食後、ドラゴンの解装と整備です。スピンとボートを洗い、ジブ・メインはロールして解装終わり。KG艇庫にドリルと延長コードを借りに行き、リベットでトラベラーに留まっていた下取り台座をボルトナットに変更します。ウィーンと穴あけをしていると、ドラゴン仲間(といっても私は以前見かけただけの方)が寄ってこられる。聞いていると息子さんが琵琶湖で学連ヨット部をしているようだ。甲南OBの方で、息子さんが京都の大学ヨット部で上がいなかったので2年からキャプテンだったらしい、今は院生で監督。艇庫が次男の隣で次男ヨット部ともシェアして使っているところだ。なんと親子で隣同士であった事が判明しました。世間は狭いです。下取り台座はボルトナットでがっちり固定できた。我ながらいい仕事が出来たぞ。ひょっとすると、ド強風になったとき、台座が飛んでトラベラーを守るためにあえてリベットで弱くつけているのだろうか?まあ気にしないでおこう。
KG艇庫に寄りHPネタがあるかなと、たこ焼きタイムから勧誘を見ていた。今日も数人入ったようだ。帰りラジオを聞いていると阪神が負けている。巨人は林、生きがいいから今日は負けかなあと思っていると浜中の同点打に続き、今岡逆転打で家に着いた。すぐTVに切り替えると安藤3者三振・ウイリアムス・リガンといい感じの勝ちパターン、9回2アウトあと1球で中継が終わってしまった。「それはないやろ」と思いながら、「まさかあれから再逆転されてないやろなあ」と不安な気持ちでスポーツニュースの時間帯までYVを見ているうちに寝てしまった。今朝新聞を見て阪神勝利に安堵した。

2004/4/23
イラクで人質になった5人が無事帰国されました。良かったです。
政府から、費用負担を求める発言が出て少し驚きました。そんな法律あったっけ?これからいろいろあるだろうから、たとえば「一律10万円自己負担」などの法律が成立するのかもしれません。しかし、この時期にこの発言があると、良かれと思って勇気を振り絞ってイラクにボランティアで行かれた方があまりにかわいそうです。善意の被害者に費用負担にはどうも賛成できません。
火事が起こって、消防車や救急車が到着するまでに近所の方は手助けできないか行動します。消防活動が始まっても、家の中に取り残されている方を発見したら、後先考えずに飛び込む人もいると思います。結果的にその方も救急隊員が救助しなければならなくなっても、飛び込んだ方を責めることは出来ません。助かったその家の方は、消防隊員に感謝するのはもちろんですが、それ以上に最初に飛び込んできてくれた近所の方に感謝するんじゃないかなあ。救助のプロじゃないところに感動があり、多くの方が感動し、「手を差し伸べよう」という気持ちが心に芽生え育てるのではないかなあ。特に小さな子がこれに接すると世の中が良くなるように思います。
確かにかかった費用の報道を見るとすごい数字ですので、負担を求める声が出ても当たり前ですが、反対に彼らの行動を賞賛する政治家がいてもいいと思います。きっとそう思っている政治家も多数いると思います。きっと最初に声を出す勇気がなく様子見しているのだと思います。小泉首相は総理になるまで独自の意見をお持ちで、何度も総裁選に出馬しました。勝敗を考えずに持論を発言する潔さが多くのファンを獲得していったのだと思います。
結果はどうあれ最初に手を上げる勇気を持った人は大切です。1人目がいないと2人目はいません。後からもっと上手に意見を言う人が出てきて、最初に手を上げた人が誰だったかわからなくなるのでしょうが、私は1人目が好きです。気付いても手を上げず他の誰かが手を上げるのを待って、多数派になりそうになって真打登場みたいに手を上げるのは好きではありません。たとえ批判でボロボロになっても気づいた時に手を上げる人でありたい。最初に手を上げた人の勇気に拍手を送れる人であり、その人を覚えている人でありたい。我が子にもそんな人になって欲しいと思っています。
ストリートチルドレンに手を差し伸べていた彼女・学校を卒業して自分の目で実際を体験しに行った彼、体調の回復を願います。そして多くの批判はあるでしょうが、勇気を出してマスコミに登場しイラクの実際を私たちに語りかけて欲しい。私はあなた方のような勇気を持ち合わせていないのでせめて応援させてください。

話は変わって、昨夕方家内から「朝日新聞朝刊持って帰ってきて」と連絡が入った。自宅は日経・私の店は朝日を取っている。「何故?」と思ったが、「アッそうか」とピンと来た。さすが賢いと自画自賛。先月長男が受けた国家試験の結果発表に違いない。ここでごみ箱を覗くと「すでに朝刊がない」事実にがっくり。店員さんがマンションのごみ箱に出した後だった。店なので毎月処理業者にお金を払ってごみを持って帰ってもらっている。どんなに大量に出しても、ちゃんと分別していなくても毎日持って帰ってくれるがこんな時困る。今まで何度もつい捨ててしまった大切なものを探しに行ってもすでになく、天を仰いだものだ。
しかし今回はかわいい子供の為、もし合格なら名前が新聞に載っており記念になる、夜まで店を出れず駅の売店にいけない・・・ポク・ポク・ポク・ポク、一休さんのようにアイデアがうかびました。「明日新聞屋さんに電話をしよう」まあたいした一休さんではありません。事情を話すと4部もすぐ持ってきてくれました。どれどれと紙面をめくると「ありました、我が子の名前がありました」。即、本人・家内・次男に得意のおめでとうメールしました。家内にはありがとうメッセージもつけておきました。大切なごますりです。しばらくすると長男から「載ってた?昨日確認できへんかってん」が帰ってきました。「ところで昨日何処に泊まったン?」などという野暮は止めときました。
それにしても家内はすごい、というより母親の本能か?ちゃんと合格発表日を知っていて朝日新聞に発表されるのを覚えている、うーん、私は気にもしていないなあ。「国試受けるんかなあ?」、今年に入って珍しく勉強しているので「やっぱり受けるんだ」、先月の日記にも書いた国試解答の打ち出し指示を長男から受け「今日が受験日なんだ」、そして昨夜結果発表を知る。改めて「母親には負けます」。
新聞にフルネーム載ってるのにあまり感動がない。「おめでとうメール」も気合や喜びが薄いと自分でわかる。中学受験の本人ではないのに思いっきりドキドキした気分や、大学受験のさめてはいたけど息子達の将来の大きな起点になるbig exam.とは違い、合格を知った時のはじけるような喜びがない。司法試験と違い学部に入れば80%は合格する国試だからだろうか?

2004/4/18
今日も朝から次男ヨット部の手伝いに朝から京都に行きました。集合場所の正門で、新入生が集まってくるまで先週の試乗会の様子を聞いた。午後から風が上がり白波もちらほらのコンディションになったようです。いい天気・いい風に恵まれ絶好の試乗会になったそうです。きっと今年の新人は多いだろう。続々と新入生が集まってくる。部員が電話アプローチしていた本日参加予定名簿が30名。その他に、「パンフ見てきたんですけど」や「教室の黒板に書いてあり印象に残りました」など多数集まり40名は越えそうです。今日は院生OBのヘルプが多く機動力はありそうです。
再び比叡山越えで琵琶湖艇庫まで行く。艇庫前には先週同様、靴・着替え・ライジャケ+バーベキュー道具が並んでいる。470級2・スナイプ2、ちょっと少ないんじゃないの?捌ける?西大津駅まで迎えに行くリクエストがかかる。京都女子大からマネージャー志望者が来るらしい。「いいよ」と軽く答えながら、期待と気合を入れて(何を期待しているのか?)駅まで行く。駅につくと、現マネージャーが引率して女子大生の20名ほどの大集団が上から降りてくる。「え〜、1回じゃ無理〜」と思いながら、何故か嬉しくなる。2往復の間、車内はおしゃべりの嵐、5才は若返りました、ありがとう。
艇庫に戻ると、OBクルーザーのヘルプもあるそうで沖に停泊中です。さらにクルーザーレースが開催中で、大きなスピンを張った艇団がどんどん南に降りてきて、試乗会の盛り上がりは最高になるのではないか?マネージャーがカレー作りに大車輪の活躍、この子達がいて次男も心強いだろう。
先週同様昼に帰ったが、今週は一路西宮YH、KG試乗会の取材です。母校も大盛り上がりで、40名は来てくれました。OB会がクルーザーtwin starを出して、スナイプ試乗後沖へ行き、他大学などの練習風景を見学しました。隣では関大も試乗会をしています。ディンギー+クルーザーという同じパターンです。KGが真似をしたのかもしれません。関大はテルテルでかなり大きいのでヘルムスの田中監督は取り回しに大変そう。スロープから部員が出したスナイプに桟橋から乗り込み新入生は全く濡れません。ファーストインプレッションが大切。
その後、艇庫でのたこ焼きに参加。2回生加藤君・杉田さんの名司会で、ヨット試乗4グループに分かれてたこ焼き・ゲームなど楽しく進行しました。渋川主将挨拶の他に私も指名され、OBから見たヨット部の話をしました。1人でも多く入部してくれたら嬉しいです。たこ焼きはかなりおいしく、我が家のたこ焼きとは味が違います。どうやら我が家は具が多すぎるのと、汁が濃すぎるようです。台所から引っぱり出してチャレンジしよう。
新人部員2名と女子マネージャー2名と話しましたが、4人とも明るくかないいいメンバーです。同級生勧誘にも熱心でこの学年は人数が増えそうです。学年の雰囲気が明るいと仲間も増え楽しくクラブができ成績もついてくるでしょう。期待大です。そして何より嬉しかったのが、私がHPを作っていることとHP作ってよのりクエストに、「やりましょうか。教えてください。HP作ったことないけどKGHPは時々見ています」とマネージャーが言ってくれたことです。どうもおじさんウェブマスターの限界を感じていたので、当初考えたKGHPOB部と現役部が実現しそうです。

2004/4/11
昨夜仕事後、兵庫jr親OB会に行ってきました。昨日から始まった兵庫オープンヨットレースの本部船ラムソールです。行ってみるとみなさん出来上がっていて久しぶりに会う方もおり楽しいひと時でした。その後ほとんどの方が明日のレースに備えて船内で就寝。私は明日に備えて夜中2時に自宅に帰りました。実は夕方次男から電話が入り大学ヨット部の試乗会のヘルプを頼まれました。ヘルプと言っても試乗会に集まった新入生を学校正門から琵琶湖の艇庫まで運ぶだけです。「車が少ないからピストン往復しないと駄目だから手伝ってくれへん?」「いいよ」。
約束の時間をラムソールで楽しんでいる間に忘れてしまい、10時だったっけ?9時かなあ?、遅れると悪いし、いい気候になってきたので京都市内が込むかもと思い早く家を出る。全然混んでおらず8時半に正門前に着いてしまった。一昨年梅野さんに借りたトラックで下宿に荷物を運んだ時忠成君に案内してももらった時は正門前の時計台が新築中でシートがかかっていたのに今日は立派な姿を現していました。時間を持て余し、時計台の中をうろうろ、今年から独立行政法人に改組されたのでそのことを書いてあるパンフを読みながら、野球部の練習を見て・・・そういえばあの時は学内を馬が歩いていてついていったら馬術部にたどり着き、「新入生ですか?」「はい」「馬に乗ってみない?」「いいんですか?」・・・と忠成君が馬に乗っている姿を写真で写したなあ。その後みんなの前で「○○高校出身、○○忠成です」と言っていた。「馬術部においでよ」と声を掛けられ・・・その後この時計台前の正門でヨット部試乗会に参加して今がある。あの時、先輩方はヘリハンのステッカーの貼ってあるトラックから降りてくる息子をどのように見たのだろうか?日本広と言えどもなかなかヘリハンステッカーの小型トラックは走ってないものなあ。
新入生7人を乗せて、比叡山を越えて琵琶湖に向かった。初めて京都側から比叡山に上がったが結構な坂だ。自転車で艇庫まで通ってると言ってたなあ、よくこの道を自転車で行くなあ、夜は追いはぎが出そうだ、あいつの根性に先敬礼。うちの子達は大変なことでも苦しそうな顔も見せず、苦情・泣き言も言わず淡々とするので我が子ながら感心する。家内の性格が遺伝しているようだ。小さな頃からわがままを言ってくることもなく考えて考えて頼んでくるので、yesと答えるようにしている。
車内で新入生の子達と話した。みんな明るく気さくに話してくれた。厳しい受験が終わって今が一番楽しい時かな?助手席に座った彼は甲陽出身で実家は宝塚だそうだ。私が伊丹だと聞いて驚いていた。現ヨット部員もそうだけど、このクラブの雰囲気はとても明るい。私のような他大学出身者でも気軽にフレンドリーに受け入れてくれる。多くの新人がヨット部に入ってくれたら息子の一生の友人が増えて嬉しいな。

2004/4/10
今日から兵庫オープンヨットレースです。江ノ島石原君・琵琶湖曽和君に兵庫吉田君と3人も今年のワールド出場選手が集まります。風予想は今日は軽風・明日は順風です。朝10時ライブカメラを見ると沖のヨットが結構動いている。いいレースになりそうだ。
ヨーロッパチームのHPが早速開設された。さすが田中さん、やることが早い。吉田さんも柏原さんも家族で盛り上がっているだろうなあ。家族も一緒に行って海外レースを皆さんで楽しんでほしい。私も息子がOpti時代に海外レースを経験でき一生の思い出になった。
イラクでボランティアの日本人がよくわからない武装グループに拘束された。要求は自衛隊の引き上げ。政府は対応に苦慮している。現地の最前線の職員は大変苦労しているのだろう。自衛隊を引き上げれば国として軽く見られそうだし、家族の望みは引き上げても開放してほしいだろうし、お金で解決したら次の標的を狙ってくるだろうし・・・私ならどうするかな?と考えてみた。
相手グループがつかめないけど、アルジャジーラTVで映像が放映されたようなので、このTVに日本政府のお金で、拘束された方々のボランティア活動など実績を放映して、無事開放してほしいとメッセージを流したらどうだろう。できればイラクの友人・知人も出演してほしい。拘束された方は自衛隊とは関係ないということを広くイラクの方々に知っていただくと、開放する世論が少しはできるのではないだろうか?危険を覚悟の上でご自身の意思で行かれたのだけれど、無事に開放され当初の目的を果たされることを願うばかりです。期限は今日です。ご無事で。
こんなことがあると、以前にも書いたが、軍隊そのものの制服を着て武装して軍の車両で活動するのは反感を買うから、NGOなどの民間に資金支援した方がいいのではないかとまた思う。終戦後の日本でアメリカ軍人と仲良くした女性を蔑んだ国民感情と同じだと思う。たとえアメリカ政府のお金を使っているにしてもアメリカ民間人が当時入っていたら国民感情は違うと思う。理想と現実は違うのかもしれないが軍じゃなくて民間企業や民間人の活動でうまくいかないかなあ。

2004/4/5
阪神3連勝です。特に福原の復活が良かった。昨年休憩していた分今年はかなりやるのではないでしょうか。岡田監督は芯が強い感じを受けました。やはり鳥谷を開幕から使い、結果が出なくてもしばらく、本人が納得するまで使うのではないでしょうか?藤本はオープン戦で結果を出しているのに使われず腐りそうですが、2軍の下積み選手と数年間過ごしたので何らかの手当てを打っていると思います。3割打てるバッターはそういませんから藤本は貴重な戦力です。今地道にパワーをつけてパンチ力がもう少しつけば、3塁が取れるでしょう。まだ若いので鳥谷+藤本でこの世代の他球団に負けないベースを作ることができると思います。やっぱりFA選手より生え抜きが中心選手になる方が営業的にも将来的にも、監督・ご意見番・親衛隊解説者としても大切です。
4/4浜に行き久しぶりに練習に参加しました。とにかく寒かった。AMはKGFJが2艇出ていたようで、笠井君・西尾君の中学生コンビだったようで、面白かったようです。隣の関大は試乗会で少し寒かったかな?さて来週からはKGの試乗会、がんばって新人を集めてね。部員が多いと参加して楽しいから。
今朝公園の脇を通っての通勤コースで、まだ桜が大丈夫を確認しました。まだ上のほうにつぼみがある状態での昨日の雨だったので大丈夫でした。もう少し桜が楽しめそうです。桜のピンクが何故か好きなんだなあ。典型的な日本人かなあ。


2004/3/29
土曜日の夕方長男から店に電話が入りました。土日と国家試験らしく、土曜日の解答がネットに載るらしい。それをFAXする要望でした。出来たのかな?
昨日は琵琶湖に同志社ウィークを見に行きました。風がなく微風で2レース、土曜日とのトータル4レースでした。次男の大学メンバーはスピードがしっかりありましたが、レース経験の少なさを感じました。ストラテジー、特にレース前のゲームプランをしっかり立てることをもっとした方がいいかもしれません。やっぱり合同練習を取り入れ艇数の多い練習をした方がいいかな?470もスナイプもせっかくのスピードがもう1つ順位に結びついていないように思いました。
4R目470スタート後ポートタックのター君ペア延長線上から見れました。高さがどんどん上がり、なかなかスターボに返さないところや、先に右に行ったスターボ艇のバウをかわすところを見ると左有利のようですが、すばらしいスピードとのぼりがあるようで、いいチューニングのようです。レースをしていて楽しいだろうなあと思いました。明らかにOptiから大学1年までのストラテジーとは違い、中央を意識しているようです。練習後のミーティングで「中央コースがこのレースのテーマだった」と言っていたので、やはりと思うと同時に、8月に向けて積み重ねている姿はさすがです。
昼上がってきて早速江ノ島にTEL。今日は風待ちでレースがなかったようです。吉田君ワールド・田中君ヨーロッパ・柏原さんアセアンと3人もNT入りしました。兵庫jr健在です。

2004/3/26
昨夜ヨーグルトを食べながらTVを見ていると、表で車の止まる音、長男のお帰りです。長男は母親の部屋に入り何やらゴソゴソ家内と話している。風呂に入り2Fに上がってきて「ただいま」「お帰り」・・・自分の部屋に消えていきました。さあ寝ようと思い階下に下りていくと、息子のかばんの上に立派な2つ折りの物・上には学位証書?と書いてある。そして台所のテーブルの上には1輪の花。今朝起きて見ると学位はそこからなくなり、彼の祖父の仏前遺影の前で広げられていた。『○○君は本学の課程を修了し○○学士と証明する』。「昨日卒業式だったの?」家内から「そうよ」いつもよりちょっと弾んだ声が返ってくる。
「お母さん、ただいま。学位どうしよう?おじいちゃんに見せといて」「おめでとう、学位置いといて、明日ちゃんと飾っとくわ」「あ、それから花」「ありがとう」みたいな会話が夜中交わされていたのでしょう。卒業式でもらった1輪の花を、謝恩会etc.持ち歩き母親に持って帰ってくるなんて、かっこいいやっちゃな。こんなことされたら母親泣くやろな。この〜女泣かせ。さりげない母親への気づかいに、「いい子に育ったなあ」とちょっと感激して出勤の車の中でニコニコしていました。ところで、卒業式の日程も何も知らない私はなんだ、ちょいと子供に関心持てよ。普通昨夜は「おめでとう」くらい子供に声かけないと駄目なんじゃないの?最後に「お母さん、ご苦労様、あなたがいなけりゃこんなに育たなかった。ありがとう」

2004/3/24
明日からいよいよOptiナショナルチーム最終選考会です。昨夜西尾家の前を通ると電気が消えていました。「そうか、家族全員で江ノ島まで遠征してるんだ」今年はクラブから2年ぶりに参加、しかも5人もチャレンジします。アジア選手権が日本開催でナショナルチーム枠も例年より多く、出来れば5人全員NT入りしてほしいものです。明日から毎晩HPにリザルトチェックに行く楽しみが増えます。

2004/3/22
昨日は京大ヨット部練習に参加した。3月でも琵琶湖は冷たいだろうと覚悟して行ったがそれ程でもなかった。聞くと練習始めの1ヶ月前はかなり冷たかったようだ。やはり水深の浅い南湖では気温が上がると水温もすぐ上がってくるのだろうか?相変わらず楽しそうでとてもクラブの雰囲気がいい。
ロング帆走後、ラウンディングマークとスタート練習をした。ラウンディングで1・3マークの1・2位艇に360°回転するルールを入れた。ほとんど360°の練習をすることがないそうで、始めは回る場所やスピードがもう1つだったが、みるみるうまくなっていった。360°回ることで接戦は生まれ、マークでの声出しなども聞こえるようになりきっとレースに役立つだろう。スナイプが2艇だけだったのでスナイプの練習効率が落ちると思い指示したが、思いのほかみんな楽しんでいたようだ。
スタート練習もした。25本くらいしたかな?スタート5秒前にフルセイルにすることを心がけることと、スタート前のラインの見方をミーティングした。本部船側を振り返る回数が少ないと思った。ラインの見方が反対で、スキッパーはより進行方向向きに半身に座り、右を向いて本部船側を見るように話した。こうすればライン全体が見え大切な上隣数艇の動きが見える。
一緒に上がりをした新OG松本さんが「私が入部した時はタックも綺麗に揃わなかった。神谷君が入って揃うようになった」と誉めてくれた。「長くヨットやってますから」と答えたが、みんなの役に立っていると思うと嬉しくなる。楽しいクラブに入れていただいてありがたいと思っているのにこう言って貰えるとこそばいかな?親が言うのもなんだが息子は感じのいい雰囲気を持っているので温かく受け入れてもらったのだろう。彼はすごいな。今年清風ヨット部の子が合格したし、大原君はどうなったのかなあ?1年生がたくさん入ってますます楽しいクラブになるといいな。
昨晩から北海道大学が来るそうだ。まだ北海道は寒く、これが初練習のようだ。毎年来てると同学年中心に一生続く友が出来るだろう。ありがたいことです。

楽しみにしているNHKアメリカドラマ「大統領」でランディハムさんが交通事故で死んでしまった。大統領の彼女への回想シーンで、
「負けるからとか勝ち目がないからという理由で辞めるのなら、ジェドあなたを心の底から軽蔑するわ」
という言葉があった。結果を予想して行動するのじゃなく、志に向かって素直にチャレンジすることの大切さを教えてもらった。ケリーさんが民主党大統領候補になりそうだ。なったのかな?多分民主党大会で正式に決まるのだろう。最初支持率が低かったがこうなるのがアメリカだなあ。私自身アメリカ好きではないけれど、こんな所はすばらしいと思う。結果からだけ判断したりせず、過程に目を向け大切にする生き方を心がけよう。アニーの「フィッシュ哲学:前向きに前向きに」といいNHKの引っぱってくるアメリカドラマはいいな。「ダーマ&グレッグ」にも別の楽しみがある。

2004/3/19
昨日はやりました。U23オリンピック代表がUAEに3-0でした。UAEはオリンピック出場が厳しくなったので日本が勝つと思っていましたが、3点も入るとは思いませんでした。多分バーレーンの途中経過を見ながら、3-0になった時点でリスクを犯して攻撃に行かなかったのではないかと思います。それにしてもバーレーンがレバノン相手に1-1とは予想外でした。テンションの落ちているレバノン相手に5点くらい取ると思っていました。
UAEラウンドでスタンドがガラガラで、日本-レバノン戦後のレバノン監督の談話で「こんな大観衆の中で試合をしたことがない」と言うのがあったので、中東は強いのにあまりサッカーの人気がないんだと思いました。こんな遠い所に来て自国で応援してくれる人も少なく、オリンピック出場の希望も消えたレバノンがやる気満々のバーレーンと引き分けたのはすごいです。代表チームとしての練習もあまりなかったのではないかなあ。ということはもう1ラウンドあったらレバノンが急浮上っていうのもあるのかな?
そういえば我が愛するマイナースポーツヨットも国民の関心がないな。5月にオリンピック代表選考会があるのに、当然全く報道されない。多分オリンピック選手が決まっても報道されないでしょう。共同通信社も報道部員の旅費も出ない金額でしかヨット代表決定ニュースを買ってもらえないのだろう。確か重さんがアトランタで銀メダル取った時のカメラは家庭用ビデオカメラだったと覚えている。「映像悪いな」って文句いってたけど日本でのヨットはそんなもんでしょう。しかし今回はかなり関心持ってますよ。特に女子470は、兵庫jr出身田畑さん栗田さんを筆頭に、高橋さん・吉迫さん佐竹さん、近藤君のお姉ちゃんと知ってる子達がチャレンジするから。そういえばOP全日本チームレースで近藤兄弟「チームSML」に負けて3位だったなあ。「神谷さんをアテネに連れて行けなかったのが残念でした」なんて和歌ちゃん言わないでね。実力No1だからきっと代表になれます。三船さんお願いします。
男子は松永君の大逆転はないものかなあ?忠成の高校ヨット部先輩だし、OPの時あこがれていた人で、中学受験する時松永君の存在で清風受験したんだからね。「松永君のクルーになる」という言葉今でも忘れていません。でもシャイなので今でも松永君に話し掛けられないんじゃないかな。なんでも聞けば教えてくれるのに。

2004/3/15
昨日は残念なこと、今日は嬉しいことがありました。
残念なことは、U23オリンピック代表がバーレーンに負けたことです。せっかくUAEとレバノンが引き分けたのに、ここで勝っておけば多分一番力が劣るレバノンに勝つことで、最終戦UAEに負けても得失点差で逃げ切りというところでした。うーん、残念。しかもいつのまにかバーレーンも勝ち点7で3カ国が並んでいるじゃありませんか。いつのまにバーレーンが来たの?
今日は女子マラソンの代表が決まりました。一番実力があるかもしれない高橋さんには悪いですが、選考会のタイムがいい2人が選ばれたのはナイスです。そうでないと選考会の意味がないですから。過去の実績を考えていれば、選考会をする意味がないし、彗星のごとく現れた新人が選ばれることがなく、年功序列というスポーツには似つかわしくないことになっていました。選考会にベストコンディションに持ってくるのも実力で、持ってこれなかった高橋さんは今回は実力不足です。オリンピックレースだって1日きりで、シドニーにピタリ合わせた高橋さんは世界一の実力者でした。ファンとしては、昨日高橋さんに走ってほしかった。結果はどうあれ、正々堂々勝負してほしかったなあ。マラソン素人なので不可能なのかもしれませんが、スポーツのすがすがしさを多くの日本人に伝えられたと思います。負けても高橋さんの値打ちは落ちないし、がむしゃらに目標に向かう姿が値打ちを上げたように思うのは私だけでしょうか。
選考落選後、高橋さんが会見で明るく、そして選ばれた選手を祝福・応援する姿は良かったです。是非めげることなく次のレースでとんでもないすばらしい結果を出してほしいものです。もしそうなりオリンピックが駄目でも選考委員の方の判断を疑うような風潮にならないことを願います。
バロセロナの時の選考にとても疑問を持ちました。選ばれた有森さんは銀メダルを取られ、選考が肯定されたようなような雰囲気ですが、スポーツは結果も大切ですが過程も大切です。ルールを守った上で、数字や順位という小学生でもわかる公平で単純な数値があるのがスポーツで、それに純粋に従うことが子供達にルールを守ってがんばると報われるという生き方を教えると思います。有森さんには悪いですが、別の方が選ばれていれば金メダルだったかもしれません。そして、選考会の成績が良かったのに選ばれなかった方の無念はどれほど大きかったかと思います。
マラソンの選考はもっとわかりやすい基準を設けた方がいいように思います。あいまいな基準だと選考委員の方の負担が大きすぎます。私利私欲なく一生懸命選考された委員さんがうらまれるのは良くないです。笑顔で選考できずスポーツに似合いません。スポーツは仕事や勉強や日頃のストレスを発散するために本来あったと思います。勝った方も負けた方も審判も笑顔で「また今度ね」で分かれられるようにしてほしいです。水泳の選考で裁判までなりましたがその後選考基準をわかりやすくされました。マラソンもそうされたらどうでしょうか?
今朝TVで女子マラソン解説者が選考予想を出されていました。有森さんに負けて出られなかった元選手が、私の希望はタイムのいい3人ですが、多分高橋さんが選ばれるでしょうと言っていたのが印象に残りました。悔しい思いをされたのでしょうが、自分の時と同じような選考がされると思ったのでしょう。多分今ごろ大喜びしていると思います。
選考委員はスポーツの審判です。スポーツにはルールが必要です。ルールがわかりやすいほど見ている者にはわかりやすく楽しめます。選考委員が迷うようなルールは、ルールとしてふさわしくないと思います。見ている方もどのような選考がされても多くの方が釈然としないものを持ちます。

2004/3/14
先週、江ノ島アーリースプリングカップがあった。OPBクラスで小松君が6位に入った。写真を見て小松さんのお父さんの笑顔が印象的だった。勇太君は少し照れている感じだったが、お父さんは満面の笑顔。昨年姫路の舵杯で廣戸さんお父さんが歩美ちゃんの優勝賞品を満面の笑顔で受け取っている写真を思い出した。
今私のPC待ち受け画面は、6年忠成君の笑顔だ。5月連休の全国少年少女Aで6位になって、初めてメジャーレースでもらった賞状と賞品を両手に持って笑っている。6年になっていよいよ中学受験に向けてほぼヨットはお休み状態で元の色白に戻っていた顔が数日間で赤く日焼けしている。確か帰ってきてから日焼けで唇がはれて痛いと言っていたと思う。このレース、私は瑞ヶ池であった伊丹市ヨット教室の指導者で地元に残っていた。自分の子と同じように忠成を引率してくれ、花壇の前で写真まで撮ってくれた豊田さん・梅野さん・小巻さんには感謝感謝だ。子供を通して多くの信頼できる友人を得られた。
その子達も今は大学生。別々のチームで同じようにレースをしている。勝ったり負けたり、子供達は真剣だと思うが私にははっきり言ってどちらでもいい。今もあの笑顔が続いていることが嬉しい。そして親も楽しませてくれている。
ところで今日はホワイトデーだ。バレンタインデーに家内から結婚して数年?10数年?はチョコをもらった記憶があるが、1度しかホワイトデーのお返しをしていない。よって最近は何もない。今書きながら、何か買いに行こうか?と思うが仕事で行けない。ここ数年いつもこんな理由で何もしていないような感じがする。正月にブラブラしていてアクセサリーショップに足を止めた。「なんか買おうかな?」思ったらすぐに買わないと駄目だな。わざわざそれだけの為に行く気にならない今日この頃です。


2004/2/29
今日はKGセーリングの理事会、理事ではないがHPを担当しているので出席した。発言してもいいかわからなかったが、堅苦しくなく関学ヨット部OB会のようなフランクなものだった。昨日インフレータブル艇ブルーサブが救助の為にオンザロックしたと連絡があり心配しての出席だった。沈した470がスピンがステイに絡みジブも破れ再帆走不能になったのが原因だったようだ。470に積んでいたアンカーも新月のアンカーも効かなかったようだが、秋に指摘したレスキューの予備アンカーとラインの不備が事故に繋がった。数年前までは、予備着衣とアンカーは積んであり、波が強くアンカーが効かないとき用に常時新月用の大型アンカーがバウに繋がっていた。多分海底に噛んでロストしたのだと思うが、これを機に再度常備した方がいいようだ。人的被害がなく幸いだった。ブルーサブは底と外側が少し痛んだ程度にしか見えないが、専門家によると修理に新艇以上の費用がかかるらしい。ビックリだ。新人募集の議題もあった。HP担当なので、どれくらい新人勧誘に繋がるか試してみよう。
先輩方と昼食を取り、午後から渋川ドラゴン号のマスト立てです。しかし風が強く今日は中止ということで、ハルを磨いた。クルーの方が子供連れだったので名詞を渡してOPを宣伝しておいた。お兄ちゃんがちょうど今年から1年生でいい年頃だ。

2004/2/23
昨夜中学からの友4人と会った。13年ぶり。6時に梅田改札ということだったが仕事で遅れる連絡を入れていたので、20分遅れで梅田に着き改札を出て、「さて何処にいるのかな?」と電話すると、十三にいるとのこと。しまった改札出る前に電話したらよかった。再び電車に乗り十三までバック。最近の電車内は携帯メールしている人が多い。30才前の女性の半分はしているのではないか?一生懸命指を動かしていると、ぼんやり中空を見つめている。多分文章を考えているんだなあ。活字離れが言われて久しいが、会話よりメールにシフトしているのではないかなあ。活字の復活・逆襲。芥川賞受賞者がビジュアル系だったこともプラスに働きそうだ。ビジュアル系に弱い私がこの作品を衝動買いして読んだように、かなり今年の受賞作品は売れているらしい。お父さんに売れてるに違いない。読んでみると結構面白かったりする。今日伊丹駅で電車を待っていると鴻池衆議院?参議院?議員がおられた。確か構造改革担当大臣だったっけ?1人で。なんでこんな所にいるの?車じゃなくて電車に乗っているのは得票にプラスαがあるだろう。でも改札で切符を買ったのかな?私鉄は国会議員の特権無賃乗車出来ないのかなあ?声を掛けようとも思ったが迷惑かもしれない。声を掛けられて、電車に乗る庶民派を演出するパフォーマンスだったのか?そんな詮索はよそう。人を悪く疑ってはいけない。反省。
さて同窓会の方は、十三のがんこ寿司本店2Fだった。がんこって十三で開業したのか、初めて知った。集まったのは中1B組か○君と私、C組の坂○君・須○君・木○君の5人。13年前に坂○家で集まって以来なのでみんな少し変わっている、全体的に太くなっているかな?学生以来平均10kgは増えているようだ。私は優秀5kgだな。そういえば嫁さんはマイナスだと思う、体重維持に対する執念といおうか、夜体重計に乗るときの目は他を寄せ付けないものがある。後ろからそーっと覗いたら仁王様も裸足で駆け出す形相と声で叫ばれたことがあった。くわばらくわばら。友人達の13年前の残像と現在が微妙にずれていたが、過去と変わらない話し方やしぐさを見て30分もすると、過去の残像が修正されて現在と置き換えられたようでぴたっとはまってくる。
十三は坂○家の近くなので、10時頃奥さんが参加してきた。奥さんは学生時代のみんなの共通友人で、明るく笑顔を絶やさない人なので何の違和感もない。「キャー久しぶりー」って言ったかどうかすでに忘れているが、まあそんな雰囲気。「うちの子たち覚えてるー?」。「13年前なので覚えているわけないやろ」と心の中で突っ込みを入れる。「長女呼ぼうか?今大学生22才だよ」。待ってましたとばかり「呼ぼう、綺麗どころを呼ぼう」って言ってから失言に気づくがすでに遅し、「じゃあ、神谷君私はなんなのよ、失礼しちゃうわ」と笑顔で反撃を食らう。親友だと思っていた男達も非難の輪に加わる。「いや、そういう意味じゃなくって、お母さんは昔から知ってるだろ、だから対象外・・・」また失言してしまった。
「こんにちは」と入ってきた美女は坂○の娘さん。ビジュアル系に弱い私は一瞬でチェック、166cm(これは直接聞いた、多分父親は知らないだろう)45kg+2kg?顔が小さい、かなりの美人、市大のミスキャンパスで十分通る、お母さんも美人なのでまあわかるが・・・梅田紀伊国屋書店でアナウンスのバイトしているらしい(当然声もいい)、本当かうそか法科大学院から大阪府知事目指しているらしい。私なら大阪府に転居して清き1票入れちゃうかな?こんなかわいい子が息子の嫁に来てくれたらうれしいな。家内が我が家に来た時は息子2人にうんざりしていたのか?おふくろが「今度フランス人形みたいなお嫁さんが来るの」と大げさな表現をし、おやじもまんざらでもないようだった。「頼むぞ息子達」。今日は彼女に会えただけで来た甲斐があった。
近くのカウンターバーで2次会。啓明に今年合格、洛南に行ってる、市大などどこの家の子も賢い。マスコミ関係の独身1人、みんなから「お金たまってしょうがないなあ」とうらやましがられる。ゴルフせず、自宅は建て替えたらしいがローンも知れているだろう、土日休み、6時に退社して直帰らしい。とてもマスコミとは思えない生活ぶり。放送コードなどの番組審査を担当しているらしい。
ふと時計を見ると1:30、終電もないのでタクシー帰宅、伊丹まで4000円、楽しい日だった。それにしても美人だったなあ。うちも女の子が生まれたらきっと絶世の美女だったろう。なんと言っても家内の子だから・・・残念?これでよかった?

2004/2/16
昨日は義理父の13回忌でした。以前次男から頼まれていた京都下宿から机を自宅に運ぶことも一緒にすることになり、朝6時下宿集合することにしました。遅れてはあとのスケジュールに支障をきたすので、4時に目覚ましをかけました。飛び起きて下宿に向かいましたが、着いたらまだ5時前。こんなに近かったっけ?薄明かりが付いているようで、整理中かと思いベルを押す。「今お風呂入ってるから」の返事。「早いなあ。徹夜やった。今から準備しようと思っててん」。4回生の卒業作品製作助手で寝てないそうです。部屋は割合きれいになっており、次男の作品の設計図や模型がいくつも置いてありました。イラスト・平面図・正面から・側面から・・・すばらしい出来栄えです。海上コンビニエンス→うーん彼らしい、さすがヨット大好き人間、それにしてもこんなイラストを自分で描けるの?プロ作品と同じレベルです。お年寄りと子供の楽園→いわゆる老人ホームでしょう。全部一人部屋で、最近脚光をあびている傾向を取り入れている。手伝っていた卒業作品は大阪空港改築がテーマだそうで、卒業生トップに10人の下級生がプロジェクトに加わっているらしい。「食事代だけで10時間くらいだから、自給100円にも満たない」と言っていたが、楽しく面白いのでしょう、何よりです。
8:30に自宅を出発し、加古川の家内の実家に。10:30からのお寺さんの法要は辛い痺れとの戦いでした。長男がもじもじ、私がもじもじ。家内はお茶やお菓子の用意で台所で立ったり座ったり、「代わってくれー」。まじで車の運転が心配になりとうとう私がダウンして正座からリタイヤしました。ホッとしたのか横の長男もリタイヤ。次男は途中座布団をはさんだりしましたが最後までがんばりました。前の次男は時々足の裏に手をやって感覚を確かめていたようです。その後お墓に参り法要。さらに会食。
お姉さん夫婦は、昨春長女が結婚、次女が西宮で勤め一人暮らし、長男は次男の近くで下宿と2人暮らしになったので、子供達と会うのを楽しみにしていました。再びみんな帰っていきます。従兄弟達も1年ぶりの再会です。昔2家族でキャンプに行っていたのに、一番下の私の次男も今年は3回生、時の経つのは速いものです。次男と従兄弟は学部は違うが同じ学校で1学年違い、特に会ったりしていないようだ。従兄弟と言っても男同士、こんなものでしょう。
関学のワンダーフォーゲルの話になった。キャプテンはなんと長男の高校時代の同級生らしい。TVで謝っている姿を見てビックリしたそうです。同級生で一番早く有名人になった。次男はこのニュースを知らなかった。TVをほとんど見ないらしい。新聞とってないし・・・。インターネット見てたらどこかで目にしそうなものなのに・・・。
その後、先月出産した従兄弟達の一番上の家にお邪魔した。床暖房で快適そうなマンション。従兄弟達はそれぞれボーイフレンド・ガールフレンドを連れてお邪魔したらしい。そういえば、家内と付き合っているとき、浜松のお姉さん夫婦を尋ねたのを思い出した。あの時は、この新米お母さんが生まれたばかりだったなあ。長男は自分の車で参加した。以前加古川に来た時、おばあちゃんを尋ねたが店員さんしかいなかっららしい。今日でお墓に1人で来れるようになったかな?
結局5時くらいに家に着いた。ドラゴンの整備に遅れて参加の予定をしていたが無理だった。

2004/2/11
低体温で何故さすってはいけないのか調べてみた。
体温が34℃以下になると震えて血行をよくして抹消まで血液を巡らせて全身の体温を維持するのをあきらめて、手足などの末端を犠牲にして生命維持に欠かすことが出来ない内臓と頭を助けようとするらしい。つまり血液の巡りをショートカットして、温かい血液を手足に行かないようにする。その状態で手足をマッサージすると、冷たくなった手足の血液が心臓に戻り内蔵を冷やしてしまうことで死に至らしめる事が起こる。ニューヨークなどの大都市では路上生活者が毎年低体温で病院に担ぎ込まれるので、さすってはいけないということがよく知られているが、日本ではそのような方が少ないのでさすってしまって結果死に至らしめているケースが多いらしい。心停止していないのに心臓蘇生措置をすると一気に全身の血液が流れ出しやはり同じ結果になるらしい。体を激しくゆすったりしても全身の血行がよくなりこれも駄目らしい。
その時の措置は、濡れていれば水気を拭いて温かいものに着替え、じっくり温める。脇に温かい物をはさんだり、マウスtoマウスで温かい空気を肺に送るのもいいらしい。寒くて震えているのが止まって意識がなくなる(気を失う)のが目安らしい。幸いディンギーヨットではここまでならないと思うが知識として知っておこう。すごく勉強になった。

2004/2/10
出身大学・関西学院ワンダーフォーゲル部の学生が石川県白峰の雪山で遭難しましたが、無事救出されました。
中学同窓会メール通信で遭難速報が届き心配していました。私は中学から大学までこの学校に通ったのでとても愛着があります。またこのクラブに所属していた友人と数年ぶりに2/22会うことにしていたのでなおさらです。
多くの皆さんに迷惑をかけましたが、先輩から受け継いだノウハウとOB会はじめ監督以下の組織が、3回生のチームリーダーを中心に極限状態でも冷静に判断できたのでしょう。大変な経験だったが大きな何かを得ただろうし、クラブの財産になるだろう。嬉しかったとともに、伝統というものを感じた。私が時々ヨット部で感じることと同じだ。
今回のニュースで、低体温33.?℃というのがありました。33℃以下になれば意識が朦朧として幻影を見て、生命維持が危ういと知っていましたが、専門家からの無線アドバイスで、濡れていれば拭いて温めるがさすってはいけないという指示があったとニュースで言っていた。何故さすってはいけないのだろうか?血行障害で皮膚が薄くなってるの?ちょっと調べてみよう。
芥川賞受賞作「蹴りたい背中」を読み終えた。大学生作家の作品を読んだことがあっただろうか?高校生の頃読んだ「アルキメデスは手を汚さない」「ソクラテス最後の弁明」など一連の?氏作品以来の高校生の視点の作品だ。夏休み前から多分1ヶ月ほどの日常が書いてある本だったけど、回りの描写などが独特の視点で妙に引き込まれた。明るいとは言えない、どちらかというといじめられっこ、孤独の方が居心地がいい少女から見た、さらに孤独を好む少年の描写が微妙で内面の細かいところの表現が引き付けるのかな。いじめられっこ風だけどいじめる子がいない、善対悪の対立でない平和な空気が漂っている。「魔女の宅急便」「紅のブタ」・・・本当の悪のいない作品が好きだ。
でもこの作品は誰が読んでいるのだろう。高校生や大学生?私は「アルキメデス・・・」「狼の紋章」などもっと動きのある本をその頃は好んで読んでたぞ。息子が今その世代だけど、「三国志」や司馬諒太郎の本が部屋に積み上げられている。次男だって「ソクラテス・・・」を私の本棚から取り出して読んでいたような?私が小津安二郎もいいなと思ったのは、30才くらいからかな?うーん、多分大学生の頃この本を買っても最後まで読まなかったのではないだろうか?

2004/2/6
『ピープルファクトリー』からマーマレードが届いた。中と小を注文したが小の300円もかなり食べでがありそうだ。本当は店の来月の景品に100個と思ったが、大谷さんの断りの電話はちょっと残念だった。今年は大谷果樹園の出来が悪かったらしい。次回も予約したのでまた連絡してくれるだろう。
ちょうど昨夜でブルーベリージャムがなくなったので、今夜からヨーグルト+マーマレードになる。ピープルマーマレードは結構おいしいので楽しみです。小さい頃岡本のおばの家に行った時いつももらってきたあの味と同じなので気に入っている。大学の時も車でもらいに行ったものな。阪神大震災で家が全壊になり翌日探し当てた時はうれしかった。避難所の小学校から出るまで3日に1度くらいカイロなどを差し入れした。その後高級な老人ホームに入ったがどうしているだろうか?
もう1つ忘れられない味に、祖母のぶどう酒がある。小さい頃から毎年送ってきて、たまに1口だけ飲んでいたが、母がもったいないとそれ以上飲ませてくれず少しづつストックが増えていったが、祖母がなくなり10年以上前に在庫がなくなった。それからワインを何本か買ったがあの味のものはなく、大抵1口でお蔵入りで探すのをあきらめた。多分まったりとした超甘口なのだろう。市販のものではさっぱりしすぎて同じぶどうとは思えない。

2004/2/1
「世の光、地の塩」元中高部長、現啓明学院中高長尾崎八郎先生の伝記?本を読みました。
先生がまだ新人教師の時、中1で教科書を使わず1年間リンカーンだけを教えられ、熱くリンカーンの奴隷解放を語る姿が強烈に印象に残っています。昨夏青島で先生の変わらない中学生相手でも手を抜かない姿に「変わらんなあ、ちっと年取れよ」なんて思ってしまいました。定期テストに一生懸命勉強していっても問題が「○○について述べよ」1行というのにもビックリし、次に勉強せずになめて臨むと、結局何も書けないのに再度ビックリ。大学生になってあれは大学の問題だとわかりました。
何故あんな授業だったのか?何故あんなに熱かったのか?がこの本を読んで理解できました。「八ちゃん、相変わらずかっこ良すぎるなあ」
私の考えは、関西学院中学部の毎日の礼拝で教えられたされたことがベースになっています。この本を読んで、ほとんど変わらないので、ひょっとして中学から成長していないのでは?と思い、洗脳から抜けていない自分を発見しました。


2004/1/30
明日は大阪・京都・兵庫の統一中学受験日です。兵庫ジュニアからも2名受験します。希望の学校に合格できたらいいね。
店の前の道路には夜9時になると数台の塾帰りのお子さんを待つ親の車がとまる。私が塾パパだった当時を思い出す。伊丹教室の時は店に帰ってきたので迎えに行くことはなかったが、6年になると西宮教室が多くなり、しかも10時、店を閉めて一目散に車を走らせたなあ。親になってあの時期もかなり充実していた時期だった。
かなり面白く特に6年生の1年間は最高だった。何処を受験するか考え学校説明会に夫婦で手分けして行き、情報交換し、試験場に家内と息子を送っていった朝、息子と2人で試験に向かって歩いて上がった坂、試験中の控え室で時間を持て余したこと、合格発表の日、発表から帰ってくる同じ塾の親子とすれ違いながら、「お父さん、僕合格したかも知れん」と笑顔を見せた息子、「お父さんここにいて、僕1人で先に見てくるから」と走っていった後姿、合格発表ボードの前で馬鹿みたいに喜んでいる母親、家族揃って記念写真撮っている親子、みんなとてもいい思い出になっています。テスト直前の塾・担当職員との一体感、正門付近で陣取っている各塾先生の盛り上がりとサポート、少し離れて学用品を配って新たな塾生獲得に精を出す商魂、学生ヨット全日本と共通する気持ちの盛り上がりがありました。
最後は結果はどうでもいい、数年間やり遂げた息子に誇りを感じました。それがあったからその後何があってもこの子達は大丈夫と思えたのでしょう。第1志望が駄目でも第2・第3で合格する子は多く、最後はほとんどの子が勝者になるのもまたいい。中学受験組の家内と結婚したのも、なんか同士と思えたからだろう。明日はみんな日頃の実力が出せますように。

2004/1/23
昨日は寒かった。寒いと言うより痛かった。昼頃雪が降りましたが、この寒さであの雪の量は不釣合い、北風も強かったのに。
私は閉店後オーバーに毛糸の帽子をかぶり駐車場まで走りました。駐車場から自宅も走って、即風呂で「フー極楽極楽」と言ってしまいました。言った後自然にこういう言葉を発するのは俺もやばいかな?焼きが回ったかな?と自己反省。しかも食後に毎日のお勤め晩酌ならぬ晩ヨーグルト500gをしたので完全に体の芯から冷えてしまい再び風呂に入ることになりました。カーペットを最強にしてやっと安らかに眠れました。もう勘弁して・・・車が2WDに変わってスキーの楽しみがなくなった今、西高東低は荒行でしかありません、はい。

2004/1/19
昨日、予定していた仕事がキャンセルになったので、久しぶりに関学ヨット部にお邪魔した。10時ごろ浜についたがすでに出艇していた。なにか食べに行こうとするとジュニアの田中さんに会った。妹の美紗樹ちゃんの船のオーバーホールでこちらに船を運んできたそうだ。美紗樹ちゃんに自分の船持っていいねと聞くと、「お兄ちゃんのもらった」と嬉しそうに話してくれた。親子4人で楽しそうだ。かつて私もそうだったがうらやましい。でも何時までも同じでは進歩がないので今はこれでいい。
艇庫2Fで他大学ヨット部60年史を読んでいると、どのクラブもいろんなことがあり面白い。でもよく数十年前のことを覚えているもんだ。ヨットに打ち込んだ強烈な思い出が頭から離れないのだろう。あるマネージャーからの思い出が載っていた。彼女はA大学ヨット部のマネージャーだけどB大学に通っている。楽しかった思い出を書いていたが、他校であるので最初疎外感があり、食事や掃除とたまにレスキューボートに乗るくらいでもっと仕事をやらせてほしかったとも書いてありました。お互いに気を使っていたのでしょう。でもだんだん信頼されるようになり楽しく過ごせたが、同じ境遇の後輩が辞めてしまったことを残念がっていました。やりがいが大切だなあ、勉強になった。
午後からレスキューに乗って練習に参加した。あまり風はなかったが、他大学が学年末テストで練習していない中、コツコツやっている姿を見て、みんな悔いなくヨットをしてほしいと思った。特に最上級生にはそう思う。午前中にOBの思い出を読んでいたのでそんな気持ちになったのだろう。

2004/1/17
17日は阪神大震災の日です。
あの日、1番被害のひどかったのは、神戸市、その東隣芦屋市、その東隣西宮市で、その東に一級河川をはさんで尼崎市・その山側に伊丹市があります。私の住んでいる伊丹市も駅舎が崩れたりの被害が出ましたが、川向こうほどではありませんでした。川が大きく被害を食い止めたようです。
その朝、大きなゆれで枕もとの家具から本などが全部私の上に落ちてきました。幸い新婚時に買った家具はインターリュプケというドイツ製で天井近くまでありさらに天井との隙間を埋めるように板を張るタイプ(作り付けの家具のように)だったので、家具が倒れることはありませんでした。家内・子供の部屋も全てこの家具なので下敷きになることはありませんでした。
最初に声を出したのは長男の「生きてる?」でした。それに答えるように家族が声を出し行動開始です。次男当時5年は2日間無口になり母親の近くから離れませんでした。長男は行動的で頼もしく動きました。私は店の被害を見回りました。倒壊が心配だった駅前の7階建てマンションの1階にある店も大丈夫で、すぐに朝食を食べて家族の仕事を決め手分けして整理掃除です。
傾いた棚を戻し落ちた商品を並べなおすのですが、シャッターを開けても床が商品で埋もれており、割れた液体物で濡れ奥へ入れません。仕方なく手前から商品を道に出し、レジ・コンピューターへの道確保です。日が上がると人が増え、ヘリコプターからの映像で有名になった倒れた駅を見に11時くらいになると大変な混雑です。店を覗き込んで「ここもひどいねえ」と言って行かれます。道に広げた商品を持って「いくらですか?」とお客さんもみえます。中には1時間ほど手伝ってくれる方もおられます。観光対象になって1人でもくもくと片付ける厳しい1日でした。家内と息子達は家内の店を片付け、夕方には店を閉めて自宅の片付けに取り掛かります。翌日は長男が私の店に来て2人で片付けました。中1とはいえレジ接客と頼もしいものでした。
3日目に次男と従業員さんも来てやっとまともになり、バイクで神戸の親戚を探しに行きました。電話が通じず消息がつかめません。神戸の1人暮らしのおばさんの家は地面のすぐ上が屋根になっていました。いつも寝ている場所にもぐりこむと布団が敷いてあり、ドキッとしましたが幸い血痕などもなく生きていると確信しました。
小学校の避難所には他府県の消防車や自衛隊の炊き出しテントがありすごいなと感心しました。さらに避難している方が避難所にいる方の名簿をノートに作っており、名前を言えばここにいるかどうかわかるようになっていました。重い水の運搬などに近くの学生でしょうかたくさんの若者が忙しく動いていました。おばさんは近所の人に助け出され避難していました。それから数日間毎日詰めるだけのカイロと食料品を積んでバイクで通いました。大変な状況でしたがカイロを皆さんに置いていくと感謝され、学生達の働きに感動しました。1週間ほどたって子供達と車で西宮へ行きました。何を感じたかわかりませんが人生の1ページになったと思います。次男が建築に進んだのに少し影響しているような気がします。この日が来るとあの光景を思い出されます。

2004/1/12
今日は成人式です。次男が朝6時に成人式出席の為に今から帰ると電話をかけてきました。私は昔式に出ませんでした。出るのがかっこ悪いという風潮だったしジーンズ出席も多かったように思います。当時付き合っていた彼女の家に行って1日中うろうろしました。着物を着て嬉しそうでした。ニュースが昨日の荒れた成人式の映像を流していました。スーツやはかまを着てせっかくの式を何故壊すのだろう?成人した牛の世話をしている学生やバスガイドさんなどのメッセージが放映されていた。父母への感謝がほとんどで偉いなあ、私は考えなかったような・・・
街角での新成人の一言に、平和やイラクについての発言があった。イラク政策を聞いて、私がイラク人なら自衛隊が来て道路を作ってくれて、パンや毛布をくれてもそれほどありがたくないなあ。自分は乞食じゃないから。地震直後の緊急物資ではありません。私が首相なら日本の企業に道路修復や水の供給を入札させるだろうなあ。条件は車両・倉庫などに企業名のほかに日の丸を入れること。日本企業に応札がなければ外国企業に発注してもいい。
日本企業は利益が上がり、ノウハウを蓄積でき、その後のイラクでの企業展開が開けます。紛争毎に活躍するノウハウ企業が誕生するかも?イラク人が大量に雇用されるので、反対派も攻撃しにくくなるのでは?私なら働いたお金で子供にパンをやりたい、並んでもらったパンを子供にあげても充実感がないし、子供の目にヒーローと映らない。自尊心も傷つきません。だって働けるんだから。雇い主の会社や日本により感謝します。自分で作った道路の方が値打ちあるし充実感がある。
もし事故が起こって犠牲者が出ても国に責任はありません。企業のリスクです。放送局のクルーが犠牲になっても国に責任がないのと同じです。国会でもめることもなくとっくにイラクの役に立っているはずです。イラクの人にとって重要なのは道路ができることや水が供給されることで日本国がしようが、日本企業がしようが同じことです。
自衛隊が行くことでいくらお金がかかるのだろう?その分民間に発注したらどうだろう。働ける人にただで物を上げることは、あげる側は満足・優越感を得、もらう側に感謝・劣等感を生みます。朝鮮戦争のとき多くの民間日本人が海上輸送などの後方支援をしたと聞きます。日本は朝鮮戦争特需で一気に復興したと聞きます。裏でアメリカが動いたと思うがお金をもらうよりプライドは傷つきません。メソポタミア文化発祥地のプライドを大切にしてあげてほしいな。

2004/1/6
4日から仕事。今年は寝正月だった。お墓参り・初詣には行ったがTV見てもち食べて年賀状書いて、ほとんど家にいた。立命とオンワードのアメリカンを見ていると関学が出てもオンワードに勝てたような・・・昨秋は序盤で近大に負けたんだっけ?終盤の京大・立命との試合の充実を見ると序盤で星を落としたのが痛かった。来年は正月に楽しませてくれ。箱根駅伝は往路も復路も大半見た。ただ走っているだけなのに、マスコミの盛り上げに感心しながら、何故か力が入る自分はなんなんだろうと思った。たすきを渡した後倒れこむ姿を見て涙まで出てきた。彼らは約1時間TVクルーにずっと写されて人生で1番充実した1時間なのだろうな。それに比べればヨットは感動しないなあ。大学で始めてのレースでYHを離れる時の陸上からの応援で涙してから胸の高ぶりを感じたことがないように思う。頭で考える部分が多く、肉体の限界に挑戦する感じがないからなのかなあ。

2004/1/2
おおみそか夜遅く次男が半年振りに帰ってきました。おせちの詰め込みのバイトを26時間ぶっ通しでして、そのおせちを祖父母へのお土産に帰ってきました。昨日「墓参り行くの?」「晩御飯食べに行こう」と私を誘ってきました。建築科なので、2ヶ月ごとにテーマを与えられ、設計図とミニチュアを作って先生にプレゼンし優秀作に選ばれるとみんなの前でプレゼンするそうです。締め切り前になると学校に数日泊り込んで仕上げるそうです。次は新しく買ったPC設計に挑戦するそうです。知らない世界なので興味深く聞きました。ヨットのことも含めて生き生きと話す次男を見ながら親孝行を感じ、対等に話せる関係になれた幸せも感じました。私も親に対してもう少しやさしくならねば。
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